少し前の話ですが、元日に近所のコンビニに行ったときのことでした。そのコンビニに入ったのは初めてでした。

店内にはお客は誰もおらず、ネパール人のような若い女性の店員がひとりいるだけです。やはり、正月から働いているのは外国人なんだなと思いました。

店員は、店の奥で棚の商品の整理をしていました。入口近くにあるレジは空っぽです。こんなことで大丈夫なのかと思いました。

私は、商品を入れたカゴを持って、レジに向かいました。店員の女の子は、横の方のあきらかに私の姿が見える位置にいます。

しかし、レジの前に立っても女の子は知らんぷりです。私は、「すいませ~ん」と声をかけました。でも、女の子は私の方をチラッと見ただけで動く気配はありません。「どうなっているんだ?」と思いました。それで、さらに大きな声で「すいませんっ!」と呼びかけました。

すると、しぶしぶといった感じでレジにやって来ました。しかし、「お待たせしました」と言うわけではなく、無言のままです。外国人なので、そう見えるかもしれませんが、なんだか不愛想で不機嫌そうです。商品を袋に詰め、お金を受け取り、つり銭を差し出す一連の動作も無言で行うだけでした。帰る際、「ありがとうございました」という挨拶もありません。

実際に不機嫌だったのかどうかわかりませんし、それに、殊更愛想よくしろと言うつもりもありませんが、あまり気分のいいものではありませんでした。

個人の問題というより、やはり、これも人出不足の弊害と言うべきでしょう。

元日から働くのは外国人しかいない現実。今や外国人は貴重な人材です。だから、接遇マナーをきびしく要求することもできないのでしょう。辞められたら困るので、腫れ物に触るような感じで接しているのかもしれません。でも、忘れてはならないのは、そこには前提があるということです。安い賃金で使える非正規雇用という前提です。だから、貴重なのです。不足しているのは、低賃金の非正規雇用の労働者なのです。

それは、スーパーも同様です。毎日のように通っているとわかりますが、人出不足は深刻で、そのために職場が水が低い方に流れる状況に陥っているのは否めないように思います。真面目に熱心に仕事をしていたような人たちはすぐに辞めて行き、神戸の教員いじめの女帝と言ったら言いすぎかもしれませんが、そういった感じのおばさんばかりが残って主のようになっています。最初は、ぎこちなく対応していたおばさんが、半年もするとふてぶてしい態度に変っていたなんてこともめずらしくありません。

昨日も、近所のスーパーに行ったら、おそらく新人なのでしょう、初めて見る30~40代くらいの女性が、レジ回りの掃除をしていました。すると、近くのレジの中にいたおばさんが、「そうじゃないでしょ」「それじゃ掃除してもしなくても同じじゃない」などと、いちいち注意していました。傍から見れば、難癖としか思えません。新人の女性はそのうち嫌気が差して辞めるんじゃないかと思いました。でも、難癖を付けていたおばさんも、一年くらい前は額に汗を浮かべながら慣れないレジを必死で打っていたのです。

私の知っている会社で、定職に就いたことのない生涯フリーターの50~60代の独身男性ばかりをアルバイトで雇っている会社があります。と言って、そういった人間たちを選んで雇っているわけではないのです。そういった人間たちだけが残ったのです。社員も、「まともな人が来ても続かないんですよ」と言ってました。単純労働なので、誰でもいいのでしょう。もちろん、そこにも低賃金の非正規雇用という前提があるのです。辞められたら困るので、仕事に支障のない限り、多少の非常識も目を瞑っていると言ってました。

このように、剰余労働とか労働疎外論とかいった”公式論”だけでは解釈できない、人出不足の現実とその弊害が私たちのまわりにあります。「働き方改革」も、低賃金の非正規雇用の存在が前提で、そこには大きな詐術があります。でも、みんな「いいことだ」と言うばかりです。ひと昔前の言い方をすれば、「本工の論理」しかないのです。

利潤を確保し競争力を維持するためには、できる限り賃金を抑えるしかないでしょう。雇用の安全弁としての非正規雇用も必要でしょう。人出不足というのは、そういった資本の論理が招いた”都合”にすぎないのです。若年労働力の不足と言うときの若年労働力も、「(外国人労働者並みに)賃金が安い」という意味で使われているにすぎません。

日本がもはや先進国であるかどうかは議論の分かれるところですが、思い上がった先進国が凋落(=自壊)するのは必然のような気がします。少子高齢化ばかりが取り出されますが、むしろ年収300万円以下の労働者が1859.7万人(36.99%)、非正規雇用が2036万人(37.3%)もいるような貧富の差(階層の固定化)の方が問題でしょう。既にそこから自壊がはじまっているのかもしれないのです。


関連記事:
『新・日本の階級社会』
2020.01.17 Fri l 社会・メディア l top ▲
ネットを見ていたら、「ミタパン、ゴーン被告は逃亡で『日本の司法制度の正しさを証明しているかのよう』」という見出しが目に入り、思わず記事をクリックしました。

msn
デイリースポーツ
ミタパン、ゴーン被告は逃亡で「日本の司法制度の正しさを証明しているかのよう」

いわゆる典型的なコタツ記事で、いちいち目くじらを立てるのも大人げない気がしないでもありませんが、私は、この記事を読んで、「ミタパンってバカなの」と思いました。

女子アナが視聴率稼ぎのためのお人形さんであるのは今更言うまでもありませんが、それにしても、こういったお粗末なアナウンサーが報道番組のキャスターを務めているのですから呆れるばかりです。ワイドショーでアシスタントをしていたとき、控えめな口調で発する短いコメントが視聴者に受けたとかで報道番組のキャスターに抜擢されたのですが、それも横に座る厚化粧のおばさんとの比較で好感を持たれたにすぎないのです。

フジ・サンケイグループは、今や政権の太鼓持ちに徹しており、イエロージャーナリズム化を加速させています。経営危機に陥った産経新聞は、今年(だったか?)、全国紙の看板を降ろしてブロック紙として再出発するそうで、文字通り貧すれば鈍すでなりふり構っておれないのでしょう。その意味では、三田アナの起用は適材適所と言えないこともないのです。

また、ミタパン以外にも、「お前が言うな」と言いたくなるようなコメントもありました。

それは、ゴーンの記者会見についての日産の西川廣人前社長のコメントです。西川前社長は、記者会見の感想を求められて、次のように言ったそうです。

「ちょっと拍子抜けしましたね。あの程度の話なら日本ですればいい」


朝日新聞デジタル
日産の西川前社長「ちょっと拍子抜け」 ゴーン被告会見

西川前社長が、ゴーンの茶坊主であったのは有名な話で、だから、ゴーン体制下で、代表取締役社長兼最高経営責任者にまで登り詰めたのでしょう。

西川前社長については、下記の記事にもあるように、ゴーンの逮捕容疑と同じような役員報酬に関する有価証券報告書の虚偽記載の疑いがあり、社長を辞任したのもその疑いを持たれたからでした。でも、西川前社長は今も取締役には留まっているのです。

文春オンライン
日産・ケリー前代表取締役が明かした「西川廣人社長の正体」

国連から再三勧告を受けているように、代用監獄や人質司法など、日本の司法制度が民主主義国家とは思えないほど遅れているのは国際的にも知られています。韓国の“検察独裁”は他人事ではないのです。

でも、日本のメディアは、嫌韓報道と同じで、ただ国民の感情を煽るかのように坊主憎けりゃ袈裟まで式にゴーンを叩くだけです。我が振り直すような視点は皆無です。

たとえば、会社法が専門の田中亘東大教授がゴーンの訴迫に対して異議を唱えていた話など、日産の監視活動と同様、メディアに取り上げられることはないのです。

Yahoo!ニュース
共同通信
ゴーン被告の違反罪、教授が異論 会社法が専門の東大田中氏

三田アナは、ゴーンは感情的になっていると言ってますが、感情的になっているのはどっちだと言いたくなります。感情的ということばの意味がわかってないのではないか。

日本のメディアは、ゴーンに対するマイナス記事ばかり取り上げて、ゴーンがさも世界中のメディアから批判されているかのようなイメージをふりまいていますが、実際はゴーンは有罪率99.4%の日本の司法制度の犠牲者であり、そこから逃げて来た(まるで全体主義国家から逃げて来た)ように好意的に捉えている海外メディアも多いのです(むしろ、そっちの方が主流でしょう)。日本のメディアの“ゴーン叩き”もまた、ニッポンファーストの自演乙と言えるのです。

余談ですが、ゴーンが記者会見の中で、英語とフランス語とアラビア語を流ちょうに使いこなしていたのには驚きました。やはり、ゴーンは、グローバル資本主義の使徒にふさわしく知能指数の高いエリートだったんだなとあらためて思いました。それに比べると、ミタパンも日本のメディアも、如何にもバカっぽく見えて仕方ありません。
2020.01.16 Thu l 社会・メディア l top ▲
おととい(1月13日)の成人の日。再び奥多摩の笹尾根に行きました。これが今年最初の山行です。

いつものように、武蔵五日市駅から数馬行きのバスに乗りましたが、休日のダイヤは、6時18分が始発で、次が7時06分、その次が8時56分です。

新宿駅からだと快速に乗っても1時間半以上かかるため、7時06分のバスに乗るのは至難の業で、どうしてもそのあとの便にならざるを得ません。さらに、武蔵五日市駅から檜原街道沿いの登山口までは、近くて40分、奥の方に行けば1時間以上かかるため、山に入るのは10時近くになります。そういった時間的な制約が、笹尾根が人が少ない理由なのかも知れません。

今回も前回と同じ8時56分発(平日は9時発)のバスに乗りました。登山口の最寄りのバス停である上川乗(かみかわのり)に着いたのは9時半すぎでした。

連休ということもあって、出発時、五日市駅前のバス停には40人くらいの人たちが並んでいました。乗客の大半は登山の恰好をした人たちでした。

ただ、横の駐車場では、トレランの団体が何組か輪になってミーティングを行っていましたし、檜原街道では、峠越えのサイクリストたちも多く見かけました。トレランのランナーやサイクリストたちは、中高年が中心の登山者と比べて、みんな若いのでした。彼らから見れば、登山というのは、老人が支配し古い慣習や精神論や自己顕示欲にとらわれた面倒くさい世界なのかも知れません。何度も言いますが、あと10年もすれば老人たちは山に登れなくなるのです。私は、あらためて、旧態依然とした登山が時代から取り残されつつあるのを痛感させられた気がしました。

登山用品の専門店でアルバイトをしている女の子が言ってましたが、店のスタッフの中で山に登るのは彼女だけで、あとはカヤックやキャンプなど他のアウトドアが好きな人間ばかりだそうです。登山用品の専門店と言っても、実際はアウトドア全般に間口を広げていますので、登山に関する専門的な知識もそんなに必要ないのだとか。今や山登りは圧倒的に少数派なのです。

上川乗で降りたのは、私を含めて4人でした。私以外は3人の中高年男性のグループで、バスを降りると、道路の脇で大きな掛け声を上げて準備体操をしていました。私もバス停のベンチに座って身なりを整え、そのあとグループの横をすり抜けて登山口に向かいましたが、それでもまだ準備体操はつづいていました。やけに丁寧に体操をするんだなと思いました。その後、グループの姿を見ることはありませんでしたので、おそらく反対側の浅間嶺に登ったのかも知れません。

バス停から登山口までは、檜原街道を左折して、上野原方面の都道33号線の坂道を登って行きます。分岐してすぐの南秋川橋を渡る際、舗道が凍結していて、歩くのに神経を使いました。

10分くらい歩くと、道路脇に退避場所のようなスペースがあり、数台車が止められていました。表示はありませんが、どうやら駐車場のようです。そして、その奥に登山道の入口がありました。

停められている車の中には、「杉並」や「世田谷」のナンバーもありました。見ると、それぞれの車のサイドミラーはカラーコーンと紐で結ばれていました。盗難防止なのか、それとも駐車許可の印なのか、不思議な光景でした。

余談ですが、そのまま都道を進むと甲武トンネルがあります。甲武トンネルは、笹尾根の下を通っている全長1キロ弱のトンネルです。甲武とは、律令制時代の旧国名の甲斐国(甲州)と武蔵国(武州)のことで、甲斐国は現在の山梨県で、武蔵国は現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部がそれに当たるそうです。

笹尾根は文字通り、東京(檜原村)と山梨(上野原市)の都県境にある山稜なのです。両国の住民たちは、昔は笹尾根を登り峠を越えて行き来していたのです。現在、私たちが登山の恰好をしてハアハア息を切らせながら登っている登山道は、そのときの道だったのです。笹尾根の標高は800~900メートルで、尾根筋には1000メートルを越えるいくつかのピーク(山)が連なっています。そのため、何度か登り返しがあり、思った以上に体力を使います。

笹尾根は、広義には三頭山から高尾山までを言う場合もありますが、普通は槇寄山から今回登った浅間(せんげん)峠の間を指すそうです。距離は14キロで、標準のコースタイムは7時間くらいです。

コースタイムには休憩の時間は含まれていませんので、途中で休憩したり、山を眺めたり、植物を観察したり、写真を撮ったりして、のんびり歩くともっと時間が必要になります。

私は、年明け早々風邪を引いて、まだ咳がつづいており、万全の体調とは言えませんでした。そのためもあって、前回の山行から20日も間が空きましたので、1時間半あまりの登りも身体が重くていつになく息があがりました。そのあとの登り返しもきつくて何度も足が止まりました。ホントは、笛吹(うずしき)峠から大羽根山を通って浅間尾根登山口に下る予定でしたが、途中の小棡(こゆずり)峠で既に午後2時近くになりましたので、予定を変更して小棡峠から下りることにしました。

余談ですが、笹尾根に関連する地名には、小棡(こゆずり)・笛吹(うずしき)・人里(へんぽり)・扁杯(へはい)・六藤(むそうじ)など、読み方が難解なものが多いのも特徴です。

小棡峠から笛吹バス停までのルートはあまり使われてないようで、踏み跡も不明瞭なところが多く、特に落ち葉が積もった広い尾根ではルートがわからず、登山アプリのGPS、それに紙地図とコンパス(ほかに腕時計のコンパスも)を総動員して進む方向を探しました。山を歩く上で、いい勉強になりました。

小棡峠からのルートは道標が少ないので、ピンクリボンがあるとホッとしました。ただ、台風の影響なのか、吹き飛ばされたものも多いようで、斜面に埋まっているピンクリボンもありました。

休日にもかかわらず、山行中に会ったのは4人だけでした。3人は60代~70代の男性、もう一人は40代くらいの女性で、いづれもソロの人たちでした。笹尾根は三頭山の方から歩く人が多いのですが(そっちの方が標高差が小さくて、体力的には楽だそうです)、私は“逆コース”を歩いたので、会ったのは前方から来てすれ違った人だけでした。たぶん後ろからは誰も来てなかったと思います。

1時間半くらいで麓の集落に下りました。集落の中を歩いていたら、散歩をしている男性がいて、私に気付くと「上から下りて来たの?」と声をかけられました。

「はい、小棡峠から下りて来ました」
「エエッ、小棡峠? 歩きにくかったでしょ?」
「あまり人が歩いた形跡がなかったですね」
「そうだよ。小棡峠から下りて来る人はあまりいないよ」

小棡峠と笛吹峠からの道は麓の近くで合流するので、男性は笛吹峠から下りて来たものと思っていたようです。

私は、ふと思いついて、「今の天皇が皇太子時代に、笹尾根経由で三頭山に登ったそうですが、知っていますか?」と訊いてみました。

「ああ、近所にそのとき案内した役場の職員がいるよ。家に行くと写真があるらしいよ」

その職員に、どんな山行だったのか、ホントに10分おきに休憩したのか聞きたいけど、公務員がそんな不謹慎なことをペラペラ喋るはずもありません。

「この前、悠仁様もお忍びで都民の森に来たよ」
「そうですか」

やっぱり、都民の森は、やむごとなき人たち向けに造られた“特別な場所”だったのかも知れません。

「檜原街道沿いには6千万円かけたトイレもあるしね」

そのひのきの一枚板で造られた豪華なトイレは有名で、トイレを利用するためにわざわざ遠くからやって来る人もいるそうです。私は、三頭山に行くバスの中から初めて建物を見たとき、食事処かなにかと思ったのですが、ただ、看板が出てないので変だなとは思っていました。あとで、公衆トイレだと聞いて、びっくりしました。

「あのトイレも皇室が関係しているのですか?」
「そうだよ。最初に用を足すのに必要だからということらしい。もっとも、檜原村は建築費はほとんど負担してないけどね」
「今もきれいに維持されているのですか?」
「ああ、シルバー人材センターの人たちが掃除している」

時刻表を見ると、次のバスは1時間後でした。幸いにも屋根付きのバス停だったので、バス停の中で、山で食べずじまいだったおにぎりを食べたりして時間を潰しました。しかし、日が陰り寒くなりましたので、フリースの上にダウンのベストを着て、さらにその上にパーカーを羽織りました。

武蔵五日市駅に着くと、ホームには東京行きのホリデー快速あきかわ号が停車していました。しかし、反対側のホームに停まっていた拝島行きの電車の方が先に出発するというので、そっちに乗って、いつものように拝島から八王子行きの八高線に乗り換え、八王子からさらに横浜線に乗り換えて帰りました。休日なので、ずっと座って帰ることができました。

帰って確認したら、山行時間は5時間25分でした。


※サムネイル画像をクリックすると、拡大画像がご覧いただけます。

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上川乗バス停

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登山道入口

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登山道入口の斜面にへばりつくように古い家が建っていた。今は使われてない別荘なのか。

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浅間峠への登山道

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登る途中にあった祠

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傾斜のゆるい登山道だったけど、とにかく足が重く息があがりました。

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浅間峠

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浅間峠全景
登山道は旧生活道路なので、それぞれの峠からは山梨県(甲州)側に下りる道があります。

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次の日原峠に向けた尾根道

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同上

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同上

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先の小さなピークが日原峠

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日原峠の道標

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土俵岳への登り返し

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土俵岳

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次は小棡峠に向かいます。

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同上

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同上

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小棡峠

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小棡峠から下ります。

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斜面には5~10センチくらい落ち葉が積もっていました。

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登山道がかろうじてわかる程度です。

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こういう道標があるとホッとします。

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道なのか雨で抉られた跡なのか、わからないところもありました。

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踏み跡が不明瞭な広い尾根は、先端に行くと大概下り口があります。左右の斜面は要注意。

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笛吹バス停
檜原街道の奥の方に行くと、このように屋根付きのバス停が多いので助かります。
2020.01.15 Wed l 山行 l top ▲
カルロス・ゴーンの日本脱出行に関して、その後の報道で気になる点がありました。

ひとつは、東京地裁が出した保釈の条件が、妻と会わないことと自宅に監視用のカメラを設置することだったという点です。保釈と言うより、軟禁と言った方がいいような条件です。特に、弁護士が言うように、妻と会えないことが、カルロス・ゴーンを絶望的な気持にさせたのは想像に難くありません。監視カメラを設置するというのも、あまり聞いたことがありません。強権国家では、与党政治家の政敵である野党政治家が犯罪をデッチ上げられて軟禁状態に置かれ、政治活動を制限されるという話がありますが、それとよく似ています。

しかも、当初今年の4月に予定されていた公判がオリンピック後に延期される可能性が高くなったそうで、それもカルロス・ゴーンの焦燥に輪をかけたと言われています。

Bloombergのインタビュー記事で、妻のキャロラインさんは、「日本には『無実であることが証明されるまで有罪』とされる『人質司法』があると指摘。『当局は彼の行動に制限をかけ、今、証拠を探している』と語った」そうですが、それもあながち的外れとは言えないのです。国連からも再三勧告を受けているように、日本の司法が民主主義国家だとは言えないような前近代的なシステムと慣習に縛られているのは事実でしょう。韓国だけでなく、日本もまた司法改革が必要なのです。バカのひとつ覚えのように、「ニッポン、凄い!」と自演乙するだけが能ではないのです。

Bloomberg
ゴーン被告はフランスで裁判を、妻キャロルさんがインタビューで訴え

しかし、検察に輪をかけて異常なのは日産です。日産は、警備会社に依頼してカルロス・ゴーンを24時間監視していたそうです。監視に気付いたゴーン側が人権侵害で刑事告発すると発表した途端に、監視は中止され、その間隙をぬってゴーンの日本脱出行が決行されたと言われています。

どうして日産がストーカー(あるいは公安警察)のようなことをしていたのか。主任弁護人の弘中惇一郎弁護士は、弁護人を引き受けた際、ゴーンの問題は本来日産内部で処理すべき問題で、「なぜ事件になったか奇異」だと言ったそうですが、このような日産の異常な行動に、ゴーン逮捕の闇が潜んでいると言っていいのかもしれません。

日産は花咲か爺さんのように気前よくお金をばら撒いてくれる大スポンサーなので、メディアが日産の監視を取り上げることはありませんが、人権などどこ吹く風の日産のやり方には、日産という会社の体質が顔を覗かせているような気がしてなりません。

かつて作家の高杉良は、『労働貴族』(講談社文庫)という小説で、労使協調によってヒットラーばりの“独裁体制”が敷かれていた日産内部の実態を暴いたのですが、日産という会社の体質は、あの“塩路天皇”時代となにも変わってないということなのかもしれません。

ゴーン逮捕は、ゴーン自身の問題というより日産という会社の問題だったのではないか。そう思えてなりません。
2020.01.06 Mon l 社会・メディア l top ▲
以前、東京支局に勤務する西日本新聞の記者が、東京の“痛勤”電車に対する違和感を書いた記事を紹介したことがありますが、先日、「BUSINESS INSIDER JAPAN」というサイトにも似たような記事が掲載されていました。

BUSINES INSIDER JAPAN
「日本人はなぜ席を譲らない?」とツイートしたら「レディーファーストって意味不明」と猛反発された

尚、Yahoo!ニュースに掲載されていた西日本新聞の記者の記事は、既に削除されています。私がブログに書いた関連記事は以下のとおりです。

関連記事:
思想が生まれる場所

座席を譲る以前の問題として、下記のような「椅子取りゲーム」は私たちが日常目にする光景です。私たちにとっては、もう当たり前の光景にすらなっています。

日本に帰るたびに気になるのが、電車が到着するや我先にと椅子取りゲームのように小走りに席を取り、座った途端に目をつむる(またはスマホの画面に釘付けになり、周りで何が起きているかを全く見ていない)人がとても多いと感じる。優先席に若者が平気で座っていたりもする。


ニューヨーク在住の筆者によれば、ニューヨークの人たちも東京の人たちと同じように、みんな忙しく「自分のことで精一杯だし、他人のことにあまり関心はない」けど、それでもニューヨークでは「おせっかい」だと思われるくらい他人に親切で、「自分より体力のなさそうな人たち」がいると「反射的に」立ち上がって席を譲ろうとする人が多いそうです。

私は、よく「電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち」とヤユしていますが、東京の電車の中の光景が日本人のセコさや卑屈さを表しているのは間違いないでしょう。

資本主義は、言うまでもなく利潤の獲得と拡大再生産の循環運動で駆動されており、資本主義社会は、そのための効率第一の競争原理に基づいた社会ですが、電車が来てもないのにホームへの階段を駆け下りて行く人々や電車のドアが開くのももどかしく我先に座席に座ろうと「椅子取りゲーム」を演じる人々は、資本主義社会の競争原理に身も心も冒された「ほとんどビョーキのような」人々と言っても言いすぎではありません。そうしないと「人生に勝てない」と思っているのでしょう。常にそういった強迫観念に苛められているのだと思います。

「自分より体力がない人たち」に席を譲るのは、欧米だけでなく、中国や台湾やベトナムなどアジアの国々でもよく目にする光景だそうです。私も前に、箱根のバスの車内で、年上の人に積極的に席を譲ろうとするアジアの若い観光客のことを書いたことがありますが、あれは「日本に気を使っている」のではなく、彼らの日常に存在するごく普通の行為だったのでしょう。

韓国人の知り合いによれば、もともと韓国は目上の人(年長者)を敬う儒教の影響が強いので、若者が年長者に席を譲る行為はよく見られるそうです。一方、年長者の中には、自分たちが優遇されるのは当然だと言わんばかりに列に並ばなかったり、平気で割り込んだり人も多いそうです。また、目上の人(年長者)を敬うべしと言いながら、年金制度は日本に比べても遅れているそうで、そのため惨めな老後を送らざるを得ない高齢者も多く、ホントに韓国社会が儒教の教えに忠実かどうかは怪しいと言ってました。

それは、「日本人はなぜ席を譲らない?」というツイートに対して、レディーファーストって何?と「猛反発」したネット民の反応も似たようなものがあるのかもしれません。

朝の通勤電車は、身障者や年寄りや妊婦が乗ることが少ないので、優先席はあってないようなものになっていますが、優先席に座っている人たちを見ると、女性が多いのに気付くはずです。女性専用車両以外でも女性の図々しさは結構幅を利かせているのです。また、日中の優先席に座っているのも、私が見る限り、男性より女性の方が目立ちます。まして、あの中高年のおばさんたちの傍若無人なふるまいに、眉をひそめたくなる人も多いでしょう。

ツィートに反発したネット民たちは、女性=弱い人ではないと言いたかったのかもしれません。あるいは、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会の精神からすれば、レディーファーストというのはおかしいではないか、男女平等と矛盾しているのではないかと単純に考えているのかもしれません。

もちろん、日本では、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会の精神とは程遠い現実があることは事実でしょう。また、女性だけでなくハンディを背負った人たちに対して、「人間性が麻痺」したような冷たい現実があることも否定できないでしょう。

でも、一方で、レディーファーストだけでは解釈できない現実があることも事実なのです。もしかしたら、図々しいことしか取り柄がないようなおばさんたち(だけでなく若い女性にも多いけど)をどう見るかという問題から考えていくことも、案外大事なのかもしれません。バカバカしい話だけど、バカバカしいと一蹴できない問題を含んでいるのかもしれないのです。

バカのひとつ覚えのように「ニッポン、凄い!」と自演乙するしか能がない人間たちのアホらしさもさることながら、私たちの目の前にある現実は、「言語化すること」よりももっと「大切」なものを示していることも忘れてはならないのです。言語は万能ではないのです。


関連記事:
電車の中で正義感について考えた
2020.01.05 Sun l 社会・メディア l top ▲
カルロス・ゴーンの日本脱出には驚きました。日本政府は、彼の引き渡しについてレバノン政府と交渉すると言ってますが、しかし、朝日の報道によれば、レバノン政府は、まるでそれに釘を刺すかのように、「『日本出国とレバノン入国は彼の私的な問題』で、レバノン政府は関与していない」と発表したそうです。さらに、記事は次のように書いていました。

また、レバノンのジュレイサティ国務相は12月31日、同国メディアに対し、「彼(ゴーン前会長)はフランスのパスポートとレバノンの身分証をもって合法的に入国した」と説明。レバノンの治安当局も同日、「レバノンに合法的に入国した人物については、法的措置の対象にならない」との見解を示した。

朝日新聞デジタル
ゴーン被告逃亡は「彼の問題」 レバノン政府が関与否定


日本では、「カルロス・ゴーンの行為はおかしい」「ホントに潔白であるというなら裁判で訴えればいい」というような声がありますが、それは所詮、国境の内側の論理にすぎないのです。

罪に当たるどうかも、国境から外に出れば話が別だというのは当然と言えば当然です。吉本隆明の「共同幻想」論ではないですが、今回のスパイ映画を地で行くような脱出行を見るにつけ、私たちを縛る国家というものが、如何に恣意的で空虚なものかということをあらためて知らされた気がしました。国家というのは、つきつめればたかだか地図に引いた一本の線の問題にすぎないのです。

大杉栄の『日本脱出紀』(土曜社)は、ベルリンで開かれる国際無政府主義大会に出席するために、1923年上海経由でフランスに向けて密出国したものの、パリのメーデーで演説したために逮捕され、結局、ベルリン行きは叶わずに、パリ警視庁から国外追放されるまでの自身の手によるドキュメントですが、カルロス・ゴーンの日本脱出のニュースを聞いて、私は真っ先にこの本を思い浮かべました。そして、不謹慎だと言われるかもしれませんが、なんだか痛快な感想さえ持ちました。

カルロス・ゴーンの逮捕は、日産という日本を代表する会社が外国資本に吸収合併されるのを阻止するために、日産内部の日本人幹部と司法取引をしてデッチ上げた国策捜査である疑いは拭えません。また、日本特有の「人質司法」に対して、カルロス・ゴーンが危機感を抱いたのも想像できます。そういった問題を脇に置いて、「潔白なら裁判で主張すべき」と言っても、刑事裁判の有罪率994パーセントのこの国では気休めにしか聞こえないでしょう。

今になってカルロス・ゴーンは大悪党のように言われていますが、彼はれっきとしたルノーや日産を束ねるやり手の経営者(つまり、典型的なグローバル資本主義の使徒)で、ついこの前までメディアは彼を英雄扱いしていたのです。

ところが、ご都合主義的なメディアは、嫌韓報道と同じように、カルロス・ゴーンの行為は海外からも非難されている、レバノン市民からも疑問視されているなどと、昨日までの英雄扱いを忘れたかのように(おなじみの)坊主憎けりゃ袈裟まで式に批判しています。でも、いくらそうやって自演乙しても、カルロス・ゴーンが戻ってくることはないでしょうし、彼の“罪”が国際的に認知されることもないでしょう。それが国境の内と外の違いなのです。


関連記事:
国家のマフィア化と全体主義
ゴーン逮捕と人権後進国
2020.01.02 Thu l 社会・メディア l top ▲
年が変わるのをきっかけにして、ブログとは別に「山行記録」を残すべくメモを整理しています。まだ20座ちょっとなので、今のうちに整理しておこうと思ったのでした。

山に行くようになって、山行を記録する大切さを知りました。山に登るのもひとつの旅ですので、”旅の思い出”を残すということもありますが、それ以外に次回の山行の参考にするという目的もあります。自分の上達度を知る上でも、「山行記録」は非常に役に立つのです。

最初はメモを残すことはしていませんでした。しかし、山に行くまでの電車やバスの時間などを前もってメモしておく必要があり、小さなメモ帳を買ってそれに書いていました。すると、途中のポイントまでの時間をメモするようになりました。そうするうちに、さらに、休憩中に気が付いたことを書くようになったのでした。

ただ、普通のメモ帳なので、サコッシュから出し入れするうちに、表紙がボロボロになりました。また、汗がかかると紙がヨレヨレになったり、文字が滲んだりしました。

他にいいメモ帳はないかとネットで検索していたら、登山する人たちの間で「測量野帳」という測量用のメモ帳を使っていることを知りました。コクヨのそれは「隠れたベストセラー」だそうです。私も早速、ロフトに行って「測量野帳」を買いました。

山行の際は、スマホの登山アプリにダウンロードした地図を使っていますので、メモもスマホにすればいいようなものです。ただ、山行中に気が付いたことなどをメモするとなると、やはり紙に書いた方が手っ取り早くてしっくりするのでした。

飛行機や電車を使った旅だと、そこまでメモに残すということはありませんが、登山だとどうしてメモを取るのか(取ろうとするのか)。それは、やはり、自分の足で歩くということが大きいのだと思います。山に登るというのは、ルートの設定などの計画から当日の行動まで、すべて自分で立案し自分で実行しなければなりません。山に登っていると、息を切らして苦しい思いをすることもありますし、足が痛くてつらい思いをすることもあります。また、日没や道間違いで怖い思いをすることさえあります。

そのように、飛行機や電車の「おまかせの旅」とは違って、登山というのは全てのリスクを自分で背負わなければならないのです。それは、きわめて即自的で「身体的」な行為でもあるのです。私たちは息を切らせて山に登ることで、みずからの内にある「身体的」=原初的なものと向き合っているとも言えるのです。それは、とても新鮮で刺激的な体験です。

前も書きましたが、山の中では、自分を大きく見せるために虚勢を張る必要もなければ、狡猾に計算高く振舞ったり、卑屈になって他人の目ばかり気にする必要もないのです。自然に対して謙虚な自分がいるだけです。だから、山に行くと、浮世の憂さを忘れ「空っぽになれる」のでしょう。
2020.01.01 Wed l 山行 l top ▲
今年最後の山はどこに行こうかと迷いましたが、まだ足に不安があるので、時間的に余裕のある山をのんびりと歩きたいと思い、日の出山にしました。日の出山は、名前のとおり、東京の奥多摩の日の出町にある山です。すぐ隣には御岳山(青梅市)があります。

日の出山へのバスも、先週と同じ武蔵五日市駅から出ています。先週の槇寄山は2番のりばでしたが、今日は3番のりばでした。

新宿駅から6時26分発の中央特快高尾行に乗り、途中の立川で五日市線に乗り換え、武蔵五日市に着いたのが7時半すぎでした。それから、8時5分発の「つるつる温泉」行きのバスに乗って、約20分で終点のひとつ手前の「日の出山登山口」に着きました。ちなみに、終点の「つるつる温泉」と「日の出山登山口」は、歩いて数分の距離しかありません。

駅からは7~8人乗客はいましたが、いづれも途中で降りて、最後までバスに乗っていたのは、私を含めて2人だけでした。もうひとりは、終点のつるつる温泉の従業員とおぼしき初老の女性でした。

日の出山の登山ルートは、いくつかありますが、代表的なのは御岳山から登ってくるルートです。日の出山(902メートル)は、御岳山(929メートル)より低いので、御岳山からだと下りがメインで、1時間くらいで来ることができるそうです。もっとも、御岳山自体も、ケーブルカーを利用すれば、登山という感じではありません。むしろ、ロックガーデンを訪れるには、遊歩道から下に下りなければならないのです。

日の出山を紹介するサイトに、「ケーブルカーを使ってハイキング」と書いていましたので、日の出山にもケーブルカーがあるのかと思いましたが、それは御岳山のケーブルカーのことでした。

日の出山は、都心方面の見晴らしがいいので、初日の出を見る人たちが多数訪れるそうです。おそらくそれも、御岳山経由で来る人が多いのでしょう。

私が選んだのは、直下の「日の出山登山口」から登るルートでした。登りは2時間、下りは1時間半でした。

他にもいくつかルートがありますが、山頂にいると、三室山方面から登ってくる人たちも結構いました。三室山のルートも、途中でつるつる温泉に下りることができるみたいですが、多くは尾根を歩いた先にある奥多摩線の日向和田駅や二俣尾駅から登って来ているのでしょう。また、御岳山から来て、三室山の方に下る人たちもいました。

私も、三室山に下ろうかと思ったのですが、やはり、最初に決めたルートを歩くのが山行の鉄則だという、三頭山で言われたことばを思い出し、当初の計画通り「日の出山登山口」に下りました。

日の出山は、山頂直下の600段以上あると言われる“階段地獄”を除けば、拍子抜けするくらい登りやすい山でした。登りもゆるやかで、“階段地獄”以外息が上がることもありませんでした。今日は、「後半で差を付ける」アミノバイタルを忘れずに飲みましたが、後半の“階段地獄”にはまったく効果はありませんでした。

おとといだったか、関東の内陸部に雪の予報がありましたが、日の出山にも雪が降ったみたいで、山頂やその手前の登山道にはまだ雪が残っていました。僅かな距離ですが雪の中を歩かなければなりませんでした。特に、下りのときは滑るので気を使いました。

山頂に行ったら、東屋のベンチを70代くらいの男性が占領していて、まだ時間は午前10時すぎなのに昼食なのか、テーブルの上でお湯を沸かして弁当を食べながらインスタントのみそ汁を飲んでいました。

見るからに偏屈そうで、「こんにちわ」と挨拶してもギョロと睨み返すだけで返事もしません。頂上には数人の先客がいましたが、彼らは下の雪が積もってないベンチを見つけて座っていました。あきらかに東屋を避けている感じです。

そうするうちに、あとから登ってきたソロの女性が老人の真向かいに座って、ザックをテーブルの上に置いたのです。すると、老人は「テーブルなんだからザックは下に置けよ」と吐き捨てるような言い方で注意したのです。そもそも東屋に来たのが気に入らない感じでした。女性は、びっくりした様子で、あわててザックを手に取ると下のベンチに移動しました。他の人たちが、東屋を避けて下のベンチに座っているのは、そういうことだったのかと合点が行きました。

一方で、男性は、山頂にみそ汁の匂いを漂わせながら、持参した携帯ラジオを大きなボリュームでかけているのです。ラジオからはNHKのニュースが流れていました。

私も、最近は堪え性がなくなり、「キレる老人」になりつつありますので、それを見たら我慢できず、すかさず男性の方に向かって行って男性の目の前に立つと、「お前のラジオこそ迷惑だろ」「消せよ」と言いました。

思わぬ展開に男性はあたふたした様子で、それからほどなく荷物を畳むとそそくさと下山して行きました。下山したあと、近くのベンチに座っていた男性が、「このあたりは、ああいった我が物顔の人が多いんですよ」と言ってました。

カメラで山頂標識を撮っていたら、雪で覆われた方位盤の台座に「皇太子殿下浩宮様 平成二十四年一月十三日御登頂 ここより皇居を望む」と銘文が貼られているのに気付きました。横には、「平成二十四年一月十三日御登頂」という木柱も立てられていました。「ここより皇居を望む」とは、まるで日本武尊のようです。この時代にわざわざそんな大仰な言い方をするかと思いました。

下記の「皇太子・登山一覧」で調べると、2012年1月13日に御岳山経由で登っていることがわかりました。御岳山からのルートが整備されているのはそのためかもしれません。もしかしたら、方位盤も来ることがわかってあわてて設置したのかもしれません。

新天皇は、皇太子時代に170以上の山を登ったそうで、日本山岳会の会員(特別会員)でもあります。「皇太子・登山一覧」を見ると、北アルプスのリスクの大きい山を除いて、主だった山は総なめという感じで、山登りが趣味だったのは間違いないでしょう。

皇太子・登山一覧
http://seiyou.ehoh.net/seiyou/+yama.htm

そう言えば、先週行った笹尾根も、笹尾根から三頭山に登ったそうで、檜原街道にある蛇の湯温泉には、浩宮様が入った風呂というのがありました。おそらく笹尾根に登った際、入ったに違いありません。

でも、”やむごとなき登山”は我々の登山とは違います。単独行なんて夢のまた夢です。まわりの人間たちは、「すごい体力をお持ちで」と決まり文句のように持ち上げますが、一方で、お付きのおっさんたちのためか、10分おきに休憩していたという話もあります。

下のkojitaken氏のブログは秀逸で、私も愛読しているのですが、皇太子の登山に関して次のような記事がありました。

kojitakenの日記
新天皇・徳仁と山小屋

各地にあると言われる「プリンスルート」については、『裏声で歌へ君が代』(丸谷才一)ではありませんが(小説の内容とはまったく関係ありませんが)、ベテラン登山者の間でひそひそ話として語られていたのを私も知っています。

前に紹介した『週刊ダイヤモンド』の「山の経済学」が書いているように、国立公園であるにもかかわらず、登山道の整備などにはほとんど予算が割かれず、民間のボランティア任せになっている「お寒い現状」があるのですが、もちろん、”やむごとなき登山”は別なのです。トイレも見違えるようにきれいになるそうです。言うなれば、私たち下々の登山者は、そのおこぼれに与っていたようなものです。しかし、これからはおこぼれに与ることもできないのです。ホントに山が好きだったみたいなので、やむごとなき家に生まれた宿命とは言え、かわいそうな気がしないでもありません。

思い出のアルバムをめくりながら、あるいは、皇居の木々を眺めながら、在りし日の山行に思いを馳せ、しんみりした気持になることはあるのだろうか。下々の人間はそんなことを想像するのでした。

また、天皇の「四大行幸啓」のひとつである全国植樹祭についても、次のような鋭い指摘がありました。

同上
「植樹祭」は悪質な自然破壊だ

笹尾根にはそれらしき形跡は残っていませんでしたが、三頭山へは別に都民の森からも登っていますので、都民の森の立派な森林館や三頭山の整備された登山道も、”やむごとなき登山”と関係があるのかなと思いました。

帰りにつるつる温泉に寄ろうかと思っていましたが、下山したらちょうど武蔵五日市駅行きのバスが来たので、寄らずに帰りました。

来たのは、機関車トーマスのような観光用のバスで、ワンマンではなく車掌が乗車し、昔のようにマイクで次の停留所の案内をしていました。でも、中に乗っているのは、山帰りの小汚いおっさんとおばさんで、なんだかみんなバツが悪そうでした。途中から乗ってきたおっさんは、テン泊でもしたのか、異様に大きいザックを背負っていたのですが、そのザックが通路の角にひっかかって前に進めず、足が空回りしていました。何度やっても同じなのに、性懲りもなく何度もくり返しているのです。まるでドリフのギャグのようで、私は、思わず吹き出しそうになりました。

武蔵五日市からは、先週とまったく同じルートを乗り継いで帰りました。途中、電車が遅れたので、最寄り駅に着いたのは午後4時近くになりました。

夕飯のおかずを買うために、いつも行く駅前のスーパーに寄ったら、入口を入ったすぐのところに特設コーナーが設けられて、サンタの衣装を着た若い女の子たちが、「ケーキいかがですか!」「チキンはいかがですか!」と大きな声を上げながら、ケーキやローストチキンなどを売っていました。「そうか、今日はイブだったな」と一瞬思いましたが、そのまま通りすぎて、いつもの総菜売り場に向かいました。


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下にも雪が残っていました。

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目印にもなっている有名な(?)オブジェ

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同上

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登山道は真ん中の階段から登って行きます。

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関東近辺の神社や山ではおなじみの日本武尊!
それにしても、顎をかけた岩って・・・・。なんでもありです。

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馬頭観音もおなじみ

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途中からの眺望

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いい感じの尾根道

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登山道にも雪

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山頂直下の石段

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山頂からの眺望

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方位盤の台座

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下山時、”階段地獄”を振り返る

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これも

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これも

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一ケ所だけ路肩が崩落したところがありました。

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苔むした路傍の石仏
2019.12.24 Tue l 山行 l top ▲
何度も書かねばなりませんが、沢尻エリカ逮捕に関して、彼女にMDMAを渡したと言われていた元恋人は、結局、釈放され不起訴になりました。文字通り、泰山鳴動して鼠一匹になったのです。

メディアは、沢尻エリカやその恋人の逮捕によって、芸能界で芋ずる式の摘発がはじまるようなことを書いていましたので、なんだか肩透かしを食らったような感じです。僭越ですが、私のようなシロウトでもわかる話なのに、メディアはどうして、沢尻逮捕が拙速で杜撰であることがわからなかったのか。「新聞記者」「報道記者」が聞いて呆れます。

しかし、彼らはここに至っても、元恋人の釈放は「泳がせている」だけだというような記事を書いているのです。それこそ何とかに付ける薬はないとしか言いようがありません。

彼らは、沢尻エリカが保釈されたあとそのまま都内の某大学病院に直行したことについても、(前の記事で書いた)TBSの夕方のニュースのカマトト男性アナウンサーと同様、薬物治療のために入院したようなことを書いていました。しかし、沢尻エリカは尿検査は陰性で、薬物を使用した証拠(形跡)はどこにもないのです。

その後、沢尻エリカは大学病院から別の病院に転院したそうです。すると、彼らは、前言を翻して、沢尻エリカが入院した某大学病院は薬物の専門治療ができないので、元TOKIOの山口達也が「静養」した関東近郊の心療内科専門の病院に転院したと言っています。でも、山口達也は薬物とは関係がなく、彼が芸能界を引退したのは未成年者に対する「強制わいせつ容疑」です。心療内科に転院したのは、山口達也と同じように、事件によるストレスで身心に影響が出ているので、治療し「静養」するためでしょう(それと、メディアの取材から逃げるためでしょう)。

さらに、メディアは、言うに事欠いて、大学病院は入院費が高額になるので、入院費が安い病院に転院したなどと言い出す始末です。まさに妄想のオンパレードで、言っていることはネットのそれと変わらないのです。彼らはホントに記者なのか。一体、何を取材しているのかと言いたくなります。

伊藤詩織さんの事件は、同じ山口姓でも山口達也とは雲泥の差でした。彼女からの告訴状を受理した警視庁高輪署は、捜査した結果、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある」(刑事訴訟法)と判断して、元TBSワシントン支局長・山口敬之氏の逮捕状を東京地裁に請求、東京地裁も逮捕の必要性を認め逮捕状を発付したのでした。にもかかわらず、かつて菅官房長官の秘書官を務め、官邸ときわめて近しい(と言われている)山本格警視庁刑事部長(当時)の指示で、「安倍晋三の伝記作家」(英タイムズ紙)である山口氏の逮捕は執行寸前で見送られたのです(のちに書類送検され不起訴処分)。山本氏自身も、官邸の介入は否定していますが、自分が執行停止を指示したことは認めています。

警察なんて政治の意向でどうにでもなるのです。もとより警察も国家権力の一員です。沢尻逮捕に政治的な意向がはたらいてないとどうして言えるのか。そういうおめでたい主張こそ、”お花畑”と言うべきでしょう。

尚、山口氏と官邸の関係については、下記の「デイリー新潮」の記事が詳しく伝えています。

Yahoo!ニュース
デイリー新潮
伊藤詩織さん「勝訴」!敗訴の「山口敬之」 TBS退社後を支えた美味しすぎる“顧問契約” 菅官房長官の口添えも…

”政治のマフィア化”という点でも、安倍政権はロシアのプーチン政権とよく似てきました。

元恋人の釈放&不起訴でますます明らかになった沢尻エリカ逮捕の拙速で杜撰な面(その不可解さ)がなにを意味しているのか、その背景には何があったのか、伊藤詩織さんの事件をヒントに、もう一度考えてみる必要があるでしょう。


関連記事:
沢尻エリカ保釈のバカ騒ぎ
沢尻エリカ逮捕の拙速と杜撰
沢尻エリカ逮捕と疑惑隠し
2019.12.22 Sun l 芸能・スポーツ l top ▲
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考えてみれば、今日は12月20日で、今年もあと10日あまりとなりました。でも、あまり年の瀬という感覚はないのでした。年を取ると、時間が経つのが早くて、1年なんてあっという間です。なんだか季節の感慨も追いつかないほどです。

来週は、もう仕事納めです。それで、午後から病院に行きました。薬を処方してもらわないと、正月の間薬なしで過ごさなければなりません。別に飲まなくても、急に症状が変わるような疾患ではないのですが、私はそういったところは案外律儀な性格なのでした。同じ病院に通っている知り合いは、ひと月に1回行かなければならないのに、いつも2ヶ月に1回しか行かないので、行くたびに先生から皮肉を言われると言ってましたが、彼のような患者に比べれば、私は“優等生”と言えるのかもしれません。

病院に行くと、やはりいつもより患者が多くて、待合室は座る場所もないくらいでした。結局、診察(と言っても、1分くらいで終わる簡単な問診)まで1時間半もかかりました。病院の下にある調剤薬局も人が多く、そこでも30分以上待ちました。

薬局を出たら、午後5時をまわっていましたが、それから市営地下鉄に乗って桜木町に行きました。毎年、赤レンガ倉庫で行われているクリスマスマーケットを見ておこうと思ったからです。

クリスマスが近づくと、山下達郎の「クリスマスイブ」やジョン・レノンの「ハッピークリスマス」が街角に流れたりしますが、最近、そういった定番のクリスマスソングを聴いても心がときめくことがなくなりました。

以前だと、渋谷駅前のオーロラビジョンからクリスマスソングが流れると、クリスマスが近づいたんだなあと心がザワザワしたものです。しかし、いつの間にかザワザワすることもなくなりました。クリスマスのイルミネーションも同じで、イルミネーションを観に行こうなんて考えることすらなくなりました。

金曜日ということもあって、汽車道も大勢の人が行き交っていました。汽車道の対岸の船員アパートが立ち並んでいたところは、タワーマンションとアパの高層ホテルが建ち、まるであたりを睥睨するかのようにその威容を誇っていました。こうして“記憶の積層”がどんどん消えていき、横浜らしさがなくなっていくのです。

クリスマスマーケットも、今や食べ物のイベントになっています。もともとは、本場のドイツと同じように、(主にドイツの)クリスマスグッズを販売するイベントでした。最初は横浜だけで行われていましたが、今では都内でも何ケ所かで行われています。それにつれ、横浜の方は食べ物に傾注して行ったのでした。もっとも食べ物も、ほとんどがクリスマスと関係のないものばかりです。それを強引にクリスマスにこじつけているに過ぎないのです。

業界にいた人間から見れば、こういったところにも輸入雑貨が過去のものになったことを痛感させられるのでした。昔は、クリスマスカードをはじめ、クリスマス関連の雑貨は飛ぶように売れ、この時期は文字通り猫の手も借りたいほどでした。海外の雑貨がそれだけめずらしかったということもあったのでしょうが、もうひとつは、クリスマス自体が”特別なもの”だったからでしょう。世間も私と同じように、もうクリスマスに心をときめかすことがなくなったのかもしれません。

端の方にグッズを売っているテントがありましたが、見ると、ロシアの民族衣装を着た外国人が、マトリョーシカを売っているのでした。マトリョーシカとクリスマスはどういう関係にあるんだろうと思いました。

広場では、これも恒例のスケートリンクが設置されていましたが、最初の頃と比べると規模も設備もショボくなるばかりです。他には、横浜お得意の光のデジタルアートのイベントが催されていました。デジタルアートは、お金もかからずお手軽なので、イベントの穴埋めにはうってつけなのでしょう。

こうしてイベントに行ったり街を歩いたりすると、クリスマスなど師走の風景から疎外されている自分をしみじみと感じます。こういうのを「広場の孤独」(堀田善衛)と言うのだろうかと思いました。

来週あたり、”登り納め”ではないですが、今年最後の山に行こうかなと思っています。やはり、誰もいない冬枯れの山を歩く方が心が落ち着きます。今の自分にはそっちの方が似合っている気がするのでした。


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2019.12.20 Fri l 横浜 l top ▲
昨日(月)、奥多摩の槇寄山(まきよせやま)に登りました。槇寄山は、檜原村にあり、先月登った三頭山の下山ルートによく使われる山です。

武蔵五日市駅前のバス停から、三頭山に登ったときと同じ路線のバスに乗りました。ただ、三頭山の登山口がある都民の村への直通バスは、12月~3月(休日は12月~2月)まで冬季運休しているため、都民の森の手前にある「数馬」行のバスに乗りました。

先月三頭山に登ったときは、バスは満員で座れない人もいたくらいでしたが、昨日は駅から乗ったのは数人でした。しかも他の乗客は途中の檜原村役場までで全員降りたので、それから先は乗客は私ひとりでした。

武蔵五日市駅から1時間20分バスに乗り、終点のひとつ手前の「仲の平」というバス停で降りました。既に時間は午前10時をまわっています。新宿からは3時間半かかりました。

「仲の平」のひとつ手前には、「数馬温泉センター」というバス停があります。「数馬温泉センター」の前にある数馬の湯は、食事処なども併設された温泉施設で、三頭山から槇寄山を縦走して数馬に下りる人たちの多くは、下山後に数馬の湯で汗を流すのが目的なのでした。尚、「数馬」「仲の平」「数馬温泉センター」のバス停は、それぞれ歩いて数分の非常に近い距離にあります。

槇寄山は、標高1188メートルで、笹尾根という尾根にあるピークのひとつです。笹尾根は、丹沢の表尾根ほど有名ではありませんが、奥多摩を代表する尾根のひとつで、最終的には高尾山まで(距離にして33キロ)つづいています。私が先月、下山に使ったヌカザス尾根とはちょうど反対の南側にあります。笹尾根は、ヌカザス尾根のような急登はなく、平坦で歩きやすいので、ハイキングに使う人たちも多いそうです。今は亡き田部井淳子さんが、笹尾根を好んで歩いたという話はよく知られています。

槇寄山には2時間弱で登りました。難所もなく、初心者向けのハイキングにはうってつけの山だと思いました。途中、樹林の間から三頭山や大岳山を見ることもできました。

登りも下りも誰にも会いませんでした。ただ、山頂で休憩していたら、ソロのハイカー二人が登ってきました。

槇寄山は、笹尾根の通過点のような扱いなので、山頂手前の西原峠にある道標には槇寄山の表示がなく、どっちに行っていいのかわからず戸惑いました。結局、三頭山と表示された方向に5分歩くと山頂に着きましたが、そういったところもぞんざいな扱いになっているのがよくわかります。

でも、山頂に行くと、「おおっ」と思わず声を上げました。眺望を確保するために木を伐採したのか、富士山の方角の南側が拓けており、丹沢の山々の背後に聳える富士山の雄大な姿が目に飛び込んできたのでした。冠雪した富士の嶺は、奥多摩の山の風景の中に、ひときわその存在感を放っていました。私は、ここは穴場だなと思いました。

山頂には、テーブルが二つあるきりです。山頂標識も、槇寄山の文字が消えかかった古い木の柱があるだけです。

ベンチに座って行動食で持ってきたチョコレートを食べていたら、40代くらいの男性が登って来ました。見ると、トレランの恰好をしています。

「トレランですか?」
「はい、一応、そうです」
「走って登ってきたのですか?」
「いや、登りはさすがに走れなかったです」

聞けば、三多摩地区の某市に住んでおり、最初はマラソンをしていたのだそうです。

「最初は都心の方に向かって走っていたんですよ。でも、それに飽きたので、山の方に向かって走っていたら、いつの間にか山の中に入るようになったんです(笑)」
「なんだか、マンガみたいな話ですね(笑)」
「そうなんです。マンガみたいな話ですよ(笑)」

マラソン歴は長いけど、トレランはまだ1年くらいだと言ってました。ただ、体形は見るからにアスリート向きの細い身体をしています。体脂肪率は11パーセントだそうで、体脂肪率23パーセントの人間から見れば驚異の体形です。

「すごいですね!」
「いや、トレランをする人は、体脂肪率が一桁の人が多いですよ。私も一桁が目標なんですが、これが限界なのか、なかなか一桁にならないんですよ」
「食事制限などはしているんですか?」
「いや、全然」

運動をしている人に「食事制限」は愚問だったかなと思いました。

彼もまた、単独行が好きなタイプの人間で、トレランの同好会などの雰囲気が好きではなく、彼らとは距離を置いているそうです。

前にレースに出場した際、下り坂で顔から転倒して大けがをしたので、それ以来、下りに対する恐怖心を払拭することができないでいるという話から、山での歩き方などの話になって、結局2時間近く話し込みました。単独行が好きな者同士で波長が合ったのかもしれません。

山に行っているうちに、登りの際、身体が(特に上下に)ブレるとひどく疲れることがわかりました。マラソン中継の解説でも、身体のブレや揺れがどうのという話が出てきますが、登山も同じなのだと思います。

山から帰った夜、テレビで「帰れマンデー」という旅番組を観ていたら、マラソンの高橋尚子がゲストで出ていましたが、彼女は山道を歩くシーンで、手を後ろに組んで歩いていました。そうやって身体がブレるのを防いているのでしょう。山に登るときも、前で腕を組んだりしますが、あれも同じで、姿勢を保ち身体がブレるのを防ぐという意味もあるのだと思います。

山では、「徐々に体重(重心)移動しろ」と言われますが、一方で、「腰で歩け」とも言われます。腰を使うというのが、体重(重心)移動のポイントのように思います。

私は、岩や階段に片足を乗せた際、次の動作に移るのに心持ちワンテンポ遅らせるようにしています。そして、腰を使って下の足(軸足)から上の足へ体重(重心)を移動するのです。そうやってひとつひとつの動作を、意識して行うように心がけています。登山というのは、2万5千歩から多いときは3万5千歩くらい歩くので(しかも足への負担が半端ない山道を歩くので)、一歩一歩の違いが大きな違いになって表れるのです。

若い頃に無茶をして膝を痛めると、膝のキズは一生残ることになります。よく言われますが、関節は筋肉などと違って鍛えることはできないのです。それが関節とほかの部位との根本的な違いです。

山に行くと、(若い人に多いのですが)ドカドカドカと力まかせな歩き方で追い抜いて行く人たちがいますが、そんな人たちは、やがて膝を痛めて山に来れなくなる可能性が高いでしょう。彼らは、歩行技術などどこ吹く風で自己流で山に登っているのでしょうが、もったいないなといつも思うのでした。

姿勢が大事だというのも同じことです。「体幹を使って歩く」という言い方をする人もいますが、頭が下がり前かがみになって歩くと、どうしても膝に負担がかかってしまいます。オーバーな言い方をすれば、体重や歩行の衝撃を膝で支えるような恰好になるからです。頭を上げ背筋を延ばして正しい姿勢で歩けば、身体の軸(体幹)で身体を支えるようになるので、その分膝の負担が軽減されるのです。

また、以前『山と渓谷』の膝痛に関する記事の中で、体重(重心)を受ける足の膝は、伸ばした方が膝の負担が軽くて済むとカイロプラクターの方が言ってましたが、考えてみればその方が理に叶っているように思います。普通、下りでは、膝を曲げ膝をクッションにして歩けと言われますが、階段など段差の大きなところでは、着地したらなるべく膝を伸ばして軸足からの体重(重心)移動を受けるというのも、大事なポイントのように思います。

記事の中でカイロプロテクターの方は、山登りで重要なのは筋力よりバランス感覚だとも言ってました。ベテランの登山ガイドの方なども、よくそう言います。中高年に転落・滑落事故が多いのは、年齢とともにバランス感覚が衰えるからだそうです。スクワットをして膝を痛めるより、バランスボールなどを使ってバランス感覚を養った方がいいと言われますが、たしかにそうかも知れません。

私自身、若気の至りで膝に古キズがあり、しかも、長身で猫背なので、自分の歩き方と照らし合わせるとよくわかるのでした。

そんなことを話していたら、三頭山の方からやはり40代くらいの女性が登って来ました。聞けば、ヌカザス尾根から三頭山に登り、これから私たちと同じ「仲の平」へ下山するのだとか。

三頭山から槇寄山に来たのは、「笹尾根をつなぎたかったから」と言ってました。今まで二回に分けて高尾山まで歩いているので、今回で笹尾根の縦走が完結するのだそうです。「今年中に完結したいと思っていたのでよかったです」と言ってました。

私が、ヌカザス尾根を下った話をしたら、「エエッ、あれを下りたんですか? 登っていたとき、これは下りの方が大変そうだなと思いましたよ」と言ってました。

彼女は、奥多摩湖から三頭山の山頂まで4時間かかったそうです。今日は三頭山の山頂には誰もいなくて、ヌカザス尾根でもすれ違ったのはひとりだけだったとか。

彼女もまた、単独行が好きなんだなと思いました。おこがましいですが、私は、加藤文太郎の『単独行』を読むと、ひとりで山に行く勇気のようなものを貰います。同じように、こうやってソロで山にやって来ている人たちと話をすると、共感するところが多いのでした。

私は、あらためてひとりがいいなあと思いました。そして、最後はこうしてひとりで死んでいくんだろうなと思いました。

二人がそれぞれ下山したあと、私は、しばらくひとりで山頂に残り、それから下山しました。1時間ちょっとで「仲の平」のバス停に戻りました。

しかし、次のバスまで45分くらい時間があります。「仲の平」のバス停にはベンチしかないので、隣の「数馬温泉センター」まで歩きました。数馬の湯は定休日でしたが、前には屋根付きの立派なバス停がありましたので、そこで食べ残したおにぎりを食べて、バスを待ちました。

武蔵五日市駅に戻って来たのは、夕方の6時すぎでした。それからJR五日市線に乗って、いつものように拝島で八高線、八王子で横浜線、菊名で東横線に乗り換えて帰りました。最寄り駅に着いたときは、午後8時半をまわっていました。

時間の短いお手軽な山行でしたので、足の調子も良くて、いいリハビリになりました。


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武蔵五日市駅 ※スマホで撮影

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駅前のバス停。誰もいない。※スマホで撮影

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「仲の平」バス停

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西原峠

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槇寄山の山頂標識。文字が消えかかっていて読み取れない。

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山頂の様子

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数馬の湯
2019.12.17 Tue l 山行 l top ▲
混迷を深めていたイギリスのEU離脱(ブレグジット)も、離脱の是非を問う下院の総選挙で、離脱強硬派のジョンソン首相が率いる与党の保守党が圧勝したことにより、来年1月末までの離脱が決定的になりました。

一方、離脱に対して賛成から残留に舵を切り、方針が一貫しなかった野党の労働党は大敗。党内最左派(オールドレイバー)のジェレミー・コービン党首は、責任を取って辞任することになりました。

かねてからブレイディみかこ氏は、ブレグジットについて、下層の労働者たちがどうして労働党に三下り半を突き付け、保守党を支持するに至ったかを、右か左かではなく上か下かの視点からルポルタージュしていました。私も、再三、このブログでブレイディみかこ氏のルポを紹介していましたので、離脱が決定的になった今、氏の最新報告を読みたいと思い、「UK地べた外電」というルポを連載していた晶文社のサイト・スクラップブックにアクセスしてみました。しかし、案の定、連載は昨年の3月から途絶えたままでした。

晶文社 スクラップブック
UK地べた外電

また、氏のオフィシャルブログも、最近は本の宣伝ばかりで、オリジナルの文章はすっかり姿を消しています。そのため、Yahoo!ニュース(個人)に転載されていた文章も、2017年6月から途絶えたままです。

その一方で、ブレイディみかこ氏はすっかり売れっ子になっており、毎日新聞や朝日新聞で「時評」を連載したり、新潮社から本を出したりしています。さらに、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)では、毎日出版文化賞の特別賞を受賞しています。

最近はよく帰国しているみたいなので、まだ保育士をつづけているのかどうかわかりませんが、オフィシャルブログに矢部太郎と対談したことを自慢げに書いている氏を見ていると、(私の感覚では)なんだか痛ましささえ覚えてなりません。

ブレイディみかこ氏には、「アナキズム・イン・ザ・UK」というブログもありますが、やはり2015年から途絶えたままです。売れっ子になったので、アナーキーな心情も忘却の彼方に追いやったということなのでしょうか。

私自身は全共闘運動に乗り遅れた世代ですが、私たちは、全共闘運動に随伴してさかんに学生たちを煽っていた“左翼文化人”たちが、運動が終焉を迎えると手の平を返したように豹変し、お得意の自己合理化をはかりながら体制内に戻って行ったのを嫌と言うほど見てきました。

それをある人は「新左翼ビジネス」と呼んでいました。今は右の時代なので、愛国ビジネスやヘイトビジネスが盛んですが、左も例外ではないのです。

"左翼文化人"たちは、左派のシンパの人間たち向けに、受けのいい文章を書いて禄を食んでいたにすぎないのです。でも、私たちは、"左翼文化人"が売文業者だったなんてゆめゆめ思っていませんでした。貨幣ならぬ”文字の物神性”のようなものに呪縛されている私たちは、文字になって”書かれたもの”を無定見に信じるがゆえに、いとも簡単に騙されてしまったのでした。

今のブレイディみかこ氏を見ていると、もうタダの文章は書かない(無料経済はやめた)、大手出版社と全国紙しか相手にしないとでも言いたげで、残念な気がしてなりません。


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今日のYahoo!ニュースに、日刊工業新聞の下記の記事が転載されていました。

Yahoo!ニュース
韓国からの訪日客減も…盛り上がる九州観光のワケ

記事はこう書きます。

 同県(引用者:大分県)内の10月の観光統計調査(速報値)のうち、英国からの延べ宿泊者は前年同月比59・1倍の1万3949人、フランスが同21・6倍の4261人となった。前年の統計がない豪州は9065人を記録した。従来の主力だった韓国からの来訪者が日韓関係の冷え込みで大幅に落ち込む中、県内観光を大いに盛り上げた。


しかし、これはどう考えても、一時的な「活況」にすぎないのです。だからなんなんだというような記事です。

日韓対立の影響で、韓国の格安航空の定期便が運休したために、大分県は観光客の半分以上を占めていた韓国人観光客が激減して深刻な状況に陥っているのですが、そんな大分県にとって、ワールドカップの「活況」などホンの気休めでしかないのです。

前月の9月の観光統計調査によれば、県内の韓国からの宿泊客数は前年同月に比べ31464人(83・9%)減の6026人にまで落ち込んでいるそうです。この数字をみても、その深刻度が伺えます。

地元で宿泊業や飲食業などをしている知人たちに聞いても、ワールドカップのときは欧米の観光客の需要はあったけど、ワールドカップが終わった今は「真っ暗闇」「閑散としている」と言っていました。そして、彼らはおしなべて、「日本人(観光客)はお金を持ってない」「お金を使わない」と言います。もはや日本人頼りでは、観光業は成り立たないのです。

日刊工業新聞の記事は、ワールドカップで如何にも光明が見えてきたかのように書いていますが、光明なんてどこにもないのです。

大分県の広瀬知事は、韓国に代わる台湾や中国からの航空路線の就航をはたらきかけていきたいと言ってましたが、今まではたらきかけて実現しなかったのに、そんなに都合よく実現するのだろうかという疑問を抱かざるを得ません。これも気休めと言うべきでしょう。

日韓対立に関する報道では、困っているのは韓国で、そのうち韓国が日本に泣きを入れてくるだろうというような見方が多くありましたが、ホントに困っているのは日本ではないのかと思えてきます。

日韓対立に対する安倍政権の姿勢は、北朝鮮に圧力を加えれば、そのうち北朝鮮が泣きを入れて拉致被害者を差し出してくるという、荒唐無稽な拉致対策とよく似ています。拉致被害者の家族たちも、そんなネトウヨ的妄想を真に受けていたのです。

ところが、手詰まりになった安倍政権は、最近は、北朝鮮に対して「無条件対話」を呼び掛けるまで後退しているのです(でも、北朝鮮からは相手にされない)。韓国に対しても同様で、強気な態度が徐々に影を潜め、対話を模索しはじめているフシさえあります。まず最初にネトウヨ的妄想ありきという感じで、やっていることが場当たり的なのです。

私たちはトランプの振る舞いの中に、彼を支持するアメリカ国民の民度の低さを見て嗤ったりしますが、それこそ岡目八目と言うべきで、安倍政権も似たかよったかなのです。アメリカ国民の民度を嗤えないのです。

安倍政権の本質は、案外、下記のような記事にあるのかもしれません。

Yahoo!ニュース
NEWS ポストセブン
安倍内閣は立場弱い者に居丈高 根底に学歴コンプレックスか

「ニッポン、凄い!」と自演乙している間に、政治でも経済でも日本の国際的な地位は低下の一途をたどるばかりです。アベノミクスということばもいつの間にか聞かれなくなりました。だから、よけい自演乙せざるを得ないのかもしれません。衆愚=国民をごまかせても、現実はごまかせないのです。


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2019.12.11 Wed l 社会・メディア l top ▲
一昨日(金)、東丹沢の仏果山(ぶっかさん)に登りました。仏果山は、神奈川県の清川村と愛川町の境界にあり、宮ヶ瀬ダム沿いに主要な登山口があります。

朝7時15分、新宿発の小田急ロマンスカーに乗り、本厚木で下車。本厚木からバスに乗って、約30分で「仏果山登山口」のバス停に着きました。今回は初めてなので、「仏果山登山口」からのいちばんわかりやすいルートで登ることにしました。ネットで調べたとおり、バス停のすぐ後ろに登山口の階段がありました。

前回の大岳山での足の“異常”にショックを受けたので、今回はリハビリ用に「軽い登山」を選んだつもりでした。標高も747メートルなので、鼻歌交じりで登れるのではないかとタカをくくっていたら、予想に反して案外登り応えのある山でした。

宮ケ瀬越という尾根に出ると、右が仏果山で左が高取山に分岐していました。とりあえず、右の仏果山に向かいましたが、下山時、高取山にも寄りました。

丹沢名物の階段もありましたし、山頂の手前はロープが張られたちょっとした岩場(らしきもの)もありました。岩を登るのに、足をかけるところがなくて、片足を腰のあたりにかけ、下の足を蹴上げてその反動で登るような恰好になったのですが、その際、腰を捻ったみたいで、腰痛が翌日まで残りました。

あれじゃ身体の小さい人たちは登れないだろうと思いましたが、皆さん、ちゃんと登って来ているのです。おそらくほかの方法があったに違いありません。私は、その方法を見つけることができなかったのです。小さなことですが、なんだか自分の未熟さを知った気がしました。

行きのバスでは、中年の男性に引率された10人くらいのおばさんのグループと一緒でした。いわゆる「おまかせ登山」のご一行です。見事なほど、子どものように身体の小さいおばさんたちが揃っていました。登山は、競馬の騎手と同じで、身体の小さい人が有利ですが、おばさんとて例外ではないのです。日本が登山大国になったのは、日本人の体格が登山向きであったという理由も大きいのだと思います。だから、欧米のようなトレッキングやハイキングではなく、日本人はバカの高上りのように、みんな山頂を目指すのです。今のアウトドア(キャンプ)ブームは、そんな薄っぺらな山の文化に対するアンチテーゼと言えなくもないでしょう。

道中では、昭和初期の登山家・加藤文太郎の山行日記『単独行』(青空文庫)を読んでいましたので、よけい「おまかせ登山」に対しての違和感を抱かざるを得ませんでした。

加藤文太郎は、神戸にある三菱の造船所に勤めながら、休日を利用して山に出かけていたのですが、それはほぼ単独行(今で言うソロ)でした。今のような詳細な登山用の地図がなかったので、地元のガイドを雇いパーティを組んで登るのが主流だった当時にあって、とりわけ北アルプスの山々を単独で登攀したことにより、人々に知られる存在となったのでした。

また、新田次郎の代表作『孤高の人』は、加藤文太郎をモデルにした小説として知られています。気象庁の職員であった新田が富士山山頂の気象レーダーの建設に従事していたとき、冬の富士山山頂にひとりで登ってきた若者=加藤文太郎に心を打たれ、のちに『孤高の人』を書いたと言われています。

高等小学校を卒業後、働きながら工業学校の夜間部を出て造船技師になった加藤は、当時、インテリが多くを占めていた登山の世界では異色の存在でした。『単独行』を読むと、加藤もまた、家族や職場のストレスから逃れるために山に通っていた一面があることが伺えます。涸沢が「唐沢」と書かれていたり、上高地には島々から徳本峠を経て入るなど、今と違った部分もありますが(登頂の証しに名札を立てたり名刺を置いたりするのも今と違いますが)、しかし、山小屋の存在や途中で出会う登山者の様子などは、驚くほど変わってないのでした。山岳部の学生だけでなく、加藤と同じように休日を利用して北アルプスにやって来るサラリーマンも結構いたことがわかります。

昭和の初めにも、今と同じように人生に悩み、その答えを求めて山にやって来る若者たちがいたのです。そんなナイーブな彼らにとって、のちに訪れる戦争の時代(天皇制ファシズムが猛威を振るい、自由を奪った時代)は、どんなにつらかっただろうと想像せざるを得ません。戦場に行く前に、最後の思い出に山に登った若者もいたに違いありません。

2時間弱で仏果山の山頂に着きました。仏果山は、近くの禅宗の坊さんが座禅修行した山だそうで、そのためか、山頂にも小さな石仏がありました。

途中、会ったのはひとりだけでした。山頂のベンチでは、若い女性の二人組と中年女性の二人組がそれぞれ休憩していました。でも、しばらくすると下山して行き、誰もいなくなりました。私は、持参した昼食(コンビニのおにぎり)を食べて、ひとりでまったりしていました。とそのときです。来るときにバスで一緒だったおばさんたちのグループがドカドカと登って来たのでした。

「やっと着いたっ!」などと歓声を上げていました。リーダーの男性が、「ここで昼食にします」と告げていました。どういったグループなのかわかりませんが(なにかのツアーなのかもしれない)、中には花の絵の一覧表を入れたファイルを持っている人もいました。しかし、これじゃ花の探索もできないだろうと思いました。

山頂が賑やかになったので、下山することにしました。違うルートを下りようかと思いましたが、三頭山でのミスが頭をかすめ、ピストンで下りることにしました。途中、高取山にも寄りましたが、それでも1時間半くらいで下山することができました。

最近の私は、登りよりも下りに神経を使っています。基本に忠実に丁寧に下りようと心がけると、かえって疲れます。でも、足を守るためにはそうせざるを得ないのです。登山は、登りよりも下りの方が難しいというのを痛感させられています。

登山口のバス停で30分以上待ち、午後3時前のバスに乗って帰りました。本厚木からは小田急線で町田。町田からは横浜線で菊名。菊名から東横線に乗り換えて、最寄り駅に着いたのは午後4時半すぎでした。

山行時間も短かったので、足の疲れもそんなになく、心配した痛みも出なくてひと安心と思ったのもつかの間、町田駅で横浜線に乗り替えるのにホームへの階段を下りていたとき、突然、左足がカクンと力がぬけたようになったのでした。帰ってネットで調べたら、半月板損傷の症状と似ています。再びショックを受け、しばらく山に行くのはやめようかとか、整形外科に診察に行こうかとか、今、悩んでいる最中なのでした。


※今さらですが、サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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「仏果山登山口」のバス停。これは下りのバス停で、登山口は向かいの上りのバス停の方にあります。

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登山届は回収されてないようで、差し込み口からはみ出すほど満杯でした。

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紅葉はいくらか残っていましたが、もうあとわずかでしょう。

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丹沢名物の階段もありました。

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紅葉の間から見える宮ヶ瀬ダムの湖面

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宮ケ瀬越

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山頂手前の急登。登ったあと上から見下ろす。

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山頂標識

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山頂には鉄塔の見晴台が設置されていました。見晴台からの眺望。

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正面が帰りに寄った高取山

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宮ヶ瀬ダム

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もうひとつの山頂標識

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高取山

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高取山にも仏果山と同じ鉄塔の見晴台がありました。宮ヶ瀬ダムは高取山の方がよく見えます。

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先程登った仏果山

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下山した。

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バス停の前から宮ヶ瀬ダムの湖面

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バス停と登山口の遠景。登山口には、小菅村で行方不明になった女児の捜索ビラが貼られていました。
2019.12.08 Sun l 山行 l top ▲
今、夕方のニュースを観ていたら、「沢尻被告の保釈を認める決定」という速報があり、東京湾岸署からの中継がはじまりました。湾岸署の玄関には、沢尻被告が頭を下げて謝罪するシーンをカメラにおさめるべく、大勢のメディアが陣取っていました。

今日、沢尻エリカは麻薬取締法違反(所持)の疑いで起訴されたのですが、起訴された当日に保釈というのは異例だそうです。それだけ事件は限定的で、今後の広がりはないということなのかもしれません。

警視庁の組織犯罪対策課と東京地検は、権力の面子に賭けて起訴したのでしょう。しかし、それは、当初描いた構図とは違って、沢尻エリカみずからが白状した棚ぼたのMDMA所持の起訴になったにすぎないのです(ほかにもLSDが見つかったという報道もあります)。しかも、所持と言っても、悪ガキが好奇心で持っていた程度の少量です。尿検査も陰性で、本当に依存性があったどうかさえもわかりません。結局は、沢尻エリカと彼女にクスリを渡した元恋人のデザイナー(ヤンキーの聖地=横浜で修行した典型的なストリート系のヤンキーデザイナー)の二人を起訴しておしまいになる可能性もあります。

文字通り、大山鳴動して鼠二匹(一応、二匹出てきたけど)といった感じです。前も書きましたが、これほど拙速で杜撰な捜査はありません。まるで鼠よりも大山鳴動する(させる)ことが目的だったみたいです。警視庁と密通して捜査情報をもらった手前もあるのか、TBSはヘリコプターまで飛ばして「湾岸署の上空から中継」なんてやっていますが、どこまで恥さらしなんだと思いました。

そう言えば、あの日大アメフト部の悪質タックル問題も、事件性はなかったとして警察の捜査が終了したそうです。じゃあ、あの“疑わしきは罰する”報道はなんだったんだと思います。どう見ても、メディアがやっていることは重大な人権侵害でしょう。

こういったなんでもありの人権侵害(=市中引き回し)は、文春の“ロス疑惑”報道からはじまったのでした。小泉政権によって衆愚政治の堰が外されたように、文春によって報道の(人権の)堰が外されたのです。そして、なんでもありになったのです。

自宅に帰れば、自宅周辺が大騒ぎになるので、政治家と同じで、とりあえず病院に逃避して「クスリと絶縁」を演出したいのかもしれません。今後も芸能界に残るためには、そうせざるを得ないのでしょう。TBSの夕方のニュース番組のカマトトアナウンサー(ワイドショーや夕方のニュースでは、主婦受けを狙っているのか、カマトトな男性アナウンサーが多いのが特徴です)は、「病院で治療」を強調していましたが、(何度も言いますが)尿検査の結果が陰性だったのですから、「治療」するほどの依存性があるのかどうかもわからないのです。今や報道番組も、真実は二の次でそういった印象操作に走ってばかりで、ワイドショーとの見分けもつかないほどになっているのです。

TBSと同じ系列のスポニチは、尿検査が陰性だったとき、大河ドラマが決まったので”クスリ絶ち”をしていたのではないかと書いていましたが、本当に依存性があるなら”クスリ絶ち”などできないはずです。言っていることがメチャクチャなのです。

どっかで聞いたセリフですが、「沢尻エリカよ、爪の垢程度のMDMAごときで頭なんか下げるな」と言いたかったけど、どうやら頭を下げるシーンはないみたいです。バカボンのパパではないですが、「それでいいのだ」と思いました。


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メディアの印象操作
2019.12.06 Fri l 芸能・スポーツ l top ▲
このブログも、山の話を書くようになってからアクセス数が半減しました。山だけが原因ではないでしょうが、一般の人にとって、山に登るというのはそれだけ関心外のことなのでしょう。

山に行くには当然ながら怪我のリスクも伴います。また、山登りは、お金のかかる趣味でもあります。服や用具も、「専門性」を盾にバカ高いのが常ですが、それだけではありません。

よく山で会った人から、日帰りで山に行くのに、5千円の予算で納めるようにしているという話を聞きますが、私の場合、5千円ではとても納まりません。

昨日の大岳山に行ったときも、1万3千円をおろして出かけたのですが、帰ってきて財布に残っていたのは2千円でした。パスモに5千円チャージしたのですが、残金は400円になっていました。このように交通費がバカにならないのです。私鉄に比べて割高なJRやバスを利用することが多いので、その分経費がかかるのでしょう。

これで月に3回から4回山に行くと、結構な出費になります。それ以外に、ちょくちょく用具を買い替えたりすると、山登りは贅沢な趣味の部類に入ると言っても過言ではないのです。

今は違いますが、昔は、山登りはインテリのスポーツと言われていました。私は、山登りの“拠点”でもあった九州の山の麓の温泉場で育ちましたが、たしかに昔は登山客はインテリばかりでした。学生と言えば九大生で、社会人も学校の先生やお医者さんなどんが多かったのを覚えています。ちなみに、くじゅう=久住で初めての遭難者は、九大(旧九州帝大)の医学部の学生のパーティだったと言われています。

余談ですが、よくくじゅう=久住を九重と書きますが(山と高原地図も九重山と記載されている)、あれは間違いです。九重山なんてありません。正確には久住山です。昔は、久住連山と言ってました。久住山の麓にあるのは久住町で、九重町ではありません。くじゅう=久住連山の反対側(今は、九州横断道路ができて交通の便がよくなったので、“表側”のようになってますが)に九重町がありますが、「くじゅうまち」ではなく「ここのえまち」です。

だから、私などは、山と高原地図で「九重山」と書かれているのを見ると、つい「ここのえやま」と読んでしまいます。もちろん、そんな山はありません。

因みに、くじゅう=久住で人気がある坊がつるや法華院温泉も、住所は竹田市(旧直入郡)久住町有氏です。九重町ではないのです。くじゅうの南口の登山口も、久住町有氏です。本来の久住の側から見ると、坊がつるや法華院温泉は山を越えて行くイメージでした。父親と一緒に久住連山の大船山に登ったときも、頂上から「あれが法華院で、その向こうが坊がつるだ」と教えてもらったことを覚えています。みんな、山を越えて、登山口と同じ町内の法華院や坊がつるに行っていたのです。坊がつると言えば、「坊がつる賛歌」が有名ですが、あの歌はもともと九大の山岳部で唄われていたもので、そこにも登山がインテリのスポーツであったことが物語られているのでした。

どうして、くじゅう=久住が九重になったのか。話は、くじゅうが阿蘇と一緒に国立公園に指定されたときに遡ります。当然、それまでの呼称から言えば、名称は「阿蘇久住国立公園」となるはずでした。ところが、山の反対側の(旧玖珠郡)九重町が「オレたちも『くじゅう』だ」と言い出したのでした。さらに、政治力を使って強引に「くじゅう」であることを主張したのでした。

私はまだ幼い子どもでしたが、うちの親たちも「そんなバカな話があるか」と憤慨していました。しかし、九重側の政治力が功を奏して、折衷案として久住をひらがなで「くじゅう」と記載し、「阿蘇くじゅう国立公園」にすることが決定したのでした。それが間違いのもとで、以後、徐々に「くじゅう」が「九重」に代わり、今のような「九重山」「九重連山」などというありもしない山名がまかりとおるようになったのでした。

話が脇道に逸れましたが、登山がインテリのスポーツであったのは、それだけお金がかかるからという事情もあったでしょう。それと、登山と地質学や植物学や地理学が切っても切れない関係にあったので、そういった学問的な関心を入口にしてインテリの間で登山が盛んになったという一面もあるのかもしれません。

イギリスの登山家ジョージ・マルローが、「どうして山に登るのか?」と問われて答えた(と言われる)、「そこに山があるから」ということばは人口に膾炙され有名になりましたが、(本多勝一氏も著書で書いていましたが)実際は「そこに山があるから」ではなく「エベレストがあるから」と答えたのだそうです。マルローはエベレストの初登頂を目指していて、当時、初登頂は国威発揚のための英雄的な行為でした。「山があるから」と「エベレストがあるから」とでは、意味合いがまったく違ってきます。マルローの「エベレストがあるから」という発言の裏には、今のオリンピックと同じようなナショナリズムと結びついた登攀思想(初登頂主義)があるのです。そういった帝国主義的な発想の所産でもあった登攀思想の意図を隠蔽し、哲学的な意味合いを持たせてカムフラージュするために、発言が歪曲(意訳)されたのでしょう。

つらつら考えるに、私が山に登る理由は、まずなんと言っても年齢的な体力の衰えに対する焦りが大きいように思います。ある年齢に達すると、自分はこんな歩き方をしていたのかと、自分の歩き方に違和感を抱くようになりました。筋力の衰えによって、歩き方にも微妙に変化が訪れたからでしょう。特に、階段を下りるときが顕著でした。いつの間にか下りることに過分に神経を使っている自分がいました。

登山というのは、整備されてない山道を歩くことなので、登山によって自分の歩き方に対する違和感を少しでも拭うようになりたいという気持があるように思います。もちろん、健康に対する不安もあるでしょう。山に行ったからと言って、病気にならないという保障はありませんが、山に行って身体を鍛えれば病気から遠ざかることができるのではないかという願望や信仰もあるように思います。

だから、山に行って筋肉痛になるのは、自分にとってはうれしいことでもあるのです。筋肉痛なんて若いときの話だと思っていたので、この年で筋肉痛になるのはいくらか若くなったような幻想さえ抱かせるのでした。

二つ目は、言うまでもなく日常からの逃避です。以前(もう13年前)、このブログで田口ランディの「空っぽになれる場所」という記事を書きましたが、山に行くことで空っぽになりたいという気持もあります。

何度も言いますが、電車が来てもいないのにホームへの階段を駆け下りて行くサラリーマンやOLたち。そうやっていつも資本が強いる”時間”に追われ、その強迫観念の中で生きているサラリーマンやOLたち。しかも、それがこの社会で誠実に生きる証しだみたいなイデオロギーさえ付与されるのです。しかし、彼らの先に待っているのは、過労死かメンヘラかリストラでしょう。

この社会で生きる限り、そんな”誠実に生きるイデオロギー”から逃れることはできません。でも、一時でもいいから逃れたい、ストレスを解消したいという気持も当然あります。だからこそ、山に来てまでコースタイム(時間)にこだわったり、他人に対する競争心をひけらかす者たちを軽蔑したくなるのです。

三つ目は、子どもの頃に見た風景をもう一度見たいという気持です。望郷の念とないまざった過去への憧憬です。その中には、一緒に山に登った父親との思い出も含まれています。子どもの頃、いつも視界の中にあったくじゅう=久住の山々。木漏れ日や草いきれ。風で木の葉がこすれる音。小鳥や森の動物たちの鳴き声。そんなものが、胸にせまってくるほどなつかしく思い出されることがあります。元気なうちに父親と一緒に登った山にもう一度登りたいという気持は、年を取れば取るほど募って来るのでした。


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空っぽになれる場所
2019.12.01 Sun l 山行 l top ▲
奥多摩の大岳山(おおたけやま)に登りました。大岳山に登るにはいろんなルートがありますが、大岳山は御岳山の奥にありますので、御岳山経由で登るルートが一般的です。

朝、新宿駅6時46分発のホリデー快速おくたま1号に乗り、JR青梅線の御嶽駅で下車、御嶽駅からはバスで御岳山ケーブルの下駅である滝本駅まで行って、ケーブルカーで御岳山駅に上がりました。御岳山駅から御岳山の頂上にある御嶽神社までは徒歩で30分くらいです。ただ、参道とは言え地味な登りが続くので、結構疲れます。

余談ですが、駅や神社や山の名称に「御嶽」と「御岳」という新旧の漢字が使われているため、こうして入力する際もそれぞれ使い分けなければならず、非常に面倒臭いです。こういうのも「豊かな日本語」と言うのでしょうか。

土曜日で、しかも早朝の便ということもあって、新宿駅のホームは山行きの恰好をした登山客で溢れていました。それは壮観で、東京というのはすごいなとあらためて思いました。ホームを通りかかった若いカップルが、行列を指差しながら「みんな高尾山に行くんだろう」と言って「ハハハ」と笑っていましたが、新宿から高尾山に行く場合は京王線を利用するのが一般的なので、カップルは勘違いしているのです。しかし、山に縁のない人たちから見れば、新宿駅のホームで行列を作っている登山の恰好をした人たちは、みんな高尾山に行くイメージがあるのかもしれません。もちろん、それは、高尾山=スノッブというイメージで、本多勝一流に言えば、「メダカ民族」の「モノマネ没個性登山者」ということなのでしょう。だから、行列を見たカップルも笑っていたのでしょう。

ホリデー快速は、新宿が始発だと思っていたら大宮が始発だったので意外でした。ホリデー快速は、名前のとおり、土日限定の奥多摩方面に行く行楽客向けの電車ですが、埼玉からもホリデー快速に乗って奥多摩に行くのだろうかと思いました。しかし、新宿駅に着いた電車はガラガラで、新宿駅からいっきに通勤ラッシュ並みの大混雑になりました。

また、ホリデー快速自体も非常にややこしくて、途中、拝島で前の7両(だったか?)が切り離されてホリデー快速あきかわ1号と名称が変わり、武蔵五日市行きになるのでした。

私が乗っていた車両は武蔵五日市行きだったのですが、それも知らずに居眠りをしていました。拝島に着いて、ふと目を覚ますと「この車両は武蔵五日市行きになります」と車内放送が流れているのが耳に入り、あわてて電車を降りました。電車は既に切り離されて、出発のベルが鳴り響いていましたので、ホームを走って、奥多摩駅行きの車両に飛び乗りました。

ネットには、「だれも教えてくれない『青梅線・五日市線の罠(わな)』」というブログの記事がありましたが、私も青梅線と奥多摩線と五日市線の違いがよくわかりません。ホリデー快速にも外国人の姿がありましたが、このややこしいシステムをよく理解しているなと感心しました。

もうひとつ余談を言えば、御岳山のケーブルカーの会社は京王電鉄の系列です。先日行った箱根の登山鉄道(ケーブルカー)は、箱根登山バスも含めて小田急の系列です。大山のケーブルカーも小田急の系列だそうです。

御嶽駅に着いたら、ホームの光景もまた壮観でした。ホームを埋め尽くした登山客の群が改札口に殺到しているのでした。もちろん、駅前の御岳ケーブル下に向かうバス乗り場も長蛇の列で、バスの中も通勤ラッシュ並みのすし詰め状態でした。

ただ、西東京バスの運転手は、車内のアナウンスや応対などに非常に好感が持てました。日頃横浜市営バスを利用している横浜市民としては、それに比べてという思いを抱かざる得ませんでした。

車内を見ると、御岳山は山ガールにも人気があるだけに、中高年のグループだけでなく若い女性のグループも目に付きました。土日はとにかくグループ登山が多く、グループが多いということはそれだけ集団心理が発生して、下界の論理がそのまま山に持ち込まれるので、私は週末に来たことを早くも後悔しはじめていました。特に、中高年のおばさんのグループはどうにかならないものかと思いました。もっとも、大岳山に向かう登山道に入ると、彼女たちの姿はウソのようになくなりました。

御嶽神社に行く参道沿いには、参拝者のための宿泊施設である宿坊が立ち並ぶ一角がありました。私の知っている会社でも、毎年、新入社員の研修を宿坊でやっていました。私も、若い頃、車でケーブルの駅まで女の子を送って行ったことがあります。でも、その会社も今は正社員をほとんど取らずに、派遣社員やアルバイトでまかなうようになっています。ただ、下山時、参道でキャリーケースを持った若者の集団にすれ違いましたので、まだ御岳山の宿坊で研修をしている会社もあるみたいです。

御岳山は大山などと同じ山岳信仰の代表的な山で、御嶽神社の信者の集まりである「講」(御嶽講)も未だ残っており、特に地の人間(元農民の地主)が多い練馬区あたりでは今も活動が盛んだそうです。私の知っている人も、何年か一回まわってくる「講」の世話人をやらなければならないので大変だと言っていましたが、お寺のような大きな宿坊の前にはそんな各地の「講」の人たちが建てた石碑がありました。ほとんどが平成に建てられていましたが、それを見ると、たしかに練馬区の石碑が多いのでした。その中のある地区の石碑には、見覚えのある名前も刻まれていました。

御嶽神社の下からは遊歩道に入ります。三頭山の都民の森と同じように、非常に歩きやすい道でした。10分くらい歩くと「長尾分岐」というポイントに着きました。長尾平という見晴台があり、お茶屋もありました。「長尾分岐」から下に下りると、御岳山で人気のロックガーデンに行きます。大岳山は逆で、そこから本格的な登りになりました。そして、徐々に急登になるのでした。

途中、岩場が多くなると、登山道が狭くなり、しかも鎖がかけられた箇所も出て来て、すれ違いの渋滞が生じることがありました。もっとも、登りのときは時間がまだ早かったので、すれ違いはほとんどありませんでしたが、下山時は登って来る人も多く、手前で待つことが多くなりました。ところが、山登りに熟達した見るからに偏屈そうな婆さん(一般の登山者を見下している山によくいるタイプ)が、私の後ろで「待たないで早く行って!」とうるさいので、「うるさい!」と怒鳴り付けたら静かになりました。

婆さんは、人ひとりがやっと通れるような狭い岩場でも、よけることなく平気で立っているので、すれ違うのに危なくて仕方ないのです。「ありがとうございます」と挨拶されても返事もしないでしかめっ面するばかりです。早く足腰が立たなくなって山に来れなくなればいいのにと思いました。

鎖がかけられた箇所も、慎重に歩けば鎖に頼らなくても通過できる程度でした(もちろん、足を滑らせたら大変なことになりますが)。山頂の手前の鎖場も、両手を使って登れば別に鎖は必要ないくらいでした。ケーブルカーの駅から大岳山の山頂までは、途中の休憩を入れても2時間弱で着きました。

しかし、山頂に行ってまたびっくり。ぎっしり人で埋まっていました。やはり、週末は人が多いなとあらためて思いました。山頂の手前で上から下りてきた人に、「今日は天気がいいので、富士山がよく見えますよ」と言われたのですが、たしかに初冬の空にそびえる富士山の雄姿はまるで絵画を観るようでした。

山頂は、富士山の方角しか眺望がないので、富士山の方角はスペースが空いていません。私は、眺望がきかない反対側を探したのですが、そっちも腰を降ろすことができる石が空いていません。それで、仕方なく、霜でぬれた草の上に、シートを敷いて座りました。まわりを見ると、ほとんどがグループかカップルです。なんだかソロの人間は肩身が狭いような気さえしました。弁当を持って来なかったので(それも肩身が狭い一因です)、行動食で食べ残したアンパンを食べました。

下りは1時間半くらいでした。ただ、岩場が多いのでステッキ(トレッキングポール)を使わなかったのがいけなかったのか、膝を痛めたみたいで、帰りの駅の階段の上り下りがつらかったです。下山したあと、山頂駅の前の茶店で蕎麦を食べましたが、普通の蕎麦でした。

帰りは、いつものように拝島から八高線で八王子、八王子から横浜線、そして菊名で東横線に乗り替えて帰りました。歩数は2万5千歩でした。

聞けば、三頭山・大岳山・御前山は奥多摩三山と呼ばれているそうです。と言うことは、残すは御前山だけになったのです。また、大岳山は日本二百名山だそうで、どうりで登山客が多かったのでしょう。もっとも、二百名山は、深田久弥の信者たちが作った「深田クラブ」が選定したそうで、それを聞いたら、なんだか大岳山に登った感慨に水を差されたような気持になりました。奥多摩三山もそれと似たような話かもしれません。


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参道沿いはまだ紅葉が残っていました。

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宿坊
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宿坊が集まった集落

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門前通りの商店

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御嶽神社

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神社の階段を上って来る登山者たち

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鍋割山への分岐

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台風で橋の一部が崩落していた

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鎖場の前の渋滞

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山頂から富士山

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三頭山と同じ石造りの山頂標識が立っていた

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みんな富士山を眺めている

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人、人、人

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ススキと富士山

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下山時、今から登って行く人たちを見上げる

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こういった岩場もありました

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霜で滑る

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2019.11.30 Sat l 山行 l top ▲
沢尻エリカの逮捕が、安倍政権の「桜を見る会」の疑惑隠しでないかという見方に対して、安倍応援団からは「バカバカしい陰謀論」「頭の中がお花畑」などと、一笑に付すような批判がありますが、共産党から資料請求されたその日に、1万5千人分の招待者名簿を内閣府の大型シュレッダーで裁断して破棄したという安倍政権の姿勢を考えるとき、果たしてホントに「バカバカしい陰謀論」なんだろうかという疑問を抱かざるをえません。

実際に、沢尻逮捕には、やっつけ仕事のような杜撰さが目に付きます。沢尻エリカが渋谷のクラブのイベントで覚せい剤かコカインを入手するという「情報」に基づき、(TBSに捜査情報を流した上で)強制捜査に着手したと言われていますが、帰宅した彼女を調べても薬物は出て来なかったのです。しかも、尿検査の結果も陰性(シロ)でした。MDMAは、沢尻エリカ自身が「あそこにあります」とみずからゲロして出て来たにすぎないのです。覚せい剤かコカインと踏んでいたので、MDMAは捜査当局には想定外だったという報道もありました。

こうした流れを見ると、拙速な感は否めません。何か月も前から内偵捜査をしていたにしては、あまりにも杜撰です。むしろ、「桜を見る会」の疑惑が浮上したので、あわてて強制捜査に着手したと考えた方が納得がいきます。

カルロス・ゴーン逮捕の際、海外メディアから散々指摘されていましたが、日本は推定無罪ではなく“推定有罪”の国なので、逮捕すればなんとでもなるのです。まして、芸能人であれば、なおさらでしょう。”推定有罪“どころか、メディアによって市中引き回しの刑が下されるので、捜査当局にとって芸能人は実に都合のいい生贄の羊なのです。

安倍政権は、益々ロシアのプーチン政権に似てきました。それが、マフィア化した政治と呼ぶゆえんですが、そこには安倍首相個人のキャラクターが影響しているような気がしてなりません。

前も紹介しましたが、共同通信社の福田派の番記者だった野上忠興氏が書いた『安倍晋三 沈黙の仮面』(小学館)に、次のようなエピソードが書かれていました。

 夏休みの最終日、兄弟の行動は対照的だった。兄は宿題が終わってないと涙顔になった。だが、晋三は違った。
 「『宿題みんな済んだね?』と聞くと、晋ちゃんは『うん、済んだ』と言う。寝たあとに確かめると、ノートは真っ白。それでも次の日は『行ってきまーす』と元気よく家を出ます。それが安倍晋三でした。たいした度胸だった。(略)」
 ウメ(引用者:二人の兄弟の乳母)は「たいした度胸」と評したが、小学校の級友達に聞いて回っても、宿題を忘れたり遅刻をしたりして「またか」と先生に叱られたとき、安倍は「へこむ」ことはなかったという。ウメに聞いたエピソードも耳に残る。


安倍政権が憲政史上最長の長期政権になったのも、夫婦ともども平気で嘘を言う厚顔無恥な(犯罪者気質の)性格が逆に功を奏したということはあるのではないでしょうか。もちろん、安倍政権をここまでのさばらせた一番の要因が、民主党政権のトラウマにあるのは言うまでもありません。立憲民主党や国民民主党が存在する限り、自公政権に対する消極的支持が今後も続くのは間違いないでしょう。

市民団体が安倍晋三首相を公職選挙法&政治資金規正法違反の疑いで刑事告発したことに対して、立憲民主党の国会議員たちが刑事告発は国会の真相究明に水を差すものだと批判していましたが、私は、よく言うよと思いました。

彼らの国会での質問は、ほとんどが週刊誌ネタにすぎません。それでよく真相究明だなんて言えるもんだと思います。そもそも立憲民主党や国民民主党の議員たちは、「赤旗」が疑惑を取り上げるまで、「桜を見る会」をおかしいとは思ってなかったのです。共産党が騒ぎはじめて、はじめて自分たちも便乗して騒ぎはじめたのです。何度も言いますが、彼らに野党の役割を期待すること自体が間違っているのです。それこそ「お花畑」と言わざるをえません。

沢尻エリカは、エイベックスに囲われていただけあって、典型的な(ある意味イタい)ヤンキーであることがわかりましたが、しかし、それでも私は、巨悪の身代わりにされた(?)彼女に対しては同情を禁じ得ません。
2019.11.28 Thu l 社会・メディア l top ▲
昨日、奥多摩の三頭山(みとうさん)へ行きました。三頭山は、標高1531メートルで、東京都檜原村の都民の森に登山口があり、奥多摩でも人気の山です。

JR中央線の立川駅で青梅線に乗り換えて、武蔵五日市駅で下車。武蔵五日市から都民の森まではバスで75分かかります。しかも、都民の森へ直通する「急行」は一日に二便しかありません。そのほかは、都民の森の一つ手前の「数馬(温泉)」までしか行きません(数馬からも登ることができる)。

朝、8時すぎの都民の森行きのバス停には、早くも登山者の行列ができていました。ただ、平日で、しかも紅葉も峠を越したので臨時便が出るほどではなく、出発時の座席は9割程度埋まった状態でした。

バスの終点の都民の森には、自然体験のためのいろんな施設があり、森の中を周回できるように遊歩道も整備されています。

最初は、ウッドチップが敷き詰められた遊歩道を歩きました。非常に歩きやすい贅沢な道でした。30分くらい歩くと、三頭大滝という滝に出ました。遊歩道は三頭大滝までで、そこから登山道になります。

三頭の滝からの登山道は、「ブナの路コース」と「深山の路(石山の路)コース」の二つに分かれます。しかし、登りでは「ブナの路コース」を選択する登山者が多いようです。私も「ブナの路コース」をナビに入れていたのですが、人間嫌いの性(さが)と言うべきか、急遽人が少ない「深山の路コース」に変更しました。都民の森のサイトによれば、大沢山を経由する「深山の路コース」は、「ブナの路コース」に比べて少し大回りになり、山行時間が長いということでした。

山頂には2時間弱で着きました。三頭山には東峰・中央峰・西峰の三つのピークがあり、それで三頭と言われるのですが、着いたのは西峰でした。西峰が三頭の中ではいちばん広いようですが、それでも、腰を降ろす場所を探すのも困るくらい多くの登山者が休憩していました。しかし、眺望は期待したほどではありません。端っこの岩の上に座ってサンドイッチを食べたあと、早々に下山することにしました。

帰りは、都民の森と反対側のヌカザス尾根を通って奥多摩湖へ下山することに決めていました。奥多摩湖の浮橋を通ってみたいと思っていたからです。ただ、このヌカザス尾根のコースは、奥多摩屈指の急登と言われているコースです。

ふと、横を見ると、「鶴峠方面」という標識が目に入りました。頂上の手前に「奥多摩湖方面」の標識があったのはわかっていましたが、下山コースの中に鶴峠の地名があったのを思い出し、私はなんのためらいもなく、「鶴峠方面」の道を下って行きました。

30分くらい下ったところで、下から登ってくる初老の男性に会いました。私は、「下の奥多摩湖から登ってきたのですか?」と声をかけました。

「奥多摩湖?」
「はい」
「全然違いますよ」
「エエッ、ここを下ると奥多摩湖に行くんじゃないですか?」
「奥多摩湖は向こうの尾根ですよ」と隣の尾根の方を指差すではありませんか。

「地図を持っていますか?」と訊かれたので、ザックから地図を出すと、地図を地面に広げて丁寧にルートを説明してくれました。男性は、かなりの熟達者のようで、山梨の上野原から来たけど、正規のルートではないバリエーションルートを登ってきたと言ってました。

「でも、戻るのは面倒臭いので、このまま鶴峠の方へ下りようかな」と私が言うと、「いや、最初に決めたルートを歩いた方がいいですよ。それが山の鉄則ですよ」とたしなめられて、「一緒に山頂に戻りましょう。そして、もう一度、下り直した方がいいですよ」と言われました。

私は、山頂まで男性と一緒に戻り、男性にお礼を言うと、山頂の手前にある「奥多摩湖方面」の標識に従って、当初の予定であるヌカザス尾根コースを再び下りはじめました。

あとでネットで調べると、私と同じように間違って「鶴峠方面」の標識を下った人が結構いることがわかりました。登山サークルのパーティも間違ったと書いていました。

と言うのも、ヌカザス尾根コースの途中に、「鶴峠分岐」というチェックポイントがあるのです。それで、(私もそうでしたが)「鶴峠」に聞き覚えがあるので勘違いするみたいです(ただ、「分岐」とあるように、鶴峠から「鶴峠分岐」の方に行けば、ヌカザス尾根に合流することもできるみたいです)。

奥多摩湖に下りるヌカザス尾根コースは、名にし負う急登でした。ツネさんというおばあさんが泣きながら登ったという「ツネ泣きの坂」なんていうのもありました。浮石が多く、しかも、その上に落ち葉が積もっているので滑りやすくて、私も三回転倒しました(と言っても、尻もちを付いた程度ですが)。

登って来る人は少なく、すれ違ったのはオランダ人の4人グループと、あとはソロの男性と女性の三組だけでした。訊けば、ヌカザス尾根を登るのはみんな初めてだそうで、「想像以上にきつかったです」と口を揃えて言ってました。

下りでは、一人から追い抜かれました。若者でしたが、「すごく滑りますね」と言いながらも、ズルッズルッと半分滑りながらスピードを落とすことなく下りて行くのでした。へっぴり腰の私から見れば、信じられないようなバランス感覚で、あっと言う間に見えなくなりました。

山に登っていて若者が羨ましいなと思うのは、このバランス感覚です。年齢とともに体力が衰えるのは当たり前ですが(それは心肺能力の差にてきめんに表れる)、バランス感覚も寄る年端には勝てないのです。中高年登山者に転倒事故や滑落事故が多いのもむべなるかなと思います。年を取って山に登ると、このような(絶対に越えられない)”年齢の壁”を痛感させられるのも事実です。

途中で何回か、登り返しがあるのですが、登りがあるとホッとする自分がいました。登山の場合、(私もそうでしたが)最初は登りに苦手意識を持つ人が多く、すぐ息が上がったりするのが悩みの種になるのですが、でも、考えればみれば、登りはきついだけなのです。登りだからきついのは当たり前なのです。きつければ休めばいいだけの話です。

やっかいなのは下りの方です。岩を登るのも、登りより下りの方が神経を使います。事故の80パーセント(だったか?)が下りで発生しているというのはよくわかります。転倒や滑落だけでなく道迷いも、下りの方が圧倒的に多いそうです。

私は、完全に足に来ました。転倒してもすぐに立ち上がれないほどでした。こんなに足に来たのも初めてで、文字通りヘロヘロになりました。下山するのに3時間半くらいかかりましたが、午後4時をすぎ陽が傾いてきたので、ヘッドランプを首にかけ、いつでも点灯できるようにして下りました。

幸いにも陽があるうちに下山することができましたが、奥多摩湖の浮橋への階段を下るのも足がガクガクして難儀するほどでした。

バス停は浮橋を渡った対岸にあり、そこから青梅線の終点の奥多摩駅に行くのですが、バスの時刻表を見ると、10分前に出たばかりでした。しかも、次は2時間近くあとです。思わずヒッチハイクをしようかと思ったほどでした。

そうするうちに陽が落ちて暗くなってきました。私は、バス停から少し離れた家の前に古いベンチがあるのに気付き、そこに座って次のバスを待つことにしました。

奥多摩湖のあたりも標高が高いので、陽が落ちると冷えてきます。私は、パーカーの下にフリースを着て寒さを凌ぐことにしました。

と、そのとき、ベンチの前の家の玄関に灯りが点いて、中年の男性が出てきたのでした。

「バスに乗り遅れたんですか?」
「はい」
「だったら、そこのトンネルをぬけて橋を渡った先に、もうひとつ別のバス停があるんですが、そこに行くと、あと15分後に来るバスがありますよ」
「エエッ、そうなんですか?」
「そう、一日に三便しかないんだけど、ちょうど来るバスがありますよ。歩いても5分くらいだから間に合いますよ」
「ありがとうございます! 助かりました!」
と私はお礼を言って、教えられたバス停に向かったのでした。

奥多摩駅から青梅で中央線の新宿行きに乗り替え、いつものように途中の拝島で再度八高線に乗り替えて八王子に向かい、八王子から横浜線で帰って来ました。自宅に着いたのは午後8時すぎでした。

ひどく疲れましたが、しかし、他人(ひと)の親切に助けられた山行でした。と同時に、反省点の多い山行でもありました。


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都民の森の入口

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立派な看板

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下はまだ紅葉が残っていました。

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チップが敷き詰められた歩きやすい遊歩道

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三頭の大滝

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滝の感想は割愛します。

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滝を見るための吊り橋

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登山道に入りました。

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大好きな尾根道

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途中、立派な避難小屋もありました。

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最後の階段を上ると山頂です。

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山頂(西峰)

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山頂からの眺望

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立派な石造りの山頂標識。標識にお金をかけるのなら、その分ベンチを増やしてほしいという声がありましたが、同感です。

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下山してすぐの巻き道には、まだ霜柱が残っていました。

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最初はこんな尾根道でルンルン気分でしたが‥‥。

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ヌカザス山(糠指山)

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急登。以後、下まで写真はありません。疲労と日没の焦りで写真どころではなかった。

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下に下りたら、再び紅葉。

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奥多摩湖。都民の水がめの小河内ダムでできた人造湖です。

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浮橋

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バスを待つ間にスマホで撮りました。すっかり暗くなった。
2019.11.21 Thu l 山行 l top ▲
香港情勢は、重大且つ悲劇的な局面を迎えています。戦いの先頭に立つ学生たちに対する香港政府の弾圧は熾烈を極めています。国際政治の冷酷な現実の前で、学生たちは文字通り孤立無援の戦いを強いられているのです。

香港政府の姿勢の背後に、中国共産党の意向(と指示)があるのは子どもだってわかる話でしょう。「一国二制度」が如何に欺瞞に満ちたものであるのかが如実に示されているのです。と同時に、恐怖政治と表裏一体の共産党権力の実態が白日のもとにさらけ出されてもいるのです。共産党の言う「人民民主主義」なるものが、ファシズムの別名でしかないことをあらためて確認させられた気がします。

「革命的左翼」を名乗る日本の新左翼の党派が、今回の香港情勢にどのような見解を示しているのか、興味があったので各党派のサイトを見てみましたが、多くはまったく触れてないか、あるいは触れていても「学生たちの戦いが香港政府を追いつめている」程度のサラッとしたものでした。香港の学生たちに連帯せよというようなアジテーションすらありませんでした。まして、中国共産党を批判する論調は皆無でした。

反スターリン主義を標榜する新左翼の党派が、スターリン主義の権化のようになっている自己撞着を考えれば、ある程度予想されていたことではありますが、今更ながらに左翼のテイタラクを痛感させられました。

日本の新左翼は、ハンガリー動乱をきっかけに既成左翼を乗り越えるべくトロッキズムを旗印にその産声をあげたのですが、もはやそういった思想的なデリカシーも失ってしまったということなのでしょう。なんともおぞましい光景なのかと思ってしまいます。

中国共産党の姿勢が示しているのは、人間を機械論的に解釈する左翼思想特有の(非人間的な)ものの考えです。それは、かの前衛主義に由来するものです。埴谷雄高ではないですが、前衛主義が大衆蔑視に裏付けられているのは言うまでもないでしょう。

いづこの共産党もなにかにつけ「人民大衆」を口にするのが常ですが、そんな共産党が人民大衆ともっとも遠いところで専制権力を恣(ほしいまま)にしているのです。それは、日本の左派リベラルも無関係ではありません。前にも書きましたが、大衆運動でときに見られる左派特有の“排除の論理”も、本質的には中国共産党の恐怖政治と通底するものがあるのです。

私は、再掲になりますが(文学的情緒で語ることを笑われるかもしれませんが)、次のような石原吉郎のことばを思い出さざるを得ません。

 日本がもしコミュニストの国になったら(それは当然ありうることだ)、僕はもはや決して詩を書かず、遠い田舎の町工場の労働者となって、言葉すくなに鉄を打とう。働くことの好きな、しゃべることのきらいな人間として、火を入れ、鉄を炊き、だまって死んで行こう。
(一九六〇年八月七日)

『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)・解説より


「反権力」「反体制」あるいは「野党」や「大衆」というだけで、どうしても甘く見てしまいますが、私たちは、右だけでなく左の全体主義に対しても、もっと深刻に考える必要があるのでないでしょうか。そして、二項対立の思考から自由にならなければならないのです。


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2019.11.19 Tue l 社会・メディア l top ▲
沢尻エリカが合成麻薬のMAMDを所持していたとして、麻薬取締法違反容疑で逮捕されましたが、逮捕したのは、マトリ(厚生労働省麻薬取締部)ではなく、マトリのライバルと言われている警視庁の組織犯罪対策課でした。

今回の逮捕は、安倍政権の「桜を見る会」の疑惑隠しのためではないかという見方がありますが、あながち的外れとは言えないでしょう。週明けからメディア(特にテレビのワイドショー)は、沢尻逮捕のニュース一色になるに違いありません。安倍晋三首相の、あの二度に渡る「異例の」ぶら下がり会見を見ても、官邸が「桜を見る会」の疑惑にかなり慌てていたのは間違いないのです。

どこかのフリーターが逮捕されたのではニュースにもならないし、なんのインパクトもありません。有名芸能人でなければならないのです。

共産党が国会質問のために資料請求したその日に、内閣府は「桜を見る会」の招待者名簿を破棄したそうですが、これはモリカケ疑惑のときとまったく同じで、まさにマフィア化する政治の面目躍如たるものがあると言えます。

招待者名簿の破棄は、どう考えても証拠隠滅で、公職選挙法及び政治資金規正法違反容疑で言えば、沢尻エリカ以上の逮捕要件ではないのかと思ってしまいますが、ときの政権の「違法」行為に対しては、国家ぐるみで隠ぺい工作に手を貸すのでした。「上級国民」ではないですが、法の下の平等なんて絵に描いた餅にすぎないのです。

「桜を見る会」の疑惑に見られるのも、税金=国家を食い物にする構造です。長期政権の「緩み」などという呑気な話ではありません。安倍政権は、言うなれば”営業右翼”のようなもので、「改憲」や「嫌韓」を錦の御旗にしながら税金=国家を食い物にしているのです。また、国家を食い物にするだけでなく、国家を細切れにして、アメリカ=グローバル企業に売り渡してもいるのです。何度も言いますが、ここにも「愛国」と「売国」が逆さまになった“戦後の背理”が見事なほど見て取れるのでした。私たちはまず、声高に「愛国」を叫ぶ者たちをこそ疑わなければならないのです。右翼風に言えば、安倍晋三首相は日本にとって獅子身中の虫ではないのか、そう思えてなりません。でも、安倍晋三首相をそのように見る右翼・民族派はほとんどいません。それどころか、既成右翼もネトウヨ化しているのが現実だとか。

あだしごとはさておき、MDMAは、「エクスタシー」という俗称があるように、”キメセク”で使われる「セックスドラッグ」として有名なクスリだそうです。大麻などとはまったく性格の異なるクスリなのです。そう言えば、不倫相手の銀座のホステスを死なせた押尾学も、使用していたのがMDMAでした。ASKAがクスリに溺れるきっかけになったのもMDMAだと言われています。

子どもの頃から芸能界にいてまわりの大人たちからチヤホラされてきた沢尻エリカが、世間知らずでわがままであるのはおよそ想像が付きます。世間知らずでわがままであるということは、それだけスキがあるということです。それに、あのハーフの美形です。クスリ漬けにして、いいように弄び、あわよくば金ヅルにしようと企む芸能界やその周辺にいるワルたちが近寄って来るのは当然なのです。

女優としての才能を高く評価されながら、クスリで”転落”したその軌跡を考えるとき、スターダストプロモーションから契約解除されたあとに、エイベックスと業務提携したのがポイントになるような気がしてなりません。

ただ、ひとつだけ言えば、沢尻エリカは少なくとも税金でクスリを買ったわけではありません。税金を食い物にする総理大臣と比べて、どっちがワルか、指弾すべきなのはどっちなのか、少しでも考えればわかることでしょう。

溝口敦著『薬物とセックス』(新潮新書)によれば、男性がMDMAを多用すると勃起不全になるので、男性が女性に投与するケースが多いそうです。

同書には、次のようなMDMAの体験談が掲載されていました。

  <服用から三〇分程度たつとスイッチをオンしたようにガツンと効果が表れて薬効が切れるまで、瞳孔が開き、高い声が出るようになり、歯が折れたり内頬がザクザクになるほど無意識に歯を食いしばり続けます。
   音楽やSEXが最高に気持よくなり、一緒に使用している人と深い友情、愛情に結ばれているように思えます。
   実際はタイプでは全くない不細工な異性なのにもかかわらず、色っぽい美人に見えて、尋常じゃない性欲がやってきますが、チン〇ンは立ちません。
   しかし覚醒剤同様に全身クリトリスになったと思わんばかりの快感があります。
   効果が出ている間は体温調整が分からなくなり、現状が暑いのか寒いのか分からなくなります。
   人によってはクラブなどで効果が切れるまで永遠に踊り続けたり、酷い幻覚を見て苦しんだり、痙攣や嘔吐して、最悪の場合、死にます>


もちろん、合成麻薬も裏社会のシノギになっており、元締めから蜘蛛の糸のように伸びた売人のネットワークは、社会の隅々まで張り巡らされているそうです。そして、彼らがまず最初にやるのがヤク中を作ることなのです。

今回もまた、捜査情報がTBSにリークされていたようですが、これからもヤク中の有名人は、ことあるごとに権力者の都合で利用され、(目くらましのために)晒し者にされ市中引き回しの刑に処されるのでしょう。権力者の下僕と化したメディアは、今や市中引き回しの囃し役になっているのです。「麻薬撲滅」なんて単なる建前にすぎないのです。そして、いつだって「悪は栄え、巨悪は眠る」のです。
2019.11.17 Sun l 芸能・スポーツ l top ▲
昨日、秩父の皆野の山に行きました。地図に載ってない小さなものも含めると6つ(だったか?)の山を縦走する、皆野アルプスと呼ばれるコースです。山自体は標高600メートル強の低山ですが、途中、鎖場や痩せ尾根が連続する箇所があり、知る人ぞ知るスリリングなコースでもあります。

皆野アルプスは、秩父鉄道の皆野駅から町営バスに乗り、「秩父華厳の滝」で下車して登山道に入るのが一般的です。また、途中で尾根を下るコースもあり、いづれも町営バスが通る道路に降りることができます。

ただ、皆野駅まで行くのに、東武東上線と秩父鉄道を利用しても池袋から2時間以上かかるため、私は、8時すぎのバスには間に合いませんでした。次は10時まで待たなければなりません。それで、皆野駅から歩いて30分足らずの「大渕登山口」から「秩父華厳の滝」に至る”逆コース”を歩くことにしました。

天気は最高に良かったものの、山中ですれ違ったのは、高齢男性のソロと中年女性5人のパーティの二組だけでした。マイナーな山なので、もともと登山者が少ないのかもしれません。私自身も、つい先日「皆野アルプスはあなどれない」というネットの記事を読んで、その存在を初めて知ったのでした。

女性のパーティには若い男性が付き添っていましたが、おそらくガイドなのだと思います。鎖場や痩せ尾根は、それなりに危険が伴いますので、初心者だけだと足が止まってしまうのかもしれません。

鎖場の場合、登りはそんなに難しくありません。足場さえしっかりしていれば、鎖も不要なくらいです。岩をトラバースするところもありましたが、足場があるので、そんなに難しいとは思いませんでした。難しいのは、下りです。斜度の大きい、それこそ上から覗き込むような岩場が一ケ所あり、一瞬足が止まってしまいました。岩の間に積もった落ち葉が前日の雨で水分を含んているので、不用意に足を乗せるとツルッと滑るのでした。

女性のパーティとすれ違ったのはその鎖場でした。彼女たちは「華厳の滝」の方から来ましたので、私とは反対の登りでしたが、ガイドのアドバイスを受けながらひとりひとり慎重に登っていました。

たしかに皆野アルプスはあなどれないけど、しかし、バラエティに富んだ楽しい山行でした。大山なんかよりよほど魅力があります。

急登もありますが、それほど長くなく、ひと登りすれば平坦な道になり、それから下って行きます。そして、下ったあとは再び急登の登り返しになります。そういったことが何度もくり返されるのです。もちろん、自信のない人は、鎖場や痩せ尾根をスルーすることもできます。

こんな魅力のある山がどうして人に知られてないのだろうと思いました。皆野町役場は、皆野アルプスを売り出しているようで、役場に連絡すれば、ハイキングのパンフレットを郵送してくれるサービスまであります。

山中の案内板はわかりやすいのですが、”逆コース”の「大渕登山口への道順がわかりにくいので、県道に案内板を設置したり、トイレを充実させれば、もっとハイキング客を呼び込むことができる気がします。言うまでもなく、将来のためには(そして、観光客としてお金を落としてくれることを期待するなら)、中高年の登山者ではなく、山ガールを呼び込む工夫が必要でしょう。

『山と渓谷』の2019年1月号に、「読者の変遷」という読者アンケートの結果が載っていましたが、そこに映し出されていたのは登山に関する”深刻な現実”です。

「読者の変遷」では、1991年(平成3年)と2018年(平成30年)の読者の構成比を比較していました。男女比は、80%強(男性)と15%前後(女性)でほぼ変わりませんが、問題は年齢構成です。抜粋すると、以下のようになっていました。

20代 21%(1991年) 5.3%(2018年)
30代 28.1%(同) 8.7%(同)
40代 28.3%(同) 20.5%(同)
50代 16.6%(同) 30%(同)
60代以上 6%(同) 35.5%(同)

これを見ると、登山者の高齢化が一目瞭然です。20代と30代を合わせると、1991年ではほぼ半分の49.1%を占めていましたが、27年後の2018年では15%にまで落ちています。それだけ若い人が山に来なくなったということなのです。これでは、山に行くと中高年ばかりなのも当然でしょう。

欧米のように、ハイキングやトレッキングの山の文化を根付かせるためには、如何に山ガールたちの足を高尾山や御岳山からほかの山に向かわせるかです。2010年頃の山ガールブームと比べても、既に登山人口は半減していると言われていますので、彼女たちを呼び込む努力は早急に必要でしょう。

破風山(はっぷさん)の山頂からの眺望も目を見張るものがありました。私は30分以上いて、昼食(と言っても、コンビニのおにぎり2個)を食べたのですが、その間誰も登って来る人はいませんでした。

私は、また行きたいと思いました。それくらい楽しい山でした。登りはじめたのが9時で、下山したのが14時30分でしたので、ちょうど5時間半の山行でした。歩数は2万5千歩でした。

帰りは、「秩父華厳の滝」から町営バスで皆野駅に戻りました。ただ、秩父鉄道の乗り継ぎの便が悪くて、西武の秩父駅に着いたのが16時すぎになりました。

秩父駅では、名物のわらじカツ丼を食べました。でも、出て来たのは、わらじというより煎餅のような薄っぺらいカツでした。そこで、私は思い出したのでした。昔、やはり秩父駅でわらじカツ丼を食べて「失敗した」と思ったことがあったのです。

もっとも、考えてみれば、わらじも煎餅と同じように厚みはないのです。わらじを厚底靴のように勝手に思っていた私の方が間違っていたのかもしれません。

秩父から西武線に乗って、いつものように東飯能で八高線に乗り替えて八王子に向かい、八王子から横浜線で帰ったのですが、東飯能からは立ちっぱなしの上、帰宅ラッシュに遭ってクタクタになりました。横浜線のラッシュは、山手線のラッシュに負けないほどで、先日のラグビーワールドカップを思い出しました。通勤ラッシュも格闘技なのです。登山よりしんどい。


皆野アルプス1

皆野アルプス2
猿岩

皆野アルプス

皆野アルプス3
破風山からの眺望

皆野アルプス4
同上

皆野アルプス5
同上

皆野アルプス6
破風山山頂の祠

皆野アルプス7

皆野アルプス8

皆野アルプス9
崖のような鎖場

皆野アルプス10

皆野アルプス11

皆野アルプス12

皆野アルプス14

皆野アルプス13
下ったあと見上げる

皆野アルプス15

皆野アルプス16

皆野アルプス17
ここが一番怖かった。下山の最後のあたり。岩の上の水分を含んだ枯葉がツルツルに滑るのです。崖下に落ちる可能性があるのでへっぴり腰で渡りました。
2019.11.13 Wed l 山行 l top ▲
茨城の常磐道で発生したあおり運転で、「ガラケー女」に間違われてネットで身元を晒され被害を受けた女性が、先日、フェイスブックで身元を晒した愛知県豊田市の市議の男性を刑事告発したという報道がありました。女性が記者会見で言明した法的処置について、その後の報道がないのでどうなったのだろうと前に書きましたが、事態は進展していたのです。

男性は和解を申し出たそうですが、被害女性は拒否したとのことです。そのためかどうか、後日、男性は責任を取って(?)市議を辞職したという報道もありました。

いい歳して、しかも市議会議員という公的な立場にありながら、やっていることはそこらのガキと同じなのです。彼を市会議員に選んだ豊田市の有権者の見識も「ご立派」としか言いようがありません。もしかしたら、男性は次の選挙で再び当選する自信があるので辞職したのかもしれない、と穿った見方さえしたくなりました。

テレビに出ていた男性を見ると、スーツの襟に日の丸のバッチと拉致被害者救出のブルーリボンのバッチが付けられていました。ブルーリボンも、今や極右の証明のようになっていますので、彼もまた、ネトウヨのひとりなのでしょう。市議会議員がネトウヨになったのか、ネトウヨが市議会議員になったのかわかりませんが、なんだか日本の劣化を象徴するような光景に見えました。

朝日新聞が、引きこもりに関して、47都道府県と20の政令指定市にアンケート調査した結果によれば、引きこもりでいちばん多かったのは40代だそうです。また、ヘイトなブログに煽られて、朝鮮学校への補助金支給を求める声明に名を連ねた弁護士に対して懲戒請求をおこない、逆に不当な請求で名誉を傷つけられたとして訴えられたネトウヨも、40代がいちばん多かったそうです。私が常々言っているとおり、この二つのデータのかなりの部分は重なっているように思えてなりません。

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」への電凸も、こういった中高年のネトウヨが中心になって引き起こされた公算が大きいのです。“思想戦”と呼ぶにはあまりにお粗末と言うしかありません。既存メディアは、そんな「ネット世論」に迎合して、彼らの行為をさも「もうひとつの市民の声」であるかの如く大きく見せることに手を貸したのでした。

安倍首相の「戦後レジームからの脱却」をめざす「愛国」主義も、内閣の顔ぶれを見てもわかるとおり、結局、なんとか会議やなんとか教会やなんとか科学に行き着くのでした。「日本を、取り戻す」と言っても、所詮はその程度なのです。このようなカルトに支えられた「愛国」主義に対して、民族主義の立場から危機感が示されてもよさそうですが、そういった話も聞きません。ここにも日本の劣化が象徴されているように思えてなりません。
2019.11.09 Sat l 社会・メディア l top ▲
一昨日、箱根の金時山に登りました。金時山は、金太郎伝説で有名な山です。麓には、金太郎のモデルになったと言われている平安時代の武将・坂田公時を祭る公時神社(金時神社)があります。

行きは、新宿バスタから小田急の高速バスを利用しました。高速バスは、箱根側の登山口である「乙女峠」「金時神社入口」「金時登山口」のいづれにもバス停があり、都内から金時山に登るにはとても便利です。新宿からは2時間ちょっとで着きました。料金も1800円と格安です。ただ、往復ではなく、帰りに別の交通手段をとるとなると、(後述するように)台風19号の影響で箱根登山鉄道が運休しているため、代行バスに乗る方法(運行ルート)が複雑で苦労することになります。

ネットで調べたら、「金時登山口」の矢倉沢ルートが登山者がいちばん少ないそうなので、「金時登山口」から登ることにしました。「金時登山口」のバス停から仙石原の別荘地の中を15分くらい歩くと登山道の入口がありました。ネットに書いていたとおり、私以外は誰も歩いていません。「金時神社入口」の公時神社ルートと合流するまですれ違ったのは一人だけでした。

しかし、公時神社ルートと合流すると、登山道はいっきに賑やかになりました。私は、このブログを読むとわかると思いますが、腹の中は真っ黒なのに、表向きは気さくで愛想がよいので(でも、ホントは人間嫌い)、登山道で出会った人たちともすぐ打ち解けてバカ話をしながら登りました。でも、それも一時(いっとき)で、やがて置いておかれるのでした。「後半に強い」はずのアミノバイタルもまったく効果がありません。後半バテバテになるのが私の大きな課題です。それには、サプリに頼るのではなく、地道に鍛錬するしかないのでしょう。

30年ぶりに山に登ったという74歳の人にも、付いて行くことができませんでした。その人は、山に行くのにどんな格好をするかわからないので、普通のズボンをはいてきたと言っていましたが、そんな人にも置いておかれたのです。もっとも、毎日5キロ走っているそうで、「やっぱり走っていると違うのかな」と言っていました(おそらくそれは、私と比べての発言だと思います)。

若いカップルとはトレランシューズの話で盛り上がったのですが、やがて置いておかれました。私から見れば、彼らは文字通り岩から岩を飛び跳ねて行く天狗のようでした。

金時山の頂上からの景色には目を見張るものがありました。雲ひとつない快晴でしたので、雪を頂いた富士山もまるで絵画のようにくっきりと目の前に聳えているのでした。また、大涌谷や芦ノ湖、遠くには南アルプスや駿河湾まで見渡せました。

今まで登った山の中では、眺望はピカイチでした。初めて頂上に立った人は、(晴れていることが前提ですが)目の前に現れた雄大な景色に「おおっ」と感嘆の声を上げることでしょう。スニーカーで登ってきた若い女の子の二人連れも、頂上に着くなり「すごい!」「すごい!」と感動した様子でした。

私は、登る途中で顔見知りになった人から記念写真のシャッターを押すのを頼まれ、写真屋の息子なので、「いいですかぁ、行きますよ」「笑って下さい」「じゃあ、もう一枚行きます」などとサービス精神旺盛にやっていたら、「私もお願いします」「私も」とつぎつぎに頼まれて、さながら記念写真の係のようになりました。

頂上はあまり広くなく、それに頂上に設置されたベンチには、頂上にある2軒の茶屋がそれぞれ「営業用」の貼り紙をベタベタと貼ってあり、茶屋を利用しない登山客が勝手に利用すると叱られるらしいので(結構有名な話)、登山客たちは岩場に座って休憩したり弁当を食べたりしていました。

金時山は、国立公園の中にあるれっきとした国有地です。ベンチを設置したのは茶屋かもしれませんが、土地は茶屋の所有ではないのです。事情を知らない登山者が利用したからと言って、「叱る」などというのはおかしな話です。

私も岩場に座ってしばらく景色を眺めました。バスの中で昼食用のおにぎりを食べてしまったので、昼食がありません。登山口のバス停の前にコンビニがあるので、そこで買えばいいやと思っていたのですが、なんとコンビニは閉店していました。かと言って、頂上の茶屋で昼食を食べる気にはなりません。まわりでは持参した弁当を食べたり、ガスバーナーでお湯を沸かしてカップ麺を食べたりしていましたが、私は水を飲んで我慢しました。

金時山のいいところは若い登山者が多いということです。もちろん、中高年もいますが、ほかの山のように、中高年で溢れるという感じではありません。若い人がいると、なんだか華やいだ雰囲気に包まれ、いいなあと思いました。後半地味にきついところはありますが、大山などに比べたら間違いなく「初心者向け」の山と言えるでしょう。箱根観光のついでに、トレッキング感覚で登るのもありなのではないかと思いました。

しかし、今回の私の目的は金時山だけではありません。もうひとつの目的は、仙石原のすすきを見ることでした。

距離的には近いはずですが、すすきが群生する草原にどう行けばいいのかわらないので、地元の人に訊いたら、とても親切に教えてくれました。

企業の保養所などが並ぶ一帯をぬけると、目当ての草原が見えてきました。ただ、実際に行くとちょっとがっかりしました。この程度の草原なら、私の田舎にはいくらでもあります。それに、台風の被害を受けたのか、舗道の工事をしていたため、交互通行の車道の端を歩かなければならず、ゆっくりすすきを堪能することもできませんでした。観光客も少ないようで、午後2時すぎなのに、既に店じまいしている蕎麦屋もありました。

なんと言っても、箱根登山鉄道が運休している影響は大きいのです。すすきの草原にある「仙石高原」のバス停から小田原に降りて、小田原経由で帰ろうと思っていたのですが、まず道路の両側にあるバス停のどっちから乗るのかもわからないのでした。私は、サラリーマン時代、彫刻の森美術館を担当していましたので箱根にはよく来ていましたが、いつも車でしたのでバスにもケーブルカーにも乗ったことはないのでした。

バス停では10人くらいの人がバスを待っていました。日本人だけでなく外国人観光客もいました。でも、バス停の表示を見ると、どうも小田原方面とは違うようです。私は、道を渡って向かいのバス停に行きました。すると、そこに「強羅経由小田原行」の表示がありました。時間を見ると15分後に来るようになっています。横に屋根付きの待合所がありましたので、そこでバスを待つことにしました。しばらくすると、向かいのバス停に待っていた人たちも、道を渡ってこっちへやって来ました。大半は女性でしたが、彼女たちも「強羅経由小田原行」に乗りたいみたいで間違いに気付いたのでしょう。

そのうち、バス停に次々と人がやって来て20人くらいになりました。でも、時間になってもバスはやって来ません。10分すぎ20分すぎてもやって来ません。何台かやって来たのですが、「強羅経由小田原行」ではありません。

バスを待つ人たちは増える一方です。日本人のおばさんのグループも、しびれを切らして「おかしいよね」と言い出しました。

私は、「登山鉄道が運休しているので、強羅かどこかから代行のバスが出ているはずなんだけど、バス停にはそのことがまったく書いてないんでわからないんですよ」と言いました。すると、おばさんたちも「どうなっているの」「これじゃわからないわよ」と口々に言っていました。

「『強羅経由小田原行』のバスがあれば、直接小田原に行けるんじゃないかと思っているんですが、肝心の『強羅経由小田原行』が来ないんですよ」
「ホント、全然来ないじゃない」と憤慨していました。

そうこうするうちに、また行先不明の(よくわからない行先の)バスが来ました。私は、乗車口に行って、「路線バスの旅」の太川陽介のように(いや、見た目は蛭子さんか)、運転手に「小田原に行くにはどうすればいいんですか?」と訊きました。すると、運転手は、「二つ目のバス停で降りて、向かいのバス停で待っていれば宮城野営業所行きのバスが来ますので、それに乗って強羅駅か宮城野営業所で降りれば代行バスに乗り替えることができます」と言うではありませんか。

それで、私は、バス停で待っている迷える仔羊たちに向かって、「これに乗ればいいらしいですよ」と言いました。バスの中でも、おばさんパワーがさく裂して、「まったくどうなっているのよ」「ホントにわかりにくいわよ」「箱根登山バスって不親切よね」と口々に不満をぶちまけるので、バスの乗客たちはキョトンとした顔で、一同(その中には私も含まれる)を見ていました。

二つ目のバス停が近づいて来たので、私は車内に響き渡るような大きな声で、「次で降りますよ」と言いました。いつの間にか添乗員のようになっている自分がいました。バス停を降りると、「あっちですよ」と道路の反対側を指差して案内する始末です。私の後ろを20人くらいの多国籍の人間たちが、ゾロゾロ付いて道路を渡り、目指すバス停に向かっていました。

「こりゃ、バスガイドが持っているような旗が必要ですね」と冗談を言ったら、おばさんたちもゲラゲラ笑っていましたが、それでも冷静に、「でもね。道の反対側のバス停だとまた来た道を引き返すことになるんじゃないの?」と言うのです。言われてみればそうです。「まったくわけがわかんない」「どうなっているの」と再びおばさんパワーがさく裂していました。

しかし、バスは引き返すわけではなく、途中で違う道に曲がったのでした。そして、九折の山道をしばらく走ると強羅に着きました。強羅に着くと、バスの運転手が、「箱根湯本や小田原に行くのなら、宮城野営業所の方が代行バスが多く出ていますので、宮城野営業所まで行った方がいいですよ」と言うのです。それで、宮城野営業所まで行くと、そこから代行バスが始発で出ており、やっと小田原まで降りることができたのでした。

日本人でも戸惑うくらいだから、外国人観光客たちは余計そうでしょう。おばさんたちが言うように、バス停に代行バスの案内がまったく出ていないのには、呆れるばかりでした。

バスに乗っていた外国人観光客の中では、アジア系の若者、それもカップルが目立ちましたが、彼らを見ていると、日本の若者たちより全然マナーがいいのでした。おばさんたちがバスに乗ると、次々と席を立って席を譲ろうとするのです。おばさんと言っても50~60代で、席を譲る対象の年齢ではありません。

また、バスでは「車内での飲食はまわりの迷惑になりますので、ご遠慮ください」というアナウンスが数か国語でくり返し流されていました。でも、そんなアナウンスにお構いなしにバリバリお菓子などを食べているのは日本人の若者ばかりで、外国人観光客は誰ひとりものを食べている人間はいませんでした。それどころか、気の強そうな女の子は、口をもぐもぐさせている日本人の若者を睨みつけていました。

「ニッポン凄い!」と自演乙している間に、経済的にアジアの国からキャッチアップされ、さらに品格やマナーの点でも、アジアの同世代の若者から軽蔑の眼差しで見られるまでになっているのです。日本に観光旅行にやって来て、箱根観光を満喫しているアジアの若者たちは、少なくとも日本の平均的な若者たちより豊かであるのは間違いないでしょう。衣食足りて礼節を知っているのは、むしろ彼らの方なのです。それは、「ニッポン凄い!」の人間たちには見たくない現実かもしれません。

帰りのバスに気を揉んでウロウロしたことですっかり疲れてしまいました。金時山より疲れました。このところ、丹沢の表尾根に金時山と人気の山に行きましたので、今度は誰にも会わないような山行をしたいと思いました。そして、もっとのんびり山を歩きたいと思いました。


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草原の風景の思い出


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2019.11.08 Fri l 山行 l top ▲
今週の水曜日、丹沢の表尾根に行きました。ただ、バスを利用してヤビツ峠から登ったので、塔ノ岳まで行くには時間的に厳しく、途中の烏尾山(からすおやま)で引き返しました。そして、三ノ塔から尾根を下って秦野戸川公園に降りました。

近所の人も、夏にヤビツから登ったけど、思った以上に時間がかかって帰りは夜になり、「遭難するかと思いましたよ」と言ってましたが、たしかに塔ノ岳は表尾根を歩いていくつかピークを越えなければならないので、標準タイムでも7時間近くかかるのでした。

途中で会ったソロの女性も、以前登ったとき、やはり烏尾山までしか行けなかったので、今回は山小屋に宿泊する予定で来たと話していました。

車で来て、早朝から登りはじめれば日帰りは可能ですが、バスだとよほどの健脚でなければ、どうしても時間切れになってしまうのです。まして、これからの季節は日が短いので、よけい行動時間が限られてしまいます。

ただ、塔ノ岳だけでなく、途中のピークにはそれぞれ宿泊できる小屋があるし、三ノ塔にも新しく避難小屋ができていましたので、たとえ時間切れになっても緊急に泊まることは可能です。

早朝5時半すぎに自宅を出ましたが、東急東横線・JR横浜線・小田急線と乗り換えて、秦野駅に着いたのは7時半すぎでした。秦野駅からヤビツ峠までは、バスで30分かかります。ヤビツ峠行きのバスは、平日は午前と午後の二便しかありません。つまり、行きと帰りが一便づつしかないのです。

秦野駅前のコンビニで買い物してバス停に向かったら、既に20人くらいが並んでいました。しかも、前の方にはザックが10個くらいまとめて置かれているのです。あとでわかったのですが、ザックは中高年の登山サークルの人たちのものでした。つまり、場所取りをしていたのでした。

しかも、あとから来たメンバーに向かって、「こっち」「こっち」と言ってどんどん割り込ませるのでした。私は、よほど注意しようかと思いましたが、後ろには外人もいたし、これから山に行くのに気まずい空気になるのも大人げないと思ってぐっと我慢しました。

恐らく丹沢をホームグラウンドにする人たちなのでしょう。近所の人も、塔ノ岳をホームグラウンドにする中高年のグループがいくつもあって、「我が物顔でどうしようもないんだよ」と言ってましたが、これがそうなのか思いました。

そのあともいくつかのグループ(団体)がやって来て、出発間際になると80人くらいが並びました。そのため、臨時バスが出て、午前便は2台運行することになりました。

バスに乗るのも、さながら通勤電車の椅子取りゲームのような様相を呈していました。山の中では「こんにちわ」と挨拶するので、みんな「いい人」に見えるのですが、図々しい人間はどこに行っても図々しいのです。山にも泥棒はいるし、痴漢だっているのです。中には、ナンパ目的で登山サークルに加入するおっさんだっているそうです。加入時の確認事項として、ナンパ目的についてわざわざ注意書きしているサークルもあるくらいです。

私は、幸い最後部の座席に座ることができたのですが、6人ぎっしり座っていたにもかかわらず、横に座っていた登山サークルのおばさんたちが、ほかのおばさんに「あと一人くらい座れるよ、詰めれば大丈夫よ」などと言って、勝手に座らせたのでした。

私は人一倍身体が大きいので、身動きひとつできず窮屈でなりませんでした。しかも、隣のおばさんからは、洗濯物の生乾きの臭いが漂ってきて、なんだか罰ゲームに遭っているようでした。

ふと、隣のおばさんのザックのサイドポケットを見ると、アミノバイタルのドリンクが入っているのに気付きました。おそらく百名山かなんかのツアーに参加した際にガイドから配布され、アミノバイタル信者になったのでしょう。

私は、底意地の悪さを抑えることができず、「アミノバイタルって効果あるんですか?」と尋ねました。おばさんは、ちょっと戸惑った表情を見せながら、「結構、効きますよ」と言っていました。

私は、下記の『選択』の記事を読んだばかりなので、「へぇ、そうですか。効果に科学的な確証はないそうですよ」「トクホ以下だという話さえあるそうですよ」と言いました。すると、おばさんは嫌な顔をしてそっぽを向いてしまいました。

『選択』
「アミノ酸」神話に騙される日本人

ヤビツ峠からは、表尾根に向かう人と大山に向かう人に分かれます。また、表尾根へも二ノ塔と塔ノ台経由で向かう人に分かれます。

ただ、二ノ塔のルートが圧倒的に多く、登山サークルの団体の多くも二ノ塔に向かうみたいです。私も二ノ塔に向かうのですが、団体が一緒だとソロで来た意味がないので、みんなが出発するまでベンチに座って時間を潰しました。

隣に座っていた中年の男性に、「今日は人が多いですね」と言うと、「ホントに、びっくりしましたよ」と言ってました。

「表尾根の方ですか?」
「いや、大山です。表尾根に行きたいんですが、今日は親父の付き添いなので大山に行きます」

私は、子どもの頃、父親と山に登ったときのことを思い出しました。そのときの思い出が今も心に残っているので、こうして山に来ているようなものです。

「お父さんが一緒なんですか。それはいいですね」
「もう80を超えているので一人で山に行かせるわけにはいきませんからね」と言ってました。

話をしていると、トイレに行っていたお父さんがやって来ました。「息子さんと山に登るなんて、いいですね」と言うと、「登れるかどうかわかりませんよ。それに、もしかしたらこれが最後の登山になるかもしれないし」と言いながら、嬉しそうに笑顔を見せていました。そして、「お先に」と言って、二人で大山に向けて登山道を登りはじめたのでした。

バスも出発して、峠には誰もいなくなったので、私もそろそろ出発しようと、トイレに行きました。ヤビツ峠に常設されていたトイレは、台風による停電で使用できず、代わりに工事現場にあるような仮設のトイレが設置されています。

私は、トイレに入ると、思わず「ゲェー」となりました。便器の中は紙があふれ、異臭が充満しているのでした。こんなところでよく用を足すなと思い、あわてて外に出ました。そして、小便なら山の中ですればいいやと思ったのでした。

それ以来、食事のときに、ヤビツのトイレの光景が目の前に浮かんで来るのでした。子どもの頃、カレーライスが出ると、どうしても人糞を思い浮かべる変な癖がありました。思い出したらいけないと自分に言い聞かせるのですが、言い聞かせれば言い聞かせるほど思い出されるのでした。それと同じフラッシュバックに未だ苦しめられています。

二ノ塔への登山道は、アスファルトの林道を30分くらい歩いた先にあります。ずいぶんゆっくりしたつもりだったのですが、登山道に入ってしばらく歩くと、前を行く団体が見えてきました。30人くらいのあの登山サークルの団体です。「これはまずい」と思って、立ち止まり、写真を撮ったりして時間を調整しました。

ところが、さらにしばらく行くと、団体の中から5~6人のおばさんたちが遅れはじめたのでした。その中には、バスの中で横に座っていたおばさんもいました。先行部隊はおばさんたちを置き去りにして、前に進んでいました。私は、「最低のパーティだな」と思いました。バス停の態度を思い出し、やっぱりと思わずにはいられませんでした。

仕方ないので、おばさんたちを追い抜くことにしました。「すいません。お先に」と愛想を振りまいて通り過ぎながら、心の中では「アミノバイタルの効果はなかったみたいだな」と悪態を吐いている自分がいました。

二ノ塔から三ノ塔は、想像以上に荒れていました。と言って、台風の影響で荒れているのではありません。人跡で荒れているのです。考えてみれば、高尾山と並ぶ人気の山なので、荒れるのも当然かもしれません。二ノ塔から三ノ塔に向かう尾根道が、台風で崩落していましたが、あんなに踏み固められれば崩落するのも当然だろうと思いました。

表尾根の風景はたしかに見ごたえがありましたが、登山道が荒れていたので、なんだか痛々しささえ覚え、登山の楽しみが半減しました。

丹沢名物の“階段地獄”も、荒れた山にさらに屋上屋を架すようなものでしょう。もちろん、階段の設置も、多くはボランティアの手によるもので、「いつも整備していただいてありがとうございます」と登山者が言う気持もわからないでもありません。

しかし、階段は、歩きやすくするためというより、道が踏み固められることで水はけが悪くなり、土砂が雨で流されるので、それをせき止める役割の方が大きいのです。言うなれば、“階段地獄”はそれだけ山が荒れている証拠でもあるのです。

折しも、『週刊ダイヤモンド』(10/5号)に、「登山の経済学」という記事が掲載されていますが、その中では、登山道の多くが国立公園の中にあるにもかかわらず、その整備が山小屋や登山愛好家の有志によって支えられているお寒い現状が報告されていました。

ダイヤモンドオンライン
日本の山が危ない 登山の経済学

私たちが登る山のほとんどは、国立公園や国定公園(あるいは県立公園)の中にあります。しかし、国や自治体は、登山道の整備などにあまり予算を割くことはなく、民間任せになっているのが現状です。記事では、アメリカとイギリスの代表的な国立公園と比較して、「人も金も制度もない日本のお寒い実情」と書いていました。

その結果、大山のように、「初心者向け」と言いながら、「転落事故が多く発生しています」と警察から警告が出されるような山も多いのです。そして、事故があっても「自己責任」で済まされるのです。ヤビツ峠のトイレのお粗末さなども、そんな山の現状を象徴しているように思います。

でも、山に行く人たちは、それでも「ありがたい」と感謝するしかないのです。山に行くなら感謝しなければならないと強要されているような感じすらあります。

山小屋も、今や風前の灯だそうです。北アルプスの山小屋に物資の運搬を請け負っているヘリコプターの運行会社は、今や1社しか残ってなく、今後の新規参入も見込めない状態なのだとか。そのため、今年の夏、機体の修理で一ヶ月間運行が途絶えたら、界隈で営業する40軒の山小屋は食料不足で”孤立”する事態になったそうです。

この近辺で言えば、頂上まで行くのに時間がかかる塔ノ岳や雲取山などでは、山小屋はなくてはならない存在です。でも、その経営は、山好きの篤志家の善意に支えられているのです。

(略)山小屋がが本来国が直接管理すべき公園での公共機能を事実上代行していることに対して、行政の支援はほぼないに等しい。(略)環境省は「山小屋が公共的に必要な存在だとの国民全体の認識がなければ行政支援には理解が得られない」(熊倉基之国立公園課長)とするスタンスを崩さない。
(同上記事)


そもそも国立公園と言っても、国が所有するのは60パーセントに過ぎず、残りは民間の所有だそうで、その現実にも驚きました。

私は、富士山だけでなく、欧米のように、どこの山でも入山料を徴収すればいいんじゃないかと思います。そして、国や地方自治体の責任で、登山道を誰でも安心して歩けるように整備すべきだと思います。ひいてはそれが植生を守ることにもなるのです。

小泉武栄著『登山の誕生』(中公新書)によれば、日本は世界有数の登山大国だそうです。アメリカやフランス、ドイツ、イギリス、イタリアなど、登山用具のメーカーでもおなじみの登山が盛んな国でも、頂上をめざして登るクライマーはごく一部で、あとは登山鉄道や登山道路で山の上まで行き、山の中を歩いて楽しむハイキングやトレッキングのスタイルが大半なのです。

ヨーロッパでは、200年以上前までは山は「悪魔の棲家」と思われていて、「山に住むスイスやチロルの人々は、偏見や差別にさらされていた」そうです。だから、ヨーロッパから輸入された登攀思想には、「征服」や「撤退」など軍事用語が並んでいるのでしょう。

一方、日本では、弥生時代から山には神が住むと信じられ、山岳信仰がはじまったと言われています。稲作=農耕社会にとって大事な雨乞いと山の信仰が結び付いた「雨乞山」などは、その代表例でしょう。

日本では登山(クライミング)とハイキングやトレッキングがごっちゃになっていますが、どうして日本はハイキングやトレッキングではなく、登山がこれほど普及したのかについて、『登山の誕生』でもいろんな理由があげられていました。

しかし、私は、自分の経験から、『登山の誕生』ではぬけている理由があるような気がしました。それは、日本人の体格です。日本人の体格が登山に向いているという点も大きいように思います。

私は、身長が185センチで体重が83キロですが、私と同じような大男と山で遭遇することはめったにありません。有名な登山家でも、大半は身長が160センチ台で、体重も60キロ台です。競馬の騎手と同じで、登山の場合、体重が軽い方が有利なのです。私の場合、他人より10キロ以上重い荷物を背負って山に登っているようなもので、山に登るには不利な体格なのです(と、山でよく言われる)。

『週刊ダイヤモンド』の記事にあるように、何度かのブームが去り登山人口が減少に転じた中で、登山者が中高年と山ガールに二極化された現在、登山を取り巻く環境が大きく変わろうとしているのは事実でしょう。

それを考えるとき、私は、山ガールの存在は大きいのだと思います。今の中高年登山者たちは、(自分も含めて)早晩足腰が立たなくなり、山に行けなくなるでしょう。彼らは、子どもの頃、親と山に登った記憶で再び山に登り始めた人が多いのですが、山ガールたちはそういった”記憶の継承“とは無縁です。もちろん、ヨーロッパから輸入された登攀思想とも無縁です。だからこそ、山ガールたちが、日本にハイキングやトレッキングの新しい山の文化をもたらす可能性があるのではないかと思うのです。

そうなれば、投資ファンドからヨドバシカメラに売られた石井スポーツや、同じように投資ファンドに買収されて上場廃止になり、ゆくゆくはユニクロかワークマンに売られるのではないかと噂されている好日山荘なども、従来の商売のスタイルから根本的に脱却することを迫られるでしょう。

私は、ヤマレコの登山アプリを使っていますが、紙の地図とコンパスも、登山雑誌などが言うほど必要ではなくなってきました。一応、紙の地図とコンパスは持って行きますが、もしスマホの電池が切れたらとかスマホが壊れたらとか、そんな理由でわざわざ千円もする山と高原地図を買って持って行くほどの必要性は正直感じません。実際に、若い人の中には紙の地図を持ってない人も多いのです。登山アプリのほかに、ネットの登山関連のサイトからダウンロードしたルート図を持っている人が多いようです。

今のような山の現状が続くなら、せっかく山に興味を持った山ガールたちも、山にそっぽを向いてしまうでしょう。あんなトラウマになるようなヤビツ峠のトイレなど、もってのほかです。「山ってそんなもんだよ」「トイレがあるだけありがたいよ」とおっさんたちは言いますが、そんなおっさんたちがいなくなったら(それはもうすぐです)、あとはいいように踏み荒らされた無残な山が残るだけなのです。


2019年10月30日表尾根1
ヤビツ峠

2019年10月30日表尾根2
売店は閉店

2019年10月30日表尾根3

2019年10月30日表尾根4

2019年10月30日表尾根5

2019年10月30日表尾根6
大山

2019年10月30日表尾根7
二ノ塔

2019年10月30日表尾根8
向こうに見えるのが三ノ塔

2019年10月30日表尾根9

2019年10月30日表尾根10
二ノ塔と三ノ塔の間にある崩落場所

2019年10月30日表尾根11
三ノ塔

2019年10月30日表尾根12
三ノ塔から烏尾山を望む

2019年10月30日表尾根13
丹沢の山々

2019年10月30日表尾根14
三ノ塔全景

2019年10月30日表尾根15
同上
2019.11.02 Sat l 山行 l top ▲
先週と今週山に行きました。山行に関しては、自分にとってこのブログが備忘録のようになっていますので、遅くなりましたが、先週の山行について書いておきます。

余談ですが、ブログというのは、他人(ひと)から読まれることだけを目的に書いていると、これほど空しいものはありません。前に山で会った高齢の女性は、10年以上山行を中心にしたブログを書いていたけど、最近、ブログをやめたと言っていました。

「いつの間にかブログを書くために山に行っているような感じになって、ブログが負担に思えてきたんですよ。記録を残すだけなら、日記でいいじゃないかと思ったんです」と言ってましたが、女性の気持はわからないでもありません。ブログが自己顕示欲と承認欲求を伴ったものであるというのは否定すべくもない事実で、本末転倒や自己嫌悪はその反動なのかもしれません。

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先週の21日に埼玉の山に行きました。台風19号で関東の山も大きな被害を受けたのですが、ネットで情報を収集した結果、以前登った秩父市と横瀬町の境にある丸山のピストン(行きと帰りが同じルートの意)だったらどうにか山行が可能の様子でした。

以前登ったとき、帰りに歩いたルートは案の定、崩落して「通行禁止」になっているようです。私はピストンは好きではないのですが、この際仕方ありません。丸山に登ろうと早朝の西武池袋線に乗りました。

ところが、飯能から秩父線に乗り換えたあと、睡魔に襲われいつの間にかウトウトしてしまったのでした。丸山の最寄り駅は「芦ヶ久保」です。

夢の中で「芦ヶ久保」「芦ヶ久保」というアナウンスが聞こえてきました。私は、目を覚ますとあわてて電車を降り、改札口を出ました。西武秩父線の駅は、どこも山の中腹にあり、駅舎も周辺の風景もよく似ています。どこの駅からも坂道や階段を下って、秩父・飯能間を走る国道299号線に降りなければなりません。

私は、駅前(と言ってもなんにもない)の坂道を下りながら、あたりを見回しましたが、どうも前に降車した「芦ヶ久保」駅と違うような気がしたのでした。それで、はっとしてホームの方を振り返りました。すると、「吾野」という看板が目に入ったのでした。「吾野」は「芦ヶ久保」の三つ手前の駅です。

「やってしまった」と思いましたが、でも、もう仕方ありません。西武秩父線は、1時間に2本しか電車がないので、駅に戻って次の電車を待つと、大きな時間のロスが生じてしまいます。このまま適当に山に入ろうと思いました。

前に熊に遭遇したルートを通って上の峠に行くことにしました。台風被害の情報がないので、通行可能かどうかわかりませんが、とりあえず行き当たりばったりで行くしかありません。

国道を越え、さらに林道を外れて登山道に差し掛かると、目の前には以前とは見違えるような光景が現れました。登山道が雨に流された石や倒木で覆われていたのでした。「エエッ、これを登るのか?」と思いましたが、登るしかありません。まだ、水が滲みだしている登山道を、まるで岩登りのように両手を使って登って行きました。しかし、しばらく登ると、道は斜面を巻くようになりましたので、歩きやすくなりました。途中、何度か倒木を乗り越える必要がありましたが、そのあとは峠まで順調に登ることができました。峠の下にある集落の住人に訊いたら、こっちの斜面はそんなに被害がなかったけど、反対側は被害が大きく、林道も通行止めになっていると言っていました。

顔振峠から傘杉峠に向かうと、やっぱり傘杉峠から黒山三滝に降りる道は「入山禁止」になっていました。さらに林道も「通行禁止」になっており、これ以上奥には行けません。そうなれば、前に関八州に登ったルートを進むしかありません。再び荒れた急登を登りました。

途中、通過した林道では、市役所の人が土砂や倒木の撤去作業をしていました。また、ボランティアの人が作業をしているところもありました。幸いにも、住人が言うように西武線の方向は被害が小さかったみたいで、関八州・高山不動を経て再び吾野駅に戻ることができました。

山を下りると、林道の脇には川が流れているのですが、対岸の斜面では台風の爪跡が至るところで見られました。斜面が抉られ、山の中から滲み出した雨水がその中を伝って、谷底の川に流れ込んでいるのでした。

途中すれ違ったのは3人だけでした。やはり、台風直後の山に来るようなもの好きは少なかったみたいです。行き当たりばったりで歩いたので、歩行距離は10キロを超え、歩数も3万5千歩を超えました。


2019年10月21日山行1
登山道の入口

2019年10月21日山行2
同上

2019年10月21日山行3

2019年10月21日山行4

2019年10月21日山行5

2019年10月21日山行6

2019年10月21日山行7

2019年10月21日山行8

2019年10月21日山行9
仕方ないので、関八州(花立松ノ峠)に向けて登って行きます。

2019年10月21日山行10
土が流されて岩が剥き出しになっていました。

2019年10月21日山行11
いったん林道に出ました。カーブミラーも土砂で埋まっていました。

2019年10月21日山行12

2019年10月21日山行13

2019年10月21日山行14

2019年10月21日山行15

2019年10月21日山行16
斜面が川みたいになっていた。

2019年10月21日山行17
2019.10.31 Thu l 山行 l top ▲
先日(10月21日)、東京地裁で、大麻取締法違反の罪に問われた田口淳之介被告と小嶺麗奈被告に対する判決公判が開かれ、それぞれ懲役6ヶ月執行猶予2年の判決が言い渡されました。

判決は、当初7月30日の予定でしたが、検察側の請求でこの日に延期されたのだそうです。と言うのも、関東信越厚生局麻薬取締部(マトリ)が、二人の住居を捜索した際に撮影した映像をフジテレビに提供していたことが判明したからです。さすが権力と密通した右派メディアという感じですが、そのため、押収物の証拠能力に問題がないか調べていたということでした。

小嶺被告の弁護士は、映像をメディアに流したマトリを国家公務員法違反(守秘義務違反)で刑事告発しているそうですが、素人が考えても、マトリの行為は法の下の平等を著しく逸脱しており、押収物の証拠能力に疑義が生じるのは当然でしょう。

まさに、ここには、芸能人の薬物事件や「所得隠し」などにおける、当局とメディアがタッグを組んでおこなわれるキャンペーンの、そのカラクリが露呈しているのでした。そして、ターゲットになったら最後、芸能人はメディアによってあることないこと書き立てられ、血祭りに上げられるのでした。

公判で、二人の関係について問われた小嶺被告は、前にプロポーズされたことを明かし、できれば結婚したいと答えたのですが、するとメディアは、「仰天!法定プロポーズ」などと書き立てる始末でした。

エキサイトニュース
小嶺麗奈、田口淳之介への「法廷プロポーズ」に寄せられた“失笑と懸念”

これなどは、「嫌韓論」と同じで、大衆の負の感情を煽る、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式の報道と言えるでしょう。

田口被告や小嶺被告だけではありません。今メディアを賑わせているチュートリアルの徳井義実の「所得隠し」も然りです。徳井は、まるで“非国民”扱いです。天邪鬼の私は、これも年末調整や確定申告の時期を控えた“いつもの光景”にしか見えませんが、芸能マスコミはここぞとばかりに国税がぶら下げたエサに飛びつき、“徳井叩き”に狂奔しているのでした。

マトリや国税にとって、みずからの存在価値をアピールする上で、芸能人は格好のターゲットです。と同時に、国民に対して一罰百戒の見せしめの効果を持つ一石二鳥の美味しいターゲットでもあるのです。

また、「オレたちはきちんと納税しているのに(ホントか?)、あんなにお金を稼いで贅沢な生活をしている人間が税金を払わないなんてけしからん」という大衆の下劣な嫉妬心を煽り、大衆の中にある重税感にカタルシスを提供するのも国税のいつものやり方です。

メディアは、徳井が2億円だかの「高級マンション」を買ったので、「所得隠し」が発覚したのではないかと言ってますが、そんなカマトトな話はないでしょう。国税からのリークであるのは、誰の目にもあきらかでしょう。

徳井のようなことをやっていたら国家が成り立たないと書いていたメディアがありましたが、そうやって「国家への帰順」が声高に叫ばれ、大衆へ向けた一罰百戒の暗黙の“脅し”がおこなわれるのでした。

でも、私自身も、平均年収のはるか下の「貧困」のボーダーラインに近い収入しかないにもかかわらず、単身所帯ということもあって、いわゆる租税公課が総収入の40%以上にもなる重税感に苦しんでいますが、だからと言って、世間の人間たちのように、徳井に嫉妬して正義感に怒り狂うというようなことはありません(公務員の高待遇や税金の無駄使いには怒りを覚えますが)。他人の「所得隠し」なんてどうだっていいのです。むしろ、徳井の「想像を絶するルーズさ」に親近感さえ抱くほどです。

徳井の「所得隠し」に怒る人々は、国家に踊らされているだけの文字通りの”踊るアホ”なのですが、彼らにそういった自覚はないのでしょう。それが彼らを”衆愚”と呼ぶゆえんです。全体主義は正義と道徳の仮面を被ってやって来ると言った人がいましたが、ただ水に落ちた犬を叩いて喜ぶカタルシスを与えられているだけなのに、まるで国家を代表しているかのような正義感を抱いて、徳井に悪罵を浴びせる愚さと怖さを考えないわけではいかないのでした。


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2019.10.29 Tue l 芸能・スポーツ l top ▲
朝日新聞の「耕論」が、今メディアを覆っている「嫌韓論」を取り上げていました。メディアの「嫌韓論」は、まさに坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式にエスカレートするばかりで、常軌を逸した感さえあります。

朝日新聞デジタル
(耕論)嫌韓論の正体 鈴木大介さん、安倍宏行さん、木村幹さん

曺国(チョ・グク)法相の家族を見舞ったスキャンダルは、韓国の歴代政権の周辺ではよくある「おなじみの話」で、言うなれば“恒例行事”のようなものです。起訴権だけでなく捜査権も独占する韓国の検察は、そうやって自分たちの“省益”に背く政治家たちを追い落として、“国家内国家”のような、文字通り検察ファッショとも言うべき巨大な力を持つようになったのでした。そんな民主主義国家にあるまじき検察の巨大権力は、軍事独裁政権時代の残滓でもあるのです。

検察改革の急先鋒であった曺国(チョ・グク)法相は、家族のスキャンダルによって、僅か35日で辞任に追い込まれたのですが、日本のメディアは、辞任の本質に触れることなく、ただ文在寅大統領に対して「ざまあみろ!」と罵声を浴びせるばかりでした。文在寅政権が取り組む検察改革についても、正面から取り上げる姿勢など皆無でした。

どうしてこんな、「事実に基づかず、隣国を面白おかしく叩(たた)く」痴呆的な「嫌韓論」がメディアに蔓延しているのか。神戸大学教授の木村幹氏は、次のように分析していました。

 以前は中国、北朝鮮、韓国の3カ国が「反日トライアングル」と呼ばれていました。しかし中国については、相手の国力の方が強くなり、攻撃が消えました。北朝鮮についても「日本が叩けば相手が折れるはず」との想定が外れ、効果がないことが分かると、あきられてしまいました。

 韓国だけが残っているのは「日本が叩けば折れるはず」といまだに思っているからでしょう。韓国をさげすむ言説の裏に見えるのは「日本は(韓国とは違って)先進国だ」と自負したい心情です。アジア最大の経済大国という地位を失い、中国に抜かれた日本にとって、いまや「追い抜かれたくない国」の代表が韓国でもあるのでしょう。


日本のメディアは、韓国が日本政府の制裁措置で、経済的に苦境に陥っているかのように言い立てています。まるで、日本から兵糧攻めに遭っているかのように妄想するのでした。そして、韓国政府が、本音では「折れたがっている」、「ごめんなさい。許して下さい」と謝りたがっているかのように言うのです。でも、それは、あくまで「そうだったらいいなあ」という希望的観測にすぎません。

木村氏が言うように、今や韓国は世界12位の経済大国です。しかも、対外貿易額の中で、日本が占める割合は僅か7%にすぎません。日本人が思っているほど(寝ても覚めても「韓国が・・・・」「韓国が・・・・」と言っている人たちには、信じたくないことかもしれませんが)、韓国にとって日本は、貿易が停滞して困るような相手ではないのです(なくなっているのです)。

今年の4月、経団連の研究機関が,日本の1人当たり国内総生産(GDP)が2030年までに韓国に抜かれるという長期予測を発表して話題になりましたが、韓国に追い抜かれて先進国から転落するかもしれないという焦りが今のような痴呆的な「嫌韓論」に向かっているというのは、その通りかもしれません。

私は、ラグビーも好きで、(このブログでも書きましたが)国立最後の早明戦も観に行ったほどですが、しかし、今のワールドカップでの、ラグビーに関係のないことまでも、世界中のラグビーファンから称賛されリスペクトされているというような「ニッポン凄い!」の報道には、さすがにうんざりさせられます。逆に、ワールドカップに対して興ざめするほどです。台風の被害に遭った人々が、日本代表から「元気」をもらった(日本代表が「元気」を与えた)などという報道には、何をか言わんやです。そういった「ニッポン凄い!」の自演乙も、坂を下る国の焦りから来ているように思えてなりません。やたら「元気」や「勇気」をもらいたがっている(与えたがっている)ような報道も、自信のなさの表れなのかもしれません。

また、「耕論」では触れられていませんが、安倍政権が元徴用工裁判の報復のために、輸出管理の厳格化の制裁措置をとった途端に、「嫌韓論」が再燃しメディアを覆うようになったという事実も忘れてはならないでしょう。「嫌韓論」には、そういった翼賛報道の側面もあるのです。むしろ、そっちの方が日本にとって大きな問題と言えるでしょう。


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2019.10.19 Sat l 社会・メディア l top ▲
8月に茨城の常磐道で発生したあおり運転と暴行事件では、同乗していた「ガラケー女」に間違われた女性が、Twitterや2ちゃんねるなどで身元を晒され、”ネット自警団”から電凸などの攻撃を受けるという事件の”余波”がありました。しかし、それは、本体の事件以上に深刻な問題をはらんでいるとも言えます。女性は、後日、記者会見を開き、名誉侵害と業務妨害で法的措置を講ずることを言明したのでした。

その後の報道がありませんので、法的措置がどうなったのかわかりませんが、考えてみれば、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」を中止に追いやった電凸も、それと似たような話なのです。それどころか、電凸した”ネット自警団”のかなりの部分は重なっているような気さえします。ところが、メディアには、そういった見方は皆無なのでした。どうして、大衆社会が“衆愚社会”の謂いであるという当たり前の事実を伝えようとしないのかと思います。

それどころか、ワイドショーやスポーツ新聞など既存のメディアを通して、”ネット自警団”の”歪んだ正義”が拡散している現実すらあるのです。それこそ、(何度も言うように)「旧メディアのネット世論への迎合」(大塚英志)による「水は常に低い方に流れる」現実と言うべきでしょう。

余談になりますが、「表現の不自由展」の再開をめぐって、河村たかし名古屋市長はネトウヨと一緒に抗議の座り込みをしたのですが、彼はもともと愛知を最大の基盤としていた旧民社党の流れを汲む民主党系の国会議員でした。彼もまた、林文子横浜市長と同じ旧民主党の“負の遺産”と言っていいでしょう。

今の立憲民主党も国民民主党も、そういった“負の遺産”を引きずったままです。立憲民主党や国民民主党が野党だというのは幻想にすぎません。仮に野党だとしても、間違っても自民党の対抗軸なんかではありません。あり得ないのです。

「表現の不自由展」の問題に、嫌韓だけでなく、天皇制タブーが伏在しているのは言うまでもないでしょう。天皇制タブーと天皇制を絶対視する愛国(国粋)主義は表裏一体です。天皇制タブーと愛国(国粋)主義を切り離して論じるなど、そんな都合のいいことが成り立つわけがないのです。にもかかわらず、左派リベラルは、天皇制タブーをそのままにして、アクロバティックに戦後民主主義を論じてきた(弄んできた)のでした。

今年の8月、初代の宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりなどを記した「拝謁記」が公開され話題になりましたが、その中で昭和天皇は、戦後も再軍備の必要性を主張し、沖縄の基地問題についても、「全体の為」に「一部の犠牲」は「已むを得ぬ」と明言しているのでした。

そういった昭和天皇の発言は、白井聡氏が『永続敗戦論』で書いていたように、共産革命によって「国体」が瓦解し消滅することを怖れた1945年2月の近衛上奏文の考えに沿ったものと言えるでしょう。要するに、「革命より敗戦がまし」(歴史学者・河原宏氏)という降伏の英断の考えが、戦後も貫かれているのでした。

もとより、前も書きましたが、「田植え」や「養蚕」などの皇室行事や、皇室=神道の(ホントは儒式借用の)祭祀なども、豊葦原瑞穂国=”日本“という「想像の共同体」を仮構し、”国民“意識を創出するために、明治になって創られた「伝統」に過ぎないのです。

でも、多くの左派リベラルは、そういったことには触らぬ神なのです。それどころか、天皇制タブーを前提に、戦後憲法の橋頭保としての”平和天皇”のイメージさえねつ造しているのでした。虚妄の戦後を演じているのは、右派だけでなく、左派リベラルも同じなのです。


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2019.10.14 Mon l 社会・メディア l top ▲
おととい、また山に行きました。前に行った越生の黒山三滝から傘杉峠に登り、それから関八州に登って、西武秩父線の西吾野駅に降りました。休憩を入れて5時間あまりの山行で、トータルの標高差は760メートル、総距離は9キロ弱、歩数は2万7千歩でした。

前回と同じように越生駅からバスに乗ったのですが、私の前の席に50がらみの登山の恰好をした女性が乗っていました。彼女も終点の黒山で降りたのですが、私はひとり先を行き、傘杉峠に向けて登り始めました。ところが、途中で息が上がり休憩していたら、あっさり女性に抜かれてしまいました。山登りのコツを会得しているかのように、一定のペースで一歩一歩堅実に登りつづける姿が印象的でした。

ヘロヘロになって峠に辿り着いたら、女性はベンチで休んでいました。物静かで大人しい感じの女性でしたが、聞けば、私が以前埼玉に住んでいたときの駅と同じ駅の反対側に住んでいるそうで、それから話が弾みました。

「いつから山に登っているんですか?」と訊いたら、「若い頃に登っていたんですけど、また山に行きはじめたのは去年くらいからですよ」と言ってました。

「若い頃は本格的にやっていたんですか?」
「本格的じゃないけど、北アルプスにも登ったことがあります。でも、今、考えれば夢みたいな話ですね。もう一度行ってみたいけど、もう無理ですね。来週、箱根の××山のツアーを申し込んでいるんですけど、みんなに付いていけるか不安になって、トレーニングに来たんですよ」
「全然大丈夫ですよ。私を追い抜いて行ったじゃないですか」

「みんな、どうして途中で山に行くのをやめるんですかね?」
「仕事や子育てで山どころではなくなるからじゃないですか。でも、山に行ってた頃の思いはずっと残っているので、歳を取って一区切りが付いたらまた足が向かうんじゃないかな。やっぱり、山に行くと自分と向き合うところがあるじゃないですか。それと、苦しくてもあの上に行くと見たこともない風景があると思うと、なんとか頑張って行きたくなるんですよ。達成感ってそういうことじゃないかな」

女性が「お先に」と言って別のルートから降りていったあと、背後の山から年配の男性が降りてきました。

年齢は77歳だそうですが、今年の夏、富山県の折立(?)から薬師岳・黒部五郎岳を経て、岐阜県の新穂高温泉まで、二泊三日で縦走したのだそうです。また、上高地から焼岳にも登ったのだとか。

「77歳で? すごいですね」
「埼玉に住んでいるおかげですよ。近くに山があり、トレーニングができるので、そのおかげでなんとか登れるんですよ」
「毎週、来ているんですか?」
「一応、週一来るように決めていますけど、なかなか難しいですね」
「体力を付けるには、やっぱり山に来ることが一番ですかね」
「そうですよ。山に来ることです。どんなに低い山でも、山を歩くことが何よりのトレーニングですよ」
「山に行くようになったのは若い頃からですか?」
「いや、若い頃は何度か行った程度で、本格的に行き出したのは定年になってからです。リタイアして暇にならないとそんなに行けませんしね。山に来ているのは暇人ばかりですよ。お宅みたいに仕事をしながら、山に来てる人って尊敬しますよ。まだ若いので、このまま山に来たらどんどん登れるようになりますよ」

「まだ若い」ということばに苦笑するしかありませんでした。「若い」なんて言われたのは何十年ぶりだろうと思いました。

「私の知っている人で84歳になる人がいるんですけど、その人は今年の夏に50代の女性を二人連れて、西穂から奥穂まで縦走したんですよ。ジャンダルムや馬の背も歩いたんですよ。凄いでしょ?」
「それは、凄いな。超人ですね」
「超人ですよ。そんな人もいるんです。私ももう北アルプスへ行くのはやめようと思っていたんですけど、その人に刺激されて行きました」

「でも、いいことばかりじゃないですよ。今年の夏も知り合いの60歳の女性が南アルプスで遭難して行方不明になり、未だ発見されてないんです。今までも知り合いが何人か亡くなっていますし。やはり、山に行くというのはリスクも大きいです」
「そうですね。さっきも女性の方と話をしていたんですけど、ひとりで山に行くと、事故や病気のときのリスクは大きいですよ。その方も転んで怪我をしたことがあると言ってましたが、私も先日怪我をしたばかりです」
「私もひとりが多いんですが、歳が歳なのでそういった心配は常にありますね」

私は、77歳の男性の話を聞いているうちに(それに、「若い」と言われたこともあって)、このまま帰るのは恥ずかしい気がして、男性が降りてきた関八州に自分も登って帰ろうと思いました。そして、男性が降りてきた登山道を逆に登りはじめました。ところが、そこも傘杉峠に負けないような急登で(途中で会った若い男性から「この先に崖みたいなところがありますよ」と言われて覚悟を決めましたが、崖というのはいささかオーバーでした)、再びヘロヘロになり頂の見晴台に着きました。

見晴台でも、高齢の男性がひとりで休憩していました。「結構きつかったですね」と言ったら、「私は84歳なんです。だからここまで来るのもひと苦労でしたよ」と言うのです。84歳でジャンダルムに登った人もすごいけど、関八州に登った人だって負けていないのです。

「エエッ、84歳。全然見えません。若く見えますよ」
「見かけは若くても中身はくたびれていますよ」
「どこにお住まいなんですか?」
「東京の××市(三多摩地区)です。いつも近所の公園を歩いていたんですけど、それだけではそのうち歩けなくなるんじゃないかと思いましてね。それで、山に来るようになったんです」
「平地を歩くのと山を歩くのとでは使う筋肉も違いますしね。それに、アスファルトの上は膝にも良くないし」
「そうです、使う筋肉が違うんです。特に山に登ると腿の筋肉を使いますよね。やはり、歳を取ると、腿の筋肉が衰えるのが不安なんですよ」
「わかります。わかります」
「山に登ると達成感があるじゃないですか? あの達成感も、歳を取った人間には貴重なものですよ」
「敬老会では味わえない?(笑)」
「ホント、そうです(笑)。それに山に行くと、こうして若い人と話をすることができるでしょ? それもいいですね」
「同じ山に登った仲間意識みたいなものがあって、それは年齢に関係ないですからね」
「途中で会っても、あとどのくらいですかとか、どこどこに行くのはこの道でいいんですかなんて情報交換をするでしょ? 普段だったら若い人とそんな風に口を利くこともありませんしね」

そのあと、ガイドに引率された若者の団体が登って来ましたが(なんでも地図読みの研修だとか言ってました)、それ以外は皆さん、単独行の人たちばかりでした。

子育てを終えたような中年の女性も、孫がいるような年老いた女性も、男性も、それから若い男性も、みんな息を切らしながら登っていました。ひとりで山に来るというのは、山が好きだというだけでなく、やはり、ひとりが好きなんだと思います。山の中では、自分を大きく見せるために虚勢を張る必要もなければ、狡猾に計算高く振舞ったり、卑屈になって他人の目ばかり気にする必要もないのです。ただ自然に対して謙虚でひたむきな自分がいるだけです。そんな自分と出会うために山に来ているのだと思います。キザな言い方をすれば、山は孤独が似合うのです。


傘杉峠から関八州1

傘杉峠から関八州2

傘杉峠から関八州3
関八州の山頂からの眺望
新宿の高層ビル群やスカイツリー(?)が見えました。

傘杉峠から関八州4

傘杉峠から関八州5

傘杉峠から関八州6

傘杉峠から関八州7
前に登った「丸山」とは違う丸山です。私の田舎にも同じ名の山がありました。

傘杉峠から関八州8
やけに手入れがされた尾根道だなと思って進むと・・・・、

傘杉峠から関八州9
墓地でした。

傘杉峠から関八州10
下りは誰にも会いませんでした。

傘杉峠から関八州11
この橋はちょっと怖かった。中間の板が腐って割れていた。

傘杉峠から関八州12

傘杉峠から関八州13

傘杉峠から関八州14

傘杉峠から関八州15
麓の集落の道沿いにかわいい花が咲いていました。
2019.10.11 Fri l 山行 l top ▲
昨日は丹沢の大山に登りました。早朝、新宿から小田原行きのロマンスカーに乗って、伊勢原で下車、伊勢原から「大山ケーブル行き」のバスに乗りました。

行く前から腹の調子が悪く、加えて睡眠不足で、体調は万全とは言えなかったのですが、それにしても、足がまったく動かず、ヘロヘロになりながらやっとどうにか登りました。私にとっては、ショックを覚えるくらい不本意な山行になりました。

大山は、信仰の山として有名ですが、江戸から近かったという地の利もあって、昔から「大山詣り」が行われていた人気の山です。江戸の庶民の間では、「大山詣り」するための”講”もあったそうです。今も残っている「大山街道」の名称も、「大山詣り」の名残りなのでしょう。バスにも、登山の恰好をした人たちが多く乗っていました。

登山道は、阿夫利神社の下社(山頂に本社と奥宮がある)の裏からはじまりますが、最初から急階段で息が上がりました。しかも、山頂までほぼ急峻な登りの連続で、どこが「初心者向け」なんだと思いました。登山雑誌や登山関連のサイトは、誰を基準にして「初心者」と呼んでいるのかと言いたくなりました。

「女性向けの登山ガイド」を謳う某サイトでは、大山のことを「標高1,000mを超える山でありながら、登りやすさで人気です。しっかり登山もケーブルカーを使っての楽々登山も自由自在」と書いていましたが、こういうことばがなんの検証もなしにコピペされて流通されているのでした。「楽々登山」なんて悪い冗談だとしか思えません。

登る途中で会った若者も、「これのどこが初心者向けなんですかね? 初心者向けだと書いていたので気楽な気持で来たのに騙されましたよ」と言ってました。

一緒に休憩していた女性に、「休みの日はここをホントに家族連れが登るんですか?」と訊いたら、「そうですよ。幼稚園児も遠足で来ますよ」と言われたので、私はショックを受けました。オレは幼稚園児以下のポンコツじゃないかと思いました。

下山したあとに立ち寄った茶店の女将に訊いたら、幼稚園児や保育園児が遠足で来るのはホントだそうです。「ただ、一日がかかりですよ」「朝早くから登って、夕方近くになっても降りて来ないと心配になることもありますよ」と言ってました。

「元気な風の子」思想を強要して鍛錬遠足をやっているつもりなのかもしれませんが、幼稚園児や保育園児が登るにはリスクが大きく、ちょっとやりすぎのように思えてなりません。「元気な風の子」思想も、森友学園ではないですが、往々にして経営者のひとりよがりなカルト思想に由来している場合が多いのです。私が父兄だったらやめれくれと言うでしょう。

写真を撮りながら登ったということもあって、次々と追い抜かれて行きました。結構、女性が多かったのですが、女性にもあっさりと抜かれました。ただ、地図上のコースタイムと比べると、私のペースはそんなに遅いわけではないのです。とにかく、皆のペースが速いのです。先の若者は別にして、平日ということもあるのか、中高年の登山者の中には、何度も登っている場慣れした人が多いような気がしました。

茶店の女将も、「ああいう人たちはお金を使わないんですよ」と言ってましたが、登山をビジネスにする人たちにとっては、「初心者」こそ美味しい存在なのです。だから、「初心者向け」を乱発しなければならないのでしょう。「お客さんみたいにオシャレではないですしね」と言われましたが、なんだか皮肉を言われているような気がしました。

でも、そのために(昨日はいませんでしたが)充分な準備と装備をせずに山を登る「山をナメた」「初心者」が出現することになるのです。急峻だということは、下りはそれだけ転倒や滑落の危険性があるということです。実際に、「滑落事故が多発しています」という警察の看板もありました。「大山ケーブル行き」のバスの中でも、「軽装の登山は危険です」というアナウンスが流れていましたが、そういった危険な「軽装の登山」を生み出しているのも、「初心者向け」だと煽っているからでしょう。

最近、山に行くと、鈴木みきさんの『ひとり登山へ、ようこそ!』(平凡社)を読んだということもあって、ひとりで山に来ている女性がやたら気になります。ひとりで来ている女性は意外と多いのです。

登山関連のブログでも、そんなソロハイクの女性のブログばかり読んでいます。彼女たちのブログは、ステルス広告とは無縁だし、等身大で書いているので、ウソとハッタリのネットの中では身近に感じるのです。

ひとりで来ている女性を見ると、総じて物静かで地味な人が多いような気がします。おそらく誰よりも実直に生きている人たちなのでしょう。ただ、その分、実社会では損をすることも多いのではないでしょうか。ひとりでベンチにポツンと座って、山の風景を眺めている姿を見ると、「やっぱりひとりがいいなあ」と私と同じことを思っているんじゃないかと想像したりします。

下っていた際、昔の会社の経理課にいたような感じのメガネをかけた女性の横をすり抜けようしたら、浮石を踏んで転びそうになりました。すると、女性から「大丈夫ですか?」と言われたのですが、それも落ち着いた小さな声なのでした。普通だったら、もっと感情を表に出して語尾を強めて言うだろうと思いますが、なんだかひとりで山に来る女性を象徴しているような気がしました。

ヘロヘロになって登っていたら、同じ年恰好の男性から「がんばって下さい」と声をかけられました。聞けば、近々、丹沢山から塔ノ岳を縦走する予定なので、トレーニングに来たと言っていました。「この急登はいい練習になるんですよ」と。一度登ったら下まで降りて、また登るのだとか。

「すごいですね」と言ったら、「アミノバイタルのお陰ですよ」と言うのです。アミノバイタルは名前は聞いたことがありますが、どんなものなのかよくわかりません。

「あれは効きますよ。私も前はこんな登りはよぉ登らんわと思っていたのですが、アミノバイタルを飲み始めたら足が軽くなって、どんどん登れるようになったんですよ」
この人、味の素の回し者じゃないのかと思いました。

「おすすめですよ。筋肉痛とも無縁になりますしね」「ああ、持っていればあげたのにな。さっき飲んでしまって、今、手元にないんですよ」
サンプルを持ってないということは、回し者じゃないのか。
「山に行く人で飲んでいる人は多いですよ。びっくりするほど効果てきめんですよ」と言うのです。

それで、休憩のベンチで一緒になった女性に、アミノバイタルのことを聞いたら、なんとその女性も飲んでいると言うではありませんか。「その話、ウソじゃないですよ」と言うのです。それで、帰宅してさっそく、藁をもすがる気持で、アマゾンでアミノバイタルを注文しました。それも「パ―フェクトエネルギー」というバージョンです。登る途中に、天狗が鼻で穴を空けたという岩がありましたが、天狗のように岩から岩へと軽々と飛び回る自分を想像しました。

今月末、九州に帰って、九州本土では最高峰の地元の山に登ろうと思っていたのですが、今日のヘロヘロで不安になりました。明後日までキャンセルすればキャンセル料がかからないので、どうしようか迷っています。

そもそも九州に年に二回帰るのは、経済的にも結構な負担になります。もう実家がないので、飛行機代だけでなく、ホテルとレンタカーも必要で、旅行と同じなのです。それこそ韓国や台湾に行くのと同じくらいかかります(むしろ、韓国や台湾の方が安いかもしれません)。

帰るたびにこれで最後にしようと思うのですが、なかなか最後にすることができないのでした。子どもの頃父親と登った山にもう一度登りたいというのも、最後にしないための口実かもしれません。

アミノバイタルがそんなに効果てきめんなら、アミノバイタルパワーで帰ってもいいのですが、しかし、その効果を試す時間的な余裕もないのでした。


大山1
参道。「こま参道」と呼ばれているそうです。

大山2

大山3
ケーブル駅

大山4

大山5
ラーメンならぬ「ルーメン」で有名な店ですが、どうでもいい話。

大山6
阿夫利神社の階段

大山7
境内にはいろんなモニュメントがありましたが、このモニュメントには「日本遺産」と書かれていました。「日本遺産」は、文化庁が世界遺産を真似して(?)設けたようです。

大山8
阿夫利神社下社の本殿。大山は別名「雨降山」と呼ばれており、各地にある雨乞い信仰の山のひとつでもあります。阿夫利神社の「阿夫利(あぶり)」も、雨降り(あめふり)をもじったのかもしれません。

大山9
「輝け杉の子」像。学童疎開の記念碑。この碑、他でも見たことがあるような・・・・。日本版慰安婦像?

大山10
豆腐の碑にどうして東京作家クラブが寄付? そもそも東京作家クラブってなに?

大山11
境内の裏から登山の始まりです。

大山12

大山13

大山14
こういった強引に謂れをこじつけた木も、山の定番です。

大山15
こんな急峻な坂が最後までつづきます。

大山16

大山17

大山18

大山19
天狗は、修験道との関連で山ではおなじみのキャラクターですが、天狗が鼻で空けた岩というのはめずらしい。

大山20

大山21
「富士見坂」。どうにか富士山が見えました。傍にいた山ガールが歓声を上げていました。

大山22
無残な石仏

大山23
山ガールからも置いてきぼりを食う

大山24
これが「初心者向け」の登山道?

大山25

大山26

大山27
やっと着いた!

大山28
造像銘(石像の文字)が朱色でなぞられているのに違和感を持つ方がいるかもしれませんが、朱色でなぞるのは古くから行われている風習(?)で、奇抜なことでもなんでもありません。

大山29
本社は戸が閉められカギがかけられていましたが、それでも外から手を合わせる信心深い人々。手を合わせているご夫婦に大山の謂われなどを教えてもらいました。

大山30
山頂の茶屋の手書きの案内板

大山31
山頂。ガスにおおわれ眺望なし

大山32
阿夫利神社の奥の院

大山33

大山34
別コースから下山開始

大山35

大山36
ガスにおおわれた幻想的な風景

大山37
途中、山肌が大きく崩落した箇所もありました。

大山38

大山39
標高が下がると晴れてきました。

大山40

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「見晴台」からの眺望

大山42
「見晴台」で休憩する人々。皆さん、風景を見ながら、チョコレートやお菓子など持参したおやつ(行動食)を食べていました。この人たちの多くは、帰りのバスでも一緒でした。

大山43

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大山46

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信仰の山なので、至るところにお社がありました。

大山49
龍神? でも、劇画っぽい。

大山50
誰かが修行したという、これもよくある滝。

大山51
2019.10.04 Fri l 山行 l top ▲
突然、知人からえらく憤慨した電話がかかってきました。と言っても、私に憤慨しているわけではなく、憤慨しているのはメディアに対してです。誰でもいいから話を聞いてもらい、憂さを晴らしたかったのかもしれません。

それは、メディアでも大々的に取り上げられたあるスキャンダルに関するものでした。どういういきさつか知りませんが、知人はスキャンダルの主と親しく、いろいろと相談に乗っていたようです。

知人が言うには、メディアが書いていることはデタラメで、メディアの背後では、スキャンダルの主を潰そうとする大きな力がはたらいているのだと言ってました。

と言うと、よく聞く台詞なので眉に唾したくなりますが、しかし、仔細に話を聞くと、知人が憤慨する気持はわからないでありませんでした。話を聞く限り、スキャンダルの内容についても、スキャンダルの主の人物像についても、メディアが伝えるものとはまったく別の印象がありました。そして、ここにも大塚英志氏が言う「旧メディアのネット世論への迎合」が垣間見えるのでした。

最初から結論ありきのスキャンダルと悪意のある印象操作。しかし、個人の力はあまりに小さく弱いのでした。そうやってひとりの人間の人生がいいように弄ばれるのです。

ネットは言わずもがなですが、私が注目したのは、スキャンダルに対する左派リベラルと言われている者たちの反応でした。

彼らもまた、低俗且つご都合主義的なリゴリズムをネットや世間と共有し、印象操作に与するばかりなのでした。政治的なテーマだと世間に異(らしきもの)をとなえることはありますが、個人のスキャンダルなどでは、いともあっさりと俗情と結託するのでした。

フーコーが言うように、権力というのは、国家や政治など大状況の中だけに存在するのではなく、私たちをとりまく日常的な小状況の中にも潜んでいるのです。右と左のイデオロギーの違いに大きな意味はないのです。右と左は双面のヤヌスみたいなもので、そうやって手を携えてこの社会の安寧と秩序に貢献しているのでした。

「言論の自由なんてない、あるのは自由な言論だけだ」という竹中労の口吻をもじって言えば、言論の自由なんてないのです、あるのは”不自由な言論”だけです。

でも、それは、メディアがもの言えば唇寒い状況に追い込まれているということではありません。江藤淳が言う戦後の「閉ざされた言語空間」とは別の意味で、この国のメディアは最初から「閉ざされた言語空間」の中にあり、”不自由な言論”のシステムに組み込まれているのです。言論の自由なんて虚構にすぎないのです。

軍事独裁政権時代の残滓の一掃を目指す韓国の文在寅政権と検察の対立はますます激しくなっていますが、日本のメディアの問題を考えると、韓国検察の”不都合な真実”も決して他人事ではないのです。むしろ、個人のスキャンダルだからこそ、メディアの本質がよく見える(露呈されている)ということはあるでしょう。
2019.10.01 Tue l 社会・メディア l top ▲
山に行った話ばかりで恐縮ですが、おととい(27日)、また山に行きました。ちょっと身体が重くて調子が悪かったので、今回は「初心者向け」の宝登山に行きました。宝登山は蝋梅で有名な山ですが、ロープウェイを利用すればわずか5分で登れます。

しかし、それだとあまりに芸がないので、最寄り駅の長瀞ではなく隣の野上駅で下車して、裏から(?)登ることにしました。

東武東上線の寄居駅で秩父鉄道に乗り換えなければならないのですが、秩父鉄道はPASMOが使えないので、いったん改札口に出て、野上までの切符を買わなければなりません。

池袋で東上線に乗ったのが6時で、野上駅に着いたのは8時半すぎでした。

駅を出て寄居・秩父間を結ぶ国道を15分くらい歩くと、登山口の入口の目印になっている萬福寺というお寺に着きました。お寺の隣には、立派なトレイがありました。ふるさと創生事業で建てられたみたいですが、ハイキング客にはもったいないようなトレイでした。宝登山などの山は「長瀞アルプス」と呼ばれており、登山口の入口には「長瀞アルプス登山口」という看板がありました(なぜか「入口」の文字が消されていた)。

最初の上り坂では、やはり身体が重く早くも息が荒くなりました。しかし、しばらく歩くと息使いも落ち着き、身体も楽になってきました。心拍数を測っても、思ったほど上がっていません。

山に行くうちに、きつくても2~3分休めば、また元気に歩けるようになりました。登山ではよく「足を止めたら歩けなくなるから足を止めるな」と言われますが、それは、うさぎ跳びをさせたり、水分を摂ると体力が奪われるなどと言って水分補給を禁止していた“野蛮な時代”の名残の指導法なのです。そうやって苦行のような登山が押し付けられてきたのです。

きつかったら休めばいいのです。休みながら登ればいいのです。きついだけの登山なんて、どこが楽しいんだろうと思います。初めて登った人が、あんなにきついならもう二度と登らないと考えるのは当然でしょう。登山の世界にも、サディズム的快感と結託した妙な選民思想が存在しているのでした。

山頂でも、ロープウェイに乗ってやって来たおばさんたちに、今までの山遍歴と死と紙一重の「凄いエピソード」を自慢たらしく話していたおっさんがいましたが(山小屋によくいるタイプです)、ああいうおっさんたちはリアル社会では浮かばれない人生を送っているので、山のようなカルトな世界で過大に自己承認を求めているんじゃないかという意見には一理あるような気がします。それと登山が持つ”孤高の精神”は似て非なるものなのです。

二つの峠を越え、いったん車道に出て、さらに車道を10分ほど歩くと、「毒キノコに注意」の看板が出てきました。しかし、注意すべきは毒キノコではなく、これからはじまる最後の“階段地獄”です。宝登山の山頂までの400メートルを急登の200段(?)の階段が待っているのでした。

階段と言っても、神社にあるようなコンクリートの階段ではありません。登山道でよく見られる木の階段です。もちろん、途中、階段が朽ちてただの急坂になっている箇所もあります。

最近は、トレッキングポールを持って行ってないので、よけい足にこたえました。ヘトヘトになって登り、これが最後かなと思ったら、また次の階段が出現するのでした。

何度目かに現れた階段を前にして溜息を吐いていたら、下から中年の男性が登ってきました。それまで誰とも会わなかったので、初めて遭遇した人です。「これが最後か、わかりますか?」と尋ねたら、「そうですよ。これが最後ですよ。登り切ったら山頂ですよ」と言われました。それで俄然元気が出て、男性の後ろに付いて登りました。野上駅から山頂までちょうど2時間でした。

山頂は思ったより広く、ベンチではハイキングの恰好をした人たちが休んでいました。中には犬を連れた夫婦もいました。しかし、大部分はロープウェイで登ってきたか、ロープウェイを使わずに長瀞から徒歩で登ってきた人たちで、私たちのように野上から登ってくる人間はほとんどいませんでした。やはり、あの「初心者コース」にあるまじき“階段地獄”がネックになっているのかもしれません。

たまたまベンチがひとつ空いていたのでそこに座り、早めの昼食を食べました。と言っても、コンビニで買って来たおにぎりです。でも、こうしてひとりで山に登り、山頂でおにぎりを食べていると、なんとも言えない至福感のようなものを覚えるのでした。そして、あらためて、ひとりがいいなあとしみじみ思うのでした。

帰りも、ロープウェイを使わずに、歩いて下ることにしました。山頂から少し下ると、宝登山神社の奥宮がありました。奥宮の横には売店もありました。その先がロープウェイの山頂駅です。

私も、若い頃、ロープウェイで宝登山に登ったことがありますが、ただ、奥宮は記憶にあるものの、山頂は記憶にありません。そのときはデートで来ましたので、山頂まで行かずに途中のベンチに座って、「きれいな景色ね」「いや、君の方がきれいだよ」なんてバカップルを演じて帰ってきたのかもしれません。

奥宮からさらに下ると、小動物公園がありました。近くの道では家族連れの姿もありました。

何の変哲もない林道を1時間かけて下り切ると、宝登山神社(本宮)の境内に到着しました。途中、下から登って来る3組の夫婦(いづれも中高年)にすれ違いました。

麓の宝登山神社にお参りしたあと、鳥居の脇の売店でソフトクリームを買って、店の前のベンチで食べました。

ソールにシャンク(芯)が入っている登山靴は、山を歩くには劇的に効果がありますが、アスファルトの道路を歩くと、ソールが固い上に靴自体も重いので、歩きにくくてひどく疲れます。宝登山神社から岩畳のある長瀞の川べりまで歩き、岩の上で靴を脱いでしばらく休みました。

長瀞の岩畳に来たのは、三度目でした。前に来たのは20数年前で、今は絶交した旧知の家族と一緒でした。長く生きていると、どこに行っても昔を思い出ことが多いのでした。それも、苦い思い出ばかりなのでした。


宝登山1
立派なトイレ

宝登山2
萬福寺

宝登山3

宝登山4

宝登山5

宝登山6

宝登山7

宝登山8
遠くに見える黒いものに一瞬緊張しましたが、近づいてみると、ビニール袋でした。民有地なので、100円の通行料を徴収していた時期があり、そのときに設置していたお金の回収箱のようでした。

宝登山9

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宝登山18

宝登山19

宝登山20
山頂からの眺め。秩父の街

宝登山21
遠くに見えるは南アルプス

宝登山22

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麓の宝登山神社

宝登山24
宝登山神社本殿

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長瀞

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宝登山30

宝登山31

宝登山32
長瀞駅

宝登山33
ホームから山を望む



2019.09.29 Sun l 山行 l top ▲
おととい、天気予報にやっと晴れマークが付きましたので、10日振りに山に行きました。明け方まで雨が降っていましたので、一抹の不安はありましたが、電車に乗る頃には雨も上がっていました。

行ったのは、いつもの「奥武蔵」と呼ばれる埼玉の山です。今回は、西武秩父線の芦ヶ久保駅で下車しました。

飯能で秩父線に乗り換え、午前8時半すぎに芦ヶ久保に着きました。池袋からだと2時間近くかかります。前も書きましたが、飯能で乗り換えるのに40分待たされるからです。

それで、飯能駅ではいったん改札口から出て、駅前のコンビニで昼食の弁当と行動食のチョコレートやパンなどを買いました。芦ヶ久保に行くと、駅の駐車場の向かい側にある商店や食堂が「休業」していましたので、飯能で買い物したのは正解でした。

芦ヶ久保だけでなく、東吾野などでも駅前の商店は「休業」していました。この「休業」は、土日だけ営業して平日は「休業」という意味なのか、それともハイキング客が減ったので完全休業(閉店)したのか、どっちなんだろうと思いました。

西武秩父線には、(平日に暇を持て余した)中高年のハイキング客が結構乗っていましたが、芦ヶ久保で降りたのは私だけでした。

今回は、登山レベルが「中級」の山です。コースタイムも標準で6時間となっていました。

いつものように、写真を撮りながらマイペースで登り、ちょうど3時間で山頂に着きました。途中には、果樹公園や農村公園や県民の森などがあり、いづれも車で行けますので、休日にはレクレーションで訪れる家族連れなども多いのでしょうが、この日も山頂までの登山道で人とすれ違うことはありませんでした。

県民の森に至る尾根道がすばらしくて感動しました。今まで歩いた登山道の中ではピカイチでした。

山頂で休憩していると、トレランの恰好をした人たちが10人くらい走ってやって来ました。来月だかに一帯でトレランの大会があるらしく、そのための練習のようでした。

そのあと、中年の男性がひとりで登ってきました。聞けば、違う登山口から登って来たそうです。その登山口も昔、よく利用したなつかしいところなので、そっちに下りようかと思ったのですが、聞けば、平日はバスが2時間に1本くらいしかないと言うので、やはり予定したコースで下りることにしました。男性は、私が登ってきたコースを下るようです。

男性は、以前は都内に住んでいたけど、定年退職を機に、埼玉の方が山に行くのに便利なので、埼玉に引っ越して来たと言ってました。

「さっき下で75歳の人と会って話をしたんですけど、その人が言うには、70歳をすぎるとガクンと体力が落ちて、山に行くのもしんどくなるそうですよ。そんな話を聞くと暗い気持になりますね。聞かなきゃよかったと思いましたよ」と言ってました。

男性も若い頃、北アルプスなどに行っていたけど、30歳を過ぎてから仕事も忙しくなったので、山から遠ざかっていたそうです。そして、定年をきっかけにまた山登りをはじめたのだとか。

山で会うのは、嫌になるくらい中高年ばかりですが、しかし、若い人でも、山に興味を持っている人間は意外と多いのです。仕事先で山の話をすると、顔見知りの若い人から「私も連れて行って下さいよ」とよく言われます。特に山ガールの影響なのか、女の子から言われることが多いのです。でも、もう色気もなくなった偏屈オヤジの私は、「嫌だよ。オレはひとりがいいんだよ」と言って、いつも断っています。

また、ある日、ほとんど話をしたこともない管理職の人間から、突然話しかけられたこともありました。

「山の話をしていましたけど、よく行かれるんですか?」
「若い頃に行っていたんですけど、最近再開したんですよ」
「ああ、そうですか。私も子どもにせつかれてハイキングに行ったら、それからやみつきになって山に行くようになったんですよ」
「それはいい趣味ですね」
「ええ、山っていいですよね。ホントに癒されますよ」と言ってました。

彼は同期の中の出世頭で、同僚から嫉妬と羨望の対象になっている人物ですが、その分、ストレスもあるんだろうなと思いました。そこで、ひと言多い私は、「失礼ですけど、あのポストじゃストレスも貯まりますよね。山でも行かなきゃ身が持たんでしょ」と言いました。

山頂で会った男性に、若い人が山に行きたがっているという話をしたら、男性も「私の会社でも昔は登山サークルがありましたよ。そこで、登山の基本などを教えてもらったのです。今はそんなサークルもないですからね」と言ってました。

昔は、登山は主要なレジャーだったのです。それで、大きな会社だとサークル(同好会)があったのです。でも、今はそういった「入口」や「きっかけ」がなくなったので、山に行きたい気持があってもどうすればいいのかわからないのでしょう。

今回の山行は、文字通り、行きは良い良い帰りは怖いでした。帰りは行きとは別のコースを歩いたのですが、登山道に入りしばらく歩いているうちに、後悔しはじめました。

先日の台風によって、登山道が荒れに荒れていたのです。至る所で倒木が登山道を塞ぎ、路肩が崩落している箇所もありました。また、下りの登山道は雨水の通り道になったらしく、V字に抉られ、岩や石が剥き出しになっていました。それに、明け方まで雨が降っていましたので、岩や石も濡れており、よけい滑りやすくなっていました。

先日の転倒の記憶もまだ残っていましたので、いつも以上に緊張を強いられました。段差のあるところでは、横向きになって片足を下に置き、それから体重移動する基本に忠実な歩き方をつづけていたら、腰が痛くなり、挙句の果てには腿の筋肉が痙攣する始末でした。結局、下山するのに3時間もかかってしまいました。もちろん、道中で誰にも会うことはありませんでした。

遅くなったので、また帰りの電車では「電車の座席にすわることが人生の目的のような人々」にもみくちゃにされ、自宅に戻ったのはなんと午後7時過ぎでした。


丸山2

丸山3

丸山4
これは間違えて入った道です。登って行くと行き止まりになったので、そこで初めて間違えたことに気付きました。

丸山5

丸山6

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すばらしい尾根道

丸山8

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今回の相棒 ノースフェイステルス

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「出会いのテラス」なるイタいネーミングの県民の森の中の休憩場

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宝くじ協会から寄贈された展望台

丸山19

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秩父の象徴・武甲山
昔は、隣の峠から夕陽に沈む武甲山と秩父の街を眺めるのが好きでした。

丸山22
秩父の街

丸山23
遠くに見えるは八ヶ岳?

丸山24
寄居方面

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丸山26
大野峠パラグライダー滑走場
隣の堂平山の滑走場にはよく見学に行ってました。大野峠にも滑走場があるとは知りませんでした。

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ここから下りの荒れた道がつづきます。

丸山29

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丸山41
橋が無事でよかった

丸山42

丸山44
やっと着いた赤谷の集落
2019.09.22 Sun l 山行 l top ▲
記憶が曖昧なのですが、たしか高校生で、休みで実家に帰省していたときでした。当時の高校生の間では、深夜放送を聴きながら勉強するのが流行っていました。

実家は九州の山間の町にありましたので、電波状況が悪く、実家で大阪や東京のラジオを聴くのはかなりの忍耐と工夫を要しました。ラジカセを窓際に置いて、アンテナを動かし、ザーザーという雑音に交じってかすかに聞こえてくるパーソナリティの声に耳を傾けていました。

そのとき、中国の北京大学や精華大学で、共産党を批判し民主化を求める壁新聞が貼られたというニュースが聴こえてきたのでした。私は、なんだかすごいことが起きているような気がして、深夜ひとりで興奮を覚えました。

全共闘運動華やかりし頃、京大の時計台に「革命無罪」「造反有理」という文化大革命のスローガンが掲げられていましたが、北京大学や精華大学の壁新聞は、社会主義国家の中に民主化を求める地下活動が存在していることを告げていたのでした。

中国の学生たちも、やはり深夜に壁新聞を貼ったのだろうかと思いました。その光景を想像すると、ワクワクするような気持になりました。そして、学生たちの行動に、「革命無罪」「造反有理」のスローガンを重ねました。学生というのは、社会主義国でも先鋭的な存在なんだなと思いました。それは、人民の解放のために戦った軍隊が、人民に銃を向けるなどまだ想像も付かない頃の話でした。

当時、埴谷雄高の本をよく読んでいたのですが、埴谷雄高は『薄明のなかの思想』(ちくまブックス)で、20世紀は「革命の変質」の時代でもあり、「帝国主義国も社会主義国もふくめた全世界は、いま、怖ろしい人間喪失の時代に突入」していると言ってました。

その合言葉は、「殺してしまえばいいじゃないか、あいつは敵だから。」ということになり、そして、いま私達がそのなかにある事態は、まさに、「革命の革命」が決定的におこなわれなければ、これからそれは長く長くつづいて、私達を何処までも握りつづけて離さないでしょう。


私が中国の学生に希望を持ったのは、埴谷の言う「革命の革命」を夢想したからでした。しかし、今になって思えば、それもポエムにすぎなかったのです。ほどなく世界に天安門事件の衝撃が走ります。20世紀は革命の理想が地に堕ちた時代でもあったのです。

香港の学生たちが火炎瓶を使うなど過激化しているという指摘がありますが、むしろそれは、絶望的な闘いをつづける学生たちの不退転の決意の表れと見るべきで、もとより、中国本土との境界線の向こう側には、かつて人民に銃を向けた軍隊が再び銃を向けるべく待機し、学生たちに無言の圧力をかけているのです。

もちろん、今の北京大学や精華大学に、「在香港团结一致」という壁新聞が貼り出されることはありません。「革命の革命」どころか、革命の失墜と堕落がどこまでも、果てしもなく続いているのです。

巨象にアリが挑むような香港の学生たちの闘いは、文字通り先鋭的ですが、しかし同時に、あまりにも絶望的で、且つ悲劇的な結末を予感するむごたらしさとやりきれなさを含んでいます。革命が求めたのは、こんな人民に銃を向け人民を抑圧する腐れ切った権力や、人民を見下し高級酒に酔いしれる党官僚の存在ではなかったはずですが、今更そんなことを言ってももう遅いのです。

2019.09.18 Wed l 社会・メディア l top ▲
内閣改造で環境大臣に就任した小泉進次郎を、メディアは「将来の総理候補」などと言ってさかんに持ち上げています。

それは、元徴用工裁判の報復のために、韓国に対して、安倍政権がヤクザのような難癖を付けて輸出管理の厳格化(そして、ホワイト国からの除外)の措置を取った途端に、メディアがいっせいに韓国ヘイトをはじめたのとよく似ています。「ボロ隠し」のために、小泉進次郎を環境相に抜擢した安倍総理の狙いどおりと言えるでしょう。

別に総理大臣にふさわしい学歴がどうだと言いたいわけではありませんが、(誤解を怖れずに言えば)成蹊大卒の三世議員の安倍晋三氏と、同じく内部進学による関東学院大卒の三世議員の小泉進次郎は、世代こそ違え、属性はそっくりと言っていいほどよく似ています。もう中身が空っぽのおぼっちゃまを貴公子のように持ち上げるのはやめませんかと言いたいです。

「発言力がすごい」などと言われる小泉進次郎の言動が、衆愚向けの「言語明瞭意味不明」なミエミエのパフォーマンスでしかないことは(衆愚でなければ)誰でもわかるはずです。口だけ達者なタレントがワイドショーでこましゃくれたコメントを発したりしていますが、それと同じで、大衆にとっては小泉進次郎も政治家というよりタレントに近い存在なのでしょう。その意味では、小泉進次郎は”テレビ好み”と言えないこともないのです。安倍総理に対しても然りですが、どうして王様は裸だ(空っぽだ)と言えないのか。それがジャーナリズムの本来の役割でしょう。

不惑の年齢を前にしたできちゃった婚。しかも、堂々と総理官邸に報告に訪れ、できちゃった婚もパフォーマンスに利用するその神経たるや、自己を対象化できないおぼっちゃまの面目躍如といった感じです。育休が聞いて呆れます。育休も最近覚えたことばで、さっそくパフォーマンスに使っているだけなのでしょう。

極めつけは、「理屈じゃないですね」というあのフレーズです。結婚の決め手はなんですか?と問われて「理屈じゃないですね」。嘘つけ、子どもができたからだろうとツッコミを入れたくなりました。どうして入閣要請を受けたのですか?と問われて「理屈じゃないですね」。嘘つけ、自分から猟官運動をしたからだろうと言いたくなりました。

彼が確固たる政治信条を持っているようにはとても思えません。父親の小泉純一郎氏と同じで、ただのパフォーマンスの人にすぎないのです。電車に乗ると、図々しいだけが取り柄のようなおばさんがいますが、小泉進次郎もパフォーマンスだけが取り柄の政治家なのです。

竹中平蔵と組んで日本を新自由主義に売り渡し、先進国で最悪と言われる格差社会をもたらした”罪”には目をつむり、「郵政民営化」と同様、「反原発」のシングルイシューで小泉純一郎氏を持ち上げるメディアの無責任さが、そのまま小泉進次郎の「将来の総理候補」報道に引き継がれているように思えてなりません。メディアの無責任さは、河野太郎(彼も「反原発」で自民党の良心のように持ち上げられていた時期がありました)で証明されています。その無責任さは、一部の負け犬根性が染みついた左派リベラルも共有していました。

小泉進次郎フィーバーは、この国の衆愚政治の極みとも言えますが、何を隠そう衆愚政治の堰を外した人物こそ父親の小泉純一郎氏なのです。

おぼっちゃまであるというだけで、できちゃった婚さえも称賛の対象にされ、「将来の総理候補」とチヤホヤされる三世議員。一方で、小泉政権時代に解禁された製造派遣=非正規雇用の拡大によって、「自業自得」「甲斐性なし」の嘲笑を浴びせられながら年収200万円以下の生活を余儀なくされ、結婚もままならないワーキングプアの若者たち。そんな若者たちがこの国には1000万人近くもいるのです。私は、この生まれついての格差の現実を前にすると、言いようのない不条理を覚えてなりません。しかも、小泉進次郎は、福祉や年金の問題では、まるで若者の世代を代表しているかのような発言をして喝采を浴びっているのです。メディアは、そんなおぼっちゃまを持ち上げ、不条理の片棒を担いでいるのです。まったくバカバカしいとしか言いようがありません。
2019.09.16 Mon l 社会・メディア l top ▲
これは、あくまでネットを通した報道で知った情報にすぎないのですが、先日、立山連峰の剣岳で、19歳の女性が滑落死したというニュースがありました。

家族がSNSで情報を求めたことで、このニュースはネットでも大きな話題になりました。

家族によれば、19歳の女性は乗鞍岳に登ったことがきっかけで、山に興味を持ち、「富山で山に登ってくる」と言って出かけたそうです。家族は、まさか剣岳に登っていたとは思ってみなかったようで、「登頂した」というLINEが届いて驚き、返信したけど応答がなく既読にもならないので、心配してSNSで情報を求めたということでした。

報道によれば、他の登山者から、午後4時頃、剣岳のカニの横ばいを渡っている若い女性の目撃情報があったそうです。また、家族に登頂のLINEが届いたのは午後5時すぎだったとか。

この話を総合すると、カニの横ばいは下山ルートなので、少なくとも午後4時頃には下山しはじめていたことになります。そして、午後5時にLINEを送ったということはカニの横ばいを渡ってひと息吐くところまで降りてきたのでしょう。しかし、午後5時だと既にあたりは暗くなっていたはずで、足場が見にくい中をさらに難度の高い岩場を下るのは、経験の浅い彼女にとって危険な賭けだったと言えるでしょう。

YouTube
剣岳の下り、カニの横ばい

カニの横ばいは、上の動画にあるように、北アルプスでも有名な難所で、今までも多くの人が滑落死しています。山を知り尽くしたベテランの登山家も何人も犠牲になっているそうです。

そんな難所を登山初心者の若い女の子がひとりで、しかもTシャツに短パンの恰好で挑んだのです。遺体を収容した富山県警の話では、ザックの中には防寒具も入っていなかったそうです。

それにしても、初心者の女の子が剣岳の山頂に立ったというだけでも驚きですし、山頂を目指してひとりで登った勇気もすごいなと思います。上の動画では補助ロープやハーネスを使っていますが、単独行なので補助ロープもハーネスもなしに渡ったのでしょう。誰かがどっかで止めることができなかったのかと、悔やまれてなりません。これは、単に「自己犠牲」のひと言で済まされるような話ではないように思います。

山に行くと、よく若い人がひとりで登っているのに出くわすことがあります。山では圧倒的に(うんざりするほど)中高年が多いのですが、若い人がいないわけではないのです。そんな彼らは、ドカドカドカと大股で登って来て、鈍足の私を追いぬくと、あっという間に姿が見えなくなるのでした。

山の歩き方の基本などどこ吹く風なのです。文字通り、若さに任せて登っているだけです。それでは、早晩膝を痛めるのは目に見えています。昔だったら山岳会や同好会などで、登山の基本を教えたのでしょうが、今はそういったシステムも機能しなくなったのです。

8月にも23歳の女性がジャンダルムで滑落死したというニュースがありましたが、経験の浅い若者が、ネットの情報や動画などに影響されて、無防備な状態で難コースに挑む風潮が一部であるのは事実でしょう。

私の知っている若い人間も、山に登り始めて僅か1年半で、奥穂から西穂まで縦走したと聞いて驚いたことがあります。彼とは2年くらい会ってなかったので、山登りをはじめたことすら知らなかったのです。久しぶりに会ったら、彼の口からジャンダルムや馬の背や逆層スラブやピラミッドピークの話が出たので、文字通り目が点になりました。

著名な山岳ガイドの加藤智氏は、Yahoo!ニュース(個人)の「死と隣合わせの日本最難関コースに溢れる登山者 山岳ガイドが感じた危機感」という記事で、次のように書いていました。

Yahoo!ニュース(個人)
死と隣合わせの日本最難関コースに溢れる登山者 山岳ガイドが感じた危機感

美しい写真、動画とルート解説、個人の感想などは、雑誌やインターネット上には多く存在しています。それらを見たと思われる実に多くの若者が挑戦していました。正直言って、どこでミスしても簡単に「死ねる」場所だらけの日本最難関コース上に、何ら緊張感乏しく歩き回る登山者の姿に恐ろしさも感じました。


中には、YouTubeやInstagramのために、あえて危険なことに挑戦するケースもあるでしょう。そういったことが「カッコいい」と思っている若者も結構いるのです。

知り合いの知り合いで、この夏に奥穂に登った人がいるのですが、奥穂の登山コースも「大渋滞」が起きていて、山荘からピークまで2時間以上かかったと言ってました。

YouTube
奥穂高岳登山 難所のハシゴとクサリ場を登る

決してオーバーではなく死と隣り合わせのコースが「大渋滞」というのは、どう考えても異常なのです。それだけ多くの人たちが歩けば、岩が崩落する危険性も増すのではないかとよけいな心配までしてしまいます。

ネットによって、死と隣り合わせの難コースが身近なものになり、技量も経験もない人たちが大挙して押しかける光景が当たり前のようになっているのです。北アルプスの山も百名山と同じように、ブランドと化しているのです。

山関連の雑誌やサイトなどを見ると、たとえば西穂の独標や谷川岳の天神尾根コースなども、「初心者向け」になっています。そのためもあってか、夏はやはり「大渋滞」だそうです。若い頃登った経験から言えば、そんなに安直に「初心者向け」と言っていいのだろうかと首を捻らざるを得ません。ネットはウソとハッタリの塊ですが、ネットで山が語られるようになり、「あんなの大したことないよ」「初心者向けだよ」と粋がる傾向があることも事実でしょう。また、「初心者向け」を乱発する背景に、登山をビジネスにする者たちの思惑(そろばん勘定)がはたらいていることも忘れてはならないでしょう。

加藤氏のような警鐘をもっと広める必要があるのではないか。あらためてそう思いました。
2019.09.14 Sat l 山行 l top ▲
関東地方を直撃した台風15号の翌朝、私は前日から都内にいたのですが、都内から横浜の自宅まで帰るのに6時間もかかりました。

駅に行くと長蛇の列で、しかも、頻繁にホームへの入場規制が行われるため、列は長くなるばかりでした。駅ビルの至るところでは、駅からあぶれたサラリーマンやOLたちが、途方に暮れた様子で床に座ってスマホを操作していました。

電車の運行が再開したとは言え、普段だったら数分おきに来る電車が10数分おきにしか来ません。そのため、電車が来ても既に寿司詰め状態なので、僅かしか乗ることができないのでした。

私は、自宅に帰るだけなので別に急ぐ必要はありません。電車に乗るのを諦めて、いったん改札口の外に出ることにしました。どこかカフェで朝食でも食べて時間を潰そうと思ったのでした。ところが、考えることは誰も同じみたいで、どこもお客であふれ、店の外まで行列ができていました。

カフェをあきらめて、公園に行くことにしました。コンビニでおにぎりとお茶を買って、近くの公園に行きました。すると、公園も多くの人がいて、空いているベンチを探すのも苦労するほどでした。中には植え込みのコンクリートの囲いの上で、横になって寝ている人もいました。

結局、2時間くらい時間を潰して駅に戻り、やっとどうにか電車に乗ることができました。ただ、途中でノロノロ運転になったりして、最寄り駅まで普段の倍近く時間がかかりました。

さすがにうんざりして、電車が多摩川を渡ったときです。とある駅から登山の格好をした中年の女性が乗り込んできたのです。しかも、見るからにロッククライミングの装備をしています。腰からカラビナやロープをびっしり下げ、足元は重厚な登山靴を履いていました。背中のザックにはヘルメットが下がっていました。まるで、今山から戻ってきたかのように、靴やザックやヘルメットなどもかなり汚れていました。

もちろん、山から戻ってきたはずもなく、これからどこかの山にトレーニングに行くのでしょう。でも、台風明けの朝の電車の中では、あきらかに場違いな風体でした。

そんな恰好で電車に乗るかと私は思いましたが、車を持ってなければ電車に乗るしかないでしょう。もしかしたら、どこかの駅でクライミング仲間と待ち合わせているのかもしれません。だとしても、公共の交通機関に乗るのですから、もう少し身なりに気を使えばいいのにと思いました。

あるいは、山に行く人間には自己顕示欲の塊のような人間も多いので、そんな如何にもの恰好をして、「あたしって凄いでしょ?」と思っているのかもしれません。しかし、誰も「凄い!」なんて思ってはいないのです。むしろ、冷ややかな目で見ているのです。

台風明けの朝から山に行くというのは、台風が来ているのに、荒波を求めて海に入り非難を浴びるサーファーと同じようなものかもしれません。山の遭難と言えば、「山を甘く見る」シロウトの登山者ばかりがやり玉に上がりますが、こういった山に憑りつかれ、半ばカルト化した登山愛好家の存在も無視できないのではないでしょうか。ヨーロッパから輸入された近代登山(アルピニズム)は、こんな偏倚な信奉者を生み出すまでに至った、と言ったら言いすぎでしょうか。

山頂に到達する達成感ばかりを求める”登攀思想”の根底にあるのは、果敢に自然に立ち向い自然を征服するという考え方です。だから、登頂を断念して下山することを「敗退」と言うのです。本多勝一氏の著書を読むと、京大山岳部出身の本多氏も、そういった”登攀思想”はアプリオリなものとして肯定的に捉えているふしがあります。しかし、それは、富の収奪を求めて飽くなき領土拡大を目論む帝国主義思想にも通底する、近代特有のものの考え方であり、昔人の山岳信仰や前に書いた「山を感じる」登り方とは真逆なところにある、傲慢な登山のスタイルと言えないこともないのです。

少なくとも、台風で交通が混乱している中でも、時間をかけて会社に出勤しようとする愚直なサラリーマンやOLたちと、そんな日常に背を向けて山に行こうとする山にとり憑りつかれた人とは、どっちがリアルかと言えば、悔しいけど、やはり、サリーマンやOLの方がリアルなのです。登山が持っている”孤高の精神”は私も好きですが、電車の中の場違いな姿には違和感を抱かざるを得ませんでした。私は、クライミングの彼女を横目で見ながら、なんだか自分の方がこっ恥ずかしい気持になっていました。
2019.09.12 Thu l 山行 l top ▲
メディアの韓国叩きはエスカレートするばかりです。週刊ポストの「断韓」なんて、もともと在特会などネトウヨが主張していたことです。それが週刊誌の見出しに踊るまでになったのです。

私は、以前から、BSフジのプライムニュースが、来る日も来る日も「韓国が・・・・」「韓国が・・・・」と言っているのを見るにつけ、まるでゴミに異常に執着するゴミ屋敷の主と同じで、頭がおかしいんじゃないかと思っていましたが、今はすべてのメディアがBSフジ化しネトウヨ化しているのです。これを異常と言わずしてなんと言えばいいのかと思います。

韓国の文在寅大統領が曺国(チョ・グク)ソウル大法学部教授を法相に指名した問題でも、日本のメディアは、これでますます文大統領は追い詰められるだろう(追い詰められればいいんだ)というような論調で占められています。

曺国教授の家族にスキャンダルが浮上したときも、「ざまあみろ」みたいな見方が大半でした。まるで、日本に盾突くから罰が当たったんだと言わんばかりでした。文政権が進める司法(検察)改革への視点は二の次で、ただただ(バカにひとつ覚えのように)韓国叩きの感情の方が優先されたのでした。

曺国氏のスキャンダルが、司法改革を阻止しようとする検察の恣意的な捜査=脅しであることは明々白々でしょう。韓国では、今までも大統領経験者など政治家やその周辺の人物がスキャンダルで社会的に抹殺されてきましたが、その背景には検察が政治権力と癒着して巨大な権力を持ち、スキャンダルという名の政治的報復が公然とまかり通っていたという、もうひとつの(国家の)スキャンダルがあったからにほかなりません。

元徴用工問題の背景にある日韓請求権協定も同じですが、それらは軍事独裁政権時代の“残滓”であり、民主化運動のエートスを引き継ぐ文政権は、軍事独裁政権時代の“残滓”の見直しの一環として司法改革を行おうとしているのです。それを日本のメディアは文大統領の「野心」などと言って、問題を矮小化して伝えているのでした。

そう言えば、韓国政府が日本への対抗措置としてGSOMIAを破棄したときも、アメリカ政府が懸念を示しており、今後アメリカから(中には「米中から」というトンデモ話もありましたが)文政権への圧力が強まるだろうと日本のメディアは伝えていましたが、いっこうにその気配はありません。むしろ、トランプ政権の姿勢は「黙認」もしくは「無関心」といった感じです。アメリカからの圧力というのも、対米従属を国是とするこの国の権力者たちの願望を代弁するものだったのでしょう。

メディアに登場する「専門家」たちは、文大統領は曺国氏の法相指名で離反した民心を引き戻すために、これからますます「反日」姿勢を強めるのではないかなどとしたり顔で解説していますが、今の日韓対立を仕掛けたのが安倍政権だということを考えれば、これこそ牽強付会と言うべきでしょう。「専門家」が聞いて呆れますが、彼らもまた、空気を読むことだけが巧みな”電波芸者”にすぎないのです。
2019.09.10 Tue l 社会・メディア l top ▲
最近、ダイエットの話を書いていませんでしたが、この3カ月で10キロ以上体重が減りました。今の体重は、たぶん30年前と同じくらいのレベルです。

先日、健康診断に行ったら、問診したドクターは、前回の体重と見比べながら「ずいぶん減りましたね」と驚いていました。ダイエットしていると思ったらしく、「もうこのくらいでいいですよ。あまり体重を減らすと体力がなくなりますからね」と言われました。

でも、ダイエットしたわけではありません。山に行くようになって自然と体重が減ったのです。食事制限もほとんどやっていません(ただ、食事内容には気を付けしていますし、間食もなるべく控えるようにしています)。

山に行くようになってみるみる体重が減り始め、そして、今のレベル(と言っても、BMIの「標準」レベル)まで下がると、ピタリと止んだのでした。やっぱりダイエットには運動することが一番なんだなとつくづく思っています。

山に行ったときだけ、「行動食」としてチョコレートやあんぱんを食べています。また、山から下りたら、ラーメンとチャーハンという禁断の炭水化物セットを食べたりもしています。運動すれば、禁断の炭水化物セットも禁断ではなくなるのです(と勝手に思っている)。

ろくに運動もせずに飽食してメタボになる現代人に比べて、昔の人はよく運動していました。しかも、それは、近所の奥さんたちがやっているようなウォーキングなどとは比べものにならないくらいハードなものでした。10キロも20キロも平気で歩いていたのです。

私の田舎は、九州の山の麓にある標高400メートルの温泉場ですが、農閑期になると周辺の村から村人たちが温泉に入りにやって来ていました。一日がかりでやって来て、知り合いの家で(ついでに野菜などを手土産で持って来て)、持参した弁当を食べたりしていました。当時は、車など持っていませんでしたから、みんな徒歩でやって来ていたのです。

中学校も、私が入る数年前に町内の二つの学校が合併したため、10キロ以上も離れているような集落から通学する同級生もいました。それで、学校は「僻地校」の指定を受けているという話を聞いたことがあります。

もちろん、普段の生活でも、私が歩いている埼玉の山と同じようなところを毎日行き来していました。私は子どもの頃、祖父が所有する山の下刈りに一緒に行ったことがありますが、今、登山の格好をして歩いている道と同じような道を登って行きました。昔の人がメタボと無縁だったのは当然でしょう(当時はダイエットなんてことばさえありませんでした)。

人間は、その歴史の大半を自然の中で生きてきたのです。そんな人間が、現代のように自然と切り離され人工的にシステム化された社会で暮らしていると、日々ストレスを覚えるのは当然である、とどこかの大学の先生が書いていましたが、山に行けば、ストレス解消だけでなく、このように運動=ダイエットの効能も得られるのです。

2019.09.10 Tue l 健康・ダイエット l top ▲
やっと雨が止んだので、おととい、山に行きました。雨続きで、結局10日以上間が空いてしまいました。

前日は横浜駅の構内が浸水するほどの大雨で、しかも明け方まで雨が残っていましたが、天気予報は「曇り」でしたので、天気予報を信じて、仕事明けに池袋から西武池袋線に乗り、飯能へ行きました。飯能からは西武秩父線に乗り換えて、東吾野で降りました。

いつものことですが、西武線は連絡が悪く、飯能駅で秩父線に乗るまで40分以上待たされました。仕方ないと言えば仕方ないのですが、朝の時間帯は上り(池袋方面)が優先なのです。

よく言われることですが、電車では行く山も限られてしまいます。私も若い頃は、深夜に車で行き、夜明けを待って山に入っていました。そうしないと「午前中に山頂に到着する」という日帰り登山の原則を守ることができないからです。原則に従えば、埼玉の場合はどうしても秩父の手前の山が中心になってしまいます。丹沢にも行きたいのですが、丹沢は駅からさらにバスで登山口まで行くケースが多いので、時間の都合を付けるのが大変なのです。

6時前に池袋から乗車したのですが、東吾野に着いて山に入ったのは8時半近くでした。

今回は、前に利用したコースを逆に登ることにしました。

どんよりとした空模様でしたが、その分気温も低くて、どことなく秋の気配も感じられました。秩父方面に行く電車の乗客は、半袖より長袖の人が多いくらいでした。

今回も山の中では誰にも会いませんでした。途中、二つ小さな山に立ち寄り、3時間弱で最終地点の鎌北湖に着きました。

登山道は雨が降ると川のようになるので、連日の雨で土が洗われて石や岩が剥き出しになっており、何度も足を取られそうになりました。それに、山肌から水が滲み出しているところも多く、滑りやすくて気を使いました。

と、案の定、ロープを掴んで濡れた坂を下っていたとき、アブに襲われ、それを払いのけようとして転倒してしまったのです。身体をひどく打ちましたが、幸いにも腕を擦りむいただけで、打撲や骨折はありませんでした。

左手の肘から手首にかけて一面擦りむいてしまいました。でも、私は買ったばかりのカメラの方が気になり、(「ああっ!カメラが!カメラが!」と心の中で叫びながら)血だらけの手で真っ先にカメラの損傷を確認しました。カメラは擦り傷ひとつなく無事でした。

救急セットを携行していましたので、傷口をアルコール消毒して抗生物質の軟膏を塗り、ガーゼを当てて包帯を巻きました。でも、包帯に血が滲んでいたので傍目には大袈裟に見えたようで、帰りの駅のホームのベンチで、たまたま隣に座った登山姿の初老の男性から「どうしたんですか?」と声をかけられました。

事情を説明すると、「それは災難でしたね」と言われました。「私も何度も転びそうになりましたよ」と言ってました。

男性は、八王子から山梨の山に行こうと思ったら、大月から先が運休になっていたので、予定を変更して八高線で埼玉に来たそうです。埼玉の山に登ったのは30年振りだと言っていました。

ひとりで山に行くのは、たしかに怪我や病気の際のリスクがあります。転落したり、具合が悪くなったりしても、誰も助けてくれないのです。

でも、それでもひとりで山に行くと、「やっぱり、ひとりがいいなあ」といつも思うのでした。イラストレーターの鈴木みきさんが『ひとり登山へ、ようこそ』(平凡社)で書いているように、「ひとりで山にいるときがいちばん山を感じられる」からです。「リーダーの後ろじゃ山は見えない」のです。

前回と比べると、そんなに息が上がるということはありませんでした。いくらか体力が付いたような気がします。段階を上げて、もっと標高差のある山にも登りたいのですが、先に書いたように、電車とバスでは時間的な制約があるため、なかなか思うように計画を立てられないのでした。

徐々にですが、自分のペースも掴めるようになっています。自分のペースを掴むことができると、余裕が持てるようになるので、山を歩くのがより楽しくなります。鈴木みきさん流の言い方をすれば、もっと「山を感じられる」ようになるのです。

私は、年齢的に無理が効かなくなったせいもあるのかもしれませんが、大学や高校の山岳部に象徴される、地図のコースタイムと競争しているような登山には違和感を覚えてなりません。何時間もかけて山頂に到達したのに、すぐにピストンで引き返すような登山って何なんだろうと思います。山に登る意味があるのかとさえ思います。最近は、この手のマラソンやトライアスロンと勘違いしているような(スポーツ)登山が多いのも事実でしょう。何度も言いますが、競争するなら会社や学校でやってくれと言いたいです。

登山ガイドの方の話では、ネットの「山行記録」などに書いているコースタイムは、所詮「オレってすごいだろう?」という自慢話なので、参考にできないものが多いのだそうです。中には如何にも速く歩いたように改ざんしたものさえあるのだとか。そもそも地図に記載されているコースタイムは、登山計画を立てる際に参考にするものであって、速いか遅いかの基準ではないのです。

ある登山愛好家のブログに、山岳ライターの小林千穂さんの講演を聴いた感想が書かれていましたが、小林さんは、講演の中で、山を楽しむためのポイントして、①登頂にこだわらないこと、②興味の幅を広げること、③天気予報の使い方、の三つを上げていたそうです。

登頂だけでなく、植物や昆虫、あるいは山の成り立ちや歴史などに興味を広げると、もっと山に行くのが楽しくなるはずです。むしろ、それが山の魅力でもあるのです。山に行くのは、ネットで自慢して、自己顕示欲を満足させるためだけにあるのではないでしょう。

帰りは、いつものように八高線で八王子まで行き、八王子から横浜線を利用しました。夕方の帰宅ラッシュの前だったので、競争に取り憑かれた人たちに遭遇することもなく、のんびりした気分で帰ることができました。


ユガテから鎌北湖1
旧武蔵国・虎秀村の鎮守の神を祭る吾那神社。この裏から登山道に入ります。登山道は旧飛脚道です。

ユガテから鎌北湖2
名前がわかりません。

ユガテから鎌北湖3

ユガテから鎌北湖5

ユガテから鎌北湖6

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ユガテから鎌北湖8
ユガテ

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雨で洗われ荒れた道

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急登(きゅうとう)

ユガテから鎌北湖11

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ユガテから鎌北湖16

ユガテから鎌北湖17

ユガテから鎌北湖18
「雨乞塚」は、顔振峠や黒山にもあります(奥武蔵だけでなく、全国各地にあります)。昔の里人たちは、裏山の見晴らしのいい高台で雨乞いの行事を行ったのでしょう。

ユガテから鎌北湖19
「男坂」「女坂」もよく目にします。「男坂」はきつい登り、「女坂」はゆるい登りという意味です。

ユガテから鎌北湖20

ユガテから鎌北湖21

ユガテから鎌北湖22

ユガテから鎌北湖23

ユガテから鎌北湖24
ヤマアジサイ? あちこちに咲いていました。

ユガテから鎌北湖25
逆コースの入口

ユガテから鎌北湖26
鎌北湖の湖畔道路を歩いていたらうさぎに遭遇しました。野生なのか? それにしては人に馴れています。

ユガテから鎌北湖27
鎌北湖お決まりの写真
2019.09.06 Fri l 山行 l top ▲
横浜市長選・山尾志桜里


先月、横浜市の林市長は、カジノを含むIRの誘致について、「白紙」方針を撤回し誘致する旨を公式に表明しました。

現在の林市政は、共産党を除く“プレ・オール与党体制”です。もともと横浜市に縁もゆかりもない林文子氏を2009年8月の横浜市長選に担いだのは、同年の5月まで民主党代表であった小沢一郎氏だと言われています。事実、2009年の初出馬の際は、民主党公認で立候補しました。林市長が菅義偉官房長官の「子飼い」だと書いているメディアがありますが、それはのちの話で、最初は民主党系の市長だったのです。しかも、初出馬から今に至るまで、市関係4労組(自治労横浜・横浜交通労組・横浜水道労組・横浜市教職員組合)は林市政を支持しているのです。

林文子氏は、(私も同じ業界にいましたのでわかりますが)要するに車のトップセールスマンだった人です。それで「優秀」と見なされたのです。しかも、当時は女性のセールスマン(セールスウーマン)は少なかったので、よけい「評価」された側面もあったでしょう。ただそれだけの話です。

ところが、市長になるとトップセールスマンの本領を発揮して、自公にも擦り寄り、二期目は民主党のほかに自民党・公明党の推薦も得て、今の“プレ・オール与党体制”が成立したのでした。さらに2017年の三期目では、民進党内のゴタゴタもあって、自民党・公明党のほかに連合が推薦に名を連ねています。

上記の写真は、前回の選挙のときのものです(再掲)。前回の選挙について、私は、このブログで次のように書きました。

今回の選挙では、民進党内の旧維新の市議が、“市民派”として立候補しました。一方、民進党内の旧民主党系は、現職候補を支援しています。そのため、民進党は自主投票になりました。旧維新の“市民派”候補に対しては、共産党が独自候補の擁立を見送り、実質的な“野党共闘”候補として支援しています。

このように横浜市長選は、さまざまな思惑が絡む複雑な構図になっているのですが、少なくとも民進党内の多数派や連合や市関係4労組(自治労横浜・横浜交通労組・横浜水道労組・横浜市教職員組合)は、安倍政権の懐刀である菅義偉官房長官(神奈川二区選出・元横浜市議)が牛耳る自民党と手を組み、カジノ推進や戦前賛美の育鵬社教科書採択の現職市長を支持しているのです。横浜市長選の構図を見る限り、民進党は“野党”なんかではありません。”野党”のふりをしているだけです。

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IRの誘致に関して、メディアは「『白紙』方針を一転」と言っていますが、既にずっと前からトーンダウンしており、(私も書いているように)実際は「推進」だったのです。今になって、「だまし撃ちだ」などと驚いたふりをしている人間たちは、眉に唾して見る必要があるでしょう。

今回の公式表明には、菅官房長官だけでなく、林市政を支持している自治労横浜(横浜市従業員労働組合)の意向もはたらいているのではないか、と私は穿った見方をしたくなりました。何故なら、山下ふ頭にカジノが誘致されれば、みなとみらいを凌ぐほどの新たな天下り先が誕生することになるからです。

財政再建団体への転落が懸念されたほど莫大な負債を抱えているにもかかわらず、全国トップクラスを誇る職員給与。みなとみらいをはじめとする多くの天下り団体。来年完成予定の32階建ての豪奢な市庁舎。横浜市は名にし負う“役人天国”で、それは、飛鳥田時代(1963年~1978年までの革新市政)からの“負の遺産”でもあります。

横浜市が他の自治体に比べて、国民年金保険料や市民税など、「租税公課」の負担が大きいのはよく知られた話です。と言うと、だからカジノを誘致して市民の負担の軽減をはかるというような話になるのですが、市職員の給与や天下り団体や市庁舎の建設を考えると、それが子供だましの方便であることがわかります。林市長がカジノ誘致の理由として挙げる「高齢化」や「人口減」も然りでしょう。

報道によれば、市民の80%だかがカジノ誘致に「反対」しているそうです。だったら市長をリコールすればいいだけの話で、ことは簡単だと思いますが、そうはいかないのが横浜の摩訶不思議なところなのです。

横浜市に住んでいると、立憲民主党や国民民主党に対して、一片の幻想さえ抱くことはありません。抱きようがないのです。文字通り、横浜市政は伏魔殿と化しているのですが、その一端を連合や市関係4労組が担っているのです。そんな”獅子身中の虫”に目を向けることなく、林市長に裏切られたと言って市役所に押しかけて抗議する市民団体は、今更ながらおめでたいとしか言いようがありません。


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横浜はイナカ
2019.09.02 Mon l 横浜 l top ▲
昨日、昼のテレビを観ていたら、各局のワイドショーが揃って日韓対立の話題を取り上げていました。しかし、とても正気とは思えないような、坊主憎くけりゃ袈裟まで憎い式の韓国ヘイトのオンパレードで、思わず目をおおいたくなりました。コメンテーターたちも、平日はテレビで顔を売り週末に講演で荒稼ぎしているような下等物件(©竹中労)の“電波芸者”ばかりで、その顔ぶれにも唖然とさせられました。

テレビがやっているのは、旧宗主国意識丸出しのヘイトビジネスです。テレビを観て、異常だと思わない視聴者もまた、異常と言うべきでしょう。どこを見ても、煽る人間と煽られる人間しかいなくて、冷静にものごとを見るような意見は彼らのファナティックな声にかき消され、ややもすれば「反日」扱いされかねない空気です。

安倍政権がトランプの真似をして韓国への制裁措置を取ると、まるで堰を切ったように、メディアがいっせいに韓国ヘイトの報道を流しはじめる今の光景に対しては、私は「全体主義」あるいは「翼賛体制」という言葉しか思い付きません。

鈴木邦男氏によれば、開戦前夜、東条英機の自宅に「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というような手紙が段ボール箱に何箱も届いたそうですが、この国のメディアはいつの時代もそうやって国民を煽ってきたのです。その体質は、時代が変わってもいささかも変わってないのです。

戦争を待望し、東条英機の自宅に手紙を送った国民たちは、戦争がはじまると、当然ながら戦禍が自分たちの身にふりかかり、辛酸を舐めることになるのでした。そして、終戦を迎えると、今度は一転軍部に騙されたと言い出し、犠牲者ズラしたのでした。今の「韓国が・・・・」「韓国が・・・・」と言っているような人間たちも同じでしょう。

一方で、テレビ局は”音楽出版利権”を媒介に芸能界の黒い紳士たちと結託して、芸能界をアンタッチャブルなものにしてきました。その典型が「独立した芸能人はどうして干されるのか?」というあの問題です。

先日、朝日新聞に掲載されていた下記の記事は、遅きに失した感はあるものの、新聞とテレビの系列化という”電波利権”を考えると、それなりのタブーを破った記事と言えるでしょう。間違っても、テレビのワイドショーでは扱うことのできない問題であることはたしかです。

朝日新聞デジタル
のんさんに何が起きているのか エージェントが語る圧力

能年玲奈の問題に関しては、今更説明するまでもないでしょう。能年玲奈という本名さえ使えない異常。これほど理不尽な話はありません。しかも、裁判所がドレイ契約を容認し、本名の使用禁止を正当と認めたのです。

今、能年玲奈は芸能界とは無縁だったコンサルティング会社とハリウッド方式のエージェント契約を結んでいるそうです。もちろん、彼女が結んでいるエージェント契約は、吉本興業が表明した「エージェント制」とは似て非なるものです。

テレビから干されている能年玲奈に対しては、仕事もなくどうやって生活しているんだろうと誰もが思っていることでしょう(私もそう思っていました)。しかし、契約先の「スピーディ」の福田淳社長は、「とんでもない誤解」だと言ってました。

「(略)彼女は現在、マルコメやメンソレータム社・アジアパシフィック(香港)など、のべ20社とCM契約があります。事務所に所属せず、ギャラから手数料分のみを私に払う仕組みなので、おそらく日本の俳優の中でもトップクラスの手取りがあるでしょう」


現在の能年玲奈は、テレビから干された「弱い立場」の芸能人などではないと言います。

「のんは現状、テレビ番組に出ていないだけで、十分すぎるほどの経済的成功を収めているし、うちの会社は芸能事務所ではなく、コンサルタント会社。本業は企業などのブランディングで別にあり、タレントマネジメントはのんだけ。だから、芸能業界に自由にものが言える立場にある」


ただ、テレビに関しては、現場からオファーは来るものの、企画が具体化すると「なかったことにしてください」と言われるのが常だとか。中には、衣装合わせまで済ませたのに出演が見送りになったケースもあったそうです。要するに、芸能界の黒い紳士たちから圧力がかかるからです。

福田社長は、「(略)他の事務所に移籍しようものなら『今おまえが成功しているのは、育てた事務所のおかげだ』と言われ、その後も多方面に圧力をかける。まるで江戸時代の女衒(ぜげん)の世界です」と言ってましたが、まったくその通りでしょう。

また、どうして他の芸能プロと同じように所属契約を結ばないのか?という質問に対して、福田社長は次のように答えていました。

「ハリウッド型の、透明な契約にするためです。仕事ごとの契約金額自体や配分もタレントがわかるようになるし、僕のエージェントとしての働きが悪かったら、のんが僕をクビにすることもできる。一部の古い芸能事務所とタレントの間には、長年『雇っているから、言うことを聞かないとクビにするぞ』という一方的な力関係があった。タレント自身が、仕事の契約金額もわからない、上下関係があり、もの申せない……。『奴隷契約』です。僕はインドやアフリカの児童労働くらいひどいと思っています」


これは、竹中労が常々言っていたことですし、私もこのブログで何度も書いてきたことです。これが当たり前の、正常な感覚なのです。テレビの世界が異常なのです。女子アナの笑顔の背後に、怖い!怖い!芸能界のアンタッチャブルな世界があることを知るべきでしょう。それは、”テレ朝の天皇”と安倍政権との関係に見られるように、政治も同じです。韓国ヘイトと芸能人が干される問題の根っこにあるものは、同じなのです。

日本の社会は、空気に流され同調圧力が生まれやすいと言われますが、私たちは、とりわけテレビがこの国を異常なものにしているという認識をもっと持つ必要があるのではないか。つくづくそう思いました。


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2019.08.29 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
昨日、丹沢(正確には西丹沢)の大野山にハイキングに行きました。少し寝坊しましたが、それでも早朝6時前に家を出て、東横線で横浜、横浜から東海道線で国府津、国府津から御殿場線で谷峨(ヤガ)まで行きました。谷峨に着いたのは8時過ぎでした。

谷峨は無人駅で、Suica(私の場合はPASMO)が使えないことは事前にネットで調べていましたので、横浜駅で乗り換えの際、切符を買って乗車し、谷峨に着いた際、ホームに降りて待っている車掌さんに切符を渡しました。

ちょうど通勤時間帯だったので、ローカル線とは言え、意外にも電車の中はかなり混んでいましたが、谷峨で降りたのは私ひとりだけでした。前の八高線もそうでしたが、ワンマン運転の場合、乗車や降車する際に自分でドアのボタンを押さなければドアが開かないので、慣れないと戸惑います。

谷峨駅は、山奥の小さな駅で、駅前にはなにもありません。もちろん、コンビニもありません。あるのは、電話ボックスと飲み物の自動販売機だけです。

登山アプリのルートに従って歩くと、国道246号線の上の高架橋を渡り、稲が青々と実った田んぼの中に降りました。前方には東名高速の高架橋も見えました。大野山は、東名高速の都夫良野トンネルの北側にある山です。途中、「山北つぶらの公園方面」という看板がありましたが、「山北つぶらの公園」が都夫良野トンネルの真上になるそうです。大野山はその手前から山道に入って行きました。

山の上を見上げると霧がかかってるのがわかりました。ネットには登山道は整備されて歩きやすいと書いていましたが、連日の雨でぬかるんで滑りやすく、決して歩きやすいとは言えませんでした。また、途中、レースのカーテンをひいたみたいに、至るところに蜘蛛の巣が張り巡らされ、蜘蛛の巣が顔に付くたびに手で払いのけなければなりませんでした。また、登山道は雑草が生い茂り、一部ではヤブ漕ぎのような山行を余儀なくされるところもありました。

しばらく歩くと、樹林を抜け眺望が開ける道に出ましたが、霧がかかって真っ白で何も見えませんでした。どんどん下から霧(ガス)が上ってきます。そうやって空気の流れが手を取るようにわかるのでした。ところが、今度は急に陽が差してきたりと気まぐれな山の天気に翻弄されました。

足元を見ると、いろんな昆虫が蠢いていました。草むらから蛇やトカゲも飛び出してきました。また、時折、蝶や蜂も舞っていました。そんな光景がとても新鮮でした。山国育ちの私が、久しく忘れていた光景です。前日に一眼レフのカメラを買い替えたばかりで、今回のハイキングはトレーニングだけでなく、新しいカメラの扱いに慣れるというもうひとつ別の目的もありましたので、目に付いたものは片端からシャッターを切りました。

また、樹林帯の登山道には、熊の糞とおぼしきものもありました。近くに沢がありましたので、時間帯から言って、熊がいる可能性もあるでしょう。それで、ときどきホイッスルを吹きながら歩きました。帰ってネットで調べたら、(去年の話ですが)案の定、大野山周辺でも何度か熊の目撃情報があったみたいです。

途中、目の前に突然、黄色の蝶々が二頭(蝶を数える単位は“頭”らしいです)、私の目の前に現れました。そして、まるで私を先導するかのように、しばらく私の前を飛んでいました。

私は、映画の「歩いても 歩いても」のシーンを思い出しました。樹木希林演じる母親は、家に舞い込んだ黄色の蝶を死んだ息子が帰ってきたと思い込み蝶を追いかけるのですが、私は、ふと、二頭の蝶は死んだ父親と母親ではないかと思ったのでした。息を切らして登りながら、そう思い込みたい気持になったのでした。すると、なんだか胸の内にこみあげてくるものがありました。ちなみに、下る際も、私を待っていたかのように、同じ場所に黄色の蝶がいました。

昔から山は信仰の対象になっています。宗教に帰依した者は、山で修行に励みました。今、私たちが利用している登山道も、修行僧が開拓したものも多いのです。山に登ることは、多分に宗教的な意味合いがあるのです。と言うか、人をそうさせる面があるように思います。

山に登って息が上がり苦しいとき、いろんなことを考えます。親孝行したいときに親はなしと言いますが、生きているときになにひとつ親孝行できなかった自分をあらためて思い、この苦しさはその報いだなどと考えたりすることがあります。そして、この苦しさを我慢して乗り越えることが親に対する贖罪だみたいに自分に言い聞かせるのでした。ややオーバーに言えば、これも自己処罰のひとつと言えるのかもしれません。人間というのは、自己処罰することで救いを求めるようなところがあるのです。もっとも、そう考えること自体が、既に宗教の色合いを帯びているようにも思います。

山頂に着いたら、視界もきかないほどガスに覆われ、小雨も降りはじめて、半袖では寒いくらいでした。山頂は広場になっており、トイレやベンチなども整備されていますが、人影はありません。こんな日に山に登るもの好きは私くらいなのでしょう。

大野山は、「関東の富士見100景」に選定されており、富士山だけでなく丹沢の山々も見渡せるそうですが、あたり一面は真っ白でなにも見えません。

ホントはこのあと丹沢湖に向かう予定でしたが、方向音痴の私は途端に不安になり、今来た道を引き返すことにしました。

結局、行きも帰りも誰にも会いませんでした。合わせて5時間以上歩きましたが、文字通り孤独な山行でした。私は、あらためてひとりがいいなあと思いました。天気に恵まれなくても、誰にも会わずに自分だけの時間を過ごせただけで、充分満足でした。都合12キロくらいの道程で、2万歩ちょっと歩きました。

谷峨駅では、1時間近く電車を待ちました。谷峨駅から乗ったのは、私のほかにネクタイ姿の青年の二人だけでした。「無人駅から乗車の際は整理券をお取り下さい。整理券がないと、始発駅からの料金を徴収する場合があります」というような注意書きが待合室に貼っていたので、不安になり、青年に「整理券はどこで取ればいいか、わかりますか?」と尋ねたら、「私も初めてでわからないんですよ」と言ってました。

やがて三両編成の電車が来たので乗車したものの、どこにも整理券を取るような機械はありません。切符も持たずに乗っているのです。文句は多いけど、人一倍順法精神にあふれる私は、不安でいっぱいでした。切符を持たないで電車に乗るなど初めての体験です。

乗り換えの国府津駅に着きましたが、乗客たちは手慣れた様子で、向かいのホームに停車している横浜方面線の電車に向かっています。私は、ますます不安になり、改札口に向かいました。そして、窓口の女性に「整理券を取れなかったのですが、どうすればいいんですか?」と訊きました。

「どこから乗ったのですか?」
「谷峨からです」
「はい、だったら320円ですね」
「これから乗り換えるんですが、その場合はいったん改札口を出てあらためて切符を買わなければならないんですか?」
「どこまで行くのですか?」
「横浜です」
「ああ、横浜だったら、このまま乗って横浜駅の窓口で谷峨からですと言って料金を払えばいいですよ」

そうなのかと思いました。ネット予約やICカードの時代なのに、なんとアナログでのんびりした話なんだろうと思いました。



大野山1
谷峨駅

大野山2
前方の高架橋が東名高速(手前が246号線)

大野山3

大野山4
吊り橋

大野山5
酒匂川

大野山6

大野山7

大野山8

大野山9

大野山10

大野山11

大野山12
熊の糞?

大野山13

大野山14
蜘蛛の巣

大野山15
霧がかかり幻想的な雰囲気です。

大野山16

大野山17
山に来るな!

大野山18
山に来るな!

大野山19
東屋(休憩所)

大野山21

大野山23
黄色の蝶(拡大するとわかりますが、蝶の背後にはスミレ?が咲いています)

大野山26

大野山27
鳥獣除けの柵(開けて中を進みます)

大野山28

大野山29

大野山30
背丈ほどの雑草を払いのけながら進みます。

大野山31

大野山32

大野山34
山行の相棒(カリマーのザックとトレッキングポール)

大野山35

大野山37
山頂

大野山38
山頂

大野山40
山頂

大野山41
山頂

大野山42
下山開始

大野山43

大野山44

大野山45
やっと晴れてきました。

大野山46
低山ですが、結構登ってきたことがわかります。

大野山47
東名の高架橋がはるか下に見えます。

大野山48

大野山49

大野山50

大野山51

大野山53
オオバツツジ
2019.08.23 Fri l 山行 l top ▲
今日の午後1時頃からクリックポストのサービスが突然停止しました。クリックポストは、ヤマト運輸のメール便の廃止に伴って、Yahoo!Japanと日本郵便が共同で立ち上げたサービスで、私も仕事でクリックポストを利用していますので、仕事が留まり大きな影響を受けています。

6時間以上経った現在も未だ復旧していません。そのため、本日付けの郵送に間に合わず、仕事は明日に持ち越すことになりました。

クリックポストのサイトに掲載された「お詫び文」には、当初トラブルの原因が何なのか、はっきり記載しておりませんでしたが、4時間経った頃に次のように「お詫び文」が訂正され、やっとその原因が判明したのでした。

クリックポストは、ただいまシステムメンテナンス中のため、サービスを一時停止しております。

8/23(金)13:00頃からクリックポストで利用しているAWS(Amazon Web Services)において障害が発生しているため、サービスがご利用いただけない状態となっております。
ご利用者様には多大なご迷惑をお掛けし誠に申し訳ございませんが、復旧までしばらくお待ちいただきますようお願い申し上げます。


私は、クリックポストのサービスが停止したあとも、Yahoo!ニュースがアマゾンのAWSのシステムトラブルでゲームサイトなどが影響を受けているという記事を掲載しているのを見て、自分のところのサービスのトラブルには素知らぬ顔でよそのトラブルだけを伝えるなど、如何にもYahoo!ニュースらしいなと思いました。ところが、上記の「お詫び文」で、クリックポストのサービス停止も、AWSのシステムトラブルが原因だったことがわかったのでした。だったらよけいタチが悪いと言わねばなりません。

Yahoo!ニュースは、日韓対立以降、韓国ヘイトのニュースを意図的にピックアップして掲載し、コメント欄に巣食う差別主義者たちを煽ってきました。いつものことですが、そうやってバズらせ、アクセスを稼ぎ、ニュースをマネタイズするためです。

前も書きましたが、Yahoo!ニュースの編集部は、新聞社や通信社の転職組が中心になって運営されています。言うなれば、彼らは、新聞記者として一人前になる前に挫折して退社した、ジャーナリストの落ちこぼれのような人間たちです。

しかも、驚くことには、Yahoo!ニュースには、ジャーナリズムとして最低限の要件である編集権の独立も認められてないのです。言うなれば、Yahoo!ニュースはまとめサイトのようなもので、編集者たちはまとめサイトの管理人と同じなのです。ところが、当人たちは、「取材して書く・撮る人材“だけ”がジャーナリストを名乗っていた世界は変わろうとしている」などと宣い、一人前(いっちょまえ)にジャーナリスト気取りなのですから片腹痛いとはこのことです。

日韓対立は、懸念されていたとおり、両国の安保協力体制の崩壊へ進もうとしています。日本のメディアは、GSOMIAの破棄は晴天の霹靂であったかのように伝えていますが、それはカマトトというものでしょう。日本政府だって当然予想していたはずです。そうやって驚いたふりをすることで、さらに韓国ヘイトを煽るつもりなのでしょう。

日韓対立を仕掛けた安倍政権の狙いが改憲の世論作りであることは、少しでも考えればわかるはずです。軍事的な緊張が現実になりはじめたことで、9条改正が悲願の安倍首相や極右の改憲派はほくそ笑んでいるに違いありません。安保協力体制がゆらぎ、隣国との対立が先鋭化すればするほど、世論が防衛力強化=戦争できる国家の再興へと傾いて行くのは世の常です。安倍一強の翼賛体制下で政権の茶坊主と化したメディアは、そのお先棒を担いでいるのです。

GSOMIAの破棄について、アメリカが懸念し韓国に再考を求めたというような報道がありますが、国際政治にそんな間抜けな話があるわけないでしょう。常識的に考えても、韓国が言うように、「アメリカと緊密に協議した上で決断した」というのが真相のはずです。

一方、別の視点から見れば、日韓対立の背後に、世界の多極化の流れがあることがわかります。そこには、東アジアの覇権を放棄する(したい)アメリカの意向が見え隠れしているのです。先日の米韓軍事演習についての「あんなバカげたことに大金を使いたくない」というトランプの発言にも、アメリカの本音が表れているのです。そう考えると、トランプ政権がGSOMIAの破棄を事実上容認したのも頷けようというものです。

翼賛報道によって韓国ヘイトと9条改憲に誘導される世論。いざとなれば、まるで右向け右と言わんばかりに、朝日から産経までが同じ隊列を組んで国民を動員する日本のメディア。メディアの罪は取り返しがつかないほど大きいと言えるでしょう。


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2019.08.23 Fri l 社会・メディア l top ▲
ひとりで山に行くのは全然苦ではないし、自分にはこのスタイルが向いていると思っていますが、ただ、自己流なので専門的な知識や技術があるわけではありません。また、今の自分がどれくらいのレベルにあるのか、客観的に知ることもできません。

それで、ベテランの登山家などに指導を受ける教室のようなものはないか、ネットで調べていたら、ある登山サークルのウェブサイトに、2010年前後の山ガールや団塊の世代による“山ブーム”の頃と比べると、現在はハイカーの数が半減していると書いているのが目に止まりました。私は、今も”山ブーム”がつづいているものと思っていましたので、半信半疑ながら「へぇ~、そうだったのかぁ~」とどこかで聞いたような台詞を心の中で呟きました。

たしかに、団塊の世代が高齢化して、山登りができなくなったという側面はあるでしょうが、後続の世代は、団塊の世代ほど山に興味を持ってないということなのでしょうか。そう言えば、昭和30年代に登山ブームがあり、そのときに親に連れられて山に登った世代が、昨今のブームを支えているというような話を聞いたことがあります。

私も若い女性向けの輸入雑貨を扱う仕事をしていましたのでよくわかりますが、ブームは所詮ブームなのです。登山も例外ではなかったということなのかもしれません。

本多勝一氏は、先に紹介した『新版・山を考える』とは別の『貧困なる精神T集・「日本百名山」と日本人』(2006年・金曜日)でも、中高年ハイカーによる百名山ブームを「メダカ社会の共鳴現象」と書いていましたが、そういった浮薄な現象がやがて終焉を迎えるのは理の当然と言えるでしょう。

ある登山愛好家のブログにも、山小屋で中高年夫婦の次のような会話が耳に入って呆れたというような記事がありました。妻が「××山は怖いから登りたくないわ」と言ったら、夫が「××山は百名山ではないから登らなくていい」と言ったのだとか。山に対する冒涜だと書いていましたが、その気持はわからないでもありません。

また、別のブログでは、山の中に使用済みのティッシュがよく捨てられているけど、ティッシュを持ち帰るくらいの心使いもできないのかと憤慨していました。たしかに、私もよく目にします。山に登ると、やたら洟水が出てティッシュで洟をかむことがありますが、それを平気で山の中に捨てているのです。これでは、食べ残したものを捨てるなんて朝飯前でしょう。そして、ついでに、ユガテの監視カメラではないですが、花や果物も盗んで帰るのでしょう。

ある登山ガイドの方のブログでは、登山関連のキュレーションサイトから執筆依頼が来るけど、その際、アマゾンで販売している登山用品を必ず取り上げてほしいという条件が付くので、それが嫌で断っていると書いていました。登山の初心者がありがたがって読んでいるキュレーションサイトの記事にも、ステルス広告が埋め込まれているのです。それどころか、百名山のように、今や山自体が商品化しブランド化しているのです。

ハイカーが半減したという話がもしホントなら、旅行会社や登山メーカーや登山用品の販売店は大変でしょうが、他人に煩わされずに静かに山(自然)と向き合いたいと考えている人たちにとっては、あるいは無用に人間が食べるものへの好奇心をそそられ、その結果迷惑がられて駆除される熊にとっても、むしろ歓迎すべきことと言えるのかもしれません。
2019.08.19 Mon l 山行 l top ▲
あいちトリエンナーレに対する脅迫メールやファックスが770通にものぼっているそうで、ネトウヨ化する日本の異常さをあらためて痛感せざるを得ません。

と同時に、今回の日韓対立を仕掛けたのは安倍政権の方だということを忘れてはならないでしょう。

その口実は輸出管理における「安全保障上の問題」でした。しかし、ホントに「安全保障上の問題」があったのか、検証するメディアはどこもありません。それどころか、「安全保障上の問題」はいつの間にかどこかに消えてしまったのでした。

安倍政権の措置が、徴用工裁判に対する報復であるのは明々白々ですが、しかし、メディアはそのことにも触れようとはしません。

何度も言うように、徴用工の問題は、日本帝国主義による侵略戦争の”負の遺産”です。だから、韓国が過剰に反発するのは当然で、まるで侵略された側に非があるかのような主張をする限り、韓国側の反発が収まることはないでしょう。「盗人猛々しい」という気持はわからないでもありません。

日韓請求権協定(1965年)は、国交正常化の際に日韓基本条約とともに結ばれた、日本が韓国に5億ドルの経済支援を行うことで、両国及び国民の間での請求権を完全かつ最終的に解決したとする内容の協定です。韓国では、日韓基本条約ともども「日帝の戦争犯罪を不問に付す不平等条約」であるとして、学生たちを中心に激しい反対運動が起こりました。しかし、当時の韓国は旧日本軍の下士官であった朴正煕が、クーデターで権力を掌握した軍事独裁政権下にありました。学生たちは苛烈に弾圧され、「不平等条約」は締結されたのでした。

言うなれば、子どもが殴られてケガをしたけど、親が子ども抜きに勝手に相手と交渉して金銭で解決したような話です。しかし、殴られた子どもは、殴られたことを忘れることはできません。相手に対して謝れと言うのですが、相手はお金で解決したから謝る必要はないと突っぱね、挙句の果てには、殴った覚えがないなどと言い出し開き直っているのです。

徴用工や従軍慰安婦の問題は、民主化された韓国社会が、親日派の軍事独裁政権が過去に行った対日交渉を見直す過程で再浮上した問題でもあるのです。

それにしても、安倍政権が韓国に対して報復措置を取ると、メディアがいっせいに韓国叩きに走るこの光景には、おぞましさしか覚えません。これこそ安倍一強の翼賛体制と言うべきでしょう。日本のメディアは、韓国のナショナリズムの暴走を嗤っていますが、日本も同じなのです。韓国を嗤う資格などないのです。

これでは為政者はやりたい放題のことができ、笑いが止まらないでしょう。安倍や麻生や菅や二階のあの人をバカにしたような傲慢な態度も、理解できようというものです。メディアは、権力を監視するどころか、権力の茶坊主になっているのです。

アメリカのトランプは、まるでゴロツキのように中国やイランなどにケンカを吹っかけて無用に対立を煽っていますが、アメリカも日本と同様、野党の民主党がふがいないので(民主党も”中国脅威論”を共有し、米中対立を支持している)、来年の大統領選挙もトランプが有利と言われています。ただアメリカの場合は、まだしもニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど権力を監視するメディアが存在しています。日本には、権力を監視するメディアさえ存在してないのです。暴走を止める装置がないのです。

一方、朝鮮人にとって、言うことと実際の行動が釣り合わないのはよくある話なので(だからバカにされる)、あの過激で感情的なもの言いとは裏腹に、韓国があれよあれよという間に妥協する可能性もないとは言えないでしょう。矛盾した言い方ですが、朝鮮人は面子を重んじるものの、面子そのものにこだわるわけではないのです。そういった朝鮮人特有の気質も日本側に見透かされているように思います。

先日、女優のチョン・ユミが、DHCのモデル活動を拒否し契約を解除したというニュースがありましたが、DHCが排外主義的なナショナリズムを煽る韓国ヘイトのネトウヨ企業であるのは衆知の事実で、チョン・ユミが今までモデルを務めていたこと自体驚きでした。そんな調子だから、日本のメディアから「(DHCは)とばっちり」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い話だ」とヤユされるのです。そういった大甘=ご都合主義も朝鮮人の特徴と言えるでしょう。

韓国の歴代政権は、「反共」や「アメリカ」を媒介に、日本の保守政権と蜜月を結んできました。その日本の保守政権の多くは、建て前はともかく、侵略戦争を正当化し美化するような歴史観を持っているような政権でした。何を今更という声があってもおかしくないでしょう。

案の定、文在寅政権がトーンダウンしはじめたという話も出ていますが、ナショナリズムのいい加減さと愚かさを身を持って知るためにも、ここは徹底的に対立した方がいいのです。そして、お互い痛い目に遭えばいいのです。国民国家の宿痾でもあるナショナリズムに対しては、そうやって何度も痛い目に遭い「学び直し」するしかないのです。


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「愛国ネットウヨ企業大図鑑」
2019.08.15 Thu l 社会・メディア l top ▲
明神池熊の出没
上高地・明神池


札幌市南区の住宅街に出没していた熊は、今日の早朝、地元猟友会によって駆除(射殺)されたそうです。

TBS NEWS
札幌、住宅街出没のクマを山で駆除

「駆除の一報に住民からは安堵の声が聞かれ」たそうですが、熊が置かれている問題について、最近、少なからぬ関心を抱いている“熊恐怖症”の人間としては、やり切れない気持にならざるを得ませんでした。

ネットでは、熊が人里に降りて来るのは、山にエサが不足しているからではなく、逆に熊が増えすぎているからだというようなトンデモ話がまことしやかに流れていますが、こういったトンデモ話と駆除のニュースを考えると、やはり「傲慢」という言葉しか思い浮かびません。そこには、自然に対する畏敬の念が微塵も伺えません。

調べてみると、熊に対するさまざまな誤解が存在することもわかりました。

ちょっと古いですが、2013年に日本熊森協会と北海道熊研究会が北海道知事に共同で申し入れた“人と熊が共存するための要望”には、私たちの熊に対する偏見や誤解が指摘されており、目から鱗が落ちる思いがしました。

北海道知事への熊問題に関する申し入れ ( 要望 )
http://www.yasei.com/bearlobby.html

熊に遭遇したら死んだふりをすればいいという対処法については、妄言であると一刀両断していました。

道の「あなたとヒグマの共存のために」と言う道民向けのパンフレットには「熊に襲い掛かられたら ( これは爪や歯で襲われている状態を言う ), 首の後を手で覆い、地面に伏して死んだふりをして下さい。山に入る人は万一に備えて練習して下さい」とあるが、これは全く間違った対処法である。まず熊の攻撃に意識ある状態で無抵抗で耐え得る人間など何処にいようか。これを書いた当事者に聞きたいものである。熊に囓られ爪で引っ掻かれれば意識あれば反射的に抵抗するもので、これに耐え我慢せよと言うのは、正に妄言であり、責任ある当局が言うべき事ではない。


むしろ、反撃すべきだと言います。

襲い掛かって居る熊に反撃すれば、熊が更に猛り、被害が大きくなるではないかと、想像で反論する者がいるが、過去の事例を検証した限り、そう言う事例は全く無く、それは杞憂に過ぎぬ事は明白である。

熊ばかりでなく、動物に襲われて、その難から身を守る原則は相手に対し積極的に反撃することが原則であることは、人を含む動物界における基本原理常識である。


そのためにも、昔の山子(山師)のように鉈(ナタ)を携行すべきだと言うのです。

また、私なども山に行くときに必ず携行している熊鈴についてですが、鈴の音は沢の音などでかき消され熊に音が届かないことがあるので、鈴よりもホイッスルの方が有効だとか。ホイッスルを「10数分毎に2~3 回」吹くことを推奨していました。

たしかに、一番怖いのは熊と鉢合わせになることです。これは、人間でも犬でも一緒ですが、特に熊は臆病なので、鉢合わせになるとびっくりしてパニックになり襲いかかってくるからです。だから、ここに人間がいるぞということを前もってアピールする必要があるのです。鈴を鳴らすと逆に熊に居場所を知られて危険だというような話もありますが、逆に鉢合わせの危険性を高める間違った考えと言えるでしょう。

熊と遭遇して事故になるのは、登山者より山菜取りの人が圧倒的に多いのです。それは、山菜取りの人は林道や登山道を外れて山の中に入るので、熊と鉢合わせになることが多いからです。通常、登山道を歩いていれば、よほどのことがない限り、「熊に襲われる」ことはないそうです。

熊に対して人食いサメと同じようなイメージを持っている人が多いのですが、実際は、人間がいることがわかると、熊は逃げるか、草むらに身を隠すのだそうです。もちろん、人間は熊が身を隠しているのを知りません。実際は、このようにすぐ近くで熊と遭遇している場合が多いのです。

山に詳しい人の話では、糞や足跡や剥皮(熊が樹木の皮を剥いだ跡)の特徴、それに活動する時間帯(早朝と夕方)や出没しやすい場所(広葉樹林の森や沢)など、熊の生態を知っておくのも大事だと言ってました。また、林道を熊が横切って行ったというような話がありますが、あれは”熊道”があるからでしょう。獣道と同じように、”熊道”が存在することを理解しておく必要があるでしょう。

”要望”では、今回のような住宅街に出没する事例についても言及していましたが、それによれば「満2歳未満の熊は人を襲う事は無い」し、「夜にのみ街中に出て来る熊は人を襲わない」そうです。

夜にのみ街中に出てきている熊は人を慎重に避けて行動している証拠で、熊が出て来ているその様な場所に人が夜間に出歩いても、熊の方で先に人の存在に気づき身を潜めるもので、人を襲うことは先ず無い。


山小屋で働いていた人に聞いた話でも、日本アルプスなどでは山小屋の近くに熊が出没することはあるけれど、山小屋やテント場まで降りてくることはないそうです。なぜなら人間がいるからです。

近づいてきたらピストルの音に似た擬音を発して追っ払うそうですが、もし仮に食べ物を与えたりしたら熊の好奇心を煽り、ますます人間に近づいてくるようになるでしょう。よくネットには山でカップ麺を食べて美味しかったというような写真がアップされていますが、ホントに麺やスープもすべて平らげ容器を持ち帰っているんだろうか(食べ残したものを棄てたりはしてないのだろうか)と気になります。

私の祖父などもそうでしたが、昔は山に行くときは必ず鉈を携行していました。しかし、今の世の中で鉈を持って行くというのは難しい面もあります(鉈を持って電車やバスに乗ったら警察に通報されるでしょう)。最低限、熊スプレーとホイッスルは持って行くべきだとあらためて思いました。
2019.08.14 Wed l 山行 l top ▲
私は、山に行くときはヤマレコのGPS地図アプリを利用していますが、一方でユーザーが実際に山に行った際の感想や写真を書き込む「山行記録」を読むと、ときに違和感を抱くことがあります。

ヤマレコ
https://www.yamareco.com/

「山行記録」には、中高年の登山ブームの火付け役になった(と言われる)深田久弥氏の百名山について、今回登ったのが何座目だなどと言って、まるで四国八十八か所巡りのお遍路さんみたいに、百名山を踏破することが目的のように書いている文章が散見されます。最近は、百名山のほかに二百名山なるものもあるみたいで、日本山岳会もそれに悪ノリしているようです。さらに、日本山岳会の後ろには、登山メーカーや登山雑誌や登山用品の販売店や旅行会社などが連なり、舌なめずりしながらソロバン勘定をしているのです。

私のようなシロウトでも、百名山ってなに?と思います。山のブランドなのかと思ってしまいます。深田久弥氏は、人間に人格があるように、山にも品格(山格)があると書いていましたが、「山格」とはもはや冗談みたいな話です。文学というのは、かように便利で且つ特権的で、文学的装飾で偽装すれば(そして、あの小林秀雄がお墨付きを与えれば)、冗談みたいな話ももっともらしく受け取られるのです。

百名山や二百名山を有難がっている”登山ジレッタント”たちは、裸の王様に裸だと言えずに、盲目的に王様にかしずく心の不自由な人たちと言うべきなのかもしれません。本多勝一氏は、『新版·山を考える』(朝日文庫)の中で、彼らを「メダカ民族」の「モノマネ没個性登山者」だと批判していましたが、正鵠を得ていると言うべきでしょう。

また、ヤマレコの「山行記録」には、やたらとコースタイムにこだわったり、北アルプスのような技量と体力を要する山でも「たいしたことはなかった」みたいに書く人たちもいます。世の登山愛好家には、この手の自己顕示欲の強い人間が多いのも事実です。

私は、彼らの「山行記録」を読むにつけ、ここはオレたちの道路だと言わんばかりに我が物顔に煽ってくるダンプカーの運転手と似ているように思えてなりません。ヨーロッパの模倣からはじまった日本の近代登山は、とうとうそんなピエロを生むまでに至ったと言うべきかもしれません。本多氏は、深田久弥氏について、「『山それ自体』の関心があまり深くなかったのではないか」と書いていますが、むしろ、やたらコースタイムにこだわったり、レベルの高い山も「たいしたことはなかった」と嘯く世の登山愛好家たちこそそう言えるのではないでしょうか。

一方で、深田氏は、意外にも次のようなことを書いているそうです。

登山がスポーツ化されるに従って、それは何らかの形で体制的なものの下におかれる。山の自由な空気を楽しむよりも、記録を立てることの方に重点がおかれる。やがては記録を目的とする登山さえ出てくる。彼らは山に登って山を見ようとしない。記録のためには、山で享受できるものすべてを棄ててもかまわない。(中略)学校の山岳部に主将とか副将とかいうのが決められ、シゴキとか訓練とかが重視されるようになっては、登山はスポーツにはなったが、本当の山好きではなくなったようである。

(『Energy』1970年4月号・「登山とスポーツ」)
※ネットより孫引き


その言やよしですが、ただ、百名山や二百名山にこだわるのもまた、山行の「自由な空気」の対極にあるものでしょう。その意味では、深田氏が書いていることは自己撞着にほかなりません。

私は、大学の山岳部出身のそれこそダンプカーの運転手のような人間を知っていますが、彼がいつも口にする体育会的な山のオキテや山自慢も、山行の「自由な空気」の対極にあるという点では百名山信仰と同じなのです。言葉は悪いですが、目クソ鼻クソなのです。
2019.08.12 Mon l 山行 l top ▲
世間では今日からお盆休みですが、トレーニングのため、群馬県高崎市の榛名湖に行きました。榛名湖だと標高が高いので、熱中症の心配もないだろうと思ったのです。たしかに、平地に比べたら気温が低く(22〜3度くらいでした)快適でした。

まず東上線で終点の小川町まで行き、小川町でJR八高線に乗り換えて高崎に。高崎から榛名湖行きのバスに乗りました。早朝6時過ぎに東上線に乗り、榛名湖に着いたのは11時半過ぎでした。

榛名湖に行ったのは二度目で、前に行ったのは30年近く前です。前回は車でしたので、こうして電車とバスを乗り継いで行くのは初めてです。

東上線も八高線も榛名湖行きのバスも、お盆休みに入ったというのに結構混んでいました。八高線では、大きなバッグを持った帰省中とおぼしき乗客も目に付きました。

高崎に行ったのも、15年ぶりくらいです。昔、事情があって、当時親しくしていた女性と高崎で「逢引き」していたことがあり、その頃通っていました。

八高線の車内で、車の免許の高齢者講習を受けたばかりだという女性と隣合わせになり、四方山話をしていたら、彼女も山が好きでよく山登りに行くのだと言うのです。

「どんな山に行くのですか?」と尋ねたら、「2千メートル以上の山が多い」と言ってました。それで、「北アルプスなどにも行くのですか?」と訊いたら、「3年前に槍ヶ岳に行った」と言うのでびっくりしました。高齢者講習は70歳からなので、年齢は推して知るべしで、見た目も普通の高齢女性です。

「私も、最近、山歩きを再開したんですが、とにかく体力がなくて情けないですよ」と言ったら、「体力なんて山を歩けば自然に付きますよ」「登山は競争じゃないんだから自分のペースで歩けばいいんです。そうすれば誰でも頂上に着きますよ」と言ってました。けだし名言だと思いました。まったく、競争するなら会社でしてくれと言いたいです。

「私はツアーは嫌いです。山に行くときは、いつも一人か、多くて二三人ですよ」と言ってました。

高崎駅から榛名湖行きのバスには、若い人も多く乗っていました。バスが山岳道路に入ってもそのまま乗っているので、私はてっきり彼らも榛名湖に行くものと思っていました。ところが、手前の榛名神社で全員降りたのでした。

私は、隣の席の女性に「榛名神社って若者に人気があるんですか?」と訊きました。

「ええ、パワースポットで有名なんですよ」
「パワースポット?」
「岩の間にお社があって見ごたえがありますよ。行ったことがないんですか?」
「はい」
「一度行ったらいいですよ。おすすめですよ」と言われました。

榛名湖はカルデラ湖で、周辺にいくつかの外輪山があります。その中でいちばん高い掃部ヶ岳(かもんがだけ)に登ることにしました。掃部ヶ岳は標高1449メートルですが、榛名湖自体が標高1000メートル以上ありますので、標高差は400メートル足らずです。頂上までは1時間ちょっとで登ることができますが、最初からきつい登りがつづくので思ったより息が上がりました。

20分くらい登ったら分岐点があり、山頂とは別に硯岩(すずりいわ)という方向への案内板がありました。行くと、硯岩は巨大な岩で、すぐ下は身がすくむような断崖絶壁でした。しかし、慎重に岩に登ると、眼下に榛名湖が見渡せ、絶景に感動しました。掃部ヶ岳の方は榛名湖方面の眺望がなく、がっかりしました。

途中ですれ違ったのは二人だけでした。硯岩の手前でヘトヘトになって登っていたら、上から降りてきた若者から「もう少しですよ。がんばって下さい」と言われました。

「上は景色がいいですよ」
「体力がなくて情けないよ」
「ハハハ」
「アナタなんか休憩しないで登れたの?」
「一応」
「オレなんか二回も休んだよ」
「自分は20代だからそのくらい当然ですよ」と言ってとっととと降りて行きました。

登山道には「熊出没注意」の看板があり、両側もクマザサで覆われていましたので、先日の”熊恐怖症”がよみがえってきました。

バス停の近くの食堂で道を尋ねた際、「熊は出ませんか?」と訊いたら、食堂のおばさんから「そんな話は聞いたことがない」と言われたのですが、登山道に入ったらさっそく「熊出没注意」の看板です。20代の若者にも「熊はいなかった?」と訊いたら、「ハハハ、いませんよ」と一笑に付されてしまいました。

山から降りたら、来たときとは反対側へ向かって、榛名湖のまわりを一周しました。5キロくらいありました。

湖畔ではあちこちで、家族連れなどがテントを張ったりテーブルを設置したりしてバーベキューをしていました。そんな光景を見るにつけ、家庭の幸福とは無縁な人間としては、幸せそうで羨ましいなとしみじみ思うのでした。

湖畔を一周してバス停の近くに戻り、最初に道を訊いた食堂でワカサギの天ぷら定食を食べました。九州の私の田舎にあるダムでもワカサギが釣れるので、ワカサギの天ぷらはなつかしい食べ物です。二十歳のとき、退院して実家に帰ったときも、時間を持て余したので、毎日のようにワカサギ釣りに行った思い出があります。

食堂のご主人に「今は書き入れ時でしょ? 人出はどうですか?」と訊いたら、「いや~、全然ですな」と言ってました。

「昔はこんなじゃなかった。もっと多かったですよ」
「たしかに、廃業したホテルなんかの建物も目に付きますね」
「そうです」
「今はどこに行っても外国人観光客がいますが、榛名湖にはあまりいませんね」
「交通の便が悪いからでしょ。車が主体なので、それがネックになっているんじゃないかな」

私も昔はどこに行くにも車でしたので、他人(ひと)のことはとやかく言えないのですが、こうして山に行ったりするようになると、山に車で来て何が面白いんだろう?と思ってしまいます。車から見る風景と歩いて見る風景は、まったく違います。息を切らして登るからこそ山の魅力があるのです。そうやって自然と向き合うことで、自然に対する畏敬の念を持つことができるのです。それがわからないのは不幸のような気がします。

「榛名湖は、あまりにも人工的になりすぎているんじゃないですか? 人工的なものが目立ちすぎますね。それが魅力を削いでいるような気がしますよ」と言ったら、食堂の主人は「うーん」と考え込んでいました。

マラソンやロードバイクや花火などのイベントを催して集客を狙っているようですが、発想が行政主導でステレオタイプなのです。群馬は名にし負う保守的な土地柄ですが、そういったことと関係があるのかもしれません。榛名湖もアスファルトばかりが目立ちます。トレッキングの客はあまりいません。まわりをアスファルトで塗り固められた湖が主役で、山は完全に後景に退いている感じです。

帰りは、高崎から湘南新宿ラインで横浜まで乗り換えなしで帰りました。奮発してグリーン席に乗ったのですが、ゴルフ帰りのサラリーマンたちが車内で宴会をはじめて散々でした。近くに座っていた乗客たちも、迷惑顔で席を移動していました。どうやら都市銀行の行員たちのようで、昔よく耳にした銀行員と警察官の宴会はタチが悪いという話を思い出しました。


榛名湖1

榛名湖7

榛名湖3

榛名湖4

榛名湖5

榛名湖6

榛名湖8
硯岩からの眺望

榛名湖9
建物の上の山の突起した部分が硯岩

榛名湖10

榛名湖11

榛名湖12

榛名湖13

榛名湖14

榛名湖15


2019.08.10 Sat l 山行 l top ▲