このブログも、山の話を書くようになってからアクセス数が半減しました。山だけが原因ではないでしょうが、一般の人にとって、山に登るというのはそれだけ関心外のことなのでしょう。

山に行くには当然ながら怪我のリスクも伴います。また、山登りは、お金のかかる趣味でもあります。服や用具も、「専門性」を盾にバカ高いのが常ですが、それだけではありません。

よく山で会った人から、日帰りで山に行くのに、5千円の予算で納めるようにしているという話を聞きますが、私の場合、5千円ではとても納まりません。

昨日の大岳山に行ったときも、1万3千円をおろして出かけたのですが、帰ってきて財布に残っていたのは2千円でした。パスモに5千円チャージしたのですが、残金は400円になっていました。このように交通費がバカにならないのです。JRやバスを利用することが多いので、その分割高になるのでしょう。

これで月に3回から4回山に行くと、結構な出費になります。それ以外に、ちょくちょく用具を買い替えたりすると、山登りは贅沢な趣味の部類に入ると言っても過言ではないでしょう。

今は違いますが、昔は、山登りはインテリのスポーツと言われていました。私は、山登りの“拠点”でもあった九州の山の麓の温泉場で育ちましたが、たしかに昔は登山客はインテリばかりでした。学生と言えば九大生で、社会人も学校の先生やお医者さんなどんが多かったのを覚えています。ちなみに、くじゅう(久住)で初めての遭難者は、九大(旧九州帝大)の医学部の学生のパーティだったと言われています。

余談ですが、よくくじゅう=久住を九重と書きますが(山と高原地図も九重山と記載されている)、あれは間違いです。九重山なんてありません。正確には久住山です。昔は、久住連山と言ってました。久住山の麓にあるのは久住町で、九重町ではありません。くじゅう=久住連山の反対側(今は、九州横断道路ができて交通の便がよくなったので、“表側”のようになってますが)に九重町がありますが、「くじゅうまち」ではなく「ここのえまち」です。

だから、私などは、山と高原地図で「九重山」と書かれているのを見ると、つい「ここのえやま」と読んでしまいます。もちろん、そんな山はありません。

因みに、くじゅう=久住で人気がある坊がつるや法華院温泉も、住所は竹田市(旧直入郡)久住町有氏です。九重町ではないのです。くじゅうの南口の登山口も、久住町有氏です。本来の久住の側から見ると、坊がつるや法華院温泉は山を越えて行くイメージでした。父親と一緒にくじゅうに登ったときも、頂上から「あれが法華院で、その向こうが坊がつるだ」と教えてもらったことを覚えています。みんな、山を越えて、登山口と同じ町内の法華院や坊がつるに行っていたのです。坊がつると言えば、「坊がつる賛歌」が有名ですが、あの歌はもともと九大の山岳部で唄われていたもので、そこにも登山がインテリのスポーツであったことが物語られているのでした。

どうして、くじゅう=久住が九重になったのか。話は、くじゅうが阿蘇と一緒に国立公園に指定されたときに遡ります。当然、それまでの呼称から言えば、名称は「阿蘇久住国立公園」となるはずでした。ところが、山の反対側の(旧玖珠郡)九重町が「オレたちも『くじゅう』だ」と言い出したのでした。さらに、政治力を使って強引に「くじゅう」であることを主張したのでした。

私はまだ幼い子どもでしたが、うちの親たちも「そんなバカな話があるか」と憤慨していました。しかし、九重側の政治力が功を奏して、折衷案として久住をひらがなで「くじゅう」と記載し、「阿蘇くじゅう国立公園」にすることが決定したのでした。それが間違いのもとで、以後、徐々に「くじゅう」が「九重」に代わり、今のような「九重山」「九重連山」などというありもしない山名がまかりとおるようになったのでした。

話が脇道に逸れましたが、登山がインテリのスポーツであったのは、それだけお金がかかるからという事情もあったでしょう。それと、登山と地質学や植物学や地理学が切っても切れない関係にあったので、そういった学問的な関心を入口にしてインテリの間で登山が盛んになったという一面もあるのかもしれません。

イギリスの登山家ジョージ・マルローが、「どうして山に登るのか?」と問われて、「そこに山があるから」と答えたと言われ、そのことばは人口に膾炙され有名になりましたが、(本多勝一氏も著書で書いていましたが)実際は「そこに山があるから」ではなく「エベレストがあるから」と答えたのだそうです。マルローはエベレストの初登頂を目指していて、当時、初登頂は国威発揚のための英雄的な行為でした。「山があるから」と「エベレストがあるから」とでは、意味合いがまったく違ってきます。マルローの「エベレストがあるから」という発言の裏には、今のオリンピックと同じようなナショナリズムと結びついた登攀思想(初登頂主義)があるのです。そういった帝国主義的な発想の所産でもあった登攀思想の意図を隠蔽し、哲学的な意味合いを持たせてカムフラージュするために、発言が歪曲(意訳)されたのでしょう。

つらつら考えるに、私が山に登る理由は、まずなんと言っても年齢的な体力の衰えに対する焦りが大きいように思います。ある年齢に達すると、自分はこんな歩き方をしていたのかと、自分の歩き方に違和感を抱くようになりました。筋力の衰えによって、歩き方にも微妙に変化が訪れたからでしょう。特に、階段を下りるときが顕著でした。いつの間にか下りることに過分に神経を使っている自分がいました。

登山というのは、整備されてない山道を歩くことなので、登山によって自分の歩き方に対する違和感を少しでも拭うようになりたいという気持があるように思います。もちろん、健康に対する不安もあるでしょう。山に行ったからと言って、病気にならないという保障はありませんが、山に行って身体を鍛えれば病気から遠ざかることができるのではないかという願望や信仰もあるように思います。

だから、山に行って筋肉痛になるのは、自分にとってはうれしいことでもあるのです。筋肉痛なんて若いときの話だと思っていたので、この年で筋肉痛になるのはいくらか若くなったような幻想さえ抱かせるのでした。

二つ目は、言うまでもなく日常からの逃避です。以前(もう13年前)、このブログで田口ランディの「空っぽになれる場所」という記事を書きましたが、山に行くことで空っぽになりたいという気持もあります。

何度も言いますが、電車が来てもいないのにホームへの階段を駆け下りて行くサラリーマンやOLたち。そうやっていつも資本が強いる”時間”に追われ、その強迫観念の中で生きているサラリーマンやOLたち。しかも、それがこの社会で誠実に生きる証しだみたいなイデオロギーさえ付与されるのです。しかし、彼らの先に待っているのは、過労死かメンヘラかリストラでしょう。

この社会で生きる限り、そんな”誠実に生きるイデオロギー”から逃れることはできません。でも、一時でもいいから逃れたい、ストレスを解消したいという気持も当然あります。だからこそ、山に来てまでコースタイム(時間)にこだわったり、他人に対する競争心をひけらかす者たちを軽蔑したくなるのです。

三つ目は、子どもの頃に見た風景をもう一度見たいという気持です。望郷の念とないまざった過去への憧憬です。その中には、一緒に山に登った父親との思い出も含まれています。子どもの頃、いつも視界の中にあったくじゅう(久住)の山。木漏れ日や草いきれ。風で木の葉がこすれる音。小鳥や森の動物たちの鳴き声。そんなものが、胸にせまってくるほどなつかしく思い出されることがあります。元気なうちに父親と一緒に登った山にもう一度登りたいという気持は、年を取れば取るほど募って来るのでした。


関連記事:
空っぽになれる場所
2019.12.01 Sun l 山行 l top ▲
奥多摩の大岳山(おおたけやま)に登りました。大岳山に登るにはいろんなルートがありますが、大岳山は御岳山の奥にありますので、御岳山経由で登るルートが一般的です。

朝、新宿駅6時46分発のホリデー快速おくたま1号に乗り、JR青梅線の御嶽駅で下車、御嶽駅からはバスで御岳山ケーブルの下駅である滝本駅まで行って、ケーブルカーで御岳山駅に上がりました。御岳山駅から御岳山の頂上にある御嶽神社までは徒歩で30分くらいです。ただ、参道とは言え地味な登りが続くので、結構疲れます。

余談ですが、駅や神社や山の名称に「御嶽」と「御岳」という新旧の漢字が使われているため、こうして入力する際もそれぞれ使い分けなければならず、非常に面倒臭いです。こういうのも「豊かな日本語」と言うのでしょうか。

土曜日で、しかも早朝の便ということもあって、新宿駅のホームは山行きの恰好をした登山客で溢れていました。それは壮観で、東京というのはすごいなとあらためて思いました。ホームを通りかかった若いカップルが、行列を指差しながら「みんな高尾山に行くんだろう」と言って「ハハハ」と笑っていましたが、新宿から高尾山に行く場合は京王線を利用するのが一般的なので、カップルは勘違いしているのです。しかし、山に縁のない人たちから見れば、新宿駅のホームで行列を作っている登山の恰好をした人たちは、みんな高尾山に行くイメージがあるのかもしれません。もちろん、それは、高尾山=スノッブというイメージで、本多勝一流に言えば、「メダカ民族」の「モノマネ没個性登山者」ということなのでしょう。だから、行列を見たカップルも笑っていたのでしょう。

ホリデー快速は、新宿が始発だと思っていたら大宮が始発だったので意外でした。ホリデー快速は、名前のとおり、土日限定の奥多摩方面に行く行楽客向けの電車ですが、埼玉からもホリデー快速に乗って奥多摩に行くのだろうかと思いました。しかし、新宿駅に着いた電車はガラガラで、新宿駅からいっきに通勤ラッシュ並みの大混雑になりました。

また、ホリデー快速自体も非常にややこしくて、途中、拝島で前の7両(だったか?)が切り離されてホリデー快速あきかわ1号と名称が変わり、武蔵五日市行きになるのでした。

私が乗っていた車両は武蔵五日市行きだったのですが、それも知らずに居眠りをしていました。拝島に着いて、ふと目を覚ますと「この車両は武蔵五日市行きになります」と車内放送が流れているのが耳に入り、あわてて電車を降りました。電車は既に切り離されて、出発のベルが鳴り響いていましたので、ホームを走って、奥多摩駅行きの車両に飛び乗りました。

ネットには、「だれも教えてくれない『青梅線・五日市線の罠(わな)』」というブログの記事がありましたが、私も青梅線と奥多摩線と五日市線の違いがよくわかりません。ホリデー快速にも外国人の姿がありましたが、このややこしいシステムをよく理解しているなと感心しました。

もうひとつ余談を言えば、御岳山のケーブルカーの会社は京王電鉄の系列です。先日行った箱根の登山鉄道(ケーブルカー)は、箱根登山バスも含めて小田急の系列です。大山のケーブルカーも小田急の系列だそうです。

御嶽駅に着いたら、ホームの光景もまた壮観でした。ホームを埋め尽くした登山客の群が改札口に殺到しているのでした。もちろん、駅前の御岳ケーブル下に向かうバス乗り場も長蛇の列で、バスの中も通勤ラッシュ並みのすし詰め状態でした。

ただ、西東京バスの運転手は、車内のアナウンスや応対などに非常に好感が持てました。日頃横浜市営バスを利用している横浜市民としては、それに比べてという思いを抱かざる得ませんでした。

車内を見ると、御岳山は山ガールにも人気があるだけに、中高年のグループだけでなく若い女性のグループも目に付きました。土日はとにかくグループ登山が多く、グループが多いということはそれだけ集団心理が発生して、下界の論理がそのまま山に持ち込まれるので、私は週末に来たことを早くも後悔しはじめていました。特に、中高年のおばさんのグループはどうにかならないものかと思いました。もっとも、大岳山に向かう登山道に入ると、彼女たちの姿はウソのようになくなりました。

御嶽神社に行く参道沿いには、参拝者のための宿泊施設である宿坊が立ち並ぶ一角がありました。私の知っている会社でも、毎年、新入社員の研修を宿坊でやっていました。私も、若い頃、車でケーブルの駅まで女の子を送って行ったことがあります。でも、その会社も今は正社員をほとんど取らずに、派遣社員やアルバイトでまかなうようになっています。ただ、下山時、参道でキャリーケースを持った若者の集団にすれ違いましたので、まだ御岳山の宿坊で研修をしている会社もあるみたいです。

御岳山は大山などと同じ山岳信仰の代表的な山で、御嶽神社の信者の集まりである「講」(御嶽講)も未だ残っており、特に地の人間(元農民の地主)が多い練馬区あたりでは今も活動が盛んだそうです。私の知っている人も、何年か一回まわってくる「講」の世話人をやらなければならないので大変だと言っていましたが、お寺のような大きな宿坊の前にはそんな各地の「講」の人たちが建てた石碑がありました。ほとんどが平成に建てられていましたが、それを見ると、たしかに練馬区の石碑が多いのでした。その中のある地区の石碑には、見覚えのある名前も刻まれていました。

御嶽神社の下からは遊歩道に入ります。三頭山の都民の森と同じように、非常に歩きやすい道でした。10分くらい歩くと「長尾分岐」というポイントに着きました。長尾平という見晴台があり、お茶屋もありました。「長尾分岐」から下に下りると、御岳山で人気のロックガーデンに行きます。大岳山は逆で、そこから本格的な登りになりました。そして、徐々に急登になるのでした。

途中、岩場が多くなると、登山道が狭くなり、しかも鎖がかけられた箇所も出て来て、すれ違いの渋滞が生じることがありました。もっとも、登りのときは時間がまだ早かったので、すれ違いはほとんどありませんでしたが、下山時は登って来る人も多く、手前で待つことが多くなりました。ところが、山登りに熟達した見るからに偏屈そうな婆さん(一般の登山者を見下している山によくいるタイプ)が、私の後ろで「待たないで早く行って!」とうるさいので、「うるさい!」と怒鳴り付けたら静かになりました。

婆さんは、人ひとりがやっと通れるような狭い岩場でも、よけることなく平気で立っているので、すれ違うのに危なくて仕方ないのです。「ありがとうございます」と挨拶されても返事もしないでしかめっ面するばかりです。早く足腰が立たなくなって山に来れなくなればいいのにと思いました。

鎖がかけられた箇所も、慎重に歩けば鎖に頼らなくても通過できる程度でした(もちろん、足を滑らせたら大変なことになりますが)。山頂の手前の鎖場も、両手を使って登れば別に鎖は必要ないくらいでした。ケーブルカーの駅から大岳山の山頂までは、途中の休憩を入れても2時間弱で着きました。

しかし、山頂に行ってまたびっくり。ぎっしり人で埋まっていました。やはり、週末は人が多いなとあらためて思いました。山頂の手前で上から下りてきた人に、「今日は天気がいいので、富士山がよく見えますよ」と言われたのですが、たしかに初冬の空にそびえる富士山の雄姿はまるで絵画を観るようでした。

山頂は、富士山の方角しか眺望がないので、富士山の方角はスペースが空いていません。私は、眺望がきかない反対側を探したのですが、そっちも腰を降ろすことができる石が空いていません。それで、仕方なく、霜でぬれた草の上に、シートを敷いて座りました。まわりを見ると、ほとんどがグループかカップルです。なんだかソロの人間は肩身が狭いような気さえしました。弁当を持って来なかったので(それも肩身が狭い一因です)、行動食で食べ残したアンパンを食べました。

下りは1時間半くらいでした。ただ、岩場が多いのでステッキ(トレッキングポール)を使わなかったのがいけなかったのか、膝を痛めたみたいで、帰りの駅の階段の上り下りがつらかったです。下山したあと、山頂駅の前の茶店で蕎麦を食べましたが、普通の蕎麦でした。

帰りは、いつものように拝島から八高線で八王子、八王子から横浜線、そして菊名で東横線に乗り替えて帰りました。歩数は2万5千歩でした。

聞けば、三頭山・大岳山・御前山は奥多摩三山と呼ばれているそうです。と言うことは、残すは御前山だけになったのです。また、大岳山は日本二百名山だそうで、どうりで登山客が多かったのでしょう。もっとも、二百名山は、深田久弥の信者たちが作った「深田クラブ」が選定したそうで、それを聞いたら、なんだか大岳山に登った感慨に水を差されたような気持になりました。奥多摩三山もそれと似たような話かもしれません。


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参道沿いはまだ紅葉が残っていました。

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宿坊
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宿坊が集まった集落

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門前通りの商店

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御嶽神社

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神社の階段を上って来る登山者たち

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鍋割山への分岐

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台風で橋の一部が崩落していた

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鎖場の前の渋滞

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山頂から富士山

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三頭山と同じ石造りの山頂標識が立っていた

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みんな富士山を眺めている

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人、人、人

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ススキと富士山

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下山時、今から登って行く人たちを見上げる

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こういった岩場もありました

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霜で滑る

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2019.11.30 Sat l 山行 l top ▲
昨日、奥多摩の三頭山(みとうさん)へ行きました。三頭山は、標高1531メートルで、東京都檜原村の都民の森に登山口があり、奥多摩でも人気の山です。

JR中央線の立川駅で青梅線に乗り換えて、武蔵五日市駅で下車。武蔵五日市から都民の森まではバスで75分かかります。しかも、都民の森へ直通する「急行」は一日に二便しかありません。そのほかは、都民の森の一つ手前の「数馬(温泉)」までしか行きません(数馬からも登ることができる)。

朝、8時すぎの都民の森行きのバス停には、早くも登山者の行列ができていました。ただ、平日で、しかも紅葉も峠を越したので臨時便が出るほどではなく、出発時の座席は9割程度埋まった状態でした。

バスの終点の都民の森には、自然体験のためのいろんな施設があり、森の中を周回できるように遊歩道も整備されています。

最初は、ウッドチップが敷き詰められた遊歩道を歩きました。非常に歩きやすい贅沢な道でした。30分くらい歩くと、三頭大滝という滝に出ました。遊歩道は三頭大滝までで、そこから登山道になります。

三頭の滝からの登山道は、「ブナの路コース」と「深山の路(石山の路)コース」の二つに分かれます。しかし、登りでは「ブナの路コース」を選択する登山者が多いようです。私も「ブナの路コース」をナビに入れていたのですが、人間嫌いの性(さが)と言うべきか、急遽人が少ない「深山の路コース」に変更しました。都民の森のサイトによれば、大沢山を経由する「深山の路コース」は、「ブナの路コース」に比べて少し大回りになり、山行時間が長いということでした。

山頂には2時間弱で着きました。三頭山には東峰・中央峰・西峰の三つのピークがあり、それで三頭と言われるのですが、着いたのは西峰でした。西峰が三頭の中ではいちばん広いようですが、それでも、腰を降ろす場所を探すのも困るくらい多くの登山者が休憩していました。しかし、眺望は期待したほどではありません。端っこの岩の上に座ってサンドイッチを食べたあと、早々に下山することにしました。

帰りは、都民の森と反対側のヌカザス尾根を通って奥多摩湖へ下山することに決めていました。奥多摩湖の浮橋を通ってみたいと思っていたからです。ただ、このヌカザス尾根のコースは、奥多摩屈指の急登と言われているコースです。

ふと、横を見ると、「鶴峠方面」という標識が目に入りました。頂上の手前に「奥多摩湖方面」の標識があったのはわかっていましたが、下山コースの中に鶴峠の地名があったのを思い出し、私はなんのためらいもなく、「鶴峠方面」の道を下って行きました。

30分くらい下ったところで、下から登ってくる初老の男性に会いました。私は、「下の奥多摩湖から登ってきたのですか?」と声をかけました。

「奥多摩湖?」
「はい」
「全然違いますよ」
「エエッ、ここを下ると奥多摩湖に行くんじゃないですか?」
「奥多摩湖は向こうの尾根ですよ」と隣の尾根の方を指差すではありませんか。

「地図を持っていますか?」と訊かれたので、ザックから地図を出すと、地図を地面に広げて丁寧にルートを説明してくれました。男性は、かなりの熟達者のようで、山梨の上野原から来たけど、正規のルートではないバリエーションルートを登ってきたと言ってました。

「でも、戻るのは面倒臭いので、このまま鶴峠の方へ下りようかな」と私が言うと、「いや、最初に決めたルートを歩いた方がいいですよ。それが山の鉄則ですよ」とたしなめられて、「一緒に山頂に戻りましょう。そして、もう一度、下り直した方がいいですよ」と言われました。

私は、山頂まで男性と一緒に戻り、男性にお礼を言うと、山頂の手前にある「奥多摩湖方面」の標識に従って、当初の予定であるヌカザス尾根コースを再び下りはじめました。

あとでネットで調べると、私と同じように間違って「鶴峠方面」の標識を下った人が結構いることがわかりました。登山サークルのパーティも間違ったと書いていました。

と言うのも、ヌカザス尾根コースの途中に、「鶴峠分岐」というチェックポイントがあるのです。それで、(私もそうでしたが)「鶴峠」に聞き覚えがあるので勘違いするみたいです(ただ、「分岐」とあるように、鶴峠から「鶴峠分岐」の方に行けば、ヌカザス尾根に合流することもできるみたいです)。

奥多摩湖に下りるヌカザス尾根コースは、名にし負う急登でした。ツネさんというおばあさんが泣きながら登ったという「ツネ泣きの坂」なんていうのもありました。浮石が多く、しかも、その上に落ち葉が積もっているので滑りやすくて、私も三回転倒しました(と言っても、尻もちを付いた程度ですが)。

登って来る人は少なく、すれ違ったのはオランダ人の4人グループと、あとはソロの男性と女性の三組だけでした。訊けば、ヌカザス尾根を登るのはみんな初めてだそうで、「想像以上にきつかったです」と口を揃えて言ってました。

下りでは、一人から追い抜かれました。若者でしたが、「すごく滑りますね」と言いながらも、ズルッズルッと半分滑りながらスピードを落とすことなく下りて行くのでした。へっぴり腰の私から見れば、信じられないようなバランス感覚で、あっと言う間に見えなくなりました。

山に登っていて若者が羨ましいなと思うのは、このバランス感覚です。年齢とともに体力が衰えるのは当たり前ですが(それは心肺能力の差にてきめんに表れる)、バランス感覚も寄る年端には勝てないのです。中高年登山者に転倒事故や滑落事故が多いのもむべなるかなと思います。年を取って山に登ると、このような(絶対に越えられない)”年齢の壁”を痛感させられるのも事実です。

途中で何回か、登り返しがあるのですが、登りがあるとホッとする自分がいました。登山の場合、(私もそうでしたが)最初は登りに苦手意識を持つ人が多く、すぐ息が上がったりするのが悩みの種になるのですが、でも、考えればみれば、登りはきついだけなのです。登りだからきついのは当たり前なのです。きつければ休めばいいだけの話です。

やっかいなのは下りの方です。岩を登るのも、登りより下りの方が神経を使います。事故の80パーセント(だったか?)が下りで発生しているというのはよくわかります。転倒や滑落だけでなく道迷いも、下りの方が圧倒的に多いそうです。

私は、完全に足に来ました。転倒してもすぐに立ち上がれないほどでした。こんなに足に来たのも初めてで、文字通りヘロヘロになりました。下山するのに3時間半くらいかかりましたが、午後4時をすぎ陽が傾いてきたので、ヘッドランプを首にかけ、いつでも点灯できるようにして下りました。

幸いにも陽があるうちに下山することができましたが、奥多摩湖の浮橋への階段を下るのも足がガクガクして難儀するほどでした。

バス停は浮橋を渡った対岸にあり、そこから青梅線の終点の奥多摩駅に行くのですが、バスの時刻表を見ると、10分前に出たばかりでした。しかも、次は2時間近くあとです。思わずヒッチハイクをしようかと思ったほどでした。

そうするうちに陽が落ちて暗くなってきました。私は、バス停から少し離れた家の前に古いベンチがあるのに気付き、そこに座って次のバスを待つことにしました。

奥多摩湖のあたりも標高が高いので、陽が落ちると冷えてきます。私は、パーカーの下にフリースを着て寒さを凌ぐことにしました。

と、そのとき、ベンチの前の家の玄関に灯りが点いて、中年の男性が出てきたのでした。

「バスに乗り遅れたんですか?」
「はい」
「だったら、そこのトンネルをぬけて橋を渡った先に、もうひとつ別のバス停があるんですが、そこに行くと、あと15分後に来るバスがありますよ」
「エエッ、そうなんですか?」
「そう、一日に三便しかないんだけど、ちょうど来るバスがありますよ。歩いても5分くらいだから間に合いますよ」
「ありがとうございます! 助かりました!」
と私はお礼を言って、教えられたバス停に向かったのでした。

奥多摩駅から青梅で中央線の新宿行きに乗り替え、いつものように途中の拝島で再度八高線に乗り替えて八王子に向かい、八王子から横浜線で帰って来ました。自宅に着いたのは午後8時すぎでした。

ひどく疲れましたが、しかし、他人(ひと)の親切に助けられた山行でした。と同時に、反省点の多い山行でもありました。


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都民の森の入口

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立派な看板

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下はまだ紅葉が残っていました。

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チップが敷き詰められた歩きやすい遊歩道

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三頭の大滝

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滝の感想は割愛します。

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滝を見るための吊り橋

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登山道に入りました。

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大好きな尾根道

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途中、立派な避難小屋もありました。

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最後の階段を上ると山頂です。

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山頂(西峰)

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山頂からの眺望

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立派な石造りの山頂標識。標識にお金をかけるのなら、その分ベンチを増やしてほしいという声がありましたが、同感です。

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下山してすぐの巻き道には、まだ霜柱が残っていました。

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最初はこんな尾根道でルンルン気分でしたが‥‥。

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ヌカザス山(糠指山)

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急登。以後、下まで写真はありません。疲労と日没の焦りで写真どころではなかった。

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下に下りたら、再び紅葉。

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奥多摩湖。都民の水がめの小河内ダムでできた人造湖です。

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浮橋

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バスを待つ間にスマホで撮りました。すっかり暗くなった。
2019.11.21 Thu l 山行 l top ▲
昨日、秩父の皆野の山に行きました。地図に載ってない小さなものも含めると6つ(だったか?)の山を縦走する、皆野アルプスと呼ばれるコースです。山自体は標高600メートル強の低山ですが、途中、鎖場や痩せ尾根が連続する箇所があり、知る人ぞ知るスリリングなコースでもあります。

皆野アルプスは、秩父鉄道の皆野駅から町営バスに乗り、「秩父華厳の滝」で下車して登山道に入るのが一般的です。また、途中で尾根を下るコースもあり、いづれも町営バスが通る道路に降りることができます。

ただ、皆野駅まで行くのに、東武東上線と秩父鉄道を利用しても池袋から2時間以上かかるため、私は、8時すぎのバスには間に合いませんでした。次は10時まで待たなければなりません。それで、皆野駅から歩いて30分足らずの「大渕登山口」から「秩父華厳の滝」に至る”逆コース”を歩くことにしました。

天気は最高に良かったものの、山中ですれ違ったのは、高齢男性のソロと中年女性5人のパーティの二組だけでした。マイナーな山なので、もともと登山者が少ないのかもしれません。私自身も、つい先日「皆野アルプスはあなどれない」というネットの記事を読んで、その存在を初めて知ったのでした。

女性のパーティには若い男性が付き添っていましたが、おそらくガイドなのだと思います。鎖場や痩せ尾根は、それなりに危険が伴いますので、初心者だけだと足が止まってしまうのかもしれません。

鎖場の場合、登りはそんなに難しくありません。足場さえしっかりしていれば、鎖も不要なくらいです。岩をトラバースするところもありましたが、足場があるので、そんなに難しいとは思いませんでした。難しいのは、下りです。斜度の大きい、それこそ上から覗き込むような岩場が一ケ所あり、一瞬足が止まってしまいました。岩の間に積もった落ち葉が前日の雨で水分を含んているので、不用意に足を乗せるとツルッと滑るのでした。

女性のパーティとすれ違ったのはその鎖場でした。彼女たちは「華厳の滝」の方から来ましたので、私とは反対の登りでしたが、ガイドのアドバイスを受けながらひとりひとり慎重に登っていました。

たしかに皆野アルプスはあなどれないけど、しかし、バラエティに富んだ楽しい山行でした。大山なんかよりよほど魅力があります。

急登もありますが、それほど長くなく、ひと登りすれば平坦な道になり、それから下って行きます。そして、下ったあとは再び急登の登り返しになります。そういったことが何度もくり返されるのです。もちろん、自信のない人は、鎖場や痩せ尾根をスルーすることもできます。

こんな魅力のある山がどうして人に知られてないのだろうと思いました。皆野町役場は、皆野アルプスを売り出しているようで、役場に連絡すれば、ハイキングのパンフレットを郵送してくれるサービスまであります。

山中の案内板はわかりやすいのですが、なぜか登山口がわかりにくいので、登山口に案内板を設置したり、トイレを充実させれば、もっとハイキング客を呼び込むことができる気がします。言うまでもなく、将来のためには(そして、観光客としてお金を落としてくれることを期待するなら)、中高年の登山者ではなく、山ガールを呼び込む工夫が必要でしょう。

破風山(はっぷさん)の山頂からの眺望も目を見張るものがありました。私は30分以上いて、昼食(と言っても、コンビニのおにぎり2個)を食べたのですが、その間誰も登って来る人はいませんでした。

私は、また行きたいと思いました。それくらい楽しい山でした。登りはじめたのが9時で、下山したのが14時30分でしたので、ちょうど5時間半の山行でした。歩数は2万5千歩でした。

帰りは、「秩父華厳の滝」から町営バスで皆野駅に戻りました。ただ、秩父鉄道の乗り継ぎの便が悪くて、西武の秩父駅に着いたのが16時すぎになりました。

秩父駅では、名物のわらじカツ丼を食べました。でも、出て来たのは、わらじというより煎餅のような薄っぺらいカツでした。そこで、私は思い出したのでした。昔、やはり秩父駅でわらじカツ丼を食べて「失敗した」と思ったことがあったのです。

もっとも、考えてみれば、わらじも煎餅と同じように厚みはないのです。わらじを厚底靴のように勝手に思っていた私の方が間違っていたのかもしれません。

秩父から西武線に乗って、いつものように東飯能で八高線に乗り替えて八王子に向かい、八王子から横浜線で帰ったのですが、東飯能からは立ちっぱなしの上、帰宅ラッシュに遭ってクタクタになりました。横浜線のラッシュは、山手線のラッシュに負けないほどで、先日のラグビーワールドカップを思い出しました。通勤ラッシュも格闘技なのです。登山よりしんどい。


皆野アルプス1

皆野アルプス2
猿岩

皆野アルプス

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破風山からの眺望

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同上

皆野アルプス5
同上

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破風山山頂の祠

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皆野アルプス8

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崖のような鎖場

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皆野アルプス11

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下ったあと見上げる

皆野アルプス15

皆野アルプス16

皆野アルプス17
ここが一番怖かった。下山の最後のあたり。岩の上の水分を含んだ枯葉がツルツルに滑るのです。崖下に落ちる可能性があるのでへっぴり腰で渡りました。
2019.11.13 Wed l 山行 l top ▲
一昨日、箱根の金時山に登りました。金時山は、金太郎伝説で有名な山です。麓には、金太郎のモデルになったと言われている平安時代の武将・坂田公時を祭る公時神社(金時神社)があります。

行きは、新宿バスタから小田急の高速バスを利用しました。高速バスは、箱根側の登山口である「乙女峠」「金時神社入口」「金時登山口」のいづれにもバス停があり、都内から金時山に登るにはとても便利です。新宿からは2時間ちょっとで着きました。料金も1800円と格安です。ただ、往復ではなく、帰りに別の交通手段をとるとなると、(後述するように)台風19号の影響で箱根登山鉄道が運休しているため、代行バスに乗る方法(運行ルート)が複雑で苦労することになります。

ネットで調べたら、「金時登山口」の矢倉沢ルートが登山者がいちばん少ないそうなので、「金時登山口」から登ることにしました。「金時登山口」のバス停から仙石原の別荘地の中を15分くらい歩くと登山道の入口がありました。ネットに書いていたとおり、私以外は誰も歩いていません。「金時神社入口」の公時神社ルートと合流するまですれ違ったのは一人だけでした。

しかし、公時神社ルートと合流すると、登山道はいっきに賑やかになりました。私は、このブログを読むとわかると思いますが、腹の中は真っ黒なのに、表向きは気さくで愛想がよいので(でも、ホントは人間嫌い)、登山道で出会った人たちともすぐ打ち解けてバカ話をしながら登りました。でも、それも一時(いっとき)で、やがて置いておかれるのでした。「後半に強い」はずのアミノバイタルもまったく効果がありません。後半バテバテになるのが私の大きな課題です。それには、サプリに頼るのではなく、地道に鍛錬するしかないのでしょう。

30年ぶりに山に登ったという74歳の人にも、付いて行くことができませんでした。その人は、山に行くのにどんな格好をするかわからないので、普通のズボンをはいてきたと言っていましたが、そんな人にも置いておかれたのです。もっとも、毎日5キロ走っているそうで、「やっぱり走っていると違うのかな」と言っていました(おそらくそれは、私と比べての発言だと思います)。

若いカップルとはトレランシューズの話で盛り上がったのですが、やがて置いておかれました。私から見れば、彼らは文字通り岩から岩を飛び跳ねて行く天狗のようでした。

金時山の頂上からの景色には目を見張るものがありました。雲ひとつない快晴でしたので、雪を頂いた富士山もまるで絵画のようにくっきりと目の前に聳えているのでした。また、大涌谷や芦ノ湖、遠くには南アルプスや駿河湾まで見渡せました。

今まで登った山の中では、眺望はピカイチでした。初めて頂上に立った人は、(晴れていることが前提ですが)目の前に現れた雄大な景色に「おおっ」と感嘆の声を上げることでしょう。スニーカーで登ってきた若い女の子の二人連れも、頂上に着くなり「ずごい!」「すごい!」と感動した様子でした。

私は、登る途中で顔見知りになった人から記念写真のシャッターを押すのを頼まれ、写真屋の息子なので、「いいですかぁ、行きますよ」「笑って下さい」「じゃあ、もう一枚行きます」などとサービス精神旺盛にやっていたら、「私もお願いします」「私も」とつぎつぎに頼まれて、さながら記念写真の係のようになりました。

頂上はあまり広くなく、それに頂上に設置されたベンチには、頂上にある2軒の茶屋がそれぞれ「営業用」の貼り紙をベタベタと貼ってあり、茶屋を利用しない登山客が勝手に利用すると叱られるらしいので(結構有名な話)、登山客たちは岩場に座って休憩したり弁当を食べたりしていました。

金時山は、国立公園の中にあるれっきとした国有地です。ベンチを設置したのは茶屋かもしれませんが、土地は茶屋の所有ではないのです。事情を知らない登山者が利用したからと言って、「叱る」などというのはおかしな話です。

本来なら休憩用のベンチも国や自治体が設置すべきでしょう。「登山の経済学」に書いているとおり、国立公園であるにもかかわらず管理を民間任せにしている弊害がこういうところにも出ているように思いました。

私も岩場に座ってしばらく景色を眺めました。バスの中で昼食用のおにぎりを食べてしまったので、昼食がありません。登山口のバス停の前にコンビニがあるので、そこで買えばいいやと思っていたのですが、なんとコンビニは閉店していました。かと言って、頂上の茶屋で昼食を食べる気にはなりません。まわりでは持参した弁当を食べたり、ガスバーナーでお湯を沸かしてカップ麺を食べたりしていましたが、私は水を飲んで我慢しました。

金時山のいいところは若い登山者が多いということです。もちろん、中高年もいますが、ほかの山のように、中高年で溢れるという感じではありません。若い人がいると、なんだか華やいだ雰囲気に包まれ、いいなあと思いました。後半地味にきついところはありますが、大山などに比べたら間違いなく「初心者向け」の山と言えるでしょう。箱根観光のついでに、トレッキング感覚で登るのもありなのではないかと思いました。

しかし、今回の私の目的は金時山だけではありません。もうひとつの目的は、仙石原のすすきを見ることでした。

距離的には近いはずですが、すすきが群生する草原にどう行けばいいのかわらないので、地元の人に訊いたら、とても親切に教えてくれました。

企業の保養所などが並ぶ一帯をぬけると、目当ての草原が見えてきました。ただ、実際に行くとちょっとがっかりしました。この程度の草原なら、私の田舎にはいくらでもあります。それに、台風の被害を受けたのか、舗道の工事をしていたため、交互通行の車道の端を歩かなければならず、ゆっくりすすきを堪能することもできませんでした。観光客も少ないようで、午後2時すぎなのに、既に店じまいしている蕎麦屋もありました。

なんと言っても、箱根登山鉄道が運休している影響は大きいのです。すすきの草原にある「仙石高原」のバス停から小田原に降りて、小田原経由で帰ろうと思っていたのですが、まず道路の両側にあるバス停のどっちから乗るのかもわからないのでした。私は、サラリーマン時代、彫刻の森美術館を担当していましたので箱根にはよく来ていましたが、いつも車でしたのでバスにもケーブルカーにも乗ったことはないのでした。

バス停では10人くらいの人がバスを待っていました。日本人だけでなく外国人観光客もいました。でも、バス停の表示を見ると、どうも小田原方面とは違うようです。私は、道を渡って向かいのバス停に行きました。すると、そこに「強羅経由小田原行」の表示がありました。時間を見ると15分後に来るようになっています。横に屋根付きの待合所がありましたので、そこでバスを待つことにしました。しばらくすると、向かいのバス停に待っていた人たちも、道を渡ってこっちへやって来ました。大半は女性でしたが、彼女たちも「強羅経由小田原行」に乗りたいみたいで間違いに気付いたのでしょう。

そのうち、バス停に次々と人がやって来て20人くらいになりました。でも、時間になってもバスはやって来ません。10分すぎ20分すぎてもやって来ません。何台かやって来たのですが、「強羅経由小田原行」ではありません。

バスを待つ人たちは増える一方です。日本人のおばさんのグループも、しびれを切らして「おかしいよね」と言い出しました。

私は、「登山鉄道が運休しているので、強羅かどこかから代行のバスが出ているはずなんだけど、バス停にはそのことがまったく書いてないんでわからないんですよ」と言いました。すると、おばさんたちも「どうなっているの」「これじゃわからないわよ」と口々に言っていました。

「『強羅経由小田原行』のバスがあれば、直接小田原に行けるんじゃないかと思っているんですが、肝心の『強羅経由小田原行』が来ないんですよ」
「ホント、全然来ないじゃない」と憤慨していました。

そうこうするうちに、また行先不明の(よくわからない行先の)バスが来ました。私は、乗車口に行って、「路線バスの旅」の太川陽介のように(いや、見た目は蛭子さんか)、運転手に「小田原に行くにはどうすればいいんですか?」と訊きました。すると、運転手は、「二つ目のバス停で降りて、向かいのバス停で待っていれば宮城野営業所行きのバスが来ますので、それに乗って強羅駅か宮城野営業所で降りれば代行バスに乗り替えることができます」と言うではありませんか。

それで、私は、バス停で待っている迷える仔羊たちに向かって、「これに乗ればいいらしいですよ」と言いました。バスの中でも、おばさんパワーがさく裂して、「まったくどうなっているのよ」「ホントにわかりにくいわよ」「箱根登山バスって不親切よね」と口々に不満をぶちまけるので、バスの乗客たちはキョトンとした顔で、一同(その中には私も含まれる)を見ていました。

二つ目のバス停が近づいて来たので、私は車内に響き渡るような大きな声で、「次で降りますよ」と言いました。いつの間にか添乗員のようになっている自分がいました。バス停を降りると、「あっちですよ」と道路の反対側を指差して案内する始末です。私の後ろを20人くらいの多国籍の人間たちが、ゾロゾロ付いて道路を渡り、目指すバス停に向かっていました。

「こりゃ、バスガイドが持っているような旗が必要ですね」と冗談を言ったら、おばさんたちもゲラゲラ笑っていましたが、それでも冷静に、「でもね。道の反対側のバス停だとまた来た道を引き返すことになるんじゃないの?」と言うのです。言われてみればそうです。「まったくわけがわかんない」「どうなっているの」と再びおばさんパワーがさく裂していました。

しかし、バスは引き返すわけではなく、途中で違う道に曲がったのでした。そして、九折の山道をしばらく走ると強羅に着きました。強羅に着くと、バスの運転手が、「箱根湯本や小田原に行くのなら、宮城野営業所の方が代行バスが多く出ていますので、宮城野営業所まで行った方がいいですよ」と言うのです。それで、宮城野営業所まで行くと、そこから代行バスが始発で出ており、やっと小田原まで降りることができたのでした。

日本人でも戸惑うくらいだから、外国人観光客たちは余計そうでしょう。おばさんたちが言うように、バス停に代行バスの案内がまったく出ていないのには、呆れるばかりでした。

バスに乗っていた外国人観光客の中では、アジア系の若者、それもカップルが目立ちましたが、彼らを見ていると、日本に非常に気を使っている様子が伝わってきました。おばさんたちがバスに乗ると、次々と席を立って席を譲ろうとするのです。おばさんと言っても50~60代で、席を譲る対象の年齢ではありません。彼らを見ていると、気の毒なくらい気を使っているのがありありとわかるのでした。

また、バスでは「車内での飲食はまわりの迷惑になりますので、ご遠慮ください」というアナウンスが数か国語でくり返し流されていました。でも、そんなアナウンスにお構いなしにバリバリお菓子などを食べているのは日本人の若者ばかりで、外国人観光客は誰ひとりものを食べている人間はいませんでした。それどころか、気の強そうな女の子は、口をもぐもぐさせている日本人の若者を睨みつけていました。

「ニッポン凄い!」と自演乙している間に、経済的にアジアの国からキャッチアップされ、さらに品格やマナーの点でも、アジアの同世代の若者から軽蔑の眼差しで見られるまでになっているのです。日本に観光旅行にやって来て、箱根観光を満喫しているアジアの若者たちは、少なくとも日本の平均的な若者たちより豊かであるのは間違いないでしょう。それは、「ニッポン凄い!」の人間たちには見たくない現実かもしれません。

帰りのバスに気を揉んでウロウロしたことですっかり疲れてしまいました。金時山より疲れました。このところ、丹沢の表尾根に金時山と人気の山に行きましたので、今度は誰にも会わないような山行をしたいと思いました。そして、もっとのんびり山を歩きたいと思いました。


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草原の風景の思い出


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2019.11.08 Fri l 山行 l top ▲
今週の水曜日、丹沢の表尾根に行きました。ただ、バスを利用してヤビツ峠から登ったので、塔ノ岳まで行くには時間的に厳しく、途中の烏尾山(からすおやま)で引き返しました。そして、三ノ塔から尾根を下って秦野戸川公園に降りました。

近所の人も、夏にヤビツから登ったけど、思った以上に時間がかかって帰りは夜になり、「遭難するかと思いましたよ」と言ってましたが、たしかに塔ノ岳は表尾根を歩いていくつかピークを越えなければならないので、標準タイムでも7時間近くかかるのでした。

途中で会ったソロの女性も、以前登ったとき、やはり烏尾山までしか行けなかったので、今回は山小屋に宿泊する予定で来たと話していました。

車で来て、早朝から登りはじめれば日帰りは可能ですが、バスだとよほどの健脚でなければ、どうしても時間切れになってしまうのです。まして、これからの季節は日が短いので、よけい行動時間が限られてしまいます。

ただ、塔ノ岳だけでなく、途中のピークにはそれぞれ宿泊できる小屋があるし、三ノ塔にも新しく避難小屋ができていましたので、たとえ時間切れになっても緊急に泊まることは可能です。

早朝5時半すぎに自宅を出ましたが、東急東横線・JR横浜線・小田急線と乗り換えて、秦野駅に着いたのは7時半すぎでした。秦野駅からヤビツ峠までは、バスで30分かかります。ヤビツ峠行きのバスは、平日は午前と午後の二便しかありません。つまり、行きと帰りが一便づつしかないのです。

秦野駅前のコンビニで買い物してバス停に向かったら、既に20人くらいが並んでいました。しかも、前の方にはザックが10個くらいまとめて置かれているのです。あとでわかったのですが、ザックは中高年の登山サークルの人たちのものでした。つまり、場所取りをしていたのでした。

しかも、あとから来たメンバーに向かって、「こっち」「こっち」と言ってどんどん割り込ませるのでした。私は、よほど注意しようかと思いましたが、後ろには外人もいたし、これから山に行くのに気まずい空気になるのも大人げないと思ってぐっと我慢しました。

恐らく丹沢をホームグラウンドにする人たちなのでしょう。近所の人も、塔ノ岳をホームグラウンドにする中高年のグループがいくつもあって、「我が物顔でどうしようもないんだよ」と言ってましたが、これがそうなのか思いました。

そのあともいくつかのグループ(団体)がやって来て、出発間際になると80人くらいが並びました。そのため、臨時バスが出て、午前便は2台運行することになりました。

バスに乗るのも、さながら通勤電車の椅子取りゲームのような様相を呈していました。山の中では「こんにちわ」と挨拶するので、みんな「いい人」に見えるのですが、図々しい人間はどこに行っても図々しいのです。山にも泥棒はいるし、痴漢だっているのです。中には、ナンパ目的で登山サークルに加入するおっさんだっているそうです。加入時の確認事項として、ナンパ目的についてわざわざ注意書きしているサークルもあるくらいです。

私は、幸い最後部の座席に座ることができたのですが、6人ぎっしり座っていたにもかかわらず、横に座っていた登山サークルのおばさんたちが、ほかのおばさんに「あと一人くらい座れるよ、詰めれば大丈夫よ」などと言って、勝手に座らせたのでした。

私は人一倍身体が大きいので、身動きひとつできず窮屈でなりませんでした。しかも、隣のおばさんからは、洗濯物の生乾きの臭いが漂ってきて、なんだか罰ゲームに遭っているようでした。

ふと、隣のおばさんのザックのサイドポケットを見ると、アミノバイタルのドリンクが入っているのに気付きました。おそらく百名山かなんかのツアーに参加した際にガイドから配布され、アミノバイタル信者になったのでしょう。

私は、底意地の悪さを抑えることができず、「アミノバイタルって効果あるんですか?」と尋ねました。おばさんは、ちょっと戸惑った表情を見せながら、「結構、効きますよ」と言っていました。

私は、下記の『選択』の記事を読んだばかりなので、「へぇ、そうですか。効果に科学的な確証はないそうですよ」「トクホ以下だという話さえあるそうですよ」と言いました。すると、おばさんは嫌な顔をしてそっぽを向いてしまいました。

『選択』
「アミノ酸」神話に騙される日本人

ヤビツ峠からは、表尾根に向かう人と大山に向かう人に分かれます。また、表尾根へも二ノ塔と塔ノ台経由で向かう人に分かれます。

ただ、二ノ塔のルートが圧倒的に多く、登山サークルの団体の多くも二ノ塔に向かうみたいです。私も二ノ塔に向かうのですが、団体が一緒だとソロで来た意味がないので、みんなが出発するまでベンチに座って時間を潰しました。

隣に座っていた中年の男性に、「今日は人が多いですね」と言うと、「ホントに、びっくりしましたよ」と言ってました。

「表尾根の方ですか?」
「いや、大山です。表尾根に行きたいんですが、今日は親父の付き添いなので大山に行きます」

私は、子どもの頃、父親と山に登ったときのことを思い出しました。そのときの思い出が今も心に残っているので、こうして山に来ているようなものです。

「お父さんが一緒なんですか。それはいいですね」
「もう80を超えているので一人で山に行かせるわけにはいきませんからね」と言ってました。

話をしていると、トイレに行っていたお父さんがやって来ました。「息子さんと山に登るなんて、いいですね」と言うと、「登れるかどうかわかりませんよ。それに、もしかしたらこれが最後の登山になるかもしれないし」と言いながら、嬉しそうに笑顔を見せていました。そして、「お先に」と言って、二人で大山に向けて登山道を登りはじめたのでした。

バスも出発して、峠には誰もいなくなったので、私もそろそろ出発しようと、トイレに行きました。ヤビツ峠に常設されていたトイレは、台風による停電で使用できず、代わりに工事現場にあるような仮設のトイレが設置されています。

私は、トイレに入ると、思わず「ゲェー」となりました。便器の中は紙があふれ、異臭が充満しているのでした。こんなところでよく用を足すなと思い、あわてて外に出ました。そして、小便なら山の中ですればいいやと思ったのでした。

それ以来、食事のときに、ヤビツのトイレの光景が目の前に浮かんで来るのでした。子どもの頃、カレーライスが出ると、どうしても人糞を思い浮かべる変な癖がありました。思い出したらいけないと自分に言い聞かせるのですが、言い聞かせれば言い聞かせるほど思い出されるのでした。それと同じフラッシュバックに未だ苦しめられています。

二ノ塔への登山道は、アスファルトの林道を30分くらい歩いた先にあります。ずいぶんゆっくりしたつもりだったのですが、登山道に入ってしばらく歩くと、前を行く団体が見えてきました。30人くらいのあの登山サークルの団体です。「これはまずい」と思って、立ち止まり、写真を撮ったりして時間を調整しました。

ところが、さらにしばらく行くと、団体の中から5~6人のおばさんたちが遅れはじめたのでした。その中には、バスの中で横に座っていたおばさんもいました。先行部隊はおばさんたちを置き去りにして、前に進んでいました。私は、「最低のパーティだな」と思いました。バス停の態度を思い出し、やっぱりと思わずにはいられませんでした。

仕方ないので、おばさんたちを追い抜くことにしました。「すいません。お先に」と愛想を振りまいて通り過ぎながら、心の中では「アミノバイタルの効果はなかったみたいだな」と悪態を吐いている自分がいました。

二ノ塔から三ノ塔は、想像以上に荒れていました。と言って、台風の影響で荒れているのではありません。人跡で荒れているのです。考えてみれば、高尾山と並ぶ人気の山なので、荒れるのも当然かもしれません。二ノ塔から三ノ塔に向かう尾根道が、台風で崩落していましたが、あんなに踏み固められれば崩落するのも当然だろうと思いました。

表尾根の風景はたしかに見ごたえがありましたが、登山道が荒れていたので、なんだか痛々しささえ覚え、登山の楽しみが半減しました。

丹沢名物の“階段地獄”も、荒れた山にさらに屋上屋を架すようなものでしょう。もちろん、階段の設置も、多くはボランティアの手によるもので、「いつも整備していただいてありがとうございます」と登山者が言う気持もわからないでもありません。

しかし、階段は、歩きやすくするためというより、道が踏み固められることで水はけが悪くなり、土砂が雨で流されるので、それをせき止める役割の方が大きいのです。言うなれば、“階段地獄”はそれだけ山が荒れている証拠でもあるのです。

折しも、『週刊ダイヤモンド』(10/5号)に、「登山の経済学」という記事が掲載されていますが、その中では、登山道の多くが国立公園の中にあるにもかかわらず、その整備が山小屋や登山愛好家の有志によって支えられているお寒い現状が報告されていました。

ダイヤモンドオンライン
日本の山が危ない 登山の経済学

私たちが登る山のほとんどは、国立公園や国定公園(あるいは県立公園)の中にあります。しかし、国や自治体は、登山道の整備などにあまり予算を割くことはなく、民間任せになっているのが現状です。記事では、アメリカとイギリスの代表的な国立公園と比較して、「人も金も制度もない日本のお寒い実情」と書いていました。

その結果、大山のように、「初心者向け」と言いながら、「転落事故が多く発生しています」と警察から警告が出されるような山も多いのです。そして、事故があっても「自己責任」で済まされるのです。ヤビツ峠のトイレのお粗末さなども、そんな山の現状を象徴しているように思います。

でも、山に行く人たちは、それでも「ありがたい」と感謝するしかないのです。山に行くなら感謝しなければならないと強要されているような感じすらあります。

山小屋も、今や風前の灯だそうです。北アルプスの山小屋に物資の運搬を請け負っているヘリコプターの運行会社は、今や1社しか残ってなく、今後の新規参入も見込めない状態なのだとか。そのため、今年の夏、機体の修理で一ヶ月間運行が途絶えたら、界隈で営業する40軒の山小屋は食料不足で”孤立”する事態になったそうです。

この近辺で言えば、頂上まで行くのに時間がかかる塔ノ岳や雲取山などでは、山小屋はなくてはならない存在です。でも、その経営は、山好きの篤志家の善意に支えられているのです。

(略)山小屋がが本来国が直接管理すべき公園での公共機能を事実上代行していることに対して、行政の支援はほぼないに等しい。(略)環境省は「山小屋が公共的に必要な存在だとの国民全体の認識がなければ行政支援には理解が得られない」(熊倉基之国立公園課長)とするスタンスを崩さない。
(同上記事)


そもそも国立公園と言っても、国が所有するのは60パーセントに過ぎず、残りは民間の所有だそうで、その現実にも驚きました。

私は、富士山だけでなく、欧米のように、どこの山でも入山料を徴収すればいいんじゃないかと思います。そして、国や地方自治体の責任で、登山道を誰でも安心して歩けるように整備すべきだと思います。ひいてはそれが植生を守ることにもなるのです。

小泉武栄著『登山の誕生』(中公新書)によれば、日本は世界有数の登山大国だそうです。アメリカやフランス、ドイツ、イギリス、イタリアなど、登山用具のメーカーでもおなじみの登山が盛んな国でも、頂上をめざして登るクライマーはごく一部で、あとは登山鉄道や登山道路で山の上まで行き、山の中を歩いて楽しむハイキングやトレッキングのスタイルが大半なのです。

ヨーロッパでは、200年以上前までは山は「悪魔の棲家」と思われていて、「山に住むスイスやチロルの人々は、偏見や差別にさらされていた」そうです。だから、ヨーロッパから輸入された登攀思想には、「征服」や「撤退」など軍事用語が並んでいるのでしょう。

一方、日本では、弥生時代から山には神が住むと信じられ、山岳信仰がはじまったと言われています。稲作=農耕社会にとって大事な雨乞いと山の信仰が結び付いた「雨乞山」などは、その代表例でしょう。

日本では登山(クライミング)とハイキングやトレッキングがごっちゃになっていますが、どうして日本はハイキングやトレッキングではなく、登山がこれほど普及したのかについて、『登山の誕生』でもいろんな理由があげられていました。

しかし、私は、自分の経験から、『登山の誕生』ではぬけている理由があるような気がしました。それは、日本人の体格です。日本人の体格が登山に向いているという点も大きいように思います。

私は、身長が185センチで体重が83キロですが、私と同じような大男と山で遭遇することはめったにありません。有名な登山家でも、大半は身長が160センチ台で、体重も60キロ台です。競馬の騎手と同じで、登山の場合、体重が軽い方が有利なのです。私の場合、他人より10キロ以上重い荷物を背負って山に登っているようなもので、山に登るには不利な体格なのです(と、山でよく言われる)。

『週刊ダイヤモンド』の記事にあるように、何度かのブームが去り登山人口が減少に転じた中で、登山者が中高年と山ガールに二極化された現在、登山を取り巻く環境が大きく変わろうとしているのは事実でしょう。

それを考えるとき、私は、山ガールの存在は大きいのだと思います。今の中高年登山者たちは、(自分も含めて)早晩足腰が立たなくなり、山に行けなくなるでしょう。彼らは、子どもの頃、親と山に登った記憶で再び山に登り始めた人が多いのですが、山ガールたちはそういった”記憶の継承“とは無縁です。もちろん、ヨーロッパから輸入された登攀思想とも無縁です。だからこそ、山ガールたちが、日本にハイキングやトレッキングの新しい山の文化をもたらす可能性があるのではないかと思うのです。

そうなれば、投資ファンドからヨドバシカメラに売られた石井スポーツや、同じように投資ファンドに買収されて上場廃止になり、ゆくゆくはユニクロかワークマンに売られるのではないかと噂されている好日山荘なども、従来の商売のスタイルから根本的に脱却することを迫られるでしょう。

私は、ヤマレコの登山アプリを使っていますが、紙の地図とコンパスも、登山雑誌などが言うほど必要ではなくなってきました。一応、紙の地図とコンパスは持って行きますが、もしスマホの電池が切れたらとかスマホが壊れたらとか、そんな理由でわざわざ千円もする山と高原地図を買って持って行くほどの必要性は正直感じません。実際に、若い人の中には紙の地図を持ってない人も多いのです。登山アプリのほかに、ネットの登山関連のサイトからダウンロードしたルート図を持っている人が多いようです。

今のような山の現状が続くなら、せっかく山に興味を持った山ガールたちも、山にそっぽを向いてしまうでしょう。あんなトラウマになるようなヤビツ峠のトイレなど、もってのほかです。「山ってそんなもんだよ」「トイレがあるだけありがたいよ」とおっさんたちは言いますが、そんなおっさんたちがいなくなったら(それはもうすぐです)、あとはいいように踏み荒らされた無残な山が残るだけなのです。


2019年10月30日表尾根1
ヤビツ峠

2019年10月30日表尾根2
売店は閉店

2019年10月30日表尾根3

2019年10月30日表尾根4

2019年10月30日表尾根5

2019年10月30日表尾根6
大山

2019年10月30日表尾根7
二ノ塔

2019年10月30日表尾根8
向こうに見えるのが三ノ塔

2019年10月30日表尾根9

2019年10月30日表尾根10
二ノ塔と三ノ塔の間にある崩落場所

2019年10月30日表尾根11
三ノ塔

2019年10月30日表尾根12
三ノ塔から烏尾山を望む

2019年10月30日表尾根13
丹沢の山々

2019年10月30日表尾根14
三ノ塔全景

2019年10月30日表尾根15
同上
2019.11.02 Sat l 山行 l top ▲
先週と今週山に行きました。山行に関しては、自分にとってこのブログが備忘録のようになっていますので、遅くなりましたが、先週の山行について書いておきます。

余談ですが、ブログというのは、他人(ひと)から読まれることだけを目的に書いていると、これほど空しいものはありません。前に山で会った高齢の女性は、10年以上山行を中心にしたブログを書いていたけど、最近、ブログをやめたと言っていました。

「いつの間にかブログを書くために山に行っているような感じになって、ブログが負担に思えてきたんですよ。記録を残すだけなら、日記でいいじゃないかと思ったんです」と言ってましたが、女性の気持はわからないでもありません。ブログが自己顕示欲と承認欲求を伴ったものであるというのは否定すべくもない事実で、本末転倒や自己嫌悪はその反動なのかもしれません。

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先週の21日に埼玉の山に行きました。台風19号で関東の山も大きな被害を受けたのですが、ネットで情報を収集した結果、以前登った秩父市と横瀬町の境にある丸山のピストン(行きと帰りが同じルートの意)だったらどうにか山行が可能の様子でした。

以前登ったとき、帰りに歩いたルートは案の定、崩落して「通行禁止」になっているようです。私はピストンは好きではないのですが、この際仕方ありません。丸山に登ろうと早朝の西武池袋線に乗りました。

ところが、飯能から秩父線に乗り換えたあと、睡魔に襲われいつの間にかウトウトしてしまったのでした。丸山の最寄り駅は「芦ヶ久保」です。

夢の中で「芦ヶ久保」「芦ヶ久保」というアナウンスが聞こえてきました。私は、目を覚ますとあわてて電車を降り、改札口を出ました。西武秩父線の駅は、どこも山の中腹にあり、駅舎も周辺の風景もよく似ています。どこの駅からも坂道や階段を下って、秩父・飯能間を走る国道299号線に降りなければなりません。

私は、駅前(と言ってもなんにもない)の坂道を下りながら、あたりを見回しましたが、どうも前に降車した「芦ヶ久保」駅と違うような気がしたのでした。それで、はっとしてホームの方を振り返りました。すると、「吾野」という看板が目に入ったのでした。「吾野」は「芦ヶ久保」の三つ手前の駅です。

「やってしまった」と思いましたが、でも、もう仕方ありません。西武秩父線は、1時間に2本しか電車がないので、駅に戻って次の電車を待つと、大きな時間のロスが生じてしまいます。このまま適当に山に入ろうと思いました。

前に熊に遭遇したルートを通って上の峠に行くことにしました。台風被害の情報がないので、通行可能かどうかわかりませんが、とりあえず行き当たりばったりで行くしかありません。

国道を越え、さらに林道を外れて登山道に差し掛かると、目の前には以前とは見違えるような光景が現れました。登山道が雨に流された石や倒木で覆われていたのでした。「エエッ、これを登るのか?」と思いましたが、登るしかありません。まだ、水が滲みだしている登山道を、まるで岩登りのように両手を使って登って行きました。しかし、しばらく登ると、道は斜面を巻くようになりましたので、歩きやすくなりました。途中、何度か倒木を乗り越える必要がありましたが、そのあとは峠まで順調に登ることができました。峠の下にある集落の住人に訊いたら、こっちの斜面はそんなに被害がなかったけど、反対側は被害が大きく、林道も通行止めになっていると言っていました。

顔振峠から傘杉峠に向かうと、やっぱり傘杉峠から黒山三滝に降りる道は「入山禁止」になっていました。さらに林道も「通行禁止」になっており、これ以上奥には行けません。そうなれば、前に関八州に登ったルートを進むしかありません。再び荒れた急登を登りました。

途中、通過した林道では、市役所の人が土砂や倒木の撤去作業をしていました。また、ボランティアの人が作業をしているところもありました。幸いにも、住人が言うように西武線の方向は被害が小さかったみたいで、関八州・高山不動を経て再び吾野駅に戻ることができました。

山を下りると、林道の脇には川が流れているのですが、対岸の斜面では台風の爪跡が至るところで見られました。斜面が抉られ、山の中から滲み出した雨水がその中を伝って、谷底の川に流れ込んでいるのでした。

途中すれ違ったのは3人だけでした。やはり、台風直後の山に来るようなもの好きは少なかったみたいです。行き当たりばったりで歩いたので、歩行距離は10キロを超え、歩数も3万5千歩を超えました。


2019年10月21日山行1
登山道の入口

2019年10月21日山行2
同上

2019年10月21日山行3

2019年10月21日山行4

2019年10月21日山行5

2019年10月21日山行6

2019年10月21日山行7

2019年10月21日山行8

2019年10月21日山行9
仕方ないので、関八州(花立松ノ峠)に向けて登って行きます。

2019年10月21日山行10
土が流されて岩が剥き出しになっていました。

2019年10月21日山行11
いったん林道に出ました。カーブミラーも土砂で埋まっていました。

2019年10月21日山行12

2019年10月21日山行13

2019年10月21日山行14

2019年10月21日山行15

2019年10月21日山行16
斜面が川みたいになっていた。

2019年10月21日山行17
2019.10.31 Thu l 山行 l top ▲
おととい、また山に行きました。前に行った越生の黒山三滝から傘杉峠に登り、それから関八州に登って、西武秩父線の西吾野駅に降りました。休憩を入れて5時間あまりの山行で、トータルの標高差は760メートル、総距離は9キロ弱、歩数は2万7千歩でした。

前回と同じように越生駅からバスに乗ったのですが、私の前の席に50がらみの登山の恰好をした女性が乗っていました。彼女も終点の黒山で降りたのですが、私はひとり先を行き、傘杉峠に向けて登り始めました。ところが、途中で息が上がり休憩していたら、あっさり女性に抜かれてしまいました。山登りのコツを会得しているかのように、一定のペースで一歩一歩堅実に登りつづける姿が印象的でした。

ヘロヘロになって峠に辿り着いたら、女性はベンチで休んでいました。物静かで大人しい感じの女性でしたが、聞けば、私が以前埼玉に住んでいたときの駅と同じ駅の反対側に住んでいるそうで、それから話が弾みました。

「いつから山に登っているんですか?」と訊いたら、「若い頃に登っていたんですけど、また山に行きはじめたのは去年くらいからですよ」と言ってました。

「若い頃は本格的にやっていたんですか?」
「本格的じゃないけど、北アルプスにも登ったことがあります。でも、今、考えれば夢みたいな話ですね。もう一度行ってみたいけど、もう無理ですね。来週、箱根の××山のツアーを申し込んでいるんですけど、みんなに付いていけるか不安になって、トレーニングに来たんですよ」
「全然大丈夫ですよ。私を追い抜いて行ったじゃないですか」

「みんな、どうして途中で山に行くのをやめるんですかね?」
「仕事や子育てで山どころではなくなるからじゃないですか。でも、山に行ってた頃の思いはずっと残っているので、歳を取って一区切りが付いたらまた足が向かうんじゃないかな。やっぱり、山に行くと自分と向き合うところがあるじゃないですか。それと、苦しくてもあの上に行くと見たこともない風景があると思うと、なんとか頑張って行きたくなるんですよ。達成感ってそういうことじゃないかな」

女性が「お先に」と言って別のルートから降りていったあと、背後の山から年配の男性が降りてきました。

年齢は77歳だそうですが、今年の夏、富山県の折立(?)から薬師岳・黒部五郎岳を経て、岐阜県の新穂高温泉まで、二泊三日で縦走したのだそうです。また、上高地から焼岳にも登ったのだとか。

「77歳で? すごいですね」
「埼玉に住んでいるおかげですよ。近くに山があり、トレーニングができるので、そのおかげでなんとか登れるんですよ」
「毎週、来ているんですか?」
「一応、週一来るように決めていますけど、なかなか難しいですね」
「体力を付けるには、やっぱり山に来ることが一番ですかね」
「そうですよ。山に来ることです。どんなに低い山でも、山を歩くことが何よりのトレーニングですよ」
「山に行くようになったのは若い頃からですか?」
「いや、若い頃は何度か行った程度で、本格的に行き出したのは定年になってからです。リタイアして暇にならないとそんなに行けませんしね。山に来ているのは暇人ばかりですよ。お宅みたいに仕事をしながら、山に来てる人って尊敬しますよ。まだ若いので、このまま山に来たらどんどん登れるようになりますよ」

「まだ若い」ということばに苦笑するしかありませんでした。「若い」なんて言われたのは何十年ぶりだろうと思いました。

「私の知っている人で84歳になる人がいるんですけど、その人は今年の夏に50代の女性を二人連れて、西穂から奥穂まで縦走したんですよ。ジャンダルムや馬の背も歩いたんですよ。凄いでしょ?」
「それは、凄いな。超人ですね」
「超人ですよ。そんな人もいるんです。私ももう北アルプスへ行くのはやめようと思っていたんですけど、その人に刺激されて行きました」

「でも、いいことばかりじゃないですよ。今年の夏も知り合いの60歳の女性が南アルプスで遭難して行方不明になり、未だ発見されてないんです。今までも知り合いが何人か亡くなっていますし。やはり、山に行くというのはリスクも大きいです」
「そうですね。さっきも女性の方と話をしていたんですけど、ひとりで山に行くと、事故や病気のときのリスクは大きいですよ。その方も転んで怪我をしたことがあると言ってましたが、私も先日怪我をしたばかりです」
「私もひとりが多いんですが、歳が歳なのでそういった心配は常にありますね」

私は、77歳の男性の話を聞いているうちに(それに、「若い」と言われたこともあって)、このまま帰るのは恥ずかしい気がして、男性が降りてきた関八州に自分も登って帰ろうと思いました。そして、男性が降りてきた登山道を逆に登りはじめました。ところが、そこも傘杉峠に負けないような急登で(途中で会った若い男性から「この先に崖みたいなところがありますよ」と言われて覚悟を決めましたが、崖というのはいささかオーバーでした)、再びヘロヘロになり頂の見晴台に着きました。

見晴台でも、高齢の男性がひとりで休憩していました。「結構きつかったですね」と言ったら、「私は84歳なんです。だからここまで来るのもひと苦労でしたよ」と言うのです。84歳でジャンダルムに登った人もすごいけど、関八州に登った人だって負けていないのです。

「エエッ、84歳。全然見えません。若く見えますよ」
「見かけは若くても中身はくたびれていますよ」
「どこにお住まいなんですか?」
「東京の××市(三多摩地区)です。いつも近所の公園を歩いていたんですけど、それだけではそのうち歩けなくなるんじゃないかと思いましてね。それで、山に来るようになったんです」
「平地を歩くのと山を歩くのとでは使う筋肉も違いますしね。それに、アスファルトの上は膝にも良くないし」
「そうです、使う筋肉が違うんです。特に山に登ると腿の筋肉を使いますよね。やはり、歳を取ると、腿の筋肉が衰えるのが不安なんですよ」
「わかります。わかります」
「山に登ると達成感があるじゃないですか? あの達成感も、歳を取った人間には貴重なものですよ」
「敬老会では味わえない?(笑)」
「ホント、そうです(笑)。それに山に行くと、こうして若い人と話をすることができるでしょ? それもいいですね」
「同じ山に登った仲間意識みたいなものがあって、それは年齢に関係ないですからね」
「途中で会っても、あとどのくらいですかとか、どこどこに行くのはこの道でいいんですかなんて情報交換をするでしょ? 普段だったら若い人とそんな風に口を利くこともありませんしね」

そのあと、ガイドに引率された若者の団体が登って来ましたが(なんでも地図読みの研修だとか言ってました)、それ以外は皆さん、単独行の人たちばかりでした。

子育てを終えたような中年の女性も、孫がいるような年老いた女性も、男性も、それから若い男性も、みんな息を切らしながら登っていました。ひとりで山に来るというのは、山が好きだというだけでなく、やはり、ひとりが好きなんだと思います。山の中では、自分を大きく見せるために虚勢を張る必要もなければ、狡猾に計算高く振舞ったり、卑屈になって他人の目ばかり気にする必要もないのです。ただ自然に対して謙虚でひたむきな自分がいるだけです。そんな自分と出会うために山に来ているのだと思います。キザな言い方をすれば、山は孤独が似合うのです。


傘杉峠から関八州1

傘杉峠から関八州2

傘杉峠から関八州3
関八州の山頂からの眺望
新宿の高層ビル群やスカイツリー(?)が見えました。

傘杉峠から関八州4

傘杉峠から関八州5

傘杉峠から関八州6

傘杉峠から関八州7
前に登った「丸山」とは違う丸山です。私の田舎にも同じ名の山がありました。

傘杉峠から関八州8
やけに手入れがされた尾根道だなと思って進むと・・・・、

傘杉峠から関八州9
墓地でした。

傘杉峠から関八州10
下りは誰にも会いませんでした。

傘杉峠から関八州11
この橋はちょっと怖かった。中間の板が腐って割れていた。

傘杉峠から関八州12

傘杉峠から関八州13

傘杉峠から関八州14

傘杉峠から関八州15
麓の集落の道沿いにかわいい花が咲いていました。
2019.10.11 Fri l 山行 l top ▲
昨日は丹沢の大山に登りました。早朝、新宿から小田原行きのロマンスカーに乗って、伊勢原で下車、伊勢原から「大山ケーブル行き」のバスに乗りました。

行く前から腹の調子が悪く、加えて睡眠不足で、体調は万全とは言えなかったのですが、それにしても、足がまったく動かず、ヘロヘロになりながらやっとどうにか登りました。私にとっては、ショックを覚えるくらい不本意な山行になりました。

大山は、信仰の山として有名ですが、江戸から近かったという地の利もあって、昔から「大山詣り」が行われていた人気の山です。江戸の庶民の間では、「大山詣り」するための”講”もあったそうです。今も残っている「大山街道」の名称も、「大山詣り」の名残りなのでしょう。バスにも、登山の恰好をした人たちが多く乗っていました。

登山道は、阿夫利神社の下社(山頂に本社と奥宮がある)の裏からはじまりますが、最初から急階段で息が上がりました。しかも、山頂までほぼ急峻な登りの連続で、どこが「初心者向け」なんだと思いました。登山雑誌や登山関連のサイトは、誰を基準にして「初心者」と呼んでいるのかと言いたくなりました。

「女性向けの登山ガイド」を謳う某サイトでは、大山のことを「標高1,000mを超える山でありながら、登りやすさで人気です。しっかり登山もケーブルカーを使っての楽々登山も自由自在」と書いていましたが、こういうことばがなんの検証もなしにコピペされて流通されているのでした。「楽々登山」なんて悪い冗談だとしか思えません。

登る途中で会った若者も、「これのどこが初心者向けなんですかね? 初心者向けだと書いていたので気楽な気持で来たのに騙されましたよ」と言ってました。

一緒に休憩していた女性に、「休みの日はここをホントに家族連れが登るんですか?」と訊いたら、「そうですよ。幼稚園児も遠足で来ますよ」と言われたので、私はショックを受けました。オレは幼稚園児以下のポンコツじゃないかと思いました。

下山したあとに立ち寄った茶店の女将に訊いたら、幼稚園児や保育園児が遠足で来るのはホントだそうです。「ただ、一日がかかりですよ」「朝早くから登って、夕方近くになっても降りて来ないと心配になることもありますよ」と言ってました。

「元気な風の子」思想を強要して鍛錬遠足をやっているつもりなのかもしれませんが、幼稚園児や保育園児が登るにはリスクが大きく、ちょっとやりすぎのように思えてなりません。「元気な風の子」思想も、森友学園ではないですが、往々にして経営者のひとりよがりなカルト思想に由来している場合が多いのです。私が父兄だったらやめれくれと言うでしょう。

写真を撮りながら登ったということもあって、次々と追い抜かれて行きました。結構、女性が多かったのですが、女性にもあっさりと抜かれました。ただ、地図上のコースタイムと比べると、私のペースはそんなに遅いわけではないのです。とにかく、皆のペースが速いのです。先の若者は別にして、平日ということもあるのか、中高年の登山者の中には、何度も登っている場慣れした人が多いような気がしました。

茶店の女将も、「ああいう人たちはお金を使わないんですよ」と言ってましたが、登山をビジネスにする人たちにとっては、「初心者」こそ美味しい存在なのです。だから、「初心者向け」を乱発しなければならないのでしょう。「お客さんみたいにオシャレではないですしね」と言われましたが、なんだか皮肉を言われているような気がしました。

でも、そのために(昨日はいませんでしたが)充分な準備と装備をせずに山を登る「山をナメた」「初心者」が出現することになるのです。急峻だということは、下りはそれだけ転倒や滑落の危険性があるということです。実際に、「滑落事故が多発しています」という警察の看板もありました。「大山ケーブル行き」のバスの中でも、「軽装の登山は危険です」というアナウンスが流れていましたが、そういった危険な「軽装の登山」を生み出しているのも、「初心者向け」だと煽っているからでしょう。

最近、山に行くと、鈴木みきさんの『ひとり登山へ、ようこそ!』(平凡社)を読んだということもあって、ひとりで山に来ている女性がやたら気になります。ひとりで来ている女性は意外と多いのです。

登山関連のブログでも、そんなソロハイクの女性のブログばかり読んでいます。彼女たちのブログは、ステルス広告とは無縁だし、等身大で書いているので、ウソとハッタリのネットの中では身近に感じるのです。

ひとりで来ている女性を見ると、総じて物静かで地味な人が多いような気がします。おそらく誰よりも実直に生きている人たちなのでしょう。ただ、その分、実社会では損をすることも多いのではないでしょうか。ひとりでベンチにポツンと座って、山の風景を眺めている姿を見ると、「やっぱりひとりがいいなあ」と私と同じことを思っているんじゃないかと想像したりします。

下っていた際、昔の会社の経理課にいたような感じのメガネをかけた女性の横をすり抜けようしたら、浮石を踏んで転びそうになりました。すると、女性から「大丈夫ですか?」と言われたのですが、それも落ち着いた小さな声なのでした。普通だったら、もっと感情を表に出して語尾を強めて言うだろうと思いますが、なんだかひとりで山に来る女性を象徴しているような気がしました。

ヘロヘロになって登っていたら、同じ年恰好の男性から「がんばって下さい」と声をかけられました。聞けば、近々、丹沢山から塔ノ岳を縦走する予定なので、トレーニングに来たと言っていました。「この急登はいい練習になるんですよ」と。一度登ったら下まで降りて、また登るのだとか。

「すごいですね」と言ったら、「アミノバイタルのお陰ですよ」と言うのです。アミノバイタルは名前は聞いたことがありますが、どんなものなのかよくわかりません。

「あれは効きますよ。私も前はこんな登りはよぉ登らんわと思っていたのですが、アミノバイタルを飲み始めたら足が軽くなって、どんどん登れるようになったんですよ」
この人、味の素の回し者じゃないのかと思いました。

「おすすめですよ。筋肉痛とも無縁になりますしね」「ああ、持っていればあげたのにな。さっき飲んでしまって、今、手元にないんですよ」
サンプルを持ってないということは、回し者じゃないのか。
「山に行く人で飲んでいる人は多いですよ。びっくりするほど効果てきめんですよ」と言うのです。

それで、休憩のベンチで一緒になった女性に、アミノバイタルのことを聞いたら、なんとその女性も飲んでいると言うではありませんか。「その話、ウソじゃないですよ」と言うのです。それで、帰宅してさっそく、藁をもすがる気持で、アマゾンでアミノバイタルを注文しました。それも「パ―フェクトエネルギー」というバージョンです。登る途中に、天狗が鼻で穴を空けたという岩がありましたが、天狗のように岩から岩へと軽々と飛び回る自分を想像しました。

今月末、九州に帰って、九州本土では最高峰の地元の山に登ろうと思っていたのですが、今日のヘロヘロで不安になりました。明後日までキャンセルすればキャンセル料がかからないので、どうしようか迷っています。

そもそも九州に年に二回帰るのは、経済的にも結構な負担になります。もう実家がないので、飛行機代だけでなく、ホテルとレンタカーも必要で、旅行と同じなのです。それこそ韓国や台湾に行くのと同じくらいかかります(むしろ、韓国や台湾の方が安いかもしれません)。

帰るたびにこれで最後にしようと思うのですが、なかなか最後にすることができないのでした。子どもの頃父親と登った山にもう一度登りたいというのも、最後にしないための口実かもしれません。

アミノバイタルがそんなに効果てきめんなら、アミノバイタルパワーで帰ってもいいのですが、しかし、その効果を試す時間的な余裕もないのでした。


大山1
参道。「こま参道」と呼ばれているそうです。

大山2

大山3
ケーブル駅

大山4

大山5
ラーメンならぬ「ルーメン」で有名な店ですが、どうでもいい話。

大山6
阿夫利神社の階段

大山7
境内にはいろんなモニュメントがありましたが、このモニュメントには「日本遺産」と書かれていました。「日本遺産」は、文化庁が世界遺産を真似して(?)設けたようです。

大山8
阿夫利神社下社の本殿。大山は別名「雨降山」と呼ばれており、各地にある雨乞い信仰の山のひとつでもあります。阿夫利神社の「阿夫利(あぶり)」も、雨降り(あめふり)をもじったものなのかもしれません。

大山9
「輝け杉の子」像。学童疎開の記念碑。この碑、他でも見たことがあるような・・・・。日本版慰安婦像?

大山10
豆腐の碑にどうして東京作家クラブが寄付? そもそも東京作家クラブってなに?

大山11
境内の裏から登山の始まりです。

大山12

大山13

大山14
こういった強引に謂れをこじつけた木も、山の定番です。

大山15
こんな急峻な坂が最後までつづきます。

大山16

大山17

大山18

大山19
天狗は、修験道との関連で山ではおなじみのキャラクターですが、天狗が鼻で空けた岩というのはめずらしい。

大山20

大山21
「富士見坂」。どうにか富士山が見えました。傍にいた山ガールが歓声を上げていました。

大山22
無残な石仏

大山23
山ガールからも置いてきぼりを食う

大山24
これが「初心者向け」の登山道?

大山25

大山26

大山27
やっと着いた!

大山28
造像銘(石像の文字)が朱色でなぞられているのに違和感を持つ方がいるかもしれませんが、朱色でなぞるのは古くから行われている風習(?)で、奇抜なことでもなんでもありません。

大山29
本社は戸が閉められカギがかけられていましたが、それでも外から手を合わせる信心深い人々。手を合わせているご夫婦に大山の謂われなどを教えてもらいました。

大山30
山頂の茶屋の手書きの案内板

大山31
山頂。ガスにおおわれ眺望なし

大山32
阿夫利神社の奥の院

大山33

大山34
別コースから下山開始

大山35

大山36
ガスにおおわれた幻想的な風景

大山37
途中、山肌が大きく崩落した箇所もありました。

大山38

大山39
標高が下がると晴れてきました。

大山40

大山41
「見晴台」からの眺望

大山42
「見晴台」で休憩する人々。皆さん、風景を見ながら、チョコレートやお菓子など持参したおやつ(行動食)を食べていました。この人たちの多くは、帰りのバスでも一緒でした。

大山43

大山44

大山45

大山46

大山47

大山48
信仰の山なので、至るところにお社がありました。

大山49
龍神? でも、劇画っぽい。

大山50
誰かが修行したという、これもよくある滝。

大山51
2019.10.04 Fri l 山行 l top ▲
山に行った話ばかりで恐縮ですが、おととい(27日)、また山に行きました。ちょっと身体が重くて調子が悪かったので、今回は「初心者向け」の宝登山に行きました。宝登山は蝋梅で有名な山ですが、ロープウェイを利用すればわずか5分で登れます。

しかし、それだとあまりに芸がないので、最寄り駅の長瀞ではなく隣の野上駅で下車して、裏から(?)登ることにしました。

東武東上線の寄居駅で秩父鉄道に乗り換えなければならないのですが、秩父鉄道はPASMOが使えないので、いったん改札口に出て、野上までの切符を買わなければなりません。

池袋で東上線に乗ったのが6時で、野上駅に着いたのは8時半すぎでした。

駅を出て寄居・秩父間を結ぶ国道を15分くらい歩くと、登山口の入口の目印になっている萬福寺というお寺に着きました。お寺の隣には、立派なトレイがありました。ふるさと創生事業で建てられたみたいですが、ハイキング客にはもったいないようなトレイでした。宝登山などの山は「長瀞アルプス」と呼ばれており、登山口の入口には「長瀞アルプス登山口」という看板がありました(なぜか「入口」の文字が消されていた)。

最初の上り坂では、やはり身体が重く早くも息が荒くなりました。しかし、しばらく歩くと息使いも落ち着き、身体も楽になってきました。心拍数を測っても、思ったほど上がっていません。

山に行くうちに、きつくても2~3分休めば、また元気に歩けるようになりました。登山ではよく「足を止めたら歩けなくなるから足を止めるな」と言われますが、それは、うさぎ跳びをさせたり、水分を摂ると体力が奪われるなどと言って水分補給を禁止していた“野蛮な時代”の名残の指導法なのです。そうやって苦行のような登山が押し付けられてきたのです。

きつかったら休めばいいのです。休みながら登ればいいのです。きついだけの登山なんて、どこが楽しいんだろうと思います。初めて登った人が、あんなにきついならもう二度と登らないと考えるのは当然でしょう。登山の世界にも、サディズム的快感と結託した妙な選民思想が存在しているのでした。

山頂でも、ロープウェイに乗ってやって来たおばさんたちに、今までの山遍歴と死と紙一重の「凄いエピソード」を自慢たらしく話していたおっさんがいましたが(山小屋によくいるタイプです)、ああいうおっさんたちはリアル社会では浮かばれない人生を送っているので、山のようなカルトな世界で過大に自己承認を求めているんじゃないかという意見には一理あるような気がします。それと登山が持つ”孤高の精神”は似て非なるものなのです。

二つの峠を越え、いったん車道に出て、さらに車道を10分ほど歩くと、「毒キノコに注意」の看板が出てきました。しかし、注意すべきは毒キノコではなく、これからはじまる最後の“階段地獄”です。宝登山の山頂までの400メートルを急登の200段(?)の階段が待っているのでした。

階段と言っても、神社にあるようなコンクリートの階段ではありません。登山道でよく見られる木の階段です。もちろん、途中、階段が朽ちてただの急坂になっている箇所もあります。

最近は、トレッキングポールを持って行ってないので、よけい足にこたえました。ヘトヘトになって登り、これが最後かなと思ったら、また次の階段が出現するのでした。

何度目かに現れた階段を前にして溜息を吐いていたら、下から中年の男性が登ってきました。それまで誰とも会わなかったので、初めて遭遇した人です。「これが最後か、わかりますか?」と尋ねたら、「そうですよ。これが最後ですよ。登り切ったら山頂ですよ」と言われました。それで俄然元気が出て、男性の後ろに付いて登りました。野上駅から山頂までちょうど2時間でした。

山頂は思ったより広く、ベンチではハイキングの恰好をした人たちが休んでいました。中には犬を連れた夫婦もいました。しかし、大部分はロープウェイで登ってきたか、ロープウェイを使わずに長瀞から徒歩で登ってきた人たちで、私たちのように野上から登ってくる人間はほとんどいませんでした。やはり、あの「初心者コース」にあるまじき“階段地獄”がネックになっているのかもしれません。

たまたまベンチがひとつ空いていたのでそこに座り、早めの昼食を食べました。と言っても、コンビニで買って来たおにぎりです。でも、こうしてひとりで山に登り、山頂でおにぎりを食べていると、なんとも言えない至福感のようなものを覚えるのでした。そして、あらためて、ひとりがいいなあとしみじみ思うのでした。

帰りも、ロープウェイを使わずに、歩いて下ることにしました。山頂から少し下ると、宝登山神社の奥宮がありました。奥宮の横には売店もありました。その先がロープウェイの山頂駅です。

私も、若い頃、ロープウェイで宝登山に登ったことがありますが、ただ、奥宮は記憶にあるものの、山頂は記憶にありません。そのときはデートで来ましたので、山頂まで行かずに途中のベンチに座って、「きれいな景色ね」「いや、君の方がきれいだよ」なんてバカップルを演じて帰ってきたのかもしれません。

奥宮からさらに下ると、小動物公園がありました。近くの道では家族連れの姿もありました。

何の変哲もない林道を1時間かけて下り切ると、宝登山神社(本宮)の境内に到着しました。途中、下から登って来る3組の夫婦(いづれも中高年)にすれ違いました。

麓の宝登山神社にお参りしたあと、鳥居の脇の売店でソフトクリームを買って、店の前のベンチで食べました。

ソールにシャンク(芯)が入っている登山靴は、山を歩くには劇的に効果がありますが、アスファルトの道路を歩くと、ソールが固い上に靴自体も重いので、歩きにくくてひどく疲れます。宝登山神社から岩畳のある長瀞の川べりまで歩き、岩の上で靴を脱いでしばらく休みました。

長瀞の岩畳に来たのは、三度目でした。前に来たのは20数年前で、今は絶交した旧知の家族と一緒でした。長く生きていると、どこに行っても昔を思い出ことが多いのでした。それも、苦い思い出ばかりなのでした。


宝登山1
立派なトイレ

宝登山2
萬福寺

宝登山3

宝登山4

宝登山5

宝登山6

宝登山7

宝登山8
遠くに見える黒いものに一瞬緊張しましたが、近づいてみると、ビニール袋でした。民有地なので、100円の通行料を徴収していた時期があり、そのときに設置していたお金の回収箱のようでした。

宝登山9

宝登山10

宝登山11

宝登山12

宝登山13

宝登山14

宝登山15

宝登山16

宝登山17

宝登山18

宝登山19

宝登山20
山頂からの眺め。秩父の街

宝登山21
遠くに見えるは南アルプス

宝登山22

宝登山23
麓の宝登山神社

宝登山24
宝登山神社本殿

宝登山25

宝登山26

宝登山27
長瀞

宝登山28

宝登山29

宝登山30

宝登山31

宝登山32
長瀞駅

宝登山33
ホームから山を望む



2019.09.29 Sun l 山行 l top ▲
おととい、天気予報にやっと晴れマークが付きましたので、10日振りに山に行きました。明け方まで雨が降っていましたので、一抹の不安はありましたが、電車に乗る頃には雨も上がっていました。

行ったのは、いつもの「奥武蔵」と呼ばれる埼玉の山です。今回は、西武秩父線の芦ヶ久保駅で下車しました。

飯能で秩父線に乗り換え、午前8時半すぎに芦ヶ久保に着きました。池袋からだと2時間近くかかります。前も書きましたが、飯能で乗り換えるのに40分待たされるからです。

それで、飯能駅ではいったん改札口から出て、駅前のコンビニで昼食の弁当と行動食のチョコレートやパンなどを買いました。芦ヶ久保に行くと、駅の駐車場の向かい側にある商店や食堂が「休業」していましたので、飯能で買い物したのは正解でした。

芦ヶ久保だけでなく、東吾野などでも駅前の商店は「休業」していました。この「休業」は、土日だけ営業して平日は「休業」という意味なのか、それともハイキング客が減ったので完全休業(閉店)したのか、どっちなんだろうと思いました。

西武秩父線には、(平日に暇を持て余した)中高年のハイキング客が結構乗っていましたが、芦ヶ久保で降りたのは私だけでした。

今回は、登山レベルが「中級」の山です。コースタイムも標準で6時間となっていました。

いつものように、写真を撮りながらマイペースで登り、ちょうど3時間で山頂に着きました。途中には、果樹公園や農村公園や県民の森などがあり、いづれも車で行けますので、休日にはレクレーションで訪れる家族連れなども多いのでしょうが、この日も山頂までの登山道で人とすれ違うことはありませんでした。

県民の森に至る尾根道がすばらしくて感動しました。今まで歩いた登山道の中ではピカイチでした。

山頂で休憩していると、トレランの恰好をした人たちが10人くらい走ってやって来ました。来月だかに一帯でトレランの大会があるらしく、そのための練習のようでした。

そのあと、中年の男性がひとりで登ってきました。聞けば、違う登山口から登って来たそうです。その登山口も昔、よく利用したなつかしいところなので、そっちに下りようかと思ったのですが、聞けば、平日はバスが2時間に1本くらいしかないと言うので、やはり予定したコースで下りることにしました。男性は、私が登ってきたコースを下るようです。

男性は、以前は都内に住んでいたけど、定年退職を機に、埼玉の方が山に行くのに便利なので、埼玉に引っ越して来たと言ってました。

「さっき下で75歳の人と会って話をしたんですけど、その人が言うには、70歳をすぎるとガクンと体力が落ちて、山に行くのもしんどくなるそうですよ。そんな話を聞くと暗い気持になりますね。聞かなきゃよかったと思いましたよ」と言ってました。

男性も若い頃、北アルプスなどに行っていたけど、30歳を過ぎてから仕事も忙しくなったので、山から遠ざかっていたそうです。そして、定年をきっかけにまた山登りをはじめたのだとか。

山で会うのは、嫌になるくらい中高年ばかりですが、しかし、若い人でも、山に興味を持っている人間は意外と多いのです。仕事先で山の話をすると、顔見知りの若い人から「私も連れて行って下さいよ」とよく言われます。特に山ガールの影響なのか、女の子から言われることが多いのです。でも、もう色気もなくなった偏屈オヤジの私は、「嫌だよ。オレはひとりがいいんだよ」と言って、いつも断っています。

また、ある日、ほとんど話をしたこともない管理職の人間から、突然話しかけられたこともありました。

「山の話をしていましたけど、よく行かれるんですか?」
「若い頃に行っていたんですけど、最近再開したんですよ」
「ああ、そうですか。私も子どもにせつかれてハイキングに行ったら、それからやみつきになって山に行くようになったんですよ」
「それはいい趣味ですね」
「ええ、山っていいですよね。ホントに癒されますよ」と言ってました。

彼は同期の中の出世頭で、同僚から嫉妬と羨望の対象になっている人物ですが、その分、ストレスもあるんだろうなと思いました。そこで、ひと言多い私は、「失礼ですけど、あのポストじゃストレスも貯まりますよね。山でも行かなきゃ身が持たんでしょ」と言いました。

山頂で会った男性に、若い人が山に行きたがっているという話をしたら、男性も「私の会社でも昔は登山サークルがありましたよ。そこで、登山の基本などを教えてもらったのです。今はそんなサークルもないですからね」と言ってました。

昔は、登山は主要なレジャーだったのです。それで、大きな会社だとサークル(同好会)があったのです。でも、今はそういった「入口」や「きっかけ」がなくなったので、山に行きたい気持があってもどうすればいいのかわからないのでしょう。

今回の山行は、文字通り、行きは良い良い帰りは怖いでした。帰りは行きとは別のコースを歩いたのですが、登山道に入りしばらく歩いているうちに、後悔しはじめました。

先日の台風によって、登山道が荒れに荒れていたのです。至る所で倒木が登山道を塞ぎ、路肩が崩落している箇所もありました。また、下りの登山道は雨水の通り道になったらしく、V字に抉られ、岩や石が剥き出しになっていました。それに、明け方まで雨が降っていましたので、岩や石も濡れており、よけい滑りやすくなっていました。

先日の転倒の記憶もまだ残っていましたので、いつも以上に緊張を強いられました。段差のあるところでは、横向きになって片足を下に置き、それから体重移動する基本に忠実な歩き方をつづけていたら、腰が痛くなり、挙句の果てには腿の筋肉が痙攣する始末でした。結局、下山するのに3時間もかかってしまいました。もちろん、道中で誰にも会うことはありませんでした。

遅くなったので、また帰りの電車では「電車の座席にすわることが人生の目的のような人々」にもみくちゃにされ、自宅に戻ったのはなんと午後7時過ぎでした。


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これは間違えて入った道です。登って行くと行き止まりになったので、そこで初めて間違えたことに気付きました。

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すばらしい尾根道

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今回の相棒 ノースフェイステルス

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「出会いのテラス」なるイタいネーミングの県民の森の中の休憩場

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宝くじ協会から寄贈された展望台

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秩父の象徴・武甲山
昔は、隣の峠から夕陽に沈む武甲山と秩父の街を眺めるのが好きでした。

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秩父の街

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遠くに見えるは八ヶ岳?

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寄居方面

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大野峠パラグライダー滑走場
隣の堂平山の滑走場にはよく見学に行ってました。大野峠にも滑走場があるとは知りませんでした。

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ここから下りの荒れた道がつづきます。

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橋が無事でよかった

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やっと着いた赤谷の集落
2019.09.22 Sun l 山行 l top ▲
これは、あくまでネットを通した報道で知った情報にすぎないのですが、先日、立山連峰の剣岳で、19歳の女性が滑落死したというニュースがありました。

家族がSNSで情報を求めたことで、このニュースはネットでも大きな話題になりました。

家族によれば、19歳の女性は乗鞍岳に登ったことがきっかけで、山に興味を持ち、「富山で山に登ってくる」と言って出かけたそうです。家族は、まさか剣岳に登っていたとは思ってみなかったようで、「登頂した」というLINEが届いて驚き、返信したけど応答がなく既読にもならないので、心配してSNSで情報を求めたということでした。

報道によれば、他の登山者から、午後4時頃、剣岳のカニの横ばいを渡っている若い女性の目撃情報があったそうです。また、家族に登頂のLINEが届いたのは午後5時すぎだったとか。

この話を総合すると、カニの横ばいは下山ルートなので、少なくとも午後4時頃には下山しはじめていたことになります。そして、午後5時にLINEを送ったということはカニの横ばいを渡ってひと息吐くところまで降りてきたのでしょう。しかし、午後5時だと既にあたりは暗くなっていたはずで、足場が見にくい中をさらに難度の高い岩場を下るのは、経験の浅い彼女にとって危険な賭けだったと言えるでしょう。

YouTube
剣岳の下り、カニの横ばい

カニの横ばいは、上の動画にあるように、北アルプスでも有名な難所で、今までも多くの人が滑落死しています。山を知り尽くしたベテランの登山家も何人も犠牲になっているそうです。

そんな難所を登山初心者の若い女の子がひとりで、しかもTシャツに短パンの恰好で挑んだのです。遺体を収容した富山県警の話では、ザックの中には防寒具も入っていなかったそうです。

それにしても、初心者の女の子が剣岳の山頂に立ったというだけでも驚きですし、山頂を目指してひとりで登った勇気もすごいなと思います。上の動画では補助ロープやハーネスを使っていますが、単独行なので補助ロープもハーネスもなしに渡ったのでしょう。誰かがどっかで止めることができなかったのかと、悔やまれてなりません。これは、単に「自己犠牲」のひと言で済まされるような話ではないように思います。

山に行くと、よく若い人がひとりで登っているのに出くわすことがあります。山では圧倒的に(うんざりするほど)中高年が多いのですが、若い人がいないわけではないのです。そんな彼らは、ドカドカドカと大股で登って来て、鈍足の私を追いぬくと、あっという間に姿が見えなくなるのでした。

山の歩き方の基本などどこ吹く風なのです。文字通り、若さに任せて登っているだけです。それでは、早晩膝を痛めるのは目に見えています。昔だったら山岳会や同好会などで、登山の基本を教えたのでしょうが、今はそういったシステムも機能しなくなったのです。

8月にも23歳の女性がジャンダルムで滑落死したというニュースがありましたが、経験の浅い若者が、ネットの情報や動画などに影響されて、無防備な状態で難コースに挑む風潮が一部であるのは事実でしょう。

私の知っている若い人間も、山に登り始めて僅か1年半で、奥穂から西穂まで縦走したと聞いて驚いたことがあります。彼とは2年くらい会ってなかったので、山登りをはじめたことすら知らなかったのです。久しぶりに会ったら、彼の口からジャンダルムや馬の背や逆層スラブやピラミッドピークの話が出たので、文字通り目が点になりました。

著名な山岳ガイドの加藤智氏は、Yahoo!ニュース(個人)の「死と隣合わせの日本最難関コースに溢れる登山者 山岳ガイドが感じた危機感」という記事で、次のように書いていました。

Yahoo!ニュース(個人)
死と隣合わせの日本最難関コースに溢れる登山者 山岳ガイドが感じた危機感

美しい写真、動画とルート解説、個人の感想などは、雑誌やインターネット上には多く存在しています。それらを見たと思われる実に多くの若者が挑戦していました。正直言って、どこでミスしても簡単に「死ねる」場所だらけの日本最難関コース上に、何ら緊張感乏しく歩き回る登山者の姿に恐ろしさも感じました。


中には、YouTubeやInstagramのために、あえて危険なことに挑戦するケースもあるでしょう。そういったことが「カッコいい」と思っている若者も結構いるのです。

知り合いの知り合いで、この夏に奥穂に登った人がいるのですが、奥穂の登山コースも「大渋滞」が起きていて、山荘からピークまで2時間以上かかったと言ってました。

YouTube
奥穂高岳登山 難所のハシゴとクサリ場を登る

決してオーバーではなく死と隣り合わせのコースが「大渋滞」というのは、どう考えても異常なのです。それだけ多くの人たちが歩けば、岩が崩落する危険性も増すのではないかとよけいな心配までしてしまいます。

ネットによって、死と隣り合わせの難コースが身近なものになり、技量も経験もない人たちが大挙して押しかける光景が当たり前のようになっているのです。北アルプスの山も百名山と同じように、ブランドと化しているのです。

山関連の雑誌やサイトなどを見ると、たとえば西穂の独標や谷川岳の天神尾根コースなども、「初心者向け」になっています。そのためもあってか、夏はやはり「大渋滞」だそうです。若い頃登った経験から言えば、そんなに安直に「初心者向け」と言っていいのだろうかと首を捻らざるを得ません。ネットはウソとハッタリの塊ですが、ネットで山が語られるようになり、「あんなの大したことないよ」「初心者向けだよ」と粋がる傾向があることも事実でしょう。また、「初心者向け」を乱発する背景に、登山をビジネスにする者たちの思惑(そろばん勘定)がはたらいていることも忘れてはならないでしょう。

加藤氏のような警鐘をもっと広める必要があるのではないか。あらためてそう思いました。
2019.09.14 Sat l 山行 l top ▲
関東地方を直撃した台風15号の翌朝、私は前日から都内にいたのですが、都内から横浜の自宅まで帰るのに6時間もかかりました。

駅に行くと長蛇の列で、しかも、頻繁にホームへの入場規制が行われるため、列は長くなるばかりでした。駅ビルの至るところでは、駅からあぶれたサラリーマンやOLたちが、途方に暮れた様子で床に座ってスマホを操作していました。

電車の運行が再開したとは言え、普段だったら数分おきに来る電車が10数分おきにしか来ません。そのため、電車が来ても既に寿司詰め状態なので、僅かしか乗ることができないのでした。

私は、自宅に帰るだけなので別に急ぐ必要はありません。電車に乗るのを諦めて、いったん改札口の外に出ることにしました。どこかカフェで朝食でも食べて時間を潰そうと思ったのでした。ところが、考えることは誰も同じみたいで、どこもお客であふれ、店の外まで行列ができていました。

カフェをあきらめて、公園に行くことにしました。コンビニでおにぎりとお茶を買って、近くの公園に行きました。すると、公園も多くの人がいて、空いているベンチを探すのも苦労するほどでした。中には植え込みのコンクリートの囲いの上で、横になって寝ている人もいました。

結局、2時間くらい時間を潰して駅に戻り、やっとどうにか電車に乗ることができました。ただ、途中でノロノロ運転になったりして、最寄り駅まで普段の倍近く時間がかかりました。

さすがにうんざりして、電車が多摩川を渡ったときです。とある駅から登山の格好をした中年の女性が乗り込んできたのです。しかも、見るからにロッククライミングの装備をしています。腰からカラビナやロープをびっしり下げ、足元は重厚な登山靴を履いていました。背中のザックにはヘルメットが下がっていました。まるで、今山から戻ってきたかのように、靴やザックやヘルメットなどもかなり汚れていました。

もちろん、山から戻ってきたはずもなく、これからどこかの山にトレーニングに行くのでしょう。でも、台風明けの朝の電車の中では、あきらかに場違いな風体でした。

そんな恰好で電車に乗るかと私は思いましたが、車を持ってなければ電車に乗るしかないでしょう。もしかしたら、どこかの駅でクライミング仲間と待ち合わせているのかもしれません。だとしても、公共の交通機関に乗るのですから、もう少し身なりに気を使えばいいのにと思いました。

あるいは、山に行く人間には自己顕示欲の塊のような人間も多いので、そんな如何にもの恰好をして、「あたしって凄いでしょ?」と思っているのかもしれません。しかし、誰も「凄い!」なんて思ってはいないのです。むしろ、冷ややかな目で見ているのです。

台風明けの朝から山に行くというのは、台風が来ているのに、荒波を求めて海に入り非難を浴びるサーファーと同じようなものかもしれません。山の遭難と言えば、「山を甘く見る」シロウトの登山者ばかりがやり玉に上がりますが、こういった山に憑りつかれ、半ばカルト化した登山愛好家の存在も無視できないのではないでしょうか。ヨーロッパから輸入された近代登山(アルピニズム)は、こんな偏倚な信奉者を生み出すまでに至った、と言ったら言いすぎでしょうか。

山頂に到達する達成感ばかりを求める”登攀思想”の根底にあるのは、果敢に自然に立ち向い自然を征服するという考え方です。だから、登頂を断念して下山することを「敗退」と言うのです。本多勝一氏の著書を読むと、京大山岳部出身の本多氏も、そういった”登攀思想”はアプリオリなものとして肯定的に捉えているふしがあります。しかし、それは、富の収奪を求めて飽くなき領土拡大を目論む帝国主義思想にも通底する、近代特有のものの考え方であり、昔人の山岳信仰や前に書いた「山を感じる」登り方とは真逆なところにある、傲慢な登山のスタイルと言えないこともないのです。

少なくとも、台風で交通が混乱している中でも、時間をかけて会社に出勤しようとする愚直なサラリーマンやOLたちと、そんな日常に背を向けて山に行こうとする山にとり憑りつかれた人とは、どっちがリアルかと言えば、悔しいけど、やはり、サリーマンやOLの方がリアルなのです。登山が持っている”孤高の精神”は私も好きですが、電車の中の場違いな姿には違和感を抱かざるを得ませんでした。私は、クライミングの彼女を横目で見ながら、なんだか自分の方がこっ恥ずかしい気持になっていました。
2019.09.12 Thu l 山行 l top ▲
やっと雨が止んだので、おととい、山に行きました。雨続きで、結局10日以上間が空いてしまいました。

前日は横浜駅の構内が浸水するほどの大雨で、しかも明け方まで雨が残っていましたが、天気予報は「曇り」でしたので、天気予報を信じて、仕事明けに池袋から西武池袋線に乗り、飯能へ行きました。飯能からは西武秩父線に乗り換えて、東吾野で降りました。

いつものことですが、西武線は連絡が悪く、飯能駅で秩父線に乗るまで40分以上待たされました。仕方ないと言えば仕方ないのですが、朝の時間帯は上り(池袋方面)が優先なのです。

よく言われることですが、電車では行く山も限られてしまいます。私も若い頃は、深夜に車で行き、夜明けを待って山に入っていました。そうしないと「午前中に山頂に到着する」という日帰り登山の原則を守ることができないからです。原則に従えば、埼玉の場合はどうしても秩父の手前の山が中心になってしまいます。丹沢にも行きたいのですが、丹沢は駅からさらにバスで登山口まで行くケースが多いので、時間の都合を付けるのが大変なのです。

6時前に池袋から乗車したのですが、東吾野に着いて山に入ったのは8時半近くでした。

今回は、前に利用したコースを逆に登ることにしました。

どんよりとした空模様でしたが、その分気温も低くて、どことなく秋の気配も感じられました。秩父方面に行く電車の乗客は、半袖より長袖の人が多いくらいでした。

今回も山の中では誰にも会いませんでした。途中、二つ小さな山に立ち寄り、3時間弱で最終地点の鎌北湖に着きました。

登山道は雨が降ると川のようになるので、連日の雨で土が洗われて石や岩が剥き出しになっており、何度も足を取られそうになりました。それに、山肌から水が滲み出しているところも多く、滑りやすくて気を使いました。

と、案の定、ロープを掴んで濡れた坂を下っていたとき、アブに襲われ、それを払いのけようとして転倒してしまったのです。身体をひどく打ちましたが、幸いにも腕を擦りむいただけで、打撲や骨折はありませんでした。

左手の肘から手首にかけて一面擦りむいてしまいました。でも、私は買ったばかりのカメラの方が気になり、(「ああっ!カメラが!カメラが!」と心の中で叫びながら)血だらけの手で真っ先にカメラの損傷を確認しました。カメラは擦り傷ひとつなく無事でした。

救急セットを携行していましたので、傷口をアルコール消毒して抗生物質の軟膏を塗り、ガーゼを当てて包帯を巻きました。でも、包帯に血が滲んでいたので傍目には大袈裟に見えたようで、帰りの駅のホームのベンチで、たまたま隣に座った登山姿の初老の男性から「どうしたんですか?」と声をかけられました。

事情を説明すると、「それは災難でしたね」と言われました。「私も何度も転びそうになりましたよ」と言ってました。

男性は、八王子から山梨の山に行こうと思ったら、大月から先が運休になっていたので、予定を変更して八高線で埼玉に来たそうです。埼玉の山に登ったのは30年振りだと言っていました。

ひとりで山に行くのは、たしかに怪我や病気の際のリスクがあります。転落したり、具合が悪くなったりしても、誰も助けてくれないのです。

でも、それでもひとりで山に行くと、「やっぱり、ひとりがいいなあ」といつも思うのでした。イラストレーターの鈴木みきさんが『ひとり登山へ、ようこそ』(平凡社)で書いているように、「ひとりで山にいるときがいちばん山を感じられる」からです。「リーダーの後ろじゃ山は見えない」のです。

前回と比べると、そんなに息が上がるということはありませんでした。いくらか体力が付いたような気がします。段階を上げて、もっと標高差のある山にも登りたいのですが、先に書いたように、電車とバスでは時間的な制約があるため、なかなか思うように計画を立てられないのでした。

徐々にですが、自分のペースも掴めるようになっています。自分のペースを掴むことができると、余裕が持てるようになるので、山を歩くのがより楽しくなります。鈴木みきさん流の言い方をすれば、もっと「山を感じられる」ようになるのです。

私は、年齢的に無理が効かなくなったせいもあるのかもしれませんが、大学や高校の山岳部に象徴される、地図のコースタイムと競争しているような登山には違和感を覚えてなりません。何時間もかけて山頂に到達したのに、すぐにピストンで引き返すような登山って何なんだろうと思います。山に登る意味があるのかとさえ思います。最近は、この手のマラソンやトライアスロンと勘違いしているような(スポーツ)登山が多いのも事実でしょう。何度も言いますが、競争するなら会社や学校でやってくれと言いたいです。

登山ガイドの方の話では、ネットの「山行記録」などに書いているコースタイムは、所詮「オレってすごいだろう?」という自慢話なので、参考にできないものが多いのだそうです。中には如何にも速く歩いたように改ざんしたものさえあるのだとか。そもそも地図に記載されているコースタイムは、登山計画を立てる際に参考にするものであって、速いか遅いかの基準ではないのです。

ある登山愛好家のブログに、山岳ライターの小林千穂さんの講演を聴いた感想が書かれていましたが、小林さんは、講演の中で、山を楽しむためのポイントして、①登頂にこだわらないこと、②興味の幅を広げること、③天気予報の使い方、の三つを上げていたそうです。

登頂だけでなく、植物や昆虫、あるいは山の成り立ちや歴史などに興味を広げると、もっと山に行くのが楽しくなるはずです。むしろ、それが山の魅力でもあるのです。山に行くのは、ネットで自慢して、自己顕示欲を満足させるためだけにあるのではないでしょう。

帰りは、いつものように八高線で八王子まで行き、八王子から横浜線を利用しました。夕方の帰宅ラッシュの前だったので、競争に取り憑かれた人たちに遭遇することもなく、のんびりした気分で帰ることができました。


ユガテから鎌北湖1
旧武蔵国・虎秀村の鎮守の神を祭る吾那神社。この裏から登山道に入ります。登山道は旧飛脚道です。

ユガテから鎌北湖2
名前がわかりません。

ユガテから鎌北湖3

ユガテから鎌北湖5

ユガテから鎌北湖6

ユガテから鎌北湖7

ユガテから鎌北湖8
ユガテ

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雨で洗われ荒れた道

ユガテから鎌北湖10
急登(きゅうとう)

ユガテから鎌北湖11

ユガテから鎌北湖12

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ユガテから鎌北湖14

ユガテから鎌北湖15

ユガテから鎌北湖16

ユガテから鎌北湖17

ユガテから鎌北湖18
「雨乞塚」は、顔振峠や黒山にもあります(奥武蔵だけでなく、全国各地にあります)。昔の里人たちは、裏山の見晴らしのいい高台で雨乞いの行事を行ったのでしょう。

ユガテから鎌北湖19
「男坂」「女坂」もよく目にします。「男坂」はきつい登り、「女坂」はゆるい登りという意味です。

ユガテから鎌北湖20

ユガテから鎌北湖21

ユガテから鎌北湖22

ユガテから鎌北湖23

ユガテから鎌北湖24
ヤマアジサイ? あちこちに咲いていました。

ユガテから鎌北湖25
逆コースの入口

ユガテから鎌北湖26
鎌北湖の湖畔道路を歩いていたらうさぎに遭遇しました。野生なのか? それにしては人に馴れています。

ユガテから鎌北湖27
鎌北湖お決まりの写真
2019.09.06 Fri l 山行 l top ▲
昨日、丹沢(正確には西丹沢)の大野山にハイキングに行きました。少し寝坊しましたが、それでも早朝6時前に家を出て、東横線で横浜、横浜から東海道線で国府津、国府津から御殿場線で谷峨(ヤガ)まで行きました。谷峨に着いたのは8時過ぎでした。

谷峨は無人駅で、Suica(私の場合はPASMO)が使えないことは事前にネットで調べていましたので、横浜駅で乗り換えの際、切符を買って乗車し、谷峨に着いた際、ホームに降りて待っている車掌さんに切符を渡しました。

ちょうど通勤時間帯だったので、ローカル線とは言え、意外にも電車の中はかなり混んでいましたが、谷峨で降りたのは私ひとりだけでした。前の八高線もそうでしたが、ワンマン運転の場合、乗車や降車する際に自分でドアのボタンを押さなければドアが開かないので、慣れないと戸惑います。

谷峨駅は、山奥の小さな駅で、駅前にはなにもありません。もちろん、コンビニもありません。あるのは、電話ボックスと飲み物の自動販売機だけです。

登山アプリのルートに従って歩くと、国道246号線の上の高架橋を渡り、稲が青々と実った田んぼの中に降りました。前方には東名高速の高架橋も見えました。大野山は、東名高速の都夫良野トンネルの北側にある山です。途中、「山北つぶらの公園方面」という看板がありましたが、「山北つぶらの公園」が都夫良野トンネルの真上になるそうです。大野山はその手前から山道に入って行きました。

山の上を見上げると霧がかかってるのがわかりました。ネットには登山道は整備されて歩きやすいと書いていましたが、連日の雨でぬかるんで滑りやすく、決して歩きやすいとは言えませんでした。また、途中、レースのカーテンをひいたみたいに、至るところに蜘蛛の巣が張り巡らされ、蜘蛛の巣が顔に付くたびに手で払いのけなければなりませんでした。また、登山道は雑草が生い茂り、一部ではヤブ漕ぎのような山行を余儀なくされるところもありました。

しばらく歩くと、樹林を抜け眺望が開ける道に出ましたが、霧がかかって真っ白で何も見えませんでした。どんどん下から霧(ガス)が上ってきます。そうやって空気の流れが手を取るようにわかるのでした。ところが、今度は急に陽が差してきたりと気まぐれな山の天気に翻弄されました。

足元を見ると、いろんな昆虫が蠢いていました。草むらから蛇やトカゲも飛び出してきました。また、時折、蝶や蜂も舞っていました。そんな光景がとても新鮮でした。山国育ちの私が、久しく忘れていた光景です。前日に一眼レフのカメラを買い替えたばかりで、今回のハイキングはトレーニングだけでなく、新しいカメラの扱いに慣れるというもうひとつ別の目的もありましたので、目に付いたものは片端からシャッターを切りました。

また、樹林帯の登山道には、熊の糞とおぼしきものもありました。近くに沢がありましたので、時間帯から言って、熊がいる可能性もあるでしょう。それで、ときどきホイッスルを吹きながら歩きました。帰ってネットで調べたら、(去年の話ですが)案の定、大野山周辺でも何度か熊の目撃情報があったみたいです。

途中、目の前に突然、黄色の蝶々が二頭(蝶を数える単位は“頭”らしいです)、私の目の前に現れました。そして、まるで私を先導するかのように、しばらく私の前を飛んでいました。

私は、映画の「歩いても 歩いても」のシーンを思い出しました。樹木希林演じる母親は、家に舞い込んだ黄色の蝶を死んだ息子が帰ってきたと思い込み蝶を追いかけるのですが、私は、ふと、二頭の蝶は死んだ父親と母親ではないかと思ったのでした。息を切らして登りながら、そう思い込みたい気持になったのでした。すると、なんだか胸の内にこみあげてくるものがありました。ちなみに、下る際も、私を待っていたかのように、同じ場所に黄色の蝶がいました。

昔から山は信仰の対象になっています。宗教に帰依した者は、山で修行に励みました。今、私たちが利用している登山道も、修行僧が開拓したものも多いのです。山に登ることは、多分に宗教的な意味合いがあるのです。と言うか、人をそうさせる面があるように思います。

山に登って息が上がり苦しいとき、いろんなことを考えます。親孝行したいときに親はなしと言いますが、生きているときになにひとつ親孝行できなかった自分をあらためて思い、この苦しさはその報いだなどと考えたりすることがあります。そして、この苦しさを我慢して乗り越えることが親に対する贖罪だみたいに自分に言い聞かせるのでした。ややオーバーに言えば、これも自己処罰のひとつと言えるのかもしれません。人間というのは、自己処罰することで救いを求めるようなところがあるのです。もっとも、そう考えること自体が、既に宗教の色合いを帯びているようにも思います。

山頂に着いたら、視界もきかないほどガスに覆われ、小雨も降りはじめて、半袖では寒いくらいでした。山頂は広場になっており、トイレやベンチなども整備されていますが、人影はありません。こんな日に山に登るもの好きは私くらいなのでしょう。

大野山は、「関東の富士見100景」に選定されており、富士山だけでなく丹沢の山々も見渡せるそうですが、あたり一面は真っ白でなにも見えません。

ホントはこのあと丹沢湖に向かう予定でしたが、方向音痴の私は途端に不安になり、今来た道を引き返すことにしました。

結局、行きも帰りも誰にも会いませんでした。合わせて5時間以上歩きましたが、文字通り孤独な山行でした。私は、あらためてひとりがいいなあと思いました。天気に恵まれなくても、誰にも会わずに自分だけの時間を過ごせただけで、充分満足でした。都合12キロくらいの道程で、2万歩ちょっと歩きました。

谷峨駅では、1時間近く電車を待ちました。谷峨駅から乗ったのは、私のほかにネクタイ姿の青年の二人だけでした。「無人駅から乗車の際は整理券をお取り下さい。整理券がないと、始発駅からの料金を徴収する場合があります」というような注意書きが待合室に貼っていたので、不安になり、青年に「整理券はどこで取ればいいか、わかりますか?」と尋ねたら、「私も初めてでわからないんですよ」と言ってました。

やがて三両編成の電車が来たので乗車したものの、どこにも整理券を取るような機械はありません。切符も持たずに乗っているのです。文句は多いけど、人一倍順法精神にあふれる私は、不安でいっぱいでした。切符を持たないで電車に乗るなど初めての体験です。

乗り換えの国府津駅に着きましたが、乗客たちは手慣れた様子で、向かいのホームに停車している横浜方面線の電車に向かっています。私は、ますます不安になり、改札口に向かいました。そして、窓口の女性に「整理券を取れなかったのですが、どうすればいいんですか?」と訊きました。

「どこから乗ったのですか?」
「谷峨からです」
「はい、だったら320円ですね」
「これから乗り換えるんですが、その場合はいったん改札口を出てあらためて切符を買わなければならないんですか?」
「どこまで行くのですか?」
「横浜です」
「ああ、横浜だったら、このまま乗って横浜駅の窓口で谷峨からですと言って料金を払えばいいですよ」

そうなのかと思いました。ネット予約やICカードの時代なのに、なんとアナログでのんびりした話なんだろうと思いました。



大野山1
谷峨駅

大野山2
前方の高架橋が東名高速(手前が246号線)

大野山3

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吊り橋

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酒匂川

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熊の糞?

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蜘蛛の巣

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霧がかかり幻想的な雰囲気です。

大野山16

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山に来るな!

大野山18
山に来るな!

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東屋(休憩所)

大野山21

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黄色の蝶(拡大するとわかりますが、蝶の背後にはスミレ?が咲いています)

大野山26

大野山27
鳥獣除けの柵(開けて中を進みます)

大野山28

大野山29

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背丈ほどの雑草を払いのけながら進みます。

大野山31

大野山32

大野山34
山行の相棒(カリマーのザックとトレッキングポール)

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山頂

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山頂

大野山40
山頂

大野山41
山頂

大野山42
下山開始

大野山43

大野山44

大野山45
やっと晴れてきました。

大野山46
低山ですが、結構登ってきたことがわかります。

大野山47
東名の高架橋がはるか下に見えます。

大野山48

大野山49

大野山50

大野山51

大野山53
オオバツツジ
2019.08.23 Fri l 山行 l top ▲
ひとりで山に行くのは全然苦ではないし、自分にはこのスタイルが向いていると思っていますが、ただ、自己流なので専門的な知識や技術があるわけではありません。また、今の自分がどれくらいのレベルにあるのか、客観的に知ることもできません。

それで、ベテランの登山家などに指導を受ける教室のようなものはないか、ネットで調べていたら、ある登山サークルのウェブサイトに、2010年前後の山ガールや団塊の世代による“山ブーム”の頃と比べると、現在はハイカーの数が半減していると書いているのが目に止まりました。私は、今も”山ブーム”がつづいているものと思っていましたので、半信半疑ながら「へぇ~、そうだったのかぁ~」とどこかで聞いたような台詞を心の中で呟きました。

たしかに、団塊の世代が高齢化して、山登りができなくなったという側面はあるでしょうが、後続の世代は、団塊の世代ほど山に興味を持ってないということなのでしょうか。そう言えば、昭和30年代に登山ブームがあり、そのときに親に連れられて山に登った世代が、昨今のブームを支えているというような話を聞いたことがあります。

私も若い女性向けの輸入雑貨を扱う仕事をしていましたのでよくわかりますが、ブームは所詮ブームなのです。登山も例外ではなかったということなのかもしれません。

本多勝一氏は、先に紹介した『新版・山を考える』とは別の『貧困なる精神T集・「日本百名山」と日本人』(2006年・金曜日)でも、中高年ハイカーによる百名山ブームを「メダカ社会の共鳴現象」と書いていましたが、そういった浮薄な現象がやがて終焉を迎えるのは理の当然と言えるでしょう。

ある登山愛好家のブログにも、山小屋で中高年夫婦の次のような会話が耳に入って呆れたというような記事がありました。妻が「××山は怖いから登りたくないわ」と言ったら、夫が「××山は百名山ではないから登らなくていい」と言ったのだとか。山に対する冒涜だと書いていましたが、その気持はわからないでもありません。

また、別のブログでは、山の中に使用済みのティッシュがよく捨てられているけど、ティッシュを持ち帰るくらいの心使いもできないのかと憤慨していました。たしかに、私もよく目にします。山に登ると、やたら洟水が出てティッシュで洟をかむことがありますが、それを平気で山の中に捨てているのです。これでは、食べ残したものを捨てるなんて朝飯前でしょう。そして、ついでに、ユガテの監視カメラではないですが、花や果物も盗んで帰るのでしょう。

ある登山ガイドの方のブログでは、登山関連のキュレーションサイトから執筆依頼が来るけど、その際、アマゾンで販売している登山用品を必ず取り上げてほしいという条件が付くので、それが嫌で断っていると書いていました。登山の初心者がありがたがって読んでいるキュレーションサイトの記事にも、ステルス広告が埋め込まれているのです。それどころか、百名山のように、今や山自体が商品化しブランド化しているのです。

ハイカーが半減したという話がもしホントなら、旅行会社や登山メーカーや登山用品の販売店は大変でしょうが、他人に煩わされずに静かに山(自然)と向き合いたいと考えている人たちにとっては、あるいは無用に人間が食べるものへの好奇心をそそられ、その結果迷惑がられて駆除される熊にとっても、むしろ歓迎すべきことと言えるのかもしれません。
2019.08.19 Mon l 山行 l top ▲
明神池熊の出没
上高地・明神池


札幌市南区の住宅街に出没していた熊は、今日の早朝、地元猟友会によって駆除(射殺)されたそうです。

TBS NEWS
札幌、住宅街出没のクマを山で駆除

「駆除の一報に住民からは安堵の声が聞かれ」たそうですが、熊が置かれている問題について、最近、少なからぬ関心を抱いている“熊恐怖症”の人間としては、やり切れない気持にならざるを得ませんでした。

ネットでは、熊が人里に降りて来るのは、山にエサが不足しているからではなく、逆に熊が増えすぎているからだというようなトンデモ話がまことしやかに流れていますが、こういったトンデモ話と駆除のニュースを考えると、やはり「傲慢」という言葉しか思い浮かびません。そこには、自然に対する畏敬の念が微塵も伺えません。

調べてみると、熊に対するさまざまな誤解が存在することもわかりました。

ちょっと古いですが、2013年に日本熊森協会と北海道熊研究会が北海道知事に共同で申し入れた“人と熊が共存するための要望”には、私たちの熊に対する偏見や誤解が指摘されており、目から鱗が落ちる思いがしました。

北海道知事への熊問題に関する申し入れ ( 要望 )
http://www.yasei.com/bearlobby.html

熊に遭遇したら死んだふりをすればいいという対処法については、妄言であると一刀両断していました。

道の「あなたとヒグマの共存のために」と言う道民向けのパンフレットには「熊に襲い掛かられたら ( これは爪や歯で襲われている状態を言う ), 首の後を手で覆い、地面に伏して死んだふりをして下さい。山に入る人は万一に備えて練習して下さい」とあるが、これは全く間違った対処法である。まず熊の攻撃に意識ある状態で無抵抗で耐え得る人間など何処にいようか。これを書いた当事者に聞きたいものである。熊に囓られ爪で引っ掻かれれば意識あれば反射的に抵抗するもので、これに耐え我慢せよと言うのは、正に妄言であり、責任ある当局が言うべき事ではない。


むしろ、反撃すべきだと言います。

襲い掛かって居る熊に反撃すれば、熊が更に猛り、被害が大きくなるではないかと、想像で反論する者がいるが、過去の事例を検証した限り、そう言う事例は全く無く、それは杞憂に過ぎぬ事は明白である。

熊ばかりでなく、動物に襲われて、その難から身を守る原則は相手に対し積極的に反撃することが原則であることは、人を含む動物界における基本原理常識である。


そのためにも、昔の山子(山師)のように鉈(ナタ)を携行すべきだと言うのです。

また、私なども山に行くときに必ず携行している熊鈴についてですが、鈴の音は沢の音などでかき消され熊に音が届かないことがあるので、鈴よりもホイッスルの方が有効だとか。ホイッスルを「10数分毎に2~3 回」吹くことを推奨していました。

たしかに、一番怖いのは熊と鉢合わせになることです。これは、人間でも犬でも一緒ですが、特に熊は臆病なので、鉢合わせになるとびっくりしてパニックになり襲いかかってくるからです。だから、ここに人間がいるぞということを前もってアピールする必要があるのです。鈴を鳴らすと逆に熊に居場所を知られて危険だというような話もありますが、逆に鉢合わせの危険性を高める間違った考えと言えるでしょう。

熊と遭遇して事故になるのは、登山者より山菜取りの人が圧倒的に多いのです。それは、山菜取りの人は林道や登山道を外れて山の中に入るので、熊と鉢合わせになることが多いからです。通常、登山道を歩いていれば、よほどのことがない限り、「熊に襲われる」ことはないそうです。

熊に対して人食いサメと同じようなイメージを持っている人が多いのですが、実際は、人間がいることがわかると、熊は逃げるか、草むらに身を隠すのだそうです。もちろん、人間は熊が身を隠しているのを知りません。実際は、このようにすぐ近くで熊と遭遇している場合が多いのです。

山に詳しい人の話では、糞や足跡や剥皮(熊が樹木の皮を剥いだ跡)の特徴、それに活動する時間帯(早朝と夕方)や出没しやすい場所(広葉樹林の森や沢)など、熊の生態を知っておくのも大事だと言ってました。また、林道を熊が横切って行ったというような話がありますが、あれは”熊道”があるからでしょう。獣道と同じように、”熊道”が存在することを理解しておく必要があるでしょう。

”要望”では、今回のような住宅街に出没する事例についても言及していましたが、それによれば「満2歳未満の熊は人を襲う事は無い」し、「夜にのみ街中に出て来る熊は人を襲わない」そうです。

夜にのみ街中に出てきている熊は人を慎重に避けて行動している証拠で、熊が出て来ているその様な場所に人が夜間に出歩いても、熊の方で先に人の存在に気づき身を潜めるもので、人を襲うことは先ず無い。


山小屋で働いていた人に聞いた話でも、日本アルプスなどでは山小屋の近くに熊が出没することはあるけれど、山小屋やテント場まで降りてくることはないそうです。なぜなら人間がいるからです。

近づいてきたらピストルの音に似た擬音を発して追っ払うそうですが、もし仮に食べ物を与えたりしたら熊の好奇心を煽り、ますます人間に近づいてくるようになるでしょう。よくネットには山でカップ麺を食べて美味しかったというような写真がアップされていますが、ホントに麺やスープもすべて平らげ容器を持ち帰っているんだろうか(食べ残したものを棄てたりはしてないのだろうか)と気になります。

私の祖父などもそうでしたが、昔は山に行くときは必ず鉈を携行していました。しかし、今の世の中で鉈を持って行くというのは難しい面もあります(鉈を持って電車やバスに乗ったら警察に通報されるでしょう)。最低限、熊スプレーとホイッスルは持って行くべきだとあらためて思いました。
2019.08.14 Wed l 山行 l top ▲
私は、山に行くときはヤマレコのGPS地図アプリを利用していますが、一方でユーザーが実際に山に行った際の感想や写真を書き込む「山行記録」を読むと、ときに違和感を抱くことがあります。

ヤマレコ
https://www.yamareco.com/

「山行記録」には、中高年の登山ブームの火付け役になった(と言われる)深田久弥氏の百名山について、今回登ったのが何座目だなどと言って、まるで四国八十八か所巡りのお遍路さんみたいに、百名山を踏破することが目的のように書いている文章が散見されます。最近は、百名山のほかに二百名山なるものもあるみたいで、日本山岳会もそれに悪ノリしているようです。さらに、日本山岳会の後ろには、登山メーカーや登山雑誌や登山用品の販売店や旅行会社などが連なり、舌なめずりしながらソロバン勘定をしているのです。

私のようなシロウトでも、百名山ってなに?と思います。山のブランドなのかと思ってしまいます。深田久弥氏は、人間に人格があるように、山にも品格(山格)があると書いていましたが、「山格」とはもはや冗談みたいな話です。文学というのは、かように便利で且つ特権的で、文学的装飾で偽装すれば(そして、あの小林秀雄がお墨付きを与えれば)、冗談みたいな話ももっともらしく受け取られるのです。

百名山や二百名山を有難がっている”登山ジレッタント”たちは、裸の王様に裸だと言えずに、盲目的に王様にかしずく心の不自由な人たちと言うべきなのかもしれません。本多勝一氏は、『新版·山を考える』(朝日文庫)の中で、彼らを「メダカ民族」の「モノマネ没個性登山者」だと批判していましたが、正鵠を得ていると言うべきでしょう。

また、ヤマレコの「山行記録」には、やたらとコースタイムにこだわったり、北アルプスのような技量と体力を要する山でも「たいしたことはなかった」みたいに書く人たちもいます。世の登山愛好家には、この手の自己顕示欲の強い人間が多いのも事実です。

私は、彼らの「山行記録」を読むにつけ、ここはオレたちの道路だと言わんばかりに我が物顔に煽ってくるダンプカーの運転手と似ているように思えてなりません。ヨーロッパの模倣からはじまった日本の近代登山は、とうとうそんなピエロを生むまでに至ったと言うべきかもしれません。本多氏は、深田久弥氏について、「『山それ自体』の関心があまり深くなかったのではないか」と書いていますが、むしろ、やたらコースタイムにこだわったり、レベルの高い山も「たいしたことはなかった」と嘯く世の登山愛好家たちこそそう言えるのではないでしょうか。

一方で、深田氏は、意外にも次のようなことを書いているそうです。

登山がスポーツ化されるに従って、それは何らかの形で体制的なものの下におかれる。山の自由な空気を楽しむよりも、記録を立てることの方に重点がおかれる。やがては記録を目的とする登山さえ出てくる。彼らは山に登って山を見ようとしない。記録のためには、山で享受できるものすべてを棄ててもかまわない。(中略)学校の山岳部に主将とか副将とかいうのが決められ、シゴキとか訓練とかが重視されるようになっては、登山はスポーツにはなったが、本当の山好きではなくなったようである。

(『Energy』1970年4月号・「登山とスポーツ」)
※ネットより孫引き


その言やよしですが、ただ、百名山や二百名山にこだわるのもまた、山行の「自由な空気」の対極にあるものでしょう。その意味では、深田氏が書いていることは自己撞着にほかなりません。

私は、大学の山岳部出身のそれこそダンプカーの運転手のような人間を知っていますが、彼がいつも口にする体育会的な山のオキテや山自慢も、山行の「自由な空気」の対極にあるという点では百名山信仰と同じなのです。言葉は悪いですが、目クソ鼻クソなのです。
2019.08.12 Mon l 山行 l top ▲
世間では今日からお盆休みですが、トレーニングのため、群馬県高崎市の榛名湖に行きました。榛名湖だと標高が高いので、熱中症の心配もないだろうと思ったのです。たしかに、平地に比べたら気温が低く(22〜3度くらいでした)快適でした。

まず東上線で終点の小川町まで行き、小川町でJR八高線に乗り換えて高崎に。高崎から榛名湖行きのバスに乗りました。早朝6時過ぎに東上線に乗り、榛名湖に着いたのは11時半過ぎでした。

榛名湖に行ったのは二度目で、前に行ったのは30年近く前です。前回は車でしたので、こうして電車とバスを乗り継いで行くのは初めてです。

東上線も八高線も榛名湖行きのバスも、お盆休みに入ったというのに結構混んでいました。八高線では、大きなバッグを持った帰省中とおぼしき乗客も目に付きました。

高崎に行ったのも、15年ぶりくらいです。昔、事情があって、当時親しくしていた女性と高崎で「逢引き」していたことがあり、その頃通っていました。

八高線の車内で、車の免許の高齢者講習を受けたばかりだという女性と隣合わせになり、四方山話をしていたら、彼女も山が好きでよく山登りに行くのだと言うのです。

「どんな山に行くのですか?」と尋ねたら、「2千メートル以上の山が多い」と言ってました。それで、「北アルプスなどにも行くのですか?」と訊いたら、「3年前に槍ヶ岳に行った」と言うのでびっくりしました。高齢者講習は70歳からなので、年齢は推して知るべしで、見た目も普通の高齢女性です。

「私も、最近、山歩きを再開したんですが、とにかく体力がなくて情けないですよ」と言ったら、「体力なんて山を歩けば自然に付きますよ」「登山は競争じゃないんだから自分のペースで歩けばいいんです。そうすれば誰でも頂上に着きますよ」と言ってました。けだし名言だと思いました。まったく、競争するなら会社でしてくれと言いたいです。

「私はツアーは嫌いです。山に行くときは、いつも一人か、多くて二三人ですよ」と言ってました。

高崎駅から榛名湖行きのバスには、若い人も多く乗っていました。バスが山岳道路に入ってもそのまま乗っているので、私はてっきり彼らも榛名湖に行くものと思っていました。ところが、手前の榛名神社で全員降りたのでした。

私は、隣の席の女性に「榛名神社って若者に人気があるんですか?」と訊きました。

「ええ、パワースポットで有名なんですよ」
「パワースポット?」
「岩の間にお社があって見ごたえがありますよ。行ったことがないんですか?」
「はい」
「一度行ったらいいですよ。おすすめですよ」と言われました。

榛名湖はカルデラ湖で、周辺にいくつかの外輪山があります。その中でいちばん高い掃部ヶ岳(かもんがだけ)に登ることにしました。掃部ヶ岳は標高1449メートルですが、榛名湖自体が標高1000メートル以上ありますので、標高差は400メートル足らずです。頂上までは1時間ちょっとで登ることができますが、最初からきつい登りがつづくので思ったより息が上がりました。

20分くらい登ったら分岐点があり、山頂とは別に硯岩(すずりいわ)という方向への案内板がありました。行くと、硯岩は巨大な岩で、すぐ下は身がすくむような断崖絶壁でした。しかし、慎重に岩に登ると、眼下に榛名湖が見渡せ、絶景に感動しました。掃部ヶ岳の方は榛名湖方面の眺望がなく、がっかりしました。

途中ですれ違ったのは二人だけでした。硯岩の手前でヘトヘトになって登っていたら、上から降りてきた若者から「もう少しですよ。がんばって下さい」と言われました。

「上は景色がいいですよ」
「体力がなくて情けないよ」
「ハハハ」
「アナタなんか休憩しないで登れたの?」
「一応」
「オレなんか二回も休んだよ」
「自分は20代だからそのくらい当然ですよ」と言ってとっととと降りて行きました。

登山道には「熊出没注意」の看板があり、両側もクマザサで覆われていましたので、先日の”熊恐怖症”がよみがえってきました。

バス停の近くの食堂で道を尋ねた際、「熊は出ませんか?」と訊いたら、食堂のおばさんから「そんな話は聞いたことがない」と言われたのですが、登山道に入ったらさっそく「熊出没注意」の看板です。20代の若者にも「熊はいなかった?」と訊いたら、「ハハハ、いませんよ」と一笑に付されてしまいました。

山から降りたら、来たときとは反対側へ向かって、榛名湖のまわりを一周しました。5キロくらいありました。

湖畔ではあちこちで、家族連れなどがテントを張ったりテーブルを設置したりしてバーベキューをしていました。そんな光景を見るにつけ、家庭の幸福とは無縁な人間としては、幸せそうで羨ましいなとしみじみ思うのでした。

湖畔を一周してバス停の近くに戻り、最初に道を訊いた食堂でワカサギの天ぷら定食を食べました。九州の私の田舎にあるダムでもワカサギが釣れるので、ワカサギの天ぷらはなつかしい食べ物です。二十歳のとき、退院して実家に帰ったときも、時間を持て余したので、毎日のようにワカサギ釣りに行った思い出があります。

食堂のご主人に「今は書き入れ時でしょ? 人出はどうですか?」と訊いたら、「いや~、全然ですな」と言ってました。

「昔はこんなじゃなかった。もっと多かったですよ」
「たしかに、廃業したホテルなんかの建物も目に付きますね」
「そうです」
「今はどこに行っても外国人観光客がいますが、榛名湖にはあまりいませんね」
「交通の便が悪いからでしょ。車が主体なので、それがネックになっているんじゃないかな」

私も昔はどこに行くにも車でしたので、他人(ひと)のことはとやかく言えないのですが、こうして山に行ったりするようになると、山に車で来て何が面白いんだろう?と思ってしまいます。車から見る風景と歩いて見る風景は、まったく違います。息を切らして登るからこそ山の魅力があるのです。そうやって自然と向き合うことで、自然に対する畏敬の念を持つことができるのです。それがわからないのは不幸のような気がします。

「榛名湖は、あまりにも人工的になりすぎているんじゃないですか? 人工的なものが目立ちすぎますね。それが魅力を削いでいるような気がしますよ」と言ったら、食堂の主人は「うーん」と考え込んでいました。

マラソンやロードバイクや花火などのイベントを催して集客を狙っているようですが、発想が行政主導でステレオタイプなのです。群馬は名にし負う保守的な土地柄ですが、そういったことと関係があるのかもしれません。榛名湖もアスファルトばかりが目立ちます。トレッキングの客はあまりいません。まわりをアスファルトで塗り固められた湖が主役で、山は完全に後景に退いている感じです。

帰りは、高崎から湘南新宿ラインで横浜まで乗り換えなしで帰りました。奮発してグリーン席に乗ったのですが、ゴルフ帰りのサラリーマンたちが車内で宴会をはじめて散々でした。近くに座っていた乗客たちも、迷惑顔で席を移動していました。どうやら都市銀行の行員たちのようで、昔よく耳にした銀行員と警察官の宴会はタチが悪いという話を思い出しました。


榛名湖1

榛名湖7

榛名湖3

榛名湖4

榛名湖5

榛名湖6

榛名湖8
硯岩からの眺望

榛名湖9
建物の上の山の突起した部分が硯岩

榛名湖10

榛名湖11

榛名湖12

榛名湖13

榛名湖14

榛名湖15


2019.08.10 Sat l 山行 l top ▲
吾野から黒山三滝1


おととい、また山に行きました。一週間に一回、トレーニングに行くノルマをみずからに課しました。

「熱中症になるからやめた方がいいよ」という声を振り切って、いつものように西武池袋線に乗りました。途中、秩父線への連絡が悪くて、飯能駅で30分以上待たされ、目的地の吾野駅に着いたのは午前8時すぎでした。

あたらしいコースを探すのも面倒なので、今回は前々回の逆コースを歩くことにしました。吾野駅~顔振峠~傘杉峠を経て黒山三滝に下るコースです。

ところが、顔振峠へ向かっているとき、ふと、決められたコースを歩くのは面白くないなと思ったのでした。それで、峠の近くにある展望台に、下から登ることができないか、試してみたいという誘惑に駆られたのでした。展望台から下に降りる道はなく、下に降りるにはいったん峠まで戻らなければならないのです。

およその目星を付けて、木材の切り出し用に造られたとおぼしき道に入りましたが、途中で道は行き止まりになりました。そのあとは、一面シダなどに覆われ、前日の雨のせいか、水がしみ出している斜面を登って行きました。トレッキングポールでまわりを突きながら、ひとつひとつ足場を確認して、慎重に登って行きました。靴もズボンも泥だらけになりました。

そして、どうにか展望台の下まで来たのものの、行き詰ってしまいました。展望台は、大きな岩の上にあります。でも、その岩はとても登れるようなシロモノではありません。岩の右手にまわれば、登ることができるような感じがしないでもありませんが、それには、斜面を横切らなければなりません(登山用語で言うトラバースしなければならない)。でも、間にある斜面は大きく窪んでいて、中を鉄砲水が流れたような跡があります。足元が見えづらいのでとても危険です。左手は崖で、そっちに迂回することはできません。

結局、それ以上登るのをあきらめ、下ることにしました。せっかく苦労して登ったのに、下るのは悔しくてなりません。そう思いながら途中まで降りたら、先の斜面に人が歩いた跡があるのに気付いたのでした。ラッキーと思って、そっちに向かおうと思ったときでした。喉に痰を詰まらせたおっさんのような鳴き声が聞こえてきたのでした。

向かう方向を見ると、30メールくらい先に、まるで通せんぼしているみたいに動物がいるのがわかりました。最初は「鹿かな?」と思いました。しかし、よく見ると、鹿のわりには太っています。それに、あんなに毛の黒い鹿なんているのだろうかと思いました。

私は、「まさか」と思いました。熊にしては少し痩せているように思いますが、若い熊だったらあり得るかもと思いました。すると、向こうも熊鈴を付けている私に気付いたみたいで、こっちを見ていました。私は、急いでカメラを出して写真を撮ろうと思いました。ズームで撮ろうとしても、慌てているのでなかなか熊?を捉えることができません。それで、適当に連写して、そろりとその場を離れ、あとは一目散に斜面を下ったのでした。

下りながらカメラをチェックしたら、熊?らしきものはまったく映っていませんでした。よほど慌てていたのでしょう、中にはブレてスクランブル放送の画面のようになった写真もありました。

たしかに、熊の目撃情報ありという注意書きがありましたが、めったにロトにも当たらない自分がよりによってどうしてと思いました。そのあと、山に入るのが怖くて峠まで車道を歩いて登りました。風でガサガサ音がすると、思わずうしろを振り返るようなあり様でした。

余分に時間を取ったので、ゴールの黒山三滝に着いたのは午後12時半すぎでした。黒山三滝から越生駅までバスで帰るのですが、午後1時台のバスはなく、次は2時24分です。2時間近く待たなければなりません。今日はついてないなと思いました。

下界はアスファルトからの照り返しで、既にフライパンの上にいるようです。越生駅までは10キロ近くあります。でも、仕方ない、歩けて行けるところまで行こうと思いました。それで、途中のバス停からバスに乗ろうと考えたのでした。

しばらく歩くと、道の反対側に喫茶店がありました。陶器の窯元のような建物のなかを進み、階段を降りるとおしゃれな内装の喫茶店がありました。お客は誰もいなくて、店主の女性が手持ち無沙汰な様子でカウンターのなかに座っていました。聞けば、バス停もすぐ近くにあると言うので、昼食を食べながらバスの時間まで待つことにしました。

最近、シカやイノシシやアライグマの駆除を行っていますという看板を至るところで見かけるので、店主に訊くと、シカやイノシシやアライグマが異常繁殖し、下まで降りてきて農地を荒らすので、地元の人たちは困っていると言ってました。店のまわりでも、夜間シカやイノシシが出没するのだとか。アライグマはどう考えても場違いですが、どうやらペットで飼われていたのが山に捨てられ、それが繁殖したみたいです。近所の人が罠を仕掛けたら、一週間に一匹くらいの割合でアライグマが掛ると言ってました。行政ではそれらを「有害鳥獣」と呼んでいます。

一方、熊は逆で、帰って調べたら、下記のような新聞記事がありました。九州につづいて四国でも絶滅が危惧されているそうです。

朝日新聞デジタル
四国のツキノワグマ、保全へ本腰 九州は絶滅…苦い歴史

環境庁から九州の熊の絶滅宣言が出されたのは2012年だそうで、意外に最近なのでびっくりしました。九州ではずっと以前から捕獲されたというニュースもないので、とっくに熊はいないものと思っていました。何の警戒心もなく、山の中のどこにでも当たり前のようにテントを張っていました。怖いのは熊よりも人間だなんて冗談を言っていたくらいです。また、四国でも、確認された個体は既に10数頭しかなく、九州の二の舞にならないように、絶滅を回避できる最少の数とされる100頭を目標に保護策が講じられているのだとか。

熊の生活圏(テリトリー)に勝手に入っているのは、私たちの方なのです。ホントは「お邪魔します」と頭を下げるべきなのです。山に行くなら、ただ怖がるだけでなく、熊が置かれている状況にも関心を持つべきだなと思いました。


吾野から黒山三滝2

吾野から黒山三滝3

吾野から黒山三滝4

吾野から黒山三滝5

吾野から黒山三滝6

吾野から黒山三滝7
スクランブル放送

吾野から黒山三滝8

吾野から黒山三滝9

吾野から黒山三滝10

吾野から黒山三滝11

吾野から黒山三滝12
2019.08.01 Thu l 山行 l top ▲
17日の水曜日、再び埼玉の山に行きました。

今回は、八高線の毛呂駅から鎌北湖を経て、峠と山を越えて西武秩父線の吾野駅に至るルートで、距離は12~3キロです。

前回と同様、ほとんど眠ってない最悪の状態で出かけました。中止にしようかと思ったのですが、とにかく、行けるところまで行こうと電車に乗りました。

西武池袋線の東飯能でJRの八高線(八王子と高崎を結ぶローカル線)に乗り換えたものの、八高線に乗るのは初めてだったので、うっかり反対側の電車に乗ってしまい、途中で引き返すというアクシデントもありました。

八高線は本数が少ないので、引き返す際も、次の電車まで20~30分待たなければなりません。そのため、池袋を出たのが6時すぎだったのに、毛呂駅に着いたのは、なんと10時近くになりました。

毛呂駅は、埼玉医科大やその付属病院があります。しかし、このあたりは、地方と同じように、移動手段はほとんど車なので、大学病院があるにもかかわらず毛呂駅の乗降客は一日700人くらいだそうで、駅前は前回の越生よりは商店らしきものがあったものの(ただ休みなのか、ほとんど閉まっていた)、おせいじにも賑わっているとは言い難い感じでした。

私は、埼玉に住んでいた頃に、大学病院の前の道路は何度も通ったことがあります。前の道路は、あんな山奥にもかかわらず、夕方になると渋滞するのでした。それは、なんだかとても奇妙な光景に見えました。大学病院にも、友人が入院していたことがあり、お見舞いに行ったことがあります。

鎌北湖は、私が埼玉に住んですぐの頃、大学病院に入院した友人から連れて行ってもらいました。それから、私は、埼玉の山に行くようになったのでした。言うなれば、鎌北湖は、埼玉の山に行くきっかけになった場所でもあるのです。

当時、鎌北湖は、東武鉄道が観光名所として売り出していて、東上線の電車の中にも、鎌北湖の観光ポスターなどが貼っていました。鎌北湖には、宿泊施設もあり、宿泊料と乗車券がセットになった“お得なプラン“なんていうのもありました。日本中がちょうどバブルに浮かれていた頃です。

私は、宿泊施設はとっくになくなっているものと思っていましたが、ネットで調べたら、ホテルは現在も予約の入ったときだけ営業しているそうです。ホテル(元々はユースホステルだったらしい)自体は1990年代に廃業し、その後、飯能市(?)かどこかの「公共の宿」になっていたそうです。

旅館の方は、完全な廃墟になっていました。一部の好事家の間で”心霊スポット”として知られているそうですが、案の定、不審火で建物の一部が焼失したらしく、金網には「敷地内に勝手に入るのは犯罪です。警察に通報します」という看板が取り付けられていました。そう言えば、峠の奥にも、昔、川越市の山の家というのがありましたが、あれもおそらく廃墟になっているのではないでしょうか。

また、都幾川村の林道沿いには、不動産会社かなにかが建てたペンションのような白い建物(実際は社員の研修所だったらしい)があったのですが、それを地下鉄サリン事件のあと、オウム真理教が買収して、麻原彰晃の家族が住むようになり、麻原の子供を都幾川村の小学校が入学拒否をしたとして大騒動になったことがありました。

私は、最初、車で林道を登っていたとき、突然目の前に現れた白い建物にびっくりした覚えがあります(その頃は既に建物は無人になっていた)。さらにそれから1年後くらいに、再び建物のある林道を走っていたら、「オウム反対」「オウムは出ていけ」などという立札がびっしり林道沿いの木々にぶら下げられていたので、二度びっくりしました。そして、事件後各地を漂流したオウムの信者たちが、その建物に住み着いたことを初めて知ったのでした。

その頃は、山に行くと、警察官からしょっちゅう職務質問を受けるようになりました。オウムの信者たちは、人目を忍んで峠を行き来していたらしく、警察が峠の上で24時間検問していたのです。それで面倒臭くなって山に行くのをやめたのでした。

鎌北湖(と言っても、ホントは灌漑用のダムですが)の周りには、表札は出ているものの、人が住んでいる気配のない半ば朽ちた建物もありました。一方で、実際に人が住んでいる建物もありましたし、食堂のようなものも一軒残っていました。

毛呂駅から鎌北湖までは、5キロ弱で、歩いて1時間ちょっとでした。湖のまわりを一周したあと、駐車場の隅で休憩しながら、どうしようかと思いました。吾野駅に行くには、これから8~9キロ歩いて峠と山を越えなければなりません。このまま横になってしばらく眠りたい心境でした。引き返すか。

そう思っていたとき、向こうの道を山から徒歩で下りて来る人物が見えました。リュックを背負って、頭に白いタオルを巻いた、如何にも昔から山歩きが好きだというような、山でよく見かけるタイプの初老の男性です。今どきの山ガールなどをしかめっ面で睨みつけるような”偏屈老人”です。

最近の登山ブームは、登山自体がファッション化し、服装や装備にブランドを競うような風潮があるのはたしかでしょう。著名な登山家たちがメーカーの広告塔になり、素人を煽っているのです。そのためかどうか、登山関連の商品はとにかくバカ高いのでした。

でも、山好きに聞くと、日帰りのトレッキングレベルでは、中国製の安いザックで充分だし、シューズも有名ブランドではない、安価なもので用は足りると言います。速乾のポリエステル製の衣類にしても、ブランド品でなければ安いのがいくらでもあります。ブランドものでなければダメだと言うのは、広告塔になっている登山家や登山雑誌の編集者たちのセールストークなのです。

一方、山好きの”偏屈老人”たちは、作業ズボンのようなものを穿き、頭にタオルを巻いて、なんだか木こりや猟師の延長のような恰好をしています。でも、昔はみんなそうやって山を歩いていたのです。今、私たちが歩いている登山道も、昔は木こりや猟師が歩いていた道なのです。そう考えれば、山好きの”偏屈老人”たちのしかめっ面も、一理あるような気がしました。

私は、山から下りてきた”偏屈老人”を見たら、やはり、山に登ろうと思ったのでした。そして、スマホの登山用アプリを立ち上げると、山の中に入って行ったのでした。

考えてみれば、山と言っても、子どもの頃、祖父と一緒に行った山とそんなに変わりはないのです。祖父は、私が生まれた記念や小学校に入学した記念などに、所有する山に木を植えていました。そして、ときどき私を連れて下刈りに出かけていました。

後年、親がお金がないと嘆いていたので、「あの山を売ればいいんじゃん」と私が言ったら、父親が、「バカ、あんなものはとっくにねぇ(無い)わ」と言うのです。「エエッ、どうして?」と訊くと、「お前のために売ったんじゃ」と言われました。

今回のコースは、距離は長かったものの、前回のような岩場もなく、それほど神経を使うことはありませんでした。ただ、アップダウンが続くので、結構足に来ました。そんなとき、ハアーハアー肩で息をしながら坂を見上げ、体力がなくなったなあとしみじみ思うのでした。

峠を下る途中に、ユガテという集落を通りました。ネットでは、「桃源郷」などと言われていますが、私の田舎に行けば、似たような集落はいくらでもあり、山奥のよくある集落にしか見えませんでした。

私は、若い頃、”九州の秘境”と呼ばれる熊本の五家荘を2日間かけて縦断したことがあります。阿蘇の方から山に入って山越えし、五木の子守唄で有名な五木村を経て、それこそ麻原彰晃が生まれた八代に下りたのでした。

五家荘の人たちは、昔は柳田國男の「山の人生」を彷彿とするような生活をしていて、道らしい道もなく、山の斜面を上り下りしていたという話を聞きました。今で言えば、毎日登山をしていたようなものです。だから、私が訪れた頃でも、村には小学校の分校が6つくらいありました。学校が遠すぎて、通えないからです。

ユガテでは、家の軒先に「カメラで録画しています」という注意書きの札が下がっていました。「桃源郷」にあるまじき光景に戸惑いましたが、花や野菜を盗む不心得者がいるのかもしれません。トレッキングなどと称し、モンベルやノースフェイスやパタゴニアのシェルを着てカッコをつけていても、そうやって山奥の「桃源郷」を荒らす輩がいるのでしょう。登山ブームと言っても、油断も空きもあったもんじゃないのです。

山が好きな人に悪人はいないというのは、おめでたい幻想でしょう。すれ違うとき、「こんにちわ」と挨拶するので、そういった幻想を抱くのかもしれません。私が聞いた話では、頂上にアタックする際などに、余分な荷物を登山道や山小屋に置く場合があり、それを登山用語で「デポ」と言うのですが、デポしていると、中の用具が盗まれてなくなっていることもあるそうです。私は、その話を聞いて、どこにも泥棒はいるんだなと思いました。

ユガテからはずっと下りだと思っていたら、何度か上りもあり、そのたびに立ち止まってため息を吐いている自分がいました。事前に地図で調べて、「飛脚道」(昔、飛脚が山越えする際の予備の道だったらしい)を下り神社の横に降りるはずだったのですが、着いたのは福徳寺というお寺の横でした。途中でルートを外れたみたいです。

それまでも、何度か道を間違え、そのたびに登山アプリの音声の警告メッセージでもとの道に戻ったのですが、最後の間違いは、チェックポイントが同じだったからなのか、警告メッセージが発せられなかったみたいです。山に行って怖いのは、自分の方向音痴と熊ですが(ちなみに、九州の山には熊はいません)、この登山アプリはとても便利です。一応地図とコンパスも持って行きますが、よほどのことがない限りコンパスを使うことはなくなりました。

福徳寺には、国東の富貴寺に似た立派な釈迦堂がありました。県の重要文化財に指定されているそうです。かなりの名刹と見受けられましたが、人の気配がなく森閑としていました。聞けば、住職が住んでない「無住寺」だそうです。

帰りは、東飯能から八高線で八王子に出て、八王子から横浜線で帰りました。なんやかやで2時間近くかかりました。山に行くと帰りはどうしても帰宅ラッシュに遭うので、それが憂鬱です。せっかくいい汗をかいたあとなのに、電車の座席に座ることが人生の目的みたいな人たちにもみくちゃにされ、くたくたになって帰ってきました。


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2019.07.20 Sat l 山行 l top ▲
山に行ってきました。と言っても、行ったのは埼玉の越生の山で、練習のためです。朝7時すぎの東武東上線に乗り、越生駅まで行きました。仕事の関係で前の日は一睡もしてなくて、最悪のコンディションでした。

東上線は、昔、沿線に住んでいましたので、毎日利用していたなつかしい路線です。通勤時間帯ではあるものの、都心とは逆方向なので、空いているだろうと思ったら、とんでもない、座っている人より立っている人のほうがはるかに多いくらいでした。昔では考えられないような込み具合で、びっくりしました。

それだけ沿線の開発が進み、勤務先や通学先が増えたということなのでしょう。たしかに、時折、車で通ることがあるのですが、昔に比べて、ショッピングモールや総合病院などが増えています。幹線道路沿いもあたらしい建物が増えて、開発が進んでいるのがよくわかります。

川越あたりまでは、制服姿の高校生の姿も多くありました。普通、通学と言うと、都心に向かうようなイメージがありますが、実際は都心とは逆方向に通っている高校生も多いのです。川越をすぎると、電車のなかは大学生が目立つようになります。

私は、会社を辞めた翌日、いつもの時間帯に都心とは逆方向の電車に乗った思い出があります。そのときは、電車のなかはガラガラでした。朝、都内に向かう通勤の電車を待っているときに、ホームの反対側にやって来る、逆方向の電車に乗ってみたいとずっと思っていたのでした。路線バスの運転手が、路線を外れ違う道を走ってみたいと思うのと同じかもしれません(そんな映画がありましたが)。

越生に行くには、坂戸駅で支線の越生線に乗り換えなければなりません。越生には車では何十回と行ってますが、電車で行くのは初めてです。越生線になると、車内は学生に占領されたような光景になりました。意外にも、埼玉の奥には大学のキャンパスが多くあるのでした。

乗り換えの時間などもあり、越生駅に着いたのは8時半すぎでした。越生からは、目的地である黒山行きのバスに乗るのですが、バスは1時間に1本しかなく、次の便まで40分待たなければなりませんでした。なんだか蛭子能収の「路線バスの旅」みたいでした。

越生の駅前にはコンビニもなく、「お土産」の看板を掲げた食料品店が一軒あるきりでした。その店でおにぎりを買って、駅の待合室で食べて時間を潰しました。ちなみに、越生線はワンマン電車で、越生駅も無人駅でした(ネットで調べたら今年から無人駅になったみたいです)。

越生駅から25分くらいで終点の黒山に着きました。乗客は、私とやはりトレッキングの恰好をした女性の4人グループの5人だけで、途中、乗降客もなく、全員終点の黒山で降りました。

黒山は、黒山三滝という滝の名所で、近くに田山花袋も訪れたという鉱泉宿もあります。車で来たことはありますが、修験道が修行したという峠への登山道を登るのは初めてです。

滝見学が目的ではないので、最初の滝の横から滝の上に登り、それから「パノラマコース」と道標で示された峠への道を登り始めました。ところが、これが想像以上に荒れた急坂で、息が上がりました。樹林帯のなかの沢と崖がつづく道を登るので、湿気も多く、周辺は天然記念物だというシダが茂っています。さらに途中から岩場も多くなり、両手を使って登る場面も何箇所か出てきました。また、数メートルですが、クサリが架かっているところもありました。しかも、途中から雨が降り始めたので、岩が滑り、かなり気を使いました。

同じルートを登った人のブログを見ると、途中で引き返したという人もいましたが、その気持もわかります。低山と言っても、あなどれないのです。

体力がないので、途中、休み休み登りました。鬱蒼とした森林のなかにいるのは、私一人です。近くでクマの目撃情報があったという注意書きもありましたが、クマに襲われても誰も助けてくれません。それどころか、足を踏み外して、崖の下に落ちても、誰にも知られることもないのです。

大きな岩が目の前に出現すると、「もう登れないよ」と思うのですが、しかし、いざ登り始めると、火事場の馬鹿力のような力が出て、自分でも意外なほどクリアできるのでした。岩登り自体は、スリルがあって楽しいのでした。子どもの頃、よく岩登りをして遊んでいたので、そのときの感覚が思い出されるのでした。

雨と一緒に汗が滝のように流れ、心臓が波打っているような激しい鼓動に思わず声を漏らすほどでした。登っている最中は、「なんでまた山に登りたいなんて思ったんだろう」「山に登るなんて自分には無理だよ」と思うのですが、上まで登るとまた来たいと思うのでした。

峠に辿り着き、林道脇に設置されたベンチでしばらく休んでいたら、下から声が聞こえてきました。自分だけでなく、同じルートを登ってくる人がいたのでした。

見ると、来るときのバスで一緒だった女性のグループでした。途中で、同じルートに合流したのでしょう。みんな、ハアハア息をしてしんどそうでした。

「お疲れ様でした。結構しんどかったでしょ?」と声をかけると、「もう泣きそうでした」「岩がきつかったあ」と言ってました。「埼玉の山もバカにできないですね?」と言うと、「ホント、こんなにきついとは思いませんでした」と言ってました。

私は、自分の体力を測るのにいいコースだなと思いました。熊が怖いけど、自分の体力を測るためにまた来たいと思いました。

そのあと、別の峠に移動して、峠の茶屋で山菜の天ぷらそばを食べました。その峠も、昔は車でよく来ましたが、こうして尾根伝いに林道を歩くのは初めてでした。

茶屋では、もう60年やっているという、茶屋の主のおばあさんと話をしました。最近は、峠にも外国人がやって来るのだそうです。「毎日、必ずやって来ますよ。多いときは、10人くらい来る日もあります」と言ってました。その日も、ウインドシェルを着た金髪の青年が、蕎麦を食べていました。

「何を言っているのかチンプンカンプンで困りますよ」

それで、イギリスの大学に留学していたという女の子がときどきアルバイトに来るので、その子に頼んで英語のメニューを作ってもらったと言ってました。

峠の茶屋の栄枯盛衰の話も聞きました。峠はもう東武ではなく西武のテリトリーなのですが、昔は、西武線の終点が吾野駅だったというのは初めて知りました(あとで調べたら、終点が秩父になったのは1969年です)。その当時は、吾野駅からハイキング客が登ってくるので茶屋も繁盛したそうです。また、学校の遠足でもよく峠まで来ていたそうです。

「西武が秩父まで伸びてからハイキングの客がガクンと減ってしまいました」「その分、秩父の人間たちは喜んでいますよ。西武様々ですよ」と言ってました。なんだかことばの端々に秩父の人たちに対する対抗心のようなものを感じましたが、もしかしたら昔から地域対立があり、秩父事件のような歴史も関係しているのかもと勝手に想像しました。

西武線が伸びるまでは、秩父の人たちの交通手段は秩父鉄道だけで、都内に出るには、秩父鉄道で寄居まで行って、そこから東武東上線で池袋に出るしかなかったそうです。「そりゃ、不便でしたよ」と言ってました。私は、その話を聞いて、だから、秩父は熊谷との結びつきが強かったんだなと思いました。買い物も熊谷に行っていたし、優秀な生徒は、熊谷高校や熊谷女子高に通っていたという話を聞いたことがあります(埼玉では、旧制中学の流れを汲む高校は、今でも男女別学の伝統が残っているのです)。

ちなみに、東武東上線が寄居まで開通したのが1925年で、秩父鉄道の熊谷・秩父間が開通したのが1930年です。それまで秩父は、交通の便の悪い辺境の地だったのです。私が秩父事件のことを知ったのは、井手孫六の一連の著書によってですが、1884年(明治17年)、秩父困民党が蜂起した秩父事件は、文字通り日本の近代史で特筆すべき辺境最深部でおきた窮民革命だったと言えるのかもしれません。

帰りは、吾野駅まで下って、飯能と練馬で乗り換え、副都心線で帰ってきましたが、2時間以上もかかってしまいました。

体重も既に10キロ近く落としましたが、あと5キロ落としたいと思っています。毎日、スクワットで登山に必要な大腿筋と臀部の筋肉を鍛え、低山登山を重ねながら岩登りの練習もしたい。そして、年齢的なタイムリミットも見極めつつ、人生最後の挑戦をしたいと思っています。

余談ですが、先日、登山雑誌に載っていた穂高の歴史を読んでいたら、1941年に西穂高の西穂山荘が建設されたと書いていました。1941年と言えば、真珠湾攻撃がおこなわれ、日米戦争がはじまった年です。日本は、既にその前から中国大陸や南洋諸島に進出し、侵略戦争の泥沼にはまり込んでいました。そんな戦時下に穂高連峰の南端の西穂高岳に山小屋を建設したというのは、なんと(時流に反する)浮世離れした話なんだろうと思いましたが、そういった”非日常性”が登山の魅力でもあるのです。今の自分にも、前に山に来ていた頃と同じように、個人的に逃避したい日常があり、それが再び山に向かわせた理由でもあります。

また、女優の杏が、二十歳のとき、奥穂高から西穂高まで穂高連峰を縦走したことも知りました。穂高の縦走は、国内でも屈指の難ルートですが、実際にジャンダルムやピラミッドピークも登ったのだとか。私は、その話を聞いて、いっぺんに杏を尊敬しました。

次回は、奥多摩か丹沢に行こうと思っています。そして、来月か再来月には、また、長野に行きたい。こうしてだんだん”非日常”への思いがエスカレートしていく自分なのでした。


※途中で雨が降り始めたり、きつくて撮る余裕がなくなったりしたので、写真は登り始めの部分しかありません。

奥武蔵1

奥武蔵2

奥武蔵3

奥武蔵4

奥武蔵7


2019.07.12 Fri l 山行 l top ▲
明神池3
明神池

18日・19日に1泊2日で、穂高と上高地に行きました。年齢のせいもあるのか、最近、精神的に行き詰まっているのをすごく感じていました。それで、気分転換を兼ねて山に行こうと思ったのでした。

埼玉に住んでいたときは、毎週のように秩父の山に行ってました。大晦日に行ったこともあります。麓に車を停めて、3~4時間ひとりで山の中を歩いていました。

私は、九州の山間の町の出身なので、山に行くとホッとするのです。「山に抱(いだ)かれる」と言うとキザっぽい言い方になりますが、山が自分の原点のような気がします。だから、山に行くと、よく泣いていました。わけもなく涙があふれてくるのでした。やはり「抱かれる」ような気持になるからでしょうか。

新宿バスタから高速バスの飛騨高山行きに乗って、同じ高山市の奥飛騨にある平湯温泉で下車して、同地に一泊しました。

高速バスに乗るのも、初めてでした。平湯温泉まで4時間以上かかります。私は身体が大きいので、4時間もの道中、隣に他人(ひと)座ることを考えると恐怖です。それで、2千円追加して、二人掛けの座席を一人で使うことができる「おひとりだけシート」というオプションを予約しました。

ところが、私の心配は杞憂でした。行きも帰りも車内はガラガラで、別に二千円払わなくても、二人掛けの座席をいくらでも一人で独占できるのです。もちろん、「おひとりだけシート」を利用しているのは私だけでした。なんだかバツの悪さを覚えたくらいです。

朝の7時5分発のバスに乗りました。新宿バスタの最寄り駅である新宿三丁目駅は、普段副都心線でよく通っていますが、バスタを利用したことがないので、地上に出たらどっちの方向に行っていいのかわからず、不覚にも道に迷ってしまいました(帰りも迷った)。

平湯温泉には高速道路のサービスエリアのようなバスターミナルがあり、平湯温泉から新穂高ロープウェイや上高地、あるいは乗鞍岳へのシャトルバスが運行されています。

平湯温泉は、九州の私の田舎とロケーションがよく似ていました。私の田舎も、国立公園に接した山間の温泉地で、かつては登山の拠点でした。私たちが子どもの頃、山開きの前日は、どこの旅館も登山客で満杯でした。そのため、今で言う民泊のように、旅館が近所の民家の部屋を臨時に借りていたほどです。でも、時代の流れとともに登山客もマイカーでやって来るようになり、山の反対側に駐車場が整備された登山口ができたため、今では登山客の姿を見かけることはなくなりました。

一方、平湯温泉は、上高地や乗鞍岳がマイカー規制されているため、今でも北アルプスの登山やハイキングの拠点になっているみたいです。また、冬にはスキー客もいるという話でした。しかし、地の利に恵まれているわりには、温泉街はいまひとつ活気がない気がしました。

一日目は、新穂高ロープウェイで、標高2100メートルの西穂高岳の登山口がある尾根まで行きました。実は、そのまま尾根伝いを歩いて、西穂山荘へ行きたいと思い、いったんはロープウェイの建物から外に出て登山道に入り、西穂高に向かいました。しかし、ロープウェイの最終便まで3時間足らずしかありません。往復すると時間的にはギリギリで、行程に手間取れば最終便に間に合わなくなる可能性もあります。それで、やむを得ず途中で引き返しました。

西穂山荘の先には、11峰の独標がありますが、今の体力では岩登りはまだ無理なので、次回は稜線を歩いて丸山まで行き、そのあと体力が付いたら独標をチャレンジしたいと思っています。

二日目は、朝8時のバスで上高地に行きました。乗客は、私と女性の外国人観光客の二人だけでした。大正池で下車して、梓川沿いを1時間半かけて河童橋まで歩き、さらに河童橋から2時間かけて明神池まで歩きました。

この時期は雨も多いので観光客も少なく、「裏ベストシーズン」と言われているそうですが、幸いにも雨に降られることもなく、新緑の「裏ベストシーズン」を満喫できました。

ただ、河童橋周辺は、御多分に漏れず日本人より中国人の方が多いくらいでした。大正池から河童橋まで歩いているとき、中国人観光客の団体が後ろからやって来ました。彼らは、大声でまくし立てるように喋るので、あたりに大音量の中国語が響き渡り、山歩きの雰囲気が台無しでした。思わず「うるさい!」と言いたくなりました。彼らを見ていると、訪れるのはどこでもよくて、ただ観光地で記念写真を撮ることだけが目的のような感じです。中には、(写真屋の息子にはなつかしい)昔のカメラ雑誌に出ていたモデルのようなポーズで、写真におさまっている女性もいました。まさに新中間層の”プチ成金旅行”といった感じです。

もっとも、うるさいのは中国人観光客だけではありません。明神池にある嘉門次小屋では、会社の旅行で来たような明らかに場違いな感じの(日本人)男性のグループが、名物の岩魚の骨酒で上機嫌になったのか、あたりはばからず大声でバカ話をして"小宴会"状態になっていました。

また、帰る際、バスセンター近くの店で食事をしたのですが、場所柄価格が割高なのは仕方ないとしても、アルバイトとおぼしきフロア係の女の子たちの人を食ったような接客態度に唖然としました。アジアからの観光客が多いので、いつの間にかお客さんを上から見るような悪癖が付いているのかもしれません。ちなみに、その店も、ネットのレビューでは高い評価が付いていました。

そんな「リゾートバイト」の女の子たちに比べれば、(言っていることが矛盾するようですが)バスセンターでバスの案内をしている中国人の女の子たちの方がはるかに好感が持てました。日本人だからと言って、中国人よりマシだとは限らないのです。

上高地の白眉は、なんと言っても明神池です。明神池の神秘的な風景は一見の価値ありで、来てよかったと思いました。

ただ、私は、上高地を歩きながら、いつの間にかなつかしさに浸っている自分がいました。上高地のような風景は、スケールの違いこそあれ、私の田舎にもありました。私の田舎の川も、大正池や明神池に負けないくらい水がきれいでした。私の田舎の水道は、公営ではなく、地域の住民が水道組合を作って共同で運営していました。もちろん、カルキなども使ってなくて、山の湧き水をそのまま水道に利用していました。だから、街から親戚が来ると、水が美味しいと言って、いつも真っ先に水道の水を飲むのでした。私たちはそれが当たり前だと思っていましたが、今思えば、毎日飲んでいたのは、天然のミネラルウォーターだったのです。

大いに歩き、山の空気をいっぱい吸って、心をリセットした二日間でした。山は文字通り、私にとって「空っぽになれる場所」(田口ランディ)なのです。スマホの歩数計で確認すると、一日目が22000歩、二日目が36000歩でした。


新穂高ロープウェイ1
新穂高ロープウェイ・西穂高口駅

新穂高ロープウェイ8

新穂高ロープウェイ2
登山道

新穂高ロープウェイ3

新穂高ロープウェイ4

新穂高ロープウェイ5
ケルン

新穂高ロープウェイ6ー

新穂高ロープウェイ7

大正池1
大正池

大正池3

大正池4
大正池

大正池5

大正池7

田代橋1
ウォルター・ウェストン碑

田代橋2
碑文

河童橋1
河童橋

河童橋10

河童橋3

河童橋4

河童橋6

河童橋9

河童橋8
橋上からの風景

明神2
明神池に向かう途中

明神3
まるで高崎山のように目の前を猿が横切って行きました

明神4

明神6
明神池に向かう梓川の左岸コース

明神11070281

明神橋1

明神橋2

明神橋3
明神橋

嘉門次小屋
嘉門次小屋

明神池4
明神池

明神池5

明神池7

明神池8

明神池9

明神池10

明神池11

明神池12

明神池13

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明神池18

明神池19

明神池20

明神池21

明神池22

明神池23

明神池24
帰りは梓川の右岸(自然探勝路)コース

明神池25

明神池26

明神池28

明神池30

平湯温泉1
旅館の部屋

平湯温泉2
平湯温泉

平湯温泉4
平湯温泉バスターミナル
2019.06.20 Thu l 山行 l top ▲