新宿駅~富士見駅~富士見パノラマリゾート~【入笠山】~富士見パノラマリゾート~富士見駅~八王子駅~菊名駅

※山行時間:約3時間(休憩含む)
※山行距離:約4キロ
※山行歩行数:約10,000歩


昨日8月10日は「山の日」でした。と実は、8月10日が「山の日」であることは知っていたものの、「山の日」が祝日だということは知りませんでした。どこかで聞いた台詞ですが、恥ずかしながら、今、このブログを書くに際して初めて知った次第です。

今調べたら、「山の日」の祝日は2016年に制定されたみたいです。どうりで現天皇(浩宮)が、2016年に上高地で行われた「山の日」の式典に家族で参加したわけです。これも日本山岳会の政治力のなせる業なのでしょうか。

「山の日」なので山に行きたいと思って、昨日の朝、新宿駅から7時15分発の特急あずさ71号に乗りました。南アルプスの入笠山(にゅうかさやま)に行こうと思ったからです。

夏の低山は先日の蕨山で懲りたので、標高1995メートルの入笠山だと灼熱地獄とは無縁に山に登ることができるのではないかと思ったのでした。それに、入笠山は麓のゴンドラ駅が既に標高1000メートルで、そこからゴンドラに乗って700メートル超をいっきに上がるので、山頂駅から山頂までは標高差が200メートルもないのです。そのため、約1時間のゆるゆる登山ができると聞いたので、のんびり山を楽しみながら歩きたいと思ったのでした。

特急あずさは、増発され15分おきに出ていました。私が乗ったのは「臨時列車」でした。今年に関しては、お盆の帰省シーズンだからというより、感染防止のため(密を回避するため)という意味合いの方が大きいみたいです。新幹線も増発されているそうですが、あえて赤字便を運行するのですからJRも大変だなと思います。ネットで予約したのですが、座席を指定するのに、あまりの空席だったので間違いじゃないかと思ったくらいでした。私が乗った車両には数人しか乗っていませんでした。なんだかJRが気の毒に思いました。

反対側のホームから出たひとつ前の7時発のあずさ1号には、結構な数のハイカーが乗っていました。早めに着いたので、ホームの待合室に入ったら、そこにも数人のハイカーが座っていました。いづれも60代くらいの男性のソロのハイカーでしたが、みんな、本を読んで時間を潰していました。なんだか子どもの頃によく見た昔のハイカーを思い出しました。昔は、山に登るのはお金もかかったということもあって、学生や学校の先生などインテリが多かったのです。待合室のハイカーたちは、7時発のあずさの乗車開始のアナウンスが流れると、みんないっせいに出て行き、私ひとりが残りました。

八王子に着くと、ホームにハイカーの姿が多くありましたので、八王子で乗り換えて大菩薩嶺に登る人が多かったようです。

あずさは、2時間15分で長野県の富士見という駅に着きました。富士見は、八ヶ岳連峰の麓にある小さな駅です。富士見駅から無料のシャトルバスに10分ほど乗ると、富士見パノラマリゾートのゴンドラ乗り場に着きました。

シャトルバスは、密を回避するため、座席はひとつ置きに座るようになっていました。そのため、定員の半分しか乗れません。しかし、二台のシャトルバスがピストンで運行されていました。乗る前に必ずマスクを着用し手を消毒しなければなりませんでした。運営母体が第三セクターとは言え、やはり、リゾート施設だからなのか、運転手の方も対応が丁寧で親切でした。日頃、社会主義国家のような市営バスを利用している(利用しなければならない)横浜市民にとっては、まるで別世界のような勤務態度でした。

ゴンドラ乗り場でも、切符を買う際に、感染が発生した場合に備えて名前と住所と連絡先を記入し、手の消毒が義務付けられていました。

富士見パノラマリゾートは、もともとはスキー場ですが、スキー人口が減少したのに伴い、雪のない期間はマウンテンバイクやハングライダーなど、ほかのアウトドアスポーツに力を入れているようです。特に、スキーのゲレンデを利用したマウンテンバイクは盛んなようで、ハイキングの客よりも多いくらいでした。地元の人に聞くと、入笠山(富士見)は今や国内でも有数のマウンテンバイクのメッカになっており、愛好家の間では有名なのだそうです。

ゲレンデのリフトは、マウンテンバイク専用になっていました。ゲレンデを走るのは、子どもや初心者なのだとか。上級者向けには、ゴンドラに乗って山頂駅の1780メートルの地点から麓のゲレンデまでいっきに下るコースがあるのだそうです。ゴンドラ乗り場でも、私の前にはマウンテンバイクを押したヘルメット姿の中年女性が並んでいました。また、帰りの時間になると、ゴンドラの乗り場は、ハイキング客に代わってマウンテンバイクの若者たちに占領されていました。

昨日の入笠山には多くの家族連れがハイキングに来ていましたが、登山者の高齢化はどこでも深刻な問題です。しかも、何度も言いますが、あと10年もすれば、登山人口の30%を占める多くの高齢者は山に行くことができなくなるのです。一方、入笠山のマウンテンバイクは、逆に若者や子どもが多く、あらためて登山がアウトドアとしては過去の遺物になっている現実を痛感させられた気がしました。「山の日」の祝日化に浮かれている場合じゃないのです。

ゲレンデでは、ハングライダーの講習も行われていました。山頂駅の先にはハングライダーの滑走場も設置されているのでした。

山頂駅の周辺には、山野草公園や湿原がありました。登山道と言えるのは、湿原を越えたあたりからです。後半の15分くらいにかなりきつい急登がありますが(その15分が長かった)、でも、小さな子どもも登っていました。また、家族連れやお年寄りの中には、山頂に登らずに山野草公園や湿原を散策している人も多くいました。ゴンドラはペットも可なので、犬を連れている人も多く、急登では、舌を出したワンちゃんがハアハア息をあげながら休憩していました。

私は、携帯用の植物図鑑を持って行ったのですが、ゴンドラの切符を買った際、「入笠に咲く花」というガイドブックを貰いました。ガイドブックには、詳細な花の図鑑が色別に載っており、それと照らし合わせて写真を撮りながら登りました。

ゴンドラに乗る場合も、マスクの着用と手の消毒が必要でした。しかも、ゴンドラは8人乗りですが、知らない人と乗り合うことはなく、家族やグループ単位で乗るようになっていました。私の場合ひとりでしたので、行きも帰りもひとりでゴンドラに乗りました。

山頂に行くと、多くの人で賑わっていました。四方に眺望がひらけており、標高が高い山の特権を享受することができました。山頂でも特に目立ったのが家族連れでした。みんな、ピクニック気分で弁当を広げていましたが、私は、帰りにマナルス山荘で昼食を食べるつもりだったので、岩場に座って水を飲んだだけでした。後ろの方から、「やっぱり山っていいよねえ~」という声が聞こえてきました。そんな声を聞くと、なんだか私まで嬉しくなるのでした。気温も下界と10度くらい違うようで、蕨山に登ったときのような多量の汗に苦しむこともありませんでした。

今回は、化学繊維のタオルのほかに、山ではタブーとされている綿のタオルを3枚持って行きましたが、綿のタオルは2枚使っただけでした。また、同じように山ではタブーとされている綿の下着の着替えも持って行きましたが、着替えることはありませんでした。

下着やタオルも、山で推奨されている速乾性のある素材のものは水分の吸収がよくないので、かえって綿の方が快適なのです。ただ、綿は速乾性がないので、あくまで着替え用にしか使えません。

帰りのマナスル山荘の昼食は、うっかりして山荘の前を通らないコースを下りたため、食べることができませんでした。そのため、山頂駅に併設されているレストランで、「山賊焼き定食」を食べました。

それにしても、観光地と言うこともあるのでしょうが、事細かに感染対策が取られていて、都内とは雲泥の差です。

行くたびに手の消毒を求められ、全部で5~6回消毒したかもしれません。山を歩くときもずっとマスクをしていました。まわりに人がいないときは顎にかけ、人とすれ違うときに鼻と口を覆いました。ただ汗で濡れるので、替えのマスクも3枚持って行きました。ほかに、携帯用の除菌シートと除菌スプレーも持って行きました。

このように感染防止を求められると、おのずと感染防止に気を使うようになるのです。それが「正しく怖れる」ためのキモです。富士見パノラマリゾートの感染対策に比べると、都内の通勤電車や繁華街などはメチャクチャの一語に尽きます。ここに至っても密などどこ吹く風で、我先に電車の座席に殺到しているサラリーマンやOLたちは、正気とは思えません。小池都知事に至っては、相変わらず「感染拡大」のボードを掲げて感染の恐怖を煽るだけで、有効な感染防止策はほとんど取っていません。再び外出自粛を言い出していますが、自粛なんて誰でも言えるのです。言うまでもなく、自粛は経済的な自殺行為です。そんな安直な方法ではなく、社会経済活動と並行した「正しく怖れる」ための感染防止策が必要なのです。

PCR検査は3割?の偽陰性が生じるので、のべつまくなしに検査しても意味がないと医師会をはじめ医療の専門家たちが言っていますが、そんなことを言っているのは日本だけです。陰性だと思って安心すると他人に感染させる懸念があると言いますが、今のように検査をせず自分が感染していることも知らずに他人に感染させる状況と比べて、どっちがマシかという話でしょう。科学者として(疫学的に)、3割の誤判定と7割の正しい判定のどっちに重きを置くかでしょう。そんなことを言っているから、日本だけ極端に検査数が少ないのです。そのくせ、(桁違いに検査数が少ないにもかかわらず)医療崩壊だけが取り沙汰されているのです。

日本の医療は世界の最先端にある、日本人は優秀、と言うのはホントなんだろうか、もしかしたらそれも「ニッポン、凄い!」の自演乙にすぎないのではないか、と思ってしまいます。

感染防止の無作為を棚にあげて、人々の恐怖心を煽るのは犯罪的ですらあります。そのために、この国には無神経と自粛警察の両極端しか存在せず、「正しく怖れる」知識や対策がなおざりになっているのでした。

下山後は、富士見駅から16時発のあずさ7号に乗り、八王子で横浜線に乗り換えて帰ってきました。


関連記事:
登山の自粛要請とマナーの問題


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富士見駅のホーム。特急あずさを見送る。

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駅前のシャトルバスの乗り場。既にハイカーがバスを待っていました。

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富士見駅。

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シャトルバス。

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富士見パノラマリゾートのゴンドラ地上駅。

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夏のゲレンデ。

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同上。

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ゲレンデの先にゴンドラ乗り場があります。

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お盆休みで尚且つ「山の日」なので、既に長蛇の列。

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ゴンドラの中から前方を眺める。

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後方を振り返ると遠くに街並み。

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山頂駅の出口。

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ハイキングコースの入り口の横にある休憩所。帰りにここでソフトクリームを食べました。

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ハイキングコースの入り口。ここにも係員が立って道案内をしていました。

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入笠湿原。

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同上。

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同上。

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山彦荘。

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マナスル山荘。ビーフシチューのほかにパンも評判です。パンの売り場には行列ができていました。

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御所平。

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岩場コースと迂回コースの分岐。岩場コースを選択しました。

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急登を登りきると、山頂が見えてきた。

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山頂の人々。みんな笑顔でした。

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下山開始。

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帰りのゴンドラから。
2020.08.11 Tue l 山行 l top ▲
池袋駅~飯能駅~名郷~【蕨山】~東飯能駅(泊)~八王子駅~菊名駅

※山行時間:約6時間(休憩含む)
※山行距離:約9キロ
※山行歩行数:約21,000歩


昨日(8/4)、埼玉の旧名栗村の蕨山(わらびやま)に登りました。西武線池袋線で飯能まで行き、飯能駅からさらに1時間近くバスに乗って、旧名栗村(現在は飯能市と合併)の「名郷」というバス停で降りました。

飯能駅からバスに乗ったのは10人ちょっとくらいでした。そのうち3~4人は地元の通勤客で、残りのハイカーも棒ノ折山の登山口がある「河又名栗湖入口」で降車し、以後、バスの乗客は私ひとりだけになりました。「河又名栗湖入口」から「名郷」までは、さらに20分くらいかかります。

蕨山は、バス停から山頂まで4.5キロです。通常は「名郷」から登り、下りは「河又名栗湖入口」の近くにあるさわらびの湯に降りるか、その逆ルートを歩く人が多いのですが、私は初めての山なので自分のルールに従い、ピストンすることにしました。

私が普段参考にしている某登山アプリのコースタイムでは、上りが2時間半、下りが2時間弱になっていました。このアプリのコースタイムは、自分のペースとほぼ同じなので、登山を計画する際にいつも参考にしています。それで、休憩時間を含めても3時間前後で登れるだろうと思っていました。

しかし、自粛明けでやっと山に登れると思ったのもつかの間、今度は長雨でひと月以上山行が途絶えたので体力が元に戻ってしまったのか、あるいは前夜ほとんど眠ってないことも影響したのか、とにかく最初から息も絶え絶えで休憩時間も入れると山頂まで4時間近くかかりました。登山道も急登続きで、しかも途中2か所トラロープ(虎柄のような山でよく見るロープ)が設置された岩場もありました。私の感覚では、御前山や川苔山よりきつく感じました。山行中会ったハイカーはひとりだけでした。

ほうほうの体で”山頂”(標高上の山頂ではなく、浅間嶺などと同じような山頂の代わりをしているハイカー向けの展望台)に着いたら途端に眠気に襲われ、ベンチに横になってしばらく眠りたいほどでした。吐き気も覚え持参したおにぎりを食べる気にもなりません。実際にベンチに横になったものの、このまま眠り込んで夕方になったら大変なことになると思って、水を飲み、早々に下山することにしました。登りに予想外に時間がかかったため、帰りに乗る予定だったバスにも間に合いそうもなく、もう残るは最終バスしかなくなりました。

下りもずっと睡魔に襲われ、何度も地べたに座り込む始末でした。下りは2時間ちょっとでしたが、その時間の長いことと言ったらありませんでした。下山して林道に着いた途端、再び地べたに座り込んでしまいました。

岩場だけでなく、転倒したらそのまま崖下まで滑落するような急坂が何ケ所かありましたが、何とか自分を奮い立たせて降りることができました。岩場では慎重を期して後ろ向きで降りました。

林道を20分くらい歩くとバス停に戻ることができます。午後4時46分だかの最終バスまで1時間以上待たなければなりませんでした。ぐったりしてベンチに座わりウトウトしていたら、山で会った唯一の人(40代くらいの男性)が降りて来て、「どうしたんですか?」と訊くので、睡眠不足とこの暑さで疲労困憊だということを話したら、「駅まで送って行きますよ」と言ってくれたのです。その人は車で来ており、バス停の前の駐車場に車を停めていたのですが、私の様子を見て心配して声をかけてくれたようです。ホントにありがたくて、他人(ひと)の情けが身に沁みました。

水は500ミリリットルのペットボトル3本と、凍らせた経口補給水のゼリーを2個、それにアミノバイタルを1個持って行きましたが、それでも足りないほどでした。汗がとどめもなく噴き出して、全身が水をかぶったような状態で、下山してからも汗が止まらず、ベンチに座っていてもまるでおしっこを漏らしたようにベンチがべっとり濡れるほどでした。

車で八高線の東飯能駅まで送ってもらいましたが、とてもじゃないがこのまま八高線と横浜線を乗り継いで帰る気力もなく、とにかくこの睡魔を満たしたい気持でいっぱいでした。それで、ブッキングドットコムで駅近くのビジネスホテルを予約して、そのままホテルにチェックインすることにしました。

ホテルの部屋に入るなり、文字通りベットに倒れ込み、爆睡しました。午前0時近くに一度目を覚ましてシャワーを浴び、そのあと再び眠って、次に目を覚ましたのは翌日の午前7時すぎでした。

午前9時すぎにホテルをチェックアウトして、いつものように八高線と横浜線を乗り継いで帰宅したのは午前11時すぎでした。帰りの電車は既に通勤時間帯をすぎていましたので空いており、ずっと座って帰ることができました。

それにしても、蕨山に苦戦したことのショックは大きく、今後の山行に対しても不安を抱かざるを得ません。

真夏に低山を登る大変さと、しかも睡眠不足で登った無謀さを痛感させられました。いつまでも若いんだという勝手な(思い上がった)意識に対して、ものの見事にシッペ返しを受けた感じです。少しでも山から遠ざかるとすぐ体力が衰えるのは、それだけ年を取った証拠なのでしょう。そういった自分を素直に認める必要があるのです。

突飛な話ですが、石田純一が新型コロナウイルスに感染して2ヶ月近く入院と自宅療養を余儀なくされた話を思い出しました。完治したあとの記者会見で、彼は、2ヶ月間外を歩くことができなかったので、歩くのもままらないほど筋力が衰えてしまいショックだったと言っていました。ところが、ほどなくゴルフを再開し、挙句の果てには(ウソかマコトか)コンペ後の食事会で「美女をお持ち帰り」したと芸能マスコミから報道されていました。

喉元すぎれば熱さも忘れるとはよく言ったもので、私も石田純一を笑えないのです(とここまで書いて、石田純一を持ち出したのは適当だったかなという疑問を持ちましたが)。別に年寄りらしくあれと言うのではないのですが、もっと自分の体力や自分の年齢に謙虚にならなければならないのです。つくづくそう思いました。


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バス停の横の指導標。

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橋を渡って林道を歩きます。

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林道の突き当り。ここから左に下りて沢を渡り登山道に入りました。唯一山で会った人は、下り口が分からず林道をそのまま進んで道に迷ったと言っていました。

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登って来た林道を振り返る。

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最初の渡渉。

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登山道は少し荒れています。

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こんな石があったのでしょうか。私もお賽銭をあげて手を合わせました。

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崩落している箇所もあった。

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二度目の渡渉。

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ここから急登になりました。

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ほぼ半分まで来ました。ここまでは順調だったのですが‥‥。

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しばらく尾根道を歩く。

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初めて眺望のいい場所に出ました。

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最初のロープ。

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登りきると、次の眺望のいい場所がありました。

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旧名栗村の集落が遠くに見えます。

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岩場が多くなりました。

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上から下を見下ろしたところ。帰りにこれを下るのかと思うと嫌になります。

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山でよく見かける昭和のギャグ。

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尾根道も細くなりました。

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注意書きも多くなりました。

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やっと稜線に出た。

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展望台の山名標識。

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展望台の様子。夏の午後なので眺望は望めません。

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同上。

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帰りに岩場を再び上から見下ろす。

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やっと林道まで降りてきた。

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「名郷」バス停。

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ホテルの部屋。
2020.08.05 Wed l 山行 l top ▲
山に行くようになって、ときどきYouTubeにアップされている登山の動画を観るようになりました。行く予定の山のアプローチの方法や登山道の状況を確認するという目的もあるのですが、ただ山の情報に関しては、YouTubeより登山愛好家のブログなどの方が全然参考になります。

いわゆる登山系ユーチューバーの動画は、必要以上に手が加えられ動画のイメージにこだわったものが多く、実際に山に行く上ではあまり参考になりません。それもシロウト感覚の編集なので、鼻白むことも多いのです。

実際は「なぜ来たんだろう」とか「もう帰りたい」とかそんなネガティブな気持と戦いながら、ハアハア息を弾ませ鼻水を垂らして登っているはずなのに、そんな素の部分は微塵も見せないのです。

若いユーチューバーの動画ほどその傾向が強く、きれいでカッコいいシーンで構成されたものが多いのです。そして、そんな動画から垣間見えるのは、”あざとさ”です。既に一部のユーチューバーの動画には、「企業案件」と呼ばれる、登山メーカーとタイアップして、ギアを紹介する動画も存在していますが、これは一時問題になったステマのYouTube版のようなものです。

ホントに山が好きなんだろうか、山に登ることを楽しんでいるんだろうかと思ったりしますが、もとより彼らには、はなからそんな感覚はないのかもしれません。山が好きだから動画を撮ったというより、お金を稼ぐ素材として登山を選んだと言った方が適切なのかもしれません。

しかし、現実には登山関連のマーケットは非常に小さく、登山系ユーチューバーとして生活するのは至難の業です。あてがはずれたお金目的のユーチューバーは、早晩、YouTubeを投げ出してフェードアウトするのがオチのような気がします。あるいは、キャンプなどの方がまだしもマーケットが大きいので、同じアウトドアでも他に方向転換するか、どっちかでしょう。

結局、ユーチューバーとして残るのは、それなりにかわいい顔をした若い女性が顔出している動画だけ、という身も蓋もない話になるのかもしれません。若い女性の動画なら、登山と無縁なスケベーなおっさんも観てくれるからです。実際に、女性ユーチューバーの中には、どう見ても”中の人”にプロデュースされているとしか思えないような、”アイドル志向”の人物も登場しています。

ただ、『ランドネ』あたりで”元祖山ガール”として売り出された四角友里や仲川希良などは(あまり詳しくないので二人しか名前が出て来ませんが)、まだしも”あるべき登山“に拘る従来の登山愛好家としてのスタイルを保持していましたが、今の”アイドル志向”の女性ユーチューバーには、そんな拘りはまったくありません。むしろないことがウリになっているのです。それは、男性のユーチューバーも同じです。

でも、一方で、お金に対する欲望は臆面もなく剥き出しなのです。ヤフオクやメルカリの転売に象徴されるように、シロウトぶっているけどお金には結構えげつない、そういった二律背反もネットの特徴です。

YouTubeがいつの間にか”向銭看”たちの欲望が渦巻く場になったのに伴い、ネット通販と同じように、金を掘る人間より金を掘る道具を売る人間の方が儲かるという、シロウトの浅知恵に付け込んだ“ここを掘れワンワン商法”の草刈り場と化していったのは、当然の成り行きでしょう。上には上がいるのです。

しかも、(何度も言いますが)登山関連のマーケットはあまりに小さく、しかも先細りになるのは目に見えているのです。

5年に一度実施される総務省統計局の「社会生活基本調査」の平成28年版によれば、15歳以上で登山・ハイキングに行った人は、972万7千人(男性494万5千人、女性478万2千人)だそうです。

総務省統計局
登山・ハイキングの状況-「山の日」にちなんで-(社会生活基本調査の結果から)

これだけ見ると、すごい数字のように思うかもしれませんが、これはあくまで年間1回以上登山やハイキングに行った人の数です。登山やハイキングを趣味にする人の数ではないのです。

年齢別で多いのは、やはり60歳以上の高齢者です。男性では、65~69歳がもっとも多く、全体の13.2%、次に60~64歳の12.7%。女性は、60~64歳が12.0%でもっとも多く、次が55~59歳の11.0%です。これに70歳以上を加えると、男性が36.8%、女性が30.4%を60歳以上の高齢者が占めていることになります。

マーケティングの年齢別区分に数字を置き換えてみると、以下のようになりました。

男性
M1層(20~34歳)25.5% 平均行動日数5.2日
M2層(35~49歳)19.6% 5.3日
M3層(50歳以上)61.5% 11.8日

女性
F1層(20~34歳) 27.9% 5.3日
F2層(35~49歳)20.1% 4.7日
F3層(50歳以上)43.3% 7.1日

実際に山ですれ違う登山者たちと比べると、これでも若い人の割合が高いように思いますが、この数字はあくまで年間1日以上登山やハイキングに行った人の割合なので、実際と乖離があるのは当然でしょう。

何度も言いますが、あと10年もすれば、男性で36.8%、女性で30.4%を占める高齢者の多くが山に行くことができなくなるのです。いや、その前にコロナ禍で山登りをやめる高齢者が続出する可能性だってあるでしょう。ポストコロナでいろんな業界の風景が一変するのではないかと言われていますが、登山も例外ではないような気がします。高尾山や御岳山や大山などを除けば、山が閑散とするのは目に見えているように思います。奥多摩駅や武蔵五日市駅のバス停の行列も、そのうち見られなくなるかもしれません。

山ガールブームも今は昔で、山ガールの年齢層も(既に山ガールとは言えないほど)上昇しているのは、山によく行く人間なら気付いているでしょう。つまり、後ろの世代が山に来てないのです。しかも、山ガールたちは、せいぜいが大岳山か三頭山どまりで、それより奥の奥多摩の山に足を踏み入れることはありません。また、丹沢では、大山以外に表尾根で少し見かけるくらいで、奥武蔵や奥秩父も、棒ノ折山以外はほとんど見かけません。もっとも、年間5日前後の山行(?)ではそれが現実なのかもしれません。

こう考えると、一攫千金を夢見る登山系ユーチューバーのアクセス数が思ったほど伸びず、ほとんど自己満足の世界でマスターベーションしているだけというのもわからないでもないのです。趣味でYoutubeをやっている人は別にして、実利を求める彼らが山から遠ざかり、YouTubeを投げ出すのは時間の問題のような気がします。
2020.07.31 Fri l 山行 l top ▲
先日、テレビを観ていたら「帰れマンデー」で、レギュラーのサンドイッチマンがゲストの大谷亮平と渡辺直美と一緒に、檜原街道を歩いているシーンが放送されていました。また、今週の「じゅん散歩」は奥多摩が舞台です。さらに、「アド街」も、近々奥多摩を特集するという話があります。

ついこの前までは、観光客が来るのは「迷惑だ」「怖い」と言っていたのに、この変わりようには唖然とするばかりです。しかも、奥多摩の住民が怖れていた東京の感染者は、「迷惑だ」と言っていた頃に比べても全然減ってないのです。

要するに、彼らは、何の見識もなく、政府が言っていることにただ唯々諾々と従っているだけなのでしょう。緊急事態宣言が出されて、外出自粛が叫ばれていたので、それに従って「迷惑だ」「怖い」と言っていただけで、政府が社会経済活動の再開に方針転換したら、今度は「観光客いらっしゃい!」と桂三枝みたいなことを言い出したのです。「じゅん散歩」では、村長まで出演して檜原村の観光を売り込んでいましたが、ついこの前まで、観光客を閉め出すために駐車場を閉鎖していたのは、どこの誰だと言いたくなりました。

私にとって奥多摩は、山登りでずっと通っていただけでなく、自分の田舎に似たところもあって、ことのほか愛着があります。テレビに出て来るのもおなじみの風景ばかりで、「やっぱり奥多摩っていいなあ」とあらためて思います。

しかし、一方で、この奥多摩の人たちの手のひら返しに対しては、じゃあ、あのとき駐車場だけでなく林道や登山道まで閉鎖して、観光客だけでなく登山客まで閉め出したのは一体なんだったんだと言いたいのです。新型コロナウイルスを巡る状況は何も変わってないのに、彼らの態度はわずかひと月半で一変したのです。

もっとも、これは奥多摩の人たちに限った話ではありません。日本の大衆の原像と言ってもいいものです。その結果、西村秀一氏が言うように、今も戦時中と同じように、私たちの日常は、思考停止した異論を許さない「ファシスト的公共性」に覆われているのでした。

鈴木邦男氏が書いていたように、開戦前、国民は東条英機の自宅に、「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というような手紙を段ボール箱に何箱も書いて送り、戦争を熱望したのでした。ところが、戦争に負けた途端、今度は態度を一変して自分たちは「軍部に騙された」「被害者」だと言い始めたのでした。

今、私たちの前にあるのも、それと同じ光景です。政府が右を向けと言えば右を向き、左を向けと言えば左を向くだけの大衆。挙句の果てには、憲法で保障された基本的人権さえも「新型コロナウイルスのために」何のためらいもなく為政者に差し出す始末です。さらに言えば、「ファシスト的公共性」の旗振り役を左派・リベラルの野党が担っているという(戦争前と同じような)末期的光景さえあるのです。
2020.07.30 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
今日のテレ朝の「モーニングショー」では、東京の足立区で施行された歩きスマホ禁止条例の話題を取り上げていました。

足立区の条例では、ゲームはもちろん、地図も音楽も通話も全て禁止にしているのだそうです。それに対して、共産党の女性区議が、一方的に私権を制限するのは問題で、もっと区民の意見を聞くべきだと反対意見を述べている場面が出ていました。

また、若い男性の区議も、スマホやスマートウォッチで心拍数や血圧をはかったりすることがあり、条例はそういった最先端のITテクノロジーの活用を制限することになると反対意見を述べていました。

街頭インタビューでも、地図や音楽や通話まで禁止するのはやり過ぎだとか、夜、痴漢に遭わないために電話をかけている真似をすることがあるけど、それもできなくなるので困るというような若い女性の意見を取り上げていました。

まったくバカバカしいとしか言いようがありません。アホな人間たちのアホな屁理屈、その一語に尽きます。いちいち取り上げるのさえバカバカしいのですが、スマホで地図を見るのなら立ち止まって見ればいいだけの話です。私は、山に登るとき、以前はスポーツウオッチで心拍数をはかっていましたが、心拍数をはかる機能のない時計に変えてからは、スマホのアプリで心拍数をはかっています。その際も(山の中でさえも)、立ち止まってはかっています。また、休憩時にはオキシメーターではかることもあります。

街中を歩いていて心拍数や血圧をはかる人間がどれだけいるのかわかりませんが、別に歩きながらはかる必要などないでしょう。立ち止まってはかればいいだけの話です(言えば言うほどバカバカしくなる)。

通勤時間帯は特に歩きスマホが多く、もしかしたら30~40%の人間が歩きスマホをしているかもしれません。すれ違う際、スマホの場面をチラ見すると、大半はゲームかSNSかYouTubeです。心拍数をはかっている人間なんて見たことがありません。

朝や夕方の通勤時に駅の階段や狭い舗道で、後続者を堰き止めてノロノロ歩いている人間がいますが、それは決まって歩きスマホの人間です。また、歩きスマホの人間とぶつかりそうになることも多く、非常に危険です。迷惑以前の問題として危険なのです。私自身は、歩きスマホなんて怖くてできませんが、それを日常的に平気でやっている人間たちの感覚には疑いを持たざるを得ません。

歩きスマホ禁止を私権制限と捉える共産党区議の如何にも左翼特有の教条主義は、噴飯ものと言わざるを得ません。新型コロナウイルスに伴う「ファシスト的公共性」には目を瞑り、歩きスマホ禁止をあたかも人権侵害のように言い立てるそのヘタレな姿勢こそ、「大衆迎合主義」=ポピュリズムと呼ぶべきでしょう。私は、共産党区議の発言を聞いて、昔、評論家の大野明男氏が、民青の運動方針について、「欲望のナチュラリズム」ということばを使って批判していたのを思い出しました。

それは、スタジオで共産党区議と似たようなコメントを発していた、元朝日社員の浜田某という女性コメンテーターも同じです。彼女もまた、ただリベラルを装っているだけで、何も考えずに発言しているのでしょう。宮台真司が言うように、「いてもいなくてもどうでもいい」典型的なコメンテーターと言うべきでしょう。

とは言え、足立区の条例には罰則規定がないので、どれだけ効果があるか疑問です。効果をもたせるには、やはり罰則規定を設ける必要があるでしょう。個人的には、足立区や大和市だけでなく横浜市でもどこでも、全国の自治体で歩きスマホ禁止条例ができることを願わずにはおれません。

それどころか、歩数計のような技術を応用して、歩行中に操作できないような装置をスマホに組み入れるべきではないかと思ったりします。トランプのモノマネでTiktokを禁止する前に、歩きスマホができないスマホの開発を提唱すべきなのです。たかが歩きスマホと言うなかれで、歩きスマホは単にマナーだけの問題ではないのです。

歩きスマホをしている人間と、感染防止の意識の低い無神経で「どうしょうもない人間」が重なるのは、少しでも考えれば誰でもわかることでしょう。こういった日常にへばり付いている瑣末な問題こそ大事なのです。いわゆる知識人や文化人と呼ばれる人の中には、「たかが歩きスマホで」「歩きスマホごときに目くじらを立てて」と言わんばかりに、高尚ぶって見て見ぬふりをする人がいますが、知識や言葉を生業とする人間としては、きわめて不誠実で無責任な態度と言えるでしょう。本来思想というのは、こういった日常の瑣末な問題の中から生まれるはずだし、生まれるべきものなのです。
2020.07.29 Wed l 社会・メディア l top ▲
また同じことを書きますが、昨夜も山に行く準備をして、睡眠改善薬を飲みベットに入りました。そして、午前4時すぎに目を覚ましてベランダのカーテンを開けて外を見ました。嫌な予感はしていましたが、やはり雨が降っていました。

前夜の天気予報では、丹沢(神奈川)も奥武蔵(埼玉)も雨です。それで、奥多摩に一縷の望みを託したのですが、ウエザーニュースでは、朝方と夕方は雨で日中は曇りでした。一方、日本気象協会では、終日、ほぼ小雨の予報でした。

そもそも家を出るときに雨が降っていたのではモチベーションは上がりようがありません。それにこの長雨で登山道の地盤も緩んでいるでしょうから、泥だらけになって電車で帰ることを考えると、ますますモチベーションも下がらざるを得ません。

まったく、なんという天気だと思います。テレビの気象予報士たちは、今週には梅雨が明けると言っていましたが、最新の予報では梅雨明けはどうやら8月まで伸びそうです。私の記憶でも、こんなに雨の多い梅雨は初めてです。

新型コロナウイルスに加えこの梅雨の長雨で、ストレスはたまる一方です。昨日も、仕事で出かけた際、体力保持のため、都内の地下鉄の駅4つ分を歩いたのですが、その途中で、感情をむき出して激しく子供を叱責する母親に二度遭遇しました。

一度目は、自転車を押しながら小さな男の子を連れて保育園に向かっているとおぼしき母親でした。後ろで、男の子が激しく泣いているのです。もしかしたら、保育園に行きたくないと泣いているのかもしれません。しかし、母親は、男の子を無視したまま自転車を押してどんどん先を歩いていました。男の子は、置いておかれそうになるので、「ママ」「ママ」といっそう激しく泣いていました。すると、母親は、足を止めると、頭を激しく横に振りながら4~5メートル後ろにいる男の子に向かって、「ああっ、もう!」「早くしてってば!」「何やってるのよ!」と、感情むき出しで怒声を浴びせたのでした。男の子の泣き声はさらに大きくなるばかりです。通行人もみんな母子の方を見ていました。おそらく多くの人たちの脳裡には「虐待」の二文字が浮かんでいたのかもしれません。それくらい母親の感情の高ぶりは尋常ではありませんでした。もし、家の中なら手をあげてもおかしくないような感じでした。あれでは、子どもも一緒に感情を高ぶらせるのは当然でしょう。

それから、しばらく歩くと、また舗道で子どもを叱っている母親がいました。子どもを自転車に乗せようとしているみたいで、「何やってるの!」「早く乗ってよ!」「ホントに、もう!」とあたりはばからず声を荒げていました。「病院に行った方がいいんじゃないの?」と言いたくなるような興奮ぶりでした。ぐずぐずしているのでイラついたのでしょうが、それにしても、たかが自転車でそのイラつきようは尋常ではありませんでした。

ステイホームで、DVや離婚が増えたと言われますが、もしかしたら子どもに対する虐待も増えているのかもしれないと思ったりしました。でも、それは、家庭内の親子や夫婦の話だけではありません。先日の電車の中で遭遇した社会不安障害の若者もそうですが、昨日も愛知県の豊橋で、「神になるために人を殺したかった」という若者が車を暴走させて人を死なせる事件がありました。知人も、電車の中でも乗客同士のトラブルを見ることが多くなり、「みんな、ストレスがたまっているんだなあと思うよ」と言っていましたが、そんな街中の光景には、案外無視できない大きな問題が含まれているような気がしてなりません。人間は、デカルトが言うほど理性的な動物ではないのです。自分で感情をコントロールできれば、誰も苦労しません。

三浦春馬の自殺だって、もしかしたら新型コロナウイルスによるストレスが関係しているのかもしれません。見えないウイルスに怯える世間の空気が、人々の心に暗い影を落としていることもあり得ないとは言えないでしょう。木下優樹菜が芸能マスコミに執拗に叩かれているのも、ストレスのうっぷん晴らしという側面もなくはないでしょう。なんだか、昨日目撃した母親たちの感情の異常な高ぶりと重なっているような気がしないでもありません。

これでもかと言わんばかりに、文字通り水に落ちた犬を叩きつづける芸能マスコミや、それに煽られて木下優樹菜にあらん限りの悪罵を浴びせる芸能人のゴシップ好きの(単細胞を絵に描いたような)人間たちを見るにつけ、もはや狂気ということばでしか解釈のしようがないように思います。コロナウイルスに対する恐怖によって、異常が日常化し社会全体が病みつつあるのです。

そう考えると、(自分で言うのもなんですが)山に行けなくてイライラしているなんて、まだかわいいのかもしれません。
2020.07.28 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
やっと自粛明けで山行が再開されたと思ったら、今度は梅雨の長雨で出鼻をくじかれました。今月は山には一度も行けてなくて、既に前回の山行からひと月が経ってしまいました。しかも、7月も後半だというのに、天気予報から雨マークがいっこうに消えません。前も書きましたが、これではモチベーションは下がるばかりです。モチベーションだけでなく、年を取ると体力もすぐ元に戻ってしまうので、その点も深刻です。

来月あたり九州に帰って地元の山に登ろうと思っていましたが、地元の山も先の豪雨によって登山道が寸断され、とてもじゃないが登れる状態ではない、と地元の友人から電話がありました。なんだか踏んだり蹴ったりという感じです。

一方で、感染者数の増大によって再び自粛ムードも高まっています。戦争中の「欲しがりません、勝つまでは」と同じで、「お金より命が大事」という”観念の暴走“によって、この国は、みずからでみずからの首を絞める愚を犯そうとしているかのようです。

もしかしたら、山岳4団体も再び登山の自粛を呼びかける声明を出すかもしれません。「山と広告」ならぬ『山と渓谷』7月号に掲載されたアンケート(登山自粛意識調査)によれば、山岳4団体の声明に対して、81.8%の人が「支持する」と答えたそうです。「支持しない」人は、僅か6.3%です。

でも、「支持する」人たちは、ホントに山に行くことまで自粛すべきなのかと自分の頭で考えることもせずに、ただメディアの「大変だ」報道を受けて、自粛要請に無定見に従っているだけなのでしょう。国家に帰順させることだけが目的の杜撰で登山者を愚弄した声明の問題点さえわかってないのでしょう。これこそ“おまかせ登山”の最たるものと言えるでしょう。まったく、「自立した登山者であれ」が聞いて呆れます。地図読みができるとか、ビバークするのにツェルトがうまく張れるとか、そんなことだけが「自立」ではないのです。

仮にウイズコロナというのがあるとしたら、これまで以上に自己責任と自己判断が求められるのは言うまでもありません。だからこそ、「正しく怖れる」ことが大事なのです。

と、ここまで書いたら、今日(7/23)の東京の感染者が366人で今までの最多記録を大幅に更新したというニュースがありました。また、愛知県(97人)や埼玉県(64人)なども、最多の感染者が確認されたそうです。国内全体でも、初の一日900人越えを記録したそうです。

4日連休の初日に今までの記録を大きく上回る366人の感染者。これほどインパクトのある数字はないでしょう。

私は、このニュースを見て、今日ネットにアップされた「小池都知事はコロナ感染者数を操作している」という週刊新潮の記事を思い出しました。

gooニュース
デイリー新潮
小池都知事はコロナ感染者数を操作している 「連日200人超え」を演出したカラクリ

専門家も指摘する東京都の感染者数の不自然さ。もっとも、東京都には、(私も再三指摘していますが)いわゆる「病床逼迫」に関しても、「数字操作の『前科』がある」のです。

(略)5月初旬、厚労省のHPに都内の入院者数1832人と記された。病床使用率は9割を超えるというので、複数のメディアが東京は「病床逼迫」と報じたが、本誌が都の感染症対策課に確認すると、1832人には自宅療養や宿泊療養者のほか、退院した人まで含まれ、現実の病床使用率は4割にすぎなかった。


危機を煽り視聴者の耳目を集めるのが、視聴率を稼ぐ手っ取り早い方法です。それと同じように、自分の指導力をアピールするためには、危機を煽り、(パチンコ店や”新宿”や”夜の街”など)特定の業種や地域を仮想敵=スケープゴートとして大衆に提供するのが、もっともわかりやすくて効果的なやり方です。まさに、それこそ“虚言の女帝”の得意技と言えるでしょう。

366人という数字に、官邸と東京都の対立を読み解くこともできるでしょう。GoToキャンペーンから除外され、面子を潰されたことに対する意趣返し(GoToキャンペーン潰し)という側面もなくはないように思います。と同時に、連休中の外出自粛を促すために、都民に向けてインパクトのある数字を出したということもあるかもしれません。

週刊新潮の記事でも、前のブログで紹介した西村秀一氏のことばに続けて、次のように(新潮にはめずらしく)「正しく怖れる」ことの必要性を訴えていました。

「(略)いまは、おかしいと思っても反対できなかった戦時中のようだと思うことがあります。“そんなに気にすることはない”“感染する可能性は極めて低い”と言うと、人命を軽視しているとか、ウイルスの怖さをわかっていないとか、すぐ攻撃されます。ウイルスとの戦いというより、社会との戦いです」

 そんな戦いが必要なのも、操作された数字や、根拠がない扇動的な試算に、われわれが踊らされているからだろう。過剰な不安と無用な対策による犠牲をこれ以上生まないためにも、冷静な目をもって、根拠が示された正しい数字を求めていくしかあるまい。


でも、戦時中と同じような”狂気”の只中にある国民には、こんな声が届くはずもないのです。
2020.07.23 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
連日、東京の新規感染者数が200人を超えたとか、大阪も緊急事態宣言解除後最高の50数人を記録したとか、そんな話がメディアによってセンセーショナルに流されています。

小池都知事が例によって例の如く「感染拡大警報」というフリップボードを掲げて記者会見すれば、メディアはここぞとばかりに、感染が拡大しあたかも重大局面に入ったかのように大騒ぎして、大衆の恐怖心を煽るのでした。

GoToキャンペーンの是非や“夜の街”に対する休業要請などが取り沙汰されていますが、今のように恐怖心を煽ればそっちの方向に進むのは当然でしょう。

でも、宮台真司が言うように、200人だとか50数人だとかいう数字は、厳密に言えば、「新規感染者数」ではなく単に「感染が判明した人」にすぎないのです。市中にいる潜在的な感染者が、検査数が増えたことにより(と言うか、“夜の街”の関係者を重点的に検査したことなどによって)顕在化しただけです。だから、感染者と言っても、無症状や軽症の人が大半で、それが3月の緊急事態宣言前とは決定的に違うところです。

客観的な状況(数字の質)がまったく違うのに、あたかも感染拡大の再来のように言い立てる小池都知事と、そんな“虚言の女帝”のパフォーマンスを追認して大衆の恐怖心を煽るメディア。まさに常軌を逸しているとしか思えません。

政府の感染対策は、今のGoToキャンペーンに見られるように、支離滅裂の一語に尽きます。新型コロナウィルスによって、それまで一部で指摘されていた為政者の能力の問題がいっきに露わになったと言っていいでしょう。そんな中で、私たちは、ウイルス学者の西村秀一氏が言うように、「正しく怖れる」ことが求められているのです。

朝日新聞デジタル
ウイルスの実態と合わない対策 過剰な恐怖広げた専門家

もちろん、街中にはどうしようもない人間も、少なからずいます。いくら感染のリスクが言われていても、飲酒や風俗通いをやめられない人間は一定数存在します。マスクもしないで大声でお喋りしながら歩ている若者に対して、「なんだ、このアホは」と思うことは間違ってはいないのです。

とは言え、彼らは、なにも特別な人間ではありません。例えば、(何度も言うように)あれだけ歩きスマホは迷惑だ、危険だと言われながら、未だ歩きスマホをやめられない人間がいますが、街中のどうしようもない人間たちはそれと同類で、私たちのすぐ身近にいくらでもいるのです。「(感染者が増えて)怖いですね」と言いながら、通勤電車で座席を奪い合っているサラリーマンやOLたちも同じです。

こう言うと、今の状況が感染拡大なんかではないという話と矛盾しているように思われるかもしれませんが、市中感染の現状がありコロナが終息したわけではないのですから、感染しないための自己防衛が必要なのは言うまでもありません。そのためにも、メディアに煽られることなく今の状況を冷静に捉え、「正しく怖れる」ことが肝要です。そのことと無神経で非常識などうしようもない人間たちに眉をひそめる(軽蔑する)ことは、決して矛盾するものではないのです。

メディアの常軌を逸した扇動報道に関して、下記のマル激トーク・オン・ディマンド「メディアはコロナをどう報じてきたか」は、非常に示唆に富んだものがありました。「正しく怖れる」ためのヒントを与えてくれるものがあるように思いました。

ビデオニュース・ドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド
メディアはコロナをどう報じてきたか

ちなみに、ゲストの林香里氏は、ドイツ出張から帰国後、新型コロナウイルスに感染していることが判明し、3月21日から3月31日まで感染病棟に入院した経験も持っているのですが、そのときの体験談にも興味をそそられました。身体の不調を覚え、保健所の「帰国者・接触者相談センター」に電話してPCR検査をしてほしいと訴えたところ、保健所から「そんなことをしても何の得にもなりませんよ」と「説き伏せられた」のだそうです。それで、大学病院に行って、CTスキャンの検査をしたら肺炎の兆候が見られたそうです。しかし、大学病院の医師も、PCR検査はできないの一点張りで検査をして貰えなかったのだとか。ところが、翌日、大学病院の医師から、「方針が変更になったのでPCR検査をします」と直々に電話がかかり、検査の結果、感染が判明して入院することになったのだとか。如何にもこの国のドタバタぶりを表している話だと思いました。

テレビは、コロナのお陰で軒並み視聴率を上げているのだそうです。3月は、前年比で平均5%以上視聴率が上がったのだとか。しかし、恐怖心を煽って視聴率を上げたものの、そのために経済活動が停滞したため、逆に広告収入が落ちたというマンガみたいな話になっているのです。

どうしてただ恐怖心を煽るような「単純化」した報道になるのかということについて、宮台真司は、テレビのコメンテーターのレベルに合わせているからではないかと言っていましたが、当たらずといえども遠からずという気がしました。

宮台真司らも口を揃えて言ってましたが、メディアが報道すべきは、「今日の感染者数」ではなく「今日の重症者数」の方でしょう。検査数によって増減し、いくらでもコントロール可能な感染者数なんか取り上げても、ほとんど意味がないのです。それより重症者の動向の方が、感染状況を知る上ではよほど意味があります。

日本は、公表感染者数が欧米に比べて桁違いに少なく(それも二桁も三桁も少ない)、欧米の医療関係者から不思議がられているのですが(と言うか、首を傾げられているのですが)、にもかかわらず医療崩壊の怖れがあると散々言われていました。日本の医療体制はどれだけ貧弱なんだと思いますが、しかし、記者会見でそのことを質した記者は誰もいませんでした。しかも、じゃあ第二波に備えて病院のキャパを増やしたのかと言えば、まったく増やしてないのです。ホントに口で言うほど深刻なのかという疑問さえあります。もとより、医療崩壊の怖れ云々が、PCR検査抑制の口実に使われていたことは事実でしょう。メディアも、そんな肝心な問題については見て見ぬふりで、ただ「感染者が増えて大変だ」とバカのひとつ覚えのように言うだけです。

宮台真司が言ってましたが、アベノマスクで466億円使ったあの時点で、PCR検査には10分の1の45億円しか使ってなかったそうです。そういった政府の“不都合な真実”を報道したメディアも皆無でした。

メディア論が専門の林香里氏は、今のメディアの現状について、昔に比べて放送時間が長くなったニュース番組の中をコンテンツで埋めて、さらにスポット広告を入れるために延べ視聴率を維持しなければならない、そんな目の前のことに追われる日常では、イノベーション(あたらしい発想)が生まれる余地はないと言っていました。プロデューサーも所詮はサラリーマンなので、社内リスクを取るようなことはせず、漫然と(他社と)同じことを繰り返すことに終始するのは、当然と言えば当然かもしれません。それは、お笑い芸人や元スポーツ選手がコメンテーターに次々と採用されるという”珍現象”にも表れているのです。そして、そこで流されるのは、コメンテーターのレベルに合わせた(そのことはとりもなおさず視聴者のレベルに合わせたということでもあります)「陳腐でスカスカの情報」(林香里氏)なのです。

このようなお粗末なコロナ報道の中で、私たちには「正しく怖れる」ための知識と行動が求められているのです。それは、とりもなおさず自己防衛しコロナ禍を生きぬく自分のためでもあるのです。
2020.07.21 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
プロ野球の公式戦も、先週から観客を入れるようになりましたが、甲子園球場の阪神対ヤクルト戦で、興奮した阪神ファンが声を張り上げて応援したため、試合が中断し球審が観客に注意するという一幕があったそうです。スポーツ新聞は、「ファンが試合を止めるという残念な事態が起きた」と書いていましたが、観戦するのも、飛沫感染を防ぐために、大声の応援を禁止しているのです。観客も、球場の収容人数の4分の1だかに制限した予約制にしているそうですが、それもソーシャルディスタンスを守るためなのでしょう。

とどのつまり、これらの予防策は、観客の中に、(他人にウイルスをうつす)発症期間中の患者が混ざっているということが前提になっているからです。しかし、市中感染率さえ把握していない日本では、ホントにいるのかどうか誰も知らないし、誰にもわからないのです。日本の感染対策は、そんな雲を掴むような話が前提になっているのです。それでは、無神経と過剰反応の両極端に分かれるのもわかる気がします。

昨日、旧知の会社に行ったら、自粛解除後に若い社員たちが飲み会を再開しているので「怖い」という話をしていました。フロアの机には、一応、アクリルの仕切り板が付けられていましたし、入口には、体温計と消毒液も常備されていました。しかし、フロアではほんどの社員がマスクを外して仕事をしていました。

普段、マスクをする習慣がないので、マスクをするのが「ウザい」「面倒くさい」のかも知れません。彼らにとって、マスクは、あくまで外に行くときに(仕方なく)付けるものにすぎないのです。その一方で、このような緩んだ空気に危機感を持っている社員も少なからずいるのでした。

私は、このような社内の風景はなんだか今の日本の社会の縮図のように思いました。誰が感染しているのかどうか、ホントに感染した人間がいるのかどうかもわからないのに、感染者がいることを前提に感染防止策を取らなければならないのです。ウィズコロナなるものは、こんな雲を掴むような、実に曖昧な話の中で進められているのです。

それで、私は、「会社がお金を出して全社員のPCR検査か抗原検査をすればいいんじゃないの」と言いました。「そして、感染している社員は発症期間が終わるまで特別休暇を与えればいいんだよ」と。

とりあえず、発症していない社員で仕事をして、感染している社員も発症期間が終われば順に職場に復帰すればいいのです。休むと言っても1週間かそこらなので、そんなに仕事に支障をきたすことはないでしょう。それに、感染者も、せいぜい1割いるかどうかでしょう。

「それは、経営者の見識の問題だと思うけどな」と私は言いました。ホントは「社長がバカであるかどうかの試金石」と言いたかったのですが、さすがにそこまであからさまには言えませんでした。

これは、今の政府にも言えるのです。誰が感染者かわからないのに、横に感染者がいることを前提にソーシャルディスタンスを取れと言っているのです。一方で、何度も言いますが、日毎に混雑度が増している通勤電車は、相変わらず対象外(治外法権)なのです。

山に行くのに電車を利用すると感染のリスクが増すなどと言うくせに(実際はガラガラだけど)、都心に向かう“無神経”と“密”の象徴のような通勤電車は見て見ぬふりなのです。それで、感染経路不明者が増えたなどとまぬけなことを言っているのです。

どうして中国や韓国やアメリカやイタリアやフランスやイギリスやロシアやブラジル(あげたらきりがない)のように、検査をしないのか。アメリカのニューヨーク州では、無症状であっても希望者は無料でPCR検査を受けることができるそうです。ほかの国でも大半は無料のようです。積極的に検査をすれば、新規感染者は今の10倍も100倍も、あるいは1000倍も増えるかもしれません。でも、新規感染者は、一部の重症者を除けば、1週間も休めば社会(職場)復帰できるのです。それに、1000倍も新規感染者が増えれば、感染者がいるのが当たり前になり、感染に対する理解も進み、今のような感染者=不心得者のような差別もなくなるでしょう。また、感染者が可視化されれば、重症のリクスがある高齢者との接触も減るでしょうから、医療崩壊の主因である重症患者の増大も抑えることができるのです。

今、GoToキャンペーンに対して、延期すべしと言う声が大きくなっていますが、しかし、苦境に喘ぐ観光業者にとって、GoToキャンペーンは文字通り旱天慈雨のようなものです。もし、GoToキャンペーンが延期されれば、零細な観光業者はトドメを刺されることになるでしょう。

もちろん、GoToキャンペーンにも怪しげな部分もあります。私は、今まで二度キャンセルしていますので、来月あたり九州に墓参りに帰ろうかと思って(ついでに九州の山に登りたいという本音もあり)、航空券と宿泊料金がセットになったツアーをチェックしていたのですが、GoToキャンペーンの前倒しが決まった途端、半額補助を目論んだのか?ツアー料金がいっきに20~30%跳ね上がったのでした。電通ではないですが、キャンペーンの指定業者は、まるでお約束のように、そうやって税金にたかり暴利を貪る“権益”を行使しはじめているのでした。GoToキャンペーンで安く行けると思っているかもしれませんが、キャンペーンが適用される前に”便乗値上げ”しているので、ツアー料金に関する限り、実際はそんなに安くなっているわけではないのです。

それでも、哀しいかな、零細な観光業者は、少しでもおこぼれを頂戴しようとGoToキャンペーンに一縷の望みを託しているのでした。GoToキャンペーンが一時しのぎの弥縫策であるのは言うまでもありませんが、でも、末端の観光業者の苦境を考えると、弥縫策であっても一時しのぎをするしかないのです。もう以前のようにインバウンド客が戻って来ることはないにしてもです。きつい言い方をすれば、GoToキャンペーンは、これから淘汰される観光業界に対する”餞(はなむけ)”のようなものと言っていいのかもしれません。

霞を食って生きて行くわけにはいかないので、コロナ禍の中でも社会経済活動を再開しなければならないのは当然です。だからこそ、検査が必要なのです。政府が言うように、感染防止策を講じながら社会経済活動を再開するのなら、まず検査をすることでしょう。徹底的に検査をして、市中の感染者を可視化することでしょう。

もちろん、その結果、新規感染者が万単位で増えたとしても、誰が感染しているかわからないよりはるかにマシで、大騒ぎするような話ではないのです。言うなれば、(モーニングショーの玉川徹氏のことばを借りれば)社会経済活動と検査は車の両輪のようなもので、そうやって両方をまわしながらウィズコロナの時代を生き抜いていくしかないのです。

日本政府が検査をサボタージュしているのは、まだオリンピック開催にこだわっているからでしょう。開催国としては、感染者が増えると都合が悪いからです。そのために、こんな雲を掴むような感染防止策しか取れないのです。言うなれば、(できるわけがない)オリンピックのために、国民はみずからの健康(感染)を犠牲にされているのです。でも、多くの国民にはその自覚がないようです。

賢明な国民であるならば、GoToキャンペーンを延期しろなんて言う前に、もっと検査しろ、検査してくれと要求すべきでしょう。
2020.07.16 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
おとといの夜、時間が空いたので、山に行く準備をして床に就きました。そして、早朝4時すぎに目を覚まし、真っ先にベランダに出て夜が明けたばかりの空を見ました。しかし、一面暗い雲におおわれ、今にも雨が降り出しそうな空模様でした。朝の空に一縷の望みを託していたのですが、これでは諦めるしかありません。がっかりしてまたベットに戻りました。

この週末はつかの間の晴れ間が望めそうですが、私は用事があって山に行くことができません。来週は、天気予報ではずっと雨マークです。

このように、梅雨とは言え、今年は雨にたたられて、なかなか山に行くタイミングが合いません。前回の山行から既に2週間近くが経っています。せっかく山行を再開して体力も戻りつつあると思っていたのに、これでは元の木阿弥です。年を取ると体力の問題は深刻で、少なからぬ焦りを覚えています。と言うか、こんなに気勢をそがれると山に行くモチベーションも下がるばかりです。

モチベーションが下がると言えば、ハイカーにとって、政府の不要不急の外出自粛要請に呼応して、登山の自粛を呼びかけた山岳4団体の声明や、自粛解除後に、登山中のマスクの着用を呼びかけたガイドラインなどは、その最たるものと言えるでしょう。

日本山岳会は、戦時下において「日本山岳聯盟」という山岳団体を糾合した翼賛団体の設立を呼びかけるなど、鬼畜米英・大東亜解放の侵略戦争に積極的に関与・協力してきたのですが、自粛の呼びかけや自粛解除後の「新しい生活様式」に準じたガイドラインなどに示されているのは、「自立した登山者であれ」という登山の持つ”自主自立の精神”そっちのけの、ただ国家に帰順することを一義とする翼賛的な姿勢です。戦争協力の時代に日本山岳会の会長を務めた木暮理太郎が神格化されていることにも、私は首を捻らざるを得ません。もっともそれは、同じ山岳4団体に名を連ねた、日本共産党の“友好団体”とも言われる日本勤労者山岳連盟も、似たかよったかなのです。

世界の高峰に日本人として初登頂をめざす、いわゆる「先鋭的登山」が国威発揚と結びついていたことはよく知られていますが、もともと登山と国家は切っても切れない関係にあったのです。戦争中も、登山は「高度国防国家建設」のための「国民心身鍛錬運動」の一翼を担うものとして、むしろ国家から奨励されていたのでした。

『ランドネ』(7月号)の座談会における次のような発言は、多くの登山愛好家が共有するものではないでしょうか。発言者は、静岡大学教授で、日本オリエンテーリング協会顧問の村越真氏です。

村越   山岳団体が出した自粛メッセージのなかで違和感を感じたのは、そうした“自立した登山者としての基本”を強調せず、コロナがあるからというスタンスでしか書かれていないことでした。本当はコロナ禍でなくたって遭難は避けるべきだし、可能な限り自力下山して、救助隊や医療機関に負担をかけるべきではないわけです。
そのごく当たり前のことをいまこそ見直そうという促しが、自粛メッセージから感じさせない点が不充分だと考えています。

(『ランドネ』2020年7月号・「これからの山歩きを考えよう座談会」)


山岳4団体は、戦争中と同じように、ただハイカーを国家に帰順させることしか念頭にないかのようです。まるでそれが彼らの役割であるかのようにです。

もっともそれは、新型コロナウイルスにおける自粛体制そのものにも言えるのです。自粛体制には右も左もないのです。左派であるなら、自粛なんて糞くらえと言ってもよさそうですが、そんな声はまったく聞こえてきません。むしろ、政府の不作為を批判しながら、再度の自粛を主張しているフシさえあるくらいです。

左右が国家にひれ伏す今の自粛体制=翼賛体制は、都知事選で小池都知事が366万票という歴代2番目の得票を獲得したことにも端的に表れています。なにしろ次点の宇都宮健児候補に280万票もの大差を付けた、歴史的と言ってもいいほどの圧勝でした。

私が今回の選挙で注目したのは、投票前に行った下記の東京新聞の世論調査です。

東京新聞 TOKYO Web
誰に投票? 野党支持層は分散【都知事選世論調査】

立憲民主党の支持者の中でも、56.1%が小池知事に投票すると答えているのです(宇都宮氏は22.2%)。国民民主党に至っては、62.9%が小池知事で、宇都宮氏は0%(誤差の範囲?)です。共産党でも、21.4%が小池知事(宇都宮氏59.0%)です。

東電労組主体の電力総連に牛耳られている連合東京が小池知事を推薦したということもあるのでしょうが、野党支持者でも小池都知事の自粛パフォーマンスは、政治信条を越えて支持されているのです。

東京の新規感染者200人超えが3日続いていますが、これから左右を問わず、益々罰則を設けた再度の自粛を求める声が強まることでしょう。もしかしたら、野党がその音頭を取るようになるかもしれません。

多くの国民にはまだその自覚がないようですが、これから大倒産・大失業の時代が待ち構えているのは間違いないのです。コロナ禍があと何年続くか、見通せない状態であるのは否定すべくもない事実でしょう。オリンピックなんてできるわけがないのです。

コロナ禍は、まさに世界史を塗り替えようとしていると言っても過言ではありません。アメリカの苦境と迷走が示しているのは、アメリカが世界の覇権を失って超大国の座から転落することがいよいよ現実になったということです。そして、香港に対する強権の行使や東南シナ海の海洋進出など中国の強気な姿勢が象徴しているのは、アメリカに代わって中国が覇権国家として、その存在感を再び世界史の中に示しつつあるということです。

そんな歴史的なコロナ禍の中にあって、日本は再び内向きの一国主義的な方向に進もうとしているのです。一致団結して危機を乗り越えようという現状認識においては、与野党も左右も寸分も違いはありません。でも、無定見に経済より命が大事だという”情緒“に流され、憲法で保障された基本的な権利を何のためらいもなく国家に差し出している今の状況は、もしかしたら先の戦争と同じように、自粛=自滅への道であるかもしれないのです。

なにより、江戸時代のような”鎖国政策”では飯を食っていけるわけがないのです。たとえば、観光業も国内市場が縮小したからインバウンドに活路を求めたはずなのですが、ここに至ってインバンド頼りからの脱却みたいことがまことしやかに言われているのでした。でも、それは、どう考えても負け惜しみにすぎないのです。大倒産・大失業に加えて、10万円給付やGoToキャンペーンなどのツケで、大増税も間違いなくやって来るでしょう。いくら「ニッポン、凄い!」「ニッポン、がんばろう!」と自演乙しても、今のように内向きになっている限り、にっちもさっちもいかなくなるのは目に見えているのです。星野リゾートの社長も、インバウンドからの脱却、日本の良さを見直すべきみたいなことを言ってましたが、観光業の現状を知る人間として、これほど無責任で稚拙なもの言いはないだろうと思いました。

稚拙と言えば、れいわ新選組の大西某の「命の選別」発言も然りで、大西某は論外としても、この問題では山本太郎の危うさや稚拙さがいっきに露呈されたように思えてなりません。そもそも、元外資系銀行の為替ディラーで、どう見ても新自由主義者でしかない大西某なる人物がどうしてれいわ新選組の比例代表候補だったのか、よくわからない部分がありました(ほかにも不可解な候補予定者が何人もいます)。公務員をもっと増やすとか再度10万円を一律給付するとか、山本太郎の主張には、貧困者対策とどう関係があるのかという疑問もありました。ただ、右か左かではなく上か下かで言えば、山本太郎だけが上か下かの視点を提供していたのはまぎれもない事実で、れいわ新選組の路線自体は(多分に場当たり的なものではあったにしても)間違ってなかったのです。その意味では、れいわ新選組も自滅の道を歩みはじめたと言っていいのかもしれません。

「命の選別」発言は、れいわ新選組を支持する下層の人たちに対する、弁解の余地のない裏切りであるのは言うまでもありません。にもかかわらず、「命の選別」発言にもっとも敏感に反応すべき舩後靖彦参院議員や木村英子参院議員から正式にコメントが出て来ないのも、不思議な気がしてなりません。

一方で、立憲民主党の国会議員や支持者たちが、ここぞとばかりに執拗に“山本太郎叩き”をしていることにも違和感を抱かざるを得ません。そこには、左翼の常套手段である“社民主要打撃論”と同じような、党派的な思惑が垣間見えてならないからです。

余談ですが、立憲民主党の有田芳生参院議員や評論家の安田浩一氏が、これからの日本の中枢を担うのはれいわ新選組と日本第一党だという、れいわ新選組のなりすましツイッターを真に受けて激しく反応していたのは、彼らのネットリテラシーの低さもさることながら、”社民主要打撃論”による先入観が丸出しで、語るに落ちたという気がしてなりませんでした。このような山本太郎を叩いている旧左翼のお粗末さも見過ごしてはならないのです。

れいわ新選組は解党的出直しが必要だという声がありますが、社会運動の基盤のない政党に、今の状況を剔抉する革命的なエネルギーを求めるのは、ないものねだりの子守歌でしかないでしょう。と言うと、なんだか大袈裟な話になりますが、(今まで私たちが知らなかった)事務所運営の杜撰さや秘書の問題などを考えると、山本太郎も所詮は”古い政治”から脱却できない口舌の徒に過ぎなかったと言うべきかも知れません。

しかし、何度もくり返しますが、同時に左の全体主義者のよこしまな“社民主要打撃論”にも、くれぐれも注意しなければならないのです。国家への帰順を一義とする点においては、スターリニストとファシストは紙一重なのです。

立憲民主党や国民民主党が野党である不幸は今更言うまでもありませんが、あらためて野党を取り巻く殺伐とした光景を見るにつけ、すべてが(右も左も)国家に収れんされていくんだなという暗澹たる思いしか抱き得ないのでした。
2020.07.12 Sun l 社会・メディア l top ▲
東京都の新型コロナウイルスの新規感染者数は、その後、50人どころか5日連続で100人を超え、小池都知事の口からは、再び「不要不急の他県への移動」を控えるようにとの発言も出ています。でも、これも「いかさま王」(PRESIDENT Online)のいつもの口舌にすぎないのです。

PRESIDENT Online
いかさま王をまたも選んだ東京都民の罪…あまりに残酷な僕たちの民主主義

メディアは、如何にも「第二波」が到来しつつあるかのような大仰なもの言いをしていますが、100人超えは、岡田晴恵氏が言うように、「一波の燃え残り」であるのは明らかでしょう。要するに、潜在的な市中感染者が可視化されているにすぎないのです。

アメリカでは一日に5万人の新規感染者が発生して、「再び感染拡大が懸念されている」というニュースがありましたが、私は、そのニュースを見て、(不謹慎な言い方ですが)アメリカが羨ましいなと思いました。5万人の新規感染者が出たということは、(正確な数字を見つけることはできませんでしたが)一日に50万件かあるいはそれ以上のPCR検査をしていることは間違いないのです。「アメリカでは、他の国よりもはるかに多くの検査を行っており、常に拡大しているため、感染者数が増え続けている。検査の規模が小さければ、症例数も少なくて済むだろう!」(ツイッターより)というトランプの発言は、必ずしも負け惜しみとは言えないのです。

一方、日本は厚労省が公表している数字を見ても、相変わらず1万件も満たない”低空飛行”を続けています。東京都に至っては、多い日でも2千件台です。もし日本でアメリカと同じように、一日に50万件のPCR検査をしたら、5万人とは言わないまでも1万人以上の新規感染者が出るのは間違いないでしょう。大塚英志ではないですが、新規感染者が少なくて「ニッポン凄い!」というのは、単にPCR検査をコントロールして自演乙しているにすぎないのです。テレビでPCR検査の拡大を訴えていた大谷義夫医師が、「反日」「売国奴」のレッテルを貼られてネトウヨの攻撃の対象になったように、検査をしないで新規感染者数を少なくみせることが、この国では「愛国」になるのです。

朝日新聞デジタル
感染拡大せず「日本スゴイ」…80年前と重なる嫌な流れ

7月1日からレジ袋の有料化が義務付けられ、普段の買い物はともかく、出先で弁当を買ったときなど大変不便になりましたが、そもそも日本から毎年排出されるプラスチックごみの中で、レジ袋が占める割合は2%にすぎないのだそうです。つまり、レジ袋を削減しても、プラスチックごみの削減にはほとんどつながらないのです。小泉環境大臣は、レジ袋の有料化は環境問題に対する意識を高めるために必要だというような言い方をしていましたが、それなら同じ論法を新型コロナウイルスにも適用して、PCR検査や抗体検査を行うべきでしょう。

おとといの日曜日、用事があったので、夕方の電車に乗って都内に行きました。駅に向かっていると、若者のグループが大声で騒ぎながら駅前の舗道を歩いていました。もちろん、誰もマスクを付けていません。既に酔っぱらっているみたいで、タガログ語?みたいな外国語と日本語が飛び交っていました。そのうち、通りの店のガラスドアを蹴破るのではないかと思うくらいの傍若無人な騒ぎようでした。私は、「どうしようもない連中だな」と心の中で悪態を吐きながら、横を通りすぎました。

日曜日なので、渋谷方面の電車は空いていました。電車に乗り込み、横を見ると、3人掛けのシルバーシートに若い男性がひとり座っていました。また、向かいの席には、中年の女性が座っていました。

私は、男性が座っているシートのドア側の席に腰を下ろしました。私と男性との間には一人分の空席があります。男性は、女性のスカートのようなやけに幅の広いズボン(?)を履き、見るからに奇抜な恰好をしています。

ところが、私が席に付くと、男性は急に立ち上がり、私に何やら悪態を吐きながら、斜め前の長いシートに移動したのでした。そして、席に付いてからも私に向かって悪態を吐いていました。それで、私は、「なんだよ。何か文句があるのか?」と言いました。すると、男性は、プリプリした様子で、さらに進行方向の先にある別のシートに移動して行ったのでした。

向かいの席に座っていた女性は、「あの人、変なんですよ」と言って顔をしかめていました。私は、「コロナに過敏に反応しているんじゃないですかね」「ゴミ問題が取り上げられたら、ゴミに対して異常に執着する人間がいるでしょ。あれと同じですよ」と言いました。

電車はやがて日吉駅に着きました。車両の前方を見ると、日吉で降りて行く男性の姿がありました。そして、ドアが閉まりました。ところが、ふと目を上げると、いつの間にか私の前方の窓の外に男性が立っていて、私の方にスマホを向け写真(か動画)を撮っていたのです。向かいの女性もそれに気付いたみたいで、振り返って窓の外を見ていました。ドアが閉まったあとなので、どうすることもできません。こんなことならしばいておけばよかったと思いました。

もしかしたら、私の画像を「頭がおかしいオヤジがいた」などとキャプションを付けてSNSに上げるつもりなのかもしれません。向かいの女性は、「気持が悪いですね。怖いですよ」と言っていました。私は、✕✕に刃物ならぬ✕✕にスマホという不謹慎なことばを思い浮かべました。

おそらく、傍に来ただけでもウイルスに感染すると思っているのでしょう。このように、新型コロナウイルスに過剰に反応するビョーキな人々も既に出て来ているのです。

たしかに、新型コロナウイルスに対する世の中の反応には、無神経と神経過敏(社会不安障害)の両極端に分かれている感じがしないでもありません。

だからこそ、何度も言いますが、感染経路として懸念される、30代以下の若者と通勤電車を利用するサラリーマンやOLたちに対して、集中的に検査を行うべきなのです。検査もしないで、「感染経路が不明な人の割合が増えています」などと言われれば、感情をコントロールできない人の中には、電車の中の男性のように、過剰に反応する人間が出て来るのは当然でしょう。

何度も言いますが、私たちは、自己防衛と自己管理と自己判断でこのコロナ禍の世の中を生きて行くしかないのです。それでなくても大倒産・大失業の時代を迎えようとしているのに、再び自粛なんて言ったら、もう“集団自殺”するしかないでしょう。罰則を設けてもう一度自粛すべきなんて言っているのは、生活感が欠如した無為徒食な人々の過剰反応によるトンデモ話にすぎません。無神経と神経過敏の両極端を排して、自己防衛と自己管理と自己判断で生きて行くためにも、遍く検査を行うことで今の自分の感染状況を知り、ひとりひとりが自覚を持つ必要があるのです。レジ袋の有料化と同じように、そういう自覚を促す必要があるのです。

なんだかいつも身も蓋もないようなことを言っている気がしてなりませんが、一方で、どうしてこの程度の身も蓋もないことさえできないのだろうと思わざるを得ないのでした。
2020.07.07 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
東京では、新型コロナウイルスの「新規感染者」が4日連続で50人以上記録し、なんらかの規制が必要ではないかという声も出はじめています。

と言っても、その多くは無症状か軽症の市中感染者です。トランプではないですが、検査数が増えればそれだけ感染者が増える(市中感染者が確認される)のは当たり前です。逆に言えば、検査数をコントロールすれば、「新規感染者数」もコントロールできるのです。「新規感染者数」に政治的な思惑が含まれているのではないかと考えるのは、一概に穿ちすぎとは言えないのです。私たちは、「新規感染者数」の推移をもっと冷静に見る必要があるでしょう。

病院に行くと、待合室の椅子にはひとり置きに✕印が付けられ、隣の人と「密」にならないように対策が取られています。飲食店などもそうです。今は飛行機の座席もひとつづつ空けているそうです。

ところが、その一方で、通勤電車は相変わらずギューギュー詰めで座っています。それどころか、まるでそれがサラリーマンの習性であるかのように、「密」な座席を奪い合う”椅子取り合戦“が繰り広げられているのです。緊急事態宣言が解除され乗客が増えたことにより、「電車の座席に座ることが人生の目的のような人々」の恥も外聞もない行動が否が応でも目に付くのでした。

そのくせ、そんな人間に限って、街頭でマイクを向けられると、「緊急事態宣言が解除されて街や電車の中に人が多くなり怖いですね」などと利いた風なことを言うのです。

先週の日曜日の夜に久しぶりに渋谷に行きましたが、酔っ払って千鳥足で歩いている若者たちのグループが多くありました。そのほとんどはマスクも付けていません。若者たちは、つばきが飛ぶのも構わず大声でバカ話をしながら、通りを我が物顔で歩いてました。

病院や飲食店やスーパーや、あるいはレジャー施設などが感染防止策に苦慮する一方で、通勤電車や街中ではまるでそれを嘲笑うかのような無防備な光景が存在しているのです。

私は、せめてマスクくらいしろよと言いたくなりました。私たちは、そんな無防備な人たちとなるべく接触しないように自己防衛しなければならないのです。と同時に、マスクや手洗いなどの最低限の自己管理を行わなければならないのです。それは、休業要請や外出自粛や移動自粛といった「ファシスト的公共性」とは別の話です。

少し前の「パチンコ店」と同じように、今度は「新宿」「夜の街」が小池都知事の“仮想敵”になっていますが、でも肝心要の通勤電車は放置されたままです。「感染経路不明」のケースが多いとか言われていますが、通勤電車の中で感染すれば「不明」になるのは当然でしょう。

新宿のホストたちを集中的に検査するのなら、その前に、30歳以下の若者と、通勤電車を利用するサラリーマンやOLたちを集中的に検査すべきでしょう。その方が、モグラ叩きのようなクラスター対策よりよほど意味があるように思います。そうすれば、「感染経路」云々が、如何に木を見て森を見ない話であるかがわかるはずです。

歩きスマホも同じですが、世の中には一定数の無知で無神経な「どうしうようもない」人間たちが必ず存在します。しかも、「ファシスト的公共性」にとって、そんな人間たちがむしろ必要とされていることも忘れてはならないのです。何故なら、プロパガンダのためには彼らは都合がいいからです。

個人のオツムと意識の問題であるにもかかわらず、まるで全体責任であるかのようにシステムの問題へと転化され、「ファシスト的公共」の口実にされるのです。「新宿」「夜の街」などというワンフレーズには、くれぐれも注意すべきでしょう。それより、どうして「密」の象徴のような通勤電車が放置され、見て見ぬふりをされているのか。そのことを何度もくり返しくり返し言わねばならないのです。
2020.06.30 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
池袋駅~西武秩父駅~三峯神社駐車場~【霧藻ヶ峰】~三峯神社駐車場~西武秩父駅~東飯能駅~八王子駅~菊名駅

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約8キロ
※山行歩行数:約19,000歩


おととい(25日)、奥秩父の霧藻ヶ峰に登りました。

前夜、山に行く準備をしたものの、どこの山に行くかはまだ決まっていませんでした。そして、布団に入ってあれこれ思案していたとき、「そうだ、この前行けなかった霧藻ヶ峰に行こう」と思い立ったのでした。

霧藻ヶ峰は、三峯神社から雲取山に行く三峯ルートの途中にあるピークです。三峯ルートは、片道だけで10キロ強の長丁場ですが、霧藻ケ峰は、三峯神社から歩いて3分の1くらいのところにあります。

池袋駅から6時50分発特急ちちぶ3号で西武秩父に行きました。秩父駅からは9時10分発の三峯神社行きのバスに乗り、三峯神社の駐車場に着いたのは10時半前でした。バスには、10人くらい乗っていました。その中でハイカーは4人だけでした。

秩父駅では雨が降っていましたが、三峯神社に登ると雨は上がっていました。ただ、一面濃い霧に覆われており、バスから降りたハイカーのおばさんは、「これじゃ何も見えないよ」と連れのおばさんに嘆いていました。

駐車場からは、三峯神社とは反対の方向の妙法ヶ岳に登ったときと同じ道を歩きます。しかし、反対の方向に歩き出したのは私だけでした。他のハイカーはどこに行ったんだろうと思いました。

二つ目の鳥居で、妙法ヶ岳方面と霧藻ヶ峰・雲取山方面の道が分岐します。霧藻ヶ峰は、鳥居をくぐらずに右手に進みます。登山道は、途中まで緩やかな登りですが、ずっと樹林帯の中を歩かなければなりません。それに、森の中も霧が立ち込めているので、幻想的と言えばそう言えますが、薄暗くまったく見通しがききません。しかも、少し登ると、急に雨が降りはじめました。あわててレインウエアを着て、カメラにも雨用のカバーを付けました。レインウェアを着たので、汗がいっそう噴き出し、雨粒と混ざって首筋からタラタラとしたたり落ちていました。

今回は、心拍数が上がらないように、「ゆっくり」「ゆっくり」と自分に言い聞かせながら歩きました。特に、平坦な道では、努めてゆっくり歩くようにしました。平坦だと(時間を稼ぐために)どうしても急ぎ足になりがちですが、とどのつまりそれは次の登りのためのエネルギーを浪費することになるのです。そのため、登りになった途端、心拍数が上がって足が進まなくなってしまうのです。

霧藻ヶ峰は標高1523メートルですが、三峯神社との標高差は400メートルちょっとしかなく、山行時間も短いので、ほとんど休憩を取らずに最後まで登ることができました。ただ、こんなユルユルの登山をすると、一方で、何か手抜きをしたような後ろめたさを抱くのも事実です。

妙法ヶ岳と分岐する手前で、三峯神社の奥の院(妙法ヶ岳)から下りてきた4人の家族連れとおぼしき人達とすれ違った以外、上りも下りも誰とも会いませんでした。

三角点のある霧藻ヶ峰の山頂?は、植生を守るためか、ロープが張られて「立ち入り禁止」になっていました。しかし、山ではよくある話ですが、「立ち入り禁止」の札が外され、明らかに立ち入った形跡が見られました。

何度も言いますが、山ではすれ違うときに「にんにちわ」と挨拶するので、山に来る人間は如何にも“善人”のように思われますが(登山者性善説?)、実際は下界と同じなのです。マナーの悪い人間はいくらでもいるし、泥棒だっています。下界の人間が登って来るのですから、そんなに”善人”がいるわけないのです。

前の記事でも書きましたが、昔のように明るい道を歩いて、ときどき立ち止まっては、目の前の風景に心の中で感嘆の声をあげながらしばらく見入るような、ゆったりした気持で山に登ることは、もう叶わなくなったのです。「非日常性」とか「ストレスの解消」とか、そういったものを求める気持も希薄になっているのかもしれません。たしかに、樹林帯の中をただ下を向いて歩くだけの今の登山では、ゆったりした気持を持てるわけがないのです。

トレランの影響なのかどうか知らないけど、地図のコースタイムと競争しているような、文字通り下界の論理をそのまま持ち込んだような登山者に、マナーを求めるのはないものねだりの子守唄(懐かしの中原理恵「東京ららばい」)なのかもしれません。

山頂から10分くらい下ると、大きな岩に秩父宮夫妻のレリーフがありました。その先には、霧藻ヶ峰休憩所とベンチがありました。休憩所は、平日は閉鎖され、週末だけ小屋番が来て開けているそうです。

私は知らなかったのですが、霧藻ヶ峰という山名は、昭和の初めに秩父宮によって命名されたのだそうです。それまでは黒岩山と言われていたとか。ここにもやむごとなき登山の痕跡が存在するのでした。まるで神様のような扱いですが、それと「自立した登山者であれ」という登山が持つ”自主自立の精神”は、どう折り合いを付けているんだろうと思いました。

日頃、登山者に対して、しかめっ面で偉そうな態度の小屋のオヤジが、皇族が来たら別人のようにヘラコラして、皇族が来たことを殊更アピールする。それは、会社の上司にも見られる如何にも日本人的な”二面性”と言えるのかもしれません。そんな嫌な光景を想像しました。

妙法ヶ岳のときも書きましたが、秩父と言えば秩父困民党のことを思い出さないわけにはいきません。生糸価格の下落によって生活に窮した秩父の自由党員たちが秩父困民党を組織して武装蜂起し、秩父に「臨時革命政府」を樹立して、明治政府と対峙したのでした。そして、革命を鎮圧せんとする天皇制国家の武装警察や憲兵隊との間で、奥秩父や上武(今の埼玉北部や群馬南部)の山域でゲリラ戦を展開したのでした。

奥多摩もそうですが、秩父でも峠道を人々は自由に行き来していたのです。生活物資だけでなく、自由民権思想などの文物も峠を越えて流通していたのです。

秩父在住の高校の先生で、登山家であり秩父事件の研究者でもある安谷修(ハンドルネーム)氏は、自身のサイトに掲載した「秩父山地の歴史と文化」という文章の中で、秩父事件について、次のように書いていました。

1882年ごろから、政府によるデフレ誘導政策によって、生糸など農産物の価格が暴落し、養蚕地帯では、人々の暮らしは破滅に瀕していた。そうした中で自由党員によって組織された人々が「秩父困民党」を名乗り、専制政府打倒をめざして武装蜂起したのである。秩父地方は困民党によって制圧され、秩父郡役所には革命本部がおかれた。
 政府は警察だけでなく、陸軍の東京・高崎鎮台兵、憲兵隊を動員して秩父地方を包囲し、事件の鎮圧をはかった。困民党軍は、熊谷・川越方面への出口にあたる三沢村(現在皆野町)の粥仁田峠で警官隊と衝突し、本庄方面への出口にあたる金屋村(現在児玉町)で東京鎮台兵と銃撃戦の末敗北したが、軍を立て直して藤倉村(現在小鹿野町)の屋久峠を越えて群馬県に逃れ、さらに十石峠を越えて長野県佐久地方に進出した。困民党軍が壊滅したのは11月9日、東馬流(現在小海町)における高崎鎮台兵との銃撃戦及び海ノ口(現在南牧村)での銃撃戦においてである。
 ゲリラ戦や組織化の過程では、城峰山を主峰とする上武山地の山々が主舞台となった。ここには、秩父と群馬県の各集落を結ぶ、多くの峠道がある。平地では陸軍の圧倒的な火力に敗北したが、網の目のように張りめぐらされた峠道では、困民党が自在なゲリラ戦によって、警官隊を翻弄した。この中には廃道も多いが、現在なお使われている道もある。
 秩父事件の舞台は、ここ秩父の里山からじつに長野県八ヶ岳山麓までを含む、広大な山岳地帯なのであるが、秩父事件の話はここで終わるわけではない。 蜂起の際の最高指導者田代栄助は、秩父市を見下ろす武甲山に潜伏の後とらえられた。長野への転戦の指導者、北相木村の菊池貫平は、故郷の名山である御座山に潜伏の後、甲府へ逃れた。秩父事件の発起人のひとり落合寅市は、いったんは高知県に逃亡した後、雁坂峠を越えて秩父に戻ってきた。

山と渓ときのこと酒と
秩父山地の歴史と文化
http://www.yasutani.com/prof/titibun.htm


私たちは、現在、その峠道の一部を登山道としてザックを背負って歩いているのです。

ちなみに、現天皇(浩宮)は、雲取山には3度登っています。三頭山と雲取山は、やむごとなき登山の”聖地”と言っていいのかも知れません。

嘘かホントか、現天皇のやむごとなき登山に際して、雲取山の避難小屋が新しく建て替えられたのだとか。真偽はともかく、その手の話は珍しくありません。檜原村にある6千万円をかけた総ヒノキ造りのトイレといい、三頭山の避難小屋や遊歩道といい、我々下々のハイカーは、(主権在民の世の中であるにもかかわらず)やむごとなき登山のおこぼれを頂戴して喜んでいるのです。


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歩きはじめの道も霧が立ち込めていました。

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最初の鳥居。鳥居をくぐって進むのですが、間違えて右へ行ってしまいました。

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よく間違える人がいるみたいで、このような警告板がありました。

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二つ目の鳥居。ここから右へ分岐します。

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道標(指導標)を確認。

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樹林帯の中も濃い霧。

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炭窯跡。私の祖父も自家用の炭を焼いていたことがあり、小学生のとき、一度だけ炭俵を背負子で担いで家まで運んだことがあります。きついというより恥ずかしかったので、二度とやりませんでした。

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炭窯跡。

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雨も上がり、明るくなってきた。

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季節柄、登山道にヒキガエルがやたら出ていました。行きと帰りに4匹遭遇した。私たちは、子どもの頃、ヒキガエルを「バッコン」と呼んでいました。

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光が差し込むと、幻想的と言えないこともない。

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地蔵峠に到着。道標。

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地蔵菩薩。

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霧藻ヶ峰まで300メートル。

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表札が逆光で見えにくい。

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道を上下すると、小高い上にトイレ。

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さらに進むと、大岩にレリーフ。ここで山開きが行われるらしい。

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記念碑とレリーフの案内板。

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レリーフの岩をまわると休憩所の建物があった。

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休憩所前のベンチ。ここで持参したコンビニのおにぎりを食べた。

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霧藻ヶ峰休憩所(看板は「休憩舎」)の全景。

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休憩所の前はまぶしいくらいの新緑に覆われていた。空が晴れて陽が差してきたので、汗と雨でぬれたTシャツをベンチの上に広げて干したら、すぐ乾いた。

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雲取山へ行くには、休憩所の前を通って、お清平に下ります(ここから白岩山に向けてきつい上り下りがあるらしい)。

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帰りにレリーフを撮り直した。

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三角点。

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三角点からも真っ白で眺望はなし。晴れていれば、三峯神社の方向が見えるそうです。

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地蔵峠の表札も、あらためて撮り直しました。

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登山口に近づくと、また霧。
2020.06.26 Fri l 山行 l top ▲
奥多摩の奥の方の山に行きたいなと思います。いわゆる公共交通機関を利用した日帰り登山だと、どうしても行く山が限られてしまいます。同じ日帰りでも、早朝から登ればもっと行く山の範囲が広がるのですが、このブログでも書いているように、横浜の自宅から早朝5時すぎの始発電車に乗っても、実際に山に入ることができるのは早くて8時すぎ、奥の方だと9時半すぎになってしまいます。

公共交通機関を利用した日帰り登山では、(人が多くて意識的に避けている山を除いて)登ることのできる山はもうほとんど登ったと言っていいかもしれません。それで、昔みたいに前泊しようかなと思っています。奥多摩駅の近くに前泊すれば、6時ちょっと過ぎの始発のバスに乗ることができるのです。あるいは、山小屋に泊まって1泊2日で山行するか、どっちかでしょう。

私の田舎でもそうでしたが、昔は今のように車で日帰り登山という発想がなかったし、道路事情も悪く公共交通機関(バス)も便利ではなかったので、山に登るときは前泊するのが当たり前でした。奥多摩でも、奥多摩駅(昔は氷川駅)の近くの日原川沿いに、始発のバスに乗る登山者ご用達の山小屋(旅館)があったそうです。

調べると、私と同じように考えているハイカーがいるみたいで、奥多摩駅の近くにハイカーがよく利用する格安の民宿がありました(おせいじにもキレイだとは言えないと書いていたけど)。

私も子どもの頃、近所の旅館に泊まったハイカー達が早朝薄暗いうちから登山口に向かって歩いて行く姿を見たことがあります。大きなリュックを背負い、列を作ってやや前かがみになりながら、黙々と歩を進めて行くそのうしろ姿が、子ども心にとても印象的でした。

前も書きましたが、我が家は一時、本業とは別にアイスキャンデー屋(つまり、アイスクリームの製造販売)をやっていたことがあり、そのときは夏の登山シーズンになると、山の中腹の休憩場所でアイスキャンデーを売っていました。休憩場所までは馬で運んでいたそうです。

先日、丸山で高齢のハイカーから昔の話を聞いたら、ますます昔の奥多摩を知りたいと思いました。それで、昔の奥多摩を写した写真がないかと思ってネットを検索したら、下記のサイトが見つかりました。

ロッジ山旅
横山厚夫さんのちょっと昔の山
http://yamatabi.info/yokoyamaindex.html#y1

これは、横山厚夫さんという登山家の方が撮った写真を、山梨県北斗市の「ロッジ山旅」というロッジのオーナーが、みずからのサイトに掲載して公開したものです。こういった写真を公開して残すというのはホントに貴重なことだと思います。

私は、ここに掲載された半世紀前の写真を見ていたら、同じ登山でも今と昔とでは全然違うことを痛感させられました。それは、今、山に登りながずっと抱いている違和感につながるものです。

たとえば、先日登った川苔山の写真などが一目瞭然です。

http://yamatabi.info/yokoyamaq3.html

1963年と言いますから、57年前の川苔山です。今と比べると、同じ山とは思えません。同じ尾根でも、その眺望はまったく違います。今のように植林が行われていなかったので、奥多摩の山の上の方はカヤトが多く、明るい道だったのです。真ん中の写真には、説明にもあるとおり、山頂下の東の肩にあった売店の建物が写っています。今の東の肩は樹林帯を登った上に忽然と現れる休憩場所といった感じですが、昔は遠くからも目印になるような開けた尾根の上にあったのです。

いちばん下の獅子口小屋の写真ですが、丸山で会った高齢のハイカーが話していたのは、この獅子口小屋のことかも知れません。一度、小屋跡を訪ねてみたいけど、獅子口小屋跡に行く大丹波川沿いの林道が台風19号の後遺症で通行止めになっているため、今は行くことができません(昨秋の台風19号の奥多摩の被害は甚大で、今も多くの登山道が通行止めになっています)。

昔の登山道は、このように開けた明るい道が多かったのです。特に尾根道はそうでした。

私の田舎は、家の外に出ると、いつも背後に久住連山(「くじゅう連山」「九重連山」というのは最近の呼び方で間違い)が聳えていましたが、三つの山の中でいちばん右手にあった黒岳だけが登山者が少なく人気がありませんでした。どうしてかと言えば、黒岳は原生林に覆われた山で、見通しが悪く登山道が暗かったからです。

昔の登山は、眺望が開けた明るい道を歩くのが普通だったのです。ちなみに、私の田舎の山は植林が行われてないので、今でも昔と変わらない山相が保たれています。

下記の「三国峠、浅間峠」は、ちょうど自粛前の4月に生藤山から笹尾根を歩いて浅間峠を降りたときとまったく同じコースの写真です。

http://yamatabi.info/yokoyamaq1.html

こんなに眺望が開けていたとは信じられないくらいです。途中の熊倉山も「周りの木が育って眺めは少ない」と書いていますが、今と比べると全然明るくて眺望にめぐまれています。

下記の「三国峠越え」のいちばん上の写真は、佐野川峠から甘草水を経て三国峠(三国山)までの桜並木の写真だと思われますが、今は植林されたまま放置された樹木に覆われ(しかも、桜の木の多くは病気で花も咲いてない)、まったく違った風景になっています。

http://yamatabi.info/yokoyamaq49.html

御前山も、今は眺望が少ない暗い(地味な)山になっていますが、昔はカヤトと笹の多い明るい山だったことがわかります。

http://yamatabi.info/yokoyamaq15.html

今、奥多摩の山を歩いていると、登りの多くは樹林帯の中の暗い道を歩かねばなりません。眺望もないので、ただ下を向いて歩くだけの苦行のような山登りを強いられるのです。それでは、コースタイムに対して何分速いとか遅いとか、地図のコースタイムと競争しているような、何のために山に登っているのかわからない軽薄な登山者が多くなったのは当然かもしれません。

私は、横山厚夫さんの写真を見て、「そうだったよな、昔の山は明るかったよな~」としみじみ思い、しばし昔を(子どもの頃を)懐かしんだのでした。
2020.06.24 Wed l 山行 l top ▲
池袋駅~飯能駅~芦ヶ久保駅~【丸山】~芦ヶ久保駅~東飯能駅~八王子駅~菊名駅

※山行時間:約6時間(休憩含む)
※山行距離:約9キロ
※山行歩行数:約21,000歩


おととい(17日)、奥武蔵(注:埼玉の山域)の丸山に登りました。去年の9月にも登っていますので、10ヶ月ぶり2度目です。登りは前回と同じ西武秩父線の芦ヶ久保駅から登りました。下りは前回は大野峠を経由して赤谷という集落に降りたのですが、今回は登りと同じルートをピストンしました。

朝の西武秩父線の電車は、平日にもかかわらずハイカーの姿が目立ちました。自粛前と比べても、むしろ多いくらいでした。ただ、さすがに団体はいませんでした。

平日ということもあって、ハイカーの大半は中高年です。と言うか、高齢者が目立ちました。飯能駅で西武秩父線の電車を待っていたら、ホームで「ちびくろサンバ」のバターになった虎のように、ベンチの周りをぐるぐる回っていた夫婦とおぼしき高齢のハイカーがいました。山歩きの準備運動をしていたのでしょう。また、電車の中でも、芦ヶ久保のひとつ手前の正丸峠が近づいてくると、やにわに立ち上がってストレッチをはじめたお爺さんもいました。新型コロナウイルス対策なのか、覆面にサングラスの月光仮面のような恰好をした男性もいました。山に行くのは変わった人間が多いと言われますが(私もそのひとり?)、自粛明けでいっきに奇人変人が姿を現したという感じでした。

芦ヶ久保駅で一緒になった72歳の男性と途中まで一緒に歩きました。若い頃山に登っていたものの中断し、70歳をすぎてから再び山に行き出したそうです。再開してまだ1年ということでしたので、私とほぼ同じです。

やはり、人がいない山をひとりで歩くのが好きだと言ってました。丸山は初めてだと言うので、登山口まで案内する格好になり、それからしばらく一緒に歩きました。しかし、自分のペースで歩けないので、いつもより息が上がって調子が狂ってしまいました。もっとも、丸山自体も、標高差(高低差)は650メートルで、登りの累計標高差も1000メートルもなく、登山道も奥多摩の山に比べて全然登りやすいにもかかわらず、なぜか地味にきつい山なのです。

そのため、幸か不幸か、途中から遅れはじめて、完全に置いて行かれました。それどころか、あとから来た5~6人からも追い抜かれました。山頂に上がって、話をしたら、追い抜いて行った人たちもみんな70代でした。なんだか自分が情けなくなりました。

途中で何度も心拍数をはかりましたが、160まで上がっていました。年齢からすれば「非常にきつい」状態で、それでは足を止めたくなるのも当然です。70代の老人たちから「160は上がりすぎですよ」「普通は130くらいですよ」と言われました。下りのときにはかったら130でした。たしかに、130だったら普通に歩けるのです。

前回と比べたら、山行時間はほとんど同じでした。前回はストックを使わなかったのですが、今回はストックを使って登りました。それでも変わらなかったのです。この10ヶ月間山に行っても、まったく進歩がないのです。愕然とはしなかったものの、少し落ち込みました。

たしかに、日常においても、体力が付いたという認識はありません。駅の階段を上るときも、相変わらず息が上がりますし、電車を途中で降りて3つくらいの駅間をよく歩くのですが、前となにか変わったかと言えば、そんなに変わったようには思えません。年齢を経ると他人より歩くのがめっきり遅くなりましたが、ときどき他人に合わせて急ぎ足で歩くとすぐ筋肉痛になります。

そんな話をしたら、山頂で会った老人たちから「そうですかぁ」と怪訝な顔をされました。みんなは、山に来るようになって「体力が付いた」という自覚があるそうです。

心拍数についてネットで調べると、運動時に心拍数が上がること自体は悪いことではなく、むしろ、安静時の心拍数の方が重要だそうです。安静時に心拍数が高いと問題なのだとか。また、運動中も、休むとすぐ心拍数が下がれば特段問題はないと書いていました。心筋梗塞を発症するようなケースでは、安静時の心拍数が高く、且つ運動しても心拍数があまり上がらないのだそうです。

私の場合、安静時の心拍数はそんなに高くなく「普通」です。山に登ると、160くらいまでいっきに上がりますが、足を休めると130まですぐ下がりますので、それも問題があるとは思えません。

心拍数が上がりやすいというのは、それだけ体力がない証拠なのかもしれませんが、だったら1年近く山に行っているのにどうして体力が付かないのかと思います。心拍数が上がりやすいというのは、心肺能力自体に問題があるのか、それとも体力がないからなのか、なんだかニワトリと卵のような話ですが、それを知りたいと思いました。

それで、帰った夜に、さっそく通販でパルスオキシメーターを注文しました。これからは、山に行くときはパルスオキシメーターを持って、登山中も心拍数だけでなく血中酸素濃度もはかろうと思っています。

丸山の山頂でも何人かの”月光仮面のおじさん”がいました。山頂標識の前でスマホで写真を撮ってほしいと言われたので(スマホを差し出しながら「写メをお願いします」と言っていた)、「仮面を取らなくていいんですか?」と皮肉を言ったら、「いいんです」と言ってました。

「写メ」を撮った”月光仮面のおじさん”は74歳とかで、昔の秩父や奥多摩の山の話をしていました。ソーシャルディスタンスで2メートル以上離れて立ち、しかもマスクをして喋るので山の名前がよく聞き取れなかったのですが、「〇〇山にも50年前は山小屋があったんですよ」などと言ってました。

山小屋だけでなく、昔は奥多摩の御前山や川苔山や本仁田山の山頂には売店もあったという話を聞いたことがあります。地元の人がジュースなどを売っていたそうです。御前山の山頂の粗末な小屋の前で、割烹着姿のおばんさんが接客している写真をネットで見たこともあります。

昔は今のようにコンビニもないし、ましてや道の駅もなく、マイカーによる日帰り登山も少なったので、登山客の便宜をはかるために、売店や山小屋が至るところにあったのでしょう。登山口の周辺でも、地元の人が営む売店や食堂があったみたいで、今もその名残りを見ることができます。もちろん、ハイカーも今とは桁違いに多かったのです。前も書きましたが、1969年に西武線が秩父まで延伸する前までは吾野駅が西武線の終点でした。吾野駅が終点だった頃は、週末の奥武蔵の山は今では考えられないくらい多くのハイカーで賑わっていたそうです。

山から降りたあとは、地元の食堂や売店を廃業に追いやった芦ヶ久保駅の下にある道の駅で、アイスクリームを食べてしばらく休憩しました。

東飯能から八高線で八王子、八王子から横浜線で帰りました。電車の中は、休校処置が終わった高校生たちでいっぱいでした。

帰って体重をはかったら2キロ減っていました。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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芦ヶ久保駅。

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登山口に行く途中から見えた、秩父の象徴武甲山。

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登山道に入ってすぐのところにある無人の売店。

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道標にある「川越山の家」には昔、車で行ったことがありますが、今は閉鎖されています。バブルの頃は、奥武蔵の山の中に、別荘の分譲地もありました。

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きれいに手入れされた防火帯。

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防火帯で”月光仮面のおじさん”に追い抜かれた。

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去年の台風の爪痕?

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別の”月光仮面のおじさん”からも追い抜かれた。

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最後の階段を登ると、山頂が見えてきた。

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山頂標識

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展望台からの眺望(展望台には望遠鏡も設置されています)。

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同上。

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宝くじの収益金で建てられた立派な展望台。

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来た道を戻ります。

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登山口の近くにある獣除けの柵。

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麓の集落が見えてきた。

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登山口の脇に繋がれている名物の犬。いつも激しく吠えるのですが、夏バテなのか、ぐったりして吠えることもなく大人しかったです。「バイバイ」と言ったら、顔を上げて「なんだ、お前は」みたいな感じでこっちを見ていました。なんだかさみしそうでした。
2020.06.19 Fri l 山行 l top ▲
れいわ新選組の山本太郎の東京都知事選出馬表明について、立憲民主、共産、社民の3野党が宇都宮健児氏への支援を決めているため、野党支持層の票が分散するのではないかと懸念する声があります。特に、立憲民主党周辺や「アベ政治を許さない」左派リベラルの市民運動の当事者たちからは、利敵行為だというような強い意見も出ているそうです。

山本太郎がどうしてこれほど立候補に拘ったのか、よくわからない部分もありましたが、立候補に際して、その裏事情が見えてきました。

れいわ新選組が野党共闘の条件として掲げる「消費税5%引き下げ」(党の公約は「消費税廃止」)を野党統一候補(宇都宮健児氏?)の選挙公約に採用するように主張したことに対して、財政再建=緊縮派の立憲民主党がどうしても消費税の引き下げを認めることはできないとかたくなな姿勢を崩さなかったため、折り合いが付かなかったのだそうです。

立憲民主党にとっては、消費税10%はかくも絶対譲れない重要な政策なのです。言うまでもなく、消費増税は民主党政権の悪しき“遺産”でもありますが、その“遺産”を守ることが立憲民主党のレーゾンデーテル(存在理由)とでも言いたげです。立憲民主党と自民党の間に、どれほどの違いがあるのかとあらためて思わざるを得ません。

もとより、何度も書いていますが、消費税の問題ひとつ取ってもあきからなように、野党共闘は単なる野合に過ぎません。野党共闘によって、何か政治が変わるような幻想を振りまいているのは、もはや犯罪的ですらあります。

個人的には、ブレイディみか子氏にはもう何の興味もありませんが、ただ、彼女が言った「右か左かではなく上か下かだ」という社会運動のトレンドが、コロナ禍による大倒産&大失業時代を迎えて、よりはっきりしてきたように思います。もうひとつ、彼女の言葉を借りれば、野党共闘なんて「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろ」んでいる「勝てない左派」のアリバイ作りにすぎません。都知事選では、現職の小池百合子が圧勝するのは誰が見てもあきらかで、左派リベラルは“革新幻想”の再現で、負け戦のお茶を濁そうとしているようにしか見えません。

そもそも60年代後半以後の社会運動は、こういった“古い政治”を否定することからはじまったはずなのです。ところが、元全共闘のジジババたちによって、その“古い政治”が墓の下から掘り出され、“革新幻想”を振りまくアイテムとして再利用されているのでした。これほど愚劣な光景はありません。

でも、何度もくり返しますが、これはとっくに終わった政治なのです。こんな時代錯誤なことを何万遍くり返してもなにも変わらないのです。変わりっこないのです。

アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性が白人警察官に圧迫死させられた事件に端を発した黒人差別の抗議運動が、これほどアメリカ社会にインパクトを与える大きな運動になるとは誰も思っていなかったでしょう。今回の運動は、共和党だけではなく民主党も批判の対象になっているのです。警察官の暴虐は、トランプ政権からはじまったわけではないのです。初の黒人大統領であったオバマは、人種差別の根絶のために何をしたのか、という疑問の声が運動の中から沸き上がっているそうです。これこそが真にラジカルな(根源的な)問いかけと言えるでしょう。

今、求められているのは、このようなラジカルな運動なのです。

カリフォルニア州在住でアメリカ事情に詳しい町山智浩氏が、下記の記事で語っていた、アンティファやブラック・ブロックの存在は、これからの社会運動のあり方を考える上で(文字通り「勝てない左派」の運動を乗り越えるものとして)、興味をそそられるものがありました。

Yahoo!ニュース
ABEMA TIMES
黒人差別への抗議行動に紛れて略奪・破壊を繰り返すアンティファ、ブラック・ブロックとは

町山智浩氏は、こう言います。

「アンチ・ファシズム(Anti-Fascism)の運動から派生して出てきた人たちで、トランプ大統領を支持する右翼や白人至上主義者に対抗、集会に現れて物を投げたり、殴り合いをしたりしてきた。それがさらに精鋭化したのが、最近出てきた全身黒ずくめの“ブラック・ブロック”(BLACK BLOC)だ。もはやアンチ・ファシズムでもなく、反資本主義・無政府主義(アナキズム)なので、大統領就任式で放火事件を起こしたり、民主党に対しても攻撃をする(略)」



「アンティファとブラック・ブロックが興味深いのは、組織ではないというところだ。リーダーもいなければ、会員になるというようなこともない。お互いを知れば組織になってしまうし、誰かが捕まって証言すれば共謀したとされてしまうので、集まってもお互いに話もしないのがルールだといわれている。だから呼び掛けすらほとんどなく、“何月何日何時にどこで”というSNSの投稿を見て、リツイートなどもせずにパッと集まって、パッと解散する。“フラッシュモブ”のような感じに近い」


私は、町山氏の話を読んで、笠井潔氏が『3.11後の叛乱』の中で言及していたルイ・オーギュスト・ブランキの「結社」の思想を思い起こしました。

前に書いたように、笠井氏がブランキを持ち出したのはしばき隊を称賛するためだったのですが、しばき隊にブランキを当てはめるのはまったくの買い被りで、トンチンカンな話と言わざるを得ません。それより私は、ブラック・ブロックの行動にこそブランキ主義と通底するものがあるように思えてならないのです。そして、そういったスタイルがこれからの社会運動のトレンドになるように思えてなりません。

また、町山氏は、抗議運動がここまで拡大した背景について、「コロナによる経済危機が根本にある」とも言ってました。

 「1930年の大恐慌もリーマショックも、金融の問題、バブルの問題だった。しかし今回は実体経済の縮小というかつてない問題だ。戦争が起きれば大量生産・大量消費が起きるので特需になるが、それとは逆。おそらくアメリカにとって初の経験ではないか。しかもロックダウン状態が3カ月も続き、失業者は4000万人を超えている」


アメリカの黒人差別に対する抗議運動は(あるいは世界大に広がった人種差別反対運動は)、文字通り右か左かではなく上か下かの運動でもあるのです。

アメリカのような大衆蜂起が期待できない東洋の島国では、コロナ禍でますます追いつめられている下層の人々に対して、上か下かの政治もあるのだということを訴えることからまずはじめるしかないのです。たしかに危ういところはありますが、とりあえず山本太郎がその役割を担っているのは間違いないでしょう。


関連記事:
『3.11後の叛乱』
山本太郎は間違ってない
山本太郎は間違ってない・2
2020.06.17 Wed l 社会・メディア l top ▲
6月9日に、カイロ大学が突然(そして、奇妙な)声明を発表した裏には、どうやら都議会の動きが関係していたようです。私は知らなかったのですが、都議会の自民党を中心に、小池知事に対してカイロ大学の「卒業証明書」の提出を求める決議案が出されていて、10日に決議される予定だったとか。それで、カイロ大学の声明で機制を制したというのが、どうやら真相だったみたいです。決議案は、10日の議決寸前に取り下げられたそうですが、おそらく二階ら自民党本部の“小池人脈”による働きかけがあったと考えるのが自然でしょう。

Yahoo!ニュース
日刊スポーツ
小池氏への決議案取り下げ、カイロ大学の声明も一因

小池都知事は、12日の出馬会見の席で、学歴詐称疑惑について、「すでに原本も示し、カイロ大学も正式にお認めいただいているものと考えている」と答えたそうですが、「原本を示し」たというのは、前回(2017年)の都知事選の際、小池都知事お気に入りのフジテレビに「卒業証書」と「卒業証明書」を「貸し出した」ことを言っているのでしょう。フジテレビは、「とくダネ!」の中で、画面上に「卒業証書」と「卒業証明書」を映し出して、本人に代わって潔白を証明したのでした。しかし、『女帝 小池百合子』は、以前小池の自著に掲載されていた「卒業証書」と「とくダネ!」の「卒業証書」では、カイロ大学のロゴマークが違っていると書いていました。また、「卒業証明書」についても、写真の貼り方やカイロ大学の印鑑がホンモノと違うことを指摘していました。

考えてみれば、カイロ大学の声明などという面倒くさいことをせずに、手元にある「卒業証明書」を議会に提出して疑惑を晴らせばいいだけの話です。フジテレビで証明したからなどと言わずに、何度でも出せばいいのです。どうしてそんな簡単なことができないのか。何か「卒業証明書」を直接見せることができない理由があるのではないか、そう思われても仕方ないでしょう。

と思ったら、出馬会見でアクリル板に入れた「卒業証明書」を公開したそうです。しかし、公開した「卒業証明書」は、カイロ大学のロゴや学長のサインが違っているとか、通常の「卒業証明書」に押印されている外務省の印鑑がないとか、従来から指摘されていた疑問を解消するものではなかったようです。そもそもみずから1年落第したと言っているのに、どうして4年で卒業したことになっているのかという、小学生でも抱く疑問は今回も解明できていません。今回の行為を見ても、その厚顔さ=強心臓は常人の比ではないなとあらためて思いました。

6月11日に「東京アラート」が解除されましたが、ロックダウンだとか西浦博北大教授と一緒に「重篤患者86万人・死者42万人」だとか、散々“危機”を煽っておきながら、最後は何だか肩透かしを食ったようにあっけないものでした。これでは、自粛要請によって、破産か自殺かにまで追い詰められた自営業者はたまったもんじゃないでしょう。

でも、これが“小池劇場”と言われるいつものやり方です。築地市場の移転問題も然りで、水質汚染がどうだとか築地も残す(豊洲に移転しても将来築地に帰ることができるようにする)とか言いながら、いつの間にか全て曖昧になり、尻すぼみになってしまいましたが、そこにも小池都知事お得意の嘘とはったりと強心臓が遺憾なく発揮されているように思います。メディアがきちっと報道せず、都民が騙されたという自覚を持たない限り、小池都知事の嘘とはったりと強心臓の“小池劇場”はこれからも続くことでしょう。

それに、ひとつだけ言えるのは、小池都知事にとって、都政は国政復帰(それもステップアップした復帰)のためのあくまで踏み台に過ぎないということです。「小池さ~ん! 頑張って!」と手を振っている都民も、かつての細川護熙や小沢一郎と同じように、ただ踏み台にされているだけです。

ネットには、小池都知事が「甥」だとか「従弟」だとか言っていた、練馬区桜台の「エコだハウス」で一時同居していた元秘書に関する「不可解な融資」と、小池都知事自身の「“闇金業者”からの不正献金」の記事が出ていましたが、問題なのはこの秘書だけではありません。

Yahoo!ニュース
ディリー新潮
小池都知事が隠したい“金銭スキャンダル”
闇金業者から「違法献金」も


もうひとり、小池都知事の「懐刀」と言われ、前回の都知事選の選挙参謀を務めた秘書の存在が前から注目されていました。彼は、35歳で自民党公認で都議になったのですが、任期中に都議を辞任して日本維新の会から衆院選に出馬して落選。翌年、日本維新の会から再度都議選に立候補するものの落選して、アントニオ猪木氏の議員秘書などをしていたそうです。その頃に小池百合子が声をかけ、都知事選の選挙対策本部長を任せられ、都知事選に圧勝するのでした。それで、「永田町を回遊していた彼の人生は劇的に変わ」り、小池都知事の特別秘書になったのでした。

ちなみに、特別秘書の年収は1千4百万円で、当然都知事の秘書ですから給与は都(税金)から支給されます。さらに、運転手付きの公用車まで与えられていたそうです。

彼の行状について、『女帝 小池百合子』は、次のように書いていました。

  夜の豪遊ぶりは、つとに知られている。
  キャバクラやショーパブが好きで、特別秘書になってからも足しげく通っていた。そのハレンチな豪遊ぶりを『週刊ポスト』(二〇一七年六月二月号)が写真入りで報じている。
  記事によれば、ある店では、バケツに入れたチップを掴むとポールダンスをする女性のビキニの中に素手で押し込んでいたという。女性たちは気前のいい野田(引用者:秘書の姓)の前に列をつくる。ブラジャーを外すと野田は喜んで、「ウォー」と雄たけびを上げる。
   店が終わるまで粘り、ダンサーの外国人女性と腕を絡ませて歩き、タクシーに乗る。それが深夜二時過ぎ。この日、彼と連れ立っていたのは民進党から都民ファーストの会への移籍を望む都議たちであった。公認が欲しかったのだろう。


また、都議時代の彼についても、次のように書いていました。

  都議時代は石原慎太郎の価値観に強く共鳴していた。朝鮮学校補助金削減や尖閣諸島の購入を熱烈に支持し、激しい中国批判を繰り返した。「新しい歴史教科書をつくる会」に所属し、『WiLL』や『正論』といった雑誌にも、たびたび寄稿した。
  二〇一二年には自民党を離党し、日本維新の会に入党。九月十八日の都議会では、「占領期に制定された現行憲法は無効と確認し、大日本帝国憲法が現存すると決議がなされること。皇室典範は占領期に作られたものであり無効であって明治典範その他、宮務法体系を復活させるべき」だと請願した。つまりは現行憲法の否定者である。


しかし、2017年10月の衆院選で、小池率いる希望の党は大敗します。そのため、秘書のリストラが行われ、秘書の間でも齟齬が生じるようになり、彼も特別秘書を退任することになりました。ところが、なんと彼は、東京都水道局の外郭団体である東京水道サービス株式会社(TSS)の社長に就任したのです。

(略)水道に対する知識もなく、行政経験もなく、さらにいえば社会人経験もない、政界を暗躍して「小池の弾除け」と自称する四十六歳の男が、都知事の鶴の一声で特別秘書から、今度は外郭団体に天下って社長になるというのだ。
  小池が口封じのために高給の再就職先を用意したと批判の声が上がるのは当然だった。


都政の私物化はとっくにはじまっているのです。しかし、それでも小池都知事にとって都政は、あくまで国政にステップアップして復帰するための踏み台に過ぎないのです。小池都知事のパフォーマンスに右往左往している都民こそいい面(ツラ)の皮でしょう。
2020.06.13 Sat l 社会・メディア l top ▲
小池百合子都知事が、7月の都知事選に向けて、10日に出馬会見を開くのではないかと言われていた前日の9日、突然、カイロ大学が「(小池都知事が)1976年10月にカイロ大学文学部社会学科を卒業したことを証明する」との声明を発表したのにはびっくりしました。さらに驚くべきことに、在日エジプト大使館が、カイロ大学の声明文をフェイスブックで公開したそうです。これも異例でしょう。ただ、予定されていた(?)10日の出馬会見は延期される見込みだとの報道がありました。

朝日新聞デジタル
小池都知事は「カイロ大学を卒業」 大使館が声明文公開

一個人の卒業疑惑に、大学が声明文を発表するというのは前代未聞で、どう考えても不自然です。まして、卒業疑惑が「カイロ大学及びカイロ大学卒業生への名誉毀損(きそん)であり、看過することができない」などと言うのは異常且つ異様です。そのくせ、具体的な”証拠”は何も出してないのです。”アラブの春“を弾圧した軍部が実権を握る「なんでもありの軍事国家」の中で、小池百合子の“過去”を知る「早川さん」が恐怖を抱くのもわかる気がします。

元恋人の舛添要一氏も、この声明を受けて、次のようにツイートしていました。

カイロ大学が小池都知事が1976年に同大学を卒業したと声明。卒業証書や卒業に至る経過、成績表は公開せず。先進国の大学なら、全ての記録を保管し公表できる。声明など出すこと自体が政治的で胡散臭い。日本からの援助を期待する外国政府まで使う。立候補前の政治工作だろう。
@MasuzoeYoichi


私はパリ大学とジュネーブ大学に籍を置いたが、大学が声明まで出してそれを追認することはない。出すなら声明ではなく当時のデータだ。データ抜きなら政治的都合で何とでも言える。エジプトという専制国家ならではの腐敗の極みだ。証拠も出さずに○○が卒業生だと声明を出す先進国の大学は絶対にない。
@MasuzoeYoichi


かつて小池都知事から私が聞いたのはカイロ大学「首席卒業は、学生が一人しかいなかったから」という話だ。私は、外国人学生専用のコースかと思った(私が留学したフランスでは外国人専用の博士号コースがあった)が、「学生一人」すら嘘だったようだ。飽くなき権力欲は怖い。
@MasuzoeYoichi


要は声明文などより、舛添氏も言うように「データ」を開示すればいいだけの話です。また、小池百合子自身も、「首席で卒業」した自分のアラビア語(文語)のレベルを披露すればいいのです。それが論より証拠というものでしょう。

声明によって、逆にますます疑惑が深まったように思えてなりません。

尚、舛添氏がツイッターでリンクしているJBpressの記事では、カイロ・アメリカン大学の留学体験がある作家の黒木亮氏が、小池百合子のアラビア語の語学レベルを検証していました。ちなみに、カイロ・アメリカン大学というのは、国立のカイロ大学とは別の私立大学で、小池百合子がカイロ大学に編入するまで籍を置いていた(と言われる)大学です。

以下が黒木氏の記事の一覧です。

JBpress

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈1〉
「お使い」レベルのアラビア語
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58847

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈2〉
卒論の”嘘”
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58851

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈3〉
エジプトで横行する「不正卒業証書」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58857

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈4〉
「不正入学」というもう一つの疑惑
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58869

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈5〉
カイロ大学の思惑
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58870

【最終回】小池百合子「カイロ大卒」の真偽
卒業証明書、卒業証書から浮かび上がる疑問符
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58871

議会答弁でさらに深まった小池都知事の「学歴疑惑」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59731

「カイロ大卒業」を取り繕うエジプトの小池人脈
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60763

一方、大手新聞社やテレビ局などは、この問題については最初から腰が引けています。言うまでもなく、彼らは、東京オリンピックで東京都と(主催と協賛の)共存関係にあるからです。彼らにとっては、触らぬ神に祟りなしなのでしょう。

もともと小池百合子がメディアを足場にここまでのし上がって来たのも、アラブ通を自認するジャーナリストたちが、彼女を持ち上げたからだと言われています。

『女帝 小池百合子』も次のように書いていました。

  中東通としてテレビに登場する新聞記者の大半は、アラビア語を解さない。男社会の中で生きている彼らは小池のような女性に一様に甘く、親切だった。
  フリーランスの若い男性ジャーナリストたちは、そのあり様を冷ややかに、かつ、呆れてみていたようだ。元AP通信社の浅井久仁臣は一緒にアフリカや中東で取材したこともある朝日新聞の伊藤正孝のことを、人間としては信頼していたと断ったうえで、そんな伊藤が小池に手もなく取り込まれているのを見て、小池のカイロ時代を知るだけに「女を見る目がないな」と感じたと自身のブログ(二〇〇五年八月十六日)で明かしている。
  伊藤はこの後、小池の政界入りにも協力し、常に彼女に便宜を計り続けた。また、自分の出版記念パーティでは、キャスターになった小池に司会も頼んでいる。
  新聞各社の男性たちはこぞって、小池に自分の力を誇示しようとした。仕事を紹介する人もいれば、紙面を提供する人、人脈を与える人もあった。
  新聞で活字にされた瞬間に「カイロ大学卒」は事実として認定され、流布されていく。その信頼をもとに彼女の世界は広がっていった。


記事の中の伊藤正孝氏は、のちに筑紫哲也のあとを継いで『朝日ジャーナル』の編集長になった人物で、私も『朝日ジャーナル』を愛読していましたので、名前は知っていましたし、彼が書いた記事も読んだ覚えがあります。

鼻の下の長いジャーナリストたちは、あのミニスカートからすらりと伸びた足と、じっと自分を見つめる大きな瞳にいとも簡単に篭絡されたのでしょう。

そして今も、新型コロナウイルスの報道に見られるように、メディア戦略に長けた都知事にいいように手玉に取られ、各メディアは彼女の広報担当のようになっています。いつの間にか、「東京アラート」なるものが感染状況を知る唯一の指標のようになっているのでした。なんのことはない、新型コロナウイルスも、小池都知事の政治的パフォーマンスの格好の場になっているのでした。
2020.06.09 Tue l 社会・メディア l top ▲
今日、パソコンを立ち上げたら、グーグルに次のようなメッセージが掲げられていました。

人種的平等、そしてそれをさがしもとめる人々を、私たちは支持します。


このメッセージは、アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性が白人警察官に圧迫死させられた事件に端を発して世界中に広がった、人種差別反対の運動に呼応したものでしょう。

私は、そのメッセージを見るにつけ、だったらグーグルは、ヘイトの巣窟になっているYahoo!Japanとの提携をやめるべきではないかと真っ先に思いました。

伊藤詩織さんも、ツイッターだけでなくYouTubeやヤフコメの書き込みに対しても、今後法的対応を取ることをあきらかにしていますが、グーグル(グーグル日本法人)は、海の向こうの人種差別運動だけでなく、自分の足元のYouTubeやヤフコメの書き込みにも目を向けるべきなのです。

特に、ヤフコメのヘイトな書き込みには目に余るものがあります。Yahoo!Japanは対応していると言っていますが、実際は放置に等しいものです。Yahoo!Japanがヤフコメを閉鎖しないのは、ニュースがヘイトな書き込みによってバズることがビジネス上美味しいからでしょう。Yahoo!Japanにとってのニュースの価値は、アクセス数なのです。アクセス数によってニュースをマネタイズすることなのです。だから、どんなに批判を受けてもヤフコメを閉鎖することなど考えられないのでしょう。

Yahoo!Japanは、言うまでもなくソフトバンクグループの総師である在日朝鮮人の孫正義氏が率いる会社です。孫正義氏は、『あんぽん』の記事でも触れましたが、佐賀県の鳥栖駅近くの朝鮮部落で、泥水に膝まで浸かりながら懸命に勉強して久留米大付設高校に進学し、入学後アメリカに渡ってカリフォルニア大学バークレー校に留学、今日の礎を築いたのでした。小学生のとき、「チョーセンジン出ていけ」と言われて石を投げつけられ、そのときの傷が今でも頭に残っているそうです。日本に「帰化」するに際して、通名の「安本」ではなく朝鮮名の「孫」にこだわったのも、本人が言うようにそのときの頭の傷が原点になっているからでしょう。

そんな誰よりも差別のむごたらしさを知悉しているはずの人物が率いるネットメディアが、かつて石を投げつけられたのと同じような理不尽な民族差別を放置し、見て見ぬふりをしているのです。それどころか、差別を商売の(金儲け)の手段に使っているのです。お金のためには、かくも節操もなく悪魔に魂を売るものなのかと愕然とせざるを得ません。前も書きましたが、私は、人間のおぞましささえ覚えてなりません。

人種差別というと、アジアに住む私たちはなにか他人事のように思ってしまいますが、私たちのまわりにも同じようなヘイトが蔓延しているのです。

グーグル(グーグル日本法人)が「人種的平等、そしてそれをさがしもとめる人々を、私たちは支持します」と崇高なメッセージを掲げながら、足元にあるYouTubeやヤフコメのヘイトな実態に目を向けないのなら、それはどう考えても詭弁と言うしかありません。


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『あんぽん 孫正義伝』
2020.06.09 Tue l ネット l top ▲
女帝小池百合子


石井妙子著『女帝 小池百合子』(文藝春秋社)を読みました。

「救世主か? “怪物”か? 彼女の真実の姿」と帯に書かれた本書の肝は、なんと言っても、カイロ大学に留学していた際に、小池百合子と同居していた女性の証言です。小池百合子は、名門のカイロ大学を「正規の四年で(しかも首席で)卒業することのできた最初の日本人」と主張し、それが売りでメディアに登場して、現在の足場を築いたのでした。

ちなみに、小池百合子は、カイロ大学の留学時代に、アラビア語の語学学校で知り合った男性と学生結婚しています。それは、今回小池百合子の謎に包まれた”アラブ留学時代“を証言した「早川さん」と1回目の同居をはじめたあとの話です。小池百合子と「早川さん」が知り合ったのは、語学学校の共通の知人の紹介だったそうです。

その頃の小池百合子は、カイロ大学とは別の私立大学に通っていたそうですが、しかし、同居人の「早川さん」が「勉強しないでも平気なの?」と訊いたほど、本やノートを開くことはまったくなく、アルバイトに明け暮れていたそうです。お父さんが「石油を扱う貿易商」で、芦屋の「お嬢さま」だと聞いていたのに、親がまったく送金してこないので「驚いた」そうです。

関西学院大学を1年で中退してカイロにやって来た当時の小池百合子は、カイロ在住の日本人の中では飛びぬけて若く、日本人社会の中では「アイドルのような存在」だったそうです。そのため、毎夜、二人が同居する家に商社マンなど男性が遊びにやって来るので、語学留学していた「早川さん」はこれではなんのためにカイロにやって来たかわからないと悩んだそうです。

一方、結婚生活は、本人によれば「半年」とか「数ヶ月」とかで破綻してしまいます。ただ、小池百合子が再び「早川さん」の前に現れたのは、結婚するために引っ越してから3年後のことで、離婚後どこでどう暮らしていたのかはわからないと書いていました。そして、そこから二度目の同居がはじまったのでした。

結婚している間に、彼女は、父親の知り合いのエジプト政府の要人(副首相?)の紹介で、カイロ大学の2年に編入した(コネ入学した)と言われています。しかし、神戸にいた父親は事業に失敗して破産してしまいます。父親の仕事は、「石油を扱う貿易業」と言っていましたが、石油を直接輸入していたわけではく、「業転」(業者間取引の略)と言われる仕事をしていたにすぎません。

車に乗っていると、車体にエッソや昭和シェルやキグナスなどの石油会社の社名が入ってない無印のタンクローリーが走っているのを見かけることがありますが、あれが「業転」なのです。そういったタンクローリーは、メジャーの系列店とは別の安売りスタンドなどに、正規の流通で「余った?」ガソリンをスポットで納入しているのです。父親は、そのブローカーの仕事をしていたのです。

父親は、兵庫二区から衆院選挙に出馬するなど「政治好き」だったと言われていますが、一方で、「大風呂敷で平気で嘘を吐く」「政治ゴロ」だったと陰で言う人もいたそうです。破産後の小池家の”後見人”になった朝堂院大覚こと松岡良右氏は、父親の出馬について、「選挙に出て、あの家は傾いたんじゃない。傾いていたから一発逆転を狙って、後先を考えずに選挙に出たんやろ。議員になってしまえば、借金も返せると浅はかに考えて。」と言っていたそうです。

父親の経歴について、本書は次のように書いていました。

   海軍中尉だったと語る一方で彼はまた、周囲に「満鉄経理部で働いていた」「満鉄調査部にいた」「満鉄の野球部で活躍した」とも語っている。だが、海軍にいたのなら満鉄にいられるわけはなく、満鉄にいたのならば海軍にいたとは考えにくい。


そういった「大風呂敷で平気で嘘を吐く」性格は、娘も受け継いでいるのではないかという声もあります。娘は父親を憎んでいたと言われていますし、事実、父親の話をすると不機嫌になったそうですが、しかし、二人は「一卵性父娘」だったと言う人も多いのです。

学歴だけでなく、芦屋のお嬢様だったという生い立ちも、間一髪飛行機事故を回避して命拾いしたという逸話も(それも二度も)、亡くなった父親や母親に関する美談も、もちろん、政治の世界に入ってからの数々の発言やパフォーマンスも、嘘とはったりで、「蜘蛛の糸を掴む」ようにして「虚飾の階段」を登るその過程でねつ造された「物語」だと書かれていました。

本書を読む限り、彼女の虚言は枚挙に暇がなく、学歴詐称はそのひとつに過ぎません。ただ、その後の彼女が歩んだ人生を考えれば、学歴詐称によって、小池百合子はルビコンの川を渡ったと言っていいのかも知れません。

先日、都議会で本書について自民党の都議から質問を受けた際、小池都知事は次のように答えたそうです。

自民党の清水孝治氏は、先日発売された「女帝小池百合子」というタイトルの書籍を手に質問。一部を音読するひと幕まであった。「百合子さん」と繰り返す清水氏に、小池氏は「これほど、本会議場でファーストネームで呼ばれたことは初めて」と、笑い飛ばした。

日刊スポーツ
小池知事、学歴詐称報道に「読んでいないので…」


本書を読むと、こういったはぐらし方こそ、如何にも彼女らしいなと思います。

学歴詐称問題は、今までも何度も取り沙汰されてきました。しかし、「嘘も百回繰り返せば真実になる」というナチス・ドイツの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの言葉を実践するかのように、こういったはぐらかしと強心臓で否定し続けてきたのでした。もちろん、学歴詐称が事実であれば、公職選挙法違反になるのは言うまでもありません。

アラビア語には、口語と文語があり、文語は非常に難解で、外国人が文語をマスターするのは至難の業だと言われているそうです。

  エジプトでは現在も、口語(アーンミンヤ)と文語(フスハー)が明確に分かれており、日常では口語が使われている。
  一方、文語はコーランに典型的な四世紀頃から続く古語で、アラブ各国のインテリ層の間では、この文語が共通語として使用される。
  ニュースや大統領の演説には、格調高いこの文語が用いられ、書物や新聞も当然、文語である。カイロの大学の教科書も、教授の講義も文語でなされる。文語は大変に難解で、エジプトの庶民階層に非識字者が多い理由もここにある。
(中略)
  アラビア語を母国語とする人でも苦しむ、この文語を外国人、とりわけ日本人が習得するのは並大抵のことではなく、だからこそカイロ大学を正規に卒業した日本人は数えるほどしかいないのだ。
(中略)
  アラビア語の口語すら話せなかった小池が、文語をマスターして同大学を四年で卒業する。そんなことは「奇跡」だと嫌味を込めて語る人は少なくない。


しかも、本人は、首席で卒業したと主張しているのです。

彼女の主張について、「ある国際関係の専門家」は、「あの小池さんの意味不明な文語を聞いて、堪能、ペラペラだ、なんて日本のマスコミは書くんだから、いい加減なものだ。卒業証書なんて、カイロに行けば、そこら中で立派な偽造品が手に入りますよ」と言っていたそうです。また、「日本在住のエジプト人女性が語った言葉も私には忘れられない」と著者は書いていました。

「たどたどしい日本語で、『私、東大出たよ、一番だったよ』と言われたら、日本人のあなたは、どう思いますか。東大、バカにするのかって思うでしょ。(略)」


ある日、同居人の「早川さん」が帰宅したら、小池百合子がしょんぼりしていたそうです。どうしたのと訊いたら、進級試験に落ちたと。しかも、よくよく聞けば、それは最終学年ではなく、3年から4年に進級する試験だったそうです。そのために、追試も受けられない。そして、彼女は、日本航空の現地スタッフとして働きはじめたのだそうです。

それからほどなく、サダト大統領夫人が日本に来るので帰って来いという父親からの連絡を受けて一時帰国し、父親が娘を「カイロ大学卒」として日本アラブ協会に売り込んだのが功を奏して、大統領夫人の接待係に採用されます。それが彼女の人生の大きなターニングポイントになったのでした。

当時の東京新聞には、彼女のことが次のように紹介されていたそうです。

「この九月、日本女性として初めてエジプトのカイロ大学文学部社会学科を卒業し、十月中旬に帰国したばかり」(一九七六年十月二十七日)


日本から戻ってきた小池百合子は、「嬉しそうにスーツケースから新聞を取り出すと早川さんに見せた」そうです。

(略)早川さんは読み進めて思わず声をあげた。
「百合子さん、これって・・・・」
  見上げると小池の視線とぶつかった。驚く早川さんを見て、小池はいかにも楽しそうに微笑んでいた。そんな小池を目の当たりにして、早川さんはさらに当惑した。
「百合子さん、そういうことにしちゃったの?」
  小池は少しも悪びれずに答えた。
「うん」


そして、小池百合子はカイロでの生活を精算して日本に帰国する準備をはじめたのですが、最後の夜、彼女は「早川さん」に次のように言ったのだとか。

「あのね。私、日本に帰ったら本を書くつもり。でも、そこに早川さんのことは書かない。ごめんね。だって、バレちゃうからね」


「早川さん」は現在もカイロに在住していますが、しかし、小池百合子の”過去”を知る人間として、恐怖すら覚えるようになっているのだとか。政治家として権力を持った元同居人。しかも、現在のエジプトは「なんでもまかり通ってしまう軍事国家」です。なにより、民主的な法秩序より人治的なコネやツテが優先されるアラブ世界。こうして”過去”の話をあきらにしたのも、あえて声をあげることで、みずからの身を守ろうとしているのかもしれません。

日本に帰国した小池百合子は、日本テレビの朝の情報番組「ルックルックこんにちは」で、竹村健一の対談コーナーのアシスタントとしてデビューします。さらに、「テレビ東京(当時は東京12チャンネル)の天皇」と言われた社長の中川順氏に気に入られ、「ワールドビジネスサテライト」のキャスターに抜擢されるのでした。そして、「ワールドビジネスサテライト」のキャスターを踏み台にして、政界に進出し、誇大妄想の泡沫候補で、「政治ゴロ」と言われた父親の夢を娘が叶えたのです。

政界に入ってからも、日本新党、新進党、自由党、保守新党、自民党と渡り歩き、その間、細川護熙・小沢一郎・小泉純一郎などの権力者に接近することで、「政界の渡り鳥」「爺々殺し」「権力と寝る女」などという陰口をものともせず、政治家としても華麗な転身を遂げていったのでした。そして、今や憲政史上初の女性総理大臣候補と言われるまでになっているのです。

彼女の政界遊泳術については、新進党時代の同僚議員であった池坊保子氏の証言が正鵠を得ているように思いました。

「(略)小池さんは別に政治家として、やりたいことはなくて、ただ政治家がやりたいんだと思う。そのためにはどうしたらいいかを一番に考えている。だから常に権力と組む。よく計算高いと批判されるけれど、計算というより天性のカンで動くんだと思う。それが、したたか、と人には映るけれど、周りになんと言われようと彼女は上り詰めようとする。そういう生き方が嫌いじゃないんでしょう。無理しているわけじゃないから息切れしないんだと思う」


現在、新型コロナウイルスを奇貨として、小池百合子東京都知事はまさに水を得た魚の如くお得意のパフォーマンスを繰り広げています。まるで日本の救世主=ジャンヌ・ダルク(彼女自身、「政界のジャンヌ・ダルクになりたい」と言っていた)であるかのようです。今、「東京アラート」で歌舞伎町がやり玉に上げられていますが、私は、それより西浦博北大教授とともに唱えていた「重篤患者86万人・死者42万人」の話はどうなったのかと問い質したい気持があります。新規感染者数なんて検査数の匙加減でどうにでもなる数字なのです。彼女のパフォーマンスによって多くの人たちが苦境に陥り、破産か自殺かの瀬戸際にまで追い詰められていることも忘れてはならないでしょう。もちろん、本書でも再三書かれていますが、彼女をここまで祭り上げたメディアの罪も大きいのです。

彼女が結婚まで考えたという元恋人の舛添要一氏は、彼女の学歴詐称問題について、次のようにツイートしていました。

舛添要一6月6日ツイッター

私は、舛添氏のツイートを見て、木嶋早苗が逮捕された際、唯一金銭抜きで交際していた恋人(某新興宗教団体の本部職員だった男性)が警察から彼女の本名を聞かされて、その場に膝から崩れ落ちたという話を思い出しました。木嶋早苗が恋人に伝えていたのは、本名ではなく偽名だったのです。小池百合子にも、似たような心の闇があるのではないか。そんな気がしてなりません。


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2020.06.08 Mon l 本・文芸 l top ▲
武蔵小杉駅~立川駅~青梅駅~鳩ノ巣駅~【川苔山】~鳩ノ巣駅~青梅駅~拝島駅~八王子駅~菊名駅

※山行時間:約8時間(休憩含む)
※山行距離:約13キロ
※山行歩行数:約31,000歩

昨日、川苔山(川乗山・かわのりやま)に登りました。

午前5時6分の東横線に乗って、武蔵小杉駅で南武線に乗り換えれば、立川で奥多摩行きの始発電車に連絡するので、乗り換えのための待ち時間も少なく(青梅線や五日市線は、とにかく待ち時間が長いのが悩みの種です)、午前7時には、川苔山の最寄り駅の鳩ノ巣駅に着く予定でした。

ところが、東横線に乗ってウトウトしていたら、武蔵小杉駅を乗り越してしまったのです。あわてて隣駅で下車して武蔵小杉駅に戻ったのですが、当初乗る予定だった南武線の電車には間に合いませんでした。

そのために、スムーズな乗り換えができなくなり、立川駅で青梅行きに、青梅駅で奥多摩駅行きに乗り換えることを余儀なくされて、鳩ノ巣駅に着いたのは、予定より1時間以上遅れてしまいました。

このように、横浜の自宅から奥多摩に行くには、電車だけでも片道2時間はかかります。奥多摩の山に登る場合、多くは奥多摩駅や武蔵五日市駅からさらにバスに乗らなければならないので、移動時間は3時間は見なければならないのです。

ちなみに、丹沢に行くのも、小田原に近い小田急線の駅からバスに乗らなければならないので、やはり同じくらいかかります。丹沢の場合も、横浜より都内からの方がむしろ便利なのです。

自分のミスによるものとは言え、時間的に一抹の不安を覚えながら、鳩ノ巣駅から登山口に向かいました。鳩ノ巣駅は、本仁田山に登ったときに利用しましたし、途中の大根ノ山ノ神の分岐点まではそのときと同じ道を歩きますので、勝手知ったような感じで登りはじめました。ところが、久しぶりの登山なので、足が重く息が上がってなりませんでした。

1時間くらい歩くと、大根ノ山ノ神の分岐に到着します。大根ノ山ノ神では、いつものようにお賽銭をあげて手を合わせました。大根ノ山ノ神からは本仁田山への道と分かれ、林道を10メートルくらい下がると川苔山の登山口の階段があります。余談ですが、奥多摩の山は、多くは、バス停から集落の中の坂道を登り、いちばん上の家の横に登山口がある場合と、今回のように、斜面に造られた階段を登って行く場合があります(もちろん、それ以外もあるけど)。

川苔山は、奥多摩屈指の人気の山で、登山ルートもいろいろありますが、いちばんの人気はなんと言っても百尋ノ滝を経由して登る川乗橋ルートです。川乗橋ルートは、大半と言ってもいいくらい多くのハイカーが利用する定番コースですが、昨秋の台風19号による被害で、日原への道路が長い間通行止めになっていたためアクセスが途絶えていました。先月、道路はやっと復旧したのですが、登山道の木橋に崩落の危険性があるとかで、登山ルートは依然通行止めになっています。山頂付近でも川乗橋に向かう道は、ロープが張られて封鎖され「通行止め」の札が下げられていました。

私が今回登ったルートは、川乗橋から登って来た人たちの下山ルートに使われるケースが多いようです。また、本仁田山から隣接する尾根を使って登る人も多いみたいで、私もあとになってそうすればよかったと思いました。

なにしろ、今回のコースは、距離が(いづれも往復)13キロ弱、時間にして休憩時間も含めると8時間以上かかるのです。

川苔山の登山道に入った途端、拍子抜けするような平坦な道に代わり、身体も慣れてきたということもあって、最初に抱いた不安もいつの間にか消えていました。ところが、1時間近く歩き、水の涸れた沢を何度か越えると、徐々に傾斜がきつくなりました。もっとも、標高差(高低差)は1000メートルを越えるので、きついのも当然なのです。

しばらく歩くと、上から下りて来るハイカーとすれ違うようになりました。全部で7~8人すれ違いましたが、全員ソロのハイカーでした。おそらくすれ違ったハイカーたちがこの日に川苔山に登った全員だと思います。主要ルートが通行止めのため登山者も少なく、川苔山は今までになく静かな山になったのです。だから、私も登ろうと思ったのでした。

下山して来たハイカーたちに訊くと、距離が長いためか、皆早朝から登っているみたいです。何のことはない、皆が下山している中で、私ひとりが遅れて登っているのでした。秋冬だと日没になり無謀と言えますが、今の季節だと日没前の下山は可能なので、このまま山頂を目指すことにしました。

そして、文字通りほうほうの体で山頂に着きました。もちろん、誰もいません。30分くらいいて、持参したおにぎりを食べましたが、誰も登って来ませんでした。やはり、私が最後の登山者だったみたいです。

ちなみに、すれ違ったハイカーでマスクをしていたのはひとりだけでした。それも、銀行ギャングのようなバンダナ風のマスクをしていたので、一瞬ギョッとしました。

下山にも3時間強かかりましたが、腿の筋肉が悲鳴をあげ、途中でロキソニンのテープを貼って、騙し騙し下りました。気休めでスクワットなどをやっていましたが、太腿の筋肉はやはり山でないと鍛えることはできないということを痛感させられました。

山田哲哉氏は、『奥多摩 − 山、谷、峠、そして人』の中で、「僕は、奥多摩に通いだした人には、この川苔山と大岳山に一度は登ることを勧めている」と書いていました。

   川苔山はボリュームがあり、周囲の尾根からいったん大きく標高を下げて再び隆起する山容からは独立峰のような強い印象を受ける。そして本仁田山へと続く尾根を筆頭に、四方に尾根を延ばし、そこに食い込む急峻で明瞭な沢によって極めて複雑な山容をつくりだしている。山頂からは、東京都と埼玉県を分ける長沢背稜に続く山脈とのつながりが見てとれる。雲取山へと続く尾根の位置関係、雲取山から延びるもう一本の尾根・石尾根の様子もよくわかる。奥武蔵の山とのつながりなども手に取るように見えるため、多摩川北岸の山々を理解する上で、ぜひ登ってほしい山なのだ。「次は、あの山」「あの山にも行かなくちゃ」と、登りたい山々が次々と生まれてくる。


きつくて、ときどき心が折れそうになりましたが、でも、一方で、久しぶりの山行だったので、「山っていいなあ」とあらためて思いました。そして、そう思うと、なんだか胸奥に熱いものが込み上げて来るのでした。

帰りは、いつものように拝島から八高線で八王子、八王子から横浜線で帰って来ましたが、乗客は普段に比べて少ないものの、座席に座っていると、「電車の座席に座ることが人生の目的のような人々」が容赦なく座って来てスマホをいじりはじめるのでした。なんだかスマホをいじるためには「密」をも厭わない感じで、これが麻生財務相の言う「民度の高い」民族であるゆえんなのでしょう。身体が密着するだけでなく、時折咳ばらいをする人も多く、ソーシャルディスタンスなどどこ吹く風なのでした。何度も言いますが、通勤電車の「密」を黙認しながら、一方でソーシャルディスタンスの感染防止策を要望するのは、文字通り頭隠して尻隠さずのマンガみたいな話です。「アフターコロナの時代」なんて言っているのは、ヘソが茶を沸かすような話なのです。苦境に陥っている個人経営の飲食店や商店などを見るつにつけ、正直者がバカを見る世の中なんだなとしみじみ思います。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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鳩ノ巣駅からこのような集落内の坂道を歩いて登山口に向かいます。

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本仁田山に登ったときと同じ登山道を歩いて、大根ノ山ノ神の分岐に向かいます。

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大根ノ山ノ神。

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川苔山の登山道。1キロくらい平坦な道が続きました。

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昨秋の台風19号の名残なのか、倒木が登山道を塞いでいました。

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最初の渡渉(ただし水はありません)。

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いつの間にか新緑の季節になっていた。

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この時期は、山にとって裏ベストシーズンです。みんな山に行こうよと言いたい。

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徐々に岩が出て来た。

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新緑の中に、川乗橋ルートから合流する分岐点が見えて来た。

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道標に下げられたさまざまな注意書き。

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通行止めのロープ。

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さらに進むと山頂が見えてきた。

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山頂の様子。

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おなじみの山頂標識と三角点。

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ここにも通行止めのロープ。

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山頂はガスがかかっていました。雲取山がかすかに見えました。

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登山道脇の木の枝にぶら下げられたマスク。

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川苔山の登山口。入山時撮り忘れたので、下りた際、あたらめて撮りました。
2020.06.05 Fri l 山行 l top ▲
先の戦争での総動員体制下において、今、考えれば狂っていたとしか思えないようなマンガみたいなことを、国家に帰順する国民は真顔で行っていました。その代表例が、竹槍でB29を撃ち落とす訓練でした。しかも、国民は心の中で「バカバカしい」と思いながら嫌々やっていたのではありません。人民史観のマルクス主義者たちは、人民は心の中では「バカバカしい」と思いながら天皇制ファシズムの圧政の下で仕方なくやっていたんだと言いますが、脳天気なドグマに取り憑かれたマルクス主義者が言うほど人民は賢明ではないのです。

今回の新型コロナウイルスでも、似たような話がいくらでもあります。たとえば、緊急事態宣言の発令(発出)に伴い、登山の自粛を呼びかける共同声明を出した山岳4団体(日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟、日本山岳会、日本山岳ガイド協会)は、緊急事態宣言の解除を受けて、登山再開に向けてのガイドラインを発表したのですが、その中に次のような項目がありました。

日本山岳会
政府の緊急事態宣言全面解除を受けて
山岳スポーツ愛好者の皆様へ


5.登山中でもマスクを着用しましょう。マスク着用時は、熱中症及び脱水には十分留意し、こまめに水分摂取を心がけましょう。


私は、一瞬我が目を疑いました。登山のプロたちが、マスクをして山に登れと言っているのです。

このガイドラインを受けて、登山をテーマにする某ユーチューバーが、実際にマスクをして高尾山に登ってみましたという動画をYouTubeにアップしていました。そして、「やっぱり、登るときにマスクをしていると息が苦しいですっ」と言っていました。

また、登山関連のSNSでも、高尾山に登った際、登山道ですれ違った人を数えたら、マスクをしていない人が18人で、マスクをしている人は8人しかいなくて、「とても残念な結果でした」と書いている人がいました。

また、前から人が来てないときはマスクを顎にかけて、人がやって来たらマスクをして「こんにちわ」と挨拶していたら、「疲れました」と書いている人もいました。

これでは竹槍でB29を撃ち落とすという話を誰も笑えないのです。

まさに狂気としか思えません。山岳4団体は、今や登山界における大政翼賛会と同じような存在になっているのです。こんなバカバカしい話を誰もバカバカしいと言えない(言わない)異常さ。

登山が趣味の旧知の医者に言わせれば、山で挨拶しても、感染のリスクなどほとんどないそうです(「そんなことより通勤電車をどうにかするべきだ」と彼も言ってました)。前も言いましたが、私たちは、山ですれ違う人といちいちハグしたりキスしたりするわけではないのです。むしろ、これ以上の換気はない山こそ、いちばん感染のリスクが少ないと考えるべきでしょう。

汗から感染するという話にしても、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)などの専門家は、ウイルスの感染は、汗ではなく咳やくしゃみなどの呼吸飛沫を介して起こると言っています。汗から感染というのは過剰反応と言っているのです。

ところが、スポーツジムは、(ホントは中高年会員の社交場と化したジムにおいて、会員同士の無防備なお喋りでクラスターが発生したにもかかわらず)汗から感染するという濡れ衣を着せられて休業を余儀なくされ、自粛解除後もソーシャルディスタンスのために、機器を半分しか使用できないような対策を強いられているのです。あれではどう見ても採算は合わないでしょう。

「8割削減」も「県をまたぐ移動」もそうですが、今、私たちはまさに竹槍でB29を撃ち落とすというのと同じような狂気の中にいるのです。ただ、それに気付いてないだけです。
2020.06.01 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
緊急事態宣言は解除されましたが、同時に政府は、「外出自粛の段階的緩和の目安」として4つの「ステップ」を発表しました。

それによれば、5月25日から5月31日までを「ステップ0」として、これまでどおり「県をまたぐ移動」の自粛の継続を求めています。

次に6月1日からは「ステップ1」に移行し、東京・神奈川・埼玉・千葉・北海道内に限り、移動の自粛は解除されるそうです。たとえば、東京から北海道に行くのはOKですが、東京から茨城や群馬や栃木に行くのはNGなのです。如何にも役人が考えそうな杓子定規な内容です。

さらに6月19日からは「ステップ2」に移行して、「県をまたぐ移動」などの自粛の全面的な解除が行われる予定だそうです。

もっとも、これは疫学とは関係なく、単に「政治的な判断」で設定したにすぎないと、政府も認めています。

私たちは、こういった科学的な根拠のない自粛要請によって行動を縛られていたのです。休業要請された街の商店主は苦境に陥り、破産か自殺かの瀬戸際にまで追い詰められ、「STAY HOME」による休業や売上げ低迷によって、多くの労働者が失業の憂き目に遭ったのでした。

このように、「政治的判断」によって、私たちの日常は自粛という名の「ファシスト的公共性」に簒奪されたのです。連日メディアに登場して言葉巧みに自粛要請を行っていた小池都知事がやりたい放題に見えたのも、根拠なき「政治的判断」ゆえなのでしょう。

昨日、私は用事があって、100名近くの院内感染が発生しメディアにも大々的に取り上げられた病院に行く機会がありました。既に外来を再開していましたが、患者の姿はほとんどありませんでした。感染防止のためのソーシャルディスタンスなのでしょう、外来の長椅子には、一人分の間隔を置いてテープで✕印が付けられていました。

また、テレビで、自粛解除によって営業を再開することになった横浜市のカラオケ店の開店準備の様子が放送されていましたが、そこでも同じようにお客が座る椅子は一人分の間隔を置いて✕印が付けられていました。これからしばらくはこういった店も多くなるのでしょう。

そこで、私は思ったのですが、営業を再開した店がそうやって感染対策を講じる一方で、通勤電車は、まるで関係ないと言わんばかりに「密」な状態のままです。日ごとに乗客が多くなっているため、間隔を置いて座る余裕もなくなり、「電車の座席に座ることが人生の目的のような人々」は、少しでも空いている席を見つけると我先に突進して、ギューギューに詰まった座席にお尻をねじ込んでいるのでした。

でも、どうして通勤電車の「密」が黙認されたのか、今、わかった気がします。「3密」や「人と人の接触の8割削減」などが、自治体の首長や役人たちの胸三寸でどうにでもなる「政治的判断」によるものにすぎなかったからです。だから恣意的に(弾力的に)適用したのでしょう。

話をぶり返すようですが、通勤電車の「密」が黙認される一方で、どう考えても「密」とは無縁な登山は強制的に自粛させられたのでした。また、パチンコ店は、それなりの感染対策が施され、通勤電車に比べれば全然感染リスクが小さいにもかかわらず、メディアと自治体によって「密」の象徴のように言われて、前代未聞の”集団リンチ“の標的にされたのでした。こんな理不尽な話はありません。もはや狂気と言ってもいいくらいです。しかし、メディアや自治体は、自分たちがやっていることが狂気だとは露ほども思ってないのです。彼らの子飼いである”自粛警察”が典型ですが、むしろ”正義”だと思っているのです。こんな狂気に支配された日常こそ、「ファシスト的公共性」以外のなにものでもないでしょう。

あらためて、緊急事態宣言やそれに伴う外出自粛や休業要請などは、ホントに必要だったのかと思わざるを得ません。何度も言いますが、感染のピークが緊急事態宣言の前に来ていたのははっきりしているのです。緊急事態宣言を発令(発出)してもしなくても、状況はそんなに変わらなかったのではないかと考えるのは当然でしょう。感染対策としては3月下旬程度の自粛で充分だったのではないか、という説には説得力があるように思います。だったら、休業要請された店がこんなに苦境に陥る必要はなかったのです。

と言うと、大部分の人たちは、「緊急事態宣言は間違ってなかった」「そのために感染拡大を防ぐことができたじゃないか」と言うに違いありません。それどころか、「自粛を守らない人間たちこそが問題で、彼らを罰する法律の改正が必要だ」と言う人も多いでしょう。

このように新型コロナウイルスに伴う問答無用の自粛体制によって、「ファシスト的公共性」の敷居は間違いなく低くなったのです。あとは大衆が求めるように、「ファシスト的公共性」に法的な裏付けを与えるだけです。大衆は、そのようにみずからすすんで自由を国家に差し出すのです。自分で考え自分で判断し行動するより、国家の指示に従った方が”楽“だからでしょう。”自粛警察”は、彼らの親しき隣人なのです。そう考えると、なんだかコロナ後の社会の風景が見えて来るような気がするのでした。
2020.05.27 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
首都圏1都3県と北海道の緊急事態宣言が解除され、これでやっと大手を振って山に行けるような気がしますが、しかし、「県をまたいだ移動」などを口実に、地元の自治体が自粛の継続を要請する可能性もなきにしもあらずで、まだ油断はできません(それでも行くけど)。

何度も言いますが、山を歩くのに一体どこが「密」なんだと思います。挨拶のときに唾が飛ぶとか、電車やバスが「密」だとか、地元民が(感染の)恐怖を覚えるとか、そんなバカげた理由によって登山も自粛の対象にされたのでした。

そして、日本山岳会や日本勤労者山岳連盟などの山岳団体が、自治体の自粛要請を無定見に受け入れ、(エラそうに)登山の自粛を呼びかけると、それが登山者を縛る“大義名分”になったのでした。何のことはない、日本山岳会や日本勤労者山岳連盟などの山岳団体が、反知性主義の極みの“自粛厨”になったのでした。

もちろん、私たちは、日本山岳会や日本勤労者山岳連盟などとはまったく関係がありません。だから、彼らから(エラそうに)指示される云われもないのです。

登山の自粛は、いろんなものをごちゃ混ぜにした極めて大雑把で、且ついい加減な論理で進められていました。

たとえば、北アルプスのような山と奥武蔵や奥秩父や丹沢や奥多摩の山が一緒くたにされているのです。また、山小屋があるような奥の深い山と日帰り登山が中心の里山の延長のような山も、一緒くたにされています。さらには、ハイキングとキャンプとバイクやサイクリングも、区分けされずに一緒くたに論じられています。

まったくバカバカしい話なのですが、ただ一方で、感染の怖れ云々は論外としても、これを機会に登山が抱えるさまざまな問題を考えるのも無駄ではないように思います。その中でも、マナーの問題は大きいのです。地元自治体のさも登山者を迷惑扱いするような牽強付会な自粛要請にも、日頃の登山者のマナーに対する地元民の悪感情が伏在しているような気がしてなりません。

そんな中で、先日、私は、下記の南アルプスの入笠山の山小屋の方が書いたブログの記事を興味深く読みました。

マナスル山荘・あれこれ
平時の異常

ブログは次のように書いていました。

登山再開時は公共交通機関ではなくマイカーでの登山を薦めるメディアも多い。山での密集を考えれば、駐車場の台数で入山者制限は必要だと考える。観光行政や営業施設はあふれる車をどのようにコントロールするのか?マイカー登山より、鉄道、バス、ロープウェー・ゴンドラなどの交通機関は入山者をコントロールしやすいと考えるが。

SNSで集まった登山グループを山でよく見かけるようになった。不特定の人が集まり、山で騒ぐ(この手のグループはたいてい山で大騒ぎしている)この手のグループ登山はコロナ後に淘汰されるべきだと思うが、そのような発信をしている山のメディアは今のところ見たことがない。この手の登山者たちが主な支持者だからだろうか?

グループでしか登れない、単独では無理という登山者は登山を止めるか、レベルを落として一人でも安心して登れる山からやり直したらいい。いままでの登山のカテゴリーが自分のレベルを超えていたことに気づくべきだ。もしくはガイドを雇うこと。自粛が解除されるステップとして、ガイド登山はあらゆる面で有効だと考えている。山岳ガイドと一緒に歩いている登山者はSNSのグループ登山者などに比べて格段に品がいい。日本山岳ガイド協会はもっと各ガイドのマーケティングやマネジメントに取り組むべきだと思うが。


同じようなことは、私もこのブログで何度も書いています。車で来る登山者の、特に駐車マナーの悪さはどこの山でもめずらしいことではありません。下山していると、こんなところにまでとびっくりするくらい上の方の林道の脇に登山者の車が停まっていることがあります。そのため、林道を鎖などで車両通行止めにしている山もあります。ただ、東京近辺の山は緩いところも多いのです。そして、車が上の方まで上がることができる山は、空き缶やペットボトルなどゴミが多いのも事実です。

山に行くのに、電車やバスは「密」になるとして、車を推奨する声もありますが、前も書いたように、都心とは逆方向の電車やバスが「密」になるのは週末だけです。「密」を回避するなら、週末の電車やバスの運行をコントロールすればいいだけです。

「SNSのグループ登山者」というのも、何も若者に限った話ではありません。これも何度も書いていますが、SNSでつながった中高年の団体登山のマナーの悪さは、今や山の”定番”と言ってもいいほど多くの人が指摘していることです。安全面から単独行がいつもやり玉にあげられますが、しかし、リーダーの背中を見て歩くだけのおまかせ登山では、上記のブログでも書いているように、いつまで経っても登山のレベルは上がらないし、マナーが身に付かないのは当然でしょう。

山への登山者の集中、マイカーの違法駐車等の問題、山小屋の衛生管理、登山者のマナー、山岳遭難防止の取組、自然公園の利用方法、山岳ガイドの役割、違法テント泊・・・平時に表に出なかった問題がいろいろあったはずだ、それがいつの間にか登山界では当たり前のことになってしまっていたのではないか。登山自粛だけを声高らかに叫び、今後のことには何も手を付けなかった登山界は本当にこれでいいのか?
(同上)


たしかにその通りで、新型コロナウイルスをきっかけに、今まで放置してきた問題が露呈したのは事実でしょう。一方で、山岳団体や有名登山家にまったく当事者能力がなく、役人の使い走りでしかないこともはっきりしました。登山雑誌や登山関連のサイトも、自立した登山者とは真逆な無様な姿を晒すだけでした。なんだか個々の登山者が孤立させられているような気さえするのでした。

私たちのような下々の登山者は、国家と通底した組織やそれに付随したさまざまなしがらみとはまったく無縁な存在です。だからこそ、山岳団体のバカバカしい呼びかけにこれ以上引きずられないためにも、新型コロナウイルスをきっかけに、山のことや自分たちのマナーのことについて、問題意識を持って考えるべきではないかと思うのです。

たとえば、入山料の問題を考えるのもいい機会ではないでしょうか。山の崩落が進んでいる丹沢などが典型ですが、登山道の荒廃防止や植生を守るためにも、入山者を”調整”することを真剣に考える時期に来ているように思います。もちろん、”調整”と言うのは、山の監督者が権限で規制するとか言うのではなく、入山料を徴収すればおのずと登山者の数が減るという意味で言っているにすぎません。

多くの山が国立公園や国定公園の中にありながら(と言っても、国立公園の40%は民有地ですが)、登山道の整備を山小屋のスタッフや地元のボランティアの篤志に頼っているのはたしかにおかしいのです。でも、ありがたいと思っている登山者は多いけど、おかしいと思っている登山者はそんなにいないようです。登山者自身がもう少し「受益者負担」の考えを持ってもいいのではないかと思うのです。

よく「登山文化」とか「山の文化」とかいった言い方がされますが、登山はスポーツであるとともに文化でもあるのです。私たちがこんなに山が好きなのも(息を切らして登りながら「山っていいなあ」と思うのも)、山登りが多分に文化的な要素の強いスポーツだからでしょう。むしろ、登山がスポーツだと言われると、面食らうくらいです。

山小屋にしても、このままでは(少なくとも政府の言う「新しい生活様式」に従えば)山小屋という日本独特の登山文化も廃れてしまうでしょう。荷揚げに欠かすことのできないヘリの問題もそうですが、近年山小屋をとりまく環境が非常に厳しくなっている中で、さらに新型コロナウイルスが追い打ちをかけた感じです。

登山の魅力について、非日常性とか達成感とか自己克己とか、あるいは具体的にストレス解消とか絶景との出会いとか体力の限界の挑戦とか、いろいろ言われますが、私にとって、山に登ることの魅力は、何と言っても自由ということに尽きます。山に登ると、何もかも忘れることができるのも、自分に対して謙虚になれるのも、自由だからです。誤解を怖れずに言えば、危険を伴う(ときに命を落とす)ほどの自由があるからです。遭難事故が起きるたびに世間サマから袋叩きに遭うのも、整備された道しか歩いたことのない世間サマから見れば、登山がそれだけ放縦に(自由に)見えるからでしょう。

そんな登山の魅力である自由を守るためにも、そろそろ登山の文化を「守る」という発想も必要ではないかと思います。身も蓋もないと思われるかもしれませんが、入山料や入山者の”調整”もそのひとつの選択肢ではないかと思うのです。
2020.05.25 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
フジテレビの「テラスハウス」に出演していた若い女子プロレスラーが、番組の中の言動に対してSNSでバッシングされ、それが原因で自殺するという事件がありました。

自殺を伝える記事には、彼女が死ぬ直前にアップしたインスタの画像が添付されていましたが、それを見ると痛ましいなと思います。

水は常に低い方に流れるの喩えどおり、ネットでいちばん声が大きいのはネットに常駐する「バカと暇人」です。

「ドキュメンタリーは嘘を吐く」と言ったのは、ドキュメンタリー作家の森達也氏ですが、ドキュメンタリーと言っても、そこにカメラがある限り100%ノンフィクションとは言えないのです。まして、編集が加われば尚更です。そして、「ドキュメンタリーは嘘を吐く」ことがわかってない「バカと暇人」たちは、それを真に受け、彼女がプロレスでヒールの役だったということも相俟って、執拗に罵言を浴びせたのでした。

それは「テラスハウス」だけではありません。ヘイトスピーチや個人的な誹謗中傷の巣窟になっているコメント欄をいつまで経っても閉鎖しないYahoo!ニュースも同じです。Yahoo!ニュースを見ていると、あえて炎上するようなニュースをピックアップしてトピックス(先頭ページ)に掲載している感じすらあります。そうやってバズらせてアクセスを稼ぎ、ニュースをマネタイズしようとしているのでしょう。そのためには、負の感情を煽るのがいちばん手っ取り早いのです。

フジテレビは、炎上することが判っていながらあえて彼女の言動を流すことで、視聴率を稼ごうとしたのではないか。そんなえげつないテレビ局の思惑に翻弄され、みずから命を絶つことになった彼女を思うと、あらためて痛ましいなと思わざるを得ません。

世間では彼女をバッシングした人間ばかりが批判されていますが、水が低い方に流れるのがわかっていながら、巧妙にバッシングをけしかけた(そうやってネットとのシナジー効果を狙った)フジテレビが、もしかしたらこの事件の主犯なのかもしれません。ただ、フジテレビが計算を間違ったのは、自殺した彼女が予想に反して繊細だったということでしょう。

しかも、彼女のまわりにいる者たちも、“大人の事情”でテレビ局を表立って批判することはできず、「バカと暇人」をもっぱら非難するしかないのです。そう思うと、かえすがえすも彼女が痛ましく思えてなりません。

今回もテレビのワイドショーを中心に、ネットの誹謗中傷やSNSのプラットホーマーに対する法的な規制の議論が沸き起こることが予想されますが、それは片手落ちでしかないのです。フジテレビの責任に言及しない限り、ただお茶を濁しているだけの無責任な議論と言わねばなりません。
2020.05.25 Mon l 社会・メディア l top ▲
明日(5/25)、首都圏の1都3県と北海道の緊急事態宣言が解除されるようです。予定より1週間早まったのです。

政府が緊急事態宣言を解除する方針を諮問委員会(基本的対処方針諮問委員会)に諮り、諮問委員会がお墨付けを与えて、最終的には安倍総理が決定するのだそうです。

もっとも、諮問委員会に諮ると言っても、諮問委員会がお墨付けを与えるのは最初から予定済みです。諮問委員会というのは、要するに「諮問」という法律上定められた議論をする形式的な機関に過ぎないのです。

諮問委員会は、次のようなメンバーで構成されていますが、文字通りイエスマンの御用学者の集まりなのです。

政治ドットコム
諮問委員会とは?組織目的や影響力について徹底解説

でも、緊急事態宣言が解除されたからと言って、ただちに自粛が解除されるわけではないのです。そのあたりが特別措置法(改正新型インフルエンザ等対策特別措置法)のややこしいところです。東京都のロードマップにあるように、緊急事態宣言が解除されたあとも、私たちの生活は自治体からこと細かに制約されるのです。「ステップ0」とか「ステップ1」とか、あるいは「東京アラーム」とか、なんだか言いたい放題、やりたい放題という感じです。

政府が発令(発出)する緊急事態宣言や自治体の自粛要請の法的な根拠は、3月に僅か2日間の審議で与野党一致で成立した「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」ですが、新型コロナウイルスに関する一連の措置を見ると、文字通り憲法を一時的に停止する“緊急事態条項”が既に発動されているみたいです。いともたやすく、何のためらいもなく憲法で保障された基本的人権が制限されているのでした。それも、自治体の判断で決まっていくのです。建前は自粛ですが、実際は強制に近いものです。

東京都のロードマップを見ると、責任逃れの事なかれ主義満載の、如何にも役人が作った工程表という感じがします。あんなものに従っていたら、今後も休業を要請される個人事業者は首を吊るしかないでしょう。休業中の店の貼り紙には、「5月31日まで休業します」という語句が多くありますが、それは緊急事態宣言が解除された営業を再開できると思っていたからでしょう。しかし、そうではなかったのです。

おそらく小池都知事は、ロードマップの詳細は役人に任せて、自分は、「ステップ0」とか「東京アラーム」とか、お得意の横文字のキャッチフレーズを考えていただけなのでしょう。そうやってみずからのリーダーシップをアピールすることしか考えてないのでしょう。しかし、そのために、多くの零細事業主は、破産か自殺かにまで追い込まれているのです。人生も生活もメチャクチャにされているのです。

あえて突飛なことを言えば、休業要請に従わないパチンコ店は、戒厳令に抗うパルチザンのようなものと言えるでしょう。そうやって、「新型コロナウイルスだから仕方ない」のひと言でみずからに下される”死刑宣告”にNOを突き付けているのです。早起きは三文の得とばかりに朝っぱらから店の前に並んでいるおっさんたちを見ると、ギャンブル依存症の悲惨な現実を痛感してなりません。しかし、だからと言ってパチンコ店など潰れて構わないんだという話にはならないはずです。むしろ、休業要請を撥ね退け、”集団リンチ”にもめげずに営業を続けているパチンコ店は、個人的には立派だなと思います。今の“コロナ戒厳令”は与野党一致の翼賛体制に支えらえれており、その意味では与党も野党も違いはありません。与党か野党か、右か左かで政治を見ることには何の意味もないのです。

吉本隆明は、「政治なんてない」と言ったのですが、もし私たちにとっての“政治”があるとすれば、自粛に抗うパチンコ店や不要不急の外出自粛なんてくそくらえと街に繰り出す不心得な人々の行動の中にあるのだと思います。

感染防止は、役人が作った事なかれ主義のロードマップなどではなく、自己防衛と自己判断に基づいたみずからの総意工夫でやっていけばいいのです。自分の命や生活は自分で守っていくしかないのです。それが私たちに課せられた(「新しい生活様式」ではない)「新しい生活スタイル」です。

都心に向かう電車でも、通勤客が目に見えて多くなっています。今までだとそれぞれがひとり分のスペースを空けて座れるくらいの余裕がありましたが、もうそんな余裕はありません。「電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち」が、空いているスペースに容赦なく座って来るようになっています。気温が上がったからなのか、マスクをしていない人も結構見かけます。

私は、これからはまた立って行くしかないなと思いました。どこかの偽善的な革命家が言うように、人民は賢明で常に正しいわけではないのです。アホな人民も多いのです。街に繰り出すと言っても、(アホな人民から)自分を守ることも忘れてはならないのです。それが、自己防衛と自己判断ということです。
2020.05.24 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
今日、大阪・兵庫・京都の関西3県は緊急事態宣言が解除される模様ですが、東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏と北海道は、どうやら今月末の期限いっぱいまで継続されるようです。

あと10日間、緊急事態宣言を継続して何の意味があるのかと思いますが、とにかくできる限り継続してほしいというのが、首都圏の知事たちの総意でもあるみたいです。ろくな補償もなく休業を余儀なくされている商店主たちにとっては、僅かな希望を打ち砕くような決定と言えるでしょう。小池都知事は、「あと10日間我慢して下さい」と平然と言い放っていましたが、そこには破産か自殺かにまで追い込まれている自営業者などに対する一片の配慮も伺えません。おそらく、「仕方ないでしょ」という開き直ったような考えしかないのでしょう。そして、あとは緊急事態宣言を自分の政治的アピールの場にするだけなのでしょう。誰のための、何のための緊急事態宣言なのかということを、考えないわけにはいきません。

緊急事態宣言がいつの間にか”コロナ戒厳令”のようになっているのはたしかで、憲法で保障された移動の自由もどこ吹く風で、首長たちによって「県をまたいだ移動」の自粛が公然と叫ばれているのです。表向きは自粛ですが、実際は県境の国道での検問や県外ナンバーのチェックに見られるように、禁止に等しいものです。緊急事態宣言が解除されても、「県をまたいだ移動」だけは解除の対象から外されているのでした。まるで自分たちの政治的アピールの場を手放したくないかのようです。

首都圏と関西3県を除いた全国の緊急事態宣言が先週末解除されましたが、週が明けてから、都内や横浜などの繁華街でも、いっきに人が増えました。電車も目に見えて乗客が増えてきました。首長やメディアに言わせれば、「気の緩み」ということになるのでしょうが、ほかの自治体が解除になったのにどうして自分たちだけがと考えるのは当然でしょう。

江戸時代ではないのですから、「県をまたいだ移動」という発想自体があり得ないのです。そんなあり得ない話を、首長たちが真顔で呼びかけているのです。専門家会議の諮問委員会メンバーである慶応大学の竹森俊平教授は、衆院予算員会で、「県境をまたぐ際の国内パスポート」の発行を提案したそうですが、「翔んで埼玉」に影響されたのか、とうとう「通行手形」の必要性を訴える専門家まで登場するに至っているのです。狂っているとしか思えません。そんな狂った人たちによって自粛の概要や対象が決められ、私たちに押し付けられているのです。上級国民たちは、そんな自粛のバカバカしさをよくわかっているので、「STAY HOME」を尻目に、宇佐神宮に旅行に行ったり、他人の家で麻雀の卓を囲んだりするのでしょう。「8割削減」や「密」を理由にした自粛要請は、あくまで下級国民が対象なのです。

今まで地方の観光地は、インバウンド頼りでした。政府やメディアも、その旗を振っていました。しかし、今度はインバウンドに頼るのではなく、国内の観光客にシフトしなければならないと言い出しています。そもそも国内の観光客に頼っていたのでは商売にならないので、インバウンドにシフトしたのではなかったのか。地方の観光地で商売をしている人たちはそのことをいちばんよくわかっているはずです。元に戻っても希望がないことは痛いほどわかっているのです。ましてや、既にその兆候が出ていますが、コロナ後に未曽有の経済不況とそれに伴う大失業に見舞われるのは、誰が考えても間違いないのです。国内消費に頼るなどというのは、気休めでしかないのです。

しかも、緊急事態宣言が解除されても、「県をまたいだ移動」の自粛が呼びかけられ、県外から観光に来るなと言っているのです。これでは、地方の観光地で商売をしている人たちにとっては、何のための解除がわからないでしょう。彼らがさらに追いつめられていくのは火を見るよりあきらかです。

地方にいる知り合いの観光業者は、休業の協力金を貰うために、市役所から申請用紙を取り寄せたそうです。ところが、送られてきた用紙を見て、揃えなければならない書類の多さと手続きの煩雑さに「気が遠くなるような気持になり」、協力金を貰うのをあきらめたと言っていました。雀の涙ほどの協力金を貰うのに、どうしてあんなややこしい手続きが必要なのかと憤慨していました。「あきらめさせるために、わざとややこしくしているとしか思えん」と言っていました。

製造業が国際競争力を失い経済的に停滞した日本は、インバウンドによる「観光立国」で経済的な復興をめざすはずでした。

観光庁のサイトでは、「観光立国推進基本法」について、次のように説明しています。

観光庁
観光立国基本法

  観光は、我が国の力強い経済を取り戻すための極めて重要な成長分野です。
   経済波及効果の大きい観光は、急速に成長するアジアをはじめとする世界の観光需要を取り込むことにより、地域活性化、雇用機会の増大などの効果を期待できます。さらに、世界中の人々が日本の魅力を発見し、伝播することによる諸外国との相互理解の増進も同時に期待できます。


もちろん、「訪日観光の振興と同時に、国内旅行振興も重要であります」と言っていますが、少なくとも今回の新型コロナウイルスで、「観光立国」をめざすための片肺を失ったことは間違いないのです。

人出が多くなったことに伴い、どうしようもない人間が沸いて出ているのも事実ですが、しかし、それでも自分たちの意思を行動に移したのはいいことだと思います。いつまでも、御用学者の“トンデモ科学”と医者のご都合主義と首長たちの政治的アピールに利用されていては、バカを見るだけなのです。思考停止していい子ぶるのではなく、自分たちで感染防止の手筈を整え、自分たちで判断し行動に移すべきなのです。自分たちの意思を示すべきなのです。

湘南の海岸にも周辺の道路が渋滞するほど人が押し寄せたとして、神奈川県の黒岩知事があらためて自粛を呼びかけたそうですが、人が戻ってきたことでどうにか息を継いだ業者もいたはずです。

首都圏の1都3県の中で唯一神奈川県だけが、緊急事態宣言の解除の条件である「直近1週間の10万人当たりの累積新規感染者数」の基準を満たしてないとかで、神奈川県民が他県に比べて「気の緩み」が大きいような言い方がされていました。メディアは、例のスマホの通信データを使って、桜木町や横浜駅前の人出の減少率が新宿や渋谷に比べて小さいことを伝えていました。しかし、神奈川県が基準を満たしてないのは、松田町にある県立病院や旭区の聖マリアンナ医科大学病院などの院内感染によるものです。桜木町や横浜駅前の人出などまったく関係ないのです。もちろん、湘南の海岸の人出も関係ありません。

ここにも、ドコモやauの通信データと「8割削減」の”トンデモ科学”が一体となって作り上げた、偽イデオロギーによる責任転嫁の詐術があるのでした。

既に専門家会議や小池都知事が口にしはじめているように、このままだと「第二波」を口実にした私権制限が再び行われる可能性もあるでしょう。その前に、「いつまでも自粛には従わないぞ」「責任転嫁は許さないぞ」という意思を示すことが大事なのです。”自粛警察“のようなテレビが取材に来たら、唾を吐きかけて追い払えばいいのです。アホな人間がインタビューに答えるから、「気が緩んだ人たち」みたいに編集されて放送されるのです。

生きるか死ぬかなら、当然生きる方を選ぶべきでしょう。ホントに困っているのなら、自粛なんてくそくらえと言うべきなのです。その意思を示すべきなのです。
2020.05.21 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
黒川弘務東京高検検事長の賭け麻雀の「文春砲」には、びっくりしました。

黒川氏の趣味はカジノで、黒川氏の”ギャンブル好き”は有名だったそうですが、定年を延長するためにときの政権がわざわざ法律を改正して特例を設けるほど特別扱いされていたので、驕り高ぶった気持がこのような脇の甘さを生んだのかもしれません。今週、政府与党が検察庁法改正案の成立を採決直前に見送ったのも、そのタイミングから見て、この記事を察知したからではないかと言われていますが、あり得ない話ではないでしょう。

飛田新地料理組合の顧問弁護士をしていた橋下徹氏を「売春街の守護神」と呼んだのは文春でしたが、黒川氏も文春などメディアから「官邸の守護神」と呼ばれています。余談ですが、他に「官邸のお庭番」という呼び方もあるそうです。私は、どっちかと言えば、「お庭番」の方が如何にも番犬みたいな感じがするので好きです。

どうして「官邸の守護神」なのか。森友・加計・桜を見る会と安倍政権は次々と政治スキャンダルに見舞われ、一般人(下級国民)なら訴追されて当然のような違法行為も、一人の逮捕者もなく全て闇に葬られたのでした。特に、桜を見る会では、前夜祭の会費を巡って、安倍首相自身の政治資金規正法及び公職選挙法違反の疑いが持たれていましたが、検察は微動だにしませんでした。その背後に、法務官僚として大臣官房長や法務事務次官を務め、次期検事総長と目されている黒川氏の存在があったからではないかと言われているのです。つまり、今のように官邸を「無法地帯」にしたのも、法的な守り神として黒川氏がいたからではないかという疑惑があるからです。

しかし、官邸が黒川氏を特別扱いしたのは、何も過去の論功行賞からだけではなかったのです。検察庁法改正に対する反対の声が大きくなった中で、アクセスジャーナルに次のような記事が掲載されていました。

アクセスジャーナル
安倍首相が逮捕に怯える、河井夫婦公選法違反事件の闇(1・5億円の一部が還流!?)

昨年7月の参議院選挙では、河井案里候補に対して「自民党本部から破格の1億5000万円もの運動資金」が渡され、安倍首相の秘書がたびたび応援に入ったことがあきらかになっています。また、その「運動資金」が広島地検に摘発された公選法違反事件のウグイス嬢だけでなく、選挙区の地方議員たちの買収資金になったのではないかと言われています。ところが、話はそれだけにとどまらず、「運動資金」の一部が安倍首相の周辺に還流しているのではないかという疑惑も持ち上がっているのです。

私は、当初、検察VS官邸に対して信じ難い気持でした。しかし、今回の「文春砲」も含めて、検察庁法改正を巡るさまざまな動きを見るにつけ、もしかしたらこれはアクセスジャーナルのスクープではないかと思うようになりました。

実際に、河井案里議員の公選法違反事件では、広島地検だけでなく、東京地検や大阪地検の特捜部も捜査に加わっているそうです。この並々ならぬ力の入れように、さまざまな穿った見方が出て来るのは当然でしょう。

近いうちに、選対本部の責任者だった河井克行元法相ともども河井夫妻に対する逮捕許諾請求が行われるのではないかという話もあります。そうなれば、検察VS官邸の暗闘がいっきに表面化し、人事に手を突っ込んだことで検察の虎の尾を踏んだ安倍政権に対する、メガトン級の”意趣返し”が明らかになるのかもしれません。

官邸の悪代官たちが慌てふためく姿を見るのは痛快ですが、しかし、忘れてはならないのは、これは時代劇のような勧善懲悪の物語ではないということです。検察=正義というような単純な話ではなく、権力内部の暗闘であることを忘れてはならないのです。

文春に情報を垂れ込んだのは、産経新聞の記者の同僚だと言われていますが、「産経新聞の同僚」というのがミソで、そこにもさまざまな憶測が流れているのでした。保守派で安倍マンセーの三浦瑠麗氏は、次のようにツイッターで呟いていました。

三浦瑠麗ツイッター文春記事
https://twitter.com/lullymiura/status/1263241587858931713

中には、文春なので内調(内閣情報調査室)が関係しているんじゃないかと言っている人がいましたが、その人は60年後半の学生運動の経験者かもしれないと思いました。昔は文春の記事=内調がネタ元が常識でした。

検察庁法改正案の採決を見送ったのも、ネットの世論を読み違えたとか、二階らが政局がらみでストップをかけたからだとか、そういった話でもないのです。こんなときだからこそ、メディアのセンセーショナリズムに踊らされることを厳に慎まなければならないのです。

官邸にとって、黒川氏のスキャンダルは悪事の幕引きをはかる上で、かえって都合がよかったのではないかという見方もあるくらいで、もしかしたら、私たちは、メディアのセンセーショナリズムに踊らされることで、問題の本質から目を反らすよう仕向けられている(目くらましされている)のかもしれないのです。
2020.05.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
今日の「モーニングショー」では、冒頭で“自粛警察”を取り上げていました。(マスクの紐が切れたため)マスクをすることができなかった通行人に、「近寄るな」と罵声を浴びせる犬の散歩中の男。仕事でやって来た他県ナンバーの車のフロントガラスに貼られた自粛要請の紙。バイクのナンバープレートに落書きされた「自粛しろ」の文字。中には、六甲山のベンチに、「山に来てないで家のかたずけをしろ」という落書きまでありました。

でも、そういった「ほとんどビョーキのような」”自粛警察“を生み出しているのは、他ならぬ「モーニングショー」などのメディアなのです。また、休業要請を守らないパチンコ店への”集団リンチ”の音頭取りをしたり、県境の国道で検問をしたり、大分県の別府市のように市営温泉の駐車場でナンバープレートをチェックして県外客の入浴を断ったりするなど、常軌を逸した自治体もメディアと同様、”自粛警察”の生みの母です。目に見えないウイルスに怯えることで、かように社会全体が病んでしまったのです。

メディアは、今度は西村経済再生大臣や小池東京都知事が唱える「気の緩み」という新しいスローガンに呼応して、“不心得者”をあぶり出すことにいそしんでいます。ヘリコプターや中継車を飛ばして、観光地や海岸や河原や公園や商店街などの「人波」を映し出しては、「気の緩み」の警告を発するとともに、ここに“不心得者”がいるぞと”自粛警察“を挑発しているのでした。

案の定、最近は「8割削減」という言葉が少なくなりましたが、しかし、今度は「気の緩み」という新しいスローガンで人々を縛ろうとしているのです。もっとも、「気の緩み」も、「8割削減」の“トンデモ科学”を前提にしたものであることは言うまでもありません。

先週の金曜日(5/15)の「モーニングショー」では、番組中に「速報」として、厚労省が、日赤が保管している1000人分の献血を使って抗体検査をした結果、東京都の陽性率が0.6%、東北地方が0.4%だったことがわかった、というニュースが流れました。それを受けて、コメンテーターの岡田晴恵氏と玉川徹氏は、「これは衝撃的な数字ですね」と口を揃えて言っていました。そして、このまま自粛を解除すると、とんでもない感染爆発が発生するかのように言っていました。

ところが、この検査では2019年に採取した検体からも0.4%の陽性率が出たことから、偽陽性の可能性が高く、市中の感染状況を知る上ではまったく参考にならないことが判明したのです。

こういったところにも、「モーニングショー」が囃し立てる「大変だ!大変だ!」のセンセーショナリズムの問題点が露呈しているように思います。

今、行われている都市封鎖や自粛などの(「モーニングショー」が言う)「閉じこもり戦略」は、ペストのときと同じです。ITとか人工頭脳とか言われている時代に、感染対策は旧態依然としたきわめてアナログなものです。

一方で、現代はグーグルやアップルが牽引するIT技術が社会全体を覆っています。同じ都市封鎖や自粛でも、私たちが持ち歩くスマホの通信データを使った監視の技術だけは進歩しているのです。そのため、IT技術と結び付いた「8割削減」なる“トンデモ科学”が、さも疫学上の新理論であるかのように流布されたのでした。しかも、その裏付けになっているドコモやauのスマホの通信データが、いつの間にか人出を計測し自粛の進捗具合を測るバロメーターになったのでした。でも、それは、前に紹介したような、ゴールデンウィーク中に別府温泉の駅前で人出が増えた(ゴールデンウィークで駅周辺の家に閉じこもる人が多くなったことを駅前の人出が増えたと勘違いした)というマンガみたいなレベルの話に過ぎないのです。

でも、そんなマンガみたいなレベルの話を指標にして、大塚英志が指摘したように、テレビなどの旧メディアとネットが密通することで、“不心得者”のあぶり出しやバッシングを益々エスカレートさせているのです。メディアに動員された「ほとんどビョーキのような人々」が、まだ斧や鉈は持ってないものの、関東大震災のときと同じように街頭に繰り出すまでになっているのです。

抗体を持った人が未だ6%や8%しかいないような状況では、第二派・第三派の感染爆発が起きる可能性が高いのは当然ですが、今のような「集団免疫」の戦略もない封じ込め一辺倒の感染対策を続けていると、感染爆発が起きるたびに大騒ぎして、再び都市封鎖や自粛を行わなければならないという場当たり的な対応をくり返すだけでしょう。そして、その監視にIT技術が使われることで、私たちは、医学の進歩によってウイルスの恐怖からいくらか解放されているにもかかわらず、カミュが描いたペストのときより、一挙手一投足までこと細かに監視された息苦しい日常を強いられることになるのです。

コロナ後の社会は、強権的な政治を求める声とIT技術による監視社会化がより強まるだろうと言われていますが、その兆候は既に表れているのでした。(IT技術という新しい衣装を着た)「ファシスト的公共」が日常化する時代がすぐそこまでやって来ているのです。
2020.05.19 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
最初に日本では法的にあり得ない「ロックダウン」ということばを使ったのは、英語が好きな小池百合子都知事でした。以来、おそらく元ヤフージャパン社長の宮坂学副知事のアドバイスもあったのでしょう、小池知事は、毎日のようにメディアの前に出て、東京都の顧問でもあった西浦博北海道大学教授の「人と人との接触を8割削減する」という“お題目”を唱えるようになったのでした。さらに、緊急事態宣言のあと、「8割削減」は「国家目標」のようになっていったのでした。

でも、私のようなシロウトが考えるに、「8割削減」という“プチ都市封鎖”とも言うべき過激な自粛をつづけていると、いつまで経っても集団免疫は進まないので、結局、ワクチンが開発されるまで、今のような“プチ都市封鎖”をつづけるしかないのではないかと思ってしまいます。5%とか8%とか言われる日本の免疫率では、このまま感染が減り続けるとは思えないので、集団免疫の発想を持たない限り、解除と“プチ都市封鎖”を永遠に(ウイルスが開発され国民ひとりひとりに渡るまで)くり返えさなければならないように思います。

しかし、「8割削減」は、専門家会議が認めたように、学術的に検証され認知された理論ではないのです。そんな“トンデモ科学”とも言うべき怪しげな数字が独り歩きして、私たちの行動や社会の経済活動を縛り、個人の生活や国の経済に大きな影響を与えているのです。

地方が自粛解除に向かう中、東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏は、依然「特別警戒地域」として、“プチ都市封鎖”は続けられています。同じ「特別警戒地域」の大阪や兵庫などの関西圏は、独自のロードマップで解除の方向に進んでいますので、解除に慎重なのは首都圏だけです。多大な犠牲を強いる”プチ都市封鎖”に、疑問の声があがらないのが不思議でなりません。

まして、「8割削減」に明確な(科学的な)裏付けはないのです。前に書いたように、ホントにどれだけ感染防止に役立っているのかもわからないのです。緊急事態宣言が発令され「8割削減」が「国家目標」になる前に、既に感染のピークが訪れていたと言われており、実効再生産数も、緊急事態宣言前の4月初めに閾値の1を割っていたことがあきらかになっています。

「8割削減」に関連して、最近は「気の緩み」という言葉が盛んに使われていますが、なんだか自粛を解除するかどうかはアナタたちの心がけ次第よ、そんな心がけでは解除しませんよと言われているような感じです。そうやって私たちに責任が押し付けられているような気がしないでもありません。

私が住んでいるのは神奈川県ですが、神奈川県の黒岩知事はまるで小池都知事のコバンザメのようで、ただ小池都知事が言っていることをオウム返しに言うだけです。林文子横浜市長も然りですが、こういった“非常時”になると、上に立つ者の能力が忖度なしに問われるのです。と言うか、その能力が非情なまでに晒されるのでした。黒岩知事や林市長を見ていると、アナウンサーや車のセールスマンとしては有能だったかもしれませんが、自治体の首長というのはそれとは別の能力が必要なのだということを哀しいまでに痛感させられるのでした。その点、小池都知事のリーダーシップは、黒岩知事や林市長を後ろに従えるほど、彼らを凌駕しているのはたしかでしょう。それは、小池知事が口が達者で、メディア戦略に長けているということも大いに関係しているように思います。

一方で、私たち首都圏に住む人間にとって、小池都知事に引きずられる今の状況は果たして幸せなことなんだろうかと思ったりもします。メディアの露出も、「8割削減」も、パフォーマンスの色合いが濃いように思えてならないのです。そのパフォーマンスに振り回されているということはないのでしょうか。

自民党は、7月の都知事選に対抗馬を立てることを断念し小池都知事を推薦することを決定したようです。これで、小池都知事の再選は確定したも同然です。

小池都知事がけん引した首都圏の過激な自粛要請=“プチ都市封鎖”が、彼女のイメージアップと政治的な野望に大きな貢献をしたのは間違いないでしょう。なんだか小池都知事の一人勝ちのような感じさえしてならないのでした。でも、その陰に、多くの人たちの阿鼻叫喚があることも忘れてはならないのです。
2020.05.17 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
昨日電話がかかってきた田舎の友人は、道路を走っていて、県外ナンバーの車を見るとドキッとすると言ってました。また、近所の家の家族と遭遇した際、その中に他県の大学に行っている息子がいたので、「どうしたの?」と訊いたら、「学校が休みになったので帰って来た」と言っていたそうですが、そう言う息子を見て、思わず後ずさりしている自分がいたと言っていました。

友人は読書が趣味のそれなりのインテリですが、もはやビョーキみたいな感じです。私は、友人の話を聞きながら、出入り業者が、リゾートマンションに「東京の人間が入り込んでいるそうですよ。気を付けた方がいいですよ」と触れ回っていたという、別の友人の話を思い出しました。

「県をまたいだ移動」が人々にこれほどの恐怖心を与えているのです。まるで江戸時代のようですが、国家の脅しはかように効果的なのです。「ファシスト的公共」は、このようにいとも簡単に立ち現れるのです。そして、あとは思考停止に陥った市民たちによる異端者狩り=“集団リンチ”が行われるだけです。

奥多摩の住民が、登山者に「恐怖を覚える」というのも同じでしょう。私は、このブログでも書いているとおり、毎週のように奥多摩の山に通っていましたが、今まで地元の住民と「密」に遭遇したことなどありません。たまに遠くで畑仕事をしている姿を見るくらいです。まして、私たちは奥多摩の地元住民とキスをするわけでもハグをするわけでもないのです。コンビニもないようなあんな山奥に何の「密」があるというのでしょうか。

奥多摩に行く電車やバスが「密」になると言いますが、たしかに登山シーズンの週末に電車やバスが混雑するのは事実です。だったら週末を避ければいいだけの話です。私は誰もいない山をひとりで歩くのが好きなので、普段から週末に行くのを極力避けていますが、ホリデー快速おくたま号(週末だけ運行される奥多摩行きの臨時電車)や週末の御岳山や大山や高尾山のケーブルカーを運行しなければいいだけです(個人的には、中高年の団体登山も禁止にしてもらいたいけど)。

野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟などの山岳団体が、「8割削減」のスローガンに無定見に従って、登山の自粛を呼びかけるなんていうのは愚の骨頂です。ここにも、右と左が同居した、有無を言わせない翼賛的な空気が作られているのです。

昨日も、群馬の妙義山で滑落した男性のニュースがYahoo!ニュースに転載され、コメント欄に巣食う“自粛警察”の恰好の餌食になっていましたが、案の定、「日本山岳会などが登山自粛を呼びかけているにもかかわらず」というような言い方がされていました。「登山自粛」がいつの間にか「登山禁止」になっているのです。野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟などは、そうやって登山者を縛るだけでなく、“登山者叩き”の口実を与えているのでした。

そもそも、登山者を代表しているかのような野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟のふるまいには、ひとりの山好きとして非常に違和感があります。同じ登山愛好家なら、まずやるべきことは、どうすれば感染のリスクを減らすことができるかとか、山に登る上でどういうことを気を付けるべきかとか、そういった注意喚起を促すことでしょう。そして、(山小屋を除いて)登山は「密」ではないということを周知すべきなのです。

また、「密」な山小屋にしても、その存在は、利用するしないにかかわらず、登山者にとっても、あるいは登山文化にとっても、無関心ではいられない問題があるのはたしかです。宿泊料金の値上げも含めて、どうすれば「密」を解消できるかをみんなで知恵を出し合って考えるべきでしょう。国立公園の40パーセントが民有地という現状を考えるとき、前から言っているように、入山料の徴収も視野に入れるべきかもしれません。

驚くべきことは、野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟など山岳団体の「登山自粛」の声明に対して、声を上げる登山愛好家があまりに少ないということです。それだけリーダーの背中ばかり見て山に登っているような、「自立していない」登山者が多いということかもしれません。

山に限らないけど、大事なことは自己防衛と自己判断なのです。そういう「生活スタイル」を身に付けることです。買い物や食事に行くときも、あるいは休日に観光地に遊びに行くときも、ちゃんと感染防止の対策を取っているかどうか、自分で見極め自分で判断することでしょう。感染防止策を取ってないような店には行かなければいいのです。また、当然ながら世の中には感染防止の知識も意識もない無神経な人間も一定数存在しますが、そんな人間には(心の中で軽蔑しながら)近づかなければいいだけの話です。

しかも、現在の感染の多くは、院内感染と家庭内感染です。それを「8割削減」「外出自粛」に強引に結び付けているのです。そこに、国家の脅しと詐術があるのです。
2020.05.15 Fri l 新型コロナウイルス l top ▲
先日、東京の感染数は発症日ベースで3月30日にピークを迎えていたという米山隆一氏の寄稿を紹介しましたが、東京都も4月8日だかに感染のピークを迎えていたことを正式に?認めたようです。

じゃあ、そのあとの1か月はなんだったんだと思います。「8割削減」という“トンデモ科学”だけが独り歩きし、ドコモやauのスマホデータを根拠に、「人出がまだ多い」「もっと外出を自粛しましょう」と言われていたのです。そのため、個人経営の商店や飲食店は苦境に陥り、休業要請に従わないパチンコ店などは、メディアや自治体に動員された“自粛警察”によって、まるで非国民のように叩かれたのでした。

たしかに、外出自粛したので、4月8日(あるいは3月30日)以降、感染の拡大を防ぐことができたという見方が成り立つかもしれません。でも、米山氏が書いているように、専門家会議クラスター班の西浦博教授が、「8割削減しなければ42万人が死亡する」という衝撃的な会見を行ったのは、ピークが過ぎた4月15日だったのです。さらに4月21日に発表された専門家会議の提言でも、東京の感染のピークが4月8日だったという話はいっさい出ていませんでした。外出自粛したので4月8日以降感染の拡大を防ぐことができたというのは、後付けの理屈のようにしか思えません。ちなみに、西浦教授はもともと東京都の顧問だったそうで、小池都知事がバカのひとつ覚えのように「8割削減」を口にする理由もこれでわかります。

私たちの行動を縛り、多くの人たちが生活の糧を奪われ路頭に迷うことになった自粛要請に、感染状況がどのレベルにあるのかとか市中感染率がどのくらいかとか、そういった科学的な(疫学的な)根拠はいっさいありませんでした。ただ、「人と人との接触を8割削減する」というスローガンがあっただけてす。もっとも、日本の検査体制では、根拠を求めるのは最初から無理な相談でした。

「8割削減」を目標とする“人出分析”では、こんなニュースさえありました。

毎日新聞
観光地の人出データ 内閣官房HPから「別府駅」削除 住宅密集、自粛で人口密度増

マンガみたいな話ですが、内閣官房が頼っていたのも、スマホのビッグデータだったのです。私たちは、こんなお粗末な(マンガみたいな)データで、行動を縛られていたのです。

最近の感染は、院内感染と家庭内感染が主ですが、たとえば、現在の通勤電車の状況で、どのくらい感染者が出ているのかといったデータなどはいっさいありません。私たちが知りたいのは、そういったデータです。私の感覚では、都内の通勤電車の混み具合は、通常時の50~60%くらいだと思いますが、それだとどのくらいの効果があるのか、あったのかということもわからないのです。感染した場合、感染者に対して行動履歴の聞き取り調査が行われるので、当然、電車通勤の有無もわかるはずです。でも、そういったデータはいっさい発表されていません。それで、なるべく通勤を減らせ、リモートワークに切り替えろと言われるだけです。

政府は、緊急事態宣言解除の出口戦略に向けて、感染対策のために設置した「基本的対処方針等諮問委員会」に、あらたに4人の経済学者を入れることを決定したそうです。そして、それに伴い、あたらしく入った小林慶一郎氏(東京財団政策研究所研究主幹)の発言が再三メディアに取り上げられているように、PCR検査や抗原検査の増加をはかり、感染状況の把握をめざすべく今までの方針を転換すると言われています。

「今頃?」というツッコミはさておくとしても、じゃあ、この1か月はなんだったのかと思わないわけにはいきません。感染対策を医療関係者に丸投げした結果、「医療崩壊を防ぐため」という彼らの常套句によって、ただ、検査が抑制されただけです。一方で、「8割削減」という根拠のないスローガンのために、外出自粛や営業自粛が声高に叫ばれただけなのです。私のようなシロウトには、まったく”無駄な時間”だったようにしか思えません。

先の戦争でも、中身が検証されることなしに空疎なスローガンだけがひとり歩きして、政治家も官僚も軍人も、次第に現実認識を失っていったのですが、この新型コロナウイルスでも同じことがくり返されているのです。

少なくとも、「8割削減」に疑問を呈した人はほとんどいませんでした。それこそ右も左も、みんな「8割削減」に唯々諾々と従ったのでした。そして、いつの間にか「8割削減」が「国家目標」のようになり、緊急事態宣言と一体化することで、“コロナ戒厳令”とも言うべき翼賛体制のスローガンと化していったのでした。ところが、(米山氏が書いているように)今になって専門家会議は、「8割削減」は「学術的にも技術的にも評価方法が確立していない、『評価できない数字』」だったと言い出した(やっと認めた)のでした。この1か月は、「8割削減」という”トンデモ科学”に振りまわされ、ただ国民に犠牲を強いただけの“無駄な時間”だったのです。こんな話があるでしょうか。


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マスクをつけて街に出よう
2020.05.14 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
検察庁法改正案に対して、ネットを中心に反対の声が沸き上がっていますが、しかし、政府与党は成立のためには強硬採決も辞さない構えなのだそうです。悪代官たちにとって、ネットの反対論などどこ吹く風なのでしょう。

私は、検察庁法改正案に関するメディアの報道で、ひとつ解せないことがあります。それは、自民党とともに、この法案の成立を目指している(実際には手を貸している)公明党=創価学会に対しての言及がいっさいないということです。公明党=創価学会は、今までも政権与党として、数々の悪法や森友・加計・桜を見る会などの疑惑隠しに手を貸して来ました。

公明党=創価学会の体質を考えると、安倍政権の独裁的な政治手法と親和性が高いのはたしかでしょう。しかし、公明党は、自分たちは安倍政権に対してブレーキ役だと常々言っています。しかし、実際は、ブレ―キではなくアクセルのようにしか見えません。そういった詭弁を平気で使うのも、公明党=創価学会の体質ゆえでしょう。

公明党=創価学会への言及がないのは、やはり、メディアに鶴タブー(創価学会タブー)があるからではないか。そう思えてなりません。

政府が、閣議決定までした減収世帯への30万円の給付を引っ込めて、ひとり10万円の一律給付に方針を転換したのも、公明党の積極的な働きかけによるものだと言われています。事実、公明党はその成果を大々的にアピールしています。そして、公明党は、今度はアルバイトができなくなり困窮した学生に、10~30万円?の現金を支給する支援策をぶち上げています。よく「区内の小学校にエアコン設置を実現させました」というような公明党のポスターを見かけますが、学生に対する支援策も、そういった公明党特有のポピュリズムの延長にあるものなのでしょう。

10万円の一律給付は当然学生も対象なので、さらにその上に10~30万円が追加して給付されるのです。ホントに困っている人たちを支援するなら、まずネットカフェ難民やホームレスの人たちに給付すべきだと思いますが、あくまで創価学会の都合による支援策なので、最初からそんな発想はないのでしょう。

もしかしたら、公明党の支援策と検察庁法改正案の成立がバーターで取引されているのではないか、そんな穿った見方もしてしまいます。まして、山口那津男代表はじめ、公明党の国会議員には弁護士資格を持った法曹家も多いのです。法治国家として、今回の改正案が如何にヤバいものであるかということは充分わかっているはずです。公明党は、平和と福祉の党を自認しています。一見善良そうな顔をしたワルこそ、気を付けなければならないのです。もしかしたら、悪魔は、普段は善良の仮面を被っているのかもしれないのです。

でも、メディアの報道には、公明党の「こ」の字も出て来ません。これもまた、「異常」と言わねばならないでしょう。
2020.05.13 Wed l 社会・メディア l top ▲
5月5日の子供の日、千葉県松戸市の市長が、休業指示に従わない市内のパチンコ店を訪れ、市職員が「新型コロナウイルス『緊急事態宣言』発令中!」と書かれた横断幕を店舗前に掲げる中、「外出自粛を呼びかけるチラシを利用客や市民に配りながら、協力を呼びかけた」のだそうです。

それに合わせて、マイクを手にした男たちも同店を訪れ、「営業やめろ」「帰れ」などと叫び、利用客と怒鳴り合いになり、「一時騒然とした雰囲気になった」そうです。

松戸市の市長の行為は、正気の沙汰とは思えません。それを「異常」と思わないのも、営業を続けるパチンコ店に対しては、何をやっても許されるような風潮があるからでしょう。

朝日新聞デジタル
パチンコ店騒然、客と自粛派どなり合い 市職員は横断幕

このようにメディアと自治体がタッグを組んで、“自粛警察”を煽っているのです。しかも、その“集団リンチ”はエスカレートするばかりです。東京都知事や大阪府知事を見習って、積極的にメディアに出演する知事が相次いでいるそうですが、彼らは、なんだかアピール合戦をしているような感じすらあります。そうやって新型コロナウイルスをチャンスとばかりに(再選のための)選挙運動をしているのかもしれません。

どうして、新規感染者の発表に、わざわざ知事が出てくるのか。小池都知事が、新型コロナウイルスではしゃいでいるという記事がありましたが、当たらずといえども遠からじという感じです。指導力をアピールするためには、新型コロナウイルスは絶好の機会なのでしょう。

全国知事会での発言などを見ていると、彼らは“自粛”を要請する権限を手放したくないように見えます。群馬県の山本一太知事が、緊急事態が解除されると、「法律に基づいた対応ができなくなる」として、解除の対象から群馬県を除外するよう国に求めたり、解除されても「県境をまたいだ移動の禁止」は維持してもらいたいと知事会が要望するのも、アピールする機会がなくなることを怖れているからかもしれません。

彼らには、新型コロナウイルスとどう共生していくかという視点が決定的に欠けているのです。もっとも、彼らにとっては、そんなことはどうでもいいのかもしれません。

群馬県の伊香保や草津の温泉地は、山本知事の発言にさらに絶望感に打ちのめされたに違いありませんが、しかし、温泉旅館の主人たちは、もともと山本知事の熱心な支持者だったので、自業自得と言われても仕方ないでしょう。

温泉旅館の主人たちも、新型コロナウイルスとどう共生していくかという視点がないのです。自分たちでどのように感染対策をして、お客を迎えるのかという考えすらないのです。ただ、県や国に「お願いする」だけなのです。休業要請を無視して営業を続けるパチンコ店の爪の垢でも煎じて飲んだ方がいいでしょう。

おそらくそのうち「人と人との接触を8割削減する」ということを誰も言わなくなり、「8割削減」の「国家目標」も自然消滅するでしょう。”トンデモ科学”に振りまわされていた人たちこそ、いい面(ツラ)の皮と言うべきなのです。

専門家会議は、先日提言した「新しい生活様式」なるものでは、所謂「ソーシャルディスタンス」を今まで2メートルと言っていたのに、今度は1メートルでいいと言っていました。「37.5度4日間」のPCR検査の目安の撤廃もそうですが、専門家会議が言っていることは、このようにくるくる変わって「いい加減」なのです。それが「医者特有のご都合主義」というものです。

今朝のテレビ朝日の「モーニングショー」では、埼玉の長瀞で、「”立ち入り禁止”の警告を無視して岩畳に立ち入る観光客が続出している」として、その模様を放送していました。観光客に「どうして立ち入ったのですか?」と詰問していましたが、「モーニングショー」には、そもそも岩畳に立ち入ることがどうして「禁止」なのか、どうしてそれが「密」になるのか、という当たり前の疑問すら存在しないのです。ただ思考停止して、”自粛警察”の役割を演じているだけです。「モーニングショー」の姿勢もまた、「異常」と言うしかありません。

中国の武漢では、1か月ぶりに感染者が出たので、全市民1100万人のPCR検査を実施することにしたそうです。また、スペインのサッカーリーグでも、開催に向けて所属する全選手のPCR検査を行ったとか。日本でそんなニュースを耳にすると、まるで別世界の話のように聞こえます。

何度もくり返しますが、自分も含めて誰が感染しているのかわからないので、必要以上に“見えない敵”に怯えるのでしょう。その怯えが松戸の市長や“自粛警察”のような“異常な人々”を生み出しているのです。東京都の小池知事は、「ステイホーム週間が終わったことで、何の根拠もない達成感があって、緩みが出るのが大変心配だ」と発言していたそうですが、その「根拠」を得るためにもPCR検査が必要なのです。国会でも、実際の感染者数がどのくらいいるのか、公式数字の10倍なのか100倍なのか、誰も答えることができなかったという記事がありましたが、そういった日本の現実こそ「異常」と言うべきでしょう。「根拠」がないと言いながら、誰も「根拠」を求めないのです。そして、ただ怯え、自粛に従わない者たちを”集団リンチ”するだけなのです。
2020.05.13 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
カミュの『ペスト』を読みながら、都市封鎖(ロックダウン)と外出自粛の違いはあるものの、目の前の閑散とした街の風景を、『ペスト』で描かれているアルジェリアの街と重ね合わせて見ている自分がいました。

昨日の昼間、窓際に立って、ぼんやりと表の通りを眺めていたときでした。舗道の上を夫婦とおぼしき高齢の男女が歩いていました。買物にでも行くのか、やや腰が曲がった二人は、おぼつかない足取りで一歩一歩をたしかめるようにゆっくりと歩いていました。特に、お婆さんの方がしんどいみたいで、数メートル歩いては立ち止まって息を整え、そして、また歩き出すということをくり返していました。

お婆さんが立ち止まるたびに、先を行くお爺さんも立ち止まってお婆さんの方を振り返り、お婆さんが再び歩き出すのを待っているのでした。

私は、そんな二人を見ていたら、なんだか胸にこみ上げてくるものがありました。二人はそうやって励まし合い、支え合いながら、コロナ禍の中を必死で生きているのでしょう。

高齢者や非正規雇用の労働者やシングルマザーなど、弱い立場の人、恵まれない人ほど、新型コロナウイルスに翻弄され苦境に陥っているのです。中には、生きる希望を失くすほど追いつめられている人もいます。

そのあと外に出たら、近所の花屋の前に人盛りができていました。なんだろうと思って見ると、レジ待ちをしている人たちが店の外まであふれているのでした。みんな、それぞれ花が盛られた小さなバスケットを手に持っていました。

私は、もう母親がいないのですっかり忘れていたのですが、昨日は母の日だったのです。こんな非常時でも、みんな母親を思い、感謝しいたわる気持を忘れてなかったのです。できるなら、そのやさしさを少しでも恵まれない人々や弱い立場の人々に向けてもらいたいなと思いました。

今回の新型コロナウイルスによって、経済格差がさらに広がるのではないかと言われています。たしかに、収入が減った人と減ってない人のことを考えば、今後ますます二極化が進むのは容易に想像できます。未曾有の倒産や失業に見舞われるのは、もはや既定のように言われています。しかし、10万円の定額給付金を見てもわかるとおり、相互扶助の精神なんてどこかに吹っ飛んだような感じです。見えないところで、弱肉強食の無慈悲な世界が広がっているのです。「自分さえよければいい」という剥き出しの本音に社会が覆われようとしています。また、緊急時に強権的に対応できる、専制的な政治を求める声も強くなっています。

休業要請に従った自営業者が破産か自殺かに追い詰められても、器用に二枚舌を使い分ける東京都知事や大阪府知事はまるでヒーローのようにもてはやされているのです。まともな感染対策さえ打ち出せず、無責任な言い逃れに腐心するばかりの安倍内閣の支持率は、思ったほど下がっていません。安倍内閣の支持率40%は盤石なのです。だから、火事場泥棒のように検察庁法の改正を強行しようとするのでしょう。「日本の奇跡」を信じて疑わない人々が40%もいる限り、何があっても悪代官たちは左団扇なのです。

「あんまり文句ばっかり並べても今は特に仕方ない。有事なんだから」と言ったサンドイッチマンの伊達は、福島関連のイベントでは政府ご用達芸人ですが、支持率40%を考えると、彼が好感度ナンバーワン芸人であるのも納得ができます。そのうち「今は有事なんだから検察庁法改正案反対なんて言わずに、みんなで政府を応援しよう」と言うのかもしれません。

カミュの『ペスト』では、ペストは人間が犯した罪の報いだと説いていた神父も、やがてペストに命を奪われるのでした。ペストという不条理は、宗教も政治も経済も、エゴイズムもヒューマニズムも、夢も希望も姑息な処世術も、容赦なく無慈悲に、そして、分け隔てもなく呑み込んでしまうのでした。しかし、愚かな人間は、さらに無慈悲なエゴイズムで、みずからに襲いかかる不条理から逃れようとするのです。それが、今、私たちの目の前にある社会の風景です。

ペストが終息したあと、街は歓喜の声に沸き上がり、生き残った人々は一体感を覚えながら、もとの日常に戻って行こうとします。でも、医者のリウーは、それが「決定的な勝利の記録ではありえないことを知っていた」のです。もとの日常に戻るなんてもうできないのです。『ペスト』は、次のようなリウーの独白で終わっていました。

(略)――ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておろらくいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。

宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮文庫)


70年経ち、ペスト菌は、医学の進歩によって、一部の地域を除いて、私たちの前からほぼ姿を消しました。新型コロナウイルスも、ワクチンが開発されれば、インフルエンザと同じような「ありふれた感染症のひとつ」になるのかもしれません。しかし、もうもとに戻ることはないのです。コロナ以前とコロナ以後では、私たちも社会も大きく変わるのは間違いありません。でも、カミュではないですが、不条理は続くのです。

外出自粛を守らない不心得者や休業要請に従わないパチンコ店に対して、普段は良き父親で良き夫で良き市民で良きサラリーマンであったような人たちが、メディアに煽られ、何の留保もなく目を吊り上げて悪罵を浴びせていた姿を私は忘れることができません。しっかり目に焼き付けておこうと思いました。文字通り、そこには、差別と排除の力学によって仮構される彼らの日常性の本質が顔を覗かせていたからです。関東大震災のとき、朝鮮人の頭上に斧や鉈を振り下ろしたのは、何も特別な人たちではありませんでした。普段は良き父親で良き夫で良き市民で良きサラリーマンであったような人たちだったのです。”善良な市民”なんていないのです。
2020.05.11 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
シロウト考えですが、新型コロナウイルスの終息には、大きくわけて三つの方法があるのだと思います。一つ目は、ワクチンが開発されるまで、できる限り感染者を少なくして時間稼ぎをする、言うなればソフトランディングの方法です。二つ目は、ある程度の感染を許容しながら多くの人に抗体ができるようにして、「集団免疫」の獲得を目指す、ハードランディングの方法です。そして、三つ目は、ソフトとハードを組み合わせたハイブリッドの方法です。

アメリカやヨーロッパの国々が、今、徐々に封鎖を解除する方向に向かっているのは、あきらかに三つ目のハイブリッドの方法を選択しているからでしょう。感染が終息したからではなく、感染の封じ込めによって、一時的に小康状態になったからです。おそらくこれから第二波第三波の感染爆発が起きる可能性は大きく、それも覚悟の上なのでしょう。

いつまでも経済活動を止めていたら、人々の生活が立ち行かなくなるのはどの国でも同じです。ワクチンが開発されるまで時間稼ぎをするなどというのは、現代の高度に発達した資本主義社会では現実的な方法ではないのです。「集団免疫」とまでは言わないまでも、抗体を持った人が一定の割合で存在するようになれば、それだけ感染の速度は遅くなり、ワクチンの開発まで時間稼ぎができるという目算もあるのだと思います。

そのためには、WHOではないですが、「検査、検査、検査」なのです。検査をして、現在の市中感染率がどのレベルにあるのか把握することが不可欠であるのは言うまでもありません。

昨日東京都が初めて「陽性率」なるものを公表しましたが、私は、当初、「陽性率」とは市中感染率のことだと思っていました。ところが、東京都が公表した「陽性率」は、PCR検査した中で陽性の判定が出た人の割合に過ぎないことがわかりました。考えてみれば、検査を受ける人の中には、陰性になったかどうか確定診断するために何度も検査を受ける治療中の患者もいるでしょう。そもそも、日本は外国と違って、保健所がPCR検査の”水際作戦“を行っていますので、検査数も圧倒的に少なく、「37.5度が4日間」の目安ではないですが、感染の疑いが濃い人しか検査を受けられないシステムになっているのです。そんな日本の検査体制で、陽性になった人の割合を出しても、あまり意味があるとは思えません。この「陽性率」は、大阪府が自粛解除の条件として独自に設けた”大阪モデル”の中にも入っていますが、どうして後述する実効再生産数ではなく、信頼性に欠ける「陽性率」なのか、疑念は尽きません。

何度も言いますが、日本は、検査数も感染者数も外国に比べて一桁少ないのです。そのため、日本政府の対応について、海外から批判が続出しているのです。

朝日新聞デジタル
コロナ対応に海外から批判続出 政府、発信力強化に躍起

    英紙ガーディアン(電子版)は4日、安倍晋三首相が緊急事態宣言を延長したことを詳しく報じた。記事では記者会見でも取り上げられたPCR検査にも言及。「日本は検査の少なさで批判されている。日本のやり方は症状が軽い感染者を特定し、追跡することを困難にしている」と指摘した。
(略)
   英BBC(電子版)は4月30日、PCR検査について「日本の検査数の少なさは疑問だ」と題する記事を掲載。日本の感染者数は28万~70万人におよぶという試算を紹介しながら「日本は検査数を増やさないと、パンデミックの終結はかなり困難」という専門家の厳しい見方を取り上げた。
(略)
  韓国のハンギョレ新聞(電子版)も4月30日に社説で「安倍首相は韓国の防疫の成功を無視し、軽んじていた。日本政府とマスコミは当初、自国の対応を自画自賛した」と批判した。


また、日本政府が、海外からの批判に対して、みずからの立場を多言語で発信するために予算を計上したことに対しても、「米紙ワシントン・ポスト(4月15日付電子版)は『経済や株価への執着と、ずるい世論操作のやり方は親友のトランプ米大統領とそっくりだ』と皮肉った」そうです。

昨日だったかテレビでやっていましたが、ドイツのメルケル首相は、週に1回、現在の感染状況を国民に知らせるために、実効再生産数を発表しているのだそうです。メルケル首相は物理学者なので、国民の理解を求めるため、そういった科学的な指標をわかりやすく丁寧に説明しているそうです。受験勉強も経験していないどこかの国の総理大臣が、メルケル首相の真似をするのはとても無理でしょうが、なぜか日本ではこの世界基準とも言うべき実効再生産数を3月19日以降公表していませんでした。

実効再生産数というのは、前後の5日間の感染者数の差を元に、複雑な計算式で算出した現在の感染状況の推移を示す指標です。ひとりの感染者が平均何人に感染させているかを示しており、実効再生産数の数値が1.0より大きいと感染者数が増加、1.0より小さいと減少を示しているそうです。

上記のように、海外からの批判も、日本はPCR検査数や感染者数など基礎データがあまりに少なく、実効再生産数さえ定期的に公表してこなかったという不信感があるからですが、しかし、日本国内では、感染者数が一桁少ないことを「日本の奇跡」「安倍政権の優秀さの証明」と自画自賛していたのです。これが日本がカルトの国であるゆえんですが、安倍首相が緊急事態宣言の延長に際して、ネトウヨ=”自粛警察”の巣窟であるニコニコ動画とYahoo!Japanに出演したのも、「日本の奇跡」「安倍政権の優秀さの証明」と慰撫されたかったのかもしれません。このようにメルケル首相とあまりにも違うこの国の指導者の「バカっぽさ」を見せつけられると、ひとりの国民としてあらためて情けない気持にならざるを得ないのでした。

緊急事態宣言の延長が取り沙汰されるようになった5月1日、専門家会議は、「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」と題する報告書を発表したのですが、その中で、3月19日以降発表がなかった実効再生産数が久し振りに公表されていたそうです。しかも、その数値は、驚くべき事実を示していたのです。

そのことについて、医師であり弁護士でもある前新潟県知事の米山隆一氏は、朝日新聞の「論座」で、次のように書いていました。

livedoor NEWS
論座
専門家会議のコロナ報告書が示す驚きのデータと「5月7日以降」の合理的対策

(略)「発症日」ベースで集計された流行曲線が、今回初めて示されたのですが、その結果は極めて驚くべきものでした。発症日ベースでは、新型コロナウィルス感染症の流行は全国では4月1日に、東京では3月30日に既にピークを迎えていたのです(平均潜伏期間は「5日」程度と言われており、「感染日」のピークはこの更に5日前の3月27日、3月25日であるであると考えられます)。

これを裏付けるように、時刻tにおける再生産数であるRtは、全国、東京都ともに4月1日に、感染が収束に向かう境界値である1.0を下回っており、4月10日現在で全国0.7、東京都0.5となっているとのことです。

このデータは、端的にいって「4月1日の時点で全国・東京都ともに感染はピークアウトし収束に向かっていたのであり、そもそも7日の緊急事態宣言は(少なくとも事後的には)必要なかった」ことを意味します。


ところが、専門家会議は、戦前の関東軍と同じように、実効再生産数が示す数値とは矛盾する方向に突き進んでいくのでした(以下、引用は同上)。

 にもかかわらず、専門家会議クラスター班の西浦博教授は4月15日に、「4月1日の時点で全国・東京都ともに感染はピークアウトし収束に向かっている」という事実に何ら言及することなく、「このまま何もしなければ42万人が死亡する」という衝撃的な記者会見を行って国民の不安を掻き立て、専門家会議が22日に記者会見で発表した「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」においても、この事実への言及は何一つありませんでした。


これは、米山氏が書いているように、恐るべきことです。以後、西浦教授が提唱する「人と人との接触8割削減」が「国家目標」のようになっていくのですが、この「人と人との接触8割削減」についても、専門家会議の報告書は次のように言及しているそうです。

 この報告書の次に驚くべき点は、今まで事実上、国家的目標とされていながらその中身が判然としていなかった「人と人との接触8割削減」について、「『接触行動の変容』をどのように評価していくかについては、学術的にも技術的にもまだまだ課題が多い」として、学術的にも技術的にも評価方法が確立していない、「評価できない数字」であることを事実上、認めたことです。


私のようなシロウトでさえ、「人と人との接触8割削減」は”トンデモ科学”ではないかと前にも書きましたが、専門家会議もそのことをやっと認めたのです。メディアは、ドコモやauのスマホのデータに基づいて、人出が何割減ったとか増えたとか言っていますが、それはただドコモユーザーやauユーザーの行動(しかも、電源をONにしてスマホを持ち歩いている人の行動)に過ぎません。しかし、そんなスマホユーザーのデータによって、私たちの行動が縛られているのです。それどころか、多くの人たちは、生活を破壊され、破産か自殺かの状態にまで追い詰められているのです。もっとも、専門家会議は、今までもその都度「指針」や「提言」を変更しています。専門家会議が言う「指針」や「提言」も、所詮は医者特有のご都合主義の所産に過ぎないのです。

しかし、既に「8割削減」は独り歩きをはじめており、小池都知事もバカのひとつ覚えのようにそれをくり返しています。休業要請に従わないパチンコ店に対する“集団リンチ”も、国道での検問も、県外ナンバーに対するチェックや嫌がらせも、観光客を迷惑扱いする各地の観光地も、奥多摩の自警団も、野口健や山岳団体の登山自声明も、すべて「8割削減」をカルト的に解釈したからにほかなりません。戦前の隣組や国防婦人会と同じように、既に「8割削減」が暴走しはじめているのです。

米山氏が書いているように、私たちの生活様式は緊急事態宣言以前のレベルで充分だったのです。そのことを実効再生産数の数値が示しているのです。つまり、あえて挑発的な言い方をすれば、休業要請に従わないパチンコ店の判断の方が正しかったのです。

たしかに、休業要請に従わないパチンコ店でクラスターが発生したという話は寡聞にして聞きません。パチンコ店自体も、間を空けて行列を作るように呼び掛けたり、機械や店内をまめに消毒したり、客にマスクを配ったり、入店の際検温をしたりと、感染を防止する工夫をしているようです。私も仕事の関係で週に2日程度都心を走る電車に乗っていますが、パチンコ店の「密」より通勤電車の「密」の方がはるかに問題でしょう。パチンコ店のお客より、「電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち」の方がはるかに「危ない」でしょう。

もちろん、世の中には、感染防止の知識も意識もない「どうしようもない人間」も一定数存在します。そんな人間には近寄らないようにすればいいだけです。たとえば、三人掛けで真ん中の席が空いた電車の座席に座っていると、中にはラッキー!と言わんばかりに真ん中の席に座ってくる人間がいますが(たいていスマホ中毒のような痴呆的な若者ですが)、その際は立ち上がってドアの横にでも行くようにしています。そういう自己防衛をすればいいだけの話です。

一方で、専門家会議は、先の報告書の内容とはあきらかに矛盾する「新しい生活様式」なるものを提唱しているのですが、そこにも戦前と同じような「もうあと戻りできない」イケイケドンドンのカルト的解釈の暴走があるように思えてなりません。

NHK 特設サイト 新型コロナウイルス
専門家会議「新しい生活様式」の実践例

ワクチンが開発されるまで、専門家会議が提唱する「新しい生活様式」を実践していたら、街の商店主だけでなく、国民の半数は破産か自殺するしかないでしょう。私たちは、「書を捨てよ街に出よう」と言った寺山修司ではないですが、マスクをつけて街へ出るべきなのです。そういった自己防衛と自己判断の「新しい生活スタイル」を身に付けるべきなのです。そして、観光施設や宿泊施設が充分な感染対策をしているかどうかを見極めつつ、観光地にも出かけるべきなのです。県外客はお断りという自治体や観光協会の(小)役人的発想=事なかれ主義に対しては、宿泊施設などがもっと抗議して、みずからに下される“死刑宣告”を撤回させるべきなのです。「座して死を待つより、出て活路を見出す」(諸葛孔明)べきで、休業要請に応じないパチンコ店のバイタリティとしたたかさをもっと見習うべきなのです。そうやってワクチンの開発や「集団免疫」の獲得まで、新型コロナウイルスと共生して生きて行くしかないのです。

米山氏は、終息までの長い道程を生きるためには、「合理的思考」が必要だとして、次のように書いていました。

(略)専門家会議の報告書によって示された客観的なデータと事実から合理的に考えれば、私は、①「国の共通目標」をReに改め、②迅速にReを推計・発表する体制を整え、③症状のある人には迅速にPCR検査を行って症状に応じて直ちに療養・治療できる体制を構築した上で、④継続的にRe<1.0である事が確認された地域から順次「行動変容」の緩和を進め、4月上旬程度の「自粛」「感染症対策」を継続しながら、経済・社会活動を再開し、「今迄の生活様式」を取り戻すこと――が、最も合理的な政策であると思います。

2020.05.09 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
昨日、九州の友人から電話があり、経営する店に配達に来たおしぼり屋から「近所の○○マンションに、東京から来た人間が入り込んでいるそうですから気を付けた方がいいですよ」と告げられたと話していました。

友人が住んでいるのは国内でも有数の温泉地なので、リゾートマンションが多く、おしぼり屋は、リゾートマンションにコロナ禍を避けた人たちが「避難」して来ているのをそう触れ回っているのでしょう。ハイカーに「恐怖を覚える」奥多摩の年寄りや四国の山奥の村の騒動を誰も笑えないのです。

その街では、市営温泉の駐車場にやって来る車のナンバーを市の職員がチェックして、県外から来た客の入浴を断っているそうです。平均年収634万2792円の職員たちが毎日、市営温泉の前に立ってそんなことをやっているのです。

私は、その話を聞いて、「国際観光温泉文化都市」を名乗っていたのはどこの誰だと言いたくなりました。でも、もうなりふり構っていられないのでしょう。

田舎では、感染者が出ると、どこの誰だという噂がすぐ流れるのだそうです。さらに、噂には尾ひれが付き、感染者が若い女性だと一時は「阪神の藤浪と合コンした」と言われるのが定番だったとか。「集団ヒステリー」どころか、完全にとち狂っているのです。中世の「魔女狩り」も遠い昔の話ではないのです。

昨日の緊急事態宣言延長に際しての安倍首相の記者会見について、TBS系列の「はやドキ!」でコメンテーターの龍崎孝氏は、安倍首相が言っていることは何が言いたいのかよくわからなかった」「どうしてわからなかったのかと言えば、今までの政府の感染対策が失敗したからです。そして、経済が持たなくなったので、軌道修正することにしたからです。それを認めないで(ごまかそうとするので)、わかりにくい話になるのでしょう」というようなことを言ってました。

でも、今朝の新聞各紙は、そういった視点は皆無です。どこも政府が提唱する「新しい生活様式」なるものを詳細に解説しているだけで、政府の”広報機関“としての役割に徹しているかのようです。

日本だけがいつまで経ってもPCR検査数が極端に少なく(桁違いに少ない)、日本の「独り負け」と言われるほど感染対策が遅れている一因に、メディアのテイタラクがあります。メディアが、「権力の監視(チェック)」という本来の役割を放棄して”大本営発表”を垂れ流すだけなので、無能な政府の場当たり的な対策に国中が振り回されることになっているのです。緊急事態を錦の御旗に、すべてのメディアがフジサンケイグループ化=翼賛化しているのです。

専門家会議の方針は、徳洲会の徳田虎雄氏が指摘したような医者特有のご都合主義の所産に過ぎません。徳田氏が9歳のとき、3歳の弟が激しい下痢と嘔吐を繰り返し脱水症状を起こしたため、母親に言われて、真夜中に島の医者のもとへ走り往診を頼んだけど、医者は腰を上げてくれなかったそうです。そして、翌日、弟は息を引き取ったのです。徳田氏は、「弟の死がなかったら、僕は医者にならなかった」と自著(『ゼロからの出発 実現できない夢はない』)で書いていました。

自分の病院を持ってからは、「生命(いのち)だけは平等だ」という理念を掲げ、1年365日24時間の受入れを実践し、患者からの心付けを断り、差額ベット代も取らないという、徹底した患者本位の医療を貫いたのでした。そのため、既得権益を守ろうとする日本医師会と激しく対立することになったのですが、そのときも日本医師会は、今と同じように、徳洲会のようなやり方をすると日本の医療が崩壊すると言っていたのです。「医療崩壊」というのは、いつの時代も彼らの常套句=脅し文句なのです。

各地の医師会が反対した徳洲会の病院は、「医療崩壊」どころか、今や地域医療の中核を担う病院として、地域の開業医や自治体から高く評価されているのです。それだけでなく、徳洲会は、鹿児島や沖縄の島嶼部に、選挙がらみだという誹謗中傷を浴びながら、次々と「大規模病院」を作り、「多くの人が目を背けてきた離島医療の相当部分を(略)担ってきた」(青木理『トラオ』)のでした。だからこそ、東大や京大などで学生運動を経験した若くて優秀な医師たちが、徳洲会に理想の医療を求めて、政治信条の垣根を越えて集まり、徳洲会の医療の屋台骨を支えたのでした。

今回の新型コロナウイルスでも、専門家会議をはじめ、国の感染対策に日本医師会の意向が強くはたらいているのはたしかです。そして、それが日本の感染対策に遅れをもたらすことになったのではないかという疑念さえ抱かざるを得ません。現に、PCR検査さえ受けることができず自宅で様子を見るように言われて、徳田虎雄氏の弟と同じように、”無念な死”を迎えた患者も多くいるのです。生命も医療も平等ではないのです。

日本のPCR検査が諸外国に比べて極端に少ないのも、保健所を検査の窓口にして、生活保護などと同じように”水際作戦”を行ったからですが、そのために、岡江久美子の例をあげるまでもなく、失われなくてもいい命が失われることになったのです。「医療崩壊」したから犠牲になったのではありません。「医療崩壊を防ぐため」に犠牲になったのです。日本は外国に比べて、検査数も患者数も10分の1以下なのに、「医療崩壊」の懸念だけが声高に叫ばれているのです。しかし、メディアは、「保健所の職員は大変」「身を削って仕事をしている」というような、愚にも付かない情緒的な報道を繰り返すばかりで、問題の本質を見ようとしません。

そんな不条理で狂った世界の中で、個人的に一時(いっとき)の慰めになったのは、ローリングストーンズが6年ぶりにシングルをリリースしたことでした。しかも、新曲は、「Living In A Ghost Town」(ゴーストタウンに生きる)という曲名が示すように今の都市のロックダウンを歌ったものです。

70代半ばの「高齢者」なのに、何とカッコいいんだろうと思います。こんな時代だからこそ、よけいローリングストーンズと同時代に生まれた幸せをしみじみと感じるのでした。

https://youtu.be/LNNPNweSbp8


2020.05.05 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
今日、ロシアで3日、一日の新型コロナウイルス感染者が10633人発生したというニュースがありました。ちなみに、ロシアの感染者数の累計は、134687人で、死者は1280人だそうです。

私は、このニュースを聞いて、語弊があるかもしれませんが、羨ましいなと思いました。一日の感染者が10633人も発生したということは、それだけPCR検査をしているということなのです。日本は一日の検査数が7〜8千くらいなので、一日の感染者数が1万人を越すなど、最初からあり得ないのです。

にもかかわらず、日本のメディアは、ロシアは大変だ、日本はまだマシだみたいな言い方をしています。前には韓国に対しても、アメリカに対しても、イタリアに対しても、フランスに対しても、同じようなことを言っていました。

そのくせ、自粛だけは厳格で、自粛を守らない人間に対するバッシングはエスカレートするばかりです。感染の実態は隠ぺいされ、現在どの程度の感染状況にあるのかさえわからないのに、いつの間にか自粛が自粛でなくなり、自粛が絶対的なもの、破ってはならないものになっているのでした。

それどころか、感染=悪のように言われ、感染者はまるで犯罪者のように指弾されるのでした。四国の村で、感染者が出たという噂が流れたら、村中がパニックになり、どこの誰だと村役場に問合せの電話が殺到したというニュースがありましたが、それは四国の村だけでなく、日本中で大なり小なり見られる光景です。

自粛要請や休業要請は、要請ではなく強制のようになっているのでした。しかし、要請する側は責任を持ちません。雀の涙のような「協力金」で泣き寝入りさせられるだけです。そのため、要請に従った従順な小売店や飲食店は苦境に陥り、破産か自殺かの状態にまで追い詰められているのです。一方で、要請に従わないパチンコ店は、メディアが動員する「オレたちが我慢しているのに、どうしてあいつらだけ勝手なことをしているのか」という世論=“自粛警察”の標的にされ、文字通り非国民扱いされるのです。そうすることで、いっそう自粛が国民を縛る実質的な命令と化すのでした。自粛に従わないパチンコ店に対する“集団リンチ”が、国民に対する無言の圧力になっているのも事実でしょう。

さらには、新宿や渋谷など都心の繁華街から地元の商店街や公園へ、パチンコ店から千葉や湘南の海や奥多摩や丹沢の山へと自粛の網は広げられていったのでした。

メディアは、このゴールデンウイークも、新たな獲物を求めてヘリコプターを飛ばし、今度はゴルフ練習場の様子を空から映して、ここにもパチンコ客と同類の人間たちがいるかのように世論=“自粛警察”を煽っていました。これが「ファシスト的公共」でなくてなんだろうと思います。

先日、朝日新聞は、「『コロナ自警団』はファシズムか 自粛要請が招いた不安」という甲南大学の田野教授のインタビュー記事を掲載していましたが、私は、その記事を読んで「よく言うよ」と思いました。そういった「ファシスト的公共」を招来しているのは、朝日新聞などのメディアなのです。

朝日新聞デジタル
「コロナ自警団」はファシズムか 自粛要請が招いた不安

おととい、朝日新聞は、栃木県の男体山に単独で登山していた男性が道迷いで遭難して、栃木県防災ヘリで救助されたという記事を掲載していました。

朝日新聞デジタル
入山禁止の栃木の山で遭難 川崎の25歳、ヘリで救出

如何にも「ここにも自粛破りの不心得者がいるぞ」という感じの記事です。案の定、記事はYahoo!ニュースに転載され、ネットの「コロナ自警団」の恰好の餌食になったのでした。

先月の25日には、八ヶ岳で遭難した男性を長野県警の防災ヘリが救助したものの、男性が新型コロナウイルスの感染の疑いが発覚したため、救助した隊員10人が一時自宅待機になったというニュースがありました。これもネットで「それ見たことか」と拡散され炎上したのでした。

男性はその後陰性とわかったそうですが、どうして感染の疑いが持たれたのか、不可解な点も多いのです。ところが、このニュースが、野口健をはじめ登山家や、山岳団体や山関連の商業メディアなどが登山自粛を呼びかける格好の口実になっているのでした。

私は、別に山に行きたいから言うのではありませんが、こういった事故はとりたてて取り上げるほどもない普段でも「よくある話」です。今の状況でも、交通事故だってあるでしょう。公園で遊んでいたり、ジョギングをしていて怪我をすることだってあるでしょう。それで、新型コロナウイルスの対応で忙殺されている医療機関に迷惑をかけるという言い方は、単なる言いがかり、こじつけとしか思えません。特殊な事例を針小棒大に言い立てて、私権制限の口実にするのは、ファシスト的権力の常套手段です。

25日の週末には、北アルプスや八ヶ岳の登山口で、長野県の関係者が入山者をチェックしていたそうですが、そういった地元自治体の“検問”と遭難者に感染の疑いがかけられたことは、何か関係があるのではないか。そんな穿った見方をしたくなります。遭難した男性が一罰百戒のスケープゴートにされたということは、ホントにないのでしょうか。

男体山の記事では、「登山禁止の山に登った」というような書き方をしていましたが、登山自粛がいつの間にか「登山禁止」になっているのです。こういったニュースは、まさに休業要請に従わないパチンコ店に対する“集団リンチ”と同じ手法です。

そもそも私は、どうして「密」とは対極にある登山が「禁止」なのか、未だに理解できません。まして、私は、このブログを読んで貰えるとわかりますが、人の多い山を避けてひとりで山を歩くのが好きな、もともと「密」とは無縁な人間なので、よけい理解に苦しむのです。山に行くのに利用する電車やバスが「密」になると言いますが、それは週末のホリデー快速おくたま号のような話で、平日の下り電車は上りの通勤電車などに比べればはるかにマシです。「密」にならないように、個人個人が気を付ければいいだけの話です。それも言いがかり、こじつけとしか思えません。

いちいち取り上げるのもバカバカしいのですが、ネットには、登山道で「こんにちわ」と挨拶する際に唾が飛ぶので危険だというような書き込みがありました。メディアや登山家や山岳団体が言う「登山禁止」の理由も、そんなネットのおバカな書き込みと大して変わりがないのです。

公園やスーパーに行くより山の方がどう見ても「安全」です。商店街を歩くより山の中を歩く方がはるかに「安心」でしょう。相部屋が常識で、混んでいるとひとつの布団を複数で使用するような山小屋が「密」であるのは事実ですが(だから山小屋には泊まりたくない)、山小屋はとっくに休業していますので、「密」な山小屋は利用しようにも利用できないのです。

ましてや、近場の奥多摩や丹沢にハイキングに行くのに何の問題があるというのでしょうか。地元の自治体が駐車場を閉鎖したり登山口を通行止めにしてハイカーを締め出すのは、異常と言うしかありません。ホリエモンならずとも「集団ヒステリー」ではないかと言いたくなります。麓の町の年寄りが「恐怖を覚える」というのも、自治体やメディアが年寄りの無知に付け込みそう仕向けているだけです。「恐怖」を与えているのは、ハイカーではなく自治体やメディアなのです。

野口健のような登山家や山岳団体などが、国家の要請に無定見に従って、「登山禁止」の世論作りに手を貸しているのもまったく理解できません。彼らはネットの“自粛警察”と同じで、ただお上の言うことに従うという意識しかなく、それ以外は何も考えてないのでしょう。要するに、みんなが自粛しているので自粛すべきだと言っているだけです。「山屋」(野口健)だなんて片腹痛いのです。登山愛好家は、獅子身中の虫である彼らに対して、もっと怒りの声を上げるべきでしょう。

エベレストに登ったからと言って、登山愛好家を代表するようなもの言いはやめて貰いたいと思います。竹中労は、「分をわきまえず偉ぶる芸人」は嫌いだと言ったのですが、「分をわきまえず偉ぶる登山家」は迷惑なだけです。

新型コロナウイルスが私たちに突き付けているのは、自由か独裁かという古くて新しい問題です。「やっぱり自由は尊い」「自由であることは幸せなことだ」と考えるのか、それとも「やっぱり強制が必要だ」「専制的な権力の方が効率がいい」と考えるのか、今、私たちは、民主主義に対する見識を問われているのです。
2020.05.04 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
案の定と言うべきか、緊急事態宣言が延長されることがほぼ決定しました。今日開かれる専門家会議(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)が、あと1ヶ月延長するという政府の方針に沿った提言を出すのは間違いありません。そういった型どおりの“お墨付き”を得て、週明けに安倍首相が正式に発表する予定だそうです。治療法もワクチンもない中で「集団免疫」を獲得するには、経済活動を止め、社会的に多大な犠牲を強いて、時間稼ぎをするしかないのでしょう。

しかし、何度も言いますが、「不要不急の外出を控えて、人との接触を8割減らす」と言っても、それで新型コロナウイルスの感染が終息するわけではないのです。メディアもそういう幻想を振り撒いていますが、それが終息とは別の話だということくらいシロウトでもわかります。

人口の60%だか70%だか、それ以上だかわかりませんが、多くの人たちに抗体ができて「集団免疫」を獲得し、ウイルスと共生の道を歩みはじめなければ終息したことにはならないのです。言うまでもなく、抗体はウイルスに感染して初めてできます。当然、それには死や重症化のリスクが伴います。感染しないで(疑似感染で)抗体を作るには、ワクチンしかありません。

政府や専門家会議が言う「不要不急の外出を控えて、人との接触を8割減らす」という感染防止策は、如何にももっともらしい数理モデルで装飾されていますが、しかし、なんと原始的でなんとまわりくどくいやり方なんだろうと思います。昨日までAIだとかビッグデータだとか顔認証だとか電子政府だとか自動運転だとか言って、デジタル万能の“バラ色の未来”を語っていたのがウソのようです。

そもそもまともにPCR検査もせず市中感染率さえ把握していない状態で数理モデルなど成り立つのか。ホントに「人との接触を8割減らす」ことなど可能なのか。もしかしたら、私たちは、充分な科学的な検証がなされてない”トンデモ科学“のようなもので、多大な犠牲を強いられているのではないか。シロウトながら疑問は尽きません。

1億分の1メートル(つまり、100億分の1センチ)の微細な、細胞さえ持たない(従って自己増殖もできない)、生物と非生物の間にあるようなウイルスに、生物の最上位にいたはずの私たち人類は翻弄され、生存を脅かされているのです。AIもビッグデータもなんの役にも立たないのです。これが自然のシッペ返しでなくてなんだろうと思います。

前も書きましたが、休業要請に従って休業した店の貼り紙には、「5月6日まで」とか「当分の間」という表現が多くありました。

緊急事態宣言を真に受けたということもあるでしょうが、それだけでなく、そこには「そうあってほしい」という願望も込められていたに違いありません。

昨夜のニュースで言っていましたが、どこかのシンクタンクが行った「自己資金はどのくらい持ちこたえられるか?」というアンケートによれば、「1か月」と「2ヶ月」と答えた企業が、全体の20%弱もいたそうです。つまり、20%弱の企業は、緊急事態宣言の延長で倒産の危機に立たされる可能性があるのです。もっとも、アンケートには大企業も含まれていますので、中小企業に限定すれば、さらに割合は高くなるでしょう。まして、個人経営の店などは、いつ立ち行かなくなってもおかしくないほどに追いつめられているはずです。

もちろん、地方と東京など都市部では、事情が違うのは言うまでもありません。いちばんの違いは家賃です。家賃があるかどうか、また、家賃の金額によっても、深刻の度合いには大きな差があるはずです。東京都内で、高い家賃を払って商売をしていた個人商店が、これからさらに1ヶ月、持ちこたえて行くのは至難の業ではないでしょうか。

それに、1ヶ月後に緊急事態宣言が解除されたとしても、「集団免疫」が獲得されてない限り、第二波・第三波の感染爆発に見舞われるのは明らかなのです。あと1ヶ月で終わるわけではないのです。

10万円の個人給付も然りです。給料も下がっていないサラリーマン家庭は、家族分も含めて30万円も40万円も”臨時ボーナス“を貰えるので「ラッキー!」という感じでしょう。一方で、都会のアパートでひとり暮らしをしながら、非正規の仕事で糊口を凌いでいるような人たちは、10万円なんて家賃の支払いですぐ消えていくでしょう。食費だけでなく家賃も貧困のバロメータなのです。都会に住んでいる下層の人間ほど、家賃の負担が大きく、生活に重くのしかかっているのです。

10万円の「特別定額給付金」の支給を含む補正予算が30日に成立したことに伴い、青森かどこかの町で、さっそく10万円の給付が行われたというニュースがありましたが、その中で町の職員から10万円の現金を受け取ったお年寄りは、テレビカメラの前で、「ありがたいです。年金の支給が来月なので、助かります」と言っていました。

私も田舎の出身なのでわかるのですが、田舎の生活は家賃がいらないし、物価も安いので、10万円もあれば、年寄りが2ヶ月くらい暮らすことも不可能ではありません。でも、都会だとそうはいきません。田舎であれば低年金でもなんとか生きていけますが、東京などでは行政からの援助がなければとても生きていけません。

与野党が一致して求めた「一律給付」は、ポピュリズム政治の最たるものと言わざるを得ません。今求められているのは、収入が下がってなくて、そんなに大きな打撃を受けてない人たちは我慢して、その分を給料が下がったり職を失ったり、売り上げが落ちて苦境に陥ったりしている人たちにまわすという、相互扶助の考えでしょう。それを主張する政党がいない現実には失望感しか覚えません。

新型コロナウイルスによって、いろんな人の本性や本音があきらかになった気がします。リベラルだと思われていた政治家や知識人が、実は薄っぺらなリベラル思想しか持ってなくて、なんのためらいもなく“自粛厨”に変身していく姿を、嫌と言うほど見せつけられました。彼らが語っていた自由や平等や平和も、グーグルやアップルの信奉者が言う“バラ色の未来”と同じような、独りよがりで空疎な観念の産物にすぎなかったということなのでしょう。
2020.05.01 Fri l 新型コロナウイルス l top ▲
感染症と文明



私たちは、科学の進歩によってあたかも万能の力を得たかのように錯覚し、自然に対してもいつの間にか傲慢になっていたのです。しかし、相次ぐ大震災によって、その傲慢な考えを打ち砕かれました。特に東日本大震災では、科学的進歩の象徴とも言える原発の事故による未曽有の被害まで招き、自然から大きなシッペ返しを受けたのでした。

そして、今度は新型コロナウイルスによって、再び手ひどいシッペ返しを受けているのです。

山に登るとわかりますが、自分の足で登ると、わずか数百メートルの道でさえ息が上がり、ときどき足を休め息を整えなければ登ることができません。でも、自動車だと数百メートルなんてあっという間です。ハンドルさえ握っていれば、ガムを噛み鼻歌を歌いながら登ることができるのです。

野生動物に対しても同じです。熊と遭遇しても、登山中であれば足が竦んで、なるべく目を合わせないようにして、そっとその場を離れ、ときには今まで苦労して登って来た道をまた下らなければなりません(私自身、その経験があります)。でも、車だと、「あっ、カワイイ」なんて言いながらカメラを向ける余裕があります。クラクションを鳴らせば、熊もあわてて逃げるでしょう。熊に対する認識も全然違ってくるのです。

私たちは、自然の一員でありながら、自分が自然に対して如何に無力なのか、小さい存在なのか、ということをいつの間にか忘れていたのです。それではシッペ返しを受けて慌てふためくのも当然でしょう。

『感染症と文明』(岩波新書)の中で、著者の山本太郎教授は、感染症の起源は野生動物の家畜化にあると書いていました。

野生動物の家畜化は、動物に起源をもつウイルス感染症をヒト社会に持ち込んだ(略)。天然痘はウシ、麻疹はイヌ、インフルエンザは水禽、百日咳はブタあるいはイヌに起源をもつ。いうまでもないことだが、これらの動物は、群居性の動物で、ヒトが家畜化する以前からユーラシア大陸の広大な草原で群れをなして暮らしていた。
(略)
家畜に起源をもつ病原体は、増加した人口という格好の土壌を得て、ヒト社会へ定着していった。専門的な言葉で言えば、病原体は新たな「生態学的地位」と獲得した、ということになる。


そして、ウイルスも人間と共生すべく変異をくり返していくように、人間もまた、ウイルスと共生するために抗体を獲得するのです。それが免疫です。

また、人間と共生したウイルスは、新たなウイルス(病原体)の侵入に対して、ときに防御する役割も担っているそうです。そのため、ウイルスを根絶することは、人類にとって逆にリスクをもたらすことにもなりかねないのです。

病原体の根絶は、もしかすると、行きすぎた「適応」といえなくはないだろうか。感染症の根絶は、過去に、感染症に抵抗性を与えた遺伝子を、淘汰に対して中立化する。長期的に見れば、人類に与える影響は無視できないものにある可能性がある。
(同書)


一方で、「いつの時点においても、達成された適応は、決して『心地よいとはいえない』妥協の産物で、どんな適応も完全で最終的なものでありえない」とも書いていました。発症するまでの期間が長くなり、その期間が人間の寿命を越えると、ウイルスは「無毒化された」ことになるのですが、しかし、それも一筋縄ではいかないということなのでしょう。

とまれ新柄コロナウイルスの感染拡大を終息させるには、「集団免疫」しかないという考えも、ウイルスとは共生するしかないという感染学の“常識”に基づいたものなのです。

しかし、感染者がゼロになったという中国も、もちろん、中国に対抗して経済活動の再開を手探りではじめたアメリカも、まだ「集団免疫」を獲得していません。世界で「集団免疫」を獲得した国は、1022万人と人口が少なく、その意味では「集団免疫」を獲得しやすかったスウェーデンだけです。そのスウェーデンにしても、最新の情報では、感染者が19621人、死者が2355人の犠牲を払っているのです。

これから「集団免疫」を獲得するまで、第二波、第三波の流行がやって来るのは間違いないでしょう。

山本教授によれば、スペイン風邪では、「多くの地域で、第一波の流行より第二派の流行で致死率が高く、第三波で再び致死率が低下した」そうです。自然は、私たちにシッペ返しという大きな試練を与えているのです。

また、生物学者の福岡伸行氏も、朝日新聞の特集記事の中で、「ウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない」、共生するしかないと言っていました。

ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。

 その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。

 いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。

朝日新聞デジタル
「ウイルスは撲滅できない」福岡伸一さんが語る動的平衡


もちろん、個人的には新型コロナウイルスの感染は「怖い」のですが、しかし、無定見な”自粛厨”(煽られるアホ)にならないためにも、ただ怖がるだけでなく、このようなウイルスに対する客観的な視点を持つことも大事なことではないかと思いました。
2020.04.29 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
沖縄の玉城デニー知事が、航空会社の予約によれば、このゴールデンウイークで沖縄に来る予定の人が6万人もいるとして、旅行のキャンセルを求めたというニュースがありました。玉城知事は、ツイッターで呼びかけたほか、27日には記者会見でも、あらためてキャンセルを求めたのでした。

メディアによれば、4月29日から5月6日までのゴールデンウイーク期間中の沖縄便は、「日航グループでは約2万7千人(昨年比18%)、全日空で約2万3千人(同10%)で、計約5万人の予約がある」(朝日)そうです。玉城知事の呼びかけは、その数字を踏まえてのものだったのでしょう。

しかし、当初から玉城知事の発言を疑問視する声がありました。6万人というのは、往復便の合計数なので、単純に考えても来沖の人数は半分の3万人です。しかも、これはあくまで予約にすぎず、キャンセルの手続きをしていない予約客も多いので、最終的にはもっと少なくなるだろうと言われていました。

すると、案の定、赤羽国交相は28日の閣議後の会見で、「県外から沖縄への予約者は27日時点で約1万5千人になったと説明した」(朝日)そうです。これも往復便の合計数でしょうから、実際の来沖数は7千5百人以下でしょう。もちろん、その中には、仕事で来る人も、帰省する人もいるでしょう。

玉城知事は、呼びかけに際してあきらかに数字を盛っているのです。もしそれがわかってなくて発言したのだとしたら、緊急事態宣言&自粛ムードの中で、完全に浮足立っていると言えるでしょう。さらに、玉城知事は、会見では、東京都の小池知事が提唱した「STAY HOME 週間」という言葉まで使ってキャンセルを呼びかけていたのでした。まるで小池都知事に右へ倣えしたかのようです。

感染者数のコントロール(情報操作)と同じことが、いろんな分野で行われているのです。それは、リベラル派の知事も例外ではないのです。と言うか、リベラル派もその片棒を担いでいるのです。玉城知事のトンチンカンぶりは、立憲民主党の特措法改正案賛成と軌を一にしていると言えるのかもしれません。そうやって、家にいること以外はことごとく自粛に反するとして指弾される異常な空気が作られているのです。

何度も言いますが、海や山に行くことにどうして地元民が「恐怖を感じる」のか。この前まで彼らは、観光客相手に特産品や食べ物を売って小遣い稼ぎをしていたのです。それが途端に「恐怖を感じる」ようになり、まるで石を持って追い払うように観光客を敵視しているのでした。

そのうち、地元民が自警団を作って、(岡山県のように)検問をはじめるかもしれません。

一方で、玉城知事のような薄っぺらな政治家やメディアがそれを煽っているという側面も見逃せないでしょう。

ゲーブルカーも運休し茶店も閉まった閑散とした高尾山の参道で、徒歩で登ってきたハイカーに向けてマイクを突き付け、「どうして高尾山に来たのですか?」「どうして自粛できないのですか?」と問いただすメディアの異常性。しかし、その異常性を指摘する声は皆無です。メディアは、そうやって「オレたちが家で我慢しているのに、外を出歩く奴は許せない」という大衆の負の感情を煽っているのです。

昨日会った同郷の人間は、先週、田舎の父親が亡くなったそうですが、葬儀にも帰ることができなかったと言っていました。田舎の親戚から「東京から帰って来ると、田舎の人たちに迷惑をかける」と言われたのだとか。それに、飛行機も1日1便に減便されているので、チケットを取るのさえ難しいと言ってました。

そのため、事情を知った葬儀会社が葬儀の模様をLINEの動画で送ってくれたそうです。彼は、スマホの画面を見ていたら涙が出て仕方なかったと言っていました。

自粛要請に従って休業したものの、満足に補償も得られないので生活も立ち行かなくなり、決してオーバーな話ではなく、破産か自殺かの選択を迫られている自営業者も少なからずいます。それを考えれば、未だに営業しているパチンコ店は「最後まで抵抗をしている気骨のある店」と言えなくもないのです。「従業員の雇用を守るため」という理由もウソではないでしょう。パチンコ店で働いている人たちは、不安定な身分の雇用形態の人が多いので、休業したら途端に職を失い路頭に迷うことになるのです。

店名公表に対して、パチンコ店は「行政による集団リンチだ」(朝日)と反発していたそうですが、誰が見てもそうでしょう。しかし、その危険性を指摘する人間もいないのです。言えない空気があるからです。「人びとの憎しみを焚きつけるような私刑を誘うやり方はよくない」と反対したのが保守派の三浦瑠麗だけというのも異常です。三浦瑠麗の発言は、至極真っ当でした。

三浦氏は24日、ツイッターで「パチンコは騒がしいので普段から好きではありませんが、見せしめのような店名公表には反対です」と言及。「自粛なんだからあくまでも基本自由であるということを原則として頭においていただきたい。行政が電凸を誘う社会的圧力をかけるべきではないし、潰れて労働者がクビになったら責任を取れるのでしょうか」とした。

続くツイートで「コロナ禍は好ましいものと好ましくないものに人の心のなかで差をつけさせる。望ましくない業態、望ましくない職業。休業して持ち堪えることできない場合、要請にとどまるあいだは営業は自由だと思う」と指摘。「人びとの憎しみを焚きつけるような私刑を誘うやり方はよくない。法治国家はそれをすべきでない」と訴えた。

Yahoo!ニュース
日刊スポーツ
三浦瑠麗氏が要請応じないパチンコ店施設公表を批判


横浜の旭区で、物件の内覧に訪れたアパートの室内で、不動産会社の女性社員をナイフで刺してカバンなどを奪った犯人は、先月まで大阪の風俗店で働いていたけど、休業要請で職を失ったため、横浜で路上生活をしていたのだそうです。そのため、わずか数千円しか入ってないカバンを奪うために人を刺したのです。これからは、こういった事件も多くなるでしょう。都市の最深部に行けば行くほど、世も末のような荒涼とした光景が広がっているのです。

緊急事態宣言が発令されたら、先の戦争のときと同じように、いつの間にかリベラル派も問答無用の翼賛体制の隊列に並んでいるのでした。そして、みんなで思考停止に陥って、右に倣えして最敬礼しているのです。異論であるはずの野党(リベラル派)が、異論を排する側に立っているのです。玉城知事のトンチンカンぶりは、そんなヘタレなリベラル派を象徴しているように思いました。
2020.04.29 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
カミュの『ペスト』を読み返したいと思って、本棚を探したのですが、どうしても見つかりません。しかし、アマゾンや紀伊国屋やhontoなどの通販サイトをチェックしましたが、いづれも電子書籍しかなく、紙の本は「在庫なし」でした。

私は、電子書籍をまったく利用してないわけではないのですが、やはり、できれば紙の本で読みたいという気持があります。それで、日販(日本出版販売)が運営する通販サイトに、『ペスト』(新潮文庫)と『感染症と文明』(岩波新書)の2冊を注文しました。そして、注文して1週間近くが経った今日、やっと発送したというメールが届きました。

考えることは誰でも同じみたいで、現在、この2冊はベストセラーになっており、どこの書店も入荷したらすぐ売り切れるそうです。

『感染症と文明』は、長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授が2011年に書いた本です。先日、朝日新聞に載っていた山本教授のインタビュー記事を読んで、あらためて著書を読みたいと思ったのでした。

朝日新聞
感染症と社会、目指すべきは「共存」 山本太郎・長崎大熱帯医学研究所教授に聞く

山本教授は、記事の中で次のように言っています。

「多くの感染症は人類の間に広がるにつれて、潜伏期間が長期化し、弱毒化する傾向があります。病原体のウイルスや細菌にとって人間は大切な宿主。宿主の死は自らの死を意味する。病原体の方でも人間との共生を目指す方向に進化していくのです。感染症については撲滅よりも『共生』『共存』を目指す方が望ましいと信じます」
(略)
「従来の感染症は多くの犠牲者を出すことで、望むと望まざるとに関わらず社会に変化を促したが、新型コロナウイルスは被害それ自体よりも『感染が広がっている』という情報自体が政治経済や日常生活に大きな影響を与えている。感染症と文明の関係で言えば、従来とは異なる、現代的変化と言えるかもしれません」


今回の新型コロナウイルスが、時代的背景こそ違え、ペストと同じように、政治経済や文明に歴史的な変化をもたらすのは間違いないでしょう。後世の歴史家は、ターニングポイントとなった新型コロナウイルスの流行について、ページを割いて詳述するに違いありません。

岡江久美子が死亡したというニュースも衝撃でした。感染だけでなく感染死が他人事ではないことを痛感させられた気がして、テレビで彼女の死が取り上げられているのを観るたびに、重苦しい気分になっている自分がいます。

感染するのは覚悟している、覚悟するしかないなどと言いながら、その先にある死に対しては、目を背けていたところがありました。しかし、芸能人の死によって、その現実を目の前に突き付けられたような気がするのでした。

政府や専門家は、人との接触を8割減らせと言います。そのためには、会社も休め、スーパーに買い物に行くのも3日に1回にしろと言います。

でも、それでホントに感染の拡大は止むのだろうかという疑問は拭えないのです。政府や専門家が言っていることは、どう見ても場当たり的にしか思えません。実際に、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が言っていることも、最初の頃とはずいぶん違って来ているのです。

最近、「集団免疫」とのカラミで、市中感染率の重要性が取り沙汰されていますが、それも多くの人たちが前から指摘していたことです。無症状や軽症の感染者を顕在化しなければ、効果的な感染対策ができないことくらいシロウトでもわかる話です。でも、それすらやってこなかったのです。それが、今のような日本が「独り負け」した状態をもたらしたのは間違いないでしょう。

「人との接触の8割削減」だけがひとり歩きしていますが、そういった(衆愚政治の常套手段の)シングルイシューによって、隠されているもの、ごまかされているものがあるのではないか。私は、あの痴呆的なアベノマスクやアベノ動画が、日本政府の感染対策のレベルを象徴しているように思えてなりません。

埼玉では、白岡市と東松山市で、入院の調整がつかないなどの理由で自宅待機を余儀なくされていた感染者の男性が二人、相次いで亡くなりましたが、その背景に、「病床が満杯になるのを避けるため、(PCR検査の)条件を厳しめにやった」というさいたま市の保健所長の発言が示しているような、事なかれ主義の”小役人的発想(対応)”があるのはあきらかでしょう。

白岡市の男性は、ひとり暮らしだったそうですが、ひとり肺炎の苦しみの中で死を迎えたその姿を想像すると、いたたまれない気持になります。現実は、(トリアージとは別に)既に命の選別が行われているのではないか。そんな疑問すらあります。「人との接触の8割削減」の陰で、大事な問題がなおざりにされているように思えてなりません。

ゴールデンウィークを前に、自治体の首長からは、道路封鎖を要望するような過激な発言も出ていますが、なんだかそうやって問題のすり替えが行われているような気がしてなりません。“非常時”を錦の御旗に、基本的人権などどこ吹く風の風潮がまかり通っているのです。

休業要請に従わないパチンコ店の店名公表も然りです。感染の拡大が一部の不心得者の行動にあるかのようなもの言いは、詐術以外のなにものでもありません。パチンコ店は在日のイメージが強いので、自粛のストレスのはけ口として格好のターゲットになったという側面もなくはないでしょう。

動員の思想によって、大衆の負の感情ばかりが煽られているのです。メディアがその先兵の役割を担っているのです。煽るアホに煽られるアホという言葉しか浮かびませんが、そこに垣間見えているのは、「ファシスト的公共性」(佐藤卓己)を陰画とする自粛の風景です。そして、文字通りの“自粛厨”として、産経新聞から朝日新聞、百田尚樹から玉川徹まで、みんな口を揃えて「ファシスト的公共性」を称揚しているのでした。その点においては、寸分の違いもないのです。
2020.04.25 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
今更言うまでもありませんが、自粛により多くの自営業者が苦境に喘いでいます。雀の涙ほどの協力金では、それこそ焼石に水でしょう。中には、協力金が命綱だと言う個人事業主もいますが、それも5月6日まで休業して、そのあとは以前のように事業が再開できると思っているからでしょう。

しかし、緊急事態宣言が5月6日で終了する可能性はほとんどなく、緊急事態宣言の延長はもはや既定路線なのです。

それは地方も同じです。地方の観光地ほどインバウンド頼りだったので、いきなり奈落の底に突き落とされたような感じで途方に暮れているのです。

地元の温泉地で商売をしている友人によれば、夜の街では、このところ金貸しの姿がやたらが目に付くようになった、と顔見知りのポン引きのおばさんが話していたそうです。ポン引きのおばさんたちは、毎夜、路地に立って目の前を行き交う人を見ているので、人の情報や街の変化をキャッチするのが早いのです。つまり、苦境に陥っている自営業者たちが、それだけ高利のお金に手を出しているということなのでしょう。また、10万円の給付も決定したので、それを担保にお金を借りようという人も多いのかもしれません。それで、金貸しが俄然忙しくなったのです。

もちろん、苦境に陥っているのは、ポン引きのおばさんたちも例外ではなく、今月はヘルスに2件紹介しただけで、収入は6千円しかないと嘆いていたそうです。ちなみに、紹介料はヘルスが3千円、ソープは5千円~6千円だとか(ヤクザがやっている店は女性のレベルが高く高級店が多いので、紹介料も高いそうです)。

厚労省の助成金(いわゆる”休業補償金”)では、当初、風俗業などで働く人たちは対象外とされていました。しかし、批判が殺到したため、厚労省は方針を転換して、風俗業や夜の飲食業で働く人たちも対象にすることにしたのですが、ポン引きのおばさんたちのようなブラックな職業の人たちはどうなるんだろうと思いました。

歌舞伎町で風俗業をしていた知り合いも、“休業補償金”をめぐって、早速、闇社会の住人たちがあれこれ知恵を絞っていると言っていました。

もっとも、新型コロナウイルスの感染拡大で、「経済崩壊」の声さえ囁かれる中、日経平均株価がときに大幅上昇する奇妙な現象が示しているのは、今や株式市場が実体経済を離れてマネーゲームの賭場になっているからですが、そうやって日銀がせっせせっせと印刷して株式市場に投入したお札が、得体の知れない(?)外国人投資家の懐に吸い上げられていることを考えれば、数十万円の金額をめぐる闇社会の悪知恵なんてまだかわいいものです。

今夜、インタフォーンがピンポーンと鳴ったので、誰だろうとモニターを見たら、マスクをした女性たちが並んで立っていました。

「どなたですか?」
「あの~、新型コロナについてお話ししたいことがあるので、玄関まで通していただけないでしょうか?」
それで、「おい、お前、なに言っているんだ?」と声を荒げると、「じゃあ、新聞を入れておきますので読んで下さい」と言ってモニターから消えました。

郵便受けに入っていた「新聞」を見ると、カルトで有名な仏教系の新新宗教団体でした。

新型コロナウイルスの感染拡大は、カルト宗教にとっては「広宣流布」のチャンスでもあるのでしょう。

右か左かではなく上か下かで見ると、まさに世も末のような荒涼たる光景が広がっているのでした。
2020.04.23 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
昨日、3週間ぶりに開かれた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議で、同会議が提言した「人との接触を8割減らす。 日常生活を見直す10のポイント」なるものを見て、私は「なに、それ」と思いました。

提言なんて仰々しい言い方をしていますが、ここに至っても、そんな子どもに悟すようなことしか言えないのかと思いました。もっとも、この提言は、緊急事態宣言を延長するための”前振り”のように思えなくもありません。

頭隠して尻隠さずのような自粛ばかり押し付けられていますが、ホントに感染の拡大の原因は、自粛の不徹底だけなのでしょうか。一方では、外出の自粛と関係のない、院内感染や家庭内感染の問題が取り沙汰されるようになっているのです。また、都心の繁華街だけでなく、今度は地元の商店街やスーパーや公園などの”密”が問題視されています。なんだか都心から地元へ地元から家庭へと、追いかけっこしているような気がしないでもありません。

挙句の果てには、政府や東京や大阪などの自治体からは、休業要請に応じないパチンコ店などの店名を公表するという話が出ています。いよいよ緊急事態宣言の本性が表れてきたように思えてなりません。こうやって要請が命令になっていくのです。

それにつれ、ネットを中心に、自粛に従わない人間たちに対するバッシングもエスカレートするばかりです。しかも、そのバッシングは感染者にも向けられ、感染者はまるで犯罪者のように指弾されるのでした。

前も書きましたが、自粛は人々に大きなストレスを与えます。そのストレスのはけ口が、自粛要請を守らない不謹慎者や「迷惑をかけられる」感染者にぶつけられるのです。これこそファシズムにおける大衆心理の典型的な構造と言えるでしょう。

ヤフコメをはじめネットは、この手の書き込み(罵言)で溢れています。そうやって全体主義に「レイプされた大衆」(セルゲイ・チャコティン)は、まるでファシストたちの”サディズム的快感”をインプットされたかのように「不謹慎者狩り」に走るのでした。まさに歴史は繰り返しているのです。

自治体には、公園で親子連れが遊んでいるので迷惑だというクレームが多く寄せられ、自治体は公園の遊具にテープを貼って使用できないように対策を講じているそうです。また、先週の日曜日には、千葉や湘南の海に多くのサーファーなどが押し寄せたため、地元の住民たちが「恐怖を覚えた」として、地元の自治体は駐車場の閉鎖を決めたそうです。さらに、鎌倉や藤沢や逗子など湘南地区の11自治体は、神奈川県の黒岩知事に対して、「海岸の封鎖や道路を通行止めの措置をとるよう」要望したのだそうです。

こうやって移動の自由という基本的人権も、なんの躊躇いもなくあっさりと否定されるのです。

私が通う奥多摩でも、山梨の小菅村や東京の奥多摩町や檜原村など関係自治体が、登山の自粛を呼びかけ、併せて駐車場や林道の閉鎖を決定したというニュースがありました。

また、それに呼応するように、日本山岳会、日本山岳ガイド協会、日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟の山岳4団体は、登山の自粛を呼びかける共同声明を発表したそうです。

その共同声明「山岳スポーツ愛好者の皆様へ」は、次のように呼びかけていました。

(略)全国民が、外出制限、商業施設の相次ぐ閉鎖あるいは在宅勤務等々、日々逼迫した窮屈な生活を強いられています。このような現況下で、都市を離れ、清浄な空気と自然を求めての登山やクライミング行為は、出先の方々への感染を広め、山岳スポーツ愛好者自身が感染するリスクを高めます。

(略)この緊急事態に対処するには、山岳スポーツを愛する皆様の他者への思いやり、そして何よりご自身の感染防御に専心され、事態の収束を見るまで山岳スポーツ行為を厳に自粛していただきますよう山岳四団体としてお願いいたします。

日本山岳・スポーツクライミング協会
<山岳四団体声明>山岳スポーツ愛好者の皆様へ


先の戦争のときも、おそらく似たような声明が出されたのでしょう。

登山には、「自立した登山者であれ」という言葉があります。人に連れられて行った「山」は山ではない、という言い方もあります。山に登るということは、すべてのリスクを自分で背負うということです。その”覚悟”を持つということです。そのためには、”覚悟”に似合う体力と技術と知識と精神力が要求されるのです。それが「自立」ということです。

誤解を怖れずに言えば、今回の声明は、登山の“自立(孤高)の精神”とは真逆にあるものと言えるでしょう。もちろん、自粛に従わないことが「自立した登山者」であると言いたいわけではなく、山岳団体が、登山者に対して八つ当たりしているとしか思えない地元の要望を受けて、頭から登山者を縛るような声明を出すことに違和感を覚えてならないのです。山岳団体としては、(自粛に反対するのでも従うのでもなく)静観する姿勢があってもいいのではないかと思います。どこかの「頭悪すぎて笑う」登山家とは違うのですから、静観するのもひとつの見識でしょう。

閑話休題、私には、昨日の専門家会議の提言は、自分たちの瑕疵(ミス)を棚に上げて、感染の拡大の責任を国民に押し付ける”詭弁”のようにしか思えません。そして、”詭弁”を”詭弁”と指摘できない今の風潮は、益々日本の「独り負け」を加速させるだけのように思います。自然の猛威である新型コロナウイルスは、原発事故などと違って、日本人お得意のごまかしはきかないのです。

オリンピックや政権の体裁のための初動の遅れ。PCR検査の抑制による感染者の隠蔽。その延長にある政府の場当たり的な対応に唯々諾々と従い、お墨付けを与えるだけの専門家会議。未だに市中感染率さえ把握できてない事態を招いた責任は、専門家会議にもあるでしょう。これでは、ナチスのNSV(ナチス民衆福祉団)と同じようなものと言っても言い過ぎではないでしょう。
2020.04.23 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
私が前々回の記事で書いた渋谷健司氏に対する誹謗は、立憲民主党の有田芳生参院議員もリツイートしていました。

有田議員自身も渋谷氏を毛嫌いしていたみたいで、そのあとも、渋谷氏がWHOの「上級顧問」であるというのはまったくの嘘だ、履歴詐称だという別の人物のツイートもリツイートしていました。それは、次のようなものです。


ところが、このツイート自体がデタラメだったのです。指摘した人物によれば、WHOのHPを検索したら「0.01秒」で渋谷氏の名前が出てきたそうです。

しかし、有田議員は、あろうことか指摘した人物を逆に「デマを流している」と決めつけたのでした。そのため、指摘した人物から猛反発を受け、結局、次のような「お詫び」を出す羽目になったのでした。


指摘した人物ならずとも、大丈夫かと言いたくなりました。有田議員の醜態は、特措法改正に賛成した立憲民主党のテイタラクを体現しているような気がしてなりません。

政府の感染対策を批判する専門家に対して、フェイクだと誹謗するツイートを次々とリツイートするその感覚には、ただ驚くばかりです。もっとも、安倍首相に超法規的権限を与える特措法改正に賛成した立憲民主党の姿勢を考えると、有田議員のリツイートには納得もできるのです。

一方で、今回のトンマな所業には、故・平野謙が指摘した、前衛党神話に呪縛された左翼特有のリゴリズムが垣間見えるような気がしないでもありません。話が飛躍しているように思われるかもしれませんが、そういった思考法は元左翼も無縁ではないのです。

くり返しますが、こんなときだからこそ、誰が信用できて誰が信用できないかをしっかりと見ておく必要があるのです。

これが私が二度に渡って、イデオロギーや党派性の”怖さ”について「余談」を書いた理由です。
2020.04.21 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
今の自粛一色の空気は、子どもだけでなく大人だってストレスを抱えるものです。わけもなく重苦しい気分になったかと思うと、やたらイライラしたりして、いつもと違うのが自分でもわかります。

私にとっての自粛は、帰省をキャンセルしたことと、それから山に行ってないというか、行きづらくなって山行きを自重していることです(と言っても、まだ10日ちょっとですが)。

実は今日(20日)から九州へ帰省する予定でした。今回の帰省のいちばんの目的は、数十年ぶりに地元の山に登ることでした。子どもの頃、父親と一緒に登った思い出があり、いつかまた登りたいなとずっと思っていたのです。

しかし、先月、田舎の友人から電話があり、今回はやめた方がいいぞと言われ、やむなくキャンセルしたのでした。

おかげでストレス太りして困っています。今日も、久しぶりに会った知り合いから、「太りましたねぇ~」「どうしたんですか?」と言われました。

山に行くのも、自粛の同調圧力に抗すればいいだけなので、行こうと思えば行けるはずなのです。ザックを背負って登山靴を履いて、早朝の電車に乗ればいいだけの話です。帰りの電車では、乗客からの白い目にちょっと耐えればいいだけの話です。前回と同じように寝たふりをすればいいのです。

聞くところによれば、昨日の日曜日は天気も良かったので、ヤビツ峠に行く道は登山客の車で渋滞していたそうです。表尾根や大倉尾根の登山道も、普段の休日と変わらないくらい人でいっぱいだったそうです。そんな話を聞くと、「オレも」と思ったりするのでした。

たしかに、自粛にはアホらしいような建前の一面があります。スーパーに行くと、「ソーシャルディスタンス」なのか、レジの前の床に1メートル間隔(?)にラインが引かれていました。しかし、「ソーシャルディスタンス」は並んでいるときだけで、レジのまわりは狭いので、レジの先にある支払い機で支払いするときは、レジで計算している次のお客や横の支払い機で支払いしているお客と密着しているのでした。

一方、通勤電車の中では、「ソーシャルディスタンス」なんてどこ吹く風で、人々が座席に座ろうと我先に電車に乗り込んできます。また、車両の間を歩いて空いている席を探している乗客もいます。みんな、みずから進んで密着しようとしているのです。

東京都の感染者の年齢構成と自粛後の通勤電車の乗客の年齢構成が重なるという話がありますが、たしかにそうかもしれません。未だ多くの人たちが感染に怯えながら(?)通勤しているのです。だからこそ、誰よりも「ソーシャルディスタンス」を心がける必要があるのです。それが、感染を避けるために自分でできる対策でしょう。しかし、実際はそんな最低限の自衛策さえ取ってない人があまりに多すぎるのです。それが現実なのです。

小池都知事ではないですが、「ソーシャルディスタンス」なんて英語を使うので、みんな、ことばの意味を理解してないのではないかと皮肉を言ってみたくなります。そのくせ隣の乗客が咳をすると、顔をしかめて睨みつけたりするのでした。もしかしたら、そういう人間に限って、ネットで石田純一に罵言を浴びせたりしているのかもしれません。

今日会った旧知の若いサラリーマンは、給与が減っているわけでもないのに、子どもも含めて3人家族なので、今回の10万円給付で30万円もらえると喜んでいました。「ラッキーですよ」と言ってました。また、「同じ会社の人で子どもが4人いる人がいるんですが、その人なんか60万円もらえるんですよ」「自粛が終わったら家族で旅行に行きたいと言ってましたよ」と言ってました。

この10万円給付については、元衆議院議員の杉村太蔵が「強烈な格差を生み出す」として、「大反対」を表明し「炎上」しているそうです。

Yahoo!ニュース
ORICON NEWS
『サンジャポ』国民一律10万円給付に賛否両論 杉村太蔵「強烈な格差を生み出す!」

 杉村は「生活支援策としても景気回復策としても大反対です!  というのも私、今、こうしてテレビで使っていただいている。生活に経済的に影響ありません。うちは家族5人ですから、杉村太蔵に50万円。一方、派遣切りに遭った、収入が半分以下になってしまった、そういう人、派遣の方は残念ながらなかなか結婚できない。1人暮らしの方が多い。こういう方は10万円なんですね。国民全員に配るというのは、公平なようで強烈な格差を生み出すことになる」と主張。


杉村太蔵は、自民党の衆院選候補者公募に応募するまでは、派遣の仕事をしていたそうなので、まだこういった感覚が残っているのでしょう。

非常時になると、意外な人が意外なことを言ったりするものです。反対に、日頃、リベラルなことを言っている人間が、途端に“国家への帰順のすすめ”のようなことを言ったりしてがっかりさせられることがあります。

私たちは、こんなときだからこそ、誰が信用できて誰が信用できないかをしっかりと見ておく必要があるでしょう。それは、右や左かのイデオロギーではありません。そんなものはなんの尺度にもならないのです。自由や共生、あるいは平和というものに対して、どれだけ高い見識とデリケートな感性を持っているかでしょう。

前回の記事でも書きましたが、何事もイデオロギーの色眼鏡で見ることしかできないリベラル左派の硬直した観念は、むしろ怖いなと思います。そういうところにもまだ、党派性の悪夢=左の全体主義が生きていることがよくわかりました。
2020.04.20 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
ここに至ってもなお、検査数が抑えられている現状で、感染者数を云々(「デンデン」ではありません)するのはナンセンスのような気がしないでもありませんが、日本の感染者数が韓国を抜くのはいよいよ時間の問題となりました。

◎感染者数 カッコ内は死者数
日本9795人(154人)
※4月18日 午後6時現在 厚労省発表
韓国10635人(230人)
※4月17日 午前0時現在 中央事故収拾本部及び中央防疫対策本部発表

◎新規の感染者数 ※4月18日現在
日本577人
韓国18人


PCR検査は、日本は現在も一日に5千件弱しか行われておりません。安倍首相は、先日の記者会見で、一日に1万2千件行う体制にあると言ってましたが、実態はまるで違います。

マスクも然りです。マスク不足が問題になった2月頃から「来週には十分供給できる」と言ったり、それが過ぎると今後は「来月には」と言っていました。でも、未だに改善されていません。

マスクだけではありません。除菌用品も同じです。ネットで販売されていても、従来の10倍もするような高額なものばかりです(それも予約販売でいつ手に入るかわからない)。

昨夜の「報道特集」(TBS)でもキャスターの日下部正樹氏が嘆いていましたが、マスクや除菌用品など、家庭内で感染対策するのに必要な最低限なものさえ手に入らない状態なのです。不要不急の外出の自粛を呼び掛ける前に、することがあるだろうと思います。

検査を抑制していることについて、最近は感染症学会など一部の医療関係者から、これ以上検査をすると医療が崩壊するという抑制を正当化するイデオロギーが、メディアを通して振り撒かれています。医療関係者お得意の半ば脅しのような話ですが、キングス・カレッジ・ロンドン教授で公衆衛生学者の渋谷健司氏は、下記の『AERA』のインタビューで、医療崩壊と検査は別の問題だと言っていました。

余談ですが、渋谷健司氏は医療の規制緩和を推進しているなどの理由により、立憲民主党に随伴する一部のリベラル左派から毛嫌いされているみたいで、ネットには「こんな人物の言うことを信じる人がいるなんて信じられない」という声さえありました。また、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに、渋谷氏が日本には実際に10万人の感染者がいると発言したことに対して、10万人もいればとっくに医療崩壊しているだろうとヤユする声もありました。

言うまでもなく、10万人というのは、無症状や軽症の未検査の潜在的な感染者のことです。それがどうして医療崩壊になるのか。ヤユするにしても、言っていることがあまりにもバカっぽいのです。何度も言いますが、表に出ている感染者以外に、自分が感染していることがわかってない潜在的な感染者が10万人もそれ以上もいると考えても、決しておかしくないでしょう。そういった無自覚な感染者の存在が集団感染や目に見えない感染爆発の要因になっているのです。PCR検査をして、まずそういった感染者を顕在化する必要があるのです。

安倍マンセーのネトウヨ同様、右か左かの色眼鏡で見ることしかできない(そして、自分たちのお眼鏡にかなわなければ総否定する)リベラル左派もまた、この状況の中でトンチンカンな醜態を晒していると言えるでしょう。

Yahoo!ニュース
AERA
WHO上級顧問・渋谷健司さんが警鐘 「手遅れに近い」状態を招いた専門家会議の問題点

――日本では当初から「検査を抑えて医療態勢を守る」という考えがありました。そもそも、世界の専門家の間でこのような手法はどう評価されているのでしょうか。

検査を抑えるという議論など、世界では全くなされていません。検査を抑えないと患者が増えて医療崩壊するというのは、指定感染症に指定したので陽性の人たちを全員入院させなければならなくなったからであり、検査が理由ではありません。

むしろ、検査をしなかったことで市中感染と院内感染が広がり、そこから医療崩壊が起こっているのが現状です。

――政府の専門家会議は、機能していると考えていますか。

科学が政治から独立していないように見受けられ、これは大きな問題だと感じています。

先ほど指摘しましたが、4月1日時点で「東京は感染爆発の初期である」と会議メンバーは知っていたはずです。それならばそこで、緊急事態宣言をすべしという提案を出すべきでした。

しかし、この日の記者会見で出てきたメッセージには、国内の逼迫(ひっぱく)した状況を伝えてはいたものの、『我が国では諸外国で見られるようなオーバーシュートは見られていない』といった国民の緊張感を緩ませるような言葉もまぎれていました。


感染対策の遅れによって、日本がアメリカやイタリアやスペインに匹敵するか、あるいはそれ以上のひどい状況になり、「独り負け」するのではないかという指摘もありますが、決してオーバーな話ではないのかもしれません。日本は感染対策で「独自の道」を歩んでいるなどと書いていたバカなメディアがありましたが、そんなおめでたい状況にないことだけはたしかでしょう。

マスクも除菌用品もなくて、ただ外出を控えろと言われるばかりで、ホントに感染の拡大が止まるのか。感染要因はホントに3密だけなのか。検査の抑制と政府の言う「感染の封じ込め」は、一体どんな関係にあるのか。その二つに合理的な関係があるのか。「集団免疫」ができなければ感染は止まないと言われているのに、「感染の封じ込め」はただ「集団免疫」を先送りするだけではないのか。

ワクチンもなく治療法も確立してない中では、とりあえず「感染を封じ込めて」時間稼ぎをするしかないという方針に”三分の理”はあるにしても、このように素人の疑問は尽きないのでした。

専門家の話では、新型コロナウイルスに関しては、ホントに免疫ができるのかどうか、また、免疫ができたとしてもいつまで有効なのか、まったくわかってないそうです。つまり、「集団免疫」という感染症の一般論(常識論)が成立するかどうかもわからないのです。

仮に「集団免疫」が有効だとしても、アメリカでもまだ「集団免疫」は30%くらいしかないという話があります。昨日だか、トランプが、最終的に死者が現在の2倍の6万人くらいになる見込みだと話していたのは、おそらく「集団免疫」の獲得=終息を想定して言っているのでしょう。

しかし、日本は、(検査を抑制してきたので)正確な市中感染率も把握していないため、現在「集団免疫」がどのくらいまで進んでいるのかという客観的な感染状況さえわからないのです。

感染数を少なく見せて「ニッポン、凄い!」を演出(自演乙)する政治的な思惑ばかりが優先されたのです。オリンピックと政権の体裁(支持率)のために、私たち国民の健康がなおざりにされてきたのです。その結果、今のような誰が見ても手遅れの状態を招いてしまったのでした。

国民全員に一律10万円を配るという決定に対しては、国民も野党もこぞって「大歓迎」で、ツイッターでは、森友学園の園児と同じように、「♯安倍首相がんばれ」というハッシュタグがトレンド入りしているそうです。

麻生財務大臣が手を上げた者に給付することになるだろうと発言して反発を受けていましたが、彼の日頃の尊大な態度を見てもわかるとおり、安倍政権の面々にしてみれば、10万円給付は、節分の日に成田山新勝寺の壇上から豆まきするのと同じような感覚なのかもしれません。

麻生財務大臣の言動には、10万円給付に群がる国民の卑しさという彼の本音が出ているように思います。4人家族なら40万円ももらえるのですから、そりゃ卑しくもなろうというものですが、私には、その卑しさはマスクやトイレットペーパーの買いだめの光景とタブって見えて仕方ありません。

自宅待機していても、給料が下がってないサラリーマンも大勢います。公務員も給料は下がってないでしょう。当初の30万円の給付の対象要件があまりに厳しすぎたのはたしかですが、やはり、所得制限をして、その分給付額を20万円にするとか、そういった考えが必要ではないかと思います。ホントに困窮している人たちに少しでも多くのお金が行き渡るような、そんな相互扶助の精神がこの国にはないのかと思います。

電車の中の“席取り合戦”のように、我先に手をあげて10万円の札束を奪い合う光景が目に浮かぶようです。もしかしたら「♯安倍首相ありがとう」というハッシュタグがトレンド入りして、支持率も上がるかもしれません。そして、壇上では安倍や麻生や二階ら安倍政権の古狸たちがふんぞり返って、札束を奪い合う国民を指差しながら高笑いするのでしょう。まるでどこかの独裁国家のようで、衆愚政治ここに極まれりという気がしてなりません。
2020.04.19 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
昨夜のTBS系列の「情熱大陸」に出ていた、ウイルス学者で、政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーでもある河岡義裕氏は、新型コロナウイルスについて、「季節性があるのかどうかわらないけど、もし季節性があれば6月くらいに一旦収まるかもしれない。しかし、冬になれば再び感染が再発する可能性がある。何故なら、日本人はまだ感染してない人が多くいるからだ」と言ってました。そして、「ワクチンが開発されるまで最低でも2年かかるので、年単位の戦いになるのは間違いない」とも言っていました。

しかし、赤道直下のシンガポールでも感染が広がったことを考えると、季節性(つまり、暖かくなるとウイルスの感染力が弱まるという性質)についても、楽観視できないように思います。もし、季節性がなければ、今の状態が年単位で続くことになるのです。人口の60~70%が感染して「集団免疫」ができなければ、感染は収まらないという(感染症の)一般論から考えれば、終息まで2年くらいかかるという話に現実味が増します。ましてや季節性があろうがなかろうが、来年のオリンピックなどできるわけがないのです。

日本は、政府がオリンピックのために感染者数をごまかしていたので、統計上は外国に比べて感染爆発がひと月遅く始まっています。そのため、本格的な感染対策もひと月遅れているのです。しかも、検査を抑制していたので市中感染率など感染状況についての客観的で正確なデータがないため、的確な対策を打ち出すことができず、対策が場当たり的になっているのです。そのため、対策専門家会議の見解も二転三転しています。

自粛して人と人との接触を80%減らせばひと月で終息できるという安倍首相の話がひとり歩きしていますが、市中感染率さえ把握できてないのに、その話にどれだけ信憑性があるのか疑問です。

ひと月というのも、あくまで「そうなればいい」という希望的観測に過ぎないように思います。他国の例を見ても、ひと月で終息するなど、とてもあり得ないでしょう。

素人考えでも、終息するにはやはり、ワクチンであれ自然感染であれ、「集団免疫」しか方法はないのではないかと思います。

それどころか、他国に比べて対策が遅れたことを考えると、アメリカやイタリアやスペインに匹敵するか、あるいはそれ以上のリスクが生じる可能性すらあるような気がします。まだ感染者数が1万人にも満たない今の段階でもう医療崩壊が取り沙汰されるくらい、日本の医療インフラは脆弱なのです。そのことも大きな懸念材料でしょう。

既に日本の至るところで感染爆発が起きているのは間違いないでしょう。しかし、検査をしてないので、どこで誰がどの程度感染しているかわからないのです。厚労省が発表するクラスターなるものも、たまたま顕在化した一部の感染をそう呼んでいるだけで、氷山の一角に過ぎないのはあきらかです。感染者数の隠ぺいとそれに伴う対策の遅れは、失政というよりもはや犯罪と言うべきでしょう。

日本人の中には、まだ「自分だけは感染しない」と呑気に構えている人も多いようですが、ゴールデンウィークが終わっても終息せず、緊急事態宣言も延期されたら、そんな「所詮は他人事」の人たちも慌てはじめることでしょう。電車で席取り合戦をしている場合じゃないのです。もちろん、潜行している感染爆発が顕在化すれば、経済が益々深刻な事態に陥るのは間違いなく、それに伴い、政治も大きく揺れ動くでしょう。一方、韓国では新型コロナウイルスの封じ込めにほぼ成功して、総選挙まで行われているのです。既に終息に向かって歩みはじめているのです。この違いはなんなのかと思わざるを得ません。

そんな中、「子どもっぽい」無能なこの国の指導者は、星野源の「うちで踊ろう」とコラボした動画をツイッターにアップして物議を醸しています。外出自粛の呼びかけのつもりなのかもしれませんが、私邸で優雅にくつろぐ動画は、休業要請によって苦境に陥っている自営業者やフリーランスの人たちの神経を逆撫でする、KYどころではない挑発的とさえ言っていいようなシロモノです。この時期に、あんな能天気な動画をアップしている指導者なんて、世界中を探しても彼しかいないでしょう。

かえすがえすも、「子どもっぽい」無能な指導者を持ったことの不幸を覚えてなりません。(夫婦ともども)あまりにもバカすぎて情けなくなります。自身が言う「国難に立ち向かうリーダー」としては、どう考えても能力的に無理があるとしか思えません。無能な独裁者ほど怖いものはないのです。ところが、糸井重里や爆笑問題の太田光は、(安倍首相や政府は)一生懸命やっているのだから、責めるのではなくみんなで協力しようと、“愚民根性”丸出しでハイルヒトラーのようなことを言っています。また、件のツイートにも30万の「いいね」が付いているそうです。お粗末なのは指導者だけではないのです。
2020.04.13 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
「田中宇の国際ニュース解説」に、各国のPCR検査数が出ていました。

田中宇の国際ニュース解説
日本のコロナ統計の作り方

イギリスのオックスフォード大学などの研究者が作ったサイトによれば、4月5日~8日時点での各国の累計検査数は、以下のとおりだそうです。

米国219万
ドイツ132万
イタリア81万
韓国47万
カナダ36万
豪州32万
トルコ25万
英国23万
スイス17万
オーストリア12万
ノルウェー11万
ベトナム11万
日本4万6172件
(4/6現在)

また、人口千人あたりの累計検査数は、次のようになっているそうです。

アイスランド90
バーレーン31
ノルウェー20
スイス20
エストニア19
米国6.6
イタリア13.6
ドイツ15.9
韓国9.1
英国3.5
日本0.36


これを見ると、日本の累計検査数は韓国の10分の1で、千人あたりの累計検査数に至っては10分の0.4(100分の4)しかありません。

これでは、感染者数が少ないのは当然です。それで、「封じ込めに成功している」と自画自賛していたのです。

当初、韓国の感染者数が増加していることに対して、日本では「ざまあみろ」というような声がありました。医療崩壊がはじまって、韓国はもう国家として体を為してないかのような報道さえありました。

しかし、韓国は、徹底した検査と隔離政策を取ることで医療崩壊を招くことなく、最近はあらたな感染者数も20人台(4/10)まで減少しています。今の状況では、早晩、感染者数で日本が韓国を上回るのは間違いないでしょう。

一方、日本では、現場の医療関係者から既に医療崩壊がはじまっているという声が出ています。でも、日本の感染者数は、まだ韓国の半分以下なのです。つまり、それだけ日本の医療インフラが韓国に比べて遅れているからでしょう。だから、必要以上に医療崩壊に怯えるのでしょう。

もうひとつ指摘しなければならないのは、日本は累計検査数が韓国の10分の1、千人当たりの検査数が10分の0.4しかないにもかかわらず、感染者が既に韓国の半分近くも出ているという点です。

どうして日本は検査数の割にこんなに感染者が多いのか。それは、検査をしてこなかったツケで、感染しているという自覚がない無症状や軽症状の感染者が街に溢れているからでしょう。そのため、「感染経路が不明な」感染者が急増しているのです。検査を怠ったことで、目に見えない感染が蔓延しているのです。

森友や加計や桜を見る会で示された安倍政権の虚偽と隠ぺいの体質が、そのまま新型コロナウイルスの感染対策にも引き継がれているのです。しかし、新型コロナウイルスは、国民の健康・命に直結する問題です。オリンピックや政権の体裁のために、PCR検査を抑制して国民の健康を弄んだその責任は重大で、万死に値すると言っても言い過ぎではないでしょう。

しかも、ここに至っても、政府と東京都の休業要請の対象をめぐる対立に見られるように、日本の感染対策は迷走を続けています。それは、466億円を使ってマスク2枚を配るというトンチンカンな政策にも表れています。

NHKのETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界~歴史から何を学ぶか~」でも紹介されていましたが、あの『サピエンス全史』の著者のユヴァル・ノア・ハラリは、イギリスの経済紙「フィナンシャル・タイムズ」に掲載された寄稿文の中で、新型コロナウイルスの対応について、次のように書いていました。

 この危機に臨んで、私たちは2つのとりわけ重要な選択を迫られている。第1の選択は、全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か、というもの。第2の選択は、ナショナリズムに基づく孤立か、それともグローバルな団結か、というものだ。

Web河出
新型コロナウイルス後の世界 ‐ この嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる(柴田裕之訳)


しかし、現実に私たちを覆っているのは、「全体主義的な監視」であり「ナショナリズムに基づく孤立」の方です。そのために、新型コロナウイルスだけでなく、経済も政治も、取り返しがつかない状態になっていくような気がしてなりません。

ユヴァル・ノア・ハラリは、さらに次のように言います。

(略)全体主義的な監視政治体制を打ち立てなくても、国民の権利を拡大することによって自らの健康を守り、新型コロナウイルス感染症の流行に終止符を打つ道を選択できる。過去数週間、この流行を抑え込む上で多大な成果をあげているのが、韓国や台湾やシンガポールだ。これらの国々は、追跡用アプリケーションをある程度使ってはいるものの、広範な検査や、偽りのない報告、十分に情報を提供されている一般大衆の意欲的な協力を、はるかに大きな拠り所としてきた。

 有益な指針に人々を従わせる方法は、中央集権化されたモニタリングと厳しい処罰だけではない。国民は、科学的な事実を伝えられているとき、そして、公的機関がそうした事実を伝えてくれていると信頼しているとき、ビッグ・ブラザー(訳注 ジョージ・オーウェルの『一九八四年』で、全体主義国家オセアニアを統治する独裁者)に見張られていなくてもなお、正しい行動を取ることができる。自発的で情報に通じている国民は、厳しい規制を受けている無知な国民よりも、たいてい格段に強力で効果的だ。

(同上)


これは、検査を意図的にサボタージュして感染者数をごまかしてきた日本政府のやり方に対するアンチ・テーゼでもあるように思います。日本の国民は、「子どもっぽい」全体主義的な指導者によって、文字通り厳しい規制を受け、無知に追いやられているのです。そのため、逆に感染の封じ込めに失敗しているのです。それが、積極的に検査を行って情報を開示することで封じ込めに成功した韓国との大きな違いです。

それはまた、両国の指導者の資質の違いでもあるのでしょう。あらためて、「子どもっぽい」無能な指導者を持った不幸を痛感せざるを得ないのでした。

これから私たちは、暫くの間、おどろおどろしい脅し文句とともに、感染の恐怖、さらには死の恐怖の中で、文字通り息を潜めて、カミュが『ペスト』で描いたような日常を過ごさなければならないのです。
2020.04.11 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
緊急事態宣言に関連して、次のような記事がありました。

Yahoo!ニュース
産経新聞
「はっきりして」 休業要請で国と都に違い 理美容室に不安の声

私は、個人的には、美容室はまだしも理容店に対する休業要請には納得する気持があります。

先日、近所の理容店に散髪に行きました。このあたりも、理容店の廃業が相次いでおり、現在、私が知る範囲で残っているのは、1900円だかの格安店が2軒と、同業組合に入っている3700円の“一般店”が1軒だけです。最近は、男性の多くも美容室に行っているみたいで、この前、通り沿いにある美容室の前を通りかかったら、頭の禿げたおっさんが椅子に座って順番を待っていたので驚きました。

しかし、私は、近所のよしみで昔ながらの“一般店”に通っています。他の店に行きたくても、普段道で顔を合わせるので行かざるを得ないのです。店の主人も、「来なくなった人の中には、私の顔を見たら、急に脇道に入ったりする人がいるんですよ」と言ってましたが、正直言って、そうしたくないので行っているようなものです。

その店も昔は従業員を雇っていましたが、今は主人がひとりでやっています。それに伴い、店の中も乱雑になり、おせいじにもきれいだとは言えません(むしろ、汚い)。しかも、主人はヘビースモーカーなので、店内にはいつも煙草の匂いが充満しています。

主人は部類の話好きで、話しているうちに興奮してくるのか、こっちの話を遮ってひとりで独演をはじめるようなタイプの人です。

先日、行ったときも、「コロナなんてあんなものは風邪と同じですよ」と言ってました。しかし、主人はもう60代の後半で、ヘビースモーカーで、なおかつ高血圧で病院通いをしているのです。この時期なのに、マスクもしないで、そうやってひとりでまくし立てていました。当然、唾も飛んできます。

私は、心なしか、熱で主人の顔が紅潮しているような気がして、だんだん不安になってきました。マスクして下さいと言いたかったけど、そう言うと、主人がさらに興奮して気まずい空気になるのはわかっているので、言い出せませんでした。

あれから3日経っており、一日に何度も体温を測っていますが、今のところ異常はありません。でも、一抹の不安はあります。

美容室の場合、競争も激しく、感染源になると死活問題になるので、マスクはもちろん、消毒なども気を使っているところが多いみたいです。しかし、理容店は家族経営の店が多く、あきらかに“斜陽化”していますので、美容室のような経営努力もあまり行われていないような気がします。もとより、衛生管理においても、個々の店で大きな差があります。

たしかに、一律に休業要請というのは酷な面もあるように思いますが、ただ、杜撰な店があることも事実です。“斜陽産業”なので、おそらく同業組合もあまり機能していないのではないかと思います。

世の中には、「そんなの関係ないよ」「たいしたことないよ」と言って粋がるような、独りよがりで無神経で無知蒙昧な人間は一定数存在します。どこに行っても、必ずいるのです。

私は、東京都が理容店を休業要請の対象にしたことに対して、不謹慎な言い方ですが「よく気が付いたな」と思いました。
2020.04.09 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲