よみがえる夢野久作


昨日、書店に行ったら、平岡正明の『山口百恵は菩薩である』(講談社)がリメイクされ、四方田犬彦編集の「完全版」と銘打ち発売されていたのでびっくりしました。

しかも、価格が4320円だったので、二度びっくりしました。平岡正明は竹中労・太田竜とともに、当時、「三バカ・ゲバリスタ(世界革命浪人)」と呼ばれ、ある意味で全共闘世代の”アイドル”でもありました。Amazonでは、「革命的名著、完全版となって、いま甦える!!」というキャッチコピーが付けられていましたが、今回のリメイクは、AKBと同じような、全共闘世代を対象にした”アイドル商法”と言えるのかもしれません。

私が『山口百恵は菩薩である』を読んだのは、九州にいた若い頃です。山口百恵ファンの私にとって、あの平岡正明が山口百恵を論じたこと自体、衝撃的な出来事でした。ちなみに、平岡正明は、その前だったと思いますが、朝日新聞の「レコード評」の歌謡曲欄を担当していたこともありました。

しかし、昨日、私が買ったのは、『山口百恵は菩薩である』ではなく、同じ四方田犬彦氏の『よみがえる夢野久作』(弦書房)という本です。『よみがえる夢野久作』は、昨年の5月に福岡市でおこなわれた福岡ユネスコ協会主催の四方田氏の講演を書籍化したものです。

私は、若い頃、夢野久作や久生十蘭や小栗虫太郎や牧逸馬(谷譲次)など、戦前に活躍した探偵小説作家に惹かれ、彼らの作品を片端から読んだ時期がありました。私が「蠱惑的」ということばを覚えたのも、彼らの作品を読んでからです。彼らは、主に『新青年』という雑誌を舞台に活躍したのですが、その作品群には探偵小説や幻想小説という範疇には収まりきれない独特の世界観があります。それは、今の小説にはないものです。

なかでも、夢野久作の作品は特別でした。私は、文字通り彼の「蠱惑的」な小説の世界に魅了され、どっぷり浸かったのでした。

『東京人の堕落時代』は、夢野久作が「九州日報」(西日本新聞の前身)の記者だったとき、1923年9月と1924年9月~10月の二度にわたって、大震災に見舞われた東京を訪れ、そこで見たものを同紙に連載したルポルタージュです。

四方田氏は、『東京人の堕落時代』について、「夢野が被災地の東京で獲たものとは人間の堕落であり、廃墟と化しているのは建築ばかりではなく、人間そのものであるという認識」だったと言ってました。

最初の震災直後の上京の際は、九州から船を乗り継いで、東京に入ったのですが、廃墟となった東京は人影もなく「がらーんとしているだろう」と思っていたら、実際は人であふれ、道路も大混雑していたそうです。

(略)彼はそれを、冷静に観察している。「しかし、そうやっている群衆の八割か九割は、物見遊山の見物客であり、野次馬である」と書くのです。つまり、震災によって壊れたものが面白くて見に来ている人たちだと。実際の避難民の人たちというのはわずか「五厘」と言っています。五厘だから〇.五%ですか。とにかく少ないと思う。避難民の人がぞろぞろ歩いているんじゃない、と言う。みんな、何が壊れたかとか、そういうものを面白がって見に来ているんだと書いてしまう。そして、そうした事態に対し彼は非常に不快感を持っています。


そんななか、朝鮮人が井戸に毒を入れたなどという流言飛語によって、6千人の朝鮮人が虐殺されたのでした。手を下したのは、軍人や刑務所が倒壊し解放された囚人などもいましたが、大半は自警団に組織されていた一般の市民たちでした。「十五円五拾銭」と言わせて、「チューコエンコチセン」と発音した者は朝鮮人と見做され、頭に斧や鳶口が振り下ろされたのです。千田是也や折口信夫も、朝鮮人に間違われて殺されそうになったそうです。しかも、状況が落ち着くと、自分たちがやったことを闇に葬るべくみんなで口を噤んだのです。

詩人の萩原朔太郎は、そんなおぞましい狂気の所業に憤り、「朝鮮人あまた殺されたり / その血百里の間に連らなれり / われ怒りて視る、何の惨虐ぞ」と詠ったのでした。また、自警団の一員であった芥川龍之介は、「大正十二年九月一日の大震に際して」という文章で、朝鮮人虐殺に憤慨する菊地寛から一喝されたことを明かしていました。また、芥川は、そのなかで、朝鮮人がボルシェビキ(共産主義者)の一員であることを信じる、あるいは信じる真似をするのが「善良なる市民の資格」であり、「善良なる市民になることは、――兎とに角かく苦心を要するものである」とも書いていました。

私は、阪神大震災の際、テレビの映像で見た、今でも忘れられないシーンがあります。それは、地震直後、高速道路が倒壊した現場から中継した映像に映っていたのでした。

アナウンサーが興奮した口調で被害の状況を伝えているその背後には、トラックの荷台から落ちた荷物が散乱していました。すると、どこからか野次馬のような人たちが集まってきて、散乱した荷物を物色しはじめたのです。そして、めぼしいものを見つけると、荷物を両腕に抱えてつぎつぎと持って行ったのでした。

それは、夢野久作が見たのと同じ群衆の姿です。四方田氏によれば、そんな群衆のことを「迫害群衆」と言うのだそうです。「迫害群衆」というのは、ドイツのノーベル賞作家・エリアス・カネッティのことばですが、四方田氏は、カネッティと夢野久作はよく似ていると言ってました。夢野久作(杉山泰道記者)は、死体や汚物の臭い、汚れた街の様子、人々の無責任な行動や犯罪行為など、自分の目で見たものをありのままに記事に書いたのです。

私が見たシーンは、地震直後の混乱のなかで予期せず映ったものでしょう。それ以後、そういった生々しい映像を目にすることはありませんでした。その代わりに、「お互いを助け合い」「礼儀正しく」「忍耐強く」「非常時に犯罪もない」「すばらしい日本人」像が、くり返し伝えられたのでした。

四方田氏は、3.11以後のメディア状況についても、夢野久作の『東京人の堕落時代』を引き合いに出して、つぎのように言ってました。

感傷的な美談は積極的に報告するけれど、汚れたもの、臭いもの、在日朝鮮人に関するものは排除するみたいな、そういうことをやっている。だから、被災地から離れた場所に住む人間は、本当に何が生じているのかわからない。ある種のセンチメンタリズムだけがずっと続くという状況が続いている。そして、東京にいる小説家とか知識人は、「フクシマを忘れるな!」、「人類全体の体験だ!」とかオウムのように繰り返しているわけです。世界じゅうで「フクシマを救え」というロックフェスティバルをやる。「収益は、みんなフクシマに」って口実で、みんな浮かれ騒いでいる。


震災直後の状況に「東京人の堕落」を見た夢野久作に、父親・杉山茂丸の影響があったのは言うまでもないでしょう。と、同時にそれは、九州の精神風土と無縁ではないように思うのです。杉山茂丸が深く関わった玄洋社にしても、ただの「右翼」とは言い難い思想的な懐の深さをもっていたのでした。

私の父親も戦前、満州の鉄道会社に勤めていたのですが、私が子どもの頃、「シナ」や「チョウセン」という差別用語を平然と使いながらも、我が家にはいつも近所の「シナ」人や「チョウセン」人のおいちゃんやおばちゃんたちがやって来て、世間話に花を咲かせていました。夢野久作が「東京人の堕落」と言った、その憤りや嘆きには、そんな九州の人間がもっている大陸的な気風や思考も関係しているように思います。

九州の精神風土を掘り下げていけば大陸に行き着くというのはよく言われることです。ナショナルなものを掘り下げていけば、インターナショナルなものに行き着くのです。杉山茂丸や玄洋社のナショナリズムには、そんな回路があったのでした。

一方、平岡正明もまた、かつて『ユリイカ』(青土社)の特集において、『東京人の堕落時代』が「朝鮮人」ということばを使ってないことを取り上げ、それは、夢野久作が「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れているというデマを疑い、逆に朝鮮人が日本人に殺されているのではないかという疑問を持った」からではないかと推察していました(『ユリイカ』1989年1月号・「特集=夢野久作」所収、「品川駅のレコードの謎―「東京人の堕落時代」)。そして、そういった”見識”は、「玄洋社・黒竜会という右翼の本流に夢野久作が直結していればこそである」と書いていました。黒竜会の内田良平も、「自分たちの対朝鮮行動が帝国主義者に利用されたことを憤って一度も日韓併合という語を用いなかったし」、震災直後も、朝鮮人暴動がデマであると主張していたそうです。

もし、現代に夢野久作が生きていたなら、今、この国を覆っている排外主義的な風潮に対しても、「日本人の堕落」と断罪したに違いありません。近隣の国を貶めることで自分の国に誇りをもつというのは、なんとも心根が貧しく、それこそゲスの極み乙女ならぬ「堕落」の極みと言うべきでしょう。夢野久作は、『東京人の堕落時代』で、既に今日の「日本人の堕落」を予見していたとも言えるのです。
2015.06.15 Mon l 本・文芸 l top ▲
ずっと気になっていた詩がありました。江東区の「亀戸」の地名が出てくる鈴木志郎康の詩です。

その詩に出会ったのは、私がまだ九州にいた頃でした。当時、私は、人口2万人あまりの小さな町の営業所に勤務していて、会社が借り上げた町外れの丘の上にあるアパートに住んでいました。

九州の片田舎に住んでいながら、どうして「亀戸」という地名が気になったのか。もちろん、亀戸には行ったこともありませんし、亀戸にゆかりのある人物も知りません。でも、なぜか「亀戸」という地名が出てくるその詩がずっと頭に残っていたのです。

再度上京して、何度か車で亀戸を通ったことがありました。その際も、「亀戸」の詩を思い出したりしていました。しかし、書店でさがしても「亀戸」の詩は見つかりません。そもそも鈴木志郎康の詩集が置いてないのです。

ところが、先日来、本を整理していたなかで、『新選 鈴木志郎康詩集』(思潮社現代詩文庫)が棚の奥から出てきたのでした。なんと、私は、鈴木志郎康詩集を24年前に九州からもってきていたのです。

上京する際、前の記事で書いた『五木寛之作品集』と『ドフトエフスキー全集』を泣く泣く処分したことを今でも後悔していますが、鈴木志郎康詩集は処分してなかったのです。私は、その茶色く変色した詩集を手にして、なんだか長年の胸のつかえが下りた気がしました。

私がずっと気になっていた「亀戸」の詩は、「終電車の風景」と「深い忘却」という詩でした。

終電車の風景

千葉行の終電車に乗った
踏み汚れた新聞紙が床一面に散らかっている
座席に座ると
隣の勤め帰りの婆さんが足元の汚れ新聞紙を私の足元にけった
新聞紙の山が私の足元に来たので私もけった
前の座席の人も足を動かして新聞紙を押しやった
みんなで汚れ新聞紙の山をけったり押したり
きたないから誰も手で拾わない
それを立って見ている人もいる
車内の床一面汚れた新聞紙だ
こんな眺めはいいなァと思った
これは素直な光景だ
そんなことを思っているうちに
電車は動き出して私は眠ってしまった
亀戸駅に着いた
目を開けた私はあわてて汚れ新聞紙を踏んで降りた

(『やわらかい闇の夢』1974年青土社刊)


深い忘却

屋上に出て見渡せば
亀戸の密集した屋根が見える
屋根の下には人が居る筈なのに
屋根があるから人の姿は見えないのだ
眺めというものはこれだけのことで
見えない人にしてもどうせ他人だと突っ撥ねる
そして次に
あれが駅前の建物だと確認して
次々に目立つ建物を確認してみて
それで屋上から降りてくる
屋上に出て見渡して見たものが
この自分の国の姿だとか
我が故郷の姿だとか
見えなかった人は人民なのだ
私には関係なく出来上がっている建物の群れに向かって
住んでいる人たちに向かって
思いようもない
そういうことでは
私自身をも忘れている

(『見えない隣人』1976年思潮社刊)


なにかの雑誌で、これらの詩を知ったのだと思います。それで、詩集を買ったのでしょう。

私が、これらの詩に惹かれたのは、当時の私の心境と無関係ではないように思います。私は、このまま田舎で一生をすごすのか、それとも仕事をやめて再び東京に行くのか、ある事情からその決断を迫られていたのでした。

これらの詩に惹かれたというのは、自分のなかで、一旦、このまま田舎に骨をうずめる決意をしたのかもしれません。あるいは、そう自分に決意を促していたのかもしれません。当時の私にとって、「亀戸」という地名は、そんなメタファーだったのでしょう。

でも、結局、私は、田舎の生活を精算して、再度上京する決意をしたのでした。
2015.06.07 Sun l 本・文芸 l top ▲
本を整理していたら、『五木寛之ブックマガジン・夏号』(KKベストセラーズ)というムック本が出てきました。奥付を見ると、「2005年8月8日初版第1刷発行」となっていますので、ちょうど10年前の本です。

表紙には、「作家生活40周年記念出版」「これが小説の面白さ、読む楽しさ!」「60年代傑作集」という文字が躍っています。

なかをめくると、「さばらモスクワ愚連隊」「海を見ていたジョニー」「ソフィアの秋」「GIブルース」「第三演出室」の60年代の代表作5本が掲載されていました。そして、あらためてそれらを読み返していたら、初めて読んだ若い頃が思い出され、なつかしさで胸がいっぱいになったのでした。

私たちは、五木寛之の初期の作品を同時代的に読んだ世代ではありません。多くは文庫本で読みました。でも、高校のとき、「さらばモスクワ愚連隊」やフォーク・クルセダーズの歌にもなった(作詞は五木寛之)「青年を荒野をめざす」を読んで以来、私は自他共に認める”五木寛之フリーク”になったのでした。

気がついた時には、私はもうピアノの前に座って、〈ストレインジ・フルーツ〉をイントロなしで弾きだしていた。
 私刑リンチにあった黒人が丘の上の木にぶら下がっている。たそがれの逆光の中に、風に吹かれて揺れている首の伸びたシルエット。それは、まったく哀れで滑稽な「奇妙な果実ストレインジ・フルーツ」だ。その時、私はなぜか引揚船の甲板から見た、赤茶けた朝鮮半島の禿げ山のことを思い出した。ほこりっぽい田舎道と、錆びたリヤカーのきしむ音がきこえてきた。十三歳の夏の日。
 どんなテンポで弾こうとか、どのへんを聞かせてやろうとか、そんなことは全く頭に浮かんでこなかった。音を探そうとあがくこともなかった。音楽は向こうからひとりでにやってきた。私の指が、おずおずとそれをなで回すだけだ。私は確かにブルースを弾いていた。背筋に冷たい刃物を当てられたうようなふるえがくる。時間の裂け目を、過去が飛びこえて流れこんできた。ピアノは私の肉体の一部のように歌っていた。

「さらばモスクワ愚連隊」


こんな文章に、私は胸をときめかしたのでした。

その後、病気で1年間、別府の国立病院に入院することになったのですが、ちょうどその時期に、文藝春秋社から『五木寛之作品集』(全24巻・別巻1巻)の刊行がはじまりました。もちろん私は、病院の近くの書店に注文しました。

私は、毎月、書店の人が配達してくる作品集が待ち遠しくてなりませんでした。なかには初めて読む作品もありました。そんな作品に出合うといっそうときめいたものです。また、作品集には、さまざまな人たちの解説が付録の小冊子で入っていて、それも楽しみでした。

当時、隣のベットには、大月書店のマルクス・エンゲルス全集を読んでいた年上の学生がいましたが、私の場合は、”マルエン”より五木寛之だったのです。新左翼運動が盛んな頃、五木寛之の作品を「反スタ(反スターリニズム)小説」と評する向きもありましたが、私はそんなことはどうだっていいと思いました。私は、五木寛之によって鈴木いづみや堤玲子や稲垣足穂などを知り、彼らの作品も読んでいました。

ちなみに、隣の学生は、「再生不良性貧血」かなにか「血を造ることができない」病気にかかっていたのですが、私が退院したあとに、短い生涯を終えたという話を同じ病院で医師をしていた叔父から聞きました。私は、その話を聞いたとき、なんと無念だったろうと思いました。そして、いつも週末に見舞いに訪れていた彼の恋人のことを思い浮かべ、彼女はどんなに悲嘆に暮れたことだろうと思いました。

70年代の『戒厳令の夜』以降は、私も五木作品を同時代的に読むことができましたが、しかし、80年代に入ると、徐々に読むことも少なくなりました。ただ、『大河の一滴』が出たとき、ちょうど私も仏教に興味をもっていましたので、久しぶりに再会したような感じがありました。しかし、それも一時的で、その後は再び読むこともなくなりました。

私にとって、初期の五木作品は、午後の陽光を浴びてキラキラ輝いていた別府の海の風景と重なるものがあります。私は学校の帰り、いつも坂の上からその風景を眺めていたのでした。あの頃、どうしてあんなに何事にもときめいていたんだろうと思います。

私は、五木寛之氏と同じロシア文学科に行きたくて、同じようにゴーリキーの『私の大学』を携えて上京したものの、思いは叶わず、病気をして失意のまま帰省し入院生活を送っていたのでした。

入院していたとき、私は、深夜、よくベットに腰かけ窓の外を眺めていたのですが、その姿を見た看護婦さんたちは、私が泣いていると思っていたそうです。実際は泣いてはいなかったのですが、深刻な病気を抱えていた私が、文字通り夢も希望もない状態にいたのはたしかでした。そのとき、いつも隣にあったのが五木寛之の本でした。

現在、私は、たまたま五木寛之氏と同じ東急東横線の3つ隣の駅に住んでいるのですが、時折、氏の住まいがある駅を通るとき、五木寛之を読みふけっていたあの頃を思い出すことがあります。考えてみれば、五木寛之氏も今年で83才になるのです。なんと多くの時間が流れ、なんと遠くまでやってきたんだろうと思います。

熱ありて咳やまぬなり大暑の日 友の手紙封切らぬまま

帰るべき家持たぬ孤老の足音 今宵も聞こへり 盂蘭盆さみし

裏山で縊死せし女のベットには 白きマリア像転がりており

(前も紹介しましたが)これらは、当時、寺山修司を真似て作った歌です。

よく若いときにしか読めない小説があると言われますが、私にとって五木寛之の小説は、こんなせつないような哀しいような青春の思い出とともにあるのでした。
2015.06.05 Fri l 本・文芸 l top ▲
女性たちの貧困


NHK「女性の貧困」取材班『女性たちの貧困 ”新たな連鎖”の衝撃』(幻冬舎)を読みました。本書は、女性たちの貧困を取り上げた「クローズアップ現代」や「NHKスペシャル」などで、放送できなかった取材内容やエピソードをスタッフたちがまとめたものです。

渋谷や新宿や池袋の駅前などで、若い女性がキャリーバッグを引いて歩いているのをよく目にします。番組のスタッフが夜の新宿で、彼女たちに声をかけて話を聞くと、「家賃が払えず、携帯電話だけを頼りに、深夜営業の店を渡り歩く女性が数多くいることがわかってきた」そうです。

 街でよく見かけるキャリーバッグを転がす少女たち。
 ファーストフード店や、ファミリーレストラン、カフェで見かける携帯電話を充電する少女たち。
 今回の取材を始めるまでは、特に気にとめることもなかった日常の風景だった。しかし、実際に、こうした女性たちに話を聞いてみると、その背景には、貧困、経済的な困窮という現実があり、そこから逃れようと必死にもがく姿が、漂流という形になって現れているのだと感じられた。


新宿駅近くのあるネットカフェでは、定員の7割が長期で利用する女性なのだとか。また、行政との交渉で住民票を置くことが認められた別の店では、小学生の女の子を含む母子3人が2年間店で寝泊まりしているという、衝撃的な事例が紹介されていました。

彼女たちは、化粧して身ぎれいにしているので、一見そんなに困っているようには見えないのです。だから、彼女たちのことを「見えない貧困」と言うのだそうです。

「キャリーバッグと携帯電話だけを頼りに街をさまよう少女たち」。そんな彼女たちの背景にあるのが、親の貧困です。

私も昔、「風俗」で働く若い女性たちに話を聞いたことがありますが、そのなかでよく耳にしたのは、きょうだいが多くて貧乏、父親が病気あるいは失業中、母子家庭でまだ幼い妹や弟がいるなど、経済的に「家族には頼れない」事情でした。また、メンヘラの傾向がある子も多いように思いました。もちろん、女子高生のあこがれの職業の上位にキャバ嬢が入るなど、若い女性たちのなかで「風俗」への敷居が低くなっているのは事実ですが、だからと言って「楽でお金が稼げるから」というような、私たちが想像しがちな「軽い」ものばかりではないのです。

一方で、「風俗」が経済的に困窮する若いシングルマザーの受け皿になっているという現実もあります。本書でも、「セーフティネットとしての『風俗』」と題して、報道局の女性記者がその現実を報告していました。

取材したデルヘル店では、シングルマザーのために、寮だけでなく託児所まで用意しているのだそうです。

 就労、育児支援、居住。働くことを余儀なくされたシングルマザーにとって、生活に欠かせない三つの要素だ。行政に頼ろうとすると、いくつもの担当課をまたぎ、それぞれの手続きを進めなくてはいけない。しかし、ここでは、生活するための必要な環境や支援がワンストップで手に入るのだ。


専門家は、番組のなかで、これを「社会保障の敗北」と表現したのでした。

厚生労働省の専門部会では、年収200万円未満を「生活保護に至るリスクのある経済困窮状態」と位置づけているのですが、非正規雇用の若年女性(15~34歳)のなかで年収200万円未満の収入しかない人は、289万人もいるそうです(2012年)。また、「勤労世代」(20歳~64歳)の1人暮らしの女性の32.1%、未成年の子どもがいる母子世帯の57.6%が貧困状態にあるのだそうです。

今の社会保障は、よく言われることですが、結婚して家庭を作り、世帯主の男性の収入やあるいは共稼ぎによって「文化的な生活」を営むことを前提とした家庭単位、家族単位のものです。でも、離婚率や生涯未婚率の上昇で、その前提そのものが既に現実的ではなくなっているのです。

高齢者世帯のなかで、単身世帯の貧困率が高いのも、年金二人分と一人分の金額を考えれば、誰でも理解できる話ではないでしょうか。それは、シングルマザーの場合も同じです。離婚しても、実際に養育費を受け取っているのはわずか20%にすぎないという現実。そのため、家計を補助するためにパートやアルバイトに出ていたのが、離婚した途端、そのパートやアルバイトの収入で生活することを余儀なくされるのです。とりわけ子供に手がかかり経済力に乏しい20代のシングルマザーにおいては、相対的貧困率がなんと80%にも達するのだそうです。

当然、親の貧困は子どもの貧困へとつながっていきます。OECDのレポートによれば、ひとり親世帯のなかで、親が働いている世帯の子どもの貧困率は日本は54.6%で、加盟国34カ国中、とびぬけて高いのだそうです。これが、先進国で最悪と言われるこの国の格差社会の現実なのです。

日本はホントに豊かな国なのでしょうか。本書が書いているように、私たちは、「見えない貧困」と言いながら、ホントは見てないだけではないのか。見ようとしてないだけではないのか。

人並みのスタートラインに立つことさえできない貧困の世代連鎖。「女性が輝く社会」などという官製版やりがい搾取のようなスローガンの一方で、労働市場では相変わらず弱い立場に置かれている女性たち。本書が指摘した貧困は、私たちのすぐ身近にあるのです。もとより、私たち自身にとっても、決して他人事ではないはずです。

本書の最後に、「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターのつぎのようなことばが紹介されていました。

「自分のことを思い返しても、十代から二十代の前半の時代は、夢や希望にあふれる時期でした。時につらいことがあっても、憧れの人について友人ととどめもなく語り合ったりして、他愛のないことでも笑っていられる、人生の中でもキラキラ輝いている時期だと思います。その人生のスタート地点ともいえるときに、すでに夢や希望が失われる社会とはどんな社会なのでしょうか」



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2015.04.08 Wed l 本・文芸 l top ▲
宰相A


前の記事でもチラッと触れていますが、田中慎弥の新作『宰相A』(新潮社)を読みました。

私は、あの田中慎弥氏がどうしてこんな小説を書いたのだろう、と最初は戸惑いました。ところが、『宰相A』を読んで以来、テレビで総理大臣のアベシンゾウ氏が国会答弁をしている姿などを目にするたびに、やたらこの小説が思い出されるのでした。

『宰相A』に関連した記事で、私が読んだのは以下の2つですが、いづれの記事も、文学云々よりアベシンゾウ氏と小説の「宰相A」を重ねることに重点が置かれた内容になっていました。つまり、作者と同郷の実在の政治家をモデルにしたディストピア小説という読み方をしているのです。

リテラ
安倍首相のモデル小説を出版! あの芥川賞作家が本人に会った時に感じた弱さと危うさ

朝日新聞デジタル
いま「宰相A」と対峙する 田中慎弥さんの新作、舞台は「もう一つの日本」

小説家の「私」は、9月のある日、30年前に亡くなった母の墓参りに出かけます。「このところ小説のネタが尽きていた」「私」は、「母の墓に手を合わでもすれば何かアイデアが出てくるかもしれない、たとえ何も出てこないにしろ、初めての墓参りという事実を、母の思い出を混じえて描写すれば、圧倒的な評価は得られないまでも作家としての浮上の足がかりには十分なるのではないか」と考えたのでした。

しかし、母の墓がある町の駅に降り立った「私」は、奇妙な光景を目にします。駅のアナウンスも英語で、駅の構内を行き交う人たちも電車の乗客も、みんなアングロサクソン系の外人なのです。彼らは、同じ緑色の軍服風の制服を着ていました。しかも驚くことに、自分たちのことを「日本人」だと言います。やがて「私」は、身分を証明するN・P(ナショナルパス)をもってなかったために、「侵入者」として軍に引き渡され連行されることになります。その連行された先が、アングロサクソン系の日本人が支配する「日本国」なのでした。

「日本国」の公用語は英語で、日本語は「旧日本語」と呼ばれています。「日本国」は、「完全なる民主主義国であり、国民の国への関わり方も非常に積極的で、選挙の投票率は国会、地方を問わずしばしば百パーセント近くに達する。与党は現在の日本が成立して以降一貫して政権を任されており、与党はそれに応えて国民を完全に統治している」全体主義国家です。そして、戦争主義的世界的平和主義の精神を掲げ、世界各地で平和的民主主義的戦争をおこなっているのでした。

旧日本人は選挙権も与えられず、曽野綾子氏があこがれる南アフリカのアパルトヘイトと同じように、居住区に閉じ込められ、そのなかで生活することを強制されています。ただ、首相だけは、旧日本人を封じ込めるために、「旧日本人の中から頭脳、人格及び民主国日本への忠誠に秀でた者が選ばれる」慣例になっていました。そして、現在の傀儡が「宰相A」なのでした。

中央から分けた髪を生え際から上へはね上げて固めている。白髪は数えられるくらい。眉は濃く、やや下がっている目許は鼻とともにくっきりとしているが、下を見ているので、濃い睫に遮られて眼球は見えない。俯いているためだけでなく恐らくもともとの皮膚が全体的にたるんでいるために、見た目は陰惨だ。何か果たさねばならない役割があるのに能力が届かず、そのことが反って懸命な態度となって表れている感じで、健気な印象さえある。


「(略)あれでもだいぶ体調がいい方でしょう。何しろひどく悪くなって一旦は首相を辞めたくらいでしたから。特効薬が見つかったとかで復帰してはきましたが、完治はしていません。」
「なんの病気なんです?」
(略)
 カメラが引いて分ったことがもう一つ。よく見るとマイクが置かれた演壇の前板がそっくり外されていて、そこから、緑の生地に覆われた何かがミサイルの尖端部の形そっくりに突き出ている。首相の腹、にしては位置が低過ぎる。顔をほんの少し斜めうしろに傾けて、
「あの、出っ張ってるところって、ひょっとして。」
「ええ、局部です。」
「臨月の妊婦くらいありますよ。」
「あれが首相の病気です。一度は辞任して治療を続けていたのですが、いっそこのままやってみてはどうかとの軍部からの要請で復帰したんです。」


滑稽な独裁者。無能であるがゆえに精一杯虚勢を張って強い政治家=「愛国」者を演じる独裁者。でも、それは、対米従属の思想を唯一無二のものとする、「愛国」と「売国」が逆さまになった戦後の背理を体現する哀しき政治家の姿です。アメリカの言いなりになることが「愛国」であるという、この倒錯したナショナリズム。円安株高も、TPPと同様、国を売るカラクリでしかありません(おっと、そんなことはこの小説には書いていませんが)。

ホラン千秋は、帯につぎのような推薦文を寄せていました。

これは夢ではない、現実だ。
社会を疑うことさえ面倒になった日本人。
見て見ぬ振りをしてきた「日本」がここにある。


滑稽な独裁者は、トリックスターでもあります。ナヨナヨとした女性的な身のこなしの彼は、拳を胸の前に小さく振り上げながら、悪い冗談みたいな話をこともなげにつぎつぎと現実化しています。まるで「もうひとつの日本」が現実のなかでも進行しているかのようです。逆にそれが、滑稽で無能な彼の”強み”と言うべきなのかもしれません。

小説のほうは、居住区の旧日本人たちから救世主の再来と見なされた「私」が、やがて反「日」解放闘争のリーダーに祭り上げられ、過酷な役割を担うことになるのでした。

一方、私は、この『宰相A』には、同郷の政治家をカルカチュアライズするだけでなく、作家としての覚悟のようなものも表現されているように思いました。それは、愚直なまでに”文学の可能性”を問う姿勢です。それが、「さ、いくらでも書けばいいの。ただし途中でやめちゃ駄目。ずっとずっと、たとえどんなに大変なことがあっても惨めな目に遭っても書き続けなさい」と母親から言われた「私」の作家としての覚悟なのでしょう。

「私」は、三島由紀夫について、「また小説を書かなければならないのだ。いつまでも死んでいる場合じゃない。死ぬのは作家の仕事じゃない。」と言います。さらに、「どうしてこの世は、大きなお城と立派な制服が大好きな」カフカの『城』のバルナバスばかりなんだろう、と嘆きます。そして、「しっかりしろ、作家。目と耳を塞ぐな。これはお前が書いている世界だ。何を怖がってる? 作家の想像力はそんなに貧しいのか? 紙と鉛筆(それが目に見えないのがどうした?)を使うお前の仕事はこの程度の現実にも簡単に打ち負かされるものなのか?」と自問するのでした。

どんなことばでもいいのです。どんな稚拙でつたないことばであってもいい。大事なのは、政治や文学や批評の世界で流通している制度化されたことばではなく、自分のことばなのです。文壇や論壇などとはまったく無縁な、たとえばヘイト・スピーチに対抗する路上の激しいことばのやり取りのようななかにこそ、あたらしいことばが生まれる可能性があるのだと思います。そのあたらしいことばからあたらしい知性も生まれるはずです。制度化されたことばでいくら反知性的な風潮を嘆いても、なにもはじまらないのです。それは、文学も同じでしょう。

純文学の作家にとって冒険とも言えるこの小説は、そんなあたらしいことばを求める覚悟の表明のようにも読めました。

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「共食い」
Coward
2015.03.27 Fri l 本・文芸 l top ▲
若い女性がみずからの身体的な価値(女としての価値)をお金で換算するのは、資本主義社会では当たり前のことです。資本主義とはそういう制度なのです。ゆりかごから墓場までお金なしではなにひとつ手に入れることができないのです。この世のありとあらゆるものは、それこそ一木一草に至るまでお金で換算される、それが私たちが生きる資本主義という社会なのです。

もちろん、”愛”も然りです。”愛”はお金では買えないけど(買えるときもあるけど)、お金をかければ「より煌めく」と著者の鈴木涼美は言います。

 人は愛周辺にオカネがからむと何かと人を批判したがるから、セックスは神聖化するくせに、オカネをもらってすると怒られるし、ホストクラブで何十万円もかけて恋愛ごっこするとほとんど廃人扱いされるし、オカネのためにスキとか言うと、信じられないと言わんばかりのすごい目で睨まれる。でも本当の愛なんて、オカネをかければより煌めくのに。


貪欲な資本主義は、さらに「女子高生」という属性に性的な意味を付与し、お金に換算するようになったのでした。つまり、「女子高生」が記号化し商品になったのです。それは、この社会が「死」をも商品化していることを考えれば、別に驚くことではありません。1983年生まれの著者もまた、そんな「女子高生」が商品化された援交・ブルセラ以後の世代の人間で、最初から自分たちの身体に商品的価値があることを知っているのでした。

際限のない欲望と差異化、その先に待っているのは”特別な自分”です。でも、その”特別な自分”は、たとえホストに入れあげても、イタくない自分でなければなりません。「私たちには、絶対に死ぬまで捨てる気にならない自負がある。私たちの身体は、かつてオトコたちがひと月に何百万円も使う価値があったことだ」と書く著者ですが、一方で、そんな自分を冷静な目で見ることも忘れないのでした。みずからの身体を夜の世界やAVに売って手に入れたお金で、つぎになにを手に入れたいのか。なにを手に入れたのか。それがこの本のキモです。

なんというタイトルだったか、「愛をください」という歌詞の歌がありましたが、私はこの本を読むにつけ、「愛をください」というリフレインが聞こえてくるような気がしました。「女という価値を物質に落として、分裂を繰り返してきた」と著者も書いていましたが、それが資本主義的な価値、言うなれば貨幣の物神性に縛られた私たちの生の隘路でもあるのでしょう。

 私たちは100万ドルの価値がある身体を、資本主義的目的遂行のためにいつでも市場にさらすことができた。それはオカネだけじゃなく、他のものじゃ代えのきかない時間を私たちに与えてくれた。(略)
 問題は、そこで得られるオカネや悦楽が、魂を汚すに値するかどうかであって、いいか悪いかではない。好きな人にゲロを吐かせてまで手に入れたいものだって私たちにはあると思う。言い換えれば、少なくともそれに値すると思えないんであれば、そんなはした金、受け取らないほうがいい。


私は、女三人男一人のきょうだいのなかで育ちましたので、女のわけのわからなさや面倒くささは、子どもの頃から痛いほど感じていました。そして、長じた今、仲がいいのか悪いのかわからない彼女たちが、お互いを批評するその鋭い視点に感心し驚くことが多々あります。関係性を通してしか自己を確認できない女性の同性を見る目は、たとえ姉妹と言えども残酷です。

一流大学を出て一流会社で働いているOLだって、そうでもないOLだって、将来性のある男と結婚した主婦だって、そうでもない主婦だって、ある年齢以下の女性たちは、恋愛や仕事やその他諸々の局面において、大なり小なりみずからの身体的な価値をお金で換算した経験があるはずです。それは、女性のほうがみずからの欲望に忠実で、ゆえに資本主義の原理に忠実だからです。

著者が言うように、みんな「狂っている」のです。下北沢の通りを歩く「文化系女子」も、同僚と結婚して下高井戸に家を買った郵便局員も、「平凡」だけど「狂っている」。そうでなければ、この生き馬の目をぬくような資本主義の世の中を生きぬくことなんてできないでしょう。「愛をください」と人知れず叫びつづけるのも、そこに「狂っている」自分がいるからでしょう。

 たしかにオカネやモノをくれて私を泊めたオトコたちが枕元でささやいたかわいいよ、とかっていう言葉は、私にとって心震える本当の愛、とは程遠いものだけど、だからと言って、別に現金をくれるわけじゃない彼氏が同じ枕元でくれた名もなき熱っぽい詩がまさにそうであるかというと微妙だ。でも、複雑にこんがらがった社会で、カメラの前で悩ましげなポーズをしていた過去を抱えながら、女が生きていくのはそれなりに体力がいるので、私たちはその名もなき熱っぽい詩を、時々どうしても、少なくとも交通費の20万円よりも、欲しくなるのもまた事実だ。だからそれをぼやっとしたまま愛とか叫ぶのであれば、それは脆い上に期待はずれにつまらないものだけど、それがなければ生きていけないかもな、とも思う。



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2015.03.06 Fri l 本・文芸 l top ▲
昨日、買いたい本があったので池袋のリブロに行ったのですが、帰ってネットを見ていたら、リブロ池袋店が6月で閉店というニュースが出ていたのでびっくりしました。

セゾングループは、経営破たん後、バラバラに解体され叩き売られていますが、リブロは取次大手の日販(私も若い頃、当時お茶の水にあった日販でアルバイトした経験があります)の傘下になっています。ちなみに、多店舗展開する大手の書店は、実質的に日販かトーハン(東販)かいづれかに系列化されており、日販とトーハンの市場占拠率は75%にも達するそうです。これでは新刊本が大手の書店にしか並ばないのは当然で、「言論・表現の自由」とのカラミでとりだたされる”出版文化”なるものも、このようなゆがんだ流通システムによって成り立っているのが現実なのです。

余談ですが、今日、『週刊新潮』が川崎の中学生リンチ殺人の主犯の少年の実名と顔写真を掲載しているという記事がありましたが、一方で『週刊新潮』や『週刊文春』は、『絢愛』捏造疑惑の百田尚樹やアパルトヘイト容認発言の曽野綾子を批判することはいっさいないのです。権力を持たず、みずからと利害のない一般人であれば、口を極めてののしり、人権などどこ吹く風とばかりにあることないこと書き連ねるのですが、作家センセイに対してはどんなスキャンダルでも見て見ぬふりをするのが常です。

また、作家センセンたちも同様で、『新潮』や『文春』の下劣な”ためにする”記事に対して、いつも見て見ぬふりをするだけです。ネットに跋扈する”私刑”は、『週刊新潮』や『週刊文春』のやり方をただコピーしているだけですが、普段リベラルな発言をしている作家センセイたちでも、新潮や文春の姿勢を批判しているのを見たことがありません。それどころか、業界では、新潮社から本を出すことがステータスで、物書きとして一流の証なのだそうです。

リブロ閉店については、以下のような内部事情を伝える記事がありました。

 現在のリブロは取り次ぎ大手、日本出版販売(日販)の子会社。閉店は業績の問題ではないとも言われ、毎日新聞は、西武百貨店を傘下に持つセブン&ホールディングスの鈴木敏文会長が日販のライバル・トーハン出身であり、いずれ撤退を迫られるだろうという指摘があったことを挙げている。

Yahoo!ニュース
「リブロ池袋本店が閉店へ」 惜しむ声がネットに広がる(ITmedia ニュース)


どうやら大家の西武百貨店から、テナントの契約更新を断られたのが真相のようです。かつて同じ釜の飯を食っていた西武百貨店から出て行けと言われたのです。なんだかセゾン(文化)の末路を象徴するような話で、一家離散の悲哀を覚えてなりません。

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2015.03.04 Wed l 本・文芸 l top ▲
33年後のなんとなく、クリスタル


田中康夫の新作『33年後のなんとなく、クリスタル』(河出書房新社)を読みました。また、この機会に、『なんとなく、クリスタル』(河出文庫)も読み返してみました。

『なんとなく、クリスタル』が刊行されたのは1981年で、私がこの作品を最初に読んだのは、まだ九州にいた頃です。そのためか、当時はそれほどの感銘は受けませんでした。もちろん、メディアでは大きな話題になりましたが、田舎暮らしの私にはピンときませんでした。

私が再度上京して、六本木にあるポストカードを輸入する会社に勤めはじめたのは1986年で、『なんクリ』から5年後のことです。それで、今あらためて『なんクリ』を読むと、最初に読んだときとまるで違った印象がありました。主人公の由利は、青学に通いながらモデルの仕事をしているのですが、当時、私もモデルをしていたガールフレンドがいて、六本木や青山界隈でよく遊んでいましたので、『なんクリ』のような”時代の気分”と無縁ではありませんでした。しかし、やがてバブルが崩壊し、社会の様相は一変します。

『なんクリ』は、大学のテニスクラブの仲間と一緒に表参道をランニングする由利のつぎのようなシーンで終わります。

 私は、クラブの連中と一緒に走り出した。早苗も私の横で掛け声を出しながら走っている。
 青山通りと表参道との交差点に近付いた。
 ちょうどその時、交差点のところにある地下鉄の出口から、品のいい女の人が出てくるのが見えた。シャネルの白いワンピースを、その人は着ているみたいだった。フランスのファッション雑誌に載っていた、シャネルのコレクションと同じものだったから、遠くからでもすぐにわかった。
 横断歩道ですれ違うと、かすかにゲランの香水のかおりがした。
 三十二、三歳の素敵な奥様、という感じだった。
 <あと十年たったら、私はどうなっているんだろう>
 下り坂の表参道を走りながら考えた。
(略)
 私は、まだモデルを続けているだろうか。
 三十代になっても、仕事のできるモデルになっていたい。

 <三十代になった時、シャネルのスーツが似合う雰囲気をもった女性になりたい>
 私は、明治通りとの交差点を通り過ぎて、上り坂になった表参道を走り続ける。
 手の甲で額の汗をぬぐうと、クラブ・ハウスでつけてきた、ディオリッシモのさわやかなかおりが、汗のにおいとまざりあった。


ところが、小説が終わったあと、つぎのページに唐突に、「人口問題審議会・出生力動向に関する特別委員会報告」の合計出生比率(一人の女子が出産年齢の間に何人の子供を産むかという比率)の予想値と、「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年度厚生白書)」の六十五歳以上の老年人口比率と厚生年金保険料の予想値が添付されているのでした。

『33年後のなんとなく、クリスタル』は、字義通りその33年後の話です。ただ、『33年後』には、『なんクリ』にはいなかった「僕」=「ヤスオ」が登場します。その「僕」がFacebookで由利と久しぶりに再会するのでした。

『33年後』と『なんクリ』の違いは、「僕」=「ヤスオ」の登場だけではありません。『なんクリ』で話題を呼んだ「注釈」もかなり違っています。『なんクリ』のそれは、東京の最先端の風俗を批評するものでしたが、『33年後』のそれは、社会・政治的な事柄に関するものが多く含まれていました。そこには、言うまでもなく『なんクリ』以後、阪神大震災のボランティアを経て政治の世界に足を踏み入れた著者の体験が反映されているのでしょう。

私は、『なんクリ』の解説(河出文庫版)で高橋源一郎が書いているように、現代風俗を批評することをとおして爛熟した資本主義社会の現在(いま)を対象化した作者の姿勢に共感するところがありますし、その「注釈」の真骨頂とも言うべき『噂の真相』に連載されていた「東京ペログリ日記」を愛読していましたので、『33年後』の”生真面目さ”に対しては、どこか違和感を覚えざるをえませんでした。

既に50代後半になった『なんクリ』の登場人物たち。私は、もう一度、初老の域に入った「ペログリ日記」を読みたいと思いました。高橋源一郎は、解説のなかで、『なんクリ』はマルクスの「資本論」に比肩するような書物だと書いていましたが、私は、「ペログリ日記」こそ永井荷風の「断腸亭日乗」に比肩するような日記文学の傑作になるように思うのです。

出生率は政府の甘い予想をあざ笑うかのように低下の一途を辿り、少子化が進んでいます。また、一方で、老年人口比率は急カーブを描いて上昇し、超高齢化社会を迎えています。

私が現在住んでいる東横線沿線の街でも、平日の昼間の商店街の舗道は老人の姿が目立ちます。カートを押して背を丸めおぼつかない足取りで舗道を歩いている老人たち。三つある商店街のひとつは既に解散し、街灯の管理をどうするか頭を悩ましているそうです。それが、かつてANAの女子寮があった街の現在の姿です。

 <あと十年たったら、私はどうなっているんだろう>と思っていた由利は、33年後、つぎのように言います。

「『微力だけど無力じゃない』って言葉を信じたいの」。醍醐での由利の科白が頭を過る。
「黄昏時って案外、好きよ。だって、夕焼けの名残りの赤みって、どことなく夜明けの感じと似ているでしょ。たまたま西の空に拡がるから、もの哀しく感じちゃうけど、時間も方角も判らないまま、ずうっと目隠しされていたのをパッと外されたら、わぁっ、東の空が明るくなってきたと思うかもしれないでしょ」
 由利は悪戯っぽく微笑んだ。


いくら中国や韓国に対して意気がってみせても、日本がたそがれていく国であることには変わりがありません。私たちは、もっとその事実を直視すべきではないか。誤解を恐れずに言えば、絶望することの意味を知る必要があるのではないか。自分の人生を含めて、もっと生きる哀しみやせつなさを大事にすべきではないか。

武田泰淳は、『目まいのする散歩』(1976年)のなかで、最新のファッションで表参道を闊歩する若者たちを見て、「何と沢山の苦悩が、そのあたりの空気に浮遊していることだろう」と書いていましたが、そうやって表参道を闊歩していた若者たちも、もう60歳前後です。そのうち「高齢化」と「貧困」の苦悩を背負うことになるはずです。時は容赦なくすぎていくのです。

背を丸めおぼつかない足取りで舗道を歩く自分の姿なんて想像したくもないですが、それも遠い先の話ではないのです。老いることは、たしかにたそがれることかもしれませんが、しかし、この小説が書いているように、「誰(た)そ彼」=黄昏にも静かに時を見つめるロマンティックな響きだってあるのです。あるはずなのです。
2014.12.12 Fri l 本・文芸 l top ▲
メディアミックス化する日本


既に「ネットの『責任』と『倫理』」でも触れましたが、大塚英志著・『メディアミックス化する日本』(イースト新書)を読みました。「あとがき」によれば、本書は、今年の夏に東京大学大学院情報学環で開かれた「角川文化振興財団寄付講座」のなかで、受講のために来日した外国人向けにおこなった「裏ゼミ」の講義を書き起こしたものだそうです。

KADOKAWAとドワンゴの合併によってますます進化するメディアミックス。しかし、同じ角川でもかつて角川春樹がおこなったものと今のKADOKAWAの総帥・角川歴彦がおこなっているものは、似て非なるものだと著者は言います。角川春樹がおこなったのは、まず「原作」があって、それを映画化し相乗効果を狙う典型的なタイアップ商法でした。それは、メディアミックスではなく「トランスメディア」だと言います。

一方、角川歴彦のそれは、一つの「世界観」を作り、そこから多様な作品を生み出すTRPGの考え方に基づいたものです。ゆえに「角川歴彦型メディアミックス」はポストモダン的と言われるのですが、しかし、著者によれば、この「多元的なストーリーテリングの仕組み」は、中世の「説教師」の口頭構成法や江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃や能や講談など、大衆文化にもともと内在していたのだとか。講談速記本を出版することから出発した(大日本雄弁会)講談社の成り立ちに示されるように、「固有の作者」や「著作権」というのは、近代の大衆メディアから派生的に生まれたものにすぎないのです。

江戸時代の大衆表現には『世界網目』という「世界観」の種本があり、そこから「趣向」に沿ってさまざまな物語が立ちあげられたのです。さらに受け手もそれに参画し、「生産」と「消費」が溶け合っていくシステムを著者は「物語消費」と呼ぶのでした。現代におけるその典型例がアニメや音楽などの「二次創作」です。KADOKAWAとドワンゴの合併は、ユーザー(ファン)の「二次創作」への課金を企む(つまり、プラットフォームを提供することで、ロイヤリティを取ってコンテンツを作成させる)、「吐き気もする」ようなシステムだと著者は批判するのでした。

KADOKAWAでは、「著者」と「編集者」が、KADOKAWAに内在したある種の物語消費論的なシステムの中で「メディアミックス」の名の元にコンテンツをこれまで制作してきたが、そこにユーザーのコンテンツを吸い上げる「ニコ動」が一体化した時、そこに成立するのは、より大きなプロもアマも包摂する巨大なコンテンツの生成システムである。なるほど、これまでも制作は見えない制度によって呪縛されてきた。そしてその呪縛の所在を示すのが批評であり、格闘するのが文学でもあった。しかしこの不可視の制度が外部化し、ユーザーサービスとしての装いを施すことで、ユーザーの些細な水準での徹底した快適さが提供され、その環境の中で人は消費行動としての創造性を「快適に」発露することになる。


そして、KADOKAWAとドワンゴの合併がもたらすのは、「『快適』に想像力が管理された未来である」と言います。そんな「趣向」の変化は、「若者の『教養』がマルクス主義からアニメおたく的文化に急激に変化した」ことと無縁ではないでしょう。今の若者たちが政治や宗教や文学や社会などにコンタクトする際、そのベースになるのはアニメやRPGなどによって培われた「サブカルチャー的想像力」なのです。純文学や左翼的言説が見向きもされなくなったのもむべなるかなです。

それはまた、現在(いま)の反知性主義が跋扈する風潮においても同様です。偽史カルト(歴史修正主義)は、ネトウヨだけの話ではないのです。安倍首相のFacebookでの発言などを見るにつけ、安倍内閣が「ネトウヨ内閣」と言われるのはあながち的外れではないような気さえします。安倍首相に代表されるような、中国や韓国によって正しい歴史が歪められたと主張する「被害者史観」(その裏返しとしての「慰撫史観」)とオウム真理教は地つづきなのです。彼らに共通するのが偽史カルトです。

著者は、「受け手側の創作性を発動させて自発的に<大きな物語>に回収していく仕組み、つまり角川歴彦型メディアミックスとしてオウムはあった」と言います。

 少し前までなら、作家になるためには新人賞などを経由して「小説家」としてメディアに参画する権利を有する必要があり、その基準の妥当性はさておき、完全なコピーアンドペーストではない程度の創作性は認められていました。しかし、物語消費的なメディアミックスというものがあれば、そこに広く誰でも参加でき、擬似的な創作というものを行う環境が与えられるのです。
 このような擬似的な創作をしながら世界の中に参入していくことは、「固有の私になりたい」と「大きな物語の中に抱かれたい」という、近代的な二つの欲望を何らかのやり方で満たすことなのだと言えます。


でも、これはあくまで「擬似的な創作」にすぎないのです。「物語消費的なメディアミックス」は、そうやって消費しながらひとつの世界観に回収していく装置なのです。

もちろん、それは、YouTubeやニコ動の「二次創作」だけでなく、ネットの書き込み全般に言えることです。彼らが政治や社会に対して主張するその根拠に、本を読んだり勉強したりして得たいわゆる「古典的な教養」は皆無です。すべてはネットのパクリ(口真似)でしかないのです。だからこそ彼らはカルト化していかざるを得ないのだとも言えるのです。オウムがしたことは、「架空の歴史と本当の歴史を交換しようとするテロ」であったと著者は言いますが、もし今のネット住人たちが80年代にタイムスリップしたなら、オウムが捏造する「大きな物語」にからめとられるのは間違いないでしょう。

ヘイト・スピーチの団体の幹部がニューエイジ系の雑誌の編集者であった事実や、幹部たちが知り合ったのは自己改造セミナーだったという噂などを知るにつけ、ヘイト・スピーチはカルト宗教の問題でもあるのだということをあらためて痛感させられるのでした。もちろんそこには、口真似しかできない「架空の私」が伏在しているはずです。

「ニューエイジ」や「自己改造セミナー」とヘイト・スピーチ、それらを架橋しているのが偽史カルトであり「サブカルチャー的想像力」です。「架空の私」を「架空の歴史」に飛躍させる、それが「セカイ系」なるものの内実です。その装置(仕掛け)として「おたく騙し」の「角川歴彦型(物語消費的)メディアミックス」があるのだと著者は言うのでした。「角川歴彦型メディアミック」が政治や宗教の動員ツールとしていくらでも転用が可能だと言うのは、そのとおりでしょう。

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2014.11.14 Fri l 本・文芸 l top ▲
愛と暴力と戦後とその後


著者の赤坂真理は、アメリカの歴史家ジョン・ダワーが著した『敗北を抱きしめて』という占領期研究の書名について、「抱きしめて」の原題”Embracing”には、日本語の「抱きしめる」よりもっと性的なニュアンスが強く、そこには「性的な含み」さえあると書いていました。

どうして日本人は、”昨日の敵”をあれほど愛したのか。

赤坂真理はそう問います。そして、日本国憲法や日米安保条約の文言のなかに、その甘美な関係を成り立たせている「欲望」のありかを探ろうとするのでした。

たとえば、「戦争を放棄する」の「放棄」は、原文では”renounce”という動詞ですが、これは「自発的に捨てる」というニュアンスが含まれているのだそうです。「他者の(引用者注:傍点あり)言葉で、『私はこれを自発的に捨てる』と言うことほど、倒錯的なことはない」「こういう単語が、私たちの憲法に、他者のしるしとして刻印されている」と。

「侵略戦争」ということばも然りです。東京裁判の起訴状では、”War of aggression”と書かれているのですが、”aggression”は「攻撃性」を意味することばであり、先制攻撃をかけた戦争、それが「侵略戦争」と訳されるのです。

1951年の日米安保条約にも、同じように二者の関係性が戦勝国のことばで、そして、戦勝国の論理で表現されているのでした。

”Japan desires a Security Treaty with the United States of America”
日本国は欲する / アメリカ合衆国との間に安全条約を結ぶことを

”Japan grants, and the United States of America accepts to dispose United States land, air ”
日本国は保証し、アメリカ合衆国が受け容れる / 陸、海、空の武力を日本国内と周辺に配置することを。


そして、赤坂真理は、つぎのように書きます。

 日本が欲し、アメリカ合衆国にお願いする。
 日本が保証し、アメリカ合衆国は受け容れる。
 決して、逆ではなく。
 それをアメリカ合衆国が、書く。
 他人の手で、ありもしない欲望を、自分の欲望として書かれること。まるで「共犯」めいた記述を、入れ子のような支配と被支配性。ほとんど男女関係のようだと思う。誘うもの、誘発されること。条約にここまで書かれるものなのか。いや、条約とはもともと関係の写し絵なのか。二者しか知らない直接の占領期の生々しさがここにある。そして、二者にしかわかりがたい、占領期の甘美さも、ここにある。


もちろん、それらは日本語に翻訳され日本語として解釈されます。その日本語のなかには、当然「漢字」も含まれています。「漢字」は、英語では”Chinese character”と言うそうで、文字通りそれは漢=中国の文字なのです。私たちの元に届くまでには、二重の翻訳が存在しているとも言えるのです。

 漢字はもともとは中国でも言葉が通じない人たちのための字だったらしい。広い国土で、放言同士が通じないような人たちが商売をするときの、読めなくても見ればわかる符牒であったらしい。そんな漢字を、日本人が日本語として、外国語の翻訳に使ったとき、実はかなり危険なことが起きたと思う。
 そして私たちはその上に自らを規定している。


私たちはただわかったつもりになっているだけではないのか。赤坂真理が言うように、私たちは、自らが告発されたことばを「私たちの言語に照らし、じっくり精査したことが、一度だってあったのか」。そもそも私たちは「私たちの言語」をもっているのか。

天皇を「元首」とする自民党の改憲案について、赤坂真理はこう書きます。

 けれど、権力を渡す気などさらさらないのに、「元首」である、と内外に向けて記述するのは、まずいだろう?
 しかし・・・。
 私はここではたと考え込んでしまった。
 それが、明治に日本国をつくり運営し記述した者の、したことではないのか?
 天皇権威を崇め、利用し、しかし実権を与えない。


それは誰も責任を取らない巧妙なシステムです。そんなこの国の近代を貫く「無責任体系」が、歴史修正主義という亡霊をよみがえらせる要因になっているのではないか。責任を取るべき人間が責任を取らずに、”昨日の敵”に取り入り、挙句の果てにはあの戦争は正しかったと言い出す。一方で、私たちには、戦死者より病死者や餓死者のほうがはるかに多かったあの無謀な戦争に、国民を駆り出した戦争指導者たちを告発することばさえもってないのです。

戦争に負けたにもかかわらず、甘美な幸福に包まれていたなんてこれ以上の「侮辱」があるでしょうか。しかも、その「侮辱」を旗印に「愛国」が叫ばれているのです。誰も責任を取らず、誰も「総括」しなかった。だから、戦争の暴力の残り香が連合赤軍やオウムを生み出したのだ、という著者の解釈は、そのとおりだと思いました。

「私たちは敗戦を忘れることにした。そして、他人の欲望を先読みして自分の欲望とすることに夢中になった」のです。それを対米従属と言ってしまえば簡単ですが、しかし、産経新聞に見られるように、ナショナリズムでさえ”対米従属「愛国」主義”とも言うべきゆがんだものにならざるを得ないほど、その”病理”は深刻なのです。

著者は、80年代のバブル期で「戦後は終わった」と書いていましたが、しかし、(何度も同じことをくり返しますが)戦後は終わってはいないし、はじまってもいないのです。あの戦争を「総括」しない限り、戦後は終わらないし、はじまりもしないのです。「敗戦を忘れることにする」ような(歴史に対する)不誠実な態度で、どうして戦後なんてあり得るだろうと思います。

>> 『永続敗戦論』
2014.09.21 Sun l 本・文芸 l top ▲
ブログの編集ページを見ていたら、当方のミスで、設定が「下書き」になったまま「公開」になってない記事が見つかりました。「保存」した日時は、2010年8月27日になっていましたので、ちょうど4年前の記事です。記事中にあるように、『日本の路地を旅する』のあとです。

ヘイト・スピーチは、決して今にはじまった問題ではないのです。ネットの書き込みを見ても、そのもの言いが、昔、私たちの上の世代が言っていたのとそっくり同じなのに驚かされます。つまり、差別のことばは、同じ構造のなかで連綿と受け継がれているのです。

それで、4年遅れになりましたが、あらためて本日付で記事をアップすることにしました(一部リンク切れを修正しました)。

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サンカの民と被差別の世界


『日本の路地を旅する』の流れで、五木寛之氏の『サンカの民と被差別の世界』(五木寛之 こころの新書・講談社)を読みました。私は、五木寛之氏が生まれた福岡県八女郡とは九州山脈をはさんでちょうど反対側の、大分県の山間の町で生まれ育ちましたので、やはり差別は身近にありました。門付けの芸人や物乞いを「カンジン」と呼んでいたのも同じです。

また、この本の中でも取り上げられていますが、同郷にサンカ小説で有名な三角寛がいましたので(三角寛は、池袋の文芸座を創設した人としても知られています)、サンカに対しても若い頃から興味をもっていました。

五木氏が本の中で書いていたように、田舎(農村)で家もなく土地もないような人達は、程度の差こそあれ、差別(蔑視)の対象になっていました。それは、言うまでもなく、定住して農業を営む在来の人間に対して、家も土地ももってない人間というのは、どこからかやってきた”よそ者”だったからでしょう。私の田舎でも、彼らの多くは山仕事をしたり山菜や川魚を取って、それを温泉旅館に売ったりして生計を立てていました。当然、生活は貧しくて、川岸や町はずれなどで、掘立小屋のような粗末な家に住んでいたのを覚えています。やがて高度成長の過程でみんな田舎を離れて行くのですが、私の中には、どうして彼らはこんな田舎に住み着いたんだろうという疑問がずっとありました。親に聞いても、よくわからないと言うのです。

五木氏は、「触穢(しょくえ)思想」の背景に「竹の文化」と「皮の文化」があると書いていましたが、大分県は竹の産地で竹工芸が盛んな土地でもあります。そんな地元の名産品の中にも、差別の歴史があることを知りました。

差別というのは、「差別はよくないのでやめましょう」「はい、やめます」というようなものではありません。いわんや、みずから負い目を背負って懺悔すればいいってものでもありません。私達にとって、差別というのは、やはり”乗り越えるべきもの”として”在る”のだと思います。なぜなら差別は、心の構造として、社会の構造として私達の中に”在る”からです。

一方で、差別問題の中に”同和利権”や”人権マフィア”のような負の部分が生まれ、そのために解放運動に失望して差別問題そのものに背を向ける人が多くなっているのも事実です。しかし、だからと言って、『日本の路地を旅する』でも書いているように、「路地の哀しみと苦悩」がなくなったわけではありません。

差別は歴史的な概念にすぎないと言えばそうなのですが、差別される当事者にとっては、そんな単純なものでないことは言うまでもありません。子どもの頃よく遊んでいた同級生にしても、普段は大人たちの陰口を除いて、差別なんてほとんど経験しなかったと思いますが、長じて結婚するような年齢になると、途端に差別の現実が立ち現われてくるのです。

大事なのは、差別の歴史を知ることとともに、そういった個々の人間の人生に投影された個別具体的な「路地の哀しみと苦悩」に思いを馳せ、それを少しでも共有することではないでしょうか。なによりそういった想像力をもつことだと思います。文学作品の中にも、『破戒』(島崎藤村)や『青年の環』(野間宏)や『死者の時』(井上光晴)や『枯木灘』(中上健次)など(個人的には堤玲子もいますが)、差別をとり上げた作品がありますが、その意味でも文学の役割は大きいのだと思います。

この本の中で紹介されていたサンカの末裔の方が書いた「サンカ研究の視座」という文章について、五木氏は、サンカの水平社宣言ではないかと書いていました。「それでも人間は生きんとした」、こういったことばのもつ重みを受けとめる感性を、私達が同じ人間としてもっているかどうかではないでしょうか。

 私の関心は一点、「なぜ人間がこの生き方を選んだか、あるいは選らばざるをえなかったのか」という疑問であり、サンカと呼ばれた側からの、その生き方の必然性に迫りたいという問題意識である。
 サンカ論は、「旅」「放浪」「漂泊」をキーワードとして、彼らの暮らしの特異性を都合よく切り取って、論じつくせるものではない。
 どのような要因が、「一所不在」すなわち「所有を断ち切る」という歴史的転回点に彼らを立たせたのか―。なぜそのような生活形態を自ら選択したのかという解明こそが、サンカ研究の視点ではないかと、私は考えている。
 それは数ある選択肢の中から、意気盛んに自ら選ぶといったロマンチックなものではない。歴史における支配の差別・弾圧が、苛酷なまでに死の淵、絶望の極みに人間を追いつめ、その時代を生きた多くの人間の怨嗟うずまく中で、生きる術をすべて奪われた者たちの、捨て身の抗いであったであろう。
 それでも人間は生きんとした。サンカ人の選択とは、「それでも生きねば」という生へのこだわりであったと私は考える。

2014.09.08 Mon l 本・文芸 l top ▲
永続敗戦論


たとえば、産経新聞(フジサンケイグループ)が掲げるナショナリズムは、”対米従属「愛国」主義”とでも言うべき非常に歪んだものですが、このような「親米保守」が依って立つグロテスクな戦後政治の構造を、白井聡氏は、「永続敗戦」と名付けたのでした。

敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化される一方で、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する(=それを否認する)という日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない、という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している。無論、この二重性は相互を補完する関係にある。敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。
(『永続敗戦論』太田出版)


ゆえに、戦前的価値観を保守したい右派の政治勢力は、「戦後」にあっては、産経新聞のように歪んだナショナリズムを掲げざるを得ないのです。

彼らは、国内およびアジアに対しては敗戦を否認してみせることによって自らの「信念」を満足させながら、自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従を続ける、といういじましいマスターベーションと堕し、かつそのような自らの姿に満足を覚えてきた。敗戦を否認するがゆえに敗北が無期限に続く──それが「永続敗戦」という概念が指し示す状況である。


著者の白井氏は、「震災・原発事故以来、この国の権力・社会が急速に一種の『本音モード』に入っている」と書いていましたが、そこには「永続敗戦」の露わな姿が出ているように思います。それは、戦後民主主義という擬制であり、「絶対的平和主義」(憲法第9条)という虚構です。その延長にあるのが、「南京大虐殺なんてない」「従軍慰安婦は朝日新聞の捏造で、ただの売春婦にすぎない」というような歴史修正主義としての「敗戦の否認」(=戦争責任の否定)です。白井氏は、「戦前のレジームの根幹が天皇制であったとすれば、戦後のレジームの根幹は、永続敗戦である。永続敗戦とは、『戦後の国体』である」と書いていました。

降伏の英断にしても、巷間言われるように、国民を思って(犠牲を増やさないために)下されたものとは言えないのです。敗戦の半年前の1945年2月、近衛文麿は、戦争の早期終結を訴える文章(いわゆる「近衛上奏文」)を天皇に上奏しているのですが、そのなかで近衛は、つぎのように書いていたそうです。

(略)国体護持の立前より最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に候。
 つらつら思うに我国内外の情勢は、今や共産革命に向かって急速に進行しつつありと存候。


なんと当時の指導者たちが怖れたのは、「共産革命」であり、それによって「国体」が瓦解し消滅することだったのです。そのためには、本土決戦を回避しなければならないと考えたのです。歴史学者の河原宏氏が言うように、降伏の英断は「革命より敗戦がまし」という判断によるものだったのです。

当時の米内光政海軍大臣は、広島・長崎の原爆投下を「天佑」(※天の恵みという意味)と言ったそうですが、それは、原爆投下により本土決戦が回避されることで、「共産革命」の怖れがなくなり「国体」が護持される安堵からだったのでしょう。既にそこから「戦後」という虚妄の時代がはじまっていたと言うべきかもしれません。

”対米従属「愛国」主義”という歪んだナショナリズムは、このように「国体」を護持するために、”昨日の敵”に取り入る屈折した心情が反映されたものです。それは、「望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を保障した安保体制を所与のものとする、文字通りの”従属思想”です。しかし、「戦後」にあっては、それが「愛国」になるのでした。

白井氏は、中国の北京にある「中国人民抗日戦争記念館」を訪れた際、見学者のノートに「恥」という文字がもっとも多く書き込まれているのを見て、中国人にとって、日本帝国主義から侵略されたことは「恥ずべき」事柄だったのだということを実感したそうですが、一方、日本の指導者から、戦争に負けたことを「恥」ととらえるような観念はほとんどうかがえません。白井氏は、「通常の思考回路からすれば不思議千万な事柄である」と書いていました。

それは、国民向けの建前とは別に、彼らのなかに真に”誇るもの”がなかったからでしょう。だから、「恥」の観念もないのでしょう。でなければ、あれほど変わり身が早く”昨日の敵”にすり寄るはずがありません。まさに日本の中心にあるのは”空虚”なのです。坂口安吾も『堕落論』で見ぬいていたように、それが戦前から一貫して変わらない「国体」(=日本の近代)の本質です。

河原宏氏は、本土決戦が回避されたことの”意味”を、つぎのように指摘していたそうです。

日本人が国民的に体験しこそなったのは、各人が自らの命をかけても護るべきものを見いだし、そのために戦うと自主的に決めること、同様に個人が自己の命をかけても戦わないと自主的に決意することの意味を体験することだった。
(『日本人の「戦争」──古典と死生の間で』講談社学術文庫)
※『永続敗戦論』より孫引き


本土決戦になれば、当然さらなる悲劇を招いたでしょう。しかし一方で、本土決戦は、日本人が「自らの命をかけても護るべきもの」を見い出すチャンスであったし、ホントに「護るべきもの」があるのかどうかをみずからに問うチャンスでもあったのです。でも、戦争指導者たちは、「国体」の継続と引き換えに、そのチャンスを潰した、そのチャンスから逃避したのでした。

そう考えれば、「戦後」も戦争を指導した人間たちが、敗戦を「終戦」と言い換えて権力の中枢に居座り、みずからの戦争責任に頬かぶりをしたのはわからないでもありません。しかも、現在、権力の中心にいるのは、その戦争指導者の末裔です。その末裔は、歪んだナショナリズムを掲げ再び戦争を煽っているのです。

余談ですが、今の”中国脅威論”にしても、アメリカ(の軍需産業)の意向を汲んだ戦争政策、いわば”軍事版TPP”の側面があることを忘れてはならないでしょう。現に、「日本周辺の安全保障の不安定要因 のより深刻化」を理由に、防衛予算は大幅に増額され、中期防衛力整備計画では、17機のMV-22オスプレイや28機のF-35戦闘機の導入などが決定しているのです。その金額は目も眩むほど莫大なものです。

「戦後レジームからの脱却」「自主憲法の制定」「日本を、取り戻す!」などというもっともらしいスローガンの一方で、この国の戦後政治が骨の髄まで対米従属であるという現実。「敗戦を否認」し、ナショナリズムを言挙げするために、いっそう対米従属を強化しなければならない背理。それは、「愛国」と「売国」が逆さまになった戦後という時代の背理です。

対米従属は、絶対に脱け出せない底なし沼のようなものです。”危機”が演出されればされるほど、ますます深みにはまっていく。しかも、それは、没主体的にはまっていくのではありません。みずから進んで主体的にはまっていくのです。そのために、天皇制においても、憲法においても、国防においても、外交においても、建前と本音、顕教と密教、表と裏が必要なのです。それが「永続敗戦」としての戦後政治の構造であり、戦後の”病理”です。

作家の大岡昇平は、芸術院会員への推挽を断った際、その理由について、つぎのように語ったそうです。

 私の経歴には、戦時中捕虜になったという恥ずべき汚点があります。当時、国は”戦え””捕虜になるな”といっていたんですから、そんな私が芸術院会員になって国からお金をもらったり、天皇の前に出るなど、恥ずかしくて出来ますか(『中国新聞』1971年11月28日、記事中の談話)。
※同上孫引き


加藤典洋氏は、『敗戦後論』(ちくま文庫)で、大岡昇平の発言を、責任をとらない戦争指導者に対する「恥を知れ」というメッセージだと書いていたそうですが、それは先の戦争だけでなく、福島第一原発の事故に対しても、同じことが言えるのではないでしょうか。それらに共通するのは、この国の「恥知らずな」「無責任体系」です。

『永続敗戦論』は、反原発集会の挨拶のなかで大江健三郎氏が引用した、「私らは侮辱のなかに生きている」という中野重治のことばからはじまっていますが、「侮辱」ということばがこの「無責任体系」を指しているのは言うまでもないでしょう。それがほかならぬ日本の中心にある”空虚”の内実です。

白井氏が言うように、この国では敗戦においても、「『負けたことの責任』という最も単純明快な責任でさえ、実に不十分な仕方でしか問われなかった」のです。ごく一部の民族主義者を除いて誰も責任をとらずに、みんなで頬かぶりをしたのです。佐藤栄作首相(当時)の密使として沖縄返還交渉に当たり、のちに自著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』で沖縄核密約の存在を暴露した若泉敬は、そのなかで戦後社会を「愚者の楽園(フールズ・パラダイス)」と呼んだそうですが、まさに「永続敗戦レジーム」とは、頽落した「無責任体系」が辿り着いた(辿り着くべくして辿り着いた)「愚者の楽園」と言えるのかもしれません。そのなかにあっては、ナショナリズムでさえ、あのような歪んだものしかもてないのは至極当然でしょう。

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『愛と暴力の戦後とその後』
2014.08.26 Tue l 本・文芸 l top ▲
文学界2014年6月号


柴崎友香「春の庭」が今回(第151回)芥川賞を受賞したので、『文学界』(6月号)に掲載されていた同作品をあたらめて読みました。

この小説の主人公は、世田谷区にある築31年のアパート「ビューパレス サエキⅢ」に住む「太郎」と「西」の二人です。そして、話の軸になるのは、アパートの裏にある「水色の板壁の家」を撮った20年前の写真集「春の庭」です。「春の庭」は、当時「水色の板壁の家」に住んでいたCMディレクター「牛島タロー」と小劇団の女優「馬村かいこ」の夫婦が自分たちの生活を撮影したものでした。

高校3年のときに、「春の庭」を見た「西」は、写真集におさめられた二人の暮らしのスタイルに感動しあこがれたのでした。

 実はその写真集を眺めていたときに、結婚とか愛とかっていいのかもしれない、と初めて思った。写真の中の牛島タローと馬村かいこは、満ち足りて見えた。愛する人とともに暮らすことは楽しそうだ、とあのときほど感じたことはない。


それ以来、「春の庭」に心を引き寄せられた「西」は、後年、引っ越し先を探すために見ていた不動産の賃貸サイトで、「水色の板壁の家」を偶然見つけ、その裏手にある「ビューパレス サエキⅢ」をわざわざ借りたのでした。

アパートの住人や職場の同僚や離れて暮らす家族との小さなエピソード。そのエピソードが織りなす淡々とした日常。そんな日常のなかで、写真集「春の庭」は、いわば太い縦糸の役目を担っています。

希望でもない癒しでもない慰めでもない、もちろん夢でもない。この小説は、そんな凹凸のある感情とは無縁です。強いてあげれば、「太郎」のなかにある孤独くらいです。

味わい深い小説と言えば、そう言えるのかもしれません。しかし、私には、どこかなじめないものがありました。芥川賞の選評がまだ出ていませんので詳細はわかりませんが、このような小説を村上龍や山田詠美がどんな理由で押したのか、私には興味があります(もちろん皮肉ですが)。

先日、テレビで「となりのトトロ」を見ていたら、前回芥川賞を受賞した小山田浩子の「穴」が連想されてなりませんでした。私もうっかりしていたのですが、「となりのトトロ」とよく似ているなと思ったのです。でも、芥川賞の選評では、そういった指摘はありませんでした。芥川賞なんてその程度のものと言ったら言いすぎでしょうか。

「春の庭」に関しては、途中の視点の移動もそんなに「効果的」とは思えませんでしたし、話のなかにちりばめられたメタファーも同様です。たしかに、俯瞰的な風景描写や微細な生物や事物へのこだわりに作者の個性が見えますが、それと話(エピソード)の平板さが「効果的」に接続されているとは言い難い気がします。尻切れトンボのエピソードのその先には、日常の裂け目があるはずなのですが、それがいっこうに浮かびあがってこないのです。

「春の庭」にあるような”文学的なるもの”のその前提をまず疑う必要があるのではないか。奇を衒った実験的な手法を用いていますが、底にあるのはきわめて古い”文学的”なる構造です。

芥川賞は、商業的な意味合いで「新人の登竜門」ではあるのかもしれませんが、必ずしもあたらしい文学の登場をうながすものではないということをあらためて感じさせられた気がします。
2014.08.02 Sat l 本・文芸 l top ▲
JR上野駅公園口


柳美里の最新作『JR上野駅公園口』(河出書房新社)を読みました。

この小説には、さまざまな声や音に混ざって、「まもなく2番線に池袋、新宿方面行きの電車が参ります。危ないですから黄色い線までお下がりください」というあの駅のアナウンスの声が、低調音のようにずっと流れています。

文芸評論家の川村湊氏は、『週刊文春』の書評で、この小説について、つぎのように書いていました。

さまざまな人々の声が聞こえてくるポリフォニック(多声的)な小説構造が示しているのは、声なき声の恨(=ハン)を聞き分けようとする作家の耳の鋭敏さなのだ。そこには、戦後というより近代社会そのもののノイズが聞こえる。

http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3921

この小説の主人公は、上野公園でホームレス生活を送っている男です。そして、男の時空を超えたモノローグ(独白)によって、物語が語られていくのでした。

1933年生まれの男は、今上天皇と同じ歳です。さらに、ひとり息子も皇太子殿下と同じ歳で、誕生日も同じでした。「浩一」という名前も、皇太子殿下から一字をもらって名付けたのでした。

男は、福島の相馬生まれです。当時の浜通りには、「東京電力の原子力発電所や東北電力の火力発電所」も、「日立電子やデルモンテの工場もなかった」ので、微々たる田んぼしか持ってない農家の長男である男は、国民学校を卒業すると、出稼ぎに出て生活の糧を得ることを余議なくされるのでした。男の出稼ぎは、結婚して子どもができてからも、家族を養うためにつづきます。

そんななか、ひとり息子の浩一が、21歳のときに東京のアパートで突然死します。さらに、60歳をすぎて出稼ぎをやめ福島に戻った男が、出稼ぎのためにほとんど一緒に生活することのなかった妻の節子と、残りの人生を「月に7万円づつの年金」でのんびりすごそうと思っていた矢先、その妻にも突然先立たされるのでした。そのとき、男は、息子が死んだときに母親から言われた「おめえはつくづく運がねぇどなあ」ということばを、あらためて噛み締めるのでした。

そして、人生に絶望した男は、故郷の福島を出奔する決意をします。自分の面倒をみてくれた孫娘の麻里に、「突然いなくなって、すいません。おじいさんは東京に行きます。この家にはもう戻りません。探さないでください。いつも、おいしい朝飯を作ってくれて、ありがとう」という書き置きを残して、常磐線で上野にやってきたのでした。それは67歳のときでした。

上野公園は、正式には「上野恩賜公園」と言って、天皇家から下賜された土地に作られた公園です。そのためか、公園には東京国立博物館・国立西洋美術館・国立科学博物館・日本学士院など芸術や学術の施設も多いため、皇族方が訪れることがよくあります。

皇族が公園を訪れる日が近くなれば、それぞれブルーシートに「特別清掃」の紙が貼られます。紙には、「○○時○○分から○○時○○分まで、現在地から移動すること」「○○時○○分から○○時○○分までの間は公園内での移動禁止」と書かれてあります。これがホームレスたちが言う「山狩り」です。

この間、彼らはブルーシートで作られた「コヤ」を畳み荷物を移動させて、皇族方から見えないところに姿を隠さなければなりません。しかも、「行幸啓」が終わっても、元の場所には立ち入り禁止の看板や柵や花壇が設置されていることがあり、必ずしも元の場所に戻れるわけではありません。「特別清掃」は、一方で、ホームレスたちを締め出す格好の口実にもなっているのでした。

高貴な血筋に生まれ、「跳んだり貪ったり彷徨ったりすることを一度も経験したことのない人生」と、社会の底辺を必死で生きてきた挙句に、なにもかも失いホームレスに零落した男の人生。

ある「山狩り」の日、男は、いつもより早く上野公園に戻ると、天皇皇后両陛下が乗ったトヨタ・センチュリーロイヤルの御料車が、目の前を通りすぎるのに出くわします。男は、御料車に向かってつぎのように独白するのでした。

 自分と天皇皇后両陛下の間を隔てるものは、一本のロープしかない。飛び出して走り寄れば、大勢の警察官たちに取り押さえられるだろうが、それでも、この姿を見てもらえるし、何か言えば聞いてもらえる。
 なにか──。
 なにを──。
 声は、空っぽだった。
 自分は、一直線に遠ざかる御料車に手を振っていた。
 昭和二十二年八月五日、原ノ町駅に停車したお召し列車からスーツ姿の昭和天皇が現れ、中折れ帽子のつばに手を掛けられ会釈をされた瞬間、「天皇陛下、万歳!」と叫んだ二万五千人の声──。


男は、過去にも故郷の駅で昭和天皇の姿を見たことがあったのでした。

 三十歳の時に東京に出稼ぎに行く腹を決め、東京オリンピックで使う競技場の建設工事の土方として働いた。オリンピックの競技は何一つ見なかったけれど、昭和三十九年十月十日、プレハブの六畳一間の寮の部屋でラジオから流れてきた昭和天皇の声を聞いた。

 「第十八回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピックの東京大会の開会を宣言します

 昭和三十五年二月二十三日、節子が産気付いていた時に、ラジオから流れてきたアナウンサーの声──。

 「皇太子妃殿下は、本日午後四時十五分、宮内庁病院でご出産、親王がご誕生になりました。御母子共にお健やかであります

 不意に、涙が込み上げた。涙を堪えようと顔中の筋肉に力を入れたが、吸う息と吐く息で肩が揺さぶられ、両手で顔を覆っていた。


御料車の窓から、「柔和としか言いようのない眼差しをこちらに向け」、手を振っている両陛下。そんな両陛下に歓声をあげて手を振りかえす人々の背後で、肩を震わせながら両手で顔を覆い泣いているホームレスの男。なんと哀切で、なんと感動的な場面なんでしょう。私は、脈絡もなく中野重治の「雨の降る品川駅」という詩を連想しました。

小説の最後は、津波におそわれ故郷の海に呑み込まれていく孫娘の麻里の姿と、そして、あの駅のアナウンスの声なのでした。

 「まもなく2番線に池袋、新宿方面行きの電車が参ります。危ないですから黄色い線までお下がりください

ホームの端に立った男が、最後に見たものはなんだったのか。

生きることのかなしみ、せつなさ、やりきれなさ。この小説にオーバーラップするのは、大震災や原発事故によって、主人公と同じように故郷を失い家を失い家族を失った人々の姿です。それは、「がんばろう、東北!」や「ひとつになろう、日本!」や「パワーをもらった」「元気をもらった」などという傲慢なことばのために存在する「被災者」とは違った人々の姿です。

「あとがき」によれば、この小説を構想しはじめたのは12年前だそうですが、しかしやはり、あの大震災や原発事故がなければ生まれえなかった作品であるのは間違いないでしょう。この小説が私たちの胸を打つのは、大震災や原発事故を直視するなかで生まれた小説でありながら、同時に生と死の普遍的な問題を私たちに問いかけているからではないでしょうか。読後、澱のようにいろんな思いが残りました。


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柳美里
2014.06.16 Mon l 本・文芸 l top ▲
中村うさぎが、昨日(29日)、ブログ(中村うさぎvsマッド髙梨 ガチBLOG!)を更新していましたが、そこに気になる文章がありました。

http://takanashi.livedoor.biz/archives/65902973.html

車椅子生活は相変わらずつづいているし、「薬の副作用でパンパンにむくれてブスになり」、「時々、もう何もかもが嫌になる」と書いていました。「しかも薬の副作用で思うように舌が回らず、テレビに出ても『何言ってるかわからない。あんなのコメンテイターとしてテレビに出すな』なんて言われる始末」だそうです。

それで、「5時に夢中!」のプロデューサーに、番組を降板するとメールを送ったというのです。さらに、副作用をもたらした「ステロイド」と「ホリゾン」の服用もやめると宣言しているのです。

「覚悟」どころか、なんだかますます弱気になっている感じで、中村うさぎらしさも消えています。

「去年の今頃は、自分が立ても歩けもしなくなるなんて夢にも思わなかった。」と書いていましたが、たしかに病気になってそれまでの人生が一変するのはよくあることです。

私の身近でも、最近、超難関大学を出て有名企業で役員までしていた同級生が、脳梗塞で倒れて半身不随になり、家族を東京に残してひとり九州に帰ったという話がありました。文字通り人生が一変したのです。そんな話は枚挙に暇がありません。

入院していた二十歳のとき、隣の部屋の女性患者が、病院の裏山で首を吊って自殺したという出来事がありました。私は彼女とは親しくしていて、夕食を終えると、彼女の部屋を訪れて小1時間話をするのが日課になっていました。同病相哀れむではないですが、お互い重い病を背負い、病気のために仕事や学校も辞め、夢も希望も閉ざされたような気持で入院生活を送っていたのです。

早朝、彼女が自殺したという話を聞いたとき、私は、自分でも不思議なくらい冷静で、「やっぱり」と思いました。私は、彼女の気持が痛いほどよくわかりました。私自身も、彼女と同じような気持だったからです。彼女はいつも枕元にマリア像を置き、月に何度か神父さんが病室を訪れてお祈りを捧げていましたが、信仰も救いにならなかったのです。

でも、この年になると、その頃のように死にたいと思うことはなくなりました。なぜなら、いづれ死が訪れることがわかっているからです。死は間違いなくやってくる。それは、明日かもしれないし、1カ月後かもしれないし、1年後かも10年後かもしれません。死を意識するようになると、死にたいという気持は逆に遠ざかっていくのです。人間というのは、なんと勝手で単純なんだろうと思います。

絶望もまた人生だし、悲しみもまた人生だし、つらさもせつさなもやり切れなさも、みんな人生です。「いいことなんてなにもない」のもまた人生です。

私が以前通っていた病院で知り合った人たちも、みんな病気によって人生が一変した人たちでした。

倒れる前は女子高生を愛人にしていたとうそぶく男性は、半身不随になり、今は生活保護を受ける身ですが、いつも元気いっぱいで、病院のロビーで私の姿を見つけると、「待ってたよ」「コーヒー飲む?」と言いながら笑顔でやってくるのでした。私が「脳梗塞になったのはバチが当たったんじゃないの」と言うと、彼は、「ヘヘへ」と笑って、不自由な手で坊主頭を掻くしぐさをするのでした。

また、20代の頃に離婚して、それから女手ひとつで3人の子どもを育てたという女性は、50代の半ばで難病(病名を何度聞いても覚えられないようなめずらしい病気でした)を発症して、不自由な身体になり、車椅子のうしろにチューブでつながった尿を入れる袋を提げて、いつもロビーをウロウロしていました。「子どもも育ったし、これから好きなことをして生きようと思っていた矢先にこんな病気になって」「なんのための人生だったかと思うけどね」と言いながら、退院後に入居するグループホーム探しに忙しんだと言っていました。

彼らは、死の淵をさまよったことで、そんなに積極的ではないかもしれませんが、もう一度生への欲求を抱くようになったように見えます。彼らを見ていると、ちょっとしたささやかなことでもそれを希望にして生きているような気がするのです。

中村うさぎを見ていると、ネットの見すぎのような気がしてなりません。本を読まない作家というのがいるそうですが、中村うさぎもそのひとりかもしれません。その分、ネットに依存しているのではないか。

中村うさぎには、あんなネットの「バカと暇人」にふりまわされてどうするんだと言いたいです。私も中村うさぎを批判することがありますが、毀誉褒貶それもまた人生です。せっかく神様からもらった命じゃないかなんてくさい言い方をするつもりはありませんが、死は否が応でもやってくるのです。それまでもう少ししぶとく且つふてぶてしく生きてもらいたいと思いますね。

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中村うさぎ
2014.04.30 Wed l 本・文芸 l top ▲
中村うさぎの『週刊文春』の連載「さすらいの女王」が、今月で打ち切りになるとかで、それで、「書く場所を失った」中村うさぎは、「中村うさぎの死ぬまでに伝えたい話」と題して有料メルマガを発行することにしたそうです。

有料メルマガは、実質的に『週刊文春』からの移行と言えるでしょう。中村うさぎは、「作家」というより実際は「エッセイスト」としての活動が主なので、彼女にとって、『文春』の連載打ち切りは、想像以上に打撃が大きいのかもしれません。連載がなくなるということは、連載を収録した本の出版も今後なくなるということですし、TOKYO MXなどメディアへの露出も少なくなることが考えられます。そうなれば本も売れなくなり、今後の作家活動もままらなくなる。中村うさぎのような作家にとって、週刊誌の連載の打ち切りは、テレビ番組から降板させられるタレントと同じようなものなのかもしれません。

「文壇タブー」というと、作家と出版社の関係は作家のほうが上で、出版社が「お得意さま」に遠慮しているようなイメージがありますが、実際は逆のようです。作家は、あくまで出版社から仕事をもらう立場にすぎず、「文壇タブー」も、単に出版社の営業上の都合にすぎないのです。要するに、芸能タレントと同じで、干されたらおしまいなのです。

中村うさぎが、マスコミやネットに書いていることを鵜呑みにして(それを前提にして)、世間と一緒に”小保方叩き”をしているのも、そういった貧すれば鈍する状況と関係があるのかもしれません。

以前の中村うさぎだったら、この”魔女狩り”に対して、もっと斜に構えた見方をしたはずです。「異物」を排除する社会の風潮に「気持が悪い」と言ったはずです。若い女性であるがゆえに、必要以上に叩かれている状況に、同じ女性として「怒り」を表明したはずです。

でも、今の中村うさぎには、そんな「異物」の視点はないのでした。ただ誰でも言えることを言っているだけで、作家としての「覚悟」も見られません。曽野綾子と同じような、市民社会の公序良俗に奉仕するただのつまらないおばさんの姿しかないのです。

結局、中村うさぎも”あっちの世界”に行ってしまったのか。なんだか一抹のさみしさと憐れみを感じてなりません。作家は世間から同情されたらおしまいですが、中村うさぎも病気をして弱気になり、無定見に世間にすり寄っているのでしょうか。『狂人失格』で指摘した、もの書きとしての「覚悟」のなさがここにきていっそう露わになった気がします。これじゃ名誉毀損した『狂人失格』のモデルの女性に対しても失礼というものでしょう。

>> 中村うさぎの覚悟
>> 『狂人失格』
2014.04.13 Sun l 本・文芸 l top ▲
昨日、中村うさぎが再入院したというニュースがありました。ニュースによれば、中村うさぎ本人がTwitterであきらかにしているそうです。それで、さっそく彼女のTwitterにアクセスしてみました。

なんでも脚の血栓が肺に転移したそうで、「また心肺停止になるかも」と言われたらしい。しかし、彼女は、こうつぶやいていました。

5時夢は休みませんよー!原稿も書き続ける。インタビューや対談も続ける。死ぬときゃ死ぬんだからさ、命より仕事優先するって決めたのー。命あっての仕事?ううん、あたしにとっては、仕事あっての命だ。ここは誰に何を言われても譲れん!(←頑固)
https://twitter.com/nakamurausagi


実際にどの程度の病状かわかりませんが、しかし、その言やよしです。彼女が言うように、それが「物書きの業」というものでしょう。

死ぬのは仕方ないのです。死は、なにも特別のことではなく、ごく普通に当り前のこととして私たちの前にあります。たしかに、人生が終わりを迎え、親しい人と永遠の別れが訪れるというのは、悲しいことではありますが、でも、それはどうあがいても逃れることができない「運命」です。

別に強がりを言うわけではありませんが、私自身、いつ死んでもいいと思っています。もちろん、苦しまずに死にたいなとかお金がかからずに死にたいなとか老人病院のベットの上であちこち管を取り付けられたまま死にたくないなとか、そういった思いはありますが、でも、死ぬことに対しては自分なりの覚悟はできているつもりです。

誰にも看取られずに、持ち物が段ボール箱1個というような孤独な老人の最期を見たとき、この人の人生ってなんだったんだろう、生まれてきてよかったんだろうか、と思ったりしましたが、しかし、それは生きながらえた人間の傲慢で、死によって人生を量るのは人生を冒涜することでしかないのです。

大学病院の個室で家族に看取られて迎える死も、郊外の老人病院の大部屋で誰からも看取られずひっそりと迎える死も、同じ死です。その人にとって死は死です。ただそれだけの意味しかないのです。

要は、死をどうやって迎えるか、その「運命」をどう受け入れるかでしょう。物書きなら、その「運命」を死の直前まで書き綴ってもらいたいと思います。もとより物書きというのは、中村うさぎが言うように、命を削ってものを書かねばならない、そんな”業”を背負った人間です。「命より仕事優先する」というのは、物書きとして本望でしょう。

私は、中村うさぎのTwitterを読んで、彼女の物書きとしての覚悟に期待したいと思いました。

>> 『狂人失格』
2014.03.26 Wed l 本・文芸 l top ▲
誘蛾灯


一昨日、鳥取連続不審死事件の控訴審に関して、つぎのようなニュースがありました。

上田被告、二審も死刑=鳥取連続不審死―広島高裁支部
時事通信 3月20日(木)10時40分配信
 
鳥取県で2009年に男性2人が変死した連続不審死事件で、2件の強盗殺人罪などに問われ、一審鳥取地裁の裁判員裁判で死刑とされた元スナック従業員上田美由紀被告(40)の控訴審判決が20日、広島高裁松江支部であった。塚本伊平裁判長は一審判決を支持し、上田被告の控訴を棄却した。
 上田被告は一審の被告人質問で黙秘を貫いたが、控訴審では一転して発言し、自分の言葉で無罪を訴えた。被告側は一審に続き、被告と同居していた男性の関与を示唆し、検察側は「被告の供述は虚偽」として控訴棄却を求めた。新たな証人や証拠は出ず、控訴審は3回で結審した。 
Yahoo!ニュース


私は、折しもこの事件を扱ったフリージャーナリスト・青木理氏の『誘蛾灯』(講談社)を読んだばかりでした。『誘蛾灯』は、言うまでもなく、木嶋佳苗被告がブログで高く評価していた本です。それどころか、彼女は青木氏に取材を受けた上田美由紀被告に嫉妬すら覚えたと書いているのです。それで、私も読んでみようと思ったのでした。

青木氏は、木嶋佳苗被告の事件にはあまり興味がなかったそうですが、しかし、木嶋被告の熱烈なラブコールもあって、会えるなら会ってみたいとラジオ番組で言ってましたので、そのうち首都圏連続不審死事件の記事も書くことになるかもしれません。

このふたつの連続不審死事件は、驚くほど似通っています。どちらも同じ2009年に発生し、「首都圏」は4~6名(うち3名の事件が起訴)、「鳥取」は6名(うち2名の事件が起訴)の男性が、被告の周辺で不審死しているという点でも酷似しています。また、被告はいづれも詐欺の容疑で別件逮捕され、のちに殺人容疑で再逮捕されるという捜査手法もそっくりです。さらに、被疑者が殺人容疑に関して無罪を主張している点も同じです。

しかも、木嶋・上田被告ともに、「巨躯」で、年齢も3つ違いです。そのため、どうしてあんなメタボでトウの立った女性に多くの男たちが騙されたのか、という世間の反応も同じでした。

ただ一方で、ふたりの人物像や舞台となった土地は、この本でも書いているとおり、「対照的」と言ってもいいほどの違いがあります。「首都圏」は、文字通り東京や埼玉や千葉の首都圏の都市やあるいはネットを舞台にした事件だったということもあって、マスコミの注目度は高く、良きにつけ悪しきにつけ、木嶋佳苗被告は世間の耳目を集め、関連本も何冊も出版されました。

それに対して「鳥取」のほうは、世帯数も人口も全国最小の鳥取県の、日本海沿いの地方都市で起きた事件です。しかも、上田美由紀被告は、2度の離婚歴がある5人の子持ちの「地味で冴えない中年女」でした。彼女は、「デブ専門」と陰口を叩かれるような地元の場末のスナックで働いていました。しかも彼女が住んでいたのは、勤務するスナックのママが所有するアパートでしたが、そこは足の踏み場もないような”ゴミ屋敷”だったそうです。

そんな女に、読売新聞の記者や鳥取県警の刑事など多くの男たちが吸い寄せられるように心を奪われ金をむしり取られ、そして、家庭も職も失い、挙句の果てに命まで落とすのです。著者の青木理氏も、この「事件の陰鬱さ」をつぎのように書いていました。
 

 事件の重要な舞台となった鳥取最大の歓楽街・弥生町にしても、美由紀と男たちとの出会いの場となった店にしても、最終的に命を落としてしまった男たちや事件関係者にしても、垣間見えてくる風景はあまりにも殺伐としていて、救いがまったくないように思えて仕方なかった。
 すっかりと寂れ、人の気配がほとんどない歓楽街。その片隅で、太った二人の老女が営む店。ゴミ屋敷に一人住まい、唾を飛ばしながら憤る老女。縁者もなく、生活保護を受けながらぎりぎりの生を紡ぐ人々。
 段ボールを被って轢死した記者。雪の山中で首を吊ったという刑事。身内の不審死を隠蔽する警察。不自然な捜査に憤りながら、息をひそめてそれを見つめるしかない遺族。
 それぞれにそれぞれの事情はあるのだが、眼の前に次々と立ち現れてくる情景は溜息が出るほど暗く、目を背けたくなるほど澱んでいた。


ときには一人芝居で架空の「妹」を登場させるなど、大ウソつきで金に異常な執着を見せる被告。でも、男たちは、女手ひとつで5人の子どもを育てる被告の姿に、「心を打たれ、情のようなものを抱いて」、被告の魔手に落ちていったのです。

本のなかでは、上田被告が交際していた男性に当てた手紙が紹介されていましたが、それは読んでいるこっちが面映ゆくなるような、まるで中学生か高校生が書いたような稚拙で情熱的なラブレターでした。

そういったところが、男たちに無邪気で可愛く映ったのはわかるような気がします。男たちは、彼女のことを「いい気分にさせてくれる」「癒される」「男を立ててくれる」と言っていたそうですが、そんな男たちの声を聞くと、木嶋佳苗被告と同じように、上田被告にも男たちの古い女性観を逆手に取るしたたかさがあったように思えてなりません。もとより、家庭的にもめぐまれず、結婚でも幸せを掴むことができず、お金も学歴も資格もコネもなんにもなく、しかも容姿端麗とも言い難い5人の子持ちの女性が、夜の街で生きて行くには、それしかなかったとも言えるのです。

上田被告の場合、男たちからむしり取ったお金は、木嶋被告のようにブランド品につぎ込んだわけではありません。「郊外のファミリーレストランやラブホテルを好んで利用し、格安量販店では不必要なものまで大量買いしてその大半をガラクタとして打ち捨てていた」のです。ゴミ屋敷といい、無計画な衝動買いといい、私はメンヘラの疑いさえ抱きますが、そこには今の消費社会に翻弄される人間の”悲劇”があるように思えてなりません。その”悲劇”は、消費社会に対する免疫のない下の階層に行けば行くほど顕著になるのでした。

今の世の中は、お金も学歴も資格もコネもなんにもない人間には、経済的にも気持の上でもホントに生きづらくてしんどいのではないでしょうか。上昇志向さえないというのは、夢や希望も持てないからです。上田被告の犯罪には、そんなやるせないロウアークラス(下層)の現実が映し出されているように思えてなりません。

それに、2件の殺人容疑は、青木氏が具体的に検証しているように、女ひとりで実行するにはあまりにも無理があるのです。検察が描いた事件の構図も矛盾だらけです。そもそも6名が不審死しているにもかかわらず2名しか立件しない(できない)ということ自体、捜査の杜撰さを表しているように思います。

一方、弁護士費用のない上田被告には、国選弁護人が選任されたのですが、その弁護団も、「大物刑事裁判の被告弁護にふさわしい技量を備えた弁護団」とは言い難く、弁護も「相当にレベルの低い」「お粗末な代物」だったそうです。一審の死刑判決が出たあと、著者は、「遅きに失した」と書いていました。

また、「首都圏」の事件と同じように、この事件でも素人裁判員が事件を裁く裁判員裁判の問題点も指摘されていました。

≪裁判員と補充裁判員の計十人は閉廷後、会見。補充裁判員の女性は「黙秘は一番残念だった。被告に真実を話してもらえる機会があればいいなと思う」と話した≫(二〇一二年十二月四日、共同通信の配信記事)
≪黙秘した上田被告には、四十代の男性が「やっていないなら、やっていない根拠を語って欲しかった」とし、女性は「いつか真実を話す時が来れば」と望んだ≫(同十二月五日付、読売新聞朝刊)
≪米子市の男性は「無実なら黙秘は駄目だ」と話した≫(同日付、日本海新聞朝刊)
 この程度の認識の者たちが裁判員を務め、一段高い法壇から判決を宣告したと考える時、私は暗澹たる気持になってしまう。


しかし、上田被告は、死刑判決が下された法廷でも、閉廷の際、「ありがとう、ございました」と言って、裁判長と裁判員にぺこりと頭を下げたのだそうです。著者は、そんな被告の態度に「目と耳を疑った」と書いていました。上田被告は、そういった礼儀正しさも併せ持っているのだそうで、その姿を想像するになんだかせつなさのようなものさえ覚えてなりません。

これで二審も死刑判決が出たわけですが、青木理氏が言うように、「遅きに失した」感は否めません。事件の真相はどこにあるのか。無罪を主張する被告の声は、あまりにも突飛で拙いため、まともに耳を傾けようする者もいません。被告に「無知の涙」(永山則夫)を見る者は誰もいないのです。そして、刑事裁判のイロハも理解してない素人裁判員が下した極刑が控訴審でも踏襲されてしまったのでした。そう思うと、よけい読後のやりきれなさが募ってなりませんでした。
2014.03.22 Sat l 本・文芸 l top ▲
奥さまは愛国

北原みのり・朴順梨共著『奥さまは愛国』(河出書房新社)を読みました。

最近、ネトウヨ化は、家庭の主婦にまで広がっているのだそうです。

ネトウヨの生みの親のひとりである(と言っていい)小林よしのり氏のブログにも、つぎのような記述がありました。

週刊現代に「妻が「ネトウヨ」になりまして」という記事が載っているが、主婦はインターネットを頻繁に見ているらしい。

そこからネトウヨになってるらしいのだ。

あの人、在日なんじゃないの?」と根拠なく他人を在日認定したり、「ネットには本当のことが全部載っているんだから。みんなマスコミはマスゴミだって言ってるのよ。」と言ったり、「安倍総理の揚げ足とる奴らは売国奴」と信じているらしい。

家に一日中いる主婦ほど、「ネトウヨ主婦」になる可能性が高いようだから、まさに「専業主婦が女のあるべき姿」という考えの陥穽がすでに如実に現われてしまっている。
小林よしのりオフィシャルwebサイト 2014.03.01


実際に、著者の朴順梨氏に話しかけてきた50代半ばの活動家の女性も、こう言っていたそうです。

(略)私に「ネット、やってます?」と聞いてきた。「あまり、やらないです」と答えると、「私は大好きなの。テレビはあまり見ないのだけど、インターネットは色々勉強になるから、はまっているのよ。うふふ」と笑っていた。


「デモの参加者の中に女性が結構いるんだけど、あの人達って『韓国人を叩き出せ!』って叫んだ後に家に帰って、子供の食事とか作っているんですかね? その二面性ってすごくないですか?」と朴氏は言ってましたが、たしかに「すごい」ことです。

殺せとか海に沈めろとか聞くに堪えないようなヘイト・スピーチの横で、薄笑いを浮かべながらあたりを睥睨している女性たち。でも、彼女たちは特別な女性ではありません。レディースでもなければヤンキーでもないのです。ましてメンヘラでもありません。家に帰ればごく普通の主婦で、愛する夫がいてかわいい子どもがいるママなのです。そのギャップをどう考えればいいのか。

著者の二人は、同じ女性としてときに重い気分になりながら、女性の愛国団体の街宣を聞きに行ったり、集まりに参加したり、あるいは活動家の女性にインタビューしたりして、ネトウヨに走る女性たちの心の底にあるものを探ろうとするのでした。

保守運動のなかで、活動仲間の男性からコナをかけられたり、セクハラまがいの行為を受けたことに怒り、仲間から離れた女性が、一方で、「もし戦時に生まれていたら、自分は慰安婦に志願する。愛する男性を命がけで支える」とTwitterでつぶやいているのを目にして、著者の朴氏は、「私の範疇をはるかに超えていた」と愕然とするのでした。

お国のために戦う兵隊に慰安婦は必要だった、日本にレディーファーストなんていらない、憲法24条の男女平等は日本の文化にそぐわない、と主張する女性たち。

北原みのり氏は、そんな愛国団体の女性に、「フェミニズムは、被害者意識が強いから嫌い」と言っていたDV被害者の女性を重ね合わせるのでした。

 強者でありたい女性たちは、フェミニズムこそ女を侮辱していると考える。「被害者面(ズラ)する」「弱者ぶる」とは、フェミニズム嫌いの女性たちがよく言うことである。そしてそれは、愛国女性たちが元「従軍慰安婦」に向ける言葉と一字一句同じだ。


それは、木嶋佳苗被告の「フェミニズム嫌い」も同じだと思います。

教科書で最も古い登場人物が女の卑弥呼だったり、最も古い天皇が女の推古天皇だったりするのはおかしい。それは中国や左翼が日本を貶めるためにつくった意図であると主張し、女性に国は治められないと「女性天皇」に反対する、そんな「女性を見下す」明治天皇の玄孫・竹田某氏に熱い視線を送る女性たち。一方で、女権の拡大を主張するフェミニストの田嶋陽子を竹田某氏と一緒になってあざ笑う女性たち。

どうしてなのか。北原みのり氏は、つぎのように言います。「だって、女であることを誇れないのなら、日本人であることをせめて誇りたくなるから。男と一緒に心おきなく田嶋陽子を笑った方が、この国で生きやすいのだと確認したいから」だと。

私は同時に、エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』(東京創元社)で引用していた、つぎのようなヒットラーの『わが闘争』の一節を思い出さないわけにはいきませんでした。

弱い男を支配するよりは強い男に服従しようとする女のように、大衆は嘆願者よりも支配者を愛し、自由をあたえられるよりも、どのような敵対者も容赦しない教義のほうに、内心でははるかに満足を感じている。大衆はしばしばどうしたらよいか途方にくれ、たやすく自分たちはみすてられたものと感じる。大衆はまちがった原理もわからないので、かれらは自分たちにたいする精神的テロの厚顔無恥も、自分たちの人間的自由の悪辣な削減も理解することができない。
(日高六郎訳)


フロムは、ヒットラーはそうやって「大衆を典型的なサディズム的方法で軽蔑し『愛する』のである」と書いていました。

愛国女性たちの「愛国」は、いわば”倒錯した愛”と言えるのかもしれません。どうしてそんなにこの国の男が信じられるのかと北原氏は書いていましたが、彼女たちの根底にあるのは、フロムのことばを借用すれば、「孤独の恐怖」ではないでしょうか。そこには、『マザーズ』や『ハピネス』が描いた「母であることの孤独」も含まれているのかもしれません。その孤独がネットをとおして辿り着いた先が、ネトウヨだったのではないか。もちろん、そこにあるのは、「ネットがすべて」「ネットこそ真実」という情弱な反知性主義であり、行く着く先は「共感主義」の暴走です。

フロムが言うように、「汝みずからを知れ」という「個の確立」を求める近代社会は、逆に『自由』の名のもとに生活はあらゆる構成を失う」のです。その結果もたらされるのは、「一つは聞くこと読むことすべてにたいする懐疑主義とシニズムであり、他は権威をもって話されることはなんでも子どものように信じてしまうこと」です。フロムは、「このシニズムと単純さの結合は近代の個人にきわめて典型的なものである」と述べていましたが、いわんやネットの時代においてをやでしょう。

街頭で「慰安婦はウソつき」「売春婦のババア」「お前、チョウセン人だろ?」と男ことばで悪罵を投げつける彼女たちも、実際に対面すると上品でおっとりしておだやかな表情を見せるのだそうですが、その落差のなかに彼女たちの人知れぬ孤独が秘められているように思えてなりません。

一方で、北原氏や朴氏が言うように、彼女たちの背後に、ただステレオタイプなことばをくり返すだけのこの国のサヨクやフェミニズムが放置してきた問題が影を落としていることも、忘れてはならないでしょう。彼女たちのサヨク嫌いやフェミニズム嫌いは、まったく理由のないことではないのです。
2014.03.07 Fri l 本・文芸 l top ▲
文藝春秋2014年3月号


第150回芥川賞の受賞作・小山田浩子の「穴」(文藝春秋3月号掲載)を読みました。

どれがホンモノでどれがニセモノか、どれがホントでどれがウソか、どれが現実でどれが現実ではないのか、そんな虚実皮膜の日常に私たちは生きています。意味不明なのっぺらぼうとした世界。この小説でも、そんな世界が作者独特の切り口で描かれていました。

主人公の「私」は、SNSでもしているのか、暇さえあればいつも携帯電話の画面を見ながら激しく指を動かしている夫とふたり暮らしです。そして、夫が夫の実家と同じ土地にある営業所に転勤になったことで、実家の隣にある借家に住むことになるのでした。家賃は5万2千円ですが、夫の実家の持ち物であるために、タダになりました。転勤に伴い、非正規雇用の仕事を辞めた「私」にとっては、それは「ありがたい」話でした。

引越しの日はあいにく大雨でしたが、翌日は例年になく早く梅雨明けが宣言され本格的な夏が到来しました。窓を開けると蝉の声が響く田舎の夏。そこから奇妙な出来事がはじまります。

仕事に出ている姑から電話がかかってきて、日にちを勘違いして払い込むのを忘れてしまったお金の払い込みを頼まれます。しかし、姑が用意した払込票と現金をコンビニに持っていくと、支払金額は7万4千円なのに現金は5万円しかありません。わざと忘れたのか、それとも単なる勘違いなのか。訝しみながらも差額の2万4千円を立て替え、そのことを姑には言えないままなのでした。

しかも、コンビニ行く途中、「私」は大きな獣に遭遇します。「とにかく真っ黒で、おそらく毛は硬そうで、中天に太陽があるせいでほとんど影がなく、そのほとんどない影ごと体であるかのように、それはトコトコと先を急いでいた」のでした。しかし、誰も「私」と獣のことは見ていません。その獣に先導されるように、私は川原に降りて行きます。と、不意に「私」は、「すとんと」穴に落ちたのでした。

また、ある日、「私」は、実家の裏にプレハブ小屋があることに気付きます。しかも、そこには夫の兄、つまり義兄だという男性が住んでいました。もちろん、義兄がいるなんて初耳です。義兄は、自分のことをヒキコモリかニートのようなもので、もう20年その小屋でひとり暮らしをしていると言うのです。義兄は、「私」が穴に落ちたことを話すと、「不思議の国のアリス」になぞらえてヤユするのでした。義兄は、「私」をさらに奇妙な世界に連れ出します。ホントに義兄なのか。またしても訝しみながら「私」は、義兄が先導する世界で不思議な体験をするのでした。

みんなが寝静まった深夜、認知症の義祖父が外に出たことに気づいた「私」は、義祖父のあとを追いかけます。すると、義祖父は川原に降りて行き、穴に入るのでした。私も別の穴に入ります。私の穴のなかには例の大きな獣が身をひそめていました。ところが、その夜のことが原因で、義祖父は肺炎になり、あっという間に亡くなります。そして、義祖父の死をきっかけに、義兄も大きな獣も、遠い昔の出来事だったかのように姿を消してしまったのでした。

「(略)ま、皆さんはそんなものに興味がないんだろう。見えてないのかもしれない。大体いちいちその辺を歩いている動物だの飛んでいる蝉だの落っこちているアイスのかすだの引きこもりの男だのを見ますか。見ないでしょう。基本的にみんな見ないんですよ、見たくないものは見ない。」義兄のこのことばに、この小説の真髄が語られているように思います。作者はラテンアメリカの文学に影響を受けたそうですが、たしかに話そのものは、昔ばなし(民話)の”異郷訪問譚”や”冥界訪問譚”のような感じがしないでもありません。それが非正規雇用や携帯電話やインターネットやコンビニや通販などの現代的な風景と対置して描かれているのでした。

私たちが生きるこの日常を書きことばの制約のなかで描くとすれば、こんな虚実入り混じったような手法でしか描けないのかもしれません。このように意味をはく奪しなければ見えてこない世界があるのではないか。私たち自身、たとえばふとしたことで疑心暗鬼にとらわれたりすると、その途端に世界が奇妙にゆがんで見えてくるのはよくあることです。私たちは、世事にわずらわされながら、一方でそうやって意味不明な世界で生きているのです。でも、それは無視できないもうひとつの世界です。

いろんな場面で流れている蝉の声や自分の目の前にある微細な世界を描写する箇所などに作者の感受性が見てとれますが、ただ、この小説で使われていることばは総じて平板です。その意味では、川上未映子が登場したときのような衝撃はありませんが、でも味わいのある読後の余韻の残る小説だと思いました。
2014.02.18 Tue l 本・文芸 l top ▲
サイゾー2014年2月号


タレントの大沢樹生と喜多嶋舞の”実子騒動”は、年が明けても未だつづいていますが、私は、その”騒動”を見るにつけ、月刊『サイゾー』(2月号)の鼎談「マル激トーク・オン・デマンド」(希望なき日本社会に求めらる「正しさ」)で、宮台真司が言っていた「感情の劣化」ということばを思い出しました。

父親の大沢樹生がDNA鑑定の結果を公けしたのは、そのタイミングからみて、自身が監督した映画「鷲と鷹」の話題づくりのためではないかという疑いはぬぐえないのですが、それにつけても長男はまだ17歳の少年なのです。それを考えれば、大沢樹生は「畜生」のような父親だと言われても仕方ないでしょう。未成年の長男にどんな影響を与えるかということを考えないのでしょうか。

また、”騒動”に便乗して無責任なデバガメ記事を書いている女性週刊誌や他人の不幸は蜜の味とばかりにえげつない噂話にうつつをぬかしている世間の人間たちも、大沢同様、「畜生」と言わねばならないでしょう。私のまわりを見ても、人権という問題の本質に目を向ける人はほとんどいません。彼らの関心はただ実の父親が誰かということだけです。そのために、あのおなじみの「ふしだらな女」の論理が持ち出されるのでした。私が知る限り、正論を吐いていたのは、「公表する神経が全く分からない」と言っていた坂上忍だけです。

私は、この”実子騒動”には今の日本の社会の姿が映し出されているように思えてなりません。そして、ネトウヨのヘイトスピーチや日本テレビの連続ドラマ「明日、ママがいない」や籾井NHK会長の慰安婦発言なども、すべて同じ根っこでつながっているように思えてならないのです。そして、その大元にあるのが、「教養のなさや独りよがりが有名」な”アベちゃん問題”です。

宮台真司は、”アベちゃん問題”について、つぎのように言ってました。

(略)性愛に例えると、安倍晋三は愛情を履き違えた<粘着質>の類です。頭山満のごとき真の右翼なら、自国に愛国者がいれば相手国にも愛国者がおり、自分が憤る事柄で相手も憤り、自分が宥和する事柄と等価な事柄で相手も宥和することを弁えるから、諸般を手打ちできます。
 ところが安倍総理の類は相手国を鬼畜呼ばわりするだけの出来の悪い水戸学派。自分の感情を表出するだけなので関係を壊し、手打ちによる落とし所を失います。もうそうなっていて、戦争でアベノミクスの成果が灰燼に帰するかもしれません。自分の感情を表出するだけの<粘着厨>が、ストーカー行為を通じて恋愛を実らせる可能性は0%。なのにストーカーを続ける。よく似ています。


アベノミクスの先に国債の暴落や財政破綻を指摘する専門家も多く、今の株高も「売るために買っている」外国人投資家に支えられているにすぎないのに、誰もその”不都合な真実”を見ようとはしないのです。そして、「国土強靭化計画」なるヒットラーばりのネーミングの公共事業の大盤振る舞いが復活して、国の借金などどこ吹く風のような様相を呈しているのです。夢野久作ではないですが、唯物功利の惨毒に冒された拝金亡者たちが「愛国」を叫ぶこの悪夢のような光景。「感情の劣化」は、こんな「底がぬけた」なんでもありの状況に符号していると言うべきかもしれません。

文芸評論家の中島一夫氏は、「週刊読書人」(1月31日号)の論壇時評で、「冷戦後を生きはじめた言論空間」と題して、「ネット右翼の発生を、日本社会の右傾化や、社会的格差の拡大や貧困が生み出す鬱積といった一国的な視点ではなく、ソ連崩壊と冷戦の終焉によるグローバルなパラダイムチェンジに見出している」右派の論客・古谷経衡氏の視点を高く評価しているのですが、これなども「朝鮮人を殺せ!」というヘイトスピーチの問題の本質を見てないという点では、”実子騒動”と同じ「感情の劣化」の所産であると言わねばなりません。このように俗情と結託する批評もまた例外ではないのです。

先の国会の所信表明でも、安倍総理は「強い日本」「強い経済」などやたら「強い」という単語を連発していましたが、そうやって「強い日本」を強調したり、日本人は世界の人たちからリスペクトされているというようなテレビ番組で「すばらしい日本人」を”自演乙”する一方で、私たちは逆に日本人として人間としていちばん大事なものを忘れつつあるのではないでしょうか。中国や韓国を嗤う資格がホントにあるのかと言いたくなります。
2014.02.02 Sun l 本・文芸 l top ▲
老人漂流社会


年の瀬もおしせまりましたが、ご多分にもれず、この時期になると、いつにも増して「人身事故」で電車が停まることが多くなります。一方、安倍晋三首相は、アメリカの警告を無視して、突然、靖国神社に参拝し、カルトな(歴史修正主義的な)ナショナリズムを煽り、海外から「挑発的だ」「周辺国との関係改善に逆行する」と批判を浴びました。このふたつのニュースは、今のこの国を象徴する光景だと言えます。

高橋源一郎氏は、朝日新聞の論壇時評で、この国の政治家が「DVの加害者に酷似しつつある」と書いていましたが、まさに言い得て妙だと思いました。まるで足手まといであるかのように、「弱者」をバッシングし切り捨てる一方で、国を愛せよと「愛国心」を強いる政治家たち。「愛国」の声が大きくなればなるほど冷たくなっていく社会。

今年の1月20日に放送されたNHKスペシャル「終(つい)の住処(すみか)はどこに 老人漂流社会」を書籍化した『老人漂流社会』(主婦と生活社)で紹介されているのは、経済功利主義のもとで「死に場所もなく、さまよい続ける」老人たちの非情な現実です。

この番組のポスターには、つぎのような衝撃的なキャッチフレーズが付けられていました。

歳をとることは罪なのか。

 「迷惑をかけたくない」と高齢者が思い込む原因を作っていたものは、誰もが高齢者になるにもかかわらず、高齢者を排除してきた私たちの社会だ。
 お年寄りを敬いなさい ― かつての日本、私たちが子どものころは、そう教えていたはずだった。しかし、競争社会の激化が価値観を変えてしまったのだろうか。いつの間にか、お年寄りを”ノロマの役立たず” ― そんな目で見下すようになってしまったような気がする。誰もが歳を重ね、いつかは高齢者の仲間入りをするにもかかわらず、現役世代の私たちは、どこかで線を引き、壁を作ってしまったのではなかろうか。


 歳をとることが罪だとお年寄りたちが感じてしまう今の日本。超高齢社会を迎え、これから成熟期に入らなければならないときに、その多くを占める高齢者が主役になれない。たとえ脇役だとしても、前を見ることをどこか恥じ入り、目を伏せて生きていかなければいけないという社会 ― やはりそれはおかしいだろう。


番組では、高齢になり身体の自由がきかなくなったひとり暮らしの老人が、「病院から病院、そして短期滞在の介護施設(ショートステイ)へと、居場所を転々とせざるを得ない」現実が、丹念な取材のもとに描かれていました。これが「老人漂流社会」と言われるこの国の現実なのです。

背景にあるのは、「高齢化」と「単身化」と「貧困化」の超高齢社会の現実です。

2012年団塊の世代が65歳に達し、65歳以上の高齢者人口が3000万人を超えました。そして、2040年まで高齢人口は増えつづけ、ピーク時には3800万人になると推計されているそうです。

また、高齢者の「単身化」も同時に進行しています。生涯独身や離婚等で、高齢者の単身世帯は急激に増えており、既に2012年の時点で500万所帯を超えているそうです。さらに、「単身高齢者世帯」の予備軍とも言うべき高齢者同士で暮らす世帯も、1000万所帯を超えているのだとか。このように、「家族がいることを前提にした社会保障制度は、もはや機能不全を起こしている」のが現実なのです。

一方、「貧困化」も深刻な問題です。2012年現在、月に6万6000円(満額)の国民年金だけで生活している人は、800万人程度いるそうです。なかでも単身世帯の場合、年間200万円未満の公的年金受給者は、全体の79.5%(2011年厚生労働省統計)で、さらに年間100万円未満(月に8万3000円以下)の人は41.8%にものぼるそうです。

そんな生活のなかで、病気をして身体の自由がきかなくなり、病院や施設の間を行ったり来たりして預貯金を使い果たせば、あとは生活保護に頼らざるを得ません。今の生活保護受給者215万人の背景には、このような「貧困化」する高齢者の問題が伏在しているのです。

みずほ情報総研・主任研究員の藤森克彦氏は、「日本は主要先進国のなかでも高齢者の貧困率が高い」と指摘しているそうです。なかでも単身世帯の貧困率が高く、高齢男性の貧困率は38.3%、女性は52.3%にのぼっているそうです。

「一般的に『日本の高齢者は豊かだ』と言われますが、それは幻想です。数字を見ると、はっきりわかる。なかでも単身の高齢者や、未婚者・離婚者の貧困率が高い。今後、単身化や未婚化という傾向は一段と高まっていくことが予想されていて、より高齢者の貧困率が高まっていくことが懸念されます」と警鐘を鳴らす藤森氏。

年金受給額が年100万円未満の人の場合、身体の自由がきかなくなったら、現実的には(費用の面で)入ることができる施設は、特養(特別養護老人ホーム)しかありません。でも、特養は圧倒的に数が不足しており、入所待ちが2年とか3年の場合が多い。そのために、療養病床の病院や老健施設や介護施設のショートステイを出たり入ったりするしかないのです。そうするうちに預貯金も財産もなくなり、より「貧困化」に拍車がかかるのです。

そして、そんな低収入の老人が行き着く先のひとつに、「無料低額宿泊所」や「簡易宿泊所」があります。私も若い頃、ボランティアで通っていたことがありますが、いづれももともとはホームレスの人たち向けに作られた「宿泊所」です。

家庭の事情で父親の面倒を見ることができない娘が、自治体の福祉課に相談に行ったら、担当者からこう言われて、ショックを受けたそうです。

「子どもが親の面倒をみられないというなら、生き先を見つけるのは簡単じゃないですよ。収入も限られているようですし、ホームレスの人たちが入るような施設に行ってもらうしかないですね」


これが、知能程度だけは「庶民的」なおぼっちゃま総理大臣が「国を愛する」ことを強いる国の現実です。

私たちにとって、『老人漂流社会』に登場する老人たちは、決して他人事ではありません。彼らは、明日の自分の姿でもあります。私たちは、ともすれば自分の老後のことは見ないように考えないようにする傾向がありますが、それは、老後が見たくない、考えたくない、嫌なことであり、不安なことだからです。

でも、「高齢化」「単身化」「貧困化」は、自分自身の問題なのです。「国を愛する」ということは、この国の総理大臣のように、株価の上昇に国の価値を求め、カルトでヘイト(民族排外主義的)なナショナリズムの妄想にとりつかれて近隣諸国を挑発することなのでしょうか。生きることに絶望して電車に飛び込む人たちや、「漂流」の果てに誰に看取られることなくひとりさみしく死を迎える老人たちのことを考えるとき、「国を愛する」というのはどういうことなのかをあらためて考えざるを得ません。

5年前に夫を亡くした40代の女性が、取材班に寄せたつぎのような声も、なんの不自由もなく育ったおぼっちゃま総理大臣には、所詮馬の耳に念仏なのかもしれませんが、でも私は、こんな女性のような思いのなかにこそ「国を愛する」ことの意味があるように思えてならないのです。

 夫の死後、ダブルワークをしながら、娘と必死で生きてきました。番組の内容は、私の将来を見ているようで暗澹たる気持になりました。ああした結果になるのは、自己責任なのでしょうか・・・。
 ほとんどの人は、幸せになりたくて真面目に生きています。そのなかで、ふとしたきっかけで落ちてしまったら、今の日本の社会は這い上がるのが厳しい気がいたします。同じ時代に生きている仲間なのですから、助け合って、息のしやすい社会になってくれたらと思います。ひとりでも多くの人が仲間を思い、手を差し伸べてくださる社会になりますように・・・。


>> 「福祉」の現場
2013.12.29 Sun l 本・文芸 l top ▲
ユーミンの罪


酒井順子の『ユーミンの罪』(講談社現代新書)を読みました。

この本は、1973年の「ひこうき雲」から1991年の「DAWN PURPLE」までの20枚のアルバムに収められた楽曲を仔細に辿ることによって、70年~80年代の若い女性たちがどうしてあんなにユーミンに惹かれていったかを解明する、いわば若い女性たちの精神史とも言うべものです。ちなみに、著者の酒井順子は、立教女学院高校でユーミンの後輩に当たるそうです。

ユーミンのなにが「罪」なのか。酒井は「あとがき」でつぎのように書いていました。

 女が内包するドロドロしたものも全て肯定し、ドロドロをキラキラに変換してくれた、ユーミン。私達は、そんな風に甘やかしてくれるユーミンが大好きでした。ユーミンが描くキラキラと輝く世界は、鼻先につるされた人参のようだったのであり、その人参を食べたいがために、私達は前へ前へと進んだのです。
 鼻先の人参を、食べることができたのかどうか。それは今もって判然としないところなのですが、人参を追っている間中、「ずっとこのまま、走り続けていられるに違いない」と私達に思わせたことが、ユーミンの犯した最も大きな罪なのではないかと、私は思っています。


酒井は、ユーミンは「瞬間」を歌にする人だと言います。ストーリーやイデオロギーや感情そのものを歌にするのではなく、「感覚であれ、具体的な事物であれ、一瞬『あ』と思ったこと、一瞬強力に光ったもの」、その瞬間をすくい上げ、歌に仕立てていくのだと。

 「日差しがこうだとか、波の具合がこう」(略)といったシチュエーションは、幸福な人しか切り取ることができないし、また幸福な人しか享受できないものです。喰うや喰わずの人にとって、日差しとか波とかの具合いなど腹の足しにもならぬでしょうし、健康でない人にとっても然り。すなわちユーミンの歌は、平和で満ち足りた世であるからこそ誕生し、そして人々に受け入れられていったものではないでしょうか。


私は、この酒井の分析は、吉本隆明が『重層的な非決定へ』(大和書房1985年刊)で書いていたつぎのような文章と符合しているように思えてなりません。吉本隆明もまた「肯定の思想」(現代思想2008年8月臨時増刊号)と言われた人でした。

『an an』(1984年9月21日号)が、「現代思想界をリードする吉本隆明のファッション」と題して、コム・デ・ギャルソンを着た吉本の写真を掲載したことに対して、埴谷雄高が、コム・デ・ギャルソンなんて「日本を悪魔」と呼ぶアジアの民衆を収奪した「ぼったくり商品」ではないかと批判し、吉本と埴谷の間でいわゆる「コム・デ・ギャルソン論争」がおきたのですが、その公開書簡のなかで吉本は埴谷につぎのように反論していました。

 埴谷雄高さん。
総じて消費生活用の雑誌は生産の観点と逆に読まれなくてはなりませんが、この雑誌(引用者注:『an an』)の読み方は、貴方の侮蔑をこめた反感とは逆さまでなければなりません。先進資本主義国日本の中級ないし下級の女子賃労働者は、こんなファッション便覧に眼くばりするような消費生活をもてるほど、豊かになったのか、というように読まれるべきです。


そして、吉本隆明はつづけて、埴谷の「左翼性(左翼的倫理)」をこう批判します。

やがて「アンアン」の読者である中学出や高校出のOLたち(先進資本主義国の中級または下級の女子賃労働者たち)が、自ら獲得した感性と叡知によって、貴方や理念的な同類たちが、ただ原罪があると思い込んだ旧いタイプの知識人を恫喝し、無知の大衆に誤謬の理念を根付けるためにだけ行使しているまやかしの倫理を乗り超えて、自分たちを解放する方位を確定してゆくでありましょう。


これを吉本は、「理念神話の解体であり、意識と生活の視えざる革命の進行」であると言います。この時代、セゾングループは感性の経営を謳歌し、私たちに最先端の消費文化を提示しました。ユーミンの歌に、そんな爛熟した資本主義の「豊かな」時代の気分が横溢していたのは間違いないでしょう。

しかし一方で、その「豊かさ」もまた、絶えざる差異化という資本主義のオキテから逃れることはできないのでした。それは、恋愛も例外ではありません。

酒井順子は、ユーミンの歌について、「助手席性」・時間の不可逆性・「軍歌」・「額縁性」などといったキーワードを使って詳細に分析していましたが、私がいちばん象徴的だと思ったのは「助手席性」です。

ユーミンの歌の主人公たちは、「中央フリーウェイ」のように、助手席にすわり、助手席の自分に満足している場合が多いのですが、しかし、それは必ずしも受け身な「古い女性」を意味しません。女性たちは「選ばれる人」ではなく「選ぶ人」なのです。どの助手席にすわるのかを「選ぶ権利」は、あくまで自分にあるのでした。

それは、スキーやサーフィンをしている彼が好きというより、スキーやサーフィンをしている彼を持つ自分が好き、という感覚です。スキーやサーフィンのみならず、「スポーツカーに乗る彼を持つ私」でもいいし、「××大学に通う彼を持つ私」でもいいでしょう。


たとえば、「ノーサイド」でも(先日の国立最後の早明戦でユーミンが歌った「ノーサイド」は感動ものでしたが)、ラブビー部の、しかも中心選手の彼の活躍をスタンドから見ている自分という、属性やシチュエーションが肝要なのだと言います。

それは、当時の女子大生の間に、「へら鮒釣り研究会とか奇術研究会の彼を持つよりも、体育会のクラブに所属する彼を持つ方が、ヒエラルキー的には上、そして体育会の中でも、バドミント部とか少林寺拳法部より、ラグビー部やアメフト部の方が上」という序列があったからです。そして、その先に、三谷友里恵に代表されるような”お嬢様ブーム”があったと言うのです。

もちろん、そういったヒエラルキーが消費生活の進化に伴う差異化、つまりブランド化と軌を一にしていることは言うまでもありません。ユーミンは、そんな時代の意匠を甘美なメロディに乗せて描く天才だったと言ってもいいのではないでしょうか。

でも、そんな時代の気分もバブル崩壊とともに大きく変質していきます。

今の若者が歌の歌詞に求めるのは、心のしんどさに対して、対症療法的効果を持つ言葉。「心の傷を癒すためにアカプルコを旅する」といった非現実的なシチュエーションよりも、「あなたは悪くない。そのままでいいんだよ」と言ってもらいたいのです。


こんな屈折もロマンもないベタな時代は、酒井が言うように、ユーミンに限らず歌を作る人間たちにとって、しんどい時代だと言えるのかもしれません。もう「私をスキーに連れてって」の時代ではないのです。助手席にすわって、甘い夢に酔いしれる時代でもないのです。今や苗場プリンスホテルの恒例のコンサートに来ているのは、ほとんどが「ポロシャツの襟を立て」たり「脱いだセーターを肩にかけている」ような(時間が止まった?)中年の男女だと言うのも頷ける気がします。

>> ユーミンの歌
>> ユーミンを聴く
2013.12.18 Wed l 本・文芸 l top ▲
原発ホワイトアウト


今、話題の小説『原発ホワイトアウト』(講談社)を読みました。

奥付には、以下のような「著者略歴」が載っていました。

若杉 冽(わかすぎ・れつ)
東京大学法学部卒業
国家公務員1種試験合格。
現在、霞が関の省庁に勤務。


また、本の冒頭には、つぎのような有名な箴言が掲げられていました。

歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として(カール・マルクス)


なにがくり返されるのか。原発事故です。

『原発ホワイトアウト』は、原発再稼動に蠢く電力会社・役所・与野党のいわゆる「原子力ムラ」のゾンビたちの、国家を食む実態を暴いた「告発」小説です。しかも、著者は、霞が関の現役のキャリア官僚なのです。

小説はそのリアルさが話題となり、発売1カ月で6万5千部と、新人の作品としては異例の売れ行きになっているとか。そのため、霞が関では「若杉冽」という覆面作家が誰なのか、犯人捜しがはじまっているそうです。

日本電力連盟常務理事の小島巌は、保守党が政権に返り咲き、国会のねじれも解消された現在、一日も早く原発再稼動を実現して「モンスターシステム」を復活させなければ「世の中がめちゃくちゃになる」、と危機感をあらわにします。

(略)世の中がめちゃくちゃになる、とは、電力会社のレントという甘い蜜に群がることができなくなる、ということと同義であった。政治家はパーティー券が捌けず、官僚は天下りや付け回しができず、電力会社は地域独占という温室のなかでの大名扱いがなくなる、ということだ。


レントとは、「10社体制」による地域独占と総括原価方式という独占価格によって生み出される超過利潤です。その一部が取引先にプールされ、政界工作や世論工作などに使われているのでした。そういった「モンスターシステム」によって生み出される裏金は、小島巌の出向元である関東電力だけで年間800億円あると言われているのです。

再稼動を実現するためには、福島第一原発事故によって目の上のたんこぶのように発生した、いくつかの問題を取り除かなければなりません。その際に手足となるのは、マスコミ・与野党の政治家・原発文化人・検察&警察でした。

まず最初に目ざわりなのは、新崎原発の再稼動に対して、慎重姿勢を崩さない新崎県の改革派知事・伊豆田清彦です。伊豆田知事は、清廉潔白で県民からも絶大な支持を得ていました。しかし、一方で、既得権をはく奪された県庁職員やそのOB、また県庁職員と癒着しておいしい汁を吸っていた地元企業からは煙たがられているのでした。そんな伊豆田知事にどう「毒を盛る」か。

小島巌は、まず地元紙に、県が業務用システムの開発を発注したソフト会社が、親戚のトンネル会社をとおして伊豆田知事に利益供与している疑いがあるというスクープ記事を書かせます。その記事を受けて今度は、関東電力の労組出身の議員が、県議会でその問題をとり上げ、知事に疑惑を正すのでした。さらに追い打ちをかけるように、大手の週刊誌「週刊文秋」に、知事のスキャンダル記事がセンセーショナルに掲載されます。それによって知事の支持率は急落。最後は、「原子力ムラ」の意を汲んだ東京地検特捜部が強制捜査に乗り出し、伊豆田知事を収賄容疑で逮捕。再稼動に反対する改革派知事は、こうして失脚させられるのでした。

つぎは、国会周辺で行われる反原発デモです。デモに対しては、警察によるあの手この手の「デモ崩し」が行われていました。たとえば、警察はデモ参加者の顔をビデオ撮影し、デモの帰りを尾行。参加者の住所や勤務先を特定したあと、後日、所轄の警察署の警察官が近所の家や職場を訪問してデモに参加していることを告げ、ときにビデオを見せて、参加者を地域や職場から浮き上がらせるように仕向けるのでした。また、デモ帰りの自転車の無灯火や立ち小便に対しても、道交法違反や軽犯罪法違反で現行犯逮捕するという嫌がらせを行うのでした。

デモの先頭には、脱原発候補として参院選で当選した元俳優の「山下次郎」がいました。外国要人が来日したある日、彼もまた条例違反の違法デモを扇動したかどで、機動隊に逮捕拘束されるのでした。

もうひとつ大事なことは、世論工作です。原発事故による脱原発の感情論から、なんとしてでも世論を「再稼動やむなし」に転換させなければなりません。それには、電気料金の「値上げか再稼動か」の二者択一を迫り、「『値上げ』で大衆を脅すしかない」のです。そして、その「脅し」には、膨大な広告費で手なずけたテレビの力を借りるのがいちばんです。

「原発事故もいやだけど、月々の電気料金の支払いアップも困りますよね」
 と、ワイドショーのコメンテーターが呟けばよいのである。大衆は、ワイドショーのコメンテーターの意見が、翌日には自分の意見になるからだ。


発送電分離や電力の自由化といった「電力システム改革」についても、官僚や政治家たちは「神は細部に宿る」とうそぶくのでした。つまり、「電力システム改革」という金看板はおろさずに、細部の制度設計をコントロールして実質的に骨抜きにすればいいと考えるのです。

「(略)発電部門と送電部門が法的分離をしたとしても、所詮、民間企業の同じグループ会社です。会社の建物も同じであれば、株主も共通で、持ち株会社によって支配されます。人事も形のうえでは一定の制限を設けないといけないでしょうが、、幹部クラスにとどめることはできるでしょう。若い人たちは持ち株会社を経由して、いくらでも行き来は可能です。会社の内戦電話やイントラネットだって共有でしょう。(略)」


これは、経済産業省資源エネルギー庁次長の日村直史が、保守党の「商工族のドン」・赤沢浩一に、発送電分離について説明しているときの日村の発言なのですが、私は読んでいて「あれっ、どこかに似た話があるな」と思いました。そうです、郵政民営化と同じなのです。

ほかにも、マスコミやネットに電力会社に都合のいい「声」を届けるために、電力会社がやらせの”工作員”を抱えているとか、電気料金の徴収で手に入る顧客情報が、選挙のときには第一級の選挙資料に化けるとかいった、アンタッチャブルな電力会社の一面も描かれていました。

そして、テロをきっかけに、新崎原発で再び外部電源喪失によるメルトダウンが起こり、小説は終わります。

たしかに小説はリアル感満載です。モデルが簡単に特定できるので、まるで実録小説のように読めるのです。ただ、小説自体は稚拙で、小説としての深みはあまりありません。

私は、終章に出てくるつぎのようなことばが印象的でした。

 フクシマの悲劇に懲りなかった日本人は、今回の新崎原発事故でも、それが自分の日常に降りかからない限りは、また忘れる。喉元過ぎれば熱さも忘れる。日本人の宿痾であった。
 ― 歴史は繰り返される。しかし二度目は喜劇として。


別の箇所には、「国の政治は、その国民の民度を超えられない」ということばも出てきますが、たしかにそのとおりで、なんとか言っても、問題の本質は私たち自身にあるのです。

ある新聞に、小説では逮捕される山本太郎が、現実では自分からずっこけてしまった、というような皮肉っぽい記事が出ていましたが、山本太郎も然り。また、今、問題になっているホテルやデパートの食材偽装や楽天優勝セールでの不当表示なども然りです。みんな根っこはつながっているように思います。ゾンビを生きながらえさせているのは、愚民扱いされている私たち自身なのです。

また、この小説では触れられていませんが、現在開会中の国会で成立が見込まれている「特定秘密保護法」では、原発にテロ(核テロ)の網をあぶせれば、「特定秘密」に指定することも可能でしょう。そうなれば原発に関する情報は、「ただちに健康に影響はない」とか「汚染水は完全にブロックされている」とかいった話どころではなく、すべて闇のなかに秘匿されることにもなりかねないのです。

東電はけしからん、経産省もけしからん、東大や東工大の学者もけしからん、自民党も公明党も民主党もけしからん、マスゴミもけしからん。そんなことを百万遍唱えても国家を食い物にする構造は微動だにしなでしょう。私たちが変わらない限り、なにも変わらないのです。変わりっこないのです。

では、3.11以後、なにか変ったのか。「変わった」「変わった」と言うわりにはなにも変わってないのではないか。元の木阿弥になりつつある今の状況がすべてを物語っているのではないでしょうか。この『原発ホワイトアウト』は、そんな無理が通り道理が引っ込む状況に対して、やりきれないような気持にさせられる小説と言ってもいいでしょう。

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>> ネットの現実
2013.11.08 Fri l 本・文芸 l top ▲
だから荒野


桐野夏生の新作『だから荒野』を読みました。この小説については、ネットでは「酷評」と言ってもいいような低い評価しか見当たりません。私は、なんとかネットとは違う感想を書きたいと思って読みましたが、残念ながらネットと同じような感想しか持てませんでした。

どうしてこんな中途半端でつまらない小説になったんだろう、と逆に考えてしまいました。桐野は、以前、あの『OUT』が誕生したのは、編集者に理不尽とも言えるほどダメ出しされ鍛えられたからだというような話をしていましたが、この『だから荒野』は毎日新聞に連載された新聞小説ですので、編集者のきびしい目が届かず、タガがゆるんだ面もあるのかもしれません。

主人公の朋美は46才で、東京近郊のマンションに住む専業主婦です。朋美の家庭は、ハウジングメーカーに勤める夫と、大学生と高校生の二人の息子の4人家族です。でも、自分のことしか考えてない、デリカシーの欠片もない夫と息子たち。

朋美の46才の誕生日の夜、新宿のイタリアンレストランに食事に行った際、彼らのあまりの身勝手さについに堪忍袋の緒が切れた朋美は、突然、ひとり店を飛び出し、そのまま愛車のティアナに乗って家出をするのでした。

 仕事も持たず、家庭という小さな箱の中で生きてきた自分は、母親失格だの主婦失格だの言われる度に、負い目を感じて首を竦めていなかったか、臆病なカメのように。何も気にする必要などなかった。堂々と生きていればよかったのだ。


朋美は、ふと、結婚前につきあっていた”彼”が住んでいる九州の長崎に行ってみようと思うのでした。

一方、妻に家出をされた夫の浩光が心配するのは、妻のことより、車に乗せたままになっているゴルフバッグとポーチのなかに入っている紙片です。というのも、その紙片には、行きつけのゴルフ練習場で知り合った人妻の住所と携帯番号が書いてあるからです。近日中に行われるコンペで、浩光は、その人妻を送迎する約束をしていたので、ゴルフバッグと連絡先の紙片がないと困るのでした。

朋美が家出をしても、誰ひとり心配する者もおらず、ただ「勝手だ」「無責任だ」と非難するだけの家族。

途中の高速道路でティアナを乗り逃げされた朋美が、ヒッチハイクで出会ったのは、長崎で原爆の語り部をしている老人でした。でも、ここから小説は牽強付会さと説教臭が目立つようになります。長崎の”彼”もどこかに行ってしまい、最後にとってつけたようにチラッと出てくるだけです。

そして、最終的には、元の鞘に収まるような話の展開になるのですが、これじゃ安っぽいテレビドラマと同じじゃないかと思いました。『ハピネス』とこの作品の落差には、ネットならずとも戸惑うばかりです。

私は、てっきり昔の”彼”と再会して、焼けぼっくいに火が付き、道ならぬ恋がはじまるのではないかと思っていましたので、原爆の語り部の登場は唐突感が否めませんでした。しかも、彼の口から出るのは、ありきたりで陳腐なことばばかりです。原爆の語り部について、作者は、東日本大震災と福島第一原発の事故に触発されたからだというようなことを新聞のインタビューで語っていましが、小説を読む限り、触発のされ方が間違っているのではないかと思いました。

話が横にそれますが、それは、園遊会での行為が問題になっている山本太郎なども同様です。どうして「天皇直訴」なのかと思わざるをえません。

与野党やマスコミの「政治利用」という批判に対しては、「主権回復の日」や「オリンピック招致」の「政治利用」を問題にしないで山本太郎の行為だけを問題にするのは、公平さを欠くのではないかという意見がありますが、たしかにそのとおりで、ここぞとばかりに山本太郎を叩く光景には、まずバッシングありきの薄汚れた思惑がミエミエです。

しかし、山本太郎の行為が「政治利用」ではないのかと言えば、それも無理があるように思います。国会議員が公的な問題に関する内容の手紙を天皇に直接渡すという行為自体は、誰がどう考えても政治的な行為以外のなにものでもないでしょう。

私は、山本太郎の行為に、彼の”危うさ”を見た気がしました。それは、山本太郎に限った話ではないのです。反原発運動の内部にも、あるいは三宅洋平などにも見られるものです。また私たちも、「反原発」という大義のために、あえてそれに目をつむっていたところもあったのです。

「原発事故によって奇形な子どもがどんどん生まれている」「目が見えなくなったとか白血病で死にましたとかいう話がどんどん出ている」、こういった「カルト」と言われても仕方ないようなもの言いが、「反原発」運動のなかでまことしやかに流通しているのは事実でしょう。もちろん、原発事故の放射能汚染による健康被害は、決して看過できない重大な問題ですし、原発事故の不条理を告発しつづけることは大事です。でも、それがどうしてこんなカルトの妄想のような話になるのか。

「絶対的な正義」なんてないのです。そこには必ずなんらかの留保がなければなりません。「絶対的な正義」をふりかざす問答無用な作風が、「反原発」のなかにも生まれているのは否定できないのではないでしょうか。そして、そういった作風と「天皇直訴」がつながっているように思えてならないのです。

『だから荒野』に忽然と登場した原爆の語り部も、そんな”危うい”解釈と無縁ではないように思います。考えてみれば、『だから荒野』は、日常に不満をもつ主婦が、ある日突然、日常に反旗を翻して旅に出る話なのです。それは、あくまで一時的に日常から非日常へと旅に出る話にすぎません。別に片道切符で出奔する話ではないのです。なのに、どうして原爆の語り部なのか。そこあるのは、プロレタリア文学と同じような観念の操作と、それによってもたされるプロットの破綻です。

私は、昔の”彼”とやけぼっくいに火が付いたほうが、(それはそれで凡庸な小説ではありますが)よほど面白い小説になったように思います。「政治の幅は生活の幅より狭い」と言ったのは埴谷雄高ですが、言うまでもなく人間というのは、政治ではなく生活の幅のなかで生きているのです。「政治、そして社会制度は目のあらい網であり、人間は永遠に網にかからぬ魚」(坂口安吾・『続堕落論』)なのです。政治的なイデオロギーを人間より上位にもっていくプロレタリア文学が、人間を描けないのは理の当然なのです。

本の表紙にもあるように、朋美が家を出てティアナのハンドルを握り、高速道路を西に向けて走らせていたとき、彼女がフロントガラス越しに見た風景は、こんなつまらないものだったのか。そう思うと、がっかりせざるをえないのでした。
2013.11.01 Fri l 本・文芸 l top ▲
毒婦たち


たまたま本屋で見つけたのですが、発売されたばかりの上野千鶴子信田さよ子北原みのり氏の鼎談『毒婦たちー東電OLと木嶋佳苗のあいだ』(河出書房新社)を読みました。

この本では、東電OL・木嶋佳苗・角田美代子・上田美由紀・下村早苗・畠山鈴香といった、犯罪を犯して(ただし、東電OLは被害者)世間から「毒婦」と呼ばれた女たちを女性目線、とりわけフェミニズムの観点からとり上げているのですが、言うまでもなく話の中心になっているのは、木嶋佳苗被告です。

三人は今までもいろんなところで木嶋佳苗被告について語っていますので、この本は言わば”まとめ”のようなものかもしれません。本のベースになっているのは、2012年12月に行われた原宿のブックカフェ主催のトークイベントでの鼎談ですが、もちろんこの時期に本が出版されたのは、木嶋佳苗被告の控訴審がはじまったことと無関係ではないのでしょう。

私がこの本で注目したのは、つぎのふたつの問題意識です。

ひとつは、北原みのり氏の「援助交際世代の人たちがどう20代や30代を生きてきたのか」という問題意識です。

北原氏は、木嶋佳苗被告の事件を「直観的に、こんな新しい犯罪はないって思った」そうです。木嶋佳苗被告は、男からお金をむしり取ったことに対して、なんら悪びれた様子もなく、裁判でも堂々と「私は男性にしてあげたことの対価としてお金を頂いていました」と主張し、そんな姿勢に「佳苗ギャル」たちが共感する、それは今までにない新しい現象だと言うのです。

北原 (略)男に媚びる必要がないということを佳苗は教えてくれたわけです。男性に対して何もニコニコしたり、この人を傷つけないようにしなきゃいけないとがんばる必要は一切なく、私に会いたいんだったら、何月何日までにお金を振り込んでください、って毅然と言えばいいんだって(笑)。


北原 佳苗は整形もしてないし、ダイエットもしてないんです。「自分を磨く」とか「女子力」とか絶対言わないと思うんですよ。佳苗を支持して裁判を傍聴しにくる女性たちにとっては、そういう毅然さへの共感があったと思う。


その毅然さの裏に、男性に対する嫌悪があったのではないかという指摘は、わかる気がします。もっとも、女性たちにはなにかしら男性に対する嫌悪はあるのではないでしょうか。

以前、木嶋佳苗被告と同世代の30代後半の女性たちと話をしていたら、学生時代に同好会の合宿で乱交まがいのことを経験したとか、アルバイト先で知り合ったオヤジと愛人のような関係をつづけていたとか、幼稚園の保母をしながら子どもの父親から”お手当”をもらっていたとか、そういった話が出てきてびっくりしたことがありました。

私たちのような上の世代から見れば、たしかに彼女たちは「ふしだら」に見えないこともありません。しかも、木嶋佳苗被告ではないですが、その「ふしだら」な行為の裏には、”対価”が存在しているのです。それが上の世代と決定的に違うところであり、援交世代の特徴と言ってもいいのかもしれません。

さらに下の世代になると、文字通りそれが「ウリ」にさえなっているのです。池袋や新宿や渋谷で通りを歩いていると、オヤジから「3万円でどう?」なんて声をかけられた経験のある女の子たちは、ごく普通にどこにでもいるでしょう。それで、彼女たちは自分に「性的価値」があることを知るのです。あとは上野千鶴子氏が言うように、仲間に誘われるかどうか、一緒に「ウル」仲間がいるかどうかだけなのです。彼女たちにとって自己認識は、もはや倫理的に良いか悪いかなんて地点にあるのではないのでしょう。

北原 (略)売春したことないって言い切れる女って、どのぐらいいるのかなって考えちゃったんですよね。初めて会った男と自分を売り買いするっていうビジネスはしてなかったとしても、結婚を含めた男との関係のなかで、自分のセックスの価値と男の経済とを交換したことない女なんていないんじゃないかって。


でも、女たちは、そうやって生きていくことによって「常に満身創痍だ」と北原氏は言います。男たちの多くは、それを女性の「したたかさ」と勘違いしているのですが、当然のことながら女性たちは、”生きづらさ”を覚えながら傷つき苦しんでいるのです。そんな女性たちの状況のシンボルとして、東電OLや木嶋佳苗がいるのではないか、と北原氏は言うのでした。

援交世代以後の今の20代の女の子たちは、男や社会に期待しない冷めた生き方が多くなってると言いますが、では、肝心な30代後半の援交世代の女性たちは今どうしているのか。まさかネットの「鬼女」になっているのではないでしょうが、残念ながらこの本でも答えは出てないのでした。

ごく普通の妻やごく普通の母親やごく普通の主婦といったパターン化された結婚の風景のなかで、彼女たちの姿がなかなか見えてこないのはたしかでしょう。でも、「ごく普通」なんて本来ありえないのですから、どこかに彼女たちの姿はあるはずです。あの高い欲望の水位と現実の結婚生活をどう折り合いをつけてきたのか、北原氏ならずとも興味を覚えます。かわいい子どもが生まれ30年ローンでマンションを買ったからと言って、すべてが解消されるわけではないでしょう。

もうひとつは、信田さよ子氏のつぎのような問題意識です。

信田 男性が、こういう事件を自分に引き付けて考えられないっていうのが不思議なんですよね。佳苗の事件に限った話じゃなくて、たとえば連続強姦魔の事件があったとしますよね。なんで多くの男性は訳わかんないとか、自分とは別の世界の話だって思うんだろう。(略)


たしかに、多くの男たちは「おれは違う」と思っているのです。あんなデブでブスな女にだまされるのは、バカだ、モテないからだと。でも、そう2ちゃんねるに書き込んでいる男たちだって、似たようなものなのです。

そこにあるのは、買春しながら売春はよくないと説教を垂れるオヤジの(男の)論理です。彼らは、男性的価値観を当たり前のように絶対視し、それに安住し安心しきっているのです。だから、「良妻賢母」と「ふしだらな女」を平気で使い分けることができるのです。木嶋佳苗被告はそんな男の身勝手で能天気な”二枚舌”を利用して金をむしり取ってきたのでした。

男の話を聞き、相手を褒め、子供好きをアピールし、家事が得意であることを匂わせ、控えめにセックスを自ら求め、時に”母のように”男を導き、そして死まで”看取る”。佳苗がやってきたことは、こう書き並べてみるとまるでどこかの女性誌が特集する「愛される女」像にぴったりとあてはまる。それはケアする女、だ。まるで母のように男を世話し、エロもご提供。しかもそのエロは目の前の男だけに響くエロであり、決してヤリマンを匂わせることはない計算されつくした、男が受容できる程度の矮小化されたケアとしてのエロだ。
(北原みのり「あとがき」より)


信田さよ子氏は、それを「家族のパロディ」だと言ってました。

自分についてすら考えようともしないで惰眠をむさぼり高を括る男たち。一方、女性は常に自分の居場所を求めて悩み傷つき内省的にならざるを得ないのです。それはこの社会が男性中心の(男性的価値観に貫かれた)社会だからです。

木嶋佳苗被告に初めて会った男性たちは、「色白で、純朴な感じで、自分からは話さず、話を聞いてくれた」「私のぼろぼろの財布を見て、『堅実な方』と褒めてくれた」「育ちが良さそうで、自分の話すことに笑ってくれた」と木嶋佳苗被告の印象を語っていたそうです。そして、その延長上に彼らの(男たちの)恋愛や結婚や家族の幻想が広がっているのです。

でも、私たちのまわりを見てもわかるように、ジェンダー幻想を前提とする”結婚”や”家族”という制度は、もうとっくに崩壊しています。にもかかわらず、その手の”結婚”や”家族”は、男性的価値観のなかでは未だ生きつづけているし、男性的価値観に裏打ちされた国家や法律のなかでも、ひとつの規範として生きつづけています。そんな矛盾のなかに、彼女たちの犯罪が生まれたと言えるのではないでしょうか。そして、それゆえに彼女たちは「毒婦」と呼ばれたのではないか。
2013.10.26 Sat l 本・文芸 l top ▲
以前、このブログで、個人的に旬なのは光文社新書だと書きましたが、さすがに最近は息切れしたみたいです。今はちくま新書(筑摩書房)のほうがノッている気がします。

昨日、ちくま新書を何冊かまとめて買ったのですが、そのなかでまず久田将義著『関東連合ー六本木アウトローの正体』を読み終えました。

久田将義氏は、『ダークサイドジャパン』や『実話ナックルズ』の編集長を務めた裏社会の事情に精通している人ですので、期待して読みましたが、正直言って期待外れでした。アウトローの「生態」や「闘争史」と言うには、ちょっともの足りない気がしました。

明大中野高校出身の著者にとって、チーマーが身近な存在だったという個人的な体験もあってか、話の流れにまとまりがなく散漫で読みづらいところがあります。また、裏社会の特殊な事情もあるのでしょうが、文中気を使って遠慮している表現がやたら目に付きます。それも読みづらい一因になっているように思いました。

関東連合と言えば、押尾学や酒井法子や朝青龍の事件の際にもあれこれ取りざたされましたが、しかし、なんと言ってもその存在が人口に膾炙されるようになったのは、市川海老蔵の事件からでしょう。そして、昨年の9月に発生した六本木フラワー事件。あの事件をきっかけに、警察は関東連合と怒羅権(ドラゴン・江戸川区葛西を拠点とする中国残留孤児二世たちの暴走族)を「半グレ(準暴力団)」と規定し、暴力団並みの取り締まりの対象にしたのでした。それ以来、ネットを中心に、なんでも関東連合と関係があるかのように書く”関東連合ネタ”も蔓延するようになるのでした。

著者は、関東連合について、「東京の、しかも東京都内でも六本木・西麻布・渋谷・歌舞伎町という、東洋でも有数の繁華街においてのみ成立する集団」と書いていましたが、たしかに東京を代表する繁華街で活動しているからこそ、”関東連合ネタ”のように、関東連合に対する幻想が肥大化していったという側面はあるように思います。

また、関東連合と芸能界の関係によって、”関東連合ネタ”がさらにひとり歩きするようになったのも事実でしょう。世田谷や杉並の若者たちを中心とする暴走族の集まりであった関東連合は、やがて詐欺や芸能関連のシノギに乗り出してより”アウトロー化”して行くのですが、それも六本木や西麻布や渋谷などの繁華街を活動の拠点にしていたことと無縁ではないでしょう。

ただ、それよりも私が注目したのは、関東連合など「半グレ」の中心人物たちの多くが、いわゆる団塊ジュニアで、しかも東京の山の手の中流家庭の子どもたちであるという点です。関東連合と関係があるネット関係者がインタビューで答えていたつぎのような発言には、”もうひとつの世代論”として考えさせられるものがありました。

「親の団塊世代は無責任に子供を冷酷な競争社会に追い込んでおいて、自分たちはバブル景気に浮かれて醜い乱痴気騒ぎを繰り返しました。ところが団塊ジュニア世代が世に出た時期には、すでにバブルが弾け、今に続く長い不況が到来しました。その状況で団塊世代らは自分たちの既得権益を守ることに執着し、下の世代のチャンスを摘んで回り、その結果団塊ジュニア世代の多くは『食うためにモラルを捨てる』しか選択肢がなくなったのでしょう」


「IT詐欺・出会い系・オレオレ詐欺(振り込め詐欺、現在は架空請求と呼ばれることが多い)など、関東連合のシノギとされているグレー(及びブラック)なシノギを批判するのは結構だが、生きるためにそんな物を選ばざるを得なかった世代がいるという現実から目を逸らすなと言いたい。関東連合を育てたのは誰か、また関東連合の勢力を弱めるにはどうすればいいか、少しは冷静に考えてみてはどうでしょう?」


ヘイトスピーチが生まれたのは、その背後に彼らを煽っていた右派の政治家や文化人の存在があったからです。しかし、彼らは今になって梯子を外して知らんぷりをしているのです。それと同じように、関東連合を考える上でも、親の世代である団塊の世代の生き方やバブル崩壊後の時代背景を無視することはできないように思います。

極端な言い方をすれば、普通の家庭では子どもを芸能人にしようとは思わないでしょう。もともと芸能界に入る若者たちは「半グレ」に近いところから出ている場合が多いので、芸能界と闇社会が関係があるのはある意味で当然なのです。そんなデバガメ的な”関東連合ネタ”なんかより、関東連合が生まれた世代や時代の背景を考えるほうが余程意味があるように思いますが、残念ながら本書にそういった視点(掘り下げ)はないのでした。

>> 魔性

※この記事は、WEBRONZA(朝日新聞)に「関連情報」として紹介されました。
2013.10.23 Wed l 本・文芸 l top ▲
歪んだ忌日


北町貫多、いや西村賢太の最新短編集『歪んだ忌日』(新潮社)を読みました。

この本には6篇の短編が収められていますが、この本にも、①若い頃の孤独で鬱屈した日常、②秋恵とのDV満載の同棲生活、③私淑する藤澤清造、といったおなじみのパターンの話が収められていました。

私は、西村賢太の小説は果たして私小説と言えるのだろうかという疑問があります。この偉大なるマンネリズムを見せつけられると、もはや「私小説」というエンターテインメントではないのかと思ったりもします。

西村賢太は、朝日新聞デジタルのインタビューで、「私小説だからできることを遠慮なくやっている」「主人公イコール作者と思われるのが良い私小説。現実をそのまま書いていると思わせて読者をだます。そこが腕の見せどころ」(著者に会いたい)と言ってますが、これなどを読むと、西村自身にもエンターテインメントという自覚があるのではないかと思ってしまいます。

私小説であれどんな小説であれ、作者と作品、作者と登場人物の間には、それこそ「語る人」と「語られる人」、「視る人」と「視られる人」の緊張感が保たれていなければなりません。それが小説の”善し悪し”につながることは言うまでもありません。今の西村賢太にその緊張感があるのか疑問です。サービス精神が災いしているのか、どうも小説自体が「面白おかしい」とか「感傷的」とかいった予定調和に堕しているように思えてならないのです。秋恵のDVものを読んでも、なんだかギャグ連発の漫談を聞いているような気分になってくるのです。

私がこの本で注目したのは、芥川賞受賞以後の身辺を描いた「感傷凌轢(かんしょうりょうれき)」と「歪んだ忌日」です。

「感傷凌轢」は、二十数年没交渉になっている母親から突然届いた手紙の話です。貫多によるお金の無心や家庭内暴力のために、一方的に連絡を絶った母親がどうして今頃手紙を寄越したのか、貫多は疑心暗鬼に捉われます。如何にも母親らしい文面の裏に隠された思惑をあれこれ勘繰るのでした。やはり金なのか。

 (略)貫太が、やがて心中において導きだしたのは、
(三百万までだな)
 との答えだった。
 即ち、もし母がこれを口火に彼に接触を試み、もって金銭の無心をしてくるようなことがあったなら、そのときは一度きり、その額までは融通してやろうと云うギリギリのラインの答えである。これ以上では、彼の足までも引っ張られて、共倒れとなりかねない。


でも、そんな結論もどこかしっくりしない気持があります。「何やら軽ろき焦りを覚え」るのでした。

 その焦りが苛立ちに変わったとき、彼はしょうことなしに腰を上げ、再び後架へと向かっていった。
 そして、便器にサンポールの液体をぶちまけると、やおら柄付きのブラシを握りしめ、尿石の付着部分を一心にこすり始めたのである。


その姿は、まるで彼の心に張り付いた家族に対する思慕の念を賢明にこすり落としているかのようです。でも、ここでも最後に出てくるのは「感傷」という予定調和なのでした。

「歪んだ忌日」は、作者が”歿後弟子”を名乗るほど私淑している藤澤晴造の「晴造忌」にまつわる話です。(引用者注:本来の名前は環境依存文字のため、通常の「晴造」に換えました)

芥川賞受賞直後に行われた「晴造忌」には、予想を「はるかに上廻る有象無象」が押し掛けてきて、挙句の果てに、「受賞を墓前に報告」なんていうマスコミ向けの「小芝居」まで演じる始末でした。それは、貫多にとって、「災厄」とも言うべき「不快」なものでしかありません。

そして、翌年の「晴造忌」は、「有象無象」を避けるために、初めて日延べするはめになったのですが、それでも関係者から日程が漏れ、招からざる客に少なからず神経をすり減らすことになったのでした。

今年もまた同じような事態になったらと思うと、貫多は気が重くなるのでした。そのため、今年は日延べした日程が事前に漏れないように周到に姦計をめぐらした末、貫多は不安を抱きながら七尾の菩提寺に向かいます。

ところが、貫多を待っていたのは、拍子ぬけするほどの、のどかな光景でした。「二年前は、本当になんとも賑やかやったのに、なんかもう、まるで潮が引いてしまったみたいやわいね」と住職がおっとりした口調で言い、貫多もまた、「いっぱしの著名人ででもあるかのように心得、あれこれ一人で気を揉み、しきりに渋面を作り続けていたことがどうにも馬鹿馬鹿しくってならず、つくづく自らの思い上がりを恥じずにはいられなかった」のでした。そして、祥月命日に「晴造忌」を行わなかったことへの後悔の念をあらためて抱くのでした。

「ゲスったらしい」小説も、そこに緊張感がなければ、「人間」や「人生」を見つけることができない、ただの「ゲスったらしい」小説で終わります。インタビューにあるように、「私小説」という手法が、読者に阿(おもね)る小手先の手段になっているとしたら、芥川賞はむしろ小説家に”不幸”をもたらしたと言えるのではないでしょうか。彼の「焦り」や「苛立ち」の根底には、そういった思いもあるのかもしれません。

>> 『苦役列車』
>> 『人もいない春』
2013.10.08 Tue l 本・文芸 l top ▲
ルポ 虐待


杉山春氏の『ルポ 虐待 ― 大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書)を読みました。「大阪二児置き去り死事件」とは、私たちにもまだ記憶にあたらしいつぎのような事件です。

 二〇一〇年七月三十日未明、大阪ミナミの繁華街のそばの、十五平米ほどのワンルームマンションで、三歳の女の子と一歳八カ月の男の子が変わり果てた姿で見つかった。斎藤芽衣(引用者注:仮名)さんは、その二人の子どもの母親だ。
 この夏はとびきり暑かった。子どもたちはクーラーのついていない部屋の中の、堆積したゴミの真ん中で、服を脱ぎ、折り重なるように亡くなっていた。内蔵の一部は蒸発し、身体は腐敗し、一部は白骨化していた。
 事件後、この部屋から段ボール箱十箱分のゴミが押収されている。コンビニや弁当やカップ麺の容器、スナック菓子やパン等の包装類、生ゴミ、おむつなどだ。芽衣さんは、一月中旬に名古屋から大阪に引っ越して以来、一度もゴミを捨てていなかった。
 部屋と玄関の間の戸口には出られないように、上下二カ所水平に粘着テープが外側から貼られた跡があった。冷蔵庫は扉の内側まで、汚物まみれの幼い手の跡が残されており、食べ物や飲み物を求めたのではないかと推測された。そんな幼い手の跡は、周囲の壁にもたくさん残されていた。
 大阪ミナミの風俗店でマットヘルス嬢だった芽衣さんが、子どもを残して最後に部屋を出たのは、六月九日。その約五十日後、ゴミで埋まったベランダから部屋に入ったレスキュー隊に子どもたちは発見された。


23歳の母親は、「この間、出身地の四日市や大阪で遊び回り、その様子をSNSをとおし、写真と文章で紹介していた」のでした。

驚くのは、遺体発見の数時間前、タクシーでマンションに乗りつけ、そのあと玄関から出ていく母親の姿が、マンションの防犯カメラに映っていたことです。マンションは勤務する風俗店の寮だったのですが、異臭がするという入居者からの苦情を受けた管理会社からの通報で、彼女はいったん部屋に戻ってきたのでした。つまり、そのとき彼女は、「土足でゴミまみれの部屋に上がり、腐敗し、一部、白骨化した二人を」見ていたのです。しかし、わずか数分でマンションを出て行きます。著者が書いているように、既に彼女には「そのリアルを受け止める力はない」のでした。

そのあと、彼女は、四日市の友人や高校時代の恩師に「大事な人を亡くした」と電話をしています。しかし、あくまで「大事な人」という言い方で本当のことは言えないままなのでした。このように、自分のことを正直に言えない、ためらった末にごまかしてうやむやにしてしまうのが彼女の特徴です。一方、風俗店の上司には、「どうしていいかわからない。取り返しのつかないことをした。子どもが死んだかもしれない」と泣きながら電話し、それがきっかけで遺体が発見されるのでした。

ところが、さらに驚くことに、彼女は上司に電話したあと、サッカーのワールドカップの応援で知り合った男性と落ちあい、神戸のメリケンパークの観覧車の前でピースサインをして写真を撮り、三宮のホテルに行って朝まですごしているのです。それは、ちょうど上司からの通報で警察がマンションに入り、遺体が発見される時間帯です。しかも、彼女は上司からのメールで、マンションに警察が入ったことは知らされていたのでした。このように現実から逃避する支離滅裂さも彼女の特徴です。

彼女は、求められば断わらずに誰とでもセックスをしていたそうです。遺体発見のきっかけになった上司とも、面接したその日に関係をむすんでいるのでした。でも、彼女は、取り調べでも心理鑑定でも一貫して「性はなければない方がよかった」と答えているのです。

その矛盾した行動の背景には、中学時代に体験した集団レイプの被害があるのではないかという、専門家の指摘があります。男性の欲望は拒否するものではなく受け入れるものである、拒むとまた暴力をふるわれるかもしれないというトラウマがあるからではないかと。

レイプされた夜、彼女は薬物を大量に飲んで病院に運ばれています。しかも、当初、レイプされたという記憶がほとんどなかったと言われます。彼女の心理鑑定を務めた臨床心理学者の西澤哲(さとる)氏(山梨県立大学教授)は、解離性認知操作という視点からこれを「メタ操作」だと説明していたそうです。「忘れる」「記憶にとどめない」のがトラウマ的な経験に対する彼女の処理の仕方で、これは生母から虐待されていた幼児期から身につけたものではないかと言うのです。

実際に、彼女は高校1年のとき、誘拐窃盗事件を起こして少年院に入っているのですが、その鑑別の際、解離性人格障害の疑いがあるという指摘を受けているのです。しかし、治療にむすびつくことはなかったのでした。

また、父親の存在が彼女の人格形成に影響を与えたのではないか、と指摘する声もあります。高校の教師で名門ラグビー部の名監督でもあった父親もまた、運動部体質の厳格さの一方で、育児に関してはネグレクトと紙一重の放任主義でした。父親は二度結婚しており、最初の妻(彼女の生母)は教え子で、二番目の妻は子どもが通っていた英語教室の教師で、離婚後も女性関係は派手だったと言われます。また、幼い頃、女性を自宅に連れてきたこともあったそうで、そういった行為が子どもたちの心に暗い影を落としていたのではないかと指摘する人もいます。

離婚の際、父親はまるで制裁でも課すかのように、彼女に子育てを強要したと著者は書いていました。まだ若い未熟な娘が、小さな子どもを二人も抱えて生きて行くなんて、とうてい無理なことくらいわかっていたはずです。まして、娘の過去を考えれば尚更でしょう。

そもそも離婚にしても、最初、若い夫婦は離婚するなんて考えてなかったそうです。それが双方の親の話し合いで、離婚が決まり、「育児は母親がやるものだ」という理屈で、二人の子どもの面倒を彼女が引き受けることになったのでした。彼女も無理だということを言えないままそれに従います。しかも、離婚の原因が彼女の浮気にあったため、慰謝料もありませんでした。そして、なぜかその話し合いの席にいなかった生母が、子育てのサポートをすることになったのです。

話し合いのあと、若い夫婦は、子育てのサポートを頼むために生母の元を訪ねます。それも奇妙な話です。親たちが勝手に決めた離婚に対して、若い夫婦はみずからの意思をはっきりと示すことができないまま離婚が成立。結果的に彼女は、幼い子どもを連れて名古屋・大阪へと夜の街をさまようことになるのでした。

一方、行政の対応も批判は免れないように思います。著者が書いているように、「幼い子どもを抱えた、若い、自立する力が乏しい家庭にとって、親の物心両面の支援は命綱」なのです。でも、その親の「命綱」が望めないなら、手を差し伸べるのは行政の役割です。2000年に虐待防止法ができてから、虐待防止は申請主義ではなくなったにもかかわらず、この事件の経緯を見ると、やはりどこかなおざりな行政の対応を感じざるをえないのです。

経済面だけでなく、子育てに対して知識も知恵もない若い親だっているはずです。そういう親をどうやって社会的に孤立させずに行政がケアしていくか。まして虐待(ネグレクト)が予感されるケースなど、どうやって親子を保護していくのか。「人手と予算が足りない」というのは役所の常套句です。行政の事なかれ主義は批判されて当然だし、もっと批判されるべきではないかと思います。でないと、いつまで経っても、いくら法律ができても、何度会議を重ねても、なんにも変わらない気がするのです。

事件だけを見ると、なんというひどい母親なのかと思います。しかし、この本を読みすすむうちに、なんだかやりきれなくてせつない気持になっている自分がいました。孤立してどうしていいかわからない、右往左往している彼女の姿が想像されてなりませんでした。彼女の行為が支離滅裂で放縦で責任感が欠如しているのはたしかですが、それも彼女が育った環境を考えるとき、まったく同情の余地がないとは言えないのです。それに、ときに彼女なりの表現でSOSを発していた部分もあります。まわりの人間たちは、どうしてそれをキャッチして手を差し伸べてあげられなかったのかと思います。一歩踏み込んで手を差し伸べる人間が誰もいなかったのでした。

彼女は、著者が言うように、育児を放棄して子どもを死に追いやりながら遠くに逃げるわけではなく、子どもの近くにとどまっていたのです。しかも、彼女自身も、虐待(ネグレクト)の被害者なのです。

彼女は子どもに幼児期の自分を重ねて見ていたのではないかという指摘もあります。誰からも(父親からも祖父母からも社会からも)面倒を見てもらえず放置されている子どもたちに、幼児期の自分を重ねていたのではないかと。だから子どもの置かれた現実を直視できず、その現実から目をそらそうとしたのではないか。

 子どもに自分を重ねていた芽衣さんは、苦痛のなかで、孤独に苦しむわが子そして自分自身を直視できない。さらに夢の中に逃げる。それは瞬く間に五十日間という時間になった。二人の子どもは、そのような母の元で死んで行った。


 悲劇の真因は芽衣さんがよい母親であることに強いこだわりをもったことだ。だめな母親でもいいと思えば、助けは呼べただろう。「風俗嬢」の中には夜間の託児所にわが子を置き去りにして、児童相談所に通報される者がいる。立派な母であり続けようとしなければ、そのようにして、あおい(引用者注:仮名)ちゃんと環(同)君が保護されることもあったかもしれない。
 だが、芽衣さんは母親であることから降りることができなかった。
 自分が持つことができなかった立派な母親になり、あおいちゃんを育てることで、愛情に恵まれなかった自分自身を育てようとした。
 だからこそ、泣き叫ぶ子どもに向き合うことができなかった。人目を晒すことは耐え難かった。母として不十分な自分を人に伝えられず、助けを呼べなかった。


 平成23年度の母子家庭の平均年間就労収入は181万円だそうです(厚生労働省「平成23年度全国母子世帯等調査」)。しかも、その多くは非正規雇用なのです。著者が指摘するように、いつ失業するかわからない、離婚が貧困につながるきびしい現実があります。

『マザーズ』や『ハピネス』が描いているような母であることの孤独。それは、幼い頃にネグレクトされた心の記憶をもっている母親にとって、よけい深刻なのではないでしょうか。孤独に苛まれるなかで、残酷な過去が頭をもたげることは充分あり得るはずです。私たちが忘れてはならないのは、虐待の世代連鎖は悲劇にさらに悲劇を重ねるものだということです。この事件には、「鬼母」「身勝手」「できちゃった婚の報い」などというマスコミやネットの短絡的な見方では捉えきれない問題が伏在していることはたしかでしょう。

裁判は、マスコミやネットと同じ視点に立つ裁判員裁判で懲役30年の判決が下され、上級審への控訴や上告も却下されて、刑が確定しました。しかし、彼女は今でも「殺意」を否定しているそうです。

>> ネグレクト
2013.10.04 Fri l 本・文芸 l top ▲
幸福論


高梨真教氏のブログ(中村うさぎvsマッド髙梨 ガチBLOG!)を読むと、中村うさぎも元気を取り戻したみたいで、まずはひと安心です。私は、前にも書いたように、中村うさぎの「老残」を見たいので、中村うさぎにはもう少し長生きしてもらいたい。そして、鈴木いづみではないですが、ジタバタする姿を見てみたい、その姿を赤裸々に書いてもらいたいと思っています。それがもの書きの使命、いや宿命でしょう。

中村うさぎの入院のニュースをきっかけに、ふと思い出して、小倉千加子と中村うさぎの対談本『幸福論』(岩波書店)を読み返しました。

奥付を見ると、2006年3月16日第1刷発行となっていますので、もう7年半前の本です。私は、この本を買ったことをなぜかよく覚えているのです。

当時住んでいたいた埼玉のとある町の、駅前のショッピングセンターのなかにある書店で買ったのですが、その書店はいわゆる棚割がメチャクチャな店で、ピンクの表紙が目立つタレント本の棚のなかから偶然この本を見つけたのでした。

「幸福」とはなにか。フェミニズムの論客である小倉千加子と嗜癖をとおして女性の生き方を考える中村うさぎは、一見好対照なイメージがあります。たしかに、頭脳(理論)の小倉千加子と身体(体験)の中村うさぎは、いろんなところで意見の相違が見られます。でも、そんな二人の対話から浮かびあがってくる「幸福論」は、ありきたりな人生訓ではない深味と柔軟性を併せ持ったものになっているのでした。

「幸福」について、心理学者の小倉千加子は、「あとがき」でつぎのように書いていました。

 「豊かさ」を求めることが「みんなの幸福」であった戦後の日本には、一人に一個の「自意識」はなく、「われわれ」という「集合的自己」が温存されていた。幸福であることがわからないほど幸福だった時代である。しかし、個別の「幸福探し」あるいは「自分探し」が始まると自意識は過剰になり、人は「幸福戦争」の被害者でありながら加害者になるという立場に置かれていく。
 個別の「幸福」とは、他人への優越感や劣等感の波の上で揺れる小船のようなものであり、船を繋留する岸辺はどこにもない。人はそこで揺曳し続ける。アディクション(依存症)とは、揺曳の痕跡であると思う。それは、寄る辺ない小船の悲鳴であり、孤独な「自意識」からの下船の要求であり、船酔いしないために人がみずから起こす酩酊である。


中村うさぎは、ブランド買い・美容整形・ホスト狂いと転変する嗜癖のなかで、「幸福」を手に入れることができたのか。もちろん、否(ノン)です。そういった嗜癖は、単に一過性の「快感」にすぎないからです。小倉は、「快感」は点で「幸福」は線なので、本質的に違うものだ、点をつなぎ合わせたものは線にはならない、形になる、それは「幸福」ではなく「意味」だと言ってました。

うさぎ◆結局、消費による自己実現、消費による個性化みたいなものが、もうすでに無価値であるという結論に達するぐらいまで、消費生活はある意味、成熟したのであり、もう臨界点に達してしまったんですよね。そうすると人は、何を求めるかというと・・・。
小倉◆「意味」ですよね。
うさぎ◆大義ということになるのでしょうか。


中村うさぎも、愛国心という大義に心の拠り所を求める知り合いの若い女性の話をしていましたが、「幸福探し」や「自分探し」、あるいは「個性化」という欲望のナチュラリズムの果てに待っている、大義に投企する自己というパラドックスは、昨今の状況がなにより雄弁に物語っているように思います。

急速に進む階層化のなかで、低階層の家庭では「教育による階層上昇の道」が「ほとんど塞がれてしまった」現在、勉強しろと尻を叩くエネルギーもお金もない親が、教育に代わるものとして子どもに求めるのは、「個性」です。前も書きましたが、「(勉強しなくて)いいのよ、いいのよ、個性があればいいのよ」というあれです。階層上昇のツールとして、「個性化」が親の幻想になっているという小倉の指摘はそのとおりでしょう。勉強がダメなら、Jリーガー・アイドル・ダンサー・モデル等々と、親子の見果てぬ夢はつづくのでした。

階層化は、結婚にも表れます。それは、桐野夏生が『パピネス』で描いたテーマであり、曽野綾子の暴論にも通じるものです。

うさぎ◆主婦の世界では、シロガネーゼが、一般的な主婦をつつくわけです。兼業主婦・共稼ぎ主婦を、「私たちは夫の稼ぎだけで、こんなに優雅な暮らしをしている」と。それで、収入が下の主婦たちは、主婦どうしで、何かを持っているとかそういうことでつつきあうわけです。じゃあ、皆につつかれた最下層の主婦は、誰をつつくかというと、もう主婦階層の中では最底辺なので、未婚女性をつつくわけですよ。「結婚っていいわよ。子どもをもたなきゃ一人前じゃないわよ」といって。


酒井順子は、そんな主婦につつかれる未婚女性を「負け犬」と呼んだのでした。

「他人に評価され、他人に必要とされ、他人に認定された時点で自分の価値が生じる」(中村うさぎ)女性性は、そういったさまざまな階層化によってその存在価値を問われることになるのです。とりわけ、容姿(顔の美醜やファッションセンス)を問う「女性偏差値」は、大きな意味をもちます。小倉千加子は、「女はすべて外見」がフェミニズムの「最終回答」だと言ってました。

小倉◆(略)究極の女性性というのは美の表象であり、それ以外の何者でもない。それ以外に女性というものは存在しないんですよ。黒人の黒人らしさが、白人に対する「従順さ」であるのとは違うように、黒人は黒い皮膚の色をした人であるだけで、女性は「女性のように見える人」というだけで、本質としては存在しない。


だから逆に女性は、「どんどん女性装をすることを楽しめるし、ある意味どこまでも自由で、何にでもなれるんです」と小倉は言いますが、しかし一方で、中村うさぎは、東電OLの嗜癖の背景にも、この「女性偏差値」の問題が伏在していたのではないかと指摘していました。皆が皆、松田聖子のように、したたかに女性性を逆手にとって生きることができるわけではないのです。

そして、「幸福探し」「自分探し」「個性化」の先に待っていたのは、孤独です。中村うさぎは、「神をもたない人間は承認してくれる他者をいつも必要としている」「人間は共存する生き物である」と言い、このメンヘラの時代に、みずからを傷つけながら人生をさまよっている人たちを、つぎのように叱咤激励するのでした。

うさぎ◆(略)未婚女性の不安は孤独への不安、ゲイの不安も孤独への不安。それで命を絶ったり、パニック障害になったり、変な嗜癖にはまったり。だったら最初から他人に嗜癖しろと。嗜癖する相手を見つけるのがお前の人生だと。


中村うさぎについて、「ここまで女性への究極の信頼と人間への静謐な愛を冷徹なリアリズムに即して維持している人が、外にいるだろうか」と、小倉千加子は「あとがき」で書いていましたが、私もそう思います。だからこそ中村うさぎには、元気になって「老残」をさらすまでがんばってもらいたいと思うのです。そして、これから規格外の老人なんていくらでも出てくるでしょうから、そんな私たちの老後に、あたらしい解釈で光を当ててもらいたいと思うのです。

>> 桐野夏生『ハピネス』
>> 中村うさぎの老残
2013.09.30 Mon l 本・文芸 l top ▲
醤油と薔薇の日々


小倉千加子氏の最新エッセイ集『醤油と薔薇の日々』(いそっぷ社)を読みました。

ただ、本の初版は今年の6月30日なのですが、個々のエッセイの初出一覧を見ると、収載されているのは、1993年から1994年に筑摩書房のPR誌「ちくま」に書かれたものと、2005年から2008年に「東京新聞」書かれたものの2本立てで、たしかに著名になっている文章など、題材に古さを感じさせる部分がないわけではありません。

『醤油と薔薇の日々』で主要なテーマになっているのは、「ある意味男性以上に個人としての達成と自己実現に駆り立てられている」女性の生き方についてです。言うまでもなくそれは、「他人への気遣いと役割の遵守」がなにより必要とされ、そのために「個人」や「自己」が二の次になるような女性の人生の現実があるからでしょう。

「他人への気遣いと役割の遵守」がいちばんよく出ているのは、無難でシックな「女性らしい」ファッションです。著者は、つぎのように書いていました。

 女として地上に生を享けた以上、自己の肉体と融和できるようになることは、<女>になるために果たさなければならない最低で最大の目標であろう。<正しい>服装を身につけることは、女として制度にきちんと適応したことを意味するのだ。


街なかや電車のなかで女性の服装を見てすごく感じるのは、規範としての服装です。特に東京のプチブルにその傾向が強いように思いますが、通勤する女性や営業まわりの女性社員やおでかけする主婦の服装は見事なほど画一化され、我々から見てもそこに逸脱することのできないルールが存在することがよくわかります(男性の場合はルール以前の問題がありますが)。それどころか、小さな女の子の”よそいきの格好”にしても例外ではないのです。そうやって子どもの頃から女性としての「たしなみ」や「おしとやかさ」などの規範が刷り込まれ、ボーヴォワールではないですが、「女になる」のでしょう。

著者は、「派手で濃くて下品な大阪ファッション」を、欲望に従順な「民衆のエネルギーの直截的な誇示」と捉える一方で、「贅沢さを隠しつつ仄めかすという、遠回しの富と知性の暗示である」シックをセンスの拠り所とする東京のファッションを「不誠実」だと批判していました。しかし、私は、個人的には大阪ファッションより東京のファッションのほうが好きです。おそらく私のなかに、女性に対して「無難」や「従順」の欲求が潜んでいるからなのでしょう。それは、「無難」や「従順」とは無縁な女のきょうだいのなかで育ったという環境も大きいのかもしれません。

また、「美人の条件」のなかの「美しい女は、男に似ている」というのもよくわかる話でした。著者は、「顔だちにおける彫の深さや背の高さ、贅肉のないこと、などに集約される、つまり、女性における美の特徴は男性の模倣である」と書いていました。

私は昔つきあっていた女性のことを思い出し、合点がいきました。彼女は、モデル(ショーモデル)をやっていて、身長が173センチあり、彼女と初めて会った日、帰りの電車のなかで、目の前にいる女性たちがみんなカボチャや大根に見えたくらいきれいな子でした。ところが、つきあっているうちに彼女の美しさのなかに”男性的な要素”があることに気付いたのでした。ときに、彼女はもしかしたら性転換したオカマではないかという妄想に囚われたことさえありました(本人に言ったら殺されたかもしれませんが)。

モデルや女優などを見ても、彼女たちの美しさのなかに”男性的な要素”が含まれているのはたしかな気がします。もちろん、それは、「性のビジュアル的な特徴」が、男性を基準にしているからにほかなりません。ここにも男性中心主義の思想(観念)が入りこんでいるのです。著者は、つぎのように言います。

 男たちは、よく、男と女は違うとか、女性本来の美しさなどと言って、男女の性差が自明のものであり、なおかつそれは強調されねばならぬと言う。が、女が<男>性の片鱗を備えてない場合は、決して美しいとは見なされないのである。従って、女性本来の美などというのは戯言であることがわかる。


女性性なるものが男性中心社会のなかで捏造された”制度”にすぎないというのは、頭では理解できますが、しかし、私たち自身の恋愛や結婚のなかでそれをどう理解していくかというのは、なかなか難しい問題です。街なかのバカ夫婦やバカップルを見ても、気が遠くなるような問題の難しさを痛感されられます。でも、一方で、そこに伏在する問題は、多くの女性たちにとって、日々直面し実感していることでもあるのです。

たとえば母親と娘の関係などは端的な例でしょう。「産むなら娘」というエッセイでは、文字通り「身体は嫁いでも心は実家に置いたまま」の娘の存在が指摘されていました。でも、それは、あくまで母親の願望にすぎないのです。「応援しているよ」と言いながら、いつも足をひっぱっている母親。親孝行な娘ほど母親の呪縛にがんじがらめになり、苦悩しなければならない理不尽な現実。

 娘が実家に帰ると、冷蔵庫の中の物をあれもこれもと持たせるのは、お盆に冥界から帰ってきたご先祖様を供養するのに似ている。「先祖崇拝」とは「子孫崇拝」の別名である。そして、親にとって唯一の子孫は娘と娘の子どもになりつつある。
 
 どんなに介護保険が改正されても、娘はそれ以上の「歩く介護保険」である。「老後は子どもの世話になるつもりはない」という、アンケートでは大多数の意見となる親の言葉は、親が自分に無理やりそう言い聞かせている呪文のようなものであって、「息子の嫁より実の娘を当てにする」ところに、本音はあるのだと思う。


「女性の時代」などというのは、安倍総理の「福島第一原発の汚染水は完全にブロックされている」という発言と同じように嘘八百ですが、こういった日常的な光景のなかから、制度や規範に抑圧された女性の問題をどう掬い上げていくかということは、私たちに課せられた大きな課題だと言えるでしょう。女の子のカバンや傘を持ってあげる「やさしさ」なんかどうだっていいのです。

>> 『松田聖子論』復刊
2013.09.24 Tue l 本・文芸 l top ▲
保守の本分


しつこいようですが、相変わらずオリンピック狂騒曲はつづいています。そして、案の定と言うべきか、ネットでは、「オリンピックに反対するやつは非国民だ」というような発言さえ出ています。

一方、オリンピック開催の追い風を受け、来春の消費税増税も既定路線に入った感じです。安倍政権はこの勢いを借りて、さらに原発再稼動・TPP参加・憲法改正へと一気呵成に進むつもりなのでしょう。けだし「オールジャパン」とは、そういう翼賛体制の謂いであり、「オリンピックに反対するやつは非国民だ」という空気が出てきてもなんら不思議ではないのです。

ひと昔前なら、「オリンピック反対!」の声を上げるのは左派だったはずです。それが社会の常識でした。「保守」の立場から、ヘイトスピーチ(排外主義)や原発再稼動やTPPや生活保護バッシングなどに反対し、ことばの上だけでなく果敢な行動でみずからの主張を実践している人気ブロガーのnoiehoie氏は、自著『保守の本分』(扶桑社新書)のなかで、反原発運動などで遭遇する「左翼」について、党派性にこだわるばかりで「危機感がない」と言ってました。オリンピックに対しても有効な反対論を打ち出すことができず、結果的に「オールジャパン」の翼賛体制に組み込まれている「左翼」もまた、能天気な既得権者にすぎないと言うべきでしょう。

みんな我も我もと、寄らば大樹の陰、風にそよぐ葦になっています。「オリンピックなんていらない」なんて言おうものなら、それこそ「在日認定」されて袋叩きに遭いそうな感じです。そして、その陰では、国家を食いものにする拝金亡者たちがよだれを垂らしながら、「経済効果」のソロバンをはじいているのです。

昨日の朝日新聞に、「東京五輪、決まったからには 招致反対の立場から注文」という記事が出ていましたが、これなども典型的な「アリバイ作り」の記事と言えるでしょう。要するに、みんな、突っ張ってないで寄らば大樹の陰になろうよ、ということなのでしょう。インタビューに答えるほうも答えるほうですが、この記事には朝日新聞の体質がよく出ているように思います。自他共に認める日本を代表するクオリティペーパーである朝日新聞は、「アカいアカいアサヒ」などと言われるほど一見進歩的なイメージがありますが、しかし、そんなイメージとは逆に、いざとなれば時の権力と密通して、きわめて反動的な姿勢を見せる、マッチポンプの顔ももっているのです。60年安保も70年安保も然り、原発推進が「社論」であった原発の問題も然りです。

noiehoie氏がネットで知られるようになったのは、「制度を改正するために個人を攻撃する必要はありません」という見出しが掲げられた新聞の意見広告でした。それは、いわゆる生活保護の「不正受給」問題で、お笑いタレントの河本準一がバッシングされた際、自民党の片山さつき議員が国会で河本の名前を出して批判したことに対して、疑問を呈する広告でした。

 主権在民である日本において、一般市民が国会議員を批判するのは当然の権利です。しかし、その逆はあってはならないことです。
 国会議員が、議場の中から一般市民(有権者)を名指しで批判するなど、これほどおかしいことはありません。ましてや、その個人攻撃をもって大義名分を勝ち取ろうなどとする手法は、議会制民主主義の手続きのイロハとして明らかにおかしいのです。


こう思ったnoiehoie氏は、ネットで意見広告のための賛同者を募ったところ、わずか2日間で200万円を越える寄付が集まったそうです。また、募金を募る趣意書には、つぎのような問いかけが書かれていたそうです。

「誰かの不幸を指さし、誰かを不幸にすることで初めて自分の幸せを感じさせるようなやり方がまかり通るような社会でいいのだろうか?」「このようなやり方で、本当に必要な議論ができるのだろうか?」「このような議論の進み方が、本当の民主主義なのでしょうか?」


私は、昨今の風潮を見るにつけ、「愛国」の声が大きくなればなるほど、社会が冷たくなっているように思えてなりません。愛国心と差別心はイコールなのでしょうか。愛国心というのは、人に対するやさしさや思いやりとは無縁なのでしょうか。人の痛みもわからないのでしょうか。まさかそんなはずはないでしょう。でも、片山さつき議員は、河本を名指ししたことで、ネトウヨたちのヒーロー(ヒロイン?)になったのでした。

「誰かの不幸を指さし、誰かを不幸にすることで初めて自分の幸せを感じさせるような」社会。ネトウヨに限らず、私たちの身近を見ても、ネットの出現によって、妬みや僻みや嫉みなど負の感情や、あるいは仕事や人間関係におけるストレスを、他人への差別で解消しようとする傾向がより顕著になり常態化した気がします。そして、愛国心がその方便に使われているように思えてならないのです。

noiehoie氏は、「生活保護制度の見直しは戦後一貫して何らかの裏の狙い、政策、意図に基づいて行われている」と言ってました。そして、今回の生活保護バッシングは、最初、民主党政権に対する批判の一環として行われ、そのうち暴対法絡みの制度改正に使われたと指摘していました。

本来生活保護を受ける資格のある(基準以下の貧困状態にある)人たちのなかで、実際に生活保護を受けている人の割合、つまり「捕捉率」は、日本の場合、社会保障の実態があきらかになるのを怖れて(?)役所が集計してないのではっきりしないのですが、大体「2割程度」と言われています。ちなみに、ドイツは64.6%、イギリスは47~90%、フランスは91.6%だそうです。このように、先進国のなかで日本は捕捉率が著しく低いのです。にもかかわらず、これだけのバッシングが起きているのです。むしろ、バッシングされるべきは、政治の役割を果たしてない(社会保障に怠慢な)政治家や官僚のほうでしょう。

noiehoie氏によれば、戦後初の生活保護バッシングは、1950年代半ばにあったのですが、そのときは、「内地に居留する旧植民地出身者を追い出す」ために使われたそうです。そして、バッシングと並行して「地上の楽園」北朝鮮への帰還事業がはじまったのでした。

そのとき、政府(旧厚生省)のキャンペーンのお先棒を担ぎ、真っ先に生活保護バッシングの記事を掲載したのが朝日新聞でした。「こんなに贅沢な朝鮮人受給者」「(受給者の家に行くと)真新しい箪笥があった」「仕事もしないで一日中のらりくらい」というような、バッシングの記事を連日掲載していたそうです。なんのことはない、ネトウヨが主張する「在日特権」のフォーマットは、60年前の朝日新聞にあったのです。

こうして見ると、今のオリンピック狂騒曲の本質も見えてくるようです。なにがホンモノでなにがニセモノか、それは右か左かなんて関係ないのです。

>> 「福祉」の現場
>> 負の感情の「地下茎」
>> 河本準一の「問題」と荒んだ世相
2013.09.15 Sun l 本・文芸 l top ▲
資本主義という謎


先日、今年度の「国民健康保険料額決定通知書」が届いたのですが、それを見て、一瞬我が目を疑いました。たしかに前年よりいくらか収入は増えたものの、それにしても保険料の上がりようが尋常ではありません。計算間違いではないかと思って市役所に問い合わせたのですが、間違いではないということでした。そう言えば、4月だったかに、国民健康保険料の計算方法が変更になるという「お知らせ」が届いたのですが、それがこの大幅な引き上げの予告だったのかと思いました。

収入に対する保険料の割合が「異常」と思えるくらいアンバランスで、とても現実に合致しているとは思えません。特にボーダーラインの近くにいる世帯にとって、この重い負担は深刻な問題でしょう。

所得に対する国民全体の租税負担と社会保障負担の合計額の比率を「国民負担率」と言いますが、日本の場合、「国民負担率」は42%だそうです。つまり、収入の42%が税金等に取られているのです。もちろん、高負担・高福祉のヨーロッパの国に比べれば、比率は低いのですが、しかし、私たちの生活実感からすれば、重税感を抱かざるを得ません。

水野和夫氏と大澤真幸氏の対談集『資本主義という謎 ー「成長なき時代」をどう生きるか』(NHK出版新書)が指摘するように、今のようなグローバリゼーションの時代では、資本にとって国家は足手まといでしかないのですが、さらに言えば、もはや国家にとって社会保障制度で面倒をみなければならない国民も足手まといでしかないのです。そして、結局は、国境を越える(越えなければならない)資本によって、国民は国家とともに置き去りにされるのがオチでしょう。それが、ウォール街を占拠したアメリカの若者たちが告発したような、1%の「勝ち組」と99%の「負け組」という現実になって表れているのだと思います。

大澤真幸氏が言うように、分配のシステムひとつとっても、資本主義は社会主義なんかよりはるかによくできた制度であるのはたしかでしょう。しかし、世界の経済が株価や為替の動きにこれほど左右され、超低金利政策がこんなに長くつづき、頻繁にバブルがおきて、まるでモグラ叩きのように常に世界のどこかで”危機”が発生している今の状況は、どう考えても資本主義が行き詰りつつある証左のようにしか思えません。水野和夫氏は、非正規雇用の背景には過剰資本の問題があり、雇用者報酬(所得)の削減の背景には過剰な固定資産減耗の問題がある、と言ってましたが、これは既に分配のシステムも機能しなくなっているということではないでしょうか。

資本主義が十全に機能するためには、常に収奪すべき「周辺」が必要ですが、もはやその「周辺」もなくなりつつあるのです。それで、急場しのぎでこしらえた新たな「周辺」が「金融空間」で、そのためにバブルが頻繁におきるようになったというのは、よくわかる話でした。

水野 (略)なぜ、バブルが頻繁に起きるかといえば、新しい「実物投資空間」がなくなったからです。「実物投資空間」の膨張がインフレで、「電子・金融空間」の膨張がバブルです。つまり、インフレが生じなくなったから、バブルが繰り返し起き、バブル崩壊が同じだけ生じるのです。バブル崩壊でデフレが生じるのですから、そのデフレをインフレを起こして解消するというのは倒錯した議論です。


水野氏は、今のグローバリゼーションの行き着く先は、世界の「過剰・飽満・過多」化で、グローバリゼーションは、「限界費用一定の法則という先進国の特権」を前提にした近代を終わらせることになるだろうと言ってました。そして、中国春秋時代の紀元前320~317年に書かれたと推定される『春秋左氏伝』の「国が興るときは、民を負傷者のように扱う。これが国の福です。国が滅びるときは、民を土芥(どかい)のように粗末に扱う。これが国の禍です」ということばを引いて、この国の現状をつぎのように警告していました。

二一世紀の現在、非正規社員が三割を超え、年収二〇〇万円以下で働く人が給与所得者のうち23.7%(平成二三年)、金融資産非保有世帯が26%(平成二四年)という日本で、現在「民」は大切に扱われているとはまったく思えません。新自由主義の人たちは、個々人の努力が足りないと非難し、貧乏になる自由があるとまで言います。『春秋左氏伝』によれば、亡国の道をひた走っていることになります。


しかし、私は、「亡国の道」ならそれはそれで、行き着くところまで行ったほうがいいんじゃないかと思います。「創造的破壊」ではないですが、一度行き着くところまで行かないと、新しいシステムも生まれてこないし、次の世代に残すような未来も拓けてこないような気がするのです。私も含めてですが、とりあえず自分たちの年金さえもらえればそれでいいというような現状追認は、「未来の他者」(大澤真幸氏)に対してあまりにも無責任すぎると言わざるをえません。

※タイトルを変更しました(7/4)。
2013.07.03 Wed l 本・文芸 l top ▲
ビッグデータの覇者たち


海部美知氏の『ビッグデータの覇者たち』(講談社現代新書)を読みました。

ビッグデータとは、著者の定義によれば、ネットで収集されたさまざまなデータを使って「予測」「絞り込み」「見える化」をする技術のことです。身近な例で言えば、過去の検索履歴から個人別にカスタマイドされるグーグルのパーソナライズ検索やアマゾンのレコメンド広告(おすすめ広告)などがそれです。

業界では、「データは新しい石油」と言われているそうですが、たしかにネットで収集される個人データが”無限の可能性”を秘めているというのは、そのとおりでしょう。ただし、それはあくまで金の成る木としての可能性です。

もちろん、ビッグデータを考える上で、ユーザーのプライバシーは避けて通れない問題です。考えようによっては、非常に深刻な問題をはらんでいると言えます。でも、著者の認識は、呆気にとられるくらい能天気なものでした。本のなかでも、プライバシーの問題は申し訳程度にちょっと触れているだけで、あとはもっぱら金の成る木としての可能性の話ばかりでした。

(略)ユーザーがアマゾンのタブレット「キンドル」を使うと、そのユーザーのデジタル・コンテンツの利用状況の詳しいデータを取ることができます。電子書籍ならば、いつ、どの場所で、何を、何ページまで読んだか、どこにブックマークしたか、ハイライトしたか、などまでアマゾンが正確に把握することができます。


(略)ベンチャーのプロテウス社では、食べられる素材で作った微小チップを薬の錠剤に埋め込み、ユーザーが錠剤を服用したときだけチップが微弱電波を発するようにし、その信号をキャッチしてサーバーにアップするシステムを開発しています。大きな手術後にはたくさんの薬を服用することが必要ですが、用法・用量を守らず、また病院に逆戻りというケースが多いため、服用状況を自動監視するための仕組みです。


私は、こういった具体例を読むにつけ、やはりプライバシー問題を考えないわけにはいきません。それどころか、ビックデータというのは、総監視社会化の謂いではないかという思いを強くせざるをえないのです。

でも、著者は、「『プライバシー問題があるからビッグデータは全面禁止』というのは、『交通事故が怖いから自動車は全面禁止』と同じくらい、非現実的です」と言ってました。このセリフはどこかで聞いたことがあるなと思ったら、福島第一原発事故のあとに原発推進派が口にしていたセリフと同じなのです。

著者は、ビッグデータによる実害については、その都度個別に防止策を講じればよく、データを集める部分に制約を設けるべきではないと言います。なぜなら、「どのデータが役に立つのか、今はゴミでも将来はどうか、自分にとってゴミだが他の人にとってはどうか、など集める段階での判断をつけづらいのがビッグデータ」だからだと言うのです。なんだかこれも「まず原発ありき」の推進派の詭弁に似ています。

しかも、現在、ビッグデータで利用されているデータは、ほんの入口にすぎないのだそうです。その先には、あまりにも「強力」すぎて使うことができない、著者が言う「戦略核兵器」のようなデータがあります。たとえば、フェイスブックがもっている「プライベートな人間関係データ」などがそれです。ただ、逆に言えば、「強力」である分、巨大な金の成る木になる可能性もあるわけで、ネットの守銭奴たちがただ指をくわえて見ているはずはないのです。

もっとも、先日、元CIA職員でアメリカ国家安全保障局(NSA)の要員であったエドワード・スノーデン氏が暴露したNSAの諜報活動からは、国家レベルでは既にその「戦略核兵器」に手をつけている実態が垣間見えるのでした。スノーデン氏が提供した内部文書によれば、国防総省の諜報機関であるNSAは、「PRISM」というソフトを使って、グーグル・アップル・マイクロソフト・ヤフー・フェイスブック・スカイプ・ユーチューブ・AOL・パルトークの大手ネット企業9社のサーバーに侵入し、サーバー内に保存されていたメール・検索履歴・通信記録・画像・動画等の個人データを収集していたそうで、アメリカ政府もその事実を認めています。

言うなれば、ビッグデータとは、諜報活動の民生転用のようなものと言ってもいいのかもしれません。ビッグデータをとおして見えてくるのは、筒抜けになった私たちのプライバシーが日々企業や国家から覗き見されている、ジョージ・オーウェル描くところの『1984年』の現代版のような世界です。それは、「ネットは自由か?」なんて質問も、もはや間抜けな愚問にすら思えるほどです。そう考えると、『ビッグデータの覇者たち』は、ユーザーの側から見た問題意識がおそろしく欠けていると言わざるをえません。そして、あらためてウィキリークスのジュリアン・アサンジ氏やスノーデン氏が、ヒーローに見えて仕方ないのでした。

>> ”国営マンガ喫茶”
2013.06.28 Fri l 本・文芸 l top ▲
野心のすすめ


林真理子の『野心のすすめ』(講談社現代新書)を読みました。

昔、つきあっていた彼女は、林真理子の大ファンでした。実際に林真理子に会って話をしたこともあるそうで、「とってもいい人だった」と言ってました。

しかし、私は林真理子のどこがいいのか、さっぱりわかりませんでした。「女性の本音を書いている」と言うのですが、それは裏返せば身も蓋もないことを書いているようにしか思えませんでした。

一方、林真理子は、そういった身も蓋もないことを書いた本(デビュー作『ルンルンを買っておうちに帰ろう』)を出したのも計算ずくだったと言うのです。

 当時の書店の女性エッセイの棚には、落合恵子さんや安井かずみさんのような、女性らしい品のある本しか並んでいませんでした。「ああ、ここに爆弾をぶち込めば売れるだろうな」と私なりのマーケティングをしたんです。恋愛やセックスのあけすけなエピソードやちょっと下品なことまで、とにかく誰も書いていないような女性の本音を書けば絶対に売れるはずー。
 あの時は、悪魔に魂を売り渡してもいいとさえ思っていました。普通のことを書いていたら、無名の自分が世の中に出られるはずはないとわかっていたので、何か過激なことをしなければならなかった。


これを正直(本音)と見るか、あざとい(野心)と見るか、人それぞれでしょうが、この本には、野心が希薄な時代だからこそあえて「野心」を言挙げする彼女なりの考えも含まれているように思います。内田樹氏もかつて『下流志向』で書いていたように、学ばない・働かない若者たちがマスとして存在する時代だから、(野暮を承知で)努力をすることの大切さを強調しなければならないのでしょう。

林真理子は、「『今のままじゃだめだ。もっと成功したい』と願う野心は、自分が成長していくための原動力」で、そのためには「野心に見合った努力が必要で、野心が車の「前輪」なら努力は「後輪」だ、と言います。

 たとえば学生さんや就職浪人の方々がアルバイトをするのであれば、二流三流ばかりでつるんでしまいがちな居酒屋チェーンではなく、少しでも実入りのいいアルバイトをしようとして学校名で差別されるような経験をしたほうがいいと思います。
 社会に出てからも同じです。
 正社員として雇ってもらうことが叶わず、非正規雇用で差別された悔しい思いをしているなら、派遣社員の友人と、会社や社会の愚痴を言い合っているだけでは何も変わりません。


身も蓋もない言い方だけど、でも、痛いところをついているのはたしかでしょう。

コンビニの前でウンコ座りしている中学生とそれを横目に塾に通っている中学生が、10年後に差が付くのは当然だろう、と言った人がいましたが、正直私もそう思います。みんな平等なのだから、彼らに対等にチャンスを与えるべきだという考えは、理念としてはありえますが、現実にはありえないのです。

もちろん、すべてを個人の努力のせいにするのはあまりにも単純すぎますし、それはややもすれば弱肉強食の「自己責任論」にもつながりかねません。努力しても報われない社会の構造もたしかにあるわけで、そういった社会の不条理にも目を向けるべきでしょう。ただ、だからと言って、学ばない・働かない・努力しなくていいということにはならないのです。

林真理子は「無知の知」という言い方をしていましたが、みずからが「無知」であるという自覚(無知の知)のない人間に、どうやって無知であることを自覚させるかは、むずかしい問題です。永山則夫が「無知の涙」を流したのは、ネット以前の話です。病気をして仕事を失ったら生活保護を受けるしかないようなフリーターたちが、一方でナマポ叩きをする、その浅はかさ(無知)の根底にあるのは、「努力をしない」人生に対する勘違いと開き直りでしょう。類は友を呼ぶネットの出現によって、そういう勘違いと開き直りが生まれたのです。

 私が最近の若い人を見ていてとても心配なのは、自分の将来を具体的に思い描く想像力が致命的に欠けているのではないかということです。
 時間の流れを見通すことができないので、永遠に自分が二十代のままだと思っている。フリーターのまま、たとえば居酒屋の店員をずっとやって、結婚もできず、四十代、五十代になったときのことを全く想像していないのではないか、と。
 より具体的に言えば、「このまま一生ユニクロを着て、松屋で食べればオッケーじゃん」という考え方です。


たしかに、身も蓋もない言い方ですし、言葉尻をとらえればいくらでも批判できます。しかし、現実を見ると、盗人にも三分の理ではないけれど、林真理子にも三分の理があるように思えてならないのです。こういうベタな考えは案外人生の核心をついていて、バカにできないのではないでしょうか。

林真理子ファンだった彼女は、いつも口癖のように私に「欲がないね」と言ってました。そして、そんな私に三下り半を突きつけると、ひとりアメリカに旅立ったのですが、今になれば彼女の言い分にも三分の理があったように思えるのでした。
2013.06.11 Tue l 本・文芸 l top ▲
さよなら、韓流


北原みのり氏の『さよなら、韓流』(河出書房新社)を読みました。

この本は、韓流にはまった著者が、実体験に基づいたエッセイと同じように韓流にはまった女性たちとの対話をとおして描く、「韓流の物語」であり「”非国民女”の欲望史」(”帯”より)です。

著者は言います。「韓流はエロである」と。そして、「女の欲望は正義じゃない。だからこそ、しなやかに強く根深く自由だ」と。

それに対して、フェミニズムの先達の上野千鶴子氏は、著者との対談で、韓流にきわめて否定的な見方をするのでした。韓流も所詮は「思うさま消費して使い捨てができる」便利な消費財にすぎない、「その背後には植民地時代からの優劣関係の記憶がきっとある」、だから韓流ブームは「不愉快だ」と言うのです。

でも、私には、今の韓流ブームは、上野千鶴子氏が言うような「歴史」や「政治」と切断されたところに成り立っているのが特徴で、むしろそこに韓流ブームの斬新さや可能性があるように思えてならないのです。

北原 むしろ、私はいままで男臭さや男らしさっていうのを否定してきたけれど、肯定すべき男らしさがここにあるんだ!と思って。
信田(引用者注:信田さよ子氏。臨床心理士) そうなんだ、韓流ではじめて?
北原 そう、韓流で自分の中のフェミニズムが変わったんですよ。いままで身体性のない「男らしさ」とかに対して、苛立っていたんだけど、肉体を伴った男が出てきた途端にいろんなことが解決されちゃった。それがすごく斬新で。
(略)
信田 (略)それって、ジュディス・バトラーが『ジェンダー・トラブル』で書いていることだよね。つまり、いままでジェンダー規範に取り込まれていた北原さんが東方神起を見て、ジェンダーにとらわれない本物のセクシャリティによってむしろ解放された、みたいな。
(信田さよ子×澁谷知美×北原みのり「韓流はフェミである!」)


こういった「しなやかに強く根深く自由」な「女の欲望」の解釈に比べれば、上野千鶴子氏のような旧来の(左派的な)解釈は、なんと不自由で紋切型なんだろうと思わざるをえません。

著者は、「韓流ドラマは不幸じゃなければ、はまらないものだ」「何の不幸もない、何の痛みもない人に、韓流ドラマは効かないだろう」と言ってました。

もちろん、男たちにも女たちとは違った「不幸」や「痛み」はあります。でも、男たちのそれは、いともたやすく国家(「愛国」)に収斂され、自閉的な嫌中や嫌韓に向かっていくのです。そして、それは、誤解と批判を怖れずに言えば、上野千鶴子氏の左派的で紋切り型の解釈の不自由さと重なって見えて仕方ないのです。

ただ一方で、『ネット右翼の矛盾』で指摘されていたように、2ちゃんねるのなかでは、意外にも既婚女性板に嫌中嫌韓の書き込みが多く、結婚生活におけるストレスが排外主義に結びつくという、女性たちのもうひとつの(ゆがんだ)現実があることも忘れてはならないでしょう。

安倍政権の誕生で、韓流に対する逆風は強くなる一方です。「さよなら、韓流」という著名もそういった状況に対する意味合いがあるそうですが(韓流を卒業するという意味ではない)、それでも韓流は紆余曲折を経ながらしなやかにしぶとく生き延びていくだろうと思います。なぜなら、韓流とは、前述したように、もともとそういった「歴史」や「政治」と切断したところに成立しているものであり、なにより韓流の背後には、「今を感じたい」この国の女たちの渇望や絶望や欠落が伏在しているからです。信田さよ子氏が言うように、彼女たちにとって、「韓流は嗜癖」なのです。そして、それは、「国に愛されたい」「女性に慰安されたい」ヘタレで甘ちゃんの日本の男たちに対するアンチテーゼでもあるのです。そう考えると、男たちにとっても、韓流が意味するものは大きいと言えるでしょう。
2013.06.06 Thu l 本・文芸 l top ▲
最近また身体の調子がよくないのですが、昨夜も午前2時すぎに身体の変調で目を覚ましました。そして、気を紛らすために、パソコンを立ちあげたら、このブログのアクセス数が、アベノミクスの株価のように異常な勢いで伸びていました。

アクセス解析で調べたら、今年の1月にアップした記事・『狂人失格』にアクセスが集中していたことがわかりました。言うまでもなく、これは、昨夜、ヤフーニュースに掲載された「中村うさぎさんらに賠償命令 小説モデルの訴え認める」(朝日新聞デジタル)という記事の余波によるものです。

幸か不幸か、私の記事が「狂人失格」あるいは「優花ひらり」というキーワードで上位に表示されていたため、判決の記事に興味をもった人たちが検索してアクセスしてきたのでしょう。新聞各紙も朝刊でこのニュースを伝えていますので、今日もアクセスはつづいています。

それにしても、モデルの女性が本当に中村うさぎを訴えていたとは、正直驚きました。たしかに、そういった話はありましたが、ブラフ(はったり)だろうと思っていたからです。

もっとも作家というのは、前も書きましたが、訴えられて当然のような存在なのです。太宰治ではないですが、”人非人”なんだからそれは仕方ないと思います。モデルを特定されれば、誰だって訴えられる可能性があります。

ただ、細かいことを言えば、モデルが特定されたことに関して、中村うさぎのほうに多くの非があるかのような認定には、ちょっと首をひねらざるをえませんでした。

『狂人日記』が発売されたとき、モデルの女性のブログには、書店の棚に並べられている『狂人失格』の写真とともに、つぎのような記述がありました。

中村うさぎさん、あまり本人不在のところでの、

誹謗中傷はやめてくださいね!!

それでは、優花ひらりこと渚 水帆は密かに

この本のヒットを願っています!!


なんのことはない、本人が小説の主人公は自分だと「宣伝」しているのです(別の日には、中村うさぎの「狂人失格発売記念トークショー」の告知も貼られていました)。そのため、検索エンジンで「狂人失格」「優花ひらり」と検索すれば、彼女のブログがトップページに表示されるようになったのです。私もそうやって彼女のブログを知りました。

私はブログを仔細にチェックしたわけではないので確認していませんが、もしかしたらその前に、女性が中村うさぎとのやりとりをブログで公表していた可能性もあります。いづれにしても、「狂人日記」の発行部数はわずか5千部(少ない!)だそうですから、もし自分で「宣伝」しなければ、これほど拡散することはなかったかもしれません。判決でも一応原告の「宣伝」を認定しており、それを勘案して慰謝料を100万円に減額したと言うのですが、それでも中村うさぎの代理人の弁護士は、判決に対して、「雑な事実認定」と批判していました。

それに、コメント欄での誹謗中傷や罵詈雑言は、「狂人失格」のずっと前からくり広げられており、とてもじゃないけど『狂人失格』の比ではありません。しかも、個人情報を晒された上に、注文していない商品が自宅に届いたり、ご主人の勤務先に凸電したりする行為にまでエスカレートしていったという話まであります。コメントを書き込む人間たちもまた「普通ではない」のです。それでも女性はコメント欄を閉じることはなく、コメントを「承認」しつづけたのです。だから、そんな彼女に中村うさぎも興味をもったのでした。

ネット以前には発言の場を与えられなかった人たちが、ネットというツールを得て、発言をはじめたのが今の「ネットの時代」です。梅田望夫氏は、『ウェブ進化論』で、それを「総表現社会」と呼んで称賛しましたが、現実はそんな能天気なものではないことくらい私たちでも知っています。ネットには、リアル社会(私たちの日常)の尺度では測れない現実が存在していることもたしかなのです。

どういういきさつであれモデルが特定されたのは事実ですから、名誉毀損は名誉毀損で、それは仕方ないと思います。ただその一方で、私は、今回の判決に対して、ネットの”特異性”を従来の(市民的価値に基づく)倫理観で裁くことの矛盾を感じてなりませんでした。事実は小説より奇なりと言いますが、ネットは小説より奇なりなのです。

>> 『狂人失格』
2013.05.31 Fri l 本・文芸 l top ▲
安井かずみがいた時代


島崎今日子『安井かずみがいた時代』(集英社)を読みました。

これは、フリーランスのライター兼編集者の島崎今日子が、作詞家の故・安井かずみと交遊があった人たちに、当時の思い出とその人となりを聞き書きした本です(初出は『婦人画報』の連載)。

安井かずみは、60年代の後半から70年代・80年代にかけて数々のヒット曲を生み出した知る人ぞ知る作詞家です。しかし、1994年3月肺がんのため、55歳で早すぎる生涯を閉じたのでした。

巻末の「楽曲リスト」を見るにつけ、そのヒット曲の多さとともに彼女の作詞家としての才能を今さらながらに痛感せざるをえません。「リスト」のなかから私が口ずさむことができる楽曲をあげれば、つぎのようになります。

「若いってすばらしい」槙みちる
「青空のある限り」ザ・ワイルド・ワンズ
「恋のしずく」伊東ゆかり
「シー・シー・シー」ザ・タイガース
「ラブ・ラブ・ラブ」ザ・タイガース
「経験」辺見まり
「わたしの城下町」小柳ルミ子
「自由に歩いて愛して」PYG
「片想い」中尾ミエ
「あなただけでいい」沢田研二
「折鶴」千葉紘子
「赤い風船」浅田美代子
「危険なふたり」沢田研二
「草原の輝き」アグネス・チャン
「危ない土曜日」キャンディーズ
「激しい恋」西条秀樹
「よろしく哀愁」郷ひろみ
「不思議なピーチパイ」竹内まりや

安井かずみより下の世代の私でさえこれだけ列記することができるのですから、同世代の人たちにとっては、文字通り安井かずみが作った歌が青春の思い出と重なって、もっと感慨深いものがあるのではないでしょうか。

ムッシュかまやつは、安井かずみが最も輝いていたのは70年代だと言ってました。

僕は、ZUZU(引用者注・安井かずみの愛称)のことサンジェルマン・デ・プレをちょっと切り抜いて持ってきたみたいな感じの人だと思ってずっと見ていました。七〇年代はフランス文化の時代だったけれど、ロンドンにもパリにもモードにも対抗して、ヒッピーみたいなファッションがあった。いつもカルチャーとサブカルチャーの両方があって、彼女も僕もそのどっちにものっかっていたかった。もうあんな人は出てこないと思う。


実際に作詞家としての活躍のみならず、時代の先端をゆくファッションで着飾り、ロータス・エラン(のちにメルセデス4ドア)を駆って、夜ごと六本木のイタリア料理店「キャンティ」に出没し、華麗な人脈のなかで「小動物のように飛び回っていた」(ムッシュかまやつ)彼女は、当時の若い女性たちのロールモデルであり、憧れの対象でもあったのです。

私自身、東京で初めて勤めた会社が六本木でしたので、「キャンティ」がある飯倉片町のあたりもよく知っています。「キャンティ」には90年代の終わりに2~3回行ったことがあるだけですが、それでもこの本を読んでいたら、私自身のあの”甘酸っぱい時代”のことが思い出されて、ちょっとセンチメンタルな気分になりました。

たしかに70年代から80年代にかけての「時代の気分」というのはあったのだと思います。そして、安井かずみが、その「時代の気分」を体現するひとりだったことは間違いないでしょう。

安井かずみは、「私はフェリスだから」といつも言っていたそうですが、彼女が横浜生まれの横浜育ちで、小学校からフェリス女学院に通ったということも大きかったように思います。

当時私が勤めていた会社の社長は、70年代にヨーロッパ(主にフランス)のポストカードやポスターを日本に最初に紹介した人物として有名で、のちに会社が倒産したとき(!)、その功績が日本経済新聞にも出たほどですが、彼は大学を出たあと、会社を興すまで芸能界の周辺にいて六本木界隈で遊んでいたそうで、よくその頃の話をしていました。

そんな社長がいつも口にしていたのは、如何に横浜に憧れたかという話です。昔の横浜は今と違って活気があって輝いていたし、横浜にしかない先進的な文化もあり、スノッブな若者たちにとって憧れの土地だったのです。

しかし、「救急車のように」男をとっかえひっかえしていた安井かずみが「運命の人」加藤和彦と知り合ってから、彼女の生活は一変するのでした。親友の加賀まりこは「今度はいい人なのでうまくいきそうよ」と言っていたそうですが、加藤と結婚してからは、一心同体と言ってもいいくらい二人の生活を優先し、健康的で家庭的な生活に変えていくのです。それにつれ、独身時代の友達も離れていったそうです。さらに仕事でも、加藤が書いた曲にしか詞を書かないようになり、売れっ子作詞家の地位も未練なく捨てたのでした。

でも、そんなハイソでエレガントで仲むつまじい生活も、実は演技の部分もあったのではないかという関係者の証言があります。そのひとり吉田拓郎は、加藤和彦の傑出した才能は認めながらも、二人の生活についてはかなり辛辣に語っていました。

「(引用者:加藤和彦は)雑誌ではヨーロピアンナイズされた粋な男のように書かれているけれど、むしろ鈍臭くて、女から見て魅力を感じるわけがないんですよ。だから、自分より先を歩いてくれる女じゃなきゃダメな加藤がZUZUを選んだのはわかるんですけど、歴戦の兵(つわもの)のZUZUがなんでそんな頼りない男に熱を上げたのか、さっぱりわからない」


「久しぶりに会ったZUZUは、お前、そんなことしないだろう、と思うくらい家庭の中にいる女をやっていた。なんかちっちゃくなったなって。加藤のほうは立派な男になっていました。お酒が飲めなかった男がワイン通になっていて、えらく一流好みになっていた。(略)」


また、ちょっと長くなりますが、二人の家に泊まったときのつぎのようなエピソードも語っていました。

「朝、『ねぇ、朝ご飯よ』とパンケーキを焼いてもってきてくれるんですよ。市販のパンケーキ・ミックスなんです。『えっ、お前んち、朝からこんな甘いもん食っているのか』と言いながら、甲斐甲斐しくインスタントのパンケーキを焼いて持ってきてくれるZUZUというのは、僕らからすると絵的におかしいな、と思うわけです。家はまるでホテルで、まったく生活感のない空間でした。普通、夫婦で十年近くも暮らせばもうちょっと漂ってくるものがあるけれど、それがまるでない。もっと言えば、あの六本木の家には暮らしなんて存在していなかった。人間は普通、あんなところに長年いたら疲れてしまいますよ。そんなものやるわけがないはずの加藤がZUZUと一緒にテニスやゴルフをやっていたのも、僕には、関係を維持するために必死になって共通の話題を作っているようにしか見えませんでした」


なんだか中村光夫の「私小説演技説」を思い出しますが、安井かずみの実妹のオースタン順子も、吉田拓郎の証言を裏付けるようなことを言ってました。

「姉は電話で私に『順ちゃん、表向きはそうやっているけれど、そんなもんじゃないのよ』と言ってました。誰にでも表と裏はありますけれど、二人の理想的な絵の中に自分たちが収まるように演じていたところはあったのでしょう」


安井かずみの死から7カ月後、二人の別荘があったハワイのカルパニアで散骨式が行われたのですが、夫の加藤和彦は翌日、「友達を待たせているので」と言ってそのままイタリアに飛び立ったのだそうです。その待たせていた友達というのが、新しい恋人の声楽家・中丸三千繪でした。葬儀の際、「僕は、ZUZUとイエス・キリストと三位一体でこれから生涯生きていきます」と挨拶して参列者の涙を誘った加藤和彦は、1周忌を待たずに中丸三千繪と再婚して周囲を驚かせたのでした。安井かずみの主治医だった東京医大の加藤治文は、成田空港で加藤和彦にばったり会った際、「僕の新しい妻です」と中丸を紹介されて、「腰がぬけるくらい」驚いたという話をしていました。

それにしても、写真を見ると、ファッションといいメークといい、安井かずみと鈴木いづみはホントによく似ているなと思います。年齢は10歳違いますが、同じように70年代を疾走した鈴木いづみは、「老衰したい。ジタバタみぐるしくあばれて『死にたくない』とわめきつつ死にたい」(『いつだってティータイム』)と言っていたのですが、老衰どころかわずか36歳で自死してしまいました。安井かずみはスピード狂だったそうですが、彼女もまた、鈴木いづみと同じように、フルスロットルで「太く短く生きた」と言ってもいいのかもしれません。

ムッシュかまやつは、「こんな疲弊していく日本を見たくなかっただろうから」早く亡くなったのは「ちょうどよかったんじゃないかな」と言ってましたが、たしかに、安部首相の肝入りで設置された「アジア文化交流懇談会」の席に、有識者気取りでアナクロな政治家と一緒に座っている、かつての親友のコシノジュンコの姿を見なくて済んだだけでも、「よかった」と言えるのかもしれません。

二十代自分

先日、たまたま押し入れの衣装ケースのなかから当時の自分の写真を見つけました(横は近影)。手に取ると、「ああ、あの頃は若かったなぁ」とせつないような哀しいような気持になりましたが、私たちは、これから70年代から80年代のキラキラ輝いていた時代の思い出を抱えて、(鈴木いづみも安井かずみもいない)老後を送ることになるのでしょう。そう思うと、再びせつないような哀しいような気持になりました。

>> 加藤和彦さんの死 
2013.05.24 Fri l 本・文芸 l top ▲
大阪府警暴力団担当刑事


今回はちょっと異質な本を。

先日、2012年度(第44回)の大宅壮一ノンフィクション賞に、船橋洋一氏の『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)が決定しましたが、私は、それを聞いたとき、「なんで?」と思いました。今回はどう見ても、世評も高かった安田浩一氏の『ネットと愛国ー在特会の「闇」を追いかけて』(講談社)で決まりだろうと思っていたからです。猪瀬直樹(東京都知事)ら選考委員の顔ぶれや勧進元が文春であることを考えると、安田作品の受賞はないものねだりだったのかもしれませんが、同じように今回の選考に失望した読者も多いのではないでしょうか。

『大阪府警暴力団担当刑事ー「祝井十吾」の事件簿 』(講談社)は、『なぜ院長は「逃亡犯」にされたのかー見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間』(講談社)で、やはり大宅賞の候補にあがっていた森功氏の最新刊です。

これは、タイトルどおり大阪府警のマル暴担当刑事たちに取材したノンフィクションですが、本のなかで指摘されているのは、芸能界・ボクシング・銀行等と闇社会との深い関係です。

本の冒頭は、例の島田紳助の引退会見からはじまります。「正直に話します」と言った紳助の会見を見た大阪府警のマル暴刑事は、こう吐き捨てたそうです。「紳助、よう言うわ。認めるんなら、もっと正直に話さんかい」と。

吉本興業は、そんな紳助のカンバックを画策していると言われます。しかし、当の吉本と闇社会との関係も、この本ではかなりのスペースを割いてあきらかにされているのでした。

もっとも、関西の人たちにとっては、こういった話は半ば常識で、別に驚くに値しないのかもしれません。中島知子の件でもそうですが、芸能界のご意見番よろしく偉そうにコメントを述べる和田アキ子を見て、大阪府警の刑事と同じように、「よう言うわ」と思っている大阪府民も多いのではないでしょうか。だからこそ、「だったら、どうして橋下なのか?」と言いたくなるのです。

この本のなかでも橋下徹氏の名前がチラッと出てきますが、Twitterの発言に見られるような橋本氏のガラの悪さにも、魑魅魍魎がバッコする維新の会のいかがわしさにも、やはり”大阪的風土”が反映されているように思えてなりません。かつてアイフルの子会社・シティズの顧問弁護士をしていた橋下氏には、大阪をサラ金特区にするというトンデモ話がありましたが、この本を読み進むうちに、あの”大阪都構想”さえもトンデモ話のように思えてくるのでした。
2013.04.14 Sun l 本・文芸 l top ▲
ハピネス


桐野夏生の『ハピネス』(光文社)を読みました。

この小説の主人公は、江東区の埋め立て地に建つベイタワーズマンション(通称BT)という高層マンションの29階に住む主婦・岩見有紗です。有紗は3歳になったばかりの娘・花奈とふたり暮らしで、夫はアメリカに単身赴任しています。

人もうらやむようなタワーマンションの生活。しかし、そのなかにも勝ち組・負け組の”カースト”が存在するのでした。

BTは、ベイウエスト・タワー(BWT)とベイイースト・タワー(BET)の2棟から成るのですが、BWTとBETとでは暗黙の差異が存在します。また、下層か高層か、分譲か賃貸かも、差異化のための重要な要素です。

BETの賃貸に住む有紗は、のっぴきならない家庭の事情もあって、いつも引け目を感じながらママ友たちと付き合いをつづけています。

日頃から、あの人はBWT高層グループとか、BET賃貸組、などといろいろ小さな差異を問題にしているのだろうと想像すると不快だった。差異のあげつらいは、住まいから始まって、いずれ幼稚園の選択、そして小学校受験の可否にかかっていくのだろう。有紗は溜息が出そうだった。憧れのタワマンに住めたのに、すでに自分は負け組なのだ。


タワマンではバルコニーに物を出さないという決まりがあるのですが、うっかりしてバルコニーに置いたままにしていた花奈のシャベルが強風に吹き飛ばされてしまったことに気付いた有紗は、激しく動揺します。「どこかの部屋のバルコニーにでも落下していたら大問題になる」からです。しかも、シャベルには花奈の名前が書いているのです。

そして、案の定、数日後、つぎのような手紙とともに、レジ袋に入れられたシャベルがドアノブにかけられていたのでした。

「このシャベルは、数日前の強風の朝、私の家のバルコニーのガラスを直撃しました。
幸い、何ごともありませんでしたが、私は驚いて目を覚ましました。
上階からの落下物はとても危険です。
くれぐれも規則を守り、だらしのない生活はおやめください。
隣人より」


「だらしのない生活」ということばに、有紗はひどくショックを受けます。それは今の宙ぶらりんな生活を非難されているような気がするからです。実は、有紗には離婚歴があり、子どももいたのですが、そのことを言えないまま、今の夫と「できちゃった婚」したのでした。そして、それが原因で、夫婦間に亀裂が生じ、1年前に一方的に離婚を告げるメールが届いたきり、夫との連絡も途絶えているのでした。

常に後ろを振り返っては、誰かが自分の背に指を突き立てていないか、確かめでばかりいるのはどうしてだろう。誰かに非難されることを、殊の外、怖がっている自分。「だらしのない生活」という手紙の語句は、まさしく有紗の脆い心を直撃しているのだった。


しかし、小説の終盤になると、有紗をとりまく状況が変化していきます。有紗の心をおおっていた疑心暗鬼も徐々に氷解し、その多くが有紗の思いすごしだったことがわかったのでした。

「だらしのない生活」と自分を指弾した階下の「隣人」からも、「あんなことして後悔しています」と乗り合わせたエレベーターのなかで謝罪されます。引け目を感じていたママ友たちも、有紗と同じように「秘密」を抱え苦しんでいることがわかりました。ひとり娘の花奈を奪おうと画策しているのではないかと疑っていた義父母も、ただ息子夫婦の行く末を案じているだけだったことがわかりました。そして、なにより夫の俊平も離婚を望んでないことがわかったのでした。

母であることの孤独という点では、以前感想を書いた金原ひとみの『マザーズ』と共通するものがあります。不倫がからむという点でもよく似ています。でも、個人的にはこの『ハピネス』のほうが感情移入するものがありました。『マザーズ』の感想とは矛盾しますが、主人公の有紗に対しては、夫婦関係が修復して幸せになればいいなと切に思いました。それは一度失敗して傷ついた心に、同じことをくり返してほしくないという気持があるからです。

なかでも、ときどきかかってくる無言電話が、3才のときに別れたきりになっている息子・雄大からではないかと思った有紗が、ママ友と一緒に故郷の新潟に雄大に会いに行った際、前夫の鉄哉と対面するつぎのようなシーンでは、個人的な体験とオーバーラップしてこみあげてくるものがありました。無言電話は雄大からではなく、結婚生活がうまくいってない前妻を心配した鉄哉からだったのです。

 「有紗が東京で幸せに暮らしてるって聞いて、俺、本当に嬉しかった。だから、今心配していた。早く解決して、幸せになってくれよ。そして、いつまでも元気で暮らしてください。雄大のお母さんなんだから。」
 鉄哉の目に光ったのは涙だった。七年前、「お前は、我儘過ぎる」と血相を変えて、自分を殴った男が今、泣いている。雄大の実母の不幸せは、幸せな鉄哉一家にとって不安の種なのかもしれない。
 「ありがとう。じゃあ、そろそろ帰るね」
 タクシーに戻ろうとすると、手の中に紙袋を渡された。
 「うちの『ル・レクチエ』だよ。洋梨。ふた箱あるからお友達に」


この本の帯に、「結婚は打算から始まり、見栄の衣をまとった。」という惹句がありましたが、「打算」や「見栄」であっても、あるいは人に知られたくない”過去”を抱えていても、幸せはあるはずです。「みんな必死だったんだなと思った」という有紗のセリフがありますが、タワマンに住んでいるかどうかなんて関係なく、みんな必死に生きているのです。「隘路でも道は道」なのです。その道を辿って行けば、幸せはあるし和解もあるはずです。この小説の結末が”平板”なのも、そこに人生の真実があるからでしょう。ありきたりな言い方ですが、そう思いました。

>> 金原ひとみ『マザーズ』
2013.04.10 Wed l 本・文芸 l top ▲
ハンサラン 愛する人びと


第11回・R-18文学賞を受賞した深沢潮の『ハンサラン 愛する人びと』(新潮社)を読みました。R-18文学賞というのは、新潮社が主催する公募新人賞で、応募された作品の下読みも女性編集者が行い、選考委員も女性作家の三浦しをん氏と辻村深月氏がつとめる「女性による女性のための」文学賞です。

『ハンサラン 愛する人びと』は、受賞作の「金江のおばさん」と書きおろしの5編からなる連作小説です。この作品で描かれているのは、若い在日の視点から見た現代の在日社会のリアルな日常です。

「金江のおばさん」というのは、在日同士の縁を取り持つ有名な”お見合いおばさん”です。私も昔、在日の知り合いから”お見合いおばさん”の存在を聞いたことがあります。その背景には、子どもに対しても同胞との結婚を望む親たちの意向があるからですが、ただそれだけではありません。この小説でも描かれていますが、結婚においても、百済・新羅の時代から連綿とつづく家系や出身地(いわゆる「本貫」)にこだわる意識が古い朝鮮人の間に未だに残っているからです。もっとも在日だからよけい、そういった意識にこだわるという側面もあるようです。

一方、”お見合いおばさん”も、ただ単にボランティアで男女の縁を取り持っているわけではありません。紹介料や結婚に至った際の礼金、さらにはお見合いや結婚式に利用するホテルや衣装を作る店などからバックマージンを得て、それを生活の糧にしているのです。しかし、その金江のおばさんにも北朝鮮に帰還し音信不通になった息子がいて、ここにも「かぞくのくに」と同じように、祖国が独裁国家であった悲劇が影を落としているのでした。

招待された結婚式で、朝鮮総連の婦人会の女性たちに促されて踊りの輪に加わりながら、おばさんは北朝鮮にいる息子(光一)を思い、こう自分に言い聞かせるのでした。

 民団も総連もなんだっていい。韓国だろうが北朝鮮だろうがどうだっていい。命があるうちは、同胞の縁を繋ぎ続けるしかない。そして、光一との縁をかろじて繋ぐのだ。


受賞作の「金江のおばさん」以外に私が好きなのは、「ブルー・ライト・ヨコハマ」です。

高校生の美緒は、日本の学校に通っていますが、学校では自分が韓国人であることをカミングアウトしていません。でもK-POPが好きで、特に少女時代の大ファンです。しかし、キムチはその臭いからして嫌いな今どきの若い在日です。

”お見合いおばさん”に紹介されたアジェ(叔父さん)の再婚相手が決まったことで、アジェと二人暮らしだったハルベ(お爺さん)を美緒の家で引き取ることになりました。ハルベは80歳をすぎ、既に認知症がはじまっていました。在日一世のハルベと生活をともにすることで、美緒は否応なく自分のルーツを意識させられるようになるのでした。でもそれは美緒にとって「あまり向き合いたくない事実」でした。

 Kポップ、この韓国はいいんだよ。だけど、ハルベにかかわる韓国は、好きじゃないんだよ。
 つまり、うちに臭う韓国と、少女時代の体現する韓国は別のもの。
 美緒の中では相いれない。


孫(美緒)と自分の娘(美緒の母親)の見分けもつかないほど、ハルベの認知症はかなり進行していましたが、なぜかいつもハルベは「ブルー・ライト・ヨコハマ」を口ずさんでいるのでした。どうして「ブルー・ライト・ヨコハマ」なのか。美緒は、ネットで「ブルー・ライト・ヨコハマ」に関する事柄を調べてみました。すると、軍事政権下で禁止されていたこのいしだあゆみの歌が、釜山ではひそかに海賊版が出回るほど好んで歌われていたことがわかりました。ハルベのたったひとりの妹のユンヤも釜山に住んでいたのです。つまり、妹の死に目にもあえなかったハルベの、妹を追憶する気持がこの歌に込められていたのでした。

結局、ハルベは千葉の養護老人ホームに入所することになったのですが、その前に、最後の思い出を作るために家族で横浜に日帰り旅行に出かけることになりました。横浜は一度だけユンヤが来日した際に一緒に訪れた、ハルベにとって思い出の地です。

そのなかで、ランドマークタワーの展望台に立った一家が、夕暮れの横浜の街を見下ろしながら、美緒の弟の浩太が歌う「ブルー・ライト・ヨコハマ」に耳を傾けるシーンが印象的でした。4歳の浩太は、ハルベがいつも口ずさんでいるので、いつの間にか「ブルー・ライト・ヨコハマ」を覚えたのですが、そのときこっそりと浩太に歌うように美緒がけしかけたのでした。

 浩太の歌声は大きかった。周りの人が、なにごとかとこっちを見る。ゴールデンウィークなので、展望台には多くの人がいて、浩太は注目の的だった。当然浩太と手を繋いでいる美緒も目立っていた。美緒にとっては耐え難い視線の数々だったが、このひとときは我慢しようと頑張ってみる。
 両親もアジェも、最初は急に歌いだした浩太に目を丸くしたが、すぐに笑みを浮かべて、小さく拍手をした。
 ハルベは思いつめた顔をしてじっと浩太の歌声に耳を傾けていた。自分は最後まで歌わずに、リズムを顎でとりながら。
 浩太が歌い終わると、ハルベは、わずかに微笑んだように見えた。


人はさまざまな境遇のもとに生まれます。そして、その境遇がもたらす喜びや哀しみのなかから文学(のことば)が生まれるのです。だから私たちは、日本人とか朝鮮人・韓国人とかいった枠を越えて共感することができるのです。小説としては拙い部分もありますが、在日という境遇のもとに生まれた人々の人生の力強さとその裏にある生きる哀しみを描いた、人間味のあふれたとても共感できる作品だと思いました。
2013.04.02 Tue l 本・文芸 l top ▲
しつこいようですが、今夜もテレビ東京の「カンブリア宮殿」で、臆面もなく陳腐なご託宣を垂れている村上龍をみながら、こういうのが現代文学をけん引している作家だともてはやされているんだから、この国の文学が衰退するのは当然だろう、とひとり悪態を吐いていました。

学生時代に文壇デビューした村上龍は、社会に出て働いた経験はほとんどなく、典型的な「世間知らず」です(唯一霞が関ビルでガードマンのアルバイトをしたことくらいです)。だから、あのように海千山千の社長の話に、なんの留保もなく「すごい」「すごい」と感激するのでしょう。

社会経験がないのですから”留保するもの”なんてあろうはずもないのです。要するに、中身はスカスカだということです。そう考えると、文学ってなんだろうと思ってしまいます。

注目の黒田夏子の「abさんご」について、村上龍は芥川賞の選評で、次のように書いていました。

 推さなかった。ただし、作品の質が低いという理由ではない。これほど高度に洗練された作品が、はたして新人文学賞にふさわしいのだろうかという違和感のためである。(略)その作品の受賞に反対し、かつその作品の受賞を喜ぶという体験は、おそらくこれが最初で最後ではないだろうか。(『文藝春秋』2013年3月特別号)


要はわからなかったのではないか。だったら、正直にそう書けばいいのです。こういったところにも、村上龍のウソっぽさが出ているように思います。村上龍に比べれば、山田詠美の選評のほうが好感が持てました。

 正直、私には、ぴんと来ない作品で、何かジャンル違いのような印象は否めなかったし、漂うひとりうっとり感も気になった。選考の途中、前衛という言葉が出たが、その言葉を使うなら、私には昔の前衛に思える。洗練という言葉も出たが、私には、むしろ「トッポい」感じ。


一方、芥川賞の発表の日、東浩紀は、Twitterで次のように芥川賞を「批判」していたそうです。

芥川賞がじつに閉鎖的で腐った文学賞だという、つい10年まではだれもが知っていた常識を忘れ去られ、ネット時代になってかえって(なにも実態は変わっていないのに)なにか偉いものなんだからすごいんだろうというブランド強化が始まっているあたりに、日本社会の限界を見るのは考え過ぎかしらね。


芥川賞は日本文学の最先端とかとはなんの関係もない。菊池寛の業績に集まった遺産相続者たちが、自分の目の届く新人に恩を売るための賞でしかない。だから文芸5誌からしか選ばれる。そんなの常識。ライトノベルが芥川賞取れないのとか、サッカー推薦で東大入れないんですか、と同じくらいナンセンス。


芥川賞が腐っているのはそのとおりだとしても、「芥川賞が日本文学の最先端」だなんて誰も思ってないでしょう。なんだかトンチンカンがトンチンカンを批判しているようで、目クソ鼻クソのように思えてなりません。東浩紀は都知事選の際、猪瀬直樹の応援演説をしたそうですが、そういった俗流政治にすり寄る感覚の先にあるのは、政治に奉仕する文学の醜悪な姿だけです。

同じ保守でも、大塚英志が言うように、「江藤淳のように『日本の不在』に徹底して耐えようとする保守はもういない」(『物語消費論改』)のです。東浩紀も石原慎太郎や猪瀬直樹と同じように、ただ「悪党達の最後の逃げ場」のような「愛国心」を無節操に振りかざして、動員の思想のお先棒を担いでいるだけです。そこには保守の矜持のカケラもありません。

このように口先三寸の世間知らずたちが文学や社会を語ることの悲劇(喜劇?)が、そのまま今のこの国の文学や批評の悲劇(喜劇?)につながっているように思えてなりません。トンチンカンな世間知らずにもかかわらず、妙に”世間知”だけは長けているのが彼らの特徴です。
2013.02.14 Thu l 本・文芸 l top ▲
狂人失格


遅ればせながら中村うさぎの『狂人失格』(太田出版)を読みました。奥付をみると、第一刷発行が2010年2月24日ですから3年近く前の本です。私は、中村うさぎの本は比較的よく読んでいるほうだと思いますが、なぜかこの本は見逃していました。

『狂人失格』は、太田出版の季刊誌『hon-nin』に、「自分強姦殺人事件」というタイトルで連載されたエッセイ風の小説です。

この本に登場する「優花ひらり」は、自称「元京大のアイドル」で「小説家志望」の、ネットでは有名な「電波さん」です。中村うさぎは同業者の茶飲み話で「優花ひらり」の存在を知り、以来彼女に並々ならぬ興味を抱くのでした。そして、「共著で本を出しませんか?」とメールを送ったはいいが、結局「優花ひらり」の「狂人ナルシシズム」にふりまわされてとん挫する、その顛末記です。

「私が私である」という「自意識」にどうしてこんなに拘泥し苦しまなければならないのか。中村うさぎの「優花ひらり」に対する興味はその一点に尽きます。それはある意味で女性特有のものでしょう。

他者の目など一切気にせず、素っ裸で獣のように生きていたアダムとイブは、「知恵の実」を食べたばかりに羞恥心が芽生え(すなわち、「他者の目から見た自分」という自意識が芽生え)、イチジクの葉で下半身を隠した。神はイチジクの葉で身を隠したアダムを見て怒りと失望を覚え、彼らを「エデンの園」から追放した(略)


このように、「旧約聖書創世記第三章」にある有名なエピソードを、「自意識の芽生え」すなわち「他者の目という客観性」を人間が獲得した物語ではなかったか、と中村うさぎは解釈するのでした。そして、(キリスト教ではこれを「原罪」と呼ぶのですが)「自意識」や「客観性」をもつことは「罪」になるのか、と中村うさぎは問いかけます。であれば、他者の目や客観性をいっさいもたない「優花ひらり」は、「神に選ばれた無垢の人」になるのではないかと。

一方、自分は、間違いなくエデンの園から追放され荒野をさまよう「イブの娘」だ、と中村うさぎは言います。

 私は間違いなくイブの娘である。私はいつも「他者」を求めていた。自分を確認するために、「他者」は必要不可欠な存在だった。あのブランド物狂いも、ホストへの狂恋も、美容整形もデリヘリも、そしてそれらを執拗に書き綴る露悪的な行為も、すべては「他者の目」に向けた私の「自己確認」作業だったのだ。私はずっと、こう叫び続けていたのだ。

「私を見て! あなたの目に、私はどう映っている? あなたたちの目に映った私を検証することで、私は初めて私という生き物を確認できるの! ねぇ、私は生きている? 私はちゃんと存在してる? 私は醜い? 私はイタい? 私はどんな生き物なのか、誰か教えて!」


「優花ひらり」はもうひとりの自分だ。「優花ひらり」のなかにいるもうひとりの自分をみてみたい、と思っていた中村うさぎですが、しかし「狂人ナルシシズム」にふりまわされるうちに、「優花ひらり」は自分の対極にいるのではないか、と思うようになるのでした。

「自意識(過剰)地獄」か狂気の世界か。いや、作家というのは、そのどちらもみずからに引き受けることを運命づけられた人間なのではないでしょうか。

私は、この『狂人失格』を読んだあと、モデルになったと言われている女性のブログも読みましたが、彼女の”天然ボケ”が悪意の塊たるネットで格好のエジキになっている光景は、やはり痛ましいものがありました。これでは中村うさぎが、売文のために彼女を利用した「無慈悲な人間」にみえるのは仕方ないのかもしれません(真偽のほどは定かではありませんが、モデルになった女性が中村うさぎを訴えたとかという話もあるようです)。

ただ、作家というのは、ときに人の道にもとるようなことをする人間でもあるのです。たしかに、『狂人失格』は、読む進むうちに「いやな気分」になるような本ですが、そういったことも含めて、やはり作家のものだとしか言えないのです。

作家というのは、市民社会の公序良俗の埒外にいて、本来なら編笠をかぶって往来を行き来しなければならないような存在なのです。いわば畜生にも等しいような存在なのです。誰をネタにしようが知ったこっちゃないのです。「(勝手に書いて)許されるのか」などという”良識論”が通用するはずもないのです。普段は差別しているくせに、人を指弾するときだけ建前論を振りかざして良識ズラする、そんな市民社会のウソ臭さに唾を吐きかけるのが作家なのです。そのために、道を歩けば石つぶてが飛んでくることだってあるのです。吉本ばななや川上弘美や小川洋子のような、”市民としての日常性”をただ糊塗するような作家だけが作家ではないのです。

むしろ、この本がどこか尻切れトンボで、不完全燃焼のような印象を受けるのは、そんな作家としての”覚悟”が中村うさぎに足りなかったからだと思います。作家だったら、もっと「優花ひらり」の心の奥深くにまで踏み込み、彼女の「狂人ナルシシズム」を我が身に引き受けるべきだったのです。しかし、その”覚悟”が足りなかった。優花ひらりを自分の対極に置くことで、彼女の「狂人ナルシシズム」から逃げたのです。それが読み物として失敗した理由のように思います。

追記
その後もひきつづきモデルとなった女性のブログを読んでいたら、どうも私の認識が間違っていたんじゃないかと思うようになりました。
コメント欄は、罵倒と中傷のコメントであふれ、おぞましささえ覚えるほどですが、そんなコメントに対して、彼女は「どう羨ましいですか?」などとわざと挑発して煽るようなフシさえ見受けられるのです。それに、ホントにコメントが嫌なら管理者権限でコメントを「承認」しなければいいのです。それが彼女に与えられた自衛策です。でも、彼女はあえて「承認」しているのです。
そう考えると、もしかしたら彼女のほうが一枚上手なんじゃないか。売文のために彼女を利用したと非難された中村うさぎや、来る日も来る日も飽くことなく悪罵を浴びせつづけるネット住人たちや、そして私も含めて、みんな彼女の掌の上で遊ばれているだけじゃないのか。ネットではこういうのも「あり」かもしれない、と思ったりもするのでした。(2013/2/20)


>> ネットは小説より奇なり
2013.01.27 Sun l 本・文芸 l top ▲
早稲田文学5号


「abさんご」に再び挑戦しましたが、やっぱり読めませんでした。芥川賞を受賞したのですから、少なくとも「文学的にすぐれた」作品なのでしょう。だとしたら、もう私は小説を読む資格はないのかもしれません。

これは単行本の帯にも引用されていましたが、蓮実重彦氏は、早稲田文学新人賞の選評で、つぎのように書いていました。

誰もが親しんでいる書き方とはいくぶん異なっているというだけの理由でこれを読まずにすごせば、人は生きていることの意味の大半を見失しかねない。


なんだか「映画評論家」が新作映画のポスターの宣伝文に引用されるのを想定して書いたような文章ですが、それにしてもすごい文章です。さしずめ私などは、「生きていることの意味の大半を見失しかねない」愚かな人間ということになるのでしょう。そもそも文学に対して、未だにこんなこけおどしが通用すると思っている感覚からしてすごいなと思います。

「abさんご」は、芥川賞の発表から1週間も経たずに文藝春秋から単行本化されましたが、「abさんご」を買った人たちで、この小説を最後まで読むことができる人は何人いるのだろうかと思いました。まして、コピペではなく、自前の感想文が書ける人がいたら、(私のような凡人からみれば)”天才”ではないかと思います。

既にネットにちらほら出ている感想文も読みましたが、いづれも蓮実氏の選評を口真似して、「文学の可能性」「文学の豊饒さ」などといったお定まりのことばを並べただけの、ありきたりなものでした。こういった表記の実験に対して、ほとんど意味が擦り切れたような凡庸なことばでしか感想が書けない、その滑稽な光景にこそこの作品の性格が表れているような気がしてなりません。

たとえば、テレビで三流経営評論家のような陳腐なことばでご託宣を垂れている村上龍が、この作品を云々できるほどの言語感覚をもっているとはとても思えないのです。”原子力ムラ”と同じような”文壇ムラ”があって、そこには抗えない空気が流れているのではないか、と思いたくもなります。それは、川上弘美だって小川洋子だって山田詠美だって同じでしょう。

電事連ご用達の原発芸人・ビートたけしを「世界のたけし」に持ち上げたのも蓮實重彥氏ですが、なんだかまたしても蓮實氏にしてやられたという気がしないでもありません。そのうちビートたけしや太田光などが、さもわけ知り顔に「いや~、あの小説はなかなか面白かった」なんて言い出すのかもしれません。

いろんな意味で、この作品に対する”天才”たちの批評が待ち望まれます。
2013.01.23 Wed l 本・文芸 l top ▲
物語消費論改


先日、産経新聞に「結婚も自立も難しく…社会問題化する親同居未婚者」という「論説委員兼政治部編集委員」河合雅司氏の署名記事が出ていました。

記事によれば、親と同居する「35~44歳の未婚者は、2010年には男性184万人、女性111万人の計295万人」に上り、「同世代人口に占める割合は男性19・9%、女性12・2%」だそうです。その背景には、結婚したくても結婚できない経済的な事情があるのだとか。

国立社会保障・人口問題研究所の第14回出生動向基本調査のデータによれば、「20~34歳の独身者男性の3割弱が年収200万円未満」だそうで、それでは結婚なんて及びもつかないのはわからないでもありません。ただ、私のような地方出身者からみれば、一方でやはり「甘え」ということばを思い浮かべざるをえないのです。

いくら収入が低くても親のスネをかじれない地方出身者は、正規雇用が望めなければアルバイトをかけもちして生活費を工面するのが普通です。また、たとえ年収200万円であっても、安アパートに住んで共稼ぎを前提に、結婚する人間は結婚しています。

私のまわりもみても、親と同居している人間ほど「気楽な」フリーター生活から抜け出せずにいるケースが多いのですが、しかし、この記事に書いているように、「彼らを養っている親が高齢化して亡くなった途端に、彼らの生活基盤は崩れる」のです。やがて彼らが「気楽」ではない状況に立ち至ることは目にみえています。

また、これは予断でも偏見でもなく、彼らには程度の差こそあれ、オタク、あるいはオタクっぽい志向の持ち主が多いのも事実です。一方でオタクたちが、ネットを通して最近とみにネトウヨ化している現実があります。

折しも私は、大塚英志著『物語消費論改』(アスキー新書)を読んだばかりなのですが、この本では、彼らオタクが「日本」や「愛国」という、大塚氏が言うところの「大きな物語」に動員されていくメカニズムが、氏独特の語り口で解析されていました。ちなみに、この『物語消費論改』は、著者のことばを引用すれば、2001年刊の『物語消費論』(角川文庫)を「web以降』の文脈の中で検証し、清算するために」あらためて書かれた本だそうです。

まず、現在の「web以降」の状況について、著者はつぎのように書いていました。

webが新たにもたらしたものは、第四の権力としてのメディアを含む既存の権力が「ユーザー」に支配される、という独裁者不在のファシズムだ。しかも、「ユーザ-」たちは自らを「権力」化するために「天皇」やプチ独裁者を自身のアバターとして担ぎ上げる。しかし考えてみれば、おそらくファシズムとは本質的にはこのような独裁者を一種の偽王として祀り上げるシステムであり、従って、その枠の外から見ればヒトラーにせよ金正日にせよ、そして幾年か後に振り返れば、橋下徹も含め、あのような陳腐で滑稽な人間に人々は何故熱狂したのかと不思議に思うはずだ。このように「受け手」の欲望が物語消費論的に肥大し、権力化し、権力を「操作」していくのが「愚民」社会であるということになる。


一つの素材が「情報」として(それが「事件」であっても「フィクション」であっても)、メディア間を横断することによって案外と容易に虚実の境界を越えることが可能である。情報(言説と映像)は「組み合わせ」によっていくらでも事実を「虚構化」し、「現実」を装うこともできる。webはそのような操作性を万人に開いてしまった、といえる。


著者も「錯誤」だと書いていましたが、歴史との回路を切断された虚構の現実(セカイ)がどうしてこんなにいともたやすく捏造され、それがあたかも「本当の真実」であるかの如く跋扈するのか。「人生がうまくいかない」人間たちが、負の感情を元手に「夜郎自大な人間」に変身していく「物語消費」のメカニズムも含めて、そこにウェブが大きな役割をはたしているのは言うまでもありません。

ただ、このメカニズムの仕組みは、「web以前」の80~90年代に既に用意されていたと著者は言います。そこにあるのは、宮崎勤とオウム真理教の存在です。私は、それを読んだとき、まさに我が意を得たりと思いました。

オタクたちは、宮崎勤やオウム真理教(麻原彰晃)の呪縛から未だ自由ではない、と私も常々思っていました。「web以降」も”オタクの「仮想」の時代”は連綿とつづいているのだと。上記の記事で言えば、親がかりのニートやフリーターがオタクになったのではないのです。オタクが親がかりのニートやフリーターになったにすぎないのです。

宮崎勤の裁判に関わってきた著者は、宮崎勤の特徴は「私」の不在だと言います。宮崎勤の「私」には、「私が私である」という個別具体性が欠けているのだそうです。「私」という「外殻」がないのだと。他人によって自分がどう語られるか、そのなかにしか「私」を見出せない。それは、ネットなどにみられるように、他人の評価の集積で「私」が定義される今の状況と通底していると言います。そういった「私」は、かつて鈴木謙介氏が『ウェブ社会の思想』(NHKブックス)で、<遍在する私>として指摘していたのと同じでしょう。にもかかわらず(いや、当然と言うべきか)、他人に承認されたいという欲求だけは強くあるのです。

 結局、宮崎勤という人間を十年間観察してわかったことは、一見、ポストモダン的に見える「私」をめぐるリストや「誰かの語り」の中で自分を立ち上げようとするふるまいは、この国の近代が回避してきた「社会的な私」に対する回避の手段にすぎない、ということだ。そこでは「私」を立ち上げる手間暇や責任は忌避され、しかし他人に承認されたいという欲求だけは行使される。(原文は、引用文すべてに傍点あり)


一方、麻原彰晃は、英雄史観と陰謀史観を梃子に「大きな物語」を「陳腐に、しかし低次元でわかり易く提供して見せた」のでした。それは、「例えば『国を愛する』と言った瞬間、そこに『大きな物語の中の私』が至って容易に立ち上がる」ような安直なものでしかありませんでした。このような安直さによって(であるからこそ)、宮崎勤のようなオタクの、ただ他人に承認されたいだけのつたない「私」は、「ジャンク」の寄せ集めのような「大きな物語」にいともたやすく取り込まれていったのでした。そして、そのメカニズムは、昨今のナショナリズムの台頭にも通底しており、決して「終わった」話ではないのです。

ブログやTwitterやFacebookで日々垂れ流される「私」語りとしての「内面」。でも、その「内面」は所詮文体によってつくられたものにすぎないと著者は言います。個別具体性を欠き、自他の境界を持たない「内面」は、ただ増殖し浮遊するだけです。それでは、歴史との回路を切断された虚構の現実(「大きな物語」)に容易に回収され、動員の思想に組み込まれていくのは自明のように思います。

英雄史観でも陰謀史観でもない歴史はひどく退屈で、ただの日常の集積である。その日常を経験し身体化することが耐えがたく、彼らはオウムという虚構の歴史的身体を求めたのであろう。けれど、あまりにつまらない結論かもしれないが、人が歴史に至る手だては、退屈な日常を経験し身体化し、言語化していくしかないではないか。


前にも書きましたが、なにより大事なのは、この人生や生活を誠実にしっかりと生きて、日常のなかから個別具体的な「私」のことばを獲得することです。退屈な日常のなかにこそホンモノがあることを知ることです。そうすれば、おのずと歴史的な回路も生まれるはずです。「いい年していつまでもフリーターをやっているんだ」「いつまで親に甘えているんだ」というもの言いは、案外バカにできないのです。

>> 宇多田ヒカル賛
2013.01.19 Sat l 本・文芸 l top ▲
一昨日、第148回芥川賞の発表があり、史上最年長75才の黒田夏子氏の「abさんご」が受賞しました。

実は、私は「abさんご」が掲載された『早稲田文学』(5号)は買っていたものの、「abさんご」はまだ読んでいませんでした(正直言って、読むのがちょっとしんどかったのであとまわしにしていました)。「abさんご」は、第24回早稲田文学新人賞の受賞作でもあるのですが、選考委員の蓮實重彦氏は、この作品について、「選評」でつぎのように書いていました。

「固有名詞」やそれを受ける「代名詞」をいっさい使わずに、日本語で何が書け、何が語れるか。「個性」的な黒田夏子が直面するのは、おそらくこれまでいかなる作家も見すえることのなかった言語的な現実である。


早稲田文学新人賞の選考委員は蓮實氏ひとりだけですから、言い方はよくないですが、蓮實氏の独断と偏見で選んだという面もなきにしもあらずです。ましてこういった”実験小説”が芥川賞を受賞したこと自体、驚きですし異例です。

もしかしたら75才で受賞という話題性を狙ったのではないかとうがった見方もしたくなります。作家は忖度が得意なので、選考委員たちはそういった勧進元(文藝春秋社)の意向を忖度したのかもしれません。

でも、(作品そのものはまだ読んでいませんのでなんとも言えませんが)文学は若者だけのものではないはずです。文学表現の根源にある”生きる哀しみ”は、むしろ死を前にした老人のなかにこそあるとも言えます。あざといだけの若者の文学にうんざりしているのは、私だけではないでしょう。もっと老人が小説を書くべきです。

今回の受賞をきっかけに、”老人文学”が花開けば、それはそれで意義があるのではないでしょうか。
2013.01.18 Fri l 本・文芸 l top ▲
マスコミには「文壇タブー」というのがあって、とりわけ作家などのスキャンダルを書くのは、暗黙のうちにタブーになっていると言われています。

実際に、『週刊文春』や『週刊新潮』などが石原慎太郎氏のスキャンダルを取り上げることはまずありません。石原氏が率いる旧太陽の党と合併した維新の会がもっとも恐れるのは、石原氏のスキャンダルだという声もあるようですが、しかし、『文春』や『新潮』がそれを記事にすることは決してないでしょう。それは石原氏の後継者の猪瀬直樹氏も同様です。

実際に石原氏に関しては、マイナスになるような記事は皆無と言ってもいいほどです。それどころか、フジテレビなどは、なにかにつけ石原氏にご意見を伺ってはその発言を流し、まるで芸能界のご意見番・和田アキ子と同じような扱いなのです。その結果、カワードな性格の裏返しである強気な発言と相まって、週に2日しか登庁しない不真面目な都知事であったにもかかわらず、あのような「リーダーシップをもった政治家」のイメージが定着したとも言えるのです。これじゃ小心者の常でますます傲岸不遜になるのも当然でしょう。

一方、好きか嫌いかは別にしても、小沢一郎などはあることないこと書かれてほとんどサンドバック状態でした。これほどマスコミの餌食になった政治家もめずらしいのではないでしょうか。小沢を叩けば売れると言われ、”小沢叩き”はエスカレートするばかりでした。これはどう考えてもフェアではありません。

ひと昔前でしたら、週刊誌や新聞などで書けなかった記事が『噂の真相』などに持ち込まれて日の目を見ることがありましたが、そんなタブーをものともしないゲリラジャーナリズムも壊滅してしまった現在、内心忸怩たる思いをしているジャーナリストも多いはずです。そのまんま東ではないですが、「どうせ長くないんだから」と思っているとしたら、それこそ石原氏に失礼というものです。長年「文壇タブー」で庇護されてきた石原氏は、スキャンダルの宝庫かもしれません。タブーに挑戦する勇気あるメディアはいないのかと言いたいですね。
2012.12.23 Sun l 本・文芸 l top ▲
ソーシャルもうええねん


ITmediaのオルタナティブブログでおなじみ村上福之氏の『ソーシャルもうええねん』(Nanaブックス)を読みました。

mixiを最初に作ったプログラマーの衛藤バタラ氏は、あるセミナーでこう言ったそうです。

いろいろ考えるより、海外で話題のサービスをパクれ! 僕もFriendsterというサイトを徹底的にパクって、mixiを立ち上げた!


私も10年近くネットショップを運営している経験から、ネットはモノマネとハッタリと自作自演の巣だみたいなことを常々言ってきましたが、ここまではっきり言われるとむしろ清々しささえ覚えます。そして、新しいサービスがはじまると、なんでも「すごい!」「すごい!」と言っているネットの事情通たちのいかがわしさを、あらためて想起しないわけにはいきませんでした。

Titterのフォロワーも、Facebookの「いいね!」も、YouTubeの「再生数」も、Google Plus( +)の「Plus(+)」も、もちろん、ウェブのアクセス数も、すべてお金で買うことができるのだそうです。ちなみに、Titterのフォロワーは5000人分が3800円、Facebookの「いいね!」は5000人分が15000円、YouTubeの「再生数」は5000回再生が2300円だそうです。そして、そのお金で買った数字が、「ひと晩で50万回視聴された話題のインディーズバンド!」とかなんとか、広告のキャッチフレーズに化けるというわけです。「食べログ」のヤラセなんてまだかわいいものです。

SNSのユーザー数も、外からはわからないので、いくらサバをよんでもバレないのです。著者によれば、アルゼンチンでは国民の半数がFacebookのユーザーということになっているそうです。「実名主義」に至っては、もう言うまでもないでしょう。

また、「楽天で1位」という広告も、楽天には「中カテゴリー」が300種類あって、そのカテゴリー別にデイリーランキングがあるので、「300種類×365日=10万9500で、1年でデイリーランキングで『楽天で1位!』を取った商品は最大で約11万個ある」ことになるそうです。

こういったネットに、いいようにカモにされているのはどういう人たちなのか。本書では「どういう人をターゲットにするとモバゲーのような利益600億円の商売ができるか」「オッサンがカネを払い若者が無料で遊ぶソーシャルゲーム」などという見出しで、その一端が明らかにされていました。

モバゲーのなかの掲示板を参考にした「職業分布」によれば、「圧倒的に、トラックやバスの運転手や介護関係」が多く、「ネクタイ着用率が非常に少ない」そうです。また、女性は、「夜の職業が多い」のだとか。この傾向について、著者はこう書いていました。

 ネット業界の非常に面白いところは、サービスを開発している人たちとまったく正反対のカテゴリーのユーザーに向けて作った方が、売上が上がるという点です。


 ケータイコンテンツの世界は、クーラーのきいた涼しいオフィスビルのパソコン上で作られた仮想アイテムに、汗水流して働くトラックの運転手さんなどのブルーワーカーがお金を払う不思議な世界です。


これに、マスコミを「マスゴミ」などと罵倒しながら、一方でマスコミにいいように扇動され操られている掲示板や動画共有サイトの時事ネタの住人たちを重ねて考えると、ネットのカラクリがなんとなくみえてくるような気がします。

こういったネットのカラクリがわかっている人と「ネットこそ真実」なんて思っている人とでは、その差はあまりにも大きいと言えます。それが自己を対象化できるかできないかの違いにもなっているのでしょう。あるいは”リア充”とニートの違いにもなっているのかもしれません。

2時間もあれば読めるくらいの軽い本ですが、ネットリテラシーを身につける上では参考になる本だと思いました。

>> Twitter賛美論
2012.11.08 Thu l 本・文芸 l top ▲
久しぶりに葛西善蔵の小説をまとめて読みました。葛西善蔵は、私(わたくし)小説の権化のような破滅型の作家です。ただ、私小説の定番である肺病やみでお金と女にだらしがない情けなくも哀しい作品は、高等遊民の”甘え”と言われればそう言えないこともありません。

大多数の国民が、義務教育を終えると、家業を手伝うか、よそに丁稚奉公に出るかして家計を助けることを余儀なくされた貧しい時代に、ろくに働きもせず文学などというものにうつつをぬかしていたような人間は、今のニートどころではない親泣かせのろくでなしだったのでしょう。

葛西善蔵については、私小説を批判した中村光夫のつぎのような文章があまりに有名です。

 たとえば葛西善蔵のやうな芸術への無垢な献身に生きたと一般に信じられてゐる作家も、自分自身に対して芝居気がなかったとはおそらく言い切れないので、(中略)自分の実生活の破綻を、その表現で救へるといふ信念に、一種の安心感をもってよりかかつてゐられたからこそ、彼はあのやうな愚劣な悲惨にかなり平気で堪へて行けたので、生活より芸術を信じるといふことは、彼の場合私小説の世界に演技者として住むのを意味したのです。
(「モデル小説」)


私は、葛西善蔵の小説を考えるとき、昔聞いた知り合いのお母さんの話を思い出さないわけにはいきません。結婚して数日経ったとき、突然、義理のお姉さんがアパートにやってきて、布団を返してほしいと言ったのだそうです。聞けば、布団を買うお金もなかった新婚の夫は、結婚するに当たってお姉さんに布団を借りていたのだとか。お母さんは、なにかにつけその話をして、「あたしゃ情けないったらなかったよ」と子供たちに言っていたそうです。

この国でもついこの前までそんな話があったのです。そして、私小説でお決まりの病気と貧乏と女の三重苦(三題話)を理解するには、そういった時代的な背景(共通体験)が必要な気がします。しかし、彼らの頃と違って、私たちの生の前提になる社会のあり様は根本的に変わったのです。経済がグローバル化し、クレジットカードでなんでも買えて、インターネットでなんでも疑似体験ができる21世紀のこの時代に、もうそんな時代背景や共通体験を求めるのは無理があるでしょう。

親の世代なら、葛西善蔵の小説に自分の人生を映すことができたかもしれません。でも、子どもたちの世代は理解の外でしょう。子どもたちから見れば、葛西善蔵のような私小説の作家たちの作品が、わざとらしくアナクロに見えるのも当然と言えば当然かもしれません。

今回読んだなかで私がいちばん印象に残ったのは、「蠢く者」です。

葛西善蔵は一時期、妻子を青森の実家に帰し、ひとりで北鎌倉の建長寺の敷地内にあるお寺に間借りして住んでいたのですが、関東大震災を機に東京に転居します。ところが、間借りしていた間、食事の世話を頼んでいた参道の茶店に代金が未払いのままでした。そのため、茶店の娘・おせいが代金の取り立てのために上京するのですが、ミイラ取りがミイラになり、そのまま葛西の下宿で同棲をはじめるのでした。(挙句の果てには、「蠢く者」には書いていませんが、おせいを妻に紹介して騒動になったり、おせいが葛西の子を死産したりというオチまであります)。

「蠢く者」は、そんなおせいとの同棲生活の、夜になると酔っぱらった勢いで罵倒し、ときに暴力までふるうようなドロドロした日常を、主人公が散歩しながら思い出しては自己嫌悪に陥るという話です。私小説の場合、ふしだらなことやだらしないことや身勝手なことをしても、あとで必ず自己嫌悪に陥るというのがミソなのです。

誤解をおそれずに言えば、現代のDVに比べると、「蠢く者」はなんと牧歌的なんだろうと思います。現代のDVは、メンヘラの要素が強くそれこそ出口も入口もない感じで、しかも倒錯した愛すらあります。「蠢く者」の悲惨さどころではないのです。「蠢く者」には、まだ人はこうあるべきという倫理が残っていた。だから、あのように悩むことができたのでしょう。そう考えると、私小説の作家たちはいかにも人生と格闘しているように見えるけど、実は八百長試合をやっていただけだと言う中村光夫の批判も、今になればわかる気がするのです。
2012.10.28 Sun l 本・文芸 l top ▲
今年もまた村上春樹がノーベル文学賞を逃しましたが、受賞したあとのフィーバー(古い?)を考えると憂鬱でならなかったので、個人的にはホッとしました。

選考基準に「文学性」というのがあるそうですが(文学賞なのだから当然でしょう)、その「文学性」が問われて受賞しなかったのだとしたら、ノーベル賞は一定の見識を示したと言えます。本命視されていた村上春樹が受賞を逃して中国の莫言が受賞したことに対して、「政治的」にどうだとかいう話が出ていますが、そんなことはどうでもいい話です。文学に政治なんてまったく関係ない。問われるべきはその「文学性」だけです。

西宮市の母校の小学校では、恩師や同級生たちがテレビの前で受賞の知らせを待っている様子がニュースに出ていましたが、私はそれをみて「オリンピックかっ!」と突っ込みを入れたくなりました。また、街頭インタビューで、「来年こそは取ってもらいたいですね」なんてサラリーマンが答えているのをみるにつけ、「レコード大賞かっ!」と思いました。

こういった騒ぎは、わが身がかわいい作家たちは誰も言わないけど、新潮社や文藝春秋のような出版社がこの国の文学のスポンサーでもあるという、日本の(商業)文学のいかがわしくもかなしい構造をよく表しているように思います。

書店の悪乗りも同様ですが、これじゃ文学が衰退するのは当然です。最近、書店に行くと、若い女性作家の作品で、ファッション雑誌の見出しとみまごうような惹句とともに、作者の写真が表紙の帯に印刷されている本がやたら目につきますが、(斎藤美奈子の『文壇アイドル論』ではないですが)なんだかアイドルを作ろうという出版社の魂胆がみえみえなのです。実はかく言う私も、表紙のかわいい写真にひかれて、「21歳現役女子大生」片瀬カヲルの『泡をたたき割る人魚は』(講談社)をジャケ買いしたのですが、寓話にもならない寓話もどきの話に耐えられず、途中で放りだしてしまいました。村上春樹もこのような”アイドル戦略”のなかにあるのでしょう。

文学の「社会的役割」は終わったという話をよく聞きますが、でも、そもそも文学に「社会的役割」なんてあるんだろうかと思います。むしろ「社会的役割」などというものとは真逆にあるのが、文学ではないかと思います。

強いて言うならば、私たちの胸奥にあるまだことば(意味)にならない事柄や思いを、物語に託して表現するのが文学ではないかと思います。だから、ときに人間存在の根底にあるもの、生きることの根底にあるものにせまることができるのでしょう。ただ、今の作家たちはそんな「役割」をみずから放棄したとしか思えません。放棄したにもかかわらず、文学という幻想(文学という擬制)にはよりかかったままなのです。

なにかを語っているようでなにも語ってない。村上春樹の小説は、空疎なことばで彩られた箱庭のような世界のなかに、カマトトな主人公がいるだけです。だから、中国でも韓国でもロシアでもアメリカでもヨーロッパでも受け入れられるのでしょう。しかも、受け入れられているのは、日本語の原本ではないのです。翻訳された作品にすぎないのです。それにどれほどの意味があるのだと思います。

先日、昔は結核療養所だったという都下のとある病院に行きました。林のなかの古びた病院で、誰にも看取られずにひっそりと息をひきとっていく老人の姿は、やはりショックでした。そんな老人の人生を考えるとき、『ノルウェイの森』だって『海辺のカフカ』だって『1Q84』だってどうでもいいと思いました。目の前にある現実に比べれば、村上春樹の小説は、(同じ「死」がテーマでも)まるで別世界のおとぎ話のように思えます。でも、私たちにとって、ひとりさみしく死んでいく老人こそ親しき隣人なのです。

神宮球場でヤクルト戦をみているとき、ふと小説を書こうと思ったなんて、そんな作り物じみたエピソードをまるで御託宣のようにありがたがる感性は、本来文学とは無縁のものでしょう。ハルキストとは、そんなミーハーの謂いで、彼らが「すごい」「すごい」と言っているだけです。

>> ホッとした
>> 『ポストライムの舟』
2012.10.12 Fri l 本・文芸 l top ▲