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時間があったので、久し振りに川越に行きました。

土曜日ということもあって、川越はどこも大変な人出でした。駅から商店街にぬける駅ビルのアトレの通路も人の波がつづいていました。また、商店街のクレアモールも、原宿の竹下通りと見まごうばかりの人でごった返していました。

しかも、通りを歩いているのは、地元の若者ばかりではないのです。小江戸・川越を訪れた観光客も多く、ここでも外国人観光客の姿が目立ちました。

昔に比べても、訪れる人がますます多くなっている感じです。クレアモールから蔵造りの建物が並ぶ通りにぬけると、さらに人の多さに圧倒され、歩道を歩くのさえままらないほどでした。あちこちの食べ物屋の前では行列ができていました。通りの賑わいは、鎌倉にも劣らないほどでした。

川越の”繁盛”は、もちろん、東京というメガロポリスに近いという”地の利”があることはたしかでしょう。そのためにテレビなどメディアにも頻繁に取り上げられるため、さらに観光客が増えるのです。

私が昔、大分の友人に川越のことを紹介した際は、川越が原宿や渋谷など”若者の街”の対極にある街だからでした。つまり、若者ではなく、中高年向けに”まちづくり”をしていることが参考になるのではないかと考えたからです。しかし、今や川越は、中高年だけでなく、若者や外国人観光客までもが押し掛ける人気のスポットになっているのです。常に変貌することを宿命付けられたかのような東京にあっては、川越のようなレトロなまち並みが逆に新鮮に見えるのでしょう。


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2016.04.09 Sat l 東京 l top ▲
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目黒川の桜を見に行きました。午前の早い時間で、屋台などはまだ開店準備中でしたが、川沿いは多くの人で賑わっていました。桜は8分咲きくらいでした(午後から横浜の大岡川にも行きましたが、大岡川はまだ5分咲きくらいでした)。

目黒川も中国人観光客の姿が目に付きました。最近は、どこに行ってもアジアからの観光客ばかりです。先々月帰省した際に行った黒川温泉も、中国人観光客に席巻されていました。もちろん、湯布院や別府も然りでした。

泊った別府のホテルも、韓国や中国の団体客で朝のバイキングは大変な騒ぎでした。ご飯をよそうのに並んでいても、平気で割り込んでくるのです。日本のおばさんにも似たような人がいますが、中国のおばさんの場合はひとりではなくつぎつぎと割り込んでくるので、呆気に取られるばかりでした。

そんな中国人が桜を愛でるなんて、ホントかよと言いたくなります。桜を愛でる真似をしているだけではないのかと言いたくなります。ただ、中国現地で事業をしている人に聞くと、共産党の党員など都会のエリートは、常識やマナーをわきまえた紳士や淑女が多く、日本人とまったく変わらないのだそうです。マナーの悪い中国人観光客というのは、ひと昔前の日本のノーキョーの団体客と同じようなものなのかもしれません。

しかし、これだけは言えるのは、中国人観光客は日本人よりお金をもっているということです。中国人をバカにする日本人より中国人のほうがはるかに金持ちだということです。日本の「愛国」主義は、アベノミクスに見られるように、拝金主義と国粋主義(それに、従属思想)がドッキングしたいびつなものですが、そういった「愛国」主義なら中国のほうが一日の長があると言えるでしょう。「日本はすごい、すごい」とテレビ東京的慰撫史観で自演乙している間に、いつの間にか中国から追い抜かれていたのです。それで今度は、中国経済は崩壊すると言いはじめる始末です。なんだか日本人のおばさんと中国人のおばさんが、朝のバイキングでしゃもじの奪い合いをしているような感じです。

目黒川には、宴会をするスペースなどありませんので、花を見ながらそぞろ歩きをするだけです。あとは川沿いの屋台や店で食事をするくらいです。ただ、ところどころに設置しているベンチの上では、家族連れなどが家からもってきたおにぎりやサンドイッチを膝の上に置き、ささやかな花見の宴を開いていました。そういう光景はいいなあと思いました。日本は桜の国なんだなとしみじみ思いました。そして、ちょっぴり感動するのでした。


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2016.04.02 Sat l 東京 l top ▲
昨日の夜、首都高羽田線の天王洲のあたりを走っていたら、高層マンションが林立する近未来的で華やかな夜景が目に飛び込んできました。昔は、あのあたりは水上生活者の船が多く係留されている一帯だったのです。その光景は、1964年の東京オリンピックの頃まで見られたそうです。それが今や億に届こうかという高級マンションが林立するエリアに変っているのでした。

私は、同乗者に、「すごいね。あのマンションにみんな人が住んでいるんだよ。よくお金があるね」と言ったら、東京生まれの同乗者は冷めた口調で、「みんな、無理しているんじゃないの」と言ってました。

それが東京なのです。景気がいいのか悪いのか、わからない。信じられないほど景気がよく見える部分もある反面、絶望的なほど景気が悪く見える部分もある。

たしかに東京という街は華やかです。しかし、ひとりひとりの生活は地味で危ういのです。夜遅く駅前のスーパーに行くと、勤め帰りのサラリーマンやOLたちが、気の毒なくらい質素な買物をしています。でも、俯瞰すると、街は華やかに見えるのです。

もうひとつ、最近、私が「すごいな」と思ったのは、街なかでモンクレールやカナダグースのダウンを着ている人がとても多いということです。モンクレールやカナダグースのダウンは、10万円以上もする高級ブランドです。駅前の舗道ですれ違う子ども連れのお母さんのなかにも、そんな高価なダウンを着ている人をときどき見かけます。また、20歳そこそこの若い女の子が、自分の給料と同じくらいの値段のダウンを着て街を闊歩しているのもよく目にします。

どうなっているんだと思いますが、それが東京なのでしょう。ホントに景気がいいのかどうか、誰もわからない。


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2016.01.14 Thu l 東京 l top ▲
今日の夜、カーラジオでTOKYO FMを聴いていたら、「TIME LINE」という番組で、『絶歌』のことを取り上げていました。そのなかで、コメンテーターのコラムニスト・小田嶋隆氏が、『絶歌』について、本名も明かさず自己顕示欲だけでこのような本を書くのはおかしい、というような趣旨の発言をしていました。私はそれを聞いて、びっくりしました。まさか小田嶋氏がこのような発言をするとは思ってもみなかったからです。

さらに、アメリカの出版事情に詳しいという女性がゲストで登場し、アメリカで施行されている「サムの息子法」について説明していました。「サムの息子法」というのは、犯罪者がみずからの犯罪について本を書いた場合、それによって得た利益(印税)を被害者やその家族が強制的に取り上げることができるという法律です。しかし、言うまでもなく、本を書くことや本の印税を得ることは、憲法で保障された基本的な権利です。「サムの息子法」は、表現の自由や経済活動の自由を侵害するとんでもない法律と言えないこともないのです。

テレビやラジオのコメンテーターたちが始末が悪いのは、「表現・出版の自由は尊重されるべきですが」と前置きしながら、実際は世間の空気に迎合して、犯罪者は表現の自由を制限されて当然だ、犯罪者の本を出版するような出版社に出版の自由はない、と言わんばかりの発言をしていることです。どうして、内容の議論より表現そのものを制限するような話になるのか。

小田嶋氏に至っては、書いた本人よりこんな本を出す出版社のほうが問題だ、個人の利益だけでなく出版社の利益も取り上げるようにすべきだ、と言ってました。これでは、場合によっては出版の自由が制限されても仕方ないと言っているようなものです。言論統制を目論む和製ヒットラーが聞いたら拍手喝采するような話でしょう。

このような主張は、STAP細胞問題の”小保方バッシング”のときからずっとつづいている、この社会の全体主義的な空気を反映したものと言えるでしょう。常に”異物”を排除しようとする日本社会特有の同調圧力が、このような空気を作り出しているのは間違いないでしょう。なんのことはない、みずから進んで「もの言えば唇寒し」社会を招来しているのです。

朝日新聞のインタビュー記事での森達也氏の発言にしても、どこか腰が引けた感じで歯切れが悪いのも、こういった抗えない空気があるからでしょう。でも、それは、”抗えない”のではないのです。抗ってないだけです。

『絶歌』に対する世間の過剰な反応で垣間見えたのは、私たちの”市民としての日常性”が、実は差別と排除の力学によって仮構されているという、この社会の構造です。「少年A」「酒鬼薔薇聖斗」という私たちの日常を脅かす”異物”が目の前に現れると、このようにたちどころに私たちの日常が牙を剥くのです。なぜなら、私たちの”市民としての日常性”は、本来フィクションであって、ただ差別と排除の力学によって仮構されているにすぎないからです。”異物”を不断に差別し排除することによって、私たちの日常が保守されるのです。その構造は、小田嶋氏のように、原発再稼働反対とか改憲反対とか安倍政権打倒とかに関係ないのです。

私たちの日常がもっとも凶暴なかたちで露出したのが、関東大震災の際の朝鮮人虐殺です。朝鮮人虐殺は、イデオロギーの問題なんかではなく、”市民としての日常性”が危機に瀕したとき、差別と排除の力学があのようなテロルを私たちの日常に呼び込んだのです。だから、「善良なる市民」(!)たる芥川龍之介も、自警団のひとりとして、ためらいもなく狂気の隊列に加わったのでした。

匿名ではなく本名を名乗れ。(ネットでは既に本名が晒されていますが)そうやって”テロルとしての日常性”を挑発するコメンテーターたち。でも、彼らは、作家や評論家にペンネームではなく本名を名乗れとは言いません。犯罪者(元犯罪者)なら、”私刑”の標的にされ晒し者にされても当然だ、とでも言いたげです。反知性的な風潮を嘆くような人たちが、みずから反知性的な風潮に身を寄せて、一緒になって石を投げているのです。
2015.06.27 Sat l 東京 l top ▲
今日の早朝5時から放送されたフジテレビの「新・週刊フジテレビ批評」を見ていたら、「批評対談」と称して、今年5月にFIFAの理事に選出された田嶋幸三日本サッカー協会副会長と、サッカーファンでもあるライターの速水健朗氏が対談していました。

日本サッカーの現状について、田嶋氏は、女子は「この4年間で成熟している」、男子は「本来日本がめざしていたものを具現化しつつある」「国際標準に近づいている」と自画自賛していました。私たちの目には、女子も男子も、世代交代に失敗しているようにしか見えませんが、JFA内部の評価はまったく違うようです。

ハリル監督についても、「個人のレベルが上がってきているなかに、優秀な監督がきて、ワクワク感がもてる」と言ってました。アギーレ招聘の責任などどこ吹く風とばかりにこれまた自画自賛していました。

また、会長選挙で、JFAがブラッター氏を支持した理由についても、田嶋氏は、「噂だけで判断したくなかった」「(ブラッター支持は)AFC(アジアサッカー連盟)の決議があったから」と弁解していました。要するに、田嶋氏の発言は、安倍政権と同じ”全体主義国家の言説”にすぎないのです。

一方、田嶋氏に対する速水健朗氏の質問は、突っ込みどころ満載であるにも関わらず、あっけないほど当たり障りのないものに終始していました。これでは、”政権批判”を封印する翼賛的なサッカージャーナリズムとなんら変わらないのです。

挙句の果てには、FIFAの混乱に乗じて、ワールドカップの開催地を(2018年のロシアや2022年のカタールから)日本に変更できるチャンスがあるのではないかと、如何にも日本らしい火事場泥棒的な願望まで披歴するあり様でした。

たしかに、速水氏の発言は、この国の平均的なサッカーファンの声を代表していると言えるでしょう。でも、それだったら別に速水氏でなくてもいいのです。

ここにも、権威や権力にからきし弱い(と言うより、阿ることに達者な)「ゼロ年代の批評家」たちの特徴がよく出ているように思います。彼らは、そんな”世間知”だけは長けているのです。もちろん、彼らのロールモデルが、東浩紀であるのは言うまでもないでしょう。東浩紀は、東日本大震災の際、「ひとつになろうニッポン」を称賛し、日本人は、自分たちの「公共的で愛国的な人格」に目覚め、「日本人であることを誇りに感じ始めている。自分たちの国家と政府を支えたいと感じている。」と言い、批評の世界における”テレビ東京的慰撫史観”の先鞭をつけたのでした(For a change, Proud to be Japanese : original version)。

日本のサッカーが停滞しているのはあきらかでしょう。でも、JFAやサッカーファンたちは、その事実すら認めようとしないのです。

対談のなかで、渡辺和洋アナウンサーが指摘していたように、男子のU-20に至っては、2011年以降ずっとアジア予選で敗退しているのです。それでも、田嶋氏は、「若手は確実に育っている」と強弁するのでした。柴崎岳しても、武藤嘉紀にしても、とても世界で通用するとは思えません。しかし、そんなことを言おうものなら、サッカーファンたちから「反日」だと袋叩きに遭うのがオチです。速水健朗氏もまた、そんなネトウヨ化したサッカーファンのひとりにすぎず、批評の欠片さえないのでした。

「ゼロ年代の批評家」たちはスカだった、と言った人がいましたが、私は、あらためてそのことばを想起せざるを得ませんでした。
2015.06.13 Sat l 東京 l top ▲
先月29日に再選されたばかりのFIFA(国際サッカー連盟)のブラッター会長が、昨日、辞意を表明したというニュースがありました。ワールドカップ開催をめぐる前代未聞の汚職スキャンダルに揺れているFIFAですが、再選した当初から、ブラッター会長にはヨーロッパの加盟国を中心に国際的な批判が寄せられていました。辞意表明は、その批判に屈したかたちですが、ブラッター会長自身も捜査の対象になっているという報道もあります。

もちろん、今回の辞意表明の背景に、ヨーロッパ対南米・アジア・アフリカというFIFA内部の「伝統的な対立」が伏在しているのもたしかでしょう。

それにしても、どうして”疑惑の人”であるブラッター会長が再選されたのか、その疑問は拭えません。なにを隠そう、JFA(日本サッカー協会)もブラッター再選を支持していたのです。それどころか、日本政府は、過去に(ワールドカップ開催の見返りに?)ブラッター会長に旭日大綬章まで賜っているのです。

しかし、”疑惑の人”を支持したJFAに対して、国内で批判する声はほとんど聞かれません。日本のサッカージャーナリズムもまた、”政権批判”を封印した翼賛体制にあるのです。

同じように、2014年、八百長疑惑をもたれていたハビエル・アギーレ氏を代表監督に招聘した際も、疑問を呈する声はほとんど聞かれませんでした。そして、アギーレ氏が辞任した際も、”任命責任”を問う声は少なく、結局JFAは誰も責任を取らず現在に至っています。

ジャーナリズムがジャーナリズムの役割を果たしてないのです。この”ナアナア主義”がJFA の夜郎自大な体質を増長させ、強いては日本サッカー停滞の一因になっていると言っても言いすぎではないでしょう。

考えてみれば、今のマスコミの自国賛美(”テレビ東京的慰撫史観”)は、サッカージャーナリズムが先鞭をつけたと言えなくもないのです。それが、3.11の東日本大震災をきっかけに、いっきにマスコミ全体に拡がったのでした。

ただ無原則に自国を賛美することが「愛国」で、少しでも批判すれば「反日」になる。それでは、サッカーでも政治でも、腐敗と停滞を招いてしまうのは当然でしょう。

サッカーファンも、Yahoo!ニュースで政治に目覚めた人も、本質から目を逸らされ、ただ踊らされているだけなのです。
2015.06.03 Wed l 東京 l top ▲
築地本願寺


用事があって銀座に行ったのですが、平日の銀座の通りを歩いている人の半分くらいは、外国人観光客でした。なかでも、アジア系の観光客が目に付きました。アジア系の観光客は、どこかあか抜けない服装やちょっと品のない所作で、ひと目でそれとわかるのでした。4丁目の三越の前でも、持ちきれないくらいの買い物袋を提げた人々(なかにはラオックスの包装紙を巻いた電気炊飯器や温水便座の箱を持っている人もいました)がたむろしていました。

今や銀座にとっても、彼ら爆買いの観光客は上得意のお客様なのでしょう。なんだか銀聯カードの威力の前に、銀座の老舗もプライドをかなぐり捨てたかのようです。あれほどお高く止まっていた銀座の老舗が、こんなにやすやすと”成り上がりの余所者”に膝を屈するとは驚きですが(と皮肉のひとつも言いたくなりますが)、それだけ彼らのパワーがすごいということなのでしょう。それはキャッチアップした(しつつある)国のパワーでもあります。

もちろん、こういった光景は、銀座に限った話ではありません。日本全国の主だった街や商業施設ではもはやおなじみの光景です。まさに、中国人(あるいはタイ人、インドネシア人)様々なのです。

でも、キャッチアップされる側のプライドはそう簡単に割り切れるものではありません。この国にとって”中国人様々”は、あくまで建て前でしかないのです。

よく中国人には反日を叫びながら一方で日本にあこがれる矛盾した感情があると言われますが、それは日本人も同じです。揉み手して笑顔をふりまきながら、腹のなかでは「この劣等民族め」と悪態を吐いているのです。国内向けには、まるで売ってやっているんだと言わんばかりに強がりを装いながら、一方で、競って中国人観光客に流し目を送っている日本人。

先日、自民党の二階堂俊博総務会長が100人の訪中団を引き連れて中国を訪れ、中国政府に大歓迎されたというニュースがありましたが、さすが自民党だなと感心しました。それは、懐が深いという意味ではありません。巧みに二枚舌を使い分けるそのしたたかさに感心したのです。

アメリカの尻馬に乗って戦争法案(!)をひっさげ中国を挑発しつづける安倍と、実利的に中国の経済力に秋波を送る二階堂。自民党のこの二人の政治家は、悪態を吐く日本人と爆買いに流し目を送る日本人の二面性を見事に体現していると言えるでしょう。もっとも、戦後の日本は、『永続敗戦論』が示したように、売国と愛国、従属と独立という相矛盾する二面性のなかで生きてきたのでした。もちろん、新自由主義(=売国)と国家主義(=愛国)が併存する安倍政権も例外ではありません。

アメリカが超大国の座から転落して、世界が多極化するのは間違いないのです。中国がアジアの盟主の座にすわるのも間違いないのです。中国が戦略的に「政経分離」の方針をとりつづける限り、日本の二面性もそれなりに機能するのかもしれません。しかし、アジアの盟主になった中国が方針転換すれば、途端に日本が政治的にも経済的にも苦境に陥るのは目に見えています。かつての米中接近のように、アメリカからいつ梯子を外されるかもわからないのです。

坂を上る国と下る国。よく見れば、銀座の光景は、その現実を映し出しているとも言えるのです。近隣諸国との互恵関係をみずから毀損した日本は、やがて、そのツケを払わなければならないときがやってくるでしょう。”テレビ東京的慰撫史観”で自演乙するだけの今の日本は、その先に待っている過酷な”運命”にあまりにも無頓着と言わざるをえません。

銀座のあと、築地まで歩いて、築地本願寺にお参りして帰りました。
2015.05.26 Tue l 東京 l top ▲
今日、近所の駅前通りにコンビニが新規開店したのですが、たまたま前を通りかかったら、午前中の時間帯で、しかも醤油の無料券を配っていたということもあってか、店内のお客が見事なほどお年寄りばかりだったのでびっくりしました。駅前通りは、今までもいくつもコンビニができては消えています。駅前通り商店街と言えども、コンビニでさえ(と言うべきか)生き残れないきびしい環境にあるのですが、新規開店になにか特別な秘策でもあるのだろうかと思いました。そして、コンビニがお年寄りに「占領」された光景は、ややオーバーな言い方をすれば、黄昏ゆくこの国を象徴しているように思えてなりませんでした。

以前通っていた広尾のコンビニも同じでした。広尾界隈には、ナショナルマーケット以外、これといったスーパーがないので、周辺の高齢者たちは、日常の買い物をコンビニで済ませていました。そのため、広尾駅周辺のコンビニは、高齢者向けに野菜や肉なども売っていました。今でこそ、コンビニ各社は、ターゲットを若者からシニアにシフトして、シニア向けの品揃えやサービスなどに力を入れはじめていますが、その流れはずっと以前よりあったのです。

どう考えても飽和状態にあるコンビニ業界ですが、よく言われるように、今後、シニア向けの店づくりで生き残りをはかるしかないのはあきらかでしょう。しかし、同時にそれは、見方を変えれば、遺産を食いつぶしていくだけの未来のないマーケットでもあると言えます。

デパートやファッションビルなどに行くと、最近はやたら「tax‐free」の看板が目立ちますが、なかでも多いのが、「无税」や「免税」などという中国人観光客向けの表示です。総理大臣みずからが”嫌中憎韓”を煽りながら、その一方で、中国人観光客の爆買いに頼るデパートや有名ショップ。そのくせ、中国人に頭を下げなければならない自分たちを慰めるためか、テレビのニュースでは、まるで負け惜しみのように、爆買いの中国人たちをヤユする(バカにする)のです。でも、やがてキャッチアップした中国人たちが、日本の商品に見向きもしなくなるのは目に見えています。それも、過去の遺産を食いつぶしているだけの未来のないマーケティングにすぎません。

中国が創設したアジアインフラ投資銀行(AIIB)に対して、フランスもイギリスもドイツも韓国も、アメリカの意向を無視して参加したなかで、日本はアメリカの言いなりになって参加を見送ったのでした。しかも、国内では「透明性がない」「公平性が担保されてない」などと不参加の言い訳ばかりが強弁され、「アジアの時代」に乗り遅れることを懸念する声は、「反日」「売国」などというお決まりのレッテルを貼られて片隅に追いやられています。そうやって自演乙することで、「アジアの盟主」を中国にとって代わられた現実から目を背けているのです(田中宇の国際ニュース「日本から中国に交代するアジアの盟主」)。これでは、ますます多極化する世界で、政治的にも経済的にも遅れをとるのは当然でしょう。これもまた、過去の遺産にすがるだけで未来を見ることができない、黄昏ゆくこの国を象徴する光景と言えるのではないでしょうか。

都内の、特に山手線の内側では、オリンピック開催を睨んで、至るところで市街地再開発がおこなわれ、つぎつぎとあたらしい商業施設ができていますが、しかし、それらに新鮮味はありません。マンネリ化したコンセプトのもと、どこにでもあるおなじみのショップがただ軒を並べているだけです。数年も経てば歯抜けになって、コンセプトもへったくれもないほど張りぼての状態になるのは目に見えています。それもまた、未来のないマーケティングの所産と言うべきでしょう。今や「トレンド」ということばも死語になったかのようで、『33年後のなんとなく、クリスタル』が最新の風俗とは無縁のところで描かれていたのは、今になればわからないでもないのです。

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『33年後のなんとなく、クリスタル』
2015.04.23 Thu l 東京 l top ▲
「電波芸者」ということばは、70年代か80年代の初め頃、どこかの雑誌の匿名コラムで、田原総一郎氏に対して言っているのを目にしたのが初めてだったように思います。

それが今や「電波芸者」だらけです。「電波芸者」は、本来とても恥ずかしいことなのに、いつの間にか権威ズラしてのさばるようになっています。いつからテレビに出ることが恥ずかしいことではなくなったのか。

テレビ朝日の「報道ステーション」のコメンテーターをつとめていた古賀茂明氏が、27日に最後の出演をした際、官邸からの圧力で”降板”させられたと発言したことに対して、「電波芸者」たちがいっせいに批判を浴びせています。その代表格が、竹田圭吾氏と江川詔子氏でしょう。

二人はそれぞれTwitterでつぎのように批判していました。

竹田圭吾Twitter20150327

江川詔子Twitter20150327

二人ともテレビに出る「機会」が非常に「貴重」なものだと思っているみたいです。だから、その「機会」を大事にしなければならないのだと。

それにしても、竹田氏は、「責任」や「義務」ということばをどっちに向けて言っているのかと思います。竹田氏の発言は、自民党の政治家などが、自由には「責任」や「義務」が伴うことを忘れていると言うのとよく似ています。

江川氏も然りです。古賀氏は、今回の”降板”の裏にある官邸の圧力や、テレビ朝日や根っからの「電波芸者」である古舘伊知郎周辺の報道機関にあるまじき”事なかれ主義”を批判しているのですが、江川氏は、それを「個人的な恨み」だと矮小化しているのです。そうすることで、「電波芸者」であるみずからを合理化しているように見えます。もしかしたら、「私は大丈夫ですよ」と言いたいのかもしれません。

私の友人に講演を斡旋する仕事をしている人間がいますが、彼によれば「テレビに出ている人」というだけで講演の依頼が多く、講演料も跳ね上がるのだそうです。だから、ワイドショーのコメンテーターやキャスターなどは、平日はテレビで顔を売り、週末は講演で地方をとびまわって荒稼ぎしているのだとか。

かくも「電波芸者」は金のなる木なのです。テレビ局様々なのです。そして、そのおいしい仕事を維持するためには、権力に対して「責任」と「義務」という恭順の意を示すことを忘れてはならないのです。

竹田氏や江川氏らの“古賀批判“は、眉に唾して聞く必要があるでしょう。彼らがときに口にする「政府批判」(らしきもの)も、単なる「ガスぬき」にすぎないのです。マツコ・デラックスや有吉弘行の”毒舌”と同じような「お約束芸」です。それがテレビというものです。それを彼らは、大事にしなければならないと言っているのです。

そもそも今回の問題の背景にあるのは、安倍政権によるメディア介入疑惑(のはず)なのです。NHKや朝日新聞に対してのさまざまな手段を使った圧力。メディア関係者との定期的な会食による懐柔。NHKの従軍慰安婦に関する番組に事前に介入し内容を改変させたり、ネトウヨ御用達のヘイト出版社、産経やワックや青林堂の本を大量買いしていたことが政治資金報告書の「書籍購入記録」であきらかになったりと、安倍総理の言論に対する認識が(民主主義者とは思えないような)きわめてゆがんだものであるのは、もはや周知の事実です。

古賀氏が1月の放送で「I am not ABE」と発言した直後から、官邸の圧力で古賀氏が降板させられるのではないかという噂がささやかれはじめたのも、そういった背景があったからです。また、前の「報道ステーション」のコメンテーターで、現在「ワイド!スクランブル」のコメンテーターをつとめている末延吉正元政治部長が、同郷の「宰相A」=安倍総理ときわめて親しい関係にあることを本人が週刊誌などで公言していますので、テレビ朝日に対してよけい神経質にならざるを得ない面もあったのでしょう。ニュースステーション」の関係者たちは、古賀氏の行為を「テロだ」と騒いでいたそうですが、それを言うならNHKや朝日新聞に対する権力の介入こそ「テロ」と言うべきでしょう。

竹田氏や江川氏の発言は、そんな官邸の介入疑惑やテレ朝報道局の臭いものには蓋をする姿勢から目をそらす役割を果たしているように思います。「電波芸者」たちは、文字通りその役割を演じているのです。
2015.03.29 Sun l 東京 l top ▲
鳩山由紀夫元総理が、政府の中止要請を無視して、ロシアに編入されたクリミアを訪問したことに対して、マスコミの”鳩山バッシング”がはじまっています。高村正彦自民党副総裁が11日の記者会見で、「国益に反することで遺憾だ」と鳩山氏を批判すると、それを受けていっせいにバッシングがはじまったのでした。今日は菅官房長官が、「首相まで経験した人の行動、発言とは思えない。極めて軽率だ」とコメントして、さらにバッシングを煽っているのでした。

たまたま今日の夕方、TBSテレビの「Nスタ・ニュースワイド」を見ていたら、キャスターの堀尾正明氏が、このニュースに関連して、鳩山氏が「親露的」であるのは、「日ソ共同宣言」によって日ソの国交回復をおこなった祖父(鳩山一郎元総理大臣)のDNAを引き継いでいるからだというような発言をしていました。さらに父親の鳩山威一郎氏が外務大臣になったのも、ソ連からの推薦があったからだと言ってました。

堀尾氏の発言は、鳩山由紀夫氏に「国賊」だと悪罵を浴びせるネトウヨと同レベルの”ためにする”話にすぎません。また、コメンテーターの元村有希子氏(毎日新聞記者)も、薄笑いを浮かべながら「鳩山さんは総理大臣のときにはなにも実現できなかったくせに」「まったく困ったものですね」と、近所のおばさんレベルのコメントをしていました。元村氏も、なにも考えてなくて、ただその場の空気に同調しているだけなのでしょう。私は、こういう人をジャーナリストと言うのだろうかと思いました。

鳩山氏がクリミア編入を決定した住民投票を「民主的」で「合法的」で、領土問題の解決法として「納得できた」と評価したのは、別に非常識なものではなく、むしろひとつの”見識”と言ってもいいくらいです。住民投票がロシアの介入による政治的な陰謀で、国際法違反であるというのは、あくまでアメリカなど「西側」の主張にすぎないのです。

ヨーロッパの議会で伸長しているネオナチ政党の多くがロシアのプーチン政権に「好意的」で、プーチン政権と「親和性」が高いのは事実のようですが、一方で現在のウクライナ政府も、多くの人が指摘するように、ネオナチが主導する極右の政権です。今の政権は、民主的に選ばれたヤヌコヴィッチ政権から半ば「クーデター」によって政権を奪取したのですが、その背後にアメリカがいたことは周知の事実です。要は、どっちもどっちなのです。

「イスラム国」が生まれたのは、イラク戦争とシリア内戦によるものですが、イラク戦争の口実であったフセイン政権による「大量破壊兵器の保有」は、アメリカのでっち上げであったことがあとで判明しました。あのときも日本政府は、アメリカに追随し、「国際社会」に同調して、イラク戦争を正当化しました。今回もまったく同じ構図です。

 ウクライナは、西部のウクライナ系と東部のロシア系という2つの民族が共存してきたが、米政府は数年前からロシア敵視策としてウクライナ系の反露的なナショナリズム運動を扇動し、昨春にはウクライナの極右勢力が親露的なヤヌコビッチ政権を倒して現政権を作ることを支援した。東部のロシア系(親露派)が分離独立を目指して決起すると、米政府は露軍が親露派を支援していると非難し、EUを巻き込んでロシアを経済制裁した。米欧マスコミはロシアを非難する記事を流し続けているが、実のところウクライナ危機を起こしたのは米国であり、ロシアはむしろ被害者だ。

田中宇の国際ニュース解説
ウクライナ米露戦争の瀬戸際


折しも今日、アメリカがウクライナ政府に非武装の小型無人機や高機動多目的装輪車「ハンビー」230台を供与する方針を決定したというニュースがありました。このままエスカレートすれば、ウクライナを舞台にした米露戦争が勃発する危険すらあるのです。

今までの「親露的」な政権に代わってウクライナ民族主義を掲げる「反露的」な極右政権が生まれたので、危機感を抱いたロシア系の住民たちが生き延びるためにロシア編入を選択したのは、大国の思惑以前の問題として、当然あり得る話でしょう。そう考えれば、鳩山氏が言うことも理解できないわけではないのです。(鳩山氏に同行した)一水会の木村三浩氏がどうだとか高野孟氏がどうだとか言うのは、それこそ木を見て森を見ない本末転倒した話です。それに、安倍政権だってつい昨日までは、似た者同士のプーチンに秋波を送っていたのです。

しかし、鳩山氏の行動や言動は、「国益」に反するとして総否定され、バッシングを浴び、「国賊」扱いされるのです。しかも、その「国益」なるものは、実際はアメリカの意向に沿うということであって、「ご主人様(アメリカ)の意に逆らったから国賊だ」と言っているにすぎないのです。アメリカの属国であること(そう望むこと)が「愛国」になるという、『永続敗戦論』が指摘した戦後のゆがんだ構造、(私流の言い方すれば)「愛国」と「売国」が転倒した”戦後の背理”がここにも露呈している気がします。ルービー(頭がおかしい)なのはどっちなんだと言いたくなります。

それにしても、メディアはいつから「国益」の代弁者になったのでしょうか。それなら中国の人民日報や北朝鮮の朝鮮中央通信と同じです。メディアが記事の枕に「国益」ということばを使うようになったら、もはやメディアの死を意味していると言っていいでしょう。

もちろんそれは、大手のメディアに限った話ではありません。常岡浩介氏らフリーのジャーナリストも然りです。常岡氏は、鳩山氏のクリミア訪問に対して、「国益」に反するので旅券を取り上げるべきだとTwitterで主張していました。まさか常岡氏の口から「国益」ということばが出てくるとは思いませんでしたが、常岡氏が言うには、ジャーナリストと鳩山氏のような「公人」は別で、「公人」は「国益」を考えるべきだと言うのです。

常岡浩介Twitter2015年3月5日

常岡浩介Twitter2015年3月6日

でも、常岡氏自身がその「国益」のために、警視庁公安部によってガサ入れされ、監視対象にされているのではないか。シリアへの渡航を計画していたフリーカメラマンの杉本祐一氏が、外務省から旅券を返納させられたのも「国益」が理由でした。「国益」に「私人」も「公人」もないのです。「国益」とは、常岡氏が考えるような都合のいいものではないのです。ここに至ってもなお、「国益」の先に「自己責任論」があることを”理会”してないとしたら、あまりにもおそまつと言わねばならないでしょう。

私は、高村正彦自民党副総裁が、後藤健二さんの行動を「蛮勇」と言ったのは、高村氏の意図は別にして、ジャーナリストに対しては褒めことばだと思っています。ジャーナリストたるもの「蛮勇」であれと言いたい。「国益」なんて知ったこっちゃないと言うのが、ときに「国益」の犠牲になることもある名もなき人々の声を伝えるジャーナリストの心意気というものでしょう。常岡氏の発言は、ジャーナリストまがいの堀尾正明氏や元村有希子氏と同じように、「国益」優先の翼賛的な空気に与するものでしかありません。

関連記事:
『永続敗戦論』
2015.03.12 Thu l 東京 l top ▲
いわゆる「ナッツ・リターン」問題では、日本のマスコミも韓国のマスコミに負けず劣らず”加熱報道”をくりひろげています。日本のマスコミは、この事件は「世界中に論争を巻き起こした」と言ってますが、それはいくらなんでもオーバーで、騒いでいるのは韓国以外では日本だけだろうと言いたくなります。

日本のマスコミの”加熱報道”の背景にあるのは、Yahoo!の国際ニュースのあの異様なアクセスランキングに見られるようなネトウヨたちの”嫌韓シンドローム”とまったく同じ精神構造です。ライバル国のことが気になって気になって仕方ないのでしょう。そして、そんな”嫌韓シンドローム”が、日本(日本人)は世界中でリスペクトされているというような、”テレビ東京的慰撫史観”とパラレルな関係にあるのは言うまでもありません。日本のマスコミの「ざまあみろ」とでも言いたげな”加熱報道”からは、そんな歪んだ感情(昨今の偏狭な「愛国」心)が垣間見えて仕方ないのです。

ただ、一方で私自身も、日本のマスコミやネトウヨたちとは別に、この事件については、韓国社会に対する違和感を禁じえませんでした。

客室乗務員のナッツの出し方に怒り、機体を引きかえさせたとして航空保安法違反などの罪に問われた大韓航空前副社長・趙顕娥(チョ・ヒョナ)被告に対して、ソウル西部地裁は懲役1年の実刑判決を言い渡したのですが、私は、わずか10数メートル(?)動いた飛行機を引きかえさせただけで、それを「航路変更」と認定するのは、いくらなんでも「横暴」だろうと思いました。別に飛んでいる飛行機を引きかえさせたわけではないのです。滑走路に移動しようとした飛行機を引きかえさせたにすぎないのです。

財閥も「横暴」かもしれませんが、韓国の司法も負ける劣らず「横暴」と言わざるをえません。私は、韓国も「法の支配」が充分機能してない人治国家なのかと言いたくなりました。もちろん、解釈改憲を目論む安倍政権に対して批判を封印する日本のマスコミに、韓国のことを云々する資格はないでしょう。それどころか、民主国家の体裁を整えながら解釈ひとつで「法の支配」がなおざなりにされる風潮は、日韓共通しているように思いました。

また、取り調べのため検察当局に出頭する「ナッツ姫」をマスコミの前に晒したあの光景を見るにつけ、韓国には人権意識はないのかと思いました。あれでは東南アジアのどっかの国と同じで、おせいじにも「先進国」「民主主義国」とは言えないでしょう。

「国家の威信」を失墜させたのは、なにも「ナッツ姫」だけでないのです。事後の韓国社会の対応も同じです。「ナッツ姫」騒動には、財閥の「横暴」を許すような社会風土(韓国社会の体質)が別のかたちで出ているだけで、根本にあるのは同じなのです。まるで集団リンチのようなやり方で晒し者にして、それで溜飲を下げたつもりなのかもしれませんが、それは財閥に媚びへつらう卑しい心根の裏返しでしかありません。そこにあるのは、魯迅が反語的に描いた「アジア的」とも言えるような卑屈な精神です。もちろん、それは「東夷」の日本とて例外ではありません。

要するに、「ナッツ姫」騒動というのは、如何にも「アジア的」な目クソ鼻クソの話でしかないのです。「世界中に論争を巻き起こした」なんて片腹痛いのです。
2015.02.13 Fri l 東京 l top ▲
高橋源一郎は、人質事件のさなか、イスラム過激派による一連の事件に関して、朝日新聞の「論壇時評」でつぎのように書いていました。

朝日新聞デジタル
(論壇時評)熱狂の陰の孤独 「表現の自由」を叫ぶ前に

私は、何度もこの文章を読み返しましたが、読解力がないのか、なにが言いたいのかいまひとつよくわかりませんでした。半分くらいはわかりますが、半分はわかりません。

人質事件が公になると、この国は「自粛」の空気におおわれました。それは、具体的に言えば、「懸命に努力をしている」「全力で取り組んでいる」政府への批判を封印するということです。「自粛」は、マスコミはもちろん、野党も同様でした。共産党までもがその「自粛」の隊列に加わったのでした。

人質事件が最悪の結果に終わったとき、Yahoo!トピックスのトップに掲載されたのは、「首相が目に涙 後藤さん殺害か」というタイトルの記事でした。そして、今、Yahoo!トピックスのトップに掲載されているのは、「後藤さんに渡航中止要請3回」というタイトルの記事です。

首相が目に涙 後藤さん殺害か
後藤さんに渡航中止要請3回

この二つの記事、というよりYahoo!トピックスが独自に付けたこの二つのタイトルが、未だにこの国をおおっている「自粛」の空気をよく表しているように思います。

常岡浩介氏もTwitterでつぎのように書いていました。

番組に呼んでおいて
常岡浩介容疑者
https://twitter.com/shamilsh

菅官房長官によれば、身代金は用意してなくて、犯人と交渉する気は「まったくなかった」そうです。

livedoor'NEWS
菅官房長官「身代金用意せず」、イスラム国との交渉を否定

菅官房長官の発言は、最初から人質を見捨てるつもりだったと言っているようなものです。これでは、安倍首相が中東訪問の際、テロリストを挑発するような発言をつづけたのは「不用意な発言」などではなく、やはり意図的な挑発ではなかったかと思ってしまいます。実際に、イスラム国は安倍首相の演説に反発して、中東訪問のさなか、人質の動画を投稿したのでした。

でも、このような安倍首相の発言や政府の対応を表立って批判することはタブーでした。民主党の細野政調会長が、「事件が収束したら政府の対応を検証する必要がある」と言ってましたが、「自粛」の隊列に加わった民主党や共産党など野党に「検証」などできるわけがないのです。

そして、今、二人の死を奇貨として、集団的自衛権行使=自衛隊派兵の進軍ラッパが高らかに鳴らされています。もちろん、この安倍首相の”居直り”に疑問を呈する声がマスコミに出ることはありません。

自民党のメディア戦略を担当する世耕弘成官房副長官がBSフジの番組のなかでさりげなく呟いた、「外務省が後藤さんに3回、シリアへの渡航をやめるよう要請していた」という発言。すると、それがまたたく間にトップニュースになって拡散するのでした。世耕官房副長官は、政府は「自己責任論」には立たないと言いながら、実際はそうやって「自己責任」をほのめかしているのです。

こうして政府の対応を免罪する「自粛」の空気は、翼賛の空気へ転化し進軍ラッパに接続されていくのでした。

高橋源一郎が言うように、「沈黙」は金なのか。むしろ「沈黙」は、「自粛」の空気に与することではないのか。今必要なのは、軋轢や誤爆を恐れずにものを言うことでしょう。人質事件であれ、フランスの襲撃事件であれ、「自粛」に抗するにはそれしかないのです。石を投げられてもものを言うこと。王様は裸だと言いつづけること。それがものを書く人間の責務ではないか、と言いたいです。
2015.02.03 Tue l 東京 l top ▲
仕事が忙しくて、ブログの更新も遅れてしまいました。

この間、12月3日には、ろくでなし子さんの「再逮捕」という出来事がありました。7月に逮捕された際の容疑は、3Dプリンターで出力するための、自分の女性器をスキャンしたデータを配布した「わいせつ電気的記録媒体頒布罪」でした。今回は、それ以外に「わいせつ物公然陳列罪」の容疑が加わっています。

「わいせつ物公然陳列罪」というのは、みずから石膏で制作した女性器を、北原みのり氏が経営するアダルトショップに2013年10月~2014年7月の間、展示した容疑です。そして、北原氏も展示するのに共謀したとして同容疑で逮捕されたのでした(北原氏は昨日釈放)。

警察のやり方に対しては、以下のリテラの記事に、その問題点がまとめられていますが、なにより今回の「再逮捕」の特徴は、ワイセツ云々以前に、「オレたちを甞めたら許さんぞ」という警察による「報復」の色合いが濃いことです。

リテラ
ろくでなし子また不当逮捕!今度は警察の横暴を暴露したマンガへの報復?

私は、今回の逮捕に際して、ローラの父親の「再逮捕」や大人数の機動隊を動員して行われた京大熊野寮の捜索が連想されました。

ローラの父親の「再逮捕」については、最初の逮捕で処分保留で釈放された際、テレビカメラの前でクルクルパーのようなおどけた態度を見せたことが捜査員の逆鱗に触れ、「再逮捕」に至ったのだという報道がありました。一方、京大熊野寮の捜索が、京大構内で情報収集をおこなっていた京都府警警備部の公安刑事が学生に取り押さえられ、学内に監禁されて詰問されたことに対する「報復」であるのは、誰の目にもあきらかでした。

警察が行使するのは、言うまでもなく公権力です。警察官は公務員です。公僕なのです。「報復」などという私情で公権力を行使するなどあってはならないことです。

しかし、ローラの父親の「再逮捕」でも、警察の恣意的な判断によって公権力が行使されることの問題点を指摘するメディアは皆無でした。京大熊野寮の捜索も然りです。それどころか、朝日新聞と産経新聞は、京大が中核派の拠点であるかのような記事を書いて、公安警察の「報復」にお墨付けを与える始末でした。もちろん、京大が中核派の拠点などというのはお笑いでしかありません。

権力を監視すべきメディアが権力のお先棒を担いでいるのです。これでは公務員が私情で公権力を行使するような、「私物国家」の横暴がまかりとおるのは当然でしょう。

ろくでなし子さんは、釈放されたあとも、記者会見で警察批判をくり返していましたし、リテラの記事にもあるように、『週刊金曜日』で警察をヤユするマンガを連載していました。関係者の間では、それで警察の「逆鱗に触れた」という見方が一般的です。

北原みのり氏に至っては、どうして逮捕されたのか、専門家も首を傾げているようです。ろくでなし子さんに対して「報復」するのに、ついでに北原にもお灸をすえてやれという感じだったのかもしれません。罪名もあとからとって付けたような感じです。

ジャーナリズムがジャーナリズムの役割を果たしてないのです。まして読売新聞や産経新聞は、今や安倍政権の機関紙のようになっており、とてもジャーナリズムとは言えないあり様です。

いよいよ12月10日に特定秘密保護法が施行されますが、既にメディアは白旗を上げて権力に媚を売りはじめているのです。今回の逮捕から見えるのは、そんな(中国や韓国を笑えない)メディアの体たらくな姿です。

関連記事:
ろくでなし子氏の逮捕
2014.12.07 Sun l 東京 l top ▲
現在、もっとも注目を集めているジャーナリストは常岡浩介氏ではないでしょうか。言うまでもなく、常岡氏は、「イスラム国」行きを志願した北大生が刑法第93条の「私戦予備及び陰謀罪」の容疑で取り調べを受けたことに関連して、警視庁公安部外事三課から家宅捜索を受けたフリーのジャーナリストです。

常岡氏は、北大生を「イスラーム国司令官に引き合わせるための引率役を引き受けていた」(Wikipedia)と言われていますが、真相はまったく違っているようで、そのあたりの経緯について、つぎのように語っていました。

ーー学生とはどうやって知り合った?
「Oという怪しい人物が『シリアで求人募集』と書かれたチラシを悪ふざけでつくった。それを北大生がアキバで見て、電話した。するとその怪しい人物Oがイスラム法学者の中田考先生へ。中田先生はまったく冗談の通じない人なので、僕へ『シリアで戦いたいという学生がいるので取材してもらえないか』とわざわざ連絡してきた。それで北大生とは3回会った。8月初めに2回と10月4日。8月の2回目にVTR回してインタビューした」
ーー学生はどんな人?
「イケメンでしゃきしゃきしてて普通に話すとまとも。北大の大学院生で26歳。数学を研究してたはず。彼にインタビューすると、『もともとシリアにもイスラムにも、あるいはイスラム国にもイスラム革命にも全く関係関心もなく、今も関心がない。日本でない別の常識がある場所へ行きたい』と。
 シリアにわざわざ戦いに来たりボランティアに来たりする人はシリアのことが気になってしょうがないという人たち。北大生がシリアに全く関心がないというのが意味不明。彼は結局、シリアが破滅的な場所というイメージでとらえて、その場所を自分の自殺願望か破滅願望の舞台装置として使いたいというだけの人だよ」

東京ブレイキングニュース
イスラム国「参加計画」騒動の内幕を渦中のジャーナリスト常岡浩介氏に聞いた。


北大生については、公安警察に詳しい清水勉弁護士も、ブログで、「この北大生が刑法制定はじまって以来はじめて私戦予備・陰謀罪を適用した容疑者だというのだから、警視庁公安部のセンスに呆れる」と警視庁公安部をヤユしていました。

さくら通り法律弁護士事務所
清水勉の小市民的心意気!

北大生の高笑い

清水弁護士は、今回の「私戦予備・陰謀罪」は「秘密保護法の予行練習」だと言ってましたが、たしかに12月から施行される特定秘密保護法で謳われている主目的は、「テロ」、それも「国際テロの脅威」から国家機密を守ることなのです。特定秘密保護法の施行を現場で担う公安警察が、今回の「強制捜査」に対する政治家やマスコミや世論の反応を探っているのは間違いないでしょう。

常岡氏は任意同行だけでなく、「被疑者として取り調べる」という出頭要請も拒否し、このままでは逮捕も必至と言われています。清水弁護士も「逮捕されるのは間違いないだろうが、最終的には不起訴で釈放されるのではないか」と言っていました。

逮捕が現実味を増してきたのに伴い、常岡氏のTwitterのアカウント名もいつの間にか「常岡浩介容疑者」に変わっていました。もちろん、これは常岡氏のジョークです。このように常岡氏はみずからに迫る警察の影を逆におちょくり面白がっているフシさえあるのです。常岡氏は、早稲田の「少女マンガ研究会」OBでもあるのですが、そういったユニークなキャラクターも常岡氏が注目されるゆえんなのでしょう。

それにしても、この「私戦予備及び陰謀罪」に登場する人物たちは、北大生や常岡氏だけでなく、日本のイスラム学の第一人者と言われる中田孝元教授も、上記のインタビュー記事で「O」と呼ばれている「求人募集」の貼り紙をした「大司教」(秋葉原の古書店主)も、みんなユニークなキャラクターの持ち主ばかりです。彼らの話を聞くと、新聞やテレビなどマスメディアが伝えるイメージとはまったく違った「事件」の姿が浮かび上がってくるのでした。

「イスラム国」の実像もマスコミが伝えているものとはかなり違っています。「イスラム国」に3度行った常岡氏は、実際の「イスラム国」はまったく統制がとれてなくて、なかにはフセイン政権を支えたイラクのバース党の残党が「イスラム国」を名乗っているケースもあると言ってました。常岡氏は、最近、彼らの暴力が内部に向かっている(粛清がはじまっている)ことを懸念していましたが、私は、「イスラム国」は(スケールは比べようがないけれど)連合赤軍と同じような末路を辿るんじゃないかと思いました。「イスラム国」を過大に危険視し「世界の敵」であるかのように看做すことで「得」をするのは誰なのか。「イスラム国」と対立するシリアのアサド政権が、「イスラム国」以上の虐殺行為をおこなっている事実や、国内的には「イスラム国」の「脅威」を利用して、ジャーナリストの取材活動に網をかける「秘密保護法の予行練習」がおこなわれている事実を知る必要があるでしょう。

「イスラム国」というと、なにかとんでもない話のように思いますが、そういった「過激派」を口実に”自由な言論”が規制されていくそのカラクリを、常岡氏は、おちゃらけながら彼なりの方法で告発していると言えるのです。
2014.11.20 Thu l 東京 l top ▲
昨日の午後、東横線の上り電車に乗っているときのことでした。私は、いつものようにシルバーシートに座って本を読んでいました。電車が自由が丘駅に着いたとき、私の座席の横のドアから色鮮やかな服装の少女が乗ってきたのです。少女は、本の上に視線を落としている私の視界の端を横切って、反対側のドアのところに向かって行きました。

私は、気になったので、一瞬、少女のほうに目をやりました。少女は、こちらに背を向け外に向かって立っていましたが、身長が170センチもあろうかという背の高い子で、スラリと伸びた足は、白と赤のストライプのタイツで包み、真っ白なホットパンツに、足元はニューバランスのピンクのスニーカーを履いていました。また、上は黄色のブランドかなにかのロゴが入ったフリースを羽織り、髪は三つ編みにしていました。タレント?モデル?と思いましたが、タレントやモデルが普段そんな派手な格好をしているわけがありません。じゃあ、やっぱりシロウトなのか。こういう子が渋谷や原宿を歩いていると、スカウトされて「読者モデル」になったりするんだろうなと思いました。

そして、視線を再び本に戻そうとしたとき、ふと、私の座席の横に立っている青年に目がとまりました。典型的なオタクファッションで、それこそAKBのCDを100枚でも200枚でも買いそうな感じの青年です。彼はドアに背を向け、件の少女のほうをじっと食い入るように見つめているのです。私は、ストーカー?と思いました。しかも、青年はときおり股間のあたりに手をやっているのです。私は、変質者?と思いました。危ない、危ない、と思いながら本に目を戻しました。

電車は中目黒をすぎると地下に入り、やがて渋谷に到着しました。渋谷駅のホームは、私の座席の側にあります。少女も身体の向きを変え、渋谷で降りるようです。これからスカウトされるために週末の渋谷の街を闊歩するのかなと思いました。私は、本を読みながらも、ひと目顔を見たいという誘惑を抑えきれずにいました。ドアが開き、少女も乗客の後ろからドアに向かって歩きはじめたとき、私は意を決して顔を上げ、私の脇を通りすぎて行く少女の顔にチラッと視線をやりました。

その瞬間、私は思わずのけぞったのでした。三つ編みの少女は、なんと60才も越していようかという年増の女性だったのです。私は、目を見開き、口をポカンと開けたまま、人ごみに消えていく”年増の少女”の後姿を目で追っていました。

と同時に、私は、心のなかでこう叫びたい気持でした。これが東京だ(だったのだ)!と。70年代・80年代の東京には、こういった倉田精二の写真のような光景がいくらでもありました。あの頃の東京の街角には、西ドイツのハンブルクに似た世紀末の頽廃的な雰囲気がありました。どうしてハンブルクかと言えば、ハンブルクにTUSHITAというポストカードの会社があるのですが、TUSHITAにも同じような世紀末の街の光景を撮った写真が多くあったからです。安井かずみや鈴木いづみが街を闊歩していたのも同じ頃です。

私は、なんとステキな光景なんだろうと思いました。いつから私たちの社会は、異端を排除する窮屈で面白味のない社会になってしまったのか。「愛国」「日本人の誇り」の名のもとに、すべてをひとつの色に染めてしまうような社会。常にそういった同調圧力がはたらく社会。しかし、思わず目を見開くような規格外の色彩のなかにこそ、爛熟した資本主義でしか味わえない自由の魅力がある(あった)はずなのです。今の時代は、”異形な人”が街を歩いていると、誰かがスマホで盗み撮りしてネットで晒し、それを下衆なことばでいたぶるのが常ですが、そうやって自分たちで自分たちの社会を息苦しくしているのがわからないのかと思います。ネットが逆に私たちの「自由と寛容」を奪っているのです。

カルトな総理大臣やカルトな総理大臣のためならどんなことでもしますわというような女性閣僚たちは、どう見てもただのアナクロなおっさんやおばはんたちでしかありません。そんなアナクロなおっさんやおばはんたちに、若者たちはどうしてあんなにいとも簡単に操られるのか。若者たちはどうしてあんなに権威や権力に弱いのか。「時代を造ってきた」(と言われた)若者文化はどこへ行ってしまったのか。鈴木いづみは、「若者文化はバカ者文化である」と言ったのですが、今は「バカ者文化」ですらないのです。

私は、オタクの青年と同じように、渋谷駅の人ごみのなかに消えて行った”少女”をマジで追いかけて行きたい心境でした。
2014.10.19 Sun l 東京 l top ▲
案の定、「誤報」問題以後、朝日新聞の紙面から安倍政権に対する批判的な記事が消えています。

この国のメディアは、カルトな政権にあっけないほど簡単に膝を屈したと言えるでしょう。どうしてなのか。そこには、アメリカの占領政策の置き土産にすぎない「言論の自由」に依拠する”あなたまかせの思想”しかなかったからです。朴槿恵大統領に関する記事をめぐり、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が韓国の検察に在宅起訴されたことに対して、日本政府が「『言論の自由』の観点から憂慮を表明し抗議した」というのは、まさに「言論の自由」のご都合主義を表わしていると言えます。朝日新聞の「言論の自由」は「反日」として封殺するが、産経新聞やヘイト・スピーチの「言論の自由」は、「民主主義の根幹」だとして「守る」のです。竹中労が言っていたように、「『言論の自由』なんてない」のです。あるのは「自由な言論」だけです。

この手の話は、どうしてもベタな政治の話にならざるをえないのですが、先日、Yahoo!ニュースに、つぎのような記事が掲載されていました。

Yahoo!ニュース
正恩氏側近が訪韓 北、経済難・孤立焦り…対南懐柔で打開狙う

人の振り見て我が振り直せという諺がありますが、どうやら安倍政権に「恋ボケ」した産経新聞や読売新聞(読売も同じ記事を書いていた)は、北朝鮮の「孤立」に、彼の国の誘惑に乗って「調査団」の訪朝を検討している自国の「孤立」と「焦り」を重ねて見ることはできないみたいです。

拉致に関する日朝合意に、アジアで孤立を深める日本の焦りが反映していることは、誰の目にもあきらかなのです。北朝鮮は、そんな日本の足元を見る「したたか」な外交を展開していると言えるでしょう。これでは、拉致問題が外交カードに使われ、北朝鮮に「ふりまわされる」のは当然でしょう。

また、北朝鮮サイドから見れば、日朝合意の裏に、関係が冷えていると言われる中国への「恋のさや当て」があるのはたしかで、日本は北朝鮮に二重に利用されているとも言えるのです。世界の常識ではこんな外交を「無能」と言うのですが、しかし、サティアンのなかでは、その「無能」が「愛国」になるのでした。そして、中国も韓国も北朝鮮も、日本なしでは生きていけないので、ホントは日本との復縁を切望しているのだと自演乙するのでした。

先月末、インドのモディ首相が来日した際も、日本のメディアは、経済・安保で連携強化をはかり、国境問題で中国と対立するインドとの間に対中包囲網を築くことを確認した、とまるで”明日は戦争”みたいな記事を書いていました。しかし、その10日後、タジキスタンで開かれた上海協力機構(SCO)の首脳会議では、インドの加盟申請を受け、2015年からインドが正式メンバーとしてSCOに加盟することが決定したというニュースが流れたのでした。対中包囲網どころか、対日包囲網が築かれているのです。あの日本の報道はなんだったんだと思いますが、このメディアのネトウヨ化こそ、カルト化するニッポンを象徴する光景と言えるでしょう。

中国とロシアとインドが経済的利害を一致させ、経済的な同盟関係を結ぶ上海協力機構(SCO)が、これからのアジア経済をけん引していくのは間違いありませんが、そのとき仲間外れにされた「カルトの国」がどうなっていくのか、想像したくもない近未来です。カルト思想は、サティアンのなかでしか通用しない妄想ですから、こうなったらテレビ東京がやっているように、日本(人)は世界中でリスペクトされているというような「慰撫史観」(宮台真司)で、ますます夜郎自大に自閉していくしかないのかもしれません。

折しもネットでは、書評家でフリーライターの豊崎由美氏の以下のようなツイッターでの発言が論議を呼んでいますが、ここにも「言論の自由」の虚妄が露呈されているように思います。

豊崎由美@ガタスタ屋ですが、それが何か?
豊崎由美@ガタスタ屋ですが、それが何か?

豊崎氏の発言は、「一部」という断りがあるものの、よく耳にする「どっちもどっち」論です。でも、これはなにも語ってない、なにも考えてない、ただの事なかれ主義です。文筆家でありながら「排外主義」のことばの意味も理解していない、思考停止の最たるものです。

豊崎氏は、片山さつきではないですが、「言論の自由」は誰でも等しく天賦として与えられ、何人も侵すことのできない基本的な人権だと思っているのでしょうか。少なくともものを書く人間であれば、その「建前」に気づいてよさそうですが、そんなデリカシーさえないようです。もしかしたら、この発言には取引先の文春や新潮に対する”政治的配慮”がはたらいているのかもしれませんが、だとしたらもっとタチが悪いと言えます。彼女の仇敵である百田尚樹のほうが、単細胞な分、よほど”正直者”に思えるほどです。

ただ一方で、豊崎氏のトンチンカンな発言によって、「あたらしいことば」がどこにあるかということがあらためてわかったような気がします。豊崎氏の言う「穏やかな対話」というのは、文字通り「閉ざされた言語空間」で予定調和のことば(常套句)をかけあい、現実を糊塗するだけの、「話せばわかるごっこ」にすぎません。でも、話してもわからないこともあるのではないか。況んや、「本音モード」というカルトな時代においてをや、です。私たちに今、求められているのは、このような迷妄する現実に冷水を浴びせる「あたらしいことば」なのです。「あたらしいことば」は、建前も本音も、右か左かという政治的イデオロギーも、「言論・表現の自由」という天賦説も凌駕し、「どっちもどっち」論の虚妄を露呈させるような、ぬきさしならない、それこそ豊崎氏のような(能天気な)「民主主義者」が眉をひそめるような、ある意味暴力的なことばが飛び交う場所にしか生まれないのではないか。

そして、そんな”講壇民主主義”とは真逆の「あたらしいことば」こそが、サティアンで自演乙するテレビ東京的「慰慰史観」を溶解させ、ベタな政治の風景も含めて、見たくないけど見なければならない現実を私たちの目の前に提示する役割を担っているのだと思います。何度も言いますが、「言論の自由」なんてないのです。あるのは「自由な言論」だけです。
2014.10.12 Sun l 東京 l top ▲
加藤展洋氏は、ツイッターで、今まで朝日新聞の購読をやめていたけど、今回のバッシングを機会に購読を再開しようと思っていると書いていましたが、私はその発言にはどこか違和感を抱かざるをえませんでした。

加藤氏は、今まで何度となくくり返されてきた「政治と文学」論争について、『敗戦後論』のなかで、つぎのように書いていました。

文学は、時の権力に対してどれだけ芸術的な抵抗をしたか、という観点ではかられるべきではない。このような考えなら、これまでもしばしばたとえば芸術至上主義などによって示されてきた。(略)
 しかし、文学は、そのような「観点」、芸術という観点、芸術的抵抗という観点、国家という観点、つまり文学という行為の外に立ち、これにいわばイデオロギーとして働きかける、どのような「観点」の正しさにも抵抗するのではないか、それが文学の本質なのではないか。
(『敗戦後論』所収「戦後後論」)


しかし、私は、こういった「文学の本質」が文春や新潮に対する文芸家たちの事なかれ主義を招いているように思えてならないのです。

朝日新聞バッシングに血道を上げる雑誌には「売国」「国賊」「反日」の大見出しが躍る。敵を排撃するためには、あらん限りの罵詈(ばり)雑言を浴びせる。まるで戦前・戦中の言論統制だ。ネットではおなじみの風景だが、活字メディアでも「市民権」を得つつある。「嫌韓本」で一線を越えた出版界には、もはや矜恃(きょうじ)もタブーもないのかもしれない。安倍政権が「戦争できる国」へ突き進む中、「売国奴」呼ばわりの横行は、あらたな「戦前」の序章ではないのか。 (林啓太、沢田千秋)

東京新聞
朝日バッシング 飛び交う「売国」「反日」


朝日新聞に批判的な向きも、『週刊文春』九月四日号には驚いたに違いない。メーン見出しは「朝日新聞『売国のDNA』」。朝日新聞が取り消し・訂正した「吉田調書」や慰安婦報道にとどまらず、「サンゴ事件」など朝日の過去の誤報を持ち出しながら「売国のDNAは脈々と受け継がれている」と指弾した。
(同上)


このような「一線を越えた」文春や新潮に対して、加藤氏が言うような”文学絶対主義”は、もはやただの方便にすぎないのではないか。

そもそも文学はそんな特権的なものなのでしょうか。「高尚」な文学談議と「売国」「反日」の見出しが躍る雑誌には、どう考えても整合性はないのです。「私たちも不本意でやっているのです。先生にいい小説を書いてもらうために、あれは商売としてやっているだけです」というような編集者の弁解を真に受けているのでしょうか。でも、読者はそんなアクロバティックな観念で小説を読んでいるわけではないし、そんな弁解を真に受けるほど世間知らずではないのです。

私は、朝日新聞を応援するという加藤氏のベタな書き込みを読んだとき、テレビのワイドショーにコメンテーターとして出ている大学教師や評論家や有名ブロガーたちのことを想起せざるをえませんでした。彼らの書くものは、それなりに考えさせられるものがないわけではありません。ところが、テレビの前では、誰でも言えるような実にありきたりでつまらないことしか言えないのです。

もちろん、そこには、”お茶の間の論理”に媚びを売る彼らの”志操”の問題もあるでしょう。でも、それだけでなく、むしろその落差のなかに、書くことの本質が示されているように思えてならないのです。私たちは、ものを書くことによって、現実を仮構しているのではないか。私たちが思ったり考えたりすることも、書きことばに直せばたちまち”常套句”に収斂され、あらかじめ定められたものに虚構化されるのではないか。私たちは、それを「現実」と思い込んでいる(思い込まされている)だけではないのか。コメンテーターたちが書いているものも、ただの手慰めな虚構にすぎず、彼らは、ときと場合によってそれらを使い分けているだけではないのか。

ものを書くということは所詮、おためごかしにすぎないのです。まして今のように、”お茶の間の論理”が尖鋭化しカルト化すれば、ものを書くことはますます現実と遊離しトンチンカンに見えてきます。仮に”常套句”に抗い、虚構のなかに真実を見つけることばがあるとすれば、それは、大岡昇平のように、無残で過酷な現実に打ちのめされた先にある、吉本隆明が言う「還相」の過程で獲得したことばしかないのではないか。それを「文学のことば」と言えばそう言えるでしょう。朝日新聞を応援すると表明することに、そんな真実を見つけようとする「態度」があるとはとても思えないのです。

「文学的態度」から言えば、朝日新聞なんてどうだっていいのです。バッシングのいかがわしさと朝日新聞を応援するということはまったく次元の異なる話です。それよりまず隗より始めよで、文春や新潮と自分との関係を問い直すことが肝要でしょう。「一線を越えた」文春や新潮こそ、「文学のことば」を政治に従属させようとする反動と言えるのです。そんな現実と拮抗することのないことばに、真実なんてあろうはずもありません。
2014.10.06 Mon l 東京 l top ▲
上原多香子の夫が自殺したニュースに関連して、私のブログにも「上原多香子 関東連合」「上原多香子 西麻布迎賓館」というキーワードでアクセスしてきた人が何人かいました。おそらく、1年前に書いた「上原多香子の名誉毀損」という記事が、そのようなキーワードでヒットしたからでしょう。

「ネットは悪意の塊」というのはまさに至言で、ネットには、人の不幸をこういった視点でしか見ることができない人間が(それも少なからぬ数)いるということなのでしょう。

でも、忘れてはならないのは、彼らはみずから検証するデータも知識も知能ももってない情弱な人間であるということです。ネットにおいては、「悪意」というのは「無知」と同義語なのです。そして、そんな彼らこそ”煽られる人”でもあるのです。

週刊文春は、こういった悪質な記事を数多く捏造してきました。そんな文春が朝日の誤報を口を極めて罵っているのですから、開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。誰かが言っていたように、人殺しがコソ泥を罵倒しているようなものです。

もちろん、それは、文春だけではありません。新潮も読売も産経も同様です。むしろ、彼らの誤報&捏造は朝日の比ではありません。朝日バッシングが官邸主導の周到に用意されたシナリオに基づいておこなわれているという見方もありますが、今のメディア状況では、そのカラクリがあきらかにされることはないでしょう。

ここぞとばかりに、朝日バッシングをくり広げている産経新聞や読売新聞ですが、森達也氏が「リアル共同幻想論」(ダイヤモンドオンライン)で書いているように、産経や読売も過去に同じように「吉田証言」を記事にしているのです。

産経新聞は、1993年に「人権考」というタイトルで、「吉田証言」を大きくとり上げ、そのなかで、「被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ」(『加害 終わらぬ謝罪行脚』)と書いているそうです。しかも、その企画によって、産経新聞大阪本社「人権問題取材班」は、第1回坂田記念ジャーナリズム賞を受賞しているのです。また、読売新聞も、1992年8月15日の夕刊で、「百人の朝鮮人女性を海南島に連行した」という吉田氏の発言を紹介しているそうです。

それどころか、産経新聞には、編集局長(当時)の山根卓二氏がKGBのスパイだったという驚くべき過去さえあるのです。旧ソ連の諜報機関・KGBのエージェントで、のちにアメリカに亡命したスタニスラフ・レフチェンコが、1982年に米下院情報特別委員会で、山根氏の実名をあげて証言しているのです。

リテラ
編集局長がKGBのスパイだった!? 産経が頬かむりする「売国」的過去

産経や読売が頬かむりをして、朝日を叩いている図は、敗戦を「戦後」と言い換えて、みずからは責任を取らず、卑屈なまでに”昨日の敵”に取り入った戦争指導者とよく似ています。それはなにより、「愛国」と「売国」が転倒した「戦後」という時代の”背理”を体現しているとも言えるのです。

今や朝日新聞は、慰安婦の存在自体を否定するカルトな歴史修正主義者たちの格好の餌食となり、ほとんどサンドバック状態と化していますが、しかし、ここに至ってもなお、田原総一郎ら社外の有識者による第三者委員会を立ち上げ「検証」作業をおこなうというのです。一体なにを「検証」するつもりなのでしょうか。これからはリスクが伴う調査報道を避けて、記者クラブの発表により特化した報道に心がけますとでも言って、”反省のポーズ”をとるつもりなのでしょうか。

取材に誤報は付き物です。記者クラブが存在せず、調査報道が主体の欧米の新聞は、それこそしょっちゅう誤報&訂正をくり返しているそうです。朝日だけでなく、産経も読売もどこも誤報を犯しています。まして文春や新潮は、誤報どころではなく、上原多香子の記事のように、確信犯的に俗情と結託した「私刑」の記事を捏造しているのです。

私は、欧米の新聞のように、「はい、訂正しました。これでおしまい」と、どうして言えないのかと思います。「愛国心はならず者の最後拠り所」(A・ピアス『悪魔の辞典』)なのです。「誤報なんていくらでもあるじゃないか」「お前たちだって同じことをやっているじゃないか」と開き直るくらいの気概がなければ、ますます付け込まれ、要求がどんどんエスカレートするだけでしょう。今のようにカルトが跋扈して、「戦争前夜」(半藤一利氏)のような状況を招いているその責任の一端は、朝日の姿勢にもあるのではないでしょうか。

私は、この国の政治が加速度的に右旋回(カルト化)するその梃子の役割を担っている(担わされている)ところに、朝日新聞の”罪”があるのだと思います。それは、朝日の官僚的な体質と危機管理のなさによるものですが、今の経営陣にその自覚があるとはとても思えません。彼らがやろうとしているのは、きわめて官僚的で姑息な対応でしかありません。そして、彼らはみずからの責任を偽装するために、(これまた戦争指導者と同じように)「無条件降伏」というジャーナリズムの死を選択しているように思えてならないのです。

朝日新聞の経営陣は、朝日のコアな読者が「誤報」問題をどう考えているかということがまるでわかってないのではないか。コアな読者が失望したのは、「誤報」そのものより、あとの対応とその姿勢に対してなのです。
2014.10.03 Fri l 東京 l top ▲
「吉田清治証言」の記事取り消しに関する朝日新聞へのバッシングは、エスカレートするばかりです。安倍首相も、「世界に向かってしっかりと取り消すことが求められている。朝日新聞自体が、もっと努力していただく必要がある」などとわざわざコメントして、バッシングをさらに煽っているのでした。

朝日が最初に「吉田証言」を記事にしたのは1982年9月ですが、既に90年代の初めには、慰安婦問題を調査する関係者の間でも、「吉田証言」に対して疑問を呈する意見が出ていたそうです。木村伊量社長も記者会見で言っていたように、朝日の訂正はあまりに遅きに失した感は否めません。そこには、日本を代表するクオリティペーパー(?)たる朝日の夜郎自大な体質が露呈しているような気がしてなりません。

もっとも、「吉田証言」を記事にしたのは、朝日だけではないのです。読売新聞も産経新聞も(共同通信も毎日新聞も)、同じように「吉田証言」を大々的に取り上げているのですが(産経新聞は書籍化して「第1回坂田記念ジャーナリズム賞」という賞まで受賞しているのですが)、もちろん訂正もしていません。それどころか、みずからは頬かむりをしたまま、連日、朝日バッシングをくり広げてているのです。別に朝日の肩をもつわけではありませんが、どうして朝日だけがこのように執拗にバッシングされるのかという疑問はどうしてもぬぐえません。

うがった見方をすれば、今回のバッシングとNHKの人事問題がリンクしているような気がしてならないのです。というのも、2001年NHK教育テレビが放送したETV特集・「問われる戦時性暴力」という慰安婦問題を扱った番組に対して、安倍晋三氏が中川昭一氏(故人)とともに、内容が「反日的」だとしてNHKに圧力をかけて番組内容を改変させた(と言われている)”事件”があったのですが(それが今回のNHK人事の伏線になっていると言われているのですが)、その際、安倍氏らの介入を記事にして二人の行為を批判したのがほかならぬ朝日新聞だったからです。ちなみに、当時、安倍氏らと一緒になってNHKに抗議をしていた「愛国」団体の多くは、のちにネットから進出した団体を除いて、今のヘイト・スピーチをおこなっている団体とほぼ重なっています。

また、上記の安倍首相の「世界に向かってしっかりと取り消す」という発言に、慰安婦の存在そのものを否定する歴史修正主義的な底意があるのは間違いないでしょう。そして、その先に、「戦時性暴力」を認めた「河野談話」の空洞化&見直しの狙いがあることは疑いえないのです。

しかし、「河野談話」が作成された経緯を見れば誰でもわかることですが、「河野談話」と「吉田証言」はなんら関係がないのです。あたかもそれらが関係があるかのように言い放つバッシングには、あきらかに意図的なウソ(情報操作)があります。「河野談話」を作成するために政府が二度に渡っておこなった調査においても、「吉田証言」は「信憑性が疑わしい」として調査の対象から外されているのです。その意味では、「問題の核心は変わらない」という朝日新聞の発言は、開き直りでもなんでもなく事実を言っているだけです。

Peace Philosophy Centre
緊急寄稿「河野談話検証報告を検証する」(田中利幸)

日本政府は、1991年7月に公表した「第一次調査」のなかで、慰安所の設置や管理及び「慰安婦」の募集や管理等について、当時の政府や軍が関与していたことは認めたものの、慰安婦にするために女性を強制連行したことについては、「資料が見つからない」として認知を留保したために、内外の批判を浴びました。そのため、翌年の1992年から「第二次調査」を開始し、1993年8月4日にその調査結果を公表しました。

政府(内閣外政審議室)は、「いわゆる従軍慰安婦問題について」と題したこの第2次調査の結果を、1993年8月4日に公表したが、その中で以下の3点を調査対象としたことが説明されている。

調査対象機関:
警視庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館

関係者からの聞き取り:
元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総務府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家

参考とした国内外の文書及び出版物:
韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体等が作成した元慰安婦の証言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いがそのほぼすべてを渉猟した。」

その結果として、「慰安所」の経営と「慰安婦」の募集については、以下のように報告している。

「(6)慰安所の経営及び管理:
 慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営していたケースもあった。民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。

 慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊道具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の検査を行う等の措置をとった。慰安婦の外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦域においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられたことは明らかである。

 (7)慰安婦の募集:
 慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性が高まり、そのような状況下で、業者らが或は甘言を弄し、或は畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。」
(緊急寄稿「河野談話検証報告を検証する」)


これは、日本政府が発表したれっきとした調査結果です。それを今になって反故にするような態度をとっているのですから、国際社会にとうてい受け入れられるものではないでしょう。朝日新聞がどうしたというような話ではないのです。

しかも、「性奴隷」「強制連行」は、それだけにとどまりません。

(略)日本軍将兵が女性を暴力的に略取してきて強姦し、長期間にわたって性奴隷として監禁した例は、抗日武装活動が激しかった中国大陸北東部やフィリッピンでは数多くあったことがこれまでの調査研究で明らかとなっている。さらにインドネシアでは抑留所に入れられていたオランダ人市民女性を日本軍が文字通り強制連行して「慰安所」に送り込み、強姦したうえで性奴隷にしたこと(いわゆる「スマラン事件」)が戦後のオランダ軍による戦犯裁判でも明らかにされた。
(同上)


慰安所や慰安婦については、中曽根康弘元首相(当時は海軍主計官)やフジサンケイグループの元議長で、産経新聞の社長でもあった故・鹿内信隆氏(当時は陸軍経理部)も、それぞれ自著で、自慢げに”証言”している事実さえあります。

リテラ
中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
「女の耐久度」チェックも! 産経新聞の総帥が語っていた軍の慰安所作り

一方、朝日をバッシングする人たちのなかには、朝日の「罪」の本質は、「河野談話」より「クマラスワミ報告」のほうにあるという意見もあります。つまり、朝日の「吉田証言」が慰安婦問題を「性暴力」と認定した国連の「クマラスワミ報告」に根拠を与え、そのために世界に「性暴力」という間違ったイメージを流布させることになったという意見です。しかし、「クマラスワミ報告」の「性暴力」の記述も、朝日の記事とは直接関係がないとクマラスワミ氏自身も明言しているのです。

リテラ
朝日誤報と国連の批判は無関係…安倍政権の慰安婦問題スリカエを暴く

また、もうひとつの誤報、同じ「吉田」なのでややこしいのですが、福島第一原発の事故に現場で対応した吉田昌郎元所長(故人)に対して、事故の4ヶ月後から政府の事故調査・検証委員会が行った聴取記録、いわゆる「吉田調書」をめぐる誤報も、なんだか意図的なものを感じてなりません。

朝日はどこからかのリークによって「吉田調書」の一部を手に入れ、誤報につながるスクープをものにしたのですが、朝日のスクープのあと、今度は産経新聞が朝日のスクープを否定する記事を書いているのです。もちろんそれもリークによるものでしょう。相反するふたつのリーク。そして、今回の公開によって朝日の誤報がはっきりしたのでした。

公開するかどうかは政府の胸三寸でしたので、そこになんらかの計算がはたらいていたとしても不思議ではないでしょう。「吉田清治証言」の記事取り消しのあとの絶妙のタイミングで一転方針が転換され、公開された「吉田調書」。それによって、朝日新聞はさらにバッシングの嵐に見舞われ窮地に陥ることになったのでした。

ただ、「吉田証言」に対しての朝日バッシングは、逆に言えば、慰安婦問題に再び光を当て、慰安婦問題を国民的議論の俎上に乗せるいいチャンスだとも言えるのです。

それは、戦争責任に頬かぶりをして、国体を守るために、”昨日の敵”に取り入り、「敗戦」を「終戦」と言い換えた戦後の虚妄をあきらかにするチャンスでもあります。もっとありていに言えば、おじいちゃんの戦争責任を否定するために、ヘイトなナショナリズムを煽り、戦争を煽っている末裔のいびつな「愛国」心をあきらかにするチャンスでもあるのです。

たしかに、慰安婦問題は、日本人にとって見たくないもの、認めたくないものかもしれません。それは、私たちの祖父や父親の世代がおこなった悪夢のような”恥ずかしい行為”です。もちろん、彼ら日本兵は、赤紙一枚で戦争に駆り出された”被害者”という一面もあります。それに、戦時の極限状況がもたらした特殊な行為という側面もあるかもしれません。でも、そこにはまぎれもなく兵士の欲望のはけ口にされ、女性の尊厳を蹂躙され戦争の犠牲になった女性たちがいることは事実なのです。その事実を事実として認めるのが、近代社会に生きる人間としての最低限のあり方ではないでしょうか。それは、戦時でも平時でも関係ないはずです。どの国でもやっている、誰でもやっているというのは、低劣な言い逃れにすぎず、とうてい近代社会の論理に受け入れられるものではないでしょう。ましてや、その事実から目をそむけている限り、ソ連兵やアメリカ兵が日本人婦女子に対しておこなった蛮行を批判することができないのは当然でしょう。

 大日本帝国陸軍は大局的な作戦を立てず、希望的観測に基づき作戦を立て(同盟国のナチス・ドイツが勝つことを前提として、とか)、陸海軍統合作戦本部を持たず、嘘の大本営発表を報道し、国際法の遵守を徹底させず、多くの戦線で戦死者より餓死者と病死者を多く出し、命令で自爆攻撃を行わせた、世界で唯一の正規軍なのである。(引用者注:原文では「唯一の」に傍点あり)
(『愛と暴力の戦後とその後』赤坂真理・講談社現代新書)


私たちが目を向けるべきは、中国や韓国の「反日」な世論でも、朝日新聞の報道でもなく、こういった戦争に私たちの祖父や父親たちを駆り出した戦争指導者たちの責任なのではないでしょうか。そして、どうして他国民に対しても自国民に対しても戦争責任があきらかにされなかったのか、誰も責任をとらなかったのか、という問題にもう一度立ちかえり、戦後を検証することではないでしょうか。朝日新聞バッシングは、そのいいチャンスなのだと思います。

しかし、文春や新潮の問題でも示されているように、(江藤淳の言い方を”反語的”に借用すれば)戦後の「閉ざされた言語空間」では、そのせっかくのチャンスを生かすことができないのは自明でしょう。象徴天皇制と平和憲法がワンセットになったのがアメリカの占領政策でした。そんな「天皇制民主主義」(加藤典洋氏)のもとにおいては、改憲派も護憲派も、「保守」と「革新」も、単に「一つの人格の分裂」、ジキルとハイドでしかないのです。「改憲」やヘイト・スピーチが文春や新潮に支えられているように、「反戦」や「反核」も文春や新潮に支えられているのです。そういった戦後の「閉ざされた言語空間」に依拠している限り、せっかくのチャンスを生かすことができず、「本音モード」としての「熱狂なきファシズム」(想田和弘氏)に飲みこまれるのがオチでしょう。

『敗戦後論』で加藤典洋氏が書いていましたが、マーク・ゲインの『ニッポン日記』によれば、連合軍総司令部民政局長のコートニー・ホイットニーは、自分たちで作成した憲法草案を日本側の検討チームの閣僚たちにつきつけた際、「総司令官マッカーサーはこれ以外のものを容認しないだろう」と述べて、日本側に15分間検討の時間を与え、「隣のベランダに退いた」のだそうです。するとほどなく爆撃機が1機、「家をゆさぶるように」検討チームがいる家屋すれすれに飛んで行き、そして、15分後、部屋に戻ったホイットニーはこう言ったのだとか。

”We have been enjoying your atomic sunshine”

加藤展洋氏は、平和憲法の武力放棄条項が、このように「武力による威嚇の下で押しつけられ、さしたる抵抗もなく受けとめられた」、その「矛盾」「自家撞着」を「ねじれ」と表現したのでした。その結果、「戦後」の日本は、平和憲法の理念は称賛するが、それを信じてないという「二枚舌」(「自家撞着」)のなかで生きることになったのです。

新憲法は、そのあと、天皇の勅語とマッカーサーの支持表明を経て、国会で採択され公布されるのですが、このホイットニーのジョークを「屈辱」と感じた日本人がどれだけいたでしょうか。戦後の虚妄をあきらかにするためには、私たちは、まず、アメリカの核の傘の下(atomic sunshine)で空疎なことば(与えられた常套句)を弄ぶだけの「閉ざされた言語空間」を対象化することからはじめなければならないのです。すべてはそこからはじまるのだと思います。『永続敗戦論』で白井聡が書いていたように、戦後はまだ終わってはいないし、まだはじまってもいないのです。

※タイトルを変更しました(9/20)

>> 『永続敗戦論』
2014.09.17 Wed l 東京 l top ▲
目黒川2013020


若い頃は花なんてまるで興味がありませんでした。花見に行くのも彼女とのデートが目的で、花なんてどうでもよかったのです。「花がきれいね」「いや、君のほうがきれいだよ」なんてことは言わなかったものの、花より団子、花より女の子という感じでした。

ところが不思議なもので、年を取ると花が恋しくなるのです。梅でも桜でも、花の季節になると、無性に花を見たいと思うようになるのでした。

今年は桜の開花が早く、都内では先週が見頃でした。そのため先週の土日は、東横線の電車から目黒川が見えるのですが、目黒川の川沿いや中目黒界隈は大変な人出で、文字通り芋を洗うがごとしの様相でした。しかも、昨夜(月)は雨が降り、今日も朝から強い風が吹いていましたので、このままでは今年は桜を見逃してしまうのではないか、そう思うといてもたってもいられません。それで、今朝、目黒川に花を見に行ってきました。

この界隈はドラマにもよく登場するので若いカップルにも人気で、最近もフジの「最高の離婚」というドラマのロケで使われたそうです。恋を語るには、ぼんぼりの明かりに照らされた夜桜のほうがお似合いなのかもしれませんが、花が目当てのピューリタンなおっさんにはそんなの関係ねぇ(古い!)、むしろ朝のほうが似合っているのでした。

(写真はスマートフォンで撮りました)


目黒川2013040

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目黒川2013203
2013.03.26 Tue l 東京 l top ▲
東横線渋谷駅0010


午後から渋谷に出かける用事があったので、ついでにもう一度東急東横線渋谷駅の写真を撮ってきました。

今日が最終日とあって、駅構内は記念の写真を撮る人たちで大混雑でした。また明日から地下にもぐる代官山~渋谷間では、道路の至るところにカメラを構えた人たちの姿が見えました。一方、ホームが見渡せる駅前の歩道橋の上もカメラを構えた人たちが鈴なりでした。テレビ局のクルーもあちこちに来ていて、通行人や写真を撮っている人たちにインタビューしていました。

ホームでは、「迷惑になりますので、立ち止まらないでください!」「ここは撮影禁止です。撮影をおやめください!」と警備員たちの怒号のような声が響いていました。そのくせ、「東急電鉄」の腕章を付けたグループは、乗客の迷惑も顧みず(!)ベストポジションでビデオカメラをまわしているのでした。

ホームでは、腰の曲がったお婆さんが写真を撮っていました。聞けば、祐天寺から写真を撮るためにやってきたのだそうで、「涙が出そうですよ」と言ってました。怒鳴られ邪魔者扱いされながらも、みんなそれぞれ思い出を胸にカメラを構えているのでした。


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2013.03.15 Fri l 東京 l top ▲
明治神宮01


朝、明治神宮に”初詣”に行ってきました。時間がはやいということもあったのでしょうが、参拝客は思ったより少なくて、普段の平日とほとんど変わりませんでした。

心境は”初詣”というより「苦しいときの神頼み」といった感じですが、しかし、凡夫はどこに行っても凡夫で、浮世の垢を拭うことはできないのでした。お賽銭箱に100円玉を入れたつもりがうっかりして500円玉を入れてしまったのです。お賽銭を投げ入れた格好のまま一瞬止まり、思わず「あっ!」と声が出てしまいました。

お参りを終えて参道を引き返していたとき、中年のサラリーマン風の男性が、携帯電話でなにやら話しながら私の前を歩いていました。その声が聞くともなしに聞こえてきました。

「申し訳ございません。なんとかしますから」
「はい、私のほうのミスです。申し訳ございません」

どうやらクレームの電話のようです。でも、その男性にしても、つい先ほどお参りしたばかりなのです。「今年も平穏無事にすごせますように」と祈願したのかもしれません。神様はなんと理不尽なんだろうと思いました。

もっとも、キリスト教やイスラム教のような一神教であれば、神は唯一絶対的な存在なので、神から背を向けられたら絶望するしかないのですが、この日本は八百万の神の国です。だから、捨てる神もあれば拾う神もあるのです。

携帯電話を耳に当てたままペコペコ頭を下げている男性をみながら、私は、「拾う神」を求めてつぎの神社を参拝したほうがいいんじゃないか、なんて不謹慎なことを考えました。

今や初詣のテレビCMが流れる時代ですし、またアニメの”聖地”などと言ってオタクに秋波を送る神社まで出てくる時代です。恋愛や病気や商売繁盛などご利益を特化して他と差別化をはかる神社もあります。文字通り、神様の世界も資本主義の洗礼を受けているのです。

「神はまず悲哀の姿して我らに来たる」と綱島梁川が言うときの”神”と、初詣のときに拝殿の奥に鎮座まします”神”は、なんだかまったく別のもののようにさえ思えてきます。たしかに、日本中にある神社は、その土地の”偉人”、つまり「大きな物語」を担った”偉人”を顕彰するという側面もあったのでしょう。

そう考えると、私たちが手を合わせるべきは、拝殿の奥に鎮座まします”神”より、まず自分の謙虚な心のなかにある”神”のほうではないか。仏教で言う「念仏申さんと思ひたつこころ」こそが大事ではないか。それが「八百万の神」の基底にある考え方ではないか、と困ったときだけ神頼みをする不信心者は思ったのでした。


明治神宮02

明治神宮03
2013.01.17 Thu l 東京 l top ▲
大倉山雪1

関東地方をおそった大雪。

もっとも、このブログでも何度か積雪の写真を掲載していますが、東京と言えどもそんなに大雪がめずらしいわけではありません。もちろん毎年あるわけではないですが、何年に1回くらいはあります。そのたびにマスコミは、カマトトぶって「雪に弱い東京」とかなんとか驚いてみせるのでした。

道路が大渋滞になったり、凍結で転倒者が続出して多くの負傷者が出たりというのは、要するに東京が過密都市だからです。雪が降らなくても渋滞しているのですから、雪が降ればさらに渋滞するのは当然でしょう。電車通勤のため、雪が降っても革靴やハイヒールの人が多く、朝、雪の舗道を急ぎ足で会社に向かえば、「滑って転んで大分県」になるのも当然でしょう。

ただ、実際に転倒して負傷するのは、東京より横浜のほうが多いそうです。なぜなら横浜は坂道が多いからです。この積雪のなか、山手のような丘の上の住民たちはどうしているんだろう、どうやってあの坂道を行き来しているんだろうと思いました。

「雪に弱い東京」というのは、いわゆる”常套句”です。いつも雪が降ると、「雪に弱い東京」という”常套句”が使われるのですが、でも、そうやってなにかを語っているようで、実はなにも語ってないのです。そこには、あらかじめ用意された「お定まりの現実」があるだけです。

午後から渋谷に行かなければならない用事があったのですが、雪だけでなく風も強くて、むしろそっちのほうが難儀でした。しかも雪のなか、都心で車を運転するはめになったのですが、環七や山手通りなど幹線道路の至るところで、路肩に車が「放置」されていて、それがよけい渋滞を招いているのでした。そもそも雪が積もった道路をノーマルタイヤで走るなどというのは、「雪に弱い」とか言う以前の問題です。そんな常識のない人が半端なく多いのも東京なのです。


大倉山雪2

大倉山雪3
2013.01.15 Tue l 東京 l top ▲
神宮外苑201211102007

夕方、用事があって青山に行ったついでに神宮外苑に寄ってみました。数日前の新聞に、「黄色の絨毯」というタイトルで神宮外苑のイチョウ並木の写真が掲載されていたのを思い出したからです。

ところが、行ってみると、雨のせいなのか、写真のように「黄色の絨毯」とはほど遠いさみしい光景しかありませんでした。

夢のなかに昔つきあっていた彼女が出てきて、それ以来、なんだか彼女の亡霊にとり憑かれたかのように暗い気分のなかにいます。女性は恋愛に対しても切り替えが早く、男性に比べてドライだと言いますが、こういった気分はやはり男性特有のものなのでしょうか。私は、女のきょうだいのなかで育ち、女性の嫌な面は飽きるほど見てきましたが、だからと言って、女性心理の機微に通じているわけではありません。むしろ、恋愛がことごとくうまくいかなかったのは、この「女心がわからない」性格がわざわいしているとも言えます。

以前、渋谷の雑踏で彼女によく似た女性を見つけて、思わずその場に立ち尽くしたことがありました。また、山手線の電車のなかで、同じように彼女に似た女性を見つけたときは、途端に息苦しくなり額から汗がタラタラ流れ出して、途中の駅で降りたこともありました。

どうしてこんなにひきずるんだろうと思います。それだけ未練があるのかと言えば、どうもそういうのとは違うように思います。だからやっかいなのです。”男心”というのも、女性が思うほど「単純」ではないし「わかりやすい」ものでもないのです。

神宮外苑のイチョウ並木の下を歩いていたら、いつの間にかまた夢の余韻に囚われている自分がいました。そして、いっそう暗い気分になりました。人間を長くやっているとろくなことはないのです。

神宮外苑20121101

神宮外苑20121042

神宮外苑20121014

神宮外苑20121065
2012.11.30 Fri l 東京 l top ▲
今日、産経新聞が配信した写真(11月12日17時32分配信)は、朝日新聞の愛読者ならずともショックなものでした。

私は、それをみて、昔、韓国のマスコミが国内向けに流したある写真を思い出しました。それは日本の政治家が韓国を訪問して当時の朴正熙大統領に挨拶している写真なのですが、この写真のように、まるで拝謁しているかのような構図の写真でした。軍事独裁政権下の韓国では、独裁者の権威を誇示するために、そういった写真が意図的に掲載されていたという話を聞いたことがあります。

朴正熙や全斗煥などの軍事独裁政権は、日本の自民党政権と癒着して「売国的」な政策を推し進めていた一方で、みずからの政権を維持するために、そうやって「反日」なポーズをとり「反日的」な世論を煽っていたのでした。これは韓国に限らず、どこの国でもそうですが、そうやって二つの顔を使い分けていたのです。

低頭平身する朝日新聞出版の幹部たち。それを直立不動で見下ろしているかのような橋下氏は、まるでどこかの国の独裁者のようです。そして、この写真を掲載した産経新聞や写真撮影を許可した橋下氏の意図が、まるで透けてみえるような写真でもあります。

『週刊朝日』の連載記事を巡るトラブルは、連載中止、編集長更迭を経て、とうとう『週刊朝日』の発行元である朝日新聞出版の社長の引責辞任にまで至り、橋下氏の完全勝利に終わったと言えます。「腎臓を売って金を返せ」などと脅して債務者を追い込み社会問題化した商工ローンの顧問弁護士をしていただけあって、橋下氏の喧嘩上等ぶりはさすがです。

私も昔、仕事で”怖い人”たちとトラブった経験がありますが、彼らは決して私のような小物を相手にしないのです。彼らが相手にするのはあくまで会社です。ある日、出勤したら、応接室で、会社の総務部長が見覚えのある強面の人と対面しているので、「なんで?」と思ったのですが、そのときは既に私の知らないところで”手打ち”が行われていたのでした。橋下氏が相手にしたのも、あくまで親会社の朝日新聞本社でした。喧嘩のやり方がプロだなと感心せずにおれません。

『週刊朝日』の記事は、私も病院の待合室で読みましたが、内容そのものは既に『週刊新潮』や『週刊文春』で書かれていることの焼き直しにすぎません。それに佐野眞一氏お得意のえげつなさが加味されただけです。『新潮』や『文春』のときは、部落解放同盟が抗議したようですが、橋下自身氏はTwitterで「バカ文春」とかなんとか罵倒しただけで、今回ほど公の場で執拗に抗議は行いませんでした。今回は「朝日」が相手なので、橋下氏もことさら声を荒げたということはないのでしょうか。ポピュリストにとって、「アカい朝日」を相手にすることはアピール度も高いはずです。

今回の抗議にしても、最初、朝日新聞出版と朝日出版(全然別の会社)を間違えたり、母親のもとには取材に行ってないのに事実誤認して抗議したりと、非常に杜撰なものでした。にもかかわらず週刊朝日はわずか2日で謝罪したのでした。

あえて言えば、「だったら(こんなに腰が弱いのなら)最初から書くな」と言いたいですね。そもそも今回の連載は、一部で指摘されているように、『新潮』や『文春』が書いているから大丈夫だろうというあざとい”便乗商法”だったのは間違いないでしょう。しかも、執筆は佐野眞一氏です。佐野氏については、私も木嶋佳苗被告の記事で批判しているとおりで、最近はノンフィクションライターとしての姿勢に、とかく問題がありました。佐野氏を起用したこと自体、間違っていたのです。こういうところにも『週刊朝日』の見識のなさが露呈しているように思えてなりません。

朝日新聞本社の対応は、なにより読者の反発による部数減をおそれたからだと言われていますが、しかし、こういった弱腰と見識のなさをさらけ出したことで、逆にますます部数減に拍車がかかるのは避けられないでしょう。ジャーナリズムとして、この弱腰と見識のなさは致命的だとさえ言えます。

そして、結局は、いつものように、差別表現の問題だけでなく差別問題そのものも封印する(タブー視する)だけで終わるのです。これで「反省」と言えるのでしょうか。私には単なる「ごまかし」「臭いものには蓋」ようにしかみえません。こういう問題が起きるといつも決まって、「差別表現の議論を喚起する方向に向かうべきだ」といった声が出るのですが、今回もどう考えてもそのような方向に向かうようにはみえません。

『日本の路地を旅する』の著者・上原善広氏によれば、大新聞は「二年前、ぼくの『日本の路地を旅する』が発刊されたとき、『同和問題はどのような本であれ、紙面では紹介できない。ただし大宅賞をとったら載せてあげても良い』と豪語」したそうですが、今回の「謝罪」もそんな事なかれ主義の姿勢から一歩も出てないのです。こんなことで、今後、朝日新聞は、政治家橋下徹を自由に忌憚なく報道することができるのでしょうか。とてもそうは思えません。

上原善広氏は、今回の問題について、みずからのブログ「全身ノンフィクション作家」で、「いまもっとも話題の政治家・橋下氏の記事としては許される範囲」だとして、つぎのような感想を述べていました。「朝日」の「おわび」や「検証」のような事なかれ主義の作文ではなく、こういう見識のある意見を手がかりに、今回の問題を考えていくことが大事ではないでしょうか。

まず差別的にしろ、なんにしろ、ぼくは路地について書かれるのは全て良いことだと思っています。それがもし差別を助長させたとしても、やはり糾弾などで萎縮し、無意識化にもぐった差別意識をあぶりだすことにもなるからです。膿み出しみたいなものですね。それで表面に出たものを、批判していけば良いのです。大事なのは、影で噂されることではなく、表立って議論されることにあります。そうして初めて、同和問題というのは解決に向かいます。
橋下氏についての週刊朝日連載 2012/10/18)


橋下氏は、路地(同和)どころか、大変な困窮家庭から、想像を絶する苦労を強いられながら這い上がってきた男です。度胸もあり、頭もズバ抜けてかしこい。さらに仕事が早い。感性と理性の両方を兼ね備えたスーパースターです。このような人物に、路地という出身は、実はあまり意味をもちません。彼のようなスーパースターは、すでに「土地」を超越してしまっているからです(詳しくは書きませんが)。彼の出自について書くならば、まずそれを最前提にしてからでないといけません。
週刊朝日の謝罪 2012/10/19)


>> 木嶋佳苗 100日裁判傍聴記
>> ハジズム
>> 『日本の路地を旅する』
2012.11.12 Mon l 東京 l top ▲
スカイツリー1

連休の中日。しがない自営業の身には連休なんて関係ないのですが、それでも連休に浮かれる世間様がうらやましくてなりません。それでふと思いついて、お上りさん気分で、東京スカイツリーに行ってみました。

渋谷から銀座線で浅草まで行って、浅草からスカイツリーラインに乗ると、ひと駅で「とうきょうスカイツリー」駅に着きます。ちなみに、このスカイツリーラインというのは、以前は東武伊勢崎線と呼ばれていました。というか、今でも東武伊勢崎線には違いないのですが、一部区間のみスカイツリーラインと改称されたそうです。また、「とうきょうスカイツリー」駅も、スカイツリーができるまでは「業平橋」駅だったのです。このように都心から離れた”辺境の地”にスカイツリーを造らざるをえなかったために、いろんなところにイメージアップのための苦心がうかがえます。

墨田区に住んでいる知人は、「スカイツリーのある押上(業平橋)なんてなにもないところだぜぇ」とワイルドな口調で言ってましたが、たしかに「なんにもないところ」でした。東京スカイツリーの「東京」は、かつて荒川区にあった「東京スタジアム」の「東京」と同じで、同じ「東京」でも場末感は否めないのです。

もっとも、そんな「なんにもないところ」が街の魅力だったりするのです。だから「住みやすい」ということはあるはずです。スカイツリーは、そんな「なんにもない」街のつつましやかな日常や記憶の積層を蹂躙してやってきたのでした。

東京タワーは、モスラが東京タワーを壊す映画の場面に象徴されるように、いわば高度成長に突き進む日本のシンボルでした。でも、今の日本には、そんな先進国に追いつけ追い越せというキャッチアップの力強さも希望に満ちた明るい未来もありません。東京タワーと違ってもはやシンボルにもなりえないスカイツリーの威容に、私は、悲哀すら覚えました。

スカイツリーには東武と京成の駅がありますが、いづれも改札口がスカイツリーや付属の商業施設の東京ソラマチと直結していますので、これでは大半の観光客はただ行って帰るだけで、周辺の商店街に人が流れることはあまり期待できないように思います。

東京ソラマチ(「エキナカ」や「エキュート」などと同じように、いかにも官僚的な鉄道会社らしい安易なネーミングですが)も新鮮味の乏しい商業施設でした。観光地の施設というより、むしろ街中でよく目にする駅ビルという感じです。ディベロッパーが変わっても、中身はどこも似たかよったかで、この手の施設がもう完全に手詰まりになっていることを痛感させられます。マツモトキヨシもあるし、魚力(魚屋)もあるし、二木の菓子もあるし、三省堂書店もあるし、プラザ(旧ソニープラザ)もあるし、ロフトもあるし、ZARAもあるし、ユナイテッドアローズもあるし、もちろんユニクロもあるのです。それどころか、東武百貨店だってある。どこにもあるものがあるだけです。これじゃJRがやってることと同じで、街を殺すだけでしょう。

帰りはついでに浅草を散策しました。浅草寺周辺は大変な人出でした。いつの間にか台数が増えた人力車の客引きがちょっとうざかったけど、東京スカイツリーを見たあとだとよけい人の温もりを感じてホッとしました。浅草は浅草で大変だという話も聞きますが、地元の人たちの努力もあって、まだかろうじて「街が生きている」という気がしました。

>> 浅草・ほうずき市


スカイツリー2

スカイツリー3

スカイツリー4

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2012.07.15 Sun l 東京 l top ▲
先日、田舎の友人からどこか居候させてくれるところを知らないかと電話がありました。といって、居候するのはその友人ではなく、彼の甥っ子です。なんでも俳優になるために上京すると言ってきかないらしいのです。しかし、住むところのあてもなく、本人は「ホームレスをしてもいい」と言っているのだとか。

私はその気持がまぶしく思えてなりませんでした。それで、「五木寛之は早稲田に入るために上京したとき、下宿するお金がなかったので、早稲田の穴八幡神社の床下に寝泊まりしたらしいぞ。そのほうが大物になるんじゃないか」と言いました。

折しも、先日、『ヤンキー進化論』を書いた難波功士氏の新著『人はなぜ〈上京〉するのか』(日本経済新聞出版社)を読んだばかりなのですが、今の若者たちの人生にとっても、上京は大きな意味をもつのだろうかと思いました。

「東京・東京・東京と書けば書くほど哀しくなる」と言った寺山修司と同じように、私はとにかく東京に行きたくてなりませんでした。東京に行かなければなにもはじまらない、東京から自分の人生ははじまるのだ、と思っていました。しかし、今になり、じゃあなにがはじまったんだと自問すると、ただ自己嫌悪におちいるばかりです。結局このざまだ、という気持しかありません。

しかし、それでも上京したことを後悔する気持はありません。それは自分でも不思議です。だから、将来田舎に帰りたいという気持もまったくありません。むしろ、(何度も言いますが)たとえ野垂れ死にしても田舎には帰らない、という気持のほうが強くあります。

『人はなぜ〈上京〉するのか』のなかでは、つぎのような五木寛之の文章が紹介されていました。

 九州出身者なら、九州から鈍行を乗りつぎ、参考書を枕にごろ寝しつつ悠々上京してくるような受験生が好きだ。東京の宿が高いと思えば、新宿あたりのフーテンと共に街に眠って、デパートの便所を使い、大学の池で顔を洗って試験場に臨むような高校生が好きだ。場合によったら、ジャズ喫茶か何かで金持ちの遊び人女子学生でも引っかけ、相手の車でも貸してもらって、その中で寝るような若者が好きだ。新宿旭町付近でも、どこでも一泊二百円のベットハウスぐらいびくともしない受験生が好きだ。(五木寛之『風に吹かれて』新潮文庫、1972年)


私も五木寛之の真似をして、ゴーリキーの『私の大学』を携えて上京し、友人のアパートを転々としていました。受験のために上京したときも、ホテルなんて望むべくもなく、このエッセイと似たようなことをしていました。あの頃のことを思い出すと、息苦しくなるくらいなつかしくてなりません。

今の私にとって、春はどこかせつないものがあります。いつの頃からか、そんな季節になりました。春は希望に満ちた旅立ちのイメージがありますが、この年になると、もうそんな季節が訪れることがないからでしょうか。
2012.03.25 Sun l 東京 l top ▲
有栖川記念公園3914

どうやらしばらく広尾に通うことになりそうです。今日も広尾に行きましたが、時間が空いたので、有栖川公園(有栖川宮記念公園)に行って時間を潰しました。今日も季節外れの「真夏日」でしたので、公園内の小川では近所の子どもたちがザリガニ捕りをしていました。

広尾では時間を潰すのに苦労します。マクドナルドも狭くていつも混雑しているので、とても入る気になりません。かといって、肩にセーターを巻いて、素足でモラシンをはいた、石田純一もどきのおっさんが通りに向かって足を組んですわっているような、おっしゃれなカフェにひとりで入る勇気はないし、北尾トロ氏ではないですが、「ルノアールはないのか?」と言いたくなります。ルノアールのない街はどうもなじめません。

もっとも、広尾も以前に比べると、なんだか華やかさがなくなり、街全体がくすんだような印象を受けました。なかでも広尾ガーデンの凋落がそれを象徴しているように思います。昔を知る人間としては、伊東屋や青山ブックセンターやソニープラザ(クリスマス限定店舗)のない広尾は、やはりさみしいものがあります。さらに同じようにランドマークだったナショナル麻布も今月いっぱいで閉店するそうで、じゃあこれからの季節、クリスマスカードはどこで買えばいいんだろうと思いました。広尾の街には、個人的に悲しい思い出もありますが、いいことなのか悪いことなのか、そういった思い出も一緒にくすんでしまったような感じでした。

昨日、テレビの情報番組で、「セレブの街・六本木」の特集をしていましたが、それをみていて、どこが「セレブの街」なんだ?と思いました。足が地についてないような「如何にも」といった感じの会社や人間が多いのもこの界隈の特徴です。

「ガキみたいな女の子がどうして家賃が30万も40万もするようなマンションに住むことができるのか、一体なんの仕事をしているんだ?と思いますよ」と地元の人が言ってましたが、それが東京なのですね。いわばそれは「動体視力でみる東京」です。その女の子にしても、半年か1年もすればいなくなるのです。そして、また別の女の子がやってくる。そのくり返しなのです。

人間だけでなく会社もショップも同じです。あんな高い家賃のところに店を出して、ホントに採算が合うんだろうか?と考えるのは野暮なのです。みんな短いサイクルでどんどん入れ替わっていく。でも、私たちがみているのは、そのひとコマにすぎないのです。そして、「東京ってすごいな」「みんな、おしゃれでいい生活をして羨ましいなぁ」と思うのですね。

若い頃、六本木通りを車で走っていたとき、横の車線からベンツが強引に割り込んできたので、「どうしてベンツやBMWに乗っているのは、マナーの悪いやつが多いんだろう?」と言ったら、助手席に座っていた女の子から、「そんなことを言うとみじめになるだけだよ」と言われたことがありました。思わず首をしめてやろうかと思いましたが、運転中だったのでムッとして黙っていたら、「どうしたの? 急に黙って」と言われました。長い髪をなびかせ颯爽とした足取りで前から歩いてくるモデル風の女の子をみていたら、ふとそんなことを思い出しました。妙なことはいつまでも覚えているものです。

>> 六本木
2011.10.19 Wed l 東京 l top ▲
昨日、今年の夏いちばんの暑さだったそうですが、原宿で人と会う用事があったので午後から出かけました。

用事のあと、ついでに原宿界隈を散歩しました。といっても、表通りはとても散歩する状態ではないので、裏道を選んで散歩しました。

残念ながら写真は撮っていません。デジカメで写真を撮ろうとしたら、カメラがまったく反応しないのです。「故障?」と思ってなかを開けたら、電池が入っていませんでした。充電したまま本体に戻すのを忘れていたのです。年をとると、このように毎日がハリー・ポッターです。

歩いているうちになんだかさみしい気持になりました。若い頃は歩いていると必ず誰か知り合いに会ったものです。でも、今は知っている人に会うこともありません。それどころか、なんだか知らない街にでも来ているかのような気持になりました。

途中、私が事務所を借りていた場所を通りました。昔、私はサラリーマンをしながら、一方で事務所をもって別の仕事をしていたことがありました。いわゆる二足のわらじで、事務所にはアルバイトの女の子まで雇っていました。しかし、借りていたビルは既に建て替えられており、周辺の雰囲気も全然変わっていました。かろうじて角の郵便局が当時のまま残っているだけでした。

会社を辞めてしばらくして、同じ会社に勤めていた人間と会ったら、「変わりましたねえ」「別人みたいですよ」と言われたことがありました。たしかに、あの頃は若くてバイタリティがあったなと自分でも思います。

ついでに駐車場を借りていた場所に行ったら、おしゃれなビルが建っていました。アパレルの会社が入っていた角のビルは、今は空いているらしく、ショールームだった部屋のガラスに「テナント募集」の紙が貼られていました。

ビルの前の路上では、個性的な格好をした若者たちが煙草を吸っていました。彼らもやがて年をとったら、孤独感と疎外感を抱きながら、同じ通りを歩くことになるんだろうかと思いました。

表参道から脇道に入り、キラー通りと呼ばれている外苑西通りにいったん出て、再び原宿駅の方に戻り、最後は表参道の反対側からキャットストリートを通って渋谷まで歩きました。

グレイのポロシャツを着ていたのですが、ふと気が付くと、脇の下などに黒く汗が浸みだしていました。いかにも加齢臭+汗の臭いプンプンのおっさんといった感じなので、汗をひかせようと、渋谷の駅裏にある喫茶店に入ったのですが、案の定「節電」でいっこうに涼しくないのです。しかも、店内は煙草の臭いでむせるほどでした。それで、よけい暗い気持になりました。
2011.08.19 Fri l 東京 l top ▲
表参道3206

表参道のイルミネーションは、一昨年11年ぶりに復活したのですが、環境に配慮してLEDに切りかえたからなのか、以前に比べるとやや地味な感じを受けます。人出も以前ほどではありません。もっとも、今はいろんなところでイルミネーションが行われていますので、わざわざ原宿に来るまでもないのかもしれませんが。

表参道を歩いている人達を見ると、ここでも若者に混じって中高年の姿が目に付きました。中でも目立つのは、ホテルのランチバイキングのコーナーを占領しているような中高年の女性グループです。彼女達はヴィトンやグッチやシャネルやフェンディなど、誰でも知っているようなブランドのバッグを手に提げているのが特徴です。

道ですれ違う同年代の男性を見ても、結構おしゃれをしている人はいるのです。おそらくその人なりのこだわりをもって、おしゃれしているつもりなのでしょう。しかし、はたから見るとおしゃれしているようには見えないのです。だからといっておしゃれをやめると、”最後の砦”も失ってしまうような気がしてやめるわけにはいかないのでしょう。その気持はよくわかります。

雑誌などでもよく「ナイスミドルになるためのおしゃれ術」なんて特集が組まれて、「年を取るほどおしゃれは必要です」とか「おしゃれをする気持を忘れたらおしまいです」なんて”おしゃれ心”を煽るのですが、それは常に過剰生産恐慌の恐怖にさらされながら拡大再生産をつづけなければならない資本主義の呪文のようなものです。

やっぱり、おしゃれは若者のものです。表参道を歩きながらつくづくそう思いました。何と言っても彼らのおしゃれは街に映えています。そんな若者が羨ましくてなりません。若い頃もっと勇気を出しておしゃれをすればよかったと思いました。

彼らの可処分所得の多くはおしゃれに使われているのでしょう。よくひとり暮らしの女の子から、食事代をけずってでもファッションにお金をかけるという話を聞きますが、そういう”情熱”が羨ましいなと思います。中高年のおしゃれは、どこか「浮いている」感じがあり、ある種の痛ましささえ覚えることがありますが、若者のおしゃれにはそれがないのです。

もちろん、武田泰淳ではないですが、そんな若者達も苦悩とは無縁ではないのでしょう。しかし、少なくともそうやっておしゃれをして街を闊歩している姿は、すがすがしくていいもんだなと思いました。人生において、そういった「楽しい」とか「好き」とかいった気分や気持は、ホントに大事だなと思います。

街を歩く楽しさ、東京にはそれがあります。それが東京の大きな魅力です。

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2010.12.14 Tue l 東京 l top ▲
川越_3015

今日は午後から川越に行きました。川越に行くのは、横浜に引っ越して以来なので、約4年ぶりです。10数年前、まだ川越が今ほどメジャーではなかった頃、大分の地元で街おこしをやっている友人に川越のことをメールに書いたことがあります。

若者相手のかわいいペンションの時代は終わった。これからは中高年だ。中高年がけん引するホンモノのレトロブームが来る。その成功例が川越で、今後の街づくりの参考になるんじゃないか、というようなメールを送りました。すると、市の職員などを伴って九州から視察にやって来たのです。

その際メールに添付した川越の写真がいつの間にかフォルダごと消えてしまいました。それで、あらためて写真を撮りに出かけたのでした。

言うまでもなく川越は、その後、NHKの連続ドラマの舞台にもなったりしてすっかりメジャーになりました。しかし、その分、作りものじみた部分が目立つようになり、逆につまんなくなった気がしないでもありません。

でも、団塊の世代の足腰が立たなくなるまでこのレトロブームはつづくのではないでしょうか。まったくどこに行っても「ちい散歩」ごっこの中高年ばかりです。

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2010.11.14 Sun l 東京 l top ▲
神宮外苑2988

尖閣諸島沖ビデオのネット流出事件は、実に「いやな感じ」(高見順)がしました。ビデオの公開にさまざまな意見があるのはわかりますが、あくまでそれを判断するのは政治です。どんなに愚鈍な政治であろうとも、それが民主国家としての最低限のルールです。犯人の海上保安官は「国民が知るべきだ」と言ったそうですが、一介の公務員のどこにそんな権利があるのか、と言いたいですね。海上保安官の行為は、シビリアンコントロールの否定にもつながりかねない、きわめて重大な”公務員の犯罪”です。しかし、そういった問題の本質がいっさい問われることなく、ただ情緒的扇動的な報道がくり返される今の状況は、まったく異様だとしかいいようがありません。

APEC開催中とあって横浜はどこも警察官の姿ばかりが目立っています。ましてみなとみらいは散歩どころではありません。それで、今日は秋の風情を求めて神宮外苑に行きました。しかし、渋谷の街も警察官がやたら目につきました。渋谷郵便局に寄って、そのまま青山通りを通って神宮外苑まで歩いたのですが、青山通りでは車道に警察官がずらり並んで検問も行われていました。

絵画館前ではいちょう祭りの準備が行われていましたが、まだ少し早い感じでした。いちょうと言えば、子供の頃、近所の神社の境内にあったいちょうの木を思い出します。私達はその神社を「天神様」と呼んでいましたが、この季節になると、木の下の黄色に敷きつめられた落葉の上でよく相撲をとったりして遊んだものです。

青山通りを歩いていて、ふといつもと違うなと思いました。最近、自分はこんな歩き方だったかなと思うことがあって、歩いている自分に違和感を抱くことが多かったのですが、今日はまわりのペースにあわせて大股でさっそう(?)と歩いている自分がいて、気分も爽快でした。

考えてみたら、歩く自分に違和感を覚えたのは横浜に引っ越してからです。横浜の人は都内と違って歩くのがのろくて、特に横浜駅のような人ごみでは、自分のペースで歩けないもどかしさをいつも感じていました。歩くことひとつにも、そういった「身体の記憶」というのがあるのだということがわかりました。

神宮外苑3001

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2010.11.11 Thu l 東京 l top ▲
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早いもので、もう10月です。今年も残すところあと3カ月。

10月は私の誕生月ですが、この年になると誕生日なんて来なけりゃいいのにと思いますね。先日、70才すぎてもなお、現役のピアニストとして仕事をされている方に会った際、敬老の日の話になりました。

「敬老会に行くんですか?」
「行くわけないわよ」
「老人会から招待されないんですか?」
「だから、老人会に入ってないのよ。老人会に入ってなければ関係ないのよ」
「じゃあ、田舎と違うんですね? 田舎の場合、ほとんど強制的に敬老の日には敬老会に招待されて、公民館などで婦人会がご馳走を作って接待するんです。だから、65才になったら自分の意思に関係なく老人扱いですよ」
「まあ、それこそお節介よね。田舎じゃなくてよかった」
「これから老人になる人間から言わせもらえば、敬老の日なんてなくなればいいのにと思いますね」
「あたしもそう思うわ」
「民主党も郵政改革法案なんかより敬老の日廃止法案でも出してもらいたいですよ」
「ホント、敬老の日なんてありがた迷惑よね」

こうして誕生日が来るということは、あの悪夢のような「敬老の日」が1歩づつ近づいているということなのです。「敬老」と言うなら年金をなんとかしろと言いたい。口先だけで「おじいちゃん、おばあちゃん、長生きしてくださいね」と言うのは簡単なのです。

先週の『週刊東洋経済』では、「第2の就活 70歳まで働く! 」という特集が組まれていましたが、私だって70才になっても75才になっても元気なうちは働きたいと思っています(というより働かなければならない)。真昼間から用もないのにホームセンターや家電量販店の中をウロウロして、木の実ナナのような私服警備員から尾行されるくらいなら、元気な老人は働いた方がいいと思いますが、だからと言って、高齢や病気で働けなくなった、特に(官僚が好きな)「自助努力」ができなくなった生活困窮者の老人が見棄てられるような現実は、決して見すごせるものではありません。厚労省が全廃を決定している療養型病床の問題ひとつをとっても、菅政権の言う「最小不幸社会」は悪い冗談だとしか思えません。

「今の菅さん達を見ても、松下政経塾を出たような若い人達が多くて、あの人達は頭はいいのかもしれないけど、政治をただ観念的にシステムとしてしか捉えてないような感じで、人が見えてない気がする。それって怖いわよ」 この老ピアニストの言葉は、今の菅政権の本質を衝いているのではないでしょうか。

四谷土手_2957

今日は午後から慶応大学病院に行く用事があったのですが、久しぶりの晴天だったので、渋谷から青山通り・神宮外苑を通って信濃町まで歩きました。私は会社を辞めてから、5年間くらいほぼ毎日のように神宮外苑から信濃町の慶応大学病院の前を通って四谷三丁目まで車で通っていたことがあります。それで、同じルートを歩いてみようと思ったのです。

また、用事を終えたあとも、四谷三丁目から新宿通りを四谷駅まで歩いて、さらに四谷雙葉の前からお濠沿いの土手を歩きました。四谷の土手は特に木がこんもりと茂っていて、都心とは思えないくらい緑にあふれています。

四谷にももう20年近く通っていますが、都心の街にしてはめずらしくそんなに大きな変化は感じません。小さな飲食店でもつづいているのは、それなりに商売ができているということなのでしょう。四谷という街は、案外住んでいる人が多いということもあってか、ほかの街に比べて「地元意識」のようなものが強いように思います。

今日も新宿通りを歩いていたら、「久しぶり、元気?」と声をかけられました。私は一度も行ったことはないのですが、しんみち通りだかにあるレストランのご主人でした。知り合いの会社で何度か顔を合わせているうちに、顔見知りになったのですが、そういう気さくな一面があります。

土手を歩いている途中、ふと思いついて、近くの会社に勤めている知人に電話をしたところ、市ヶ谷駅の近くのルノアールで待ち合わせることになりました。せきしろの『去年ルノアールで』ではないですが、私達の世代はやはり、ルノアールが落ち着きますね。知人と一緒に某総合誌の元編集者だという人もやってきました。知人の知り合いらしいのですが、有名出版社の裏事情など、いろいろ面白い話を聞きました。特に、社会が騒然としていた70年前後の保守論壇の動向などは興味をそそられました

知人と別れたあと、再び、麹町の旧日テレ通りを上って新宿通りを四谷三丁目まで戻りました。途中、上智大学の前では、ゼッケンをつけた数人の学生がアジ演説をしていました。夕暮れの近代的なビル群の中に、彼らの拡声器の声がやけに大きく反響していました。

帰って万歩計を見たら、1万9千歩でした。


四谷駅_2955
四谷駅

上智大グランド_2963
上智大グランド
2010.10.01 Fri l 東京 l top ▲
巣鴨2929

来るべき老後に備えての予行演習というわけではないのですが、今日は巣鴨に行きました。と実は、私にとって巣鴨は思い出のある街なのです。

高山文彦氏の『エクストラ-中上健次の生涯』(文春文庫)を読むと、中上健次も私と同じ高田馬場の予備校に通っていたようですが、私もまた中上健次と同じように名ばかりの予備校生で、当時はほとんど住所不定の状態でした。それで一時、巣鴨の地蔵通りのすぐ脇に入ったところにある友人のアパートに居候していたことがありました。ある夜、友人が「明日は5時に起きる」と言うのです。聞けば、毎月4の付く日がとげぬき地蔵の縁日なのですが、縁日の翌朝は早く起きて、地蔵通りに落ちているお金を拾って歩くのだとか。これが結構な金額になるのだそうで、「早く行かないとホームレスに先を越されるからな」と言ってました。

当時は縁日になると、包帯を巻いて杖をついた傷痍軍人の物乞いが地蔵通りの入口に立っていることもありました。もちろん、戦後40年以上経って、傷痍軍人などいようはずもありません。あるとき、歩道橋の下で休憩している彼らに、友人が「儲かりますか?」と訊いたらしいのです。すると、途端に鬼のような形相になり、襟首をつかまれて「ぶっ殺すぞ!」と言われたのだとか。友人は、「あいつらには近づかない方がいいぞ」と言ってました。

巣鴨2932

車ではしょっちゅう通っていましたが、こうしてのんびり地蔵通りを歩くのは久しぶりでした。巣鴨は舗道も広くゆったりしていますし、知る人ぞ知るときわ食堂をはじめ、定食屋も多く、今も昔もひとり者には暮らしやすい街だと思います。地蔵通りから一歩中に入ると、まだ昔の民家も残っていました。もしやと思って、友人のアパートがあった路地に入ってみましたが、さすがに友人のアパートは残っていませんでした。

地蔵通りにはきれいな娘がいる蕎麦屋があって、娘目当てに好きでもない蕎麦を食べに行ってました。娘がオスカー・ピーターソンのファンであることまで聞き出したのですが、なぜかそのあとの記憶が残っていません。なにか記憶を消したくなるような出来事があったのでしょうか。その蕎麦屋を探したのですが、残念ながら見つかりませんでした。

また、サラリーマンの頃、フランス帰りの芸術家崩れで占有屋をやっていた知人がいて、彼が巣鴨のビルを占有していたことがありました。私も一度訪ねて行ったことがあるので、そのビルを探したところ、今は立派な会社が入居するビルになっていました。ちなみに、占有屋の知人は、ある日突然連絡がつかなくなり、以後音信不通のままです。

巣鴨2944

とげぬき地蔵の本殿の前では、やや素人ばなれした背広姿の中年男性が、横綱の土俵入りのような大仰な動作で、二礼二拍一礼してお参りしていました。でも、とげぬき地蔵は、高岩寺というれっきとした曹洞宗のお寺のはずです。さらにあろうことか、男性はお地蔵さんの前でも同じように二礼二拍一礼していました。

ビートルズ以後の世代である我々は、年をとっても巣鴨詣でをすることはないだろうと思っていますが、ホントにその心配はないのでしょうか。仮に永井荷風が現代に生きていたとしても、荷風は絶対に巣鴨へは行かなかっただろうと思います。そういう老人になりたいものです。とか言いながら、ビートルズもローリングストーンズも関係ないくらい老いさらばえると、やはり、念仏をとなえながらお地蔵様の膝や腰をタオルでこすっていたりするのかもしれません。巣鴨には縁起ものの赤い下着を売る店がありますが、赤いパンツをはいて塩大福を食べている自分の姿なんて想像したくないですが。

巣鴨2950

帰りは、地蔵通りからそのまま庚申塚をぬけて大塚駅まで歩きました。大塚駅の前では、会社帰りのサラリーマンといった感じの初老の男性が、駅から出てくる若い女性に片端から声をかけている姿が目に入りました。以前は渋谷のセンター街でそういった光景をよく目にしましたが、大塚にもラブホテルがありますので、おそらく「お金をあげるのでホテルに行かない?」と”援交ナンパ”をしているのだと思います。「おっさん、なに考えてるの?」と言いたくなりますが、世の中にはそういった煩悩にまみれた、救いようのない人間もいるのです。しかし、仏教に「摂取不捨」という言い方がありますが、仏教ではこういう煩悩熾盛の人間こそ救われる、救われなければならないと言うのですね。特に親鸞以後の考え方はそうです。巣鴨詣での善男善女にすれば、「じゃあ、あたしたちはなんなのよ」と言いたくなるでしょうが、仏教というのはときに理不尽に思えるほど慈悲深いのです。

一方で、つらつら考えるに、そんなアホなおっさんと私達はどう違うんだろうという思いもあります。私達だって、煩悩熾盛の人間であることには変わりがないのです。「摂取不捨のご利益」というのも、実は誰も救われないという逆の意味もあるんじゃないか。ふとそう思いました。私達のまわりを見ると、むしろそう考えた方が納得できるような気さえします。ホントは善男善女なんてどこにもいないのかもしれないのです。夕暮れの大塚駅前で発情しているおっさんを見ながら、凡夫の私はそんなことを考えました。
2010.09.03 Fri l 東京 l top ▲
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関東地方はこの週末が桜の見納めだと言うので、今日は目黒川に夜桜見物に行きました。横浜で用事を済ませてから、そのまま東横線で中目黒まで行きました。土曜日の夕方だからなのか、中目黒の駅は人でごった返していました。特に改札口の前の歩道は待ち合わせの人で通り抜けるのに苦労するほどでした。かと言って、夜桜見物でもなさそうで、週末はいつもこんな感じなのかもしれません。

車ではしょっちゅう通っていましたが、中目黒の街をゆっくり歩いたのは久しぶりでした。やはり東横線沿線で常にトップの人気をほこる街にふさわしく、表通りだけでなく路地の中も活気にあふれていました。大倉山の商店街とは比べものになりません。中目黒に比べたら、大倉山なんてお通夜みたいです。

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山手通りを五反田の方に少し歩いて、目黒川沿いの遊歩道に下りました。川の両岸にずらりと下がったぼんぼりの灯りに桜の花がほんのりと浮かび上がり、なんとも言えない幽玄な雰囲気をかもし出していました、と言いたいところですが、そうでもなかったです(笑)。ちょっと遅かったみたいで、人もそんなに多くありませんでした。川面が白い泡のようなものにおおわれているので、目黒川はまだこんなに汚染されているのかと思ってよく見ると、なんとそれは川面をおおう桜の花びらでした。

歩いているのは圧倒的にカップルが多かったです。学生風のバカップルは少なくて、大人のカップルが多かったように思います。その点は横浜と違います。

途中、目黒エンペラーという有名なラブホテルがあるのですが、その前を通りかかったら、ちょうどカップルがホテルから出てきたのです。そうなると私の好奇心はもう押さえようがありません。よく見ると、中年男性と若い女性のカップルでした。男性はいかにもさえない感じのおっさんでした。髪はビゲン(白髪染め)の使いすぎで茶色に変色して、しかも下刈りをすませたばかりの雑木林のようにスカスカなのです。一方、女性の方は20代の半ばくらいで今風のかわいい子でした。言うなれば、温水洋一と北川景子のようでした。

この不釣り合いなカップルはどういう関係なんだろう?と考えはじめたら、もう頭の中はそのことでいっぱいで桜どころではありませんでした。さまざまな想像が頭の中をかけめぐり、うしろから追いかけて「どういう関係ですか?」と直接訊きたい心境でした。

帰りは、行人坂をのぼり目黒駅から東急目黒線で帰りました。
2010.04.10 Sat l 東京 l top ▲
病院に行きました。先生から「どうですか?」と訊かれたので、いつものように「快調です」と答えたら、なぜか先生は苦笑していました。ついでに花粉症の薬も処方してもらいました。ひとつはアレジオテックというアレルギー症状をおさえる」飲み薬です(薬局でジェネリックをすすめられてこの薬になりました)。ただ、この手の薬の特徴でもあるのですが、これを飲むと強烈な睡魔におそわれるので、その点が難儀です。もうひとつは、「アレルギー性鼻炎をおさえる」点鼻薬です。ほかに「目薬はどうしますか?」と訊かれたのですが、あいにく手持ちのお金が心細かったので、目薬は断りました(笑)。関東地方でも昨日あたりから花粉が本格的に飛散しはじめたようで、いよいよこれから憂鬱な季節のはじまりです。

ところで、これはネットで知ったのですが、かつて産経新聞の「斜断機」という名物コラムを執筆していた日垣隆氏のTwitterに、つぎのような"つぶやき"があったそうです。

かつて産経新聞でも連載していた関係で、知り合いも比較的多い産経新聞社。私の知る総ての社員が「2年以内に倒産する」と言っています。風説の流布ではありません。経営状況から見て、甘いような気もする程。
https://twitter.com/hga02104/status/8624043321


「新聞・テレビ断末魔」という特集をしていた『週刊東洋経済』(2/20号)でも、経営危機が噂される産経は「嫁入り前の身支度中」と書かれていました。残念ながら「倒産」ではなく、「利益体質構築後にフジ持株会社入りの方向」のようです。民主党のマニフェストにあるように、クロスメディア(クロスオーナーシップ)が禁止されれば産経がフジの持株会社に入れない(嫁入りできない)ので、産経がことのほか小沢=民主党叩きに熱心なのは、わかりすぎるくらいよくわかる話です。

ただ、これは産経や毎日だけの問題なのかと言いたいです。『東洋経済』の記事でも指摘されていましたが、むしろいちばん深刻なのは3期連続の赤字が予想されている朝日かもしれません。地方新聞との提携や夕刊の廃止や人員削減などリストラが進行中のようですが、その深刻さがいちばんわかっているのはボーナス4割減の社員達でしょう。小沢翼賛報道の背景には、こういった背に腹は代えられない事情があることはたしかで、これはテレビや週刊誌も同じです。

また、作家の小林信彦氏は、「汚れた鳩山民主党」なる特集をしていた『週刊文春』(2/25号)のコラムで、小沢報道についてつぎのように書いていました。 

(略)マスコミやら<評論家>は、小沢不支持が七十パーセントもある、とはしゃいでいますが、短期間に、あれほどの<検察からの一方的リーク情報>を流されたら、どんな人だって(福山雅治氏だって)人気がガタ落ちします。
 かりにA氏としますが、A氏について悪意のある情報を連日たれ流し、その上でA氏を支持するか、と大衆に訊けば、「支持しない」と答えるに決っている。その結果をいかにも嬉しそうに発表するテレビや新聞は、いったい、なにをやって、誰の味方でしょうか?

 まあ権力(霞が関とも表現されますが)とマスメディアが密着して、世論調査を実行すれば、こうなるに決まってます。彼らはそれほど、A氏がこわいのです。
(「本音を申せば」『週刊文春』2/25号より)


私はクロスメディアを禁止する法案は、マスコミ(とりわけ新聞)の安楽死法案だと思っていますが、今回の問題ほど報道がコントロールされる怖さを痛感したことはありません。記者会見の全面開放と併せて1日も早い成立が望まれますね。もう「新聞なんていらない」(宇多田ヒカル)。

>>しっぽを振る犬
2010.02.25 Thu l 東京 l top ▲
私はかつて有楽町の西武と阪急を担当していましたが、有楽町西武が今年の12月で閉店するというニュースを聞いたとき、「やっぱり」と思いました。これは、西武がセブン&アイ・ホールディングスの傘下に入ったときから既定路線だったように思います。ニュースの中で、有楽町店が西武の"顔"だったというような言い方がありましたが、有楽町店は最初からお荷物で、"顔"というほどの存在感はなかったように思います。もともとデパートにしては床面積が小さかったので、堤清二氏は、当初雑貨専門のデパート(つまり、のちのロフト)にしたかったんだという話を聞いたことがあります。

ご多分にもれず近年売上げは落ちていたようですが、それでも真向かいの阪急よりはましだったそうです。ただ、阪急に比べて賃料が高いので、それが大きな負担になっていたようです。私が担当していた頃でも、西武と阪急を比べると、売場のコンセプトにしても品揃えにしても問題にならないくらい西武の方が上でした。

横浜を見ても、横浜そごうはもはやデパートと呼べるんだろうかと思うときがあります。おしゃれな横浜市民は高島屋に行くけど、典型的な横浜市民はそごうに行くと言われるのもむべなるかなと思います。デパートの時代が終わったのは誰の目にもあきらかで、ヨーカドー傘下で無残な姿をさらすよりはむしろよかったのではないでしょうか。
2010.02.10 Wed l 東京 l top ▲
新宿1・2009年12月30日

ほしい本をネットで検索したら、新宿の紀伊国屋と池袋のジュンク堂にしか在庫がなかったので、新宿の紀伊国屋まで行きました。いつもこの時期になると、渋谷や新宿などの駅前には聖書の言葉を掲げる集団が現れるのですが、たしかに行き交う人達は、私も含めて罪深き人間ばかりのようです。

紀伊国屋の中で、若者達が群がっているコーナーがあったのでなんだろうと思ったら、先頃亡くなったレヴィ・ストロースを特集したコーナーでした。誰かも言ってましたが、今の若者というとどうしてもネットの掲示板などのイメージでとらえがちですが、もちろんこのような若者達もちゃんといるのです。

新宿2・2009年12月30日

新宿駅では市ヶ谷かどこかで人身事故があったとかで、中央線が止まっていました。東京では毎日、このように人身事故で電車が止まっています。人身事故というのは、要するに飛び込み自殺のことですが、おそらく明日の大晦日もあさっての元日も、どこかの電車は人身事故で止まるのでしょう。武田泰淳が言うように、みんな、苦悩を背負って歩いているのですね。それを考えれば、罪を悔い改めるなんてたいしたことではないように思いました。

では、よいお年をお迎えください。
2009.12.30 Wed l 東京 l top ▲
浅草・ほうずき市01

マスコミ風の言い方をするなら、下町の夏の風物詩、浅草のほうずき市に行ってきました。私は、ほうずき市は初めてでしたが、仲見世から浅草寺の界隈は大変な人出でした。お約束のマスコミもテレビ局各社が取材に来ていました。

また、外国人観光客の姿も目立ちました。欧米系の外国人はひと目でわかりますが、アジア系、特に台湾・韓国・香港・中国からの観光客は、人ごみに紛れたら日本人と見分けがつきません。それを考えれば、相当数の外国人観光客が来ていたのではないでしょうか。今や浅草も原宿の竹下通りなどと同じように外国人観光客で持っているようなものかもしれません(竹下通りの場合は大半はアジアからの観光客ですが)。

田舎の人間にすれば、ほうずきがひと鉢2500円と言われると「なんで?」と思いますが、ここは花の都・東京ですので致し方ないのかもしれません。子供の頃、よくほうずきを口で鳴らしたものですが、この鉢植えのほうずきもやはり口で鳴らすんだろうかと思いました。

浅草も久しぶりでした。私は、以前は仕事するのももっぱら車でしたので、都心の道路はそれこそタクシーの運転手ができるくらい精通しているつもりですが、他に江東区や墨田区や台東区といった、いわゆる下町の道路も結構詳しく、それくらいよく来ていた時期がありました。

浅草と言うと、どうしても永井荷風を連想しますが、荷風が通っていた頃の浅草は、(荷風自身は「昔のような江戸情緒がなくなった」と嘆いていたようですが)今と違ってまだワクワクするような華やかさがあったのではないでしょうか。

また、個人的には、故・竹中労氏が『黒旗水滸伝・大正地獄篇』(皓星社)で描くところの、「左右を弁別せざる時代」大正デモクラシー下の浅草にも遠く想像力をかきたてられるものがあります。当時、浅草の空にそびえていた十二階下の「青白き巣窟」(室生犀星)や浅草出身のニヒリスト辻潤と彼をめぐる「美的浮浪者の群れ」など、なんだか想像するだけでも蟲惑的なロマンを覚えます。

私は、浅草に来ると、「人生の幸せってなんだろう?」と考えることがあります。それは、野毛などと同じように、浅草も人生が露出している街だからかもしれません。浅草も個人商店の街なのですね。それは、渋谷や原宿や代官山や六本木やみなとみらいなどにはない浅草のよさです。だからこそ、浅草には本来の意味で”ハレ”があるように思います。荷風が晩年、孤独な生活の中で、浅草に日参したのもなんとなくわかる気がします。

浅草・ほうずき市02

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浅草・ほうずき市04

浅草・ほうずき市05

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浅草・ほうずき市061

浅草・ほうずき市06

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2009.07.09 Thu l 東京 l top ▲
エチカ池袋

オープンしたばかりのエチカ池袋に行きました。残念ながら写真を撮ることができませんでしたので、今回はパンフレットの画像のみです。

私が上京して最初に住んだのは、西武池袋線沿線の街でした。そして、一昨年、横浜に引っ越すまで10数年住んでいたのが、東武東上線沿線の街です。従って、乗継ぎ駅の池袋は、私にとって東京でいちばん馴染みのある街です。特に、東武東上線を利用するようになってからは、東口より西口に出ることが多くなりました。西口は東口に比べて人が少なく、ややひなびた感じがあるので、なんとなくホッとするところがありました。

それに、なんと言っても私にとっていちばん大きな理由は、西口には芳林堂書店(2003年12月閉店)があったからです。東武デパートの旭屋や東口のジュンク堂など大型書店ができるまでは、池袋と言えば芳林堂でした。私は本屋に行くのが趣味のような人間ですが、いちばん利用したのはやはり池袋の芳林堂です。

西口の地下の端には人知れず新線池袋という駅がありました。有楽町線の和光市駅や小竹向原駅でうっかり「新線池袋行」に乗ろうものなら、西口の地底深くに作られたホームに放り出され、少なからず戸惑うはめになります。ましてJRに乗り換えようとすると、改札口を出てからさらに閑散とした地下通路を東口の方に向って延々歩かなければなりませんでした。

その閑散とした地下通路に約40の店舗が入って先月オープンしたのが、エチカ池袋です。ちなみに、”駅の地下”だから、「エチカ」だそうです。もちろん、事業主体は東京メトロ(旧営団地下鉄)です。エチカ池袋の場合、20代~40代のカップルがターゲットだそうですが、実際は有楽町線や副都心線を利用して都心で働く、埼玉都民の若い女性達が主流になるのでしょう。それにしても、東京メトロが「エチカ」で、JR東日本のエキナカ(駅の中)が「エキュート」(駅がキュート?)と、いづれも人を食ったような安易なネーミングで、なんだかまぎらわしくてなりませんね(ネーミングまでが横並びというのはいかにも官僚的な鉄道会社らしい気がします)。

西口の商店街は、今回は相乗効果を期待して反対もなかったそうです。たしかに、JRと違って改札口の外の通路なので、利用客が地上に出てくることを期待する気持はわからないではありません。しかし、残念ながら地下通路の構造や位置関係からみると、とても地上に上がってくるとは思えず、相乗効果は画餅になる可能性大です。

それより、池袋を利用する埼玉都民の多くが口にしているように、「ホントに大丈夫なの?」というのが偽らざる現実でしょう。これほどエキナカや駅ビルが乱立すると、もはやテナントに新鮮味もなく、あきらかに企画のマンネリ感は否めません。もっとも、東京の都心の地域間競争なるものも、所詮鉄道会社におんぶに抱っこしたものでしかないのですから、こんな個性のない街づくりが消耗戦になるのは当然でしょう。

ところで、私が何より驚いたのは、このエチカ池袋のコンセプトが「池袋モンパルナス」だということです。西口には東京芸術劇場があるので(かの舞台芸術学院もあるし)、その延長で「池袋モンパルナス」を思いついたのかもしれませんが、資本というのは金もうけのためならなんでも利用するもんだなとあらためて思いました。

「池袋モンパルナス」については、宇佐美承氏が文芸誌『すばる』に連載していたのを読んで私も初めて知ったのですが(同氏の『池袋モンパルナス』は現在、集英社文庫に収録)、その芸術家達御用達であった芳林堂も今はなく、また、サンカ小説で有名な作家・三角寛(大分県直入郡出身)がはじめた文芸座も実質的になくなり、今や池袋中華街構想に象徴されるように、中国人とムスリムの聖地と化したような西口に、「池袋モンパルナス」をコンセプトにもってくるなど、「いい根性しているな」と思いました。(西口の商店街が反対しなかったのは、中華街構想よりまだこっちの方がマシだという消去法だったのかもしれません)

もっとも、エチカ池袋は全面オープンではなく、今秋、さらに「アートの薫りがするゾーン」「ESPACE ART」がオープン、同時に地上9階地下3階のテナントビル・池袋12番街区ビル(仮称)も完成予定だそうです。しかし、西口には既に東武百貨店の隣にメトロポリタンプラザもありますし、埼玉都民ならずとも「ホントに大丈夫なの?」と言いたくなりますね。毎日乗継ぎでいろんなものを見ている埼玉都民の感覚は意外と鋭いですよ。あなどるなかれ。
2009.04.02 Thu l 東京 l top ▲
町田001

かつて業界では、柏(千葉県)と大宮(埼玉県)と町田(東京都)が東京近郊で最も元気のある街だと言われていました。たしかに、夕方に行くと、駅前の商店街などは都心の繁華街に負けないくらい大変な活気がありびっくりさせられます。後年、そのネタ元がアクロスであったことを知りましたが、要するに、都心へ向かう買い物客をそれらの街が途中で堰きとめていると言いたかったのかもしれません。

後述の『新・都市論TOKYO』でも紹介されていましたが、町田を舞台にした三浦しをんさんの小説『まほろ駅前多田便利軒』(文春文庫)で描かれているように、町田には「スーパーもデパートも商店街も映画館も、なんでもある」のです。私も「若者達のジモト(地元)志向」なんていう言葉を耳にすると、必ず町田を連想します。もっとも、私の場合は、かつて同じ会社に勤めていた女の子から、学生時代はいつも厚木のベースのアメリカ兵と町田で遊んでいたという話を聞いたことがあり、そのイメージが未だに残っているからかもしれません。ちなみに、彼女は小田急線沿線の新興住宅街に住んでいて、幼稚園から大学まで玉川学園に通っていた典型的な東京近郊のプチブル家庭の子でしたが、今にして思えば、町田という街を考える上で格好のサンプルになるような女の子だったように思います。

建築家の隅研吾氏は、清野由美氏との対談集『新・都市論TOKYO』(集英社新書)の中で、町田について、次のように書いていました。

町田にはどこからか染み出てきたような、あか抜けしない泥臭さのようなもの―それをリアリティと呼んでもいいだろう―が、私鉄的なフィクションの隙間から顔を出し、流れんばかりの勢いで、街全体を覆っている。


今回、私は初めて横浜線で行きましたが、新横浜からわずか7つ目なのに、町田が近づくにつれ車内の様子が変わってくるのが不思議でした。短髪でやや剃りこみを入れたようなチンピラっぽい若者や電車の床に座り込む高校生のグループなどが目に付くようになりました。そして、これが「私鉄的なフィクション」に対するJR的な「リアリティ」なのかと思ったものです。

隅氏は対談の中で、町田には「”都市”が噴出している」と言ってましたが、しかし、その”都市”はどこかにひらかれているわけではなく、「文化と人間が流れつく最果ての場所」(『まほろ駅前多田便利軒』)なのです。同じ”都市”に生きるさみしさでも、町田のそれはどんづまりのさみしさがあるのではないでしょうか。それが、都市化した郊外の街がときに凶悪な犯罪の舞台になる背景でもあるように思います。

可視的である(なんでもわかっている)というのは、”俺様主義”の今時の若者には楽で居心地がいいのかもしれませんが、しかし、自分の人生に少しでも謙虚に向き合おうとするようなナイーブな人達には、やはり、このどんづまりのさみしさは耐えられないのではないでしょうか。駅ビルからつづく通路の上から、「なんでもある」駅前の通りを眺めながら、そんなことを考えました。
2009.02.14 Sat l 東京 l top ▲
渋谷1092008年12月

写真は今年の渋谷109のクリスマスです。

渋谷や原宿を歩いていると、クリスマスが年々さみしくなっているのを痛感します。地元の商店主達の口から出るのも悲観的な話ばかりです。駅前が再開発されるまで当分はこの状態をしのぐしかないのかもしれませんが、少なくとも渋谷や原宿が地域間競争で後塵を拝しているのはたしかな気がします。それは、長年の悲願であるにもかかわらず、未だ“若者の街”から脱皮できないからでしょう。

渋谷駅2008年12月

一方で、若者達が置かれている状況も益々悪くなるばかりです。“派遣切り”などと言われる大手企業による非正規労働者の雇用調整が広がっていますが、なんだか秋葉原事件の犯人が提起した問題がここにきて一気に表面化してきた気がします。厚労省の調査では来年3月までに約3万人の非正規労働者が失業する見通しだそうですが、労働団体には10万単位の労働者が失業するのではないかという悲観的な見方さえあるようです。

「ロストジェネレーション=失われた世代」? ざけんじゃねえ! 「失われた」んじゃねえ。「われわれ」が生きていくために必要なsomethingを、誰かが「奪ってきた」んだろ。全国のロスジェネ諸君! 今こそ団結せよ!


これは、今春創刊されたインディーズ系雑誌『ロスジェネ』の巻頭に掲げられている「ロスジェネ宣言」なるものですが、年の瀬に“派遣切り”で情け容赦なく路上に放り出されている多くの若者達を前にすると、既得権者から奪われたものを取り返すなんていう言説さえなんだか牧歌的に思えるほどです。

ある若者向けのショップのオーナーは、表の通りを行き交う若者達を指さしながら、「だって、彼らの多くはフリーターや派遣だからね。ものが売れないのは当たり前でしょ」と言ってましたが、その言葉が現在の渋谷や原宿の置かれている状況をよく物語っているように思いました。

それにしても、この不況で真っ先に寒風に身をさらされているのが若者と高齢者であることを考えるとき、今更のように製造業の派遣解禁や後期高齢者医療制度を導入したあの小泉改革とはなんだったのかと考えざるを得ません。

※追記

雇用情勢が急速に悪化する中、今年10月から来年3月までに職を失ったか、失うことが決まっている非正規労働者が約8万5000人に上ることが26日、厚生労働省の調査でわかった。
今月19日時点で把握した数値で、前回調査(11月25日時点)の約3万人に比べ、3週間余りで2・8倍に急増した。(12/26 読売新聞より)


>>秋葉原事件
>>ワーキングプア
2008.12.22 Mon l 東京 l top ▲
四方田犬彦氏の『月島物語』が昨年、『月島物語ふたたび』(工作舎)という書名で復刊されたのを機に再読したら、ふと月島に行ってみたくなり、久しぶりに月島に出かけました。車では何度か行ったことがありますが、電車で出かけたのは今回が初めてでした。

『月島物語』は集英社の『すばる』という文芸雑誌に1990年1月号から1991年7月号まで18回にわたって連載されたものですが、私は連載中からこのカルチュラル・スタディーズの先駆けとも言うべきエッセイを愛読していました。

月島橋

いわゆる下町ブームにおける月島の存在について、四方田氏は『月島物語』の中で次のように書いていました。「明治中期にさながら植民地のように開発された月島は、真性の下町である本所深川が跡形もなく消滅してしまったため、今日では一挙にガラパゴス島的な意味あいで下町と見なされるに至ったのだ」と。

月島は明治以降に埋め立てられた歴史の浅い埋立地であるにもかかわらず、東京大空襲の被害を受けず、また、東京オリンピック開催に伴う再開発からもまぬがれたことで、長屋や路地などの昔ながらの風景が偶然にも残ったのでした。そのため今日では下町の代表のように見なされるようになったというわけです。しかし、四方田氏によれば、実際の月島は「日本のモダニズムの政治―社会―文化的な結節点であり、『下町情緒』といった抽象的な紋切型(ステレオタイプ)とはまったく別の表情」があるのだそうで、私はその月島の「別の表情」にこそ興味がありました。

西仲通り商店街

富国強兵のスローガンの下、近代国家への脱皮を目指す殖産興業によってこの新開の埋立地に造船業をはじめ、鉄工業や金属加工など多くの工場が設立され、それに伴い「故郷を離れ、根を絶たれた自由労働者が大量に流入」することによって月島の歴史ははじまったのです。当時の月島はこのようにいわば殖産興業の最前線でもあったのです。“もんじゃストリート”として有名なわりにはやや寂れた感はまぬがれない西仲通り商店街(写真上)も、かつては何十という夜店が並び、過酷な労働を終えた労働者達が一時の休息とウサ晴らしをする繁華街だったそうです。そして、その背後に彼らの住居でもある長屋が連なっていたのです。

月島に流入した「自由労働者」の中に若き日の大泉黒石きだみのるがいたというのは、なんだか「見事」と言ってもいいような因縁さえ感じます。明治の頃、日本橋や京橋など対岸の街では子供達は親から叱られるとき、「言うことをきかないと、島にやっちまうよ」と言われたのだそうですが、それくらい在来の人間にとって月島というのは異境の地だったのでしょう。そんな月島にそれぞれの事情を抱え故郷を出奔してやって来た住人達は、江戸時代からの漁村であった隣の佃島と違って、お互い一定の線以上には立ち入らないというゆるやかで柔軟性に富んだ独特の共同体意識を根付かせてきたのです。その象徴として路地の風景があったのです。

月島路地

一方で、月島に生まれ育った人達の中には、当然ながら故郷としての月島に対する二律背反的な思いもあったはずで、月島出身の吉本隆明氏を論じた「エリアンの島」では、「私を拒絶する風景」という『固有詩との対話』の中の言葉を手がかりに、月島に対して「“喪失”と“隔たり“の意識」を持つ氏の屈折した心情を描き出していました。「私を拒絶する風景」というのは、個人的にもすごくよくわかります。そして、そういった屈折した心情があるからこそ、「エリアンの島」で引用されていた「佃渡しで」のような叙情的な美しい詩が書けるのだと私は思います。(娘を連れて対岸の明石町から渡船で佃を訪れたときの詩だそうです)

「佃渡しで」

佃渡しで娘がいつた
〈水がきれいね 夏に行つた海岸のように〉
そんなことはない みてみな
繋がれた河蒸気のとものところに
芥がたまつて揺れてるのがみえるだろう
ずつと昔からそうだつた
〈これからは娘に聴えぬ胸のなかでいう〉
水はくろくてあまり流れない 氷雨の空の下で
おおきな下水道のようにくねつているのは老齢期の河のしるしだ
この河の入りくんだ掘割のあいだに
ひとつの街がありそこで住んでいた
蟹はまだ生きていてそれをとりに行つた
そして沼泥に足をふみこんで泳いだ

佃渡しで娘がいつた
〈あの鳥はなに?〉
〈かもめだよ〉
〈ちがうあの黒い方の鳥よ〉
あれは鳶だろう
むかしもそれはいた
流れてくる鼠の死骸や魚の綿腹(わた)を
ついばむためにかもめの仲間で舞つていた
〈これからさきは娘にきこえぬ胸のなかでいう〉
水に囲まれた生活というのは
いつでもちよつとした砦のような感じで
夢のなかで掘割はいつもあらわれる
橋という橋は何のためにあつたか?
少年が欄干に手をかけ身をのりだして
悲しみがあれば流すためにあつた

〈あれが住吉神社だ
佃祭りをやるところだ
あれが小学校 ちいさいだろう〉
これからさきは娘に云えぬ
昔の街はちいさくみえる
掌のひらの感情と頭脳と生命の線のあいだの窪みにはいつて
しまうように
すべての距離がちいさくみえる
すべての思想とおなじように
あの昔遠かつた距離がちぢまつてみえる
わたしが生きてきた道を
娘の手をとり いま氷雨にぬれながら
いつさんに通りすぎる


時代が変わり、街が変わるのは仕方ないとしても、古い街がどうして大事なのかと言えば、そこに暮らしてきた人々の記憶の積層があるからです。その記憶の積層の中から人生を慈しむ気持や人を思いやる気持や、そして、こんな美しい詩も生まれるのだということを私達は忘れてはならないのではないでしょうか。
2008.05.21 Wed l 東京 l top ▲
蒲田西口1

故・竹中労氏の『無頼の点鬼簿』(ちくま文庫)を読んでいたら、その中で、「駅前やくざは、もういない」と題して蒲田のことが書かれていました。氏も昭和30年代に蒲田に住んでいたのだそうです。そういえば、坂口安吾も蒲田に住んでいた時期がありますが、蒲田はかつては彼ら無頼派の硬骨漢達を惹きつけるような魅力のある街だったのでしょうか。

蒲田は東の錦糸町や新小岩などと雰囲気が似ている気がします。やはり、街の成立ちが似ているからでしょう。やたら消費者金融(サラ金)の看板が目立つ駅前の風景やフィリピンや南米系の女性達が多いのも共通しています。

蒲田西口2

私は西口に車を停めるのでもっぱら西口から入ることが多いのですが、鳩の糞が頭上から降ってくる駅前の広場のベンチは、何故かいつも時間を持て余したような人達でいっぱいです。また、背後の壁に鳩が止まるたびに、野球のボールを投げつけて鳩を追い払う靴磨きのおじさんも西口の名物と言ってもいいかもしれません。私の知る限り、もう10年以上、銀行の前の定位置で商売をしています。

選挙があると、大田区を地盤にしていた保守政治家の選挙事務所が西口にできるため、周辺の路上パーキングは彼らに占領されてしまうのです。「ここはあんた達の道路じゃないだろう」と一度文句を言った覚えがありますが、やがてその政治家はみずから命を絶ち衝撃的な最後を遂げるのでした。

太田区役所が蒲田に移転する際、田園調布や大森山王のお屋敷町の住民達が、「大田区のイメージが低下する」と反対したのも記憶に新しいところです。しかし、今では公務員(竹中労風に言えば、”木っ端役人”)が多くなったためか、駅周辺の人の様子も徐々に変化している気がします。ご多分にもれずJRは、今春、駅ビルのサンカマタ&パリオ(昨年の夏から閉鎖中)を全面改装し新しい駅ビルとしてオープンする予定だそうです。それに伴いサンカマタ&パリオの名も消えるのだとか。こうして蒲田の街もあの猥雑さが排除され、区役所が立地する街にふさわしいあか抜けた街に変貌していくのでしょうか。個人的にはちょっとさみしい気がしないでもありません。
2008.02.20 Wed l 東京 l top ▲
甘酒横丁

一時帰国して再び海外へ戻る知人と水天宮のホテルで待ち合わせたついでに、久しぶりに人形町界隈を散策しました。

人形町の表通りから甘酒横丁に入ると、明治座での芝居見物を終えた様子の中高年の一団が前からやって来ました。皆さん、笑顔が絶えず心が弾んでいる感じでした。

鯛焼きの柳屋に行くと、今日は店内に数人の先客があるだけで、それほど待たずに買うことができました。鯛焼きで東京の御三家と言われているのは、四谷のわかば、麻布十番の浪花屋、それに人形町の柳屋ですが、個人的にもそれらの街とは縁が深く、甘党の私にはいづれもなじみの店ばかりです(そして、いづれの街にもせつない思い出があります)。

こういった江戸風情の残る歴史のある街に来ると、我々地方出身者達はどこか気後れするようなところがあります。普段、まるで強迫観念にとりつかれたかのようにやたら格好を付けて生きているのも、根底にはそういったぬきがたいコンプレックスがあるからでしょうか。哀しき習性です。
2008.02.13 Wed l 東京 l top ▲
ボロ市1


世田谷のボロ市に行きました。私はボロ市は初めてでした。

三軒茶屋から世田谷線に乗って「世田谷」で下車、世田谷通りから一本脇に入ったいわゆるボロ市通りとその周辺の路地は文字通り芋を洗うが如しの賑わいでした。

このボロ市は430年の伝統があり、東京都の無形民俗文化財に指定されているのだそうです。約700の露店が軒を連ね、それこそ何でもありという感じでした。骨董品や古着はもちろん、漬物やプロマイドを売る店までありました。中には「屋根の修理」という看板を出して年老いた店主がひとりぽつんと座っているだけの店もありました。

ボロ市2

私が興味を持ったのは売っている商品よりも各露店の店主達でした。それこそサラリーマンとは対極に位置するような個性的な風体の人物が多いのです。

私はサラリーマンの頃、知り合いの会社から頼まれて、催事を仕切るアルバイトをしていたことがありました。催事の初日、出店業者の場所の割りふりを行ったり、最終日に片付けがスムーズに行われるよう陣頭指揮をするのが主な仕事でした。いつも輸入雑貨の業者が多かったのですが、それは個性的な人達ばかりでした。ボロ市をまわりながら、当時のことを思い出しました。

彼らの多くはいわゆる団塊の世代です。60年代後半のカウンターカルチャーの洗礼を受け、いわば日本株式会社のレールからドロップアウトした人達です。ここには80兆円とも言われる退職金目当てにやたらもてはやされるサラリーマン退職者達とは別の団塊の世代の姿があるような気がします。私は個人的に団塊の世代は好きではないのですが、こういった組織に頼らず個性的な生き方をしている人達にはシンパシーを覚えます。

松陰神社

帰りに近くの松陰神社に寄ってお参りしました。昨日は散歩の途中、最寄り駅にある熊野神社にお参りしたし、健康に不安を持った途端、所かまわず神頼みしている自分がいます。まったく人間というのは現金なものです。
2008.01.16 Wed l 東京 l top ▲
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一定の世代以上の方でないとわからないと思いますが、紙ふうせんの「冬が来る前に」を聴きながら銀座の通りを歩いていたら、ちょっとセンチメンタルな気分になりました。

私は、銀座の老舗や高級店とはまったく無縁な人間ですが、銀座の街にはどこか魅かれるところがあります。それは、銀座には駅ビルやショッピングセンターがないからかもしれません。

20年前、この業界に入った当初、ちょうど今頃の時期だったと思いますが、私は、仕事で夕暮れどきの銀座の街を歩いていました。そして、松屋の前を通りかかったとき、店頭からクリスマスのメロディが流れてきたのです。その途端、私は、何故か胸がいっぱいになり涙が溢れてきたことがありました。

銀座にはそんな人を包み込むような雰囲気があります。それは、(同じことをくり返しますが)長い間にその土地の風土が培ってできた街だからではないでしょうか。たとえ縁がなくても、表通りの老舗や高級店から疎外されている感じはありません。それが銀座の魅力ではないでしょうか。

嫌なことがあったときや疲れたときなど、私は銀座に行きたくなります。そして、人込みの中をひとりで歩いていると、なんとなく慰められ元気づけられているような気持になるのです。

最近も個人的に、それこそ人間のおぞましさを見せつけられるような出来事がありました。そんなとき、私には「汚い」とか「卑怯だ」とかいった言葉しか思い浮かばず、人間の本性に関してひどくボキャブラリーが貧困な自分を思い知らされたのでした。それは、今までそういった人間の本性と正面から向き合うことがなかったからなのかもしれません。

そんな情けなさとやり切れなさの中で、私の足は銀座に向かったのでした。

マロニエゲート

ただ、私は、話題のマロニエゲートにはあまり関心がありません。いつからあの横の通りがマロニエ通りと呼ばれるようになったのでしょうか。そして、その入口にあるからマロニエゲートだなんてネーミングからしてちょっと安易すぎる気がします。事業主体は三菱地所だそうですが、「如何にも」という気がしないでもありません。

真向かいのプランタンも戦々恐々と言われていましたが、むしろプランタンが戦々恐々としているのは、先月オープンしたばかりの有楽町イトシアの方でしょう。マロニエゲートはわずかひと月で主役の座を渡した感さえあります。

それにしても(余談ですが)、せっかく新しくビルを建てたのにどうしてあんな古臭い造りになったのでしょうか。特にエスカレーターに乗っているときの窮屈な感じはどうにかならなかったのでしょうか。”高級”ということに関しても、どこか違うような気がしてなりません。

仕事だけでなく、プライベートでも銀座にはいろんな思い出がありますが、そんな思い出をいつまでも大事にしてくれる街であってほしいなと願わずにおれません。
2007.11.09 Fri l 東京 l top ▲
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自由が丘にももう20年来通っていますが、かつて取引していた雑貨屋さんがコンビニになったり、お気に入りの手芸雑貨の店がなくなったりと細かい変化はあるものの、この街の良さはずっと変わらず残っているように思います。

上の写真は駅の並びにある自由が丘デパートです。外観は以前に比べてちょっとオシャレになりましたが、中は相変わらずディープな自由が丘が健在です。隣のひかり街とともに昔の自由が丘を垣間見せてくれ、私の好きなスポットのひとつです。そういえば、世田谷の池尻にも池尻デパートというのがありましたが、昔の東京には三越や伊勢丹とは違うこの手の「デパート」が点在していたのでしょうか。

サラリーマンの頃、アルバイトというか、知り合いの南米雑貨の店が月に1回、駅のホームにある貸しスペースで催事(出店)をするのに商品の搬入と搬出の手伝いをしていたことがありました。車で商品を運ぶだけで1時間もあれば終わるような簡単な仕事でしたが、1回につき1万5千円のアルバイト代を貰っていました。

ただ、搬入も搬出も日曜日の夕方だったので、それが面倒でしたが、よくガールフレンドと待ち合わせてアルバイト代を軍資金に自由が丘でデートしたものです。

今の自由が丘はスィーツフォレストの登場などもあって、”スィーツの街”というイメージがすっかり定着しましたが、昔はスィーツと言えば駅前のダロワイヨしか記憶にありません。もっとも、周辺にこれだけ典型的な中産階級の住宅地を抱えているわけですから、私が知らないだけで、昔からおいしいスィーツの店はあったのかもしれません。ちなみに、ダロワイヨに関しては、あの不二家の不祥事のとき、不二家の子会社だということを初めて知り、ちょっとがっかりした覚えがあります。

もうひとつ、今の自由が丘で目立つのは学習塾です。それも専任のガードマンがいて交通整理をしたり、生徒専用のカフェが併設されていたりと、やたら贅沢なのです。やはり、周辺の奥沢など高級住宅街の子弟向けに高級志向になっているのでしょうか。

小さな子供を連れたお母さんもよく目に付きますが、これも最近の自由が丘のウリのひとつになっているようです。それに合わせて、子供向けのショップも多くなりました。かつて、セゾンが運営していた子供向けの百貨店(デパート!)・パオが自由が丘にもあったのですが、たしか10年も持たなかったのではないでしょうか。なんだか皮肉なものです。

自由が丘は圧倒的に女性の街ですが、最近は特に若い女性が目立つようになりました。そんな中でドキッとするようなきれいな子をよく見かけます。そのためか、駅前にはスカウトマンとおぼしきスーツ姿の青年が目の前を通りすぎる女の子達に視線を走らせながらいつも立っています。これもおなじみの光景になりました。

しかし、昔、モデルの女の子に聞いた話では、最新のファッションを着て自由が丘の駅周辺をブラブラ歩きまわる仕事があるのだそうです。要するに、ファッションメーカーの宣伝なのですね。私は、その話を聞いてから、自由が丘で遭遇するきれいな子がみんなやらせのモデルに見えて仕方ないのです。

下の写真は、駅の南側の緑道沿いに新しくできた花屋さんです。なんだかフランスのポストカードに出てくるようなオシャレな花屋さんだなと思ったら、それもそのはずで、パリにある花屋さんのチェーン店だそうです(MONCEAU FLEURS JAPON)。駅から少し離れると緑が残っているところも多いので、これからの季節はこういったショップがよけい映えるのではないでしょうか。

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自由が丘というのは、現代風なオシャレ度も高いけれど、一方で昔の東京の郊外の街の良さも残っており、駅ビルやショッピングセンターなどとは違った、いわば街を散策する楽しさを満喫できる数少ない街だと思います。下北沢みたいに駅前再開発なんていう無粋な話が出て来ないことを願うばかりですね。
2007.09.28 Fri l 東京 l top ▲
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普段山手線を利用している方の中には同じように気になっている方もいるのではないかと思いますが、私は、五反田駅と大崎駅の間に立っているこの奇妙なモニュメントが前から気になって仕方ありませんでした。

それで、大崎に行ったついでに写真におさめてきました。

以前、このブログでも書きましたが、現在、大崎駅の周辺は東京都の新都心に指定されたことに伴い大規模な再開発が進行中です。

大崎駅は以前は山手線の中でもどちらかといえば地味で目立たない駅だったのですが、今では埼京線・りんかい線・湘南新宿ラインが乗り入れているため駅の構造が複雑化し、ホームからコンコースに上がると方向感覚を失って自分の出る改札口がどこにあるかわからなくなるくらいで、その変貌ぶりにはびっくりします。今秋には西口の明電舎の工場跡地に30階建ての複合施設・ThinkParkTowerがオープンしますし、さらに来年からはソニーの工場跡地の再開発もはじまるようです。

個人的には昔の名残をとどめる西口のニュー大崎ビルが残ってほしいのですが、おしゃれなオフィスビルと高級マンションが林立する街に変貌しつつある中では、もはや風前の灯火という気がしないでもありません。

このモニュメントは、東口のアートビレッジ・大崎セントラルタワーという、やはり再開発に伴って今年の1月にできたばかりのビルの横に立っています。

インゲス・イデーというドイツの4人組のアーティストの「グローイングガーデナー」という作品だそうです。同ビルのサイトには以下のような説明文が載っていました。

街区を囲む緑豊かな「丘の庭」に設置したこの作品は、森の守り神を意味する庭師(ガーデナー)をモチーフとしています。その長くて赤い帽子は空に向かって伸びる花のようで、また本来小さいはずの森の妖精が大きな体を持っているという対比もユーモラスです。それは神秘的なものと不思議なもの、明確な形態と抽象的な意味など様々な対比する要素を融合させた表現であり、いくつもの相反する事象が共生している現代の様相を表しているようです。この作品は、この新しい街と庭を守りつつ、街全体にアクセントを与える作品となっています。

これでひとつすっきりしました(笑)。

余談ですが、アートビレッジ・大崎セントラルタワーは、只今放映中の綾瀬はるか主演のドラマ・「ホタルノヒカリ」のロケに使われたそうです。
2007.08.13 Mon l 東京 l top ▲
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まだ梅雨も明けてないというのに、渋谷も原宿も新宿もいっせいにバーゲンがはじまっています。何だか年々早くなっているような気がします。

渋谷の街も一見、バーゲン目当ての若者達で賑わっているように見えますが、地元で古くから店をやっている人に言わせれば、現実はかなり深刻なようです。先日、若者向けの週刊誌で「渋谷のスラム化」が特集されていましたが、何を今更という気がしました。

渋谷が一番輝いていたのは、やはり、80年代ではないでしょうか。私が渋谷に通いはじめたのもちょうどその頃です。その立役者はなんといっても70年代に本格的に渋谷に進出した西武・セゾングループでしょう。

右肩上がりの経済を背景に、斬新な広告と多彩な文化戦略で渋谷の街を一変させたのはご存知のとおりです。そして、その中心を担ったのが宇田川町に本社を構えていたパルコでした。

ところが、当時『アクロス』の編集長だった三浦展氏の「80年代消費社会論の検証」によれば、既に80年代からパルコの売上げは下降線を辿りはじめていたのだそうです。これは意外でした。

もっとも、当時、西武を担当していた私の中にも、「ホントにこれで儲かってるのだろうか?」という疑問がまったくなかったわけではありません。しかし、”池西(いけせい)”と呼ばれていた池袋西武の伝説的な売場である8階ギフトエリアやオープンしたばかりの渋谷ロフトの行け行けドンドンのお祭り騒ぎの中で、そういった疑問も片隅に追いやられていたというのが現実でした。

私の中の西武の印象は、よく言えば自由、悪く言えばいい加減といった感じでした。だから、三浦氏が書いていたように、パルコの文化戦略なるものも実は先日亡くなった元パルコ社長・増田通二氏の単なる思い付きや個人的な趣味にすぎず、元々戦略なんてなかったんだ、というのもわかるような気がします。

パルコの本社のみならず当時池袋にあった西武百貨店の商品部も、とにかくびっくりするくらい自由な雰囲気に溢れていました。私達は「喜多郎みたいな社員がゴロゴロいる」なんて言い方をしていました。仕入れの権限もほとんど売場の担当者に任されていましたし、(給料はそんなによくなかったみたいですが)社員達には働きやすい職場だったのではないでしょうか。

後年、ある雑貨チェーンの会社に商談に行ったら、西武でバイヤーをやっていた女性がいたのでびっくりしたことがありました。経営難に伴うリストラで転職したということでした。しかし、彼女はあきらかに窮屈そうでした。「すいません。西武と違って上の決済をもらわなければならないので時間をいただいていいでしょうか?」と申し訳なさそうに言ってたのが印象的でした。

ロフトの会合に出席したとき、関係者の挨拶の中に当時流行っていた経済人類学の用語がポンポン出て来るので、「何だ、これは」と思ったことを覚えています。また、あるとき、西武の担当者が「(雑貨の会社で)社員が20人を越すとダメになる会社が多いんですよね~」と言ってましたが、西武はそういった零細な業者でも商品さえ面白ければ偏見なく受け入れてくれたのです。ちなみに、日本ではまだなじみの薄かった海外のポストカードやラッピングなどを一番最初に興味を示したのも西武だったそうです。

三浦氏は、『アクロス』の定期購読者でもあったという上野千鶴子氏との対談集『消費社会から格差社会へ』の中で、かつての西武・セゾングループの総師・堤清二氏にはある種の破滅志向があったんじゃないか、と言ってましたが、もしかしたら西武・セゾングループには彼らオールドコミュニスト達の見果てぬ夢が込められていたのかもしれません。

渋谷ではかつて東急と西武の戦争が行われていると言われていましたが、では、果たして今、東急はホントに渋谷で勝利したと言えるのでしょうか。私には渋谷が益々個性が失われたつまらない街になっているように思えてならないのです。
2007.07.11 Wed l 東京 l top ▲