アメリカ大統領選は、案の定、トランプの悪あがきによってグダグダにになっていますが、そもそも4年前にトランプを大統領に選んだことが全ての間違いのもとなのです。と、今更言っても仕方ないのですが、ただ多くの人たちもそう思っていることでしょう。

これで共和&民主という二大政党制も、大きな曲がり角を迎えることになるのは間違いないでしょう。とりわけ、日本で言えばネトウヨの権化のようなトランプに依拠してきた共和党は、深刻な事態を迎えるのではないでしょうか。草の根の保守運動の原点である「 ティーパーティー」も、トランプの登場でほとんど機能しなくなり瓦解してしまったと指摘する声もあります。だからよけいトランプに頼らざるを得なかったのでしょう。共和党がトランプ党になったというのは、決してオーバーな話ではないのです。

でも、何度も言いますが、日本も他人事ではないのです。Yahoo!ニュースが、大統領選の特集のなかで、トランプとバイデンのどっちが当選すると思うか?という「みんなの意見」のアンケート結果を円グラフにして掲載していました。それによれば、バイデンの当選がほぼ確実になった昨日の時点でも、トランプが当選すると答えた人が50%を越えており、バイデンが当選すると答えたのは30%台でした。

さすがにまずいと思ったのか、昨日、突然、円グラフはトップページから削除されてしまいましたが、その背景にあるのはトランプが唱える陰謀論です。日本のネトウヨたちも、本国のトランプ支持者と同様、トランプを信奉し、彼が唱える荒唐無稽な陰謀論を信じているのでした。Yahoo!ニュースは、そのフェイクニュースの牙城になっているのでした。

感情の劣化は対岸の話ではなく、この国でももはや修復ができないほどエスカレートしているのです。「話せばわかる人がいなくなった」(宮台真司)のです。それは、民主主義にとって深刻な問題でしょう。

ちなみに、このブログでも再三登場する評論家の田中宇氏も、みずからのサイトで、開票日当日は、トランプが当選すると主張していました。しかし、開票日の翌日には、最初の主張を覆してトランプが負けそうだという記事を書いていました。ところが、さらに翌々日には、民主党が選挙不正しているという陰謀論を書いて、主張を二転三転させているのでした。

昨日の記事「米民主党の選挙不正」で、田中氏は次のように書いていました。

今後、この膠着状態のまま時間がたつほど、民主党の選挙不正について詳細がわかってくる。トランプ傘下の諜報界は、民主党側にスパイを潜り込ませ、不正について何らかの証拠を握っている(証拠を握れる状態を作れなければ民主党に不正させない)。これは「おとり捜査」である。これから証拠がリークされていく。ロシアゲートの逆転劇に似ている。決定的な証拠がリークされる前後に、マスコミがネバダ州のバイデン勝利を確定し、バイデンの当選を発表するかもしれない。しかしそれと同時に民主党の選挙不正について決定的な証拠が暴露され、マスコミも選挙不正に協力してバイデン勝利を捏造していたことがバレていく。

http://tanakanews.com/190527spygate.htm
スパイゲートで軍産を潰すトランプ

このシナリオが成功すると、民主党だけでなくマスコミの権威も失墜させ、軍産の全体を潰せる。最終的な次期大統領はトランプになる。もう少しで勝てたのに、と悔しがる民主党左派は、全米で絶望的な暴動・略奪に走る。米国は混乱が続いて国際信用が低下し、経済も破壊され、軍産が最も望まない覇権の失墜になる。その中でトランプの2期目が始まり、米中分離や隠然多極化を進めていく。結局のところ、一昨日書いた記事のシナリオに戻っている。嘲笑してください(笑)。

田中宇の国際ニュース解説
米民主党の選挙不正


なんだかネトウヨみたいですが、田中氏の場合、ただインターネットで海外の新聞などを読んで情勢を分析するだけなので、フェイクニュースに惑わされてこんな醜態を演じることになるのでしょう。

何度もくり返しますが、トランプの狂気は他人事ではないのです。

学生時代、挨拶は「押忍」しか言ったことがないと本人も言っているように、法政大学で学ランを着てアイパーに剃りこみを入れた髪型で構内を闊歩していた学生が、横浜で代議士秘書になり、秘書から市会議員になると、代議士事務所の威光を笠に市の人事に介入し、「影の横浜市長」と呼ばれるほどの影響力を手に入れたのでした。

彼はどう見ても政治家というより政治屋です。人事を盾に権勢を振るう、官僚制度の弱点を熟知した政治屋なのです。だから、「内閣人事局」の創設に関わり、官邸が官僚の人事権を一手に握る体制を敷いたのでしょう。さらには、公安警察に隠然たる影響力を持つ元公安OBを側近に据え、公安を使った情報管理で霞が関ににらみをきかせて、有無を言わせない絶対的な権力を手にしようとしているのです。まるでロシアのプーチンを真似たかのようです。

でも、メディアには、秘密警察化する公安への懸念も、全体主義に対する危機感も皆無です。それどころか、危険な権力に尻尾を振って取り入ろうとするあり様です。大統領の狂気に及び腰だったアメリカのメディアの二の舞どころか、そこには歌を忘れたカナリアの「あさましくさもしい」姿しかありません。権力の太鼓持ちは、ネトウヨ御用達のフジサンケイグループだけではないのです。


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ネトウヨ化する社会
2020.11.07 Sat l 社会・メディア l top ▲
米大統領選は混迷を極めています。と言っても、混迷を極めているのは選挙結果よりそれを報じるメディアの方です。郵便投票など期日前投票が1億100万人もいるので(これは前回の大統領選の総投票数の73%に当たる数字だそうです)、即日開票分なんてまだ半分程度を開票した途中経過にすぎないのです。それなのに、どっちが当選確定したとか性急に結果を求めるので、ますます混迷に拍車がかかるのでした。

最終的にはトランプの悪あがきで法定闘争にまで持ち込まれるのではないかと言われていますが、あらためて大統領選を見るにつけ、アメリカと対立する中国やロシアが本音ではトランプ再選を期待しているというのはわかる気がします。

宮台真司は、ビデオニュースドットコムの開票特番で、自分は前回から一貫してトランプ支持だと言っていました。それは、彼独特の「加速主義」という考えによるものです。「加速主義」というのは、民主制が機能不全になり、人々の実存的な不全感、鬱屈がポピュリズムの標的になった結果、「自分が凄くないので国が凄いと思いたい」とか「昔思っていたような生活ができないなのは異分子がいるからだ」(異分子は、アメリカでは移民やヒスパニック、日本では「在日」)というような排外主義によって人々の感情的な劣化が進んだこの社会は、ポピュリズムの権化であるトランプや安倍(今の菅)の手に委ねて、手っ取り早く終わらせた方がむしろ建設的だという考え方です。言うなれば逆療法、あるいは「創造的破壊」のような考え方です。宮台は、それを「制度による社会変革ではなく技術による社会変革」という言い方をしていました。必ずしも的確ではないかもしれませんが、私は、「加速主義」の考えを聞きながら、若い頃に読んだ林達夫の『反語的精神』を思い浮かべました。

共和党はもはやトランプにすがるしかないのです。共和党が掲げる伝統的な保守主義なるものは、トランプのハチャメチャなポピュリズムに簒奪されたのです。それはバイデンを担ぎ出した民主党も同じです。党内の権力バランスでバイデンのような人物を担ぎ出さざる得ない民主党のテイタラクもまた、共和党と軌を一にしていると言えるでしょう。トランプは、バイデンは「認知がはじまっている」と言って物議を醸しましたが、バイデンのトンチンカンぶりを見るにつけ、私も「もしかしたら」と思いました。町山智浩氏が言うように、バイデンではなくバーニー・サンダースだったらもっと違ったものになったに違いありません。

今回の子どものケンカのような大統領選が映し出しているのは、アメリカの「加速度的」な凋落です。それが誰の目にもあきらかになったのです。そこにはもはや唯一の超大国の面影は微塵もありません。低レベルのドタバタぶりを演じる、それこそお笑いネタになるような滑稽な姿しかないのです。それは政党や政治家だけではありません。メディアも同じです。

私たちは、今までアメリカ人と言ったら、ニューヨーカーと呼ばれるような大都市に住むエリート市民しか知りませんでしたが、今回の大統領選をとおして、アメリカの国民ってこんなにバカだったんだということを初めて知りました。彼らの民度の低さをこれでもかと言わんばかりに見せつけられのでした。

子どもの頃、社会科の授業でアメリカン・デモクラシーこそ民主主義のお手本のような教育を受けましたが、今回の大統領選を見て、こんなバカな国民ばかりいてどこが民主主義のお手本なんだと思わざるを得ません。おそらくそういった幻想もこれで終わるでしょう。

再三言っているように、アメリカが超大国の座から転落して、世界が多極化するのは間違いないです。私たちは、まさに今、その光景を、その赤裸々な姿を見ている、見せられているのです。

もちろん、日本も他人事ではありません。宮台が言う「インテリ憎しの反知性主義」という点では、安倍や菅はトランプと瓜二つです。老害を絵に描いたような偉ぶることしか能のない麻生や二階、それにいつも的外れでトンチンカンな河野太郎や小泉進次郎も、どう見ても感情の劣化を象徴する道化師にすぎません。そんな連中が権力の中枢に座り、トンマな姿を晒しているのです。民主党のテイタラクも、日本の野党のそれとよく似ています。もう「話せばわかる人がいなくなった」(宮台真司)のです。「話せばわかる」というのは民主制の前提ですが、ポピュリズムによって感情の劣化が進んだ現在、その前提が壊れてしまったのです。

現代史に君臨しつづけた<帝国>が、バカな国民と”狂気のヒーロー”によって崩落の危機に瀕しているのは痛快ですが、しかし、それは他人事ではないのです。トランプの狂気を笑い物にして見ている私たちは、天に唾しているようなものかもしれません。
2020.11.05 Thu l 社会・メディア l top ▲
先月、日本学術会議が推薦した新会員候補のうち、安保法制や特定秘密保護法や共謀罪の新設などに反対し、政府に批判的なスタンスを取ってきた6名の研究者の任命を菅義偉首相が拒否した問題が、俄かに政治問題化しています。

学術研究に対する政治介入だとして、「学問の自由」を守れという抗議の声も大きくなっています。日本学術会議も、任命拒否の理由をあきらかにするように菅首相に要望書を出したそうですが、官邸から明確な説明はないようです。

経済学者で元早大の教授でもあった静岡県の川勝平太知事は、菅首相の任命拒否について、「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」と痛烈に批判したそうです。

朝日新聞デジタル
「教養のレベルが露見」 任命問題、学者知事が強く反発

記事は次のように書いていました。

 美濃部事件、滝川事件など戦前の言論統制にも触れ、「政治家が学問に口を出してはいけない。首相に任命権があるから行使したというのは、何も説明していないに等しい。理由を開示すべきだし、学問がなっていないという理由以外は認められない」と批判した。


菅首相が、法政大学時代に空手部に籍を置いていたのは有名な話です。学生時代、挨拶は「押忍」しか言わなかったという本人の話がメディアに出ていましたが、恐らく剃りこみを入れ裾の長い学ランを着て学内を闊歩していたのでしょう。

私は菅首相より全然年下ですが、当時、中核派の拠点であった法政大学で運動部の彼らがどんな役割を果たしていたか、およその想像はつきます。それがのちの政治家秘書から政治家に至る道につながったのは事実でしょう。私の知り合いにも似たような空手部出身の人間がいますが、菅首相のようなパターンは別にめずらしくないのです。ただ、大半は地方議員止まりで終わるだけです。

今回の任命拒否も、日本会議の古参メンバーと同じで、学生時代から彼のなかに根強く残っている反共思想や復古的な全体主義への憧憬がそうさせたのだと思います。学生時代、学問とは無縁にすごしてきたので、「学問の自由」という概念も彼のなかには存在しないのかもしれません。もしかしたら、ナチズムやスターリニズムと同じように、学問は政治に従属するものと思っているのかもしれません。その意味では、川勝平太静岡県知事の「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」という発言は正鵠を得ていると言っていいでしょう。

ただ一方で、日本学術会議のみならず日本の大学が、これまで学問の場に権力の介入を許してきたことはまぎれもない事実で、今回のような露骨な政治の介入は、ある意味で当然の帰結とも言えるのです。

彼らは「学問の自由を守れ」と言いますが、その前提でもある「大学の自治」を壊してきたのは彼ら自身なのです。東大ポポロ事件を見てもわかるとおり、昔は構内に警察官が入ってきただけで大問題になっていました。「学問の自由」と「大学の自治」は一体であるという認識が半ば常識としてあったからです。

全共闘運動に乗り遅れた私たちは、羽仁五郎の『ミケランジェロ』(岩波新書)という本でそれを学んだのですが、「大学の自治」という理念は、ルネッサンスの時代から「真理は汝を自由にする」「学問の自由」と表裏一体のものとして、半ば天賦のものとして存在していたのです。

しかし、多くの大学では、「過激派」から大学を守り学内を正常化するためという理由でみずから権力の介入を求めて、「大学の自治」を放棄してきたのでした。

菅首相の母校の法政大学の田中優子総長も、今回の問題を座視することはできないとして抗議声明を発表したそうです。

J-CASTニュース
菅首相母校・法大の田中優子総長が声明 日本学術会議問題は「見過ごすことはできません」

声明のなかで、田中総長は次のように述べているそうです。

「この問題を座視するならば、いずれは本学の教員の学問の自由も侵されることになります。また、研究者の研究内容がたとえ私の考えと異なり対立するものであっても、学問の自由を守るために、私は同じ声明を出します。今回の任命拒否の理由は明らかにされていませんが、もし研究内容によって学問の自由を保障しあるいは侵害する、といった公正を欠く行為があったのだとしたら、断じて許してはなりません」


しかし、その一方で、田中総長は、法政大学では、学内の「過激派学生」を排除するために積極的に警察権力の介入を促し、この10年間で百数十名の学生が逮捕されるという異常な事態を招いているのです。これこそ二枚舌と言わずして何と言うべきかと思います。

と言うと、お前は中核派のシンパかというお決まりの罵言が飛んで来るのが常ですが、「学問の自由」や「大学の自治」には「過激派」も「極左」も(あるいは「保守反動」も「極右」も)ないのです。そういうこととはまったく別の問題なのです。

「大学の自治」を権力に売り渡した人間たちが、「学問の自由を守れ」と叫んでいる様は、片腹痛いと言うしかありません。
2020.10.08 Thu l 社会・メディア l top ▲
伊勢谷友介が大麻取締法違反の疑いで逮捕されましたが、さっそく芸能マスコミは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式のバッシングに狂奔しています。それは、まさに狂奔ということばしか見つからないほど常軌を逸しています。

こういったセンセーショナルなバッシング報道に対して、疑義を唱える声がほとんど聞こえてこない今の状況は、どう考えても異常です。

大麻で芸能人を逮捕して大騒ぎするのは、先進国では日本だけと言った人がいましたが、一罰百戒の見せしめのために、逮捕された芸能人をさも重罪人のようにバッシングするメディアがその片棒を担いでいるのです。これでは、日本においては、他の先進国では常識ですらある大麻に対する冷静な議論も、夢のまた夢と言えるでしょう。今にはじまったことではありませんが、この国には「自由な言論」がまったく存在しないのです。

菅義偉の総裁選立候補の記者会見を見学した宮台真司は、東京新聞の望月衣塑子記者の質問を菅と一緒になって嘲笑していた会見場の記者たちについて、「あさましくさもしい」と下記の番組でこき下ろしていましたが、権力の監視どころか、権力の番犬(忠犬?)に成り下がったメディアのテイタラクは、なにも芸能マスコミに限った話ではないのです。

マル激トーク・オン・ディマンド
安倍政権の検証(1)
日本の民主政治を変質させた責任を問う


若い世代ほど安倍内閣の支持率が高く、20代(男性)では60%近くが「支持する」と答えたという数字さえあります。どうしてなのか。それは、物心ついたときからずっと安倍政権が続いているので、若者たちは安倍政権しか知らず、そのため安倍政権が政治のスタンダードになっているからだと宮台真司は言っていましたが、さもありなんと思いました。まるで長期独裁政権下の国民のようです。

しかし、政権を牛耳るのは、安倍・麻生・二階・菅など傲岸不遜でいかがわしい爺さんたちです。どう見ても「くそジジイ」です。ところが、今の若者たちは、そんな老いてもなお権力に汲々とする利権まみれの爺さんたちを「くそジジイ」呼ばわりするどころか、「凄い!」などと言って称賛しているのです。私たちの感覚からすれば驚くべきことです。

それは、若い政治記者たちも同じです。ジャーナリストの矜持などどこ吹く風で、政治家に気に入られサラリーマンとして栄達の道を歩むことしか念頭にないかのようです。一握りの老害政治家が牛耳る、文字通りの前時代の遺物のような今の政治をおかしいとも思わないのでしょう。彼らは、老害政治家にたかる銀バエのようで、ただ忖度しておべんちゃらな質問をくり返すだけです。

今ほど若者が権力や権威に弱く、事大主義的になった時代はないように思います。毛沢東ではないですが、いつの時代も革命の主役は若者でした。しかし、今は若者がアンシャン・レジュームになっているのです。もっとも、自分より強いものにはヘラコラする一方で、同輩や目下に対しては結構えげつなくて計算高いのも彼らの特徴です。競争に勝つためには手段は二の次で、卑怯なことも厭わないのです。

よく言われるように、日本は経済的に没落し余裕がなくなったので、座る椅子も少なくなっており、そのため、朝夕の通勤電車と同じで、サークル内の椅子取り合戦(ポジション取り)も熾烈をきわめているのです。まして、新聞社やテレビ局などは、誰しもが認める”限界企業“です。そう考えれば、権力にすり寄る「あさましくさもしい」記者が多いのも、当然と言えば当然かもしれません。

仕事先の知人は、大倒産・大失業・大増税の時代が目前に迫っているのに、「日本ではどうしてアメリカのように暴動が起きないんだろう?」と不思議がっていましたが、たしかに日本では、暴動どころか、政権批判する人物をSNSや電凸で攻撃する、”現代版アカ狩り”に動員されているのがオチです。日本の若者たちは、椅子にふんぞり返って国民を見下し、「日本を、取り戻す」(自民党のポスター)という掛け声とは裏腹に、ネオリベラリズムに拝跪して日本を切り売りしている老害政治家に対して、「がんばれ!」「日本を守ってくれてありがとうございます!」と拍手喝さいを送っているのです。そのトンチンカンで倒錯した感覚にも驚くばかりです。

そして、若い記者たちも、老害政治家と一緒になって、政権にまつろわぬ目障りな記者を嘲笑し、その記者の質問権を奪うことに手を貸しているのです。そうやって、政治を私物化して総理大臣をたらいまわしする与党の派閥のボスたちに忠誠を誓い、みずからのポジションを守っているのでしょう(正確に言えば、守っているつもりなのでしょう)。

芸能記者も政治記者もみんな、「あさましくさもしい」同じ穴のムジナなのです。
2020.09.09 Wed l 社会・メディア l top ▲
安倍首相の政権投げ出しに対して、今回は前回のような批判が影を潜めています。やったことは同じでも、それに対する反応はまったく違ったものになっているのでした。

たとえば、立憲民主党から参院選に出馬したこともある芸人のおしどりマコは、安倍首相に対する石垣のりこ議員のツイートに対して、みずからのツイッターで、次のように批判していました。

おしどりマコツイート2020年8月28日
https://twitter.com/makomelo/status/

でも、私は、このツイートの意味がよくわかりません。私たちは、潰瘍性大腸炎という病気に罹ったことを批判しているのではないのです。まして、病気が自己責任だなどと言っているわけではありません。持病を抱えながら、二度に渡って権力の座を欲したその無責任な姿勢を批判しているのです。その結果、二度も政権を投げ出して、“政治的空白”をもたらすことになったのです。そもそも、この”非常時”に国会を開かなかったのも、病気の悪化で安倍首相自身が躊躇したからかもしれません。

石垣議員も、持病で政治を停滞させることがわかっていながら、二度に渡って権力を欲し、同じことをくり返したその姿勢が無責任だと言いたかったのだと思います。それを立憲民主党執行部は、「不適切発言」と断じ、謝罪と削除を命じたのでした。

内閣総理大臣というのは、一般市民とは違うのです。公人!なのです。サラリーマンやOLとは、立場がまったく異なるのです。

公人!である安倍首相の病気を、サラリーマンやOLの病気と同じように考えると、大きな錯誤を招くことになるでしょう。それは、最高権力者の健康が第一級の国家機密だと言われる理由を少しでも考えればわかることです。

もっとも、安倍首相の病気に関しては、第一級の国家機密であるはずなのに、どうして千駄ヶ谷の慶応大学病院に検査に向かうのがバレバレだったのかという疑問があります。普通は誰にも知られないように検査を受けるはずでしょう。安倍首相の病気は、辞任を軟着陸させるためのストーリーだったんじゃないかという見方がありますが、その後の流れを見ると、あながち的外れとは言えないんじゃないかと思ったりもします。

前回は、「政権を投げ出した」と批判していたメディアが、今回はまったく逆に同情的な報道に終始し、それが辞任後すぐに、安倍内閣の支持率が55%に急上昇し、安倍政権を「評価する」が71%に上ったという世論調査(朝日新聞社が2、3日に実施した世論調査)に表れているのです。次期首相にふさわしいのは誰かという質問でも、「菅氏」と答えたのがいちばん多かったそうです。まさに衆愚としか言いようがありませんが、世論とはそういうものでしょう。

この世論調査の結果は、総理大臣を自分たちの都合のいいようにたらい回しする、派閥のボスたちのやり方を実質的に追認したと言えるでしょう。安倍辞任に同情的な報道に終始したメディアがそう仕向けたのです。やることなすこと全てが裏目に出る、政治的行き詰まりによる支持率低迷から見事なまでに流れが反転しているのです。なんだかおかしな(この国のメディアにありがちな)政治の力がはたらいているような気がしてなりません。

安倍辞任に対するメディアの報道は、まるで独裁国家のそれのようですが、おしどりマコの発言もそんなメディアと軌を一にしていると言えるでしょう。

「言論の自由などない。あるのは自由な言論だけだ」と言ったのは、おなじみの竹中労ですが、たとえば、「言論の自由」のいかがわしさを考える上で、(安倍辞任とは直接関係がないけど)下記の朝日の記事などは好例です。いいように憎悪を煽ってきたくせに、憎悪の相手から反撃されると、途端に仮面ライダーのように民主主義者に変身するのは、彼ら差別主義者の得意芸です。でも、おしどりマコはそのカラクリを見抜くことはできないのでしょう。もしかしたら、ものごとの本質を隠蔽し差別主義者に逃げ場を与える、こういうメディアのオブスキュランティズム(両論併記の曖昧主義)を、民主主義のあるべき姿と思っているのかもしれません。

朝日新聞デジタル
炎上した三浦瑠麗さんのCM 「左右問わず排除激しく」

安倍政治がもたらしたのは、ヘイトの蔓延と格差の拡大と政治の私物化です。おしどりマコのように「公」と「私」を混同し「情緒」で政治を語るようでは、今の世も末のような衆愚政治を「理会」(©竹中労)することはできないでしょう。それどころか彼女のツイートは、野党もまた、この世も末のような衆愚政治に組み込まれていることをいみじくも証明しているように思えてなりません。
2020.09.04 Fri l 社会・メディア l top ▲
安倍辞任は、メディアに言わせれば、「予想外」「突然の決断」「一人で判断」ということになるのでしょう。ただ、一部に辞任の見方がなかったわけではないのです。しかし、そんな見方も、反安倍の朝日新聞の記者が希望的観測であり得ない辞任を吹聴しているだけと言われ、封殺されたのでした。

そもそも安倍首相の持病悪化を報道したのは、私の知る限り『FLASH』(2020年8月18日・25日合併号)だけです。大手メディアは、あれだけ番記者を配置しながら、安倍首相が慶応大学病院に検査入院(一日入院)するまで、どこも病気悪化を報じていないのです。ホントに病気悪化の情報をキャッチしていなかったのか。だったら、どれだけふし穴、無能なんだと思います。もしかしたら、キャッチしていたけど書かなかったのかも知れません。そうであれば、ことはもっと深刻でしょう。

官邸担当の記者たちに、ジャーナリストを名乗る資格はないのです。記者会見のおべんちゃら質問を見てもわかるとおり、もはや彼らはただの御用聞きにすぎないのです。

そんな彼らが、辞任表明の記者会見においても、なにひとつ突っ込んだ質問ができないのは当然と言えば当然でしょう。病気だから仕方ないとか、不本意な辞任だとか、同情論で報じるのもむべなるかなと思います。誰もフジ・サンケイグループやNHKの幇間たちを笑えないのです。

でも、私は、安倍首相ほど無責任な政治家はいないと思っています。「愛国者に気をつけろ!」と言ったのは鈴木邦男氏ですが、まさに(自称)愛国者の正体見たり枯れ尾花という感じです。メディアは、今回は第一次安倍政権のときとは違うようなことを言っていますが、どこが違うのでしょうか。どう見ても、同じことをくり返したとしか思えません。

安倍政権を批判するあまり、持病(潰瘍性大腸炎)について言及するのはフェアじゃない、同じ病気と闘いながら仕事をしている人たちを傷つけることになるというような声があり、それも安倍批判を封じる口実になっていましたが、「同じ病気と闘いながら仕事をしている」一般のサラリーマンと安倍首相は、立場が全然違います。安倍首相は内閣総理大臣という、この国の政治(行政)を司る公人!なのです。

この国の最高権力者である限り、みずからの持病に対して責任を持つのは当然です。持病の不安がありながら(そのリスクを抱えながら)、あえて二度も内閣総理大臣の座を求めたのは、きわめて無責任と言わねばならないでしょう。これほど国家や国民をみくびった話はないのです。

しかも、安倍首相は、連続在任日数が大叔父の佐藤栄作元首相の記録を抜いて歴代1位になった途端に、辞任を表明したのでした。まるで連続出場記録の更新を餞に引退するプロ野球選手のようです。でも、連続在任日数の記録更新と辞任の関係を質した記者は、誰ひとりいませんでした。みんな、「ご苦労さまでした」というような質問に終始するばかりでした。

このコロナ禍のなかにあっても、考えているのは自分のことだけです。そんな人間の一体どこが愛国者なんだと思います。「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」という石垣のりこ参院議員のツイートは正鵠を得ており、「不適切発言」なんかではありません。第二次安倍政権が誕生した際、安倍首相は「危機突破内閣が誕生しました!」と得意満面に宣言したのですが、まさに危機の真っ只中で、突破どころかまたしても政権を投げ出したのです。コロナ禍で、失業したり倒産したりして苦境に陥っている人たちを尻目に、「ボクちゃん、お腹が痛いから辞めるよ、バイバ〜イ」というのが今回の辞任の真相でしょう。

念の為に、もう一度くり返しますが、安倍首相は「病気と闘いながら仕事をしている」一般のサラリーマンとは違うのです。内閣総理大臣という公人!なのです。しかも、在任中に突然、病気になったわけでもないのです。最初に政権を投げ出したとき(投げ出さざるを得なかったとき)、ホントに公人!としての責任を感じていたなら、同じことをくり返さないでしょう。

安倍首相は、会見で、拉致問題を解決できなかったのが断腸の思いだと言ってましたが、たしかに彼が権力の階段を駆け上ったのも“拉致の安倍”のイメージがあったからでしょう。でも、ホントに解決しようという気持があったのかはなはだ疑問です。彼のヘイトな極右思想と旧植民地である北朝鮮とのデリケートな交渉が相容れないことは、最初からわかっていたはずです。せいぜいが、兵糧攻めにすれば北朝鮮が根を上げて拉致被害者を差し出して来るという、オウム真理教まがいの荒唐無稽な奪還論を主張するのが関の山でした。しかも、拉致被害者の家族もネトウヨと一緒になって、そんな荒唐無稽な奪還論を共有していたのですから、何をか況やです。いいように利用され、騙されたという認識もなく、「安倍さんが辞めるのは残念」「これで拉致問題の解決が遠のく」などと言っている家族たちを見ると、ますます現実から遊離し、カルト化して、孤立の道を歩んでいるようにしか思えません。

辞任しても、解決の道筋をつけていたのなら、それを引き継げばいいだけの話です。ても、そんなものはどこにもないのです。

7年8ヶ月に及ぶ“安倍時代”がもたらしたのは、ヘイトの蔓延と格差の拡大と政治の私物化です。私は、安倍首相については、国会で総理大臣の席から口をすぼめてヤジを飛ばしている、バカ丸出しの姿しか思い出しませんが、そんな姿が不毛な“安倍時代”を象徴しているように思えてなりません。

安倍首相は、内閣総理大臣というまぎれもない公人!なのです。だからこそ、ときには水に落ちた犬を叩くような総括も必要なのです。でないと、小泉政権以後ずっとつづいている、(またぞろ愚劣な復縁劇を演じている連合子飼いの野党も含めた)この世も末のような衆愚政治を終わらせることはできないでしょう。
2020.08.29 Sat l 社会・メディア l top ▲
今日のテレ朝の「モーニングショー」では、東京の足立区で施行された歩きスマホ禁止条例の話題を取り上げていました。

足立区の条例では、ゲームはもちろん、地図も音楽も通話も全て禁止にしているのだそうです。それに対して、共産党の女性区議が、一方的に私権を制限するのは問題で、もっと区民の意見を聞くべきだと反対意見を述べている場面が出ていました。

また、若い男性の区議も、スマホやスマートウォッチで心拍数や血圧をはかったりすることがあり、条例はそういった最先端のITテクノロジーの活用を制限することになると反対意見を述べていました。

街頭インタビューでも、地図や音楽や通話まで禁止するのはやり過ぎだとか、夜、痴漢に遭わないために電話をかけている真似をすることがあるけど、それもできなくなるので困るというような若い女性の意見を取り上げていました。

まったくバカバカしいとしか言いようがありません。アホな人間たちのアホな屁理屈、その一語に尽きます。いちいち取り上げるのさえバカバカしいのですが、スマホで地図を見るのなら立ち止まって見ればいいだけの話です。私は、山に登るとき、以前はスポーツウオッチで心拍数をはかっていましたが、心拍数をはかる機能のない時計に変えてからは、スマホのアプリで心拍数をはかっています。その際も(山の中でさえも)、立ち止まってはかっています。また、休憩時にはオキシメーターではかることもあります。

街中を歩いていて心拍数や血圧をはかる人間がどれだけいるのかわかりませんが、別に歩きながらはかる必要などないでしょう。立ち止まってはかればいいだけの話です(言えば言うほどバカバカしくなる)。

通勤時間帯は特に歩きスマホが多く、もしかしたら30~40%の人間が歩きスマホをしているかもしれません。すれ違う際、スマホの場面をチラ見すると、大半はゲームかSNSかYouTubeです。心拍数をはかっている人間なんて見たことがありません。

朝や夕方の通勤時に駅の階段や狭い舗道で、後続者を堰き止めてノロノロ歩いている人間がいますが、それは決まって歩きスマホの人間です。また、歩きスマホの人間とぶつかりそうになることも多く、非常に危険です。迷惑以前の問題として危険なのです。私自身は、歩きスマホなんて怖くてできませんが、それを日常的に平気でやっている人間たちの感覚には疑いを持たざるを得ません。

歩きスマホ禁止を私権制限と捉える共産党区議の如何にも左翼特有の教条主義は、噴飯ものと言わざるを得ません。新型コロナウイルスに伴う「ファシスト的公共性」には目を瞑り、歩きスマホ禁止をあたかも人権侵害のように言い立てるそのヘタレな姿勢こそ、「大衆迎合主義」=ポピュリズムと呼ぶべきでしょう。私は、共産党区議の発言を聞いて、昔、評論家の大野明男氏が、民青の運動方針について、「欲望のナチュラリズム」ということばを使って批判していたのを思い出しました。

それは、スタジオで共産党区議と似たようなコメントを発していた、元朝日社員の浜田某という女性コメンテーターも同じです。彼女もまた、ただリベラルを装っているだけで、何も考えずに発言しているのでしょう。宮台真司が言うように、「いてもいなくてもどうでもいい」典型的なコメンテーターと言うべきでしょう。

とは言え、足立区の条例には罰則規定がないので、どれだけ効果があるか疑問です。効果をもたせるには、やはり罰則規定を設ける必要があるでしょう。個人的には、足立区や大和市だけでなく横浜市でもどこでも、全国の自治体で歩きスマホ禁止条例ができることを願わずにはおれません。

それどころか、歩数計のような技術を応用して、歩行中に操作できないような装置をスマホに組み入れるべきではないかと思ったりします。トランプのモノマネでTiktokを禁止する前に、歩きスマホができないスマホの開発を提唱すべきなのです。たかが歩きスマホと言うなかれで、歩きスマホは単にマナーだけの問題ではないのです。

歩きスマホをしている人間と、感染防止の意識の低い無神経で「どうしょうもない人間」が重なるのは、少しでも考えれば誰でもわかることでしょう。こういった日常にへばり付いている瑣末な問題こそ大事なのです。いわゆる知識人や文化人と呼ばれる人の中には、「たかが歩きスマホで」「歩きスマホごときに目くじらを立てて」と言わんばかりに、高尚ぶって見て見ぬふりをする人がいますが、知識や言葉を生業とする人間としては、きわめて不誠実で無責任な態度と言えるでしょう。本来思想というのは、こういった日常の瑣末な問題の中から生まれるはずだし、生まれるべきものなのです。
2020.07.29 Wed l 社会・メディア l top ▲
おとといの夜、時間が空いたので、山に行く準備をして床に就きました。そして、早朝4時すぎに目を覚まし、真っ先にベランダに出て夜が明けたばかりの空を見ました。しかし、一面暗い雲におおわれ、今にも雨が降り出しそうな空模様でした。朝の空に一縷の望みを託していたのですが、これでは諦めるしかありません。がっかりしてまたベットに戻りました。

この週末はつかの間の晴れ間が望めそうですが、私は用事があって山に行くことができません。来週は、天気予報ではずっと雨マークです。

このように、梅雨とは言え、今年は雨にたたられて、なかなか山に行くタイミングが合いません。前回の山行から既に2週間近くが経っています。せっかく山行を再開して体力も戻りつつあると思っていたのに、これでは元の木阿弥です。年を取ると体力の問題は深刻で、少なからぬ焦りを覚えています。と言うか、こんなに気勢をそがれると山に行くモチベーションも下がるばかりです。

モチベーションが下がると言えば、ハイカーにとって、政府の不要不急の外出自粛要請に呼応して、登山の自粛を呼びかけた山岳4団体の声明や、自粛解除後に、登山中のマスクの着用を呼びかけたガイドラインなどは、その最たるものと言えるでしょう。

日本山岳会は、戦時下において「日本山岳聯盟」という山岳団体を糾合した翼賛団体の設立を呼びかけるなど、鬼畜米英・大東亜解放の侵略戦争に積極的に関与・協力してきたのですが、自粛の呼びかけや自粛解除後の「新しい生活様式」に準じたガイドラインなどに示されているのは、「自立した登山者であれ」という登山の持つ”自主自立の精神”そっちのけの、ただ国家に帰順することを一義とする翼賛的な姿勢です。戦争協力の時代に日本山岳会の会長を務めた木暮理太郎が神格化されていることにも、私は首を捻らざるを得ません。もっともそれは、同じ山岳4団体に名を連ねた、日本共産党の“友好団体”とも言われる日本勤労者山岳連盟も、似たかよったかなのです。

世界の高峰に日本人として初登頂をめざす、いわゆる「先鋭的登山」が国威発揚と結びついていたことはよく知られていますが、もともと登山と国家は切っても切れない関係にあったのです。戦争中も、登山は「高度国防国家建設」のための「国民心身鍛錬運動」の一翼を担うものとして、むしろ国家から奨励されていたのでした。

『ランドネ』(7月号)の座談会における次のような発言は、多くの登山愛好家が共有するものではないでしょうか。発言者は、静岡大学教授で、日本オリエンテーリング協会顧問の村越真氏です。

村越   山岳団体が出した自粛メッセージのなかで違和感を感じたのは、そうした“自立した登山者としての基本”を強調せず、コロナがあるからというスタンスでしか書かれていないことでした。本当はコロナ禍でなくたって遭難は避けるべきだし、可能な限り自力下山して、救助隊や医療機関に負担をかけるべきではないわけです。
そのごく当たり前のことをいまこそ見直そうという促しが、自粛メッセージから感じさせない点が不充分だと考えています。

(『ランドネ』2020年7月号・「これからの山歩きを考えよう座談会」)


山岳4団体は、戦争中と同じように、ただハイカーを国家に帰順させることしか念頭にないかのようです。まるでそれが彼らの役割であるかのようにです。

もっともそれは、新型コロナウイルスにおける自粛体制そのものにも言えるのです。自粛体制には右も左もないのです。左派であるなら、自粛なんて糞くらえと言ってもよさそうですが、そんな声はまったく聞こえてきません。むしろ、政府の不作為を批判しながら、再度の自粛を主張しているフシさえあるくらいです。

左右が国家にひれ伏す今の自粛体制=翼賛体制は、都知事選で小池都知事が366万票という歴代2番目の得票を獲得したことにも端的に表れています。なにしろ次点の宇都宮健児候補に280万票もの大差を付けた、歴史的と言ってもいいほどの圧勝でした。

私が今回の選挙で注目したのは、投票前に行った下記の東京新聞の世論調査です。

東京新聞 TOKYO Web
誰に投票? 野党支持層は分散【都知事選世論調査】

立憲民主党の支持者の中でも、56.1%が小池知事に投票すると答えているのです(宇都宮氏は22.2%)。国民民主党に至っては、62.9%が小池知事で、宇都宮氏は0%(誤差の範囲?)です。共産党でも、21.4%が小池知事(宇都宮氏59.0%)です。

東電労組主体の電力総連に牛耳られている連合東京が小池知事を推薦したということもあるのでしょうが、野党支持者でも小池都知事の自粛パフォーマンスは、政治信条を越えて支持されているのです。

東京の新規感染者200人超えが3日続いていますが、これから左右を問わず、益々罰則を設けた再度の自粛を求める声が強まることでしょう。もしかしたら、野党がその音頭を取るようになるかもしれません。

多くの国民にはまだその自覚がないようですが、これから大倒産・大失業の時代が待ち構えているのは間違いないのです。コロナ禍があと何年続くか、見通せない状態であるのは否定すべくもない事実でしょう。オリンピックなんてできるわけがないのです。

コロナ禍は、まさに世界史を塗り替えようとしていると言っても過言ではありません。アメリカの苦境と迷走が示しているのは、アメリカが世界の覇権を失って超大国の座から転落することがいよいよ現実になったということです。そして、香港に対する強権の行使や東南シナ海の海洋進出など中国の強気な姿勢が象徴しているのは、アメリカに代わって中国が覇権国家として、その存在感を再び世界史の中に示しつつあるということです。

そんな歴史的なコロナ禍の中にあって、日本は再び内向きの一国主義的な方向に進もうとしているのです。一致団結して危機を乗り越えようという現状認識においては、与野党も左右も寸分も違いはありません。でも、無定見に経済より命が大事だという”情緒“に流され、憲法で保障された基本的な権利を何のためらいもなく国家に差し出している今の状況は、もしかしたら先の戦争と同じように、自粛=自滅への道であるかもしれないのです。

なにより、江戸時代のような”鎖国政策”では飯を食っていけるわけがないのです。たとえば、観光業も国内市場が縮小したからインバウンドに活路を求めたはずなのですが、ここに至ってインバンド頼りからの脱却みたいことがまことしやかに言われているのでした。でも、それは、どう考えても負け惜しみにすぎないのです。大倒産・大失業に加えて、10万円給付やGoToキャンペーンなどのツケで、大増税も間違いなくやって来るでしょう。いくら「ニッポン、凄い!」「ニッポン、がんばろう!」と自演乙しても、今のように内向きになっている限り、にっちもさっちもいかなくなるのは目に見えているのです。星野リゾートの社長も、インバウンドからの脱却、日本の良さを見直すべきみたいなことを言ってましたが、観光業の現状を知る人間として、これほど無責任で稚拙なもの言いはないだろうと思いました。

稚拙と言えば、れいわ新選組の大西某の「命の選別」発言も然りで、大西某は論外としても、この問題では山本太郎の危うさや稚拙さがいっきに露呈されたように思えてなりません。そもそも、元外資系銀行の為替ディラーで、どう見ても新自由主義者でしかない大西某なる人物がどうしてれいわ新選組の比例代表候補だったのか、よくわからない部分がありました(ほかにも不可解な候補予定者が何人もいます)。公務員をもっと増やすとか再度10万円を一律給付するとか、山本太郎の主張には、貧困者対策とどう関係があるのかという疑問もありました。ただ、右か左かではなく上か下かで言えば、山本太郎だけが上か下かの視点を提供していたのはまぎれもない事実で、れいわ新選組の路線自体は(多分に場当たり的なものではあったにしても)間違ってなかったのです。その意味では、れいわ新選組も自滅の道を歩みはじめたと言っていいのかもしれません。

「命の選別」発言は、れいわ新選組を支持する下層の人たちに対する、弁解の余地のない裏切りであるのは言うまでもありません。にもかかわらず、「命の選別」発言にもっとも敏感に反応すべき舩後靖彦参院議員や木村英子参院議員から正式にコメントが出て来ないのも、不思議な気がしてなりません。

一方で、立憲民主党の国会議員や支持者たちが、ここぞとばかりに執拗に“山本太郎叩き”をしていることにも違和感を抱かざるを得ません。そこには、左翼の常套手段である“社民主要打撃論”と同じような、党派的な思惑が垣間見えてならないからです。

余談ですが、立憲民主党の有田芳生参院議員や評論家の安田浩一氏が、これからの日本の中枢を担うのはれいわ新選組と日本第一党だという、れいわ新選組のなりすましツイッターを真に受けて激しく反応していたのは、彼らのネットリテラシーの低さもさることながら、”社民主要打撃論”による先入観が丸出しで、語るに落ちたという気がしてなりませんでした。このような山本太郎を叩いている旧左翼のお粗末さも見過ごしてはならないのです。

れいわ新選組は解党的出直しが必要だという声がありますが、社会運動の基盤のない政党に、今の状況を剔抉する革命的なエネルギーを求めるのは、ないものねだりの子守歌でしかないでしょう。と言うと、なんだか大袈裟な話になりますが、(今まで私たちが知らなかった)事務所運営の杜撰さや秘書の問題などを考えると、山本太郎も所詮は”古い政治”から脱却できない口舌の徒に過ぎなかったと言うべきかも知れません。

しかし、何度もくり返しますが、同時に左の全体主義者のよこしまな“社民主要打撃論”にも、くれぐれも注意しなければならないのです。国家への帰順を一義とする点においては、スターリニストとファシストは紙一重なのです。

立憲民主党や国民民主党が野党である不幸は今更言うまでもありませんが、あらためて野党を取り巻く殺伐とした光景を見るにつけ、すべてが(右も左も)国家に収れんされていくんだなという暗澹たる思いしか抱き得ないのでした。
2020.07.12 Sun l 社会・メディア l top ▲
れいわ新選組の山本太郎の東京都知事選出馬表明について、立憲民主、共産、社民の3野党が宇都宮健児氏への支援を決めているため、野党支持層の票が分散するのではないかと懸念する声があります。特に、立憲民主党周辺や「アベ政治を許さない」左派リベラルの市民運動の当事者たちからは、利敵行為だというような強い意見も出ているそうです。

山本太郎がどうしてこれほど立候補に拘ったのか、よくわからない部分もありましたが、立候補に際して、その裏事情が見えてきました。

れいわ新選組が野党共闘の条件として掲げる「消費税5%引き下げ」(党の公約は「消費税廃止」)を野党統一候補(宇都宮健児氏?)の選挙公約に採用するように主張したことに対して、財政再建=緊縮派の立憲民主党がどうしても消費税の引き下げを認めることはできないとかたくなな姿勢を崩さなかったため、折り合いが付かなかったのだそうです。

立憲民主党にとっては、消費税10%はかくも絶対譲れない重要な政策なのです。言うまでもなく、消費増税は民主党政権の悪しき“遺産”でもありますが、その“遺産”を守ることが立憲民主党のレーゾンデーテル(存在理由)とでも言いたげです。立憲民主党と自民党の間に、どれほどの違いがあるのかとあらためて思わざるを得ません。

もとより、何度も書いていますが、消費税の問題ひとつ取ってもあきからなように、野党共闘は単なる野合に過ぎません。野党共闘によって、何か政治が変わるような幻想を振りまいているのは、もはや犯罪的ですらあります。

個人的には、ブレイディみか子氏にはもう何の興味もありませんが、ただ、彼女が言った「右か左かではなく上か下かだ」という社会運動のトレンドが、コロナ禍による大倒産&大失業時代を迎えて、よりはっきりしてきたように思います。もうひとつ、彼女の言葉を借りれば、野党共闘なんて「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろ」んでいる「勝てない左派」のアリバイ作りにすぎません。都知事選では、現職の小池百合子が圧勝するのは誰が見てもあきらかで、左派リベラルは“革新幻想”の再現で、負け戦のお茶を濁そうとしているようにしか見えません。

そもそも60年代後半以後の社会運動は、こういった“古い政治”を否定することからはじまったはずなのです。ところが、元全共闘のジジババたちによって、その“古い政治”が墓の下から掘り出され、“革新幻想”を振りまくアイテムとして再利用されているのでした。これほど愚劣な光景はありません。

でも、何度もくり返しますが、これはとっくに終わった政治なのです。こんな時代錯誤なことを何万遍くり返してもなにも変わらないのです。変わりっこないのです。

アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性が白人警察官に圧迫死させられた事件に端を発した黒人差別の抗議運動が、これほどアメリカ社会にインパクトを与える大きな運動になるとは誰も思っていなかったでしょう。今回の運動は、共和党だけではなく民主党も批判の対象になっているのです。警察官の暴虐は、トランプ政権からはじまったわけではないのです。初の黒人大統領であったオバマは、人種差別の根絶のために何をしたのか、という疑問の声が運動の中から沸き上がっているそうです。これこそが真にラジカルな(根源的な)問いかけと言えるでしょう。

今、求められているのは、このようなラジカルな運動なのです。

カリフォルニア州在住でアメリカ事情に詳しい町山智浩氏が、下記の記事で語っていた、アンティファやブラック・ブロックの存在は、これからの社会運動のあり方を考える上で(文字通り「勝てない左派」の運動を乗り越えるものとして)、興味をそそられるものがありました。

Yahoo!ニュース
ABEMA TIMES
黒人差別への抗議行動に紛れて略奪・破壊を繰り返すアンティファ、ブラック・ブロックとは

町山智浩氏は、こう言います。

「アンチ・ファシズム(Anti-Fascism)の運動から派生して出てきた人たちで、トランプ大統領を支持する右翼や白人至上主義者に対抗、集会に現れて物を投げたり、殴り合いをしたりしてきた。それがさらに精鋭化したのが、最近出てきた全身黒ずくめの“ブラック・ブロック”(BLACK BLOC)だ。もはやアンチ・ファシズムでもなく、反資本主義・無政府主義(アナキズム)なので、大統領就任式で放火事件を起こしたり、民主党に対しても攻撃をする(略)」



「アンティファとブラック・ブロックが興味深いのは、組織ではないというところだ。リーダーもいなければ、会員になるというようなこともない。お互いを知れば組織になってしまうし、誰かが捕まって証言すれば共謀したとされてしまうので、集まってもお互いに話もしないのがルールだといわれている。だから呼び掛けすらほとんどなく、“何月何日何時にどこで”というSNSの投稿を見て、リツイートなどもせずにパッと集まって、パッと解散する。“フラッシュモブ”のような感じに近い」


私は、町山氏の話を読んで、笠井潔氏が『3.11後の叛乱』の中で言及していたルイ・オーギュスト・ブランキの「結社」の思想を思い起こしました。

前に書いたように、笠井氏がブランキを持ち出したのはしばき隊を称賛するためだったのですが、しばき隊にブランキを当てはめるのはまったくの買い被りで、トンチンカンな話と言わざるを得ません。それより私は、ブラック・ブロックの行動にこそブランキ主義と通底するものがあるように思えてならないのです。そして、そういったスタイルがこれからの社会運動のトレンドになるように思えてなりません。

また、町山氏は、抗議運動がここまで拡大した背景について、「コロナによる経済危機が根本にある」とも言ってました。

 「1930年の大恐慌もリーマショックも、金融の問題、バブルの問題だった。しかし今回は実体経済の縮小というかつてない問題だ。戦争が起きれば大量生産・大量消費が起きるので特需になるが、それとは逆。おそらくアメリカにとって初の経験ではないか。しかもロックダウン状態が3カ月も続き、失業者は4000万人を超えている」


アメリカの黒人差別に対する抗議運動は(あるいは世界大に広がった人種差別反対運動は)、文字通り右か左かではなく上か下かの運動でもあるのです。

アメリカのような大衆蜂起が期待できない東洋の島国では、コロナ禍でますます追いつめられている下層の人々に対して、上か下かの政治もあるのだということを訴えることからまずはじめるしかないのです。たしかに危ういところはありますが、とりあえず山本太郎がその役割を担っているのは間違いないでしょう。


関連記事:
『3.11後の叛乱』
山本太郎は間違ってない
山本太郎は間違ってない・2
2020.06.17 Wed l 社会・メディア l top ▲
6月9日に、カイロ大学が突然(そして、奇妙な)声明を発表した裏には、どうやら都議会の動きが関係していたようです。私は知らなかったのですが、都議会の自民党を中心に、小池知事に対してカイロ大学の「卒業証明書」の提出を求める決議案が出されていて、10日に決議される予定だったとか。それで、カイロ大学の声明で機制を制したというのが、どうやら真相だったみたいです。決議案は、10日の議決寸前に取り下げられたそうですが、おそらく二階ら自民党本部の“小池人脈”による働きかけがあったと考えるのが自然でしょう。

Yahoo!ニュース
日刊スポーツ
小池氏への決議案取り下げ、カイロ大学の声明も一因

小池都知事は、12日の出馬会見の席で、学歴詐称疑惑について、「すでに原本も示し、カイロ大学も正式にお認めいただいているものと考えている」と答えたそうですが、「原本を示し」たというのは、前回(2017年)の都知事選の際、小池都知事お気に入りのフジテレビに「卒業証書」と「卒業証明書」を「貸し出した」ことを言っているのでしょう。フジテレビは、「とくダネ!」の中で、画面上に「卒業証書」と「卒業証明書」を映し出して、本人に代わって潔白を証明したのでした。しかし、『女帝 小池百合子』は、以前小池の自著に掲載されていた「卒業証書」と「とくダネ!」の「卒業証書」では、カイロ大学のロゴマークが違っていると書いていました。また、「卒業証明書」についても、写真の貼り方やカイロ大学の印鑑がホンモノと違うことを指摘していました。

考えてみれば、カイロ大学の声明などという面倒くさいことをせずに、手元にある「卒業証明書」を議会に提出して疑惑を晴らせばいいだけの話です。フジテレビで証明したからなどと言わずに、何度でも出せばいいのです。どうしてそんな簡単なことができないのか。何か「卒業証明書」を直接見せることができない理由があるのではないか、そう思われても仕方ないでしょう。

と思ったら、出馬会見でアクリル板に入れた「卒業証明書」を公開したそうです。しかし、公開した「卒業証明書」は、カイロ大学のロゴや学長のサインが違っているとか、通常の「卒業証明書」に押印されている外務省の印鑑がないとか、従来から指摘されていた疑問を解消するものではなかったようです。そもそもみずから1年落第したと言っているのに、どうして4年で卒業したことになっているのかという、小学生でも抱く疑問は今回も解明できていません。今回の行為を見ても、その厚顔さ=強心臓は常人の比ではないなとあらためて思いました。

6月11日に「東京アラート」が解除されましたが、ロックダウンだとか西浦博北大教授と一緒に「重篤患者86万人・死者42万人」だとか、散々“危機”を煽っておきながら、最後は何だか肩透かしを食ったようにあっけないものでした。これでは、自粛要請によって、破産か自殺かにまで追い詰められた自営業者はたまったもんじゃないでしょう。

でも、これが“小池劇場”と言われるいつものやり方です。築地市場の移転問題も然りで、水質汚染がどうだとか築地も残す(豊洲に移転しても将来築地に帰ることができるようにする)とか言いながら、いつの間にか全て曖昧になり、尻すぼみになってしまいましたが、そこにも小池都知事お得意の嘘とはったりと強心臓が遺憾なく発揮されているように思います。メディアがきちっと報道せず、都民が騙されたという自覚を持たない限り、小池都知事の嘘とはったりと強心臓の“小池劇場”はこれからも続くことでしょう。

それに、ひとつだけ言えるのは、小池都知事にとって、都政は国政復帰(それもステップアップした復帰)のためのあくまで踏み台に過ぎないということです。「小池さ~ん! 頑張って!」と手を振っている都民も、かつての細川護熙や小沢一郎と同じように、ただ踏み台にされているだけです。

ネットには、小池都知事が「甥」だとか「従弟」だとか言っていた、練馬区桜台の「エコだハウス」で一時同居していた元秘書に関する「不可解な融資」と、小池都知事自身の「“闇金業者”からの不正献金」の記事が出ていましたが、問題なのはこの秘書だけではありません。

Yahoo!ニュース
ディリー新潮
小池都知事が隠したい“金銭スキャンダル”
闇金業者から「違法献金」も


もうひとり、小池都知事の「懐刀」と言われ、前回の都知事選の選挙参謀を務めた秘書の存在が前から注目されていました。彼は、35歳で自民党公認で都議になったのですが、任期中に都議を辞任して日本維新の会から衆院選に出馬して落選。翌年、日本維新の会から再度都議選に立候補するものの落選して、アントニオ猪木氏の議員秘書などをしていたそうです。その頃に小池百合子が声をかけ、都知事選の選挙対策本部長を任せられ、都知事選に圧勝するのでした。それで、「永田町を回遊していた彼の人生は劇的に変わ」り、小池都知事の特別秘書になったのでした。

ちなみに、特別秘書の年収は1千4百万円で、当然都知事の秘書ですから給与は都(税金)から支給されます。さらに、運転手付きの公用車まで与えられていたそうです。

彼の行状について、『女帝 小池百合子』は、次のように書いていました。

  夜の豪遊ぶりは、つとに知られている。
  キャバクラやショーパブが好きで、特別秘書になってからも足しげく通っていた。そのハレンチな豪遊ぶりを『週刊ポスト』(二〇一七年六月二月号)が写真入りで報じている。
  記事によれば、ある店では、バケツに入れたチップを掴むとポールダンスをする女性のビキニの中に素手で押し込んでいたという。女性たちは気前のいい野田(引用者:秘書の姓)の前に列をつくる。ブラジャーを外すと野田は喜んで、「ウォー」と雄たけびを上げる。
   店が終わるまで粘り、ダンサーの外国人女性と腕を絡ませて歩き、タクシーに乗る。それが深夜二時過ぎ。この日、彼と連れ立っていたのは民進党から都民ファーストの会への移籍を望む都議たちであった。公認が欲しかったのだろう。


また、都議時代の彼についても、次のように書いていました。

  都議時代は石原慎太郎の価値観に強く共鳴していた。朝鮮学校補助金削減や尖閣諸島の購入を熱烈に支持し、激しい中国批判を繰り返した。「新しい歴史教科書をつくる会」に所属し、『WiLL』や『正論』といった雑誌にも、たびたび寄稿した。
  二〇一二年には自民党を離党し、日本維新の会に入党。九月十八日の都議会では、「占領期に制定された現行憲法は無効と確認し、大日本帝国憲法が現存すると決議がなされること。皇室典範は占領期に作られたものであり無効であって明治典範その他、宮務法体系を復活させるべき」だと請願した。つまりは現行憲法の否定者である。


しかし、2017年10月の衆院選で、小池率いる希望の党は大敗します。そのため、秘書のリストラが行われ、秘書の間でも齟齬が生じるようになり、彼も特別秘書を退任することになりました。ところが、なんと彼は、東京都水道局の外郭団体である東京水道サービス株式会社(TSS)の社長に就任したのです。

(略)水道に対する知識もなく、行政経験もなく、さらにいえば社会人経験もない、政界を暗躍して「小池の弾除け」と自称する四十六歳の男が、都知事の鶴の一声で特別秘書から、今度は外郭団体に天下って社長になるというのだ。
  小池が口封じのために高給の再就職先を用意したと批判の声が上がるのは当然だった。


都政の私物化はとっくにはじまっているのです。しかし、それでも小池都知事にとって都政は、あくまで国政にステップアップして復帰するための踏み台に過ぎないのです。小池都知事のパフォーマンスに右往左往している都民こそいい面(ツラ)の皮でしょう。
2020.06.13 Sat l 社会・メディア l top ▲
小池百合子都知事が、7月の都知事選に向けて、10日に出馬会見を開くのではないかと言われていた前日の9日、突然、カイロ大学が「(小池都知事が)1976年10月にカイロ大学文学部社会学科を卒業したことを証明する」との声明を発表したのにはびっくりしました。さらに驚くべきことに、在日エジプト大使館が、カイロ大学の声明文をフェイスブックで公開したそうです。これも異例でしょう。ただ、予定されていた(?)10日の出馬会見は延期される見込みだとの報道がありました。

朝日新聞デジタル
小池都知事は「カイロ大学を卒業」 大使館が声明文公開

一個人の卒業疑惑に、大学が声明文を発表するというのは前代未聞で、どう考えても不自然です。まして、卒業疑惑が「カイロ大学及びカイロ大学卒業生への名誉毀損(きそん)であり、看過することができない」などと言うのは異常且つ異様です。そのくせ、具体的な”証拠”は何も出してないのです。”アラブの春“を弾圧した軍部が実権を握る「なんでもありの軍事国家」の中で、小池百合子の“過去”を知る「早川さん」が恐怖を抱くのもわかる気がします。

元恋人の舛添要一氏も、この声明を受けて、次のようにツイートしていました。

カイロ大学が小池都知事が1976年に同大学を卒業したと声明。卒業証書や卒業に至る経過、成績表は公開せず。先進国の大学なら、全ての記録を保管し公表できる。声明など出すこと自体が政治的で胡散臭い。日本からの援助を期待する外国政府まで使う。立候補前の政治工作だろう。
@MasuzoeYoichi


私はパリ大学とジュネーブ大学に籍を置いたが、大学が声明まで出してそれを追認することはない。出すなら声明ではなく当時のデータだ。データ抜きなら政治的都合で何とでも言える。エジプトという専制国家ならではの腐敗の極みだ。証拠も出さずに○○が卒業生だと声明を出す先進国の大学は絶対にない。
@MasuzoeYoichi


かつて小池都知事から私が聞いたのはカイロ大学「首席卒業は、学生が一人しかいなかったから」という話だ。私は、外国人学生専用のコースかと思った(私が留学したフランスでは外国人専用の博士号コースがあった)が、「学生一人」すら嘘だったようだ。飽くなき権力欲は怖い。
@MasuzoeYoichi


要は声明文などより、舛添氏も言うように「データ」を開示すればいいだけの話です。また、小池百合子自身も、「首席で卒業」した自分のアラビア語(文語)のレベルを披露すればいいのです。それが論より証拠というものでしょう。

声明によって、逆にますます疑惑が深まったように思えてなりません。

尚、舛添氏がツイッターでリンクしているJBpressの記事では、カイロ・アメリカン大学の留学体験がある作家の黒木亮氏が、小池百合子のアラビア語の語学レベルを検証していました。ちなみに、カイロ・アメリカン大学というのは、国立のカイロ大学とは別の私立大学で、小池百合子がカイロ大学に編入するまで籍を置いていた(と言われる)大学です。

以下が黒木氏の記事の一覧です。

JBpress

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈1〉
「お使い」レベルのアラビア語
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58847

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈2〉
卒論の”嘘”
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58851

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈3〉
エジプトで横行する「不正卒業証書」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58857

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈4〉
「不正入学」というもう一つの疑惑
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58869

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈5〉
カイロ大学の思惑
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58870

【最終回】小池百合子「カイロ大卒」の真偽
卒業証明書、卒業証書から浮かび上がる疑問符
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58871

議会答弁でさらに深まった小池都知事の「学歴疑惑」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59731

「カイロ大卒業」を取り繕うエジプトの小池人脈
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60763

一方、大手新聞社やテレビ局などは、この問題については最初から腰が引けています。言うまでもなく、彼らは、東京オリンピックで東京都と(主催と協賛の)共存関係にあるからです。彼らにとっては、触らぬ神に祟りなしなのでしょう。

もともと小池百合子がメディアを足場にここまでのし上がって来たのも、アラブ通を自認するジャーナリストたちが、彼女を持ち上げたからだと言われています。

『女帝 小池百合子』も次のように書いていました。

  中東通としてテレビに登場する新聞記者の大半は、アラビア語を解さない。男社会の中で生きている彼らは小池のような女性に一様に甘く、親切だった。
  フリーランスの若い男性ジャーナリストたちは、そのあり様を冷ややかに、かつ、呆れてみていたようだ。元AP通信社の浅井久仁臣は一緒にアフリカや中東で取材したこともある朝日新聞の伊藤正孝のことを、人間としては信頼していたと断ったうえで、そんな伊藤が小池に手もなく取り込まれているのを見て、小池のカイロ時代を知るだけに「女を見る目がないな」と感じたと自身のブログ(二〇〇五年八月十六日)で明かしている。
  伊藤はこの後、小池の政界入りにも協力し、常に彼女に便宜を計り続けた。また、自分の出版記念パーティでは、キャスターになった小池に司会も頼んでいる。
  新聞各社の男性たちはこぞって、小池に自分の力を誇示しようとした。仕事を紹介する人もいれば、紙面を提供する人、人脈を与える人もあった。
  新聞で活字にされた瞬間に「カイロ大学卒」は事実として認定され、流布されていく。その信頼をもとに彼女の世界は広がっていった。


記事の中の伊藤正孝氏は、のちに筑紫哲也のあとを継いで『朝日ジャーナル』の編集長になった人物で、私も『朝日ジャーナル』を愛読していましたので、名前は知っていましたし、彼が書いた記事も読んだ覚えがあります。

鼻の下の長いジャーナリストたちは、あのミニスカートからすらりと伸びた足と、じっと自分を見つめる大きな瞳にいとも簡単に篭絡されたのでしょう。

そして今も、新型コロナウイルスの報道に見られるように、メディア戦略に長けた都知事にいいように手玉に取られ、各メディアは彼女の広報担当のようになっています。いつの間にか、「東京アラート」なるものが感染状況を知る唯一の指標のようになっているのでした。なんのことはない、新型コロナウイルスも、小池都知事の政治的パフォーマンスの格好の場になっているのでした。
2020.06.09 Tue l 社会・メディア l top ▲
フジテレビの「テラスハウス」に出演していた若い女子プロレスラーが、番組の中の言動に対してSNSでバッシングされ、それが原因で自殺するという事件がありました。

自殺を伝える記事には、彼女が死ぬ直前にアップしたインスタの画像が添付されていましたが、それを見ると痛ましいなと思います。

水は常に低い方に流れるの喩えどおり、ネットでいちばん声が大きいのはネットに常駐する「バカと暇人」です。

「ドキュメンタリーは嘘を吐く」と言ったのは、ドキュメンタリー作家の森達也氏ですが、ドキュメンタリーと言っても、そこにカメラがある限り100%ノンフィクションとは言えないのです。まして、編集が加われば尚更です。そして、「ドキュメンタリーは嘘を吐く」ことがわかってない「バカと暇人」たちは、それを真に受け、彼女がプロレスでヒールの役だったということも相俟って、執拗に罵言を浴びせたのでした。

それは「テラスハウス」だけではありません。ヘイトスピーチや個人的な誹謗中傷の巣窟になっているコメント欄をいつまで経っても閉鎖しないYahoo!ニュースも同じです。Yahoo!ニュースを見ていると、あえて炎上するようなニュースをピックアップしてトピックス(先頭ページ)に掲載している感じすらあります。そうやってバズらせてアクセスを稼ぎ、ニュースをマネタイズしようとしているのでしょう。そのためには、負の感情を煽るのがいちばん手っ取り早いのです。

フジテレビは、炎上することが判っていながらあえて彼女の言動を流すことで、視聴率を稼ごうとしたのではないか。そんなえげつないテレビ局の思惑に翻弄され、みずから命を絶つことになった彼女を思うと、あらためて痛ましいなと思わざるを得ません。

世間では彼女をバッシングした人間ばかりが批判されていますが、水が低い方に流れるのがわかっていながら、巧妙にバッシングをけしかけた(そうやってネットとのシナジー効果を狙った)フジテレビが、もしかしたらこの事件の主犯なのかもしれません。ただ、フジテレビが計算を間違ったのは、自殺した彼女が予想に反して繊細だったということでしょう。

しかも、彼女のまわりにいる者たちも、“大人の事情”でテレビ局を表立って批判することはできず、「バカと暇人」をもっぱら非難するしかないのです。そう思うと、かえすがえすも彼女が痛ましく思えてなりません。

今回もテレビのワイドショーを中心に、ネットの誹謗中傷やSNSのプラットホーマーに対する法的な規制の議論が沸き起こることが予想されますが、それは片手落ちでしかないのです。フジテレビの責任に言及しない限り、ただお茶を濁しているだけの無責任な議論と言わねばなりません。
2020.05.25 Mon l 社会・メディア l top ▲
黒川弘務東京高検検事長の賭け麻雀の「文春砲」には、びっくりしました。

黒川氏の趣味はカジノで、黒川氏の”ギャンブル好き”は有名だったそうですが、定年を延長するためにときの政権がわざわざ法律を改正して特例を設けるほど特別扱いされていたので、驕り高ぶった気持がこのような脇の甘さを生んだのかもしれません。今週、政府与党が検察庁法改正案の成立を採決直前に見送ったのも、そのタイミングから見て、この記事を察知したからではないかと言われていますが、あり得ない話ではないでしょう。

飛田新地料理組合の顧問弁護士をしていた橋下徹氏を「売春街の守護神」と呼んだのは文春でしたが、黒川氏も文春などメディアから「官邸の守護神」と呼ばれています。余談ですが、他に「官邸のお庭番」という呼び方もあるそうです。私は、どっちかと言えば、「お庭番」の方が如何にも番犬みたいな感じがするので好きです。

どうして「官邸の守護神」なのか。森友・加計・桜を見る会と安倍政権は次々と政治スキャンダルに見舞われ、一般人(下級国民)なら訴追されて当然のような違法行為も、一人の逮捕者もなく全て闇に葬られたのでした。特に、桜を見る会では、前夜祭の会費を巡って、安倍首相自身の政治資金規正法及び公職選挙法違反の疑いが持たれていましたが、検察は微動だにしませんでした。その背後に、法務官僚として大臣官房長や法務事務次官を務め、次期検事総長と目されている黒川氏の存在があったからではないかと言われているのです。つまり、今のように官邸を「無法地帯」にしたのも、法的な守り神として黒川氏がいたからではないかという疑惑があるからです。

しかし、官邸が黒川氏を特別扱いしたのは、何も過去の論功行賞からだけではなかったのです。検察庁法改正に対する反対の声が大きくなった中で、アクセスジャーナルに次のような記事が掲載されていました。

アクセスジャーナル
安倍首相が逮捕に怯える、河井夫婦公選法違反事件の闇(1・5億円の一部が還流!?)

昨年7月の参議院選挙では、河井案里候補に対して「自民党本部から破格の1億5000万円もの運動資金」が渡され、安倍首相の秘書がたびたび応援に入ったことがあきらかになっています。また、その「運動資金」が広島地検に摘発された公選法違反事件のウグイス嬢だけでなく、選挙区の地方議員たちの買収資金になったのではないかと言われています。ところが、話はそれだけにとどまらず、「運動資金」の一部が安倍首相の周辺に還流しているのではないかという疑惑も持ち上がっているのです。

私は、当初、検察VS官邸に対して信じ難い気持でした。しかし、今回の「文春砲」も含めて、検察庁法改正を巡るさまざまな動きを見るにつけ、もしかしたらこれはアクセスジャーナルのスクープではないかと思うようになりました。

実際に、河井案里議員の公選法違反事件では、広島地検だけでなく、東京地検や大阪地検の特捜部も捜査に加わっているそうです。この並々ならぬ力の入れように、さまざまな穿った見方が出て来るのは当然でしょう。

近いうちに、選対本部の責任者だった河井克行元法相ともども河井夫妻に対する逮捕許諾請求が行われるのではないかという話もあります。そうなれば、検察VS官邸の暗闘がいっきに表面化し、人事に手を突っ込んだことで検察の虎の尾を踏んだ安倍政権に対する、メガトン級の”意趣返し”が明らかになるのかもしれません。

官邸の悪代官たちが慌てふためく姿を見るのは痛快ですが、しかし、忘れてはならないのは、これは時代劇のような勧善懲悪の物語ではないということです。検察=正義というような単純な話ではなく、権力内部の暗闘であることを忘れてはならないのです。

文春に情報を垂れ込んだのは、産経新聞の記者の同僚だと言われていますが、「産経新聞の同僚」というのがミソで、そこにもさまざまな憶測が流れているのでした。保守派で安倍マンセーの三浦瑠麗氏は、次のようにツイッターで呟いていました。

三浦瑠麗ツイッター文春記事
https://twitter.com/lullymiura/status/1263241587858931713

中には、文春なので内調(内閣情報調査室)が関係しているんじゃないかと言っている人がいましたが、その人は60年後半の学生運動の経験者かもしれないと思いました。昔は文春の記事=内調がネタ元が常識でした。

検察庁法改正案の採決を見送ったのも、ネットの世論を読み違えたとか、二階らが政局がらみでストップをかけたからだとか、そういった話でもないのです。こんなときだからこそ、メディアのセンセーショナリズムに踊らされることを厳に慎まなければならないのです。

官邸にとって、黒川氏のスキャンダルは悪事の幕引きをはかる上で、かえって都合がよかったのではないかという見方もあるくらいで、もしかしたら、私たちは、メディアのセンセーショナリズムに踊らされることで、問題の本質から目を反らすよう仕向けられている(目くらましされている)のかもしれないのです。
2020.05.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
検察庁法改正案に対して、ネットを中心に反対の声が沸き上がっていますが、しかし、政府与党は成立のためには強硬採決も辞さない構えなのだそうです。悪代官たちにとって、ネットの反対論などどこ吹く風なのでしょう。

私は、検察庁法改正案に関するメディアの報道で、ひとつ解せないことがあります。それは、自民党とともに、この法案の成立を目指している(実際には手を貸している)公明党=創価学会に対しての言及がいっさいないということです。公明党=創価学会は、今までも政権与党として、数々の悪法や森友・加計・桜を見る会などの疑惑隠しに手を貸して来ました。

公明党=創価学会の体質を考えると、安倍政権の独裁的な政治手法と親和性が高いのはたしかでしょう。しかし、公明党は、自分たちは安倍政権に対してブレーキ役だと常々言っています。しかし、実際は、ブレ―キではなくアクセルのようにしか見えません。そういった詭弁を平気で使うのも、公明党=創価学会の体質ゆえでしょう。

公明党=創価学会への言及がないのは、やはり、メディアに鶴タブー(創価学会タブー)があるからではないか。そう思えてなりません。

政府が、閣議決定までした減収世帯への30万円の給付を引っ込めて、ひとり10万円の一律給付に方針を転換したのも、公明党の積極的な働きかけによるものだと言われています。事実、公明党はその成果を大々的にアピールしています。そして、公明党は、今度はアルバイトができなくなり困窮した学生に、10~30万円?の現金を支給する支援策をぶち上げています。よく「区内の小学校にエアコン設置を実現させました」というような公明党のポスターを見かけますが、学生に対する支援策も、そういった公明党特有のポピュリズムの延長にあるものなのでしょう。

10万円の一律給付は当然学生も対象なので、さらにその上に10~30万円が追加して給付されるのです。ホントに困っている人たちを支援するなら、まずネットカフェ難民やホームレスの人たちに給付すべきだと思いますが、あくまで創価学会の都合による支援策なので、最初からそんな発想はないのでしょう。

もしかしたら、公明党の支援策と検察庁法改正案の成立がバーターで取引されているのではないか、そんな穿った見方もしてしまいます。まして、山口那津男代表はじめ、公明党の国会議員には弁護士資格を持った法曹家も多いのです。法治国家として、今回の改正案が如何にヤバいものであるかということは充分わかっているはずです。公明党は、平和と福祉の党を自認しています。一見善良そうな顔をしたワルこそ、気を付けなければならないのです。もしかしたら、悪魔は、普段は善良の仮面を被っているのかもしれないのです。

でも、メディアの報道には、公明党の「こ」の字も出て来ません。これもまた、「異常」と言わねばならないでしょう。
2020.05.13 Wed l 社会・メディア l top ▲
シナリオどおりと言うべきか、緊急事態宣言が発令されました。

私たちは、この緊急事態宣言が民主党政権時代に作られた新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正に基づいて発令されていることを忘れてはならないのです。つまり、フォーマットは民主党政権が作ったのです。民主党政権が悪夢であったことを、あたらめて思い知らされるのでした。

国民民主党が自公と保保大連立を組むのではないかという噂がありますが、もとよりそれは、「経団連労働部」とヤユされる連合の意向でもあるのでしょう。これは、国民民主党だけではありません。立憲民主党を含めた“保保保大大連立”の可能性さえあるのではないでしょうか。

“国難”を理由に、安倍首相に超法規的権限を与える特措法改正に賛成した立憲民主党は、今回の緊急事態宣言の発令に対しても、「遅かった」と批判するくらいが関の山です。それも、一応野党なので、批判めいたことを言っているに過ぎないのでしょう。

立憲民主党は、特措法改正に賛成することで、党是であったはず(?)の立憲主義の旗もあっさりと降ろしたのでした。立憲民主党も、国民民主党と同様に改憲を主張していますので、今回の特措法改正に賛成したことで、“保保保大大連立”のハードルはいっきに低くなったと言えるでしょう。

今回の立憲民主党の選択を見るにつけ、自社さ連立に走り自滅への道を突き進んだ日本社会党と二重写しになって仕方ありません。それらに共通するのは、労働戦線の右翼的再編で生まれた連合の存在です。

たとえば、同党の辻元清美議員は、安倍首相を腐った鯛の頭と言ったのですが、その舌の根も乾かぬうちに、腐った鯛の頭に超法規的権限を与える特措法改正に賛成票を投じたのでした。これでは、安倍批判が単なるパフォーマンスだったのではないかと言われても仕方ないでしょう。実際に、安部批判すれば自己矛盾に陥ることがわかっているからなのか、最近はあまり目立った発言をしていません。自縄自縛とはこういうことを言うのでしょう。それは、ここに至ってもまだ、立憲民主党に随伴している自称リベラル派も同じです。彼らに安倍政権を批判する資格はないのです。彼らは、「安倍政治を許さない」というボードを掲げるのが好きですが、その前に「立憲民主党を許さない」というボードを掲げるべきでしょう。

緊急事態宣言が発令されたと言っても、通勤電車は、多少空いているものの、それでも肩が触れ合うくらいには混んでいます。相変わらず「電車の席に座ることが人生の目的のような人々」の席取り合戦も繰り広げられています。彼らは、他人との間に距離を保つなどどこ吹く風で、ただ欲望の赴くままに隣と密着する座席に向かって突進しているのでした。一方で、政府や自治体は、外出するな、3密を避けろと言います。でも、いちばん感染リスクが高い通勤電車は放置されたままなのです。口の悪い知人は、「最近の通勤電車はDQN率が高いな」と言ってましたが、たしかに車内の光景を見ると、そう言えないこともありません。

昨日の深夜、用事があって車で都内を走ったのですが、都心の繁華街は別にして、郊外の繁華街などでは結構酔っぱらいが歩いていました。また、某私鉄沿線の街では、作業服姿の若者のグループが路上に座り込んで酒盛りをしていました。粋がってやっているのでしょうが、こういったDQNから感染が「指数関数的に増えていく」(岡田晴恵氏)のでしょう。

地元の商店街の人の話では、この土日は忙しかったそうです。都心の繁華街に行かない代わりに、地元の商店街に人が繰り出していたからです。

緊急事態宣言によこしまな政治的思惑が含まれている以上、こういった頭隠して尻隠さずのような現実があるのは当然でしょう。なによりろくに検査もしてないので、現在、どの程度の感染状況にあるのかという正確なデータも存在しないのです。だから、緊急事態宣言を発令する安倍首相の話に、精神論に依拠した曖昧な言葉が多かったのも頷けようというものです。私は、その前に自分の嫁さんを説教しろと言いたくなりました。

「緊急事態を1か月で終了するには人と人の接触の7~8割削減が前提」であるという安倍首相の話について、岡田晴恵氏は、そのバックグランドにある数値を公表していただきたいとテレビで言っていましたが、感染者数をごまかすことしか考えてなかった政府に、バックグランドの数値などあろうはずもないのです。

Yahoo!ニュース
スポーツ報知
岡田晴恵教授、安倍首相の「緊急事態を1か月で終了するには人と人の接触の7~8割削減が前提」との発言に「このバックグラウンドの数値を公開していただきたい」

日本の新型コロナウイルス対策は、あの戦争のときと同じように、精神論だけで、竹槍で敵機に立ち向かえと言っているようなものです。大震災に見舞われ未曾有の原発事故が起きても、元気をもらった勇気をもらったなどと言ってごまかしてきた日本の”無責任体系”(丸山真男はそれが日本のファシズムの特徴だと言ったのですが)が、ここに来ていっそう露わになった気がします。でも、新型コロナウイルスは、治療法も確立していない感染症なのです。震災や原発事故と違って、そんな空疎な精神論でごまかすことはできないのです。
2020.04.08 Wed l 社会・メディア l top ▲
日韓問題・ゴーン問題と並んで、まともな記事がほとんどないのが、眞子さんと小室圭さんの結婚問題です。どこを見ても、下衆な国民の劣情を煽るような、低俗な(文字通り俗情と結託した)記事しか見当たりません。

しかし、元『週刊現代』の編集長の元木昌彦氏が書いているように、二人の気持にはいささかの揺るぎもないように見えます。

PRESIDENT Online
「圭さんと結婚します」の言葉を国民は祝福する

 宮内庁という役所は警察関係者が多いところである。共謀罪を出すまでもなく、警察は「盗聴」のプロフェッショナルである。

 眞子さんと小室圭は毎日のように、スマホやパソコンを通じてSNSで意思疎通をしているといわれている。そうならば、2人の会話やメールの内容を、何らかの形で宮内庁側が掴つかんでいると考えることは、決して勘繰り過ぎではないと思っている。

 そうしたことを総合して考えても、2人の間に秋風が吹いているという情報は皆無である。

 私が想像するよりもはるかに強い結びつきが2人にはある。そう考えてもいいのではないか。


小室圭さんが、アメリカの弁護士資格を取るために留学したのは、将来、眞子さんとアメリカで結婚生活を送ることを見据えてのことのように思います。それが二人が出した結論ではないのか。

別の言い方をすれば、ヘンリー王子夫妻と同じように、自分たちの国で結婚生活を送ることを諦めたのではないか。あれだけバッシングされれば、この国に嫌気が差すのは当然でしょう。まったく、どこが「ニッポン、凄い!」のかと言いたくなります。

それは、眞子さんの苦悩を身近で見てきた佳子さんも同じではないでしょうか。恋愛をすれば、メディアとメディアが煽るこの国の“最低の世論”から難癖を付けられてバッシングされるのは目に見えているのです。佳子さんも、将来、人生の幸せと自由な生活を求めて海外に行く可能性は高いように思います。

天皇制が時代にそぐわなくなっているのは、もう誰の目にもあきらかです。京都に戻って、日本でいちばん古い家系を持つ一族として、その伝統を継承する役割に徹した方がむしろ幸せなのではないかと思ったりします。ただ、その場合も、明治の田舎侍から押し付けられた“皇室の伝統”には怪しい部分も多いので、もう一度検証する必要があるでしょう。

元木氏が書いているように、宮内庁は警察官僚に牛耳られているので、日々、警察から監視される生活というのは常人には耐えがたいものがあるでしょう。眞子さんや佳子さんのような若い皇族が、「もうこんな生活は嫌だ」と思ったとしても不思議ではないのです。

私は、眞子さんと小室圭さんには同情を禁じ得ません。二人には、初心を貫徹して幸せになってもらいたいと思います。少なくとも、その権利はあるでしょう。

そのために、小室圭さんはアメリカでがんばっているのです。元木氏が書いているように、そこからは「今の若者には珍しいほど勤勉で誠実な姿が見えて」きます。バッシングされる謂れはどこにもないのです。


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眞子さんに対する中傷
小室さんバッシングのおぞましさ
2020.01.22 Wed l 社会・メディア l top ▲
少し前の話ですが、元日に近所のコンビニに行ったときのことでした。そのコンビニに入ったのは初めてでした。

店内にはお客は誰もおらず、ネパール人のような若い女性の店員がひとりいるだけです。やはり、正月から働いているのは外国人なんだなと思いました。

店員は、店の奥で棚の商品の整理をしていました。入口近くにあるレジは空っぽです。こんなことで大丈夫なのかと思いました。

私は、商品を入れたカゴを持って、レジに向かいました。店員の女の子は、横の方のあきらかに私の姿が見える位置にいます。

しかし、レジの前に立っても女の子は知らんぷりです。私は、「すいませ~ん」と声をかけました。でも、女の子は私の方をチラッと見ただけで動く気配はありません。「どうなっているんだ?」と思いました。それで、さらに大きな声で「すいませんっ!」と呼びかけました。

すると、しぶしぶといった感じでレジにやって来ました。しかし、「お待たせしました」と言うわけではなく、無言のままです。外国人なので、そう見えるかもしれませんが、なんだか不愛想で不機嫌そうです。商品を袋に詰め、お金を受け取り、つり銭を差し出す一連の動作も無言で行うだけでした。帰る際、「ありがとうございました」という挨拶もありません。

実際に不機嫌だったのかどうかわかりませんし、それに、殊更愛想よくしろと言うつもりもありませんが、あまり気分のいいものではありませんでした。

個人の問題というより、やはり、これも人出不足の弊害と言うべきでしょう。

元日から働くのは外国人しかいない現実。今や外国人は貴重な人材です。だから、接客マナーをきびしく要求することもできないのでしょう。辞められたら困るので、腫れ物に触るような感じで接しているのかもしれません。でも、忘れてはならないのは、そこには前提があるのです。安い賃金で使える非正規雇用という前提です。不足しているのは、低賃金の非正規雇用の労働者なのです。

それは、スーパーも同様です。毎日のように通っているとわかりますが、人出不足は深刻で、そのために職場が水が低い方に流れる状況に陥っているのは否めないように思います。真面目に熱心に仕事をしていたような人たちはすぐに辞めて行き、神戸の教員いじめの女帝と言ったら言いすぎかもしれませんが、そういった感じのおばさんばかりが残って主のようになっています。最初は、ぎこちなく対応していたおばさんが、半年もするとふてぶてしい態度に変っていたなんてこともめずらしくありません。

昨日も、近所のスーパーに行ったら、おそらく新人なのでしょう、初めて見る30~40代くらいの女性が、レジ回りの掃除をしていました。すると、近くのレジの中にいたおばさんが、「そうじゃないでしょ」「それじゃ掃除してもしなくても同じじゃない」などと、いちいち注意していました。傍から見れば、難癖としか思えません。新人の女性はそのうち嫌気が差して辞めるんじゃないかと思いました。でも、難癖を付けていたおばさんも、一年くらい前は額に汗を浮かべながら慣れないレジを必死で打っていたのです。

私の知っている会社で、定職に就いたことのない生涯フリーターの50~60代の独身男性ばかりをアルバイトで雇っている会社があります。と言って、そういった人間たちを選んで雇っているわけではないのです。そういった人間たちだけが残ったのです。社員も、「まともな人が来ても続かないんですよ」と言ってました。単純労働なので、誰でもいいのでしょう。もちろん、そこにも低賃金の非正規雇用という前提があるのです。辞められたら困るので、仕事に支障のない限り、多少の非常識も目を瞑っていると言ってました。

このように、剰余労働とか労働疎外論とかいった”公式論”だけでは解釈できない、人出不足の現実とその弊害が私たちのまわりにあります。「働き方改革」も、低賃金の非正規雇用の存在が前提で、そこには大きな詐術があります。でも、みんな「いいことだ」と言うばかりです。ひと昔前の言い方をすれば、「本工の論理」しかないのです。

利潤を確保し競争力を維持するためには、できる限り賃金を抑えるしかないでしょう。雇用の安全弁としての非正規雇用も必要でしょう。人出不足というのは、そういった資本の論理が招いた”勝手な都合”にすぎないのです。若年労働力の不足と言うときの若年労働力も、「(外国人労働者並みに)賃金が安い」という意味で使われているにすぎません。

日本がもはや先進国であるかどうかは議論の分かれるところですが、思い上がった先進国が凋落(=自壊)するのは必然のような気がします。少子高齢化ばかりが取り出されますが、むしろ年収300万円以下の労働者が1859.7万人(36.99%)、非正規雇用が2036万人(37.3%)もいるような貧富の差(階層の固定化)の方が問題でしょう。既にそこから自壊がはじまっているのかもしれないのです。


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『新・日本の階級社会』
2020.01.17 Fri l 社会・メディア l top ▲
ネットを見ていたら、「ミタパン、ゴーン被告は逃亡で『日本の司法制度の正しさを証明しているかのよう』」という見出しが目に入り、思わず記事をクリックしました。

msn
デイリースポーツ
ミタパン、ゴーン被告は逃亡で「日本の司法制度の正しさを証明しているかのよう」

いわゆる典型的なコタツ記事で、いちいち目くじらを立てるのも大人げない気がしないでもありませんが、私は、この記事を読んで、「ミタパンってバカなの」と思いました。

女子アナが視聴率稼ぎのためのお人形さんであるのは今更言うまでもありませんが、それにしても、こういったお粗末なアナウンサーが報道番組のキャスターを務めているのですから呆れるばかりです。ワイドショーでアシスタントをしていたとき、控えめな口調で発する短いコメントが視聴者に受けたとかで報道番組のキャスターに抜擢されたのですが、それも横に座る厚化粧のおばさんとの比較で好感を持たれたにすぎないのです。

フジ・サンケイグループは、今や臆面もなく政権の太鼓持ちに堕しており、自民党の準機関紙化(イエロージャーナリズム化)を加速させています。以前、牛丼のすき家を運営するゼンショーへの売却話さえあった産経新聞は、今年の10月を目処に、販売網を首都圏と関西圏に縮小し、全国紙の看板をおろしてブロック紙として再出発するそうです。三田アナの抜擢は、そういったなりふり構っておれない事情と関係があるのかもしれません。

また、ゴーンの会見に関しては、ミタパン以外にも、「お前が言うな」と言いたくなるようなコメントがありました。

それは、日産の西川廣人前社長のコメントです。西川前社長は、記者会見の感想を求められて、次のように言ったそうです。

「ちょっと拍子抜けしましたね。あの程度の話なら日本ですればいい」


朝日新聞デジタル
日産の西川前社長「ちょっと拍子抜け」 ゴーン被告会見

西川前社長が、ゴーンの茶坊主であったのは有名な話で、だから、ゴーン体制下で、代表取締役社長兼最高経営責任者にまで登り詰めたのでしょう。

西川前社長については、下記の記事にもあるように、ゴーンの逮捕容疑と同じような役員報酬に関する有価証券報告書の虚偽記載の疑いがあり、社長を辞任したのもその疑いを持たれたからでした。でも、西川前社長は今も取締役には留まっているのです。

文春オンライン
日産・ケリー前代表取締役が明かした「西川廣人社長の正体」

国連から再三勧告を受けているように、代用監獄や人質司法など、日本の司法制度が民主主義国家とは思えないほど遅れているのは国際的にも知られています。韓国の“検察独裁”は他人事ではないのです。

でも、日本のメディアは、嫌韓報道と同じで、ただ国民の感情を煽るかのように坊主憎けりゃ袈裟まで式にゴーンを叩くだけです。我が振り直すような視点は皆無です。

たとえば、会社法が専門の田中亘東大教授がゴーンの訴迫に対して異議を唱えていた話など、日産の監視活動と同様、メディアに取り上げられることはないのです。

Yahoo!ニュース
共同通信
ゴーン被告の違反罪、教授が異論 会社法が専門の東大田中氏

三田アナは、ゴーンは感情的になっていると言ってますが、感情的になっているのはどっちだと言いたくなります。感情的ということばの意味がわかってないのではないか。

日本のメディアは、ゴーンに対するマイナス記事ばかり取り上げて、ゴーンがさも世界中のメディアから批判されているかのようなイメージをふりまいていますが、実際はゴーンは有罪率99.4%の日本の司法制度の犠牲者であり、そこから逃げて来た(まるで全体主義国家から逃げて来た)ように好意的に捉えている海外メディアも多いのです(むしろ、そっちの方が主流でしょう)。日本のメディアの“ゴーン叩き”もまた、ニッポンファーストの自演乙と言えるのです。

余談ですが、ゴーンが記者会見の中で、英語とフランス語とアラビア語を流ちょうに使いこなしていたのには驚きました。やはり、ゴーンは、グローバル資本主義の使徒にふさわしく知能指数の高いエリートだったんだなとあらためて思いました。それに比べると、ミタパンも日本のメディアも、如何にもバカっぽく見えて仕方ありません。
2020.01.16 Thu l 社会・メディア l top ▲
カルロス・ゴーンの日本脱出行に関して、その後の報道で気になる点がありました。

ひとつは、東京地裁が出した保釈の条件が、妻と会わないことと自宅に監視用のカメラを設置することだったという点です。保釈と言うより、軟禁と言った方がいいような条件です。特に、弁護士が言うように、妻と会えないことが、カルロス・ゴーンを絶望的な気持にさせたのは想像に難くありません。監視カメラを設置するというのも、あまり聞いたことがありません。強権国家では、与党政治家の政敵である野党政治家が犯罪をデッチ上げられて軟禁状態に置かれ、政治活動を制限されるという話がありますが、それとよく似ています。

しかも、当初今年の4月に予定されていた公判がオリンピック後に延期される可能性が高くなったそうで、それもカルロス・ゴーンの焦燥に輪をかけたと言われています。

Bloombergのインタビュー記事で、妻のキャロラインさんは、「日本には『無実であることが証明されるまで有罪』とされる『人質司法』があると指摘。『当局は彼の行動に制限をかけ、今、証拠を探している』と語った」そうですが、それもあながち的外れとは言えないのです。国連からも再三勧告を受けているように、日本の司法が民主主義国家だとは言えないような前近代的なシステムと慣習に縛られているのは事実でしょう。韓国だけでなく、日本もまた司法改革が必要なのです。バカのひとつ覚えのように、「ニッポン、凄い!」と自演乙するだけが能ではないのです。

Bloomberg
ゴーン被告はフランスで裁判を、妻キャロルさんがインタビューで訴え

しかし、検察に輪をかけて異常なのは日産です。日産は、警備会社に依頼してカルロス・ゴーンを24時間監視していたそうです。監視に気付いたゴーン側が人権侵害で刑事告発すると発表した途端に、監視は中止され、その間隙をぬってゴーンの日本脱出行が決行されたと言われています。

どうして日産がストーカー(あるいは公安警察)のようなことをしていたのか。主任弁護人の弘中惇一郎弁護士は、弁護人を引き受けた際、ゴーンの問題は本来日産内部で処理すべき問題で、「なぜ事件になったか奇異」だと言ったそうですが、このような日産の異常な行動に、ゴーン逮捕の闇が潜んでいると言っていいのかもしれません。

日産は花咲か爺さんのように気前よくお金をばら撒いてくれる大スポンサーなので、メディアが日産の監視を取り上げることはありませんが、人権などどこ吹く風の日産のやり方には、日産という会社の体質が顔を覗かせているような気がしてなりません。

かつて作家の高杉良は、『労働貴族』(講談社文庫)という小説で、労使協調によってヒットラーばりの“独裁体制”が敷かれていた日産内部の実態を暴いたのですが、日産という会社の体質は、あの“塩路天皇”時代となにも変わってないということなのかもしれません。

ゴーン逮捕は、ゴーン自身の問題というより日産という会社の問題だったのではないか。そう思えてなりません。
2020.01.06 Mon l 社会・メディア l top ▲
以前、東京支局に勤務する西日本新聞の記者が、東京の“痛勤”電車に対する違和感を書いた記事を紹介したことがありますが、先日、「BUSINESS INSIDER JAPAN」というサイトにも似たような記事が掲載されていました。

BUSINES INSIDER JAPAN
「日本人はなぜ席を譲らない?」とツイートしたら「レディーファーストって意味不明」と猛反発された

尚、Yahoo!ニュースに掲載されていた西日本新聞の記者の記事は、既に削除されています。私がブログに書いた関連記事は以下のとおりです。

関連記事:
思想が生まれる場所

座席を譲る以前の問題として、下記のような「椅子取りゲーム」は私たちが日常目にする光景です。私たちにとっては、もう当たり前の光景にすらなっています。

日本に帰るたびに気になるのが、電車が到着するや我先にと椅子取りゲームのように小走りに席を取り、座った途端に目をつむる(またはスマホの画面に釘付けになり、周りで何が起きているかを全く見ていない)人がとても多いと感じる。優先席に若者が平気で座っていたりもする。


ニューヨーク在住の筆者によれば、ニューヨークの人たちも東京の人たちと同じように、みんな忙しく「自分のことで精一杯だし、他人のことにあまり関心はない」けど、それでもニューヨークでは「おせっかい」だと思われるくらい他人に親切で、「自分より体力のなさそうな人たち」がいると「反射的に」立ち上がって席を譲ろうとする人が多いそうです。

私は、よく「電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち」とヤユしていますが、東京の電車の中の光景が日本人のセコさや卑屈さを表しているのは間違いないでしょう。

資本主義は、言うまでもなく利潤の獲得と拡大再生産の循環運動で駆動されており、資本主義社会は、そのための効率第一の競争原理に基づいた社会ですが、電車が来てもないのにホームへの階段を駆け下りて行く人々や電車のドアが開くのももどかしく我先に座席に座ろうと「椅子取りゲーム」を演じる人々は、資本主義社会の競争原理に身も心も冒された「ほとんどビョーキのような」人々と言っても言いすぎではないでしょう。そうしないと「人生に勝てない」と思っているのでしょう。常にそういった強迫観念に苛められているのだと思います。

「自分より体力がない人たち」に席を譲るのは、欧米だけでなく、中国や台湾やベトナムなどアジアの国々でもよく目にする光景だそうです。私も前に、箱根のバスの車内で、年上の人に積極的に席を譲ろうとするアジアの若い観光客のことを書いたことがありますが、あれは「日本に気を使っている」のではなく、彼らの日常に存在するごく普通の行為だったのでしょう。

韓国人の知り合いによれば、もともと韓国は目上の人(年長者)を敬う儒教の影響が強いので、若者が年長者に席を譲る行為はよく見られるそうです。ただ、年長者の中には、自分たちが優遇されるのは当然だと言わんばかりに列に並ばなかったり、平気で割り込んだり人も多いそうです。一方、目上の人(年長者)を敬うべしと言いながら、年金制度は日本に比べても遅れているそうで、そのため惨めな老後を送らざるを得ない高齢者も多く、ホントに韓国社会が儒教の教えに忠実かどうかは怪しいと言ってました。

それは、「日本人はなぜ席を譲らない?」というツイートに対して、レディーファーストって何?と「猛反発」したネット民の反応も似たようなものがあるのかもしれません。

朝の通勤電車は、身障者や年寄りや妊婦が乗ることが少ないので、優先席はあってないようなものだすが、優先席に座っている人たちを見ると、女性が多いのに気付くはずです。女性専用車両以外でも女性の図々しさは結構幅を利かせているのです。また、日中の優先席に座っているのも、私が見る限り、女性が目立ちます。まして、あの中高年のおばさんたちの傍若無人なふるまいに、眉をひそめたくなる人も多いでしょう。

ツィートに反発したネット民たちは、女性=弱い人ではないと言いたかったのかもしれません。あるいは、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会の精神からすれば、レディーファーストというのはおかしいではないか、男女平等と矛盾しているのではないかと単純に考えているのかもしれません。

もちろん、日本では、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会の精神とは程遠い現実があることは事実でしょう。また、女性だけでなくハンディを背負った人たちに対して、「人間性が麻痺」したような冷たい現実があることも否定できないでしょう。

でも、一方で、レディーファーストだけでは解釈できない現実があることも事実なのです。もしかしたら、図々しいことしか取り柄がないようなおばさんたち(だけでなく若い女性にも多いけど)をどう見るかという問題から考えていくことも、案外大事なのかもしれません。バカバカしい話だけど、バカバカしいと一蹴できない問題を含んでいるのかもしれないのです。

バカのひとつ覚えのように「ニッポン、凄い!」と自演乙するしか能がない人間たちのアホらしさもさることながら、私たちの目の前にある現実は、「言語化すること」よりももっと「大切」なものを示していることも忘れてはならないのです。言語は万能ではないのです。


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2020.01.05 Sun l 社会・メディア l top ▲
カルロス・ゴーンの日本脱出には驚きました。日本政府は、彼の引き渡しについてレバノン政府と交渉すると言ってますが、しかし、朝日の報道によれば、レバノン政府は、まるでそれに釘を刺すかのように、「『日本出国とレバノン入国は彼の私的な問題』で、レバノン政府は関与していない」と発表したそうです。さらに、記事は次のように書いていました。

また、レバノンのジュレイサティ国務相は12月31日、同国メディアに対し、「彼(ゴーン前会長)はフランスのパスポートとレバノンの身分証をもって合法的に入国した」と説明。レバノンの治安当局も同日、「レバノンに合法的に入国した人物については、法的措置の対象にならない」との見解を示した。

朝日新聞デジタル
ゴーン被告逃亡は「彼の問題」 レバノン政府が関与否定


日本では、「カルロス・ゴーンの行為はおかしい」「ホントに潔白であるというなら裁判で訴えればいい」というような声がありますが、それは所詮、国境の内側の論理にすぎないのです。

罪に当たるどうかも、国境から外に出れば話が別だというのは当然と言えば当然です。吉本隆明の「共同幻想」論ではないですが、今回のスパイ映画を地で行くような脱出行を見るにつけ、私たちを縛る国家というものが、如何に恣意的で空虚なものかということをあらためて知らされた気がしました。国家というのは、つきつめればたかだか地図に引いた一本の線の問題にすぎないのです。

大杉栄の『日本脱出紀』(土曜社)は、ベルリンで開かれる国際無政府主義大会に出席するために、1923年上海経由でフランスに向けて密出国したものの、パリのメーデーで演説したために逮捕され、結局、ベルリン行きは叶わずに、パリ警視庁から国外追放されるまでの自身の手によるドキュメントですが、カルロス・ゴーンの日本脱出のニュースを聞いて、私は真っ先にこの本を思い浮かべました。そして、不謹慎だと言われるかもしれませんが、なんだか痛快な感想さえ持ちました。

カルロス・ゴーンの逮捕は、日産という日本を代表する会社が外国資本に吸収合併されるのを阻止するために、日産内部の日本人幹部と司法取引をしてデッチ上げた国策捜査である疑いは拭えません。また、日本特有の「人質司法」に対して、カルロス・ゴーンが危機感を抱いたのも想像できます。そういった問題を脇に置いて、「潔白なら裁判で主張すべき」と言っても、刑事裁判の有罪率994パーセントのこの国では気休めにしか聞こえないでしょう。

今になってカルロス・ゴーンは大悪党のように言われていますが、彼はれっきとしたルノーや日産を束ねるやり手の経営者(つまり、典型的なグローバル資本主義の使徒)で、ついこの前までメディアは彼を英雄扱いしていたのです。

ところが、ご都合主義的なメディアは、嫌韓報道と同じように、カルロス・ゴーンの行為は海外からも非難されている、レバノン市民からも疑問視されているなどと、昨日までの英雄扱いを忘れたかのように(おなじみの)坊主憎けりゃ袈裟まで式に批判しています。でも、いくらそうやって自演乙しても、カルロス・ゴーンが戻ってくることはないでしょうし、彼の“罪”が国際的に認知されることもないでしょう。それが国境の内と外の違いなのです。


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2020.01.02 Thu l 社会・メディア l top ▲
今日のYahoo!ニュースに、日刊工業新聞の下記の記事が転載されていました。

Yahoo!ニュース
韓国からの訪日客減も…盛り上がる九州観光のワケ

記事はこう書きます。

 同県(引用者:大分県)内の10月の観光統計調査(速報値)のうち、英国からの延べ宿泊者は前年同月比59・1倍の1万3949人、フランスが同21・6倍の4261人となった。前年の統計がない豪州は9065人を記録した。従来の主力だった韓国からの来訪者が日韓関係の冷え込みで大幅に落ち込む中、県内観光を大いに盛り上げた。


しかし、これはどう考えても、一時的な「活況」にすぎないのです。だからなんなんだというような記事です。

日韓対立の影響で、韓国の格安航空の定期便が運休したために、大分県は観光客の半分以上を占めていた韓国人観光客が激減して深刻な状況に陥っているのですが、そんな大分県にとって、ワールドカップの「活況」などホンの気休めでしかないのです。

前月の9月の観光統計調査によれば、県内の韓国からの宿泊客数は前年同月に比べ31464人(83・9%)減の6026人にまで落ち込んでいるそうです。この数字をみても、その深刻度が伺えます。

地元で宿泊業や飲食業などをしている知人たちに聞いても、ワールドカップのときは欧米の観光客の需要はあったけど、ワールドカップが終わった今は「真っ暗闇」「閑散としている」と言っていました。そして、彼らはおしなべて、「日本人(観光客)はお金を持ってない」「お金を使わない」と言います。もはや日本人頼りでは、観光業は成り立たないのです。

日刊工業新聞の記事は、ワールドカップで如何にも光明が見えてきたかのように書いていますが、光明なんてどこにもないのです。

大分県の広瀬知事は、韓国に代わる台湾や中国からの航空路線の就航をはたらきかけていきたいと言ってましたが、今まではたらきかけて実現しなかったのに、そんなに都合よく実現するのだろうかという疑問を抱かざるを得ません。これも気休めと言うべきでしょう。

日韓対立に関する報道では、困っているのは韓国で、そのうち韓国が日本に泣きを入れてくるだろうというような見方が多くありましたが、ホントに困っているのは日本ではないのかと思えてきます。

日韓対立に対する安倍政権の姿勢は、北朝鮮に圧力を加えれば、そのうち北朝鮮が泣きを入れて拉致被害者を差し出してくるという、荒唐無稽な拉致対策とよく似ています。拉致被害者の家族たちも、そんなネトウヨ的妄想を真に受けていたのです。

ところが、手詰まりになった安倍政権は、最近は、北朝鮮に対して「無条件対話」を呼び掛けるまで後退しているのです(でも、北朝鮮からは相手にされない)。韓国に対しても同様で、強気な態度が徐々に影を潜め、対話を模索しはじめているフシさえあります。まず最初にネトウヨ的妄想ありきという感じで、やっていることが場当たり的なのです。

私たちはトランプの振る舞いの中に、彼を支持するアメリカ国民の民度の低さを見て嗤ったりしますが、それこそ岡目八目と言うべきで、安倍政権も似たかよったかなのです。アメリカ国民の民度を嗤えないのです。

安倍政権の本質は、案外、下記のような記事にあるのかもしれません。

Yahoo!ニュース
NEWS ポストセブン
安倍内閣は立場弱い者に居丈高 根底に学歴コンプレックスか

「ニッポン、凄い!」と自演乙している間に、政治でも経済でも日本の国際的な地位は低下の一途をたどるばかりです。アベノミクスということばもいつの間にか聞かれなくなりました。だから、よけい自演乙せざるを得ないのかもしれません。衆愚=国民をごまかせても、現実はごまかせないのです。


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ヤフコメの膝を打つような書き込み
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2019.12.11 Wed l 社会・メディア l top ▲
沢尻エリカの逮捕が、安倍政権の「桜を見る会」の疑惑隠しでないかという見方に対して、安倍応援団からは「バカバカしい陰謀論」「頭の中がお花畑」などと、一笑に付すような批判がありますが、共産党から資料請求されたその日に、1万5千人分の招待者名簿を内閣府の大型シュレッダーで裁断して破棄したという安倍政権の姿勢を考えるとき、果たしてホントに「バカバカしい陰謀論」なんだろうかという疑問を抱かざるをえません。

実際に、沢尻逮捕には、やっつけ仕事のような杜撰さが目に付きます。沢尻エリカが渋谷のクラブのイベントで覚せい剤かコカインを入手するという「情報」に基づき、(TBSに捜査情報を流した上で)強制捜査に着手したと言われていますが、帰宅した彼女を調べても薬物は出て来なかったのです。しかも、尿検査の結果も陰性(シロ)でした。MDMAは、沢尻エリカ自身が「あそこにあります」とみずからゲロして出て来たにすぎないのです。覚せい剤かコカインと踏んでいたので、MDMAは捜査当局には想定外だったという報道もありました。

こうした流れを見ると、拙速な感は否めません。何か月も前から内偵捜査をしていたにしては、あまりにも杜撰です。むしろ、「桜を見る会」の疑惑が浮上したので、あわてて強制捜査に着手したと考えた方が納得がいきます。

カルロス・ゴーン逮捕の際、海外メディアから散々指摘されていましたが、日本は推定無罪ではなく“推定有罪”の国なので、逮捕すればなんとでもなるのです。まして、芸能人であれば、なおさらでしょう。”推定有罪“どころか、メディアによって市中引き回しの刑が下されるので、捜査当局にとって芸能人は実に都合のいい生贄の羊なのです。

安倍政権は、益々ロシアのプーチン政権に似てきました。それが、マフィア化した政治と呼ぶゆえんですが、そこには安倍首相個人のキャラクターが影響しているような気がしてなりません。

前も紹介しましたが、共同通信社の福田派の番記者だった野上忠興氏が書いた『安倍晋三 沈黙の仮面』(小学館)に、次のようなエピソードが書かれていました。

 夏休みの最終日、兄弟の行動は対照的だった。兄は宿題が終わってないと涙顔になった。だが、晋三は違った。
 「『宿題みんな済んだね?』と聞くと、晋ちゃんは『うん、済んだ』と言う。寝たあとに確かめると、ノートは真っ白。それでも次の日は『行ってきまーす』と元気よく家を出ます。それが安倍晋三でした。たいした度胸だった。(略)」
 ウメ(引用者:二人の兄弟の乳母)は「たいした度胸」と評したが、小学校の級友達に聞いて回っても、宿題を忘れたり遅刻をしたりして「またか」と先生に叱られたとき、安倍は「へこむ」ことはなかったという。ウメに聞いたエピソードも耳に残る。


安倍政権が憲政史上最長の長期政権になったのも、夫婦ともども平気で嘘を言う厚顔無恥な(犯罪者気質の)性格が逆に功を奏したということはあるのではないでしょうか。もちろん、安倍政権をここまでのさばらせた一番の要因が、民主党政権のトラウマにあるのは言うまでもありません。立憲民主党や国民民主党が存在する限り、自公政権に対する消極的支持が今後も続くのは間違いないでしょう。

市民団体が安倍晋三首相を公職選挙法&政治資金規正法違反の疑いで刑事告発したことに対して、立憲民主党の国会議員たちが刑事告発は国会の真相究明に水を差すものだと批判していましたが、私は、よく言うよと思いました。

彼らの国会での質問は、ほとんどが週刊誌ネタにすぎません。それでよく真相究明だなんて言えるもんだと思います。そもそも立憲民主党や国民民主党の議員たちは、「赤旗」が疑惑を取り上げるまで、「桜を見る会」をおかしいとは思ってなかったのです。共産党が騒ぎはじめて、はじめて自分たちも便乗して騒ぎはじめたのです。何度も言いますが、彼らに野党の役割を期待すること自体が間違っているのです。それこそ「お花畑」と言わざるをえません。

沢尻エリカは、エイベックスに囲われていただけあって、典型的な(ある意味イタい)ヤンキーであることがわかりましたが、しかし、それでも私は、巨悪の身代わりにされた(?)彼女に対しては同情を禁じ得ません。
2019.11.28 Thu l 社会・メディア l top ▲
香港情勢は、重大且つ悲劇的な局面を迎えています。戦いの先頭に立つ学生たちに対する香港政府の弾圧は熾烈を極めています。国際政治の冷酷な現実の前で、学生たちは文字通り孤立無援の戦いを強いられているのです。

香港政府の姿勢の背後に、中国共産党の意向(と指示)があるのは子どもだってわかる話でしょう。「一国二制度」が如何に欺瞞に満ちたものであるのかが如実に示されているのです。と同時に、恐怖政治と表裏一体の共産党権力の実態が白日のもとにさらけ出されてもいるのです。共産党の言う「人民民主主義」なるものが、ファシズムの別名でしかないことをあらためて確認させられた気がします。

「革命的左翼」を名乗る日本の新左翼の党派が、今回の香港情勢にどのような見解を示しているのか、興味があったので各党派のサイトを見てみましたが、多くはまったく触れてないか、あるいは触れていても「学生たちの戦いが香港政府を追いつめている」程度のサラッとしたものでした。香港の学生たちに連帯せよというようなアジテーションすらありませんでした。まして、中国共産党を批判する論調は皆無でした。

反スターリン主義を標榜する新左翼の党派が、スターリン主義の権化のようになっている自己撞着を考えれば、ある程度予想されていたことではありますが、今更ながらに左翼のテイタラクを痛感させられました。

日本の新左翼は、ハンガリー動乱をきっかけに既成左翼を乗り越えるべくトロッキズムを旗印にその産声をあげたのですが、もはやそういった思想的なデリカシーも失ってしまったということなのでしょう。なんともおぞましい光景なのかと思ってしまいます。

中国共産党の姿勢が示しているのは、人間を機械論的に解釈する左翼思想特有の(非人間的な)ものの考えです。それは、かの前衛主義に由来するものです。埴谷雄高ではないですが、前衛主義が大衆蔑視に裏付けられているのは言うまでもないでしょう。

いづこの共産党もなにかにつけ「人民大衆」を口にするのが常ですが、そんな共産党が人民大衆ともっとも遠いところで専制権力を恣(ほしいまま)にしているのです。それは、日本の左派リベラルも無関係ではありません。前にも書きましたが、大衆運動でときに見られる左派特有の“排除の論理”も、本質的には中国共産党の恐怖政治と通底するものがあるのです。

私は、再掲になりますが(文学的情緒で語ることを笑われるかもしれませんが)、次のような石原吉郎のことばを思い出さざるを得ません。

 日本がもしコミュニストの国になったら(それは当然ありうることだ)、僕はもはや決して詩を書かず、遠い田舎の町工場の労働者となって、言葉すくなに鉄を打とう。働くことの好きな、しゃべることのきらいな人間として、火を入れ、鉄を炊き、だまって死んで行こう。
(一九六〇年八月七日)

『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)・解説より


「反権力」「反体制」あるいは「野党」や「大衆」というだけで、どうしても甘く見てしまいますが、私たちは、右だけでなく左の全体主義に対しても、もっと深刻に考える必要があるのでないでしょうか。そして、二項対立の思考から自由にならなければならないのです。


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2019.11.19 Tue l 社会・メディア l top ▲
茨城の常磐道で発生したあおり運転で、「ガラケー女」に間違われてネットで身元を晒され被害を受けた女性が、先日、フェイスブックで身元を晒した愛知県豊田市の市議の男性を刑事告発したという報道がありました。女性が記者会見で言明した法的処置について、その後の報道がないのでどうなったのだろうと前に書きましたが、事態は進展していたのです。

男性は和解を申し出たそうですが、被害女性は拒否したとのことです。そのためかどうか、後日、男性は責任を取って(?)市議を辞職したという報道もありました。

いい歳して、しかも市議会議員という公的な立場にありながら、やっていることはそこらのガキと同じなのです。彼を市会議員に選んだ豊田市の有権者の見識も「ご立派」としか言いようがありません。もしかしたら、男性は次の選挙で再び当選する自信があるので辞職したのかもしれない、と穿った見方さえしたくなりました。

テレビに出ていた男性を見ると、スーツの襟に日の丸のバッチと拉致被害者救出のブルーリボンのバッチが付けられていました。ブルーリボンも、今や極右の証明のようになっていますので、彼もまた、ネトウヨのひとりなのでしょう。市議会議員がネトウヨになったのか、ネトウヨが市議会議員になったのかわかりませんが、なんだか日本の劣化を象徴するような光景に見えました。

朝日新聞が、引きこもりに関して、47都道府県と20の政令指定市にアンケート調査した結果によれば、引きこもりでいちばん多かったのは40代だそうです。また、ヘイトなブログに煽られて、朝鮮学校への補助金支給を求める声明に名を連ねた弁護士に対して懲戒請求をおこない、逆に不当な請求で名誉を傷つけられたとして訴えられたネトウヨも、40代がいちばん多かったそうです。私が常々言っているとおり、この二つのデータのかなりの部分は重なっているように思えてなりません。

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」への電凸も、こういった中高年のネトウヨが中心になって引き起こされた公算が大きいのです。“思想戦”と呼ぶにはあまりにお粗末と言うしかありません。既存メディアは、そんな「ネット世論」に迎合して、彼らの行為をさも「もうひとつの市民の声」であるかの如く大きく見せることに手を貸したのでした。

安倍首相の「戦後レジームからの脱却」をめざす「愛国」主義も、内閣の顔ぶれを見てもわかるとおり、結局、なんとか会議やなんとか教会やなんとか科学に行き着くのでした。「日本を、取り戻す」と言っても、所詮はその程度なのです。このようなカルトに支えられた「愛国」主義に対して、民族主義の立場から危機感が示されてもよさそうですが、そういった話も聞きません。ここにも日本の劣化が象徴されているように思えてなりません。
2019.11.09 Sat l 社会・メディア l top ▲
朝日新聞の「耕論」が、今メディアを覆っている「嫌韓論」を取り上げていました。メディアの「嫌韓論」は、まさに坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式にエスカレートするばかりで、常軌を逸した感さえあります。

朝日新聞デジタル
(耕論)嫌韓論の正体 鈴木大介さん、安倍宏行さん、木村幹さん

曺国(チョ・グク)法相の家族を見舞ったスキャンダルは、韓国の歴代政権の周辺ではよくある「おなじみの話」で、言うなれば“恒例行事”のようなものです。起訴権だけでなく捜査権も独占する韓国の検察は、そうやって自分たちの“省益”に背く政治家たちを追い落として、“国家内国家”のような、文字通り検察ファッショとも言うべき巨大な力を持つようになったのでした。そんな民主主義国家にあるまじき検察の巨大権力は、軍事独裁政権時代の残滓でもあるのです。

検察改革の急先鋒であった曺国(チョ・グク)法相は、家族のスキャンダルによって、僅か35日で辞任に追い込まれたのですが、日本のメディアは、辞任の本質に触れることなく、ただ文在寅大統領に対して「ざまあみろ!」と罵声を浴びせるばかりでした。文在寅政権が取り組む検察改革についても、正面から取り上げる姿勢など皆無でした。

どうしてこんな、「事実に基づかず、隣国を面白おかしく叩(たた)く」痴呆的な「嫌韓論」がメディアに蔓延しているのか。神戸大学教授の木村幹氏は、次のように分析していました。

 以前は中国、北朝鮮、韓国の3カ国が「反日トライアングル」と呼ばれていました。しかし中国については、相手の国力の方が強くなり、攻撃が消えました。北朝鮮についても「日本が叩けば相手が折れるはず」との想定が外れ、効果がないことが分かると、あきられてしまいました。

 韓国だけが残っているのは「日本が叩けば折れるはず」といまだに思っているからでしょう。韓国をさげすむ言説の裏に見えるのは「日本は(韓国とは違って)先進国だ」と自負したい心情です。アジア最大の経済大国という地位を失い、中国に抜かれた日本にとって、いまや「追い抜かれたくない国」の代表が韓国でもあるのでしょう。


日本のメディアは、韓国が日本政府の制裁措置で、経済的に苦境に陥っているかのように言い立てています。まるで、日本から兵糧攻めに遭っているかのように妄想するのでした。そして、韓国政府が、本音では「折れたがっている」、「ごめんなさい。許して下さい」と謝りたがっているかのように言うのです。でも、それは、あくまで「そうだったらいいなあ」という希望的観測にすぎません。

木村氏が言うように、今や韓国は世界12位の経済大国です。しかも、対外貿易額の中で、日本が占める割合は僅か7%にすぎません。日本人が思っているほど(寝ても覚めても「韓国が・・・・」「韓国が・・・・」と言っている人たちには、信じたくないことかもしれませんが)、韓国にとって日本は、貿易が停滞して困るような相手ではないのです(なくなっているのです)。

今年の4月、経団連の研究機関が,日本の1人当たり国内総生産(GDP)が2030年までに韓国に抜かれるという長期予測を発表して話題になりましたが、韓国に追い抜かれて先進国から転落するかもしれないという焦りが今のような痴呆的な「嫌韓論」に向かっているというのは、その通りかもしれません。

私は、ラグビーも好きで、(このブログでも書きましたが)国立最後の早明戦も観に行ったほどですが、しかし、今のワールドカップでの、ラグビーに関係のないことまでも、世界中のラグビーファンから称賛されリスペクトされているというような「ニッポン凄い!」の報道には、さすがにうんざりさせられます。逆に、ワールドカップに対して興ざめするほどです。台風の被害に遭った人々が、日本代表から「元気」をもらった(日本代表が「元気」を与えた)などという報道には、何をか言わんやです。そういった「ニッポン凄い!」の自演乙も、坂を下る国の焦りから来ているように思えてなりません。やたら「元気」や「勇気」をもらいたがっている(与えたがっている)ような報道も、自信のなさの表れなのかもしれません。

また、「耕論」では触れられていませんが、安倍政権が元徴用工裁判の報復のために、輸出管理の厳格化の制裁措置をとった途端に、「嫌韓論」が再燃しメディアを覆うようになったという事実も忘れてはならないでしょう。「嫌韓論」には、そういった翼賛報道の側面もあるのです。むしろ、そっちの方が日本にとって大きな問題と言えるでしょう。


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韓国叩きの異常
2019.10.19 Sat l 社会・メディア l top ▲
8月に茨城の常磐道で発生したあおり運転と暴行事件では、同乗していた「ガラケー女」に間違われた女性が、Twitterや2ちゃんねるなどで身元を晒され、”ネット自警団”から電凸などの攻撃を受けるという事件の”余波”がありました。しかし、それは、本体の事件以上に深刻な問題をはらんでいるとも言えます。女性は、後日、記者会見を開き、名誉侵害と業務妨害で法的措置を講ずることを言明したのでした。

その後の報道がありませんので、法的措置がどうなったのかわかりませんが、考えてみれば、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」を中止に追いやった電凸も、それと似たような話なのです。それどころか、電凸した”ネット自警団”のかなりの部分は重なっているような気さえします。ところが、メディアには、そういった見方は皆無なのでした。どうして、大衆社会が“衆愚社会”の謂いであるという当たり前の事実を伝えようとしないのかと思います。

それどころか、ワイドショーやスポーツ新聞など既存のメディアを通して、”ネット自警団”の”歪んだ正義”が拡散している現実すらあるのです。それこそ、(何度も言うように)「旧メディアのネット世論への迎合」(大塚英志)による「水は常に低い方に流れる」現実と言うべきでしょう。

余談になりますが、「表現の不自由展」の再開をめぐって、河村たかし名古屋市長はネトウヨと一緒に抗議の座り込みをしたのですが、彼はもともと愛知を最大の基盤としていた旧民社党の流れを汲む民主党系の国会議員でした。彼もまた、林文子横浜市長と同じ旧民主党の“負の遺産”と言っていいでしょう。

今の立憲民主党も国民民主党も、そういった“負の遺産”を引きずったままです。立憲民主党や国民民主党が野党だというのは幻想にすぎません。仮に野党だとしても、間違っても自民党の対抗軸なんかではありません。あり得ないのです。

「表現の不自由展」の問題に、嫌韓だけでなく、天皇制タブーが伏在しているのは言うまでもないでしょう。天皇制タブーと天皇制を絶対視する愛国(国粋)主義は表裏一体です。天皇制タブーと愛国(国粋)主義を切り離して論じるなど、そんな都合のいいことが成り立つわけがないのです。にもかかわらず、左派リベラルは、天皇制タブーをそのままにして、アクロバティックに戦後民主主義を論じてきた(弄んできた)のでした。

今年の8月、初代の宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりなどを記した「拝謁記」が公開され話題になりましたが、その中で昭和天皇は、戦後も再軍備の必要性を主張し、沖縄の基地問題についても、「全体の為」に「一部の犠牲」は「已むを得ぬ」と明言しているのでした。

そういった昭和天皇の発言は、白井聡氏が『永続敗戦論』で書いていたように、共産革命によって「国体」が瓦解し消滅することを怖れた1945年2月の近衛上奏文の考えに沿ったものと言えるでしょう。要するに、「革命より敗戦がまし」(歴史学者・河原宏氏)という降伏の英断の考えが、戦後も貫かれているのでした。

もとより、前も書きましたが、「田植え」や「養蚕」などの皇室行事や、皇室=神道の(ホントは儒式借用の)祭祀なども、豊葦原瑞穂国=”日本“という「想像の共同体」を仮構し、”国民“意識を創出するために、明治になって創られた「伝統」に過ぎないのです。

でも、多くの左派リベラルは、そういったことには触らぬ神なのです。それどころか、天皇制タブーを前提に、戦後憲法の橋頭保としての”平和天皇”のイメージさえねつ造しているのでした。虚妄の戦後を演じているのは、右派だけでなく、左派リベラルも同じなのです。


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『永続敗戦論』
2019.10.14 Mon l 社会・メディア l top ▲
突然、知人からえらく憤慨した電話がかかってきました。と言っても、私に憤慨しているわけではなく、憤慨しているのはメディアに対してです。誰でもいいから話を聞いてもらい、憂さを晴らしたかったのかもしれません。

それは、メディアでも大々的に取り上げられたあるスキャンダルに関するものでした。どういういきさつか知りませんが、知人はスキャンダルの主と親しく、いろいろと相談に乗っていたようです。

知人が言うには、メディアが書いていることはデタラメで、メディアの背後では、スキャンダルの主を潰そうとする大きな力がはたらいているのだと言ってました。

と言うと、よく聞く台詞なので眉に唾したくなりますが、しかし、仔細に話を聞くと、知人が憤慨する気持はわからないでありませんでした。話を聞く限り、スキャンダルの内容についても、スキャンダルの主の人物像についても、メディアが伝えるものとはまったく別の印象がありました。そして、ここにも大塚英志氏が言う「旧メディアのネット世論への迎合」が垣間見えるのでした。

最初から結論ありきのスキャンダルと悪意のある印象操作。しかし、個人の力はあまりに小さく弱いのでした。そうやってひとりの人間の人生がいいように弄ばれるのです。

ネットは言わずもがなですが、私が注目したのは、スキャンダルに対する左派リベラルと言われている者たちの反応でした。

彼らもまた、低俗且つご都合主義的なリゴリズムをネットや世間と共有し、印象操作に与するばかりなのでした。政治的なテーマだと世間に異(らしきもの)をとなえることはありますが、個人のスキャンダルなどでは、いともあっさりと俗情と結託するのでした。

フーコーが言うように、権力というのは、国家や政治など大状況の中だけに存在するのではなく、私たちをとりまく日常的な小状況の中にも潜んでいるのです。右と左のイデオロギーの違いに大きな意味はないのです。右と左は双面のヤヌスみたいなもので、そうやって手を携えてこの社会の安寧と秩序に貢献しているのでした。

「言論の自由なんてない、あるのは自由な言論だけだ」という竹中労の口吻をもじって言えば、言論の自由なんてないのです、あるのは”不自由な言論”だけです。

でも、それは、メディアがもの言えば唇寒い状況に追い込まれているということではありません。江藤淳が言う戦後の「閉ざされた言語空間」とは別の意味で、この国のメディアは最初から「閉ざされた言語空間」の中にあり、”不自由な言論”のシステムに組み込まれているのです。言論の自由なんて虚構にすぎないのです。

軍事独裁政権時代の残滓の一掃を目指す韓国の文在寅政権と検察の対立はますます激しくなっていますが、日本のメディアの問題を考えると、韓国検察の”不都合な真実”も決して他人事ではないのです。むしろ、個人のスキャンダルだからこそ、メディアの本質がよく見える(露呈されている)ということはあるでしょう。
2019.10.01 Tue l 社会・メディア l top ▲
記憶が曖昧なのですが、たしか高校生で、休みで実家に帰省していたときでした。当時の高校生の間では、深夜放送を聴きながら勉強するのが流行っていました。

実家は九州の山間の町にありましたので、電波状況が悪く、実家で大阪や東京のラジオを聴くのはかなりの忍耐と工夫を要しました。ラジカセを窓際に置いて、アンテナを動かし、ザーザーという雑音に交じってかすかに聞こえてくるパーソナリティの声に耳を傾けていました。

そのとき、中国の北京大学や精華大学で、共産党を批判し民主化を求める壁新聞が貼られたというニュースが聴こえてきたのでした。私は、なんだかすごいことが起きているような気がして、深夜ひとりで興奮を覚えました。

全共闘運動華やかりし頃、京大の時計台に「革命無罪」「造反有理」という文化大革命のスローガンが掲げられていましたが、北京大学や精華大学の壁新聞は、社会主義国家の中に民主化を求める地下活動が存在していることを告げていたのでした。

中国の学生たちも、やはり深夜に壁新聞を貼ったのだろうかと思いました。その光景を想像すると、ワクワクするような気持になりました。そして、学生たちの行動に、「革命無罪」「造反有理」のスローガンを重ねました。学生というのは、社会主義国でも先鋭的な存在なんだなと思いました。それは、人民の解放のために戦った軍隊が、人民に銃を向けるなどまだ想像も付かない頃の話でした。

当時、埴谷雄高の本をよく読んでいたのですが、埴谷雄高は『薄明のなかの思想』(ちくまブックス)で、20世紀は「革命の変質」の時代でもあり、「帝国主義国も社会主義国もふくめた全世界は、いま、怖ろしい人間喪失の時代に突入」していると言ってました。

その合言葉は、「殺してしまえばいいじゃないか、あいつは敵だから。」ということになり、そして、いま私達がそのなかにある事態は、まさに、「革命の革命」が決定的におこなわれなければ、これからそれは長く長くつづいて、私達を何処までも握りつづけて離さないでしょう。


私が中国の学生に希望を持ったのは、埴谷の言う「革命の革命」を夢想したからでした。しかし、今になって思えば、それもポエムにすぎなかったのです。ほどなく世界に天安門事件の衝撃が走ります。20世紀は革命の理想が地に堕ちた時代でもあったのです。

香港の学生たちが火炎瓶を使うなど過激化しているという指摘がありますが、むしろそれは、絶望的な闘いをつづける学生たちの不退転の決意の表れと見るべきで、もとより、中国本土との境界線の向こう側には、かつて人民に銃を向けた軍隊が再び銃を向けるべく待機し、学生たちに無言の圧力をかけているのです。

もちろん、今の北京大学や精華大学に、「在香港团结一致」という壁新聞が貼り出されることはありません。「革命の革命」どころか、革命の失墜と堕落がどこまでも、果てしもなく続いているのです。

巨象にアリが挑むような香港の学生たちの闘いは、文字通り先鋭的ですが、しかし同時に、あまりにも絶望的で、且つ悲劇的な結末を予感するむごたらしさとやりきれなさを含んでいます。革命が求めたのは、こんな人民に銃を向け人民を抑圧する腐れ切った権力や、人民を見下し高級酒に酔いしれる党官僚の存在ではなかったはずですが、今更そんなことを言ってももう遅いのです。

2019.09.18 Wed l 社会・メディア l top ▲
内閣改造で環境大臣に就任した小泉進次郎を、メディアは「将来の総理候補」などと言ってさかんに持ち上げています。

それは、元徴用工裁判の報復のために、韓国に対して、安倍政権がヤクザのような難癖を付けて輸出管理の厳格化(そして、ホワイト国からの除外)の措置を取った途端に、メディアがいっせいに韓国ヘイトをはじめたのとよく似ています。「ボロ隠し」のために、小泉進次郎を環境相に抜擢した安倍総理の狙いどおりと言えるでしょう。

別に総理大臣にふさわしい学歴がどうだと言いたいわけではありませんが、(誤解を怖れずに言えば)成蹊大卒の三世議員の安倍晋三氏と、同じく内部進学による関東学院大卒の三世議員の小泉進次郎は、世代こそ違え、属性はそっくりと言っていいほどよく似ています。もう中身が空っぽのおぼっちゃまを貴公子のように持ち上げるのはやめませんかと言いたいです。

「発言力がすごい」などと言われる小泉進次郎の言動が、衆愚向けの「言語明瞭意味不明」なミエミエのパフォーマンスでしかないことは(衆愚でなければ)誰でもわかるはずです。口だけ達者なタレントがワイドショーでこましゃくれたコメントを発したりしていますが、それと同じで、大衆にとっては小泉進次郎も政治家というよりタレントに近い存在なのでしょう。その意味では、小泉進次郎は”テレビ好み”と言えないこともないのです。安倍総理に対しても然りですが、どうして王様は裸だ(空っぽだ)と言えないのか。それがジャーナリズムの本来の役割でしょう。

不惑の年齢を前にしたできちゃった婚。しかも、堂々と総理官邸に報告に訪れ、できちゃった婚もパフォーマンスに利用するその神経たるや、自己を対象化できないおぼっちゃまの面目躍如といった感じです。育休が聞いて呆れます。育休も最近覚えたことばで、さっそくパフォーマンスに使っているだけなのでしょう。

極めつけは、「理屈じゃないですね」というあのフレーズです。結婚の決め手はなんですか?と問われて「理屈じゃないですね」。嘘つけ、子どもができたからだろうとツッコミを入れたくなりました。どうして入閣要請を受けたのですか?と問われて「理屈じゃないですね」。嘘つけ、自分から猟官運動をしたからだろうと言いたくなりました。

彼が確固たる政治信条を持っているようにはとても思えません。父親の小泉純一郎氏と同じで、ただのパフォーマンスの人にすぎないのです。電車に乗ると、図々しいだけが取り柄のようなおばさんがいますが、小泉進次郎もパフォーマンスだけが取り柄の政治家なのです。

竹中平蔵と組んで日本を新自由主義に売り渡し、先進国で最悪と言われる格差社会をもたらした”罪”には目をつむり、「郵政民営化」と同様、「反原発」のシングルイシューで小泉純一郎氏を持ち上げるメディアの無責任さが、そのまま小泉進次郎の「将来の総理候補」報道に引き継がれているように思えてなりません。メディアの無責任さは、河野太郎(彼も「反原発」で自民党の良心のように持ち上げられていた時期がありました)で証明されています。その無責任さは、一部の負け犬根性が染みついた左派リベラルも共有していました。

小泉進次郎フィーバーは、この国の衆愚政治の極みとも言えますが、何を隠そう衆愚政治の堰を外した人物こそ父親の小泉純一郎氏なのです。

おぼっちゃまであるというだけで、できちゃった婚さえも称賛の対象にされ、「将来の総理候補」とチヤホヤされる三世議員。一方で、小泉政権時代に解禁された製造派遣=非正規雇用の拡大によって、「自業自得」「甲斐性なし」の嘲笑を浴びせられながら年収200万円以下の生活を余儀なくされ、結婚もままならないワーキングプアの若者たち。そんな若者たちがこの国には1000万人近くもいるのです。私は、この生まれついての格差の現実を前にすると、言いようのない不条理を覚えてなりません。しかも、小泉進次郎は、福祉や年金の問題では、まるで若者の世代を代表しているかのような発言をして喝采を浴びっているのです。メディアは、そんなおぼっちゃまを持ち上げ、不条理の片棒を担いでいるのです。まったくバカバカしいとしか言いようがありません。
2019.09.16 Mon l 社会・メディア l top ▲
メディアの韓国叩きはエスカレートするばかりです。週刊ポストの「断韓」なんて、もともと在特会などネトウヨが主張していたことです。それが週刊誌の見出しに踊るまでになったのです。

私は、以前から、BSフジのプライムニュースが、来る日も来る日も「韓国が・・・・」「韓国が・・・・」と言っているのを見るにつけ、まるでゴミに異常に執着するゴミ屋敷の主と同じで、頭がおかしいんじゃないかと思っていましたが、今はすべてのメディアがBSフジ化しネトウヨ化しているのです。これを異常と言わずしてなんと言えばいいのかと思います。

韓国の文在寅大統領が曺国(チョ・グク)ソウル大法学部教授を法相に指名した問題でも、日本のメディアは、これでますます文大統領は追い詰められるだろう(追い詰められればいいんだ)というような論調で占められています。

曺国教授の家族にスキャンダルが浮上したときも、「ざまあみろ」みたいな見方が大半でした。まるで、日本に盾突くから罰が当たったんだと言わんばかりでした。文政権が進める司法(検察)改革への視点は二の次で、ただただ(バカにひとつ覚えのように)韓国叩きの感情の方が優先されたのでした。

曺国氏のスキャンダルが、司法改革を阻止しようとする検察の恣意的な捜査=脅しであることは明々白々でしょう。韓国では、今までも大統領経験者など政治家やその周辺の人物がスキャンダルで社会的に抹殺されてきましたが、その背景には検察が政治権力と癒着して巨大な権力を持ち、スキャンダルという名の政治的報復が公然とまかり通っていたという、もうひとつの(国家の)スキャンダルがあったからにほかなりません。

元徴用工問題の背景にある日韓請求権協定も同じですが、それらは軍事独裁政権時代の“残滓”であり、民主化運動のエートスを引き継ぐ文政権は、軍事独裁政権時代の“残滓”の見直しの一環として司法改革を行おうとしているのです。それを日本のメディアは文大統領の「野心」などと言って、問題を矮小化して伝えているのでした。

そう言えば、韓国政府が日本への対抗措置としてGSOMIAを破棄したときも、アメリカ政府が懸念を示しており、今後アメリカから(中には「米中から」というトンデモ話もありましたが)文政権への圧力が強まるだろうと日本のメディアは伝えていましたが、いっこうにその気配はありません。むしろ、トランプ政権の姿勢は「黙認」もしくは「無関心」といった感じです。アメリカからの圧力というのも、対米従属を国是とするこの国の権力者たちの願望を代弁するものだったのでしょう。

メディアに登場する「専門家」たちは、文大統領は曺国氏の法相指名で離反した民心を引き戻すために、これからますます「反日」姿勢を強めるのではないかなどとしたり顔で解説していますが、今の日韓対立を仕掛けたのが安倍政権だということを考えれば、これこそ牽強付会と言うべきでしょう。「専門家」が聞いて呆れますが、彼らもまた、空気を読むことだけが巧みな”電波芸者”にすぎないのです。
2019.09.10 Tue l 社会・メディア l top ▲
今日の午後1時頃からクリックポストのサービスが突然停止しました。クリックポストは、ヤマト運輸のメール便の廃止に伴って、Yahoo!Japanと日本郵便が共同で立ち上げたサービスで、私も仕事でクリックポストを利用していますので、仕事が留まり大きな影響を受けています。

6時間以上経った現在も未だ復旧していません。そのため、本日付けの郵送に間に合わず、仕事は明日に持ち越すことになりました。

クリックポストのサイトに掲載された「お詫び文」には、当初トラブルの原因が何なのか、はっきり記載しておりませんでしたが、4時間経った頃に次のように「お詫び文」が訂正され、やっとその原因が判明したのでした。

クリックポストは、ただいまシステムメンテナンス中のため、サービスを一時停止しております。

8/23(金)13:00頃からクリックポストで利用しているAWS(Amazon Web Services)において障害が発生しているため、サービスがご利用いただけない状態となっております。
ご利用者様には多大なご迷惑をお掛けし誠に申し訳ございませんが、復旧までしばらくお待ちいただきますようお願い申し上げます。


私は、クリックポストのサービスが停止したあとも、Yahoo!ニュースがアマゾンのAWSのシステムトラブルでゲームサイトなどが影響を受けているという記事を掲載しているのを見て、自分のところのサービスのトラブルには素知らぬ顔でよそのトラブルだけを伝えるなど、如何にもYahoo!ニュースらしいなと思いました。ところが、上記の「お詫び文」で、クリックポストのサービス停止も、AWSのシステムトラブルが原因だったことがわかったのでした。だったらよけいタチが悪いと言わねばなりません。

Yahoo!ニュースは、日韓対立以降、韓国ヘイトのニュースを意図的にピックアップして掲載し、コメント欄に巣食う差別主義者たちを煽ってきました。いつものことですが、そうやってバズらせ、アクセスを稼ぎ、ニュースをマネタイズするためです。

前も書きましたが、Yahoo!ニュースの編集部は、新聞社や通信社の転職組が中心になって運営されています。言うなれば、彼らは、新聞記者として一人前になる前に挫折して退社した、ジャーナリストの落ちこぼれのような人間たちです。

しかも、驚くことには、Yahoo!ニュースには、ジャーナリズムとして最低限の要件である編集権の独立も認められてないのです。言うなれば、Yahoo!ニュースはまとめサイトのようなもので、編集者たちはまとめサイトの管理人と同じなのです。ところが、当人たちは、「取材して書く・撮る人材“だけ”がジャーナリストを名乗っていた世界は変わろうとしている」などと宣い、一人前(いっちょまえ)にジャーナリスト気取りなのですから片腹痛いとはこのことです。

日韓対立は、懸念されていたとおり、両国の安保協力体制の崩壊へ進もうとしています。日本のメディアは、GSOMIAの破棄は晴天の霹靂であったかのように伝えていますが、それはカマトトというものでしょう。日本政府だって当然予想していたはずです。そうやって驚いたふりをすることで、さらに韓国ヘイトを煽るつもりなのでしょう。

日韓対立を仕掛けた安倍政権の狙いが改憲の世論作りであることは、少しでも考えればわかるはずです。軍事的な緊張が現実になりはじめたことで、9条改正が悲願の安倍首相や極右の改憲派はほくそ笑んでいるに違いありません。安保協力体制がゆらぎ、隣国との対立が先鋭化すればするほど、世論が防衛力強化=戦争できる国家の再興へと傾いて行くのは世の常です。安倍一強の翼賛体制下で政権の茶坊主と化したメディアは、そのお先棒を担いでいるのです。

GSOMIAの破棄について、アメリカが懸念し韓国に再考を求めたというような報道がありますが、国際政治にそんな間抜けな話があるわけないでしょう。常識的に考えても、韓国が言うように、「アメリカと緊密に協議した上で決断した」というのが真相のはずです。

一方、別の視点から見れば、日韓対立の背後に、世界の多極化の流れがあることがわかります。そこには、東アジアの覇権を放棄する(したい)アメリカの意向が見え隠れしているのです。先日の米韓軍事演習についての「あんなバカげたことに大金を使いたくない」というトランプの発言にも、アメリカの本音が表れているのです。そう考えると、トランプ政権がGSOMIAの破棄を事実上容認したのも頷けようというものです。

翼賛報道によって韓国ヘイトと9条改憲に誘導される世論。いざとなれば、まるで右向け右と言わんばかりに、朝日から産経までが同じ隊列を組んで国民を動員する日本のメディア。メディアの罪は取り返しがつかないほど大きいと言えるでしょう。


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2019.08.23 Fri l 社会・メディア l top ▲
あいちトリエンナーレに対する脅迫メールやファックスが770通にものぼっているそうで、ネトウヨ化する日本の異常さをあらためて痛感せざるを得ません。

と同時に、今回の日韓対立を仕掛けたのは安倍政権の方だということを忘れてはならないでしょう。

その口実は輸出管理における「安全保障上の問題」でした。しかし、ホントに「安全保障上の問題」があったのか、検証するメディアはどこもありません。それどころか、「安全保障上の問題」はいつの間にかどこかに消えてしまったのでした。

安倍政権の措置が、徴用工裁判に対する報復であるのは明々白々ですが、しかし、メディアはそのことにも触れようとはしません。

何度も言うように、徴用工の問題は、日本帝国主義による侵略戦争の”負の遺産”です。だから、韓国が過剰に反発するのは当然で、まるで侵略された側に非があるかのような主張をする限り、韓国側の反発が収まることはないでしょう。「盗人猛々しい」という気持はわからないでもありません。

日韓請求権協定(1965年)は、国交正常化の際に日韓基本条約とともに結ばれた、日本が韓国に5億ドルの経済支援を行うことで、両国及び国民の間での請求権を完全かつ最終的に解決したとする内容の協定です。韓国では、日韓基本条約ともども「日帝の戦争犯罪を不問に付す不平等条約」であるとして、学生たちを中心に激しい反対運動が起こりました。しかし、当時の韓国は旧日本軍の下士官であった朴正煕が、クーデターで権力を掌握した軍事独裁政権下にありました。学生たちは苛烈に弾圧され、「不平等条約」は締結されたのでした。

言うなれば、子どもが殴られてケガをしたけど、親が子ども抜きに勝手に相手と交渉して金銭で解決したような話です。しかし、殴られた子どもは、殴られたことを忘れることはできません。相手に対して謝れと言うのですが、相手はお金で解決したから謝る必要はないと突っぱね、挙句の果てには、殴った覚えがないなどと言い出し開き直っているのです。

徴用工や従軍慰安婦の問題は、民主化された韓国社会が、親日派の軍事独裁政権が過去に行った対日交渉を見直す過程で再浮上した問題でもあるのです。

それにしても、安倍政権が韓国に対して報復措置を取ると、メディアがいっせいに韓国叩きに走るこの光景には、おぞましさしか覚えません。これこそ安倍一強の翼賛体制と言うべきでしょう。日本のメディアは、韓国のナショナリズムの暴走を嗤っていますが、日本も同じなのです。韓国を嗤う資格などないのです。

これでは為政者はやりたい放題のことができ、笑いが止まらないでしょう。安倍や麻生や菅や二階のあの人をバカにしたような傲慢な態度も、理解できようというものです。メディアは、権力を監視するどころか、権力の茶坊主になっているのです。

アメリカのトランプは、まるでゴロツキのように中国やイランなどにケンカを吹っかけて無用に対立を煽っていますが、アメリカも日本と同様、野党の民主党がふがいないので(民主党も”中国脅威論”を共有し、米中対立を支持している)、来年の大統領選挙もトランプが有利と言われています。ただアメリカの場合は、まだしもニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど権力を監視するメディアが存在しています。日本には、権力を監視するメディアさえ存在してないのです。暴走を止める装置がないのです。

一方、朝鮮人にとって、言うことと実際の行動が釣り合わないのはよくある話なので(だからバカにされる)、あの過激で感情的なもの言いとは裏腹に、韓国があれよあれよという間に妥協する可能性もないとは言えないでしょう。矛盾した言い方ですが、朝鮮人は面子を重んじるものの、面子そのものにこだわるわけではないのです。そういった朝鮮人特有の気質も日本側に見透かされているように思います。

先日、女優のチョン・ユミが、DHCのモデル活動を拒否し契約を解除したというニュースがありましたが、DHCが排外主義的なナショナリズムを煽る韓国ヘイトのネトウヨ企業であるのは衆知の事実で、チョン・ユミが今までモデルを務めていたこと自体驚きでした。そんな調子だから、日本のメディアから「(DHCは)とばっちり」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い話だ」とヤユされるのです。そういった大甘=ご都合主義も朝鮮人の特徴と言えるでしょう。

韓国の歴代政権は、「反共」や「アメリカ」を媒介に、日本の保守政権と蜜月を結んできました。その日本の保守政権の多くは、建て前はともかく、侵略戦争を正当化し美化するような歴史観を持っているような政権でした。何を今更という声があってもおかしくないでしょう。

案の定、文在寅政権がトーンダウンしはじめたという話も出ていますが、ナショナリズムのいい加減さと愚かさを身を持って知るためにも、ここは徹底的に対立した方がいいのです。そして、お互い痛い目に遭えばいいのです。国民国家の宿痾でもあるナショナリズムに対しては、そうやって何度も痛い目に遭い「学び直し」するしかないのです。


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2019.08.15 Thu l 社会・メディア l top ▲
安倍政権は、とうとう韓国に対して輸出管理の優遇対象国(ホワイト国)から外す決定を下し、日韓の関係は「戦後最悪」と言われるまで悪化しています。

日本政府は、ホワイト国から外す理由に「安全保障上の問題」をあげていますが、それはあくまで表向きの理由で、本音は元徴用工裁判に対する報復であるのは誰の目にもあきらかです。ニューヨークタイムズが言うように、安倍首相はトランプ大統領のやり方を真似ているのでしょう。

元徴用工について、日本のメディアは「労務動員」なる言い方をしていますが、それが「強制連行」という禁句を使わないための言い換えであるのは言うまでもありません。要するに、元徴用工の問題は、従軍慰安婦の問題と同様、日本帝国主義による侵略戦争の“負の遺産”にほかならないのです。それがこの問題のキモです。

日本政府は1965年の日韓請求権協定で解決したとの立場をとっていますが、それはあくまで国家間の問題であって、個人の請求権まで消滅したのではないと指摘する法曹関係者もいます。それどころか、下記の朝日新聞の記事によれば、日本政府も2000年以前は個人の請求権が存在するという立場をとっていたそうです。

 請求権を互いに放棄する条項は1951年のサンフランシスコ講和条約(サ条約)にもある。後に原爆被害者が「条約により米国に賠償請求できなくなった」として日本政府に補償を求めて提訴すると、政府は「自国民の損害について、相手国の責任を追及する『外交保護権』を放棄したもの。個人が直接賠償を求める権利に影響はなく、国に補償の義務はない」と主張した。

 90年代には、韓国人の戦争被害者が日本で提訴し始めたが、政府は従来と矛盾する解釈は取れず、「個人請求権は消滅していない」との国会答弁を続け、訴訟でも「請求権協定で解決済み」とは抗弁しなかった。

朝日新聞デジタル
元徴用工の「個人請求権」なぜ残る 弁護士ら声明で指摘


ところが、2000年代に入ると姿勢が変化しはじめたのだそうです。おそらく、排外主義的なナショナリズムの高まりと第一次安倍政権の誕生などが関係しているのでしょう。そして、個人の請求権を認める韓国の裁判所の判決に対して、文在寅政権が適切な処置をとらなかったとして、先月、半導体材料の韓国向け輸出管理の厳格化を発表し、さらに今回のホワイト国からの除外決定へとエスカレートしていったのでした。

でも、韓国も請求権協定が結ばれた朴正煕政権の頃と違って三権分立の民主国家です。文在寅政権が適切な処置をとらなかったと言いますが、司法の決定に易々と政治が介入できるものではないでしょう。安倍政権の主張は、そんな民主主義のイロハを無視した無理難題と言えるのです。

メディアもまた、まるで独裁政権下の国営メディアのように、安倍政権の無理難題に同調して、ヘイトクライムまがいの過熱報道で国民を煽っています。そのため、過半数を優に超える国民が政府の対応を支持するという世論調査の結果も出ています。

また、「韓国を懲らしめよ」という声が多数のためか、野党の反応も、共産党を除いては極めて鈍く、おためごかしに批判めいたことを述べるにとどまっています。こういった光景も、先の戦争の前夜とよく似ています。

一方、韓国国内では、すぐ頭に血が上る国民性ゆえの過激なもの言いとは裏腹に、ここに至ってもまだ「日帝」にすがるような姿勢がいろんなところで見て取れるのでした。

今月の初め、解決策を探るために来日した韓国の国会議員の代表団が、自民党の二階俊博幹事長との面会がドタキャンされたことに対して、「我々は物乞い外交をしに来たのではない」と激怒したというニュースがありましたが、しかし、彼らの来日はどう見ても「物乞い」のようにしか見えませんでした。少なくとも多くの日本の国民の目にはそう映ったでしょう。

そもそも今まで自国経済の生命線である半導体の材料の供給を日本に依存していたことが大甘で、今になって国内で賄えるよう体制を整えるというのは滑稽ですらあります。小国の哀しさなのか、同じナショナリズムでも中国のそれとは雲泥の差です。御都合主義的なナショナリズムの底の浅さを日本から見事に突かれたという感じです。

安倍政権の「韓国を懲らしめよ」の姿勢は、ネトウヨたちを狂喜(狂気?)乱舞させ、彼らの妨害工作によってあいちトリエンナーレの 「表現の不自由展・その後」が中止になる事態まで招いたのですが(同時に、津田大介氏の腰の弱さに唖然としましたが)、このままエスカレートすれば日韓の安保協力体制にも亀裂が生じる可能性さえあるでしょう。

文在寅大統領は、日本政府の決定に対して、「日本は一線を越えた」と言ったそうですが、もしそれが本音なら(ホントに日本にすがる気持がないのなら)、日本のネトウヨが主張するように、国交断絶すればいいのだと思います。そうなれば、北朝鮮による拉致被害の解決も永遠に遠のくでしょうし、アメリカなき東アジアの新秩序に向けた、中国やロシアや北朝鮮からの脅威も益々高まるでしょう。「日本を懲らしめる」いい機会になるのは間違いないのです。そして、やがて日韓はナショナリズムの暴走のそのツケを払わされることになるでしょう。

少なくとも私は、今の政治と世論がタッグを組んだ愚劣な動員の光景を見るにつけ、左派リベラルのような「仲良くしましょう」式の(ほとんど意味のない)常套句を口にする気にはとてもなれないのです。


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『帝国の慰安婦』と日韓合意
2019.08.05 Mon l 社会・メディア l top ▲
34人の命を奪った京都アニメーションの放火事件。事件直後、みずからも全身にやけどを負った犯人の41歳の男は、「(小説を)パクりやがって」と叫んでいたとか。

警察も、犯人はもともと精神的に不安定なところがあったと言ってましたが、男が過去に起こした騒音トラブルやコンビニ強盗などを見ても、多分に被害妄想のようなところがあり、精神的な疾患を抱えていたのは間違いないでしょう。

現在、重篤な状態で供述も得られないことから、「犯行の動機はヤブの中」などとメディアは報じていますが、仮に犯人から供述が得られたとしても、おそらくメディアが求めるような動機はなく、「ヤブの中」で終わるのではないでしょうか。

犯人は、幼い頃に両親が離婚し、タクシー運転手をしていた父親に、ほかの兄妹とともに育てられたそうですが、経済的には貧しかったと言われています。

新聞の記事によれば、高校は定時制に進み、昼間は埼玉県の文書課の非常勤職員として「各部署に手紙や文書を配る」、「メールボーイ」と呼ばれる仕事をしていたそうです。その頃は、同年代の同僚と明るく楽しそうに仕事をしていたそうで、部屋を出入りするときも大きな声で元気に挨拶していたのが印象的だったという証言もありました。

しかし、仕事が民間委託になったことで契約が打ち切られ、その後は、郵便局やコンビニなどでアルバイトをしていたそうです。また、派遣切りに合ったりして、住まいも転々とするようになったのだとか。

そして、30代に入ってから、騒音などでまわりとトラブルを起こすようになります。貧困と孤独。同じスタート台に立つことさえできない社会の現実。犯人は、その理不尽さを呪ったに違いありません。30代になり、将来に対する悲観と焦りに、精神的に追いつめられていったというのは容易に想像できます。秋葉原事件の犯人や川崎殺傷事件(登戸事件)の犯人と共通点を見つけるのはそう難しいことではないでしょう。

派遣を「働き方の多様化」だと積極的に捉えるムキもありますが、派遣は雇用の安全弁として新自由主義が要請してきたのであり、「働き方の多様化」が“資本の論理”であるのは言うまでもありません。しかし、政府や財界は、その“資本の論理”をあたかも「生き方の多様化」であるかのように、詭弁を弄して“個人の論理”にすり替えているのです。さらには左派リベラル界隈でも、正規社員=社畜のイメージを盾に、正規社員だけが唯一の生き方ではないなどと、資本の論理に追随するような考え方さえ存在します。

どうして非正規が問題なのかと言えば、非正規では経済的にまともな人生が送れないからです。国税庁の「民間給与実態統計調査」によれば、年齢や企業規模によって多少の違いはありますが、非正規の年収はほぼ200万円前後です。しかも、雇用は不安定です。どう考えても、非正規で生きて行くなんて無理なのです。でも、現実には、非正規の人たちは2162万人(厚労省労働力調査・2019年1月~3月期の速報値)もいるのです。

だったら、待遇を改善すればいい。安定した収入と安定した雇用を保障すればいいじゃないか。政府はそう言って、正規と非正規の格差の解消を「働き方改革」のひとつの柱に据えています。でも、派遣が資本の要請である限り、それが絵に描いた餅の気休めにすぎないことはあきらかでしょう。

京アニ放火事件の犯人は、やったことは特殊ですが、存在自体は特殊でもなんでもないのです。同じような境遇の人間は、私たちのまわりにもいくらでもいます。メディアが言うように、動機は「ヤブの中」なんかではないのです。ただ彼らは現実を見ようとしてないだけです。


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たったひとりの”階級闘争”
秋葉原事件
2019.07.25 Thu l 社会・メディア l top ▲
津原泰水氏の『ヒッキーヒッキーシェイク』(ハヤカワ文庫)を読みながら、ふと、山本太郎のれいわ新選組が6人目の候補者にヒキコモリの人間を擁立したら面白いのにと思いました(フリーターを擁立する可能性はあるように思いますが)。

アンダークラスに依拠する政党として、これ以上のインパクトはないでしょう。そして、ヒキコモリたちが選挙のスタッフに参加すれば、文字通り小説を地で行くような話になり、若者から中高年まで100万人以上いると言われるヒキコモリたち=「忘れられた人々」にとって、大きな希望になるのは間違いないでしょう。

こう書くと、ヤユして書いているように思うかもしれません。ヒキコモリの話をすれば、ややもすればそう誤解されることが多いのも事実で、「ヒッキー」は言わずもがなですが、ヒキコモリということば自体にも、既にヤユするようなイメージが付与されているのです。ヒキコモリが、労働力の再生産という資本主義社会のオキテに反する、それこそ生産性のない存在だからでしょう。

だったら、それを逆手に取ればいいのだと思います。れいわ新選組から立候補した重度障害者の木村英子氏は、立候補の要請が来た際、「障害者を利用している」と山本太郎がバッシングされることを心配したそうです。それに対して、山本太郎は、「上等ですよ。利用して制度を変えていけばいいじゃないですか」と答えたのだとか。彼には、そういう(政治家として必須の)したたかさを持っているのです。

山本太郎は、朝日新聞のウェブサイト「論座」で、れいわ新選組の政策を表明していますが、立憲民主党や国民民主党と一線を画した反緊縮の主張には傾聴に値するものがあると思いました。

論座
山本太郎から自民党を支持してきた皆様へ

ヨーロッパで若者たちをひきつけたポデモスやシリザと同じように、反緊縮を主張する政党が日本にも出てきたことの意味は、私たちが想像する以上に大きいのかもしれません。現に、僅か3カ月で2億円以上の寄付金を集めた、れいわ新選組ブームと言われる現象までおきているのです。私は、(買い被りと言われるかもしれませんが)ユーチューブで山本太郎の辻説法を見るにつけ、シャンタル・ムフの言う「左派ポピュリズム」ということばが連想されてなりませんでした。

ただ、ポデモスやシリザが、「急進左派」と呼ばれ、ラジカルな大衆運動を背景に生まれた政党であるのに対して、れいわ新選組はそういった基盤をもっていません。あくまで議会内の政党にすぎないのです。そのため、ブームがブームで終わる可能性もあるでしょう。選挙が近づけば、マッチポンプがお家芸の朝日新聞が手のひらを返して、れいわ新選組を「落とす」に違いありません。また、ホントにれいわ新選組が脅威になれば、文春や新潮を使ったスキャンダルが仕掛けられるかもしれません。既成政治の洗礼を受けるのはこれからなのです。そういったことも含めて、アンダークラスに依拠し反緊縮の旗を掲げる、このあたらしい政党の行く末を注視する必要があるでしょう。
2019.07.01 Mon l 社会・メディア l top ▲
もうひとつ床屋政談を・・・・。

今回のG20に関しては、日本のメディアの報道を見る限り、何が話し合われ、何がどうなったのか、さっぱりわかりません。なんだか目くらましに遭ったような感じです。

米中首脳会談にしても、竜頭蛇尾のような報道でした。挙げ句の果てには、ホスト役を務めた安倍総理の評価はどうだったかというような、どうでもいいような話ばかりが取り上げられているのでした。

しかし、今回のG20で私たちが見たのは、中国の習近平主席の自信に満ちた態度でした。日本では、トランプによって中国は瀕死の状態に追い詰められているようなイメージがありましたが、実際は怯むことなく堂々とアメリカと渡り合う姿がそこにあったのでした。

それは、G20と関係ありませんが、イランも同じです。トランプから難癖を付けられ、挑発を受けてもなお、トランプの挑発を「子どもじみたふるまい」と一蹴し、イランは毅然とした態度を取り続けたのでした。

一方、28日には、ウィーンで、イラン核合意の参加国であるイギリス・ドイツ・フランス・中国・ロシア・EUがアメリカのイラン制裁再発動に対する対応を協議した結果、イランを経済的に支援することを決定したというニュースがありました。

これらから見えるのは、何度もくり返しますが、アメリカが超大国の座から転落して世界が多極化するという流れです。それに伴い、中国やロシアやイスラムなどの台頭がより顕著になっているという事実です。

日米安保が片務的だというトランプの不満も、多極化の流れのなかにあるのはあきらかです。明日、板門店でトランプと金正恩の三回目の会談がおこなわれるという観測がありますが、米朝正常化=朝鮮半島の緊張緩和の先にあるのが、在韓・在日米軍の撤退であるのは間違いないでしょう。そして、東アジアの覇権が中国に移行するのも間違いないのです。

田中宇氏は、メルマガでつぎのように書いていました。

田中宇の国際ニュース解説・無料版
板門店で電撃の米朝首脳会談

今後うまくいけば、中露が安保理で北制裁を緩和し、南北の経済交流が始まり、今は裏でやっている中朝間の貿易も表向きに再開する。在韓米軍の撤収が俎上にのぼり、在日米軍の撤収も言及される(すでにトランプは今回、日米安保条約を破棄したいと表明している)。米朝だけでなく、日朝も和解していく。安倍は早く訪朝したいと以前から思っている。日米安保の代わりとして、中国は昨秋、安倍の訪中時に、日本と安保協定を結びたいと提案していたと、先日暴露された。こんな暴露が今の時期に行われた点も興味深い。
(略)
安倍はプーチンとも仲良しで、日露の平和条約も早く結びたい。北方領土は2島返還以外の解決がないと大昔からわかっていた。北朝鮮、中国、ロシアの3か国と平和的な恒久関係が確立したら、日本にとって脅威な外国はなくなる。米軍が日本に駐留する必要もなくなる。ハブ&スポーク的な日韓別々の対米従属を維持するための、子供じみた日韓の相互敵視も、米国の覇権低下とともに下火になり、日韓も安保協定を結ぶ。日本の対米従属の終わりが、すぐそこまできている。
(略)


しかし、日本のメディアに、こういった視点は皆無です。わけのわからない目くらましのような記事でお茶を濁すだけなのです。それは、BSテレビのニュース番組などに(特に顕著に)見られるように、日本のメディアが、対米従属を至上の価値とするネトウヨ的思考に囚われているからでしょう。

さらには、会談後に、ファーウェイに対する禁輸措置を解除するとトランプが表明したのを見て、私は、メディアに煽られて、ファーウェイはヤバいなどと言っていた人間たちはどう言い訳するんだろうと思いました。まさに、彼らのバカさ加減がさらけ出されるオチまで付いたのでした。ファーウェイがヤバいなら、アイフォンだって、グーグルピクセルだってヤバいでしょう。スノーデンが暴露したように、アメリカ政府も似たようなことをやっているのです。

ファーウェイの問題では、先日、グーグルが今後、ファーウェイのスマホに自社のサービスを提供しないと発表して大騒ぎになりましたが、その一方で、アンドロイドの提供をやめれば、ファーウェイが独自のOSを開発するので、その方が安全保障上問題がある(アンドロイドを使わせていた方が安心ですよ)、とグーグルがアメリカ政府を説得したというニュースもありました。今回の禁輸措置の解除も、案外そのあたりに真相があるのかもしれません。

とは言え、ことは単純な話ではなく、多極化が国際政治の思惑と力学のなかで、紆余曲折を経ながら進んでいくのは言うまでもないことです。日本のメディアは、その紆余曲折を針小棒大に取り上げ、多極化という本筋をマトモに伝えようとしないのです。

トランプの対中強硬策に対しては、アメリカ国内では共和党だけでなく民主党の議員たちも党派を越えて支持しているそうです(そうやってトランプ人気に手を貸している)。対中強硬という点では、アメリカは挙国一致で結束しているのです。つまり、それは裏を返せば、アメリカが中国の台頭に怯え、余裕をなくしている表れと見ることもできるでしょう。

いづれにしても、今回の米中首脳会談では、坂を上る国と下る国の明暗がはっきり出ていたように思いました。
2019.06.29 Sat l 社会・メディア l top ▲
6月21日の麻生太郎財務相(兼金融相)に対する問責決議案の参院本会議での採決で、れいわ新選組の山本太郎議員が棄権したことに対して、野党支持者たちから批判がおこっているそうです。

中には、消費税廃止や奨学金の返済免除などを掲げる山本議員が、「政策の一部を実現するために、自民党と組む」のもやぶさかではないと発言したという『アエラ』のインタビュー記事を取り上げて、自民党にすり寄り、自民党と「組む」ために棄権したのではないかなどという穿った見方さえあります。しかし、それこそ「負ける」という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ(ブレイディみかこ)リベラル左派の“誇大妄想”と言うべきでしょう。

一方、山本太郎議員は、オフィシャルブログで、つぎのように棄権した理由を述べていました。

山本太郎オフィシャルブログ
棄権について

このタイミングの問責。
何の意味をもつのだろうか?
国会閉会間近の風物詩、以外にその理由は見当たらない。
(略)
事前の戦いが事実上ほぼない中で問責されても痛くも痒くもない。

事前に精一杯の戦いがあっての問責ならば、意味もあろう。

しかし残念ながら、戦っている印象を残すための儀式でしかない。
そんな儀式には参加したくないのだ。


問責決議案が否決されたことを伝えるテレビのニュースは、「否決されるのは野党も織り込み済みで・・・・」と言ってましたが、否決されるのが「織り込み済み」の問責案って、一体なんの意味があるのかと思います。要するに、国会の会期末に提出される問責決議案や内閣不信任案は、山本太郎が言うように、「私たちはこうやって抵抗しています」と野党が国民にアピールするための茶番劇にすぎないのです。

山本太郎は、野党は本気でケンカをする気がないと野党の姿勢を批判していますが、それは、55年体制のときから指摘されていた“与野党の馴れ合い”です。その“悪しき伝統”が今もつづいているのです。有権者をバカにするのもいい加減にしろという声が出て来てもおかしくないでしょう。国民不在の”与野党の馴れ合い”に与しないという山本太郎の選択は、間違ってないのです。”与野党の馴れ合い”を真に受け、山本太郎を批判する左派リベラルは、愚の骨頂と言うべきでしょう。

何度も何度もくり返しますが、今の格差社会や貧困の現実を考えるとき、大事なのは右か左ではなく上か下かなのです。政治のリアルは、右か左かではなく上か下かにあるのです。上か下かという考えに立てば、反緊縮も重要なテーマになるはずです。しかし、立憲民主党も国民民主党も、基本政策は、(自民党と同じように)財政健全化と持続可能な財政構造の確立を掲げています。本気でケンカするつもりがないのは理の当然なのです。

ブレイディみかこ氏は、『労働者階級の反乱』(光文社新書)で、EU離脱について、次のように書いていました。

(略)2016年のEU離脱投票の後、わたしも離脱派の勝利の背景には緊縮財政があると書いたのだったが、日本の多くの人々は、「欧州の危険な右傾化」と「ポピュリズムの台頭」が原因であるというところで止まってしまい、「緊縮が理由などと書くのは、右傾化した労働者階級を擁護することになり、レイシスト的だ」と苦情のメールも来た。 
 しかし、それまで気にならなかった他者を人々が急に排外し始めるときには、そういう気分にさせてしまう環境があるのであり、右傾化とポピュリズムの台頭を嘆き、労働者たちを愚民と批判するだけではなく、その現象の原因となっている環境を改善しないことには、それを止めることはできない。


さらに、こう書いていました。

 労働者がポピュリストに扇動された結果だ、とか、排外主義に走った愚かな労働者階級の愚行だ、とか、その行動や思想の是非はあるにしろ、それが「労働者階級がエスタブリッシュメントを本気でビビらせた出来事」の一つだったことは誰にも否定できないと思う。
   EU離脱投票の結果を知った朝、わたしが一番最初に思ったのは、「この国の人たちは本当にやってしまう人たちなのだ」ということだった。いいにしろ、悪いにしろ、英国の労働者階級は黙って我慢するような人たちじゃない。必ず反撃の一手に出る。


ブレイディみかこ氏が言うように、「労働者階級の意味を再定義するときが来ている」のはないでしょうか。『新・日本の階級社会』が指摘しているように、階級の問題はすぐれて今日的な問題なのです。「地べたに足をついて暮らしているすべての」人々を、右か左かではなく上か下かで定義し直す必要があるのではないか。左翼的な硬直した”労働者本隊論”ではなく、貧困を強いられ、人生の希望を失くし、人としての尊厳を奪われた下層の人々こそ、労働者階級と呼ぶべきなのです。彼らは、「忘れられた人々」なのです。保守と中道の票争いのなかで(左派が中道化しリベラル化するなかで)、土俵の外に追いやられた人々なのです。

「2千万円問題」も恵まれた人たちの話です。(中道という共通の土俵で)「2千万円」のレベルで年金問題を議論するのは、政治(野党)の欺瞞と怠慢以外のなにものでもありません。この国には、アンダークラスの人々に依拠した”下”の政党がないのです。私たちは、立憲民主党や国民民主党が野党であることの不幸をもっと知るべきでしょう。


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『左派ポピュリズムのために』
『新・日本の階級社会』
2019.06.23 Sun l 社会・メディア l top ▲
日頃、ヤフコメに対して悪態ばかり吐いていますが、最近、膝を打つような書き込みが2件ありました。まるでゴミだめに咲いている花を見つけたような気持でした。

ひとつは、講談社の女性雑誌『ViVi』と自民党のコラボのニュースに対してのコメントです。

戦前の翼賛体制下において、戦意高揚のプロパガンダに大衆雑誌が使われた歴史は、大塚英志や早川タダノリ氏の仕事によってあきらかにされていますが、権力者にとって、サブカルチャーが大衆を動員するのに恰好の”装置”であるのは言うまでもないでしょう。今回の『ViVi』のコラボと、安倍首相と吉本芸人たちとの“共演”は地続きでつながっているのです。

いずれにしても、ファッション誌そのものがこういうことをやらないと存続できない時代になっているということです。近年の凋落ぶりを見れば、何が起こっても不思議ではありません。特に『ViVi』や『JJ』『CanCam』といった、かつて大学生をターゲットとしていた雑誌は読者を失い迷走しています。インスタグラムなどのSNSにその座を奪われたファッション誌の存在意義が問われているということでしょう。


Yahoo!ニュース(ハフポスト日本版)
「ViVi」が自民党とコラボした理由は? 講談社が説明「政治的な背景や意図はまったくない」

これは、甲南女子大学教授の米澤泉氏の「オーサーコメント」です。要するに、貧すれば鈍するということなのでしょう。

講談社(大日本雄辯會講談社)は、文藝春秋社と並んで、戦前の天皇制ファシズムに随伴した代表的な戦犯出版社で、文春同様もともと権力と密通する体質(DNA)を持っている会社です。言うなれば、地が出たということなのかもしれません。

もっとも、外野から見れば、今回のコラボは末期症状の悪あがきのようにしか見えません。いづれ『ViVi』が書店の棚から姿を消すのは必至のような気がします。

もうひとつは、今夏、別府市にインターコンチネンタルホテルが開業するというニュースに対する次のようなコメントです。

別府温泉に進出は結構なことだが、集客はこの場所では難しく温泉街からは遠く周りに何も無い所、この地域の宿泊金額は低価格で2食付きがメインで外資系のスタイルでは集客むずかいいだろう、九州方面を甘く見てる、趣味でオーナー様は出店したと思われる。当分赤字続きで日本の旅館オーナーたちを敵に回して潰れると予想されます。日本の温泉地は外資系にとって甘くないです。


Yahoo!ニュース(Impress Watch)
IHG、「ANAインターコンチネンタル別府リゾート&スパ」を説明。マッサリーニ総支配人「別府に身を委ねて」

地元の人間によるコメントだと思いますが、先日も別府に帰って地元の人間たちと会った際、この話題が出ました。中には、観光業に携わる人間や公的な立場にある人間もいましたが、みんな、総じてこのコメントと同じような見解を述べていました。

ホテルができるのは、高校生のとき、耐久遠足で行った山の上です。今は高速道路が走っているので、昔より便利になりましたが、それでも温泉街の情緒とは無縁な場所です。欧米の富裕層をターゲットにしているそうですが、前に紹介した別府市の観光動態調査を見てもわかるとおり、欧米の観光客は、国別で見ると1%にも満たないのです。

外国人観光客の55%は韓国の観光客です。しかも、その多くは格安航空で来る若い観光客なのです。たしかに、外国人観光客は平成29年度を見ても、前年比33%増と増加していますが、大半は韓国をはじめとするアジアからの観光客です。欧米からの観光客は、ほとんど誤差の範囲のような数字にすぎません。しかも、北米はやや増えているものの、ヨーロッパからの観光客はこのインバウンドブームの中でも逆に減少しているのです。

さらに、別府の観光業者に衝撃が走ったという一人当たりの観光客消費額は、日帰り客で日本人が5166円、外国人が3371円。宿泊客は(宿泊料も含めて)日本人が24446円、外国人が13852円です。インターコンチネンタルホテルは、顧客を首都圏から大分までANAで運んで、専用車で空港に迎えに行き、ホテルに滞在させるという構想を描いているようですが、構想を実現させるには、このような「安い国ニッポン」の現実を凌駕する途方もないアイデアと勇気と努力が必要でしょう。

たしかに、別府の老舗ホテルは、改修資金にも事欠き、老朽化して無残な姿をさらしているところが多いのは事実です。そのため、宿泊料金も老舗ホテルほど低価格化が著しいのです。昔から別府には企業の保養所や別荘などがあった関係で、富裕層をターゲットにした高級旅館も数多く存在していました。しかし、それら高級旅館も、日本経済の停滞とともにどこも苦境に陥り、多くは既に廃業したり人出に渡っています。また、別府の代表的な観光ホテルの杉乃井ホテルは2008年オリックスに、城島高原ホテルは1984年後楽園に、亀の井ホテルは紆余曲折を経て20014年にホテルマイステイズ(旧ウィークリーマンション東京)に、それぞれ営業権が譲渡されています。

一方で、そんな間隙をぬって、インバウンド需要を狙い、韓国や中国の資本、あるいはアパや大江戸温泉物語などが買収攻勢をかけ、(看板はそのままですが)既に至るところに進出しています。それは、風俗も然りで、ソープランド事情に詳しい人間の話では、大半は福岡や関西など県外の業者が経営しているそうです。しかも、半分近くはフロント企業だという話さえあります。

地元の人間には、「国際観光温泉文化都市」の幻想なんてとっくにないのです(と言うか、最初からなかった)。別府や湯布院の観光の基を築いたと言われる油屋熊八翁(亀の井ホテルの創業者)もそうですが、もともと別府はよそから来た人間や資本によって開発された観光地であり、県外資本が進出しては撤退して行くのもめずらしい話ではないのです。地元の人間たちが、インターコンチネンタルホテルの壮大な構想を冷めた目で見るのも、ゆえなきことではないのです。


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日本は「買われる国」
『誰がアパレルを殺すのか』
2019.06.13 Thu l 社会・メディア l top ▲
今更の感はありますが、田中龍作ジャーナルが、消費税増税に関する立憲・国民民主の姿勢について、次のような辛辣な記事をアップしていました。

田中龍作ジャーナル
立憲と国民民主が「消費税減税」を言えない理由 カギは庶民の生き血啜る連合

 野党第一党の立憲と第二党の国民民主が、経団連の手先となって我々庶民の生き血を啜っていることが、白日の下にさらけ出された。


 立憲と国民民主に投票することは、有権者が自分で自分の首を絞めるに等しい。


このブログでも何度も書いていますが、立憲民主党や国民民主党と自民党にどれほどの違いがあるのか、私にはわかりません。それどころか、旧民主党(民進党)の彼らは、ただ自民党を勝たせるためだけに存在しているようにしか思えません。それほどまでにあの(悪夢のような)民主党政権は、トラウマになっているのです。

国民民主党の玉木雄一郎代表は、先日の夕刊フジの「単独インタビュー」で、次のように語っていました。

「われわれは『中道保守』を目指している。内政では、自由主義や自己責任よりも格差是正に重点を置きつつ、外交・安全保障では現実路線を採用する。例えば、安保法制廃止とセットで、領域警備法案やPKO(国連平和維持活動)法改正案を提出した。これは南西諸島に他国の武装集団が上陸したとき、警察や海上保安庁だけでは対処できないからだ」


zakzak(夕刊フジ)
国民民主党・玉木雄一郎代表インタビュー! 「『中道保守』政党を目指す」「小沢氏は『政権交代実現担当』として不可欠」

これを読むと、国民民主党が安保法制に反対した理由がわからなくなってきます。別に、反対する必要はなかったんじゃないかと思えてきます。一事が万事この調子なのです。「中道」というのは便利なことばで、「保守」と言ったら自民党と同じになってしまうので、「中道」ということばをくっつけて違いを見せているだけなのかもしれません。

先日も都内の地下鉄の駅前で、立憲民主党の幟を立てた参院選の候補予定者が演説をしていました。彼は、消費税増税に際して、この国が貯め込んでいる2千兆円のお金(国民の金融資産と企業の内部留保)を低所得者対策に使うべきだと主張していました。私は、増税の代わりに2千兆円のお金を当てればいいという話なのかと思いましたが、そうではなく、あくまで増税が前提の話なのでした。同じ増税派でも、私たちには”救済策”がありますと言いたいのかもしれませんが、なんだか子供だましのような話で、苦しい言い逃れとしか思えません。それで支持を得ようと本気で思っているのなら、おめでたいと言うしかないでしょう。

憲法改正においても、彼らと自民党にそんなに違いはないのです。立憲民主党も、憲法改正は安倍政権下では認めないと言っているだけで、山尾志桜里議員の発言を見てもわかるとおり、改正自体には反対していないのです。要するに、立憲民主党や国民民主党は、たまたま野党の立場に置かれているので、野党のふりをしているだけなのです。

もちろん、そこには、記事にあるように、スポンサーである連合の意向がはたらいているのは言うまでもありません。連合は、旧総評と旧同盟が合体したナショナルセンターですが、指導部は旧同盟系の活動家たちによって掌握されています。日本会議の”加入戦術”ではないですが、連合には旧同盟(旧民社党)の右派労働運動のエートスが受け継がれ、今回の消費税増税要請に見られるように、労使協調の翼賛運動に換骨奪胎されたのです。それが、連合誕生の際、労働戦線の「右翼的再編」と言われたゆえんです。

一方で、田中龍作ジャーナルは、「だから期待できるのは共産党だけ」と言いたげですが、本当の野党は我が党だけという共産党のプロパガンダもまた、とっくに失効した“古い政治”にすぎません。そういった幻想に寄りかかっている限り、田中龍作ジャーナルは”古い政治”の狂言回しの役割から脱することはできないでしょう。

選挙に行かないやつはバカだ。選挙に行かないのは、自公政権に白紙委任するようなものだ。そんなおなじみの声がありますが、むしろ選挙は茶番ではないのかと思います。私たちの前にあるのは、シャンタル・ムフが言う「中道での合意」によって招来された「ポスト政治的状況」です。選挙は、そのコップのなかの選択にすぎないのです。どこかの誰かが言っていたように、カレーライスが好きか、ライスカレーが好きか、どっちかを選べと言われているようなものです。その欺瞞性を問わずに、「民主主義の危機」なんてお題目(常套句)をいくら唱えても、なにも変わらないでしょう。

小沢一郎氏は、「このままでは野党は全滅だ」と言ってましたが、全滅すればいいのだと思います。もうそこからやり直すしかないのではないか。


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民主党政権は悪夢だった
『左派ポピュリズムのために』
積極的投票拒否の思想
2019.06.05 Wed l 社会・メディア l top ▲
トランプ相撲


これは、ネットで拾った画像です。三人(実際は頭にメガネを乗せている左端の男性を入れて四人)のなかのひとりは、ブログで、トランプ大統領と遭遇したのは偶然だったと書いていました。しかし、テレビ中継では、相撲観戦を終えて帰る際、安倍総理がわざわざトランプ大統領を呼び止め、三人に引き合わせたように見えました。

三人は、誰もが知っている親安倍の右派文化人です。自他ともに認める「愛国」者です。しかし、この日の三人は、まるでアイドルに握手を求めるファンのようでした。真ん中の女性に至っては、感極まったような顔をしています。

私は、この画像を見て、『永続敗戦論』の次の文章を思い浮かべたのでした。

(略)第二次安倍内閣において内閣官房参与に任命された元外務事務次官の竹内正太郎に至っては、米日の関係を「騎士と馬」に擬えている。ここまで来ると、彼らの姿はSF小説『家畜人ヤプー』のなかの「ヤプー=日本人」そのものである。


SM雑誌の『奇譚クラブ』に連載された『家畜人ヤプー』は、右翼の反発を受け、出版元へのテロまでひき起こしたのですが、そんななかで、三島由紀夫はこの小説を高く評価したのでした。

トランプに握手を求める三人の表情も、「アメリカを背中に乗せて走る馬になりたい」と考えている倒錯者のそれのようです。彼らには、アメリカなしの日本なんて考えられないのでしょう。

これがこの国の「愛国」者の姿なのです。そこには、見事なまでに「愛国」と「売国」が逆さまになった「戦後の背理」が映し出されているのでした。彼らが依拠するのは、“対米従属「愛国」主義”とも言うべき歪んだ従属思想にすぎないのです。三島由紀夫は、愛国心ということばは(わざとらしくて)嫌いだと言ったのですが、その気持がわかる気がします。

きっこは、今回の”接待外交”について、次のようにツイートしていました。



きっこが言うように、ドナルド・トランプのふるまいは、まるで宗主国の大統領のようでした。トランプ来日で私たちの目に映ったのは、アメリカに対して、哀しいまでに卑屈になって媚びへつらうこの国の姿でした。そして、そこには、犠牲を強いた国民を見捨て、戦争に負けた責任に頬被りして、いち早く”昨日の敵”にすり寄っていった戦争指導者たちの姿が二重写しになっているのです。しかも、トランプの太鼓持ちを演じた宰相は、その戦争指導者の孫なのです。これは決して偶然ではないでしょう。


関連記事:
『永続敗戦論』
『宰相A』
2019.05.28 Tue l 社会・メディア l top ▲
最近の小室圭さんに関する“文春砲”には目に余るものがあります。ネタが枯渇したので、無理してネタにしている感さえあります。反論できないことをいいことに、書きたい放題なのです。

文春オンライン
小室圭さん同級生が初めて語る「父親の死と“おじさん”の登場が彼を変えた」

秋篠宮家の長女・眞子さま(27)との結婚問題が国民的な議論となっている小室圭氏(27)。もし結婚が成立した場合、小室氏は悠仁さまの義兄となり、将来は“天皇の兄”という特別な立場になる。これが令和皇室における重要問題であることは論を俟たない。


フジサンケイグループのFNNニュースや夕刊フジも、女性宮家が創設されたら、小室圭さんには「殿下」の称号が与えられ、年間4500万円の血税(皇族費)が支給されるというような話を流していましたが、まったく悪意ある記事としか言いようがありません。

発端となった小室圭さんのお母さんと元婚約者の400万円だかの”金銭トラブル”も然りです。先日のワイドショーでも、「小室さん側の弁護士は相手の弁護士と接触して、どうして解決しようとしないんですかね?」とコメンテーターたちが首をひねっていましたが(たかが400万円のはした金なのにと言わんばかりに)、彼らはなんにもわかってないんだなと思いました。

相手の元婚約者の「代理人」は、弁護士ではなくフリーライターで、弁護士には依頼してないのです。弁護士に相談したら、返還を求めるのは法的には無理だと言われたという話さえあります(素人考えでもそうでしょう)。接触を避けている(拒んでいる)と言われており、どうやら接触しようにも接触できないのが真相のようです。

デヴィ夫人が言うように、”金銭トラブル”は小室圭さんと眞子さんの婚約が発表されてから表沙汰になったのですが、別に係争案件ではないので、当人たちが口外しない限り公になることはなかったはずです。つまり、”小室バッシング”の発端になった借金問題は、元婚約者がみずからメディアに流して発覚した(わざと表沙汰にした)のです。タイミングから見ても、多分に嫌がらせの側面もあるように思えてなりません。昔から老いらくの恋を七つ下がりの雨などと言いますが、お母さんに対する未練がこういった行為に向かわせているのではないかと勘繰りたくなります。元婚約者に対して、ストーカーということばが出て来ないのが不思議でなりません。

そもそも元婚約者がどういう人物なのか、不思議なことに一切メディアには出て来ないのです。直撃取材どころか、周辺取材すらないのです。「代理人」のメディア対策が功を奏しているのか、ただ元婚約者の言い分を一方的に伝え、立場上反論できないことをいいことに、小室親子がとんでもなく腹黒い人物のように言い立てるのでした。

また、Yahoo!ニュースも、代替わりに伴い、眞子さんが秋篠宮ご夫妻から引き継いで「みどりの祭典」に出席したなどという、どうでもいいような記事をヤフトピに掲載していました。すると、案の定、「もし本当に小室さんと結婚するのなら持参金辞退は当然と思う」「男を見る目がない」「眞子さんには公務などして欲しくないです。見るのも嫌です」「今の状況で、よく人の前に出て来れるなと思います」「みどりの式典の関係者はこの人が来てくれて喜んだの?」などと“不敬な”書き込みが殺到したのでした。

バズることを狙ったYahoo!ニュースにしてみれば、してやったりという感じなのかもしれません。

Yahoo!ニュース
眞子さま、みどりの式典に 秋篠宮ご夫妻から引き継ぐ

以前、週刊誌に、佳子さんが御所近くのコンビニで、iTunesカードなどを買物したという記事が出ていましたが、皇族と言えども彼女たちが今どきの若い女性であることには変わりがないのです。iPhoneで音楽を聴いたり、SNSをチェックしたりしているのでしょう。もしかしたらエゴサーチしているかもしれません。もちろん、記者会見のときのような、あんな喋り方を普段しているわけがないのです。

小室圭さんと眞子さんが横浜でデートした際、帰りの東横線の車内で、お互いのスマホを見せ合いながら「マーちゃんの写真も見せてよ」「ブスだから嫌だぁ~」というような会話があったという記事がありましたが、それが普通でしょう。

また、佳子さんがダンスを習っていることに対しても、皇族なら他にやることがあるだろうみたいな批判の声が多くありますが、なんだか「税金」「カゴの鳥」」という、衆愚たちの”不敬”且つ不遜な本音が垣間見えるようです。

しかし、ここまで悪意を持って書かれると、姉妹の間で「もう皇族なんて嫌だ」「なんであんな風に言われなきゃならないの」というような会話が存在しても不思議ではないでしょう。

若い世代になればなるほど、天皇制が時代にそぐわなくなっているのはたしかで、眞子さんや佳子さん本人だけでなく、彼女たちに対する中傷もその表れと見えないこともありません。それは、メディアの世論調査では伺えない皇室観です。皇族を見る目が、若い世代ほど、「オレたちが税金で」と言わんばかりの上から目線になっているのです。かように開かれた皇室=象徴天皇制は両刃の剣でもあるのです。だから、保守派は危機感を募らせ、神聖にして冒すべからずの皇室の再興(=戦前回帰)を目論んでいるのかもしれません。もちろん、支配権力にとって、その方が都合がいいからでしょう。


関連記事:
デヴィ夫人の「提言」
小室さんバッシングのおぞましさ
2019.05.12 Sun l 社会・メディア l top ▲
今日、Yahoo!ニュースに転載されていたデヴィ夫人の「提言」「貧しさは罪悪ではない」には、思わず拍手を送りたくなりました。

Yahoo!ニュース
女性自身
小室圭さん問題にデヴィ夫人が提言「貧しさは罪悪ではない」

デヴィ夫人は言います。

小室さんの母・佳代さんは、ご主人を亡くして母子家庭となっても、洋菓子店などのパートを掛け持ち。圭さんにバイオリンを習わせ、授業料の高いインターナショナルスクールに通わせ、ICU(国際基督教大学)にも入学させました。

そんなけなげな佳代さんを愛して婚約までしたのなら、一人息子である圭さんの留学費用くらい出すのは当然のこと。それなのに匿名で「何月何日にいくら貸した」「何日にいくら銀行に振り込んだ」と409万円の内訳を喋りまくるX氏には、憤りを覚えました。(略)

マスコミはそんなX氏をとがめるどころか、言い分をそのまま連日のように報道する一方で、母子家庭である小室家の貧困さを書き立てました。婚約解消時ではなく、5年後の小室さんの婚約発表後に表沙汰にするとは悪意を感じます。


佳代さんのご主人とその父が自殺している、怪しげな新興宗教を信仰している、などとセンセーショナルに取り上げられましたが、はたしてそれらは責められるべきことでしょうか?


こういった正論が正論として通用しないのは、メディアや大衆に、身分制の幻影を求めるような特異な皇室観があるからでしょう。言うまでもなく、それは差別と対になったものです。

前の記事で紹介した『感情天皇論』の中で、大塚英志は、近代について、次のように書いていました。

近代とは他人に覗き込むことのできない「心」があることを発見してしまった時代である。だから他者としての殺人者の動機、つまり「心」を説明する探偵小説が近代小説の先駆けとして登場するのだ。このように近代とは、誰かといることの不穏に、誰もが耐えなくてはいけない時代だ。この不穏さが「他者」だと言える。


しかし、天皇には「他者」がいません。大塚英志ならずとも、そこには「近代」が存在しないことは誰が見てもあきらかでしょう。

代替わりについて、メディアで発言していた識者たちも、ただの藩屏でしかないことがよくわかりました。日本政治思想史の研究者で、「近現代の天皇・皇室・神道の研究を専門とする」原武史氏の朝日新聞のインタビュー記事も例外ではありません。本人はそう思ってないようですが、私たちの目には“令和フィーバー”の太鼓持ちのひとりにしか見えませんでした。

朝日新聞デジタル
「ひざまずいた天皇、令和で鍵握るのは?」 原武史教授

そんな中で、4月30日に放送されたNHKスペシャル「日本人と天皇」が、天皇制の「不都合な真実」を伝えていたと評判になっています。私も観ましたが、代替わりに際して天皇制とは何かを考えさせられる番組でした。

Yahoo!ニュース
改元特番でNHKだけが伝えた”不都合な真実”(水島宏明)

小泉内閣のとき、皇室典範に関する有識者会議が発足し、「女性・女系天皇」を容認するかどうか、議論をはじめたのですが、その中で、意外な(というか私たちにはショッキングな)事実がわかったそうです。

 これまでの125代におよぶ天皇のうち、約半分が「側室」(第2夫人、第3夫人など)の子と見られているという。戦後は「側室」という制度はない。過去400年間では側室の子どもではない天皇は109代の明正天皇、124代の昭和天皇、125代の前天皇(今の上皇陛下)の3人のみで、側室の制度がない現在においては「男系」の伝統の維持は難しいという声が多くの委員が認識したという。


「高貴な血」は、こうして継承されていたのです。古代オリエント史の研究者で、「碩学」と言われた三笠宮崇仁親王(昭和天皇の末弟)は、戦後、華族制度が廃止されたことについて、「天皇制の外堀が埋められた」と言ったそうですが、それは華族制度が男子皇族の正室だけでなく、側室の"供給元"と見なされていたからではないでしょうか。万世一系の幻想に支えられた天皇制が、時代と乖離していくのは当然と言えば当然なのです。

以前、「オウムは生きている」という記事の中で、皇室の「伝統」について、私は次のように書きました。僭越ながら引用します。

『天皇と儒教思想』(小島敦著・光文社新書)によれば、メディアによく取り上げられる「田植え」や「養蚕」など皇室の恒例行事も、明治以後にはじまったものが多いそうです。来年、天皇の生前退位により新しい元号に変わりますが、「一世一元」の原則も明治以後にはじまったのだとか。皇室の宗教も、奈良時代から江戸時代までは仏教だったそうです。皇室=神道という「伝統」も、明治以後に創られたイメージなのです。また、皇室に伝わる祭祀などは、中国の儒教思想から借用された「儒式借用」のものが多いそうです。

要するに、明治維新による近代国家(国民国家)の成立に際して、国民統合のために、皇室を中心とする「日本の伝統」が必要とされたのでしょう。そうやって(偽史運動によって)”国民意識”が創出され、”日本”という「想像の共同体」が仮構されたのです。(引用終わり)

「女性・女系天皇」の容認も、創られた「伝統」にさらに屋上屋を架すようなものでしょう。しかし、そのように指摘する識者は皆無でした。そして、眞子さんの”自由恋愛”こそ、創られた「伝統」の対極にあるものと言えるのです。


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天皇の代替わりに伴い、あと四日で元号が「平成」から「令和」に変わりますが、最近は西暦を使用することが定着していますので、個人的には「昭和」から「平成」に変わるときほどの感慨はありません。先日、ラジオを聴いていたら、パーソナリティの女性が「もう平成も残り少なくなりましたので、平成のうちに会いたい人に会いに行きたいと思っています」と言っていましたが、かように改元にまつわるメディアの狂騒はバカバカしいの一語に尽きます。

今回の生前退位について、大塚英志は、最新刊『感情天皇論』(ちくま新書)で、次のように書いていました(以下、引用は全て同書)。

(略)今回の退位に最も問題があったとぼくが考えるのは、「国民の総意」でこれからも天皇を退位させられる前例ができたことだ。今や左派がリベラルな天皇を以て政権の暴挙を牽制しようとしているが、こういう二重権力は、パブリックなものの形成を損なうだけでなく、世論の形を借りて政権の気に入らない天皇を退位させることを可能にする。権力の暴走阻止は三権分立の仕組みと選挙によってのみなされるべきである。天皇という三権の外側に権力の抑止機能を求めてはいけない。
「お気持ち」を世論が忖度しての退位は、天皇の最悪の政権利用の余地をつくってしまった。


また、「お気持ち」についても、次のように書いていました。

 彼の訴えたかったことは、象徴天皇制のあり方の表明とその制度化であった。つまり国事行為以外に「感情労働」が象徴天皇の「機能」であり、そして、その「機能」を高齢となった自分が果たせないなら「機能」の継続性を担保するために、退位を制度化してほしいという、「象徴天皇制の継続性を担保する制度化」が彼の主張だった。


とどのつまりは、「感情による国民統合」(=象徴天皇制)をどう考えるかでしょう。自民党の憲法改正草案が目指す、戦前型の元首化よりまだ「マシ」と考えるのか。

大塚英志も『感情天皇論』の中で指摘していましたが、リテラなどに代表される多くの左派リベラルは「マシ」と考えているようです。彼らは、戦後的価値を保守する現天皇と戦後レジームからの脱却を目論む安倍政権が対立しているかのように主張します。しかし、その”片恋”にどれほどの意味があるというのでしょうか。

 リベラル派はかつて戦争責任を昭和天皇に求めたことを忘れたかのように、今は明仁天皇を戦後憲法的な平和主義の象徴と見なす。しかし、戦後民主主義を天皇に託すことが正しいとはぼくには思えない。(略)戦後憲法について考え、実践し、考えを示すことを天皇に託してしまうことは主権者としての判断停止であると考える。


これは、至極真っ当な意見です。

大塚英志は、「『近代』とは人に等しく『個人たれ』という抑圧としてあり、同時にそのサボタージュの精神史としてある」と書いていましたが、まさに天皇制は、そのサボタージュする装置として存在していると言えるでしょう。

また、いわゆる「不敬文学」なるものが、天皇をはじめとする皇室の人間たちを「個人たれ」と描いている(描こうと試みている)というのは、そのとおりでしょう。

一方で、「感情労働」としての象徴天皇制は、「天皇ってカワイイ」と言う女子高生に象徴されるように、アイドルまがいに消費される対象にすらなっており、天皇制を権威付ける神道由来の「神秘性」は後景に退いています。保守派にはそれが天皇制の危機と映っているのかもしれません。自民党の元首案も、そういった危機意識の表れなのかもしれません。でも、見方によっては、「天皇ってカワイイ」というのは象徴天皇制の”あるべき姿”と言えないこともないのです。

戦争責任という側面でしか天皇制を捉えてこなかった左派リベラルが、戦争犠牲者を慰霊し平和を希求する(そういった「感情労働」をみずからの「務め」とする)今の象徴天皇制の前ではただ現状を追認することしかできないのは、当然と言えば当然です。と言うか、今や左派リベラルが象徴天皇制の最大の擁護者になっていると言っても過言ではないでしょう。山本太郎参院議員が2013年に園遊会に出席した際、天皇に原発事故の現状を訴える手紙(上奏文?)を渡した”事件”がありましたが、左派リベラルこそ誰よりも天皇の政治利用を目論んでいると言えなくもないのです。

戦後74年が経ち、天皇制はここまで「倒錯」した存在になっているのです。でも、それが象徴天皇制の本質なのです。大塚英志風に言えば、そうやって「象徴天皇制の継続性」が担保されるのです。

「天皇が国家の象徴などと言う言い分は、もう半世紀すれば、彼が現人神だと言う言い分と同じ笑止で理の通らぬたわごとだと言うことになる、と言うより問題にもされなくなる、と僕は信じる」と大塚英志は書いていましたが、それはあまりに楽観的すぎると言わねばなりません。


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2019.04.26 Fri l 社会・メディア l top ▲
12日に行われた東大の入学式で、同大名誉教授の上野千鶴子氏が祝辞を述べたそうですが、その全文が朝日新聞デジタルに掲載されていました。

朝日新聞デジタル
東大生と言えない訳 上野千鶴子氏が新入生に伝えたこと

上野氏は、次のように述べていました。

 あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。

 そして、がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日、「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

 世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと……たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

 あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶(おとし)めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。


既にいろんなところで指摘されていますが、収入格差がそのまま教育格差につながっている現実があります。フェミニストの上野氏は男女差にウエイトを置いて話したようですが、男女差だけでなく貧富の差においても、「報われない社会」になっているのです。

ネットには次のような表がありました。これは、東大生の家庭の世帯年収の割合(2016年)を表にしたものです。

東大生世帯年収
※出典
年収ガイド
東大生の親の年収データ

表について、記事は次のように書いていました。

パーセンテージのみの数値で、具体的な金額が出ていないため確実な数字とは言えませんが、世帯年収で1000万円以上が平均になることは上の表から間違いないでしょう。
(略)
こちら(世帯の平均年収・所得)のデータでは、「児童のいる世帯」の平均所得は約700万円です。
この数字と比べると東大生の平均が約300万円以上も上回っていることがわかります。
以前から言われていることですが、やはり経済力と学力には相関関係があることが見て取れます。


ちなみに、世帯年収が1000万円以上の家庭の割合は、2016年で13.2%です。巷間言われるように、東大生は裕福な家庭の子弟が多いというのは、否定すべくもない事実なのです。

でも、それは意外な話ではありません。東大に行くには、幼少期から多大な教育投資が必要です。経済的に余裕がなければ、その資金も捻出できないのです。

一方で、日本社会も既に階層の固定化がはじまっており、東大生の親たちも高学歴で、大手企業や官庁の管理職が多いというデータもあります。それが「教育熱心」と「経済的な余裕」の背景なのでしょう。

東大生の出身地の割合を見ると、2018年度では関東出身者が59.7%(東京37.5%)を占めています。もっとも、早稲田や慶応はもっと偏っており、同じ2018年度で、早稲田が76.91%(東京37.99%)、慶応が77.0%(同41.22%)です。

東大研究室
合格者の出身地割合
慶大塾
慶應義塾大学 出身地区別志願者・合格者数
早大塾
早稲田大学 出身地区別志願者・合格者数

全国学力テストの結果などを見ると、義務教育時の学力は「地方の方が上」だそうです。しかし、その後の地域環境や教育投資の多寡によって進学先に差がついてしまうのです。

もとより地方では、今は進学も地元志向が主流になっています。それは、子どもを都会の大学に通わせるほど親の経済的な余裕がなくなったからです。

前も書きましたが、私は九州のそれなりの公立高校に通いましたが(私自身も中学を卒業すると親元を離れ、まちの学校に越境入学したのでした)、当時、東京の大学に進んだ同級生は100名以上いました(今でも50~60名の同級生が関東に居住しています)。しかし、現在、母校で東京の大学に進むのは10名もいません。

教育格差は、上の学校に行くかどうかというレベルだけでなく、こういった(目に見えない)部分でも広がっているのです。”上京物語”も今や昔の話なのです。

上野氏によれば、東大生ひとりに対して4年間で500万円の「国費」が投じられているそうです。こうやって教育においても、格差の世代連鎖が進むのです。

この冷酷な(としか言いようのない)現実を考えるとき、「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」という上野千鶴子氏のことばも、なんだかむなしく響いてくるような気がしないでもありません。


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上野千鶴子氏の発言
『女性たちの貧困』
貧すれば鈍す
2019.04.12 Fri l 社会・メディア l top ▲
昨日、フジテレビの番組で、三十九歳でモデルデビューするために北海道から上京してきた女性のドキュメンタリーをやっていました。

そのなかで、女性が中国のファッション雑誌の専属モデルのオーディションを受けるシーンがありました。オーディションには全国から四千七百人の応募があったそうです。五次審査まであり、女性は三次審査で落ちたのですが、驚いたのは、一次と二次の審査を日本人スタッフが請け負ってやっていたことです(三次審査は中国の審査員も加わり日中合同でやっていた)。

テレビのワイドショーなどでは、相も変わらずデーブ・スペクターの会社などが提供する、中国が如何に野蛮で遅れた国かというような動画を流して優越感に浸っていますが、今や雑誌のモデル募集でも中国が日本に依頼し、日本が下請けになっている現実があるのです。もちろん、モデルやタレントを志す人間にとっても、巨大な中国市場は魅力でしょう。さらにその背後には、汎アジアの市場も控えているのです。

中国は野蛮な遅れた国であると自演乙している間に、既に中国は日本を飲み込むほどの大国になっていたのです。

HUAWEIの問題も、5G (次世代通信システム)をめぐるアメリカと中国の覇権争いが背景にあるのはあきらかで、日本政府の口真似でHUAWEIはヤバいなどと言っているのは、それこそトンチンカンの極みと言うべきでしょう。5Gが巷間言われているように、世界を制するような圧倒的なイノベーションを持つものかどうか、私にはわかりませんが、この米中対立が意味しているのは、世界の覇権を裏付けるものが軍事力から情報技術に代わったということでしょう。ここにもアメリカが超大国の座から転落する(そして、世界が多極化する)あらたな歴史の流れが表れているように思います。

千代田区で不動産関係の仕事をしている知人の話では、番町あたりの高級マンションの三分の一は中国人に買われているそうです。なかでも、最上階や角部屋などの高い部屋は、ほとんど中国人に買い占められていると言っていました。

中国人観光客のマナーが悪いのは事実ですが、ただ、彼らが既に私たちより豊かな生活をしているのもまた事実なのです。でも、多くの日本人はそれを認めようとしません。認めたくないのでしょう。中国は野蛮で遅れた国だと自演乙することで、現実から目を反らしているだけです。

もちろん、中国にも深刻な格差があるのは言うまでもありません。しかし、先進国で最悪の格差社会を招来し、生活保護の基準以下で生活する国民が二千万人もいるような国が、よその国の格差を云々する資格があるのかと思います。生活保護の捕捉率が10%台というのは、OECD加盟国のなかでも際立って低い数字で、日本は社会保障後進国なのです。

中国だけではありません。キャッチアップしたアジアの国々には、(格差という影を背負いながら)既に膨大な中間層が誕生しているのです。

地方の観光地では、そんなアジアからの観光客に依存する傾向がますます強くなっています。「アジアの観光客はマナーが悪くて迷惑だ」と言いながら、心のなかでは揉み手しながら彼らを熱烈歓迎しているのです。

地元の別府市観光課が発表した平成二十九年度の観光動態調査によれば、別府を訪れる外国人観光客の80%以上はアジアからの観光客です。

外国人観光客のベスト10(平成二十九年度)
1 韓国 55.2%(329680人)
2 台湾 15.0%(89664人)
3 香港 10.55%(62598人)
4 中国 8.4%(50447人)
5 タイ3.1%(18778人)
6 シンガポール1.3%(7707人)
7 アメリカ 0.9%(5129人)
8 フランス 0.5%(2696人)
9 オーストラリア 0.4%(2375人)
10 マレーシア 0.4%(2310人)
平成二十九年度別府市観光動態調査要覧に基づいて編集

韓国からの観光客が多いのは、大分とソウルの間に、韓国の格安航空が就航しているからですが(だから若い観光客が多い)、これを見ると、「YOUは何しに日本へ?」の主役である欧米からの観光客は数パーセントにすぎないことがわかります。ちなみに、日本全体でも、アジアからの観光客が70%以上を占め、欧米からの観光客は10%程度です。

一方で、中国などの富裕層は、既に日本に興味を失くしているという話もあります。中国の都市部に住んでいる人たちは、上海や北京などの発展ぶりを知っているので、東京が逆に色あせて見えるのだとか。

今、日本を訪れているのは、経済発展で新しく中間層になった人々ですが(だからマナーが悪いのでしょう)、彼らも、やがて日本に対する興味を失っていく懸念はあるでしょう。日本の観光地は、外国のそれに比べればスケールも小さくショボいところばかりです。それに、なにより”日本的”なるものが、実は中国大陸や朝鮮半島にルーツがあることを彼らがいちばんよく知っているからです。一巡すれば、爆買いの例が示すように、訪日客が下降線を辿りはじめる可能性もないとは言えないでしょう。

今や日本は「買われる国」なのです。テレビ東京の「ニッポン行きたい人応援団」が吹聴するような「あこがれの国」ではありません。中国や韓国の男たちの間では、日本行きの”買春ツアー”が密かなブームだそうです。吉原のソープも、外国人観光客で持っているという話さえあるくらいです(別府のソープもそう言われています)。

秋葉原を訪れる外国人観光客のなかには、欧米に比べて規制が緩い児童ポルノが目当ての人間も多いというのは前から指摘されていました。アイドルやアニメも、ペドフィリア(小児性愛)の対象として見られているのです。それが「クールジャパン」の実態なのです。「YOUは何しに日本へ?」は、そんなペドファイル(小児性愛者)やその予備軍をオモロイ「おたくYOU」として取り上げているのです。

そのうち歌舞伎町のホストクラブも、アジアの国々の有閑マダムたちに占領されるかもしれません。実際に、派遣型風俗店のなかには、外国人観光客に特化した店もあるそうです。なんだかひと昔前の”妓生(キーセン)観光”のようですが、それが訪日客増加のもうひとつの顔でもあるのです。

先日、「東京の二十代の女性に梅毒が急増」というニュースがありましたが、どうして東京だけがと不思議に思いました。ところが、その多くが風俗で働く(それこそ外国人観光客に買われる)女性たちなのだという話を聞いて、さもありなんと思いました。それも訪日客増加の副産物と言えるのかもしれません。

何度もくり返しますが、アメリカが超大国の座から転落して、世界が多極化するのは間違いないのです。トランプ政権の外交政策などを見ても、その流れが一層鮮明になっています。そして、中国がアジアの盟主になるのも避けられない流れです。しかし、ここに至ってもなお、多くの日本人はその現実を見ようとしません。そこには、「日本は侵略などしていない」「南京大虐殺は幻だ」「従軍慰安婦なんて存在しない」などという、”過去の栄光”にすがる歪んだ歴史観が伏在しているからでしょう。現実を直視できなくて、どうして対抗したり競争したりできるでしょうか。これでは、日本が世界に誇るのが百均の商品と児童ポルノとセックス産業だけということにもなりかねないでしょう。


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2019.03.11 Mon l 社会・メディア l top ▲
少し前の話ですが、安倍首相が二月十日の自民党大会で、「悪夢のような民主党政権」と発言したことについて、民主党政権時代に副総理や外相などを務めた岡田克也氏(元民主党・元民進党代表)が、衆院予算委の質疑で、発言を撤回するよう求め、撤回を拒否する安倍首相との間で感情的な応酬が行われたと話題になりました。ちなみに、私も、安倍首相とは別の意味で、民主党政権は悪夢だったと思っている人間のひとりです。

安倍首相は、岡田氏の撤回要求に「では、なぜ、民主党という名前を変えたんですか」と“反論”したそうですが、岡田氏は痛いところを突かれたと言えるでしょう。名前を変えても中身(顔触れ)は変わらないのです。

政権交代への期待と裏切り。それを考えれば、厚顔無恥ということばしか思い浮かびません。立憲民主党の枝野代表の「政権奪還」宣言なんて、誇大妄想もいいところでしょう。有権者を舐めんなよと言いたくなります。

シャンタル・ムフは、『左派ポピュリズムのために』で、つぎのように書いていました。

政治の対抗モデルと左 ‐ 右の対立を時代遅れだと主張し、中道右派と中道左派の「中道での合意」を歓迎することで、いわゆる「ラジカルな中道」は専門家(引用者:“テクノクラシー”とルビ)支配による政治形態を進めることになった。この考え方によれば、政治とは党派対立ではなく、公共の事柄を中立的にマネジメントすることとされたのだ。
(『左派ポピュリズムのために』)


シャンタル・ムフは、これを「ポスト政治的状況」と呼んでいます。

 結果として、市民がそれを通じて政治決定に影響を与える議会や諸機関の役割は劇的に後退してしまった。選挙はもはや、伝統的な「統治を担う諸政党」を通して、真の代替案(引用者:”オルタナティヴ”とルビ)を選択する機会にはなりえない。ポスト政治的な状況においては、中道右派政党と中道左派政党の二大政党的な政権交代しか起こらない。「中道での合意」や新自由主義的なグローバル化以外に選択肢はないという教義に反対する者はすべて、「過激主義者」と表現するか「ポピュリスト」であるとして、政治にかかわるべきではないとされたのだ。
(同上)


『左派ポピュリズムのために』の帯にある「少数支配(オリガーキー)」とは、こういうことです。

「野党が政権を取ってもなにも変わらない」という巷の声は真実を突いているのです。事実、民主党が政権を取ってもなにも変わりませんでした。自民党政権と五十歩百歩でした。政権交代が可能な二大政党制の導入を旗印に、労働戦線の右翼的再編と軌を一にして誕生した民主党は、文字通りシャンタル・ムフが言う「ポスト政治的状況」を招来する役割を担っていたのです。それが、私にとって、民主党政権が悪夢であった所以です。

シャンタル・ムフは、党派性は政治の本質であり、そのことを再肯定する必要があると言っていました。党派性を否定する政治は、政治ではなく、「少数支配」を前提とした「マネジメント」にすぎないのです。


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2019.02.26 Tue l 社会・メディア l top ▲
千葉県野田市の10歳の女児が父親から虐待を受けて死亡した事件では、母親の両親から家庭内暴力の相談を受けていたにもかかわらず、女児から聴取することもなく「虐待はない」と判断して事態を放置した糸満市の教育委員会や、父親の暴力を具体的に記述し「先生、どうにかなりませんか」と訴えた女児のアンケート用紙をあろうことか父親に渡した野田市の教育委員会や、父親に強制的に書かされた女児の書面が嘘だとわかっていながら、それを根拠に一時保護を解除して家に戻す判断をした柏市の児童相談所など、またしても行政のずさんな対応が問題になっています。

こういった事ずさんな対応は、子どもの虐待やいじめによる自殺が起きるたびにくり返し指摘されていたことです。ずさんな対応の背景に、児童相談所の人員不足や行政の縦割り意識があるという識者の意見も、いつものことです。そもそも人が足りないというのは、なにか問題が起きると決まって出てくる役所の常套句です。しかし、そんなことを百万遍くり返しても、虐待事件はなくならないでしょうし、学校や教育委員会や児童相談所のずさんな対応もなくならないでしょう。

たしかに、公権力が個人のプライバシーに介入することのむずかしさはあるでしょう。しかし、結果として子どもの命が奪われたのです。どうして関係機関が機能しないのか、どうして同じことがくり返されるのか、ということをもっと真面目に且つ深刻に考える必要があるでしょう。でも、メディアや識者には、そういった姿勢は皆無です。

メディアや識者の意見には、根本的に欠けているものがあるように思います。それは、公務員の仕事に対する当事者意識の欠如です。当事者意識の欠如は、公務員特有の事なかれ主義によるものです。こういった事件が起きても、肝心な公務員たちはまったく他人事にしかとらえてないのではないか。また、担当した職員たちに対しては、「運が悪かった」「気の毒だ」というような見方しかしてないのではないか。

仕事などを通して公務員の生態を熟知している人たちから見れば、メディアの論調や識者の意見は、ただの気休めにしか思えないでしょう。メディアの論調や識者の意見もまた、公務員と同じ事なかれ主義にしか見えません。

母親も虐待に加担したとして逮捕されましたが、その論法に従えば、女児をさらに窮地に追いやることがわかっていながら、アンケート用紙を渡したり、自宅に帰したりした担当職員も、虐待に加担したと言えなくもないでしょう。

にもかかわらず、記者会見では「今後の課題としなければと思っています」などととぼけたことを言うのでした。ひとりの子どもの命が失われたことに対する痛惜の念など微塵もないかのようです。ただ責任逃れに終始するばかりで、外の人間から見れば信じられない光景です。

一方で、生活保護の申請に来た人間に対しては、小田原市の例が示すように、公務員たちは居丈高な態度で門前払いするのが常です。そのくせ、強面の人間だと途端に弱気になり、ホイホイと申請を通してしまうのです。(極端な例ですが)ベンツに乗りながら生活保護を受けているというような話がときどきやり玉にあがりますが、それは単に窓口で断り切れなかっただけなのです。今回の女児の父親に対する対応と同じです。

税金にしても、取りやすいところから取るというのが”鉄則”だと言われますが、たしかに、私たちには強気な税務署が、ヤクザの事務所に税務調査に入ったなんて話は聞いたことがありません。

メディアや識者が言うように、児童相談所の人員を増やせば、今回のような無責任な対応がホントになくなるのでしょうか。そういった対策案は、(木を見て森を見ないではなく)”木を見ないで森ばかり見る”トンチンカンな議論と言わねばなりません。と言うか、問題の本質を隠蔽する役割さえ果たしていると言えるでしょう。

制度や組織の前に、まず公務員の仕事に対する意識そのものがきびしく問われるべきでしょう。未だに公務員=自治体労働者=自治労=プロレタリアートという噴飯ものの幻想にとらわれているのか、左派リベラルは、ここでも人員不足が原因だみたいな“焼け太り論”に与するのが関の山で、”公務員批判”すらできないのです。

左派リベラルに言わせれば、”公務員批判”は魔女狩りなのだそうです。”公務員批判”を日本維新の会のような安手のファシストに渡し、教条主義的なおためごかしの論理で現実をごまかすことしかできない左派リベラルのテイタラクが、ここでも露呈されているのです。

彼らは、役所は金儲けをするところではない、役所にコスト云々を言うのはお門違いだと言います。でも、公務員にコスト意識がないことが税金の無駄使いにつながっているのは誰が見てもあきらかでしょう。

公務員は、職務上の瑕疵は原則として問われないことになっています。つまり、責任は負わないようになっているのです。国家賠償法では、責任を負うのはあくまで国や地方公共団体です。だから、民間のように業務上過失〇〇という刑事罰は適用されないのです。それが公務員の事なかれ主義、無責任な対応を生む要因になっているように思えてなりません。

児童相談所の人員を増やしても、彼らの当事者能力のなさが解消されることはないでしょう。これからも同じような事件が起きる懸念は拭えません。

テレビのワイドショーでは、ゲストで呼ばれた児童相談所のOBが事件の背景や対応の仕方などを解説していましたが、スポーツ中継じゃないんだから「身内」に解説させてどうするんだと思いました。

そもそもDVというメンヘラに起因する行為に対して、教育委員会や児童相談所が対応すること自体、場違いな気さえします。教育委員会や児童相談所には、DVがメンヘラに起因するという認識さえないのです。記者会見の質疑応答で、担当者が無能に見えるのもゆえなきことではないのです。DVのノウハウを持っているNPO法人などに「民間委託」するほうがまだしも現実的な気がしてなりません。と、公務員の問題を考えると、やはり、ネオリベの誘惑を抑えることはできないのでした。


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2019.02.06 Wed l 社会・メディア l top ▲
小室さん母子がメディアやネットから叩かれているのを見るにつけ、私は違和感を抱かざるを得ません。これこそ「ネットとマスメディアの共振」(藤代裕之氏)で生み出される“私刑”の構造と言えるでしょう。

男女間の問題には、第三者が伺い知れないデリケートなものがあるのは言うまでないことです。ときにお金が絡むことだってあるでしょう。関係が順調なときは「いいよ。いいよ」と言いながら、関係が冷えると「あのときのお金を返せ」と言い出し、トラブルになるのもめずらしい話ではありません。そこからストカーに豹変するケースもあるでしょう。と言うか、「お金を返せ」と言うこと自体、もはやストーカーの心理と言えないこともありません。

借用書が存在しない限り、譲渡と見做されるのは素人でもわかる話です。元交際相手の男性が弁護士に相談したら、「あきらめるしかない」と言われたのは当然です。そういった世間の常識もどこかに吹っ飛んでいるのです。

私は小室さん一家と最寄り駅が同じで(一度駅で小室さんを見かけたことがあります)、小室さんが通っていた幼稚園はすぐ近所ですし、小室さんが学生時代にアルバイトをしていたレストランにも食べに行ったことがあります。もちろん、小室さん一家が住んでいるマンションも知っています。でも、男性のことを聞いても誰も知らないと言います。どういう人物なのか知りたかったのですが、噂にも上らないみたいです。

男性は、法的には不利なためか、フリーライターだかが代理人に就いて、メディアを利用する戦略に切り替えたようで、最近は積極的にインタビューに答えています。しかし、小室さん母子が立場上表だって反論できないことをいいことに、自分に都合のいい情報だけを発信している感は否めません。

別れたあとになって「あのときのお金を返せ」と言うのは、古い言い方をすれば「男の風上にもおけない」のです。右派のマッチョイズムから言っても、むしろ交際相手の男性の方こそ非難されても仕方ないのです。

ところが、なぜかメディアも大衆も、ストカーまがいの男性を被害者に仕立てて、批判の矛先をもっぱら小室さん母子に向けるばかりです。

眞子さんは結婚すれば皇室を離れ「民間人」になるのです。彼女は、今どきの女の子と同じように(皇族のなかでは初めてと言っていい)自由な恋愛を実践したのです。でも、メディアや大衆はそれが気に入らないのでしょう。「品格」なることばを使うのは、皇族をいつまでも(不自由な)カゴのなかに閉じ込めておこうという魂胆さえ感じてなりません。茶道の家元や神社の神官や殿様の末裔や公務員なら「品格」があるとでも言うのでしょうか。「品格」なるものの前には、恋愛の自由も許されないかの如くです。そもそも罪多き人生を送る私たちが、他人(ひと)様の結婚に対して、「品格」なんてことばを使う資格などあるのでしょうか。

小室さんバッシングの裏には、大衆の妬みや嫉みが伏在しているように思えてなりません。そこにあるのは、皇族の恋愛をきっかけに露呈した大衆の負の感情です。生活保護叩きなどと構造は同じです。メディアはネットに同調することで、大衆の心の奥底に潜む負の感情に火を点けたとも言えるのです。

今の状況のまま結婚に至るにはまだ難しい気もしますが、一方で小室さんが開き直っているように見えるのも、眞子さんの小室さんに対する気持が変わらないからでしょう。しかし、大衆はそのようには考えません。小室さん母子は皇室を利用しようとしているなどと陰険で底意地の悪い見方しか持てないのです。なんだかおぞましささえ覚えますが、もとより私たちの(市民としての)日常性は、そういったおぞましさによって仮構されているのだということをゆめゆめ忘れてはならないでしょう。


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私刑の夏
2019.01.27 Sun l 社会・メディア l top ▲
今日(1/2)の朝日新聞デジタルに、大塚英志のインタービュー記事・「感情が政権と一体化、近代に失敗しすぎた日本」が掲載されていました。今の私たちが置かれた社会の状況を考える上で、とても示唆に富んだ記事でした。(デジタル記事の場合、時間が経過すると削除されますので、可能な限り引用して紹介します)

朝日新聞デジタル
感情が政権と一体化、近代に失敗しすぎた日本 大塚英志

私は、つぎのような発言に目がとまりました。

 「例えば右派の人たちが大好きな『日本』にしたって、きっともう少し日本の『中身』でつながりようがあるわけですよ。『好き』以外の感情を許さない、感情化された『日本』っていうのか、内実はそれこそ戦時下の劣化版みたいな『日本』でしかない。中身がないから『反日』『親日』のように、隣の国の否定や、反日というファクターを作ることによってしか『日本』を定義できない。あと外国人に『ここがスゴイ』と言ってもらうとか。快・不快で『日本』がかろうじて輪郭を結ぶわけです」


 「だから、今の『保守』の人たちが言う『日本』がぼくには本当にわからないんですよ。種子法が廃止され、『移民』法、水道の民営化が国会を通過し、北方領土は2島返還でいいという空気になっている。ネトウヨはTPPも多くは推進派だった。普通、『米』『水』とか『領土』とか、ぼくは同意できないけど、『反移民』とかは『右』が命かけて守るものでしょう。それが全部、ないがしろにされて、大丈夫なのかなって、左派の方が心配しているくらいでしょう。少なくとも今回は、国会の前を安保法制の時のリベラルのように右翼たちが大挙して囲んでいなくちゃいけない状況だった気がします。でも、そうならないのは、それは多分、安倍政権は、安倍さんと日本と支持者の自我がきれいに重なって一体化している、つまり、感情的共感に支えられた感情化した政権だからでしょう」


こういった中身のない「感情化」(ただ感情のみで共感を求める傾向)は、記事でも触れていますが、とりわけネットにおいて顕著です。

私は、仕事の関係でInstagramを日常的にチェックしていますが、たとえば趣味をテーマにしたインスタなどでは、理解に苦しむような多くの「いいね!」が付いている記事をよく見かけます。

ひとりよがりの雑な写真や個人的な日常を綴った絵日記のようなものに対して、信じられない数の「いいね!」が付けられているのです。どうして人気があるんだろうといくら考えても理解できません。でも、インスタの場合、従来の感覚で理解しようとすること自体、間違っているのかもしれません。「いいね!」は評価ではないのです。

そこにあるのは「空気」です。私は、以前、仕事で知り合った若い女性たちの誘いに乗ってLINEのグループに入り、僅か一週間で「村八分」に遭った苦い経験があるのですが、そのとき感じたのも、グループを支配する「空気」や暗黙のルールでした。私はそれを読むことができなかったのでした。

インスタも同じで、判断停止して「いいね!」を押しているだけなのでしょう。そうやってお互いに「いいね!」を押し合っているのでしょう。

フォローにしても然りで、画像をアップすると瞬間的にフォロワーが増えますが、一日経つとまたもとに戻るのでした。要するに、フォローされたら同じようにフォローを返さなければならないのです。返さないと、フォローが取り消されるのです。中身なんて二の次なのです。そうやってフォロワーを増やすことだけが目的になっているのです。

私などは、バカバカしいとしか思えませんが、それが今様の(ネットの)「つながり」なのです。ネットの時代の若者にとっては、そんな人間関係のほうがむしろリアルなのでしょう。そして、自分が認められたような気になっているのでしょう。「ひとりじゃない」と本気で思っているのかもしれません。

でも、「空気」を読むことは反面とても疲れることです。LINEグループの経験から言えば、本音を言えないストレスもあるでしょう。心にもないお追従のようなコメントばかり書くことに嫌気がさすこともあるでしょう。「SNSに疲れた」という声が出るのもわからないでもありません。

中身のない浅薄な関係は、国家に対しても同様です。大塚英志が言うように、今のナショナリズムのなんといい加減なことでしょう。そこには「主義」と呼べるような論理的な一貫性などありません。思想としての誠実さも皆無です。ただ、グローバル資本主義に拝跪する安倍政権に、盲目的に「いいね!」を押しているだけです。

これではこの国がグローバル資本主義に無力なのは当然でしょう。この国には、SNS的な感情に同化するだけの意味不明なナショナリズムしかないのです。誤解を怖れずに言えば、「日本」が不在なのです。だから、百田某のように、ネットからコピペした「日本」を捏造するしかないのでしょう。

大塚英志も、記事の最後でつぎのように言っていました。

 「中国や北朝鮮が攻めてくる的イメージがずっと繰り返されてきましたが、『攻めてくる』のは、無国籍なグローバルな経済の波です。その意味での『見えない戦争』はとっくに始まっていて、もう負けていますね。さっき言ったように『移民』法は成立、水、固有種の種子といった、いわば国家の基本をなすようものはどんどん外資に譲り渡す流れになっている。日本の中で『勝っている』人は確かにいるけれど、それはグローバルな経済の方に飛び乗った人たちで、私たちの大半はもう『負けて』いる。だからここにあるのは、もう焼け野原なのかもしれない。でも、かつての『戦後』はこの国が『近代』をやり直すチャンスだったわけで、もう一回、『近代』及び『戦後』をやってみるしかないでしょう」


大塚英志が言うように、私たちは既に焼け野原に立っているのかもしれません。格差社会の過酷な現実も、どう考えても焼け野原の風景にしか見えません。薄っぺらな「愛国」も、グローバル資本主義に無条件降伏するための方便のようにしか思えません。


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