朝日新聞デジタルの「論座」に、ジャーナリストの高田昌幸氏が、「『東京五輪中止』の現実味をスルーする日本マスコミの病理」と題する記事を書いていました。

論座
「東京五輪中止」の現実味をスルーする日本マスコミの病理

最近、やっとと言うべきか、日本のメディアにも、東京五輪の開催を危ぶむ報道が欧米メディアから相次いでいるという記事が出るようになりましたが、しかし、それも欧米のメディアの口を借りた多分にヘタレなものでしかありません。どうしてこんなに腰が引けているのか。それどころか、一方では未だに開催を前提にアスリートの紹介などを続けているのです。そうやって性懲りもなく”五輪開催幻想”を振りまいているのです。

それは、「怖れ多くもご質問申し上げます」とでも言っているかのような、内閣記者会(官邸記者クラブ)が仕切る首相記者会見のヘタレっぷりと通底しており、文字通り日本のマスメディアの「病理」を映し出していると言っていいでしょう。

高田氏はこう書いていました。

  全国紙で東京都や組織委を取材している記者は「今夏の開催が難しいことは記者の誰もが分かっているでしょう。でも、それを積極的に記事にしよう、社会に投げかけようという機運はありません。どのメディアも自分が先陣を切るのが怖いのだと思います」と言う。


これをヘタレと言わずして何と言うべきかと思いました。先陣争いをするのではなく、「先陣を切ることが怖い」とは。彼らにジャーナリストを名乗る資格はあるのでしょうか。

こういったメディアのヘタレっぷりが、権力を監視するどころか、トランプと同じような狂気の宰相に伴走し、ひたすら忖度し続け、トランプ政権と同じように民主主義を毀損した長期政権を支えてきたのです。

でも、オリンピックに関しては、国民の8割は開催に反対しています。今の感染状況を見れば、オリンピックどころじゃないと考えるのは当然でしょう。しかし、メディアは違います。相も変わらず、官邸の意を忖度するような姿勢に終始しているのです。それでは、国民の間に、新聞やテレビなどの既存メディアに対する不信感が増すのは当然でしょう。そして、メディア離れをいっそう加速させることになるのも当然です。権力を監視する役割を放棄して、権力のパシリに零落した彼らは、そうやってみずから墓穴を掘っているのです。貧すれば鈍するとはこのことかもしれません。

  東京オリンピック・パラリンピックのオフィシャルパートナーには読売新聞社と朝日新聞社、日本経済新聞社、毎日新聞社が名を連ねている。オフィシャルサポーターには産業経済新聞社と北海道新聞社が加わっている。メディア委員会にはテレビ局や通信社、新聞社などが揃い踏みだ。

   新聞社やテレビ局も営利企業であり、オリンピックを大きなビジネス・チャンスとして捉えること自体は否定しない。しかし、営利目的が「報道の論理」を食い尽くし、国民が疑問に思う大きなテーマを取材・報道しないのであれば、報道機関としては役割放棄と言えよう。報道をしない期間にも開催に向けて湯水のごとく税金は使われている。


こういった言葉も、もはや馬の耳に念仏なのでしょう。日本のメディアの「病理」は、治癒不能なほど深刻なのです。

追記:
21日、日本政府が内密に東京五輪を中止する結論を出したと報じた英タイムズ紙の記事が、日本国内でも大きなニュースになっています。記事によれば、日本政府の関心は既に「開催枠が空いている2032年の五輪大会を確保すること」に移っているのだとか。

Yahoo!ニュース
THE PAGE
英タイムズ紙が「政府が内密に東京五輪中止を決定。2032年開催プランが水面下で進行」の衝撃報道

政府や大会組織委員会は報道を否定していますが、火のないところに煙は立たないという諺があります。もしかしたら、国内外の反応を見るために、「政権与党の古参議員」を使ってリークしたのかもしれません。

それにつけても、この場に至っても、国民は○○○桟敷に置かれ蔑ろにされているのです。まったくいいように嘗められたものです。と同時に、政府の動向が海外のメディアに先行して報道される日本のメディアのテイタラクぶりにも、ただただ呆れるしかありません。


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2021.01.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
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新宿駅~奥多摩駅~【本仁田山】~鳩ノ巣駅~青梅駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約6.5時間(休憩等含む)
※山行距離:約8.5キロ
※標高差:875m
※山行歩数:約24,000歩
※交通費:2,776円


昨日(17日)の日曜日、本仁田山(ほにたやま・1224.5m)の大休場尾根(おおやすんばおね)に登りました。

大休場尾根は、奥多摩三大急登に数えられている名にし負う急登です。尚、奥多摩の山で、平均斜度(勾配)が20度以上の急登は以下のとおりです。

本仁田山・大休場尾根 35.5度
鷹ノ巣山・稲村岩尾根 26.5度
六ッ石山・水根ルート 24.0度
天祖山・表参道 22.0度
御前山・大ブナ尾根 20.2度

出典:
徒然なる登山ブログ
奥多摩三大急登とは?

これを見ると、大休場尾根がダントツです。山頂までの距離が短い上に、緩やかな道がほとんどないので、平均斜度が大きくなるのでしょう。とにかく、最初から最後まで急登の連続でした。たとえば、三頭山のヌカザス尾根も急登ですが、平均斜度は17.1度でした。途中にゆるい勾配のところがあるからです。

日本山岳会奥多摩支部のグレーティングによれば、大休場尾根は、登山道グレードや技術力グレードは星2つでしたが、体力グレードは星4つでした。

大休場尾根は、地元では「鉄砲尾根」と呼ばれているそうです。そして、大休場尾根を登ることを「鉄砲登り」と言うのだとか。

距離は短いものの、急登による体力の消耗が激しいので、大休場尾根では何件かの遭難事故も発生しています。昨日も、登っていたら下から腰にカラビナやロープを下げた男性二人が登って来ました。ヘルメットを見ると、「警視庁」と書かれていました。「どうしたんですか?」と訊いたら、「ちょっと捜索しているんですよ」と言ってました。「この辺だよな」「どこかに引っかかるはずなんだけどな」なんて話していました。

さらに小さな岩場を登っていたら、上から下りてきた先程の隊員から「あっ、コース外れていますよ」と言われました。たしかにロープがあったのですが、ロープがゆるんで地面に垂れていたので、そのまま登ったのでした。どうやらそれは通行止めのロープだったようです。

「ホントは横を巻くんですよ」「そんなに難しくはないけど、上に一枚岩のような岩があって、それを登るので気を付けてください」と言われました。

また、私のぶざなま姿を見かねたのか、もうひとりの隊員から「きついでしょ?」と言われました。「そうですね。噂通りきついですね」と言ったら、「奥多摩三大急登ですからね」と笑っていました。

他にも、やはりロープの束を肩から下げた地元の山岳会のメンバー?とおぼしき人たちが5~6人、登山道から斜面に下りていました。

今回も、前回の大寺山のときと同じ新宿駅6時46分発のホリデー快速に乗りました。緊急事態宣言下でしたが、前回よりハイカーは多く乗っていました。もちろん、コロナ前の休日に比べたら全然少なく(4 分の1以下?)、ゆったり座って行くことができました。

大休場尾根は、奥多摩駅から直接登ることができます。8時半前に奥多摩駅に着きましたが、駅前のバス停には既にハイカーが列を作っていました。青梅街道を走る奥多摩湖(丹波や鴨沢)方面のバス停には10人前後、日原(にっぱら)街道を走る川苔山の百尋ノ滝(ひゃくひろのたき)方面のバス停には20人近くが列を作っていました。日原街道を走るバスはマイクロバスなので、かなりギューギュー詰め(つまり、密)になるでしょう。

私は、バス停のハイカーたちを横目で見ながら、奥多摩駅を出ると右の方に進みました。奥多摩町役場の前を通って、石灰石の工場の前を左折し、日原川に架かる北氷川橋(きたひかわばし)を渡って氷川国際ます釣場の方に向かいます。二つ目の女夫橋(めおとばし)を渡ると、右手に氷川国際ます釣場がありますが、大休場尾根の登山口は、左手の除ケ野(よげの)集落の中の坂道を登って行きます。九十九折の山の中の坂道を45分くらい登ると、安寺沢(あてらさわ)という集落の奥に大休場尾根の登山口がありました。

本仁田山の標高は1200メートル超で、山頂までの距離も2.2キロですが、単純標高差は800メートルを越します(登山口からは720メートル)。距離が短い分斜度が大きく、奥多摩の低山おなどるなかれを象徴するようなコースでした。低山をバカにする山のシロウトには、一度登ってみろと言いたいです。北アルプスに行くためのトレーニングで奥多摩の急登を登るというハイカーも多いのですが、たしかに筋力トレーニングするには最適だと思いました。私も、最近はゆるゆる登山ばかりしていたので、下りは完全に足に来てつらい思いをしました。帰りに駅の階段を下りるのもひと苦労でした。

登山口に向かう際、私の前を中年のカップルが歩いていました。途中で追い抜いたのですが、急登で再び追い抜かれました。その際、少し話をしたのですが、やはり夫婦ではないみたいでした。

また、途中で立ち止まって休憩していると、後ろから登ってきた中年の女性と30代くらいの男性が追い抜いて行きました。とにかく皆さん驚異の脚力で、気が遠くなるような急登もガンガン登って行き、あっと言う間に姿が小さくなっていきました。その脚力には圧倒されました。やはり、他の山と違って、熟達者というか上級者が多い気がしました。

大休場尾根を登るのも大変ですが、下りはもっと大変な気がします。しかし、反対側の杉ノ殿尾根が一部に急登があるものの大休場より全然楽なので、杉ノ殿尾根を登りに使って、下りに大休場を選ぶハイカーも結構いるみたいです。

頂上付近で、上から下りて来た老夫婦とすれ違いましたが、「なに、これ?」「大変だよ」などと言いながら、おぼつかない足取りで急斜面を下りていました。しかし、そこはまだ序の口で、下に行けば足を滑らせると滑落の危険性がある激下りが待っているのです。

ほうほうの体で山頂に辿り着いたら、山頂では外人の若い女性が二人、弁当を食べていました。喋っていた言葉は英語でした。私たち外人もワクチンを打ってもらえるんだろうかと言っていました。そして、弁当を食べ終わると、大休場尾根の方へ下りて行きました。彼女たちもおそらく杉ノ殿尾根を登って来たのでしょう。これから待ち構えている試練を知らないんだなと思いました。

私は、前に杉ノ殿尾根をピストンしたので、本仁田山は今回で二度目でした。着いたときは曇り空で、眺望はあまり望めませんでした。しかも、ベンチに座っていると急に身体が冷えて来ました。それで、登り始めに脱いだ上着をもう一度羽織りました。ところが、ぼつぼつ下ろうかと思っていたら、やにわに空が明るくなってきて、長沢背稜の背後に忽然と富士山が姿を現したのでした。それは、文字通り忽然という表現がピタリとするような感じでした。山の天気は変わりやすいのですが、必ずしも悪いことばかりではないのです。

杉ノ殿尾根を40~50分下ると、林道(西川林道)と交差したところにある大根ノ山ノ神(おおねのやまのかみ)に着きました。ここは杉ノ殿尾根と川苔山をそれぞれピストンした際に通りましたので、これで三度目です。

大根ノ山ノ神から鳩ノ巣駅までは30~40分くらいです。鳩ノ巣駅に向けて登山道を下っていたら、下から登って来た高校生とおぼしき若者の二人組とすれ違いました。ただ、手にペットボトルを持っているだけの軽装でした。途中で拾ったのか、木の枝を杖代わりにして、ハアハア荒い息を吐きながら登って来ました。まさかそんな恰好で川苔山や本仁田山に登るとは思えません。面倒くさいのでたしかめませんでしたが、ネットでも話題になっている峰集落の跡地に”探検”に行くのかもしれないと思いました。

奥多摩の山を歩いていると、こんなところにと驚くような場所に人家の跡があったりしますが、峰集落もそのひとつです。大根ノ山ノ神から西川林道を少し下ると、1972年に最後の住人が山を下りて「廃村」になった峰集落の跡地があります。昔、集落の子供たちは、今、私たちが登山の恰好をして登っている鳩ノ巣駅から大根ノ山ノ神の道を毎日歩いて学校に通っていたのだそうです。峰集落については、ヤマップの「活動日記」にも次のような記述がありました。

峰集落とは鎌倉末期から大正末期まで500年以上も木材、炭焼きで繁栄した村で昭和47年に最後の住民が下山して廃村となりました。
柳田國男も滞在して研究したと言われる伝説の村です。

YAMAP
本仁田山と峰集落


柳田國男もこの道を歩いて峰集落に行ったのかと思うと、(足は筋肉痛で悲鳴をあげていたけど)なんだか感慨深いものがありました。そして、柳田國男の『山の人生』をもう一度読み返したい気持になりました。

尚、峰集落については、下記の文春オンラインに掲載されている記事(訪問記)に詳しく書かれています。

文春オンライン
これぞ東京の秘境! 1972年に廃村になった奥多摩山中の「峰集落」へ行ってみた

鳩ノ巣駅に着いたのは、15時すぎでした。私が使っている登山アプリ(ネットから登山届を提出することができるアプリ)のコースタイムとほぼ同じでした。

鳩ノ巣駅からは青梅線で青梅駅、青梅駅から中央線で立川駅、立川駅から南武線で武蔵小杉駅、武蔵小杉駅から東横線で最寄り駅に帰りました。最寄り駅に着いたのは19時前でした。

途中の電車も、それから青梅駅や立川駅や武蔵小杉駅も、緊急事態宣言下とは思えないほど人が多く、普段の日曜日より若干少ない程度でした。皆、「不要不急の外出自粛」などどこ吹く風の不心得者です。もちろん、かく言う私もそのひとりなのでした。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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石灰石工場の横の坂を下り、最初の橋(北氷川橋)を渡る

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石灰石工場全景

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二番目の橋(女夫橋)を渡る

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氷川国際鱒釣場

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安寺沢の集落に向かって車道を登る

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登山口

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いきなり急登

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尾根に迷い込んで滑落したケースがあったので、こういった看板を立てたのか

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登山道を上から振り返る

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六ッ石山?

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山頂

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山頂標識

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忽然と姿を現した富士山

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本仁田山は何故か外国人のハイカーが多いので、こんな道標を設置したのかも

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木に括りつけられた瘤高山の山頂標識

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瘤高山からの眺望
都心も見えた

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大根ノ山ノ神
今回もお賽銭をあげて手を合わせた

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麓の集落に戻って来た

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鳩ノ巣駅全景

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改札口

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待合室の中にあった注意書き
鳩ノ巣駅は無人駅なので、待合室で夜明かしするのに焚き火をする人間がいるのでしょうか。山の中でもときどき焚き火の跡を見かけますが、駅の待合室で炊き火とは凄い話です。もう放火のレベルと言っていいくらいです。
2021.01.18 Mon l 山行 l top ▲
日本で新型コロナウイルスの感染が確認されてから15日でちょうど1年だそうです。この1年間で、日本では31.1万人が感染し4119人が亡くなりました(1月14日現在)。

もちろん、これは公的機関が確認した数です。日本は欧米に比べて17分の1と言われるくらい検査数が少ないので、当然感染が確認された数も少ないと考えるのが常識でしょう。全てはオリンピック開催のためです。そうやって感染状況を小さく見せるための不作為が行われているのでした。

そして、今、そのツケがまわってきているのです。フリップを掲げて感染爆発だと大騒ぎしている自治体の長たちも、昨日までは、GoToトラベルやGoToイートの還元キャンペーンのフリップを掲げ、観光や会食を奨励していたのです。あたかも新型コロナウイルスは山を越した、自粛は終わったと言わんばかりに、「みんな、街に出よう」と言っていたのです。

昨日の新聞にも、「感染爆発」というフリップを掲げている黒岩祐治神奈川県知事の写真が出ていましたが、私にはその顔はまぬけ顔にしか見えませんでした。黒岩県知事もまた、神奈川県とは縁もユカリもない人物です。誰が連れて来たのか知りませんが、立候補するに際して、自公と民主党(当時)が支持し、選挙で(当然ながら)圧勝したのでした。

今のコロナ禍では誰がやっても同じという声がありますが、しかし、総理大臣を含む政治家や感染対策の実務にたずさわる役人たちを見ていると、どうしてこんなにお粗末なんだろうと思わずにはおれません。対策が「後手」になっていることが何よりそのお粗末さを表しているのです。

PCR検査をサボタージュしながら、相も変わらずまるでモグラ叩きのようなクラスター対策ばかり行なっている日本。日本は人口当たりの病院数や病床数が世界で一番多く、CTやMRIの台数も他国を圧倒しているにもかかわらず(ただし医師の数は少ない)、病床不足が指摘され医療崩壊が叫ばれているのです。感染の確認から既に1年が経ったのに、感染専門の病院すらないのです。地域の基幹病院(一般病院)がCOVID-19の患者を引き受けていますが、そのため、専門医や個々の病院で得た”経験値”や病床機能などのいわゆる医療資源が重点的に配分されず、有効活用されてないと指摘されていました。しかし、政治家や厚労省や日本医師会の都合と思惑によって、臨機応変な対応は行われなかったのでした。

私も院内感染(クラスター)が発生したいくつかの病院を知っていますが、気の毒としか言いようがありません。お粗末な(厚労省の)感染症対策の犠牲になったと言っても言い過ぎではありません。

ここに至っても、あらたにCOVID-19の重症患者を引き受けた病院に対して、緊急事態宣言の対象地域の病院には1床あたり1950万円(その他の地域は1500万円、重症化以外の病床は450万円)支給するなどと言っていますが、どう考えても場当たり的な弥縫策だとしか思えません。要するに、「ワクチンで全て解決」までの時間稼ぎのつもりなのでしょう。ここにも役人特有の前例主義と事なかれ主義が如実に出ている気がしてなりません。このような”小役人的発想”で、感染対策の基本方針が維持される不幸と怖さをあらためて考えざるを得ません。

そんな中で、(予断と偏見を捨てると)小池都知事が、都立の広尾病院・荏原病院・豊島病院をCOVID-19の患者を重点的に受け入れる「コロナ専門病院」にする方針をあきらかにしたのは、英断だと思いました。報道によれば、この3病院のほかに、他の都立病院と都の政策連携団体の公社が設置する「公社病院」の合わせて14の病院で、600床増やして1700床にする方針だそうです。

また、広島県の湯崎英彦知事が、「無症状の感染者を早期に発見し、市中感染の拡大を封じ込める」ため、広島市中心部の4区(中区、東区、南区、西区)の全住民や就業者80万人を対象に、無料のPCR検査を実施する方針を明らかにしたことも、同様に英断だと思いました。逆に言えば、他の首長たちはどうして同じことができないんだろうと思いました。「感染爆発」のフリップを掲げて”自粛警察”を煽るだけが能ではないでしょう。

何度もくり返しますが、ウイルスは撲滅などできないのです。共生するしかないのです。昨日の朝日新聞デジタルには、私も前にこのブログで取り上げた『感染症と文明』(岩波新書)の著者の山本太郎長崎大熱帯医学研究所教授のインタビュー記事が掲載されていました。

朝日新聞デジタル
コロナ1年、感染症の専門家が葛藤する「二つの物語」

山本教授は、現在、「ウイルスとの共生、社会経済との両立と集団免疫の獲得」という「物語」と、隔離に伴う差別や限られた医療資源の中での命の選別に直面する患者たちの「個の物語」という、「二つの物語」が進行していると言っていました。

とりわけ自分の命が疎かにされる怖れがある「個の物語」は深刻です。ただ高齢だとか、ただ貧困だというだけで、失われなくてもいい命が失われるのかもしれないのです(現実にはコロナ禍でなくても、命の選別は行われていますが)。にもかかわらず、非常時だから「仕方ない」で済まされるのです。

神奈川県でも、職員の入力ミスで安否確認の連絡システムが機能しなかったために、自宅療養していた患者が人知れず亡くなったという事件がありましたが、そういった事件も黒岩知事が頭を下げただけであっさりと処理されたのでした。

戦争中と同じで、指導者の責任が不問に伏されているのです。非常時だから仕方ないという日本的な”翼賛思想”ばかりが強調され、どう見ても無能としか思えない指導者でも唯々諾々と従うしかないかのようです。まるで悲劇を悲劇として認識することさえ放棄しているかのようです。それでは悲劇が増幅されるだけでしょう。

ワクチン開発にしても、日本は最初からレースの枠外でした。日本政府がやったことは、オリンピック開催に拘り、意図的にPCR検査をサボタージュして感染状況を小さく見せることだけでした。テレビやネットでは「ニッポン凄い!」という自演乙が花盛りでしたが、コロナ禍によって”凄くないニッポン”が露わになったのです。

尚、山本教授が言う「ウイルスとの共生」については、下記の記事をご参照ください。


関連記事:
新型コロナウイルスと「共生への道」
2021.01.16 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
今日は成人の日だそうですが、私たちの年代には成人の日と言えば1月15日というイメージがあるので、1月11日が成人の日と言われてもピンと来ません。もっとも、2000年からハッピーマンデー制度がはじまり、1月の第2月曜日が成人の日と定められているそうで、成人の日が1月15日でなくなってから既に20年も経っているのです。

成人の日と言えば、沖縄や福岡などヤンキーたちによる荒れた式典がメディアに取り上げられ、果たして公費を使って成人の日の式典を行う必要があるのかという議論が毎年巻き起こるのが決まりでした。

ところが、今年は様相を一変しています。新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、成人式を中止や延期する自治体が続出しているのでした。特に、二度目の緊急事態宣言が出された首都圏では、1月11日に成人式を挙行する自治体はごく稀です。

その中で、杉並区と横浜市は式典を開催(強行?)したのでした。二度目の緊急事態宣言が発令され、「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」というおなじみのキーワードが発せられ、メディアも繁華街の人出が思ったより減ってないなどと報道する一方で、それにまったく反するような式典が挙行されたのでした。

去年までメディアの間で姦しく飛び交っていた”成人式不要論”はまったく影を潜めています。何が言いたいのかと言えば、緊急事態宣言という「ファシスト的公共性」と成人式の開催は矛盾しているではないかということです。それこそ、再三言っているように、頭隠して尻隠さず、あるいは竜頭蛇尾の典型と言えます。私は、杉並区や横浜市の首長は、これからどんな顔をして「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」を言うつもりなんだろうと思いました。

特に横浜市は、全国の市町村で最多の3万7000人の新成人がいて、その中で7割の新成人が式典に出席する予定だと言われています。感染対策として、会場を例年の横浜アリーナのほかにパシフィコ横浜も加え、さらにそれぞれの会場で4回ずつ8回に分けて式典が行われるそうです。

新成人に対するテレビの街頭インタビューなどでは、「思い出になるので式はやってほしい」という声が多くありました。「思い出」というのは便利な言葉ですが、要するに彼らにとって成人式は、クリスマスやハロウィンなどと同じようなイベントなのです。言うなれば、ジモト(地元)やタメ(同級生)というヤンキー的テイストに基づいて騒ぎたいだけなのです。成人式という公的に認められた場で、晴れ着を着て、地元の友達と誰に遠慮することもなく盛大に無礼講を行ないたいだけなのです。それを彼らは「思い出」という言葉で合理化しているのでした。

そんな「思い出のため」などという誰でも言える(猿でも言える)無意味なワードが飛び交っている今年の成人式に対して、猪瀬直樹が、大学進学率が5割になった今は「成人式をやる意味がない」とめずらしく正論を述べていました。メディアから”成人式不要論”が忽然と消えた中で、唯一と言っていい正論だと思いました。

エキサイトニュース
東スポWeb
猪瀬直樹氏が持論 大学進学率50%の今「成人式をやる意味ない」

(略)猪瀬氏は自身の時代の成人式を振り返り「成人式はきわめて空疎な式典だ。僕の時代は大学進学率が12%ぐらいで大学生は成人式には行かなかった。大部分は中卒・高卒で社会人となり仕事も慣れたところで、成人式は通過儀礼としての意味があった」とし、本来は社会人になった成人のための式だったとした。

 その上で「いま大学進学率50%+専門学校、ほとんど学生だ。いま成人式をやる意味はない。卒業式で充分だ」と私見を述べた。


まったくその通りで、私は猪瀬直樹より下の世代ですが、私たちの頃も、大学に行った人間は成人式に出席しないのが普通でした。私は大学どころか、まだ東京の予備校に通っている身でしたので、成人式と言われてもピンと来なかったというのが正直な気持でした。中学を卒業すると3分の1は就職するような田舎でしたので、二十歳になった小中学校の同級生のほとんどは既に働いていました。そんな中で、未だ親の脛を齧っている身としては、肩身が狭い気持もありました。猪瀬直樹が言うように、成人式には社会に出て一人前の大人になる通過儀礼の側面がたしかにあったのです。

私の田舎では成人式は夏に行われていましたが、成人式の年の秋、私は、持病の再発で東京から九州に戻り、国立病院で三度目の入院をすることになりました(そして1年間の長期入院を余儀なくされたのでした)。私の父親は写真館をやっていたので、近辺の町や村の成人式の集合写真を依頼されて撮っていたのですが、東京に迎えに来たとき、盆休みに行われた成人式の写真を持って来ました。そこには懐かしい小中学校の同級生たちの顔がありましたが、しかし、病気による失意の只中にいたということもあって、特別な感慨はありませんでした。ましてや「思い出」などという言葉が入り込む余地などありませんでした。

ただ、翌年の1月15日の成人の日に、突然、主治医の先生や婦長さんが病室にやって来て、病棟の職員一同からの記念品としてアルバムを貰いました。その頃はまだ病状が安定せず、ほとんど寝たきりの状態でしたので、すごく感激したことを覚えています。アルバムの上には「祝成人」と書かれた熨斗(のし)が貼られていました。アルバムは今も大切に持っています(成人式の写真は紛失して手元にありません)。それが私にとって、成人式の「思い出」と言えば「思い出」です。

「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」などと言いながら、政治家や公務員はこっそり忘年会をやり、若者たちに迎合して成人式を挙行するのです。それでは、「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」が建前にしか聞こえないのも当然でしょう。昨今の成人式は、公費を使ってSNS向けの「思い出」作りに手を貸すようなものです。ヤンキーが多い横浜市も荒れる成人式として有名ですが、式典のあと、新成人たちがお行儀よく自宅に帰るとはとても思えません。成人式は、ウィルスの運び屋である若者たちの密や飲み会を、半ば公認するようなものと言っていいでしょう。これでは「正しく怖れる」など夢物語でしょう。

もともと横浜とは縁もユカリもないシャネル大好きのおばさんを市長候補として連れて来たのは、当時民主党の党首であった小沢一郎ですが、その結果、横浜市は、菅義偉のような市政を牛耳る地域のボスと市関係4労組(自治労横浜・横浜交通労組・横浜水道労組・横浜市教職員組合)が共存する伏魔殿になったのでした。

横浜市は、令和2年度末時点で、市債と外郭団体の借入金を合わせると、4兆3千億円の借金があります。そのうち、外郭団体の収入(水道料金やバス運賃など)を除いた”純借金”は3兆1千億円です。そんな中で、昨年、800億円の巨費(それも借金)を投じて、桜木町駅近くの北仲通南地区に32階建ての市庁舎を建てたのでした。

横浜市には、外郭団体を入れて4万5千人の職員がいます。人件費は、1年間の歳出の実に20%、3700億円を占めています。2010年には、横浜市は、ラスパイレス指数(国家公務員給与を100とした時の地方公務員の給与水準)で、全国の地方自治体で1位になり、高給が批判を浴びました。今は当時より給与水準は落ちているものの、依然として100超(つまり、国家公務員よりは高い給与を得ている)であることには変わりがありません。それに、外郭団体のほかにみなとみらいのような第三セクターも多く、退職後の再就職先(天下り先)も手厚く保障されているのです。

32階建ての豪華市庁舎から市民を睥睨する”役人天国”の住人たち。成人式の挙行も、公務員の忘年会と同じような、現実と乖離した建前と本音の所産なのかもしれません。

今日も近所のスーパーは行列ができるくらいお客が殺到していました。また、休日の都心に向かう朝の電車も、コロナ前の電車と変わらないくらい混雑していました。「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」という「ファシスト的公共性」が、行政に対する不信感によって骨抜きにされているのは(言っていることが矛盾しているようですが)いいことです。しかし、COVID-19の猛威は続いているのです。悩ましい話ですが、私たちは、正しい知識で「正しく怖れる」必要があるのです。一方で、自分たちの自由は自分たちで守る必要もあるのです。

新型コロナウイルスは撲滅などできないのです。共生するしかないのです。罰則規定を新たに設ける特別措置法や感染症法の改悪が俎上に登る中で、みずから進んで国家に自由を差し出す”自粛警察”のような衆愚を他山の石として、自由を守りながらどう感染防止を行うか、どう「正しく怖れる」かという課題が私たちに突き付けられているのだと思います。


関連記事:
横浜市政は伏魔殿
2021.01.11 Mon l 横浜 l top ▲
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新宿駅~拝島駅~奥多摩駅~深山橋バス停~【大寺山】~深山橋バス停~奥多摩駅~青梅駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約6キロ
※標高差:430m
※山行歩数:約18,000歩
※交通費:3950円


冬の低山ハイク第4弾。3日に奥多摩町(東京都)と丹波山村(山梨県)の都県境にある大寺山(982m)に登りました。奥多摩周辺の山に登ったとき、遠くの山の上に白い建物が見えることがあります。あれは何だろうとずっと気になっていました。

ネットで調べたら、その建物は法華宗系の宗教団体である日本山妙法寺の仏舎利塔であることがわかりました。そう言えば、別府の実相寺という丘の上にも同じような仏舎利塔があります。あれと同じようなものかもしれないと思いました。

日本山妙法寺と言えば、今でも反原発や反核の運動ではおなじみの宗教団体ですが、私も若い頃、三里塚の支援集会などで、団扇太鼓を打ち鳴らしながら「南無妙法蓮華経」とお経を唱えていた僧侶の一団を見かけたことがあります(でも、のちに運動から逃走し、敵前逃亡だと批判を浴びました)。

大寺山自体は、奥多摩湖に面した標高が1000メートルにも満たない低山ですが、奥多摩特有の急登が続く山だという紹介がネットにありました。それで、仏舎利塔と急登に惹かれて登ってみることにしたのでした。

大寺山は片道3キロ弱の距離しかなく、コースタイムも1時間30分くらいなので、通常は大寺山からさらに1時間30分かかる鹿倉山を縦走して丹波山温泉に下りる場合が多いようです。ただ、その場合、奥多摩駅に戻るバスが一日に4便しかないため、3便目の15時台のバスに間に合うかどうか微妙なのでした。それに乗り遅れると最終便の18時台のバスしかありません。それで、今回はピストンすることにしました。

新宿駅から土日と祝日だけ運行されている6時46分発のホリデー快速おくたま号に乗りました。それでも終点の奥多摩駅に着いたのは8時21分でした。

いつものホリデー快速だと、大きなザックを背負ったハイカーたちで通勤電車並みに混むのですが(新宿駅ホームのその光景は壮観です)、やはりコロナ禍の中、拍子抜けするくらいガラガラでした。ホリデー快速は、途中の拝島駅で奥多摩駅行きと武蔵五日市駅行きに切り離されるのですが、私が乗った車両にはハイカーは5~6人くらいしかいなくて、むしろ通勤客の方が多いくらいでした。ちなみに、1号車から6号車までが奥多摩行き(おくたま号)、7号車から10号車が武蔵五日市駅行き(あきかわ号)になります。

奥多摩駅に着くと、駅前のバス停には既にハイカーが並んでいました。そのバス停から8時35分発の丹波行きのバスに乗ります。ハイカーご用達のバスは、青梅街道を走るこの路線と日原街道を走る東日原行きに大別されますが、東日原行きは2019年10月の台風19号の被害でずっと運休になっていました。しかし、先月(2020年12月1日)、1年2ヶ月ぶりに運行が再開されたばかりです。ただ、道路の復旧が完全に終わっていないので、通常の大型バスではなく小さなマイクロバスが運行されていました。

東日原行きのバスに乗っているのは、川苔山の百尋ノ滝コースを歩くハイカーが大半だと思いますが(百尋ノ滝コース自体も台風の被害から復旧したばかりです)、冬の凍結時期ということもあってか、数人しか乗っていませんでした。他に東日原からは、鷹ノ巣山の稲村岩尾根コースもあるのですが、稲村岩尾根コースもまた台風19号の被害で未だ通行止めになっているのでした。

一方、私が乗った「鴨沢方面丹波行き」のバスは8割程度の乗車率でした。全員ハイカーです。途中でいちばん降りる人が多かったのは、奥多摩駅から8個目の奥多摩湖のバス停でした。おそらく御前山に登るハイカーたちなのでしょう。私は、34個目のやはり奥多摩湖沿いにある深山橋(みやまばし)のバス停で降りました。降りたのは私ひとりだけでした。

バスには数人残っていましたが、彼らは39個目の鴨沢のバス停で降りて、雲取山か七ツ石山に登るハイカーたちなのだろうと思います。

深山橋は、三頭山のムロクボ尾根ルートの最寄りのバス停でもあります。バス停を降りて、奥多摩湖にかかる緑色の橋(深山橋)を渡ると、陣屋という蕎麦屋さんがあります。その蕎麦屋さんの横(ほとんど敷地内のようなところ)を入ると、「鹿倉山・大寺山登山口」の古い看板がありました。ちなみに、大寺山に登る途中には、道標は二つしかありませんでした。いづれも奥多摩湖方面を示す、手作りのかなり古い道標でした。あとは踏み跡とピンクテープを頼りに登るしかありません。ただ、ピンクテープも、色が褪せたり吹き飛ばされたものが多く、あまり数も多くありません。

登り口からいきなり急登でした。私は靴擦れになり、途中から足の後ろの部分が痛くてなりませんでした。ただ、距離が短くて時間も長くないので、それほどつらい感じはありませんでした。尾根に辿り着くと、今度は両側が切れた痩せ尾根が続きました。そして、痩せ尾根のあとは再び急登になり、息を切らして登ると目の前に山頂の白い建物が忽然と現れました。

私は、尾根に上がった際、道を見失い尾根の上とは反対側の谷の方に向かってしまいました。典型的な道迷いのパターンです。この時期ではよくある話ですが、落ち葉によって踏み跡が消えていたのでした。ピンクテープも見つからず、しばらくウロウロした挙句、かすかに踏み跡らしきものがある(気がした)谷側に歩いて行ったのでした。スマホのGPSで確認しましたが、GPSが示す方向は間違ってないのです。

でも、やはりおかしいなと思って、尾根の上に上がることを考えました。それで急斜面を木を掴みながらかなり強引によじ登りました。途中、掴んだ木がポキッと折れて滑り落ちたりしました。

尾根の上に上がると、案の定、踏み跡がありました。尾根の上は風が強いので、落ち葉もそれほど積もっていなくて踏み跡も明瞭に残っているのです。ここで20分~30分時間のロスをしました。

最後の急登の手前では、特別天然記念物のニホンカモシカに遭遇しました。5分くらい睨み合いましたが、その間カメラのシャッターを切り続けました。

山頂の仏舎利塔は、別府にあったものと同じでした。日本山妙法寺は全国各地の山に同じ仏舎利塔を建てているみたいで、大寺山の仏舎利塔には「帝都仏舎利塔」という石碑がありました。

仏舎利塔は、上の円筒の部分が工事用の鉄パイプで囲われており、補修工事が行われている様子でした。ペンキは塗り替えられているみたいですが、建てられてかなり時間が経っている感じがしました。ネットで調べると大寺山の仏舎利塔は1974年に落慶しています。設計したのは、浅草寺本堂や川崎大師平間寺本堂などを設計した建築家の大岡實氏だそうです。別府の仏舎利塔は1981年、日本山妙法寺を創建した藤井日達の母校がある大分県臼杵市の仏舎利塔は、大寺山と同じ1974年に建てられています。海外も含めて48塔あるそうです。

仏舎利塔のまわりにはベンチが設置されていました。ベンチに座っていつものように温かいお茶を飲み、どら焼きと羊羹を食べてまったりとしました。結局、山頂には1時間近くいました。歩いている途中でも山頂でも誰にも会うこともなく、私にとっては最高の山歩きになりました。

帰りは急登を下るのが面倒なので、林道を下ろうかと考えました。しかし、林道だと別のバスの路線の小菅村に下りることになり、バス便が極端に少くなるのです。それで、登って来たルートを戻ることにしました。

道に迷った尾根まで戻ると、たしかに踏み跡は消えていましたが、ピンクテープが2か所ありました。そのテープを見逃していたのでした。

広い尾根で落葉などによって道が消えている場合は、尾根の先端に行けば大概下り口があります。両側の谷筋に下りるのは危険で、それは下りの基本中の基本のようなものです。一方、登りで道がわからなくなったときは、尾根の上に出るのが基本です。今回のように、心理的には巻き道を選択しがちですが、やはり上が正解なのです。と、あとで冷静になればわかるのですが、そのときはどうしても焦ってしまい楽な方に気持が傾きがちです。道に迷ったら、まず水かコーヒーを飲んでひと息つけと言いますが、たしかにそうやって冷静さを取り戻すことが大事だと思いました。大寺山のような距離の短い山で遭難はあり得ないでしょうが、ただ道に迷って滑落する危険性はないとは言えません。

登山口に下りてきたのは、13時15分でした。深山橋のバスの時間は13時50分ですのでちょうどいいタイミングでした。帰りのバスに乗ると数名のハイカーが乗っていました。しかし、奥多摩湖に着くと、多くのハイカーが乗り込んできて、バスは満員になりました。奥多摩湖以降に乗って来た乗客は座ることもできないほどでした。

奥多摩湖の駐車場には多くの車が停まっていて、湖畔を散策する人たちでいっぱいでした。軽トラのキッチンカーも出ていました。しかし、再び緊急事態宣言が出されたら、前と同じようにこの駐車場も閉鎖されるのだろうかと思いました。奥多摩の住民たちも、小池都知事に煽られて、また「登山者が怖い」などと言い出すのかもしれません。

山田哲哉氏が主宰する「風と谷」のサイトには、「山を止めるな」というバナーが貼られていましたが、日本山岳会なども、また(偉そうに)登山の自粛を呼びかけるのかもしれません。そういった愚劣で翼賛的な光景が再び繰り返されるのかもしれません。

「ファシスト的公共性」によって、感染を避けひとりで静かに山を歩く行為まで禁止されるのです。山に行く電車やバスが問題だと言われますが、これ以上の密はないような都心の通勤電車が放置される一方で、山に向かうガラガラの交通機関がやり玉にあがるのでした。それこそ常軌を逸した”自粛警察的屁理屈”と言えるでしょう。もはや病理の世界だとしか思えません。”自粛警察”は隣組の現代版なのです。

昨日、田舎の友人と電話で話していたら、田舎では新型コロナウイルスに感染すると、どこの誰だということがすぐ特定されるため、家に落書きされたり感染を非難する電話がかかってきたりするそうです。そのため、感染した人が自殺したケースさえあったそうです。まさに感染者は非国民なのです。感染者が被害者だという視点はないのでした。そこにあるのは、国家と通底した市民としての日常性を仮構する”差別と排除の力学”です。この社会は戦前と何も変わってないのです。でも、そういった悲惨な事件は、メディアも特定するのにひと役買っているからなのか、何故か大きく報道されることはないのでした。

奥多摩駅に着いのは14時20分すぎでした。奥多摩駅から青梅、青梅から立川、立川から南武線で武蔵小杉、武蔵小杉から東横線で帰りました。最寄り駅に着いたのは、16時すぎでした。


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深山橋バス停

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深山橋

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登山口

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いきなり急登

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同上

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同上

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この尾根で迷った

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尾根の上の踏み跡

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痩せ尾根

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同上

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巻き道

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ニホンカモシカ

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最後の急登

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山頂の手前にあった糞
熊じゃないのか?

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仏舎利塔

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四面にこのような座像や立像、涅槃像が設置されています。

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同上

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同上

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同上

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山頂からの眺望(樹木に遮られている)
遠くに雲取山も見えました。

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道標(この二つのみ)

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同上

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奥多摩駅
2021.01.06 Wed l 山行 l top ▲
今日、小池都知事が、西村経済再生担当相と面会して、政府に緊急事態宣言の発令(発出)を要請するというニュースが流れました。面会には埼玉県の大野知事も同席するそうです。また、神奈川県の黒岩知事も、「国の緊急事態宣言発出に向けた準備を始めている」というコメントを出したそうです。

自分たちで火に油を注いだくせに、今度は火事になったので大変だ、火を消してくれ、と言っているのです。自分たちの無為無策は棚に上げて、感染拡大の原因を全て都民(県民)になすりつけているのです。つい先日、GoToトラベル除外の解除を要請したのはどこの誰だと言いたくなります。都民の大移動がはじまったことで、日に日に感染が拡大していったのです。でも、それは都民の責任というより、GoToトラベルで大移動を煽った(小池都知事も含む)政治家の責任でしょう。

最近、開店してすぐのスーパーに行くと、どこも商品棚がガラガラで品出しが遅れているのがよくわかります。前はそうではありませんでした。どうしてかと言えば、それまで朝の品出しをしていた高齢のパートの人たちが新型コロナ以後、感染を恐れて辞めたからです。

感染リスクが高い高齢者は、そうやって既に自衛しているのです。言うなれば「正しく怖れている」のです。問題は感染リスクの低い若者たちでしょう。それと、このブログでもしつこいほど言っていますが、通勤電車におけるサラリーマンやOLたちです。

山に行くバスやロープウェイが人員制限しているのに、感染の確率がはるかに高い都心の電車が放置されたままというのは、それこそ頭隠して尻隠さずのトンチンカンな対策としか言いようがありません。それどころか、通勤電車では感染する可能性は低いなどというデマゴーグが未だにふりまかれているのでした。だったらどうしてこんなに感染経路不明の感染者が多いのかと思います。箱根駅伝の観客が密だなどとやり玉にあがる一方で、通勤電車の密に対してはみんな見て見ぬふりなのです。飲食店で食事する際は、お互い斜めに座ってお喋りは極力控えるようにと言うくせに、電車では相変わらず席を奪い合い、普通におしゃべりしています。「正しく怖れる」なんて考えはいつの間にかどこかに行ってしまったのです。

若者たちがミツバチのようにウィルスの運び屋になっている現状も、PCR検査が極端に少なく市中感染率がまったく把握できてない背景があるからでしょう。それでは、無症状や軽症の若者たちも、自分たちが感染しているという自覚を持てないでしょう。と言うか、検査もしてないので自覚の持ちようがないのです。

アメリカやヨーロッパや韓国や中国では無料でPCR検査を受けられるのに、どうして日本では医者が感染の疑いがあると診断した人だけしかPCR検査を受けることができないのか。どうして自費では3万円とかの高額になるのか。最近は、安価で検査を受けることができる民間の検査施設もできていますが、どうして日本だけがPCR検査の敷居が高いのかとあたらめて思います。

このような話は、今までも嫌になるくらい何度もくり返し言ってきたことです。とどのつまりは、おざなりな対策でお茶を濁して、ワクチンが供給されるまで時間稼ぎするつもりなのかもしれません。でも、それがいつまで続くのか、ワクチンで60%だか70%だかの集団免疫が得られたらホントにCOVID-19が収束するのか、誰にもわからないのです。集団免疫が得られたと言われていたスウェーデンでも、12月に入りアメリカ並みの感染爆発が起きているのです。そんな中で、未だにオリンピック開催という見果てぬ夢を追い続けているのですから、正気とは思えません。

小池都知事は、場当たり的な緊急事態宣言を要請する前に、オリンピックはやめましょう、そして、(時間稼ぎではない)抜本的な感染対策を行いましょう、とどうして言えないのかと思います(言えるわけないか)。オリンピックありきでは、抜本的な感染対策なんてできるわけがないのです。フリップを掲げてパフォーマンスするだけでは、もうどうにもならないところまで来ているのです。そもそもそういったパフォーマンスが今の事態を招いたのです。
2021.01.02 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
奥秩父 山、谷、峠そして人


31日から1日にかけては、ベットの上に寝転がって、山田哲哉氏の『奥秩父 山、谷、峠そして人』をkindleで読みました(と言ってもまだ読み終えていませんが)。私は、電子書籍より紙の本が好きなのですが、この『奥秩父 ・・・・』は初版が2011年なので、既に廃版になっているらしく、アマゾンでも中古本しか売っていませんでした。その中古本も5千円以上の値が付けられていました。まったくふざけた話です。それで、仕方なく電子書籍(1375円)を買ったのでした。

奥秩父は文字通り奥が深く、公共交通機関では日帰りするのが難しい山が多いのですが、昔、雁坂トンネルが開通する前に何度か行った栃本集落や雁坂峠(雁坂嶺)にはもう一度行ってみたいなと思いました。また、甲武信岳から国師ヶ岳に至る縦走路も、いづれ歩いてみたい道です。山田哲哉氏の本からは、よく練られた文章を通して、中学生の頃から通っているという奥秩父や奥多摩の山に対する造詣の深さと愛着がひしひしと伝わってきます。ありきたりな言い方ですが、山好きには堪えられない本です。

山が好きだから山に登るのです。でも、最近はスピードハイクやトレランやYouTubeの影響で、山が好きだから山に登るという、そんなシンプルな理由で山に登る人も少なくなっているような気がします。山が好きだというシンプルな理由だからこそ、その先にある奥深い世界と出会うことができるのだと思います。

ネットでは「低山」や「鈍足」をバカにするような風潮があります。そこにあるのは”強者の論理”です。”強者の論理”は、山を知らない人間の妄言と言うべきでしょう。ネットでは、そういう愚劣な言葉で山を語ることが当たり前になっているのです。山田哲哉氏の本には、山が好きだから山に登るというシンプルな理由をもう一度確認させられるようなところがあります。

本の中に、こんな文章がありました。

ここで、自分の履歴書には書かれることのない目茶苦茶忙しかった十数年に触れるつもりはないが、この飛龍山の三角点を踏んだときが、三里塚の土地収用代執行と沖縄返還協定調印の隙間を見つけ、あらゆる無理算段を重ねて得た至福の時間だったことが思い出される。忙しくても、いや、忙しかったからこそ、 どんなに睡眠時間を削っても、どんなに仲間に文句を言われて奥秩父の森の中を登りたかった。あれほどの強烈な山への思いは、自分の中に、もう二度と生まれることはないだろう。


私が山に行っていることを知っている友人からの年賀状に、「煩わしい人間社会より自然だよな。羨ましい限りです」と書かれていましたが、山が好きだという理由の中に「逃避」が含まれているのもたしかです。山の魅力について、「全てを忘れることができるから」と言った現天皇の気持も痛いほどわかるのでした。

私は若い頃、親しい人間から「人間嫌い」と言われていました。だからと言って、人見知りをするとかいうのではなく、むしろ逆で、山でも出会った人に積極的に話しかけるタイプです。しかし、一方で、誰にも会わない山を歩くのが好きです。心の中ではやはりひとりがいいなあといつも思っているのです。なんだか今の私にとって、もう山しか「逃避」するところがないような気さえするのでした。
2021.01.02 Sat l 本・文芸 l top ▲
30日の東京都の新規感染者は944人です。これは、今までいちばん多かった26日の949人に次いで2番目に多い数字だそうです。

小池都知事は緊急記者会見を開き、感染者が急速に増加して、「医療提供体制もひっ迫しており、危機的状況に直面している」、今のペースで増加すると、「2週間後には日々1000人を超えるペースで新規陽性者が発生していくことになる」と述べたそうです。

Yahoo!ニュース
THE PAGE
「『緊急事態宣言』要請せざるを得なくなる」 小池都知事「年末で感染抑え込みを」

さらに、若者に向けて、次のようにメッセージを発したのです。

(略)「コロナを甘く見ないでください。夜間の外出もしばらくはなし」と警告。「軽症、無症状のまま行動して、結果として感染が拡大すると、コロナ患者のために医療がさらにひっ迫します。ひいてはコロナ以外の救急医療や通常医療も圧迫されてくるのです。受けられるはずの医療が受けられなくなる。助かるはずの命が助からなくなる。だから、『若いから大丈夫』ではありません」と強調した。

Yahoo!ニュース
THE PAGE
小池都知事、若者に「コロナ甘く見ないで」 「こんなはずじゃなかった」では手遅れ


昨日(29日)も用事があって副都心線で渋谷~原宿~新宿~池袋を通ったのですが、渋谷や新宿から乗って来る乗客はコロナ前の休日と変わらないくらいでした。帰省する人が少ない分、街に繰り出す人が多いのでしょう。

繁華街にある飲食店の客の入りは、5割減とか4割減とか言われていますが、逆に言えば、それでもコロナ前より半分くらいの入りはあるのです。飲食店が大変なのはよくわかりますが、今の感染状況を考えれば、その数字にも驚くばかりです。

通勤電車も然りで、緊急事態宣言のときよりはるかに乗客が多くなっています。我先に座席に殺到する乗客たちの行動も、感染拡大下にあるとは思えないくらい元に戻っています。

いくら小池都知事が危機感を煽っても、もう人々が危機感を抱くことはないのです。いったん緩めた手綱は締め直すことはできないのです。そもそもこの感染拡大を招いた一因は、第三次感染を前にして、小池都知事の強い希望により東京都がGoTo除外から解除されたからでしょう。それで都民がいっせいに旅行に出かけるようになり、交通機関も観光地も混雑しはじめたのです。

特に若者たちは、解除をきっかけに感染などどこ吹く風で遊び歩くようになりました。それまでは繁華街を出歩くのにためらいがあったように思いますが、GoTo解除でためらいがなくなり開き直った感じです。若者たちの行動が、年末年始にさらにエスカレートするのは目に見えています。しかも、渋谷や新宿や池袋などの都心だけでなく、私鉄沿線の駅前の飲み屋街も人出が増えています。

若者たちがウィルスの運び屋になっている今の状況では、2週間後、新規感染者数が1000人を超えるのは必至でしょう。

何度も言いますが、「正しく怖れる」などどこかに吹っ飛んでしまったのです。自粛警察でも、無知無神経なノーマスクでもなく、各自が正しい知識に基づいた「正しく怖れる」ことが大事ですが、もう全ては元の木阿弥になってしまったのです。

岩田健太郎医師は、今月初め、菅首相の「トラベルが主要な原因だというエビデンスは存在しない」「トラベル事業の利用者延べ4000万人に対して関連する感染確認は180人程度」という(アホ丸出しの)発言を次のように批判していました。

新型コロナウイルスは、例えば西ナイルウイルスのように渡り鳥が媒介したりはしない。感染の広がりは人から人によるものだ。日本各地に感染が広がっているのは、人がある自治体から別の自治体に移動しているからだ。それ以外の感染経路は想定できない。よって、人の移動が日本での新型コロナウイルス感染を広げているのである。(略)

GoToが日本でコロナ拡大を助長したと考えるほうが合理的だし、そうでないという「エビデンスはない」。

政府がGoToキャンペーンで「コロナなんて怖くない。経済対策のほうが優先だ」といった「ノリ」を作ってしまった罪は大きい。経済対策は重要だが、それは十全なる感染対策とコロナ感染縮小が可能にする対策だ。ブレーキとアクセルを同時に踏めば、つんのめって事故るだけだ。

Web医事新報
【識者の眼】「GoToが広げるコロナの『ノリ』」岩田健太郎


何より、菅首相のステーキ会食は、感染対策の呼びかけをみずからぶち壊す愚行と言えるでしょう。銀座のステーキ店で行われた忘年会のメンバーは、菅首相のほかに、自民党の二階俊博幹事長、林幹事長代理、ソフトバンクの王貞治氏、俳優の杉良太郎氏、みのもんた氏、政治評論家の森田実氏です(出席者は8人で、もう一人の「自民党関係者」が誰なのか不明です)。王以下は、それぞれの分野で業績を残したとは言え、言うなれば現代の幇間と呼ぶべき人間たちです。

しかも、当日は感染拡大によりGoToトラベルの全国一斉停止を発表したばかりなのです。なんだか江戸時代、一般庶民には牛肉を禁止していながら、幕府の上級武士たちは牛肉を食べていた話を彷彿とさせます。これでは、政府が発信する感染防止に国民がソッポを向くのは当然でしょう。しかも、このオキテ破りの会食についても、菅首相に張り付いている大手メディアの番記者たちは、当初スルーしていたのです。『FLASH』かどこだかが報じて大騒ぎになったので、しれっと追随して報道しはじめたのでした。

政治家たちが見くびっているのは国民だけではないのです。歌を忘れたカナリアのメディアも同様です。政治家たちは、書かないとわかっているので、記者の前でこういったデタラメを平然と行うことができるのでしょう。

もしオリンピック開催を強行するなら、春以降、感染が収束した(山を越した)というキャンペーンがはじまるはずです。その際、オキテ破りの会食をスルーした大手メディアが、電通ともども大きな役割を担うのは間違いないでしょう。

追記:
31日の東京都の新規感染者が1337人と発表されました。僅か一日で千人台が現実になりました。
2020.12.30 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
日本の不思議。前から何度も言っていますが、どう考えてもオリンピックなんてできるわけがないのに、何故か誰もそう言わないのです。野党もメディアも誰も言わない不思議。

テレビのスポーツ番組などは、オリンピック開催を前提に、候補選手にまじかに迫ったオリンピックに対する抱負をインタビューしたりしていますが、正気かと言いたくなります。

折しも、政府は今日、「新型コロナウイルス変異種の国内侵入を防ぐため、全ての国・地域からの外国人の新規入国を今月28日から来年1月末までの間、一時停止すると発表した」(共同)そうです。

東京オリンピックは、来年の7月23日から8月8日まで開催される予定です。半年前まで外国人の新規入国を停止するような状態で、ホントに開催できるのでしょうか。それでもできると考えるのは正気とは思えません。

私は、安倍晋三の記者会見を観ているうちに、”安倍晋三という病い”という言葉が浮かんでなりませんでしたが、嘘に嘘を重ねる安倍晋三と同じように、ここに至ってもオリンピック開催が可能と考えるのも、もはや”狂気”の領域に入った気さえします。政府や与党だけではありません。野党もメディアも、その”狂気”を共有しているのです。

2月からワクチンの接種がはじまるそうですが、それが全国民に行き渡るのに1年以上かかると言われています。それどころか、COVID-19が収束するのにあと2年くらいかかるだろうという専門家の声もあります。それでも見切り発車をして開催するつもりなのでしょうか。

外国では、オリンピックの選考会どころか、選手たちは練習さえしていない国も多いのです。そんな国がホントにあと7ヶ月後に選手を派遣することができるのでしょうか。

でも、何度も言いますが、メディアも野党も誰もこんな疑問を口にすることはありません。

先の戦争では負け戦とわかっていても、誰もそう言わずに大本営発表を流し続けたのですが、また同じ愚をくり返しているのです。これでは全体主義国家と同じです。

感染力が強いと言われている変異種のウィルスも広がりつつあります。安倍応援団として、一緒になって嘘を流し続けた産経新聞やフジテレビは、来年の2月には収束するだろうというあらたな嘘を流していますが、変異種のウィルスの問題ひとつをとっても、これから収束までひと山もふた山もあるのは間違いないでしょう。

野党にしても然りです。こんな野党に何を期待するというのでしょうか。そもそもこんな野党が信用できるでしょうか。オリンピック開催という国策に関しては、与党も野党もないのです。先の戦争を遂行した大政翼賛会と同じです。

オリンピック開催という大義名分のために、国の感染対策が後手にまわっているのは、今更言を俟たないでしょう。

幻のオリンピックに何千億円あるいは何兆円の国費を注ぎ込む一方で、明日の1万円のお金もなくてみずから死を選ぶ国民もいるのです。

月に10数万円の生活保護を申請しても、自助努力が足りないと門前払いされる一方で、幻のオリンピックのためには、今も何十億円も何百億円もの大金が(まるでドブに捨てるように)無駄使いされているのです。

眞子さんの1億5千万円の結婚一時金を「税金ドロボー」と悪罵を浴びせるくせに、何兆円何千億円の無駄使いする政治家や官僚には、野党もメディアも国民もみんな寛容なのです。

話は飛躍しますが、ここでも「愛国」とは何かを考えないわけにはいきません。柳美里の『JR上野駅公園口』ではないですが、明日の1万円がなくて死を選らばざるを得ない同朋がいることに涙するのがホントの愛国者でしょう。でも、この国にはそんな真っ当な愛国者はいません。むしろ、柳美里のような在日をヘイトするのが「愛国」者の役割と見做されているのです。古谷経衡が言うように、そこにあるのはただの「愛国ビジネス」です。数億円の白亜の豪邸を建てた”極右の女神”は、今も安倍晋三と一緒に改憲推進の講演活動を行っていますが、かように「愛国」とは濡れ手に粟の美味しい商売なのです

ともあれ、政府も与党も野党もメディアも経済界も、未だにオリンピック開催に拘っている光景は、役人特有の事なかれ主義とドッキングした究極のサンクコストの呪縛と言えないこともないでしょう。


関連記事:
オリンピックなんてできるわけがない
2020.12.27 Sun l 社会・メディア l top ▲
新宿バスタ~山中湖平野バス停~【石割山】~【平尾山】~山中湖平尾バス停~新宿バスタ

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約8キロ
※標高差:432m
※山行歩数:約19,000歩
※交通費:5138円


一昨日(24日)、山梨県の山中湖畔にある石割山(1412m)に登りました。石割山の場合、通常は隣接する平尾山や大平山を合わせて登るケースが多いみたいですが、しかし、それだと、行きと帰りのバス停が異なるため、バス便との連絡が面倒になります。電車だと富士急の富士山駅からバスに乗らなければならないのですが、富士山駅からは一日に2便しかありません。

アクセスにいい方法が見つからず、いったんは諦めたのですが、あとて新宿から高速バスを使う手があることに気が付いたのでした。

ただ、高速バスも、途中の富士急ハイランドや河口湖までは頻繁に出ていますが、登山口がある「山中湖平野」まで行くのは、いちばん早い便で10時9分着(新宿バスタ7時45分発)しかありません。午前10時というのは、日の短い秋冬の山行では遅すぎますが、都内から公共交通機関を使って行くにはそれしかないのです。

それで、石割山と隣の平尾山(1318m)を登って「山中湖平野」に戻ることにしました。

このようにバスを使う場合、帰りのバス便との時間の調整が難しく、今回も”予備がないと不安症候群”の私の性格によって、自分で自分をふりまわすことになりました。

帰りのバスは、15時10分と15時25分、それに16時40分があります。当初は、15時10分を予約していました。しかし、私が使う登山アプリのコースタイムだと下山時間が15時05分になっています。時間的にギリギリです。それで、前夜、時間的な余裕をもって16時40分の便に変更したのでした。

今まで高速バスは何度か利用していますが、コロナ以後、どの便も乗客は少なくて気の毒なくらいでした。今回も新宿バスタの待合室は人も少なく、椅子も空いていました。

ところが、私が乗った「富士五湖~新宿線」のバスは違っていました。

高校生とおぼしきグループが20人以上乗ってきたのでした。しかも私は後部の座席を予約していたのですが、後部の座席は彼らで占領されていました。これはたまらんと思って、運転手に「座席を変えてもらえますか?」と言いました。運転手も「そうですね、団体さんに囲まれていますねえ」と言って、タブレットの座席表を示し、「この印が空いている席です。どこがいいですか?」と言われました。それで、前の方の席に変更しました。しかし、前の方も後ろほどではないですが、やはり同じグループの高校生たちが座っていました。おそらく冬休みになり、クリスマスイブでもあるので、仲のいいグループで富士急ハイランドに遊びに行くのでしょう。高校生以外の乗客は、私のほかに若い女性の二人連れがいるだけでした。

高校生たちは男子6女子が4くらいの割合でしたが、遠足気分なので「会話はお控え下さい」という放送もどこ吹く風、とにかくうるさくてなりませんでした。

そして、案の定、高校生たちは富士急ハイランドで降りました。高校生たちが降りて行くと、なんだかバスの中は嵐が去ったあとのように静かになりました。また、若い女性の二人連れも河口湖駅で降りて、以後終点の「山中湖平野」まで乗客は私ひとりになりました。

24日の東京の新規陽性者は語呂のいい888人で過去最高だったそうです。外出自粛の呼びかけにもかかわらず、私も出かけているのですから他人(ひと)のことをとやかく言えないのですが、GoToトラベル停止以後、高齢者や家族連れが行楽地に出かけるのは急速に減ったように思います。しかし、若者は別なのです。彼らは感染しても重症化するリスクも少なく、軽症か無症状なので、感染など恐れずに足りずというのが本音なのでしょう。

外出自粛は主に重症化リスクの高い高齢者に向けて呼びかけられていますが、むしろ、呼びかけるべきは感染拡大の主因である若者たちに対してではないのかと思います。ミツバチのようにウィルスの運び屋になっている若者たちを軽視しているのは、どう考えても解せない話です。

「家庭内感染が多くなった」という話もありますが、これほどバカバカしい話はありません。「家庭内感染」は副次的な感染で、どういう経路で家庭内に感染が持ち込まれたかが問題でしょう。職場か、飲み屋か、あるいは通勤電車か、それを突き止めなければ意味がないのです。

「山中湖平野」のバス停は、立派なバスターミナルになっていました。構内には観光案内所があり、隣にはコンビニもあります。観光案内所の中には、トイレや休憩所もありました。

バス停から石割の湯に向かう県道を10分くらい歩き、ひとつ目の赤い鳥居が立っている分岐を左折してさらに10分くらい歩くと、もうひとつの赤い鳥居が見えてきます。分岐からは石割神社の参道になっているみたいです。

二つ目の赤い鳥居がある場所には、登山者用の駐車場やトイレもありました。二つ目の赤い鳥居に向かって坂道を登る途中、下から車が何台か登って来ましたが、ナンバーを見ると東京や埼玉のナンバーばかりでした。歩いて登山口に向かっているのは私だけでした。

小さな橋を渡って赤い鳥居をくぐると、「天まで続くような石段」が目の前に現れます。日本山岳会による石割山の案内には次のように書いていました。

石割山は長い長い天まで続くような石段を登っていきます。約400段あります。修業です。でもこれがあるから、山頂から見る大展望のご褒美がこたえられません。途中の石割神社には、真っ二つに割れた巨大な岩があります。この岩の割れ目を3回通ると幸運が開けるそうです。山頂からは三角形の美しい姿の富士山が真っ正面に見え、下山のコースは、富士山を見ながら、山中湖を左に見て下っていきます。なだらかな尾根道が続きます。
http://jac.or.jp/oyako/f16/e701010.html


しかし、目に見える石段はまだ半分でした。それを登りきると、また次の石段が目の前に現れるのでした。まさに修行でした。

石段から次のチェックポイントである石割神社まではなだらかな道でした。石割神社には、上記の案内文にもあるように、岩の割れ目を3回まわると運が開けるという言い伝えがあるそうです。私の前を歩いていた夫婦のハイカーは3回まわっていました。そして、「これで初詣の代わりができた」などと言っていました。しかし、私はそういったことにはまったく興味がないので、まわりませんでした。ただ、神社にはいつものようにお賽銭をあげて手を合わせました。

神社から山頂までは20分弱ですが、至るところに張られたトラロープを頼らざるを得ないような結構な急登でした。

石割山の山頂に到着すると、噂にたがわず富士山の雄大な景色が目に飛び込んできました。山頂には既に6人のハイカーが休憩していました。いづれも30代から40代くらいのカップルです。またあとからやはり50代くらいのカップルが登って来ました。

カップルを見ていると、夫婦と思しきカップルは2組くらいで、あとは夫婦とは違うような感じでした。どうしてそう思うのかと言えば、男性がやけにテンションが高くウキウキしているのがよくわかるからです。夫婦だったらあんなにテンションは高くないでしょう。

女性がひとりで山に行くのに不安を抱くのはよくわかります。また、ここにも書いているとおり交通手段も悩みの種です。それで、色目を使うかどうかは別にして、男性に同行を求めるというのはあり得る話でしょう。中には登山系のSNSやツイッターを使って同行者を探すケースもあるようです。SNSで出会いを求めるのは若者ばかりではないのです。 

石割山の山頂にはベンチがないので、それぞれシートを敷いて弁当などを食べていました。私も100円ショップで買ったレジャーシートを持って行きましたが、シートを広げるのが面倒なので、草の上に座っていつものようにどら焼きを食べました。

昨日は暖かな天気でまったく寒さを感じることはありませんでした。そのためもあって、富士山にも徐々に雲がかかりはじめていました。

30分くらい休憩して平尾山に向けて別の道を下りました。下りはじめも急登で、やはりトラロープを掴んで慎重に下らないと、滑って転んで大分県になってしまいます。急登を下りきると、あとはなだらかな下りの道を歩くだけでした。

平尾山まで20分くらいでした。平尾山に着くと、富士山にも雲がかかっていました。平尾山から「山中湖平野」のバス停までは50分くらいでした。

「山中湖平野」のバス停に着いたのが14時前でした。登山アプリのコースタイムより1時間以上も早く戻ることができました。帰りのバスをネットで調べると、14時25分発があります。あわてて帰りのバス便の変更をしようとしましたが、時間切れで変更することができませんでした。

それで、15時10分発のバスに再び変更しました。1時間時間が空いたので、観光案内所で「この近くにラーメン屋さんはありますか?」と尋ねました。観光案内所には、若い女性と中年の女性が二人常駐していますが、左手と右手に二軒あると言うのです。しかし、今、やっているかどうかわからないので行ってみて下さいと言われました。

左手に5分歩くとラーメン屋の看板がありました。しかし、店の前には「準備中」の札が下げられていました。仕方なくUターンして、観光案内所から右手のラーメン屋に行ってみることにしました。

ところが、観光案内所の前を通り過ぎたとき、「すいません!」と言いながら、案内所の若い女性が駆け足でやって来たのでした。「今、電話でやっているかどうか問い合わせていますのでちょっと待ってください」と言うのです。観光案内所に戻ると、中年の女性が電話で問い合わせていました。そして、片手で丸を作って「やっているそうです」と言いました。私は、「ご親切にどうもありがとうございました」と言って、右手にある店に向かいました。店は老夫婦がやっている「くるまやラーメン」でした。味噌ラーメンと半チャーハンを頼みました。考えてみれば、外でラーメンを食べたのは1年ぶりくらいです。

食べているうちに予約した15時10分発のバスに間に合うかどうか心配になったので、ラーメンをすすりながらスマホで15時25分発のバスにもう一度変更しました(どうして15時台に限って15分後にバスが出ているのかと言えば、富士急と京王とバス会社が違うからです)。

結果的には、バス停に戻ったら15時10分発のバスがまだ出発していませんでした。

観光案内所に戻って、「どうもありがとうございました」「お陰でラーメンを食べることができました」ともう一度お礼を言いました。若い女性が「登山だったんですか?」と訊くので、「ええ、石割山と平尾山を登りました」と言いました。すると、「だったらラーメンを食べたくなりますよね」と言って笑っていました。

ホントに親切な人たちで心が和みました。コロナ以後、山に行っても前のように話をすることがなく、感染を懸念しているのか、心なしかハイカーたちも不愛想な感じの人が多いのです。特に山梨や長野など「外」の山に行くと、よけいそう感じます。奥多摩や奥武蔵の山の方がむしろ愛想がよくて親切な気がします。冷たい「外」の世界で、親切にしてもらって気持も暖かくなった気がしました。

「くるまやラーメン」で奥さんに「このあたりも感染が増えているのですか?」と訊きました。私はこのようにすぐ他人に話しかけるくせがあるので、その分冷たくされるケースも多いのです。すると、奥さんは「前は甲府の方だけで、全然いませんでした。しかし、最近この先の部落で感染が出たみたいで、怖いですよ」と言ってました。

私は、山梨でも「部落」という言い方をするんだなと思いました。「部落」は差別用語だとして、最近は禁句になっていますが、私の田舎でも昔は集落のことを「部落」と言っていました。でも、部落差別に対する啓蒙が広がるにつれ、公式には「部落」という言葉を使うことはなくなりました。私もこのブログでは、「部落」ではなく集落という言い方に変えています。

帰りのバスでもトラブルがありました。高速に入ったものの、火災で通行止めになり、大月の手前で下道の甲州街道に下りることを余儀なくされたのでした。甲州街道は文字通りの大渋滞で、新宿バスタ到着が17時55分の予定だったのですが、実際に着いたのは20時近くでした。

始発の「山中湖平野」から乗ったのは私だけで、河口湖駅から若い女性のグループが3人乗り、さらに新興宗教の施設と見まごうような富士急の「富士山駅」からハイカーが2人乗ってきました。また、富士急ハイランドからも2人乗ってきました。

新宿バスタからは、いつものように新宿3丁目駅まで歩いて副都心線&東横線で帰りました。最寄り駅に着いたのは21時すぎでした。クリスマスイブなので、駅前のスーパーに寄って、売れ残って割引になっている寿司とチキンを買って帰りました。


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行きのバスの中から(スマホで撮影)

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バス停から石割の湯方面の県道に入ります。

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県道から分かれ、途中の最初の赤い鳥居を左へ入る

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もう石割神社の参道

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坂を登ると二つ目の赤い鳥居
車はここまでで行き止まり
駐車場とトイレがあります。

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小さな橋を渡り、鳥居をくぐると「天まで続くような石段」が待ち構えています。

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一つ目の石段

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二つ目の石段

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やっと終わった

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上から見下ろす

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石段を登った上には東屋もあります。

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さらに進むと、神を祀る積石
死者を悼む意味もあるそうです。

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さらに進むと

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石割神社に到着

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石割神社から山頂までは急登が続きます。
トラロープの助けを借りる箇所も多くありました。

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同上

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同上

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同上

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同上

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山頂に着くと富士山がドーンと目の前に見えます。
ただ、バスの中で見たときより雲が多くなっていました。

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山頂の様子

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道標

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山頂標識

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案内板

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下りも急登でロープの助けを借りないと滑ります。
この日は乾いていましたが、ぬかるんでいるときは難儀するでしょう。

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同上

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急登を下りきると、あとはなだらかな下り道

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登山道にマスクが落ちていた。
この日だけで3枚落ちていました。

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平尾山との分岐
正面の道を下りて来ました。帰りは右の道に進みます。
カメラの方向に平尾山があります。平尾山に寄ってこの分岐まで戻ります。

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平尾山に向かう道
5分くらい歩くと、山頂に着きます。

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平尾山山頂

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富士山には既に雲がかかっていた。

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山頂標識

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分岐に戻って下山

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このような歩きやすい道が続きます。

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別荘地に入ります。

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同上

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別荘地内の道をショートカットすると二つ目の赤い鳥居に向かう道の途中に出ました。
ここから「山中湖平野」バス停まで10分くらいです。
2020.12.26 Sat l 山行 l top ▲
今日のYahoo!ニュースに、中京テレビが制作した満蒙開拓団の「性接待」についての記事が転載されていました。

Yahoo!ニュース
【75年目の告白】満州・性的な接待を強いられた女性たち “覚悟の告白”で“タブー”打ち破る「しゃべって残していくのが、人間の社会の歴史」(中京テレビNEWS)

ここにはさまざまな問題が伏在しています。単に戦争犯罪の問題だけでありません。戦後の日本社会のあり様も問われているのです。こういった問題をタブー視することで、戦後の平和と民主主義が仮構されてきたのです。もちろん、その延長上に従軍慰安婦の問題も存在しています。

満蒙開拓団の「性接待」の問題は、このブログでも、2年前に朝日新聞の記事に関連して、下記のような記事を書きました。また、従軍慰安婦の問題も、朴裕河(パクユハ)氏の『帝国の慰安婦』を通して、私なりの考えを書いています。

私たちは、こういった問題から目を背けてはならないのです。直視することで戦争を知ることができるのです。もとより私たちは、戦争を知らねばらないのです。


関連記事:
「性接待」と「愛国」
『帝国の慰安婦』と日韓合意
2020.12.22 Tue l 社会・メディア l top ▲
今週の東京都の新規陽性者数は、以下のとおりです。

14日(月)305人
15日(火)460人
16日(水)678人
17日(木)822人
18日(金)664人
19日(土)736人
20日(日)556人

また、12月20日現在の東京都の新規陽性者数(感染者数)の累計は51446人です。

ちなみに、4月7日から5月25日までの緊急事態宣言下において、もっとも新規陽性者数が多かったのは、4月17日の206人です。今はその倍以上の新規陽性者が連日発生しているのです。

今日(日曜日)、用事があって朝から自由が丘~中目黒~渋谷~原宿・表参道~新宿(三丁目)~池袋を走る副都心線に乗ったのですが、COVID-19前の日曜日と変わらないくらい電車の中や駅のホームは多くの乗客で溢れていました。

夕方、地元の駅に戻って来たのですが、駅前も舗道がスムーズに歩けないほど買い物客でごった返していました。また、駅の近くにある飲み屋も、COVID-19前に戻ったかのように客で賑わっていました。みんな、マスクを外し、ワインやビールなどを飲みながら、小さなテーブル越しに向き合って談笑していました。

感染の危機感など微塵もありません。それは、若者だけでなく家族連れも高齢者も、みんな同じです。再び手綱を引き締めようとしても、いったん緩めた手綱はそう簡単に元に戻ることはないのです。

岩田健太郎医師は、日本政府の感染対策は、無謀な作戦で多くの犠牲を出した旧日本軍の「インパール作戦」と同じだと言っていました。

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岩田健太郎医師「GoToは異常。旧日本軍のインパール作戦なみ」

GoToトラベルの全面的な解禁によって、旅行に行っても大丈夫という安心感を与えたことで、正しい知識で「正しく怖れる」冷静な判断などどこかに吹っ飛んだ感じです。言うなれば、GoToトラベルの全面的な解禁によって、国全体がみんなで渡れば怖くない式の反知性主義的な考えに蔽われてしまったのです。

GoToトラベルを巡る迷走を見てもわかるとおり、政府の対応はチグハグで、どう見ても感染対策が正常に機能しているようには思えません。そのあたふたぶりを見ていると、危機管理能力以前に政権を担う能力そのものに疑いを持たざるを得ません。

菅義偉首相誕生の際、法政大学出身で大丈夫かという声に対して、法政大学出身者を中心に学歴差別だという反発があったそうですが、しかし、彼が応援団に所属し、髪をアイパーで固め、チョビ髭を生やし、裾の長い学ランを着て、学内を闊歩していた事実はやはり無視できないのです。

メディアはメッキが剥げたと言っていますが、しかし、最初からメッキは剥げていたのです。メディアが持ち上げたから根拠もなく支持率が水ぶくれのように60%を越えたにすぎないのです。

問題になったステーキ会食や会食のはしごなどを見るにつけ、「国民は(バカなので)すぐ忘れる」という国民を見くびった彼の”大衆観”が如実に出ているように思えてなりません。何度も言いますが、彼は政治家ではなく政治屋なのです。

みずからの利権を守るために麻生や二階らが主導した自民党内の無責任な政治力学によって、本来その器ではない人物が総理大臣に祭り上げられたのです。そこにも、圧倒的多数を占める政権党の驕りが見えて仕方ありません。

そもそも麻生や二階らの傲岸不遜な態度に対して、メディアが及び腰になっていること自体が異常と言わざるを得ません。反発するどころか、逆にご機嫌を損なわないように当たり障りのない質問に終始しているあり様です。また、菅首相のぶら下がり会見においても、芸能人の謝罪会見とは違って、代表質問する若い記者のもの言いが、台本を読んでいるようなわざとらしい感じであるのに気付いた人も多いでしょう。その光景には、ぶら下がり会見が記者会見でもなんでもなく、単なる(事前に質問を提出した)小芝居にすぎないことが暴露されているのでした。

メディアが権力を監視する役割を放棄しているのです。歌を忘れたカナリアになっているのです。それは、産経新聞(フジテレビ)や読売新聞だけの話ではありません。権力を忖度し権力にふれ伏す安倍一強の時代はまだつづいているのです。その弊害がCOVID-19でいっきに露わになった気がしてなりません。もちろん、自業自得と言うべきか、そのツケを払う(払わせられる)のは私たち国民なのです。


関連記事:
米大統領選とネトウヨ化したニッポン
2020.12.20 Sun l 社会・メディア l top ▲
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池袋駅~小川町駅~坂本バス停~橋場バス停~粥新田峠~【大霧山】~旧定峰峠~経塚バス停~皆谷バス停~小川町駅~池袋駅

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約10キロ
※標高差:571m
※山行歩数:約21,000歩
※交通費:3,834円


冬の低山ハイク第三弾。一昨日(15日)、埼玉県皆野町の大霧山(766.7m)に登りました。

池袋駅から早朝5時半すぎの東武東上線の「小川町行き」の急行電車に乗り、1時間半かけて終点の小川町駅まで行きました。小川町駅からは東秩父村の「白石車庫行き」のバスに乗り換えて30分で「橋場」というバス停まで行きます。

この「白石車庫行き」のバスは、前にサンドイッチマンの「帰れマンデー」という番組にも出ていましたが、私にもお馴染みの場所なのでした。

何度も書いていますが、私は、横浜の前は埼玉の東武東上線沿いに10年以上住んでいました。その頃、白石峠を越えて秩父に行ったり、逆に秩父から白石車庫に下りたりしていたのです。おそらく何十回も行き来したと思います。

当時は、山には登っていませんでしたが、奥武蔵グリーンラインと呼ばれる林道をよく車で走っていました。今は、峠の下から歩いて上に登っていますが、当時は峠の上まで車で行って、1~2時間山のなかを歩いたりしていました。決してオーバーでなく、奥武蔵や秩父には100回近く行ったと思います。だから、グリーンライン上にある一本杉峠 · 顔振(かおふり)峠 · 傘杉峠 · 飯盛峠 · 刈場坂峠 · 大野峠 · 白石峠 · 定峰(さだみね)峠などはなつかしい場所なのです。

山には登らなかったけど、トレッキングシューズだけはずっと持っていました。バスに乗ったのは初めてですが、今回バスが走った道もいつも車で走っていました。

電車が小川町駅に着いたのは、午前7時5分でした。しかし、「白石車庫行き」のバスは既に出たあとでした。次は8時21分です。駅前で1時間以上もバスを待たねばなりません。駅前で客待ちをしていたタクシーの運転手に、「白石車庫までいくらかかりますか?」と尋ねました。すると、6000円くらいだ言うのです。6000円だとやはり躊躇せざるを得ません(3000円くらいなら乗ったけど)。

どこかモーニング(サービス)をやっている喫茶店はないか探したら、駅前に一軒喫茶店がありました。しかし、まだ開店していません。考えてみれば、群馬県に近い埼玉の最奥の町の駅前で、モーニング目当ての客などいようはずもないのです。

結局、駅前のベンチに座って次のバスを待ちました。登山では時間が貴重なので、この1時間はもったいない気がしました。

8時21分発の「白石車庫行き」のバスには、ハイカーが5名と一般客が2名乗りました。ただ、ハイカーを含めた乗客たちはいづれも途中のバス停で降りたので、いつものことですが、最終的に乗客は私ひとりになりました。

今回、大霧山に行こうと思い立ったのは当日の朝4時です。前夜、山に行く準備をして床に入ったものの、行く山は決まっていませんでした。そして、目が覚めた途端、ふと大霧山に行こうと思い付いたのでした。大霧山に関しては、名前は知っていたものの、標高も低いしあまり興味はありませんでした。

ただ、以前、八高線(八王子~高崎間を走るJR線)で隣合わせたおばさんから「大霧山はいいですよ」と言われたことを覚えていたのでした。そのおばさんは、小川町か寄居だかに住んでいて、若い頃から山に登っていたそうで、私の恰好を見て「山に行くんですか?」と話しかけられたのでした。若い頃は、北アルプスなどにも行ったりしていたそうですが、今は70歳を超えて病院通いするようになり、その日も毛呂山の埼玉医大病院に行く途中だと言っていました。

その話を思い出して、準備不足のまま、埼玉に向けて出発したのでした。

「白石車庫行き」のバスに乗っていると、「次は坂本です」とアナウンスが流れました。そのとき、登山アプリの地図にバス停が「坂本(橋場)」と書かれていたことを思い出し、とっさに降車ボタンを押して、「坂本」で降りたのでした。

しかし、降りてからスマホの地図を起動させると、登山口はもっと先の方にあります。ナビに従って川沿いの県道を進むと、次のバス停の「橋場」に着きました。なんのことはない、ひとつ手前のバス停で降りていたのです。ここでも時間のロスが生じてしまいました。

バス停の前の橋を渡り、林道のような県道を15分くらい進むと「登山口」の看板がありました。しかし、県道から外れた山道を15分くらい登ると、再び先程の県道に出ました。さらに県道を10分歩くと、今度は農家の横の林道を入るように看板が出ていました。車は通ることはできませんが、しかし、道幅は広く、登山道という感じではありません。その道を20分くらい進むと、粥新田(かゆにた)峠に出ました。

粥新田峠は、私は初めてでした。と言うのも、正確にはどこからどこまでを言うのかわかりませんが、奥武蔵グリーンラインは今回下山ルートに使おうと思っている定峰峠から「白石車庫」に下るようになっていたからです。つまり、飯能から登る奥武蔵グリーンラインは、東秩父村の定峰峠で終わっているのです。定峰峠と粥新田峠の間に大霧山があり、言うなれば大霧山によって尾根上の林道は遮られているのでした。

ただ、秩父から粥新田峠を経て(バスで通った)東秩父村から小川町に至る道は、正丸峠を越えて吾野に至る道などとともに、江戸時代の秩父往還の重要な道だったそうです。

前も書きましたが、吾野から毛呂山に至る峠越えの道に「飛脚道」と呼ばれる道があるように、江戸時代、奥武蔵の山にはいくつもの道が存在し、それらの道を通して生活物資だけでなく文物も流通していたのです。そして、現在、私たちはそれらの道を登山道と称して息を切らして歩いているのです。

秩父の民衆が武装蜂起して臨時革命政府を作った、日本の近代史上特筆すべき秩父事件も、秩父往還の道をぬきにしては語れないのでした。

粥新田峠には東屋がありました。また、登山届を入れる箱もありました。正確には(?)ここが登山口と言えるかもしれません。私は、バス停から1時間近く歩いて来ましたが、林道が走っているので、車で来れないこともないのです。粥新田峠に車を停めれば、1時間もかからずに大霧山に登ることもできるのでした。

実際に私も昔は、同じようなことをして近辺の山を歩いていたのです。トレッキングシューズを履いていたものの、ザックを背負っていたわけではないし地図を持っていたわけでもありません。ただ、おにぎりとペットボトルが入ったコンビニの袋とタオルを持って山を歩いていただけです。当時は山を散歩しているような感覚でした。

あの頃は山でよく泣いていました。今は泣くことはないけど、でも、同じように泣きたい気分であることには変わりがありません。あの頃は、峠に車を停めて、暮れなずむ秩父の街を見るのが好きでした。大晦日に来たこともあります。また、山のなかでひと晩すごしたこともありました。

粥新田峠の東屋で10分休憩したあと、大霧山に向けて、初めて登山道らしくなった道を歩きました。山頂直下に急登がありましたが、50分くらいで大霧山の山頂に到着しました。

途中の稜線では寒風にさらされて、凍えるくらいと言ってもオーバーではないような寒さに襲われました。ウインドーブレイカーのフードを被り、風を避けるようにひたすら下を向いて歩きました。

山頂に上がると、八高線で隣り合わせたおばさんが言っていたように、見事な眺望が目に飛び込んできました。武甲山の向こうには雲取山や長沢背稜の山々も見えました。また、正面には両神山の存在感のある山容が構えていました。さらにその向こうには、北横岳や赤岳などの八ヶ岳の山も見ることができました。また、北の方角には白根山も見えました。

ベンチに座って、サーモボトルに入れて持って来た温かいお茶を飲むと、なんだか人心地がついた気がしました。そして、いつものようにどら焼きを食べました。

山頂には30分くらいいましたが、誰も登って来る人はいません。山行中、まだ誰にも会っていません。

帰りに乗る予定にしている「白石車庫」のバスの時刻は14時40分です。これから定峰峠を経て「白石車庫」まで下りると2時間以上かかります。ぎりぎり間に合う気はしますが、しかし、時間的な余裕があまりありません。”予備がないと不安症候群”の私は、やはり、途中でアクシデントがあった場合のことを考えないわけにはいかないのでした。

定峰峠ではなく、旧定峰峠を通って「白石車庫」から三つ手前の「経塚」のバス停に下りるルートだと1時間くらい短縮できますので、余裕を持って旧定峰峠のルートを下ることにしました。

今の定峰峠は林道が造られてからそう呼ばれるようになったのでしょう。秩父往還の頃は、旧定峰峠の方を歩いたはずです。個人的にも旧の方に興味がありました。

新旧の定峰峠は途中まで一緒の道を下りるのですが、その下る手間で、トレランの二人組とすれ違いました。誰にも会わないのが当たり前のようになっているので、前から人がやって来るとドキッとするのでした。

大霧山から約1時間で「経塚」のバス停に着きました。ところが、逆に早すぎたみたいで、バスの時間まで1時間20分もありました。これだったら、定峰峠を通って「白石車庫」に下りても充分間に合った気がします。山のなかのバス停で1時間以上待っても仕方ないので、「経塚」から小川町駅へ向けて5つ先にある「皆谷」というバス停まで2キロの道を歩くことにしました。

この小川町駅から「白石車庫」に至る路線も、昨秋の台風19号によって途中の道路が陥没したため、「皆谷」までの折り返し運転が行わていたそうです。先々月(10月)の23日に、道路の復旧工事が終わって全面開通されたばかりなのです。

途中道路が新しくなっていましたが、道路周辺の風景には見覚えがあり、なつかしい気持になりました。「皆谷」のバス停の横にある商店では、手作りの饅頭を買った覚えがありました。

「皆谷」で20分待つとバスが来ました。小川町まで30分で着きました。バスに乗って気付いたのですが、「皆谷」は登り始めた「橋場」から二つ奥のバス停でした。

小川町駅に着いたのが15時15分で、それから池袋経由の副都心線&東横線で帰りました。最寄り駅に着いたのは17時半すぎでした。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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「橋場」バス停

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バス停の前の橋を渡って「三沢坂本線」という県道を進みます。

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「帰れマンデー」にも出ていた蕎麦屋

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最初の「登山口」

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しらばく歩くと県道に出た

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再び「登山口」に入る
この手前でみかんが一袋100円で売っていました。買いたかったけどみかんを持って登るのは面倒なので諦めました。

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集落の様子

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熊注意の看板が至るところに出ていました。

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道のあちこちにこのような積石がありました。「死者の追悼」の意味があるそうです。賽の河原の童という不気味なことばを思い出しました。

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瓶のなかにお賽銭を入れて手を合わせました。

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林道の合流点
ここにも熊出没注意

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道標

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粥新田峠に到着
ここまでは車で来ることも可能です。

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同上

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同上

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同上

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同上

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粥新田峠から大霧山に向かう登山道

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同上

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同上

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同上

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トラロープがある最後の急登

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山頂標識

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眺望
秩父から皆野にかけての街並み

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はるか向こうに八ヶ岳の山

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正面に両神山

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痛々しい武甲山の向こうに雲取山と長沢背稜(来年こそ歩きたいと思った)

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定峰峠に向けて下ります。

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関東ふれあいの道のハイキングコースなので歩きやすい

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このあたりでトレラン二人組とすれ違いました。

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定峰峠(旧定峰峠)に下る分岐点

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ここでも手を合わせました。

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旧定峰峠(定峰峠との分岐)

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いったん林道に出る

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数十メートル進むと、再びショートカットの登山道に入る

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再び林道に出る

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麓の集落が見えてきた

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「経塚」バス停

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県道を歩く(通行止めになっていた箇所)

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「皆谷」バス停
10月までここで折り返し運転が行われていた

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小川町駅(スマホで撮影)
2020.12.16 Wed l 山行 l top ▲
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武蔵小杉駅~立川駅~青梅駅~武蔵五日市駅~仲の平~【槇寄山】~仲の平~武蔵五日市駅~拝島駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約7.5キロ
※標高差:530m
※山行歩数:約17,000歩
※交通費:3,850円


昨日(8日)、槇寄山(1188m)に登りました。槇寄山は二度目です。槇寄山は、笹尾根にあるピークで、大沢山を経て三頭山へ縦走する(あるいは逆に三頭山から下山する)のによく使われる山です。

早朝5時に家を出て最寄り駅から武蔵小杉、武蔵小杉から南武線で立川、立川から中央線で青梅、青梅から青梅線で武蔵五日市に行きました。

武蔵五日市駅に着いたのは7時1分でした。武蔵五日市駅からは、いつものように数馬行きのバスに乗ります。バスは7時20分発です。しかし、駅前のバス停には、既に10人くらいが待っていました。そのあとも列のうしろに並んでいましたので、全部で20人以上はいたと思います。そのなかで、ザックを背負ったハイカーは8人でした。前回、槇寄山に行ったのはやはり昨年の12月でした。そのときと比べれば、ハイカーの数が多いように思いますが、やはり天気が良くて暖かったからかもしれません。昨日は、奥多摩でも気温が15度くらいまで上がり、絶好の登山日和でした。

笹尾根自体は、これで5回目です。まさに困ったときの笹尾根なのでした。田部井淳子さんではないですが、特にこの季節になると、冬枯れの笹尾根を歩きたいと思うのでした。

ただ、今回も馬頭刈山のときと同じように、午後の早いバスで帰りたいと思ったので、それを前提にコースを決めました。帰りのバスは、13時20分と14時50分、そのあとは15時台がなくて16時10分です。何度も言いますが、この季節の山は15時を過ぎるともう暗くなってしまいます。それに、自宅に帰るまで2時間半から3時間近くかかるので、14時50分のバスで帰っても、帰宅ラッシュに遭遇してしてしまいます。登山帰りの帰宅ラッシュはちょっとつらいものがあります。

その結果、目標どおり13時20分のバスで帰ることができました。13時20分のバスは、前回の馬頭刈山のときに帰りに乗ったバスと同じ便でした(馬頭刈山の帰りに利用した「和田向」も、同じ路線のバス停です)。「和田向」が14時2分でしたので、「和田向」は、武蔵五日市駅から見て40分手前にあるバス停ということになります。

檜原街道沿いには、このように三頭山に向かって左に笹尾根、右に浅間尾根の登山口が点々とあります。私自身も、今まで入山時や下山時に7~8くらいのバス停を利用したと思います。

「仲の平」のバス停で降りたのは、今回で三度目です。「仲の平」は、終点の「数馬」のひとつ手前のバス停です。今回も途中から乗客は私ひとりになりました。「仲の平」に着いたのは、8時半前でした。武蔵五日市駅からは1時間ちょっとかかりました。

もうなじみのバス停なので、身支度をすると、勝手知ったる道という感じでいつもの道を笹尾根にある西原峠に向けて歩きはじめました。

昨日は霜も降りてなかったので、落ち葉も乾いたままで、文字通り落ち葉の絨毯の上をサクサク音を立てながら気持よく歩けました。途中でザックをおろして10分くらい休憩したのが返ってよかったみたいで、前回より20分くらい早く西原峠に着きました。

西原峠から槇寄山の山頂まで5分もかかりません。三頭山の方向に坂をひと登りすると山頂です。

槇寄山に登ると、予想通り冬空の彼方に富士山がくっきり姿を現していました。山頂には既に老夫婦が休憩していましたが、「どうしてラーメン食べないの?」「食べたくないんだよ」と口喧嘩をしていました。奥さんは明るい人ですが、旦那は逆に挨拶もしない暗い感じの人でした。「どうしてラーメン食べないの?」と言っていたのは奥さんの方です。「あなたはいつもそうなんだから」と不満たらたらの様子でしたが、しかし、こうやって連れだって山には来ているのでした。

二人はすぐに下りて行きましたので、あとは写真を撮ったり、どら焼きを食べたりしてひとりの時間を満喫しました。今回は、サーモボトルに温かいお茶を入れてきました。山頂では寒いので、温かいお茶がいいだろうと思ったのですが、昨日はそんなに寒くなかったものの、山に温かい飲み物を持って行ったのは正解でした。

帰りは、今回は笹尾根を30分くらい歩いて、数馬峠(上平峠)から下りました。数馬峠という峠は何故かいくつもあるので、このように括弧で山梨側の地名も付けられているのです。途中の田和峠からも富士山がよく見えました。田和というのも、山梨県の上野原側にあるバス停の名前です。当初、上野原の方へ下りようかと思ったのですが、上野原の方は一日に2便しかバスがなくて、もっと不便なのでした。

数馬峠までの笹尾根は前も歩いたことがありますが、前に歩いたときは霜が残っていてかなりぬかるんでいました。しかし、昨日は霜もなくとても快適でした。やはり、冬枯れの笹尾根はいいなあとしみじみ思いながら歩きました。なんだか子どものときに祖父に山の下刈りに連れて行かれたときに見た風景と似ている感じで、そのときのことが思い出され、涙が出そうになりました。

数馬峠(上平峠)から「仲の平」に下る道は、今回が初めてでした。この道は、守屋地図によれば、「往時の重要な交易路の一つだった」そうです。つまり、武州と甲州を結ぶ道のひとつだったのです。笹尾根にはこういった峠越えの道がいくつもあります。

下りの道はとても歩きやすいし、明るいところも多くて、私がいつも使っている(今回も登りで使った)道よりも全然いい感じでした。前に数馬峠で休憩していたら、この道から女性のグループが登ってきたことがあったのですが、私もこれからはこの道を使おうかなと思いました。昨日も男性がふたりベンチで休憩していましたが、彼らもこの道を登って来たのかもしれません。

ちなみに、今回、山で会ったのは、槇寄山の老夫婦とこの男性二人組だけでした。

しばらく下ると、大きな伐採地の上に出ました。この伐採地は、私が登った道からも見上げることができて、あそこに登りたいなと思ったばかりでした。伐採地の上に立つと、奥多摩の山の景色が目に飛び込んできました。目の前に何も遮るものがないので、三頭山や浅間尾根の稜線を手を取るように見ることができました。

最後に樹林帯のなかの急登を下ると、南秋川の川岸にある廃墟と化したキャンプ場に出ました。朽ちたバンガローがいくつも立っていて、炊事場の跡も残っていました。橋を渡って坂を登ると、檜原街道のバス停からすぐ下りたところに出ました。なんだここが登山口だったんだと思いました。なんだか灯台下暗しのような気持になりました。

初めて来たとき、バス停の近所の人から「この道を進んで一番上の家の横から登るんだよ。川の方に下りたらダメだよ」と言われたのですが、「川の方」というのはここのことだったのでしょう。もしかしたらその頃は昨秋の台風19号の被害がまだ残っていたのかもしれません(奥多摩は台風19号の被害が甚大で、未だ通行止めになっている登山道も多いのです)。

バス停に着いたのは、12時40分でした。予定より20~30分早く着きました。

今回は、8キロのザックを背負って登ったのですが、やはり休憩をこまめに取ったことがよかったのか、逆にいつもより軽快に歩けました。僅か4時間の日帰りハイクなのに、どうして8キロになるんだと思われるかもしれませんが、トレーニングのため、あえて重い荷物を背負って歩いたのでした。ちなみに、いつもは5キロ前後です。

もうひとつは、ガチガチの固い靴を履いたのもよかったのかもしれません。ガチガチの固い登山靴は重くて足が疲れるのですが、しかし、山を歩く上では安定していて非常に歩きやすいのです。これでお気に入りのノースフェイスのトレッキングシューズの出番はなくなるかもしれません。

13時20分のバスに乗り、武蔵五日市駅に着いたのは14時半近くでした。武蔵五日市駅からは拝島、拝島から立川、立川から南武線で武蔵小杉、武蔵小杉から東横線で最寄り駅に帰りました。自宅に帰り着いたのは17時前でした。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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「仲の平」バス停

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檜原街道から分かれた坂道を下ります。

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橋を渡って今度は坂道を登ります。

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川沿いの坂道

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登山道に入りました。

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とても歩きやすい道です。

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同上

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道標も古い

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国定忠治が遠見した?
国定忠治は、人口に膾炙されたヒーローだったので、こういった名所?もねつ造されたのでしょう。

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乾いた落ち葉を踏みながら歩くのは気持がいい。

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西原峠

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槇寄山の山頂に登ると、富士山が目に飛び込んできた。

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槇寄山山頂標識
古くて字が消えかかっている。
もうやむごとなき方が登らないので新調しないのかな?

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三等三角点

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山頂の様子

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数馬峠に向けて笹尾根を歩きます。

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冬枯れの笹尾根

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同上

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同上

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同上

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同上

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田和峠

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田和峠からの富士山

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田和峠道標

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さらに笹尾根を進みます。

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数馬峠(上平峠)の写真を撮り忘れましたが、既に分岐から下山道に入りました。

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こちらも乾いた落ち葉が気持いい。

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道標にこんな札もありました。

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何ケ所か倒木が道を塞いでいました。

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伐採地からの眺望

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左奥から、大沢山、三頭山、鞘口峠

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登山道は伐採地をぐるりと周回するようになっていました。

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南秋川の川岸に残るキャンプ場の跡

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同上

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同上

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キャンプ場から上がったところにある道標

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武蔵五日市駅のホーム(スマホで撮影)
2020.12.09 Wed l 山行 l top ▲
最近、「日本の異常」ということを考えないわけにはいきません。と言うと、ネットだったら(このブログもネットだけど)「だったら日本から出て行け」「反日」と罵言を浴びせられるのがオチでしょう。

誰もその異常を疑おうとしないのです。言うなれば、異常が日常化しているのです。オリンピック開催にこだわるがゆえにアクセルを吹かしつづけた挙句、アクセルが戻らなくなり暴走車のようになっているCOVID-19対策などはその最たるものですが、日本の異常はそれだけではありません(オリンピックなんてできるわけがないと誰も言わないのも異常ですが)。

ひとつは、眞子さんの結婚に対してです。小室さん母子に対するバッシングも異常ですが、眞子さんが結婚の意思に変わりがないと表明し、続けて父親の秋篠宮が条件付きながらも「結婚を認める」と発言したことに対して、いっせいに巻き起こった眞子さん本人や秋篠宮家に対するバッシングも、もはや常軌を逸していると言っても過言ではないでしょう。

元衆院議長の伊吹文明も、「小室さんは週刊誌にいろいろ書かれる前に、やはり皇嗣殿下がおっしゃっているようなご説明を国民にしっかりとされて、そして国民の祝福の上に、ご結婚にならないといけないんじゃないか」などと、まるで小室さんに説明責任があるかのような発言をしたそうです。

私などは、その前に「安倍さんは過去の国会答弁について国民に対する説明責任がある」と言うべきではないかと思いますが、伊吹文明にとっては、安倍よりも小室さんの説明責任の方が優先度が高いのでしょう。

また、伊吹文明は、秋篠宮が「結婚を認める」理由としてあげた「憲法に明記された婚姻の自由を尊重すべき」という発言に対しても、「皇族方は、(中略)法律的には日本国民ではあられない」ので、皇族は日本国憲法が認める「婚姻の自由」や「幸福追求の権利」が保障されるわけではないという旨の発言もしているそうです。これは、生活を保障するからカゴのなかの鳥でいろと言っているようなものでしょう。

「婚姻の自由」や「幸福追求の権利」が、日本国憲法が認めているから成立するような、そんなチンケな権利ではないことは子どもでもわかる話でしょう。人権ということばの意味も理解してないのではないか。こういう人物が国権の最高機関の長を務め、政権党の重鎮と遇されているのですから、政権党のなかから民主主義や歴史を否定する言動が出てくるのもむべなるかなと思います。

これでは、眞子さんや佳子さんが封建的な日本を離れて海外で結婚生活を送ろうと考えても仕方ないでしょう。もう彼女たちの人生に、天皇制がそぐわなくなっているのは事実なのです。むしろ、皇族であるが故に、人権も認められない、幸福を追求する権利もない人生に疑問を抱かない方がおかしいのです。

封建的と言えば、もうひとつ、「日本の異常」を痛感する出来事がありました。

それは、群馬県の草津町で、女性の町議会議員が村八分のようなリコールで失職した件です。町長室で町長から性被害を受けたと告発した女性議員に対して、「嘘を言って議会の品位を汚した」として町議会議長を中心にリコール運動が行われ、住民投票の結果、賛成2542票、反対208票という92%の圧倒的多数でリコールが成立、裁判で真相があきらかになる前に女性議員が町議会から追放されることになったのでした。

草津町議会を傍聴した北原みのり氏は、その異常さについて、次のように書いていました。

 休憩を挟んで議場に戻ろうとしていた男性議員たちが「傍聴席のヤツラ! 今日はやりにくい」と大声で言っているのが聞こえた。「ヤツラ」と言うんだな……と驚いたが、普段から傍聴している人によると、「今日は議場がいつもより穏やか」とのことだった。いつもは新井議員への嘲笑や暴言、叱責が激しいといい、この日は傍聴席の女性が圧になっていたのは確かのようだ。

 一方、傍聴席は殺気だっていた。70代くらいの男性たちが前列に座る私たちの背後から、「こっちにだって選ぶ権利あるんだよ」「誰があんな女と」「犬だってしねぇよ」と声を浴びせたり、「(性被害が)本当なら(時間的に)町長はニワトリだ」と盛り上がったりもしていた。ニワトリの意味は、すぐ射精するとのことらしい。コケッコッコーと言っては笑っていた。セクハラを背中からずっと浴び続けた思いになる。

AERAdot.
殺気だつ草津町傍聴席「犬だってしねぇよ」 セクハラを背中で浴び続けた気分になった


また、草津町を取材したハーバー・ビジネス・オンラインも、次のように書いていました。

(略)この住民投票の一番の問題は、どこかの一般町民がリコールをしようと言い出したのではなく、なんと、草津町議会の議長が中心となってやっている点です。だから、公共施設にまでリコールに賛成を呼び掛けるポスターが貼られているのです。ここには「住民投票の公平性」という概念は一切ありません。これはもう民主主義でもありゃしないのです。

 今回の新井祥子議員のリコール住民投票は、明らかに「町ぐるみ」で仕掛けられています。これはとても深刻で重大な問題です。本来、自治体というのは住民投票の公平性を担保しなければなりません。賛成するか反対するかはあくまで「住民の意思」で決められるものであって、町がどちらかを推奨するということがあってはならないのです。ところが、草津町では公民館や児童室といった公共施設の駐車場にポスターが貼ってあって、新井祥子議員のリコールに賛成するように促していました。

ハーバー・ビジネス・オンライン
群馬県草津町の「町議リコール」住民投票がはらむ、性被害の事実以前の大きな問題


リコール(解職賛成)を呼びかけるポスターは、観光客が訪れるバスターミナルにも貼られており、「こんなにイカれた話はありません」と書いていましたが、草津町は町あげてリコールに狂奔していたのです。文字通り”異常な町”と化していたのです。町内に9ケ所ある共同浴場にも、あの有名な湯畑の近くにも、ポスターは貼られていたそうです。なんだか横溝正史の小説に出てくる村のようです。

草津町というのは、温泉を資源にビジネスをしている人が多く暮らしているため、町長や議員を敵に回すことは、イコール、この地で商売ができなくなってしまうということであり、非常に閉鎖的な町です。議員になる人も、ホテルや旅館の二代目や三代目だったりして、そもそも町長に逆らうような人はいません。
(同上)


草津温泉を訪れる女性客を笑顔で迎える「ホテルや旅館の二代目や三代目」の主人たちが、一方で、議会ではミソジニー(女性蔑視)の権化のような顔を見せていることを観光客は知る必要があるでしょう。

この異常に対して、職員組合はどうしているのかと思ったら、草津町には職員組合はないのでした。「公共施設にポスター」「町ぐるみのリコール運動」の理由がわかった気がしました。

しかも、北原みのり氏は、Twitterに次のような驚くべき光景をツイートしていました。中澤議員というのは、議会で唯一女性議員のリコールに反対したために、懲罰動議をかけられた議員です。

北原みのり草津町
https://twitter.com/minorikitahara/status

村八分に加担する日本共産党。日本共産党の日常活動はとうとうこのレベルまで来たのかと思いました。自由と人権を守る党が聞いて呆れますが、そこにはいみじくも左の全体主義の体質が露呈していると言っていいでしょう。「日本の異常」には右も左もないのです。
2020.12.09 Wed l 社会・メディア l top ▲
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新宿駅~立川駅~武蔵五日市駅~とうげん橋~【馬頭刈山】~和田向~武蔵五日市駅~青梅駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約5時間(休憩含む)
※山行距離:約8キロ
※標高差:650m
※山行歩数:約18,000歩
※交通費:3064円


一昨日(2日)、奥多摩の馬頭刈山(まずかりやま・884m)に登りました。馬頭刈山は前から気にはなっていたのですが、前の夜にふと思い付いて、あまり下調べもせずに行きました。

馬頭刈尾根について、山田哲哉氏は『奥多摩 山、谷、峠、そして人』(山と渓谷社)で、次のように書いています。

  東京都心から奥多摩を見ると、大岳山の左手に雄大に伸びる尾根がある。ひとつの山脈と言っても通じるほどに量感のある尾根は、武蔵五日市駅から近く、養沢川と秋川本流が合流する十里木(じゅうりき)に達している。この尾根の名は馬頭刈尾根。中間に馬頭狩山という展望に優れた山頂をもつ。


また、山田氏は、同書のなかで「この尾根からは、地図にもガイドブックにも書かれてない小さな道が、北秋川方向へ何本も分かれる」と書いていましたが、私はそのなかのひとつの千足尾根を登りました。「千足尾根コース」(守屋地図)は、茅倉という集落から登るのですが、マイナーなコースなので、取りつきに行くにも道案内もないし、林道を登って集落の突端まで来たものの、すぐに登山口が見つからずあたりをウロウロしました。

一般的には、同じ千足でも隣の「千足沢コース」(同)と呼ばれる沢沿いのコースと、武蔵五日市駅に近い「軍道(ぐんどう)」や瀬音の湯、あるいは「十里木(じゅうりぎ)」に下る「馬頭刈尾根コース」(同)がよく使われているようです。

でも、私は、「千足沢コース」は長い林道歩きがあるみたいなので、あえてマイナーと言われている千足尾根を歩くことにしたのでした。一応、地図にも登山道として記載されていますが、しかし、途中で「廃道」という表示もあったりして、一抹の不安を抱きながら登山口に向かいました。

新宿駅から6時12分発の快速高尾行きに乗り、途中の立川駅で青梅線の武蔵五日市行きに乗り換え、武蔵五日市駅に着いたのが7時36分でした。そして、駅前のバス停から7時43分発の「藤倉行き」のバスに乗り、「とうげん橋」というバス停で降りました。「とうげん橋」までは30分くらいでした。メインルートの「千足沢ルート」だとバス停は「千足」になりますが、「とうげん橋」はそのひとつ手前のバス停です(でも、林道の登り口は二つのバス停の中間にありどちらで降りても同じでした)。

バスには、途中の警察署や高校や小中学校などに出勤する人達が10数人が乗ってきました。しかし、それらをすぎると、バスのなかは私と同じ年恰好のハイカーの男性、通勤客とおぼしき男女二人、それと途中から乗って来た高齢の夫婦の6人になりました。バスは南秋川沿いの檜原街道をしばらく進み、やがて檜原村役場の前の橘橋を渡ると檜原街道から分かれ水根本宿線に入ります。ここからは川も分岐して、南秋川から北秋川になり、バスも北秋川沿いの都道を走ることになります。

やがて左上手に尖がり屋根が特徴の建物が見えてきました。「やすらぎの里」です。サイトを見ると、「やすらぎの里」は、「地域包括支援センター」「子ども家庭支援センター」「高齢者在宅サービスセンター」「老人福祉センター(ふれあいセンター)」「診療所」「保健センター」「福祉作業所」「児童館」の公共の複合施設だそうです。

バスは、北秋川にかかる橋を渡って「やすらぎの里」の構内に入って行きました。そのとき、私は、「あれっ、ここは前に来たことがあるな」と思いました。バスが構内に入って行ったのを覚えていたのです。でも、「藤倉行き」のバスに乗ったのは今回が初めてです。「いつ来たんだろう?」と考え込んでしまいました。

あとで調べたら、檜原街道を進んで行く「数馬行き」のバスのなかで、一日に何便か「やすらぎの里」を迂回する便があるみたいなのです。つまり、「やすらぎの里」でUターンして、再び橘橋から数馬に向かう便に乗ったことがあったのでしょう。

「やすらぎの里」で、通勤客と老夫婦が降車して、バスのなかはおっさんのハイカーふたりだけになりました。

私が降りるバス停の名前の「とうげん橋」というのは、「やすらぎの里」の構内に入るときに渡った橋のことでした。「やすらぎの里」の構内を出て再び橋を渡り、都道に出るとすぐにバスは停まりました。

バス停のなかで身支度をして、都道を「千足」のバス停の方に向かって歩きはじめました。しかし、登山口がある林道の入口らしきところに来たのですが、表示はなにもありません。あるのは「この先行き止まり」の看板だけです。

何度も言いますが、奥多摩の山は林道を登った先の集落のいちばん上の家の横に登山口がある場合が多いのです。そういった経験とGPSを頼りに林道を登って行きました。

15分くらい登ると林道のいちばん上まで来ました(ただ、左手では林道の延長工事が行われていました)。先端の家の周辺を見回しても登山口らしきものはありません。道標も見つかりません。延長工事をしている方向にあるのかと思いましたが、GPSを見るとルートを外れます。先端の家の人に訊こうかと思いましたが、わざわざ家を訪ねていく勇気はありませんでした。

スマホにダウンロードした地図と見比べながら登山口の表示を探していたら、先端の家の上にある岩の影に古い道標を見つけたのでした。どうやらここが登山口のようです。マイナーなルートなので、よくある注意書きなどの類もいっさいありません。

それに、看板はあったものの道らしきものはありません。雑草の生えたところを恐る恐る入って行きました。すると、先の方に踏み跡が付いた登山道らしきものが出て来ました。

踏み跡はありましたが、道標は稜線に出るまでに古いものが二つあっただけでした。それで、GPSとピンクテープを頼りに、踏み跡を辿りながら登りました。しかし、道に迷うことはありませんでした。と言うのも、巻き道のようなものはほとんどなく、ただひたすら直登と言ってもいいような急登がつづいたからです。

馬頭刈山に関しては、標高がそんなに高くないし危険なところもないので、初心者向けのハイキングコースと紹介されているサイトもあれば、急登がつづくのである程度の経験と体力が必要と書いているサイトもあります。それはどちらもホントなのだろうと思います。選ぶコースによって難易度も違ってくるのです。それが山田哲哉氏も書いているように、馬頭刈山の特徴なのです。

どのルートを登っても、大岳山と馬頭刈山を結ぶ縦走路でもある稜線と合流します。あとは稜線を歩いて、どこまで行ってどこで下りるかなのです。それが山歩きの楽しみを味わえる馬頭刈尾根の魅力です。

稜線に出ると、やっと三本目の道標がありました。それに従って鶴脚山(つるあしやま)から馬頭刈山の方向に歩を進めました。20分くらい歩くと、鶴脚山(916m)に着きました。鶴脚山は稜線上にある小さな瘤のようなピークでベンチもありません。写真だけ撮ってさらに稜線を進みました。すると、今度は階段が表れていったん下りるようになっていました。この鞍部が馬頭刈山との境になるのでしょう。

その下りでこの日唯一のトレランの恰好をした若者と会いました。「軍道」から登って来て、これから大岳山まで走りますと言っていました。「がんばって」と言ったら、「はい、ありがとございます。お気を付けて」と言って頭をペコリと下げて登って行きました。グループで来るのはどうしようもない連中が多いけど、ソロで登って来る若者はホントに好青年が多いのです。

いったん下って再び登り返す途中に、下山に使う「泉沢尾根コース」(守屋地図)の道標がありました。やはりあまり使われてないみたいで、心細いほど薄い踏み跡しかありません。さらに「泉沢尾根コース」の道標から5分くらい登ると馬頭狩山の山頂に着きました。

山頂にはベンチが二つと、周辺の山名とハイキングコースが記載された案内板もありました。案内板を見ると、私が下山に使おうと思っているコースは記載されていませんでした。山田氏によれば、1970年頃まで馬頭刈山の山頂には「展望台というには立派すぎるコンクリートの見晴らし台があった」そうです。

ベンチに座っていつものようにどら焼きを食べて30分くらい休憩しました。この日は曇天で眺望はほとんどありませんでした。晴れた日には富士山を見ることもできるそうですが、厚い雲のカーテンに遮られてどこにあるのかさえわかりませんでした。もちろん、誰も登ってきません。

少し寒くなったので、引き返して「泉沢尾根コース」を下りました。このコースは、落ち葉も多くいっそう踏み跡がわかりにくくなっていました。ただ、途中には真新しい道標がいくつも立てられていました。踏み跡が消えたところでは、何度も立ち止まってGPSで確認しながら慎重に下りました。

一方、下っていると、木製の道標が至るところで噛み千切られているのに気づきました(下記写真)。人間がそんなご丁寧な悪戯をするわけがないので、野生動物の仕業なのでしょう。やはり、クマがいるのかと思いました。帰ってネットで調べたら、メインのルートの登山口には「クマ目撃情報あり」の注意書きが出ているそうです。

途中でウォーッという唸り声みたいものが聞こえてきたので、笛を吹きながら歩きました。また、途中で何度もクマの糞らしきものも見つけましたが(下記写真)、あとで調べたらクマではなくハクビシンの糞のようでした。

下山したのは13時半すぎでした。入山したのが8時半頃でしたので、約5時間の山行でした。

下りたのは、檜原街道沿いの「和田向(わだむかい)」というバス停です。ここは笹尾根や浅間尾根や三頭山に行くときに何度も通ったことがあります。このバス停には、6千万円かけて作った総ヒノキ造りのトイレがあるのです。それで、やむごとなき方々と同じように、そのトイレで一度用を足してみたいと思っていたのです。

なかに入ると、ヒノキの臭いがして、とても快適に用を足すことができました。また、横には休憩室がありましたので、そこでバスを待ちました。

登りながら、馬頭刈山もやはり奥多摩の山なんだなあと思いました。標高が低くても、奥多摩特有の急登とは無縁ではないのです。六ッ石山や本仁田山や川苔山(鳩ノ巣駅からの舟井戸コース)に似ているなと思いました。山田氏も「馬頭刈尾根から北秋川へと向かうたくさんの踏み跡を、気ままに下ったことがある」と書いていましたが、私もまたひとつ楽しみを見つけたような気がしました。

また、田部井淳子さんではないですが、冬枯れの人のいない山を歩くのはいいなあとあらためて思いました。特にこの時期は、山を歩くのにいちばん好きな季節です。

帰りは、14時2分のバスに乗り、武蔵五日市から青梅、青梅から立川、立川から南武線で武蔵小杉、武蔵小杉から東横線で帰りました。最寄り駅に着いたとき、外はどじゃぶりの雨で、駅から自宅までは徒歩で7~8分ほどなのですが、あまりに雨脚が強いので駅前のドラッグストアでビニール傘を買いました。帰り着いたのは16時すぎでした。


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とうげん橋バス停

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やすらぎの里

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都道の脇にあった茅倉の滝

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同上

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登山口までの林道

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登山口

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登山道

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同上

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最初の道標

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登山道

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クマの糞かと思った。

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こんな登りがずっとつづく

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登ってきた道を上から見下ろす

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笹尾根のような平坦な道になったが、すぐまた急登がはじまった。

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ようやく先に稜線が見えてきた。

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稜線上の三つ目の道標

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稜線を歩く

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同上

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同上

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日の出山

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御岳山(左奥に大岳山)

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鶴脚山山頂標識

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道標

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再び稜線を歩く

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階段をいったん下る

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稜線上は道標が多く出てきます。

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泉沢の下山ルート(道標は立派だけど、やはりマイナーなルートです)

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馬頭刈山に向けて登り返す

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本日の下山ルートの看板

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先に馬頭刈山の山頂

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馬頭刈山山頂標識

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山頂の様子

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ここから下山

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下ってすぐ。落ち葉が積もっているのでよく滑ります。尻もちをつきました。

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逆光で見えにくいのですが、道標の半分が折られています。

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ここも齧られている

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このあたりは落ち葉で踏み跡がわかりにくくなっており、慎重に下りました。

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山は下刈りがされて人の手が入っているのがよくわかるので、歩いていて不安はありませんでした。

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この道標も半分が折られています。

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これもハクビシン?

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下山口

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バス停に下りる林道の途中にあった貴布祢伊龍神社

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6千万円のトイレ外観(手前から休憩室、女子トイレ、男子トイレ)

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トイレのなかの休憩室

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和田向バス停

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同上(反対側)
2020.12.04 Fri l 山行 l top ▲
今日、「安倍晋三前首相の後援会が主催し『桜を見る会』前日の夕食会を巡り、東京地検特捜部が安倍氏本人に任意の事情聴取を要請した」(共同)というニュースがありました。

安倍辞任について、病気はあくまで表向きの理由で、実際は河井夫妻に対する強制捜査に関連して(河井夫妻に自民党本部から振り込まれた買収資金の1億5千万円に関連して)みずからに捜査の手が及ぶのを避けるため辞任したのではないかという見方がありましたが、まさか「桜を見る会」で事情聴取に発展するとは意外でした。

それにしても、国会答弁の嘘八百には今更ながら呆れます。森友問題で、佐川宣寿財務省理財局長(当時)が国会で答弁した際、野党の追及にあたふたしている佐川局長に対して、総理大臣席の安倍が「もっと強気で行け」というメモを渡して叱咤していたそうですが、あれは「強気で嘘を吐け」という意味だったのでしょう。

安倍や菅には、「国民はすぐ忘れる」「世論はその場限りのものに過ぎない」という、国民や世論に対する”冷めた認識”が共通していると言われています。つまり、それは、「国民なんてバカですぐ忘れるので、強気で嘘を吐いてその場を言い逃れればいいんだ」という、ある意味でシビアな大衆観とも言えます。実際その通りなのですが、それがあのような国会軽視にもつながっているのでしょう。

甘やかされて育てられたボンボンにありがちな生来の嘘つきが、自民党内の無責任な政治の力学でなんと総理大臣になってしまった。そんなマンガのような話が安倍一強7年8カ月の実態なのです。

生来の嘘つきが総理大臣になった悲劇については、このブログでも下記の関連記事で書いていますので、ご参照ください。

ただ、確認しておきたいのは、安倍辞任や聴取要請は、決して反安倍の運動によるものではないということです。そういったリベラル左派にありがちな他力本願な自画自賛に対しては釘を刺しておく必要があるでしょう。この一連の流れは、あくまで権力内部の力関係の変化によるものにすぎないのです。

追記:
午後には各メディアが一斉に「聴取要請」の記事をアップしましたが、本人は記者たちの質問に対して、「そんな話は聞いてない」と答えたそうです。ここに至っても白々しく嘘を言い続けるその姿は、なんだか頬をプーッと膨らませて「ボク、知らない」と言い張っていた子どもの頃のエピソードを彷彿とさせるものがあります。三つ子の魂百までとはよく言ったもんだと思います。

こういう人物が総理大臣として、公私混同して国政を運営し、国会で嘘八百を言い続けて来たのですから、これほどの悲劇はないでしょう。しかも、彼は、「愛国者」として右派系の人間たちの間ではヒーロー扱いさえされていたのです。古谷経衡流の言い方をすれば、「愛国ビジネス」にとって格好のシンボル(ブランド)だったのです。



関連記事:
『安倍晋三 沈黙の仮面』
薄っぺらな夫婦 青木理『安倍三代』
『拉致被害者たちを見殺しにした安部晋三と冷血な面々』
2020.12.03 Thu l 社会・メディア l top ▲
未来への大分岐


斎藤幸平編『未来への大分岐』(集英社新書)を読みました。

私は、何事においても悲観論者なので、未来に対してもきわめて悲観的です。ただ、副題にあるように、現在が「資本主義の終わりか、人間の終焉か?」の「大分岐」に差しかかっているというのはその通りでしょう。

本書のなかに、シンギュラリティということばが度々出てきます。技術的特異点(technological singularity)という意味の用語ですが、ウィキペディアでは以下のように説明されていました。

技術的特異点は、汎用人工知能(en:artificial general intelligence AGI)、あるいは「強い人工知能」や人間の知能増幅が可能となったときに起こるとされている出来事であり、ひとたび自律的に作動する優れた機械的知性が創造されると、再帰的に機械的知性のバージョンアップが繰り返され、人間の想像力がおよばないほどに優秀な知性(スーパーインテリジェンス)が誕生するという仮説である。


つまり、シンギュラリティというのは、AIが人間の知能や知性を凌駕する、その臨界点を表わすことばなのです。しかも、ウィキにも書いているように、それが2045年頃やって来るのではないかと言われているのです。そうなれば、私たちは人間ではなくAIに使われるようになるのです。私たちの上司は(実質的には)AIになるのです。サラリーマンの勤務評価もAIが行うようになるのです。入社の採否もAIが決めるのです。住宅ローンの審査も然りです(既にそれははじまりつつあります)。ありていに言えば、私たちはAIに支配されるのです。

もちろん、そうなれば私たち自身、つまり人間の概念も変わらざるを得ません。なんだかSFの世界の話のようですが、そんなSFの世界がもうすぐそこまでやって来ているのです。

本書のなかで、経済ジャーナリストのポール・メイソンは次のように言っていました。

  多くの宗教では、神が人間に魂を与えています。地球上の他のあらゆるものと、人間は異なる。私たちはもっと進んだ存在で、人間は自分たちの思考によって決断を下すことができる。魂は、人間の優越性の証でした。
   たとえば、人間は槍をライオンに向かって投げつけることができるけれども、ライオンはその槍がどこから来たのかさえ理解していない。私たちがなぜ魂を信じ、人間の優越性を当然視しているのかについて、唯物論的に説明すると、そうなります。
   ところが、二十一世紀半ばには、AIが私たちに向かって槍を投げつけるようになり、その槍がどこから来たのか、私たちにはわからないという状況に陥るでしょう。
   AIが私たちを出し抜き、優位に立つのです。人間があらゆる存在に対して優越しているという、多くの宗教が今まで主張してきた前提が融解してしまう。だからこそ、人間とは何か、という固有性についての答えは、人間の優越性ではない、何か別なものに根ざしたものでなければなりません。
(第三部・第四章シンギュラリティが脅かす人間の条件)


では、人間が人間たらしめるものは何になるのか?と鈴木はポール・メイソンに問います。それに対して、メイソンは次のように答えていました。

  それは、人間の自由(引用者:傍点あり)です。だからこそ、人間が機械を活用する必要があります。人間を必要性から解放し、できうる限り少ない労働ですむようにするために、です。
(同上)


こういった楽観主義はマイケル・ハートにも共通していました。マイケル・ハートも、今の情報テクノロジーをアントニオ・ネグリとともに提唱する「コモン」による民主的な管理が必要だと説いていました。「コモン」というのは、国家所有でも私的所有でもない共同管理(所有)というような概念です。むしろ、今の情報テクノロジーは現代資本主義の果実なのだから、その果実を利用しない手はないという考えです。なんだか東西の壁が壊れる前に、旧ユーゴで実験された自主管理型社会主義を思い出しました(でも、そのユーゴも東西の壁が壊れると、凄惨な内戦=民族間紛争に突入したのでした)。

マイケル・ハートは、情報テクノロジーの進化、つまりシンギュラリティの到来によって、むしろ人間は苦の労働から解放されるのだとさえ言います。そのためにも、「アルゴリズムという固定資本の管理権」を「コモン」が手にしなければならないのだと。

  人間のもつ知識が機械に集約・固定されれば、それは、大きな社会的進歩となる可能性があります。だからこそ、私たちが本当にしなくてはならないのは、アルゴリズムを拒否することではなく、アルコリズムという固定資本の管理権を求める闘いなのです。
(第一部・第四章情報テクノロジーは敵か、味方か)


斎藤幸平は、マイケル・ハートの言葉を「固定資本の管理権を手に入れる闘いは、非物質的労働の時代における生産手段をめぐる闘いだ」と解説していました。

しかし、工場がAIに制御されたロボットによってオートメーション化されるのは、ホントに苦の労働から解放されることを意味するのだろうかという疑問があります。工場で吐き出された鉄くずを集めたり、ゴミを捨てたりするのも、やはりロボットなのか。もしかしたら、そういった下働きは人間が担うようになるのではないか、と私などは思ってしまいます。

当然、オートメーション化によって労働者のかなりの部分はリストラされるでしょう。でも、それもマイケル・ハートによれば、苦の労働からの解放を意味するのです。労働力としてみずからを資本に売る、「労働力の再生産」から解放されることになるからです。そのために、マイケル・ハートはベーシックインカムを提唱しています。

となれば、ベーシックインカムのために、マイナンバーと銀行口座や所得額や職歴や学歴や婚姻歴や病歴などの個人情報が紐付けられても、それも良しとすることになるのでしょうか。「コモン」の共同管理のためなら、個人情報が一元管理されても問題はないと考えているのでしょうか。まして、本書のなかでも議論になっていましたが、ベーシックインカムも貨幣に変わりはないのですから、”貨幣の物神性”という問題は依然として残るのではないか。そんな素朴な疑問が次々と浮かんできました。

一方、マルクス・ガブリエルは、「啓蒙の復権」を主張していました。そうあらねばならないという倫理的な考えが大事なのだと言います。その基調にあるものも、ポール・メイソンやマイケル・ハートと同じです。

私は、なんと心許ない話なんだろうと思わずにおれませんでした。情報テクノロジーの進化ではいちばんわかりやすい中国の例を見ても、私にはAIに支配される未来の人間の姿しか浮かびません。

編者の鈴木幸平が「あとがき」で書いていた新しい社会主義像についても、私は楽観主義のようにしか思えませんでした。

  これは(引用者注:コモンは)、「上から」の共産主義、スターリン主義とは異なる、社会運動に依拠した「下から」のコミュニズム(communism)と言える。
  では、なぜ「上からの」社会変革ではだめなのか。現実の社会運動や共同参画に根付かない政策提案や制度改革による、「上からの」社会変革の戦略を、本書では「政治主義」と呼んだが、政治主義は、民主主義の闘争領域を選挙戦へと著しく狭めてしまうのだ。そして、専門家や学者による政策論は問題を抱えている当事者の主体性を剥奪する。
(おわりに―Think Big!)


現に日本では、前にも書きましたが、社民党の立憲民主党への合流に見られるように、社会運動に依拠した政治勢力は壊滅状態に追いやられているのです。これからは野党周辺においても、左派的な社会運動を排除する動きが盛んになるでしょう。「『下からの』コミュニズム」なんて絵に描いた餅のようにしか思えません。しかも、菅政権のデジタル庁構想に見られるように、「サイバー独裁」「デジタル封建制」の方がむしろ現実になりつつあるのです。
2020.12.01 Tue l 本・文芸 l top ▲
25日、ディエゴ・アルマンド・マラドーナが心不全により自宅で亡くなったそうです。まだ60歳でした。早すぎる死と言うべきでしょう。

マラドーナに関しては、サッカー界の偉大なレジェンドという以外に、さまざまなスキャンダルによって、私たちにはヒール(悪童)のようなイメージもあります。

しかし、ラテンアメリカでは、どんなにスキャンダルに見舞われようとずっと変わらず英雄でした。現役時代も現役を引退してからも、ラテンアメリカの民衆から熱狂的な支持を得ていたのです。

ラテンアメリカの民衆にとって、マラドーナの死は文字通り「巨星堕つ」という感じなのではないでしょうか。

私は、ちょうど10年前の2010年、代表監督としてアルゼンチンを率いて出場した南アフリカワールドカップの際に、マラドーナが「ラテンアメリカの民衆から熱狂的に支持されるもう一つの理由」について、下記のような記事を書きました。


関連記事:
マラドーナ
2020.11.26 Thu l 訃報・死 l top ▲
昨日、仕事関係の知人に会ったらやけに元気がないのです。「どうしたんですか?」と尋ねると、身体の調子が悪くてずっと仕事を休んでいたと言うのです。

彼は、数年前に脳出血で入院したのですが、そのときの後遺症で未だに半身にしびれが残っているそうです。見た目にはわからないのですが、本人にとってはそれが憂鬱の種のようでした。

その脳出血に由来することかと思ったら、そうではなくて「ヘルニアが再発した」と言うのです。ヘルニアとは初耳でしたが、なんでも10数年前に発症して、そのとき手術を勧められたけど症状が治まったのでそのままにしていたのだそうです。

首の後ろが痛いと言っていましたので、頚椎椎間板ヘルニアだと思います。しかも、ヘルニアの影響なのか、半身の痺れもひどくなり、最近は字を書くのもままらななくなったと言っていました。

彼は、離婚してひとり暮らしです。お父さんとお母さんも既に亡くなっています。昔はお父さんが会社を経営していたらしく、一人っ子だった彼はおぼっちゃまとして大事に育てられ、有名な私立の学校も出ています。某女性タレントとも幼馴染だそうで、学校でも幼稚園のときからずっと一緒だったそうです。彼女はタレント同士で結婚したのですが、夫が前に結構大きなスキャンダルに見舞われたことがありました。そのときも、実際は話が全然違うのにと嘆いていたそうです。そんな話を彼から聞いたことがありました。

しかし、お父さんの会社が倒産して状況は一変します。それが原因なのかどうか、離婚しそれまで勤めていた会社も辞めたのだそうです。

私が知り合ったのは今の会社に転職したあとで、お母さんは既に亡くなり、お父さんと二人暮らしをしていました。しかし、お父さんが認知症になったため、世話するのに苦慮していました。それで、介護施設に入所させたのですが、ほどなくお父さんが亡くなったのでした。

たまたま私もよく知っている病院で亡くなったのですが、葬儀会社に搬送を頼み、彼だけが立ち会って都内の火葬場で荼毘に伏したそうです。荼毘のあとは、自分の車で遺骨を霊園まで運び、自分で納骨しようとしたけど、霊園の決まりで専門の指定業者でないと納骨できないと言われ、仕方なくその業者に頼んで納骨したのだそうです。「ただ墓石を動かして骨壺を入れるだけなのに4万円も取られたよ」と言っていました。

離婚したとき、死にたいと思って何度も駅のホームの端に立ったことがあったそうですが、やはり死ぬ勇気がなかったと言っていました。一人娘がいて、もう成人式も迎えたはずだと言っていましたが、離婚してから一度も会ったこともなく、どこに住んでいるのかもわからないのだそうです。「池袋や新宿を歩いていると、ばったり出くわすんじゃないかと思うことがある」と言っていました。

そんな彼が、またひとつ憂鬱の種を抱えることになったのです。決してオーバーではなく、神様はなんと無慈悲なんだろうと思いました。自分の身体がままならないということほど憂鬱なことはありません。病気だけではありません。怪我や離婚や失業などのアクシデントに見舞われ、人生が一変するのはよくあることです。私たちの日常はかくも脆く儚いものなのです。

別の年上の知人の姿が見えないのでどうしたのか訊いたら、彼もまた手術して入院しているということでした。みんな詳しくは知らないみたいですが、どうやら内臓のガンのようです。彼の場合、再雇用の嘱託なので、このままフェードアウトするんじゃないかなと言っていました。彼もまた独り者なのでした。子どもがいなくて奥さんと二人暮らしだったのですが、奥さんは10数年前にガンで亡くなり、以来ひとり暮らしをしていました。最近は、電話しても出ないので、どうなったかわからないと言っていました。

会社と言ってもその程度なのです。昔のように世話を焼いたり心配したりすることもないのです。もうそんな濃密な関係ではないのです。だから、よけい孤立感は深まるでしょう。

今までこのブログでも、孤独死した女性の話を何度か書いてきましたが、先日もまた同じような話を聞きました。30代の女性なのですが、何故か身寄りがなく福祉事務所からの依頼で転院してきたそうです。不治の病気だったそうで、数ヶ月入院して亡くなったということでした。

身寄りがなかったら、葬祭扶助を受けて無縁仏として葬られるしかありません。入院する際に持ってきた僅かな遺品を整理していたら、免許証が出て来たそうです。でも、免許証も3年前だかに有効期限が切れたままだったとか。

免許証の写真は、入院中には見たこともないような笑顔だったそうです。免許証を取得して未来に心を弾ませ、仕事に精を出していたときもあったのでしょう。もちろん、お父さんやお母さんと一緒に暮らしていた時期もあったかもしれません。それがどうして30代の若さで、身寄りもなく、孤独に死を迎えなければならなかったのかと思います。どんな思い出を胸に旅立ったんだろうと思いました。

この社会では、労働して(労働力としてみずからを資本に売って)その対価としての賃金を得て、それで生活し、さらに労働力としてみずからを売るという「労働力の再生産」の過程のなかに、私たちの人生は存在しています。それには健康な身体が前提です。その前提が崩れると、途端に再生産のレールから外れ、生活だけでなく人生も立ち行かなくなるのです。

それはちょっとしたはずみやちょっとした違いやちょっとした運にすぎません。私たちの生活や人生はかくも脆く儚いものなのです。「人間らしい」とはどういうことだろうと思わずにはおれません。そして、明日は我が身かも知れないとしみじみ思うのでした。


関連記事:
ある女性の死
女の一生
2020.11.25 Wed l 日常・その他 l top ▲
最近、老眼鏡をかけないと本を読めないということもあって、本を読む時間が少なくなっていました。しかし、そうなればそうなったでこれではいけないと強く思うのでした。本を読むことだけが自分の取り柄みたいなところがありますので、これで本から遠ざかったら何の取り柄もなくなってしまうじゃないか、と自分に言い聞かせているもうひとりの自分がいます。

若い頃は、2~3冊の本を同時に読んだりしていました。むしろ、それが当たり前でした。でも、今はそういう芸当もできなくなりました。年を取ると知識欲も減退するのか。しかし、それでは知性に敵対する元学ラン剃りこみ応援団員のどこかの国の総理大臣と同じになってしまいます。それではいけないと思って、本を買って来て自分で読書週間を設け、みずからを鼓舞して読み始めているところです。

買ってきたのは、仲正昌樹『人はなぜ「自由」から逃走するのか』(ベストセラーズ)、斎藤幸平編『資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への分岐』(集英社新書)、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)、崔実『pray human』(講談社)の4冊です。

斎藤幸平は、今、話題のベストセラー『人新世の「資本論」』の著者で、久々に若手の左派の論客が登場したという感じです。世界が中世に逆戻りしているかような今の状況のなかで、なんだか“期待の星”にすら思えるのでした。

『未来への分岐』は、マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソンという世界的に著名な”左派“の論客と対談した本ですが、そこで語られているのは、「『上からの』共産主義、スターリン主義とは異なる、社会運動に依拠した『下からの』コミュニズム」(あとかぎ)を志向する、マルクスを現代風に解釈したエコロジカルで斬新でラジカルな革命論です。

まだ読み始めたばかりですが、『未来への分岐』のマイケル・ハートとの対談で、斎藤は次のように言っていました。

斎藤 (略)本来なら、カリスマ的なリーダー探しをするのではなく、現実の社会問題に地道に取り組む社会運動をいかに政治的な勢力に変容させるかを模索すべきだし、そうして生まれた政治的な勢力が、運動とのつながりを断ち切らないようにするにはどうしたらよいか、を考えるべきでしょう。
しかし、リベラル派はそのような思考をめぐらすことはせず、安倍に対抗できるくらい強力な政治権力をもつことによって――ただし今度は「立憲主義」の理念のもとで――社会変革をするのが、効率的な対抗戦略であると信じて疑わないのです。そして、主戦場はいつも選挙政治と政策提言になっていて、「投票に行こう」がリベラル派のお題目になってしまっています。


最近の社民党の立憲民主党への合流(吸収?)と重ね合わせて考えると、“愚劣な政治”はなにも右派の専売特許でないことがよくわかります。斎藤も本のなかで言っていましたが(私もこのブログで何度も書いていますが)シリザもポデモスもSNPも、そして、バーニー・サンダーズも、みんな社会運動のなかから生まれたのです。社会運動の基盤があったからこそ、あれほどの政治勢力になり得たのです。

社民党の立憲民主党への合流=実質的な消滅は、社会運動を放棄し、社会運動の基盤を否定するものです。社会運動の基盤を担う”戦う左派”を解体して、野党を中道保守の”戦わないリベラル”に糾合する「選挙政治」の最たるものと言っていいでしょう。言うまでもなくそれは、二大政党制という政治の翼賛化に通底する行為でもあります。そんなリベラル派に何が期待できるのでしょうか。

また、4年の沈黙を破って発表した途端に三島由紀夫賞の候補になった、崔実の『pray human』も楽しみです。眠れない夜など、この弛緩した感性がゆさぶられるようないい小説を読みたい渇望感に襲われることがあります。本を読んでよかったなと思えるような本に出会いたい、そんな干天の慈雨のような本に出会いたいと切に思うことがあります。


関連記事:
崔実「ジニのパズル」
2020.11.24 Tue l 本・文芸 l top ▲
今日、アメリカで最も権威のある文学賞「全米図書賞」に、柳美里の『JR上野駅公園口』が選ばれたというニュースがありました。

朝日新聞デジタル
柳美里さんに全米図書賞 「JR上野駅公園口」英訳版

トランプの狂気が覆うアメリカ社会に、まだこういった小説を選ぶようなナイーブな感性が残っていることになんだかホッとさせられました。

格差社会によってもたらされたネトウヨ化やヘイトの蔓延は、日本も例外ではありません。もはや、他人(ひと)の振り見て我が振り直す“余裕”すらなくなっているのです。

海外旅行が趣味だという若者が、「日本人は外国人に比べて冷たい」「恥ずかしがり屋だとかいうのはウソで、そうやって冷たい自分たちを誤魔化しているだけなんだと思う」と言っていましたが、『JR上野駅公園口』が描く居場所のない人間のやり場のない哀しみこそ、「冷たい」日本人の心に向けて放たれた矢なのだと思います。

『JR上野駅公園口』が日本よりアメリカの文学界で評価されているという現実も、宮台真司の言う日本社会の「感情の劣化」を表しているように思えてなりません。


関連記事:
柳美里『JR上野駅公園口』
2020.11.19 Thu l 本・文芸 l top ▲
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池袋駅~飯能駅~名郷~【天狗岩】~名郷~飯能駅~自由が丘駅

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約7キロ
※標高差:530m
※山行歩数:約17,000歩
※交通費:3,584円


悪夢のような蕨山から3ヶ月、一昨日、再び名郷に行き、今度は武川岳に登りました。と正確に言えば、武川岳には登らずに途中の天狗岩で引き返しました。ただ、最初からその計画でした。

名郷から飯能駅に戻るバスは、14時28分のあとは17時01分まで便がないのです。この時期、17時と言えば既に暗くなっています。前の蕨山のときも、14時28分のバスに乗り遅れましたが、今回の武川岳は蕨山より山行時間が長いので、14時28分で帰るのは最初から無理な相談です。それで、14時28分のバスに合わせて、天狗岩で引き返すことにしたのでした。

それにしても、名郷のルートは私にとって鬼門です。と言うのは、棒ノ折山のときも、蕨山のときも、そして今回も、いづれも一睡もしないで出かけたからです。何故か、特に理由もなく、名郷に行くときはいつも眠れないのでした。

睡魔に襲われながら、途中で山に行くのはやめようかと何度も思いましたが、そう思いながら電車は飯能駅に着きました。しかも、飯能駅に着くまで、どの山に登るかという計画もまったくありませんでした。

前から何度も言っているように、奥武蔵(埼玉)や奥多摩(東京)で日帰りで行ける山はほぼ行っているので、いくら考えても行く山が思いつかないのでした。高尾山や陣馬山や高水三山などはまだ行っていませんが、そういった人の多い(特におばさんが多い)山は私のリストでははじめから除外されているのでした。

飯能駅には7時に着きました。飯能から秩父線に乗り換えて沿線の山に登るか、それともバスに乗って名郷に行くか、駅のホームに降りた時点でもまだ迷っていました。秩父線の電車は7時40分だかに出ます。名郷行きのバスは7時45分です。

ホームのベンチに座って思案した結果、上記のとおり武川岳の天狗岩に行こうと思い至ったのでした。岩登りが面白いので、天狗岩の岩がどんな感じなのか、見てみたいという気持がありました。それで、スマホで登山届を作成しながら駅の改札口を出たのでした。

バスの発車まで時間があったので、バス停の前にある吉野家で朝食を食べました。吉野家で朝食を食べるのは4~5年ぶりでしたが、前のしょぼい朝食と違って見違えるようにバージョンアップしていたのには驚きました。

吉野家を出たあと、バスの時間までまだ少しあるので、バス停から少し離れたところでバスを待っていました。バス停には、既にザックを背負った初老の夫婦が立っていました。と、突然、駅の階段からどどっと中高年のおばさんの一団が下りて来たのでした。「これはやばい」と思って、あわててバス停に並びました。おばさんたちは10人は優に越える団体でした。めずらしくおばさんだけで、男性はひとりもいません。おばさんたちは、ご多分に漏れずテンションが高く、バスのなかでもワイワイガヤガヤ姦しい限りでした。ソーシャルディスタンスなどどこ吹く風です。

バスは8割がた埋まっていましたが、通勤客は数人であとはハイカーでした。それも若者はひとりもいません。見事なほど中高年ばかりです。通勤客は、途中の中学校前などで降りて、あとは完全な登山バスになりました。45分くらい走ると、棒ノ折山の登山口の最寄りのバス停に到着しました。そこで団体のおばさんたちやほかの大半のハイカーも降りて行き、バスのなかはやっと静かになりました。

残ったのは、一番前に並んでいた初老の夫婦と高齢の男性ハイカー、それに私だけです。みんな、当然終点の名郷まで行くんだろうと思っていました。

ところがしばらく進むと、突然、高齢の男性のハイカーが降車ボタンを押したのでした。こんなところで降りてどこに行くんだろう?と私は思いました。すると、男性のハイカーは、料金を払う際、「さらわびの湯はどう行けばいいんですかね?」とバスの運転手に尋ねていました。運転手は、「先程団体さんが降りたでしょ。あそこにさわらびの湯があるんですよ。朝の便は中まで入って行かないですよ」と答えていました。男性は、「そうですか。じゃあ歩いて戻るしかないですね」と言って、如何にも重そうなザックを背負ってバスを降りて行きました。

終点の名郷は、団体が降りたバス停からさらに20分くらい進んだところにあります。蕨山のときはバス停の手前の橋を渡りましたが、武川岳はバス停の先の林道を進みます。一緒にバス停で降りた初老の夫婦も、同じ林道を歩いていました。やはり武川岳に登るのかと思いましたが、武川岳の登山口の方には曲がらずに、キャンプ場がある方へそのまま進んで行きました。それ以後はまったくの単独行でした。行きも帰りも誰にも会いませんでした。

民家が点々と建っているあたりを進み、二度ほど林道を横切り、急階段を登ると、武川岳の登山道に入りました。あとは樹林帯のなかをひたすら進みます。途中、結構な急登もあり、息が上がりました。

今回は、ハードなシャンク(ソールの芯)が入った重い登山靴を履いて来たので、アスファルトの道を歩いて来た時点で既に足の脛が疲労しているのがわかりました。靴底も固いので、足裏も痛くなります。

最近の山行では、コロナの“巣ごもり消費”で買ったノースフェイスのトレッキングシューズを履いていましたが、石や岩が多い道を歩いていると、足を捻ることがありました。登山靴とスニーカーの中間のような、靴底がやや柔いトレッキング用の靴なので、石や岩が多い道だとどうしても左右にぶれるのでした。足を捻るのは怖いことです。捻挫でもしたら歩けなくなってしまいます。まして、私は、いつもひとりだし、あまり人がいない山を歩くことが多いので、へたすると遭難になってしまいます。

それで今回は「本格的な登山にも適している」と謳われているハードなシャンクの入った靴を履いて来たのでした。ただ、その分足の疲労度が増すのは仕方ありません。

天狗岩にはバス停から1時間半くらいで着きました。一昨日は半袖でも充分なくらい、秋晴れの暖かな天気だったので汗びっしょりになりました。水もペットボトルを3本持って来たのですが、それでも足りないほどでした。

天狗岩は、「結構な」という言い方が適しているような岩場でした。蕨山のそれとは比較にはならないほどです。「上級者向け」という看板が出ていましたが、上級者というのはオーバーにしても、初心者には少し難度が高いかもしれません。標高差は約80m、距離が約230mの岩場だそうです。かなり斜度の高い登りもありました。足を滑らせると大きな怪我になる可能性もあります。特に下りは慎重を要しました。岩に正対して下りた方が安全な箇所もありました。今の時期は、岩に積もった枯葉の上に不用意に足を置くとずるっと滑るので、神経を使いました。

天狗岩からは、40分くらいで前武川岳に行けます。さらに前武川岳から20分で武川岳の山頂に着くそうです。まだ時間的には余裕があったので、前武川岳まで行こうかと思ったのですが、昼食も持って来てなかったので、余裕をもって早く下りることにしました。

麓から山の中まで紅葉がまだ残っており、色鮮やかな秋の山を堪能することができました。天狗岩の頂上の岩に座って、行動食の羊羹と饅頭を食べながら、断崖に広がる紅葉を眺めてしばらく休憩しました。

帰りは、途中寄り道をしたりしてゆっくり下りたので、1時間ちょっとかかりました。名郷のバス停に着いたのは12時半すぎで、バスの時刻表を見ると、13時28分のバスがあることがわかりました。前武川岳までの往復の時間を考えると、あのまま前武川岳まで行ったら、14時28分のバスにはギリギリ間に合うかどうかです。天狗岩で引き返したのが正解だったなと思いました。それに、時間を気にして急かされて歩くより、こうしてゆとりを持って歩いた方が山を満喫できていいなあと思いました。

名郷バス停には、登山者用の駐車場(1回500円)もありますが、朝停まっていたのは1台だけでした。しかし、帰る頃には7~8台停まっていました。ほとんどは蕨山方面に登っている人たちなのでしょう。

始発の名郷からバスに乗ったのは私だけでした。まだ午後の早い時間なので、いつも行列ができているさわらびの湯からも、数人ハイカーが乗っただけでした。しかし、途中から一般客が増えて、飯能の街に入る頃には立っている乗客もいたくらいでした。

いつもだと東飯能から八高線で八王子、八王子から横浜線で帰るのですが、まだ時間が早かったので、飯能駅から特急の「横浜・中華街行き」に乗り、自由が丘で各駅停車に乗り換えて帰りました。最寄り駅に着いたのは、16時半すぎでした。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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飯能駅北口バス停(右が吉野家)

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名郷バス停

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武川岳の登山口がある林道へ向かって歩きはじめる
前を行くのが初老の夫婦ハイカー

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既に名郷のバス停から1キロ歩いた

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林道から近道の階段を登る

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階段の上にあった紅葉

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登山道みたいですが、もう一度林道に出ます。

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8月に散々な目にあった蕨山

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再び林道に出てもう一度階段

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階段の上はロープが張られているほどの急坂

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ここから実質的な登山道
巻道が正解で、直登の「上級者向け」は現在死んでいます(採石場に迷い込むみたいです)。

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最初はゆるやかな巻道でした。

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やがて直登になり、息が上がりました。

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登って来た道を見下ろす

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登った先は採石場の金網
石を砕く音が間断なく聞こえていました。

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途中、登山道の右上に岩場がありました。天狗岩と間違えるみたいですが、天狗岩ではありません。でも、岩に登ってみました。

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岩の上を歩きました。

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同上

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岩場が終わり、登山道と合流してしばらく歩くと、目的の天狗岩に着きました。

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ザックをデポして、カメラとサコッシュ、それにズボンのポケットにペットボトルを入れて登りました。

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同上

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同上

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同上

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下る際はこのピンクテープが目印になりました(ピンクテープはホントにありがたい)。

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岩と岩の間に落葉が積もっているので注意です。

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同上

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天狗岩の上にある紅葉

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岩の上から見える紅葉

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天狗岩頂上の標識

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前武川岳に向かう道

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岩の横の断崖にある紅葉

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岩を下る途中

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同上

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同上

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麓に下りるとススキが風に揺れる風景も見ることができました。田舎の通学路でいつも見ていた風景です。

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入間川沿いにある大鳩園キャンプ場
テントが一張ありました。

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川岸の紅葉

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林道の上にあった小さな神社
お賽銭をあげてお参りしました。
2020.11.18 Wed l 山行 l top ▲
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東京駅~佐久平駅~高峰温泉~【水ノ塔山】~【東篭ノ登山】~池の平~高峰温泉~新宿バスタ

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約8.3キロ
※標高差:320m
※山行歩数:約18,000歩
※交通費:10,410円


昨日、東篭ノ登山(ひがしかごのとやま・2228m)に登りました。東篭ノ登山は、長野県(東御市)と群馬県(嬬恋村)の県境にある山です。近くには、知名度の高い黒斑山(くろふやま・2404m)があり、どちらかと言えば、黒斑山の陰に隠れたような存在の山です。

当初、黒斑山に登ろうかと思ったのですが、私がいつも参考にしている登山サイトで調べたら、黒斑山に比べて水ノ塔山(2202m)と東篭ノ登山をミニ縦走した方がコースタイムが長いみたいなので、水ノ塔山経由で東篭ノ登山に登ることにしたのでした。

と言うのも、帰りは登山口のある高峰温泉から出ているバスタ新宿行きの高速バスに乗る予定で、そのバスの出発時間が16時17分なのでした。行きは高速バスだと到着が午後になるので、新幹線で行きました。新幹線だと、駅からバスを乗り継いで登山口に到着するのが9時半すぎです。それから登ると、黒斑山だと下山が13時前になります。ホテルが1軒あるとは言え、バスの出発まであまりにも時間が余ります。まだしも東篭ノ登山の方が待ち時間がいくらか少なくなると思ったのでした。

それともうひとつは、登山者が少ない東篭ノ登山で、久しぶりにゆっくり山を歩きたいという気持もありました。

東篭ノ登山も黒斑山も、浅間連峰に属する浅間山の外輪山です。ちなみに、浅間山は昨年11月の噴火に伴い現在噴火警戒レベル2に指定され、火口周辺は入山規制されています。また、火口から2キロ以内は噴火時の噴石や火砕流の警戒が今も呼びかけられているそうです。地元の人は、「今の予報官は慎重な人なので、警戒レベルの解除には時間がかかるのではないか」と言っていました(各山に担当の予報官がいるとは知りませんでした)。

行きは、東京駅6時28分発の北陸新幹線はくたかで長野県の佐久平駅まで行きました。

佐久平駅から8時25分発の高峰温泉行のバスに乗車し、約1時間で終点の高峰温泉に到着しました。バス停のすぐ横に東篭ノ登山の登山口がありました。黒斑山の登山口はひとつ手前の高峰高原ホテル前のバス停にあります。もっとも、二つのバス停は数百メートル離れているだけです。

佐久平駅からバスに乗ったのは私を含めて二人だけでした。ひとつ先の小諸駅からさらに一人乗り、乗客は三人になりましたが、二人はいづれも途中で降りたので、以後乗客は私ひとりだけでした。バス料金は先払いで1470円でした。ちなみに、帰りの高速バスはGoToキャンペーンが適用されたらしく2200円でした(ネットで予約した際初めて知り驚きました)。高速バスは、佐久平駅までは路線バスを兼ねていましたので、2200円から1470円を引くと、佐久平駅から新宿までは730円の計算になります。新幹線だと6260円です。こんなことでいいんだろうかと正直思いました。

時間の調整が面倒くさいので、最初は前泊することを考えていました。まず、高峰高原ホテルに泊まって、黒斑山に登ることを考えました。そうすれば、16時まで高速バスを待たなくても、午後1番のバスで佐久平駅に戻って新幹線で帰ることができるのです。

ホテル代もGoToが適用されて1泊2食付きで11000円でした。しかし、ある理由で前泊はあきらめたのでした。それは、夕食です。夕食がフランス料理のコースらしいのです。しかも、それ一択。それがホテルのウリで評判らしいのですが、ナイフとフォークが両脇にずらりと並べられる光景を想像するだけでも気が滅入ってきます。それに、普段食べ慣れないものを食べると腹を壊して下痢をする懸念もあります。実際に上高地に行った際、人生が終わったような経験をしたことがあり、未だそれがトラウマになっているのでした。

そもそも山に登るのにどうしてフランス料理のコースを食べなければならないんだという気持もありました。それでホテルの前泊は取りやめたのでした。

次に終点の高峰温泉の旅館に泊まることも考えました。高峰温泉には「ランプの宿」として有名な日本秘湯を守る会推奨の旅館があります。サイトで予約する際は、日本秘湯を守る会に入会することが条件になっていました(入会は無料です)。しかし、宿泊数を一人にすると、どうしても予約できませんでした。二人以上でないと予約できないのかと思って予約をあきらめたのですが、下山時、旅館に寄ってそのことを話したら、GoToでずっと満室で予約ができない状態になっていると言っていました。

旅館の横からは林道(湯の丸林道)がさらに奥に延びており、4キロ先には大きな駐車場やインフォメーションセンターを備えた池の平という登山口もあります。近くには湿原もあるそうです。池の平からだと東篭ノ登山は1時間でお手軽に登れるので、シーズン中は家族連れも登るみたいです。しかし、湯の丸林道の入口はゲートが閉じられていました。既に11月4日から来年の4月末まで冬季期間の通行止めになっていました。私は、下山に池の平のルートを使ったのですが、駐車場もトイレもインフォメーションセンターも閉鎖され、まったく人影もなく閑散としており、えも言われぬ淋しい光景が広がっていました。池の平からは、4キロの林道を1時間かけて高峰温泉まで戻りました。

朝、高峰温泉に着いたとき、気温は氷点下3度でした。登山道に入ると、前に降った雪が残っていて、それが凍結していました。南側は雪が解けていましたが、北側はまだ真っ白でした。また、霧氷も至るところで見られました。ただ、念の為に軽アイゼン(スノースパイク)を持って行きましたが、使うことはありませんでした。

最初はゆるやかな登りの道でしたが、水ノ塔山の手前に来ると岩場が続きました。北アルプスに行く練習になるとネットに書いている人がいましたが、それはいささかオーバーにしても、(”穂高信奉者”からは叱られるかもしれませんが)たしかに西穂高の独標に似ていると言えばそう言えないこともありません。岩場は南に面しているので、残雪も少なく、それに凍結もしてなかったので、あまり苦労せずに登ることができました。山頂は岩の上にありましたが、南側がひらけているので、小海線沿線の小諸や東御市の街並みやその奥にそびえる八ヶ岳連峰の山並みを見渡すことができました。

水ノ塔山からは北の方に一旦下りましたが、低い灌木におおわれた道に入った途端、一面真っ白な世界が目に飛び込んで来ました。岩が剥き出した道をしばらく下ると、今度は南側に向けて登り返さなければなりませんでした。再び稜線に出ると、それからは「赤ゾレ」と呼ばれる崩落地の上を歩くことになりました。地図には「滑落注意」のビックリマークがありましたが、思ったより道幅が広いのでそれほど緊張感もなく進むことができました。崩落地はかなり規模が大きく、100メートルくらいの距離を二か所歩くことになります。崩落地を歩いていると、先の方に東篭ノ登山が見えました。

最後の東篭ノ登山に登る道では、今回の登山で初めて息が上がりました。そして、その道で唯一の登山者とすれ違いました。埼玉から来たそうで、何でも自然の家だかなんだかに5連泊していて、周辺の山を歩いているのだそうです。池の平から登って来たけど、水ノ塔山まで行ったら引き返すと言ってました。

標高差は200メートルちょっとしかありませんが、水ノ塔山と東篭ノ登山をミニ縦走すると、一旦下ってまた登り返しがあるので累積標高差は500メートルを越えます。

稜線を歩くと風が吹き曝しなので、寒くてなりませんでした。そのため、山の上ではほとんど座ることができませんでした。東篭ノ登山も一等三角点の山なので、四方がひらけている分、風を除けるものがなく、立って足踏みしながら持参した行動食の羊羹やまんじゅうを食べました。

池の平までの下山ルートは40分程度でしたが、池の平が閉鎖されているということもあって人の気配はなく、熊笹が生い茂った登山道は今にも熊が出てきそうな雰囲気で、鈴はもちろんですが、見通しの悪い箇所では笛を吹きながら歩きました。

林道を1時間歩いて、高峰温泉に横にあるゲートをくぐって登山口に戻って来たのは、15時前でした。バスの出発まであと1時間ちょっとです。バスは到着していましたが、旅館の人の話では運転手はバスのなかで昼寝しているそうです。バスのドアが開くのは出発の15分くらい前だそうで、それまで旅館の喫茶室で時間を潰しました。食事をしようとしたら既に定食が終わったというので、おはぎを頼み、そのあと温かいコーヒーを飲みました。

高峰温泉のすぐ下にはスキー場があります。でも、スキーブームが去ったということもあって(それにアクセスも設備もお世辞にもいいとは言えないので)、シーズン中でも平日は10~20人くらいしか来ないときもあるそうです。広大なゲレンデに10人とは、ある意味で穴場じゃないかと思いました。

たしかにこの前行った入笠山や北横岳のスキー場に比べると、環境面では雲泥の差です。プロが使う球場と草野球用の河川敷のグランドくらいの違いがありました。

帰りの高速バスに始発から乗ったのは、私以外に旅館に泊まっていた若い女子グループ3人の4人だけでした。小諸駅からは、若いカップルが二組乗ってきました。なんのことはない年配者で格安の高速バスに乗っているのは私ひとりだけでした。

行きの北陸新幹線は、GoTo効果なのでしょう、平日にもかかわらず結構混んでおり、予約する際も、二人掛けの座席で横が空いている席を見つけるのに苦労するほどでした。三人掛けの座席も8割くらいは埋まっていました。途中軽井沢を通りましたが、さすがにこの時期に軽井沢で降りる人は誰もいませんでした。出張のサラリーマンは別にして、観光客はほとんど金沢に行くのかもしれないと思いました。新幹線で目立ったのは、年配の夫婦や成人した子どもがいる家族連れでした。

バスタ新宿からは、いつものように新宿三丁目駅まで歩いて副都心線で帰りました。最寄り駅に着いたときは21時をまわっていました。

※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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佐久平駅

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駅前のロータリーにあった紅葉

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高峰温泉の水ノ塔山・東篭ノ登山の登山口

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同上

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凍結した登山道の残雪

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同上

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水ノ塔山の登りの岩場

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ひとつ越えるとまた岩場

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下から稜線を見上げる

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さらに稜線の先にある東篭ノ登山
下の白いラインが下山したあとに歩いた湯の丸林道

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上から見えるスキー場

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右下の建物が登山口のある高峰温泉の「ランプの宿」

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足をいっぱいに上げて登らなければならない岩もありました。

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正面に見えるのが水ノ塔山のピーク

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大きな岩
「えいこらしょ」と声を出して登りました。

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水ノ塔山の山頂標識

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東篭ノ登山の指導標に従って北の方へ下りて行きます。

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登って来たルートを振り返る

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遠くに小海線沿線の街と八ヶ岳連峰の山並み

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北側に入った途端、白い世界

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北側からは菅平や嬬恋、軽井沢方面が見えます。正面は四阿山?

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南側に登り返すと再び稜線に出ました。
崩落地(赤ゾレ)を歩きます。
その先に東篭ノ登山

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崩落地と東篭ノ登山
見ての通り、登山道は幅が広いので緊張感はありません。

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崩落地は急角度に落ちていました。
滑り落ちたら大変でしょうが、普通に歩けばほとんどその心配はありません。

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高峰の標識
でも、高峰山は別にあります。

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東篭ノ塔山山頂標識

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同上
横に一等三角点の石柱

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山頂の様子
もちろん、誰もいません。とにかく寒い。

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橋幸夫のレコード大賞受賞曲・霧氷

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北側の風景
その先に見える山は、西篭ノ登山
30分~40分くらいだそうです。

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霧氷その2

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寒いので西篭ノ登山はパス

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池の平に下ります。最初はガレた下りでした。

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熊に怯えながら歩きました。

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池の平に到着

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こんな注意書きもありました。
たしかにその通りですね。

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湯の丸高峰自然休養林の看板
林野庁のサイトには次のように書いていました。
湯の丸高峰自然休養林が位置する浅間烏帽子火山群は、約100万年前に烏帽子岳から火山活動が開始し、現在の浅間山へ向けて火山活動が移動する過程の中で浅間連峰が形成されていると考えられています。

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立派な駐車場(閉鎖中)もありました。

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立派なトイレも(閉鎖中)。

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インフォメーションセンターも、来年4月まで閉鎖されています。

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熊出没注意の札がある東屋で休憩しました。初めて座った。

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ゲートが閉まった林道を約1時間歩いて高峰温泉の登山口に戻りました。

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さっき歩いた水ノ塔山

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やはり寒さが厳しいのでしょう、ここでも縞枯れ現象が見られました。

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高峰温泉「ランプの宿」

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帰りのバスが既に待機していた。
2020.11.11 Wed l 山行 l top ▲
アメリカ大統領選は、案の定、トランプの悪あがきによってグダグダにになっていますが、そもそも4年前にトランプを大統領に選んだことが全ての間違いのもとなのです。と、今更言っても仕方ないのですが、ただ多くの人たちもそう思っていることでしょう。

これで共和&民主という二大政党制も、大きな曲がり角を迎えることになるのは間違いないでしょう。とりわけ、日本で言えばネトウヨの権化のようなトランプに依拠してきた共和党は、深刻な事態を迎えるのではないでしょうか。草の根の保守運動の原点である「 ティーパーティー」も、トランプの登場でほとんど機能しなくなり瓦解してしまったと指摘する声もあります。だからよけいトランプに頼らざるを得なかったのでしょう。共和党がトランプ党になったというのは、決してオーバーな話ではないのです。

でも、何度も言いますが、日本も他人事ではないのです。Yahoo!ニュースが、大統領選の特集のなかで、トランプとバイデンのどっちが当選すると思うか?という「みんなの意見」のアンケート結果を円グラフにして掲載していました。それによれば、バイデンの当選がほぼ確実になった昨日の時点でも、トランプが当選すると答えた人が50%を越えており、バイデンが当選すると答えたのは30%台でした。

さすがにまずいと思ったのか、昨日、突然、円グラフはトップページから削除されてしまいましたが、その背景にあるのはトランプが唱える陰謀論です。日本のネトウヨたちも、本国のトランプ支持者と同様、トランプを信奉し、彼が唱える荒唐無稽な陰謀論を信じているのでした。Yahoo!ニュースは、そのフェイクニュースの牙城になっているのでした。

感情の劣化は対岸の話ではなく、この国でももはや修復ができないほどエスカレートしているのです。「話せばわかる人がいなくなった」(宮台真司)のです。それは、民主主義にとって深刻な問題でしょう。

ちなみに、このブログでも再三登場する評論家の田中宇氏も、みずからのサイトで、開票日当日は、トランプが当選すると主張していました。しかし、開票日の翌日には、最初の主張を覆してトランプが負けそうだという記事を書いていました。ところが、さらに翌々日には、民主党が選挙不正しているという陰謀論を書いて、主張を二転三転させているのでした。

昨日の記事「米民主党の選挙不正」で、田中氏は次のように書いていました。

今後、この膠着状態のまま時間がたつほど、民主党の選挙不正について詳細がわかってくる。トランプ傘下の諜報界は、民主党側にスパイを潜り込ませ、不正について何らかの証拠を握っている(証拠を握れる状態を作れなければ民主党に不正させない)。これは「おとり捜査」である。これから証拠がリークされていく。ロシアゲートの逆転劇に似ている。決定的な証拠がリークされる前後に、マスコミがネバダ州のバイデン勝利を確定し、バイデンの当選を発表するかもしれない。しかしそれと同時に民主党の選挙不正について決定的な証拠が暴露され、マスコミも選挙不正に協力してバイデン勝利を捏造していたことがバレていく。

http://tanakanews.com/190527spygate.htm
スパイゲートで軍産を潰すトランプ

このシナリオが成功すると、民主党だけでなくマスコミの権威も失墜させ、軍産の全体を潰せる。最終的な次期大統領はトランプになる。もう少しで勝てたのに、と悔しがる民主党左派は、全米で絶望的な暴動・略奪に走る。米国は混乱が続いて国際信用が低下し、経済も破壊され、軍産が最も望まない覇権の失墜になる。その中でトランプの2期目が始まり、米中分離や隠然多極化を進めていく。結局のところ、一昨日書いた記事のシナリオに戻っている。嘲笑してください(笑)。

田中宇の国際ニュース解説
米民主党の選挙不正


なんだかネトウヨみたいですが、田中氏の場合、ただインターネットで海外の新聞などを読んで情勢を分析するだけなので、フェイクニュースに惑わされてこんな醜態を演じることになるのでしょう。

何度もくり返しますが、トランプの狂気は他人事ではないのです。

学生時代、挨拶は「押忍」しか言ったことがないと本人も言っているように、法政大学で学ランを着てアイパーに剃りこみを入れた髪型で構内を闊歩していた学生が、横浜で代議士秘書になり、秘書から市会議員になると、代議士事務所の威光を笠に市の人事に介入し、「影の横浜市長」と呼ばれるほどの影響力を手に入れたのでした。

彼はどう見ても政治家というより政治屋です。人事を盾に権勢を振るう、官僚制度の弱点を熟知した政治屋なのです。だから、「内閣人事局」の創設に関わり、官邸が官僚の人事権を一手に握る体制を敷いたのでしょう。さらには、公安警察に隠然たる影響力を持つ元公安OBを側近に据え、公安を使った情報管理で霞が関ににらみをきかせて、有無を言わせない絶対的な権力を手にしようとしているのです。まるでロシアのプーチンを真似たかのようです。

でも、メディアには、秘密警察化する公安への懸念も、全体主義に対する危機感も皆無です。それどころか、危険な権力に尻尾を振って取り入ろうとするあり様です。大統領の狂気に及び腰だったアメリカのメディアの二の舞どころか、そこには歌を忘れたカナリアの「あさましくさもしい」姿しかありません。権力の太鼓持ちは、ネトウヨ御用達のフジサンケイグループだけではないのです。


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ネトウヨ化する社会
2020.11.07 Sat l 社会・メディア l top ▲
米大統領選は混迷を極めています。と言っても、混迷を極めているのは選挙結果よりそれを報じるメディアの方です。郵便投票など期日前投票が1億100万人もいるので(これは前回の大統領選の総投票数の73%に当たる数字だそうです)、即日開票分なんてまだ半分程度を開票した途中経過にすぎないのです。それなのに、どっちが当選確定したとか性急に結果を求めるので、ますます混迷に拍車がかかるのでした。

最終的にはトランプの悪あがきで法定闘争にまで持ち込まれるのではないかと言われていますが、あらためて大統領選を見るにつけ、アメリカと対立する中国やロシアが本音ではトランプ再選を期待しているというのはわかる気がします。

宮台真司は、ビデオニュースドットコムの開票特番で、自分は前回から一貫してトランプ支持だと言っていました。それは、彼独特の「加速主義」という考えによるものです。「加速主義」というのは、民主制が機能不全になり、人々の実存的な不全感、鬱屈がポピュリズムの標的になった結果、「自分が凄くないので国が凄いと思いたい」とか「昔思っていたような生活ができないなのは異分子がいるからだ」(異分子は、アメリカでは移民やヒスパニック、日本では「在日」)というような排外主義によって人々の感情的な劣化が進んだこの社会は、ポピュリズムの権化であるトランプや安倍(今の菅)の手に委ねて、手っ取り早く終わらせた方がむしろ建設的だという考え方です。言うなれば逆療法、あるいは「創造的破壊」のような考え方です。宮台は、それを「制度による社会変革ではなく技術による社会変革」という言い方をしていました。必ずしも的確ではないかもしれませんが、私は、「加速主義」の考えを聞きながら、若い頃に読んだ林達夫の『反語的精神』を思い浮かべました。

共和党はもはやトランプにすがるしかないのです。共和党が掲げる伝統的な保守主義なるものは、トランプのハチャメチャなポピュリズムに簒奪されたのです。それはバイデンを担ぎ出した民主党も同じです。党内の権力バランスでバイデンのような人物を担ぎ出さざる得ない民主党のテイタラクもまた、共和党と軌を一にしていると言えるでしょう。トランプは、バイデンは「認知がはじまっている」と言って物議を醸しましたが、バイデンのトンチンカンぶりを見るにつけ、私も「もしかしたら」と思いました。町山智浩氏が言うように、バイデンではなくバーニー・サンダースだったらもっと違ったものになったに違いありません。

今回の子どものケンカのような大統領選が映し出しているのは、アメリカの「加速度的」な凋落です。それが誰の目にもあきらかになったのです。そこにはもはや唯一の超大国の面影は微塵もありません。低レベルのドタバタぶりを演じる、それこそお笑いネタになるような滑稽な姿しかないのです。それは政党や政治家だけではありません。メディアも同じです。

私たちは、今までアメリカ人と言ったら、ニューヨーカーと呼ばれるような大都市に住むエリート市民しか知りませんでしたが、今回の大統領選をとおして、アメリカの国民ってこんなにバカだったんだということを初めて知りました。彼らの民度の低さをこれでもかと言わんばかりに見せつけられのでした。

子どもの頃、社会科の授業でアメリカン・デモクラシーこそ民主主義のお手本のような教育を受けましたが、今回の大統領選を見て、こんなバカな国民ばかりいてどこが民主主義のお手本なんだと思わざるを得ません。おそらくそういった幻想もこれで終わるでしょう。

再三言っているように、アメリカが超大国の座から転落して、世界が多極化するのは間違いないです。私たちは、まさに今、その光景を、その赤裸々な姿を見ている、見せられているのです。

もちろん、日本も他人事ではありません。宮台が言う「インテリ憎しの反知性主義」という点では、安倍や菅はトランプと瓜二つです。老害を絵に描いたような偉ぶることしか能のない麻生や二階、それにいつも的外れでトンチンカンな河野太郎や小泉進次郎も、どう見ても感情の劣化を象徴する道化師にすぎません。そんな連中が権力の中枢に座り、トンマな姿を晒しているのです。民主党のテイタラクも、日本の野党のそれとよく似ています。もう「話せばわかる人がいなくなった」(宮台真司)のです。「話せばわかる」というのは民主制の前提ですが、ポピュリズムによって感情の劣化が進んだ現在、その前提が壊れてしまったのです。

現代史に君臨しつづけた<帝国>が、バカな国民と”狂気のヒーロー”によって崩落の危機に瀕しているのは痛快ですが、しかし、それは他人事ではないのです。トランプの狂気を笑い物にして見ている私たちは、天に唾しているようなものかもしれません。
2020.11.05 Thu l 社会・メディア l top ▲
先日、国師ヶ岳に登った際、70歳を優に超えているような高齢の女性がひとりで登っているのに遭遇しました。かなりきつそうで、少し歩いては立ち止まりまた歩いては立ち止まるということをくり返しながら登っていました。横を通り過ぎる際、「こんにちわ」と挨拶するとハアハア荒い息を吐きながら「はい、こんにちわ」と弱々しい声で挨拶を返してきました。

そして、山頂で休憩していると、やがてその高齢の女性も登ってきました。「やっと着いた」という感じで立ち止まると、額の汗を拭いながら山頂を見回し、如何にも嬉しそうな笑顔を浮かべていました。

見通しのいい岩に腰をおろすと、水を飲みながら地図を広げて、目の前に見える山と地図を見比べて山座同定していました。さらに山頂標識のところに行って、小さなデジカメで写真を撮っていました。また、地図を片手に山頂のあちこちに移動して四方の山に目を凝らし、山名を確認していました。

その様子を見ていると、如何にも山が好きだという感じで、表情も生き生きとしているのでした。

私は、女性の行動を目の端で追いながら、不遜な言い方ですが、いいなあと思いました。なんだかそこには、山が好きだから山に登るという本来の姿があるような気がしました。

前に山で会ったベテランの山岳ガイドの人が、高齢の男性がゆっくりしたペースで登って来ているのを指差しながら、「あの人の歩き方が登山の理想の歩き方なんですよ」と言っていたのを思い出しました。

登山はスポーツですが、しかし、競技ではないのです。それぞれのペースでそれぞれのスタイルで登ればいいのです。

脇目もふらず山に登り、山頂には少しの時間しかおらず、またあわただしく山を降りて行き、山と高原地図のコースタイムに比べて何分速かったとか言っている登山者もいますが、私は、(もうそんな登り方が叶わなくなったということもあって)彼らは何のために山に登っているんだろうと思うことがあります。それならわざわざ山なんかに来なくても、近所の河原を走ればいいのにと思います。そんな人たちに比べれば、高齢女性の山行はなんと贅沢なんだろうと思います。山に登るのなら、途中で立ち止まって山の景色やまわりの植物を見る余裕くらい持ちたいものだと思います。

しばらくすると、女性はザックからラップで包まれたおにぎりを出すと、それを両手で包むように持って食べ始めたのでした。そうやっておにぎりを頬張りながら、いろんな方向に目をやり山頂からの景色を楽しんでいました。

最近は、ユーチューバーなのか、スマホを取り付けた自撮り棒を片手で持ったり、ザックの肩ベルトに小型カメラを取り付けて登っているハイカーを見かけることが多くなりましたが、私はそれらは本来の登山とは違うように思えてなりません。

また、知り合いの若者は、「承認欲求で山に登る人がいるんですよ」と言っていましたが、そういった山行は高齢女性のそれとは真逆にあるもののように思えてなりません。

山を降りてからタクシーの出発まで時間があったので、運転手の方と四方山話をしていた際、高齢女性の話をしたら、運転手も「そういう人がいますよ」と言っていました。年に6回だか都内からやって来る高齢の男性がいるのだそうです。その日も来ていると言っていました。運転手は名前も知っているようで「✕✕さん」と苗字を口にしていました。

「山に登るんですか?」
「いや、歳なんで山には登らないんですよ。小屋で時間を潰したりしていますね。山の雰囲気が好きみたいですよ」

上に登る体力はなくなったけど、それでも山の雰囲気を味わうために山を訪れるというのは、なんといい話なんだろうと思いました。

運転手自身も高齢で、シーズン中の運行日だけ臨時で働いていると言っていました(登山バスは11月いっぱいで今年の運行は終了するそうです)。若い頃はやはり山に登っていたみたいで、地元だということもあって「北岳や赤岳、間ノ岳や甲斐駒や仙丈ケ岳にも登ったことがありますよ」と言っていました。だから、山には登らないのに山の雰囲気を味わうために年に何度も通って来る高齢男性の気持がわかるのでしょう。

「山が好きだ」という気持は、私も痛いほどよくわかります。そして、その「山が好きだ」という気持と孤独の心は切っても切れない関係にあるように思います。ヘーゲル風に言えば、山に登るということは、「即自」でも「対自」でもなく「向自」的なところがあるような気がします。警察や山岳会などからは懸念されますが、やはり、山に登ることの本質は単独行にあるのではないかと思います。山の思い出というのは、孤独な心のなかから生まれるのではないか。他者(視聴者)を意識して自撮り棒で自分の顔を映したり、あるいはリーダーの背中を見て歩くだけのおまかせ登山では、ホントの山の魅力とは「理会」できないのではないかと思うのです。


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登山とYouTube
2020.11.03 Tue l 山行 l top ▲
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新宿駅~塩山駅~柳平~大弛峠~【国師ヶ岳】~【北奥千丈岳】~大弛峠~柳平~塩山駅~新宿駅

※山行時間:約3時間(休憩含む)
※山行距離:約2.7キロ
※標高差:260m
※山行歩数:約10,000歩
※交通費:11736円


昨日、奥秩父の国師ヶ岳(2592m)に登りました。国師ヶ岳は、所在地は山梨市で、山梨県と長野県の県境にあります。ついでに、国師ヶ岳から歩いて10分くらいのところにある北奥千丈岳(2601m)にも登りました。北奥千丈岳は、奥秩父の山塊の最高峰の山です。

大弛峠(おおだるみとうげ)は百名山の金峰山(2595m)の登山口として有名で、私も金峰山に登りたかったのですが、時間の都合で向かいにある国師ヶ岳に登ることにしたのでした。

というのも、電車やバスを利用して行くと、新宿・塩山間が特急で1時間25分、塩山駅から登山口まではバスと乗り合いタクシーを利用して1時間半もかかり、時間的にタイトだからです。

塩山駅から出ている登山バスは、週末のみの運行で、しかも行きが3便、帰りが2便しかありません。それに、登山バスは途中の柳平までで、柳平から大弛峠までは乗り合いタクシーに乗り換えなければなりません。また、利用するには前日までにネットか電話で予約する必要があります。

運転手によれば、昔は大弛峠まで路線バスが走っていたのだそうです。しかし、路線バスが廃止され、11人乗り以上の大型車の乗り入れが規制されたため、柳平でタクシーに乗り換えることになったのだとか。

塩山駅に停車する特急かいじ(週末の臨時列車)の新宿発の始発は午前7時3分で、塩山駅に着くのは8時25分です。登山バスの1便は7時半なので、1便に乗るのは最初から無理な相談でした。2便が8時半で、それにギリギリ間に合うくらいでした。

帰りは、午後2時50分と4時の2便ですが、私は、午後2時50分発の1便を予約しました。登山開始が午前10時すぎになるので、それだと金峰山に登るには時間的に余裕がなさすぎます。

午後4時の2便を予約すれば金峰山に登ることも可能ですが、しかし、この時期の午後4時は既に暗くなり始めている頃でしょう。まして山のなかでは尚更です。正午までに目的地(山頂)に到着して、午後3時までに下山するという秋冬の山行の常識から言っても、それに私のスキルから言っても、金峰山はあきらめざるを得ませんでした。

当初、塩山駅の近くに前泊して1便で登ろうかと考えてネットで探したのですが、あいにく塩山駅の近くにビジネスホテルはありませんでした。

バスは前回の大菩薩嶺同様、補助席も使うほどの超満員でした。バスの運転手によれば、今年最高の人出だそうです。やはり、天気に恵まれたからかもしれません。

柳平に着くと、既に9人乗りのジャンボタクシーが5台待機していました。

乗り換え場所の前には、小学校がありました(下記写真参照)。休校中の牧丘第一小学校柳平分校の校舎だそうです。柳平は、標高1500メートルで、国内では最高峰の定住集落です。真冬はマイナス20度になることもあるそうです。柳平には昭和21年に8戸が入植し、現在も酪農を営んでいるのだとか。

また、同じ乗り換え場所には、金峰山荘という山小屋もありました(間違いやすいのですが、長野県側にも同名の山小屋があります)。

柳平から40分くらいで、大弛峠に着きました。びっくりしたのは、路上駐車している一般車の数です。駐車場は50台くらいのスペースがあるそうですが、それでも足りず、1キロくらいに渡って路肩に車が停められているのでした。道幅の狭い林道なので、ワゴンタイプのタクシーが通過するのも苦労するほどでした。

平日はマイカーしか来ることができないので、もともとマイカーで来る人が多いのでしょうが、それにしてもその光景には驚くばかりでした。運転手が言う今年最高の人出というのがわかりました。運転手も「離合もUターンもできないので困りますよ」と言っていました。

金峰山と国師ヶ岳の登山口は向い合ってありましたが、むしろ、国師ヶ岳の登山口の方が目立っていました。登山口のすぐ上に大弛山荘がありました。大弛山荘は、大弛峠で唯一の山小屋です。国師ヶ岳は、大弛山荘の横を通って登ります。途中の前国師ヶ岳というピークまでは、ひたすら木の階段を登らなければなりませんでした。それも結構傾斜の大きい階段がつづきました。山行時間は短いものの、階段嫌いの人には苦行に思えるかもしれません。途中の前国師ヶ岳からは、岩も多くなり登山道らしくなりますが、それまではあまり登山をしているという感じではありませんでした。私の場合、足が大きいので(今、いちばんよく使っているノースフェイスのトレッキングシューズは30センチです)、奥行きの短い階段の場合、靴を斜めに置かないと奥の段差の部分に靴が引っかかるので、特に下山するときは神経を使いました。

前国師ヶ岳(2592m)まで登るといっきに眺望がひらけました。富士山もよく見えました。また向かいにある金峰山の五丈岩も見えました。さらにその向こうには雪を頂いた南アルプスの山々を見渡すことができました。

さらに岩の道を進むと国師ヶ岳と北奥千丈岳の分岐が現れました。先に国師ヶ岳の方に進むことにしました。

登山口から約1時間で国師ヶ岳に着きました。国師ヶ岳の山頂は、岩峰の上にあります。一等三角点の山なので、山頂からはさらに眺望がひらけました。目の前に富士山がドンとそびえる眺望は、金時山に勝るとも劣らないほどです。予想外の快晴で、来てよかったなと思いました。大弛峠は先週雪が降ったみたいで、まだ雪が残っているのではないかと思い、チェーンスパイクを持って来たのですが、まったくの杞憂でした。長袖のTシャツにウインドブレイカーを羽織っていましたが、全然寒くありませんでした。これ以上ない登山日和と言っていいような天気でした。

山頂には6~7人くらい先客がいました。みんな「凄いね」「こんなに(富士山が)大きく見えるとは思わなかった」と口々に言っていました。最近、山に行くときはどら焼きを持って行くのですが、国師ヶ岳の山頂でも、岩の上に腰をおろししてどら焼きを食べながらしばらく眺望を楽しみました。

帰りは、分岐から北奥千丈岳に寄りました。北奥千丈岳の眺望にも目を見張るものがありました。南アルプスから中央アルプス、果ては北アルプスまで見渡せました。遠くの山の上に白いものが見えましたが、おそらく車山の山頂にある気象レーダーなのでしょう。

帰りは、夢の庭園を経由して40分くらいで登山口まで下りて来ました。登山口に着いたのが午後1時で、予約しているバス(タクシー)の出発まであと1時間50分もあります。タクシーは既に駐車場に待機していました。大弛峠の周辺を散策したあと、待機しているタクシーのところに行って、「中で待つことはできますか?」と訊きました。すると、高齢の運転手が「いいですよ。9人揃えばいつでも出発できるんですよ」と言うのです。ただ、乗り換えの柳平で後続のタクシーを待つことになるけどと言ってました。

既に女性が2人と男性1人が待っていました。それで、私が「じゃあ、あと5人探しますよ」と言って、峠に下りて来る登山者に「バスを予約している人はいませんか?」と声をかけました。すると、瞬く間に9人揃ったのでした。

柳平に着くと、既にバスが待機していました。それで、後続のタクシーが来るまで、バスに乗って待つことにしました。なかには、金峰山荘に行って時間を潰している人もいました。帰りのバスも補助席を使うほど超満員でした。

塩山駅に着いたのが午後4時すぎで、スマホで調べると午後4時27分発の特急かいじがあったので、スマホの「えきねっと」で予約してホームに下りました。すると、反対側のホームには、JR東日本が運行する豪華寝台特急の四季島が停車していました。職員がホームの下り口で、見学にやって来る親子に旗を配ったり、親子が記念写真を撮るのを手伝ったりしていました。私も(あまり興味はないけど)ホームの端に行って写真を撮りました。

新宿駅に着いたのは午後6時前で、それからいつものように新宿三丁目駅まで歩いて、東横線に乗り入れている地下鉄副都心線で帰りました。最寄り駅に着いたのは、午後7時前でした。


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柳平の牧丘第一小学校柳平分校(休校中)

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校庭の裏にある紅葉

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バス停

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乗り合いタクシー

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足元の落葉

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大弛峠駐車場

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国師ヶ岳登山口

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大弛山荘

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登山道

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階段(前国師ヶ岳まで延々とつづく)

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金峰山(山頂の小さく尖っているのが五丈岩)

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前国師ヶ岳

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国師ヶ岳と北奥千丈岳の分岐

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国師ヶ岳からの富士山

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国師ヶ岳山頂の様子

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山頂標識

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もう一度富士山

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もう一度山頂標識

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南アルプス

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遠くに北アルプス

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北奥千丈岳山頂標識

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山頂の様子

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山頂からの眺望

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よく見ないとわかりませんが、ここにも縞枯れ現象がありました。

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北奥千丈岳の山頂と金峰山

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夢の庭園

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夢の庭園の階段から大弛峠の駐車場を望む

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金峰山登山口
金峰山まで3.6キロと書いていました。御前山や川苔山や本仁田山や六ッ石山より短いのです。金峰山に比べると、奥多摩の山は地味だけど登り応えのある山が多いことがあらためてわかります。

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大弛峠の様子
登山者以外に峠越えのライダーやヒルクライムのサイクリストも多くいました。

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四季島

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塩山駅のホームの先端にあったよそ者には意味不明の碑
2020.11.01 Sun l 山行 l top ▲
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武蔵小杉駅~立川駅~八王子駅~甲斐大和駅~上日川峠~【大菩薩嶺】~上日川峠~甲斐大和駅~大月駅~新宿駅

※山行時間:約4時間半(休憩含む)
※山行距離:約7.5キロ
※標高差:530m
※山行歩数:約21,000歩
※交通費:7310円



一昨日、早朝、4時半に起きて大菩薩嶺(2057メートル)に登りました。ネットで調べたら、通常土日しか運行していない登山バスが10月は今週と来週の二週間だけ平日も運行していることを知ったからです。登山バスに乗れば、登山口のある上日川峠までバスで行けるので、その分山行時間に余裕ができ、帰りのバスを心配しなくて済みます。

行きは武蔵小杉から南武線で立川、立川から八王子に行き、八王子で松本行きの普通電車に乗り換えて、最寄り駅から約3時間で登山バスが出ている山梨県甲州市の甲斐大和駅に着きました。甲斐大和駅から上日川峠までは、バスで45分くらいでした。

バスは29人乗り(?)のマイクロバスで、補助席をフルに使うほどの超満員でした。それでもバス停に並んでいた人は全員乗れず、十数人が取り残されていました。運転手が取り残された人たちに、「ちょっとお待ちくださいね」と言っていたので、おそらくすぐ引き返してピストンで運んだのかもしれません。

しかし、登山バスだからなのか、バスの感染防止策はほとんどないに等しいものでした。バス自体が何の設備もない、結構使い古されたバスで、しかも窓も締め切ったままでした。マスクの着用を促す放送もありません。

運転手は70歳を超えているような年恰好の人で、駅で待機しているとき居合わせた人たちと雑談していましたので、地元の一旦リタイアした元バスの運転手かなにかで、期間限定のアルバイトをしているのかもしれません。もちろん、スイカやパスモが使えるはずもなく、運賃は現金払いです。しかも、支払い箱もないので、運転手に直接手渡すと、運転手はまるで香具師のように腹巻のなかからお釣りを出して、と言うのはウソで、千円札が乱雑に入れられた菓子箱のような箱から釣銭を出していました。運転手もスーパーのレジ係のようにゴム手袋をしているわけではなく、素手でお金のやり取りをしていました。ちなみに、運賃は片道1020円でした。

感染防止策らしく見えたのは、運転席のうしろに申し訳程度に貼っているビニールくらいです。除菌スプレーもありません。乗り合わせた女性のハイカーは、「みんな一応マスクをしていたので(感染はないと)信じるしかない」と言ってましたが、その気持が痛いほどよくわかりました。

奥多摩に比べて中高年のハイカーの比率はやや低いように思いましたが、しかし、行きも帰りもバスの隣の席は高齢の男性ハイカーでした。こう言うと失礼かもしれませんが、山に来る高齢ハイカーは加齢臭が半端ない人が多いのです。山用のシャツや下着は速乾性を求める化学繊維のものが多いので、それも原因しているのかもしれません。マスクをしていても臭いが漂ってきて、野菜の値段と匂いに殊の外敏感な私は気分が悪くなるほどでした。

山小屋もそうですが、登山界隈には登山客に対して、山では多少のサービスの低下は仕方ない、それよりありがたく思えというような考えが存在しています。たしかに言いたいことはわからないでもないですが、しかし、それでは若者が(まして山ガールが)山に戻って来ることはないでしょう。大菩薩嶺の”超密”の登山バスだけを見ると勘違いするかもしれませんが、いわゆる山ガールブームから10年経った現在、登山人口は半減していると言われています。しかも、その3分の1は60歳以上の高齢者なのです。この冷徹な事実をもっと直視する必要があるでしょう。

一昨日も山小屋の主人が、お客が少なくて大変だ、コロナが終息してももう元に戻らないのではないか、と嘆いていましたが、それはいろんな業種に言えることで、山小屋も例外ではないのです。日本の“登山文化”にケチを付けるようですが、コロナ以前に、今の時代に小屋泊をするのは相当勇気のいることで(場合によっては、加齢臭プンプンの高齢ハイカーと一緒の布団に寝なければならないのです)、それを「仕方ない」のひと言で済ましてきたツケが、今、来ているように思えてなりません。

「山小屋を支援する」という考えは立派だと思いますが、しかし、ビジネスとして考えた場合、人の善意に頼るのはもうビジネスとして末路を辿っているように思えてなりません。人の善意ほどあてにならないものはないのです。山小屋の人出不足の問題も然りで、山が好きだという善意を利用した”やりがい搾取”が一因ではないかという指摘も、あながち的外れとは言えないように思います。いろんな意味で、山小屋が岐路に立たされているのは事実でしょう。一方で、山小屋がなくなると、登るのが困難になる山が出て来るのもまた事実です。だからと言って、解決策が人の善意しかないとしたら、これほど心許ない話はありません。

大菩薩嶺の登山道は、上日川峠にあるロッジ長兵衛という山小屋の横からはじまります。整備された登山道を20分くらい歩くと、次の山小屋の福ちゃん荘に到着しました。福ちゃん荘と言えば、赤軍派のメンバー50数名が凶器準備集合罪で逮捕された”大菩薩峠事件”を思い出さざるを得ません。1969年、新左翼セクトの赤軍派(共産主義者同盟赤軍派)のメンバーが大菩薩峠で軍事訓練を行うべく福ちゃん荘に集結していたのを、事前に情報をキャッチした警察に踏み込まれ、メンバー50数名が逮捕されたのでした。実際に50数名全員が宿泊していたのかどうかわかりませんが、得体の知れない若者たちが集団で泊っているのですから、不審に思われるのは当然でしょう。それどころか、軍事訓練の情報はメディアにも漏れていて、(ウキペディアにも書いていますが)福ちゃん荘には特ダネを狙った新聞記者もハイカーを装って宿泊していたのです。

今から見れば、まさに“革命ごっこ”としか思えませんが、当時の若者たちは真顔で軍事訓練を行なうつもりだったのでしょう。権力に対する異議申し立てを行った若者たちは、強大な国家権力の下で自分たちの非力を嫌というほど思い知らされ、そうやって大衆から遊離し追いつめられていったのです。それは、今の香港やタイの若者たちも同じかもしれません。

さらに福ちゃん荘から45分くらい登ると大菩薩峠の介山荘に着きました。介山荘というのは、言うまでもなく『大菩薩峠』を書いた作家の中里介山から取った名前です。

私は、頭上に建物が見えたとき、「あれっ」と思いました。さらに建物の壁に「介山荘」という文字を見つけるとなんだか狐に摘ままれたような気持になりました。と言うのも、ずっと唐松尾根を登って雷岩をめざしていたと思っていたからです。何をどう間違ったのか、本来であれば、下山に使おうと思っていたルートを逆に登っていたのでした。

大菩薩峠の周辺には、その名のとおり、親不知ノ頭とか賽ノ河原とか俗流仏教思想による”三途ノ川”を連想させるような場所がありましたが、それが文化財として価値があるものなのか、それとも後付けの単なる”観光名所”なのかよくわかりませんでした。

大菩薩峠からだと雷岩まではゆるやかな登りになっています。最近はストック1本で登っているのですが、ストックを使いながら登っていたら、岩場であやうく後ろに落ちそうになりました。あのまま落ちていたら大変な怪我をしたかもしれません。やはり、岩場ではストックは使うべきではなかったと反省しました。

雷岩の周辺では多くの人たちが休憩していました。しかし、山の上はガスが立ち込め、眺望はほとんどありません。と思ったら、やにわにガスが晴れて、西の空に富士山が姿を現したのです。すると、ハイカーたちから歓声が上がったのでした。また、前方の雲の上には雪を頂いた南アルプスの山々も忽然と姿を現し、私はむしろそっちの方に感動を覚えました。いつかはあの峰にも登りたいとあらためて思いました。

中腹から下の紅葉はまだ少し早い感じでした。あと1週間もすれば見頃になるのではないかと思います。

帰りは、唐松尾根を下りました。1時間足らずで上日川峠に着くと、午後2時発のバスが既にエンジンをかけて待機していました。帰りのバスも超満員で、隣の加齢臭にむせながら駅に戻って来ました。

甲斐大和駅は駅前には何にもないローカルな駅ですが、次の電車まで1時間待たねばなりませんでした。ホームに行くと、高齢のハイカーたちが、加齢臭と酒の匂いを辺りに振り撒きながらベンチで酒盛りをはじめていました。酒のツマミは、オレはこんな山に行った、こんな危険な目に遭ったというお決まりの”山自慢”なのかもしれません。

甲斐大和駅から高尾行の各駅停車の電車に乗ったものの、八王子で横浜線に乗り換えるか、来たときと同じように立川で南武線に乗り換えるか考えていたら、ふと、また特急で帰ろうと思い立ち、急遽、スマホのアプリで予約しました。そして、大月駅で特急かいじに乗り換えて、新宿経由で帰りました。特急かいじは、午後3時台の便ということもあってか、私が乗った車両は私を含めて4人しか乗っていませんでした。

新宿駅からは地下鉄の新宿三丁目駅まで歩いて、既に帰宅ラッシュがはじまった東横線直通の「横浜中華街行き」の地下鉄副都心線で帰りました。最寄り駅に着いたのは午後5時半すぎでした。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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上日川峠にある山小屋・ロッジ長兵衛
看板の宿泊料金、7を8に書き換えているのがバレバレでした(笑)。

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登山道入口

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ゆるやかな道を登ります。

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福ちゃん荘

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紅葉はまだはじまったばかり

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富士見山荘跡

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拡大するとわかりますが、カーブミラーがあります。このあたりはまだ林道のようです。

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勝縁荘
中里介山が泊まって『大菩薩峠』を執筆したという由緒ある山小屋。元主人は文学史家。現在は閉館しています。

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勝縁荘の横から再び登山道がはじまります。でも、登山道にしては道幅も広く整備されています。大菩薩嶺で登山道らしいのは、唐松尾根と丸川峠からのルートです。

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介山荘

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同上

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大菩薩峠山名標識

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稜線は一面ガスに覆われていました。

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雷岩及び山頂を目指して歩きはじめます。

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みんな、ガスの彼方を目を凝らして見ている。

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親不知ノ頭(おやしらずのかしら)道標

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親不知ノ頭

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賽の河原

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賽の河原道標

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願いが叶ったのか富士山が姿を現した。

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そして、南アルプスの山々も雲上に忽然と雪を頂いた雄姿を現した。下は甲府盆地。

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この岩場でこけそうになった。

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大菩薩湖(単なるダムです)

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雷岩の手前の眺望のいい場所でみんな休憩していた。

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再び南アルプスの山々を眺める。

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大菩薩嶺山頂標識。しかし、眺望はなし。山頂に来た人たちは「残念な山頂」と言っていました。

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雷岩まで戻ると、みんな遠くの風景を見ていました。私は、こういった光景が好きです。「山っていいなあ」という声が聞こえてきそうです。

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唐松尾根を下りはじめ、後ろの雷岩を振り返った。

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子どもの頃にいつも見ていた故郷の山の紅葉(下記の動画参照)とは比ぶべくもないけど、ところどころ色鮮やかな紅葉が見られました。

YouTube
水面も染める くじゅう連山の紅葉

関連記事:
どうして山に行くのか?
2020.10.22 Thu l 山行 l top ▲
先月、日本学術会議が推薦した新会員候補のうち、安保法制や特定秘密保護法や共謀罪の新設などに反対し、政府に批判的なスタンスを取ってきた6名の研究者の任命を菅義偉首相が拒否した問題が、俄かに政治問題化しています。

学術研究に対する政治介入だとして、「学問の自由」を守れという抗議の声も大きくなっています。日本学術会議も、任命拒否の理由をあきらかにするように菅首相に要望書を出したそうですが、官邸から明確な説明はないようです。

経済学者で元早大の教授でもあった静岡県の川勝平太知事は、菅首相の任命拒否について、「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」と痛烈に批判したそうです。

朝日新聞デジタル
「教養のレベルが露見」 任命問題、学者知事が強く反発

記事は次のように書いていました。

 美濃部事件、滝川事件など戦前の言論統制にも触れ、「政治家が学問に口を出してはいけない。首相に任命権があるから行使したというのは、何も説明していないに等しい。理由を開示すべきだし、学問がなっていないという理由以外は認められない」と批判した。


菅首相が、法政大学時代に空手部に籍を置いていたのは有名な話です。学生時代、挨拶は「押忍」しか言わなかったという本人の話がメディアに出ていましたが、恐らく剃りこみを入れ裾の長い学ランを着て学内を闊歩していたのでしょう。

私は菅首相より全然年下ですが、当時、中核派の拠点であった法政大学で運動部の彼らがどんな役割を果たしていたか、およその想像はつきます。それがのちの政治家秘書から政治家に至る道につながったのは事実でしょう。私の知り合いにも似たような空手部出身の人間がいますが、菅首相のようなパターンは別にめずらしくないのです。ただ、大半は地方議員で終わるだけです。

今回の任命拒否も、日本会議の古参メンバーと同じで、学生時代から彼のなかに根強く残っている反共思想や復古的な全体主義への憧憬がそうさせたのだと思います。学生時代、学問とは無縁にすごしてきたので、「学問の自由」という概念も彼のなかには存在しないのかもしれません。もしかしたら、ナチズムやスターリニズムと同じように、学問は政治に従属するものと思っているのかもしれません。その意味では、川勝平太静岡県知事の「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」という発言は正鵠を得ていると言っていいでしょう。

ただ一方で、日本学術会議のみならず日本の大学が、これまで学問の場に権力の介入を許してきたことはまぎれもない事実で、今回のような露骨な政治の介入は、ある意味で当然の帰結とも言えるのです。

彼らは「学問の自由を守れ」と言いますが、その前提でもある「大学の自治」を壊してきたのは彼ら自身なのです。東大ポポロ事件を見てもわかるとおり、昔は構内に警察官が入ってきただけで大問題になっていました。「学問の自由」と「大学の自治」は一体であるという認識が半ば常識としてあったからです。

全共闘運動に乗り遅れた私たちは、羽仁五郎の『ミケランジェロ』(岩波新書)という本でそれを学んだのですが、「大学の自治」という理念は、ルネッサンスの時代から「真理は汝を自由にする」「学問の自由」と表裏一体のものとして、半ば天賦のものとして存在していたのです。

しかし、多くの大学では、「過激派」から大学を守り学内を正常化するためという理由でみずから権力の介入を求めて、「大学の自治」を放棄してきたのでした。

菅首相の母校の法政大学の田中優子総長も、今回の問題を座視することはできないとして抗議声明を発表したそうです。

J-CASTニュース
菅首相母校・法大の田中優子総長が声明 日本学術会議問題は「見過ごすことはできません」

声明のなかで、田中総長は次のように述べているそうです。

「この問題を座視するならば、いずれは本学の教員の学問の自由も侵されることになります。また、研究者の研究内容がたとえ私の考えと異なり対立するものであっても、学問の自由を守るために、私は同じ声明を出します。今回の任命拒否の理由は明らかにされていませんが、もし研究内容によって学問の自由を保障しあるいは侵害する、といった公正を欠く行為があったのだとしたら、断じて許してはなりません」


しかし、その一方で、田中総長は、法政大学では、学内の「過激派学生」を排除するために積極的に警察権力の介入を促し、この10年間で百数十名の学生が逮捕されるという異常な事態を招いているのです。これこそ二枚舌と言わずして何と言うべきかと思います。

と言うと、お前は中核派のシンパかというお決まりの罵言が飛んで来るのが常ですが、「学問の自由」や「大学の自治」には「過激派」も「極左」も(あるいは「保守反動」も「極右」も)ないのです。そういうこととはまったく別の問題なのです。

「大学の自治」を権力に売り渡した人間たちが、「学問の自由を守れ」と叫んでいる様は、片腹痛いと言うしかありません。
2020.10.08 Thu l 社会・メディア l top ▲
相変わらず憂鬱な気分はつづいています。昨日の朝も、山に行く準備をしていったん家を出て電車に乗ったものの、天気もすぐれなかったということもあって、なんだか行く気がしなくなり途中で引き返して帰ってきました。こんなことは初めてです。

ザックを背負って登山靴を履いた、見るからに場違いで大袈裟な恰好をした男が、駅に向かう人波をかきわけるように逆方向に歩いているのです。朝っぱらから何をやっているんだろうと思われたかもしれません。

最近は、些末なことでも自分の中では非常に大きなことのように思えて、執拗にこだわって一人相撲をとっているようなケースがよくあります。そして、被害妄想ではないですが、悪い方に解釈して必要以上にことを荒立てるようなことをくり返しています。

先日もネット通販であるものを買ったのですが、送られて来た商品は部品が欠けた不良品でした。それで販売元にメールすると、写真を送るように言われました。言われたとおり写真を送ると、今度は商品を送り返せと言われました。商品が戻って来たら、それを確認してから代替品を送るというのです。そういった説明に既に苛立っている自分がいました。

しかも、メールでやり取りしていると、相手はあきからに日本語の使い方におかしなところがあり、文章の中の漢字に中国の簡体字が使われていました。私は「中国人か」と思いました。すると、私の中に中国人に対する予断と偏見が頭をもたげてきたのでした。

返品したものの数日経ってもいっこうに連絡がないので、しびれを切らして催促したら、「今から確認します」と返事があり、さらに、工場が休みになったので代替品を送るのは1週間か10日後になると言われました。

サイトを確認すると、1週間休むという「お知らせ」が出ていました。私は、催促した途端に休みに入るのは不自然じゃないかとメールを送りました。すると、相手から「心配をおかけしますが、間違いなく送りますのでご安心下さい」と返事がありました。

私は、ショッピングモールを運営している会社のカスタマーセンターに、このショップは「怪しい」と連絡しました。カスタマーセンターからは、販売時のトラブルは原則としてお客様とショップの間で解決してもらうしかなく、運営会社は関与できないという返事が来ました。それで、今度はそういった姿勢は運営会社としておかしいのではないかとメールを送りました。

ところが、テレビを観ていたら、中国では国慶節の連休に入り、何億人かの人間が国内を移動するというニュースが流れていました。どうやら工場が休みに入ったという話は嘘ではないようです。しかし、だからと言って、在庫も抱えずに販売し、不良品の代替品もすぐに用意できないのは、やはり「変だ」と思いました。と言うか、そう自分に言い聞かせたのでした。

しばらくすると、カスタマーセンターから、ショップに対してクレームの内容を伝えた上で、真摯に対応するように連絡を入れましたとメールが来ました。それで、再度ショップにアクセスしてみると、なんとショップは跡形もなく消えており、「ただ今休店中です」という文字のみが表示されていました。これは、前にも書いたことがありますが、楽天でもYahoo!ショッピングでも、実際は閉店したことを意味するのです。

私は、「逃げられた」と思いました。運営会社のサイトで、損害金の補償を受けるにはどうすればいいのか調べました。でも、証明する書類が必要など如何にも面倒臭そうに書いていました。「くそったれ」と思いました。そして、どうせ返事は来ないだろうが、念の為に(うっぷん晴らしに)ショップに嫌味のメールを送りました。

ところが、なんと返事が来たのです。「ご心配をおかけして申し訳ありません。必ず届きますのでもう少しお待ち下さい」と書いていました。返事など来ないだろうと思っていたので意外でした。そして、翌日、代替品が届いたのでした。

最初に注文してから問題が解決するのに20日もかかったので、時間がかかりすぎたのはたしかです。しかし、「逃げた」わけではないし「騙された」わけでもないのです。すべては私の予断と偏見だったのです。ショッピングモールの運営会社を巻き込んでことを荒立てていただけなのです。

それで、次のようなメールを送りました。

今、商品が届きました。
今度は正常に稼働しています。
ありがとうございました。
言葉に言いすぎたところがあったかもしれません。お詫びいたします。


すると、すぐに次のような返信がありました。

いやいや、今回は当店が悪い買い物体験をお届けしてしまい、まことに申し訳ございません。


似たようなことは、日常的な人間関係においてもあります。こいつは嫌なヤツだとか、こいつはずるいヤツだとか勝手に決めつけて、まるで自分にとって有害な人物であるかのように見ていた人間が、実は全然悪意のない、むしろ正直な人間だったということがよくあります。なんのことはない、私が一方的に色眼鏡で見ていただけなのです。

そんなことが重なると、益々自分が嫌になります。人を傷つけることによって自分も傷つくというのは、若い頃に主に恋愛でくり返した自分の“悪癖”ですが、今、あらためてこの“悪癖”が思い出されてならないのでした。

自分はいい人だとかいい人でいたいという自己愛がある一方で、自分はなんと嫌な人間だろうという自己嫌悪の念もあります。そして、その狭間の中で、無用に悩み自分で自分を追いつめ、気を滅入らせるのでした。
2020.10.06 Tue l 日常・その他 l top ▲
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新宿駅~青梅駅~武蔵五日市駅~檜原都民の森~【三頭山】~檜原都民の森~武蔵五日市駅~昭島駅~八王子駅~菊名駅

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約4キロ
※標高差:541m
※山行歩数:約15,000歩


かなりいきあたりばったりだったのですが、奥多摩の三頭山(1531メートル)に登りました。

武蔵五日市の駅前からバスに乗るハイカーは、圧倒的に中高年のおっさんやおばさんのグループが多く、このブログでも何度も書いているように、おっさんやおばさんたちはとにかくマナーが悪いので辟易させられます。代表的なのは、あとから来た人間を「あっ、こっちよ」と手招きして、「今日はいい天気になってよかったね」「ホント」なんてお喋りしながらそのまま列に割り込ませる手口です。

駅前のバス停には既にザックを背負ったハイカーが20~30人くらい並んでいました。その時点では、私は漠然と笹尾根に登ろうと思っていました。関東地方のハイカーの間では、「(登る山に)困ったときは高尾山」というのがあるそうですが、私の場合は、「困ったときは笹尾根」のようなところがあります。

ところが、やって来たのは、「都民の森」行きの急行バスでした。平日は、朝に1本しか出ていない直通のバスです。それで、急遽、都民の森から三頭山に登ることにしたのでした。三頭山に登るのは、去年の11月以来10ヶ月ぶりでした。

武蔵五日市駅から都民の森まで1時間ちょっとかかります。バスは標高990メートルの都民の森まで九十九折の山道を登って行きますので、座席に座ることができなかったら悲惨ですが、幸いにも乗客は全員座れました。私は、二人掛けの椅子に座りましたが、横に座る人はいませんでした。

もちろん、バスのなかは、中高年のおっさんとおばさんのグループばかりでした。それ以外は、20代の男性と30~40代くらいの男性がそれぞれひとりいただけです。中高年のグループは、既にバスの中でも賑やかでした。特に、山に来るおばさんたちはやけにテンションが高いのでした。

都民の森に着いて、いざ登ろうと思ったら、前に登った三頭大滝から大沢山・ムシカリ峠を通るルートが台風被害のため通行止めになっていました。それで仕方なく、もっともポピュラーな鞘口峠を通るルートを登ることにしました。

しかし、登りはじめの分岐のところに来ると、そこにも「通行止め」の札が出ていて、どっちに行っていいのかわかりません。それで登り口にある森林館まで戻って、登山の準備をしていたおばさんたちにルートを訊きました。すると、そのまま登っていけばいいと言うのです。でも、登って行くにも通行止めになっています。

戸惑っていると、下から高齢のおばさん(というよりお婆さん)の二人連れが登って来ました。

「通行止めになっているのですが、どこを行けばいいのですか?」と尋ねると、実に横柄な態度で、「そっちがわからないの?」と言われました。そっちと言われた方を見ると、小さな木橋がありました。しかし、指導標(道しるべ)は何も出ていません。

それで、二人連れの婆さん、いや、高齢ハイカーのあとをしばらく付いて登りました。高齢ハイカーは、登りながら北アルプスの涸沢に行った話をしていました。(大岳山に登ったときの記事でも書きましたが)一般のハイカーを見下すような態度をとる、女性のベテランハイカーによくいるタイプです。不思議と男性にはそういうタイプの人は少ないのです(大言壮語の自慢話をする人は多いけど)。

山は初心者も熟達者もない。みんな平等にわけへだてなく受け入れてくれる。それが山の良さであり、山登りの精神だ。と言った山小屋のオーナーがいましたが、何故か女性のベテランハイカーには、そういった「山の精神」とは無縁な人が多いのです。

私たちが登っているのは「登山道」と書かれたルートでした。やはり都民の森がある御前山なども同じですが、都民の森のなかはハイキング向けの遊歩道が縦横に通っているので、どれが遊歩道でどれが登山道か、ごちゃごちゃしてややこしい場合が多いのです。もっとも、いづれの道もどこかでつながっているので道に迷うことはありません。

しばらく歩くと、最初に道を訊いたおばさんたちのグループが東屋で休憩していました。私は「あれっ」と思いました。いつの間に私たちの先を行ったのか。

すると、おばさんが私の顔を見て、「あっ、おじさん、よかったわ。間違って教えたみたいで気になっていたんですよ。遠回りの道を教えてごめんなさいね」と言いました。どうやら、私たちが歩いたのは遠回りのルートだったみたいです。でも、私は、それより「おじさん」ということばが胸にずしんと突き刺さりました。おばさんからおじさんと言われる筋合いはないと思いましたが、かく言う私もここでおばさんと書いているのです。

「いや、いいんですよ。気にしないでください」と言いながら、なんだか昔話に出て来る歯がぬけた翁のような口調になっている自分に気付きました。たしかに、登っている格好も腰の曲がった爺さんのようです。

小雨が降りはじめたので、途中でレインウエアを着ている間に、おばさんたちのグループに追い抜かれました。しかし、そのあと先行するおばさんたちのグループも、お婆さんの二人連れも追い抜いて、1時間ちょっとで最初のピークの東峰に到着しました。

東峰に行くと、中年のカップルが写真を撮っていました。私は、てっきり夫婦と思って「写真を撮りましょうか?」と言いました。すると、女性から嫌な顔をされて「結構です」と言われました。男性は、さもバツが悪そうに「へへへ」というように笑いを浮かべながら「どうも、ありがとうございます」と言ってました。よく見ると、二人はそれぞれのスマホで写真を撮り合っていました。そして、そのあとは東峰の横にあるテーブル付きのベンチに移動して「お弁当にしようね」なんて言い合っていました。

私は、「なんだ、夫婦じゃないんだ」と思いました。不倫カップルかもしれません。もしかしたら、ヤマレコかどこかのSNSで知り合ったおっさんとおばさんなのかもしれないと思いました。そう思ったら気持が悪くなり、早々に東峰をあとにしました。

三頭山は名前のとおり、東峰・中央峰・西峰の三つのピークがあります。東峰・中央峰とまわって、最後の西峰で休憩しました。しかし、ベンチはいづれも埋まっています。仕方なく、地べたに100円ショップで買ったシートを敷いて、さらにその上にモンベルで買った昼寝用のマットを敷き、持参したパンを食べました。西峰には、10人くらい休憩していましたが、見事なほど中高年のおっさんやおばさんばかりでした。来るときのバスで一緒だった人たちもいました。しかし、空は厚い雲に覆われて、山頂からの眺望はまったく望めませんでした。

帰りは、通行止めになっている三頭大滝の遊歩道にう回路があると言うので、指導標に従って三頭沢という沢沿いの道を下りました。ところが、下まで降りたところで、再び登るように指示票が出ていました。何のことはない途中まで登り返えして、通行止めになっている遊歩道の上にある巻道を歩かなければならないのでした。

都民の森に下りて来たのは午後2時前でした。ちょうど2時30分発のバスがあったのでそれに乗って帰りました。しかし、帰りのバスは満員で、さらに帰りは隣の「数馬」までの連絡バスしかなく、「数馬」から通常の路線バスに乗り換えなければならないので、途中から乗車する人も多く、立錐の余地もないほど”超密”の状態でした。バス会社の対応も、新型コロナウイルスが既に終息したかのようなおざなりなものでした。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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都民の森の駐車場から登山口の方向を映す。

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おなじみの標識。

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登山口はトンネルをくぐって行く。トンネルの上にあるのは、体験施設の森林館。

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東峰山頂標識(1527.5m)。

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中央峰山頂標識(1531m)。

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中央峰の様子。

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西峰へはいったん下って登り返します。

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西峰山頂標識(1524.5m)。実は西峰がいちばん標高は低いのです。しかし、山頂が広いので実質的な山頂扱いです。標識も奥多摩の主要な山ではおなじみの石造りの標識です。

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西峰の様子。

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下山。沢沿いの道を下る。

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野鳥観察小屋の方に登り返す。

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下山時の遊歩道から見えた笹尾根。前に歩いた生藤山・熊倉山・浅間峠が見渡せました。
2020.10.01 Thu l 山行 l top ▲
今度は竹内結子がみずから命を絶ちました。深夜、寝室のクローゼットで縊死した状態で見つかったそうです。普段どおりの様子だったので、家族も異変に気づくことはなかったそうです。

他人が羨むような美貌に生まれ、その美貌ゆえに原宿でスカウトされ、華やかな芸能界でスター女優としての道を歩み、離婚を経験したとは言え、再婚して今年の1月には第二子を産んだばかりです。

誰もが羨み、誰もがあこがれるような人生ですが、しかし、その一方で、彼女自身は、人知れず深い心の闇を抱えていたのでしょうか。

どうしてこんなに芸能人の自殺がつづくのだろうと思います。芸能人の自殺について、「コロナ禍で将来に不安を覚えたからじゃないか」というような見方がありますが、しかし、それは皮相な見方のように思います。みずから命を絶った人たちは、俳優としては恵まれた環境のなかにいた人たちばかりです。語弊があるかもしれませんが、経済的にいちばん困窮しているはずのお笑い芸人はひとりも含まれていません。私は、彼らの自死は、究極の“感情労働”である俳優という仕事に関係しているような気がしてなりません。コロナ禍がそのきっかけになったのではないか。

よく女優は男のような性格の人間が多い、男のような性格でなければ女優は務まらないと言いますが、竹内結子も御多分に漏れず「男まさり」の勝気な性格だったと言われています。しかし、それは、ナイーブであるということと矛盾するわけではありません。さまざまな仮面をかぶり、感情移入して、役の人物を演じる俳優という仕事は、むしろナイーブな感性を持ってないととても務まるものではないでしょう。

自殺を伝えるニュースのなかでもその場面が出ていましたが、特に女優は、悲しくもないのに演技で涙を流すことができるのです。いや、それは、悲しくないのではなく、実際に悲しいのだと思います。そう自分を追いつめているのだと思います。俳優をつづけていると、ホントの自分がどこにいるのかわからなくなると言いますが、俳優という仕事はそれだけ過酷な“感情労働”とも言えるのです。

竹内結子の場合、幼い頃、両親が離婚して実母と離れ離れになったと言われています。もし、それが事実なら、「母親に捨てられた」幼児体験がトラウマになっていたということもあるかもしれません。ただ、逆にそれが、女優として必須なナイーブな感性を培ったと言えなくもないのです。

私たちは、このコロナ禍のなかで、えも言われぬ重苦しさ、憂鬱な気分のなかにいます。そんななかで、ナイーブな人間ほど、まるでカナリアのようにその空気を感受して、みずからを追いつめていくというのはあるでしょう。戦後生まれの私たちにとって、孤独や死がこれほど身近で切実なものになったのは、かつてなかったことなのです。

私は、竹内結子の自殺の報道のなかで、木下優樹菜がInstagramで竹内結子の自殺について呟いたと言われる下記のことばが目にとまりました。

日刊大衆
木下優樹菜、竹内結子さんの死を悼む「こんなに辛いのに生きてるってなんだろう」「見て 優樹菜を」

 この日、木下はストーリーズで「おはよお 朝から悲しい。こんなに辛いのに生きてるってなんだろう。とかなんで生きなきゃいけないんだろうとか、ふとした瞬間にもうぜんぶやーめた。つかれた。てどうしようもないきもちになるんだ これはこういうふうになった人にしかわからない あの恐怖の感情 いや。恐怖すらかんじないかな」と死を考えた時の心境について吐露した。
 続けて「でも今些細な事で生きててよかったーて思える事たくさん増えたから 前からもだし、新しいアカウントになっても来るけどさ、死にたいとか。見て 優樹菜を」と死にたいと訴えるファンを励ました。


最近のゴシップが持ち上がった芸能人に対するバッシングは目にあまるものがあります。もはや狂気と言っても過言ではないほどです。木下優樹菜もその標的になったひとりですが、彼女は持ち前のメンタルの強さ?で不条理な仕打ちを耐え抜いたのです。だからこそ、「見て 優樹菜を」ということばには、稚拙ではあるけれど非常に重みがあるように思いました。
2020.09.27 Sun l 芸能・スポーツ l top ▲
ときどき、この重苦しさ、この憂鬱な気分はなんだろうと思うことがあります。それは、今のコロナ禍で、多くの人が抱いている感情なのかもしれません。

ややオーバーに言えば、芸能人も、以前のようなあこがれの存在から、この重苦しさや憂鬱な気分を象徴する存在になったような感じすらあります。

コロナで非業の死を遂げた志村けんや岡江久美子もそうですが、自死した三浦春馬や芦名星や藤木孝のニュースも、普段以上にショッキングな出来事として心に重くのしかかってくるのでした。

また、飲酒運転で追突事故を起こした山口達也が、実は家賃7万円のワンルームのアパートに住んでいたとか、自殺した藤木孝も80歳をすぎて住んでいたのが家賃8万円の木造アパートだったとか、俳優の矢崎滋が、東北の田舎町で、人目を忍んで一日5千円のホテル暮らしをしているとかいう話も、なんだか暗い気分にさせられるものがあります。

私自身も、(コロナ禍には関係ないけど)それなりに名前が知られた俳優やタレントが、病気のために、医療扶助を受けながら人知れず亡くなったという話を知っています。

こうやってことさら芸能界の暗い話題ばかりに目が行くのは、コロナ禍によって死や貧困や孤独が身近なものになっているからかもしれません。

政治家やメディアにはそこまで危機感がないようですが(そう装っていますが)、誰がどう考えても、大倒産・大失業・大増税の時代がやって来るのは間違いないのです。

鉄道会社や航空会社があれだけの大減収にもかかわらず持ちこたえているというのも、ある意味で驚きですが、それだけ莫大な内部留保を抱えていたからでしょう。

多くの企業や家庭では、収入が減った分を給付金や預金で補って今をやりすごしているのが実情ではないでしょうか。その余裕がない企業や家庭が行き詰っているのです。

密を避けるためのリモートワークや特別休暇などのコロナ対策をきっかけに、企業が人が少なくてもなんとかやっていけることに気付いた意味は大きいと言っていた人がいましたが、たしかにそうで、これからリストラが本格化するのも避けられないように思います。コロナはそのための恰好の口実になるでしょう。

給付金にしても、あれだけの大判振舞いをしたツケがまわってこないないわけがないのです。しかも、それはザルだったのです。持続化給付金をめぐる詐欺事件が摘発されていますが、今摘発されているのが氷山の一角であることは誰が見てもあきらかです。

リモート飲み会などというおままごとのようなことが行われていますが、そんな何でもネットで取り替え可能みたいな風潮によって、人々の孤独はより深まり、より追い込まれていくのです。

「悲しくてやりきれない」という歌がありましたが、芸能界の暗い話題に、私たちは今の自分たちの心の風景を映しているように思えてなりません。
2020.09.24 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
私は、アニメにはあまり詳しくないのですが、登山関連のYouTubeを観ていると、特に女性のユーチューバーの場合、どうも「山と食欲と私」を意識しているような気がしてなりません。また、「クマ撃ちの女」のイメージを参考にしているようなサバイバルをウリにしたユーチューバーもいます。特に再生数が多い女性のユーチューバーの動画には、この二つのアニメの要素が垣間見えて仕方ないのです。

もとよりユーチューバーとして収入を得ようとすれば、イメージ作りとそれに伴う“企画力”が重要であるのは言うまでもありません。今どきの女性が、そのヒントをアニメに求めるのは当然と言えば当然と言えるのかもしれません。

さらに身も蓋もないことを言えば、女性の登山系ユーチューバーの場合、若くて(それなりに)カワイイというのが視聴者を集める大きな条件であるのも否定し得ない事実です。所詮はネット、見た目なのです。

一方、YouTubeの視聴者は、登山系と言っても、日頃から山に登っている人間は少数のように思います。前に記事で取り上げた総務省統計局の「社会生活基本調査」で示されたような、年に5回前後ハイキングに行くようなビギナーか、実際は山に登らないけど如何にも山に登っているかのように装う、ネット特有の“なりすまし登山者”が圧倒的に多い気がします。

一般的な感覚では信じられないかもしれませんが、登山に限らずネットにはこの“なりすまし”が驚くほど多いのです。

”なりすまし登山者”に関しては、一部の男性ユーチューバーの動画のコメント欄にも散見されます。どう見ても無謀としか思えない山行に対して、その無謀さを指摘するより「凄い!」というコメントばかり集まるのも、視聴者に山に登る基本的な知識と経験がないからでしょう。知識と経験がないから、無謀な登山が「凄い!」と映るのでしょう。

もっとも、ユーチューバー自身も、「オレ、凄いだろう?」式の自己顕示欲から自由になれない傾向があるのは事実です。だから、「凄い!」というコメントも、”なりすまし登山者”による煽りだということがわかってないのかもしれません。もしかしたら、”なりすまし登山者”相手にヒーローになっている気分なのかもしれません。

前に埼玉の低山に息も絶え絶えに登っているヘロヘロ動画をアップしていた男性が、数ヶ月後、北アルプスの山を颯爽と歩いている動画をアップしているのに唖然としたことがありました。私は、それを見て、やはり、「オレ、凄いだろう!」式の自己顕示欲を捨てることはできないんだなとしみじみ思いました。

その点、女性ユーチューバーの動画は、身近な低山も多いし、ハアハア息を切らして登っているシーンもちゃんと入っています。「ガーン! また階段が、、、」というようなクレジットも忘れないのです。女性ユーチューバーの動画の方が親近感を抱くというのもわからないでもありません。

ただ、中には「企業案件」と呼ばれるスポンサー企業とのタイアップが増えて、山に登ることを忘れてしまった女性ユーチューバーもいますが、それはユーチューバーとしても、アウトドア系のアイドルタレントとしても、末路を歩みはじめたようにしか思えません。登山系、あるいはアウトドア系というのは、所詮は狭い自己満足の世界なのです。その中でチヤホヤされたからと言って、外の世界で通用するほど外の世界は甘くはないのです。そこにも大きな勘違いがあるように思います。

こう考えると、YouTubeってなんだろうと思えてなりません。実際の登山とはまったく関係のない世界で、関係のない人々によって、登山がまことしやかに語られているのです。ユーチューバーに関する掲示板では、「基地外」「ナマポ」「底辺」などという差別語が平然と飛び交っています。そんな差別語で山が語られているのです。それは、ネトウヨと政治の関係によく似ています。

でも、当人たちは自分たちがキッチュであるとは微塵も思ってないのです。だから、その勘違いを指摘されると、感情むき出しで激しく反応するのでしょう。

最近は、登山系の女性ユーチューバーのなかで、生配信でスパチャと呼ばれる投げ銭を得る(スパチャ目当てで生配信をする?)ユーチューバーまで登場していますが、投げ銭するようなコアなファンが「基地外」「ナマポ」「底辺」などという差別語で山を語るような連中だということについて、どう思っているのか訊きたい気持さえあります。

パタゴニアのフリースがお気に入りだと言ったら、パタゴニアはイルカの追い込み猟やクジラ漁に反対するグリーンピースに資金提供している「反日」企業だというコメントが殺到し、ユーチューバー本人が「軽率な発言でした」と謝罪する出来事もありました。まったくバカバカしい限りですが、そういう連中がなりすましで山を語っているのです。

もちろん、女性ユーチューバーの場合、登録者数が増えて人気が出ると、前に棒ノ折山の記事で書いたようなストーカーもどきとも無縁ではなくなってくるでしょう。顔出し動画は、そういったリスクと背中合わせでもあるのです。

そもそも自撮り棒のカメラに向かってお喋りをしながら山に登ること自体、多分にいかがわしいと言わざるを得ません。YouTubeの動画の場合、あくまで山に登る自分が主役なのです。そこには、「オレ、凄いだろう」とか「アタシ、カワイイでしょ」とかいった過剰な自意識があるだけです。山は自分を引き立てる脇役にすぎないのです。

ホントに山が好きなら、YouTubeに動画をアップすることなど考えずに、自分のスタイルで山に登り、山の中の自分の時間を大切にするはずです。それは、自撮り棒でYouTube用の動画を撮影する行為とはむしろ対極にあるものです。そのはずなのです。


関連記事:
登山系ユーチューバーと登山人口の変移
2020.09.22 Tue l 山行 l top ▲
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新宿バスタ~駒ヶ根バスターミナル~(ホテル泊)~駒ヶ根駅~しらび平~【木曽駒ヶ根岳(乗越浄土)】~しらび平~駒ヶ根駅~岡谷駅~新宿駅

※山行時間:約2時間(休憩含む)
※山行距離:約2キロ
※山行歩数:約5,000歩


ゆるゆる登山、第三弾。中央アルプスの木曽駒ケ岳(2956メートル)に登りました。しかし、とんだ顛末になり、「撤退」せざるを得ませんでした。

木曽駒ケ岳に登るべく、14日から長野の駒ヶ根に行きました。余裕があれば、隣の宝剣岳(2931メートル)にも登りたいと思っていました。ただ、時間的に日帰りは無理があるので、GoToキャンペーンを利用して前泊することにしました。いったんは15日・16日で予約していましたが、16日が雨の予報に変わったのでキャンセルして、日程を一日早めて14日・15日で再度予約し直しました。

14日は泊まるだけなので、新宿バスタから午前11時20分発の高速バスに乗りました。駒ヶ根バスターミナルに着いたのは、午後3時半すぎでした。新宿バスタから乗ったのは7人だけで、いづれも伊那インターまでで降りたので、それ以後は乗客は私ひとりだけになりました。

駒ヶ根バスターミナルは、バスターミナルと言えば聞こえはいいですが、別に始発のバスが待機しているわけでも、バスが何台も停まることができるスペースがあるわけでもなく、建物の中に切符売り場と待合室があるただの停留所です。昔、私の田舎にあったバスの停留所とよく似ていました。しかし、今週末だかに建物自体が閉鎖され、切符売り場と待合室もなくなるみたいです。ちなみに、自分の田舎の停留所は、閉鎖どころかバスの路線そのものがとっくの昔に廃止になっています。

昔は、電車(汽車)で駒ヶ根にやって来る人が多かったのでしょう。駅近辺のホテルや旅館に泊まり、翌日、バスターミナルからバスに乗って観光や仕事に出かけたい違いありません。しかし、車社会になった今は、電車とともにバスを利用する客も、めっきり減ったのでしょう。現に、高速バスでも、駒ヶ根バスターミナルまで乗るような奇特な客は私以外いないのです。また、飯田線はSuicaも使えない単線なので、電車の本数も少なく、利便性がいいとはおせいじにも言えないのでした。

駒ヶ根バスターミナルでは、下車してすぐに駒ヶ根駅からしらび平のロープウエイ駅までのバスとロープウエイがセットになった往復乗車券を買いました。4640円でした。

東野幸治が木曽駒ケ岳に登ったときの動画がYouTubeにアップされていますが、窓口で往復乗車券を買ったら4130円だったので、「高ッ!」と驚いていました。東野幸治がバスに乗ったのは、途中の菅の台バスセンターからです。ロープウェイの山麓駅があるしらび平まではマイカー規制されているため、車で直接行くことはできません。通常は、駐車場が整備されている菅の台バスセンターでバスに乗り替えなければならないのです。と言うことは、駒ヶ根駅から菅の台バスターミナルまでの運賃が差額の510円ということになります。時間にして10分くらいの距離です。私もあらためて「高ッ!」と思いました。どうりで地元の人が乗らないわけです。ちなみに、新宿バスタから駒ヶ根バスセンターまでの高速バスは、ネット予約で片道3800円です。それと比較すれば、ロープウェイまでの運賃が如何に高いかわかろうというものです。

駒ヶ根バスターミナルから駒ヶ根駅までは、歩いて5分くらいの距離でした。駒ヶ根の駅前通りも、典型的な地方都市の悲哀が漂っており、まるでゴーストタウンのようでした。最初、月曜日なので商店街が定休日なのかなと思ったけど、通りを歩くと、閉店してシャッターを下ろした店ばかりでした。しかも、看板を見ると、チェーン店ではなく、昔からやっていた地元の商店です。時代の流れと言えばそうなのかもしれませんが、こうやって個人商店がどんどん潰れて、商店街がゴーストタウンのようになって行くのは、この国の基底にある経済が(ささやかでつつましやかな庶民の生活が)崩壊していることを意味しているのだと思います。郊外のチェーン店とは、その存在の意味合いが根本的に違うのです。”保守”を名乗る政治家が、「規制緩和」の名のもとに、ネオリベラリズムに拝跪してこの国の基底にある経済(地域経済)を崩壊させているのです。「愛国」とは何かということをあらためて考えざるを得ませんでした。

前から歩いて来た女性に、「駅はどっちですか?」と尋ねたら、怯えたような表情をしてやや後ずさりしながら「あ、あっちです」と言ってました。もしかしたら対人恐怖症かなんかじゃないかと思ったけど、でも、考えてみたら、私の恰好も普通ではないのです。185センチを超える大男がパンパンに膨らんだザックを背負って(しかもザックのサイドポケットからは変な棒のようなものが出ている)、大袈裟なハイカットの登山靴を履いているのです。そのため身長も2メートル近くになっているはずです。しかも、面倒くさかったので3日間髭も剃っていません。まるで山にエサがなくなって里に下りて来た熊みたいで、女性が怯えるのも無理はないのです。

駅に行ったのは、翌日、駅から駒ヶ根ロープウェイ行きのバスに乗るので、その乗り場を確認するためでした。私は“予備がないと不安症候群”なので、このように事前にリサーチしないと不安で仕方ないのです。ところが、確認もなにもバス停は二つ?しかなく、閑散とした駅前ではひと目でそれとわかりました。

ふと見ると、駅の真向かいに食品スーパーがありました。駅前通りではちょっと離れたところにコンビニが1軒あったきりなので、スーパーで夕食の弁当を買って行こうと思いました。ところが、店のドアは閉められおり、店を出入りする人もいません。「休みなのか?」と思って、店に近づき、ガラス窓に顔を寄せて中の様子を伺うと、店内には制服を着た店員の姿がありました。ホッとして中に入ると、ちゃんとした食品スーパーでした。弁当や総菜もそれなりに充実していました。ただ、レジも含めて店で働いているのは、50代~60代くらいのおばちゃんばかりでした。やはり、ゴーストタウン化した駅の近くは、若い人も敬遠するのかもしれません。

スーパーで買った弁当を持ってホテルに向かうと、私が予約したホテル以外にも、周辺には数軒のホテルや旅館がありました。ただ、(私が泊まったホテルも含めて)いづれもさびれた感じで、おせいじにも繁盛しているようには見えませんでした。駒ヶ根は、私の田舎と同じように、昔は登山の拠点で、多くの登山者が前泊していたのでしょう。登山やハイキングを「山岳観光」と言うそうですが、ホテルや旅館は、そんな古き良き時代の名残りのように見えました。

最近、昼夜が逆転した生活がつづいているため、前夜もほとんど寝ていませんでした。そのため、ホテルに入ってすぐに寝てしまい、目が覚めたのは午後11時すぎで、それから弁当を食べて、再びベットに入ったものの、翌朝までまんじりともしませんでした。

翌日は、駒ヶ根駅から午前7時発のロープウェイ行きのバスに乗りました。駅からバスに乗ったのは11名でした。いづれもザックを背負ったハイカーでした。バスを待っていると、横に並んでいたのはホテルで見かけた老人でした。「あれっ、同じホテルだったですよね」と言ったら「そうかもしれませんね」と言っていました。さらに隣の女性も、「私もです」と言っていました。聞けば、二人はバスではなく、飯田線の電車でやって来たのだそうです。

「あのホテル、臭くありませんでした?」と私。
「たしかに」
「私は一晩中窓を開けて寝ましたよ。でも、途中で寒くなったので暖房を入れました」
「でも、ネットで検索したら駒ヶ根駅の近くではあのホテルしか出て来なかったんですよ」

たしかにそうなのです。私はじゃらんを利用したのですが、駒ヶ根駅近くでは私たちが利用したホテルしかヒットしなかったのです。GoToキャンペーンを利用して3500円だったので、あまり文句も言えないのですが、ネットのレビューを見ると「部屋が臭い」「ボイラーの音がうるさい」と書かれていました。いづれもその通りで、ネットのレビューも一概に無視できないなと思いました。

バスは途中何人かのハイカーを乗せて、菅の台バスセンターに着きました。ところが、車内から見えたバス停の光景に目が点になりました。と言うか、恐怖を覚えました。数百人のハイカーが長蛇の列を作っているのです。そのため、バスは密どころではなく、補助席も使うほどの”超密”の状態になりました。もうメチャクチャです。自粛警察が乗り合わせたら発狂したかもしれません。サングラスにマスク姿の月光仮面のように完全武装したバスの運転手も興奮して、もっと詰めろとマイクでまくし立てていました。まるで収容所に移送される捕虜のようでした。今までのゆるゆる登山で行った入笠山や北横岳とは雲泥の差です。

身動きもとれない”超密”の中、離合にも苦労するような狭い山道を30分くらい走ると、しらび平の山麓駅に到着しました。バスから降りると、そのままロープウェイの乗り場に並びました。もちろん、ソーシャルディスタンスなどどこ吹く風で、登山の恰好をした囚人たちは押すな押すなで我先に並んでいました。

私たちが乗るのは始発のロープウェイなので、数分待てば改札が始まるはずでした。ところが、時間になっても改札口が開きません。そうするうちに、次のバスもやって来たみたいで、乗り場も混雑してきました。改札口から続く列も長く延びていました。

すると、「只今、ロープウェイの点検に時間がかかっております。もうしばらくお待ちください」というアナウンスが流れました。さらに、「これから整理券を配りますが、整理券が40番以降のお客様は次の便になりますので、列を離れてお待ちください」というアナウンスが流れました。

バスで一緒だった老人がやって来たので、「こんなことはよくあるんですか?」と訊いたら、「しょうっちゅうですよ。2時間も待ったことがありましたよ」と言ってました。老人は相模原からやって来たとかで、木曽駒ケ岳にも何度も登っているそうです。山にも詳しく、登る途中に、あれが何山と山座同定をしてくれるので、まわりにいたハイカーたちも次々と老人に山名を訊いていました。

老人によれば、菅の台バスセンターで、今日はいっぱいなので帰ってくれと言われたこともあったそうです。

ロープウェイは、結局、30分遅れて出発しました。約8分で山頂駅に着いて、駅を出た途端、目の前に飛び込できた千畳敷カールの雄大な景色に思わず心の中で感嘆の声をあげました。実際に、「キャー、すごい!」と叫んでいた山ガールもいました。

山頂駅からは300メートル強の標高差を約2時間で登るのですが、登山口の標高が既に2600メートルで空気が薄いため、すぐに息が切れます。そのため、何度も立ち止まって息を整えながら、ほうほうの体で稜線の乗越浄土(のっこしじょうど・2858メートル)に辿り着きました。休憩時間を除けばほぼコースタイム通りでしたが、それでもきつかったイメージしかありませんでした。

ネットやガイドブックなどでは、木曽駒ケ岳は初心者向けになっていますが、「これが初心者向け?」と思いました。たしかに、ロープウェイを使えば、片道で僅か2キロ足らずの距離です。しかし、距離が短いとは言え、登山道は稜線の乗越浄土までは岩の急登で、初心者はあまり経験しない道です。落石が出ないようにネットで補強していましたが、下る際、躓いたりすれば滑落する危険性もあります。登山者が多いので、他の登山者を巻き込む怖れさえあるでしょう。

東野も動画で、こんなのはチョロいみたいな言い方をしていました。動画の中でもハアハア息を切らして登っているシーンは皆無でした。まるで鼻歌でも歌いながら登っているような感じでしたが、それがYouTubeのウソなのです。登っている山の名前もろくに言えず、しかも、自分が登る山がどの山かもわからずに山に登って、こんなのチョロいと言われたのでは、山をバカにするのもいい加減にしろと言いたくなろうというものです。でも、登山系ユーチューバーの動画の多くは、東野の動画と似たか寄ったかなのです。

乗越浄土まで登れば、あとは登山道もゆるやかになり、残り1時間で木曽駒ケ岳の山頂に到着します(その予定でした)。乗越浄土で写真を撮り、先にある山小屋(宝剣山荘)に向けて歩いていると、小屋の前で男性と女性がなにやら叫んでいました。山荘からは宝剣岳と木曽駒ヶ岳に分岐するのですが、両方に向かって叫んでいるのです。

前から夫婦とおぼしき二人連れの登山者が引き返して来ました。「どうしたんですか?」と訊いたら、「ロープウェイが停まるらしいので引き返せと言われた」と言うのです。私は、とっさに今朝、点検のためにロープウェイが遅れたことを思い出しました。スマホで検索すると、たしかに本日のロープウェイは運休となっていました。でも、奥さんはあきらめきれないらしく、「どんどん人が登って来ているじゃない。もう一度確かめてよ」と言うと、旦那さんは再び山小屋に行きました。そして、戻って来ると、「やっぱりホントみたいだ」と言ってました。私が、「もしロープウェイに乗れないとどうやって下ればいいんですか?」と尋ねると、「伊那前岳から北御所に下りるしかないですね」と言います。奥さんは「いやだあ」と言ってました。

それで、私も仕方なく乗越浄土で引き返すことにしました。でも、下からは次々とハイカーが登って来ています。登りと下りで渋滞が生じるほどでした。「どうなっているんだ?」と思いましたが、下の方まで下りるともう登って来るハイカーの姿はありませんでした。

サイトで運休の告知があったのは9時半すぎなので、私たちがちょうど乗越浄土に着いた頃です。だから、それまでは何便か動いていたのかもしれません。遊歩道まで下りると、登りのときとは違った剣ケ池の方の道を歩いて、千畳敷カールを散策して駅に向かいましたが、駅でもそんなに待たずにロープウェイに乗ることができました。

駒ヶ根駅までのバスも、菅の台バスセンターまでは補助席を使うほど超過密でしたが、途中から乗客は私ひとりになりました。駅に着いたのは午前11時半すぎでした。しかし、次の新宿行きの高速バスは3時間後です。それで、駒ヶ根駅から飯田線で伊那を通り岡谷まで行って、岡谷駅から特急あずさに乗って帰ることにしました。

岡谷駅で特急に乗り換える際、ホテルで一緒だった老人にまた会いました。乗るときは気が付きませんでしたが、駒ヶ根から同じ電車だったみたいです。老人は、特急で甲府まで行って、甲府でぶどう?を買って帰ると言ってました。

老人は、山小屋の呼びかけを無視して途中の中岳まで行って引き返したそうで、「中岳まで行くと、御嶽山が見えるんですよ」「木曽駒の楽しみは御嶽山が見えることですよ」と言ってました。私がロープウェイの運休について、「あんなことはよくあるんですか?」と尋ねると、「よくはないけど、ときどきあるみたいですね」と言ってました。「初めての人は戸惑うかもしれないけど、よく知っている人はまたかと言う感じで動じないですよ」と言っていました。

「整理券を配るにしても、やっていることが変でしょ?」と言ってました。そう言えば、整理券を配るのはいいけど、改札が開く前に整理券を回収するのです。改札口を通る際に回収すればいいものを、どうしてそんなわけのわからないことをするのだろうと思いました。
「第三セクターで上は公務員の天下りなので、トラブルに巻き込まれないようにあんなややこしいことをしているんだと思いますよ」
でも、あんなことをすると、整理券を貰ってない人間が割り込んで乗るケースもあるでしょう。なんだか公務員特有の事なかれ主義のような気がしないでもありません。
「今日もお客とのトラブルが面倒なので、いち早く運休にしたのでしょ。でも、実際は下りは動いているのです」
(追記:翌日は、点検の結果異常はありませんでしたので、朝から運転しますと告知されていました。結局、異常がなかったのです。なんじゃらほいというような話です)

ネットでも、木曽駒ヶ岳に関して、ロープウェイの係員の説明や整理券の配布に「だまされた」というような書き込みがありましたが、たしかに会社の対応は竜頭蛇尾で場当たり的なところがあります。ハイカーもそれがわかっているので、引き返すようにという呼びかけも無視して登って来るのでしょう。

途中で会ったおばさんたちは、「運休と言っても、いったん登った人間を無視することはできないでしょ」と言いながら、そのまま登って行きましたが、おばさんたちも下りが確保されていることがわかっているのかもしれません。

余談ですが、今回乗った高速バスも、同じ路線でも経路が微妙に違う伊那線と飯田線があることがわかりました。登っている途中で、以前奥多摩の御前山で会った若者とばったり再会し、しばらく立ち話をしたのですが、私が前泊したと言ったら、「エエッ、前泊ですか」と驚いていました。彼によれば、飯田線のバスに乗って駒ヶ根インターで降りて、「女体」というバス停からロープウェイ行きのバスに乗り替えれば日帰りも充分可能なのだそうです。しかも、午前7時発の飯田線のバスは、駒ヶ根インターまでノンストップなので時間もはやいのだとか。私が乗ったのはどうやら伊那線だったようです。同じ路線に伊那線と飯田線があるなんてまったく知りませんでした。

御前山で会ったとき、まだ山に登りはじめて1年ちょっとの初心者ですと言っていましたが、今回は木曽駒でテン泊したのそうです。宝剣岳にも登ったと言うので、どうだったと訊いたら、「思ったより難しくないですよ」と言ってました。なんだか前に会ったときよりたくましくなったみたいで、若いって羨ましいなあと思いました。

追記:
帰ってから当日のネットの山行記録を読んでいたら、乗越浄土まで登って引き返した人に対してもバスとロープウェイの往復券の払い戻しが行われたみたいです(太っ腹な話ですが)。しかし、私たちは何も知らされてなかったのでそのままバスに乗って帰りました。少なくとも私と一緒にロープウェイで引き返した人たちはみんな知らなかったと思います。クレームがあったので払い戻したのかもしれませんが、こういうところも実にいい加減なのです。煩悩具足の凡夫である私は、なんだか4640円損したような気持になりました。しかも、翌々日には、運休に関する「お知らせ」と「お詫び」も、何もなかったかのようにサイトからきれいさっぱり消えていました。お見事としか言いようがありません。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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駒ヶ根市の駅前通り。平日の午後3時すぎの光景です。

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ホテルの部屋。夜中に撮ったので部屋が暗い。

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ロープウェイの中。60人の定員を40人に限定しているそうですが、このように通勤電車並みの密です。

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山頂駅を降りると、千畳敷カールの雄大な景色が目に飛び込んできました。

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遊歩道(登山道)の入口にある駒ケ岳神社。

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途中から振り返ると、雲海の向こうに南アルプス(赤石山脈)の山々を望むことができました。甲斐駒ヶ岳・仙丈岳・北岳・間ノ岳、右端に荒川三山。その上に富士山もちょこっと頭を覗かせていました。

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山頂駅と千畳敷ホテルの建物も徐々に小さくなります。

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急登の八丁坂に差しかかりました。いわゆる胸突き八丁という意味でしょう。

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乗越浄土(2858メートル)に到着。あとはなだらかな稜線歩きになります(なるはずでした)。

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左が宝剣山荘。右は天狗荘。

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中岳。木曽駒は中岳を越えた先です。

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宝剣岳。

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宝剣岳の岩峰。混雑にはうんざりだけど、宝剣岳には登りたい。

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仕方なく引き返しましたが、登山道は激混みでした。

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下まで降りると嘘みたいに人がいなくなった。

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登りとは別の遊歩道を歩いて帰りました。

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これぞアルプスという感じの風景。九州ではお目にかかれない山相です。

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よく目を凝らすと、左手の白い帯状の登山道にハイカーの姿が見えます。

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千畳敷から宝剣岳を見上げる。
2020.09.16 Wed l 山行 l top ▲
伊勢谷友介が大麻取締法違反の疑いで逮捕されましたが、さっそく芸能マスコミは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式のバッシングに狂奔しています。それは、まさに狂奔ということばしか見つからないほど常軌を逸しています。

こういったセンセーショナルなバッシング報道に対して、疑義を唱える声がほとんど聞こえてこない今の状況は、どう考えても異常です。

大麻で芸能人を逮捕して大騒ぎするのは、先進国では日本だけと言った人がいましたが、一罰百戒の見せしめのために、逮捕された芸能人をさも重罪人のようにバッシングするメディアがその片棒を担いでいるのです。これでは、日本においては、他の先進国では常識ですらある大麻に対する冷静な議論も、夢のまた夢と言えるでしょう。今にはじまったことではありませんが、この国には「自由な言論」がまったく存在しないのです。

菅義偉の総裁選立候補の記者会見を見学した宮台真司は、東京新聞の望月衣塑子記者の質問を菅と一緒になって嘲笑していた会見場の記者たちについて、「あさましくさもしい」と下記の番組でこき下ろしていましたが、権力の監視どころか、権力の番犬(忠犬?)に成り下がったメディアのテイタラクは、なにも芸能マスコミに限った話ではないのです。

マル激トーク・オン・ディマンド
安倍政権の検証(1)
日本の民主政治を変質させた責任を問う


若い世代ほど安倍内閣の支持率が高く、20代(男性)では60%近くが「支持する」と答えたという数字さえあります。どうしてなのか。それは、物心ついたときからずっと安倍政権が続いているので、若者たちは安倍政権しか知らず、そのため安倍政権が政治のスタンダードになっているからだと宮台真司は言っていましたが、さもありなんと思いました。まるで長期独裁政権下の国民のようです。

しかし、政権を牛耳るのは、安倍・麻生・二階・菅など傲岸不遜でいかがわしい爺さんたちです。どう見ても「くそジジイ」です。ところが、今の若者たちは、そんな老いてもなお権力に汲々とする利権まみれの爺さんたちを「くそジジイ」呼ばわりするどころか、「凄い!」などと言って称賛しているのです。私たちの感覚からすれば驚くべきことです。

それは、若い政治記者たちも同じです。ジャーナリストの矜持などどこ吹く風で、政治家に気に入られサラリーマンとして栄達の道を歩むことしか念頭にないかのようです。一握りの老害政治家が牛耳る、文字通りの前時代の遺物のような今の政治をおかしいとも思わないのでしょう。彼らは、老害政治家にたかる銀バエのようで、ただ忖度しておべんちゃらな質問をくり返すだけです。

今ほど若者が権力や権威に弱く、事大主義的になった時代はないように思います。毛沢東ではないですが、いつの時代も革命の主役は若者でした。しかし、今は若者がアンシャン・レジュームになっているのです。もっとも、自分より強いものにはヘラコラする一方で、同輩や目下に対しては結構えげつなくて計算高いのも彼らの特徴です。競争に勝つためには手段は二の次で、卑怯なことも厭わないのです。

よく言われるように、日本は経済的に没落し余裕がなくなったので、座る椅子も少なくなっており、そのため、朝夕の通勤電車と同じで、サークル内の椅子取り合戦(ポジション取り)も熾烈をきわめているのです。まして、新聞社やテレビ局などは、誰しもが認める”限界企業“です。そう考えれば、権力にすり寄る「あさましくさもしい」記者が多いのも、当然と言えば当然かもしれません。

仕事先の知人は、大倒産・大失業・大増税の時代が目前に迫っているのに、「日本ではどうしてアメリカのように暴動が起きないんだろう?」と不思議がっていましたが、たしかに日本では、暴動どころか、政権批判する人物をSNSや電凸で攻撃する、”現代版アカ狩り”に動員されているのがオチです。日本の若者たちは、椅子にふんぞり返って国民を見下し、「日本を、取り戻す」(自民党のポスター)という掛け声とは裏腹に、ネオリベラリズムに拝跪して日本を切り売りしている老害政治家に対して、「がんばれ!」「日本を守ってくれてありがとうございます!」と拍手喝さいを送っているのです。そのトンチンカンで倒錯した感覚にも驚くばかりです。

そして、若い記者たちも、老害政治家と一緒になって、政権にまつろわぬ目障りな記者を嘲笑し、その記者の質問権を奪うことに手を貸しているのです。そうやって、政治を私物化して総理大臣をたらいまわしする与党の派閥のボスたちに忠誠を誓い、みずからのポジションを守っているのでしょう(正確に言えば、守っているつもりなのでしょう)。

芸能記者も政治記者もみんな、「あさましくさもしい」同じ穴のムジナなのです。
2020.09.09 Wed l 社会・メディア l top ▲
松任谷由実が、安倍首相が辞任表明した日の深夜のラジオ番組で、「見ていて泣いちゃった。切なくて。安倍夫妻とは仲良し。同じ価値観を持っている」などと発言したことに対して、白井聡氏がフェイスブックに「荒井由実のまま夭折(ようせつ)すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいい」と書き込んだことが波紋を呼び、白井氏が謝罪するはめになったというニュースがありました。

デイリースポーツ
ユーミン批判の白井聡氏が謝罪ツイート「自身の発言の不適切さに思い至りました」

もっともこれは、例によって例のごとく、橋下徹が白井氏の発言を見つけて、思想警察よろしくネットに晒したことに端を発して、拡散&炎上したものです。橋下とメディアと安倍応援団による見事な連携プレーと言うべきで、彼らはしてやったりとほくそ笑んでいることでしょう。

ユーミンの発言に対しては、ユーミン同様安倍昭恵夫人とお友達の三宅洋平が、ツイッターで秀逸なツイートをしていました。

三宅洋平ツイート2018年9月3日
https://twitter.com/MIYAKE_YOHEI/

私は以前、酒井順子が『ユーミンの罪』で、ユーミンの歌について分析していた「助手席性」に関して、このブログで次のように書きました。

ユーミンの歌の主人公たちは、「中央フリーウェイ」のように、助手席にすわり、助手席の自分に満足している場合が多いのですが、しかし、それは必ずしも受け身な「古い女性」を意味しません。女性たちは「選ばれる人」ではなく「選ぶ人」なのです。どの助手席にすわるのかを「選ぶ権利」は、あくまで自分にあるのでした。


「選ぶ人」については、もう少し説明が必要だったかもしれません。

ユーミンが描く世界の女性たちは、華やかに時代を享受しながら、専業主婦として安定したプチブルの人生を送ることができるような相手を探し求める、したたかで計算高い女性たちです。そのためのアイテムとして、性を排除したお伽噺のような恋愛やカモフラージュされた生活感のない日常やそれを彩るさまざまなブランドが存在するのです。

そんなユーミンが安倍夫妻と「仲良し」になったのは当然かもしれません。ファーストレディの昭恵夫人こそ、究極の専業主婦と言えるでしょう。しかし、その安倍夫妻は、(おしどりマコに言わせればこれもヘイトになるのかもしれませんが)一皮むけば、夫婦ともどもいいとこの出だけど学業不振で生来の嘘つきでカルトにいかれた、ユーミンの歌に出てくる登場人物とは程遠いイメージの人間なのです。とても「ドルフィン」でソーダ水を飲みながら、物憂げに海を見ているようなおしゃれでナイーブな人たちではないのです。かたや憲法改正して天皇親政による戦前のような国家の再建を主張し、かたや「波動」や「気」を信じオカルトに心酔する、アナクロを絵に描いたような夫婦なのです。

白井聡氏が口を滑らせたのも、自身も書いているように、安倍夫妻と「同じ価値観を持っている」今のユーミンが醜態を晒しているように見えたからでしょう。もしかしたら、白井氏はユーミンファンだったのかもしれません。それで、ユーミンの発言に愕然として思わず口を滑らせたのかもしれません。

ユーミンの若作りの厚化粧の下にあったのは、目を背けたくなるような老残の姿だったのです。小林幸子には申し訳ないけど、最近のユーミンがますます”小林幸子化”しているのも頷けようというものです。


関連記事:
酒井順子『ユーミンの罪』
2020.09.04 Fri l 芸能・スポーツ l top ▲
安倍首相の政権投げ出しに対して、今回は前回のような批判が影を潜めています。やったことは同じでも、それに対する反応はまったく違ったものになっているのでした。

たとえば、立憲民主党から参院選に出馬したこともある芸人のおしどりマコは、安倍首相に対する石垣のりこ議員のツイートに対して、みずからのツイッターで、次のように批判していました。

おしどりマコツイート2020年8月28日
https://twitter.com/makomelo/status/

でも、私は、このツイートの意味がよくわかりません。私たちは、潰瘍性大腸炎という病気に罹ったことを批判しているのではないのです。まして、病気が自己責任だなどと言っているわけではありません。持病を抱えながら、二度に渡って権力の座を欲したその無責任な姿勢を批判しているのです。その結果、二度も政権を投げ出して、“政治的空白”をもたらすことになったのです。そもそも、この”非常時”に国会を開かなかったのも、病気の悪化で安倍首相自身が躊躇したからかもしれません。

石垣議員も、持病で政治を停滞させることがわかっていながら、二度に渡って権力を欲し、同じことをくり返したその姿勢が無責任だと言いたかったのだと思います。それを立憲民主党執行部は、「不適切発言」と断じ、謝罪と削除を命じたのでした。

内閣総理大臣というのは、一般市民とは違うのです。公人!なのです。サラリーマンやOLとは、立場がまったく異なるのです。

公人!である安倍首相の病気を、サラリーマンやOLの病気と同じように考えると、大きな錯誤を招くことになるでしょう。それは、最高権力者の健康が第一級の国家機密だと言われる理由を少しでも考えればわかることです。

もっとも、安倍首相の病気に関しては、第一級の国家機密であるはずなのに、どうして千駄ヶ谷の慶応大学病院に検査に向かうのがバレバレだったのかという疑問があります。普通は誰にも知られないように検査を受けるはずでしょう。安倍首相の病気は、辞任を軟着陸させるためのストーリーだったんじゃないかという見方がありますが、その後の流れを見ると、あながち的外れとは言えないんじゃないかと思ったりもします。

前回は、「政権を投げ出した」と批判していたメディアが、今回はまったく逆に同情的な報道に終始し、それが辞任後すぐに、安倍内閣の支持率が55%に急上昇し、安倍政権を「評価する」が71%に上ったという世論調査(朝日新聞社が2、3日に実施した世論調査)に表れているのです。次期首相にふさわしいのは誰かという質問でも、「菅氏」と答えたのがいちばん多かったそうです。まさに衆愚としか言いようがありませんが、世論とはそういうものでしょう。

この世論調査の結果は、総理大臣を自分たちの都合のいいようにたらい回しする、派閥のボスたちのやり方を実質的に追認したと言えるでしょう。安倍辞任に同情的な報道に終始したメディアがそう仕向けたのです。やることなすこと全てが裏目に出る、政治的行き詰まりによる支持率低迷から見事なまでに流れが反転しているのです。なんだかおかしな(この国のメディアにありがちな)政治の力がはたらいているような気がしてなりません。

安倍辞任に対するメディアの報道は、まるで独裁国家のそれのようですが、おしどりマコの発言もそんなメディアと軌を一にしていると言えるでしょう。

「言論の自由などない。あるのは自由な言論だけだ」と言ったのは、おなじみの竹中労ですが、たとえば、「言論の自由」のいかがわしさを考える上で、(安倍辞任とは直接関係がないけど)下記の朝日の記事などは好例です。いいように憎悪を煽ってきたくせに、憎悪の相手から反撃されると、途端に仮面ライダーのように民主主義者に変身するのは、彼ら差別主義者の得意芸です。でも、おしどりマコはそのカラクリを見抜くことはできないのでしょう。もしかしたら、ものごとの本質を隠蔽し差別主義者に逃げ場を与える、こういうメディアのオブスキュランティズム(両論併記の曖昧主義)を、民主主義のあるべき姿と思っているのかもしれません。

朝日新聞デジタル
炎上した三浦瑠麗さんのCM 「左右問わず排除激しく」

安倍政治がもたらしたのは、ヘイトの蔓延と格差の拡大と政治の私物化です。おしどりマコのように「公」と「私」を混同し「情緒」で政治を語るようでは、今の世も末のような衆愚政治を「理会」(©竹中労)することはできないでしょう。それどころか彼女のツイートは、野党もまた、この世も末のような衆愚政治に組み込まれていることをいみじくも証明しているように思えてなりません。
2020.09.04 Fri l 社会・メディア l top ▲
昨日の朝、駅の近くにあるスーパーに行ったときでした。そのスーパーは私の行きつけで、Tポイントカードもそのスーパーで作ったほどです。

どこのスーパーもそうですが、そのスーパーでも、感染防止策でソーシャルディスタンスを取るべく、レジごとに床にラインが引かれてお客を誘導するようになっています。

昨日は、月初めの売り出しがあったみたいで、いつになく朝からお客でいっぱいでした。もっとも、お客の多くは年配者でした。

レジは5~6つくらい開いており、それぞれに長い行列ができていました。普通は、銀行のATMにあるようなフォーク式の並び方をするものですが、スーパーの構造上それもできないみたいで、行列はレジごとに商品の棚の奥に向かって延びているのでした。そのため、後ろに並ぶと隣の行列が長いのか短いのかもわからず、途中で短い方の行列に変わることもできないのです。

私は、ひと通り買い物を済ませると、重い買い物カゴを手にして商品棚の奥から行列の具合を確認しました。中にはかなり長く伸びている行列もありましたが、たまたまひとりしか並んでない行列があるのに気付いて、「ラッキー!」とばかりにその行列に並びました。

レジではひとりのお客が精算の最中でした。レジ係は、そのスーパーでは今まで見たこともない若い男性です。ところが、前のお客の精算が済んだので、私の前に並んでいたおばさんがレジに呼ばれるものと思っていたら、隣のレジの列に並んでいた別のおばさんが呼ばれて、レジで精算をはじめたのです。でも、隣のレジも女性のレジ係がいてちゃんと精算の作業を行っています。

それで私は、「おかしいんじゃないの?」と大きな声で抗議しました。すると、レジ係の男性は「この人たちの方が先なんですよ」と言うのです。先がどうか、そんなことは知らんがなと思いました。私たちは、列に割り込んだわけでも、列を無視したわけでもないのです。

「先かどうか知らないけど、その人は隣のレジの人でしょ。そんなこと言っていたらラインは意味がないじゃん」と言いました。しかし、レジ係の男性は私の方を一瞥しただけで、手に持った商品のバーコードを淡々と読み取るばかりでした。

しかも、次のお客も隣のラインから越境して、レジの近くで待機しているのです。なんのことはない、私たちは完全に無視され精算することができないのでした。

要するに、レジが混雑して行列が長くなったので、急遽隣のレジを開けて、行列のお客を二つのレジで捌こうとしているのでしょう。でも、あとから来た人たちはそんなことを知る由もありません。店が決めたルールに従って、レジの前のラインに沿って並んでいるだけです。にもかかわらず、ルールを無視したように扱われるのです。結局、私たちは列を離れて、別の列に並び直すしかありませんでした。

「おかしいじゃないか」と叫んだ私は、傍目には「キレる老人」と同じように見えたかもしれません。スーパーの店員たちも、あきらかに「またか」と言った感じで無視を決め込んでいる風でした。

「キレる老人」と言うと、年を取って頑固になった老人特有の病気、ある種の精神疾患のように言われますが、しかし、昨日の私の経験から、老人たちがキレるのも一理あるのかもしれないと思いました。さすがに「店長を呼べ」とは言わなかったけど、中にはそう言う人もいるでしょう。「店長を呼べ」と言う人の気持もわかるような気がしました。

先日、テレビのワイドショーに、レジ係とお客の間を仕切っているビニールシートを破った老人の動画が流れていましたが(勝手に動画を撮影してそれをテレビに提供したスーパーもおかしいと思いますが)、私はその気持もわからないでもないのです。レジ係の中には、声が小さい人間がいますが、マスクをした上にビニールシートの仕切りがあるのでよく聞き取れないことがあるのです。「エッ?」と聞き返しても、同じようにマスクの奥でなにやらムニャムニャ言うだけです。それでは、ビニールシートも破りたくなろうというものです。

また、そのあと別の列の最後尾に並んだときです。2メートルおきに立ち止まるように指定されたラインが引かれていますが、前のおばさんがいきなり私の方を振り返って、「ちゃんと線の上に並んで下さいっ」と怒気を含んだ声で言うのでした。と言っても、私は、前のおばさんにくっつくように並んでいたわけではありません。足元を見ると、走り幅跳びでフライングをした程度に、靴の半分くらいがラインをはみ出していました。

私は、そのとき先日電車で遭遇した(このブログにも書いた)「社会不安障害」の若者を思い出したのでした。それで、レジのラインのこともあったのでカチッと来て、「うるさいんだよ!」「このくらいでいちいち目くじらを立てるなんて頭がおかしいんじゃないか!」と、お上品とは言えないことばで、前のおばさんを怒鳴りつけたのでした。すると、おばさんは顔を真っ赤にして列を離れてどこかに行ってしまいました。

コロナで世の中がおかしくなっているのです。私もそうなのかもしれませんが、日常的におかしなことがあまりに多すぎます。別にお客様は神様だと言うつもりはありませんが、なんだか妙に店が高姿勢になっているような気がしてなりません。買い物の手順などについて、独自に細かいルールを作りそれをお客に従わせるというのも、コロナ以後にはじまったことです。しかも、昨日のように、そのルールも自分たちの都合で勝手に変更して、それをさも当然のようにお客に強要するのです。

ついでに言えば、ポイントカードも感染防止のためにお客が自分でスキャンしなければならないのですが、カードの差し込み口がレジ係の方にあるため、うまくスキャンできず何度もやり直さなければならないことがあります。そのたびに、レジ係は目の前のモニターにタッチして操作し直さなければならないみたいで、中にはまるで舌打ちでもするかのように「もっとゆっくり」「それじゃダメ」などと要領を得ない高齢のお客を叱責しているレジ係(多くはベテランのおばさんのレジ係)もいるくらいです。

どうして買い物するのに、こんなに無用にストレスを覚え、無用に卑屈にならなければならないのかと思います。いや、無用にストレスを与えられ、無用に卑屈にさせられているのです。ウイズコロナというのは、なんだか嫌な時代だなと思いました。

帰って、スーパーのサイトに苦情のメールを送ろうかと思ったら、フォームの字数が300字に制限されていました。ツイッターじゃないんだから300字ではとても説明しきれません。それで、バカバカしくなってやめました。

「キレる老人」と嗤うなかれ、大人気ないとお上品ぶるなかれです。何度も言いますが、こういった日常の些事というのは、私たちにとって、案外大事なのです。なぜなら、私たちが生きて行く上で必要とすることばの多くは、こういった日常の些事から獲得したものだからです。
2020.09.02 Wed l 日常・その他 l top ▲
先程のテレビ東京の夕方のニュースで、東京都が高齢者施設や身障者施設の入居者や職員など15万人にPCR検査を実施することを決定し、そのための予算案を今月開会される都議会に提出するというニュースがありました。また、施設の職員に関しては、定期的に検査をする方針にしたそうです。

まだほかのメディアが報じてないので、真偽のほどはわかりませんが、もしこれが事実なら(仮に小池都知事のパフォーマンスであっても)誠に慶賀すべきことと言えるでしょう。

ただ一方で、どうして今頃という気持もぬぐえません。どうしてもっと早くできなかったのか。国も自治体も、今まではPCR検査は一定の偽陰性が生じるので、のべつまくなしに検査しても仕方ないなどと言って、PCR検査をサボタージュしながら、その一方で感染防止を要請するというトンチンカンなことをやってきたのでした。

PCR検査をしても仕方ないなどと言っていたのは日本だけです。だから、日本だけが極端に検査数が少なかったのです。しかも、曲学阿世の御用医学者(専門家)たちが、そういった似非イデオロギーにお墨付けを与えていたのでした。それも日本特有の光景でした。

彼らは検査至上主義は危険だなどと言っていましたが、仮に検査至上主義が危険だとしても、だから検査しないでいいという理屈にはならないでしょう。30%の偽陰性が生じるから検査しても意味がないというのと同じです。シロウトから見ても、まったく「科学的態度」とは言えないのです。

できれば、「感染経路不明」の感染者を少なくするために、30歳以下の若者や通勤電車を利用するサラリーマンやOLたちにも、検査の幅を広げてもらいたいものです。そうすれば、「怖いですねえ」とか言いながら、感染防止などどこ吹く風の無神経な人間たちもいくらか減るでしょう。自分が感染しているかどうかもわからないのに、他人に移す(感染させる)という自覚を持てという方が無理なのです。

山に行くと、登山口に向かうバスなども、密を避けるために、ひとつ置きに座席に✕印が付けられて使用禁止になっていますが、それに比べれば都内の通勤電車は狂気の沙汰です。密とは無縁な山の方がソーシャルディスタンスが保たれているのです。こんなバカげた矛盾があるでしょうか。

だから、この国には無神経と自粛警察(=社会不安障害)の両極端しかいないのです。PCR検査に対する似非イデオロギーをふりまいた行政当局や曲学阿世の御用医学者(専門家)たちが、そういった歪んだ状況を作り出したのです。

その背後には、あきらかに事なかれ主義の(小)役人的発想が存在しているように思います。「マスクを配れば不安がパッと消えます」と進言した経産省出身の首相秘書官などが典型ですが(それを真に受けたこの国の総理大臣もよっぽどですが)、この国の役人はホントに優秀なのだろうかと思います。アベノマスクに見られるような子どもじみた現実感覚しか持ってないのではないか。公務員はよく世間知らずと言われますが、世間知らずというのは間違っても優秀とは言えないでしょう。

遅きに失した感はありますが、この東京都のニュースがホントなら、(小)役人たちもいくらか世間知に近づいたと言えるのかもしれません。
2020.09.01 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
安倍辞任は、メディアに言わせれば、「予想外」「突然の決断」「一人で判断」ということになるのでしょう。ただ、一部に辞任の見方がなかったわけではないのです。しかし、そんな見方も、反安倍の朝日新聞の記者が希望的観測であり得ない辞任を吹聴しているだけと言われ、封殺されたのでした。

そもそも安倍首相の持病悪化を報道したのは、私の知る限り『FLASH』(2020年8月18日・25日合併号)だけです。大手メディアは、あれだけ番記者を配置しながら、安倍首相が慶応大学病院に検査入院(一日入院)するまで、どこも病気悪化を報じていないのです。ホントに病気悪化の情報をキャッチしていなかったのか。だったら、どれだけふし穴、無能なんだと思います。もしかしたら、キャッチしていたけど書かなかったのかも知れません。そうであれば、ことはもっと深刻でしょう。

官邸担当の記者たちに、ジャーナリストを名乗る資格はないのです。記者会見のおべんちゃら質問を見てもわかるとおり、もはや彼らはただの御用聞きにすぎないのです。

そんな彼らが、辞任表明の記者会見においても、なにひとつ突っ込んだ質問ができないのは当然と言えば当然でしょう。病気だから仕方ないとか、不本意な辞任だとか、同情論で報じるのもむべなるかなと思います。誰もフジ・サンケイグループやNHKの幇間たちを笑えないのです。

でも、私は、安倍首相ほど無責任な政治家はいないと思っています。「愛国者に気をつけろ!」と言ったのは鈴木邦男氏ですが、まさに(自称)愛国者の正体見たり枯れ尾花という感じです。メディアは、今回は第一次安倍政権のときとは違うようなことを言っていますが、どこが違うのでしょうか。どう見ても、同じことをくり返したとしか思えません。

安倍政権を批判するあまり、持病(潰瘍性大腸炎)について言及するのはフェアじゃない、同じ病気と闘いながら仕事をしている人たちを傷つけることになるというような声があり、それも安倍批判を封じる口実になっていましたが、「同じ病気と闘いながら仕事をしている」一般のサラリーマンと安倍首相は、立場が全然違います。安倍首相は内閣総理大臣という、この国の政治(行政)を司る公人!なのです。

この国の最高権力者である限り、みずからの持病に対して責任を持つのは当然です。持病の不安がありながら(そのリスクを抱えながら)、あえて二度も内閣総理大臣の座を求めたのは、きわめて無責任と言わねばならないでしょう。これほど国家や国民をみくびった話はないのです。

しかも、安倍首相は、連続在任日数が大叔父の佐藤栄作元首相の記録を抜いて歴代1位になった途端に、辞任を表明したのでした。まるで連続出場記録の更新を餞に引退するプロ野球選手のようです。でも、連続在任日数の記録更新と辞任の関係を質した記者は、誰ひとりいませんでした。みんな、「ご苦労さまでした」というような質問に終始するばかりでした。

このコロナ禍のなかにあっても、考えているのは自分のことだけです。そんな人間の一体どこが愛国者なんだと思います。「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」という石垣のりこ参院議員のツイートは正鵠を得ており、「不適切発言」なんかではありません。第二次安倍政権が誕生した際、安倍首相は「危機突破内閣が誕生しました!」と得意満面に宣言したのですが、まさに危機の真っ只中で、突破どころかまたしても政権を投げ出したのです。コロナ禍で、失業したり倒産したりして苦境に陥っている人たちを尻目に、「ボクちゃん、お腹が痛いから辞めるよ、バイバ〜イ」というのが今回の辞任の真相でしょう。

念の為に、もう一度くり返しますが、安倍首相は「病気と闘いながら仕事をしている」一般のサラリーマンとは違うのです。内閣総理大臣という公人!なのです。しかも、在任中に突然、病気になったわけでもないのです。最初に政権を投げ出したとき(投げ出さざるを得なかったとき)、ホントに公人!としての責任を感じていたなら、同じことをくり返さないでしょう。

安倍首相は、会見で、拉致問題を解決できなかったのが断腸の思いだと言ってましたが、たしかに彼が権力の階段を駆け上ったのも“拉致の安倍”のイメージがあったからでしょう。でも、ホントに解決しようという気持があったのかはなはだ疑問です。彼のヘイトな極右思想と旧植民地である北朝鮮とのデリケートな交渉が相容れないことは、最初からわかっていたはずです。せいぜいが、兵糧攻めにすれば北朝鮮が根を上げて拉致被害者を差し出して来るという、オウム真理教まがいの荒唐無稽な奪還論を主張するのが関の山でした。しかも、拉致被害者の家族もネトウヨと一緒になって、そんな荒唐無稽な奪還論を共有していたのですから、何をか況やです。いいように利用され、騙されたという認識もなく、「安倍さんが辞めるのは残念」「これで拉致問題の解決が遠のく」などと言っている家族たちを見ると、ますます現実から遊離し、カルト化して、孤立の道を歩んでいるようにしか思えません。

辞任しても、解決の道筋をつけていたのなら、それを引き継げばいいだけの話です。ても、そんなものはどこにもないのです。

7年8ヶ月に及ぶ“安倍時代”がもたらしたのは、ヘイトの蔓延と格差の拡大と政治の私物化です。私は、安倍首相については、国会で総理大臣の席から口をすぼめてヤジを飛ばしている、バカ丸出しの姿しか思い出しませんが、そんな姿が不毛な“安倍時代”を象徴しているように思えてなりません。

安倍首相は、内閣総理大臣というまぎれもない公人!なのです。だからこそ、ときには水に落ちた犬を叩くような総括も必要なのです。でないと、小泉政権以後ずっとつづいている、(またぞろ愚劣な復縁劇を演じている連合子飼いの野党も含めた)この世も末のような衆愚政治を終わらせることはできないでしょう。
2020.08.29 Sat l 社会・メディア l top ▲
新宿駅~茅野駅~北八ヶ岳ロープウェイ~【北横岳】~北八ヶ岳ロープウェイ~茅野駅~八王子駅~菊名駅

※山行時間:約3時間(休憩含む)
※山行距離:約4.5キロ
※標高差:250m
※山行歩数:約11,000歩


酷暑を避けたゆるゆる登山の第二弾は、長野県の北八ヶ岳の北横岳です。余談ですが、八ヶ岳という単体の山はありません。山があるのに山梨県と長野県にまたがるひとつの山塊を指してそう言っているだけです。さらに、八ヶ岳を南八ヶ岳と北八ヶ岳に分けているのです。

また、南アルプスや中央アルプスや北アルプスというのは、山域(山脈)をそう言っているだけです。国道246線を青山通りや玉川通りと呼ぶのと同じです。

ちなみに、南アルプスは長野県・山梨県・静岡県にまたがる赤石山脈、中央アルプスは長野県の木曽山脈、北アルプスは富山県・岐阜県・長野県・新潟県にまたがる飛騨山脈のことです。そして、それらを総称して日本アルプスと呼んでいるのです。

なかでも八ヶ岳は、高原リゾート地のブランドになっており、軽井沢や那須と同じように、別荘地として開発されています。

前回の入笠山と同じように、新宿から特急・あずさに乗り、前回の富士見のひとつ先の茅野で降りました。ただ、今回はGoToキャンペーンを利用して前泊しました。

北横岳に登るには、一般的には北八ヶ岳ロープウェイを利用します。最寄りのJRの駅は茅野駅ですが、茅野駅からロープウェイの山麓駅まではバスで1時間近くかかります。そのバスも、本数が少なく、平日だと2時間に1本くらいしか出ていません。しかも、平日はあずさとの連絡が悪く、朝いちばんのあずさに乗っても、茅野駅からは10時すぎのバスしかありません。それだと、ロープウェイの山頂駅に着くのは、午前11時半すぎになるので、いくらゆるゆる登山でも、帰りのロープウェイの時間に追われてゆっくりできないのではないかと思って、前泊することにしたのでした(でも、それは考えすぎでした)。

幸いにもGoToキャンペーンがあったので、ホテル代は35%OFFになり、5千円もかかりませんでした。新宿駅から午後4時20分発のあずさに乗り、茅野駅に着いたのは午後6時すぎでした。

茅野も地方都市の御多分に漏れず、駅周辺にはコンビニもありません。コンビニや弁当店などは、郊外の国道沿いに集中しているのでした。

着いたのがちょうど帰宅時間帯でしたが、駅で見かけるのは高校生ばかりでした。一応駅ビルらしきものもありましたが、閑散としており、階段では高校生のカップルが座り込んで乳繰り合っていました(表現が古い)。その脇をザックを背負ったおっさんが、「すいません」と言って通り過ぎで行くのです。その際、短いスカートの下から露わになった女子高生の太腿が目にまぶしく映りました。おっさんは、いくら年を取っても油断も隙もないのでした。

夕食に弁当を買って行こうかと思っていたのですが、駅のキオスクは既に弁当が売切れ、また駅ビルに唯一入っているデイリーヤマザキも同様に弁当が売切れていました。それで、仕方なく、インスタントラーメンを買ってホテルに向かいました。

翌日は、駅前から出ている午前7時55分発の北八ヶ岳ロープウェイ行きのバスに乗りました。その際、朝飯の弁当を買おうと駅のキオスクに行ったら(デイリーヤマザキはまだ開店前でした)、キオスクではそもそも弁当は売ってなかったのです。売っているのはおにぎりだけでした。

それでおにぎりを2個買ってバスに乗りました。茅野駅から乗ったのは6人でした。そのうち通勤客が4人で、北八ヶ岳に行くハイカーは私を含めて2人だけでした。

もうひとりのハイカーは、帰りのバスも一緒だったのですが、30代くらいの若者でえらく重装備でした。別に、テント泊か何かに備えた歩荷トレーニングというわけでもなさそうで(そもそもトレーニングならロープウェイには乗らないでしょう)、あきらかに場違いなオーバースペックです。見ると、40リットルのザックをパンパンに膨らませていました。

彼は、登山家の竹内洋岳に似た長身痩躯に長髪の風貌で、私は一瞬、竹内洋岳ではないかと思ったくらいです。でも、どこか変わった感じがしました。行きも帰りもそうでしたが、とにかくバスに最初に乗って、いちばん後ろの席に座らなければ気が済まないという感じでした。バスは混んでなかったのでそんなに気に留めることはなかったのですが、バス停はソーシャルディスタンスを守って少し間を空けて並んでいるのをいいことに、平気でいちばん前に割り込んで来るのです。それも、バス停のポールにくっつくようにして立ち、なにがなんでもいちばんに乗り込もうとするのでした。

北横岳に登っている途中に、彼が後ろから来たので、道を譲ったのですが、その際も無言のまま通りすぎて行きました。また、上の方でも降りて来る人が脇によけて道を譲っていましたが、やはり無言のまま通りすぎていました。中には、「こんにちわ」と挨拶する人もいましたが、まったく無視していました。

山にはコミュ障のような若者がよく来ていますが、彼もその類なのかも知れないと思いました。騒音公害のような若者グループの一方で、彼のようなタイプの若者もいるのです。若者でも年寄りでも、変わった人間が多いのも山の特徴です。

ほかに、山頂でスティックで山を指差しながら、ひとりでブツブツ言っているハイカー(40代くらいの男性)もいました。下山時、北横岳ヒュッテのところに七ッ池という標識があったので、七ッ池に寄ってみました。そして、登山道に戻る途中、前から短パン姿の若い女性のハイカーがやってきました。すると、そのあとから、ブツブツ男もやって来たのです。

妄想癖のあるおっさんは、七ッ池には誰もいなかったので、ヤバいんじゃないのと思いました。しかし、その若い女性のハイカーも帰りのバスで一緒だったのですが、別に変った様子はありませんでしたので、おっさんの勝手な妄想だったようです。

何度も言いますが、山では「こんにちわ」と挨拶するので“登山者性善説”のようなイメージがありますが、山には泥棒も痴漢もいます(大言壮語の嘘つきは掃いて棄てるほどいる)。下界と一緒なのです。だから、女性がひとりで山に登るのは、トイレの問題だけでなく、治安の面でも勇気のいることなのです。

茅野駅の標高は790メートルで、奥多摩の高水三山とほぼ同じです。ロープウェイの山麓駅は1771メートルで、山頂駅は2237メートルです。茅野駅から山麓駅までの標高差1000メートルを、バスは1時間近くかけて高原のなかの道を登って行きます。ロープウェイの標高差は466メートルですが、約7分で山頂駅に着きました。

ロープウェイの山麓駅に至る蓼科高原の道沿いは名にし負う別荘地で、有名企業の山荘なども多くありました。また、フレンチやイタリアンやインドなどのおしゃれなレストランの看板も多く見かけました。

中には、「小津安二郎の無藝荘」という看板が掲げられた建物もありました。どうやら小津の旧別荘の建物みたいです。また、近くには「小津安二郎の散歩道」という小道もありました。バカバカしいのですが、これも星野リゾートと同じようなハッタリ商法と言うべきかも知れません。

山頂駅を出ると、溶岩台地に高山植物が群生する坪庭と呼ばれる散策路が広がっていました。また、散策路の途中から、北横岳(2480メートル)の登山道が分岐しています。ロープウェイの山頂駅から北横岳の山頂までは、標高差がわずか250メートル足らずで、コースタイムは1時間強です。

山頂駅周辺は冬はスキー場になっています。山頂駅の建物にも、スキー客のためのさまざまな設備が付設されており、夏場は建物の半分くらいは使われていませんでした。ロープウェイの乗客の大半は、坪庭を散策する観光客で、北横岳に登るハイカーは1割くらいだそうです。

坪庭を訪れる観光客の中には、家族に手を引かれた高齢者もいました。そんな歩行にも苦労するような高齢になっても山に来ているのです。そんな姿を見ると、山国育ちの私はわけもなく感激するのでした。そして、山でよく聞かれる「山っていいなあ」ということばをあらためて思い出すのでした。

山が観光地化されることについてさまざまな意見がありますが、しかし、そうやって体力や身体面でハンディのある高齢者や身障者でも2000メートル強の山にも登ることができるというのは、掛け値なしにいいことだと思います。山というのは、体力的にすぐれた”強者”のためだけにあるのではないのです。先鋭的登山が、ときに翼賛的な全体主義思想と結びついたのも、そこに”強者”の思想が伏在していたからでしょう。日本の登山者の中では未だ”強者”の思想が支配的なのも、登山が戦争犯罪に与した負の歴史に対する検証が疎かにされたからかも知れません。

ただ、ゆるゆる登山と言っても、標高2000メートルを越える高山なので、登山道は岩が剥き出しになった箇所も多く、結構な急登でした。分岐から30分くらい歩くと、ヒュッテ北横岳という山小屋がありました。そこからさらに息を切らして登ると20分足らずで山頂に着きました。

北横岳は、北峰と南峰の二つの山頂をもつ双耳峰で、箱庭から登ると最初に着くのが南峰です。南峰から5分くらい歩くと北峰へ着きます。眺望は南峰の方がすぐれていますが、いづれも目の前には女性的な山容の蓼科山(2531メートル)がどっかりと対峙しています。また、遠くには、南八ヶ岳の硫黄岳・横岳・赤岳・中岳を連ねる稜線や中央アルプスや北アルプスの峰々も見渡すこともできました。

北横岳からは、大岳を経て双子池に足を延ばすこともできますし、蓼科山へ縦走することもできます。また、坪庭に下りてから隣接する縞枯山(2403メートル)や茶臼山(2384メートル)に登ることもできます。いづれも山頂駅からの標高差は200メートル足らずなので、同じようにゆるゆる登山ができるのです。しかし、私は、下山時、坪庭をぐるりと一周しただけで、正午前には山頂駅に戻って来ました。わずか3時間足らずの山行でした。帰りに通った坪庭の出口からは10分も歩けば縞枯山荘がありますが、山荘にも寄りませんでした。

べつにバテたわけでも、足が上がらなかったわけでもないのです。心拍数が上がって身体がだるくて仕方なかったのです。もちろん、標高が高く空気が薄いということもあるのでしょうが、とにかく、モチベーションが低下して、それ以上歩く気にならなかったのです。

先週受けた健康診断でも、前に再検査を指摘された心電図も今回は正常でした。でも、なぜかやたら身体がだるく、山に登っても、前とは疲労の質が違っているのを痛感するのでした。どうも標高が高いという理由だけではないような気がします。

そういった身体の変調も関係しているのか、最近、山に行くと落とし物をすることが多くなりました。前回は、銀行のキャッシュカードを落としました。今回は、カメラのレンズフードと小銭入れを落としました。それも、帰りの電車に乗って初めて気付くようなあり様でした(キャッシュカードは翌日気付いた)。

山頂駅に着いても、茅野駅行きのバスは午後2時55分なので、あと3時間近くもあります。それで、山頂駅にある展望台でアイスクリームを食べて時間を潰し、さらに山麓駅に下りてからも1300円のカツカレーを食べて時間を潰しました。それでも時間を持て余しました。ところが、ふと思い付いて、ネットでバスの時刻表を確認したら、午後1時すぎに茅野駅行きのバスがあったのです。でも、それを知ったのは既にバスが出たあとでした。

ゆるゆる登山とは言え、一応山に登るので、まさか午前中に下山できるとは思ってもみませんでした。また、時間があれば縞枯山にも足を延ばそうと思っていたので、午後1時台のバスなどまったく念頭になかったのです。

結局、バスの時間まで山麓駅の下にあるベンチで横になり、ザックを枕にして昼寝をすることにしました。あとでバス停に行ったら、バス停でもベンチに横になって寝ているハイカーがいました。

茅野駅からは午後4時20分発のあずさに乗って、2時間弱で八王子で下車。八王子からはいつものように横浜線で帰って来ました。あずさも前回に比べて乗客が増えていました。私が乗った車両でも、窓際の席は予約の青ランプが点灯してほぼ埋まっていました。

帰りのあずさのなかでは、なんだか空しさを覚えてなりませんでした。またしても落とし物をしたことに気付いたということもありますが、1泊2日で長野まで行ってわずか3時間足らずのゆるゆる登山で終わったことに対して、なんのために行ったんだろうというような気持になりました。これでは山に登るモチベーションは下がる一方です。

八王子からは、帰宅時間帯だったということもあって、ずっと立ちっぱなしでした。横浜線も見事なほど”密”が復活していました。みんな、どうしてあんなに我先に座席に座りたがるんだろうと思います。通勤電車だけソーシャルディスタンスの”治外法権”に置かれ、曲学阿世の御用医学者たちが「電車内ではみんな同じ方向に向いているので感染のリスクは低いですよ」などと言い、電車内での感染は「感染経路不明」にされるのでした。乗客のPCR検査をしたら、岡田晴恵女史も卒倒するくらいすごいことになるだろうなと思いながら帰って来ました。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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ホテルの部屋。

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茅野駅。

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北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅。

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ロープウェイ内。もちろん、マスクの着用を求められます。

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山頂駅を出ると坪庭入口。

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同上。

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案内板。

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坪庭をめぐる散策路。と言っても、ゴツゴツした岩の道です。

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途中から山頂駅を見渡す。

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登山道との分岐。

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登山道はこのような大きな岩が剥き出した急登が多くありました。

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同上。

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北横岳ヒュッテ。

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残り15分の急登。

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最後の階段を登ると山頂(南峰)です。

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南峰の山頂標識。

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南峰の様子。

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南峰からの眺望。

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南八ヶ岳の山々。

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南アルプス。

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北峰。

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同上。

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南峰に戻って下山します。

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七ッ池。

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山名にもなっている縞枯れ現象。

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坪庭を逆コースで歩く。

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同上。

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同上。

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山頂駅に戻って来ました。
2020.08.26 Wed l 山行 l top ▲
今月でアマゾンプライムを退会しました。と言っても、三浦瑠麗をCMに起用したことに端を発した「#Amazonプライム解約運動」に同調したからではありません。アマゾンのCMに出ている三浦瑠麗を見てびっくりしたのは事実ですが、退会はそれとは関係なく、たまたま8月が更新月だったので更新しなかっただけです。

おそらく5~6年プライム会員だったと思いますが、どうして退会したのかと言えば、もう「安物買いの銭失い」をやめようと思ったからです。「送料無料」をいいことに、どうでもいいような商品をつい買ってしまうという悪癖から抜け出したいと思ったからです。

もっとも、「送料無料」と言っても、4900円の年会費を払っているので、実際は「無料」ではないのです。それに対して、年会費を取らないヨドバシドットコムは正真正銘の送料無料です。アマゾンに対抗しているのでしょうが、心配になるくらい凄いなと思います。

販売価格も、巷間言われるほどアマゾンは安くありません。一見安いようなイメージがありますが、それは中国製のコピー商品があふれているからにすぎません。タイムセールはもちろん、年に一度?おこなわれるプライムセールで安売りされている商品の多くは、その類のものです。

登山用品に限っても、ちゃんとした(という言い方は適切かどうかわからないけど)メーカーの商品は決して安くありません。むしろ、ヨドバシドットコムの石井スポーツより高いくらいです。

にもかかわらず、「送料無料」が頭にあるため、ついついアマゾンにアクセスして、そんなに必要でもないどうでもいい商品を買ってしまうのでした。そうやって、アマゾンプライムの「安物買いの銭失い」の戦略にはまってしまうのでした。

また、よくアマゾンでクレジットカードの不正利用に遭って高額請求が来たという話を聞きますが(有名人のブログなどにその手の話がよく出ていますが)、セキュリティ面でも常に不安がありました。

実際に、私自身もアカウントを盗まれて、中国製の得体の知れない商品の高評価レビューを大量に投稿されたことがありました。その際、カスタマーセンターの“窓口”に問い合わせたら(アマゾンの場合、サイトで“窓口”を見つけるのさえ非常に苦労します)、メールアドレスとパスワードの変更を行ってくださいという木で鼻をくくったような返事が届いただけでした。

また、あるとき、トレッキングシューズを買ったら、箱に記載のサイズと中の靴のサイズが違っていたということもありました。それで、カスタマーセンターに電話して「どうしてそんなことになるんですか?」と訊いたら、「さあ、中を確認してないからじゃないですかね」と言われて唖然としました。

しかも、交換はできず、一旦返品&返金した上で再度購入する方法しかできないと言われたのです。それどころか、購入した際、支払いはクレジットカードで決済したのですが、返金はアマゾンのギフト券(ポイント)になると言うのです。

私にミスがあったわけではないし、私の都合で返品するわけではないのです。これではアマゾン以外のショップで買い替えようと思ってもできないのです。しかも、ポイントは返品処理が終わってからの付与になるので、商品がアマゾンに届いてから数日後になるという説明でした。

それで、頭に来た私は、「アマゾンの対応はおかしい」と抗議のメールを送りました。すると、数分後、アマゾンの担当者から「今、交換品を発送する手続きをしました」とメールが届いたのでした。その“豹変ぶり”にも驚きました。今までのやりとりはなんだったんだと思いました。

ところが、これには後日談もあります。半月くらい経った頃、アマゾンで買い物して支払い手続きをしようとしたら、支払い金額がゼロ円になっているのです。でも、たしかに商品は購入したようになっています。

再度、よく確認すると、支払いはギフト券で済まされていました。まるで狐につままれたような話です。念の為に、「アカウントサービス」のギフト券を確認してみました。すると、驚いたことに、いつの間にか2万円近くのポイントが付与されていたのでした。

そこで初めて、先日あったトラブルを思い出したのでした。実際は商品の交換がおこなわれたにもかかわらず、システム上は返品扱いのままだったので、おそらくルールに従ってギフト券(ポイント)による返金がおこなわれたのでしょう。アマゾンと言えば、GAFAと呼ばれる世界的なIT企業です。どうしてこんなアナログなミスが発生するのかと思いました。

それで、私は、先のトラブルの経緯を説明し、今回の購入した分はあらためて支払うのでどうすればいいか方法を知らせてほしい、とアマゾンにメールを送りました(ついでに、気持が悪いのでギフト券も削除してほしいとも)。すると、当社のミスでご迷惑をおかけしたのでギフト券はそのままお使いください、と返事が来たのでした。

とここまで書いて、相手のミスとは言え、あのとき2万円近くのトレッキングシューズをタダでもらったにもかかわらず、プライムを退会した上に、このようにアマゾンの“悪口”を書いていることに、ちょっと後ろめたさを覚えました。

あだしごとはさておき(誰かの口真似)、「安物買いの銭失い」というのは、貧乏人のあるある話で、言うなれば貧乏人=お金が貯まらない人の習性のようなものです。その意味では、アマゾンはネット時代の新手の貧困ビジネスと言えるのかも知れません。

徴兵制導入を主張する三浦瑠麗がアマゾンのCMに起用された理由を考えると、アマゾンのユーザーに「安物買いの銭失い」の貧乏人が多い(たしかに、私のまわりでも金のないやつに限ってアマゾンのヘビーユーザーだったりします)ことと無関係ではないように思います。堤未果氏が書いているように、アメリカでは貧困層の若者が経済的な理由から軍隊にリクルートされる「経済的徴兵」が多く見られるそうです。

安倍首相は、このコロナ禍にあっても、先月、憲法改正についてのメディア戦略や根回しを早く進めるように、内閣府の長谷川補佐官に指示したそうですが、アマゾンのCMに徴兵制導入を主張する人物を器用したのは、マーケティング用語で言う「訴求性」という点では理に適っているとも言えるのです。
2020.08.20 Thu l ネット l top ▲
新宿駅~富士見駅~富士見パノラマリゾート~【入笠山】~富士見パノラマリゾート~富士見駅~八王子駅~菊名駅

※山行時間:約3時間(休憩含む)
※山行距離:約4キロ
※標高差:179m
※山行歩数:約10,000歩


昨日8月10日は「山の日」でした。と実は、8月10日が「山の日」であることは知っていたものの、「山の日」が祝日だということは知りませんでした。どこかで聞いた台詞ですが、恥ずかしながら、今、このブログを書くに際して初めて知った次第です。

今調べたら、「山の日」の祝日は2016年に制定されたみたいです。どうりで現天皇(浩宮)が、2016年に上高地で行われた「山の日」の式典に家族で参加したわけです。これも日本山岳会の政治力のなせる業なのでしょうか。

「山の日」なので山に行きたいと思って、昨日の朝、新宿駅から7時15分発の特急あずさ71号に乗りました。南アルプスの入笠山(にゅうかさやま)に行こうと思ったからです。

夏の低山は先日の蕨山で懲りたので、標高1995メートルの入笠山だと灼熱地獄とは無縁に山に登ることができるのではないかと思ったのでした。それに、入笠山は麓のゴンドラ駅が既に標高1000メートルで、そこからゴンドラに乗って700メートル超をいっきに上がるので、山頂駅から山頂までは標高差が200メートルもないのです。そのため、約1時間のゆるゆる登山ができると聞いたので、のんびり山を楽しみながら歩きたいと思ったのでした。

特急あずさは、増発され15分おきに出ていました。あずさは普段は1時間に1本なので、臨時便が出ているみたいです。ただ、今年に関しては、お盆の帰省シーズンだからというより、感染防止のため(密を回避するため)という意味合いの方が大きいみたいです。新幹線も増発されているそうですが、あえて赤字便を運行するのですからJRも大変だなと思います。私が乗った午前7時15分発のあずさ71号も臨時便で、ネットのえきねっとで予約したのですが、座席を指定するのにあまりの空席だったので間違いじゃないかと思ったくらいでした。私が乗った車両には数人しか乗っていませんでした。なんだかJRが気の毒に思いました。

反対側のホームから出たひとつ前の7時発のあずさ1号には、結構な数のハイカーが乗っていました。早めに着いたので、ホームの待合室に入ったら、そこにも数人のハイカーが座っていました。いづれも60代くらいの男性のソロのハイカーでしたが、みんな、本を読んで時間を潰していました。なんだか子どもの頃によく見た昔のハイカーを思い出しました。昔は、山に登るのはお金もかかったということもあって、学生や学校の先生などインテリが多かったのです。待合室のハイカーたちは、7時発のあずさの乗車開始のアナウンスが流れると、みんないっせいに出て行き、私ひとりが残りました。

八王子に着くと、ホームにハイカーの姿が多くありましたので、八王子で乗り換えて大菩薩嶺に登る人が多かったようです。

あずさは、2時間15分で長野県の富士見という駅に着きました。富士見は、八ヶ岳連峰の麓にある小さな駅です。富士見駅から無料のシャトルバスに10分ほど乗ると、富士見パノラマリゾートのゴンドラ乗り場に着きました。

シャトルバスは、密を回避するため、座席はひとつ置きに座るようになっていました。そのため、定員の半分しか乗れません。しかし、二台のシャトルバスがピストンで運行されていました。乗る前に必ずマスクを着用し手を消毒しなければなりませんでした。運営母体が第三セクターとは言え、やはり、リゾート施設だからなのか、運転手の方も対応が丁寧で親切でした。日頃、社会主義国家のような市営バスを利用している(利用しなければならない)横浜市民にとっては、まるで別世界のような勤務態度でした。

ゴンドラ乗り場でも、切符を買う際に、感染が発生した場合に備えて名前と住所と連絡先を記入し、手の消毒が義務付けられていました。

富士見パノラマリゾートは、もともとはスキー場ですが、スキー人口が減少したのに伴い、雪のない期間はマウンテンバイクやハングライダーなど、ほかのアウトドアスポーツに力を入れているようです。特に、スキーのゲレンデを利用したマウンテンバイクは盛んなようで、ハイキングの客よりも多いくらいでした。地元の人に聞くと、入笠山(富士見)は今や国内でも有数のマウンテンバイクのメッカになっており、愛好家の間では有名なのだそうです。

ゲレンデのリフトは、マウンテンバイク専用になっていました。ゲレンデを走るのは、子どもや初心者なのだとか。上級者向けには、ゴンドラに乗って山頂駅の1780メートルの地点から麓のゲレンデまでいっきに下るコースがあるのだそうです。ゴンドラ乗り場でも、私の前にはマウンテンバイクを押したヘルメット姿の中年女性が並んでいました。また、帰りの時間になると、ゴンドラの乗り場は、ハイキング客に代わってマウンテンバイクの若者たちに占領されていました。

昨日の入笠山には多くの家族連れがハイキングに来ていましたが、登山者の高齢化はどこでも深刻な問題です。しかも、何度も言いますが、あと10年もすれば、登山人口の30%を占める多くの高齢者は山に行くことができなくなるのです。一方、入笠山のマウンテンバイクは、逆に若者や子どもが多く、あらためて登山がアウトドアとしては過去の遺物になっている現実を痛感させられた気がしました。「山の日」の祝日化に浮かれている場合じゃないのです。

ゲレンデでは、ハングライダーの講習も行われていました。山頂駅の先にはハングライダーの滑走場も設置されているのでした。

山頂駅の周辺には、山野草公園や湿原がありました。登山道と言えるのは、湿原を越えたあたりからです。後半の15分くらいにかなりきつい急登がありますが(その15分が長かった)、でも、小さな子どもも登っていました。また、家族連れやお年寄りの中には、山頂に登らずに山野草公園や湿原を散策している人も多くいました。ゴンドラはペットも可なので、犬を連れている人も多く、急登では、舌を出したワンちゃんがハアハア息をあげながら休憩していました。

私は、携帯用の植物図鑑を持って行ったのですが、ゴンドラの切符を買った際、「入笠に咲く花」というガイドブックを貰いました。ガイドブックには、詳細な花の図鑑が色別に載っており、それと照らし合わせて写真を撮りながら登りました。

ゴンドラに乗る場合も、マスクの着用と手の消毒が必要でした。しかも、ゴンドラは8人乗りですが、知らない人と乗り合うことはなく、家族やグループ単位で乗るようになっていました。私の場合ひとりでしたので、行きも帰りもひとりでゴンドラに乗りました。

山頂に行くと、多くの人で賑わっていました。四方に眺望がひらけており、標高が高い山の特権を享受することができました。山頂でも特に目立ったのが家族連れでした。みんな、ピクニック気分で弁当を広げていましたが、私は、帰りにマナルス山荘で昼食を食べるつもりだったので、岩場に座って水を飲んだだけでした。後ろの方から、「やっぱり山っていいよねえ~」という声が聞こえてきました。そんな声を聞くと、なんだか私まで嬉しくなるのでした。気温も下界と10度くらい違うようで、蕨山に登ったときのような多量の汗に苦しむこともありませんでした。

今回は、化学繊維のタオルのほかに、山ではタブーとされている綿のタオルを3枚持って行きましたが、綿のタオルは2枚使っただけでした。また、同じように山ではタブーとされている綿の下着の着替えも持って行きましたが、着替えることはありませんでした。

下着やタオルも、山で推奨されている速乾性のある素材のものは水分の吸収がよくないので、かえって綿の方が快適なのです。ただ、綿は速乾性がないので、あくまで着替え用にしか使えません。

帰りのマナスル山荘の昼食は、うっかりして山荘の前を通らないコースを下りたため、食べることができませんでした。そのため、山頂駅に併設されているレストランで、「山賊焼き定食」を食べました。

それにしても、観光地と言うこともあるのでしょうが、事細かに感染対策が取られていて、都内とは雲泥の差です。

行くたびに手の消毒を求められ、全部で5~6回消毒したかもしれません。山を歩くときもずっとマスクをしていました。まわりに人がいないときは顎にかけ、人とすれ違うときに鼻と口を覆いました。ただ汗で濡れるので、替えのマスクも3枚持って行きました。ほかに、携帯用の除菌シートと除菌スプレーも持って行きました。

このように感染防止を求められると、おのずと感染防止に気を使うようになるのです。それが「正しく怖れる」ためのキモです。富士見パノラマリゾートの感染対策に比べると、都内の通勤電車や繁華街などはメチャクチャの一語に尽きます。ここに至っても密などどこ吹く風で、我先に電車の座席に殺到しているサラリーマンやOLたちは、正気とは思えません。小池都知事に至っては、相変わらず「感染拡大」のボードを掲げて感染の恐怖を煽るだけで、有効な感染防止策はほとんど取っていません。再び外出自粛を言い出していますが、自粛なんて誰でも言えるのです。言うまでもなく、自粛は経済的な自殺行為です。そんな安直な方法ではなく、社会経済活動と並行した「正しく怖れる」ための感染防止策が必要なのです。

PCR検査は3割?の偽陰性が生じるので、のべつまくなしに検査しても意味がないと医師会をはじめ医療の専門家たちが言っていますが、そんなことを言っているのは日本だけです。陰性だと思って安心すると他人に感染させる懸念があると言いますが、今のように検査をせず自分が感染していることも知らずに他人に感染させる状況と比べて、どっちがマシかという話でしょう。科学者として(疫学的に)、3割の誤判定と7割の正しい判定のどっちに重きを置くかでしょう。そんなことを言っているから、日本だけ極端に検査数が少ないのです。そのくせ、(桁違いに検査数が少ないにもかかわらず)医療崩壊だけが取り沙汰されているのです。

日本の医療は世界の最先端にある、日本人は優秀、と言うのはホントなんだろうか、もしかしたらそれも「ニッポン、凄い!」の自演乙にすぎないのではないか、と思ってしまいます。

感染防止の無作為を棚にあげて、人々の恐怖心を煽るのは犯罪的ですらあります。そのために、この国には無神経と自粛警察の両極端しか存在せず、「正しく怖れる」知識や対策がなおざりになっているのでした。

下山後は、富士見駅から16時発のあずさ7号に乗り、八王子で横浜線に乗り換えて帰ってきました。


関連記事:
登山の自粛要請とマナーの問題


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富士見駅のホーム。特急あずさを見送る。

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駅前のシャトルバスの乗り場。既にハイカーがバスを待っていました。

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富士見駅。

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シャトルバス。

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富士見パノラマリゾートのゴンドラ地上駅。

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夏のゲレンデ。

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同上。

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ゲレンデの先にゴンドラ乗り場があります。

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お盆休みで尚且つ「山の日」なので、既に長蛇の列。

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ゴンドラの中から前方を眺める。

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後方を振り返ると遠くに街並み。

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山頂駅の出口。

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ハイキングコースの入り口の横にある休憩所。帰りにここでソフトクリームを食べました。

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ハイキングコースの入り口。ここにも係員が立って道案内をしていました。

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入笠湿原。

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同上。

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同上。

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山彦荘。

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マナスル山荘。ビーフシチューのほかにパンも評判です。パンの売り場には行列ができていました。

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御所平。

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岩場コースと迂回コースの分岐。岩場コースを選択しました。

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急登を登りきると、山頂が見えてきた。

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山頂の人々。みんな笑顔でした。

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下山開始。

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帰りのゴンドラから。
2020.08.11 Tue l 山行 l top ▲
池袋駅~飯能駅~名郷~【蕨山】~東飯能駅(泊)~八王子駅~菊名駅

※山行時間:約6時間(休憩含む)
※山行距離:約9キロ
※標高差:718m
※山行歩数:約21,000歩


昨日(8/4)、埼玉の旧名栗村の蕨山(わらびやま)に登りました。西武線池袋線で飯能まで行き、飯能駅からさらに1時間近くバスに乗って、旧名栗村(現在は飯能市と合併)の「名郷」というバス停で降りました。

飯能駅からバスに乗ったのは10人ちょっとくらいでした。そのうち3~4人は地元の通勤客で、残りのハイカーも棒ノ折山の登山口がある「河又名栗湖入口」で降車し、以後、バスの乗客は私ひとりだけになりました。「河又名栗湖入口」から「名郷」までは、さらに20分くらいかかります。

蕨山は、バス停から山頂まで4.5キロです。通常は「名郷」から登り、下りは「河又名栗湖入口」の近くにあるさわらびの湯に降りるか、その逆ルートを歩く人が多いのですが、私は初めての山なので自分のルールに従い、ピストンすることにしました。

私が普段参考にしている某登山アプリのコースタイムでは、上りが2時間半、下りが2時間弱になっていました。このアプリのコースタイムは、自分のペースとほぼ同じなので、登山を計画する際にいつも参考にしています。それで、休憩時間を含めても3時間前後で登れるだろうと思っていました。

しかし、自粛明けでやっと山に登れると思ったのもつかの間、今度は長雨でひと月以上山行が途絶えたので体力が元に戻ってしまったのか、あるいは前夜ほとんど眠ってないことも影響したのか、とにかく最初から息も絶え絶えで休憩時間も入れると山頂まで3時間半近くかかりました。登山道も急登続きで、しかも途中2か所トラロープ(虎柄のような山でよく見るロープ)が設置された岩場もありました。私の感覚では、御前山や川苔山よりきつく感じました。山行中会ったハイカーはひとりだけでした。

ほうほうの体で”山頂”(標高上の山頂ではなく、浅間嶺などと同じような山頂の代わりをしているハイカー向けの展望台)に着いたら途端に眠気に襲われ、ベンチに横になってしばらく眠りたいほどでした。吐き気も覚え持参したおにぎりを食べる気にもなりません。実際にベンチに横になったものの、このまま眠り込んで夕方になったら大変なことになると思って、水を飲み、早々に下山することにしました。登りに予想外に時間がかかったため、帰りに乗る予定だったバスにも間に合いそうもなく、もう残るは最終バスしかなくなりました。

下りもずっと睡魔に襲われ、何度も地べたに座り込む始末でした。下りは2時間ちょっとでしたが、その時間の長いことと言ったらありませんでした。下山して林道に着いた途端、再び地べたに座り込んでしまいました。

岩場だけでなく、転倒したらそのまま崖下まで滑落するような急坂が何ケ所かありましたが、何とか自分を奮い立たせて降りることができました。岩場では慎重を期して後ろ向きで降りました。

林道を20分くらい歩くとバス停に戻ることができます。午後4時46分だかの最終バスまで1時間以上待たなければなりませんでした。ぐったりしてベンチに座わりウトウトしていたら、山で会った唯一の人(40代くらいの男性)が降りて来て、「どうしたんですか?」と訊くので、睡眠不足とこの暑さで疲労困憊だということを話したら、「駅まで送って行きますよ」と言ってくれたのです。その人は車で来ており、バス停の前の駐車場に車を停めていたのですが、私の様子を見て心配して声をかけてくれたようです。ホントにありがたくて、他人(ひと)の情けが身に沁みました。

水は500ミリリットルのペットボトル3本と、凍らせた経口補給水のゼリーを2個、それにアミノバイタルを1個持って行きましたが、それでも足りないほどでした。汗がとどめもなく噴き出して、全身が水をかぶったような状態で、下山してからも汗が止まらず、ベンチに座っていてもまるでおしっこを漏らしたようにベンチがべっとり濡れるほどでした。

車で八高線の東飯能駅まで送ってもらいましたが、とてもじゃないがこのまま八高線と横浜線を乗り継いで帰る気力もなく、とにかくこの睡魔を満たしたい気持でいっぱいでした。それで、ブッキングドットコムで駅近くのビジネスホテルを予約して、そのままホテルにチェックインすることにしました。

ホテルの部屋に入るなり、文字通りベットに倒れ込み、爆睡しました。午前0時近くに一度目を覚ましてシャワーを浴び、そのあと再び眠って、次に目を覚ましたのは翌日の午前7時すぎでした。

午前9時すぎにホテルをチェックアウトして、いつものように八高線と横浜線を乗り継いで帰宅したのは午前11時すぎでした。帰りの電車は既に通勤時間帯をすぎていましたので空いており、ずっと座って帰ることができました。

それにしても、蕨山に苦戦したことのショックは大きく、今後の山行に対しても不安を抱かざるを得ません。

真夏に低山を登る大変さと、しかも睡眠不足で登った無謀さを痛感させられました。いつまでも若いんだという勝手な(思い上がった)意識に対して、ものの見事にシッペ返しを受けた感じです。少しでも山から遠ざかるとすぐ体力が衰えるのは、それだけ年を取った証拠なのでしょう。そういった自分を素直に認める必要があるのです。

突飛な話ですが、石田純一が新型コロナウイルスに感染して2ヶ月近く入院と自宅療養を余儀なくされた話を思い出しました。完治したあとの記者会見で、彼は、2ヶ月間外を歩くことができなかったので、歩くのもままらないほど筋力が衰えてしまいショックだったと言っていました。ところが、ほどなくゴルフを再開し、挙句の果てには(ウソかマコトか)コンペ後の食事会で「美女をお持ち帰り」したと芸能マスコミから報道されていました。

喉元すぎれば熱さも忘れるとはよく言ったもので、私も石田純一を笑えないのです(とここまで書いて、石田純一を持ち出したのは適切だったかなという疑問を持ちましたが)。別に年寄りらしくあれと言うのではないのですが、もっと自分の体力や自分の年齢に謙虚にならなければならないのです。つくづくそう思いました。


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バス停の横の指導標。

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橋を渡って林道を歩きます。

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林道の突き当り。ここから右に下りて沢を渡り登山道に入りました。下り口がわかりにくくて、唯一山で会った人は、林道をそのまま進んで道に迷ったと言っていました。

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登って来た林道を振り返る。

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登山道に入るとすぐ渡渉。数年前の写真を見ると、丸太で作った橋があったようです。台風で流されたのでしょう。

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登山道は少し荒れています。

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こんな石があったのでしょうか。私もお賽銭をあげて手を合わせました。

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崩落している箇所もあった。

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二度目の渡渉。

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ここから急登になりました。

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ほぼ半分まで来ました。ここまでは順調だったのですが‥‥。

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しばらく尾根道を歩く。

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初めて眺望のいい場所に出ました。

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最初のロープ。

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登りきると、次の眺望のいい場所がありました。

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旧名栗村の集落が遠くに見えます。

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岩場が多くなりました。

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上から下を見下ろしたところ。帰りにこれを下るのかと思うと嫌になります。

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山でよく見かける昭和のギャグ。

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尾根道も細くなりました。

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注意書きも多くなりました。

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やっと稜線に出た。

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展望台の山名標識。

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展望台の様子。夏の午後なので眺望は望めません。

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同上。既に吐き気がしてフラフラでした。

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帰りに岩場を再び上から見下ろす。

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やっと林道まで降りてきた。道ばたにへたり込んで撮った写真。

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「名郷」バス停。

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ホテルの部屋。
2020.08.05 Wed l 山行 l top ▲
山に行くようになって、ときどきYouTubeにアップされている登山の動画を観るようになりました。行く予定の山のアクセスや登山道の状況を確認するという目的もあるのですが、ただ山の情報に関しては、YouTubeより登山愛好家のブログなどの方が全然参考になります。

いわゆる登山系ユーチューバーの動画は、必要以上に手が加えられ動画のイメージにこだわったものが多く、実際に山に行く上ではあまり参考になりません。それもシロウト感覚の編集なので、鼻白むことも多いのです。

実際は「なぜ来たんだろう」とか「もう帰りたい」とかそんなネガティブな気持と戦いながら、ハアハア息を弾ませ鼻水を垂らして登っているはずなのに、そんな素の部分は微塵も見せないのです。

若いユーチューバーの動画ほどその傾向が強く、きれいでカッコいいシーンで構成されたものが多いのです。そして、そんな動画から垣間見えるのは、”あざとさ”です。既に一部のユーチューバーの動画には、「企業案件」と呼ばれる、登山メーカーとタイアップしてギアなどを紹介する動画も存在していますが、これは一時問題になったステマのYouTube版のようなものです。

ホントに山が好きなんだろうか、山に登ることを楽しんでいるんだろうかと思ったりしますが、もとより彼らには、はなからそんな感覚はないのかもしれません。山が好きだから動画を撮ったというより、お金を稼ぐ素材として山を選んだと言った方が適切なのかもしれません。

しかし、現実には登山関連のマーケットは非常に小さく、登山系ユーチューバーとして生活するのは至難の業です。あてがはずれたお金目的のユーチューバーは、早晩、YouTubeを投げ出してフェードアウトするのがオチのような気がします。あるいは、キャンプなどの方がまだしもマーケットが大きいので、同じアウトドアでも他に方向転換するか、どっちかでしょう。

結局、ユーチューバーとして残るのは、それなりにかわいい顔をした若い女性が顔出している動画だけ、という身も蓋もない話になるのかもしれません。若い女性の動画なら、登山と無縁なスケベーなおっさんも観てくれるからです。実際に、女性ユーチューバーの中には、どう見ても”中の人”にプロデュースされているとしか思えないような、”アイドル志向”の人物も登場しています。

ただ、『ランドネ』あたりで”元祖山ガール”として売り出された四角友里や仲川希良などは(あまり詳しくないので二人しか名前が出て来ませんが)、まだしも”あるべき登山“に拘る従来の登山スタイルを保持していますが、今の”アイドル志向”の女性ユーチューバーには、そんな拘りはまったくありません。むしろないことがウリになっているのです。それは、男性のユーチューバーも同じです。

でも、一方で、お金に対する欲望は臆面もなく剥き出しなのです。ヤフオクやメルカリの転売に象徴されるように、シロウトぶっているけどお金には結構えげつない、そういった二律背反もネットの特徴です。

YouTubeがいつの間にか”向銭看”たちの欲望が渦巻く場になったのに伴い、ネット通販と同じように、金を掘る人間より金を掘る道具を売る人間の方が儲かるという、シロウトの浅知恵に付け込んだ“ここを掘れワンワン商法”の草刈り場と化していったのは、当然の成り行きでしょう。

しかも、(何度も言いますが)登山関連のマーケットはあまりに小さく、しかも先細りになるのは目に見えているのです。

5年に一度実施される総務省統計局の「社会生活基本調査」の平成28年版によれば、15歳以上で登山・ハイキングに行った人は、972万7千人(男性494万5千人、女性478万2千人)だそうです。

総務省統計局
登山・ハイキングの状況-「山の日」にちなんで-(社会生活基本調査の結果から)

これだけ見ると、すごい数字のように思うかもしれませんが、これはあくまで年間1回以上登山やハイキングに行った人の数です。登山やハイキングを趣味にする人の数ではないのです。

年齢別で多いのは、やはり60歳以上の高齢者です。男性では、65~69歳がもっとも多く、全体の13.2%、次に60~64歳の12.7%。女性は、60~64歳が12.0%でもっとも多く、次が55~59歳の11.0%です。60代以上の高齢者に限って言えば、男性が36.8%、女性が30.4%を占めています。

マーケティングの年齢別区分に数字を置き換えてみると、以下のようになりました。

男性
M1層(20~34歳)25.5% 平均行動日数5.2日
M2層(35~49歳)19.6% 5.3日
M3層(50歳以上)61.5% 11.8日

女性
F1層(20~34歳) 27.9% 5.3日
F2層(35~49歳)20.1% 4.7日
F3層(50歳以上)43.3% 7.1日

実際に山ですれ違う登山者たちと比べると、これでも若い人の割合が高いように思いますが、この数字はあくまで年間1日以上登山やハイキングに行った人の割合なので、実際と乖離があるのは当然でしょう。

何度も言いますが、あと10年もすれば、男性で36.8%、女性で30.4%を占める高齢者の多くが山に行くことができなくなるのです。いや、その前にコロナ禍で山登りをやめる高齢者が続出する可能性だってあるでしょう。ポストコロナでいろんな業界の風景が一変するのではないかと言われていますが、登山も例外ではないような気がします。高尾山や御岳山や大山などを除けば、山が閑散とするのは目に見えているように思います。奥多摩駅や武蔵五日市駅のバス停の行列も、そのうち見られなくなるかもしれません。

山ガールブームも今は昔で、山ガールの年齢層も(既に山ガールとは言えないほど)上昇しているのは、山によく行く人間なら気付いているでしょう。つまり、後ろの世代が山に来てないのです。しかも、山ガールたちは、奥多摩で言えば、せいぜいが大岳山か三頭山か高水三山くらいで、それ以外の山に足を踏み入れることはほとんどありません。また、丹沢(神奈川)では、大山以外に表尾根で少し見かけるくらいです。奥武蔵(埼玉)や奥秩父も、棒ノ折山以外はほとんど見かけません。もっとも、年間5日前後の山行(?)ではそれが現実なのかもしれません。

こう考えると、一攫千金を夢見る登山系ユーチューバーのアクセス数が思ったほど伸びず、ほとんど自己満足の世界でマスターベーションしているだけというのもわからないでもないのです。趣味でYoutubeをやっている人は別にして、実利を求める彼らが山から遠ざかり、YouTubeを投げ出すのは時間の問題のような気がします。
2020.07.31 Fri l 山行 l top ▲
先日、テレビを観ていたら「帰れマンデー」で、レギュラーのサンドイッチマンがゲストの大谷亮平と渡辺直美と一緒に、檜原街道を歩いているシーンが放送されていました。また、今週の「じゅん散歩」は奥多摩が舞台です。さらに、「アド街」も、近々奥多摩を特集するという話があります。

ついこの前までは、観光客が来るのは「迷惑だ」「怖い」と言っていたのに、この変わりようには唖然とするばかりです。しかも、奥多摩の住民が怖れていた東京の感染者は、「迷惑だ」と言っていた頃に比べても全然減ってないのです。

要するに、彼らは、何の見識もなく、政府が言っていることにただ唯々諾々と従っているだけなのでしょう。緊急事態宣言が出されて、外出自粛が叫ばれていたので、それに従って「迷惑だ」「怖い」と言っていただけで、政府が社会経済活動の再開に方針転換したら、今度は「観光客いらっしゃい!」と桂三枝みたいなことを言い出したのです。「じゅん散歩」では、村長まで出演して檜原村の観光を売り込んでいましたが、ついこの前まで、観光客を閉め出すために駐車場を閉鎖していたのは、どこの誰だと言いたくなりました。

私にとって奥多摩は、山登りでずっと通っていただけでなく、自分の田舎に似たところもあって、ことのほか愛着があります。テレビに出て来るのもおなじみの風景ばかりで、「やっぱり奥多摩っていいなあ」とあらためて思います。

しかし、一方で、この奥多摩の人たちの手のひら返しに対しては、じゃあ、あのとき駐車場だけでなく林道や登山道まで閉鎖して、観光客だけでなく登山客まで閉め出したのは一体なんだったんだと言いたいのです。新型コロナウイルスを巡る状況は何も変わってないのに、彼らの態度はわずかひと月半で一変したのです。

もっとも、これは奥多摩の人たちに限った話ではありません。日本の大衆の原像と言ってもいいものです。その結果、西村秀一氏が言うように、今も戦時中と同じように、私たちの日常は、思考停止した異論を許さない「ファシスト的公共性」に覆われているのでした。

鈴木邦男氏が書いていたように、開戦前、国民は東条英機の自宅に、「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というような手紙を段ボール箱に何箱も書いて送り、戦争を熱望したのでした。ところが、戦争に負けた途端、今度は態度を一変して自分たちは「軍部に騙された」「被害者」だと言い始めたのでした。

今、私たちの前にあるのも、それと同じ光景です。政府が右を向けと言えば右を向き、左を向けと言えば左を向くだけの大衆。挙句の果てには、憲法で保障された基本的人権さえも「新型コロナウイルスのために」何のためらいもなく為政者に差し出す始末です。さらに言えば、「ファシスト的公共性」の旗振り役を左派・リベラルの野党が担っているという(戦争前と同じような)末期的光景さえあるのです。
2020.07.30 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
今日のテレ朝の「モーニングショー」では、東京の足立区で施行された歩きスマホ禁止条例の話題を取り上げていました。

足立区の条例では、ゲームはもちろん、地図も音楽も通話も全て禁止にしているのだそうです。それに対して、共産党の女性区議が、一方的に私権を制限するのは問題で、もっと区民の意見を聞くべきだと反対意見を述べている場面が出ていました。

また、若い男性の区議も、スマホやスマートウォッチで心拍数や血圧をはかったりすることがあり、条例はそういった最先端のITテクノロジーの活用を制限することになると反対意見を述べていました。

街頭インタビューでも、地図や音楽や通話まで禁止するのはやり過ぎだとか、夜、痴漢に遭わないために電話をかけている真似をすることがあるけど、それもできなくなるので困るというような若い女性の意見を取り上げていました。

まったくバカバカしいとしか言いようがありません。アホな人間たちのアホな屁理屈、その一語に尽きます。いちいち取り上げるのさえバカバカしいのですが、スマホで地図を見るのなら立ち止まって見ればいいだけの話です。私は、山に登るとき、以前はスポーツウオッチで心拍数をはかっていましたが、心拍数をはかる機能のない時計に変えてからは、スマホのアプリで心拍数をはかっています。その際も(山の中でさえも)、立ち止まってはかっています。また、休憩時にはオキシメーターではかることもあります。

街中を歩いていて心拍数や血圧をはかる人間がどれだけいるのかわかりませんが、別に歩きながらはかる必要などないでしょう。立ち止まってはかればいいだけの話です(言えば言うほどバカバカしくなる)。

通勤時間帯は特に歩きスマホが多く、もしかしたら30~40%の人間が歩きスマホをしているかもしれません。すれ違う際、スマホの場面をチラ見すると、大半はゲームかSNSかYouTubeです。心拍数をはかっている人間なんて見たことがありません。

朝や夕方の通勤時に駅の階段や狭い舗道で、後続者を堰き止めてノロノロ歩いている人間がいますが、それは決まって歩きスマホの人間です。また、歩きスマホの人間とぶつかりそうになることも多く、非常に危険です。迷惑以前の問題として危険なのです。私自身は、歩きスマホなんて怖くてできませんが、それを日常的に平気でやっている人間たちの感覚には疑いを持たざるを得ません。

歩きスマホ禁止を私権制限と捉える共産党区議の如何にも左翼特有の教条主義は、噴飯ものと言わざるを得ません。新型コロナウイルスに伴う「ファシスト的公共性」には目を瞑り、歩きスマホ禁止をあたかも人権侵害のように言い立てるそのヘタレな姿勢こそ、「大衆迎合主義」=ポピュリズムと呼ぶべきでしょう。私は、共産党区議の発言を聞いて、昔、評論家の大野明男氏が、民青の運動方針について、「欲望のナチュラリズム」ということばを使って批判していたのを思い出しました。

それは、スタジオで共産党区議と似たようなコメントを発していた、元朝日社員の浜田某という女性コメンテーターも同じです。彼女もまた、ただリベラルを装っているだけで、何も考えずに発言しているのでしょう。宮台真司が言うように、「いてもいなくてもどうでもいい」典型的なコメンテーターと言うべきでしょう。

とは言え、足立区の条例には罰則規定がないので、どれだけ効果があるか疑問です。効果をもたせるには、やはり罰則規定を設ける必要があるでしょう。個人的には、足立区や大和市だけでなく横浜市でもどこでも、全国の自治体で歩きスマホ禁止条例ができることを願わずにはおれません。

それどころか、歩数計のような技術を応用して、歩行中に操作できないような装置をスマホに組み入れるべきではないかと思ったりします。トランプのモノマネでTiktokを禁止する前に、歩きスマホができないスマホの開発を提唱すべきなのです。たかが歩きスマホと言うなかれで、歩きスマホは単にマナーだけの問題ではないのです。

歩きスマホをしている人間と、感染防止の意識の低い無神経で「どうしょうもない人間」が重なるのは、少しでも考えれば誰でもわかることでしょう。こういった日常にへばり付いている瑣末な問題こそ大事なのです。いわゆる知識人や文化人と呼ばれる人の中には、「たかが歩きスマホで」「歩きスマホごときに目くじらを立てて」と言わんばかりに、高尚ぶって見て見ぬふりをする人がいますが、知識や言葉を生業とする人間としては、きわめて不誠実で無責任な態度と言えるでしょう。本来思想というのは、こういった日常の瑣末な問題の中から生まれるはずだし、生まれるべきものなのです。
2020.07.29 Wed l 社会・メディア l top ▲
また同じことを書きますが、昨夜も山に行く準備をして、睡眠改善薬を飲みベットに入りました。そして、午前4時すぎに目を覚ましてベランダのカーテンを開けて外を見ました。嫌な予感はしていましたが、やはり雨が降っていました。

前夜の天気予報では、丹沢(神奈川)も奥武蔵(埼玉)も雨です。それで、奥多摩に一縷の望みを託したのですが、ウエザーニュースでは、朝方と夕方は雨で日中は曇りでした。一方、日本気象協会では、終日、ほぼ小雨の予報でした。

そもそも家を出るときに雨が降っていたのではモチベーションは上がりようがありません。それにこの長雨で登山道の地盤も緩んでいるでしょうから、泥だらけになって電車で帰ることを考えると、ますますモチベーションも下がらざるを得ません。

まったく、なんという天気だと思います。テレビの気象予報士たちは、今週には梅雨が明けると言っていましたが、最新の予報では梅雨明けはどうやら8月まで伸びそうです。私の記憶でも、こんなに雨の多い梅雨は初めてです。

新型コロナウイルスに加えこの梅雨の長雨で、ストレスはたまる一方です。昨日も、仕事で出かけた際、体力保持のため、都内の地下鉄の駅4つ分を歩いたのですが、その途中で、感情をむき出して激しく子供を叱責する母親に二度遭遇しました。

一度目は、自転車を押しながら小さな男の子を連れて保育園に向かっているとおぼしき母親でした。後ろで、男の子が激しく泣いているのです。もしかしたら、保育園に行きたくないと泣いているのかもしれません。しかし、母親は、男の子を無視したまま自転車を押してどんどん先を歩いていました。男の子は、置いておかれそうになるので、「ママ」「ママ」といっそう激しく泣いていました。すると、母親は、足を止めると、頭を激しく横に振りながら4~5メートル後ろにいる男の子に向かって、「ああっ、もう!」「早くしてってば!」「何やってるのよ!」と、感情むき出しで怒声を浴びせたのでした。男の子の泣き声はさらに大きくなるばかりです。通行人もみんな母子の方を見ていました。おそらく多くの人たちの脳裡には「虐待」の二文字が浮かんでいたのかもしれません。それくらい母親の感情の高ぶりは尋常ではありませんでした。もし、家の中なら手をあげてもおかしくないような感じでした。あれでは、子どもも一緒に感情を高ぶらせるのは当然でしょう。

それから、しばらく歩くと、また舗道で子どもを叱っている母親がいました。子どもを自転車に乗せようとしているみたいで、「何やってるの!」「早く乗ってよ!」「ホントに、もう!」とあたりはばからず声を荒げていました。「病院に行った方がいいんじゃないの?」と言いたくなるような興奮ぶりでした。ぐずぐずしているのでイラついたのでしょうが、それにしても、たかが自転車でそのイラつきようは尋常ではありませんでした。

ステイホームで、DVや離婚が増えたと言われますが、もしかしたら子どもに対する虐待も増えているのかもしれないと思ったりしました。でも、それは、家庭内の親子や夫婦の話だけではありません。先日の電車の中で遭遇した社会不安障害の若者もそうですが、昨日も愛知県の豊橋で、「神になるために人を殺したかった」という若者が車を暴走させて人を死なせる事件がありました。知人も、電車の中でも乗客同士のトラブルを見ることが多くなり、「みんな、ストレスがたまっているんだなあと思うよ」と言っていましたが、そんな街中の光景には、案外無視できない大きな問題が含まれているような気がしてなりません。人間は、デカルトが言うほど理性的な動物ではないのです。自分で感情をコントロールできれば、誰も苦労しません。

三浦春馬の自殺だって、もしかしたら新型コロナウイルスによるストレスが関係しているのかもしれません。見えないウイルスに怯える世間の空気が、人々の心に暗い影を落としていることもあり得ないとは言えないでしょう。木下優樹菜が芸能マスコミに執拗に叩かれているのも、ストレスのうっぷん晴らしという側面もなくはないでしょう。なんだか、昨日目撃した母親たちの感情の異常な高ぶりと重なっているような気がしないでもありません。

これでもかと言わんばかりに、文字通り水に落ちた犬を叩きつづける芸能マスコミや、それに煽られて木下優樹菜にあらん限りの悪罵を浴びせる芸能人のゴシップ好きの(単細胞を絵に描いたような)人間たちを見るにつけ、もはや狂気ということばでしか解釈のしようがないように思います。コロナウイルスに対する恐怖によって、異常が日常化し社会全体が病みつつあるのです。

そう考えると、(自分で言うのもなんですが)山に行けなくてイライラしているなんて、まだかわいいのかもしれません。
2020.07.28 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲