新宿駅~立川駅~青梅駅~奥多摩駅~奥多摩湖バス停~サス沢山~惣岳山~【御前山】~体験の森(奥多摩都民の森)~境橋バス停~奥多摩駅

※山行時間:6時間30分(休憩を含む)
※山行距離:10キロ
※山行歩数:25,000歩
※交通費:3,069円

昨日、御前山(1405メートル)に登りました。先月に続いて2度目です。前回の山行の写真が残ってないことがずっと心残りになっていましたので、あらためて写真を撮りたいという気持もありました。

前回は境橋から「栃寄コース」を歩きましたが、今回は奥多摩湖から「サス沢山コース(大ブナ尾根コース)」を登り、「栃寄コース」は下山に使いました。尚、「栃寄コース」は、正確には「栃寄沢コース」と言うのですが、現在、沢沿いを歩くコースは木橋の崩落で通行止めになっており、「体験の森」までは車道(林道)を歩かなければなりません。それで、(勝手ながら)便宜的に沢を外して「栃寄コース」としました。

いつものように奥多摩駅から8時43分発のバスに乗って、先週、六ッ石山に登った際に利用した水根バス停のひとつ先の奥多摩湖バス停で降りました。バスにはハイカーが10人くらい乗っていましたが、そのうち奥多摩湖で降りたのは8人でした。8人のうち6人が御前山の登山口に向かいました。残りの2人は、首から一眼レフのカメラを提げた若者二人組で、どうやら奥多摩湖周辺を散策して写真を撮るのが目的みたいです。

トイレに行ったり、服装を整えたりしていたら、登山口から登ったのは私がいちばん最後になりました。そして、みるみるうちに先行者から離され、やがて先行者の姿は見えなくなりました。

今回の「サス沢山コース」も、ご多分に漏れず急登でした。先週、六ッ石山に登ったので心が折れることはありませんでしたが、六ッ石山よりむしろ疲れた感じがしました。マイナーな山と違って、どうしてもほかのハイカーを意識してしまうので、マイペースで歩けないからだと思います。

途中で木を揺らす音が聞こえたので、熊かと思って笛を吹いたら、下から高校生のような若いカップルが登ってきました。聞けば、男の子が杖代わりに使う木の枝を取った音だったみたいです。二人ともザックも背負ってなくてまったくの手ぶらでした。ただ、足元を見ると、一応トレッキングシューズを履いていました。歩くスピードは、私の倍くらいあり、息も絶え絶えの私を尻目に、キャーキャーお喋りをしながらどんどん登って行くのです。そして、あっという間に姿が見えなくなりました。

年齢を考えれば、私は彼らの半分以下の心肺能力しかないので、それも仕方ないと言えば仕方ないのですが、なんだか情けない気持になりました。もっと若い体力のあるうちに山に登りたかったなあとしみじみ思いました。

山頂の手前の惣岳山で休憩をしていたら、小河内峠の方から男性が登って来ました。「小河内峠から登って来たのですか?」と訊いたら、「そうです。途中まで車で来ました。奥多摩湖からだときついじゃないですか? こっちの方がいくらか楽じゃないかと思って」と言っていました。

年齢は71歳だそうで、「70を越すと急に体力がなくなって、山を歩くのもしんどくなってしまいました」と言うので、「そういう話はよく聞きますね」と私も言いました。一眼レフカメラを首から下げているので、「写真を撮りながら登っているんですか?」と訊いたら、「植物を撮るのが趣味なんですよ」と言う。

御前山はゆり科の花のカタクリの群生地として有名で、登山が趣味だった脚本家の田中澄江が御前山を「花の百名山」として紹介したことで、御前山に中高年ハイカーが押し寄せるようになったと言われています。しかし、近年は鹿の食害によって数も少なくなり、かつての群生地としての面影はなくなっています。登山道からも、まだ蕾でしたが、ぽつんぽつんとしか見つけることができませんでした。

惣岳山から山頂に登っていると、近くで鹿の鳴き声が聞こえていましたが、奥多摩でも鹿の増加が問題になっているのです。奥多摩町には鹿肉処理場もありますが、それでも問題の解決には至ってないようです。ただ、男性は、「鹿が食べても根は残るので、また芽を出すはずなんだがなあ~」と言っていました。

『奥多摩- 山、谷、峠、そして人』(山田哲哉著・山と渓谷社)によれば、昔は頂上付近も一面タカクリが群生していたそうで、カタクリが減り出したのは30年くらい前からで、原因は鹿の食害のほかに、地球の温暖化もあるのではないかと書いてました。また、昔の御前山は「北面を中心に茅原に覆われ、南面には広葉樹が広がり、明るい山頂だった」そうです。

この『奥多摩- 山、谷、峠、そして人』は、登山ガイドの山田哲哉氏が『山と渓谷』誌に連載していた同名のエッセイをまとめたものです。奥多摩の山を歩いていると、気候や風土の違いはあれ、いつの間にか奥多摩と九州の田舎を重ね合わせている自分がいて、山田氏の本を読むと奥多摩がよけい身近に感じられるのでした。

また、奥多摩の歴史や風土も知りたいと思うようになり、『奥多摩風土記』という古本をネットで見つけて買いました。昭和55年初版で、奥多摩の役場に勤めていた人が書いた本です。山行の途中に遭遇する廃屋など見るにつけ、こういった山奥に住んでいた人たちがどんな生活をしていたのか、興味をそそられるのでした。

余談ですが、今のようにウイルスが脅威になった要因として、森林開発により人間と野生動物の距離が近くなったことがあると言われています。それからもうひとつ見逃せないのは、実験用の動物(主に霊長類)の輸入だそうです。アメリカでは年間2万頭の霊長類が実験用に輸入されているそうで、『感染症の世界史』でも、「実験用霊長類が、欧米に新たなウイルスを持ち込む主要なルートになった」と書かれていました。

山頂付近では蕾でしたが、下の「体験の森」では蕾が開きかけたカタクリもありました。山では秋は上から春は下からやって来る、という言葉を思い出しました。

下山も先月より今回の方が疲れました。アイゼンを付ければ、雪道の方がむしろ歩きやすいのです。先月は誰にも会わない文字通りの単独行で、とても印象深い山行になりましたので、写真がないことがかえすがえすも残念でなりません。

下山して境橋のバス停から16時25分のバスに乗ったのですが、いつものように奥多摩駅から青梅線・中央線・八高線・横浜線・東横線を乗り換えて最寄り駅に着いたときは、午後7時をまわっていました。

駅前のスーパーに寄ったら、棚はガラガラで、野菜も肉も魚もほどんど残っていません。米もありませんでした。そのくせ、この前まで品不足だったティッシュペーパーは残っていました。まったくバカバカしいとか言いようがありません。


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奥多摩湖(小河内ダム)。

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奥多摩湖バス停の広場(管理事務所や交番まであります)。「水と緑のふれあい館」は、新型コロナウイルスの自粛要請で休館していました。

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堤防の上を歩いて登山口に向かいます。

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いきなり急登の洗礼を浴びました。

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途中、こんな平坦な尾根道もありましたが、それも僅かな距離です。

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ちょうど中間点に当たるサス沢山(940メートル)に到着しました。ザックを降ろして休憩しました。

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サス沢山には展望台がありました。

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展望台からの眺め。

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新しいザック。他人が持ってないものが欲しいと思って、パタゴニアのザック(36リットル)を買いました。パタゴニアかミステリーランチか、どっちにするか迷ったのですが、パタゴニアを選びました。容量もたっぷりだし、軽くていいのですが、機能的にはノースフェイスのテルスに劣ります。写真のように荷物が少ないと、雨蓋が下に垂れてカッコ悪い。

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岩も多くなりました。

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この尾根道はいったん下ったあと、登り返しがありました。

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カタクリの蕾。

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惣岳山(1341メートル)に到着。御前山の山頂まであと600メートルです。ザックを降ろして休憩して、持参したパンを食べました。

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惣岳山にあった道標。

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御前山山頂への道。惣岳山からは20分くらいです。

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おなじみの山頂標識。

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山頂からの眺望。前方に見えるのが、先週登った六ッ石山です。

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山頂の遠景。

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先月と同じ「栃寄ルート」で下ります。

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少し下ったところにある避難小屋。先月は周辺に30センチくらいの雪が積もっていました。

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この道も雪に覆われていました。僅か1か月半で、風景が一変しています。

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「体験の森」に入ると、道標が至るところにあります。

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「カラマツの広場」の中の東屋。「体験の森」の中にはこういった施設も多くあります。

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カタクリの説明板。

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登山道には、アイゼンで付いたキズのある石が多くありました。

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途中からは登山道を外れて「体験の森」の遊歩道を歩きました。

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「わさび田の広場」にあるトロッコ。これもツアーに参加すれば乗ることができるのかもしれません。奥多摩は、昔はわさびの栽培も盛んだったそうです。今でも山奥でわさび田を見かけることがあります。

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カタクリ?と思ったら、ハシリドコロというナス科の毒草のようです。よく似ていてまぎらわしい。

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先月はこのあたりがアイスバーンのようにカチカチに凍っていて、歩くのに怖かった。

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いちばん下にある「トチノキの広場」の東屋。先月はここでアイゼンを装着し、帰りもここでアイゼンを外しました。

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林道から見えた”無名”の山。周辺には、このようなハイカーも足を踏み入れない”無名”の山が方々にあります。

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標高650メートルの栃寄集落にある宿泊施設・栃寄森の家。新型コロナウイルスの自粛要請で休館していました。

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バス停のある境橋の下は深い渓谷になっています。下を流れるのは多摩川です。

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橋の上からは、遠くに境地区の集落が見えます。

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境橋のバス停。先の方に標識が立っています。
2020.03.28 Sat l 山行 l top ▲
前の記事で書いたように、22日、IOCは東京オリンピックについて、延期も含めて4週間以内に結論を出すと表明したのですが、それから僅か2日後の24日、安倍首相とIOCのバッハ会長が電話会談をして、日本側から「1年程度の延期」が提案され、バッハ会長もその場で同意。IOCの理事会も即日、延期を承認して、あれよあれよという間に「1年程度の延長」が決定したのでした。これにはたまげました。

じゃあ、4週間以内に結論を出すという22日の声明はなんだったのかと思わざるを得ません。延長の提案は、中止の決定を怖れた日本政府が先手を打ったと言われていますが、IOCの権限はそんなにいい加減なものだったのかと言いたくなります。

「1年程度の延期」という提案も、安倍首相の任期が関係しているという見方があります。安倍首相の自民党総裁の任期は来年の9月までですから、それまでにオリンピックを開催して、総理大臣として歴史に名を残したいという個人的な野望が強くはたらいていると言われているのです。さすが野党の立憲民主党までがひれ伏す独裁者だけあります。

オリンピックの「1年程度の延長」が決定したら、さっそく外務省は、国民に向けて、全世界を対象にした不要不急の渡航の自粛を呼びかけました。また、小池東京都知事も歩調を合わせるように、「感染爆発の重大局面」に差し掛かったとして、今週末は不要不急の外出を自粛するよう都民に要請したのでした。オリンピックまでの時間的な猶予ができたので、昨日までと打って変って“事態の重大さ”を前面に出してきた感じです。

オリンピックの延期が決まった途端に、東京都の感染者数が跳ね上がったのは、どう見ても不自然です。また、「緊急会見」と言いながら、フリップを用意していたのも、あまりにも準備が良すぎる気がします。

7月の都知事選では、自民党は小池知事の対抗馬の擁立を「断念」したそうですが、自民党の決定とこの連携プレーは関係があるのではないかと、穿った見方をしたくなります。

おそらく早晩、安倍首相によって「緊急事態宣言」が出されるのは間違いないでしょう。急に跳ね上がった感染者数は、その布石なのでしょう。対抗馬の「断念」は、お膳立ての見返りなのではないか。その結果、自民党の改憲案を先取りする待望の“戒厳令ごっこ”が”帝都”で行われることになるのです。安倍首相にとって、これ以上のお膳立てはないでしょう。

震災もそうでしたが、何かことが起きると、国家は私たちの前に立ち現れ、そして、「国難」を口実に、国家に従属する日常をわたしたちに強制します。「緊急事態」条項というのは、その暴力的な要請にほかなりません。何度も言いますが、特措法改正に賛成した立憲民主党は、もはや「リベラル」を名乗る資格もありません。

ここに至っても、安倍内閣の支持率は40%台後半でそんなに落ちていません。一方、立憲民主党は、野党第一党と言っても10%を割り一桁の支持率しかありません。立憲民主党は、今後、益々集票組織の連合への依存度が増し、連合の“右派労働運動の論理”にがんじがらめに縛られるようになるのは必然です。連合は、立憲民主党が旧民社党のような存在になってほしいと思っているはずです。そのための「労働戦線の右翼的再編」だったのですから。

しかし、新型コロナウイルスは、世界の感染状況を見てもわかるとおり、もはや国家のコントロールが効かないほどモンスターと化しています。日本だって、国民の半分以上が感染する事態が訪れるかもしれません。そうなれば、“戒厳令ごっこ”も、オリンピックも、感染者数の隠ぺい工作も、すべてふっ飛んでしまうでしょう。

もちろん、私たち自身も、いつ感染してもおかしくないのです。「風邪と同じでたいしたことない」「検査なんかしても仕方ない」と言っていた古市憲寿や橋下徹や堀江貴文や安倍マンセーのネトウヨたちだって、いつ感染するかもしれないのです。もしそうなったら朝日新聞の編集委員のように、「痛快」と言いたくなるかもしれません。

その前に、インバウンド頼りだった日本経済の脆弱さが露わになり、経済的に破産する人が続出するでしょう。いつ(何年経ったら)終息するかわかりませんが、仮に終息しても、暫くの間、外国人観光客が戻って来ることはないでしょう。観光地で商売している人に聞けばわかりますが、日本人の消費なんてたかが知れているのです。いくら現金を配り、高速料金を無料にしても、国内消費だけでは国の経済はまわらないのです。既に1人当たりのGDPでは、日本は韓国にぬかれていますが、日本経済の凋落はさらにスピードを増すに違いありません。

その一方で、東証の株価が26年ぶりの上げ幅を記録するなど、株式市場は異常な状態になっています。麻生財務大臣は、国会の答弁で「我々は、野党とではなくマーケットと仕事をしているんだ」と啖呵を切っていましたが、そのマーケットは実体経済を離れたマネーゲームの賭場になっており、日銀のETFによる爆買いは火事場泥棒の投資家たちの恰好の餌食になっているのです。麻生財務大臣はマンガが愛読書だそうですが、文字通りマンガみたい話です。

テレビでは感染の専門家が、全体の感染者の中で、「感染経路不明」の感染者が半数を超えると「感染爆発」に至る「危険な状態」になると解説していましたが、しかし、実際は「危険な状態」はとっくに訪れているのではないか。(何度も言いますが)ただ意図的にPCR検査をサボタージュしているので、「危険な状態」が顕在化していないだけで、今後検査を受ける人が増えれば、「感染爆発」の実態があきらかになってくるでしょう。しかし、「感染爆発の重大な局面」に差し掛かっていると言いながら、公立学校の休校措置は解除されるのです。やっていることがどう見てもチグハグです。

全ては子どもじみた「バカっぽい」政府を持ったツケと言えるでしょう。私たちは、そのツケを払わされているのです。でも、それでも地球は回るではないですが、それでも衆愚は衆愚でありつづけるのでしょう。彼らは、”動員の思想”でいいように煽られ、まるで狂った蟻のように、せっせせっせと買いだめに走るだけなのでした。
2020.03.26 Thu l 社会・メディア l top ▲
4か月後にせまった東京オリンピック開催について、国際陸連をはじめ、各国の競技団体が次々と延期を求める要請を行ったことで、IOC(国際オリンピック委員会)もやっと重い腰を上げたようです。声明によれば、4週間以内に延期を含めた検討を行い結論を出すとのことです。IOCの腰が重かったのは、テレビの放映権等開催に伴う利権が絡んでいたからでしょう。

IOCの表明を受けて、安倍首相も23日の参院予算委員会で、延期を容認する意向を示したのでした。すると、森喜朗大会組織委員会会長も小池百合子東京都知事も、次々と延期容認を表明。併せてメディアも、IOCや日本政府が延期に大きく傾いたといっせいに伝え始めたのでした。なんだか官邸によって延期論が解禁されたような感じです。

前日までは、みんな、延期などあり得ない、予定どおり準備を進めると言っていたのです。ワシントン・ポストは、このような姿勢に対して、20日の社説で、IOCや日本政府がオリンピックを開催できるかのように振る舞っているのは「完全に無責任だ」と批判していました。一方、日本のメディアは、日本政府が公式発言とは別に延期を検討しはじめていることをいっさい伝えず、ワシントン・ポストのように延期すべきという持論を主張することもありませんでした。

安倍首相の顔色を窺っているのは、内閣総理大臣の嘘に整合性を持たせるために、公文書を改ざん・隠蔽する官僚だけではないのです。メディアも、そして特措法改正に賛成して安倍首相に超法規的な権限を与えることを容認した立憲民主党などの野党も同じなのです。このような翼賛的な光景に対しては、なんだか全体主義のシュミレーションを見ているような気さえします。

20日、JOC(日本オリンピック委員会)委員の山口香氏は、朝日新聞のインタビューで、「アスリートが十分に練習できていない状況での開催は、アスリートファーストではない。延期すべき」との考えを示しました。これは、多くの人たちの本音を代弁した常識論とさえ言えるでしょう。

朝日新聞デジタル
JOC理事の山口香さん「五輪、延期すべき」

しかし、山口氏の発言に対して、JOCの山下泰裕会長は、「安全、安心な形で東京大会の開催に向けて力を尽くしていこうというときに、一個人の発言であっても極めて残念」と不快感を示したそうです。

でも、代表選手の選考も行われてない国も多い中で、4か月後のオリンピック開催なんて、誰が考えても無理な話です。オリンピックどころではないというのが本音でしょう。

にもかかわらず、政府の予定通り開催するという方針に盲目的に従い、誰が考えても無理なことを無理だと言った山口氏に対して不快感を示すなどというのは、無謀な戦争を「聖戦」と言い募り、総動員体制のプロパガンダを担った戦前の大政翼賛会を彷彿とさせます。

それから3日後、安倍首相が延期を容認する発言を行うと、山下会長も一転して延期やむなしと発言していました。こういった(柔道が強いだけで)頭の中が空っぽでなんの見識もない人物は、空っぽなだけに逆に怖いなと思います。こういった人物が全体主義では先鋭的な役割を演じるのです。

今の状況では、たとえ延期しても、1年後に開催できる保証はどこにもありません。違約金やあらたな会場の確保といった事務的な手続きも含めて、延期が往生際の悪い選択であるのはあきらかで、常識的に考えれば中止するしかないでしょう。

森友問題の決裁文書の改ざんを強要されて自殺した近畿財務局職員に対する安倍首相や麻生財務相の態度を見ても、まるで時代劇に出て来る悪代官のようですが、官邸が無法地帯と化し、こういった犯罪が公然とまかりとおるのも、安倍一強という翼賛体制ゆえで、メディアや野党が安倍一強にふれ伏しているからでしょう。

新型コロナウイルスは、欧米からウイルスの故郷であるアフリカ大陸へ広がりつつあり、さらなる感染の拡大が懸念されています。感染規模から言っても、100年前のスペインかぜに匹敵すると言っても過言ではなく、あと1年で終息するとはとても思えません。オリンピックなんてできるわけがないのです。

「東京オリンピックは”復興五輪”なので、是非開催してもらいたい」と福島の住民が開催を熱望しているというような記事が出ていましたが、もしそれがホントなら、”復興五輪”の広告塔になっている「好感度ナンバーワン」のサンドイッチマンともども衆愚の代表と言うしかないでしょう。喉元過ぎれば熱さを忘れるではないですが、原発の次はオリンピックなのかと言いたくなります。安倍首相が言う「(オリンピックで)感動を分かち合う」という言葉の背後に、動員の思想が伏在していることを忘れてはならないでしょう。”復興五輪“を熱望する福島の住民は、その尖兵の役割を担っている、と言うか担わされていると言っていいでしょう。
2020.03.24 Tue l 社会・メディア l top ▲
新宿~立川~青梅~奥多摩~水根~【六ッ石山】~水根~奥多摩

※山行時間:6時間(休憩を含む)
※山行距離:9キロ
※山行歩数:25000歩
※交通費:3040円

昨日(木)、六ッ石山(1478メートル)に登りました。

諸説ありますが、六ッ石山の水根ルート(ハンノ木尾根コース)は、奥多摩三大急登に数えられるほどの急登です。しかし、電車とバスを乗り継いで行くと、麓のバス停に着くのが午前9時で、さらにバス停から登山口まで15〜20分くらい歩かなければなりません。そのため、山に入るのは9時半近くになるのです。距離はそんなに長くありませんが、日が長くなったとは言え山の中は陽が陰るとすぐ暗くなるので、”日没恐怖症“の私としては、明るいうちに下山できるか不安です。それで午後1時まで登れるところまで登り、午後1時をすぎたら下山することに決めて出かけました。

奥多摩駅からバスに乗り、登山口のある水根のバス停で降りました。バスには、登山姿のハイカーが10人くらい乗っていました。その中には、おそらく鴨沢から雲取山に登ってテン泊するのでしょう、大きなザックを背負った中年のハイカーもいました。ほかには、高校生か大学生とおぼしき男女混合の若者のグループもいました。如何にも真面目そうで頭の良さそうな若者たちで、山岳部といった感じではありません。休校なのでみんなで山登りに来たのかもしれません。今日は中高年の団体がいないのでホッとします。逆に、若い人がいると気持も明るくなってきます。

水根で降りたのは私だけでした。水根は青梅街道沿いの奥多摩湖畔にある集落で、寺島進主演でシリーズ化されているテレビドラマ「駐在刑事」の舞台になっているところです。しかし、商店もなにもなく、ただ山ひだに転々と家が建っているだけの小さな集落でした。

六ッ石山の登山口も、ほかの奥多摩の山と同じように、集落を上り詰めた民家の横にありました。案の定、最初からからきつい登りでした。考えてみれば、奥多摩の山は、中腹まで奥多摩湖(小河内ダム)の水がめになっており、山のすそ野は水の中なのです。だから、いきなり急登なのは当然と言えば当然なのです。

途中からさらに傾斜が大きくなり、見上げるようなけわしい斜面を直登しなければなりません。しかも、樹林帯なので、眺望もなく、ただひたすら足元を見て登るだけの苦行のような登山でした。そうやって息を切らして登っていると、上方に人影が見えました。初めて遭遇したハイカーです。すると、間もなく人影は斜面に腰をおろしました。どうやら休憩したようです。

追いついたので「こんにちわ」と挨拶しました。しかし、返事がありません。耳が聞こえないのかと思いました。それで、さらに大きな声で「ここの山はきついですねっ」と言ったら、「こんなのたいしたことない」とヤマレコのユーザーのような返事が返ってきました。それも、ぶっきらぼうな言い方です。

六十歳をとうに越した感じのダルマのような身体をしたメタボなオヤジです。肩でハアハア息をしていて、かなりきつそうです。横に置いたザックを見ると、ミステリーランチのクラシックなタイプで、テント泊の際に使用する折りたたみ式のマットを取り付けていました。

それを見ると、初心者には見えません。「どこかに泊まるんですか?」と訊いたら、「いや、帰る」と言う。しかも、鷹ノ巣山と水根山を縦走するんだと言うのです。話が二転三転するので、どこまでが本心なのかわかりませんが、見た感じでは縦走なんて無謀としか思えません。

いくら話してもラチが明かないので、「お先に」と言って歩きはじめたら、「お先になんて言う必要ない」「一緒に登っているんじゃないんだから、勝手に行けばいいんだ」と悪態を吐く始末で、「このオヤジ、蹴落としてやろうか」と思ったくらいでした。

途中から登りが緩やかになったということあって、午後1時前に山頂に到着しました。山頂には、三頭山や大岳山や御前山と同じように、石造りの山頂標識が建っていました。しかし、眺望はいまひとつで、ベンチもありません。

六ッ石山は、登る途中もベンチがありませんでした。六ッ石山レベルの山で、ベンチがひとつもない山なんて初めてです。そのくせ、場違いな(?)山頂標識だけはあるのです。そのアンバランスには戸惑うばかりでした。

仕方ないので、地べたに携帯用の座布団を敷いて、その上に座り、30分休憩しました。いつものように、コンビニで買ったサンドイッチを食べました。しかし、誰も登って来ません。あのオヤジも登って来ません。もしかしたら、途中で死んでいるんじゃないかと思ったくらいです。

六ッ石山の場合、下山は石尾根を通って奥多摩駅まで下るのが一般的ですが、今回は慎重を期して、登って来たときと同じルートを下ることにしました。

山頂から少し下ったら、赤い機体の東京消防庁のヘリコプターが近づいてきて、轟音を響かせながら山頂のあたりでホバーリングをしていました。しばらくホバーリングしていましたが、やがて去って行きました。私はふと、あのオヤジが遭難したんじゃないかと思いました。未だ登って来ないというのは、いくらなんでも時間のかかりすぎです。

しかし、私の心配は杞憂でした。ルートの半分くらいまで下ったら、前方に姿が見えたのです。ちょっと安心しました。オヤジは、私の顔を見ると、「糞したくなって、糞していた」と言っていました。それで、私が「野糞は気持がいいですからね」と皮肉を言ったら、「そんな問題じゃない」とまた悪態を吐いていました。「オレは石尾根を下るわ」と言うので、「気を付けて」と言って別れました。

もう時間は午後2時半すぎです。最初に会ったのが10時すぎですから、あれから2時間半も経っているのです。それなのに、1キロも進んでいません。これから山頂に登って石尾根を下れば、日が暮れるのは間違いないでしょう。“日没恐怖症”の私にとっては、想像するだけでも恐ろしい光景です。

でも、世の中にはこんな人間もいるのです。病気をしても、人の言うことを聞かずに、「オレの身体はオレがいちばんよくわかっているんだ」なんて言って、ろくに治療もしないで死んでいく人間がいますが、それと同じ部類の人間なのでしょう。こんな人間こそ、遭難者予備軍と言うべきじゃないかと思いました。

当然ながら、下りも気を許すと転がり落ちるような急坂です。滑らないように慎重に下りました。そのため、腿の筋肉がブルブル震えて悲鳴を上げていました。それで、筋肉痛用のローションを塗ってごまかしながら下りました。ところが、登山口の近くまで下りて、「今日は転ばなかったな」と思った途端、すってんころりと転びました。でも、足に力が入らないので、なかなか起き上がることができませんでした。

休憩時間を除くと、登りは3時間強、下りは2時間でした。

帰りは、いつものように八高線と横浜線を乗り継いで帰りました。水根から午後3時半すぎのバスに乗ったのですが、八王子から間違えて「逗子行き」の電車に乗ったため(ホントは「東神奈川行き」に乗らなければならない)、横浜の自宅に着いたのは午後7時半をまわっていました。


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水根バス停。すぐ先は奥多摩湖(小河内ダム)です。

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登山口に行く途中の集落から見えた奥多摩湖。

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登山口に入ってすぐのところ。

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少し登ると産土神社という小さな祠がありました。こう見えても、私は、山の中の祠には必ずお賽銭をあげて手を合わせるようにしています。

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登りはじめの急登を上から見たところ。

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こんな登山道をひらすら登ります。

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直登(九十九折ではなくまっすぐ登って行くこと)。

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風の神土の祠。ここから次のポイントのトキノクボまで、さらにけわしい急登になりました。

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ずっと直登がつづきます。

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岩も出て来た。

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トキノクボをすぎると防火帯の草原の中を緩やかに登る道になりました。

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先日の雪が残っているところがありました。

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前方に山頂が見えてきました。

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おなじみの山頂標識。

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山頂標識の横の道標。
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山頂からの眺望。

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ホバーリングするヘリコプター。

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山座同定しなかったので、山名は不明。

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このあと転びました。

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集落の坂道を下っている途中の民家の前にあった二宮金次郎?の像。でも、この二宮金次郎は、歩きスマホならぬ歩き読書はしてなくて、なぜか座って休んでいます。
2020.03.20 Fri l 山行 l top ▲
感染の世界史


  学校や公的機関は閉鎖され、外出する人は全員マスクで武装した。サンフランシスコでは、マスクをしていない者を警察が逮捕した。町の入り口は自警団が固めて見知らぬ人を追い返した。あやしげな治療薬や薬がはびこった。劇場の入り口には「咳くしゃみをするものの入場禁止」の掲示が張り出された。まるで一四世紀のペスト流行のときのような様相になった。


これは、石弘之氏の『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)に書かれていた文章です。でも、新型コロナウイルスの話ではありません。100年前のスペインかぜの話なのです。びっくりするくらい、今の状況とよく似ています。

スペインかぜは、1918年に最初の患者(ゼロ号患者)が発生して1921年に収束するまでに、当時の世界の人口18億人のうち3分の1が感染、3~5%が死亡したと推定されているそうです。また、スペインかぜによって、第一次世界大戦の終結も早まったと言われています。兵士たちが感染して、戦場死より感染死の方が多くなり、戦争どころではなくなったからです。しかし、戦争の終結により帰国した兵士たちによって、さらに感染は拡大して行ったのでした。

『感染症の世界史』によれば、これまで約5400種のウイルスと約6800種の細菌が発見されているそうですが、これはごく一部で、著者の石氏は、「あらゆる生物を含めれば、ウイルスの総種類数は1億種を超えることになるかもしれない」と書いていました。さらに細菌まで含めると途方もない数になるのです。ウイルスの大きさは、1億分の1メートルしかありません。細菌はウイルスの50倍くらいだそうです。私たちは、そんな微細なウイルスや細菌に囲まれて暮らしているのです。

(略)「ピロリ菌」「エイズ」「パピローマウイルス」「ハシカ」「水痘(水ぼうそう)」「成人T細胞白血病」「結核」などの原因になる病原性微生物は、いづれもアフリカが起源と見られる。宿主の人とともに進化しながら、世界に拡散していったものの子孫だ。
(『感染症の世界史』)


女優の夏目雅子の命を奪った「成人T細胞白血病」は、「ヒトT細胞白血病ウイルスI型」に感染することで発病する病気ですが、このウイルスの起源は、西アフリカの霊長類だそうです。約20万年前にアフリカ大陸で誕生した私たちの祖先が、数万年かけて世界各地に渡った「壮大なグレートジャーニー」によって、ウイルスも日本列島にやって来たのです。そして、日本人の体内に棲み着いたのです(現在、国内の感染者は100万人いるそうです)。

しかも、あらゆる生物が進化するように、ウイルスや細菌も進化しているのです。中には、人間の体内に侵入したあと、さらに人体の環境に順応するように変異するウイルスもあるそうです。そうやって宿主の細胞内に侵入したウイルスの大半は、宿主の死まで生涯に渡って体内に留まりつづけるのです。

同じコロナウイルスでも、新型コロナウイルスは、遺伝子が変異した新しい型なので、従来の治療法が通用しないのは当然でしょう。だから、世界中が感染の拡大に怖れおののいているのです。古市憲寿や橋下徹や堀江貴文らのように、「インフルエンザと同じでたいしたことない」というような単純で「バカっぽい」話ではないのです。

同じコロナウイルスのSARSの流行について、『感染症の世界史』は次にように書いていました。

   今後、どんな形で新たな感染症が私たちを脅かすのだろうか。それを予感させるのが、中国を震源とする重症急性呼吸器症候群(SARS)の突発的な流行であろう。


単行本の発売は2014年ですが、『感染症の世界史』は、上記の文章によって、今回の新型コロナウイルスの流行を警告(予告)していたと言われているのでした。

中国の広東省深セン市でSARSの最初の感染者が出たのは、2002年11月で、収束したのは翌年の2003年9月でした。WHOによれば、世界30ヶ国(地域)で8098人の感染者が出て、死者は774人だったそうです。

一方、新型コロナウイルスは、発生から僅かひと月で、156ヶ国(その他も含む)に広がり、3月17日現在で、感染者は178368人、死者は7095人です(厚労省発表)。感染規模は、SARSとは比較にならないほど大きいのです。

SARSは収束するまで1年近くかかったのですが、新型コロナウイルスはその感染規模から考えても、1年で収束するとはとても思えません。田中宇氏が書いていたように、「人類の60%以上が感染するまでウイルス危機が続き、ワクチンなどの予防策が出てこない限り、ウイルス危機はこれから2年続くことになる」というのが現実的な話かもしれません。

株価の変動は、マネーゲームの側面もあり、必ずしも実体経済を反映しているとは言えませんが、しかし、誰が見ても、新型コロナウイルスが世界経済に大きな危機をもたらすのは必至のように思います。米中の”覇権争い”もますます熾烈を極めるでしょう。

そんな中で、アジアの東端にある“カルトの国”は、哀しいかな、検査数を抑えて感染者を少なく見せる姑息なやり方で、「感染の拡大を食い止めている」「封じ込めに成功している」と自演乙しているのです。そのため、下記の記事にあるように、アメリカの専門家からは、「日本の検査数は少ない」「韓国を手本にすべき」と指摘されるあり様です。

朝日新聞デジタル
「日本のPCR検査少ない」米専門家が指摘 手本は韓国

至極真っ当な指摘と言えるでしょう。と言うか、これが常識なのです。でも、今の日本では常識が通用しないのです。それが“カルトの国”であるゆえんです。

また、WHOのテドロス事務局長も、次のように呼びかけています。

   目隠ししながら火を消すことはできない。誰が感染しているのかわからずに、このパンデミックを止めることはできない。すべての国に簡単なメッセージを伝えたい。検査に次ぐ検査を。疑わしいケースはすべて検査してほしい。


Yahoo!ニュース
ロイター
パンデミックを止めるためには「検査、検査、検査」=WHO

日本には耳の痛い話ですが、でも、今の日本にはこの声も届かないのです。

メディアの中でも、政府の対応を批判する声はどんどん影をひそめています。厚労省が、感染者数の中でクルーズ船の感染者は除くべきだと言ったら、いっせいにクルーズ船の感染者を除いた感染者数に変更されています。また、安倍首相が、退院した人の数も伝えるべきだ言ったら、退院者数も伝えるようになっています。

怖いのは、満足に検査もしないまま、オリンピックのために(予定どおりできるわけがないのに)政府が見切り発車で収束宣言を行うことでしょう。しかし、私たちは、翼賛化する状況においても、政府の対外向けの(バレバレの)隠蔽工作のために、私たち国民の健康がなおざりにされているということだけは忘れてはならないでしょう。私たちの国の政府は、国民の健康よりオリンピック開催を優先するような政府だということを肝に命じておくべきでしょう。
2020.03.18 Wed l 本・文芸 l top ▲
新型コロナに対する特措法改正案(改正特措法)が、今日、参院本会議で可決、成立しました。明日14日から施行されるそうです。国会の審議は、衆参それぞれ1日づつのわずか2日でした。これには、インド人だけでなく、ヒットラーもびっくりでしょう。

かつてこの国の議会政治に55年体制と言われる“慣れ合い政治”がありました。国会の議席を分け合う自民党と社会党の二大政党が、表面的には“対立”を装いながら、実際は慣れ合って国会運営を行うことで、結果的に自民党の一党独裁体制を補完してきたのです。強行採決の際、野党議員が議長席に押しかけて抗議する光景も、法案に抵抗する姿を国民に向けてアピールする野党(社会党)に花を持たせるために、二大政党間で“台本”ができていたと言われていました。

これほど国民を愚弄した政治はなく、のちの政界再編で社会党が潰れたのも当然なのです。

しかし、今の国会運営は、55年体制の頃よりもっとひどいのです。なぜなら、55年体制時の自民党と社会党間の距離より、今の与野党間の距離の方が全然近いからです。

立憲民主党は、間違っても護憲政党ではありません。それどころか、今回の特措法改正に賛成したことを見てもわかるとおり、看板にしている立憲主義の政党ですらないのです。私には、立憲民主党と自民党の違いがまったくわかりません。

たしかに、立憲民主党は野党の立場なので、表向きには自公の政策に反対していますが、根本にある政治理念に違いがない限り、今回のようにいざとなれば、いつでも小異を捨てて大同に就く可能性はあるでしょう。政策の違いなど小異でしかないのです。

立憲民主党も国民民主党も、改憲を主張しています。だから、安倍首相は、両党に対して、国会の憲法審査会に参加して(同じテーブルに付いて)、議論をはじめましょうと言っているのです。

しかし、立憲民主党は、安倍政権のもとでは同じテーブルには付かないと言っています。と言うことは、次の政権ではテーブルに付く可能性もなくはないのです。国民民主党に至っては、自民党の改憲案は安全保障の面で生ぬるいとさえ言っているのです。

このように立憲・国民民主の政治理念を考えれば、両党が“国難”突破のために、“戒厳令”まがいの超法規的な権限を総理大臣に与える特措法改正に賛成したのは、別に驚くことではないのです。

新型コロナウイルスによって、この国の政治の「バカっぽさ」が白日のもとに晒されたと言ってもいいでしょう。それは、無能ぶりを晒した政府与党だけではありません。野党も同じです。特措法改正に賛成した立憲民主党と国民民主党は、野党としてのみずからの存在をみずからで否定したのです。「緊急事態」に名を借りた、野党がいらない体制をみずからで認めたのです。彼らの国家観や憲法観が、自民党と共有していることをはからずも証明したと言えるでしょう。

自民党の憲法草案に盛り込まれた「緊急事態条項」について、憲法学者の木村草太氏(首都大学東京教授)は、内実は「(内閣の)独裁権条項」だと言っていましたが、まさに今回の改正案は自民党の憲法草案を先取りするものと言っていいでしょう。改正案で明文化された「緊急事態条項」は、文字通り安倍首相に「独裁権」を与えるものにほかならないのです。

特措法改正案に賛成した立憲民主党の議員たちに、もはや安倍政権を批判する資格はないのです。成立したあとも口を拭って、ツイッターなどで安倍首相の政治姿勢を批判しているのを見るにつけ、私は、厚顔無恥という言葉しか思い付きません。有権者をバカにするなと言いたいです。

一方で、新型肺炎は、生物兵器であるかどうかはさて措くとしても、コロナウイルスが変異した新しい感染症であるがゆえに、予測不能でごまかしが効かず、各国政府が取る小手先の予防策がまったくと言っていいほど効果がないことも、徐々にあきらかになっています。だから、朝日の編集委員ではないですが、「痛快」と言いたくなるほど、どこの政府も感染の拡大に怯え右往左往しているのでしょう。その中で、ろくに検査もしないで「拡大を食い止めている」「封じ込めに成功している」と自画自賛(自演乙)しているのは、日本と北朝鮮だけです。カルトが戯画と同義語だということがよくわかります。

日本政府は、ここに至ってもまだ、オリンピックは予定どおり準備すると言っていますが、文字通りそれは税金をドブに捨てるようなもので、さらなる無能ぶりを晒していると言えるでしょう。株の暴落に対して、日銀がお札をじゃんじゃん刷って買い支えるETFの買い入れも同じです。どう見てもそれは、崩壊への道をみずから歩んでいるとしか思えませんが、しかし、テレビ東京の株屋のおっさんのように、メディアが言うのは目先の株価のことばかりで、日銀の買い入れが危機をさらに増幅させているという話は一切出て来ないのです。私たちは、ますます真実から遠ざけられて、ねつ造された「ニッポン、がんばれ!」のニュースで目くらましをされるばかりです。

一昨日だったか、ドイツのメルケル首相が、会見で「国民の60~70%が新型コロナウイルスに感染する可能性がある」と発言して警戒を呼びかけたというニュースがありました。会見の中で、メルケル首相は、収束には数か月、もしくは1年かかるかもしれないとも話したそうです。私は、そのニュースにショックを受けたのですが、田中宇氏が、最新記事で、そのメルケル首相の発言を取り上げていました。

田中宇の国際ニュース解説
人類の7割が感染し2年以上続くウイルス危機

記事によれば、米国病院協会 (AHA)は非公式の報告書で、新型コロナウイルスの致死率は人類の0.3%、感染者全体では0.5%になると予測しているそうです。

何度も言いますが、当然ながら無症状や軽症の感染者からも感染します。PCR検査して自分が感染しているのだということがわからないと、そんな“無自覚の感染”がネズミ算式に拡大していくのは火を見るよりあきらかでしょう。記事にあるような致死率も、決して非現実的な数字ではないのです。

ここに来て、のべつまくなしにPCR検査をすると医療崩壊を招くので、PCR検査は抑制した方がいいという意見がまことしやかに流れていますが、これこそ“無自覚の感染”がネズミ算式に拡大することを認める暴論と言えるでしょう。PCR検査と医療崩壊は本来別問題のはずで、医療崩壊はあくまで医療現場のマネジメントの問題でしょう。自分が感染しているのかどうかわからなくて、どうして感染を防ぐことができるのか。それは、子どもでもわかる話です。PCR検査は抑制した方がいいという意見は、政府与党周辺から発せられた詭弁(言い訳)としか思えません。

記事の最後に田中氏は、次のように書いていました。

人類の60%以上が感染するまでウイルス危機が続き、ワクチンなどの予防策が出てこない限り、ウイルス危機はこれから2年続くことになる。その間、国際的な人の移動が制限され、サービス業や飲食、エンタメ、観光、学校、議会、交通など、多くの産業や社会機能が制限され、世界経済に大打撃を与える。グローバリゼーションが劇的に終わる。金融危機が大幅に進行し、米国覇権体制が終わる。今起きている金融危機は、危機の序の口にすぎない。


前も書きましたが、新型コロナウイルスによって、世界地図が大きく塗り替えられる可能性はあるでしょう。少なくとも、米中の”覇権争い”=もうひとつの戦争があらたな段階に入ったことは間違いないように思います。と同時に、私たちは、ごまかしの利かない新型コロナウイルスによって、無能な政府や無能な政治家を持った不幸(そのツケ)を思い知らされることになるでしょう。

「ニッポン、凄い!」「ニッポン、がんばろう!」というような「(愛国」的)スローガンをいくら唱えても、神風は吹かないし、新型コロナウイルスの脅威をごまかすことはできないのです。スポーツや音楽で元気や勇気をもらっても、新型コロナウイルスを退散させることはできないのです。それらは、昔の疫病払いのおまじないと同じようなものです。それよりまずPCR検査を行って、”潜在的感染者”を顕在化させ、“爆発的感染”を防ぐことでしょう。古市憲寿の「新型肺炎はインフルエンザと同じでたいしたことない」「PCR検査しても意味ない」という言動などは、文字通り反動的で「バカっぽい」、ある意味で犯罪的なデマゴーグと言うべきなのです。自業自得とは言わないけど、新型コロナウイルスとともに、またあらたな”衆愚の歴史”がくり返されているように思えてなりません。
2020.03.13 Fri l 社会・メディア l top ▲
新宿~立川~武蔵五日市~人里(へんぼり)バス停~人里峠~【浅間領】~時坂(とっさか)峠~払沢の滝入口バス停

※山行時間:4時間30分
※山行距離:8キロ
※山行歩数:24000歩
※交通費:2265円

昨日、奥多摩の浅間嶺に登りました。

新宿から6時48分発のJR中央線中央快速高尾行きで立川、立川からJR青梅線五日市行きで武蔵五日市。五日市駅に着いたのは7時59分で、これもいつものコースです。

前に、笹尾根を繋いだのでしばらく武蔵五日市に行くことはないだろうと書きましたが、ゆっくり山を歩きたいと思ったとき、やはり思い付いたのは武蔵五日市駅から登る山でした。それで、前言を翻してまた武蔵五日市駅に向かったのでした。

浅間嶺は、笹尾根と同じ檜原街道沿いの浅間尾根にあるピークです。笹尾根にはいくつかのピークがありますが、浅間尾根の場合は浅間嶺が唯一のピークです。

笹尾根と浅間尾根は、檜原街道沿いのバス停が共通しており、簡単に言えば、バス停を降りて進行方向の左に登れば笹尾根で、右に登れば浅間尾根です。浅間尾根のピークはひとつしかないので、浅間尾根はどのバス停から登っても、めざすのは浅間嶺になります。私は、人里(へんぼり)のバス停から登りました。

武蔵五日市駅から人里までは、バスで50分かかります。しかし、駅に着いても、バスの時間まで1時間待たなければなりません。これもいつものことです。

駅前のコンビニで行動食のチョコレートと昼食のサンドイッチなどを買って、バス停のベンチに座ってバスを待つことにしました。武蔵五日市駅の場合、待合室がないのでバス停のベンチに座って待つしかないのです。

バス停のベンチには、既に3人の60代くらいの女性が座っていました。3人とも登山の恰好をしており、私が乗ってきたのと同じ電車で来たみたいです。おそらく女性たちも浅間嶺に登るのだと思います。

横で話しているのを聞くと、どうやら団体(グループ)で登るようで、同行者たちは次の電車でやって来るみたいです。平日は定期便の1台で充分ですが、これが週末になると100人以上が行列を作り、臨時バスも出ます。浅間嶺はアクセスがよくて、しかも登りやすいので、特に中高年の登山者に人気なのです。

8時半近くになると、次の電車で来た人たちがバス停にやって来ました。その中には、女性たちの同行者もいました。やはり60~70代の既にリタイアしたとおぼしき男性ばかりで5人いました。これもよくあることですが、男性たちは列の後ろに並ばないで、先頭にいる女性たちのところでおしゃべりをしていました。私のうしろには、既に20人近くが並んでいました。

私のうしろでは、温泉にでも行くのか、かなり高齢の男性がやって来て、「ベンチに座らせてもらえませんか」と言っていました。それで、ベンチに座っていた人たちが間を詰めていました。しかし、先頭のグループはそんなことはおかまいなしにおしゃべりに興じていました。

それにしても、山に来る団体の中高年女性たちはどうしていつもこんなにハイテンションなのだろうと思います。年甲斐もなくと言ったら叱られるかもしれませんが、キャーキャー言いながら大声でお喋りに夢中です。男性たちにとって、そんな女性たちはマドンナのような存在なのか、話の中心はいつも女性たちのことでした。

しかし、男性たちも、登山者にありがちな「オレ、凄いだろう」式の自己誇示も忘れないのです。「あの✕✕山はきつかったわ」と女性が言うと、「あんなもんはたいしたことない」と男性。「あんな山は、コースタイムの0.7くらいで充分だ」と言ってましたが、「お前、ヤマレコか」と突っ込みたくなりました。

やがてバスが来ました。ところが、先頭の女性のところにいた男性たちも、女性につづいてバスに乗り始めたのです。それで、私は、「お前たち、みんなが並んでいるのがわらないのか」「山に行く人間で、そのくらいのマナーも守れないのか」と言いました。すると、まだバスに乗ってない人間は、びっくりした様子で足を止めていました。

週末だとバス会社の人間が出てきて、カラーコーンを並べて整列乗車を呼び掛けるのでまだマシですが、平日はこのような光景はめずらしくないのです。

ネットに中高年登山禁止条例を作ってくれないかなという書き込みがありましたが、集団心理もあるのか、団体の登山者のマナーがよくないのはたしかです。ホントに中高年団体登山禁止条例を作ってもらいたいほどです。

警察が発表する年代別の遭難者のデータによれば、遭難者は70代がいちばん多いそうです。数年前までは60代が一番多かったけど、登山者が年を取り、中心の年齢層が60代から70代に移ったのに伴って、遭難者も70代が一番多くなったそうです。と言うことは、あと10年もすればマナーの悪い団体客は自然淘汰されるのです(そのはずです)。

運の悪いことに、このグループは帰りのバスでも一緒でした。払沢の滝(ほっさわのたき)入口のバス停まで下りて、ついでに払沢の滝を見に行ったときでした。滝はバス停から15分くらい歩かなければなりません。滝の近くまで行って、岩に乗って写真を撮っているときでした。足場が悪いので、ひとりつづ順番に写真を撮るような暗黙のルールがあるにもかかわらず、私のすぐ横に来てカメラを構えている高齢の男性がいました。見ると、ザックを背負って登山の恰好をしていました。

写真を撮り終えて横の石段に戻ろうとしても、男性がすぐ横に立っているので戻ることもできません。それに、男性がバランスを崩すと私も巻き添えを食って下の岩場に落ちる危険性さえあります。しかし、男性は私のことなどお構いなしにカメラを構えています。

「ちょっとのいてもらいますか?」と言っても、知らん顔です。それで、再度強い口調で「のいてもらえるかな」と言ったら、やっと石段に戻って行ったのでした。

男性を見ると、石段から滝つぼの脇に下りる際も、石段が狭いにもかかわらず、下から登って来る人がいても、「のけ」と言わんばかりに強引に下りて行くのでした。下から登ってくる人たち(大半は若い人たち)は、石段の横に設置された鎖を握って身体を横向きにしてよけていました。「なんだ、あの爺さんは」と思って見ていたら、下でキャーキャー言いながら男性たちを待っていた女性に見覚えがありました。朝のあのグループだったのです。

私がバスを降りるとき、彼らはまだバスに乗っていましたので、先にある浅間尾根登山口のバス停あたりから登ったのでしょう。そして、私と同じように払沢の滝に下りて来たのでしょう。マナーの悪い連中は、どこに行ってもマナーが悪いんだなと思いました。中高年向けの登山サークルのサイトに、「ナンパ目的で入会する方へ」という注意書きがあったことを前に書きましたが、もしかしたらマドンナ(と言っても60すぎの婆さん)が一緒なので、爺さんたちも気分が高揚して分別を失っているのかもしれません。顰蹙を買うかもしれませんが、なんだか“老人ホームの恋“を連想しました。

それに比べると、浅間嶺の展望台で会った高齢の夫婦は対照的でした。展望台に行くと、とっくに70を越えているような高齢の夫婦が望遠鏡で遠くの山を見ていました。そして、二人で手元の地図と見比べながら「山座同定」をしていました。何度もその作業をくり返していて、如何にも山に来たことを楽しんでいるといった感じでした。

私がベンチで昼食のサンドウィッチを食べていたら、「お先に」と言って、二人は払沢の滝方面に歩いて行きました。しかし、少し歩くとまた立ち止まって、二人で奥多摩の山塊を指差してなにやら話をしていました。

ハイキングとしては、こっちの方がよほど「健全」に見えますし、山歩きの本来の姿があるように思います。ヤマレコやヤマップの影響なのか、中高年の中には同じ山に何度も登って、コースタイムがどうのと自慢するような人たちが多いのですが、その背景にあるのは「オレはいつまでも若いんだ」という誇示と自己承認を求める気持でしょう。おまかせ登山のおばさん相手にお山の大将になりたがる心性も同じなのだと思います。

人里バス停から浅間嶺までは3キロ弱、浅間嶺から払沢の滝までは6キロくらいでした。登りは休憩を除けば1時間半くらいで、払沢の滝バス停までの下りは、2時間弱でした。久し振りの軽めの登山で、その分余裕を持って山を楽しむことができました。

帰りは、いつものように武蔵五日市から拝島、拝島から八高線で八王子、八王子から横浜線で帰ってきました。武蔵五日市を出たのが午後4時前だったということもあって、電車は空いており、今回もずっと座って帰ることができました。

不思議なのですが、山に行っている間は花粉症の症状がまったく出ないのです。昨日は、春を思わせるようなポカポカ陽気でしたが、くしゃみをしたり目がしょぼしょぼしたりとか、そんなことはまったくありませんでした。ところが、帰宅して夜になるとくしゃみが出たり、目が痒くなったりするのです。前回の本仁田山に行ったときもそうでしたが、たぶん街中のようにアスファルトに落ちた花粉が舞い上がることがないからかもしれません。



※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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人里バス停。

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浅間尾根登山口へ。

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登山口は民家の脇から入ります。

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登山口に入り上から見たところ。登山口までのアスファルトの坂道がきつかった。

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登山口に入りうしろを振り返る。

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登る途中にあった祠。

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ふと見上げると民家が・・・・。

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テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された民家でした。しかし、今は無人です(敷地内は自由に見学できます)。

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庭の奥にある400年前から出ているという湧き水。とてもおいしかった。水筒を持って来なかったことを後悔しました。実家の水道も天然の湧き水でしたので、田舎を思い出しました(このルートを登るなら、水筒は必携です)。

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尾根に着きました。時間にして約1時間。

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ここからは尾根筋を歩きます。

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見晴らしのいいところに出ました。奥多摩の山塊が一望できました。しばらく立ち止まって見入ってしまいました。

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大岳山。

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御前山。

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見晴らしのいい尾根道。

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浅間嶺休憩所の東屋。

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はじめて会ったハイカー。このあと展望台に登ったら、休憩していました。

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展望台の山頂標識。浅間嶺の最高標高地点は展望台ではないのですが、実際は展望台が山頂のような扱いになっています。

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展望台からの眺望。

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展望台には3人の先客がいました。このあと女性の2人組が登って来ました。

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展望台をあとにして払沢の滝バス停までの下り。

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このような石ころだらけの道もありました。

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峠を下る途中にあった蕎麦屋。この蕎麦屋も「ポツンと一軒家」で紹介されたそうです。そのあと閉店したと聞いていました。しかし、看板を見ると、12月~3月は冬季休業で、4月~11月は営業しているようです。

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このあたりの「関東ふれあいの道」は、「甲州古道」と呼ばれているようです。つまり、東京側の武州と山梨側の甲州を結ぶ道だったのです。昔、両国の人たちはこの道を通って行き来していたのです。現代人は、ザックを背負い登山靴を履いたご大層な恰好で登って来ているのです。

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林道の途中にあった大山祇神社。

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大山祇神社の下には、閉店した「峠の茶屋」の建物がありました。

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上記の蕎麦屋は、「峠の茶屋・本家」でもあったのでしょうか?

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前の駐車場からも絶景が広がります。

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商店の窓ガラスに貼ってあった「東京のスイス」檜原村の観光地図。そう言えば、私も子どもの頃、自分の田舎を「九州のスイス」と呼んでいました(もちろん、冗談で‥‥)。

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遠くに都心のビル群も見えました。

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鎖で閉鎖されていた「通行止め」の別の林道を進むと、時坂峠に着きました。

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時坂峠から急坂の登山道を下ります。

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降り口に「危険」と注意書きがあった崩落箇所。思ったより危険ではありませんでした。

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払沢の滝に行く途中にあった雑貨店。昔の郵便局の建物を利用しているそうです。

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払沢の滝。

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2020.03.12 Thu l 山行 l top ▲
立憲民主党と国民民主党は、一応表向きは”消極的反対“あるいは”判断保留“のポーズを取っていますが、どうやら内閣総理大臣に戒厳令まがいの”独裁的な権限“を与える「新型インフルエンザ対策特別措置法改正案」について、ほとんど審議もせずに成立させることを自民党と合意したようです。

以下は、13日付の共同通信の記事です。

KYODO
国会に事前説明なら賛成も
立民・国民、修正か決議求める


 新型コロナウイルスの感染拡大に備えた新型インフルエンザ等対策特別措置法改正を巡り、立憲民主、国民民主両党は、私権制限を伴う緊急事態宣言に関し、国会への事前説明などを義務付けられれば賛成する方向で検討に入った。発令中の「適時報告」も条件とし、与党に改正案の修正か付帯決議を求める考えだ。関係者が7日、明らかにした。
(略)
 政府は、特措法改正案を10日に衆院へ提出し、13日にも成立させる意向だ。
(同上)


早速、安倍首相の”極右仲間”の有本香氏が夕刊フジのコラムで、「新型コロナで“挙国一致”も左派は妨害!? 朝日新聞、共産党、社民党は『国難』を乗り越える気がないのか」という記事を書いていました。

Yahoo!ニュース
夕刊フジ
新型コロナで“挙国一致”も左派は妨害!? 朝日新聞、共産党、社民党は「国難」を乗り越える気がないのか

「挙国一致」「国難」、それは全体主義の常套句です。戦前も「挙国一致」や「国難」を掲げた問答無用の翼賛体制のもと、天皇制ファシズムの“暴走”が始まったのでした。立憲民主党や国民民主党の旧民主党は、文字通り「国難」突破のために、「挙国一致」の翼賛体制にみずから(進んで)身を預けたと言えるでしょう。有本氏のコラムに、いつもの立憲民主批判がないのは、極右から「合格」のお墨付きをもらったからかもしれません。

もっとも、今回の改正案の土台になった新型インフルエンザ等対策特別措置法は、民主党政権のときに作られた法律です(そのときも共産党と社民党は反対しています)。安倍・枝野の党首会談の写真を見ると、消費税増税のときの野田・谷垣会談が彷彿とされ、なんだか民主党政権の悪夢がよみがえってくるようでした。

あらためてこういう野党は怖いなと思いました。ある意味で、自民党より怖い。

先日の京都市長選で、両党は自民党や公明党と一緒に現職候補を推薦しました。京都市長選だけではありません。過去には横浜市長選においても、旧民主党は林文子市長を支持してオール与党体制に与しているのです。それは、今回のような翼賛体制の地方版と言っていいでしょう(そして、今になって自治労横浜など市関係4労組と一緒に、「裏切られた」などと言って被害者ヅラしているのです)。

何度もくり返しますが、こんな政党を野党と言うのでしょうか。立憲民主党に随伴する左派リベラルの市民派は、こんな政党に一体なにを期待しているのでしょうか。

しかも、立憲民主党が身過ぎ世過ぎのために偽装する野党的ポーズは、悪しき左翼性だけを残した左派リベラルを通して、左の全体主義へ架橋されているのです。それは、前も書きましたが、国会前デモなどに端的に表れていました。

思えば、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客のうち27人の重症化が判明したのが先月の20日でした。しかも、そのうち2人が死亡したのです。でも、安倍政権が新型コロナウイルスの対策本部を開いたのは、3日後の23日でした。

23日現在で、韓国のPCR検査の検体数は2万件でした。一方、日本(21日現在)は、693件しかありませんでした。にもかかわらず、我が国は感染者数が少ないと胸を張っていたのです。そして、対策本部も開かずに、連日、税金(内閣官房機密費)を使って、極右仲間やメディアの幹部とお食事会を開き、美酒に酔い痴れていたのです。

ところが、それからわずか10日後に突然、全国の公立学校の一斉休校を決定し、併せて不要不急の外出やイベント等の自粛を呼び掛け、さらに緊急事態宣言に向けての特措法改正まで表明したのでした。誰がどう見ても、場当たり的にしか見えないでしょう。

これで、安倍首相は、戒厳令まがいの“独裁的な権限”を行使し得る法的な裏付けを手に入れることができるわけで、まさに転んでもただでは起きないファシストの正体見たり枯れ尾花という感じです。

マスクもない、除菌スプレーもウエットティッシュもない。しかも、重症化するまで検査も受けられない。緊急事態なのは無能な政府の方で、”戒厳令ごっこ”をしている場合じゃないだろうと思いますが、そんなことはお構いなしに極右仲間におだてられて令和のヒットラーにでもなった気分なのかもしれません。

旧民主党の連中は、今までもいざとなれば”敵失”を演じて安倍政権の苦境を救ってきました。そうやって政権の延命に手を貸してきたのです。それが、今回は「国難」を口実に、さらに露骨に手を差し伸べているのでした。

立憲民主党に随伴する左派リベラルは、”第三の道”なんて非現実的で、今の構図の中で「よりましな」政治を選択するのが現実的で賢明な方法だと言っていましたが、立憲民主党のどこが「よりまし」なのでしょうか。今更ですが、左派リベラルの彼らが依拠しているのは、とっくに終わった”古い政治”でしかありません。それが、立憲民主党を「よりまし」と考える発想につながっているのです。

ホントに「政治を変える」ためには、立憲民主党ともどもヘタレでトンチンカンな左派リベラルにも、きっぱりと引導を渡す必要があるでしょう。何度も言いますが、そこからやり直すしかないのです。


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2020.03.07 Sat l 社会・メディア l top ▲
武蔵小杉駅~立川駅~鳩ノ巣駅~本仁田山~鳩ノ巣駅~青梅駅~拝島駅~八王子駅~菊名駅

※登り3時間28分(休憩約40分)
※下り2時間10分(休憩時間10分)
※山行時間:5時間38分
※山行距離:9.4キロ
※山行歩数:26000歩
※交通費:2514円

奥多摩の本仁田山(ほにたやま・1224メートル)に登りました。本仁田山は、奥多摩駅から登る大休場尾根コースが一般的ですが、大休場尾根コースは奥多摩の三大急登に数えられるほどの急登で、今の私では荷が重いので、今回は奥多摩駅から二つ手前の鳩ノ巣駅から登る杉ノ尾根コースを選びました。

とは言え、奥多摩の山は標高のわりにきつい山が多いので、杉ノ尾根コースも後半は急登が続き、ヘトヘトになって山頂に辿り着きました。前半は順調だったのですが、後半のバテ具合が半端ない(!)のです。持久力がないと言えばそうなのでしょうが、やはり体重が6キロ増えたことも大きいのかもしれません。6キロと言えば、山に登る人間が背負うザック1個分の重さです。それでなくても、私は身体が大きいので、ほかの人より2つか3つ余分にザックを背負っているようなものですが、さらにまたひとつ増えたのです。つまり、平均的な日本人と比べれば、ザックを4つ背負って山に登っているようなものです。これではもはや歩荷の世界です。

アンクルウエイト(足首に付ける重し)を買って足の筋力を付けることも大事ですが、その前にダイエットが必要でしょう。いくらまめに山に行って体力を付けようと思っても、体重が増えたのでは自分で自分の足をひっぱっているようなものです。そんなことを考えながら、山を下りました。

今日も早朝5時半すぎの東横線に乗って、武蔵小杉で南武線に乗り換え、さらに立川で青梅線の奥多摩行きに乗り換えました。鳩ノ巣駅に着いたのが8時前でしたので、ちょうど2時間かかったことになります。

やはり、車内はいつもより空いており、そのため、いづれの電車でもずっと座って行くことができました。

鳩ノ巣駅は、まわりになんにもないローカルな駅です。コンビニはもちろん、商店もありません。ただ、山だけでなく近くに渓谷もあるので、駅前にはハイキング客向けの立派なトイレがありました(ハイキングのあとに汚れた靴を洗う水道もあります)。

もっとも、山と言っても、本仁田山以外では川苔山(川乗山)があるくらいです。それも、いづれもマイナーなルートの登山口で、どっちかと言えば、鳩ノ巣駅は本仁田山や川苔山の下山ルートで使われる場合が多いのです。

登りでは3人会っただけでした。また、途中、大根ノ杉ノ神という分岐点で休憩していたら、上から2人下りてきました。

登る途中、2人から追い抜かれましたが、山頂に行ったら誰もいませんでした。おそらく2人も川苔山に向かったのではないかと思います。川苔山のメインのルートである日原街道から百尋ノ滝を経て登るルートが、昨秋の台風19号によって日原街道が通行止めになり利用できないため、今は鳩ノ巣から登るしかないのです。

先日、棒ノ折山で会った人に川苔山の話をしたら、「冬は百尋ノ滝に行かない方がいいですよ」と言われました。冬は滝に行く道が凍結するので、滑落事故も起きているそうです。「氷瀑とか言いますが、百尋ノ滝はそうまでして観に行くほどの価値はありませんよ」と言っていました。

また、その話を別の人に話したら、その人もほかの人から同じようなことを言われたと言っていました。こういう話は、ネットでは知ることのできない”生の情報”です。ネットはウソとハッタリが多いので、書いていることを鵜呑みにすると、登山の場合、命にかかわることにもなりかねません。川苔山に関しても、逆コースから下りて百尋ノ滝に行ったけど、全然問題なかったみたいなお決まりの書き込みがありますが、自分の技量を鑑みながら割り引いて読む必要があるでしょう。むしろ、斜に構えて読むくらいがちょうどいいのです。

それは、コースタイムも然りです。山行記録を共有するサイトのコースタイムは、あまり参考になりません。コースタイムは修正できるみたいなので、さも健脚のように修正しているのではないかと思ってしまいます。中には、説明文の時刻と添付した写真のEXIF情報の時刻が違っている場合もありました。ちなみに、個人的にいちばん参考になるのは、登山届を作成する際に利用するコンパスのコースタイムです。

山頂には40分くらいいましたが、誰も登って来ませんでした。非常に暖かないい天気だったので、汗でぬれたパーカーを木にかけて干しました。奥多摩の山々の向こうには、富士山もくっきりと姿を見せていました。ちょうど昼の12時すぎだったので、ベンチに座って持参したピザパンを食べました。ピザパンにかじりついていたら、なんだか胸がつまってきて涙が溢れそうになりました。若い頃、定食屋でひとりで食事していると、わけもなく涙が出そうになったりしましたが、あのときと似た感じでした。いくら年を取っても、そういった感情は残っているのです。

それでもやはり、ひとりはいいなあと思いました。山頂をひとり占めできるなんて、これほど贅沢な話はないのです。

山から下りて駅に戻って来たら、ちょうど5分後に来る電車があったので、ホームまで走りました。帰りは、いつものように拝島で八高線に乗り換え、八王子から横浜線で帰りました。

途中から帰宅ラッシュの時間になったのですが、通学する学生が少ないので電車は空いていて、ずっと座って帰ることができました。ただ、私服姿の高校生とおぼしき若者たちがワイワイ騒ぎながら乗って来て、八王子や町田などで降りて行きました。一斉休校と言っても、これ幸いに遊び歩いているじゃないかと思いましたが、かく言う私も、「不要不急の外出を控えるように」という呼びかけに背いて山に行っているのですから、あまり他人(ひと)のことは言えないのです。

もっとも、教育関係者の間では、家庭より学校の方が衛生管理ができて感染のリスクも低いというのが定説で、一斉休校は「バカっぽい」総理大臣のパフォーマンスの色彩が濃く、ただ混乱を招くだけであまり意味はないのです。一方で、彼は、新型コロナウイルス対策のために、あらたに緊急事態を想定した法整備の必要性を表明しています。このように新柄コロナウイルスを奇貨に、私権を制限する”緊急事態法”の拡大が目論まれているのです。検査もろくにしないでなにが緊急事態だと思いますが、東日本大震災のときと同じように、再び”動員の思想”が前面に出ているのでした。しかし、トンチンカンな東浩紀などは、震災のときと同じように今回も、国家がせり出している今の状況に誇りを覚えると言い出すのかもしれません。あれから「ニッポン、凄い!」が始まったのです。そして、今のようなボロ隠しの「愛国」が支配する「バカっぽい」国になってしまったのです。

本気で市中感染を防ぐつもりなら、重症化する前にPCR検査を受けることができるようにすることが先決ですが、ここに至っても検査体制は何も変わってないのです。検査が保険適用され自己負担分も国が負担すると言いながら、実際は「指定感染症」として保健所が統括する「帰国者接触者相談センター」が窓口であることには変わりがなく、軽症レベルの患者が検査を申し込んでもハネられるのは目に見えています。

重症化しなければ検査が受けられない(それまで自分が感染しているかどうかわからない)のですから、意図せず感染を拡大させることになるのは当然でしょう。にもかかわらず、感染者は、あたかも無責任な行動でウイルスをばらまいた”迷惑人間”のように言われ、指弾されるのです。国の怠慢(と隠蔽工作)がそのような理不尽な責め苦を感染者個人に強いているのです。感染の拡大を防ぐためには、なにより早い段階で感染しているかどうかをはっきりさせて、感染を防ぐべく手当てすることが大事なのは、子どもでもわかる話でしょう。

横浜線に乗っていたら、橋本駅からトイレットペーパーの束を両手に下げたおばさんが乗って来ました。おばさんは、次の相模原駅で降りたので、トイレットペーパーを求めて橋本まで「遠征」したのかもしれません。

私も思わず二度見してしまいましたが、ほかの乗客も、ある人は眉をひそめて、ある人は羨ましそうな目で、おばさんの手元を見ていました。「あんたとこの家族は、そんなにウンコするの?」とツッコミたくなりました。

メディアは、「トイレットペーパーは充分な在庫があります。買い占めをやめることで、品不足も解消されます。買い占めをやめて、みんなに行き渡るようにしましょう」と言っていますが、それって東日本大震災のときも耳にした台詞です。

メーカーも表向きには「在庫は充分あります」と言っていますが、今の品不足が消費ではなく買い占めによって起きているのはわかっているので、店頭に商品がなくても生産能力を上げることはしないでしょう。そうすれば、やがて過剰在庫になるのがわかっているからです。

そもそも、中国人が買い占めているから品不足が起きているんだと言いながら、せっせせっせと自分たちで買い占めていた日本人に、「みんなで分かち合いましょう」みたいなことを言っても馬の耳に念仏でしょう。腐っているのは総理大臣だけではないのです。

そんなことを考えながら帰って来ました。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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鳩ノ巣駅

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登山口に行く途中の風景

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登山口
民家の脇を入ります。

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ちょっと荒れた道

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本仁田山の特徴は石が多いことです。
登山道も石が多く、歩きにくくて足にこたえます。

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大根ノ山の神
川苔山への分岐はいくつかありますが、ここが最初の分岐です。

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「あれっ、車が」と思いましたが、よく見ると林道が通っていました。車は、東京都の森林組合の車でした。

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道を間違えて林道を進みました。
「林道を歩くはずはないんだが」と思いながらもどんどん進んで行ってしまいました。
GPSの地図を拡大して見たら、登山道から微妙にずれていることがわかり、引き返しました。

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大根ノ山の神の分岐まで戻って来たら、こんな注意書きがあることに気が付きました。
最初は気が付かなかった。間違える人が多いのでしょう。

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車が停まっている広場の奥に登り口がありました。
こういった登り口はよく見落とす。

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杉ノ尾根

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最初のピーク殿上山

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本仁田山?

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尾根道をすぎると・・・・

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噂の急登

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途中から見た風景

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さらに急登は続く

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登り切ると再び尾根道

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二つ目のピーク瘤高山(コブタカ山)
個人的には、このあと山頂までの100メートルの登りの方がきつかった。

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山頂標識
三頭山や御前山や大岳山や川苔山の立派な石造りの標識と比べるとこのやっつけ感。
奥多摩での本仁田山の位置付けが伺えます。

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天気がいいので、富士山が見えました。

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山頂の様子

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同上
山頂も石が多い。

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個人的にいちばんきつかった山頂直下の登り
下山時に撮りました。

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登山口まで戻って来ました。
入口(出口?)の手前。
2020.03.03 Tue l 山行 l top ▲
今日、地元の温泉地で宿泊業と飲食業をしている友人から電話があり、新型コロナウイルスでキャンセルが相次いており、途方に暮れていると言ってました。

また、講演の斡旋をしている別の友人は、イベントの自粛要請で既に決定していた講演が全てキャンセルになって、今後の仕事も見通しがきかない状態だと嘆いていました。

朝日新聞に掲載されている「新型肺炎の情報」によれば、「2月29日午前8時半時点」で、「国内で確認された感染者」は946人で死者は11人です。

皮肉を込めて言えば、感染者がわずか946人しかいないのに、安倍総理は全国の学校に臨時休校の要請を行い、併せてイベントや不要不急の外出の自粛を呼びかけたのです。呼びかけに伴い、コンサートなどの各種イベントも中止され、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどレジャー施設も休園、スポーツ大会も無観客試合になっています。

「感染の拡大を防ぐため」と言っていますが、それにしては、予防処置と感染の実態があまりにも乖離しており、政府の要請もオーバーアクションのような気がしてなりません(これも皮肉です)。

専門家の間では、実際の感染者は公表数の100倍くらいいるのではないかという話さえありますが、ダイヤモンド・プリンセス号などの感染状況から見ても、あり得ない話ではないように思います。

私たちがいちばん心配しているのは市中感染の現状ですが、政府が公表する感染者の中では、市中感染の患者はほんの僅かしかいません。誰もがホントなのかと思うでしょう。その一方で、政府は国民生活を一時停止するような前代未聞の要請をしたのです。

市中感染の実態がわからないので、よけい疑心暗鬼に囚われてしまうのです。だから、ネットの嘘に騙され、買いだめに走ったりするのでしょう。実際は、「感染を未然に防ぐため」という建前とは別に、既に市中感染が相当のレベルに達したという認識があり、その“無限大の拡散”に恐怖しているからではないのか、と思ってしまいます。

中国や韓国に比べて、PCR検査が極端に少ないのは、オリンピック開催を控えて、感染者数をできるだけ少なく見せたいという“政治的配慮”がはたらいたのは間違いないでしょう。そのために、下記の「デイリー新潮」の記事が書いているように、「指定感染症」や「医療崩壊」を錦の御旗にして、保健所を窓口にした検査をサボタージュする官主導のシステムが設けられたのです。もちろん、背景には、気温が上がればウイルスの感染力が弱まり感染も終息するという楽観論があるからでしょう。

Yahoo!ニュース
デイリー新潮
【新型コロナ】PCR検査の拡大を感染研OBが妨害……「岡田教授」がテレ朝で告発の波紋

でも、熱や咳があるのに、検査も受けられず、感染したかどうかもわからないまま放置される国民はたまったものではありません。中には死亡し、別の死因で処理された患者だっているかもしれません。なによりPCR検査のサボタージュによって、感染の実態が隠蔽されているのは大きな問題でしょう。

国会の議論や政府の要請を見ると、ちゃんと仕事を持ってちゃんと家庭を持ってちゃんと生活している国民が前提になっているように思いますが、しかし、現実には、ちゃんと仕事も持ってなくてちゃんと家庭も持ってなくてちゃんと生活もしていない国民もいるのです。そういう人たちにも等しくウイルスは感染するのです。検査どころか、病院にも満足に行くことができない人たちだっているでしょう。

私たちが直面しているのは、感染症なのです。感染の拡大を食い止めるためには、制度の網をできるだけ広げることが肝要で、まず、ひとりでも多くの人が検査を受けることができるようにすることでしょう。ところが、今の政府が行っていることは、(数字を誤魔化すために)大半の国民を制度からはじき出すべく逆に網を狭めているのです。学校や仕事は休め、街には出るな。でも、検査も治療もしない。そう言っているに等しいのです。

ひと昔前なら切腹ものでしょう。「国賊」と呼ばれてもおかしくないのに、「国賊」どころか相変わらず「愛国」者扱いで、「みんなで応援しよう」なんて言っているのですから呆れるばかりです。そんな安倍政権の応援団であるフジ・サンケイグループに代表されるようなボロ隠しの「愛国」が、この国を劣化させているのです。彼らは、感染の実態の隠蔽に手を貸しているのです。
2020.03.01 Sun l 社会・メディア l top ▲
新型コロナウイルスは、アメリカやヨーロッパにまで拡散しはじめています。いよいよパンデミック(世界的大流行)の様相を呈して来たと言っていいでしょう。世界的な株価の暴落もむべなるかなと思います。

IOCの委員からは東京オリンピックの延期論まで出ていますが、安倍政権の場当たり的な彌縫策の背景に、開催まで半年に迫ったオリンピックに対する焦燥があるのはあきらかでしょう。政府の対応は、気温が上がればウイルスの感染力が弱まるので、それまでの時間稼ぎの色合いも濃いように思います。しかし、言うまでもなく、春になり気温が上がるのは日本とその周辺だけです。地球の反対側は、天候が逆なのです。

仮にトランプが言うように、「魔法のように」ウイルスが消えてなくなったとしても、感染源のアジアに対する風評は残るでしょうし、なにより観光地としてのイメージの低下は避けられないでしょう。ネトウヨや産経新聞や夕刊フジやフジテレビ(フジ・サンケイグループですが)のように、「日本は、中国や韓国と違うんだ」といくら言っても、世界から見れば、日本も中国も韓国も同じ穴のムジナなのです。アジア(あるいはアジア人)とひとくくりに見られるだけです。

これで安倍政権が掲げる「観光立国」も砂上の楼閣で終わるでしょう。アメリカと(見えない)戦争をしている中国と傍観者の日本の違いはあるにせよ、中国の毅然たる対応と右往左往するばかりの日本の差は、誰が見ても歴然としています。日本のメディアや国民は、そうは思いたくないのでかたくなに否定するでしょうが、これで中国の習近平の独裁体制はより強固なものになり、新型コロナウイルスをきっかけに、これからますますアジアの盟主としての地位を固めていくに違いありません。

一方、多極化でご主人様を失う日本は、中国の周辺国として、かつての「東夷」の国のような扱いに甘んじなければならないかもしれません。ネトウヨの中国人ヘイトも、単に負け犬の遠吠えにすぎないのです。

中国の習近平の指導者然とした強いリーダーシップには、一党独裁国家の”強み”が出ているように思います。それに対して、アメリカのトランプや日本の総理大臣の能天気な「バカっぽさ」には、民主主義国家の弱点が出ているような気がしてなりません。選挙で指導者を選ぶ民主主義国家の国民は、なにより聡明さと見識が求められるのですが、残念ながらそれは絵に描いた餅にすぎません。「バカっぽい」国民が選んだのは、同じように「バカっぽい」指導者だったのです。

新型コロナウイルスの報道で、私たちがあらためて目にしたのは、武漢の近代的な都市の風景であり、中国の病院の最新の設備でした。たしかに貧富の差はあるのかもしれませんが(それは日本だって同じです)、あれだけの人口を抱えながらめざましい経済発展を遂げた国力は、やはり認めざるを得ないでしょう。既に名目GDPでは、日本は中国にぬかれています。中国は、ネトウヨやフジ・サンケイグループやデーブ・スペクターの会社のスペクター・コミュニケーションズが言うような「野蛮で遅れた国」なんかではないのです。

それは中国だけではありません。OECD(経済協力開発機構)の発表によれば、2018年の1人当たりGDPでは、日本はとうとう韓国にもぬかれたのだそうです。2012年、経団連のシンクタンク「21世紀政策研究所」が、日本の1人当たりGDPが2030年までに韓国に抜かれ、「先進国から転落しかねない」という長期予測を発表したのですが、2030年どころか2018年にあっさりぬかれてしまったのです。テレビ東京の頭のハゲた株屋のおっさんのように、アベノミクスの上げ底の株価に浮かれている間に、ハイスピードで日本は先進国から転落していたのです。これほど「バカっぽい」話はありません。

21世紀の世界にとって、今回の新型コロナウイルスが、単に公衆衛生上の問題にとどまらず、多極化に伴う世界分割の軍事的経済的な意味においても、大きなメルクマールになるのは間違いないでしょう。「風邪と同じでたいしたことない」という、国民に思考停止を強いるような反動主義者のデマゴーグに、ゆめゆめ騙されてはならないのです。
2020.02.29 Sat l 社会・メディア l top ▲
下記の時事通信の記事からの引用ですが、「新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府の専門家会議は24日、緊急記者会見を開いて行事の自粛や風邪の症状が出た場合の自宅療養など、社会の協力を強く呼び掛けた」そうです。

その中で、「同会議の尾身茂・副座長は、現状は『一部の地域で感染の連鎖が起きているが、まだ急拡大には至っていない』との認識を示し、今後1、2週間が急拡大するか拡大を抑えられるかの分かれ道になると強調した」のだとか。

Yahoo!ニュース
時事通信
行事自粛や自宅療養を 新型ウイルスの感染拡大を受け、専門家会議が緊急会見

「なに寝ぼけたこと言ってるの?」と言いたくるような記事です。もうとっくに「感染の連鎖」は起きているでしょう。また、「感染の急拡大」も誰の目にもあきらかでしょう。

ただ、何度も言うように、一般市民の検査が行われていないので、政府が発表する感染者数が実態を反映していないだけです。実際は、政府が発表する数の数十倍も数百倍も(もしかしたら、数千倍も)感染者がいるのは間違いないでしょう。新型コロナウイルスの検査能力が低いのも、感染者数を少なく見せるために、意図的にそうしているのではないかという声がありますが、今の政府の不正・改ざん・隠蔽の体質を考えれば、あながち的外れとは言えないように思います。

メディアで報道されている「新たな感染者」というのも、大半は感染者に「濃厚接触」した人たちで、言うなれば彼らは検査対象として「選ばれた人たち」なのです。一部に、感染経路が不明な“市中感染"の感染者もいますが、それはよほど症状が重篤なのかはっきりしているかで、狭き門をくぐってたまたま検査を受けることができた「運のいい人たち」なのです。

インフルエンザのように、どこの病院でも検査が受けることができるのなら、この国は、内閣のひとつやふたつが吹っ飛ぶどころではない、それこそ大パニックに陥るに違いありません。政府は、そうなることを恐れているのではないか。

気温が上昇すればウイルスの感染力が弱くなるので、それまで時間稼ぎをしているという見方がありますが、もしかしたら、専門家会議の「今後1、2週間」というのは、天気(気温)の見通しのことなのかもしれません。それくらい(文字通り、天に運を任せるくらい)、政府もお手上げの状態なのではないか。ダイヤモンド・プリンセス号の水際作戦のあのお粗末さが、なにより今の政府の無能ぶりを表しているのです。「バカっぽい」というのは、決して誹謗中傷ではないのです。

さすがに内閣支持率は急落しているようですが、それでもまだ40%前後の支持率を維持しています。私は、支持率は10%もないだろうと思っていたので、未だ40%前後の人たちが支持しているなんてとても信じられませんでした。彼らは、中学生レベルの漢字も読めない総理大臣や財務大臣に、逆に親近感を抱くような人たちなのかもしれません。こういう人たちには、なにを言っても無駄ではないのかと思います。

そんな40%の人たちを読者にする産経新聞には、次のような記事が出ていました。

産経新聞(THE SANKEI NEWS)
韓国の感染者763人、クルーズ船超え 死者は7人に

なんだか日本は韓国に勝ったとでも言いたげな、文字通り「バカっぽい」記事ですが、外国から見れば「目クソが鼻クソを嗤う」ような話にしか見えないでしょう。

こんな産経新聞のような姿勢をホントに「愛国」というのだろうかと思います。なんだか恥を晒しているような気さえします。「愛国」ではなく、「恥国」ではないのかと思ってしまいます。

同紙のサイトを見ればわかりますが、ここに至っても「韓国が・・・・」「韓国が・・・・」の記事のオンパレードです。その多くは、ネットのニュースと同じような“コタツ記事”です。経営不振に陥り全国紙の看板も降ろすような状態になってもなお、このあり様なのです。

まるでボロ隠しのように、自分たちの政府の不正・改ざん・隠蔽を覆い隠すことが「愛国」なのかと言いたくなります。

韓国と日本の感染者数に関して言えば、「モーニングショー」でコメンテーターの玉川徹氏が憤慨していたように、韓国の新型コロナウイルスの検査能力は「1日で5000件」で、検査済みの人も「2万6179人」もいるのです。一方、日本で検査済みの人は、「まだ千数百人」しかいないのです。

msn
サンスポ
玉川徹氏「日本が韓国以下の医療体制なわけがない、やってないだけ」新型コロナ検査の差に怒り

上記の記事が同じフジ・サンケイグループのサンスポの記事であるのはご愛敬ですが、そもそも検査済みの人数が違うのですから、感染者数に違いが出るのは当然で、それは子どもでもわかる話でしょう。むしろ、問題にすべきは、韓国の感染者数ではなく、日本のPCR検査の検査能力の低さ(検査済み人数の異常な少なさ)です。

韓国だけでなく、中国に至っては一日で2万件の検査が可能だそうです。一方、日本では一般市民が検査依頼しても、保健所からたらいまわしされた挙句、はじかれるのが常だそうです。どうして、日本は公的機関主導の検査にこだわり、民間で検査できないのか。”お役所仕事”の保健所を窓口にしたのも、なるべく感染者数を増やさないという”政治的配慮”によって、検査(検体数)をコントロールするためだったのではないか。それが、韓国や中国に比べて極端に検査済みの人が少ない理由ではないのか。そんな国民の疑問に答えるのがメディアの役割でしょう。

にもかかわらず、新型コロナウイルスの感染拡大さえも、牽強付会に“嫌韓”に結び付けることしか考えない産経新聞やフジテレビは、ネトウヨと同じで、もはや「ほとんどビョーキ」と言っていいかもしれません。その前に報道すべきことがあるだろうと言いたいけど、彼らには所詮馬の耳に念仏なのでしょう。

テレビで「ニッポン、凄い!」「あこがれのニッポンに行きたい!」と自演乙している間にも、世界各国から次々と日本への渡航自粛&日本人の入国禁止の処置が出ているのですから、マンガみたいな話です。

新型コロナウイルスで浮かび上がったのは、トンチンカンなこの国の姿なのでした。それもひとえに、産経新聞に象徴されるような、ボロ隠しと化した愛国ならぬ「愛国」がもたらしたものなのです。
2020.02.25 Tue l 社会・メディア l top ▲
昨日、健康診断に行きました。いつも行く病院の健診センターです。

採血の際、担当の看護婦から「エエッ、この年齢ホントですか?」といきなり言われました。「肌の艶なんか全然若いですね」と。おせいじなのかと思ったけど、その驚きようは演技とは思えません。健診のカードを見やりながら、「年齢が10歳間違っているんじゃないかと思いましたよ」と言ってました。心の中ではニヤニヤしながら、「でも、中身はボロボロですよ」と言ったら、「アハハハ」と笑っていました。

「そうか、10歳サバを読むのもアリだな」と思って、すっかり気を良くして次の体重測定に進みました。すると、今度は別の看護婦から「あれっ、前回より6キロも増えていますね」と言われました。前回(半年前)は、山に登り始めたということもあって、10キロ以上いっきに体重が減ったのでした。しかし、その後、体重が戻ってきたことは自分でも感じていました。糖質を控えるどころか、運動にはエネルギーのもとになる糖質が大事だということがわかり、逆に積極的に糖質を摂るようになったからです。

とは言え、やはり体重増加の現実を突き付けられるとショックでした。しかし、山に行く身でダイエットはタブーです。ダイエットしながら山に行くのは、眠らないで山に行くのと同じで無謀な行為です。

少し落ち込んだまま健診は終了し、最後はドクターの問診です。問診の際には、血液検査の結果についての説明もあります。ドクターは、検査結果の用紙を見るなり、「すごいですね」「すべてA判定です」と言いました。今までE判定やD判定だったLDLコレステロール(悪玉コレストロール)や中性脂肪(TG)や血糖値も、すべて正常値に戻っていました。

やはり、運動は大事なんだあ、とあらためて思いました。と言っても、平地でのウォーキングレベルではあまり効果は期待できません。私は、山に行く前から毎日1万歩前後は歩いていましたが、ダイエットはもちろん、健診の数値にもなんら変化はありませんでした。また、筋力や心肺能力にしても、「やらないよりはマシかも」といった程度です。同じ運動でも、ある程度身体に負荷がかかるくらいでないと効果は表れないのです。

問診を終えて、一転気分上々になっている自分がいました。病院から出たとき、思わず口笛を吹いてスキップでもしそうな気分でした。いつも山に行ってヘロヘロになり、山に来たことを後悔している自分はどこかに行っていました。さらには、再び「紅の豚」のような醜い身体に戻りつつある自分のこともすっかり忘れていたのでした。
2020.02.23 Sun l 健康・ダイエット l top ▲
池袋駅 06:04~07:00 飯能 07:45~08:36 河又名栗湖入口バス停 08:46~09:20 白谷沢登山口 09:20~12:15 棒ノ折山 13:05~14:40 滝の平登山口 14::40~14:45 河又名栗湖入口バス停

※登り:175分(休憩含む)
※下り:95分(休憩含む)
※山行距離:8.3 キロ
※山行歩数:23,000 歩
※交通費:3,471円

おととい(木曜日)、棒ノ折山に登りました。棒ノ折山は、東京都奥多摩町と埼玉県名栗村の境にある標高969mの山です。

棒ノ折山は、飯能の高校生を主人公にした「ヤマノススメ」というアニメに登場する山として有名で、そのため聖地巡礼(?)の若者の登山者が多い山でもあります。

埼玉側の登山口は名栗湖(有間ダム)にあり、ゴルジュ(狭い峡谷)を登る白谷沢コースは、特に人気のコースです。棒ノ折山は、標高が1000メートルも満たない低山ですが、標高差は700メートル強あり、結構登り応えのある山です。

山行時間だけで言えば、「初心者向け」と言えないこともありませんが、ただ、滑りやすい沢の中の岩歩きや、土が流出して段差ができた階段がつづいていたり、一面剥き出しになった木の根に覆われていたりとやっかいな急登もありますので、初心者だけで行くのはリスクがあると思います。ネットの「たいしたことない」自慢には、くれぐれも気を付けた方がいいでしょう。やはり、単独行の私が言うのもなんですが、経験者と一緒に行った方が安心だと思います。

飯能駅からは、登山口の最寄りのバス停に当たる「河又名栗湖入口」まで約50分バスに乗らなければなりません。尚、週末には「河又名栗湖入口」から数分のところにある「さわらびの湯」行きのバスが出ます。しかし、平日は本数が少ないので、時間帯によっては別の路線の「河又名栗湖入口」を利用しなければならないのです。

飯能駅に着いたのが思ったより早かったので、駅前の吉野家で、久し振りに「すき焼き御前」を食べました。朝からすき焼きとは「これ如何に」(なつかしいギャク)という感じです。

私は、前夜まったく寝ないで出かけたので、登りはじめからヘロヘロでやたら息が上がり、足が動きませんでした。沢歩きよりも、そのあとの急登の方がきつく、私にとっては苦行の山登りになりました。

ただ、前半の沢歩きは、子どもの頃を思い出してなつかしい気持になりました。子どもの頃、近所の友達とよく遊んだようなところを、この年になって登山と称し、重いザックを背負い、登山靴をはいて歩いているなんて、なんだか変な感じもしました。しかも、子どもの頃は平気だったのに、今はぜぇーぜぇー言いながら歩いているのですから。

バス停には7~8人くらいが並んでいましたが、登山客は、夫婦とおぼしき40代くらいの男女とやはり30代後半くらいのソロの男性の3人だけでした。

「さわらびの湯」のバス停にもトイレがあるようですが、「河又名栗湖入口」の近くにも、ご丁寧にも登山客のための休憩所とトイレがありました。あとで考えれば、下山した際の道沿いにありますので、下山時に利用するために造られたのかもしれません(衣類を干すポールまでありました)。登る準備をするために休憩所に行くと、同じバスで来たソロの男性もベンチに座って準備をしていました。

私は、山に行くと異常に愛想がいいので、「こんにちわ」「棒ノ折山は初めてですか?」と話しかけました。しかし、男性の反応は「ハァ?」とつれないものでした。意外な反応に、休憩所は嫌な空気になりました。あわてた私は、「あっ、私も初めてなので‥‥」とどうでもいい言い訳をしたりして、よけい気まずい空気にしてしまいました。もちろん、腹の中では「なんだ、こいつは?」と悪態を吐いている自分がいました。「いい歳して挨拶もできないのか」と思いました。

ところが、棒ノ折山の山頂では、男姓の違う一面を見ることになったのでした。

山頂にいると、次のバスで来たとおぼしき若い女性の二人組が登って来ました。若いと言っても、山ではありがちですが、30歳は優に超えています。すると、山頂の端にいた件の男性が、やにわに立ち上がって山頂をウロウロしはじめたのでした。そして、徐々に女性の方に近づいて行くではありませんか。あきらかに女性が目当ての様子です。

山頂ではよくあることですが、女性から「カメラのシャッターを押してもらえませんか?」と声をかけられるのを待っているのかもしれません。最近、山頂で山ガールと知り合って一緒に下山するナンパが一部で流行っているそうなので、それを狙っているのかもしれません。

私は、東屋の中で、登る途中で知り合った二人のおっさんと昼食を食べながら、山の話をしていました。ひとりは60歳を超えたばかりで、棒ノ折山には100回以上登っているというツワモノで、都心の高層ビルの26階にある勤務先のオフィスには、毎日エレベーターを使わずに階段を歩いて上っているそうです。他にジョギングもしているとかで、同じ“山好き”でも自分とは桁違いのレベルの人物です。

もうひとりは、50歳のトレランのランナーで、練習のために登ってきたそうです。体脂肪率を訊いたら、「測ったことがないのでわからない」と言ってましたが、見るからにアスリート向きの筋肉質の体形をしていました。「すごい体形していますね?」と言ったら、「でも、メタボでトレランしている人の方が、逆にすごいと思いますよ」と言っていました。彼に教えてもらったトレランのサイトを家に帰ってから見てみました。そして、サイトに掲載されている大会日程を見て、私はびっくりしました。毎月、日本各地でこんなに大会が行われているのかと思いました。

TrailRunner.jp
トレイルランニング大会情報

トレランに対しては、裸地や植生の問題で懸念の声も大きいのですが、今やトレランは一大ブームになっているのです。

私が、不愛想な男を目で追いながら、「なんだ、あの男、ただの女好きだったんだ」と言ったら、「どうしたんですか?」と訊くので、登る前の休憩所でのいきさつを話しました。すると、「ああ、そういう男は山にはよくいますよ」「山で会う人間は善人が多いと思っている人が多いけど、山でも街でも同じですよ」と二人は口々に言っていました。「だから、女性がひとりで山に登るのは、ある意味すごいことですよ」と。

そもそも山登りが趣味の男が女性にモテるわけがないのです。「山ガール」はメディアが作ったイメージにすぎません。そのことがわかってないという点でも、ナンパ目的で山に来る男は(私から言わせれば)”変態”です。

ナンパではないですが、山にも”変な人間”はいます。以前、登山口近くまで下山したときでした。前から見るからに「変な人間」が登って来ました。挨拶しても返事はありません。「なんだ、挨拶もできないのか」と思いながらすれ違いました。ところが、気が付くと、いつの間にか男がUターンして私のあとを付いて来ていたのです。私は、嫌な予感がしました。それで、地面にあった拳大の石を拾いました。後ろから襲われたら、石で反撃しようと思ったのです。しばらくそんな緊張した状態がつづきましたが、足音が聞こえなくなったなと思ったら、どこに行ったのか男の姿が消えていました。

奥多摩では、実際に登山者が山中で襲われる強盗事件があったそうです。前も書きましたが、山には泥棒もいます。効率は悪いかもしれませんが、強盗だって性犯罪だってないとは言えないでしょう。おっさんたちが言うように、「山でも街でも同じ」なのです。

女性たちは、自分たちのまわりをうろつく男に何かを察したのか、わざわざ私たちの方にやって来て、「すいません、写真を撮ってもらえませんか?」と言うのです。それで、ツワモノのおっさんが、山頂標識の前で、慣れないスマホの操作に戸惑いながら、ピースサインをしている二人の写真を撮っていました。

今は山に行ったあとに、ヤマレコやヤマップのような山行記録を共有するサイトに自分の記録をアップする人間も多く、山頂で会った時間をヒントにすれば、あのときに会った人間がアップしたのだということがすぐわかります。私の経験でも、結構人物が特定できるケースが多いのです。中には、私のことに触れている記録もありました。と言っても、挨拶したとか写真を撮ってもらったと言った程度ですが。

山行記録を見ると、山では不愛想で嫌な感じだった人間が、ネットでは反対に明るいおちゃらけな感じでコメントを書いている場合が多いのです(と言うか、ほとんどそうです)。私の知る範囲では、山行記録のサイトに書き込みをしているのは40代~50代が多く、ヤマレコよりヤマップの方が若い感じです。

共有サイトでは、男性に比べて女性の書き込みの方が「いいね」の数が多いのが普通で、中でも書き込んだ本人が映っている写真(目隠しをしているけど)が添付されていると、「いいね」が異常に多くなる傾向があります。なんのことはない、山行記録の共有サイトは、いい歳したおっさんたちが、「友達リスト」などを利用して、出会い目的で使っている一面もあるのです。共有サイトで自己承認を求めたり自己顕示欲を満足したりする心性のさらに奥に、そういったもうひとつの欲望が伏在していることも忘れてはならないでしょう。もっとも、サイトを運営する側からすれば、そんな(ネット特有の)”要素”を入れないとアクセスを稼げないという事情もあるのでしょう。

下りでは、一般的に下り専用で使われているコースを歩いたので、誰にも会いませんでした。2時間足らずのコースでしたが、木の根が剥き出しになった急坂がつづいたということもあって、やたら長く感じました。それどころか、途中で寝不足のために意識朦朧と言ったらオーバーですが、やや意識が散漫になって、霜が融けたドロドロの地面に足を取られ2メートルくらい滑り落ちました。片方のトレッキングポールは衝撃で折れて、下まで落ちて行きました。サックやズボンが泥だらけになり、泣きたいような気持になって、しばらくその場に座り込んでいました。

自分ではいつまでも若いと思っているけど、身体は正直なのです。眠らないまま山に行くなど、無謀以外のなにものでもないでしょう。

下りたあと、休憩所の洗面所でタオルを濡らし、泥を落としてからバスに乗って帰りました。さわらびの湯にも寄らないままでした。

帰りのバスは途中の東飯能駅で降りて、いつものように東飯能から八高線で八王子、八王子から横浜線に乗り換えて帰って来ました。電車の中では、幸いにも座ることができたので、ずっと爆睡していました。



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河又名栗湖入口バス停

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看板の左側の橋を渡って行く。

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橋を渡った先にある休憩所とトイレ

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さわらびの湯の前を通り、坂道を登って行くと有間ダム(名栗湖)。

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ダムの周遊道路をしばらく進むと、登山口(白谷沢登山口)がありました。

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最初はこんなおだやかな登山道

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沢に近づくと徐々に岩が多くなる。

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渡渉

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沢歩きが始まる。

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何度も渡渉する。

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最初のゴルジュ

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上から振り返る

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滝の横を登って行く。

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次のゴルジュ

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ゴルジュの先には鎖場

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鎖場は、二~三歩腕を使って登らなければならない箇所がありますが、あとは足を掛けるところがあります。

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鎖場を上から見下ろす

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とは言え、足を滑らせると危険です。

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沢歩きも終わりで、沢から岩を登って行く。

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林道沿いの休憩場所に出ました。ここから「心臓破りの急登が始まる」と書いていたサイトがありましたが、その言葉に偽りはありませんでした。ここで途中で会った人と30分近く話し込みました。

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一旦「岩茸石」というポイントに着きます。

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さらに急登がつづく。土が流れ出た階段は落差が大きく、とてもまともに歩けません。

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今度は異様に張り出した木の根の上を歩く。

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山頂

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山頂の広場

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山頂標識

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山頂は、北東側がひらけています。奥武蔵、栃木(谷川岳や日光)、茨城(筑波山)の山が同定できます。

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下山開始。滝ノ平尾根コースを歩きます。

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「岩茸石」まで戻り、今度は岩の横に回り込んで下山ルートを進みます。

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棒ノ折山は、ほかにもいろんな呼び方があります。「棒ノ嶺」と書かれた古びた案内板。

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名栗湖が見える。

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下りでは、階段と木の根がやっかいです。
ネットの書き込みに、下山が大変だったという話がないのが不思議です。棒ノ折山のポイントは、ゴルジュだけではないのです。ヌカザス尾根のように距離は長くないけれど、急坂の下りも大きなポイントです。

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2020.02.22 Sat l 山行 l top ▲
新型コロナウイルスは、拡大の一途を辿っています。私たち日本人にとっても、新型コロナウイルスが「対岸の火事」「所詮は他人事」でなくなったのは、もはや誰の目にもあきらかでしょう。

まさに「バカっぽい」ということばがピッタリするような、幼児性丸出しの世襲議員が支配するこの国で(北朝鮮のことは笑えない)、まともな対応ができるんだろうか、私たちが今置かれている状況について、ホントのことを知らされているのだろうかという不安が常にあります。メディアが伝えるニュースも、どこも右へ倣えしたようなものばかりで、政府から発信される情報をただオウム返ししているだけです。

ニューヨーク・タイムズ紙は、ダイヤモンド・プリンセス号の日本政府の対応について、公衆衛生の危機管理において「『こうしてはいけない』と教科書に載る見本」のようだという専門家の辛辣な声を紹介した上で、「政府は一貫した情報を発信できておらず、検疫への信頼感を損なっている」(共同)と伝えていたそうです。また、ロシア外務省のザハロワ報道官も、「日本の対応はカオスで場当たり的だ」と批判したそうです。日本政府の対応は、ダメな見本だと言われているのです。

私も前に書きましたが、政府の対応は、素人目にも「場当たり的」に事態を後追いしているだけにしか見えません。しかし、日本のメディアで、政府の対応を正面から批判する姿勢は皆無です。菅官房長官の定例記者会見でも、政府の対応を追及する記者は誰もいません。当たり障りのない質問をするだけです。

そんな中で、日本においても、感染者と「濃厚接触」していない市民が感染する“市中感染”の実態が、徐々にあきらかになってきています。もっとも、感染経路が不明な“市中感染”は、ずっと前から発生していたのは間違いないのです。僭越ですが、私も先週(2/6)の記事で次のように書きました。

聞くところによれば、日本を旅行して帰国したタイの女性が帰国後感染していることがわかったそうです。これは、クルーズ船がどうのというレベルではない大きなニュースだと思いますが、メディアはほとんど報道していません。これが事実なら、旅行者が感染するくらい既に日本国内に新型コロナウイルスが蔓延していることになるのです。

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新型コロナウイルスの不思議


ここで忘れてはならないのは、新型コロナウイルスの検査能力は、一日に300~500件くらいしかないということです。政府は、それを1500件くらいまで増強する体制を早急に整えると言っています。インフルエンザのように、病院に行けば誰でもすぐに検査を受けられるわけではないのです。だから、厚労省も、感染の心配があってもすぐに病院に行かずに、まず厚労省や保健所の電話窓口に電話して相談してほしいと呼び掛けているのです。病院に行っても検査を受けられないからです。

検査のキャパを考えれば、感染者と「濃厚接触」した人間を優先的に検査するのは当然ですし、そうすれば感染経路が明らかな感染者ばかり出て来るのも当然です。

事実上、一般市民の検査が不可能な状況を考えれば、自覚症状のない人も含めて、感染者が今の10倍も100倍も、あるいはそれ以上いると考えてもおかしくないでしょう。むしろ、“市中感染”は常識とさえ言えるのです。

でも、政府もメディアもそういったことは言いません。あたかも、感染があきらかになった人たちの周辺にだけウイルスが存在しているかのようなイメージをふりまくだけです。中国の感染者は、公表された数字の10倍から20倍いると言われていますが、それは日本も同じなのです。「水際作戦」なんて最初から絵に描いた餅だったのです。

新型コロナウイルスが蔓延している隠しようのない(!)現実が、これから白日の下に晒されることになるでしょう。「所詮は他人事」で中国人ヘイトするしか能のないネトウヨだって、いつ感染するかもしれないのです(いや、既に感染しているかもしれないのです)。もちろん、私たちだって同じです。

検査を受けることができれば、私たちのまわりでも次々と感染者が出て来るのは間違いないでしょう。検査能力が低いので、それをいいことに、少ない数字で誤魔化されているだけです。

若者や体力がある人は、発症しても自然治癒したり軽症で済むかもしれません。重症化する懸念があるのは、体力のない高齢者や免疫が低下する抗がん剤などを服用している人、糖尿病やぜんそくなど基礎疾患のある人、喫煙者などだそうです。専門家のそういった指摘は、今後の事態の深刻さを予見させます。仮に1千万人発症して、その1%が重症化しても10万人です。

韓国の民間団体が、福島の原発事故をヤユして防護服を着た聖火ランナーをデザインしたポスターをネットに掲載したことに対して、菅官房長官やネトウヨが猛反発していましたが、長引けばホントに防護服を着て走らなければならないような状況が出てくるかもしれません(そうなる前に政府は終息宣言を出すでしょうが)。

もとより、私たちだってそんなに頭が良いわけではないし、国民の平均像も、間違っても優秀と言えるようなレベルではないでしょう。だから、国民にとって、バカな総理大臣の方がわかりやすく、ノリやすいという面はあるでしょう。しかし、国の指導者は、やはりバカでは困るのです。ましてや、平気で嘘を吐くような人間ではお話にならないでしょう。

前も取り上げましたが、下記のような記事が安倍政権の本質を突いているような気がします。

NEWSポストセブン
安倍内閣は立場弱い者に居丈高 根底に学歴コンプレックスか

隠蔽や改ざんは今の政府の”得意技”ですが、それも”魚の頭”が嘘ばかり吐くからでしょう。隠蔽や改ざんが、文字通り”総理大臣(夫妻)の嘘”を整合させるために行われているというのは、今や平均以上の国民なら誰でもわかっていることです。”安倍一強”のプチ独裁体制によって、そんな犯罪的な行為が正当化されているのです。権力を監視するはずのメディアが、逆に御用聞きのようになっているのも”安倍一強”ゆえでしょう。メディア全体が、フジ・サンケイグループ化しているのです。これでは、しっぽの先まで腐るのは当然でしょう。

私たちは、ホントのことを知らされないまま、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客のように、災禍が我が身にふりかかるのをせいぜい手洗いとうがいをしながら、待つしかないのかと思います。子どもじみた「バカっぽい」政府を持ったのは私たちの責任で、自業自得と言われればそうかもしれませんが、なんだかすべてが手遅れになりつつあるような気がしてなりません。


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2020.02.16 Sun l 社会・メディア l top ▲
池袋駅07:30(特急レッドアロー号)~08:59西武秩父駅09:10~10:25三峯神社10:30~12:00妙法ヶ岳12:30~13:40三峯神社15:30~16:45西武秩父

※登り90分 下り70分
※山行距離 4.5キロ
※山行歩数 13000歩
※交通費 5094円

秩父の妙法ヶ岳(1332m)に登りました。妙法ヶ岳は、三峯神社の奥の院(奥宮)がある山です。

前回の御前山のミスを繰り返さないために、今回はカメラのメモリーカードを二枚(一枚は予備)持って行きました。山に行くときは万一のことを考えてスマホを2台持って行った方がいいんじゃないかと思っているほどの”予備がないと不安症候群”の私としては、前回は痛恨のミスと言うしかありません。未だそのショックを引き摺っていますので、今回は何度もカメラを開いてメモリーが入っていることを確認しました。

ホントは奥多摩の六ッ石山に行く予定だったのですが、朝の出発が遅くなったので、予定を変更して妙法ヶ岳に行くことにしたのでした。

六ッ石山に登るには、遅くとも奥多摩駅から8時台のバスに乗らなければなりません。それには、新宿から6時台の電車に乗る必要があります。ただ、それでも、日没を考えると時間的にタイトなのでした。また、前夜に六ッ石山が奥多摩三大急登のひとつに数えられていることを知って、あまり寝ていないので尻ごみしたということもあります。

池袋駅7時30発の特急(レッドアロー号)に乗って秩父に行きました。秩父駅から三峯神社までは、さらにバスで1時間15分かかります。三峯神社に着いたのが10時半近くでした。ただ、妙法ヶ岳までは非常に近くて、往復でも3時間もかかりません。

三峯神社に関連して、三峰山(みつみねさん)という山名をよく耳にしますが、三峰山という単独の山はありません。三峰山というのは、妙法ヶ岳・白岩山・雲取山の三つの山の総称です。それにも、関東周辺の神社あるあるの日本武尊(ヤマトタケルノミコト)神話が関係しているのでした。

三峯神社も、日本武尊神話に基づいて創建された神社です。日本武尊を祭神として崇め、狛犬の代わりに狼が守護神という点も、青梅の御嶽神社(武蔵御嶽神社)などとまったく同じです。

日本武尊神話というのは、蝦夷(東日本)や熊襲(九州)など日本列島の原住民を「征伐」(討伐)して日本列島を支配せんとした、渡来人由来の天皇制権力を神話化したものにほかなりません。

狼が守護神なのは、東国征伐した日本武尊が武蔵の山に立ち寄った折に、狼が案内したからだそうです。その際、日本武尊が目の前にそびえる妙法ヶ岳・白岩山・雲取山の絶景に感銘して、三山を三峰山と命名したのだとか。ホンマかいなという話です。

中世のヨーロッパでは、山には悪魔が住んでいると言われたのですが、アフリカやラテンアメリカやアジアなどの農耕社会では、山に神が住んでいるという”山岳信仰”が総じて見られます。それは、大いなる自然を畏怖する古代人の観念の発露であって、“絶景”もそのひとつなのでしょう。絶景に感銘したのは、日本武尊ではなく当時その地域に住んでいた人々なのです。

妙法ヶ岳は、山行時間の短い”お手軽な山”ですが、しかし、山頂直下は岩場で、階段や鎖場もありました。また、途中、北側の斜面をトラバースする道には雪が残っており、しかも、ところどころ凍結しているので、安全に歩くにはアイゼンが必要でした。人がやっとひとり通ることができるような狭い道なので、滑って転ぶと斜面を滑落する危険があります。

”お手軽な山”だけに、大山などと同じように、三峯神社を訪れた観光客がついでに登るケースが多いのか、三峯ビジターセンターでもしつこいくらい警告を発していますが、しかし、登山の装備をしていない軽装で妙法ヶ岳に登る人が後を絶たないのが現実のようです。ネットでも、途中ですれ違った軽装の登山者に注意したという話がいくつも出ていました。

ただ、軽装で妙法ヶ岳に登るのは、「ついでに登る」人だけではないようです。奥の院の祠に説明文がありましたが、奥の院の御朱印は、奥の院=妙法ヶ岳に登らないと貰えないそうです(どう証明するのか知らないけど)。そのため、御朱印マニアなどが無理して登っているのかも知れません。なんのことはない、危険な軽装登山には三峯神社が一枚かんでいたのです。無粋な話ですが、ビジターセンターは、危険な登山に警鐘を鳴らす前に、三峯神社にクレームを入れるべきでしょう。

山頂に登って、奥の院をカメラで撮影していたら、後ろから女性が登って来ました。登る途中は誰とも会いませんでしたし、ときどき後ろを見ても下から登ってくる人影はなかったので、なんだか突然現れた感じでびっくりしました。40代くらいの暗い感じの女性で、街でよく見る白っぽいコートに黒い革靴のようなものを履いていました。スニーカーですらないのです。そんな恰好でよくあの雪道を歩いて来たなと思いました。

私は、山では愛想がよくて、誰でも気さくに話しかけるのですが、女性はそんな私でさえ話しかけずらい雰囲気を漂わせていました。私は、お参りを済ますと、山頂から一段下がったところにあるベンチに腰を降ろして、行動食のチョコレートを食べながら、目の前に広がる奥秩父の山々を眺めました。女性は、祠の後ろに行ったのか姿が見えません。妄想癖のある私は、まさか身投げするんじゃないだろうなと思いました。しかし、どうでもいいやと思いました。30分くらい休憩して下りたのですが、その間、女性の姿は見えないままでした。

下る途中では、おじいさんと孫とおぼしき男性の二人組とすれ違いました。二人ともリュックも背負ておらず、木の枝を杖代わりに持っていました。足元を見ると、普通のスニーカーです。それで、私は、途中150メートルくらい雪道があり、スニーカーでは滑って危ないですよと言いました。また、山頂直下の岩場のことも話しました。でも、「そうですかぁ」「参ったなぁ」と言うだけで、そのまま登って行きました。

なんだか登山の恰好をしている自分がバカみたいに思えてきました。しかし、臆病な私には、彼らの安易さはとても考えられません。山で遭難すると、事情がわかってないネットの「バカと暇人」が、「税金を使って」「迷惑をかけて」という常套句を使って、遭難者に罵声を浴びせるのが常ですが、軽装で安易に山に登る人間と運悪く遭難した登山者を一緒にしないでくれと言いたいです。

もっとも世の中には、山だけでなく、下界でも理解に苦しむ人間は多いのです。朝、池袋駅で特急電車を待っていたときのことでした。西武の池袋駅では、特急電車だけホームが別になっており、私は、特急用のホームに設置されている待合室で、出発を待っていました。到着した特急電車からも、多くの通勤客が降りてきました。特急だと座席が指定され座って来ることができるため、埼玉の奥から通勤するのに特急電車を利用する人も多いのでしょう。

電車から降りた乗客は、待合室の前を通って改札口に向かうのですが、一部の客が待合室の自動ドアを開けて中に入って来るのです。そして、空いた椅子に座るとそのまま目を瞑ってい居眠り(?)を始めるのでした。それもひとりやふたりではありません。空いている椅子がすべて埋まるくらいやって来るのでした。みんな、椅子に座るや決まって目を瞑るのでした。

私は、なんだかとても奇妙な気がしました。早く会社に行けばいいのにと思いました。そして、わけもなく”気持の悪さ”を覚えてなりませんでした。サラリーマンの頃、池袋駅で乗り換える際、駅の通路にある本屋で立ち読みをしている人たちを見るたびに、朝っぱらから立ち読みしているこの人たちは一体何なんだろうと思っていましたが、それを思い出しました。

妙法ヶ岳から下りたあとは、せっかくなので三峯神社に参拝しました。社殿の鮮やかな色使いに、私は朝鮮や中国などの神社仏閣を連想しました。三峯神社に行くバスの中では、神社の謂れを日本語と英語と中国語で説明するテープが流れていましたが、しかし、新型コロナウイルスの影響なのか、中国人観光客は見事なほどひとりも乗っていませんでした(と言うか、外国人観光客はひとりも見かけなかった)。もし、中国人観光客が三峯神社の社殿の色使いを見たら、「なぁんだ、オレたちと同じじゃん」と思ったことでしょう。このように、三峯神社でも、”日本的なもの”が実は中国的であり朝鮮的であるということにあらためて思い至ったのでした。

お参りしたあと、境内の茶店でわらじカツ丼を食べました。同じわらじカツ丼でも、秩父駅のフードコートのものと違って美味でした。しかし、なぜか食欲がなくてやっとの思いで完食しました。このところずっと胃の調子が悪く、胃薬ばかり飲んでいるのですが、私は自他ともに認める大食漢で、今まで「やっとの思いで完食した」ような経験がなかったので、少なからずショックを受けました。

それにしても、秩父は遠いのでした。妙法ヶ岳から下りたのは午後1時すぎなのに、帰宅したのは午後8時をすぎていました。妙法ヶ岳から雲取山への縦走路の途中にある霧藻ヶ峰までは往復2時間弱で行けるので、余裕があれば足を延ばそうかと思っていたのですが、行かなくて正解でした。ちなみに、雲取山までは三峯神社から6時間くらいかかります。雲取山にも登りたいけど、現実的には三峯神社からの日帰りは難しいのでした。

帰りは、いつものように西武秩父から東飯能で八高線に乗り換え、八王子からさらに横浜線に乗り換えて帰ってきました。


※何度も恐縮ですが、サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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駐車場
以前はロープウェイがありましたが(私はロープウェイが廃止になったことを知りませんでした)、今は1時間に1本のバスか車で来るしかありません。

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駐車場から見える奥秩父の山塊

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三峯ビジターセンター
写真に映っている人たちは、三峯神社に向かう人たちです。
妙法ヶ岳や雲取山に行くには、逆方向(手前)に進みます。

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三峯神社神領民家
三峯神社の神領の旧三峰村にあった民家を移築したもの。

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2000メートル級の山が連なる奥秩父の山塊
登山者あこがれの風景です。

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最初の鳥居
奥の院まで4つの鳥居をくぐらなければなりません。

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登山届投入箱

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軽装登山に対する警鐘

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ここから登山道に入ります。

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二つ目の鳥居

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妙法ヶ岳と雲取山方面の分岐
雲取山まで9.4キロ!

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ここが問題のトラバースの道

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三つ目の鳥居

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四つ目の鳥居

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山頂が近くなると、岩場に入ります。

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階段も始まります。

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注意書きがやたら多い。

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山頂直下の石段

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最後に鎖の付いた一枚岩を登ります。上から見たところ。

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奥の院(奥宮)の石祠

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白石山(その奥が雲取山)

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ここにもやむごとなき登山の痕跡が・・・・。

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いつかあの嶺を歩きたい。

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山頂直下の鎖場を下から見上げる。

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三峰神社の三ツ柱鳥居

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遥拝殿
正面にあるのが奥宮(妙法ヶ岳)
遥拝殿は、旧表参道を登り詰めたところにあります。

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遥拝殿から奥宮を遥拝する。
正面の突端が先程までいた妙法ヶ岳の山頂。

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三峯神社本殿

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西武秩父駅

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駅にある温浴施設・祭りの湯(宿泊も可)
9月27日から2月16日まで、露天風呂が「別府の湯」だそうです。でも、その仕組みがよくわからない。お湯を九州から運んで来るのか? それともバスクリンのようなものを入れるのか?
2020.02.12 Wed l 山行 l top ▲
やれやれ、今度のターゲットは鈴木杏樹のようです。鈴木杏樹を叩く“最低の世論”とそれに媚を売るメディアは、(いつも言ってますが)常軌を逸しているとしか思えません。

相模ゴム工業のアンケートだけでなく、(前も書きましたが)はるか昔に総理府だったかが「有職既婚女性」に対しておこなった調査でも、半数以上が「婚外性交渉」の経験があるという結果が出て、一時話題になったことがありました(調査対象の年齢層など細かいことは忘れました)。それは、金妻や失楽園のはるか前のことでした。

私たちのまわりでも、あるいは自分自身の胸に手を当てて考えてみれば、「不倫」が当たり前の現実があることは誰でもわかっているはずです。文藝春秋社の社員だってテレビ局の局員だって、実際に「不倫」をしている人間も、あるいはチャンスがあれば「不倫」をしたいと思っている人間も多いはずです。もとより、男と女が惹かれ合うのに、「不倫」もクソもないでしょう。恋愛に良いも悪いもないのです。たとえ「遊び」であってもです。

ネット民たちが、非モテのうっぷん晴らしで「不倫」を叩いているのはある程度想像できます。愛知トリエンナーレの電凸と同じように、ネトウヨ化した中高年のひきこもりが、ここでもまた中心的な役割を果たしているのかもしれません。でも、いちばん問題なのは、既存メディアがそんな“最低の世論”の片棒を担いでいることです。

今日のワイドショーでも、司会の坂上忍が、鈴木杏樹が千葉の海岸でデートしたあと、みずから運転する車でラブホに入ったことに対して、「あまりにも生々しすぎてショックでした」と、如何にも役者らしい大仰なもの言いでコメントしていました。

このようにテレビは、手っ取り早く視聴率を稼ぐために、頭の中は空っぽなのに口だけ達者な芸能人に “道徳ズラ”させて、“最低の世論”に媚を売るのでした。

一方、同じ「不倫」でも、大御所の芸能人はあっさりとスルーされるのでした。ビートたけしが再婚した相手の女性とは、誰もが知る「不倫」でした。しかも、その前もグラビアアイドルと「不倫」していました。たけしが愛人にそそのかされてオフィス北野から「独立」した際、愛人と愛人の犬の名前の頭文字を新しい事務所名に付けて色ボケぶりを晒したのですが、しかし、たけしは、愛人ではなくビジネスパートナーだと強弁していました。それがミエミエの嘘であることはみんなわかっていました。しかし、芸能マスコミの中でそれ以上の追及を行うところはありませんでした。

「不倫」三昧のたけしは、「不倫」などどこ吹く風でふんぞり返って大口を叩き(ときにはニュース番組で「道徳」を説き)、ベッキーや唐田某や鈴木杏樹は番組を降板させられるのです。なんと理不尽な話だろうと思わずにはおれません。

女性芸能人が「不倫」したら、どうして「略奪愛」と呼ばれ、まるで犯罪者のように悪罵を浴びせられるのか。昔から色恋が「芸の肥やし」と言われたのは、男性芸能人だけでした。女性芸能人は、ふしだらな女と石を投げられたのです。

でも、そうやって女性に「貞操」を求める一方で、実際は働く女性の半分以上が「不倫」を経験しているのです。フェミニストの小倉千加子は、「女はすべて外見」がフェミニズムの「最終回答」だとあえて身も蓋もないことを言ったのですが、「モテる」「モテない」という暗黙の基準を考慮すれば、(仕事を持っていて)異性にモテる女性にとって、「不倫」はめずらしいことではないのです。

「不倫」はあくまで夫婦間の問題にすぎません。相手の喜多村某が家庭内で処理すべきことで、「まったく」とは言わないけど、鈴木杏樹には関係のない話でしょう。

私は、女性が50歳になってもなお、恋する気持を忘れずに、好きな人を思い胸を焦がすのは、むしろすばらしいことだと思います。女優としても、文字通り「芸の肥やし」になるでしょう。鈴木杏樹が「不倫」していたことを知って、逆に彼女の魅力を再発見したファンも多いはずです。それに、50歳の女性が恋をすれば、(ここでも「モテる」「モテない」の暗黙の基準を考慮すれば)相手に既婚者の割合が高くなるのは仕方ないことでしょう。

鈴木杏樹に比べて、厚労省の役人(文字通りの上級国民)が税金を使って「不倫」旅行をしたことに対しては、何故かメディアも国民も腰が引けています。ワイドショーでも、鈴木杏樹の10分の1も時間を割いていません。たけしのときと同じように、見て見ぬふりをしようとしているかのようです。ここにも、官尊民卑のこの国のヘタレな体質が出ているような気がしてなりません。要するに、芸能人の「不倫」は、叩きやすいところを叩いているだけなのです。

また(蛇足を承知で言えば)、「不倫」を叩く”最低の世論”の背後に、杉田水脈の”生産性発言”に象徴されるような、「伝統的家族」という戦前回帰の思想が伏在していることも忘れてはならないでしょう。
2020.02.08 Sat l 芸能・スポーツ l top ▲
新型コロナウイルスに関しては、「中国から迷惑をかけられている」みたいな報道ばかりですが、横浜に停泊するクルーズ船への対応を見てもわかるとおり、(厚労省の担当者が省内不倫で忙しいからなのか)政府の対策が場当たり的で後手にまわっているのは否めない事実でしょう。しかし、メディアも国民もみんな「自分たちは被害者」の立場を共有しているため、政府の対応に対して批判の声はほとんど聞かれません。

聞くところによれば、日本を旅行して帰国したタイの女性が帰国後感染していることがわかったそうです。これは、クルーズ船がどうのというレベルではない大きなニュースだと思いますが、メディアはほとんど報道していません。これが事実なら、旅行者が感染するくらい既に日本国内に新型コロナウイルスが蔓延していることになるのです。

それにしても、突然降って沸いたように発生し瞬く間に蔓延した新型コロナウイルスですが、どうして突然なのか、不思議な気がしないでもありません。

過去にも、中国の広東省で、同じコロナウイルスのSARSが発生していますが、感染経路等は今回の新型コロナウイルスと酷似しているそうです。新型コロナウイルスも、変異をくり返しながら、SARSと同じ哺乳類のコウモリからハクビシンを媒介にしてヒトに伝搬したと言われています。感染経路がまったく同じというのも気になります。

まあ当たり前の話ですが、ウイルスは、その性質上、宿主の生物が死ぬと自身も死滅するそうです。しかし、発生源の武漢の食肉市場では、野生のハクビシンが生きたまま売られていたために、市場関係者が感染し、そこから広がったと言われています。奥武蔵(埼玉)の山でも、ハクビシンが異常繁殖していて、駆除しても追いつかず、罠を仕掛けたら1週間に10匹以上かかったと地元の人が言っていましたが、実際に私も山行中に何度もハクビシンに遭遇しました(箱根の金時山に登っていたときも、前を横切って行った)。中国ではあんな猫のような狸のような動物が食されていたと知って、さすが中国人だなと思いましたが、何と日本でも、シビエと称してハクビシンの肉を食べる人たちがいるそうです。中国も日本も同じなのです。

もちろん、中国でハクビシンを食べていたのは武漢だけではないはずです。なのにどうして感染源が武漢なのかという疑問も残ります。

中国共産党が初動の対応の遅れを認めて謝罪したのも、プロレタリアート独裁の建前を掲げ無謬神話で権威付けられた絶対党では考えられない珍事でした。そこには、なにか切羽詰まった政治的な事情が伏在していたのではないかと勘繰りたくなりました。

アメリカと中国は、次の覇権をめぐって見えない戦争を行っています。それは、ファーウェイ副会長の逮捕や貿易摩擦などを見てもわかるとおり、熾烈を極めています。戦争なのですから、「なんでもあり」なのは当然でしょう。

まして、アメリカは“狂気”が支配する国です。今年の11月には再び大統領選挙が行われますが、トランプ大統領は前回の選挙のときは泡沫候補でした。それが、ヒットラーと同じように、大ドンデン返しの連続で大統領の階段を上って行ったのでした。それは、誰もが予想しなかったことでした。そして、アメリカは常識が通用しない“狂気”が支配する国になったのでした。

ウイルスの蔓延というのは、昔から陰謀説の恰好のターゲットですが、突然降って沸いたように発生した新型コロナウイルスの蔓延は、ホントに自然発生した公衆衛生上の問題なのだろうか、とどうしても思ってしまうのでした。
2020.02.06 Thu l 社会・メディア l top ▲
武蔵小杉駅05:19~06:01立川駅06:12~07:30奥多摩駅07:38~07:44境橋バス停07:50~12:25御前山12:37~15:20境橋バス停15:35~15:45奥多摩駅

※登り3時間55分 下り2時間40分
※山行時間6時間35分
※歩行距離11キロ
※歩数31,154歩

御前山(1405m)に行きました。奥多摩三山にこだわったわけではないのですが(奥多摩三山で、御前山だけ登ってなかった)、奥多摩でそれなりの標高があり、日帰りが可能な山を考えたら御前山しか浮かばなかったのです。

実は、昨日行く予定にしていました。夜、準備をして寝たのですが、何故か朝起きるのがおっくうになり、再び寝てしまったのです。

それで、今日に予定を変更したのでした。早朝5時前に家を出て、東横線の始発電車に乗りました。今回はいつもと違って、武蔵小杉から南武線に乗って立川経由で行くことにしました。

始発電車であるにもかかわらずホームには結構な人が電車を待っていました。武蔵小杉からの南武線も、8割くらい座席が埋まっていました。

立川からは青梅線に乗り換えて終点の奥多摩まで行きます。車内放送で、到着ホームの反対側から10分後に「奥多摩行き」が出発しますと案内していました。しかし、反対側のホームに停まっていたのは「青梅行き」でした。ただ、ホームの電光掲示板には、10分後の「奥多摩行き」も表示されています。でも、肝心の電車がどこにも停まっていません。「青梅行き」のあとに到着するのかと思いましたが、「青梅行き」はいっこうに出発する様子はなく、「奥多摩行き」の発車時刻がせまるばかりです。

なんだか狐に摘ままれたような感じで、私は焦りはじめました。それで、開店準備をしていた立ち食い蕎麦店の女性に、「このホームから奥多摩行きが出る予定なんですが、電車が停まってないんです。今、停まっているのは青梅行きですし、奥多摩行きはどこから出るんですかね?」と尋ねました。すると、女性は、「この電車が、途中で奥多摩行きに分かれるんじゃないですかね。そういうのがよくありますよ」と言うのです。そこで、私は、以前乗ったホリデー快速おくたま号を思い出したのでした。あのときも、拝島(だったか?)でおくたま号とあきかわ号に分離されたのです。私は、車両の行先表示を確認しながら、小走りでホームを移動しました。すると、途中から電車の表示が「奥多摩行き」に変っていたのでした。

奥多摩駅には思ったより早く着きました。当初、8時3分に駅に着いて、駅前から8時5分発のバスに乗る予定でしたが、電車が着いたのは7時15分でした。そして、駅前に出ると7時38分発のバスがあることがわかりました。既にバス停には、一般客に混ざって登山の恰好をした人が数人並んでいました。

これだったら、当初の予定より30分早く山に入ることができます。今の時期は日没が早く、自分の脚力では一抹の不安がありましたので、ありがたい誤算でした。

青梅街道を10分くらい走り、境橋という橋の真ん中にある停留所でバスを降りました。降りたのは、私だけでした。境橋は、前後をトンネルに挟まれており、橋の下はバンジージャンプにうってつけのような深い渓谷が広がっていました。あとで調べたら、橋の下を流れているのは、昨秋の台風19号で武蔵小杉のタワーマンションにブランド価値下落の深刻な被害をもたらした多摩川の上流でした。私は、登山用の地図アプリに従って、奥多摩駅方向のトンネルの手間から林道に入りました。

御前山は、小河内ダムからサス沢山・惣岳山経由で登り、今回の栃寄コースを下るのが一般的です。ただ、小河内ダムからのルートは急登で知られており、私にはヌカザス尾根のトラウマがありますので、今回はできるなら避けたいと思いました。それで、山行時間は長くなりますが、栃寄コースを登ってそのまま下ることにしました。それともうひとつは、北向きの栃寄コースは、まだ先日の雪が残っているようなので、雪道を歩きたいという気持もありました。

ただ、栃寄コースも台風19号の被害が残っており、沢沿いの登山道は未だ通行止めになっています。そのため、上の登山口まで1時間近く舗装された林道を歩かなければなりません。御前山の栃寄コースの多くは、「体験の森」という都民の森(こちらは奥多摩都民の森で、三頭山の方は檜原都民の森です)になっており、標高650メートルの栃寄の集落には宿泊施設があり、また御前山の中腹には散策コースが整備されています。ちなみに、「体験の森」のサイトを見ると、女性を対象にした初心者向けの登山講習や御前山登山、それにこの時期限定のスノーハイキングなどの催しも行われているようです。

境橋から「体験の森」の宿泊施設までは、奥多摩特有の九十九折の急坂が続きます。2.5キロくらいあり、歩いて40〜50分かかります。ちょうど出勤時間帯だったので、従業員が乗っているとおぼしき車が次々とうなり音を上げながら横を過ぎて行きました。雪が降ったり凍結したときは大変だろうなと思いました。

宿泊施設の手前と奥に駐車場があり、登山者の車も停めることができるようになっていましたが、1台も停まっていませんでした。駐車場まで車で来れば、1時間近く山行時間を短縮できるのです。それになりより、九十九折の林道をテクテク歩かなくてもいいので、体力も温存できます。

丹沢などでも、車だとかなり上の方まで行くことができますので、電車やバスを利用する人たちとは条件が違います。それで、塔の岳や丹沢山を何時間でピストンしたなどと言われても鼻白むばかりです。ヤマレコなどに巣食う自己顕示欲満載のコースタイム至上主義者は、このタイプが多いのです。

登山道に入ると、程なく雪道になりました。栃寄コースも急登とは無縁ではなく、斜度の大きい樹林帯を登って行かなければなりません。

途中の行きも帰りも、誰にも会いませんでした。山頂でひとり会っただけでした。文字通りの単独行で、聞こえて来るのは、ザクザクという雪を踏みしめる自分の靴の音だけでした。息を弾ませて登りながら、さまざまな思いが去来しました。私の場合、山に行くのは”自己処罰”のような一面もあります。なんだか懺悔しながら登っているような感じです。細い登山道の横は急斜面です。足を滑らせて下に落ちたらどうなるんだろうと思ったりしました。

一応、山岳保険には入っていますし、登山届もネットで提出していますが、家族がいないので、緊急連絡先は自分のメールアドレスにしています。ネットの登山届では、登山届を提出したときと下山したときに、緊急連絡先に自動的にメールが発信されるシステムになっていますので、友人や知人を緊急連絡先に指定すると、山に行くたびに「只今、登山届が提出されました」「只今、下山通知を確認しました」と連絡が行くことになります。それでは受ける方も迷惑でしょうし、それにいくら親しい間柄とは言え自分の行動がいちいち知られるのは、私の性分では耐えられません。

緊急連絡先が自分だと、山に行ったきり帰って来なくても「捜索願い」を出す人間がいないのです。これでは、登山届を出す意味がないような気がしないでもありません。捜索に入るのは、かなり時間が経ってからでしょうから、捜索と言っても遺体を収容するくらいでしょう。

ひとりで山に行くのはリスクが大きく、警察なども、ひとりで山に行くのはやめましょうと呼び掛けています。それでも、やっぱりひとりがいいなあと思います。誰にも会わないのは最高です。

2時間以上雪道を登ったので、さすがに疲れました。ホウホウの体で山頂に着いたら、中年の男性がひとりでベンチに座って昼食を食べていました。男性は、小河内ダムから登って来たそうで、やはり、誰にも会わなかったと言ってました。と言うことは、今日、御前山に登ったのは二人だけかもしれません。来るときのバスには他に数人の登山者が乗っていましたので、彼らは小河内ダムから御前山に登るのではないかと思っていたのですが、違ったみたいです。山頂で男性と話をしていたら、雪がチラつきはじめました。

男性も下りは栃寄コースを歩くそうですが、食事のあと片付けをしている男性に、「お先に」と言って山頂をあとにしました。下りもアイゼンのおかげでトラブルもなく歩くことができました。ただ、カチカチに凍結している箇所は、アイゼンの刃が刺さらないので慎重に歩きました。

境橋に着いてバスの時刻表を見たら、次のバスは10分後でした。登りと下りの林道が地味にきつかったけど、いつもの自分のペースで雪道を堪能することができました。暖かくなったら、今度は小河内ダムからも登ってみたいと思いました。

と今、写真を整理しようとしたら、カメラにメモリーカードが入ってないことに気付きました。メモリカードを外したまま入れるのを忘れていたのでした。いつものように200枚くらい撮りましたが(途中、電池交換するくらい撮った)、すべて無駄骨でした。そう言えば、メモリーカードがどうのという警告が出ていましたが、まったく気に留めることもなく撮影していました。なんというミスでしょう。そのため、今回は(証拠の?)写真がありません。
2020.02.04 Tue l 山行 l top ▲
私は花粉症がひどく、その習慣で真夏の暑い時期を除いて1年の3分の2はマスクをしています。また、予備がないと不安症候群なので、常にマスクをストックしています。

しかし、気が付いたらストックも残り少なくなっていました。花粉症の時期も近づいて来たので、あわてて近所のドラッグストアに行きました。ところが、マスクの棚はスッカラカンで「売切れ」の札がかかっていました。1週間くらい前までは、「花粉シーズン到来」などというポップが付けられて、店先やレジの横などで山積みにされて売られていました。それが跡形もなくなっていたのです。

私は、まさかと思って別のドラッグストアや百円ショップをまわりました。案の定、どこも同じでした。この1週間の間にマスクは店頭から姿を消したのです。

帰って、アマゾンや楽天やYahoo!ショッピングなど、ネット通販のサイトをチェックしてみました。しかし、ネットで売られているのは、普段の10~20倍の値段が付けられた商品ばかりで、便乗値上げのオンパレードでした。アマゾンには、25枚入りで100万円(ご丁寧に1枚当たり4万円と付記)の使い捨てマスクがマーケットプレイスで出品されていました。出品者も狂っていますが、それを黙認(?)しているアマゾンも狂っているのです。

また、アマゾンが直接商品を扱うprimeでは、イオンのプライベートブランドであるトップバリューのマスク(65枚入り)を通常価格の10倍以上の1万円で販売していました。アマゾン自体が便乗値上げに加担しているのですからお話になりません。ネットを支配するGAFAの強欲さ&節操の本性が露骨に表れている気がしました。まさに彼らは、強欲資本主義が生んだリバイアサン(怪物)と言っていいかもしれません。

テレビでは、マスク不足が深刻な中国で、マスクをめぐって各地で騒動が起きている、というニュースが連日伝えられていますが、なんのことはない日本も同じなのでした。さらに言うに事欠いて、日本のマスク不足は中国人が買い占めているからだと言い出す始末で、これではテロルとしての日常性が牙を剥く”不穏な噂”がいつ出てきてもおかしくないでしょう。

たしかに、中国人(観光客)がまとめ買いしているのは事実かもしれませんが、だからと言って、それがマスク不足の原因だと決めつけるのは、あまりにも乱暴で誇張した見方です。そうやって既に”不穏な噂”がまき散らされていると言っていいかもしれません。言うまでもなく、マスク不足は、日本人自身が買いだめしているからです。

店の人に訊くと、平日の昼間、時間を持て余しているおばさんやおっさん、それに小さな子供を連れた母親などが殺到して、あっという間に売り切れたのだそうです。おそらくテレビのワイドショーを見て駆け付けたのではないでしょうか。たまたま居合わせた近所の人は、「まるで奪い合うように買っていた」と言ってました。

その話を聞いて、東日本大震災のとき、アリとキリギリスのアリのように、自転車の荷台に米や水などを乗せて、一日に何度もスーパーと自宅を行き来していた近所のおばさんやおっさんの姿を思い出しました。あのときも、米や水やティッシュペーパーなどが、あっという間に店頭から消えたのでした。

中国の出来事は、対岸の火事ではないのです。新型コロナウイルスに関して、ヨーロッパなどではアジア人に対する偏見が広がりつつあるそうですが、ヨーロッパの人間から見れば、中国人も韓国人も日本人も同じようにしか見えないのでしょう。実際にやっていることも大差ないのです。

カルロス・ゴーンの問題もそうですが、人質司法などを見ても、中国や韓国や日本はどこも同じ「民主主義の未熟なアジア」にしか見えないでしょう。「オレたち(日本)は、中国や韓国と違うんだ」といくら言っても、どんぐりの背比べにしか見えないでしょう。

私が高校時代を過ごした地元は、海外からの観光客も多い温泉地で、しかも、5500名の学生のうち、半数が海外(主にアジア)からの留学生で占められる国際色豊かな大学もあります。

以前、帰省した折に会った、地元で家業の病院を継いでいる同級生は、「最近、見たこともないような症状の患者がいるんだよな」「留学生や観光客を通して今まで日本になかった病原菌が持ち込まれているからじゃないかな」と言ってましたが、今回の新型コロナウイルスの問題で、私はその話を思い出したのでした。

もっとも、感染症の世界的な流行は今までも何度もありました。交通が発達し経済活動が拡大して人の往来が多くなるにつれ、新しい感染症が世界大に広がるのは、ある意味当然でしょう。

一方で、今回の新型コロナウイルスが、とりわけ中国人の食文化や衛生観念に、大きな影響を与えることになるのは間違いないでしょう。野生動物を食べる習慣も減るでしょうし、マスクや手洗いやうがいもある程度習慣化するのではないでしょうか。感染症の世界的な流行は、そうやって今までも人類の生活文化に大きな影響を与えてきたのでした。

中国人観光客はマスクもしないで迷惑だと言いますが、電車に乗るとわかりますが、日本人もマスクをしないで咳き込んでいる迷惑な人間はいくらでもいます。もっとも、新型コロナウイルスは粒子が微細なので、マスクではブロックすることはできない(感染の予防はできない)そうです。むしろ、細かな手洗いとうがいの方が効果的なのだとか。でも、ワイドショーなどは当初、そういったことはひと言も伝えずに、ただ「マスク売り場に急げ!」とばかりに視聴者を煽るだけでした。

日本人にとって、今回の新型コロナウイルスも所詮は他人事なのでしょう。(いつもそうですが)迷惑をかけられた、あるいは「ざまあみろ」という感覚しかないのてす。そして、空疎な愛国心で自演乙して、中国人に対するヘイトを剥き出しにするだけです。そこにあるのは、大塚英志の言う「旧メディアのネット世論への迎合」で生み出される”最低の世論”です。そして、”最低の世論”に引き摺られるこの国のトンチンカンで夜郎自大な姿なのでした。


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買いだめする人々
2020.01.31 Fri l 社会・メディア l top ▲
若い頃、親しくしていたモデルの女の子は、常々、男性モデルは「性格の悪い人間が多い」と言ってました。

彼女に言わせれば、男性モデルはお金を持ってないので(モデルでは飯は食えないので)、自分の“美貌”を売りに女性にたかることしか考えてない「最低の男」が多いそうです。当時、ホストという職業があったのかどうかわかりませんが、今で言うホストのようなものかもしれません。その中で唯一「性格がいい」と褒めていたのは、阿部寛だけでした。

また、のちに“スキャンダル王”として芸能マスコミを賑わすことになる某男性タレントから誕生パーティに誘われたときも、「あの男は女を騙すことしか考えてないから気を付けた方がいいよ」と同じモデル仲間から忠告されたと言ってました。案の定、数年後、彼はお金と女にまつわるスキャンダルを起こして芸能界から姿を消したのでした。

私は、東出昌大の「不倫」報道を見て、昔の彼女から聞いたそんな話を思い出したのでした。東出昌大もモデル出身だそうで、彼もまた、女にたかることしか考えてない「最低の男」だったのかもしれません。もとより、杏にしても、東出から口説かれ東出の「最低の男」の部分に惚れて、みずからも熱を上げたのではないか。さらに、東出昌大は、杏を口説いたときと同じ手口で、唐田某を口説いたのではないか。「不倫」はただその延長上にあっただけなのでしょう。

今回のスキャンダルで、杏に同情が集まり、杏の好感度が上がったと言われていますが、私は、まったく逆でした。私は、杏が二十歳のときに、一般的な登山ルートでは国内で最難関と言われる奥穂・西穂間を縦走したと聞いて、彼女を尊敬していましたが(芸能界とは関係ない?)、今回の件ではがっかりしました。

東出の「不倫」は、カルロス・ゴーンのケースと同じで、本来家庭内で処理すべき問題だったのではないか。ここまで騒ぎが大きくなったのは、東出にきわめて近い筋からのリークがあったからではないかと言われていますが、もしそれが事実なら、三人の子どもの父親でもある夫に、社会的な制裁を加えるようなやり方は、あまりにもえげつないとしか言いようがありません。なんだか格差婚を盾にした上から目線さえ感じます。

東出と唐田某をこれでもかと言わんばかりに叩く芸能マスコミとそれに煽られる大衆にも、いつものことながら違和感を抱いてなりません。芸能人に聖人君子を求めてどうするんだと言いたくなります。芸能人こそ、聖人君子とはもっとも遠くにいる人間でしょう。何度もくり返しますが、芸能人は、本来、市民社会の埒外に存在する「河原乞食」なのです。「不倫」でもなんでもあるでしょう。聖人君子のような役者になんの魅力があるのかと思います。

同時に私は、あらためて村西とおる氏の下記の文章が思い出されてなりませんでした(引用元の「ポリスジャパン」はリンク切れになっていました)。

女優という生きものには「魔性」が潜んでいます。

すべての行動原理は「自からの利害得失」による、という「魔性」であります。 その女優が「好きになったから」という理由だけで女優が結婚するとはまったく考えられないのでございます。

女優は自分自身に惚れて惚れぬいて、自分しか愛せなくなった人間の就く職業でございます。 由に人前で他人の男とも平気でSEXが出来て、泣き笑い叫び歌えるのでございます。

女優とは人々からの「喝采」に魂を売り渡した人間であります。

「喝采」のためならなんでもやれる、のでございます。 淫売になれるどころか、必要なら人殺しさえやりかねない、それが女優であります。

だから普通の「お嬢さま」では絶対に「ならない」「なれない」のが「女優というお仕事」なのでございます。


それは、女優に限らず男優も同じて、芸能人というのは、ことばの真正な意味において、やくざな存在なのです。

「不倫」で芸能界から追放されるなんて、一体いつの時代の話だと言いたいです。他人の不幸は蜜の味とばかりに、執拗に東出や唐田某を叩くメディアや大衆には、おぞましささえ覚えます。

(やはり前に紹介しましたが)コンドームメーカーの相模ゴム工業が働く女性350人を対象に行った調査によれば、なんと58%が「不倫」の経験があるそうで、そんな「不倫」が当たり前の世の中にあって、このメディアや大衆を覆うリゴリズム(厳格主義)は異常と言うしかありません。私は、そこにもまた、この社会や大衆が持つ”病い”を覚えてならないのです。


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魔性
2020.01.27 Mon l 芸能・スポーツ l top ▲
今日、仕事で取引きがある会社から「『新型コロナウイルス』の感染拡大への対応についてのお知らせ」というタイトルで、次のようなメールがきました。

当社では、「新型コロナウイルス」の感染拡大を受け、当社従業員の安全確保および正確な環境状況の把握を目的に下記の期間中、電話でのサポート対応を一時休止いたします。


メールによれば、1月28日から2月7日まで10日間、電話サポートを休止すると言うのです。

私は、メールを読んで一瞬戸惑いました。まさかコロナウイルスが電話で感染するわけではないだろうに、この仰々しさはなんなんだと思いました。

でも、よく考えたら、これは日本国内の話ではないのかもしれません。電話サポートと言っても、専門性を要するようなものではなく単なる問合せにすぎませんので、そのための専門部署を持っているとは思えません。また、会社のサイトを見ても、会社自体が臨時休業するというような告知もありませんでした。

要するに、これは、電話サポートを委託先している中国のコールセンターの話ではないのか。中国政府が新型コロナウイルス対策で、春節の休暇を延長することを決定したというニュースがありましたが、そのために委託先が長期休業を余儀なくされた、その「お知らせ」なのではないか。それを「当社従業員の安全確保および正確な環境状況の把握」などと見栄を張るので、話がややこしくなるのです。

今回の新型コロナウイルスでは、ネットを中心に中国人に対するヘイトが沸き起こっているようですが、中国人に対するヘイトも、ウイルスという見えないものの”恐怖”だけでなく、空疎な愛国心から来る一種の見栄のようなものと言っていいかもしれません。ネトウヨは、韓国人や中国人が日本に来るのは迷惑なだけで、彼らが来なくても日本は困らないと言いますが、でも、実際は来ないと困るのです。このままでは倒産すると悲鳴を上げている観光業者さえいるくらいです。日本の観光業にとっては、新型コロナウイルスが日韓対立につづいて大きな痛手になるのは間違いないでしょう。

日本政府観光局(JNTO)が発表する「訪日外客数のシェア」によれば、日韓対立がはじまる前の2018年の年間シェアは、以下のとおりでした。

日本政府観光局(JNTO)出典
2018年 国籍別 / 目的別 訪日外客数 (確定値)

観光客全体27,766,112人のうち、アジアからの観光客が24,184,765人で87.71%を占めています。そのうち、韓国からは25.13%の6,977,812人、中国は26.74%の7,426,173人です。

日韓対立によって、外国人観光客の半分を占めていた韓国人観光客が激減したことで、大分県の観光業が苦境に陥っているという話は前に書いたとおりですが、今度は韓国人につづいて中国人観光客も激減することになるのです。韓国人観光客が来ないなら、中国や台湾や香港などからの観光客を呼び込めばいいなどと、ネトウヨばりに虚勢を張っていた大分県知事の涙目が目に浮かぶようです。

日本全体から言っても、外国人観光客の半分を占める韓国と中国からの観光客が激減するとなれば、その深刻度は今までの比ではないでしょう。と言うか、今の世界的な観光ブームは、中国をはじめとするアジアの「中進国」の経済発展(経済的な底上げによる中間層の増大)が背景にあるので、今の観光ブームにも翳りがもたらされる可能性があるでしょう。

新型コロナウイルスを持ち込むのではないかと、さも迷惑げにテレビカメラが中国人観光客を追いかけまわしていますが、やがてそのツケがみずからに跳ね返ってくるのは火を見るよりあきらかです。まるでヘイトによって、その現実から目を背けているかのようです。

空疎な愛国心で嫌中憎韓を煽りながら、一方で観光立国を目指す矛盾。この致し難い矛盾を矛盾として認識できないこの国にとって、観光立国なんて所詮は絵に描いた餅と言わねばならないでしょう。

上記の外国人観光客のシェアを見てもわかるとおり、日本にとって欧米はあまりに遠いのです。にもかかわらず、竹内好の「方法としてのアジア」ではないですが、日本にはアジアの一員として生きるという視点が決定的に欠けているのです。その危うさ(薄っぺらさ)が、アジアの経済発展に伴ってこれからますます露わになってくるのではないでしょうか。

韓国人や中国人は迷惑だと言いながら、その一方で韓国人観光客や中国人観光客に依存している日本の観光地のダブルスタンダード。またぞろ、タイやベトナムやフィリピンや欧米にシフトすればいいなんて気休めを言って、みずからの首を絞めていくのでしょうか。愛国心は、なんとトンチンカンで面倒くさいものなんだろうと思います。


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大分県の観光の深刻度と気休め
「安くておいしい国」日本
2020.01.27 Mon l 社会・メディア l top ▲
新宿駅~立川駅~青梅駅~武蔵五日市駅8:58~9:58仲の平バス停10:00~11:50西原峠~12:18田和峠~12:48数馬峠~笹ヶタワノ峰13:07~13:30大羽根山~14:35浅間尾根登山口バス停

前回につづいて、三度(みたび)笹尾根に行きました。個人的な都合と天気のタイミングが合わずストレスがたまっていましたが、晴天ではないものの雨は降らないという予報でしたので、いつものように新宿から中央線に乗って武蔵五日市に向かいました。前の二回で歩けなかった部分を歩いて、笹尾根を繋ごうと考えたのです。

ただ、考えることは誰でも同じみたいで、武蔵五日市駅前の「数馬行き」のバス停には、100人以上のハイカーが行列を作っていました。そのため、定期便以外に2台の臨時バスが出ました。

私は、運よく2台目の先頭近くになりましたので、座ることができました。いつものことですが、今日も団体が多く、それが混乱に拍車をかけたようです。途中の登山口にあるバス停にも、前の便で来ていた団体のメンバーが後続組を待っており、どこもハイカーでいっぱいでした。11月に三頭山に行ったときは、平日だったということもあって、バスは満杯だったものの臨時バスが出ることはありませんでした。また、前回も、連休中でしたが、こんなにハイカーの姿はありませんでした。たぶん、明日の日曜日が雨の予報なので、土曜日に集中したということもあるのかも知れません。

団体は、言うまでもなく判を押したように中高年ばかりです。それにしても、おばさんたちのあのハイテンションはなんとかならないものかといつも思います。帰りの電車でも、武蔵五日市駅のホームは山から下りてきたハイカーであふれていましたが、武蔵五日市駅が始発駅だということもあって、電車が着くと、まだ降りている乗客がいるのも構わず、おばさんたちは列を無視して我先に電車に乗り込もうとするのでした。

また、電車の中でも煎餅を食べながら座席を跨いで大声でお喋りをするので、うるさくてなりませんでした。そのため、煎餅の醤油を焦がした匂いが電車の中に漂っていました。まるで小学生の遠足みたいでしたが、もっとも、小学生でも電車の中ではものを食べたらいけないと注意されるでしょう。傍目から見れば、年齢も近いので、私も同類項と見られていたかもしれません。そう思うと、同じ山に行く人間として恥ずかしくてなりませんでした。

行きのバスは、終点の「数馬」のひとつ手前の「仲の平」で降りました。「仲の平」は12月につづいて二度目です。そのときと同じように、「仲の平」のバス停から西原峠に登り、今度は槇寄山とは逆の東の方へ歩こうと思ったのでした。笹尾根の中では西原峠や槇寄山がいちばん標高が高いので、前回と違って今回は下りが基調で、拍子抜けするくらい楽に歩けました。

「仲の平」から西原峠までが唯一の登りでしたが、前回より早く着きました。相変わらず咳が残っていて体調は芳しくないので、自分でも意外でした。

各バス停に蝟集していた中高年ハイカーたちは、笹尾根ではなく、反対側の浅間尾根の方に向かったみたいで、笹尾根ではそれらしき団体と会うことはありませんでした。

「仲の平」のバス停にも30人くらいいましたが、笹尾根に向かったのは私も含めて2人だけでした。また、西原峠への登りで会ったのは、ソロのハイカー3人だけで、他に数馬峠で休憩していたら、6~7人の女性のグループが下から登ってきました。笹尾根を歩いている途中で会ったのは、やはりソロのハイカー2人とトレランのランナー3人だけでした。朝の混雑がウソのように、のんびりと冬枯れの山を満喫することができました。

笹尾根と言っても、笹があるのは一部にすぎません。その笹のあるところで、ハイカーとすれ違った際、「このあたりがいちばん笹尾根らしいですね」と言ったら、「はあ」みたいに怪訝な顔をされました。そんなことも考えずに山を歩いているのかと思いました。山を歩くスタイルが違うと言えばそう言えるのかもしれませんが、子どもの頃から山に親しんできた山国育ちの身には、その反応は信じられませんでした。コースタイムにこだわるだけだけなら、別に山に来なくても近所の河川敷を歩けばいいのです。

笹尾根は北側にあるので雪が残っているのではないかと思ったのですが、雪はほとんど消えていました。ただ、霜柱によって一部歩きにくいところがありました。また、下りでは、落ち葉がぬれていたので滑りやすく、何度もこけそうになりました。

数馬峠から20分くらい歩いた笹ヶタワノ峰の先に大羽根山に向かう下り道がありました。その道を通って浅間尾根登山口のバス停まで下りました。

ただ、下りの道は、前回の小棡峠のときと違って、森林保全に関心が高い中央区の森になっているため、踏み跡も明瞭で道標も至るところにあり、前回のように立ち止まって、GPSや紙地図で確認することもありませんでした。もしかしたら、前回と同じように踏み跡が不明瞭ではないかと思い、(予備がないと不安症候群なので)山と高原地図の地図アプリと国土地理院の地形図のGPS、併せてそれらの紙地図も持って行きましたが、まったく出番はありませんでした。また、雪が残っている場合を想定して8本爪のアイゼンも持って行きましたが、アイゼンも出番はありませんでした。

帰りのバスも臨時便が出たみたいで、2台つづいてやって来ました。朝ほどではありませんが、途中のバス停にも大勢のハイカーがバスを待っていました。

これで、笹尾根は一応区切りがついたので、しばらく行くことはないと思います。武蔵五日市駅も、しばらく行くことはないでしょう。

ただ、丹沢と比べると、奥多摩は魅力のある山が多いので、交通費がかかるけど(今日も5千円近くかかりました)、これからも奥多摩通いはつづくと思います。でも、週末は絶対に行かないと肝に銘じました。



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西原峠への道
山の上の方はガスがかかっています。

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西原峠

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今日は、槇寄山や三頭山とは反対側へ進みます。

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霜柱が残るぬれた道
靴やズボンが泥で汚れました。

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すれ違ったトレランのランナーの後ろ姿

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斜面にわずかに雪が残っているところがありました。

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笹尾根いちばんのビューポイント、数馬峠からの眺望

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笹のある道(笹ヶタワノ峰)

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ここから下ります。

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樹上の不思議な光景
逆光で見えにくのですが、熊棚のように見えなくもない。

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「シャッターポイント」と書かれた地点からの眺望

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大羽根山
下山コースのちょうど中間に当たります。下山コースは、「中央区の森」の中を通ります。

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大羽根山からの眺望

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白樺は、前回下った小棡峠からのルートの方が多かったです。

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「ぬた場」遠景

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「ぬた場」という、野生動物が集まる”ぬかるみ”がありました。「ぬた場」という呼び方は、初めて知りました。

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ネットで調べたら、狐の糞のようです。

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最後の急登(急坂)

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「中央区の森」の中には、炭焼き小屋を復元したものもありました。

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炭焼き小屋

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浅間尾根登山口バス停
2020.01.25 Sat l 山行 l top ▲
日韓問題・ゴーン問題と並んで、まともな記事がほとんどないのが、眞子さんと小室圭さんの結婚問題です。どこを見ても、下衆な国民の劣情を煽るような、低俗な(文字通り俗情と結託した)記事しか見当たりません。

しかし、元『週刊現代』の編集長の元木昌彦氏が書いているように、二人の気持にはいささかの揺るぎもないように見えます。

PRESIDENT Online
「圭さんと結婚します」の言葉を国民は祝福する

 宮内庁という役所は警察関係者が多いところである。共謀罪を出すまでもなく、警察は「盗聴」のプロフェッショナルである。

 眞子さんと小室圭は毎日のように、スマホやパソコンを通じてSNSで意思疎通をしているといわれている。そうならば、2人の会話やメールの内容を、何らかの形で宮内庁側が掴つかんでいると考えることは、決して勘繰り過ぎではないと思っている。

 そうしたことを総合して考えても、2人の間に秋風が吹いているという情報は皆無である。

 私が想像するよりもはるかに強い結びつきが2人にはある。そう考えてもいいのではないか。


小室圭さんが、アメリカの弁護士資格を取るために留学したのは、将来、眞子さんとアメリカで結婚生活を送ることを見据えてのことのように思います。それが二人が出した結論ではないのか。

別の言い方をすれば、ヘンリー王子夫妻と同じように、自分たちの国で結婚生活を送ることを諦めたのではないか。あれだけバッシングされれば、この国に嫌気が差すのは当然でしょう。まったく、どこが「ニッポン、凄い!」のかと言いたくなります。

それは、眞子さんの苦悩を身近で見てきた佳子さんも同じではないでしょうか。恋愛をすれば、メディアとメディアが煽るこの国の“最低の世論”から難癖を付けられてバッシングされるのは目に見えているのです。佳子さんも、将来、人生の幸せと自由な生活を求めて海外に行く可能性は高いように思います。

天皇制が時代にそぐわなくなっているのは、もう誰の目にもあきらかです。京都に戻って、日本でいちばん古い家系を持つ一族として、その伝統を継承する役割に徹した方がむしろ幸せなのではないかと思ったりします。ただ、その場合も、明治の田舎侍から押し付けられた“皇室の伝統”には怪しい部分も多いので、もう一度検証する必要があるでしょう。

元木氏が書いているように、宮内庁は警察官僚に牛耳られているので、日々、警察から監視される生活というのは常人には耐えがたいものがあるでしょう。眞子さんや佳子さんのような若い皇族が、「もうこんな生活は嫌だ」と思ったとしても不思議ではないのです。

私は、眞子さんと小室圭さんには同情を禁じ得ません。二人には、初心を貫徹して幸せになってもらいたいと思います。少なくとも、その権利はあるでしょう。

そのために、小室圭さんはアメリカでがんばっているのです。元木氏が書いているように、そこからは「今の若者には珍しいほど勤勉で誠実な姿が見えて」きます。バッシングされる謂れはどこにもないのです。


関連記事;
眞子さんに対する中傷
小室さんバッシングのおぞましさ
2020.01.22 Wed l 社会・メディア l top ▲
少し前の話ですが、元日に近所のコンビニに行ったときのことでした。そのコンビニに入ったのは初めてでした。

店内にはお客は誰もおらず、ネパール人のような若い女性の店員がひとりいるだけです。やはり、正月から働いているのは外国人なんだなと思いました。

店員は、店の奥で棚の商品の整理をしていました。入口近くにあるレジは空っぽです。こんなことで大丈夫なのかと思いました。

私は、商品を入れたカゴを持って、レジに向かいました。店員の女の子は、横の方のあきらかに私の姿が見える位置にいます。

しかし、レジの前に立っても女の子は知らんぷりです。私は、「すいませ~ん」と声をかけました。でも、女の子は私の方をチラッと見ただけで動く気配はありません。「どうなっているんだ?」と思いました。それで、さらに大きな声で「すいませんっ!」と呼びかけました。

すると、しぶしぶといった感じでレジにやって来ました。しかし、「お待たせしました」と言うわけではなく、無言のままです。外国人なので、そう見えるかもしれませんが、なんだか不愛想で不機嫌そうです。商品を袋に詰め、お金を受け取り、つり銭を差し出す一連の動作も無言で行うだけでした。帰る際、「ありがとうございました」という挨拶もありません。

実際に不機嫌だったのかどうかわかりませんし、それに、殊更愛想よくしろと言うつもりもありませんが、あまり気分のいいものではありませんでした。

個人の問題というより、やはり、これも人出不足の弊害と言うべきでしょう。

元日から働くのは外国人しかいない現実。今や外国人は貴重な人材です。だから、接客マナーをきびしく要求することもできないのでしょう。辞められたら困るので、腫れ物に触るような感じで接しているのかもしれません。でも、忘れてはならないのは、そこには前提があるのです。安い賃金で使える非正規雇用という前提です。不足しているのは、低賃金の非正規雇用の労働者なのです。

それは、スーパーも同様です。毎日のように通っているとわかりますが、人出不足は深刻で、そのために職場が水が低い方に流れる状況に陥っているのは否めないように思います。真面目に熱心に仕事をしていたような人たちはすぐに辞めて行き、神戸の教員いじめの女帝と言ったら言いすぎかもしれませんが、そういった感じのおばさんばかりが残って主のようになっています。最初は、ぎこちなく対応していたおばさんが、半年もするとふてぶてしい態度に変っていたなんてこともめずらしくありません。

昨日も、近所のスーパーに行ったら、おそらく新人なのでしょう、初めて見る30~40代くらいの女性が、レジ回りの掃除をしていました。すると、近くのレジの中にいたおばさんが、「そうじゃないでしょ」「それじゃ掃除してもしなくても同じじゃない」などと、いちいち注意していました。傍から見れば、難癖としか思えません。新人の女性はそのうち嫌気が差して辞めるんじゃないかと思いました。でも、難癖を付けていたおばさんも、一年くらい前は額に汗を浮かべながら慣れないレジを必死で打っていたのです。

私の知っている会社で、定職に就いたことのない生涯フリーターの50~60代の独身男性ばかりをアルバイトで雇っている会社があります。と言って、そういった人間たちを選んで雇っているわけではないのです。そういった人間たちだけが残ったのです。社員も、「まともな人が来ても続かないんですよ」と言ってました。単純労働なので、誰でもいいのでしょう。もちろん、そこにも低賃金の非正規雇用という前提があるのです。辞められたら困るので、仕事に支障のない限り、多少の非常識も目を瞑っていると言ってました。

このように、剰余労働とか労働疎外論とかいった”公式論”だけでは解釈できない、人出不足の現実とその弊害が私たちのまわりにあります。「働き方改革」も、低賃金の非正規雇用の存在が前提で、そこには大きな詐術があります。でも、みんな「いいことだ」と言うばかりです。ひと昔前の言い方をすれば、「本工の論理」しかないのです。

利潤を確保し競争力を維持するためには、できる限り賃金を抑えるしかないでしょう。雇用の安全弁としての非正規雇用も必要でしょう。人出不足というのは、そういった資本の論理が招いた”勝手な都合”にすぎないのです。若年労働力の不足と言うときの若年労働力も、「(外国人労働者並みに)賃金が安い」という意味で使われているにすぎません。

日本がもはや先進国であるかどうかは議論の分かれるところですが、思い上がった先進国が凋落(=自壊)するのは必然のような気がします。少子高齢化ばかりが取り出されますが、むしろ年収300万円以下の労働者が1859.7万人(36.99%)、非正規雇用が2036万人(37.3%)もいるような貧富の差(階層の固定化)の方が問題でしょう。既にそこから自壊がはじまっているのかもしれないのです。


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『新・日本の階級社会』
2020.01.17 Fri l 社会・メディア l top ▲
ネットを見ていたら、「ミタパン、ゴーン被告は逃亡で『日本の司法制度の正しさを証明しているかのよう』」という見出しが目に入り、思わず記事をクリックしました。

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デイリースポーツ
ミタパン、ゴーン被告は逃亡で「日本の司法制度の正しさを証明しているかのよう」

いわゆる典型的なコタツ記事で、いちいち目くじらを立てるのも大人げない気がしないでもありませんが、私は、この記事を読んで、「ミタパンってバカなの」と思いました。

女子アナが視聴率稼ぎのためのお人形さんであるのは今更言うまでもありませんが、それにしても、こういったお粗末なアナウンサーが報道番組のキャスターを務めているのですから呆れるばかりです。ワイドショーでアシスタントをしていたとき、控えめな口調で発する短いコメントが視聴者に受けたとかで報道番組のキャスターに抜擢されたのですが、それも横に座る厚化粧のおばさんとの比較で好感を持たれたにすぎないのです。

フジ・サンケイグループは、今や臆面もなく政権の太鼓持ちに堕しており、自民党の準機関紙化(イエロージャーナリズム化)を加速させています。以前、牛丼のすき家を運営するゼンショーへの売却話さえあった産経新聞は、今年の10月を目処に、販売網を首都圏と関西圏に縮小し、全国紙の看板をおろしてブロック紙として再出発するそうです。三田アナの抜擢は、そういったなりふり構っておれない事情と関係があるのかもしれません。

また、ゴーンの会見に関しては、ミタパン以外にも、「お前が言うな」と言いたくなるようなコメントがありました。

それは、日産の西川廣人前社長のコメントです。西川前社長は、記者会見の感想を求められて、次のように言ったそうです。

「ちょっと拍子抜けしましたね。あの程度の話なら日本ですればいい」


朝日新聞デジタル
日産の西川前社長「ちょっと拍子抜け」 ゴーン被告会見

西川前社長が、ゴーンの茶坊主であったのは有名な話で、だから、ゴーン体制下で、代表取締役社長兼最高経営責任者にまで登り詰めたのでしょう。

西川前社長については、下記の記事にもあるように、ゴーンの逮捕容疑と同じような役員報酬に関する有価証券報告書の虚偽記載の疑いがあり、社長を辞任したのもその疑いを持たれたからでした。でも、西川前社長は今も取締役には留まっているのです。

文春オンライン
日産・ケリー前代表取締役が明かした「西川廣人社長の正体」

国連から再三勧告を受けているように、代用監獄や人質司法など、日本の司法制度が民主主義国家とは思えないほど遅れているのは国際的にも知られています。韓国の“検察独裁”は他人事ではないのです。

でも、日本のメディアは、嫌韓報道と同じで、ただ国民の感情を煽るかのように坊主憎けりゃ袈裟まで式にゴーンを叩くだけです。我が振り直すような視点は皆無です。

たとえば、会社法が専門の田中亘東大教授がゴーンの訴迫に対して異議を唱えていた話など、日産の監視活動と同様、メディアに取り上げられることはないのです。

Yahoo!ニュース
共同通信
ゴーン被告の違反罪、教授が異論 会社法が専門の東大田中氏

三田アナは、ゴーンは感情的になっていると言ってますが、感情的になっているのはどっちだと言いたくなります。感情的ということばの意味がわかってないのではないか。

日本のメディアは、ゴーンに対するマイナス記事ばかり取り上げて、ゴーンがさも世界中のメディアから批判されているかのようなイメージをふりまいていますが、実際はゴーンは有罪率99.4%の日本の司法制度の犠牲者であり、そこから逃げて来た(まるで全体主義国家から逃げて来た)ように好意的に捉えている海外メディアも多いのです(むしろ、そっちの方が主流でしょう)。日本のメディアの“ゴーン叩き”もまた、ニッポンファーストの自演乙と言えるのです。

余談ですが、ゴーンが記者会見の中で、英語とフランス語とアラビア語を流ちょうに使いこなしていたのには驚きました。やはり、ゴーンは、グローバル資本主義の使徒にふさわしく知能指数の高いエリートだったんだなとあらためて思いました。それに比べると、ミタパンも日本のメディアも、如何にもバカっぽく見えて仕方ありません。
2020.01.16 Thu l 社会・メディア l top ▲
おととい(1月13日)の成人の日。再び奥多摩の笹尾根に行きました。これが今年最初の山行です。

いつものように、武蔵五日市駅から数馬行きのバスに乗りましたが、休日のダイヤは、6時18分が始発で、次が7時06分、その次が8時56分です。

新宿駅からだと快速に乗っても1時間半以上かかるため、7時06分のバスに乗るのは至難の業で、どうしてもそのあとの便にならざるを得ません。さらに、武蔵五日市駅から檜原街道沿いの登山口までは、近くて40分、奥の方に行けば1時間以上かかるため、山に入るのは10時近くになります。そういった時間的な制約が、笹尾根が人が少ない理由なのかも知れません。

今回も前回と同じ8時56分発(平日は9時発)のバスに乗りました。登山口の最寄りのバス停である上川乗(かみかわのり)に着いたのは9時半すぎでした。

連休ということもあって、出発時、五日市駅前のバス停には40人くらいの人たちが並んでいました。乗客の大半は登山の恰好をした人たちでした。

ただ、横の駐車場では、トレランの団体が何組か輪になってミーティングを行っていましたし、檜原街道では、峠越えのサイクリストたちも多く見かけました。トレランのランナーやサイクリストたちは、中高年が中心の登山者と比べて、みんな若いのでした。彼らから見れば、登山というのは、老人が支配し古い慣習や精神論や自己顕示欲にとらわれた面倒くさい世界なのかも知れません。何度も言いますが、あと10年もすれば老人たちは山に登れなくなるのです。私は、あらためて、旧態依然とした登山が時代から取り残されつつあるのを痛感させられた気がしました。

登山用品の専門店でアルバイトをしている女の子が言ってましたが、店のスタッフの中で山に登るのは彼女だけで、あとはカヤックやキャンプなど他のアウトドアが好きな人間ばかりだそうです。登山用品の専門店と言っても、実際はアウトドア全般に間口を広げていますので、登山に関する専門的な知識もそんなに必要ないのだとか。今や山登りは圧倒的に少数派なのです。

上川乗で降りたのは、私を含めて4人でした。私以外は3人の中高年男性のグループで、バスを降りると、道路の脇で大きな掛け声を上げて準備体操をしていました。私もバス停のベンチに座って身なりを整え、そのあとグループの横をすり抜けて登山口に向かいましたが、それでもまだ準備体操はつづいていました。やけに丁寧に体操をするんだなと思いました。その後、グループの姿を見ることはありませんでしたので、おそらく反対側の浅間嶺に登ったのかも知れません。

バス停から登山口までは、檜原街道を左折して、上野原方面の都道33号線の坂道を登って行きます。分岐してすぐの南秋川橋を渡る際、舗道が凍結していて、歩くのに神経を使いました。

10分くらい歩くと、道路脇に退避場所のようなスペースがあり、数台車が止められていました。表示はありませんが、どうやら駐車場のようです。そして、その奥に登山道の入口がありました。

停められている車の中には、「杉並」や「世田谷」のナンバーもありました。見ると、それぞれの車のサイドミラーはカラーコーンと紐で結ばれていました。盗難防止なのか、それとも駐車許可の印なのか、不思議な光景でした。

余談ですが、そのまま都道を進むと甲武トンネルがあります。甲武トンネルは、笹尾根の下を通っている全長1キロ弱のトンネルです。甲武とは、律令制時代の旧国名の甲斐国(甲州)と武蔵国(武州)のことで、甲斐国は現在の山梨県で、武蔵国は現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部がそれに当たるそうです。

笹尾根は文字通り、東京(檜原村)と山梨(上野原市)の都県境にある山稜なのです。両国の住民たちは、昔は笹尾根を登り峠を越えて行き来していたのです。現在、私たちが登山の恰好をしてハアハア息を切らせながら登っている登山道は、昔人の生活道路だったのです。笹尾根の標高は800~900メートルで、尾根筋には1000メートルを越えるいくつかのピーク(山)が連なっています。そのため、何度か登り返しがあり、思った以上に体力を使います。

笹尾根は、広義には三頭山から高尾山までを言う場合もありますが、普通は槇寄山から今回登った浅間(せんげん)峠の間を指すそうです。距離は14キロで、標準のコースタイムは7時間くらいです。

コースタイムには休憩の時間は含まれていませんので、途中で休憩したり、山を眺めたり、植物を観察したり、写真を撮ったりして、のんびり歩くともっと時間が必要になります。

私は、年明け早々風邪を引いて、まだ咳がつづいており、万全の体調とは言えませんでした。そのためもあって、前回の山行から20日も間が空きましたので、1時間半あまりの登りも身体が重くていつになく息があがりました。そのあとの登り返しもきつくて何度も足が止まりました。ホントは、笛吹(うずしき)峠から大羽根山を通って浅間尾根登山口に下る予定でしたが、途中の小棡(こゆずり)峠で既に午後2時近くになりましたので、予定を変更して小棡峠から下りることにしました。

余談ですが、笹尾根に関連する地名には、小棡(こゆずり)・笛吹(うずしき)・人里(へんぽり)・扁杯(へはい)・六藤(むそうじ)など、読み方が難解なものが多いのも特徴です。

小棡峠から笛吹バス停までのルートはあまり使われてないようで、踏み跡も不明瞭なところが多く、特に落ち葉が積もった広い尾根ではルートがわからず、登山アプリのGPS、それに紙地図とコンパス(ほかに腕時計のコンパスも)を総動員して進む方向を探しました。山を歩く上で、いい勉強になりました。

小棡峠からのルートは道標が少ないので、ピンクリボンがあるとホッとしました。ただ、台風の影響なのか、吹き飛ばされたものも多いようで、斜面に埋まっているピンクリボンもありました。

休日にもかかわらず、山行中に会ったのは4人だけでした。3人は60代~70代の男性、もう一人は40代くらいの女性で、いづれもソロの人たちでした。笹尾根は三頭山の方から歩く人が多いのですが(そっちの方が標高差が小さくて、体力的には楽だそうです)、私は“逆コース”を歩いたので、会ったのは前方から来てすれ違った人だけでした。たぶん後ろからは誰も来てなかったと思います。

1時間半くらいで麓の集落に下りました。集落の中を歩いていたら、散歩をしている男性がいて、私に気付くと「上から下りて来たの?」と声をかけられました。

「はい、小棡峠から下りて来ました」
「エエッ、小棡峠? 歩きにくかったでしょ?」
「あまり人が歩いた形跡がなかったですね」
「そうだよ。小棡峠から下りて来る人はあまりいないよ」

小棡峠と笛吹峠からの道は麓の近くで合流するので、男性は笛吹峠から下りて来たものと思っていたようです。

私は、ふと思いついて、「今の天皇が皇太子時代に、笹尾根経由で三頭山に登ったそうですが、知っていますか?」と訊いてみました。

「ああ、近所にそのとき案内した役場の職員がいるよ。家に行くと写真があるらしいよ」

その職員に、どんな山行だったのか、ホントに10分おきに休憩したのか聞きたいけど、公務員がそんな不謹慎なことをペラペラ喋るはずもありません。

「この前、悠仁様もお忍びで都民の森に来たよ」
「そうですか」

やっぱり、都民の森は、やむごとなき人たち向けに造られた“特別な場所”だったのかも知れません。

「檜原街道沿いには6千万円かけたトイレもあるしね」

そのひのきの一枚板で造られた豪華なトイレは有名で、トイレを利用するためにわざわざ遠くからやって来る人もいるそうです。私は、三頭山に行くバスの中から初めて建物を見たとき、食事処かなにかと思ったのですが、ただ、看板が出てないので変だなとは思っていました。あとで、公衆トイレだと聞いて、びっくりしました。

「あのトイレも皇室が関係しているのですか?」
「そうだよ。最初に用を足すのに必要だからということらしい。もっとも、檜原村は建築費はほとんど負担してないけどね」
「今もきれいに維持されているのですか?」
「ああ、シルバー人材センターの人たちが掃除している」

時刻表を見ると、次のバスは1時間後でした。幸いにも屋根付きのバス停だったので、バス停の中で、山で食べずじまいだったおにぎりを食べたりして時間を潰しました。しかし、日が陰り寒くなりましたので、フリースの上にダウンのベストを着て、さらにその上にパーカーを羽織りました。

武蔵五日市駅に着くと、ホームには東京行きのホリデー快速あきかわ号が停車していました。しかし、反対側のホームに停まっていた拝島行きの電車の方が先に出発するというので、そっちに乗って、いつものように拝島から八王子行きの八高線に乗り換え、八王子からさらに横浜線に乗り換えて帰りました。休日なので、ずっと座って帰ることができました。

帰って確認したら、山行時間は5時間25分でした。


※サムネイル画像をクリックすると、拡大画像がご覧いただけます。

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上川乗バス停

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登山道入口

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登山道入口の斜面にへばりつくように古い家が建っていた。今は使われてない別荘なのか。

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浅間峠への登山道

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登る途中にあった祠

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傾斜のゆるい登山道だったけど、とにかく足が重く息があがりました。

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浅間峠

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浅間峠全景
登山道は旧生活道路なので、それぞれの峠からは山梨県(甲州)側に下りる道があります。

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次の日原峠に向けた尾根道

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同上

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同上

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先の小さなピークが日原峠

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日原峠の道標

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土俵岳への登り返し

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土俵岳

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次は小棡峠に向かいます。

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同上

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同上

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小棡峠

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小棡峠から下ります。

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斜面には5~10センチくらい落ち葉が積もっていました。

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登山道がかろうじてわかる程度です。

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こういう道標があるとホッとします。

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道なのか雨で抉られた跡なのか、わからないところもありました。

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踏み跡が不明瞭な広い尾根は、先端に行くと大概下り口があります。左右の斜面は要注意。

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笛吹バス停
檜原街道の奥の方に行くと、このように屋根付きのバス停が多いので助かります。
2020.01.15 Wed l 山行 l top ▲
カルロス・ゴーンの日本脱出行に関して、その後の報道で気になる点がありました。

ひとつは、東京地裁が出した保釈の条件が、妻と会わないことと自宅に監視用のカメラを設置することだったという点です。保釈と言うより、軟禁と言った方がいいような条件です。特に、弁護士が言うように、妻と会えないことが、カルロス・ゴーンを絶望的な気持にさせたのは想像に難くありません。監視カメラを設置するというのも、あまり聞いたことがありません。強権国家では、与党政治家の政敵である野党政治家が犯罪をデッチ上げられて軟禁状態に置かれ、政治活動を制限されるという話がありますが、それとよく似ています。

しかも、当初今年の4月に予定されていた公判がオリンピック後に延期される可能性が高くなったそうで、それもカルロス・ゴーンの焦燥に輪をかけたと言われています。

Bloombergのインタビュー記事で、妻のキャロラインさんは、「日本には『無実であることが証明されるまで有罪』とされる『人質司法』があると指摘。『当局は彼の行動に制限をかけ、今、証拠を探している』と語った」そうですが、それもあながち的外れとは言えないのです。国連からも再三勧告を受けているように、日本の司法が民主主義国家だとは言えないような前近代的なシステムと慣習に縛られているのは事実でしょう。韓国だけでなく、日本もまた司法改革が必要なのです。バカのひとつ覚えのように、「ニッポン、凄い!」と自演乙するだけが能ではないのです。

Bloomberg
ゴーン被告はフランスで裁判を、妻キャロルさんがインタビューで訴え

しかし、検察に輪をかけて異常なのは日産です。日産は、警備会社に依頼してカルロス・ゴーンを24時間監視していたそうです。監視に気付いたゴーン側が人権侵害で刑事告発すると発表した途端に、監視は中止され、その間隙をぬってゴーンの日本脱出行が決行されたと言われています。

どうして日産がストーカー(あるいは公安警察)のようなことをしていたのか。主任弁護人の弘中惇一郎弁護士は、弁護人を引き受けた際、ゴーンの問題は本来日産内部で処理すべき問題で、「なぜ事件になったか奇異」だと言ったそうですが、このような日産の異常な行動に、ゴーン逮捕の闇が潜んでいると言っていいのかもしれません。

日産は花咲か爺さんのように気前よくお金をばら撒いてくれる大スポンサーなので、メディアが日産の監視を取り上げることはありませんが、人権などどこ吹く風の日産のやり方には、日産という会社の体質が顔を覗かせているような気がしてなりません。

かつて作家の高杉良は、『労働貴族』(講談社文庫)という小説で、労使協調によってヒットラーばりの“独裁体制”が敷かれていた日産内部の実態を暴いたのですが、日産という会社の体質は、あの“塩路天皇”時代となにも変わってないということなのかもしれません。

ゴーン逮捕は、ゴーン自身の問題というより日産という会社の問題だったのではないか。そう思えてなりません。
2020.01.06 Mon l 社会・メディア l top ▲
以前、東京支局に勤務する西日本新聞の記者が、東京の“痛勤”電車に対する違和感を書いた記事を紹介したことがありますが、先日、「BUSINESS INSIDER JAPAN」というサイトにも似たような記事が掲載されていました。

BUSINES INSIDER JAPAN
「日本人はなぜ席を譲らない?」とツイートしたら「レディーファーストって意味不明」と猛反発された

尚、Yahoo!ニュースに掲載されていた西日本新聞の記者の記事は、既に削除されています。私がブログに書いた関連記事は以下のとおりです。

関連記事:
思想が生まれる場所

座席を譲る以前の問題として、下記のような「椅子取りゲーム」は私たちが日常目にする光景です。私たちにとっては、もう当たり前の光景にすらなっています。

日本に帰るたびに気になるのが、電車が到着するや我先にと椅子取りゲームのように小走りに席を取り、座った途端に目をつむる(またはスマホの画面に釘付けになり、周りで何が起きているかを全く見ていない)人がとても多いと感じる。優先席に若者が平気で座っていたりもする。


ニューヨーク在住の筆者によれば、ニューヨークの人たちも東京の人たちと同じように、みんな忙しく「自分のことで精一杯だし、他人のことにあまり関心はない」けど、それでもニューヨークでは「おせっかい」だと思われるくらい他人に親切で、「自分より体力のなさそうな人たち」がいると「反射的に」立ち上がって席を譲ろうとする人が多いそうです。

私は、よく「電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち」とヤユしていますが、東京の電車の中の光景が日本人のセコさや卑屈さを表しているのは間違いないでしょう。

資本主義は、言うまでもなく利潤の獲得と拡大再生産の循環運動で駆動されており、資本主義社会は、そのための効率第一の競争原理に基づいた社会ですが、電車が来てもないのにホームへの階段を駆け下りて行く人々や電車のドアが開くのももどかしく我先に座席に座ろうと「椅子取りゲーム」を演じる人々は、資本主義社会の競争原理に身も心も冒された「ほとんどビョーキのような」人々と言っても言いすぎではないでしょう。そうしないと「人生に勝てない」と思っているのでしょう。常にそういった強迫観念に苛められているのだと思います。

「自分より体力がない人たち」に席を譲るのは、欧米だけでなく、中国や台湾やベトナムなどアジアの国々でもよく目にする光景だそうです。私も前に、箱根のバスの車内で、年上の人に積極的に席を譲ろうとするアジアの若い観光客のことを書いたことがありますが、あれは「日本に気を使っている」のではなく、彼らの日常に存在するごく普通の行為だったのでしょう。

韓国人の知り合いによれば、もともと韓国は目上の人(年長者)を敬う儒教の影響が強いので、若者が年長者に席を譲る行為はよく見られるそうです。ただ、年長者の中には、自分たちが優遇されるのは当然だと言わんばかりに列に並ばなかったり、平気で割り込んだり人も多いそうです。一方、目上の人(年長者)を敬うべしと言いながら、年金制度は日本に比べても遅れているそうで、そのため惨めな老後を送らざるを得ない高齢者も多く、ホントに韓国社会が儒教の教えに忠実かどうかは怪しいと言ってました。

それは、「日本人はなぜ席を譲らない?」というツイートに対して、レディーファーストって何?と「猛反発」したネット民の反応も似たようなものがあるのかもしれません。

朝の通勤電車は、身障者や年寄りや妊婦が乗ることが少ないので、優先席はあってないようなものだすが、優先席に座っている人たちを見ると、女性が多いのに気付くはずです。女性専用車両以外でも女性の図々しさは結構幅を利かせているのです。また、日中の優先席に座っているのも、私が見る限り、女性が目立ちます。まして、あの中高年のおばさんたちの傍若無人なふるまいに、眉をひそめたくなる人も多いでしょう。

ツィートに反発したネット民たちは、女性=弱い人ではないと言いたかったのかもしれません。あるいは、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会の精神からすれば、レディーファーストというのはおかしいではないか、男女平等と矛盾しているのではないかと単純に考えているのかもしれません。

もちろん、日本では、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会の精神とは程遠い現実があることは事実でしょう。また、女性だけでなくハンディを背負った人たちに対して、「人間性が麻痺」したような冷たい現実があることも否定できないでしょう。

でも、一方で、レディーファーストだけでは解釈できない現実があることも事実なのです。もしかしたら、図々しいことしか取り柄がないようなおばさんたち(だけでなく若い女性にも多いけど)をどう見るかという問題から考えていくことも、案外大事なのかもしれません。バカバカしい話だけど、バカバカしいと一蹴できない問題を含んでいるのかもしれないのです。

バカのひとつ覚えのように「ニッポン、凄い!」と自演乙するしか能がない人間たちのアホらしさもさることながら、私たちの目の前にある現実は、「言語化すること」よりももっと「大切」なものを示していることも忘れてはならないのです。言語は万能ではないのです。


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電車の中で正義感について考えた
2020.01.05 Sun l 社会・メディア l top ▲
カルロス・ゴーンの日本脱出には驚きました。日本政府は、彼の引き渡しについてレバノン政府と交渉すると言ってますが、しかし、朝日の報道によれば、レバノン政府は、まるでそれに釘を刺すかのように、「『日本出国とレバノン入国は彼の私的な問題』で、レバノン政府は関与していない」と発表したそうです。さらに、記事は次のように書いていました。

また、レバノンのジュレイサティ国務相は12月31日、同国メディアに対し、「彼(ゴーン前会長)はフランスのパスポートとレバノンの身分証をもって合法的に入国した」と説明。レバノンの治安当局も同日、「レバノンに合法的に入国した人物については、法的措置の対象にならない」との見解を示した。

朝日新聞デジタル
ゴーン被告逃亡は「彼の問題」 レバノン政府が関与否定


日本では、「カルロス・ゴーンの行為はおかしい」「ホントに潔白であるというなら裁判で訴えればいい」というような声がありますが、それは所詮、国境の内側の論理にすぎないのです。

罪に当たるどうかも、国境から外に出れば話が別だというのは当然と言えば当然です。吉本隆明の「共同幻想」論ではないですが、今回のスパイ映画を地で行くような脱出行を見るにつけ、私たちを縛る国家というものが、如何に恣意的で空虚なものかということをあらためて知らされた気がしました。国家というのは、つきつめればたかだか地図に引いた一本の線の問題にすぎないのです。

大杉栄の『日本脱出紀』(土曜社)は、ベルリンで開かれる国際無政府主義大会に出席するために、1923年上海経由でフランスに向けて密出国したものの、パリのメーデーで演説したために逮捕され、結局、ベルリン行きは叶わずに、パリ警視庁から国外追放されるまでの自身の手によるドキュメントですが、カルロス・ゴーンの日本脱出のニュースを聞いて、私は真っ先にこの本を思い浮かべました。そして、不謹慎だと言われるかもしれませんが、なんだか痛快な感想さえ持ちました。

カルロス・ゴーンの逮捕は、日産という日本を代表する会社が外国資本に吸収合併されるのを阻止するために、日産内部の日本人幹部と司法取引をしてデッチ上げた国策捜査である疑いは拭えません。また、日本特有の「人質司法」に対して、カルロス・ゴーンが危機感を抱いたのも想像できます。そういった問題を脇に置いて、「潔白なら裁判で主張すべき」と言っても、刑事裁判の有罪率994パーセントのこの国では気休めにしか聞こえないでしょう。

今になってカルロス・ゴーンは大悪党のように言われていますが、彼はれっきとしたルノーや日産を束ねるやり手の経営者(つまり、典型的なグローバル資本主義の使徒)で、ついこの前までメディアは彼を英雄扱いしていたのです。

ところが、ご都合主義的なメディアは、嫌韓報道と同じように、カルロス・ゴーンの行為は海外からも非難されている、レバノン市民からも疑問視されているなどと、昨日までの英雄扱いを忘れたかのように(おなじみの)坊主憎けりゃ袈裟まで式に批判しています。でも、いくらそうやって自演乙しても、カルロス・ゴーンが戻ってくることはないでしょうし、彼の“罪”が国際的に認知されることもないでしょう。それが国境の内と外の違いなのです。


関連記事:
国家のマフィア化と全体主義
ゴーン逮捕と人権後進国
2020.01.02 Thu l 社会・メディア l top ▲
年が変わるのをきっかけにして、ブログとは別に「山行記録」を残すべくメモを整理しています。まだ20座ちょっとなので、今のうちに整理しておこうと思ったのでした。

山に行くようになって、山行を記録する大切さを知りました。山に登るのもひとつの旅ですので、”旅の思い出”を残すということもありますが、それ以外に次回の山行の参考にするという目的もあります。自分の上達度を知る上でも、「山行記録」は非常に役に立つのです。

最初はメモを残すことはしていませんでした。しかし、山に行くまでの電車やバスの時間などを前もってメモしておく必要があり、小さなメモ帳を買ってそれに書いていました。すると、途中のポイントまでの時間をメモするようになりました。そうするうちに、さらに、休憩中に気が付いたことを書くようになったのでした。

ただ、普通のメモ帳なので、サコッシュから出し入れするうちに、表紙がボロボロになりました。また、汗がかかると紙がヨレヨレになったり、文字が滲んだりしました。

他にいいメモ帳はないかとネットで検索していたら、登山する人たちの間で「測量野帳」という測量用のメモ帳を使っていることを知りました。コクヨのそれは「隠れたベストセラー」だそうです。私も早速、ロフトに行って「測量野帳」を買いました。

山行の際は、スマホの登山アプリにダウンロードした地図を使っていますので、メモもスマホにすればいいようなものです。ただ、山行中に気が付いたことなどをメモするとなると、やはり紙に書いた方が手っ取り早くてしっくりするのでした。

飛行機や電車を使った旅だと、そこまでメモに残すということはありませんが、登山だとどうしてメモを取るのか(取ろうとするのか)。それは、やはり、自分の足で歩くということが大きいのだと思います。山に登るというのは、ルートの設定などの計画から当日の行動まで、すべて自分で立案し自分で実行しなければなりません。山に登っていると、息を切らして苦しい思いをすることもありますし、足が痛くてつらい思いをすることもあります。また、日没や道間違いで怖い思いをすることさえあります。

そのように、飛行機や電車の「おまかせの旅」とは違って、登山というのは全てのリスクを自分で背負わなければならないのです。それは、きわめて即自的で「身体的」な行為でもあるのです。私たちは息を切らせて山に登ることで、みずからの内にある「身体的」=原初的なものと向き合っているとも言えるのです。それは、とても新鮮で刺激的な体験です。

前も書きましたが、山の中では、自分を大きく見せるために虚勢を張る必要もなければ、狡猾に計算高く振舞ったり、卑屈になって他人の目ばかり気にする必要もないのです。自然に対して謙虚な自分がいるだけです。だから、山に行くと、浮世の憂さを忘れ「空っぽになれる」のでしょう。
2020.01.01 Wed l 山行 l top ▲
今年最後の山はどこに行こうかと迷いましたが、まだ足に不安があるので、時間的に余裕のある山をのんびりと歩きたいと思い、日の出山にしました。日の出山は、名前のとおり、東京の奥多摩の日の出町にある山です。すぐ隣には御岳山(青梅市)があります。

日の出山へのバスも、先週と同じ武蔵五日市駅から出ています。先週の槇寄山は2番のりばでしたが、今日は3番のりばでした。

新宿駅から6時26分発の中央特快高尾行に乗り、途中の立川で五日市線に乗り換え、武蔵五日市に着いたのが7時半すぎでした。それから、8時5分発の「つるつる温泉」行きのバスに乗って、約20分で終点のひとつ手前の「日の出山登山口」に着きました。ちなみに、終点の「つるつる温泉」と「日の出山登山口」は、歩いて数分の距離しかありません。

駅からは7~8人乗客はいましたが、いづれも途中で降りて、最後までバスに乗っていたのは、私を含めて2人だけでした。もうひとりは、終点のつるつる温泉の従業員とおぼしき初老の女性でした。

日の出山の登山ルートは、いくつかありますが、代表的なのは御岳山から登ってくるルートです。日の出山(902メートル)は、御岳山(929メートル)より低いので、御岳山からだと下りがメインで、1時間くらいで来ることができるそうです。もっとも、御岳山自体も、ケーブルカーを利用すれば、登山という感じではありません。むしろ、ロックガーデンを訪れるには、遊歩道から下に下りなければならないのです。

日の出山を紹介するサイトに、「ケーブルカーを使ってハイキング」と書いていましたので、日の出山にもケーブルカーがあるのかと思いましたが、それは御岳山のケーブルカーのことでした。

日の出山は、都心方面の見晴らしがいいので、初日の出を見る人たちが多数訪れるそうです。おそらくそれも、御岳山経由で来る人が多いのでしょう。

私が選んだのは、直下の「日の出山登山口」から登るルートでした。登りは2時間、下りは1時間半でした。

他にもいくつかルートがありますが、山頂にいると、三室山方面から登ってくる人たちも結構いました。三室山のルートも、途中でつるつる温泉に下りることができるみたいですが、多くは尾根を歩いた先にある奥多摩線の日向和田駅や二俣尾駅から登って来ているのでしょう。また、御岳山から来て、三室山の方に下る人たちもいました。

私も、三室山に下ろうかと思ったのですが、やはり、最初に決めたルートを歩くのが山行の鉄則だという、三頭山で言われたことばを思い出し、当初の計画通り「日の出山登山口」に下りました。

日の出山は、山頂直下の600段以上あると言われる“階段地獄”を除けば、拍子抜けするくらい登りやすい山でした。登りもゆるやかで、“階段地獄”以外息が上がることもありませんでした。今日は、「後半で差を付ける」アミノバイタルを忘れずに飲みましたが、後半の“階段地獄”にはまったく効果はありませんでした。

おとといだったか、関東の内陸部に雪の予報がありましたが、日の出山にも雪が降ったみたいで、山頂やその手前の登山道にはまだ雪が残っていました。僅かな距離ですが雪の中を歩かなければなりませんでした。特に、下りのときは滑るので気を使いました。

山頂に行ったら、東屋のベンチを70代くらいの男性が占領していて、まだ時間は午前10時すぎなのに昼食なのか、テーブルの上でお湯を沸かして弁当を食べながらインスタントのみそ汁を飲んでいました。

見るからに偏屈そうで、「こんにちわ」と挨拶してもギョロと睨み返すだけで返事もしません。頂上には数人の先客がいましたが、彼らは下の雪が積もってないベンチを見つけて座っていました。あきらかに東屋を避けている感じです。

そうするうちに、あとから登ってきたソロの女性が老人の真向かいに座って、ザックをテーブルの上に置いたのです。すると、老人は「テーブルなんだからザックは下に置けよ」と吐き捨てるような言い方で注意したのです。そもそも東屋に来たのが気に入らない感じでした。女性は、びっくりした様子で、あわててザックを手に取ると下のベンチに移動しました。他の人たちが、東屋を避けて下のベンチに座っているのは、そういうことだったのかと合点が行きました。

一方で、男性は、山頂にみそ汁の匂いを漂わせながら、持参した携帯ラジオを大きなボリュームでかけているのです。ラジオからはNHKのニュースが流れていました。

私も、最近は堪え性がなくなり、「キレる老人」になりつつありますので、それを見たら我慢できず、すかさず男性の方に向かって行って男性の目の前に立つと、「お前のラジオこそ迷惑だろ」「消せよ」と言いました。

思わぬ展開に男性はあたふたした様子で、それからほどなく荷物を畳むとそそくさと下山して行きました。下山したあと、近くのベンチに座っていた男性が、「このあたりは、ああいった我が物顔の人が多いんですよ」と言ってました。

カメラで山頂標識を撮っていたら、雪で覆われた方位盤の台座に「皇太子殿下浩宮様 平成二十四年一月十三日御登頂 ここより皇居を望む」と銘文が貼られているのに気付きました。横には、「平成二十四年一月十三日御登頂」という木柱も立てられていました。「ここより皇居を望む」とは、まるで日本武尊のようです。この時代にわざわざそんな大仰な言い方をするかと思いました。

下記の「皇太子・登山一覧」で調べると、2012年1月13日に御岳山経由で登っていることがわかりました。御岳山からのルートが整備されているのはそのためかもしれません。もしかしたら、方位盤も来ることがわかってあわてて設置したのかもしれません。

新天皇は、皇太子時代に170以上の山を登ったそうで、日本山岳会の会員(特別会員)でもあります。「皇太子・登山一覧」を見ると、北アルプスのリスクの大きい山を除いて、主だった山は総なめという感じで、山登りが趣味だったのは間違いないでしょう。

皇太子・登山一覧
http://seiyou.ehoh.net/seiyou/+yama.htm

そう言えば、先週行った笹尾根も、笹尾根から三頭山に登ったそうで、檜原街道にある蛇の湯温泉には、浩宮様が入った風呂というのがありました。おそらく笹尾根に登った際、入ったに違いありません。

でも、”やむごとなき登山”は我々の登山とは違います。単独行なんて夢のまた夢です。まわりの人間たちは、「すごい体力をお持ちで」と決まり文句のように持ち上げますが、一方で、お付きのおっさんたちのためか、10分おきに休憩していたという話もあります。

下のkojitaken氏のブログは秀逸で、私も愛読しているのですが、皇太子の登山に関して次のような記事がありました。

kojitakenの日記
新天皇・徳仁と山小屋

各地にあると言われる「プリンスルート」については、『裏声で歌へ君が代』(丸谷才一)ではありませんが(小説の内容とはまったく関係ありませんが)、ベテラン登山者の間でひそひそ話として語られていたのを私も知っています。

前に紹介した『週刊ダイヤモンド』の「山の経済学」が書いているように、国立公園であるにもかかわらず、登山道の整備などにはほとんど予算が割かれず、民間のボランティア任せになっている「お寒い現状」があるのですが、もちろん、”やむごとなき登山”は別なのです。トイレも見違えるようにきれいになるそうです。言うなれば、私たち下々の登山者は、そのおこぼれに与っていたようなものです。しかし、これからはおこぼれに与ることもできないのです。ホントに山が好きだったみたいなので、やむごとなき家に生まれた宿命とは言え、かわいそうな気がしないでもありません。

思い出のアルバムをめくりながら、あるいは、皇居の木々を眺めながら、在りし日の山行に思いを馳せ、しんみりした気持になることはあるのだろうか。下々の人間はそんなことを想像するのでした。

また、天皇の「四大行幸啓」のひとつである全国植樹祭についても、次のような鋭い指摘がありました。

同上
「植樹祭」は悪質な自然破壊だ

笹尾根にはそれらしき形跡は残っていませんでしたが、三頭山へは別に都民の森からも登っていますので、都民の森の立派な森林館や三頭山の整備された登山道も、”やむごとなき登山”と関係があるのかなと思いました。

帰りにつるつる温泉に寄ろうかと思っていましたが、下山したらちょうど武蔵五日市駅行きのバスが来たので、寄らずに帰りました。

来たのは、機関車トーマスのような観光用のバスで、ワンマンではなく車掌が乗車し、昔のようにマイクで次の停留所の案内をしていました。でも、中に乗っているのは、山帰りの小汚いおっさんとおばさんで、なんだかみんなバツが悪そうでした。途中から乗ってきたおっさんは、テン泊でもしたのか、異様に大きいザックを背負っていたのですが、そのザックが通路の角にひっかかって前に進めず、足が空回りしていました。何度やっても同じなのに、性懲りもなく何度もくり返しているのです。まるでドリフのギャグのようで、私は、思わず吹き出しそうになりました。

武蔵五日市からは、先週とまったく同じルートを乗り継いで帰りました。途中、電車が遅れたので、最寄り駅に着いたのは午後4時近くになりました。

夕飯のおかずを買うために、いつも行く駅前のスーパーに寄ったら、入口を入ったすぐのところに特設コーナーが設けられて、サンタの衣装を着た若い女の子たちが、「ケーキいかがですか!」「チキンはいかがですか!」と大きな声を上げながら、ケーキやローストチキンなどを売っていました。「そうか、今日はイブだったな」と一瞬思いましたが、そのまま通りすぎて、いつもの総菜売り場に向かいました。


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下にも雪が残っていました。

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目印にもなっている有名な(?)オブジェ

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同上

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登山道は真ん中の階段から登って行きます。

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関東近辺の神社や山ではおなじみの日本武尊!
それにしても、顎をかけた岩って・・・・。なんでもありです。

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馬頭観音もおなじみ

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途中からの眺望

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いい感じの尾根道

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登山道にも雪

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山頂直下の石段

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山頂からの眺望

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方位盤の台座

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下山時、”階段地獄”を振り返る

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これも

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これも

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一ケ所だけ路肩が崩落したところがありました。

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苔むした路傍の石仏
2019.12.24 Tue l 山行 l top ▲
何度も書かねばなりませんが、沢尻エリカ逮捕に関して、彼女にMDMAを渡したと言われていた元恋人は、結局、釈放され不起訴になりました。文字通り、泰山鳴動して鼠一匹になったのです。

メディアは、沢尻エリカやその恋人の逮捕によって、芸能界で芋ずる式の摘発がはじまるようなことを書いていましたので、なんだか肩透かしを食らったような感じです。僭越ですが、私のようなシロウトでもわかる話なのに、メディアはどうして、沢尻逮捕が拙速で杜撰であることがわからなかったのか。「新聞記者」「報道記者」が聞いて呆れます。

しかし、彼らはここに至っても、元恋人の釈放は「泳がせている」だけだというような記事を書いているのです。それこそ何とかに付ける薬はないとしか言いようがありません。

彼らは、沢尻エリカが保釈されたあとそのまま都内の某大学病院に直行したことについても、(前の記事で書いた)TBSの夕方のニュースのカマトト男性アナウンサーと同様、薬物治療のために入院したようなことを書いていました。しかし、沢尻エリカは尿検査は陰性で、薬物を使用した証拠(形跡)はどこにもないのです。

その後、沢尻エリカは大学病院から別の病院に転院したそうです。すると、彼らは、前言を翻して、沢尻エリカが入院した某大学病院は薬物の専門治療ができないので、元TOKIOの山口達也が「静養」した関東近郊の心療内科専門の病院に転院したと言っています。でも、山口達也は薬物とは関係がなく、彼が芸能界を引退したのは未成年者に対する「強制わいせつ容疑」です。心療内科に転院したのは、山口達也と同じように、事件によるストレスで身心に影響が出ているので、治療し「静養」するためでしょう(それと、メディアの取材から逃げるためでしょう)。

さらに、メディアは、言うに事欠いて、大学病院は入院費が高額になるので、入院費が安い病院に転院したなどと言い出す始末です。まさに妄想のオンパレードで、言っていることはネットのそれと変わらないのです。彼らはホントに記者なのか。一体、何を取材しているのかと言いたくなります。

伊藤詩織さんの事件は、同じ山口姓でも山口達也とは雲泥の差でした。彼女からの告訴状を受理した警視庁高輪署は、捜査した結果、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある」(刑事訴訟法)と判断して、元TBSワシントン支局長・山口敬之氏の逮捕状を東京地裁に請求、東京地裁も逮捕の必要性を認め逮捕状を発付したのでした。にもかかわらず、かつて菅官房長官の秘書官を務め、官邸ときわめて近しい(と言われている)山本格警視庁刑事部長(当時)の指示で、「安倍晋三の伝記作家」(英タイムズ紙)である山口氏の逮捕は執行寸前で見送られたのです(のちに書類送検され不起訴処分)。山本氏自身も、官邸の介入は否定していますが、自分が執行停止を指示したことは認めています。

警察なんて政治の意向でどうにでもなるのです。もとより警察も国家権力の一員です。沢尻逮捕に政治的な意向がはたらいてないとどうして言えるのか。

尚、山口氏と官邸の関係については、下記の「デイリー新潮」の記事が詳しく伝えています。

Yahoo!ニュース
デイリー新潮
伊藤詩織さん「勝訴」!敗訴の「山口敬之」 TBS退社後を支えた美味しすぎる“顧問契約” 菅官房長官の口添えも…

”政治のマフィア化”という点でも、安倍政権はロシアのプーチン政権とよく似てきました。

元恋人の釈放&不起訴でますます明らかになった沢尻エリカ逮捕の拙速で杜撰な面(その不可解さ)がなにを意味しているのか、その背景には何があったのか、伊藤詩織さんの事件をヒントに、もう一度考えてみる必要があるでしょう。


関連記事:
沢尻エリカ保釈のバカ騒ぎ
沢尻エリカ逮捕の拙速と杜撰
沢尻エリカ逮捕と疑惑隠し
2019.12.22 Sun l 芸能・スポーツ l top ▲
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考えてみれば、今日は12月20日で、今年もあと10日あまりとなりました。でも、あまり年の瀬という感覚はないのでした。年を取ると、時間が経つのが早くて、1年なんてあっという間です。なんだか季節の感慨も追いつかないほどです。

来週は、もう仕事納めです。それで、午後から病院に行きました。薬を処方してもらわないと、正月の間薬なしで過ごさなければなりません。別に飲まなくても、急に症状が変わるような疾患ではないのですが、私はそういったところは案外律儀な性格なのでした。同じ病院に通っている知り合いは、ひと月に1回行かなければならないのに、いつも2ヶ月に1回しか行かないので、行くたびに先生から皮肉を言われると言ってましたが、彼のような患者に比べれば、私は“優等生”と言えるのかもしれません。

病院に行くと、やはりいつもより患者が多くて、待合室は座る場所もないくらいでした。結局、診察(と言っても、1分くらいで終わる簡単な問診)まで1時間半もかかりました。病院の下にある調剤薬局も人が多く、そこでも30分以上待ちました。

薬局を出たら、午後5時をまわっていましたが、それから市営地下鉄に乗って桜木町に行きました。毎年、赤レンガ倉庫で行われているクリスマスマーケットを見ておこうと思ったからです。

クリスマスが近づくと、山下達郎の「クリスマスイブ」やジョン・レノンの「ハッピークリスマス」が街角に流れたりしますが、最近、そういった定番のクリスマスソングを聴いても心がときめくことがなくなりました。

以前だと、渋谷駅前のオーロラビジョンからクリスマスソングが流れると、クリスマスが近づいたんだなあと心がザワザワしたものです。しかし、いつの間にかザワザワすることもなくなりました。クリスマスのイルミネーションも同じで、イルミネーションを観に行こうなんて考えることすらなくなりました。

金曜日ということもあって、汽車道も大勢の人が行き交っていました。汽車道の対岸の船員アパートが立ち並んでいたところは、タワーマンションとアパの高層ホテルが建ち、まるであたりを睥睨するかのようにその威容を誇っていました。こうして“記憶の積層”がどんどん消えていき、横浜らしさがなくなっていくのです。

クリスマスマーケットも、今や食べ物のイベントになっています。もともとは、本場のドイツと同じように、(主にドイツの)クリスマスグッズを販売するイベントでした。最初は横浜だけで行われていましたが、今では都内でも何ケ所かで行われています。それにつれ、横浜の方は食べ物に傾注して行ったのでした。もっとも食べ物も、ほとんどがクリスマスと関係のないものばかりです。それを強引にクリスマスにこじつけているに過ぎないのです。

業界にいた人間から見れば、こういったところにも輸入雑貨が過去のものになったことを痛感させられるのでした。昔は、クリスマスカードをはじめ、クリスマス関連の雑貨は飛ぶように売れ、この時期は文字通り猫の手も借りたいほどでした。海外の雑貨がそれだけめずらしかったということもあったのでしょうが、もうひとつは、クリスマス自体が”特別なもの”だったからでしょう。世間も私と同じように、もうクリスマスに心をときめかすことがなくなったのかもしれません。

端の方にグッズを売っているテントがありましたが、見ると、ロシアの民族衣装を着た外国人が、マトリョーシカを売っているのでした。マトリョーシカとクリスマスはどういう関係にあるんだろうと思いました。

広場では、これも恒例のスケートリンクが設置されていましたが、最初の頃と比べると規模も設備もショボくなるばかりです。他には、横浜お得意の光のデジタルアートのイベントが催されていました。デジタルアートは、お金もかからずお手軽なので、イベントの穴埋めにはうってつけなのでしょう。

こうしてイベントに行ったり街を歩いたりすると、クリスマスなど師走の風景から疎外されている自分をしみじみと感じます。こういうのを「広場の孤独」(堀田善衛)と言うのだろうかと思いました。

来週あたり、”登り納め”ではないですが、今年最後の山に行こうかなと思っています。やはり、誰もいない冬枯れの山を歩く方が心が落ち着きます。今の自分にはそっちの方が似合っている気がするのでした。


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2019.12.20 Fri l 横浜 l top ▲
昨日(月)、奥多摩の槇寄山(まきよせやま)に登りました。槇寄山は、檜原村にあり、先月登った三頭山の下山ルートによく使われる山です。

武蔵五日市駅前のバス停から、三頭山に登ったときと同じ路線のバスに乗りました。ただ、三頭山の登山口がある都民の村への直通バスは、12月~3月(休日は12月~2月)まで冬季運休しているため、都民の森の手前にある「数馬」行のバスに乗りました。

先月三頭山に登ったときは、バスは満員で座れない人もいたくらいでしたが、昨日は駅から乗ったのは数人でした。しかも他の乗客は途中の檜原村役場までで全員降りたので、それから先は乗客は私ひとりでした。

武蔵五日市駅から1時間20分バスに乗り、終点のひとつ手前の「仲の平」というバス停で降りました。既に時間は午前10時をまわっています。新宿からは3時間半かかりました。

「仲の平」のひとつ手前には、「数馬温泉センター」というバス停があります。「数馬温泉センター」の前にある数馬の湯は、食事処なども併設された温泉施設で、三頭山から槇寄山を縦走して数馬に下りる人たちの多くは、下山後に数馬の湯で汗を流すのが目的なのでした。尚、「数馬」「仲の平」「数馬温泉センター」のバス停は、それぞれ歩いて数分の非常に近い距離にあります。

槇寄山は、標高1188メートルで、笹尾根という尾根にあるピークのひとつです。笹尾根は、丹沢の表尾根ほど有名ではありませんが、奥多摩を代表する尾根のひとつで、最終的には高尾山まで(距離にして33キロ)つづいています。私が先月、下山に使ったヌカザス尾根とはちょうど反対の南側にあります。笹尾根は、ヌカザス尾根のような急登はなく、平坦で歩きやすいので、ハイキングに使う人たちも多いそうです。今は亡き田部井淳子さんが、笹尾根を好んで歩いたという話はよく知られています。

槇寄山には2時間弱で登りました。難所もなく、初心者向けのハイキングにはうってつけの山だと思いました。途中、樹林の間から三頭山や大岳山を見ることもできました。

登りも下りも誰にも会いませんでした。ただ、山頂で休憩していたら、ソロのハイカー二人が登ってきました。

槇寄山は、笹尾根の通過点のような扱いなので、山頂手前の西原峠にある道標には槇寄山の表示がなく、どっちに行っていいのかわからず戸惑いました。結局、三頭山と表示された方向に5分歩くと山頂に着きましたが、そういったところもぞんざいな扱いになっているのがよくわかります。

でも、山頂に行くと、「おおっ」と思わず声を上げました。眺望を確保するために木を伐採したのか、富士山の方角の南側が拓けており、丹沢の山々の背後に聳える富士山の雄大な姿が目に飛び込んできたのでした。冠雪した富士の嶺は、奥多摩の山の風景の中に、ひときわその存在感を放っていました。私は、ここは穴場だなと思いました。

山頂には、テーブルが二つあるきりです。山頂標識も、槇寄山の文字が消えかかった古い木の柱があるだけです。

ベンチに座って行動食で持ってきたチョコレートを食べていたら、40代くらいの男性が登って来ました。見ると、トレランの恰好をしています。

「トレランですか?」
「はい、一応、そうです」
「走って登ってきたのですか?」
「いや、登りはさすがに走れなかったです」

聞けば、三多摩地区の某市に住んでおり、最初はマラソンをしていたのだそうです。

「最初は都心の方に向かって走っていたんですよ。でも、それに飽きたので、山の方に向かって走っていたら、いつの間にか山の中に入るようになったんです(笑)」
「なんだか、マンガみたいな話ですね(笑)」
「そうなんです。マンガみたいな話ですよ(笑)」

マラソン歴は長いけど、トレランはまだ1年くらいだと言ってました。ただ、体形は見るからにアスリート向きの細い身体をしています。体脂肪率は11パーセントだそうで、体脂肪率23パーセントの人間から見れば驚異の体形です。

「すごいですね!」
「いや、トレランをする人は、体脂肪率が一桁の人が多いですよ。私も一桁が目標なんですが、これが限界なのか、なかなか一桁にならないんですよ」
「食事制限などはしているんですか?」
「いや、全然」

運動をしている人に「食事制限」は愚問だったかなと思いました。

彼もまた、単独行が好きなタイプの人間で、トレランの同好会などの雰囲気が好きではなく、彼らとは距離を置いているそうです。

前にレースに出場した際、下り坂で顔から転倒して大けがをしたので、それ以来、下りに対する恐怖心を払拭することができないでいるという話から、山での歩き方などの話になって、結局2時間近く話し込みました。単独行が好きな者同士で波長が合ったのかもしれません。

山に行っているうちに、登りの際、身体が(特に上下に)ブレるとひどく疲れることがわかりました。マラソン中継の解説でも、身体のブレや揺れがどうのという話が出てきますが、登山も同じなのだと思います。

山から帰った夜、テレビで「帰れマンデー」という旅番組を観ていたら、マラソンの高橋尚子がゲストで出ていましたが、彼女は山道を歩くシーンで、手を後ろに組んで歩いていました。そうやって身体がブレるのを防いているのでしょう。山に登るときも、前で腕を組んだりしますが、あれも同じで、姿勢を保ち身体がブレるのを防ぐという意味もあるのだと思います。

山では、「徐々に体重(重心)移動しろ」と言われますが、一方で、「腰で歩け」とも言われます。腰を使うというのが、体重(重心)移動のポイントのように思います。

私は、岩や階段に片足を乗せた際、次の動作に移るのに心持ちワンテンポ遅らせるようにしています。そして、腰を使って下の足(軸足)から上の足へ体重(重心)を移動するのです。そうやってひとつひとつの動作を、意識して行うように心がけています。登山というのは、2万5千歩から多いときは3万5千歩くらい歩くので(しかも足への負担が半端ない山道を歩くので)、一歩一歩の違いが大きな違いになって表れるのです。

若い頃に無茶をして膝を痛めると、膝のキズは一生残ることになります。よく言われますが、関節は筋肉などと違って鍛えることはできないのです。それが関節とほかの部位との根本的な違いです。

山に行くと、(若い人に多いのですが)ドカドカドカと力まかせな歩き方で追い抜いて行く人たちがいますが、そんな人たちは、やがて膝を痛めて山に来れなくなる可能性が高いでしょう。彼らは、歩行技術などどこ吹く風で自己流で山に登っているのでしょうが、もったいないなといつも思うのでした。

姿勢が大事だというのも同じことです。「体幹を使って歩く」という言い方をする人もいますが、頭が下がり前かがみになって歩くと、どうしても膝に負担がかかってしまいます。オーバーな言い方をすれば、体重や歩行の衝撃を膝で支えるような恰好になるからです。頭を上げ背筋を延ばして正しい姿勢で歩けば、身体の軸(体幹)で身体を支えるようになるので、その分膝の負担が軽減されるのです。

また、以前『山と渓谷』の膝痛に関する記事の中で、体重(重心)を受ける足の膝は、伸ばした方が膝の負担が軽くて済むとカイロプラクターの方が言ってましたが、考えてみればその方が理に叶っているように思います。普通、下りでは、膝を曲げ膝をクッションにして歩けと言われますが、階段など段差の大きなところでは、着地したらなるべく膝を伸ばして軸足からの体重(重心)移動を受けるというのも、大事なポイントのように思います。

記事の中でカイロプロテクターの方は、山登りで重要なのは筋力よりバランス感覚だとも言ってました。ベテランの登山ガイドの方なども、よくそう言います。中高年に転落・滑落事故が多いのは、年齢とともにバランス感覚が衰えるからだそうです。スクワットをして膝を痛めるより、バランスボールなどを使ってバランス感覚を養った方がいいと言われますが、たしかにそうかも知れません。

私自身、若気の至りで膝に古キズがあり、しかも、長身で猫背なので、自分の歩き方と照らし合わせるとよくわかるのでした。

そんなことを話していたら、三頭山の方からやはり40代くらいの女性が登って来ました。聞けば、ヌカザス尾根から三頭山に登り、これから私たちと同じ「仲の平」へ下山するのだとか。

三頭山から槇寄山に来たのは、「笹尾根をつなぎたかったから」と言ってました。今まで二回に分けて高尾山まで歩いているので、今回で笹尾根の縦走が完結するのだそうです。「今年中に完結したいと思っていたのでよかったです」と言ってました。

私が、ヌカザス尾根を下った話をしたら、「エエッ、あれを下りたんですか? 登っていたとき、これは下りの方が大変そうだなと思いましたよ」と言ってました。

彼女は、奥多摩湖から三頭山の山頂まで4時間かかったそうです。今日は三頭山の山頂には誰もいなくて、ヌカザス尾根でもすれ違ったのはひとりだけだったとか。

彼女もまた、単独行が好きなんだなと思いました。おこがましいですが、私は、加藤文太郎の『単独行』を読むと、ひとりで山に行く勇気のようなものを貰います。同じように、こうやってソロで山にやって来ている人たちと話をすると、共感するところが多いのでした。

私は、あらためてひとりがいいなあと思いました。そして、最後はこうしてひとりで死んでいくんだろうなと思いました。

二人がそれぞれ下山したあと、私は、しばらくひとりで山頂に残り、それから下山しました。1時間ちょっとで「仲の平」のバス停に戻りました。

しかし、次のバスまで45分くらい時間があります。「仲の平」のバス停にはベンチしかないので、隣の「数馬温泉センター」まで歩きました。数馬の湯は定休日でしたが、前には屋根付きの立派なバス停がありましたので、そこで食べ残したおにぎりを食べて、バスを待ちました。

武蔵五日市駅に戻って来たのは、夕方の6時すぎでした。それからJR五日市線に乗って、いつものように拝島で八高線、八王子で横浜線、菊名で東横線に乗り換えて帰りました。最寄り駅に着いたときは、午後8時半をまわっていました。

時間の短いお手軽な山行でしたので、足の調子も良くて、いいリハビリになりました。


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武蔵五日市駅 ※スマホで撮影

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駅前のバス停。誰もいない。※スマホで撮影

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「仲の平」バス停

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西原峠

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槇寄山の山頂標識。文字が消えかかっていて読み取れない。

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山頂の様子

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数馬の湯
2019.12.17 Tue l 山行 l top ▲
混迷を深めていたイギリスのEU離脱(ブレグジット)も、離脱の是非を問う下院の総選挙で、離脱強硬派のジョンソン首相が率いる与党の保守党が圧勝したことにより、来年1月末までの離脱が決定的になりました。

一方、離脱に対して賛成から残留に舵を切り、方針が一貫しなかった野党の労働党は大敗。党内最左派(オールドレイバー)のジェレミー・コービン党首は、責任を取って辞任することになりました。

かねてからブレイディみかこ氏は、ブレグジットについて、下層の労働者たちがどうして労働党に三下り半を突き付け、保守党を支持するに至ったかを、右か左かではなく上か下かの視点からルポルタージュしていました。私も、再三、このブログでブレイディみかこ氏のルポを紹介していましたので、離脱が決定的になった今、氏の最新報告を読みたいと思い、「UK地べた外電」というルポを連載していた晶文社のサイト・スクラップブックにアクセスしてみました。しかし、案の定、連載は昨年の3月から途絶えたままでした。

晶文社 スクラップブック
UK地べた外電

また、氏のオフィシャルブログも、最近は本の宣伝ばかりで、オリジナルの文章はすっかり姿を消しています。そのため、Yahoo!ニュース(個人)に転載されていた文章も、2017年6月から途絶えたままです。

その一方で、ブレイディみかこ氏はすっかり売れっ子になっており、毎日新聞や朝日新聞で「時評」を連載したり、新潮社から本を出したりしています。さらに、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)では、毎日出版文化賞の特別賞を受賞しています。

最近はよく帰国しているみたいなので、まだ保育士をつづけているのかどうかわかりませんが、オフィシャルブログに矢部太郎と対談したことを自慢げに書いている氏を見ていると、(私の感覚では)なんだか痛ましささえ覚えてなりません。

ブレイディみかこ氏には、「アナキズム・イン・ザ・UK」というブログもありますが、やはり2015年から途絶えたままです。売れっ子になったので、アナーキーな心情も忘却の彼方に追いやったということなのでしょうか。

私自身は全共闘運動に乗り遅れた世代ですが、私たちは、全共闘運動に随伴してさかんに学生たちを煽っていた“左翼文化人”たちが、運動が終焉を迎えると手の平を返したように豹変し、お得意の自己合理化をはかりながら体制内に戻って行ったのを嫌と言うほど見てきました。

それをある人は「新左翼ビジネス」と呼んでいました。今は右の時代なので、愛国ビジネスやヘイトビジネスが盛んですが、左も例外ではないのです。

"左翼文化人"たちは、左派のシンパの人間たち向けに、受けのいい文章を書いて禄を食んでいたにすぎないのです。でも、私たちは、"左翼文化人"が売文業者だったなんてゆめゆめ思っていませんでした。貨幣ならぬ”文字の物神性”のようなものに呪縛されている私たちは、文字になって”書かれたもの”を無定見に信じるがゆえに、いとも簡単に騙されてしまったのでした。

今のブレイディみかこ氏を見ていると、もうタダの文章は書かない(無料経済はやめた)、大手出版社と全国紙しか相手にしないとでも言いたげで、残念な気がしてなりません。


関連記事:
EU離脱と地べたの人々
『ヨーロッパ・コーリング』
ギリシャ問題と「勝てる左派」
2019.12.15 Sun l 本・文芸 l top ▲
今日のYahoo!ニュースに、日刊工業新聞の下記の記事が転載されていました。

Yahoo!ニュース
韓国からの訪日客減も…盛り上がる九州観光のワケ

記事はこう書きます。

 同県(引用者:大分県)内の10月の観光統計調査(速報値)のうち、英国からの延べ宿泊者は前年同月比59・1倍の1万3949人、フランスが同21・6倍の4261人となった。前年の統計がない豪州は9065人を記録した。従来の主力だった韓国からの来訪者が日韓関係の冷え込みで大幅に落ち込む中、県内観光を大いに盛り上げた。


しかし、これはどう考えても、一時的な「活況」にすぎないのです。だからなんなんだというような記事です。

日韓対立の影響で、韓国の格安航空の定期便が運休したために、大分県は観光客の半分以上を占めていた韓国人観光客が激減して深刻な状況に陥っているのですが、そんな大分県にとって、ワールドカップの「活況」などホンの気休めでしかないのです。

前月の9月の観光統計調査によれば、県内の韓国からの宿泊客数は前年同月に比べ31464人(83・9%)減の6026人にまで落ち込んでいるそうです。この数字をみても、その深刻度が伺えます。

地元で宿泊業や飲食業などをしている知人たちに聞いても、ワールドカップのときは欧米の観光客の需要はあったけど、ワールドカップが終わった今は「真っ暗闇」「閑散としている」と言っていました。そして、彼らはおしなべて、「日本人(観光客)はお金を持ってない」「お金を使わない」と言います。もはや日本人頼りでは、観光業は成り立たないのです。

日刊工業新聞の記事は、ワールドカップで如何にも光明が見えてきたかのように書いていますが、光明なんてどこにもないのです。

大分県の広瀬知事は、韓国に代わる台湾や中国からの航空路線の就航をはたらきかけていきたいと言ってましたが、今まではたらきかけて実現しなかったのに、そんなに都合よく実現するのだろうかという疑問を抱かざるを得ません。これも気休めと言うべきでしょう。

日韓対立に関する報道では、困っているのは韓国で、そのうち韓国が日本に泣きを入れてくるだろうというような見方が多くありましたが、ホントに困っているのは日本ではないのかと思えてきます。

日韓対立に対する安倍政権の姿勢は、北朝鮮に圧力を加えれば、そのうち北朝鮮が泣きを入れて拉致被害者を差し出してくるという、荒唐無稽な拉致対策とよく似ています。拉致被害者の家族たちも、そんなネトウヨ的妄想を真に受けていたのです。

ところが、手詰まりになった安倍政権は、最近は、北朝鮮に対して「無条件対話」を呼び掛けるまで後退しているのです(でも、北朝鮮からは相手にされない)。韓国に対しても同様で、強気な態度が徐々に影を潜め、対話を模索しはじめているフシさえあります。まず最初にネトウヨ的妄想ありきという感じで、やっていることが場当たり的なのです。

私たちはトランプの振る舞いの中に、彼を支持するアメリカ国民の民度の低さを見て嗤ったりしますが、それこそ岡目八目と言うべきで、安倍政権も似たかよったかなのです。アメリカ国民の民度を嗤えないのです。

安倍政権の本質は、案外、下記のような記事にあるのかもしれません。

Yahoo!ニュース
NEWS ポストセブン
安倍内閣は立場弱い者に居丈高 根底に学歴コンプレックスか

「ニッポン、凄い!」と自演乙している間に、政治でも経済でも日本の国際的な地位は低下の一途をたどるばかりです。アベノミクスということばもいつの間にか聞かれなくなりました。だから、よけい自演乙せざるを得ないのかもしれません。衆愚=国民をごまかせても、現実はごまかせないのです。


関連記事:
ヤフコメの膝を打つような書き込み
日本は「買われる国」
2019.12.11 Wed l 社会・メディア l top ▲
一昨日(金)、東丹沢の仏果山(ぶっかさん)に登りました。仏果山は、神奈川県の清川村と愛川町の境界にあり、宮ヶ瀬ダム沿いに主要な登山口があります。

朝7時15分、新宿発の小田急ロマンスカーに乗り、本厚木で下車。本厚木からバスに乗って、約30分で「仏果山登山口」のバス停に着きました。今回は初めてなので、「仏果山登山口」からのいちばんわかりやすいルートで登ることにしました。ネットで調べたとおり、バス停のすぐ後ろに登山口の階段がありました。

前回の大岳山での足の“異常”にショックを受けたので、今回はリハビリ用に「軽い登山」を選んだつもりでした。標高も747メートルなので、鼻歌交じりで登れるのではないかとタカをくくっていたら、予想に反して案外登り応えのある山でした。

宮ケ瀬越という尾根に出ると、右が仏果山で左が高取山に分岐していました。とりあえず、右の仏果山に向かいましたが、下山時、高取山にも寄りました。

丹沢名物の階段もありましたし、山頂の手前はロープが張られたちょっとした岩場(らしきもの)もありました。岩を登るのに、足をかけるところがなくて、片足を腰のあたりにかけ、下の足を蹴上げてその反動で登るような恰好になったのですが、その際、腰を捻ったみたいで、腰痛が翌日まで残りました。

あれじゃ身体の小さい人たちは登れないだろうと思いましたが、皆さん、ちゃんと登って来ているのです。おそらくほかの方法があったに違いありません。私は、その方法を見つけることができなかったのです。小さなことですが、なんだか自分の未熟さを知った気がしました。

行きのバスでは、中年の男性に引率された10人くらいのおばさんのグループと一緒でした。いわゆる「おまかせ登山」のご一行です。見事なほど、子どものように身体の小さいおばさんたちが揃っていました。登山は、競馬の騎手と同じで、身体の小さい人が有利ですが、おばさんとて例外ではないのです。日本が登山大国になったのは、日本人の体格が登山向きであったという理由も大きいのだと思います。だから、欧米のようなトレッキングやハイキングではなく、日本人はバカの高上りのように、みんな山頂を目指すのです。今のアウトドア(キャンプ)ブームは、そんな薄っぺらな山の文化に対するアンチテーゼと言えなくもないでしょう。

道中では、昭和初期の登山家・加藤文太郎の山行日記『単独行』(青空文庫)を読んでいましたので、よけい「おまかせ登山」に対しての違和感を抱かざるを得ませんでした。

加藤文太郎は、神戸にある三菱の造船所に勤めながら、休日を利用して山に出かけていたのですが、それはほぼ単独行(今で言うソロ)でした。今のような詳細な登山用の地図がなかったので、地元のガイドを雇いパーティを組んで登るのが主流だった当時にあって、とりわけ北アルプスの山々を単独で登攀したことにより、人々に知られる存在となったのでした。

また、新田次郎の代表作『孤高の人』は、加藤文太郎をモデルにした小説として知られています。気象庁の職員であった新田が富士山山頂の気象レーダーの建設に従事していたとき、冬の富士山山頂にひとりで登ってきた若者=加藤文太郎に心を打たれ、のちに『孤高の人』を書いたと言われています。

高等小学校を卒業後、働きながら工業学校の夜間部を出て造船技師になった加藤は、当時、インテリが多くを占めていた登山の世界では異色の存在でした。『単独行』を読むと、加藤もまた、家族や職場のストレスから逃れるために山に通っていた一面があることが伺えます。涸沢が「唐沢」と書かれていたり、上高地には島々から徳本峠を経て入るなど、今と違った部分もありますが(登頂の証しに名札を立てたり名刺を置いたりするのも今と違いますが)、しかし、山小屋の存在や途中で出会う登山者の様子などは、驚くほど変わってないのでした。山岳部の学生だけでなく、加藤と同じように休日を利用して北アルプスにやって来るサラリーマンも結構いたことがわかります。

昭和の初めにも、今と同じように人生に悩み、その答えを求めて山にやって来る若者たちがいたのです。そんなナイーブな彼らにとって、のちに訪れる戦争の時代(天皇制ファシズムが猛威を振るい、自由を奪った時代)は、どんなにつらかっただろうと想像せざるを得ません。戦場に行く前に、最後の思い出に山に登った若者もいたに違いありません。

2時間弱で仏果山の山頂に着きました。仏果山は、近くの禅宗の坊さんが座禅修行した山だそうで、そのためか、山頂にも小さな石仏がありました。

途中、会ったのはひとりだけでした。山頂のベンチでは、若い女性の二人組と中年女性の二人組がそれぞれ休憩していました。でも、しばらくすると下山して行き、誰もいなくなりました。私は、持参した昼食(コンビニのおにぎり)を食べて、ひとりでまったりしていました。とそのときです。来るときにバスで一緒だったおばさんたちのグループがドカドカと登って来たのでした。

「やっと着いたっ!」などと歓声を上げていました。リーダーの男性が、「ここで昼食にします」と告げていました。どういったグループなのかわかりませんが(なにかのツアーなのかもしれない)、中には花の絵の一覧表を入れたファイルを持っている人もいました。しかし、これじゃ花の探索もできないだろうと思いました。

山頂が賑やかになったので、下山することにしました。違うルートを下りようかと思いましたが、三頭山でのミスが頭をかすめ、ピストンで下りることにしました。途中、高取山にも寄りましたが、それでも1時間半くらいで下山することができました。

最近の私は、登りよりも下りに神経を使っています。基本に忠実に丁寧に下りようと心がけると、かえって疲れます。でも、足を守るためにはそうせざるを得ないのです。登山は、登りよりも下りの方が難しいというのを痛感させられています。

登山口のバス停で30分以上待ち、午後3時前のバスに乗って帰りました。本厚木からは小田急線で町田。町田からは横浜線で菊名。菊名から東横線に乗り換えて、最寄り駅に着いたのは午後4時半すぎでした。

山行時間も短かったので、足の疲れもそんなになく、心配した痛みも出なくてひと安心と思ったのもつかの間、町田駅で横浜線に乗り替えるのにホームへの階段を下りていたとき、突然、左足がカクンと力がぬけたようになったのでした。帰ってネットで調べたら、半月板損傷の症状と似ています。再びショックを受け、しばらく山に行くのはやめようかとか、整形外科に診察に行こうかとか、今、悩んでいる最中なのでした。


※今さらですが、サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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「仏果山登山口」のバス停。これは下りのバス停で、登山口は向かいの上りのバス停の方にあります。

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登山届は回収されてないようで、差し込み口からはみ出すほど満杯でした。

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紅葉はいくらか残っていましたが、もうあとわずかでしょう。

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丹沢名物の階段もありました。

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紅葉の間から見える宮ヶ瀬ダムの湖面

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宮ケ瀬越

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山頂手前の急登。登ったあと上から見下ろす。

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山頂標識

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山頂には鉄塔の見晴台が設置されていました。見晴台からの眺望。

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正面が帰りに寄った高取山

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宮ヶ瀬ダム

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もうひとつの山頂標識

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高取山

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高取山にも仏果山と同じ鉄塔の見晴台がありました。宮ヶ瀬ダムは高取山の方がよく見えます。

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先程登った仏果山

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下山した。

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バス停の前から宮ヶ瀬ダムの湖面

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バス停と登山口の遠景。登山口には、小菅村で行方不明になった女児の捜索ビラが貼られていました。
2019.12.08 Sun l 山行 l top ▲
今、夕方のニュースを観ていたら、「沢尻被告の保釈を認める決定」という速報があり、東京湾岸署からの中継がはじまりました。湾岸署の玄関には、沢尻被告が頭を下げて謝罪するシーンをカメラにおさめるべく、大勢のメディアが陣取っていました。

今日、沢尻エリカは麻薬取締法違反(所持)の疑いで起訴されたのですが、起訴された当日に保釈というのは異例だそうです。それだけ事件は限定的で、今後の広がりはないということなのでしょう。

警視庁の組織犯罪対策課と東京地検は、権力の面子に賭けて起訴したのでしょう。しかし、それは、当初描いた構図とは違って、沢尻エリカみずからが白状した棚ぼたのMDMA所持の起訴になったにすぎないのです(ほかにもLSDが見つかったという報道もあります)。しかも、所持と言っても、悪ガキが好奇心で持っていた程度の少量です。尿検査も陰性で、本当に依存性があったどうかさえもわかりません。結局は、沢尻エリカと彼女にクスリを渡した元恋人のデザイナー(ヤンキーの聖地=横浜で修行した典型的なストリート系のヤンキーデザイナー)の二人を起訴しておしまいになる可能性が大きいでしょう。

文字通り、大山鳴動して鼠二匹(一応、二匹出てきたけど)といった感じです。前も書きましたが、これほど拙速で杜撰な捜査はありません。まるで鼠よりも大山鳴動する(させる)ことが目的だったみたいです。警視庁と密通して捜査情報をもらった手前もあるのか、TBSはヘリコプターまで飛ばして「湾岸署の上空から中継」なんてやっていますが、どこまで恥さらしなんだと思いました。

そう言えば、あの日大アメフト部の悪質タックル問題も、事件性はなかったとして警察の捜査が終了したそうです。じゃあ、あの“疑わしきは罰する”報道はなんだったんだと思います。どう見ても、メディアがやっていることは重大な人権侵害でしょう。

こういったなんでもありの人権侵害(=市中引き回し)は、文春の“ロス疑惑”報道からはじまったのでした。小泉政権によって衆愚政治の堰が外されたように、文春によって報道の(人権の)堰が外されたのです。そして、なんでもありになったのです。

自宅に帰れば、自宅周辺が大騒ぎになるので、政治家と同じで、とりあえず病院に逃避して「クスリと絶縁」を演出したいのかもしれません。今後も芸能界に残るためには、そうせざるを得ないのでしょう。TBSの夕方のニュース番組のカマトトアナウンサー(ワイドショーや夕方のニュースでは、主婦受けを狙っているのか、カマトトな男性アナウンサーが多いのが特徴です)は、「病院で治療」を強調していましたが、(何度も言いますが)尿検査の結果が陰性だったのですから、「治療」するほどの依存性があるのかどうかもわからないのです。今や報道番組も、真実は二の次でそういった印象操作に走ってばかりで、ワイドショーとの見分けもつかないほどになっています。

TBSと同じ系列のスポニチは、尿検査が陰性だったことについて、大河ドラマが決まったので”クスリ絶ち”をしていたのではないかと書いていましたが、本当に依存性があるなら”クスリ絶ち”などできないはずです。言っていることがメチャクチャなのです。

どっかで聞いたセリフですが、「沢尻エリカよ、爪の垢程度のMDMAごときで頭なんか下げるな」と言いたかったけど、どうやら頭を下げるシーンはないみたいです。バカボンのパパではないですが、「それでいいのだ」と思いました。


関連記事:
沢尻エリカ逮捕の拙速と杜撰
田口被告の土下座
メディアの印象操作
2019.12.06 Fri l 芸能・スポーツ l top ▲
このブログも、山の話を書くようになってからアクセス数が半減しました。山だけが原因ではないでしょうが、一般の人にとって、山に登るというのはそれだけ関心外のことなのでしょう。

山に行くには当然ながら怪我のリスクも伴います。また、山登りは、お金のかかる趣味でもあります。服や用具も、「専門性」を盾にバカ高いのが常ですが、それだけではありません。

よく山で会った人から、日帰りで山に行くのに、5千円の予算で納めるようにしているという話を聞きますが、私の場合、5千円ではとても納まりません。

昨日の大岳山に行ったときも、1万3千円をおろして出かけたのですが、帰ってきて財布に残っていたのは2千円でした。パスモに5千円チャージしたのですが、残金は400円になっていました。このように交通費がバカにならないのです。私鉄に比べて割高なJRやバスを利用することが多いので、その分経費がかかるのでしょう。

これで月に3回から4回山に行くと、結構な出費になります。それ以外に、ちょくちょく用具を買い替えたりすると、山登りは贅沢な趣味の部類に入ると言っても過言ではないのです。

今は違いますが、昔は、山登りはインテリのスポーツと言われていました。私は、山登りの“拠点”でもあった九州の山の麓の温泉場で育ちましたが、たしかに昔は登山客はインテリばかりでした。学生と言えば九大生で、社会人も学校の先生やお医者さんなどんが多かったのを覚えています。ちなみに、くじゅう=久住で初めての遭難者は、九大(旧九州帝大)の医学部の学生のパーティだったと言われています。

余談ですが、よくくじゅう=久住を九重と書きますが(山と高原地図も九重山と記載されている)、あれは間違いです。九重山なんてありません。正確には久住山です。昔は、久住連山と言ってました。久住山の麓にあるのは久住町で、九重町ではありません。くじゅう=久住連山の反対側(今は、九州横断道路ができて交通の便がよくなったので、“表側”のようになってますが)に九重町がありますが、「くじゅうまち」ではなく「ここのえまち」です。

だから、私などは、山と高原地図で「九重山」と書かれているのを見ると、つい「ここのえやま」と読んでしまいます。もちろん、そんな山はありません。

因みに、くじゅう=久住で人気がある坊がつるや法華院温泉も、住所は竹田市(旧直入郡)久住町有氏です。九重町ではないのです。くじゅうの南口の登山口も、久住町有氏です。本来の久住の側から見ると、坊がつるや法華院温泉は山を越えて行くイメージでした。父親と一緒に久住連山の大船山に登ったときも、頂上から「あれが法華院で、その向こうが坊がつるだ」と教えてもらったことを覚えています。みんな、山を越えて、登山口と同じ町内の法華院や坊がつるに行っていたのです。坊がつると言えば、「坊がつる賛歌」が有名ですが、あの歌はもともと九大の山岳部で唄われていたもので、そこにも登山がインテリのスポーツであったことが物語られているのでした。

どうして、くじゅう=久住が九重になったのか。話は、くじゅうが阿蘇と一緒に国立公園に指定されたときに遡ります。当然、それまでの呼称から言えば、名称は「阿蘇久住国立公園」となるはずでした。ところが、山の反対側の(旧玖珠郡)九重町が「オレたちも『くじゅう』だ」と言い出したのでした。さらに、政治力を使って強引に「くじゅう」であることを主張したのでした。

私はまだ幼い子どもでしたが、うちの親たちも「そんなバカな話があるか」と憤慨していました。しかし、九重側の政治力が功を奏して、折衷案として久住をひらがなで「くじゅう」と記載し、「阿蘇くじゅう国立公園」にすることが決定したのでした。それが間違いのもとで、以後、徐々に「くじゅう」が「九重」に代わり、今のような「九重山」「九重連山」などというありもしない山名がまかりとおるようになったのでした。

話が脇道に逸れましたが、登山がインテリのスポーツであったのは、それだけお金がかかるからという事情もあったでしょう。それと、登山と地質学や植物学や地理学が切っても切れない関係にあったので、そういった学問的な関心を入口にしてインテリの間で登山が盛んになったという一面もあるのかもしれません。

イギリスの登山家ジョージ・マルローが、「どうして山に登るのか?」と問われて答えた(と言われる)、「そこに山があるから」ということばは人口に膾炙され有名になりましたが、(本多勝一氏も著書で書いていましたが)実際は「そこに山があるから」ではなく「エベレストがあるから」と答えたのだそうです。マルローはエベレストの初登頂を目指していて、当時、初登頂は国威発揚のための英雄的な行為でした。「山があるから」と「エベレストがあるから」とでは、意味合いがまったく違ってきます。マルローの「エベレストがあるから」という発言の裏には、今のオリンピックと同じようなナショナリズムと結びついた登攀思想(初登頂主義)があるのです。そういった帝国主義的な発想の所産でもあった登攀思想の意図を隠蔽し、哲学的な意味合いを持たせてカムフラージュするために、発言が歪曲(意訳)されたのでしょう。

つらつら考えるに、私が山に登る理由は、まずなんと言っても年齢的な体力の衰えに対する焦りが大きいように思います。ある年齢に達すると、自分はこんな歩き方をしていたのかと、自分の歩き方に違和感を抱くようになりました。筋力の衰えによって、歩き方にも微妙に変化が訪れたからでしょう。特に、階段を下りるときが顕著でした。いつの間にか下りることに過分に神経を使っている自分がいました。

登山というのは、整備されてない山道を歩くことなので、登山によって自分の歩き方に対する違和感を少しでも拭うようになりたいという気持があるように思います。もちろん、健康に対する不安もあるでしょう。山に行ったからと言って、病気にならないという保障はありませんが、山に行って身体を鍛えれば病気から遠ざかることができるのではないかという願望や信仰もあるように思います。

だから、山に行って筋肉痛になるのは、自分にとってはうれしいことでもあるのです。筋肉痛なんて若いときの話だと思っていたので、この年で筋肉痛になるのはいくらか若くなったような幻想さえ抱かせるのでした。

二つ目は、言うまでもなく日常からの逃避です。以前(もう13年前)、このブログで田口ランディの「空っぽになれる場所」という記事を書きましたが、山に行くことで空っぽになりたいという気持もあります。

何度も言いますが、電車が来てもいないのにホームへの階段を駆け下りて行くサラリーマンやOLたち。そうやっていつも資本が強いる”時間”に追われ、その強迫観念の中で生きているサラリーマンやOLたち。しかも、それがこの社会で誠実に生きる証しだみたいなイデオロギーさえ付与されるのです。しかし、彼らの先に待っているのは、過労死かメンヘラかリストラでしょう。

この社会で生きる限り、そんな”誠実に生きるイデオロギー”から逃れることはできません。でも、一時でもいいから逃れたい、ストレスを解消したいという気持も当然あります。だからこそ、山に来てまでコースタイム(時間)にこだわったり、他人に対する競争心をひけらかす者たちを軽蔑したくなるのです。

三つ目は、子どもの頃に見た風景をもう一度見たいという気持です。望郷の念とないまざった過去への憧憬です。その中には、一緒に山に登った父親との思い出も含まれています。子どもの頃、いつも視界の中にあったくじゅう=久住の山々。木漏れ日や草いきれ。風で木の葉がこすれる音。小鳥や森の動物たちの鳴き声。そんなものが、胸にせまってくるほどなつかしく思い出されることがあります。元気なうちに父親と一緒に登った山にもう一度登りたいという気持は、年を取れば取るほど募って来るのでした。


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空っぽになれる場所
2019.12.01 Sun l 山行 l top ▲
奥多摩の大岳山(おおたけやま)に登りました。大岳山に登るにはいろんなルートがありますが、大岳山は御岳山の奥にありますので、御岳山経由で登るルートが一般的です。

朝、新宿駅6時46分発のホリデー快速おくたま1号に乗り、JR青梅線の御嶽駅で下車、御嶽駅からはバスで御岳山ケーブルの下駅である滝本駅まで行って、ケーブルカーで御岳山駅に上がりました。御岳山駅から御岳山の頂上にある御嶽神社までは徒歩で30分くらいです。ただ、参道とは言え地味な登りが続くので、結構疲れます。

余談ですが、駅や神社や山の名称に「御嶽」と「御岳」という新旧の漢字が使われているため、こうして入力する際もそれぞれ使い分けなければならず、非常に面倒臭いです。

土曜日で、しかも早朝の便ということもあって、新宿駅のホームは山行きの恰好をした登山客で溢れていました。それは壮観で、東京というのはすごいなとあらためて思いました。ホームを通りかかった若いカップルが、行列を指差しながら「みんな高尾山に行くんだろう」と言って「ハハハ」と笑っていましたが、新宿から高尾山に行く場合は京王線を利用するのが一般的なので、カップルは勘違いしているのです。しかし、山に縁のない人たちから見れば、新宿駅のホームで行列を作っている登山の恰好をした人たちは、みんな高尾山に行くイメージがあるのかもしれません。もちろん、それは、高尾山=スノッブというイメージで、本多勝一流に言えば、「メダカ民族」の「モノマネ没個性登山者」ということなのでしょう。だから、行列を見たカップルも笑っていたのでしょう。

ホリデー快速は、新宿が始発だと思っていたら大宮が始発だったので意外でした。ホリデー快速は、名前のとおり、土日限定の奥多摩方面に行く行楽客向けの電車ですが、埼玉からもホリデー快速に乗って奥多摩に行くのだろうかと思いました。しかし、新宿駅に着いた電車はガラガラで、新宿駅からいっきに通勤ラッシュ並みの大混雑になりました。

また、ホリデー快速自体も非常にややこしくて、途中、拝島で前の7両(だったか?)が切り離されてホリデー快速あきかわ1号と名称が変わり、武蔵五日市行きになるのでした。

私が乗っていた車両は武蔵五日市行きだったのですが、それも知らずに居眠りをしていました。拝島に着いて、ふと目を覚ますと「この車両は武蔵五日市行きになります」と車内放送が流れているのが耳に入り、あわてて電車を降りました。電車は既に切り離されて、出発のベルが鳴り響いていましたので、ホームを走って、奥多摩駅行きの車両に飛び乗りました。

ネットには、「だれも教えてくれない『青梅線・五日市線の罠(わな)』」というブログの記事がありましたが、私も青梅線と奥多摩線と五日市線の違いがよくわかりません。ホリデー快速にも外国人の姿がありましたが、このややこしいシステムをよく理解しているなと感心しました。

もうひとつ余談を言えば、御岳山のケーブルカーの会社は京王電鉄の系列です。先日行った箱根の登山鉄道(ケーブルカー)は、箱根登山バスも含めて小田急の系列です。大山のケーブルカーも小田急の系列だそうです。

御嶽駅に着いたら、ホームの光景もまた壮観でした。ホームを埋め尽くした登山客の群が改札口に殺到しているのでした。もちろん、駅前の御岳ケーブル下に向かうバス乗り場も長蛇の列で、バスの中も通勤ラッシュ並みのすし詰め状態でした。

ただ、西東京バスの運転手は、車内のアナウンスや応対などに非常に好感が持てました。日頃横浜市営バスを利用している横浜市民としては、それに比べてという思いを抱かざる得ませんでした。

車内を見ると、御岳山は山ガールにも人気があるだけに、中高年のグループだけでなく若い女性のグループも目に付きました。土日はとにかくグループ登山が多く、グループが多いということはそれだけ集団心理が発生して、下界の論理がそのまま山に持ち込まれるので、私は週末に来たことを早くも後悔しはじめていました。特に、中高年のおばさんのグループはどうにかならないものかと思いました。もっとも、大岳山に向かう登山道に入ると、彼女たちの姿はウソのようになくなりました。

御嶽神社に行く参道沿いには、参拝者のための宿泊施設である宿坊が立ち並ぶ一角がありました。私の知っている会社でも、毎年、新入社員の研修を宿坊でやっていました。私も、若い頃、車でケーブルの駅まで女の子を送って行ったことがあります。でも、その会社も今は正社員をほとんど取らずに、派遣社員やアルバイトでまかなうようになっています。ただ、下山時、参道でキャリーケースを持った若者の集団にすれ違いましたので、まだ御岳山の宿坊で研修をしている会社もあるみたいです。

御岳山は大山などと同じ山岳信仰の代表的な山で、御嶽神社の信者の集まりである「講」(御嶽講)も未だ残っており、特に地の人間(元農民の地主)が多い練馬区あたりでは今も活動が盛んだそうです。私の知っている人も、何年か一回まわってくる「講」の世話人をやらなければならないので大変だと言っていましたが、お寺のような大きな宿坊の前にはそんな各地の「講」の人たちが建てた石碑がありました。ほとんどが平成に建てられていましたが、それを見ると、たしかに練馬区の石碑が多いのでした。その中のある地区の石碑には、見覚えのある名前も刻まれていました。

御嶽神社の下からは遊歩道に入ります。三頭山の都民の森と同じように、非常に歩きやすい道でした。10分くらい歩くと「長尾分岐」というポイントに着きました。長尾平という見晴台があり、お茶屋もありました。「長尾分岐」から下に下りると、御岳山で人気のロックガーデンに行きます。大岳山は逆で、そこから本格的な登りになりました。そして、徐々に急登になるのでした。

途中、岩場が多くなると、登山道が狭くなり、しかも鎖がかけられた箇所も出て来て、すれ違いの渋滞が生じることがありました。もっとも、登りのときは時間がまだ早かったので、すれ違いはほとんどありませんでしたが、下山時は登って来る人も多く、手前で待つことが多くなりました。ところが、山登りに熟達した見るからに偏屈そうな婆さん(一般の登山者を見下している山によくいるタイプ)が、私の後ろで「待たないで早く行って!」とうるさいので、「うるさい!」と怒鳴り付けたら静かになりました。

婆さんは、人ひとりがやっと通れるような狭い岩場でも、よけることなく平気で立っているので、すれ違うのに危なくて仕方ないのです。「ありがとうございます」と挨拶されても返事もしないでしかめっ面するばかりです。早く足腰が立たなくなって山に来れなくなればいいのにと思いました。

鎖がかけられた箇所も、慎重に歩けば鎖に頼らなくても通過できる程度でした(もちろん、足を滑らせたら大変なことになりますが)。山頂の手前の鎖場も、両手を使って登れば別に鎖は必要ないくらいでした。ケーブルカーの駅から大岳山の山頂までは、途中の休憩を入れても2時間弱で着きました。

しかし、山頂に行ってまたびっくり。ぎっしり人で埋まっていました。やはり、週末は人が多いなとあらためて思いました。山頂の手前で上から下りてきた人に、「今日は天気がいいので、富士山がよく見えますよ」と言われたのですが、たしかに初冬の空にそびえる富士山の雄姿はまるで絵画を観るようでした。

山頂は、富士山の方角しか眺望がないので、富士山の方角はスペースが空いていません。私は、眺望がきかない反対側を探したのですが、そっちも腰を降ろすことができる石が空いていません。それで、仕方なく、霜でぬれた草の上に、シートを敷いて座りました。まわりを見ると、ほとんどがグループかカップルです。なんだかソロの人間は肩身が狭いような気さえしました。弁当を持って来なかったので(それも肩身が狭い一因です)、行動食で食べ残したアンパンを食べました。

下りは1時間半くらいでした。ただ、岩場が多いのでステッキ(トレッキングポール)を使わなかったのがいけなかったのか、膝を痛めたみたいで、帰りの駅の階段の上り下りがつらかったです。下山したあと、山頂駅の前の茶店で蕎麦を食べましたが、普通の蕎麦でした。

帰りは、いつものように拝島から八高線で八王子、八王子から横浜線、そして菊名で東横線に乗り替えて帰りました。歩数は2万5千歩でした。

聞けば、三頭山・大岳山・御前山は奥多摩三山と呼ばれているそうです。と言うことは、残すは御前山だけになったのです。また、大岳山は日本二百名山だそうで、どうりで登山客が多かったのでしょう。もっとも、二百名山は、深田久弥の信者たちが作った「深田クラブ」が選定したそうで、それを聞いたら、なんだか大岳山に登った感慨に水を差されたような気持になりました。


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参道沿いはまだ紅葉が残っていました。

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宿坊
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宿坊が集まった集落

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門前通りの商店

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御嶽神社

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神社の階段を上って来る登山者たち

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鍋割山への分岐

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台風で橋の一部が崩落していた

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鎖場の前の渋滞

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山頂から富士山

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三頭山と同じ石造りの山頂標識が立っていた

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みんな富士山を眺めている

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人、人、人

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ススキと富士山

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下山時、今から登って行く人たちを見上げる

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こういった岩場もありました

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霜で滑る

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2019.11.30 Sat l 山行 l top ▲
沢尻エリカの逮捕が、安倍政権の「桜を見る会」の疑惑隠しでないかという見方に対して、安倍応援団からは「バカバカしい陰謀論」「頭の中がお花畑」などと、一笑に付すような批判がありますが、共産党から資料請求されたその日に、1万5千人分の招待者名簿を内閣府の大型シュレッダーで裁断して破棄したという安倍政権の姿勢を考えるとき、果たしてホントに「バカバカしい陰謀論」なんだろうかという疑問を抱かざるをえません。

実際に、沢尻逮捕には、やっつけ仕事のような杜撰さが目に付きます。沢尻エリカが渋谷のクラブのイベントで覚せい剤かコカインを入手するという「情報」に基づき、(TBSに捜査情報を流した上で)強制捜査に着手したと言われていますが、帰宅した彼女を調べても薬物は出て来なかったのです。しかも、尿検査の結果も陰性(シロ)でした。MDMAは、沢尻エリカ自身が「あそこにあります」とみずからゲロして出て来たにすぎないのです。覚せい剤かコカインと踏んでいたので、MDMAは捜査当局には想定外だったという報道もありました。

こうした流れを見ると、拙速な感は否めません。何か月も前から内偵捜査をしていたにしては、あまりにも杜撰です。むしろ、「桜を見る会」の疑惑が浮上したので、あわてて強制捜査に着手したと考えた方が納得がいきます。

カルロス・ゴーン逮捕の際、海外メディアから散々指摘されていましたが、日本は推定無罪ではなく“推定有罪”の国なので、逮捕すればなんとでもなるのです。まして、芸能人であれば、なおさらでしょう。”推定有罪“どころか、メディアによって市中引き回しの刑が下されるので、捜査当局にとって芸能人は実に都合のいい生贄の羊なのです。

安倍政権は、益々ロシアのプーチン政権に似てきました。それが、マフィア化した政治と呼ぶゆえんですが、そこには安倍首相個人のキャラクターが影響しているような気がしてなりません。

前も紹介しましたが、共同通信社の福田派の番記者だった野上忠興氏が書いた『安倍晋三 沈黙の仮面』(小学館)に、次のようなエピソードが書かれていました。

 夏休みの最終日、兄弟の行動は対照的だった。兄は宿題が終わってないと涙顔になった。だが、晋三は違った。
 「『宿題みんな済んだね?』と聞くと、晋ちゃんは『うん、済んだ』と言う。寝たあとに確かめると、ノートは真っ白。それでも次の日は『行ってきまーす』と元気よく家を出ます。それが安倍晋三でした。たいした度胸だった。(略)」
 ウメ(引用者:二人の兄弟の乳母)は「たいした度胸」と評したが、小学校の級友達に聞いて回っても、宿題を忘れたり遅刻をしたりして「またか」と先生に叱られたとき、安倍は「へこむ」ことはなかったという。ウメに聞いたエピソードも耳に残る。


安倍政権が憲政史上最長の長期政権になったのも、夫婦ともども平気で嘘を言う厚顔無恥な(犯罪者気質の)性格が逆に功を奏したということはあるのではないでしょうか。もちろん、安倍政権をここまでのさばらせた一番の要因が、民主党政権のトラウマにあるのは言うまでもありません。立憲民主党や国民民主党が存在する限り、自公政権に対する消極的支持が今後も続くのは間違いないでしょう。

市民団体が安倍晋三首相を公職選挙法&政治資金規正法違反の疑いで刑事告発したことに対して、立憲民主党の国会議員たちが刑事告発は国会の真相究明に水を差すものだと批判していましたが、私は、よく言うよと思いました。

彼らの国会での質問は、ほとんどが週刊誌ネタにすぎません。それでよく真相究明だなんて言えるもんだと思います。そもそも立憲民主党や国民民主党の議員たちは、「赤旗」が疑惑を取り上げるまで、「桜を見る会」をおかしいとは思ってなかったのです。共産党が騒ぎはじめて、はじめて自分たちも便乗して騒ぎはじめたのです。何度も言いますが、彼らに野党の役割を期待すること自体が間違っているのです。それこそ「お花畑」と言わざるをえません。

沢尻エリカは、エイベックスに囲われていただけあって、典型的な(ある意味イタい)ヤンキーであることがわかりましたが、しかし、それでも私は、巨悪の身代わりにされた(?)彼女に対しては同情を禁じ得ません。
2019.11.28 Thu l 社会・メディア l top ▲
昨日、奥多摩の三頭山(みとうさん)へ行きました。三頭山は、標高1531メートルで、東京都檜原村の都民の森に登山口があり、奥多摩でも人気の山です。

JR中央線の立川駅で青梅線に乗り換えて、武蔵五日市駅で下車。武蔵五日市から都民の森まではバスで75分かかります。しかも、都民の森へ直通する「急行」は一日に二便しかありません。そのほかは、都民の森の一つ手前の「数馬(温泉)」までしか行きません(数馬からも登ることができる)。

朝、8時すぎの都民の森行きのバス停には、早くも登山者の行列ができていました。ただ、平日で、しかも紅葉も峠を越したので臨時便が出るほどではなく、出発時の座席は9割程度埋まった状態でした。

バスの終点の都民の森には、自然体験のためのいろんな施設があり、森の中を周回できるように遊歩道も整備されています。

最初は、ウッドチップが敷き詰められた遊歩道を歩きました。非常に歩きやすい贅沢な道でした。30分くらい歩くと、三頭大滝という滝に出ました。遊歩道は三頭大滝までで、そこから登山道になります。

三頭の滝からの登山道は、「ブナの路コース」と「深山の路(石山の路)コース」の二つに分かれます。しかし、登りでは「ブナの路コース」を選択する登山者が多いようです。私も「ブナの路コース」をナビに入れていたのですが、人間嫌いの性(さが)と言うべきか、急遽人が少ない「深山の路コース」に変更しました。都民の森のサイトによれば、大沢山を経由する「深山の路コース」は、「ブナの路コース」に比べて少し大回りになり、山行時間が長いということでした。

山頂には2時間弱で着きました。三頭山には東峰・中央峰・西峰の三つのピークがあり、それで三頭と言われるのですが、着いたのは西峰でした。西峰が三頭の中ではいちばん広いようですが、それでも、腰を降ろす場所を探すのも困るくらい多くの登山者が休憩していました。しかし、眺望は期待したほどではありません。端っこの岩の上に座ってサンドイッチを食べたあと、早々に下山することにしました。

帰りは、都民の森と反対側のヌカザス尾根を通って奥多摩湖へ下山することに決めていました。奥多摩湖の浮橋を通ってみたいと思っていたからです。ただ、このヌカザス尾根のコースは、奥多摩屈指の急登と言われているコースです。

ふと、横を見ると、「鶴峠方面」という標識が目に入りました。頂上の手前に「奥多摩湖方面」の標識があったのはわかっていましたが、下山コースの中に鶴峠の地名があったのを思い出し、私はなんのためらいもなく、「鶴峠方面」の道を下って行きました。

30分くらい下ったところで、下から登ってくる初老の男性に会いました。私は、「下の奥多摩湖から登ってきたのですか?」と声をかけました。

「奥多摩湖?」
「はい」
「全然違いますよ」
「エエッ、ここを下ると奥多摩湖に行くんじゃないですか?」
「奥多摩湖は向こうの尾根ですよ」と隣の尾根の方を指差すではありませんか。

「地図を持っていますか?」と訊かれたので、ザックから地図を出すと、地図を地面に広げて丁寧にルートを説明してくれました。男性は、かなりの熟達者のようで、山梨の上野原から来たけど、正規のルートではないバリエーションルートを登ってきたと言ってました。

「でも、戻るのは面倒臭いので、このまま鶴峠の方へ下りようかな」と私が言うと、「いや、最初に決めたルートを歩いた方がいいですよ。それが山の鉄則ですよ」とたしなめられて、「一緒に山頂に戻りましょう。そして、もう一度、下り直した方がいいですよ」と言われました。

私は、山頂まで男性と一緒に戻り、男性にお礼を言うと、山頂の手前にある「奥多摩湖方面」の標識に従って、当初の予定であるヌカザス尾根コースを再び下りはじめました。

あとでネットで調べると、私と同じように間違って「鶴峠方面」の標識を下った人が結構いることがわかりました。登山サークルのパーティも間違ったと書いていました。

と言うのも、ヌカザス尾根コースの途中に、「鶴峠分岐」というチェックポイントがあるのです。それで、(私もそうでしたが)「鶴峠」に聞き覚えがあるので勘違いするみたいです(ただ、「分岐」とあるように、鶴峠から「鶴峠分岐」の方に行けば、ヌカザス尾根に合流することもできるみたいです)。

奥多摩湖に下りるヌカザス尾根コースは、名にし負う急登でした。ツネさんというおばあさんが泣きながら登ったという「ツネ泣きの坂」なんていうのもありました。浮石が多く、しかも、その上に落ち葉が積もっているので滑りやすくて、私も三回転倒しました(と言っても、尻もちを付いた程度ですが)。

登って来る人は少なく、すれ違ったのはオランダ人の4人グループと、あとはソロの男性と女性の三組だけでした。訊けば、ヌカザス尾根を登るのはみんな初めてだそうで、「想像以上にきつかったです」と口を揃えて言ってました。

下りでは、一人から追い抜かれました。若者でしたが、「すごく滑りますね」と言いながらも、ズルッズルッと半分滑りながらスピードを落とすことなく下りて行くのでした。へっぴり腰の私から見れば、信じられないようなバランス感覚で、あっと言う間に見えなくなりました。

山に登っていて若者が羨ましいなと思うのは、このバランス感覚です。年齢とともに体力が衰えるのは当たり前ですが(それは心肺能力の差にてきめんに表れる)、バランス感覚も寄る年端には勝てないのです。中高年登山者に転倒事故や滑落事故が多いのもむべなるかなと思います。年を取って山に登ると、このような(絶対に越えられない)”年齢の壁”を痛感させられるのも事実です。

途中で何回か、登り返しがあるのですが、登りがあるとホッとする自分がいました。登山の場合、(私もそうでしたが)最初は登りに苦手意識を持つ人が多く、すぐ息が上がったりするのが悩みの種になるのですが、でも、考えればみれば、登りはきついだけなのです。登りだからきついのは当たり前なのです。きつければ休めばいいだけの話です。

やっかいなのは下りの方です。岩を登るのも、登りより下りの方が神経を使います。事故の80パーセント(だったか?)が下りで発生しているというのはよくわかります。転倒や滑落だけでなく道迷いも、下りの方が圧倒的に多いそうです。

私は、完全に足に来ました。転倒してもすぐに立ち上がれないほどでした。こんなに足に来たのも初めてで、文字通りヘロヘロになりました。下山するのに3時間半くらいかかりましたが、午後4時をすぎ陽が傾いてきたので、ヘッドランプを首にかけ、いつでも点灯できるようにして下りました。

幸いにも陽があるうちに下山することができましたが、奥多摩湖の浮橋への階段を下るのも足がガクガクして難儀するほどでした。

バス停は浮橋を渡った対岸にあり、そこから青梅線の終点の奥多摩駅に行くのですが、バスの時刻表を見ると、10分前に出たばかりでした。しかも、次は2時間近くあとです。思わずヒッチハイクをしようかと思ったほどでした。

そうするうちに陽が落ちて暗くなってきました。私は、バス停から少し離れた家の前に古いベンチがあるのに気付き、そこに座って次のバスを待つことにしました。

奥多摩湖のあたりも標高が高いので、陽が落ちると冷えてきます。私は、パーカーの下にフリースを着て寒さを凌ぐことにしました。

と、そのとき、ベンチの前の家の玄関に灯りが点いて、中年の男性が出てきたのでした。

「バスに乗り遅れたんですか?」
「はい」
「だったら、そこのトンネルをぬけて橋を渡った先に、もうひとつ別のバス停があるんですが、そこに行くと、あと15分後に来るバスがありますよ」
「エエッ、そうなんですか?」
「そう、一日に三便しかないんだけど、ちょうど来るバスがありますよ。歩いても5分くらいだから間に合いますよ」
「ありがとうございます! 助かりました!」
と私はお礼を言って、教えられたバス停に向かったのでした。

奥多摩駅から青梅で中央線の新宿行きに乗り替え、いつものように途中の拝島で再度八高線に乗り替えて八王子に向かい、八王子から横浜線で帰って来ました。自宅に着いたのは午後8時すぎでした。

ひどく疲れましたが、しかし、他人(ひと)の親切に助けられた山行でした。と同時に、反省点の多い山行でもありました。


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都民の森の入口

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立派な看板

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下はまだ紅葉が残っていました。

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チップが敷き詰められた歩きやすい遊歩道

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三頭の大滝

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滝の感想は割愛します。

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滝を見るための吊り橋

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登山道に入りました。

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大好きな尾根道

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途中、立派な避難小屋もありました。

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最後の階段を上ると山頂です。

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山頂(西峰)

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山頂からの眺望

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立派な石造りの山頂標識。標識にお金をかけるのなら、その分ベンチを増やしてほしいという声がありましたが、同感です。

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下山してすぐの巻き道には、まだ霜柱が残っていました。

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最初はこんな尾根道でルンルン気分でしたが‥‥。

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ヌカザス山(糠指山)

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急登。以後、下まで写真はありません。疲労と日没の焦りで写真どころではなかった。

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下に下りたら、再び紅葉。

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奥多摩湖。都民の水がめの小河内ダムでできた人造湖です。

2019年11月三頭山31

2019年11月三頭山32
浮橋

2019年11月三頭山33

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バスを待つ間にスマホで撮りました。すっかり暗くなった。
2019.11.21 Thu l 山行 l top ▲
香港情勢は、重大且つ悲劇的な局面を迎えています。戦いの先頭に立つ学生たちに対する香港政府の弾圧は熾烈を極めています。国際政治の冷酷な現実の前で、学生たちは文字通り孤立無援の戦いを強いられているのです。

香港政府の姿勢の背後に、中国共産党の意向(と指示)があるのは子どもだってわかる話でしょう。「一国二制度」が如何に欺瞞に満ちたものであるのかが如実に示されているのです。と同時に、恐怖政治と表裏一体の共産党権力の実態が白日のもとにさらけ出されてもいるのです。共産党の言う「人民民主主義」なるものが、ファシズムの別名でしかないことをあらためて確認させられた気がします。

「革命的左翼」を名乗る日本の新左翼の党派が、今回の香港情勢にどのような見解を示しているのか、興味があったので各党派のサイトを見てみましたが、多くはまったく触れてないか、あるいは触れていても「学生たちの戦いが香港政府を追いつめている」程度のサラッとしたものでした。香港の学生たちに連帯せよというようなアジテーションすらありませんでした。まして、中国共産党を批判する論調は皆無でした。

反スターリン主義を標榜する新左翼の党派が、スターリン主義の権化のようになっている自己撞着を考えれば、ある程度予想されていたことではありますが、今更ながらに左翼のテイタラクを痛感させられました。

日本の新左翼は、ハンガリー動乱をきっかけに既成左翼を乗り越えるべくトロッキズムを旗印にその産声をあげたのですが、もはやそういった思想的なデリカシーも失ってしまったということなのでしょう。なんともおぞましい光景なのかと思ってしまいます。

中国共産党の姿勢が示しているのは、人間を機械論的に解釈する左翼思想特有の(非人間的な)ものの考えです。それは、かの前衛主義に由来するものです。埴谷雄高ではないですが、前衛主義が大衆蔑視に裏付けられているのは言うまでもないでしょう。

いづこの共産党もなにかにつけ「人民大衆」を口にするのが常ですが、そんな共産党が人民大衆ともっとも遠いところで専制権力を恣(ほしいまま)にしているのです。それは、日本の左派リベラルも無関係ではありません。前にも書きましたが、大衆運動でときに見られる左派特有の“排除の論理”も、本質的には中国共産党の恐怖政治と通底するものがあるのです。

私は、再掲になりますが(文学的情緒で語ることを笑われるかもしれませんが)、次のような石原吉郎のことばを思い出さざるを得ません。

 日本がもしコミュニストの国になったら(それは当然ありうることだ)、僕はもはや決して詩を書かず、遠い田舎の町工場の労働者となって、言葉すくなに鉄を打とう。働くことの好きな、しゃべることのきらいな人間として、火を入れ、鉄を炊き、だまって死んで行こう。
(一九六〇年八月七日)

『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)・解説より


「反権力」「反体制」あるいは「野党」や「大衆」というだけで、どうしても甘く見てしまいますが、私たちは、右だけでなく左の全体主義に対しても、もっと深刻に考える必要があるのでないでしょうか。そして、二項対立の思考から自由にならなければならないのです。


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2019.11.19 Tue l 社会・メディア l top ▲
沢尻エリカが合成麻薬のMAMDを所持していたとして、麻薬取締法違反容疑で逮捕されましたが、逮捕したのは、マトリ(厚生労働省麻薬取締部)ではなく、マトリのライバルと言われている警視庁の組織犯罪対策課でした。

今回の逮捕は、安倍政権の「桜を見る会」の疑惑隠しのためではないかという見方がありますが、あながち的外れとは言えないでしょう。週明けからメディア(特にテレビのワイドショー)は、沢尻逮捕のニュース一色になるに違いありません。安倍晋三首相の、あの二度に渡る「異例の」ぶら下がり会見を見ても、官邸が「桜を見る会」の疑惑にかなり慌てていたのは間違いないのです。

どこかのフリーターが逮捕されたのではニュースにもならないし、なんのインパクトもありません。有名芸能人でなければならないのです。

共産党が国会質問のために資料請求したその日に、内閣府は「桜を見る会」の招待者名簿を破棄したそうですが、これはモリカケ疑惑のときとまったく同じで、まさにマフィア化する政治の面目躍如たるものがあると言えます。

招待者名簿の破棄は、どう考えても証拠隠滅で、公職選挙法及び政治資金規正法違反容疑で言えば、沢尻エリカ以上の逮捕要件ではないのかと思ってしまいますが、ときの政権の「違法」行為に対しては、国家ぐるみで隠ぺい工作に手を貸すのでした。「上級国民」ではないですが、法の下の平等なんて絵に描いた餅にすぎないのです。

「桜を見る会」の疑惑に見られるのも、税金=国家を食い物にする構造です。長期政権の「緩み」などという呑気な話ではありません。安倍政権は、言うなれば”営業右翼”のようなもので、「改憲」や「嫌韓」を錦の御旗にしながら税金=国家を食い物にしているのです。また、国家を食い物にするだけでなく、国家を細切れにして、アメリカ=グローバル企業に売り渡してもいるのです。何度も言いますが、ここにも「愛国」と「売国」が逆さまになった“戦後の背理”が見事なほど見て取れるのでした。私たちはまず、声高に「愛国」を叫ぶ者たちをこそ疑わなければならないのです。右翼風に言えば、安倍晋三首相は日本にとって獅子身中の虫ではないのか、そう思えてなりません。でも、安倍晋三首相をそのように見る右翼・民族派はほとんどいません。それどころか、既成右翼もネトウヨ化しているのが現実だとか。

あだしごとはさておき、MDMAは、「エクスタシー」という俗称があるように、”キメセク”で使われる「セックスドラッグ」として有名なクスリだそうです。大麻などとはまったく性格の異なるクスリなのです。そう言えば、不倫相手の銀座のホステスを死なせた押尾学も、使用していたのがMDMAでした。ASKAがクスリに溺れるきっかけになったのもMDMAだと言われています。

子どもの頃から芸能界にいてまわりの大人たちからチヤホラされてきた沢尻エリカが、世間知らずでわがままであるのはおよそ想像が付きます。世間知らずでわがままであるということは、それだけスキがあるということです。それに、あのハーフの美形です。クスリ漬けにして、いいように弄び、あわよくば金ヅルにしようと企む芸能界やその周辺にいるワルたちが近寄って来るのは当然なのです。

女優としての才能を高く評価されながら、クスリで”転落”したその軌跡を考えるとき、スターダストプロモーションから契約解除されたあとに、エイベックスと業務提携したのがポイントになるような気がしてなりません。

ただ、ひとつだけ言えば、沢尻エリカは少なくとも税金でクスリを買ったわけではありません。税金を食い物にする総理大臣と比べて、どっちがワルか、指弾すべきなのはどっちなのか、少しでも考えればわかることでしょう。

溝口敦著『薬物とセックス』(新潮新書)によれば、男性がMDMAを多用すると勃起不全になるので、男性が女性に投与するケースが多いそうです。

同書には、次のようなMDMAの体験談が掲載されていました。

  <服用から三〇分程度たつとスイッチをオンしたようにガツンと効果が表れて薬効が切れるまで、瞳孔が開き、高い声が出るようになり、歯が折れたり内頬がザクザクになるほど無意識に歯を食いしばり続けます。
   音楽やSEXが最高に気持よくなり、一緒に使用している人と深い友情、愛情に結ばれているように思えます。
   実際はタイプでは全くない不細工な異性なのにもかかわらず、色っぽい美人に見えて、尋常じゃない性欲がやってきますが、チン〇ンは立ちません。
   しかし覚醒剤同様に全身クリトリスになったと思わんばかりの快感があります。
   効果が出ている間は体温調整が分からなくなり、現状が暑いのか寒いのか分からなくなります。
   人によってはクラブなどで効果が切れるまで永遠に踊り続けたり、酷い幻覚を見て苦しんだり、痙攣や嘔吐して、最悪の場合、死にます>


もちろん、合成麻薬も裏社会のシノギになっており、元締めから蜘蛛の糸のように伸びた売人のネットワークは、社会の隅々まで張り巡らされているそうです。そして、彼らがまず最初にやるのがヤク中を作ることなのです。

今回もまた、捜査情報がTBSにリークされていたようですが、これからもヤク中の有名人は、ことあるごとに権力者の都合で利用され、(目くらましのために)晒し者にされ市中引き回しの刑に処されるのでしょう。権力者の下僕と化したメディアは、今や市中引き回しの囃し役になっているのです。「麻薬撲滅」なんて単なる建前にすぎないのです。そして、いつだって「悪は栄え、巨悪は眠る」のです。
2019.11.17 Sun l 芸能・スポーツ l top ▲
昨日、秩父の皆野の山に行きました。地図に載ってない小さなものも含めると6つ(だったか?)の山を縦走する、皆野アルプスと呼ばれるコースです。山自体は標高600メートル強の低山ですが、途中、鎖場や痩せ尾根が連続する箇所があり、知る人ぞ知るスリリングなコースでもあります。

皆野アルプスは、秩父鉄道の皆野駅から町営バスに乗り、「秩父華厳の滝」で下車して登山道に入るのが一般的です。また、途中で尾根を下るコースもあり、いづれも町営バスが通る道路に降りることができます。

ただ、皆野駅まで行くのに、東武東上線と秩父鉄道を利用しても池袋から2時間以上かかるため、私は、8時すぎのバスには間に合いませんでした。次は10時まで待たなければなりません。それで、皆野駅から歩いて30分足らずの「大渕登山口」から「秩父華厳の滝」に至る”逆コース”を歩くことにしました。

天気は最高に良かったものの、山中ですれ違ったのは、高齢男性のソロと中年女性5人のパーティの二組だけでした。マイナーな山なので、もともと登山者が少ないのかもしれません。私自身も、つい先日「皆野アルプスはあなどれない」というネットの記事を読んで、その存在を初めて知ったのでした。

女性のパーティには若い男性が付き添っていましたが、おそらくガイドなのだと思います。鎖場や痩せ尾根は、それなりに危険が伴いますので、初心者だけだと足が止まってしまうのかもしれません。

鎖場の場合、登りはそんなに難しくありません。足場さえしっかりしていれば、鎖も不要なくらいです。岩をトラバースするところもありましたが、足場があるので、そんなに難しいとは思いませんでした。難しいのは、下りです。斜度の大きい、それこそ上から覗き込むような岩場が一ケ所あり、一瞬足が止まってしまいました。岩の間に積もった落ち葉が前日の雨で水分を含んているので、不用意に足を乗せるとツルッと滑るのでした。

女性のパーティとすれ違ったのはその鎖場でした。彼女たちは「華厳の滝」の方から来ましたので、私とは反対の登りでしたが、ガイドのアドバイスを受けながらひとりひとり慎重に登っていました。

たしかに皆野アルプスはあなどれないけど、しかし、バラエティに富んだ楽しい山行でした。大山なんかよりよほど魅力があります。

急登もありますが、それほど長くなく、ひと登りすれば平坦な道になり、それから下って行きます。そして、下ったあとは再び急登の登り返しになります。そういったことが何度もくり返されるのです。もちろん、自信のない人は、鎖場や痩せ尾根をスルーすることもできます。

こんな魅力のある山がどうして人に知られてないのだろうと思いました。皆野町役場は、皆野アルプスを売り出しているようで、役場に連絡すれば、ハイキングのパンフレットを郵送してくれるサービスまであります。

山中の案内板はわかりやすいのですが、”逆コース”の「大渕登山口への道順がわかりにくいので、県道に案内板を設置したり、トイレを充実させれば、もっとハイキング客を呼び込むことができる気がします。言うまでもなく、将来のためには(そして、観光客としてお金を落としてくれることを期待するなら)、中高年の登山者ではなく、山ガールを呼び込む工夫が必要でしょう。

『山と渓谷』の2019年1月号に、「読者の変遷」という読者アンケートの結果が載っていましたが、そこに映し出されていたのは登山に関する”深刻な現実”です。

「読者の変遷」では、1991年(平成3年)と2018年(平成30年)の読者の構成比を比較していました。男女比は、80%強(男性)と15%前後(女性)でほぼ変わりませんが、問題は年齢構成です。抜粋すると、以下のようになっていました。

20代 21%(1991年) 5.3%(2018年)
30代 28.1%(同) 8.7%(同)
40代 28.3%(同) 20.5%(同)
50代 16.6%(同) 30%(同)
60代以上 6%(同) 35.5%(同)

これを見ると、登山者の高齢化が一目瞭然です。20代と30代を合わせると、1991年ではほぼ半分の49.1%を占めていましたが、27年後の2018年では15%にまで落ちています。それだけ若い人が山に来なくなったということなのです。これでは、山に行くと中高年ばかりなのも当然でしょう。

欧米のように、ハイキングやトレッキングの山の文化を根付かせるためには、如何に山ガールたちの足を高尾山や御岳山からほかの山に向かわせるかです。2010年頃の山ガールブームと比べても、既に登山人口は半減していると言われていますので、彼女たちを呼び込む努力は早急に必要でしょう。

破風山(はっぷさん)の山頂からの眺望も目を見張るものがありました。私は30分以上いて、昼食(と言っても、コンビニのおにぎり2個)を食べたのですが、その間誰も登って来る人はいませんでした。

私は、また行きたいと思いました。それくらい楽しい山でした。登りはじめたのが9時で、下山したのが14時30分でしたので、ちょうど5時間半の山行でした。歩数は2万5千歩でした。

帰りは、「秩父華厳の滝」から町営バスで皆野駅に戻りました。ただ、秩父鉄道の乗り継ぎの便が悪くて、西武の秩父駅に着いたのが16時すぎになりました。

秩父駅では、名物のわらじカツ丼を食べました。でも、出て来たのは、わらじというより煎餅のような薄っぺらいカツでした。そこで、私は思い出したのでした。昔、やはり秩父駅でわらじカツ丼を食べて「失敗した」と思ったことがあったのです。

もっとも、考えてみれば、わらじも煎餅と同じように厚みはないのです。わらじを厚底靴のように勝手に思っていた私の方が間違っていたのかもしれません。

秩父から西武線に乗って、いつものように東飯能で八高線に乗り替えて八王子に向かい、八王子から横浜線で帰ったのですが、東飯能からは立ちっぱなしの上、帰宅ラッシュに遭ってクタクタになりました。横浜線のラッシュは、山手線のラッシュに負けないほどで、先日のラグビーワールドカップを思い出しました。通勤ラッシュも格闘技なのです。登山よりしんどい。


皆野アルプス1

皆野アルプス2
猿岩

皆野アルプス

皆野アルプス3
破風山からの眺望

皆野アルプス4
同上

皆野アルプス5
同上

皆野アルプス6
破風山山頂の祠

皆野アルプス7

皆野アルプス8

皆野アルプス9
崖のような鎖場

皆野アルプス10

皆野アルプス11

皆野アルプス12

皆野アルプス14

皆野アルプス13
下ったあと見上げる

皆野アルプス15

皆野アルプス16

皆野アルプス17
ここが一番怖かった。下山の最後のあたり。岩の上の水分を含んだ枯葉がツルツルに滑るのです。崖下に落ちる可能性があるのでへっぴり腰で渡りました。
2019.11.13 Wed l 山行 l top ▲
茨城の常磐道で発生したあおり運転で、「ガラケー女」に間違われてネットで身元を晒され被害を受けた女性が、先日、フェイスブックで身元を晒した愛知県豊田市の市議の男性を刑事告発したという報道がありました。女性が記者会見で言明した法的処置について、その後の報道がないのでどうなったのだろうと前に書きましたが、事態は進展していたのです。

男性は和解を申し出たそうですが、被害女性は拒否したとのことです。そのためかどうか、後日、男性は責任を取って(?)市議を辞職したという報道もありました。

いい歳して、しかも市議会議員という公的な立場にありながら、やっていることはそこらのガキと同じなのです。彼を市会議員に選んだ豊田市の有権者の見識も「ご立派」としか言いようがありません。もしかしたら、男性は次の選挙で再び当選する自信があるので辞職したのかもしれない、と穿った見方さえしたくなりました。

テレビに出ていた男性を見ると、スーツの襟に日の丸のバッチと拉致被害者救出のブルーリボンのバッチが付けられていました。ブルーリボンも、今や極右の証明のようになっていますので、彼もまた、ネトウヨのひとりなのでしょう。市議会議員がネトウヨになったのか、ネトウヨが市議会議員になったのかわかりませんが、なんだか日本の劣化を象徴するような光景に見えました。

朝日新聞が、引きこもりに関して、47都道府県と20の政令指定市にアンケート調査した結果によれば、引きこもりでいちばん多かったのは40代だそうです。また、ヘイトなブログに煽られて、朝鮮学校への補助金支給を求める声明に名を連ねた弁護士に対して懲戒請求をおこない、逆に不当な請求で名誉を傷つけられたとして訴えられたネトウヨも、40代がいちばん多かったそうです。私が常々言っているとおり、この二つのデータのかなりの部分は重なっているように思えてなりません。

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」への電凸も、こういった中高年のネトウヨが中心になって引き起こされた公算が大きいのです。“思想戦”と呼ぶにはあまりにお粗末と言うしかありません。既存メディアは、そんな「ネット世論」に迎合して、彼らの行為をさも「もうひとつの市民の声」であるかの如く大きく見せることに手を貸したのでした。

安倍首相の「戦後レジームからの脱却」をめざす「愛国」主義も、内閣の顔ぶれを見てもわかるとおり、結局、なんとか会議やなんとか教会やなんとか科学に行き着くのでした。「日本を、取り戻す」と言っても、所詮はその程度なのです。このようなカルトに支えられた「愛国」主義に対して、民族主義の立場から危機感が示されてもよさそうですが、そういった話も聞きません。ここにも日本の劣化が象徴されているように思えてなりません。
2019.11.09 Sat l 社会・メディア l top ▲
一昨日、箱根の金時山に登りました。金時山は、金太郎伝説で有名な山です。麓には、金太郎のモデルになったと言われている平安時代の武将・坂田公時を祭る公時神社(金時神社)があります。

行きは、新宿バスタから小田急の高速バスを利用しました。高速バスは、箱根側の登山口である「乙女峠」「金時神社入口」「金時登山口」のいづれにもバス停があり、都内から金時山に登るにはとても便利です。新宿からは2時間ちょっとで着きました。料金も1800円と格安です。ただ、往復ではなく、帰りに別の交通手段をとるとなると、(後述するように)台風19号の影響で箱根登山鉄道が運休しているため、代行バスに乗る方法(運行ルート)が複雑で苦労することになります。

ネットで調べたら、「金時登山口」の矢倉沢ルートが登山者がいちばん少ないそうなので、「金時登山口」から登ることにしました。「金時登山口」のバス停から仙石原の別荘地の中を15分くらい歩くと登山道の入口がありました。ネットに書いていたとおり、私以外は誰も歩いていません。「金時神社入口」の公時神社ルートと合流するまですれ違ったのは一人だけでした。

しかし、公時神社ルートと合流すると、登山道はいっきに賑やかになりました。私は、このブログを読むとわかると思いますが、腹の中は真っ黒なのに、表向きは気さくで愛想がよいので(でも、ホントは人間嫌い)、登山道で出会った人たちともすぐ打ち解けてバカ話をしながら登りました。でも、それも一時(いっとき)で、やがて置いておかれるのでした。「後半に強い」はずのアミノバイタルもまったく効果がありません。後半バテバテになるのが私の大きな課題です。それには、サプリに頼るのではなく、地道に鍛錬するしかないのでしょう。

30年ぶりに山に登ったという74歳の人にも、付いて行くことができませんでした。その人は、山に行くのにどんな格好をするかわからないので、普通のズボンをはいてきたと言っていましたが、そんな人にも置いておかれたのです。もっとも、毎日5キロ走っているそうで、「やっぱり走っていると違うのかな」と言っていました(おそらくそれは、私と比べての発言だと思います)。

若いカップルとはトレランシューズの話で盛り上がったのですが、やがて置いておかれました。私から見れば、彼らは文字通り岩から岩を飛び跳ねて行く天狗のようでした。

金時山の頂上からの景色には目を見張るものがありました。雲ひとつない快晴でしたので、雪を頂いた富士山もまるで絵画のようにくっきりと目の前に聳えているのでした。また、大涌谷や芦ノ湖、遠くには南アルプスや駿河湾まで見渡せました。

今まで登った山の中では、眺望はピカイチでした。初めて頂上に立った人は、(晴れていることが前提ですが)目の前に現れた雄大な景色に「おおっ」と感嘆の声を上げることでしょう。スニーカーで登ってきた若い女の子の二人連れも、頂上に着くなり「すごい!」「すごい!」と感動した様子でした。

私は、登る途中で顔見知りになった人から記念写真のシャッターを押すのを頼まれ、写真屋の息子なので、「いいですかぁ、行きますよ」「笑って下さい」「じゃあ、もう一枚行きます」などとサービス精神旺盛にやっていたら、「私もお願いします」「私も」とつぎつぎに頼まれて、さながら記念写真の係のようになりました。

頂上はあまり広くなく、それに頂上に設置されたベンチには、頂上にある2軒の茶屋がそれぞれ「営業用」の貼り紙をベタベタと貼ってあり、茶屋を利用しない登山客が勝手に利用すると叱られるらしいので(結構有名な話)、登山客たちは岩場に座って休憩したり弁当を食べたりしていました。

金時山は、国立公園の中にあるれっきとした国有地です。ベンチを設置したのは茶屋かもしれませんが、土地は茶屋の所有ではないのです。事情を知らない登山者が利用したからと言って、「叱る」などというのはおかしな話です。

私も岩場に座ってしばらく景色を眺めました。バスの中で昼食用のおにぎりを食べてしまったので、昼食がありません。登山口のバス停の前にコンビニがあるので、そこで買えばいいやと思っていたのですが、なんとコンビニは閉店していました。かと言って、頂上の茶屋で昼食を食べる気にはなりません。まわりでは持参した弁当を食べたり、ガスバーナーでお湯を沸かしてカップ麺を食べたりしていましたが、私は水を飲んで我慢しました。

金時山のいいところは若い登山者が多いということです。もちろん、中高年もいますが、ほかの山のように、中高年で溢れるという感じではありません。若い人がいると、なんだか華やいだ雰囲気に包まれ、いいなあと思いました。後半地味にきついところはありますが、大山などに比べたら間違いなく「初心者向け」の山と言えるでしょう。箱根観光のついでに、トレッキング感覚で登るのもありなのではないかと思いました。

しかし、今回の私の目的は金時山だけではありません。もうひとつの目的は、仙石原のすすきを見ることでした。

距離的には近いはずですが、すすきが群生する草原にどう行けばいいのかわらないので、地元の人に訊いたら、とても親切に教えてくれました。

企業の保養所などが並ぶ一帯をぬけると、目当ての草原が見えてきました。ただ、実際に行くとちょっとがっかりしました。この程度の草原なら、私の田舎にはいくらでもあります。それに、台風の被害を受けたのか、舗道の工事をしていたため、交互通行の車道の端を歩かなければならず、ゆっくりすすきを堪能することもできませんでした。観光客も少ないようで、午後2時すぎなのに、既に店じまいしている蕎麦屋もありました。

なんと言っても、箱根登山鉄道が運休している影響は大きいのです。すすきの草原にある「仙石高原」のバス停から小田原に降りて、小田原経由で帰ろうと思っていたのですが、まず道路の両側にあるバス停のどっちから乗るのかもわからないのでした。私は、サラリーマン時代、彫刻の森美術館を担当していましたので箱根にはよく来ていましたが、いつも車でしたのでバスにもケーブルカーにも乗ったことはないのでした。

バス停では10人くらいの人がバスを待っていました。日本人だけでなく外国人観光客もいました。でも、バス停の表示を見ると、どうも小田原方面とは違うようです。私は、道を渡って向かいのバス停に行きました。すると、そこに「強羅経由小田原行」の表示がありました。時間を見ると15分後に来るようになっています。横に屋根付きの待合所がありましたので、そこでバスを待つことにしました。しばらくすると、向かいのバス停に待っていた人たちも、道を渡ってこっちへやって来ました。大半は女性でしたが、彼女たちも「強羅経由小田原行」に乗りたいみたいで間違いに気付いたのでしょう。

そのうち、バス停に次々と人がやって来て20人くらいになりました。でも、時間になってもバスはやって来ません。10分すぎ20分すぎてもやって来ません。何台かやって来たのですが、「強羅経由小田原行」ではありません。

バスを待つ人たちは増える一方です。日本人のおばさんのグループも、しびれを切らして「おかしいよね」と言い出しました。

私は、「登山鉄道が運休しているので、強羅かどこかから代行のバスが出ているはずなんだけど、バス停にはそのことがまったく書いてないんでわからないんですよ」と言いました。すると、おばさんたちも「どうなっているの」「これじゃわからないわよ」と口々に言っていました。

「『強羅経由小田原行』のバスがあれば、直接小田原に行けるんじゃないかと思っているんですが、肝心の『強羅経由小田原行』が来ないんですよ」
「ホント、全然来ないじゃない」と憤慨していました。

そうこうするうちに、また行先不明の(よくわからない行先の)バスが来ました。私は、乗車口に行って、「路線バスの旅」の太川陽介のように(いや、見た目は蛭子さんか)、運転手に「小田原に行くにはどうすればいいんですか?」と訊きました。すると、運転手は、「二つ目のバス停で降りて、向かいのバス停で待っていれば宮城野営業所行きのバスが来ますので、それに乗って強羅駅か宮城野営業所で降りれば代行バスに乗り替えることができます」と言うではありませんか。

それで、私は、バス停で待っている迷える仔羊たちに向かって、「これに乗ればいいらしいですよ」と言いました。バスの中でも、おばさんパワーがさく裂して、「まったくどうなっているのよ」「ホントにわかりにくいわよ」「箱根登山バスって不親切よね」と口々に不満をぶちまけるので、バスの乗客たちはキョトンとした顔で、一同(その中には私も含まれる)を見ていました。

二つ目のバス停が近づいて来たので、私は車内に響き渡るような大きな声で、「次で降りますよ」と言いました。いつの間にか添乗員のようになっている自分がいました。バス停を降りると、「あっちですよ」と道路の反対側を指差して案内する始末です。私の後ろを20人くらいの多国籍の人間たちが、ゾロゾロ付いて道路を渡り、目指すバス停に向かっていました。

「こりゃ、バスガイドが持っているような旗が必要ですね」と冗談を言ったら、おばさんたちもゲラゲラ笑っていましたが、それでも冷静に、「でもね。道の反対側のバス停だとまた来た道を引き返すことになるんじゃないの?」と言うのです。言われてみればそうです。「まったくわけがわかんない」「どうなっているの」と再びおばさんパワーがさく裂していました。

しかし、バスは引き返すわけではなく、途中で違う道に曲がったのでした。そして、九折の山道をしばらく走ると強羅に着きました。強羅に着くと、バスの運転手が、「箱根湯本や小田原に行くのなら、宮城野営業所の方が代行バスが多く出ていますので、宮城野営業所まで行った方がいいですよ」と言うのです。それで、宮城野営業所まで行くと、そこから代行バスが始発で出ており、やっと小田原まで降りることができたのでした。

日本人でも戸惑うくらいだから、外国人観光客たちは余計そうでしょう。おばさんたちが言うように、バス停に代行バスの案内がまったく出ていないのには、呆れるばかりでした。

バスに乗っていた外国人観光客の中では、アジア系の若者、それもカップルが目立ちましたが、彼らを見ていると、日本の若者たちより全然マナーがいいのでした。おばさんたちがバスに乗ると、次々と席を立って席を譲ろうとするのです。おばさんと言っても50~60代で、席を譲る対象の年齢ではありません。

また、バスでは「車内での飲食はまわりの迷惑になりますので、ご遠慮ください」というアナウンスが数か国語でくり返し流されていました。でも、そんなアナウンスにお構いなしにバリバリお菓子などを食べているのは日本人の若者ばかりで、外国人観光客は誰ひとりものを食べている人間はいませんでした。それどころか、気の強そうな女の子は、口をもぐもぐさせている日本人の若者を睨みつけていました。

「ニッポン凄い!」と自演乙している間に、経済的にアジアの国からキャッチアップされ、さらに品格やマナーの点でも、アジアの同世代の若者から軽蔑の眼差しで見られるまでになっているのです。日本に観光旅行にやって来て、箱根観光を満喫しているアジアの若者たちは、少なくとも日本の平均的な若者たちより豊かであるのは間違いないでしょう。衣食足りて礼節を知っているのは、むしろ彼らの方なのです。それは、「ニッポン凄い!」の人間たちには見たくない現実かもしれません。

帰りのバスに気を揉んでウロウロしたことですっかり疲れてしまいました。金時山より疲れました。このところ、丹沢の表尾根に金時山と人気の山に行きましたので、今度は誰にも会わないような山行をしたいと思いました。そして、もっとのんびり山を歩きたいと思いました。


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2019.11.08 Fri l 山行 l top ▲
今週の水曜日、丹沢の表尾根に行きました。ただ、バスを利用してヤビツ峠から登ったので、塔ノ岳まで行くには時間的に厳しく、途中の烏尾山(からすおやま)で引き返しました。そして、三ノ塔から尾根を下って秦野戸川公園に降りました。

近所の人も、夏にヤビツから登ったけど、思った以上に時間がかかって帰りは夜になり、「遭難するかと思いましたよ」と言ってましたが、たしかに塔ノ岳は表尾根を歩いていくつかピークを越えなければならないので、標準タイムでも7時間近くかかるのでした。

途中で会ったソロの女性も、以前登ったとき、やはり烏尾山までしか行けなかったので、今回は山小屋に宿泊する予定で来たと話していました。

車で来て、早朝から登りはじめれば日帰りは可能ですが、バスだとよほどの健脚でなければ、どうしても時間切れになってしまうのです。まして、これからの季節は日が短いので、よけい行動時間が限られてしまいます。

ただ、塔ノ岳だけでなく、途中のピークにはそれぞれ宿泊できる小屋があるし、三ノ塔にも新しく避難小屋ができていましたので、たとえ時間切れになっても緊急に泊まることは可能です。

早朝5時半すぎに自宅を出ましたが、東急東横線・JR横浜線・小田急線と乗り換えて、秦野駅に着いたのは7時半すぎでした。秦野駅からヤビツ峠までは、バスで30分かかります。ヤビツ峠行きのバスは、平日は午前と午後の二便しかありません。つまり、行きと帰りが一便づつしかないのです。

秦野駅前のコンビニで買い物してバス停に向かったら、既に20人くらいが並んでいました。しかも、前の方にはザックが10個くらいまとめて置かれているのです。あとでわかったのですが、ザックは中高年の登山サークルの人たちのものでした。つまり、場所取りをしていたのでした。

しかも、あとから来たメンバーに向かって、「こっち」「こっち」と言ってどんどん割り込ませるのでした。私は、よほど注意しようかと思いましたが、後ろには外人もいたし、これから山に行くのに気まずい空気になるのも大人げないと思ってぐっと我慢しました。

恐らく丹沢をホームグラウンドにする人たちなのでしょう。近所の人も、塔ノ岳をホームグラウンドにする中高年のグループがいくつもあって、「我が物顔でどうしようもないんだよ」と言ってましたが、これがそうなのか思いました。

そのあともいくつかのグループ(団体)がやって来て、出発間際になると80人くらいが並びました。そのため、臨時バスが出て、午前便は2台運行することになりました。

バスに乗るのも、さながら通勤電車の椅子取りゲームのような様相を呈していました。山の中では「こんにちわ」と挨拶するので、みんな「いい人」に見えるのですが、図々しい人間はどこに行っても図々しいのです。山にも泥棒はいるし、痴漢だっているのです。中には、ナンパ目的で登山サークルに加入するおっさんだっているそうです。加入時の確認事項として、ナンパ目的についてわざわざ注意書きしているサークルもあるくらいです。

私は、幸い最後部の座席に座ることができたのですが、6人ぎっしり座っていたにもかかわらず、横に座っていた登山サークルのおばさんたちが、ほかのおばさんに「あと一人くらい座れるよ、詰めれば大丈夫よ」などと言って、勝手に座らせたのでした。

私は人一倍身体が大きいので、身動きひとつできず窮屈でなりませんでした。しかも、隣のおばさんからは、洗濯物の生乾きの臭いが漂ってきて、なんだか罰ゲームに遭っているようでした。

ふと、隣のおばさんのザックのサイドポケットを見ると、アミノバイタルのドリンクが入っているのに気付きました。おそらく百名山かなんかのツアーに参加した際にガイドから配布され、アミノバイタル信者になったのでしょう。

私は、底意地の悪さを抑えることができず、「アミノバイタルって効果あるんですか?」と尋ねました。おばさんは、ちょっと戸惑った表情を見せながら、「結構、効きますよ」と言っていました。

私は、下記の『選択』の記事を読んだばかりなので、「へぇ、そうですか。効果に科学的な確証はないそうですよ」「トクホ以下だという話さえあるそうですよ」と言いました。すると、おばさんは嫌な顔をしてそっぽを向いてしまいました。

『選択』
「アミノ酸」神話に騙される日本人

ヤビツ峠からは、表尾根に向かう人と大山に向かう人に分かれます。また、表尾根へも二ノ塔と塔ノ台経由で向かう人に分かれます。

ただ、二ノ塔のルートが圧倒的に多く、登山サークルの団体の多くも二ノ塔に向かうみたいです。私も二ノ塔に向かうのですが、団体が一緒だとソロで来た意味がないので、みんなが出発するまでベンチに座って時間を潰しました。

隣に座っていた中年の男性に、「今日は人が多いですね」と言うと、「ホントに、びっくりしましたよ」と言ってました。

「表尾根の方ですか?」
「いや、大山です。表尾根に行きたいんですが、今日は親父の付き添いなので大山に行きます」

私は、子どもの頃、父親と山に登ったときのことを思い出しました。そのときの思い出が今も心に残っているので、こうして山に来ているようなものです。

「お父さんが一緒なんですか。それはいいですね」
「もう80を超えているので一人で山に行かせるわけにはいきませんからね」と言ってました。

話をしていると、トイレに行っていたお父さんがやって来ました。「息子さんと山に登るなんて、いいですね」と言うと、「登れるかどうかわかりませんよ。それに、もしかしたらこれが最後の登山になるかもしれないし」と言いながら、嬉しそうに笑顔を見せていました。そして、「お先に」と言って、二人で大山に向けて登山道を登りはじめたのでした。

バスも出発して、峠には誰もいなくなったので、私もそろそろ出発しようと、トイレに行きました。ヤビツ峠に常設されていたトイレは、台風による停電で使用できず、代わりに工事現場にあるような仮設のトイレが設置されています。

私は、トイレに入ると、思わず「ゲェー」となりました。便器の中は紙があふれ、異臭が充満しているのでした。こんなところでよく用を足すなと思い、あわてて外に出ました。そして、小便なら山の中ですればいいやと思ったのでした。

それ以来、食事のときに、ヤビツのトイレの光景が目の前に浮かんで来るのでした。子どもの頃、カレーライスが出ると、どうしても人糞を思い浮かべる変な癖がありました。思い出したらいけないと自分に言い聞かせるのですが、言い聞かせれば言い聞かせるほど思い出されるのでした。それと同じフラッシュバックに未だ苦しめられています。

二ノ塔への登山道は、アスファルトの林道を30分くらい歩いた先にあります。ずいぶんゆっくりしたつもりだったのですが、登山道に入ってしばらく歩くと、前を行く団体が見えてきました。30人くらいのあの登山サークルの団体です。「これはまずい」と思って、立ち止まり、写真を撮ったりして時間を調整しました。

ところが、さらにしばらく行くと、団体の中から5~6人のおばさんたちが遅れはじめたのでした。その中には、バスの中で横に座っていたおばさんもいました。先行部隊はおばさんたちを置き去りにして、前に進んでいました。私は、「最低のパーティだな」と思いました。バス停の態度を思い出し、やっぱりと思わずにはいられませんでした。

仕方ないので、おばさんたちを追い抜くことにしました。「すいません。お先に」と愛想を振りまいて通り過ぎながら、心の中では「アミノバイタルの効果はなかったみたいだな」と悪態を吐いている自分がいました。

表尾根の登山道は、裸地が目立ち、想像以上に荒れていました。高尾山と並ぶ人気の山なので、荒れるのも当然かもしれません。二ノ塔から三ノ塔に向かう尾根道が、台風で崩落していましたが、あんなに踏み固められれば崩落するのも当然だろうと思いました。なんだか痛々しささえ覚え、登山の楽しみが半減しました。

丹沢名物の“階段地獄”も、荒れた山にさらに屋上屋を架すようなものでしょう。もちろん、階段の設置も、多くはボランティアの手によるもので、「いつも整備していただいてありがとうございます」と登山者が感謝する気持もわからないでもありません。

しかし、階段は、歩きやすくするためというより、道が踏み固められることで水はけが悪くなり、土砂が雨で流されるので、それをせき止める役割もあるのです。言うなれば、“階段地獄”はそれだけ山が荒れている証拠でもあるのです。

折しも、『週刊ダイヤモンド』(10/5号)に、「登山の経済学」という記事が掲載されていますが、その中では、登山道の多くが国立公園の中にあるにもかかわらず、その整備が山小屋や登山愛好家の有志によって支えられているお寒い現状が報告されていました。

ダイヤモンドオンライン
日本の山が危ない 登山の経済学

私たちが登る山のほとんどは、国立公園や国定公園(あるいは県立公園)の中にあります。しかし、国や自治体は、登山道の整備などにあまり予算を割くことはなく、民間任せになっているのが現状です。記事では、アメリカとイギリスの代表的な国立公園と比較して、「人も金も制度もない日本のお寒い実情」と書いていました。

その結果、大山のように、「初心者向け」と言いながら、「転落事故が多く発生しています」と警察から警告が出されるような山も多いのです。そして、事故があっても「自己責任」で済まされるのです。ヤビツ峠のトイレのお粗末さなども、そんな山の現状を象徴しているように思います。

でも、山に行く人たちは、それでも「ありがたい」と感謝するしかないのです。山に行くなら感謝しなければならないと強要されているような感じすらあります。

山小屋も、今や風前の灯だそうです。北アルプスの山小屋に物資の運搬を請け負っているヘリコプターの運行会社は、今や1社しか残ってなく、今後の新規参入も見込めない状態なのだとか。そのため、今年の夏、機体の修理で一ヶ月間運行が途絶えたら、界隈で営業する40軒の山小屋は食料不足で”孤立”する事態になったそうです。

この近辺で言えば、頂上まで行くのに時間がかかる塔ノ岳や雲取山などでは、山小屋はなくてはならない存在です。でも、その経営は、山好きの篤志家の善意に支えられているのです。

(略)山小屋がが本来国が直接管理すべき公園での公共機能を事実上代行していることに対して、行政の支援はほぼないに等しい。(略)環境省は「山小屋が公共的に必要な存在だとの国民全体の認識がなければ行政支援には理解が得られない」(熊倉基之国立公園課長)とするスタンスを崩さない。
(同上記事)


そもそも国立公園と言っても、国が所有するのは60パーセントに過ぎず、残りは民間の所有だそうで、その現実にも驚きました。

私は、富士山だけでなく、欧米のように、どこの山でも入山料を徴収すればいいんじゃないかと思います。そして、国や地方自治体の責任で、登山道を誰でも安心して歩けるように整備すべきだと思います。ひいてはそれが植生を守ることにもなるのです。

小泉武栄著『登山の誕生』(中公新書)によれば、日本は世界有数の登山大国だそうです。アメリカやフランス、ドイツ、イギリス、イタリアなど、登山用具のメーカーでもおなじみの登山が盛んな国でも、頂上をめざして登るクライマーはごく一部で、あとは登山鉄道や登山道路で山の上まで行き、山の中を歩いて楽しむハイキングやトレッキングのスタイルが大半なのです。

ヨーロッパでは、200年以上前までは山は「悪魔の棲家」と思われていて、「山に住むスイスやチロルの人々は、偏見や差別にさらされていた」そうです。だから、ヨーロッパから輸入された登攀思想には、「征服」や「撤退」など軍事用語が並んでいるのでしょう。

一方、日本では、弥生時代から山には神が住むと信じられ、山岳信仰がはじまったと言われています。稲作=農耕社会にとって大事な雨乞いと山の信仰が結び付いた「雨乞山」などは、その代表例でしょう。

日本では登山(クライミング)とハイキングやトレッキングがごっちゃになっていますが、どうして日本はハイキングやトレッキングではなく、登山がこれほど普及したのかについて、『登山の誕生』でもいろんな理由があげられていました。

しかし、私は、自分の経験から、『登山の誕生』ではぬけている理由があるような気がしました。それは、日本人の体格です。日本人の体格が登山に向いているという点も大きいように思います。

私は、身長が185センチで体重が83キロですが、私と同じような大男と山で遭遇することはめったにありません。有名な登山家でも、大半は身長が160センチ台で、体重も60キロ台です。競馬の騎手と同じで、登山の場合、体重が軽い方が有利なのです。私の場合、他人より10キロ以上重い荷物を背負って山に登っているようなもので、山に登るには不利な体格なのです(と、山でよく言われる)。

『週刊ダイヤモンド』の記事にあるように、何度かのブームが去り登山人口が減少に転じた中で、登山者が中高年と山ガールに二極化された現在、登山を取り巻く環境が大きく変わろうとしているのは事実でしょう。

それを考えるとき、私は、山ガールの存在は大きいのだと思います。今の中高年登山者たちは、(自分も含めて)早晩足腰が立たなくなり、山に行けなくなるでしょう。彼らは、子どもの頃、親と山に登った記憶で再び山に登り始めた人が多いのですが、山ガールたちはそういった”記憶の継承“とは無縁です。もちろん、ヨーロッパから輸入された登攀思想とも無縁です。だからこそ、山ガールたちが、日本にハイキングやトレッキングの新しい山の文化をもたらす可能性があるのではないかと思うのです。

そうなれば、投資ファンドからヨドバシカメラに売られた石井スポーツや、同じように投資ファンドに買収されて上場廃止になり、ゆくゆくはユニクロかワークマンに売られるのではないかと噂されている好日山荘なども、従来の商売のスタイルから根本的に脱却することを迫られるでしょう。

私は、ヤマレコの登山アプリを使っていますが、紙の地図とコンパスも、登山雑誌などが言うほど必要ではなくなってきました。一応、紙の地図とコンパスは持って行きますが、もしスマホの電池が切れたらとかスマホが壊れたらとか、そんな理由でわざわざ千円もする山と高原地図を買って持って行くほどの必要性は正直感じません。実際に、若い人の中には紙の地図を持ってない人も多いのです。登山アプリのほかに、ネットの登山関連のサイトからダウンロードしたルート図を持っている人が多いようです。

今のような山の現状が続くなら、せっかく山に興味を持った山ガールたちも、山にそっぽを向いてしまうでしょう。あんなトラウマになるようなヤビツ峠のトイレなど、もってのほかです。「山ってそんなもんだよ」「トイレがあるだけありがたいよ」とおっさんたちは言いますが、そんなおっさんたちがいなくなったら(それはもうすぐです)、あとはいいように踏み荒らされた無残な山が残るだけなのです。


2019年10月30日表尾根1
ヤビツ峠

2019年10月30日表尾根2
売店は閉店

2019年10月30日表尾根3

2019年10月30日表尾根4

2019年10月30日表尾根5

2019年10月30日表尾根6
大山

2019年10月30日表尾根7
二ノ塔

2019年10月30日表尾根8
向こうに見えるのが三ノ塔

2019年10月30日表尾根9

2019年10月30日表尾根10
二ノ塔と三ノ塔の間にある崩落場所

2019年10月30日表尾根11
三ノ塔

2019年10月30日表尾根12
三ノ塔から烏尾山を望む

2019年10月30日表尾根13
丹沢の山々

2019年10月30日表尾根14
三ノ塔全景

2019年10月30日表尾根15
同上
2019.11.02 Sat l 山行 l top ▲
先週と今週山に行きました。山行に関しては、自分にとってこのブログが備忘録のようになっていますので、遅くなりましたが、先週の山行について書いておきます。

余談ですが、ブログというのは、他人(ひと)から読まれることだけを目的に書いていると、これほど空しいものはありません。前に山で会った高齢の女性は、10年以上山行を中心にしたブログを書いていたけど、最近、ブログをやめたと言っていました。

「いつの間にかブログを書くために山に行っているような感じになって、ブログが負担に思えてきたんですよ。記録を残すだけなら、日記でいいじゃないかと思ったんです」と言ってましたが、女性の気持はわからないでもありません。ブログが自己顕示欲と承認欲求を伴ったものであるというのは否定すべくもない事実で、本末転倒や自己嫌悪はその反動なのかもしれません。

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先週の21日に埼玉の山に行きました。台風19号で関東の山も大きな被害を受けたのですが、ネットで情報を収集した結果、以前登った秩父市と横瀬町の境にある丸山のピストン(行きと帰りが同じルートの意)だったらどうにか山行が可能の様子でした。

以前登ったとき、帰りに歩いたルートは案の定、崩落して「通行禁止」になっているようです。私はピストンは好きではないのですが、この際仕方ありません。丸山に登ろうと早朝の西武池袋線に乗りました。

ところが、飯能から秩父線に乗り換えたあと、睡魔に襲われいつの間にかウトウトしてしまったのでした。丸山の最寄り駅は「芦ヶ久保」です。

夢の中で「芦ヶ久保」「芦ヶ久保」というアナウンスが聞こえてきました。私は、目を覚ますとあわてて電車を降り、改札口を出ました。西武秩父線の駅は、どこも山の中腹にあり、駅舎も周辺の風景もよく似ています。どこの駅からも坂道や階段を下って、秩父・飯能間を走る国道299号線に降りなければなりません。

私は、駅前(と言ってもなんにもない)の坂道を下りながら、あたりを見回しましたが、どうも前に降車した「芦ヶ久保」駅と違うような気がしたのでした。それで、はっとしてホームの方を振り返りました。すると、「吾野」という看板が目に入ったのでした。「吾野」は「芦ヶ久保」の三つ手前の駅です。

「やってしまった」と思いましたが、でも、もう仕方ありません。西武秩父線は、1時間に2本しか電車がないので、駅に戻って次の電車を待つと、大きな時間のロスが生じてしまいます。このまま適当に山に入ろうと思いました。

前に熊に遭遇したルートを通って上の峠に行くことにしました。台風被害の情報がないので、通行可能かどうかわかりませんが、とりあえず行き当たりばったりで行くしかありません。

国道を越え、さらに林道を外れて登山道に差し掛かると、目の前には以前とは見違えるような光景が現れました。登山道が雨に流された石や倒木で覆われていたのでした。「エエッ、これを登るのか?」と思いましたが、登るしかありません。まだ、水が滲みだしている登山道を、まるで岩登りのように両手を使って登って行きました。しかし、しばらく登ると、道は斜面を巻くようになりましたので、歩きやすくなりました。途中、何度か倒木を乗り越える必要がありましたが、そのあとは峠まで順調に登ることができました。峠の下にある集落の住人に訊いたら、こっちの斜面はそんなに被害がなかったけど、反対側は被害が大きく、林道も通行止めになっていると言っていました。

顔振峠から傘杉峠に向かうと、やっぱり傘杉峠から黒山三滝に降りる道は「入山禁止」になっていました。さらに林道も「通行禁止」になっており、これ以上奥には行けません。そうなれば、前に関八州に登ったルートを進むしかありません。再び荒れた急登を登りました。

途中、通過した林道では、市役所の人が土砂や倒木の撤去作業をしていました。また、ボランティアの人が作業をしているところもありました。幸いにも、住人が言うように西武線の方向は被害が小さかったみたいで、関八州・高山不動を経て再び吾野駅に戻ることができました。

山を下りると、林道の脇には川が流れているのですが、対岸の斜面では台風の爪跡が至るところで見られました。斜面が抉られ、山の中から滲み出した雨水がその中を伝って、谷底の川に流れ込んでいるのでした。

途中すれ違ったのは3人だけでした。やはり、台風直後の山に来るようなもの好きは少なかったみたいです。行き当たりばったりで歩いたので、歩行距離は10キロを超え、歩数も3万5千歩を超えました。


2019年10月21日山行1
登山道の入口

2019年10月21日山行2
同上

2019年10月21日山行3

2019年10月21日山行4

2019年10月21日山行5

2019年10月21日山行6

2019年10月21日山行7

2019年10月21日山行8

2019年10月21日山行9
仕方ないので、関八州(花立松ノ峠)に向けて登って行きます。

2019年10月21日山行10
土が流されて岩が剥き出しになっていました。

2019年10月21日山行11
いったん林道に出ました。カーブミラーも土砂で埋まっていました。

2019年10月21日山行12

2019年10月21日山行13

2019年10月21日山行14

2019年10月21日山行15

2019年10月21日山行16
斜面が川みたいになっていた。

2019年10月21日山行17
2019.10.31 Thu l 山行 l top ▲