ときどきこのブログをやめようかと思うことがあります。特に「社会・時事」のカテゴリーに入っている記事をすべて削除したい衝動に駆られるのです。あとで読み返しても、くだらない床屋政談としか思えません。これではネトウヨと変わらないでしょう。

私のブログで「社会・時事」カテゴリーの記事が多くなったのは、3.11以後です。しかも、「社会・時事」カテゴリーの記事が多くなるにつれアクセスも伸びてきました。世の中の人たちも、3.11以後、原発事故などにより政治的な関心が高くなったのでしょう。スマホによるSNSの普及がそれに輪をかけたような気がします。私も、いつの間にか、反原発や反ヘイト・スピーチや反安倍の周辺にいるような人物が発信するTwitterを定期的にチェックするようになっていました。

しかし最近は、その手のTwitterも、所詮は“政治ごっこ”にすぎないのではないかと思うようになりました。ネットによって政治が身近になったと言われますが、しかし、夜郎自大にそう錯覚しているだけのような気がしてなりません。

一方で私は、アナーキストなどが使う“反政治”ということを考えるようになりました。政治なるものに対して徹底的に絶望し、あらゆるものを否定する。今の世の中でいちばん欠けているのは、そういった絶望する思想なのかもしれません。

私が書きたかったのは、下記のようなブログです。ことばの端々に人生が投影されているような、そんな「私語り」のブログ。その技量があるかどうかは別にして、世の中に向けて発信するというような大それた(勘違いした)ものではなく、日々の移ろいを記録する、そんな自分に向けたブログをホントは書きたかったのです。

神戸市公式サイト
「ごろごろ、神戸2」
第7回 私の東京

私たちは、普段政治なるものを考えて生きているわけではありません。私たちにとって、政治なんてどうだっていいのです。それこそ「取るに足らないもの」です。もっとほかに考えなければならないことはいくらでもあります。本末転倒した床屋政談のようなブログが、あとで読み返して自己嫌悪に陥るのは当然と言えば当然かもしれません。


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政治なんてものはない
2017.07.14 Fri l 日常・その他 l top ▲
先日、朝日新聞デジタルに、つぎのような内田樹氏のインタビュー記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
内田樹さん、「天皇主義者」宣言 「変心」の真意語る

記事を読むと、「護憲派」で「平和主義者」のイメージが強い現天皇を安倍政治への対抗軸として担ごうと考えているかのようです。そのために、国事行為だけでなく、「鎮魂と慰藉の旅」も天皇の務めだという「解釈」や、国民の間にある「皇室への素朴な崇敬の念」などを牽強付会に取り上げているのでした。でも、それは、朝日新聞などマスメディアが作り上げた天皇像を踏襲しているにすぎないのです。国民の間にある「皇室への素朴な崇敬の念」も、天皇制タブーとパラレルな関係にあることくらい、考えればわかるはずです。

これも一種の「天皇の政治利用」、それもきわめてご都合主義的な「政治利用」ではないかと思いました。

まして「天皇制が高い統合力を持つ一因はそれが持つスピリチュアル(霊的)な性格にある」と言うに至っては、何をかいわんやです。アッキーと同じじゃないか。そんな皮肉のひとつも言いたくなりました。あるいは、小池百合子都知事の父親が心酔していたと言う、スメラ哲学の焼き直しと言ってもいいのかもしれません。

BLOGOS
「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」 安倍昭恵氏インタビュー

内田氏の「天皇主義者」宣言については、『現代ニッポンの論壇事情 社会批評の30年史』(イースト新書)のなかで、栗原裕一郎がつぎのように批判していました。

栗原 安倍批判もカードが尽きてきたのか、最近、内田樹は、「天皇vs安倍」という構図を出してきていますね。リベラルが支持を得られないのは霊的ポジションが低いからだ、極右のほうが死者を呼び出す能力が高く熱狂を招くことができるが、でも天皇のほうが死者を多く背負っていて霊的ポジションが高い、天皇に勝てないことをわかっている安倍は、だから天皇を骨抜きにすることを企むのである、みたいな。まあ、無茶苦茶です。


宮台真司の「天皇主義者」宣言も似たようなものでしょう。

北田暁大は、同書のなかで、今の「左翼」は「生活保守と妙なレッセフェールの自由主義がミックスしたようなもの」になっていると言ってましたが、まさにその点において右も左も(安倍政治もリベラル左派も)違いがないのです。少なくとも反体制(対抗軸)としてのリベラル左派の思想は、とっくに失効していると言っていいでしょう。

何度も繰り返しますが、リベラル左派が称揚する旧SEALDs(SEALDs的なもの)や野党共闘が、時代を領導するダイナミズムも批評性も保持してないことは、もはや自明なのです。SEALDs的なものや野党共闘が、一方で、この(如何にも日本的な)翼賛体制を支えていると言っても言い過ぎではないでしょう。と言うか、高橋源一郎の「ぼくらの民主主義」が象徴するように、もはや彼らはこの翼賛体制に組み込まれているとさえ言えるのです。

いつの間にか安倍政治は青息吐息になってしまいましたが、しかし、時代は確実に反動の方向へ進んでいるのです。安倍政治の末路に浮かれている場合ではないのです。
2017.07.11 Tue l 社会・時事 l top ▲
今日、車で埼玉の新座市を通ったのですが、道路沿いの至るところに、「このハゲ~!!」でおなじみの自称「豊田真由子サマ」のポスターが貼ってありました。ポスターを目にすると、いつの間にかあのヒステリックな声がよみがえってきて、ポスターさえもギャグの小道具のように思えてくるのでした。

夫も経産省のキャリア官僚だそうですが、エリート夫婦の歪んだ内面なんて考えると、なんだか土曜ワイド劇場の呪われた一家のように思えてきます。聞けば、「豊田真由子サマ」の父親も、母親に対するDVがひどかったのだとか。私は、DVの世代連鎖ということばを思い出さざるをえませんでした。そして、彼女の子どもたちは大丈夫なんだろうかと思いました。

この「豊田真由子サマ」も、加計学園からのヤミ献金の問題が浮上している下村博文氏も(下村氏は文科大臣のときに、「日本人としての誇りをもつ」”愛国”教育の必要性を説きながら、一方で、自分の小学生の子どもはイギリスで教育させていたという建前と本音の人でもあります)、大臣としての資質に疑問をもたれながら、“ともちんラブ”で安倍首相に溺愛される稲田朋美氏も、いづれも安倍首相の出身派閥である旧清話会の所属議員です。

そう言えば、「マスコミを懲らしめる」「(ガン患者は)働かなければいい」発言の大西英男氏や、「アル中代議士」としてスキャンダルの渦中にある橋本英教氏も、旧清話会の所属です。

なんだか旧清話会の議員に対して、集中的にスキャンダルが仕掛けられている感がなきにしもあらずです。野党が我が意を得たりとばかりにハシャギまくるのもいつもの光景ですが、そんな単純な話ではないのかもしれません。

新潮や文春の記事に悪ノリしている野党にしても、今度はいつその矛先が自分たちに向かってくるかもしれないのです。「安部政権に激震」と言うのも、保守内部の権力争いで、野党が外野席で使い走りに使われているだけのような気がしてなりません。

都議会議員選挙では、都民ファーストが大勝、自民党が大敗するという予想が出ていますが、だからと言って、野党の議席が伸びるわけではないのです。驚くべきことに、都民ファ・自民・公明で全議席の85%以上を占めるという予想さえ出ています。結局、保守は、以前にもましてその支持を広げることになるのです。そこには、どこまでもダメな野党の姿しかないのです。

もはや、与党か野党かという(既成政党を所与のものとする)発想自体がダメなのではないか。「アベ政治を許さない」というボードを掲げ、野党議員に拍手喝采を送るのも、翼賛体制に与するトンマな姿にしか見えません。
2017.06.30 Fri l 社会・時事 l top ▲
(ヤフー系列の)BuzzFeedに、Yahoo!ニュースがヤフコメについてアンケートを実施したという記事がありました。

BuzzFeed News
「ヘイトの温床」の厳しい声も ヤフコメに期待することは?ユーザーから意見募る

私も何度も書いていますが、ヤフコメが「ヘイトの温床」であることは、もはや誰もが認める事実でしょう。Yahoo!ニュースがやっと(!)重い腰を上げようとしているという声がありますが、しかし、今までのヤフーの対応を見ていると、それも甘い見方のような気がします。

これほど厳しい指摘があるにもかかわらず、どうしてヤフーはコメント欄を閉鎖しないのか。その理由は、以前に紹介した藤代裕之氏の『ネットメディア覇権戦争』のつぎの一文に集約されています。

 ヤフーは、メディアとプラットフォームの部分をうまく使い分けてきた。
 差別発言や誹謗中傷が溢れ、ヤフー自身も極端なレッテル貼りや、差別意識を助長するような投稿があったと認めているニュースのコメント欄も同様だ。このコメント欄はプラットフォーム部分とされ、プロ責対応となる。つまり、事後対応でよいため、無秩序な状態が放置されてしまうのだ。
 ヤフーは、専門チームが24時間365日体制でパトロールを行い、悪質なコメントをするユーザーのアカウント停止措置、不適切コメントの削除といった対応を行っているというが、コメント欄を閉鎖する気はないようだ。理由は単純で、コメント欄がアクセス数を稼いているからだ。
(藤代裕之『ネットメディア覇権戦争』・光文社新書)


ニュースをマネタイズするためには、バズるのがいちばん手っ取り早い方法です。謂わば故意に「炎上させる」のです。そうやって倍々ゲームでアクセスを稼ぐのです。そのためには、ヘイトコメントはなくてはならないものです。

通常のニュースメディアのように、編集権が確立していないYahoo!ニュースにとって、ニュースも所詮はアクセスを稼ぎマネタイズするためのアイテムにすぎないのでしょう。Yahoo!ニュースの編集者たちに、ジャーナリストとしての自覚や矜持は必要ないのです。むしろそんなものは邪魔なのでしょう。それが、Yahoo!ニュースがニュースサイトというより、どちらかと言えばまとめサイトに近い存在だと言われる所以です。

Yahoo!ニュースが2年前に行った調査によれば、コメント欄を利用しているのは80%以上が男性で、そのうち30~50代の男性が50%を占め、なかでも40代が突出して多いのだそうです。

不惑の年のいい年こいたおっさんたちが毎日飽くことなくあんな低レベルなコメントを投稿している姿を想像すると、なんだかおぞましささえ覚えますが、彼らは一体どんな人間たちなのか、普通のサラリーマンなのか、そのあたりの属性がいまひとつはっきりしません。

排外主義的な主張をしているカルト宗教の信者たちが、コメント欄に常駐しているという話があります。また、自民党が組織した自民党サポーターズクラブの存在を指摘する人もいます。ネトウヨには、そういった紐付きの人間たちが多いのも事実でしょう。

Yahoo!ニュースには、コメント欄が特定の人間たちに占領される懸念などまったく頭にないかのようです。Yahoo!ニュースがカルト宗教の信者たちの書き込みを利用しているとしたら、Yahoo!ニュースと統一教会で集団結婚した日本人花嫁を「世界ナゼそこに?日本人」で紹介するテレビ東京は、同じ穴のムジナと言うべきかもしれません。

BuzzFeedの記事では、下記のツイートが紹介されていましたが、こういうまともな声がもっと広がるべきでしょう。



関連記事:
『ネットメディア覇権戦争』
『ウェブニュース 一億総バカ時代』
2017.06.23 Fri l ネット・メディア l top ▲

これは、「共謀罪」が成立した直後の中川淳一郎氏のツイートです。中川氏はその前に、同じ失敗を繰り返すより、「次の自民党総裁選で安倍氏の対抗馬になるような自民党議員にすり寄るぐらいのしたたかさを見せろ」とツイートしていました。中川氏の政治音痴ぶりは相変わらずですが、ただ私は、“無能な野党”という一点において、中川氏のツイートに「いいね」をあげたくなりました。

民進党は本気で「共謀罪」に反対したのか。ネットではつぎのような話も出ています。


もし仮に民進党が政権に就いたら(ほとんど空想の世界ですが)、「共謀罪」を廃止するのでしょうか。とてもあり得ない話のように思います。私たちは、かつての民主党政権のときに、それを嫌というほど見せつけられたのです。

あらゆる手段を使って成立を阻止する、議会政治の死だ、なんて言っていたのもつかの間、「共謀罪」が成立した途端、まるで何事もなかったかのように馴れ合いの議場に戻った野党。

先述した性犯罪を厳罰化する刑法改正案も、日弁連が懸念する点などについてほとんど審議は行われず、参院法務委員会はわずか一日で採決し、翌日、本会議で「全会一致」で成立したのでした。

 与党は慣例に反し、改正刑法より二週間遅く国会に提出された「共謀罪」法を先に審議入りさせたため、改正刑法が衆院本会議で審議入りしたのは今月二日。参考人質疑は参院法務委員会でしか実施されず、審議時間は計十二時間四十分。十八日の会期末をにらみ、駆け足での成立となった。

東京新聞・TOKYO Web
性犯罪、法定刑引き上げ 改正刑法が成立 厳罰化へ、


慣例無視の「横暴」があったとは言え、「共謀罪」ではあれほど審議時間が足りないと言っていたのに、性犯罪の厳罰化は少なくてもなんら問題はないとでも言いたげです。参院法務委員会での審議も、どう見ても形式的なものとしか思えません。これで、委員会採決をすっ飛ばす禁じ手を使った与党のやり方を批判する資格があるのだろうかと思いました。と言うか、昨年のヘイト・スピーチ対策法のときと同じように、「共謀罪」が成立したら刑法改正案も会期内に成立させるという、”暗黙の了解”があったのではないかと穿った見方さえしたくなりました。

形式的な審議、「全会一致」。これこそ「議会政治の死」を意味するのではないか。「共謀罪」は、こういった「全会一致」の思想の上に成り立っているのです。
2017.06.21 Wed l 社会・時事 l top ▲
http://blog.canpan.info/shiawasenamida/img/
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上は、性暴力(性犯罪)の被害者を支援している特定非営利活動法人しあわせなみだのブログに掲載されていた写真です。この写真は、性犯罪に関連する刑法の改正を求める団体が、6月77日、3万筆のオンライン署名と改正の要望書を法務大臣に提出した際に撮影されたものだそうです。真ん中でハートマーク(愛のマーク)を作っているのが、あの金田勝年法務大臣です。

改正案は、この翌日(8日)、衆院で可決され、参院に送られました。報道によれば、明日(15日)、「共謀罪」(組織犯罪処罰法改正案)が成立すれば、18日の会期末までに同案も成立する可能性があるそうです。改正案の成立を求める人たちは、「共謀罪」が早く成立して改正案の審議に入ってくれというのが本音かもしれません。

今回の改正案は、「①強姦罪を『強制性交等罪』とあらため、被害者を女性だけでなく男性も含める。②法定刑の下限を懲役3年から5年に引き上げる。③親告が不要な非親告罪にする」などが主な柱となっています。

一方、この改正案に対して、日弁連が「一部反対」の意見書を出したため、被害者支援を行っている団体が反発、57の団体が共同で抗議声明を出す事態になりました。

Yahoo!ニュース
性犯罪の厳罰化に日弁連が一部反対の意見書 被害者支援57団体が抗議へ

日弁連の意見書には、法律の専門家の立場から、犯罪規定の曖昧さや「厳罰ありき」=安易な制裁主義に対する懸念があるように思います。

下記は、その代表的な反対意見です。

Mixi( Aさんの日記)
性犯罪厳罰化反対

日記の主の「Aさん」は、改正(特に厳罰化)に疑問を投げかける人権派(?)弁護士を叩くために、産経新聞の記事を引用しているのですが、私は、この弁護士の意見には首肯すべき点があるように思いました。

厳罰化の背後にあるのは、捜査当局の裁量の拡大です。犯罪規定の曖昧さは、警察にフリーハンドを与えることを意味するのです。それは、「共謀罪」と共通するものです。また、冤罪の歯止めがなくなる懸念もあります。

被害者の心と身体に将来に渡って深刻な被害をもたらす性犯罪は、文字通り憎むべき犯罪で、それを擁護する人間なんて誰もいないでしょう。もちろん、110年前に作られた法律を時代の流れに合わせて改正するのも必要でしょう。しかし、厳罰化に反対する弁護士の意見にあるように、性犯罪というのが、厳罰化が抑止になるような犯罪ではないこともまたたしかでしょう。

性犯罪には、その根底に、性的対象者、とりわけ女性をモノと見る考えがあるように思います。また、性的依存症の側面もあります。そういった文化的社会的背景も無視できないのです。

資本主義社会では、ありとあらゆるものが商品化され、金儲けの対象になります。性も例外ではありません。私たちのまわりを見ても、性的な欲望をかきたてる広告があふれています。一方で、資本の効率化に伴う高度にシステム化された社会において、私たちはさまざまなストレスを抱えて生きることを余儀なくされているのです。

電車が来てもいないのに、ホームへのエスカレーターを駆け足で降りていくサリーマンやOLたち。いつもなにかに急き立てられるような強迫観念のなかで生きている人々。そういった日常と依存症は背中合わせと言えるでしょう。

先日、BuzzFeedの記事のなかで、芸能人の薬物報道に疑問をもつ当事者や医師たちが提唱した「ガイドライン」が紹介されていました。

BuzzFeed
これでいいのか? 芸能人と薬物報道 専門家からあがる疑問の声

犯罪の質は違いますが、同じ依存症という側面から考えた場合、薬物使用も性犯罪も、問題の本質は同じではないかと思います。

刑期を終えればまた犯罪を繰り返すのも、性犯罪の本質を正しく捉えた有効な矯正プログラムが採られてないからでしょう。しかし、厳罰化を求める多くの人たちはそうは考えません。だったら(何度も犯罪を繰り返すのなら)、体内にGPSのチップを埋め込めばいいという発想になるのです。

日弁連に対する抗議声明のなかで、被害者団体は、「裁判員裁判では、裁判官のみでの裁判より性犯罪に関する犯罪の量刑が重くなっている。性犯罪を重刑化することは市民の賛同を得ている」(上記「性犯罪の厳罰化に日弁連が一部反対の意見書 被害者支援57団体が抗議へ」より)と主張しているそうですが、シロウト裁判員の「市民感覚」が、被害者と同じ応報刑主義的な感情に走るのは当然と言えば当然かもしれません。裁判員裁判が、厳罰化の風潮を作り出しているとも言えるのです。

誰もが反対できないような「絶対的な正しさ」を盾に、厳罰化と警察権限の拡大が謀られるのです。たとえば、暴力団を取り締まるために導入された凶器準備集合罪が、やがて反体制運動を取り締まるために使われたのはよく知られた話です。性というのは、きわめてパーソナルでデリケートなものです。性犯罪は、支援団体が上げるような「明確な」ケースだけとは限りません。どこまでが犯罪でどこまでが犯罪ではないのか、なにが真実でなにが真実でないのか、曖昧な部分が多いのも事実でしょう。その曖昧な部分の判断を警察に委ねる今回の改正案は、姦通罪などと同じように、私たちの性に対して、いつでも警察(=国家)が介入してくる道を開くものと言っても過言ではないでしょう。

「共謀罪」も性犯罪の厳罰化も同じです。それらは、地続きでつながっているのです。監視社会化と厳罰化(制裁主義)は表裏一体なのです。そうやって全体主義への道が掃き清められていくのです。昨年、ヘイト・スピーチ対策法が盗聴法の拡大や司法取引を導入する刑法改正とバーターで成立したのと同じ光景が、再びくり返されているように思えてなりません。

この風潮に対して、竹中労が生きていたら”デモクラティック・ファシズム”と言ったに違いありません。一方、私は、”善意のファシズム”ということばを思い浮かべたのでした。
2017.06.14 Wed l 社会・時事 l top ▲
「安倍政治を許さない」人たちが言うように、安倍首相が「追い詰められている」のかどうかはわかりませんが、自民党内には、森友や加計学園の問題は「氷山の一角」で、これから似たような話がもっと出てくるだろう、という声もあるそうです。実際に、昭恵夫人が「後援会長」をしていた渋谷区広尾の社会福祉法人に対して、国有地がタダで払い下げられた問題も出てきています。「愛国」を隠れ蓑にした国家の私物化は、とどまるところを知らないのです。

安倍政権の政策は、政治的には(戦前回帰を目論む)日本会議=「生長の家原理主義」の路線を踏襲した、きわめてアナクロで国粋主義的なものです。一方、経済政策では、TPPに代表されるように、市場原理主義的なグローバル資本主義を推進しているのです。そういった相矛盾したものが同居しているのが特徴です。

パン屋を和菓子屋と言い換えるよう「指導」した文科省の教科書検定に象徴されるように、国民には日本酒を強制しながら、資本家にはワインやシャンパンを推奨する、そんな二面性があるのです。

私は、「安倍政治」の二面性について、ムッソリーニの「国際主義は上流階級のみが得られる贅沢であり、庶民は望みもなく彼らの故郷に縛り付けられている」ということばを思い浮べました。グローバル資本主義によって格差が広がる一方のこの国にあって、文字通り「庶民(国民)は望みもなく彼らの故郷(愛国心)に縛りつけられている」のです。ここに「安倍政治」の本質があるように思います。

もっとも、グローバル資本主義を推進するという点では、民進党も変わりがありません。むしろ、民進党は、自民党以上にネオリベであると言ってもいいくらいです。自民党を批判しているのも、野党だからにすぎないのです。民主党政権のときは、逆に自民党が批判していたのです。これではいくら自民党を批判しても、民進党の支持率が上がないのは当然でしょう。

今日の昼間、たまたまフジテレビの「直撃LIVEグッディ!」を観ていたら、加計学園の問題を取り上げていました。言うまでもなく、フジテレビはフジサンケイグループなので、産経新聞や夕刊フジと同じように、安倍政権に対してネトウヨ的な擁護論を展開するのだろうと思っていました。ところが、それは冒頭から裏切られたのでした。

国会での質疑が終わったとき、安倍首相が「くだらない質問で終わっちゃったね。また」とヤジを飛ばしたことを取り上げ、キャスターの安藤優子が「くだらないなんてひどいと思いますよ。くだらないことはないですよ」と言ってました。そして、「加計学園の問題なんかより国会ではもっと大事なことがあるだろうと言う人がいますが、加計学園の問題は大事なことですよ。これをウヤムヤにしてはならないと思いますよ」と言ってました。

また、「政治アナリスト」の伊藤惇夫氏が、「安倍首相や菅官房長官の態度は、国民を愚弄していると言われても仕方ないでしょう」と発言すると、安藤優子は、「ホントにそう思いますね」と言ってました。番組では、前川前文科事務次官は(天下り問題での)引責辞任を最初は拒否していたという、菅官房長官の発言に対しても、当時の動きを時系列で記したボードを使って疑問を呈していました。

安倍政権の太鼓持ちであるフジサンケイグループのなかにあって、「グッディ!」はこのように独自の姿勢を保持しているのです。「グッディ!」には、あの山口敬之氏をはじめ、田崎史郎氏や竹田恒泰氏など、とんでもない人物がコメンテーターとして登場することもありますが、今日の「グッディ!」を観る限り、ジャーナリストの“矜持”はまだ残っているのではないかと思いました。もちろん、「グッディ!」は低視聴率に喘いでいるので、安倍批判で視聴率を上げようという魂胆もあるのかもしれませんが、少なくともフジサンケイグループのなかにあって、このような報道をすること自体、勇気のいることだというのは理解すべきでしょう。
2017.06.06 Tue l ネット・メディア l top ▲
小さき花愛でてかなしき名も知らねば 君の肩に降る六月の雨

このところ体調がすぐれず、家では寝ていることが多いのですが、そうやって床に臥せっていると、やたら昔のことが思い出されてならないのでした。

実家では、子どもの頃、ジョンという名前の犬を飼っていました。私がまだ小学校の低学年のとき、父親が捨てられていた仔犬を拾ってきたのです。雑種の赤毛の犬でした。

最初は、床の下で飼っていたのですが、大きくなると裏の物置小屋のなかで飼っていました。食事は、もちろん残飯でした。私たちが食べ残したご飯に味噌汁をかけたものが多かったように思います。

ずっと繋がれたままなのでストレスがたまっていたのか、人を見るとやたら吠えて飛びかかるような犬でした。それで、よけい繋がれることが多くなりました。

当時は、今のように散歩なんて洒落た習慣はなく、放し飼いの犬も多かった時代です。私たちもよく犬に追いかけられていました。犬に追いかけられ木に登って難を逃れたものの、犬が木の下から退かないので木から降りられなくなり、半べそをかいたなんてこともありました。

発情期になると、オス犬たちが群れをなして通りをうろついていました。通りで犬が交尾をしている光景もよく目にしました。私たちがはやし立てると、恍惚の表情のオス犬はさらに興奮して激しく腰を振るのでした。

近所の大人がやってきて、「子どもが見るもんじゃない」なんて言いながら、交尾をしている犬に水をかけるのでした。すると、臀部がくっついた二匹の犬は、ベーゴマのように通りの真ん中でクルクル回り続けるのでした。

また、馬喰(家畜商)のオイさん(オジサンのことを九州の田舎ではそう言ってました)が、釜を持って交尾した犬を追いかけたこともありました。私たちは、その様子を手を叩いて笑いながら見ていたものです。

あるとき、近所の朝鮮人のオイさんがやってきて、ジョンを見るなり、「こういう赤犬が美味しいんじゃ」と言ったのです。私は、ジョンが食べられるんじゃないかと心配しました。父と母は、「子どもの前であんなことを言って」と怒っていました。私は、そのことを「うちのジョン」という題で作文に書きました。

二十歳の入院したときに、ジョンは亡くなりました。見舞いに来た父親からそう告げられたとき、窓の外を眺めながらしんみりした気持になったのを覚えています。

つぎに我が家に犬が来たのは、もう私が会社勤めをしているときでした。休みで実家に帰ったら、こげ茶色の仔犬がいたのです。姉が知り合いからもらってきたということでした。既に名前もウタと付けられていました。

ウタの食事は、残飯ではなくドッグフードでした。犬や猫も、既にペットと呼ばれるようになっていたのです。ウタは柴犬で、家の土間で飼っていました。もうその頃は、犬を放し飼いする家もなくなっていました。と言っても、今のように街中でトイプードルやチワワを見かけることはめったにありませんでした。小型犬を飼う家はまだ少なかったのです。

ウタは、私が実家に帰ると、私の足にしがみついて離れようとしませんでした。また、私が傍に行くと、すぐゴロンと横になってお腹を見せるのでした。

あるとき、ウタが行方不明になったことがありました。相変わらず犬を散歩する習慣はなかったので、朝と夜、トイレのために外に放していたのですが、そのまま帰って来なったのです。連れ去られたか、あるいは交通事故に遭って死骸を捨てられたのでないかと親たちは話していました。

ところが、それから1週間経った頃、父親が裏山を歩いていたら、竹藪のなかからこちらを伺っているウタに気付いたのだそうです。驚いた父親が近付いて行くと、ウタは逃げるのだとか。それで、父親は名前を呼びながら懸命に追いかけ、やっと捕まえて家に連れて帰ったということでした。

しかし、そのときのウタはガリガリに痩せて、全身がダニだらけで汚れていたそうです。往診に来た獣医(と言っても、日ごろは馬や牛を診るのが専門ですが)は、車かなにかにぶつかってパニックになり、山に逃げ込んだのではないかと言っていたそうです。

ウタが亡くなったのは、私が上京したあとでした。早朝、母親から電話がかかってきて、沈んだ声で「今、ウタが死んだよ」と告げられたのでした。その数年前には、既に父親も亡くなっていました。

ジョンが死んだときは、死骸を裏山に埋めたのですが、ウタは業者に頼んで火葬して永代供養したそうです。田舎にもいつの間にかペットの時代が訪れていたのです。

ペットロスになったという女性は、姑が死んだときより愛犬が死んだときのほうが数倍悲しかったと言ってましたが、その気持はわからないでもありません。

こうして体調が悪く弱気になっているときに、まるで走馬灯のように昔飼っていた犬の思い出がよみがってくるというのも、自分のなかで彼らがいつまでも変わらない存在としてあるからでしょう。人との関係は、身過ぎ世過ぎによって、ときにその関係が元に戻らないほど変化を来すことがあります。そのたびに私たちは傷付き、それを哀しいものとして受け止めるのです。でも、少なくともペットとの間で私たちは傷付くことはありません。だから、(人間の手前勝手なエゴを慰謝するものであるにせよ)ペットは良い思い出として、いつまでも心に残るのでしょう。
2017.06.03 Sat l 日常・その他 l top ▲
森友学園問題は(実質的に)終わった。と言うと、そんな考えこそ幕引きに手を貸すものだ、という批判が返ってくるのが常でしょう。しかし、それこそ「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」「勝てない左派」(ブレイディみかこ)の常套句とも言うべきものです。

桜井よしこ氏は、港区にある神社の敷地に、数億円とも言われる白亜の豪邸を建て、”女神”にふさわしい優雅な生活を送っているそうですが(そうやってネトウヨを煽って巨万の富を得ているのですが)、我が世の春を謳歌しているかに見える右翼業界は、たしかに今や美味しいビジネスと言えるのかも知れません。

かつて左翼業界も美味しいビジネスでした。そのカラクリを理解できなかった私たちは、所謂“進歩的知識人”にいいように煽られ騙されたのです。それは、今のネトウヨと同じです。ネトウヨのことは笑えないのです。

富の偏在を告発し、資本主義社会の不条理を訴える“進歩的知識人”のなかには、桜井よしこ氏のような豪邸に住んだり、海外に別荘を持ったり、ポルシェやベンツに乗ったりしている者がいました。当時、上野千鶴子氏は、愛車のBMWだかポルシェだかで首都高を走るのが趣味だという話を聞いたことがあります。

昔日の勢いはなくなったとは言え、それは、今も同じです。左派リベラル(と言われる)知識人たちのツイッターなどを見ても、みずからの著書の宣伝のためにSNSをやっているような、ドッチラケなものが多いのも事実です。安倍政権を批判するのも、所詮はビジネスなのではないかと思ってしまいます。

森友学園問題も、今やビジネスに堕した感があります。昭恵夫人を告発する行為に対して、あれほど口を極めて罵るのも、問題をできる限り引き延ばし(そのために情報を小出しにして)、ビジネスとして延命させたいという思惑があるからではないのかと思ってしまいます。

国会での民進党の「矛先」は、既に森友学園から加計学園の問題に移っていますが、加計学園も森友と同様、竜頭蛇尾に終わるのは目に見えている気がします。私は、あらためて「民進党が野党第一党である不幸」を痛感せざるをえないのです。

「共謀罪」にしても、安保法制(周辺事態法)にしても、憲法改正にしても、民進党も過去に似たような主張をしています。これが産経新聞やネトウヨがヤユする民進党の「ブーメラン」と言われるものですが、そう言われても仕方ない面があるのはたしかでしょう。民進党は、与党案とは似て非なるものだと言ってますが、でも似ているような主張はしているのです。

言うまでもなく旧民主党は、日本に欧米のような二大政党制を定着させ、「政権交代ができる」政党が必要だという小沢一郎らの遠謀によって、「政界再編」の名のもとに、小選挙区比例代表制とセットで生まれた政党です。もちろん、「政権交代」とは、”体制転覆”ではなく、二大政党の間で政権をたらい回しするということです。言うなれば、安心して政権をたらい回しすることができる”第二自民党”のような政党が求められたのです。民進党の「ブーメラン」は当然なのです。


上記は、上西小百合議員のツイッターに転載されていた、安保法制に反対する弁護士のツイートですが、このような思考停止したベタな考えこそが、むしろ逆に「安倍政権の暴走を許している」と言えるのかも知れません。ポデモスやシリザやSNPは、(日本流に言えば)「民主はだめだ」「共産は嫌い」という考えから生まれたあたらしい左派政党だということを忘れてはならないでしょう。

加計学園の問題には、文科省の天下り斡旋問題が関係していると言われていますが、民進党は所詮、処分された官僚たちから提供される情報を使って国会で追及しているだけなのです。つまり、官僚たちの”私憤”という掌の上で踊っている(踊らされている)にすぎないのです。安倍政権による子飼いのメディアを使った露骨な疑惑潰しによって、問題は泥沼化の様相を呈していますが、しかし、野党が蚊帳の外に置かれ、ケンカの使い走りに使われていることには変わりがないのです。

それは、加計学園の問題だけではありません。「小池新党」をめぐる東京都の問題も然りです。このような保守の内輪もめは、それだけ保守の”余裕”を示しているとも言えるのです。財産が多いと家族内で財産争いが起こるのと同じで、それを貧すれば鈍する民進党などが取り上げて、外野で騒いでいるだけなのです。

民進党がいくら騒いでも民進党の支持率が上がらない現実。そこに民進党の自己撞着、つまり「ブーメラン」があることを国民がよく知っているからでしょう。

「民主はだめだ」「共産は嫌い」と言っているから一強体制が進んだのではないのです。「民主はだめだ」「共産は嫌い」という現状認識を持てないから左派リベラルは凋落し、一強体制を許したのです。それがポデモスやシリザやSNPと日本の野党共闘&国会前デモの根本的な違いです。それこそ似て非なるものと言えるでしょう。
2017.05.24 Wed l 社会・時事 l top ▲
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知り合いからチケットをもらったので、今日の午後、川崎の等々力陸上競技場でおこなわれた「セイコーゴールデングランプリ陸上2017」を観に行きました。

8月にロンドンでおこなわれる世界陸上の代表選考会も兼ねた、国際陸連公認の大会でしたが、しかし、向かい風が吹いていたということもあって、記録は総じて平凡でした。

大会名を見てもわかるとおり、セイコーが「特別協賛」し、TBSテレビでも中継されたのですが、そのためか、なんだかショーのような要素が強い大会でした。大会を盛り上げ、運営費をねん出するには仕方ない面もあるのもしれませんが、レースを終えた有名選手たちに、メディアの撮影用に、観客席に行って観客たちとハイタッチをするように進行役のスタッフが促すのでした。参加標準を突破できず不本意なレースに終わった福島千里選手も、スタッフから促され、撮影用(?)に設えた観客席に行って、お定まりのハイタッチをしていましたが、なんだかかわいそうな気がしました。

私の隣の席の中年女性は、カメラマニアのようで長尺の望遠レンズが付いたカメラを構えていましたが、隣で長尺のレンズを振り回されると邪魔でなりませんでした。その隣も同じような中年男性で、夫婦かと思ったら全然関係のないカメラマニアのようでした。

また反対側の席や前の席は、真夏日を記録した暑さのなかで、半分抱き合って観戦しているような若いカップルでした。彼らもまた、ケンブリッジ飛鳥やサニブラウンが目当てだったようです。

マニアと言えば、ロイヤルファミリーの婚約者が同じ駅に住んでいるというニュースが流れた途端、駅前通りなどで、カメラやスマホで通りの様子を撮影している人たちを見かけるようになりましたが、心なしかこの週末は、いつもより人通りが多い気がしました。

婚約者が通った幼稚園がすぐ近所にあるのですが、ニュースのあと、幼稚園の駐車場にはテレビ局の中継車が何台も停まっていて、幼稚園も臨時休園したようでした。

たまたまニュースが流れる前日、散歩の途中に、婚約者が住んでいるマンションの前の道路を歩いたのですが、もちろんそのときはいつもの夕暮れの住宅街の光景でした。しかし、近所の人の話によれば、今は道路も交通規制され、マンションの前には常時制服の警察官が立っているそうです。

朝、SPとともに駅に向かう婚約者の姿がテレビに出ていましたが、これからああいったことが毎日つづくのだろうかと思いました。テレビには、「知名度が上がってうれしい」というような商店街の人たちの「喜びの声」も出ていましたが、たしかに青息吐息の商店街にとって、今回のニュースは(ややオーバーに言えば)「天佑」と言えるのかもしれません。ただ一方で、ミーハー相手の商売に明日はあるのだろうかと思ったりもします。個人的には、そんなことより狭い舗道を広げるほうが先決のような気がします。
2017.05.21 Sun l 日常・その他 l top ▲
夜の谷を行く


桐野夏生の最新作『夜の谷を行く』(文藝春秋社)を読みました。

連合赤軍事件から40年。

主人公の西田啓子は、当時24歳で、「都内の山の手にある私立小学校の教師を一年務めてから、革命左派の活動に入ったという、異色の経歴」のメンバーです。山岳ベースに入った「革命左派の兵士の中では、最も活動歴が浅く、無名の存在」でした。

米軍基地に侵入しダイナマイトを仕掛けた勇気を買われ、永田洋子に可愛がられていました。しかし、山岳ベースでは、「総括」という名のリンチ殺人がエスカレートして凄惨を極め、兵士たちは疲弊していました。そんななかで、彼女は同じ下級兵士であった君塚佐紀子と二人でベースを脱走し、麓のバス停で警察に逮捕されるのでした。

他のメンバーと決別して「分離公判」を選択した彼女は、5年9カ月服役したあと、中央線の駅前のビルで学習塾を経営していましたが、それも5年前に閉じ、63歳になる今は、昭和の面影が残る古いアパートで、貯金と年金でつつましやかに暮らしています。「とにかく目立たないように静かに生きる」と決意して今日まで生きてきたのでした。逮捕によって親類とは疎遠になり、現在、行き来しているのは、実の妹とその娘だけでした。

しかし、2011年2月、そんな日常をうち破るように、永田洋子が獄死したというニュースが流れます。西田啓子は、永田の死に対して、「永田がこの二月のこの時期に亡くなるとは、死んだ同志が呼んだとしか思えない」と衝撃を受けます。

啓子は、あの年の二月に何があったか、よく覚えていた。四日には、吉野雅邦の子を妊娠していた金子みちよが亡くなった。大雪の日だった。そしてその日に、永田と森が上京したのだ。六日、自分が脱走する。


 あれは、金子みちよが亡くなった夜のことだった。雪が積もって凍り、キラキラと月に光る稜線を眺め上げていると、横に君塚佐紀子が立った。
 保育士だった佐紀子も、活動歴の浅さや地味な性格では、啓子と同程度だった。二人とも、ベースでは、森や永田、坂口ら指導部の連中など遠くて見えないような末席に座らせられていた。個室に炬燵、暖かな布団で寝られるのは指導部だけで、下級兵士は、板敷きに寝袋で雑魚寝である。
「凍えるね」
 啓子が呟くと、佐紀子が「うん」と頷いて啓子の方を見遣った。目が合った。目には何の色もなく、互いに互いの虚ろを確認しただけだった。
 その日、永田と森が資金調達に山を下りたのを契機に、二人とも何も言わずに荷物を纏めた。


永田洋子の死と前後して、昔のメンバーから電話がかかってきます。そして、かつて同志として結婚していた元夫とも再会することになります。元夫は、出所後、社会の底辺で生きて、今はアパートを追い出されホームレス寸前の生活をしていました。新宿で待ち合わせ、中村屋でカレーライスを食べているとき、突然、激しい揺れに襲われます。東日本大震災が発生したのでした。そして、啓子の生活も封印していた過去によって、激しく揺さぶられることになるのでした。

小説だから仕方ないでしょうが、連合赤軍事件については、薄っぺらな捉え方しかなく、興ざめする部分はあります。もっとも、当時のメンバーたちにしても、あるいはその周辺にいた人間たちにしても、事件について、真実をあきらかにし、ホントに総括しているとは言い難いのです。現実も小説と同じなのです。

啓子が、君塚佐紀子と再会したとき、つぎのように呟くシーンがあります。君塚佐紀子は、出所後、親兄弟と縁を切り、名前も変えて、今は神奈川県の三浦半島の農家に嫁いでいるのでした。

「(略)永田も坂口もみんな、死んだ森のせいにしている。でも、あたしたちだって、永田と森のせいにしているじゃない」


クアラルンプール事件での釈放要求を断り、みずから死刑囚としての道を選んだ坂口弘は、もっとも誠実に事件と向き合っているイメージがありますが、しかし、彼の著書を読むと、やはり「死んだ森のせいにしている」ような気がしてなりません。あさま山荘の銃撃戦には、リンチ殺人に対する贖罪意識があった、彼らなりの「総括」だったという見方がありますが、ホントにそうだったのか。

もとより私たちが知りたいのは、つぎのような場面における個的な感情です。そこにあるむごたらしいほどの哀切な思いです。そこからしか連赤事件を総括することはできないのではないか。私が、この小説でいちばんリアリティを覚えたのも、この場面でした。

「西田さん」
もう一度、金子がはっきりと呼んだ。
啓子は外の様子を窺ってから、金子の横に行って、顔を覗き込んだ。
「どうしたの」
金子は腫れ上がった目を開けて、じっと啓子を見上げた。「反抗的な目をしている。反省していない」と森や永田を怒らせた眼差しだった。
「こんな目に遭っても赤ん坊が動いているのよ。凄いね」
金子は小さな声で呟くように言った。笑ったようだったが、顔が腫れていて、表情はよくわからなかった。
啓子は胸がいっぱいになり、励まそうとした。
「頑張らなきゃ駄目よ」
少し経ってから、金子が聞いた。
「頑張ってどうするの?」
「赤ちゃん、産むんでしょう」
金子が微かな溜息を吐く。
「そんな体力は残ってないかもしれない」
「でも、頑張りなさいよ」
「ねえ、頼みがあるんだけど」
金子が低い声で囁いた。
「何?」
多分、金子の頼みを叶えることはできないだろう、と啓子は思いながら、聞き返した。
「子供だけでも助けて。西田さんも妊娠しているからわかるでしょう。この子を助けて、革命戦士にして」
「わかった」
啓子はそう言って、素早く金子のもとを離れた。テントの外に足音がしたからだ。


もちろん、『夜の谷を行く』はエンターテインメント小説ですので、最後に”どんでん返し”が待っているのですが、その“どんでん返し“もこの場面と対比すると、なんだか蛇足のように思えました。


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2017.05.16 Tue l 本・文芸 l top ▲
今日、たまたまネットで、つぎのようなツイッターの書き込みを見つけました。


悪いけど、こういうリベラル左派に未来はあるのだろうかと思いました。「安倍政治を許さない」というボードを掲げる彼らが、実は安倍政治を許しているのだというパラドックスさえ考えてしまいます。

彼らは、かつて朝日新聞の「家庭内野党」報道を真に受けて、原発再稼働をしないように安倍首相を説得してください、昭恵夫人お願いします、と言っていたのです。今日の政治状況(一強体制)の下地を作ったと言っていい、小沢一郎や小泉純一郎に対する大甘な姿勢も同じです。

一方で、運動周辺に対しては、スターリニズムまがいの「排除の論理」が行使されるのです。そういった党派政治=”悪しき左翼性”だけは頑迷に固守しているのです。

野党共闘という”崇高な”理念のために、「普通の市民」ではない極左や極右はいらない、ビラ配りも署名集めも許さないというわけなのでしょう。もしその現場を見つけたら、原発や安保法制のデモのときと同じように、暴力的に排除するつもりなのでしょう。これが、高橋源一郎たちが自画自賛する「ぼくらの民主主義」なるものです。

彼らが墨守するリベラル左派の理念は、とっくに終わったそれでしかありません。それは、彼らが随伴する民進党や共産党を見れば一目瞭然でしょう。彼らは、トランプやマリーヌ・ル・ペンの台頭に、既成政党に対する人々の失望があるという、最低限の現状認識さえ持てないのでしょう。

むしろ、問題はその先にあるのです。前述した『「革命」再考』のなかで、的場昭弘氏は、つぎのように書いていました。

 資本主義はマルクスが予想したとおり、国境なき資本主義へと変貌していきます。ただし、マルクスも述べていることなのですが、資本は儲けるときはコスモポリタンで博愛的なのですが、儲からなくなると、途端に国家にすがり国家主義的になります。


自由貿易と保護主義、グローバリズムとナショナリズム、左翼的なものと右翼的なもの、もしかしたらそれらは表裏一体のものかもしれないのです。

大事なのは、右か左かではなく、上か下かなのです。上か下かに、右も左もないのです。

マリーヌ・ル・ペンが言うinvisibles=「見えざるものたち」も、リベラル左派の彼らには文字通り「見えざる」存在なのかもしれません。

 革命という言葉が意味するのは、現に見えているものを変革するということではなく、見えないものをくみ取り、それを変えていくということです。およそこれまでの革命、そして革命家の思想というものは、まさにそうした目に見えないものをいかに理解し、変えるかであったといってもいいものでした。変化が簡単にわかるものは、実は革命でもなんでもなく、たんに現状の追認にすぎなかった場合が多かったわけです。
(『「革命」再考』



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2017.05.09 Tue l 社会・時事 l top ▲
ゴールデンウィークの合間、病院に行きました。今回は、いつもの医院ではなく、総合病院です。待合室は、多くの外来患者で埋まっていました。そのほとんどが中高年の患者たちです。

長椅子に座っていると、診察を終えた患者のもとに、「(外来)クラーク」と呼ばれる制服姿の女性がやってきて、次回の診察日の説明や処方された薬の説明などをしていましたが、聞くとはなしに聞いていると、意外にも入院の説明をしているケースが多いのでした。

本を読みながら順番を待っていた私は、徐々に暗い気持になっていました。そうやって入院をくり返しながら、人生の終わりに近づいていくんだろうなと思いました。その宣告を受けているような気さえするのでした。

中には息子や娘が付き添ってやってくる高齢者の姿もありましたが、そんな人たちはホントにめぐまれているなと思いました。ひとりでやってきて、入院の診断を受けるなんて、なんと心細くてさみしいものだろうと思います。かく言う私も、そのひとりです。

ひとりで引っ越しするのも大変ですが、病気したときもひとりは大変です。入院を告げられたあと家に帰る道すがら。あるいは着替えなどをボストンバッグに詰めて入院の準備をする前夜。すべてを自分ひとりで受け止めなければならないあの孤独感。心が萎えるのを必死で耐えている自分がいます。

診察の際、特段症状に変化もなく、先生からも「順調ですね」と言われたので、私は安心していたのですが、再び待合室の椅子にすわって待っていると、赤い制服を着た「クラーク」の女性がやってきて、ファイルに入った説明書を目の前に差し出したのでした。私は、一瞬「エエッ」と思いました。

しかし、それは次回の検査についての説明書でした。私は、いつになくホッとした気分になりました。

そして、なんだか救われたような気持のなかで、診察代を精算して帰宅したら、夕方、病院の薬剤室から電話があり、処方された薬を受け取るのを忘れていたことを知ったのでした。


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2017.05.03 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
先日、朝日新聞デジタルのインタービュー記事で、米山隆一新潟県知事がつぎのように言ってました。

 保守的な空気が非常に先鋭化しているのは、仕方ない部分はある。ただ、なぜそうなったかを考えると、リベラル系の人たちがちゃんと意見を言わないからだと思う。リベラルの人は優等生になろうとする。何かを発言して、ブーメランで批判が返ってくるとシュンとする。保守系の人はバシバシ言うから、結局そちらが発言権を持ってしまう。

朝日新聞デジタル
つぶやく知事に聞いた「保守的な空気、リベラルのせい」


私は、この発言は、米山知事の意図とは別に、今のリベラル左派の痛い点を衝いているように思いました。そして、これが日本の左派とヨーロッパで台頭している急進左派との根本的な違いでもあるように思います。

何度も同じことを言いますが、ギリシャのシリザも、スペインのポデモスも、イギリスのスコットランド国民党(SNP)も、貧困や独立をテーマにした広場占拠や街頭闘争の直接行動から生まれたあたらしい政党です。有閑マダムのホームパーティのように、仲間内でおしゃべりに興じるだけの日本のリベラル左派とは似て非なるものです。上か下かの視点を失くしたリベラル左派に対して、「左翼はめぐまれた既得権者だ。おれたちがやっているのは階級闘争だ」と在特会など極右の団体が嘯くのも、故なきことではないのです。

マルクス研究者の的場昭弘氏は、『「革命」再考』(角川新書)で、現在、先進国を席捲している「国家再帰現象」は、「民衆の自由意志による反発であると捉えることも」できると書いていました。「ポピュリズム」「大衆デマゴギー」などと批判される「国家再帰現象」ですが、見方を変えれば、民衆のなかに「既成の政党政治に飽きたらない」現象が起きていることを意味しているのではないかと言うのです。そして、そんな「民衆の声を吸収できているのは皮肉にも極右と極左だ」と言います。フランス大統領選挙でも、共和党や社会党の候補が大敗し、極右のマリーヌ・ル・ペンと極左・左翼党のジャン・リュック・メランションが人気を集めたのは周知のとおりです。

的場氏は、マリーヌ・ル・ペンについて、つぎのように書いていました。

 フランス極右の候補者マリーヌ・ル・ペンは、支持層拡大のために「見えざるものたち」(invisibles)という言葉を、二〇一二年の大統領選挙で使っていました。見えざるものたちとは、存在しているが人々が見逃している人々ということです。具体的にいえば、移民労働者や郊外に住む貧困層のことです。二〇〇七年の大統領選挙ではプレカリテ(prècaritè)、不安という言葉が議論になりました。
 極右の候補がこれを取り上げたことは、現代社会の抱える問題が、もはやたんなる人権の問題ではないことを意味しています。生きる権利、働く権利という基本的な権利が守られていないことへの怒り、それは現在の資本主義システムそのものへの疑問となって表れています。これまでのような機会の平等、自由な競争などと能天気なことをいっていられない時代になったともいえます。
(『「革命」再考』)


「見えざるものたち」の生きる権利、働く権利を奪還する。このようなことはかつては左の「革命派」が言っていたことです。極右と言えば、どうしても排外主義ばかりに目が行きがちですが、今やこういった「上か下か」も極右のスローガンになっているのです。

(何度も僭越ですが)私も、トランプ当選の際、ブログにつぎのように書きました。

トランプ当選には、イギリスのEU離脱と同じように、そんな「上か下か」の背景があることも忘れてはならないでしょう。「革命」の条件が、ナチス台頭のときと同じように、ファシストに簒奪されてしまったのです。社会主義者のバーニー・サンダースが予備選で健闘したのは、その「せめぎあい」を示していると言えるでしょう。
誰もが驚いたトランプ当選


日本のリベラル左派は、そういった「せめぎあい」さえ回避しているのです。

ブレイディみかこ氏は、連載している晶文社のサイトで、イギリス労働党の低迷に関して、シリザ政権で財務相を務めたヤニス・ヴァルファキスのつぎのようなことばを紹介していました。

 過去30年間、我々はプログレッシヴな価値観の寸断を許してきた。LGBTの運動、フェミニストの運動、市民権運動という風に。フェミニストがもっと多くの女性を役員室に入れることは、その一方で移民の女性が最低賃金以下の賃金で家事を引き受けて働いているということを意味する。フェミニズムとヒューマニズムの関係性が失われてしまったのだ。ゲイ・ムーヴメントが、偏見や警察との闘いに代わって、「Shop Till You Drop(ぶっ倒れるまで買いまくれ)」のようなスローガンをマントラにして消費主義を受け入れた時、それはリベラル・エリートの一部になり過ぎてしまった。プログレッシヴなムーヴメントに残された解決法は、インターナショナルであるだけでなく、ヒューマニストにもなることだ。それは難しいことだ。が、リベラルなエスタブリッシュメントとトランプの両方に反対するにはそれが必要だ。彼らは敵対しているふりをしているが、実際には共犯者であり、互いを利用している。
newstatesman.com

晶文社 スクラップブック
UK地べた外電
第3回 ブレグジットの前に進め:コービン進退問題とヴァルファキス人気


日本のリベラル左派は、既得権を守ることに汲々とし、「55年体制」のノスタルジーに耽るだけの「エスタブリッシュメント」でしかないのです。だから一方で、(リベラルなんて言いながら)あのようなスターリニズムと紙一重の「排除の論理」が幅をきかせているのでしょう。今、求められているのは、「リベラルなエスタブリッシュメントとトランプの両方に反対する」、謂わば「左派ポピュリズム」のような視点と見識なのです。
2017.05.02 Tue l 社会・時事 l top ▲
2017年3月29日ESWL


ESWLのその後について書いていませんでしたので、参考までに書いておきます。

ESWLのあと、家で排尿する際は、茶こしを使って排石を確認するようにしましたが、小さな破片のようなものが少し出ているだけでした。

ところが、1週間が経った頃、外出先で突然、赤ワインのような血尿に見舞われたのでした。そして、家に戻ると、石の破片がゴロゴロ出てきたのでした。ほぼ2~3日、そんな状態がつづきました。

慣れてくると、大きな破片が尿道にとどまっているのがわかるようになりました。そして、尿を溜めていっきに排尿すると、尿とともに愚息の先端からポロリと破片が出てくるのでした。文字通り「生まれ落ちる」ような感じで、感動すら覚えるくらいです。

上の画像は、茶こしで捕獲した石の破片です。

ESWLを受けた病院の診察は来月ですが、私は既にかかりつけの病院で、石の状態を確認してもらいました。レントゲンで確認すると、尿管にあった石はすべてきれいになくなっていました。ただ、破砕の際、飛び散ったと思しき小さな破片が腎臓内に二つあるそうですが、それは特に問題ないと言われました。

「石のことならなんでも聞いてくださいよ」と言っていた近所の商店主に、そのことを話したら、「(ESWLが)1回で済むなんてめずらしいな~」「いい機械を使っているんだろうな」と言ってました。心なしかことばに力がなく、本音はうらやましいと思っているのかもしれないと思いました。

結石は体質なので、また10年後くらいに石が成長しているかもしれませんが、とりあえず今回の結石に関しては一件落着しました。


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9年ぶりの再発
2017.04.29 Sat l 健康・ダイエット l top ▲
前に紹介した『ネットメディア覇権戦争』(光文社新書)で、著者の藤代裕之氏はつぎのように書いていました。

 歴史作家の半藤一利と保坂正康は、『そして、メディアは日本を戦争に導いた』で、戦争が売り上げを伸ばすことをジャーナリズムは学んだと指摘している。満州事変、日中戦争、太平洋戦争の間、朝日新聞の部数は150万部から350万部に倍増、毎日新聞も250万部から350万部に増加した。ネットニュースのメディアにとっては、猫コンテンツや炎上、偽ニュースはアクセスを稼げる。かつての新聞にとっての戦争のようなものだ。新聞も戦争報道では多くの虚報や誇張を繰り返していた。


もちろん、これは、今の北朝鮮情勢をめぐる「明日は戦争」キャンペーンの前に書かれたものです。

たまたま先日、『噂の真相』の匿名コラム「撃」の1992年から2004年までの分をまとめた『「非国民」手帖』(情報センター出版局)を読み返していたら、つぎのような文章が目にとまりました。

 《平和と民主主義》という理念が強固に確立された現在、《戦争》という名辞が忌避されているだけで、真剣に考えることは逆に抑圧されている。
 そしてその一方では、北朝鮮核疑惑を契機として、《戦争》への扇動が確実に隆起している。《国土防衛》や《世界秩序維持》や《邦人救出》のために、と。これこそが十五年戦争へと導かれたセリフではないか。
(94年8月号/歪)


1994年と言えば、自社さ連立の村山内閣が誕生した年です。同時に、日本社会党は、国旗・国歌、自衛隊、日米安保等で基本方針の大転換を行い、自滅への道を歩みはじめたのでした。

23年前も今と同じようなキャンペーンが繰り広げられていたのです。

私などは、挑発しているのはむしろトランプ政権のほうではないか、ホントに危険なのは金正恩よりトランプのほうではないか、と思ってしまいますが、そんなことを口に出して言おうものなら、それこそ「非国民」扱いされかねないような空気です。

キャンペーンを仕掛ける側にとって、北朝鮮はまさに格好のネタと言えるでしょう。北朝鮮は、国交がないため、言いたい放題のことが言える好都合な相手です。それに、(見え見えの)瀬戸際外交を行う北朝鮮は、「ソウル(東京)を火の海にする」「全面核戦争も辞さない」などと感情をむき出して大言壮語する、謂わば「キャラが立つ」国なので、「明日は戦争」を煽るには格好の相手でもあるのです。

なかでも、Yahoo!ニュースなどネットニュースとテレビのワイドショーの悪ノリぶりには、目にあまるものがあります。

今やネットニュースにとって、「猫コンテンツ」などより、「明日は戦争」キャンペーンのほうが手っ取り早くアクセスを稼げるコンテンツなのでしょう。と言うか、「明日は戦争」キャンペーンそのものが、究極の「偽ニュース」と言ってもいいのかも知れません。

ご多分に漏れず部数減に歯止めがかからず、早晩政敵の「赤旗」に部数を抜かれるのではないかと言われている産経新聞は、最近ますますネトウヨ化に拍車がかかっていますが、アクセスを稼ぐために、そんな産経のフェイクな記事を使って戦争を煽っているYahoo!ニュースを見るにつけ、私は、藤代氏のつぎのような指摘を思い出さざるをえません。

 私は多くのヤフー社員を知っている。真面目でいい人が多いが、事件記者として汚職事件や暴力団などを取材したり、調査報道チームの一員として政治家や企業の問題を暴いたり、といったリスクの高い取材を行い、ジャーナリズムとしての経験を積んだ人は少ない。
 記者というのは剣豪に似ている。剣道などで強くなると、竹刀を交える前から相手の身のこなしなどで強さが分かるという。記者同士でも、ニュースなどについて話をしていると、ニュースの切り口、事実性への評価、取材すべきポイントなどで、実力を測ることができる。剣豪が負ける相手とは立ち会わない冷静さを持つように、できる記者ほど冷静で、多くを語らない。経験が乏しい素人ほど、実力を過信する。私がヤフーで「できる」と感じた人は、ごく一握りしかいない。
(『ネットメディア覇権戦争』)


これが「ヤフーにはジャーナリズムの素人しかいない」と言われる所以ですが、僭越ながら私も以前、このブログで、Yahoo!ニュースについて、つぎのように書いたことがありました。

Yahoo!ニュースに決定的に欠けているのは、野党精神(=「公権力の監視」)であり、弱者に向けるまなざし(=「弱者への配慮」)です。でも一方で、それはないものねだりなのかもしれないと思うこともあります。なぜなら、ウェブニュースの「価値基準」は、「公権力の監視」や「弱者への配慮」にはないからです。ウェブニュースの「価値基準」は、まずページビューなのです。どれだけ見られているかなのです。それによってニュースの「価値」が決まるのです。それは、ウェブニュースの”宿命”とも言うべきものです。
『ウェブニュース 一億総バカ時代』


先の戦争の前夜、メディはどのように戦争を煽ったのか。あるいは、ヒットラーが政権を取る過程で、メディアがどのような役割を果たしたのか。どうやって全体主義への道が掃き清められていったのか。私たちは、それをもっと知る必要があるでしょう。


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『ネットメディア覇権戦争』
2017.04.27 Thu l ネット・メディア l top ▲
一昨日、田中龍作ジャーナルに、下記のような記事が掲載されていました。

田中龍作ジャーナル
【アベ友疑獄】「昭恵刑事告発」延期 市民の分裂は回避された

この記事には前触れがあり、2日前の4月18日にことの発端を伝える記事が掲載されていました。

【アベ友疑獄】昭恵刑事告発はオウンゴールか 小沢代表「時期尚早」

要は、昭恵夫人を告発すれば、逆に政権側に「係争中につきお答えできない」という口実を与え、疑惑隠しに利用される怖れがあるので、告発に反対だということです。

森友学園問題については、既に水面下で幕引きの手打ちが行われたという報道が一部にありますが、たしかに、今、メディアをおおっている「明日は戦争」キャンペーンのなかで、森友学園問題が片隅に追いやられているのは間違いないでしょう。

今やこの国のメディアは、戦争を待ち望んでいるかのようで、塚本幼稚園の園児と同じように、「安倍首相ガンバレ」「トランプ大統領ガンバレ」の大合唱を行っていますが、そんな戦争キャンペーンのなかでは、安倍退陣なんてもはや誇大妄想のようにしか思えません。なんだか”宰相A”の高笑いが聞こえてくるようです。「幕引きされる前に刑事告発して世論に訴えよう」という、運動の現場にいる人たちのやむにやまれぬ気持は、痛いほどよくわかるのです。

私は、告発に反対する人たちの論拠には、なにを今更の気持しかありません。野党になにが期待できるというのでしょうか。「民進党やマスコミに任せていても埒(らち)が明かない」と言うのはそのとおりでしょう。告発に反対する人たちは、茶番にすぎない国会質疑に対して、いたずらに期待を煽っているようにしか思えません。

なかでも私が嫌悪感を覚えたのは、菅野完氏のつぎのような書き込みでした。




告発を準備しているのは、元ヤクザで、過激派とつるんだ人物だという「印象操作」。ここにあるのは、官邸前デモなどでも見られたもうひとつの全体主義です。

「善良な市民」とはなんなんでしょうか。「善良な市民」なんてことばを使うのなら、菅野氏自身だって他人(ひと)のことは言えないでしょう。もし本当に、元ヤクザが過激派とつるんでいるのなら、私などは、竹中労の『黒旗水滸伝』や猪野健治の『戦後水滸伝』が想起させられて、逆に感動すら覚えるくらいです。

「共謀罪」の国会審議を見ていると、「共謀罪」が昨年のヘイト・スピーチ対策法と地続きであることがよくわかります。ヘイト・スピーチ対策法の成立において、与党側の立役者と言われた自民党の西田昌司参院議員の、その後の民族差別に関する発言や籠池泰典氏に対する証人喚問での質問などを見るにつけ、ヘイト・スピーチ対策法の裏にある権力の“思惑”が透けて見えるような気がするのです。

ヘイト・スピーチ対策法にあえて反対した山本太郎参院議員や福島瑞穂元社民党党首が、当時言っていたことを今更ながらに思い出さざるをえません。ヘイト・スピーチ対策法も、同法とバーターで成立した盗聴法の拡大や刑事訴訟法の”改正”も、もちろん今国会で審議されている「共謀罪」も、そこには同じ治安立法としての性格が貫かれているのはあきからでしょう。

これらに共通しているのは、警察の裁量権の拡大です。警察の裁量次第で、捜査対象がいくらでも広がることが可能になる(なった)のです。ヘイト・スピーチ対策法の制定を推進した人たちは、結果的に警察の裁量権の拡大に手を貸したと言われても仕方ないでしょう。ヘイト・スピーチに反対する”善意の動機”があったとか、同法が罰則規定を含まない理念法にすぎない、というのは弁解になりません。裁量権の拡大という”焼き太り”(=官僚の罠)に対して、あまりにも無頓着だと言わざるをえないのです。

左右の全体主義は、所詮、双面のヤヌスにすぎず、右か左かにたいした意味はないのです。


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「ヤクザと憲法」
左の全体主義
2017.04.22 Sat l 社会・時事 l top ▲
木嶋佳苗手記


『週刊新潮』(4月20日号)に掲載された木嶋佳苗被告の手記を読みました。

4月14日、最高裁第2小法廷は、木嶋被告の上告を棄却し、死刑が確定しましたが、手記は判決前に書かれたものです。

木嶋被告は無実を訴えていますが、一方で上告破棄を「覚悟」していたかのように、手記のなかで、死刑の「早期執行の請願」を行うことをあきらかにしていました。

 生みの母が私の生命を否定している以上、確定後に私は法相に対し、早期執行の請願をします。これこそ「ある決意」に他なりません。通常、全面否認事件での女子の執行は優先順位が極めて低いものですが、本人からの請願は何より強い“キラーカード”になる。
 まったくもって自殺願望ではなく、生きてゆく自信がない、それだけです。


木嶋被告は、実母との確執によって、「生きていく自信」がなくなったと書いています。以前、北原みのり氏が『木嶋佳苗 100日裁判傍聴記』で、木嶋被告は幼い頃から実母との葛藤を抱えていたと書いていましたが、木嶋被告は、ブログで、北原氏を「『毒婦』ライター」と呼び、つぎのように批判していました。

「毒婦」ライター。彼女が私に関して語ることの7割は、事実じゃありません。3割は事実かって?それは、NHKのニュースで報道されるレベルのこと。彼女の取材能力は限りなくゼロに近いので、ルポルタージュを書けるライターじゃないですよ。

木嶋佳苗の拘置所日記
心がほっこりするイイ話


ところが、ここに至って木嶋被告は、実母との間にかなり深刻な確執があったことを認めているのです。それどころか、実父の死は、事故ではなく、夫婦関係が原因による自殺だったことをあきらかにしているのでした。もしかしたら図星だったから、あのように北原氏に対してヒステリックに反発したのかもしれません。

上記の引用文の前段にそのことが書かれています。

 私の父は妻である母に心を蝕まれた結果、還暦で自死を選びました。私が30歳のときです。4人の子ども達に残された遺言状を見るまで父の懊悩や2人の不仲など知る由もなかったし、限界まで追い詰められいたことに気付かなかった4人は遺骸の前で慟哭するほかなかった。母は父の親族から葬儀の喪主になることを許されなかったほどです。


木嶋佳苗被告が、父親の墓を実家のある北海道の別海町ではなく、わざわざ浅草の寺に造った理由も、これで納得がいきました。

このように実母との確執は、今にはじまったわけではないのです。昔からあったのです。私も以前、彼女の”売春生活”は、母親のようになりたくないという「不機嫌な娘」の意趣返しという側面もあったのではないかと書きましたが、それが今更どうして、早期の執行を求める理由になるのか。

「自殺願望ではなく、生きてゆく自信がない」からという弱気な発言も、唐突感はぬぐえず、額面通りに受け止めることはできません。まだ、「木嶋佳苗劇場」(木嶋被告の自己韜晦)は、つづいているような気がしてならないのです。彼女の心の奥底にあるものは、あきらかになってないように思えてならないのです。


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人名キーワード 木嶋佳苗
2017.04.17 Mon l ネット・メディア l top ▲
先日、Yahoo!ニュースに下記のような記事が掲載されました。

Yahoo!ニュース・ビジネス
「もう立っている方がいい」狭すぎてハラハラする都内の“痛勤”電車のイス

記事を書いたのは、西日本新聞の東京支社に勤務する記者のようです。

この記事は、一時、Yahoo!ニュースの「経済総合」のアクセスランキングで1位になっていました。それだけ多くの人たちが共感したのでしょう。

私たちは、日々、この記事に書かれているような日常を生きているのです。そして、わざと咳ばらいをしたり、相手を睨みつけたり、あるいは肩で相手の身体を押しやったりしながら、どこかの総理大臣夫人が言うような「修行」の時間をすごしているのです。それは理屈ではないのです。どんなに高尚な思想を持っている人でも、このようなゲスな感情から自由にはなれないのです。

以前、電車で日本共産党のシンパとして有名な映画監督と遭遇したことがありました。監督は、まだ下車する人がいるのに、待ちきれないかのように人をかき分けて乗り込んで来ると、餌を探しているニワトリのようにキョロキョロと車内を見まわしていました。そして、7人掛けなのに6人しか座ってない座席を見つけると、急いで歩み寄り、わずかに空いたスペースに身体を押し込め、身体を奥にずらすと、上体を反らせ腕組みをして目を瞑ったのでした。

そこでは、反戦平和の主張も、社会的不公平に対する怒りも、抑圧された人々に対する連帯感も、どこかにすっ飛んだかのようでした。ただ、自分が座席にすわればそれでいい、それが当然の権利だとでも言いたげでした。

何度も言いますが、「政治の幅は生活の幅より狭い」(埴谷雄高)のです。私もこの記事の記者と同じで、すわって嫌な思いをするより立っていたほうがいいと考える人間ですが、日々、目の前で繰り広げられる「電車の座席にすわることが人生の目的のような人たち」の暗闘を見るにつけ、政治なんてものはホントは取るに足らないものなんだなと思わざるをえないのです。もし「電車の座席にすわることが人生の目的だ」というような思想があるなら、これほど最強なものはないでしょう。

吉本隆明が言うように「政治なんてものはない」のです。生きるか死ぬかの瀬戸際まで追いつめられたら、もう泥棒でも強盗でもなんでもして生き延びるしかないのです。善か悪かなんて二の次です。それが生きるということでしょう。そこに政治的な考えが介在する余地なんてないのです。

本来、思想とはそういったところから生まれるものではないでしょうか。ドフトエフスキーの『罪と罰』でラスコーリニコフが苦悩したのも、そういった場所でした。
2017.04.15 Sat l 日常・その他 l top ▲
韓国の慰安婦(少女)像に対する、筒井康隆氏のつぎのようなツイート(既に削除)が批判に晒されています。

筒井康隆ツイート

元になった「偽文士目碌」の文章は、以下のとおりです。

偽文士目碌
http://shokenro.jp/00001452

新聞記事によれば、筒井氏は、批判に対して、「侮辱するつもりはなかった」「“炎上”を狙ったもので、冗談だ」と弁解しているそうです。

毎日新聞
筒井康隆氏 ブログで少女像への性的侮辱促す 韓国で反発広がる

筒井氏は、日本を代表する(と言ってもいいような)著名な作家です。そこらにいる「バカッター」とは違うのです。炎上狙いだなんて、あまりにもお粗末と言うしかありません。しかも、筒井氏は82才の高齢です。82才のじいさんがツイッターで炎上を狙ったなんて、「大丈夫か」と言いたくなろうというものです。

筒井康隆氏は、かつて社会や日常に潜在するタブーに挑む作家として、平岡正明らによってヒーローのようにもてはやされていた時期がありました。私が最初に筒井康隆氏の作品を読んだのは、『大いなる助走』や『農協月へ行く』だったと思いますが、メタフィクション的手法を用いたブラックユーモアが筒井作品のひとつの“売り”であったのはたしかでしょう。

『噂の真相』に連載していたコラムをまとめた『笑犬樓よりの眺望』や平岡正明の『筒井康隆はこう読め』などを今も持っていたはずなので、もう一度読み返したいと思い、本のなかを探したのですが、どうしても見つけることができませんでした。

唯一見つかったのが、1985年11月1日発行の『同時代批評』という季刊誌に載っていたインタビュー記事でした。それは、当時、巷間を騒わせていた“ロス疑惑“を特集したなかで、同誌を編集していた岡庭昇氏のインタビューに答えたものです。筒井氏は、そのインタビューで、「窓の外の戦争」というみずからの戯曲に関連して、「日本人の特性」をつぎのように批判していました。

(引用者注:「窓の外の戦争」の)戦争責任を追及するというのは、うわべのテーマであって、実際は、自分と関係のあることでも、あまり関係なさそうに客観的に見て、自分だけ逃れていこうとする。そういう日本人の特性がイヤだったんです。まあ、大きな声じゃ言えないけど、戦争に負けといて、今、日本人が一番うまいことをしている。それを別に恥ずかしいこととも思わないで、外国へ出かけていっては、やっぱり嫌われて戻ってきて、あるいは自分の国にも原因のある他国の災害とか戦争とか、そういったものをまったく関係のない、無関係の現象という目で見て、騒いで、無関係と思うからこそ騒げるわけです。(略)そもそもすべてのことを自分のこととして見ることができない特性というのが日本人にはあるんじゃないかと思うんですね。それを追及したかったんです。
(『同時代批評14』・星雲社)


この30年前の発言と「あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう」という発言がどうつながるのか。慰安婦と(筒井氏の世代にはなじみ深い)キーセンツアーを結び付けた皮肉なのかと思ったりもしますが、さすがにそれは牽強付会と言うべきでしょう。

「先生と言われるほど馬鹿でなし」という川柳がありますが、今や作家センセイは世間知らずの代名詞のようになっています。いちばん世間を知らなければならないはずの作家が、いちばん世間知らずになっているのです。にもかかわらず、彼らのトンチンカンぶりが、逆に“作家らしい本音”みたいに扱われるのです。それは、政治に対しても同様で、政治オンチな発言をしても、大衆(庶民)の心情を代弁しているみたいに、むしろ好意的に受け止められることさえあるのです。

でも、炎上狙いという点では、筒井康隆氏のツイートは、コンビニの冷凍ケースのなかに横になったり、股間をツンツンした指でコンビニの棚の商品をツンツンしたり、チェーンソーをもってクロネコヤマトを脅したりした、あの「バカッター」たちとほとんど変わらないレベルのものです。

『大いなる助走』も、『農協月に行く』も、断筆宣言も、ツイッターがない時代だったから見えなかっただけで、実際は今回のツイートと同じような底の浅い風刺や皮肉でしかなく、大西巨人が言う「俗情との結託」にすぎなかったのかもしれません。私も筒井氏のツイートに対しては、「おぞましさ」というより俗情におもねる「あざとさ」のようなものしか感じませんでした。

あらためて筒井康隆ってなんだったんだと思えてなりません。彼の作品をありがたがって読んでいた読者たちこそ好い面の皮でしょう。
2017.04.12 Wed l 本・文芸 l top ▲
今日、ESWL(体外衝撃波結石破砕術)を受けました。ESWLは、一応手術扱いになるそうで、手術承諾書(同意書)の提出を求められました。ただ、私が受けた病院は、入院の必要はなく、日帰り(外来)で行われました。

ESWLを受けるに際して、ネットの体験談などが非常に参考になりました。特に初めて受ける場合は、どうしても不安なので、ネットで検索することが多いのです。それで、私も、誰かのお役に立つことができればと思い、今日の体験をブログに残すことにしました。

ESWLを受けるのに、食事制限などはありません。薬は事前に2種処方されました。ひとつは、お腹の中のガスの気泡を放出させるガスコンという薬です。これは、施行日前日に「1日3回食後」に服用します(1日分のみ)。もうひとつは、前日の就寝前に服用する下剤が1回分だけです。

施行は午後2時からですが、検査があるので、45分前の午後1時15分までに来院してくださいと言われました。

病院に行くと、まず尿の採取とレントゲンの撮影がありました。そして、そのままレントゲン室の前で待っていると、担当の看護師さんがやってきて、レントゲン室内の更衣室に案内されました。パンツ一枚になって、その上に甚兵衛のような病衣を着るように指示されました。

看護師さんに「痛いんでしょうか?」と訊きました。看護師さんは、「痛くないとは言いませんが、人それぞれですね。痛がる人もいますし、そのまま眠ってしまう人もいますよ」と言ってました。

石のサイズや硬さやあるいは石がある場所などによって、痛みは人によって違うようです。

着替えを終えると、レントゲンと同じような機械が設置されたベットの上に仰向けに寝るように言われました。そして、「(痛み止めの)座薬を自分で入れたことがありますか?」と訊かれました。「いいえ」と言うと、「じゃあ、失礼して入れさせていただきます」と言って、横向きにさせられ、パンツを下げられると、ペンキャップのような座薬をいきなり肛門に差し込まれました。私が思わず「ああっ」と声を上げると、「声が出るくらい奥に入れなければダメなんですよ」と言ってました。

さらに、心電図の電極を両胸と左手の指先に付けられ、点滴の針を右腕に刺されました。心電図と点滴の準備が終わると、放射線技師がやってきて、右の腰を浮かしてくださいと言われました。腰を浮かすと、そこに斜めに切られたゴム製の枕のようなものを差し込まれ、腰部が左側にやや傾斜するような恰好になりました。

ベットは左の腰部のあたりがくり抜かれていますので、そうやって左の腰背部から衝撃波を当てるのでしょう。

ただ、衝撃波を正確に当てるためには、身体の位置の調整が必要で、身体を微妙に動かしたりして、調整するのに10分くらいかかりました。調整が終わると、ベルトで身体をきつく縛られ固定されました。

モニター室のなかにいたドクターが私の傍にやってきて、「じゃあ、始めますよ」「よろしくお願いしま~す」と大きな声で言いました。

すると、パチパチという音とともに左の腰背部に微かな痛みが走りはじめました。ネットで、「輪ゴムで弾かれるような痛み」と書いていた人がいましたが、まったくそんな感じです。でも、すぐに慣れ、ほとんど痛みは感じなくなりました。そのあと、衝撃波のパワーが(4段階に)上げられていったのですが、パワーが上がるとパチパチという音も大きくなり、痛みも強くなります。しかし、いづれもすぐに慣れました。

パワーを上げるたびに「痛くないですか?」と訊かれるのですが、「大丈夫です」と答えました。担当の看護師さんは、「よかったです」と言ってました。なかには、ひどく痛がる人もいて、途中でパワーを上げるのをやめることもあるそうです。

1時間近くかけて都合3500発の衝撃波を当てられました。私は、途中、眠くなりうつらうつらしたくらいです。その間、モニター室ではドクターや看護師さんがおしゃべりに興じていました。手術と言っても、緊張感のまったくない手術なのです。

ESWLを終えると、再びレントゲン撮影をされて、担当医の説明がありました。担当医は、PCのモニターに映し出された術前術後の写真を指差しながら、「このように石にヒビが入っています。あとは無事排出されることを願うばかりですね」と言いました。私は、「破砕」ということばから粉々に砕かれるイメージをもっていましたので、「ヒビ」と言われて意外な気がしました。「ヒビ」が徐々に拡大し、やがて割れて尿管を流れはじめるということなのでしょうか。ずいぶん気の長い話だなと思いました。「もし、これでダメなら、内視鏡手術など次の処置も考えなければなりません」と言われましたが、一回でダメだったら二回・三回と再施行もありなのではと思いました。

次回の診察は1か月後を指定されました。薬の処方もなく、治療費を精算してそのまま帰宅しました。治療費は再診料も含めて、3割負担で6万円弱でした。

病院を出たあと、お腹が空いたので、近くの食堂でニラレバと餃子の定食を食べ、そのあとスーパーに寄って夕飯のおかずを買って帰りました。

帰ったら、それこそ赤ワインのような血尿が出ましたが、それも一度だけで、そのあとは普通の尿に戻りました。
2017.03.29 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
日本会議の研究


森友学園問題で、独自の情報を発信し、先頭を走っているのは、フリーライターの菅野完氏と衆院議員の上西小百合氏でしょう。

上西小百合議員は、今夜、つぎのようなツイートを行っていました。


森友学園問題に関わった自民党、(旧)大阪維新、公明党の政治家やその関係者たち。そして、「口利き」や「忖度」で、“特段の便宜”をはかった財務省や経産省や大阪府の役人たち。さらにその背後に鎮座ましまして、独裁者気分で阿吽のシグナルを送っていた安倍夫妻。

一方で、忘れてはならないのは、森友問題の思想的な背景です。むしろ、それこそが森友学園問題の本質と言えるのかもしれません。

菅野完氏の『日本会議の研究』に、その背景が書かれていました。

 安倍政権を支える「日本会議」の事務総長・椛島有三も、安倍の筆頭ブレーンと目される伊藤哲夫も、内閣総理大臣補佐官である衛藤晟一も、政府が南京事件の記憶遺産を阻止すべく頼った高橋史郎も、全員が「生長の家」から出た人々だ。だが、椛島有三や伊藤哲夫を輩出した宗教法人「生長の家」本体は、1983年に政治運動から撤退している。
 しかし、その路線変更を良しとしない古参信者たちが今、教団に反旗を翻し「生長の家原理主義」運動を展開中であり、その運動に稲田朋美や百地章など、安倍政権と深いつながりを持つ政治家・学者が参画している。さらにこの「生長の家原理主義」運動は、塚本幼稚園の事例のように、政治の世界だけでなく、市民社会の中にあって、ファナティックな右傾化風潮を醸し出す要素の一つになっている。
(『日本会議の研究』)


少し注釈が必要かもしれません。伊藤哲夫氏は、日本政策研究センターというシンクタンクの代表で、「安倍政権の生みの親」と言われる安倍首相のブレーンの一人です。同時に、日本会議の常任理事(政策委員)でもあります。衛藤晟一氏は、自民党比例区(九州ブロック)選出の衆院議員で、自民党大分県連会長です。安部首相の側近中の側近です。高橋史郎氏は、最近よく耳にする「親学」の提唱者として有名な教育学者です。百地章氏は、集団的自衛権が合憲であると主張する数少ない憲法学者で、やはり、安倍首相のブレーンの一人です。伊藤哲夫氏と同じく日本会議の常任理事(政策委員)です。

世代的に下の稲田朋美氏を除いた彼らは、60年代後半に全共闘運動に対抗すべく結成された右派(民族派)学生運動を担った活動家たちです。その母体になったのは、生長の家の学生信者の全国組織である生長の家学生会全国総連合(生学連)です。

生学連の名を轟かせたのは、1968年の長崎大学における「学園正常化」運動でした。長崎は、同年の佐世保エンタープライズ寄港反対闘争の現場であり、長崎大学の自治会は、社青同解放派の学生組織である反帝学評(反帝国主義学生評議会)の学生たちが握っていて、他の大学と同様、バリケードストが行われていました。それに対して、生学連のメンバーが中心になって結成された長崎大学学生協議会の学生たちが、「学園正常化」「スト打破」を掲げ、ときに全共闘の学生たちと暴力を伴った衝突を繰り返しながら、ついに自治会を“奪還”し、バリケード撤去に成功したのでした。右派学生が自治会を握るというのは、全共闘運動最盛期においては、稀なケースで、一躍長大学生評議会とそれを率いた議長の椛島有三氏は、右派(民族派)学生運動のヒーローになったのでした。ちなみに、その頃、早稲田大学で「学園正常化」の運動を行っていたのが、のちに新右翼「一水会」を結成した鈴木邦男氏です。鈴木氏も生長の家の信者で、生学連のメンバーでした。

長崎大学の成功によって、九州学生自治連絡協議会(九州学評)が結成され、さらにそれは“九州学評方式”と呼ばれて全国に広がり、翌年(1969年)、全国組織の全国学生自治連絡協議会(全国学評)が結成されます。全国学評の初代委員長は、生学連書記長の鈴木邦男氏でしたが、しかし、鈴木氏は僅かひと月で、生学連の次の書記長・安東巌氏らの“クーデター”によって解任されるのでした。

一方、九州学評の執行委員長は椛島有三氏で、副委員長は、大分大学で「学園正常化」運動を行っていた衛藤晟一氏でした。その頃、隣の別府大学で「学園正常化」運動を行っていたのが、のちに小泉チルドレンとして衆院議員を一期務めた井脇ノブ子氏です。

森友学園の籠池理事長も生長の家の信者で、世代的にはやや下ですが、関西大学で右派学生運動をしていたという話があります。

また、全国学評には、”理論団体”として全日本学生文化会議がありましたが、その結成大会の実行委員長だったのが当時佐賀大学の学生であった百地章氏です。

やがて右派学生運動は、全共闘運動の退潮とともに終息に向かいますが、オルガナイザーの椛島有三氏は、全国学評の後継(社会人)組織として、日本青年評議会を作るのでした。その日本青年評議会こそが、日本会議の実質的な事務局を兼ねている組織です。そして、日本会議の大会などイベントの際、スタッフとして手足になって動いているのが、現在も存在する全日本学生文化会議の学生たちです。

彼らが共有するのが、生長の家の創始者・谷口雅春の「神国日本」思想です。その政治運動の原点に戻ることを目指す「生長の家原理主義」なのです。

Joe & Santaro
生長の家原理主義とは:「古事記と日本国の世界的使命」の妄想

このように、日本会議のルーツは、68年の長崎大学の右派(民族派)学生運動にあり、50年経てもなお、宗教的な紐帯で結ばれた当時のメンバーが、戦前回帰をめざす草の根の保守運動を行っているのです。謂わば彼らの”持続する志”として、日本会議があるのです。

日本会議(=日本青年評議会)は、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」や「民間憲法臨調」などさまざまな「フロント団体」を使って改憲運動を行っていますが、まず地方に改憲をめざす運動体を作り、その働きかけで県議会や市町村議会で改憲求める決議を行い、それをもって国会で実現をせまるという戦略をとっているそうです。それは、かつて元号法制化運動で成功した戦略を踏襲したものだそうですが、私は、なんだか毛沢東の「農村から都市を包囲する」革命戦略を思い出しました。

それにしても、どうして安倍首相は、「生長の家原理主義」の関係者に周りを固められ、その影響を受けるようになったのか。そのことについて、菅野完氏は、つぎのように書いていました。

それまでの総理総裁と比べ、安倍の党内権力基盤は驚くほど脆弱だ。日本会議や「生長の家原理主義ネットワーク」をはじめとする「一群の人々」が安倍の周りに群がり、影響力を行使できるのも、この権力基盤の脆弱さに由来するのではないか。安倍は他の総理総裁よりつけこみやすく、右翼団体の常套手段である「上部工作」が効きやすいのだ。
(同上)


それは、まるで安倍首相のサラリーマン時代の上司が言うように、「子犬が狼の子と群れているうち」に「狼の子」に「感化」されてしまったような感じですが、しかし、同じ「狼」でもそれはとんでもない「狼」なのです。ときの総理大臣が戦前回帰を目論む国粋主義的なカルト思想(それも、特定の宗教的カルト思想)を信奉する一群の人たちの影響下にあるというのは、呑気に片付けられるような話ではないでしょう。森友学園問題は、そんな(カルトに国が浸食される)由々しき現実の一端が顔を覗かせたとも言えるのです。


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生長の家の声明
2017.03.26 Sun l 社会・時事 l top ▲
ネットメディア覇権戦争


先日、DeNAのキューレーションサイト(まとめサイト)の無断転載等の問題に関連して、同社が設置した第三者委員会の報告書が発表されました。

内容については、下記の記事が詳しく伝えていました。

INTERNET Watch
DeNA、創業者の南場智子氏が代表取締役に復帰、キュレーションメディア事業の第三者委員会報告書を受けガバナンス強化

背景にあるのは、PV至上主義です。ネットのコンテンツの多くは、基本的に無料ですので、ネットでお金を稼ぐには広告が主体になります。そのためには、どれだけ多くのアクセスを稼ぐかがなにより重要なのです。そして、アクセスを稼ぐためには、記事の量産やSEO対策が必須です。それが今回のように、コンプライアンスが二の次になった要因でしょう。

こういったネットのしくみを作ったのは、Googleです。今でこそGoogleは、「品質に関するガイドライン」なるものを設けて、コンテンツの質を重視するようなことを言ってますが、しかし、アドワーズやアドセンスの課金に対する(唯一の)指標が、クリック数であることには変わりがありません。ネットでお金を稼ぐには、PVを無視することはできないのです。

DeNAも、キューレーションサイトから撤退するとは言ってませんので、これからは今までのような粗雑で露骨なPV至上主義ではない、もっと巧妙なPV至上主義を模索することになるのでしょう。

もちろん、それは、ネットニュースも同じです。

藤代裕之氏は、近著『ネットメディア覇権戦争』(光文社新書)で、「ネットの話題がマスメディアの恰好のネタ元」になっていることが、今のような偽ニュースの拡散につながっていると書いていました。それこそが、大塚英志氏が言う「旧メディア のネット世論への迎合」ということでしょう。

そして、そのなかで大きな役割を果たしたのが、Yahoo!ニュースやJカス(J-CASTニュース)などのミドルメディアだと言います。

 ネットをネタ元にしたニュースが溢れる現状は、ソーシャルメディアとマスメディアの関係を追い続けてきた私の立場からすると、驚きである。
 約10年前、ブログやSNSが拡大していた時期に、既存メディアは、ネット上にはコンテンツのコピーが溢れており、著作権法違反でるという批判や、何の社会的価値もない便所の落書きといった、ネットを蔑む発言を繰り返していたからだ。
 だが、人々の発言が増えるにつれて、情報はネットからマスメディアへと「逆流」するようになった。YouTubeに投稿されて国際問題にまで発展した尖閣諸島の海上保安庁動画流出や、東日本大震災の津波や被災動画を経て、ソーシャルメディアのコンテンツはニュースへと位置付けられていく。
(略)
 従来、マスメディアから流れていたニュースは、ミドルメディアの登場で、人々からマスメディアへと「逆流」することになった。そしてこの構造は、ネットの世論らしきものを生み出している。


しかし、炎上に参加している「ネット民」は、ネットユーザーのわずか0.5%にすぎず(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター山口真一研究員『ネット炎上の研究』)、ネトウヨと呼ばれる「ネット民」の比率は、ネット利用者の1%を下回る(大阪大学大学院・辻大介準教授『インターネットにおける「右傾化」現象に関する実証研究』)という調査があります。これが「ネット民大勝利」「ネットで話題」の実態なのです。

 本来マスメディアは、ネットに出回る情報を検証して、それを伝える役割があるが、ネットの情報に振り回されているのが現実だ。
 ネットで小さな波紋を起こして、、それによってミドルメディアが騒ぎ、マスメディアを動かしていく手法は、世界に広がっている。トランプ現象、そしてイギリスのEU離脱(Brexit)も同じだ。権力者や著名人の過激な発言は、アクセス数を稼ぐ格好のネタだ。ネットとマスメディアの共振で広く流布されるようになっている。


「そして、このような炎上の構造を、何らかの意図を持った国、企業、ユーザーが、利用したらどうか」(どうなるか)と警鐘を鳴らすのですが、実際にヤフーは、Yahoo!ニュースを利用して、自社の事業のために世論誘導を行ったり、ライバル会社の商品に対するネガキャンを行った「前科」があるそうです。

さらに藤代氏は、ミドルメディアの姿勢をつぎのように批判します。

 多くの人は、まさか自分たちが見ているニュースが、ここまで汚染されたり、偏ったりしているとは思わないだろう。人々のニュースへの信頼を利用して、プラットフォーム企業が巨額の利益を上げている。(略)「人々が発信する情報を掲載しているだけ、後は各自の判断で」というプラットフォーム企業の常識は、もはや通用しない。


藤代氏は、取材を受けるのにメディアを選別するヤフーの宮坂社長を、「取材に対してウソをつくトップがいるような組織に、信頼と品質など担保できるわけがない」と批判したところ、逆に「ネット民」から批判を浴び炎上したそうです。ただ、その際、ニュースサイトや広告代理店の関係者から、「ヤフーにはジャーナリズムの素人しかいない。ニュースの判断などできるはずがない」「これまでも何かと条件をつけて配信料を値下げしてきた。発信者支援などごまかしに過ぎない」「ヤフーが考える方針に従わないと、嫌がらせをされた」「社内の数字が達成できないからと、営業努力を求められた」などという声が、藤代氏のもとに寄せられたそうです。

そもそもYahoo!ニュースには、「編集権(編集の独立)」というニュースメディアとしての最低限のシステムも考え方も存在してないのです。Yahoo!ニュースがピューリッツァー賞を目指す(宮坂社長のことば)なんて、片腹痛いと言わねばなりません。Yahoo!ニュースにとって、ニュースは所詮、マネタイズする対象でしかないのです。

その典型がコメント欄でしょう。

 差別発言や誹謗中傷が溢れ、ヤフー自身も極端なレッテル貼りや、差別意識を助長させるような投稿があったと認めているニュースのコメント欄(略)。このコメント欄はプラットフォーム部分とされ、プロ責(引用者注:プロバイダ責任制限法)対応となる。つまり、事後対応でよいため、無秩序な状態が放置されてしまうのだ。


ヤフーは、とかく問題の多いコメント欄に対しても、「メディアとプラットフォームの部分をうまく使い分け」責任回避をしてきたのです。もちろん、いくら問題があっても、コメント欄を閉鎖する気なんてないそうです。「理由は単純で、コメント欄がアクセスを稼いでいるから」です。つまり、バイラル効果でお金を生むからです。Yahoo!ニュースの政治関連の記事に、ネトウヨと親和性が高い産経新聞の記事が目立つのも、故なきことではないのです。

こう考えてくると、藤代氏のつぎのようなヤフーに対する批判は、的を射ていると言えるでしょう。

 言論に責任を持たず、社会を惑わす企業は、ニセモノのメディアに過ぎない。


 組織的にリスクを回避する仕組みがなく、体制も整わない中で、新聞記者に憧れたトップがいくら旗を振っても、ニセモノのジャーナリズムは本物にならない。



関連記事:
Yahoo!ニュースの罪
『ウェブニュース 一億総バカ時代』
私刑の夏
2017.03.22 Wed l ネット・メディア l top ▲
尿管の石は、来週、ESWL(体外衝撃波腎尿管結石破砕術)で破砕することになりました。

尿管結石は今回で4回目ですが、今回は石が大きいので、自然排出は望めないのです。もっとも、毎月通っている泌尿器科で、もう2年くらい前から、腎臓にある石が直径10ミリを越えているとかで、破砕をすすめられていたのですが、自覚症状もなかったので、ずっと先延ばしにしていたのでした。

先日、そのかかりつけの泌尿器科に行って、「先生、実は、石が尿管に落ちました」と言いました。すると、先生は、「とうとう落ちましたか」と言って、レントゲンで確認してくれました。

石は大きく、しかも尿管の上の方にあるので、「ESWLで大丈夫でしょう」と言ってました。「病院ではTUL(経尿道的尿管砕石術)をすすめられるのですが?」と言ったら、「その必要はないでしょう」「TULは麻酔をして5~6日入院しなければならないので大変ですよ」とアドバイスしてくれました。

なんだかセカンドオピニオンを受けた感じで、かかりつけ医がいると、こんなとき便利です。 ただ、ESWLの場合、一度で完全に破砕されるとは限らないので、何度かの破砕も覚悟しなければならないと言われました。

破砕を受ける総合病院には、救急時も含めて今まで三度受診しましたが、既に医療費が3万円以上かかっています。その病院の場合、ESWLは「日帰り手術」で済むのですが、それでも6万円くらいかかると言われました。破砕のあとも何度か通わなればならないでしょうし、都合10万円は負担しなければならないでしょう。結石も結構お金がかかるもんだなとあらためて思いました。

かかりつけの先生に、「やっぱり、先生から言われていたときに破砕すればよかったですね」と言ったら、「人間というのはそんなもんですよ」と言って笑っていました。
2017.03.20 Mon l 健康・ダイエット l top ▲
安倍挨拶状
上は、先ほど菅野完氏のツイッターにアップされた安倍首相の挨拶状です(クリックで拡大可)。籠池理事長は以前、安倍首相が塚本幼稚園に来る予定だったけど、総裁選に出馬したため、スケジュールの調整が付かず来ることができなくなった、と言ってました。それを裏付ける資料と言えるでしょう。

森友学園問題は、ここ数日で、国会から籠池理事長にイニシアティブが移った感じでした。

籠池理事長にしても、籠池理事長の「窮鼠猫を噛む」路線への転換に一役買った菅野完氏にしても、当然リスクはあるでしょう。特に、出る杭を打つことを生業とする週刊誌にとって、安倍夫妻より籠池理事長や菅野氏のほうが素材としては美味しいはずです。脛に傷を持たない人間なんてそうそういるものではありません。その意味では、菅野氏はあえて火中の栗を拾ったと言えなくもないのです。

一方で、フリーライターの菅野氏にマイクを向けて、籠池理事長の情報を得ようとするマスメディアの連中には、それこそ「恥を知れ」と言いたくなりますが、しかし、悲しいかな、森友学園問題は今後ますますテレビ局を中心とするマスメディア主導で収束が図られる、そういう方向に進むのは間違いないでしょう。

来週の証人喚問は、国会と籠池理事長によるイニシアティブ争奪の“最終決戦”の場と言っていいのかもしれません。しかし、自民党の竹下亘国対委員長の「総理に対する侮辱だ」ということばが象徴するように、「ほとんど独裁者気分」の「宰相A」相手に一介の「民間人」が「窮鼠猫を噛む」ことは、至難の業と言えるでしょう。

菅野完氏の『日本会議の研究』(扶桑社新書)に、今の森友学園問題を予見しているかのような箇所がありました。戦前に出版された(旧)生長の家の経典『生命の實相』を掲げて講演する稲田朋美氏と、教育勅語を唱和したり「愛国行進曲」や「日の丸行進曲」を合唱する塚本幼稚園を並べて紹介した上で、つぎのように書いていました。

 この2つの写真、一見何ら関係のないように見える。しかし、「『生命の實相』を掲げて講演する稲田朋美」と「愛国行進曲を唱和する塚本幼稚園」の間には、極めて太い関係性があるのだ。


その「太い関係性」というのは、“生長の家原理主義”です。

日本会議の中心メンバーが、(旧)生長の家の学生信者たちによる民族派学生運動の元活動家たちで占められていることはよく知られた話ですが、その思想的な核にも、谷口雅春の「神国日本」思想を信奉する“生長の家原理主義”があるというわけです。

昨日、瑞穂の國記念小學院の現場で、視察に訪れた参院予算委員会のメンバーたちを籠池理事長が応対していた際、「森友学園は悪くない!」「森友学園がんばれ!」と絶叫する、「ほとんどビョーキのような」女性の声が聞こえていましたが、あれは在特会元大阪支部長の女性活動家の声だそうです。その声をバックに、籠池理事長は、「我々がこの学園をつくり上げようとしたのは、みなさん方のご意志があってこそだと思っております。そのご意志のなかには、大変恐縮ですが、安倍内閣総理大臣の寄付金も入っておりますことを伝達します」と“爆弾発言”を行ったのでした。

私は、そのシーンを観ながら、先日、毎日新聞のウェブサイトに載っていた下記の記事を思い出したのでした。

毎日新聞ニュース
新ナショナリズムの正体! 「森友学園」問題と「世界のアベ」を解読=伊藤智永

「世界のアベ」を自認する安倍首相が、好きな外交で得た「尊大な自信」と「英雄気分」を、「校庭にゴミの埋まった未認可小学校の『「疑惑』など、実にくだらないイチャモン」でケチを付けられてイライラしているというのは、そのとおりかもしれません。だから、あのように、すぐキレるのでしょう。

でも、問題は、「雄大な外交戦略と卑俗な雑事の落差」だけではないのだと言います。

 しかし、安倍首相の苛立ちは、外交と内政、雄大と卑俗の落差ばかりが原因ではない。日露・日米首脳会談と学校法人「森友学園」問題は、実はどちらもナショナリズムの発露という特徴が共通している。ただし、外交ナショナリズムはグローバリゼーションの潮流に棹(さお)差し、そこで生き残るため、さらに果敢な攻勢に打って出る新しいナショナリズムであるのに対し、日本会議的なナショナリズムはステレオタイプの旧来「保守」型であり、グローバリゼーションへの積極的対応や親和性は薄い。

 水と油の新旧ナショナリズムが、引き離そうとしても磁石のN極とS極のように安倍氏の両脇にぴたりと張り付き、安倍「保守」政治のねじれで首相本人もよじれている。「保守」という多義的な価値観のずれが日増しに拡大し、安倍「保守」政治が引き裂かれつつある。安倍政治から「保守」の要素が引き剥がされて、国内自足的な旧態「保守」とは同居し難くなっている。そのジレンマにもがく苛立ちも深層に底流している。


今日、瑞穂の國記念小學院の現場で見られた光景は、その新旧のナショナリズムの解離と対立を映し出していると言ってもいいのかもしれません。もちろん、籠池理事長の「窮鼠猫を噛む」路線への転換も、個人的な感情だけでなく、その脈絡でとらえることも可能でしょう。

安倍首相の「なんちゃって右翼」は、大好きなおじいちゃんの名誉を復権し、そのおじいちゃんに溺愛されたボクが辿り着いた「自己愛の世界」にすぎないのです。あくまで”趣味のようなもの”なのです。その”趣味”である「稲田朋美」や「森友学園」のお粗末さが現在、露わになっているのですが、彼らが依拠する”生長の家原理主義”に象徴されるような、復古主義的で「国内充足的な」ナショナリズムは、もはやボクの足をひっぱる都合の悪いものになりつつあるというわけです。籠池理事長の「仲が良かったのに裏切られた」という発言は、いみじくもその本質を衝いているとも言えるのです。


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安倍三代


今国会の森友学園問題における答弁でも、安倍首相の「息を吐くように嘘を言う」性格や、批判に対してすぐ激高する子どもじみた性格が、これでもかと言わんばかりに出ていました。

それは、安倍首相だけではありません。昭恵夫人の講演などを見ても、その喋り方からして、おせいじにも頭がよさそうには見えません。

昭恵夫人は、森永製菓の創業家のお嬢様でしたので、小学校からずっと聖心女子学園に通っていました。しかし、「勉強が嫌い」(本人の弁)で成績が悪かったため、多くの同級生たちが進む聖心女子大には入れずに系列の専門学校に行ったのですが、昭恵夫人自身も、週刊誌のインタビューで、そのことがコンプレックスだったと言ってました。それで、第一次安倍政権のあと、(大卒の資格がなくても入れる)立教大学の大学院に入り、修士号を取得したそうです。

安倍晋三首相も、小学校から大学まで吉祥寺の成蹊学園に通っていました。私も安倍首相に近い世代ですので、当時の成蹊大学のことを知っていますが、知名度は低かったものの、決して“バカ大学”ではありませんでした。早慶や上智には及ばないものの、明治や立教などとは充分肩を並べるくらいの大学でした。ほかで言えば、明治学院や青学や学習院と同じくらいでした。

ただ、それはあくまで外部からの一般入試の場合です。高校の同級生で成蹊に行った人間がいますが、その人間はよく「付属から来た人間はバカが多い」と言ってました。安倍首相自身も、受験(受験勉強)を経験してないことがコンプレックスだと言っていたそうです。

青木理氏の『安倍三代』(朝日新聞出版)を読むと、成蹊の同級生たちは、安倍晋三氏について、「可もなく不可もなく、極めて凡庸で何の変哲もない“いい子”だった」と口を揃えて言ってました。大学のゼミの指導教官も、晋三氏がゼミでなにか発言しているのを聞いたことがなく、卒業論文が何であったかも「覚えていない」そうです。

母方の祖父の岸信介も、父方の祖父の安倍寛も、父親の安倍晋太郎も、みんな東大を出ています。しかし、晋三氏は小学校から大学までいわゆるエスカレーター式で上り、受験勉強も経験してないのです。同級生の話では、晋三氏の成績は、東大はおろか、早慶も無理だったそうです。

父方の祖父の安倍寛は、故郷の山口県(旧)日置村の村長や山口県会議員を経て、国会議員を二期務めた政治家です。しかし、安倍晋三氏とはまったく異なる政治信条をもつ人物でした。二度目(1942年)の国政選挙に出馬した際は、戦争中で、全政党が解散させられた、文字通りの翼賛選挙でした。そのなかで、安倍寛は、大政翼賛会の推薦を受けない“非推薦候補”として、特高警察や憲兵隊の監視や妨害を受けながら、当選を果たしたのでした。その際の選挙スローガンは、「富の偏在は国家の危機を招く」というものでした。軍の暴走と無謀な戦争を怒り、農村の窮乏を訴えた、「反骨と反戦の政治家」だったのです。

父親の安倍晋太郎も、タカ派の福田派に属しながら、子どもの頃、父親に対する官憲の弾圧を目にしたことや新聞記者をしていた経験から、護憲を明言する平和主義者で、バランス感覚にすぐれた政治家だという評価があります。また、安倍晋太郎は、六高(旧制第六高等学校)時代、生涯の友となる韓国出身の同級生と出会っています。そのため、在日朝鮮人に対する偏見もなく、実際に地元の山口では在日の支援者も多くいたそうです。そういった懐の深さもあったのです。

しかし、安倍晋三氏は違います。著者の青木理氏は、こう書いていました。

成育過程や青年期を知る人々にいくら取材を積み重ねても、特筆すべきエピソードらしいエピソードは出てこない。悲しいまでに凡庸で、なんの変哲もない。
(略)
しかし、それが同時に不気味さを感じさせもする。なぜこのような人物が為政者として政治の頂点に君臨し、戦後営々と積み重ねてきた“この国かたち”を変えようとしているのか。これほど空疎で空虚な男が宰相となっている背後には、戦後70年を経たこの国の政治システムに大きな欠陥があるからではないのか。


少なくとも学生時代も、サラリーマン時代も(と言っても僅か三年ですが)、今のような右翼的な言動は微塵もなかったそうです。いつからネトウヨのような思想をもつようになったのか。

もしかしたら安倍晋三氏のそれは思想と言えるようなものではないのかもしれません。安倍晋三氏こそ、「なんちゃって右翼」と呼ぶべきなのかもしれないのです。所詮は、「趣味」のレベルでしかないのではないか。

晋三が敬愛してやまない岸信介にせよ、父方の祖父の安倍寛にせよ、あるいは父の安倍晋太郎にせよ、青年期から政治家を目指す気概に溢れ、天賦の才に加えてかなりの努力も尽くしていたが、晋三の周辺をいくら取材してもそんな様子は微塵も感じられない。
『安倍三代』


青年期までの晋三には、たとえば岸の政治思想を深く突きつめて思索を重ねた様子はなく、そうした思想を下支えする知を鍛えあげた痕跡もなく、血肉化するための努力を尽くした気配もない。
(同上)


大学の恩師である加藤節成蹊大名誉教授も、「彼(晋三)は大学4年間で、自分自身を知的に鍛えることがなかったんでしょう」と言っていたそうです。そして、安倍首相には、ignorantの「無知」とshamelessの「無恥」の二つの「ムチ」があると酷評するのでした。

サラリーマン時代の上司は、今の安倍晋三首相について、「(政界入り後に)周りに感化された」んじゃないか、「子犬が狼の子と群れているうち、あんなふうになってしまった」んじゃないかと言っていましたが、言い得て妙と言うべきかもしれません。

安倍晋太郎の番記者であった元共同通信記者の野上忠興氏も、『安倍晋三 沈黙の仮面』(小学館)で、つぎのように書いていました。

(略)安倍氏は、「気が強く、わがまま」(養育係の久保ウメ)で、「反対意見に瞬間的に反発するジコチュー(自己中心的)タイプ」(学友)だ。それが、父・晋太郎氏が懸念した「政治家として必要な情がない」一面につながっている。


こういった上げ底の薄っぺらな夫婦が、「一強」などと言われ、巨大な権力を動かすその頂点に鎮座ましましているのです。さらに、2021年までの、日本の憲政史上稀に見る長期政権まで視野におさめているのです。


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2017.03.14 Tue l 社会・時事 l top ▲
森友学園の籠池理事長が記者会見し、小学校の認可申請を取り下げ、みずからも理事長を退任することをあきらかにしたそうです。

つぎつぎとあきらかになる不正。「不認可」は既定路線でしたので、「苦渋の決断」(籠池理事長)をせまられた、そう追い詰められたと言えなくもないでしょう。

森友学園は、籠池夫妻が実権を握り、「愛国」教育に舵をきってから、退園者が続出、経営状態が急速に悪化したと言われています。

森友学園が、大阪府(私学審議会)と国土交通省と伊丹空港を運営する関西エアポートに、それぞれ金額が異なる工事請負契約書を提出した件では、昨日、施工業者が大阪府の聞き取りに対して、「学園側の虚偽説明に基づき作成したことを認めた」というニュースがありましたが、これが取り下げの決定打になったのかもしれません。

今回の問題は、豊中市のひとりの市議が情報開示の訴えを起こさなければ、そして、朝日がそれをスクープしなければ、間違いなく闇に葬られたのです。

言うまでもないことですが、国有地は、財務官僚のものでも、与党の政治家のものでもないのです。国民の財産なのです。補助金は、財務官僚や与党の政治家たちがポケットマネーから出しているわけではないのです。私たちが納めた税金なのです。このデタラメぶり、ザル加減は、一体なんなんだろうと思います。私は、広瀬隆氏の「私物国家」ということばを思い出さざるを得ませんでした。

小学校用地の“値引き”をめぐって、森友学園と近畿財務局の交渉が本格化していた時期に、安倍首相が国有地を担当する財務省理財局の迫田英典局長(安倍首相の選挙区と同じ山口県出身)と何度も会っていたという話がありますが、その迫田氏は、現在、国税庁長官です。週刊新潮が書いているように、「税の徴収を司る者が国有財産を叩き売りしていたなんて、トンだお笑い種」で、「ブラックジョーク」としか言いようがありません。

森友学園の塚本幼稚園は、安倍政権がすすめる「教育再生」を先取りした将来の“あるべき教育の姿”と言っていいのかもしれません。「愛国」者たちにとって、”理想の幼稚園”だったのではないか。そして、「安倍晋三記念小学校」(瑞穂の國記念小學院)を戦前的価値を称揚する「教育再生」の“モデル校“にしたかったのかもしれません。

教育勅語についても、安倍首相は「大変すばらしい理念が書いてある」と国会で答弁していますし、下村博文元文科大臣も在任中、「至極まともなことが書かれていると思う」と発言しています。また、稲田朋美防衛大臣も、先日の国会で、「教育勅語の精神は取り戻すべきだと今も思う」と発言しています。それどころか、稲田氏は、文科省が塚本幼稚園が「教育勅語を教えるのは適当ではない」と新聞取材に答えたことに対して、「なぜいけないのか」と担当者を「恫喝」したなどという話さえあるのです。

小沢一郎氏に言わせれば、稲田朋美氏は安倍首相の「趣味のようなもの」だそうですが、塚本幼稚園も、稲田氏同様、安倍首相の「趣味」だったのではないか。だから、ほとんどビョーキのような「愛国」教育を「素晴らしい」と言い、“名代“の昭恵夫人が小学校の名誉校長になったのでしょう。「(籠池氏は)私の考え方に非常に共鳴している方」という安倍首相の国会答弁が示すように、籠池理事長と安倍首相は、ネトウヨまがいの極右思想を共有した相思相愛の仲だったのでしょう。

上西小百合議員が言うように、実行部隊は松井一郎大阪府知事をはじめとする大阪維新の政治家やその関係者たちだったのかもしれませんが、その裏で安倍首相を含めた「愛国」者たちの邪な思惑がはたらいていたと考えてもおかしくないのです。

松井一郎知事は、自民党の府議会議員時代から日本維新の有力メンバーとして活動していたそうです。安倍首相の日本会議を媒介とする大阪の”改憲人脈”は、自民党より大阪維新が中心だと指摘する人もいるくらいです。

上西小百合議員は、今日の認可申請取り下げに関して、つぎのようにツイートしていました。


また、産経新聞も、問題が発覚する前は、塚本幼稚園の「愛国」教育について、下記のように、まるでパブ記事とみまごうような記事を書いていたのです。みんな、安倍首相の「趣味」を共有していたのです。

産経WEST
安倍首相夫人・アッキーも感涙…園児に教育勅語教える“愛国”幼稚園 「卒園後、子供たちが潰される」と小学校も運営へ

そして、問題が発覚したら、今度は手のひらを返したように、「愛国」者たちは森友学園を見放したのです。籠池理事長が恨みがましく言うように、「尻尾切り」を行ったのです。

安倍首相周辺では、「国家戦略特区」を利用して、「腹心の友」に36億円の国有地を無償譲渡したと言われる、加計学園の問題が新たな疑惑として浮上していますが、愛国心を方便に国家(日本)を食い物にする「愛国」者たちこそ、“フェイク“あるいは国を食む”シロアリ”と言うべきでしょう。
2017.03.10 Fri l 社会・時事 l top ▲
痛み止めも効かず、明け方まで痛みに苦悶していたものの、幾分収まったのでそのまま寝てしまいました。

そして、目が覚めて、病院に行こうかどうしようかと迷っていたとき、そんな「喉元過ぎれば熱さも忘れる」傲岸な考えを打ち砕くように、再び痛みが襲ってきたのでした。吐き気を催すような痛みです。まだ歩くことはできましたが、じっとしていることもできないような痛みでした(知人は、床をのたうちまわったそうですが、そこまでひどくはありません)。

それで、慌てて病院に電話して、受診の予約をしました。行きのタクシーに乗っているときも、検査をしているときも、待合室で診察の順番を待っているときも、断続的に襲ってくる痛みを耐えるのに必死でした。吐き気だけでなく、全身から汗がダラダラ流れてくるのでした。

今日は泌尿器科の専門医なので、昨夜のCTスキャンと今日のレントゲンの結果を、図を使って詳しく説明してくれました。石は腎臓から尿管に移動しているものの、まだ途中で止まったままだそうです。石自体が大きいので、このまま自然排出するのはむずかしいかもしれないと言われました。来週始めの診察日は予約でいっぱいなので、一週間後の診察日を予約しました。

「でも、このまま一週間排出されないということもあり得ますね」
「そうですね。その可能性が高いです」
「じゃあ、その場合、痛みがずっとつづくということですか?」
「そうなりますね」
「ひゃ~、この痛みはなんとかなりませんか?」
「痛み止めで凌ぐしかありませんね」

一週間後、石の状態を見て、破砕する手術が必要になるかもしれないと言われました。その際、対外から衝撃波を当てて破砕するESWL(体外衝撃波腎尿管結石破砕術)と、内視鏡を使ってレーダーで破砕するTUL(経尿道的尿管砕石術)の二つの方法があると言われました。石の大きさや石のある場所(尿管の上か下か)によって、選択肢も違ってくるそうです。

痛みが出たらどうするか、どうやって耐えるか、不安です。昨夜、処方してもらった痛み止めに加えて、座薬の痛み止めも処方してもらいました。

石を排出するには、水分をとることと、運動をすることだと言われました。それで、診察のあと、歩いて帰りました。外は冬の寒さでしたが、まだ残っている痛みで全身は汗びっしょりでした。ダウンを脱いでシャツ一枚で歩きました。途中、何度も道端にしゃがみ込みたくなりました。なんだか頭もクラクラしてきて、気もうつろといった感じでした。

ところが、痛み止めの薬が徐々に効き始めたのか、帰ったら急に眠くなり、そのままベットで寝てしまいました。そして、数時間後、目が覚めたときには、嘘のように痛みがなくなっていました。もちろん、石は排出していません。

ドクターは、石によって尿路の流れが悪くなっているので、水腎症の症状も出ていると言ってましたが、次回の診察日まで一週間、そのまま放置して大丈夫なのかと思いました。

痛みの原因は、尿が尿管に移動した石でせき止められ腎臓に逆流することによって、腎臓に圧がかかるからだそうですが、午後からは不思議と痛みが出ていません。このままずっと行ってくれればいいなあと思いますが、尿管に石がとどまっている限り、そんな甘い考えは通用するはずもないのです。

痛みがなくなったので、本屋へ行こうと駅のほうに向かっていたら、顔見知りの商店主に会いました。その商店主も長年の”石持ち”で、石が大きいため、ESWLで何度も破砕を試みるものの、まだ完全に排出されてないそうです。今日も、血尿を伴って小さな石が出ていると言ってました。「石のことならなんでも聞いてくださいよ」と言ってました。なんだかそう言って、胸を張っているような感じでした。

「でも、ものは考えようで、血尿が出るということは良くなっている証拠なんですよ。それだけ石が動いているということなんです。だから、前向きに考えることにしているんです」と、文字通り口角泡を飛ばしながら自論を展開していました。
2017.03.09 Thu l 健康・ダイエット l top ▲
昨日の午後からお腹が痛くなりました。私は、腎臓に石がある、(金持ちではなく)”石持ち”なので、尿管結石かなと思いましたが、しかし、過去の経験から見て(尿管結石は三度経験しています)、どうも痛みの場所が違うような気がするのです。尿管結石の場合は、下腹から脇腹、そして腰にかけて痛みがあるのですが、今回は胃のあたりが痛いのです。

食べ過ぎかもしれないと思いました。それで、近所のドラッグストアに行き、薬剤師に相談して、漢方胃腸薬を買ってきました。薬を飲むと、痛みも和らぎました。やっぱり、食べ過ぎだったんだと思って安心していました。

ところが、それから数時間後、突然、前にも増した激しい痛みに襲われたのでした。慌てて服を着替え、タクシーを呼んで、隣の駅にある救急病院に駆け込みました。

病院では、血液検査と腹部のCTスキャンを受けました。検査結果が出る間、点滴を受けながら待ちました。

夜の待合室には、4~5人の“先客”と付き添いの人がいましたが、ほとんどがそのままベットに寝かされ、入院病棟の方に運ばれて行くのです。その様子を見ながら、もしかしたら、自分も入院になるのではないか、尿管結石ではなく、大動脈解離で緊急手術になるのではないかなどと考えたりして、だんだん不安になってきました。ひとり暮らしなので、入院になったら、着替えの下着などどうすればいいんだろうと思いました。

検査の結果は、結石でした。このブログで調べたら、前回症状が出たのが2008年の1月でしたので、9年ぶりの再発になります。とりあえず、痛み止めを飲んで様子を見た上で、明日か明後日、泌尿器科を受診してくださいと言われました。初診でもあったので、受診料は薬代を含めて、3割負担で1万円を超えました。

かかりつけの病院でも、前から破砕をすすめられていましたので、今回石が排出されなかったら、破砕治療を受けるしかなさそうです。

ただ、痛み止めを飲んでもまだ痛みが残っています。今夜は、不安な長い夜になりそうです。


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2017.03.09 Thu l 健康・ダイエット l top ▲
安倍夫妻との関係が疑惑をよんでいる「安倍晋三記念小学校」(瑞穂の國記念小學院)の土地売却問題ですが、大手マスコミ(特に読売新聞と産経新聞)が“自主規制”していたため、今ひとつわかりにくい面があります。

本来なら時系列や関係図で疑惑をわかりやすく説明するはずですが、今回はそういったものがほとんどありません。疑惑をスクープした朝日新聞や昭恵夫人の講演ビデオを流したテレビ東京などを除いて、独自取材による記事はきわめて少ないのです。これこそ報道の自由度ランキング(「国境なき記者団」)72位の国にふさわしい光景と言えるでしょう。

森友学園に対しては、二つの側面から疑惑があります。ひとつは、財務省が権限をもつ国有地の売却問題です。もうひとつは、大阪府が権限をもつ小学校新設の認可の問題です。

まず土地売却の疑惑ですが、問題が明らかになったのは、、市民オンブズマンの活動をしているひとりの豊中市議の提訴がきっかけでした。2016年豊中市にある国有地が「安倍晋三記念小学校」(瑞穂の國記念小學院)の開校を申請している運営母体の森友学園に売却されたのですが、その売却額が非公表になっていたのに疑問をもった市議が、売却額の公表を求めて提訴したのです。そして、2017年2月8日、売却額が公表され、その金額の低さ(値引き額の多さ)に注目が集まったのでした。

この土地は、当初は国と森友学園の間で、10年間賃貸し、そのあと時価で売買することを約束した定期借地契約になっていました。ただ、森友学園が賃貸契約を結ぶ前、別の学校法人が、撤去費用や汚染土除去費用を差し引く同様の条件で、5億8000万円で購入を希望していたものの、金額面で折わなかったという話があります。また、上記の学校法人と同じかどうかわかりませんが、毎日新聞の最新の記事では、2012年に同じ豊中市にある大阪音大が7億円で購入する意思を示したけど、国が9億円以上の金額にこだわったため、やはり折り合いが付かなったそうです。

その後、森友学園が近畿財務局の公募に応じるのです。もっとも、公募と言っても、実際は森友学園との随意契約でした。国有地の売却を競争入札ではなく随意契約で行うのは前例がないそうです。ところが、森友学園は、取得資金が用意できませんでした。すると、近畿財務局は、売買ではなく賃貸契約に変更するのです。買主の都合で契約を変更することも、新規に学校を建設するのに国有地を定期借地契約で借りるのも、前例がないそうです。このように、森友学園に対して、前例のないさざまな便宜がはかられたのでした。

2016年3月、森友学園から近畿財務局に対して、杭打ちをしている際、地中に生活ゴミが埋められていることが判明したと通告があります。すると、今度は一転して、売買に向けた動きがはじまるのでした。 しかも、前年(2015年)には、もとの登記簿上の所有者であった国交省大阪航空局が、地下3メートルまでのゴミの除去費用として、既に1億3200万円を負担しているのです。

2016年3月14日
通告を受け、近畿財務局の依頼で大阪航空局が現地調査を行います。民間の専門業者ではなく、大阪航空局が現地調査を行うのです。

2016年3月24日
森友学園が賃貸契約をやめて買取ると申し出ます。

2016年4月14日
大阪航空局は、ゴミの撤去費用として、8億2200万円の見積を行います。専門外の大阪航空局がゴミの撤去費用の見積を行うのも初めてだそうです。しかも、森友学園の籠池泰典理事長は、問題発覚後、ゴミ撤去の実費は1億円くらいだと"”証言”しているのです。

2016年5月31日
国有地の不動産鑑定評価額が9億5600万円と決定。

2016年6月20日
撤去費用を差し引いた1億3400万円で売買契約が結ばれます。国は既に撤去費用として1億3200万円を負担することになっていますので、実質的には200万円で9億5600万円の土地を手放したことになります。1億3400万円という金額は、周辺の土地に比べて10分の1の価格だそうです。しかも、校舎の建築費用に対して、別途、6千円の補助金まで付けられているのです。要するに森友学園は、携帯電話と同じ「実質0円」で、9億5600万円の土地を手に入れたことになります。

取得代金の支払方法についても、前例のない破格の条件が付けられています。頭金が2700万円で、残りの1億円は10年間の分割(年1100万円)で延滞利息は1%だそうです。

しかも、どういう経緯でそういった破格の条件になったのか、交渉の記録は既に破棄されおり、確認しようがないと国会で答弁されています。

この小学校に関しては、当初「安倍晋三記念小学校」と付けることを学園が希望し、「安倍晋三記念小学校」の名称で寄付金集めも行われていました。国会でも問題になっていますが、実際に昭恵夫人が名誉校長に就任していました。

昭恵夫人が初めて系列の塚本幼稚園を訪れたのは2014年だと言われています。フジテレビで流れた映像では、2014年4月、塚本幼稚園で、「日本国のために活躍されている安倍晋三内閣総理大臣を一生懸命支えていらっしゃる昭恵夫人、本当にありがとうございます。ぼくたち、わたしたちも頑張りますので、昭恵夫人も頑張ってください」と園児が言うと、昭恵夫人は「感動しちゃいました」と言って涙ぐんでいました。日本国を「我が朝鮮」、安倍晋三内閣総理大臣を「偉大な金正恩同志」と置き換えれば、北朝鮮の幼稚園とそっくりです。

また、森友学園のサイトには、つぎのような安倍昭恵名誉校長の挨拶文が掲載されていました。

籠池先生の教育に対する熱き思いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました。

瑞穂の國記念小學院は、優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます。

そこで備わった『やる気』や『達成感』、『プライド』や『勇気』が、子ども達の未来で大きく花開き、其々が日本のリーダーとして国際社会で活躍してくれることを期待しております。


塚本幼稚園での講演で、昭恵夫人は、「(こちらの教育方針は)主人も素晴らしいと思っている」「せっかくここ(塚本幼稚園)で芯ができたものが(公立の)学校に入った途端揺らいでしまう」と発言していました。

塚本幼稚園は、教育勅語を暗唱させ、排外主義的な教育をおこない、運動会の選手宣誓で「大人の人たちは、日本が他の国に負けぬよう、尖閣諸島・竹島・北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国・韓国が心を改め、歴史で嘘を教えないようお願いします。安倍首相がんばれ、安倍首相がんばれ。安保法制国会通過よかったです」と年端もいかない園児に言わせるような、「ほとんどビョーキのような」幼稚園なのです。

その「芯」が公立の小学校に行ったら「揺らいでしまう」と昭恵夫人は言っているのです。だから、「芯」が揺らがないように独自の学校が必要だとでも言いたげです。

また、自身のフェイスブックにも、つぎのような写真とコメントを載せていました。

https://www.facebook.com/akieabe/

もうひとつは、大阪府が権限をもつ認可の疑惑です。こちらの問題は、上西小百合議員が孤軍奮闘しています。

もともと森友学園と大阪維新の会は近い関係にあったと言われています。松井一郎大阪府知事と籠池理事長は、ともに日本会議の有力メンバーです。また、同じ改憲論者として、森友学園と橋下徹氏(豊中市在住)との関係を指摘する声もあります。上西議員のツイッターによれば、ハシシタと同じ大阪北野高校ラグビー部出身の籠池理事長の息子は、日本維新の会(旧大阪維新の会)の足立康史議員の私設秘書だったそうです。

上西議員自身、維新の議員になった際、塚本幼稚園を視察してその素晴らしさを広めろと命じられたのだとか。


そして、上西議員は、党本部に送ったそのときの報告書をツイッターに載せていました。

2014年10月
まだ土地取得をしていなかったにも関わらず、森友学園は小学校の新規開校の認可申請を大阪府に行います。認可申請後、大阪府は財務省と協議を行い、その結果、財務省は近畿財務局をとおして森友学園と国有地の借地契約を結んだのでした。

その前の2011年、学園側から私立小学校の設置認可審査基準の緩和の要望があり、それを受けて同年12月4日、大阪府は審査基準の緩和を決定したのでした。それは、幼稚園しか設置してない学校法人に、借入金があっても設置を認めるという内容で、まるで森友学園のために緩和したみたいですが、実際に緩和後の小学校の認可申請は森友学園の1件だけだそうです。

2014年12月
大阪府は、認可申請を私学審議会に諮ります。しかし、財務状況に不安あるなどの理由で、いったんは認可が見送られます。

2015年1月
翌月、森友学園の申請を再審査するためだけに、臨時会が開かれます。そして、開校に向けた進捗状況を報告するという条件付きで、「認可適当」の答申がなされたのでした。それも、前例ないほどのスピード認可でした。

ただ、開校をとりまく状況はきびしいものがあり、1・2年生各80名の定員に対して、1年生が45名、2年生が5名しか応募がなく、さらに今回の問題で1年生5名が入学を辞退したそうです。寄付金頼りの財政状況も問題で、職員に対して1学期分の人件費しか用意できてないという声もあります。

また、松井一郎大阪府知事が、タダ当然で手に入れた森友学園の土地について、「転売禁止条項がついているから、法人が転売で儲ける事はできない」と発言していることについて、転売禁止条項の有効期間は10年で、そのあとは転売可能で、「転売できない」というのは嘘だと上西議員が指摘していました。

一連の経緯の過程で、安倍首相が国有地を担当する財務省理財局の同郷の幹部(のちに国税庁長官に昇進)と頻繁にに接触していたという話もありますが、森友学園を特別扱いした背景に政治家の関与がなかったなんて、常識的に考えても通用しない話でしょう。日本会議を媒介とする安倍首相の大阪の”改憲人脈”が裏で動いていたとか、実父の椿原泰夫氏が籠池理事長と親しい関係にあった稲田朋美氏が、安倍夫妻と森友学園を繋いだのだとか、さまざまな話がありますが、なんらかの大きな力がはたらいたのは間違いないでしょう。(※その後、稲田朋美氏の夫が森友学園の顧問弁護士をしていたことが判明)

今回の問題で浮かび上がってくるのは、石原や田母神某と同じように、国家(日本)を食い物にする「愛国」者たちの腐れ切った姿です。彼らがやっていることは、愛国心を方便にした「愛国」ビジネスです。「愛国」がマネーロンダリングならぬ“タックスロンダリング”に使われているのです。右翼民族派は、どうして怒らないのだろうと思います。

また、国会答弁では、子どもの頃から言われていた、安倍首相の平気で嘘を吐く性格やすぐキレる性格が、はからずも露呈されているように思います。答弁で連発していた「印象操作」という言い方は、産経新聞の「ブーメラン」同様、ネトウヨの常套句とも言うべきものです。

このブログでも、政権の中枢が「ほとんとビョーキのような」宗教的なカルト思想に冒されている問題(その怖さ)を指摘したことがありますが、今回、その一端があきらかになったと言っていいでしょう。

昨年、安倍昭恵夫人にインタビューした東京工業大学准教授の西田亮介氏によれば、昭恵夫人は安倍首相について、つぎのように話していたそうです。

「主人自身も特別な宗教があるわけじゃないんですけど、毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人なんですね」


BLOGOS
「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」 安倍昭恵氏インタビュー

こういった夫婦が長期政権の冠に祭られているのです。右か左かどころではなく、日本にとってきわめて深刻な問題と言えるでしょう。

個人的には、昭恵夫人について、「家庭内野党」だなどという記事を書いた朝日新聞の女性記者や、昭恵夫人を高江のヘリパッド基地反対運動の現場に連れて行った三宅洋平らのお粗末さを、今更ながらに思わないわけにはいかないのでした。
2017.03.02 Thu l 社会・時事 l top ▲
2017年帰省1


先週、恒例の墓参りのため、九州に帰省しました。今回も、旧交を温める旅でした。

空港から墓のある生まれ故郷の町まで車で90分かかるのですが、町に着くと、外はときならぬ突風と激しい横殴りの雨で、線香をあげることもできませんでした。それが未だに悔やまれてなりません。

墓参りのあと、思い出のある久住高原や阿蘇の大観峰に行こうかと思っていたのですが、雨と濃霧でとても行けるような状態ではありませんでした。それで阿蘇行きをあきらめ、田舎の友人の家を訪ねました。

彼も数年前に離婚し、お母さんは介護施設に入っているため、今は侘しいひとり暮らしです。彼の実家は地元では知られた旧家で、彼も含めた姉弟はいづれも東京の大学に進学しています。東京の叔父さんは、私が以前勤めていた会社の関連会社の社長でした。

九州の田舎から三人の子どもを東京の私立大学にやるのは、経済的には相当な負担だったはずですが、彼の実家はそれだけの財力があったのです。そうやって代々、子どもを東京の大学に学ばせていたのです。

しかし、今は没落し、間口が狭く奥に長い、江戸時代から特徴的な大店の建物も、見るも無残に荒れ果てていました。そこにあるのは、文字通り黄昏の風景でした。没落したあとも田舎に住み続けなければならない、旧家であるがゆえの苦悩を背負っている感じでした。

そのあと時間が余ったので、30年近く会ってない昔の会社の同僚に電話をしました。久しぶりに会わないかと誘ったのですが、あいにく用事があるとかで会うことができませんでした。

電話のあとしばらくして、彼からショートメールが届きました。「実は俺、独身に戻りました」と書いていました。お父さんが昨年亡くなったことは知っていましたが、今はお母さんと二人暮らしだそうです。彼もまた離婚していたのです。職場結婚で奥さんもよく知っていただけに、俄かに信じられない気持でした。聞けば、かつての上司や同僚の何人かも、離婚しているそうです。みんな、どうしたんだろうと思いました。

旧知の人間たちに試練を与えているのは、家庭不和だけではありません。もうひとつ、病気があります。

既にガン治療をおこなっている年上の知人は、去年、別のガンが見つかって手術を受け「大変だった」と言ってました。しかし、それでも精一杯元気にふるまっていました。奥さんと一緒に、ホテルのランチバイキングに行ったのですが、誰よりも食欲旺盛で、数日前は、ソフトバンクのキャンプを観に、宮崎に行ってきたと言っていました。

私は、その人の甥とも仲がよくて、昔はよく一緒に遊んだのですが、その甥のことを聞いたら、彼もまたガンに冒され、余命数か月の宣告を受けているのだそうです。東京にいる娘の、最期は一緒に暮らしたいという申し出を受け、近いうちに大分を引き払って東京に転居する予定だとか。「たぶん、今会っても顔がわからんと思うぞ」と言ってました。

実家が会社を経営していて、その跡取り息子だったので、当時はなに不自由ない生活をしていたのですが、会社が倒産したため、人知れぬ苦労をしたようです。挙句の果てに、末期ガンとはなんと浮かばれない人生なんだろうと思いますが、それでも「子どもの教育だけは手をぬかなかった」ので、「今は子どもに救われている」と言っていました。

卒業して以来会ってなかった高校の同級生にも会いました。同級生は、糖尿病が進行し、既に人工透析を受けているそうで、昔の面影はありませんでした。糖尿病の合併症で視力障害もおきているため、「わかるか、オレだよ」と言っても、「誰か、よぉ見えんのじゃ」と言ってました。

それでも話しているうちに昔の同級生の感覚に戻ってきました。彼も私と同じように、学区外の中学の出身で、親戚の家に下宿して学校に通っていました。下宿先の家もすぐ近所でした。もうひとり、やはり山奥の中学からきた同級生がいました。彼は、市内のアパートに、デパートで働いていたお姉さんと一緒に住んでいました。生活の面倒はお姉さんが見ていたようです。

私は若干違いますが、二人は田舎の中学で成績がよかったので、兄弟のなかでひとりだけ一家の期待を背負って街の学校にやってきたのでした。昔は、そんな話がよくあったのです。

その三人で近くの海に泳ぎに行ったことがありました。海とは縁のない山国育ちの三人が海に行ったのです。案の定、私以外の二人が溺れはじめ、それを助けようした私も、彼らにしがみつかれて危うく溺れそうになり、文字通り、九死に一生を得たのでした。

同級生ともそのときの話になりました。「お前は、オレたちの命の恩人だよ」と言われましたが、考えてみれば、山猿三人が海に行くこと自体無謀だったのです。ほかの同級生たちからはそう言われ、しばらく笑いのネタにされたものです。

ところが、高校を卒業したあとの話を聞いて、私は三人になにか因縁のようなものを感じました。

私は、二十歳のとき病気になって東京から帰り、別府の国立病院に一年間入院したのですが、その同級生も同じように東京の大学に進学したあと、精神的なストレスから胃を壊して、やはり別府の病院で胃の切除手術を受け、半年間入院していたそうです。しかも、もうひとりの同級生も、同じ頃、精神を病み、同じように別府に帰って精神科に入院したのだそうです(彼は未だに精神病院に入院していると言ってました)。

あの夏の日、海で溺れた三人は、卒業したあと、いみじくも同じ年に、それぞれ高校時代をすごした街に戻り、入院生活を送っていたのです。私のもとには、夏休みや冬休みのとき、帰省した同級生が見舞いに来ていましたが、あとの二人は同級生たちとは疎遠になっていたので、誰も彼らが別府に帰っていることを知らなかったのです。

「オレたちは、田舎では”秀才”と言われ、街の学校に出てきたけど、街の学校では“タダの人”になった。それで追い詰められたところもあるんじゃないかな」と言ってましたが、なんとなくわかる話です。ほかの兄弟の犠牲の上にわざわざ街の学校に出てきたものの、期待に沿えるような結果にならなかったことで自分を責めた、というのは考えられない話ではありません。

明治の若者たちとは比べようがないけれど、それでもまだささやかながら「坂の上の雲」を眺めていた、眺めることができた、そんな時代があったのです。その延長に「上京物語」も存在したのです。

しかし、もうみんな年を取り、離婚や病気など悩みを抱え、黄昏のなかを生きています。束の間、若い頃の気分に戻ることができたというのは、哀しみだけでなく、いくらかの慰めにもなったかもしれません。そして、私は、あらためて「思えば遠くに来たもんだ」としみじみ思ったのでした。


2017年帰省2

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別府

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別府
2017.02.28 Tue l 故郷 l top ▲
今月11日の東京新聞に載った社会学者の上野千鶴子氏のインタビュー記事が、左派リベラルの人たちの間で波紋を呼んでいるようです。

インタビューの内容は、以下のとおりです。

東京新聞 TOKYO Web
【考える広場】 この国のかたち 3人の論者に聞く

彼らが特に問題にしているのは、上野氏のつぎのような発言に対してです。

 日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。

 移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。

 客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。

 主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。


左派リベラルの人たちは、上野氏の発言は、不正確な認識に基づいた、移民に対する偏見だと反発しているのでした。

私は、まず、移民受入れに賛成の人たちがこんなにいたことにびっくりしました。日ごろ、ネットでは反対の声が圧倒的に多く、みんな反対ではないかと思っていたので、賛成の人たちがこんなにいたなんて驚きでした。

もっとも、これがネットの特徴(マジック)と言えるのかもしれません。百家争鳴で議論を戦わせるというのが、Web2.0などネットの理想だったはずですが、現実はまったく逆で、「タコツボ化」とか「同調圧力」と言われるように、同じ意見の人間たちが集まり、ただオダをあげるだけの場になっているのです。

私は、あまのじゃくな人間なので、上野氏の発言を「反語」や「皮肉」と受け止めました。ネットの反応を見るにつけ、どうして左派も右派も、身も蓋もないことしか言えないのだろうと思います。

「タコツボ化」や「同調圧力」というのは、言うなれば異論を排する全体主義的な傾向と言えなくもありません。かつて平野謙は、共産党のリンチ事件に関連して、みずからの非を認めない日本共産党の姿勢を「リゴリズム」ということばを使って批判したのですが(『リンチ共産党事件の思い出』)、平和や共生や環境といった“絶対的な正しさ”に無定見に寄りかかり、身も蓋もないことしか言えない人たちというのは、そうやって無謬神話で偽装された“もうひとつの全体主義“を担いでいるとも言えるのです。

もちろん、「単一民族神話」は虚構で、既に日本も多文化の社会であるというのはそのとおりかもしれません。しかし、一方で、「単一民族神話」を頑迷に固執する民意があることも事実でしょう。そして、そんな民意に媚びるポピュリズム政治に対して、左派リベラルがまったくの無力であることも事実でしょう。

だったら私は、(そんなに「単一民族神話」に固執したいのなら)上野千鶴子氏が言うように、坂を下る覚悟をもち、みんなで「平等に」貧しくなればいいのだと思います。

労働者の40%が非正規雇用で、生活保護の基準以下で生活している人たちが2千万人もいるような社会に、さらに安い労働力を受け入れればどうなるか、火を見るよりあきらかでしょう。移民受け入れに対しては、ステレオタイプな総論(イデオロギー)ではなく、こういった身近な部分から考えていくことも必要でしょう。移民排斥の悲劇を招かないためにも、アメリカやヨーロッパの二の舞にならないためにも、移民受入れに慎重になるべきだという上野氏の主張は、身も蓋もないことしか言えない人たちに対する、なんと痛烈な「皮肉」なんだろうと思います。

野郎自大な左派リベラルは、「世界的な排外主義の波」に対して、自分たちが如何に無力かという認識がなさすぎるのです。「労働開国」が、国内の若年労働力の不足を補うためという“不純な動機“から検討されていることを忘れてはならないのです。そして、持つものと持たざるものとの間に越えられない格差がある限り、既に世界が示しているように、二重底の社会と排外主義がワンセットでやってくるのは間違いないでしょう。左派リベラルは、自分たちが安い労働力を求める”資本の思惑”に加担していることに、あまりにも無自覚なのです。ひいてはそれは、グローバル資本主義に追従していることでもあるのです。

上野氏の発言に対する反発を見ても、左か右かだけで、上か下かの視点がまったく欠けているのです。これでは、いつまで経っても、(ブレイディみかこ氏が言うように)ポデモスのような「地べた」の声を吸い上げるしたたかでしなやかな「新左派」の政党は生まれないでしょう。


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全体主義と貧困の時代
2017.02.17 Fri l 社会・時事 l top ▲
あんぽん 孫正義伝


著者の佐野眞一氏は、ご存知のとおり、『週刊朝日』に連載した「ハシシタ 奴の本性」で批判を浴び、責任をとってペンを置いたのですが、この『あんぽん 孫正義伝』を読み返すと、あらためてこの本がすぐれたルポルタージュであることを痛感させられるのでした。ベストセラーになったのもよくわかります。

著者は、父親の正憲氏に焦点を当てることで、孫正義氏を典型的な“在日の物語”を背負った人物として描いているのでした。日本国籍を取得するに際して、それまで名乗っていた通名の「安本」ではなく、本名の「孫」を名乗ることを決心し、日本名としての前例がないことを理由に「孫」を認めない法務当局と何度も折衝の上、「孫」という朝鮮名での日本国籍取得を実現した孫正義氏の“こだわり”が依拠するのも、一家の“在日の歴史”です。孫氏は、日本国籍を取得するに際して、あらためて自分のルーツが朝鮮半島にあることを宣言したのです。

私がこの本でいちばん印象に残ったのは、功成り名を遂げた孫正義氏が鳥栖の駅前にふらりとやってきて、かつて自分が住んでいた場所を感慨深げに眺めていたという、つぎのシーンです。(文中の引用は、すべて『あんぽん』より)

 孫正義の一家がかつて住んでいた場所には、現在、ファミリーレストランが建っている。その周辺で聞き込みを続けていると、数年前にこのあたりでばったり孫正義に会ったというタバコ屋の主人に遭遇した。
 そのタバコ屋の主人によれば、鳥栖駅前で孫に会ったのは、ダイエーホークスが親会社ダイエーの経営難から売却され、球団オーナーがソフトバンクホークスに変わった年だったという。ということは二〇〇五年のことである。

「店の前をどこか見た人が通り過ぎたんですよ。誰やったかなあ……としばらく考えて、ようやく孫正義さんだと気がついた。結婚式場のあたりをぼけーっと眺めていた孫さんに駆け寄って声をかけると、『ああ、おじさん』って、私のことを覚えてくれていたんです。『懐かしいなあ、僕の家、どこやったかね』と言うので、ファミリーレストランの付近を指差して、このあたりだと教えてあげました。
 しばらく感慨深げにそのレストランを眺めていましたね。地味なジャンパーにスラックスという、普通の恰好をしていましたね。近所のおじさんという感じでした。たったそれだけのことですが、孫さんがひとりでふらっと鳥栖に寄ってくれたのは嬉しかったですね」


そこは、最盛期に数十戸のバラック小屋が軒を連ね、三百人くらいの朝鮮人が身を寄せ合って暮らしていた「朝鮮部落」でした。朝鮮人たちは、軒先で豚を飼ったり、密造酒を作ったりして、それを生活の糧にしていたのです。

当時の暮らしについて、「朝鮮部落」に住んでいた元住民は、つぎのように話していました。

「狭い豚小屋にぎゅうぎゅう詰め込まれて、残飯ばかり食わされ、糞も小便も垂れ流しです。足が腐った豚もいた。しかも、その場所で豚を締めるんです。解体して肉やホルモンをとる。食べる部分以外は、朝鮮部落前にあるドブ川に流していたから、すごい臭いなんです」


孫正義氏の従兄弟の話では、孫少年は、そんな「朝鮮部落のウンコ臭い水があふれる掘っ建て小屋の中で、膝まで水に浸かりながらも、必死で勉強していた」そうです。著者の佐野眞一氏は、その話を聞いて、「孫正義という男をつくってきた背骨のありかが、よくわかった」と書いていました。

九州では、養豚業のことを「豚飼い」と言うのですが、私も子どもの頃、「豚飼い」の人が、豚の餌にする残飯をもらいにリヤカーを引いて近辺の家々をまわっていたのを覚えています。リヤカーに積んだ石油缶のような“残飯入れ”から放たれる強烈な臭いに、私たち悪ガキは、鼻をつまんで急ぎ足でその横をとおりすぎたものです。

九州で会社勤めをしていた頃、取引先に在日朝鮮人の社長がいましたが、その社長もやはり、親が「豚飼い」をしていたと言ってました。在日朝鮮人が戦後、生活のために「豚飼い」をしていたというのは、九州ではよく見られた光景だったのでしょう。

また、本には孫氏が子どもの頃、豚の金玉を七輪で焼いて食べていたという話が出てきますが、私も子どもの頃、遊び場のすぐ脇にあった豚小屋で、「金抜き」と呼ばれていた仔豚の去勢を見たことがあります。「金抜きがはじまるぞ」とはやし立てながら豚小屋に向かうと、ギャーギャー泣き叫ぶ仔豚を大人たちが押さえ付けていました。そして、息を呑んで見つめる私たちの目の前で、「金抜き」(金玉の切断)がおこなわれるのでした。「金抜き」のあと、切り落とされた金玉はそのまま草むらに放置されていましたが、朝鮮人たちはあれを七輪で焼いて食べていたのです。

もっとも、孫少年にとって、鳥栖駅前の「朝鮮部落」の生活は、小学校に上がるまでで終わります。と言うのも、父親の正憲氏が、北九州の黒崎に事務所を構え、八幡製鉄所の工員相手に金融業(サラ金のはしりのようなもの)をはじめたからです。商才に長けた正憲氏は、さらに金融業で儲けたお金を元手にパチンコ業に転身し、九州一のパチンコチェーンを築くまでになったのでした。最盛期には、孫一族がもっていたパチンコ店は、福岡と佐賀に56軒もあったそうです。

そうやって成功した父親からの潤沢な資金(仕送り)によって、孫少年は九州屈指の進学校・久留米大付設高校へ進学、さらに同校を1年の半ばで中退するとアメリカ留学へ旅立つのでした。

それは、「ウンコ臭い水があふれる掘っ建て小屋の中で、膝まで水に浸かりながらも、必死で勉強していた」頃からわずか10年後の話です。そうやって短期間に生活がジャンプアップしたことが、孫氏の「前のめりに突っ走る危うさ」や私生活の「子どもじみた」成金趣味につながっているように思えてなりません。

それはまた、両班(ヤンバン)の末裔だと言いながら、下品で粗野な朝鮮語を使い、お互いを罵り合うような孫一族の仲の悪さなどにもつながっているように思います。とは言え、孫正義氏もまだ在日三世にすぎないのです。差別と貧困の記憶が、心のなかに刻まれている世代でもあるのです。多くの在日朝鮮人の成功者と同じように、「子どもじみた」成金趣味に走るのも無理からぬものがあると言えるのかもしれません。

成金趣味と言えば、ソフトバンクが福岡ダイエーホークスを買収し球団経営に乗り出したのも、経営するパチンコ屋の店名に「ライオンズ」と付けるほど熱烈な西鉄ライオンズファンだった父親への「恩返し」ではないかという親戚の話がありました。実際に、正憲氏本人も、自分がホークスの買収を息子に進言したと証言しているのでした。

金貸し時代から20年間、父親の正憲氏の下で働いた夫人の弟(つまり孫正義氏の叔父)は、正憲氏のことをつぎのように証言していました。

「口癖は『信用できるのは、金と自分だけ』という人間でしたからね。確かに事業欲だけはすごかった。事業を常に大きくしていくことに執着していました。立ち止まるということを知らない人でした」

「メチャクチャ人づかいが荒かった。正直、奴隷みたいなものでした」

「義理人情の人ではない。人間的にはついていけませんでした。あの人から、優しさみたいものを感じたことは一度もありません」

「やめたいと言ったときには『わかった』と言って、すぐ椅子を振り上げるんです(笑)。いつもそうでした。気が短くてキレやすい」


別の「元ヤクザ」の義弟は、著者のインタビューで、正憲氏について、こう言っています。

「(略)あいつはとんでもないヤツだ。まともじゃない。東京に出てきたら半殺しにすると、あいつには、はっきり伝えてある」


もっとも、正憲氏自身もつぎのように言っていたそうです。

「顔を合わすと、いつも殴り合いのケンカですから、もう本当に『血はうらめしか』ですよ。血がつながった実の姉弟同士ですからね。本当に『血はうらめしか』です」


ちなみに、孫正義氏の両親は、取材時は別居していて、正憲氏は、インタビューでも、夫人のことを「くそババア」と悪態を吐いていたそうです。

でも、これは、在日朝鮮人の間では別にめずらしい話ではありません。知り合いの在日の身内には、それこそ朝鮮総連で活動している者もいれば、ヤクザまがいの金貸しや不動産屋もいるし、もちろん、土建屋や焼き肉屋やパチンコ店や芸能プロダクションを経営している者もいました。三世四世になると、医者や弁護士など“士業”が多くなるのもこの本に書いてあるとおりです。IT時代の前には、テレクラやゲーム機で大儲けしたという者もいました。父親の友人(頼母子講の仲間)には、誰でも知っているアイドル歌手や人気女優の父親などもいました。

もちろん、差別や貧困から這い上がってきた者に上品さや紳士的な素養を求めるのは無理な相談でしょう。それこそ並大抵の根性やバイタリティがなければ這い上がることはできないのです。孫正義氏が中学生のとき、「『僕のお父さんの知り合いにコワい人がいる。そんな人が家に出入りするのがイヤなんです』と担任に打ち明けた」のもわからないでもありません。

孫正義氏の家族もまた、典型的な”在日の一族”と言えるでしょう。著者が書いているように、それが一部の人たちから、孫氏がうさん臭く見られる要因にもなっているように思います。そして、いちはやくトランプに取り入る狡猾さ、節操のなさも、そういった生い立ちからきているように思えてならないのです。

在日朝鮮人の知り合いから「ぶっ殺してやるぞ」などと言われた人間からみれば、朝鮮人とお互いに理解し共存していくなんてとても無理なことのように思えます。少なくとも、左派リベラルのステレオタイプな在日像では期待を裏切られるだけでしょう。もし理解や共存の道があるとすれば、それこそヘイトぎりぎりの本音をぶつけ合うことからはじめるしかないように思うのです。

孫正義氏は、まぎれもなく在日のヒーローであり、現代の若者たちにとってもIT時代のヒーローです。でも、著者の佐野眞一氏は、その裏に、あまりにも人間臭い、在日特有のハチャメチャと言ってもいいうような一族の存在とその歴史があることを、丹念な取材であきらかにしたのでした。それが、この本が傑出したルポルタージュであるゆえんです。


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在日の「心の中の襞」
2017.02.12 Sun l 本・文芸 l top ▲
トランプが発令したイスラム圏7カ国の国民の入国を一時的に停止する大統領令によって、アメリカ国内だけでなく世界が混乱しています。

ここまで大統領令の“威力”を見せつけられると、アメリカは法治国家ではなく人治国家じゃないのかと思ってしまいます。トランプはもともと政治家ではないので、突飛な発想を実行に移すことになんのためらいもないのでしょう。こんなことをやっていたら、目には目をで、YouTubeにアメリカ人の首切り映像がアップされる怖れさえあるでしょう。

”トランプ現象”というのは、日本で言えば、ネトウヨで有名なTクリニックの院長が大統領になったようなものかもしれません。核のボタンやCIAを動かす権限がT院長の手に渡ったのです。そう考えれば、背筋が寒くなるのは私だけではないでしょう。

果たして、4年の任期を全うできるのかという声もありますが(本人は2020年の次期大統領選の出馬も既に表明しているそうですが)、問題はトランプよりトランプの周辺にいてバカ殿を利用している政商たちでしょう。彼らにとって、戦争も格好のビジネスチャンスなのです。

このような内向きの政策が可能なのも、アメリカ人は世界を知らない無知な国民だからだという指摘があります。

Compathy Magazine
日本にも当てはまるかも!アメリカ人が海外に行かない3つの理由

上記の記事によれば、2014年のアメリカ人のパスポート保有率は36%で、それに対してイギリス人やオーストラリア人は70%なのだそうです。ちなみに、同年の外務省の旅券統計によれば、日本人のパスポート保有率は24%で、海外に出国する人の割合は14%だそうです。日本人は、アメリカ人より海外に行かないのです。

ただ、日本人の場合、欧米に対するコンプレックスがありますので、実際に行かなくても海外に対する関心だけは高いのです。しかし、アメリカ人には、極東に対するコンプレックスなんてありません。そのため、他国民に非人道的な措置をとれば、自分たちがそれだけリスクを負うことになるという発想もないのでしょう。まして世界には自分たちと違う文明や違う宗教の人々がいて、そういった人々とも共存していかなければならないという初歩的な発想さえないのでしょう。反トランプのデモをしているのは、海外に行くことの多いニューヨークやワシントンなど都会の高学歴のエリートたちなのかもしれません。

アメリカの学校では、「地球についてあまり教わらないことが多」く、「外国語をあまり勉強しない、交換留学プログラムに参加しない、世界の国々の事情について話さない」そうです。私たちが抱いているアメリカ人のイメージと実際のアメリカ人の間には隔たりがあるようです。それが、“トランプ現象”がいまひとつ理解できない理由のように思います。

いづれにしても、トランプの”錯乱”で、アメリカが超大国の座から転落するのにさらに拍車がかかるのは間違いないでしょう。トランプは、その引導を渡す役回りを演じていると言えるのかもしれません。

今回の入国制限について、アップルやマイクロソフトやグーグルやフェイスブックやツイッターなどのIT企業がつぎつぎと懸念を表明しています。そのため、いち早くトランプタワーを訪れ、トランプ一家に揉み手して、トランプから「マサ」などと呼ばれ親密さをアピールした孫正義氏の無定見な銭ゲバぶりが、よけい際立っています。『あんぽん 孫正義伝』で著者の佐野眞一氏が指摘していた孫正義氏の「前のめりに突っ走る危うさ」が、ここにきて露呈したような気がしないでもありません。

「朝鮮では食えず日本への渡航を繰り返した元鉱山労働者の祖父と、朝鮮で戦前に生まれて日本に渡り、戦後母国に戻って、再び日本に密航してきた父」「日本に密航後、鳥栖駅前の朝鮮部落に吹き寄せられるように住み着いた孫一家は、養豚と密造酒づくりで生計を立て、金貸しを経て、やがて九州一のパチンコチェーン経営者となった。そして、その一家から孫正義という異端の経営者が生まれた」(『あんぽん』より)のです。孫正義氏は、典型的な「在日」の歴史を背負った、言うなれば”移民の子”なのです。”移民の子”が移民排斥を主張するファシストをヨイショしているのです。人間のおぞましさを見た気がするというのは、決してオーバーな表現ではないでしょう。

孫氏ばかりではありません。入国制限について、「コメントする立場にない」と言った「宰相A」を筆頭に、株価が上がりさえすればそれでいいと言わんばかりに”トランプラリー”を煽ってきたテレビ東京(日経新聞)の証券アナリストなど、この国はトランプに対して最低限の見識さえもてない”下等物件”(©竹中労)ばかりです。彼らは、無知なアメリカ人に対して、(骨の髄まで対米従属が染みついた)情けない日本人と言うべきかもしれません。


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「愛国ネットウヨ企業大図鑑」
2017.01.31 Tue l 社会・時事 l top ▲
ヘイトクライムが当たり前のような時代。「トランプの時代」をひと言で言えば、そう言えるのかもしれません。小泉政権の頃、「扇動政治」ということばがさかんに使われましたが、ヘイトクライムで国民の負の感情を煽り国家主義的な運動に動員する手法は、ファシズムそのものでしょう。もちろん、それは、日本とて例外ではないのです。

そんななか、やっぱり「上か下か」ではなく「右か左か」が重要だという声があります。それを現実の政治に即してわかりやすく言えば、トランプやアベやハシシタ流のポピュリズムに、SEALDsや野党共闘の「左派リベラル」を対置するという考えでしょう。

しかし、私たちは、「左派リベラル」がまったく対抗勢力になり得てない現実をもう嫌になるほど見てきたのです。そもそも(何度も言いますが)、民進党なんて野党ではないのです。民進党を、野党と呼ばなければならない不幸をもっと深刻に受け止めるべきでしょう。民進党は自民党と中間層の奪い合いをしているだけです。

既存の「左派リベラル」が、大衆(特に下層の人々)から離反しているのはあきらかでしょう。彼らは、中間層の声を代弁しているにすぎないのです。(後述する記事にあるように)なにより大衆に語りかけることばをもってないのです。

ブレイディみかこ氏は、「ポピュリズムとポピュラリズム:トランプとスペインのポデモスは似ているのか」という記事で、「年収3万ドル以下の最低所得層では、(略)前回は初の黒人大統領をこぞって支持した人々の多くが、今回はレイシスト的発言をするトランプに入れたのだ」と書いていました。

Yahoo!ニュース
ポピュリズムとポピュラリズム:トランプとスペインのポデモスは似ているのか

そして、つぎのような『ガーディアン』紙のオーウェン・ジョーンズの文章を紹介していました。

ラディカルな左派のスタイルと文化は、大卒の若者(僕も含む)によって形成されることが多い。(中略)だが、その優先順位や、レトリックや、物の見方は、イングランドやフランスや米国の小さな町に住む年上のワーキングクラスの人々とは劇的に異なる。(中略)多様化したロンドンの街から、昔は工場が立ち並んでいた北部の街まで、左派がワーキングクラスのコミュニティーに根差さないことには、かつては左派の支持者だった人々に響く言葉を語らなければ、そして、労働者階級の人々の価値観や優先順位への侮蔑を取り除かなければ、左派に政治的な未来はない。


また、ブレイディみかこ氏もつぎのように書いていました。

エル・パイス紙(引用者注・スペインの新聞)は、ポデモスとトランプは3つのタイプの似たような支持者を獲得していると書いている。

1.グローバル危機の結果、負け犬にされたと感じている人々。

2.グローバリゼーションによって、自分たちの文化的、国家的アイデンティティが脅かされていると思う人々。

3.エスタブリッシュメントを罰したいと思っている人々。

「品がない」と言われるビジネスマンのトランプと、英国で言うならオックスフォードのような大学の教授だったイグレシアスが、同じ層を支持者に取り込むことに成功しているのは興味深い。


前も書きましたが、トランプに熱狂した下層の人々は、本来なら革命に熱狂する人々だったのかもしれないのです。まさにナチス(国家社会主義ドイツ労働者党!)のときと同じように、革命の「条件」がファシストに簒奪されているのです。

ネオコンの出自はトロッキズムだと言われるように、左翼のインターナショナリズムがグローバリゼーションと思想的に近しい関係にあるのは否定できないでしょう。左翼がグローバリゼーションを批判するのは、思想的に矛盾しているとさえ言えるのかもしれません。

「右派ポピュリズムを止められるのは左派ポピュリズムだけ」というのは、含蓄のあることばだと思います。生活保護の基準以下で生活している人が2千万人もいるこの日本でも、ポデモスやSNP(スコットランド独立党)のような、(”急進左派”と呼ばれる)下層の人々に立脚した政治が待たれますが、そのためにも、右か左かではなく、上か下かの視点が大事なのだと思います。


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2017.01.29 Sun l 社会・時事 l top ▲
松方弘樹の死に対しての梅宮辰夫のコメントに胸がしめつけられるような気持になりました。老いて先に逝く友人を見送る(見送らなければならない)悲しみがよく出ているように思いました。

Yahoo!ニュース(日刊スポーツ)
梅宮辰夫、盟友松方さんの死に「寂しいし、悲しい」

松方弘樹が脳リンパ腫で入院したのは、昨年の3月だそうですから、約10か月間の闘病生活を送ったことになります。その間、定期的に見舞いに行っていた梅宮辰夫が話す闘病の様子は、老いの哀しみやせつなさがしみじみと伝わってきます。それにしても、死に行く人たちというのは、どうしてみんな立派なんだろうと思います。「病と戦う」とか「死と戦う」という言い方がありますが、「戦う」姿は立派なのです。

ごく身内の人間だけで見送られる最期。これも“家族葬”や“直葬“が主流になりつつある現在ではよくある光景でしょう。そのなかに親しくしていた友人がいたら、どんなにうれしいでしょう。

人生の最期は、やはり悲しみで幕を閉じるのです。人間は、泣きながら生まれてきて、泣きながら死んでいくのです。悲しみを悲しみとしてとらえる、人生に対する謙虚な考えがなにより大事なのだと思います。

先日、同年代の知り合いと話をしていたら、親の話になりました。正月に父親が倒れて救急車で大学病院に運ばれたそうですが、近いうちにリハビリを受けるために転院しなければならないけど、リハビリの病院も、いわゆる“90日ルール”で短期しか入院できないので、そのあとどうするか、頭を悩ましていると言ってました。

お母さんが数年前に亡くなったことは知っていましたが、お母さんが亡くなったあと、お父さんは実家でひとり暮らしをしていたのだそうです。しかも、奥さんの実家も老々介護の両親が二人で暮らしており、そのため、夫婦の間で、お互いの親について干渉しないという取り決めになっているのだとか。

亡くなったお母さんは末期がんだったそうで、最後のほうは認知もはじまり、実家に行っても「何しに来たんだ」「帰れ」などと言われてつらかったと言ってました。当時は、そんな様子は微塵も見せずに、いつも冗談を言って明るく振舞っていましたので、その話を聞いてびっくりしました。

親の姿は、明日の自分の姿でもあります。病院に勤め多くの患者を見てきた知人は、親孝行な子ども(特にひとり娘)ほど過剰な負担を抱え苦労すると言ってました。そのために共倒れしたら元も子もないので、ある程度の“親不孝“は仕方ないのではないかと言うのです。私がその話をしたら、やはり子どもが娘ひとりしかいない彼は、「だから、老後は世界を放浪して旅先で死ぬのが理想だよ」と言ってました。趣味が音楽なので、路上演奏で旅費を稼ぎながら世界を放浪してそのまま死ぬのが理想なのだと。

私は、その話を聞いて、五木寛之が書いていた「林住期」という古代インドの考えを思い出しました。彼の理想には、単に荒唐無稽とは言えない、彼なりの人生に対する考えがあるように思いました。
2017.01.26 Thu l 訃報 l top ▲
実話BUNKAタブー2016年2月号


トランプがツイッターで、LLビーンの商品の購入を呼び掛けたことで、逆にLLビーンの不買を呼び掛けるツイートが広がり、反トランプの不買運動がにわかに注目を集めています。

トランプが購入を呼び掛けたのは、創業者の孫娘がトランプを支持する政治団体に献金したからだそうです。トランプの政治観は、損得勘定だけだという批判がありますが、献金してくれたから購入を呼び掛ける、こういったところにもトランプの政治家としての資質に疑いをもたざるをえません。

就任式で、メラニア夫人が着ていたブランドはラルフローレンだったそうですが、私は、去年今年とたてつづけにラフルのダウンを買ったばかりで、なんだかこのニュースを見てラルフを着るのが恥ずかしくなりました。

私は身体が大きいので、普段はアメリカの(安い)ブランドばかり買っているのですが、LLビーンもそのひとつです。折しも今日、LLビーンからカタログが届いたばかりで、今年の冬は、ラフルのダウンにLLビーンのセーターとコーデュロイのスラックス、それにニューバランスのスニーカーが定番でした。役員がトランプ支持を表明したニューバランスも不買運動の対象になっていますので、これでは不買運動が歩いているようなものです。

不買は過剰反応ではないかという声もありますが、それだけトランプに反発する声が大きいということでしょう。アメリカの反トランプデモを見ると、「FASCIST」という文字をよく目にしますが、日本ではなぜかそういった見方は少ないようです。

メディアの報道も危機感の欠けた的を外したものばかりです。80年前のナチス政権誕生の際も、おそらくこんな感じだったのではないかと想像されますが、しかし、今回は日本の“宗主国”の大統領なのです。その影響はヒットラーの比ではないでしょう。

「宰相A」同様、いち早くトランプタワーを訪問し、トランプをヨイショした孫正義氏は、さすがネットの守銭奴の面目躍如たるものがあると言えるでしょう。幼少期、在日朝鮮人として差別を経験した人間が、長じてヘイトクライムの権化のような人物にすり寄り揉み手しているのです。

『あんぽん 孫正義伝』(佐野眞一著・小学館)によれば、孫正義氏が生まれたのは、佐賀県の鳥栖駅に隣接する「豚の糞尿と密造酒の強烈な臭いがする朝鮮部落」だったそうです。そして、多くの朝鮮人の子どもたちと同様、日本人から汚いとか近寄るななどと言われて石を投げられた経験があり、そのときの傷跡が今でも頭に残っているそうです。それが今では石を投げる人間の側に立っているのです。かつての自分と同じように差別に苦しんでいる子どもたちがいることなど、まるで頭にないかのようです。お金のためなら悪魔にでも魂を売るのでしょうか。私は、そこに人間のおぞましさのようなものさえ覚えてなりません。そして、編集権の独立と無縁なYahoo!ニュース(Yahoo!トピックス)が、トランプ批判にどこか遠慮がちなのもわかる気がするのです。

一方、日本では、南京大虐殺を否定する元谷代表の著書を客室に常備しているアパホテルや、東京MXテレビで沖縄ヘイトのニュース番組を制作しているDHCなど、トランプまがいの社長が率いる会社が批判を浴びています。

1年前の『実話BUNKAタブー2016年2月号』(コアマガジン)には、『日本会議の研究』の著者の菅野完氏が書いた(と本人が明らかにしている)「愛国ネットウヨ企業大図鑑」という記事がありました。記事では、不買運動をしたくなるような、トンデモ思想に染まった「ネトウヨ企業」がずらりと紹介されていました。

アリさんマークの引越社、ゴーゴーカレー、アパグループ、イエローハット、カドカワ(ニコ動とKADOKAWAの持株会社)、DHC、フジ住宅、高須クリニック、播磨屋おかき。大企業では、出光興産、九州電力、ブリヂストンサイクル、JR東海などの名があがっていました。しかも、そのなかには、ブラック企業として知られている会社も多いのです。

今後、孫正義氏のように、トランプ詣でする経営者が続出するのは間違いないでしょう。これも「本音の時代」のひとつの姿と言えるのかもしれません。
2017.01.23 Mon l ネット・メディア l top ▲
昨日の夜、馬車道から東横線に乗ったら、すぐ脇の座席に作家の某氏が座っているのに気付きました。私も、氏の作品は何冊か読んだことがあり、ナショナリズムをテーマにした著書は、このブログでも紹介したことがあります。氏は、新書を読んでいたのですが、見ると本には付箋がびっしり貼られていました。氏は、気になる部分にマーカーペンでラインを引き、さらにラインを引いたページに付箋を貼っていました。

それは、私と同じ読書スタイルでした。しかも、その付箋も私が愛用しているのと同じフイルム素材のものでした。氏は、時折、眉間に皺を寄せた険しい表情で車内の乗客をみまわしていました。週末の乗客を軽蔑しているのかなと思いました。だったら、それも私と同じです。作家のように、わが道を行く独立不羈の精神をもっていれば、ときに世間に対して不遜になることもあるでしょう。

一方、私はと言えば、最近、めっきり本を読む量が少なくなっています。年を取り、老眼鏡が手放せなくなったのですが、老眼鏡をかけて本を読むことに、どうも違和感を覚えてならないのです。

昨日は、健康診断に行ったのですが、視力が0.6と0.7でした。先生から「眼鏡をかけていますか?」と言われたのですが、「老眼鏡をかけるだけです」と答えたら、「眼鏡をかけなくて困ることはないですか?」と訊かれました。たしかに夜間車を運転する際、以前に比べて見づらくなったことは事実です。運転免許証の更新でひっかかる可能性もありますので、いづれ眼鏡を作らなければならないのでしょう。そうなると、ますます本を読まなくなるのかもしれません。

考えてみれば、別に本を読まなくても困らないし、あたらしい知識なんて必要ないのです。人生にとって、そんなことは取るに足りないものです。「アベ万歳」「ハシシタ(?)万歳」「トランプ万歳」「Google万歳」と言っていれば、なんとか人生は進むのです。むしろ、沖縄の土建業者のように、おいしい人生を手にすることができるのかもしれません。

マル激トーク・オン・ディマンドで内山節氏が言ってましたが、「自由・平等・博愛」といった近代の理念は、欧米の先進国が世界の富を収奪し独り占めする、そんな構造を前提に成り立っていた幻想にすぎなかったのです。近代が行き詰った現在、近代の理念をかなぐり捨てた「本音の時代」になってきたというのは、そのとおりでしょう。内山氏が言うように、差別や搾取や戦争というのは、もともと近代の社会が内蔵していたもので、それが表に出てきたにすぎないのです。

むき出しの「本音の時代」というのは、アベやハシシタやトランプに象徴されるような、ヘイトクライムが跋扈するあらたなファシズムの時代にほかなりません。その「本音の時代」を生きぬくには、私たちもまたみずからの「本音」を対置することをためらってはならないのです。

かつて中上健次は、韓国の開発独裁を支持するような文章を書いて物議を醸したのですが、それは、韓国の民主派は高級ホテルで高級ワインを飲みながら軍事独裁政権を批判しているエリートばかりで、彼らは、独裁政権からもたらされるささやかなおこぼれを頂戴するために、両手を広げて歓声をあげている民衆の情念から遊離しているというような内容でした。

収奪の構造を前提にした近代の理念をア・プリオリなものとして捉え、一方でその前提である収奪の構造を批判するリベラル派の矛盾。それは、日本でもいくらでも見ることができます。

何度でも繰り返し言いますが、右か左かではないのです。上か下かなのです。
2017.01.22 Sun l 社会・時事 l top ▲
神奈川県小田原市の生活保護を担当する生活支援課の職員たちが、「保護なめんな」「生活保護不正受給撲滅チーム」などとプリントしたジャンパーを作製し、それを着用して受給世帯を訪問していたというニュースが問題になっています。

毎日新聞
小田原市職員 「保護なめんな」ジャンパーで受給世帯訪問

このジャンパーは2007年に作られたのですが、この10年間で60名の職員が自費で購入していたそうです。会見では、如何にも役人らしくジャンパーを制作したいきさつを説明して弁解していましたが、ジャンパーの文言の意味を知らなかったというのは、どう考えても嘘でしょう。文言の意味も知らずに、5千円近くも出してあんなチープなジャンパーを購入するでしょうか。傷害事件で下がったモチベーションを上げるためという側面があったにせよ、ああいったジャンパーを作ったこと自体、受給者を見下すネトウヨ的思考が職場を支配していた証拠と言われても仕方ないでしょう。

厚労省の調査でも、生活保護費の不正受給は、件数で全体の2%、金額では1%以下です。むしろ不正受給で問題すべきは、ヤクザにやさしく一般人にきびしい窓口の対応でしょう。小田原市役所の担当者たちが、「生活保護不正受給撲滅チーム」とプリントしたジャンパーを着て、ベンツに乗って生活保護を受けているような強面の受給者のもとを訪問したのならわかりますが、おそらくその手の受給者は見て見ぬふりだったのでしょう。生活保護の担当者がみずからの権限をかさに、受給者の女性に関係をせまったという話がときどき表に出てきますが、彼らがやっていることは、公務員の特権をかざした弱い者いじめにすぎないのです。問題の本質は、公務員の思い上がった意識なのです。

宮崎学は、以前、公務員を「小市民的特権階級」と呼んでいましたが、とりわけ地方では、彼らのめぐまれた生活ぶりは際立っており、住民の嫉妬と羨望の的になっていると言っても過言ではありません。それが、このような傲慢な公務員が生まれる背景になっているのではないか。

何度も言いますが、日本の生活保護の捕捉率は10パーセントにすぎず、これは他の先進諸国に比べて著しく低い数字です。そのため、生活保護基準以下であるにもかかわらず、生活保護を受給してない人が2千万人もいると言われているのです。要するに、セイフティネットが充分機能してないのです。ところが、日本では、捕捉率が低いことが、逆に受給者は特権だ甘えだ贅沢だというような、本末転倒した”生活保護叩き”に使われているのです。

今回の問題は、外部からの指摘で表面化したそうで、内部の職員たちが指摘したのではないのです。護憲や平和や共生や格差解消を訴えている、“左派リベラル”の自治労の組合員たちが指摘したのではないのです。むしろ逆に、着用していた職員のなかには、自治労の組合員もいたのかもしれません。

自治労(職組)が、当局や議会と一体となって地方自治を食い物にしているという批判がありますが、たしかに身近な自治体を見ても、そういった批判は当たらずとも遠からずといった気がします。今回の問題は、(皮肉ですが)まさにマルクスが言う「存在が意識を決定する」好例と言えるのかもしれません。

公務員はめぐまれているというような話をすると、左派の人間から軽蔑のまなざしで見られ、鄧小平の先富論のような屁理屈(昔の”国民春闘”と同じ屁理屈)で反論されるのが常ですが、しかし、そういった”左派的思考(屁理屈)“は、もうとっくに「終わっている」のです。「自治体労働者への攻撃を許すな!」というスローガンにどれほどの説得力があるというのでしょうか。公務員問題に右も左もないのです。
2017.01.18 Wed l 社会・時事 l top ▲
韓国では朴槿恵大統領の職務が停止させられ、“政治の空白”が生じていますが、その間隙を縫って、「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓対立が先鋭化しています。

朴大統領の友人である崔順実の国政介入疑惑は、逮捕・訴追されたとは言え、まだ裁判中で刑が確定したわけではありません。それに、朴大統領の関与がどの程度であったのか、充分解明されているとは言えません。傍目から見れば、週刊誌のスキャンダルレベルの域を出てない気もします。にもかかわらず、国会では朴大統領に対する弾劾訴追案が圧倒的多数で可決され、朴槿惠大統領は、実質的に国家元首としての権限を失ったのでした。

このヒステリックな手のひら返しは、如何にも韓国らしいなと思います。今までの大統領経験者も、世論の手のひら返しによって、似たような末路を辿っていますが、それは、韓国の政党政治の未熟さだけでなく、韓国社会の特異性や韓国人の気質も、多分に関係しているように思えてなりません。

そもそも独裁者・朴正煕の娘を大統領に選んだのは、韓国の国民なのです。朴正煕は、日本の陸軍士官学校を卒業して、陸軍中尉(日本名・岡本中尉)まで務め、解放後、軍事クーデーターで権力を掌握すると、岸信介ら自民党の保守政治家と通じ、請求権の放棄の見返りで得た経済協力を元手に、日韓の利権を築いた典型的な「親日派」です。

折しも、アクセスジャーナルでは、年明けから「安倍晋三首相自宅放火事件の闇」なる連載がはじまっていますが、アベシンゾーの下関の実家が地元では「パチンコ御殿」とヤユされるように、アベ家が韓国系パチンコ業者と浅からぬ関係があるのはよく知られた話です。アベのダブルスタンダードは、(ややオーバーなもの言いをすれば)朴正煕のダブルスタンダードとパラレルな関係にあるのです。

独裁者の娘(しかも、「親日派」の娘)を選んだ責任はどこ吹く風、今度は一転して口をきわめて罵っている韓国世論。まるでアイドルグループのコンサートのように、お揃いのジャンパーを着て、お揃いのプラカードを掲げ、いっせいにシュプレヒコールを上げる弾劾集会を見るにつけ、(日本のリベラル派の間では、民主主義の発露だと称賛する声が多いようですが)私は気持の悪さしか覚えません。あれじゃなにも変わらないだろうなと思います。

問題となっている少女像にしても然りです。あの無垢な少女像は、「従軍慰安婦」のイメージをあまりにもデフォルメしすぎていると言ざるを得ません。無垢な少女のイメージによって隠蔽されているのは、朴裕河が『帝国の慰安婦』で書いているような、慰安婦たちを直接集め管理し搾取した朝鮮人業者たちの存在です。そうやって「不純物を取り出して純粋培養された、片方だけの『慰安婦物語』」(『帝国の慰安婦』)が作られているのです。

朴裕河が言うように、朝鮮人慰安婦が中国人やオランダ人などほかの慰安婦と異なるのは、その大半が「管理売春」であったという事実でしょう。だからと言って、それが「自発」か「強制」かなんて関係ありません。日本軍が「慰安所」の設置を指示し、それを積極的に利用したのはまぎれもない事実です。「従軍慰安婦」が日本帝国主義による戦争犯罪であるのは、もはや議論の余地もないほどあきらかで、それは世界の常識ですらあります。だから、少女像の問題が取り上げられるたびに、細かい議論は隅に置かれ、日本が犯した蛮行のみが世界の人々に知られることになるのです。その意味では、あの少女像は、プロパガンダの装置としては効果絶大と言えるでしょう。

日本の国粋主義者たちが否定すればするほど、日本の戦争犯罪が流布される矛盾(パラドックス)。「愛国」を叫べば叫ぶほど、日本の”恥の歴史”が世界に拡散される泥沼。それは、ひとえに日本人がみずからの戦争責任を明らかにしなかったからです。ドイツのように、みずからの手で戦争犯罪を裁くことがなく、戦勝国による極東軍事裁判以外はすべて頬被りして曖昧にしたからです。それどころか、岸信介のように、占領国に協力することで、戦争犯罪者が権力の座に復帰さえしているのです。そのため、今だに中国や韓国から戦争責任を問われ、謝罪を要求されることになるのです。そして、日本人は、いつまで謝罪しなければならないのだと苛立つのです。そんな苛立ちも、中国や韓国から見れば、お門違いにしか見えないでしょう。

「従軍慰安婦」の問題の本質は、慰安婦の悲劇をどう受け止めるかでしょう。戦時性暴力ではないという日本の「愛国」者の主張は、とうてい世界に受け入れられるものではないでしょう。慰安婦の存在は戦争、それも植民地支配がもたらした悲劇であり、個々の元慰安婦たちは、女性として筆舌に尽くしがたい悲劇を強いられたのです。私たちは、それから目をそらすことはできないのです。

韓国の次期政権を見据え(あるいはトランプ政権誕生を見据え)、政治的な鞘当てがおこなわれていると見る向きもありますが、私たちは、そんな政治的な思惑に惑わされることなく、慰安婦の根底にある問題を見過ごしてはならないのです。「愛国」か「反日」か、「嫌韓」か「親韓」かなんてどうだっていいのです。それこそ日本人の常識が問われているのだと思います。


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2017.01.09 Mon l 社会・時事 l top ▲
週刊SPA!


OECDの「ワーキングレポート22」でも、日本の貧困率は24か国中、メキシコ・アメリカ・トルコ・アイルランドと並んでワースト5に入っています。しかも、日本の場合、他の先進国に比べて生活保護の捕捉率が著しく低くく、それがさらに日本の貧困を深刻なものにしているのです。

安倍政権が登場してから、政治も経済もトップダウンのほうが効率がよく、中国や韓国との競争にも有利だという考えが優勢になっているように思いますが、そういった考えが、非効率でかったるい民主主義を呪詛し、単純明快で手っ取り早い全体主義(的なもの)を志向するようになるのは当然でしょう。これこそが、メディアが盛んに喧伝していた「決められる政治」の姿なのです。

しかも、アベノミクスを見てもわかるとおり、経済のトップダウンが求めているのは、グローバル資本主義なのです。

『週刊SPA!』新年特大号(1/3・10号)は、「日本型貧困の未来」という特集を組んでいましたが、貧困は決して他人事ではなく、これからますますリアルな問題として私たちの身近にもせまってくるでしょう。

特集には、つぎのようなリード文がありました。

安倍首相は、「相対的貧困率は大きく改善した」と語り、波紋が広がっている。空前の株高に見舞われた‘16年末の日本経済。しかし、最新データによれば、所得格差は過去最高水準に達し、子どもの貧困率は16.3%と高い数値を示す。日本では確実に増え続ける生活困窮者。彼らが跋扈する日本の未来はいったい何が待っているのか?


記事では、「稼げない職業ワースト10」として、①タクシー運転手、②ビル・マンション管理人、③介護士、④百貨店店員、⑤製造・組立工、⑥保育士、⑦塾講師、⑧理容・美容師、⑨パチンコ店店員、⑩医療事務を上げていましたが、しかし、記事が前提としているのは、年収300万円前後の正社員です。今や全労働者の4割は派遣やパート(アルバイト)の「非正社員」なのです。20代に至っては、半分以上が非正規雇用です。現実はもっと深刻だと言えるでしょう。

アベシンゾーもトランプやプーチンと同じように、トップダウンの独裁的な政治をめざしているのは間違いなく、そうやって政治的にも経済的にも中国に対抗していこうというわけなのでしょう。

そもそも中国や韓国がライバルになったのは、彼らがキャッチアップしてきただけでなく、日本が没落したという側面もあるはずです。しかも、それらのライバル国は、かつて「二等国」とか「劣等民族」と呼んで蔑んでいた旧植民地の国です。私たちの感覚でも、いつの間にか気が付いたら中韓がライバルになっていたのです。

安倍政治には、声高に「愛国」を叫び、なりふり構わずグローバル資本主義に拝跪することで、かつての”栄光”にすがろうとする、旧宗主国の歪んだ心理があるように思えてなりません。でも、安部政治が掲げる「愛国」は、沖縄への対応を見てもわかるとおり、ただの従属思想にすぎません。

特に非正規雇用の割合が高い10代~20代の男性に、安倍政権の支持率が高いそうですが、そこにはトランプに熱狂した(「白いゴミ」と呼ばれる)白人の下層労働者と共通するものがあるように思えてなりません。

住民の約半数にあたる3400人の日系の出稼ぎ外国人が居住する、愛知県の保見団地を取材した写真家の名越啓介氏は、「外国人労働者が形成する日本”スラム”化の近未来」という記事のなかで、つぎのように言ってました。

「(略)彼らには、決して恵まれない環境でもそれを笑いに変える力強さがある。自分の経験では貧困だからこそ、その裏返しからくる底抜けの明るさを持っていると思うんです。例えば、お金のない日本人は結婚や子どもを諦めがちですが、保見団地の人らは働き手が増えるからと、子どもを産む。とにかく元気ですよね」
 貧困をもろともしないバイタリティ。日本の貧困の未来にとって、彼らのマインドは一つの希望になるかもしれない。


藤田孝典氏も、ノンフィクションタイラー・中村淳彦氏との対談(「貧困の未来は絶望しかないのか!?」)で、社会保障改革が間に合わない今の30代以上はもう手遅れで、貧困と付き合っていくしかない「貧困が当たり前」の世代になると言ってました。

グローバル化した経済が格差(「貧困が当たり前」の社会)をもたらし、その格差が全体主義を招来するというのは、わかりやすいくらいわかりやすい話です。もとよりグローバル資本主義にとって、国民国家なんて足手まといでしかないのです。

私たち日本人もこれからは、”全体主義と貧困の時代”をしたたかに且つしぶとく生き抜くバイタリティが求められているのです。


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「隠れ貧困層の実態」
2017.01.03 Tue l 社会・時事 l top ▲
昨日は仕事納めで、今年も残すところあと三日となりました。既に学校も休みに入ったので、電車も空いています。車内では、帰省する人たちなのでしょう、旅行バッグを持った乗客も見かけるようになりました。

おととしの年の瀬、私は「母、危篤」の知らせを受け、帰省客に交じって羽田空港行きの電車に乗っていました。それ以来、年の瀬になると、あのときの哀しい感情が思い出されてならないのです。

地元の空港に着くと、あちこちで出迎えの家族と再会を喜ぶ光景が見られました。みんな、笑顔が弾けていました。そんななか、私は、ひとり、母が入院している病院に向かったのでした。

最近は、飛行機のチケットに、「介護帰省割引」というのがあります。親の介護で、定期的に帰省する人も多いのでしょう。

若い頃は、希望に胸をふくらませた「上京物語」しかありませんでした。しかし、年を取ると、介護や見舞いや弔事など、人生の哀しみやせつなさを伴った帰省が主になるのです。まして私の場合、もう帰るべき家もなく、笑顔で迎えてくれる親もいません。ふるさとにあるのは、苔むした墓だけです。

先日、ネットで、ハフポスト日本版の「2016年に亡くなった人々」の「画像集」を見ていました。今年もいろんな人が鬼籍に入ったんだなとしみじみ思いました。なんだか例年になく若い人が多いような気がしました。

The Huffington Post
プリンス、ボウイ、アリ、巨泉...2016年に亡くなった著名人(画像集)

また、年末になると、人身事故で電車が止まるニュースが多くなるのも毎年のことです。

みんな死んでいくんだなと思います。たしかにみんな死んでいくのです。そして、やがて自分の番になるのです。

司馬遼太郎ではないですが、いつまでも「坂の上の雲」を仰ぎながら坂をのぼって行くことはできないのです。思い出を胸に坂をくだって行く人生だってあるのです。

それは、国も同じです。いつまでも成長神話に憑りつかれ、背伸びして世界のリーダーたることに固執しても、それこそ米・中・露の大国の思惑に翻弄され、貧乏くじをひかされるのは目に見えています。先日の安部・プーチン会談のトンマぶりがそれを象徴しています。

従属思想を「愛国」と言い換え、市場や国民の資産をグローバル資本に売り渡す一方で、中国への対抗意識から世界中にお金をばらまいて歩いて得意顔の「宰相A」を見ていると、ホントにこの国は大丈夫かと思ってしまいます。成長神話に憑りつかれている限り、格差や貧困の問題が二の次になるのは当然でしょう。

個人においても、国家においても、坂を下る思想が必要ではないのか。いつかは坂を下らなければならないのです。哀しみやせつなさを胸にどうやって坂を下るのか。上る希望もあれば下る希望もあるはずです。
2016.12.29 Thu l 日常・その他 l top ▲
キュレーションサイト、いわゆるまとめサイトの問題は、DeNAのWELQに端を発し、サイバーエージェントのSpotlightやby.S、DMMのはちま起稿などへと、さらに問題は拡大しています。また、個人向けのNAVERまとめにプラットフォームを提供しているLINEにも批判が集まっています。

まとめサイトの問題は、著作権侵害の無断転載だけではありません。ステマや煽りやデマの拡散など、なんでもありのモラルなき姿勢が問われているのです。言うまでもなく、それは、まとめサイトがニュースや情報をマネタイズするための手段と化しているからです。ありていに言えば、まとめサイトというのは、広告を売るための「メディア」にすぎないのです。

民放のテレビニュースにも、当然ながら広告主がいます。ただ、テレビニュースなどは、営業(広告)と報道(編集)は分離しているのが建前です。それが編集権と呼ばれるものです。編集権の独立は、ニュースメディアの前提であり生命線なのです。しかし、ネットでは違います。そもそも通常言われるような編集権など存在しないのです。

広告枠を少しでも高く売るためには、より多くのアクセスを集めなければなりません。そのため、Yahoo!ニュースやJ-CASTニュースなどのように、煽りやデマの拡散が日常的におこなわれるようになるのです。

とりわけ、芸能ニュースや中国・韓国関連の海外ニュースなどは、煽りやデマのオンパレードです。芸能ニュースや海外ニュースのアクセスランキングは、その手のまとめ記事ばかりと言っても過言ではありません。

テレビ番組での出演者の発言を体よくまとめて記事にするライターを「コピペライター」と呼ぶそうですが、そういった「コピペライター」は、DeNAなどがやっていたように、ランサーズやクラウドワークスのようなクラウドソーシング会社から調達されるそうです。

DeNAの場合、ライターが千人くらい登録されていて(報酬は一字1円から0.5円だと言われていますが)、多くはフリーターや学生や主婦のアルバイトだそうです。彼らにライターとしてのモラルを要求するのはどだい無理な話でしょう。

さらに深刻なのは、オリジナルの記事をコピペして別の記事を作成する文章ソフトが、既に存在していることです。テーマやプロットを設定すれば、自動的に小説を書いてくれる小説作成ソフトがありますが、おそらくそれと似たようなソフトなのでしょう。そうやって量産されたコピペ記事がネットメディアを埋め、情報の真贋が検証されないまま、SNSなどを通して拡散され、マネタイズされていくのです。

一方、まとめサイトが猖獗を極めている背景に、Googleの検索の問題があることを多くの人が指摘しています。要するに、Googleの検索がいかがわしい(邪悪だ)からです。まとめサイトは、Googleの検索のいかがわしさを利用していると言えなくもないのです。しかも、Googleのシェアは、PCでは90%以上です。Googleの検索さえ逆手に取れば、多くのアクセスを集めることができるのです。

ネット通販も、当初は個人サイトばかりでした。しかし、やがてメーカーや問屋などが、個人サイトをパクって参入してきたのでした。そして、今や個人サイトは圏外に追いやられ、検索の上位は企業サイトや楽天やアマゾンなどショッピングモールのページで独占されています。それは、「NPO、公共団体、教育機関、法人企業」など”オーソリティサイト”を優遇するというGoogleのアルゴリズムがあるからです。

まとめサイトも同じです。最初は少額なアフィリ目当ての個人サイトが主でした。しかし、やがて、企業が参入することで、広告も数億円規模にまで拡大し、今回のような問題が生まれたのです。

Googleの独占体制がつづく限り、こういった問題はこれからもどんどん出てくるでしょう。まとめサイトを批判している既存メディアにしても、建前はともかく、利益率90%以上と言われる、濡れ手で粟のおいしいビジネスに食指が動かないわけがないのです。実際に、参入を虎視眈々と狙っている既存メディアの話も出ています。そのうちキュレーションサイトの主体は、新興の(ぽっと出の)ネット企業から老舗の既存メディアにとって代わられるのかもしれません。今回の問題も、そういったネットのリアル社会化・秩序化・権威化の過程で出てきたと言えなくもないのです。まるでGoogleの邪悪な検索に群がる蛆蝿のようですが、これがネットの現実なのです。
2016.12.28 Wed l ネット・メディア l top ▲
島尾敏雄の妻・島尾ミホの生涯を書いた評伝『狂うひと  「死の棘」の妻・島尾ミホ』(梯久美子著・新潮社)を読んでいたら、たまらず『死の棘』を読みたくなり、本棚を探したのですが、ほかの作品はあったものの、なぜか『死の棘』だけが見つかりませんでした。それで、書店に行って新潮文庫の『死の棘』をあたらしく買いました。奥付を見ると、「平成二十八年十一月五日四十八刷」となっていました。『死の棘』は、今でも読み継がれる、文字通り戦後文学を代表する作品なのです。

まだ途中までしか読んでいませんが、『死の棘』も、若い頃に読んだときより今のほうがみずからの人生に引き寄せて読むことができ、全然違った印象があります。

愛人との情事を克明に記した日記を妻が読んだことから小説ははじまります。ある夏の日、外泊から帰宅した私は、仕事部屋の机の上にインクの瓶がひっくり返り、台所のガラス窓が割られ、食器が散乱しているのを目にします。それは、妻の発病(心因性発作)を告げるものでした。それ以来、二人の修羅の日々がはじまります。

来る日も来る日も、妻は私を責め立てます。一方で、頭から水をかけるように言ったり、頭を殴打するように要求したりします。詰問は常軌を逸しエスカレートするばかりです。私も次第に追い詰められ、自殺を考えるようになります。

愛人への暴力事件を起こした妻は、精神病院の閉鎖病棟に入院し睡眠治療を受けることになります。その際、医師の助言で、私も一緒に病院に入ることになるのでした。

     至上命令
敏雄は事の如何を
問わずミホの命令に
一生涯服従す
    如何なることがあっても順守
    する但し
    病氣のことに関しては医師に相談する
                    敏雄
 ミホ殿


これは、『狂うひと』で紹介されていた島尾敏雄自筆の誓約書の文面です。しかも、それには血判が押されているのでした。

愛人との情事を克明に記録し、しかも、それを見た妻が精神を壊し、責苦を受けることになる。それでも作家はタダでは転ばないのです。小説に書くことを忘れないのでした。文学のためなら女房も泣かす、いや、女房も狂わすのです。

週刊文春ではないですが、不倫を犯罪のようにあげつらう風潮の、まさに対極にあるのが『死の棘』です。だからこそ、『死の棘』は戦後文学を代表する作品になったのです。

もちろん、『死の棘』も“ゲスの文学”と言えないこともないのですが、しかし、ゲスに徹することで、人生の真実に迫り、人間存在の根源を照らすことばを獲得しているとも言えるのです。

昔、付き合っていた彼女は、男が約束を破ったので、ナイフを持って追いかけまわしたことがあると言ってました。さすがに私のときはそんなことはありませんでしたが、旅行の帰途、車のなかでお土産の陶器を投げつけられ、今、ここで車から降ろせを言われたことがありました。そして、薬を買うので薬局の前で停めろと言うのです。

また、早朝5時すぎにアパートのドアをドンドン叩かれ、大声で喚かれこともありました。深夜、死にたいと電話がかかってきたこともありました。しかも、私を殺して自分も死ぬと言うのです。

別れたあと、私はいつか刺されるのではないかと本気で思いました。でも、刺されても仕方ないなと思いました。土下座して謝りたいと手紙を書いたことがありましたが、返事は来ませんでした。

しかし、それでもそこには愛情がありました。哀切な思いも存在していました。それが男と女なのです。愛するということは修羅と背中合わせなのです。

誰だって大なり小なり似たような経験をしているはずです。『死の棘』を読めば、自分のなかにあることばにならないことばに思い至ることができるはずです。公序良俗を盾に、他人の色恋沙汰をあれこれ言い立てる(国防婦人会のような)人間こそ、本当はゲスの極みだということがわかるはずです。彼らは、人間や人生というものを考えたことすらないのでしょう。そんな身も蓋もないことしか言えない不幸というのを考えないわけにはいかないのです。
2016.12.13 Tue l 本・文芸 l top ▲
先日、ある女性が亡くなりました。私は、仕事で一度しか会ったことがなく、名前さえ忘れていたのですが、小林麻央と同じ乳がんだったそうです。まだ40代半ばの若さでした。

自治体のがん検診で異常が見つかったとき、既にがんはリンパ腺を通って骨に転移していたそうです。

詳しい事情はわかりませんが、彼女は身寄りもない孤独の身でした。若い頃結婚していたとかいう話もありますが、近い親戚もいないそうです。それでも、東京の片隅で、小さな会社の事務員をしながら懸命に生きてきたのです。

手の施しようもない末期のガン。自宅療養するにしても、ひとり暮らしのアパートでは充分なケアができません。仕事を辞めれば収入もなくなります。それで、受診した病院のはたらきかけで、医療扶助を受けて、入院して緩和治療を受けることになったそうです。そして、数か月後、誰に看取られることなく、息を引き取ったのでした。

残された荷物は、身の回りのものが入ったバッグと紙袋がひとつだけだったそうです。紙袋のなかにはパンプスが入っていました。入院の日、彼女はめいっぱいオシャレをして、二度と戻ることはないアパートをあとに病院に向かったのでしょう。また、バッグのなかには手帳型のケースに入れられたアイフォンも入っていたそうです。

初めてアイフォンを買ったとき、心を弾ませながら夜遅くまでアプリを入れたりしていたのかもしれません。会社の行き帰りも、アイフォンでどうでもいい芸能ニュースをチェックしていたのかもしれません。彼女は、そこらにいる人たちと同じように、普通に喜怒哀楽のなかを生きてきたのでしょう。孤独のなかにあっても、おしゃれをしてネットで情報を得て、ささやかな希望を糧に、懸命に生きてきたのでしょう。

私は、彼女の死を聞いたとき、無性にやりきれない気持になりました。小林麻央と比べて、(末期がんの苦しみは同じかもしれませんが)その境遇はなんと違うんだろうと思いました。

彼女だって、もっとおしゃれをして、もっと恋愛をして、もっと夢を見たかったに違いないのです。もっと笑って、もっと怒って、もっと泣きたかったに違いないのです。

がんを告知された日、ひとり暮らしのアパートの部屋に戻った彼女は、どうやって夜を過ごしたのだろうと思いました。泣きながら朝を迎えたのでしょうか。また、バッグを手にひとりで病院に向かっていたとき、どんな気持だったのだろうと思いました。車窓から見える東京の風景は、彼女の目にどのように映っていたのでしょうか。

夜明け前、彼女の亡骸は病院の裏口から看護師に見送られ、業者の手によって運ばれて行ったそうです。そして、数日後、立ち会う人もなくひっそりと荼毘に付されたのでした。遺骨は無縁仏として合祀されるそうです。

孤独に生き、孤独に死を迎える。これは他人事ではありません。「わてらひとり者(もん)は孤独死の予備軍でっせ」と明石家さんまが言ってましたが、それは私も同じです。明石家さんまが死んだら大きなニュースになるでしょうが、私たちの死は、誰の記憶に残ることもないのです。孤独に生き、孤独に死を迎えるというのは、その覚悟をもつということなのです。


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2016.11.27 Sun l 訃報 l top ▲
雨宮まみが急逝したというニュースにはびっくりしました。大和書房のサイトによれば、15日の朝、心肺停止の状態で床に倒れているところを警察に発見されたそうです。17日に近親者のみでお別れ会がおこなわれると書いていましたので、もうお別れ会も終わり、遺骨は東京を離れ故郷の福岡に帰ったのでしょう。

今日の朝、久しぶりに通勤時間帯の東横線に乗って渋谷に行ったのですが、車内で通勤客にもまれながら、ふと、ワニブックスのサイトに掲載されていた雨宮まみと栗原康の対談を思い出しました。そして、スマホを取り出して、その対談を読み返したのでした。

WANI BOOKOUT
雨宮まみさん+栗原康さん対談「はたらかないで、素敵な暮らし!?」【前編】
「結婚を意識した途端、恋愛がうまくいかなくなるのはなぜ?」雨宮まみさん+栗原康さん対談【後編】

雨宮 ちゃんとした大人として生活していくということは人間性を失っていくということとほとんど同じなんじゃないのか、なんでみんな我慢して暮らしていかなければならないのか、というのが栗原さんの考えていることで。たとえば、いま私たちはフリーの立場だから満員電車って乗らなくていいじゃないですか。満員電車に乗らなくていいということを私はうれしく思っているんですけど、そのことをSNSで言えないんですよ。私は書けない。

それを書いたことによって、「へ~いいなーお気楽で。だったらお前ちゃんとした社会人として扱われなくてもしょうがないよ。辛い思いしていないんだから」と言われるのが怖くて仕方なくて。この前仕事でAV女優さんにインタビューしていて、「この仕事してて良かったことってあります?」と聞いたら、「満員電車乗らなくて良いことですかね~」って言われて。「だよね~!」ってなりました。

栗原 ですよね~!

雨宮 みんな乗らないほうがいいと思っているはずなんですけど、なかなかそういう方向にはいかないじゃないですか。ずっといかないということは、もうそういうことなんだろう。しょうがないことなんだろうなって思うし、なんとなく自分の中でそこに逆らう気力がはぎとられていってたんですけど、それを鼓舞するような力が栗原さんの文章にはあって。別にいいじゃん、乗らない方向に努力したほうがみんな幸せになるのに。って。やっぱり満員電車の中で人間的な優しさを保つのって無理じゃないですか。


この「満員電車に乗らなくていい」幸せは、もう20年以上フリーで生活している私にも、非常によくわかる話です。もちろん、その幸せは世俗的な”幸せ”とは別です。

一方で、人間はみんな、そうやって我慢してがんばっているんだ、それが生きるということなんだ、そうやってささやかでつつましやかな人生の幸せを掴むことができるんだ、そんな声が聞こえてきそうです。

サリーマンやOLがそんなに偉いのか、なんて口が裂けても言えないのです。サラリーマンやOLになって社会に適応することは、セコい人間になってセコく生きることではないか、なんて言えるわけがないのです。

まるで電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち。電車が来てもいないのに、急かされるように、ホームに向かう下りのエスカレーターを駆け足で降りていくサラリーマンやOLたち。条件反射のようにそんな日常をくり返す人生。

「人間的な優しさを保つのって無理」なのは満員電車のなかだけではありません。この社会そのものがそうです。私たちは、そんな生き方の規範を常に強いられているのです。

その時間は、だいたい夜にやってくる。涙が止まらなくなったり、虚無感や疲労感に襲われているのに寝付けなかったりする。一人暮らしが長ければ、こういうときの対処も、それなりに慣れた。とりあえず朝が来れば楽になることはわかっているのだから、睡眠薬に頼るときもあるし、それでもだめなときは、多少気力があれば録画しておいた映画を観たり、本を読んだりする。こういうときのために「何度読んでも勇気づけられる本」が何冊か置いてある。
単純作業に没頭するのもいい。細かい拭き掃除をするとか、服を全部出してたたみなおしたり、アイロンがけしたり。手を動かしている間は、考えに集中できない。裁縫や小物の整理なんかもいいし、靴などの革製品の手入れもいい。
でも、ほとんどの場合、動く気力もなく、自分を励ますことも思いつかない。ただ、苦しい夜をじっと過ごすだけになることが多い。それでもそういうときに少しでも楽になるヒントとして、知っておいてほしいのだ。苦しい夜に、苦しさを味わえば味わうほど解決に近づけるということは、ない。その苦しさを味わっていいことなんかない。一歩間違えば死んでしまう。だから、どんなにくだらないと思っても、そんなことに効果はないと思ってもいいから、やってみてほしいと思うのだ。
何かをしている間だけ、私たちは死の方向に引っ張られるのを止めることができる。

モモイエ女子web
理想の部屋まで何マイル?
孤独に襲われるとき


でも、この文章が掲載されていたのは、三井不動産レジデンシャルが運営する、独身女性をターゲットにしたサイトです。サイトでは、マンション購入で手にすることができる「できる女」のイメージと「素敵な生活」の幻想がこれでもかと言わんばかりにふりまかれているのでした。資本の論理はどこまでも私たちを追いかけてくるのです。「満員電車に乗らなくていい」ことがどんなに幸せかなんて、とても言えるわけがないのです。雨宮まみは、女性性に対してだけでなく、この社会に生きることそのものをこじらせていたのではないか。

彼女は、Project DRESSというサイトで、「私を変えた5冊の本」を紹介していましたが、そのなかで、「死ぬことについて書かれた」本として、佐野洋子の『死ぬ気まんまん』(光文社)をあげていました。

Project DRESS
雨宮まみさんが選ぶ、私を変えた5冊の本

『死ぬ気まんまん』で描かれるのは、死ぬ前の風景です。ホスピスで、山の夕陽に照らされた森がまるでゴッホの描く絵のように葉っぱの一枚一枚までくっきりと見えたと佐野洋子は書いています。若い頃には自然なんか見なかった、と言う佐野洋子は、こんな自然のもとからさっさと出ていきます。


私は、『死ぬ気まんまん』は読んでなかったので、さっそくアマゾンで注文しました。

栗原康ではないですが、吐き気を催すのは、電車のなかのセコい光景だけではありません。そんなセコい光景を真摯な生き方だと言い換えるこの社会のイデオロギーが吐き気を催すのです。そうやって人間を馴致していく社会(フーコーの言う規律訓練型権力)が吐き気を催すのです。そして、私のなかには、雨宮まみの死に対しても、「死にたいやつは死なしておけ」とは言えない自分がいるのでした。


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雨宮まみ『東京を生きる』
『はたらかないで、たらふく食べたい』

2016.11.19 Sat l 訃報 l top ▲
まさかと思っていたことが現実になったのです。マイケル・ムーアは、7月に「ドナルド・トランプが大統領になる5つの理由を教えよう」という文章で、「この浅ましくて無知で危険な、パートタイムのお笑いタレント兼フルタイムのソシオパス(社会病質者)は、俺たちの次期大統領になるだろう」とトランプ当選の悪夢を予測していましたが、そのとおりになったのでした。

THE HUFFINGTON POST
ドナルド・トランプが大統領になる5つの理由を教えよう

トランプが出馬したとき、面白半分にとらえた人が大半だったように思います。それがあれよあれよという間に超大国の大統領になったのでした。冗談がホントになったのです。これが悪夢でなくてなんなのでしょうか。

ナチスが政権をとったときもこんな感じだったのではないかと言った人がいましたが、たしかにその過程はヒットラーと似てなくもありません。しかし、アメリカは唯一の超大国なのです。第一次世界大戦の賠償に苦しんでいた当時のドイツとは、覇権の規模やその影響力は比べようもないくらい違います。マイケル・ムーアが書いているように、「トランプの錯乱した指が、あの核ボタンに掛かったら、それでおしまい。完全に終わり」なのです。「トランプは意外にまとも」というのは、そうあってほしいという対米従属の国のいじましい希望的観測でしかありません。

サンフランシスコ在住の野沢直子が、今回の選挙に対して、「この国は終わり」「ブラジルに引っ越す」「アメリカ人はバカ」などと発言していたそうですが、それは決してオーバーな表現とは言えないでしょう。マイノリティの彼女にとって、移民排斥や女性差別発言をくり返すトランプが大統領になったことは、私たちが想像する以上の危機感があるはずです。

株価が上がればそれでいいと言わんばかりのテレビ東京などは、開票日翌日、株価がV字回復したことで「トランプショックは和らいだ」などと能天気なことを言ってましたが、それは今や株式市場が電子空間のマネーゲームと化しているからでしょう。株式市場にとって、大統領選もマネーゲームの単なる材料(イベント)にすぎないのです。

中間層から没落した白人労働者(階級)の不満が、排外主義とむすびつき、ファシストを政権の座に押し上げたというのは、わかりすぎるくらいわかりやすい話です。アメリカに進出した日本の自動車メーカーも、NAFTAによって、人件費の安いメキシコに工場を移転し、メキシコで生産された車がアメリカに「逆輸入」されているそうです。皮肉なことに、アメリカが主導するグローバリズムが、足元の労働者から手痛いしっぺ返しを受けたとも言えるのです。

トランプ当選には、イギリスのEU離脱と同じように、そんな「上か下か」の背景があることも忘れてはならないでしょう。「革命」の条件が、ナチス台頭のときと同じように、ファシストに簒奪されてしまったのです。社会主義者のバーニー・サンダースが予備選で健闘したのは、その「せめぎあい」を示していると言えるでしょう。

投票日にテレビに出まくっていたお笑い芸人のパックン(パトリック・ハーラン)によれば、トランプが使う英語は、中学生レベルのわかりやすい英語なのだそうです。一方、知的エリートのヒラリーの英語は、英国なまりの気取った英語なのだとか。そういったわかりやすいことばが、下層の人々の負の感情とマッチするのは当然でしょう。マイケル・ムーアは、その負の感情をつぎのように書いていました。

俺たちに指図してきた黒人の男に8年間耐えなきゃいけなかったのに、今度は大変なことは傍観する、そして威張り散らす女のもとで、8年間を過ごすことになるのか? その後の8年間は、ゲイがホワイトハウスに入るのか! それからトランスジェンダーか! 君たちは、そんなことを目の当たりにする。その時までには、動物にも人権を認められているだろう。そしていまいましいハムスターが、この国を統治していることだろう。これは止めないといけないな!


アメリカのメディアの70%はヒラリー支持で、99%はトランプを批判していたと言われています。レディー・ガガ、メリル・ストリープ、ジェーン・フォンダ、ケイティ・ペリー、マライア・キャリー、ビヨンセ、レオナルド・ディカプリオ、ボン ジョヴィ など、多くの有名人もヒラリー支持を表明していました。また、下記の朝日新聞の記事にあるように、IT企業、とりわけGoogleと民主党政権の関係は浅からぬものがあり、検索などでも、ヒラリー有利に操作されていたと言われています。

朝日新聞デジタル
グーグルとホワイトハウスの「密接な」関係

にもかかわらず、トランプが勝ったのです。これは驚くべきことです。世論調査でも、意図的にトランプ支持と答えなかった人が多かったのかもしれません。この“世紀の逆転劇“は、検索履歴やIPアドレスやGPSなどによってすべてが管理・操作され、最初から解答が用意されているかのように見えるデジタルな社会でも、アナログを武器にすれば、ビッグデータだって打ち負かすことができるということを証明したとも言えるのです。IT技術が駆使され高度に管理された(ように見える)社会は、案外データ信仰で築かれた砂上の楼閣にすぎないのかもしれません。

もちろん、トランプ現象は他人事ではありません。トランプ現象を「世界の大阪化」と言った人がいましたが、あながち冗談とは言えないでしょう。安倍晋三にしても、橋下徹にして、松井一郎にしても、その反知性主義は程度の差こそあれ共通しています。フランスでも来春の大統領選挙で、移民排斥を掲げる極右政党・「国民戦線」のマリーヌ・ルペンが有力視されています。ヒットラー生誕生の地・オーストリアでも、極右政党が伸長し政権を握る可能性が指摘されています。反知性主義が跋扈し、ヘイトクライムが世界を覆う時代は、たしかに”悪夢の時代”と言えるのかもしれません。しかし、それもまた、過渡的なものにすぎないのでしょう。

アメリカが唯一の超大国の座から転落し、世界が多極化していくのは間違いないのです。トランプ大統領誕生は、その流れを決定づけるものと言えるでしょう。今後、世界はアメリカ・ロシア・中国による「新ヤルタ体制」に移行するのではないかと言われていますが、それも過渡期の体制にすぎないのでしょう。イスラムの台頭は、もはや誰も押しとどめることができないのです。ヘイトクライムや極右の台頭は、民主主義で偽装された私たちの世界が既にそこまで(なりふり構わないところまで)追い詰められていることを露呈しているのです。先進国内部にまで浸透したテロに見られるように、やられたらやりかえす「世界内戦」の時代は既に到来しているのです。そうやって底なし沼の”テロとの戦い”に引きずり込まれているのです。

「世界内戦」の時代とは、(バージョンアップした)”戦争と「革命」の時代”の再来にほかなりません。そして、ノーム・チョムスキーが言うように、世界はいったんチャラにされ、資本主義も民主主義も、平和も自由も、人権も環境も、すべては過去の遺物になるのだと思います。


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「世界内戦」の時代
2016.11.11 Fri l 社会・時事 l top ▲
どうやら小池劇場は終幕に近づいているようです。結局、大山鳴動して鼠一匹の茶番に終わりそうです。

私は、又吉直樹が芥川賞を受賞した際、あとで振り返り、あの又吉の芥川賞ってなんだったんだという話になるだろうと書きましたが、小池劇場も同じでしょう。どうやら豊洲移転問題も、五輪会場問題も、竜頭蛇尾に終わりそうな気配です。

小池劇場は、小泉改革と同じ手法です。役人を悪者にして改革者としてのみずからのイメージを作り、それを武器に政治的野望を目論むのです。でも、役人を悪玉にしても、公務員問題、もっと端的に言えば、中央から地方までこの国を蝕んでいる役人天国の根本には、一指も触れることはないのです。かくして役人天国は微動だにしないのです。それが“劇場”と言われるゆえんです。

上西小百合議員は、先日、小池劇場について、つぎのようにツイートしていました。


上西議員は、小池都知事が誕生した当初から小池劇場の背後には橋下徹氏がいると言ってました。すると案の定、小池都知事が立ち上げた「都政改革本部」の特別顧問に、橋下氏のブレーンであり、大阪府や大阪市の特別顧問や大阪維新の会の政策特別顧問を務めた上山信一慶応大学教授が就任したり、受講料だけで1億3000万円を集めた小池政治塾の講師に、橋下徹氏(上山議員が言うには、橋下氏の講演料は200万円だとか)が呼ばれたりと、上西議員の発言を裏付けるように、ことがすすんでいるのです。

要するに、小池劇場は小泉劇場と橋下劇場のコピーにすぎないのです。それに踊らされる愚民、いや都民こそいい面の皮です。しかし、彼らは、踊らされたとか肩透かしを食らったとかいう認識さえないのでしょう。ないというより持てないのでしょう。
2016.11.09 Wed l 社会・時事 l top ▲
前回の記事のつづきになりますが、その後、ノンフィクションライターの田崎健太氏が、『週刊現代』に連載している「ザ芸能界」で、能年玲奈の問題を取り上げていました。

現代ビジネス
能年玲奈「干されて改名」の全真相 〜国民的アイドルはなぜ消えた?

記事によれば、当初『週刊文春』が伝えた能年の給与が「月5万円」というのは、事実だそうです。所属事務所・レプロの担当者もそれを認めているそうです。担当者に言わせれば、その代わり、高級マンションに住まわせ(と言っても、4~5名の共同生活)、その家賃など「生活全ての面倒を見て、レッスン代、交通費などの関連費用も全部こちらで持った上で、さらに小遣いが5万円ということ」だとか。

でも、駆け出しとは言え、彼女たちはタレントなのです。レッスンだけしているわけではなく、いくらかなりとも報酬(ギャラ)を得ているはずです。事務所はそれをピンハネしているのです。それで、「小遣い」はないだろうと思います。

赤字だろうが、先行投資だろうが、こういったシステム自体が前近代的で、レプロの主張は女郎屋、あるいはタコ部屋の論理と同じです。芸能界というのは、前近代的な、労働基準法も及ばないブラックな論理が、さも当たり前のように未だにまかり通っている世界なのです。

「あまちゃん」で売れたので、これから投資した分を回収しようとした矢先、独立したいと言い出したため、レプロが激怒したのは容易に想像がつきます。芸能マスコミに能年玲奈の「洗脳」記事がいっせいに流れたのは、その頃でした。

記事で注目されるのは、能年の顧問弁護士が初めて口を開いたことです。顧問弁護士の星野隆宏氏は、有名芸能人の顧問を務める弘中惇一郎弁護士などと違い、外資系法律事務所に所属する商事紛争が専門の裁判官出身の弁護士だそうです。今まで芸能界と付き合いのない弁護士だからこそ、その主張は芸能界の問題点を的確に衝いているように思いました。

星野はレプロに限らず、日本の芸能プロダクションの、所属タレントに対する姿勢を問題視する。

「確かに、レプロは彼女にコストを掛けたかもしれない。ただ、それはビジネスだから当然のことです。

事務所に集められた全員が成功するわけではない。本人の努力や運、さまざまな要素がかかわってくる。事務所はそうして成功したタレントをうまく活用すればいい。それがマネジメントです。

しかし現状は、あたかもタレントを事務所の所有物のように扱いコントロールしている。タレントに対し、とにかく逆らうな、言った通り仕事をしろ、という発想がある」

仕事をしたいと主張する能年に対して、レプロは「事務所との信頼関係がない限り、仕事は与えられない」と言うのだそうです。

「我々が(代理人として)入ってからは、常に彼女は仕事をやりたがっていました。『仕事をください』という要求を、6回も書面で出しています。するとレプロ側は『事務所との信頼関係がない限り、仕事は与えられない』という回答を送ってきた。

『では、その信頼関係はどうやったら作れるんですか』と返すと、『社長との個人的な信頼関係がなければ仕事はあげられない』。

そして、弁護士を介さずに社長と本人の一対一で話し合いをしたいと言う。ただ、代理人がついた事件で、当事者同士が直接交渉するということは、弁護士倫理上も許容できない。到底認められなかった」


芸能界は、まさにヤクザな世界なのです。テレビ局や芸能マスコミがそのヤクザな世界に加担しているのです。彼らは、女郎屋&タコ部屋の論理を追認しているのです。

ただ、そういったテレビ局や芸能マスコミの姿勢に、視聴者や読者から批判的な見方が出ていることもたしかです。”音楽出版利権”に見られるように、芸能界のボスと結託して甘い汁を吸っている彼らの”裏の顔”は、既に多くの視聴者や読者の知るところとなっているのです。
2016.11.08 Tue l 芸能 l top ▲
と言っても、現在、彼女は芸能界では「能年玲奈」という名前を使えないのだそうです。そのために、「のん」などという犬か猫のような芸名を名乗っているのです。

しかも、驚くべきことに、「能年玲奈」というのは本名だそうです。芸能活動するのに、本名の「能年玲奈」を名乗ることができないのです。そんなバカと思いますが、それが芸能界のオキテなのです。そのあたりの事情については、リテラが『週刊文春』の記事をもとに、つぎのように書いていました。

「週刊文春」の記事によると、契約が終了する間近の6月下旬、レプロから能年側に、昨年4月から今年の6月まで彼女が事務所側からの面談に応じなかったため仕事を提供できなかったとして、その15カ月分の契約延長を求める文書が送付されてくるとともに、もう一つ申入れがあったという。

 それは、契約が終了しても「能年玲奈」を芸名として使用する場合には、レプロの許可が必要というものであった。「能年玲奈」は本名であるため、前所属事務所に使用を制限される謂れはないが、「週刊文春」の取材を受けたレプロ側の担当者は「一般論として、その旨の契約がタレントとの間で締結されている場合には、当事者はその契約に拘束されるものと考えます」と答えたと記されている。

 その「契約」とは、いったい何なのか。レプロを含む、バーニング、ホリプロ、ナベプロなどの大手芸能プロは、彼らが加盟する日本音楽事業者協会(音事協)の統一の契約フォーマットを使っているのだが、そこにはこのような文言があると「週刊文春」の記事には記されている。ちなみに、ここでの「乙」は能年玲奈を、「甲」はレプロを指している。

〈乙がこの契約の存続期間中に使用した芸名であって、この契約の存続期間中に命名されたもの(その命名者の如何を問わない。)についての権利は、引き続き甲に帰属する。乙がその芸名をこの契約の終了後も引き続き使用する場合には、あらかじめ甲の書面による承諾を必要とする〉

 レプロ側は、契約書にあるこの一文を根拠に「能年玲奈」という名前の使用に関する権限をもっていると主張しているのだが、芸名ならまだしもこれが本名にも適用されるのかは疑問だ。実際、記事で取材に答えている弁護士も、公序良俗違反でこの契約条項は無効になるのではないかと考えを示している。

 だが、能年側は、レプロのこの要求を呑んだ。「能年玲奈」という名前を使い続けることで、もしも裁判などになれば、今度は一緒に仕事をする相手に迷惑がかかることを危惧したからだ。

リテラ
卑劣! 能年玲奈に「本名使うな」と前事務所から理不尽すぎる圧力が! 能年を完全追放のテレビにクドカンも苦言


音事協の統一の契約フォーマット。それこそが竹中労が言う「奴隷契約書」です。日本の芸能界と、日本の芸能界のノウハウが持ち込まれた韓国の芸能界を支配する「奴隷契約書」にほかなりません。本名すら名乗ることさえできないなんて、まるで中世の世界です。

先月、能年玲奈は、台風10号の豪雨で被害に遭った「あまちゃん」の舞台・岩手県久慈市を訪問し、地元で熱烈な歓迎を受けたのですが、しかし、テレビでこのニュースを伝えたのはNHKだけで、ほかの局はいっさい無視したのでした。新聞も朝日と一部のスポーツ紙が小さく伝えたのみでした。

何度もくり返し言いますが、テレビ局をはじめとする芸能マスコミが芸能界をヤクザな世界にしていると言っても過言ではないでしょう。芸能記者や芸能レポーターたちは、アメリカに尻尾を振るだけのどこかの国の「愛国」政治家と同じで、芸能界を支配するヤクザな人種に媚びを売るだけの”金魚の糞”にすぎないのです。

高江には足を運ばないテレビ局が、高樹沙耶のことになると大挙して石垣島に押しかけ、例によって坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式の罵言を浴びせていますが、高樹沙耶なんかより能年玲奈のほうがはるかに大きな問題でしょう。誰が見ても重大な人権侵害があることは明らかで、芸能人にとっても看過できない問題のはずです。しかし、「とくダネ!」も、「スッキリ!」も、「モーニングショー」も、「ビビッド」も、「サンデージャポン」も、能年玲奈の問題を取り上げることはありません。テリー伊藤も、マツコデラックスも、坂上忍も、松本人志も、爆笑問題も、デーブスペクターも、加藤浩次も、誰ひとり能年玲奈の名前を口にすることはないのです。私は、彼らがわけ知り顔にこましゃくれたことを言っているのを見るにつけ、ちゃんちゃらおかしくてなりません。

能年玲奈は、来月から公開される長編アニメ映画『この世界の片隅に』の主役の声優をつとめ、これが事実上の芸能界復帰作と言われていますが、NHKを除いて民法各局は同作品のプロモーションもいっさい拒否しているのだとか。能年玲奈がテレビの画面に映ることさえ許されないのです。一方で、TBSはレプロに所属する新垣結衣を新しいドラマの主役に起用しているのです。また、日テレの「ZIP!」の総合司会には、先月からレプロ社長のお気に入りと言われている川島海荷が抜擢されています。これでは、能年玲奈の問題を取り上げるなど夢のまた夢と言えるでしょう。

独立した芸能人が干されるのも、干そうと画策するプロダクションの意向を受けて、テレビ局などがそれに加担するからです。そうやって芸能界をヤクザな世界にしているのです。テレビ局も共犯者なのです。


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『芸能人はなぜ干されるのか?』
2016.11.04 Fri l 芸能 l top ▲