どうして、高学歴の「知的エリート」がオウムに取り込まれたのかを考える上で、下記の記事は非常にリアルで、参考になるように思いました。

AERAdot.
井上死刑囚から勧誘された医師が明かす「オウム真理教事件は受験エリートの末路」

記事を読むと、灘高のような受験エリート校の人脈を通して勧誘が行われていたことがわかります。

もちろん、彼らが「取り込まれた」というのは、私たちが外野席で言っているだけです。当然のことですが、彼ら自身は「取り込まれた」なんて思っていません。麻原に「帰依」したのです。

彼らの多くは、理系の「知的エリート」です。専門的な科学教育を受けた科学者(あるいは科学者の卵)なのです。それが、どうして空中浮遊や神秘体験などの“超能力”を信じ、麻原のようないかさま師に「帰依」したのでしょうか。

専門家が指摘するように、ときには薬物まで使ったイニシエーションによって人工的にもたらされた”霊的な幻覚”を体験することで、麻原の虜になったということはあるでしょう。しかし、一方で、「知的エリート」たちは、麻原の俗物性に目を瞑り、能動的に麻原に「帰依」した側面もあるのです。

はっきり言って、熊本の盲学校を出て(しかも、盲学校で飛びぬけて優秀な成績でもなかったのに)、熊本大学の医学部や東大の法学部を受験するというのは、誇大妄想としか思えません(理系の医学部がダメだったから次は文系の法学部を受験するなんて、発想からしてハチャメチャです)。でも、今の“大衆(建前)民主主義”では、そういう言い方は盲学校を見下す(差別する)ことになるのです。言ってはいけないことなのです。オウム真理教は、「信仰の自由」の問題も含めて、そういった“大衆(建前)民主主義”を逆手に取ったと言えないこともないのです。

そもそもオウム真理教自体が、麻原の誇大妄想の産物でしかないのです。でも、その誇大妄想が宗教の皮を被ると、神からの啓示=”超能力”のように思えて信仰の対象にすらなるのです。それが所謂「宗教の宗教性」と言われるものです。

私たちのまわりを見ても、無知の強さ、あるいは非常識の強さというのは、たしかに存在します。西欧的理性が木端微塵に打ち砕かれたナチズムの例を出すまでもなく、ものごとを論理的に考える知性というのは、無知や非常識に対して非力な面があるのです。

上昌広氏のつぎのような言葉が、「知的エリート」の“弱さ”を表しているように思います。

 エリートは権威に弱い。権威の名前を出されると、そのことを知らない自分の無知をさらけ出すのが恥ずかしく思い、迎合しようとする。決して「わからない」とは言わない。私を含め当時の東京大学の学生が、オウム真理教に引きずられていたのは、このような背景があるのではなかろうか。挫折を知らない、真面目で優秀な学生だからこそ、引き込まれる。


「決して『わからない』とは言わない」のが「知的エリート」の“弱さ”なのです。「先生と言われるほどのバカでなし」という川柳は、「知的エリート」の本質を衝いているのです。と同時に、大衆(世間)のしたたかさ、狡猾さを表してもいるのです。麻原のようないかさま師が彼らを取り込む(「帰依」させる)のは、そう難しいことではなかったでしょう。

麻原は、弱視でしかも柔道の有段者であることを盾に、熊本の盲学校では、視力障害者の同級生や下級生を相手に番長として君臨したのですが、まったく同じ手法で、無知や非常識に“弱い”「知的エリート」に対してグルとして君臨したのでした。

修行をすれば射精しなくてもエクスタシーを得られると言いながら、自分は片端から女性信者に手を出して射精しまくっていたのですが、そのバカバカしさに気付かないのが「知的エリート」の致命的な”弱さ”です。

麻原と同じ熊本出身の谷川雁は、「大衆に向かっては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆であれ(原文は「ある」)」(『工作者宣言』)と言ったのですが、たとえば、通勤電車の醜悪な風景の中で、「断乎たる知識人」であることは至難の業だし、哀れささえ伴うものです。でも、冗談ではなく、あの通勤電車の醜悪な風景こそがこの社会であり、電車の座席にすわることが人生の目的のような人々が大衆なのです。

でも、間違っても「こいつらバカだ」とは言えないのです。言ってはならないのです。そんな中で、麻原は、仏教の“裏メニュー”とも言うべき教義を彼らに提示したのでした。それが、「煩悩の海に溺れ悪行を重ねる凡夫は、ポアして救済しなければならない」「それが功徳を積むことになる」という、グルを絶対視する戒律と選民思想で再解釈したタントラ・ ヴァジラヤーナの教義なのでした。

上氏の剣道での挫折もそうですが、麻原に「帰依」した「知的エリート」たちも、いったんは学校を出て就職したもののすぐに会社を辞めた人間が多いのが特徴です。それが挫折感になっているのです。そして、麻原に「帰依」することによって、その挫折感がハルマゲドンのような終末思想にエスカレートして行ったというのは、容易に想像できます。

職場の人間関係だけでなく、日々の生活の中でも、無知の強さや非常識の強さを痛感させられることはいくらでもあります。もちろん、ネットも然りです。しかも、無知の強さや非常識の強さは、“大衆(建前)民主主義”によって補強され、ある意味この社会では「最強」と言ってもいいのです。オウムの「知的エリート」たちがハルマゲドンを欲したのも不思議ではないのです。彼らは、教義以前に、あらゆる価値が(知をも)相対化される現代の民主主義を呪詛していたように思えてなりません。
2018.07.16 Mon l 社会・メディア l top ▲
死刑執行の日に朝日新聞に掲載された、宮台真司氏のインタビュー記事で、宮台氏はつぎのように言ってました。

不全感を解消できれば、現実でも虚構でもよい。自己イメージの維持のためにはそんなものどちらでもよい。そうした感受性こそ、昨今の「ポスト真実」の先駆けです。誤解されがちですが、オウムの信徒たちは現実と虚構を取り違え、虚構の世界に生きたわけではない。そんな区別はどうでもよいと考えたことが重要なのです。

朝日新聞デジタル
オウム化している日本、自覚ないままの死刑


宮台氏は、「だから危ない」のだと言います。

現実と虚構の区別なんてどうだっていいというのは、今のネトウヨなどにも言えるように思います。彼らにとって、ネットのフェイクニュースや陰謀史観の真贋なんてどうだっていいのです。みずからの「不全感」(人生や社会に対する負の感情)を「愛国」という排外主義的な主張で埋め合わせればそれでいいのです。それが反知性主義と言われるゆえんです。

どうして「知的エリート」が麻原彰晃のような安っぽいいかさま師に騙されたのか。オウム真理教を論じる場合、必ずと言っていいほど出てくる疑問ですが、私は、以前、大塚英志氏の『物語消費論改』を引用して、つぎのように書いたことがありました。

麻原彰晃は、英雄史観と陰謀史観を梃子に「大きな物語」を「陳腐に、しかし低次元でわかり易く提供して見せた」のでした。それは、「例えば『国を愛する』と言った瞬間、そこに『大きな物語の中の私』が至って容易に立ち上がる」ような安直なものでしかありませんでした。

関連記事:
『物語消費論改』


戦前戦中、多くの左翼知識人=「知的エリート」が「転向」したのは、天皇制権力による思想的転換への強制、屈伏というより、彼らが大衆から孤立したからだ(彼らの思想が”大衆的基盤”をもたない脆弱なものだったからだ)、と言ったのは吉本隆明ですが、「知的」であるということは、ある種の”後ろめたさ”を伴うものでもあるのです。誠実であろうとすればするほど、大衆的日常性(大衆的価値観)から遊離した孤立感を抱くものです。「知的エリート」たちは、安直なもの(=大衆的なもの)であるからこそ、逆に取り込まれたとも言えるのです。

倫理なんて、糞の役にも立たない“文化的幻想”にすぎません。「知的エリート」が全体主義に動員される思想的なメカニズムは、E・フロムやハンナ・アーレントが言うよりもっと単純でもっと「陳腐」なものではないのか。

私は、そのメカニズムを解明するカギになるのが「オタク」だと思っています。オタク化とは、それだけこの社会に”オウム的なもの”が浸透していることを意味しているのです。オタクからネトウヨ、そしてカルトに至る回路こそ解明されるべきだと思います。

大塚英志氏は、『「おたく」の精神史』(講談社現代新書)で、「長山靖生『偽史冒険世界』や小熊英二『単一民族神話の起源』といった仕事において国民国家の形成の過程で起きた偽史運動への注目がなされているのは、オウムを近代史の中に位置づける上で重要な視座を提供しているように思う」と書いていました。

柳田民俗学は「正史」化し得た「偽史」の一つだというのがぼくの考えだが、教科書批判の運動が「オウム」後に保守論壇の枠を超えた大衆的な広がりを見せてしまったことの説明は、「オウム」を「偽史」運動の一つと位置づけることで初めて可能になってくるように思うのだ。教科書批判以降の「日本」や「伝統」の奇怪な再構築のされ方は、偽史運動とナショナリズムの言説が表裏一体のものとしてあることの繰り返しに、ぼくは思える。

『「おたく」の精神史』


『天皇と儒教思想』(小島敦著・光文社新書)によれば、メディアによく取り上げられる「田植え」や「養蚕」など皇室の恒例行事も、明治以後にはじまったものが多いそうです。来年、天皇の生前退位により新しい元号に変わりますが、「一世一元」の原則も明治以後にはじまったのだとか。皇室の宗教も、奈良時代から江戸時代までは仏教だったそうです。皇室=神道という「伝統」も、明治以後に創られたイメージなのです。また、皇室に伝わる祭祀などは、中国の儒教思想から借用された「儒式借用」のものが多いそうです。

要するに、明治維新による近代国家(国民国家)の成立に際して、国民統合のために、皇室を中心とする「日本の伝統」が必要とされたのでしょう。そうやって(偽史運動によって)”国民意識”が創出され、”日本”という「想像の共同体」が仮構されたのです。

もちろん、現在進行形の現代史においても(おいてさえ)、「偽史運動」めいたものは存在します。たとえば、安倍首相に代表される、スーツの襟にブルーリボンのバッチを付けている右派政治家やその支持者の一群が声高に主張する”正しい歴史”などもそうでしょう。

そこでは、「先の戦争は侵略戦争ではない」「南京大虐殺はねつ造だ」「従軍慰安婦なんて存在しない」という”正しい歴史”に目覚めることが「愛国」と直結しているのです。そして、ネトウヨに代表されるように、「『国を愛する』と言った瞬間、『大きな物語の中の私』が至って容易に立ち上がる」メカニズムが準備されているのです。私は、そこにオウム(オウム的なもの)とのアナロジーがあるように思えてなりません。実際にYahoo!ニュースのコメント欄なども、その手の書き込みであふれていますが、彼らの延長上に、「第二のオウム」と言われるようなカルト宗教=「偽史カルト」が存在するというのは、多くの人が指摘しているとおりです。安っぽいいかさま師は、麻原彰晃だけではないのです。


関連記事:
オウムは終わってない
2018.07.10 Tue l 社会・メディア l top ▲
私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか


麻原彰晃の遺骨の引き取りに関して、家族間で“綱引き”がはじまっているようです。メディアが言うように、麻原の「神格化」を怖れる公安当局としては、遺骨を妻に引き渡すのを避けたいのが本音でしょう。そのためかどうか、麻原が生前、遺骨の引き渡し先を四女に指名していたという話が出ています。ただ、それは、執行直前に刑務官に伝えたと言われるだけで、証拠はないのです。妻や三女らは、自分たちに遺骨を渡さないための「作り話」だと言うでしょう。

四女は、昨年、自分の相続人から両親を除くよう横浜家裁に申し立て、認められています。それは、実質的に家族と絶縁する意向を示したものと言えます。遺骨の引き渡し先に関しては、法的にはっきりした規定はなく、慣例に従うしかないそうですが、家族と縁を切る意向を示した人間が、父親の遺骨を引き取りたいと申し出るのはどう考えても矛盾しています。故人の妻が引き取りの意向を示しているのですから、慣例から言えば、妻に渡すのが妥当でしょう。だから、そうさせないために、故人の遺志を出してきたとも言えるのです。

四女は、遺骨を引き取る理由について、アレフに渡したくないからと言っているそうです。家族と縁を切るなら、遺骨なんていらない、ほかの家族がどうしようが知ったことではない、自分は自分の道を生きる、と考えるのが普通でしょう。本当にオウムの悪夢から解放されたいと思うなら、遺骨のことなどに関わってないで、知らない土地で新しい人生を歩むのがいちばんでしょう。どうしていつまでもオウムの周辺にいるのだろうと思います。四女は、なんだか公安当局の意向を代弁している(代弁させられている?)ように思えてなりません。

10年前の話ですが、江川紹子氏は、四女の未成年後見人でした。それは、四女からの申し立てによるものでした。しかし、後見人になってわずか4ヶ月後、突然、行方不明になり、その後音信不通にもなったため、職務を果たせないと考え、「辞任許可申立書」を裁判所に提出したそうです。その間の経緯は、下記の江川氏のブログに書かれています。江川氏が辞任したあとに引き受けたのが、現在四女の代理人になっている滝本太郎弁護士なのかもしれません。

Egawa Shoko Journal
未成年後見人の辞任について

江川氏の文章のなかに、つぎのような気になる箇所があります。

(略)様々な形で彼女の自立の準備を支援してきたつもりです。教団以外の人間関係を広げて欲しいと思い、いろいろな働きかけも行いました。 
 しかし、残念ながら彼女の父親を「グル」と崇める気持ちや宗教的な関心は、私が気が付きにくい形で、むしろ深まっていました。彼女の状態が分かるたびに、私はカルト問題の専門家の協力を得ながら長い話し合いを行いましたが、効果はありませんでした。


オウムの奇々怪々は、未だつづいているのです。今度はそれに公安当局が一枚かんでいるのです。

私は、ちょうど8年前、四女の著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』の感想をこのブログに書きました。ご参照ください。

関連記事:
教祖の娘


追記:(7月12日)
三女の松本麗華氏のブログに、長男がネットで滝本弁護士の殺害予告をしたという日テレの報道について、下記のような抗議文が掲載されていました。長男を告発した滝本弁護士も、オウムの奇々怪々と無縁ではないのです。
日テレの虚偽報道に対する抗議声明



2018.07.09 Mon l 社会・メディア l top ▲
今朝、テレビを観ていたら、「麻原彰晃死刑囚の死刑執行」「ほかの数人も執行見込み」という「ニュース速報」が流れたのでびっくりしました。

執行前に「ニュース速報」が流れるなんて前代未聞です。死刑執行が事前にメディアにリークされたのでしょう。まるで死刑が見世物にされたようで、オウムだったらなんでも許されるのかと思いました。

それからほどなく、つぎつぎと残り6名の執行を告げるテロップが流れたのでした。それは、異様な光景でした。一度に7名の人間が”処刑”されるなんて、先進国ではあり得ない話です。

死刑を報じるメディアの論調も、「当然」というニュアンスで溢れていました。被害者の家族だけでなく、長年オウムを取材してきたジャーナリストも、ニュースを解説する識者も、街頭インタビューに答える市民も、みんな一様に「当然」という口調でした。どんな事情であれ、人の命が奪われることを「当然」と考える感覚に、私は違和感を覚えざるをえませんでした。オウム真理教も、タントラ・ヴァジラヤーナという教義では、人の命を奪うことを「ポア」と称して救済=「当然」と考えていたのです。

今日の死刑執行に対して、EU駐日代表部は、EU加盟国、アイスランド、ノルウェー、スイスの各駐日大使とともに、日本政府に執行停止の導入を訴える共同声明を発表したそうです。


声明では、「死刑は残忍で冷酷であり、犯罪抑止効果がない。さらに、どの司法制度でも避けられない、過誤は、極刑の場合は不可逆である」と主張しています。でも、このニュースはほとんど報じられることはありませんでした。

今日の執行には、平成の間に事件の処理を終わらせたいという法務省の意向があると言われています。ニュースを解説する識者の、これでひとつの区切りが付いたというような発言も、それに符合するものでしょう。オウムの死刑囚は13名ですから、あとの6名も、平成の間に執行されるのは間違いないでしょう。「恩赦」や「再審請求」を封じるためという見方もありますが、そうやって人の死を政治的意図で操作する発想にも、違和感を抱かざるを得ません。

宮台真司氏が朝日新聞のインタビューで言っているように、オウムはすぐれて今日的な問題なのです。”オウム的なもの”はますます社会の隅々まで浸透しているのです。決して他人事ではないのです。オウムが私たちに突き付けた問題は、何ひとつ解決してないのです。オウムの事件に区切りを付け、歴史の片隅に追いやろうとする考えこそ反動的と言えるでしょう。


関連記事:
オウムは終わってない
2018.07.06 Fri l 社会・メディア l top ▲
米朝首脳会談に関して、アメリカのニュースサイト・「BUSINESS INSIDER」の日本版に、下記のような記事が掲載されていました。

BUSINESS INSIDER JAPAN 
"世界のリーダー"アメリカの終わりが見えてきた? アメリカの記者が見た、米朝首脳会談

次のリードに、記事の要点が示されています。

•アメリカのトランプ大統領は12日(現地時間)、北朝鮮と和平交渉をしている間は韓国との軍事演習を中止すると述べた。

•そうしている間にも、アメリカは国際社会における支配的な地位を失うかもしれない。

•軍事演習なしでは、在韓米軍は弱体化するだろう。和平交渉が続けば、その存在意義も損なわれるだろう。

•トランプ大統領の望み通り、米軍が韓国から徹底することになれば、中国のアジアひいては国際社会におけるプレゼンスは高まるだろう。

•トランプ大統領と北朝鮮の金正恩氏は12日、世界の新たな未来を語ったが、その新たな未来をリードするのはアメリカではなく中国かもしれない。


日本のメディアではどうしてこういった記事が出て来ないのだろうと思います。どこも揃って、旧宗主国の卑屈な精神で書いたようなネガティブな記事ばかりです。特にひどいのが、テレビ局や新聞社の「解説委員」「編集委員」と言われる人間たちです。彼らは、平日にお定まりのくだらないコメントで顔を売り、週末に講演でお金を稼ぐ、ワイドショーのコメンテーターとどう違うのだろうと思います。日本のメディアの手にかかると、米朝首脳会談も、日大の悪質タックル問題や和歌山のドン・ファン変死事件などと同じレベルで扱われるのです。

節操もなく、慌てて金正恩とのトップ会談を模索しはじめた安倍首相の姿は、もはや滑稽ですらあります。文字通り「宰相A」の醜態を晒していると言っていいでしょう。案の定、北朝鮮から「拉致問題は解決済み」とゆさぶりをかけられ、「(日本は)無謀な北朝鮮強硬政策に執拗にしがみついている」「日本はすでに解決された拉致問題を引き続き持ち出し、自らの利益を得ようと画策した」(15日の平壌放送)などと牽制される始末です。それでも、「宰相A」は拉致被害者の家族を官邸に呼んで、「日朝首脳会談による拉致問題解決を目指す決意を伝えた」そうです。でも、その「決意」の中身は、従来からくり返している空疎な原則論にすぎません。

日本政府が「拉致被害者全員の即時帰国」にこだわっている限り、北朝鮮が「解決済み」の姿勢を崩すことはないでしょう。「全員の即時帰国」というのは、「妥協の余地がない」と言っているも同然です。一方、北朝鮮が「解決済み」とくり返すのは、「(落としどころを)なんとかしろ」というメッセージでもあるのだと思います。しかし、国内向けに「全員の即時帰国」が交渉の前提だと大見得を切った手前、日本政府もおいそれとその旗を降ろすことはできないのでしょう。拉致問題は、勇ましい声とは逆に、このように自縄自縛になっているのです。そもそも、交渉の叩き台となるべき「調査報告書」を受け取ることができない(受け取っても公表できない)状態で、首脳会談を模索すること自体、自家撞着と言われても仕方ないでしょう。

蓮池透氏は、太田昌国氏との対談『拉致対論』(太田出版・20009年刊)で、次のように言っていました。

 私はいつも、拉致問題を北方領土化させて欲しくないと言っています。北方領土は今も物理的に残っていますが、拉致被害者は永遠に残るものではありません。時間の経過によって、当事者も、その家族も、消え去ってしまうかもしれない。日本政府はそれを待っているのではないかという穿った見方さえしてしまいます。


 私は、地村さんが拉致問題には「歴史的な過去の問題が背景にある」と手記に書いておられたのを、あれは北朝鮮で習ったことかもしれませんが、非常に重い言葉だなと思いました。当人が言うのは悲しい話です。拉致されて北朝鮮に連れて行かれたにもかかわらず、こういう発言をさせてしまうというのは、北朝鮮が悪いというよりも、この問題をほったらかしにしてきた日本というのは何なんだと思ってしまいます。


(略)締め上げろ締め上げろでは状況は動かないと思います。感情的な部分ばかりが誇張されて制裁が決議されているように感じます。(略)
 核と拉致とミサイルを包括的に解決するという言い方がありますが、私は核が解決したからといって拉致問題が自動的に解決されるとは思えない。拉致と核は別物だと思っています。包括的と言うと聞こえはいいですが、それはまやかしではないでしょうか。拉致問題は、核が一段落した時点で改めてスタートするのではないかと思っています。


蓮池氏の発言は2009年当時のものですが、この10年間、蓮池氏が言ったとおり、「締め上げろ締め上げろ」という「感情的な部分ばかりが誇張され」て、状況がまったく動かなかったのは事実でしょう。

蛇足を承知で言えば、政府が「全員の即時帰国」は現実的ではない、無理だとはっきり言うべきなのです。それこそ政治の責任で、家族を説得すべきです。その上で、「調査報告書」を叩き台に、文字通り覚悟をもって交渉に当たるべきなのです。メディアと一緒になって荒唐無稽な強硬論を主張し、北朝鮮に対する憎悪の感情を煽るだけでは、一国の政治を預かる者としてきわめて無責任と言わねばなりません。自民党内にも、安倍政権がつづく間は拉致問題の解決は難しいのではないかという声があるそうですが、いちばん現実を直視しなければならない人間がいちばん現実から目を背けているのですから、なにをか況やです。

たとえば、どうして拉致がおこなわれたのかという“初歩的な事実”さえ、国民には知らされてないのです。よけいなことは考えるなと言わんばかりに、いつもただ憎悪の感情を煽られるだけです。また、私たち自身も、「許せない」「かわいそう」という感情に流されるだけで、拉致問題を客観的に冷静に考えることを怠っていたのはたしかでしょう。

『北朝鮮 秘密集会の夜』(1994年刊)の著者・李英和氏は、1992年北朝鮮の朝鮮社会科学院に留学した際、監視兼世話役の教官から、次のような「拉致講義」を受けたそうです。

1.講義の場所は宿舎の部屋の中ではなく、公園で歩きながら。秘密警察の盗聴を嫌ってのこと。拉致は、秘密警察ではなく、工作機関の犯行と管轄なので。

2.工作機関による計画的な日本人拉致作戦は、1976~1987年の間に金正日(キム・ジョンイル)の指示で実施。「それ以前とそれ以降はやっていない」と断言。(当時、後継者候補の金正日が拉致作戦を立案・指揮していた。)

3.背景は経済計画の失敗(71年~「人民経済発展6カ年計画」)。汚名挽回のため、金正日が新機軸の対南(南朝鮮=韓国)テロ作戦を発動。経済破綻で全面戦争ができなくなったので、戦争の代わりにテロを立案。

4.同作戦により急遽、対南潜入工作員の大量養成が必要になり、その訓練の一環で日本人拉致を実施。新米(しんまい)工作員の敵国への潜入訓練の場として、海岸警備の手薄な日本海側を利用。教官は「潜入訓練完遂の証拠品として"日本人"の拉致を要求したので、拉致対象の年齢・性別・職業等は問わなかった」と説明した。そのせいで、近くの浜辺で手当たり次第に拉致。当時まだ女子中学生だった横田めぐみさんが連れ去られることになった。

5.沖合の母船から5人乗りゴムボートで海岸に3人の新米工作員が潜入。空席は2名なので、拉致は最大2名までが限界。アベックの「失踪」が多いのはそのせい。

6.金日成の名前で「拉致した日本人は絶対に殺さず、生かして平壌に連れ帰れ。拉致被害者は平壌近郊で『中の上』の暮らしをさせるから、安心して拉致して連れ帰れ」という厳命が下された。そのこころは、無関係な日本人の民間人を殺害することになれば、新米工作員に戸惑いの心理的動揺をきたし、訓練の失敗につながるおそれがあるから。したがって、拉致被害者は誰も現場で殺害されたり、日本海でサメの餌にされたりすることなく、平壌の工作機関の拠点まで生きて連れ去られた。

7.北到着後も「絶対に死なせるな」という金日成の厳命は生きた。工作機関は管理・監督責任を厳しく負わされるので、事故や病気での死亡を厳格に防いだ。「本人が死にたいと思っても、自殺もできない」という監視下で暮らした。

8.拉致被害者は工作機関の管轄区域内で5~6人一組で隔離生活させる都合上、被害者に与えられる仕事は「共通の特技」である日本語の教育係ぐらいしかなかった。したがって、何らかの特技を狙ったり、日本語教師をさせたりする目的で拉致したのではけっしてない。あくまでも訓練の証拠品。

9.作戦期間が10年余りなので、その間の上陸訓練の実施回数の分(1回最大2名)だけ拉致被害者が存在する計算になる。私はおよその人数を尋ねたが、講師は「正確には知らないが、とにかく大勢」と答えた。

(注1)91年当時は日本人拉致事件の北朝鮮犯行説は「半信半疑」で定説化していなかった。その中で、私に北犯行説を「自供」したのは驚愕の出来事だった。その当時、拉致問題解決を糸口に日朝国交樹立による賠償金狙いの戦略を既に固めていたものと見られる。賠償金獲得の動機は、91年から本格化する北朝鮮の密かな核開発の資金源だった。その目論見が2002年まで延期、ずれ込んだのは北で大飢饉(93~99年)が勃発したからと思われる。

(注2)以上の説明は日本人拉致問題の本筋に関するもので、ヨーロッパを舞台とする「よど号ハイジャック犯」による日本人留学生と旅行客拉致の「番外編」は含まれない。この番外編については、実行犯の「Y」(有本恵子さん拉致犯)から、個人的に全容の説明を聞いたが、あくまでも番外編なので今回は省略。

(注3)拉致作戦が76年に開始されたもうひとつの理由は、ベトナム戦争の終結(75年)。北はベトナム戦争が永遠に泥沼化することを願ったが、その願いに反して75年に北ベトナムの勝利で戦争が終結。米軍が韓国と日本に引き揚げ、朝鮮半島でベトナム戦争敗北の雪辱を期する事態に発展。これに慌てた金父子が非対称の対抗策としてテロ作戦を立案・発動した。

Newsweek日本版
「拉致被害者は生きている!」──北で「拉致講義」を受けた李英和教授が証言


感情を脇に置いて、冷静に考えること(分析すること)も、拉致問題を解決する上で大事なことでしょう。なにより戦争より平和がいいという考えこそ冷静なものはないのです。


関連記事:
『拉致被害者たちを見殺しにした安部晋三と冷血な面々』
2018.06.16 Sat l 社会・メディア l top ▲
米朝会談に対しては、日本国内でも「期待外れ」という声が多く聞かれます。なにが「期待外れ」なのかと言えば、共同声明にCVIDの道筋が具体的に明記されなかったことがいちばん大きいようです。要するに、政府もメディアも国民も、軍事攻撃の代わりに、今度はCVIDで北朝鮮を無力化することを期待していたからでしょう。

しかし、何度もくり返しているように、CVIDは所詮は「絵に描いた餅」にすぎないのです。非核化も、拉致問題と同じで、外交カードにすぎないのです。落としどころをどこにするかなのです。

今回の首脳会談は、国交がない国の首脳同士が初めて顔を合わせる「異例」の会談です。従来のよくある首脳会談と違って、会談自体はあくまで”出発点”なのです。

いづれにしても、これから長い時間をかけて、非核化や国交正常化の交渉をおこなうことが決定したのです。両首脳によって、その号砲が鳴らされたのです。最初から結論を求めるメディアの論調自体が、ないものねだりのトンチンカンなものであるのは言うまでもありません。

落としどころがどこになるか(双方がどこで妥協するか)、これから注視する必要がありますが、ただ、膨大な時間と費用を要するCVIDなんてそもそも実現不可能だ、という声のほうがホントなのだろうと思います。

むしろ、共同声明を発表できただけでも、大きな成果だと言えるでしょう。共同声明には、戦争の終結、国交正常化、非核化に向けて努力していくことがはっきりと謳われているのです。それだけでもすごいことだと思いました。

私は、会談のあとのトランプの会見も感銘を受けました。日本の政治家だったら、あそこまでオープンな会見はやらないでしょう。安倍や麻生や二階の不遜な態度と比べると、雲泥の差があります。私は、トランプを少し見直しました。

トランプが会見のなかで、グアムから朝鮮半島まで戦闘機を飛ばして訓練するのはお金がかかりすぎる、「戦争ゲーム」をやめれば無駄なお金を使わなくて済むと言ってましたが、まさにそこに、トランプが主張するアメリカ・ファーストの本音が出ていたように思います。

言うまでもなく、トランプのことばの背後にあるのは多極主義です。“世界の警察官”をやめる(やめたい)ということです。そんなアメリカ·ファーストの本音など理解すべくもなく、ただCVIDで北朝鮮を無力化してもらいたいと願う人たちにとって、今回の会談結果が、「アメリカが前のめり」「北朝鮮のペース」と映るのは当然かもしれません。

一方で、米韓軍事演習の凍結まで示唆したトランプの発言に、日本政府が「驚いた」という報道には、逆にこっちが驚きました。防衛省の幹部は「予想外だ」と言ったそうですが、そんな感覚では、これから東アジアの覇権が中国に移るにつれ、ホントに口から泡を吹いて卒倒してもおかしくないような衝撃を何度も受けることになるでしょう。


追記:
米朝首脳会談に対してネガティブな報道がつづくなか、下記にような多極化に関する報道もいくつか出てきました。(6/14)

AFP
米、韓国との主要演習を「無期限停止」 米高官
CNN.co.jp
トランプ米大統領は在韓米軍を朝鮮半島から撤収する可能性も示唆
2018.06.13 Wed l 社会・メディア l top ▲
米朝首脳会談を二日後に控え、既にトランプと金正恩の両首脳もシンガポールに入りました。いよいよ掛け値なしの「歴史的な会談」が始まろうとしているのです。

一方で、米朝首脳会談の前にカナダで開かれたG7でも、アメリカ・ファーストを貫き、孤立することをも厭わないアメリカの姿勢に、唯一の超大国の”本心”が示されているように思いました。それは、言うまでもなく、多極主義です。アメリカが唯一の超大国の座からおりるということです。唯一の超大国の座からおりるということは、“世界の警察官”の役目もやめるということです。

田中宇氏は、著書やブログなどで、そのことをずっと言いつづけていました。私が、このブログで、田中氏の主張を借りて、アメリカの多極主義について初めて書いたのは、ちょうど10年前のリーマンショックのときでした。

関連記事:
世界史的転換

田中宇氏については、特にネットにおいて、キワモノ、トンデモ思想というような誹謗中傷も見られますが、しかし、この10年間の世界の流れを見ていると、田中氏が主張するとおり、世界が多極化の方向に進んでいることは明らかでしょう。

朝鮮半島についても、日本のメディアは、今にもアメリカの軍事攻撃が始まるかのように囃し立てていましたが、現実はまったくの逆でした。日本のメディアは、ここに至っても、金正恩のホテル代がどうのとか、ファーストコンタクトがどうなるか(握手をするのかハグをするのか)、それが会談の成否のカギになるなどと、どうでもいいような話をさも意味ありげにするばかりです。それでは、朝鮮半島に対する日本の世論がトンチンカンなのも当然でしょう。

世界では160ヵ国以上の国が北朝鮮と国交を結んでおり、北朝鮮と国交がないのはごく少数で、むしろ例外と言ってもいいくらいです。北朝鮮は如何にも「国際社会」から孤立しているかのようなイメージがありますが、実際は世界の大部分の国と「友好関係」にあるのです。日本のメディアによってふりまかれるイメージと違って、平壌の街角で出会った人々が意外なほど華やかで開明的(資本主義的)だというのは、ゆえなきことではないのです。

韓国は当然としても、アメリカと国交がないのは、ひとえに朝鮮戦争が休戦状態にあるからにほかなりません。休戦(戦争)状態が解消されれば、アメリカが自国の利益と照らし合わせながら、大胆な政策転換をおこなう可能性はいくらでもあるでしょう。

12日の首脳会談について、講釈師(専門家)たちはさまざまな「焦点」を並べていますが、会談の焦点は一つに集約されるのだと思います。それは、朝鮮戦争を終わらせるかどうか、その道筋を付けることができるかどうかです。その一点に尽きるのです。戦争を終わらせないことには、国交正常化も非核化もなにもはじまらないのです。

そして、朝鮮戦争の終戦が、単に戦争の終結にとどまらず、東アジアの政治秩序に、文字通り歴史的な転換をもたらすことになるのは間違いないでしょう。田中宇氏が「田中宇の国際ニュース解説」の最新記事で書いているように、朝鮮戦争の終戦宣言がおこなわれると、米軍(法的には国連軍)が韓国に駐留する法的根拠がなくなるのです。そうなれば、当然、米軍が韓国から撤退することになるでしょう。

さらに、韓国から撤退すれば、日本に駐留する意味も小さくなるので、行く行くは日本からも撤退することになるでしょう。こうして東アジア(というかアジア全体)の覇権が中国に移っていくのです。メディアは、本来、そういった会談の本質にあることを伝えるべきなのです。

田中宇の国際ニュース解説
在韓米軍も在日米軍も撤退に向かう

しかも、非核化交渉においても、建て前はともかく、実際は曖昧なまま妥結される可能性が高いと言われています。そうなれば、(何度も書いているように)実質的に核を保有する北朝鮮が、中国に手を引かれ東アジアの政治の表舞台に本格的に登場することになるのです。それは、日本にとって、口から泡を吹いて卒倒してもおかしくないほど衝撃的なものがあると言えるでしょう。

「東アジア共同体」構想や朝鮮半島の融和を求める平和外交を一笑に付し、自衛隊が平壌に侵攻して拉致被害者を奪還すればいいというようなトンデモ強硬論に感化され、アメリカの軍事攻撃をひたすら希求した日本の世論は、痛烈なシッペ返しを受けたと言ってもいいでしょう。北朝鮮の平和攻勢とアメリカの多極主義に翻弄され、その狭間で右往左往しているこの国の総理大臣のみっともない姿が、なによりそれを物語っています。

朝鮮戦争が正式に終われば、北朝鮮の豊富な地下資源をめぐって国際資本の争奪戦がはじまることでしょう。そして、北朝鮮は目を見張るような経済発展を遂げるに違いありません。北朝鮮が経済発展するのは、朝鮮半島の平和にとってもいいことです。それをいいことと思わないのは、日本の世論がトンチンカンだからです。

ただ、その一方で、置き去りにされようとしている問題があることも忘れてはならないでしょう。1980年に初めて拉致事件を紙面で取り上げた産経新聞の元記者・阿部雅美氏の『メディアは死んだ 検証・北朝鮮拉致報道』(産経新聞出版)や、国連の北朝鮮の制裁に関する「捜査」に携わった、国連安保理・北朝鮮制裁委員会の専門家パネル元委員の古川勝久氏の『北朝鮮 核の資金源』(新潮社)などを読むと、「歴史的な会談」が手放しで礼賛されるものではないことを痛感させられるのでした(だからと言って、日本のメディアのように、会談が破談すればいいなんて思いません。戦争より平和がいいに決まっています)。また、2009年に出版された太田昌国氏と蓮池透氏の対談『拉致対論』(太田出版)を読み返すと、あらためて拉致問題の本質を考えないわけにはいかないのでした。矛盾したことを言うようですが、こういった天の邪鬼な視点も大事なのだと思います。ここまできたら、逆に浮かれるのは慎まなければと思うのでした。

当然ながら、米朝会談の次に日朝会談を期待する声も出ており、安倍首相もいつ宗旨替えしたのか、日朝会談の開催を呼び掛けたなんてニュースもありました。しかし、北朝鮮から見れば、日本は主体性のない(チュチェ思想!)アメリカのポチにすぎません。それに、自分たちを植民地支配した国です。北朝鮮はここぞとばかりに強気に出るでしょうから、「拉致被害者全員の即時帰国」が前提の交渉では、成果を得るのは難しいと言わねばならないでしょう。蓮池透氏が言うように、落としどころ(妥協点)を決めないことには交渉のしようがないのです。

北朝鮮が日本のお金をあてにしているなんて話も、如何にも上から目線の旧宗主国の見方にすぎません。そういった上から目線とトンチンカンな世論は表裏一体のものです。日本政府は、拉致問題の解決が国交正常化の前提だと言ってますが、それを言うなら、日本の植民地支配の清算も、同様に国交正常化の前提のはずです。日本人は、そのことを忘れているのです。


関連記事:
北朝鮮の改革開放
米朝首脳会談と「奴隷の楽園」
米朝首脳会談とこの国のメディア
南北首脳会談とこの国の「専門家」
夜郎自大な国と南北首脳会談
2018.06.10 Sun l 社会・メディア l top ▲
昨日今日とたてつづけに、朝日新聞に「秋葉原事件」に関連する記事が掲載されていました。どうしてだろうと思ったら、事件が起きたのが2008年6月8日で、ちょうど今日が10年目に当たるのだそうです。

朝日新聞デジタル
秋葉原事件10年、死刑囚の父は今 明かりともさず生活
秋葉原で重傷、「なぜ」追い求め10年 死刑囚との手紙
「絶対に忘れない」 秋葉原無差別殺傷事件から10年
秋葉原で重傷の男性、発生時間に献花「10年は通過点」
今なお共鳴、加藤死刑囚の孤独 ネットに書き込み絶えず

私は、以前、加藤智大が書いた『東拘永夜抄』を読んだことがありますが、そこにあるのは、中島岳志氏も指摘しているように、青森県で有数の進学校に入ったものの、周囲が期待する大学に進むことができなかった挫折をいつまでも引き摺るナイーブな心と、たとえ仲のいい友達がいても心を通わせることができない孤独な心でした。そのため、人間関係が原因で何度も会社を辞めているのでした。

そして、行き着いたのが、派遣工として派遣会社を転々とする生活でした。派遣会社が用意したアパートでのかりそめの生活。それは、飯場を渡り歩く昔の労務者(自由労働者)と同じです。ただ、「派遣」や「ワンルームマンション」など、呼び方が現代風に変わっただけです。そんな生活では、ナイーブな心や孤独な心がますます内向していくのは当然でしょう。

秋葉原事件も、大阪教育大学附属池田小学校の事件や土浦の通り魔事件と同じように、自暴自棄な自殺願望が衝動的な犯罪へ向かったと言えるのかもしれません。ただ、その背景には、個人のキャラクターだけでは捉えきれない、社会的な問題も伏在しているように思います。生きづらさを抱く若者をさらに孤立させ追いつめていったものが、この社会にあったのではないか。

手前味噌ですが、私は、事件直後に下記のような記事を書きました。読み返すと、多少の事実誤認はあるものの、リアルなのは右か左ではなく上か下なのだとあらためて思うのでした。

関連記事:
秋葉原事件
2018.06.08 Fri l 社会・メディア l top ▲
歴史社会学者・小熊英二氏が、朝日新聞の「論壇時評」に興味ある記事を書いていました。

朝日新聞デジタル
(論壇時評)観光客と留学生 「安くておいしい国」の限界

国連世界観光機関(UNWTO)の統計では、2000年から2017年で、国際観光客到着数は2倍に増えたそうです。そのため、世界のどこに行っても、「マナーの悪い観光客に困っている」という話を聞くようになったのだとか。

今は世界的な観光ブームと言ってもいいのかもしれません。そのいちばんの要因は、グローバル資本主義によって、かつて「中進国」と言われた中位の国々が底上げされ豊かになったからでしょう。もちろん、その“豊かさ”が格差とセットであるのは言うまでもありません。

一方、日本は、2016年の国際観光客到着数で世界16位です。ただ、増加率が高く、2012年から2017年で3倍以上になったそうです。

日本の観光客数が急増したのも、中国や韓国や台湾だけでなく、タイ、マレーシア、フィリピン、シンガポール、インドネシアなど、経済成長したアジアの国々から観光客が訪れるようになったからですが、小熊英二氏は、もうひとつ別の理由をあげていました。

日本が「安くておいしい国」になったからだと言うのです。たしかに、「円安」によって観光客が増えたというのは、よく言われることです。

 ここ20年で、世界の物価は上がった。欧米の大都市だと、サンドイッチとコーヒーで約千円は珍しくない。香港やバンコクでもランチ千円が当然になりつつある。だが東京では、その3分の1で牛丼が食べられる。それでも味はおいしく、店はきれいでサービスはよい。ホテルなども同様だ。これなら外国人観光客に人気が出るだろう。1990年代の日本は観光客にとって物価の高い国だったが、今では「安くておいしい国」なのだ。


つづけて、小熊氏は、つぎのように書いていました。

このことは、日本の1人当たりGDPが、95年の世界3位から17年の25位まで落ちたことと関連している。「安くておいしい店」は、千客万来で忙しいだろうが、利益や賃金はあまり上がらない。観光客や消費者には天国かもしれないが、労働者にとっては地獄だろう。


「安くておいしい国」というのは、裏返して言えば、それだけ日本が日沈む国になりつつあるいうことなのかもしれません。外国人観光客が増えたからと言って、テレビのように「ニッポン、凄い!」と単純に喜ぶような話ではないのかもしれません。

日本は、観光客だけでなく、留学生も増えています。なぜ非英語圏の日本に(ベトナムやネパールなどから)留学生が押し寄せているのかと言えば、日本は外国に比べて留学生の就労規則が緩く、「就労ビザのない留学生でも週に28時間まで働ける」からです。しかも、その「週28時間」も、ほとんど有名無実化しているのが実情です。その結果、「留学生」と言う名の外国人労働者が日本に押し寄せているのです。

政府は、昨日(5日)、外国人労働者の受け入れ拡大に向けた「骨太の方針」を決定したばかりですが、しかし、忘れてはならないのは、それは日本が「豊かな国」だからではないのです。3Kの単純労働の仕事で、若くて安い労働力が不足しているからです。ただそれだけの理由です。

一方で、低賃金の外国人労働者の流入が、単純労働の仕事を支えている非正規雇用などの「アンダークラス」の賃金を押し下げる要因になっているという指摘もあります。また、この国には、生活保護の基準以下で生活している人が2千万人もいるという、先進国にあるまじき貧困の現実があることも忘れてはならないでしょう。

しかし、日本人は、『ルポ ニッポン絶望工場』の出井康博氏が書いているように、いつまでも自分たちが豊かだという「上から目線」がぬけないのです。二言目にはアジア人観光客は「マナーが悪くて迷惑だ」と言いますが、そんな「マナーが悪い」アジア人観光客が既に自分たちより豊かな生活をしている現実は見ようとしません。と言うか、見たくないのでしょう。(こんなことを言うと発狂する人間がいるかもしれませんが)そのうち北朝鮮だって、日本より豊かになるかもしれません。100円ショップの商品まで持ち出して「ニッポン、凄い!」と自演乙するのも、そんな哀しい現実から目を反らすための、引かれ者の小唄のようにしか思えません。


関連記事:
『新・日本の階級社会』
『ルポ ニッポン絶望工場』
2018.06.06 Wed l 社会・メディア l top ▲
今日、Yahoo!ニュースが、次のような産経新聞の記事をトピックスに掲載していました。

Yahoo!ニュース(産経新聞)
新潟知事選は総力戦 野党…参院選へ共闘試金石×与党…敗北なら総裁選に影

産経新聞は、与党候補「優勢」という事前予想を受け、陣営の引き締めを狙っているのかと思いましたが、もっと深読みすれば、この選挙で、安倍三選の道筋を付けようとしているのかもしれないと思いました。それくらい与党は”余裕”なのです。

一方、野党側は、下記の田中龍作ジャーナルの記事が示しているように、原発再稼働の問題と沖縄の基地問題を結び付けることで、選挙運動の盛り上げを狙っているかのようです。と言うか、そうやって実質的な野党統一候補を実現させたことを自画自賛しているのです。

田中龍作ジャーナル
【新潟県知事選】「安倍政権はありったけの暴力と権力でやってくる」

しかし、私は、ここにも、相変わらず「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」(ブレイディみか子氏)左派の姿があるように思えてなりません。

原発再稼働の問題と沖縄の基地問題がどう関係があるのか。と言うと、左派リベラルの人たちは激怒するかもしれませんが、少なくとも有権者はそんな感覚ではないでしょうか。

そもそも原発再稼働の問題にしても、ホントに選挙の争点になるのか、私は疑問です。原発再稼働の問題は、選挙の争点になるような(争点にするような)問題ではないのではないか。

新潟の知事選に沖縄の基地問題をもってくるやり方が、左派特有の夜郎自大なご都合主義の所産であるのはあきらかでしょう。そうやって「野党共闘」が演出され、大衆運動が政党や党派に引き回されるのです。言うなれば、左派のお家芸のようなものです。

もちろん、左派リベラルと呼ばれる人たちの多くが、マルクス・レーニン主義と無縁であるのは言うまでもありません。彼らを「極左」と呼ぶネトウヨは、よほどの無知蒙昧か誇大妄想としか言いようがありません。ただ一方で、彼らのなかに、「前衛主義」のような発想があるのは否定しえないでしょう。

最近、左派リベラルの一部のグループがカルト化しているという声がありますが、カルト化していると言われるグループのSNSなどを見ると、たしかに(どうでもいい)自己を正当化するために身近なところに敵を見つける、党派政治にありがちな隘路に陥っているように思いました。それもいつか見た風景です。そこにも左翼の悪しき伝統が影を落としているように思えてなりません。

左派リベラルは、今回も、「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所」でまどろみ、産経新聞の目論見どおり、安倍三選の道筋を付けることに一役買うことになるのでしょうか。なんだか産経新聞の高笑いが聞こえてくるようです。


関連記事:
ものみな”選挙の宣伝”で終わる
2018.06.04 Mon l 社会・メディア l top ▲
先日、LGBTを告白した勝間和代氏に対して、「芸能界からも温かい声」というような記事がありました。メディアの受け止め方も好意的なものばかりです。

電通は、「電通ダイバーシティ・ラボ」という専門組織を立ち上げ、「LGBT市場規模を約5.9兆円と算出」しているそうです。LGBTも既に美味しいビジネスになりつつあるのです。もちろん、だからと言って、性の多様性を認める社会に異議を唱える者などいようはずもないのです。

と思ったら、久田将義氏が編集長を務めるニュースサイト・TABLOに、勝間氏のカミングアウトに対して、「批判的な声が浴びせられている」という記事が出ていました。

TABLO
LGBTを告白した勝間和代さんに早くも「ビジネスLGBTでは」の声

・じゃあもう少し、弱者やマイノリティに優しい人であってくれ
・おっ今はLGBTブームなんや! それで本でも書いたろ!
・LGBTが流行ってるから一枚かんでおこうという下衆な魂胆
・こいつ大人の発達障害が話題になった時も 自分は「発達障害かもしれない」 とかカミングアウトして すぐに、講演会開いて、イベント開いて、NPOから発達障害の普及大使かなんかに任命されて 執筆したりしてたよな 今度はLGBTか
・この前隠れ巨乳なこともカミングアウトしてたよな
・娘もいい年だろうにそんな母親のカミングアウト聴きたくないだろ
・これ単なる生々しい性癖の告白だからな
・こいつの趣味 PC、バイク、麻雀... 料理もするが、見栄えより効率重視 男性脳は男性脳だわな
・バイクゴルフ麻雀全部飽きたっぽいし同性愛もすぐ飽きるだろ
・ものすごい生き急いでる感は結構好き


私は、2ちゃんねるが5ちゃんねるに変わったのも知らなかったくらいですが、ネットにはまだこういった声が残っているのかと思うと、少し安心したような気持になりました。「じゃあもう少し、弱者やマイノリティに優しい人であってくれ」というのはまさに至言で、今までの勝間氏を見ていると、今回のカミングアウトが、電通がLGBT市場を試算する話とどこか似たものがあるような気がしてならないのです。

しかし、メディアにそういった視点はありません。ただ同調圧力に与するだけです。もちろん、その同調圧力は、視聴率や売上部数やアクセス数など、ニュースをマネタイズするビジネスにつながっているのです。

メディアの同調圧力がもっとも歪なかたちで出ているのが、日大の悪質タックル問題です。先日は、朝日新聞に元日大全共闘の闘士たち(と言っても、SEALDs大好きの70すぎの爺さんたち)まで登場し、日大の体質は、日大闘争のきっかけになった古田体制の頃からなんら変わってないなどとコメントしていました。文字通り坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに、今や日大は日本中から袋叩きに遭っているのです。日大生の就職活動にまで影響を及ぼしているなんて、いくらなんでもそれはないだろうと思いますが、メディアは真顔でそういったニュースまで流しているのです。

日本国民を敵にまわすようですが、あれはどう見てもチーム同士で話し合うような問題でしょう。日大の体質云々は言いがかりのようなものです。日大の体質に問題があるとしても、それはタックルとは別の問題でしょう。日大の対応が遅れたと言いますが、遅れたというより戸惑っていたのだと思います。もちろん、記者会見を開くような問題でも、まして(元水泳選手が偉そうな)スポーツ庁が乗り出すような問題でもないでしょう。問答無用の上下関係や空疎な精神論を強いる日本の学生スポーツの”体育会的体質”が根っこにあると言えば、そう言えるのかもしれません。だとしても、それは日大だけの問題ではなく、関学も同じでしょう。

週刊文春が公開した、試合直後に内田監督が記者たちと談笑していたテープでは、内田監督は、日大のタックルがひどいなんてよく言うよ、1年前の関学はもっとひどかったよというようなことを言ってました。そして、その場にいた記者たちも笑っていたのです。ところが、タックルの映像がYouTubeに上げられると、日大に対する批判が沸き起こり、日大は“国賊”のようになって行ったのです。映像をYouTubeに上げた行為の妥当性についても検証されるべきだと思いますが、そういった意見は皆無です。

監督とコーチの記者会見の際に司会を務め、その横柄な仕切りが炎上した、日大広報部顧問のY氏についても、唯一、スポーツ報知が次のような記事を載せていました。

スポーツ報知
“逆ギレ司会者”にも一分の理…アナウンサーは取材者なのか出演者なのか

こういった「一分の理」を書くことも、ジャーナリズムにとって大事なことではないでしょうか。

さらにこじつければ、眞子さまの婚姻をめぐる報道にも、同じような同調圧力が見え隠れしているように思えてなりません。元週刊現代編集長の元木昌彦氏は、プレジデントオンラインに次のような記事を書いていました。

PRESIDENT Online
"眞子さま報道"で問われる元婚約者の品性

たしかに、小室さんのお母さんがあそこまで叩かれるのなら、その情報を提供した(売った?)人物の素性もあきらかにすべきでしょう。プライベートな個人間のトラブルをメディアに提供する行為は、品性だけでなく、その倫理性も問われるべきです。また、そのリスクも、当然みずからで負うべきでしょう。

ものごとには表もあれば裏もあるのです。見る角度(立場)によって、捉え方が違ってくるのは当然です。多事争論ではないですが、さまざまな角度(立場)から報道するのがジャーナリズムのあり方でしょう。でなければ、どこにものごとの本質があり、真実があるかもわからないでしょう。北朝鮮から日大まで、今のメディアは、ただ同調圧力に与するだけで、誰でも書けるような(文章自動作成ツールでも書けるような)記事を書いているだけです。

メディアは、そやって獲物を見つけ、血祭りに上げることで、ニュースをマネタイズしているのです。この手の血祭りは昔からありましたが、最近は「旧メディアのネット世論への迎合」(大塚英志)によって、報道が増幅されより狂暴になっているように思います。「日大の悪質タックル問題は、いっこうに出口が見えない」などとメディアは言ってますが、メディアが勝手に出口を塞いでいるだけです。そうやってサディスティックになぶり殺すまでやるつもりなのかと思ってしまいます。

メディアにとって、獲物さえ見つかれば、衆愚を煽ることなど赤子の手をひねるくらいたやすいことなのでしょう。しかも、衆愚に右も左もないのです。保守もリベラルも関係ないのです。そして、同調圧力は、まるで集団ヒステリーのように、一切弁明も許さず異論や反論も徹底的に叩く、問答無用なものへとエスカレートして行くのでした。「少し頭を冷やせ」とたしなめる者がいない社会。そんなメディアが主導する同調圧力に、私は全体主義ということばしか思い当たりません。
2018.05.30 Wed l 社会・メディア l top ▲
きのう、南北首脳が、極秘に板門店で二度目の会談をしていたというニュースには驚きました。北朝鮮の朝鮮中央通信もきょう、「金正恩朝鮮労働党委員長が26日に板門店で行われた韓国の文在寅大統領との会談で、『歴史的な朝米首脳会談への確固たる意志』を表明した」と報じたそうです。このすばやい報道も異例です。あらためて金正恩の”本気度”を痛感させられたと同時に、朝鮮半島の融和がもはや後戻りできない段階まで進んでいることを実感させられました。

もろちん、このままスムーズに6月12日を迎えるかどうか、まだ予断を許さないものはあるでしょう。ただ、そのリスクは、金正恩だけでなくトランプにもあるのです。アメリカ側にいる私たちは、ともすれば金正恩のリスクばかりを考えがちですが、トランプのリスクも忘れてはならないのです。

下記のハフポストの記事によれば、平壌などでは、私たちが抱いている全体主義国家の暗いイメージとは違った表情があるそうです。

HUFFPOST
変わる北朝鮮 街中にいちゃこらカップル、そしてセグウェイ…。写真家が見たリアル

記事のなかで、写真家・初沢亜利氏は次のように言ってました。

「(略〉日本人が北朝鮮を仮想敵国として政治利用し、お茶の間で笑いものにしている間に、北朝鮮は粛々と自力更生の道を歩んでいたんですよ」

「『住民を抑圧して食べ物がない国が長く持つわけがない』という過去の妄想を、日本人は捨てきれない。ただ、北朝鮮は明らかに前例のない発展をしています。(略)」


ミサイル発射の現場で、黒ずくめの恰好で眉間に皺を寄せ、煙草を口にくわえて指示している金正恩の姿ばかり流しているこの国のメディアでは、決してわからない「あたらしい流れ」がずっと前からはじまっていたということなのでしょう。

北朝鮮は、2003年にNPTを脱退したときから、本格的な核開発に着手したと言われています。そして、核を取引材料にアメリカと直接交渉して、経済的な発展を目指すロードマップを描いていたという話がありますが、あながち嘘ではなかったのかもしれません。そもそも三代目の跡取りをわざわざ資本主義国(永世中立国)のスイスで教育を受けさせたのも、将来の進むべき道を考えたものだったのかもしれません。

一方、トランプの「中止」表明を受けて、会談そのものが流れたかのように大騒ぎしていたこの国のメディアは、一日経つと180度違うニュースを流しています。彼らはただ米朝の情報戦に踊らされ右往左往しているだけです。そんないい加減なニュースを真に受け、アメリカが北朝鮮を攻撃すると本気で思っていたYahoo!ニュースのネトウヨたちは、このめまぐるしい展開にどうやって正気を保っているのだろうと逆に心配になってきました。

金正恩の一連の言動や行動を見ていると、もしかしたら本気でアメリカ主導のCVIDを受け入れるつもりかもしれないとさえ思えてきます。北朝鮮は、「非核化」を担保に、核開発と経済発展の二本立ての並進路線から経済優先へと舵を切ろうとしているのですが、金正恩の命運がどうなるかは別にして、うまく着地点を見い出せれば、私たちは、やがて中国と同じような改革開放の経済発展した姿を、北朝鮮に見ることになるでしょう。

北朝鮮が、金日成の遺訓で昔から教育に力を入れていたのはよく知られています。北朝鮮は、(皮肉ではなく)もともと短期間で核開発を成し遂げたり、外国の政府機関を標的にしたサイバー攻撃をおこなったりするような”優秀な頭脳”をもっているのです。トランプが言うように、経済による国造りに向かえば、そういった”優秀な頭脳”が「豊かな人的資源」になるのは間違いないでしょう。

北朝鮮には、レアメタルだけでも数百兆円分が埋蔵されていると言われています。そんな豊富な地下資源と「豊かな人的資源」。あと足りないのは、資金だけなのです。

ワイドショーで、デーブ・スペクターの会社(スペクター・コミュニケーションズ)が提供する「中国は遅れた貧しい国」の映像を見て嘲笑っている間に、気が付いたら、私たちよりはるかに豊かな中国人が大挙して観光にやってくるようになっていたのです。そして、卑屈な日本人は、さも迷惑そうな顔をしながらも、陰では揉み手して「熱烈歓迎」するようになっていたのです。資本主義国で教育を受けた独裁者の”英断”によって、北朝鮮もまた中国と同じ道を歩みはじめた(はじめようとしている)と言っていいでしょう。


※前回の記事(米朝首脳会談と「奴隷の楽園」)の「追記」として書いたものを、一部書き加えて独立した記事にしました。
2018.05.27 Sun l 社会・メディア l top ▲
首脳会談を来月に控え、米朝双方の駆け引きが激しくなっていますが、「延期」や「中止」を仄めかすのではなく、トランプがいきなり「中止」を表明したのには、さすがにびっくりしました。

びっくりしたのは、北朝鮮も同じだったみたいで、すぐに金桂寛第一外務次官が談話を発表したのですが、それは、メディアがヤユするように、今までの北朝鮮ではあり得ないような低姿勢なものでした。談話では、「我々はトランプ大統領が過去のどの大統領も下せなかった勇断を下して首脳対面という重大な出来事をもたらすために努力したことを依然として内心高く評価してきた」とトランプを持ち上げた上で、「我々は、いつでも、いかなる方式であれ対座して問題を解決する用意があることを米国側に改めて明らかにする」と交渉の継続をアメリカに乞うているのでした。つまり、それだけ金正恩は本気だったということでしょう。

国際ジャーナリストの高橋浩祐氏は、WEBRONZAで、今回の「中止」表明を「メガトン級の『牽制球』」と呼んでいました。言うなれば、”ショック療法”のようなものかもしれません。

WEBRONZA
トランプ氏 メガトン級の「牽制球」のワケ

高橋氏は、トランプの「中止」表明を「『マッドマンセオリー』の使い手らしい一手」と評していました。「マッドマンセオリー」とは、「何をするかわからないと相手に思わせる狂人理論」だそうです。

今後の展開について、高橋氏も、「長年の悲願であった米朝首脳会議を開催するチャンスを、北がやすやすと蹴っ飛ばす可能性は低い」という見方をしていました。

「完全で検証可能かつ不可逆的な非核化(CVID)」を求めるアメリカと、「段階的な非核化」(実質的な核保有)を主張する北朝鮮との交渉が難航するのは最初からわかっていたことです。だからこそ、激しい駆け引きがおこなわれていたのです。もとより、米朝首脳会談は、国交のない国の首脳同士が直接顔を合わせる「歴史的な」会談なのです。予想もつかない展開を見せるのも当然でしょう。

高橋氏は、つぎのように書いていました。

 仮に、米朝首脳会談が6月12日に実施されても、今のままでは評価は分かれるかもしれない。

 北朝鮮の非核化に道筋を付け、朝鮮戦争の終結と朝鮮半島の平和をもたらす貴重な機会を確保したとの理由で、トランプ政権の株は上がるかもしれない。

 しかし、その一方で、準備不足の生煮えのままで米朝首脳会談が決行されれば、成果を急ぐトランプ大統領がノーベル平和賞を脳裏に浮かべながら、北朝鮮に譲歩を重ねて、米国に届く大陸間弾道ミサイル(ICBM)の放棄だけで合意してしまうかもしれない。「完全な非核化」ではなく、中途半端な合意で北朝鮮に一部の核を温存させてしまう恐れがあるのだ。11月の中間選挙を前に、トランプ大統領が功を焦るあまり、北を核保有国として認めさせる金委員長の術中にはまる懸念は小さくない。

 いずれにせよ、トランプ大統領は今、短い期間で、北朝鮮との合意を形成する難しさを薄氷の上を歩むような思いで痛感しているはずだ。米朝首脳会談の中止の撤回を含め、今後の展開から目が離せない。


米朝の駆け引きがどういった落としどころになるのか、素人なりに考えると、まず思い浮かぶのは、アメリカ主導によるCVIDです。しかし、アメリカ主導のCVIDは、リビアのように「永遠の濡れ衣」(田中宇氏)になりかねないので、北朝鮮もおいそれと妥協はできないでしょう。金正恩のたてつづけの習近平詣では、CVIDを前提に「体制保証」を確約してもらうように中国に仲介を依頼したと見えないこともありませんが、しかし、CVIDで妥協するにはハードルが高すぎるし、交渉の時間もかかりすぎるように思います。早急な「歴史的な成果」を求めているのは、11月の中間選挙を控えたトランプも同じなのです。お互いに折り合いをつけるとなると、上記の高橋氏が懸念するように、CVIDを装いつつ実際は北朝鮮の核保有を黙認するか、あるいは田中宇氏が再三書いているように、CVIDの判定に中国を絡ませることで「永遠の濡れ衣」を回避するか、そのどっちかでしょう。そう考えれば、トランプの「中止」表明は、いかにも彼らしい演技(ハッタリ)と見えなくもないのです。

一方、トランプの「中止」表明を受け、この国のメディアが流しているのは、「それみたことか」と拍手喝采を送り、会談そのものが雲散霧消したかのような、文字通りそうなればいいという希望的観測に基づいた(フェイクな)記事ばかりです。不動産屋であるトランプ一流の交渉術を指摘するような報道は皆無です。まして、トランプが”両刃の剣”であることなど、露ほども思ってないようです。この国のメディアは、対米従属を至上の価値とする恥も外聞もない従属思想に寄りかかることで、見えるものも(見なければならないものも)見えなくなっているのです。

白井聡氏は、新著『国体論』(集英社新書)で、「日本は独立国ではなく、そうありたいという意志すら持っておらず、かつそのような現状を否認している」と書いていましたが、たしかに、どうしてアメリカの核が「正義」で、北朝鮮の核が「悪」なのかという、国際政治の”不条理”に対する疑問は、日本中どこを探しても存在しません。保守もリベラルも、核抑止力というアメリカの論理(詭弁)に、「ごもっともでございます」と雁首を並べて膝を折り頭を垂れているあり様です。

白井氏は、この国の戦後を「奴隷の楽園」と呼んでいました。そして、何度も言うように、「奴隷の楽園」では、「愛国」と「売国」がまったく逆の意味に使われているのです。

 ニーチェや魯迅が喝破したように、本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧な奴隷である所以は、どれほど否認しようが、奴隷は奴隷にすぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を非難し誹謗中傷する点にある。本物の奴隷は、自分自身が哀れな存在にとどまり続けるだけでなく、その惨めな境涯を他者に対しても強要するのである。
(『国体論 菊と星条旗』)


これでは、日本はアメリカのポチにすぎない(理念のない国だ)、と北朝鮮からバカにされるのも当然でしょう。

多少の紆余曲折はあろうとも、東アジアの「あたらしい流れ」が避けようのない現実(既定路線)であるのはあきらかです。米朝の次は日朝だとか言われていますが、白井氏が言うように、独立国ですらない日本が一筋縄でいかない北朝鮮と交渉するのは、どう考えてもプレイヤーの「格が違いすぎる」と言わざるを得ません。日本のメディアが首脳会談の「中止」表明に拍手喝采を送るのも、できるなら交渉などしたくないというこの国の本音が隠されているのでしょう。

北朝鮮がみずから言うように、ホントに核兵器が完成しているのなら(まだ完成していないという説もありますが)、核を保有する(隠し持つ)北朝鮮が東アジアの政治の表舞台に登場することになるわけで、その衝撃は想像以上に大きいと言えるでしょう。しかも、北朝鮮はレアメタルをはじめ豊富な地下資源をもっており、制裁が解除になって外国資本が入れば経済的に大きく飛躍する可能性があると言われています。そう考えると、会談が「中止」になってほしい、できれば交渉したくない、という”日沈む国”の気持もわからないでもありません。


関連記事:
米朝首脳会談とこの国のメディア
南北首脳会談とこの国の「専門家」
夜郎自大な国と南北首脳会談
2018.05.25 Fri l 社会・メディア l top ▲
米朝首脳会談の日程や場所が具体的に決定しても、相変わらずこの国のメディアは、北朝鮮は信用できないので、会談が決裂する可能性があるというような記事ばかり流していますが、じゃあ、トランプは信用できるのか、と突っ込みを入れたくなりました。メディアが流しているのは、会談が決裂すればいいという希望的観測(対米従属の願望)の記事にすぎません。

先日、朝日新聞に出ていた、トランプ政権が金正恩が飲めないようなハードルの高い非核化プログラムを提示するので、会談が合意に達するか予断を許さないという記事なども、そのひとつです。トランプは不動産屋なので、最初は高くふっかけ、それから徐々にハードルを下げて妥協点を探るのが彼の交渉術だと言われます。朝日新聞は、そんなこともわからないのだろうかと思いました。

このように、「いざとなれば大本営」ではないですが、ここにきて政府と歩調を合わせたプロパガンダのような報道が目に付きます。この国の政府やメディアは、今に至ってもなお、トランプに(軍事行動という)一縷の望みを託しているかのようです。

田中宇氏も、「田中宇の国際ニュース解説」でつぎのように書いていました。

(略)今起きていることの全体を見ると、おそらく今年じゅうに朝鮮半島の対立が終わり、半島から米国勢が出て行き、在日米軍の縮小・撤退が取り沙汰されるところまで行く。マスコミや著名評論家たちは「米朝会談が必ず失敗し、トランプが再豹変して北を先制攻撃してくれるはず」といった「トランプ神風」への願掛けをお経のように唱えているが、彼らを信じるのはもうやめた方が良い。

田中宇の国際ニュース解説
朝鮮戦争が終わる(2)


イランの核合意からの離脱でも、アメリカがイランを軍事攻撃する可能性が出てきたとか、これで北朝鮮が震え上がったに違いないなどと妄想めいた記事が出ていましたが、私は、あのニュースを聞いて、アメリカ抜きで進められたTPP交渉を思い浮かべました。イランも、アメリカが離脱しても合意にとどまると表明しており、TPPと同じように、「非核化」のプロセスがアメリカ抜きで進められるのは間違いないでしょう。

アメリカ抜きで進められるTPPやイランの核合意が示しているのは、アメリカが超大国の座から下りて(転落して)世界が多極化する”世界史的転換”です。トランプの「アメリカ第一主義」も、その言い換えにすぎないのです。金正恩は、トランプの「アメリカ第一主義」をチャンスと見て、”賭け”に出たのでしょう。

何度も言いますが、好むと好まざるとにかかわらず、東アジアの覇権が中国に移るのは間違いないのです。それに伴い、いづれアメリカが(軍事的に)東アジアから手を引くのも間違いないのです。それが朝鮮半島の南北融和の先にある、東アジアの「あたらしい流れ」です。それは昨日今日はじまった話ではありません。アメリカの世界戦略にネオコンが影響力をもちはじめた頃から言われていたことです。

にもかかわらず、対米従属が国是のこの国のメディアは、アメリカがいない東アジアなんて想像すらできないみたいで、東アジアの「あたらしい流れ」から目を背け、前にも増して”アメリカ幻想”をふりまいているのでした。米朝首脳会談はトランプ(様)の胸ひとつと言わんばかりの報道などが、その最たるものです。メディアの言うことを真に受けると、Yahoo!ニュースのコメント欄に巣食うネトウヨのように、見えるものも見えなくなるのです。


追記:
 16日に突然、北朝鮮がマックス・サンダー(米韓の航空戦闘訓練)を理由に、南北閣僚級会談の中止を表明、併せて来月の米朝首脳会談の中止も仄めかしたことで、またぞろ会談が中止になってアメリカが軍事オプションを選択するのではないか(選択してほしい)、というような報道が流れていますが、北朝鮮の表明が「非核化」の落としどころをめぐる駆け引きにすぎないことぐらい、冷静に考えれば誰にでもわかる話です。たしかに朝鮮人は、激情に走って後先を考えずにものを言うところがありますが、これは外交なのです。北朝鮮の「強気」が計算されたものであるのは言うまでもないでしょう。日本のメディアは、米朝の情報戦に踊らされているだけです。
 これから会談の当日まで、「延期」や「中止」を仄めかすような瀬戸際の駆け引きが、米朝双方によってくり広げられることでしょう。そのたびに、メディアはネトウヨと一緒になって発狂し大騒ぎすることでしょう。ついでに北朝鮮サイドに立って言えば、圧倒的な軍事力を誇る「超大国」を相手にするには、中国の後ろ盾も必要だし、「瀬戸際外交」と言われるこのような”ゆさぶり”も必要なのです。独裁政権にも三分の理はあるのです。(5/18)


関連記事:
世界史的転換
2018.05.14 Mon l 社会・メディア l top ▲
新・日本の階級社会


橋本健二氏(早稲田大学教授)の『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)がベストセラーになっているそうです。

本自体は、如何にも大学の先生が書いた本らしく数字のデータが多いので、ややわかりにくくて退屈するきらいがあります。それで、というわけではないでしょうが、『週刊ダイヤモンド』(2018年4月7日号)が、特集(「新・階級社会」)を組んで、同書をわかりやすく解説していました。

日本で格差拡大がはじまったのは1980年前後で、既に40年近く格差拡大がつづいているそうです。その結果、日本の社会に、「生まれた家庭や就職時期の経済状況によって決まる『現代版カースト』ともいえる世界」が現出したのです。

「新・階級社会」は、以下の五つに分かれるそうです。

1.「企業規模5人以上の経営者・役員」で構成される「資本家階級」。
人口の4.1%・254万人。個人の平均年収(2015年)604万円。世帯の平均年収(同)1060万円。

2.「管理職・専門職」で構成される「新中間階級」。
人口の20.6%・1285万人。個人の平均年収(同)499万円。世帯の平均年収(同)798万円。

3.「単純事務職・販売職・サービス職・その他マニュアル労働者」で構成される「労働者階級」。
人口の35.1%・2192万人。個人の平均年収(同)370万円。世帯の平均年収(同)630万円。

4.「自営業者・家族従事者」で構成される「旧中間階級」。
人口12.9%・806万人。個人の平均年収(同)303万円。世帯の平均年収(同)587万円。

5.「非正規労働者(パート・アルバイト・派遣労働者)」で構成される「アンダークラス」。
人口14.9%・929万人。個人の平均年収(同)186万円。世帯の平均年収(同)343万円。

しかも、このなかで、2005年と比べて2015年の個人及び世帯の平均年収がアップしているのは、「労働者階級」だけです。そのため、ほかの階級に属する人たちは、上のクラスに上がるどころか、下のクラスに転落するリスクのほうが大きいのです。

でも、下に転落するクラスがあるだけまだマシかもしれません。最下層の「アンダークラス」は、転落することさえままならず、貧困率や未婚率が上がるだけです。

しかも、「アンダークラス」にとって、外国人労働者の存在も無視できなくなっているのです。外国人労働者は、過去5年間で60万人増えて120万になっているそうです。外国人の低賃金労働者の増加が、「アンダークラス」の賃金が上がらない要因になっているのです。

橋本健二氏は、『新・日本の階級社会』で、「アンダークラス」について、つぎのように書いています。

 収入はきわめて低く、貧困率は三八・七%、女性に限れば四八・五%にも達している。彼ら・彼女らは、安定した家族が形成・維持できない状態にある。男性の有配偶率はわずか二五・七%で、六六・四%が結婚の経験をもたない。女性では離死別者が多く、これら離死別者の貧困率はきわだって高い。


また、『週刊ダイヤモンド』の対談でも、つぎのように言っていました。

橋本 (略)近現代の日本で、初めて貧困であるが故に結婚して家族を構成して子どもを産み育てることができないという、構造的な位置に置かれた人が数百万単位で出現した事実は非常に重いです。
 しかも、上の世代がまだ50歳ですから、あと20年くらい働き続けるかもしれない。その下の世代まで含めると、最終的にはアンダークラスが1000万人を超えると思っています。そのとき、よくやく一番上の人が70歳になり生活保護を受けるようになって、定常状態に達するというのが私が予想する近未来の日本です。
(河野龍太郎氏との対談「再分配の機能不全で”日本沈没”」)


一方で、富が偏在している現状があります。

 野村総合研究所の推計によると、家計のもつ金融資産総額は一四〇二兆円である。しかしこの分布は著しく偏っており、五億円以上をもつ七・三万世帯の超富裕層が七五兆円、一億円以上五億円未満の一一四・四万世帯の富裕層が一九七兆円、五〇〇〇万円以上一億円未満の準富裕層三一四・九万世帯が二四五兆円の金融資産を所有している。合計四三六・六万世帯、全体の八・三%を占めるに過ぎないこれらの世帯の金融資産が、五一七兆円、全体の三六・九%を占めるのである(野村総合研究所「日本の富裕層は一二二万世帯、純金融資産総額は二七二兆円」)。
『新・日本の階級社会』


橋本氏は、この格差を縮小する方法として、階級そのものをなくす社会主義革命は「ひとまず措」くと書いていました。そして、政策的に実現可能な方法として、①賃金格差の縮小、②所得の再分配、③所得格差を生む原因の解消をあげていました。そのためには「リベラル派の結集」が必要なのだと。

なんだか竜頭蛇尾のような話で興ざめせざるを得ません。「リベラル派」って何?と突っ込みを入れたくなりました。社会の構造を根本から変えない限り、格差が解消できないのは論を待たないでしょう。

もっとも、橋本氏も、『現代の理論』(ウェブ版)の論考においては、ルンペンプロレタリアートによる革命(竹中労の言う「窮民革命」)を主張する永山則夫の「驚産党宣言」を引き合いに出して、つぎのように書いていました。

現代の理論(第15号)
「新しい階級社会」とアンダークラス

 アンダークラスの絶望は、しばしば犯罪として噴出する。アンダークラスの全体が犯罪予備軍であるかのような偏見は、慎まなければならない。しかし秋葉原大量殺傷事件を思い出すまでもなく、無差別殺傷事件、サイバー犯罪、振り込め詐欺、野宿者襲撃などで逮捕された若者たちの多くが無職や非正規労働者である。切羽詰まったあげくに、犯罪へと追いやられやすい若者たちが、ある程度の数いるのは否定できまい。

 永山則夫は獄中から、ルンペンプロレタリアートたちに「地下生活者の魂を発起し(原文のまま)、あくまでも地下組織を通じてドブネズミの如く都市を動揺せしめよ。……。強盗よし、暗殺よし、敵権力機構の破壊よし、あらゆる手段・方法を自由に用いて闘わなければならない」と呼びかけた。それが現実のものになっているのかもしれないのである。


犯罪もまた、ある種の”大衆叛乱”と言えなくもないのです。水野和夫氏は、『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)のなかで、グローバリゼーションにとっては、資本が主人で国家は使用人のようなものだ、と書いていましたが、実体経済の数倍の200兆円とも300兆円とも言われるバーチャルなマネーが、金融工学で編み出されたシステムを使い、瞬時の利益を求めて日々世界中を徘徊している金融資本主義にとって、たしかに国民国家なんて足手まといでしかないのかもしれません。株式市場がマネーゲームの賭場と化し、実体経済とかけ離れたものになっているというのは、誰しもが認める現実でしょう。私は、その話を聞いたとき、「資本主義の臨界点としての社会主義」(鷲田小彌太氏)ということばを思い浮かべました。

社会主義や革命なんて、もはや終わった歴史のように考えがちですが、一方で、このようなあらたな階級社会が出現している現実を考えると、(それが悪魔のささやきであることはわかっていても)社会主義や革命の”理想”がよみがえってくるような気がするのでした。


関連記事:
「隠れ貧困層の実態」
『女性たちの貧困』
『資本主義という謎』
2018.05.07 Mon l 社会・メディア l top ▲
27日に板門店でおこなわれた文在寅韓国大統領と金正恩朝鮮労働党委員長による南北首脳会談は、「予想」をも裏切るほど画期的なものでした。まさに「歴史的」な会談になったと言ってもいいでしょう。一連の流れが中国(あるいは中朝)主導でおこなわれ、韓国にアメリカとの橋渡しを要請したのは中朝のほうだ、という話は本当ではないかと思いました。いづれにしても、北朝鮮の”本気度”をひしひしと感じました。

同日に発表された「板門店宣言」は、つぎのように謳っています。

The Korean Politics(コリアン・ポリティクス)
[全訳] 「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」【2018南北首脳会談】

3.南と北は朝鮮半島の恒久的で強固な平和体制構築のために積極的に協力していく。

朝鮮半島での非正常的な現在の停戦状態を終息させ、確固とした平和体制を樹立することは、これ以上、先延ばしすることができない歴史的な課題だ。

(1)南と北はいかなる形態の武力も互いに使わないという不可侵合意を再確認し、これを厳格に遵守する。

(2)南と北は軍事的な緊張が解消し、互いの軍事的な信頼が実質的に構築されることにより、段階的に軍縮を実現していくことにした。

(3)南と北は停戦協定締結から65年になる今年に、終戦を宣言し、停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制の構築のための南北米3者、南北米中4者会談の開催を積極的に推進していくことにした。

(4)南と北は、完全な非核化を通じ、核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した。

南と北は、北側が行っている主動的な措置が朝鮮半島の非核化のために大きな意義を持ち、重大な措置だという認識を共にし、今後、各々が自己の責任と役割を果たすことにした。

南と北は朝鮮半島の非核化のため、国際社会の支持と協力のために積極的に努力することにした。


当事国の国民ならずとも(同じ東アジアに生きる人間として)、感動を覚える宣言です。

同時に、戦争を回避するために、政治生命を賭けて北朝鮮とアメリカの橋渡しをおこなった文在寅と、排外主義的な「愛国」主義を掲げ、旧宗主国の尊大な態度でネトウヨ的言動をまき散らす安倍や麻生を対比すると、政治家の器の違い、それも大人と子どもほどの違いを痛感させられるのでした。同じ対米従属でも、「愛国」者としての矜持に雲泥の差があるのです。ここにも、「愛国」と「売国」が逆さまになったこの国の戦後の”背理”が示されているように思えてなりません。「愛国心という言葉は嫌いだ」と言った三島由紀夫ではないですが、私たちはまず、この国の「愛国」者こそ疑わなければならないのかもしれません。彼らはホントに「愛国」者なのかと。

韓国の大統領府によれば、金正恩は会談の席上、「『いつでも日本と対話を行う用意がある』と述べた」そうです。

TXNNEWS(テレビ東京)
金正恩氏、日朝対話に意欲表明

これに対し、安倍総理は、「日本も北朝鮮と対話する機会を設け、必要ならば文大統領に助けを求める」と表明し、文在寅も日朝間の対話の橋渡しを「喜んで引き受ける」と述べたそうです。また、安倍総理は、文在寅が会談の席で拉致問題を提起したことに対して、「文大統領の誠意に感謝申し上げたい」と述べたのだとか。

昨日まで、嫌中憎韓を煽っていた「宰相A」が、韓国の大統領に「助けを求める」とは開いた口が塞がりません。これがこの国の「愛国」者なのです。

何度も言っているように、私たちは、民主党→民進党→立憲民主党(+国民民主党)が野党第一党である不幸と同時に、安倍晋三や麻生太郎のような「幼稚な老人」がこの国の指導者である不幸も、併せて痛感せざるを得ないのです。

しかし、それは政治家だけではありません。

私は、首脳会談の中継をテレビ朝日の「ワイド!スクランブル」で観ましたが、スタジオには、辺真一、金恵京、末延吉正、鈴木琢磨、デーブ・スペクターがコメンテーターとして出演していました。

辺真一は、「コリア・レポート」の発行人で、朝鮮問題の専門家。金恵京は、日本大学危機管理学部准教授。末延吉正は、元テレビ朝日政治部部長で現在は東海大学教授。安倍晋三とは同郷で親しく、ブレーンのひとりと言われています。鈴木琢磨は、毎日新聞の編集委員(元『サンデー毎日』記者)で、やはり北朝鮮問題の専門家です。

画面は、板門店の軍事境界線を挟んで両首脳が握手をしているシーンを中継していました。そして、金正恩がまず軍事境界線を跨いで南側に行き、それから金正恩が文在寅を誘って、二人で手を取りながら、今度は北の方に跨いで行ったのでした。

そのとき、鈴木琢磨や辺真一は、我が意を得たとばかりに、「これは北朝鮮の演出ですよ」と興奮気味に言ってました。このシーンが、偉大な首領様が南の指導者を北側に呼び寄せたということになり、北の国民向けのプロパガンダに使われるのだと。そのために、金正恩が文在寅を誘って北側に軍事境界線を跨がせたのだと。文在寅が北側に行った際、金正恩が両手を重ねて文在寅と握手をしていたシーンに、辺真一は、「手を重ねるのは迎える側の礼儀だから、国内向けにわざとそうしているのだ」というような解説まで加えていました。

しかし、翌日の朝鮮中央テレビでは、なんのことはない、軍事境界線を挟んだ一連の行為がノーカットで放送されたのでした。彼らが言うように、北側で両手を重ねて握手するシーンだけが放送されたわけではなく、朝鮮中央テレビになんの演出もなかったのです。

こういったところにも、北朝鮮問題の「専門家」や「識者」のお粗末さがよく表れています。彼らは、北朝鮮について、非情・横暴・嘘八百の独裁国家というありきたりな認識しかなく、「専門家」ズラしながら、近所のおっさんでも言えるようなことをただ言っているだけです。金正恩には深謀遠慮があるから信用できないと言いますが、外交交渉に深謀遠慮があるのは当たり前でしょう。金正恩だけでなく、文在寅にもトランプにも深慮遠謀はあるでしょう。

「核放棄」は金王朝を守るためためなどという論評も、独裁国家という一面しか見てないように思います。アメリカが主張する「完全な非核化」は、田中宇氏が言うように、イラクの「大量破壊兵器」やイランの「核合意」やシリアの「化学兵器」や、あるいは「リビア方式」と呼ばれるリビアの「核廃棄」の例をあげるまでもなく、ともすれば国を潰すための「永遠の濡れ衣」になりかねないのです。それがアメリカの深慮遠謀です。だからこそ、よけい「体制保証」に固執せざるを得ないのでしょう。「体制保証」=金王朝を守るためというのは(その一面はあるにしても)、あまりにも短絡的な見方と言わざるを得ません。それに、金正恩だって、空腹に喘ぐ国民に少しでも食料を配給したいという為政者の顔も当然もっているでしょう。

言うまでもなく、朝鮮戦争は今だ休戦状態にあり、しかも、北朝鮮にとって、戦争終結の交渉相手は韓国ではなくアメリカ(国連軍)です。戦争によって分断された小国が、国家の存亡を賭け、超大国相手に外交戦をおこなわなければならない(ならなかった)のです。それを考えれば、「瀬戸際外交」にも”三分の理”はある(あった)と言えるでしょう。

「核放棄」の問題も、どうして大国が核をもつことは許され、小国が核をもつことは許されないのかという、誰しもが抱く(はずの)素朴な疑問もあって然るべきでしょう。どうして大国の核は「正義」で、小国の核は「悪」なのか。小国が核をもつと、「ならず者国家」と言われるのか。

トランプが”大審問官”のように「正義」を体現して、北朝鮮の「非核化」を裁可し、北朝鮮の国家の命運を決めるというのは、どう考えてもおかしな話です(だから、北朝鮮は中国やロシアに、「体制保証」の後ろ盾になってもらうことを求めたのでしょう)。このように、日本のメディアでは、”裸の王様”がいつの間にか”大審問官”になっているのです。

もうひとつ忘れてはならないのは、独裁国家の中枢における”開明派”の存在です。今回の南北首脳会談で、その存在がはっきりしたことです。彼らは文字通り命を賭けて独裁者に進言したはずです。その際、金正恩が永世中立国のスイスに留学し、少年時代の多感な時期に、”西側”の教育を受けていたということも無視するわけにはいかないでしょう。

しかし、この国の「専門家」や「識者」たちは、国交がなく言いたい放題のことが言えるのをいいことに、「血も涙もない」独裁者を誹謗し、そう印象操作することしか念頭にないかのようです。これでは、櫻井よしこの後釜を狙う三浦瑠麗のスリーパーセル発言や当日もやらかしたデーブ・スペクターのトンチンカンな発言を誰も笑えないでしょう。ガナルカナル・タカや立川志らくの木を見て森を見ない痴呆的なコメントと、たいして違いはないのです。

要するに、「専門家」や「識者」たちは、日本政府の”敵視政策”の枠内で、(「ならず者国家」という)予定調和の発言をしているにすぎないのです。だから、いつもあのように、上から目線なのでしょう。「板門店宣言」についても、日本のメディアはおしなべて懐疑的冷笑的で、朝日から産経まで大きな違いはありません。旧宗主国のバイアスがかかった夜郎自大な国のメディアでは所詮、朝鮮半島の「新しい流れ」を理解することはできないのかもしれません。蚊帳の外に置かれているのは、政府だけでなく、メディアも同じなのです。
2018.04.29 Sun l 社会・メディア l top ▲
安倍政権にとって、「北朝鮮の脅威」は神風ならぬ「北風」と言われているそうです。北朝鮮がミサイルを発射すると、まるで空襲警報のようにJアラートが鳴り響き、メディアは戦争前夜のようにセンセーショナルに報道します。すると、支持率が下落した安倍政権は、待ってましたとばかりに「北朝鮮の脅威」を煽り、再び支持率を回復してきたのです。それを「北風が吹いた」と言うのだとか。

その典型が昨年10月の衆議院選挙でした。安倍政権は、野党(民進党)の”敵失”があったとは言え、「逼迫」する北朝鮮情勢を前面に出し、この選挙は「国難突破」の選挙だとアピールして、自公で憲法改正の発議に必要な三分の二を超える313議席を獲得、大勝したのでした。

また、野党も、「北朝鮮情勢が逼迫しているときに選挙などしている場合か」などというもの言いに終始し、結果的に「国難」を共有したのでした。

それから半年。明後日(27日)、板門店で開かれる南北首脳会談では、朝鮮戦争の「終戦」を確認する平和宣言が出される見通しで、その最終調整がおこなわれているそうです。今回は、北朝鮮も核開発を凍結する姿勢を見せており、南北融和の”本気度”を感じてなりません。

となると、あの「国難」って一体なんだったのかと思わざるを得ません。「国難」だと大騒ぎして、気が付いたら、日本は蚊帳の外に置かれていたのです。安倍政権の「最重要課題」である拉致問題も、トランプや文在寅にお願いするしかないようなあり様です。

ところが、ここに至ってもなお、日本政府は、「非核化が約束されてない」「それまでは最大限の圧力をかけつづけるべきだ」、とまるで負け犬の遠吠えのように「圧力」を強調し、融和ムードに水を差すことに躍起となっています。メディアも(特に産経新聞などは)、そんな政府に歩調を合わせ、非核化の履行を巡り米朝が決裂する可能性もあるかのような(そうなることを願っているような)、ヨタ記事を流しています。これが「国難」のあられもない姿です。

田中宇氏が言うように、「完全な非核化」なんて口先だけで、誰もそんなことを期待してないのでしょう。韓国もアメリカも中国もロシアも、「北朝鮮が核を持ったままの恒久和平」という現実的な和解の道を模索しているというのは、その通りなのでしょう。要は「核保有」(=戦争)と「恒久和平」(=平和)のどちらに重きを置くかで、それを判断するのが政治でしょう。もとより私たちにとっても、(ファシストやネトウヨではない限り)戦争を挑発する政治より、平和を希求する政治のほうがいいに決まっているのです。

田中宇の国際ニュース解説
北朝鮮が核を持ったまま恒久和平(有料配信)

一方、日本政府は、拉致問題においても、他力本願で米韓にお願いし、あとは「圧力」をかけつづければ北朝鮮がひれ伏して拉致被害者を差し出してくるなどと主張して、傍観するだけです。拉致したのは北朝鮮なんだから、そうするのが当然だとでも言いたげですが、無為無策を荒唐無稽な”原則論”で誤魔化しているだけです。そのくせ外務省は、両首脳が座る椅子の背や食後に出されるデザートのチョコレートに描かれた朝鮮半島の絵に、竹島が含まれていることを取り上げて、韓国政府に抗議したのだそうです。外務官僚たちは、よほど目を凝らしてテレビの画面をチェックしていたのでしょう。もしかしたら、虫眼鏡でも使っていたのかもしれません。

何度も言っているように、世界は間違いなく多極化するのです。朝鮮半島の緊張緩和もその流れのなかにあり、東アジアの覇権が中国に移るのは間違いないのです。ただ、そのなかに、(表向きには”非核化”だが、実際には)「核を保有する」北朝鮮が入ってくることの意味は、想像以上に大きいと言えるでしょう。だからこそ、「恒久和平」の道をさぐり、あらたな秩序を構築する必要があるわけで、そういった関係国の平和外交の真価が問われているのだと思います。しかし、東アジアの旧宗主国の夜郎自大な国は、メディアも含めて、硬直した敵視政策から抜け出せずに、ひとり茶々を入れ流れに棹差すだけです。これでは蚊帳の外に置かれるのも当然でしょう。


関連記事:
”日沈む国”の卑屈な精神
リベラル左派と「北朝鮮の脅威」
2018.04.25 Wed l 社会・メディア l top ▲
日本テレビ系のNNNの最新世論調査によれば、安倍内閣の支持率は、とうとう“危険水域”と呼ばれる30%を切って26.7%にまで下落したそうです。

livedoor NEWS
内閣支持率26.7%“発足以来”最低に

また、朝日新聞がこの週末におこなった世論調査でも、安倍政権の支持率は“危険水域”目前の31%に「低迷」しているそうです。

朝日新聞デジタル
安倍内閣支持、低迷31% 不支持52% 朝日世論調査

安倍政権もいよいよ断末魔を迎えつつあるのかもしれません。

安倍総理と麻生副総理には、幼い頃乳母がいたそうですが、なんの苦労もせずに、小さい頃からおだてられて年を取ると、あんな不遜だけが取り柄のような「幼稚な老人」になるんだろうなとしみじみ思います。彼らは、漢字が読めないだけでなく、おそろしく世間や人間のことも知らないのでしょう。そして、そんな自分を対象化することもないのでしょう。

そんな「幼稚な老人」がこの国の最高権力者として権勢を振い、官僚を平伏させ、国のかじ取りをしているのですから、おぞましいとか言いようがありません。しかも、彼らは「愛国」者を自認しているのです。

しかし、それでもなお、私は、顰蹙を買うのを承知の上で、二人の「幼稚な老人」に対して、塚本幼稚園の園児たちと同じように、「安倍ガンバレ!」「麻生ガンバレ!」と言いたい気持があります。そう易々とやめてもらっては困るのです。もっと悪あがきをしてもらいたいのです。

世論調査を見ると、安倍内閣の支持率は下落しているものの、かと言って野党の支持率が伸びているわけではありません。すべての野党の支持率を足しても自民党一党の支持率に及ばない、いわゆる「一強多弱」の状態であることには変わりはないのです。「安倍やめろ!」と言っても、安倍がやめたら、自衛隊を「国防軍」に格上げすることを主張する石破内閣(?)が生まれるだけでしょう。

これでは、ソ連が崩壊して喜んだのもつかの間、今度はプーチンの独裁政権にとって代わられたのと同じです。ソ連共産党であれ、統一ロシアであれ、全体主義に身を委ねるロシア国民の意識は変わってないのです。

森友文書の改ざんやPKOの日報隠蔽は、なにも中央の高級官僚や自衛隊の幹部だけの問題ではないでしょう。たしかに、人事権を官邸に握られた高級官僚たちが、ときの政権に忖度したという側面はあるのかもしれません。しかし、その根底には、「存在が意識を決定する」(マルクス)ではないのですが、国家を食い物にし国民を見下す公務員の思い上がった意識があまねく伏在しているのは間違いないでしょう。

先日、田舎に帰ったら、田舎の病院の事務長に役場の職員が天下りしていたのでびっくりしました。昔はそんなことはありませんでした。聞けば、事務長の席は退職する職員の指定席になっているそうです。当の役場の職員たちは、「これは天下りではなく、ただの再就職だ。天下りというのは、中央の官僚が関連団体に就職を斡旋されることを言うので、自分たちは違う」と嘯いていました。このように天下りも、今や市町村の職員にまで常態化しているのです。財務省の事務次官のセクハラ問題にしても、公務員の驕りをひしひしと感じます。驕っているのは、政治家だけではないのです。

要は、国民=有権者=納税者がいいようになめられているからでしょう。しかし、街頭インタビューなどを見ても、多くの国民が言っていることは、テレビのワイドショーが言っていることのオウム返しにすぎません。これではなめられるのも当然でしょう。

たしかに政治は、個々人の生活や人生にとって二義的なものです。彼らに高い政治意識をもつべきだと言っても、政治党派の党員ではないのですから、それは無理な相談でしょう。吉本隆明が言うように、私たちにとって「政治なんてない」のです。政治なんてどうだっていいのです。

ハンナ・アーレントは、『全体主義の起源』のなかで、ナチズムの時代を振り返り、「政治的に中立の立場をとり、投票に参加せず政党に加入しない生活で満足している」「アトム化」した大衆が、不況や戦争で生活や人生が脅かされると、一転して全体主義運動に組織される政治の怖さを指摘したのですが、しかし、哀しいかな、そういった政治の怖さを経験しないと骨身に染みないのも大衆なのです。

だからこそ(と言うべきか)、「幼稚な老人」が偉そうにふんぞり返り、支持率が”危険水域”に入るような内閣は、国民=有権者=納税者にとって、これ以上ない”反面教師”と言えるでしょう。安部政権によって「政治の底がぬけた」と言った人がいましたが、「政治の底がぬけた」おかげで、国家を食い物にするこの国の政治の構造が私たちの目にも見えるようになったのです。この手の政治に対しては、無用な希望をもつより、絶望するほうがまだしも”健全”と言えるでしょう。なによりこんな「幼稚な老人」を支持し、彼らをふんぞり返らせたのは、私たち国民なのです。国民はみずからの民度に合わせた政治家を選ぶ、と言われますが、今になって他人事のように迷惑がるのはおかしいでしょう。


関連記事:
薄っぺらな夫婦 青木理『安倍三代』
『拉致被害者たちを見殺しにした安部晋三と冷血な面々』
辺見庸のSEALDs批判
2018.04.15 Sun l 社会・メディア l top ▲
週刊ダイヤモンド7月26日号

アベ経済マフィア


上のイラストは、2014年、『週刊ダイヤモンド』(7月28日号)がアベノミクスを特集した際の、表紙と特集ページに掲載されていたイラストです。特集については、当時、私は下記のような感想を書きました。

関連記事:
アベ経済マフィア

週刊ダイヤモンド』では「アベ“経済”マフィア」となっていましたが、今や政治までがマフィア化しているように思えてなりません。麻生太郎財務大臣は、12日に決裁文書の改ざんを認める会見をおこなった際、「佐川が」「佐川が」と佐川宣寿前理財局長の名前を何度も挙げ、改ざんは財務省及び佐川宣寿氏の責任だと強調する一方で、みずからは「進退を考えてない」と厚顔無恥に開き直ったのでした。

フジテレビの「グッディ!」で麻生氏の会見を取り上げた際、コメンテーターの長谷川聖子氏が麻生氏を「悪代官」とコメントしたことが話題になっていますが、当日、たまたま「グッディ!」を観ていた私も、「悪代官」は言い得て妙だなと感心したものです。そして、上のイラストを思い出したのでした。

安倍晋三氏には『美しい国へ』(文春新書)、麻生太郎氏には『とてつもない日本』(新潮新書)という著書があります。二人とも自他ともに認める「愛国」者で、「ニッポン凄い!」の元祖のような人物です。また、安倍氏は「云々」と「でんでん」、麻生氏は「有無」を「ゆうむ」と読み間違うなど、(「愛国」者のわりには)日本語に不自由なところもよく似ています。もちろん、二人ともおぼっちゃまの三世議員です。

安倍夫妻が疑惑を追及されても、「バカげた質問」とせせら笑ってやりすごす一方で、極右思想を共有しメール交換するほどの親しい関係にあった籠池夫妻は、大阪拘置所の「独居房」に半年以上も勾留され、接見や手紙のやり取りも禁止されているそうです。既に拘禁症状が出はじめているという話さえあります。口封じのために、精神に変調を来すまで勾留するつもりなのかもしれません。

財務省が決裁文書を改ざんしたのも、司法当局が籠池夫妻を長期勾留しているのも、安倍政権がマフィア化している証拠のように思えてなりません。

北朝鮮問題においても、韓国政府は米朝首脳会談をお膳立てして国際的に高く評価されています。一方、蚊帳の外に置かれた日本政府は、メディアを使って「会談なんて成功するはずがない」「トランプが騙されているだけだ」と負け惜しみを言うのが関の山です。経済だけでなく、政治までもが、韓国の後塵を拝するまでになっているのです。

報道によれば、米朝首脳会談では、朝鮮戦争の終戦宣言や休戦協定に代わる平和協定が議題に上る可能性さえあるそうです。ついこの前までの戦争前夜のような応酬を考えると、あまりの変わりように驚くばかりですが、これが外交というものなのでしょう。

拉致問題が置き去りにされることを怖れる日本政府は、会談前に安倍総理が訪米し、拉致問題を取り上げてもらうようトランプ大統領に懇願するそうです。しかし、日本政府は、昨日まで、圧力をかければ困窮した北朝鮮が拉致被害者を差し出してくるなどという荒唐無稽な強硬論をとっていたのです。しかも、被害者家族や世論の反発を恐れ、北朝鮮の調査報告書の受け取りも拒否しているのです。交渉の叩き台さえないのです。それでは、北朝鮮も「解決済み」の姿勢は変えず、交渉のテーブルに上がることはないでしょう。

こう見てくると、「ニッポン凄い!」の自演乙も、なんだか滑稽にすら思えてきます。この国のかじ取りをする二人のおぼっちゃま政治家の尊大な態度が示すように、日本自体がますます夜郎自大でトンチンカンな国になっているように思えてなりません。


関連記事:
森友学園問題の思想的背景
薄っぺらな夫婦 青木理『安倍三代』
2018.03.15 Thu l 社会・メディア l top ▲
平昌オリンピックをめぐる日本国内の報道には、なにがなんでもオリンピックを貶めようとする底意地の悪さが垣間見えて仕方ありません。国内では相変わらず、「ニッポン凄い!」の自演乙が盛んですが、「凄い!」国のわりには、”スポーツの祭典”を偽善的にでも祝い楽しむ余裕さえないのです。

とりわけひどいのが、南北対話に対してです。そもそも韓国が北の「ほほ笑み外交」に乗ったのは、なんとしてでも戦争を回避したいという切実な事情があるからでしょう。戦争になれば、韓国は国家存亡の危機に直面するのです。もちろん、日本も他人事ではないはずです。

田中宇氏は、平昌オリンピックの南北対話について、つぎのように書いていました。

田中宇の国際ニュース解説
北朝鮮の核保有を許容する南北対話

(略)今回の北の五輪参加をめぐる南北対話の再開や米韓軍事演習の延期が、ロシアのプーチン提案、中国のダブル凍結和平案、韓国の文在寅の対北融和策という、露中韓の三位一体の北核問題の解決策のシナリオに北朝鮮が乗ってきたものであるとわかる。(略)

 だが、米日のマスコミなどでは、露中韓のシナリオがまともに報じられず、ほとんど論じられず、けなされる対象として存在している。米日では、北が核兵器を全廃することが「北核問題の解決」であると考えられている。北に核廃絶を求めず、北の核保有を黙認している露中韓のシナリオは、北核問題の解決策ではないと、特に(中韓嫌悪の)日本で思われている。(略)


韓国が北の「ほほ笑み外交」に翻弄されているように見えるのも、現実的な戦争回避のシナリオがあるからなのでしょう。

 露中韓のシナリオは、北に核やミサイルの廃絶でなく開発凍結を求めているが、それすら北に凍結宣言を出せと求めるものでなく、北が不言実行で静かに開発を凍結し続けてくれればそれで良い。目指しているのは東アジア的な「あうんの呼吸」「(北の)メンツ重視」の方式だ。露中韓は、北が核兵器を持ったままでも、周辺諸国との緊張関係が緩和されれば、それで事態が安定すると考えているようだ。

 
戦争ありきのような日本のメディアの報道だけを見ていると「あり得ない」と思うかも知れませんが、オリンピックの南北対話をきっかけに緊張緩和へ進む可能性もなきにしもあらずでしょう。いづれにしても、オリンピック明けの米韓軍事演習や南北首脳会談に対して、露中韓と米の間で激しい駆け引きがおこなわれるに違いありません。

もとよりトランプ政権の“圧力外交”には、軍事ビジネスの側面があることも忘れてはならないのです。朝鮮半島や東シナ海の緊張が高まれば高まるほど、国策でもある軍需産業が繁栄する寸法です。なかでも日本に対しては、武器が言い値で売れるので、これほど美味しい商売はないのです。

今の日本は、中国や北朝鮮の影に怯えるばかりです。それは、もはや「病的」と言ってもいいほどです。しかも、中国も北朝鮮も、かつての植民地です。だから、よけい神経症的に怯えるのかもしれません。

東アジアにおいて、政治的にも経済的にも日本の存在感が低下しているのは、誰が見ても明らかで、そういった“日沈む国”の卑屈な精神が、「ニッポン凄い!」の自演乙につながっているのは間違いないでしょう。もちろん、卑屈な精神は、『永続敗戦論』が喝破したような“対米従属「愛国」主義”という歪んだナショナリズムを支える心性でもあります。そして、そこに露わになっているのが、「愛国」と「売国」が逆さまになった戦後という時代の背理なのです。


関連記事:
リベラル左派と「北朝鮮の脅威」
『永続敗戦論』


2018.02.11 Sun l 社会・メディア l top ▲
先日、朝日新聞デジタルに、つぎのような宮台真司氏のインタビュー記事が載っていました。

朝日新聞デジタル
「制服少女」の告白、実はショックだった 宮台真司さん

この記事にあるように、社会学者の宮台氏が、援交をしたり、ブルセラショップに下着や制服を売ったりして小遣いを稼いでいる女子高生たちをフィールドワークして、『制服少女たちの選択』(講談社のちに朝日文庫)を書いたのが1994年です。それは、このブログで何度も書いていますが、私が仕事で渋谷に日参していた時期と重なります。

私は、女子高生など若い女性向けの商品を扱う仕事をしていましたので、「女子高生が流行を作る」などというメディアのもの言いを嘲笑しながら、宮台氏が言う「制服少女」たちを身近で見ていました。

暗さを押しつける前者(引用者:「彼女たちを「道徳の崩壊」の象徴として批判」する言説)と違い、彼女たちは「うそ社会」を軽やかに飛び越えていると感じました。「うそ社会」に適応するといっても、染まるのではなく、なりすます。内面の夢や希望は捨てない。断念と夢を併せ持つ明るい存在。僕は自分を重ねて共感したのです。


それは、私も同じでした。

要するに、「制服少女」たちのほうが一枚も二枚も上手だったのです。センター街に行くと、通りを行ったり来たりしている彼女たちに、背広姿のオヤジが「二万でどう?」などと声をかけている光景を当たり前のことのように目にすることができました。

そうやってテレクラや街頭で声をかけてくるオヤジのなかに、教師や役人や警察官やマスコミの人間がいることを彼女たちは知っていたのです。また、そんなオヤジたちが、一方で「道徳然」とした説教を垂れ、若者たちの性の乱れを嘆いていることもよく知っていたのです。

「論壇的ないし新聞の論説的な道徳然とした言説が、現実をかすりもして来なかったことが暴露された」というのは、そのとおりでしょう。

「現実をかすりもしない」「道徳然とした言説」は、今の左派リベラルの言説も例外ではありません。

菊地直子元被告の無罪確定について、マルチ商法やカルト宗教の被害者救済で知られる弁護士の紀藤正樹氏が、みずからのブログでつぎのように書いていました。

17年の逃亡生活は何だったのだろうか?無罪なら逃亡する必要はなかった。

無罪は、とても後味の悪い結末となった。それは被害者にとっても、社会にとっても、そして菊地さんにとっても。

菊地さんは、逃亡のために多くの人に迷惑をかけた。

逃亡のために多くの税金が投入された。

無罪と言っても、菊地さんが、殺人集団であるオウム真理教に所属していた事実は、変わらない。

今回の無罪を教訓に、菊地さんには、オウム真理教の犯罪性の語り部になってほしい。

弁護士紀藤正樹のLINC TOP NEWS
17年の逃亡生活は何だったのか?オウム・菊地直子の無罪確定


菊地直子元被告は、無罪が確定したのです。「17年間の逃亡」は、警察が指名手配したからです。手記にあるように、警察に捕まれば無罪でも有罪にさせられるのではないかという恐怖から逃げたのです(実際に一審では有罪判決が下され、無罪なのに有罪にさせられそうになったのでした)。

「多くの税金が投入された」などと言うのは、菊地元被告に対してではなく、無罪の人間を容疑者として指名手配した警察に言うべきことでしょう。

これが法律の専門家の言うことなのかと驚くばかりです。無罪が確定し、これから一般人として社会復帰しなければならない人間が、どうして「オウム真理教の犯罪性の語り部」にならなければならないのでしょうか。

マルチ商法やカルト宗教の被害者救済の弁護をするというのは、リベラルな人なのでしょう。でも、このように、紀藤弁護士のリベラルなるものは、いつでも全体主義に転化できるようなリゴリズムで固められたそれでしかありません。

市民社会や市民としての日常性を所与のものとし、その安寧と秩序を保守することを一義とするような思想には、左派も右派もリベラルも違いはないのです。いざとなれば、みんなで翼賛の旗を振りはじめるに違いありません。
2017.12.31 Sun l 社会・メディア l top ▲
今日、オウム真理教による東京都庁爆発物事件で殺人未遂ほう助罪に問われた菊地直子被告の上告審で、最高裁が検察側の上告を棄却する決定をし、同被告の無罪が確定したというニュースがありました。

Yahoo!ニュース(毎日新聞)
<元オウム信者>菊地直子被告の無罪確定へ 検察の上告棄却

では、検察側の証人で出廷した井上嘉浩死刑囚の偽証があったとは言え、一審の裁判員裁判で下された判決はなんだったんだ、と思わざるをえません。裁判員裁判での判決は、上級審で減刑されたり破棄されたりするケースが多いのですが、裁判員裁判に往々にして見られる俗情におもねる感情的な厳罰主義には大きな問題があると言えるでしょう。裁判員裁判は、審理や量刑に市民感覚を反映させる目的で導入されたのですが、そもそも市民はそんなに賢明なのかという疑問があります。『大衆の反逆』を書いたオルテガが現代に生きていたら、間違いなく裁判員裁判には反対したでしょう。

市民裁判員たちに、オウムの信者だったら罪を犯しているに違いない、だったら厳罰に処すのは当然だ、という先入観がなかったとは言えないでしょう。もしかしたら、市民感覚なるものは、その程度のものかもしれないのです。

一方、菊地元被告のことを「走る爆弾娘」などとレッテルを貼り、あたかも爆弾テロをおこなう危険人物であるかのように書いていたメディアの罪も看過してはならないでしょう。無罪が確定してもなお、「時間の壁」「関係者無念」などと、ホントは有罪だけど、(逃亡で)時間が経ったので無罪になったのだと言わんばかりの報道が目に付きます。

17年間も逃亡したのは、「警察につかまれば暴力をふるわれてでも嘘の自白をさせられる」という恐怖を抱いていたからだと、彼女は手記に書いています。裕福な家庭に育ち、大学に進学してすぐに出家したために、文字通りの世間知らずだったのでしょう。身に覚えがなかったらどうして17年間も逃亡したんだというもの言いも、メディアお得意の(推定有罪!の)印象操作と言えるでしょう。


関連記事:
かなしい 菊地直子
せつない 菊地直子
2017.12.27 Wed l 社会・メディア l top ▲
座間の事件に関して、先日、下記のような記事が出ていました。

Yahoo!ニュース(毎日新聞)
<座間9遺体>笑顔、もう会えない 全員身元判明

しかし、被害者たちは、記事に出ているような「同級生」や「職場の上司」に心を開くことはなかったのです。それどころか、家族にさえ心を閉じていたのです。学校に通っているときに、いじめに遭ったり、登校拒否になった被害者もいますので、なかには「同級生」が心を閉じる原因になったケースもあるでしょう。

被害者たちは、加害者とのやりとりのなかで、まわりの人間たちはなにもわかってない、ただきれい事を言うだけだ、と訴えていましたが、この記事などもまさにその典型と言えるでしょう。

私たちは常に競争のなかに身を晒されているのです。そのなかで生きることを強いられているのです。それがこの社会のオキテです。だから、電車が来てもないのに、まるで強迫観念にかられるかのようにホームへの階段を駆け降りて行くのでしょう。

電車が来ると、まだ人が降りているのももどかしいかのように、血走った目で乗り込んで来て、我先に座席を確保する人々。それは、実にみっともない姿です。しかし、一方で、そうしなければ生きていけないのだ、そうすることが懸命に生きていることの証しだ、みたいなイデオロギーがこの社会にあります。みっともないなんて思ったら“負け”なのです。落伍者になるのです。座間の事件で犠牲になった女性たちは、そんな座席争いのなかで、むしろ押しのけられ邪魔扱いされるような人たちだったのではないか。

Web2.0の頃、ネットがリアルな社会で居場所のない人たちのあらたな居場所になるのだ、という理想論が喧伝されましたが、しかし、ネットもいつの間にかこの社会のオキテを肯定するイデオロギーに覆われています。犠牲になった女性たちにとって、ネットはホントは居場所なんかではなかったのです。金満な虚業家が英雄視されるネットでは、今や経済合理性こそが唯一の価値基準であるかのようです。犯人の「楽して生活したかった 」という”動機”のなかにも、ネットに共通した価値観(荒んだ社会観や人間観)が伏在しているように思えてなりません。女性たちは、ネットの餌食になったと言えなくもないのです。

私たちは、「死にたい」と訴える人間に対して、一体どんなことばを持っているでしょうか。この記事にあるような、まわりの人間たちの「建前」や「きれい事」を超えるようなことばを持っているでしょうか。私たちもまた、知らず知らずのうちに、毎日ホームへの階段を駆け降り、人を押しのけ我先にと座席争いをしているのではないか。せいぜいがそう自問することくらいしかできないのです。


関連記事:
雨宮まみの死
2017.11.19 Sun l 社会・メディア l top ▲
あの北原みのり氏のツイッターに、つぎのようなツイートがありました。


今更の感がありますが、お粗末、あるいはトンチンカンとしか言いようがありません。

北原氏のなかには、前原氏の主張を「社会主義的政策」「『左』に振り切った政策」だと解釈するような薄っぺらな社会主義像しかなかったのでしょう。そして、彼女は、今度は立憲民主党の主張に、その薄っぺらな社会主義像を映しているのでした。

総選挙では自民党の圧勝が予想されていますが、モリ・カケ問題で苦境に陥っていた「アベ政治」にとって、「北朝鮮の脅威」は文字通り“神風”になったと言えるでしょう。換言すれば、安倍首相は、「北朝鮮の脅威」が“神風”になり得ると踏んだからこそ伝家の宝刀を抜いたとも言えるのです。

自民党から幸福実現党まで「北朝鮮の脅威」を喧伝するあらたな翼賛体制のなかで、リベラル左派は為す術もなく守勢に回らざるを得ない状況にあります。北原みのり氏のお粗末さが示しているように、リベラル左派は存在感さえ示すことができず、せいぜいが立憲民主党の「健闘」を慰めにするしかないのが現状です。

そこにあるのは、60年代後半の「反乱の時代」に否定された“古い政治”の風景です。北原みのり氏のようなリベラル左派は、とっくに終わったはずの“古い政治”に依拠しているにすぎないのです。

政党助成金とセットになった小選挙区比例代表並立制は、民主主義を偽装しながら(二大)保守政党が永遠に政権をたらい回しする(そうやって議会制民主主義を骨抜きにする)制度ですが、リベラル左派はその目論みに踊らされ、前原じゃなければ枝野、希望の党じゃなければ立憲民主党と、二者択一的に「よりましな党」を選んでいるだけです。

60年代後半の「反乱の時代」を支えたのは、日本共産党をスターリニズム=左翼全体主義、ソ連を社会帝国主義=社会主義の名を借りた帝国主義と断罪する「より左の思想」でした。「より左の思想」は、それまで左翼政党ではタブーとされていたトロッキーやローザ・ルクセンブルクやバクーニンなどの思想を援用して、堕落した既成左翼を批判したのでした。

ヨーロッパの若者たちを熱狂させているポデモスやシリザやSNP(スコットランド国民党)などの運動には、あきらかに60年代後半の「反乱の時代」の遺産が継承されています。それが彼らが「新左派」「急進左派」と呼ばれる所以です。

しかし、日本では、その遺産が継承されているとは言えません。それどころか、「反乱の時代」を担った”新左翼の思想”は、連合赤軍事件や内ゲバを生んだ忌々しい思想として総否定されているのが現状です。そのため、北原氏のように“古い政治”に先祖返りするのが当たり前になっているのです。

たしかに”新左翼の思想”が党派政治(セクト)に簒奪され歪められたのは事実ですが、しかし、”新左翼の思想”が提起した社民主義やリベラリズムの限界という問題は未だ手つかずのままなのです。もちろん、戦後のこの国をおおっている「アメリカの影」(加藤典洋)も大きな課題でしょう。

どの党に投票するかではなく、どの党もダメだという既成政党批判も、当然あり得るでしょう。『宰相A』ではないですが、投票することが翼賛体制にお墨付きを与えることになるという考えもアリでしょう。それに、坂口安吾が言うように、私たちは政治という粗い網の目から零れ落ちる存在なのです。支持する政党がないから投票に行かないという考えもひとつの見識と言えるでしょう。

佐藤優氏は、『文藝春秋』(11月号)で、「米朝間で始まるのは『戦争』ではなく『取引』」「米国は、先制攻撃を決断できない」と書いていました。

仮にアメリカが北朝鮮に先制攻撃をしても、北朝鮮を完全に制圧するのに2ヶ月かかるという日米政府のシュミレーションがあるそうです。ソウルはわずか2日で陥落し、制圧までに100万人以上の犠牲者が出ると予想されているのだとか。そのなかには、約4万人の在韓邦人や約20万人の在韓米人も含まれています。

それどころか、韓国経済が壊滅することによる世界経済への影響は計り知れず、1950年の朝鮮戦争のときとはまったく状況が異なるのです。

当時、韓国は、インフラのない貧しい農業国にすぎませんでしたが、今日の韓国の経済力、半導体生産などにおいて国際分業体制の中で占める位置は、当時と比較になりません。韓国経済が崩壊することになれば、東アジア全体が大きなダメージを被り、米国経済もその影響を免れません。
『文藝春秋』11月号・「トランプの『北の核容認』に備えよ」


一方で、核・ミサイル開発する北朝鮮の目的が「金王朝の維持=国体護持」である限り、「経済制裁によって北朝鮮が核・弾道ミサイル開発を放棄することはあり得ない」と言います。問題は、戦争ではなく、やがて始まるであろう米朝二国間交渉による「落としどころ」なのだと。今はそのための鞘当てがおこなわれているというわけです。佐藤氏は、「落としどころ」は「核容認とICBMの凍結になるはずだ」と書いていました。

(略)北朝鮮の核保有を阻止する手段をもたない日米韓は、すでにこの局面では「敗北」しています。しかし、「ゲーム・セット」ではありません。中長期的な視点から、このゲームに最終的な勝利するために、核をめぐる議論以上に、日本にできることが他にあります。
 まず、米朝交渉が始まれば、いづれ米朝国交正常化が進むでしょう。そうなれば、日本も日朝国交正常化を急ぐべきで、今から準備しておくべきです。
(同上)


この国のリベラル左派は、安倍政権が煽る「北朝鮮の脅威」に煽られているだけです。リベラル左派も「煽られる人」にすぎないのです。北朝鮮情勢が逼迫しているときに選挙などしている場合か、というもの言いなどはその最たるものでしょう。そうやってみんな「動員の思想」にひれ伏しているのです。これでは、いざとなったら(戦前の社会大衆党のように)「この国難に足の引っ張り合いをしている場合ではない。小異を捨てて大同につこう」なんて言い出しかねないでしょう。
2017.10.20 Fri l 社会・メディア l top ▲
昨日、衆院選挙が告示され、22日の投票日に向けて選挙戦が開始されました、と言っても、告示のときはもう大勢は決まっていると言われています。

さっそく朝日新聞に序盤の「情勢調査」が出ていますが、それによれば、自民党は「堅調」で単独過半数233議席を大きく上回る見込み、希望の党は伸び悩み現有57議席を上回る程度、立憲民主党は勢いがあり現有15議席の倍増も可能、公明共産は現状維持だそうです。

「選挙は蓋を開けて見なければわからない」「無党派層の動向如何では結果が変わる可能性がある」なんてもの言いも所詮、気休めにすぎないのです。実際に、今までも事前の予想を大きく裏切ることはありませんでした。

なんのことはない、安倍一強はゆるぎもしないのです。それどころか、逆に希望の党が加わるので、改憲派は今より大幅に議席を増やすことになるのです。

そんななか、選挙権が18歳に引き下げられたということもあって、いつになく若者たちの「選挙に行こう」キャンペーンが盛んです。「選挙に行かないのは、政治家に白紙委任するようなもの」「選挙は、自分たちの意思を国政に反映させる絶好のチャンス」「選挙に行かない人間に政治を語る資格はない」などという、おなじみの“選挙幻想”がふりまかれているのでした。

私などは、朝のワイドショーはどこも選挙の話題ばかりなので、今朝はとうとうテレビ東京の子ども向け番組「おはスタ」で、にゃんこスターの笑えないギャクを見ていました。

一方、メディアでは、「入口に立つあなたが好き」というキャッチフレーズを掲げ、若者の投票率の向上を目指してさまざまなイベントを開催している学生団体がもてはやされています。

学生だったら今のおかしな選挙制度や政党助成金に対して問題提起すべきではないかと思いますが、彼らにそんな問題意識はないようです。選挙で世の中は変えられない、という昔の学生のような不埒な考えなんて想像すらできないのでしょう。

政治的なスタンス以前の問題として、あの麻生太郎や二階俊博の有権者をバカにしたような尊大な態度に、少しは怒ってもいいように思いますが、もちろん、彼らにそんな視点はありません。どこまでも「いい子」なのです。彼らは、腹黒な役人や老獪な政治家に頭を撫でられることだけが目的のような「いい子」にすぎないのです。

「劇場型」と言われた小泉政権の登場によって、衆愚政治のタガが外れたと言われていますが、問題意識をもてない有権者は、文字通りタガの外れた衆愚政治のターゲットになるだけでしょう。無定見に「選挙に行こう」キャンペーンをおこなっている彼らは、若者たちにB層=衆愚になれと言っているようなものです。

もちろん、それは若者だけではありません。戦争が起こると本気で思っている(そのわりに呑気に酒を飲んでいる)新橋のサラリーマンたちも然りです。B層というのは、そのように常に「煽られる人」でもあるのです。

僭越ですが、私は、以前、鈴木邦男氏が雑誌のコラムで紹介していた戦争前のエピソードについて、つぎのように書いたことがありました。

一水会の鈴木邦男氏は、雑誌『創(9・10月号)のコラム(「言論の覚悟」真の愛国心とは何か)で、戦争前、東條英機のもとに、一般国民から「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というような「攻撃・脅迫」めいた手紙が段ボール箱に何箱も届いたというお孫さんの話を紹介していましたが、そうやって国民もマスコミもみんな一緒になって戦争を煽っていたのです。東條英機らは、そんな声に押されるように、「人間たまには清水の舞台から飛び降りるのも必要だ」という有名なセリフを残して、無謀な戦争へと突き進んでいったのでした。でも、戦争が終わったら、いつの間にか国民は、軍部に騙された「被害者」になっていたのです。

「愛国」と「文学のことば」
http://zakkan.org/blog-entry-986html


選挙が終わったら、「禊を終え」勢いを増した改憲派が、「北朝鮮の脅威」を盾に、いっきに改憲へギアアップしていくことでしょう。そして、森友・加計の問題は人々の記憶から消えていくに違いありません。永井荷風ではないけれど、「選挙に行こう」というのは、あの戦意高揚の標語と同じで、「まことにこれ駄句駄字といふべし」なのです。


関連記事:
積極的投票拒否の思想
選挙は茶番
2017.10.11 Wed l 社会・メディア l top ▲
最近体調がよくなくて、本も読まず、テレビばかり見ていますので、もう少し床屋政談をつづけます。

民進党が事実上「解体」したことは慶賀すべきことです。(何度も言っているように)「民進党が野党第一党であることの不幸」から解放されるなら、まずは歓迎すべきでしょう。

「アベ政治を許さない」と言っている人たちがホントに「アベ政治を許さない」と思っているのなら、希望の党に行ったとか新党を立ち上げたとか無所属で行くとかに関係なく、旧民進党の議員全員の落選運動をやるべきでしょう。

希望の党との合流が発表された当初、合流はアベ政権を倒すための次善の策だというようなことを書いていた田中龍作ジャーナルに代表されるような左派リベラルのお粗末さや、枝野氏ら「排除」された「リベラル」派が新党を立ち上げたら、今度は新党に希望を託すようなことを言っている左派リベラルの御目出度さを考えるべきなのです。

阿部知子氏の「新しい独裁者はいらない」ということばは秀逸だと思いますが、しかし、阿部氏自身、代表選では前原氏を支持していたのです。しかも、28日の両院議員総会では、前原氏の提案に対して疑義すら申し立てなかったのです。それは、阿部氏だけではありません。疑義を申し立てる人間は誰もおらず、僅か30分で前原氏に一任することを決定し閉会しているのです。前原氏の提案に席を蹴ることすらできなかったヘタレな「リベラル」になにを期待すると言うのでしょうか。

「リベラル」派は所詮、「緑のたぬき」から「排除」された”負け犬”にすぎません。同情するなら票をくれとでも言わんばかりに新党を立ち上げても、マスコミによって刷り込まれた“負け犬”のイメージを払拭することはできないでしょう。

新党を立ち上げる前、枝野氏は前原氏と会談し、話が違う、と抗議したところ、前原氏は、「排除」するなんて聞いてない、小池氏に確認する、明日まで待ってくれ、と言ったそうです。すると、枝野氏は、一縷の望みを託して(?)前原氏の返事を待っていたのです。

しかし、メディアの報道によれば、前原氏は、「排除」や「分裂」はすべて想定内だったと言っているそうです。前原氏の思想的な立ち位置を考えれば、前原氏が「(小池氏に)騙された」なんてあり得ないでしょう。枝野氏は、未だに民進党議員全員を受け入れるという合意は、小池氏によって(一方的に)反故にされたようなことを言っていますが、二人の間では「排除」することが最初から合意されていたのです。小池氏も、「排除」については、当初から前原氏に申し上げていると言っているのです。

それどころか、9月26日の会談には連合の神津会長も同席していたそうです。前原氏自身も、希望の党との合流は、連合と相談しながら進めていたと証言しています。「排除」は神津会長も同意していたと考えて間違いないでしょう。連合が「排除」の方針を打ち出した小池氏に「激怒」と書いていた夕刊紙がありましたが、それはトンチンカンな左派リベラルの”希望的観測”と言うべきでしょう。

こういう細かいことは案外重要です。なぜなら民進党議員たちの(特に「リベラル」派の)カマトト=建前と本音を映し出しているからです。要するに、「保守」であれ「リベラル」であれ、「右派」であれ「左派」であれ、民進党の議員たちは、みんな希望の党に行きたかったのです。「トロイの木馬」発言もそうですが、28日の両院議員総会までは、希望の党に行くという“甘い夢”を見ていたのです。

山尾志桜里氏は、朝日新聞の取材に対して、「無所属で本当によかった。リベラルの価値を葛藤なしに語れることが幸せだ」と言ったそうですが、よく言うよと思います。言うまでもなく、山尾氏は前原氏に近い人物でした。スキャンダルがなければ、前原氏と行動を共にしたのは目に見えているのです。

今回の合流劇では、民進党の100億円を超すと言われる内部留保のお金の行方に関心が集っていますが、政界が金の論理で動くようになった(それをマスコミは「政界再編」と呼んでいるのですが)政党助成金の問題も考えないわけにはいかないでしょう。政党助成金というのは、既成政党が税金によって既得権益を得、議会政治を独占し、未来永劫に政権をたらい回しする制度なのです。そういった視点で今回の合流劇を見れば、見えてくるものがあるでしょう。

希望の党の若狭勝氏は、今日の第一次公認候補者発表の席で、選挙後の首班指名について、自民党議員を指名することに含みをもたせたそうです。彼らが目指しているのが保守大連立であることが徐々にあきらかになっています。

スペインのカタルーニャ独立の投票をめぐる運動を見るにつけ、日本との違いを痛感せざるを得ません。彼方の政党は、左右を問わず、どこも街頭の運動のなかから生まれたのです。そして、常にあのような街頭の運動によって政党の活動も支えられているのです。同じ左派リベラルでも日本のそれとは似て非なるものです。

先日の安倍退陣(お前が「国難」)デモで、枝野氏が姿を見せると、いっせいに枝野コールがおこったそうですが、私にはそれもトンマな光景にしか思えませんでした。
2017.10.03 Tue l 社会・メディア l top ▲
さらにもう一度、床屋政談を。

希望の党との合流を「悪魔との握手だ」と批判していた有田芳生議員は、昨日の両院議員総会後、一転して、合流は安倍政権を倒すための「国共合作」だとツイートしていました。

参院議員は当面選挙がないし、それに有田議員の場合、次回の選挙には立候補しないことを既に表明しています。だったら、恐れるものはないのだから筋を通せばいいじゃないかと思いますが、一度赤絨毯の上を歩いた人間に、もはや普通の感覚は通用しないのかもしれません。

民進党の両院議員総会は、前原代表の提案に対して、満場一致で受入れることを決定し、僅か30分で閉会したのだそうです。これも驚くべきことです。連合が合流にお墨付きを与えたこともあってか、”リベラル派”からも反対の声は出なかったそうです。そして、民進党の衆院議員たちは、「大審問官」の審問を受けるべく、希望の党の扉の前に列を作ることになったのです。彼らはみずから進んでファシストの軍門に下ったのです。

希望の党には、日本のこころのような極右勢力も合流しています。小池百合子氏の父親は、”スメラ哲学”を信奉する国粋主義者で、氏自身も核武装論者です。先日も、歴代の都知事がおこなっていた関東大震災における朝鮮人虐殺の犠牲者の追悼を拒否して、物議を醸したばかりです。

有田議員は、希望の党との合流と反ヘイトの姿勢にどう折り合いをつけるのでしょうか。常人にはとても理解の外です。

「安倍政権を倒す」というのも、野合のための方便のようにしか思えません。政権云々より、いざとなったら、改憲の旗印の下に、自民党との連立や合流だってあるでしょう。仮に安倍晋三氏が政権を去ったとしても、「アベ政治」は残るのです。

戦前もみんなこうやって大政翼賛会になびいて行ったのでしょう。転向というのは、なにも特高警察によって暴力的に強制されたケースだけではないのです。中野重治が『村の家』などで書いているように、社会から孤立する“恐怖”からみずから進んで合理的な理由を見つけて転向するケースだって多かったのです。無産政党の社会大衆党が大政翼賛会に合流したのもそうでした。

私たちが現在(いま)見ているのも同じ光景です。
2017.09.29 Fri l 社会・メディア l top ▲
不本意ながら、もう少し床屋政談を。

今日の午前、テレビ東京の「Mプラス11」を見ていたら、「民進党の前原代表が希望の党に対して、民進党の解党や分党を視野に入れた合流を検討していると伝えていたことが関係者への取材で分かりました」というニュースが流れ、「やっぱり」と思いました。

そして、午後になって、ほかのテレビ局も「合流」のニュースを伝えはじめ、新聞各紙も夕刊でいっせいに記事にしたのでした。

まさに獅子身中の虫の面目躍如という気がします。民進党の保守派が希望の党と「合流」するというのは、前原氏周辺では既定路線だったのでしょう。前原氏が代表になってもならなくても、いづれ自分たちを「高く売る」つもりだったのでしょう。まさに「だから言わないこっちゃない」という感じです。

一方、同党の有田芳生議員は、代表選の前からツイッターで、前原氏は小沢一郎氏の薫陶を受けて変わった、代表選も保守対リベラルという構図では捉えられない、などと新生・前原氏を盛んにアピールしていました。前原氏が野党共闘に否定的だというのは皮相的な見方で、時間が経てばそうじゃないことがわかるはずだとさえ言ってました。

しかし、このあり様です。要は、前原氏が獅子身中の虫であることがまるでわかってなかったのでしょう。今更「悪魔との握手だ」などと批判しても、白々しく聞こえるばかりです。あまりにもお粗末と言わねばなりません。それはまた、(何度もくり返しますが)この国のリベラル左派のお粗末さでもあります。

(追記:余談ですが、有田議員は28日の朝のツイートで、「俗情との結託」ということばを埴谷雄高のことばとして紹介していましたが、「俗情との結託」は埴谷雄高ではなく大西巨人です。元民青の付け焼刃な知識なのでしょう)

前から書いているように、そもそも野党共闘自体が現実を糊塗するだけの“不毛な政治“にすぎません。民進党内のリベラル派なるものも、リベラルだなんて片腹痛いのです。単にこの国の労働運動を食い物にする労働貴族の代弁者にすぎないのです。

今回の「再編劇」で示されているのは、”保守の余裕”です。言うなればこれは、“第二自民党”の再編とでも言うべきものです。もちろん、希望の党がこのまま順調に行くとは思えませんので、いづれ自民党と合流ということも充分あり得るでしょう。はっきりしているのは、今回の「再編劇」によって、国会は保守一色に染められ、改憲も盤石になるということです。文字通り野党が消滅した翼賛体制が成立するのです。

リベラル左派は、昨日まで民進党にはまだ希望があり、野党共闘も現実味を増しているようなことを言っていました。なんのことはない、勝手にそんな幻影を抱いていただけだったのです。

しかも、ここに至ってもなお、希望の党は安倍政権より”まだまし”だみたいな話が出ているのですから、なにをか況やです。一体、どんな思考回路を辿れば、こんな状況判断ができるのでしょうか。

彼らは、いつもこのように、ただ徒に(二者択一的に)”希望”をねつ造し現実を糊塗するだけなのです。


関連記事:
民進党、死ね
民進党の「ブーメラン」と保守の”余裕”
2017.09.27 Wed l 社会・メディア l top ▲
不本意ながら、床屋政談を。

突然降って沸いた解散風。どうやら28日召集予定の臨時国会での冒頭解散が濃厚のようです。

野党は、「大義なき解散」などと批判していますが、結果は最初から見えている気がします。野党の批判は、どこかの知事が言っていたように、「負け犬の遠吠え」のようにしか聞こえません。

自民党は、再来年の10月に予定されている消費税の増税分を、国の借金の穴埋めではなく幼児教育や保育等の無償化に充てるという、使途の変更を選挙公約に掲げるそうです。それに対して民進党の前原代表は、自分が主張していたことと同じで、パクリだと批判しています。

自衛隊の存在を9条に明記する憲法改正案も、安倍首相と前原代表の考えは同じです。どっちが先に主張したかと本家争いをしているにすぎないのです。

北朝鮮情勢についても、与野党に違いはありません。トランプの国連演説は、北朝鮮に対する宣戦布告のようなもので、どう考えても、アメリカがやっていることは圧力ではなく挑発です。しかし、その危険性を指摘する声は皆無なのです。

今更ながらに、民進党が野党第一党である不幸を痛感せざるを得ません。民進党は護憲の党ではありませんし、反原発の党でもありません。民進党と自民党は、政策的には相違する部分より共通した部分がはるかに多いのです。

民進党(旧民主党)は自民党を勝たせるためだけに存在していると言うのは、笑えない冗談です。今回の解散総選挙も、細野某など離党組がそのお膳立てをしたようなものでしょう。自民党が追い詰められると、なぜか民進党(旧民主党)がみずからずっこけて、自民党に助け舟を出すのがいつものパターンです。

前原代表の発言も、「(どうせ同じなんだから)どうぞ自民党に投票してください」と言っているようなものです。少なくとも、多くの有権者はそう受け止めているでしょう。私には、彼らがどうして野党にいるのか不思議でなりません。

(現実的にはあり得ない話ですが)仮に民進党が大きく議席を増やすことがあったら、消費税のときと同じように、今度は憲法や原発など重要政策で、「堂々と議論する」(前原代表)などと言いながら自民党にすり寄っていく(そうやって自分たちを高く売る)のは目に見えています。民進党が議席を増やすことは、必ずしも政治がよくなることを意味するのではないのです。むしろ、反動に加速がつくことになりかねないのです。民進党というのは、もはやそういう存在なのです。

にもかかわらず思考停止したこの国の左派リベラルは、野党共闘に人民戦線の妄想でも抱いているのか、相も変わらぬ”まだまし論”に依拠して”民進党=リベラル幻想”をふりまき、「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」(ブレイディみかこ)しか能がないのです。
2017.09.20 Wed l 社会・メディア l top ▲
朝日新聞に月に一度連載されている「寂聴 残された日々」というエッセイで、瀬戸内寂聴が山尾志桜里議員のスキャンダルについて書いていました。

朝日新聞デジタル
(寂聴 残された日々:27)山尾さん、孤独の出発に自信を 恋は理性の外、人生は続く

エッセイは、つぎのような文章ではじまっていました。

 何気(なにげ)なくつけたテレビの画面いっぱいに、端正な美貌(びぼう)の女性が、涙のたまった両目をしっかりと見開き、正面を向いてしきりに言葉を発している。その表情がまれに見る美しさだったのと、しゃべる言葉がしっかりしているのに驚かされ、テレビから目が離せなくなってしまった。


そして、つぎのような文章で終わっていました。

 不倫も恋の一種である。恋は理性の外のもので、突然、雷のように天から降ってくる。雷を避けることはできない。当たったものが宿命である。

 山尾さんはまだまだ若い。これからの人生をきっと新しく切り開いて見事な花を咲かせるだろう。それを95の私は、もう見られないのが残念。


坂口安吾ではないですが、「恋は人生の花」です。山尾議員だけでなく、斉藤由貴も上原多香子も、自分の人生を恥じる必要はないのです。他人の色恋を妬んだり嫉んだりする人間ほど、心の貧しい者はいません。「不倫上等」でいいじゃないか。不倫を詰るような輩(カス)には唾を吐きかければいいのです。

山尾議員の場合、「仕事と子育てにがんばるお母さんの味方」というようなスタンスをとっていたので、不倫に対する反発がよけい大きかったのでしょう。文春の記者が朝帰りの山尾議員に向かって、「先生、お子さんはどうしたんですか?」「先生、お子さんの面倒は見なくていいんですか?」とわざとらしく叫んでいたのは、そんな山尾議員に対する当てつけだったのでしょう。

そこで振りかざされているのは、「仕事と子育てにがんばるお母さん」は貞操観念もしっかりしていなければならないという、女性を結婚(家庭)と母性に縛るおなじみの良妻賢母のイデオロギーです。山尾志桜里議員はジャンヌダルクなんかではなかったのです。古い女性のイデオロギーに迎合する、ただのポピュリストにすぎなかったのです。だから「ざまあみろ」という声に反論すらできなかったのでしょう。

私は、政治家としての山尾志桜里議員にはまったく興味もありませんし、期待もしていません。ただ、瀬戸内寂聴も書いているように、ひとりの女性として、(みずから墓穴を掘ったとは言え)古い女性のイデオロギーを押し付ける下劣な報道に負けずに、顔を上げて前に進んでもらいたいと思うだけです。

それより私は、「先生、お子さんはどうしたんですか?」「先生、お子さんの面倒は見なくていいんですか?」と叫んでいた文春のアホ丸出しの記者のほうが興味があります。彼らだって不倫をしているはずなのです。誰か、文春や新潮の社員たちのスキャンダルを書く人間はいないのかと思います。『噂の真相』がなくなったのが、かえすがえすも残念でなりません。


関連記事:
上原多香子と柳原白蓮
2017.09.15 Fri l 社会・メディア l top ▲
さる9月1日に開かれた民進党の臨時党大会で、あたらしい代表に選出された前原誠司氏は、あいさつのなかで「政権交代」ということばを何度もくり返したのだとか。私は、それを聞いて、前原氏はパラノイアではないのかと思いました。通常の感覚であれば、「政権交代」なんてとてもあり得ない話でしょう。

もっとも、前原氏自身も、つぎのように述べていたそうです。

 新代表あいさつで前原氏は「今この場で『政権交代」』と言っても、国民は『何を言ってるんだ』という状態になる。しかし自民党しか選べない、こんな政治状況は我々の手で変えなくてはならない」と決意を述べた。それに向け「国民のためにすべて捧げて働く」「決意と覚悟持って、難しい局面を国民のために切り開く」と続けた。

Yahoo!ニュース(J-CASTニュース)
「政権交代」連呼の前原新代表、過去の「負の経験」生かせるか 挙党体制の方針には「これから考える」


しかし、改憲においては、各メディアが書いているように、前原氏の考えと安倍首相の考えは同じです。改憲論議が深まれば、維新と同様、民進党が安倍政権とタッグを組むのは目に見えています。

早くもそれを裏付けるように、つぎのようなニュースも出ています。

朝日新聞デジタル
前原代表、野党4党合意見直しへ 改憲反対「話通らぬ」

前原氏自身も、「政権交代」が夢物語だということはよくわかっているはずです。要は、自分たちを如何に高く自民党に売るかということなのでしょう。前原氏を代表に選んだ民進党議員の多くも、同じ考えなのでしょう。

山尾志桜里議員のスキャンダルを文春にリークしたのは、政権周辺の公安関係者ではなく、民進党内部の人間ではないかという話もありますが、だとしたらいよいよ民進党は収拾のつかない崩壊過程に入ったと言えるのかもしれません。

前原体制がいつまでつづくかわかりませんが、前原氏が代表の座を追われたら、前原グループがここぞとばかりに離党して、党が一気に崩壊する可能性すらあるでしょう。前原氏を代表に選んだのは、言うなれば、獅子身中の虫に党の命運を委ねたようなものと言ってもいいかもしれません。もっとも、民進党は、もともとそういう運命にあったと言えなくもないのです。

民進党はリベラルなんかではないし、野党でもないのです。ただ野党のふりをしているだけです。それは、旧民主党の成立時からあきらかでした。旧民主党に与えられた役割は、“第二自民党”になることでした。自民党の一党独裁体制(としての55年体制)がゆらぎはじめたことで、安心して政権交代ができる二大政党制をこの国に根付かせる必要があったのです。その要請に応えるかたちで、労働戦線の右翼的再編(連合の誕生)と軌を一にして旧民主党が誕生したのでした。

民進党に随伴して「アベ政治を許さない」と叫んでいた人々も同じ穴のムジナです。民進党が野党第一党であることの不幸を理会(©竹中労)できずに、今になって、民進党に絶望したなんて言っているのはお粗末の極みと言うべきでしょう。民進党が死んでも誰も困らないのと同じように、彼らのような「リベラル左派」がいなくなっても誰も困らないのです。

山尾志桜里議員のスキャンダルにしても、今まで民進党やその周辺は、文春砲に我が意を得たりとばかりに踊っていたのです。文春砲がいつ自分たちに向かってくるのかなんて、ゆめゆめ考えてなかったのでしょう。だからあんなに(アホみたいに)踊っていたのでしょう。そして、案の定、今度は自分たちが足を掬われたのです。

民進党の有田芳生参院議員は、文藝春秋の松井清人社長が『週刊文春』の編集長だった頃から親しい関係にあることを公言していました。文春が自民党議員のスキャンダルを取り上げているときは、文春の編集方針は変わったみたいなことを言って、そのスキャンダルを政治的な攻撃材料に使っていました。ところが、山尾議員のスキャンダルが出た途端、沈黙を決め込んだのでした。そして、山尾議員の離党が囁かれはじめると、「悪質な情報操作」だとツイッターに書いていましたが、ほどなく離党届が提出されました。すると今度は、「離党はご自身で判断した出所進退の結論です」と書いていました。しかし、メディアが書いているように、離党は本人の意思というより、来月におこなわれる衆院補選への悪影響を考えた執行部の判断であることは誰が見てもあきらかです。とりあえず辞職まで行かなかったのは、民進党の党内事情による判断だったのでしょう。

有田芳生 (@aritayoshifu) | Twitter

都合が悪くなると、黙りを決め込んだり、知らばっくれたりする、民進党の劣化は個々の議員にまで及んでいるのです。

それにつけても、このヒステリックな不倫叩きの風潮は、一体なんなのかと思います。私は、このブログでも書いているように、山尾志桜里議員には批判的ですが、しかし、彼女が不倫で政治生命を奪われることには違和感を抱かざるを得ません。不倫なんてみんなやっているじゃないか、そんなことはどうだっていいじゃないか、と言いたいのです。他人がとやかく言う問題ではないでしょう。

ブレイディみか子氏は、男女間の賃金格差や公共セクターで働く人たちと下層の人たちとの賃金格差に関連して(それは、レーニンが『国家と革命』で主張したことの今日的問題なのですが)、「セックスよりマネーがスキャンダルになる時代が来た」と書いていましたが、日本では未だにマネーよりセックスがスキャンダルになる時代の真っ只中にあるかのようです。国会議員も芸能人も、そして国民も、みんなセックススキャンダルに踊らされているのです。恥ずかしげもなく他人のセックスに嫉妬する、なんとセックス好きな国民なんだろうと思います。

晶文社スクラックブック
UK地べた外電


関連記事:
ブログ内キーワード検索・民進党
ベッキー降板で思った


2017.09.07 Thu l 社会・メディア l top ▲
先日、朝日新聞デジタルに、つぎのような内田樹氏のインタビュー記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
内田樹さん、「天皇主義者」宣言 「変心」の真意語る

記事を読むと、内田氏は、「護憲派」で「平和主義者」のイメージが強い現天皇を安倍政治への対抗軸として捉えているかのようです。そのために、国事行為だけでない「鎮魂と慰藉の旅」も天皇の務めだと「解釈」し、国民の間にある「皇室への素朴な崇敬の念」を牽強付会に評価しているのでした。でも、それは、朝日新聞などマスメディアが作り上げた天皇像を踏襲しているにすぎないのです。国民の間にある「皇室への素朴な崇敬の念」も、天皇制タブーとパラレルな関係にあることくらい、少しでも考えればわかるはずです。

これも一種の「天皇の政治利用」、それもきわめてご都合主義的な「政治利用」ではないかと思いました。

まして「天皇制が高い統合力を持つ一因はそれが持つスピリチュアル(霊的)な性格にある」と言うに至っては、何をかいわんやです。アッキーと同じじゃないか。そんな皮肉のひとつも言いたくなりました。あるいは、小池百合子都知事の父親が心酔していた、スメラ哲学の焼き直しと言ってもいいのかもしれません。

BLOGOS
「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」 安倍昭恵氏インタビュー

内田氏の「天皇主義者」宣言については、『現代ニッポンの論壇事情 社会批評の30年史』(イースト新書)のなかで、栗原裕一郎がつぎのように批判していました。

栗原 安倍批判もカードが尽きてきたのか、最近、内田樹は、「天皇vs安倍」という構図を出してきていますね。リベラルが支持を得られないのは霊的ポジションが低いからだ、極右のほうが死者を呼び出す能力が高く熱狂を招くことができるが、でも天皇のほうが死者を多く背負っていて霊的ポジションが高い、天皇に勝てないことをわかっている安倍は、だから天皇を骨抜きにすることを企むのである、みたいな。まあ、無茶苦茶です。


宮台真司の「天皇主義者」宣言も似たようなものでしょう。

北田暁大は、同書のなかで、今の「左翼」は「生活保守と妙なレッセフェールの自由主義がミックスしたようなもの」になっていると言ってましたが、まさにその点において右も左も(安倍政治もリベラル左派も)違いがないのです。少なくとも反体制(対抗軸)としてのリベラル左派の思想は、とっくに失効していると言っていいでしょう。

何度も繰り返しますが、リベラル左派が称揚する旧SEALDs(SEALDs的なもの)や野党共闘が、時代を領導するダイナミズムも批評性も保持してないことは、もはや自明なのです。SEALDs的なものや野党共闘が、一方で、この(如何にも日本的な)翼賛体制を支えていると言っても言い過ぎではないでしょう。と言うか、高橋源一郎の「ぼくらの民主主義」が象徴するように、とっくに彼らは翼賛体制に組み込まれているとさえ言えるのです。

いつの間にか安倍政治は青息吐息になってしまいましたが、しかし、時代は確実に反動の方向へ進んでいるのです。安倍政治の末路に浮かれている場合ではないのです。
2017.07.11 Tue l 社会・メディア l top ▲
今日、車で埼玉の新座市を通ったのですが、道路沿いの至るところに、「このハゲ~!!」でおなじみの自称「豊田真由子サマ」のポスターが貼ってありました。ポスターを目にすると、いつの間にかあのヒステリックな声がよみがえってきて、ポスターさえもギャグの小道具のように思えてくるのでした。

夫も経産省のキャリア官僚だそうですが、エリート夫婦の歪んだ内面なんて考えると、なんだか土曜ワイド劇場の呪われた一家のように思えてきます。聞けば、「豊田真由子サマ」の父親も、母親に対するDVがひどかったのだとか。私は、DVの世代連鎖ということばを思い出さざるをえませんでした。そして、彼女の子どもたちは大丈夫なんだろうかと思いました。

この「豊田真由子サマ」も、加計学園からのヤミ献金の問題が浮上している下村博文氏も(下村氏は文科大臣のときに、「日本人としての誇りをもつ」”愛国”教育の必要性を説きながら、一方で、自分の小学生の子どもはイギリスで教育させていたという建前と本音の人でもあります)、大臣としての資質に疑問をもたれながら、“ともちんラブ”で安倍首相に溺愛される稲田朋美氏も、いづれも安倍首相の出身派閥である旧清話会の所属議員です。

そう言えば、「マスコミを懲らしめる」「(ガン患者は)働かなければいい」発言の大西英男氏や、「アル中代議士」としてスキャンダルの渦中にある橋本英教氏も、旧清話会の所属です。

なんだか旧清話会の議員に対して、集中的にスキャンダルが仕掛けられている感がなきにしもあらずです。野党が我が意を得たりとばかりにハシャギまくるのもいつもの光景ですが、そんな単純な話ではないのかもしれません。

新潮や文春の記事に悪ノリしている野党にしても、今度はいつその矛先が自分たちに向かってくるかもしれないのです。「安部政権に激震」と言うのも、与党内部の権力争いで、野党が外野席で使い走りに使われているだけのような気がしてなりません。

都議会議員選挙では、都民ファーストが大勝、自民党が大敗するという予想が出ていますが、だからと言って、野党の議席が伸びるわけではないのです。驚くべきことに、都民ファ・自民・公明で全議席の85%以上を占めるという予想さえ出ています。結局、保守は、以前にもましてその支持を広げることになるのです。そこには、どこまでもダメな野党の姿しかないのです。

もはや、与党か野党かという(既成政党を所与のものとする)発想自体がダメなのではないか。「アベ政治を許さない」というボードを掲げ、野党議員に拍手喝采を送るのも、翼賛体制に与するトンマな姿にしか見えません。
2017.06.30 Fri l 社会・メディア l top ▲

これは、「共謀罪」が成立した直後の中川淳一郎氏のツイートです。中川氏はその前に、同じ失敗を繰り返すより、「次の自民党総裁選で安倍氏の対抗馬になるような自民党議員にすり寄るぐらいのしたたかさを見せろ」とツイートしていました。中川氏の政治音痴ぶりは相変わらずですが、ただ私は、“無能な野党”という一点において、中川氏のツイートに「いいね」をあげたくなりました。

民進党は本気で「共謀罪」に反対したのか。ネットではつぎのような話も出ています。


もし仮に民進党が政権に就いたら(ほとんど空想の世界ですが)、「共謀罪」を廃止するのでしょうか。とてもあり得ない話のように思います。私たちは、かつての民主党政権のときに、それを嫌というほど見せつけられたのです。

あらゆる手段を使って成立を阻止する、議会政治の死だ、なんて言っていたのもつかの間、「共謀罪」が成立した途端、まるで何事もなかったかのように馴れ合いの議場に戻った野党。

先述した性犯罪を厳罰化する刑法改正案も、日弁連が懸念する点などについてほとんど審議は行われず、参院法務委員会はわずか一日で採決し、翌日、本会議で「全会一致」で成立したのでした。

 与党は慣例に反し、改正刑法より二週間遅く国会に提出された「共謀罪」法を先に審議入りさせたため、改正刑法が衆院本会議で審議入りしたのは今月二日。参考人質疑は参院法務委員会でしか実施されず、審議時間は計十二時間四十分。十八日の会期末をにらみ、駆け足での成立となった。

東京新聞・TOKYO Web
性犯罪、法定刑引き上げ 改正刑法が成立 厳罰化へ、


慣例無視の「横暴」があったとは言え、「共謀罪」ではあれほど審議時間が足りないと言っていたのに、性犯罪の厳罰化は少なくてもなんら問題はないとでも言いたげです。参院法務委員会での審議も、どう見ても形式的なものとしか思えません。これで、委員会採決をすっ飛ばす禁じ手を使った与党のやり方を批判する資格があるのだろうかと思いました。と言うか、昨年のヘイト・スピーチ対策法のときと同じように、「共謀罪」が成立したら刑法改正案も会期内に成立させるという、”暗黙の了解”があったのではないかと穿った見方さえしたくなりました。

形式的な審議、「全会一致」。これこそ「議会政治の死」を意味するのではないか。「共謀罪」は、こういった「全会一致」の思想の上に成り立っているのです。
2017.06.21 Wed l 社会・メディア l top ▲
http://blog.canpan.info/shiawasenamida/img/
19022524_10210089250521814_1190913260_o.jpg


上は、性暴力(性犯罪)の被害者を支援している特定非営利活動法人しあわせなみだのブログに掲載されていた写真です。この写真は、性犯罪に関連する刑法の改正を求める団体が、6月77日、3万筆のオンライン署名と改正の要望書を法務大臣に提出した際に撮影されたものだそうです。真ん中でハートマーク(愛のマーク)を作っているのが、あの金田勝年法務大臣です。

改正案は、この翌日(8日)、衆院で可決され、参院に送られました。報道によれば、明日(15日)、「共謀罪」(組織犯罪処罰法改正案)が成立すれば、18日の会期末までに同案も成立する可能性があるそうです。改正案の成立を求める人たちは、「共謀罪」が早く成立して改正案の審議に入ってくれというのが本音かもしれません。

今回の改正案は、「①強姦罪を『強制性交等罪』とあらため、被害者を女性だけでなく男性も含める。②法定刑の下限を懲役3年から5年に引き上げる。③親告が不要な非親告罪にする」などが主な柱となっています。

一方、この改正案に対して、日弁連が「一部反対」の意見書を出したため、被害者支援を行っている団体が反発、57の団体が共同で抗議声明を出す事態になりました。

Yahoo!ニュース
性犯罪の厳罰化に日弁連が一部反対の意見書 被害者支援57団体が抗議へ

日弁連の意見書には、法律の専門家の立場から、犯罪規定の曖昧さや「厳罰ありき」=安易な制裁主義に対する懸念があるように思います。

下記は、その代表的な反対意見です。

Mixi( Aさんの日記)
性犯罪厳罰化反対

日記の主の「Aさん」は、改正(特に厳罰化)に疑問を投げかける人権派(?)弁護士を叩くために、産経新聞の記事を引用しているのですが、私は、この弁護士の意見には首肯すべき点があるように思いました。

厳罰化の背後にあるのは、捜査当局の裁量の拡大です。犯罪規定の曖昧さは、警察にフリーハンドを与えることを意味するのです。それは、「共謀罪」と共通するものです。また、冤罪の歯止めがなくなる懸念もあります。

被害者の心と身体に将来に渡って深刻な被害をもたらす性犯罪は、文字通り憎むべき犯罪で、それを擁護する人間なんて誰もいないでしょう。もちろん、110年前に作られた法律を時代の流れに合わせて改正するのも必要でしょう。しかし、厳罰化に反対する弁護士の意見にあるように、性犯罪というのが、厳罰化が抑止になるような犯罪ではないこともまたたしかでしょう。

性犯罪には、その根底に、性的対象者、とりわけ女性をモノと見る考えがあるように思います。また、性的依存症の側面もあります。そういった文化的社会的背景も無視できないのです。

資本主義社会では、ありとあらゆるものが商品化され、金儲けの対象になります。性も例外ではありません。私たちのまわりを見ても、性的な欲望をかきたてる広告があふれています。一方で、資本の効率化に伴う高度にシステム化された社会において、私たちはさまざまなストレスを抱えて生きることを余儀なくされているのです。

電車が来てもいないのに、ホームへのエスカレーターを駆け足で降りていくサリーマンやOLたち。いつもなにかに急き立てられるような強迫観念のなかで生きている人々。そういった日常と依存症は背中合わせと言えるでしょう。

先日、BuzzFeedの記事のなかで、芸能人の薬物報道に疑問をもつ当事者や医師たちが提唱した「ガイドライン」が紹介されていました。

BuzzFeed
これでいいのか? 芸能人と薬物報道 専門家からあがる疑問の声

犯罪の質は違いますが、同じ依存症という側面から考えた場合、薬物使用も性犯罪も、問題の本質は同じではないかと思います。

刑期を終えればまた犯罪を繰り返すのも、性犯罪の本質を正しく捉えた有効な矯正プログラムが採られてないからでしょう。しかし、厳罰化を求める多くの人たちはそうは考えません。だったら(何度も犯罪を繰り返すのなら)、体内にGPSのチップを埋め込めばいいという発想になるのです。

日弁連に対する抗議声明のなかで、被害者団体は、「裁判員裁判では、裁判官のみでの裁判より性犯罪に関する犯罪の量刑が重くなっている。性犯罪を重刑化することは市民の賛同を得ている」(上記「性犯罪の厳罰化に日弁連が一部反対の意見書 被害者支援57団体が抗議へ」より)と主張しているそうですが、シロウト裁判員の「市民感覚」が、被害者と同じ応報刑主義的な感情に走るのは当然と言えば当然かもしれません。裁判員裁判が、厳罰化の風潮を作り出しているとも言えるのです。

誰もが反対できないような「絶対的な正しさ」を盾に、厳罰化と警察権限の拡大が謀られるのです。たとえば、暴力団を取り締まるために導入された凶器準備集合罪が、やがて反体制運動を取り締まるために使われたのはよく知られた話です。性というのは、きわめてパーソナルでデリケートなものです。性犯罪は、支援団体が上げるような「明確な」ケースだけとは限りません。どこまでが犯罪でどこまでが犯罪ではないのか、なにが真実でなにが真実でないのか、曖昧な部分が多いのも事実でしょう。その曖昧な部分の判断を警察に委ねる今回の改正案は、姦通罪などと同じように、私たちの性に対して、いつでも警察(=国家)が介入してくる道を開くものと言っても過言ではないでしょう。

「共謀罪」も性犯罪の厳罰化も同じです。それらは、地続きでつながっているのです。監視社会化と厳罰化(制裁主義)は表裏一体なのです。そうやって全体主義への道が掃き清められていくのです。昨年、ヘイト・スピーチ対策法が盗聴法の拡大や司法取引を導入する刑法改正とバーターで成立したのと同じ光景が、再びくり返されているように思えてなりません。

この風潮に対して、竹中労が生きていたら”デモクラティック・ファシズム”と言ったに違いありません。一方、私は、”善意のファシズム”ということばを思い浮かべたのでした。
2017.06.14 Wed l 社会・メディア l top ▲
「アベ政治を許さない」人たちが言うように、安倍首相が「追い詰められている」のかどうかはわかりませんが、自民党内には、森友や加計学園の問題は「氷山の一角」で、これから似たような話がもっと出てくるだろう、という声もあるそうです。実際に、昭恵夫人が「後援会長」をしていた渋谷区広尾の社会福祉法人に対して、国有地がタダで払い下げられた問題も出てきています。「愛国」を隠れ蓑にした国家の私物化は、とどまるところを知らないのです。

安倍政権の政策は、政治的には(戦前回帰を目論む)日本会議=「生長の家原理主義」の路線を踏襲した、きわめてアナクロで国粋主義的なものです。一方、経済政策では、TPPに代表されるように、市場原理主義的なグローバル資本主義を推進しているのです。そういった相矛盾したものが同居しているのが特徴です。

パン屋を和菓子屋と言い換えるよう「指導」した文科省の教科書検定に象徴されるように、国民には日本酒を強制しながら、資本家にはワインやシャンパンを推奨する、そんな二面性があるのです。

私は、「アベ政治」の二面性について、ムッソリーニの「国際主義は上流階級のみが得られる贅沢であり、庶民は望みもなく彼らの故郷に縛り付けられている」ということばを思い浮べました。グローバル資本主義によって格差が広がる一方のこの国にあって、文字通り「庶民(国民)は望みもなく彼らの故郷(愛国心)に縛りつけられている」のです。ここに「アベ政治」の本質があるように思います。

もっとも、グローバル資本主義を推進するという点では、民進党も変わりがありません。むしろ、民進党は、自民党以上にネオリベであると言ってもいいくらいです。自民党を批判しているのも、ただ野党だからにすぎないのです。福島瑞穂ではないですが、カレーライスかライスカレーかの違いしかないのです。これではいくら自民党を批判しても、民進党の支持率が上がないのは当然でしょう。民進党(旧民主党)は、民主党政権が崩壊した時点で、既にオワコンなのです。

今日の昼間、たまたまフジテレビの「直撃LIVEグッディ!」を観ていたら、加計学園の問題を取り上げていました。言うまでもなく、フジテレビはフジサンケイグループなので、産経新聞や夕刊フジと同じように、安倍政権に対してネトウヨ的な擁護論を展開するのだろうと思っていました。ところが、それは冒頭から裏切られたのでした。

国会での質疑が終わったとき、安倍首相が「くだらない質問で終わっちゃったね。また」とヤジを飛ばしたことを取り上げ、キャスターの安藤優子が「くだらないなんてひどいと思いますよ。くだらないことはないですよ」と言ってました。そして、「加計学園の問題なんかより国会ではもっと大事なことがあるだろうと言う人がいますが、加計学園の問題は大事なことですよ。これをウヤムヤにしてはならないと思いますよ」と言ってました。

また、「政治アナリスト」の伊藤惇夫氏が、「安倍首相や菅官房長官の態度は、国民を愚弄していると言われても仕方ないでしょう」と発言すると、安藤優子は、「ホントにそう思いますね」と言ってました。番組では、前川前文科事務次官は(天下り問題での)引責辞任を最初は拒否していたという、菅官房長官の発言に対しても、当時の動きを時系列で記したボードを使って疑問を呈していました。

安倍政権の太鼓持ちであるフジサンケイグループのなかにあって、「グッディ!」はこのように独自の姿勢を保持しているのです。「グッディ!」には、あの山口敬之氏をはじめ、田崎史郎氏や竹田恒泰氏など、とんでもない人物がコメンテーターとして登場することもありますが、今日の「グッディ!」を観る限り、ジャーナリストの“矜持”はまだ残っているのではないかと思いました。もちろん、「グッディ!」は低視聴率に喘いでいるので、安倍批判で視聴率を上げようという魂胆もあるのかもしれませんが、少なくともフジサンケイグループのなかにあって、このような報道をすること自体、勇気のいることだというのは理解すべきでしょう。
2017.06.06 Tue l 社会・メディア l top ▲
森友学園問題は(実質的に)終わった。と言うと、そんな考えこそ幕引きに手を貸すものだ、という批判が返ってくるのが常でしょう。しかし、それこそ「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」「勝てない左派」(ブレイディみかこ)の常套句とも言うべきものです。

桜井よしこ氏は、港区にある神社の敷地に、数億円とも言われる白亜の豪邸を建て、”女神”にふさわしい優雅な生活を送っているそうですが(そうやってネトウヨを煽って巨万の富を得ているのですが)、たしかに右翼業界は、今や我が世の春を謳歌しており、美味しいビジネスと言えるのかも知れません。

かつて左翼業界も美味しいビジネスでした。そのカラクリを理解できなかった私たちは、所謂“進歩的知識人”にいいように煽られ騙されたのです。それは、今のネトウヨと同じです。ネトウヨのことは笑えないのです。

富の偏在を告発し、資本主義社会の不条理を訴える“進歩的知識人”のなかには、桜井よしこ氏のような豪邸に住んだり、海外に別荘を持ったり、ポルシェやベンツに乗ったりしている者がいました。当時、上野千鶴子氏は、愛車のBMWだかポルシェだかで首都高を走るのが趣味だという話を聞いたことがあります。

昔日の勢いはなくなったとは言え、それは、今も同じです。左派リベラル(と言われる)知識人たちのツイッターなどを見ても、みずからの著書の宣伝のためにSNSをやっているような、ドッチラケなものが多いのも事実です。安倍政権を批判するのも、所詮はビジネスなのではないかと思ってしまいます。

森友学園問題も、今やビジネスに堕した感があります。昭恵夫人を告発する行為に対して、あれほど口を極めて罵るのも、問題をできる限り引き延ばし(そのために情報を小出しにして)、ビジネスとして延命させたいという思惑があるからではないのかと思ってしまいます。

国会での民進党の「矛先」は、既に森友学園から加計学園の問題に移っていますが、加計学園も森友と同様、竜頭蛇尾に終わるのは目に見えている気がします。私は、あらためて「民進党が野党第一党である不幸」を痛感せざるをえないのです。

「共謀罪」にしても、安保法制(周辺事態法)にしても、憲法改正にしても、民進党も過去に似たような主張をしています。これが産経新聞やネトウヨがヤユする民進党の「ブーメラン」と言われるもので.す。民進党は、与党案とは似て非なるものだと言ってますが、でも似ているような主張はしているのです。

言うまでもなく旧民主党は、日本に欧米のような二大政党制を定着させ、「政権交代ができる」政党が必要だという小沢一郎らの遠謀によって、「政界再編」の名のもとに、小選挙区比例代表並立制とセットで生まれた政党です。もちろん、「政権交代」とは、”体制転覆”ではなく、二大政党の間で政権をたらい回しするということです。言うなれば、安心して政権をたらい回しすることができる”第二自民党”のような政党が求められたのです。民進党の「ブーメラン」は当然なのです。


上記は、上西小百合議員のツイッターに転載されていた、安保法制に反対する弁護士のツイートですが、このような思考停止したベタな考えこそが、むしろ逆に「安倍政権の暴走を許している」と言えるのかも知れません。ポデモスやシリザやSNPは、(日本流に言えば)「民主はだめだ」「共産は嫌い」という考えから生まれたあたらしい左派政党だということを忘れてはならないでしょう。

加計学園の問題は、安倍政権による子飼いのメディアを使った露骨な疑惑潰しによって、泥沼化の様相を呈していますが、しかし、野党は、蚊帳の外に置かれ、ただケンカの使い走りに使われているようにしか見えません。

「小池新党」をめぐる東京都の問題も然りです。保守の内輪もめは、それだけ保守の”余裕”を示しているとも言えるのです。財産が多いと家族内で財産争いが起こるのと同じで、それを貧すれば鈍する民進党などが取り上げて、外野で騒いでいるだけなのです。

民進党がいくら騒いでも民進党の支持率が上がらない現実。そこに民進党の自己撞着、つまり「ブーメラン」があることを国民がよく知っているからでしょう。

「民主はだめだ」「共産は嫌い」と言っているから一強体制が進んだのではないのです。「民主はだめだ」「共産は嫌い」という現状認識を持てないから左派リベラルは凋落し、一強体制を許したのです。それがポデモスやシリザやSNPと日本の野党共闘&国会前デモの根本的な違いです。
2017.05.24 Wed l 社会・メディア l top ▲
今日、たまたまネットで、つぎのようなツイッターの書き込みを見つけました。


悪いけど、こういうリベラル左派に未来はあるのだろうかと思いました。「アベ政治を許さない」というボードを掲げる彼らが、実は安倍政治を許しているのだというパラドックスさえ考えてしまいます。

彼らは、かつて朝日新聞の「家庭内野党」報道を真に受けて、原発再稼働をしないように安倍首相を説得してください、昭恵夫人お願いします、と言っていたのです。今日の政治状況(一強体制)の下地を作ったと言っていい、小沢一郎や小泉純一郎に対する大甘な姿勢も同じです。

一方で、運動周辺に対しては、スターリニズムまがいの「排除の論理」が行使されるのです。そういった党派政治=”悪しき左翼性”だけは頑迷に固守しているのです。

野党共闘という”崇高な”理念のために、「普通の市民」ではない極左や極右はいらない、ビラ配りも署名集めも許さないというわけなのでしょう。もしその現場を見つけたら、原発や安保法制のデモのときと同じように、暴力的に排除するつもりなのでしょう。これが、高橋源一郎たちが自画自賛する「ぼくらの民主主義」なるものです。

彼らが墨守するリベラル左派の理念は、とっくに終わったそれでしかありません。それは、彼らが随伴する民進党や共産党を見れば一目瞭然でしょう。彼らは、トランプやマリーヌ・ル・ペンの台頭に、既成政党に対する人々の失望があるという、最低限の現状認識さえ持てないのでしょう。

むしろ、問題はその先にあるのです。前述した『「革命」再考』のなかで、的場昭弘氏は、つぎのように書いていました。

 資本主義はマルクスが予想したとおり、国境なき資本主義へと変貌していきます。ただし、マルクスも述べていることなのですが、資本は儲けるときはコスモポリタンで博愛的なのですが、儲からなくなると、途端に国家にすがり国家主義的になります。


自由貿易と保護主義、グローバリズムとナショナリズム、左翼的なものと右翼的なもの、もしかしたらそれらは表裏一体のものかもしれないのです。

大事なのは、右か左かではなく、上か下かなのです。上か下かに、右も左もないのです。

マリーヌ・ル・ペンが言うinvisibles=「見えざるものたち」も、リベラル左派の彼らには文字通り「見えざる」存在なのかもしれません。

 革命という言葉が意味するのは、現に見えているものを変革するということではなく、見えないものをくみ取り、それを変えていくということです。およそこれまでの革命、そして革命家の思想というものは、まさにそうした目に見えないものをいかに理解し、変えるかであったといってもいいものでした。変化が簡単にわかるものは、実は革命でもなんでもなく、たんに現状の追認にすぎなかった場合が多かったわけです。
(『「革命」再考』



関連記事:
昭恵夫人の「猿芝居」
2017.05.09 Tue l 社会・メディア l top ▲
先日、朝日新聞デジタルのインタービュー記事で、米山隆一新潟県知事がつぎのように言ってました。

 保守的な空気が非常に先鋭化しているのは、仕方ない部分はある。ただ、なぜそうなったかを考えると、リベラル系の人たちがちゃんと意見を言わないからだと思う。リベラルの人は優等生になろうとする。何かを発言して、ブーメランで批判が返ってくるとシュンとする。保守系の人はバシバシ言うから、結局そちらが発言権を持ってしまう。

朝日新聞デジタル
つぶやく知事に聞いた「保守的な空気、リベラルのせい」


私は、この発言は、米山知事の意図とは別に、今のリベラル左派の痛い点を衝いているように思いました。そして、これが日本の左派とヨーロッパで台頭している急進左派との根本的な違いでもあるように思います。

何度も同じことを言いますが、ギリシャのシリザも、スペインのポデモスも、イギリスのスコットランド国民党(SNP)も、貧困や独立をテーマにした広場占拠や街頭闘争の直接行動から生まれたあたらしい政党です。有閑マダムのホームパーティのように、仲間内でおしゃべりに興じるだけの日本のリベラル左派とは似て非なるものです。上か下かの視点を失くしたリベラル左派に対して、「左翼はめぐまれた既得権者だ。おれたちがやっているのは階級闘争だ」と在特会など極右の団体が嘯くのも、故なきことではないのです。

マルクス研究者の的場昭弘氏は、『「革命」再考』(角川新書)で、現在、先進国を席捲している「国家再帰現象」は、「民衆の自由意志による反発であると捉えることも」できると書いていました。「ポピュリズム」「大衆デマゴギー」などと批判される「国家再帰現象」ですが、見方を変えれば、民衆のなかに「既成の政党政治に飽きたらない」現象が起きていることを意味しているのではないかと言うのです。そして、そんな「民衆の声を吸収できているのは皮肉にも極右と極左だ」と言います。フランス大統領選挙でも、共和党や社会党の候補が大敗し、極右のマリーヌ・ル・ペンと極左・左翼党のジャン・リュック・メランションが人気を集めたのは周知のとおりです。

的場氏は、マリーヌ・ル・ペンについて、つぎのように書いていました。

 フランス極右の候補者マリーヌ・ル・ペンは、支持層拡大のために「見えざるものたち」(invisibles)という言葉を、二〇一二年の大統領選挙で使っていました。見えざるものたちとは、存在しているが人々が見逃している人々ということです。具体的にいえば、移民労働者や郊外に住む貧困層のことです。二〇〇七年の大統領選挙ではプレカリテ(prècaritè)、不安という言葉が議論になりました。
 極右の候補がこれを取り上げたことは、現代社会の抱える問題が、もはやたんなる人権の問題ではないことを意味しています。生きる権利、働く権利という基本的な権利が守られていないことへの怒り、それは現在の資本主義システムそのものへの疑問となって表れています。これまでのような機会の平等、自由な競争などと能天気なことをいっていられない時代になったともいえます。
(『「革命」再考』)


「見えざるものたち」の生きる権利、働く権利を奪還する。このようなことはかつては左の「革命派」が言っていたことです。極右と言えば、どうしても排外主義ばかりに目が行きがちですが、今やこういった「上か下か」も極右のスローガンになっているのです。

(何度も僭越ですが)私も、トランプ当選の際、ブログにつぎのように書きました。

トランプ当選には、イギリスのEU離脱と同じように、そんな「上か下か」の背景があることも忘れてはならないでしょう。「革命」の条件が、ナチス台頭のときと同じように、ファシストに簒奪されてしまったのです。社会主義者のバーニー・サンダースが予備選で健闘したのは、その「せめぎあい」を示していると言えるでしょう。
誰もが驚いたトランプ当選


日本のリベラル左派は、そういった「せめぎあい」さえ回避しているのです。

ブレイディみかこ氏は、連載している晶文社のサイトで、イギリス労働党の低迷に関して、シリザ政権で財務相を務めたヤニス・ヴァルファキスのつぎのようなことばを紹介していました。

 過去30年間、我々はプログレッシヴな価値観の寸断を許してきた。LGBTの運動、フェミニストの運動、市民権運動という風に。フェミニストがもっと多くの女性を役員室に入れることは、その一方で移民の女性が最低賃金以下の賃金で家事を引き受けて働いているということを意味する。フェミニズムとヒューマニズムの関係性が失われてしまったのだ。ゲイ・ムーヴメントが、偏見や警察との闘いに代わって、「Shop Till You Drop(ぶっ倒れるまで買いまくれ)」のようなスローガンをマントラにして消費主義を受け入れた時、それはリベラル・エリートの一部になり過ぎてしまった。プログレッシヴなムーヴメントに残された解決法は、インターナショナルであるだけでなく、ヒューマニストにもなることだ。それは難しいことだ。が、リベラルなエスタブリッシュメントとトランプの両方に反対するにはそれが必要だ。彼らは敵対しているふりをしているが、実際には共犯者であり、互いを利用している。
newstatesman.com

晶文社 スクラップブック
UK地べた外電
第3回 ブレグジットの前に進め:コービン進退問題とヴァルファキス人気


日本のリベラル左派は、既得権を守ることに汲々とし、「55年体制」のノスタルジーに耽るだけの「エスタブリッシュメント」でしかないのです。だから一方で、(リベラルなんて言いながら)あのようなスターリニズムと紙一重の「排除の論理」が幅をきかせているのでしょう。今、求められているのは、「リベラルなエスタブリッシュメントとトランプの両方に反対する」、謂わば「左派ポピュリズム」のような視点と見識なのです。
2017.05.02 Tue l 社会・メディア l top ▲
一昨日、田中龍作ジャーナルに、下記のような記事が掲載されていました。

田中龍作ジャーナル
【アベ友疑獄】「昭恵刑事告発」延期 市民の分裂は回避された

この記事には前触れがあり、2日前の4月18日にことの発端を伝える記事が掲載されていました。

【アベ友疑獄】昭恵刑事告発はオウンゴールか 小沢代表「時期尚早」

要は、昭恵夫人を告発すれば、逆に政権側に「係争中につきお答えできない」という口実を与え、疑惑隠しに利用される怖れがあるので、告発に反対だということです。

今やこの国のメディアは、戦争を待ち望んでいるかのようで、塚本幼稚園の園児と同じように、「安倍首相ガンバレ」「トランプ大統領ガンバレ」の大合唱を行っていますが、そんな戦争キャンペーンのなかでは、安倍退陣なんてもはや誇大妄想のようにしか思えません。なんだか”宰相A”の高笑いが聞こえてくるようです。「幕引きされる前に刑事告発して世論に訴えよう」という、運動の現場にいる人たちのやむにやまれぬ気持は、痛いほどよくわかるのです。

私は、告発に反対する人たちの論拠には、なにを今更の気持しかありません。野党になにが期待できるというのでしょうか。「民進党やマスコミに任せていても埒(らち)が明かない」と言うのはそのとおりでしょう。告発に反対する人たちは、茶番にすぎない国会質疑に対して、いたずらに期待を煽っているようにしか思えません。

なかでも私が嫌悪感を覚えたのは、菅野完氏のつぎのような書き込みでした。




告発を準備しているのは、元ヤクザで、過激派とつるんだ人物だという「印象操作」。ここにあるのは、官邸前デモなどでも見られたもうひとつの全体主義です。

「善良な市民」とはなんなんでしょうか。「善良な市民」なんてことばを使うのなら、菅野氏自身だって他人(ひと)のことは言えないでしょう。もし本当に、元ヤクザが過激派とつるんでいるのなら、私などは、竹中労の『黒旗水滸伝』や猪野健治の『戦後水滸伝』が想起させられて、逆に感動すら覚えるくらいです。

「共謀罪」の国会審議を見ていると、「共謀罪」が昨年のヘイト・スピーチ対策法と地続きであることがよくわかります。ヘイト・スピーチ対策法の成立において、与党側の立役者と言われた自民党の西田昌司参院議員の、その後の民族差別に関する発言や籠池泰典氏に対する証人喚問での質問などを見るにつけ、ヘイト・スピーチ対策法の裏にある権力の“思惑”が透けて見えるような気がするのです。

ヘイト・スピーチ対策法にあえて反対した山本太郎参院議員や福島瑞穂元社民党党首が、当時言っていたことを今更ながらに思い出さざるをえません。ヘイト・スピーチ対策法も、同法とバーターで成立した盗聴法の拡大や刑事訴訟法の”改正”も、もちろん今国会で審議されている「共謀罪」も、そこには同じ治安立法としての性格が貫かれているのはあきからでしょう。

これらに共通しているのは、警察の裁量権の拡大です。警察の裁量次第で、捜査対象がいくらでも広がることが可能になる(なった)のです。ヘイト・スピーチ対策法の制定を推進した人たちは、結果的に警察の裁量権の拡大に手を貸したと言われても仕方ないでしょう。ヘイト・スピーチに反対する”善意の動機”があったとか、同法が罰則規定を含まない理念法にすぎない、というのは弁解になりません。裁量権の拡大という”焼き太り”(=官僚の罠)に対して、あまりにも無頓着だと言わざるをえないのです。

左右の全体主義は、所詮、双面のヤヌスにすぎず、右か左かにたいした意味はないのです。


関連記事:
山本太郎は間違ってない
「ヤクザと憲法」
左の全体主義
2017.04.22 Sat l 社会・メディア l top ▲
日本会議の研究


私たちが忘れてはならないのは、森友問題の思想的な背景です。むしろ、それこそが森友学園問題の本質と言えるのかもしれません。

菅野完氏の『日本会議の研究』に、その背景が書かれていました。

 安倍政権を支える「日本会議」の事務総長・椛島有三も、安倍の筆頭ブレーンと目される伊藤哲夫も、内閣総理大臣補佐官である衛藤晟一も、政府が南京事件の記憶遺産を阻止すべく頼った高橋史郎も、全員が「生長の家」から出た人々だ。だが、椛島有三や伊藤哲夫を輩出した宗教法人「生長の家」本体は、1983年に政治運動から撤退している。
 しかし、その路線変更を良しとしない古参信者たちが今、教団に反旗を翻し「生長の家原理主義」運動を展開中であり、その運動に稲田朋美や百地章など、安倍政権と深いつながりを持つ政治家・学者が参画している。さらにこの「生長の家原理主義」運動は、塚本幼稚園の事例のように、政治の世界だけでなく、市民社会の中にあって、ファナティックな右傾化風潮を醸し出す要素の一つになっている。
(『日本会議の研究』)


少し注釈が必要かもしれません。伊藤哲夫氏は、日本政策研究センターというシンクタンクの代表で、「安倍政権の生みの親」と言われる安倍首相のブレーンの一人です。同時に、日本会議の常任理事(政策委員)でもあります。衛藤晟一氏は、自民党比例区(九州ブロック)選出の衆院議員で、自民党大分県連会長です。安部首相の側近中の側近です。高橋史郎氏は、最近よく耳にする「親学」の提唱者として有名な教育学者です。百地章氏は、集団的自衛権が合憲であると主張する数少ない憲法学者で、やはり、安倍首相のブレーンの一人です。伊藤哲夫氏と同じく日本会議の常任理事(政策委員)です。

世代的に下の稲田朋美氏を除いた彼らは、60年代後半に全共闘運動に対抗すべく結成された右派(民族派)学生運動を担った活動家たちです。その母体になったのは、生長の家の学生信者の全国組織である生長の家学生会全国総連合(生学連)です。

生学連の名を轟かせたのは、1968年の長崎大学における「学園正常化」運動でした。長崎は、同年の佐世保エンタープライズ寄港反対闘争の現場であり、長崎大学の自治会は、社青同解放派の学生組織である反帝学評(反帝国主義学生評議会)の学生たちが握っていて、他の大学と同様、バリケードストが行われていました。それに対して、生学連のメンバーが中心になって結成された長崎大学学生協議会の学生たちが、「学園正常化」「スト打破」を掲げ、ときに全共闘の学生たちと暴力を伴った衝突を繰り返しながら、ついに自治会を“奪還”し、バリケード撤去に成功したのでした。右派学生が自治会を握るというのは、全共闘運動最盛期においては、稀なケースで、一躍長大学生評議会とそれを率いた議長の椛島有三氏は、右派(民族派)学生運動のヒーローになったのでした。ちなみに、その頃、早稲田大学で「学園正常化」の運動を行っていたのが、のちに新右翼「一水会」を結成した鈴木邦男氏です。鈴木氏も生長の家の信者で、生学連のメンバーでした。

長崎大学の成功によって、九州学生自治連絡協議会(九州学評)が結成され、さらにそれは“九州学評方式”と呼ばれて全国に広がり、翌年(1969年)、全国組織の全国学生自治連絡協議会(全国学評)が結成されます。全国学評の初代委員長は、生学連書記長の鈴木邦男氏でしたが、しかし、鈴木氏は僅かひと月で、生学連の次の書記長・安東巌氏らの“クーデター”によって解任されるのでした。

一方、九州学評の執行委員長は椛島有三氏で、副委員長は、大分大学で「学園正常化」運動を行っていた衛藤晟一氏でした。その頃、隣の別府大学で「学園正常化」運動を行っていたのが、のちに小泉チルドレンとして衆院議員を一期務めた井脇ノブ子氏です。

森友学園の籠池理事長も生長の家の信者で、世代的にはやや下ですが、関西大学で右派学生運動をしていたという話があります。

また、全国学評には、”理論団体”として全日本学生文化会議がありましたが、その結成大会の実行委員長だったのが当時佐賀大学の学生であった百地章氏です。

やがて右派学生運動は、全共闘運動の退潮とともに終息に向かいますが、オルガナイザーの椛島有三氏は、全国学評の後継(社会人)組織として、日本青年評議会を作るのでした。その日本青年評議会こそが、日本会議の実質的な事務局を兼ねている組織です。そして、日本会議の大会などイベントの際、スタッフとして手足になって動いているのが、現在も存在する全日本学生文化会議の学生たちです。

彼らが共有するのが、生長の家の創始者・谷口雅春の「神国日本」思想です。その政治運動の原点に戻ることを目指す「生長の家原理主義」なのです。

Joe & Santaro
生長の家原理主義とは:「古事記と日本国の世界的使命」の妄想

このように、日本会議のルーツは、68年の長崎大学の右派(民族派)学生運動にあり、50年経てもなお、宗教的な紐帯で結ばれた当時のメンバーが、戦前回帰をめざす草の根の保守運動を行っているのです。謂わば彼らの”持続する志”として、日本会議があるのです。

日本会議(=日本青年評議会)は、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」や「民間憲法臨調」などさまざまな「フロント団体」を使って改憲運動を行っていますが、まず地方に改憲をめざす運動体を作り、その働きかけで県議会や市町村議会で改憲求める決議を行い、それをもって国会で実現をせまるという戦略をとっているそうです。それは、かつて元号法制化運動で成功した戦略を踏襲したものだそうですが、私は、なんだか毛沢東の「農村から都市を包囲する」革命戦略を思い出しました。

それにしても、どうして安倍首相は、「生長の家原理主義」の関係者に周りを固められ、その影響を受けるようになったのか。そのことについて、菅野完氏は、つぎのように書いていました。

それまでの総理総裁と比べ、安倍の党内権力基盤は驚くほど脆弱だ。日本会議や「生長の家原理主義ネットワーク」をはじめとする「一群の人々」が安倍の周りに群がり、影響力を行使できるのも、この権力基盤の脆弱さに由来するのではないか。安倍は他の総理総裁よりつけこみやすく、右翼団体の常套手段である「上部工作」が効きやすいのだ。
(同上)


それは、まるで安倍首相のサラリーマン時代の上司が言うように、「子犬が狼の子と群れているうち」に「狼の子」に「感化」されてしまったような感じですが、しかし、同じ「狼」でもそれはとんでもない「狼」なのです。ときの総理大臣が戦前回帰を目論む国粋主義的なカルト思想(それも、特定の宗教的カルト思想)を信奉する一群の人たちの影響下にあるというのは、呑気に片付けられるような話ではないでしょう。森友学園問題は、そんな(カルトに国が浸食される)由々しき現実の一端が顔を覗かせたとも言えるのです。


関連記事:
生長の家の声明
2017.03.26 Sun l 社会・メディア l top ▲
安倍挨拶状
上は、先ほど菅野完氏のツイッターにアップされた安倍首相の挨拶状です(クリックで拡大可)。籠池理事長は以前、安倍首相が塚本幼稚園に来る予定だったけど、総裁選に出馬したため、スケジュールの調整が付かず来ることができなくなった、と言ってました。それを裏付ける資料と言えるでしょう。

森友学園問題は、ここ数日で、国会から籠池理事長にイニシアティブが移った感じでした。

籠池理事長にしても、籠池理事長の「窮鼠猫を噛む」路線への転換に一役買った菅野完氏にしても、当然リスクはあるでしょう。特に、出る杭を打つことを生業とする週刊誌にとって、安倍夫妻より籠池理事長や菅野氏のほうが素材としては美味しいはずです。脛に傷を持たない人間なんてそうそういるものではありません。その意味では、菅野氏はあえて火中の栗を拾ったと言えなくもないのです。

一方で、フリーライターの菅野氏にマイクを向けて、籠池理事長の情報を得ようとするマスメディアの連中には、それこそ「恥を知れ」と言いたくなりますが、しかし、悲しいかな、森友学園問題は今後ますますテレビ局を中心とするマスメディア主導で収束が図られる、そういう方向に進むのは間違いないでしょう。

来週の証人喚問は、国会と籠池理事長によるイニシアティブ争奪の“最終決戦”の場と言っていいのかもしれません。しかし、自民党の竹下亘国対委員長の「総理に対する侮辱だ」ということばが象徴するように、「ほとんど独裁者気分」の「宰相A」相手に一介の「民間人」が「窮鼠猫を噛む」ことは、至難の業と言えるでしょう。

菅野完氏の『日本会議の研究』(扶桑社新書)に、今の森友学園問題を予見しているかのような箇所がありました。戦前に出版された(旧)生長の家の経典『生命の實相』を掲げて講演する稲田朋美氏と、教育勅語を唱和したり「愛国行進曲」や「日の丸行進曲」を合唱する塚本幼稚園を並べて紹介した上で、つぎのように書いていました。

 この2つの写真、一見何ら関係のないように見える。しかし、「『生命の實相』を掲げて講演する稲田朋美」と「愛国行進曲を唱和する塚本幼稚園」の間には、極めて太い関係性があるのだ。


その「太い関係性」というのは、“生長の家原理主義”です。

日本会議の中心メンバーが、(旧)生長の家の学生信者たちによる民族派学生運動の元活動家たちで占められていることはよく知られた話ですが、その思想的な核にも、谷口雅春の「神国日本」思想を信奉する“生長の家原理主義”があるというわけです。

昨日、瑞穂の國記念小學院の現場で、視察に訪れた参院予算委員会のメンバーたちを籠池理事長が応対していた際、「森友学園は悪くない!」「森友学園がんばれ!」と絶叫する、「ほとんどビョーキのような」女性の声が聞こえていましたが、あれは在特会元大阪支部長の女性活動家の声だそうです。その声をバックに、籠池理事長は、「我々がこの学園をつくり上げようとしたのは、みなさん方のご意志があってこそだと思っております。そのご意志のなかには、大変恐縮ですが、安倍内閣総理大臣の寄付金も入っておりますことを伝達します」と“爆弾発言”を行ったのでした。

私は、そのシーンを観ながら、先日、毎日新聞のウェブサイトに載っていた下記の記事を思い出したのでした。

毎日新聞ニュース
新ナショナリズムの正体! 「森友学園」問題と「世界のアベ」を解読=伊藤智永

「世界のアベ」を自認する安倍首相が、好きな外交で得た「尊大な自信」と「英雄気分」を、「校庭にゴミの埋まった未認可小学校の『「疑惑』など、実にくだらないイチャモン」でケチを付けられてイライラしているというのは、そのとおりかもしれません。だから、あのように、すぐキレるのでしょう。

でも、問題は、「雄大な外交戦略と卑俗な雑事の落差」だけにあるのではないのだと言います。

 しかし、安倍首相の苛立ちは、外交と内政、雄大と卑俗の落差ばかりが原因ではない。日露・日米首脳会談と学校法人「森友学園」問題は、実はどちらもナショナリズムの発露という特徴が共通している。ただし、外交ナショナリズムはグローバリゼーションの潮流に棹(さお)差し、そこで生き残るため、さらに果敢な攻勢に打って出る新しいナショナリズムであるのに対し、日本会議的なナショナリズムはステレオタイプの旧来「保守」型であり、グローバリゼーションへの積極的対応や親和性は薄い。

 水と油の新旧ナショナリズムが、引き離そうとしても磁石のN極とS極のように安倍氏の両脇にぴたりと張り付き、安倍「保守」政治のねじれで首相本人もよじれている。「保守」という多義的な価値観のずれが日増しに拡大し、安倍「保守」政治が引き裂かれつつある。安倍政治から「保守」の要素が引き剥がされて、国内自足的な旧態「保守」とは同居し難くなっている。そのジレンマにもがく苛立ちも深層に底流している。


今日、瑞穂の國記念小學院の現場で見られた光景は、その新旧のナショナリズムの解離と対立を映し出していると言ってもいいのかもしれません。もちろん、籠池理事長の「窮鼠猫を噛む」路線への転換も、個人的な感情だけでなく、その脈絡でとらえることも可能でしょう。

安倍首相の「なんちゃって右翼」は、大好きなおじいちゃんの名誉を復権し、そのおじいちゃんに溺愛されたボクが辿り着いた「自己愛の世界」にすぎないのです。あくまで”趣味のようなもの”なのです。その”趣味”である「稲田朋美」や「森友学園」のお粗末さが現在、露わになっているのですが、彼らが依拠する”生長の家原理主義”に象徴されるような、復古主義的で「国内充足的な」ナショナリズムは、もはやボクの足をひっぱる都合の悪いものになりつつあるというわけです。籠池理事長の「仲が良かったのに裏切られた」という発言は、いみじくもその本質を衝いているとも言えるのです。


関連記事:
『保守の本分』
2017.03.17 Fri l 社会・メディア l top ▲
安倍三代


今国会の森友学園問題における答弁でも、安倍首相の「息を吐くように嘘を言う」性格や、批判に対してすぐ激高する子どもじみた性格が、これでもかと言わんばかりに出ていました。

それは、安倍首相だけではありません。昭恵夫人の講演などを見ても、その喋り方からして、おせいじにも頭がよさそうには見えません。

昭恵夫人は、森永製菓の創業家のお嬢様でしたので、小学校からずっと聖心女子学園に通っていました。しかし、「勉強が嫌い」(本人の弁)で成績が悪かったため、多くの同級生たちが進む聖心女子大には入れずに系列の専門学校に行ったのですが、昭恵夫人自身も、週刊誌のインタビューで、そのことがコンプレックスだったと言ってました。それで、第一次安倍政権のあと、(大卒の資格がなくても入れる)立教大学の大学院に入り、修士号を取得したそうです。

安倍晋三首相も、小学校から大学まで吉祥寺の成蹊学園に通っていました。私も安倍首相に近い世代ですので、当時の成蹊大学のことを知っていますが、知名度は低かったものの、決して“バカ大学”ではありませんでした。早慶や上智には及ばないものの、明治や立教などとは充分肩を並べるくらいの大学でした。ほかで言えば、明治学院や青学や学習院と同じくらいでした。

ただ、それはあくまで外部からの一般入試の場合です。高校の同級生で成蹊に行った人間がいますが、その人間はよく「付属から来た人間はバカが多い」と言ってました。安倍首相自身も、受験(受験勉強)を経験してないことがコンプレックスだと言っていたそうです。

青木理氏の『安倍三代』(朝日新聞出版)を読むと、成蹊の同級生たちは、安倍晋三氏について、「可もなく不可もなく、極めて凡庸で何の変哲もない“いい子”だった」と口を揃えて言ってました。大学のゼミの指導教官も、晋三氏がゼミでなにか発言しているのを聞いたことがなく、卒業論文が何であったかも「覚えていない」そうです。

母方の祖父の岸信介も、父方の祖父の安倍寛も、父親の安倍晋太郎も、みんな東大を出ています。しかし、晋三氏は小学校から大学までいわゆるエスカレーター式で上り、受験勉強も経験してないのです。同級生の話では、晋三氏の成績は、東大はおろか、早慶も無理だったそうです。

父方の祖父の安倍寛は、故郷の山口県(旧)日置村の村長や山口県会議員を経て、国会議員を二期務めた政治家です。しかし、安倍晋三氏とはまったく異なる政治信条をもつ人物でした。二度目(1942年)の国政選挙に出馬した際は、戦争中で、全政党が解散させられた、文字通りの翼賛選挙でした。そのなかで、安倍寛は、大政翼賛会の推薦を受けない“非推薦候補”として、特高警察や憲兵隊の監視や妨害を受けながら、当選を果たしたのでした。その際の選挙スローガンは、「富の偏在は国家の危機を招く」というものでした。軍の暴走と無謀な戦争を怒り、農村の窮乏を訴えた、「反骨と反戦の政治家」だったのです。

父親の安倍晋太郎も、タカ派の福田派に属しながら、子どもの頃、父親に対する官憲の弾圧を目にしたことや新聞記者をしていた経験から、護憲を明言する平和主義者で、バランス感覚にすぐれた政治家だという評価があります。また、安倍晋太郎は、六高(旧制第六高等学校)時代、生涯の友となる韓国出身の同級生と出会っています。そのため、在日朝鮮人に対する偏見もなく、実際に地元の山口では在日の支援者も多くいたそうです。そういった懐の深さもあったのです。

しかし、安倍晋三氏は違います。著者の青木理氏は、こう書いていました。

成育過程や青年期を知る人々にいくら取材を積み重ねても、特筆すべきエピソードらしいエピソードは出てこない。悲しいまでに凡庸で、なんの変哲もない。
(略)
しかし、それが同時に不気味さを感じさせもする。なぜこのような人物が為政者として政治の頂点に君臨し、戦後営々と積み重ねてきた“この国かたち”を変えようとしているのか。これほど空疎で空虚な男が宰相となっている背後には、戦後70年を経たこの国の政治システムに大きな欠陥があるからではないのか。


少なくとも学生時代も、サラリーマン時代も(と言っても僅か三年ですが)、今のような右翼的な言動は微塵もなかったそうです。いつからネトウヨのような思想をもつようになったのか。

もしかしたら安倍晋三氏のそれは思想と言えるようなものではないのかもしれません。安倍晋三氏こそ、「なんちゃって右翼」と呼ぶべきなのかもしれないのです。所詮は、「趣味」のレベルでしかないのではないか。

晋三が敬愛してやまない岸信介にせよ、父方の祖父の安倍寛にせよ、あるいは父の安倍晋太郎にせよ、青年期から政治家を目指す気概に溢れ、天賦の才に加えてかなりの努力も尽くしていたが、晋三の周辺をいくら取材してもそんな様子は微塵も感じられない。
『安倍三代』


青年期までの晋三には、たとえば岸の政治思想を深く突きつめて思索を重ねた様子はなく、そうした思想を下支えする知を鍛えあげた痕跡もなく、血肉化するための努力を尽くした気配もない。
(同上)


大学の恩師である加藤節成蹊大名誉教授も、「彼(晋三)は大学4年間で、自分自身を知的に鍛えることがなかったんでしょう」と言っていたそうです。そして、安倍首相には、ignorantの「無知」とshamelessの「無恥」の二つの「ムチ」があると酷評するのでした。

サラリーマン時代の上司は、今の安倍晋三首相について、「(政界入り後に)周りに感化された」んじゃないか、「子犬が狼の子と群れているうち、あんなふうになってしまった」んじゃないかと言っていましたが、言い得て妙と言うべきかもしれません。

安倍晋太郎の番記者であった元共同通信記者の野上忠興氏も、『安倍晋三 沈黙の仮面』(小学館)で、つぎのように書いていました。

(略)安倍氏は、「気が強く、わがまま」(養育係の久保ウメ)で、「反対意見に瞬間的に反発するジコチュー(自己中心的)タイプ」(学友)だ。それが、父・晋太郎氏が懸念した「政治家として必要な情がない」一面につながっている。


こういった上げ底の薄っぺらな夫婦が、「一強」などと言われ、巨大な権力を動かすその頂点に鎮座ましましているのです。さらに、2021年までの、日本の憲政史上稀に見る長期政権まで視野におさめているのです。


関連記事:
『拉致被害者たちを見殺しにした安部晋三と冷血な面々』
2017.03.14 Tue l 社会・メディア l top ▲
森友学園の籠池理事長が記者会見し、小学校の認可申請を取り下げ、みずからも理事長を退任することをあきらかにしたそうです。

つぎつぎとあきらかになる不正。「不認可」は既定路線でしたので、「苦渋の決断」(籠池理事長)をせまられた、そう追い詰められたと言えなくもないでしょう。

森友学園は、籠池夫妻が実権を握り、「愛国」教育に舵をきってから、退園者が続出、経営状態が急速に悪化したと言われています。

森友学園が、大阪府(私学審議会)と国土交通省と伊丹空港を運営する関西エアポートに、それぞれ金額が異なる工事請負契約書を提出した件では、昨日、施工業者が大阪府の聞き取りに対して、「学園側の虚偽説明に基づき作成したことを認めた」というニュースがありましたが、これが取り下げの決定打になったのかもしれません。

今回の問題は、豊中市のひとりの市議が情報開示の訴えを起こさなければ、そして、朝日がそれをスクープしなければ、間違いなく闇に葬られたのです。

言うまでもないことですが、国有地は、財務官僚のものでも、与党の政治家のものでもないのです。国民の財産なのです。補助金は、財務官僚や与党の政治家たちがポケットマネーから出しているわけではないのです。私たちが納めた税金なのです。このデタラメぶり、ザル加減は、一体なんなんだろうと思います。私は、広瀬隆氏の「私物国家」ということばを思い出さざるを得ませんでした。

小学校用地の“値引き”をめぐって、森友学園と近畿財務局の交渉が本格化していた時期に、安倍首相が国有地を担当する財務省理財局の迫田英典局長(安倍首相の選挙区と同じ山口県出身)と何度も会っていたという話がありますが、その迫田氏は、現在、国税庁長官です。週刊新潮が書いているように、「税の徴収を司る者が国有財産を叩き売りしていたなんて、トンだお笑い種」で、「ブラックジョーク」としか言いようがありません。

森友学園の塚本幼稚園は、安倍政権がすすめる「教育再生」を先取りした将来の“あるべき教育の姿”と言っていいのかもしれません。「愛国」者たちにとって、”理想の幼稚園”だったのではないか。そして、「安倍晋三記念小学校」(瑞穂の國記念小學院)を戦前的価値を称揚する「教育再生」の“モデル校“にしたかったのかもしれません。

教育勅語についても、安倍首相は「大変すばらしい理念が書いてある」と国会で答弁していますし、下村博文元文科大臣も在任中、「至極まともなことが書かれていると思う」と発言しています。また、稲田朋美防衛大臣も、先日の国会で、「教育勅語の精神は取り戻すべきだと今も思う」と発言しています。それどころか、稲田氏は、文科省が塚本幼稚園が「教育勅語を教えるのは適当ではない」と新聞取材に答えたことに対して、「なぜいけないのか」と担当者を「恫喝」したなどという話さえあるのです。

小沢一郎氏に言わせれば、稲田朋美氏は安倍首相の「趣味のようなもの」だそうですが、塚本幼稚園も、稲田氏同様、安倍首相の「趣味」だったのではないか。だから、ほとんどビョーキのような「愛国」教育を「素晴らしい」と言い、“名代“の昭恵夫人が小学校の名誉校長になったのでしょう。「(籠池氏は)私の考え方に非常に共鳴している方」という安倍首相の国会答弁が示すように、籠池理事長と安倍首相は、ネトウヨまがいの極右思想を共有した相思相愛の仲だったのでしょう。

上西小百合議員が言うように、実行部隊は松井一郎大阪府知事をはじめとする大阪維新の政治家やその関係者たちだったのかもしれませんが、その裏で安倍首相を含めた「愛国」者たちの邪な思惑がはたらいていたと考えてもおかしくないのです。

松井一郎知事は、自民党の府議会議員時代から日本維新の有力メンバーとして活動していたそうです。安倍首相の日本会議を媒介とする大阪の”改憲人脈”は、自民党より大阪維新が中心だと指摘する人もいるくらいです。

上西小百合議員は、今日の認可申請取り下げに関して、つぎのようにツイートしていました。


また、産経新聞も、問題が発覚する前は、塚本幼稚園の「愛国」教育について、下記のように、まるでパブ記事とみまごうような記事を書いていたのです。みんな、安倍首相の「趣味」を共有していたのです。

産経WEST
安倍首相夫人・アッキーも感涙…園児に教育勅語教える“愛国”幼稚園 「卒園後、子供たちが潰される」と小学校も運営へ

そして、問題が発覚したら、今度は手のひらを返したように、「愛国」者たちは森友学園を見放したのです。籠池理事長が恨みがましく言うように、「尻尾切り」を行ったのです。

安倍首相周辺では、「国家戦略特区」を利用して、「腹心の友」に36億円の国有地を無償譲渡したと言われる、加計学園の問題が新たな疑惑として浮上していますが、愛国心を方便に国家(日本)を食い物にする「愛国」者たちこそ、“フェイク“あるいは国を食む”シロアリ”と言うべきでしょう。
2017.03.10 Fri l 社会・メディア l top ▲
安倍夫妻との関係が疑惑をよんでいる「安倍晋三記念小学校」(瑞穂の國記念小學院)の土地売却問題ですが、大手マスコミ(特に読売新聞と産経新聞)が“自主規制”していたため、今ひとつわかりにくい面があります。

本来なら時系列や関係図で疑惑をわかりやすく説明するはずですが、今回はそういったものがほとんどありません。疑惑をスクープした朝日新聞や昭恵夫人の講演ビデオを流したテレビ東京などを除いて、独自取材による記事はきわめて少ないのです。これこそ報道の自由度ランキング(「国境なき記者団」)72位の国にふさわしい光景と言えるでしょう。

森友学園に対しては、二つの側面から疑惑があります。ひとつは、財務省が権限をもつ国有地の売却問題です。もうひとつは、大阪府が権限をもつ小学校新設の認可の問題です。

まず土地売却の疑惑ですが、問題が明らかになったのは、、市民オンブズマンの活動をしているひとりの豊中市議の提訴がきっかけでした。2016年、豊中市にある国有地が、「安倍晋三記念小学校」(瑞穂の國記念小學院)の開校を申請している運営母体の森友学園に売却されたのですが、その売却額が非公表になっていたのに疑問をもった市議が、売却額の公表を求めて提訴したのです。そして、2017年2月8日、売却額が公表され、その金額の低さ(値引き額の多さ)に注目が集まったのでした。

この土地は、当初は国と森友学園の間で、10年間賃貸し、そのあと時価で売買することを約束した定期借地契約になっていました。ただ、森友学園が賃貸契約を結ぶ前、別の学校法人が、撤去費用や汚染土除去費用を差し引く同様の条件で、5億8000万円で購入を希望していたものの、金額面で折わなかったという話があります。また、上記の学校法人と同じかどうかわかりませんが、毎日新聞の最新の記事では、2012年に同じ豊中市にある大阪音大が7億円で購入する意思を示したけど、国が9億円以上の金額にこだわったため、やはり折り合いが付かなったそうです。

その後、森友学園が近畿財務局の公募に応じるのです。もっとも、公募と言っても、実際は森友学園との随意契約でした。国有地の売却を競争入札ではなく随意契約で行うのは前例がないそうです。ところが、森友学園は、取得資金が用意できませんでした。すると、近畿財務局は、売買ではなく賃貸契約に変更するのです。買主の都合で契約を変更することも、新規に学校を建設するのに国有地を定期借地契約で借りるのも、前例がないそうです。このように、森友学園に対して、前例のないさざまな便宜がはかられたのでした。

2016年3月、森友学園から近畿財務局に対して、杭打ちをしている際、地中に生活ゴミが埋められていることが判明したと通告があります。すると、今度は一転して、売買に向けた動きがはじまるのでした。 しかも、前年(2015年)には、もとの登記簿上の所有者であった国交省大阪航空局が、地下3メートルまでのゴミの除去費用として、既に1億3200万円を負担しているのです。

2016年3月14日
通告を受け、近畿財務局の依頼で大阪航空局が現地調査を行います。民間の専門業者ではなく、大阪航空局が現地調査を行うのです。

2016年3月24日
森友学園が賃貸契約をやめて買取ると申し出ます。

2016年4月14日
大阪航空局は、ゴミの撤去費用として、8億2200万円の見積を行います。専門外の大阪航空局がゴミの撤去費用の見積を行うのも初めてだそうです。しかも、森友学園の籠池泰典理事長は、問題発覚後、ゴミ撤去の実費は1億円くらいだと"”証言”しているのです。

2016年5月31日
国有地の不動産鑑定評価額が9億5600万円と決定。

2016年6月20日
撤去費用を差し引いた1億3400万円で売買契約が結ばれます。国は既に撤去費用として1億3200万円を負担することになっていますので、実質的には200万円で9億5600万円の土地を手放したことになります。1億3400万円という金額は、周辺の土地に比べて10分の1の価格だそうです。しかも、校舎の建築費用に対して、別途、6千円の補助金まで付けられているのです。要するに森友学園は、携帯電話と同じ「実質0円」で、9億5600万円の土地を手に入れたことになります。

取得代金の支払方法についても、前例のない破格の条件が付けられています。頭金が2700万円で、残りの1億円は10年間の分割(年1100万円)で延滞利息は1%だそうです。

しかも、どういう経緯でそういった破格の条件になったのか、交渉の記録は既に破棄されおり、確認しようがないと国会で答弁されています。

この小学校に関しては、当初「安倍晋三記念小学校」と付けることを学園が希望し、「安倍晋三記念小学校」の名称で寄付金集めも行われていました。国会でも問題になっていますが、実際に昭恵夫人が名誉校長に就任していました。

昭恵夫人が初めて系列の塚本幼稚園を訪れたのは2014年だと言われています。フジテレビで流れた映像では、2014年4月、塚本幼稚園で、「日本国のために活躍されている安倍晋三内閣総理大臣を一生懸命支えていらっしゃる昭恵夫人、本当にありがとうございます。ぼくたち、わたしたちも頑張りますので、昭恵夫人も頑張ってください」と園児が言うと、昭恵夫人は「感動しちゃいました」と言って涙ぐんでいました。日本国を「我が朝鮮」、安倍晋三内閣総理大臣を「偉大な金正恩同志」と置き換えれば、北朝鮮の幼稚園とそっくりです。

また、森友学園のサイトには、つぎのような安倍昭恵名誉校長の挨拶文が掲載されていました。

籠池先生の教育に対する熱き思いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました。

瑞穂の國記念小學院は、優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます。

そこで備わった『やる気』や『達成感』、『プライド』や『勇気』が、子ども達の未来で大きく花開き、其々が日本のリーダーとして国際社会で活躍してくれることを期待しております。


塚本幼稚園での講演で、昭恵夫人は、「(こちらの教育方針は)主人も素晴らしいと思っている」「せっかくここ(塚本幼稚園)で芯ができたものが(公立の)学校に入った途端揺らいでしまう」と発言していました。

塚本幼稚園は、教育勅語を暗唱させ、排外主義的な教育をおこない、運動会の選手宣誓で「大人の人たちは、日本が他の国に負けぬよう、尖閣諸島・竹島・北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国・韓国が心を改め、歴史で嘘を教えないようお願いします。安倍首相がんばれ、安倍首相がんばれ。安保法制国会通過よかったです」と年端もいかない園児に言わせるような、「ほとんどビョーキのような」幼稚園なのです。

その「芯」が公立の小学校に行ったら「揺らいでしまう」と昭恵夫人は言っているのです。だから、「芯」が揺らがないように独自の学校が必要だとでも言いたげです。

また、自身のフェイスブックにも、つぎのような写真とコメントを載せていました。

https://www.facebook.com/akieabe/

もうひとつは、大阪府が権限をもつ認可の疑惑です。こちらの問題は、上西小百合議員が孤軍奮闘しています。

もともと森友学園と大阪維新の会は近い関係にあったと言われています。松井一郎大阪府知事と籠池理事長は、ともに日本会議の有力メンバーです。また、同じ改憲論者として、森友学園と橋下徹氏(豊中市在住)との関係を指摘する声もあります。上西議員のツイッターによれば、ハシシタと同じ大阪北野高校ラグビー部出身の籠池理事長の息子は、日本維新の会(旧大阪維新の会)の足立康史議員の私設秘書だったそうです。

上西議員自身、維新の議員になった際、塚本幼稚園を視察してその素晴らしさを広めろと命じられたのだとか。


そして、上西議員は、党本部に送ったそのときの報告書をツイッターに載せていました。

2014年10月
まだ土地取得をしていなかったにも関わらず、森友学園は小学校の新規開校の認可申請を大阪府に行います。認可申請後、大阪府は財務省と協議を行い、その結果、財務省は近畿財務局をとおして森友学園と国有地の借地契約を結んだのでした。

その前の2011年、学園側から私立小学校の設置認可審査基準の緩和の要望があり、それを受けて同年12月4日、大阪府は審査基準の緩和を決定したのでした。それは、幼稚園しか設置してない学校法人に、借入金があっても設置を認めるという内容で、まるで森友学園のために緩和したみたいですが、実際に緩和後の小学校の認可申請は森友学園の1件だけだそうです。

2014年12月
大阪府は、認可申請を私学審議会に諮ります。しかし、財務状況に不安あるなどの理由で、いったんは認可が見送られます。

2015年1月
翌月、森友学園の申請を再審査するためだけに、臨時会が開かれます。そして、開校に向けた進捗状況を報告するという条件付きで、「認可適当」の答申がなされたのでした。それも、前例ないほどのスピード認可でした。

ただ、開校をとりまく状況はきびしいものがあり、1・2年生各80名の定員に対して、1年生が45名、2年生が5名しか応募がなく、さらに今回の問題で1年生5名が入学を辞退したそうです。寄付金頼りの財政状況も問題で、職員に対して1学期分の人件費しか用意できてないという声もあります。

また、松井一郎大阪府知事が、タダ当然で手に入れた森友学園の土地について、「転売禁止条項がついているから、法人が転売で儲ける事はできない」と発言していることについて、転売禁止条項の有効期間は10年で、そのあとは転売可能で、「転売できない」というのは嘘だと上西議員が指摘していました。

一連の経緯の過程で、安倍首相が国有地を担当する財務省理財局の同郷の幹部(のちに国税庁長官に昇進)と頻繁にに接触していたという話もありますが、森友学園を特別扱いした背景に政治家の関与がなかったなんて、常識的に考えても通用しない話でしょう。日本会議を媒介とする安倍首相の大阪の”改憲人脈”が裏で動いていたとか、実父の椿原泰夫氏が籠池理事長と親しい関係にあった稲田朋美氏が、安倍夫妻と森友学園を繋いだのだとか、さまざまな話がありますが、なんらかの大きな力がはたらいたのは間違いないでしょう。(※その後、稲田朋美氏の夫が森友学園の顧問弁護士をしていたことが判明)

今回の問題で浮かび上がってくるのは、石原や田母神某と同じように、国家(日本)を食い物にする「愛国」者たちの腐れ切った姿です。彼らがやっていることは、愛国心を方便にした「愛国」ビジネスです。「愛国」がマネーロンダリングならぬ“タックスロンダリング”に使われているのです。右翼民族派は、どうして怒らないのだろうと思います。

また、国会答弁では、子どもの頃から言われていた、安倍首相の平気で嘘を吐く性格やすぐキレる性格が、はからずも露呈されているように思います。答弁で連発していた「印象操作」という言い方は、産経新聞の「ブーメラン」同様、ネトウヨの常套句とも言うべきものです。

このブログでも、政権の中枢が「ほとんとビョーキのような」宗教的なカルト思想に冒されている問題(その怖さ)を指摘したことがありますが、今回、その一端があきらかになったと言っていいでしょう。

昨年、安倍昭恵夫人にインタビューした東京工業大学准教授の西田亮介氏によれば、昭恵夫人は安倍首相について、つぎのように話していたそうです。

「主人自身も特別な宗教があるわけじゃないんですけど、毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人なんですね」


BLOGOS
「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」 安倍昭恵氏インタビュー

こういった夫婦が長期政権の冠に祭られているのです。右か左かどころではなく、日本にとってきわめて深刻な問題と言えるでしょう。

個人的には、昭恵夫人について、「家庭内野党」だなどという記事を書いた朝日新聞の女性記者や、昭恵夫人を高江のヘリパッド基地反対運動の現場に連れて行った三宅洋平らのお粗末さを、今更ながらに思わないわけにはいかないのでした。
2017.03.02 Thu l 社会・メディア l top ▲
今月11日の東京新聞に載った社会学者の上野千鶴子氏のインタビュー記事が、左派リベラルの人たちの間で波紋を呼んでいるようです。

インタビューの内容は、以下のとおりです。

東京新聞 TOKYO Web
【考える広場】 この国のかたち 3人の論者に聞く

彼らが特に問題にしているのは、上野氏のつぎのような発言に対してです。

 日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。

 移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。

 客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。

 主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。


左派リベラルの人たちは、上野氏の発言は、不正確な認識に基づいた、移民に対する偏見だと反発しているのでした。

私は、まず、移民受入れに賛成の人たちがこんなにいたことにびっくりしました。日ごろ、ネットでは反対の声が圧倒的に多く、みんな反対ではないかと思っていたので、賛成の人たちがこんなにいたなんて驚きでした。

もっとも、これがネットの特徴(マジック)と言えるのかもしれません。百家争鳴で議論を戦わせるというのが、Web2.0などネットの理想だったはずですが、現実はまったく逆で、「タコツボ化」とか「同調圧力」と言われるように、同じ意見の人間たちが集まり、ただオダをあげるだけの場になっているのです。

私は、あまのじゃくな人間なので、上野氏の発言を「反語」や「皮肉」と受け止めました。ネットの反応を見るにつけ、どうして左派も右派も、身も蓋もないことしか言えないのだろうと思います。

「タコツボ化」や「同調圧力」というのは、言うなれば異論を排する全体主義的な傾向と言えなくもありません。かつて平野謙は、共産党のリンチ事件に関連して、みずからの非を認めない日本共産党の姿勢を「リゴリズム」ということばを使って批判したのですが(『リンチ共産党事件の思い出』)、平和や共生や環境といった“絶対的な正しさ”に無定見に寄りかかり、身も蓋もないことしか言えない人たちというのは、そうやって無謬神話で偽装された“もうひとつの全体主義“を担いでいるとも言えるのです。

もちろん、「単一民族神話」は虚構で、既に日本も多文化の社会であるというのはそのとおりかもしれません。しかし、一方で、「単一民族神話」を頑迷に固執する民意があることも事実でしょう。そして、そんな民意に媚びるポピュリズム政治に対して、左派リベラルがまったくの無力であることも事実でしょう。

だったら私は、(そんなに「単一民族神話」に固執したいのなら)上野千鶴子氏が言うように、坂を下る覚悟をもち、みんなで「平等に」貧しくなればいいのだと思います。

労働者の40%が非正規雇用で、生活保護の基準以下で生活している人たちが2千万人もいるような社会に、さらに安い労働力を受け入れればどうなるか、火を見るよりあきらかでしょう。移民受け入れに対しては、ステレオタイプな総論(イデオロギー)ではなく、こういった身近な部分から考えていくことも必要でしょう。移民排斥の悲劇を招かないためにも、アメリカやヨーロッパの二の舞にならないためにも、移民受入れに慎重になるべきだという上野氏の主張は、身も蓋もないことしか言えない人たちに対する、なんと痛烈な「皮肉」なんだろうと思います。

野郎自大な左派リベラルは、「世界的な排外主義の波」に対して、自分たちが如何に無力かという認識がなさすぎるのです。「労働開国」が、国内の若年労働力の不足を補うためという“不純な動機“から検討されていることを忘れてはならないのです。そして、持つものと持たざるものとの間に越えられない格差がある限り、既に世界が示しているように、二重底の社会と排外主義がワンセットでやってくるのは間違いないでしょう。左派リベラルは、自分たちが安い労働力を求める”資本の思惑”に加担していることに、あまりにも無自覚なのです。ひいてはそれは、グローバル資本主義に追従していることでもあるのです。

上野氏の発言に対する反発を見ても、左か右かだけで、上か下かの視点がまったく欠けているのです。これでは、いつまで経っても、(ブレイディみかこ氏が言うように)ポデモスのような「地べた」の声を吸い上げるしたたかでしなやかな「新左派」の政党は生まれないでしょう。


関連記事:
全体主義と貧困の時代
2017.02.17 Fri l 社会・メディア l top ▲
トランプが発令したイスラム圏7カ国の国民の入国を一時的に停止する大統領令によって、アメリカ国内だけでなく世界が混乱しています。

ここまで大統領令の“威力”を見せつけられると、アメリカは法治国家ではなく人治国家じゃないのかと思ってしまいます。トランプはもともと政治家ではないので、突飛な発想を実行に移すことになんのためらいもないのでしょう。こんなことをやっていたら、目には目をで、YouTubeにアメリカ人の首切り映像がアップされる怖れさえあるでしょう。

”トランプ現象”というのは、日本で言えば、ネトウヨで有名なTクリニックの院長が大統領になったようなものかもしれません。核のボタンやCIAを動かす権限がT院長の手に渡ったのです。そう考えれば、背筋が寒くなるのは私だけではないでしょう。

果たして、4年の任期を全うできるのかという声もありますが(本人は2020年の次期大統領選の出馬も既に表明しているそうですが)、問題はトランプよりトランプの周辺にいてバカ殿を利用している政商たちでしょう。彼らにとって、戦争も格好のビジネスチャンスなのです。

このような内向きの政策が可能なのも、アメリカ人は世界を知らない無知な国民だからだという指摘があります。

Compathy Magazine
日本にも当てはまるかも!アメリカ人が海外に行かない3つの理由

上記の記事によれば、2014年のアメリカ人のパスポート保有率は36%で、それに対してイギリス人やオーストラリア人は70%なのだそうです。ちなみに、同年の外務省の旅券統計によれば、日本人のパスポート保有率は24%で、海外に出国する人の割合は14%だそうです。日本人は、アメリカ人より海外に行かないのです。

ただ、日本人の場合、欧米に対するコンプレックスがありますので、実際に行かなくても海外に対する関心だけは高いのです。しかし、アメリカ人には、極東に対するコンプレックスなんてありません。そのため、他国民に非人道的な措置をとれば、自分たちがそれだけリスクを負うことになるという発想もないのでしょう。まして世界には自分たちと違う文明や違う宗教の人々がいて、そういった人々とも共存していかなければならないという初歩的な発想さえないのでしょう。反トランプのデモをしているのは、海外に行くことの多いニューヨークやワシントンなど都会の高学歴のエリートたちなのかもしれません。

アメリカの学校では、「地球についてあまり教わらないことが多」く、「外国語をあまり勉強しない、交換留学プログラムに参加しない、世界の国々の事情について話さない」そうです。私たちが抱いているアメリカ人のイメージと実際のアメリカ人の間には隔たりがあるようです。それが、“トランプ現象”がいまひとつ理解できない理由のように思います。

いづれにしても、トランプの”錯乱”で、アメリカが超大国の座から転落するのにさらに拍車がかかるのは間違いないでしょう。トランプは、その引導を渡す役回りを演じていると言えるのかもしれません。

今回の入国制限について、アップルやマイクロソフトやグーグルやフェイスブックやツイッターなどのIT企業がつぎつぎと懸念を表明しています。そのため、いち早くトランプタワーを訪れ、トランプ一家に揉み手して、トランプから「マサ」などと呼ばれ親密さをアピールした孫正義氏の無定見な銭ゲバぶりが、よけい際立っています。『あんぽん 孫正義伝』で著者の佐野眞一氏が指摘していた孫正義氏の「前のめりに突っ走る危うさ」が、ここにきて露呈したような気がしないでもありません。

「朝鮮では食えず日本への渡航を繰り返した元鉱山労働者の祖父と、朝鮮で戦前に生まれて日本に渡り、戦後母国に戻って、再び日本に密航してきた父」「日本に密航後、鳥栖駅前の朝鮮部落に吹き寄せられるように住み着いた孫一家は、養豚と密造酒づくりで生計を立て、金貸しを経て、やがて九州一のパチンコチェーン経営者となった。そして、その一家から孫正義という異端の経営者が生まれた」(『あんぽん』より)のです。孫正義氏は、典型的な「在日」の歴史を背負った、言うなれば”移民の子”なのです。”移民の子”が移民排斥を主張するファシストをヨイショしているのです。人間のおぞましさを見た気がするというのは、決してオーバーな表現ではないでしょう。

孫氏ばかりではありません。入国制限について、「コメントする立場にない」と言った「宰相A」を筆頭に、株価が上がりさえすればそれでいいと言わんばかりに”トランプラリー”を煽ってきたテレビ東京(日経新聞)の証券アナリストなど、この国はトランプに対して最低限の見識さえもてない”下等物件”(©竹中労)ばかりです。彼らは、無知なアメリカ人に対して、(骨の髄まで対米従属が染みついた)情けない日本人と言うべきかもしれません。


関連記事:
「愛国ネットウヨ企業大図鑑」
2017.01.31 Tue l 社会・メディア l top ▲
ヘイトクライムが当たり前のような時代。「トランプの時代」をひと言で言えば、そう言えるのかもしれません。小泉政権の頃、「扇動政治」ということばがさかんに使われましたが、ヘイトクライムで国民の負の感情を煽り国家主義的な運動に動員する手法は、ファシズムそのものでしょう。もちろん、それは、日本とて例外ではないのです。

そんななか、やっぱり「上か下か」ではなく「右か左か」が重要だという声があります。それを現実の政治に即してわかりやすく言えば、トランプやアベやハシシタ流のポピュリズムに、SEALDsや野党共闘の「左派リベラル」を対置するという考えでしょう。

しかし、私たちは、「左派リベラル」がまったく対抗勢力になり得てない現実をもう嫌になるほど見てきたのです。そもそも(何度も言いますが)、民進党なんて野党ではないのです。民進党を、野党と呼ばなければならない不幸をもっと深刻に受け止めるべきでしょう。民進党は自民党と中間層の奪い合いをしているだけです。

既存の「左派リベラル」が、大衆(特に下層の人々)から離反しているのはあきらかでしょう。彼らは、中間層の声を代弁しているにすぎないのです。(後述する記事にあるように)なにより大衆に語りかけることばをもってないのです。

ブレイディみかこ氏は、「ポピュリズムとポピュラリズム:トランプとスペインのポデモスは似ているのか」という記事で、「年収3万ドル以下の最低所得層では、(略)前回は初の黒人大統領をこぞって支持した人々の多くが、今回はレイシスト的発言をするトランプに入れたのだ」と書いていました。

Yahoo!ニュース
ポピュリズムとポピュラリズム:トランプとスペインのポデモスは似ているのか

そして、つぎのような『ガーディアン』紙のオーウェン・ジョーンズの文章を紹介していました。

ラディカルな左派のスタイルと文化は、大卒の若者(僕も含む)によって形成されることが多い。(中略)だが、その優先順位や、レトリックや、物の見方は、イングランドやフランスや米国の小さな町に住む年上のワーキングクラスの人々とは劇的に異なる。(中略)多様化したロンドンの街から、昔は工場が立ち並んでいた北部の街まで、左派がワーキングクラスのコミュニティーに根差さないことには、かつては左派の支持者だった人々に響く言葉を語らなければ、そして、労働者階級の人々の価値観や優先順位への侮蔑を取り除かなければ、左派に政治的な未来はない。


また、ブレイディみかこ氏もつぎのように書いていました。

エル・パイス紙(引用者注・スペインの新聞)は、ポデモスとトランプは3つのタイプの似たような支持者を獲得していると書いている。

1.グローバル危機の結果、負け犬にされたと感じている人々。

2.グローバリゼーションによって、自分たちの文化的、国家的アイデンティティが脅かされていると思う人々。

3.エスタブリッシュメントを罰したいと思っている人々。

「品がない」と言われるビジネスマンのトランプと、英国で言うならオックスフォードのような大学の教授だったイグレシアスが、同じ層を支持者に取り込むことに成功しているのは興味深い。


前も書きましたが、トランプに熱狂した下層の人々は、本来なら革命に熱狂する人々だったのかもしれないのです。まさにナチス(国家社会主義ドイツ労働者党!)のときと同じように、革命の「条件」がファシストに簒奪されているのです。

ネオコンの出自はトロッキズムだと言われるように、左翼のインターナショナリズムがグローバリゼーションと思想的に近しい関係にあるのは否定できないでしょう。左翼がグローバリゼーションを批判するのは、思想的に矛盾しているとさえ言えるのかもしれません。

「右派ポピュリズムを止められるのは左派ポピュリズムだけ」というのは、含蓄のあることばだと思います。生活保護の基準以下で生活している人が2千万人もいるこの日本でも、ポデモスやSNP(スコットランド独立党)のような、(”急進左派”と呼ばれる)下層の人々に立脚した政治が待たれますが、そのためにも、右か左かではなく、上か下かの視点が大事なのだと思います。


関連記事
誰もが驚いたトランプ当選
日本で待ち望まれる急進左派の運動
2017.01.29 Sun l 社会・メディア l top ▲
昨日の夜、馬車道から東横線に乗ったら、すぐ脇の座席に作家の某氏が座っているのに気付きました。私も、氏の作品は何冊か読んだことがあり、ナショナリズムをテーマにした著書は、このブログでも紹介したことがあります。氏は、新書を読んでいたのですが、見ると本には付箋がびっしり貼られていました。氏は、気になる部分にマーカーペンでラインを引き、さらにラインを引いたページに付箋を貼っていました。

それは、私と同じ読書スタイルでした。しかも、その付箋も私が愛用しているのと同じフイルム素材のものでした。氏は、時折、眉間に皺を寄せた険しい表情で車内の乗客をみまわしていました。週末の乗客を軽蔑しているのかなと思いました。だったら、それも私と同じです。作家のように、わが道を行く独立不羈の精神をもっていれば、ときに世間に対して不遜になることもあるでしょう。

一方、私はと言えば、最近、めっきり本を読む量が少なくなっています。年を取り、老眼鏡が手放せなくなったのですが、老眼鏡をかけて本を読むことに、どうも違和感を覚えてならないのです。

昨日は、健康診断に行ったのですが、視力が0.6と0.7でした。先生から「眼鏡をかけていますか?」と言われたのですが、「老眼鏡をかけるだけです」と答えたら、「眼鏡をかけなくて困ることはないですか?」と訊かれました。たしかに夜間車を運転する際、以前に比べて見づらくなったことは事実です。運転免許証の更新でひっかかる可能性もありますので、いづれ眼鏡を作らなければならないのでしょう。そうなると、ますます本を読まなくなるのかもしれません。

考えてみれば、別に本を読まなくても困らないし、あたらしい知識なんて必要ないのです。人生にとって、そんなことは取るに足りないものです。「アベ万歳」「ハシシタ(?)万歳」「トランプ万歳」「Google万歳」と言っていれば、なんとか人生は進むのです。むしろ、沖縄の土建業者のように、おいしい人生を手にすることができるのかもしれません。

マル激トーク・オン・ディマンドで内山節氏が言ってましたが、「自由・平等・博愛」といった近代の理念は、欧米の先進国が世界の富を収奪し独り占めする、そんな構造を前提に成り立っていた幻想にすぎなかったのです。近代が行き詰った現在、近代の理念をかなぐり捨てた「本音の時代」になってきたというのは、そのとおりでしょう。内山氏が言うように、差別や搾取や戦争というのは、もともと近代の社会が内蔵していたもので、それが表に出てきたにすぎないのです。

むき出しの「本音の時代」というのは、アベやハシシタやトランプに象徴されるような、ヘイトクライムが跋扈するあらたなファシズムの時代にほかなりません。その「本音の時代」を生きぬくには、私たちもまたみずからの「本音」を対置することをためらってはならないのです。

かつて中上健次は、韓国の開発独裁を支持するような文章を書いて物議を醸したのですが、それは、韓国の民主派は高級ホテルで高級ワインを飲みながら軍事独裁政権を批判しているエリートばかりで、彼らは、独裁政権からもたらされるささやかなおこぼれを頂戴するために、両手を広げて歓声をあげている民衆の情念から遊離しているというような内容でした。

収奪の構造を前提にした近代の理念をア・プリオリなものとして捉え、一方でその前提である収奪の構造を批判するリベラル派の矛盾。それは、日本でもいくらでも見ることができます。

何度でも繰り返し言いますが、右か左かではないのです。上か下かなのです。
2017.01.22 Sun l 社会・メディア l top ▲
神奈川県小田原市の生活保護を担当する生活支援課の職員たちが、「保護なめんな」「生活保護不正受給撲滅チーム」などとプリントしたジャンパーを作製し、それを着用して受給世帯を訪問していたというニュースが問題になっています。

毎日新聞
小田原市職員 「保護なめんな」ジャンパーで受給世帯訪問

このジャンパーは2007年に作られたのですが、この10年間で60名の職員が自費で購入していたそうです。会見では、如何にも役人らしくジャンパーを制作したいきさつを説明して弁解していましたが、ジャンパーの文言の意味を知らなかったというのは、どう考えても嘘でしょう。文言の意味も知らずに、5千円近くも出してあんなチープなジャンパーを購入するでしょうか。傷害事件で下がったモチベーションを上げるためという側面があったにせよ、ああいったジャンパーを作ったこと自体、受給者を見下すネトウヨ的思考が職場を支配していた証拠と言われても仕方ないでしょう。

厚労省の調査でも、生活保護費の不正受給は、件数で全体の2%、金額では1%以下です。むしろ不正受給で問題すべきは、ヤクザにやさしく一般人にきびしい窓口の対応でしょう。小田原市役所の担当者たちが、「生活保護不正受給撲滅チーム」とプリントしたジャンパーを着て、ベンツに乗って生活保護を受けているような強面の受給者のもとを訪問したのならわかりますが、おそらくその手の受給者は見て見ぬふりだったのでしょう。生活保護の担当者がみずからの権限をかさに、受給者の女性に性的関係をせまったという話がときどき表に出てきますが、彼らがやっていることは、公務員の特権をかざした弱い者いじめにすぎないのです。問題の本質は、公務員の思い上がった意識なのです。

宮崎学は、以前、公務員を「小市民的特権階級」と呼んでいましたが、とりわけ地方では、彼らのめぐまれた生活ぶりは際立っており、住民の嫉妬と羨望の的になっていると言っても過言ではありません。それが、このような傲慢な公務員が生まれる背景になっているのではないか。

何度も言いますが、日本の生活保護の捕捉率は10パーセントにすぎず、これは他の先進諸国に比べて著しく低い数字です。そのため、生活保護基準以下であるにもかかわらず、生活保護を受給してない人が2千万人もいると言われているのです。要するに、セイフティネットが充分機能してないのです。ところが、日本では、捕捉率が低いことが、逆に受給者は特権だ甘えだ贅沢だというような、本末転倒した”生活保護叩き”に使われているのです。

今回の問題は、外部からの指摘で表面化したそうで、内部の職員たちが指摘したのではないのです。護憲や平和や共生や格差解消を訴えている、“左派リベラル”の自治労の組合員たちが指摘したのではないのです。むしろ逆に、着用していた職員のなかには、自治労の組合員もいたのかもしれません。

自治労(職組)が、当局や議会と一体となって地方自治を食い物にしているという批判がありますが、たしかに横浜市などを見ても、そういった批判は当たらずとも遠からずといった気がします。今回の問題は、(皮肉ですが)まさにマルクスが言う「存在が意識を決定する」好例と言えるのかもしれません。

公務員はめぐまれているというような話をすると、左派の人間から軽蔑のまなざしで見られ、鄧小平の先富論のような屁理屈(昔の”国民春闘”と同じ屁理屈)で反論されるのが常ですが、しかし、そういった”左派的思考(屁理屈)“は、もうとっくに「終わっている」のです。「自治体労働者への攻撃を許すな!」というスローガンにどれほどの説得力があるというのでしょうか。公務員問題に右も左もないのです。
2017.01.18 Wed l 社会・メディア l top ▲