ひとりで山に行くのは全然苦ではないし、自分にはこのスタイルが向いていると思っていますが、ただ、自己流なので専門的な知識や技術があるわけではありません。また、今の自分がどれくらいのレベルにあるのか、客観的に知ることもできません。

それで、ベテランの登山家などに指導を受けるサークルのようなものはないか、ネットで調べていたら、あるサークルのウェブサイトに、2010年前後の山ガールや団塊の世代による“山ブーム”の頃と比べると、現在はハイカーの数が半減していると書いているのを偶然見つけました。私は、今も山ガールや中高年の”山ブーム”がつづいているものと思っていましたので、半信半疑ながら「へぇ~そうだったのかぁ~」とどこかで聞いたような台詞を心の中で呟きました。

たしかに、団塊の世代が高齢化して、山登りができなくなったという側面はあるでしょう。しかし、後続の世代は、団塊の世代ほど山に興味を持ってないのでしょうか。そう言えば、昭和30年代に登山ブームがあり、そのときに親に連れられて山に登った世代が、昨今のブームを支えているというような話を聞いたことがあります。

私も若い女性向けの輸入雑貨を扱う仕事をしていましたのでよくわかりますが、ブームは所詮ブームなのです。登山も例外ではなかったということなのかもしれません。

本多勝一氏は、先に紹介した『新版・山を考える』とは別の『貧困なる精神T集・「日本百名山」と日本人』(2006年・金曜日)でも、中高年ハイカーによる百名山ブームを「メダカ社会の共鳴現象」と書いていましたが、そういった浮薄な現象がやがて終焉を迎えるのは理の当然と言えるでしょう。

ある登山愛好家のブログにも、山小屋で中高年夫婦の次のような会話が耳に入って呆れたというような記事がありました。妻が「××山は怖いから登りたくないわ」と言ったら、夫が「××山は百名山ではないから登らなくていい」と言ったのだとか。山に対する冒涜だと書いていましたが、その気持はわからないでもありません。

また、別のブログでは、山の中に使用済みのティッシュがよく捨てられているけど、そのくらいの心使いもできないのかと嘆いていましたが、私もティッシュはよく目にします。たしかに、山に登ると、やたら洟水が出てティッシュで洟をかむことがあります。それを平気で山の中に捨てているのです。これでは、食べ残したものを捨てるなんて朝飯前でしょう。そして、ついでに、ユガテの監視カメラではないですが、花や果物も盗んで帰るのでしょう。

ある登山ガイドの方のブログでは、登山関連のキュレーションサイトから執筆依頼が来るけど、その際、アマゾンで販売している登山用品を必ず取り上げてほしいという条件が付くので、それが嫌で断っていると書いていました。登山の初心者がありがたがって読んでいるキュレーションサイトの記事にも、ステルス広告が埋め込まれているのです。それどころか、百名山のように、今や山自体が商品化しブランド化しているのです。

ハイカーが半減したという話がもしホントなら、旅行会社や登山メーカーや登山用品の販売店は大変でしょうが、他人に煩わされずに静かに山(自然)と向き合いたいと考えている人たちにとっては、あるいは無用に人間が食べるものへの好奇心をそそられ、その結果迷惑がられて駆除される熊にとっても、むしろ歓迎すべきことと言えるのかもしれません。
2019.08.19 Mon l l top ▲
明神池熊の出没
上高地・明神池


札幌市南区の住宅街に出没していた熊は、今日の早朝、地元猟友会によって駆除(射殺)されたそうです。

TBS NEWS
札幌、住宅街出没のクマを山で駆除

「駆除の一報に住民からは安堵の声が聞かれ」たそうですが、熊が置かれている問題について、最近、少なからぬ関心を抱いている“熊恐怖症”の人間としては、なんだか切ない気持になりました。

ネットでは、熊が人里に降りて来るのは、山にエサが不足しているからではなく、逆に熊が増えすぎているからだというようなトンデモ話がまことしやかに流れていますが、こういったトンデモ話と駆除のニュースを考えると、やはり「傲慢」という言葉しか思い浮かびません。そこには、自然に対する畏敬の念が微塵も伺えません。

調べてみると、熊に対するさまざまな誤解が存在することもわかりました。

ちょっと古いですが、2013年に日本熊森協会と北海道熊研究会が北海道知事に共同で申し入れた“人と熊が共存するための要望”には、私たちの熊に対する偏見や誤解が指摘されており、目から鱗が落ちる思いがしました。

北海道知事への熊問題に関する申し入れ ( 要望 )
http://www.yasei.com/bearlobby.html

熊に遭遇したら死んだふりをすればいいという対処法については、妄言であると一刀両断していました。

道の「あなたとヒグマの共存のために」と言う道民向けのパンフレットには「熊に襲い掛かられたら ( これは爪や歯で襲われている状態を言う ), 首の後を手で覆い、地面に伏して死んだふりをして下さい。山に入る人は万一に備えて練習して下さい」とあるが、これは全く間違った対処法である。まず熊の攻撃に意識ある状態で無抵抗で耐え得る人間など何処にいようか。これを書いた当事者に聞きたいものである。熊に囓られ爪で引っ掻かれれば意識あれば反射的に抵抗するもので、これに耐え我慢せよと言うのは、正に妄言であり、責任ある当局が言うべき事ではない。


むしろ、反撃すべきだと言います。

襲い掛かって居る熊に反撃すれば、熊が更に猛り、被害が大きくなるではないかと、想像で反論する者がいるが、過去の事例を検証した限り、そう言う事例は全く無く、それは杞憂に過ぎぬ事は明白である。

熊ばかりでなく、動物に襲われて、その難から身を守る原則は相手に対し積極的に反撃することが原則であることは、人を含む動物界における基本原理常識である。


そのためにも、昔の山子(山師)のように鉈(ナタ)を携帯すべきだと言うのです。

また、私なども山に行くときに必ず携行している熊鈴についてですが、鈴の音は沢の音などでかき消され熊に音が届かないことがあるので、鈴よりもホイッスルの方が有効だとか。ホイッスルを「10数分毎に2~3 回」吹くことを推奨していました。

たしかに、一番怖いのは熊と出合いがしらに遭遇することです。熊は臆病なので、出会いがしらに遭遇するとパニックになって襲いかかってくるからです。だから、ここに人間がいるぞということを前もってアピールする必要があるのです。鈴を鳴らすと逆に熊に居場所を知られて危険だというような話もありますが、(たしかに如何にももっともらしい話ではあるものの)逆に遭遇の危険性を高める間違った考えと言えるでしょう。

山に詳しい人の話では、糞や足跡や剥皮(熊が樹木の皮を剥いだ跡)の特徴、それに活動する時間帯(早朝と夕方)や出没しやすい場所(広葉樹林の森や沢)など、熊の生態を知っておくのも大事だと言ってました。

”要望”では、今回のような住宅街に出没する事例についても言及していましたが、それによれば「満2歳未満の熊は人を襲う事は無い」し、「夜にのみ街中に出て来る熊は人を襲わない」そうです。

夜にのみ街中に出てきている熊は人を慎重に避けて行動している証拠で、熊が出て来ているその様な場所に人が夜間に出歩いても、熊の方で先に人の存在に気づき身を潜めるもので、人を襲うことは先ず無い。


山小屋で働いていた人に聞いた話でも、日本アルプスなどでは山小屋の近くに熊が出没することはあるけれど、山小屋やテント場まで降りてくることはないそうです。なぜなら人間がいるからです。

近づいてきたらピストルの音に似た擬音を発して追っ払うそうですが、もし仮に食べ物を与えたりしたら熊の好奇心を煽り、ますます人間に近づいてくるようになるでしょう。よくネットには山でカップ麺を食べて美味しかったというような写真がアップされていますが、ホントに麺やスープもすべて平らげ容器を持ち帰っているんだろうか(食べ残したものを棄てたりはしてないのだろうか)と気になります。

私の祖父などもそうでしたが、昔は山に行くときは必ず鉈を携行していました。しかし、今の世の中で鉈を持って行くというのは難しい面もあります(鉈を持って電車やバスに乗ったら警察に通報されるでしょう)。最低限、熊スプレーとホイッスルは持って行くべきだとあらためて思いました。
2019.08.14 Wed l l top ▲
私は、山に行くときはヤマレコのGPS地図アプリを利用していますが、一方でユーザーが実際に山に行った際の感想や写真を書き込む「山行記録」を読むと、ときに違和感を抱くことがあります。

ヤマレコ
https://www.yamareco.com/

「山行記録」には、中高年の登山ブームの火付け役になった(と言われる)深田久弥氏の百名山について、今回登ったのが何座目だなどと言って、まるで四国八十八か所巡りのお遍路さんみたいに、百名山を踏破することが目的のように書いている文章が散見されます。最近は、百名山のほかに二百名山なるものもあるみたいで、日本山岳会もそれに悪ノリしているようです。さらに、日本山岳会の後ろには、登山メーカーや登山雑誌や登山用品の販売店や旅行会社などが連なり、舌なめずりしながらソロバン勘定をしているのです。

私のようなシロウトでも、百名山ってなに?と思います。山のブランドなのかと思ってしまいます。深田久弥氏は、人間に人格があるように、山にも品格(山格)があると書いていましたが、「山格」とはもはや冗談みたいな話です。文学というのは、かように便利で且つ特権的で、文学的装飾で偽装すれば(そして、あの小林秀雄がお墨付きを与えれば)、冗談みたいな話ももっともらしく受け取られるのです。

百名山や二百名山を有難がっている”登山ジレッタント”たちは、裸の王様に裸だと言えずに、盲目的に王様にかしずく心の不自由な人たちと言うべきなのかもしれません。本多勝一氏は、『新版·山を考える』(朝日文庫)の中で、彼らを「メダカ民族」の「モノマネ没個性登山者」だと批判していましたが、正鵠を得ていると言うべきでしょう。

また、ヤマレコの「山行記録」には、やたらとコースタイムにこだわったり、北アルプスのような技量と体力を要する山でも「たいしたことはなかった」みたいに書く人たちもいます。世の登山愛好家には、この手の自己顕示欲の強い人間が多いのも事実です。

私は、彼らの「山行記録」を読むにつけ、ここはオレたちの道路だと言わんばかりに我が物顔に煽ってくるダンプカーの運転手と似ているように思えてなりません。ヨーロッパの模倣からはじまった日本の近代登山は、とうとうそんなピエロを生むまでに至ったと言うべきかもしれません。本多氏は、深田久弥氏について、「『山それ自体』の関心があまり深くなかったのではないか」と書いていますが、むしろ、やたらコースタイムにこだわったり、レベルの高い山も「たいしたことはなかった」と嘯く世の登山愛好家たちこそそう言えるのではないでしょうか。

一方で、深田氏は、意外にも次のようなことを書いているそうです。

登山がスポーツ化されるに従って、それは何らかの形で体制的なものの下におかれる。山の自由な空気を楽しむよりも、記録を立てることの方に重点がおかれる。やがては記録を目的とする登山さえ出てくる。彼らは山に登って山を見ようとしない。記録のためには、山で享受できるものすべてを棄ててもかまわない。(中略)学校の山岳部に主将とか副将とかいうのが決められ、シゴキとか訓練とかが重視されるようになっては、登山はスポーツにはなったが、本当の山好きではなくなったようである。

(『Energy』1970年4月号・「登山とスポーツ」)
※ネットより孫引き


その言やよしですが、ただ、百名山や二百名山にこだわるのもまた、山行の「自由な空気」の対極にあるものでしょう。その意味では、深田氏が書いていることは自己撞着にほかなりません。

私は、大学の山岳部出身のそれこそダンプカーの運転手のような人間を知っていますが、彼がいつも口にする体育会的な山のオキテや山自慢も、山行の「自由な空気」の対極にあるという点では百名山信仰と同じなのです。言葉は悪いですが、目クソ鼻クソなのです。
2019.08.12 Mon l l top ▲
世間では今日からお盆休みですが、トレーニングのため、群馬県高崎市の榛名湖に行きました。榛名湖だと標高が高いので、熱中症の心配もないだろうと思ったのです。たしかに、平地に比べたら気温が低く(22〜3度くらいでした)快適でした。

まず東上線で終点の小川町まで行き、小川町でJR八高線に乗り換えて高崎に。高崎から榛名湖行きのバスに乗りました。早朝6時過ぎに東上線に乗り、榛名湖に着いたのは11時半過ぎでした。

榛名湖に行ったのは二度目で、前に行ったのは30年近く前です。前回は車でしたので、こうして電車とバスを乗り継いで行くのは初めてです。

東上線も八高線も榛名湖行きのバスも、お盆休みに入ったというのに結構混んでいました。八高線では、大きなバッグを持った帰省中とおぼしき乗客も目に付きました。

高崎に行ったのも、15年ぶりくらいです。昔、事情があって、当時親しくしていた女性と高崎で「逢引き」していたことがあり、その頃通っていました。

八高線の車内で、車の免許の高齢者講習を受けたばかりだという女性と隣合わせになり、四方山話をしていたら、彼女も山が好きでよく山登りに行くのだと言うのです。

「どんな山に行くのですか?」と尋ねたら、「2千メートル以上の山が多い」と言ってました。それで、「北アルプスなどにも行くのですか?」と訊いたら、「3年前に槍ヶ岳に行った」と言うのでびっくりしました。高齢者講習は70歳からなので、年齢は推して知るべしで、見た目も普通の高齢女性です。

「私も、最近、山歩きを再開したんですが、とにかく体力がなくて情けないですよ」と言ったら、「体力なんて山を歩けば自然に付きますよ」「登山は競争じゃないんだから自分のペースで歩けばいいんです。そうすれば誰でも頂上に着きますよ」と言ってました。けだし名言だと思いました。まったく、競争するなら会社でしてくれと言いたいです。

「私はツアーは嫌いです。山に行くときは、いつも一人か、多くて二三人ですよ」と言ってました。

高崎駅から榛名湖行きのバスには、若い人も多く乗っていました。バスが山岳道路に入ってもそのまま乗っているので、私はてっきり彼らも榛名湖に行くものと思っていました。ところが、手前の榛名神社で全員降りたのでした。

私は、隣の席の女性に「榛名神社って若者に人気があるんですか?」と訊きました。

「ええ、パワースポットで有名なんですよ」
「パワースポット?」
「岩の間にお社があって見ごたえがありますよ。行ったことがないんですか?」
「はい」
「一度行ったらいいですよ。おすすめですよ」と言われました。

榛名湖はカルデラ湖で、周辺にいくつかの外輪山があります。その中でいちばん高い掃部ヶ岳(かもんがだけ)に登ることにしました。掃部ヶ岳は標高1449メートルですが、榛名湖自体が標高1000メートル以上ありますので、標高差は400メートル足らずです。頂上までは1時間ちょっとで登ることができますが、最初からきつい登りがつづくので思ったより息が上がりました。

20分くらい登ったら分岐点があり、山頂とは別に硯岩(すずりいわ)という方向への案内板がありました。行くと、硯岩は巨大な岩で、すぐ下は身がすくむような断崖絶壁でした。しかし、慎重に岩に登ると、眼下に榛名湖が見渡せ、絶景に感動しました。掃部ヶ岳の方は榛名湖方面の眺望がなく、がっかりしました。

途中ですれ違ったのは二人だけでした。硯岩の手前でヘトヘトになって登っていたら、上から降りてきた若者から「もう少しですよ。がんばって下さい」と言われました。

「上は景色がいいですよ」
「体力がなくて情けないよ」
「ハハハ」
「アナタなんか休憩しないで登れたの?」
「一応」
「オレなんか二回も休んだよ」
「自分は20代だからそのくらい当然ですよ」と言ってとっととと降りて行きました。

登山道には「熊出没注意」の看板があり、両側もクマザサ(熊笹)で覆われていましたので、先日の”熊恐怖症”がよみがえってきました。

バス停の近くの食堂で道を尋ねた際、「熊は出ませんか?」と訊いたら、食堂のおばさんから「そんな話は聞いたことがない」と言われたのですが、登山道に入ったらさっそく「熊出没注意」の看板です。20代の若者にも「熊はいなかった?」と訊いたら、「ハハハ、いませんよ」と一笑に付されてしまいました。

山から降りたら、来たときとは反対側へ向かって、榛名湖のまわりを一周しました。5キロくらいありました。

湖畔ではあちこちで、家族連れなどがテントを張ったりテーブルを設置したりしてバーベキューをしていました。そんな光景を見るにつけ、家庭の幸福とは無縁な人間としては、幸せそうで羨ましいなとしみじみ思うのでした。

湖畔を一周してバス停の近くに戻り、最初に道を訊いた食堂でワカサギの天ぷら定食を食べました。九州の私の田舎にあるダムでもワカサギが釣れるので、ワカサギの天ぷらはなつかしい食べ物です。二十歳のとき、退院して実家に帰ったときも、時間を持て余したので、毎日のようにワカサギ釣りに行った思い出があります。

食堂のご主人に「今は書き入れ時でしょ? 人出はどうですか?」と訊いたら、「いや~、全然ですな」と言ってました。

「昔はこんなじゃなかった。もっと多かったですよ」
「たしかに、廃業したホテルなんかの建物も目に付きますね」
「そうです」
「今はどこに行っても外国人観光客がいますが、榛名湖にはあまりいませんね」
「交通の便が悪いからでしょ。車が主体なので、それがネックになっているんじゃないかな」

私も昔はどこに行くにも車でしたので、他人(ひと)のことはとやかく言えないのですが、こうして山に行ったりするようになると、山に車で来て何が面白いんだろう?と思ってしまいます。車から見る風景と歩いて見る風景は、まったく違います。息を切らして登るからこそ山の魅力があるのです。そうやって自然と向き合うことで、自然に対する畏敬の念を持つことができるのです。それがわからないのは不幸のような気がします。

「榛名湖は、あまりにも人工的になりすぎているんじゃないですか? 人工的なものが目立ちすぎますね。それが魅力を削いでいるような気がしますよ」と言ったら、食堂の主人は「うーん」と考え込んでいました。

マラソン(ヒルクライム)やロードバイクや花火などのイベントを催して集客を狙っているようですが、発想が行政主導でステレオタイプなのです。群馬は名にし負う保守的な土地柄ですが、そういったことと関係があるのかもしれません。榛名湖もアスファルトばかりが目立ちます。トレッキングの客はあまりいません。まわりをアスファルトで塗り固められた湖が主役で、山は完全に後景に退いている感じです。

帰りは、高崎から湘南新宿ラインで横浜まで乗り換えなしで帰りました。奮発してグリーン席に乗ったのですが、ゴルフ帰りのサラリーマンたちが車内で宴会をはじめて散々でした。どうやら都市銀行の行員たちのようで、昔よく耳にした銀行員と警察官の宴会はタチが悪いという話を思い出しました。


榛名湖1

榛名湖7

榛名湖3

榛名湖4

榛名湖5

榛名湖6

榛名湖8
硯岩からの眺望

榛名湖9
建物の上の山の突起した部分が硯岩

榛名湖10

榛名湖11

榛名湖12

榛名湖13

榛名湖14

榛名湖15


2019.08.10 Sat l l top ▲
吾野から黒山三滝1


おととい、また山に行きました。一週間に一回、トレーニングに行くノルマをみずからに課しました。

「熱中症になるからやめた方がいいよ」という声を振り切って、いつものように西武池袋線に乗りました。途中、秩父線への連絡が悪くて、飯能駅で30分以上待たされ、目的地の吾野駅に着いたのは午前8時すぎでした。

あたらしいコースを探すのも面倒なので、今回は前々回の逆コースを歩くことにしました。吾野駅~顔振峠~傘杉峠を経て黒山三滝に下るコースです。

ところが、顔振峠へ向かっているとき、ふと、決められたコースを歩くのは面白くないなと思ったのでした。それで、峠の近くにある展望台に、下から登ることができないか、試してみたいという誘惑に駆られたのでした。展望台から下に降りる道はなく、下に降りるにはいったん峠まで戻らなければならないのです。

およその目星を付けて、木材の切り出し用に造られたとおぼしき道に入りましたが、途中で道は行き止まりになりました。そのあとは、一面シダなどに覆われ、前日の雨のせいか、水がしみ出している斜面を登って行きました。トレッキングポールでまわりを突きながら、ひとつひとつ足場を確認して、慎重に登って行きました。靴もズボンも泥だらけになりました。

そして、どうにか展望台の下まで来たのものの、行き詰ってしまいました。展望台は、大きな岩の上にあります。でも、その岩はとても登れるようなシロモノではありません。岩の右手にまわれば、登ることができるような感じがしないでもありませんが、それには、斜面を横切らなければなりません(登山用語で言うトラバースしなければならない)。でも、間にある斜面は大きく窪んでいて、中を鉄砲水が流れたような跡があります。足元が見えづらいのでとても危険です。左手は崖で、そっちに迂回することはできません。

結局、それ以上登るのをあきらめ、下ることにしました。せっかく苦労して登ったのに、下るのは悔しくてなりません。そう思いながら途中まで降りたら、先の斜面に人が歩いた跡があるのに気付いたのでした。ラッキーと思って、そっちに向かおうと思ったときでした。喉に痰を詰まらせたおっさんのような鳴き声が聞こえてきたのでした。

向かう方向を見ると、30メールくらい先に、まるで通せんぼしているみたいに動物がいるのがわかりました。最初は「鹿かな?」と思いました。しかし、よく見ると、鹿のわりには太っています。それに、あんなに毛の黒い鹿なんているのだろうかと思いました。

私は、「まさか」と思いました。熊にしては少し痩せているように思いますが、若い熊だったらあり得るかもと思いました。すると、向こうも熊鈴を付けている私に気付いたみたいで、こっちを見ていました。私は、急いでカメラを出して写真を撮ろうと思いました。ズームで撮ろうとしても、慌てているのでなかなか熊?を捉えることができません。それで、適当に連写して、そろりとその場を離れ、あとは一目散に斜面を下ったのでした。

下りながらカメラをチェックしたら、熊?らしきものはまったく映っていませんでした。よほど慌てていたのでしょう、中にはブレてスクランブル放送の画面のようになった写真もありました。

たしかに、熊の目撃情報ありという注意書きがありましたが、めったにロトにも当たらない自分がよりによってどうしてと思いました。そのあと、山に入るのが怖くて峠まで車道を歩いて登りました。風でガサガサ音がすると、思わずうしろを振り返るようなあり様でした。

余分に時間を取ったので、ゴールの黒山三滝に着いたのは午後12時半すぎでした。黒山三滝から越生駅までバスで帰るのですが、午後1時台のバスはなく、次は2時24分です。2時間近く待たなければなりません。今日はついてないなと思いました。

下界はアスファルトからの照り返しで、既にフライパンの上にいるようです。越生駅までは10キロ近くあります。でも、仕方ない、歩けて行けるところまで行こうと思いました。それで、途中のバス停からバスに乗ろうと考えたのでした。

しばらく歩くと、道の反対側に喫茶店がありました。陶器の窯元のような建物のなかを進み、階段を降りるとおしゃれな内装の喫茶店がありました。お客は誰もいなくて、店主の女性が手持ち無沙汰な様子でカウンターのなかに座っていました。聞けば、バス停もすぐ近くにあると言うので、昼食を食べながらバスの時間まで待つことにしました。

最近、シカやイノシシやアライグマの駆除を行っていますという看板を至るところで見かけるので、店主に訊くと、シカやイノシシやアライグマが異常繁殖し、下まで降りてきて農地を荒らすので、地元の人たちは困っていると言ってました。店のまわりでも、夜間シカやイノシシが出没するのだとか。アライグマはどう考えても場違いですが、どうやらペットで飼われていたのが山に捨てられ、それが繁殖したみたいです。近所の人が罠を仕掛けたら、一週間に一匹くらいの割合でアライグマが掛ると言ってました。行政ではそれらを「有害鳥獣」と呼んでいます。

一方、熊は逆で、帰って調べたら、下記のような新聞記事がありました。九州につづいて四国でも絶滅が危惧されているそうです。

朝日新聞デジタル
四国のツキノワグマ、保全へ本腰 九州は絶滅…苦い歴史

環境庁から九州の熊の絶滅宣言が出されたのは2012年だそうで、意外に最近なのでびっくりしました。九州ではずっと以前から捕獲されたというニュースもないので、とっくに熊はいないものと思っていました。何の警戒心もなく、山の中のどこにでも当たり前のようにテントを張っていました。怖いのは熊よりも人間だなんて冗談を言っていたくらいです。また、四国でも、確認された個体は既に10数頭しかなく、九州の二の舞にならないように、絶滅を回避できる最少の数とされる100頭を目標に保護策が講じられているのだとか。

熊の生活圏(テリトリー)に勝手に入っているのは、私たちの方なのです。ホントは「お邪魔します」と頭を下げるべきなのです。山に行くなら、ただ怖がるだけでなく、熊が置かれている状況にも関心を持つべきだなと思いました。


吾野から黒山三滝2

吾野から黒山三滝3

吾野から黒山三滝4

吾野から黒山三滝5

吾野から黒山三滝6

吾野から黒山三滝7
スクランブル放送

吾野から黒山三滝8

吾野から黒山三滝9

吾野から黒山三滝10

吾野から黒山三滝11

吾野から黒山三滝12
2019.08.01 Thu l l top ▲
17日の水曜日、再び埼玉の山に行きました。

今回は、八高線の毛呂駅から鎌北湖を経て、峠と山を越えて西武秩父線の吾野駅に至るルートで、距離は12~3キロです。

前回と同様、ほとんど眠ってない最悪の状態で出かけました。中止にしようかと思ったのですが、とにかく、行けるところまで行こうと電車に乗りました。

西武池袋線の東飯能でJRの八高線(八王子と高崎を結ぶローカル線)に乗り換えたものの、八高線に乗るのは初めてだったので、うっかり反対側の電車に乗ってしまい、途中で引き返すというアクシデントもありました。

八高線は本数が少ないので、引き返す際も、次の電車まで20~30分待たなければなりません。そのため、池袋を出たのが6時すぎだったのに、毛呂駅に着いたのは、なんと10時近くになりました。

毛呂駅は、埼玉医科大やその付属病院があります。しかし、このあたりは、地方と同じように、移動手段はほとんど車なので、大学病院があるにもかかわらず毛呂駅の乗降客は一日700人くらいだそうで、駅前は前回の越生よりは商店らしきものがあったものの(ただ休みなのか、ほとんど閉まっていた)、おせいじにも賑わっているとは言い難い感じでした。

私は、埼玉に住んでいた頃に、大学病院の前の道路は何度も通ったことがあります。前の道路は、あんな山奥にもかかわらず、夕方になると渋滞するのでした。それは、なんだかとても奇妙な光景に見えました。大学病院にも、友人が入院していたことがあり、お見舞いに行ったことがあります。

鎌北湖は、私が埼玉に住んですぐの頃、大学病院に入院した友人から連れて行ってもらいました。それから、私は、埼玉の山に行くようになったのでした。言うなれば、鎌北湖は、埼玉の山に行くきっかけになった場所でもあるのです。

当時、鎌北湖は、東武鉄道が観光名所として売り出していて、東上線の電車の中にも、鎌北湖の観光ポスターなどが貼っていました。鎌北湖には、宿泊施設もあり、宿泊料と乗車券がセットになった“お得なプラン“なんていうのもありました。日本中がちょうどバブルに浮かれていた頃です。

私は、宿泊施設はとっくになくなっているものと思っていましたが、ネットで調べたら、ホテルは現在も予約の入ったときだけ営業しているそうです。ホテル(元々はユースホステルだったらしい)自体は1990年代に廃業し、その後、飯能市(?)かどこかの「公共の宿」になっていたそうです。

旅館の方は、完全な廃墟になっていました。一部の好事家の間で”心霊スポット”として知られているそうですが、案の定、不審火で建物の一部が焼失したらしく、金網には「敷地内に勝手に入るのは犯罪です。警察に通報します」という看板が取り付けられていました。そう言えば、峠の奥にも、昔、川越市の山の家というのがありましたが、あれもおそらく廃墟になっているのではないでしょうか。

また、都幾川村の林道沿いには、不動産会社かなにかが建てたペンションのような白い建物(実際は社員の研修所だったらしい)があったのですが、それを地下鉄サリン事件のあと、オウム真理教が買収して、麻原彰晃の家族が住むようになり、麻原の子供を都幾川村の小学校が入学拒否をしたとして大騒動になったことがありました。

私は、最初、車で林道を登っていたとき、突然目の前に現れた白い建物にびっくりした覚えがあります(その頃は既に建物は無人になっていた)。さらにそれから1年後くらいに、再び建物のある林道を走っていたら、「オウム反対」「オウムは出ていけ」などという立札がびっしり林道沿いの木々にぶら下げられていたので、二度びっくりしました。そして、事件後各地を漂流したオウムの信者たちが、その建物に住み着いたことを初めて知ったのでした。

その頃は、山に行くと、警察官からしょっちゅう職務質問を受けるようになりました。オウムの信者たちは、人目を忍んで峠を行き来していたらしく、警察が峠の上で24時間検問していたのです。それで面倒臭くなって山に行くのをやめたのでした。

鎌北湖(と言っても、ホントは灌漑用のダムですが)の周りには、表札は出ているものの、人が住んでいる気配のない半ば朽ちた建物もありました。一方で、実際に人が住んでいる建物もありましたし、食堂のようなものも一軒残っていました。

毛呂駅から鎌北湖までは、5キロ弱で、歩いて1時間ちょっとでした。湖のまわりを一周したあと、駐車場の隅で休憩しながら、どうしようかと思いました。吾野駅に行くには、これから8~9キロ歩いて峠と山を越えなければなりません。このまま横になってしばらく眠りたい心境でした。引き返すか。

そう思っていたとき、向こうの道を山から徒歩で下りて来る人物が見えました。リュックを背負って、頭に白いタオルを巻いた、如何にも昔から山歩きが好きだというような、山でよく見かけるタイプの初老の男性です。今どきの山ガールなどをしかめっ面で睨みつけるような”偏屈老人”です。

最近の登山ブームは、登山自体がファッション化し、服装や装備にブランドを競うような風潮があるのはたしかでしょう。著名な登山家たちがメーカーの広告塔になり、素人を煽っているのです。そのためかどうか、登山関連の商品はとにかくバカ高いのでした。

でも、山好きに聞くと、日帰りのトレッキングレベルでは、中国製の安いザックで充分だし、シューズも有名ブランドではない、安価なもので用は足りると言います。速乾のポリエステル製の衣類にしても、ブランド品でなければ安いのがいくらでもあります。ブランドものでなければダメだと言うのは、広告塔になっている登山家や登山雑誌の編集者たちのセールストークなのです。

一方、山好きの”偏屈老人”たちは、作業ズボンのようなものを穿き、頭にタオルを巻いて、なんだか木こりや猟師の延長のような恰好をしています。でも、昔はみんなそうやって山を歩いていたのです。今、私たちが歩いている登山道も、昔は木こりや猟師が歩いていた道なのです。そう考えれば、山好きの”偏屈老人”たちのしかめっ面も、一理あるような気がしました。

私は、山から下りてきた”偏屈老人”を見たら、やはり、山に登ろうと思ったのでした。そして、スマホの登山用アプリを立ち上げると、山の中に入って行ったのでした。

考えてみれば、山と言っても、子どもの頃、祖父と一緒に行った山とそんなに変わりはないのです。祖父は、私が生まれた記念や小学校に入学した記念などに、所有する山に木を植えていました。そして、ときどき私を連れて下刈りに出かけていました。

後年、親がお金がないと嘆いていたので、「あの山を売ればいいんじゃん」と私が言ったら、父親が、「バカ、あんなものはとっくにねぇ(無い)わ」と言うのです。「エエッ、どうして?」と訊くと、「お前のために売ったんじゃ」と言われました。

今回のコースは、距離は長かったものの、前回のような岩場もなく、それほど神経を使うことはありませんでした。ただ、アップダウンが続くので、結構足に来ました。そんなとき、ハアーハアー肩で息をしながら坂を見上げ、体力がなくなったなあとしみじみ思うのでした。

峠を下る途中に、ユガテという集落を通りました。ネットでは、「桃源郷」などと言われていますが、私の田舎に行けば、似たような集落はいくらでもあり、山奥のよくある集落にしか見えませんでした。

私は、若い頃、”九州の秘境”と呼ばれる熊本の五家荘を2日間かけて縦断したことがあります。阿蘇の方から山に入って山越えし、五木の子守唄で有名な五木村を経て、それこそ麻原彰晃が生まれた八代に下りたのでした。

五家荘の人たちは、昔は柳田國男の「山の人生」を彷彿とするような生活をしていて、道らしい道もなく、山の斜面を上り下りしていたという話を聞きました。今で言えば、毎日登山をしていたようなものです。だから、私が訪れた頃でも、村には小学校の分校が6つくらいありました。学校が遠すぎて、通えないからです。

ユガテでは、家の軒先に「カメラで録画しています」という注意書きの札が下がっていました。「桃源郷」にあるまじき光景に戸惑いましたが、花や野菜を盗む不心得者がいるのかもしれません。トレッキングなどと称し、モンベルやノースフェイスやパタゴニアのシェルを着てカッコをつけていても、そうやって山奥の「桃源郷」を荒らす輩がいるのでしょう。登山ブームと言っても、油断も空きもあったもんじゃないのです。

山が好きな人に悪人はいないというのは、おめでたい幻想でしょう。すれ違うとき、「こんにちわ」と挨拶するので、そういった幻想を抱くのかもしれません。私が聞いた話では、頂上にアタックする際などに、余分な荷物を登山道や山小屋に置く場合があり、それを登山用語で「デポ」と言うのですが、デポしていると、中の用具が盗まれてなくなっていることもあるそうです。私は、その話を聞いて、どこにも泥棒はいるんだなと思いました。

ユガテからはずっと下りだと思っていたら、何度か上りもあり、そのたびに立ち止まってため息を吐いている自分がいました。事前に地図で調べて、「飛脚道」(昔、飛脚が山越えする際の予備の道だったらしい)を下り神社の横に降りるはずだったのですが、着いたのは福徳寺というお寺の横でした。途中でルートを外れたみたいです。

それまでも、何度か道を間違え、そのたびに登山アプリの音声の警告メッセージでもとの道に戻ったのですが、最後の間違いは、チェックポイントが同じだったからなのか、警告メッセージが発せられなかったみたいです。山に行って怖いのは、自分の方向音痴と熊ですが(ちなみに、九州の山には熊はいません)、この登山アプリはとても便利です。一応地図とコンパスも持って行きますが、よほどのことがない限りコンパスを使うことはなくなりました。

福徳寺には、国東の富貴寺に似た立派な釈迦堂がありました。県の重要文化財に指定されているそうです。かなりの名刹と見受けられましたが、人の気配がなく森閑としていました。聞けば、住職が住んでない「無住寺」だそうです。

帰りは、東飯能から八高線で八王子に出て、八王子から横浜線で帰りました。なんやかやで2時間近くかかりました。山に行くと帰りはどうしても帰宅ラッシュに遭うので、それが憂鬱です。せっかくいい汗をかいたあとなのに、電車の座席に座ることが人生の目的みたいな人たちにもみくちゃにされ、くたくたになって帰ってきました。


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2019.07.20 Sat l l top ▲
山に行ってきました。と言っても、行ったのは埼玉の越生の山で、練習のためです。朝7時すぎの東武東上線に乗り、越生駅まで行きました。仕事の関係で前の日は一睡もしてなくて、最悪のコンディションでした。

東上線は、昔、沿線に住んでいましたので、毎日利用していたなつかしい路線です。通勤時間帯ではあるものの、都心とは逆方向なので、空いているだろうと思ったら、とんでもない、座っている人より立っている人のほうがはるかに多いくらいでした。昔では考えられないような込み具合で、びっくりしました。

それだけ沿線の開発が進み、勤務先や通学先が増えたということなのでしょう。たしかに、時折、車で通ることがあるのですが、昔に比べて、ショッピングモールや総合病院などが増えています。幹線道路沿いもあたらしい建物が増えて、開発が進んでいるのがよくわかります。

川越あたりまでは、制服姿の高校生の姿も多くありました。普通、通学と言うと、都心に向かうようなイメージがありますが、実際は都心とは逆方向に通っている高校生も多いのです。川越をすぎると、電車のなかは大学生が目立つようになります。

私は、会社を辞めた翌日、いつもの時間帯に都心とは逆方向の電車に乗った思い出があります。そのときは、電車のなかはガラガラでした。朝、都内に向かう通勤の電車を待っているときに、ホームの反対側にやって来る、逆方向の電車に乗ってみたいとずっと思っていたのでした。路線バスの運転手が、路線を外れ違う道を走ってみたいと思うのと同じかもしれません(そんな映画がありましたが)。

越生に行くには、坂戸駅で支線の越生線に乗り換えなければなりません。越生には車では何十回と行ってますが、電車で行くのは初めてです。越生線になると、車内は学生に占領されたような光景になりました。意外にも、埼玉の奥には大学のキャンパスが多くあるのでした。

乗り換えの時間などもあり、越生駅に着いたのは8時半すぎでした。越生からは、目的地である黒山行きのバスに乗るのですが、バスは1時間に1本しかなく、次の便まで40分待たなければなりませんでした。なんだか蛭子能収の「路線バスの旅」みたいでした。

越生の駅前にはコンビニもなく、「お土産」の看板を掲げた食料品店が一軒あるきりでした。その店でおにぎりを買って、駅の待合室で食べて時間を潰しました。ちなみに、越生線はワンマン電車で、越生駅も無人駅でした(ネットで調べたら今年から無人駅になったみたいです)。

越生駅から25分くらいで終点の黒山に着きました。乗客は、私とやはりトレッキングの恰好をした女性の4人グループの5人だけで、途中、乗降客もなく、全員終点の黒山で降りました。

黒山は、黒山三滝という滝の名所で、近くに田山花袋も訪れたという鉱泉宿もあります。車で来たことはありますが、修験道が修行したという峠への登山道を登るのは初めてです。

滝見学が目的ではないので、最初の滝の横から滝の上に登り、それから「パノラマコース」と道標で示された峠への道を登り始めました。ところが、これが想像以上に荒れた急坂で、息が上がりました。樹林帯のなかの沢と崖がつづく道を登るので、湿気も多く、周辺は天然記念物だというシダが茂っています。さらに途中から岩場も多くなり、両手を使って登る場面も何箇所か出てきました。また、数メートルですが、クサリが架かっているところもありました。しかも、途中から雨が降り始めたので、岩が滑り、かなり気を使いました。

同じルートを登った人のブログを見ると、途中で引き返したという人もいましたが、その気持もわかります。低山と言っても、あなどれないのです。

体力がないので、途中、休み休み登りました。鬱蒼とした森林のなかにいるのは、私一人です。近くでクマの目撃情報があったという注意書きもありましたが、クマに襲われても誰も助けてくれません。それどころか、足を踏み外して、崖の下に落ちても、誰にも知られることもないのです。

大きな岩が目の前に出現すると、「もう登れないよ」と思うのですが、しかし、いざ登り始めると、火事場の馬鹿力のような力が出て、自分でも意外なほどクリアできるのでした。岩登り自体は、スリルがあって楽しいのでした。子どもの頃、よく岩登りをして遊んでいたので、そのときの感覚が思い出されるのでした。

雨と一緒に汗が滝のように流れ、心臓が波打っているような激しい鼓動に思わず声を漏らすほどでした。登っている最中は、「なんでまた山に登りたいなんて思ったんだろう」「山に登るなんて自分には無理だよ」と思うのですが、上まで登るとまた来たいと思うのでした。

峠に辿り着き、林道脇に設置されたベンチでしばらく休んでいたら、下から声が聞こえてきました。自分だけでなく、同じルートを登ってくる人がいたのでした。

見ると、来るときのバスで一緒だった女性のグループでした。途中で、同じルートに合流したのでしょう。みんな、ハアハア息をしてしんどそうでした。

「お疲れ様でした。結構しんどかったでしょ?」と声をかけると、「もう泣きそうでした」「岩がきつかったあ」と言ってました。「埼玉の山もバカにできないですね?」と言うと、「ホント、こんなにきついとは思いませんでした」と言ってました。

私は、自分の体力を測るのにいいコースだなと思いました。熊が怖いけど、自分の体力を測るためにまた来たいと思いました。

そのあと、別の峠に移動して、峠の茶屋で山菜の天ぷらそばを食べました。その峠も、昔は車でよく来ましたが、こうして尾根伝いに林道を歩くのは初めてでした。

茶屋では、もう60年やっているという、茶屋の主のおばあさんと話をしました。最近は、峠にも外国人がやって来るのだそうです。「毎日、必ずやって来ますよ。多いときは、10人くらい来る日もあります」と言ってました。その日も、ウインドシェルを着た金髪の青年が、蕎麦を食べていました。

「何を言っているのかチンプンカンプンで困りますよ」

それで、イギリスの大学に留学していたという女の子がときどきアルバイトに来るので、その子に頼んで英語のメニューを作ってもらったと言ってました。

峠の茶屋の栄枯盛衰の話も聞きました。峠はもう東武ではなく西武のテリトリーなのですが、昔は、西武線の終点が吾野駅だったというのは初めて知りました(あとで調べたら、終点が秩父になったのは1969年です)。その当時は、吾野駅からハイキング客が登ってくるので茶屋も繁盛したそうです。また、学校の遠足でもよく峠まで来ていたそうです。

「西武が秩父まで伸びてからハイキングの客がガクンと減ってしまいました」「その分、秩父の人間たちは喜んでいますよ。西武様々ですよ」と言ってました。なんだかことばの端々に秩父の人たちに対する対抗心のようなものを感じましたが、もしかしたら昔から地域対立があり、秩父事件のような歴史も関係しているのかもと勝手に想像しました。

西武線が伸びるまでは、秩父の人たちの交通手段は秩父鉄道だけで、都内に出るには、秩父鉄道で寄居まで行って、そこから東武東上線で池袋に出るしかなかったそうです。「そりゃ、不便でしたよ」と言ってました。私は、その話を聞いて、だから、秩父は熊谷との結びつきが強かったんだなと思いました。買い物も熊谷に行っていたし、優秀な生徒は、熊谷高校や熊谷女子高に通っていたという話を聞いたことがあります(埼玉では、旧制中学の流れを汲む高校は、今でも男女別学の伝統が残っているのです)。

ちなみに、東武東上線が寄居まで開通したのが1925年で、秩父鉄道の熊谷・秩父間が開通したのが1930年です。それまで秩父は、交通の便の悪い辺境の地だったのです。私が秩父事件のことを知ったのは、井手孫六の一連の著書によってですが、1884年(明治17年)、秩父困民党が蜂起した秩父事件は、文字通り日本の近代史で特筆すべき辺境最深部でおきた窮民革命だったと言えるのかもしれません。

帰りは、吾野駅まで下って、飯能と練馬で乗り換え、副都心線で帰ってきましたが、2時間以上もかかってしまいました。

体重も既に10キロ近く落としましたが、あと5キロ落としたいと思っています。毎日、スクワットで登山に必要な大腿筋と臀部の筋肉を鍛え、低山登山を重ねながら岩登りの練習もしたい。そして、年齢的なタイムリミットも見極めつつ、人生最後の挑戦をしたいと思っています。

余談ですが、先日、登山雑誌に載っていた穂高の歴史を読んでいたら、1941年に西穂高の西穂山荘が建設されたと書いていました。1941年と言えば、真珠湾攻撃がおこなわれ、日米戦争がはじまった年です。日本は、既にその前から中国大陸や南洋諸島に進出し、侵略戦争の泥沼にはまり込んでいました。そんな戦時下に穂高連峰の南端の西穂高岳に山小屋を建設したというのは、なんと(時流に反する)浮世離れした話なんだろうと思いましたが、そういった”非日常性”が登山の魅力でもあるのです。今の自分にも、前に山に来ていた頃と同じように、個人的に逃避したい日常があり、それが再び山に向かわせた理由でもあります。

また、女優の杏が、二十歳のとき、奥穂高から西穂高まで穂高連峰を縦走したことも知りました。穂高の縦走は、国内でも屈指の難ルートですが、実際にジャンダルムやピラミッドピークも登ったのだとか。私は、その話を聞いて、いっぺんに杏を尊敬しました。

次回は、奥多摩か丹沢に行こうと思っています。そして、来月か再来月には、また、長野に行きたい。こうしてだんだん”非日常”への思いがエスカレートしていく自分なのでした。


※途中で雨が降り始めたり、きつくて撮る余裕がなくなったりしたので、写真は登り始めの部分しかありません。

奥武蔵1

奥武蔵2

奥武蔵3

奥武蔵4

奥武蔵7


2019.07.12 Fri l l top ▲
明神池3
明神池

18日・19日に1泊2日で、穂高と上高地に行きました。年齢のせいもあるのか、最近、精神的に行き詰まっているのをすごく感じていました。それで、気分転換を兼ねて山に行こうと思ったのでした。

埼玉に住んでいたときは、毎週のように秩父の山に行ってました。大晦日に行ったこともあります。麓に車を停めて、3~4時間ひとりで山の中を歩いていました。

私は、九州の山間の町の出身なので、山に行くとホッとするのです。「山に抱(いだ)かれる」と言うとキザっぽい言い方になりますが、山が自分の原点のような気がします。だから、山に行くと、よく泣いていました。わけもなく涙があふれてくるのでした。やはり「抱かれる」ような気持になるからでしょうか。

新宿バスタから高速バスの飛騨高山行きに乗って、同じ高山市の奥飛騨にある平湯温泉で下車して、同地に一泊しました。

高速バスに乗るのも、初めてでした。平湯温泉まで4時間以上かかります。私は身体が大きいので、4時間もの道中、隣に他人(ひと)座ることを考えると恐怖です。それで、2千円追加して、二人掛けの座席を一人で使うことができる「おひとりだけシート」というオプションを予約しました。

ところが、私の心配は杞憂でした。行きも帰りも車内はガラガラで、別に二千円払わなくても、二人掛けの座席をいくらでも一人で独占できるのです。もちろん、「おひとりだけシート」を利用しているのは私だけでした。なんだかバツの悪さを覚えたくらいです。

朝の7時5分発のバスに乗りました。新宿バスタの最寄り駅である新宿三丁目駅は、普段副都心線でよく通っていますが、バスタを利用したことがないので、地上に出たらどっちの方向に行っていいのかわからず、不覚にも道に迷ってしまいました(帰りも迷った)。

平湯温泉には高速道路のサービスエリアのようなバスターミナルがあり、平湯温泉から新穂高ロープウェイや上高地、あるいは乗鞍岳へのシャトルバスが運行されています。

平湯温泉は、九州の私の田舎とロケーションがよく似ていました。私の田舎も、国立公園に接した山間の温泉地で、かつては登山の拠点でした。私たちが子どもの頃、山開きの前日は、どこの旅館も登山客で満杯でした。そのため、今で言う民泊のように、旅館が近所の民家の部屋を臨時に借りていたほどです。でも、時代の流れとともに登山客もマイカーでやって来るようになり、山の反対側に駐車場が整備された登山口ができたため、今では登山客の姿を見かけることはなくなりました。

一方、平湯温泉は、上高地や乗鞍岳がマイカー規制されているため、今でも北アルプスの登山やハイキングの拠点になっているみたいです。また、冬にはスキー客もいるという話でした。しかし、地の利に恵まれているわりには、温泉街はいまひとつ活気がない気がしました。

一日目は、新穂高ロープウェイで、標高2100メートルの西穂高岳の登山口がある尾根まで行きました。実は、そのまま尾根伝いを歩いて、西穂山荘へ行きたいと思い、いったんはロープウェイの建物から外に出て登山道に入り、西穂高に向かいました。しかし、ロープウェイの最終便まで3時間足らずしかありません。往復すると時間的にはギリギリで、行程に手間取れば最終便に間に合わなくなる可能性もあります。それで、やむを得ず途中で引き返しました。

西穂山荘の先には、11峰の独標がありますが、今の体力では岩登りはまだ無理なので、次回は稜線を歩いて丸山まで行き、そのあと体力が付いたら独標をチャレンジしたいと思っています。

二日目は、朝8時のバスで上高地に行きました。乗客は、私と女性の外国人観光客の二人だけでした。大正池で下車して、梓川沿いを1時間半かけて河童橋まで歩き、さらに河童橋から2時間かけて明神池まで歩きました。

この時期は雨も多いので観光客も少なく、「裏ベストシーズン」と言われているそうですが、幸いにも雨に降られることもなく、新緑の「裏ベストシーズン」を満喫できました。

ただ、河童橋周辺は、御多分に漏れず日本人より中国人の方が多いくらいでした。大正池から河童橋まで歩いているとき、中国人観光客の団体が後ろからやって来ました。彼らは、大声でまくし立てるように喋るので、あたりに大音量の中国語が響き渡り、山歩きの雰囲気が台無しでした。思わず「うるさい!」と言いたくなりました。彼らを見ていると、訪れるのはどこでもよくて、ただ観光地で記念写真を撮ることだけが目的のような感じです。中には、(写真屋の息子にはなつかしい)昔のカメラ雑誌に出ていたモデルのようなポーズで、写真におさまっている女性もいました。まさに新中間層の”プチ成金旅行”といった感じです。

もっとも、うるさいのは中国人観光客だけではありません。明神池にある嘉門次小屋では、会社の旅行で来たような明らかに場違いな感じの(日本人)男性のグループが、名物の岩魚の骨酒で上機嫌になったのか、あたりはばからず大声でバカ話をして"小宴会"状態になっていました。

また、帰る際、バスセンター近くの店で食事をしたのですが、場所柄価格が割高なのは仕方ないとしても、アルバイトとおぼしきフロア係の女の子たちの人を食ったような接客態度に唖然としました。アジアからの観光客が多いので、いつの間にかお客さんを上から見るような悪癖が付いているのかもしれません。ちなみに、その店も、ネットのレビューでは高い評価が付いていました。

そんな「リゾートバイト」の女の子たちに比べれば、(言っていることが矛盾するようですが)バスセンターでバスの案内をしている中国人の女の子たちの方がはるかに好感が持てました。日本人だからと言って、中国人よりマシだとは限らないのです。

上高地の白眉は、なんと言っても明神池です。明神池の神秘的な風景は一見の価値ありで、来てよかったと思いました。

ただ、私は、上高地を歩きながら、いつの間にかなつかしさに浸っている自分がいました。上高地のような風景は、スケールの違いこそあれ、私の田舎にもありました。私の田舎の川も、大正池や明神池に負けないくらい水がきれいでした。私の田舎の水道は、公営ではなく、地域の住民が水道組合を作って共同で運営していました。もちろん、カルキなども使ってなくて、山の湧き水をそのまま水道に利用していました。だから、街から親戚が来ると、水が美味しいと言って、いつも真っ先に水道の水を飲むのでした。私たちはそれが当たり前だと思っていましたが、今思えば、毎日飲んでいたのは、天然のミネラルウォーターだったのです。

大いに歩き、山の空気をいっぱい吸って、心をリセットした二日間でした。山は文字通り、私にとって「空っぽになれる場所」(田口ランディ)なのです。スマホの歩数計で確認すると、一日目が22000歩、二日目が36000歩でした。


新穂高ロープウェイ1
新穂高ロープウェイ・西穂高口駅

新穂高ロープウェイ8

新穂高ロープウェイ2
登山道

新穂高ロープウェイ3

新穂高ロープウェイ4

新穂高ロープウェイ5
ケルン

新穂高ロープウェイ6ー

新穂高ロープウェイ7

大正池1
大正池

大正池3

大正池4
大正池

大正池5

大正池7

田代橋1
ウォルター・ウェストン碑

田代橋2
碑文

河童橋1
河童橋

河童橋10

河童橋3

河童橋4

河童橋6

河童橋9

河童橋8
橋上からの風景

明神2
明神池に向かう途中

明神3
まるで高崎山のように目の前を猿が横切って行きました

明神4

明神6
明神池に向かう梓川の左岸コース

明神11070281

明神橋1

明神橋2

明神橋3
明神橋

嘉門次小屋
嘉門次小屋

明神池4
明神池

明神池5

明神池7

明神池8

明神池9

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明神池12

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明神池19

明神池20

明神池21

明神池22

明神池23

明神池24
帰りは梓川の右岸(自然探勝路)コース

明神池25

明神池26

明神池28

明神池30

平湯温泉1
旅館の部屋

平湯温泉2
平湯温泉

平湯温泉4
平湯温泉バスターミナル
2019.06.20 Thu l l top ▲