山に生きる人びと


膝の具合ですが、その後、3回水をぬいてその都度ヒアルロン酸を注入しています。しかし、いっこうに改善の兆候はありません。ドクターも「もう水はたまってないと思っていたんですがねえ」と首をひねっていました。こんな調子ではいつ山に行けるようになるのかわかりません。そう思うと暗い気持になります。

だからというわけではないですが、民俗学者の宮本常一の『山に生きる人びと』(河出文庫)と柳田国男の『山の人生』(角川ソフィア文庫)を買って、山に思いを馳せながら、再び読み返しています。いづれもまだ20代の頃、友人と二人で、テントを担いで二泊三日で熊本の五家荘を縦走した際に読んだことがあるのですが、細かい部分はもう完全に忘れています。『山の人生』はkindleにも入っていますが、やはり紙の本でないとなかなか読む気になれず、そのままにしていました。

今、『山に生きる人びと』を読み終えたばかりですが、同書の冒頭は、次のような文章ではじまっています。尚、同書の単行本が刊行されたのは1964年です。

  山中の道を歩いていて、いったいここを誰が通ったのであろうと思ってみることがある。地図にも出ていない道であるのだが、下草におおわれながらもかすかにそこを何人かの人が通りすぎたあとがのこされている。人の歩いた部分はややくぼんでいて、草も生えていないか、生えていても小さい。木も道の上の空間はそれほど枝をさしかわしていない。といって一日に何人ほどの人が通るのであろうか。そういう道を歩ていると草が茂り木が茂って、とだえてしまっていることも多い。それからさきは人も行かなかったのであろうか。それとも雑木や雑草がうずめつくして通ることすらできなくなってしまったのであろうか。
  こうした道はまたどうしてひらいたものであろうか。古い道のなかには獣の通ったあとを利用したものもすくなくなかったようである。
  山の奥のどんづまりの部落でそれからさらに山中にはいり、峠をこえて向う側へ出ようとする道をたどろうとするとき、「どこそこからウサギ道になるから気をつけて行け」などと教えてくれることがある。ウサギ道とかシシ道というのが山の中にはあったうようで、山の中を往来する獣はおのずから道を定めてそこを通った。
(略)
  古い時代には野獣の数はきわめて多かった。そしてそれらが山の中を往来することによっておのずから道はできたわけであろう。その道を人もまた利用したのである。


今、私たちが登山と称して歩いている道のなかには、そんな古の道もあるのかもしれません。しかし、そこにはロマンなどとは別に、山に生きる(生きざるを得ない)人々の並大抵ではないつらい生活の現実があったのです。

著者の宮本常一が、戦前(昭和16年12月)、愛媛県小松から高知県寺川に行く山中で、ひとりの「レプラ患者」(註:ハンセン病のこと)の老婆に会ったという話には身につまされるものがありました。「ぼろぼろの着物を着、肩から腋に風呂敷包をかけていた。杖をついていたが手に指らしきものはなかった」老婆は、阿波(徳島県)から来て、伊予(愛媛県)の知り合いのところに行くのだと言う。どうやって来たのか訊くと、「四国には自分のような業病の者が多く、そういう者のみが通る道があって、それを通ってきた」と言っていたそうです。著者は、「阿波から石鎚山の東まで山道をよぼよぼ歩いて、五日や六日の日はかかったであろう。どこで泊って何を食べてきたのであろうか」と書いていました。

あとで泊めてもらった農家の人にその話をしたら、山中には「カッタイ道」というのがあって、「カッタイ病の者はそういう道を歩いて行き来している」と言われたそうです。

本書は、そういった山間に行き交う人知れぬ道とともに、長年のフィールドワークの賜物である、「狩人」「杣(そま)」「木挽」「木地屋」「鉄山師」「炭焼き」などの一所不定の人生を生きる人々の山の暮らしの様子が、エッセイ風に綴られていました。

私は山国育ちなので、私の原風景は山です。子どもの頃、見晴らしのいい峠に立って、彼方に見える尾根の先に思いを馳せ、いつかあの尾根を越えて行ってみたいと思っていました。

『山に生きる人びと』によれば、山奥で木地や杣(木こり)や狩猟のような山仕事と焼畑農業で生計を立てていた人々の多くは、里から山奥に入ったのではなく、多くは山を越えて(山の上から)やって来たのだそうです。だから、麓で稲作農業をしている里人たちとは没交渉だった場合が多いのだそうです。オーバーな言い方をすれば、別世界の人々だったのです。

たとえば、長野県下伊那郡上村下栗のごときもその一つである。この部落は遠山川の作った峡谷の上の緩傾斜にあるが、下の谷から上って村をひらいたものではなく、東の赤石山脈の茶臼岳をこえて、大井川の方からやって来たものであるという。


ちなみに、赤石山脈とは今で言う南アルプスのことです。茶臼岳はそのなかにある標高2,604mの山です。

(略)山中の村で奥から川や箸や椀が流れて来たのでいって見るとそこに村があったという話は八岐大蛇伝説のほかに広島、島根県境の村や、滋賀県山中できいたことがあるが、これらも山の奥は谷口の方からではなく、山の彼方から来て開いたもののあったことを物語る例であろう。このように山中には水田耕作をおこなわず、定畑や焼畑耕作によって食料を得ていた集落が、私たちの想像をこえたほど多かったのではなかろうか。


そういった一所不定の漂泊の民が通る道が、街道のような表の道とは別に山のなかに存在していたのです。

余談ですが、子どもの頃、父親と久住(九重ではありません!)の山に登ったとき、頂上から「あれが法華院だ」と言って父親が指差した先に、豆粒ほどの小さな建物がありました。法華院温泉の住所は、登山口と同じ久住町有氏(現竹田市久住町有氏)でしたので、父親の知り合いもいたみたいです。

今は、九重町(ここのえまち)の長者原まで車で行って、モンベルもあるような観光地化された長者原から徒歩で行くのが当たり前みたいになっていますが、同じ郡内からは、法華院温泉は山を越えて行くところだったのです。事実、江戸時代までは竹田の岡藩の国境警備を兼ねた祈願所でもあったのだそうです。国境は山を越えた先にあったのです。山を越えるというのは、昔は当たり前のことだったのです。

そう言えば、前も書きましたが、秩父困民党の落合寅市は、明治政府からの弾圧を逃れるために、いったん高知県に逃亡した後、雁坂峠を越えて再び秩父に戻っていますが、おそらく官憲が把握し得ない山道を利用していたのでしょう。落合寅市だけでなく、幹部たちも信州や甲州や東京に潜伏しているところを捕えられています(なかには北海道まで逃走した幹部もいました)。官憲の目が光る街道ではなく、山の人間しか知り得ない逃走ルートが存在したのは間違いないでしょう。

秋田県檜木内(旧秋田県仙北郡檜木内村)にいた山伏は、「生涯に二度ほど熊野へまいったそうで」、その際「山から山へわたり歩いて熊野へ行った」のだとか。「羽黒に属している山伏は羽黒へ、熊野に属している山伏は熊野へ、一生のうち何回かは往復し、また高い山々の峰駆けもしている」のだそうです。

吉野(吉野山・大峰山)というのは、今の奈良県です。羽黒(羽黒山)は山形県の鶴岡市にある山です。今風に言えば、秋田から奈良まで山から山を伝ってトレランで往復したのです。

『山に生きる人びと』には、文政期(1800年代)、若い頃に東北への旅に出て、以後76歳で羽後(現秋田県)で客死するまで、郷里の三河(現愛知県)に戻ることのなかった菅江真澄という人が、旅の途中に郷里の知人に送った手紙が1年後返信されて戻ってきた話が出ていましたが、その「通信伝達の役目をはたした」のも山伏だったのです。

ちなみに、山伏のなかには、麓の里から山麓の村まで物資を運ぶ「荷物持ち」(歩荷)のアルバイトをしていた者もいたそうで、「一人で二三~四貫の荷を背負った」ケースもあったと書いていました。1貫は3.75kgですので、86kg以上になります。前に甲武信ヶ岳から国師ヶ岳を縦走して大弛峠に下りて来たハイカーが背負っていたザックが20kgあるとかで、それを試しに背負わせて貰ったことがありました。よくこんな重いものを背負って山を越えて来たもんだなと感心しましたが、昔の山伏はその4倍以上の荷物を背負って山を登っていたのです。それにつけても、いくら乱暴に歩いたとは言え、たかだか6kgあまりのザックを背負い10キロちょっとの山道を歩いただけで、膝に水がたまって歩くのもままならなくなっている私は、なんと軟弱なんだとあらためて思わざるを得ません。

でも、「山に生きる」ということは、きびしい条件下における艱難辛苦に満ちた生涯であったことは想像に難くありません。落人伝説で語られる山の生活にしても、「世間の目をのがれて、きわめてひっそりと生きて来た」ようなイメージがありますが、実際は「決して安穏なものではなく、むしろそこにはたえず闘争がくりかされていた」そうです。平野部の「政治闘争」(領土争い)に果敢に参加した資料も残されているのだとか。「平野に住む農民たちよりはるかに荒々しい血をもっていたのではないかと思われる」と書いていました。

  元来稲作農民は平和を愛し温和である。日本文化を考えていくとき、平和を守るためにあらゆる努力をつづけ工夫したあとが見られる。にもかかわらず、一方には武士の社会が存在し、武が尊ばれている。しかもその武の中には切腹や首斬りの習俗が含まれている。それは周囲民族の中の高地民の持つ習俗に通ずるものである。それで武士発生の基盤になったものは狩猟焼畑社会ではなかったであろうかと考えるようになって来た。九州の隼人も山地の緩傾斜面で狩猟や焼畑によって生計をたて、関東武士も畑作(古くは焼畑が多かったと見られる)のおこなわれた山麓、台地を基盤にして発生しているのである。


著者は、「試論の域を出ない」と断った上で、このように書いていました。もとより、条件のきびしい山奥で生活するには、「荒々しい血」をもっていなくてはとても生き延びて行けないでしょう。

『山に生きる人びと』を読み返すにつけ、そんな古の人々に思いを馳せ、もう一度山道を歩いてみたい、特に子どもの頃の思い出のある故郷の山をもう一度歩いてみたいという思いを強く持ちました。ただ、一方で、今の膝の状態を考えると、よけい暗い気持にならざるを得ないのでした。
2021.04.08 Thu l 本・文芸 l top ▲
東京オリンピックの聖火リレーが、3月25日から7月23日までの日程で、福島県の楢葉町及び広野町のJヴィレッジでスタートしました。Jヴィレッジというのは、東京電力によって原発建設の地域対策事業の一環として造られた全天候型のスポーツ施設です。その原発関連の施設から「復興五輪」を掲げて聖火リレーがスタートしたのです。原発事故で生活も人生も乱わされた(くるわされた)地域の人たちはどんな思いで、この「復興」の文字を掲げたセレモニーを見たのでしょうか。

早速メディアは、聖火ランナーに選ばれた震災で家族を亡くした男性が、亡き家族への思いを託して笑顔で走った、などという美談を報じています。主要な新聞社やテレビ局は、メディア委員会などに属するスポンサー企業なので、ここに来て開催ありきの本音を臆面もなく出し始めた感じです。

でも、一方で、変異ウイルスを中心にした感染拡大が止まりません。”第四次感染拡大”の懸念さえ出始めています。

このブログでも紹介した『感染症の世界史』の著者・石弘之氏は、下記のインタビュー記事で、「新型コロナウイルスはRNAウイルスという種類で、変異を起こしやすいタイプなので、大変なことになるかもしれない」と考えていたそうですが、実際そのとおりになりつつあります。

カドブン
人類史が教えるパンデミック収束の道筋と、コロナ後の世界

また、石氏は、次のように語っていました。

石:今回の新型コロナウイルスが収まっても、中国奥地に生息する自然宿主のコウモリには数百種のコロナウイルスの変異株が見つかっているそうです。そのなかには次の出番を待っているものがいるかもしれません。次の感染症に備えることも大切だと思います。

 もうひとつ気がかりなのは、私の友人で新型コロナウイルスに感染した人がいるのですが、7ヵ月後に再検査したら抗体がまったく消えていたそうです。ワクチンが普及してもどれだけ効果が持続するのか。ちょっと心配になります。


今のワクチンは、毎年2回打たないと効果が持続しないという話もあります。それで健康上問題はないのか、あるいはそこまでしないと収束しないのかと思います。

また、たまたま現在、私は膝痛でヒアルロン酸を注入されていますが、ヒアルロン酸は、ワクチンの代表的な副作用であるアナフィラキシーショックを起こしやすいと言われています。実際に、ヒアルロン酸の副作用に「アナフィラキシーショック」の記載がありました。膝痛のおっさんだけでなく、美容外科で皺取りにヒアルロン酸を使っている美魔女も要注意でしょう。

そもそも、日本のワクチンの接種率は、まだ1%にも満たないのです(3月26日現在0.03%)。

そういった現実を考えれば、オリンピック開催は狂気の沙汰のようにしか思えません。このまま開催に突っ走れば、間違いなくこの国は、その愚鈍ぶりを世界に晒すことになるでしょう。ざまあみろと言いたいところですが、もちろん、社会の一員である限り、無関係で済ますわけにはいかないのです。感染の恐怖を抱きながら、これからも正しく怖れていかなければならないのです。自分の身は自分で守るしかないのです。

自治体の長たちも、連日、飲食店の時短営業の延長や不要不急の外出自粛の要請など、感染拡大の危機感の共有を訴えていますが、しかし、不思議なことに、誰ひとり開催反対を表明する者はいません。不要不急の外出を控えるようにと言いながら、聖火リレーはマスクもしないランナーたちによって、天下の公道で堂々と行われているのでした。

国家が行うことに対して、野党も自治体の長もメディアも誰ひとり反対する者がいない。「オリンピックなんてやってる場合じゃないだろう」と誰も言わない。これこそ”プチ全体主義”と言えるのではないか。中国やロシアの全体主義を批判する資格はないのです。

新型コロナウイルスで一抜けた(と主張する)中国は、未だコロナ禍の真っ只中で右往左往している世界を尻目に、中華思想の再来を彷彿とするような覇権大国への道を突き進んでいます。既に香港やミャンマーで全体主義=社会帝国主義の影響力の行使がはじまっています。それは、おぞましいとしか言いようのない光景です。

一方、香港やミャンマーに対する米欧西側諸国の対応は誰が見ても心許ないものです。日本に至っては、米欧が提唱する中国への制裁について二の足を踏んでいるようなあり様です。ミャンマーについても、戦争中のいきさつから日本政府は国軍と密接な関係にあり、制裁に後ろ向きだと言われています。過去の軍政下においても、欧米が制裁に舵を切るなかで、日本政府は一貫して経済的な支援を行い、軍政を支えてきたのでした。ジェトロ(日本貿易振興機構)によれば、2020年末の時点でミャンマーに進出している日系企業は433社に上るそうです。しかし、国軍系企業との取引きを見直すと表明したのは、キリンビールだけです。日本は、国軍を支援する中国やロシアと同じなのです。日本のメディアが心配するのも、民衆への弾圧よりも、制裁によって、日系企業がビジネス上の被害を蒙るのではないかということです。挙句の果てには、曖昧な立場だからこそ、国軍と欧米を仲介する役割を期待できるなどと言い出す始末です。

西側諸国の対応が心許ないために、香港やミャンマーの民衆の抵抗運動は孤立し、独裁権力の弾圧のなかで苦闘を強いられています。そのために、悲劇はどんどん増すばかりです。それどころか、国軍のクーデターに抗議の声を上げる在日ミャンマー人たちに対して、ネトウヨや自粛厨は、「コロナ禍で迷惑だ」「ミャンマーに帰れ」などと罵声を浴びせているのでした。

全体主義に対して全体主義で対抗する。トランプ政治であきらかになった”全体主義の時代”がポストコロナの世界の主流となるのは、もはや既定路線のようになっています。

コロナ禍において「ファシスト的公共性」を希求する大衆の心情が(みずからの基本的人権を何のためらいもなく国家に差し出す大衆の”動員の思想”への回帰が)、このような流れを作り出しているのは否定し得ない事実でしょう。

ただ、こういった国家に依存した”全体主義の時代”は両刃の剣でもあるのです。今回のコロナ禍で露わになったように、盤石だったと思われていた国家が機能不全に陥ることだってあるのです。

斎藤幸平は『人新生の「資本論」』(集英社新書)で次のように書いていました。

    (略)危機の瞬間には、帝国的生活様式の脆弱さが露呈する。実際、コロナ感染の第一波が襲った瞬間、先進国では、マスクも消毒液も手に入らなかった。安くて、快適な生活を実現するために、あらゆるものを海外にアウトソーイングしてきたせいである。
   また、SARSやMERSといった感染症の広がりが、遠くない過去にあったにもかかわらず、先進国の巨大製薬会社の多くが精神安定剤やED(勃起不全)の治療薬といった儲かる薬の開発に特化し、抗生物質や抗ウイルス薬の研究開発から撤退していたことも、事態を深刻化させた。その代償として、先進国の大都市は、レジリエンス(障害に直面した際の復元力)を失ってしまったのだ。


そして、「こうした問題は、『価値と使用価値の対立』として、マルクスが問題視していた事柄にほかならない」と書いていました。

資本の価値増殖のために、本来の人間の経済活動の目的であった使用価値は価値に従属されるようになったのです。国家をリバイアサン(怪物)と呼んだのはホッブスですが、資本主義社会では資本こそがリバイアサンなのです。その最たるものがネオリベラリズムでしょう。ネオリベは、みずからの出自である国民国家さえ足手まといだと言わんばかりに飛び越えて、世界市場で文字通り野蛮なリバイアサンとして、価値増殖の猛威を振るうようになったのでした。

つまり、斎藤幸平のことばを借りれば、非合理的な資本主義社会では、「命を救う」ワクチン(使用価値)より儲かるEDの薬(価値)が優先されるのです(ただ、今回のパンデミックでは、開発競争を制したファイザーやモデルナ、アストラゼネカなどの世界的医薬品メーカーは、莫大な利益=価値を手にすることになりました。ちなみに、ワクチン1回分の売価は、1400円〜1600円と言われています)。

もとより、今回のオリンピック開催においても、「価値と使用価値の対立」が露わになっているように思えてなりません。国民の健康より、オリンピックに商業的な利益(=価値増殖)を求める資本の都合が優先されるのです。オリンピックに先行投資した彼らにとって、やめるなんてあり得ない話でしょう。これこそ資本の野蛮な性格が如実に表れているように思います。もちろん、そのなかには、新聞社やテレビ局などのマスメディアも含まれています。だからよけいタチが悪い。

斎藤幸平は、「『コミュニズムか、野蛮か』、選択肢は二つで単純だ!」と書いていましたが、ここで言う「コミュニズム」というのは、脱成長を前提にした自治管理や相互扶助に基づいた社会のことで、間違っても、中国のような人民の一挙手一投足が徹底的に管理されたディストピアのような(”思想の生産力主義”に呪縛された)社会のことではありません。

でも、前も書きましたが、私はきわめて悲観的です。ポストコロナの世界は、やはり、全体主義で全体主義に対抗する、”全体主義の時代”が私たちの頭上を覆うような気がしてなりません。


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2021.03.27 Sat l 社会・メディア l top ▲
他人の膝痛などあまり関心はないかもしれませんが、今日、再び近所の整形外科に行きました。痛みがいっこうに改善しないからです。

診察した結果、やはり水がたまっていると言われました。そして、水を抜いたのですが、ただ、量は前回の半分くらいだと言っていました。

膝の裏が痛いとか座っているときや寝ているときに痛いとか言うのではなく、歩くときに体重がかかったら痛い、それも膝の前下が痛いと言うのであれば、「変形膝関節症」や「半月板損傷」などではなく、やはりオーバーユースが原因だろうと言っていました。

それに、関節砲のなかの水(関節液)も前回より減っているので、改善の兆候はあると言われました。

そして、水を抜いたあと、前回と同じヒアルロン酸のアルツディスポ関節注25mgを注入されました。また、今回は、痛み止めのテープとともにあらたに飲み薬と胃薬を処方されました。これで痛みがいくらでも改善されることを願うばかりです。

ただ、これで服用する薬は、花粉症の薬を入れると6種類、花粉症を除いても5種類になります。飲み薬以外に、花粉症の点眼薬と鼻炎薬、それに今回の鎮痛・抗炎症剤の貼り薬(テープ)があります。なんだか年齢ととももに、段々薬漬けになっていくような気がしてなりません。

前に高校時代の同級生と食事に行ったとき、食後、同級生がやにわにテーブルの上に薬を並べ、ひとつひとつ飲み出したのを見て笑ったのですが、もう他人事ではなくなってきました。

余談ですが、先日、地元にいる高校時代の同級生から突然電話がかかってきました。電話に出ると、「おおっ、生きているか?」と言われました。電話の向こうからは、「ハハハ」という奥さんお笑い声が聞こえてきました。

何でも千葉でひとり暮らしをしていた同級生が孤独死したのだそうです。よくわからない話ですが、「血がつながってない娘」が訪ねて来て遺体を発見したのだとか。それで、ひとり暮らしをしている私に電話をかけてきたようです。

私自身、亡くなった同級生とはほとんど交流はなかったのですが、毎年1回は親の墓参りのために九州に帰省していたそうです。しかし、既に実家がないので、ホテルに泊って、親しい同級生と会っていたみたいだと言っていました。「そういったところもお前とよく似ているからな」と言われました。

私は、若い頃何度も入院した経験があるし、親戚に医療関係者が多いということもあって、病院の敷居は低く、なにかあるとすぐ病院に行くクセがあります。そのため、服用する薬が多くなるのは当然かもしれません。ちなみに、手持ちの診察券を数えたら8枚ありました。

今日、病院の近くの処方薬局に行って薬ができるのを待っていたら、70歳をとうに越えたような婦人がやって来ました。受付で処方箋を出した際、「お薬手帳は持っていますか?」と訊かれていましたが、どうやらお薬手帳は持って来てないみたいでした。すると、そのあと、受付の女性が老婦人のもとにやって来て、「保険証を見せていただけますか?」と言っていました。老婦人は、「3年ぶりですからね」と言って、笑いながらバックのなかから保険証を出していました。

私は、その様子を横目で見ながら、「3年ぶりって凄いな」と思いました。もちろん、ほかの薬局に行っていたのかもしれませんが、その年齢でもし3年間医者にかかってなかったとしたらたしかに凄いことです。私などには考えられません。

年をとって病院に行くと、文字通り「ドツボにはまる」ようなところがあります。病院は「もう来なくて大丈夫ですよ」とは決して言わないのです。かかりつけ医があるにもかかわらず、時間の都合でほかの病院を受診し、かかりつけ医で看てもらっているからと言ったにもかかわらず、再来を指示され、再び受診したらかかりつけ医と同じ薬を処方された(しかもひと月分)ということがありました。

どう考えても重複しているのです。意地悪な解釈をすれば、”患者を奪う”ような意図さえ感じました。それで、処方箋を無視して、以後その病院に行くことはありませんでした。医療費の増大のひとつの側面を垣間見た気がしました。

私は、今回膝痛を経験するまで知らなかったのですが、整骨院などは保険適用にきびしい条件が課せられているようです。健康保険が適用されるのは、急性期の外傷性の負傷に限られ、しかも、骨折や脱臼などは医師の同意が必要なのだそうです。また、同じ負傷で整形外科や外科で治療を受けたあとに、整骨院や柔道整復師に「重複並行的」にかかった場合、保険が適用されず全額自己負担になるそうです。

そのため、整骨院などは、経営上、自由診療の体制に移行するのが急務だと書いていました。整骨院に行くと、回収券の購入を勧められるという話も聞きますが、そうやって携帯のキャリアと同じようにお客の囲い込みが行われているのでしょう。ひとつの部位の施術に行ったのに、いろんな部位は関連しているからと言われて、ほかの部位の施術も行われるのを「部位回し」と呼ぶのだそうですが、そういった業界の姿勢が医療費の抑制をめざす厚労省に目を付けられたのかもしれません。

私が住んでいる街の駅前通りは、美容院とドラッグストアが異常繁殖しています。美容院の乱立によって、昔ながらの理髪店の廃業が相次ぎ、理髪店はもう残り僅かになりました。理髪店には1980円のような安売りの店もありますが(私が行っているのは3700円)、美容室にもそれと同じか、それ以上に安い店もあるみたいです。店のなかを除くと、頭の禿げた爺さんが椅子に座って順番を待っていたのでびっくりしました。私などの感覚では、頭の禿げた爺さんが美容院(昔のパーマ屋)に行くなんて考えられないことです。

しかし、駅前通りに異常繁殖しているのは、美容院とドラッグストアだけではありません。整骨院も同じです。そこには、膝や肩や腰の痛みに悩む老人たちが多くなった高齢化社会の背景があるからでしょう。それは、テレビ通販のサプリや健康食品の増殖と軌を一にしているように思います。

飲み薬と湿布薬で痛みが緩和され、炎症も治癒されればいいなあと思います。切にそう願っています。こうやって身体に不調を覚えると、気分も落ち込まざるを得ません。何より日常生活が不便でなりません。将来このように歩くのもままならなくなる可能性は充分ありますが、しかし、その前にもう少し一度きりの人生を楽しみ山にも行きたいのです。


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黒田三郎「夕暮れ」
2021.03.26 Fri l 健康・ダイエット l top ▲
膝痛ですが、その後、まったく痛みが消えません。前の記事に書いたとおり、当初は楽天的だったのですが、徐々に深刻になってきました。

痛みの箇所は、膝の前下のやや内側、シロウトの見方ですが、膝の関節図を見ると、関節軟骨のあたりのような気がします。

座っているときや階段を登ったり下りたりするときはほとんど痛みはありません。歩いていて、足を着地し膝が延びるときに痛みが出るのです。つまり、交互に足を出すのに、一瞬片足立ちになり全体重がかかるときに痛みが発生するのでした。

両膝を比べると、再び右膝が少し腫れているように思います。水がたまりはじめているのかもしれません。

月曜日に病院に行った際、次回は1週間後と言われましたが、明日でもまた行ってみようかなと思っています。

経験者に訊いてみようと膝の手術した知人に電話をしたら、病院や整骨院に対する悲観的な話ばかり聞かされて暗い気持になりました。彼は、何年も前から膝痛に悩み、病院や整骨院を渡り歩いたけど改善せず、結局、人工関節?を入れる手術をしたそうです。「もういくらお金を使ったかわからないよ」と言っていました。

ネットで検索しても、たとえば温める方がいいのか、冷やす方がいいのかさえわかりません。温めた方がいいと書いているサイトもあるし、冷やす方がいいと書いているサイトもあります。なかには、冷やしてくださいと書いているけど、後半になったら温めてもいいですと書いているサイトもありました。また、ストレッチをした方がいいのか、しない方がいいのか、それもはっきりしません。どっちなんだとツッコミを入れたくなりました。

と言っても、それらは一時問題になったキュレーションサイトです。Googleで検索して出て来るのは、キューレーションサイトばかりです。そういったなりすましの”腹にいちもつ”の情報しかないので、どれが真実なのか、そもそも真実はあるのか、そのあたりから疑わざるを得ないのでした。

余談ですが、一般的なテキスト主体のサイトでもそのあり様なので、動画に特化したYouTubeはもっと情報が限られるのです。これは登山などにも言えますが、YouTubeだけの情報でものごとを判断するのはきわめて危険だなとあらためて思いました。

夜になり病院も既に閉まっているので、近所の整骨院に行ってみようかと思って、文字通り重い足取りで(右足を引き摺りながら)自宅を出たのですが、整骨院に向かっていたら、ふと知人の話を思い出して、行っても無駄ではないかという気持に襲われたのでした。それで、踵を返してドラッグストアに行き、「熱さまシート」と「あったかカイロ」を買って帰りました。両方買ったのは、温めていいのか、冷やしていいのかわからないからです(笑)。

品出しをしていた店員に「すいません。冷やすものはありますか?」と訊きました。
「冷やすものですか?」
「そうです。熱が出たときに貼るやつです」
「ああ、はい、はい、こちらですね」
そう言われて、「熱さまシート」が並べられたコーナーを案内されました。

今度は温めるものです。
「すいません。もうひとついいですか」
「はい」
「温めるものはありますか?」
「エッ、温めるものですか?」
店員も戸惑っている感じでした。心のなかでは、「この人、どうなっているんだ?」と思っていたのかもしれません。
「そうです。ホッカイロみたいものがあるじゃないですか」
「あっ、はい、はい。ただ、もう季節の商品は入れ替えが行われたのであるかどうか・・・・」
と言われて、「熱さまシート」からかなり離れたコーナーに連れて行かれました。

「たしか、このあたりにあったと思うのですが・・・・。あっ、ありました!」
指差された方を見ると、虫除けのムシューダやタンスにゴンゴンなどが並べられたワゴンの一番下に、如何にも売れ残りという感じで「あったかカイロ」の箱がありました。手に取る際、埃をかぶっているんじゃないかと思ったくらいです。

しかし、家に戻り、「熱さまシート」と「あったかカイロ」を前にして、これからどうすればいいんだと思いました。温めて冷やすのか、冷やして温めるのか。ハムレットのような心境になっています。もうマンガみたいな話です。

(その後、「膝 水 痛い 温める 冷やす」と検索したら、某病院のサイトがヒットしました。それによれば、急性期は冷やす、慢性期は温めると書いていました)

ただ、言うまでもなく、こういったことは気休めでしかありません。炎症なりが治癒しないことには、同じことがくり返されるだけです。しかし、治癒するのも特効薬はなく、どうやら自然治癒を待つしかないような感じです。保存療法というのは、そういうことではないのか。

病院では変形膝関節症でも半月板損傷でもないと言われましたが(そう言われてホッと安堵したのですが)、ホントなんだろうかと疑いの気持さえ持つようになりました。何事においても悲観的な性格がここでも頭をもたげているのでした。
2021.03.24 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
先々週に三ツドッケに登ったあと、右膝に違和感がありました。私は、若い頃、左膝を痛めていますので、山でも常に左膝をかばうように歩いています。それは無意識のうちにそうやっているのです。

登りながら写真を撮るので、ストックも1本しか使っていませんが(下りは2本使っている)、そのストックも左手で持つ場合が多いのです。また、登りや下りでも、段差があるところはいつも右足から先に出しています。そのため、右足(膝)に過重な負担がかかっているのは自分でもわかっていました。

そして、2~3日すると痛みが出てきました。もちろん、今までも膝痛を経験していますので(それは大概左膝でしたが)、時間が経てば治るだろうとタカを括っていました。

ところが、日を追うごとに痛みが増してきたのでした。痛み止めのロキソニンのテープを貼ってもほとんど効果がありません。椅子に座っているときや階段を下りるときはそうでもないのですが、道を歩くと右膝がビンビン痛みます。そのため、おのずと右足をひきずって歩くようになりました。

ベットに足を伸ばして寝ていても、痛みはないものの、膝裏にだるさのような、そんな違和感がずっとありました。

それで、今日、近所の整形外科に行きました。受診の結果、膝に水がたまっていることがわかりました。たしかに、左右の膝を比べると、あきらかに右膝がいびつに腫れているのがわかりました。

私は、もう6~7年泌尿器科の病院に通っていますが、泌尿器科のドクターと比べると、今日のドクターは対応も説明も非常に丁寧で、こっちが恐縮するくらいでした。

上記の登山の話をしたら、恐らく膝の「処理能力」に比して過重な負担がかかったために、水がたまったのではないかと言われました。こういう場合、往々にして「変形膝関節症」や「半月板損傷」や「関節リウマチ」などが疑われるけど、膝の痛みの7~8割は年齢に関係のない過重な負担が原因なのだそうです。年齢とともに膝の「処理能力」が低下するので、高齢者に膝痛が多いのは事実だけど、しかし、膝痛は高齢者だけの話ではない、膝の痛みに関しては老いも若きも関係ないと言っていました。

「処理能力」を超えた過重な負担(オーバーユース)について、膝の「赤字」という言い方をしていました。「赤字」を「黒字化」しなければならないのです。「黒字化」する方法はふたつあります。出費を控えて倹約することと収入を増やすことです。出費を控えるというのは、膝を休ませることです。あるいは、ダイエットして体重を減らすことです。収入を増やすというのは、より筋力を付けるためにストレッチなどを行うことです。しかし、「赤字」のときにそれをやるのは逆効果だと言っていました。よけい膝を悪化させるだけだと。しかし、ネットには、膝痛にはこういうストレッチがいい、こうすれば膝痛が解消されるなどと、「収入を増やす」いろんな方法が出ています。

私も、何かあるとすぐネットで調べる(ググる)癖がありますが、膝痛に関しても、検索すると、ドクターが言うように「変形膝関節症」や「加齢による軟骨の減り」や「半月板損傷」などといったワードが真っ先に出てきて、どうしてもそれらと結び付けたくなります。でも、それは、間違ってはいないけど偏った情報なのです。そのため、結果的に正しいとは言えないのです。そういったワードが多く出てくるのは、Googleのアドセンスやアドワードとの関連があるからでしょう。

それは、ネットの特徴というか、広告と連動した検索エンジンの”宿命”とも言えるものです。政治でも登山でも、あるいは社会的な事件でも芸能人のゴシップでも同じでしょう。つまり、私たちに求められているのは、「間違ってはいないけど偏った情報であるがゆえに、結果的に正しいとは言えない」ことを見極めることができるかどうかなのです。それがいわゆるネットリテラシーというものだと思います。間違ってもGoogleは神ではないのです。単なる広告会社なのです。「Don't be evil」という行動規範も、建前に過ぎないのです。

話は戻りますが、膝の関節は関節包という膜に覆われており、その関節包のなかに潤滑油の役割をする関節液があり、それが関節を湿らす程度に常に分泌され吸収されているのだそうです。しかし、膝に炎症などができると、関節液が過剰に分泌され吸収されずに関節包のなかに溢れるのだそうです。それが「水がたまる」という言い方になるのです。そして、たまった水(関節液)が関節を支える筋肉を圧迫するので、痛みが発生するのです。

膝に残っている水を注射器で吸引し(注射器2本分の黄色い関節液が吸引されました)、ヒアルロン酸1本分を注射されました。1週間後に再度診察して、状況が芳しくなければ、週1本、全部で5本分のヒアルロン酸を注射した方がいいでしょうと言われました。

また、念の為にレントゲンを撮りましたが、ドクターからは「年齢を感じさせないきれいな膝ですね」「全然問題ないですよ」と言われました。もう二度と山に行けないのではないかと思っていましたので、安堵しました。しばらくは山行を中止して、膝を休めるしかなさそうです。

たしかに、このところ急登や距離の長い山行が多かったので、膝に過重な負担がかかったのだと思います。今日の話とは矛盾しますが、年を考えずに走りすぎたのかもしれません。

特に、先日の三ツドッケの下りが決定的だったように思います。やはり、自分のペースでゆっくり歩くべきだったと反省しています。どこかでコースタイムに拘っていた軽薄な自分がいたように思います。前に山で会ったガイドの人が、「年寄りのハイカーは無茶な人が多いですよ」と言ってましたが、そんな無茶な人に惑わされたという側面はあるのかもしれません。

余談ですが、山での歩き方については、下記のサイトが参考になるように思いました。特に、重心移動の仕方については目から鱗でした。何事でもそうですが、理論はたしかに大事なのです。理論は言い換えればコツなのです。私も最近は登りでも「横向き」を多用していますが、そうするとずいぶん楽になりました。

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国際山岳ガイドが教える登山施術 登山の歩行技術
2021.03.22 Mon l 健康・ダイエット l top ▲
こんな床屋政談みたいなことばかり書いても虚しくなるばかりですが、1都3県に出されていた緊急事態宣言は、明日(21日)で全面解除されることが決定しました。それにつけても、今回の緊急事態宣言はなんだったのか。まして、2週間の延長なんて、文字通りの蛇足だったとしか思えません。

緊急事態宣言の愚策については、ノンフィクションライターの窪田順生氏が、DAIAMOND onlineに書いていた下記の文章が正鵠を得ているように思いました。

DAIAMOND online
根拠なき緊急事態宣言延長で「経済死」を国民に強いる日本は75年前のまま

政治家や官僚の事なかれ主義は言わずもがなですが、いつの時代もおまかせな”翼賛体制”を無定見に欲する国民のあり様も問題でしょう。先の戦争でもそうですが、国民は無謀な政治に引きずり込まれた犠牲者ではないのです。みずからそれを欲したのです。緊急事態宣言の解除についても、世論調査では反対する声が多数です。しかし、一方で、自粛破りする自分を「自粛疲れ」などと弁解することも忘れないのです。こういう身勝手さこそ衆愚の所以でしょう。

おととい(木曜日)の深夜2時すぎ、所要で池袋の西口を車で通りました。飲食店は午後8時までの時短要請が行われているので、飲み屋街も寝静まっているのではないかと思っていましたが、あにはからんやコロナ以前の”眠らない街”の光景がそのままありました。

私も山に行っているので他人のことをとやかく言えないのですが、特に若者の姿が目立ちました。通りを千鳥足で歩いているだけでなく、地べたに座り込んでいる若者もいます。飲食店が入ったビルからは若者のグループがぞろぞろ下りて来て、舗道で嬌声を上げながら騒いでいました。通りの角に立ち、客引きをしている若い女の子たちもいました。

店の看板の照明は消されているものの、通りは煌々とした灯りに照らされて、まさに不夜城といった感じでした。飲み屋街から少し行った北口の通りには、深夜で駐車違反の取り締まりがないからなのか、路上駐車の車がずらりと停まっていました。どう考えても、飲みに来た人間たちの車だとしか思えません。

また、飲み屋街のなかの通りは、路肩に客待ちのタクシーが列を作って停まっているため、通り抜けるのもひと苦労するほどでした。しかも、タクシーの間から酔っぱらいがふいに飛び出してくるので、運転していても気が抜けません。そのあたりは、2014年に合法(脱法)ドラッグを吸引した男性が運転するRV車が舗道を暴走し、1人が死亡6人が重軽傷を負う事故のあった通りです。街の光景は、その頃と寸分も違わないのでした。

有名無実化した緊急事態宣言。しかし、政府は緊急事態宣言の効果を自画自賛しています。また、解除に伴って、猛威を振るいつつある変種ウィルスに対するモニタリング検査の拡充など、今後の感染対策の5大方針も発表されました。飲食店の時短営業も当面は継続されるそうです。でも、それらは、今まで何度もくり返されてきた空念仏にすぎません。

時短営業では、一日6万円の協力金(東京都の場合)で”コロナバブル”に沸いている店もあると言われています。飲食街で貸しビル業をやっている知人は、店をやめると言っていたスナックの高齢の経営者が、協力金で急に元気になり、不労所得で手に入れた優雅な日々を謳歌していると笑っていましたが、そういった話もめずらしくないでしょう。知人は、コロナが終息して協力金を貰えなくなったら、スナックは予定通り閉めるだろうと言っていました。

知人は、役人のことを「あいつら」という言い方をしていましたが、「あいつらは、原資が税金なので、やっていることがザルなんだよ」と憤慨していました。”Go To Eat”の申請書についても、「ものすごく立派な封筒が届いたのでびっくりしたよ」「普通の封筒でいいと思うけど、そうじゃないんだ。特注の分厚い封筒で、どれだけお金をかけているんだと思ったよ」と言っていました。

でも、”コロナバブル”で旅行三昧のスナックのママなんてまだかわいいものです。”Go To Eatキャンペーン”では、ポイント付与業者に選ばれた菅総理のスポンサー企業であるぐるなびなどは、目もくらやむような莫大な収益を上げて、場末の飲食店などとは桁違いの”コロナバブル”を謳歌しているのでした。

もっとも、国家を食い物にしているのは、政治家やそのオトモダチ企業だけではありません。「あいつら」も同じなのです。

立憲民主党の辻元清美議員は、山田真貴子内閣広報官が東北新社の菅総理の息子らから接待を受けていた問題について、「安倍政権のときは、森友(学園の問題)で財務省が振り回されて自殺者まで出したけど、菅政権でも、今度は息子さんで優秀な女性官僚が潰されたという側面もあるんじゃないか」(朝日新聞デジタル)と記者団に述べたそうですが、辻元議員は「地頭は転んでも只では起きない」という諺を知らないのかと思いました。

国が掲げる某看板政策に関わり、その政策を実行するための関連団体(天下り団体)から委託されて実働部隊の仕事をしていた別の知人も、「あいつらは乞食と同じだよ」と常々言っていました。”たかり”は、中央の官僚から地方の末端の役人まで、規模の違いこそあれ、地頭の時代からずっと続いている、公務員の習性とも言えるものなのです。私も若い頃、似たような経験をしたことがありますが、仕事で公務員と関わったことがある人なら、そういった公務員の卑しさを痛感した人は多いはずです。

それは、日本の社会が官尊民卑のイデオロギーに縛られているからにほかなりません。「優秀な官僚」以前の問題なのです。辻元議員の発言も、官尊民卑のイデオロギーを前提にしたものにすぎないのです。

その結果として、国会でのあの人を食ったようなデタラメな答弁があるのだと思います。憲法では、国会は「国権の最高機関」と謳われていますが、彼らにはその認識は微塵もないのでしょう。でないと、「国権の最高機関」である国会を愚弄するようなあのようなデタラメな答弁は出て来ないはずです。彼らは公僕ではなく、ときの政権の下僕にすぎないのです。内閣人事局の創設で、官邸に生殺与奪の権利を握られたということもあるのでしょうが、彼らこそ上にヘラコラし下に威張る”ヒラメ上司”の典型と言えるでしょう。この場合の上は与党政治家で、下は国民です。

今回の問題は、「優秀な官僚」がどうたらではなく、国家の仕組みそのものを根本から変えなければどうにもならないということを示しているのです。まさに革命待望のような話なのです。しかし、野党議員には、その思想も気概も認識もないのでした。いみじくも福島みずほが言ったように、カレーライスをライスカレーと言い換えて、「優秀な官僚」はそのままに、同じ権力の移譲を求めているだけです(でも、移譲なんて永遠にあり得ない)。

いわゆる左派リベラルと呼ばれる、未だ”革新幻想”に囚われた観念の屍のような人たちは、それこそ目を皿のようにして与党と野党の違いを探し出し、立憲民主党のような保守政党に同伴することで”政治を変える”運動をしているつもりになっているようですが、それはうんざりするような前時代の遺物の光景でしかありません。彼らは、二大政党制幻想と政党助成金と小選挙区比例代表並立制がセットになった政界再編なる”翼賛体制”に、みずからが組み込まれているという自覚さえないのです。与党も野党も、そして左派リベラルも、所詮は同じ穴のムジナと言うべきでしょう。
2021.03.20 Sat l 社会・メディア l top ▲
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武蔵小杉駅~立川駅~青梅駅~奥多摩駅~東日原バス停~【三ツドッケ(天目山)】~東日原バス停~奥多摩駅~青梅駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約6.5時間(休憩等含む)
※山行距離:約12キロ
※累計標高差:登り約1,226m 下り約1,228m
※山行歩数:約23,000歩
※交通費:3,458円


昨日(10日)、三ツドッケ(天目山・1575メートル)に登りました。三ツドッケは都県境尾根の長沢背稜にある山です。尚、三ツドッケというのは、埼玉側の呼び名で、東京側の呼び名は天目山です。天目山という山は山梨や群馬にもありますし、中国の浙江省にもあるみたいなので、もしかしたら日本文化あるあるで中国の山に模して命名されたのかもしれません。

だからという訳ではありませんが、私は埼玉側の呼び名である三ツドッケの方が好きです。ほかにも、雲取山から長沢背稜へ向かう分岐のところには芋ノ木ドッケ、秩父の浦山には大ドッケがあります。また、同じ長沢背稜にある酉谷山(とりだにやま)も、埼玉側では黒ドッケと呼ばれています。ドッケというのは、「尖ったところ」という意味の秩父の方言だそうです。つまり、三ツドッケには三つの瘤があり、そのひとつが山頂になっているのです。

三ツドッケの下には、連続強盗事件で有名な一杯水(いっぱいみず)避難小屋がありますが、一杯水避難小屋から山頂へは距離こそ短いもののかなりの急登で、しかも、いったん登ってまた下ることをくり返さなければなりません。

山にはマナーの悪いおばさんやおっさんだけでなく、痴漢や泥棒もいるし、大言壮語の嘘つきは掃いて棄てるほどいます。それどころか、追いはぎまでいるのです。山と言っても、所詮は地上の延長なのです。「こんにちわ」と挨拶するので、山に来る人はあたかも”いい人”ばかりのように思いがちですが(登山者性善説)、それは幻想でしかないのです。

早朝5時すぎに横浜の家を出て、武蔵小杉まで東横線、武蔵小杉からは南武線・中央線・青梅線を乗り継ぎ、奥多摩駅に着いたのは8時すぎでした。駅前のバス停から東日原(日原鍾乳洞)行きのバスは数分後に出ます。急いでバス停に向かったら、既にバスは乗客を乗せて待機していました。

乗客は20数名でほぼ座席が埋まるほどでした。鍾乳洞に行くとおぼしき数名の若者以外はハイカーでした。ただ、ハイカーの大半は、川苔山の登山口がある川乗橋(かわのりばし)のバス停で下車し、残ったハイカーは私と40代くらいの男性ハイカーふたりだけになりました。

東日原は、川乗橋からさらに6つ先のバス停です。もうひとりの男性も私と同じ東日原で降りました。通常、東日原にある登山口は、三ツドッケと鷹ノ巣山の稲村岩尾根ルートのふたつです。

ただ、鷹ノ巣山の稲村岩尾根ルートは、一昨年10月の台風19号の被害で未だ通行止めになっていますので、現在、 東日原からは三ッドッケか一杯水避難小屋を経由する蕎麦粒山しか登ることができません。また、東日原行きのバスも、道路の崩落により1年以上運休していて、去年の12月に再開したばかりなのです。

私は、バス停から数十メートル戻ったところにある登山口から登ったのですが、もうひとりの男性はバス停の先の方に歩きはじめました。先の方からも登山道に合流できるみたいですが、大半のハイカーは手前の登山口を利用します。道がわかってないのかなと思いました。

東日原のバス停は、一日の何便かは終点及び始発になるので、屋根付きのベンチとトイレのほかに、バスが方向転換できるようなスペースも設けられています。尚、日原鍾乳洞のバス停は、東日原から二つ先です。

トイレに行ったあと、ベンチで準備をしていたら、登山の恰好をした高齢の女性がやって来てトイレに入りました。そして、トイレから出て登山の案内板を見ていたのですが、突然、後ろを振り返り、「すいません」と話しかけられました。

「鷹ノ巣山の稲村岩尾根は通行止めなんでしょうか?」と驚いた様子で訊くのでした。
「そうですよ。一昨年の台風で登山道が崩落したとかでずっと通行止めになったままなんですよ」
「エエッ、そうなんですか。鷹ノ巣山に登るつもりで来たんですが・・・・。困ったなあ」と困惑した表情を浮かべていました。

そして、「失礼ですが、どちらに登るのですか?」と訊くので、「三ツドッケ、ここに書いてある天目山です」と案内板の地図を指で示しました。
「天目山? 結構距離があるみたいですね?」
「でも、鷹ノ巣山よりは楽ですよ」
「そうですかあ。残念です。ありがとうございました」と言って駐車場の方に歩いて行きました。

登山口は、集落が管理するハイカー用の駐車場の前の坂を登って行くのですが、坂に差しかかると、先程の女性がご主人とおぼしき男性とふたりで道路脇に立っていました。どうやら車で来たみたいです。そして、私から聞いた話をご主人に伝えているところでした。「あの方は天目山に登るみたいですよ」という女性の声が背中の方から聞こえてきました。

三ツドッケは、片道が6キロです。最初は樹林帯の中の九十九折の道を歩きますが、1200メートルくらいから先は痩せ尾根、そして巻道がつづきます。巻道は幅が狭く、横は断崖で切れているので、足を滑らしたり躓いたりしたら大きな事故につながる危険があります。ただ、慎重に歩けばそれほど難しい道ではありません。基本的には歩き易い道です。

最初は東側の巻道で、いったん尾根(ヨコスズ尾根)に出たあとは今度は西側の巻道になります。先週までは雪や霜が残っていたみたいですが、今週に入って暖かな天気が続いたので雪や霜もまったくなく、落ち葉が積もっているだけでした。

特に昨日は気温が20度近くまで上がったとかで、春を思わせるような陽気でした。私もバス停でジャケットを脱いで、以後、帰りの武蔵小杉駅までは薄手のパーカーだけでした。ただ、痩せ尾根を通るとき、尾根が下から吹き上げて来る風の通り道になっているのでもろに風を受け、パーカーだと肌冷く感じました。

山頂直下の避難小屋までは誰にも会いませんでした。そのため、マイペースで登ることができ、時間的にも順調に進みました。途中、二度ほどおにぎりタイムを設けたのがよかったのか、登山アプリのコースタイムより30分近くはやいペースで登ることができました。

避難小屋に着くと、小屋の前のベンチで40代くらいの男性ハイカーが休憩していました。既に山頂に登って戻って来たところだそうです。これから蕎麦粒山と川苔山を縦走して下るのだと言っていました。

「ここはいい山ですね。どうして人が少ないのか不思議ですよ」と言っていました。それで、私も「ホントにそうですね。歩いていて感動するくらいでしたよ」と言いました。

山頂はどうだったか訊いたら、「四方に眺望が拓けていていいですよ」「ただ、登りがきついですね。私はザックをデポして登ったのですが、デポしてよかったと思いましたよ」と言っていました。

「そうですか。じゃあ、私は巻道を利用しようかな」と言ったら、「エッ、巻道があるんですか?」と訊くのです。
「そうですよ。そこの小屋の横の道が巻道なんですよ」
「そうだったんだ」

山頂へは避難小屋の裏から直登する道と小屋の横から巻く道があります。ただ、巻道はやや遠回りになるし、やはり山頂直下に急登があります。

直登は、南側から登って南東の瘤を経由し、山頂のドッケに登ります。一方、巻道は、西に巻き西側の瘤を経由して登ることになります。巻道は酉谷山から下って来る縦走路と合流するので、短い距離ですが長沢背稜縦走の雰囲気を味わうことができます。私は、巻道を選択したことで、雲取山から長沢背稜を歩きたいという思いをあたらめて強くしたのでした。

三ツドッケについて、私の奥多摩歩きのバイブルと言ってもいい『奥多摩 山、谷、峠、そして人』(山と渓谷社)のなかで、著者の山田哲哉氏は次のように書いていました。尚、文中のハナド岩というのは、一杯水避難小屋から長沢背稜を2キロ弱雲取山方面に登ったところにある眺望のすぐれた岩です。今回は時間の都合で訪れることができませんでした。

  ハナド岩は岩峰でもなければピークをもたない展望台だ。地形図には露岩記号もない。その東に天目山、秩父側では三ツドッケと呼ばれるカラマツと広葉樹の明るい山頂がある。ドッケとは尖った峰の意味をもつ。南側・奥多摩の山からは2つの山頂しか見えないが、北側からは明瞭に3つの尖峰がきれいに並ぶのが見える。小川谷、ハナド岩、三ツドッケは、東日原から横スズ尾根をたどれば日帰りで往復は可能だが、奥多摩でも最奥に位置するため、縦走途中に立ち寄るのは容易ではない。それだけに、明るい眺めとは裏腹に、遠い、静かな独特の雰囲気をもっている。
(22章「最奥の展望台 ハナド岩」)


山頂に行ったら、朝バスで一緒だった男性がいました。「あれっ」と言ったら、「下調べが充分でなかったので、鷹ノ巣山が通行止めだというのを知らなくて、こっちに登って来たんですよ」と言っていました。どうやらバス停の先にある道から登ってきたみたいです。

男性は望遠鏡で四方の山を眺めていました。そして、「ここはいいですね」としきりに言っていました。

男性は下りる際、「昼ごはんは食べたんですか?」と訊くので、「途中でおにぎりを食べたんですが、ただ、ここでひとりで食べるのはちょっと淋しいので、下の避難小屋で食べようかなと思っています」と言ったら、「ああ、そうですね」と笑っていました。そして、「お先に」と言って下りて行きました。

帰りは直登コースを下りましたが、すぐ下で高齢の女性とすれ違いました。ハアハア息を弾ませながら「疲れました」と言っていました。

「もうそこが山頂ですよ」
「ああ、そうですか? やっと着いた」
「眺望がいいですよ。四方に広がっていますよ」
「ありがとうございます」
そう言って、さも嬉しそうな表情を浮かべていました。

70歳を優に越えているような年恰好ですが、そうやってひとりで山に登って来るなんて凄いなと思いました。バス停で声をかけられた女性もそうでしたが、なんだかすごく上品そうなもの言いをする女性でした。武蔵五日市駅のバス停で平気で割り込んで来る”おまかせ登山”のおばさんたちと違って、どこかインテリ臭が漂っているのでした。おばさんたちよりひとつ前の世代のハイカーのような感じです。

認知心理学が専門で、みずから登山を趣味にしている日本大学文理学部の巌島行雄教授は、PEAKSのインタビュー記事で、「ソロ登山の心理学」について、次のように言っていました。

PEAKS
なぜ、人はひとりで山を歩くのか? ソロ登山の心理学

  (引用者注:ソロ登山の人は)いろいろ自分で考えて行動できるタイプの人ですね。そういった行動力のある人のほうがむしろ多いように感じるんです。ソロ登山はすべてをひとりでこなさなくてはならないですよね。だからそういう人のほうが向いているし、もっといえばそういう人でないとできない。


(略)ひとりで登っていれば単純に自由度が高いですから。歩くときに人にペースを合わせなくてもいいとか、日程が自由になるというのも現実的に大きな利点ですよね。

ただ、自由は責任とセットなので、ソロ登山は自由なぶん、責任も大きい。登山は自己責任というけれど、ソロ登山はそれがいちばんはっきりしている。だから、リスクや責任を負ってでも自由をとりたいという人がソロ登山を選ぶのではないでしょうか。それが自立ということかもしれません。


(略)ひとりで登っていると話したり相談したりする相手がいないから、四六時中、山に神経を向けていますからね。

分岐が出てきたらどっちに行くか考えて決めなくてはいけないし、雲が出てきたら天気のことを気にかけないといけないし。もちろんどうしたらいいか聞く相手はいないから、自然と状況を一所懸命観察しますよね。それが結果的に山から得られる体験を深くし、豊かにするということなんだと思います。


リスクの大きい単独行は警察から推奨されていませんが、しかし、自分のことを考えても巌島教授の話は腑に落ちます。ひとりで山に登る魅力はたしかにあるのです。と言うか、私の場合、ひとりのほかは考えられない。

下りは、思ったよりはやく、2時間弱でバス停に着きました。登山計画に利用している登山アプリより1時間はやく着きました。そのため、16時台のバスに間に合うことができました。

帰りは、来たときと同じように、奥多摩駅から青梅線で青梅駅、青梅駅から中央線で立川駅、立川駅から南武線で武蔵小杉駅、武蔵小杉駅から東横線で最寄り駅に帰りました。最寄り駅に着いたときは20時を越えていました。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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東日原バス停

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登山口
表示を右折する

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斜面の上の狭い道を登る

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登山道沿いにあった廃屋

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最初は樹林帯の中の道

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金網の先は、奥多摩工業の採掘場

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アンテナ
標高1200メートルくらい

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樹林帯をぬけて巻道がはじまった
滝入ノ峰ピークの下あたり

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通行注意の札もあります。

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痩せ尾根
このあたりは風が強くて寒かった

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右下は断崖

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尾根の上にあった穴だらけの木
キツツキの仕業?

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ヨコスズ尾根の背中を登る

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鳥の巣のように見えますが、ヤドリギ(宿り木)です。

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今度は西側の巻道に変わります。

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一杯水避難小屋

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避難小屋の内部

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巻道を選択して山頂へ

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長沢背稜の縦走路との分岐(合流地点)

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山頂に向かう道

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最初の瘤の登り

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次(山頂)の瘤の登り

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山頂が見えてきた

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山頂標識
もともと三ツドッケは雑木に覆われて眺望がよくなかったそうですが、無断伐採で今のような眺望になったとか。三ツドッケと言えば、一杯水避難小屋の強盗と山頂の無断伐採が有名です。
ちなみに、無断伐採した男性は、自然保護法違反で30万円の罰金を払ったそうです。下記は、その男性と山頂で会ったというブログの記事です。
https://jetstream777.blog.ss-blog.jp/2013-03-03

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三等三角点

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奥多摩方面
正面に見えるのは大山や御前山

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埼玉(奥武蔵)方面
やや右の尖った山が、一杯水避難小屋から行ける蕎麦粒山

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奥秩父(雲取)方面
奥に見えるのは、天祖山や小雲取山

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もう一度山頂の様子
無断伐採から既に15年近く経っていますので、この眺望が見られるのもあと15年から20年くらいでしょう。

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下る際、このような南東側の瘤(ドッケ)への登り返しがありました。

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避難小屋への下り

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避難小屋をあとにして尾根を下ります。

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横が切れた巻道をもう一度

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同上

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同上

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東日原の集落が見えてきた

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奥多摩駅
2021.03.11 Thu l 山行 l top ▲
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池袋駅~飯能駅~名郷バス停~【蕨山】~【藤棚山】~【大ヨケの頭】~さわらびの湯(河又・名栗湖入口バス停)~飯能駅~練馬駅~自由が丘駅

※山行時間:約.6.5時間(休憩等含む)
※山行距離:約11.5キロ
※累計標高差:登り960m下り1025m
※山行歩数:約21,000歩
※交通費:3,998円


一昨日(4日)、蕨山に登りました。蕨山と言えば、このブログを読んでいただければわかると思いますが、昨年の8月に手痛い思いをしたいわくつきの山です。今回は言うなればリベンジのようなものです。

飯能駅から前回と同じ6時55分発「名郷」行きのバスに乗りました。電車から降りてそのまま駅前のバス停に直行しましたが、既に3人のハイカーが並んでいました。しかし、あとからおばさんたちのグループがやって来て、あっという間に20人くらい列が伸びました。通勤客も入れると最終的には30人近くが並んでいたと思います。座席がちょうど埋まるくらいの人数でした。途中のバス停から乗った人たちの中には立っている人もいました。

しかし、ハイカーの大半は棒ノ折山の登山口がある「河又・名栗湖入口」で降車し、以後、終点の「名郷」までは最後部の座席に座っていた私と高齢のハイカーの2人だけになりました。

「名郷」に降りると、高齢のハイカーは蕨山の登山口とは逆方向のキャンプ場の方に歩き始めました。蕨山ではなく武川岳に登るんだろうと思いました。

橋を渡り、林道を20分進むと林道の突き当りになります。そこから右の土手を下り、小さな沢を渡ると登山道が始まります。前回登ったあとに台風や大雨があったからなのか、登山道の状況も若干変わっている気がしました。登山道横の斜面にも、至るところに流されてきたとおぼしき大量の倒木が横たわっていました。

最初は樹林帯の中をひたすら登り続けます。そして、尾根に出ると今度は痩せ尾根や岩場に変わります。蕨山がきついのは、何度も同じような急登や岩場が出てくることです。まるでデジャブを見ているように同じような道が目の前に現れるのでした。

蕨山の標高は1044メートルで、実質的な山頂扱いになっている展望台は1033メートルです。名郷のバス停の標高が326メートルですから、単純標高差は700メートルちょっとです。それだけを見ると、チョロいと思うかもしれませんが、山というのは、山の形状や登山道の状況等により、数字とは違う難易度やきつさがあるのです。

蕨山に関しても、ネットには「あっと言う間に着いた」「特に問題ない」というような感想や、信じられないようなコースタイムの山行記録があります。今やネットはそういった「オレ凄いだろ」式の自己誇示の場になっているのです。山小屋や山頂で遭遇するベテランハイカーの大言壮語が、そのままネットに移ってきた感じです。

ヤマケイオンラインに、「ネットでみかける“スゴイ”登山記録。あなたは、どう感じますか?」という、読者の質問に山田哲哉氏が答えた記事がありました。質問自体は、北アルプス?のような高山の冬季の山行に関したものですが、そこには、ファクトチェックされることのないネット特有のウソとハッタリだけでなく、現在の登山が抱えている深刻な問題も示されているように思いました。

ヤマケイオンライン
ネットでみかける“スゴイ”登山記録。あなたは、どう感じますか?

YouTubeや5ちゃんねるの登山スレなどによく見られる「凄い」「凄い」という煽りは論外としても、今の登山について、山田哲哉氏は、「“登山の常識”は大きく変わったどころか、“登山の常識”なんて言葉は、なくなったに等しいのが現在の日本の登山界です」と書いていました。たしかに身近にあった地域や職場の山岳会や登山サークルなどもまったく過去のものになりました。もちろん、そういった組織が持つ体育会的な体質がウザいと思われたのも事実ですが(私もそのひとりですが)、しかし一方で、山岳会や同好会で知識や技術を学び、それが継承される”功”の一面もあったのです。そういった場所がなくなり、”登山の常識”や自然に対する畏敬の念や山に登ることの謙虚さが、登山者から失われたのは事実でしょう。

マラソンで記録を競っているかのようなコースタイム至上主義が、ネットに投稿される山行記録の”盛り”につながるのは当然でしょう。それどころか、そもそも5ちゃんねるような掲示板は、実際に山に登ってない”なりすまし登山者(エア登山者)”が多いという話さえあります。なりすまして何が面白いんだろうと思いますが、そういったほとんどビョーキのような人間たちによってまことしやかに山が語られているのです。たとえば、前も書きましたが、「貧脚」とか「ナマポ」などということばを使って山を語っているのは間違いなく”なりすまし登山者”です。山に非日常性や自己克己を求めて登っている人間は、そんな歪んだ日常的な視点で同じ登山者を見たりはしません。そもそもそんな悪意でものを見る余裕などありません。ネットで語られる山と、実際の山は似て非なるものなのです。

睡眠不足と酷暑でヘトヘトだった前回と比べると、今回は1時間早く展望台に着きました。途中、誰にも会わず、展望台に行っても人影はありませんでした。そして、ベンチに座って、おにぎりを食べていたら、何と武川岳に行ったと思っていた高齢のハイカーが登ってきたのでした。

「武川岳に行ったのかと思っていましたよ。どこから登ってきたのですか?」と訊いたら、「鳥首峠の方から登って来ました」と言うのです。鳥首峠というのは、名郷と秩父の間にある峠で、私が歩いたコースに比べると、かなり迂回するコースです。

「名郷から登って来たんですか?」と訊かれたので、「そうです」と答えたら、「きつかったしょう?」と言われました。

「そうですね。何度も同じような道が出て来るので嫌になりますね」
「ああ、たしかに」と言って笑っていました。

そのハイカーとは下りでも一緒でした。私の方が先に下りたのですが、途中で追い抜かれました。昔から山を歩いている熟達者のようで、年齢を感じさせないような足さばきでした。また、帰りのバスでも一緒でした。

下りは、さわらびの湯まで7キロの道を歩きましたが、初めてだったということもあって、実際の距離以上に長く感じられました。太腿の筋肉が悲鳴をあげているのがわかりました。しかし、筋肉が悲鳴をあげるくらいでないと、体力はつかないのです。

大ヨケの頭というピークから下ると、林道を横切り金比羅尾根を登るのですが、そこに差し掛かったら人の話し声が聞こえてきました。見ると、軽トラが停まっていました。近くに行くと、軽トラから林道脇に木製の柱が数本降ろされているのが見えました。

余談ですが、この大ヨケの頭(おおよけのあたま)というのはどういう意味なんだろうと思って、ネットで調べたのですが、どこにも謂れが載っていませんでした。「ヨケ」というのは、「除け」のことかもしれません。魔除けとか悪除けとかいった意味があるのかもと勝手に想像しました。

林道脇に置かれている柱には見覚えがありました。というのも、登る途中に何度も見かけたからです。蕨山の指導標はどれも古く、中には文字が消えかかっているものもあります。そんな指導標の横に真新しい柱が置かれていたのです。その柱には、「飯能市」という銘板が取り付けられていました。

指導標を新しく取り替えるために、とりあえず柱だけを先に運んでいるのだと思います。ということは、指導標に刻まれている「名栗村」の文字はもう見られなくなるのです。

軽トラが走り去ったあとには、作業服姿の男性が3人残っていました。ひとりは20代くらいで、あとのふたりは40代くらいの年格好です。

すると、若い男性が柱を肩に担ぎ、片手でそれを支えながら登山道を登り始めたのです。そして、次の男性も同様にあとに続いて歩き始めました。残りの男性は、ロープで柱を縛っています。どうするのかと思ったら、柱を背負子に縛り付けていました。背負子で運ぶみたいです。

「ご苦労さまです。上の方で柱が置かれているのを見て、どうやって運んでいるんだろうと思っていたところだったんですよ」
「ハハハ、こんな原始的な方法なんです」
「山頂に近いところなんか、大変だったでしょ? やはり担いで登ったんですか?」
「そうですよ、あそこは根性で登りました」と言ってました。

そのあと、先の方で休憩していたので、足を止めて暫く話をしました。市から委託された建設会社の仕事で来ているそうですが、本業は林業だと言ってました。

指導標が設置された場所の写真と地図が印刷された紙を持っていました。また、他に、昭文社の山と高原地図とコンパスも持っていました。それらで場所を確認しながら運んでいるそうです。ただ、中には作業道と登山道の識別がつかずわかりづらいところもあると言っていました。私たちと一緒なのです。

それにしても、凄い体力です。やはり、山のプロは違うなと思いました。彼らに比べれば、私などは恥ずかしいくらいのヘタレです。

「プライベートで山登りはするんですか?」と訊いたら、「しないですね」と言われました。質問したあと、愚問だったかなと思いました。

逆に、「よく山に登るんですか?」と訊かれました。「そうですね。月に2〜3回登っていますね」と答えたら、「凄いな」と言われました。そして、「そうやって頻繁に山に登る山の魅力ってなんですか?」と質問されました。

「よく言われることですが、やはり、忘れることができるってことですかね」
「忘れることができる?」
「そうです。日常生活では、嫌なことや憂鬱なことが沢山あるじゃないですか。楽しいことよりむしろそっちの方がはるかに多いでしょ。でも、山に来るとそれを忘れることができるんですよ。空っぽになれるんです」
そう言うと、「なるほどな。奥が深いな」と言ってました。しかし、それは決して皮肉で言っているような感じではありませんでした。

山に行くと、下刈りや枝打ちをしてない山も多くあります。その話をしたら、枝打ちをしているのは役所から依頼された山が大半で、個人所有の山は放置されたものが多いと言ってました。どうしてかと言えば、木を売っても維持管理の費用がペイしないからだそうです。つまり、赤字になるからです。しかも、枝打ちをしなかったら木の商品価値はどんどん下がるので(「二足三文になる」と言ってました)、枝打ちしない山はそのまま放置するしかないのだそうです。

私の祖父は晩年、山のブローカーのような仕事をしていました。祖父は私が高校生のときに亡くなったので詳しくは知らないのですが、木が成長した山を買い、木を切り出してお金に替えるとその山を転売して、また別の山を買うというような仕事をしていたみたいです。自分で切り出す手間を省いて早くお金に換えたい持ち主と交渉して、山を買い(買いたたき)自分たちで切り出して利益を得ていたのでしょう。

それ以外にも、自分の山を持っていて、私の誕生記念とか小学校入学記念とかに植えた木を見せられたことがありました。でも、私はまったく興味がなかったので、祖父と山に行ったのは一度か二度あるかどうかです。

高校時代、休みで実家に帰っていたとき、祖父が亡くなった直後だったということもあって、ふと祖父が自分のために植えた木がどうなったか見に行ってみようとひとりで出かけたことがありました。しかし、途中の道がきつくて引き返してしまいました。その頃からヘタレだったのです。

そうやって林業が本職だという人たちの話を聞いていたら、なんだか懐かしいような切ないような気持になり、ちょっとしんみりしました。

旧金毘羅神社の跡地から名栗湖ネイチャートレイルという自然探索路を下ると、さわらびの湯の前にある墓地の横に出ました。そこが下山口でした。バスの時刻表を見ると、次のバスは30分後でした。それで、「河又・名栗湖入口」まで歩いて、屋根付きのバス停の中でバスを待ちました。

飯能駅からは西武池袋線の電車に乗り、途中の練馬駅で元町・中華街行きの地下鉄副都心線の直通電車に乗り換えました。いつの間にか眠り込み、渋谷を過ぎて東横線に入った頃に目を覚ましたら、目の前は帰宅する通勤客で立錐の余地もないほど密になっていました。

これが緊急事態宣言下の光景?と思いました。かく言う私も、不要不急の外出を控えるようにという呼びかけを無視して、こうして山に出かけているのです。深夜、繁華街を通ると、時間短縮の要請を無視してヤミ営業している風俗店や飲食店もめずらしくありません。看板の灯りを消した店の物陰に客引きが立ち、夜の街を徘徊する”不心得者”に声をかけています。にもかかわらず、新規感染者数は、(下げ止まったとは言うものの)最初の頃に比べると目を見張るように減少しているのです。

自粛なんかしてないのに、新規感染者数は1500人や2000人から最近は300人前後にまで激減しているのでした。緊急事態宣言の効果だなどと言いながら、さらに2週間延長することが決定したのでした。しかし、その前に、自粛しなくても新規感染者数が減った不思議な現象を説明する方が先ではないでしょうか。

感染防止策は、もはや科学ではなく政治なのです。オリンピック開催という政治の都合でボロ隠しのように行われているにすぎないのです。命令に従わない国民には罰を与えて自粛を強制しながら、オリンピックは開催する。こんなでたらめな政府を許すなら、それこそ主権者の沽券にかかわるでしょう。

同時に、歓送迎会も花見も卒業旅行も自粛せよと呼びかける一方で、メディアも野党も、そして専門家と称する科学者たちも、誰もオリンピックを中止せよと言わない不思議も考えないわけにはいきません。本来ならオリンピックを中止して、この際徹底的に感染防止に務めるべきだと言ってもおかしくないのに、どうして言わないのだろうと思います。歓送迎会や花見や卒業旅行より、オリンピックを中止することが先決でしょう。まず隗より始めよではないですが、まずそこから始めるべきでしょう。

私が乗った直通電車は通勤特急でしたので、もう一度自由が丘で各駅停車に乗り換えなければなりませんでした。最寄り駅に着いたときは19時をまわっていました。


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登山口までの林道
杉の枝で埋まっています。

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林道の突き当り

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右側の土手を下りる

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最初はひたすら樹林帯の中の急登を登ります。

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古い指導標

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逆光で見えませんが、尾根に出ました。約3分の1の地点。

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上の指導標を少し登った地点から撮り直した

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やや痩せた尾根になりました。

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こういった指導標ももう見納めです。

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手前が前武川岳と武川岳、奥が武甲山だと思います。

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痩せ尾根

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最初の岩場

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遠くに名郷の集落
恥ずかしいのですが、カメラをフルオートに設定していたので、ピントが前の木になっています。

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次の岩場
こういった岩をがしがし登って行きます。と言って、そんなに危険ではありません(下りはともかく、登りの滑落はほとんどあり得ない)。

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前武川岳と武川岳のアップ

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次の痩せ尾根

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危険注意の標識

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落石注意の標識

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次の岩場

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同上

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稜線に出た

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古い指導標の横に置かれた新しい柱

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目の前に展望台

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展望台の様子

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前回はこのベンチで横になっていました。

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山頂標識(と言えるのかどうか)

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はるか先に見えるのは、武尊山(ほたかやま)や榛名山など群馬の山です。

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河又に向けて下山

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ここにも新しい柱

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藤棚山
男性のハイカーがひとり、ベンチで昼食を食べていました。

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登山道に煙草のポイ捨て
展望台にも、吸い殻や包装紙が捨てられていました。

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大ヨケの頭

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こうやって柱を運んでいるのです。

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金毘羅神社跡
下記の看板に書いていますが、ここも焼失したようです。原因はタバコか焚火なのか。いづれにしても火の不始末なのでしょう。

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鳥居だけが残っていた

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指導標が「河又」から「さわらびの湯」に変わった(どっちも同じです)

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現在の金毘羅神社

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金毘羅神社の謂れ

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さわらびの湯の入口

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墓地が下山口
下りてきたとき、「参ったな」と思いました。
そう言えば、棒ノ折山の滝ノ平尾根ルートも民家のお墓の横に下りて来ます。
奥多摩などでも、お墓の横が登山口というのは結構多いのです。


関連記事:
蕨山
2021.03.06 Sat l 山行 l top ▲
東北新社に勤務する長男らによる総務省幹部の接待問題を見るにつけ、(前も書きましたが)菅総理は政治家ではなく政治屋なんだとあらためて思えてなりません。所詮は、(市会議員には悪いけど)市会議員レベルの人間なんだなと思います。

菅総理は、官房長官のイメージが強いのですが、もともとは総務省に絶対的な影響力を持つ”総務省のドン”と言われてきました。それは、小泉政権下で総務副大臣を任命されたときまで遡ります。第3次小泉改造内閣の竹中平蔵総務大臣のとき、「総務副大臣(情報通信、郵政担当)として総務省内部統制のトップを任され、事実上人事権なども行使」(ウィキペディア)し、総務省に睨みをきかせるようになったのでした。さらに、第1次安倍内閣で総務大臣として初入閣してからその権勢を絶対的なものにしたのです。

みずから政権を手にしてから、携帯料金の引き下げやデジタル庁新設などの目玉政策を打ち出しましたが、それもひとえに菅総理が自他ともに認める”総務省のドン”だからにほかなりません。

また、東北新社は、創業者の故植村伴次郎氏(2019年没)が菅氏と同郷(秋田県出身)だったことから、JR東日本やぐるなびなどとともに菅氏の有力なスポンサー企業になっていました。今回の接待問題が発覚してからも、過去に500万円の政治献金を受けていたことがあきらかになっています。もちろん、そこには持ちつ持たれつの関係がありました。

明治学院大を卒業したものの就職もせずにバンド活動をしていた長男を、何の社会人経験がないにも関わらず、総務大臣時代にみずからの秘書官(特別職公務員)に抜擢して世間の顰蹙を買ったのですが、その理由について、菅氏は雑誌の取材で、「バンドを辞めてプラプラしていたから」と言ったそうです。

しかし、秘書官も半年しか続かず、そのあと、後援者の植村氏の伝手で東北新社に入社したのでした。東北新社は、総務省から衛星基幹放送事業者の認可を受けている会社です。コネ入社した長男はとんとん拍子で出世して、今回の問題が発覚する前までは、30代の若さで、本社の部長と子会社の衛星放送「囲碁将棋チャンネル」の取締役を兼務していたのでした。そのためかどうか、衛星放送は今や東北新社の売上の4分の1を占めるまでになっているそうです。東北新社にとっても、菅様々なのです(もちろん、父親の方ですが)。

余談ですが、文春に載った長男の目線入りの写真を見て唖然とした人も多いのではないでしょうか。長髪・口髭で、だらしなくネクタイを緩め、咥え煙草でスマホを見ているそのチャラい姿は、まるで福富町(註:横浜の風俗街)あたりの路上でたむろしている悪ガキみたいです。東北新社では、こんな人物が本社の部長と子会社の取締役を兼務していたのです。彼の下で働く社員たちが気の毒でなりません。しかも、子どもまでいて、一家でみなとみらいのタワーマンション(億ション)に住んでいるというのですから二度びっくりです。秘書官時代、まったく仕事ができないので、まわりから「バカ息子」と陰口を叩かれていたそうですが、それが東北新社ではえらい出世なのでした。

ひとり74,203円のステーキ&海鮮ディナーにも目が点になりました。国民年金を40年払い続けても、貰える年金は年間781,700円で(平成20年現在)、月に直すと65,141円です。それが国民年金の満額です。日本は豊かだという幻想がありますが(一部のアホな国民がそう自演乙していますが)、実際は、明日の1万円、いや1万円どころか千円もなくてみずから命を絶つ国民が少なからずいるような国なのです。生活保護の中の生活扶助費(食費・被服費・水道光熱費等の日常生活に必要な経費。家賃は除く)の支給額は、68歳の高齢者単身世帯だと、東京都で月額80,870円、地方で65,560円です(平成28年度の概算)。それでも個人で申請に行っても、自助を口実に追い払われるのがオチです。東京都の調査によれば、ネットカフェで生活するいわゆるネットカフェ難民は都内だけで4千人もいるそうです(2019年調査)。そんな現実はどこ吹く風で、「バカ息子」と「バカ息子」の父親が「総務省初の女性事務次官にしてやる」と言ってはばからないほど寵愛する女性官僚は、ひとり当たり74,203円のステーキ&海鮮ディナーに舌鼓を打ちながらオダを上げていたのです。こういうのを「上級国民」と言うのでしょう。

「バカ息子」だけではありません。菅氏の実弟も、スポンサー企業のJR東日本の関連会社にコネ入社したと言われているのでした。

Yahoo!ニュース
文春オンライン
菅義偉首相の実弟が自己破産後、JR企業の役員に就任していた

上記の記事によれば、実弟は菅氏が横浜市会議員になった2年後の1989年に菓子店を起業し、「八重洲中央改札近くの『銀の鈴』そばのコンコース(大通路)という一等地」にあるキオスクでお菓子を売っていたのだとか。しかし、2002年に倒産し、実弟も東京地裁から自己破産宣告を受けたのでした。

ところが、そのあとびっくりするような”人生の逆転劇”が待っていたのでした。

 (引用者註:実弟は)半年ほど病院で介護職を務めた後、JR東日本の子会社である千葉ステーションビルに営業部付きの部長として入社していたのだ。2010年には取締役にも就任し、2017年まで務めている。

 千葉ステーションビルは海浜幕張、津田沼、西船橋など10の駅ビルを運営しており、年間400億円近くを売り上げる優良企業だ。277店舗のテナントが入居する中核の千葉駅「ペリエ千葉」は、数あるJR東日本管内の不動産・ホテル事業のなかでも3番目の規模を誇る。


入社したとき、実弟は既に50歳を越えていたそうです。自己破産して、病院で介護の仕事をしていた50歳を越えた男性が、いきなり優良企業の部長として再就職するなんて話は、そうそうあるものではないでしょう。初老のおっさんには似合いませんが、なんだか韓流ドラマのシンデレラストーリーを彷彿とするような話です。

ちなみに、JR東日本グループの千葉ステーションビルは、社員125名(2020年6月現在)で、資本金2億円、売上高は515億2千5百万円(2019年度テナント売上高)の会社です。しかも、弟は役員にまでなっているのです。ここでも「バカ息子」同様、電光石火の出世をしているのでした。JR東日本は、1987年の国鉄分割民営化によって誕生した会社です。民営化に際しては、新会社が選別した1047名の国労組合員が再雇用されず解雇されています。千葉ステーションビルもそういった犠牲(不当労働行為)の上にできたグループ会社です。まさに革命上等のような話でしょう。

人事権を駆使して官庁を”恐怖支配”するやり方については、下記の朝日の記事に具体的に書かれていました。それは、市役所の人事に介入することで、「影の横浜市長」と言われた横浜市議時代に培ったものなのです。言うなれば”横浜方式”とも言えるものです。

朝日新聞デジタル
(未完の最長政権)「課長を飛ばしたよ」(有料記事)

 「OBが人事を決めている省もある。総務省の人事はどういうふうに決まるんだ? OBはどのぐらい力があるんだ?」

 第2次安倍政権で官房長官を務めた菅義偉は2006年9月、第1次政権で総務相に就いた。着任早々、総務省幹部にこう尋ねたという。

 幹部が「うちはOBは決めていません」と答えると、菅は即座に続けた。「人事権を持っているのは誰だ?」。幹部が「大臣です」と答えると菅は「そうだよな、権限は使わないと意味がない」。省庁の人事権は閣僚が持つと法的に定められているのに、事実上は、各省の現職官僚、そしてOBが決める霞が関の体質を菅は嫌っていた。


そして、NHKの受信料値下げに対して、「そう簡単ではない」と発言した担当課長を更迭したときの菅氏の様子について、同省元幹部は次のように語っています。

 同省元幹部は、更迭直後の菅の様子を明確に覚えている。これまで多くの大臣が使わなかった権力を行使したことに興奮を隠せない様子で「課長を飛ばしたよ、飛ばしてやったよ」と言ったという。


そうやって”総務省のドン”としての地歩を築いて行ったのでしょう。

出世がすべての官僚にとって、人事権を握られることは絶対的な服従を強いられるほどの恐怖があります。さらに、菅氏は、政治主導の名のもとに、内閣人事局の創設を主導し、霞が関そのものをかつての横浜市庁舎と同じように”恐怖支配”することに成功したのでした。

それは、官僚だけではなくメディアにおいても然りです。「断らない女」山田真貴子内閣広報官を使ったメディア支配については、下記のNEWSポストセブンが詳しく書いていました。

文春といい、週刊誌の奮闘が目立っていますが、それはとりもなおさず新聞やテレビなどのマスメディアが権力の支配下に置かれ、ジャーナリズムの牙をぬかれているからでしょう。もっとも、かつての『噂の真相』のように、記者たちが自社で記事にできないネタを週刊誌に持ち込んでいるということもあるかもしれません。上層部が権力者と懇ろになり、完全に取り込まれていることに対するうっぷん晴らしという側面もあるのかもしれないのです。

Yahoo!ニュース
NEWSポストセブン
7万円ステーキ汚職の総務省が「文春にリークした犯人捜し」に血眼になっている

長くなりますが、引用します。

 そもそも山田氏の広報官としての強権ぶりは官邸記者たちにすこぶる評判が悪かった。会見に参加する記者たちから事前に事細かに質問内容を聞き出し、それをもとに官僚が「答弁書」を作り、菅首相はお得意のペーパー読み回答をするだけだった。こんなものは記者会見とは呼ばない。中国か北朝鮮の国営メディアのインタビューと同じである。その会見で山田氏は、政権の意に沿わない質問をする記者は徹底的に無視して、いくら手を挙げても指さない。首相の答えに納得せずに食い下がる記者を制止し、最後は「このあと日程があります」と、質問の途中でも強引に会見を打ち切って首相を逃がすガードマンの役割だった。

 そもそも首相会見は記者クラブが主催しているものだ。山田氏に司会をさせて、その傍若無人を許している記者クラブのほうこそ情けないのだが、それでも山田氏に逆らえない理由が大手マスコミにはある。それこそ、今回の菅正剛氏(菅首相の長男)による高額接待の舞台となった総務省「情報流通行政局」の存在である。

 この部署は2008年に新設された新しいセクションで、その生みの親こそ、第一次安倍内閣で総務大臣を務めた菅氏だった。ここにNHKから民放、衛星放送まですべての許認可を集中させ、系列の新聞社を含めて大手マスコミに睨みを利かせる“放送マフィア”の役割を担わせた(ちなみに電波の割り当てを行う総合通信基盤局は「電波マフィア」と呼ばれる)。安倍内閣、菅内閣を通じて政権がマスコミに高圧的に接し、会見は適当、NHK人事にまで介入したと疑いをかけられてきたのは、この放送マフィアの存在ゆえだ。総務省のドンである菅氏は、この局にお気に入りの菅派官僚を集め、マスコミ支配の道具にしてきた。山田氏も総務省時代に同局の局長を務めたマフィアのボスである。


何度も言いますが、菅義偉は政治家ではなく政治屋なのです。政治屋が総理大臣になったのです。そして、その政治屋に急所を握られた大手メディアは、いいように手玉に取られてきたのでした。
2021.02.27 Sat l 社会・メディア l top ▲
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新宿駅~武蔵五日市駅~浅間尾根登山口バス停~【浅間嶺】~払沢の滝入口バス停~武蔵五日市駅~拝島駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約5.5時間(休憩等含む)
※山行距離:約12キロ
※累計標高差:919m(登り)1250m(下り)
※山行歩数:約21,000歩
※交通費:2,036円


一昨日(20日)の土曜日、奥多摩の浅間嶺に登りました。当初、長沢背稜の三ツドッケ(天目山)に登る予定でしたが、前夜、あまり寝てなかったので、慎重を期して「予備」の浅間嶺に行くことにしました。それで、今回のホリデー快速では、8号車から10号車の「あきかわ号」に乗りました。

春を思わせるような好天が予報されていましたので、ハイカーも多いのではないかと思いましたが、意外にも車内はガラガラでした。

ちなみに、三ツドッケは、奥多摩駅から日原街道を行った東日原のバス停に登山口があります。一昨年の台風19号の被害で、1年以上運休していた東日原のバス便が昨年の12月にやっと開通したので、川苔山の百尋ノ滝ルートなどとともに登山も可能になったのでした(ただし、鷹ノ巣山の稲村岩尾根ルートは登山道の被害が甚大で未だに再開されていません)。三ツドッケは、片道(登り)だけで6キロ近くありますので、もう少し日が長くなってから登ろうと思っています。

いつものように新宿駅6時46分発のホリデー快速「あきかわ号」に乗ると、終点の武蔵五日市駅には8時ちょっと過ぎに着きます。しかし、目的の数馬行きのバスは9時しかなく、1時間近く待たなければなりません。それで、バス停のベンチで朝食のおにぎりを食べてバスを待ちました。出発時間が近くなるとハイカーの行列ができましたが、もちろん私が一番先頭でした。密を避けるためか、バスは臨時便も出ましたが、二台目のバスには半分も乗っていませんでした。私たちが乗った先頭のバスも、全員が座ることができました。

浅間嶺は二度目ですが、今回は檜原街道の「浅間尾根登山口」のバス停から登って、帰りは「払沢の滝入口」のバス停まで歩くことにしました。距離は12キロくらいあります。山を歩く持久力を付けるためには、日頃からできる限り長い距離を歩くことが大事だということに遅ればせながら気付いたのでした。

バス停から尾根の上までは1時間弱でした。この程度だと休憩もなしに登ることができます。それから尾根道を歩いて浅間嶺の展望台まで1時間半かかりました。途中で写真を撮ったり、眺望があるところではしばらく足を止めて景色を堪能したりと、マイペースで歩きましたが、それでも私が利用している登山アプリのコースタイムと比べると30分はやく着きました。今回はそれほどバテた感じはありませんでした。と言うか、現金なもので、逆に物足りないくらいでした。

こうやって奥多摩の山に通っていると、最近は奥多摩の山が身近に感じられ、愛着を覚えるようになりました。このところ憂鬱な気分が続いていましたので、山に行くと山に慰められているような気がします。山は、たしかに嫌なことも憂鬱なことも忘れさせてくれるのでした。

登る途中、私としてはめずらしく追い抜いた中年のカップルがいましたが(イチャイチャしていたので夫婦ではないのかもしれない)、尾根に上がって眺望の開けたところで山を眺めていたら、目の前をさっさと通り過ぎて行きました。いらぬお節介かもしれませんが、もっと山を楽しめばいいのにと思いました。

展望台に行くと、大声でバカ話をしながらインスタントラーメンを食べているおっさんのグループがいました。ラーメンを食べたあとはみんなで煙草をプカプカ吸っていました。いつも思うのですが、ホントにインスタントラーメンは一滴も残さずに全て平らげているのでしょうか。バス待ちの列に平気で割り込んだり、鼻をかんだティッシュを登山道の脇に捨てたりするような日頃のマナーを考えると、食べ残したものを律義に持ち帰っているとはとても思えないのです。

山でカツ丼を作っているユーチューバーの動画を観たことがありますが、ネットではそういった軽薄な登山がまことしやかに流通しているのです。

登山雑誌とネットが、山メシなるもの(と言ってもインスタント食品を温めるだけ)やコースタイム至上主義のような軽薄な登山を助長させたと言っても過言ではないでしょう。そうやって少しでも多くの広告を集めるために、アウトドア用品のあらたな市場を開拓しているつもりなのかもしれません。

登山雑誌と言えば聞こえはいいですが、『山と渓谷』が「山と広告」とヤユされるように、今や登山雑誌もカタログ雑誌と化しています。特集記事も、毎年使いまわされたものばかりで、余程の物好きか山のビギナーでない限りわざわざ買って読むほどの価値はありません。雑誌の販売より広告収入に依存したカタログ雑誌の休刊のニュースが女性誌で相次いでいますが、登山雑誌も早晩同じ運命を辿るのは目に見えているように思います。もっとも老舗と言われる登山雑誌は、既にいづれも売却の憂き目に遭っており、今後、広告収入の減少によって、譲渡先から足手まとい扱いされリストラされる可能性も大きいでしょう。身も蓋もない資本の論理を山に持ち込んだのは彼らなのですから、自業自得とも言えるのです。結局、生き残るのは、京都大学山岳部の有志によって創刊されたという輝かしい歴史を持つにもかかわらず、東京新聞からモンベルに譲渡され、金をもうけたら”文化人風な能書き”を垂れたい(間違っても順序は逆ではない)成金会長の”自己満誌”のようになっている『岳人』だけかもしれません。

浅間嶺のウリは、昔の奥多摩を彷彿とさせるような眺望です。前も歩いた人里(へんぼり)峠と浅間嶺の間に伐採地があり、そこからの眺望も見事でしたが、浅間嶺から時坂(とっさか)峠に下る間にもあらたに伐採地ができていました。そのあたらしい伐採地からも目の前に御前山や大岳山がそびえ、さらには三頭山やその奥に雲取山や飛龍山も見渡せました。また、東の端には先日登った馬頭刈尾根から続く鋸尾根の上にポツンと飛び出した鋸山の特徴のある山容も見ることができました。

途中、北側の巻き道には残雪が凍結した箇所があり、石尾根のときと同じように山側の足跡が少ない斜面の上を歩きました。しばらく行くと、下から登って来る若い男性とすれ違いましたが、足元を見るとスニーカーでした。たしかに浅間嶺はハイキングと言ってもいいいうような行程ではあるものの、凍結した道をスニーカーで登るのはちょっときびしいのではないかと思いましたが、山にひとりで来る若者はコミュ障みたいな男の子が多いので(ホントに)、声をかけずらいのです。昨日はひとりでブツブツ言いながら登っている20~30代の青年もいました。

下山地の「払沢の滝入口」のバス停に着いたのは、15時過ぎでした。バス停の前にある有名豆腐店の前では、滝見物の観光客の行列ができていました。その行列を眺めながらバスを待ちました。

帰りはいつものように武蔵五日市駅から拝島駅、拝島駅から立川駅、立川駅から南武線で武蔵小杉駅、武蔵小杉駅からは東横線で最寄り駅まで帰りました。武蔵小杉までの車内ではほとんど寝ていました。最寄り駅に着いたときは、19時近くになっていました。

追記:
栃木県足利市の山火事は6日目(25日現在)になりましたが、鎮火の見通しはまったく立ってないそうです。最初に火の手が上がったのは、両崖山山頂近くのベンチなどが設置されているハイキングコース内の休憩場所だそうで、山メシを作るためのバーナーの火が飛び火したか、あるいは煙草のポイ捨てが原因ではないかと言われているみたいです。さもありなんと思いました。特に今の時期は、落ち葉(枯葉)が多いので、風が強いと瞬く間に燃え広がっていくでしょう。
もちろん、火事だけではありません。食べ残したものを山に捨てると、熊が人間の食べ物に興味を持ち、人間に接近してくるようになると散々警告されてきました。しかし、一部のハイカーには馬の耳に念仏なのでした。食べ残したものを山に捨てるのは、熊などの野生動物に迷惑をかけることになるのだという最低限の認識さえ持てないハイカーも少なくないのです。
しかも、こういった軽薄な登山を登山雑誌やネットが「今風の登山スタイル」であるかのように喧伝しているのです。テン泊だと、テン場のような管理された場所で火器を使うので、一応マナーの周知もできますが、日帰りの場合、どこでも野放図に火を使うことになります。足利のような山火事がどこでも起こり得ることだけはたしかでしょう。前も書きましたが、鳩ノ巣駅の待合室で焚火をするようなとんでもない不心得者さえいることを忘れてはならないのです。


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浅間尾根登山口バス停(数馬方面の建物)
檜原街道沿いのバス停はこういった屋根付きが多く、バス待ちするハイカーにはありがたいです。
ここは前に反対側の笹尾根から下りたことがあります。
写真のバス停の上は、「中央区の森」になっています。

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檜原街道から林道に入り、橋を渡って進む

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上から橋を見る

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林道を左折して民宿(看板)の方へ進む

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登山道
とても歩きやすい

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同上

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同上

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同上

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尾根の上に着いた(数馬分岐)

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以後、尾根道を歩く

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ところどころで御前山が見える

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チェックポイントの「サル石」
猿の手形が付いているとかなんとか言われている石

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こういった尾根道を尾根のピーク(浅間嶺)に向けてひたすら歩く

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同上

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浅間尾根の尾根道も、昔は村人が峠越えするための生活道路だったので、至るところに地蔵像や古い道標や小さな祠があります。
山に行ったときだけですが、ひとつひとつお賽銭を上げて手を合わせています。そのためお賽銭用の10円玉を忘れずに持って行くようにしています。

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少し崩落した箇所もある

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朽ちた橋
通行注意の札が下げられていた

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人里峠の道標
前回はここに登ってきました。

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最初の伐採地
御前山とその奥の小さく映っているのが雲取山と飛龍山

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大岳山
大岳山の山容は特徴があるのですぐわかります。

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スマホで撮影
カメラの露出を間違えただけなのにカメラが壊れたと思って、スマホで撮りました。

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巻き道と尾根道の分岐標
前回は巻き道に行ったので、今回は尾根道を選択

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ここがホントの山頂?

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山頂の祠は壊れていた
でも、手を合わせました。

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休憩所

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休憩所の建物の向こうに大岳山

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休憩所の裏の坂を登ると展望台

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山頂標識は展望台にある

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展望台からの眺望

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同上

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払沢の滝に向けて下る
このあたりは霜が溶けてドロドロでした。転ばないように慎重に歩きました。

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あたらしい伐採地
下で作業をしていた

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鋸尾根と鋸山(左側の尖っている山)

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石ころだらけの沢沿いの道

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前回も紹介しましたが、「ぽつんと一軒家」に出た蕎麦屋
現在は経営者が変わっているみたいです(11月~4月まで休業)。

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これも前回も紹介しましたが、「甲州古道」の表示

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峠の茶屋(閉店)の前からの眺望

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車両通行止めの林道を歩いて時坂峠に向かう

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このような注意書きもありましたが、鎖を外して入って来たのか、中年の男性が運転する一般車両が走って来たのでびっくりしました。また、時坂峠では、普通の恰好をしたお母さんと小さい女の子が登って来たので、それにもびっくりしました。

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時坂峠からの下り

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前回台風で崩落していた箇所に新しく橋が架けられていました。

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集落のすぐ上の道
柚子が沢山落ちていました。
黄色の花も至るところに咲いていました(あとで福寿草だと知った)。

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「払沢の滝入口」バス停
2021.02.22 Mon l 山行 l top ▲
Yahoo!トピックスに「アパレル苦境 相次ぐ人員削減」という東洋経済の記事が掲載されていました。

Yahoo!ニュース
東洋経済オンライン
アパレル苦境で「人減らし」の嵐がやまない 三陽商会、ワールドなど相次ぎ希望退職の発表

コロナ禍の自粛によってアパレルが売れなくなったのは、誰でも容易に理解できることでしょう。先日、近所のクリーニング店に行ったら、売上げが半分以下に落ちて廃業の危機だと店主が嘆いていました。特にワイシャツの落ち込みが大きいと言ってましたが、もちろんワイシャツだけでなく、いわゆる通勤着をクリーニングに出す頻度も少なくなっているはずです。ほかに、リモートワークとマスクの影響で化粧品の落ち込みも大きく、資生堂もとうとう赤字に転落しました。

ただ、アパレルの苦境は今に始まったことではありません。モードの時代はとっくに終わっているのです。自分を振り返ってみればわかりますが、もうおしゃれをして街を歩くことに高揚感を覚えることはなくなったのです。言うなれば、コロナ禍でとどめを刺されたにすぎないのです。

文化的な最先端の商品であるアパレルが売れなくなったのは、現代の先進資本主義が行き詰ったことを意味しているのです。アパレルの苦境は、現代資本主義の苦境を映し出しているのです。

アメリカの若者たちの間では、社会主義者のバーニー・サンダースがカリスマ的な人気を博していますが、アパレルが売れなくなったということと、バーニー・サンダース人気は無関係ではないのです。それは、牽強付会な話ではありません。既にそうやってポスト資本主義を模索する流れが始まっているのです。見方によっては、”トランプ現象”もその流れのひとつとも言えるのです。世界は間違いなくポスト資本主義に向けて流動化しているのです。そして、ポスト資本主義のキーワードが、右か左かではなく「上か下か」だというのももはや自明です。

私は、以前、『誰がアパレルを殺すのか』という本に関連して、アパレルの低迷が現代資本主義の”宿痾”を表しているという、以下のような記事を書きました。ご参照ください。

ちなみに、下記の記事の中で触れている総務省の家計調査による「1世帯当たりの年間の被服及び履物の消費支出額」に関して言えば、2000年と最新データの2020年を比較すると、2000年が182,266円で2020年が92,291円です。この20年で何と半分になっているのです。


関連記事:
『誰がアパレルを殺すのか』
2021.02.19 Fri l 社会・メディア l top ▲
オリンピック・パラリンピックの招致に関しては、投票権があるIOC(国際オリンピック委員会)委員たちに対する買収疑惑がずっと以前より指摘されてきました。それは、東京オリンピックも例外ではありませんでした。JOC(日本オリンピック委員会)の竹田恒和会長(当時)も、東京オリンピック開催のために、一部のIOC委員に200万ユーロ(約2億5000万円)を支払ったとしてフランスの検察当局の捜査対象になりました。そのため、一昨年の6月、任期満了をもって退任したのですが、それは実質的な引責辞任だと言われています。

東京五輪の疑惑については、2019年1月にロイターのEdward Hadasという記者が、下記のようなコラムを書いていました。

PEUTERS
コラム:東京五輪にも疑惑浮上、「不正の連鎖」断ち切れるか

(略)過去数十年、五輪の開催国は常に損失を出してきた。日本も例外ではない。東京五輪の組織委員会は放映権や企業のスポンサー料、チケット販売などで約6000億円の収入を見込んでいる。一方、日本の会計検査院は、関連経費を含めた支出は2兆8000億円超になると指摘している。

これでは賄賂に支払う財源などないように見えるかもしれない。しかしコストの大半は、専用の競技施設や選手の宿泊施は無駄にならないとの皮算用をはじく政府が負担している。収入のほとんどを手にする各国の五輪委員会とIOCは、少なくとも競技が実際に始まるまで資金繰りに余裕があるものだ。

つまり、ばらまく現金は存在する。そして、開催地を決めるIOC総会で投票権を持つ96人の委員のうち、少なくとも一部の票は買収し得る。

なぜ赤字の大会を開催するために金を払うのか。施政者が成功というシンボルを手に入れたいからだ。世界から注目を集めるとともに、オリンピック精神の輝きを手に入れることができる。これまで多くの影響力ある人たちが、スポーツイベント開催の栄光に浸るため、倫理を無視してカネを払うこともいとわない姿勢を取ってきた。


安倍総理は、東京五輪は東日本大震災の被害から「力強く復興しつつある被災地の姿を、世界に見てもらうため」の「復興五輪」だと言っていました。一方、菅総理は、五輪開催は「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証し」だと言っています。開催理由なんて、そのときどきの都合で変わっていくのです。ホントはどうだっていいのでしょう。

また、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の職員数は、開催するまでに7000人~8000人に増やす予定だと言われていましたが、今年1月時点で3500人です。それとは別に、理事が35名、参与や評議員や顧問、各委員会の委員などが100名以上います。

これらの人員に対して、当然報酬が払われています。理事には最大年間2400万円の報酬が支払われているという話もあります。昨年12月に公表された最新データによれば、総経費は1兆6440億円で、開閉会式の制作等の業務委託をしている電通との契約金額は165億円だそうです。

言うなれば、これは五輪招致で生まれた既得権益です。中止になれば、この既得権益が一瞬で失われるのです。仮に中止にするにしても、できる限り先延ばしにしようと考えてもおかしくないでしょう。それは税金を食い物にする公務員の習性のようなものです。

しかし、メディアは、開催が近づくにつれ、オリンピックに関する疑惑を報道することはなくなりました。五輪開催の問題が、あたかも森個人の問題であったかのように報道するだけです。それが問題のすり替えであるのは言うまでもありません。

IOCは無観客の開催も視野に入れているようですが、もしそうなれば、菅総理は観客のいないスタンドに向かって、開催は人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証しだと演説して胸を張るのでしょうか。これほど滑稽な光景はないでしょう。

昨夜の福島県沖のマグニチュード7.1の地震は、10年前の地震の余震だと言われていますが、この余震が開催をいっそう困難にする可能性もあるでしょう。

ワクチンが、ホントに感染収束の”魔法の薬”になるのか誰もわからないのです。ただ、そうなればいいと思っているだけです。しかも、そのワクチンさえ国民全員に行き渡らない中で、開催を強行すると言うのです。狂気の沙汰としか思えません。一体誰のために、何のために開催するのか、という疑念を抱かざるを得ません。どう考えてもオリンピックなんてできるわけがないのです。


関連記事:
東京五輪とメディアの病理
2021.02.14 Sun l 社会・メディア l top ▲
噂の真相2000年6月号2


今はなき『噂の真相』は、現在、日本中から袋叩きに遭っている森喜朗が、早稲田大学の学生時代に、売春等取締条例(売春防止法の前身)違反で警視庁に検挙された前歴があることをスッパ抜いたのでした。それは、彼が内閣総理大臣に在任中のことでした。また、記事では、彼がマスコミから「サメの脳ミソ、ノミの心臓、だが下半身はオットセイ」とヤユされていると書いていました。

その記事が掲載された『噂の真相』の2000年6月号から一部を抜粋します。

今回、本誌の取材に匿名で応じてくれた警視庁OBが重い口を開く。
「あれはそう、今から40年ほど前、確か昭和33年のことだった。その年の4月に赤線(半ば公認された売春地域)を廃止する売防法が施行されるというんで、2月1日から青線(非公認の売春地域)や白線(もぐりの売春)業者の一斉摘発に乗り出したんだ」
(略)
   一方の森は当時20歳。早稲田大学商学部にコネで入学し、ラグビー部に入部したものの胃潰瘍を患って退部。雄弁会に入るまでは酒浸りの日々を送っていたという。警視庁OBが続ける。
「その年(昭和33年)の2月17日から18日にかけて、新宿や浅草などの青線、白線業者を売春等取締条例違反などで一斉摘発し、業者や女、客ら20人近くを検挙したんだが、その客の中に、当時まだ早稲田の学生だった森、そう、今の総理大臣がいたんだよ」
(略)
「売防法と違って、当時の条例は売春業者側だけじゃなく、客も検挙したからね。森は検挙された客の一人だった。一目見ていいところの坊ちゃんだと思ったよ。結局、石川県では有名なエライ町長さんの息子で、将来もある若者だということで、1週間くらいで起訴猶予になったと記憶している」

(『噂の真相』2000年6月号 「サメの脳ミソ」と「ノミの心臓」を持つ森喜朗”総理失格”の人間性の証明)


この記事に対して、森側は名誉棄損で民事訴訟を起こしました。それに対して、『噂の真相』は、検挙された際の事件番号や指紋等の証拠を裁判所に提出。裁判所から証拠の真偽を求められた警視庁は回答を拒否。結果的に、森側も示談金も謝罪もなしで和解することに同意したのでした。

尚、同記事では、検挙された件だけでなく、「下半身がオットセイ」の面目躍如たるさまざまな醜聞も書かれていました。そんな森は「文教族」のドンで、常々日本人のモラルの低下を嘆き、あるべき愛国教育の必要性を唱えていたのでした。

言うなれば、女性差別(蔑視)発言は出るべくして出たと言えるのです。

そんな「サメの脳ミソ」の女性差別(蔑視)発言に対して、内外から批判の嵐が止まりません。それどころか、当初、擁護もしくは黙認していたIOCのバッハ会長やJOCの山下泰裕会長、小池百合子東京都知事や橋本聖子オリンピック担当相や自民党の「名誉男性」である野田聖子議員や稲田朋美議員、果てはワイドショーのコメンテーターの山口真由までもが、次々に手の平を返して批判に転じているのでした。その豹変ぶりは見事と言うほかありません。

中でもいちばん見事な手の平返しは、森発言を受けてオリンピックのボランティアを辞退した人間たちでしょう。彼らこそ、いけ好かないカマトトと言うべきです。ボランティアを辞退した人間たちに対する二階の発言が顰蹙を買っていますが、しかし、二階に痛いところを突かれたと言えなくもないのです。

それに忘れてはならないのは、このような手の平返しの風見鶏たちは、オリンピック開催に異議を唱えているわけではないということです。オリンピックを開催する上で、森発言が阻害要因になったと考えているにすぎないのです。

一方で、森に引導を渡せないのは、森がオリンピックを巡る利権の采配に絶大の力を持っているからだと見方がありますが、さもありなんと思います。

私は、以前、JOCの山下泰裕会長についても、森と同じように「サメの脳ミソ」であるかのような書き方をしましたが、そんなJOCの中で唯一マトモな意見を発信している山口香氏が、スポーツジャーナリストの近藤春夫氏によるインタビュー記事の中で、東京五輪の闇の部分について、次のような発言をしていたのが目に止まりました。

Yahoo!ニュース
山口香JOC理事「国民が五輪開催のリスクを負うことが問題」契約の不透明さに疑義

「(略)それに五輪に関してオープンにされていないことが、あまりにも多いんです。

たとえば今回、『IOCが中止を発表するか、東京が返上するか、それによって違約金の問題が生じるからチキンレースだ』みたいに言われていますよね。でも本当のところは私も知りません。なぜならば、IOCと東京都が、どのような契約を結んでいるかがオープンにされていないからです。こんな状況下では開催できないと東京が返上した時に、どれだけの違約金を支払うのかは契約時に決まっているはずです。それを国民にオープンにするべきではないでしょうか。

それが開示されたならば国民の判断材料になります。コロナ対策費と比べてどうなのか、五輪を開催すべきかやめるべきなのかを、お金=税金の観点からも考えることができます。なのに、この部分が国民に知らされていないのはおかしいんですよ」

──五輪に関してはブラックボックス化されていることが多くあるように思います。今回を機に、もっとオープンにされるべきですね。

「ええ。私は今回の五輪に関しては、日本国民の思いが大事だと思っています。IOCから押し付けられるものではないでしょう。そのために、判断材料となる正確な情報が国や組織委員会から発信されるべきなんです」


どういう契約になっているのか、JOCの理事すら知らないというのは、驚くべきことと言わねばならないでしょう。ここでも、政府と大会組織委員会の「由(よ)らしむべし知(し)らしむべからず 」の姿勢が存在するのです。

山口香氏が言うように、国民は〇〇〇桟敷に置かれているのです。国民はもっと怒るべきでしょう。ホントにオリンピックどころじゃないと思っているのなら、ミャンマーの国民のように声をあげるべきでしょう。オリンピック開催の問題には、私たちの命と生活がかかっていると言っても大袈裟ではないのです。

くり返しますが、今になって手の平を返している人間たちは、間違っても開催することに反対しているわけではないのです。ただ阻害要因を一掃して、開催にごぎつけようと思っているだけです。それは、森叩きに狂奔しているメディアも同様です。彼らも東京五輪の利権に連なっているわけですから、本心は開催されないと困るのです。

要するに、「サメの脳ミソ」の森は、オリンピック開催のためにスケイプゴートにされている(されつつある)のです。そのために現在(いま)、さまざまな政治的な思惑が交錯する中で、開催を前提にした悪あがきのような綱引きが行われているのだと思います。

追記:
ダークな東京五輪を象徴する(電通と二人三脚の)森喜朗にはがんばって貰いたいと思っていたのですが、辞任のニュースが流れてがっかりしました。最後に「ノミの心臓」の弱点が出た感じです。メディアは調整役がいなくなって開催が益々不透明になったみたいな言い方をしていますが、くれぐれも眉に唾して聞く必要があるでしょう。オフィシャルパートナーやメディア委員会に名を連ねる新聞社やテレビ局が、本音では”開催したい派”であることをゆめゆめ忘れてはならないのです。これで障害がなくなり開催のハードルが低くなったと安堵している関係者も多いはずです。後任に若くてクリーンな?操り人形を選んで、”いろいろあったけど、みんな水を流してオリンピックを楽しもう”という開催キャンペーンが、これから新聞やテレビを先頭にはじまることでしょう。(※後日、スケートの橋本聖子が後任に選ばれたのに伴い、太字にしました)



関連記事:
オリンピックなんてできるわけがない
2021.02.11 Thu l 社会・メディア l top ▲
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新宿駅~奥多摩駅~水根バス停~【六ッ石山】~石尾根縦走路~奥多摩駅~青梅駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約7.5時間(休憩等含む)
※山行距離:約16キロ
※標高差:960m(登り)1140m(下り)
※山行歩数:約29,000歩
※交通費:2,713円


一昨日 おととい(6日)の土曜日、奥多摩の六ッ石山(1478メートル)に登りました。六ッ石山の水根ルートも、奥多摩三大急登に数えられる急登です。六ッ石山には去年の3月にも登っていますので、これで二度目です。

いつものように、新宿駅から6時45分発のホリデー快速おくたま号に乗って奥多摩駅に向かいました。乗客は前回の本仁田山のときより多く、座席がほぼ埋まるくらいでした。それでも通勤電車並みに混雑するコロナ前に比べると、半分くらいです。

奥多摩駅に着いて駅前のバス停に向かうと、既に長蛇の列でした。どうやら定時のバスとは別に臨時バスが出るみたいです。私も列の後ろに並びました。水根のバス停までは15分くらいですが、バスの中は超満員で、乗車口のステップの上にも乗客が立っていました。普通のバスと違って乗客がそれぞれ大きなザックを持っているので、奥の方にいると、途中で降りるのが大変です。それで、降りやすいように、前の降り口に近いところに立ちました。

水根で降りたのは二人だけでした。しかし、水根は六ッ石山だけでなく鷹ノ巣山の水根沢ルートの登山口でもあるので、歩いて5分くらいしか離れてないひとつ先の奥多摩湖のバス停で降りて、水根まで歩いて来るハイカーも多くいました。しかも、現在、水根のバス停の前にあるトイレが建て替え中で利用できないため、よけい奥多摩湖で降りる人が多いみたいです。

水根のバス停からは車道を渡って脇の林道を登ります。二度目なので勝手知ったという感じで登って行きました。既に隣の奥多摩湖のバス停からも次々にハイカーがやって来て林道を登り始めていました。

鷹ノ巣山の水根沢ルートの道と岐れ、さらに右の方へ林道を登って行くと、民家の脇に手すりの付いた登り口が見えました。バス停から15分くらいです。

登山口に入ると、さっそく樹林帯の中の九十九折の道がはじまります。10分くらい歩くと、産土(うぶすな)神社の鳥居と祠が目の上に現れました。去年登ったときはピストンでしたので、登るときと下りのときに産土神社で手を合わせましたが、今回は山頂から奥多摩駅へ石尾根を縦走するので、手を合わせるのは一回きりです。いつものように、登山の安全を祈り、お賽銭をあげて柏手を打ちました。

これから先には、風の神土(かぜのかみつち)とトオノクボの二つのチェックポイントがあります。トオノクボまではずっと急登が続きます。特に、前回は風の神土・トオノクボ間が一番きつかった記憶があります。

しかし、今回は、タイム的には順調でした(それでも一人に追い抜かれたけど)。スタートの時間は、前回とほぼ同じだったのですが、30分くらい早いペースで登っていました。

しかも、急登はトオノクボまでで、トオノクボからは防火帯の広い道になり、登りもなだらかになります。それまでの急登と比べると別世界のようで、あれよあれよと言う間に山頂に着いた感じでした。このまま行けば、去年より30分はやく山頂に到着するはずでした。

ところが、防火帯に入ると途端にペースが落ちて、足がまったく前に進まなくなったのでした。去年はあれほど急登から解放されてルンルン気分だったのに、まるで悪魔に取りつかれたみたいでした。太腿の筋肉が痙攣を起こし、挙句の果てには踵の靴擦れが我慢できないくらい痛くなりました。それで、雪の上にしゃがみ込んで、靴と靴下を脱ぎ、持参したマメ用のパットを貼りました。パットのおかげで靴擦れは緩和しましたが、痙攣は間断なく続きました。

結局、トオノクボから山頂まで、去年と比べて30分よけいかかりました。そのため、到着時間は去年とまったく同じでした。

どうして今年は後半にあんなにバテてしまったのか。つらつら考えるに、いわゆるシャリバテだったような気がします。ダイエットをしているということもあって、前夜はコンビニのサンドイッチを食べただけで、朝はなにも食べてなかったのです。持って行ったのは、行動食がドーナツ1個で、昼食はミニクロワッサンの4個入りのパンでした。登る途中で食べたのは、ドーナツだけでした。おしっこも血尿が出ているんじゃないかと思うようなドロドロした濃い色で、あきらかに水分不足を示していました。

なんだか登山に対する慣れと惰性によって、杜撰な面が出ているように思います。私は、予備がないと不安症候群なので、非常に慎重な一面がある一方で(だから、なかなかステップアップできない)、始末の悪いことに杜撰な面もあるのです。たしかに登山でステップアップするには勇気が必要ですが、しかし、それと杜撰であるということはまったく別でしょう。

六ッ石山の山頂は、私のように六ッ石山を単独で登った人間より、隣の鷹ノ巣山から石尾根を下る途中に立ち寄るハイカーの方が多いくらいでした。しかも、20代~30代くらいの若い男性が多く、ほとんどがソロでした。夫婦やグループで登って来る人はまったくと言っていいほどいませんでした。

当日は春を思わせるような晴天でしたので、山頂からの眺望もこれ以上ないくらい恵まれました。午後になっても雲がかかることなく、どこまでも青空が広がっていました。

ただ山頂周辺はまだ雪が残っていました。六ッ石山の山頂にはベンチがないので、皆さん、残雪の上にシートを敷いて座っていました。私は、近くに座った70をすぎたとおぼしきベテランハイカーの男性と、お喋りをしながらパンを食べました。男性は、バーナーでお湯を沸かしてインスタントラーメンを食べていました。

男性とは、現天皇が皇太子時代に登った際に各地の山に作られたと噂されている「プリンスルート」について話が弾みました。中でも有名な新潟の平ヶ岳の「プリンスルート」には(このブログでも日の出山の記事で触れていますが)、男性は実際に登ったことがあると言っていました。

水根バス停から六ッ石山山頂までは4.7キロですが、これから歩く石尾根は10キロ以上あります。大体3時間くらいを予定しているのですが、私は日没にならないか心配でした。「大丈夫ですかね?」と訊いたら、「今日は快晴なので全然大丈夫ですよ」と言われました。

また、山頂あたりはまだ雪が残っているので、チェーンスパイクを装着しなくて大丈夫か訊いたら、「必要ないですよ」と言われました。しかし、そういった他人の言葉を信じた私が浅はかで、あとでチェーンスパイクを装着しなかったことを後悔しました。石尾根縦走路は北側に巻く道が多いのですが、北側の巻道には雪が残っていて、しかも踏み固められた雪がカチカチに凍っている箇所も多く、うっかり滑って転んだりしたら斜面に滑落する危険性があります。それで、なるべく踏み跡を避けて山側の雪の上を歩くようにしました。ところが、そのために、再び太腿の筋肉が痙攣しはじめたのでした。

下りの3時間は文字通りの苦行でした。別に道に迷うようなところはありませんでしたが、途中で歩けなくなり遭難するんじゃないかという不安が頭を掠めました。下まで下りて林道と合流すると集落が見えてきましたが、集落の家にしばらく休ませて貰うよう助けを求めようかと思ったくらいです。しかし、今のご時世では、それこそコロナの使徒みたいに忌み嫌われるだけでしょう。家の住民がキャーと叫びながら裸足で逃げ出すかもしれません。

それで、林道をショートカットした途中にあった神社の境内でしばらく休みました。その神社には、昨年だったか?熊が出没したそうです。

昨年の秋から、私はいわゆるガレージブランドのウルトラライトのザックを使っているのですが、一昨日はやたら腰が痛くてなりませんでした。腰ベルトがなく、全て肩で背負うようになっていますが、おそらくパッキングが下手なので、過重に偏りが生じて、それが背面の歪みになって腰に無用の負担を強いたのだと思います。片手でザックの底を少し持ち上げるようにすると、全然楽になりました。

靴擦れと痙攣と腰痛、まさに三重苦で踏んだり蹴ったりでした。ウルトラライトのザックを使うのはやめて、また前のザックに戻ろうと思いました。ウルトラライトのザックの場合、ザックだけ軽くしてもダメで、中身も軽くしなれば意味がないのです。たとえ日帰りでも、荷を軽くするために中身を削るというのは、やはり登山の装備としては本末転倒しているように思います。

予定どおり3時間かかって、午後4半近くに奥多摩駅に戻ってきました。まだ日没まで30分くらいありました。下りでは4人から抜かれましたが、皆さん、ホントにびっくりするくらい速足なのでした。と言って、私のペースが極端に遅いというわけではありません。いつも利用している登山アプリのコースタイムとほぼ同じくらいのペースです。

もちろん、私と違って彼らは健脚なのでしょう。体力があるということは、それだけ余裕を持って登山ができるという安全面でのメリットはたしかにあるかもしれません。しかし、一方で、過信が生まれ、それが無謀につながる懸念もあるように思います。実際に、山の遭難事例を見ると、下山時の転倒や滑落は道迷いに匹敵するくらい多いのです。ハイカーの構成比から言って、高齢者が多いのは当然ですが、しかし、20代や30代の若者もいないわけではありません。トレランや登山サイトの山行記録の影響なのか、一部にコースタイム至上主義のような風潮がありますが、そういった軽薄な風潮が滑落事故等のリスクを招来している面がないとは言えないでしょう。

まるで何かに急かされるように急ぎ足で下りて行く人たちを見ていると、なんだか電車が来てもないのに駅のエスカレーターを駆け下りて行くサラリーマンの姿が連想されてならないのでした。

奥多摩駅の前のベンチで30分くらい休憩して、いつものように奥多摩から青梅、青梅から立川、立川から南武線で武蔵小杉を経て、東横線で最寄り駅に帰りました。

ちなみに、スマホのアプリでは、一昨日の歩数は32000歩、歩行距離は22.85キロになっていました。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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奥多摩駅ホーム(スマホで撮影)

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駅前のバス停(スマホで撮影)

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車道を渡って右の林道に入る

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正面が鷹ノ巣山の水根沢ルート、右方面に進むと六ッ石山の登山口

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登山口

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産土神社

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神社の謂われ

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急登は続く

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風の神土

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さらにトウノクボまでの急登

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防火帯を過ぎると雪景色

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やっと山頂

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山頂標識

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山頂の様子

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南アルプスの間ノ岳や北岳?もかすかに見える

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山頂から石尾根分岐までの道

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三ノ木戸山分岐

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北側の巻き道は残雪

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北側を外れると、雪の代わりに落ち葉が膝近くまで積もっている

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石尾根縦走路の標識

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こういう危なっかしい橋もあった

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稲荷神社(チェックポイント)の鳥居

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やっと三ノ木戸林道と合流

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羽黒三田神社
ここで休んだ
2021.02.08 Mon l 山行 l top ▲
前回の記事で書きましたが、あらたに罰則規定を設けた特別措置法と感染症法の改正案が、昨日成立しました。国民の私権を制限する法案にも関わらず、衆参合わせて僅か4日の審議で成立したという、全体主義国家まがいの拙速さでした。

Yahoo!ニュース
時事通信
審議4日、懸念置き去り 政府、曖昧答弁に終始 コロナ対策法

成立した途端、メディアのアリバイ作りのために、上記のような問題点を指摘する記事が出るのもいつものことですが(だったら先に言えよという話ですが)、この改正案が与党と立憲民主党の談合によって成立した事実は、いくら強調しても強調しすぎることはないでしょう。

参議院の予算委員会で、立憲民主党の徳永エリ議員が、与党議員の銀座夜遊び問題に関連して、「特別措置法の改正案では、要請に従わない人には罰則を科す。自分たちは(自粛を)守らないで、国民には守らないと罰則を科すなんてメチャクチャではないか」(朝日)と言っていましたが、そのメチャクチャな法案の成立に手を貸したのはみずからの党なのです。徳永議員も、そう言いながら採決では賛成しているのです。メチャクチャなのはどっちなんだと言いたくなりました。

因みに、銀座夜遊び問題では、三人組の中で大塚高司議員が当時、議員運営委員会のメンバーであったことから、議運委の席上で立憲民主党のメンバーが、「武士の情けでこの件はこれで終わりにする」と発言したという話も漏れ伝わって来ています。

法案に関しても、どこまでが罰則の対象なのか、誰が罰則を下すのか、そういったことさえ曖昧なまま、密室で合意し成立したのです。しかも、改正特措法と改正感染症法は、さっそく来週(13日)施行されるのです。

感染して入院したくても入院できないのに、改正感染症法では、入院を拒否すると行政罰が下されるのです。国家の瑕疵は免罪され、全ての責任を国民に転嫁するまさにふざけた法律と言えるでしょう。

これで、政府は、「ファシスト的公共性」に、有無を言わせずに国民を従わせる強権(脅し文句)を手にすることができたのです。

感染の拡大は、ホントに国民の責任なのでしょうか。あるいは、飲食店やパチンコ店など業者の責任なのでしょうか。今回の改正ニ法からは、二階(幹事長)が言うように、お上のやることにはつべこべ言わずに黙って従えという声が聞こえて来るようです。

それにつけても、「アベ政治もスガ政治も許さない!」などというボードを掲げながら、立憲民主党に同伴して、政権交代の甘い夢を共有している左派リベラルのお粗末さを今更ながらに痛感せざるを得ません。彼らもまた、心ならずかどうかわかりませんが、与党と立憲による翼賛政治の片棒を担いでいるのです。私たちの前にあるのは、まったく唾棄すべき愚劣で反動的な政治の光景です。

また、同党常任顧問の岡田克也氏らが、共産党が立憲民主党に提唱する「野党連合政府」構想に反対してあらたなグループを結成するという読売の記事がありましたが、これも旧民主党のお家芸とも言うべきものです。記事の真偽は別にしても、今までも自民党が苦境に陥ると、必ずと言っていいくらいみずからずっこけて”敵失”を演じ、自民党を助けて来たのでした。これから選挙が近づけば、獅子身中の虫たちが、現実にはあり得ない(夢物語のような)「野党連合政府」構想に難癖を付け、野党内のゴタゴタを演出するに違いありません。

一方、党内のリベラル派と言われる議員たちも、今回の改正案に対しては見ざる聞かざる言わざるの姿勢に終始しています。日頃の言動からすれば誰よりも敏感に反応してもおかしくないのですが、彼らの口から出るのは拉致問題や週刊誌ネタの政権スキャンダルの話ばかりで、与党と密室で談合した改正案などまるで存在しないかのようです。

こういった政党が野党第一党である不幸をあらためて痛感せざるを得ません。
2021.02.04 Thu l 社会・メディア l top ▲
よく言われることですが、各自治体が発表する「新規感染者数」なるものは、主に自覚症状があったり濃厚接触者と判断されたりして、医師の指示の元にPCR検査を受け、新型コロナウィルスの感染が判明した人の数に過ぎません。当然、それが検査数に左右されるのは言うまでもありません。

「新規感染者」が増えたとか減ったとか言われると、市中の感染者の増減をそのまま反映しているかのように錯覚しがちですが、あくまでそれは「検査を受けて感染が判明した人」に過ぎないのです。

メディアは検査数は二の次に、ただ「新規感染者数」が増えたとか減ったとか言って大騒ぎしていますが、それは文字通り木を見て森を見ない低劣なセンセーショナリズムと言えるでしょう。何度も言っているように、「新規感染者数」は検査数をコントロールすることでいくらでも操作可能なのです。

東京の「新規感染者数」は一時1000人を越えていましたが、このところ1000人を下回り、「減少傾向にある」「感染のピークは越えた」などと言われています。

ところが、リテラに「東京のコロナ感染者は本当に減ったのか」という記事が出ていました。

リテラ
東京のコロナ感染者は本当に減ったのか 接触者追跡縮小し検査件数も2割以上削減! 和歌山県知事は「崩壊招く」と警告

記事は、「あまり報道されていないが」と前置きして、次のように書いていました。

(略)先週22日、東京都は都内の保健所に対し、「積極的疫学調査」の対象を絞るよう、通知を出している。積極的疫学調査とは、陽性者に聞き取り調査などし感染経路や濃厚接触者を調べ追跡調査するもので、いわゆる「クラスター対策」の根幹にもなるものである。

 周知のとおり、日本では感染者の接触者をさかのぼり、濃厚接触者を検査、クラスターを見つけ、検査・隔離するという手法をメインとしてきた。しかし、22日以降は、濃厚接触者の検査対象を絞り、高齢者や基礎疾患のある人、医療機関、高齢者施設、障害者施設、特別支援学校など高リスクの人を優先させ、これ以外の若者などリスクの低い者に対する検査は「医師の総合判断」に委ね、基本的には検査はしないという。高リスク者以外は誰が濃厚接触者にするかの判断は感染者本人や企業、学校などに任せるという報道もある。


その結果、東京都の先月後半の6日平均の検査数は以下のようになっているそうです。

15日(金)〜20日(水)の合計が67288件。6日平均約11214件。
22日(金)〜27日(水)の合計が53803件。6日平均約8967件。

問題なのは、「検査を受けて感染が判明した人」より、感染しているのにまだ感染が判明していない(把握されてない)市中の人たちなのです。

今のような規制された検査数を分母にして陽性率を求めても、(まったく意味がないとは言いませんが)市中感染率を知ることはできません。市中感染率を知ることができないと言うことは、現在の感染状況を知ることもできないということです。相も変わらず暗闇の中で目隠しをして出口を捜しているようなものです。

今回は飲食店がターゲットになっていますが、私は、昨年の緊急事態宣言下において、パチンコ店がやり玉にあがり、松戸市長が営業を続けるパチンコ店の前で街宣右翼のように横断幕を掲げ、自粛を呼びかけるチラシを配っていた光景が思い出されてなりません。あれだけ悪(感染)の根源のように言われたパチンコ店ですが、今回はパチンコ店の「パ」の字も出ていないのです。

そんな中で、入院を拒否した感染者や営業時間の短縮命令などに応じない事業者に過料を科す感染症法と特措法の改正案の修正協議が、自民党と立憲民主党の間で合意し、週明けの本会議で成立することが決定したというニュースがありました。

「非常時」という大義名分の下、国民の私権を制限し罰則を科す法案の成立が僅か数日で決定したのです。これこそ「ファシスト的公共性」でなくて何だろうと思います。立憲民主党の「立憲主義」なるのものにはただただ呆れるしかありません。

刑事罰が削除されても、私権を制限することには変わりがありません。しかも、命令の基準は、上記のように、国家がいくらでも恣意的に決められるのです。

去年だったら、時短命令に従わないパチンコ店に行政罰が科せられ、メディアによって市中引き回しの刑に処されたことでしょう。でも、今になって考えれば、パチンコ店はまったくの濡れ衣だったのです。そして、今年はパチンコ店に代わって飲食店が餌食になっているのです。

法的な強制力が伴うようになると、生活のために営業を続けることも違法になります。ターゲットになった途端に、倒産や閉店を余儀なくされると言っても過言ではないでしょう。

二大政党制という幻想による(労働戦線の右翼的再編と軌を一にした)政界再編によって、立憲民主党のような野党が誕生したことが、この国の政治をさらに不幸なものにしたと言ってもいいでしょう。

枝野代表は、昨日の党大会で、来たる衆院選で「政権交代を目指す決意を強調した」そうですが、悪い冗談だとしか思えません。自民党三議員による銀座クラブ通いの問題でも、何故か急に追及の鞘を納めて、自分たちも身に覚えがあるからじゃないかとかさまざまな憶測を生んでいますが、”国対政治”にズブズブにはまった立憲民主党がもはや自民党の補完勢力に過ぎないことは、今国会の質疑などを見てもあきらかです。こんな野党が存在する限り、自民党政治は永遠に続くでしょう。

閑話休題 あだしごとはさておき(松田政男の口真似)、先日、私は、民間の疫学調査という名目のサイトで検査キットを購入して、自分で新型コロナウイルスの抗体検査をしました。どうして抗体検査をしようと思ったのかと言えば、ワクチンが不安だからです。もし抗体ができていたら、ワクチン接種を回避できると思ったからです。

検査キットは、送料を含めて4000円でした。近所の病院でも抗体検査ができますが、その場合は5000円です。しかし、病院に行って、年寄りばかりの密な待合室で待たされるのが面倒だったので、自分で検査することにしたのでした。

申し込んで数日でキットが送られてきました。送り主は世田谷の病院になっていました。抗体検査は、血液中の抗体になるたんぱく質の有無を調べる検査です。簡易的な即日検査は、検査の結果が出るまで数日を要する精密検査に比べると精度が劣るそうですが、しかし、近所の病院で行っている抗体検査も同じ即日の簡易検査でしたので、おおまかな抗体の有無を知ることはできるはずです。

指先に針を刺して出て来た血液をスポイトで吸い取り、それをキットの窓に滴下し、さらに付属の希釈液を数滴垂らすだけです。そして、15分経つとキットに赤い線が現れ、検査結果が確認できます。

結果は陰性でした。「感染初期」のIgM抗体も「感染中~後期」のIgG抗体も陰性で、「感染後の免疫状態」もなしでした。密かに抗体を期待していたので、正直残念な気持でした。
2021.02.01 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
朝日新聞デジタルの「論座」に、ジャーナリストの高田昌幸氏が、「『東京五輪中止』の現実味をスルーする日本マスコミの病理」と題する記事を書いていました。

論座
「東京五輪中止」の現実味をスルーする日本マスコミの病理

最近、やっとと言うべきか、日本のメディアにも、東京五輪の開催を危ぶむ報道が欧米メディアから相次いでいるという記事が出るようになりましたが、しかし、それも欧米のメディアの口を借りた多分にヘタレなものでしかありません。どうしてこんなに腰が引けているのか。それどころか、一方では未だに開催を前提にアスリートの紹介などを続けているのです。そうやって性懲りもなく”五輪開催幻想”を振りまいているのです。

それは、「怖れ多くもご質問申し上げます」とでも言っているかのような、内閣記者会(官邸記者クラブ)が仕切る首相記者会見のヘタレっぷりと通底しており、文字通り日本のマスメディアの「病理」を映し出していると言っていいでしょう。

高田氏はこう書いていました。

  全国紙で東京都や組織委を取材している記者は「今夏の開催が難しいことは記者の誰もが分かっているでしょう。でも、それを積極的に記事にしよう、社会に投げかけようという機運はありません。どのメディアも自分が先陣を切るのが怖いのだと思います」と言う。


これをヘタレと言わずして何と言うべきかと思いました。先陣争いをするのではなく、「先陣を切ることが怖い」とは。彼らにジャーナリストを名乗る資格はあるのでしょうか。

こういったメディアのヘタレっぷりが、権力を監視するどころか、虚言癖の宰相に伴走し、ひたすら忖度し続け、トランプ政権と同じように民主主義を毀損した長期政権を支えてきたのです。

でも、オリンピックに関しては、国民の8割は開催に反対しています。今の感染状況を見れば、オリンピックどころじゃないと考えるのは当然でしょう。しかし、メディアは違います。相も変わらず、官邸の意を忖度するような姿勢に終始しているのです。それでは、国民の間に、新聞やテレビなどの既存メディアに対する不信感が増すのは当然でしょう。そして、メディア離れをいっそう加速させることになるのも当然です。権力を監視する役割を放棄して、権力のパシリに零落した彼らは、そうやってみずから墓穴を掘っているのです。貧すれば鈍するとはこのことかもしれません。

  東京オリンピック・パラリンピックのオフィシャルパートナーには読売新聞社と朝日新聞社、日本経済新聞社、毎日新聞社が名を連ねている。オフィシャルサポーターには産業経済新聞社と北海道新聞社が加わっている。メディア委員会にはテレビ局や通信社、新聞社などが揃い踏みだ。

   新聞社やテレビ局も営利企業であり、オリンピックを大きなビジネス・チャンスとして捉えること自体は否定しない。しかし、営利目的が「報道の論理」を食い尽くし、国民が疑問に思う大きなテーマを取材・報道しないのであれば、報道機関としては役割放棄と言えよう。報道をしない期間にも開催に向けて湯水のごとく税金は使われている。


こういった言葉も、もはや馬の耳に念仏なのでしょう。日本のメディアの「病理」は、治癒不能なほど深刻なのです。

追記:
21日、日本政府が内密に東京五輪を中止する結論を出したと報じた英タイムズ紙の記事が、日本国内でも大きなニュースになっています。記事によれば、日本政府の関心は既に「開催枠が空いている2032年の五輪大会を確保すること」に移っているのだとか。

Yahoo!ニュース
THE PAGE
英タイムズ紙が「政府が内密に東京五輪中止を決定。2032年開催プランが水面下で進行」の衝撃報道

政府や大会組織委員会は報道を否定していますが、火のないところに煙は立たないという諺があります。もしかしたら、国内外の反応を見るために、「政権与党の古参議員」を使ってアドバルーンを上げたのかもしれません。

それにつけても、この場に至っても、国民は○○○桟敷に置かれ蔑ろにされているのです。主権者である国民に情報が開示され、それに基づいた国民=主権者の意思と判断が適時行政府の政策決定に反映されるというのが民主主義のイロハのはずですが、肝心な国民は○○○桟敷に置かれたままです。まったくいいように嘗められたものです。と同時に、政府の動向が海外のメディアに先行して報道される日本のメディアのテイタラクぶりにも、ただただ呆れるしかありません。民主主義を毀損しているという点では、メディアも同罪なのです。


関連記事:
オリンピックなんてできるわけがない(2)
オリンピックなんてできるわけがない
2021.01.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
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新宿駅~奥多摩駅~【本仁田山】~鳩ノ巣駅~青梅駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約6.5時間(休憩等含む)
※山行距離:約8.5キロ
※標高差:875m
※山行歩数:約24,000歩
※交通費:2,776円


昨日(17日)の日曜日、本仁田山(ほにたやま・1224.5m)の大休場尾根(おおやすんばおね)に登りました。

大休場尾根は、奥多摩三大急登に数えられている名にし負う急登です。尚、奥多摩の山で、平均勾配(斜度)が20度以上の急登は以下のとおりです。尚、平均勾配というのは、標高差(m)÷距離(m)×100で出された数値(%)です。

本仁田山・大休場尾根 35.5度
鷹ノ巣山・稲村岩尾根 26.5度
六ッ石山・水根ルート 24.0度
天祖山・表参道 22.0度
御前山・大ブナ尾根 20.2度

出典:
徒然なる登山ブログ
奥多摩三大急登とは?

これを見ると、大休場尾根がダントツです。山頂までの距離が短い上に、緩やかな道がほとんどないので、平均勾配が大きくなるのでしょう。とにかく、最初から最後まで急登の連続でした。たとえば、三頭山のヌカザス尾根も急登ですが、平均勾配は17.1度でした。途中にゆるい勾配のところがあるからです。

日本山岳会奥多摩支部のグレーティングによれば、大休場尾根は、登山道グレードや技術力グレードは星2つでしたが、体力グレードは星4つでした。

大休場尾根は、地元では「鉄砲尾根」と呼ばれているそうです。そして、大休場尾根を登ることを「鉄砲登り」と言うのだとか。

距離は短いものの、急登による体力の消耗が激しいので、大休場尾根では何件かの遭難事故も発生しています。昨日も、登っていたら下から腰にカラビナやロープを下げた男性二人が登って来ました。ヘルメットを見ると、「警視庁」と書かれていました。「どうしたんですか?」と訊いたら、「ちょっと捜索しているんですよ」と言ってました。「この辺だよな」「どこかに引っかかるはずなんだけどな」なんて話していました。

また、やはりロープの束を肩から下げた地元の山岳会のメンバー?とおぼしき人たちが5~6人、登山道から斜面に下りていました。

最初は訓練なのかと思ったのですが、捜索だと言うのでびっくりしました。ただ、見た感じではあまり緊張感はなさそうでした。

小さな岩場を登っていたら、上から下りてきた先程の隊員から「あっ、コース外れていますよ」と言われました。たしかにロープがあったのですが、ロープがゆるんで地面に垂れていたので、そのまま登ったのでした。どうやらそれは通行止めのロープだったようです。

「ホントは横を巻くんですよ」「そんなに難しくはないけど、上に一枚岩のような岩があって、それを登るので気を付けてください」と言われました。

もうひとりの隊員からは、私のぶざなま姿を見かねたのか、「きついでしょ?」と言われました。「そうですね。噂通りきついですね」と言ったら、「奥多摩三大急登ですからね」と笑っていました。

今回も、前回の大寺山のときと同じ新宿駅6時46分発のホリデー快速に乗りました。緊急事態宣言下でしたが、前回よりハイカーは多く乗っていました。もちろん、コロナ前の休日に比べたら全然少なく(4 分の1以下?)、ゆったり座って行くことができました。

大休場尾根は、奥多摩駅から直接登ることができます。8時半前に奥多摩駅に着きましたが、駅前のバス停には既にハイカーが列を作っていました。青梅街道を走る奥多摩湖(丹波や鴨沢)方面のバス停には10人前後、日原(にっぱら)街道を走る川苔山の百尋ノ滝(ひゃくひろのたき)方面のバス停には20人近くが列を作っていました。日原街道を走るバスはマイクロバスなので、かなりギューギュー詰め(つまり、密)になるでしょう。

私は、バス停のハイカーたちを横目で見ながら、奥多摩駅を出ると右の方に進みました。奥多摩町役場の前を通って、石灰石の工場の前を左折し、日原川に架かる北氷川橋(きたひかわばし)を渡って氷川国際ます釣場の方に向かいます。二つ目の女夫橋(めおとばし)を渡ると、右手に氷川国際ます釣場がありますが、大休場尾根の登山口は、左手の除ケ野(よげの)集落の中の坂道を登って行きます。九十九折の山の中の坂道を45分くらい登ると、安寺沢(あてらさわ)という集落の奥に大休場尾根の登山口がありました。

本仁田山の標高は1200メートル超で、山頂までの距離も2.2キロですが、単純標高差は800メートルを越します(登山口からは720メートル)。距離が短い分斜度が大きく、奥多摩の低山おなどるなかれを象徴するようなコースでした。低山をバカにする山のシロウトには、一度登ってみろと言いたいです。北アルプスに行くためのトレーニングで奥多摩の急登を登るというハイカーも多いのですが、たしかに筋力トレーニングするには最適だと思いました。私も、最近はゆるゆる登山ばかりしていたので、下りは完全に足に来てつらい思いをしました。帰りに駅の階段を下りるのもひと苦労でした。

登山口に向かう際、私の前を中年のカップルが歩いていました。途中で追い抜いたのですが、急登で再び追い抜かれました。その際、少し話をしたのですが、やはり夫婦ではないみたいでした。

また、途中で立ち止まって休憩していると、後ろから登ってきた中年の女性と30代くらいの男性が追い抜いて行きました。とにかく皆さん驚異の脚力で、気が遠くなるような急登もガンガン登って行き、あっと言う間に姿が小さくなっていきました。その脚力には圧倒されました。やはり、他の山と違って、熟達者というか上級者が多い気がしました。

大休場尾根を登るのも大変ですが、下りはもっと大変な気がします。しかし、反対側の杉ノ殿尾根が一部に急登があるものの大休場より全然楽なので、杉ノ殿尾根を登りに使って、下りに大休場を選ぶハイカーも結構いるみたいです。

頂上付近で、上から下りて来た老夫婦とすれ違いましたが、「なに、これ?」「大変だよ」などと言いながら、おぼつかない足取りで急斜面を下りていました。しかし、そこはまだ序の口で、下に行けば足を滑らせると滑落の危険性がある激下りが待っているのです。

ほうほうの体で山頂に辿り着いたら、山頂では外人の若い女性が二人、弁当を食べていました。喋っていた言葉は英語でした。私たち外人もワクチンを打ってもらえるんだろうかと言っていました。そして、弁当を食べ終わると、大休場尾根の方へ下りて行きました。彼女たちもおそらく杉ノ殿尾根を登って来たのでしょう。これから待ち構えている試練を知らないんだなと思いました。

私は、このブログにも書いていますが、前に杉ノ殿尾根をピストンしたことがあるので、本仁田山は今回で二度目です。着いたときは曇り空で、眺望はあまり望めませんでした。ベンチに座っていると急に身体が冷えて来ました。それで、登り始めに脱いだ上着をもう一度羽織りました。前に来たとき、山頂には誰もいなくて、ベンチに座ってひとりでパンを食べていたら、わけもなく泣きそうな気持になったことを思い出しました。

外人の二人組が下りたあと、登って来る人もなく、前回と同じようにひとりになりました。しかし、今回は疲労困憊で、前回のようなロマンティックな?気分に浸る余裕はありませんでした。と、ぼつぼつ下ろうかと思っていたときでした。やにわに空が明るくなってきて、長沢背稜の背後に忽然と富士山が姿を現したのでした。それは、文字通り忽然という表現がピタリとするような感じでした。山の天気は変わりやすいのですが、それは必ずしも悪いことばかりではないのです。

杉ノ殿尾根を40~50分下ると、林道(西川林道)と交差したところにある大根ノ山ノ神(おおねのやまのかみ)に着きました。ここは杉ノ殿尾根と川苔山をそれぞれピストンした際に通りましたので、これで三度目です。

大根ノ山ノ神から鳩ノ巣駅までは30~40分くらいです。鳩ノ巣駅に向けて登山道を下っていたら、下から登って来た高校生とおぼしき若者の二人組とすれ違いました。ただ、手にペットボトルを持っているだけの軽装でした。途中で拾ったのか、木の枝を杖代わりにして、ハアハア荒い息を吐きながら登って来ました。まさかそんな恰好で川苔山や本仁田山に登るとは思えません。面倒くさいので声はかけませんでしたが、ネットでも話題になっている峰集落の跡地に”探検”に行くのかもしれないと思いました。

奥多摩の山を歩いていると、こんなところにと驚くような場所に人家の跡があったりしますが、峰集落もそのひとつです。大根ノ山ノ神から西川林道を少し下ると、1972年に最後の住人が山を下りて「廃村」になった峰集落の跡地があります。昔、集落の子供たちは、今、私たちが登山の恰好をして登っている鳩ノ巣駅から大根ノ山ノ神の道を毎日歩いて学校に通っていたのだそうです。峰集落については、ヤマップの「活動日記」にも次のような記述がありました。

峰集落とは鎌倉末期から大正末期まで500年以上も木材、炭焼きで繁栄した村で昭和47年に最後の住民が下山して廃村となりました。
柳田國男も滞在して研究したと言われる伝説の村です。

YAMAP
本仁田山と峰集落


柳田國男もこの道を歩いて峰集落に行ったのかと思うと、(足は筋肉痛で悲鳴をあげていたけど)なんだか感慨深いものがありました。そして、柳田國男の『山の人生』をもう一度読み返したい気持になりました。

尚、峰集落については、下記の文春オンラインに掲載されている記事(訪問記)に詳しく書かれています。

文春オンライン
これぞ東京の秘境! 1972年に廃村になった奥多摩山中の「峰集落」へ行ってみた

鳩ノ巣駅に着いたのは、15時すぎでした。私が使っている登山アプリ(ネットから登山届を提出することができるアプリ)のコースタイムとほぼ同じでした。

鳩ノ巣駅からは青梅線で青梅駅、青梅駅から中央線で立川駅、立川駅から南武線で武蔵小杉駅、武蔵小杉駅から東横線で最寄り駅に帰りました。最寄り駅に着いたのは19時前でした。

途中の電車も、それから青梅駅や立川駅や武蔵小杉駅も、緊急事態宣言下とは思えないほど人が多く、普段の日曜日より若干少ない程度でした。皆、「不要不急の外出自粛」などどこ吹く風の不心得者です。もちろん、かく言う私もそのひとりなのでした。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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石灰石工場の横の坂を下り、最初の橋(北氷川橋)を渡る

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石灰石工場全景

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二番目の橋(女夫橋)を渡る

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氷川国際鱒釣場

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安寺沢の集落に向かって車道を登る

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登山口

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いきなり急登

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尾根に迷い込んで滑落したケースがあったので、こういった看板を立てたのかもしれません。

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登山道を上から振り返る

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六ッ石山?

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山頂

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山頂標識

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忽然と姿を現した富士山

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木に括りつけられた瘤高山の山頂標識

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瘤高山からの眺望
都心も見えた

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大根ノ山ノ神
今回もお賽銭をあげて手を合わせた

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麓の集落に戻って来た

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鳩ノ巣駅全景

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改札口

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待合室の中にあった注意書き
鳩ノ巣駅は無人駅なので、待合室で夜明かしするのに焚き火をする人間がいるのでしょうか。山の中でもときどき焚き火の跡を見かけますが、駅の待合室で炊き火とは凄い話です。もう放火のレベルと言っていいくらいです。
2021.01.18 Mon l 山行 l top ▲
日本で新型コロナウイルスの感染が確認されてから15日でちょうど1年だそうです。この1年間で、日本では31.1万人が感染し4119人が亡くなりました(1月14日現在)。

もちろん、これは公的機関が確認した数です。日本は欧米に比べて17分の1と言われるくらい検査数が少ないので、当然感染が確認された数も少ないと考えるのが常識でしょう。全てはオリンピック開催のためです。そうやって感染状況を小さく見せるための不作為が行われているのでした。

そして、今、そのツケがまわってきているのです。フリップを掲げて感染爆発だと大騒ぎしている自治体の長たちも、昨日までは、GoToトラベルやGoToイートの還元キャンペーンのフリップを掲げ、観光や会食を奨励していたのです。あたかも新型コロナウイルスは山を越した、自粛は終わったと言わんばかりに、「みんな、街に出よう」と言っていたのです。

昨日の新聞にも、「感染爆発」というフリップを掲げている黒岩祐治神奈川県知事の写真が出ていましたが、私にはその顔はまぬけ顔にしか見えませんでした。黒岩県知事もまた、神奈川県とは縁もユカリもない人物です。誰が連れて来たのか知りませんが、立候補するに際して、自公と民主党(当時)が支持し、選挙で(当然ながら)圧勝したのでした。

今のコロナ禍では誰がやっても同じという声がありますが、しかし、総理大臣を含む政治家や感染対策の実務にたずさわる役人たちを見ていると、どうしてこんなにお粗末なんだろうと思わずにはおれません。対策が「後手」になっていることが何よりそのお粗末さを表しているのです。

PCR検査をサボタージュしながら、相も変わらずまるでモグラ叩きのようなクラスター対策ばかり行なっている日本。日本は人口当たりの病院数や病床数が世界で一番多く、CTやMRIの台数も他国を圧倒しているにもかかわらず(ただし医師の数は少ない)、病床不足が指摘され医療崩壊が叫ばれているのです。感染の確認から既に1年が経ったのに、感染専門の病院すらないのです。地域の基幹病院(一般病院)がCOVID-19の患者を引き受けていますが、そのため、専門医や個々の病院で得た”経験値”や病床機能などのいわゆる医療資源が重点的に配分されず、有効活用されてないと指摘されていました。しかし、政治家や厚労省や日本医師会の都合と思惑によって、臨機応変な対応は行われなかったのでした。

私も院内感染(クラスター)が発生したいくつかの病院を知っていますが、気の毒としか言いようがありません。お粗末な(厚労省の)感染症対策の犠牲になったと言っても言い過ぎではありません。

ここに至っても、あらたにCOVID-19の重症患者を引き受けた病院に対して、緊急事態宣言の対象地域の病院には1床あたり1950万円(その他の地域は1500万円、重症化以外の病床は450万円)支給するなどと言っていますが、どう考えても場当たり的な弥縫策だとしか思えません。要するに、「ワクチンで全て解決」までの時間稼ぎのつもりなのでしょう。ここにも役人特有の前例主義と事なかれ主義が如実に出ている気がしてなりません。このような”小役人的発想”で、感染対策の基本方針が維持される不幸と怖さをあらためて考えざるを得ません。

そんな中で、(予断と偏見を捨てると)小池都知事が、都立の広尾病院・荏原病院・豊島病院をCOVID-19の患者を重点的に受け入れる「コロナ専門病院」にする方針をあきらかにしたのは、英断だと思いました。報道によれば、この3病院のほかに、他の都立病院と都の政策連携団体の公社が設置する「公社病院」の合わせて14の病院で、600床増やして1700床にする方針だそうです。

また、広島県の湯崎英彦知事が、「無症状の感染者を早期に発見し、市中感染の拡大を封じ込める」ため、広島市中心部の4区(中区、東区、南区、西区)の全住民や就業者80万人を対象に、無料のPCR検査を実施する方針を明らかにしたことも、同様に英断だと思いました。逆に言えば、他の首長たちはどうして同じことができないんだろうと思いました。「感染爆発」のフリップを掲げて”自粛警察”を煽るだけが能ではないでしょう。

何度もくり返しますが、ウイルスは撲滅などできないのです。共生するしかないのです。

昨日の朝日新聞デジタルに、前にこのブログで取り上げた『感染症と文明』(岩波新書)の著者の山本太郎長崎大熱帯医学研究所教授のインタビュー記事が掲載されていましたが、その中で山本教授は、現在、「二つの物語」が進行していると言っていました。

朝日新聞デジタル
コロナ1年、感染症の専門家が葛藤する「二つの物語」

ひとつは、「ウイルスとの共生、社会経済との両立と集団免疫の獲得」という「物語」で、もうひとつは、隔離に伴う差別や限られた医療資源の中での命の選別に直面する患者たちの「個の物語」です。

とりわけ自分の命が疎かにされる怖れがある「個の物語」は深刻です。ただ高齢だとか、ただ貧困だというだけで、失われなくてもいい命が失われるのかもしれないのです(現実にはコロナ禍でなくても、命の選別は行われていますが)。にもかかわらず、非常時だから「仕方ない」で済まされるのです。

神奈川県でも、職員の入力ミスで安否確認の連絡システムが機能しなかったために、自宅療養していた患者が人知れず亡くなったという事件がありましたが、そういった事件も黒岩知事が頭を下げただけであっさりと処理されたのでした。

戦争中と同じで、指導者の責任が不問に伏されているのです。非常時だから仕方ないという日本的な”翼賛思想”ばかりが強調され、どう見ても無能としか思えない指導者でも唯々諾々と従うしかないかのようです。まるで悲劇を悲劇として認識することさえ放棄しているかのようです。それでは悲劇が増幅されるだけでしょう。

ワクチン開発にしても、日本は最初からレースの枠外でした。日本政府がやったことは、オリンピック開催に拘り、意図的にPCR検査をサボタージュして感染状況を小さく見せることだけでした。テレビやネットでは「ニッポン凄い!」という自演乙が花盛りでしたが、コロナ禍によって”凄くないニッポン”が露わになったのです。

尚、山本教授が言う「ウイルスとの共生」については、下記の記事をご参照ください。


関連記事:
新型コロナウイルスと「共生への道」
2021.01.16 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
今日は成人の日だそうですが、私たちの年代には成人の日と言えば1月15日というイメージがあるので、1月11日が成人の日と言われてもピンと来ません。もっとも、2000年からハッピーマンデー制度がはじまり、1月の第2月曜日が成人の日と定められているそうで、成人の日が1月15日でなくなってから既に20年も経っているのです。

成人の日と言えば、沖縄や福岡などヤンキーたちによる荒れた式典がメディアに取り上げられ、果たして公費を使って成人の日の式典を行う必要があるのかという議論が毎年巻き起こるのが決まりでした。

ところが、今年は様相を一変しています。新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、成人式を中止や延期する自治体が続出しているのでした。特に、二度目の緊急事態宣言が出された首都圏では、1月11日に成人式を挙行する自治体はごく稀です。

その中で、杉並区と横浜市は式典を開催(強行?)したのでした。二度目の緊急事態宣言が発令され、「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」というおなじみのキーワードが発せられ、メディアも繁華街の人出が思ったより減ってないなどと報道する一方で、それにまったく反するような式典が挙行されたのでした。

去年までメディアの間で姦しく飛び交っていた”成人式不要論”はまったく影を潜めています。何が言いたいのかと言えば、緊急事態宣言という「ファシスト的公共性」と成人式の開催は矛盾しているではないかということです。それこそ、再三言っているように、頭隠して尻隠さず、あるいは竜頭蛇尾の典型と言えます。私は、杉並区や横浜市の首長は、これからどんな顔をして「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」を言うつもりなんだろうと思いました。

特に横浜市は、全国の市町村で最多の3万7000人の新成人がいて、その中で7割の新成人が式典に出席する予定だと言われています。感染対策として、会場を例年の横浜アリーナのほかにパシフィコ横浜も加え、さらにそれぞれの会場で4回ずつ8回に分けて式典が行われるそうです。

新成人に対するテレビの街頭インタビューなどでは、「思い出になるので式はやってほしい」という声が多くありました。「思い出」というのは便利な言葉ですが、要するに彼らにとって成人式は、クリスマスやハロウィンなどと同じようなイベントなのです。言うなれば、ジモト(地元)やタメ(同級生)というヤンキー的テイストに基づいて騒ぎたいだけなのです。成人式という公的に認められた場で、晴れ着を着て、地元の友達と誰に遠慮することもなく盛大に無礼講を行ないたいだけなのです。それを彼らは「思い出」という言葉で合理化しているのでした。

そんな「思い出のため」などという誰でも言える無意味なワードが飛び交っている今年の成人式に対して、猪瀬直樹が、大学進学率が5割になった今は「成人式をやる意味がない」とめずらしく正論を述べていました。メディアから”成人式不要論”が忽然と消えた中で、唯一と言っていい正論だと思いました。

エキサイトニュース
東スポWeb
猪瀬直樹氏が持論 大学進学率50%の今「成人式をやる意味ない」

(略)猪瀬氏は自身の時代の成人式を振り返り「成人式はきわめて空疎な式典だ。僕の時代は大学進学率が12%ぐらいで大学生は成人式には行かなかった。大部分は中卒・高卒で社会人となり仕事も慣れたところで、成人式は通過儀礼としての意味があった」とし、本来は社会人になった成人のための式だったとした。

 その上で「いま大学進学率50%+専門学校、ほとんど学生だ。いま成人式をやる意味はない。卒業式で充分だ」と私見を述べた。


まったくその通りで、私は猪瀬直樹より下の世代ですが、私たちの頃も、大学に行った人間は成人式に出席しないのが普通でした。私は大学どころか、まだ東京の予備校に通っている身でしたので、成人式と言われてもピンと来なかったというのが正直な気持でした。中学を卒業すると3分の1は就職するような田舎でしたので、二十歳になった小中学校の同級生のほとんどは既に働いていました。そんな中で、未だ親の脛を齧っている身としては、肩身が狭い気持もありました。猪瀬直樹が言うように、成人式には社会に出て一人前の大人になる通過儀礼の側面がたしかにあったのです。

私の田舎では成人式は夏に行われていましたが、成人式の年の秋、私は、持病の再発で東京から九州に戻り、国立病院で三度目の入院をすることになりました。そして1年間の長期入院を余儀なくされたのでした。父親が、東京に迎えに来たとき、盆休みに行われた成人式の写真を持って来ました。そこには懐かしい小中学校の同級生たちの顔がありましたが、しかし、病気による失意の只中にいたということもあって、特別な感慨はありませんでした。ましてや「思い出」などという言葉が入り込む余地などありませんでした。

ただ、翌年の1月15日の成人の日に、突然、主治医の先生や婦長さんが病室にやって来て、病棟の職員一同からの記念品としてアルバムを貰いました。その頃はまだ病状が安定せず、ほとんど寝たきりの状態でしたので、すごく感激したことを覚えています。アルバムの上には「祝成人」と書かれた熨斗(のし)が貼られていました。アルバムは今も大切に持っています(成人式の写真は紛失して手元にありません)。それが私にとって、成人式の「思い出」と言えば「思い出」です。

「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」などと言いながら、政治家や公務員はこっそり忘年会をやり、若者たちに迎合して成人式を挙行するのです。それでは、「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」が建前にしか聞こえないのも当然でしょう。とりわけ、昨今の成人式は、公費を使ってSNS向けの「思い出」作りに手を貸すようなものです。ヤンキーが多い横浜市も荒れる成人式として有名ですが、式典のあと、新成人たちがお行儀よく自宅に帰るとはとても思えません。成人式は、ウィルスの運び屋である若者たちの密や飲み会を、半ば公認するようなものと言っていいでしょう。これでは「正しく怖れる」など夢物語でしょう。

もともと横浜とは縁もユカリもないシャネル大好きのおばさんを市長候補として連れて来たのは、当時民主党の党首であった小沢一郎ですが、その結果、横浜市は、菅義偉のような市政を牛耳る地域のボスと市関係4労組(自治労横浜・横浜交通労組・横浜水道労組・横浜市教職員組合)が共存する伏魔殿になったのでした。

横浜市は、令和2年度末時点で、市債と外郭団体の借入金を合わせると、4兆3千億円の借金があります。そのうち、外郭団体の収入(水道料金やバス運賃など)を除いた”純借金”は3兆1千億円です。そんな中で、昨年、800億円の巨費(それも借金)を投じて、桜木町駅近くの北仲通南地区に32階建ての市庁舎を建てたのでした。

横浜市には、外郭団体を入れて4万5千人の職員がいます。人件費は、1年間の歳出の実に20%、3700億円を占めています。2010年には、横浜市は、ラスパイレス指数(国家公務員給与を100とした時の地方公務員の給与水準)で、全国の地方自治体で1位になり、高給が批判を浴びました。今は当時より給与水準は落ちているものの、依然として100超(つまり、国家公務員よりは高い給与を得ている)であることには変わりがありません。それに、外郭団体のほかにみなとみらいのような第三セクターも多く、退職後の再就職先(天下り先)も手厚く保障されているのです。

32階建ての豪華市庁舎から市民を睥睨する”役人天国”の住人たち。成人式の挙行も、公務員の忘年会と同じような、現実と乖離した建前と本音の所産なのかもしれません。

今日も近所のスーパーは行列ができるくらいお客が殺到していました。また、休日の都心に向かう朝の電車も、コロナ前の電車と変わらないくらい混雑していました。「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」という「ファシスト的公共性」が、行政に対する不信感によって骨抜きにされているのは(言っていることが矛盾しているようですが)いいことです。しかし、COVID-19の猛威は続いているのです。悩ましい話ですが、私たちは、正しい知識で「正しく怖れる」必要があるのです。一方で、自分たちの自由は自分たちで守る必要もあるのです。

新型コロナウイルスは撲滅などできないのです。共生するしかないのです。罰則規定を新たに設ける特別措置法や感染症法の改悪が俎上に登る中で、みずから進んで国家に自由を差し出す”自粛警察”のような衆愚を他山の石として、自由を守りながらどう感染防止を行うか、どう「正しく怖れる」かという課題が私たちに突き付けられているのだと思います。


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横浜市政は伏魔殿
2021.01.11 Mon l 横浜 l top ▲
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新宿駅~拝島駅~奥多摩駅~深山橋バス停~【大寺山】~深山橋バス停~奥多摩駅~青梅駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約6キロ
※標高差:430m
※山行歩数:約18,000歩
※交通費:3950円


冬の低山ハイク第4弾。3日に奥多摩町(東京都)と丹波山村(山梨県)の都県境にある大寺山(982m)に登りました。奥多摩周辺の山に登ったとき、遠くの山の上に白い建物が見えることがあります。あれは何だろうとずっと気になっていました。

ネットで調べたら、その建物は法華宗系の宗教団体である日本山妙法寺の仏舎利塔であることがわかりました。そう言えば、別府の実相寺という丘の上にも同じような仏舎利塔がありました。あれと同じようなものかもしれないと思いました。

日本山妙法寺と言えば、今でも反原発や反核の運動ではおなじみの宗教団体ですが、私も若い頃、三里塚の支援集会などで、団扇太鼓を打ち鳴らしながら「南無妙法蓮華経」とお経を唱えていた僧侶の一団を見かけたことがあります(でも、日本山妙法寺はのちに運動から離脱し、敵前逃亡だと批判を浴びました)。

大寺山自体は、奥多摩湖に面した標高が1000メートルにも満たない低山ですが、奥多摩特有の急登が続く山だという紹介がネットにありました。それで、仏舎利塔と急登に惹かれて登ってみることにしたのでした。

大寺山は片道3キロ弱の距離しかなく、コースタイムも1時間30分くらいなので、通常は大寺山からさらに1時間30分かかる鹿倉山を縦走して丹波山温泉に下りる場合が多いようです。ただ、その場合、奥多摩駅に戻るバスが一日に4便しかないため、3便目の15時台のバスに間に合うかどうか微妙なのでした。それに乗り遅れると最終便の18時台のバスしかありません。それで、今回はピストンすることにしました。

新宿駅から土日と祝日だけ運行されている6時46分発のホリデー快速おくたま号に乗りました。それでも終点の奥多摩駅に着いたのは8時21分でした。

いつものホリデー快速だと、大きなザックを背負ったハイカーたちで通勤電車並みに混むのですが(新宿駅ホームのその光景は壮観です)、やはりコロナ禍の中、拍子抜けするくらいガラガラでした。ホリデー快速は、途中の拝島駅で奥多摩駅行きと武蔵五日市駅行きに切り離されるのですが、私が乗った車両にはハイカーは5~6人くらいしかいなくて、むしろ通勤客の方が多いくらいでした。ちなみに、1号車から6号車までが奥多摩行き(おくたま号)、7号車から10号車が武蔵五日市駅行き(あきかわ号)になります。

奥多摩駅に着くと、駅前のバス停には既にハイカーが並んでいました。そのバス停から8時35分発の丹波行きのバスに乗ります。ハイカーご用達のバスは、青梅街道を走るこの路線と日原街道を走る東日原行きに大別されますが、東日原行きは2019年10月の台風19号の被害でずっと運休になっていました。しかし、先月(2020年12月1日)、1年2ヶ月ぶりに運行が再開されたばかりです。ただ、道路の復旧が完全に終わっていないので、通常の大型バスではなく小さなマイクロバスが運行されていました。

東日原行きのバスに乗っているのは、川苔山の百尋ノ滝コースを歩くハイカーが大半だと思いますが(百尋ノ滝コース自体も台風の被害から復旧したばかりです)、冬の凍結時期ということもあってか、数人しか乗っていませんでした。他に東日原からは、鷹ノ巣山の稲村岩尾根コースもあるのですが、稲村岩尾根コースは台風19号の被害で未だ通行止めになっているのでした。

一方、私が乗った「鴨沢方面丹波行き」のバスは8割程度の乗車率でした。全員ハイカーです。途中でいちばん降りる人が多かったのは、奥多摩駅から8個目の奥多摩湖のバス停でした。おそらく御前山に登るハイカーたちなのでしょう。私は、34個目のやはり奥多摩湖沿いにある深山橋(みやまばし)のバス停で降りました。降りたのは私ひとりだけでした。

バスには数人残っていましたが、彼らは39個目の鴨沢のバス停で降りて、雲取山か七ツ石山に登るハイカーたちなのだろうと思います。

深山橋は、三頭山のムロクボ尾根ルートの最寄りのバス停でもあります。バス停を降りて、奥多摩湖にかかる緑色の橋(深山橋)を渡ると、陣屋という蕎麦屋さんがあります。その蕎麦屋さんの横(ほとんど敷地内のようなところ)を入ると、「鹿倉山・大寺山登山口」の古い看板がありました。ちなみに、大寺山に登る途中には、道標は二つしかありませんでした。いづれも奥多摩湖方面を示す、手作りのかなり古い道標でした。あとは踏み跡とピンクテープを頼りに登るしかありません。ただ、ピンクテープも、色が褪せたり吹き飛ばされたものが多く、あまり数も多くありません。

登り口からいきなり急登でした。私は靴擦れになり、途中から足の後ろの部分が痛くてなりませんでした。ただ、距離が短くて時間も長くないので、それほどつらい感じはありませんでした。尾根に辿り着くと、今度は両側が切れた痩せ尾根が続きました。そして、痩せ尾根のあとは再び急登になり、息を切らして登ると目の前に山頂の白い建物が忽然と現れました。

私は、尾根に上がった際、道を見失い尾根の上とは反対側の谷の方に向かってしまいました。典型的な道迷いのパターンです。この時期ではよくある話ですが、落ち葉によって踏み跡が消えていたのでした。ピンクテープも見つからず、しばらくウロウロした挙句、かすかに踏み跡らしきものがある(気がした)谷側に歩いて行ったのでした。スマホのGPSで確認しましたが、GPSが示す方向は間違ってないのです。

でも、やはりおかしいなと思って、尾根の上に上がることを考えました。それで急斜面を木を掴みながらかなり強引によじ登りました。途中、掴んだ木がポキッと折れて滑り落ちたりしました。

尾根の上に上がると、案の定、踏み跡がありました。尾根の上は風が強いので、落ち葉もそれほど積もっていなくて踏み跡も明瞭に残っているのです。ここで20分~30分時間のロスをしました。

最後の急登の手前では、特別天然記念物のニホンカモシカに遭遇しました。5分くらい睨み合いましたが、その間カメラのシャッターを切り続けました。

山頂の仏舎利塔は、別府にあったものと同じでした。日本山妙法寺は全国各地の山に同じ仏舎利塔を建てているみたいで、大寺山の仏舎利塔には「帝都仏舎利塔」という石碑がありました。

仏舎利塔は、上の円筒の部分が工事用の鉄パイプで囲われており、補修工事が行われている様子でした。ペンキは塗り替えられているみたいですが、建てられてかなり時間が経っている感じがしました。ネットで調べると大寺山の仏舎利塔は1974年に落慶しています。設計したのは、浅草寺本堂や川崎大師平間寺本堂などを設計した建築家の大岡實氏だそうです。別府の仏舎利塔は1981年、日本山妙法寺を創建した藤井日達の母校がある大分県臼杵市の仏舎利塔は、大寺山と同じ1974年に建てられています。海外も含めて48塔あるそうです。

仏舎利塔のまわりにはベンチが設置されていました。ベンチに座っていつものように温かいお茶を飲み、どら焼きと羊羹を食べてまったりとしました。結局、山頂には1時間近くいました。歩いている途中でも山頂でも誰にも会うこともなく、私にとっては最高の山歩きになりました。

帰りは急登を下るのが面倒なので、林道を下ろうかと考えました。しかし、林道だと別のバスの路線の小菅村に下りることになり、バス便が極端に少くなるのです。それで、登って来たルートを戻ることにしました。

道に迷った尾根まで戻ると、たしかに踏み跡は消えていましたが、ピンクテープが2か所ありました。そのテープを見逃していたのでした。

広い尾根で落葉などによって道が消えている場合は、尾根の先端に行けば大概下り口があります。両側の谷筋に下りるのは危険で、それは下りの基本中の基本のようなものです。一方、登りで道がわからなくなったときは、尾根の上に出るのが基本です。今回のように、心理的には巻き道を選択しがちですが、やはり上が正解なのです。と、あとで冷静になればわかるのですが、そのときはどうしても焦ってしまい楽な方に気持が傾きがちです。道に迷ったら、まず水かコーヒーを飲んでひと息つけと言いますが、たしかにそうやって冷静さを取り戻すことが大事だと思いました。大寺山のような距離の短い山で遭難はあり得ないでしょうが、ただ道に迷って滑落する危険性はないとは言えません。

登山口に下りてきたのは、13時15分でした。深山橋のバスの時間は13時50分ですのでちょうどいいタイミングでした。帰りのバスに乗ると数名のハイカーが乗っていました。しかし、奥多摩湖に着くと、多くのハイカーが乗り込んできて、バスは満員になりました。奥多摩湖以降に乗って来た乗客は座ることもできないほどでした。

奥多摩湖の駐車場には多くの車が停まっていて、湖畔を散策する人たちでいっぱいでした。軽トラのキッチンカーも出ていました。しかし、再び緊急事態宣言が出されたら、前と同じようにこの駐車場も閉鎖されるのだろうかと思いました。奥多摩の住民たちも、小池都知事に煽られて、また「登山者が怖い」などと言い出すのかもしれません。

山田哲哉氏が主宰する「風と谷」のサイトには、「山を止めるな」というバナーが貼られていましたが、日本山岳会なども、また(偉そうに)登山の自粛を呼びかけるのかもしれません。そういった愚劣で翼賛的な光景が再び繰り返されるのかもしれません。

「ファシスト的公共性」によって、感染を避けひとりで静かに山を歩く行為まで禁止されるのです。山に行く電車やバスが問題だと言われますが、これ以上の密はないような都心の通勤電車が放置される一方で、山に向かうガラガラの交通機関がやり玉にあがるのでした。それこそ常軌を逸した”自粛警察的屁理屈”と言えるでしょう。もはや病理の世界だとしか思えません。”自粛警察”は、「欲しがりません勝つまでは」という戦中の日常生活を監視した隣組の現代版のようなものです。

昨日、田舎の友人と電話で話していたら、田舎では新型コロナウイルスに感染すると、どこの誰だということがすぐ特定されるため、家に落書きされたり感染を非難する電話がかかってきたりするそうです。そのため、感染した人が自殺したケースさえあったそうです。まさに感染者は非国民なのです。そこにあるのは、国家と通底した市民としての日常性を仮構する”差別と排除の力学”です。この社会は戦前と何も変わってないのです。でも、そういった悲惨な事件は、感染者を特定するのにメディアもひと役買っているからなのか、何故か大きく報道されることはないのでした。

奥多摩駅に着いのは14時20分すぎでした。奥多摩駅から青梅、青梅から立川、立川から南武線で武蔵小杉、武蔵小杉から東横線で帰りました。最寄り駅に着いたのは、16時すぎでした。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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深山橋バス停

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深山橋

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登山口

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いきなり急登

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同上

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同上

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この尾根で迷った

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尾根の上の踏み跡

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痩せ尾根

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同上

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巻き道

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ニホンカモシカ

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最後の急登

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山頂の手前にあった糞
熊じゃないのか?

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仏舎利塔

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四面にこのような座像や立像、涅槃像が設置されています。

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同上

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同上

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同上

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山頂からの眺望(樹木に遮られている)
遠くに雲取山も見えました。

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道標(この二つのみ)

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同上

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奥多摩駅
2021.01.06 Wed l 山行 l top ▲
今日、小池都知事が、西村経済再生担当相と面会して、政府に緊急事態宣言の発令(発出)を要請するというニュースが流れました。面会には埼玉県の大野知事も同席するそうです。また、神奈川県の黒岩知事も、「国の緊急事態宣言発出に向けた準備を始めている」というコメントを出したそうです。

自分たちで火に油を注いだくせに、今度は火事になったので大変だ、火を消してくれ、と言っているのです。自分たちの無為無策は棚に上げて、感染拡大の原因を全て都民(県民)になすりつけているのです。つい先日、GoToトラベル除外の解除を要請したのはどこの誰だと言いたくなります。都民の大移動がはじまったことで、日に日に感染が拡大していったのです。でも、それは都民の責任というより、GoToトラベルで大移動を煽った(小池都知事も含む)政治家の責任でしょう。

最近、開店してすぐのスーパーに行くと、どこも商品棚がガラガラで品出しが遅れているのがよくわかります。前はそうではありませんでした。どうしてかと言えば、それまで朝の品出しをしていた高齢のパートの人たちが新型コロナ以後、感染を恐れて辞めたからです。

感染リスクが高い高齢者は、そうやって既に自衛しているのです。言うなれば「正しく怖れている」のです。問題は感染リスクの低い若者たちでしょう。それと、このブログでもしつこいほど言っていますが、通勤電車におけるサラリーマンやOLたちです。

山に行くバスやロープウェイが人員制限しているのに、感染の確率がはるかに高い都心の電車が放置されたままというのは、それこそ頭隠して尻隠さずのトンチンカンな対策としか言いようがありません。それどころか、通勤電車では感染する可能性は低いなどというデマゴーグが未だにふりまかれているのでした。だったらどうしてこんなに感染経路不明の感染者が多いのかと思います。箱根駅伝の観客が密だなどとやり玉にあがる一方で、通勤電車の密に対してはみんな見て見ぬふりなのです。飲食店で食事する際は、お互い斜めに座ってお喋りは極力控えるようにと言うくせに、電車では相変わらず席を奪い合い、普通におしゃべりしています。「正しく怖れる」なんて考えはいつの間にかどこかに行ってしまったのです。

若者たちがミツバチのようにウィルスの運び屋になっている現状も、PCR検査が極端に少なく市中感染率がまったく把握できてない背景があるからでしょう。それでは、無症状や軽症の若者たちも、自分たちが感染しているという自覚を持てないでしょう。と言うか、検査もしてないので自覚の持ちようがないのです。

アメリカやヨーロッパや韓国や中国では無料でPCR検査を受けられるのに、どうして日本では医者が感染の疑いがあると診断した人だけしかPCR検査を受けることができないのか。どうして自費では3万円とかの高額になるのか。最近は、安価で検査を受けることができる民間の検査施設もできていますが、どうして日本だけがPCR検査の敷居が高いのかとあたらめて思います。

このような話は、今までも嫌になるくらい何度もくり返し言ってきたことです。とどのつまりは、おざなりな対策でお茶を濁して、ワクチンが供給されるまで時間稼ぎするつもりなのかもしれません。でも、それがいつまで続くのか、ワクチンで60%だか70%だかの集団免疫が得られたらホントにCOVID-19が収束するのか、誰にもわからないのです。集団免疫が得られたと言われていたスウェーデンでも、12月に入りアメリカ並みの感染爆発が起きているのです。そんな中で、未だにオリンピック開催という見果てぬ夢を追い続けているのですから、正気とは思えません。

小池都知事は、場当たり的な緊急事態宣言を要請する前に、オリンピックはやめましょう、そして、(時間稼ぎではない)抜本的な感染対策を行いましょう、とどうして言えないのかと思います(言えるわけないか)。オリンピックありきでは、抜本的な感染対策なんてできるわけがないのです。フリップを掲げてパフォーマンスするだけでは、もうどうにもならないところまで来ているのです。そもそもそういったパフォーマンスが今の事態を招いたのです。
2021.01.02 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
奥秩父 山、谷、峠そして人


31日から1日にかけては、ベットの上に寝転がって、山田哲哉氏の『奥秩父 山、谷、峠そして人』をkindleで読みました(と言ってもまだ読み終えていませんが)。私は、電子書籍より紙の本が好きなのですが、この『奥秩父 ・・・・』は初版が2011年なので、既に廃版になっているらしく、アマゾンでも中古本しか売っていませんでした。その中古本も5千円以上の値が付けられていました。まったくふざけた話です。それで、仕方なく電子書籍(1375円)を買ったのでした。

奥秩父は文字通り奥が深く、公共交通機関では日帰りするのが難しい山が多いのですが、昔、雁坂トンネルが開通する前に何度か行った栃本集落や雁坂峠(雁坂嶺)にはもう一度行ってみたいなと思いました。また、甲武信岳から国師ヶ岳に至る縦走路も、いづれ歩いてみたい道です。山田哲哉氏の本からは、よく練られた文章を通して、中学生の頃から通っているという奥秩父や奥多摩の山に対する造詣の深さと愛着がひしひしと伝わってきます。ありきたりな言い方ですが、山好きには堪えられない本です。

山が好きだから山に登るのです。でも、最近はスピードハイクやトレランやYouTubeの影響で、山が好きだから山に登るという、そんなシンプルな理由で山に登る人も少なくなっているような気がします。山が好きだというシンプルな理由だからこそ、その先にある奥深い世界と出会うことができるのだと思います。

ネットでは「低山」や「鈍足」をバカにするような風潮があります。そこにあるのは”強者の論理”です。”強者の論理”は、山を知らない人間の妄言と言うべきでしょう。ネットでは、そういう愚劣な言葉で山を語ることが当たり前になっているのです。山田哲哉氏の本には、山が好きだから山に登るというシンプルな理由をもう一度確認させられるようなところがあります。

本の中に、こんな文章がありました。

ここで、自分の履歴書には書かれることのない目茶苦茶忙しかった十数年に触れるつもりはないが、この飛龍山の三角点を踏んだときが、三里塚の土地収用代執行と沖縄返還協定調印の隙間を見つけ、あらゆる無理算段を重ねて得た至福の時間だったことが思い出される。忙しくても、いや、忙しかったからこそ、 どんなに睡眠時間を削っても、どんなに仲間に文句を言われて奥秩父の森の中を登りたかった。あれほどの強烈な山への思いは、自分の中に、もう二度と生まれることはないだろう。


私が山に行っていることを知っている友人からの年賀状に、「煩わしい人間社会より自然だよな。羨ましい限りです」と書かれていましたが、山が好きだという理由の中に「逃避」が含まれているのもたしかです。山の魅力について、「全てを忘れることができるから」と言った現天皇の気持も痛いほどわかるのでした。

私は若い頃、親しい人間から「人間嫌い」と言われていました。だからと言って、人見知りをするとかいうのではなく、むしろ逆で、山でも出会った人に積極的に話しかけるタイプです。しかし、一方で、誰にも会わない山を歩くのが好きです。心の中ではやはりひとりがいいなあといつも思っているのです。なんだか今の私にとって、もう山しか「逃避」するところがないような気さえするのでした。
2021.01.02 Sat l 本・文芸 l top ▲
30日の東京都の新規感染者は944人です。これは、今までいちばん多かった26日の949人に次いで2番目に多い数字だそうです。

小池都知事は緊急記者会見を開き、感染者が急速に増加して、「医療提供体制もひっ迫しており、危機的状況に直面している」、今のペースで増加すると、「2週間後には日々1000人を超えるペースで新規陽性者が発生していくことになる」と述べたそうです。

Yahoo!ニュース
THE PAGE
「『緊急事態宣言』要請せざるを得なくなる」 小池都知事「年末で感染抑え込みを」

さらに、若者に向けて、次のようにメッセージを発したのです。

(略)「コロナを甘く見ないでください。夜間の外出もしばらくはなし」と警告。「軽症、無症状のまま行動して、結果として感染が拡大すると、コロナ患者のために医療がさらにひっ迫します。ひいてはコロナ以外の救急医療や通常医療も圧迫されてくるのです。受けられるはずの医療が受けられなくなる。助かるはずの命が助からなくなる。だから、『若いから大丈夫』ではありません」と強調した。

Yahoo!ニュース
THE PAGE
小池都知事、若者に「コロナ甘く見ないで」 「こんなはずじゃなかった」では手遅れ


昨日(29日)も用事があって副都心線で渋谷~原宿~新宿~池袋を通ったのですが、渋谷や新宿から乗って来る乗客はコロナ前の休日と変わらないくらいでした。帰省する人が少ない分、街に繰り出す人が多いのでしょう。

繁華街にある飲食店の客の入りは、5割減とか4割減とか言われていますが、逆に言えば、それでもコロナ前より半分くらいの入りはあるのです。飲食店が大変なのはよくわかりますが、今の感染状況を考えれば、その数字にも驚くばかりです。

通勤電車も然りで、緊急事態宣言のときよりはるかに乗客が多くなっています。我先に座席に殺到する乗客たちの行動も、感染拡大下にあるとは思えないくらい元に戻っています。

いくら小池都知事が危機感を煽っても、もう人々が危機感を抱くことはないのです。いったん緩めた手綱は締め直すことはできないのです。そもそもこの感染拡大を招いた一因は、第三次感染を前にして、小池都知事の強い希望により東京都がGoTo除外から解除されたからでしょう。それで都民がいっせいに旅行に出かけるようになり、交通機関も観光地も混雑しはじめたのです。

特に若者たちは、解除をきっかけに感染などどこ吹く風で遊び歩くようになりました。それまでは繁華街を出歩くのにためらいがあったように思いますが、GoTo解除でためらいがなくなり開き直った感じです。若者たちの行動が、年末年始にさらにエスカレートするのは目に見えています。しかも、渋谷や新宿や池袋などの都心だけでなく、私鉄沿線の駅前の飲み屋街も人出が増えています。

若者たちがウィルスの運び屋になっている今の状況では、2週間後、新規感染者数が1000人を超えるのは必至でしょう。

何度も言いますが、「正しく怖れる」などどこかに吹っ飛んでしまったのです。自粛警察でも、無知無神経なノーマスクでもなく、各自が正しい知識に基づいた「正しく怖れる」ことが大事ですが、もう全ては元の木阿弥になってしまったのです。

岩田健太郎医師は、今月初め、菅首相の「トラベルが主要な原因だというエビデンスは存在しない」「トラベル事業の利用者延べ4000万人に対して関連する感染確認は180人程度」という(アホ丸出しの)発言を次のように批判していました。

新型コロナウイルスは、例えば西ナイルウイルスのように渡り鳥が媒介したりはしない。感染の広がりは人から人によるものだ。日本各地に感染が広がっているのは、人がある自治体から別の自治体に移動しているからだ。それ以外の感染経路は想定できない。よって、人の移動が日本での新型コロナウイルス感染を広げているのである。(略)

GoToが日本でコロナ拡大を助長したと考えるほうが合理的だし、そうでないという「エビデンスはない」。

政府がGoToキャンペーンで「コロナなんて怖くない。経済対策のほうが優先だ」といった「ノリ」を作ってしまった罪は大きい。経済対策は重要だが、それは十全なる感染対策とコロナ感染縮小が可能にする対策だ。ブレーキとアクセルを同時に踏めば、つんのめって事故るだけだ。

Web医事新報
【識者の眼】「GoToが広げるコロナの『ノリ』」岩田健太郎


何より、菅首相のステーキ会食は、感染対策の呼びかけをみずからぶち壊す愚行と言えるでしょう。銀座のステーキ店で行われた忘年会のメンバーは、菅首相のほかに、自民党の二階俊博幹事長、林幹事長代理、ソフトバンクの王貞治氏、俳優の杉良太郎氏、みのもんた氏、政治評論家の森田実氏です(出席者は8人で、もう一人の「自民党関係者」が誰なのか不明です)。王以下は、それぞれの分野で業績を残したとは言え、言うなれば現代の幇間と呼ぶべき人間たちです。

しかも、当日は感染拡大によりGoToトラベルの全国一斉停止を発表したばかりなのです。なんだか江戸時代、一般庶民には牛肉を禁止していながら、幕府の上級武士たちは牛肉を食べていた話を彷彿とさせます。これでは、政府が発信する感染防止に国民がソッポを向くのは当然でしょう。しかも、このオキテ破りの会食についても、菅首相に張り付いている大手メディアの番記者たちは、当初スルーしていたのです。『FLASH』かどこだかが報じて大騒ぎになったので、しれっと追随して報道しはじめたのでした。

政治家たちが見くびっているのは国民だけではないのです。歌を忘れたカナリアのメディアも同様です。政治家たちは、書かないとわかっているので、記者の前でこういったデタラメを平然と行うことができるのでしょう。

もしオリンピック開催を強行するなら、春以降、感染が収束した(山を越した)というキャンペーンがはじまるはずです。その際、オキテ破りの会食をスルーした大手メディアが、電通ともども大きな役割を担うのは間違いないでしょう。

追記:
31日の東京都の新規感染者が1337人と発表されました。僅か一日で千人台が現実になりました。
2020.12.30 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
日本の不思議。前から何度も言っていますが、どう考えてもオリンピックなんてできるわけがないのに、何故か誰もそう言わないのです。野党もメディアも誰も言わない不思議。

テレビのスポーツ番組などは、オリンピック開催を前提に、候補選手にまじかに迫ったオリンピックに対する抱負をインタビューしたりしていますが、正気かと言いたくなります。

折しも、政府は今日、「新型コロナウイルス変異種の国内侵入を防ぐため、全ての国・地域からの外国人の新規入国を今月28日から来年1月末までの間、一時停止すると発表した」(共同)そうです。

東京オリンピックは、来年の7月23日から8月8日まで開催される予定です。半年前まで外国人の新規入国を停止するような状態で、ホントに開催できるのでしょうか。それでもできると考えるのは正気とは思えません。

私は、安倍晋三の記者会見を観ているうちに、”安倍晋三という病い”という言葉が浮かんでなりませんでしたが、嘘に嘘を重ねる安倍晋三と同じように、ここに至ってもオリンピック開催が可能と考えるのも、もはや”狂気”の領域に入った気さえします。政府や与党だけではありません。野党もメディアも、その”狂気”を共有しているのです。

2月からワクチンの接種がはじまるそうですが、それが全国民に行き渡るのに1年以上かかると言われています。それどころか、COVID-19が収束するのにあと2年くらいかかるだろうという専門家の声もあります。それでも見切り発車をして開催するつもりなのでしょうか。

外国では、オリンピックの選考会どころか、選手たちは練習さえしていない国も多いのです。そんな国がホントにあと7ヶ月後に選手を派遣することができるのでしょうか。

でも、何度も言いますが、メディアも野党も誰もこんな疑問を口にすることはありません。

先の戦争では負け戦とわかっていても、誰もそう言わずに大本営発表を流し続けたのですが、また同じ愚をくり返しているのです。これでは全体主義国家と同じです。

感染力が強いと言われている変異種のウィルスも広がりつつあります。安倍応援団として、一緒になって嘘を流し続けた産経新聞やフジテレビは、来年の2月には収束するだろうというあらたな嘘を流していますが、変異種のウィルスの問題ひとつをとっても、これから収束までひと山もふた山もあるのは間違いないでしょう。

野党にしても然りです。こんな野党に何を期待するというのでしょうか。そもそもこんな野党が信用できるでしょうか。オリンピック開催という国策に関しては、与党も野党もないのです。先の戦争を遂行した大政翼賛会と同じです。

オリンピック開催という大義名分のために、国の感染対策が後手にまわっているのは、今更言を俟たないでしょう。

幻のオリンピックに何千億円あるいは何兆円の国費を注ぎ込む一方で、明日の1万円のお金もなくてみずから死を選ぶ国民もいるのです。

月に10数万円の生活保護を申請しても、自助努力が足りないと門前払いされる一方で、幻のオリンピックのためには、今も何十億円も何百億円もの大金が(まるでドブに捨てるように)無駄使いされているのです。

眞子さんの1億5千万円の結婚一時金を「税金ドロボー」と悪罵を浴びせるくせに、何兆円何千億円の無駄使いする政治家や官僚には、野党もメディアも国民もみんな寛容なのです。

話は飛躍しますが、ここでも「愛国」とは何かを考えないわけにはいきません。柳美里の『JR上野駅公園口』ではないですが、明日の1万円がなくて死を選らばざるを得ない同朋がいることに涙するのがホントの愛国者でしょう。でも、この国にはそんな真っ当な愛国者はいません。むしろ、柳美里のような在日をヘイトするのが「愛国」者の役割と見做されているのです。古谷経衡が言うように、そこにあるのはただの「愛国ビジネス」です。数億円の白亜の豪邸を建てた”極右の女神”は、今も安倍晋三と一緒に改憲推進の講演活動を行っていますが、かように「愛国」とは濡れ手に粟の美味しい商売なのです

ともあれ、政府も与党も野党もメディアも経済界も、未だにオリンピック開催に拘っている光景は、役人特有の事なかれ主義とドッキングした究極のサンクコストの呪縛と言えないこともないでしょう。


関連記事:
オリンピックなんてできるわけがない
2020.12.27 Sun l 社会・メディア l top ▲
新宿バスタ~山中湖平野バス停~【石割山】~【平尾山】~山中湖平尾バス停~新宿バスタ

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約8キロ
※標高差:432m
※山行歩数:約19,000歩
※交通費:5138円


一昨日(24日)、山梨県の山中湖畔にある石割山(1412m)に登りました。石割山の場合、通常は隣接する平尾山や大平山を合わせて登るケースが多いみたいですが、しかし、それだと、行きと帰りのバス停が異なるため、バス便との連絡が面倒になります。電車だと富士急の富士山駅からバスに乗らなければならないのですが、富士山駅からは一日に2便しかありません。

アクセスにいい方法が見つからず、いったんは諦めたのですが、あとて新宿から高速バスを使う手があることに気が付いたのでした。

ただ、高速バスも、途中の富士急ハイランドや河口湖までは頻繁に出ていますが、登山口がある「山中湖平野」まで行くのは、いちばん早い便で10時9分着(新宿バスタ7時45分発)しかありません。午前10時というのは、日の短い秋冬の山行では遅すぎますが、都内から公共交通機関を使って行くにはそれしかないのです。

それで、石割山と隣の平尾山(1318m)を登って「山中湖平野」に戻ることにしました。

このようにバスを使う場合、帰りのバス便との時間の調整が難しく、今回も”予備がないと不安症候群”の私の性格によって、自分で自分をふりまわすことになりました。

帰りのバスは、15時10分と15時25分、それに16時40分があります。当初は、15時10分を予約していました。しかし、私が使う登山アプリのコースタイムだと下山時間が15時05分になっています。時間的にギリギリです。それで、前夜、時間的な余裕をもって16時40分の便に変更したのでした。

今まで高速バスは何度か利用していますが、コロナ以後、どの便も乗客は少なくて気の毒なくらいでした。今回も新宿バスタの待合室は人も少なく、椅子も空いていました。

ところが、私が乗った「富士五湖~新宿線」のバスは違っていました。

高校生とおぼしきグループが20人以上乗ってきたのでした。しかも私は後部の座席を予約していたのですが、後部の座席は彼らで占領されていました。これはたまらんと思って、運転手に「座席を変えてもらえますか?」と言いました。運転手も「そうですね、団体さんに囲まれていますねえ」と言って、タブレットの座席表を示し、「この印が空いている席です。どこがいいですか?」と言われました。それで、前の方の席に変更しました。しかし、前の方も後ろほどではないですが、やはり同じグループの高校生たちが座っていました。おそらく冬休みになり、クリスマスイブでもあるので、仲のいいグループで富士急ハイランドに遊びに行くのでしょう。高校生以外の乗客は、私のほかに若い女性の二人連れがいるだけでした。

高校生たちは男子6女子が4くらいの割合でしたが、遠足気分なので「会話はお控え下さい」という放送もどこ吹く風、とにかくうるさくてなりませんでした。

そして、案の定、高校生たちは富士急ハイランドで降りました。高校生たちが降りて行くと、なんだかバスの中は嵐が去ったあとのように静かになりました。また、若い女性の二人連れも河口湖駅で降りて、以後終点の「山中湖平野」まで乗客は私ひとりになりました。

24日の東京の新規陽性者は語呂のいい888人で過去最高だったそうです。外出自粛の呼びかけにもかかわらず、私も出かけているのですから他人(ひと)のことをとやかく言えないのですが、GoToトラベル停止以後、高齢者や家族連れが行楽地に出かけるのは急速に減ったように思います。しかし、若者は別なのです。彼らは感染しても重症化するリスクも少なく、軽症か無症状なので、感染など恐れずに足りずというのが本音なのでしょう。

外出自粛は主に重症化リスクの高い高齢者に向けて呼びかけられていますが、むしろ、呼びかけるべきは感染拡大の主因である若者たちに対してではないのかと思います。ミツバチのようにウィルスの運び屋になっている若者たちを軽視しているのは、どう考えても解せない話です。

「家庭内感染が多くなった」という話もありますが、これほどバカバカしい話はありません。「家庭内感染」は副次的な感染で、どういう経路で家庭内に感染が持ち込まれたかが問題でしょう。職場か、飲み屋か、あるいは通勤電車か、それを突き止めなければ意味がないのです。

「山中湖平野」のバス停は、立派なバスターミナルになっていました。構内には観光案内所があり、隣にはコンビニもあります。観光案内所の中には、トイレや休憩所もありました。

バス停から石割の湯に向かう県道を10分くらい歩き、ひとつ目の赤い鳥居が立っている分岐を左折してさらに10分くらい歩くと、もうひとつの赤い鳥居が見えてきます。分岐からは石割神社の参道になっているみたいです。

二つ目の赤い鳥居がある場所には、登山者用の駐車場やトイレもありました。二つ目の赤い鳥居に向かって坂道を登る途中、下から車が何台か登って来ましたが、ナンバーを見ると東京や埼玉のナンバーばかりでした。歩いて登山口に向かっているのは私だけでした。

小さな橋を渡って赤い鳥居をくぐると、「天まで続くような石段」が目の前に現れます。日本山岳会による石割山の案内には次のように書いていました。

石割山は長い長い天まで続くような石段を登っていきます。約400段あります。修業です。でもこれがあるから、山頂から見る大展望のご褒美がこたえられません。途中の石割神社には、真っ二つに割れた巨大な岩があります。この岩の割れ目を3回通ると幸運が開けるそうです。山頂からは三角形の美しい姿の富士山が真っ正面に見え、下山のコースは、富士山を見ながら、山中湖を左に見て下っていきます。なだらかな尾根道が続きます。
http://jac.or.jp/oyako/f16/e701010.html


しかし、目に見える石段はまだ半分でした。それを登りきると、また次の石段が目の前に現れるのでした。まさに修行でした。

石段から次のチェックポイントである石割神社まではなだらかな道でした。石割神社には、上記の案内文にもあるように、岩の割れ目を3回まわると運が開けるという言い伝えがあるそうです。私の前を歩いていた夫婦のハイカーは3回まわっていました。そして、「これで初詣の代わりができた」などと言っていました。しかし、私はそういったことにはまったく興味がないので、まわりませんでした。ただ、神社にはいつものようにお賽銭をあげて手を合わせました。

神社から山頂までは20分弱ですが、至るところに張られたトラロープを頼らざるを得ないような結構な急登でした。

石割山の山頂に到着すると、噂にたがわず富士山の雄大な景色が目に飛び込んできました。山頂には既に6人のハイカーが休憩していました。いづれも30代から40代くらいのカップルです。またあとからやはり50代くらいのカップルが登って来ました。

カップルを見ていると、夫婦と思しきカップルは2組くらいで、あとは夫婦とは違うような感じでした。どうしてそう思うのかと言えば、男性がやけにテンションが高くウキウキしているのがよくわかるからです。夫婦だったらあんなにテンションは高くないでしょう。

女性がひとりで山に行くのに不安を抱くのはよくわかります。また、ここにも書いているとおり交通手段も悩みの種です。それで、色目を使うかどうかは別にして、男性に同行を求めるというのはあり得る話でしょう。中には登山系のSNSやツイッターを使って同行者を探すケースもあるようです。SNSで出会いを求めるのは若者ばかりではないのです。 

石割山の山頂にはベンチがないので、それぞれシートを敷いて弁当などを食べていました。私も100円ショップで買ったレジャーシートを持って行きましたが、シートを広げるのが面倒なので、草の上に座っていつものようにどら焼きを食べました。

昨日は暖かな天気でまったく寒さを感じることはありませんでした。そのためもあって、富士山にも徐々に雲がかかりはじめていました。

30分くらい休憩して平尾山に向けて別の道を下りました。下りはじめも急登で、やはりトラロープを掴んで慎重に下らないと、滑って転んで大分県になってしまいます。急登を下りきると、あとはなだらかな下りの道を歩くだけでした。

平尾山まで20分くらいでした。平尾山に着くと、富士山にも雲がかかっていました。平尾山から「山中湖平野」のバス停までは50分くらいでした。

「山中湖平野」のバス停に着いたのが14時前でした。登山アプリのコースタイムより1時間以上も早く戻ることができました。帰りのバスをネットで調べると、14時25分発があります。あわてて帰りのバス便の変更をしようとしましたが、時間切れで変更することができませんでした。

それで、15時10分発のバスに再び変更しました。1時間時間が空いたので、観光案内所で「この近くにラーメン屋さんはありますか?」と尋ねました。観光案内所には、若い女性と中年の女性が二人常駐していますが、左手と右手に二軒あると言うのです。しかし、今、やっているかどうかわからないので行ってみて下さいと言われました。

左手に5分歩くとラーメン屋の看板がありました。しかし、店の前には「準備中」の札が下げられていました。仕方なくUターンして、観光案内所から右手のラーメン屋に行ってみることにしました。

ところが、観光案内所の前を通り過ぎたとき、「すいません!」と言いながら、案内所の若い女性が駆け足でやって来たのでした。「今、電話でやっているかどうか問い合わせていますのでちょっと待ってください」と言うのです。観光案内所に戻ると、中年の女性が電話で問い合わせていました。そして、片手で丸を作って「やっているそうです」と言いました。私は、「ご親切にどうもありがとうございました」と言って、右手にある店に向かいました。店は老夫婦がやっている「くるまやラーメン」でした。味噌ラーメンと半チャーハンを頼みました。考えてみれば、外でラーメンを食べたのは1年ぶりくらいです。

食べているうちに予約した15時10分発のバスに間に合うかどうか心配になったので、ラーメンをすすりながらスマホで15時25分発のバスにもう一度変更しました(どうして15時台に限って15分後にバスが出ているのかと言えば、富士急と京王とバス会社が違うからです)。

結果的には、バス停に戻ったら15時10分発のバスがまだ出発していませんでした。

観光案内所に戻って、「どうもありがとうございました」「お陰でラーメンを食べることができました」ともう一度お礼を言いました。若い女性が「登山だったんですか?」と訊くので、「ええ、石割山と平尾山を登りました」と言いました。すると、「だったらラーメンを食べたくなりますよね」と言って笑っていました。

ホントに親切な人たちで心が和みました。コロナ以後、山に行っても前のように話をすることがなく、感染を懸念しているのか、心なしかハイカーたちも不愛想な感じの人が多いのです。特に山梨や長野など「外」の山に行くと、よけいそう感じます。奥多摩や奥武蔵の山の方がむしろ愛想がよくて親切な気がします。冷たい「外」の世界で、親切にしてもらって気持も暖かくなった気がしました。

「くるまやラーメン」で奥さんに「このあたりも感染が増えているのですか?」と訊きました。私はこのようにすぐ他人に話しかけるくせがあるので、その分冷たくされるケースも多いのです。すると、奥さんは「前は甲府の方だけで、全然いませんでした。しかし、最近この先の部落で感染が出たみたいで、怖いですよ」と言ってました。

私は、山梨でも「部落」という言い方をするんだなと思いました。「部落」は差別用語だとして、最近は禁句になっていますが、私の田舎でも昔は集落のことを「部落」と言っていました。でも、部落差別に対する啓蒙が広がるにつれ、公式には「部落」という言葉を使うことはなくなりました。私もこのブログでは、「部落」ではなく集落という言い方に変えています。

帰りのバスでもトラブルがありました。高速に入ったものの、火災で通行止めになり、大月の手前で下道の甲州街道に下りることを余儀なくされたのでした。甲州街道は文字通りの大渋滞で、新宿バスタ到着が17時55分の予定だったのですが、実際に着いたのは20時近くでした。

始発の「山中湖平野」から乗ったのは私だけで、河口湖駅から若い女性のグループが3人乗り、さらに新興宗教の施設と見まごうような富士急の「富士山駅」からハイカーが2人乗ってきました。また、富士急ハイランドからも2人乗ってきました。

新宿バスタからは、いつものように新宿3丁目駅まで歩いて副都心線&東横線で帰りました。最寄り駅に着いたのは21時すぎでした。クリスマスイブなので、駅前のスーパーに寄って、売れ残って割引になっている寿司とチキンを買って帰りました。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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行きのバスの中から(スマホで撮影)

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バス停から石割の湯方面の県道に入ります。

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県道から分かれ、途中の最初の赤い鳥居を左へ入る

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もう石割神社の参道

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坂を登ると二つ目の赤い鳥居
車はここまでで行き止まり
駐車場とトイレがあります。

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小さな橋を渡り、鳥居をくぐると「天まで続くような石段」が待ち構えています。

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一つ目の石段

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二つ目の石段

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やっと終わった

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上から見下ろす

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石段を登った上には東屋もあります。

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さらに進むと、神を祀る積石
死者を悼む意味もあるそうです。

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さらに進むと

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石割神社に到着

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石割神社から山頂までは急登が続きます。
トラロープの助けを借りる箇所も多くありました。

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同上

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同上

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同上

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同上

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山頂に着くと富士山がドーンと目の前に見えます。
ただ、バスの中で見たときより雲が多くなっていました。

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山頂の様子

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道標

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山頂標識

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案内板

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下りも急登でロープの助けを借りないと滑ります。
この日は乾いていましたが、ぬかるんでいるときは難儀するでしょう。

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同上

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急登を下りきると、あとはなだらかな下り道

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登山道にマスクが落ちていた。
この日だけで3枚落ちていました。

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平尾山との分岐
正面の道を下りて来ました。帰りは右の道に進みます。
カメラの方向に平尾山があります。平尾山に寄ってこの分岐まで戻ります。

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平尾山に向かう道
5分くらい歩くと、山頂に着きます。

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平尾山山頂

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富士山には既に雲がかかっていた。

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山頂標識

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分岐に戻って下山

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このような歩きやすい道が続きます。

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別荘地に入ります。

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同上

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別荘地内の道をショートカットすると二つ目の赤い鳥居に向かう道の途中に出ました。
ここから「山中湖平野」バス停まで10分くらいです。
2020.12.26 Sat l 山行 l top ▲
今日のYahoo!ニュースに、中京テレビが制作した満蒙開拓団の「性接待」についての記事が転載されていました。

Yahoo!ニュース
【75年目の告白】満州・性的な接待を強いられた女性たち “覚悟の告白”で“タブー”打ち破る「しゃべって残していくのが、人間の社会の歴史」(中京テレビNEWS)

ここにはさまざまな問題が伏在しています。単に戦争犯罪の問題だけでありません。戦後の日本社会のあり様も問われているのです。こういった問題をタブー視することで、戦後の平和と民主主義が仮構されてきたのです。もちろん、その延長上に従軍慰安婦の問題も存在しています。

満蒙開拓団の「性接待」の問題は、このブログでも、2年前に朝日新聞の記事に関連して、下記のような記事を書きました。また、従軍慰安婦の問題も、朴裕河(パクユハ)氏の『帝国の慰安婦』を通して、私なりの考えを書いています。

私たちは、こういった問題から目を背けてはならないのです。直視することで戦争を知ることができるのです。もとより私たちは、戦争を知らねばらないのです。


関連記事:
「性接待」と「愛国」
『帝国の慰安婦』と日韓合意
2020.12.22 Tue l 社会・メディア l top ▲
今週の東京都の新規陽性者数は、以下のとおりです。

14日(月)305人
15日(火)460人
16日(水)678人
17日(木)822人
18日(金)664人
19日(土)736人
20日(日)556人

また、12月20日現在の東京都の新規陽性者数(感染者数)の累計は51446人です。

ちなみに、4月7日から5月25日までの緊急事態宣言下において、もっとも新規陽性者数が多かったのは、4月17日の206人です。今はその倍以上の新規陽性者が連日発生しているのです。

今日(日曜日)、用事があって朝から自由が丘~中目黒~渋谷~原宿・表参道~新宿(三丁目)~池袋を走る副都心線に乗ったのですが、COVID-19前の日曜日と変わらないくらい電車の中や駅のホームは多くの乗客で溢れていました。

夕方、地元の駅に戻って来たのですが、駅前も舗道がスムーズに歩けないほど買い物客でごった返していました。また、駅の近くにある飲み屋も、COVID-19前に戻ったかのように客で賑わっていました。みんな、マスクを外し、ワインやビールなどを飲みながら、小さなテーブル越しに向き合って談笑していました。

感染の危機感など微塵もありません。それは、若者だけでなく家族連れも高齢者も、みんな同じです。再び手綱を引き締めようとしても、いったん緩めた手綱はそう簡単に元に戻ることはないのです。

岩田健太郎医師は、日本政府の感染対策は、無謀な作戦で多くの犠牲を出した旧日本軍の「インパール作戦」と同じだと言っていました。

AERA dots
岩田健太郎医師「GoToは異常。旧日本軍のインパール作戦なみ」

GoToトラベルの全面的な解禁によって、旅行に行っても大丈夫という安心感を与えたことで、正しい知識で「正しく怖れる」冷静な判断などどこかに吹っ飛んだ感じです。言うなれば、GoToトラベルの全面的な解禁によって、国全体がみんなで渡れば怖くない式の反知性主義的な考えに蔽われてしまったのです。

GoToトラベルを巡る迷走を見てもわかるとおり、政府の対応はチグハグで、どう見ても感染対策が正常に機能しているようには思えません。そのあたふたぶりを見ていると、危機管理能力以前に政権を担う能力そのものに疑いを持たざるを得ません。

菅義偉首相誕生の際、法政大学出身で大丈夫かという声に対して、法政大学出身者を中心に学歴差別だという反発があったそうですが、しかし、彼が空手部に所属し、髪をアイパーで固め、チョビ髭を生やし、裾の長い学ランを着て、学内を闊歩していた事実はやはり無視できないのです。

メディアはメッキが剥げたと言っていますが、しかし、最初からメッキは剥げていたのです。メディアが持ち上げたから根拠もなく支持率が水ぶくれのように60%を越えたにすぎないのです。

問題になったステーキ会食や会食のはしごなどを見るにつけ、「国民は(バカなので)すぐ忘れる」という国民を見くびった彼の”大衆観”が如実に出ているように思えてなりません。何度も言いますが、彼は政治家ではなく政治屋なのです。

みずからの利権を守るために麻生や二階らが主導した自民党内の無責任な政治力学によって、本来その器ではない人物が総理大臣に祭り上げられたのです。そこにも、圧倒的多数を占める政権党の驕りが見えて仕方ありません。

そもそも麻生や二階らの傲岸不遜な態度に対して、メディアが及び腰になっていること自体が異常と言わざるを得ません。反発するどころか、逆にご機嫌を損なわないように当たり障りのない質問に終始しているあり様です。また、菅首相のぶら下がり会見においても、芸能人の謝罪会見とは違って、代表質問する若い記者のもの言いが、台本を読んでいるようなわざとらしい感じであるのに気付いた人も多いでしょう。その光景には、ぶら下がり会見が記者会見でもなんでもなく、単なる(事前に質問を提出した)小芝居にすぎないことが暴露されているのでした。

メディアが権力を監視する役割を放棄しているのです。歌を忘れたカナリアになっているのです。それは、産経新聞(フジテレビ)や読売新聞だけの話ではありません。権力を忖度し権力にふれ伏す安倍一強の時代はまだつづいているのです。その弊害がCOVID-19でいっきに露わになった気がしてなりません。もちろん、自業自得と言うべきか、そのツケを払う(払わせられる)のは私たち国民なのです。


関連記事:
米大統領選とネトウヨ化したニッポン
2020.12.20 Sun l 社会・メディア l top ▲
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池袋駅~小川町駅~坂本バス停~橋場バス停~粥新田峠~【大霧山】~旧定峰峠~経塚バス停~皆谷バス停~小川町駅~池袋駅

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約10キロ
※標高差:571m
※山行歩数:約21,000歩
※交通費:3,834円


冬の低山ハイク第三弾。一昨日(15日)、埼玉県皆野町の大霧山(766.7m)に登りました。

池袋駅から早朝5時半すぎの東武東上線の「小川町行き」の急行電車に乗り、1時間半かけて終点の小川町駅まで行きました。小川町駅からは東秩父村の「白石車庫行き」のバスに乗り換えて30分で「橋場」というバス停まで行きます。

この「白石車庫行き」のバスは、前にサンドイッチマンの「帰れマンデー」という番組にも出ていましたが、私にもお馴染みの場所なのでした。

何度も書いていますが、私は、横浜の前は埼玉の東武東上線沿いに10年以上住んでいました。その頃、白石峠を越えて秩父に行ったり、逆に秩父から白石車庫に下りたりしていたのです。おそらく何十回も行き来したと思います。

当時は、山には登っていませんでしたが、奥武蔵グリーンラインと呼ばれる林道をよく車で走っていました。今は、峠の下から歩いて上に登っていますが、当時は峠の上まで車で行って、1~2時間山のなかを歩いたりしていました。決してオーバーでなく、奥武蔵や秩父には100回近く行ったと思います。だから、グリーンライン上にある一本杉峠 · 顔振(かおふり)峠 · 傘杉峠 · 飯盛峠 · 刈場坂峠 · 大野峠 · 白石峠 · 定峰(さだみね)峠などはなつかしい場所なのです。

山には登らなかったけど、トレッキングシューズだけはずっと持っていました。バスに乗ったのは初めてですが、今回バスが走った道もいつも車で走っていました。

電車が小川町駅に着いたのは、午前7時5分でした。しかし、「白石車庫行き」のバスは既に出たあとでした。次は8時21分です。駅前で1時間以上もバスを待たねばなりません。駅前で客待ちをしていたタクシーの運転手に、「白石車庫までいくらかかりますか?」と尋ねました。すると、6000円くらいだ言うのです。6000円だとやはり躊躇せざるを得ません(3000円くらいなら乗ったけど)。

どこかモーニング(サービス)をやっている喫茶店はないか探したら、駅前に一軒喫茶店がありました。しかし、まだ開店していません。考えてみれば、群馬県に近い埼玉の最奥の町の駅前で、モーニング目当ての客などいようはずもないのです。

結局、駅前のベンチに座って次のバスを待ちました。登山では時間が貴重なので、この1時間はもったいない気がしました。

8時21分発の「白石車庫行き」のバスには、ハイカーが5名と一般客が2名乗りました。ただ、ハイカーを含めた乗客たちはいづれも途中のバス停で降りたので、いつものことですが、最終的に乗客は私ひとりになりました。

今回、大霧山に行こうと思い立ったのは当日の朝4時です。前夜、山に行く準備をして床に入ったものの、行く山は決まっていませんでした。そして、目が覚めた途端、ふと大霧山に行こうと思い付いたのでした。大霧山に関しては、名前は知っていたものの、標高も低いしあまり興味はありませんでした。

ただ、以前、八高線(八王子~高崎間を走るJR線)で隣合わせたおばさんから「大霧山はいいですよ」と言われたことを覚えていたのでした。そのおばさんは、小川町か寄居だかに住んでいて、若い頃から山に登っていたそうで、私の恰好を見て「山に行くんですか?」と話しかけられたのでした。若い頃は、北アルプスなどにも行ったりしていたそうですが、今は70歳を超えて病院通いするようになり、その日も毛呂山の埼玉医大病院に行く途中だと言っていました。

その話を思い出して、準備不足のまま、埼玉に向けて出発したのでした。

「白石車庫行き」のバスに乗っていると、「次は坂本です」とアナウンスが流れました。そのとき、登山アプリの地図にバス停が「坂本(橋場)」と書かれていたことを思い出し、とっさに降車ボタンを押して、「坂本」で降りたのでした。

しかし、降りてからスマホの地図を起動させると、登山口はもっと先の方にあります。ナビに従って川沿いの県道を進むと、次のバス停の「橋場」に着きました。なんのことはない、ひとつ手前のバス停で降りていたのです。ここでも時間のロスが生じてしまいました。

バス停の前の橋を渡り、林道のような県道を15分くらい進むと「登山口」の看板がありました。しかし、県道から外れた山道を15分くらい登ると、再び先程の県道に出ました。さらに県道を10分歩くと、今度は農家の横の林道を入るように看板が出ていました。車は通ることはできませんが、しかし、道幅は広く、登山道という感じではありません。その道を20分くらい進むと、粥新田(かゆにた)峠に出ました。

粥新田峠は、私は初めてでした。と言うのも、正確にはどこからどこまでを言うのかわかりませんが、奥武蔵グリーンラインは今回下山ルートに使おうと思っている定峰峠から「白石車庫」に下るようになっていたからです。つまり、飯能から登る奥武蔵グリーンラインは、東秩父村の定峰峠で終わっているのです。定峰峠と粥新田峠の間に大霧山があり、言うなれば大霧山によって尾根上の林道は遮られているのでした。

ただ、秩父から粥新田峠を経て(バスで通った)東秩父村から小川町に至る道は、正丸峠を越えて吾野に至る道などとともに、江戸時代の秩父往還の重要な道だったそうです。

前も書きましたが、吾野から毛呂山に至る峠越えの道に「飛脚道」と呼ばれる道があるように、江戸時代、奥武蔵の山にはいくつもの道が存在し、それらの道を通して生活物資だけでなく文物も流通していたのです。そして、現在、私たちはそれらの道を登山道と称して息を切らして歩いているのです。

秩父の民衆が武装蜂起して臨時革命政府を作った、日本の近代史上特筆すべき秩父事件も、秩父往還の道をぬきにしては語れないのでした。

粥新田峠には東屋がありました。また、登山届を入れる箱もありました。正確には(?)ここが登山口と言えるかもしれません。私は、バス停から1時間近く歩いて来ましたが、林道が走っているので、車で来れないこともないのです。粥新田峠に車を停めれば、1時間もかからずに大霧山に登ることもできるのでした。

実際に私も昔は、同じようなことをして近辺の山を歩いていたのです。トレッキングシューズを履いていたものの、ザックを背負っていたわけではないし地図を持っていたわけでもありません。ただ、おにぎりとペットボトルが入ったコンビニの袋とタオルを持って山を歩いていただけです。当時は山を散歩しているような感覚でした。

あの頃は山でよく泣いていました。今は泣くことはないけど、でも、同じように泣きたい気分であることには変わりがありません。あの頃は、峠に車を停めて、暮れなずむ秩父の街を見るのが好きでした。大晦日に来たこともあります。また、星空を見るために、山のなかでひと晩すごしたこともありました。

粥新田峠の東屋で10分休憩したあと、大霧山に向けて、初めて登山道らしくなった道を歩きました。山頂直下に急登がありましたが、50分くらいで大霧山の山頂に到着しました。

途中の稜線では寒風にさらされて、凍えるくらいと言ってもオーバーではないような寒さに襲われました。ウインドーブレイカーのフードを被り、風を避けるようにひたすら下を向いて歩きました。

山頂に上がると、八高線で隣り合わせたおばさんが言っていたように、見事な眺望が目に飛び込んできました。武甲山の向こうには雲取山や長沢背稜の山々も見えました。また、正面には両神山の存在感のある山容が構えていました。さらにその向こうには、北横岳や赤岳などの八ヶ岳の山も見ることができました。また、北の方角には白根山も見えました。

ベンチに座って、サーモボトルに入れて持って来た温かいお茶を飲むと、なんだか人心地がついた気がしました。そして、いつものようにどら焼きを食べました。

山頂には30分くらいいましたが、誰も登って来る人はいません。山行中、まだ誰にも会っていません。

帰りに乗る予定にしている「白石車庫」のバスの時刻は14時40分です。これから定峰峠を経て「白石車庫」まで下りると2時間以上かかります。ぎりぎり間に合う気はしますが、しかし、時間的な余裕があまりありません。”予備がないと不安症候群”の私は、やはり、途中でアクシデントがあった場合のことを考えないわけにはいかないのでした。

定峰峠ではなく、旧定峰峠を通って「白石車庫」から三つ手前の「経塚」のバス停に下りるルートだと1時間くらい短縮できますので、余裕を持って旧定峰峠のルートを下ることにしました。

今の定峰峠は林道が造られてからそう呼ばれるようになったのでしょう。秩父往還の頃は、旧定峰峠の方を歩いたはずです。個人的にも旧の方に興味がありました。

新旧の定峰峠は途中まで一緒の道を下りるのですが、その下る手間で、トレランの二人組とすれ違いました。誰にも会わないのが当たり前のようになっているので、前から人がやって来るとドキッとするのでした。

大霧山から約1時間で「経塚」のバス停に着きました。ところが、逆に早すぎたみたいで、バスの時間まで1時間20分もありました。これだったら、定峰峠を通って「白石車庫」に下りても充分間に合った気がします。山のなかのバス停で1時間以上待っても仕方ないので、「経塚」から小川町駅へ向けて5つ先にある「皆谷」というバス停まで2キロの道を歩くことにしました。

この小川町駅から「白石車庫」に至る路線も、昨秋の台風19号によって途中の道路が陥没したため、「皆谷」までの折り返し運転が行わていたそうです。先々月(10月)の23日に、道路の復旧工事が終わって全面開通されたばかりなのです。

途中道路が新しくなっていましたが、道路周辺の風景には見覚えがあり、なつかしい気持になりました。「皆谷」のバス停の横にある商店では、手作りの饅頭を買った覚えがありました。

「皆谷」で20分待つとバスが来ました。小川町まで30分で着きました。バスに乗って気付いたのですが、「皆谷」は登り始めた「橋場」から二つ奥のバス停でした。

小川町駅に着いたのが15時15分で、それから池袋経由の副都心線&東横線で帰りました。最寄り駅に着いたのは17時半すぎでした。


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「橋場」バス停

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バス停の前の橋を渡って「三沢坂本線」という県道を進みます。

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「帰れマンデー」にも出ていた蕎麦屋

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最初の「登山口」

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しらばく歩くと県道に出た

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再び「登山口」に入る
この手前でみかんが一袋100円で売っていました。買いたかったけどみかんを持って登るのは面倒なので諦めました。

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集落の様子

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熊注意の看板が至るところに出ていました。

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道のあちこちにこのような積石がありました。「死者の追悼」の意味があるそうです。賽の河原の童という不気味なことばを思い出しました。

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瓶のなかにお賽銭を入れて手を合わせました。

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林道の合流点
ここにも熊出没注意

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道標

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粥新田峠に到着
ここまでは車で来ることも可能です。

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同上

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同上

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同上

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同上

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粥新田峠から大霧山に向かう登山道

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同上

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同上

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同上

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トラロープがある最後の急登

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山頂標識

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眺望
秩父から皆野にかけての街並み

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はるか向こうに八ヶ岳の山

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正面に両神山

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痛々しい武甲山の向こうに雲取山と長沢背稜(来年こそ歩きたいと思った)

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定峰峠に向けて下ります。

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関東ふれあいの道のハイキングコースなので歩きやすい

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このあたりでトレラン二人組とすれ違いました。

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定峰峠(旧定峰峠)に下る分岐点

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ここでも手を合わせました。

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旧定峰峠(定峰峠との分岐)

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いったん林道に出る

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数十メートル進むと、再びショートカットの登山道に入る

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再び林道に出る

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麓の集落が見えてきた

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「経塚」バス停

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県道を歩く(通行止めになっていた箇所)

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「皆谷」バス停
10月までここで折り返し運転が行われていた

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小川町駅(スマホで撮影)
2020.12.16 Wed l 山行 l top ▲
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武蔵小杉駅~立川駅~青梅駅~武蔵五日市駅~仲の平~【槇寄山】~仲の平~武蔵五日市駅~拝島駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約7.5キロ
※標高差:530m
※山行歩数:約17,000歩
※交通費:3,850円


昨日(8日)、槇寄山(1188m)に登りました。槇寄山は二度目です。槇寄山は、笹尾根にあるピークで、大沢山を経て三頭山へ縦走する(あるいは逆に三頭山から下山する)のによく使われる山です。

早朝5時に家を出て最寄り駅から武蔵小杉、武蔵小杉から南武線で立川、立川から中央線で青梅、青梅から青梅線で武蔵五日市に行きました。

武蔵五日市駅に着いたのは7時1分でした。武蔵五日市駅からは、いつものように数馬行きのバスに乗ります。バスは7時20分発です。しかし、駅前のバス停には、既に10人くらいが待っていました。そのあとも列のうしろに並んでいましたので、全部で20人以上はいたと思います。そのなかで、ザックを背負ったハイカーは8人でした。前回、槇寄山に行ったのはやはり昨年の12月でした。そのときと比べれば、ハイカーの数が多いように思いますが、やはり天気が良くて暖かったからかもしれません。昨日は、奥多摩でも気温が15度くらいまで上がり、絶好の登山日和でした。

笹尾根自体は、これで5回目です。まさに困ったときの笹尾根なのでした。田部井淳子さんではないですが、特にこの季節になると、冬枯れの笹尾根を歩きたいと思うのでした。

ただ、今回も馬頭刈山のときと同じように、午後の早いバスで帰りたいと思ったので、それを前提にコースを決めました。帰りのバスは、13時20分と14時50分、そのあとは15時台がなくて16時10分です。何度も言いますが、この季節の山は15時を過ぎるともう暗くなってしまいます。それに、自宅に帰るまで2時間半から3時間近くかかるので、14時50分のバスで帰っても、帰宅ラッシュに遭遇してしてしまいます。登山帰りの帰宅ラッシュはちょっとつらいものがあります。

その結果、目標どおり13時20分のバスで帰ることができました。13時20分のバスは、前回の馬頭刈山のときに帰りに乗ったバスと同じ便でした(馬頭刈山の帰りに利用した「和田向」も、同じ路線のバス停です)。「和田向」が14時2分でしたので、「和田向」は、武蔵五日市駅から見て40分手前にあるバス停ということになります。

檜原街道沿いには、このように三頭山に向かって左に笹尾根、右に浅間尾根の登山口が点々とあります。私自身も、今まで入山時や下山時に7~8くらいのバス停を利用したと思います。

「仲の平」のバス停で降りたのは、今回で三度目です。「仲の平」は、終点の「数馬」のひとつ手前のバス停です。今回も途中から乗客は私ひとりになりました。「仲の平」に着いたのは、8時半前でした。武蔵五日市駅からは1時間ちょっとかかりました。

もうなじみのバス停なので、身支度をすると、勝手知ったる道という感じでいつもの道を笹尾根にある西原峠に向けて歩きはじめました。

昨日は霜も降りてなかったので、落ち葉も乾いたままで、文字通り落ち葉の絨毯の上をサクサク音を立てながら気持よく歩けました。途中でザックをおろして10分くらい休憩したのが返ってよかったみたいで、前回より20分くらい早く西原峠に着きました。

西原峠から槇寄山の山頂まで5分もかかりません。三頭山の方向に坂をひと登りすると山頂です。

槇寄山に登ると、予想通り冬空の彼方に富士山がくっきり姿を現していました。山頂には既に老夫婦が休憩していましたが、「どうしてラーメン食べないの?」「食べたくないんだよ」と口喧嘩をしていました。奥さんは明るい人ですが、旦那は逆に挨拶もしない暗い感じの人でした。「どうしてラーメン食べないの?」と言っていたのは奥さんの方です。「あなたはいつもそうなんだから」と不満たらたらの様子でしたが、しかし、こうやって連れだって山には来ているのでした。

二人はすぐに下りて行きましたので、あとは写真を撮ったり、どら焼きを食べたりしてひとりの時間を満喫しました。今回は、サーモボトルに温かいお茶を入れてきました。山頂では寒いので、温かいお茶がいいだろうと思ったのですが、昨日はそんなに寒くなかったものの、山に温かい飲み物を持って行ったのは正解でした。

帰りは、今回は笹尾根を30分くらい歩いて、数馬峠(上平峠)から下りました。数馬峠という峠は何故かいくつもあるので、このように括弧で山梨側の地名も付けられているのです。途中の田和峠からも富士山がよく見えました。田和というのも、山梨県の上野原側にあるバス停の名前です。当初、上野原の方へ下りようかと思ったのですが、上野原の方は一日に2便しかバスがなくて、もっと不便なのでした。

数馬峠までの笹尾根は前も歩いたことがありますが、前に歩いたときは霜が残っていてかなりぬかるんでいました。しかし、昨日は霜もなくとても快適でした。やはり、冬枯れの笹尾根はいいなあとしみじみ思いながら歩きました。なんだか子どものときに祖父に山の下刈りに連れて行かれたときに見た風景と似ている感じで、そのときのことが思い出され、涙が出そうになりました。

数馬峠(上平峠)から「仲の平」に下る道は、今回が初めてでした。この道は、守屋地図によれば、「往時の重要な交易路の一つだった」そうです。つまり、武州と甲州を結ぶ道のひとつだったのです。笹尾根にはこういった峠越えの道がいくつもあります。

下りの道はとても歩きやすいし、明るいところも多くて、私がいつも使っている(今回も登りで使った)道よりも全然いい感じでした。前に数馬峠で休憩していたら、この道から女性のグループが登ってきたことがあったのですが、私もこれからはこの道を使おうかなと思いました。昨日も男性がふたりベンチで休憩していましたが、彼らもこの道を登って来たのかもしれません。

ちなみに、今回、山で会ったのは、槇寄山の老夫婦とこの男性二人組だけでした。

しばらく下ると、大きな伐採地の上に出ました。この伐採地は、私が登った道からも見上げることができて、あそこに登りたいなと思ったばかりでした。伐採地の上に立つと、奥多摩の山の景色が目に飛び込んできました。目の前に何も遮るものがないので、三頭山や浅間尾根の稜線を手を取るように見ることができました。

最後に樹林帯のなかの急登を下ると、南秋川の川岸にある廃墟と化したキャンプ場に出ました。朽ちたバンガローがいくつも立っていて、炊事場の跡も残っていました。橋を渡って坂を登ると、檜原街道のバス停からすぐ下りたところに出ました。なんだここが登山口だったんだと思いました。なんだか灯台下暗しのような気持になりました。

初めて来たとき、バス停の近所の人から「この道を進んで一番上の家の横から登るんだよ。川の方に下りたらダメだよ」と言われたのですが、「川の方」というのはここのことだったのでしょう。もしかしたらその頃は昨秋の台風19号の被害がまだ残っていたのかもしれません(奥多摩は台風19号の被害が甚大で、未だ通行止めになっている登山道も多いのです)。

バス停に着いたのは、12時40分でした。予定より20~30分早く着きました。

今回は、8キロのザックを背負って登ったのですが、やはり休憩をこまめに取ったことがよかったのか、逆にいつもより軽快に歩けました。僅か4時間の日帰りハイクなのに、どうして8キロになるんだと思われるかもしれませんが、トレーニングのため、あえて重い荷物を背負って歩いたのでした。ちなみに、いつもは5キロ前後です。

もうひとつは、ガチガチの固い靴を履いたのもよかったのかもしれません。ガチガチの固い登山靴は重くて足が疲れるのですが、しかし、山を歩く上では安定していて非常に歩きやすいのです。これでお気に入りのノースフェイスのトレッキングシューズの出番はなくなるかもしれません。

13時20分のバスに乗り、武蔵五日市駅に着いたのは14時半近くでした。武蔵五日市駅からは拝島、拝島から立川、立川から南武線で武蔵小杉、武蔵小杉から東横線で最寄り駅に帰りました。自宅に帰り着いたのは17時前でした。


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「仲の平」バス停

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檜原街道から分かれた坂道を下ります。

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橋を渡って今度は坂道を登ります。

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川沿いの坂道

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登山道に入りました。

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とても歩きやすい道です。

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同上

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道標も古い

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国定忠治が遠見した?
国定忠治は、人口に膾炙されたヒーローだったので、こういった名所?もねつ造されたのでしょう。

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乾いた落ち葉を踏みながら歩くのは気持がいい。

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西原峠

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槇寄山の山頂に登ると、富士山が目に飛び込んできた。

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槇寄山山頂標識
古くて字が消えかかっている。
もうやむごとなき方が登らないので新調しないのかな?

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三等三角点

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山頂の様子

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数馬峠に向けて笹尾根を歩きます。

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冬枯れの笹尾根

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同上

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同上

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同上

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同上

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田和峠

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田和峠からの富士山

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田和峠道標

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さらに笹尾根を進みます。

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数馬峠(上平峠)の写真を撮り忘れましたが、既に分岐から下山道に入りました。

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こちらも乾いた落ち葉が気持いい。

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道標にこんな札もありました。

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何ケ所か倒木が道を塞いでいました。

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伐採地からの眺望

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左奥から、大沢山、三頭山、鞘口峠

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登山道は伐採地をぐるりと周回するようになっていました。

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南秋川の川岸に残るキャンプ場の跡

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同上

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同上

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キャンプ場から上がったところにある道標

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武蔵五日市駅のホーム(スマホで撮影)
2020.12.09 Wed l 山行 l top ▲
最近、「日本の異常」ということを考えないわけにはいきません。と言うと、ネットだったら(このブログもネットだけど)「だったら日本から出て行け」「反日」と罵言を浴びせられるのがオチでしょう。

誰もその異常を疑おうとしないのです。言うなれば、異常が日常化しているのです。オリンピック開催にこだわるがゆえにアクセルを吹かしつづけた挙句、アクセルが戻らなくなり暴走車のようになっているCOVID-19対策などはその最たるものですが、日本の異常はそれだけではありません(オリンピックなんてできるわけがないと誰も言わないのも異常ですが)。

ひとつは、眞子さんの結婚に対してです。小室さん母子に対するバッシングも異常ですが、眞子さんが結婚の意思に変わりがないと表明し、続けて父親の秋篠宮が条件付きながらも「結婚を認める」と発言したことに対して、いっせいに巻き起こった眞子さん本人や秋篠宮家に対するバッシングも、もはや常軌を逸していると言っても過言ではないでしょう。

元衆院議長の伊吹文明も、「小室さんは週刊誌にいろいろ書かれる前に、やはり皇嗣殿下がおっしゃっているようなご説明を国民にしっかりとされて、そして国民の祝福の上に、ご結婚にならないといけないんじゃないか」などと、まるで小室さんに説明責任があるかのような発言をしたそうです。

私などは、その前に「安倍さんは過去の国会答弁について国民に対する説明責任がある」と言うべきではないかと思いますが、伊吹文明にとっては、安倍よりも小室さんの説明責任の方が優先度が高いのでしょう。

また、伊吹文明は、秋篠宮が「結婚を認める」理由としてあげた「憲法に明記された婚姻の自由を尊重すべき」という発言に対しても、「皇族方は、(中略)法律的には日本国民ではあられない」ので、皇族は日本国憲法が認める「婚姻の自由」や「幸福追求の権利」が保障されるわけではないという旨の発言もしているそうです。これは、生活を保障するからカゴのなかの鳥でいろと言っているようなものでしょう。

「婚姻の自由」や「幸福追求の権利」が、日本国憲法が認めているから成立するような、そんなチンケな権利ではないことは子どもでもわかる話でしょう。人権ということばの意味も理解してないのではないか。こういう人物が国権の最高機関の長を務め、政権党の重鎮と遇されているのですから、政権党のなかから民主主義や歴史を否定する言動が出てくるのもむべなるかなと思います。

これでは、眞子さんや佳子さんが封建的な日本を離れて海外で結婚生活を送ろうと考えても仕方ないでしょう。もう彼女たちの人生に、天皇制がそぐわなくなっているのは事実なのです。むしろ、皇族であるが故に、人権も認められない、幸福を追求する権利もない人生に疑問を抱かない方がおかしいのです。

封建的と言えば、もうひとつ、「日本の異常」を痛感する出来事がありました。

それは、群馬県の草津町で、女性の町議会議員が村八分のようなリコールで失職した件です。町長室で町長から性被害を受けたと告発した女性議員に対して、「嘘を言って議会の品位を汚した」として町議会議長を中心にリコール運動が行われ、住民投票の結果、賛成2542票、反対208票という92%の圧倒的多数でリコールが成立、裁判で真相があきらかになる前に女性議員が町議会から追放されることになったのでした。

草津町議会を傍聴した北原みのり氏は、その異常さについて、次のように書いていました。

 休憩を挟んで議場に戻ろうとしていた男性議員たちが「傍聴席のヤツラ! 今日はやりにくい」と大声で言っているのが聞こえた。「ヤツラ」と言うんだな……と驚いたが、普段から傍聴している人によると、「今日は議場がいつもより穏やか」とのことだった。いつもは新井議員への嘲笑や暴言、叱責が激しいといい、この日は傍聴席の女性が圧になっていたのは確かのようだ。

 一方、傍聴席は殺気だっていた。70代くらいの男性たちが前列に座る私たちの背後から、「こっちにだって選ぶ権利あるんだよ」「誰があんな女と」「犬だってしねぇよ」と声を浴びせたり、「(性被害が)本当なら(時間的に)町長はニワトリだ」と盛り上がったりもしていた。ニワトリの意味は、すぐ射精するとのことらしい。コケッコッコーと言っては笑っていた。セクハラを背中からずっと浴び続けた思いになる。

AERAdot.
殺気だつ草津町傍聴席「犬だってしねぇよ」 セクハラを背中で浴び続けた気分になった


また、草津町を取材したハーバー・ビジネス・オンラインも、次のように書いていました。

(略)この住民投票の一番の問題は、どこかの一般町民がリコールをしようと言い出したのではなく、なんと、草津町議会の議長が中心となってやっている点です。だから、公共施設にまでリコールに賛成を呼び掛けるポスターが貼られているのです。ここには「住民投票の公平性」という概念は一切ありません。これはもう民主主義でもありゃしないのです。

 今回の新井祥子議員のリコール住民投票は、明らかに「町ぐるみ」で仕掛けられています。これはとても深刻で重大な問題です。本来、自治体というのは住民投票の公平性を担保しなければなりません。賛成するか反対するかはあくまで「住民の意思」で決められるものであって、町がどちらかを推奨するということがあってはならないのです。ところが、草津町では公民館や児童室といった公共施設の駐車場にポスターが貼ってあって、新井祥子議員のリコールに賛成するように促していました。

ハーバー・ビジネス・オンライン
群馬県草津町の「町議リコール」住民投票がはらむ、性被害の事実以前の大きな問題


リコール(解職賛成)を呼びかけるポスターは、観光客が訪れるバスターミナルにも貼られており、「こんなにイカれた話はありません」と書いていましたが、草津町は町あげてリコールに狂奔していたのです。文字通り”異常な町”と化していたのです。町内に9ケ所ある共同浴場にも、あの有名な湯畑の近くにも、ポスターは貼られていたそうです。なんだか横溝正史の小説に出てくる村のようです。

草津町というのは、温泉を資源にビジネスをしている人が多く暮らしているため、町長や議員を敵に回すことは、イコール、この地で商売ができなくなってしまうということであり、非常に閉鎖的な町です。議員になる人も、ホテルや旅館の二代目や三代目だったりして、そもそも町長に逆らうような人はいません。
(同上)


草津温泉を訪れる女性客を笑顔で迎える「ホテルや旅館の二代目や三代目」の主人たちが、一方で、議会ではミソジニー(女性蔑視)の権化のような顔を見せていることを観光客は知る必要があるでしょう。

この異常に対して、職員組合はどうしているのかと思ったら、草津町には職員組合はないのでした。「公共施設にポスター」「町ぐるみのリコール運動」の理由がわかった気がしました。

しかも、北原みのり氏は、Twitterに次のような驚くべき光景をツイートしていました。中澤議員というのは、議会で唯一女性議員のリコールに反対したために、懲罰動議をかけられた議員です。

北原みのり草津町
https://twitter.com/minorikitahara/status

村八分に加担する日本共産党。日本共産党の日常活動はとうとうこのレベルまで来たのかと思いました。自由と人権を守る党が聞いて呆れますが、そこにはいみじくも左の全体主義の体質が露呈していると言っていいでしょう。「日本の異常」には右も左もないのです。
2020.12.09 Wed l 社会・メディア l top ▲
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新宿駅~立川駅~武蔵五日市駅~とうげん橋~【馬頭刈山】~和田向~武蔵五日市駅~青梅駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約5時間(休憩含む)
※山行距離:約8キロ
※標高差:650m
※山行歩数:約18,000歩
※交通費:3064円


一昨日(2日)、奥多摩の馬頭刈山(まずかりやま・884m)に登りました。馬頭刈山は前から気にはなっていたのですが、前の夜にふと思い付いて、あまり下調べもせずに行きました。

馬頭刈尾根について、山田哲哉氏は『奥多摩 山、谷、峠、そして人』(山と渓谷社)で、次のように書いています。

  東京都心から奥多摩を見ると、大岳山の左手に雄大に伸びる尾根がある。ひとつの山脈と言っても通じるほどに量感のある尾根は、武蔵五日市駅から近く、養沢川と秋川本流が合流する十里木(じゅうりき)に達している。この尾根の名は馬頭刈尾根。中間に馬頭狩山という展望に優れた山頂をもつ。


また、山田氏は、同書のなかで「この尾根からは、地図にもガイドブックにも書かれてない小さな道が、北秋川方向へ何本も分かれる」と書いていましたが、私はそのなかのひとつの千足尾根を登りました。この「千足尾根コース」(守屋地図)は、茅倉という集落から登るのですが、マイナーなコースなので、取りつきに行くにも道案内もないし、林道を登って集落の突端まで来たものの、すぐに登山口が見つからずあたりをウロウロしました。

一般的には、同じ千足でも隣の「千足沢コース」(同)と呼ばれる沢沿いのコースと、武蔵五日市駅に近い「軍道(ぐんどう)」や瀬音の湯、あるいは「十里木(じゅうりぎ)」に下る「馬頭刈尾根コース」(同)がよく使われているようです。

でも、私は、「千足沢コース」は長い林道歩きがあるみたいなので、あえてマイナーと言われている隣の「千足尾根コース」を歩くことにしたのでした。一応、地図にも登山道として記載されていますが、しかし、途中で「廃道」という表示もあったりして、一抹の不安を抱きながら登山口に向かいました。

新宿駅から6時12分発の快速高尾行きに乗り、途中の立川駅で青梅線の武蔵五日市行きに乗り換え、武蔵五日市駅に着いたのが7時36分でした。そして、駅前のバス停から7時43分発の「藤倉行き」のバスに乗り、「とうげん橋」というバス停で降りました。「とうげん橋」までは30分くらいでした。メインルートの「千足沢ルート」だとバス停は「千足」になりますが、「とうげん橋」はそのひとつ手前のバス停です(でも、林道の登り口は二つのバス停の中間にありどちらで降りても同じでした)。

バスには、途中の警察署や高校や小中学校などに出勤する人達が10数人が乗ってきました。しかし、それらをすぎると、バスのなかは私と同じ年恰好のハイカーの男性、通勤客とおぼしき男女二人、それと途中から乗って来た高齢の夫婦の6人になりました。バスは南秋川沿いの檜原街道をしばらく進み、やがて檜原村役場の前の橘橋を渡ると檜原街道から分かれ水根本宿線に入ります。ここからは川も分岐して、南秋川から北秋川になり、バスも北秋川沿いの都道を走ることになります。

やがて左上手に尖がり屋根が特徴の建物が見えてきました。「やすらぎの里」です。サイトを見ると、「やすらぎの里」は、「地域包括支援センター」「子ども家庭支援センター」「高齢者在宅サービスセンター」「老人福祉センター(ふれあいセンター)」「診療所」「保健センター」「福祉作業所」「児童館」の公共の複合施設だそうです。

バスは、北秋川にかかる橋を渡って「やすらぎの里」の構内に入って行きました。そのとき、私は、「あれっ、ここは前に来たことがあるな」と思いました。バスが構内に入って行ったのを覚えていたのです。でも、「藤倉行き」のバスに乗ったのは今回が初めてです。「いつ来たんだろう?」と考え込んでしまいました。

あとで調べたら、檜原街道を進んで行く「数馬行き」のバスのなかで、一日に何便か「やすらぎの里」を迂回する便があるみたいなのです。つまり、「やすらぎの里」でUターンして、再び橘橋から数馬に向かう便に乗ったことがあったのでしょう。

「やすらぎの里」で、通勤客と老夫婦が降車して、バスのなかはおっさんのハイカーふたりだけになりました。

私が降りるバス停の名前の「とうげん橋」というのは、「やすらぎの里」の構内に入るときに渡った橋のことでした。「やすらぎの里」の構内を出て再び橋を渡り、都道に出るとすぐにバスは停まりました。

バス停のなかで身支度をして、都道を「千足」のバス停の方に向かって歩きはじめました。しかし、登山口がある林道の入口らしきところに来たのですが、表示はなにもありません。あるのは「この先行き止まり」の看板だけです。

何度も言いますが、奥多摩の山は林道を登った先の集落のいちばん上の家の横に登山口がある場合が多いのです。そういった経験とGPSを頼りに林道を登って行きました。

15分くらい登ると林道のいちばん上まで来ました(ただ、左手では林道の延長工事が行われていました)。先端の家の周辺を見回しても登山口らしきものはありません。道標も見つかりません。延長工事をしている方向にあるのかと思いましたが、GPSを見るとルートを外れます。先端の家の人に訊こうかと思いましたが、わざわざ家を訪ねる勇気はありませんでした。

スマホにダウンロードした地図と見比べながら登山口の表示を探していたら、先端の家の上にある岩の影に古い道標を見つけたのでした。どうやらここが登山口のようです。マイナーなルートなので、よくある注意書きなどの類もいっさいありません。

それに、看板はあったものの道らしきものはありません。雑草の生えたところを恐る恐る入って行きました。すると、先の方に踏み跡が付いた登山道らしきものが出て来ました。

踏み跡はありましたが、道標は稜線に出るまでに古いものが二つあっただけでした。それで、GPSとピンクテープを頼りに、踏み跡を辿りながら登りました。しかし、道に迷うことはありませんでした。と言うのも、巻き道のようなものはほとんどなく、ただひたすら直登と言ってもいいような急登がつづいたからです。

馬頭刈山に関しては、標高がそんなに高くないし危険なところもないので、初心者向けのハイキングコースと紹介されているサイトもあれば、急登がつづくのである程度の経験と体力が必要と書いているサイトもあります。それはどちらもホントなのだろうと思います。選ぶコースによって難易度も違ってくるのです。それが山田哲哉氏も書いているように、馬頭刈山の特徴なのです。

どのルートを登っても、大岳山と馬頭刈山を結ぶ縦走路でもある稜線と合流します。あとは稜線を歩いて、どこまで行ってどこで下りるかなのです。それが山歩きの楽しみを味わえる馬頭刈尾根の魅力です。

稜線に出ると、やっと三本目の道標がありました。それに従って鶴脚山(つるあしやま)から馬頭刈山の方向に歩を進めました。20分くらい歩くと、鶴脚山(916m)に着きました。鶴脚山は稜線上にある小さな瘤のようなピークでベンチもありません。写真だけ撮ってさらに稜線を進みました。すると、今度は階段が現れていったん下りるようになっていました。この鞍部が馬頭刈山との境になるのでしょう。

その下りでこの日唯一のトレランの恰好をした若者と会いました。「軍道」から登って来て、これから大岳山まで走りますと言っていました。「がんばって」と言ったら、「はい、ありがとございます。お気を付けて」と言って頭をペコリと下げて登って行きました。グループで来るのはどうしようもない連中が多いけど、ソロで登って来る若者はホントに好青年が多いのです。

いったん下って再び登り返す途中に、下山に使う「泉沢尾根コース」(守屋地図)の道標がありました。やはりあまり使われてないみたいで、心細いほど薄い踏み跡しかありません。さらに「泉沢尾根コース」の道標から5分くらい登ると馬頭狩山の山頂に着きました。

山頂にはベンチが二つと、周辺の山名とハイキングコースが記載された案内板もありました。案内板を見ると、私が下山に使おうと思っているコースは記載されていませんでした。山田氏によれば、1970年頃まで馬頭刈山の山頂には「展望台というには立派すぎるコンクリートの見晴らし台があった」そうです。

ベンチに座っていつものようにどら焼きを食べて30分くらい休憩しました。この日は曇天で眺望はほとんどありませんでした。晴れた日には富士山を見ることもできるそうですが、厚い雲のカーテンに遮られてどこにあるのかさえわかりませんでした。もちろん、誰も登ってきません。

少し寒くなったので、引き返して「泉沢尾根コース」を下りました。このコースは、落ち葉も多くいっそう踏み跡がわかりにくくなっていました。ただ、途中には真新しい道標がいくつも立てられていました。踏み跡が消えたところでは、何度も立ち止まってGPSで確認しながら慎重に下りました。

一方、下っていると、木製の道標が至るところで噛み千切られているのに気づきました(下記写真)。人間がそんなご丁寧な悪戯をするわけがないので、野生動物の仕業なのでしょう。やはり、クマがいるのかと思いました。帰ってネットで調べたら、メインのルートの登山口には「クマ目撃情報あり」の注意書きが出ているそうです。また、新しい道標(指導標)がクマに齧られるのはめずらしくないのだとか。どうして新しい道標を齧るのかよくわかってないそうですが(塗料の臭いに惹かれるからではないかとか言われている)、どうやらクマの仕業に間違いないようです。

途中でウォーッという唸り声みたいものが聞こえてきたので、笛を吹きながら歩きました。また、途中で何度もクマの糞らしきものも見つけましたが(下記写真)、あとで調べたらクマではなくハクビシンの糞のようでした。

ハイカーの多くは、クマに遭遇したことがないと言いますが、実際はクマに遭遇しているのです。ただ、人間が気付いてないだけです。クマの方が先に人間に気付いて、笹の中に身を隠したり、逃げたりしているので、人間は遭遇したことがないと思っているだけです。クマに襲われるのは、不意に鉢合わせになってクマがパニックになるからです。それは、クマに限らず犬でも人間でも同じでしょう。だから、鉢合わせにならないように、見通しの悪い場所では音を立てて自分の存在を伝えなければならないのです。そのためには、熊鈴だけでは不充分で、声を出したり笛を吹いたりすることが必要だと言われています。熊鈴を鳴らすと、自分の存在をクマに伝えるので逆に危険だという話がありますが、それは山に登らない人間の無知蒙昧な”都市伝説”のようなものです。

下山したのは13時半すぎでした。入山したのが8時半頃でしたので、約5時間の山行でした。

下りたのは、檜原街道沿いの「和田向(わだむかい)」というバス停です。ここは笹尾根や浅間尾根や三頭山に行くときに何度も通ったことがあります。このバス停には、6千万円かけて作った総ヒノキ造りのトイレがあるのです。それで、やむごとなき方々と同じように、そのトイレで一度用を足してみたいと思っていたのです。

なかに入ると、ヒノキの臭いがして、とても快適に用を足すことができました。また、横には休憩室がありましたので、そこでバスを待ちました。

登りながら、馬頭刈山もやはり奥多摩の山なんだなあと思いました。標高が低くても、奥多摩特有の急登とは無縁ではないのです。六ッ石山や本仁田山や川苔山(鳩ノ巣駅からの舟井戸コース)に似ているなと思いました。山田氏も「馬頭刈尾根から北秋川へと向かうたくさんの踏み跡を、気ままに下ったことがある」と書いていましたが、私もまたひとつ楽しみを見つけたような気がしました。

また、田部井淳子さんではないですが、冬枯れの人のいない山を歩くのはいいなあとあらためて思いました。特にこの時期は、山を歩くのにいちばん好きな季節です。

帰りは、14時2分のバスに乗り、武蔵五日市から青梅、青梅から立川、立川から南武線で武蔵小杉、武蔵小杉から東横線で帰りました。最寄り駅に着いたとき、外はどじゃぶりの雨で、駅から自宅までは徒歩で7~8分ほどなのですが、あまりに雨脚が強いので駅前のドラッグストアでビニール傘を買いました。帰り着いたのは16時すぎでした。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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とうげん橋バス停

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やすらぎの里

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都道の脇にあった茅倉の滝

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同上

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登山口までの林道

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登山口

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登山道

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同上

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最初の道標

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登山道

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クマの糞かと思った。

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こんな登りがずっとつづく

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登ってきた道を上から見下ろす

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笹尾根のような平坦な道になったが、すぐまた急登がはじまった。

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ようやく先に稜線が見えてきた。

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稜線上の三つ目の道標

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稜線を歩く

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同上

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同上

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日の出山

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御岳山(左奥に大岳山)

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鶴脚山山頂標識

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道標

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再び稜線を歩く

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階段をいったん下る

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稜線上は道標が多く出てきます。

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泉沢の下山ルート(道標は立派だけど、やはりマイナーなルートです)

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馬頭刈山に向けて登り返す

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本日の下山ルートの看板

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先に馬頭刈山の山頂

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馬頭刈山山頂標識

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山頂の様子

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ここから下山

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下ってすぐ。落ち葉が積もっているのでよく滑ります。尻もちをつきました。

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逆光で見えにくいのですが、道標の半分が折られています。

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ここも齧られている

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このあたりは落ち葉で踏み跡がわかりにくくなっており、慎重に下りました。

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山は下刈りがされて人の手が入っているのがよくわかるので、歩いていて不安はありませんでした。

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この道標も半分が折られています。

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これもハクビシン?

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下山口

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バス停に下りる林道の途中にあった貴布祢伊龍神社

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6千万円のトイレ外観(手前から休憩室、女子トイレ、男子トイレ)

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トイレのなかの休憩室

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和田向バス停

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同上(反対側)
2020.12.04 Fri l 山行 l top ▲
今日、「安倍晋三前首相の後援会が主催し『桜を見る会』前日の夕食会を巡り、東京地検特捜部が安倍氏本人に任意の事情聴取を要請した」(共同)というニュースがありました。

安倍辞任について、病気はあくまで表向きの理由で、実際は河井夫妻に対する強制捜査に関連して(河井夫妻に自民党本部から振り込まれた買収資金の1億5千万円に関連して)みずからに捜査の手が及ぶのを避けるため辞任したのではないかという見方がありましたが、まさか「桜を見る会」で事情聴取に発展するとは意外でした。

それにしても、国会答弁の嘘八百には今更ながら呆れます。森友問題で、佐川宣寿財務省理財局長(当時)が国会で答弁した際、野党の追及にあたふたしている佐川局長に対して、総理大臣席の安倍が「もっと強気で行け」というメモを渡して叱咤していたそうですが、あれは「強気で嘘を吐け」という意味だったのでしょう。

安倍や菅には、「国民はすぐ忘れる」「世論はその場限りのものに過ぎない」という、国民や世論に対する”冷めた認識”が共通していると言われています。つまり、それは、「国民なんてバカですぐ忘れるので、強気で嘘を吐いてその場を言い逃れればいいんだ」という、ある意味でシビアな大衆観とも言えます。実際その通りなのですが、それがあのような国会軽視にもつながっているのでしょう。

甘やかされて育てられたボンボンにありがちな生来の嘘つきが、自民党内の無責任な政治の力学でなんと総理大臣になってしまった。そんなマンガのような話が安倍一強7年8カ月の実態なのです。

生来の嘘つきが総理大臣になった悲劇については、このブログでも下記の関連記事で書いていますので、ご参照ください。

ただ、確認しておきたいのは、安倍辞任や聴取要請は、決して反安倍の運動によるものではないということです。そういったリベラル左派にありがちな他力本願な自画自賛に対しては釘を刺しておく必要があるでしょう。この一連の流れは、あくまで権力内部の力関係の変化によるものにすぎないのです。

追記:
午後には各メディアが一斉に「聴取要請」の記事をアップしましたが、本人は記者たちの質問に対して、「そんな話は聞いてない」と答えたそうです。ここに至っても白々しく嘘を言い続けるその姿は、なんだか頬をプーッと膨らませて「ボク、知らない」と言い張っていた子どもの頃のエピソードを彷彿とさせるものがあります。三つ子の魂百までとはよく言ったもんだと思います。

こういう人物が総理大臣として、公私混同して国政を運営し、国会で嘘八百を言い続けて来たのですから、これほどの悲劇はないでしょう。しかも、彼は、「愛国者」として右派系の人間たちの間ではヒーロー扱いさえされていたのです。古谷経衡流の言い方をすれば、「愛国ビジネス」にとって格好のシンボル(ブランド)だったのです。



関連記事:
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薄っぺらな夫婦 青木理『安倍三代』
『拉致被害者たちを見殺しにした安部晋三と冷血な面々』
2020.12.03 Thu l 社会・メディア l top ▲
未来への大分岐


斎藤幸平編『未来への大分岐』(集英社新書)を読みました。

私は、何事においても悲観論者なので、未来に対してもきわめて悲観的です。ただ、副題にあるように、現在が「資本主義の終わりか、人間の終焉か?」の「大分岐」に差しかかっているというのはその通りでしょう。

本書のなかに、シンギュラリティということばが度々出てきます。技術的特異点(technological singularity)という意味の用語ですが、ウィキペディアでは以下のように説明されていました。

技術的特異点は、汎用人工知能(en:artificial general intelligence AGI)、あるいは「強い人工知能」や人間の知能増幅が可能となったときに起こるとされている出来事であり、ひとたび自律的に作動する優れた機械的知性が創造されると、再帰的に機械的知性のバージョンアップが繰り返され、人間の想像力がおよばないほどに優秀な知性(スーパーインテリジェンス)が誕生するという仮説である。


つまり、シンギュラリティというのは、AIが人間の知能や知性を凌駕する、その臨界点を表わすことばなのです。しかも、ウィキにも書いているように、それが2045年頃やって来るのではないかと言われているのです。そうなれば、私たちは人間ではなくAIに使われるようになるのです。私たちの上司は(実質的には)AIになるのです。サラリーマンの勤務評価もAIが行うようになるのです。入社の採否もAIが決めるのです。住宅ローンの審査も然りです(既にそれははじまりつつあります)。ありていに言えば、私たちはAIに支配されるのです。

もちろん、そうなれば私たち自身、つまり人間の概念も変わらざるを得ません。なんだかSFの世界の話のようですが、そんなSFの世界がもうすぐそこまでやって来ているのです。

本書のなかで、経済ジャーナリストのポール・メイソンは次のように言っていました。

  多くの宗教では、神が人間に魂を与えています。地球上の他のあらゆるものと、人間は異なる。私たちはもっと進んだ存在で、人間は自分たちの思考によって決断を下すことができる。魂は、人間の優越性の証でした。
   たとえば、人間は槍をライオンに向かって投げつけることができるけれども、ライオンはその槍がどこから来たのかさえ理解していない。私たちがなぜ魂を信じ、人間の優越性を当然視しているのかについて、唯物論的に説明すると、そうなります。
   ところが、二十一世紀半ばには、AIが私たちに向かって槍を投げつけるようになり、その槍がどこから来たのか、私たちにはわからないという状況に陥るでしょう。
   AIが私たちを出し抜き、優位に立つのです。人間があらゆる存在に対して優越しているという、多くの宗教が今まで主張してきた前提が融解してしまう。だからこそ、人間とは何か、という固有性についての答えは、人間の優越性ではない、何か別なものに根ざしたものでなければなりません。
(第三部・第四章シンギュラリティが脅かす人間の条件)


では、人間が人間たらしめるものは何になるのか?と鈴木はポール・メイソンに問います。それに対して、メイソンは次のように答えていました。

  それは、人間の自由(引用者:傍点あり)です。だからこそ、人間が機械を活用する必要があります。人間を必要性から解放し、できうる限り少ない労働ですむようにするために、です。
(同上)


こういった楽観主義はマイケル・ハートにも共通していました。マイケル・ハートも、今の情報テクノロジーをアントニオ・ネグリとともに提唱する「コモン」による民主的な管理が必要だと説いていました。「コモン」というのは、国家所有でも私的所有でもない共同管理(所有)というような概念です。むしろ、今の情報テクノロジーは現代資本主義の果実なのだから、その果実を利用しない手はないという考えです。なんだか東西の壁が壊れる前に、旧ユーゴで実験された自主管理型社会主義を思い出しました(でも、そのユーゴも東西の壁が壊れると、凄惨な内戦=民族間紛争に突入したのでした)。

マイケル・ハートは、情報テクノロジーの進化、つまりシンギュラリティの到来によって、むしろ人間は苦の労働から解放されるのだとさえ言います。そのためにも、「アルゴリズムという固定資本の管理権」を「コモン」が手にしなければならないのだと。

  人間のもつ知識が機械に集約・固定されれば、それは、大きな社会的進歩となる可能性があります。だからこそ、私たちが本当にしなくてはならないのは、アルゴリズムを拒否することではなく、アルコリズムという固定資本の管理権を求める闘いなのです。
(第一部・第四章情報テクノロジーは敵か、味方か)


斎藤幸平は、マイケル・ハートの言葉を「固定資本の管理権を手に入れる闘いは、非物質的労働の時代における生産手段をめぐる闘いだ」と解説していました。

しかし、工場がAIに制御されたロボットによってオートメーション化されるのは、ホントに苦の労働から解放されることを意味するのだろうかという疑問があります。工場で吐き出された鉄くずを集めたり、ゴミを捨てたりするのも、やはりロボットなのか。もしかしたら、そういった下働きは人間が担うようになるのではないか、と私などは思ってしまいます。

当然、オートメーション化によって労働者のかなりの部分はリストラされるでしょう。でも、それもマイケル・ハートによれば、苦の労働からの解放を意味するのです。労働力としてみずからを資本に売る、「労働力の再生産」から解放されることになるからです。そのために、マイケル・ハートはベーシックインカムを提唱しています。

となれば、ベーシックインカムのために、マイナンバーと銀行口座や所得額や職歴や学歴や婚姻歴や病歴などの個人情報が紐付けられても、それも良しとすることになるのでしょうか。「コモン」の共同管理のためなら、個人情報が一元管理されても問題はないと考えているのでしょうか。まして、本書のなかでも議論になっていましたが、ベーシックインカムも貨幣に変わりはないのですから、”貨幣の物神性”という問題は依然として残るのではないか。そんな素朴な疑問が次々と浮かんできました。

一方、マルクス・ガブリエルは、「啓蒙の復権」を主張していました。そうあらねばならないという倫理的な考えが大事なのだと言います。その基調にあるものも、ポール・メイソンやマイケル・ハートと同じです。

私は、なんと心許ない話なんだろうと思わずにおれませんでした。情報テクノロジーの進化ではいちばんわかりやすい中国の例を見ても、私にはAIに支配される未来の人間の姿しか浮かびません。

編者の鈴木幸平が「あとがき」で書いていた新しい社会主義像についても、私は楽観主義のようにしか思えませんでした。

  これは(引用者注:コモンは)、「上から」の共産主義、スターリン主義とは異なる、社会運動に依拠した「下から」のコミュニズム(communism)と言える。
  では、なぜ「上からの」社会変革ではだめなのか。現実の社会運動や共同参画に根付かない政策提案や制度改革による、「上からの」社会変革の戦略を、本書では「政治主義」と呼んだが、政治主義は、民主主義の闘争領域を選挙戦へと著しく狭めてしまうのだ。そして、専門家や学者による政策論は問題を抱えている当事者の主体性を剥奪する。
(おわりに―Think Big!)


現に日本では、前にも書きましたが、社民党の立憲民主党への合流に見られるように、社会運動に依拠した政治勢力は壊滅状態に追いやられているのです。これからは野党周辺においても、左派的な社会運動を排除する動きが盛んになるでしょう。「『下からの』コミュニズム」なんて絵に描いた餅のようにしか思えません。しかも、菅政権のデジタル庁構想に見られるように、「サイバー独裁」「デジタル封建制」の方がむしろ現実になりつつあるのです。
2020.12.01 Tue l 本・文芸 l top ▲
25日、ディエゴ・アルマンド・マラドーナが心不全により自宅で亡くなったそうです。まだ60歳でした。早すぎる死と言うべきでしょう。

マラドーナに関しては、サッカー界の偉大なレジェンドという以外に、さまざまなスキャンダルによって、私たちにはヒール(悪童)のようなイメージもあります。

しかし、ラテンアメリカでは、どんなにスキャンダルに見舞われようとずっと変わらず英雄でした。現役時代も現役を引退してからも、ラテンアメリカの民衆から熱狂的な支持を得ていたのです。

ラテンアメリカの民衆にとって、マラドーナの死は文字通り「巨星堕つ」という感じなのではないでしょうか。

私は、ちょうど10年前の2010年、代表監督としてアルゼンチンを率いて出場した南アフリカワールドカップの際に、マラドーナが「ラテンアメリカの民衆から熱狂的に支持されるもう一つの理由」について、下記のような記事を書きました。


関連記事:
マラドーナ
2020.11.26 Thu l 訃報・死 l top ▲
昨日、仕事関係の知人に会ったらやけに元気がないのです。「どうしたんですか?」と尋ねると、身体の調子が悪くてずっと仕事を休んでいたと言うのです。

彼は、数年前に脳出血で入院したのですが、そのときの後遺症で未だに半身にしびれが残っているそうです。見た目にはわからないのですが、本人にとってはそれが憂鬱の種のようでした。

その脳出血に由来することかと思ったら、そうではなくて「ヘルニアが再発した」と言うのです。ヘルニアとは初耳でしたが、なんでも10数年前に発症して、そのとき手術を勧められたけど症状が治まったのでそのままにしていたのだそうです。

首の後ろが痛いと言っていましたので、頚椎椎間板ヘルニアだと思います。しかも、ヘルニアの影響なのか、半身の痺れもひどくなり、最近は字を書くのもままらななくなったと言っていました。

彼は、離婚してひとり暮らしです。お父さんとお母さんも既に亡くなっています。昔はお父さんが会社を経営していたらしく、一人っ子だった彼はおぼっちゃまとして大事に育てられ、有名な私立の学校も出ています。某女性タレントとも幼馴染だそうで、学校でも幼稚園のときからずっと一緒だったそうです。彼女はタレント同士で結婚したのですが、夫が前に結構大きなスキャンダルに見舞われたことがありました。そのときも、実際は話が全然違うのにと嘆いていたそうです。そんな話を彼から聞いたことがありました。

しかし、お父さんの会社が倒産して状況は一変します。それが原因なのかどうか、離婚しそれまで勤めていた会社も辞めたのだそうです。

私が知り合ったのは今の会社に転職したあとで、お母さんは既に亡くなり、お父さんと二人暮らしをしていました。しかし、お父さんが認知症になったため、世話するのに苦慮していました。それで、介護施設に入所させたのですが、ほどなくお父さんが亡くなったのでした。

たまたま私もよく知っている病院で亡くなったのですが、葬儀会社に搬送を頼み、彼だけが立ち会って都内の火葬場で荼毘に伏したそうです。荼毘のあとは、自分の車で遺骨を霊園まで運び、自分で納骨しようとしたけど、霊園の決まりで専門の指定業者でないと納骨できないと言われ、仕方なくその業者に頼んで納骨したのだそうです。「ただ墓石を動かして骨壺を入れるだけなのに4万円も取られたよ」と言っていました。

離婚したとき、死にたいと思って何度も駅のホームの端に立ったことがあったそうですが、やはり死ぬ勇気がなかったと言っていました。一人娘がいて、もう成人式も迎えたはずだと言っていましたが、離婚してから一度も会ったこともなく、どこに住んでいるのかもわからないのだそうです。「池袋や新宿を歩いていると、ばったり出くわすんじゃないかと思うことがある」と言っていました。

そんな彼が、またひとつ憂鬱の種を抱えることになったのです。決してオーバーではなく、神様はなんと無慈悲なんだろうと思いました。自分の身体がままならないということほど憂鬱なことはありません。病気だけではありません。怪我や離婚や失業などのアクシデントに見舞われ、人生が一変するのはよくあることです。私たちの日常はかくも脆く儚いものなのです。

別の年上の知人の姿が見えないのでどうしたのか訊いたら、彼もまた手術して入院しているということでした。みんな詳しくは知らないみたいですが、どうやら内臓のガンのようです。彼の場合、再雇用の嘱託なので、このままフェードアウトするんじゃないかなと言っていました。彼もまた独り者なのでした。子どもがいなくて奥さんと二人暮らしだったのですが、奥さんは10数年前にガンで亡くなり、以来ひとり暮らしをしていました。最近は、電話しても出ないので、どうなったかわからないと言っていました。

会社と言ってもその程度なのです。昔のように世話を焼いたり心配したりすることもないのです。もうそんな濃密な関係ではないのです。だから、よけい孤立感は深まるでしょう。

今までこのブログでも、孤独死した女性の話を何度か書いてきましたが、先日もまた同じような話を聞きました。30代の女性なのですが、何故か身寄りがなく福祉事務所からの依頼で転院してきたそうです。不治の病気だったそうで、数ヶ月入院して亡くなったということでした。

身寄りがなかったら、葬祭扶助を受けて無縁仏として葬られるしかありません。入院する際に持ってきた僅かな遺品を整理していたら、免許証が出て来たそうです。でも、免許証も3年前だかに有効期限が切れたままだったとか。

免許証の写真は、入院中には見たこともないような笑顔だったそうです。免許証を取得して未来に心を弾ませ、仕事に精を出していたときもあったのでしょう。もちろん、お父さんやお母さんと一緒に暮らしていた時期もあったかもしれません。それがどうして30代の若さで、身寄りもなく、孤独に死を迎えなければならなかったのかと思います。どんな思い出を胸に旅立ったんだろうと思いました。

この社会では、労働して(労働力としてみずからを資本に売って)その対価としての賃金を得て、それで生活し、さらに労働力としてみずからを売るという「労働力の再生産」の過程のなかに、私たちの人生は存在しています。それには健康な身体が前提です。その前提が崩れると、途端に再生産のレールから外れ、生活だけでなく人生も立ち行かなくなるのです。

それはちょっとしたはずみやちょっとした違いやちょっとした運にすぎません。私たちの生活や人生はかくも脆く儚いものなのです。「人間らしい」とはどういうことだろうと思わずにはおれません。そして、明日は我が身かも知れないとしみじみ思うのでした。


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女の一生
2020.11.25 Wed l 日常・その他 l top ▲
最近、老眼鏡をかけないと本を読めないということもあって、本を読む時間が少なくなっていました。しかし、そうなればそうなったでこれではいけないと強く思うのでした。本を読むことだけが自分の取り柄みたいなところがありますので、これで本から遠ざかったら何の取り柄もなくなってしまうじゃないか、と自分に言い聞かせているもうひとりの自分がいます。

若い頃は、2~3冊の本を同時に読んだりしていました。むしろ、それが当たり前でした。でも、今はそういう芸当もできなくなりました。年を取ると知識欲も減退するのか。しかし、それでは知性に敵対する元学ラン剃りこみ応援団員のどこかの国の総理大臣と同じになってしまいます。それではいけないと思って、本を買って来て自分で読書週間を設け、みずからを鼓舞して読み始めているところです。

買ってきたのは、仲正昌樹『人はなぜ「自由」から逃走するのか』(ベストセラーズ)、斎藤幸平編『資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への分岐』(集英社新書)、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)、崔実『pray human』(講談社)の4冊です。

斎藤幸平は、今、話題のベストセラー『人新世の「資本論」』の著者で、久々に若手の左派の論客が登場したという感じです。世界が中世に逆戻りしているかような今の状況のなかで、なんだか“期待の星”にすら思えるのでした。

『未来への分岐』は、マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソンという世界的に著名な”左派“の論客と対談した本ですが、そこで語られているのは、「『上からの』共産主義、スターリン主義とは異なる、社会運動に依拠した『下からの』コミュニズム」(あとかぎ)を志向する、マルクスを現代風に解釈したエコロジカルで斬新でラジカルな革命論です。

まだ読み始めたばかりですが、『未来への分岐』のマイケル・ハートとの対談で、斎藤は次のように言っていました。

斎藤 (略)本来なら、カリスマ的なリーダー探しをするのではなく、現実の社会問題に地道に取り組む社会運動をいかに政治的な勢力に変容させるかを模索すべきだし、そうして生まれた政治的な勢力が、運動とのつながりを断ち切らないようにするにはどうしたらよいか、を考えるべきでしょう。
しかし、リベラル派はそのような思考をめぐらすことはせず、安倍に対抗できるくらい強力な政治権力をもつことによって――ただし今度は「立憲主義」の理念のもとで――社会変革をするのが、効率的な対抗戦略であると信じて疑わないのです。そして、主戦場はいつも選挙政治と政策提言になっていて、「投票に行こう」がリベラル派のお題目になってしまっています。


最近の社民党の立憲民主党への合流(吸収?)と重ね合わせて考えると、“愚劣な政治”はなにも右派の専売特許でないことがよくわかります。斎藤も本のなかで言っていましたが(私もこのブログで何度も書いていますが)シリザもポデモスもSNPも、そして、バーニー・サンダーズも、みんな社会運動のなかから生まれたのです。社会運動の基盤があったからこそ、あれほどの政治勢力になり得たのです。

社民党の立憲民主党への合流=実質的な消滅は、社会運動を放棄し、社会運動の基盤を否定するものです。社会運動の基盤を担う”戦う左派”を解体して、野党を中道保守の”戦わないリベラル”に糾合する「選挙政治」の最たるものと言っていいでしょう。言うまでもなくそれは、二大政党制という政治の翼賛化に通底する行為でもあります。そんなリベラル派に何が期待できるのでしょうか。

また、4年の沈黙を破って発表した途端に三島由紀夫賞の候補になった、崔実の『pray human』も楽しみです。眠れない夜など、この弛緩した感性がゆさぶられるようないい小説を読みたい渇望感に襲われることがあります。本を読んでよかったなと思えるような本に出会いたい、そんな干天の慈雨のような本に出会いたいと切に思うことがあります。


関連記事:
崔実「ジニのパズル」
2020.11.24 Tue l 本・文芸 l top ▲
今日、アメリカで最も権威のある文学賞「全米図書賞」に、柳美里の『JR上野駅公園口』が選ばれたというニュースがありました。

朝日新聞デジタル
柳美里さんに全米図書賞 「JR上野駅公園口」英訳版

トランプの狂気が覆うアメリカ社会に、まだこういった小説を選ぶようなナイーブな感性が残っていることになんだかホッとさせられました。

格差社会によってもたらされたネトウヨ化やヘイトの蔓延は、日本も例外ではありません。もはや、他人(ひと)の振り見て我が振り直す“余裕”すらなくなっているのです。

海外旅行が趣味だという若者が、「日本人は外国人に比べて冷たい」「恥ずかしがり屋だとかいうのはウソで、そうやって冷たい自分たちを誤魔化しているだけなんだと思う」と言っていましたが、『JR上野駅公園口』が描く居場所のない人間のやり場のない哀しみこそ、「冷たい」日本人の心に向けて放たれた矢なのだと思います。

『JR上野駅公園口』が日本よりアメリカの文学界で評価されているという現実も、宮台真司の言う日本社会の「感情の劣化」を表しているように思えてなりません。


関連記事:
柳美里『JR上野駅公園口』
2020.11.19 Thu l 本・文芸 l top ▲
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池袋駅~飯能駅~名郷~【天狗岩】~名郷~飯能駅~自由が丘駅

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約7キロ
※標高差:530m
※山行歩数:約17,000歩
※交通費:3,584円


悪夢のような蕨山から3ヶ月、一昨日、再び名郷に行き、今度は武川岳に登りました。と正確に言えば、武川岳には登らずに途中の天狗岩で引き返しました。ただ、最初からその計画でした。

名郷から飯能駅に戻るバスは、14時28分のあとは17時01分まで便がないのです。この時期、17時と言えば既に暗くなっています。前の蕨山のときも、14時28分のバスに乗り遅れましたが、今回の武川岳は蕨山より山行時間が長いので、14時28分で帰るのは最初から無理な相談です。それで、14時28分のバスに合わせて、天狗岩で引き返すことにしたのでした。

それにしても、名郷のルートは私にとって鬼門です。と言うのは、棒ノ折山のときも、蕨山のときも、そして今回も、いづれも一睡もしないで出かけたからです。何故か、特に理由もなく、名郷に行くときはいつも眠れないのでした。

睡魔に襲われながら、途中で山に行くのはやめようかと何度も思いましたが、そう思いながら電車は飯能駅に着きました。しかも、飯能駅に着くまで、どの山に登るかという計画もまったくありませんでした。

前から何度も言っているように、奥武蔵(埼玉)や奥多摩(東京)で日帰りで行ける山はほぼ行っているので、いくら考えても行く山が思いつかないのでした。高尾山や陣馬山や高水三山などはまだ行っていませんが、そういった人の多い(特におばさんが多い)山は私のリストでははじめから除外されているのでした。

飯能駅には7時に着きました。飯能から秩父線に乗り換えて沿線の山に登るか、それともバスに乗って名郷に行くか、駅のホームに降りた時点でもまだ迷っていました。秩父線の電車は7時40分だかに出ます。名郷行きのバスは7時45分です。

ホームのベンチに座って思案した結果、上記のとおり武川岳の天狗岩に行こうと思い至ったのでした。岩登りが面白いので、天狗岩の岩がどんな感じなのか、見てみたいという気持がありました。それで、スマホで登山届を作成しながら駅の改札口を出たのでした。

バスの発車まで時間があったので、バス停の前にある吉野家で朝食を食べました。吉野家で朝食を食べるのは4~5年ぶりでしたが、前のしょぼい朝食と違って見違えるようにバージョンアップしていたのには驚きました。

吉野家を出たあと、バスの時間までまだ少しあるので、バス停から少し離れたところでバスを待っていました。バス停には、既にザックを背負った初老の夫婦が立っていました。と、突然、駅の階段からどどっと中高年のおばさんの一団が下りて来たのでした。「これはやばい」と思って、あわててバス停に並びました。おばさんたちは10人は優に越える団体でした。めずらしくおばさんだけで、男性はひとりもいません。おばさんたちは、ご多分に漏れずテンションが高く、バスのなかでもワイワイガヤガヤ姦しい限りでした。ソーシャルディスタンスなどどこ吹く風です。

バスは8割がた埋まっていましたが、通勤客は数人であとはハイカーでした。それも若者はひとりもいません。見事なほど中高年ばかりです。通勤客は、途中の中学校前などで降りて、あとは完全な登山バスになりました。45分くらい走ると、棒ノ折山の登山口の最寄りのバス停に到着しました。そこで団体のおばさんたちやほかの大半のハイカーも降りて行き、バスのなかはやっと静かになりました。

残ったのは、一番前に並んでいた初老の夫婦と高齢の男性ハイカー、それに私だけです。みんな、当然終点の名郷まで行くんだろうと思っていました。

ところがしばらく進むと、突然、高齢の男性のハイカーが降車ボタンを押したのでした。こんなところで降りてどこに行くんだろう?と私は思いました。すると、男性のハイカーは、料金を払う際、「さらわびの湯はどう行けばいいんですかね?」とバスの運転手に尋ねていました。運転手は、「先程団体さんが降りたでしょ。あそこにさわらびの湯があるんですよ。朝の便は中まで入って行かないですよ」と答えていました。男性は、「そうですか。じゃあ歩いて戻るしかないですね」と言って、如何にも重そうなザックを背負ってバスを降りて行きました。

終点の名郷は、団体が降りたバス停からさらに20分くらい進んだところにあります。蕨山のときはバス停の手前の橋を渡りましたが、武川岳はバス停の先の林道を進みます。一緒にバス停で降りた初老の夫婦も、同じ林道を歩いていました。やはり武川岳に登るのかと思いましたが、武川岳の登山口の方には曲がらずに、キャンプ場がある方へそのまま進んで行きました。それ以後はまったくの単独行でした。行きも帰りも誰にも会いませんでした。

民家が点々と建っているあたりを進み、二度ほど林道を横切り、急階段を登ると、武川岳の登山道に入りました。あとは樹林帯のなかをひたすら進みます。途中、結構な急登もあり、息が上がりました。

今回は、ハードなシャンク(ソールの芯)が入った重い登山靴を履いて来たので、アスファルトの道を歩いて来た時点で既に足の脛が疲労しているのがわかりました。靴底も固いので、足裏も痛くなります。

最近の山行では、コロナの“巣ごもり消費”で買ったノースフェイスのトレッキングシューズを履いていましたが、石や岩が多い道を歩いていると、足を捻ることがありました。登山靴とスニーカーの中間のような、靴底がやや柔いトレッキング用の靴なので、石や岩が多い道だとどうしても左右にぶれるのでした。足を捻るのは怖いことです。捻挫でもしたら歩けなくなってしまいます。まして、私は、いつもひとりだし、あまり人がいない山を歩くことが多いので、へたすると遭難になってしまいます。

それで今回は「本格的な登山にも適している」と謳われているハードなシャンクの入った靴を履いて来たのでした。ただ、その分足の疲労度が増すのは仕方ありません。

天狗岩にはバス停から1時間半くらいで着きました。一昨日は半袖でも充分なくらい、秋晴れの暖かな天気だったので汗びっしょりになりました。水もペットボトルを3本持って来たのですが、それでも足りないほどでした。

天狗岩は、「結構な」という言い方が適しているような岩場でした。蕨山のそれとは比較にはならないほどです。「上級者向け」という看板が出ていましたが、上級者というのはオーバーにしても、初心者には少し難度が高いかもしれません。標高差は約80m、距離が約230mの岩場だそうです。かなり斜度の高い登りもありました。足を滑らせると大きな怪我になる可能性もあります。特に下りは慎重を要しました。岩に正対して下りた方が安全な箇所もありました。今の時期は、岩に積もった枯葉の上に不用意に足を置くとずるっと滑るので、神経を使いました。

天狗岩からは、40分くらいで前武川岳に行けます。さらに前武川岳から20分で武川岳の山頂に着くそうです。まだ時間的には余裕があったので、前武川岳まで行こうかと思ったのですが、昼食も持って来てなかったので、余裕をもって早く下りることにしました。

麓から山の中まで紅葉がまだ残っており、色鮮やかな秋の山を堪能することができました。天狗岩の頂上の岩に座って、行動食の羊羹と饅頭を食べながら、断崖に広がる紅葉を眺めてしばらく休憩しました。

帰りは、途中寄り道をしたりしてゆっくり下りたので、1時間ちょっとかかりました。名郷のバス停に着いたのは12時半すぎで、バスの時刻表を見ると、13時28分のバスがあることがわかりました。前武川岳までの往復の時間を考えると、あのまま前武川岳まで行ったら、14時28分のバスにはギリギリ間に合うかどうかです。天狗岩で引き返したのが正解だったなと思いました。それに、時間を気にして急かされて歩くより、こうしてゆとりを持って歩いた方が山を満喫できていいなあと思いました。

名郷バス停には、登山者用の駐車場(1回500円)もありますが、朝停まっていたのは1台だけでした。しかし、帰る頃には7~8台停まっていました。ほとんどは蕨山方面に登っている人たちなのでしょう。

始発の名郷からバスに乗ったのは私だけでした。まだ午後の早い時間なので、いつも行列ができているさわらびの湯からも、数人ハイカーが乗っただけでした。しかし、途中から一般客が増えて、飯能の街に入る頃には立っている乗客もいたくらいでした。

いつもだと東飯能から八高線で八王子、八王子から横浜線で帰るのですが、まだ時間が早かったので、飯能駅から特急の「横浜・中華街行き」に乗り、自由が丘で各駅停車に乗り換えて帰りました。最寄り駅に着いたのは、16時半すぎでした。


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飯能駅北口バス停(右が吉野家)

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名郷バス停

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武川岳の登山口がある林道へ向かって歩きはじめる
前を行くのが初老の夫婦ハイカー

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既に名郷のバス停から1キロ歩いた

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林道から近道の階段を登る

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階段の上にあった紅葉

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登山道みたいですが、もう一度林道に出ます。

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8月に散々な目にあった蕨山

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再び林道に出てもう一度階段

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階段の上はロープが張られているほどの急坂

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ここから実質的な登山道
巻道が正解で、直登の「上級者向け」は現在死んでいます(採石場に迷い込むみたいです)。

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最初はゆるやかな巻道でした。

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やがて直登になり、息が上がりました。

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登って来た道を見下ろす

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登った先は採石場の金網
石を砕く音が間断なく聞こえていました。

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途中、登山道の右上に岩場がありました。天狗岩と間違えるみたいですが、天狗岩ではありません。でも、岩に登ってみました。

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岩の上を歩きました。

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同上

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岩場が終わり、登山道と合流してしばらく歩くと、目的の天狗岩に着きました。

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ザックをデポして、カメラとサコッシュ、それにズボンのポケットにペットボトルを入れて登りました。

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同上

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同上

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同上

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下る際はこのピンクテープが目印になりました(ピンクテープはホントにありがたい)。

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岩と岩の間に落葉が積もっているので注意です。

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同上

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天狗岩の上にある紅葉

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岩の上から見える紅葉

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天狗岩頂上の標識

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前武川岳に向かう道

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岩の横の断崖にある紅葉

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岩を下る途中

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同上

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同上

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麓に下りるとススキが風に揺れる風景も見ることができました。田舎の通学路でいつも見ていた風景です。

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入間川沿いにある大鳩園キャンプ場
テントが一張ありました。

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川岸の紅葉

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林道の上にあった小さな神社
お賽銭をあげてお参りしました。
2020.11.18 Wed l 山行 l top ▲
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東京駅~佐久平駅~高峰温泉~【水ノ塔山】~【東篭ノ登山】~池の平~高峰温泉~新宿バスタ

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約8.3キロ
※標高差:320m
※山行歩数:約18,000歩
※交通費:10,410円


昨日、東篭ノ登山(ひがしかごのとやま・2228m)に登りました。東篭ノ登山は、長野県(東御市)と群馬県(嬬恋村)の県境にある山です。近くには、知名度の高い黒斑山(くろふやま・2404m)があり、どちらかと言えば、黒斑山の陰に隠れたような存在の山です。

当初、黒斑山に登ろうかと思ったのですが、私がいつも参考にしている登山サイトで調べたら、黒斑山に比べて水ノ塔山(2202m)と東篭ノ登山をミニ縦走した方がコースタイムが長いみたいなので、水ノ塔山経由で東篭ノ登山に登ることにしたのでした。

と言うのも、帰りは登山口のある高峰温泉から出ているバスタ新宿行きの高速バスに乗る予定で、そのバスの出発時間が16時17分なのでした。行きは高速バスだと到着が午後になるので、新幹線で行きました。新幹線だと、駅からバスを乗り継いで登山口に到着するのが9時半すぎです。それから登ると、黒斑山だと下山が13時前になります。ホテルが1軒あるとは言え、バスの出発まであまりにも時間が余ります。まだしも東篭ノ登山の方が待ち時間がいくらか少なくなると思ったのでした。

それともうひとつは、登山者が少ない東篭ノ登山で、久しぶりにゆっくり山を歩きたいという気持もありました。

東篭ノ登山も黒斑山も、浅間連峰に属する浅間山の外輪山です。ちなみに、浅間山は昨年11月の噴火に伴い現在噴火警戒レベル2に指定され、火口周辺は入山規制されています。また、火口から2キロ以内は噴火時の噴石や火砕流の警戒が今も呼びかけられているそうです。地元の人は、「今の予報官は慎重な人なので、警戒レベルの解除には時間がかかるのではないか」と言っていました(各山に担当の予報官がいるとは知りませんでした)。

行きは、東京駅6時28分発の北陸新幹線はくたかで長野県の佐久平駅まで行きました。

佐久平駅から8時25分発の高峰温泉行のバスに乗車し、約1時間で終点の高峰温泉に到着しました。バス停のすぐ横に東篭ノ登山の登山口がありました。黒斑山の登山口はひとつ手前の高峰高原ホテル前のバス停にあります。もっとも、二つのバス停は数百メートル離れているだけです。

佐久平駅からバスに乗ったのは私を含めて二人だけでした。ひとつ先の小諸駅からさらに一人乗り、乗客は三人になりましたが、二人はいづれも途中で降りたので、以後乗客は私ひとりだけでした。バス料金は先払いで1470円でした。ちなみに、帰りの高速バスはGoToキャンペーンが適用されたらしく2200円でした(ネットで予約した際初めて知り驚きました)。高速バスは、佐久平駅までは路線バスを兼ねていましたので、2200円から1470円を引くと、佐久平駅から新宿までは730円の計算になります。新幹線だと6260円です。こんなことでいいんだろうかと正直思いました。

時間の調整が面倒くさいので、最初は前泊することを考えていました。まず、高峰高原ホテルに泊まって、黒斑山に登ることを考えました。そうすれば、16時まで高速バスを待たなくても、午後1番のバスで佐久平駅に戻って新幹線で帰ることができるのです。

ホテル代もGoToが適用されて1泊2食付きで11000円でした。しかし、ある理由で前泊はあきらめたのでした。それは、夕食です。夕食がフランス料理のコースらしいのです。しかも、それ一択。それがホテルのウリで評判らしいのですが、ナイフとフォークが両脇にずらりと並べられる光景を想像するだけでも気が滅入ってきます。それに、普段食べ慣れないものを食べると腹を壊して下痢をする懸念もあります。実際に上高地に行った際、人生が終わったような経験をしたことがあり、未だそれがトラウマになっているのでした。

そもそも山に登るのにどうしてフランス料理のコースを食べなければならないんだという気持もありました。それでホテルの前泊は取りやめたのでした。

次に終点の高峰温泉の旅館に泊まることも考えました。高峰温泉には「ランプの宿」として有名な日本秘湯を守る会推奨の旅館があります。サイトで予約する際は、日本秘湯を守る会に入会することが条件になっていました(入会は無料です)。しかし、宿泊数を一人にすると、どうしても予約できませんでした。二人以上でないと予約できないのかと思って予約をあきらめたのですが、下山時、旅館に寄ってそのことを話したら、GoToでずっと満室で予約ができない状態になっていると言っていました。

旅館の横からは林道(湯の丸林道)がさらに奥に延びており、4キロ先には大きな駐車場やインフォメーションセンターを備えた池の平という登山口もあります。近くには湿原もあるそうです。池の平からだと東篭ノ登山は1時間でお手軽に登れるので、シーズン中は家族連れも登るみたいです。しかし、湯の丸林道の入口はゲートが閉じられていました。既に11月4日から来年の4月末まで冬季期間の通行止めになっていました。私は、下山に池の平のルートを使ったのですが、駐車場もトイレもインフォメーションセンターも閉鎖され、まったく人影もなく閑散としており、えも言われぬ淋しい光景が広がっていました。池の平からは、4キロの林道を1時間かけて高峰温泉まで戻りました。

朝、高峰温泉に着いたとき、気温は氷点下3度でした。登山道に入ると、前に降った雪が残っていて、それが凍結していました。南側は雪が解けていましたが、北側はまだ真っ白でした。また、霧氷も至るところで見られました。ただ、念の為に軽アイゼン(スノースパイク)を持って行きましたが、使うことはありませんでした。

最初はゆるやかな登りの道でしたが、水ノ塔山の手前に来ると岩場が続きました。北アルプスに行く練習になるとネットに書いている人がいましたが、それはいささかオーバーにしても、(”穂高信奉者”からは叱られるかもしれませんが)たしかに西穂高の独標に似ていると言えばそう言えないこともありません。岩場は南に面しているので、残雪も少なく、それに凍結もしてなかったので、あまり苦労せずに登ることができました。山頂は岩の上にありましたが、南側がひらけているので、小海線沿線の小諸や東御市の街並みやその奥にそびえる八ヶ岳連峰の山並みを見渡すことができました。

水ノ塔山からは北の方に一旦下りましたが、低い灌木におおわれた道に入った途端、一面真っ白な世界が目に飛び込んで来ました。岩が剥き出した道をしばらく下ると、今度は南側に向けて登り返さなければなりませんでした。再び稜線に出ると、それからは「赤ゾレ」と呼ばれる崩落地の上を歩くことになりました。地図には「滑落注意」のビックリマークがありましたが、思ったより道幅が広いのでそれほど緊張感もなく進むことができました。崩落地はかなり規模が大きく、100メートルくらいの距離を二か所歩くことになります。崩落地を歩いていると、先の方に東篭ノ登山が見えました。

最後の東篭ノ登山に登る道では、今回の登山で初めて息が上がりました。そして、その道で唯一の登山者とすれ違いました。埼玉から来たそうで、何でも自然の家だかなんだかに5連泊していて、周辺の山を歩いているのだそうです。池の平から登って来たけど、水ノ塔山まで行ったら引き返すと言ってました。

標高差は200メートルちょっとしかありませんが、水ノ塔山と東篭ノ登山をミニ縦走すると、一旦下ってまた登り返しがあるので累積標高差は500メートルを越えます。

稜線を歩くと風が吹き曝しなので、寒くてなりませんでした。そのため、山の上ではほとんど座ることができませんでした。東篭ノ登山も一等三角点の山なので、四方がひらけている分、風を除けるものがなく、立って足踏みしながら持参した行動食の羊羹やまんじゅうを食べました。

池の平までの下山ルートは40分程度でしたが、池の平が閉鎖されているということもあって人の気配はなく、熊笹が生い茂った登山道は今にも熊が出てきそうな雰囲気で、鈴はもちろんですが、見通しの悪い箇所では笛を吹きながら歩きました。

林道を1時間歩いて、高峰温泉に横にあるゲートをくぐって登山口に戻って来たのは、15時前でした。バスの出発まであと1時間ちょっとです。バスは到着していましたが、旅館の人の話では運転手はバスのなかで昼寝しているそうです。バスのドアが開くのは出発の15分くらい前だそうで、それまで旅館の喫茶室で時間を潰しました。食事をしようとしたら既に定食が終わったというので、おはぎを頼み、そのあと温かいコーヒーを飲みました。

高峰温泉のすぐ下にはスキー場があります。でも、スキーブームが去ったということもあって(それにアクセスも設備もお世辞にもいいとは言えないので)、シーズン中でも平日は10~20人くらいしか来ないときもあるそうです。広大なゲレンデに10人とは、ある意味で穴場じゃないかと思いました。

たしかにこの前行った入笠山や北横岳のスキー場に比べると、環境面では雲泥の差です。プロが使う球場と草野球用の河川敷のグランドくらいの違いがありました。

帰りの高速バスに始発から乗ったのは、私以外に旅館に泊まっていた若い女子グループ3人の4人だけでした。小諸駅からは、若いカップルが二組乗ってきました。なんのことはない年配者で格安の高速バスに乗っているのは私ひとりだけでした。

行きの北陸新幹線は、GoTo効果なのでしょう、平日にもかかわらず結構混んでおり、予約する際も、二人掛けの座席で横が空いている席を見つけるのに苦労するほどでした。三人掛けの座席も8割くらいは埋まっていました。途中軽井沢を通りましたが、さすがにこの時期に軽井沢で降りる人は誰もいませんでした。出張のサラリーマンは別にして、観光客はほとんど金沢に行くのかもしれないと思いました。新幹線で目立ったのは、年配の夫婦や成人した子どもがいる家族連れでした。

バスタ新宿からは、いつものように新宿三丁目駅まで歩いて副都心線で帰りました。最寄り駅に着いたときは21時をまわっていました。

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佐久平駅

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駅前のロータリーにあった紅葉

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高峰温泉の水ノ塔山・東篭ノ登山の登山口

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同上

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凍結した登山道の残雪

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同上

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水ノ塔山の登りの岩場

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ひとつ越えるとまた岩場

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下から稜線を見上げる

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さらに稜線の先にある東篭ノ登山
下の白いラインが下山したあとに歩いた湯の丸林道

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上から見えるスキー場

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右下の建物が登山口のある高峰温泉の「ランプの宿」

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足をいっぱいに上げて登らなければならない岩もありました。

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正面に見えるのが水ノ塔山のピーク

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大きな岩
「えいこらしょ」と声を出して登りました。

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水ノ塔山の山頂標識

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東篭ノ登山の指導標に従って北の方へ下りて行きます。

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登って来たルートを振り返る

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遠くに小海線沿線の街と八ヶ岳連峰の山並み

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北側に入った途端、白い世界

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北側からは菅平や嬬恋、軽井沢方面が見えます。正面は四阿山?

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南側に登り返すと再び稜線に出ました。
崩落地(赤ゾレ)を歩きます。
その先に東篭ノ登山

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崩落地と東篭ノ登山
見ての通り、登山道は幅が広いので緊張感はありません。

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崩落地は急角度に落ちていました。
滑り落ちたら大変でしょうが、普通に歩けばほとんどその心配はありません。

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高峰の標識
でも、高峰山は別にあります。

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東篭ノ塔山山頂標識

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同上
横に一等三角点の石柱

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山頂の様子
もちろん、誰もいません。とにかく寒い。

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橋幸夫のレコード大賞受賞曲・霧氷

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北側の風景
その先に見える山は、西篭ノ登山
30分~40分くらいだそうです。

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霧氷その2

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寒いので西篭ノ登山はパス

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池の平に下ります。最初はガレた下りでした。

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熊に怯えながら歩きました。

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池の平に到着

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こんな注意書きもありました。
たしかにその通りですね。

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湯の丸高峰自然休養林の看板
林野庁のサイトには次のように書いていました。
湯の丸高峰自然休養林が位置する浅間烏帽子火山群は、約100万年前に烏帽子岳から火山活動が開始し、現在の浅間山へ向けて火山活動が移動する過程の中で浅間連峰が形成されていると考えられています。

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立派な駐車場(閉鎖中)もありました。

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立派なトイレも(閉鎖中)。

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インフォメーションセンターも、来年4月まで閉鎖されています。

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熊出没注意の札がある東屋で休憩しました。初めて座った。

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ゲートが閉まった林道を約1時間歩いて高峰温泉の登山口に戻りました。

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さっき歩いた水ノ塔山

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やはり寒さが厳しいのでしょう、ここでも縞枯れ現象が見られました。

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高峰温泉「ランプの宿」

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帰りのバスが既に待機していた。
2020.11.11 Wed l 山行 l top ▲
アメリカ大統領選は、案の定、トランプの悪あがきによってグダグダにになっていますが、そもそも4年前にトランプを大統領に選んだことが全ての間違いのもとなのです。と、今更言っても仕方ないのですが、ただ多くの人たちもそう思っていることでしょう。

これで共和&民主という二大政党制も、大きな曲がり角を迎えることになるのは間違いないでしょう。とりわけ、日本で言えばネトウヨの権化のようなトランプに依拠してきた共和党は、深刻な事態を迎えるのではないでしょうか。草の根の保守運動の原点である「 ティーパーティー」も、トランプの登場でほとんど機能しなくなり瓦解してしまったと指摘する声もあります。だからよけいトランプに頼らざるを得なかったのでしょう。共和党がトランプ党になったというのは、決してオーバーな話ではないのです。

でも、何度も言いますが、日本も他人事ではないのです。Yahoo!ニュースが、大統領選の特集のなかで、トランプとバイデンのどっちが当選すると思うか?という「みんなの意見」のアンケート結果を円グラフにして掲載していました。それによれば、バイデンの当選がほぼ確実になった昨日の時点でも、トランプが当選すると答えた人が50%を越えており、バイデンが当選すると答えたのは30%台でした。

さすがにまずいと思ったのか、昨日、突然、円グラフはトップページから削除されてしまいましたが、その背景にあるのはトランプが唱える陰謀論です。日本のネトウヨたちも、本国のトランプ支持者と同様、トランプを信奉し、彼が唱える荒唐無稽な陰謀論を信じているのでした。Yahoo!ニュースは、そのフェイクニュースの牙城になっているのでした。

感情の劣化は対岸の話ではなく、この国でももはや修復ができないほどエスカレートしているのです。「話せばわかる人がいなくなった」(宮台真司)のです。それは、民主主義にとって深刻な問題でしょう。

ちなみに、このブログでも再三登場する評論家の田中宇氏も、みずからのサイトで、開票日当日は、トランプが当選すると主張していました。しかし、開票日の翌日には、最初の主張を覆してトランプが負けそうだという記事を書いていました。ところが、さらに翌々日には、民主党が選挙不正しているという陰謀論を書いて、主張を二転三転させているのでした。

昨日の記事「米民主党の選挙不正」で、田中氏は次のように書いていました。

今後、この膠着状態のまま時間がたつほど、民主党の選挙不正について詳細がわかってくる。トランプ傘下の諜報界は、民主党側にスパイを潜り込ませ、不正について何らかの証拠を握っている(証拠を握れる状態を作れなければ民主党に不正させない)。これは「おとり捜査」である。これから証拠がリークされていく。ロシアゲートの逆転劇に似ている。決定的な証拠がリークされる前後に、マスコミがネバダ州のバイデン勝利を確定し、バイデンの当選を発表するかもしれない。しかしそれと同時に民主党の選挙不正について決定的な証拠が暴露され、マスコミも選挙不正に協力してバイデン勝利を捏造していたことがバレていく。

http://tanakanews.com/190527spygate.htm
スパイゲートで軍産を潰すトランプ

このシナリオが成功すると、民主党だけでなくマスコミの権威も失墜させ、軍産の全体を潰せる。最終的な次期大統領はトランプになる。もう少しで勝てたのに、と悔しがる民主党左派は、全米で絶望的な暴動・略奪に走る。米国は混乱が続いて国際信用が低下し、経済も破壊され、軍産が最も望まない覇権の失墜になる。その中でトランプの2期目が始まり、米中分離や隠然多極化を進めていく。結局のところ、一昨日書いた記事のシナリオに戻っている。嘲笑してください(笑)。

田中宇の国際ニュース解説
米民主党の選挙不正


なんだかネトウヨみたいですが、田中氏の場合、ただインターネットで海外の新聞などを読んで情勢を分析するだけなので、フェイクニュースに惑わされてこんな醜態を演じることになるのでしょう。

何度もくり返しますが、トランプの狂気は他人事ではないのです。

学生時代、挨拶は「押忍」しか言ったことがないと本人も言っているように、法政大学で学ランを着てアイパーに剃りこみを入れた髪型で構内を闊歩していた学生が、横浜で代議士秘書になり、秘書から市会議員になると、代議士事務所の威光を笠に市の人事に介入し、「影の横浜市長」と呼ばれるほどの影響力を手に入れたのでした。

彼はどう見ても政治家というより政治屋です。人事を盾に権勢を振るう、官僚制度の弱点を熟知した政治屋なのです。だから、「内閣人事局」の創設に関わり、官邸が官僚の人事権を一手に握る体制を敷いたのでしょう。さらには、公安警察に隠然たる影響力を持つ元公安OBを側近に据え、公安を使った情報管理で霞が関ににらみをきかせて、有無を言わせない絶対的な権力を手にしようとしているのです。まるでロシアのプーチンを真似たかのようです。

でも、メディアには、秘密警察化する公安への懸念も、全体主義に対する危機感も皆無です。それどころか、危険な権力に尻尾を振って取り入ろうとするあり様です。大統領の狂気に及び腰だったアメリカのメディアの二の舞どころか、そこには歌を忘れたカナリアの「あさましくさもしい」姿しかありません。権力の太鼓持ちは、ネトウヨ御用達のフジサンケイグループだけではないのです。


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ネトウヨ化する社会
2020.11.07 Sat l 社会・メディア l top ▲
米大統領選は混迷を極めています。と言っても、混迷を極めているのは選挙結果よりそれを報じるメディアの方です。郵便投票など期日前投票が1億100万人もいるので(これは前回の大統領選の総投票数の73%に当たる数字だそうです)、即日開票分なんてまだ半分程度を開票した途中経過にすぎないのです。それなのに、どっちが当選確定したとか性急に結果を求めるので、ますます混迷に拍車がかかるのでした。

最終的にはトランプの悪あがきで法定闘争にまで持ち込まれるのではないかと言われていますが、あらためて大統領選を見るにつけ、アメリカと対立する中国やロシアが本音ではトランプ再選を期待しているというのはわかる気がします。

宮台真司は、ビデオニュースドットコムの開票特番で、自分は前回から一貫してトランプ支持だと言っていました。それは、彼独特の「加速主義」という考えによるものです。「加速主義」というのは、民主制が機能不全になり、人々の実存的な不全感、鬱屈がポピュリズムの標的になった結果、「自分が凄くないので国が凄いと思いたい」とか「昔思っていたような生活ができないなのは異分子がいるからだ」(異分子は、アメリカでは移民やヒスパニック、日本では「在日」)というような排外主義によって人々の感情的な劣化が進んだこの社会は、ポピュリズムの権化であるトランプや安倍(今の菅)の手に委ねて、手っ取り早く終わらせた方がむしろ建設的だという考え方です。言うなれば逆療法、あるいは「創造的破壊」のような考え方です。宮台は、それを「制度による社会変革ではなく技術による社会変革」という言い方をしていました。必ずしも的確ではないかもしれませんが、私は、「加速主義」の考えを聞きながら、若い頃に読んだ林達夫の『反語的精神』を思い浮かべました。

共和党はもはやトランプにすがるしかないのです。共和党が掲げる伝統的な保守主義なるものは、トランプのハチャメチャなポピュリズムに簒奪されたのです。それはバイデンを担ぎ出した民主党も同じです。党内の権力バランスでバイデンのような人物を担ぎ出さざる得ない民主党のテイタラクもまた、共和党と軌を一にしていると言えるでしょう。トランプは、バイデンは「認知がはじまっている」と言って物議を醸しましたが、バイデンのトンチンカンぶりを見るにつけ、私も「もしかしたら」と思いました。町山智浩氏が言うように、バイデンではなくバーニー・サンダースだったらもっと違ったものになったに違いありません。

今回の子どものケンカのような大統領選が映し出しているのは、アメリカの「加速度的」な凋落です。それが誰の目にもあきらかになったのです。そこにはもはや唯一の超大国の面影は微塵もありません。低レベルのドタバタぶりを演じる、それこそお笑いネタになるような滑稽な姿しかないのです。それは政党や政治家だけではありません。メディアも同じです。

私たちは、今までアメリカ人と言ったら、ニューヨーカーと呼ばれるような大都市に住むエリート市民しか知りませんでしたが、今回の大統領選をとおして、アメリカの国民ってこんなにバカだったんだということを初めて知りました。彼らの民度の低さをこれでもかと言わんばかりに見せつけられのでした。

子どもの頃、社会科の授業でアメリカン・デモクラシーこそ民主主義のお手本のような教育を受けましたが、今回の大統領選を見て、こんなバカな国民ばかりいてどこが民主主義のお手本なんだと思わざるを得ません。おそらくそういった幻想もこれで終わるでしょう。

再三言っているように、アメリカが超大国の座から転落して、世界が多極化するのは間違いないです。私たちは、まさに今、その光景を、その赤裸々な姿を見ている、見せられているのです。

もちろん、日本も他人事ではありません。宮台が言う「インテリ憎しの反知性主義」という点では、安倍や菅はトランプと瓜二つです。老害を絵に描いたような偉ぶることしか能のない麻生や二階、それにいつも的外れでトンチンカンな河野太郎や小泉進次郎も、どう見ても感情の劣化を象徴する道化師にすぎません。そんな連中が権力の中枢に座り、トンマな姿を晒しているのです。民主党のテイタラクも、日本の野党のそれとよく似ています。もう「話せばわかる人がいなくなった」(宮台真司)のです。「話せばわかる」というのは民主制の前提ですが、ポピュリズムによって感情の劣化が進んだ現在、その前提が壊れてしまったのです。

現代史に君臨しつづけた<帝国>が、バカな国民と”狂気のヒーロー”によって崩落の危機に瀕しているのは痛快ですが、しかし、それは他人事ではないのです。トランプの狂気を笑い物にして見ている私たちは、天に唾しているようなものかもしれません。
2020.11.05 Thu l 社会・メディア l top ▲
先日、国師ヶ岳に登った際、70歳を優に超えているような高齢の女性がひとりで登っているのに遭遇しました。かなりきつそうで、少し歩いては立ち止まりまた歩いては立ち止まるということをくり返しながら登っていました。横を通り過ぎる際、「こんにちわ」と挨拶するとハアハア荒い息を吐きながら「はい、こんにちわ」と弱々しい声で挨拶を返してきました。

そして、山頂で休憩していると、やがてその高齢の女性も登ってきました。「やっと着いた」という感じで立ち止まると、額の汗を拭いながら山頂を見回し、如何にも嬉しそうな笑顔を浮かべていました。

見通しのいい岩に腰をおろすと、水を飲みながら地図を広げて、目の前に見える山と地図を見比べて山座同定していました。さらに山頂標識のところに行って、小さなデジカメで写真を撮っていました。また、地図を片手に山頂のあちこちに移動して四方の山に目を凝らし、山名を確認していました。

その様子を見ていると、如何にも山が好きだという感じで、表情も生き生きとしているのでした。

私は、女性の行動を目の端で追いながら、不遜な言い方ですが、いいなあと思いました。なんだかそこには、山が好きだから山に登るという本来の姿があるような気がしました。

前に山で会ったベテランの山岳ガイドの人が、高齢の男性がゆっくりしたペースで登って来ているのを指差しながら、「あの人の歩き方が登山の理想の歩き方なんですよ」と言っていたのを思い出しました。

登山はスポーツですが、しかし、競技ではないのです。それぞれのペースでそれぞれのスタイルで登ればいいのです。

脇目もふらず山に登り、山頂には少しの時間しかおらず、またあわただしく山を降りて行き、山と高原地図のコースタイムに比べて何分速かったとか言っている登山者もいますが、私は、(もうそんな登り方が叶わなくなったということもあって)彼らは何のために山に登っているんだろうと思うことがあります。それならわざわざ山なんかに来なくても、近所の河原を走ればいいのにと思います。そんな人たちに比べれば、高齢女性の山行はなんと贅沢なんだろうと思います。山に登るのなら、途中で立ち止まって山の景色やまわりの植物を見る余裕くらい持ちたいものだと思います。

しばらくすると、女性はザックからラップで包まれたおにぎりを出すと、それを両手で包むように持って食べ始めたのでした。そうやっておにぎりを頬張りながら、いろんな方向に目をやり山頂からの景色を楽しんでいました。

最近は、ユーチューバーなのか、スマホを取り付けた自撮り棒を片手で持ったり、ザックの肩ベルトに小型カメラを取り付けて登っているハイカーを見かけることが多くなりましたが、私はそれらは本来の登山とは違うように思えてなりません。

また、知り合いの若者は、「承認欲求で山に登る人がいるんですよ」と言っていましたが、そういった山行は高齢女性のそれとは真逆にあるもののように思えてなりません。

山を降りてからタクシーの出発まで時間があったので、運転手の方と四方山話をしていた際、高齢女性の話をしたら、運転手も「そういう人がいますよ」と言っていました。年に6回だか都内からやって来る高齢の男性がいるのだそうです。その日も来ていると言っていました。運転手は名前も知っているようで「✕✕さん」と苗字を口にしていました。

「山に登るんですか?」
「いや、歳なんで山には登らないんですよ。小屋で時間を潰したりしていますね。山の雰囲気が好きみたいですよ」

上に登る体力はなくなったけど、それでも山の雰囲気を味わうために山を訪れるというのは、なんといい話なんだろうと思いました。

運転手自身も高齢で、シーズン中の運行日だけ臨時で働いていると言っていました(登山バスは11月いっぱいで今年の運行は終了するそうです)。若い頃はやはり山に登っていたみたいで、地元だということもあって「北岳や赤岳、間ノ岳や甲斐駒や仙丈ケ岳にも登ったことがありますよ」と言っていました。だから、山には登らないのに山の雰囲気を味わうために年に何度も通って来る高齢男性の気持がわかるのでしょう。

「山が好きだ」という気持は、私も痛いほどよくわかります。そして、その「山が好きだ」という気持と孤独の心は切っても切れない関係にあるように思います。ヘーゲル風に言えば、山に登るということは、「即自」でも「対自」でもなく「向自」的なところがあるような気がします。警察や山岳会などからは懸念されますが、やはり、山に登ることの本質は単独行にあるのではないかと思います。山の思い出というのは、孤独な心のなかから生まれるのではないか。他者(視聴者)を意識して自撮り棒で自分の顔を映したり、あるいはリーダーの背中を見て歩くだけのおまかせ登山では、ホントの山の魅力とは「理会」できないのではないかと思うのです。


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2020.11.03 Tue l 山行 l top ▲
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新宿駅~塩山駅~柳平~大弛峠~【国師ヶ岳】~【北奥千丈岳】~大弛峠~柳平~塩山駅~新宿駅

※山行時間:約3時間(休憩含む)
※山行距離:約2.7キロ
※標高差:260m
※山行歩数:約10,000歩
※交通費:11736円


昨日、奥秩父の国師ヶ岳(2592m)に登りました。国師ヶ岳は、所在地は山梨市で、山梨県と長野県の県境にあります。ついでに、国師ヶ岳から歩いて10分くらいのところにある北奥千丈岳(2601m)にも登りました。北奥千丈岳は、奥秩父の山塊の最高峰の山です。

大弛峠(おおだるみとうげ)は百名山の金峰山(2595m)の登山口として有名で、私も金峰山に登りたかったのですが、時間の都合で向かいにある国師ヶ岳に登ることにしたのでした。

というのも、電車やバスを利用して行くと、新宿・塩山間が特急で1時間25分、塩山駅から登山口まではバスと乗り合いタクシーを利用して1時間半もかかり、時間的にタイトだからです。

塩山駅から出ている登山バスは、週末のみの運行で、しかも行きが3便、帰りが2便しかありません。それに、登山バスは途中の柳平までで、柳平から大弛峠までは乗り合いタクシーに乗り換えなければなりません。また、利用するには前日までにネットか電話で予約する必要があります。

運転手によれば、昔は大弛峠まで路線バスが走っていたのだそうです。しかし、路線バスが廃止され、11人乗り以上の大型車の乗り入れが規制されたため、柳平でタクシーに乗り換えることになったのだとか。

塩山駅に停車する特急かいじ(週末の臨時列車)の新宿発の始発は午前7時3分で、塩山駅に着くのは8時25分です。登山バスの1便は7時半なので、1便に乗るのは最初から無理な相談でした。2便が8時半で、それにギリギリ間に合うくらいでした。

帰りは、午後2時50分と4時の2便ですが、私は、午後2時50分発の1便を予約しました。登山開始が午前10時すぎになるので、それだと金峰山に登るには時間的に余裕がなさすぎます。

午後4時の2便を予約すれば金峰山に登ることも可能ですが、しかし、この時期の午後4時は既に暗くなり始めている頃でしょう。まして山のなかでは尚更です。正午までに目的地(山頂)に到着して、午後3時までに下山するという秋冬の山行の常識から言っても、それに私のスキルから言っても、金峰山はあきらめざるを得ませんでした。

当初、塩山駅の近くに前泊して1便で登ろうかと考えてネットで探したのですが、あいにく塩山駅の近くにビジネスホテルはありませんでした。

バスは前回の大菩薩嶺同様、補助席も使うほどの超満員でした。バスの運転手によれば、今年最高の人出だそうです。やはり、天気に恵まれたからかもしれません。

柳平に着くと、既に9人乗りのジャンボタクシーが5台待機していました。

乗り換え場所の前には、小学校がありました(下記写真参照)。休校中の牧丘第一小学校柳平分校の校舎だそうです。柳平は、標高1500メートルで、国内では最高峰の定住集落です。真冬はマイナス20度になることもあるそうです。柳平には昭和21年に8戸が入植し、現在も酪農を営んでいるのだとか。

また、同じ乗り換え場所には、金峰山荘という山小屋もありました(間違いやすいのですが、長野県側にも同名の山小屋があります)。

柳平から40分くらいで、大弛峠に着きました。びっくりしたのは、路上駐車している一般車の数です。駐車場は50台くらいのスペースがあるそうですが、それでも足りず、1キロくらいに渡って路肩に車が停められているのでした。道幅の狭い林道なので、ワゴンタイプのタクシーが通過するのも苦労するほどでした。

平日はマイカーしか来ることができないので、もともとマイカーで来る人が多いのでしょうが、それにしてもその光景には驚くばかりでした。運転手が言う今年最高の人出というのがわかりました。運転手も「離合もUターンもできないので困りますよ」と言っていました。

金峰山と国師ヶ岳の登山口は向い合ってありましたが、むしろ、国師ヶ岳の登山口の方が目立っていました。登山口のすぐ上に大弛山荘がありました。大弛山荘は、大弛峠で唯一の山小屋です。国師ヶ岳は、大弛山荘の横を通って登ります。途中の前国師ヶ岳というピークまでは、ひたすら木の階段を登らなければなりませんでした。それも結構傾斜の大きい階段がつづきました。山行時間は短いものの、階段嫌いの人には苦行に思えるかもしれません。途中の前国師ヶ岳からは、岩も多くなり登山道らしくなりますが、それまではあまり登山をしているという感じではありませんでした。私の場合、足が大きいので(今、いちばんよく使っているノースフェイスのトレッキングシューズは30センチです)、奥行きの短い階段の場合、靴を斜めに置かないと奥の段差の部分に靴が引っかかるので、特に下山するときは神経を使いました。

前国師ヶ岳(2592m)まで登るといっきに眺望がひらけました。富士山もよく見えました。また向かいにある金峰山の五丈岩も見えました。さらにその向こうには雪を頂いた南アルプスの山々を見渡すことができました。

さらに岩の道を進むと国師ヶ岳と北奥千丈岳の分岐が現れました。先に国師ヶ岳の方に進むことにしました。

登山口から約1時間で国師ヶ岳に着きました。国師ヶ岳の山頂は、岩峰の上にあります。一等三角点の山なので、山頂からはさらに眺望がひらけました。目の前に富士山がドンとそびえる眺望は、金時山に勝るとも劣らないほどです。予想外の快晴で、来てよかったなと思いました。大弛峠は先週雪が降ったみたいで、まだ雪が残っているのではないかと思い、チェーンスパイクを持って来たのですが、まったくの杞憂でした。長袖のTシャツにウインドブレイカーを羽織っていましたが、全然寒くありませんでした。これ以上ない登山日和と言っていいような天気でした。

山頂には6~7人くらい先客がいました。みんな「凄いね」「こんなに(富士山が)大きく見えるとは思わなかった」と口々に言っていました。最近、山に行くときはどら焼きを持って行くのですが、国師ヶ岳の山頂でも、岩の上に腰をおろししてどら焼きを食べながらしばらく眺望を楽しみました。

帰りは、分岐から北奥千丈岳に寄りました。北奥千丈岳の眺望にも目を見張るものがありました。南アルプスから中央アルプス、果ては北アルプスまで見渡せました。遠くの山の上に白いものが見えましたが、おそらく車山の山頂にある気象レーダーなのでしょう。

帰りは、夢の庭園を経由して40分くらいで登山口まで下りて来ました。登山口に着いたのが午後1時で、予約しているバス(タクシー)の出発まであと1時間50分もあります。タクシーは既に駐車場に待機していました。大弛峠の周辺を散策したあと、待機しているタクシーのところに行って、「中で待つことはできますか?」と訊きました。すると、高齢の運転手が「いいですよ。9人揃えばいつでも出発できるんですよ」と言うのです。ただ、乗り換えの柳平で後続のタクシーを待つことになるけどと言ってました。

既に女性が2人と男性1人が待っていました。それで、私が「じゃあ、あと5人探しますよ」と言って、峠に下りて来る登山者に「バスを予約している人はいませんか?」と声をかけました。すると、瞬く間に9人揃ったのでした。

柳平に着くと、既にバスが待機していました。それで、後続のタクシーが来るまで、バスに乗って待つことにしました。なかには、金峰山荘に行って時間を潰している人もいました。帰りのバスも補助席を使うほど超満員でした。

塩山駅に着いたのが午後4時すぎで、スマホで調べると午後4時27分発の特急かいじがあったので、スマホの「えきねっと」で予約してホームに下りました。すると、反対側のホームには、JR東日本が運行する豪華寝台特急の四季島が停車していました。職員がホームの下り口で、見学にやって来る親子に旗を配ったり、親子が記念写真を撮るのを手伝ったりしていました。私も(あまり興味はないけど)ホームの端に行って写真を撮りました。

新宿駅に着いたのは午後6時前で、それからいつものように新宿三丁目駅まで歩いて、東横線に乗り入れている地下鉄副都心線で帰りました。最寄り駅に着いたのは、午後7時前でした。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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柳平の牧丘第一小学校柳平分校(休校中)

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校庭の裏にある紅葉

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バス停

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乗り合いタクシー

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足元の落葉

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大弛峠駐車場

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国師ヶ岳登山口

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大弛山荘

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登山道

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階段(前国師ヶ岳まで延々とつづく)

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金峰山(山頂の小さく尖っているのが五丈岩)

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前国師ヶ岳

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国師ヶ岳と北奥千丈岳の分岐

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国師ヶ岳からの富士山

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国師ヶ岳山頂の様子

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山頂標識

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もう一度富士山

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もう一度山頂標識

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南アルプス

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遠くに北アルプス

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北奥千丈岳山頂標識

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山頂の様子

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山頂からの眺望

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よく見ないとわかりませんが、ここにも縞枯れ現象がありました。

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北奥千丈岳の山頂と金峰山

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夢の庭園

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夢の庭園の階段から大弛峠の駐車場を望む

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金峰山登山口
金峰山まで3.6キロと書いていました。御前山や川苔山や本仁田山や六ッ石山より短いのです。金峰山に比べると、奥多摩の山は地味だけど登り応えのある山が多いことがあらためてわかります。

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大弛峠の様子
登山者以外に峠越えのライダーやヒルクライムのサイクリストも多くいました。

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四季島

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塩山駅のホームの先端にあったよそ者には意味不明の碑
2020.11.01 Sun l 山行 l top ▲
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武蔵小杉駅~立川駅~八王子駅~甲斐大和駅~上日川峠~【大菩薩嶺】~上日川峠~甲斐大和駅~大月駅~新宿駅

※山行時間:約4時間半(休憩含む)
※山行距離:約7.5キロ
※標高差:530m
※山行歩数:約21,000歩
※交通費:7310円



一昨日、早朝、4時半に起きて大菩薩嶺(2057メートル)に登りました。ネットで調べたら、通常土日しか運行していない登山バスが10月は今週と来週の二週間だけ平日も運行していることを知ったからです。登山バスに乗れば、登山口のある上日川峠までバスで行けるので、その分山行時間に余裕ができ、帰りのバスを心配しなくて済みます。

行きは武蔵小杉から南武線で立川、立川から八王子に行き、八王子で松本行きの普通電車に乗り換えて、最寄り駅から約3時間で登山バスが出ている山梨県甲州市の甲斐大和駅に着きました。甲斐大和駅から上日川峠までは、バスで45分くらいでした。

バスは29人乗り(?)のマイクロバスで、補助席をフルに使うほどの超満員でした。それでもバス停に並んでいた人は全員乗れず、十数人が取り残されていました。運転手が取り残された人たちに、「ちょっとお待ちくださいね」と言っていたので、おそらくすぐ引き返してピストンで運んだのかもしれません。

しかし、登山バスだからなのか、バスの感染防止策はほとんどないに等しいものでした。バス自体が何の設備もない、結構使い古されたバスで、しかも窓も締め切ったままでした。マスクの着用を促す放送もありません。

運転手は70歳を超えているような年恰好の人で、駅で待機しているとき居合わせた人たちと雑談していましたので、地元の一旦リタイアした元バスの運転手かなにかで、期間限定のアルバイトをしているのかもしれません。もちろん、スイカやパスモが使えるはずもなく、運賃は現金払いです。しかも、支払い箱もないので、運転手に直接手渡すと、運転手はまるで香具師のように腹巻のなかからお釣りを出して、と言うのはウソで、千円札が乱雑に入れられた菓子箱のような箱から釣銭を出していました。運転手もスーパーのレジ係のようにゴム手袋をしているわけではなく、素手でお金のやり取りをしていました。ちなみに、運賃は片道1020円でした。

感染防止策らしく見えたのは、運転席のうしろに申し訳程度に貼っているビニールくらいです。除菌スプレーもありません。乗り合わせた女性のハイカーは、「みんな一応マスクをしていたので(感染はないと)信じるしかない」と言ってましたが、その気持が痛いほどよくわかりました。

奥多摩に比べて中高年のハイカーの比率はやや低いように思いましたが、しかし、行きも帰りもバスの隣の席は高齢の男性ハイカーでした。こう言うと失礼かもしれませんが、山に来る高齢ハイカーは加齢臭が半端ない人が多いのです。山用のシャツや下着は速乾性を求める化学繊維のものが多いので、それも原因しているのかもしれません。マスクをしていても臭いが漂ってきて、野菜の値段と匂いに殊の外敏感な私は気分が悪くなるほどでした。

山小屋もそうですが、登山界隈には登山客に対して、山では多少のサービスの低下は仕方ない、それよりありがたく思えというような考えが存在しています。たしかに言いたいことはわからないでもないですが、しかし、それでは若者が(まして山ガールが)山に戻って来ることはないでしょう。大菩薩嶺の”超密”の登山バスだけを見ると勘違いするかもしれませんが、いわゆる山ガールブームから10年経った現在、登山人口は半減していると言われています。しかも、その3分の1は60歳以上の高齢者なのです。この冷徹な事実をもっと直視する必要があるでしょう。

一昨日も山小屋の主人が、お客が少なくて大変だ、コロナが終息してももう元に戻らないのではないか、と嘆いていましたが、それはいろんな業種に言えることで、山小屋も例外ではないのです。日本の“登山文化”にケチを付けるようですが、コロナ以前に、今の時代に小屋泊をするのは相当勇気のいることで(場合によっては、加齢臭プンプンの高齢ハイカーと一緒の布団に寝なければならないのです)、それを「仕方ない」のひと言で済ましてきたツケが、今、来ているように思えてなりません。

「山小屋を支援する」という考えは立派だと思いますが、しかし、ビジネスとして考えた場合、人の善意に頼るのはもうビジネスとして末路を辿っているように思えてなりません。人の善意ほどあてにならないものはないのです。山小屋の人出不足の問題も然りで、山が好きだという善意を利用した”やりがい搾取”が一因ではないかという指摘も、あながち的外れとは言えないように思います。いろんな意味で、山小屋が岐路に立たされているのは事実でしょう。一方で、山小屋がなくなると、登るのが困難になる山が出て来るのもまた事実です。だからと言って、解決策が人の善意しかないとしたら、これほど心許ない話はありません。

大菩薩嶺の登山道は、上日川峠にあるロッジ長兵衛という山小屋の横からはじまります。整備された登山道を20分くらい歩くと、次の山小屋の福ちゃん荘に到着しました。福ちゃん荘と言えば、赤軍派のメンバー50数名が凶器準備集合罪で逮捕された”大菩薩峠事件”を思い出さざるを得ません。1969年、新左翼セクトの赤軍派(共産主義者同盟赤軍派)のメンバーが大菩薩峠で軍事訓練を行うべく福ちゃん荘に集結していたのを、事前に情報をキャッチした警察に踏み込まれ、メンバー50数名が逮捕されたのでした。実際に50数名全員が宿泊していたのかどうかわかりませんが、得体の知れない若者たちが集団で泊っているのですから、不審に思われるのは当然でしょう。それどころか、軍事訓練の情報はメディアにも漏れていて、(ウキペディアにも書いていますが)福ちゃん荘には特ダネを狙った新聞記者もハイカーを装って宿泊していたのです。

今から見れば、まさに“革命ごっこ”としか思えませんが、当時の若者たちは真顔で軍事訓練を行なうつもりだったのでしょう。権力に対する異議申し立てを行った若者たちは、強大な国家権力の下で自分たちの非力を嫌というほど思い知らされ、そうやって大衆から遊離し追いつめられていったのです。それは、今の香港やタイの若者たちも同じかもしれません。

さらに福ちゃん荘から45分くらい登ると大菩薩峠の介山荘に着きました。介山荘というのは、言うまでもなく『大菩薩峠』を書いた作家の中里介山から取った名前です。

私は、頭上に建物が見えたとき、「あれっ」と思いました。さらに建物の壁に「介山荘」という文字を見つけるとなんだか狐に摘ままれたような気持になりました。と言うのも、ずっと唐松尾根を登って雷岩をめざしていたと思っていたからです。何をどう間違ったのか、本来であれば、下山に使おうと思っていたルートを逆に登っていたのでした。

大菩薩峠の周辺には、その名のとおり、親不知ノ頭とか賽ノ河原とか俗流仏教思想による”三途ノ川”を連想させるような場所がありましたが、それが文化財として価値があるものなのか、それとも後付けの単なる”観光名所”なのかよくわかりませんでした。

大菩薩峠からだと雷岩まではゆるやかな登りになっています。最近はストック1本で登っているのですが、ストックを使いながら登っていたら、岩場であやうく後ろに落ちそうになりました。あのまま落ちていたら大変な怪我をしたかもしれません。やはり、岩場ではストックは使うべきではなかったと反省しました。

雷岩の周辺では多くの人たちが休憩していました。しかし、山の上はガスが立ち込め、眺望はほとんどありません。と思ったら、やにわにガスが晴れて、西の空に富士山が姿を現したのです。すると、ハイカーたちから歓声が上がったのでした。また、前方の雲の上には雪を頂いた南アルプスの山々も忽然と姿を現し、私はむしろそっちの方に感動を覚えました。いつかはあの峰にも登りたいとあらためて思いました。

中腹から下の紅葉はまだ少し早い感じでした。あと1週間もすれば見頃になるのではないかと思います。

帰りは、唐松尾根を下りました。1時間足らずで上日川峠に着くと、午後2時発のバスが既にエンジンをかけて待機していました。帰りのバスも超満員で、隣の加齢臭にむせながら駅に戻って来ました。

甲斐大和駅は駅前には何にもないローカルな駅ですが、次の電車まで1時間待たねばなりませんでした。ホームに行くと、高齢のハイカーたちが、加齢臭と酒の匂いを辺りに振り撒きながらベンチで酒盛りをはじめていました。酒のツマミは、オレはこんな山に行った、こんな危険な目に遭ったというお決まりの”山自慢”なのかもしれません。

甲斐大和駅から高尾行の各駅停車の電車に乗ったものの、八王子で横浜線に乗り換えるか、来たときと同じように立川で南武線に乗り換えるか考えていたら、ふと、また特急で帰ろうと思い立ち、急遽、スマホのアプリで予約しました。そして、大月駅で特急かいじに乗り換えて、新宿経由で帰りました。特急かいじは、午後3時台の便ということもあってか、私が乗った車両は私を含めて4人しか乗っていませんでした。

新宿駅からは地下鉄の新宿三丁目駅まで歩いて、既に帰宅ラッシュがはじまった東横線直通の「横浜中華街行き」の地下鉄副都心線で帰りました。最寄り駅に着いたのは午後5時半すぎでした。


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上日川峠にある山小屋・ロッジ長兵衛
看板の宿泊料金、7を8に書き換えているのがバレバレでした(笑)。

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登山道入口

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ゆるやかな道を登ります。

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福ちゃん荘

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紅葉はまだはじまったばかり

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富士見山荘跡

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拡大するとわかりますが、カーブミラーがあります。このあたりはまだ林道のようです。

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勝縁荘
中里介山が泊まって『大菩薩峠』を執筆したという由緒ある山小屋。元主人は文学史家。現在は閉館しています。

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勝縁荘の横から再び登山道がはじまります。でも、登山道にしては道幅も広く整備されています。大菩薩嶺で登山道らしいのは、唐松尾根と丸川峠からのルートです。

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介山荘

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同上

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大菩薩峠山名標識

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稜線は一面ガスに覆われていました。

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雷岩及び山頂を目指して歩きはじめます。

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みんな、ガスの彼方を目を凝らして見ている。

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親不知ノ頭(おやしらずのかしら)道標

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親不知ノ頭

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賽の河原

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賽の河原道標

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願いが叶ったのか富士山が姿を現した。

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そして、南アルプスの山々も雲上に忽然と雪を頂いた雄姿を現した。下は甲府盆地。

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この岩場でこけそうになった。

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大菩薩湖(単なるダムです)

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雷岩の手前の眺望のいい場所でみんな休憩していた。

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再び南アルプスの山々を眺める。

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大菩薩嶺山頂標識。しかし、眺望はなし。山頂に来た人たちは「残念な山頂」と言っていました。

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雷岩まで戻ると、みんな遠くの風景を見ていました。私は、こういった光景が好きです。「山っていいなあ」という声が聞こえてきそうです。

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唐松尾根を下りはじめ、後ろの雷岩を振り返った。

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子どもの頃にいつも見ていた故郷の山の紅葉(下記の動画参照)とは比ぶべくもないけど、ところどころ色鮮やかな紅葉が見られました。

YouTube
水面も染める くじゅう連山の紅葉

関連記事:
どうして山に行くのか?
2020.10.22 Thu l 山行 l top ▲
先月、日本学術会議が推薦した新会員候補のうち、安保法制や特定秘密保護法や共謀罪の新設などに反対し、政府に批判的なスタンスを取ってきた6名の研究者の任命を菅義偉首相が拒否した問題が、俄かに政治問題化しています。

学術研究に対する政治介入だとして、「学問の自由」を守れという抗議の声も大きくなっています。日本学術会議も、任命拒否の理由をあきらかにするように菅首相に要望書を出したそうですが、官邸から明確な説明はないようです。

経済学者で元早大の教授でもあった静岡県の川勝平太知事は、菅首相の任命拒否について、「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」と痛烈に批判したそうです。

朝日新聞デジタル
「教養のレベルが露見」 任命問題、学者知事が強く反発

記事は次のように書いていました。

 美濃部事件、滝川事件など戦前の言論統制にも触れ、「政治家が学問に口を出してはいけない。首相に任命権があるから行使したというのは、何も説明していないに等しい。理由を開示すべきだし、学問がなっていないという理由以外は認められない」と批判した。


菅首相が、法政大学時代に空手部に籍を置いていたのは有名な話です。学生時代、挨拶は「押忍」しか言わなかったという本人の話がメディアに出ていましたが、恐らく剃りこみを入れ裾の長い学ランを着て学内を闊歩していたのでしょう。

私は菅首相より全然年下ですが、当時、中核派の拠点であった法政大学で運動部の彼らがどんな役割を果たしていたか、およその想像はつきます。それがのちの政治家秘書から政治家に至る道につながったのは事実でしょう。私の知り合いにも似たような空手部出身の人間がいますが、菅首相のようなパターンは別にめずらしくないのです。ただ、大半は地方議員で終わるだけです。

今回の任命拒否も、日本会議の古参メンバーと同じで、学生時代から彼のなかに根強く残っている反共思想や復古的な全体主義への憧憬がそうさせたのだと思います。学生時代、学問とは無縁にすごしてきたので、「学問の自由」という概念も彼のなかには存在しないのかもしれません。もしかしたら、ナチズムやスターリニズムと同じように、学問は政治に従属するものと思っているのかもしれません。その意味では、川勝平太静岡県知事の「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」という発言は正鵠を得ていると言っていいでしょう。

ただ一方で、日本学術会議のみならず日本の大学が、これまで学問の場に権力の介入を許してきたことはまぎれもない事実で、今回のような露骨な政治の介入は、ある意味で当然の帰結とも言えるのです。

彼らは「学問の自由を守れ」と言いますが、その前提でもある「大学の自治」を壊してきたのは彼ら自身なのです。東大ポポロ事件を見てもわかるとおり、昔は構内に警察官が入ってきただけで大問題になっていました。「学問の自由」と「大学の自治」は一体であるという認識が半ば常識としてあったからです。

全共闘運動に乗り遅れた私たちは、羽仁五郎の『ミケランジェロ』(岩波新書)という本でそれを学んだのですが、「大学の自治」という理念は、ルネッサンスの時代から「真理は汝を自由にする」「学問の自由」と表裏一体のものとして、半ば天賦のものとして存在していたのです。

しかし、多くの大学では、「過激派」から大学を守り学内を正常化するためという理由でみずから権力の介入を求めて、「大学の自治」を放棄してきたのでした。

菅首相の母校の法政大学の田中優子総長も、今回の問題を座視することはできないとして抗議声明を発表したそうです。

J-CASTニュース
菅首相母校・法大の田中優子総長が声明 日本学術会議問題は「見過ごすことはできません」

声明のなかで、田中総長は次のように述べているそうです。

「この問題を座視するならば、いずれは本学の教員の学問の自由も侵されることになります。また、研究者の研究内容がたとえ私の考えと異なり対立するものであっても、学問の自由を守るために、私は同じ声明を出します。今回の任命拒否の理由は明らかにされていませんが、もし研究内容によって学問の自由を保障しあるいは侵害する、といった公正を欠く行為があったのだとしたら、断じて許してはなりません」


しかし、その一方で、田中総長は、法政大学では、学内の「過激派学生」を排除するために積極的に警察権力の介入を促し、この10年間で百数十名の学生が逮捕されるという異常な事態を招いているのです。これこそ二枚舌と言わずして何と言うべきかと思います。

と言うと、お前は中核派のシンパかというお決まりの罵言が飛んで来るのが常ですが、「学問の自由」や「大学の自治」には「過激派」も「極左」も(あるいは「保守反動」も「極右」も)ないのです。そういうこととはまったく別の問題なのです。

「大学の自治」を権力に売り渡した人間たちが、「学問の自由を守れ」と叫んでいる様は、片腹痛いと言うしかありません。
2020.10.08 Thu l 社会・メディア l top ▲
相変わらず憂鬱な気分はつづいています。昨日の朝も、山に行く準備をしていったん家を出て電車に乗ったものの、天気もすぐれなかったということもあって、なんだか行く気がしなくなり途中で引き返して帰ってきました。こんなことは初めてです。

ザックを背負って登山靴を履いた、見るからに場違いで大袈裟な恰好をした男が、駅に向かう人波をかきわけるように逆方向に歩いているのです。朝っぱらから何をやっているんだろうと思われたかもしれません。

最近は、些末なことでも自分の中では非常に大きなことのように思えて、執拗にこだわって一人相撲をとっているようなケースがよくあります。そして、被害妄想ではないですが、悪い方に解釈して必要以上にことを荒立てるようなことをくり返しています。

先日もネット通販であるものを買ったのですが、送られて来た商品は部品が欠けた不良品でした。それで販売元にメールすると、写真を送るように言われました。言われたとおり写真を送ると、今度は商品を送り返せと言われました。商品が戻って来たら、それを確認してから代替品を送るというのです。そういった説明に既に苛立っている自分がいました。

しかも、メールでやり取りしていると、相手はあきからに日本語の使い方におかしなところがあり、文章の中の漢字に中国の簡体字が使われていました。私は「中国人か」と思いました。すると、私の中に中国人に対する予断と偏見が頭をもたげてきたのでした。

返品したものの数日経ってもいっこうに連絡がないので、しびれを切らして催促したら、「今から確認します」と返事があり、さらに、工場が休みになったので代替品を送るのは1週間か10日後になると言われました。

サイトを確認すると、1週間休むという「お知らせ」が出ていました。私は、催促した途端に休みに入るのは不自然じゃないかとメールを送りました。すると、相手から「心配をおかけしますが、間違いなく送りますのでご安心下さい」と返事がありました。

私は、ショッピングモールを運営している会社のカスタマーセンターに、このショップは「怪しい」と連絡しました。カスタマーセンターからは、販売時のトラブルは原則としてお客様とショップの間で解決してもらうしかなく、運営会社は関与できないという返事が来ました。それで、今度はそういった姿勢は運営会社としておかしいのではないかとメールを送りました。

ところが、テレビを観ていたら、中国では国慶節の連休に入り、何億人かの人間が国内を移動するというニュースが流れていました。どうやら工場が休みに入ったという話は嘘ではないようです。しかし、だからと言って、在庫も抱えずに販売し、不良品の代替品もすぐに用意できないのは、やはり「変だ」と思いました。と言うか、そう自分に言い聞かせたのでした。

しばらくすると、カスタマーセンターから、ショップに対してクレームの内容を伝えた上で、真摯に対応するように連絡を入れましたとメールが来ました。それで、再度ショップにアクセスしてみると、なんとショップは跡形もなく消えており、「ただ今休店中です」という文字のみが表示されていました。これは、前にも書いたことがありますが、楽天でもYahoo!ショッピングでも、実際は閉店したことを意味するのです。

私は、「逃げられた」と思いました。運営会社のサイトで、損害金の補償を受けるにはどうすればいいのか調べました。でも、証明する書類が必要など如何にも面倒臭そうに書いていました。「くそったれ」と思いました。そして、どうせ返事は来ないだろうが、念の為に(うっぷん晴らしに)ショップに嫌味のメールを送りました。

ところが、なんと返事が来たのです。「ご心配をおかけして申し訳ありません。必ず届きますのでもう少しお待ち下さい」と書いていました。返事など来ないだろうと思っていたので意外でした。そして、翌日、代替品が届いたのでした。

最初に注文してから問題が解決するのに20日もかかったので、時間がかかりすぎたのはたしかです。しかし、「逃げた」わけではないし「騙された」わけでもないのです。すべては私の予断と偏見だったのです。ショッピングモールの運営会社を巻き込んでことを荒立てていただけなのです。

それで、次のようなメールを送りました。

今、商品が届きました。
今度は正常に稼働しています。
ありがとうございました。
言葉に言いすぎたところがあったかもしれません。お詫びいたします。


すると、すぐに次のような返信がありました。

いやいや、今回は当店が悪い買い物体験をお届けしてしまい、まことに申し訳ございません。


似たようなことは、日常的な人間関係においてもあります。こいつは嫌なヤツだとか、こいつはずるいヤツだとか勝手に決めつけて、まるで自分にとって有害な人物であるかのように見ていた人間が、実は全然悪意のない、むしろ正直な人間だったということがよくあります。なんのことはない、私が一方的に色眼鏡で見ていただけなのです。

そんなことが重なると、益々自分が嫌になります。人を傷つけることによって自分も傷つくというのは、若い頃に主に恋愛でくり返した自分の“悪癖”ですが、今、あらためてこの“悪癖”が思い出されてならないのでした。

自分はいい人だとかいい人でいたいという自己愛がある一方で、自分はなんと嫌な人間だろうという自己嫌悪の念もあります。そして、その狭間の中で、無用に悩み自分で自分を追いつめ、気を滅入らせるのでした。
2020.10.06 Tue l 日常・その他 l top ▲
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新宿駅~青梅駅~武蔵五日市駅~檜原都民の森~【三頭山】~檜原都民の森~武蔵五日市駅~昭島駅~八王子駅~菊名駅

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約4キロ
※標高差:541m
※山行歩数:約15,000歩


かなりいきあたりばったりだったのですが、奥多摩の三頭山(1531メートル)に登りました。

武蔵五日市の駅前からバスに乗るハイカーは、圧倒的に中高年のおっさんやおばさんのグループが多く、このブログでも何度も書いているように、おっさんやおばさんたちはとにかくマナーが悪いので辟易させられます。代表的なのは、あとから来た人間を「あっ、こっちよ」と手招きして、「今日はいい天気になってよかったね」「ホント」なんてお喋りしながらそのまま列に割り込ませる手口です。

駅前のバス停には既にザックを背負ったハイカーが20~30人くらい並んでいました。その時点では、私は漠然と笹尾根に登ろうと思っていました。関東地方のハイカーの間では、「(登る山に)困ったときは高尾山」というのがあるそうですが、私の場合は、「困ったときは笹尾根」のようなところがあります。

ところが、やって来たのは、「都民の森」行きの急行バスでした。平日は、朝に1本しか出ていない直通のバスです。それで、急遽、都民の森から三頭山に登ることにしたのでした。三頭山に登るのは、去年の11月以来10ヶ月ぶりでした。

武蔵五日市駅から都民の森まで1時間ちょっとかかります。バスは標高990メートルの都民の森まで九十九折の山道を登って行きますので、座席に座ることができなかったら悲惨ですが、幸いにも乗客は全員座れました。私は、二人掛けの椅子に座りましたが、横に座る人はいませんでした。

もちろん、バスのなかは、中高年のおっさんとおばさんのグループばかりでした。それ以外は、20代の男性と30~40代くらいの男性がそれぞれひとりいただけです。中高年のグループは、既にバスの中でも賑やかでした。特に、山に来るおばさんたちはやけにテンションが高いのでした。

都民の森に着いて、いざ登ろうと思ったら、前に登った三頭大滝から大沢山・ムシカリ峠を通るルートが台風被害のため通行止めになっていました。それで仕方なく、もっともポピュラーな鞘口峠を通るルートを登ることにしました。

しかし、登りはじめの分岐のところに来ると、そこにも「通行止め」の札が出ていて、どっちに行っていいのかわかりません。それで登り口にある森林館まで戻って、登山の準備をしていたおばさんたちにルートを訊きました。すると、そのまま登っていけばいいと言うのです。でも、登って行くにも通行止めになっています。

戸惑っていると、下から高齢のおばさん(というよりお婆さん)の二人連れが登って来ました。

「通行止めになっているのですが、どこを行けばいいのですか?」と尋ねると、実に横柄な態度で、「そっちがわからないの?」と言われました。そっちと言われた方を見ると、小さな木橋がありました。しかし、指導標(道しるべ)は何も出ていません。

それで、二人連れの婆さん、いや、高齢ハイカーのあとをしばらく付いて登りました。高齢ハイカーは、登りながら北アルプスの涸沢に行った話をしていました。(大岳山に登ったときの記事でも書きましたが)一般のハイカーを見下すような態度をとる、女性のベテランハイカーによくいるタイプです。不思議と男性にはそういうタイプの人は少ないのです(大言壮語の自慢話をする人は多いけど)。

山は初心者も熟達者もない。みんな平等にわけへだてなく受け入れてくれる。それが山の良さであり、山登りの精神だ。と言った山小屋のオーナーがいましたが、何故か女性のベテランハイカーには、そういった「山の精神」とは無縁な人が多いのです。

私たちが登っているのは「登山道」と書かれたルートでした。やはり都民の森がある御前山なども同じですが、都民の森のなかはハイキング向けの遊歩道が縦横に通っているので、どれが遊歩道でどれが登山道か、ごちゃごちゃしてややこしい場合が多いのです。もっとも、いづれの道もどこかでつながっているので道に迷うことはありません。

しばらく歩くと、最初に道を訊いたおばさんたちのグループが東屋で休憩していました。私は「あれっ」と思いました。いつの間に私たちの先を行ったのか。

すると、おばさんが私の顔を見て、「あっ、おじさん、よかったわ。間違って教えたみたいで気になっていたんですよ。遠回りの道を教えてごめんなさいね」と言いました。どうやら、私たちが歩いたのは遠回りのルートだったみたいです。でも、私は、それより「おじさん」ということばが胸にずしんと突き刺さりました。おばさんからおじさんと言われる筋合いはないと思いましたが、かく言う私もここでおばさんと書いているのです。

「いや、いいんですよ。気にしないでください」と言いながら、なんだか昔話に出て来る歯がぬけた翁のような口調になっている自分に気付きました。たしかに、登っている格好も腰の曲がった爺さんのようです。

小雨が降りはじめたので、途中でレインウエアを着ている間に、おばさんたちのグループに追い抜かれました。しかし、そのあと先行するおばさんたちのグループも、お婆さんの二人連れも追い抜いて、1時間ちょっとで最初のピークの東峰に到着しました。

東峰に行くと、中年のカップルが写真を撮っていました。私は、てっきり夫婦と思って「写真を撮りましょうか?」と言いました。すると、女性から嫌な顔をされて「結構です」と言われました。男性は、さもバツが悪そうに「へへへ」というように笑いを浮かべながら「どうも、ありがとうございます」と言ってました。よく見ると、二人はそれぞれのスマホで写真を撮り合っていました。そして、そのあとは東峰の横にあるテーブル付きのベンチに移動して「お弁当にしようね」なんて言い合っていました。

私は、「なんだ、夫婦じゃないんだ」と思いました。不倫カップルかもしれません。もしかしたら、ヤマレコかどこかのSNSで知り合ったおっさんとおばさんなのかもしれないと思いました。そう思ったら気持が悪くなり、早々に東峰をあとにしました。

三頭山は名前のとおり、東峰・中央峰・西峰の三つのピークがあります。東峰・中央峰とまわって、最後の西峰で休憩しました。しかし、ベンチはいづれも埋まっています。仕方なく、地べたに100円ショップで買ったシートを敷いて、さらにその上にモンベルで買った昼寝用のマットを敷き、持参したパンを食べました。西峰には、10人くらい休憩していましたが、見事なほど中高年のおっさんやおばさんばかりでした。来るときのバスで一緒だった人たちもいました。しかし、空は厚い雲に覆われて、山頂からの眺望はまったく望めませんでした。

帰りは、通行止めになっている三頭大滝の遊歩道にう回路があると言うので、指導標に従って三頭沢という沢沿いの道を下りました。ところが、下まで降りたところで、再び登るように指示票が出ていました。何のことはない途中まで登り返えして、通行止めになっている遊歩道の上にある巻道を歩かなければならないのでした。

都民の森に下りて来たのは午後2時前でした。ちょうど2時30分発のバスがあったのでそれに乗って帰りました。しかし、帰りのバスは満員で、さらに帰りは隣の「数馬」までの連絡バスしかなく、「数馬」から通常の路線バスに乗り換えなければならないので、途中から乗車する人も多く、立錐の余地もないほど”超密”の状態でした。バス会社の対応も、新型コロナウイルスが既に終息したかのようなおざなりなものでした。


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都民の森の駐車場から登山口の方向を映す。

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おなじみの標識。

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登山口はトンネルをくぐって行く。トンネルの上にあるのは、体験施設の森林館。

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東峰山頂標識(1527.5m)。

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中央峰山頂標識(1531m)。

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中央峰の様子。

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西峰へはいったん下って登り返します。

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西峰山頂標識(1524.5m)。実は西峰がいちばん標高は低いのです。しかし、山頂が広いので実質的な山頂扱いです。標識も奥多摩の主要な山ではおなじみの石造りの標識です。

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西峰の様子。

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下山。沢沿いの道を下る。

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野鳥観察小屋の方に登り返す。

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下山時の遊歩道から見えた笹尾根。前に歩いた生藤山・熊倉山・浅間峠が見渡せました。
2020.10.01 Thu l 山行 l top ▲
今度は竹内結子がみずから命を絶ちました。深夜、寝室のクローゼットで縊死した状態で見つかったそうです。普段どおりの様子だったので、家族も異変に気づくことはなかったそうです。

他人が羨むような美貌に生まれ、その美貌ゆえに原宿でスカウトされ、華やかな芸能界でスター女優としての道を歩み、離婚を経験したとは言え、再婚して今年の1月には第二子を産んだばかりです。

誰もが羨み、誰もがあこがれるような人生ですが、しかし、その一方で、彼女自身は、人知れず深い心の闇を抱えていたのでしょうか。

どうしてこんなに芸能人の自殺がつづくのだろうと思います。芸能人の自殺について、「コロナ禍で将来に不安を覚えたからじゃないか」というような見方がありますが、しかし、それは皮相な見方のように思います。みずから命を絶った人たちは、俳優としては恵まれた環境のなかにいた人たちばかりです。語弊があるかもしれませんが、経済的にいちばん困窮しているはずのお笑い芸人はひとりも含まれていません。私は、彼らの自死は、究極の“感情労働”である俳優という仕事に関係しているような気がしてなりません。コロナ禍がそのきっかけになったのではないか。

よく女優は男のような性格の人間が多い、男のような性格でなければ女優は務まらないと言いますが、竹内結子も御多分に漏れず「男まさり」の勝気な性格だったと言われています。しかし、それは、ナイーブであるということと矛盾するわけではありません。さまざまな仮面をかぶり、感情移入して、役の人物を演じる俳優という仕事は、むしろナイーブな感性を持ってないととても務まるものではないでしょう。

自殺を伝えるニュースのなかでもその場面が出ていましたが、特に女優は、悲しくもないのに演技で涙を流すことができるのです。いや、それは、悲しくないのではなく、実際に悲しいのだと思います。そう自分を追いつめているのだと思います。俳優をつづけていると、ホントの自分がどこにいるのかわからなくなると言いますが、俳優という仕事はそれだけ過酷な“感情労働”とも言えるのです。

竹内結子の場合、幼い頃、両親が離婚して実母と離れ離れになったと言われています。もし、それが事実なら、「母親に捨てられた」幼児体験がトラウマになっていたということもあるかもしれません。ただ、逆にそれが、女優として必須なナイーブな感性を培ったと言えなくもないのです。

私たちは、このコロナ禍のなかで、えも言われぬ重苦しさ、憂鬱な気分のなかにいます。そんななかで、ナイーブな人間ほど、まるでカナリアのようにその空気を感受して、みずからを追いつめていくというのはあるでしょう。戦後生まれの私たちにとって、孤独や死がこれほど身近で切実なものになったのは、かつてなかったことなのです。

私は、竹内結子の自殺の報道のなかで、木下優樹菜がInstagramで竹内結子の自殺について呟いたと言われる下記のことばが目にとまりました。

日刊大衆
木下優樹菜、竹内結子さんの死を悼む「こんなに辛いのに生きてるってなんだろう」「見て 優樹菜を」

 この日、木下はストーリーズで「おはよお 朝から悲しい。こんなに辛いのに生きてるってなんだろう。とかなんで生きなきゃいけないんだろうとか、ふとした瞬間にもうぜんぶやーめた。つかれた。てどうしようもないきもちになるんだ これはこういうふうになった人にしかわからない あの恐怖の感情 いや。恐怖すらかんじないかな」と死を考えた時の心境について吐露した。
 続けて「でも今些細な事で生きててよかったーて思える事たくさん増えたから 前からもだし、新しいアカウントになっても来るけどさ、死にたいとか。見て 優樹菜を」と死にたいと訴えるファンを励ました。


最近のゴシップが持ち上がった芸能人に対するバッシングは目にあまるものがあります。もはや狂気と言っても過言ではないほどです。木下優樹菜もその標的になったひとりですが、彼女は持ち前のメンタルの強さ?で不条理な仕打ちを耐え抜いたのです。だからこそ、「見て 優樹菜を」ということばには、稚拙ではあるけれど非常に重みがあるように思いました。
2020.09.27 Sun l 芸能・スポーツ l top ▲
ときどき、この重苦しさ、この憂鬱な気分はなんだろうと思うことがあります。それは、今のコロナ禍で、多くの人が抱いている感情なのかもしれません。

ややオーバーに言えば、芸能人も、以前のようなあこがれの存在から、この重苦しさや憂鬱な気分を象徴する存在になったような感じすらあります。

コロナで非業の死を遂げた志村けんや岡江久美子もそうですが、自死した三浦春馬や芦名星や藤木孝のニュースも、普段以上にショッキングな出来事として心に重くのしかかってくるのでした。

また、飲酒運転で追突事故を起こした山口達也が、実は家賃7万円のワンルームのアパートに住んでいたとか、自殺した藤木孝も80歳をすぎて住んでいたのが家賃8万円の木造アパートだったとか、俳優の矢崎滋が、東北の田舎町で、人目を忍んで一日5千円のホテル暮らしをしているとかいう話も、なんだか暗い気分にさせられるものがあります。

私自身も、(コロナ禍には関係ないけど)それなりに名前が知られた俳優やタレントが、病気のために、医療扶助を受けながら人知れず亡くなったという話を知っています。

こうやってことさら芸能界の暗い話題ばかりに目が行くのは、コロナ禍によって死や貧困や孤独が身近なものになっているからかもしれません。

政治家やメディアにはそこまで危機感がないようですが(そう装っていますが)、誰がどう考えても、大倒産・大失業・大増税の時代がやって来るのは間違いないのです。

鉄道会社や航空会社があれだけの大減収にもかかわらず持ちこたえているというのも、ある意味で驚きですが、それだけ莫大な内部留保を抱えていたからでしょう。

多くの企業や家庭では、収入が減った分を給付金や預金で補って今をやりすごしているのが実情ではないでしょうか。その余裕がない企業や家庭が行き詰っているのです。

密を避けるためのリモートワークや特別休暇などのコロナ対策をきっかけに、企業が人が少なくてもなんとかやっていけることに気付いた意味は大きいと言っていた人がいましたが、たしかにそうで、これからリストラが本格化するのも避けられないように思います。コロナはそのための恰好の口実になるでしょう。

給付金にしても、あれだけの大判振舞いをしたツケがまわってこないないわけがないのです。しかも、それはザルだったのです。持続化給付金をめぐる詐欺事件が摘発されていますが、今摘発されているのが氷山の一角であることは誰が見てもあきらかです。

リモート飲み会などというおままごとのようなことが行われていますが、そんな何でもネットで取り替え可能みたいな風潮によって、人々の孤独はより深まり、より追い込まれていくのです。

「悲しくてやりきれない」という歌がありましたが、芸能界の暗い話題に、私たちは今の自分たちの心の風景を映しているように思えてなりません。
2020.09.24 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲