昨日、衆院選挙が告示され、22日の投票日に向けて選挙戦が開始されました、と言っても、告示のときはもう大勢は決まっていると言われています。

さっそく朝日新聞に序盤の「情勢調査」が出ていますが、それによれば、自民党は「堅調」で単独過半数233議席を大きく上回る見込み、希望の党は伸び悩み現有57議席を上回る程度、立憲民主党は勢いがあり現有15議席の倍増も可能、公明共産は現状維持だそうです。

「選挙は蓋を開けて見なければわからない」「無党派層の動向如何では結果が変わる可能性がある」なんてもの言いも所詮、気休めにすぎないのです。実際に、今までも事前の予想を大きく裏切ることはありませんでした。

なんのことはない、安倍一強はゆるぎもしないのです。それどころか、逆に希望の党が加わるので、改憲派は今より大幅に議席を増やすことになるのです。

そんななか、選挙権が18歳に引き下げられたということもあって、いつになく若者たちの「選挙に行こう」キャンペーンが盛んです。「選挙に行かないのは、政治家に白紙委任するようなもの」「選挙は、自分たちの意思を国政に反映させる絶好のチャンス」「選挙に行かない人間に政治を語る資格はない」などという、おなじみの“選挙幻想”がふりまかれているのでした。

私などは、朝のワイドショーはどこも選挙の話題ばかりなので、今朝はとうとうテレビ東京の子ども向け番組「おはスタ」で、にゃんこスターの笑えないギャクを見ていました。くだらない選挙の話題なんかよりにゃんこスターのギャクのほうが余程マシです。

一方、メディアでは、「入口に立つあなたが好き」というキャッチフレーズを掲げ、若者の投票率の向上を目指してさまざまなイベントを開催している学生団体がもてはやされています。

学生だったら今のおかしな選挙制度や政党助成金制度に対して問題提起すべきではないかと思いますが、彼らにそんな問題意識はないようです。選挙で世の中は変えられない、という昔の学生のような不埒な考えなんて想像すらできないのでしょう。

政治的なスタンス以前の問題として、あの麻生太郎や二階俊博の有権者をバカにしたような尊大な態度に、少しは怒ってもいいように思いますが、もちろん、彼らにそんな視点はありません。どこまでも「いい子」なのです。彼らは、腹黒な役人や老獪な政治家に頭を撫でられることだけが目的のような「いい子」にすぎないのです。

「劇場型」と言われた小泉政権の登場によって、衆愚政治のタガが外れたと言われていますが、問題意識をもてない有権者は、文字通りタガの外れた衆愚政治がターゲットにするB層になるだけでしょう。無定見に「選挙に行こう」キャンペーンを担う彼らは、若者たちにB層=衆愚になれと言っているようなものです。

もちろん、それは若者だけではありません。戦争が起こると本気で思っている(そのわりに呑気に酒を飲んでいる)新橋のサラリーマンたちも然りです。B層というのは、そのように常に「煽られる人」でもあるのです。

僭越ですが、私は、以前、鈴木邦男氏が雑誌のコラムで紹介していた戦争前のエピソードについて、つぎのように書いたことがありました。

一水会の鈴木邦男氏は、雑誌『創(9・10月号)のコラム(「言論の覚悟」真の愛国心とは何か)で、戦争前、東條英機のもとに、一般国民から「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というような「攻撃・脅迫」めいた手紙が段ボール箱に何箱も届いたというお孫さんの話を紹介していましたが、そうやって国民もマスコミもみんな一緒になって戦争を煽っていたのです。東條英機らは、そんな声に押されるように、「人間たまには清水の舞台から飛び降りるのも必要だ」という有名なセリフを残して、無謀な戦争へと突き進んでいったのでした。でも、戦争が終わったら、いつの間にか国民は、軍部に騙された「被害者」になっていたのです。

「愛国」と「文学のことば」
http://zakkan.org/blog-entry-986html


選挙が終わったら、「禊を終え」勢いを増した改憲派が、北朝鮮の脅威を盾に、いっきに改憲へギアをアップしていくことでしょう。そして、森友・加計の問題は人々の記憶から消えていくに違いありません。永井荷風ではないけれど、「選挙に行こう」というのは、あの戦意高揚の標語と同じで、「まことにこれ駄句駄字といふべし」なのです。


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2017.10.11 Wed l 社会・時事 l top ▲
最近体調がよくなくて、本も読まず、テレビばかり見ていますので、もう少し床屋政談をつづけます。

民進党が事実上「解体」したことは慶賀すべきことです。(何度も言っているように)「民進党が野党第一党であることの不幸」から解放されるなら、まずは歓迎すべきでしょう。

「アベ政治を許さない」と言っている人たちがホントに「アベ政治を許さない」と思っているのなら、希望の党に行ったとか新党を立ち上げたとか無所属で行くとかに関係なく、旧民進党の議員全員の落選運動をやるべきでしょう。

希望の党との合流が発表された当初、合流はアベ政権を倒すための次善の策だというようなことを書いていた田中龍作ジャーナルに代表されるような左派リベラルのお粗末さや、枝野氏ら「排除」された「リベラル」派が新党を立ち上げたら、今度は新党に希望を託すようなことを言っている左派リベラルの御目出度さを考えるべきなのです。

阿部知子氏の「新しい独裁者はいらない」ということばは秀逸だと思いますが、しかし、阿部氏自身、代表選では前原氏を支持していたのです。しかも、28日の両院議員総会では、前原氏の提案に対して疑義すら申し立てなかったのです。それは、阿部氏だけではありません。疑義を申し立てる人間は誰もおらず、僅か30分で前原氏に一任することを決定し閉会しているのです。前原氏の提案に席を蹴ることすらできなかったヘタレな「リベラル」になにを期待すると言うのでしょうか。

「リベラル」派は所詮、「緑のたぬき」から「排除」された”負け犬”にすぎません。同情するなら票をくれとでも言わんばかりに新党を立ち上げても、マスコミによって刷り込まれた“負け犬”のイメージを払拭することはできないでしょう。

新党を立ち上げる前、枝野氏は前原氏と会談し、話が違う、と抗議したところ、前原氏は、「排除」するなんて聞いてない、小池氏に確認する、明日まで待ってくれ、と言ったそうです。すると、枝野氏は、一縷の望みを託して(?)前原氏の返事を待っていたのです。

しかし、メディアの報道によれば、前原氏は、「排除」や「分裂」はすべて想定内だったと言っているそうです。前原氏の思想的な立ち位置を考えれば、前原氏が「(小池氏に)騙された」なんてあり得ないでしょう。枝野氏は、未だに民進党議員全員を受け入れるという合意は、小池氏によって(一方的に)反故にされたようなことを言っていますが、二人の間では「排除」することが最初から合意されていたのです。小池氏も、「排除」については、当初から前原氏に申し上げていると言っているのです。

それどころか、9月26日の会談には連合の神津会長も同席していたそうです。前原氏自身も、希望の党との合流は、連合と相談しながら進めていたと証言しています。「排除」は神津会長も同意していたと考えて間違いないでしょう。連合が「排除」の方針を打ち出した小池氏に「激怒」と書いていた夕刊紙がありましたが、それはトンチンカンな左派リベラルの”希望的観測”と言うべきでしょう。

こういう細かいことは案外重要です。なぜなら民進党議員たちの(特に「リベラル」派の)カマトト=建前と本音を映し出しているからです。要するに、「保守」であれ「リベラル」であれ、「右派」であれ「左派」であれ、民進党の議員たちは、みんな希望の党に行きたかったのです。「トロイの木馬」発言もそうですが、28日の両院議員総会までは、希望の党に行くという“甘い夢”を見ていたのです。

山尾志桜里氏は、朝日新聞の取材に対して、「無所属で本当によかった。リベラルの価値を葛藤なしに語れることが幸せだ」と言ったそうですが、よく言うよと思います。言うまでもなく、山尾氏は前原氏に近い人物でした。スキャンダルがなければ、前原氏と行動を共にしたのは目に見えているのです。

今回の合流劇では、民進党の100億円を超すと言われる内部留保のお金の行方に関心が集っていますが、政界が金の論理で動くようになった(それをマスコミは「政界再編」と呼んでいるのですが)政党助成金の問題も考えないわけにはいかないでしょう。政党助成金というのは、既成政党が税金によって既得権益を得、議会政治を独占し、未来永劫に政権をたらい回しする制度なのです。そういった視点で今回の合流劇を見れば、見えてくるものがあるでしょう。

希望の党の若狭勝氏は、今日の第一次公認候補者発表の席で、選挙後の首班指名について、自民党議員を指名することに含みをもたせたそうです。彼らが目指しているのが保守大連立であることが徐々にあきらかになっています。仮に安倍晋三が去っても、「アベ政治」は残るのです。

スペインのカタルーニャ独立の投票をめぐる運動を見るにつけ、日本との違いを痛感せざるを得ません。彼方の政党は、左右を問わず、どこも街頭の運動のなかから生まれたのです。そして、常にあのような街頭の運動によって政党の活動も支えられているのです。同じ左派リベラルでも日本のそれとは似て非なるものです。

先日の安倍退陣(お前が「国難」)デモで、枝野氏が姿を見せると、いっせいに枝野コールがおこったそうですが、私にはそれもトンマな光景にしか思えませんでした。
2017.10.03 Tue l 社会・時事 l top ▲
さらにもう一度、床屋政談を。

希望の党との合流を「悪魔との握手だ」と批判していた有田芳生議員は、昨日の両院議員総会後、一転して、合流は安倍政権を倒すための「国共合作」だとツイートしていました。開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。

参院議員は当面選挙がないし、それに有田議員の場合、次回の選挙には立候補しないことを既に表明しています。だったら、恐れるものはないのだから筋を通せばいいじゃないかと思いますが、一度赤絨毯の上を歩いた人間に、もはや普通の感覚は通用しないのでしょう。

民進党の両院議員総会は、前原代表の提案に対して、満場一致で受入れることを決定し、僅か30分で閉会したのだそうです。これも驚くべきことです。連合が合流にお墨付きを与えたこともあってか、”リベラル派”からも反対の声は出なかったそうです。そして、民進党の衆院議員たちは、「大審問官」の審問を受けるべく、希望の党の扉の前に列を作ることになったのです。彼らはみずから進んでファシストの軍門に下ったのです。

希望の党には、日本のこころのような極右勢力も合流しています。小池百合子氏の父親は、”スメラ哲学”を信奉する国粋主義者で、氏自身も核武装論者です。また、かつて統一教会や幸福の科学との関係が取りざたされたこともあり、先日も、歴代の都知事がおこなっていた関東大震災における朝鮮人虐殺の犠牲者の追悼を拒否して、物議を醸したばかりです。

有田議員は、希望の党との合流と反ヘイトの姿勢にどう折り合いをつけるのでしょうか。常人にはとても理解の外です。

「安倍政権を倒す」というのも、野合のための方便のようにしか思えません。希望の党が政権を取ったら、むしろ一気呵成に改憲への道を突き進む可能性さえあるでしょう。その前に、自民党との連立や合流だってあるかもしれません。仮に安倍晋三氏が政権を去ったとしても、「アベ政治」は残るのです。

戦前もみんなこうやって大政翼賛会になびいて行ったのでしょう。転向というのは、なにも特高警察によって暴力的に強制されたケースだけではないのです。中野重治が『村の家』などで書いているように、社会から孤立する“恐怖”からみずから進んで合理的な理由を見つけて転向するケースだって多かったのです。無産政党の社会大衆党が大政翼賛会に合流したのもそうでした。

私たちが現在(いま)見ているのも同じ光景です。
2017.09.29 Fri l 社会・時事 l top ▲
不本意ながら、もう少し床屋政談を。

今日の午前、テレビ東京の「Mプラス11」を見ていたら、「民進党の前原代表が希望の党に対して、民進党の解党や分党を視野に入れた合流を検討していると伝えていたことが関係者への取材で分かりました」というニュースが流れ、「やっぱり」と思いました。

そして、午後になってから、ほかのテレビ局も「合流」のニュースを伝えはじめ、新聞各紙も夕刊でいっせいに記事にしたのでした。

まさに獅子身中の虫の面目躍如という気がします。民進党の保守派が希望の党と「合流」するというのは、前原氏周辺では既定路線だったのでしょう。前原氏が代表になってもならなくても、いづれ自分たちを「高く売る」つもりだったのでしょう。まさに「だから言わないこっちゃない」という感じです。

一方、同党の有田芳生議員は、代表選の前からツイッターで、前原氏は小沢一郎氏の薫陶を受けて変わった、代表選も保守対リベラルという構図では捉えられない、などと新生・前原氏を盛んにアピールしていました。前原氏が野党共闘に否定的だというのは皮相的な見方で、時間が経てばそうじゃないことがわかるはずだとさえ言ってました。

しかし、このあり様です。要は、前原氏が獅子身中の虫であることがまるでわかってなかったのでしょう。今更「悪魔との握手だ」などと批判しても、白々しく聞こえるばかりです。あまりにもお粗末と言わねばなりません。それはまた、(何度もくり返しますが)この国のリベラル左派のお粗末さでもあります。

(追記:余談ですが、有田議員は28日の朝のツイートで、「俗情との結託」ということばを埴谷雄高のことばとして紹介していましたが、「俗情との結託」は埴谷雄高ではなく大西巨人です。元民青の付け焼刃な知識なのでしょう)

前から書いているように、そもそも野党共闘自体が現実を糊塗するだけの“不毛な政治“にすぎません。民進党内のリベラル派なるものも、リベラルだなんて片腹痛いのです。単にこの国の労働運動を食い物にする労働貴族の代弁者にすぎないのです。

今回の「再編劇」で示されているのは、”保守の余裕”です。言うなればこれは、“第二自民党”の再編とでも言うべきものです。もちろん、希望の党がこのまま順調に行くとは思えませんので、いづれ自民党と合流ということも充分あり得るでしょう。はっきりしているのは、今回の「再編劇」によって、国会は保守一色に染められ、改憲も盤石になるということです。文字通り野党が消滅した翼賛体制が成立するのです。

リベラル左派は、昨日まで民進党にはまだ希望があり、野党共闘も現実味を増しているようなことを言っていました。なんのことはない、勝手にそんな幻影を抱いていただけだったのです。

しかも、ここに至ってもなお、希望の党は安倍政権より”まだまし”だみたいな話が出ているのですから、なにをか況やです。一体、どんな思考回路を辿れば、こんな状況判断ができるのでしょうか。

彼らは、いつもこのように、ただ徒に(二者択一的に)”希望”をねつ造し現実を糊塗するだけなのです。こんなリベラル左派なんてもういらないのです。


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2017.09.27 Wed l 社会・時事 l top ▲
不本意ながら、床屋政談を。

突然降って沸いた解散風。どうやら28日召集予定の臨時国会での冒頭解散が濃厚のようです。

野党は、「大義なき解散」などと批判していますが、結果は最初から見えている気がします。野党の批判は、どこかの知事が言っていたように、「負け犬の遠吠え」のようにしか思えません。

自民党は、再来年の10月に予定されている消費税の増税分を、国の借金の穴埋めではなく幼児教育や保育等の無償化に充てる、使途の変更を選挙公約に掲げると伝えられていますが、それに対して民進党の前原代表は、自分が主張していたことと同じで、パクリだと批判しています。

自衛隊の存在を9条に明記する憲法改正案も、安倍首相と前原代表の考えは同じです。なにもかも同じなのです。どっちが先に主張したかと本家争いをしているにすぎないのです。

北朝鮮情勢についても、与野党に違いはありません。トランプの国連演説は、北朝鮮に対する宣戦布告のようなもので、どう考えても、アメリカがやっていることは圧力ではなく挑発です。しかし、その危険性を指摘する声は皆無なのです。

今更ながらに、民進党が野党第一党である不幸を痛感せざるを得ません。民進党は護憲の党ではありませんし、反原発の党でもありません。民進党と自民党は、政策的には相違する部分より共通した部分がはるかに多いのです。

民進党(旧民主党)は自民党を勝たせるためだけに存在していると言うのは、笑えない冗談です。今回の解散総選挙も、細野某など離党組がそのお膳立てをしたようなものでしょう。自民党が追い詰められると、なぜか民進党(旧民主党)がみずからずっこけて、自民党に助け舟を出すのがいつものパターンです。

前原代表の発言も、「(どうせ同じなんだから)どうぞ自民党に投票してください」と言っているようなものです。少なくとも、多くの有権者はそう受け止めているでしょう。私には、彼らがどうして野党にいるのか不思議でなりません。

(現実的にはあり得ない話ですが)仮に民進党が大きく議席を増やすことがあったら、消費税のときと同じように、今度は憲法や原発など重要政策で、「堂々と議論する」(前原代表)などと言いながら自民党にすり寄っていく(そうやって自分たちを高く売る)のは目に見えています。民進党が議席を増やすことは、必ずしも政治がよくなることを意味するのではないのです。むしろ、反動に加速がつくことになりかねないのです。民進党というのは、もはやそういう存在なのです。

にもかかわらず思考停止したこの国の左派リベラルは、野党共闘に人民戦線の妄想でも抱いているのか、相も変わらぬ”まだまし論”に依拠して”民進党=リベラル幻想”をふりまき、「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」(ブレイディみかこ)しか能がないのです。
2017.09.20 Wed l 社会・時事 l top ▲
朝日新聞に月に一度連載されている「寂聴 残された日々」というエッセイで、瀬戸内寂聴が山尾志桜里議員のスキャンダルについて書いていました。

朝日新聞デジタル
(寂聴 残された日々:27)山尾さん、孤独の出発に自信を 恋は理性の外、人生は続く

エッセイは、つぎのような文章ではじまっていました。

 何気(なにげ)なくつけたテレビの画面いっぱいに、端正な美貌(びぼう)の女性が、涙のたまった両目をしっかりと見開き、正面を向いてしきりに言葉を発している。その表情がまれに見る美しさだったのと、しゃべる言葉がしっかりしているのに驚かされ、テレビから目が離せなくなってしまった。


そして、つぎのような文章で終わっていました。

 不倫も恋の一種である。恋は理性の外のもので、突然、雷のように天から降ってくる。雷を避けることはできない。当たったものが宿命である。

 山尾さんはまだまだ若い。これからの人生をきっと新しく切り開いて見事な花を咲かせるだろう。それを95の私は、もう見られないのが残念。


坂口安吾ではないですが、「恋は人生の花」です。山尾議員だけでなく、斉藤由貴も上原多香子も、自分の人生を恥じる必要はないのです。他人の色恋を妬んだり嫉んだりする人間ほど、心の貧しい者はいません。「不倫上等」でいいじゃないか。不倫を詰るような輩(カス)には唾を吐きかければいいのです。

山尾議員の場合、「仕事と子育てにがんばるお母さんの味方」というようなスタンスを演じていたので、不倫に対する反発がよけい大きかったのでしょう。文春の記者が朝帰りの山尾議員に向かって、「先生、お子さんはどうしたんですか?」「先生、お子さんの面倒は見なくていいんですか?」とわざとらしく叫んでいたのは、そんな山尾議員に対する当てつけだったのでしょう。

そこで振りかざされているのは、「仕事と子育てにがんばるお母さん」は貞操観念もしっかりしていなければならないという、女性を結婚(家庭)と母性に縛るおなじみの良妻賢母のイデオロギーです。山尾志桜里議員はジャンヌダルクなんかではなかったのです。古い女性のイデオロギーに迎合する、ただのポピュリストにすぎなかったのです。だから「ざまあみろ」という声に反論すらできなかったのでしょう。

私は、政治家としての山尾志桜里議員にはまったく興味もありませんし、期待もしていません。ただ、瀬戸内寂聴も書いているように、ひとりの女性として、(みずから墓穴を掘ったとは言え)古い女性のイデオロギーを押し付ける下劣な報道に負けずに、顔を上げて前に進んでもらいたいと思うだけです。

それより私は、「先生、お子さんはどうしたんですか?」「先生、お子さんの面倒は見なくていいんですか?」と叫んでいた文春のアホ丸出しの記者のほうが興味があります。彼らだって不倫をしているはずなのです。誰か、文春や新潮の社員たちのスキャンダルを書く人間はいないのかと思います。『噂の真相』がなくなったのが、かえすがえすも残念でなりません。


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上原多香子と柳原白蓮
2017.09.15 Fri l ネット・メディア l top ▲
さる9月1日に開かれた民進党の臨時党大会で、あたらしい代表に選出された前原誠司氏は、あいさつのなかで「政権交代」ということばを何度もくり返したのだとか。私は、それを聞いて、前原氏はパラノイアではないのかと思いました。通常の感覚であれば、「政権交代」なんてとてもあり得ない話でしょう。

もっとも、前原氏自身も、つぎのように述べていたそうです。

 新代表あいさつで前原氏は「今この場で『政権交代」』と言っても、国民は『何を言ってるんだ』という状態になる。しかし自民党しか選べない、こんな政治状況は我々の手で変えなくてはならない」と決意を述べた。それに向け「国民のためにすべて捧げて働く」「決意と覚悟持って、難しい局面を国民のために切り開く」と続けた。

Yahoo!ニュース(J-CASTニュース)
「政権交代」連呼の前原新代表、過去の「負の経験」生かせるか 挙党体制の方針には「これから考える」


しかし、改憲においては、各メディアが書いているように、前原氏の考えと安倍首相の考えは同じです。改憲論議が深まれば、維新と同様、民進党が安倍政権とタッグを組むのは目に見えています。

早くもそれを裏付けるように、つぎのようなニュースも出ています。

朝日新聞デジタル
前原代表、野党4党合意見直しへ 改憲反対「話通らぬ」

前原氏自身も、「政権交代」が夢物語だということはよくわかっているはずです。要は、自分たちを如何に高く自民党に売るかということなのでしょう。前原氏を代表に選んだ民進党議員の多くも、同じ考えなのでしょう。

山尾志桜里議員のスキャンダルを文春にリークしたのは、政権周辺の公安関係者ではなく、民進党内部の人間ではないかという話もありますが、だとしたらいよいよ民進党は収拾のつかない崩壊過程に入ったと言えるのかもしれません。

前原体制がいつまでつづくかわかりませんが、前原氏が代表の座を追われたら、前原グループがここぞとばかりに離党して、党が一気に崩壊する可能性すらあるでしょう。前原氏を代表に選んだのは、言うなれば、獅子身中の虫に党の命運を委ねたようなものと言ってもいいかもしれません。もっとも、民進党は、もともとそういう運命にあったと言えなくもないのです。

民進党はリベラルなんかではないし、野党でもないのです。ただ野党のふりをしているだけです。それは、旧民主党の成立時からあきらかでした。旧民主党に与えられた役割は、“第二自民党”になることでした。自民党の一党独裁体制(としての55年体制)がゆらぎはじめたことで、安心して政権交代ができる二大政党制をこの国に根付かせる必要があったのです。その要請に応えるかたちで、労働戦線の右翼的再編(連合の誕生)と軌を一にして旧民主党が誕生したのでした。

民進党に随伴して「アベ政治を許さない」と叫んでいた人々も同じ穴のムジナです。民進党が野党第一党であることの不幸を理会(©竹中労)できずに、今になって、民進党に絶望したなんて言っているのはお粗末の極みと言うべきでしょう。民進党が死んでも誰も困らないのと同じように、彼らのような「リベラル左派」がいなくなっても誰も困らないのです。

山尾志桜里議員のスキャンダルにしても、今まで民進党やその周辺は、文春砲に我が意を得たりとばかりに踊っていたのです。文春砲がいつ自分たちに向かってくるのかなんて、ゆめゆめ考えてなかったのでしょう。だからあんなに(アホみたいに)踊っていたのでしょう。そして、案の定、今度は自分たちが足を掬われたのです。

民進党の有田芳生参院議員は、文藝春秋の松井清人社長が『週刊文春』の編集長だった頃から親しい関係にあることを公言していました。文春が自民党議員のスキャンダルを取り上げているときは、文春の編集方針は変わったみたいなことを言って、そのスキャンダルを政治的な攻撃材料に使っていました。ところが、山尾議員のスキャンダルが出た途端、沈黙を決め込んだのでした。そして、山尾議員の離党が囁かれはじめると、「悪質な情報操作」だとツイッターに書いていましたが、ほどなく離党届が提出されました。すると今度は、「離党はご自身で判断した出所進退の結論です」と書いていました。しかし、メディアが書いているように、離党は本人の意思というより、来月におこなわれる衆院補選への悪影響を考えた執行部の判断であることは誰が見てもあきらかです。とりあえず辞職まで行かなかったのは、民進党の党内事情による判断だったのでしょう。

有田芳生 (@aritayoshifu) | Twitter

都合が悪くなると、黙りを決め込んだり、知らばっくれたりする、民進党の劣化は個々の議員にまで及んでいるのです。

それにつけても、このヒステリックな不倫叩きの風潮は、一体なんなのかと思います。私は、このブログでも書いているように、山尾志桜里議員には批判的ですが、しかし、彼女が不倫で政治生命を奪われることには違和感を抱かざるを得ません。不倫なんてみんなやっているじゃないか、そんなことはどうだっていいじゃないか、と言いたいのです。他人がとやかく言う問題ではないでしょう。

ブレイディみか子氏は、男女間の賃金格差や公共セクターで働く人たちと下層の人たちとの賃金格差に関連して(それは、レーニンが『国家と革命』で主張したことの今日的問題なのですが)、「セックスよりマネーがスキャンダルになる時代が来た」と書いていましたが、日本では未だにマネーよりセックスがスキャンダルになる時代の真っ只中にあるかのようです。国会議員も芸能人も、そして国民も、みんなセックススキャンダルに踊らされているのです。恥ずかしげもなく他人のセックスに嫉妬する、なんとセックス好きな国民なんだろうと思います。

晶文社スクラックブック
UK地べた外電


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ベッキー降板で思った
2017.09.07 Thu l 社会・時事 l top ▲
先月発売された丹野未雪の『あたらしい無職』(タバブックス)という本を読みたいと思い、新横浜の三省堂や新宿の紀伊国屋や池袋の三省堂やジュンク堂などをまわったのですが、小出版社の本だからなのか、どこにも在庫がありませんでした。

同書には電子書籍もありますが、私は、新刊本はできるなら紙の本で読みたいと思っている古いタイプの人間なので、今度はネットで購入しようと、通販サイトをチェックしました。

仕事の関係で、Tポイントが結構貯まるため、まずTポイントが使えるヤフーショッピングで検索してみました。しかし、ヤフーショッピングに出店している店も、いづれも在庫はなく、取り寄せるのに1週間から10日かかると表示されました。

つぎに、ジュンク堂と丸善と文教堂が共同で立ち上げたhontoという通販サイトにアクセスしてみました。在庫はあったのですが、お急ぎ便は送料が260円か350円かかります。

結局、プライム会員になっているアマゾンで注文しました。プライム会員だと送料無料の上、当日便で届きます。しかも、アマゾンでは、同書が「残り11点」となっていました。

最初からアマゾンにすればよかったと思いました。アマゾンは、当日便など宅配業者への負担が問題となっていますが、しかし、ユーザ-の立場からすると、掛け値なしに便利なのです。文字通り、アマゾン最強なのです。

当日便や時間指定の問題では、ユーザーも便利さだけを求めるのではなく、その裏にある労働問題などへも目を向けるべきだという声がありますが、しかし、それは資本主義社会において、本末転倒したないものねだりの意見のように思えてなりません。

クロネコヤマトや佐川急便が”強気な”背景には、彼らが業界で圧倒的なシェアを占めているからにほかなりません。通販では如何にも赤字だみたいな話がありますが、しかし、巨額な利益を得ている独占企業であることには代わりがないのです。労働問題にしても、サービス残業で摘発されたことからもわかるように、アマゾンの責任というより、会社の(ブラックな)体質こそが問題なのです。人手不足なら、人材が集まるように労働条件を改善すればいいだけの話です。彼らは、莫大な内部留保をもたらす利潤率をそのままにして、人手不足を嘆いているにすぎないのです。

ここにも資本のウソ、ご都合主義が表れているように思えてなりません。的場昭弘氏が『「革命」再考』で書いていた、「資本は儲けるときはコスモポリタンで博愛的」だけど、「儲からなくなると、途端に国家にすがり国家主義的」になるのと同じです。

以前から言われていたことですが、アマゾンや楽天は、いづれ自前の宅配ネットワークをもつようになるでしょう。その動きは今後益々加速されるでしょう。そして、やがてアマゾンや楽天が、ヤマトや佐川のライバルになるのだろうと思います。

資本主義社会において、競争は当然で、それは決して悪いことではないのです。ヤマトや佐川の“殿様商売”のほうが不健全なのです。

そもそも翌日配達や時間指定など、今のような個人向けのサービスをはじめたのは、ほかならぬクロネコヤマトなのです。ところが、今度はそのサービスを値上げの口実にしているのです。ヤマトのやり方は、無料で顧客を囲い、シェアを占めると一転有料化して利益を回収する、ヤフーなどネット企業の手口とよく似ています。

若い頃に読んだ『都市の論理』という本で、著者の羽仁五郎が、公社・公団などは資本主義に社会主義的な要素を持ち込もうとする発想で、資本主義のいいところと社会主義のいいところを合体させようと思っているのかもしれないけど、それは両方の悪い面が出るだけだ、と書いていたのを思い出します。資本主義社会において、競争原理を否定するような論理こそ反動だということを、ゆめゆめ忘れてはならないでしょう。
2017.08.19 Sat l ネット・メディア l top ▲
ネットに出ていた上原多香子が不倫相手と交わしたLINEの文章を読んでいたら、ふと柳原白蓮のことを思い出しました。

私は、高校生のとき、持病があり、月に一度かかりつけの病院に通っていたのですが、その際、赤銅御殿の前を通って病院に行ってました。隣にキリスト教系の女子高があり、下校時にそこの生徒たちと遭遇すると、遠慮のない視線を浴びせられ、思春期の真っ只中にあった私は、いつの間にか耳たぶが熱くなっているのがわかるのでした。赤銅御殿は、既に人手に渡り旅館になっていましたが、高い石塀と庭木に囲われた目を見張るような豪邸は、昔のままの姿で残っていました。

成り上がり者の炭鉱王・伊藤伝右衛門は、大正天皇の従妹にあたる25歳下の白蓮のために、贅を尽くした別邸を大分県別府市の海が見渡せる高台に作ったのです。歌人でもあった白蓮は、赤銅御殿に多くの文人や歌人を招き、サロンのように使っていました。白蓮は、赤銅御殿で、脚本の上演許可をもらいに来た7歳年下の東京帝国大生・宮崎龍介(孫文を支援した右翼の巨頭・宮崎滔天の長男)と知り合い、やがて手に手を取り合って出奔するのでした。姦通罪が存在していた時代の、文字通りの“不倫の恋”です。東大の新人会(戦前の学生運動の団体)に属し、進歩的な思想をもっていた宮崎龍介は、男と女が「肉の欲」に負けるのは別に悪いことではないと白蓮に言います。貞淑な上流婦人であった白蓮は、「肉の欲」というあけすけなことばに衝撃を受け、宮崎龍介に惹かれていくのでした。

上原多香子も、不倫相手にLINEでこう書き送っています。

NEWSポストセブン
上原多香子 不倫LINEで「止められなくなる」「そばにいて」

上原《私、結婚ってとっても大きなことで人生の分岐点だったこともあるー だから、離婚するとか浮気は、もうあり得ないって思ってたのね でもさー、トントンに伝えられなかった好きと、やっぱり大好きと、私の一方的やけど肌を合わせて感じるフィット感が今までとはまったく違うの。》


上原《私はそんなに器用じゃなくて、、旦那さんとの生活を続けながら、トントンを想い続けること、トントンに想いがすべて行ってる中、騙し騙し旦那さんと居ることが、やっぱり出来ないです。(中略)今すぐにでも、すべて捨ててトントンの元へ行きたいです。だけど、私ももう大人、、いろんな問題があるし、私だけの想いでトントンに迷惑はかけられません。今すぐは難しいかもしれないけど、私も少し大人になって、ちょっとずつ、旦那さんと別の道を歩めるようにします。こんな気持ちでは絶対に旦那さんに戻れない。》


なんと、ぞくぞくするような愛の告白でしょうか。不謹慎を承知で言えば、これこそが不倫の恋の醍醐味とも言えるのです。上原多香子が不倫相手に送った「2人の子供作ろうね」ということばが、元夫が自殺する決定的な要因になったのではないかと言われていますが、でも、人間というのは自分でもままならないもので、道ならぬ恋だからこそ、よけい燃え上がるというのはあるでしょう。

元夫が自殺した責任を問う人もいますが、それは他人がとやかく言う問題ではないでしょう。自殺しているのを発見した際、彼女はひどく取り乱して、警察の取り調べにも応じられなかったと言われています。また、自殺によって不倫相手とも別れているのです。

柳原白蓮は、世間から「淫乱女」だと指弾され、石を投げつけられたのですが、上原多香子に対する世間の反応も同じです。姦通罪はなくなっても、不倫ということばは生きつづけているのです。でも、不倫なんて誰でもあり得ることです。恋に「良いか悪いか」なんてないのです。

不倫の恋に身を焦がしたのは、上原多香子や柳原白蓮だけではありません。栗原康氏が『村に火をつけ、白痴になれ』で書いていますが、伊藤野枝も「不倫上等」のような人生を送っていました。『美は乱調にあり』で伊藤野枝の伝記を書いた瀬戸内寂聴自身も、大学教員だった夫の教え子と不倫をしています。さらにそのあと井上光晴との不倫もよく知られています。みんな、上からのお仕着せのイデオロギー(道徳)ではない、自前の論理や感性で生きた人たちなのです。

上原多香子のことを「芸能界から追放必至」などと書いていたスポーツ紙がありましたが、芸能界というのは、本来、公序良俗の市民社会の埒外に存在するものです。名女優と呼ばれている人たちも、不倫の恋に身を焦がして女優として羽ばたいた人が多いのです。女優にとって奔放であることは決してマイナスではないはずです。

むしろ、今になって(元夫が盗み見た)LINEのやり取りや遺書を公表したり、4千万円だかの金銭を要求したと言われる元夫の家族こそ、眉に唾して見るべきでしょう。


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2017.08.12 Sat l 芸能 l top ▲
今朝、テレビを観ていたら、今日は群馬県御巣鷹山に日航機が墜落した事故から32年になるというニュースをやっていました。今年は節目の三十三回忌にあたるそうです。

もうあれから32年が経ったのかと思いました。当時、私は、九州で地元の会社に勤めていました。実家とは別にアパートを借りてひとり暮らしをしてましたが、盆休みにもかかわらず、実家には帰らずに、行きつけの喫茶店のママの家で花札をしていたのでした。ママとその妹、それに、喫茶店の常連が来ていました。みんな、独身でした。

咥え煙草に立て膝、ではなかったけど、座布団の上に札を叩きつけ、それこそ「猪鹿蝶だ」「青短だ」「松桐坊主だ」とやりあっていました。そんなとき、テレビから日航機が墜落したというニュースが流れたのです。

私たちは、しばし花札の手を休め、テレビの画面に釘付けになりました。画面には乗客の名前が映し出されていました。氏名のほかに、年齢や住所も書かれていました。それを観ていた私たちは、徐々に口数も少なくなっていました。

32年経った現在、喫茶店のママは、ある日突然店を閉め、誰にも告げずに引越して、今はどこか他県の老人施設に入っているそうです。ママの妹は、持病の心臓病が再発して30代の若さで亡くなったそうです。

喫茶店の常連たちも、そろそろ定年を迎える年齢です。なかには、その後、お見合いをして九州から栃木県だかに嫁いだ女の子もいます。もう孫がいてもおかしくない年齢になっているはずです。

当時、私がつき合っていた女の子も、結婚して大阪に行ってしまいました。彼女とは、一度だけ、実家に里帰りしていたときに会ったことがあります。実家の近くのスーパーの駐車場で待っていると、彼女は、ピンクの着ぐるみに包まれた赤ちゃんを抱いてやってきました。そして、悪戯っぽく笑いながら「どう、びっくりしたでしょ?」と言ってました。すっかりお母さんの顔になっていて、なんだか自分が置いてきぼりを食らったような気持になりました。

その数年後、私は、会社を辞め再び上京したのでした。考えてみれば、毎日のように喫茶店に通い、みんなと遊んだのも、わずか2~3年のことだったのです。今となっては名前すら思い出せない者もいます。

昨年、帰省して、当時の会社の同僚だった人間に会った際、私が会社を辞めたときの話になりました。会社では私が辞めた理由が理解できなかったらしく、「サラリーマンに向いてないなって、あとでみんなで話したんだよ」と言ってました。

あの頃の私は、田舎の生活に行き詰まりのようなものを感じていました。このまま田舎で一生を送ることが耐えられず、「ここではないどこか」を求める気持を抑えることができなかったのです。私はものごとを引き摺る性格なので、そうやって引き摺っているものを一端空っぽにしたかったのかもしれません。

あの夏の日に抱いていた、悲しいような切ないような、そして、ちょっと苦い気分。それは、今でも忘れずに残っているのでした。


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2017.08.12 Sat l 故郷 l top ▲
横浜市長選・山尾志桜里


横浜市長選において、昨日(7月27日)、桜木町駅前で上のような光景が見られました(写真はネットから拾った画像をモザイク処理しています)。一瞬目を疑う光景ですが、これが民進党の姿なのです。

民進党の山尾志桜里衆院議員は、同党の牧山ひろえ参院議員(神奈川選挙区)とともに林文子候補の選挙カーに乗り、つぎのような応援演説をおこなったそうです。

林さんは「女性だからできない」という世の中を変えてきた先駆者。都知事も女性のリーダー。仙台市長選郡さんは素晴らしい結果を出した。実力のある女性リーダーが多様な市民の声とつながった時本当の意味で社会が動き政治が変わる。横浜も是非!

https://twitter.com/fumipoohchan/status
/890827485545283584


山尾志桜里議員は、党内では前原誠司氏に近いと言われていますが、今回の行動は、単に「(スポンサーの)連合に頼まれたから」などという話ではないように思います。

林市政の問題点は、カジノだけではありません。横浜市の市立中学146校の歴史と公民の教科書は、2011年につづき2015年も「愛国心の育成に主眼を置いた」育鵬社の教科書を採択しているのです。日本会議は、「自虐史観」からの脱却を掲げ、全国の自治体に育鵬社の教科書の採択を要請する運動をおこなっていますが、横浜市は、育鵬社のシェアが4~6%と伸び悩むなかでも、その要請に忠実に(!)応えている自治体なのです。

山尾志桜里議員は、「保育園落ちた日本死ね」のブログをきっかけに、待機児童の問題を国会で取り上げた人物として知られていますが、もうひとつ、先の国会で大きな役割を果たした法案があります。それは、共謀罪と抱き合わせで成立した、性犯罪を厳罰化する刑法改正です。以前紹介した写真に見られるように、性犯罪の厳罰化を求める団体と金田勝年法務大臣をつないだのも山尾議員らなのです。

そんな“厳罰化の思想”と(国権主義的な)育鵬社の教科書を採択した林市政を支持する姿勢には、共通したものがあるように思えてなりません。

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一方、民進党では、蓮舫代表が辞意を表明したことに伴い、山尾議員の”親分”の前原誠司氏と枝野幸男氏が代表選に立候補すると言われています。民主党政権が崩壊したあとも、党人事などで出てくるのは当時の“戦犯”ばかりです。

有権者から見れば、野ブタを復権させたことで、蓮舫代表は最初からアウトだったのですが、前原氏も枝野氏もその点を批判することはないのです。自分たちも同じ穴のムジナなのですから、できるわけがないのです。有権者を愚弄しているのは、自民党だけでなく民進党も同じです。代表選に「リベラルか保守か」なんていう図式をあてはめるのも、単なるお笑いでしかありません。

政権崩壊の責任が不問に付されたまま、相も変わらず一部の人間たちで党人事がたらいまわしにされている民進党。支持率が下がれば下がるほど、自民党と一緒になりたい者たちの声が大きくなる民進党。そんな民進党に未来がないのは、誰が見てもあきらかです。「解党的出直し」などではなく、もはや解党するしかないでしょう。


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2017.07.28 Fri l 横浜 l top ▲
在日朝鮮人のことを口にするのが、なんだか憚られる空気があります。それは、ありもしない“在日特権”なるものを妄信するネトウヨが街頭にまで進出し、耳を塞ぎたくなるような差別的暴言を垂れ流した反動と言えるのかもしれません。萎縮する(させる)ということと差別を解消するということは、まったく別問題でしょう。むしろ悪質な差別を地下に潜らせる結果にもなりかねないように思います。

ここで言う「在日朝鮮人のこと」というのは、在日の歴史的な経緯や政治的な側面のことではありません。身近にいる在日との付き合い方のことです。「身近にいる在日」というのは、エリートやインテリや、あるいは政治的思想を共有する人たちのことではありません。たとえば、『あんぽん』で描かれていた孫正義の身内のような、私たちと生活圏を共有し社会の基層を形成している、(私たちと同じように)矛盾だらけの人生を生きるごく普通の人たちのことです。

このブログでも書いていますが、私自身、若い頃、在日の女性と8年近く付き合った経験があります。もちろん、二人にとって、在日が置かれた歴史的な経緯や政治的な側面など、まったく関係のないことでした。とは言え、そういった側面が二人の意図とは別に、ときに顔を覗かせることがあったのも事実です。

朝鮮総連に勤める叔父さんから襟首を掴まれ、「お前のような日本人には××(彼女の名前)はやらんからな」と言われたとき(それも招待された親戚の結婚式の席で)、差別というのは、差別する側だけでなく差別されるほうにも深刻な問題をもたらすものだなと思いました。だからと言って、日本人は「朝鮮の人たち」にひどいことをしてきたのだから、「朝鮮の人たち」が言うことは謙虚に受け止め、まず謝ることが大事だ、そして、相手の立場になって話せば許してもらえるはずだ、なんて考えはまったくありませんでした。ただ「なんと礼儀知らずのバカなんだろう」と思っただけです。

「政治の幅は生活の幅より狭い」(埴谷雄高)のです。私はたまたま在日朝鮮人の家庭に生まれた女の子と出会い恋に落ちただけです。歴史や政治と恋をしたわけではないのです。

もちろん、日本人と朝鮮人との違いを感じることは多々ありました。私は、彼女と付き合っている間、ずっとその違いについて考えてきたつもりでした。

前も書きましたが、私はよく彼女に「朝鮮人は勝ったか負けたか、損か得かでしか判断しない」と言ってました。一方、彼女は、「日本人はずるい、表と裏があるのでなにを考えているかわからない」と言ってました。

最近、私は、仕事の関係で在日朝鮮人とトラブルを経験しました。それは、仕事そのものより、人間関係におけるトラブルと言っていいでしょう。そこにも、日本人と朝鮮人との違いがよく出ているように思います。

一緒に仕事をはじめた当初、相手はやたら私にケンカを吹っかけてきました。何かにつけケンカ腰で、すぐ怒鳴りはじめるのです。それで、私も怒鳴り返したりしていましたが、そこには日本人と朝鮮人の他人に対する考え方の違いが出ているように思いました。

朝鮮人にとって、他人は「勝ったか負けたか」の競争相手、ライバルなのです。他人との関係において、まず優位に立つことが大事なのです。それは、霊長類かおこなうマウンティングを想像すればわかりやすいかもしれません。

朝鮮人に協調という観念はあまりありません。日本人の場合、小学校の通知表にも「協調性」の項目があるように、まず協調することが大事とされます。そのためには、本音と建て前を使い分け、みずからを殺して気を使い、空気を読まなければならないのです。それはそれで、とても疲れることです。でも、朝鮮人にはそういった屈折した感情はありません。

そのため、朝鮮人同士だと、我の強い人間がお互い(直情的に)自己主張するわけですから、当然ケンカになります。知り合いの韓国人に聞くと、ソウルなどでは夜になるとあちこちでケンカをしているそうですが、朝鮮人がよくケンカをするというのは故なきことではないのです。

相手がケンカを吹っかけてきても、それにひるんでいると益々かさにかかってきます。ひるむと負けになり、優劣が決せられるのです。負けるが勝ちなんて考えはないのです。朝鮮人が体面を重んじるというのも同じです。「ソウル(東京)を火の海にする」「いつでも核戦争の用意はある」などという北朝鮮の大言壮語も同じでしょう。

「勝ったか負けたか、損か得か」で価値判断をする朝鮮人にとって、大事なのは結果です。結果がすべてで、途中の論理的な整合性や倫理的な妥当性などは二の次です。「嘘を付いてでも言い張る」というのはちょっと言いすぎかもしれませんが、とんでもない屁理屈で自己を正当化するのにびっくりすることがあります。朝鮮人が総じて口達者で雄弁なのも、そういった背景が関係しているように思います。

対馬の寺で仏像三体が盗まれた事件で、窃盗団は韓国で逮捕され有罪判決が出ました。しかし、盗まれた仏像は(行方不明の一体を除いて)一体は返却されたものの、もう一体が未だ返ってきていません。韓国の寺が、盗まれた仏像はもともと韓国に所有権があり、日本が不当に略奪したものであるから返還する必要がないと訴え、裁判所もその訴えを正当と認める判決を出したからです。もっとも、その根拠は、神功皇后や豊臣秀吉の時代の話です。

仮に略奪されたものだとしても、被害にあった対馬の寺は法律で言う「善意の第三者」です。不法な手段によって盗まれたものが現状回復されるのは、法律のイロハだと思いますが、韓国の裁判所には近代法の常識さえ通用しないかのようです。そこにも、論理的な整合性や倫理的な妥当性を問わない韓国人特有の屁理屈が表れているように思います。

朝鮮人は、「日本人と付き合うのはめんどうくさい」と言います。なかでも彼らがよく口にするのは、日本人の「お礼の習慣」についてです。協調や協力という観念に乏しい彼らにとって、たとえばものを貰ったり借りたりしたらお礼をしてお返しをするような習慣は、たしかにめんどうくさいものでしょう。

朝鮮人は、みずから進んで仕事をするという意識がやや欠けるところがあります。それを指摘すると、逆に、(仕事をしろと)言わないのが悪いのだという屁理屈が返ってきて唖然としたことがありました。

朝鮮人は、日本人のように細かくなく、おおざっぱなのです。それは、個人だけでなく、社会的な慣習や制度においても同様です。文化の違いは、私たちが想像する以上に大きいのです。それを認識し指摘することは、ときに言い方に粗雑な部分があっても、決してヘイト・スピーチとは言えないでしょう。

通販でものを買うのに、電話口で通販会社の担当者を怒鳴り付けているのを聞いたとき(買った商品についてのクレームではなく、今から注文するのにその説明が悪いと難癖を付けているのです)、「日本人をなめているのか」と言ってケンカになったことがありますが、そんな民族性に還元するようなもの言いも、ヘイト・スピーチになるのだろうかと思いました。一方で、そうやって怒鳴り合いをするくらいでなければ、相互理解の道は拓けてこないのでないか、と思ったりもするのです。


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2017.07.25 Tue l 日常・その他 l top ▲
来週の日曜日は横浜市長選の投票日です。現職の候補は、もともとは民主党が担いだ落下傘候補(当時は東京日産自動車販売の社長)でした。2009年8月の市長選で初当選したのですが、その前月には民主党政権が誕生しています。擁立には、民主党が政権に就く前まで同党の代表だった小沢一郎氏の意向が大きくはたらいたと言われています。

そのため、民進党(旧民主党)はずっと与党として市政を支えてきました。もちろん、連合神奈川も自治労神奈川も同様です。市議会に民進党所属の東電労組出身の議員を送り込んでいる電力総連も、現職市政を支える強力な支援団体です。

現職候補は今回で三期目ですが、その間自民・公明にも接近し、二期目からは自民・公明・民進が推薦する、実質的な“オール与党体制“が成立しています。

今回の選挙では、民進党内の旧維新の市議が、“市民派”として立候補しました。一方、民進党内の旧民主党系は、現職候補を支援しています。そのため、民進党は自主投票になりました。旧維新の“市民派”候補に対しては、共産党が独自候補の擁立を見送り、実質的な“野党共闘”候補として支援しています。

このように横浜市長選は、さまざまな思惑が絡む複雑な構図になっているのですが、少なくとも民進党内の多数派や連合や市関係4労組(自治労横浜・横浜交通労組・横浜水道労組・横浜市教職員組合)は、安倍政権の懐刀である菅義偉官房長官(神奈川二区選出・元横浜市議)が牛耳る自民党と手を組み、カジノ推進や戦前賛美の育鵬社教科書採択の現職市政を支援しているのです。横浜市長選の構図を見る限り、民進党は“野党”なんかではありません。”野党”のふりをしているだけです。

横浜とカジノに関しては、ネットに次のような記事もありました。

デイリー新潮
カジノ利権を狙う「横浜のドン」の影が見え隠れ 総理の椅子が欲しくなった「菅官房長官」(1)
菅官房長官、「横浜カジノ」消滅でメンツ丸つぶれ 地元ドンの一声で

如何にも新潮らしく前と後では書いていることがまったく違っており、一体どっちが本当なんだと突っ込みたくなりますが、横浜市にも「神戸と山口組」と同じように、港湾都市特有のダークな部分がまだ残っているということなのでしょうか。横浜市民の感覚から言えば、とんだ”野党”やとんだ労組がいたものだと言わざるを得ません。

(以下は、最初にアップしたあと、蛇足を承知で付け足した部分です)

先日、桜木町駅近くの建設予定地で新市庁舎の起工式がおこなれましたが、新市庁舎はに地上32階地下2階高さ155.4mの高層ビルで、2020年6月完成予定だそうです。総工費は、計画段階から133億円増え749億円だとか。

横浜市の財政状況は、前回の市長選のときからいくらか改善されたものの、依然として”危機的状況”であることには変わりがありません。平成26年度は(カッコ内は平成22年度)、歳入が1兆4690億円(1兆3991億円)、歳出1兆4333億円(1兆3796億万円)、市債の発行1509億円(1345億円)です。特別会計も含めた全会計の市債発行残高は、4兆3134億円(4兆5478億円)です。横浜市は、収入の3倍近い借金を抱えた多重債務者なのです。その多重債務者が「災害」や「市民サービス」を口実に、またあらたに借金して、一等地に豪奢な庁舎を新築しているのです。

横浜市・財政局
横浜市の財政状況

市職員の給与は、基本給に諸手当を含めた(期末手当は含まない)「平均給与月額」が、2015年度で442,772円(42.4才)です。これは、全国1788市町村のなかで60位です。言うまでもなく職業に貴賤はありませんが、技能職のなかに職種別の給与も出ていました。清掃職員421,837円(45.5才)、学校給食員410,830円(49.1才)、守衛436,307円(43.8才)、用務員423,330円(50.3才)、バス運転手460,846円(46.9才)。何度も言いますが、これは期末手当(ボーナス)を含まない給与月額の平均です。

給料.com
横浜市(神奈川県)職員の月収・年収を知る(2015年)

よその自治体から転居してきた人は、横浜市の国民健康保険料が高いのにびっくりするはずてす。また、住民税も全国で有数の高さです。私の実感でも、所謂「租税公課」は、もはや収入とのバランスが崩れ、生活を圧迫するほどの高額になっています。一方で、横浜市にはみなとみらいやパシフィコ横浜など37の外郭団体があり、市職員の天下りやワタリの問題が相変わらず指摘されています。

サラリーマンの税金計算してみたブログ
住民税が最も高い&安い自治体(市&区)はどこ?【2017年版ランキング】

現職候補の優位は変わらないようなので、カジノができればまた山下埠頭がみなとみらいのように開発されるのでしょう。オシャレな街の賢明な市民たち(皮肉ですが)は、地上32階の豪奢な市庁舎や対岸に見えるきらびやかなカジノのネオンサインをどんな思いで見るのだろうかと思いました。「やっぱ、横浜はすごいじゃん」と思うのでしょうか。


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横浜はイナカ
2017.07.24 Mon l 横浜 l top ▲
夕方、突然、外からお囃子のような音が聞こえてきました。カーテンを開け、ベランダに出ると、近所のスーパーの駐車場に、いつの間にかテントが張られ、提灯に囲われたヤグラが組まれていました。日が落ちた住宅街のなかで、その一角だけが灯りに照らし出され、幻想的な雰囲気さえ醸し出していました。そう言えば、商店街の掲示板に、盆踊り大会を告示する貼り紙があったことを思い出しました。

ただ、上京して30年近く経つものの、未だに7月の盆踊りには戸惑いを覚えてなりません。と言うのも、田舎ではお盆は月遅れの8月におこなわれるのが普通だからです。私のなかには、盆踊りは夏の終わりを告げるイメージがあるのでした。お盆がすぎると、川に泳ぎに行くことも禁止されました。日中、近所の子どもたちの嬌声が飛び交っていた川べりも人影がなくなり、いつもの風景に戻っていくのでした。お盆がすぎると、そんな祭りのあとのさみしさのような気持になったものです。

表の道路を見ると、浴衣姿の子供たちが、親に手を引かれてスーパーの駐車場に向かっていました。私たちが子どもの頃、浴衣は普段着(寝巻)でした。それが今では、祭りや花火大会や盆踊りなどハレのときに着るものに”出世”し、華やかなイメージさえ付与されています。派手な帯などを見るにつけ、なんだかコスチュームのようで、花火大会の日に、これ見よがしに電車に乗り込んで来る若者たちは言わずもがなですが、私は、子どもたちの浴衣姿にも、違和感を覚えてならないのでした。

昔、夏の夕暮れどきになると、近所の大人たちは外に出て、家の前にある椅子や花壇の端に腰かけ、よくおしゃべりに興じていました。男たちは山下清が着ていたようなランニングシャツにステテコ姿で、話をしながらしきりに団扇で寄って来る蚊を払いのけていました。女たちは、一様に割烹着姿で、頭には手ぬぐいを姉さんかぶりに巻いていました。

私たち子どもは、手足が真っ黒になるまで遊んだものです。遊び疲れて帰ってくると、母親は「さあ、さあ、ご飯にしようかね」「早く手と足を洗いなさい」と言って腰を上げるのでした。家のなかからは、夕餉の匂いとともに裸電球の橙色の灯りが漏れていました。そんな光景を思い出すと、なんだか胸を突き上げるようななつかしさを覚えます。あのとき、家の前で夕涼みをしていた父親も母親も、そして、近所のおいちゃんやおばちゃんも、もう誰もいないのです。

今は田舎でもそんな光景を見ることはなくなりました。せいぜいが外から帰ってきた猫を見つけて、「ミーちゃん、さあ、さあ、ご飯にしようかね」なんて言うくらいでしょう。

ベランダからスマホで盆踊りの様子を撮ったのですが、パソコンに保存する際、操作を間違えて画像を消去してしまい、残念ながら画像はありません。
2017.07.23 Sun l 日常・その他 l top ▲
ときどきこのブログをやめようかと思うことがあります。特に「社会・時事」のカテゴリーに入っている記事をすべて削除したい衝動に駆られるのです。あとで読み返しても、くだらない床屋政談としか思えません。これではネトウヨと変わらないでしょう。

私のブログで「社会・時事」カテゴリーの記事が多くなったのは、3.11以後です。しかも、「社会・時事」カテゴリーの記事が多くなるにつれアクセスも伸びてきました。世の中の人たちも、3.11以後、原発事故などにより政治的な関心が高くなったのでしょう。スマホによるSNSの普及がそれに輪をかけたような気がします。私も、いつの間にか、反原発や反ヘイト・スピーチや反安倍の周辺にいるような人物が発信するTwitterを定期的にチェックするようになっていました。

しかし最近は、その手のTwitterも、所詮は“政治ごっこ”にすぎないのではないかと思うようになりました。ネットによって政治が身近になったと言われますが、しかし、夜郎自大にそう錯覚しているだけのような気がしてなりません。

一方で私は、アナーキストなどが使う“反政治”ということを考えるようになりました。政治なるものに対して徹底的に絶望し、あらゆるものを否定する。今の世の中でいちばん欠けているのは、そういった絶望する思想なのかもしれません。

私が書きたかったのは、下記のようなブログです。ことばの端々に人生が投影されているような、そんな「私語り」のブログ。その技量があるかどうかは別にして、世の中に向けて発信するというような大それた(勘違いした)ものではなく、日々の移ろいを記録する、そんな自分に向けたブログをホントは書きたかったのです。

神戸市公式サイト
「ごろごろ、神戸2」
第7回 私の東京

私たちは、普段政治なるものを考えて生きているわけではありません。私たちにとって、政治なんてどうだっていいのです。それこそ「取るに足らないもの」です。もっとほかに考えなければならないことはいくらでもあります。本末転倒した床屋政談のようなブログが、あとで読み返して自己嫌悪に陥るのは当然と言えば当然かもしれません。


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政治なんてものはない
2017.07.14 Fri l 日常・その他 l top ▲
先日、朝日新聞デジタルに、つぎのような内田樹氏のインタビュー記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
内田樹さん、「天皇主義者」宣言 「変心」の真意語る

記事を読むと、内田氏は、「護憲派」で「平和主義者」のイメージが強い現天皇を安倍政治への対抗軸として考えているかのようです。そのために、国事行為だけでない「鎮魂と慰藉の旅」も天皇の務めだと「解釈」したり、国民の間にある「皇室への素朴な崇敬の念」などを牽強付会に評価しているのでした。でも、それは、朝日新聞などマスメディアが作り上げた天皇像を踏襲しているにすぎないのです。国民の間にある「皇室への素朴な崇敬の念」も、天皇制タブーとパラレルな関係にあることくらい、少しでも考えればわかるはずです。

これも一種の「天皇の政治利用」、それもきわめてご都合主義的な「政治利用」ではないかと思いました。

まして「天皇制が高い統合力を持つ一因はそれが持つスピリチュアル(霊的)な性格にある」と言うに至っては、何をかいわんやです。アッキーと同じじゃないか。そんな皮肉のひとつも言いたくなりました。あるいは、小池百合子都知事の父親が心酔していた、スメラ哲学の焼き直しと言ってもいいのかもしれません。

BLOGOS
「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」 安倍昭恵氏インタビュー

内田氏の「天皇主義者」宣言については、『現代ニッポンの論壇事情 社会批評の30年史』(イースト新書)のなかで、栗原裕一郎がつぎのように批判していました。

栗原 安倍批判もカードが尽きてきたのか、最近、内田樹は、「天皇vs安倍」という構図を出してきていますね。リベラルが支持を得られないのは霊的ポジションが低いからだ、極右のほうが死者を呼び出す能力が高く熱狂を招くことができるが、でも天皇のほうが死者を多く背負っていて霊的ポジションが高い、天皇に勝てないことをわかっている安倍は、だから天皇を骨抜きにすることを企むのである、みたいな。まあ、無茶苦茶です。


宮台真司の「天皇主義者」宣言も似たようなものでしょう。

北田暁大は、同書のなかで、今の「左翼」は「生活保守と妙なレッセフェールの自由主義がミックスしたようなもの」になっていると言ってましたが、まさにその点において右も左も(安倍政治もリベラル左派も)違いがないのです。少なくとも反体制(対抗軸)としてのリベラル左派の思想は、とっくに失効していると言っていいでしょう。

何度も繰り返しますが、リベラル左派が称揚する旧SEALDs(SEALDs的なもの)や野党共闘が、時代を領導するダイナミズムも批評性も保持してないことは、もはや自明なのです。SEALDs的なものや野党共闘が、一方で、この(如何にも日本的な)翼賛体制を支えていると言っても言い過ぎではないでしょう。と言うか、高橋源一郎の「ぼくらの民主主義」が象徴するように、とっくに彼らは翼賛体制に組み込まれているとさえ言えるのです。

いつの間にか安倍政治は青息吐息になってしまいましたが、しかし、時代は確実に反動の方向へ進んでいるのです。安倍政治の末路に浮かれている場合ではないのです。
2017.07.11 Tue l 社会・時事 l top ▲
今日、車で埼玉の新座市を通ったのですが、道路沿いの至るところに、「このハゲ~!!」でおなじみの自称「豊田真由子サマ」のポスターが貼ってありました。ポスターを目にすると、いつの間にかあのヒステリックな声がよみがえってきて、ポスターさえもギャグの小道具のように思えてくるのでした。

夫も経産省のキャリア官僚だそうですが、エリート夫婦の歪んだ内面なんて考えると、なんだか土曜ワイド劇場の呪われた一家のように思えてきます。聞けば、「豊田真由子サマ」の父親も、母親に対するDVがひどかったのだとか。私は、DVの世代連鎖ということばを思い出さざるをえませんでした。そして、彼女の子どもたちは大丈夫なんだろうかと思いました。

この「豊田真由子サマ」も、加計学園からのヤミ献金の問題が浮上している下村博文氏も(下村氏は文科大臣のときに、「日本人としての誇りをもつ」”愛国”教育の必要性を説きながら、一方で、自分の小学生の子どもはイギリスで教育させていたという建前と本音の人でもあります)、大臣としての資質に疑問をもたれながら、“ともちんラブ”で安倍首相に溺愛される稲田朋美氏も、いづれも安倍首相の出身派閥である旧清話会の所属議員です。

そう言えば、「マスコミを懲らしめる」「(ガン患者は)働かなければいい」発言の大西英男氏や、「アル中代議士」としてスキャンダルの渦中にある橋本英教氏も、旧清話会の所属です。

なんだか旧清話会の議員に対して、集中的にスキャンダルが仕掛けられている感がなきにしもあらずです。野党が我が意を得たりとばかりにハシャギまくるのもいつもの光景ですが、そんな単純な話ではないのかもしれません。

新潮や文春の記事に悪ノリしている野党にしても、今度はいつその矛先が自分たちに向かってくるかもしれないのです。「安部政権に激震」と言うのも、保守内部の権力争いで、野党が外野席で使い走りに使われているだけのような気がしてなりません。

都議会議員選挙では、都民ファーストが大勝、自民党が大敗するという予想が出ていますが、だからと言って、野党の議席が伸びるわけではないのです。驚くべきことに、都民ファ・自民・公明で全議席の85%以上を占めるという予想さえ出ています。結局、保守は、以前にもましてその支持を広げることになるのです。そこには、どこまでもダメな野党の姿しかないのです。

もはや、与党か野党かという(既成政党を所与のものとする)発想自体がダメなのではないか。「アベ政治を許さない」というボードを掲げ、野党議員に拍手喝采を送るのも、翼賛体制に与するトンマな姿にしか見えません。
2017.06.30 Fri l 社会・時事 l top ▲
(ヤフー系列の)BuzzFeedに、Yahoo!ニュースがヤフコメについてアンケートを実施したという記事がありました。

BuzzFeed News
「ヘイトの温床」の厳しい声も ヤフコメに期待することは?ユーザーから意見募る

私も何度も書いていますが、ヤフコメが「ヘイトの温床」であることは、もはや誰もが認める事実でしょう。Yahoo!ニュースがやっと(!)重い腰を上げようとしているという声がありますが、しかし、今までのヤフーの対応を見ていると、それも甘い見方のような気がします。

これほど厳しい指摘があるにもかかわらず、どうしてヤフーはコメント欄を閉鎖しないのか。その理由は、以前に紹介した藤代裕之氏の『ネットメディア覇権戦争』のつぎの一文に集約されています。

 ヤフーは、メディアとプラットフォームの部分をうまく使い分けてきた。
 差別発言や誹謗中傷が溢れ、ヤフー自身も極端なレッテル貼りや、差別意識を助長するような投稿があったと認めているニュースのコメント欄も同様だ。このコメント欄はプラットフォーム部分とされ、プロ責対応となる。つまり、事後対応でよいため、無秩序な状態が放置されてしまうのだ。
 ヤフーは、専門チームが24時間365日体制でパトロールを行い、悪質なコメントをするユーザーのアカウント停止措置、不適切コメントの削除といった対応を行っているというが、コメント欄を閉鎖する気はないようだ。理由は単純で、コメント欄がアクセス数を稼いているからだ。
(藤代裕之『ネットメディア覇権戦争』・光文社新書)


ニュースをマネタイズするためには、バズるのがいちばん手っ取り早い方法です。謂わば故意に「炎上させる」のです。そうやって倍々ゲームでアクセスを稼ぐのです。そのためには、ヘイトコメントはなくてはならないものです。

通常のニュースメディアのように、編集権が確立していないYahoo!ニュースにとって、ニュースも所詮はアクセスを稼ぎマネタイズするためのアイテムにすぎないのでしょう。Yahoo!ニュースの編集者たちに、ジャーナリストとしての自覚や矜持は必要ないのです。むしろそんなものは邪魔なのでしょう。それが、Yahoo!ニュースがニュースサイトというより、どちらかと言えばまとめサイトに近い存在だと言われる所以です。

Yahoo!ニュースが2年前に行った調査によれば、コメント欄を利用しているのは80%以上が男性で、そのうち30~50代の男性が50%を占め、なかでも40代が突出して多いのだそうです。

不惑の年のいい年こいたおっさんたちが毎日飽くことなくあんな低レベルなコメントを投稿している姿を想像すると、なんだかおぞましささえ覚えますが、彼らは一体どんな人間たちなのか、普通のサラリーマンなのか、そのあたりの属性がいまひとつはっきりしません。

排外主義的な主張をしているカルト宗教の信者たちが、コメント欄に常駐しているという話があります。また、自民党が組織した自民党サポーターズクラブの存在を指摘する人もいます。ネトウヨには、そういった紐付きの人間たちが多いのも事実でしょう。

Yahoo!ニュースには、コメント欄が特定の人間たちに占領される懸念などまったく頭にないかのようです。Yahoo!ニュースがカルト宗教の信者たちの書き込みを利用しているとしたら、Yahoo!ニュースと統一教会で集団結婚した日本人花嫁を「世界ナゼそこに?日本人」で紹介するテレビ東京は、同じ穴のムジナと言うべきかもしれません。

BuzzFeedの記事では、下記のツイートが紹介されていましたが、こういうまともな声がもっと広がるべきでしょう。



関連記事:
『ネットメディア覇権戦争』
『ウェブニュース 一億総バカ時代』
2017.06.23 Fri l ネット・メディア l top ▲

これは、「共謀罪」が成立した直後の中川淳一郎氏のツイートです。中川氏はその前に、同じ失敗を繰り返すより、「次の自民党総裁選で安倍氏の対抗馬になるような自民党議員にすり寄るぐらいのしたたかさを見せろ」とツイートしていました。中川氏の政治音痴ぶりは相変わらずですが、ただ私は、“無能な野党”という一点において、中川氏のツイートに「いいね」をあげたくなりました。

民進党は本気で「共謀罪」に反対したのか。ネットではつぎのような話も出ています。


もし仮に民進党が政権に就いたら(ほとんど空想の世界ですが)、「共謀罪」を廃止するのでしょうか。とてもあり得ない話のように思います。私たちは、かつての民主党政権のときに、それを嫌というほど見せつけられたのです。

あらゆる手段を使って成立を阻止する、議会政治の死だ、なんて言っていたのもつかの間、「共謀罪」が成立した途端、まるで何事もなかったかのように馴れ合いの議場に戻った野党。

先述した性犯罪を厳罰化する刑法改正案も、日弁連が懸念する点などについてほとんど審議は行われず、参院法務委員会はわずか一日で採決し、翌日、本会議で「全会一致」で成立したのでした。

 与党は慣例に反し、改正刑法より二週間遅く国会に提出された「共謀罪」法を先に審議入りさせたため、改正刑法が衆院本会議で審議入りしたのは今月二日。参考人質疑は参院法務委員会でしか実施されず、審議時間は計十二時間四十分。十八日の会期末をにらみ、駆け足での成立となった。

東京新聞・TOKYO Web
性犯罪、法定刑引き上げ 改正刑法が成立 厳罰化へ、


慣例無視の「横暴」があったとは言え、「共謀罪」ではあれほど審議時間が足りないと言っていたのに、性犯罪の厳罰化は少なくてもなんら問題はないとでも言いたげです。参院法務委員会での審議も、どう見ても形式的なものとしか思えません。これで、委員会採決をすっ飛ばす禁じ手を使った与党のやり方を批判する資格があるのだろうかと思いました。と言うか、昨年のヘイト・スピーチ対策法のときと同じように、「共謀罪」が成立したら刑法改正案も会期内に成立させるという、”暗黙の了解”があったのではないかと穿った見方さえしたくなりました。

形式的な審議、「全会一致」。これこそ「議会政治の死」を意味するのではないか。「共謀罪」は、こういった「全会一致」の思想の上に成り立っているのです。
2017.06.21 Wed l 社会・時事 l top ▲
http://blog.canpan.info/shiawasenamida/img/
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上は、性暴力(性犯罪)の被害者を支援している特定非営利活動法人しあわせなみだのブログに掲載されていた写真です。この写真は、性犯罪に関連する刑法の改正を求める団体が、6月77日、3万筆のオンライン署名と改正の要望書を法務大臣に提出した際に撮影されたものだそうです。真ん中でハートマーク(愛のマーク)を作っているのが、あの金田勝年法務大臣です。

改正案は、この翌日(8日)、衆院で可決され、参院に送られました。報道によれば、明日(15日)、「共謀罪」(組織犯罪処罰法改正案)が成立すれば、18日の会期末までに同案も成立する可能性があるそうです。改正案の成立を求める人たちは、「共謀罪」が早く成立して改正案の審議に入ってくれというのが本音かもしれません。

今回の改正案は、「①強姦罪を『強制性交等罪』とあらため、被害者を女性だけでなく男性も含める。②法定刑の下限を懲役3年から5年に引き上げる。③親告が不要な非親告罪にする」などが主な柱となっています。

一方、この改正案に対して、日弁連が「一部反対」の意見書を出したため、被害者支援を行っている団体が反発、57の団体が共同で抗議声明を出す事態になりました。

Yahoo!ニュース
性犯罪の厳罰化に日弁連が一部反対の意見書 被害者支援57団体が抗議へ

日弁連の意見書には、法律の専門家の立場から、犯罪規定の曖昧さや「厳罰ありき」=安易な制裁主義に対する懸念があるように思います。

下記は、その代表的な反対意見です。

Mixi( Aさんの日記)
性犯罪厳罰化反対

日記の主の「Aさん」は、改正(特に厳罰化)に疑問を投げかける人権派(?)弁護士を叩くために、産経新聞の記事を引用しているのですが、私は、この弁護士の意見には首肯すべき点があるように思いました。

厳罰化の背後にあるのは、捜査当局の裁量の拡大です。犯罪規定の曖昧さは、警察にフリーハンドを与えることを意味するのです。それは、「共謀罪」と共通するものです。また、冤罪の歯止めがなくなる懸念もあります。

被害者の心と身体に将来に渡って深刻な被害をもたらす性犯罪は、文字通り憎むべき犯罪で、それを擁護する人間なんて誰もいないでしょう。もちろん、110年前に作られた法律を時代の流れに合わせて改正するのも必要でしょう。しかし、厳罰化に反対する弁護士の意見にあるように、性犯罪というのが、厳罰化が抑止になるような犯罪ではないこともまたたしかでしょう。

性犯罪には、その根底に、性的対象者、とりわけ女性をモノと見る考えがあるように思います。また、性的依存症の側面もあります。そういった文化的社会的背景も無視できないのです。

資本主義社会では、ありとあらゆるものが商品化され、金儲けの対象になります。性も例外ではありません。私たちのまわりを見ても、性的な欲望をかきたてる広告があふれています。一方で、資本の効率化に伴う高度にシステム化された社会において、私たちはさまざまなストレスを抱えて生きることを余儀なくされているのです。

電車が来てもいないのに、ホームへのエスカレーターを駆け足で降りていくサリーマンやOLたち。いつもなにかに急き立てられるような強迫観念のなかで生きている人々。そういった日常と依存症は背中合わせと言えるでしょう。

先日、BuzzFeedの記事のなかで、芸能人の薬物報道に疑問をもつ当事者や医師たちが提唱した「ガイドライン」が紹介されていました。

BuzzFeed
これでいいのか? 芸能人と薬物報道 専門家からあがる疑問の声

犯罪の質は違いますが、同じ依存症という側面から考えた場合、薬物使用も性犯罪も、問題の本質は同じではないかと思います。

刑期を終えればまた犯罪を繰り返すのも、性犯罪の本質を正しく捉えた有効な矯正プログラムが採られてないからでしょう。しかし、厳罰化を求める多くの人たちはそうは考えません。だったら(何度も犯罪を繰り返すのなら)、体内にGPSのチップを埋め込めばいいという発想になるのです。

日弁連に対する抗議声明のなかで、被害者団体は、「裁判員裁判では、裁判官のみでの裁判より性犯罪に関する犯罪の量刑が重くなっている。性犯罪を重刑化することは市民の賛同を得ている」(上記「性犯罪の厳罰化に日弁連が一部反対の意見書 被害者支援57団体が抗議へ」より)と主張しているそうですが、シロウト裁判員の「市民感覚」が、被害者と同じ応報刑主義的な感情に走るのは当然と言えば当然かもしれません。裁判員裁判が、厳罰化の風潮を作り出しているとも言えるのです。

誰もが反対できないような「絶対的な正しさ」を盾に、厳罰化と警察権限の拡大が謀られるのです。たとえば、暴力団を取り締まるために導入された凶器準備集合罪が、やがて反体制運動を取り締まるために使われたのはよく知られた話です。性というのは、きわめてパーソナルでデリケートなものです。性犯罪は、支援団体が上げるような「明確な」ケースだけとは限りません。どこまでが犯罪でどこまでが犯罪ではないのか、なにが真実でなにが真実でないのか、曖昧な部分が多いのも事実でしょう。その曖昧な部分の判断を警察に委ねる今回の改正案は、姦通罪などと同じように、私たちの性に対して、いつでも警察(=国家)が介入してくる道を開くものと言っても過言ではないでしょう。

「共謀罪」も性犯罪の厳罰化も同じです。それらは、地続きでつながっているのです。監視社会化と厳罰化(制裁主義)は表裏一体なのです。そうやって全体主義への道が掃き清められていくのです。昨年、ヘイト・スピーチ対策法が盗聴法の拡大や司法取引を導入する刑法改正とバーターで成立したのと同じ光景が、再びくり返されているように思えてなりません。

この風潮に対して、竹中労が生きていたら”デモクラティック・ファシズム”と言ったに違いありません。一方、私は、”善意のファシズム”ということばを思い浮かべたのでした。
2017.06.14 Wed l 社会・時事 l top ▲
「アベ政治を許さない」人たちが言うように、安倍首相が「追い詰められている」のかどうかはわかりませんが、自民党内には、森友や加計学園の問題は「氷山の一角」で、これから似たような話がもっと出てくるだろう、という声もあるそうです。実際に、昭恵夫人が「後援会長」をしていた渋谷区広尾の社会福祉法人に対して、国有地がタダで払い下げられた問題も出てきています。「愛国」を隠れ蓑にした国家の私物化は、とどまるところを知らないのです。

安倍政権の政策は、政治的には(戦前回帰を目論む)日本会議=「生長の家原理主義」の路線を踏襲した、きわめてアナクロで国粋主義的なものです。一方、経済政策では、TPPに代表されるように、市場原理主義的なグローバル資本主義を推進しているのです。そういった相矛盾したものが同居しているのが特徴です。

パン屋を和菓子屋と言い換えるよう「指導」した文科省の教科書検定に象徴されるように、国民には日本酒を強制しながら、資本家にはワインやシャンパンを推奨する、そんな二面性があるのです。

私は、「アベ政治」の二面性について、ムッソリーニの「国際主義は上流階級のみが得られる贅沢であり、庶民は望みもなく彼らの故郷に縛り付けられている」ということばを思い浮べました。グローバル資本主義によって格差が広がる一方のこの国にあって、文字通り「庶民(国民)は望みもなく彼らの故郷(愛国心)に縛りつけられている」のです。ここに「アベ政治」の本質があるように思います。

もっとも、グローバル資本主義を推進するという点では、民進党も変わりがありません。むしろ、民進党は、自民党以上にネオリベであると言ってもいいくらいです。自民党を批判しているのも、野党だからにすぎないのです。民主党政権のときは、逆に自民党が批判していたのです。これではいくら自民党を批判しても、民進党の支持率が上がないのは当然でしょう。

今日の昼間、たまたまフジテレビの「直撃LIVEグッディ!」を観ていたら、加計学園の問題を取り上げていました。言うまでもなく、フジテレビはフジサンケイグループなので、産経新聞や夕刊フジと同じように、安倍政権に対してネトウヨ的な擁護論を展開するのだろうと思っていました。ところが、それは冒頭から裏切られたのでした。

国会での質疑が終わったとき、安倍首相が「くだらない質問で終わっちゃったね。また」とヤジを飛ばしたことを取り上げ、キャスターの安藤優子が「くだらないなんてひどいと思いますよ。くだらないことはないですよ」と言ってました。そして、「加計学園の問題なんかより国会ではもっと大事なことがあるだろうと言う人がいますが、加計学園の問題は大事なことですよ。これをウヤムヤにしてはならないと思いますよ」と言ってました。

また、「政治アナリスト」の伊藤惇夫氏が、「安倍首相や菅官房長官の態度は、国民を愚弄していると言われても仕方ないでしょう」と発言すると、安藤優子は、「ホントにそう思いますね」と言ってました。番組では、前川前文科事務次官は(天下り問題での)引責辞任を最初は拒否していたという、菅官房長官の発言に対しても、当時の動きを時系列で記したボードを使って疑問を呈していました。

安倍政権の太鼓持ちであるフジサンケイグループのなかにあって、「グッディ!」はこのように独自の姿勢を保持しているのです。「グッディ!」には、あの山口敬之氏をはじめ、田崎史郎氏や竹田恒泰氏など、とんでもない人物がコメンテーターとして登場することもありますが、今日の「グッディ!」を観る限り、ジャーナリストの“矜持”はまだ残っているのではないかと思いました。もちろん、「グッディ!」は低視聴率に喘いでいるので、安倍批判で視聴率を上げようという魂胆もあるのかもしれませんが、少なくともフジサンケイグループのなかにあって、このような報道をすること自体、勇気のいることだというのは理解すべきでしょう。
2017.06.06 Tue l ネット・メディア l top ▲
小さき花愛でてかなしき名も知らねば 君の肩に降る六月の雨

このところ体調がすぐれず、家では寝ていることが多いのですが、そうやって床に臥せっていると、やたら昔のことが思い出されてならないのでした。

実家では、子どもの頃、ジョンという名前の犬を飼っていました。私がまだ小学校の低学年のとき、父親が捨てられていた仔犬を拾ってきたのです。雑種の赤毛の犬でした。

最初は、床の下で飼っていたのですが、大きくなると裏の物置小屋のなかで飼っていました。食事は、もちろん残飯でした。私たちが食べ残したご飯に味噌汁をかけたものが多かったように思います。

ずっと繋がれたままなのでストレスがたまっていたのか、人を見るとやたら吠えて飛びかかるような犬でした。それで、よけい繋がれることが多くなりました。

当時は、今のように散歩なんて洒落た習慣はなく、放し飼いの犬も多かった時代です。私たちもよく犬に追いかけられていました。犬に追いかけられ木に登って難を逃れたものの、犬が木の下から退かないので木から降りられなくなり、半べそをかいたなんてこともありました。

発情期になると、オス犬たちが群れをなして通りをうろついていました。通りで犬が交尾をしている光景もよく目にしました。私たちがはやし立てると、恍惚の表情のオス犬はさらに興奮して激しく腰を振るのでした。

近所の大人がやってきて、「子どもが見るもんじゃない」なんて言いながら、交尾をしている犬に水をかけるのでした。すると、臀部がくっついた二匹の犬は、ベーゴマのように通りの真ん中でクルクル回り続けるのでした。

また、馬喰(家畜商)のオイさん(オジサンのことを九州の田舎ではそう言ってました)が、釜を持って交尾した犬を追いかけたこともありました。私たちは、その様子を手を叩いて笑いながら見ていたものです。

あるとき、近所の朝鮮人のオイさんがやってきて、ジョンを見るなり、「こういう赤犬が美味しいんじゃ」と言ったのです。私は、ジョンが食べられるんじゃないかと心配しました。父と母は、「子どもの前であんなことを言って」と怒っていました。私は、そのことを「うちのジョン」という題で作文に書きました。

二十歳の入院したときに、ジョンは亡くなりました。見舞いに来た父親からそう告げられたとき、窓の外を眺めながらしんみりした気持になったのを覚えています。

つぎに我が家に犬が来たのは、もう私が会社勤めをしているときでした。休みで実家に帰ったら、こげ茶色の仔犬がいたのです。姉が知り合いからもらってきたということでした。既に名前もウタと付けられていました。

ウタの食事は、残飯ではなくドッグフードでした。犬や猫も、既にペットと呼ばれるようになっていたのです。ウタは柴犬で、家の土間で飼っていました。もうその頃は、犬を放し飼いする家もなくなっていました。と言っても、今のように街中でトイプードルやチワワを見かけることはめったにありませんでした。小型犬を飼う家はまだ少なかったのです。

ウタは、私が実家に帰ると、私の足にしがみついて離れようとしませんでした。また、私が傍に行くと、すぐゴロンと横になってお腹を見せるのでした。

あるとき、ウタが行方不明になったことがありました。相変わらず犬を散歩する習慣はなかったので、朝と夜、トイレのために外に放していたのですが、そのまま帰って来なったのです。連れ去られたか、あるいは交通事故に遭って死骸を捨てられたのでないかと親たちは話していました。

ところが、それから1週間経った頃、父親が裏山を歩いていたら、竹藪のなかからこちらを伺っているウタに気付いたのだそうです。驚いた父親が近付いて行くと、ウタは逃げるのだとか。それで、父親は名前を呼びながら懸命に追いかけ、やっと捕まえて家に連れて帰ったということでした。

しかし、そのときのウタはガリガリに痩せて、全身がダニだらけで汚れていたそうです。往診に来た獣医(と言っても、日ごろは馬や牛を診るのが専門ですが)は、車かなにかにぶつかってパニックになり、山に逃げ込んだのではないかと言っていたそうです。

ウタが亡くなったのは、私が上京したあとでした。早朝、母親から電話がかかってきて、沈んだ声で「今、ウタが死んだよ」と告げられたのでした。その数年前には、既に父親も亡くなっていました。

ジョンが死んだときは、死骸を裏山に埋めたのですが、ウタは業者に頼んで火葬して永代供養したそうです。田舎にもいつの間にかペットの時代が訪れていたのです。

ペットロスになったという女性は、姑が死んだときより愛犬が死んだときのほうが数倍悲しかったと言ってましたが、その気持はわからないでもありません。

こうして体調が悪く弱気になっているときに、まるで走馬灯のように昔飼っていた犬の思い出がよみがってくるというのも、自分のなかで彼らがいつまでも変わらない存在としてあるからでしょう。人との関係は、身過ぎ世過ぎによって、ときにその関係が元に戻らないほど変化を来すことがあります。そのたびに私たちは傷付き、それを哀しいものとして受け止めるのです。でも、少なくともペットとの間で私たちは傷付くことはありません。だから、(人間の手前勝手なエゴを慰謝するものであるにせよ)ペットは良い思い出として、いつまでも心に残るのでしょう。
2017.06.03 Sat l 日常・その他 l top ▲
森友学園問題は(実質的に)終わった。と言うと、そんな考えこそ幕引きに手を貸すものだ、という批判が返ってくるのが常でしょう。しかし、それこそ「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」「勝てない左派」(ブレイディみかこ)の常套句とも言うべきものです。

桜井よしこ氏は、港区にある神社の敷地に、数億円とも言われる白亜の豪邸を建て、”女神”にふさわしい優雅な生活を送っているそうですが(そうやってネトウヨを煽って巨万の富を得ているのですが)、たしかに右翼業界は、今や我が世の春を謳歌しており、美味しいビジネスと言えるのかも知れません。

かつて左翼業界も美味しいビジネスでした。そのカラクリを理解できなかった私たちは、所謂“進歩的知識人”にいいように煽られ騙されたのです。それは、今のネトウヨと同じです。ネトウヨのことは笑えないのです。

富の偏在を告発し、資本主義社会の不条理を訴える“進歩的知識人”のなかには、桜井よしこ氏のような豪邸に住んだり、海外に別荘を持ったり、ポルシェやベンツに乗ったりしている者がいました。当時、上野千鶴子氏は、愛車のBMWだかポルシェだかで首都高を走るのが趣味だという話を聞いたことがあります。

昔日の勢いはなくなったとは言え、それは、今も同じです。左派リベラル(と言われる)知識人たちのツイッターなどを見ても、みずからの著書の宣伝のためにSNSをやっているような、ドッチラケなものが多いのも事実です。安倍政権を批判するのも、所詮はビジネスなのではないかと思ってしまいます。

森友学園問題も、今やビジネスに堕した感があります。昭恵夫人を告発する行為に対して、あれほど口を極めて罵るのも、問題をできる限り引き延ばし(そのために情報を小出しにして)、ビジネスとして延命させたいという思惑があるからではないのかと思ってしまいます。

国会での民進党の「矛先」は、既に森友学園から加計学園の問題に移っていますが、加計学園も森友と同様、竜頭蛇尾に終わるのは目に見えている気がします。私は、あらためて「民進党が野党第一党である不幸」を痛感せざるをえないのです。

「共謀罪」にしても、安保法制(周辺事態法)にしても、憲法改正にしても、民進党も過去に似たような主張をしています。これが産経新聞やネトウヨがヤユする民進党の「ブーメラン」と言われるもので.す。民進党は、与党案とは似て非なるものだと言ってますが、でも似ているような主張はしているのです。

言うまでもなく旧民主党は、日本に欧米のような二大政党制を定着させ、「政権交代ができる」政党が必要だという小沢一郎らの遠謀によって、「政界再編」の名のもとに、小選挙区比例代表制とセットで生まれた政党です。もちろん、「政権交代」とは、”体制転覆”ではなく、二大政党の間で政権をたらい回しするということです。言うなれば、安心して政権をたらい回しすることができる”第二自民党”のような政党が求められたのです。民進党の「ブーメラン」は当然なのです。


上記は、上西小百合議員のツイッターに転載されていた、安保法制に反対する弁護士のツイートですが、このような思考停止したベタな考えこそが、むしろ逆に「安倍政権の暴走を許している」と言えるのかも知れません。ポデモスやシリザやSNPは、(日本流に言えば)「民主はだめだ」「共産は嫌い」という考えから生まれたあたらしい左派政党だということを忘れてはならないでしょう。

加計学園の問題には、文科省の天下り斡旋問題が関係しているという見方があります。もしかしたら、民進党は、官僚たちの”私憤”という掌の上で踊っている(踊らされている)にすぎないのかもしれないのです。安倍政権による子飼いのメディアを使った露骨な疑惑潰しによって、問題は泥沼化の様相を呈していますが、しかし、野党は、蚊帳の外に置かれ、ただケンカの使い走りに使われているようにしか見えません。

「小池新党」をめぐる東京都の問題も然りです。保守の内輪もめは、それだけ保守の”余裕”を示しているとも言えるのです。財産が多いと家族内で財産争いが起こるのと同じで、それを貧すれば鈍する民進党などが取り上げて、外野で騒いでいるだけなのです。

民進党がいくら騒いでも民進党の支持率が上がらない現実。そこに民進党の自己撞着、つまり「ブーメラン」があることを国民がよく知っているからでしょう。

「民主はだめだ」「共産は嫌い」と言っているから一強体制が進んだのではないのです。「民主はだめだ」「共産は嫌い」という現状認識を持てないから左派リベラルは凋落し、一強体制を許したのです。それがポデモスやシリザやSNPと日本の野党共闘&国会前デモの根本的な違いです。
2017.05.24 Wed l 社会・時事 l top ▲
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知り合いからチケットをもらったので、今日の午後、川崎の等々力陸上競技場でおこなわれた「セイコーゴールデングランプリ陸上2017」を観に行きました。

8月にロンドンでおこなわれる世界陸上の代表選考会も兼ねた、国際陸連公認の大会でしたが、しかし、向かい風が吹いていたということもあって、記録は総じて平凡でした。

大会名を見てもわかるとおり、セイコーが「特別協賛」し、TBSテレビでも中継されたのですが、そのためか、なんだかショーのような要素が強い大会でした。大会を盛り上げ、運営費をねん出するには仕方ない面もあるのもしれませんが、レースを終えた有名選手たちに、メディアの撮影用に、観客席に行って観客たちとハイタッチをするように進行役のスタッフが促すのでした。参加標準を突破できず不本意なレースに終わった福島千里選手も、スタッフから促され、撮影用(?)に設えた観客席に行って、お定まりのハイタッチをしていましたが、なんだかかわいそうな気がしました。

私の隣の席の中年女性は、カメラマニアのようで長尺の望遠レンズが付いたカメラを構えていましたが、隣で長尺のレンズを振り回されると邪魔でなりませんでした。その隣も同じような中年男性で、夫婦かと思ったら全然関係のないカメラマニアのようでした。

また反対側の席や前の席は、真夏日を記録した暑さのなかで、半分抱き合って観戦しているような若いカップルでした。彼らもまた、ケンブリッジ飛鳥やサニブラウンが目当てだったようです。

マニアと言えば、ロイヤルファミリーの婚約者が同じ駅に住んでいるというニュースが流れた途端、駅前通りなどで、カメラやスマホで通りの様子を撮影している人たちを見かけるようになりましたが、心なしかこの週末は、いつもより人通りが多い気がしました。

婚約者が通った幼稚園がすぐ近所にあるのですが、ニュースのあと、幼稚園の駐車場にはテレビ局の中継車が何台も停まっていて、幼稚園も臨時休園したようでした。

たまたまニュースが流れる前日、散歩の途中に、婚約者が住んでいるマンションの前の道路を歩いたのですが、もちろんそのときはいつもの夕暮れの住宅街の光景でした。しかし、近所の人の話によれば、今は道路も交通規制され、マンションの前には常時制服の警察官が立っているそうです。

朝、SPとともに駅に向かう婚約者の姿がテレビに出ていましたが、これからああいったことが毎日つづくのだろうかと思いました。テレビには、「知名度が上がってうれしい」というような商店街の人たちの「喜びの声」も出ていましたが、たしかに青息吐息の商店街にとって、今回のニュースは(ややオーバーに言えば)「天佑」と言えるのかもしれません。ただ一方で、ミーハー相手の商売に明日はあるのだろうかと思ったりもします。個人的には、そんなことより狭い舗道を広げるほうが先決のような気がします。
2017.05.21 Sun l 日常・その他 l top ▲
夜の谷を行く


桐野夏生の最新作『夜の谷を行く』(文藝春秋社)を読みました。

連合赤軍事件から40年。

主人公の西田啓子は、当時24歳で、「都内の山の手にある私立小学校の教師を一年務めてから、革命左派の活動に入ったという、異色の経歴」のメンバーです。山岳ベースに入った「革命左派の兵士の中では、最も活動歴が浅く、無名の存在」でした。

米軍基地に侵入しダイナマイトを仕掛けた勇気を買われ、永田洋子に可愛がられていました。しかし、山岳ベースでは、「総括」という名のリンチ殺人がエスカレートして凄惨を極め、兵士たちは疲弊していました。そんななかで、彼女は同じ下級兵士であった君塚佐紀子と二人でベースを脱走し、麓のバス停で警察に逮捕されるのでした。

他のメンバーと決別して「分離公判」を選択した彼女は、5年9カ月服役したあと、中央線の駅前のビルで学習塾を経営していましたが、それも5年前に閉じ、63歳になる今は、昭和の面影が残る古いアパートで、貯金と年金でつつましやかに暮らしています。「とにかく目立たないように静かに生きる」と決意して今日まで生きてきたのでした。逮捕によって親類とは疎遠になり、現在、行き来しているのは、実の妹とその娘だけでした。

しかし、2011年2月、そんな日常をうち破るように、永田洋子が獄死したというニュースが流れます。西田啓子は、永田の死に対して、「永田が二月のこの時期に亡くなるとは、死んだ同志が呼んだとしか思えない」と衝撃を受けます。

啓子は、あの年の二月に何があったか、よく覚えていた。四日には、吉野雅邦の子を妊娠していた金子みちよが亡くなった。大雪の日だった。そしてその日に、永田と森が上京したのだ。六日、自分が脱走する。


 あれは、金子みちよが亡くなった夜のことだった。雪が積もって凍り、キラキラと月に光る稜線を眺め上げていると、横に君塚佐紀子が立った。
 保育士だった佐紀子も、活動歴の浅さや地味な性格では、啓子と同程度だった。二人とも、ベースでは、森や永田、坂口ら指導部の連中など遠くて見えないような末席に座らせられていた。個室に炬燵、暖かな布団で寝られるのは指導部だけで、下級兵士は、板敷きに寝袋で雑魚寝である。
「凍えるね」
 啓子が呟くと、佐紀子が「うん」と頷いて啓子の方を見遣った。目が合った。目には何の色もなく、互いに互いの虚ろを確認しただけだった。
 その日、永田と森が資金調達に山を下りたのを契機に、二人とも何も言わずに荷物を纏めた。


永田洋子の死と前後して、昔のメンバーから電話がかかってきます。そして、かつて同志として結婚していた元夫とも再会することになります。元夫は、出所後、社会の底辺で生きて、今はアパートを追い出されホームレス寸前の生活をしていました。新宿で待ち合わせ、中村屋でカレーライスを食べているとき、突然、激しい揺れに襲われます。東日本大震災が発生したのでした。そして、啓子の生活も封印していた過去によって、激しく揺さぶられることになるのでした。

小説だから仕方ないでしょうが、連合赤軍事件については、薄っぺらな捉え方しかなく、興ざめする部分はあります。もっとも、当時のメンバーたちにしても、あるいはその周辺にいた人間たちにしても、事件について、真実をあきらかにし、ホントに総括しているとは言い難いのです。現実も小説と同じなのです。

啓子が、君塚佐紀子と再会したとき、つぎのように呟くシーンがあります。君塚佐紀子は、出所後、親兄弟と縁を切り、名前も変えて、今は神奈川県の三浦半島の農家に嫁いでいるのでした。

「(略)永田も坂口もみんな、死んだ森のせいにしている。でも、あたしたちだって、永田と森のせいにしているじゃない」


クアラルンプール事件での釈放要求を断り、みずから死刑囚としての道を選んだ坂口弘は、もっとも誠実に事件と向き合っているイメージがありますが、しかし、彼の著書を読むと、やはり「死んだ森のせいにしている」ような気がしてなりません。あさま山荘の銃撃戦には、リンチ殺人に対する贖罪意識があった、彼らなりの「総括」だったという見方がありますが、ホントにそうだったのか。

もとより私たちが知りたいのは、つぎのような場面における個的な感情です。そこにあるむごたらしいほどの哀切な思いです。そこからしか連赤事件を総括することはできないのではないか。私が、この小説でいちばんリアリティを覚えたのも、この場面でした。

「西田さん」
もう一度、金子がはっきりと呼んだ。
啓子は外の様子を窺ってから、金子の横に行って、顔を覗き込んだ。
「どうしたの」
金子は腫れ上がった目を開けて、じっと啓子を見上げた。「反抗的な目をしている。反省していない」と森や永田を怒らせた眼差しだった。
「こんな目に遭っても赤ん坊が動いているのよ。凄いね」
金子は小さな声で呟くように言った。笑ったようだったが、顔が腫れていて、表情はよくわからなかった。
啓子は胸がいっぱいになり、励まそうとした。
「頑張らなきゃ駄目よ」
少し経ってから、金子が聞いた。
「頑張ってどうするの?」
「赤ちゃん、産むんでしょう」
金子が微かな溜息を吐く。
「そんな体力は残ってないかもしれない」
「でも、頑張りなさいよ」
「ねえ、頼みがあるんだけど」
金子が低い声で囁いた。
「何?」
多分、金子の頼みを叶えることはできないだろう、と啓子は思いながら、聞き返した。
「子供だけでも助けて。西田さんも妊娠しているからわかるでしょう。この子を助けて、革命戦士にして」
「わかった」
啓子はそう言って、素早く金子のもとを離れた。テントの外に足音がしたからだ。


もちろん、『夜の谷を行く』はエンターテインメント小説ですので、最後に”どんでん返し”のサービスが待っているのですが、その“どんでん返し“もこの場面と対比すると、蛇足のように思えました。


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2017.05.16 Tue l 本・文芸 l top ▲
今日、たまたまネットで、つぎのようなツイッターの書き込みを見つけました。


悪いけど、こういうリベラル左派に未来はあるのだろうかと思いました。「アベ政治を許さない」というボードを掲げる彼らが、実は安倍政治を許しているのだというパラドックスさえ考えてしまいます。

彼らは、かつて朝日新聞の「家庭内野党」報道を真に受けて、原発再稼働をしないように安倍首相を説得してください、昭恵夫人お願いします、と言っていたのです。今日の政治状況(一強体制)の下地を作ったと言っていい、小沢一郎や小泉純一郎に対する大甘な姿勢も同じです。

一方で、運動周辺に対しては、スターリニズムまがいの「排除の論理」が行使されるのです。そういった党派政治=”悪しき左翼性”だけは頑迷に固守しているのです。

野党共闘という”崇高な”理念のために、「普通の市民」ではない極左や極右はいらない、ビラ配りも署名集めも許さないというわけなのでしょう。もしその現場を見つけたら、原発や安保法制のデモのときと同じように、暴力的に排除するつもりなのでしょう。これが、高橋源一郎たちが自画自賛する「ぼくらの民主主義」なるものです。

彼らが墨守するリベラル左派の理念は、とっくに終わったそれでしかありません。それは、彼らが随伴する民進党や共産党を見れば一目瞭然でしょう。彼らは、トランプやマリーヌ・ル・ペンの台頭に、既成政党に対する人々の失望があるという、最低限の現状認識さえ持てないのでしょう。

むしろ、問題はその先にあるのです。前述した『「革命」再考』のなかで、的場昭弘氏は、つぎのように書いていました。

 資本主義はマルクスが予想したとおり、国境なき資本主義へと変貌していきます。ただし、マルクスも述べていることなのですが、資本は儲けるときはコスモポリタンで博愛的なのですが、儲からなくなると、途端に国家にすがり国家主義的になります。


自由貿易と保護主義、グローバリズムとナショナリズム、左翼的なものと右翼的なもの、もしかしたらそれらは表裏一体のものかもしれないのです。

大事なのは、右か左かではなく、上か下かなのです。上か下かに、右も左もないのです。

マリーヌ・ル・ペンが言うinvisibles=「見えざるものたち」も、リベラル左派の彼らには文字通り「見えざる」存在なのかもしれません。

 革命という言葉が意味するのは、現に見えているものを変革するということではなく、見えないものをくみ取り、それを変えていくということです。およそこれまでの革命、そして革命家の思想というものは、まさにそうした目に見えないものをいかに理解し、変えるかであったといってもいいものでした。変化が簡単にわかるものは、実は革命でもなんでもなく、たんに現状の追認にすぎなかった場合が多かったわけです。
(『「革命」再考』



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2017.05.09 Tue l 社会・時事 l top ▲
ゴールデンウィークの合間、病院に行きました。今回は、いつもの医院ではなく、総合病院です。待合室は、多くの外来患者で埋まっていました。そのほとんどが中高年の患者たちです。

長椅子に座っていると、診察を終えた患者のもとに、「(外来)クラーク」と呼ばれる制服姿の女性がやってきて、次回の診察日の説明や処方された薬の説明などをしていましたが、聞くとはなしに聞いていると、意外にも入院の説明をしているケースが多いのでした。

本を読みながら順番を待っていた私は、徐々に暗い気持になっていました。そうやって入院をくり返しながら、人生の終わりに近づいていくんだろうなと思いました。その宣告を受けているような気さえするのでした。

中には息子や娘が付き添ってやってくる高齢者の姿もありましたが、そんな人たちはホントにめぐまれているなと思いました。ひとりでやってきて、入院の診断を受けるなんて、なんと心細くてさみしいものだろうと思います。かく言う私も、そのひとりです。

ひとりで引っ越しするのも大変ですが、病気したときもひとりは大変です。入院を告げられたあと家に帰る道すがら。あるいは着替えなどをボストンバッグに詰めて入院の準備をする前夜。すべてを自分ひとりで受け止めなければならないあの孤独感。心が萎えるのを必死で耐えている自分がいます。

診察の際、特段症状に変化もなく、先生からも「順調ですね」と言われたので、私は安心していたのですが、再び待合室の椅子にすわって待っていると、赤い制服を着た「クラーク」の女性がやってきて、ファイルに入った説明書を目の前に差し出したのでした。私は、一瞬「エエッ」と思いました。

しかし、それは次回の検査についての説明書でした。私は、いつになくホッとした気分になりました。

そして、なんだか救われたような気持のなかで、診察代を精算して帰宅したら、夕方、病院の薬剤室から電話があり、処方された薬を受け取るのを忘れていたことを知ったのでした。


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2017.05.03 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
先日、朝日新聞デジタルのインタービュー記事で、米山隆一新潟県知事がつぎのように言ってました。

 保守的な空気が非常に先鋭化しているのは、仕方ない部分はある。ただ、なぜそうなったかを考えると、リベラル系の人たちがちゃんと意見を言わないからだと思う。リベラルの人は優等生になろうとする。何かを発言して、ブーメランで批判が返ってくるとシュンとする。保守系の人はバシバシ言うから、結局そちらが発言権を持ってしまう。

朝日新聞デジタル
つぶやく知事に聞いた「保守的な空気、リベラルのせい」


私は、この発言は、米山知事の意図とは別に、今のリベラル左派の痛い点を衝いているように思いました。そして、これが日本の左派とヨーロッパで台頭している急進左派との根本的な違いでもあるように思います。

何度も同じことを言いますが、ギリシャのシリザも、スペインのポデモスも、イギリスのスコットランド国民党(SNP)も、貧困や独立をテーマにした広場占拠や街頭闘争の直接行動から生まれたあたらしい政党です。有閑マダムのホームパーティのように、仲間内でおしゃべりに興じるだけの日本のリベラル左派とは似て非なるものです。上か下かの視点を失くしたリベラル左派に対して、「左翼はめぐまれた既得権者だ。おれたちがやっているのは階級闘争だ」と在特会など極右の団体が嘯くのも、故なきことではないのです。

マルクス研究者の的場昭弘氏は、『「革命」再考』(角川新書)で、現在、先進国を席捲している「国家再帰現象」は、「民衆の自由意志による反発であると捉えることも」できると書いていました。「ポピュリズム」「大衆デマゴギー」などと批判される「国家再帰現象」ですが、見方を変えれば、民衆のなかに「既成の政党政治に飽きたらない」現象が起きていることを意味しているのではないかと言うのです。そして、そんな「民衆の声を吸収できているのは皮肉にも極右と極左だ」と言います。フランス大統領選挙でも、共和党や社会党の候補が大敗し、極右のマリーヌ・ル・ペンと極左・左翼党のジャン・リュック・メランションが人気を集めたのは周知のとおりです。

的場氏は、マリーヌ・ル・ペンについて、つぎのように書いていました。

 フランス極右の候補者マリーヌ・ル・ペンは、支持層拡大のために「見えざるものたち」(invisibles)という言葉を、二〇一二年の大統領選挙で使っていました。見えざるものたちとは、存在しているが人々が見逃している人々ということです。具体的にいえば、移民労働者や郊外に住む貧困層のことです。二〇〇七年の大統領選挙ではプレカリテ(prècaritè)、不安という言葉が議論になりました。
 極右の候補がこれを取り上げたことは、現代社会の抱える問題が、もはやたんなる人権の問題ではないことを意味しています。生きる権利、働く権利という基本的な権利が守られていないことへの怒り、それは現在の資本主義システムそのものへの疑問となって表れています。これまでのような機会の平等、自由な競争などと能天気なことをいっていられない時代になったともいえます。
(『「革命」再考』)


「見えざるものたち」の生きる権利、働く権利を奪還する。このようなことはかつては左の「革命派」が言っていたことです。極右と言えば、どうしても排外主義ばかりに目が行きがちですが、今やこういった「上か下か」も極右のスローガンになっているのです。

(何度も僭越ですが)私も、トランプ当選の際、ブログにつぎのように書きました。

トランプ当選には、イギリスのEU離脱と同じように、そんな「上か下か」の背景があることも忘れてはならないでしょう。「革命」の条件が、ナチス台頭のときと同じように、ファシストに簒奪されてしまったのです。社会主義者のバーニー・サンダースが予備選で健闘したのは、その「せめぎあい」を示していると言えるでしょう。
誰もが驚いたトランプ当選


日本のリベラル左派は、そういった「せめぎあい」さえ回避しているのです。

ブレイディみかこ氏は、連載している晶文社のサイトで、イギリス労働党の低迷に関して、シリザ政権で財務相を務めたヤニス・ヴァルファキスのつぎのようなことばを紹介していました。

 過去30年間、我々はプログレッシヴな価値観の寸断を許してきた。LGBTの運動、フェミニストの運動、市民権運動という風に。フェミニストがもっと多くの女性を役員室に入れることは、その一方で移民の女性が最低賃金以下の賃金で家事を引き受けて働いているということを意味する。フェミニズムとヒューマニズムの関係性が失われてしまったのだ。ゲイ・ムーヴメントが、偏見や警察との闘いに代わって、「Shop Till You Drop(ぶっ倒れるまで買いまくれ)」のようなスローガンをマントラにして消費主義を受け入れた時、それはリベラル・エリートの一部になり過ぎてしまった。プログレッシヴなムーヴメントに残された解決法は、インターナショナルであるだけでなく、ヒューマニストにもなることだ。それは難しいことだ。が、リベラルなエスタブリッシュメントとトランプの両方に反対するにはそれが必要だ。彼らは敵対しているふりをしているが、実際には共犯者であり、互いを利用している。
newstatesman.com

晶文社 スクラップブック
UK地べた外電
第3回 ブレグジットの前に進め:コービン進退問題とヴァルファキス人気


日本のリベラル左派は、既得権を守ることに汲々とし、「55年体制」のノスタルジーに耽るだけの「エスタブリッシュメント」でしかないのです。だから一方で、(リベラルなんて言いながら)あのようなスターリニズムと紙一重の「排除の論理」が幅をきかせているのでしょう。今、求められているのは、「リベラルなエスタブリッシュメントとトランプの両方に反対する」、謂わば「左派ポピュリズム」のような視点と見識なのです。
2017.05.02 Tue l 社会・時事 l top ▲
2017年3月29日ESWL


ESWLのその後について書いていませんでしたので、参考までに書いておきます。

ESWLのあと、家で排尿する際は、茶こしを使って排石を確認するようにしましたが、小さな破片のようなものが少し出ているだけでした。

ところが、1週間が経った頃、外出先で突然、赤ワインのような血尿に見舞われたのでした。そして、家に戻ると、石の破片がゴロゴロ出てきたのでした。ほぼ2~3日、そんな状態がつづきました。

慣れてくると、大きな破片が尿道にとどまっているのがわかるようになりました。そして、尿を溜めていっきに排尿すると、尿とともに愚息の先端からポロリと破片が出てくるのでした。文字通り「生まれ落ちる」ような感じで、感動すら覚えるくらいです。

上の画像は、茶こしで捕獲した石の破片です。

ESWLを受けた病院の診察は来月ですが、私は既にかかりつけの病院で、石の状態を確認してもらいました。レントゲンで確認すると、尿管にあった石はすべてきれいになくなっていました。ただ、破砕の際、飛び散ったと思しき小さな破片が腎臓内に二つあるそうですが、それは特に問題ないと言われました。

「石のことならなんでも聞いてくださいよ」と言っていた近所の商店主に、そのことを話したら、「(ESWLが)1回で済むなんてめずらしいな~」「いい機械を使っているんだろうな」と言ってました。心なしかことばに力がなく、本音はうらやましいと思っているのかもしれないと思いました。

結石は体質なので、また10年後くらいに石が成長しているかもしれませんが、とりあえず今回の結石に関しては一件落着しました。


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2017.04.29 Sat l 健康・ダイエット l top ▲
前に紹介した『ネットメディア覇権戦争』(光文社新書)で、著者の藤代裕之氏はつぎのように書いていました。

 歴史作家の半藤一利と保坂正康は、『そして、メディアは日本を戦争に導いた』で、戦争が売り上げを伸ばすことをジャーナリズムは学んだと指摘している。満州事変、日中戦争、太平洋戦争の間、朝日新聞の部数は150万部から350万部に倍増、毎日新聞も250万部から350万部に増加した。ネットニュースのメディアにとっては、猫コンテンツや炎上、偽ニュースはアクセスを稼げる。かつての新聞にとっての戦争のようなものだ。新聞も戦争報道では多くの虚報や誇張を繰り返していた。


もちろん、これは、今の北朝鮮情勢をめぐる「明日は戦争」キャンペーンの前に書かれたものです。

たまたま先日、『噂の真相』の匿名コラム「撃」の1992年から2004年までの分をまとめた『「非国民」手帖』(情報センター出版局)を読み返していたら、つぎのような文章が目にとまりました。

 《平和と民主主義》という理念が強固に確立された現在、《戦争》という名辞が忌避されているだけで、真剣に考えることは逆に抑圧されている。
 そしてその一方では、北朝鮮核疑惑を契機として、《戦争》への扇動が確実に隆起している。《国土防衛》や《世界秩序維持》や《邦人救出》のために、と。これこそが十五年戦争へと導かれたセリフではないか。
(94年8月号/歪)


1994年と言えば、自社さ連立の村山内閣が誕生した年です。同時に、日本社会党は、国旗・国歌、自衛隊、日米安保等で基本方針の大転換を行い、自滅への道を歩みはじめたのでした。

23年前も今と同じようなキャンペーンが繰り広げられていたのです。

私などは、挑発しているのはむしろトランプ政権のほうではないか、ホントに危険なのは金正恩よりトランプのほうではないか、と思ってしまいますが、そんなことを口に出して言おうものなら、それこそ「非国民」扱いされかねないような空気です。

キャンペーンを仕掛ける側にとって、北朝鮮はまさに格好のネタと言えるでしょう。北朝鮮は、国交がないため、言いたい放題のことが言える好都合な相手です。それに、(見え見えの)瀬戸際外交を行う北朝鮮は、「ソウル(東京)を火の海にする」「全面核戦争も辞さない」などと感情をむき出して大言壮語する、謂わば「キャラが立つ」国なので、「明日は戦争」を煽るには格好の相手でもあるのです。

なかでも、Yahoo!ニュースなどネットニュースとテレビのワイドショーの悪ノリぶりには、目にあまるものがあります。

今やネットニュースにとって、「猫コンテンツ」などより、「明日は戦争」キャンペーンのほうが手っ取り早くアクセスを稼げるコンテンツなのでしょう。と言うか、「明日は戦争」キャンペーンそのものが、究極の「偽ニュース」と言ってもいいのかも知れません。

ご多分に漏れず部数減に歯止めがかからず、早晩政敵の「赤旗」に部数を抜かれるのではないかと言われている産経新聞は、最近ますますネトウヨ化に拍車がかかっていますが、アクセスを稼ぐために、そんな産経のフェイクな記事を使って戦争を煽っているYahoo!ニュースを見るにつけ、私は、藤代氏のつぎのような指摘を思い出さざるをえません。

 私は多くのヤフー社員を知っている。真面目でいい人が多いが、事件記者として汚職事件や暴力団などを取材したり、調査報道チームの一員として政治家や企業の問題を暴いたり、といったリスクの高い取材を行い、ジャーナリズムとしての経験を積んだ人は少ない。
 記者というのは剣豪に似ている。剣道などで強くなると、竹刀を交える前から相手の身のこなしなどで強さが分かるという。記者同士でも、ニュースなどについて話をしていると、ニュースの切り口、事実性への評価、取材すべきポイントなどで、実力を測ることができる。剣豪が負ける相手とは立ち会わない冷静さを持つように、できる記者ほど冷静で、多くを語らない。経験が乏しい素人ほど、実力を過信する。私がヤフーで「できる」と感じた人は、ごく一握りしかいない。
(『ネットメディア覇権戦争』)


これが「ヤフーにはジャーナリズムの素人しかいない」と言われる所以ですが、僭越ながら私も以前、このブログで、Yahoo!ニュースについて、つぎのように書いたことがありました。

Yahoo!ニュースに決定的に欠けているのは、野党精神(=「公権力の監視」)であり、弱者に向けるまなざし(=「弱者への配慮」)です。でも一方で、それはないものねだりなのかもしれないと思うこともあります。なぜなら、ウェブニュースの「価値基準」は、「公権力の監視」や「弱者への配慮」にはないからです。ウェブニュースの「価値基準」は、まずページビューなのです。どれだけ見られているかなのです。それによってニュースの「価値」が決まるのです。それは、ウェブニュースの”宿命”とも言うべきものです。
『ウェブニュース 一億総バカ時代』


先の戦争の前夜、メディはどのように戦争を煽ったのか。あるいは、ヒットラーが政権を取る過程で、メディアがどのような役割を果たしたのか。どうやって全体主義への道が掃き清められていったのか。私たちは、それをもっと知る必要があるでしょう。


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『ネットメディア覇権戦争』
2017.04.27 Thu l ネット・メディア l top ▲
一昨日、田中龍作ジャーナルに、下記のような記事が掲載されていました。

田中龍作ジャーナル
【アベ友疑獄】「昭恵刑事告発」延期 市民の分裂は回避された

この記事には前触れがあり、2日前の4月18日にことの発端を伝える記事が掲載されていました。

【アベ友疑獄】昭恵刑事告発はオウンゴールか 小沢代表「時期尚早」

要は、昭恵夫人を告発すれば、逆に政権側に「係争中につきお答えできない」という口実を与え、疑惑隠しに利用される怖れがあるので、告発に反対だということです。

森友学園問題については、既に水面下で幕引きの手打ちが行われたという報道が一部にありますが、たしかに、今、メディアをおおっている「明日は戦争」キャンペーンのなかで、森友学園問題が片隅に追いやられているのは間違いないでしょう。

今やこの国のメディアは、戦争を待ち望んでいるかのようで、塚本幼稚園の園児と同じように、「安倍首相ガンバレ」「トランプ大統領ガンバレ」の大合唱を行っていますが、そんな戦争キャンペーンのなかでは、安倍退陣なんてもはや誇大妄想のようにしか思えません。なんだか”宰相A”の高笑いが聞こえてくるようです。「幕引きされる前に刑事告発して世論に訴えよう」という、運動の現場にいる人たちのやむにやまれぬ気持は、痛いほどよくわかるのです。

私は、告発に反対する人たちの論拠には、なにを今更の気持しかありません。野党になにが期待できるというのでしょうか。「民進党やマスコミに任せていても埒(らち)が明かない」と言うのはそのとおりでしょう。告発に反対する人たちは、茶番にすぎない国会質疑に対して、いたずらに期待を煽っているようにしか思えません。

なかでも私が嫌悪感を覚えたのは、菅野完氏のつぎのような書き込みでした。




告発を準備しているのは、元ヤクザで、過激派とつるんだ人物だという「印象操作」。ここにあるのは、官邸前デモなどでも見られたもうひとつの全体主義です。

「善良な市民」とはなんなんでしょうか。「善良な市民」なんてことばを使うのなら、菅野氏自身だって他人(ひと)のことは言えないでしょう。もし本当に、元ヤクザが過激派とつるんでいるのなら、私などは、竹中労の『黒旗水滸伝』や猪野健治の『戦後水滸伝』が想起させられて、逆に感動すら覚えるくらいです。

「共謀罪」の国会審議を見ていると、「共謀罪」が昨年のヘイト・スピーチ対策法と地続きであることがよくわかります。ヘイト・スピーチ対策法の成立において、与党側の立役者と言われた自民党の西田昌司参院議員の、その後の民族差別に関する発言や籠池泰典氏に対する証人喚問での質問などを見るにつけ、ヘイト・スピーチ対策法の裏にある権力の“思惑”が透けて見えるような気がするのです。

ヘイト・スピーチ対策法にあえて反対した山本太郎参院議員や福島瑞穂元社民党党首が、当時言っていたことを今更ながらに思い出さざるをえません。ヘイト・スピーチ対策法も、同法とバーターで成立した盗聴法の拡大や刑事訴訟法の”改正”も、もちろん今国会で審議されている「共謀罪」も、そこには同じ治安立法としての性格が貫かれているのはあきからでしょう。

これらに共通しているのは、警察の裁量権の拡大です。警察の裁量次第で、捜査対象がいくらでも広がることが可能になる(なった)のです。ヘイト・スピーチ対策法の制定を推進した人たちは、結果的に警察の裁量権の拡大に手を貸したと言われても仕方ないでしょう。ヘイト・スピーチに反対する”善意の動機”があったとか、同法が罰則規定を含まない理念法にすぎない、というのは弁解になりません。裁量権の拡大という”焼き太り”(=官僚の罠)に対して、あまりにも無頓着だと言わざるをえないのです。

左右の全体主義は、所詮、双面のヤヌスにすぎず、右か左かにたいした意味はないのです。


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2017.04.22 Sat l 社会・時事 l top ▲
木嶋佳苗手記


『週刊新潮』(4月20日号)に掲載された木嶋佳苗被告の手記を読みました。

4月14日、最高裁第2小法廷は、木嶋被告の上告を棄却し、死刑が確定しましたが、手記は判決前に書かれたものです。

木嶋被告は無実を訴えていますが、一方で上告破棄を「覚悟」していたかのように、手記のなかで、死刑の「早期執行の請願」を行うことをあきらかにしていました。

 生みの母が私の生命を否定している以上、確定後に私は法相に対し、早期執行の請願をします。これこそ「ある決意」に他なりません。通常、全面否認事件での女子の執行は優先順位が極めて低いものですが、本人からの請願は何より強い“キラーカード”になる。
 まったくもって自殺願望ではなく、生きてゆく自信がない、それだけです。


木嶋被告は、実母との確執によって、「生きていく自信」がなくなったと書いています。以前、北原みのり氏が『木嶋佳苗 100日裁判傍聴記』で、木嶋被告は幼い頃から実母との葛藤を抱えていたと書いていましたが、木嶋被告は、ブログで、北原氏を「『毒婦』ライター」と呼び、つぎのように批判していました。

「毒婦」ライター。彼女が私に関して語ることの7割は、事実じゃありません。3割は事実かって?それは、NHKのニュースで報道されるレベルのこと。彼女の取材能力は限りなくゼロに近いので、ルポルタージュを書けるライターじゃないですよ。

木嶋佳苗の拘置所日記
心がほっこりするイイ話


ところが、ここに至って木嶋被告は、実母との間にかなり深刻な確執があったことを認めているのです。それどころか、実父の死は、事故ではなく、夫婦関係が原因による自殺だったことをあきらかにしているのでした。もしかしたら図星だったから、あのように北原氏に対してヒステリックに反発したのかもしれません。

上記の引用文の前段にそのことが書かれています。

 私の父は妻である母に心を蝕まれた結果、還暦で自死を選びました。私が30歳のときです。4人の子ども達に残された遺言状を見るまで父の懊悩や2人の不仲など知る由もなかったし、限界まで追い詰められいたことに気付かなかった4人は遺骸の前で慟哭するほかなかった。母は父の親族から葬儀の喪主になることを許されなかったほどです。


木嶋佳苗被告が、父親の墓を実家のある北海道の別海町ではなく、わざわざ浅草の寺に造った理由も、これで納得がいきました。

このように実母との確執は、今にはじまったわけではないのです。昔からあったのです。私も以前、彼女の”売春生活”は、母親のようになりたくないという「不機嫌な娘」の意趣返しという側面もあったのではないかと書きましたが、それが今更どうして、早期の執行を求める理由になるのか。

「自殺願望ではなく、生きてゆく自信がない」からという弱気な発言も、唐突感はぬぐえず、額面通りに受け止めることはできません。まだ、「木嶋佳苗劇場」(木嶋被告の自己韜晦)は、つづいているような気がしてならないのです。彼女の心の奥底にあるものは、あきらかになってないように思えてならないのです。


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木嶋佳苗 100日裁判傍聴記
人名キーワード 木嶋佳苗
2017.04.17 Mon l ネット・メディア l top ▲
先日、Yahoo!ニュースに下記のような記事が掲載されました。

Yahoo!ニュース・ビジネス
「もう立っている方がいい」狭すぎてハラハラする都内の“痛勤”電車のイス

記事を書いたのは、西日本新聞の東京支社に勤務する記者のようです。

この記事は、一時、Yahoo!ニュースの「経済総合」のアクセスランキングで1位になっていました。それだけ多くの人たちが共感したのでしょう。

私たちは、日々、この記事に書かれているような日常を生きているのです。そして、わざと咳ばらいをしたり、相手を睨みつけたり、あるいは肩で相手の身体を押しやったりしながら、どこかの総理大臣夫人が言うような「修行」の時間をすごしているのです。それは理屈ではないのです。どんなに高尚な思想を持っている人でも、このようなゲスな感情から自由にはなれないのです。

以前、電車で日本共産党のシンパとして有名な映画監督と遭遇したことがありました。監督は、まだ下車する人がいるのに、待ちきれないかのように人をかき分けて乗り込んで来ると、餌を探しているニワトリのようにキョロキョロと車内を見まわしていました。そして、7人掛けなのに6人しか座ってない座席を見つけると、急いで歩み寄り、わずかに空いたスペースに身体を押し込め、身体を奥にずらすと、上体を反らせ腕組みをして目を瞑ったのでした。

そこでは、反戦平和の主張も、社会的不公平に対する怒りも、抑圧された人々に対する連帯感も、どこかにすっ飛んだかのようでした。ただ、自分が座席にすわればそれでいい、それが当然の権利だとでも言いたげでした。

何度も言いますが、「政治の幅は生活の幅より狭い」(埴谷雄高)のです。私もこの記事の記者と同じで、すわって嫌な思いをするより立っていたほうがいいと考える人間ですが、日々、目の前で繰り広げられる「電車の座席にすわることが人生の目的のような人たち」の暗闘を見るにつけ、政治なんてものはホントは取るに足らないものなんだなと思わざるをえないのです。もし「電車の座席にすわることが人生の目的だ」というような思想があるなら、これほど最強なものはないでしょう。

吉本隆明が言うように「政治なんてものはない」のです。生きるか死ぬかの瀬戸際まで追いつめられたら、もう泥棒でも強盗でもなんでもして生き延びるしかないのです。善か悪かなんて二の次です。それが生きるということでしょう。そこに政治的な考えが介在する余地なんてないのです。

本来、思想とはそういったところから生まれるものではないでしょうか。ドフトエフスキーの『罪と罰』でラスコーリニコフが苦悩したのも、そういった場所でした。
2017.04.15 Sat l 日常・その他 l top ▲
韓国の慰安婦(少女)像に対する、筒井康隆氏のつぎのようなツイート(既に削除)が批判に晒されています。

筒井康隆ツイート

元になった「偽文士目碌」の文章は、以下のとおりです。

偽文士目碌
http://shokenro.jp/00001452

新聞記事によれば、筒井氏は、批判に対して、「侮辱するつもりはなかった」「“炎上”を狙ったもので、冗談だ」と弁解しているそうです。

毎日新聞
筒井康隆氏 ブログで少女像への性的侮辱促す 韓国で反発広がる

筒井氏は、日本を代表する(と言ってもいいような)著名な作家です。そこらにいる「バカッター」とは違うのです。炎上狙いだなんて、あまりにもお粗末と言うしかありません。しかも、筒井氏は82才の高齢です。82才のじいさんがツイッターで炎上を狙ったなんて、「大丈夫か」と言いたくなろうというものです。

筒井康隆氏は、かつて社会や日常に潜在するタブーに挑む作家として、平岡正明らによってヒーローのようにもてはやされていた時期がありました。私が最初に筒井康隆氏の作品を読んだのは、『大いなる助走』や『農協月へ行く』だったと思いますが、メタフィクション的手法を用いたブラックユーモアが筒井作品のひとつの“売り”であったのはたしかでしょう。

『噂の真相』に連載していたコラムをまとめた『笑犬樓よりの眺望』や平岡正明の『筒井康隆はこう読め』などを今も持っていたはずなので、もう一度読み返したいと思い、本のなかを探したのですが、どうしても見つけることができませんでした。

唯一見つかったのが、1985年11月1日発行の『同時代批評』という季刊誌に載っていたインタビュー記事でした。それは、当時、巷間を騒わせていた“ロス疑惑“を特集したなかで、同誌を編集していた岡庭昇氏のインタビューに答えたものです。筒井氏は、そのインタビューで、「窓の外の戦争」というみずからの戯曲に関連して、「日本人の特性」をつぎのように批判していました。

(引用者注:「窓の外の戦争」の)戦争責任を追及するというのは、うわべのテーマであって、実際は、自分と関係のあることでも、あまり関係なさそうに客観的に見て、自分だけ逃れていこうとする。そういう日本人の特性がイヤだったんです。まあ、大きな声じゃ言えないけど、戦争に負けといて、今、日本人が一番うまいことをしている。それを別に恥ずかしいこととも思わないで、外国へ出かけていっては、やっぱり嫌われて戻ってきて、あるいは自分の国にも原因のある他国の災害とか戦争とか、そういったものをまったく関係のない、無関係の現象という目で見て、騒いで、無関係と思うからこそ騒げるわけです。(略)そもそもすべてのことを自分のこととして見ることができない特性というのが日本人にはあるんじゃないかと思うんですね。それを追及したかったんです。
(『同時代批評14』・星雲社)


この30年前の発言と「あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう」という発言がどうつながるのか。慰安婦と(筒井氏の世代にはなじみ深い)キーセンツアーを結び付けた皮肉なのかと思ったりもしますが、さすがにそれは牽強付会と言うべきでしょう。

「先生と言われるほど馬鹿でなし」という川柳がありますが、今や作家センセイは世間知らずの代名詞のようになっています。いちばん世間を知らなければならないはずの作家が、いちばん世間知らずになっているのです。にもかかわらず、彼らのトンチンカンぶりが、逆に“作家らしい本音”みたいに扱われるのです。それは、政治に対しても同様で、政治オンチな発言をしても、大衆(庶民)の心情を代弁しているみたいに、むしろ好意的に受け止められることさえあるのです。

でも、炎上狙いという点では、筒井康隆氏のツイートは、コンビニの冷凍ケースのなかに横になったり、股間をツンツンした指でコンビニの棚の商品をツンツンしたり、チェーンソーをもってクロネコヤマトを脅したりした、あの「バカッター」たちとほとんど変わらないレベルのものです。

『大いなる助走』も、『農協月に行く』も、断筆宣言も、ツイッターがない時代だったから見えなかっただけで、実際は今回のツイートと同じような底の浅い風刺や皮肉でしかなく、大西巨人が言う「俗情との結託」にすぎなかったのかもしれません。私も筒井氏のツイートに対しては、「おぞましさ」というより俗情におもねる「あざとさ」のようなものしか感じませんでした。

あらためて筒井康隆ってなんだったんだと思えてなりません。彼の作品をありがたがって読んでいた読者たちこそ好い面の皮でしょう。
2017.04.12 Wed l 本・文芸 l top ▲
今日、ESWL(体外衝撃波結石破砕術)を受けました。ESWLは、一応手術扱いになるそうで、手術承諾書(同意書)の提出を求められました。ただ、私が受けた病院は、入院の必要はなく、日帰り(外来)で行われました。

ESWLを受けるに際して、ネットの体験談などが非常に参考になりました。特に初めて受ける場合は、どうしても不安なので、ネットで検索することが多いのです。それで、私も、誰かのお役に立つことができればと思い、今日の体験をブログに残すことにしました。

ESWLを受けるのに、食事制限などはありません。薬は事前に2種処方されました。ひとつは、お腹の中のガスの気泡を放出させるガスコンという薬です。これは、施行日前日に「1日3回食後」に服用します(1日分のみ)。もうひとつは、前日の就寝前に服用する下剤が1回分だけです。

施行は午後2時からですが、検査があるので、45分前の午後1時15分までに来院してくださいと言われました。

病院に行くと、まず尿の採取とレントゲンの撮影がありました。そして、そのままレントゲン室の前で待っていると、担当の看護師さんがやってきて、レントゲン室内の更衣室に案内されました。パンツ一枚になって、その上に甚兵衛のような病衣を着るように指示されました。

看護師さんに「痛いんでしょうか?」と訊きました。看護師さんは、「痛くないとは言いませんが、人それぞれですね。痛がる人もいますし、そのまま眠ってしまう人もいますよ」と言ってました。

石のサイズや硬さやあるいは石がある場所などによって、痛みは人によって違うようです。

着替えを終えると、レントゲンと同じような機械が設置されたベットの上に仰向けに寝るように言われました。そして、「(痛み止めの)座薬を自分で入れたことがありますか?」と訊かれました。「いいえ」と言うと、「じゃあ、失礼して入れさせていただきます」と言って、横向きにさせられ、パンツを下げられると、ペンキャップのような座薬をいきなり肛門に差し込まれました。私が思わず「ああっ」と声を上げると、「声が出るくらい奥に入れなければダメなんですよ」と言ってました。

さらに、心電図の電極を両胸と左手の指先に付けられ、点滴の針を右腕に刺されました。心電図と点滴の準備が終わると、放射線技師がやってきて、右の腰を浮かしてくださいと言われました。腰を浮かすと、そこに斜めに切られたゴム製の枕のようなものを差し込まれ、腰部が左側にやや傾斜するような恰好になりました。

ベットは左の腰部のあたりがくり抜かれていますので、そうやって左の腰背部から衝撃波を当てるのでしょう。

ただ、衝撃波を正確に当てるためには、身体の位置の調整が必要で、身体を微妙に動かしたりして、調整するのに10分くらいかかりました。調整が終わると、ベルトで身体をきつく縛られ固定されました。

モニター室のなかにいたドクターが私の傍にやってきて、「じゃあ、始めますよ」「よろしくお願いしま~す」と大きな声で言いました。

すると、パチパチという音とともに左の腰背部に微かな痛みが走りはじめました。ネットで、「輪ゴムで弾かれるような痛み」と書いていた人がいましたが、まったくそんな感じです。でも、すぐに慣れ、ほとんど痛みは感じなくなりました。そのあと、衝撃波のパワーが(4段階に)上げられていったのですが、パワーが上がるとパチパチという音も大きくなり、痛みも強くなります。しかし、いづれもすぐに慣れました。

パワーを上げるたびに「痛くないですか?」と訊かれるのですが、「大丈夫です」と答えました。担当の看護師さんは、「よかったです」と言ってました。なかには、ひどく痛がる人もいて、途中でパワーを上げるのをやめることもあるそうです。

1時間近くかけて都合3500発の衝撃波を当てられました。私は、途中、眠くなりうつらうつらしたくらいです。その間、モニター室ではドクターや看護師さんがおしゃべりに興じていました。手術と言っても、緊張感のまったくない手術なのです。

ESWLを終えると、再びレントゲン撮影をされて、担当医の説明がありました。担当医は、PCのモニターに映し出された術前術後の写真を指差しながら、「このように石にヒビが入っています。あとは無事排出されることを願うばかりですね」と言いました。私は、「破砕」ということばから粉々に砕かれるイメージをもっていましたので、「ヒビ」と言われて意外な気がしました。「ヒビ」が徐々に拡大し、やがて割れて尿管を流れはじめるということなのでしょうか。ずいぶん気の長い話だなと思いました。「もし、これでダメなら、内視鏡手術など次の処置も考えなければなりません」と言われましたが、一回でダメだったら二回・三回と再施行もありなのではと思いました。

次回の診察は1か月後を指定されました。薬の処方もなく、治療費を精算してそのまま帰宅しました。治療費は再診料も含めて、3割負担で6万円弱でした。

病院を出たあと、お腹が空いたので、近くの食堂でニラレバと餃子の定食を食べ、そのあとスーパーに寄って夕飯のおかずを買って帰りました。

帰ったら、それこそ赤ワインのような血尿が出ましたが、それも一度だけで、そのあとは普通の尿に戻りました。
2017.03.29 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
日本会議の研究


私たちが忘れてはならないのは、森友問題の思想的な背景です。むしろ、それこそが森友学園問題の本質と言えるのかもしれません。

菅野完氏の『日本会議の研究』に、その背景が書かれていました。

 安倍政権を支える「日本会議」の事務総長・椛島有三も、安倍の筆頭ブレーンと目される伊藤哲夫も、内閣総理大臣補佐官である衛藤晟一も、政府が南京事件の記憶遺産を阻止すべく頼った高橋史郎も、全員が「生長の家」から出た人々だ。だが、椛島有三や伊藤哲夫を輩出した宗教法人「生長の家」本体は、1983年に政治運動から撤退している。
 しかし、その路線変更を良しとしない古参信者たちが今、教団に反旗を翻し「生長の家原理主義」運動を展開中であり、その運動に稲田朋美や百地章など、安倍政権と深いつながりを持つ政治家・学者が参画している。さらにこの「生長の家原理主義」運動は、塚本幼稚園の事例のように、政治の世界だけでなく、市民社会の中にあって、ファナティックな右傾化風潮を醸し出す要素の一つになっている。
(『日本会議の研究』)


少し注釈が必要かもしれません。伊藤哲夫氏は、日本政策研究センターというシンクタンクの代表で、「安倍政権の生みの親」と言われる安倍首相のブレーンの一人です。同時に、日本会議の常任理事(政策委員)でもあります。衛藤晟一氏は、自民党比例区(九州ブロック)選出の衆院議員で、自民党大分県連会長です。安部首相の側近中の側近です。高橋史郎氏は、最近よく耳にする「親学」の提唱者として有名な教育学者です。百地章氏は、集団的自衛権が合憲であると主張する数少ない憲法学者で、やはり、安倍首相のブレーンの一人です。伊藤哲夫氏と同じく日本会議の常任理事(政策委員)です。

世代的に下の稲田朋美氏を除いた彼らは、60年代後半に全共闘運動に対抗すべく結成された右派(民族派)学生運動を担った活動家たちです。その母体になったのは、生長の家の学生信者の全国組織である生長の家学生会全国総連合(生学連)です。

生学連の名を轟かせたのは、1968年の長崎大学における「学園正常化」運動でした。長崎は、同年の佐世保エンタープライズ寄港反対闘争の現場であり、長崎大学の自治会は、社青同解放派の学生組織である反帝学評(反帝国主義学生評議会)の学生たちが握っていて、他の大学と同様、バリケードストが行われていました。それに対して、生学連のメンバーが中心になって結成された長崎大学学生協議会の学生たちが、「学園正常化」「スト打破」を掲げ、ときに全共闘の学生たちと暴力を伴った衝突を繰り返しながら、ついに自治会を“奪還”し、バリケード撤去に成功したのでした。右派学生が自治会を握るというのは、全共闘運動最盛期においては、稀なケースで、一躍長大学生評議会とそれを率いた議長の椛島有三氏は、右派(民族派)学生運動のヒーローになったのでした。ちなみに、その頃、早稲田大学で「学園正常化」の運動を行っていたのが、のちに新右翼「一水会」を結成した鈴木邦男氏です。鈴木氏も生長の家の信者で、生学連のメンバーでした。

長崎大学の成功によって、九州学生自治連絡協議会(九州学評)が結成され、さらにそれは“九州学評方式”と呼ばれて全国に広がり、翌年(1969年)、全国組織の全国学生自治連絡協議会(全国学評)が結成されます。全国学評の初代委員長は、生学連書記長の鈴木邦男氏でしたが、しかし、鈴木氏は僅かひと月で、生学連の次の書記長・安東巌氏らの“クーデター”によって解任されるのでした。

一方、九州学評の執行委員長は椛島有三氏で、副委員長は、大分大学で「学園正常化」運動を行っていた衛藤晟一氏でした。その頃、隣の別府大学で「学園正常化」運動を行っていたのが、のちに小泉チルドレンとして衆院議員を一期務めた井脇ノブ子氏です。

森友学園の籠池理事長も生長の家の信者で、世代的にはやや下ですが、関西大学で右派学生運動をしていたという話があります。

また、全国学評には、”理論団体”として全日本学生文化会議がありましたが、その結成大会の実行委員長だったのが当時佐賀大学の学生であった百地章氏です。

やがて右派学生運動は、全共闘運動の退潮とともに終息に向かいますが、オルガナイザーの椛島有三氏は、全国学評の後継(社会人)組織として、日本青年評議会を作るのでした。その日本青年評議会こそが、日本会議の実質的な事務局を兼ねている組織です。そして、日本会議の大会などイベントの際、スタッフとして手足になって動いているのが、現在も存在する全日本学生文化会議の学生たちです。

彼らが共有するのが、生長の家の創始者・谷口雅春の「神国日本」思想です。その政治運動の原点に戻ることを目指す「生長の家原理主義」なのです。

Joe & Santaro
生長の家原理主義とは:「古事記と日本国の世界的使命」の妄想

このように、日本会議のルーツは、68年の長崎大学の右派(民族派)学生運動にあり、50年経てもなお、宗教的な紐帯で結ばれた当時のメンバーが、戦前回帰をめざす草の根の保守運動を行っているのです。謂わば彼らの”持続する志”として、日本会議があるのです。

日本会議(=日本青年評議会)は、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」や「民間憲法臨調」などさまざまな「フロント団体」を使って改憲運動を行っていますが、まず地方に改憲をめざす運動体を作り、その働きかけで県議会や市町村議会で改憲求める決議を行い、それをもって国会で実現をせまるという戦略をとっているそうです。それは、かつて元号法制化運動で成功した戦略を踏襲したものだそうですが、私は、なんだか毛沢東の「農村から都市を包囲する」革命戦略を思い出しました。

それにしても、どうして安倍首相は、「生長の家原理主義」の関係者に周りを固められ、その影響を受けるようになったのか。そのことについて、菅野完氏は、つぎのように書いていました。

それまでの総理総裁と比べ、安倍の党内権力基盤は驚くほど脆弱だ。日本会議や「生長の家原理主義ネットワーク」をはじめとする「一群の人々」が安倍の周りに群がり、影響力を行使できるのも、この権力基盤の脆弱さに由来するのではないか。安倍は他の総理総裁よりつけこみやすく、右翼団体の常套手段である「上部工作」が効きやすいのだ。
(同上)


それは、まるで安倍首相のサラリーマン時代の上司が言うように、「子犬が狼の子と群れているうち」に「狼の子」に「感化」されてしまったような感じですが、しかし、同じ「狼」でもそれはとんでもない「狼」なのです。ときの総理大臣が戦前回帰を目論む国粋主義的なカルト思想(それも、特定の宗教的カルト思想)を信奉する一群の人たちの影響下にあるというのは、呑気に片付けられるような話ではないでしょう。森友学園問題は、そんな(カルトに国が浸食される)由々しき現実の一端が顔を覗かせたとも言えるのです。


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生長の家の声明
2017.03.26 Sun l 社会・時事 l top ▲
ネットメディア覇権戦争


先日、DeNAのキューレーションサイト(まとめサイト)の無断転載等の問題に関連して、同社が設置した第三者委員会の報告書が発表されました。

内容については、下記の記事が詳しく伝えていました。

INTERNET Watch
DeNA、創業者の南場智子氏が代表取締役に復帰、キュレーションメディア事業の第三者委員会報告書を受けガバナンス強化

背景にあるのは、PV至上主義です。ネットのコンテンツの多くは、基本的に無料ですので、ネットでお金を稼ぐには広告が主体になります。そのためには、どれだけ多くのアクセスを稼ぐかがなにより重要なのです。そして、アクセスを稼ぐためには、記事の量産やSEO対策が必須です。それが今回のように、コンプライアンスが二の次になった要因でしょう。

こういったネットのしくみを作ったのは、Googleです。今でこそGoogleは、「品質に関するガイドライン」なるものを設けて、コンテンツの質を重視するようなことを言ってますが、しかし、アドワーズやアドセンスの課金に対する(唯一の)指標が、クリック数であることには変わりがありません。ネットでお金を稼ぐには、PVを無視することはできないのです。

DeNAも、キューレーションサイトから撤退するとは言ってませんので、これからは今までのような粗雑で露骨なPV至上主義ではない、もっと巧妙なPV至上主義を模索することになるのでしょう。

もちろん、それは、ネットニュースも同じです。

藤代裕之氏は、近著『ネットメディア覇権戦争』(光文社新書)で、「ネットの話題がマスメディアの恰好のネタ元」になっていることが、今のような偽ニュースの拡散につながっていると書いていました。それこそが、大塚英志氏が言う「旧メディアのネット世論への迎合」ということでしょう。

そして、そのなかで大きな役割を果たしたのが、Yahoo!ニュースやJカス(J-CASTニュース)などのミドルメディアだと言います。

 ネットをネタ元にしたニュースが溢れる現状は、ソーシャルメディアとマスメディアの関係を追い続けてきた私の立場からすると、驚きである。
 約10年前、ブログやSNSが拡大していた時期に、既存メディアは、ネット上にはコンテンツのコピーが溢れており、著作権法違反でるという批判や、何の社会的価値もない便所の落書きといった、ネットを蔑む発言を繰り返していたからだ。
 だが、人々の発言が増えるにつれて、情報はネットからマスメディアへと「逆流」するようになった。YouTubeに投稿されて国際問題にまで発展した尖閣諸島の海上保安庁動画流出や、東日本大震災の津波や被災動画を経て、ソーシャルメディアのコンテンツはニュースへと位置付けられていく。
(略)
 従来、マスメディアから流れていたニュースは、ミドルメディアの登場で、人々からマスメディアへと「逆流」することになった。そしてこの構造は、ネットの世論らしきものを生み出している。


しかし、炎上に参加している「ネット民」は、ネットユーザーのわずか0.5%にすぎず(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター山口真一研究員『ネット炎上の研究』)、ネトウヨと呼ばれる「ネット民」の比率は、ネット利用者の1%を下回る(大阪大学大学院・辻大介準教授『インターネットにおける「右傾化」現象に関する実証研究』)という調査があります。これが「ネット民大勝利」「ネットで話題」の実態なのです。

 本来マスメディアは、ネットに出回る情報を検証して、それを伝える役割があるが、ネットの情報に振り回されているのが現実だ。
 ネットで小さな波紋を起こして、、それによってミドルメディアが騒ぎ、マスメディアを動かしていく手法は、世界に広がっている。トランプ現象、そしてイギリスのEU離脱(Brexit)も同じだ。権力者や著名人の過激な発言は、アクセス数を稼ぐ格好のネタだ。ネットとマスメディアの共振で広く流布されるようになっている。


「そして、このような炎上の構造を、何らかの意図を持った国、企業、ユーザーが、利用したらどうか」(どうなるか)と警鐘を鳴らすのですが、実際にヤフーは、Yahoo!ニュースを利用して、自社の事業のために世論誘導を行ったり、ライバル会社の商品に対するネガキャンを行った「前科」があるそうです。

さらに藤代氏は、ミドルメディアの姿勢をつぎのように批判します。

 多くの人は、まさか自分たちが見ているニュースが、ここまで汚染されたり、偏ったりしているとは思わないだろう。人々のニュースへの信頼を利用して、プラットフォーム企業が巨額の利益を上げている。(略)「人々が発信する情報を掲載しているだけ、後は各自の判断で」というプラットフォーム企業の常識は、もはや通用しない。


藤代氏は、取材を受けるのにメディアを選別するヤフーの宮坂社長を、「取材に対してウソをつくトップがいるような組織に、信頼と品質など担保できるわけがない」と批判したところ、逆に「ネット民」から批判を浴び炎上したそうです。ただ、その際、ニュースサイトや広告代理店の関係者から、「ヤフーにはジャーナリズムの素人しかいない。ニュースの判断などできるはずがない」「これまでも何かと条件をつけて配信料を値下げしてきた。発信者支援などごまかしに過ぎない」「ヤフーが考える方針に従わないと、嫌がらせをされた」「社内の数字が達成できないからと、営業努力を求められた」などという声が、藤代氏のもとに寄せられたそうです。

そもそもYahoo!ニュースには、「編集権(編集の独立)」というニュースメディアとしての最低限のシステムも考え方も存在してないのです。Yahoo!ニュースがピューリッツァー賞を目指す(宮坂社長のことば)なんて、片腹痛いと言わねばなりません。Yahoo!ニュースにとって、ニュースは所詮、マネタイズする対象でしかないのです。

その典型がコメント欄でしょう。

 差別発言や誹謗中傷が溢れ、ヤフー自身も極端なレッテル貼りや、差別意識を助長させるような投稿があったと認めているニュースのコメント欄(略)。このコメント欄はプラットフォーム部分とされ、プロ責(引用者注:プロバイダ責任制限法)対応となる。つまり、事後対応でよいため、無秩序な状態が放置されてしまうのだ。


ヤフーは、とかく問題の多いコメント欄に対しても、「メディアとプラットフォームの部分をうまく使い分け」責任回避をしてきたのです。もちろん、いくら問題があっても、コメント欄を閉鎖する気なんてないそうです。「理由は単純で、コメント欄がアクセスを稼いでいるから」です。つまり、バイラル効果でお金を生むからです。Yahoo!ニュースの政治関連の記事に、ネトウヨと親和性が高い産経新聞の記事が目立つのも、故なきことではないのです。

こう考えてくると、藤代氏のつぎのようなヤフーに対する批判は、的を射ていると言えるでしょう。

 言論に責任を持たず、社会を惑わす企業は、ニセモノのメディアに過ぎない。


 組織的にリスクを回避する仕組みがなく、体制も整わない中で、新聞記者に憧れたトップがいくら旗を振っても、ニセモノのジャーナリズムは本物にならない。



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Yahoo!ニュースの罪
『ウェブニュース 一億総バカ時代』
私刑の夏
2017.03.22 Wed l ネット・メディア l top ▲
尿管の石は、来週、ESWL(体外衝撃波腎尿管結石破砕術)で破砕することになりました。

尿管結石は今回で4回目ですが、今回は石が大きいので、自然排出は望めないのです。もっとも、毎月通っている泌尿器科で、もう2年くらい前から、腎臓にある石が直径10ミリを越えているとかで、破砕をすすめられていたのですが、自覚症状もなかったので、ずっと先延ばしにしていたのでした。

先日、そのかかりつけの泌尿器科に行って、「先生、実は、石が尿管に落ちました」と言いました。すると、先生は、「とうとう落ちましたか」と言って、レントゲンで確認してくれました。

石は大きく、しかも尿管の上の方にあるので、「ESWLで大丈夫でしょう」と言ってました。「病院ではTUL(経尿道的尿管砕石術)をすすめられるのですが?」と言ったら、「その必要はないでしょう」「TULは麻酔をして5~6日入院しなければならないので大変ですよ」とアドバイスしてくれました。

なんだかセカンドオピニオンを受けた感じで、かかりつけ医がいると、こんなとき便利です。 ただ、ESWLの場合、一度で完全に破砕されるとは限らないので、何度かの破砕も覚悟しなければならないと言われました。

破砕を受ける総合病院には、救急時も含めて今まで三度受診しましたが、既に医療費が3万円以上かかっています。その病院の場合、ESWLは「日帰り手術」で済むのですが、それでも6万円くらいかかると言われました。破砕のあとも何度か通わなればならないでしょうし、都合10万円は負担しなければならないでしょう。結石も結構お金がかかるもんだなとあらためて思いました。

かかりつけの先生に、「やっぱり、先生から言われていたときに破砕すればよかったですね」と言ったら、「人間というのはそんなもんですよ」と言って笑っていました。
2017.03.20 Mon l 健康・ダイエット l top ▲
安倍挨拶状
上は、先ほど菅野完氏のツイッターにアップされた安倍首相の挨拶状です(クリックで拡大可)。籠池理事長は以前、安倍首相が塚本幼稚園に来る予定だったけど、総裁選に出馬したため、スケジュールの調整が付かず来ることができなくなった、と言ってました。それを裏付ける資料と言えるでしょう。

森友学園問題は、ここ数日で、国会から籠池理事長にイニシアティブが移った感じでした。

籠池理事長にしても、籠池理事長の「窮鼠猫を噛む」路線への転換に一役買った菅野完氏にしても、当然リスクはあるでしょう。特に、出る杭を打つことを生業とする週刊誌にとって、安倍夫妻より籠池理事長や菅野氏のほうが素材としては美味しいはずです。脛に傷を持たない人間なんてそうそういるものではありません。その意味では、菅野氏はあえて火中の栗を拾ったと言えなくもないのです。

一方で、フリーライターの菅野氏にマイクを向けて、籠池理事長の情報を得ようとするマスメディアの連中には、それこそ「恥を知れ」と言いたくなりますが、しかし、悲しいかな、森友学園問題は今後ますますテレビ局を中心とするマスメディア主導で収束が図られる、そういう方向に進むのは間違いないでしょう。

来週の証人喚問は、国会と籠池理事長によるイニシアティブ争奪の“最終決戦”の場と言っていいのかもしれません。しかし、自民党の竹下亘国対委員長の「総理に対する侮辱だ」ということばが象徴するように、「ほとんど独裁者気分」の「宰相A」相手に一介の「民間人」が「窮鼠猫を噛む」ことは、至難の業と言えるでしょう。

菅野完氏の『日本会議の研究』(扶桑社新書)に、今の森友学園問題を予見しているかのような箇所がありました。戦前に出版された(旧)生長の家の経典『生命の實相』を掲げて講演する稲田朋美氏と、教育勅語を唱和したり「愛国行進曲」や「日の丸行進曲」を合唱する塚本幼稚園を並べて紹介した上で、つぎのように書いていました。

 この2つの写真、一見何ら関係のないように見える。しかし、「『生命の實相』を掲げて講演する稲田朋美」と「愛国行進曲を唱和する塚本幼稚園」の間には、極めて太い関係性があるのだ。


その「太い関係性」というのは、“生長の家原理主義”です。

日本会議の中心メンバーが、(旧)生長の家の学生信者たちによる民族派学生運動の元活動家たちで占められていることはよく知られた話ですが、その思想的な核にも、谷口雅春の「神国日本」思想を信奉する“生長の家原理主義”があるというわけです。

昨日、瑞穂の國記念小學院の現場で、視察に訪れた参院予算委員会のメンバーたちを籠池理事長が応対していた際、「森友学園は悪くない!」「森友学園がんばれ!」と絶叫する、「ほとんどビョーキのような」女性の声が聞こえていましたが、あれは在特会元大阪支部長の女性活動家の声だそうです。その声をバックに、籠池理事長は、「我々がこの学園をつくり上げようとしたのは、みなさん方のご意志があってこそだと思っております。そのご意志のなかには、大変恐縮ですが、安倍内閣総理大臣の寄付金も入っておりますことを伝達します」と“爆弾発言”を行ったのでした。

私は、そのシーンを観ながら、先日、毎日新聞のウェブサイトに載っていた下記の記事を思い出したのでした。

毎日新聞ニュース
新ナショナリズムの正体! 「森友学園」問題と「世界のアベ」を解読=伊藤智永

「世界のアベ」を自認する安倍首相が、好きな外交で得た「尊大な自信」と「英雄気分」を、「校庭にゴミの埋まった未認可小学校の『「疑惑』など、実にくだらないイチャモン」でケチを付けられてイライラしているというのは、そのとおりかもしれません。だから、あのように、すぐキレるのでしょう。

でも、問題は、「雄大な外交戦略と卑俗な雑事の落差」だけにあるのではないのだと言います。

 しかし、安倍首相の苛立ちは、外交と内政、雄大と卑俗の落差ばかりが原因ではない。日露・日米首脳会談と学校法人「森友学園」問題は、実はどちらもナショナリズムの発露という特徴が共通している。ただし、外交ナショナリズムはグローバリゼーションの潮流に棹(さお)差し、そこで生き残るため、さらに果敢な攻勢に打って出る新しいナショナリズムであるのに対し、日本会議的なナショナリズムはステレオタイプの旧来「保守」型であり、グローバリゼーションへの積極的対応や親和性は薄い。

 水と油の新旧ナショナリズムが、引き離そうとしても磁石のN極とS極のように安倍氏の両脇にぴたりと張り付き、安倍「保守」政治のねじれで首相本人もよじれている。「保守」という多義的な価値観のずれが日増しに拡大し、安倍「保守」政治が引き裂かれつつある。安倍政治から「保守」の要素が引き剥がされて、国内自足的な旧態「保守」とは同居し難くなっている。そのジレンマにもがく苛立ちも深層に底流している。


今日、瑞穂の國記念小學院の現場で見られた光景は、その新旧のナショナリズムの解離と対立を映し出していると言ってもいいのかもしれません。もちろん、籠池理事長の「窮鼠猫を噛む」路線への転換も、個人的な感情だけでなく、その脈絡でとらえることも可能でしょう。

安倍首相の「なんちゃって右翼」は、大好きなおじいちゃんの名誉を復権し、そのおじいちゃんに溺愛されたボクが辿り着いた「自己愛の世界」にすぎないのです。あくまで”趣味のようなもの”なのです。その”趣味”である「稲田朋美」や「森友学園」のお粗末さが現在、露わになっているのですが、彼らが依拠する”生長の家原理主義”に象徴されるような、復古主義的で「国内充足的な」ナショナリズムは、もはやボクの足をひっぱる都合の悪いものになりつつあるというわけです。籠池理事長の「仲が良かったのに裏切られた」という発言は、いみじくもその本質を衝いているとも言えるのです。


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『保守の本分』
2017.03.17 Fri l 社会・時事 l top ▲
安倍三代


今国会の森友学園問題における答弁でも、安倍首相の「息を吐くように嘘を言う」性格や、批判に対してすぐ激高する子どもじみた性格が、これでもかと言わんばかりに出ていました。

それは、安倍首相だけではありません。昭恵夫人の講演などを見ても、その喋り方からして、おせいじにも頭がよさそうには見えません。

昭恵夫人は、森永製菓の創業家のお嬢様でしたので、小学校からずっと聖心女子学園に通っていました。しかし、「勉強が嫌い」(本人の弁)で成績が悪かったため、多くの同級生たちが進む聖心女子大には入れずに系列の専門学校に行ったのですが、昭恵夫人自身も、週刊誌のインタビューで、そのことがコンプレックスだったと言ってました。それで、第一次安倍政権のあと、(大卒の資格がなくても入れる)立教大学の大学院に入り、修士号を取得したそうです。

安倍晋三首相も、小学校から大学まで吉祥寺の成蹊学園に通っていました。私も安倍首相に近い世代ですので、当時の成蹊大学のことを知っていますが、知名度は低かったものの、決して“バカ大学”ではありませんでした。早慶や上智には及ばないものの、明治や立教などとは充分肩を並べるくらいの大学でした。ほかで言えば、明治学院や青学や学習院と同じくらいでした。

ただ、それはあくまで外部からの一般入試の場合です。高校の同級生で成蹊に行った人間がいますが、その人間はよく「付属から来た人間はバカが多い」と言ってました。安倍首相自身も、受験(受験勉強)を経験してないことがコンプレックスだと言っていたそうです。

青木理氏の『安倍三代』(朝日新聞出版)を読むと、成蹊の同級生たちは、安倍晋三氏について、「可もなく不可もなく、極めて凡庸で何の変哲もない“いい子”だった」と口を揃えて言ってました。大学のゼミの指導教官も、晋三氏がゼミでなにか発言しているのを聞いたことがなく、卒業論文が何であったかも「覚えていない」そうです。

母方の祖父の岸信介も、父方の祖父の安倍寛も、父親の安倍晋太郎も、みんな東大を出ています。しかし、晋三氏は小学校から大学までいわゆるエスカレーター式で上り、受験勉強も経験してないのです。同級生の話では、晋三氏の成績は、東大はおろか、早慶も無理だったそうです。

父方の祖父の安倍寛は、故郷の山口県(旧)日置村の村長や山口県会議員を経て、国会議員を二期務めた政治家です。しかし、安倍晋三氏とはまったく異なる政治信条をもつ人物でした。二度目(1942年)の国政選挙に出馬した際は、戦争中で、全政党が解散させられた、文字通りの翼賛選挙でした。そのなかで、安倍寛は、大政翼賛会の推薦を受けない“非推薦候補”として、特高警察や憲兵隊の監視や妨害を受けながら、当選を果たしたのでした。その際の選挙スローガンは、「富の偏在は国家の危機を招く」というものでした。軍の暴走と無謀な戦争を怒り、農村の窮乏を訴えた、「反骨と反戦の政治家」だったのです。

父親の安倍晋太郎も、タカ派の福田派に属しながら、子どもの頃、父親に対する官憲の弾圧を目にしたことや新聞記者をしていた経験から、護憲を明言する平和主義者で、バランス感覚にすぐれた政治家だという評価があります。また、安倍晋太郎は、六高(旧制第六高等学校)時代、生涯の友となる韓国出身の同級生と出会っています。そのため、在日朝鮮人に対する偏見もなく、実際に地元の山口では在日の支援者も多くいたそうです。そういった懐の深さもあったのです。

しかし、安倍晋三氏は違います。著者の青木理氏は、こう書いていました。

成育過程や青年期を知る人々にいくら取材を積み重ねても、特筆すべきエピソードらしいエピソードは出てこない。悲しいまでに凡庸で、なんの変哲もない。
(略)
しかし、それが同時に不気味さを感じさせもする。なぜこのような人物が為政者として政治の頂点に君臨し、戦後営々と積み重ねてきた“この国かたち”を変えようとしているのか。これほど空疎で空虚な男が宰相となっている背後には、戦後70年を経たこの国の政治システムに大きな欠陥があるからではないのか。


少なくとも学生時代も、サラリーマン時代も(と言っても僅か三年ですが)、今のような右翼的な言動は微塵もなかったそうです。いつからネトウヨのような思想をもつようになったのか。

もしかしたら安倍晋三氏のそれは思想と言えるようなものではないのかもしれません。安倍晋三氏こそ、「なんちゃって右翼」と呼ぶべきなのかもしれないのです。所詮は、「趣味」のレベルでしかないのではないか。

晋三が敬愛してやまない岸信介にせよ、父方の祖父の安倍寛にせよ、あるいは父の安倍晋太郎にせよ、青年期から政治家を目指す気概に溢れ、天賦の才に加えてかなりの努力も尽くしていたが、晋三の周辺をいくら取材してもそんな様子は微塵も感じられない。
『安倍三代』


青年期までの晋三には、たとえば岸の政治思想を深く突きつめて思索を重ねた様子はなく、そうした思想を下支えする知を鍛えあげた痕跡もなく、血肉化するための努力を尽くした気配もない。
(同上)


大学の恩師である加藤節成蹊大名誉教授も、「彼(晋三)は大学4年間で、自分自身を知的に鍛えることがなかったんでしょう」と言っていたそうです。そして、安倍首相には、ignorantの「無知」とshamelessの「無恥」の二つの「ムチ」があると酷評するのでした。

サラリーマン時代の上司は、今の安倍晋三首相について、「(政界入り後に)周りに感化された」んじゃないか、「子犬が狼の子と群れているうち、あんなふうになってしまった」んじゃないかと言っていましたが、言い得て妙と言うべきかもしれません。

安倍晋太郎の番記者であった元共同通信記者の野上忠興氏も、『安倍晋三 沈黙の仮面』(小学館)で、つぎのように書いていました。

(略)安倍氏は、「気が強く、わがまま」(養育係の久保ウメ)で、「反対意見に瞬間的に反発するジコチュー(自己中心的)タイプ」(学友)だ。それが、父・晋太郎氏が懸念した「政治家として必要な情がない」一面につながっている。


こういった上げ底の薄っぺらな夫婦が、「一強」などと言われ、巨大な権力を動かすその頂点に鎮座ましましているのです。さらに、2021年までの、日本の憲政史上稀に見る長期政権まで視野におさめているのです。


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2017.03.14 Tue l 社会・時事 l top ▲
森友学園の籠池理事長が記者会見し、小学校の認可申請を取り下げ、みずからも理事長を退任することをあきらかにしたそうです。

つぎつぎとあきらかになる不正。「不認可」は既定路線でしたので、「苦渋の決断」(籠池理事長)をせまられた、そう追い詰められたと言えなくもないでしょう。

森友学園は、籠池夫妻が実権を握り、「愛国」教育に舵をきってから、退園者が続出、経営状態が急速に悪化したと言われています。

森友学園が、大阪府(私学審議会)と国土交通省と伊丹空港を運営する関西エアポートに、それぞれ金額が異なる工事請負契約書を提出した件では、昨日、施工業者が大阪府の聞き取りに対して、「学園側の虚偽説明に基づき作成したことを認めた」というニュースがありましたが、これが取り下げの決定打になったのかもしれません。

今回の問題は、豊中市のひとりの市議が情報開示の訴えを起こさなければ、そして、朝日がそれをスクープしなければ、間違いなく闇に葬られたのです。

言うまでもないことですが、国有地は、財務官僚のものでも、与党の政治家のものでもないのです。国民の財産なのです。補助金は、財務官僚や与党の政治家たちがポケットマネーから出しているわけではないのです。私たちが納めた税金なのです。このデタラメぶり、ザル加減は、一体なんなんだろうと思います。私は、広瀬隆氏の「私物国家」ということばを思い出さざるを得ませんでした。

小学校用地の“値引き”をめぐって、森友学園と近畿財務局の交渉が本格化していた時期に、安倍首相が国有地を担当する財務省理財局の迫田英典局長(安倍首相の選挙区と同じ山口県出身)と何度も会っていたという話がありますが、その迫田氏は、現在、国税庁長官です。週刊新潮が書いているように、「税の徴収を司る者が国有財産を叩き売りしていたなんて、トンだお笑い種」で、「ブラックジョーク」としか言いようがありません。

森友学園の塚本幼稚園は、安倍政権がすすめる「教育再生」を先取りした将来の“あるべき教育の姿”と言っていいのかもしれません。「愛国」者たちにとって、”理想の幼稚園”だったのではないか。そして、「安倍晋三記念小学校」(瑞穂の國記念小學院)を戦前的価値を称揚する「教育再生」の“モデル校“にしたかったのかもしれません。

教育勅語についても、安倍首相は「大変すばらしい理念が書いてある」と国会で答弁していますし、下村博文元文科大臣も在任中、「至極まともなことが書かれていると思う」と発言しています。また、稲田朋美防衛大臣も、先日の国会で、「教育勅語の精神は取り戻すべきだと今も思う」と発言しています。それどころか、稲田氏は、文科省が塚本幼稚園が「教育勅語を教えるのは適当ではない」と新聞取材に答えたことに対して、「なぜいけないのか」と担当者を「恫喝」したなどという話さえあるのです。

小沢一郎氏に言わせれば、稲田朋美氏は安倍首相の「趣味のようなもの」だそうですが、塚本幼稚園も、稲田氏同様、安倍首相の「趣味」だったのではないか。だから、ほとんどビョーキのような「愛国」教育を「素晴らしい」と言い、“名代“の昭恵夫人が小学校の名誉校長になったのでしょう。「(籠池氏は)私の考え方に非常に共鳴している方」という安倍首相の国会答弁が示すように、籠池理事長と安倍首相は、ネトウヨまがいの極右思想を共有した相思相愛の仲だったのでしょう。

上西小百合議員が言うように、実行部隊は松井一郎大阪府知事をはじめとする大阪維新の政治家やその関係者たちだったのかもしれませんが、その裏で安倍首相を含めた「愛国」者たちの邪な思惑がはたらいていたと考えてもおかしくないのです。

松井一郎知事は、自民党の府議会議員時代から日本維新の有力メンバーとして活動していたそうです。安倍首相の日本会議を媒介とする大阪の”改憲人脈”は、自民党より大阪維新が中心だと指摘する人もいるくらいです。

上西小百合議員は、今日の認可申請取り下げに関して、つぎのようにツイートしていました。


また、産経新聞も、問題が発覚する前は、塚本幼稚園の「愛国」教育について、下記のように、まるでパブ記事とみまごうような記事を書いていたのです。みんな、安倍首相の「趣味」を共有していたのです。

産経WEST
安倍首相夫人・アッキーも感涙…園児に教育勅語教える“愛国”幼稚園 「卒園後、子供たちが潰される」と小学校も運営へ

そして、問題が発覚したら、今度は手のひらを返したように、「愛国」者たちは森友学園を見放したのです。籠池理事長が恨みがましく言うように、「尻尾切り」を行ったのです。

安倍首相周辺では、「国家戦略特区」を利用して、「腹心の友」に36億円の国有地を無償譲渡したと言われる、加計学園の問題が新たな疑惑として浮上していますが、愛国心を方便に国家(日本)を食い物にする「愛国」者たちこそ、“フェイク“あるいは国を食む”シロアリ”と言うべきでしょう。
2017.03.10 Fri l 社会・時事 l top ▲
痛み止めも効かず、明け方まで痛みに苦悶していたものの、幾分収まったのでそのまま寝てしまいました。

そして、目が覚めて、病院に行こうかどうしようかと迷っていたとき、そんな「喉元過ぎれば熱さも忘れる」傲岸な考えを打ち砕くように、再び痛みが襲ってきたのでした。吐き気を催すような痛みです。まだ歩くことはできましたが、じっとしていることもできないような痛みでした(知人は、床をのたうちまわったそうですが、そこまでひどくはありません)。

それで、慌てて病院に電話して、受診の予約をしました。行きのタクシーに乗っているときも、検査をしているときも、待合室で診察の順番を待っているときも、断続的に襲ってくる痛みを耐えるのに必死でした。吐き気だけでなく、全身から汗がダラダラ流れてくるのでした。

今日は泌尿器科の専門医なので、昨夜のCTスキャンと今日のレントゲンの結果を、図を使って詳しく説明してくれました。石は腎臓から尿管に移動しているものの、まだ途中で止まったままだそうです。石自体が大きいので、このまま自然排出するのはむずかしいかもしれないと言われました。来週始めの診察日は予約でいっぱいなので、一週間後の診察日を予約しました。

「でも、このまま一週間排出されないということもあり得ますね」
「そうですね。その可能性が高いです」
「じゃあ、その場合、痛みがずっとつづくということですか?」
「そうなりますね」
「ひゃ~、この痛みはなんとかなりませんか?」
「痛み止めで凌ぐしかありませんね」

一週間後、石の状態を見て、破砕する手術が必要になるかもしれないと言われました。その際、体外から衝撃波を当てて破砕するESWL(体外衝撃波腎尿管結石破砕術)と、内視鏡を使ってレーダーで破砕するTUL(経尿道的尿管砕石術)の二つの方法があると言われました。石の大きさや石のある場所(尿管の上か下か)によって、選択肢も違ってくるそうです。

痛みが出たらどうするか、どうやって耐えるか、不安です。昨夜、処方してもらった痛み止めに加えて、座薬の痛み止めも処方してもらいました。

石を排出するには、水分をとることと、運動をすることだと言われました。それで、診察のあと、歩いて帰りました。外は冬の寒さでしたが、まだ残っている痛みで全身は汗びっしょりでした。ダウンを脱いでシャツ一枚で歩きました。途中、何度も道端にしゃがみ込みたくなりました。なんだか頭もクラクラしてきて、気もうつろといった感じでした。

ところが、痛み止めの薬が徐々に効き始めたのか、帰ったら急に眠くなり、そのままベットで寝てしまいました。そして、数時間後、目が覚めたときには、嘘のように痛みがなくなっていました。もちろん、石は排出していません。

ドクターは、石によって尿路の流れが悪くなっているので、水腎症の症状も出ていると言ってましたが、次回の診察日まで一週間、そのまま放置して大丈夫なのかと思いました。

痛みの原因は、尿が尿管に移動した石でせき止められ腎臓に逆流することによって、腎臓に圧がかかるからだそうですが、午後からは不思議と痛みが出ていません。このままずっと行ってくれればいいなあと思いますが、尿管に石がとどまっている限り、そんな甘い考えは通用するはずもないのです。

痛みがなくなったので、本屋へ行こうと駅のほうに向かっていたら、顔見知りの商店主に会いました。その商店主も長年の”石持ち”で、石が大きいため、ESWLで何度も破砕を試みるものの、まだ完全に排出されてないそうです。今日も、血尿を伴って小さな石が出ていると言ってました。「石のことならなんでも聞いてくださいよ」と言ってました。なんだかそう言って、胸を張っているような感じでした。

「でも、ものは考えようで、血尿が出るということは良くなっている証拠なんですよ。それだけ石が動いているということなんです。だから、前向きに考えることにしているんです」と、文字通り口角泡を飛ばしながら自論を展開していました。
2017.03.09 Thu l 健康・ダイエット l top ▲
昨日の午後からお腹が痛くなりました。私は、腎臓に石がある、(金持ちではなく)”石持ち”なので、尿管結石かなと思いましたが、しかし、過去の経験から見て(尿管結石は三度経験しています)、どうも痛みの場所が違うような気がするのです。尿管結石の場合は、下腹から脇腹、そして腰にかけて痛みがあるのですが、今回は胃のあたりが痛いのです。

食べ過ぎかもしれないと思いました。それで、近所のドラッグストアに行き、薬剤師に相談して、漢方胃腸薬を買ってきました。薬を飲むと、痛みも和らぎました。やっぱり、食べ過ぎだったんだと思って安心していました。

ところが、それから数時間後、突然、前にも増した激しい痛みに襲われたのでした。慌てて服を着替え、タクシーを呼んで、隣の駅にある救急病院に駆け込みました。

病院では、血液検査と腹部のCTスキャンを受けました。検査結果が出る間、点滴を受けながら待ちました。

夜の待合室には、4~5人の“先客”と付き添いの人がいましたが、ほとんどがそのままベットに寝かされ、入院病棟の方に運ばれて行くのです。その様子を見ながら、もしかしたら、自分も入院になるのではないか、尿管結石ではなく、大動脈解離で緊急手術になるのではないかなどと考えたりして、だんだん不安になってきました。ひとり暮らしなので、入院になったら、着替えの下着などどうすればいいんだろうと思いました。

検査の結果は、結石でした。このブログで調べたら、前回症状が出たのが2008年の1月でしたので、9年ぶりの再発になります。とりあえず、痛み止めを飲んで様子を見た上で、明日か明後日、泌尿器科を受診してくださいと言われました。初診でもあったので、受診料は薬代を含めて、3割負担で1万円を超えました。

かかりつけの病院でも、前から破砕をすすめられていましたので、今回石が排出されなかったら、破砕治療を受けるしかなさそうです。

ただ、痛み止めを飲んでもまだ痛みが残っています。今夜は、不安な長い夜になりそうです。


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2017.03.09 Thu l 健康・ダイエット l top ▲
安倍夫妻との関係が疑惑をよんでいる「安倍晋三記念小学校」(瑞穂の國記念小學院)の土地売却問題ですが、大手マスコミ(特に読売新聞と産経新聞)が“自主規制”していたため、今ひとつわかりにくい面があります。

本来なら時系列や関係図で疑惑をわかりやすく説明するはずですが、今回はそういったものがほとんどありません。疑惑をスクープした朝日新聞や昭恵夫人の講演ビデオを流したテレビ東京などを除いて、独自取材による記事はきわめて少ないのです。これこそ報道の自由度ランキング(「国境なき記者団」)72位の国にふさわしい光景と言えるでしょう。

森友学園に対しては、二つの側面から疑惑があります。ひとつは、財務省が権限をもつ国有地の売却問題です。もうひとつは、大阪府が権限をもつ小学校新設の認可の問題です。

まず土地売却の疑惑ですが、問題が明らかになったのは、、市民オンブズマンの活動をしているひとりの豊中市議の提訴がきっかけでした。2016年、豊中市にある国有地が、「安倍晋三記念小学校」(瑞穂の國記念小學院)の開校を申請している運営母体の森友学園に売却されたのですが、その売却額が非公表になっていたのに疑問をもった市議が、売却額の公表を求めて提訴したのです。そして、2017年2月8日、売却額が公表され、その金額の低さ(値引き額の多さ)に注目が集まったのでした。

この土地は、当初は国と森友学園の間で、10年間賃貸し、そのあと時価で売買することを約束した定期借地契約になっていました。ただ、森友学園が賃貸契約を結ぶ前、別の学校法人が、撤去費用や汚染土除去費用を差し引く同様の条件で、5億8000万円で購入を希望していたものの、金額面で折わなかったという話があります。また、上記の学校法人と同じかどうかわかりませんが、毎日新聞の最新の記事では、2012年に同じ豊中市にある大阪音大が7億円で購入する意思を示したけど、国が9億円以上の金額にこだわったため、やはり折り合いが付かなったそうです。

その後、森友学園が近畿財務局の公募に応じるのです。もっとも、公募と言っても、実際は森友学園との随意契約でした。国有地の売却を競争入札ではなく随意契約で行うのは前例がないそうです。ところが、森友学園は、取得資金が用意できませんでした。すると、近畿財務局は、売買ではなく賃貸契約に変更するのです。買主の都合で契約を変更することも、新規に学校を建設するのに国有地を定期借地契約で借りるのも、前例がないそうです。このように、森友学園に対して、前例のないさざまな便宜がはかられたのでした。

2016年3月、森友学園から近畿財務局に対して、杭打ちをしている際、地中に生活ゴミが埋められていることが判明したと通告があります。すると、今度は一転して、売買に向けた動きがはじまるのでした。 しかも、前年(2015年)には、もとの登記簿上の所有者であった国交省大阪航空局が、地下3メートルまでのゴミの除去費用として、既に1億3200万円を負担しているのです。

2016年3月14日
通告を受け、近畿財務局の依頼で大阪航空局が現地調査を行います。民間の専門業者ではなく、大阪航空局が現地調査を行うのです。

2016年3月24日
森友学園が賃貸契約をやめて買取ると申し出ます。

2016年4月14日
大阪航空局は、ゴミの撤去費用として、8億2200万円の見積を行います。専門外の大阪航空局がゴミの撤去費用の見積を行うのも初めてだそうです。しかも、森友学園の籠池泰典理事長は、問題発覚後、ゴミ撤去の実費は1億円くらいだと"”証言”しているのです。

2016年5月31日
国有地の不動産鑑定評価額が9億5600万円と決定。

2016年6月20日
撤去費用を差し引いた1億3400万円で売買契約が結ばれます。国は既に撤去費用として1億3200万円を負担することになっていますので、実質的には200万円で9億5600万円の土地を手放したことになります。1億3400万円という金額は、周辺の土地に比べて10分の1の価格だそうです。しかも、校舎の建築費用に対して、別途、6千円の補助金まで付けられているのです。要するに森友学園は、携帯電話と同じ「実質0円」で、9億5600万円の土地を手に入れたことになります。

取得代金の支払方法についても、前例のない破格の条件が付けられています。頭金が2700万円で、残りの1億円は10年間の分割(年1100万円)で延滞利息は1%だそうです。

しかも、どういう経緯でそういった破格の条件になったのか、交渉の記録は既に破棄されおり、確認しようがないと国会で答弁されています。

この小学校に関しては、当初「安倍晋三記念小学校」と付けることを学園が希望し、「安倍晋三記念小学校」の名称で寄付金集めも行われていました。国会でも問題になっていますが、実際に昭恵夫人が名誉校長に就任していました。

昭恵夫人が初めて系列の塚本幼稚園を訪れたのは2014年だと言われています。フジテレビで流れた映像では、2014年4月、塚本幼稚園で、「日本国のために活躍されている安倍晋三内閣総理大臣を一生懸命支えていらっしゃる昭恵夫人、本当にありがとうございます。ぼくたち、わたしたちも頑張りますので、昭恵夫人も頑張ってください」と園児が言うと、昭恵夫人は「感動しちゃいました」と言って涙ぐんでいました。日本国を「我が朝鮮」、安倍晋三内閣総理大臣を「偉大な金正恩同志」と置き換えれば、北朝鮮の幼稚園とそっくりです。

また、森友学園のサイトには、つぎのような安倍昭恵名誉校長の挨拶文が掲載されていました。

籠池先生の教育に対する熱き思いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました。

瑞穂の國記念小學院は、優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます。

そこで備わった『やる気』や『達成感』、『プライド』や『勇気』が、子ども達の未来で大きく花開き、其々が日本のリーダーとして国際社会で活躍してくれることを期待しております。


塚本幼稚園での講演で、昭恵夫人は、「(こちらの教育方針は)主人も素晴らしいと思っている」「せっかくここ(塚本幼稚園)で芯ができたものが(公立の)学校に入った途端揺らいでしまう」と発言していました。

塚本幼稚園は、教育勅語を暗唱させ、排外主義的な教育をおこない、運動会の選手宣誓で「大人の人たちは、日本が他の国に負けぬよう、尖閣諸島・竹島・北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国・韓国が心を改め、歴史で嘘を教えないようお願いします。安倍首相がんばれ、安倍首相がんばれ。安保法制国会通過よかったです」と年端もいかない園児に言わせるような、「ほとんどビョーキのような」幼稚園なのです。

その「芯」が公立の小学校に行ったら「揺らいでしまう」と昭恵夫人は言っているのです。だから、「芯」が揺らがないように独自の学校が必要だとでも言いたげです。

また、自身のフェイスブックにも、つぎのような写真とコメントを載せていました。

https://www.facebook.com/akieabe/

もうひとつは、大阪府が権限をもつ認可の疑惑です。こちらの問題は、上西小百合議員が孤軍奮闘しています。

もともと森友学園と大阪維新の会は近い関係にあったと言われています。松井一郎大阪府知事と籠池理事長は、ともに日本会議の有力メンバーです。また、同じ改憲論者として、森友学園と橋下徹氏(豊中市在住)との関係を指摘する声もあります。上西議員のツイッターによれば、ハシシタと同じ大阪北野高校ラグビー部出身の籠池理事長の息子は、日本維新の会(旧大阪維新の会)の足立康史議員の私設秘書だったそうです。

上西議員自身、維新の議員になった際、塚本幼稚園を視察してその素晴らしさを広めろと命じられたのだとか。


そして、上西議員は、党本部に送ったそのときの報告書をツイッターに載せていました。

2014年10月
まだ土地取得をしていなかったにも関わらず、森友学園は小学校の新規開校の認可申請を大阪府に行います。認可申請後、大阪府は財務省と協議を行い、その結果、財務省は近畿財務局をとおして森友学園と国有地の借地契約を結んだのでした。

その前の2011年、学園側から私立小学校の設置認可審査基準の緩和の要望があり、それを受けて同年12月4日、大阪府は審査基準の緩和を決定したのでした。それは、幼稚園しか設置してない学校法人に、借入金があっても設置を認めるという内容で、まるで森友学園のために緩和したみたいですが、実際に緩和後の小学校の認可申請は森友学園の1件だけだそうです。

2014年12月
大阪府は、認可申請を私学審議会に諮ります。しかし、財務状況に不安あるなどの理由で、いったんは認可が見送られます。

2015年1月
翌月、森友学園の申請を再審査するためだけに、臨時会が開かれます。そして、開校に向けた進捗状況を報告するという条件付きで、「認可適当」の答申がなされたのでした。それも、前例ないほどのスピード認可でした。

ただ、開校をとりまく状況はきびしいものがあり、1・2年生各80名の定員に対して、1年生が45名、2年生が5名しか応募がなく、さらに今回の問題で1年生5名が入学を辞退したそうです。寄付金頼りの財政状況も問題で、職員に対して1学期分の人件費しか用意できてないという声もあります。

また、松井一郎大阪府知事が、タダ当然で手に入れた森友学園の土地について、「転売禁止条項がついているから、法人が転売で儲ける事はできない」と発言していることについて、転売禁止条項の有効期間は10年で、そのあとは転売可能で、「転売できない」というのは嘘だと上西議員が指摘していました。

一連の経緯の過程で、安倍首相が国有地を担当する財務省理財局の同郷の幹部(のちに国税庁長官に昇進)と頻繁にに接触していたという話もありますが、森友学園を特別扱いした背景に政治家の関与がなかったなんて、常識的に考えても通用しない話でしょう。日本会議を媒介とする安倍首相の大阪の”改憲人脈”が裏で動いていたとか、実父の椿原泰夫氏が籠池理事長と親しい関係にあった稲田朋美氏が、安倍夫妻と森友学園を繋いだのだとか、さまざまな話がありますが、なんらかの大きな力がはたらいたのは間違いないでしょう。(※その後、稲田朋美氏の夫が森友学園の顧問弁護士をしていたことが判明)

今回の問題で浮かび上がってくるのは、石原や田母神某と同じように、国家(日本)を食い物にする「愛国」者たちの腐れ切った姿です。彼らがやっていることは、愛国心を方便にした「愛国」ビジネスです。「愛国」がマネーロンダリングならぬ“タックスロンダリング”に使われているのです。右翼民族派は、どうして怒らないのだろうと思います。

また、国会答弁では、子どもの頃から言われていた、安倍首相の平気で嘘を吐く性格やすぐキレる性格が、はからずも露呈されているように思います。答弁で連発していた「印象操作」という言い方は、産経新聞の「ブーメラン」同様、ネトウヨの常套句とも言うべきものです。

このブログでも、政権の中枢が「ほとんとビョーキのような」宗教的なカルト思想に冒されている問題(その怖さ)を指摘したことがありますが、今回、その一端があきらかになったと言っていいでしょう。

昨年、安倍昭恵夫人にインタビューした東京工業大学准教授の西田亮介氏によれば、昭恵夫人は安倍首相について、つぎのように話していたそうです。

「主人自身も特別な宗教があるわけじゃないんですけど、毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人なんですね」


BLOGOS
「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」 安倍昭恵氏インタビュー

こういった夫婦が長期政権の冠に祭られているのです。右か左かどころではなく、日本にとってきわめて深刻な問題と言えるでしょう。

個人的には、昭恵夫人について、「家庭内野党」だなどという記事を書いた朝日新聞の女性記者や、昭恵夫人を高江のヘリパッド基地反対運動の現場に連れて行った三宅洋平らのお粗末さを、今更ながらに思わないわけにはいかないのでした。
2017.03.02 Thu l 社会・時事 l top ▲
2017年帰省1


先週、恒例の墓参りのため、九州に帰省しました。今回も、旧交を温める旅でした。

空港から墓のある生まれ故郷の町まで車で90分かかるのですが、町に着くと、外はときならぬ突風と激しい横殴りの雨で、線香をあげることもできませんでした。それが未だに悔やまれてなりません。

墓参りのあと、思い出のある久住高原や阿蘇の大観峰に行こうかと思っていたのですが、雨と濃霧でとても行けるような状態ではありませんでした。それで阿蘇行きをあきらめ、田舎の友人の家を訪ねました。

彼も数年前に離婚し、お母さんは介護施設に入っているため、今は侘しいひとり暮らしです。彼の実家は地元では知られた旧家で、彼も含めた姉弟はいづれも東京の大学に進学しています。東京の叔父さんは、私が以前勤めていた会社の関連会社の社長でした。

九州の田舎から三人の子どもを東京の私立大学にやるのは、経済的には相当な負担だったはずですが、彼の実家はそれだけの財力があったのです。そうやって代々、子どもを東京の大学に学ばせていたのです。

しかし、今は没落し、間口が狭く奥に長い、江戸時代から特徴的な大店の建物も、見るも無残に荒れ果てていました。そこにあるのは、文字通り黄昏の風景でした。没落したあとも田舎に住み続けなければならない、旧家であるがゆえの苦悩を背負っている感じでした。

そのあと時間が余ったので、30年近く会ってない昔の会社の同僚に電話をしました。久しぶりに会わないかと誘ったのですが、あいにく用事があるとかで会うことができませんでした。

電話のあとしばらくして、彼からショートメールが届きました。「実は俺、独身に戻りました」と書いていました。お父さんが昨年亡くなったことは知っていましたが、今はお母さんと二人暮らしだそうです。彼もまた離婚していたのです。職場結婚で奥さんもよく知っていただけに、俄かに信じられない気持でした。聞けば、かつての上司や同僚の何人かも、離婚しているそうです。みんな、どうしたんだろうと思いました。

旧知の人間たちに試練を与えているのは、家庭不和だけではありません。もうひとつ、病気があります。

既にガン治療をおこなっている年上の知人は、去年、別のガンが見つかって手術を受け「大変だった」と言ってました。しかし、それでも精一杯元気にふるまっていました。奥さんと一緒に、ホテルのランチバイキングに行ったのですが、誰よりも食欲旺盛で、数日前は、ソフトバンクのキャンプを観に、宮崎に行ってきたと言っていました。

私は、その人の甥とも仲がよくて、昔はよく一緒に遊んだのですが、その甥のことを聞いたら、彼もまたガンに冒され、余命数か月の宣告を受けているのだそうです。東京にいる娘の、最期は一緒に暮らしたいという申し出を受け、近いうちに大分を引き払って東京に転居する予定だとか。「たぶん、今会っても顔がわからんと思うぞ」と言ってました。

実家が会社を経営していて、その跡取り息子だったので、当時はなに不自由ない生活をしていたのですが、会社が倒産したため、人知れぬ苦労をしたようです。挙句の果てに、末期ガンとはなんと浮かばれない人生なんだろうと思いますが、それでも「子どもの教育だけは手をぬかなかった」ので、「今は子どもに救われている」と言っていました。

卒業して以来会ってなかった高校の同級生にも会いました。同級生は、糖尿病が進行し、既に人工透析を受けているそうで、昔の面影はありませんでした。糖尿病の合併症で視力障害もおきているため、「わかるか、オレだよ」と言っても、「誰か、よぉ見えんのじゃ」と言ってました。

それでも話しているうちに昔の同級生の感覚に戻ってきました。彼も私と同じように、学区外の中学の出身で、親戚の家に下宿して学校に通っていました。下宿先の家もすぐ近所でした。もうひとり、やはり山奥の中学からきた同級生がいました。彼は、市内のアパートに、デパートで働いていたお姉さんと一緒に住んでいました。生活の面倒はお姉さんが見ていたようです。

私は若干違いますが、二人は田舎の中学で成績がよかったので、兄弟のなかでひとりだけ一家の期待を背負って街の学校にやってきたのでした。昔は、そんな話がよくあったのです。

その三人で近くの海に泳ぎに行ったことがありました。海とは縁のない山国育ちの三人が海に行ったのです。案の定、私以外の二人が溺れはじめ、それを助けようした私も、彼らにしがみつかれて危うく溺れそうになり、文字通り、九死に一生を得たのでした。

同級生ともそのときの話になりました。「お前は、オレたちの命の恩人だよ」と言われましたが、考えてみれば、山猿三人が海に行くこと自体無謀だったのです。ほかの同級生たちからはそう言われ、しばらく笑いのネタにされたものです。

ところが、高校を卒業したあとの話を聞いて、私は三人になにか因縁のようなものを感じました。

私は、二十歳のとき病気になって東京から帰り、別府の国立病院に一年間入院したのですが、その同級生も同じように東京の大学に進学したあと、精神的なストレスから胃を壊して、やはり別府の病院で胃の切除手術を受け、半年間入院していたそうです。しかも、もうひとりの同級生も、同じ頃、精神を病み、同じように別府に帰って精神科に入院したのだそうです(彼は未だに精神病院に入院していると言ってました)。

あの夏の日、海で溺れた三人は、卒業したあと、いみじくも同じ年に、それぞれ高校時代をすごした街に戻り、入院生活を送っていたのです。私のもとには、夏休みや冬休みのとき、帰省した同級生が見舞いに来ていましたが、あとの二人は同級生たちとは疎遠になっていたので、誰も彼らが別府に帰っていることを知らなかったのです。

「オレたちは、田舎では”秀才”と言われ、街の学校に出てきたけど、街の学校では“タダの人”になった。それで追い詰められたところもあるんじゃないかな」と言ってましたが、なんとなくわかる話です。ほかの兄弟の犠牲の上にわざわざ街の学校に出てきたものの、期待に沿えるような結果にならなかったことで自分を責めた、というのは考えられない話ではありません。

明治の若者たちとは比べようがないけれど、それでもまだささやかながら「坂の上の雲」を眺めていた、眺めることができた、そんな時代があったのです。その延長に「上京物語」も存在したのです。

しかし、もうみんな年を取り、離婚や病気など悩みを抱え、黄昏のなかを生きています。束の間、若い頃の気分に戻ることができたというのは、哀しみだけでなく、いくらかの慰めにもなったかもしれません。そして、私は、あらためて「思えば遠くに来たもんだ」としみじみ思ったのでした。


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別府

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別府
2017.02.28 Tue l 故郷 l top ▲
今月11日の東京新聞に載った社会学者の上野千鶴子氏のインタビュー記事が、左派リベラルの人たちの間で波紋を呼んでいるようです。

インタビューの内容は、以下のとおりです。

東京新聞 TOKYO Web
【考える広場】 この国のかたち 3人の論者に聞く

彼らが特に問題にしているのは、上野氏のつぎのような発言に対してです。

 日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。

 移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。

 客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。

 主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。


左派リベラルの人たちは、上野氏の発言は、不正確な認識に基づいた、移民に対する偏見だと反発しているのでした。

私は、まず、移民受入れに賛成の人たちがこんなにいたことにびっくりしました。日ごろ、ネットでは反対の声が圧倒的に多く、みんな反対ではないかと思っていたので、賛成の人たちがこんなにいたなんて驚きでした。

もっとも、これがネットの特徴(マジック)と言えるのかもしれません。百家争鳴で議論を戦わせるというのが、Web2.0などネットの理想だったはずですが、現実はまったく逆で、「タコツボ化」とか「同調圧力」と言われるように、同じ意見の人間たちが集まり、ただオダをあげるだけの場になっているのです。

私は、あまのじゃくな人間なので、上野氏の発言を「反語」や「皮肉」と受け止めました。ネットの反応を見るにつけ、どうして左派も右派も、身も蓋もないことしか言えないのだろうと思います。

「タコツボ化」や「同調圧力」というのは、言うなれば異論を排する全体主義的な傾向と言えなくもありません。かつて平野謙は、共産党のリンチ事件に関連して、みずからの非を認めない日本共産党の姿勢を「リゴリズム」ということばを使って批判したのですが(『リンチ共産党事件の思い出』)、平和や共生や環境といった“絶対的な正しさ”に無定見に寄りかかり、身も蓋もないことしか言えない人たちというのは、そうやって無謬神話で偽装された“もうひとつの全体主義“を担いでいるとも言えるのです。

もちろん、「単一民族神話」は虚構で、既に日本も多文化の社会であるというのはそのとおりかもしれません。しかし、一方で、「単一民族神話」を頑迷に固執する民意があることも事実でしょう。そして、そんな民意に媚びるポピュリズム政治に対して、左派リベラルがまったくの無力であることも事実でしょう。

だったら私は、(そんなに「単一民族神話」に固執したいのなら)上野千鶴子氏が言うように、坂を下る覚悟をもち、みんなで「平等に」貧しくなればいいのだと思います。

労働者の40%が非正規雇用で、生活保護の基準以下で生活している人たちが2千万人もいるような社会に、さらに安い労働力を受け入れればどうなるか、火を見るよりあきらかでしょう。移民受け入れに対しては、ステレオタイプな総論(イデオロギー)ではなく、こういった身近な部分から考えていくことも必要でしょう。移民排斥の悲劇を招かないためにも、アメリカやヨーロッパの二の舞にならないためにも、移民受入れに慎重になるべきだという上野氏の主張は、身も蓋もないことしか言えない人たちに対する、なんと痛烈な「皮肉」なんだろうと思います。

野郎自大な左派リベラルは、「世界的な排外主義の波」に対して、自分たちが如何に無力かという認識がなさすぎるのです。「労働開国」が、国内の若年労働力の不足を補うためという“不純な動機“から検討されていることを忘れてはならないのです。そして、持つものと持たざるものとの間に越えられない格差がある限り、既に世界が示しているように、二重底の社会と排外主義がワンセットでやってくるのは間違いないでしょう。左派リベラルは、自分たちが安い労働力を求める”資本の思惑”に加担していることに、あまりにも無自覚なのです。ひいてはそれは、グローバル資本主義に追従していることでもあるのです。

上野氏の発言に対する反発を見ても、左か右かだけで、上か下かの視点がまったく欠けているのです。これでは、いつまで経っても、(ブレイディみかこ氏が言うように)ポデモスのような「地べた」の声を吸い上げるしたたかでしなやかな「新左派」の政党は生まれないでしょう。


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全体主義と貧困の時代
2017.02.17 Fri l 社会・時事 l top ▲
あんぽん 孫正義伝


著者の佐野眞一氏は、ご存知のとおり、『週刊朝日』に連載した「ハシシタ 奴の本性」で批判を浴び、責任をとってペンを置いたのですが、この『あんぽん 孫正義伝』を読み返すと、あらためてこの本がすぐれたルポルタージュであることを痛感させられるのでした。ベストセラーになったのもよくわかります。

著者は、父親の正憲氏に焦点を当てることで、孫正義氏を典型的な“在日の物語”を背負った人物として描いているのでした。日本国籍を取得するに際して、それまで名乗っていた通名の「安本」ではなく、本名の「孫」を名乗ることを決心し、日本名としての前例がないことを理由に「孫」を認めない法務当局と何度も折衝の上、「孫」という朝鮮名での日本国籍取得を実現した孫正義氏の“こだわり”が依拠するのも、一家の“在日の歴史”です。孫氏は、日本国籍を取得するに際して、あらためて自分のルーツが朝鮮半島にあることを宣言したのです。

私がこの本でいちばん印象に残ったのは、功成り名を遂げた孫正義氏が鳥栖の駅前にふらりとやってきて、かつて自分が住んでいた場所を感慨深げに眺めていたという、つぎのシーンです。(文中の引用は、すべて『あんぽん』より)

 孫正義の一家がかつて住んでいた場所には、現在、ファミリーレストランが建っている。その周辺で聞き込みを続けていると、数年前にこのあたりでばったり孫正義に会ったというタバコ屋の主人に遭遇した。
 そのタバコ屋の主人によれば、鳥栖駅前で孫に会ったのは、ダイエーホークスが親会社ダイエーの経営難から売却され、球団オーナーがソフトバンクホークスに変わった年だったという。ということは二〇〇五年のことである。

「店の前をどこか見た人が通り過ぎたんですよ。誰やったかなあ……としばらく考えて、ようやく孫正義さんだと気がついた。結婚式場のあたりをぼけーっと眺めていた孫さんに駆け寄って声をかけると、『ああ、おじさん』って、私のことを覚えてくれていたんです。『懐かしいなあ、僕の家、どこやったかね』と言うので、ファミリーレストランの付近を指差して、このあたりだと教えてあげました。
 しばらく感慨深げにそのレストランを眺めていましたね。地味なジャンパーにスラックスという、普通の恰好をしていましたね。近所のおじさんという感じでした。たったそれだけのことですが、孫さんがひとりでふらっと鳥栖に寄ってくれたのは嬉しかったですね」


そこは、最盛期に数十戸のバラック小屋が軒を連ね、三百人くらいの朝鮮人が身を寄せ合って暮らしていた「朝鮮部落」でした。朝鮮人たちは、軒先で豚を飼ったり、密造酒を作ったりして、それを生活の糧にしていたのです。

当時の暮らしについて、「朝鮮部落」に住んでいた元住民は、つぎのように話していました。

「狭い豚小屋にぎゅうぎゅう詰め込まれて、残飯ばかり食わされ、糞も小便も垂れ流しです。足が腐った豚もいた。しかも、その場所で豚を締めるんです。解体して肉やホルモンをとる。食べる部分以外は、朝鮮部落前にあるドブ川に流していたから、すごい臭いなんです」


孫正義氏の従兄弟の話では、孫少年は、そんな「朝鮮部落のウンコ臭い水があふれる掘っ建て小屋の中で、膝まで水に浸かりながらも、必死で勉強していた」そうです。著者の佐野眞一氏は、その話を聞いて、「孫正義という男をつくってきた背骨のありかが、よくわかった」と書いていました。

九州では、養豚業のことを「豚飼い」と言うのですが、私も子どもの頃、「豚飼い」の人が、豚の餌にする残飯をもらいにリヤカーを引いて近辺の家々をまわっていたのを覚えています。リヤカーに積んだ石油缶のような“残飯入れ”から放たれる強烈な臭いに、私たち悪ガキは、鼻をつまんで急ぎ足でその横をとおりすぎたものです。

九州で会社勤めをしていた頃、取引先に在日朝鮮人の社長がいましたが、その社長もやはり、親が「豚飼い」をしていたと言ってました。在日朝鮮人が戦後、生活のために「豚飼い」をしていたというのは、九州ではよく見られた光景だったのでしょう。

また、本には孫氏が子どもの頃、豚の金玉を七輪で焼いて食べていたという話が出てきますが、私も子どもの頃、遊び場のすぐ脇にあった豚小屋で、「金抜き」と呼ばれていた仔豚の去勢を見たことがあります。「金抜きがはじまるぞ」とはやし立てながら豚小屋に向かうと、ギャーギャー泣き叫ぶ仔豚を大人たちが押さえ付けていました。そして、息を呑んで見つめる私たちの目の前で、「金抜き」(金玉の切断)がおこなわれるのでした。「金抜き」のあと、切り落とされた金玉はそのまま草むらに放置されていましたが、朝鮮人たちはあれを七輪で焼いて食べていたのです。

もっとも、孫少年にとって、鳥栖駅前の「朝鮮部落」の生活は、小学校に上がるまでで終わります。と言うのも、父親の正憲氏が、北九州の黒崎に事務所を構え、八幡製鉄所の工員相手に金融業(サラ金のはしりのようなもの)をはじめたからです。商才に長けた正憲氏は、さらに金融業で儲けたお金を元手にパチンコ業に転身し、九州一のパチンコチェーンを築くまでになったのでした。最盛期には、孫一族がもっていたパチンコ店は、福岡と佐賀に56軒もあったそうです。

そうやって成功した父親からの潤沢な資金(仕送り)によって、孫少年は九州屈指の進学校・久留米大付設高校へ進学、さらに同校を1年の半ばで中退するとアメリカ留学へ旅立つのでした。

それは、「ウンコ臭い水があふれる掘っ建て小屋の中で、膝まで水に浸かりながらも、必死で勉強していた」頃からわずか10年後の話です。そうやって短期間に生活がジャンプアップしたことが、孫氏の「前のめりに突っ走る危うさ」や私生活の「子どもじみた」成金趣味につながっているように思えてなりません。

それはまた、両班(ヤンバン)の末裔だと言いながら、下品で粗野な朝鮮語を使い、お互いを罵り合うような孫一族の仲の悪さなどにもつながっているように思います。とは言え、孫正義氏もまだ在日三世にすぎないのです。差別と貧困の記憶が、心のなかに刻まれている世代でもあるのです。多くの在日朝鮮人の成功者と同じように、「子どもじみた」成金趣味に走るのも無理からぬものがあると言えるのかもしれません。

成金趣味と言えば、ソフトバンクが福岡ダイエーホークスを買収し球団経営に乗り出したのも、経営するパチンコ屋の店名に「ライオンズ」と付けるほど熱烈な西鉄ライオンズファンだった父親への「恩返し」ではないかという親戚の話がありました。実際に、正憲氏本人も、自分がホークスの買収を息子に進言したと証言しているのでした。

金貸し時代から20年間、父親の正憲氏の下で働いた夫人の弟(つまり孫正義氏の叔父)は、正憲氏のことをつぎのように証言していました。

「口癖は『信用できるのは、金と自分だけ』という人間でしたからね。確かに事業欲だけはすごかった。事業を常に大きくしていくことに執着していました。立ち止まるということを知らない人でした」

「メチャクチャ人づかいが荒かった。正直、奴隷みたいなものでした」

「義理人情の人ではない。人間的にはついていけませんでした。あの人から、優しさみたいものを感じたことは一度もありません」

「やめたいと言ったときには『わかった』と言って、すぐ椅子を振り上げるんです(笑)。いつもそうでした。気が短くてキレやすい」


別の「元ヤクザ」の義弟は、著者のインタビューで、正憲氏について、こう言っています。

「(略)あいつはとんでもないヤツだ。まともじゃない。東京に出てきたら半殺しにすると、あいつには、はっきり伝えてある」


もっとも、正憲氏自身もつぎのように言っていたそうです。

「顔を合わすと、いつも殴り合いのケンカですから、もう本当に『血はうらめしか』ですよ。血がつながった実の姉弟同士ですからね。本当に『血はうらめしか』です」


ちなみに、孫正義氏の両親は、取材時は別居していて、正憲氏は、インタビューでも、夫人のことを「くそババア」と悪態を吐いていたそうです。

でも、これは、在日朝鮮人の間では別にめずらしい話ではありません。知り合いの在日の身内には、それこそ朝鮮総連で活動している者もいれば、ヤクザまがいの金貸しや不動産屋もいるし、もちろん、土建屋や焼き肉屋やパチンコ店や芸能プロダクションを経営している者もいました。三世四世になると、医者や弁護士など“士業”が多くなるのもこの本に書いてあるとおりです。IT時代の前には、テレクラやゲーム機で大儲けしたという者もいました。父親の友人(頼母子講の仲間)には、誰でも知っているアイドル歌手や人気女優の父親などもいました。

もちろん、差別や貧困から這い上がってきた者に上品さや紳士的な素養を求めるのは無理な相談でしょう。それこそ並大抵の根性やバイタリティがなければ這い上がることはできないのです。孫正義氏が中学生のとき、「『僕のお父さんの知り合いにコワい人がいる。そんな人が家に出入りするのがイヤなんです』と担任に打ち明けた」のもわからないでもありません。

孫正義氏の家族もまた、典型的な”在日の一族”と言えるでしょう。著者が書いているように、それが一部の人たちから、孫氏がうさん臭く見られる要因にもなっているように思います。そして、いちはやくトランプに取り入る狡猾さ、節操のなさも、そういった生い立ちからきているように思えてならないのです。

在日朝鮮人の知り合いから「ぶっ殺してやるぞ」などと言われた人間からみれば、朝鮮人とお互いに理解し共存していくなんてとても無理なことのように思えます。少なくとも、左派リベラルのステレオタイプな在日像では期待を裏切られるだけでしょう。もし理解や共存の道があるとすれば、それこそヘイトぎりぎりの本音をぶつけ合うことからはじめるしかないように思うのです。

孫正義氏は、まぎれもなく在日のヒーローであり、現代の若者たちにとってもIT時代のヒーローです。でも、著者の佐野眞一氏は、その裏に、あまりにも人間臭い、在日特有のハチャメチャと言ってもいいうような一族の存在とその歴史があることを、丹念な取材であきらかにしたのでした。それが、この本が傑出したルポルタージュであるゆえんです。


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在日の「心の中の襞」
2017.02.12 Sun l 本・文芸 l top ▲
トランプが発令したイスラム圏7カ国の国民の入国を一時的に停止する大統領令によって、アメリカ国内だけでなく世界が混乱しています。

ここまで大統領令の“威力”を見せつけられると、アメリカは法治国家ではなく人治国家じゃないのかと思ってしまいます。トランプはもともと政治家ではないので、突飛な発想を実行に移すことになんのためらいもないのでしょう。こんなことをやっていたら、目には目をで、YouTubeにアメリカ人の首切り映像がアップされる怖れさえあるでしょう。

”トランプ現象”というのは、日本で言えば、ネトウヨで有名なTクリニックの院長が大統領になったようなものかもしれません。核のボタンやCIAを動かす権限がT院長の手に渡ったのです。そう考えれば、背筋が寒くなるのは私だけではないでしょう。

果たして、4年の任期を全うできるのかという声もありますが(本人は2020年の次期大統領選の出馬も既に表明しているそうですが)、問題はトランプよりトランプの周辺にいてバカ殿を利用している政商たちでしょう。彼らにとって、戦争も格好のビジネスチャンスなのです。

このような内向きの政策が可能なのも、アメリカ人は世界を知らない無知な国民だからだという指摘があります。

Compathy Magazine
日本にも当てはまるかも!アメリカ人が海外に行かない3つの理由

上記の記事によれば、2014年のアメリカ人のパスポート保有率は36%で、それに対してイギリス人やオーストラリア人は70%なのだそうです。ちなみに、同年の外務省の旅券統計によれば、日本人のパスポート保有率は24%で、海外に出国する人の割合は14%だそうです。日本人は、アメリカ人より海外に行かないのです。

ただ、日本人の場合、欧米に対するコンプレックスがありますので、実際に行かなくても海外に対する関心だけは高いのです。しかし、アメリカ人には、極東に対するコンプレックスなんてありません。そのため、他国民に非人道的な措置をとれば、自分たちがそれだけリスクを負うことになるという発想もないのでしょう。まして世界には自分たちと違う文明や違う宗教の人々がいて、そういった人々とも共存していかなければならないという初歩的な発想さえないのでしょう。反トランプのデモをしているのは、海外に行くことの多いニューヨークやワシントンなど都会の高学歴のエリートたちなのかもしれません。

アメリカの学校では、「地球についてあまり教わらないことが多」く、「外国語をあまり勉強しない、交換留学プログラムに参加しない、世界の国々の事情について話さない」そうです。私たちが抱いているアメリカ人のイメージと実際のアメリカ人の間には隔たりがあるようです。それが、“トランプ現象”がいまひとつ理解できない理由のように思います。

いづれにしても、トランプの”錯乱”で、アメリカが超大国の座から転落するのにさらに拍車がかかるのは間違いないでしょう。トランプは、その引導を渡す役回りを演じていると言えるのかもしれません。

今回の入国制限について、アップルやマイクロソフトやグーグルやフェイスブックやツイッターなどのIT企業がつぎつぎと懸念を表明しています。そのため、いち早くトランプタワーを訪れ、トランプ一家に揉み手して、トランプから「マサ」などと呼ばれ親密さをアピールした孫正義氏の無定見な銭ゲバぶりが、よけい際立っています。『あんぽん 孫正義伝』で著者の佐野眞一氏が指摘していた孫正義氏の「前のめりに突っ走る危うさ」が、ここにきて露呈したような気がしないでもありません。

「朝鮮では食えず日本への渡航を繰り返した元鉱山労働者の祖父と、朝鮮で戦前に生まれて日本に渡り、戦後母国に戻って、再び日本に密航してきた父」「日本に密航後、鳥栖駅前の朝鮮部落に吹き寄せられるように住み着いた孫一家は、養豚と密造酒づくりで生計を立て、金貸しを経て、やがて九州一のパチンコチェーン経営者となった。そして、その一家から孫正義という異端の経営者が生まれた」(『あんぽん』より)のです。孫正義氏は、典型的な「在日」の歴史を背負った、言うなれば”移民の子”なのです。”移民の子”が移民排斥を主張するファシストをヨイショしているのです。人間のおぞましさを見た気がするというのは、決してオーバーな表現ではないでしょう。

孫氏ばかりではありません。入国制限について、「コメントする立場にない」と言った「宰相A」を筆頭に、株価が上がりさえすればそれでいいと言わんばかりに”トランプラリー”を煽ってきたテレビ東京(日経新聞)の証券アナリストなど、この国はトランプに対して最低限の見識さえもてない”下等物件”(©竹中労)ばかりです。彼らは、無知なアメリカ人に対して、(骨の髄まで対米従属が染みついた)情けない日本人と言うべきかもしれません。


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「愛国ネットウヨ企業大図鑑」
2017.01.31 Tue l 社会・時事 l top ▲
ヘイトクライムが当たり前のような時代。「トランプの時代」をひと言で言えば、そう言えるのかもしれません。小泉政権の頃、「扇動政治」ということばがさかんに使われましたが、ヘイトクライムで国民の負の感情を煽り国家主義的な運動に動員する手法は、ファシズムそのものでしょう。もちろん、それは、日本とて例外ではないのです。

そんななか、やっぱり「上か下か」ではなく「右か左か」が重要だという声があります。それを現実の政治に即してわかりやすく言えば、トランプやアベやハシシタ流のポピュリズムに、SEALDsや野党共闘の「左派リベラル」を対置するという考えでしょう。

しかし、私たちは、「左派リベラル」がまったく対抗勢力になり得てない現実をもう嫌になるほど見てきたのです。そもそも(何度も言いますが)、民進党なんて野党ではないのです。民進党を、野党と呼ばなければならない不幸をもっと深刻に受け止めるべきでしょう。民進党は自民党と中間層の奪い合いをしているだけです。

既存の「左派リベラル」が、大衆(特に下層の人々)から離反しているのはあきらかでしょう。彼らは、中間層の声を代弁しているにすぎないのです。(後述する記事にあるように)なにより大衆に語りかけることばをもってないのです。

ブレイディみかこ氏は、「ポピュリズムとポピュラリズム:トランプとスペインのポデモスは似ているのか」という記事で、「年収3万ドル以下の最低所得層では、(略)前回は初の黒人大統領をこぞって支持した人々の多くが、今回はレイシスト的発言をするトランプに入れたのだ」と書いていました。

Yahoo!ニュース
ポピュリズムとポピュラリズム:トランプとスペインのポデモスは似ているのか

そして、つぎのような『ガーディアン』紙のオーウェン・ジョーンズの文章を紹介していました。

ラディカルな左派のスタイルと文化は、大卒の若者(僕も含む)によって形成されることが多い。(中略)だが、その優先順位や、レトリックや、物の見方は、イングランドやフランスや米国の小さな町に住む年上のワーキングクラスの人々とは劇的に異なる。(中略)多様化したロンドンの街から、昔は工場が立ち並んでいた北部の街まで、左派がワーキングクラスのコミュニティーに根差さないことには、かつては左派の支持者だった人々に響く言葉を語らなければ、そして、労働者階級の人々の価値観や優先順位への侮蔑を取り除かなければ、左派に政治的な未来はない。


また、ブレイディみかこ氏もつぎのように書いていました。

エル・パイス紙(引用者注・スペインの新聞)は、ポデモスとトランプは3つのタイプの似たような支持者を獲得していると書いている。

1.グローバル危機の結果、負け犬にされたと感じている人々。

2.グローバリゼーションによって、自分たちの文化的、国家的アイデンティティが脅かされていると思う人々。

3.エスタブリッシュメントを罰したいと思っている人々。

「品がない」と言われるビジネスマンのトランプと、英国で言うならオックスフォードのような大学の教授だったイグレシアスが、同じ層を支持者に取り込むことに成功しているのは興味深い。


前も書きましたが、トランプに熱狂した下層の人々は、本来なら革命に熱狂する人々だったのかもしれないのです。まさにナチス(国家社会主義ドイツ労働者党!)のときと同じように、革命の「条件」がファシストに簒奪されているのです。

ネオコンの出自はトロッキズムだと言われるように、左翼のインターナショナリズムがグローバリゼーションと思想的に近しい関係にあるのは否定できないでしょう。左翼がグローバリゼーションを批判するのは、思想的に矛盾しているとさえ言えるのかもしれません。

「右派ポピュリズムを止められるのは左派ポピュリズムだけ」というのは、含蓄のあることばだと思います。生活保護の基準以下で生活している人が2千万人もいるこの日本でも、ポデモスやSNP(スコットランド独立党)のような、(”急進左派”と呼ばれる)下層の人々に立脚した政治が待たれますが、そのためにも、右か左かではなく、上か下かの視点が大事なのだと思います。


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誰もが驚いたトランプ当選
日本で待ち望まれる急進左派の運動
2017.01.29 Sun l 社会・時事 l top ▲
松方弘樹の死に対しての梅宮辰夫のコメントに胸がしめつけられるような気持になりました。老いて先に逝く友人を見送る(見送らなければならない)悲しみがよく出ているように思いました。

Yahoo!ニュース(日刊スポーツ)
梅宮辰夫、盟友松方さんの死に「寂しいし、悲しい」

松方弘樹が脳リンパ腫で入院したのは、昨年の3月だそうですから、約10か月間の闘病生活を送ったことになります。その間、定期的に見舞いに行っていた梅宮辰夫が話す闘病の様子は、老いの哀しみやせつなさがしみじみと伝わってきます。それにしても、死に行く人たちというのは、どうしてみんな立派なんだろうと思います。「病と戦う」とか「死と戦う」という言い方がありますが、「戦う」姿は立派なのです。

ごく身内の人間だけで見送られる最期。これも“家族葬”や“直葬“が主流になりつつある現在ではよくある光景でしょう。そのなかに親しくしていた友人がいたら、どんなにうれしいでしょう。

人生の最期は、やはり悲しみで幕を閉じるのです。人間は、泣きながら生まれてきて、泣きながら死んでいくのです。悲しみを悲しみとしてとらえる、人生に対する謙虚な考えがなにより大事なのだと思います。

先日、同年代の知り合いと話をしていたら、親の話になりました。正月に父親が倒れて救急車で大学病院に運ばれたそうですが、近いうちにリハビリを受けるために転院しなければならないけど、リハビリの病院も、いわゆる“90日ルール”で短期しか入院できないので、そのあとどうするか、頭を悩ましていると言ってました。

お母さんが数年前に亡くなったことは知っていましたが、お母さんが亡くなったあと、お父さんは実家でひとり暮らしをしていたのだそうです。しかも、奥さんの実家も老々介護の両親が二人で暮らしており、そのため、夫婦の間で、お互いの親について干渉しないという取り決めになっているのだとか。

亡くなったお母さんは末期がんだったそうで、最後のほうは認知もはじまり、実家に行っても「何しに来たんだ」「帰れ」などと言われてつらかったと言ってました。当時は、そんな様子は微塵も見せずに、いつも冗談を言って明るく振舞っていましたので、その話を聞いてびっくりしました。

親の姿は、明日の自分の姿でもあります。病院に勤め多くの患者を見てきた知人は、親孝行な子ども(特にひとり娘)ほど過剰な負担を抱え苦労すると言ってました。そのために共倒れしたら元も子もないので、ある程度の“親不孝“は仕方ないのではないかと言うのです。私がその話をしたら、やはり子どもが娘ひとりしかいない彼は、「だから、老後は世界を放浪して旅先で死ぬのが理想だよ」と言ってました。趣味が音楽なので、路上演奏で旅費を稼ぎながら世界を放浪してそのまま死ぬのが理想なのだと。

私は、その話を聞いて、五木寛之が書いていた「林住期」という古代インドの考えを思い出しました。彼の理想には、単に荒唐無稽とは言えない、彼なりの人生に対する考えがあるように思いました。
2017.01.26 Thu l 訃報 l top ▲