オリンピック反対派により「奇跡の復活劇で人々を感動させたばかりの池江選手に厳しい言葉が浴びせられている」(東洋経済オンライン)として、メディアで批判の大合唱になっています。池江璃花子自身のツイートで明らかになったのですが、メディアはそれを「おぞましい匿名の圧力」と言い、なかには「サイバーテロ」だと指弾するメディアもあります。

しかし、ツイッターのハッシュタグは「#池江璃花子選手は立派だが五輪開催は断固反対」という穏やかなものです。「おぞましい匿名の圧力」「サイバーテロ」というのはいささかオーバーな気がします。むしろ、池江璃花子にからんだオリンピック反対の声を「おぞましい匿名の圧力」「サイバーテロ」にしたいがために、ことさら騒ぎ立てているフシさえあるのです。

とは言え、池江璃花子に限らずオリンピックありきのアスリートが「自分のことしか考えていない」と言うのは、そのとおりでしょう。「あんたがどんな記録を出そうが、私たちには全く関係ない」という書き込みについても、ことばがやや乱暴だとは思ったものの、特に私は違和感を覚えませんでした。

もっとも、池江選手に「オリンピックを辞退してほしい」と言うこと自体、お門違いだと言わざるを得ません。しかし、それはワイドショーのコメンテーターと同じ意味で言っているのではありません。辞退する気がない人間にそんなことを言っても無駄だと言いたいのです。

大学や高校の運動部でよくクラスターが発生していますが、スポーツ選手が感染防止について、どこまで正しい認識をもっているのか、はなはだ疑問です。もちろん、オリンピック代表という立場上、自分の感染には神経を使っているでしょうが、では、コロナ禍でのオリンピックのあり方やアスリートとしての自分とコロナ禍の社会との関係について、一度だって真面目に真剣に考えたことがあるのでしょうか。すべて所属するクラブや競技団体にお任せのようにしか見えないのです。

病魔と戦いながら、オリンピックという夢に向かって努力をしてきた池江選手に辞退しろなんて言うのは酷だ、鬼畜だ、みたいな批判もありますが、何度も言いますが、努力をしているのは池江選手だけではないのです。みんな努力しているのです。それぞれ夢に向かって努力してきたのです。それが、コロナで職を失ったり、事業が立ち行かなくなったりして、夢破れ、路頭に迷い、なかには死をも覚悟している人だっているのです。

まして、下記のニュースにあるように大阪や神戸では既に医療崩壊がはじまっており、実質的なトリアージ(命の選別)が行われ、高齢者がその対象になっているのです。命が見捨てられているのです。

朝日新聞デジタル
関西の高齢者2施設で計38人死亡 大半が入院できず

 神戸市と大阪府門真市の高齢者施設で新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生し、二つの施設で計38人の入所者が亡くなっていた。大阪府と兵庫県では病床逼迫(ひっぱく)が深刻化しており、両施設では、多くの入所者が入院先が決まらないまま療養を続けていたという。


そういった現状を前にしても、池江璃花子は特別なのか、アスリートは夢に向かって努力して来たので特別なのか、と問いたいです。「生命いのちだけは平等だ」というのは、徳洲会の徳田虎雄が掲げた理念ですが、私はアスリートは特別だみたいに言う人たちにそのことばを突き付けたい気持があります。

別にみながみな池江璃花子の”感動物語”に涙を流しているわけではないのです。オリンピック開催のシンボルに祭り上がられたことで、その”感動物語”に胡散臭さを感じる人が出て来るのは、むしろ当然でしょう。

池江璃花子のような”感動物語”は、戦争中もメディアによっていくらでもねつ造されてきました。そうやって戦場に赴く若者が美化されたのです。一度走りはじめたら停まることができない日本という国家のメカニズムは、戦争もオリンピックも同じなのです。そして、そこには必ずメディアを使ったプロパガンダが存在します。

私は、池江選手に対する”同情論”に、逆にオリンピック開催反対の世論の”危うさ”を見たような気がしました。それは、いつでもオリンピックの「勇気」や「元気」や「感動」に転化されるものでしょう。池江選手にきついことばを送るのは、そのカラクリを見抜いているからではないでしょうか。

じゃあ、池江璃花子の夢の対象であるオリンピックはどんなものなのか。今週のビデオニュースドットコムがその実態を取り上げていました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1048回)
誰がそうまでしてオリンピックをやりたがっているのか

私はゲストの後藤逸郎氏の著書の『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』(文春新書)をまだ読んでなかったので、番組を観たあと早速、痛い足を引き摺って近所の本屋に行きました。しかし、既に売切れていました。しかも、アマゾンや楽天や紀伊国屋などネットショップもどこも売切れで、電子書籍しか販売されていませんでした。

アメリカのワシントン・ポスト紙は、IOCのバッハ会長のことを「ぼったくり男爵」と書いていたそうですが、言い得て妙だなと思いました。

番組で、IOCにとっては、無観客でも何でもよくて、とにかくテレビ中継さえあればいいような仕組みになっていると言っていましたが、スイスのNPO(民間団体)にすぎないIOCは、別に財団をいくつか持っており、さらにそれに連なるメディア関連の「オリンピック・チャンネルサービス」と「ブロードキャスティングサービス」という二つの会社が、それぞれスイス(株式会社)とスペイン(有限会社)にあるそうです。実務はスペインの有限会社が担っており、そこには日本のメディアからも社員が派遣されているのだとか。「ブロードキャスティングサービス」の2016年12月末の資料では(それ以後は公表されていない?)、日本円で400億円近くの売上げがあり、約60億円の利益を得ているそうです。

言うなれば、IOCは、オリンピックというイベントを企画して、それを各国に売り込み、さらにイベントのコンテンツを管理するスポーツビジネスの会社になっているのです。「オリンピック憲章」はとっくに有名不実化しているのです。そもそもオリンピック自体が、キャッチアップを果たした旧発展途上国の国威発揚のイベントになっているというのは、そのとおりでしょう。オリンピック招致という発想そのものがアナクロなのです。

招致の際、コンパクトなオリンピックにするという触れ込みで7340億円で済むように言っていたにもかかわらず、2019年12月の会計検査院の報告によれば、招致から6年間で既に1兆600億円の関連経費が支出されていることがあきらかになっています。また、それ以外に大会組織委員会や東京都、国の別枠の予備費を合わせると既に総額が3兆4000億円にまで膨らんでいるそうです。

しかも、無観客になれば900億円の入場料収入もなくなり、開催都市の東京は1兆円の赤字を負担しなければならなくなるのだとか(そして、最後は国が税金で処理することになるそうです)。

選手と関係者の入国に伴う検査と健康管理にも、大きな懸念があります。観客を除いても、選手1万5千人に関係者を含めると5~7万人が入国することになるのですが、そういった海外からの入国者に対しても、PCR検査より精度が落ちる唾液による抗原検査をするだけで、しかも、選手の健康管理はアプリによる自己申告が主だそうです。

緊急事態宣言では人流を抑制しなければならないと盛んに言われていますが、オリンピック期間中は晴海のオリンピック村に選手1万5千人を閉じ込めることになるのです。食堂だけでも一度に数千人が食事できる規模だそうで、これ以上の”密”はないでしょう。しかも、いくら閉じ込めると言っても、無断で外出して飲みに行く選手が出て来ないとも限りません。強制収容所ではないのですから、電流を通した金網を張ったり、脱走した人間を銃殺するわけにはいかないのです。

IOCが作った大会関係者向けの「プレイブック」には、「選手同士の交流や握手、ハグは禁止」と書いているそうですが、しかし、禅道場ではないのですから、狭い空間のなかに1万数千人の若い男女が閉じ込められると、性的な欲望が充満するのは避けられないでしょう。そのために、表に出ていませんが、16万個のコンドームを配るという話もあるそうです。ハグどころか、合体が前提なのですからもはや笑い話みたいな話です。因みに、夜毎大量のコンドームが使われる選手村は、オリンピックが終われば高級マンションに化けるのです。

ワイドショーなどで、いかがわしいコメンテーターが、日本政府がキャンセルすると違約金が発生するので日本政府からやめると言うことができないと言っていましたが、後藤氏はあり得ないデタラメだと言っていました。そんなことは開催都市契約のどこにも書いてないそうです。

ただ、開催がキャンセルになった場合、スポンサー企業などから開催都市やIOCに対して損害賠償の訴訟を起こされることはあるかもしれないと言っていました。もっとも、そういった訴訟は損害賠償でなくても当然あり得ることで、後藤氏も言うように、仮に訴訟を起こされたら粛々と対応すればいいだけでしょう。

最終的には40万人必要とか言われているボランティアについても(無観客になればそんなにいらないでしょう)、そのボランティアを手配し派遣する仕事はパソナが一括して請け負っているそうです。当然ながらパソナは、その費用をもらっているのです。しかし、ボランティアの人たちは無償です。これでは、JOCではなくパソナに対してボランティアをしているようなものじゃないかと言っていましたが、たしかにこれほどおいしい商売はないでしょう。濡れ手に粟とはこのことでしょう。

でも、こういった話はメディアにいっさい出てきません。どうしてかと言えば、朝日・日経・読売・毎日は、オフィシャルスポンサーに名を連ねており、東京オリンピックに関しては利害当事者になっているからです。だから、自分たちにとって都合の悪いことは口を噤んでいるのです。

開催が厳しいという話も、どこの新聞も欧米のメディアの報道を引用するばかりで、自分の口で言おうとしません。宮台真司も、「自分とこの社論はどうなっているんだ」「自分の口でものを言えよ」と憤っていましたが、コロナ禍のオリンピック開催についてはメディアも同罪なのです。

繰り返しますが、サマランチ時代にオリンピックが商業主義に大きく舵を切り(だから、IOCの関連会社がサマランチの出身国のスペインに置かれているという指摘があります)、「オリンピック憲章」も有名無実化して絵に描いた餅になったのですが、しかし、こと代表選手に関しては、未だに「スポーツの力」とか「感動をありがとう」とか「夢をもらう」などと、永井荷風が言う「駄句駄字」の空疎なことばが飛び交っているのでした。まるでそこだけありもしない「オリンピック憲章」が生きているかのようです。一方で、メディアは、オリンピックありきのアスリートへの批判を「差別」だと言い立てていますが、それも“感動物語“のねつ造と軌を一にした「俗情との結託」と言うべきでしょう。

アスリートにとってオリンピックが「夢」だという話にしても、番組でも言っていたように、サッカーや野球やバスケットやテニスやゴルフやラグビーなどの人気スポーツは、それ自体経済的(興行的?)にも自立しているので、オリンピックに対する幻想はほとんどありません。オリンピックの種目に入っている競技でも、ワールドカップのようなみずからが主催する世界大会に比べると、オリンピックはカテゴリーが下です。だから、選手たちもオリンピックに出ることにそんなにこだわっていません。むしろ怪我すると損だみたいな理由で辞退する選手も多く、オリンピックに出ることが「夢」だなんて、ゆめゆめ思ってないのです(おやじギャク)。オリンピックは、自立できないマイナースポーツの祭典にすぎないのではないかという指摘も、あながち的外れではないように思います。要するに、マイナーであるがゆえに、競技団体も選手もオリンピックにぶら下がっている構図があるのではないか。それを合理化するために、「力」や「感動」や「夢」などという「駄句駄字」がことさら強調されているのではないか。そう思えてなりません。

ともあれ、オリンピック開催の問題がグチャグチャになっているのは誰の目にも明らかで、どう見ても準備が順調に進んでいるようには思えません。強気な姿勢の裏で、菅政権がかなり追い詰められているのは事実でしょう。番組のなかでは、小池都知事が時期を見て開催反対を言い出すんじゃないか、そして、国民の喝采を浴び、それを国政への復帰のステップにするんじゃないかと言っていましたが、私もそれは充分あり得ると思いました。最後は、小池都知事お得意のパフォーマンスで終わるのかと思うと、やれやれという気持になりますが、これでは行くも地獄戻るも地獄ならぬやるも茶番やめるも茶番と言うべきかも知れません。
2021.05.09 Sun l 社会・メディア l top ▲
ビデオニュースドットコムを観ていたら、ゲストに出ていた斎藤幸平氏の次のようなことばが耳に残りました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1047回)
コロナでいよいよ露わになったコモンを破壊する資本主義の正体

「多くの人たちが立ち上がらない限り、この問題(引用者註:気候変動の問題)は解決しない。しかし、一方で分断が生じていて、お前は恵まれているからこういうことを考えられるんだっていうのは、環境問題でいつも言われることなんですよ。お前、恵まれているからベジタリアンの食事も食べられるし、オーガニックの服も買えるけど、俺ら金もないし忙しいから牛丼とラーメン食って、ユニクロの服着なきゃいけないんだ、みたいな話になるわけですよね。それは本当に不毛の対立で分断なわけですよ。僕は別にお金がなくてユニクロを買ってる人、牛丼を食べてる人だって、むしろ、積極的に声を上げてほしい。なんでオーガニックコットンのシャツを買えるくらいの給料をくれないんだよ。なんで300円400円で食えるものが、身体に悪い牛丼みたいなジャンクフードしかないのかということを怒ってもいい」

「(余裕があることに)全然罪悪感を感じる必要もないし、一方で余裕がある人も買って満足するというのは、まさにアヘンですよね。(しかし)社会全体を変えていくためには単に自分が良いものをちょっと買うだけではなくて、社会の構造とか格差そのものも変えていかなければ意味がないわけで、みんなが声を上げていいんだっていう風になれば、僕はその瞬間に変わっていくと思うし、逆に、みんなで声をあげてこのシステムそのものを変えていこうという風にしていかないと最終的には問題も解決しない」

斎藤幸平氏はまた、「3.5%」の人が立ち上がれば世の中は変わるとも言っていました。「3.5%」というのは、ハーバード大学の政治学者エリカ・チェノウェス教授が主張する数字です。エリカ・チェノウェス教授によれば、フィリピンのマルコスの独裁体制を倒した「ピープルパワー革命」やグルジアの「バラ革命」など、過去の社会変革のきっかけになった運動を調べると、「3.5%」の”法則”が当てはまるのだそうです。今のミャンマーの国軍に対する不服従の運動も、例外ではないように思います。

悪しき大衆主義と前衛主義の対立は左派の永遠のテーマですが、「3.5%」というのは腑に落ちる数字なのでした。宮台真司は、社会の圧倒的多数の人たちは何も考えずにただ漫然と大勢に流されて生きているだけという現実を考えれば、「3.5%」の数字はリアルティがあると言っていました。つまり、はっきり言えば、大衆というのは金魚の糞みたいな存在だということです。私が大衆主義に「悪しき」という連体詞を付けたくなるのも、それゆえです。

安倍元総理や菅総理らは、「有権者は時間が経てば忘れる」という大衆観を持っており、それがモリカケの対応や一連の反動的な法改正などの強権的な姿勢につながっていると言われていますが、彼らは如何にも保守政治家らしく大衆の本質を熟知しているとも言えるのです。オリンピック開催も同じでしょう。オリンピックが開催され、メディアがオリンピック一色に彩られ、「勇気」や「感動」などというおなじみのワードが飛び交うようになれば、8割反対もどこ吹く風、態度を一変してオリンピックに熱狂するに違いないのです。政権与党の政治家たちもそうタカをくくっているのだと思います。

誤解を怖れずに言えば、世論調査であれ、政党支持率であれ、そんなものはほとんど意味がないのではないか、ホントは取るに足りないものではないのか。そんな大胆な考えがあってもいいように思います。

前にも書いたとおり、ミレニアル世代あるいはその下のZ世代と呼ばれる若者たちの間では、ジェレミー・コービンやバーニー・サンダースのカリスマ的人気に象徴されるように、”左派的なもの”に対するシンパシーが世界的に広がっているのですが、しかし、残念ながら日本では、”左派的なもの”は嘲笑と不信の対象でしかありません。

番組でも言っていましたが、”左派的なもの”に対する関心は、今の社会のシステムを根本から変えなければもうどうにもならないことを若い世代が気付きはじめたということでもあるのです。地球温暖化や格差拡大や財政破綻の問題は、若い世代にとっては自分たちの人生に直接関わる切実な問題で、否応なくそれと正面から向き合わなければならないのです。彼らは、そこに「資本主義の限界」を見ているのです。鷲田小彌太氏のことばを借りれば、「臨界点」を見ているのです。たとえば、余暇としての趣味ではなく、趣味のために働くという先行世代から眉をしかめられるような考え方も、今の社会に対するラジカルな批評になっているのです。斎藤幸平氏は、『人新世の「資本論」』のなかで、それを「ラジカルな潤沢さ」と呼んでいました。

文字通り喉元すぎて熱さを忘れた反原発運動の”愚”をくり返さないためにも、(前も書きましたが)地べたの生活の現実に依拠し、まっとうな生き方をしたいと思っている「3.5%」の人々の琴線に触れるような、真に革命的な急進左派の運動が今の日本に求められているのです。それは、「アウシュビッツ行きの最終列車に乗る」とヤユされるような、選挙対策の”野党連合”(立憲民主党への合流)などとはまったく別の話です。

社会のシステムを変えると言うと、政治のことばを大上段に振りかざしたものを想像しがちですが、一方で、それは、自分の人生や生き方にも関わるきわめて身近なもの(こと)でもあるのです。人生を少しでも豊かで充実したものにするためには、趣味でもボランティアでも家族サービスでもなんでもいいから、生活のなかに仕事だけでない別の時間を持つことが大事でしょう。そして、それが仕事と同じかあるいはそれ以上のウエイトを占めるようになれば、労働時間の短縮や最低賃金の引き上げや有給休暇の拡大などが身近な問題として考えられるようになってくるでしょう。そうやって”左派的なもの”との接点が生まれ、それが世界に目をひらく端緒になるのです。

山を登る趣味を考えても、山に登ることがきっかけで、自然の大切さや身体しんたい(=身体的であること)の重要性と出会い、環境にやさしい素材を使った服を買ったり、安全で身体からだにいいものを食べたりするようになれば、自分の人生に対する考え方も変わるだろうし、世の中に対する見方も変わっていくでしょう。

もちろん、「SDGsは大衆のアヘンである」と斎藤幸平氏が言うように、SDGsが貪欲な資本のあらたな市場になっているのも事実です。リモートによる地方移住も含めて、地方の山がソーラーパネルで埋め尽くされたのと同じように、「田舎」がエコな経済の収奪の対象として「外部化」されているのは否定できないでしょう。エコバッグで買い物に行ったり、有機野菜で料理をしたりするのは、あの「お花畑」の元総理夫人だってやっているのです。ありきたりな言い方ですが、ホンモノとニセモノが混在しているのはたしかです。しかし、それを百も承知で言えば、個的なレベルにおける”革命”というのは、そういう身近な生活スタイルを変えることからはじまるわけで、そこから世界に向けた回路がひらかれているのもまた、たしかなのです。


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日本で待ち望まれる急進左派の運動
2021.05.03 Mon l 社会・メディア l top ▲
ゴールデンウィークで連休が続くので、今日、手持ちがなくなった薬を処方してもらうべくあわててかかりつけの病院に行きました。土曜日で午前中しか診察をやってないため、朝8時すぎの電車に乗り、東横線、そして市営地下鉄のグリーンラインとブルーラインをそれぞれ乗り継いで行きました。普段はタクシーで行くことも多いのに、何故か今日はケチって電車で行くことにしたのでした。

電車の場合、当然ながら駅まで歩いて行かなければならないし、途中、二度の乗り換えもあるので、距離的にも遠回りになり、タクシーだと15分くらいで行くところが電車だと1時間近くかかります。そのため、帰って来たら、痛めている右膝が曲げるのも困難なくらいパンパンに腫れていました。

前日は、整形外科の病院で、膝にたまった”水”をぬきヒアルロン酸を注入しました。通常、ヒアルロン酸は5週注入するケースが多いみたいですが、いっこうに改善しないのでもう少し続けた方がいいでしょうと言われたのです。しかし、自宅に帰った頃には、再び”水”がたまっているのが自分でもわかりました。

痛みそのものは、最初の頃に比べれば半分くらいに和らいでいます。と言っても、それは痛みのランクが半分くらいに下がったにすぎず、歩けないほどの痛みからなんとか歩けるほどの痛みに変わった程度です。

ヒアルロン酸を注入されているからなのか、心なしか膝のお皿のあたりがツルツルになった感じがします。これだったら膝より顔に注入してもらった方がよほど効果があるような気がしないでもありません。

また、膝に力を入れて(膝をロックして)足を15センチから20センチ持ち上げて5秒から10秒維持し、それを10回くり返すストレッチを毎日3~5セット行って下さいと言われました(ほかにタオルを丸めたものを膝の下に置いてそれを上から潰すストレットも)。

私は、「はい、わかりました」と聞いたふりをしましたが、それはもうとっくに自分でやっていました。また、今日もかかりつけ医に膝を痛めたという話をしたら、やはり同じストレッチを推奨されました。

私の場合、前も書きましたが、変形性膝関節症ではなくただのオーバーユースだと言われたのですが、ネットで見ると、オーバーユースで変形性膝関節症を発症すると書いているサイトもあります。でも、私が行っている整形外科のドクターは(認定スポーツ医でもある)、レントゲンでは膝は非常にきれいで問題はないし、しかも、膝を使わないときに痛みがないということを考えれば、変形性膝関節症ではなくただの使いすぎだろうと言うのです。

山に登り始めの頃も、(主に反対側の膝でしたが)膝痛に悩ませられたことがありました。そのときも、膝が腫れた感じがして屈伸するのに違和感がありましたので、おそらく膝に”水”がたまっていたのでしょう。でも、数日もすると痛みも取れて元に戻っていました。同じオーバーユースでも、今回はあまりにレベルが違いすぎるのです。患者というのは不思議なもので、明確な病名を付けられないと逆に不安を覚えるのでした。

ヒアルロン酸の効果や深夜の通販番組ではおなじみの軟骨がすり減ることによる膝の痛みについて、京都のドクターがブログで次のように書いていたのが目に止まりました。

石田内科リウマチ科クリニック
クリニックBLOG
膝関節へのヒアルロン酸注射の有効性

米国整形外科学会(AAOS)は6月4日、変形性膝関節症(OA)治療に関する臨床診療ガイドライン(CPG)改訂版を発表した。ヒアルロン酸関節内注射治療を推奨しないと明記した。(略)ヒアルロン酸の関節内注射は、14件の試験のメタ解析において臨床的に重要な改善を意味する最小閾値に達しておらず、症候性の変形性膝関節症(OA)治療法としてもはや推奨されないものとしている。日本では、症候性OAについては、ヒアルロン酸関節内注射が頻繁になされている。ロコモティブシンドロームの代表格であるOAについて、このような見解が示されたのは、大きな衝撃であろう。「OAの症状のみで、関節内遊離体や半月板損傷など他の問題が見られない者には、関節鏡下洗浄治療は行わない」「BMI25超の肥満者は最低5%減量する」「低負担の有酸素運動を積極的に取り入れる」などが盛り込まれている。患者が主体的に治療に取り組むことが、痛みを軽減し、良好な健康状態を実感するに最適な方法の一つである。太り気味であれば、減量が進行を遅らせるためにできる最善策でもある。


そして、最後に「これまでOAは軟骨の変性摩耗と叫び続けてきた方々のコメントを待ちたい」と書いていました。

やっぱり、ヒアルロン酸は皺取りの方が効果があるのかもと思ってしまいました。「軟骨の変性摩耗」もおなじみのフレーズですが、たしかに深夜の通販番組を見ると、医学的な一見解にすぎないものが、商業的な目的のために拡大解釈され独り歩きしているような気がしないでもありません。

膝痛を経験した多くの人たちが口にする、病院に行っても湿布薬と”水”抜きとヒアルロン酸で「お茶を濁されるだけ」というのもわからないでもないのです。そのために、ストレッチに望みを託して整骨院に駆け込み、回数券や「部位回し」で散財することになるのでしょう。

筋力が落ちたり、筋肉が固くなったりするのを防ぐという意味では、ストレッチは有効かもしれません。ただ、痛みが改善するのは、あくまで自然治癒にすぎないのでないか。保存療法というのは、結局、そういうことでしょう。だったら、「自然に治るまで待つしかありませんよ」と言ってくれればいいのにと思います。ヒアルロン酸や”水”抜きに過大な期待を抱く分落胆する気持も大きいのです。

同じように膝痛を抱える知人は、膝痛は命には関係ないので治療の研究が進んでないんじゃないかなと言っていましたが、膝痛の当事者として、そう思いたくなる気持もわからないでもありません。そして、そういったなかなか痛みが取れない”もどかしさ”が、通販番組の主役を務めるくらいに膝痛の市場を虚業化し大きくしたと言えなくもないでしょう。

余談ですが、膝に”水”がたまると膝がいびつな形に変形するのですが、それを見るといっそう気が滅入ってきます。そのため、女子高生の素足のミニスカートから覗いた、左右きれいに揃った膝が羨ましくてならず、やたら女子高生の膝が気になるようになりました。道を歩いていても、電車のなかでも、ついつい女子高生の膝に見入ってしまうことがあり、近くにいた女性から怪訝の目で見られたこともありました。このように膝痛によって、”膝フェチ”という副産物までもたらされたのでした。

閑話休題あだしごとはさておき、今朝の東横線も、通勤客やレジャーに出かける乗客で、普段の週末とほとんど変わらないくらい混んでいました。また、新横浜駅方面に向かう市営地下鉄の車内では、通勤客に混ざって大きなキャリーケースを横に置いた乗客も目につきました。

どうしてこのタイミングなんだ?と思いますが、横浜の桜木町駅から汽車道の上を通るロープウェイが開通したので、それを目当ての家族連れも多く押しかけているようです。「人の流れを抑制しなければならない」「ゴールデンウィーク期間中はステイホームで」とか言いながら、その一方で、テレビはロープウェイ開通をトピックスとしてとりあげ宣伝しているのです。それでは行くなと言う方が無理でしょう。

しかも、今月の15・16日には、山下公園で「世界トライアスロン」の横浜大会が開催されます。国内外の招待選手に優待・一般参加の選手を含めて2000名の参加者でレースが行われるそうです。無観客の大会になったので、林文子横浜市長は「観戦に来ないで」と呼びかけていますが、これほどバカげた話はないでしょう。無観客とは言え、どうしてこの時期に開催しなければならないのか。私は、横浜市民として、林市長の神経さえ疑いました(もっとも、緊急事態宣言が延長されて中止になる可能性の方が高いですが)。

埼玉から都内に通勤している友人も、今朝の電車はいつもと変わらなかった、普段の土曜日よりむしろ多いくらいだったと言っていました。また、池袋駅では山登りの恰好をした登山客やハイキングに向かうとおぼしきリュックを背負った家族連れも目についたと言っていました。

三度目の緊急事態宣言は、政府の目論みとは逆に外出自粛にはほど遠い現実しかないのです。私は、これでは「オリンピックなんてできるわけがない」とあらためて確信しました。もしかしたら、国民はわざと外出し感染を拡大させることで(そうやってみずから身を挺して)、オリンピック開催を阻止しようとしているんじゃないか。そんな皮肉な見方さえしたくなりました。

おそらく、二週間後はとんでもない新規感染者数を見ることになるでしょう。もし、そうではなく、予想に反して新規感染者数が減少していたら、それはオリンピック開催のためになんらかの”操作”が行なわれたと見て間違いないでしょう。

今日のテレビのニュースでは、緊急事態宣言で軒並み人出が減っていることを強調していましたが、どこが?と思いました。東京駅の新幹線のホームも「閑散としている」と伝えていましたが、JRによれば新幹線の乗車率は50%〜70%で、過去2回の緊急事態宣言のときより大幅に増えているのです。乗車率50%〜70%は、普通に考えても「閑散」とは言わないでしょう。オリンピックのスポンサー企業に名を連ねる大手の新聞社やテレビ局は、言うまでもなく”開催ありき”です。開催して貰わなければ困るというのが本音です。そんなオリンピック開催で政府と一体化したメディアが、あたかも緊急事態宣言に効果が出ているかのように恣意的な報道を行っていることも気になりました。
2021.05.01 Sat l 社会・メディア l top ▲
小室さんの問題で、元婚約者がコメントを発表し、「解決金」の交渉に応じる意向を示したというニュースがいっせいに流れました。

毎日新聞
小室圭さん母の元婚約者、解決金の交渉進める意向 コメント発表

意地悪な私は、やっぱりと思いました。ことばは悪いけど、意外と早く食いついてきたなと思いました。このあたりが老いらくの恋の落としどころなのかもしれません。二人の結婚の意思は固いようなので、いづれにしても結婚の方向に話が進んで行くのは間違いないでしょう。

ただ、元婚約者の真意が、「解決金」にあるのか、それとも体調を崩して入院していると伝えられる小室さんのお母さんにあるのか、今ひとつはっきりしませんので、今後も紆余曲折がないとは言えないでしょう。

単にお金がほしいだけなら話は簡単ですが、そうではなく(それだけではなく)ストーカーによく見られるような別の屈折した心情が伏在しているとしたら、話がこじれる可能性はあるでしょう。元婚約者の代理人を務めるのは、弁護士ではなくフリーライターだったのですが、今もそうなのか気になります。と言うのも、代理人やメディアの立場から言えば、話がこじれた方が間違いなくオイシイからです。

別れたから今まで使ったお金を返せというのは、昔だったら「最低の男」「男の風上にもおけない」と言われたでしょう。それは、かわいさ余って憎さ百倍のストーカーに暴走しかねない論理と言えなくもないのです。

元婚約者はなかなか老獪で、金銭問題でふたりの結婚に支障が出るのは忍びないとか言いながら、だからと言ってメディアから身を遠ざけているわけではないのです。今回も、「代理人」のフリーライターのプロデュースなのか、小室さんの「文書」が発表されると『週刊現代』の取材に応じて、マンションのローンを払えないので今は家賃8万円の木造アパートに住んでいるとか、小室さんの「文書」には「納得できない」とか、婚約解消の話し合いの席での”無断録音”に「驚いた」などと「独占告白」しているのでした。そうやってことあるごとにメディアに登場して、バッシングの材料を提供しているのです。

問題の本質は、お金を貰ったか借りたか(貸したか)にあるのではなく、小室さんと眞子さんの恋愛&婚約がメディアに大々的に取り上げられ、小室さん一家にスポットライトが当てられた途端、元婚約者が金銭問題をメディアにリークしたその行為にあるのです。もっとありていに言えば、その行為に至った動機にあるのです。

もし自分だったらと考えれば、問題がわかりやすくなるかも知れません。私も度量の狭い人間ですので、使ったお金はもったいなかったなとか捨て銭になったなとか、心の片隅で少し思ったりはするかもしれませんが(それも半分は自虐ネタみたいなものですが)、しかし、いくらなんでも“金銭トラブル”をメディアにタレこんで若いふたりの恋路を邪魔するなんてことは、とても考えられないしあり得ない話です。そこまでやるというのは、「執念」ということばでも解釈し切れない、もっと根深い要因があるような気さえします。

小室さん母子が結婚詐欺師VS元婚約者が善意の被害者というメディアが描く構図自体が、どう考えても悪意の所産だとしか思えません。もとより、(何度もくり返しますが)男と女の間には第三者が立ち入れないデリケートなものがあり、仮にお金のやり取りがあったとしても、それが借りたか(貸したか)貰ったかなんて判断すること自体、明確に犯罪でも構成してない限り、無理があるのです。元婚約者が弁護士に相談したら、借用書などがないと返金を求めるのは無理だと言われたという話が漏れ伝わっていますが、その話がホントかどうかは別にしても、法的に解釈すれば当然そうなるでしょう。だから、訴訟も起こしてないのでしょう。

小室さん自身、法律を専門的に勉強しているし、また日本では弁護士事務所に勤務していましたので、法的に見て問題ないという認識は当然持っているでしょう。でも、メディアはそれを「不誠実」「上から目線」だと批判するのです。また、バッシングに対しても、名誉棄損に当たることは小室さん側も重々わかっているはずです。しかし、眞子さんとの関係上、簡単に訴訟を起こすことができないのも事実でしょう。メディアもそれがわかっているので、みずからが描いた構図に従って書きたい放題に書いているのでしょう。

以前、『週刊現代』元編集長の元木昌彦氏がPRESIDENT Onlineに書いた下記の記事を紹介しましたが、元木氏が書いているように、一連の騒動から見えてくるのは、「今の若者には珍しいほど勤勉で誠実な」小室圭さんの姿です。眞子さんとの結婚のために、国際弁護士を目指して渡米、成績も優秀で弁護士資格を取得するのはほぼ間違いないと言われています。眞子さんとの約束を果たすべく努力し、約束どおりちゃんと成果をあげようとしているのです。小室さんに悪罵を浴びせるゲスな国民たちは、むしろ爪の垢を煎じて飲んだ方がいいくらい立派な青年なのです。

PRESIDENT Online
「圭さんと結婚します」の言葉を国民は祝福する

集団ヒステリーと化したかのような小室さんバッシングですが、それはこの社会にマグマのように滞留する負の感情がいびつな姿で噴出した、現代の日本に特有ないじめとストーカーの問題ではないのか。小室さんの問題については、私はどうしてもそんな見方しか持てないのです。


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人名キーワード
小室さん
2021.04.28 Wed l 社会・メディア l top ▲
三度目の緊急事態宣言が発令(発出)され、25日から来月11日までの17日間、東京・大阪・京都・兵庫の4都府県で実施されることになりました。併せて既に発令されているまん延防止等重点措置も、対象地域が拡大され、緊急事態宣言と同じく来月11日まで実施されることになりました。

何度も言いますが、来月の11日までというのは、ゴールデンウィーク云々だけでなく、IOCのバッハ会長が17日だかに来日するので、それまでに終了したいという”政治的思惑”がはたらいているのは間違いでしょう。そのために、過去の二度の緊急事態宣言と違って、わずか17日間という「短期間に集中して感染を抑え込む」(菅総理の発言)方針に転換したのです。すべてはオリンピック開催のためです。

昨日の緊急事態宣言初日の朝、用事があって駅に行きましたが、都内に向かう上りの電車も横浜の中心街に向かう下りの電車も、「みんな、どこに行くの?」と思うくらい多くの乗客が乗っていました。若者だけでなく家族連れや高齢者夫婦など、世代を問わずみんな休日の繁華街に向かっていました。また、揃いのユニフォームを着た中学生のグループも、部活の練習試合のためか、改札口の前で待ち合わせをしていました。

「自粛疲れ」「宣言慣れ」などと言いますが、要するに国家が覚悟を示せないのに、国民だけ覚悟を持て、自覚を持てと言っても、それはないものねだりの子守歌というものです。オリンピックはやるけど、お前たちは外出を控えろと言うのは、説得力がないし、自己矛盾も甚だしいのです。

ましてや、大阪市の例が示すように、公務員たちは、市民に自粛を要請しながら自分たちは陰で飲み会をやっているのです。大阪市の場合、感染者が出たので調査してあきらかになったのですが、ほかの自治体もただ調査していないだけで、実態は似たようなものでしょう。厚労省も然りですが、公務員の飲み会の横行は、「自分には甘く住民には厳しい」公務員の習性をよく表しているように思います。たとえば、税金の使い方にしても、自分たちはザルなのに住民に対しては杓子定規で厳格です。一方で、税金の徴収は容赦なく厳しいのです。それは、地頭の子転んでもただでは起きぬの時代から連綿と続いている官尊民卑の考えが背景にあるからでしょう。

私は、新型コロナウイルスの感染が取り沙汰されるようになってから外食はまったく控えています。何故なら、水に落ちた犬を叩くようで気が引けるのですが、飲食店を信用してないからです。大手のチェーン店は、バカッターの例に見られるようにほとんどがアルバイトで運用されていますが、彼らアルバイトがホントに真面目に感染防止に務めているとはとても思えません。

また、個人経営の店なども、テレビのインタビューに答えている店主を見ると、一応マスクはしているものの、二階(幹事長)や麻生(副総理)と同じように鼻が出ている場合が多いのです。それで、「いらっしゃいっ!」と大声で挨拶されたらたまったものではありません。しかも、飛沫防止効果が高いと推奨されている不織布マスクではなく、若者と同じようにウレタンマスクを装着している店主も多いのです。それは、アクリル板や消毒スプレー以前の基本中の基本だと思いますが、そんな基本的なことさえ守られてないのです。

何故、こんな「細かいこと」にこだわり、小言幸兵衛みたいなことを言うのかと言えば、「正しく怖れる」ためです。ひとりひとりが正しく怖れれば、緊急事態宣言もまん延防止措置も必要ないし、「ファシスト的公共性」で不自由をかこつこともないのです。

感染拡大を叫びながら、政府はオリンピックをやると言い、テレビは政府の意を汲んでオリンピックムードを盛り上げ、一方で人出が減ってないとかなんとか言いながら、春爛漫の名所旧跡を訪ねる旅番組を流して外出を煽っているのです。メディアは、オリンピック開催のマスコットガールにすべく白血病から代表に復帰した池江璃花子を美談仕立てで報じていますが、「がんばっている」のは池江璃花子だけではないでしょう。コロナと戦っている感染者も、実質的な医療崩壊のなかで命を繋いでいるほかの患者も、コロナで職を失った人たちも、もちろん諸悪の根源のようにやり玉にあがっている飲食店の店主も、みんな必死で「がんばっている」のです。スポーツ選手だけが「がんばっている」のではないのです。

新型コロナウイルスに関しては、アベノマスクを筆頭に、大阪府知事や大阪市長のイソジンや雨合羽、それに兵庫県知事のうちわ会食など、ホントに危機感があるのか疑問に思うようなトンデモ話が次々と飛び出していますが、今回の緊急事態宣言では、小池都知事が負けじとばかりに”灯火管制”を言い出したのでした。”灯火管制”が必要なくらい危機的な状況なら、まずその前にオリンピックをやめることでしょう。「話はそれから」なのです。

僭越ですが、以前、このブログで私は次のように書きました。

定額給付金・ハイブリット車購入資金の助成・高速料金の千円均一・省エネ家電のエコポイントなど、いわゆる麻生内閣の景気対策を見るにつけ、かつて故・江藤淳氏が「国家・個人・言葉」(講談社学芸文庫『アメリカと私』所収)で書いていた、「倫理の源泉であることを引き受けたがらぬ国家は、ただ金をためろ、輸出を伸ばせ、というだけである」「個人は、したがって孤独であり、なにをもって善とし、なにを悪とするかを知らない。人はただ生きている」という文章を思い出しました。

さしずめこれをもじって言えば、「倫理の源泉であることを引き受けたがらぬ国家は、ただ金を使え、ものを買え、というだけである」「個人は、したがって孤独であり、なにをもって善とし、なにを悪とするかを知らない。人はただ生きている」と言うべきかもしれません。国家主義者ならずとも「この国は大丈夫か?」と思ってしまいます。

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たしかに、新型コロナウイルスの感染対策を見ても、江藤淳が言うように、国家は「倫理の源泉」としての役割すら放棄したかのようです。国家の中枢に鎮座する菅や二階や麻生の能天気ぶりや、新型コロナウイルス対策で露わになった自治体の長たちのトンチンカンぶりが、なによりそれを表しているように思います。

ここに来て、菅総理は突然、7月までに65歳以上の高齢者のワクチン接種を終えるとか、7月から一般の国民に対してもワクチン接種を開始するなどと言い出しましたが、能力的な限界に突き当りいよいよ取り乱しはじめたかと思いました。ホントにそう思っているのなら、国立競技場を接種会場にすればいいのです。そのくらいの覚悟を見せてくれと言いたいです。
2021.04.26 Mon l 社会・メディア l top ▲
特措法改正で新設された「まん延防止等重点措置」がまったく効果がなかったとして、三度みたび緊急事態宣言が発令(発出)されることが決定されたようです。

報道によれば、今回は東京都と大阪府と京都府と兵庫県に発令される予定だとか。しかし、緊急事態宣言の期間は、過去の二度より短く、4月29日~5月9日のゴールデンウィークの間で、感染状況次第ではさらに1週間(5月16日まで)延長することを検討しているそうです。

一度目(2020年4月)は、東京・神奈川・埼玉・千葉・北海道が1ヶ月半、その他の府県が1ヶ月でした。二度目(2021年1月)は、首都圏の1都3県(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県)と、あとで追加になった大阪府・京都府・兵庫県・愛知県・岐阜県・栃木県・福岡県の7府県が対象でしたが、感染が収束しなかったため二度の延長が行われて、期間は最長で2ヶ月半でした。

過去の二度の緊急事態宣言と比べると、今回は極端に期間が短いのです。どうしてかと言えば、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が来月の17日に来日する予定なので、それまでに解除したいという考えがあるからだそうです。バッハ会長の来日によって、開催の可否を最終的に協議する(と言うか、開催を最終的に決定する?)ので、そのスケジュールに合わせたのではないかと言われています。

つまり、今更言うまでもないことですが、新型コロナウイルスよりオリンピック開催が優先されているのです。国民の命と健康よりオリンピックが大事なのです。シロウト目で見ても、僅か10日かそこらで感染状況が好転するとはとても思えません。それでも菅総理の言う「人類がコロナに打ち勝った証し」としての開催にこだわるなら、(既に東京都はPCR検査や変異ウイルスのモニタリング調査をサボタージュしていると指摘されていますが)もはや数字のごまかしで感染状況の”劇的な改善”をアピールするしかないでしょう。もしかしたら、そういった”もうひとつのスケジュール”も同時進行しているのかもしれません。

くり返しますが、第四次感染拡大のさなかにあっても、オリンピック開催ありきでこと・・が進められているのです。まったく狂っているとしか思えません。こういう”狂気”に対して、左だけでなく右からも「憂国」「売国」「国辱」という声が出て来てもおかしくないのですが、不思議なことにそういう声はまったく聞こえてきません。在日に対するヘイトや中国の新疆ウイグルや尖閣の問題、あるいは小室さん問題にはえらく熱心ですが、オリンピック開催ありきの新型コロナ対策に対しては、まるで見ざる聞かざる言わざるのように反応が鈍いのです。

言うまでもなく、商業化したオリンピックによって、バッハ(IOC)はグローバル資本と利害を共有しています。彼がグローバル資本の代弁者であるのは明白で、開催強行はオリンピックに群がるグローバル資本の利益のために(と言うか、先行投資した資金を回収するために)開催国の国民の命と健康がなおざりにされる、資本主義の本性がむき出しになったどん欲で暴力的な光景以外のなにものでもありません。日本の政治家は、その買弁的な役割を担わされているのです。就任早々アメリカに朝見外交に出かけた菅総理が、いつになく卑屈で貧相な田舎オヤジに見えたのもゆえなきことではないのです。

しかし、買弁的なのは与党の政治家だけではありません。オリンピック開催について、立憲民主党の福山哲郎幹事長の発言が、下記の記事に出ていました。

Yahoo!ニュース
東スポWeb
3度目の緊急事態宣言発令へ…東京五輪開催めぐり野党に〝深刻な温度差〟

 立憲民主党の福山哲郎幹事長(59)は「コロナがなければオリンピックにネガティブだったわけではありません。それに対して政府が(五輪開催に)ハッキリとものを言わない状況で、開催に賛成か反対かと無責任にものをいうのは適切じゃない」とした。


社員350人のうち100人をリストラするという、前代未聞の経営危機に陥っている東スポの記事なのでどこまで信用できるかわかりませんが、もしこの発言が事実なら、こんな野党第一党はいらないと声を大にして言いたいです。
2021.04.21 Wed l 社会・メディア l top ▲
「内親王」の身位にある眞子さんの結婚が、まるで芸能人のスキャンダルのように、ここまで下世話な話になってしまったことに対して、この国の天皇主義者はどう考えているんだろうと思うことがあります。

小室圭さんが、いわゆる母親と元婚約者との間の金銭問題について、28ページに及ぶ文書を公表したことで、再びメディアの恰好の餌食になっています。また、文書を公表した4日後、代理人が小室さん側が400万円だかの「解決金」を元婚約者に渡す意向だと表明したところ、さらに火に油を注ぐ結果になり、もはやサンドバッグ状態になっています。もっとも、メディアは最初からバッシングありきなので、何をやっても何を言っても叩かれるのは目に見えているのです。

腹にいちもつのタレント弁護士が、法曹家の文章としては「ゼロ点だ」などと偉そうなコメントを発したかと思えば、ただ口が達者なだけのお笑い芸人やタレントたちが、文字通り風にそよぐ葦とばかりに、「違和感を覚える」「心がこもってない」などと低劣なバッシングの先導役を買って出ているのでした。

貰ったのか借りたのか以前に、たかが数百万円で済む話なのに、どうしてそれで解決しようとしないのか、大きな疑問がずっとありました。今回あきらかになったのは、どうやら眞子さんの側がお金で解決することを望まなかったみたいです。下々の人間には伺い知れない皇室の尊厳みたいなものが関係しているのかもしれません。そのため、小室さんは自縄自縛になった。そこを世故に長けた元婚約者やメディアに、いいように突かれたと言っていいでしょう。

元婚約者が今も住んでいるのかどうかわかりませんが、小室さん親子や元婚約者が住んでいたマンションは、私の住居と同じ駅にあり、一度だけSPをひきつれた小室圭さんが駅から出てきたのを見かけたことがあります。駅前にパトカーが停まって、警察官が舗道に立っていたのでなんだろうと思っていたら、小室さんが勤務先から帰って来るところだったのです。

同じ町に住む人間から見れば、小室さんだけでなく、元婚約者についても、その気さえあればいくらでも取材できたはずなのに、どうして取材しなかったのか、不思議でなりません。一連の報道のなかでは、もう一方の当事者である元婚約者がどんな人物なのか、肝心要なことがすっぽり抜け落ちているのでした。

最初は老後のお金を貸したので生活費にもこと欠いて困っていると言っていたのですが、その後はお金を返して貰おうとは思ってないと「発言」が変わっています。じゃあ、どうしたいのか? どうすればいいのか? 今ひとつわかりません。そもそも小室さんの婚約発表に合わせて、まるでタイミングをはかったかのように金銭問題をメディアにリークしたのは、ほかならぬ元婚約者なのです。だからと言って、金銭問題で訴訟を起こしているわけではありません。もう関わりたくないと言いながら、バッシングが激しくなると、「発言」というかたちでメディアに登場するのでした。

何度も言いますが、男と女の間には、第三者にはうかがい知れないデリケートな部分があるのは言うまでもないことです。別れたからお金を返せというのは、普通は「最低」と言われても仕方ないでしょう。でも、誰もそうは言わないのです。それどころか、”かわいそうな被害者”みたいな扱いになっているのです。もしかしたら、小室さん親子が身動きできないのをいいことに、嫌がらせをしているだけなのかもしれないのにです。愛が憎しみに変わるというのはよくある話ですが、況や老いらくの恋においてをやでしょう。

「発言」なるものも、その多くは代理人から伝えられるものです。いつもならあることないこと書き散らしてもおかしくないのに、何故かメディアに出て来るのは、フリーライターだとかいう代理人をとおした「発言」だけです。

立場が違うとは言え、あれだけ小室さん親子について微に入り細に渡って報道するのなら、元婚約者についても取材しなければあまりに公平さを欠くと言わざるを得ません。しかも、最初から小室さんの主張はウソで、元婚約者の主張がホントと決めつけられているのです。まるで小室さん親子が結婚詐欺師か美人局であるかのような言い方です。しかも、多くの国民はそんなメディアの報道を真に受けて、バッシングに同調しているのです。ネットには、小室さん親子の背後で闇の勢力が(日本の皇室を乗っ取るべく?)糸を引いているなどというQアノンばりの陰謀論まで登場する始末で、もはや集団ヒステリーの様相さえ呈しているのでした。

ただ、今回の文書について、宮内庁の西村長官が、「非常に丁寧に説明されている」、金銭問題の対応の経緯を「理解できた」、「静かにお見守りしていきたい」と感想を延べたことをみてもわかるとおり、文書の公表や「解決金」の支払い(元婚約者がごねてすぐに受け取らない可能性もありますが)が結婚に向けての地ならしであることは間違いないでしょう。なんだか世間の人間たちに比べると、「カゴの鳥」の監視役である宮内庁の元警察官僚の方がマトモに見えるくらいです。

それにしても、メディアに煽られたとは言え、皇族の自由な恋愛&結婚に対して、「オレたちの税金で」という上から目線と、一方で言いがかりとしか思えない非現実的な潔癖性を求める(芸能人の不倫に対するのと同じような)あまりに性悪で冷淡な反応を見るにつけ、私には、ゲスの国民たちが自分のことを棚に上げて、時代にそぐわなくなった天皇制をいいように弄んでいるようにしか思えないのです。要するに、「カゴの鳥」は「カゴの鳥」らしくしろ、「カゴの鳥」にはそれにふさわしい結婚があるだろうということでしょう。眞子さんだけでなく、佳子さんもそうですが、そんな時代にそぐわなくなった天皇制に縛られる若い皇族たちはホンマに!?気の毒だなと思えてなりません。


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眞子さんに対する中傷
2021.04.14 Wed l 社会・メディア l top ▲
ミャンマー国軍による市民への弾圧は、日に日にエスカレートする一方です。クーデターの犠牲者は10日までに700人を超えたと言われています。迫撃砲やロケット弾を使って市民を虐殺しているという話も伝わっており、もはや常軌を逸した虐殺行為と言っても過言ではないでしょう。

ビデオニュースドットコムにリモート出演したヤンゴンの反対派市民は、兵士たちは麻薬や酒を与えられて弾圧行為を強いられていると言っていました。また、兵士たちが命令に背かないように、家族が半ば人質のようになっているとも言っていました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1044回)
ミャンマー危機における日本の責任を考える

もともとミャンマーの国軍は、設立以来、常に国内の少数民族の武装組織やビルマ共産党の掃討作戦を続けており、国軍は国防より警察と一体化した治安組織としての性格の方が強いそうです。そのため、国民に銃を向けるのもそんなに抵抗はないと言われています。

狙撃兵が道端で遊ぶ子どもを狙って撃ったり、アトランダムに民家に銃弾を撃ち込んだり、あるいはいきなり民家を襲撃して片端から若者を連行するなどという行為も行われているようです。連行された若者は、日本円で3万円とか5万円を払うと釈放されるという話もあるのだとか。このように狂気と化した国軍や警察によって、暴虐の限りが尽くされているのです。

上智大学の根本敬教授は、番組のインタビューで、国軍の経済利権について、国防省兵站部国防調達局という国防省内の一部局が2つの持ち株会社を所有しており、その2つの持ち株会社の下に150以上の大手企業が連なり、国軍はそれらから株主配当金を吸い上げるシステムになっていると言っていました。しかも、その株主配当金は非課税の上非公開なので実態は闇の中だとか。一説には、ミャンマーの国防予算の2500億円を上回る金額が上納されているという話もあるそうです。もちろん、その一部は国軍の幹部たちのポケットマネーにもなっているのです。

しかし、ミャンマーに対して最大の援助国であり、しかも、国軍と太いパイプがある(密接な関係がある)日本政府は、欧米とは歩調を異にし依然として制裁には消極的です。日本が援助を凍結すると、ミャンマーに経済的な空白が生じ、その間隙を突いて中国が進出してくるという、ネトウヨでおなじみの「中国ファクター」がその理由です。そのため、G7に参加する主要先進国として、一応クーデターを非難する声明は出すものの、制裁などに踏み切るつもりはなく、かたちばかりの声明でことを済まそうとする姿勢が見えると根本教授も言っていました。

前の記事でも書きましたが、ミャンマーに進出している日系企業は2020年末の時点で、433社に上るそうです。そのなかには、丸紅や三菱商事、住友商事、イオン、KDDIなど、日本を代表する大手企業も入っており、それらの多くは、何らかのかたちで、国防調達局傘下の持ち株会社に連なる会社と合弁事業を行なっています。そうやって”狂気の軍隊”を経済的に支えているのです。

国軍がやっていることはどう見ても戦争犯罪としか言いようがありません。だとしたら、”援助”の名のもとに彼らを経済的に支える日本政府や日本企業も、「人道に対する罪」は免れないように思います。

かつての宗主国であり、そして現在、最大の援助国として経済的に密接な関係のある日本は、間違っても傍観者の立場などではあり得ないのです。

JIJI.COM
NGOがユニクロ告発 ウイグル強制労働めぐり―仏

昨日、「中国・新疆ウイグル自治区での人権問題をめぐり、ウイグル族を支援するフランスのNGOなどは(略)、少数民族の強制労働で恩恵を受けているとして、人道に対する罪の隠匿の疑いで『ユニクロ』の仏法人を含む衣料・靴大手4社をパリの裁判所に告発した」という記事(上記)がありましたが、市民を虐殺するミャンマー国軍を経済的に支える日本企業に対しても、もっときびしい目を向ける必要があるでしょう。


追記:
根本敬教授らが、ミャンマーの民衆を支援するクラウドファンディングを立ち上げています。主催者は、「たとえ少額でもミャンマー市民への力強い応援歌になる」と支援を呼びかけています。また、発起人の今村真央山形大教授は、「かつての弾圧時にはなかったネットを味方に付け、民主主義を求めるミャンマーの人々を支えたい」とプロジェクトの目的を述べていました(朝日新聞デジタルより)。

緊急支援:クーデター下のミャンマー市民へ医療・食料支援を。
https://readyfor.jp/projects/justmyanmar21
2021.04.12 Mon l 社会・メディア l top ▲
東京オリンピックの聖火リレーが、3月25日から7月23日までの日程で、福島県の楢葉町及び広野町のJヴィレッジでスタートしました。Jヴィレッジというのは、東京電力によって原発建設の地域対策事業の一環として造られた全天候型のスポーツ施設です。その原発関連の施設から「復興五輪」を掲げて聖火リレーがスタートしたのです。原発事故で生活も人生も乱わされた(くるわされた)地域の人たちはどんな思いで、この「復興」の文字を掲げたセレモニーを見たのでしょうか。

早速メディアは、聖火ランナーに選ばれた震災で家族を亡くした男性が、亡き家族への思いを託して笑顔で走った、などという美談を報じています。主要な新聞社やテレビ局は、メディア委員会などに属するスポンサー企業なので、ここに来て開催ありきの本音を臆面もなく出し始めた感じです。

でも、一方で、変異ウイルスを中心にした感染拡大が止まりません。”第四次感染拡大”の懸念さえ出始めています。

このブログでも紹介した『感染症の世界史』の著者・石弘之氏は、下記のインタビュー記事で、「新型コロナウイルスはRNAウイルスという種類で、変異を起こしやすいタイプなので、大変なことになるかもしれない」と考えていたそうですが、実際そのとおりになりつつあります。

カドブン
人類史が教えるパンデミック収束の道筋と、コロナ後の世界

また、石氏は、次のように語っていました。

石:今回の新型コロナウイルスが収まっても、中国奥地に生息する自然宿主のコウモリには数百種のコロナウイルスの変異株が見つかっているそうです。そのなかには次の出番を待っているものがいるかもしれません。次の感染症に備えることも大切だと思います。

 もうひとつ気がかりなのは、私の友人で新型コロナウイルスに感染した人がいるのですが、7ヵ月後に再検査したら抗体がまったく消えていたそうです。ワクチンが普及してもどれだけ効果が持続するのか。ちょっと心配になります。


それに、ワクチンは毎年打たないと効果が持続しないという話もあります。インフルエンザなどを見てもわかるように、次々変異株が出て来るので、それに合わせたワクチンを定期的に接種する必要があるというのは、素人でも理解できます。

また、たまたま現在、私は膝痛でヒアルロン酸を注入されていますが、ヒアルロン酸は、ワクチンの代表的な副作用であるアナフィラキシーショックを起こしやすいと言われています。実際に、ヒアルロン酸の副作用に「アナフィラキシーショック」の記載がありました。膝痛のおっさんだけでなく、美容外科で皺取りにヒアルロン酸を使っている美魔女も要注意でしょう。

そもそも、日本のワクチンの接種率は、まだ1%にも満たないのです(3月26日現在0.03%)。

そういった現実を考えれば、オリンピック開催は狂気の沙汰のようにしか思えません。このまま開催に突っ走れば、間違いなくこの国は、その愚鈍ぶりを世界に晒すことになるでしょう。ざまあみろと言いたいところですが、もちろん、社会の一員である限り、無関係で済ますわけにはいかないのです。感染の恐怖を抱きながら、これからも正しく怖れていかなければならないのです。自分の身は自分で守るしかないのです。

自治体の長たちも、連日、飲食店の時短営業の延長や不要不急の外出自粛の要請など、感染拡大の危機感の共有を訴えていますが、しかし、不思議なことに、誰ひとり開催反対を表明する者はいません。不要不急の外出を控えるようにと言いながら、聖火リレーはマスクもしないランナーたちによって、天下の公道で堂々と行われているのでした。

国家が行うことに対して、野党も自治体の長もメディアも誰ひとり反対する者がいない。「オリンピックなんてやってる場合じゃないだろう」と誰も言わない。これこそ”プチ全体主義”と言えるのではないか。中国やロシアの全体主義を批判する資格はないのです。

新型コロナウイルスで一抜けた(と主張する)中国は、未だコロナ禍の真っ只中で右往左往している世界を尻目に、中華思想の再来を彷彿とするような覇権大国への道を突き進んでいます。既に香港やミャンマーで全体主義=社会帝国主義の影響力の行使がはじまっています。それは、おぞましいとしか言いようのない光景です。

一方、香港やミャンマーに対する米欧西側諸国の対応は誰が見ても心許ないものです。日本に至っては、米欧が提唱する中国への制裁について二の足を踏んでいるようなあり様です。ミャンマーについても、戦争中のいきさつから日本政府は国軍と密接な関係にあり、制裁に後ろ向きだと言われています。過去の軍政下においても、欧米が制裁に舵を切るなかで、日本政府は一貫して経済的な支援を行い、軍政を支えてきたのでした。ジェトロ(日本貿易振興機構)によれば、2020年末の時点でミャンマーに進出している日系企業は433社に上るそうです。しかも、その多くは国軍の経済的利権の根っこにある国軍系企業と合弁事業を行っています。しかし、今回のクーデターで国軍系企業との取引きを見直すと表明したのは、キリンビールだけです。日本は、実質的には国軍を支援する中国やロシアと同列なのです。日本のメディアが心配するのも、民衆への弾圧よりも、制裁によって、日系企業がビジネス上の被害を蒙るのではないかということです。挙句の果てには、曖昧な立場だからこそ、国軍と欧米を仲介する役割を期待できるなどと言い出す始末です。

西側諸国の対応が心許ないために、香港やミャンマーの民衆の抵抗運動は孤立し、独裁権力の弾圧のなかで苦闘を強いられています。そのために、悲劇はどんどん増すばかりです。それどころか、国軍のクーデターに抗議の声を上げる在日ミャンマー人たちに対して、ネトウヨや自粛厨は、「コロナ禍で迷惑だ」「ミャンマーに帰れ」などと罵声を浴びせているのでした。

全体主義に対して全体主義で対抗する。トランプ政治であきらかになった”全体主義の時代”がポストコロナの世界の主流となるのは、もはや既定路線のようになっています。

コロナ禍において「ファシスト的公共性」を希求する大衆の心情が(みずからの基本的人権を何のためらいもなく国家に差し出す大衆の”動員の思想”への回帰が)、このような流れを作り出しているのは否定し得ない事実でしょう。

ただ、こういった国家に依存した”全体主義の時代”は両刃の剣でもあるのです。今回のコロナ禍で露わになったように、盤石だったと思われていた国家が機能不全に陥ることだってあるのです。

斎藤幸平は『人新生の「資本論」』(集英社新書)で次のように書いていました。

    (略)危機の瞬間には、帝国的生活様式の脆弱さが露呈する。実際、コロナ感染の第一波が襲った瞬間、先進国では、マスクも消毒液も手に入らなかった。安くて、快適な生活を実現するために、あらゆるものを海外にアウトソーイングしてきたせいである。
   また、SARSやMERSといった感染症の広がりが、遠くない過去にあったにもかかわらず、先進国の巨大製薬会社の多くが精神安定剤やED(勃起不全)の治療薬といった儲かる薬の開発に特化し、抗生物質や抗ウイルス薬の研究開発から撤退していたことも、事態を深刻化させた。その代償として、先進国の大都市は、レジリエンス(障害に直面した際の復元力)を失ってしまったのだ。


そして、「こうした問題は、『価値と使用価値の対立』として、マルクスが問題視していた事柄にほかならない」と書いていました。

資本の価値増殖のために、本来の人間の経済活動の目的であった使用価値は価値に従属されるようになったのです。国家をリバイアサン(怪物)と呼んだのはホッブスですが、資本主義社会では資本こそがリバイアサンなのです。その最たるものがネオリベラリズムでしょう。ネオリベは、みずからの出自である国民国家さえ足手まといだと言わんばかりに飛び越えて、世界市場で文字通り野蛮なリバイアサンとして、価値増殖の猛威を振るうようになったのでした。

つまり、斎藤幸平のことばを借りれば、非合理的な資本主義社会では、「命を救う」ワクチン(使用価値)より儲かるEDの薬(価値)が優先されるのです(ただ、今回のパンデミックでは、開発競争を制したファイザーやモデルナ、アストラゼネカなどの世界的医薬品メーカーは、莫大な利益=価値を手にすることになりました。ちなみに、ワクチン1回分の売価は、1400円〜1600円と言われています)。

もとより、今回のオリンピック開催においても、「価値と使用価値の対立」が露わになっているように思えてなりません。国民の健康より、オリンピックに商業的な利益(=価値増殖)を求める資本の都合が優先されるのです。オリンピックに先行投資した彼らにとって、やめるなんてあり得ない話でしょう。これこそ資本の野蛮な性格が如実に表れているように思います。もちろん、そのなかには、新聞社やテレビ局などのマスメディアも含まれています。だからよけいタチが悪い。

斎藤幸平は、「『コミュニズムか、野蛮か』、選択肢は二つで単純だ!」と書いていましたが、ここで言う「コミュニズム」というのは、脱成長を前提にした自治管理や相互扶助に基づいた社会のことで、間違っても、中国のような人民の一挙手一投足が徹底的に管理されたディストピアのような(”思想の生産力主義”に呪縛された)社会のことではありません。

でも、前も書きましたが、私はきわめて悲観的です。ポストコロナの世界は、やはり、全体主義で全体主義に対抗する、”全体主義の時代”が私たちの頭上を覆うような気がしてなりません。


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感染症の世界史
2021.03.27 Sat l 社会・メディア l top ▲
こんな床屋政談みたいなことばかり書いても虚しくなるばかりですが、1都3県に出されていた緊急事態宣言は、明日(21日)で全面解除されることが決定しました。それにつけても、今回の緊急事態宣言はなんだったのか。まして、2週間の延長なんて、文字通りの蛇足だったとしか思えません。

緊急事態宣言の愚策については、ノンフィクションライターの窪田順生氏が、DAIAMOND onlineに書いていた下記の文章が正鵠を得ているように思いました。

DAIAMOND online
根拠なき緊急事態宣言延長で「経済死」を国民に強いる日本は75年前のまま

政治家や官僚の事なかれ主義は言わずもがなですが、いつの時代もおまかせな”翼賛体制”を無定見に欲する国民のあり様も問題でしょう。先の戦争でもそうですが、国民は無謀な政治に引きずり込まれた犠牲者ではないのです。みずからそれを欲したのです。緊急事態宣言の解除についても、世論調査では反対する声が多数です。しかし、一方で、自粛破りする自分を「自粛疲れ」などと弁解することも忘れないのです。こういう身勝手さこそ衆愚の所以でしょう。

おととい(木曜日)の深夜2時すぎ、所要で池袋の西口を車で通りました。飲食店は午後8時までの時短要請が行われているので、飲み屋街も寝静まっているのではないかと思っていましたが、あにはからんやコロナ以前の”眠らない街”の光景がそのままありました。

私も山に行っているので他人のことをとやかく言えないのですが、特に若者の姿が目立ちました。通りを千鳥足で歩いているだけでなく、地べたに座り込んでいる若者もいます。飲食店が入ったビルからは若者のグループがぞろぞろ下りて来て、舗道で嬌声を上げながら騒いでいました。通りの角に立ち、客引きをしている若い女の子たちもいました。

店の看板の照明は消されているものの、通りは煌々とした灯りに照らされて、まさに不夜城といった感じでした。飲み屋街から少し行った北口の通りには、深夜で駐車違反の取り締まりがないからなのか、路上駐車の車がずらりと停まっていました。どう考えても、飲みに来た人間たちの車だとしか思えません。

また、飲み屋街のなかの通りは、路肩に客待ちのタクシーが列を作って停まっているため、通り抜けるのもひと苦労するほどでした。しかも、タクシーの間から酔っぱらいがふいに飛び出してくるので、運転していても気が抜けません。そのあたりは、2014年に合法(脱法)ドラッグを吸引した男性が運転するRV車が舗道を暴走し、1人が死亡6人が重軽傷を負う事故のあった通りです。街の光景は、その頃と寸分も違わないのでした。

有名無実化した緊急事態宣言。しかし、政府は緊急事態宣言の効果を自画自賛しています。また、解除に伴って、猛威を振るいつつある変種ウィルスに対するモニタリング検査の拡充など、今後の感染対策の5大方針も発表されました。飲食店の時短営業も当面は継続されるそうです。でも、それらは、今まで何度もくり返されてきた空念仏にすぎません。

時短営業では、一日6万円の協力金(東京都の場合)で”コロナバブル”に沸いている店もあると言われています。飲食街で貸しビル業をやっている知人は、店をやめると言っていたスナックの高齢の経営者が、協力金で急に元気になり、不労所得で手に入れた優雅な日々を謳歌していると笑っていましたが、そういった話もめずらしくないでしょう。知人は、コロナが終息して協力金を貰えなくなったら、スナックは予定通り閉めるだろうと言っていました。

知人は、役人のことを「あいつら」という言い方をしていましたが、「あいつらは、原資が税金なので、やっていることがザルなんだよ」と憤慨していました。”Go To Eat”の申請書についても、「ものすごく立派な封筒が届いたのでびっくりしたよ」「普通の封筒でいいと思うけど、そうじゃないんだ。特注の分厚い封筒で、どれだけお金をかけているんだと思ったよ」と言っていました。

でも、”コロナバブル”で旅行三昧のスナックのママなんてまだかわいいものです。”Go To Eatキャンペーン”では、ポイント付与業者に選ばれた菅総理のスポンサー企業であるぐるなびなどは、目もくらやむような莫大な収益を上げて、場末の飲食店などとは桁違いの”コロナバブル”を謳歌しているのでした。

もっとも、国家を食い物にしているのは、政治家やそのオトモダチ企業だけではありません。「あいつら」も同じなのです。

立憲民主党の辻元清美議員は、山田真貴子内閣広報官が東北新社の菅総理の息子らから接待を受けていた問題について、「安倍政権のときは、森友(学園の問題)で財務省が振り回されて自殺者まで出したけど、菅政権でも、今度は息子さんで優秀な女性官僚が潰されたという側面もあるんじゃないか」(朝日新聞デジタル)と記者団に述べたそうですが、辻元議員は「地頭は転んでも只では起きない」という諺を知らないのかと思いました。

国が掲げる某看板政策に関わり、その政策を実行するための関連団体(天下り団体)から委託されて実働部隊の仕事をしていた別の知人も、「あいつらは乞食と同じだよ」と常々言っていました。”たかり”は、中央の官僚から地方の末端の役人まで、規模の違いこそあれ、地頭の時代からずっと続いている、公務員の習性とも言えるものなのです。私も若い頃、似たような経験をしたことがありますが、仕事で公務員と関わったことがある人なら、そういった公務員の卑しさを痛感した人は多いはずです。

それは、日本の社会が官尊民卑のイデオロギーに縛られているからにほかなりません。「優秀な官僚」以前の問題なのです。辻元議員の発言も、官尊民卑のイデオロギーを前提にしたものにすぎないのです。

その結果として、国会でのあの人を食ったようなデタラメな答弁があるのだと思います。憲法では、国会は「国権の最高機関」と謳われていますが、彼らにはその認識は微塵もないのでしょう。でないと、「国権の最高機関」である国会を愚弄するようなあのようなデタラメな答弁は出て来ないはずです。彼らは公僕ではなく、ときの政権の下僕にすぎないのです。内閣人事局の創設で、官邸に生殺与奪の権利を握られたということもあるのでしょうが、彼らこそ上にヘラコラし下に威張る”ヒラメ上司”の典型と言えるでしょう。この場合の上は与党政治家で、下は国民です。

今回の問題は、「優秀な官僚」がどうたらではなく、国家の仕組みそのものを根本から変えなければどうにもならないということを示しているのです。まさに革命待望のような話なのです。しかし、野党議員には、その思想も気概も認識もないのでした。いみじくも福島みずほが言ったように、カレーライスをライスカレーと言い換えて、「優秀な官僚」はそのままに、同じ権力の移譲を求めているだけです(でも、移譲なんて永遠にあり得ない)。

いわゆる左派リベラルと呼ばれる、未だ”革新幻想”に囚われた観念の屍のような人たちは、それこそ目を皿のようにして与党と野党の違いを探し出し、立憲民主党のような保守政党に同伴することで”政治を変える”運動をしているつもりになっているようですが、それはうんざりするような前時代の遺物の光景でしかありません。彼らは、二大政党制幻想と政党助成金と小選挙区比例代表並立制がセットになった政界再編なる”翼賛体制”に、みずからが組み込まれているという自覚さえないのです。与党も野党も、そして左派リベラルも、所詮は同じ穴のムジナと言うべきでしょう。
2021.03.20 Sat l 社会・メディア l top ▲
東北新社に勤務する長男らによる総務省幹部の接待問題を見るにつけ、(前も書きましたが)菅総理は政治家ではなく政治屋なんだとあらためて思えてなりません。所詮は、(市会議員には悪いけど)市会議員レベルの人間なんだなと思います。

菅総理は、官房長官のイメージが強いのですが、もともとは総務省に絶対的な影響力を持つ”総務省のドン”と言われてきました。それは、小泉政権下で総務副大臣を任命されたときまで遡ります。第3次小泉改造内閣の竹中平蔵総務大臣のとき、「総務副大臣(情報通信、郵政担当)として総務省内部統制のトップを任され、事実上人事権なども行使」(ウィキペディア)し、総務省に睨みをきかせるようになったのでした。さらに、第1次安倍内閣で総務大臣として初入閣してからその権勢を絶対的なものにしたのです。

みずから政権を手にしてから、携帯料金の引き下げやデジタル庁新設などの目玉政策を打ち出しましたが、それもひとえに菅総理が自他ともに認める”総務省のドン”だからにほかなりません。

また、東北新社は、創業者の故植村伴次郎氏(2019年没)が菅氏と同郷(秋田県出身)だったことから、JR東日本やぐるなびなどとともに菅氏の有力なスポンサー企業になっていました。今回の接待問題が発覚してからも、過去に500万円の政治献金を受けていたことがあきらかになっています。もちろん、そこには持ちつ持たれつの関係がありました。

明治学院大を卒業したものの就職もせずにバンド活動をしていた長男を、何の社会人経験がないにも関わらず、総務大臣時代にみずからの秘書官(特別職公務員)に抜擢して世間の顰蹙を買ったのですが、その理由について、菅氏は雑誌の取材で、「バンドを辞めてプラプラしていたから」と言ったそうです。

しかし、秘書官も半年しか続かず、そのあと、後援者の植村氏の伝手で東北新社に入社したのでした。東北新社は、総務省から衛星基幹放送事業者の認可を受けている会社です。コネ入社した長男はとんとん拍子で出世して、今回の問題が発覚する前までは、30代の若さで、本社の部長と子会社の衛星放送「囲碁将棋チャンネル」の取締役を兼務していたのでした。そのためかどうか、衛星放送は今や東北新社の売上の4分の1を占めるまでになっているそうです。東北新社にとっても、菅様々なのです(もちろん、父親の方ですが)。

余談ですが、文春に載った長男の目線入りの写真を見て唖然とした人も多いのではないでしょうか。長髪・口髭で、だらしなくネクタイを緩め、咥え煙草でスマホを見ているそのチャラい姿は、まるで福富町(註:横浜の風俗街)あたりの路上でたむろしている悪ガキみたいです。東北新社では、こんな人物が本社の部長と子会社の取締役を兼務していたのです。彼の下で働く社員たちが気の毒でなりません。しかも、子どもまでいて、一家でみなとみらいのタワーマンション(億ション)に住んでいるというのですから二度びっくりです。秘書官時代、まったく仕事ができないので、まわりから「バカ息子」と陰口を叩かれていたそうですが、それが東北新社ではえらい出世なのでした。

ひとり74,203円のステーキ&海鮮ディナーにも目が点になりました。国民年金を40年払い続けても、貰える年金は年間781,700円で(平成20年現在)、月に直すと65,141円です。それが国民年金の満額です。日本は豊かだという幻想がありますが(一部のアホな国民がそう自演乙していますが)、実際は、明日の1万円、いや1万円どころか千円もなくてみずから命を絶つ国民が少なからずいるような国なのです。生活保護の中の生活扶助費(食費・被服費・水道光熱費等の日常生活に必要な経費。家賃は除く)の支給額は、68歳の高齢者単身世帯だと、東京都で月額80,870円、地方で65,560円です(平成28年度の概算)。それでも個人で申請に行っても、自助を口実に追い払われるのがオチです。東京都の調査によれば、ネットカフェで生活するいわゆるネットカフェ難民は都内だけで4千人もいるそうです(2019年調査)。そんな現実はどこ吹く風で、「バカ息子」と「バカ息子」の父親が「総務省初の女性事務次官にしてやる」と言ってはばからないほど寵愛する女性官僚は、ひとり当たり74,203円のステーキ&海鮮ディナーに舌鼓を打ちながらオダを上げていたのです。こういうのを「上級国民」と言うのでしょう。

「バカ息子」だけではありません。菅氏の実弟も、スポンサー企業のJR東日本の関連会社にコネ入社したと言われているのでした。

Yahoo!ニュース
文春オンライン
菅義偉首相の実弟が自己破産後、JR企業の役員に就任していた

上記の記事によれば、実弟は菅氏が横浜市会議員になった2年後の1989年に菓子店を起業し、「八重洲中央改札近くの『銀の鈴』そばのコンコース(大通路)という一等地」にあるキオスクでお菓子を売っていたのだとか。しかし、2002年に倒産し、実弟も東京地裁から自己破産宣告を受けたのでした。

ところが、そのあとびっくりするような”人生の逆転劇”が待っていたのでした。

 (引用者註:実弟は)半年ほど病院で介護職を務めた後、JR東日本の子会社である千葉ステーションビルに営業部付きの部長として入社していたのだ。2010年には取締役にも就任し、2017年まで務めている。

 千葉ステーションビルは海浜幕張、津田沼、西船橋など10の駅ビルを運営しており、年間400億円近くを売り上げる優良企業だ。277店舗のテナントが入居する中核の千葉駅「ペリエ千葉」は、数あるJR東日本管内の不動産・ホテル事業のなかでも3番目の規模を誇る。


入社したとき、実弟は既に50歳を越えていたそうです。自己破産して、病院で介護の仕事をしていた50歳を越えた男性が、いきなり優良企業の部長として再就職するなんて話は、そうそうあるものではないでしょう。初老のおっさんには似合いませんが、なんだか韓流ドラマのシンデレラストーリーを彷彿とするような話です。

ちなみに、JR東日本グループの千葉ステーションビルは、社員125名(2020年6月現在)で、資本金2億円、売上高は515億2千5百万円(2019年度テナント売上高)の会社です。しかも、弟は役員にまでなっているのです。ここでも「バカ息子」同様、電光石火の出世をしているのでした。JR東日本は、1987年の国鉄分割民営化によって誕生した会社です。民営化に際しては、新会社が選別した1047名の国労組合員が再雇用されず解雇されています。千葉ステーションビルもそういった犠牲(不当労働行為)の上にできたグループ会社です。まさに革命上等のような話でしょう。

人事権を駆使して官庁を”恐怖支配”するやり方については、下記の朝日の記事に具体的に書かれていました。それは、市役所の人事に介入することで、「影の横浜市長」と言われた横浜市議時代に培ったものなのです。言うなれば”横浜方式”とも言えるものです。

朝日新聞デジタル
(未完の最長政権)「課長を飛ばしたよ」(有料記事)

 「OBが人事を決めている省もある。総務省の人事はどういうふうに決まるんだ? OBはどのぐらい力があるんだ?」

 第2次安倍政権で官房長官を務めた菅義偉は2006年9月、第1次政権で総務相に就いた。着任早々、総務省幹部にこう尋ねたという。

 幹部が「うちはOBは決めていません」と答えると、菅は即座に続けた。「人事権を持っているのは誰だ?」。幹部が「大臣です」と答えると菅は「そうだよな、権限は使わないと意味がない」。省庁の人事権は閣僚が持つと法的に定められているのに、事実上は、各省の現職官僚、そしてOBが決める霞が関の体質を菅は嫌っていた。


そして、NHKの受信料値下げに対して、「そう簡単ではない」と発言した担当課長を更迭したときの菅氏の様子について、同省元幹部は次のように語っています。

 同省元幹部は、更迭直後の菅の様子を明確に覚えている。これまで多くの大臣が使わなかった権力を行使したことに興奮を隠せない様子で「課長を飛ばしたよ、飛ばしてやったよ」と言ったという。


そうやって”総務省のドン”としての地歩を築いて行ったのでしょう。

出世がすべての官僚にとって、人事権を握られることは絶対的な服従を強いられるほどの恐怖があります。さらに、菅氏は、政治主導の名のもとに、内閣人事局の創設を主導し、霞が関そのものをかつての横浜市庁舎と同じように”恐怖支配”することに成功したのでした。

それは、官僚だけではなくメディアにおいても然りです。「断らない女」山田真貴子内閣広報官を使ったメディア支配については、下記のNEWSポストセブンが詳しく書いていました。

文春といい、週刊誌の奮闘が目立っていますが、それはとりもなおさず新聞やテレビなどのマスメディアが権力の支配下に置かれ、ジャーナリズムの牙をぬかれているからでしょう。もっとも、かつての『噂の真相』のように、記者たちが自社で記事にできないネタを週刊誌に持ち込んでいるということもあるかもしれません。上層部が権力者と懇ろになり、完全に取り込まれていることに対するうっぷん晴らしという側面もあるのかもしれないのです。

Yahoo!ニュース
NEWSポストセブン
7万円ステーキ汚職の総務省が「文春にリークした犯人捜し」に血眼になっている

長くなりますが、引用します。

 そもそも山田氏の広報官としての強権ぶりは官邸記者たちにすこぶる評判が悪かった。会見に参加する記者たちから事前に事細かに質問内容を聞き出し、それをもとに官僚が「答弁書」を作り、菅首相はお得意のペーパー読み回答をするだけだった。こんなものは記者会見とは呼ばない。中国か北朝鮮の国営メディアのインタビューと同じである。その会見で山田氏は、政権の意に沿わない質問をする記者は徹底的に無視して、いくら手を挙げても指さない。首相の答えに納得せずに食い下がる記者を制止し、最後は「このあと日程があります」と、質問の途中でも強引に会見を打ち切って首相を逃がすガードマンの役割だった。

 そもそも首相会見は記者クラブが主催しているものだ。山田氏に司会をさせて、その傍若無人を許している記者クラブのほうこそ情けないのだが、それでも山田氏に逆らえない理由が大手マスコミにはある。それこそ、今回の菅正剛氏(菅首相の長男)による高額接待の舞台となった総務省「情報流通行政局」の存在である。

 この部署は2008年に新設された新しいセクションで、その生みの親こそ、第一次安倍内閣で総務大臣を務めた菅氏だった。ここにNHKから民放、衛星放送まですべての許認可を集中させ、系列の新聞社を含めて大手マスコミに睨みを利かせる“放送マフィア”の役割を担わせた(ちなみに電波の割り当てを行う総合通信基盤局は「電波マフィア」と呼ばれる)。安倍内閣、菅内閣を通じて政権がマスコミに高圧的に接し、会見は適当、NHK人事にまで介入したと疑いをかけられてきたのは、この放送マフィアの存在ゆえだ。総務省のドンである菅氏は、この局にお気に入りの菅派官僚を集め、マスコミ支配の道具にしてきた。山田氏も総務省時代に同局の局長を務めたマフィアのボスである。


何度も言いますが、菅義偉は政治家ではなく政治屋なのです。政治屋が総理大臣になったのです。そして、その政治屋に急所を握られた大手メディアは、いいように手玉に取られてきたのでした。
2021.02.27 Sat l 社会・メディア l top ▲
Yahoo!トピックスに「アパレル苦境 相次ぐ人員削減」という東洋経済の記事が掲載されていました。

Yahoo!ニュース
東洋経済オンライン
アパレル苦境で「人減らし」の嵐がやまない 三陽商会、ワールドなど相次ぎ希望退職の発表

コロナ禍の自粛によってアパレルが売れなくなったのは、誰でも容易に理解できることでしょう。先日、近所のクリーニング店に行ったら、売上げが半分以下に落ちて廃業の危機だと店主が嘆いていました。特にワイシャツの落ち込みが大きいと言ってましたが、もちろんワイシャツだけでなく、いわゆる通勤着をクリーニングに出す頻度も少なくなっているはずです。ほかに、リモートワークとマスクの影響で化粧品の落ち込みも大きく、資生堂もとうとう赤字に転落しました。

ただ、アパレルの苦境は今に始まったことではありません。モードの時代はとっくに終わっているのです。自分を振り返ってみればわかりますが、もうおしゃれをして街を歩くことに高揚感を覚えることはなくなったのです。言うなれば、コロナ禍でとどめを刺されたにすぎないのです。

文化的な最先端の商品であるアパレルが売れなくなったのは、現代の先進資本主義が行き詰ったことを意味しているのです。アパレルの苦境は、現代資本主義の苦境を映し出しているのです。

アメリカの若者たちの間では、社会主義者のバーニー・サンダースがカリスマ的な人気を博していますが、アパレルが売れなくなったということと、バーニー・サンダース人気は無関係ではないのです。それは、牽強付会な話ではありません。既にそうやってポスト資本主義を模索する流れが始まっているのです。見方によっては、”トランプ現象”もその流れのひとつとも言えるのです。世界は間違いなくポスト資本主義に向けて流動化しているのです。そして、ポスト資本主義のキーワードが、右か左かではなく「上か下か」だというのももはや自明です。

私は、以前、『誰がアパレルを殺すのか』という本に関連して、アパレルの低迷が現代資本主義の”宿痾”を表しているという、以下のような記事を書きました。ご参照ください。

ちなみに、下記の記事の中で触れている総務省の家計調査による「1世帯当たりの年間の被服及び履物の消費支出額」に関して言えば、2000年と最新データの2020年を比較すると、2000年が182,266円で2020年が92,291円です。この20年で何と半分になっているのです。


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『誰がアパレルを殺すのか』
2021.02.19 Fri l 社会・メディア l top ▲
オリンピック・パラリンピックの招致に関しては、投票権があるIOC(国際オリンピック委員会)委員たちに対する買収疑惑がずっと以前より指摘されてきました。それは、東京オリンピックも例外ではありませんでした。JOC(日本オリンピック委員会)の竹田恒和会長(当時)も、東京オリンピック開催のために、一部のIOC委員に200万ユーロ(約2億5000万円)を支払ったとしてフランスの検察当局の捜査対象になりました。そのため、一昨年の6月、任期満了をもって退任したのですが、それは実質的な引責辞任だと言われています。

東京五輪の疑惑については、2019年1月にロイターのEdward Hadasという記者が、下記のようなコラムを書いていました。

PEUTERS
コラム:東京五輪にも疑惑浮上、「不正の連鎖」断ち切れるか

(略)過去数十年、五輪の開催国は常に損失を出してきた。日本も例外ではない。東京五輪の組織委員会は放映権や企業のスポンサー料、チケット販売などで約6000億円の収入を見込んでいる。一方、日本の会計検査院は、関連経費を含めた支出は2兆8000億円超になると指摘している。

これでは賄賂に支払う財源などないように見えるかもしれない。しかしコストの大半は、専用の競技施設や選手の宿泊施は無駄にならないとの皮算用をはじく政府が負担している。収入のほとんどを手にする各国の五輪委員会とIOCは、少なくとも競技が実際に始まるまで資金繰りに余裕があるものだ。

つまり、ばらまく現金は存在する。そして、開催地を決めるIOC総会で投票権を持つ96人の委員のうち、少なくとも一部の票は買収し得る。

なぜ赤字の大会を開催するために金を払うのか。施政者が成功というシンボルを手に入れたいからだ。世界から注目を集めるとともに、オリンピック精神の輝きを手に入れることができる。これまで多くの影響力ある人たちが、スポーツイベント開催の栄光に浸るため、倫理を無視してカネを払うこともいとわない姿勢を取ってきた。


安倍総理は、東京五輪は東日本大震災の被害から「力強く復興しつつある被災地の姿を、世界に見てもらうため」の「復興五輪」だと言っていました。一方、菅総理は、五輪開催は「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証し」だと言っています。開催理由なんて、そのときどきの都合で変わっていくのです。ホントはどうだっていいのでしょう。

また、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の職員数は、開催するまでに7000人~8000人に増やす予定だと言われていましたが、今年1月時点で3500人です。それとは別に、理事が35名、参与や評議員や顧問、各委員会の委員などが100名以上います。

これらの人員に対して、当然報酬が払われています。理事には最大年間2400万円の報酬が支払われているという話もあります。昨年12月に公表された最新データによれば、総経費は1兆6440億円で、開閉会式の制作等の業務委託をしている電通との契約金額は165億円だそうです。

言うなれば、これは五輪招致で生まれた既得権益です。中止になれば、この既得権益が一瞬で失われるのです。仮に中止にするにしても、できる限り先延ばしにしようと考えてもおかしくないでしょう。それは税金を食い物にする公務員の習性のようなものです。

しかし、メディアは、開催が近づくにつれ、オリンピックに関する疑惑を報道することはなくなりました。五輪開催の問題が、あたかも森個人の問題であったかのように報道するだけです。それが問題のすり替えであるのは言うまでもありません。

IOCは無観客の開催も視野に入れているようですが、もしそうなれば、菅総理は観客のいないスタンドに向かって、開催は人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証しだと演説して胸を張るのでしょうか。これほど滑稽な光景はないでしょう。

昨夜の福島県沖のマグニチュード7.1の地震は、10年前の地震の余震だと言われていますが、この余震が開催をいっそう困難にする可能性もあるでしょう。

ワクチンが、ホントに感染収束の”魔法の薬”になるのか誰もわからないのです。ただ、そうなればいいと思っているだけです。しかも、そのワクチンさえ国民全員に行き渡らない中で、開催を強行すると言うのです。狂気の沙汰としか思えません。一体誰のために、何のために開催するのか、という疑念を抱かざるを得ません。どう考えてもオリンピックなんてできるわけがないのです。


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東京五輪とメディアの病理
2021.02.14 Sun l 社会・メディア l top ▲
噂の真相2000年6月号2


今はなき『噂の真相』は、現在、日本中から袋叩きに遭っている森喜朗が、早稲田大学の学生時代に、売春等取締条例(売春防止法の前身)違反で警視庁に検挙された前歴があることをスッパ抜いたのでした。それは、彼が内閣総理大臣に在任中のことでした。また、記事では、彼がマスコミから「サメの脳ミソ、ノミの心臓、だが下半身はオットセイ」とヤユされていると書いていました。

その記事が掲載された『噂の真相』の2000年6月号から一部を抜粋します。

今回、本誌の取材に匿名で応じてくれた警視庁OBが重い口を開く。
「あれはそう、今から40年ほど前、確か昭和33年のことだった。その年の4月に赤線(半ば公認された売春地域)を廃止する売防法が施行されるというんで、2月1日から青線(非公認の売春地域)や白線(もぐりの売春)業者の一斉摘発に乗り出したんだ」
(略)
   一方の森は当時20歳。早稲田大学商学部にコネで入学し、ラグビー部に入部したものの胃潰瘍を患って退部。雄弁会に入るまでは酒浸りの日々を送っていたという。警視庁OBが続ける。
「その年(昭和33年)の2月17日から18日にかけて、新宿や浅草などの青線、白線業者を売春等取締条例違反などで一斉摘発し、業者や女、客ら20人近くを検挙したんだが、その客の中に、当時まだ早稲田の学生だった森、そう、今の総理大臣がいたんだよ」
(略)
「売防法と違って、当時の条例は売春業者側だけじゃなく、客も検挙したからね。森は検挙された客の一人だった。一目見ていいところの坊ちゃんだと思ったよ。結局、石川県では有名なエライ町長さんの息子で、将来もある若者だということで、1週間くらいで起訴猶予になったと記憶している」

(『噂の真相』2000年6月号 「サメの脳ミソ」と「ノミの心臓」を持つ森喜朗”総理失格”の人間性の証明)


この記事に対して、森側は名誉棄損で民事訴訟を起こしました。それに対して、『噂の真相』は、検挙された際の事件番号や指紋等の証拠を裁判所に提出。裁判所から証拠の真偽を求められた警視庁は回答を拒否。結果的に、森側も示談金も謝罪もなしで和解することに同意したのでした。

尚、同記事では、検挙された件だけでなく、「下半身がオットセイ」の面目躍如たるさまざまな醜聞も書かれていました。そんな森は「文教族」のドンで、常々日本人のモラルの低下を嘆き、あるべき愛国教育の必要性を唱えていたのでした。

言うなれば、女性差別(蔑視)発言は出るべくして出たと言えるのです。

そんな「サメの脳ミソ」の女性差別(蔑視)発言に対して、内外から批判の嵐が止まりません。それどころか、当初、擁護もしくは黙認していたIOCのバッハ会長やJOCの山下泰裕会長、小池百合子東京都知事や橋本聖子オリンピック担当相や自民党の「名誉男性」である野田聖子議員や稲田朋美議員、果てはワイドショーのコメンテーターの山口真由までもが、次々に手の平を返して批判に転じているのでした。その豹変ぶりは見事と言うほかありません。

中でもいちばん見事な手の平返しは、森発言を受けてオリンピックのボランティアを辞退した人間たちでしょう。彼らこそ、いけ好かないカマトトと言うべきです。ボランティアを辞退した人間たちに対する二階の発言が顰蹙を買っていますが、しかし、二階に痛いところを突かれたと言えなくもないのです。

それに忘れてはならないのは、このような手の平返しの風見鶏たちは、オリンピック開催に異議を唱えているわけではないということです。オリンピックを開催する上で、森発言が阻害要因になったと考えているにすぎないのです。

一方で、森に引導を渡せないのは、森がオリンピックを巡る利権の采配に絶大の力を持っているからだと見方がありますが、さもありなんと思います。

私は、以前、JOCの山下泰裕会長についても、森と同じように「サメの脳ミソ」であるかのような書き方をしましたが、そんなJOCの中で唯一マトモな意見を発信している山口香氏が、スポーツジャーナリストの近藤春夫氏によるインタビュー記事の中で、東京五輪の闇の部分について、次のような発言をしていたのが目に止まりました。

Yahoo!ニュース
山口香JOC理事「国民が五輪開催のリスクを負うことが問題」契約の不透明さに疑義

「(略)それに五輪に関してオープンにされていないことが、あまりにも多いんです。

たとえば今回、『IOCが中止を発表するか、東京が返上するか、それによって違約金の問題が生じるからチキンレースだ』みたいに言われていますよね。でも本当のところは私も知りません。なぜならば、IOCと東京都が、どのような契約を結んでいるかがオープンにされていないからです。こんな状況下では開催できないと東京が返上した時に、どれだけの違約金を支払うのかは契約時に決まっているはずです。それを国民にオープンにするべきではないでしょうか。

それが開示されたならば国民の判断材料になります。コロナ対策費と比べてどうなのか、五輪を開催すべきかやめるべきなのかを、お金=税金の観点からも考えることができます。なのに、この部分が国民に知らされていないのはおかしいんですよ」

──五輪に関してはブラックボックス化されていることが多くあるように思います。今回を機に、もっとオープンにされるべきですね。

「ええ。私は今回の五輪に関しては、日本国民の思いが大事だと思っています。IOCから押し付けられるものではないでしょう。そのために、判断材料となる正確な情報が国や組織委員会から発信されるべきなんです」


どういう契約になっているのか、JOCの理事すら知らないというのは、驚くべきことと言わねばならないでしょう。ここでも、政府と大会組織委員会の「由(よ)らしむべし知(し)らしむべからず 」の姿勢が存在するのです。

山口香氏が言うように、国民は〇〇〇桟敷に置かれているのです。国民はもっと怒るべきでしょう。ホントにオリンピックどころじゃないと思っているのなら、ミャンマーの国民のように声をあげるべきでしょう。オリンピック開催の問題には、私たちの命と生活がかかっていると言っても大袈裟ではないのです。

くり返しますが、今になって手の平を返している人間たちは、間違っても開催することに反対しているわけではないのです。ただ阻害要因を一掃して、開催にごぎつけようと思っているだけです。それは、森叩きに狂奔しているメディアも同様です。彼らも東京五輪の利権に連なっているわけですから、本心は開催されないと困るのです。

要するに、「サメの脳ミソ」の森は、オリンピック開催のためにスケイプゴートにされている(されつつある)のです。そのために現在(いま)、さまざまな政治的な思惑が交錯する中で、開催を前提にした悪あがきのような綱引きが行われているのだと思います。

追記:
ダークな東京五輪を象徴する(電通と二人三脚の)森喜朗にはがんばって貰いたいと思っていたのですが、辞任のニュースが流れてがっかりしました。最後に「ノミの心臓」の弱点が出た感じです。メディアは調整役がいなくなって開催が益々不透明になったみたいな言い方をしていますが、くれぐれも眉に唾して聞く必要があるでしょう。オフィシャルパートナーやメディア委員会に名を連ねる新聞社やテレビ局が、本音では”開催したい派”であることをゆめゆめ忘れてはならないのです。これで障害がなくなり開催のハードルが低くなったと安堵している関係者も多いはずです。後任に若くてクリーンな?操り人形を選んで、”いろいろあったけど、みんな水を流してオリンピックを楽しもう”という開催キャンペーンが、これから新聞やテレビを先頭にはじまることでしょう。(※後日、スケートの橋本聖子が後任に選ばれたのに伴い、太字にしました)



関連記事:
オリンピックなんてできるわけがない
2021.02.11 Thu l 社会・メディア l top ▲
前回の記事で書きましたが、あらたに罰則規定を設けた特別措置法と感染症法の改正案が、昨日成立しました。国民の私権を制限する法案にも関わらず、衆参合わせて僅か4日の審議で成立したという、全体主義国家まがいの拙速さでした。

Yahoo!ニュース
時事通信
審議4日、懸念置き去り 政府、曖昧答弁に終始 コロナ対策法

成立した途端、メディアのアリバイ作りのために、上記のような問題点を指摘する記事が出るのもいつものことですが(だったら先に言えよという話ですが)、この改正案が与党と立憲民主党の談合によって成立した事実は、いくら強調しても強調しすぎることはないでしょう。

参議院の予算委員会で、立憲民主党の徳永エリ議員が、与党議員の銀座夜遊び問題に関連して、「特別措置法の改正案では、要請に従わない人には罰則を科す。自分たちは(自粛を)守らないで、国民には守らないと罰則を科すなんてメチャクチャではないか」(朝日)と言っていましたが、そのメチャクチャな法案の成立に手を貸したのはみずからの党なのです。徳永議員も、そう言いながら採決では賛成しているのです。メチャクチャなのはどっちなんだと言いたくなりました。

因みに、銀座夜遊び問題では、三人組の中で大塚高司議員が当時、議員運営委員会のメンバーであったことから、議運委の席上で立憲民主党のメンバーが、「武士の情けでこの件はこれで終わりにする」と発言したという話も漏れ伝わって来ています。

法案に関しても、どこまでが罰則の対象なのか、誰が罰則を下すのか、そういったことさえ曖昧なまま、密室で合意し成立したのです。しかも、改正特措法と改正感染症法は、さっそく来週(13日)施行されるのです。

感染して入院したくても入院できないのに、改正感染症法では、入院を拒否すると行政罰が下されるのです。国家の瑕疵は免罪され、全ての責任を国民に転嫁するまさにふざけた法律と言えるでしょう。

これで、政府は、「ファシスト的公共性」に、有無を言わせずに国民を従わせる強権(脅し文句)を手にすることができたのです。

感染の拡大は、ホントに国民の責任なのでしょうか。あるいは、飲食店やパチンコ店など業者の責任なのでしょうか。今回の改正ニ法からは、二階(幹事長)が言うように、お上のやることにはつべこべ言わずに黙って従えという声が聞こえて来るようです。

それにつけても、「アベ政治もスガ政治も許さない!」などというボードを掲げながら、立憲民主党に同伴して、政権交代の甘い夢を共有している左派リベラルのお粗末さを今更ながらに痛感せざるを得ません。彼らもまた、心ならずかどうかわかりませんが、与党と立憲による翼賛政治の片棒を担いでいるのです。私たちの前にあるのは、まったく唾棄すべき愚劣で反動的な政治の光景です。

また、同党常任顧問の岡田克也氏らが、共産党が立憲民主党に提唱する「野党連合政府」構想に反対してあらたなグループを結成するという読売の記事がありましたが、これも旧民主党のお家芸とも言うべきものです。記事の真偽は別にしても、今までも自民党が苦境に陥ると、必ずと言っていいくらいみずからずっこけて”敵失”を演じ、自民党を助けて来たのでした。これから選挙が近づけば、獅子身中の虫たちが、現実にはあり得ない(夢物語のような)「野党連合政府」構想に難癖を付け、野党内のゴタゴタを演出するに違いありません。

一方、党内のリベラル派と言われる議員たちも、今回の改正案に対しては見ざる聞かざる言わざるの姿勢に終始しています。日頃の言動からすれば誰よりも敏感に反応してもおかしくないのですが、彼らの口から出るのは拉致問題や週刊誌ネタの政権スキャンダルの話ばかりで、与党と密室で談合した改正案などまるで存在しないかのようです。

こういった政党が野党第一党である不幸をあらためて痛感せざるを得ません。
2021.02.04 Thu l 社会・メディア l top ▲
朝日新聞デジタルの「論座」に、ジャーナリストの高田昌幸氏が、「『東京五輪中止』の現実味をスルーする日本マスコミの病理」と題する記事を書いていました。

論座
「東京五輪中止」の現実味をスルーする日本マスコミの病理

最近、やっとと言うべきか、日本のメディアにも、東京五輪の開催を危ぶむ報道が欧米メディアから相次いでいるという記事が出るようになりましたが、しかし、それも欧米のメディアの口を借りた多分にヘタレなものでしかありません。どうしてこんなに腰が引けているのか。それどころか、一方では未だに開催を前提にアスリートの紹介などを続けているのです。そうやって性懲りもなく”五輪開催幻想”を振りまいているのです。

それは、「怖れ多くもご質問申し上げます」とでも言っているかのような、内閣記者会(官邸記者クラブ)が仕切る首相記者会見のヘタレっぷりと通底しており、文字通り日本のマスメディアの「病理」を映し出していると言っていいでしょう。

高田氏はこう書いていました。

  全国紙で東京都や組織委を取材している記者は「今夏の開催が難しいことは記者の誰もが分かっているでしょう。でも、それを積極的に記事にしよう、社会に投げかけようという機運はありません。どのメディアも自分が先陣を切るのが怖いのだと思います」と言う。


これをヘタレと言わずして何と言うべきかと思いました。先陣争いをするのではなく、「先陣を切ることが怖い」とは。彼らにジャーナリストを名乗る資格はあるのでしょうか。

こういったメディアのヘタレっぷりが、権力を監視するどころか、虚言癖の宰相に伴走し、ひたすら忖度し続け、トランプ政権と同じように民主主義を毀損した長期政権を支えてきたのです。

でも、オリンピックに関しては、国民の8割は開催に反対しています。今の感染状況を見れば、オリンピックどころじゃないと考えるのは当然でしょう。しかし、メディアは違います。相も変わらず、官邸の意を忖度するような姿勢に終始しているのです。それでは、国民の間に、新聞やテレビなどの既存メディアに対する不信感が増すのは当然でしょう。そして、メディア離れをいっそう加速させることになるのも当然です。権力を監視する役割を放棄して、権力のパシリに零落した彼らは、そうやってみずから墓穴を掘っているのです。貧すれば鈍するとはこのことかもしれません。

  東京オリンピック・パラリンピックのオフィシャルパートナーには読売新聞社と朝日新聞社、日本経済新聞社、毎日新聞社が名を連ねている。オフィシャルサポーターには産業経済新聞社と北海道新聞社が加わっている。メディア委員会にはテレビ局や通信社、新聞社などが揃い踏みだ。

   新聞社やテレビ局も営利企業であり、オリンピックを大きなビジネス・チャンスとして捉えること自体は否定しない。しかし、営利目的が「報道の論理」を食い尽くし、国民が疑問に思う大きなテーマを取材・報道しないのであれば、報道機関としては役割放棄と言えよう。報道をしない期間にも開催に向けて湯水のごとく税金は使われている。


こういった言葉も、もはや馬の耳に念仏なのでしょう。日本のメディアの「病理」は、治癒不能なほど深刻なのです。

追記:
21日、日本政府が内密に東京五輪を中止する結論を出したと報じた英タイムズ紙の記事が、日本国内でも大きなニュースになっています。記事によれば、日本政府の関心は既に「開催枠が空いている2032年の五輪大会を確保すること」に移っているのだとか。

Yahoo!ニュース
THE PAGE
英タイムズ紙が「政府が内密に東京五輪中止を決定。2032年開催プランが水面下で進行」の衝撃報道

政府や大会組織委員会は報道を否定していますが、火のないところに煙は立たないという諺があります。もしかしたら、国内外の反応を見るために、「政権与党の古参議員」を使ってアドバルーンを上げたのかもしれません。

それにつけても、この場に至っても、国民は○○○桟敷に置かれ蔑ろにされているのです。主権者である国民に情報が開示され、それに基づいた国民=主権者の意思と判断が適時行政府の政策決定に反映されるというのが民主主義のイロハのはずですが、肝心な国民は○○○桟敷に置かれたままです。まったくいいように嘗められたものです。と同時に、政府の動向が海外のメディアに先行して報道される日本のメディアのテイタラクぶりにも、ただただ呆れるしかありません。民主主義を毀損しているという点では、メディアも同罪なのです。


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2021.01.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
日本の不思議。前から何度も言っていますが、どう考えてもオリンピックなんてできるわけがないのに、何故か誰もそう言わないのです。野党もメディアも誰も言わない不思議。

テレビのスポーツ番組などは、オリンピック開催を前提に、候補選手にまじかに迫ったオリンピックに対する抱負をインタビューしたりしていますが、正気かと言いたくなります。

折しも、政府は今日、「新型コロナウイルス変異種の国内侵入を防ぐため、全ての国・地域からの外国人の新規入国を今月28日から来年1月末までの間、一時停止すると発表した」(共同)そうです。

東京オリンピックは、来年の7月23日から8月8日まで開催される予定です。半年前まで外国人の新規入国を停止するような状態で、ホントに開催できるのでしょうか。それでもできると考えるのは正気とは思えません。

私は、安倍晋三の記者会見を観ているうちに、”安倍晋三という病い”という言葉が浮かんでなりませんでしたが、嘘に嘘を重ねる安倍晋三と同じように、ここに至ってもオリンピック開催が可能と考えるのも、もはや”狂気”の領域に入った気さえします。政府や与党だけではありません。野党もメディアも、その”狂気”を共有しているのです。

2月からワクチンの接種がはじまるそうですが、それが全国民に行き渡るのに1年以上かかると言われています。それどころか、COVID-19が収束するのにあと2年くらいかかるだろうという専門家の声もあります。それでも見切り発車をして開催するつもりなのでしょうか。

外国では、オリンピックの選考会どころか、選手たちは練習さえしていない国も多いのです。そんな国がホントにあと7ヶ月後に選手を派遣することができるのでしょうか。

でも、何度も言いますが、メディアも野党も誰もこんな疑問を口にすることはありません。

先の戦争では負け戦とわかっていても、誰もそう言わずに大本営発表を流し続けたのですが、また同じ愚をくり返しているのです。これでは全体主義国家と同じです。

感染力が強いと言われている変異種のウィルスも広がりつつあります。安倍応援団として、一緒になって嘘を流し続けた産経新聞やフジテレビは、来年の2月には収束するだろうというあらたな嘘を流していますが、変異種のウィルスの問題ひとつをとっても、これから収束までひと山もふた山もあるのは間違いないでしょう。

野党にしても然りです。こんな野党に何を期待するというのでしょうか。そもそもこんな野党が信用できるでしょうか。オリンピック開催という国策に関しては、与党も野党もないのです。先の戦争を遂行した大政翼賛会と同じです。

オリンピック開催という大義名分のために、国の感染対策が後手にまわっているのは、今更言を俟たないでしょう。

幻のオリンピックに何千億円あるいは何兆円の国費を注ぎ込む一方で、明日の1万円のお金もなくてみずから死を選ぶ国民もいるのです。

月に10数万円の生活保護を申請しても、自助努力が足りないと門前払いされる一方で、幻のオリンピックのためには、今も何十億円も何百億円もの大金が(まるでドブに捨てるように)無駄使いされているのです。

眞子さんの1億5千万円の結婚一時金を「税金ドロボー」と悪罵を浴びせるくせに、何兆円何千億円の無駄使いする政治家や官僚には、野党もメディアも国民もみんな寛容なのです。

話は飛躍しますが、ここでも「愛国」とは何かを考えないわけにはいきません。柳美里の『JR上野駅公園口』ではないですが、明日の1万円がなくて死を選らばざるを得ない同朋がいることに涙するのがホントの愛国者でしょう。でも、この国にはそんな真っ当な愛国者はいません。むしろ、柳美里のような在日をヘイトするのが「愛国」者の役割と見做されているのです。古谷経衡が言うように、そこにあるのはただの「愛国ビジネス」です。数億円の白亜の豪邸を建てた”極右の女神”は、今も安倍晋三と一緒に改憲推進の講演活動を行っていますが、かように「愛国」とは濡れ手に粟の美味しい商売なのです

ともあれ、政府も与党も野党もメディアも経済界も、未だにオリンピック開催に拘っている光景は、役人特有の事なかれ主義とドッキングした究極のサンクコストの呪縛と言えないこともないでしょう。


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2020.12.27 Sun l 社会・メディア l top ▲
今日のYahoo!ニュースに、中京テレビが制作した満蒙開拓団の「性接待」についての記事が転載されていました。

Yahoo!ニュース
【75年目の告白】満州・性的な接待を強いられた女性たち “覚悟の告白”で“タブー”打ち破る「しゃべって残していくのが、人間の社会の歴史」(中京テレビNEWS)

ここにはさまざまな問題が伏在しています。単に戦争犯罪の問題だけでありません。戦後の日本社会のあり様も問われているのです。こういった問題をタブー視することで、戦後の平和と民主主義が仮構されてきたのです。もちろん、その延長上に従軍慰安婦の問題も存在しています。

満蒙開拓団の「性接待」の問題は、このブログでも、2年前に朝日新聞の記事に関連して、下記のような記事を書きました。また、従軍慰安婦の問題も、朴裕河(パクユハ)氏の『帝国の慰安婦』を通して、私なりの考えを書いています。

私たちは、こういった問題から目を背けてはならないのです。直視することで戦争を知ることができるのです。もとより私たちは、戦争を知らねばらないのです。


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「性接待」と「愛国」
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2020.12.22 Tue l 社会・メディア l top ▲
今週の東京都の新規陽性者数は、以下のとおりです。

14日(月)305人
15日(火)460人
16日(水)678人
17日(木)822人
18日(金)664人
19日(土)736人
20日(日)556人

また、12月20日現在の東京都の新規陽性者数(感染者数)の累計は51446人です。

ちなみに、4月7日から5月25日までの緊急事態宣言下において、もっとも新規陽性者数が多かったのは、4月17日の206人です。今はその倍以上の新規陽性者が連日発生しているのです。

今日(日曜日)、用事があって朝から自由が丘~中目黒~渋谷~原宿・表参道~新宿(三丁目)~池袋を走る副都心線に乗ったのですが、COVID-19前の日曜日と変わらないくらい電車の中や駅のホームは多くの乗客で溢れていました。

夕方、地元の駅に戻って来たのですが、駅前も舗道がスムーズに歩けないほど買い物客でごった返していました。また、駅の近くにある飲み屋も、COVID-19前に戻ったかのように客で賑わっていました。みんな、マスクを外し、ワインやビールなどを飲みながら、小さなテーブル越しに向き合って談笑していました。

感染の危機感など微塵もありません。それは、若者だけでなく家族連れも高齢者も、みんな同じです。再び手綱を引き締めようとしても、いったん緩めた手綱はそう簡単に元に戻ることはないのです。

岩田健太郎医師は、日本政府の感染対策は、無謀な作戦で多くの犠牲を出した旧日本軍の「インパール作戦」と同じだと言っていました。

AERA dots
岩田健太郎医師「GoToは異常。旧日本軍のインパール作戦なみ」

GoToトラベルの全面的な解禁によって、旅行に行っても大丈夫という安心感を与えたことで、正しい知識で「正しく怖れる」冷静な判断などどこかに吹っ飛んだ感じです。言うなれば、GoToトラベルの全面的な解禁によって、国全体がみんなで渡れば怖くない式の反知性主義的な考えに蔽われてしまったのです。

GoToトラベルを巡る迷走を見てもわかるとおり、政府の対応はチグハグで、どう見ても感染対策が正常に機能しているようには思えません。そのあたふたぶりを見ていると、危機管理能力以前に政権を担う能力そのものに疑いを持たざるを得ません。

菅義偉首相誕生の際、法政大学出身で大丈夫かという声に対して、法政大学出身者を中心に学歴差別だという反発があったそうですが、しかし、彼が空手部に所属し、髪をアイパーで固め、チョビ髭を生やし、裾の長い学ランを着て、学内を闊歩していた事実はやはり無視できないのです。

メディアはメッキが剥げたと言っていますが、しかし、最初からメッキは剥げていたのです。メディアが持ち上げたから根拠もなく支持率が水ぶくれのように60%を越えたにすぎないのです。

問題になったステーキ会食や会食のはしごなどを見るにつけ、「国民は(バカなので)すぐ忘れる」という国民を見くびった彼の”大衆観”が如実に出ているように思えてなりません。何度も言いますが、彼は政治家ではなく政治屋なのです。

みずからの利権を守るために麻生や二階らが主導した自民党内の無責任な政治力学によって、本来その器ではない人物が総理大臣に祭り上げられたのです。そこにも、圧倒的多数を占める政権党の驕りが見えて仕方ありません。

そもそも麻生や二階らの傲岸不遜な態度に対して、メディアが及び腰になっていること自体が異常と言わざるを得ません。反発するどころか、逆にご機嫌を損なわないように当たり障りのない質問に終始しているあり様です。また、菅首相のぶら下がり会見においても、芸能人の謝罪会見とは違って、代表質問する若い記者のもの言いが、台本を読んでいるようなわざとらしい感じであるのに気付いた人も多いでしょう。その光景には、ぶら下がり会見が記者会見でもなんでもなく、単なる(事前に質問を提出した)小芝居にすぎないことが暴露されているのでした。

メディアが権力を監視する役割を放棄しているのです。歌を忘れたカナリアになっているのです。それは、産経新聞(フジテレビ)や読売新聞だけの話ではありません。権力を忖度し権力にふれ伏す安倍一強の時代はまだつづいているのです。その弊害がCOVID-19でいっきに露わになった気がしてなりません。もちろん、自業自得と言うべきか、そのツケを払う(払わせられる)のは私たち国民なのです。


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米大統領選とネトウヨ化したニッポン
2020.12.20 Sun l 社会・メディア l top ▲
最近、「日本の異常」ということを考えないわけにはいきません。と言うと、ネットだったら(このブログもネットだけど)「だったら日本から出て行け」「反日」と罵言を浴びせられるのがオチでしょう。

誰もその異常を疑おうとしないのです。言うなれば、異常が日常化しているのです。オリンピック開催にこだわるがゆえにアクセルを吹かしつづけた挙句、アクセルが戻らなくなり暴走車のようになっているCOVID-19対策などはその最たるものですが、日本の異常はそれだけではありません(オリンピックなんてできるわけがないと誰も言わないのも異常ですが)。

ひとつは、眞子さんの結婚に対してです。小室さん母子に対するバッシングも異常ですが、眞子さんが結婚の意思に変わりがないと表明し、続けて父親の秋篠宮が条件付きながらも「結婚を認める」と発言したことに対して、いっせいに巻き起こった眞子さん本人や秋篠宮家に対するバッシングも、もはや常軌を逸していると言っても過言ではないでしょう。

元衆院議長の伊吹文明も、「小室さんは週刊誌にいろいろ書かれる前に、やはり皇嗣殿下がおっしゃっているようなご説明を国民にしっかりとされて、そして国民の祝福の上に、ご結婚にならないといけないんじゃないか」などと、まるで小室さんに説明責任があるかのような発言をしたそうです。

私などは、その前に「安倍さんは過去の国会答弁について国民に対する説明責任がある」と言うべきではないかと思いますが、伊吹文明にとっては、安倍よりも小室さんの説明責任の方が優先度が高いのでしょう。

また、伊吹文明は、秋篠宮が「結婚を認める」理由としてあげた「憲法に明記された婚姻の自由を尊重すべき」という発言に対しても、「皇族方は、(中略)法律的には日本国民ではあられない」ので、皇族は日本国憲法が認める「婚姻の自由」や「幸福追求の権利」が保障されるわけではないという旨の発言もしているそうです。これは、生活を保障するからカゴのなかの鳥でいろと言っているようなものでしょう。

「婚姻の自由」や「幸福追求の権利」が、日本国憲法が認めているから成立するような、そんなチンケな権利ではないことは子どもでもわかる話でしょう。人権ということばの意味も理解してないのではないか。こういう人物が国権の最高機関の長を務め、政権党の重鎮と遇されているのですから、政権党のなかから民主主義や歴史を否定する言動が出てくるのもむべなるかなと思います。

これでは、眞子さんや佳子さんが封建的な日本を離れて海外で結婚生活を送ろうと考えても仕方ないでしょう。もう彼女たちの人生に、天皇制がそぐわなくなっているのは事実なのです。むしろ、皇族であるが故に、人権も認められない、幸福を追求する権利もない人生に疑問を抱かない方がおかしいのです。

封建的と言えば、もうひとつ、「日本の異常」を痛感する出来事がありました。

それは、群馬県の草津町で、女性の町議会議員が村八分のようなリコールで失職した件です。町長室で町長から性被害を受けたと告発した女性議員に対して、「嘘を言って議会の品位を汚した」として町議会議長を中心にリコール運動が行われ、住民投票の結果、賛成2542票、反対208票という92%の圧倒的多数でリコールが成立、裁判で真相があきらかになる前に女性議員が町議会から追放されることになったのでした。

草津町議会を傍聴した北原みのり氏は、その異常さについて、次のように書いていました。

 休憩を挟んで議場に戻ろうとしていた男性議員たちが「傍聴席のヤツラ! 今日はやりにくい」と大声で言っているのが聞こえた。「ヤツラ」と言うんだな……と驚いたが、普段から傍聴している人によると、「今日は議場がいつもより穏やか」とのことだった。いつもは新井議員への嘲笑や暴言、叱責が激しいといい、この日は傍聴席の女性が圧になっていたのは確かのようだ。

 一方、傍聴席は殺気だっていた。70代くらいの男性たちが前列に座る私たちの背後から、「こっちにだって選ぶ権利あるんだよ」「誰があんな女と」「犬だってしねぇよ」と声を浴びせたり、「(性被害が)本当なら(時間的に)町長はニワトリだ」と盛り上がったりもしていた。ニワトリの意味は、すぐ射精するとのことらしい。コケッコッコーと言っては笑っていた。セクハラを背中からずっと浴び続けた思いになる。

AERAdot.
殺気だつ草津町傍聴席「犬だってしねぇよ」 セクハラを背中で浴び続けた気分になった


また、草津町を取材したハーバー・ビジネス・オンラインも、次のように書いていました。

(略)この住民投票の一番の問題は、どこかの一般町民がリコールをしようと言い出したのではなく、なんと、草津町議会の議長が中心となってやっている点です。だから、公共施設にまでリコールに賛成を呼び掛けるポスターが貼られているのです。ここには「住民投票の公平性」という概念は一切ありません。これはもう民主主義でもありゃしないのです。

 今回の新井祥子議員のリコール住民投票は、明らかに「町ぐるみ」で仕掛けられています。これはとても深刻で重大な問題です。本来、自治体というのは住民投票の公平性を担保しなければなりません。賛成するか反対するかはあくまで「住民の意思」で決められるものであって、町がどちらかを推奨するということがあってはならないのです。ところが、草津町では公民館や児童室といった公共施設の駐車場にポスターが貼ってあって、新井祥子議員のリコールに賛成するように促していました。

ハーバー・ビジネス・オンライン
群馬県草津町の「町議リコール」住民投票がはらむ、性被害の事実以前の大きな問題


リコール(解職賛成)を呼びかけるポスターは、観光客が訪れるバスターミナルにも貼られており、「こんなにイカれた話はありません」と書いていましたが、草津町は町あげてリコールに狂奔していたのです。文字通り”異常な町”と化していたのです。町内に9ケ所ある共同浴場にも、あの有名な湯畑の近くにも、ポスターは貼られていたそうです。なんだか横溝正史の小説に出てくる村のようです。

草津町というのは、温泉を資源にビジネスをしている人が多く暮らしているため、町長や議員を敵に回すことは、イコール、この地で商売ができなくなってしまうということであり、非常に閉鎖的な町です。議員になる人も、ホテルや旅館の二代目や三代目だったりして、そもそも町長に逆らうような人はいません。
(同上)


草津温泉を訪れる女性客を笑顔で迎える「ホテルや旅館の二代目や三代目」の主人たちが、一方で、議会ではミソジニー(女性蔑視)の権化のような顔を見せていることを観光客は知る必要があるでしょう。

この異常に対して、職員組合はどうしているのかと思ったら、草津町には職員組合はないのでした。「公共施設にポスター」「町ぐるみのリコール運動」の理由がわかった気がしました。

しかも、北原みのり氏は、Twitterに次のような驚くべき光景をツイートしていました。中澤議員というのは、議会で唯一女性議員のリコールに反対したために、懲罰動議をかけられた議員です。

北原みのり草津町
https://twitter.com/minorikitahara/status

村八分に加担する日本共産党。日本共産党の日常活動はとうとうこのレベルまで来たのかと思いました。自由と人権を守る党が聞いて呆れますが、そこにはいみじくも左の全体主義の体質が露呈していると言っていいでしょう。「日本の異常」には右も左もないのです。
2020.12.09 Wed l 社会・メディア l top ▲
今日、「安倍晋三前首相の後援会が主催し『桜を見る会』前日の夕食会を巡り、東京地検特捜部が安倍氏本人に任意の事情聴取を要請した」(共同)というニュースがありました。

安倍辞任について、病気はあくまで表向きの理由で、実際は河井夫妻に対する強制捜査に関連して(河井夫妻に自民党本部から振り込まれた買収資金の1億5千万円に関連して)みずからに捜査の手が及ぶのを避けるため辞任したのではないかという見方がありましたが、まさか「桜を見る会」で事情聴取に発展するとは意外でした。

それにしても、国会答弁の嘘八百には今更ながら呆れます。森友問題で、佐川宣寿財務省理財局長(当時)が国会で答弁した際、野党の追及にあたふたしている佐川局長に対して、総理大臣席の安倍が「もっと強気で行け」というメモを渡して叱咤していたそうですが、あれは「強気で嘘を吐け」という意味だったのでしょう。

安倍や菅には、「国民はすぐ忘れる」「世論はその場限りのものに過ぎない」という、国民や世論に対する”冷めた認識”が共通していると言われています。つまり、それは、「国民なんてバカですぐ忘れるので、強気で嘘を吐いてその場を言い逃れればいいんだ」という、ある意味でシビアな大衆観とも言えます。実際その通りなのですが、それがあのような国会軽視にもつながっているのでしょう。

甘やかされて育てられたボンボンにありがちな生来の嘘つきが、自民党内の無責任な政治の力学でなんと総理大臣になってしまった。そんなマンガのような話が安倍一強7年8カ月の実態なのです。

生来の嘘つきが総理大臣になった悲劇については、このブログでも下記の関連記事で書いていますので、ご参照ください。

ただ、確認しておきたいのは、安倍辞任や聴取要請は、決して反安倍の運動によるものではないということです。そういったリベラル左派にありがちな他力本願な自画自賛に対しては釘を刺しておく必要があるでしょう。この一連の流れは、あくまで権力内部の力関係の変化によるものにすぎないのです。

追記:
午後には各メディアが一斉に「聴取要請」の記事をアップしましたが、本人は記者たちの質問に対して、「そんな話は聞いてない」と答えたそうです。ここに至っても白々しく嘘を言い続けるその姿は、なんだか頬をプーッと膨らませて「ボク、知らない」と言い張っていた子どもの頃のエピソードを彷彿とさせるものがあります。三つ子の魂百までとはよく言ったもんだと思います。

こういう人物が総理大臣として、公私混同して国政を運営し、国会で嘘八百を言い続けて来たのですから、これほどの悲劇はないでしょう。しかも、彼は、「愛国者」として右派系の人間たちの間ではヒーロー扱いさえされていたのです。古谷経衡流の言い方をすれば、「愛国ビジネス」にとって格好のシンボル(ブランド)だったのです。



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2020.12.03 Thu l 社会・メディア l top ▲
アメリカ大統領選は、案の定、トランプの悪あがきによってグダグダにになっていますが、そもそも4年前にトランプを大統領に選んだことが全ての間違いのもとなのです。と、今更言っても仕方ないのですが、ただ多くの人たちもそう思っていることでしょう。

これで共和&民主という二大政党制も、大きな曲がり角を迎えることになるのは間違いないでしょう。とりわけ、日本で言えばネトウヨの権化のようなトランプに依拠してきた共和党は、深刻な事態を迎えるのではないでしょうか。草の根の保守運動の原点である「 ティーパーティー」も、トランプの登場でほとんど機能しなくなり瓦解してしまったと指摘する声もあります。だからよけいトランプに頼らざるを得なかったのでしょう。共和党がトランプ党になったというのは、決してオーバーな話ではないのです。

でも、何度も言いますが、日本も他人事ではないのです。Yahoo!ニュースが、大統領選の特集のなかで、トランプとバイデンのどっちが当選すると思うか?という「みんなの意見」のアンケート結果を円グラフにして掲載していました。それによれば、バイデンの当選がほぼ確実になった昨日の時点でも、トランプが当選すると答えた人が50%を越えており、バイデンが当選すると答えたのは30%台でした。

さすがにまずいと思ったのか、昨日、突然、円グラフはトップページから削除されてしまいましたが、その背景にあるのはトランプが唱える陰謀論です。日本のネトウヨたちも、本国のトランプ支持者と同様、トランプを信奉し、彼が唱える荒唐無稽な陰謀論を信じているのでした。Yahoo!ニュースは、そのフェイクニュースの牙城になっているのでした。

感情の劣化は対岸の話ではなく、この国でももはや修復ができないほどエスカレートしているのです。「話せばわかる人がいなくなった」(宮台真司)のです。それは、民主主義にとって深刻な問題でしょう。

ちなみに、このブログでも再三登場する評論家の田中宇氏も、みずからのサイトで、開票日当日は、トランプが当選すると主張していました。しかし、開票日の翌日には、最初の主張を覆してトランプが負けそうだという記事を書いていました。ところが、さらに翌々日には、民主党が選挙不正しているという陰謀論を書いて、主張を二転三転させているのでした。

昨日の記事「米民主党の選挙不正」で、田中氏は次のように書いていました。

今後、この膠着状態のまま時間がたつほど、民主党の選挙不正について詳細がわかってくる。トランプ傘下の諜報界は、民主党側にスパイを潜り込ませ、不正について何らかの証拠を握っている(証拠を握れる状態を作れなければ民主党に不正させない)。これは「おとり捜査」である。これから証拠がリークされていく。ロシアゲートの逆転劇に似ている。決定的な証拠がリークされる前後に、マスコミがネバダ州のバイデン勝利を確定し、バイデンの当選を発表するかもしれない。しかしそれと同時に民主党の選挙不正について決定的な証拠が暴露され、マスコミも選挙不正に協力してバイデン勝利を捏造していたことがバレていく。

http://tanakanews.com/190527spygate.htm
スパイゲートで軍産を潰すトランプ

このシナリオが成功すると、民主党だけでなくマスコミの権威も失墜させ、軍産の全体を潰せる。最終的な次期大統領はトランプになる。もう少しで勝てたのに、と悔しがる民主党左派は、全米で絶望的な暴動・略奪に走る。米国は混乱が続いて国際信用が低下し、経済も破壊され、軍産が最も望まない覇権の失墜になる。その中でトランプの2期目が始まり、米中分離や隠然多極化を進めていく。結局のところ、一昨日書いた記事のシナリオに戻っている。嘲笑してください(笑)。

田中宇の国際ニュース解説
米民主党の選挙不正


なんだかネトウヨみたいですが、田中氏の場合、ただインターネットで海外の新聞などを読んで情勢を分析するだけなので、フェイクニュースに惑わされてこんな醜態を演じることになるのでしょう。

何度もくり返しますが、トランプの狂気は他人事ではないのです。

学生時代、挨拶は「押忍」しか言ったことがないと本人も言っているように、法政大学で学ランを着てアイパーに剃りこみを入れた髪型で構内を闊歩していた学生が、横浜で代議士秘書になり、秘書から市会議員になると、代議士事務所の威光を笠に市の人事に介入し、「影の横浜市長」と呼ばれるほどの影響力を手に入れたのでした。

彼はどう見ても政治家というより政治屋です。人事を盾に権勢を振るう、官僚制度の弱点を熟知した政治屋なのです。だから、「内閣人事局」の創設に関わり、官邸が官僚の人事権を一手に握る体制を敷いたのでしょう。さらには、公安警察に隠然たる影響力を持つ元公安OBを側近に据え、公安を使った情報管理で霞が関ににらみをきかせて、有無を言わせない絶対的な権力を手にしようとしているのです。まるでロシアのプーチンを真似たかのようです。

でも、メディアには、秘密警察化する公安への懸念も、全体主義に対する危機感も皆無です。それどころか、危険な権力に尻尾を振って取り入ろうとするあり様です。大統領の狂気に及び腰だったアメリカのメディアの二の舞どころか、そこには歌を忘れたカナリアの「あさましくさもしい」姿しかありません。権力の太鼓持ちは、ネトウヨ御用達のフジサンケイグループだけではないのです。


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2020.11.07 Sat l 社会・メディア l top ▲
米大統領選は混迷を極めています。と言っても、混迷を極めているのは選挙結果よりそれを報じるメディアの方です。郵便投票など期日前投票が1億100万人もいるので(これは前回の大統領選の総投票数の73%に当たる数字だそうです)、即日開票分なんてまだ半分程度を開票した途中経過にすぎないのです。それなのに、どっちが当選確定したとか性急に結果を求めるので、ますます混迷に拍車がかかるのでした。

最終的にはトランプの悪あがきで法定闘争にまで持ち込まれるのではないかと言われていますが、あらためて大統領選を見るにつけ、アメリカと対立する中国やロシアが本音ではトランプ再選を期待しているというのはわかる気がします。

宮台真司は、ビデオニュースドットコムの開票特番で、自分は前回から一貫してトランプ支持だと言っていました。それは、彼独特の「加速主義」という考えによるものです。「加速主義」というのは、民主制が機能不全になり、人々の実存的な不全感、鬱屈がポピュリズムの標的になった結果、「自分が凄くないので国が凄いと思いたい」とか「昔思っていたような生活ができないなのは異分子がいるからだ」(異分子は、アメリカでは移民やヒスパニック、日本では「在日」)というような排外主義によって人々の感情的な劣化が進んだこの社会は、ポピュリズムの権化であるトランプや安倍(今の菅)の手に委ねて、手っ取り早く終わらせた方がむしろ建設的だという考え方です。言うなれば逆療法、あるいは「創造的破壊」のような考え方です。宮台は、それを「制度による社会変革ではなく技術による社会変革」という言い方をしていました。必ずしも的確ではないかもしれませんが、私は、「加速主義」の考えを聞きながら、若い頃に読んだ林達夫の『反語的精神』を思い浮かべました。

共和党はもはやトランプにすがるしかないのです。共和党が掲げる伝統的な保守主義なるものは、トランプのハチャメチャなポピュリズムに簒奪されたのです。それはバイデンを担ぎ出した民主党も同じです。党内の権力バランスでバイデンのような人物を担ぎ出さざる得ない民主党のテイタラクもまた、共和党と軌を一にしていると言えるでしょう。トランプは、バイデンは「認知がはじまっている」と言って物議を醸しましたが、バイデンのトンチンカンぶりを見るにつけ、私も「もしかしたら」と思いました。町山智浩氏が言うように、バイデンではなくバーニー・サンダースだったらもっと違ったものになったに違いありません。

今回の子どものケンカのような大統領選が映し出しているのは、アメリカの「加速度的」な凋落です。それが誰の目にもあきらかになったのです。そこにはもはや唯一の超大国の面影は微塵もありません。低レベルのドタバタぶりを演じる、それこそお笑いネタになるような滑稽な姿しかないのです。それは政党や政治家だけではありません。メディアも同じです。

私たちは、今までアメリカ人と言ったら、ニューヨーカーと呼ばれるような大都市に住むエリート市民しか知りませんでしたが、今回の大統領選をとおして、アメリカの国民ってこんなにバカだったんだということを初めて知りました。彼らの民度の低さをこれでもかと言わんばかりに見せつけられのでした。

子どもの頃、社会科の授業でアメリカン・デモクラシーこそ民主主義のお手本のような教育を受けましたが、今回の大統領選を見て、こんなバカな国民ばかりいてどこが民主主義のお手本なんだと思わざるを得ません。おそらくそういった幻想もこれで終わるでしょう。

再三言っているように、アメリカが超大国の座から転落して、世界が多極化するのは間違いないです。私たちは、まさに今、その光景を、その赤裸々な姿を見ている、見せられているのです。

もちろん、日本も他人事ではありません。宮台が言う「インテリ憎しの反知性主義」という点では、安倍や菅はトランプと瓜二つです。老害を絵に描いたような偉ぶることしか能のない麻生や二階、それにいつも的外れでトンチンカンな河野太郎や小泉進次郎も、どう見ても感情の劣化を象徴する道化師にすぎません。そんな連中が権力の中枢に座り、トンマな姿を晒しているのです。民主党のテイタラクも、日本の野党のそれとよく似ています。もう「話せばわかる人がいなくなった」(宮台真司)のです。「話せばわかる」というのは民主制の前提ですが、ポピュリズムによって感情の劣化が進んだ現在、その前提が壊れてしまったのです。

現代史に君臨しつづけた<帝国>が、バカな国民と”狂気のヒーロー”によって崩落の危機に瀕しているのは痛快ですが、しかし、それは他人事ではないのです。トランプの狂気を笑い物にして見ている私たちは、天に唾しているようなものかもしれません。
2020.11.05 Thu l 社会・メディア l top ▲
先月、日本学術会議が推薦した新会員候補のうち、安保法制や特定秘密保護法や共謀罪の新設などに反対し、政府に批判的なスタンスを取ってきた6名の研究者の任命を菅義偉首相が拒否した問題が、俄かに政治問題化しています。

学術研究に対する政治介入だとして、「学問の自由」を守れという抗議の声も大きくなっています。日本学術会議も、任命拒否の理由をあきらかにするように菅首相に要望書を出したそうですが、官邸から明確な説明はないようです。

経済学者で元早大の教授でもあった静岡県の川勝平太知事は、菅首相の任命拒否について、「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」と痛烈に批判したそうです。

朝日新聞デジタル
「教養のレベルが露見」 任命問題、学者知事が強く反発

記事は次のように書いていました。

 美濃部事件、滝川事件など戦前の言論統制にも触れ、「政治家が学問に口を出してはいけない。首相に任命権があるから行使したというのは、何も説明していないに等しい。理由を開示すべきだし、学問がなっていないという理由以外は認められない」と批判した。


菅首相が、法政大学時代に空手部に籍を置いていたのは有名な話です。学生時代、挨拶は「押忍」しか言わなかったという本人の話がメディアに出ていましたが、恐らく剃りこみを入れ裾の長い学ランを着て学内を闊歩していたのでしょう。

私は菅首相より全然年下ですが、当時、中核派の拠点であった法政大学で運動部の彼らがどんな役割を果たしていたか、およその想像はつきます。それがのちの政治家秘書から政治家に至る道につながったのは事実でしょう。私の知り合いにも似たような空手部出身の人間がいますが、菅首相のようなパターンは別にめずらしくないのです。ただ、大半は地方議員で終わるだけです。

今回の任命拒否も、日本会議の古参メンバーと同じで、学生時代から彼のなかに根強く残っている反共思想や復古的な全体主義への憧憬がそうさせたのだと思います。学生時代、学問とは無縁にすごしてきたので、「学問の自由」という概念も彼のなかには存在しないのかもしれません。もしかしたら、ナチズムやスターリニズムと同じように、学問は政治に従属するものと思っているのかもしれません。その意味では、川勝平太静岡県知事の「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」という発言は正鵠を得ていると言っていいでしょう。

ただ一方で、日本学術会議のみならず日本の大学が、これまで学問の場に権力の介入を許してきたことはまぎれもない事実で、今回のような露骨な政治の介入は、ある意味で当然の帰結とも言えるのです。

彼らは「学問の自由を守れ」と言いますが、その前提でもある「大学の自治」を壊してきたのは彼ら自身なのです。東大ポポロ事件を見てもわかるとおり、昔は構内に警察官が入ってきただけで大問題になっていました。「学問の自由」と「大学の自治」は一体であるという認識が半ば常識としてあったからです。

全共闘運動に乗り遅れた私たちは、羽仁五郎の『ミケランジェロ』(岩波新書)という本でそれを学んだのですが、「大学の自治」という理念は、ルネッサンスの時代から「真理は汝を自由にする」「学問の自由」と表裏一体のものとして、半ば天賦のものとして存在していたのです。

しかし、多くの大学では、「過激派」から大学を守り学内を正常化するためという理由でみずから権力の介入を求めて、「大学の自治」を放棄してきたのでした。

菅首相の母校の法政大学の田中優子総長も、今回の問題を座視することはできないとして抗議声明を発表したそうです。

J-CASTニュース
菅首相母校・法大の田中優子総長が声明 日本学術会議問題は「見過ごすことはできません」

声明のなかで、田中総長は次のように述べているそうです。

「この問題を座視するならば、いずれは本学の教員の学問の自由も侵されることになります。また、研究者の研究内容がたとえ私の考えと異なり対立するものであっても、学問の自由を守るために、私は同じ声明を出します。今回の任命拒否の理由は明らかにされていませんが、もし研究内容によって学問の自由を保障しあるいは侵害する、といった公正を欠く行為があったのだとしたら、断じて許してはなりません」


しかし、その一方で、田中総長は、法政大学では、学内の「過激派学生」を排除するために積極的に警察権力の介入を促し、この10年間で百数十名の学生が逮捕されるという異常な事態を招いているのです。これこそ二枚舌と言わずして何と言うべきかと思います。

と言うと、お前は中核派のシンパかというお決まりの罵言が飛んで来るのが常ですが、「学問の自由」や「大学の自治」には「過激派」も「極左」も(あるいは「保守反動」も「極右」も)ないのです。そういうこととはまったく別の問題なのです。

「大学の自治」を権力に売り渡した人間たちが、「学問の自由を守れ」と叫んでいる様は、片腹痛いと言うしかありません。
2020.10.08 Thu l 社会・メディア l top ▲
伊勢谷友介が大麻取締法違反の疑いで逮捕されましたが、さっそく芸能マスコミは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式のバッシングに狂奔しています。それは、まさに狂奔ということばしか見つからないほど常軌を逸しています。

こういったセンセーショナルなバッシング報道に対して、疑義を唱える声がほとんど聞こえてこない今の状況は、どう考えても異常です。

大麻で芸能人を逮捕して大騒ぎするのは、先進国では日本だけと言った人がいましたが、一罰百戒の見せしめのために、逮捕された芸能人をさも重罪人のようにバッシングするメディアがその片棒を担いでいるのです。これでは、日本においては、他の先進国では常識ですらある大麻に対する冷静な議論も、夢のまた夢と言えるでしょう。今にはじまったことではありませんが、この国には「自由な言論」がまったく存在しないのです。

菅義偉の総裁選立候補の記者会見を見学した宮台真司は、東京新聞の望月衣塑子記者の質問を菅と一緒になって嘲笑していた会見場の記者たちについて、「あさましくさもしい」と下記の番組でこき下ろしていましたが、権力の監視どころか、権力の番犬(忠犬?)に成り下がったメディアのテイタラクは、なにも芸能マスコミに限った話ではないのです。

マル激トーク・オン・ディマンド
安倍政権の検証(1)
日本の民主政治を変質させた責任を問う


若い世代ほど安倍内閣の支持率が高く、20代(男性)では60%近くが「支持する」と答えたという数字さえあります。どうしてなのか。それは、物心ついたときからずっと安倍政権が続いているので、若者たちは安倍政権しか知らず、そのため安倍政権が政治のスタンダードになっているからだと宮台真司は言っていましたが、さもありなんと思いました。まるで長期独裁政権下の国民のようです。

しかし、政権を牛耳るのは、安倍・麻生・二階・菅など傲岸不遜でいかがわしい爺さんたちです。どう見ても「くそジジイ」です。ところが、今の若者たちは、そんな老いてもなお権力に汲々とする利権まみれの爺さんたちを「くそジジイ」呼ばわりするどころか、「凄い!」などと言って称賛しているのです。私たちの感覚からすれば驚くべきことです。

それは、若い政治記者たちも同じです。ジャーナリストの矜持などどこ吹く風で、政治家に気に入られサラリーマンとして栄達の道を歩むことしか念頭にないかのようです。一握りの老害政治家が牛耳る、文字通りの前時代の遺物のような今の政治をおかしいとも思わないのでしょう。彼らは、老害政治家にたかる銀バエのようで、ただ忖度しておべんちゃらな質問をくり返すだけです。

今ほど若者が権力や権威に弱く、事大主義的になった時代はないように思います。毛沢東ではないですが、いつの時代も革命の主役は若者でした。しかし、今は若者がアンシャン・レジュームになっているのです。もっとも、自分より強いものにはヘラコラする一方で、同輩や目下に対しては結構えげつなくて計算高いのも彼らの特徴です。競争に勝つためには手段は二の次で、卑怯なことも厭わないのです。

よく言われるように、日本は経済的に没落し余裕がなくなったので、座る椅子も少なくなっており、そのため、朝夕の通勤電車と同じで、サークル内の椅子取り合戦(ポジション取り)も熾烈をきわめているのです。まして、新聞社やテレビ局などは、誰しもが認める”限界企業“です。そう考えれば、権力にすり寄る「あさましくさもしい」記者が多いのも、当然と言えば当然かもしれません。

仕事先の知人は、大倒産・大失業・大増税の時代が目前に迫っているのに、「日本ではどうしてアメリカのように暴動が起きないんだろう?」と不思議がっていましたが、たしかに日本では、暴動どころか、政権批判する人物をSNSや電凸で攻撃する、”現代版アカ狩り”に動員されているのがオチです。日本の若者たちは、椅子にふんぞり返って国民を見下し、「日本を、取り戻す」(自民党のポスター)という掛け声とは裏腹に、ネオリベラリズムに拝跪して日本を切り売りしている老害政治家に対して、「がんばれ!」「日本を守ってくれてありがとうございます!」と拍手喝さいを送っているのです。そのトンチンカンで倒錯した感覚にも驚くばかりです。

そして、若い記者たちも、老害政治家と一緒になって、政権にまつろわぬ目障りな記者を嘲笑し、その記者の質問権を奪うことに手を貸しているのです。そうやって、政治を私物化して総理大臣をたらいまわしする与党の派閥のボスたちに忠誠を誓い、みずからのポジションを守っているのでしょう(正確に言えば、守っているつもりなのでしょう)。

芸能記者も政治記者もみんな、「あさましくさもしい」同じ穴のムジナなのです。
2020.09.09 Wed l 社会・メディア l top ▲
安倍首相の政権投げ出しに対して、今回は前回のような批判が影を潜めています。やったことは同じでも、それに対する反応はまったく違ったものになっているのでした。

たとえば、立憲民主党から参院選に出馬したこともある芸人のおしどりマコは、安倍首相に対する石垣のりこ議員のツイートに対して、みずからのツイッターで、次のように批判していました。

おしどりマコツイート2020年8月28日
https://twitter.com/makomelo/status/

でも、私は、このツイートの意味がよくわかりません。私たちは、潰瘍性大腸炎という病気に罹ったことを批判しているのではないのです。まして、病気が自己責任だなどと言っているわけではありません。持病を抱えながら、二度に渡って権力の座を欲したその無責任な姿勢を批判しているのです。その結果、二度も政権を投げ出して、“政治的空白”をもたらすことになったのです。そもそも、この”非常時”に国会を開かなかったのも、病気の悪化で安倍首相自身が躊躇したからかもしれません。

石垣議員も、持病で政治を停滞させることがわかっていながら、二度に渡って権力を欲し、同じことをくり返したその姿勢が無責任だと言いたかったのだと思います。それを立憲民主党執行部は、「不適切発言」と断じ、謝罪と削除を命じたのでした。

内閣総理大臣というのは、一般市民とは違うのです。公人!なのです。サラリーマンやOLとは、立場がまったく異なるのです。

公人!である安倍首相の病気を、サラリーマンやOLの病気と同じように考えると、大きな錯誤を招くことになるでしょう。それは、最高権力者の健康が第一級の国家機密だと言われる理由を少しでも考えればわかることです。

もっとも、安倍首相の病気に関しては、第一級の国家機密であるはずなのに、どうして千駄ヶ谷の慶応大学病院に検査に向かうのがバレバレだったのかという疑問があります。普通は誰にも知られないように検査を受けるはずでしょう。安倍首相の病気は、辞任を軟着陸させるためのストーリーだったんじゃないかという見方がありますが、その後の流れを見ると、あながち的外れとは言えないんじゃないかと思ったりもします。

前回は、「政権を投げ出した」と批判していたメディアが、今回はまったく逆に同情的な報道に終始し、それが辞任後すぐに、安倍内閣の支持率が55%に急上昇し、安倍政権を「評価する」が71%に上ったという世論調査(朝日新聞社が2、3日に実施した世論調査)に表れているのです。次期首相にふさわしいのは誰かという質問でも、「菅氏」と答えたのがいちばん多かったそうです。まさに衆愚としか言いようがありませんが、世論とはそういうものでしょう。

この世論調査の結果は、総理大臣を自分たちの都合のいいようにたらい回しする、派閥のボスたちのやり方を実質的に追認したと言えるでしょう。安倍辞任に同情的な報道に終始したメディアがそう仕向けたのです。やることなすこと全てが裏目に出る、政治的行き詰まりによる支持率低迷から見事なまでに流れが反転しているのです。なんだかおかしな(この国のメディアにありがちな)政治の力がはたらいているような気がしてなりません。

安倍辞任に対するメディアの報道は、まるで独裁国家のそれのようですが、おしどりマコの発言もそんなメディアと軌を一にしていると言えるでしょう。

「言論の自由などない。あるのは自由な言論だけだ」と言ったのは、おなじみの竹中労ですが、たとえば、「言論の自由」のいかがわしさを考える上で、(安倍辞任とは直接関係がないけど)下記の朝日の記事などは好例です。いいように憎悪を煽ってきたくせに、憎悪の相手から反撃されると、途端に仮面ライダーのように民主主義者に変身するのは、彼ら差別主義者の得意芸です。でも、おしどりマコはそのカラクリを見抜くことはできないのでしょう。もしかしたら、ものごとの本質を隠蔽し差別主義者に逃げ場を与える、こういうメディアのオブスキュランティズム(両論併記の曖昧主義)を、民主主義のあるべき姿と思っているのかもしれません。

朝日新聞デジタル
炎上した三浦瑠麗さんのCM 「左右問わず排除激しく」

安倍政治がもたらしたのは、ヘイトの蔓延と格差の拡大と政治の私物化です。おしどりマコのように「公」と「私」を混同し「情緒」で政治を語るようでは、今の世も末のような衆愚政治を「理会」(©竹中労)することはできないでしょう。それどころか彼女のツイートは、野党もまた、この世も末のような衆愚政治に組み込まれていることをいみじくも証明しているように思えてなりません。
2020.09.04 Fri l 社会・メディア l top ▲
安倍辞任は、メディアに言わせれば、「予想外」「突然の決断」「一人で判断」ということになるのでしょう。ただ、一部に辞任の見方がなかったわけではないのです。しかし、そんな見方も、反安倍の朝日新聞の記者が希望的観測であり得ない辞任を吹聴しているだけと言われ、封殺されたのでした。

そもそも安倍首相の持病悪化を報道したのは、私の知る限り『FLASH』(2020年8月18日・25日合併号)だけです。大手メディアは、あれだけ番記者を配置しながら、安倍首相が慶応大学病院に検査入院(一日入院)するまで、どこも病気悪化を報じていないのです。ホントに病気悪化の情報をキャッチしていなかったのか。だったら、どれだけふし穴、無能なんだと思います。もしかしたら、キャッチしていたけど書かなかったのかも知れません。そうであれば、ことはもっと深刻でしょう。

官邸担当の記者たちに、ジャーナリストを名乗る資格はないのです。記者会見のおべんちゃら質問を見てもわかるとおり、もはや彼らはただの御用聞きにすぎないのです。

そんな彼らが、辞任表明の記者会見においても、なにひとつ突っ込んだ質問ができないのは当然と言えば当然でしょう。病気だから仕方ないとか、不本意な辞任だとか、同情論で報じるのもむべなるかなと思います。誰もフジ・サンケイグループやNHKの幇間たちを笑えないのです。

でも、私は、安倍首相ほど無責任な政治家はいないと思っています。「愛国者に気をつけろ!」と言ったのは鈴木邦男氏ですが、まさに(自称)愛国者の正体見たり枯れ尾花という感じです。メディアは、今回は第一次安倍政権のときとは違うようなことを言っていますが、どこが違うのでしょうか。どう見ても、同じことをくり返したとしか思えません。

安倍政権を批判するあまり、持病(潰瘍性大腸炎)について言及するのはフェアじゃない、同じ病気と闘いながら仕事をしている人たちを傷つけることになるというような声があり、それも安倍批判を封じる口実になっていましたが、「同じ病気と闘いながら仕事をしている」一般のサラリーマンと安倍首相は、立場が全然違います。安倍首相は内閣総理大臣という、この国の政治(行政)を司る公人!なのです。

この国の最高権力者である限り、みずからの持病に対して責任を持つのは当然です。持病の不安がありながら(そのリスクを抱えながら)、あえて二度も内閣総理大臣の座を求めたのは、きわめて無責任と言わねばならないでしょう。これほど国家や国民をみくびった話はないのです。

しかも、安倍首相は、連続在任日数が大叔父の佐藤栄作元首相の記録を抜いて歴代1位になった途端に、辞任を表明したのでした。まるで連続出場記録の更新を餞に引退するプロ野球選手のようです。でも、連続在任日数の記録更新と辞任の関係を質した記者は、誰ひとりいませんでした。みんな、「ご苦労さまでした」というような質問に終始するばかりでした。

このコロナ禍のなかにあっても、考えているのは自分のことだけです。そんな人間の一体どこが愛国者なんだと思います。「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」という石垣のりこ参院議員のツイートは正鵠を得ており、「不適切発言」なんかではありません。第二次安倍政権が誕生した際、安倍首相は「危機突破内閣が誕生しました!」と得意満面に宣言したのですが、まさに危機の真っ只中で、突破どころかまたしても政権を投げ出したのです。コロナ禍で、失業したり倒産したりして苦境に陥っている人たちを尻目に、「ボクちゃん、お腹が痛いから辞めるよ、バイバ〜イ」というのが今回の辞任の真相でしょう。

念の為に、もう一度くり返しますが、安倍首相は「病気と闘いながら仕事をしている」一般のサラリーマンとは違うのです。内閣総理大臣という公人!なのです。しかも、在任中に突然、病気になったわけでもないのです。最初に政権を投げ出したとき(投げ出さざるを得なかったとき)、ホントに公人!としての責任を感じていたなら、同じことをくり返さないでしょう。

安倍首相は、会見で、拉致問題を解決できなかったのが断腸の思いだと言ってましたが、たしかに彼が権力の階段を駆け上ったのも“拉致の安倍”のイメージがあったからでしょう。でも、ホントに解決しようという気持があったのかはなはだ疑問です。彼のヘイトな極右思想と旧植民地である北朝鮮とのデリケートな交渉が相容れないことは、最初からわかっていたはずです。せいぜいが、兵糧攻めにすれば北朝鮮が根を上げて拉致被害者を差し出して来るという、オウム真理教まがいの荒唐無稽な奪還論を主張するのが関の山でした。しかも、拉致被害者の家族もネトウヨと一緒になって、そんな荒唐無稽な奪還論を共有していたのですから、何をか況やです。いいように利用され、騙されたという認識もなく、「安倍さんが辞めるのは残念」「これで拉致問題の解決が遠のく」などと言っている家族たちを見ると、ますます現実から遊離し、カルト化して、孤立の道を歩んでいるようにしか思えません。

辞任しても、解決の道筋をつけていたのなら、それを引き継げばいいだけの話です。ても、そんなものはどこにもないのです。

7年8ヶ月に及ぶ“安倍時代”がもたらしたのは、ヘイトの蔓延と格差の拡大と政治の私物化です。私は、安倍首相については、国会で総理大臣の席から口をすぼめてヤジを飛ばしている、バカ丸出しの姿しか思い出しませんが、そんな姿が不毛な“安倍時代”を象徴しているように思えてなりません。

安倍首相は、内閣総理大臣というまぎれもない公人!なのです。だからこそ、ときには水に落ちた犬を叩くような総括も必要なのです。でないと、小泉政権以後ずっとつづいている、(またぞろ愚劣な復縁劇を演じている連合子飼いの野党も含めた)この世も末のような衆愚政治を終わらせることはできないでしょう。
2020.08.29 Sat l 社会・メディア l top ▲
今日のテレ朝の「モーニングショー」では、東京の足立区で施行された歩きスマホ禁止条例の話題を取り上げていました。

足立区の条例では、ゲームはもちろん、地図も音楽も通話も全て禁止にしているのだそうです。それに対して、共産党の女性区議が、一方的に私権を制限するのは問題で、もっと区民の意見を聞くべきだと反対意見を述べている場面が出ていました。

また、若い男性の区議も、スマホやスマートウォッチで心拍数や血圧をはかったりすることがあり、条例はそういった最先端のITテクノロジーの活用を制限することになると反対意見を述べていました。

街頭インタビューでも、地図や音楽や通話まで禁止するのはやり過ぎだとか、夜、痴漢に遭わないために電話をかけている真似をすることがあるけど、それもできなくなるので困るというような若い女性の意見を取り上げていました。

まったくバカバカしいとしか言いようがありません。アホな人間たちのアホな屁理屈、その一語に尽きます。いちいち取り上げるのさえバカバカしいのですが、スマホで地図を見るのなら立ち止まって見ればいいだけの話です。私は、山に登るとき、以前はスポーツウオッチで心拍数をはかっていましたが、心拍数をはかる機能のない時計に変えてからは、スマホのアプリで心拍数をはかっています。その際も(山の中でさえも)、立ち止まってはかっています。また、休憩時にはオキシメーターではかることもあります。

街中を歩いていて心拍数や血圧をはかる人間がどれだけいるのかわかりませんが、別に歩きながらはかる必要などないでしょう。立ち止まってはかればいいだけの話です(言えば言うほどバカバカしくなる)。

通勤時間帯は特に歩きスマホが多く、もしかしたら30~40%の人間が歩きスマホをしているかもしれません。すれ違う際、スマホの場面をチラ見すると、大半はゲームかSNSかYouTubeです。心拍数をはかっている人間なんて見たことがありません。

朝や夕方の通勤時に駅の階段や狭い舗道で、後続者を堰き止めてノロノロ歩いている人間がいますが、それは決まって歩きスマホの人間です。また、歩きスマホの人間とぶつかりそうになることも多く、非常に危険です。迷惑以前の問題として危険なのです。私自身は、歩きスマホなんて怖くてできませんが、それを日常的に平気でやっている人間たちの感覚には疑いを持たざるを得ません。

歩きスマホ禁止を私権制限と捉える共産党区議の如何にも左翼特有の教条主義は、噴飯ものと言わざるを得ません。新型コロナウイルスに伴う「ファシスト的公共性」には目を瞑り、歩きスマホ禁止をあたかも人権侵害のように言い立てるそのヘタレな姿勢こそ、「大衆迎合主義」=ポピュリズムと呼ぶべきでしょう。私は、共産党区議の発言を聞いて、昔、評論家の大野明男氏が、民青の運動方針について、「欲望のナチュラリズム」ということばを使って批判していたのを思い出しました。

それは、スタジオで共産党区議と似たようなコメントを発していた、元朝日社員の浜田某という女性コメンテーターも同じです。彼女もまた、ただリベラルを装っているだけで、何も考えずに発言しているのでしょう。宮台真司が言うように、「いてもいなくてもどうでもいい」典型的なコメンテーターと言うべきでしょう。

とは言え、足立区の条例には罰則規定がないので、どれだけ効果があるか疑問です。効果をもたせるには、やはり罰則規定を設ける必要があるでしょう。個人的には、足立区や大和市だけでなく横浜市でもどこでも、全国の自治体で歩きスマホ禁止条例ができることを願わずにはおれません。

それどころか、歩数計のような技術を応用して、歩行中に操作できないような装置をスマホに組み入れるべきではないかと思ったりします。トランプのモノマネでTiktokを禁止する前に、歩きスマホができないスマホの開発を提唱すべきなのです。たかが歩きスマホと言うなかれで、歩きスマホは単にマナーだけの問題ではないのです。

歩きスマホをしている人間と、感染防止の意識の低い無神経で「どうしょうもない人間」が重なるのは、少しでも考えれば誰でもわかることでしょう。こういった日常にへばり付いている瑣末な問題こそ大事なのです。いわゆる知識人や文化人と呼ばれる人の中には、「たかが歩きスマホで」「歩きスマホごときに目くじらを立てて」と言わんばかりに、高尚ぶって見て見ぬふりをする人がいますが、知識や言葉を生業とする人間としては、きわめて不誠実で無責任な態度と言えるでしょう。本来思想というのは、こういった日常の瑣末な問題の中から生まれるはずだし、生まれるべきものなのです。
2020.07.29 Wed l 社会・メディア l top ▲
おとといの夜、時間が空いたので、山に行く準備をして床に就きました。そして、早朝4時すぎに目を覚まし、真っ先にベランダに出て夜が明けたばかりの空を見ました。しかし、一面暗い雲におおわれ、今にも雨が降り出しそうな空模様でした。朝の空に一縷の望みを託していたのですが、これでは諦めるしかありません。がっかりしてまたベットに戻りました。

この週末はつかの間の晴れ間が望めそうですが、私は用事があって山に行くことができません。来週は、天気予報ではずっと雨マークです。

このように、梅雨とは言え、今年は雨にたたられて、なかなか山に行くタイミングが合いません。前回の山行から既に2週間近くが経っています。せっかく山行を再開して体力も戻りつつあると思っていたのに、これでは元の木阿弥です。年を取ると体力の問題は深刻で、少なからぬ焦りを覚えています。と言うか、こんなに気勢をそがれると山に行くモチベーションも下がるばかりです。

モチベーションが下がると言えば、ハイカーにとって、政府の不要不急の外出自粛要請に呼応して、登山の自粛を呼びかけた山岳4団体の声明や、自粛解除後に、登山中のマスクの着用を呼びかけたガイドラインなどは、その最たるものと言えるでしょう。

日本山岳会は、戦時下において「日本山岳聯盟」という山岳団体を糾合した翼賛団体の設立を呼びかけるなど、鬼畜米英・大東亜解放の侵略戦争に積極的に関与・協力してきたのですが、自粛の呼びかけや自粛解除後の「新しい生活様式」に準じたガイドラインなどに示されているのは、「自立した登山者であれ」という登山の持つ”自主自立の精神”そっちのけの、ただ国家に帰順することを一義とする翼賛的な姿勢です。戦争協力の時代に日本山岳会の会長を務めた木暮理太郎が神格化されていることにも、私は首を捻らざるを得ません。もっともそれは、同じ山岳4団体に名を連ねた、日本共産党の“友好団体”とも言われる日本勤労者山岳連盟も、似たかよったかなのです。

世界の高峰に日本人として初登頂をめざす、いわゆる「先鋭的登山」が国威発揚と結びついていたことはよく知られていますが、もともと登山と国家は切っても切れない関係にあったのです。戦争中も、登山は「高度国防国家建設」のための「国民心身鍛錬運動」の一翼を担うものとして、むしろ国家から奨励されていたのでした。

『ランドネ』(7月号)の座談会における次のような発言は、多くの登山愛好家が共有するものではないでしょうか。発言者は、静岡大学教授で、日本オリエンテーリング協会顧問の村越真氏です。

村越   山岳団体が出した自粛メッセージのなかで違和感を感じたのは、そうした“自立した登山者としての基本”を強調せず、コロナがあるからというスタンスでしか書かれていないことでした。本当はコロナ禍でなくたって遭難は避けるべきだし、可能な限り自力下山して、救助隊や医療機関に負担をかけるべきではないわけです。
そのごく当たり前のことをいまこそ見直そうという促しが、自粛メッセージから感じさせない点が不充分だと考えています。

(『ランドネ』2020年7月号・「これからの山歩きを考えよう座談会」)


山岳4団体は、戦争中と同じように、ただハイカーを国家に帰順させることしか念頭にないかのようです。まるでそれが彼らの役割であるかのようにです。

もっともそれは、新型コロナウイルスにおける自粛体制そのものにも言えるのです。自粛体制には右も左もないのです。左派であるなら、自粛なんて糞くらえと言ってもよさそうですが、そんな声はまったく聞こえてきません。むしろ、政府の不作為を批判しながら、再度の自粛を主張しているフシさえあるくらいです。

左右が国家にひれ伏す今の自粛体制=翼賛体制は、都知事選で小池都知事が366万票という歴代2番目の得票を獲得したことにも端的に表れています。なにしろ次点の宇都宮健児候補に280万票もの大差を付けた、歴史的と言ってもいいほどの圧勝でした。

私が今回の選挙で注目したのは、投票前に行った下記の東京新聞の世論調査です。

東京新聞 TOKYO Web
誰に投票? 野党支持層は分散【都知事選世論調査】

立憲民主党の支持者の中でも、56.1%が小池知事に投票すると答えているのです(宇都宮氏は22.2%)。国民民主党に至っては、62.9%が小池知事で、宇都宮氏は0%(誤差の範囲?)です。共産党でも、21.4%が小池知事(宇都宮氏59.0%)です。

東電労組主体の電力総連に牛耳られている連合東京が小池知事を推薦したということもあるのでしょうが、野党支持者でも小池都知事の自粛パフォーマンスは、政治信条を越えて支持されているのです。

東京の新規感染者200人超えが3日続いていますが、これから左右を問わず、益々罰則を設けた再度の自粛を求める声が強まることでしょう。もしかしたら、野党がその音頭を取るようになるかもしれません。

多くの国民にはまだその自覚がないようですが、これから大倒産・大失業の時代が待ち構えているのは間違いないのです。コロナ禍があと何年続くか、見通せない状態であるのは否定すべくもない事実でしょう。オリンピックなんてできるわけがないのです。

コロナ禍は、まさに世界史を塗り替えようとしていると言っても過言ではありません。アメリカの苦境と迷走が示しているのは、アメリカが世界の覇権を失って超大国の座から転落することがいよいよ現実になったということです。そして、香港に対する強権の行使や東南シナ海の海洋進出など中国の強気な姿勢が象徴しているのは、アメリカに代わって中国が覇権国家として、その存在感を再び世界史の中に示しつつあるということです。

そんな歴史的なコロナ禍の中にあって、日本は再び内向きの一国主義的な方向に進もうとしているのです。一致団結して危機を乗り越えようという現状認識においては、与野党も左右も寸分も違いはありません。でも、無定見に経済より命が大事だという”情緒“に流され、憲法で保障された基本的な権利を何のためらいもなく国家に差し出している今の状況は、もしかしたら先の戦争と同じように、自粛=自滅への道であるかもしれないのです。

なにより、江戸時代のような”鎖国政策”では飯を食っていけるわけがないのです。たとえば、観光業も国内市場が縮小したからインバウンドに活路を求めたはずなのですが、ここに至ってインバンド頼りからの脱却みたいことがまことしやかに言われているのでした。でも、それは、どう考えても負け惜しみにすぎないのです。大倒産・大失業に加えて、10万円給付やGoToキャンペーンなどのツケで、大増税も間違いなくやって来るでしょう。いくら「ニッポン、凄い!」「ニッポン、がんばろう!」と自演乙しても、今のように内向きになっている限り、にっちもさっちもいかなくなるのは目に見えているのです。星野リゾートの社長も、インバウンドからの脱却、日本の良さを見直すべきみたいなことを言ってましたが、観光業の現状を知る人間として、これほど無責任で稚拙なもの言いはないだろうと思いました。

稚拙と言えば、れいわ新選組の大西某の「命の選別」発言も然りで、大西某は論外としても、この問題では山本太郎の危うさや稚拙さがいっきに露呈されたように思えてなりません。そもそも、元外資系銀行の為替ディラーで、どう見ても新自由主義者でしかない大西某なる人物がどうしてれいわ新選組の比例代表候補だったのか、よくわからない部分がありました(ほかにも不可解な候補予定者が何人もいます)。公務員をもっと増やすとか再度10万円を一律給付するとか、山本太郎の主張には、貧困者対策とどう関係があるのかという疑問もありました。ただ、右か左かではなく上か下かで言えば、山本太郎だけが上か下かの視点を提供していたのはまぎれもない事実で、れいわ新選組の路線自体は(多分に場当たり的なものではあったにしても)間違ってなかったのです。その意味では、れいわ新選組も自滅の道を歩みはじめたと言っていいのかもしれません。

「命の選別」発言は、れいわ新選組を支持する下層の人たちに対する、弁解の余地のない裏切りであるのは言うまでもありません。にもかかわらず、「命の選別」発言にもっとも敏感に反応すべき舩後靖彦参院議員や木村英子参院議員から正式にコメントが出て来ないのも、不思議な気がしてなりません。

一方で、立憲民主党の国会議員や支持者たちが、ここぞとばかりに執拗に“山本太郎叩き”をしていることにも違和感を抱かざるを得ません。そこには、左翼の常套手段である“社民主要打撃論”と同じような、党派的な思惑が垣間見えてならないからです。

余談ですが、立憲民主党の有田芳生参院議員や評論家の安田浩一氏が、これからの日本の中枢を担うのはれいわ新選組と日本第一党だという、れいわ新選組のなりすましツイッターを真に受けて激しく反応していたのは、彼らのネットリテラシーの低さもさることながら、”社民主要打撃論”による先入観が丸出しで、語るに落ちたという気がしてなりませんでした。このような山本太郎を叩いている旧左翼のお粗末さも見過ごしてはならないのです。

れいわ新選組は解党的出直しが必要だという声がありますが、社会運動の基盤のない政党に、今の状況を剔抉する革命的なエネルギーを求めるのは、ないものねだりの子守歌でしかないでしょう。と言うと、なんだか大袈裟な話になりますが、(今まで私たちが知らなかった)事務所運営の杜撰さや秘書の問題などを考えると、山本太郎も所詮は”古い政治”から脱却できない口舌の徒に過ぎなかったと言うべきかも知れません。

しかし、何度もくり返しますが、同時に左の全体主義者のよこしまな“社民主要打撃論”にも、くれぐれも注意しなければならないのです。国家への帰順を一義とする点においては、スターリニストとファシストは紙一重なのです。

立憲民主党や国民民主党が野党である不幸は今更言うまでもありませんが、あらためて野党を取り巻く殺伐とした光景を見るにつけ、すべてが(右も左も)国家に収れんされていくんだなという暗澹たる思いしか抱き得ないのでした。
2020.07.12 Sun l 社会・メディア l top ▲
れいわ新選組の山本太郎の東京都知事選出馬表明について、立憲民主、共産、社民の3野党が宇都宮健児氏への支援を決めているため、野党支持層の票が分散するのではないかと懸念する声があります。特に、立憲民主党周辺や「アベ政治を許さない」左派リベラルの市民運動の当事者たちからは、利敵行為だというような強い意見も出ているそうです。

山本太郎がどうしてこれほど立候補に拘ったのか、よくわからない部分もありましたが、立候補に際して、その裏事情が見えてきました。

れいわ新選組が野党共闘の条件として掲げる「消費税5%引き下げ」(党の公約は「消費税廃止」)を野党統一候補(宇都宮健児氏?)の選挙公約に採用するように主張したことに対して、財政再建=緊縮派の立憲民主党がどうしても消費税の引き下げを認めることはできないとかたくなな姿勢を崩さなかったため、折り合いが付かなかったのだそうです。

立憲民主党にとっては、消費税10%はかくも絶対譲れない重要な政策なのです。言うまでもなく、消費増税は民主党政権の悪しき“遺産”でもありますが、その“遺産”を守ることが立憲民主党のレーゾンデーテル(存在理由)とでも言いたげです。立憲民主党と自民党の間に、どれほどの違いがあるのかとあらためて思わざるを得ません。

もとより、何度も書いていますが、消費税の問題ひとつ取ってもあきからなように、野党共闘は単なる野合に過ぎません。野党共闘によって、何か政治が変わるような幻想を振りまいているのは、もはや犯罪的ですらあります。

個人的には、ブレイディみか子氏にはもう何の興味もありませんが、ただ、彼女が言った「右か左かではなく上か下かだ」という社会運動のトレンドが、コロナ禍による大倒産&大失業時代を迎えて、よりはっきりしてきたように思います。もうひとつ、彼女の言葉を借りれば、野党共闘なんて「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろ」んでいる「勝てない左派」のアリバイ作りにすぎません。都知事選では、現職の小池百合子が圧勝するのは誰が見てもあきらかで、左派リベラルは“革新幻想”の再現で、負け戦のお茶を濁そうとしているようにしか見えません。

そもそも60年代後半以後の社会運動は、こういった“古い政治”を否定することからはじまったはずなのです。ところが、元全共闘のジジババたちによって、その“古い政治”が墓の下から掘り出され、“革新幻想”を振りまくアイテムとして再利用されているのでした。これほど愚劣な光景はありません。

でも、何度もくり返しますが、これはとっくに終わった政治なのです。こんな時代錯誤なことを何万遍くり返してもなにも変わらないのです。変わりっこないのです。

アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性が白人警察官に圧迫死させられた事件に端を発した黒人差別の抗議運動が、これほどアメリカ社会にインパクトを与える大きな運動になるとは誰も思っていなかったでしょう。今回の運動は、共和党だけではなく民主党も批判の対象になっているのです。警察官の暴虐は、トランプ政権からはじまったわけではないのです。初の黒人大統領であったオバマは、人種差別の根絶のために何をしたのか、という疑問の声が運動の中から沸き上がっているそうです。これこそが真にラジカルな(根源的な)問いかけと言えるでしょう。

今、求められているのは、このようなラジカルな運動なのです。

カリフォルニア州在住でアメリカ事情に詳しい町山智浩氏が、下記の記事で語っていた、アンティファやブラック・ブロックの存在は、これからの社会運動のあり方を考える上で(文字通り「勝てない左派」の運動を乗り越えるものとして)、興味をそそられるものがありました。

Yahoo!ニュース
ABEMA TIMES
黒人差別への抗議行動に紛れて略奪・破壊を繰り返すアンティファ、ブラック・ブロックとは

町山智浩氏は、こう言います。

「アンチ・ファシズム(Anti-Fascism)の運動から派生して出てきた人たちで、トランプ大統領を支持する右翼や白人至上主義者に対抗、集会に現れて物を投げたり、殴り合いをしたりしてきた。それがさらに精鋭化したのが、最近出てきた全身黒ずくめの“ブラック・ブロック”(BLACK BLOC)だ。もはやアンチ・ファシズムでもなく、反資本主義・無政府主義(アナキズム)なので、大統領就任式で放火事件を起こしたり、民主党に対しても攻撃をする(略)」



「アンティファとブラック・ブロックが興味深いのは、組織ではないというところだ。リーダーもいなければ、会員になるというようなこともない。お互いを知れば組織になってしまうし、誰かが捕まって証言すれば共謀したとされてしまうので、集まってもお互いに話もしないのがルールだといわれている。だから呼び掛けすらほとんどなく、“何月何日何時にどこで”というSNSの投稿を見て、リツイートなどもせずにパッと集まって、パッと解散する。“フラッシュモブ”のような感じに近い」


私は、町山氏の話を読んで、笠井潔氏が『3.11後の叛乱』の中で言及していたルイ・オーギュスト・ブランキの「結社」の思想を思い起こしました。

前に書いたように、笠井氏がブランキを持ち出したのはしばき隊を称賛するためだったのですが、しばき隊にブランキを当てはめるのはまったくの買い被りで、トンチンカンな話と言わざるを得ません。それより私は、ブラック・ブロックの行動にこそブランキ主義と通底するものがあるように思えてならないのです。そして、そういったスタイルがこれからの社会運動のトレンドになるように思えてなりません。

また、町山氏は、抗議運動がここまで拡大した背景について、「コロナによる経済危機が根本にある」とも言ってました。

 「1930年の大恐慌もリーマショックも、金融の問題、バブルの問題だった。しかし今回は実体経済の縮小というかつてない問題だ。戦争が起きれば大量生産・大量消費が起きるので特需になるが、それとは逆。おそらくアメリカにとって初の経験ではないか。しかもロックダウン状態が3カ月も続き、失業者は4000万人を超えている」


アメリカの黒人差別に対する抗議運動は(あるいは世界大に広がった人種差別反対運動は)、文字通り右か左かではなく上か下かの運動でもあるのです。

アメリカのような大衆蜂起が期待できない東洋の島国では、コロナ禍でますます追いつめられている下層の人々に対して、上か下かの政治もあるのだということを訴えることからまずはじめるしかないのです。たしかに危ういところはありますが、とりあえず山本太郎がその役割を担っているのは間違いないでしょう。


関連記事:
『3.11後の叛乱』
山本太郎は間違ってない
山本太郎は間違ってない・2
2020.06.17 Wed l 社会・メディア l top ▲
6月9日に、カイロ大学が突然(そして、奇妙な)声明を発表した裏には、どうやら都議会の動きが関係していたようです。私は知らなかったのですが、都議会の自民党を中心に、小池知事に対してカイロ大学の「卒業証明書」の提出を求める決議案が出されていて、10日に決議される予定だったとか。それで、カイロ大学の声明で機制を制したというのが、どうやら真相だったみたいです。決議案は、10日の議決寸前に取り下げられたそうですが、おそらく二階ら自民党本部の“小池人脈”による働きかけがあったと考えるのが自然でしょう。

Yahoo!ニュース
日刊スポーツ
小池氏への決議案取り下げ、カイロ大学の声明も一因

小池都知事は、12日の出馬会見の席で、学歴詐称疑惑について、「すでに原本も示し、カイロ大学も正式にお認めいただいているものと考えている」と答えたそうですが、「原本を示し」たというのは、前回(2017年)の都知事選の際、小池都知事お気に入りのフジテレビに「卒業証書」と「卒業証明書」を「貸し出した」ことを言っているのでしょう。フジテレビは、「とくダネ!」の中で、画面上に「卒業証書」と「卒業証明書」を映し出して、本人に代わって潔白を証明したのでした。しかし、『女帝 小池百合子』は、以前小池の自著に掲載されていた「卒業証書」と「とくダネ!」の「卒業証書」では、カイロ大学のロゴマークが違っていると書いていました。また、「卒業証明書」についても、写真の貼り方やカイロ大学の印鑑がホンモノと違うことを指摘していました。

考えてみれば、カイロ大学の声明などという面倒くさいことをせずに、手元にある「卒業証明書」を議会に提出して疑惑を晴らせばいいだけの話です。フジテレビで証明したからなどと言わずに、何度でも出せばいいのです。どうしてそんな簡単なことができないのか。何か「卒業証明書」を直接見せることができない理由があるのではないか、そう思われても仕方ないでしょう。

と思ったら、出馬会見でアクリル板に入れた「卒業証明書」を公開したそうです。しかし、公開した「卒業証明書」は、カイロ大学のロゴや学長のサインが違っているとか、通常の「卒業証明書」に押印されている外務省の印鑑がないとか、従来から指摘されていた疑問を解消するものではなかったようです。そもそもみずから1年落第したと言っているのに、どうして4年で卒業したことになっているのかという、小学生でも抱く疑問は今回も解明できていません。今回の行為を見ても、その厚顔さ=強心臓は常人の比ではないなとあらためて思いました。

6月11日に「東京アラート」が解除されましたが、ロックダウンだとか西浦博北大教授と一緒に「重篤患者86万人・死者42万人」だとか、散々“危機”を煽っておきながら、最後は何だか肩透かしを食ったようにあっけないものでした。これでは、自粛要請によって、破産か自殺かにまで追い詰められた自営業者はたまったもんじゃないでしょう。

でも、これが“小池劇場”と言われるいつものやり方です。築地市場の移転問題も然りで、水質汚染がどうだとか築地も残す(豊洲に移転しても将来築地に帰ることができるようにする)とか言いながら、いつの間にか全て曖昧になり、尻すぼみになってしまいましたが、そこにも小池都知事お得意の嘘とはったりと強心臓が遺憾なく発揮されているように思います。メディアがきちっと報道せず、都民が騙されたという自覚を持たない限り、小池都知事の嘘とはったりと強心臓の“小池劇場”はこれからも続くことでしょう。

それに、ひとつだけ言えるのは、小池都知事にとって、都政は国政復帰(それもステップアップした復帰)のためのあくまで踏み台に過ぎないということです。「小池さ~ん! 頑張って!」と手を振っている都民も、かつての細川護熙や小沢一郎と同じように、ただ踏み台にされているだけです。

ネットには、小池都知事が「甥」だとか「従弟」だとか言っていた、練馬区桜台の「エコだハウス」で一時同居していた元秘書に関する「不可解な融資」と、小池都知事自身の「“闇金業者”からの不正献金」の記事が出ていましたが、問題なのはこの秘書だけではありません。

Yahoo!ニュース
ディリー新潮
小池都知事が隠したい“金銭スキャンダル”
闇金業者から「違法献金」も


もうひとり、小池都知事の「懐刀」と言われ、前回の都知事選の選挙参謀を務めた秘書の存在が前から注目されていました。彼は、35歳で自民党公認で都議になったのですが、任期中に都議を辞任して日本維新の会から衆院選に出馬して落選。翌年、日本維新の会から再度都議選に立候補するものの落選して、アントニオ猪木氏の議員秘書などをしていたそうです。その頃に小池百合子が声をかけ、都知事選の選挙対策本部長を任せられ、都知事選に圧勝するのでした。それで、「永田町を回遊していた彼の人生は劇的に変わ」り、小池都知事の特別秘書になったのでした。

ちなみに、特別秘書の年収は1千4百万円で、当然都知事の秘書ですから給与は都(税金)から支給されます。さらに、運転手付きの公用車まで与えられていたそうです。

彼の行状について、『女帝 小池百合子』は、次のように書いていました。

  夜の豪遊ぶりは、つとに知られている。
  キャバクラやショーパブが好きで、特別秘書になってからも足しげく通っていた。そのハレンチな豪遊ぶりを『週刊ポスト』(二〇一七年六月二月号)が写真入りで報じている。
  記事によれば、ある店では、バケツに入れたチップを掴むとポールダンスをする女性のビキニの中に素手で押し込んでいたという。女性たちは気前のいい野田(引用者:秘書の姓)の前に列をつくる。ブラジャーを外すと野田は喜んで、「ウォー」と雄たけびを上げる。
   店が終わるまで粘り、ダンサーの外国人女性と腕を絡ませて歩き、タクシーに乗る。それが深夜二時過ぎ。この日、彼と連れ立っていたのは民進党から都民ファーストの会への移籍を望む都議たちであった。公認が欲しかったのだろう。


また、都議時代の彼についても、次のように書いていました。

  都議時代は石原慎太郎の価値観に強く共鳴していた。朝鮮学校補助金削減や尖閣諸島の購入を熱烈に支持し、激しい中国批判を繰り返した。「新しい歴史教科書をつくる会」に所属し、『WiLL』や『正論』といった雑誌にも、たびたび寄稿した。
  二〇一二年には自民党を離党し、日本維新の会に入党。九月十八日の都議会では、「占領期に制定された現行憲法は無効と確認し、大日本帝国憲法が現存すると決議がなされること。皇室典範は占領期に作られたものであり無効であって明治典範その他、宮務法体系を復活させるべき」だと請願した。つまりは現行憲法の否定者である。


しかし、2017年10月の衆院選で、小池率いる希望の党は大敗します。そのため、秘書のリストラが行われ、秘書の間でも齟齬が生じるようになり、彼も特別秘書を退任することになりました。ところが、なんと彼は、東京都水道局の外郭団体である東京水道サービス株式会社(TSS)の社長に就任したのです。

(略)水道に対する知識もなく、行政経験もなく、さらにいえば社会人経験もない、政界を暗躍して「小池の弾除け」と自称する四十六歳の男が、都知事の鶴の一声で特別秘書から、今度は外郭団体に天下って社長になるというのだ。
  小池が口封じのために高給の再就職先を用意したと批判の声が上がるのは当然だった。


都政の私物化はとっくにはじまっているのです。しかし、それでも小池都知事にとって都政は、あくまで国政にステップアップして復帰するための踏み台に過ぎないのです。小池都知事のパフォーマンスに右往左往している都民こそいい面(ツラ)の皮でしょう。
2020.06.13 Sat l 社会・メディア l top ▲
小池百合子都知事が、7月の都知事選に向けて、10日に出馬会見を開くのではないかと言われていた前日の9日、突然、カイロ大学が「(小池都知事が)1976年10月にカイロ大学文学部社会学科を卒業したことを証明する」との声明を発表したのにはびっくりしました。さらに驚くべきことに、在日エジプト大使館が、カイロ大学の声明文をフェイスブックで公開したそうです。これも異例でしょう。ただ、予定されていた(?)10日の出馬会見は延期される見込みだとの報道がありました。

朝日新聞デジタル
小池都知事は「カイロ大学を卒業」 大使館が声明文公開

一個人の卒業疑惑に、大学が声明文を発表するというのは前代未聞で、どう考えても不自然です。まして、卒業疑惑が「カイロ大学及びカイロ大学卒業生への名誉毀損(きそん)であり、看過することができない」などと言うのは異常且つ異様です。そのくせ、具体的な”証拠”は何も出してないのです。”アラブの春“を弾圧した軍部が実権を握る「なんでもありの軍事国家」の中で、小池百合子の“過去”を知る「早川さん」が恐怖を抱くのもわかる気がします。

元恋人の舛添要一氏も、この声明を受けて、次のようにツイートしていました。

カイロ大学が小池都知事が1976年に同大学を卒業したと声明。卒業証書や卒業に至る経過、成績表は公開せず。先進国の大学なら、全ての記録を保管し公表できる。声明など出すこと自体が政治的で胡散臭い。日本からの援助を期待する外国政府まで使う。立候補前の政治工作だろう。
@MasuzoeYoichi


私はパリ大学とジュネーブ大学に籍を置いたが、大学が声明まで出してそれを追認することはない。出すなら声明ではなく当時のデータだ。データ抜きなら政治的都合で何とでも言える。エジプトという専制国家ならではの腐敗の極みだ。証拠も出さずに○○が卒業生だと声明を出す先進国の大学は絶対にない。
@MasuzoeYoichi


かつて小池都知事から私が聞いたのはカイロ大学「首席卒業は、学生が一人しかいなかったから」という話だ。私は、外国人学生専用のコースかと思った(私が留学したフランスでは外国人専用の博士号コースがあった)が、「学生一人」すら嘘だったようだ。飽くなき権力欲は怖い。
@MasuzoeYoichi


要は声明文などより、舛添氏も言うように「データ」を開示すればいいだけの話です。また、小池百合子自身も、「首席で卒業」した自分のアラビア語(文語)のレベルを披露すればいいのです。それが論より証拠というものでしょう。

声明によって、逆にますます疑惑が深まったように思えてなりません。

尚、舛添氏がツイッターでリンクしているJBpressの記事では、カイロ・アメリカン大学の留学体験がある作家の黒木亮氏が、小池百合子のアラビア語の語学レベルを検証していました。ちなみに、カイロ・アメリカン大学というのは、国立のカイロ大学とは別の私立大学で、小池百合子がカイロ大学に編入するまで籍を置いていた(と言われる)大学です。

以下が黒木氏の記事の一覧です。

JBpress

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈1〉
「お使い」レベルのアラビア語
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58847

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈2〉
卒論の”嘘”
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58851

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈3〉
エジプトで横行する「不正卒業証書」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58857

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈4〉
「不正入学」というもう一つの疑惑
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58869

徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈5〉
カイロ大学の思惑
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58870

【最終回】小池百合子「カイロ大卒」の真偽
卒業証明書、卒業証書から浮かび上がる疑問符
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58871

議会答弁でさらに深まった小池都知事の「学歴疑惑」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59731

「カイロ大卒業」を取り繕うエジプトの小池人脈
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60763

一方、大手新聞社やテレビ局などは、この問題については最初から腰が引けています。言うまでもなく、彼らは、東京オリンピックで東京都と(主催と協賛の)共存関係にあるからです。彼らにとっては、触らぬ神に祟りなしなのでしょう。

もともと小池百合子がメディアを足場にここまでのし上がって来たのも、アラブ通を自認するジャーナリストたちが、彼女を持ち上げたからだと言われています。

『女帝 小池百合子』も次のように書いていました。

  中東通としてテレビに登場する新聞記者の大半は、アラビア語を解さない。男社会の中で生きている彼らは小池のような女性に一様に甘く、親切だった。
  フリーランスの若い男性ジャーナリストたちは、そのあり様を冷ややかに、かつ、呆れてみていたようだ。元AP通信社の浅井久仁臣は一緒にアフリカや中東で取材したこともある朝日新聞の伊藤正孝のことを、人間としては信頼していたと断ったうえで、そんな伊藤が小池に手もなく取り込まれているのを見て、小池のカイロ時代を知るだけに「女を見る目がないな」と感じたと自身のブログ(二〇〇五年八月十六日)で明かしている。
  伊藤はこの後、小池の政界入りにも協力し、常に彼女に便宜を計り続けた。また、自分の出版記念パーティでは、キャスターになった小池に司会も頼んでいる。
  新聞各社の男性たちはこぞって、小池に自分の力を誇示しようとした。仕事を紹介する人もいれば、紙面を提供する人、人脈を与える人もあった。
  新聞で活字にされた瞬間に「カイロ大学卒」は事実として認定され、流布されていく。その信頼をもとに彼女の世界は広がっていった。


記事の中の伊藤正孝氏は、のちに筑紫哲也のあとを継いで『朝日ジャーナル』の編集長になった人物で、私も『朝日ジャーナル』を愛読していましたので、名前は知っていましたし、彼が書いた記事も読んだ覚えがあります。

鼻の下の長いジャーナリストたちは、あのミニスカートからすらりと伸びた足と、じっと自分を見つめる大きな瞳にいとも簡単に篭絡されたのでしょう。

そして今も、新型コロナウイルスの報道に見られるように、メディア戦略に長けた都知事にいいように手玉に取られ、各メディアは彼女の広報担当のようになっています。いつの間にか、「東京アラート」なるものが感染状況を知る唯一の指標のようになっているのでした。なんのことはない、新型コロナウイルスも、小池都知事の政治的パフォーマンスの格好の場になっているのでした。
2020.06.09 Tue l 社会・メディア l top ▲
フジテレビの「テラスハウス」に出演していた若い女子プロレスラーが、番組の中の言動に対してSNSでバッシングされ、それが原因で自殺するという事件がありました。

自殺を伝える記事には、彼女が死ぬ直前にアップしたインスタの画像が添付されていましたが、それを見ると痛ましいなと思います。

水は常に低い方に流れるの喩えどおり、ネットでいちばん声が大きいのはネットに常駐する「バカと暇人」です。

「ドキュメンタリーは嘘を吐く」と言ったのは、ドキュメンタリー作家の森達也氏ですが、ドキュメンタリーと言っても、そこにカメラがある限り100%ノンフィクションとは言えないのです。まして、編集が加われば尚更です。そして、「ドキュメンタリーは嘘を吐く」ことがわかってない「バカと暇人」たちは、それを真に受け、彼女がプロレスでヒールの役だったということも相俟って、執拗に罵言を浴びせたのでした。

それは「テラスハウス」だけではありません。ヘイトスピーチや個人的な誹謗中傷の巣窟になっているコメント欄をいつまで経っても閉鎖しないYahoo!ニュースも同じです。Yahoo!ニュースを見ていると、あえて炎上するようなニュースをピックアップしてトピックス(先頭ページ)に掲載している感じすらあります。そうやってバズらせてアクセスを稼ぎ、ニュースをマネタイズしようとしているのでしょう。そのためには、負の感情を煽るのがいちばん手っ取り早いのです。

フジテレビは、炎上することが判っていながらあえて彼女の言動を流すことで、視聴率を稼ごうとしたのではないか。そんなえげつないテレビ局の思惑に翻弄され、みずから命を絶つことになった彼女を思うと、あらためて痛ましいなと思わざるを得ません。

世間では彼女をバッシングした人間ばかりが批判されていますが、水が低い方に流れるのがわかっていながら、巧妙にバッシングをけしかけた(そうやってネットとのシナジー効果を狙った)フジテレビが、もしかしたらこの事件の主犯なのかもしれません。ただ、フジテレビが計算を間違ったのは、自殺した彼女が予想に反して繊細だったということでしょう。

しかも、彼女のまわりにいる者たちも、“大人の事情”でテレビ局を表立って批判することはできず、「バカと暇人」をもっぱら非難するしかないのです。そう思うと、かえすがえすも彼女が痛ましく思えてなりません。

今回もテレビのワイドショーを中心に、ネットの誹謗中傷やSNSのプラットホーマーに対する法的な規制の議論が沸き起こることが予想されますが、それは片手落ちでしかないのです。フジテレビの責任に言及しない限り、ただお茶を濁しているだけの無責任な議論と言わねばなりません。
2020.05.25 Mon l 社会・メディア l top ▲
黒川弘務東京高検検事長の賭け麻雀の「文春砲」には、びっくりしました。

黒川氏の趣味はカジノで、黒川氏の”ギャンブル好き”は有名だったそうですが、定年を延長するためにときの政権がわざわざ法律を改正して特例を設けるほど特別扱いされていたので、驕り高ぶった気持がこのような脇の甘さを生んだのかもしれません。今週、政府与党が検察庁法改正案の成立を採決直前に見送ったのも、そのタイミングから見て、この記事を察知したからではないかと言われていますが、あり得ない話ではないでしょう。

飛田新地料理組合の顧問弁護士をしていた橋下徹氏を「売春街の守護神」と呼んだのは文春でしたが、黒川氏も文春などメディアから「官邸の守護神」と呼ばれています。余談ですが、他に「官邸のお庭番」という呼び方もあるそうです。私は、どっちかと言えば、「お庭番」の方が如何にも番犬みたいな感じがするので好きです。

どうして「官邸の守護神」なのか。森友・加計・桜を見る会と安倍政権は次々と政治スキャンダルに見舞われ、一般人(下級国民)なら訴追されて当然のような違法行為も、一人の逮捕者もなく全て闇に葬られたのでした。特に、桜を見る会では、前夜祭の会費を巡って、安倍首相自身の政治資金規正法及び公職選挙法違反の疑いが持たれていましたが、検察は微動だにしませんでした。その背後に、法務官僚として大臣官房長や法務事務次官を務め、次期検事総長と目されている黒川氏の存在があったからではないかと言われているのです。つまり、今のように官邸を「無法地帯」にしたのも、法的な守り神として黒川氏がいたからではないかという疑惑があるからです。

しかし、官邸が黒川氏を特別扱いしたのは、何も過去の論功行賞からだけではなかったのです。検察庁法改正に対する反対の声が大きくなった中で、アクセスジャーナルに次のような記事が掲載されていました。

アクセスジャーナル
安倍首相が逮捕に怯える、河井夫婦公選法違反事件の闇(1・5億円の一部が還流!?)

昨年7月の参議院選挙では、河井案里候補に対して「自民党本部から破格の1億5000万円もの運動資金」が渡され、安倍首相の秘書がたびたび応援に入ったことがあきらかになっています。また、その「運動資金」が広島地検に摘発された公選法違反事件のウグイス嬢だけでなく、選挙区の地方議員たちの買収資金になったのではないかと言われています。ところが、話はそれだけにとどまらず、「運動資金」の一部が安倍首相の周辺に還流しているのではないかという疑惑も持ち上がっているのです。

私は、当初、検察VS官邸に対して信じ難い気持でした。しかし、今回の「文春砲」も含めて、検察庁法改正を巡るさまざまな動きを見るにつけ、もしかしたらこれはアクセスジャーナルのスクープではないかと思うようになりました。

実際に、河井案里議員の公選法違反事件では、広島地検だけでなく、東京地検や大阪地検の特捜部も捜査に加わっているそうです。この並々ならぬ力の入れように、さまざまな穿った見方が出て来るのは当然でしょう。

近いうちに、選対本部の責任者だった河井克行元法相ともども河井夫妻に対する逮捕許諾請求が行われるのではないかという話もあります。そうなれば、検察VS官邸の暗闘がいっきに表面化し、人事に手を突っ込んだことで検察の虎の尾を踏んだ安倍政権に対する、メガトン級の”意趣返し”が明らかになるのかもしれません。

官邸の悪代官たちが慌てふためく姿を見るのは痛快ですが、しかし、忘れてはならないのは、これは時代劇のような勧善懲悪の物語ではないということです。検察=正義というような単純な話ではなく、権力内部の暗闘であることを忘れてはならないのです。

文春に情報を垂れ込んだのは、産経新聞の記者の同僚だと言われていますが、「産経新聞の同僚」というのがミソで、そこにもさまざまな憶測が流れているのでした。保守派で安倍マンセーの三浦瑠麗氏は、次のようにツイッターで呟いていました。

三浦瑠麗ツイッター文春記事
https://twitter.com/lullymiura/status/1263241587858931713

中には、文春なので内調(内閣情報調査室)が関係しているんじゃないかと言っている人がいましたが、その人は60年後半の学生運動の経験者かもしれないと思いました。昔は文春の記事=内調がネタ元が常識でした。

検察庁法改正案の採決を見送ったのも、ネットの世論を読み違えたとか、二階らが政局がらみでストップをかけたからだとか、そういった話でもないのです。こんなときだからこそ、メディアのセンセーショナリズムに踊らされることを厳に慎まなければならないのです。

官邸にとって、黒川氏のスキャンダルは悪事の幕引きをはかる上で、かえって都合がよかったのではないかという見方もあるくらいで、もしかしたら、私たちは、メディアのセンセーショナリズムに踊らされることで、問題の本質から目を反らすよう仕向けられている(目くらましされている)のかもしれないのです。
2020.05.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
検察庁法改正案に対して、ネットを中心に反対の声が沸き上がっていますが、しかし、政府与党は成立のためには強硬採決も辞さない構えなのだそうです。悪代官たちにとって、ネットの反対論などどこ吹く風なのでしょう。

私は、検察庁法改正案に関するメディアの報道で、ひとつ解せないことがあります。それは、自民党とともに、この法案の成立を目指している(実際には手を貸している)公明党=創価学会に対しての言及がいっさいないということです。公明党=創価学会は、今までも政権与党として、数々の悪法や森友・加計・桜を見る会などの疑惑隠しに手を貸して来ました。

公明党=創価学会の体質を考えると、安倍政権の独裁的な政治手法と親和性が高いのはたしかでしょう。しかし、公明党は、自分たちは安倍政権に対してブレーキ役だと常々言っています。しかし、実際は、ブレ―キではなくアクセルのようにしか見えません。そういった詭弁を平気で使うのも、公明党=創価学会の体質ゆえでしょう。

公明党=創価学会への言及がないのは、やはり、メディアに鶴タブー(創価学会タブー)があるからではないか。そう思えてなりません。

政府が、閣議決定までした減収世帯への30万円の給付を引っ込めて、ひとり10万円の一律給付に方針を転換したのも、公明党の積極的な働きかけによるものだと言われています。事実、公明党はその成果を大々的にアピールしています。そして、公明党は、今度はアルバイトができなくなり困窮した学生に、10~30万円?の現金を支給する支援策をぶち上げています。よく「区内の小学校にエアコン設置を実現させました」というような公明党のポスターを見かけますが、学生に対する支援策も、そういった公明党特有のポピュリズムの延長にあるものなのでしょう。

10万円の一律給付は当然学生も対象なので、さらにその上に10~30万円が追加して給付されるのです。ホントに困っている人たちを支援するなら、まずネットカフェ難民やホームレスの人たちに給付すべきだと思いますが、あくまで創価学会の都合による支援策なので、最初からそんな発想はないのでしょう。

もしかしたら、公明党の支援策と検察庁法改正案の成立がバーターで取引されているのではないか、そんな穿った見方もしてしまいます。まして、山口那津男代表はじめ、公明党の国会議員には弁護士資格を持った法曹家も多いのです。法治国家として、今回の改正案が如何にヤバいものであるかということは充分わかっているはずです。公明党は、平和と福祉の党を自認しています。一見善良そうな顔をしたワルこそ、気を付けなければならないのです。もしかしたら、悪魔は、普段は善良の仮面を被っているのかもしれないのです。

でも、メディアの報道には、公明党の「こ」の字も出て来ません。これもまた、「異常」と言わねばならないでしょう。
2020.05.13 Wed l 社会・メディア l top ▲
シナリオどおりと言うべきか、緊急事態宣言が発令されました。

私たちは、この緊急事態宣言が民主党政権時代に作られた新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正に基づいて発令されていることを忘れてはならないのです。つまり、フォーマットは民主党政権が作ったのです。民主党政権が悪夢であったことを、あたらめて思い知らされるのでした。

国民民主党が自公と保保大連立を組むのではないかという噂がありますが、もとよりそれは、「経団連労働部」とヤユされる連合の意向でもあるのでしょう。これは、国民民主党だけではありません。立憲民主党を含めた“保保保大大連立”の可能性さえあるのではないでしょうか。

“国難”を理由に、安倍首相に超法規的権限を与える特措法改正に賛成した立憲民主党は、今回の緊急事態宣言の発令に対しても、「遅かった」と批判するくらいが関の山です。それも、一応野党なので、批判めいたことを言っているに過ぎないのでしょう。

立憲民主党は、特措法改正に賛成することで、党是であったはず(?)の立憲主義の旗もあっさりと降ろしたのでした。立憲民主党も、国民民主党と同様に改憲を主張していますので、今回の特措法改正に賛成したことで、“保保保大大連立”のハードルはいっきに低くなったと言えるでしょう。

今回の立憲民主党の選択を見るにつけ、自社さ連立に走り自滅への道を突き進んだ日本社会党と二重写しになって仕方ありません。それらに共通するのは、労働戦線の右翼的再編で生まれた連合の存在です。

たとえば、同党の辻元清美議員は、安倍首相を腐った鯛の頭と言ったのですが、その舌の根も乾かぬうちに、腐った鯛の頭に超法規的権限を与える特措法改正に賛成票を投じたのでした。これでは、安倍批判が単なるパフォーマンスだったのではないかと言われても仕方ないでしょう。実際に、安部批判すれば自己矛盾に陥ることがわかっているからなのか、最近はあまり目立った発言をしていません。自縄自縛とはこういうことを言うのでしょう。それは、ここに至ってもまだ、立憲民主党に随伴している自称リベラル派も同じです。彼らに安倍政権を批判する資格はないのです。彼らは、「安倍政治を許さない」というボードを掲げるのが好きですが、その前に「立憲民主党を許さない」というボードを掲げるべきでしょう。

緊急事態宣言が発令されたと言っても、通勤電車は、多少空いているものの、それでも肩が触れ合うくらいには混んでいます。相変わらず「電車の席に座ることが人生の目的のような人々」の席取り合戦も繰り広げられています。彼らは、他人との間に距離を保つなどどこ吹く風で、ただ欲望の赴くままに隣と密着する座席に向かって突進しているのでした。一方で、政府や自治体は、外出するな、3密を避けろと言います。でも、いちばん感染リスクが高い通勤電車は放置されたままなのです。口の悪い知人は、「最近の通勤電車はDQN率が高いな」と言ってましたが、たしかに車内の光景を見ると、そう言えないこともありません。

昨日の深夜、用事があって車で都内を走ったのですが、都心の繁華街は別にして、郊外の繁華街などでは結構酔っぱらいが歩いていました。また、某私鉄沿線の街では、作業服姿の若者のグループが路上に座り込んで酒盛りをしていました。粋がってやっているのでしょうが、こういったDQNから感染が「指数関数的に増えていく」(岡田晴恵氏)のでしょう。

地元の商店街の人の話では、この土日は忙しかったそうです。都心の繁華街に行かない代わりに、地元の商店街に人が繰り出していたからです。

緊急事態宣言によこしまな政治的思惑が含まれている以上、こういった頭隠して尻隠さずのような現実があるのは当然でしょう。なによりろくに検査もしてないので、現在、どの程度の感染状況にあるのかという正確なデータも存在しないのです。だから、緊急事態宣言を発令する安倍首相の話に、精神論に依拠した曖昧な言葉が多かったのも頷けようというものです。私は、その前に自分の嫁さんを説教しろと言いたくなりました。

「緊急事態を1か月で終了するには人と人の接触の7~8割削減が前提」であるという安倍首相の話について、岡田晴恵氏は、そのバックグランドにある数値を公表していただきたいとテレビで言っていましたが、感染者数をごまかすことしか考えてなかった政府に、バックグランドの数値などあろうはずもないのです。

Yahoo!ニュース
スポーツ報知
岡田晴恵教授、安倍首相の「緊急事態を1か月で終了するには人と人の接触の7~8割削減が前提」との発言に「このバックグラウンドの数値を公開していただきたい」

日本の新型コロナウイルス対策は、あの戦争のときと同じように、精神論だけで、竹槍で敵機に立ち向かえと言っているようなものです。大震災に見舞われ未曾有の原発事故が起きても、元気をもらった勇気をもらったなどと言ってごまかしてきた日本の”無責任体系”(丸山真男はそれが日本のファシズムの特徴だと言ったのですが)が、ここに来ていっそう露わになった気がします。でも、新型コロナウイルスは、治療法も確立していない感染症なのです。震災や原発事故と違って、そんな空疎な精神論でごまかすことはできないのです。
2020.04.08 Wed l 社会・メディア l top ▲
日韓問題・ゴーン問題と並んで、まともな記事がほとんどないのが、眞子さんと小室圭さんの結婚問題です。どこを見ても、下衆な国民の劣情を煽るような、低俗な(文字通り俗情と結託した)記事しか見当たりません。

しかし、元『週刊現代』の編集長の元木昌彦氏が書いているように、二人の気持にはいささかの揺るぎもないように見えます。

PRESIDENT Online
「圭さんと結婚します」の言葉を国民は祝福する

 宮内庁という役所は警察関係者が多いところである。共謀罪を出すまでもなく、警察は「盗聴」のプロフェッショナルである。

 眞子さんと小室圭は毎日のように、スマホやパソコンを通じてSNSで意思疎通をしているといわれている。そうならば、2人の会話やメールの内容を、何らかの形で宮内庁側が掴つかんでいると考えることは、決して勘繰り過ぎではないと思っている。

 そうしたことを総合して考えても、2人の間に秋風が吹いているという情報は皆無である。

 私が想像するよりもはるかに強い結びつきが2人にはある。そう考えてもいいのではないか。


小室圭さんが、アメリカの弁護士資格を取るために留学したのは、将来、眞子さんとアメリカで結婚生活を送ることを見据えてのことのように思います。それが二人が出した結論ではないのか。

別の言い方をすれば、ヘンリー王子夫妻と同じように、自分たちの国で結婚生活を送ることを諦めたのではないか。あれだけバッシングされれば、この国に嫌気が差すのは当然でしょう。まったく、どこが「ニッポン、凄い!」のかと言いたくなります。

それは、眞子さんの苦悩を身近で見てきた佳子さんも同じではないでしょうか。恋愛をすれば、メディアとメディアが煽るこの国の“最低の世論”から難癖を付けられてバッシングされるのは目に見えているのです。佳子さんも、将来、人生の幸せと自由な生活を求めて海外に行く可能性は高いように思います。

天皇制が時代にそぐわなくなっているのは、もう誰の目にもあきらかです。京都に戻って、日本でいちばん古い家系を持つ一族として、その伝統を継承する役割に徹した方がむしろ幸せなのではないかと思ったりします。ただ、その場合も、明治の田舎侍から押し付けられた“皇室の伝統”には怪しい部分も多いので、もう一度検証する必要があるでしょう。

元木氏が書いているように、宮内庁は警察官僚に牛耳られているので、日々、警察から監視される生活というのは常人には耐えがたいものがあるでしょう。眞子さんや佳子さんのような若い皇族が、「もうこんな生活は嫌だ」と思ったとしても不思議ではないのです。

私は、眞子さんと小室圭さんには同情を禁じ得ません。二人には、初心を貫徹して幸せになってもらいたいと思います。少なくとも、その権利はあるでしょう。

そのために、小室圭さんはアメリカでがんばっているのです。元木氏が書いているように、そこからは「今の若者には珍しいほど勤勉で誠実な姿が見えて」きます。バッシングされる謂れはどこにもないのです。


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眞子さんに対する中傷
小室さんバッシングのおぞましさ
2020.01.22 Wed l 社会・メディア l top ▲
少し前の話ですが、元日に近所のコンビニに行ったときのことでした。そのコンビニに入ったのは初めてでした。

店内にはお客は誰もおらず、ネパール人のような若い女性の店員がひとりいるだけです。やはり、正月から働いているのは外国人なんだなと思いました。

店員は、店の奥で棚の商品の整理をしていました。入口近くにあるレジは空っぽです。こんなことで大丈夫なのかと思いました。

私は、商品を入れたカゴを持って、レジに向かいました。店員の女の子は、横の方のあきらかに私の姿が見える位置にいます。

しかし、レジの前に立っても女の子は知らんぷりです。私は、「すいませ~ん」と声をかけました。でも、女の子は私の方をチラッと見ただけで動く気配はありません。「どうなっているんだ?」と思いました。それで、さらに大きな声で「すいませんっ!」と呼びかけました。

すると、しぶしぶといった感じでレジにやって来ました。しかし、「お待たせしました」と言うわけではなく、無言のままです。外国人なので、そう見えるかもしれませんが、なんだか不愛想で不機嫌そうです。商品を袋に詰め、お金を受け取り、つり銭を差し出す一連の動作も無言で行うだけでした。帰る際、「ありがとうございました」という挨拶もありません。

実際に不機嫌だったのかどうかわかりませんし、それに、殊更愛想よくしろと言うつもりもありませんが、あまり気分のいいものではありませんでした。

個人の問題というより、やはり、これも人出不足の弊害と言うべきでしょう。

元日から働くのは外国人しかいない現実。今や外国人は貴重な人材です。だから、接客マナーをきびしく要求することもできないのでしょう。辞められたら困るので、腫れ物に触るような感じで接しているのかもしれません。でも、忘れてはならないのは、そこには前提があるのです。安い賃金で使える非正規雇用という前提です。不足しているのは、低賃金の非正規雇用の労働者なのです。

それは、スーパーも同様です。毎日のように通っているとわかりますが、人出不足は深刻で、そのために職場が水が低い方に流れる状況に陥っているのは否めないように思います。真面目に熱心に仕事をしていたような人たちはすぐに辞めて行き、神戸の教員いじめの女帝と言ったら言いすぎかもしれませんが、そういった感じのおばさんばかりが残って主のようになっています。最初は、ぎこちなく対応していたおばさんが、半年もするとふてぶてしい態度に変っていたなんてこともめずらしくありません。

昨日も、近所のスーパーに行ったら、おそらく新人なのでしょう、初めて見る30~40代くらいの女性が、レジ回りの掃除をしていました。すると、近くのレジの中にいたおばさんが、「そうじゃないでしょ」「それじゃ掃除してもしなくても同じじゃない」などと、いちいち注意していました。傍から見れば、難癖としか思えません。新人の女性はそのうち嫌気が差して辞めるんじゃないかと思いました。でも、難癖を付けていたおばさんも、一年くらい前は額に汗を浮かべながら慣れないレジを必死で打っていたのです。

私の知っている会社で、定職に就いたことのない生涯フリーターの50~60代の独身男性ばかりをアルバイトで雇っている会社があります。と言って、そういった人間たちを選んで雇っているわけではないのです。そういった人間たちだけが残ったのです。社員も、「まともな人が来ても続かないんですよ」と言ってました。単純労働なので、誰でもいいのでしょう。もちろん、そこにも低賃金の非正規雇用という前提があるのです。辞められたら困るので、仕事に支障のない限り、多少の非常識も目を瞑っていると言ってました。

このように、剰余労働とか労働疎外論とかいった”公式論”だけでは解釈できない、人出不足の現実とその弊害が私たちのまわりにあります。「働き方改革」も、低賃金の非正規雇用の存在が前提で、そこには大きな詐術があります。でも、みんな「いいことだ」と言うばかりです。ひと昔前の言い方をすれば、「本工の論理」しかないのです。

利潤を確保し競争力を維持するためには、できる限り賃金を抑えるしかないでしょう。雇用の安全弁としての非正規雇用も必要でしょう。人出不足というのは、そういった資本の論理が招いた”勝手な都合”にすぎないのです。若年労働力の不足と言うときの若年労働力も、「(外国人労働者並みに)賃金が安い」という意味で使われているにすぎません。

日本がもはや先進国であるかどうかは議論の分かれるところですが、思い上がった先進国が凋落(=自壊)するのは必然のような気がします。少子高齢化ばかりが取り出されますが、むしろ年収300万円以下の労働者が1859.7万人(36.99%)、非正規雇用が2036万人(37.3%)もいるような貧富の差(階層の固定化)の方が問題でしょう。既にそこから自壊がはじまっているのかもしれないのです。


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『新・日本の階級社会』
2020.01.17 Fri l 社会・メディア l top ▲
ネットを見ていたら、「ミタパン、ゴーン被告は逃亡で『日本の司法制度の正しさを証明しているかのよう』」という見出しが目に入り、思わず記事をクリックしました。

msn
デイリースポーツ
ミタパン、ゴーン被告は逃亡で「日本の司法制度の正しさを証明しているかのよう」

いわゆる典型的なコタツ記事で、いちいち目くじらを立てるのも大人げない気がしないでもありませんが、私は、この記事を読んで、「ミタパンってバカなの」と思いました。

女子アナが視聴率稼ぎのためのお人形さんであるのは今更言うまでもありませんが、それにしても、こういったお粗末なアナウンサーが報道番組のキャスターを務めているのですから呆れるばかりです。ワイドショーでアシスタントをしていたとき、控えめな口調で発する短いコメントが視聴者に受けたとかで報道番組のキャスターに抜擢されたのですが、それも横に座る厚化粧のおばさんとの比較で好感を持たれたにすぎないのです。

フジ・サンケイグループは、今や臆面もなく政権の太鼓持ちに堕しており、自民党の準機関紙化(イエロージャーナリズム化)を加速させています。以前、牛丼のすき家を運営するゼンショーへの売却話さえあった産経新聞は、今年の10月を目処に、販売網を首都圏と関西圏に縮小し、全国紙の看板をおろしてブロック紙として再出発するそうです。三田アナの抜擢は、そういったなりふり構っておれない事情と関係があるのかもしれません。

また、ゴーンの会見に関しては、ミタパン以外にも、「お前が言うな」と言いたくなるようなコメントがありました。

それは、日産の西川廣人前社長のコメントです。西川前社長は、記者会見の感想を求められて、次のように言ったそうです。

「ちょっと拍子抜けしましたね。あの程度の話なら日本ですればいい」


朝日新聞デジタル
日産の西川前社長「ちょっと拍子抜け」 ゴーン被告会見

西川前社長が、ゴーンの茶坊主であったのは有名な話で、だから、ゴーン体制下で、代表取締役社長兼最高経営責任者にまで登り詰めたのでしょう。

西川前社長については、下記の記事にもあるように、ゴーンの逮捕容疑と同じような役員報酬に関する有価証券報告書の虚偽記載の疑いがあり、社長を辞任したのもその疑いを持たれたからでした。でも、西川前社長は今も取締役には留まっているのです。

文春オンライン
日産・ケリー前代表取締役が明かした「西川廣人社長の正体」

国連から再三勧告を受けているように、代用監獄や人質司法など、日本の司法制度が民主主義国家とは思えないほど遅れているのは国際的にも知られています。韓国の“検察独裁”は他人事ではないのです。

でも、日本のメディアは、嫌韓報道と同じで、ただ国民の感情を煽るかのように坊主憎けりゃ袈裟まで式にゴーンを叩くだけです。我が振り直すような視点は皆無です。

たとえば、会社法が専門の田中亘東大教授がゴーンの訴迫に対して異議を唱えていた話など、日産の監視活動と同様、メディアに取り上げられることはないのです。

Yahoo!ニュース
共同通信
ゴーン被告の違反罪、教授が異論 会社法が専門の東大田中氏

三田アナは、ゴーンは感情的になっていると言ってますが、感情的になっているのはどっちだと言いたくなります。感情的ということばの意味がわかってないのではないか。

日本のメディアは、ゴーンに対するマイナス記事ばかり取り上げて、ゴーンがさも世界中のメディアから批判されているかのようなイメージをふりまいていますが、実際はゴーンは有罪率99.4%の日本の司法制度の犠牲者であり、そこから逃げて来た(まるで全体主義国家から逃げて来た)ように好意的に捉えている海外メディアも多いのです(むしろ、そっちの方が主流でしょう)。日本のメディアの“ゴーン叩き”もまた、ニッポンファーストの自演乙と言えるのです。

余談ですが、ゴーンが記者会見の中で、英語とフランス語とアラビア語を流ちょうに使いこなしていたのには驚きました。やはり、ゴーンは、グローバル資本主義の使徒にふさわしく知能指数の高いエリートだったんだなとあらためて思いました。それに比べると、ミタパンも日本のメディアも、如何にもバカっぽく見えて仕方ありません。
2020.01.16 Thu l 社会・メディア l top ▲
カルロス・ゴーンの日本脱出行に関して、その後の報道で気になる点がありました。

ひとつは、東京地裁が出した保釈の条件が、妻と会わないことと自宅に監視用のカメラを設置することだったという点です。保釈と言うより、軟禁と言った方がいいような条件です。特に、弁護士が言うように、妻と会えないことが、カルロス・ゴーンを絶望的な気持にさせたのは想像に難くありません。監視カメラを設置するというのも、あまり聞いたことがありません。強権国家では、与党政治家の政敵である野党政治家が犯罪をデッチ上げられて軟禁状態に置かれ、政治活動を制限されるという話がありますが、それとよく似ています。

しかも、当初今年の4月に予定されていた公判がオリンピック後に延期される可能性が高くなったそうで、それもカルロス・ゴーンの焦燥に輪をかけたと言われています。

Bloombergのインタビュー記事で、妻のキャロラインさんは、「日本には『無実であることが証明されるまで有罪』とされる『人質司法』があると指摘。『当局は彼の行動に制限をかけ、今、証拠を探している』と語った」そうですが、それもあながち的外れとは言えないのです。国連からも再三勧告を受けているように、日本の司法が民主主義国家だとは言えないような前近代的なシステムと慣習に縛られているのは事実でしょう。韓国だけでなく、日本もまた司法改革が必要なのです。バカのひとつ覚えのように、「ニッポン、凄い!」と自演乙するだけが能ではないのです。

Bloomberg
ゴーン被告はフランスで裁判を、妻キャロルさんがインタビューで訴え

しかし、検察に輪をかけて異常なのは日産です。日産は、警備会社に依頼してカルロス・ゴーンを24時間監視していたそうです。監視に気付いたゴーン側が人権侵害で刑事告発すると発表した途端に、監視は中止され、その間隙をぬってゴーンの日本脱出行が決行されたと言われています。

どうして日産がストーカー(あるいは公安警察)のようなことをしていたのか。主任弁護人の弘中惇一郎弁護士は、弁護人を引き受けた際、ゴーンの問題は本来日産内部で処理すべき問題で、「なぜ事件になったか奇異」だと言ったそうですが、このような日産の異常な行動に、ゴーン逮捕の闇が潜んでいると言っていいのかもしれません。

日産は花咲か爺さんのように気前よくお金をばら撒いてくれる大スポンサーなので、メディアが日産の監視を取り上げることはありませんが、人権などどこ吹く風の日産のやり方には、日産という会社の体質が顔を覗かせているような気がしてなりません。

かつて作家の高杉良は、『労働貴族』(講談社文庫)という小説で、労使協調によってヒットラーばりの“独裁体制”が敷かれていた日産内部の実態を暴いたのですが、日産という会社の体質は、あの“塩路天皇”時代となにも変わってないということなのかもしれません。

ゴーン逮捕は、ゴーン自身の問題というより日産という会社の問題だったのではないか。そう思えてなりません。
2020.01.06 Mon l 社会・メディア l top ▲
以前、東京支局に勤務する西日本新聞の記者が、東京の“痛勤”電車に対する違和感を書いた記事を紹介したことがありますが、先日、「BUSINESS INSIDER JAPAN」というサイトにも似たような記事が掲載されていました。

BUSINES INSIDER JAPAN
「日本人はなぜ席を譲らない?」とツイートしたら「レディーファーストって意味不明」と猛反発された

尚、Yahoo!ニュースに掲載されていた西日本新聞の記者の記事は、既に削除されています。私がブログに書いた関連記事は以下のとおりです。

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思想が生まれる場所

座席を譲る以前の問題として、下記のような「椅子取りゲーム」は私たちが日常目にする光景です。私たちにとっては、もう当たり前の光景にすらなっています。

日本に帰るたびに気になるのが、電車が到着するや我先にと椅子取りゲームのように小走りに席を取り、座った途端に目をつむる(またはスマホの画面に釘付けになり、周りで何が起きているかを全く見ていない)人がとても多いと感じる。優先席に若者が平気で座っていたりもする。


ニューヨーク在住の筆者によれば、ニューヨークの人たちも東京の人たちと同じように、みんな忙しく「自分のことで精一杯だし、他人のことにあまり関心はない」けど、それでもニューヨークでは「おせっかい」だと思われるくらい他人に親切で、「自分より体力のなさそうな人たち」がいると「反射的に」立ち上がって席を譲ろうとする人が多いそうです。

私は、よく「電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち」とヤユしていますが、東京の電車の中の光景が日本人のセコさや卑屈さを表しているのは間違いないでしょう。

資本主義は、言うまでもなく利潤の獲得と拡大再生産の循環運動で駆動されており、資本主義社会は、そのための効率第一の競争原理に基づいた社会ですが、電車が来てもないのにホームへの階段を駆け下りて行く人々や電車のドアが開くのももどかしく我先に座席に座ろうと「椅子取りゲーム」を演じる人々は、資本主義社会の競争原理に身も心も冒された「ほとんどビョーキのような」人々と言っても言いすぎではないでしょう。そうしないと「人生に勝てない」と思っているのでしょう。常にそういった強迫観念に苛められているのだと思います。

「自分より体力がない人たち」に席を譲るのは、欧米だけでなく、中国や台湾やベトナムなどアジアの国々でもよく目にする光景だそうです。私も前に、箱根のバスの車内で、年上の人に積極的に席を譲ろうとするアジアの若い観光客のことを書いたことがありますが、あれは「日本に気を使っている」のではなく、彼らの日常に存在するごく普通の行為だったのでしょう。

韓国人の知り合いによれば、もともと韓国は目上の人(年長者)を敬う儒教の影響が強いので、若者が年長者に席を譲る行為はよく見られるそうです。ただ、年長者の中には、自分たちが優遇されるのは当然だと言わんばかりに列に並ばなかったり、平気で割り込んだり人も多いそうです。一方、目上の人(年長者)を敬うべしと言いながら、年金制度は日本に比べても遅れているそうで、そのため惨めな老後を送らざるを得ない高齢者も多く、ホントに韓国社会が儒教の教えに忠実かどうかは怪しいと言ってました。

それは、「日本人はなぜ席を譲らない?」というツイートに対して、レディーファーストって何?と「猛反発」したネット民の反応も似たようなものがあるのかもしれません。

朝の通勤電車は、身障者や年寄りや妊婦が乗ることが少ないので、優先席はあってないようなものだすが、優先席に座っている人たちを見ると、女性が多いのに気付くはずです。女性専用車両以外でも女性の図々しさは結構幅を利かせているのです。また、日中の優先席に座っているのも、私が見る限り、女性が目立ちます。まして、あの中高年のおばさんたちの傍若無人なふるまいに、眉をひそめたくなる人も多いでしょう。

ツィートに反発したネット民たちは、女性=弱い人ではないと言いたかったのかもしれません。あるいは、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会の精神からすれば、レディーファーストというのはおかしいではないか、男女平等と矛盾しているのではないかと単純に考えているのかもしれません。

もちろん、日本では、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会の精神とは程遠い現実があることは事実でしょう。また、女性だけでなくハンディを背負った人たちに対して、「人間性が麻痺」したような冷たい現実があることも否定できないでしょう。

でも、一方で、レディーファーストだけでは解釈できない現実があることも事実なのです。もしかしたら、図々しいことしか取り柄がないようなおばさんたち(だけでなく若い女性にも多いけど)をどう見るかという問題から考えていくことも、案外大事なのかもしれません。バカバカしい話だけど、バカバカしいと一蹴できない問題を含んでいるのかもしれないのです。

バカのひとつ覚えのように「ニッポン、凄い!」と自演乙するしか能がない人間たちのアホらしさもさることながら、私たちの目の前にある現実は、「言語化すること」よりももっと「大切」なものを示していることも忘れてはならないのです。言語は万能ではないのです。


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電車の中で正義感について考えた
2020.01.05 Sun l 社会・メディア l top ▲
カルロス・ゴーンの日本脱出には驚きました。日本政府は、彼の引き渡しについてレバノン政府と交渉すると言ってますが、しかし、朝日の報道によれば、レバノン政府は、まるでそれに釘を刺すかのように、「『日本出国とレバノン入国は彼の私的な問題』で、レバノン政府は関与していない」と発表したそうです。さらに、記事は次のように書いていました。

また、レバノンのジュレイサティ国務相は12月31日、同国メディアに対し、「彼(ゴーン前会長)はフランスのパスポートとレバノンの身分証をもって合法的に入国した」と説明。レバノンの治安当局も同日、「レバノンに合法的に入国した人物については、法的措置の対象にならない」との見解を示した。

朝日新聞デジタル
ゴーン被告逃亡は「彼の問題」 レバノン政府が関与否定


日本では、「カルロス・ゴーンの行為はおかしい」「ホントに潔白であるというなら裁判で訴えればいい」というような声がありますが、それは所詮、国境の内側の論理にすぎないのです。

罪に当たるどうかも、国境から外に出れば話が別だというのは当然と言えば当然です。吉本隆明の「共同幻想」論ではないですが、今回のスパイ映画を地で行くような脱出行を見るにつけ、私たちを縛る国家というものが、如何に恣意的で空虚なものかということをあらためて知らされた気がしました。国家というのは、つきつめればたかだか地図に引いた一本の線の問題にすぎないのです。

大杉栄の『日本脱出紀』(土曜社)は、ベルリンで開かれる国際無政府主義大会に出席するために、1923年上海経由でフランスに向けて密出国したものの、パリのメーデーで演説したために逮捕され、結局、ベルリン行きは叶わずに、パリ警視庁から国外追放されるまでの自身の手によるドキュメントですが、カルロス・ゴーンの日本脱出のニュースを聞いて、私は真っ先にこの本を思い浮かべました。そして、不謹慎だと言われるかもしれませんが、なんだか痛快な感想さえ持ちました。

カルロス・ゴーンの逮捕は、日産という日本を代表する会社が外国資本に吸収合併されるのを阻止するために、日産内部の日本人幹部と司法取引をしてデッチ上げた国策捜査である疑いは拭えません。また、日本特有の「人質司法」に対して、カルロス・ゴーンが危機感を抱いたのも想像できます。そういった問題を脇に置いて、「潔白なら裁判で主張すべき」と言っても、刑事裁判の有罪率994パーセントのこの国では気休めにしか聞こえないでしょう。

今になってカルロス・ゴーンは大悪党のように言われていますが、彼はれっきとしたルノーや日産を束ねるやり手の経営者(つまり、典型的なグローバル資本主義の使徒)で、ついこの前までメディアは彼を英雄扱いしていたのです。

ところが、ご都合主義的なメディアは、嫌韓報道と同じように、カルロス・ゴーンの行為は海外からも非難されている、レバノン市民からも疑問視されているなどと、昨日までの英雄扱いを忘れたかのように(おなじみの)坊主憎けりゃ袈裟まで式に批判しています。でも、いくらそうやって自演乙しても、カルロス・ゴーンが戻ってくることはないでしょうし、彼の“罪”が国際的に認知されることもないでしょう。それが国境の内と外の違いなのです。


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2020.01.02 Thu l 社会・メディア l top ▲
今日のYahoo!ニュースに、日刊工業新聞の下記の記事が転載されていました。

Yahoo!ニュース
韓国からの訪日客減も…盛り上がる九州観光のワケ

記事はこう書きます。

 同県(引用者:大分県)内の10月の観光統計調査(速報値)のうち、英国からの延べ宿泊者は前年同月比59・1倍の1万3949人、フランスが同21・6倍の4261人となった。前年の統計がない豪州は9065人を記録した。従来の主力だった韓国からの来訪者が日韓関係の冷え込みで大幅に落ち込む中、県内観光を大いに盛り上げた。


しかし、これはどう考えても、一時的な「活況」にすぎないのです。だからなんなんだというような記事です。

日韓対立の影響で、韓国の格安航空の定期便が運休したために、大分県は観光客の半分以上を占めていた韓国人観光客が激減して深刻な状況に陥っているのですが、そんな大分県にとって、ワールドカップの「活況」などホンの気休めでしかないのです。

前月の9月の観光統計調査によれば、県内の韓国からの宿泊客数は前年同月に比べ31464人(83・9%)減の6026人にまで落ち込んでいるそうです。この数字をみても、その深刻度が伺えます。

地元で宿泊業や飲食業などをしている知人たちに聞いても、ワールドカップのときは欧米の観光客の需要はあったけど、ワールドカップが終わった今は「真っ暗闇」「閑散としている」と言っていました。そして、彼らはおしなべて、「日本人(観光客)はお金を持ってない」「お金を使わない」と言います。もはや日本人頼りでは、観光業は成り立たないのです。

日刊工業新聞の記事は、ワールドカップで如何にも光明が見えてきたかのように書いていますが、光明なんてどこにもないのです。

大分県の広瀬知事は、韓国に代わる台湾や中国からの航空路線の就航をはたらきかけていきたいと言ってましたが、今まではたらきかけて実現しなかったのに、そんなに都合よく実現するのだろうかという疑問を抱かざるを得ません。これも気休めと言うべきでしょう。

日韓対立に関する報道では、困っているのは韓国で、そのうち韓国が日本に泣きを入れてくるだろうというような見方が多くありましたが、ホントに困っているのは日本ではないのかと思えてきます。

日韓対立に対する安倍政権の姿勢は、北朝鮮に圧力を加えれば、そのうち北朝鮮が泣きを入れて拉致被害者を差し出してくるという、荒唐無稽な拉致対策とよく似ています。拉致被害者の家族たちも、そんなネトウヨ的妄想を真に受けていたのです。

ところが、手詰まりになった安倍政権は、最近は、北朝鮮に対して「無条件対話」を呼び掛けるまで後退しているのです(でも、北朝鮮からは相手にされない)。韓国に対しても同様で、強気な態度が徐々に影を潜め、対話を模索しはじめているフシさえあります。まず最初にネトウヨ的妄想ありきという感じで、やっていることが場当たり的なのです。

私たちはトランプの振る舞いの中に、彼を支持するアメリカ国民の民度の低さを見て嗤ったりしますが、それこそ岡目八目と言うべきで、安倍政権も似たかよったかなのです。アメリカ国民の民度を嗤えないのです。

安倍政権の本質は、案外、下記のような記事にあるのかもしれません。

Yahoo!ニュース
NEWS ポストセブン
安倍内閣は立場弱い者に居丈高 根底に学歴コンプレックスか

「ニッポン、凄い!」と自演乙している間に、政治でも経済でも日本の国際的な地位は低下の一途をたどるばかりです。アベノミクスということばもいつの間にか聞かれなくなりました。だから、よけい自演乙せざるを得ないのかもしれません。衆愚=国民をごまかせても、現実はごまかせないのです。


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2019.12.11 Wed l 社会・メディア l top ▲
沢尻エリカの逮捕が、安倍政権の「桜を見る会」の疑惑隠しでないかという見方に対して、安倍応援団からは「バカバカしい陰謀論」「頭の中がお花畑」などと、一笑に付すような批判がありますが、共産党から資料請求されたその日に、1万5千人分の招待者名簿を内閣府の大型シュレッダーで裁断して破棄したという安倍政権の姿勢を考えるとき、果たしてホントに「バカバカしい陰謀論」なんだろうかという疑問を抱かざるをえません。

実際に、沢尻逮捕には、やっつけ仕事のような杜撰さが目に付きます。沢尻エリカが渋谷のクラブのイベントで覚せい剤かコカインを入手するという「情報」に基づき、(TBSに捜査情報を流した上で)強制捜査に着手したと言われていますが、帰宅した彼女を調べても薬物は出て来なかったのです。しかも、尿検査の結果も陰性(シロ)でした。MDMAは、沢尻エリカ自身が「あそこにあります」とみずからゲロして出て来たにすぎないのです。覚せい剤かコカインと踏んでいたので、MDMAは捜査当局には想定外だったという報道もありました。

こうした流れを見ると、拙速な感は否めません。何か月も前から内偵捜査をしていたにしては、あまりにも杜撰です。むしろ、「桜を見る会」の疑惑が浮上したので、あわてて強制捜査に着手したと考えた方が納得がいきます。

カルロス・ゴーン逮捕の際、海外メディアから散々指摘されていましたが、日本は推定無罪ではなく“推定有罪”の国なので、逮捕すればなんとでもなるのです。まして、芸能人であれば、なおさらでしょう。”推定有罪“どころか、メディアによって市中引き回しの刑が下されるので、捜査当局にとって芸能人は実に都合のいい生贄の羊なのです。

安倍政権は、益々ロシアのプーチン政権に似てきました。それが、マフィア化した政治と呼ぶゆえんですが、そこには安倍首相個人のキャラクターが影響しているような気がしてなりません。

前も紹介しましたが、共同通信社の福田派の番記者だった野上忠興氏が書いた『安倍晋三 沈黙の仮面』(小学館)に、次のようなエピソードが書かれていました。

 夏休みの最終日、兄弟の行動は対照的だった。兄は宿題が終わってないと涙顔になった。だが、晋三は違った。
 「『宿題みんな済んだね?』と聞くと、晋ちゃんは『うん、済んだ』と言う。寝たあとに確かめると、ノートは真っ白。それでも次の日は『行ってきまーす』と元気よく家を出ます。それが安倍晋三でした。たいした度胸だった。(略)」
 ウメ(引用者:二人の兄弟の乳母)は「たいした度胸」と評したが、小学校の級友達に聞いて回っても、宿題を忘れたり遅刻をしたりして「またか」と先生に叱られたとき、安倍は「へこむ」ことはなかったという。ウメに聞いたエピソードも耳に残る。


安倍政権が憲政史上最長の長期政権になったのも、夫婦ともども平気で嘘を言う厚顔無恥な(犯罪者気質の)性格が逆に功を奏したということはあるのではないでしょうか。もちろん、安倍政権をここまでのさばらせた一番の要因が、民主党政権のトラウマにあるのは言うまでもありません。立憲民主党や国民民主党が存在する限り、自公政権に対する消極的支持が今後も続くのは間違いないでしょう。

市民団体が安倍晋三首相を公職選挙法&政治資金規正法違反の疑いで刑事告発したことに対して、立憲民主党の国会議員たちが刑事告発は国会の真相究明に水を差すものだと批判していましたが、私は、よく言うよと思いました。

彼らの国会での質問は、ほとんどが週刊誌ネタにすぎません。それでよく真相究明だなんて言えるもんだと思います。そもそも立憲民主党や国民民主党の議員たちは、「赤旗」が疑惑を取り上げるまで、「桜を見る会」をおかしいとは思ってなかったのです。共産党が騒ぎはじめて、はじめて自分たちも便乗して騒ぎはじめたのです。何度も言いますが、彼らに野党の役割を期待すること自体が間違っているのです。それこそ「お花畑」と言わざるをえません。

沢尻エリカは、エイベックスに囲われていただけあって、典型的な(ある意味イタい)ヤンキーであることがわかりましたが、しかし、それでも私は、巨悪の身代わりにされた(?)彼女に対しては同情を禁じ得ません。
2019.11.28 Thu l 社会・メディア l top ▲
香港情勢は、重大且つ悲劇的な局面を迎えています。戦いの先頭に立つ学生たちに対する香港政府の弾圧は熾烈を極めています。国際政治の冷酷な現実の前で、学生たちは文字通り孤立無援の戦いを強いられているのです。

香港政府の姿勢の背後に、中国共産党の意向(と指示)があるのは子どもだってわかる話でしょう。「一国二制度」が如何に欺瞞に満ちたものであるのかが如実に示されているのです。と同時に、恐怖政治と表裏一体の共産党権力の実態が白日のもとにさらけ出されてもいるのです。共産党の言う「人民民主主義」なるものが、ファシズムの別名でしかないことをあらためて確認させられた気がします。

「革命的左翼」を名乗る日本の新左翼の党派が、今回の香港情勢にどのような見解を示しているのか、興味があったので各党派のサイトを見てみましたが、多くはまったく触れてないか、あるいは触れていても「学生たちの戦いが香港政府を追いつめている」程度のサラッとしたものでした。香港の学生たちに連帯せよというようなアジテーションすらありませんでした。まして、中国共産党を批判する論調は皆無でした。

反スターリン主義を標榜する新左翼の党派が、スターリン主義の権化のようになっている自己撞着を考えれば、ある程度予想されていたことではありますが、今更ながらに左翼のテイタラクを痛感させられました。

日本の新左翼は、ハンガリー動乱をきっかけに既成左翼を乗り越えるべくトロッキズムを旗印にその産声をあげたのですが、もはやそういった思想的なデリカシーも失ってしまったということなのでしょう。なんともおぞましい光景なのかと思ってしまいます。

中国共産党の姿勢が示しているのは、人間を機械論的に解釈する左翼思想特有の(非人間的な)ものの考えです。それは、かの前衛主義に由来するものです。埴谷雄高ではないですが、前衛主義が大衆蔑視に裏付けられているのは言うまでもないでしょう。

いづこの共産党もなにかにつけ「人民大衆」を口にするのが常ですが、そんな共産党が人民大衆ともっとも遠いところで専制権力を恣(ほしいまま)にしているのです。それは、日本の左派リベラルも無関係ではありません。前にも書きましたが、大衆運動でときに見られる左派特有の“排除の論理”も、本質的には中国共産党の恐怖政治と通底するものがあるのです。

私は、再掲になりますが(文学的情緒で語ることを笑われるかもしれませんが)、次のような石原吉郎のことばを思い出さざるを得ません。

 日本がもしコミュニストの国になったら(それは当然ありうることだ)、僕はもはや決して詩を書かず、遠い田舎の町工場の労働者となって、言葉すくなに鉄を打とう。働くことの好きな、しゃべることのきらいな人間として、火を入れ、鉄を炊き、だまって死んで行こう。
(一九六〇年八月七日)

『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)・解説より


「反権力」「反体制」あるいは「野党」や「大衆」というだけで、どうしても甘く見てしまいますが、私たちは、右だけでなく左の全体主義に対しても、もっと深刻に考える必要があるのでないでしょうか。そして、二項対立の思考から自由にならなければならないのです。


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2019.11.19 Tue l 社会・メディア l top ▲
茨城の常磐道で発生したあおり運転で、「ガラケー女」に間違われてネットで身元を晒され被害を受けた女性が、先日、フェイスブックで身元を晒した愛知県豊田市の市議の男性を刑事告発したという報道がありました。女性が記者会見で言明した法的処置について、その後の報道がないのでどうなったのだろうと前に書きましたが、事態は進展していたのです。

男性は和解を申し出たそうですが、被害女性は拒否したとのことです。そのためかどうか、後日、男性は責任を取って(?)市議を辞職したという報道もありました。

いい歳して、しかも市議会議員という公的な立場にありながら、やっていることはそこらのガキと同じなのです。彼を市会議員に選んだ豊田市の有権者の見識も「ご立派」としか言いようがありません。もしかしたら、男性は次の選挙で再び当選する自信があるので辞職したのかもしれない、と穿った見方さえしたくなりました。

テレビに出ていた男性を見ると、スーツの襟に日の丸のバッチと拉致被害者救出のブルーリボンのバッチが付けられていました。ブルーリボンも、今や極右の証明のようになっていますので、彼もまた、ネトウヨのひとりなのでしょう。市議会議員がネトウヨになったのか、ネトウヨが市議会議員になったのかわかりませんが、なんだか日本の劣化を象徴するような光景に見えました。

朝日新聞が、引きこもりに関して、47都道府県と20の政令指定市にアンケート調査した結果によれば、引きこもりでいちばん多かったのは40代だそうです。また、ヘイトなブログに煽られて、朝鮮学校への補助金支給を求める声明に名を連ねた弁護士に対して懲戒請求をおこない、逆に不当な請求で名誉を傷つけられたとして訴えられたネトウヨも、40代がいちばん多かったそうです。私が常々言っているとおり、この二つのデータのかなりの部分は重なっているように思えてなりません。

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」への電凸も、こういった中高年のネトウヨが中心になって引き起こされた公算が大きいのです。“思想戦”と呼ぶにはあまりにお粗末と言うしかありません。既存メディアは、そんな「ネット世論」に迎合して、彼らの行為をさも「もうひとつの市民の声」であるかの如く大きく見せることに手を貸したのでした。

安倍首相の「戦後レジームからの脱却」をめざす「愛国」主義も、内閣の顔ぶれを見てもわかるとおり、結局、なんとか会議やなんとか教会やなんとか科学に行き着くのでした。「日本を、取り戻す」と言っても、所詮はその程度なのです。このようなカルトに支えられた「愛国」主義に対して、民族主義の立場から危機感が示されてもよさそうですが、そういった話も聞きません。ここにも日本の劣化が象徴されているように思えてなりません。
2019.11.09 Sat l 社会・メディア l top ▲
朝日新聞の「耕論」が、今メディアを覆っている「嫌韓論」を取り上げていました。メディアの「嫌韓論」は、まさに坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式にエスカレートするばかりで、常軌を逸した感さえあります。

朝日新聞デジタル
(耕論)嫌韓論の正体 鈴木大介さん、安倍宏行さん、木村幹さん

曺国(チョ・グク)法相の家族を見舞ったスキャンダルは、韓国の歴代政権の周辺ではよくある「おなじみの話」で、言うなれば“恒例行事”のようなものです。起訴権だけでなく捜査権も独占する韓国の検察は、そうやって自分たちの“省益”に背く政治家たちを追い落として、“国家内国家”のような、文字通り検察ファッショとも言うべき巨大な力を持つようになったのでした。そんな民主主義国家にあるまじき検察の巨大権力は、軍事独裁政権時代の残滓でもあるのです。

検察改革の急先鋒であった曺国(チョ・グク)法相は、家族のスキャンダルによって、僅か35日で辞任に追い込まれたのですが、日本のメディアは、辞任の本質に触れることなく、ただ文在寅大統領に対して「ざまあみろ!」と罵声を浴びせるばかりでした。文在寅政権が取り組む検察改革についても、正面から取り上げる姿勢など皆無でした。

どうしてこんな、「事実に基づかず、隣国を面白おかしく叩(たた)く」痴呆的な「嫌韓論」がメディアに蔓延しているのか。神戸大学教授の木村幹氏は、次のように分析していました。

 以前は中国、北朝鮮、韓国の3カ国が「反日トライアングル」と呼ばれていました。しかし中国については、相手の国力の方が強くなり、攻撃が消えました。北朝鮮についても「日本が叩けば相手が折れるはず」との想定が外れ、効果がないことが分かると、あきられてしまいました。

 韓国だけが残っているのは「日本が叩けば折れるはず」といまだに思っているからでしょう。韓国をさげすむ言説の裏に見えるのは「日本は(韓国とは違って)先進国だ」と自負したい心情です。アジア最大の経済大国という地位を失い、中国に抜かれた日本にとって、いまや「追い抜かれたくない国」の代表が韓国でもあるのでしょう。


日本のメディアは、韓国が日本政府の制裁措置で、経済的に苦境に陥っているかのように言い立てています。まるで、日本から兵糧攻めに遭っているかのように妄想するのでした。そして、韓国政府が、本音では「折れたがっている」、「ごめんなさい。許して下さい」と謝りたがっているかのように言うのです。でも、それは、あくまで「そうだったらいいなあ」という希望的観測にすぎません。

木村氏が言うように、今や韓国は世界12位の経済大国です。しかも、対外貿易額の中で、日本が占める割合は僅か7%にすぎません。日本人が思っているほど(寝ても覚めても「韓国が・・・・」「韓国が・・・・」と言っている人たちには、信じたくないことかもしれませんが)、韓国にとって日本は、貿易が停滞して困るような相手ではないのです(なくなっているのです)。

今年の4月、経団連の研究機関が,日本の1人当たり国内総生産(GDP)が2030年までに韓国に抜かれるという長期予測を発表して話題になりましたが、韓国に追い抜かれて先進国から転落するかもしれないという焦りが今のような痴呆的な「嫌韓論」に向かっているというのは、その通りかもしれません。

私は、ラグビーも好きで、(このブログでも書きましたが)国立最後の早明戦も観に行ったほどですが、しかし、今のワールドカップでの、ラグビーに関係のないことまでも、世界中のラグビーファンから称賛されリスペクトされているというような「ニッポン凄い!」の報道には、さすがにうんざりさせられます。逆に、ワールドカップに対して興ざめするほどです。台風の被害に遭った人々が、日本代表から「元気」をもらった(日本代表が「元気」を与えた)などという報道には、何をか言わんやです。そういった「ニッポン凄い!」の自演乙も、坂を下る国の焦りから来ているように思えてなりません。やたら「元気」や「勇気」をもらいたがっている(与えたがっている)ような報道も、自信のなさの表れなのかもしれません。

また、「耕論」では触れられていませんが、安倍政権が元徴用工裁判の報復のために、輸出管理の厳格化の制裁措置をとった途端に、「嫌韓論」が再燃しメディアを覆うようになったという事実も忘れてはならないでしょう。「嫌韓論」には、そういった翼賛報道の側面もあるのです。むしろ、そっちの方が日本にとって大きな問題と言えるでしょう。


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2019.10.19 Sat l 社会・メディア l top ▲
8月に茨城の常磐道で発生したあおり運転と暴行事件では、同乗していた「ガラケー女」に間違われた女性が、Twitterや2ちゃんねるなどで身元を晒され、”ネット自警団”から電凸などの攻撃を受けるという事件の”余波”がありました。しかし、それは、本体の事件以上に深刻な問題をはらんでいるとも言えます。女性は、後日、記者会見を開き、名誉侵害と業務妨害で法的措置を講ずることを言明したのでした。

その後の報道がありませんので、法的措置がどうなったのかわかりませんが、考えてみれば、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」を中止に追いやった電凸も、それと似たような話なのです。それどころか、電凸した”ネット自警団”のかなりの部分は重なっているような気さえします。ところが、メディアには、そういった見方は皆無なのでした。どうして、大衆社会が“衆愚社会”の謂いであるという当たり前の事実を伝えようとしないのかと思います。

それどころか、ワイドショーやスポーツ新聞など既存のメディアを通して、”ネット自警団”の”歪んだ正義”が拡散している現実すらあるのです。それこそ、(何度も言うように)「旧メディアのネット世論への迎合」(大塚英志)による「水は常に低い方に流れる」現実と言うべきでしょう。

余談になりますが、「表現の不自由展」の再開をめぐって、河村たかし名古屋市長はネトウヨと一緒に抗議の座り込みをしたのですが、彼はもともと愛知を最大の基盤としていた旧民社党の流れを汲む民主党系の国会議員でした。彼もまた、林文子横浜市長と同じ旧民主党の“負の遺産”と言っていいでしょう。

今の立憲民主党も国民民主党も、そういった“負の遺産”を引きずったままです。立憲民主党や国民民主党が野党だというのは幻想にすぎません。仮に野党だとしても、間違っても自民党の対抗軸なんかではありません。あり得ないのです。

「表現の不自由展」の問題に、嫌韓だけでなく、天皇制タブーが伏在しているのは言うまでもないでしょう。天皇制タブーと天皇制を絶対視する愛国(国粋)主義は表裏一体です。天皇制タブーと愛国(国粋)主義を切り離して論じるなど、そんな都合のいいことが成り立つわけがないのです。にもかかわらず、左派リベラルは、天皇制タブーをそのままにして、アクロバティックに戦後民主主義を論じてきた(弄んできた)のでした。

今年の8月、初代の宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりなどを記した「拝謁記」が公開され話題になりましたが、その中で昭和天皇は、戦後も再軍備の必要性を主張し、沖縄の基地問題についても、「全体の為」に「一部の犠牲」は「已むを得ぬ」と明言しているのでした。

そういった昭和天皇の発言は、白井聡氏が『永続敗戦論』で書いていたように、共産革命によって「国体」が瓦解し消滅することを怖れた1945年2月の近衛上奏文の考えに沿ったものと言えるでしょう。要するに、「革命より敗戦がまし」(歴史学者・河原宏氏)という降伏の英断の考えが、戦後も貫かれているのでした。

もとより、前も書きましたが、「田植え」や「養蚕」などの皇室行事や、皇室=神道の(ホントは儒式借用の)祭祀なども、豊葦原瑞穂国=”日本“という「想像の共同体」を仮構し、”国民“意識を創出するために、明治になって創られた「伝統」に過ぎないのです。

でも、多くの左派リベラルは、そういったことには触らぬ神なのです。それどころか、天皇制タブーを前提に、戦後憲法の橋頭保としての”平和天皇”のイメージさえねつ造しているのでした。虚妄の戦後を演じているのは、右派だけでなく、左派リベラルも同じなのです。


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2019.10.14 Mon l 社会・メディア l top ▲
突然、知人からえらく憤慨した電話がかかってきました。と言っても、私に憤慨しているわけではなく、憤慨しているのはメディアに対してです。誰でもいいから話を聞いてもらい、憂さを晴らしたかったのかもしれません。

それは、メディアでも大々的に取り上げられたあるスキャンダルに関するものでした。どういういきさつか知りませんが、知人はスキャンダルの主と親しく、いろいろと相談に乗っていたようです。

知人が言うには、メディアが書いていることはデタラメで、メディアの背後では、スキャンダルの主を潰そうとする大きな力がはたらいているのだと言ってました。

と言うと、よく聞く台詞なので眉に唾したくなりますが、しかし、仔細に話を聞くと、知人が憤慨する気持はわからないでありませんでした。話を聞く限り、スキャンダルの内容についても、スキャンダルの主の人物像についても、メディアが伝えるものとはまったく別の印象がありました。そして、ここにも大塚英志氏が言う「旧メディアのネット世論への迎合」が垣間見えるのでした。

最初から結論ありきのスキャンダルと悪意のある印象操作。しかし、個人の力はあまりに小さく弱いのでした。そうやってひとりの人間の人生がいいように弄ばれるのです。

ネットは言わずもがなですが、私が注目したのは、スキャンダルに対する左派リベラルと言われている者たちの反応でした。

彼らもまた、低俗且つご都合主義的なリゴリズムをネットや世間と共有し、印象操作に与するばかりなのでした。政治的なテーマだと世間に異(らしきもの)をとなえることはありますが、個人のスキャンダルなどでは、いともあっさりと俗情と結託するのでした。

フーコーが言うように、権力というのは、国家や政治など大状況の中だけに存在するのではなく、私たちをとりまく日常的な小状況の中にも潜んでいるのです。右と左のイデオロギーの違いに大きな意味はないのです。右と左は双面のヤヌスみたいなもので、そうやって手を携えてこの社会の安寧と秩序に貢献しているのでした。

「言論の自由なんてない、あるのは自由な言論だけだ」という竹中労の口吻をもじって言えば、言論の自由なんてないのです、あるのは”不自由な言論”だけです。

でも、それは、メディアがもの言えば唇寒い状況に追い込まれているということではありません。江藤淳が言う戦後の「閉ざされた言語空間」とは別の意味で、この国のメディアは最初から「閉ざされた言語空間」の中にあり、”不自由な言論”のシステムに組み込まれているのです。言論の自由なんて虚構にすぎないのです。

軍事独裁政権時代の残滓の一掃を目指す韓国の文在寅政権と検察の対立はますます激しくなっていますが、日本のメディアの問題を考えると、韓国検察の”不都合な真実”も決して他人事ではないのです。むしろ、個人のスキャンダルだからこそ、メディアの本質がよく見える(露呈されている)ということはあるでしょう。
2019.10.01 Tue l 社会・メディア l top ▲
記憶が曖昧なのですが、たしか高校生で、休みで実家に帰省していたときでした。当時の高校生の間では、深夜放送を聴きながら勉強するのが流行っていました。

実家は九州の山間の町にありましたので、電波状況が悪く、実家で大阪や東京のラジオを聴くのはかなりの忍耐と工夫を要しました。ラジカセを窓際に置いて、アンテナを動かし、ザーザーという雑音に交じってかすかに聞こえてくるパーソナリティの声に耳を傾けていました。

そのとき、中国の北京大学や精華大学で、共産党を批判し民主化を求める壁新聞が貼られたというニュースが聴こえてきたのでした。私は、なんだかすごいことが起きているような気がして、深夜ひとりで興奮を覚えました。

全共闘運動華やかりし頃、京大の時計台に「革命無罪」「造反有理」という文化大革命のスローガンが掲げられていましたが、北京大学や精華大学の壁新聞は、社会主義国家の中に民主化を求める地下活動が存在していることを告げていたのでした。

中国の学生たちも、やはり深夜に壁新聞を貼ったのだろうかと思いました。その光景を想像すると、ワクワクするような気持になりました。そして、学生たちの行動に、「革命無罪」「造反有理」のスローガンを重ねました。学生というのは、社会主義国でも先鋭的な存在なんだなと思いました。それは、人民の解放のために戦った軍隊が、人民に銃を向けるなどまだ想像も付かない頃の話でした。

当時、埴谷雄高の本をよく読んでいたのですが、埴谷雄高は『薄明のなかの思想』(ちくまブックス)で、20世紀は「革命の変質」の時代でもあり、「帝国主義国も社会主義国もふくめた全世界は、いま、怖ろしい人間喪失の時代に突入」していると言ってました。

その合言葉は、「殺してしまえばいいじゃないか、あいつは敵だから。」ということになり、そして、いま私達がそのなかにある事態は、まさに、「革命の革命」が決定的におこなわれなければ、これからそれは長く長くつづいて、私達を何処までも握りつづけて離さないでしょう。


私が中国の学生に希望を持ったのは、埴谷の言う「革命の革命」を夢想したからでした。しかし、今になって思えば、それもポエムにすぎなかったのです。ほどなく世界に天安門事件の衝撃が走ります。20世紀は革命の理想が地に堕ちた時代でもあったのです。

香港の学生たちが火炎瓶を使うなど過激化しているという指摘がありますが、むしろそれは、絶望的な闘いをつづける学生たちの不退転の決意の表れと見るべきで、もとより、中国本土との境界線の向こう側には、かつて人民に銃を向けた軍隊が再び銃を向けるべく待機し、学生たちに無言の圧力をかけているのです。

もちろん、今の北京大学や精華大学に、「在香港团结一致」という壁新聞が貼り出されることはありません。「革命の革命」どころか、革命の失墜と堕落がどこまでも、果てしもなく続いているのです。

巨象にアリが挑むような香港の学生たちの闘いは、文字通り先鋭的ですが、しかし同時に、あまりにも絶望的で、且つ悲劇的な結末を予感するむごたらしさとやりきれなさを含んでいます。革命が求めたのは、こんな人民に銃を向け人民を抑圧する腐れ切った権力や、人民を見下し高級酒に酔いしれる党官僚の存在ではなかったはずですが、今更そんなことを言ってももう遅いのです。

2019.09.18 Wed l 社会・メディア l top ▲