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今日、原宿のいわゆる”裏原”を歩いていたら、かのチェ・ゲバラの顔がプリントされたTシャツを売っている店がありました。今の若者たちにとってもゲバラはヒーローなのでしょうか。なんだか不思議な気がしました。

そういえば、離婚問題などで著名な池内ひろみさんも、以前夕刊フジに「世界一カッコいいのはチェ・ゲバラで決まり」というコラムを書いていました。

社会主義思想がとっくに破産した現代でもまだゲバラがヒーローでありつづけるというのは、もちろん、イデオロギーなどではなく、彼の義に殉じる精神とその行動力にホンモノの”男のロマン”を見ているのかもしれません。

ロマンのない現代は恋愛が成り立ちにくい時代だ、と言ったある作家の言葉を思い出しました。

ところで、ネット界の雄、あの超有名企業の周辺が俄かに騒がしくなっているみたいですね。ライブドア・村上ファンドにつづくあらたなXデーが囁かれていますが、果たしてどうなるのでしょうか。
2006.08.27 Sun l 社会・時事 l top ▲
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夜、ふと、ヤフーでみずからのサイトを検索したところ、思わず口をあんぐりしてしまいました。ヤフーにおいてはこの3ヶ月間、ビックキーワードの「シール」では13位~15位をキープしていたのですが、これが一気に42位に下落していたのです。

いつものヤフーの気まぐれなのでしょうか。

ヤフーがそれまでのカテゴリー検索からグーグルなどと同じように、自前のYSTという検索エンジンを使ったページ検索に変わったのが去年の10月でした。

シールマニアは当初、9位に位置していました。それが12月に入って突然、トップページが消えてしまったのです。つまり、検索されなくなったのです。

そのときの狼狽ぶりは去年の12月22日の記事に書いているとおりです。

そして、今年の4月になってやっと復活したばかりでした。

こんな場合、ネットではあたかもサイトの側に問題があるかのような意見が多いのですが(そうやって自分たちの生殺与奪の権利を握っている検索エンジンに拝跪するしかないのでしょうが)、どう考えても、ヤフーが勝手に右往左往しているとしか思えません。

たとえば、検索したときに表示されるサイト名も、先月まではヤフーにカテゴリー登録した名称が表示されていました(当サイトの場合は「シールマニア」)。ところが、今月に入って急にグーグルなどと同じようなページタイトル(「シール販売 シールマニア」)に変更になりました。

説明文も同様で、最初はカテゴリー登録した文面のみが表示されていました。しかし、最近はそれにYSTがキャッシュしたサイトの文言が加わるようになりました。

そして、そのたびに順位がめまぐるしく変わるのですから、サイトを運営している身としては嘆きたくもなろうというものです。

ヤフーに関しては、最近、”ロリポップ問題”というのがネット上で話題になっています。ロリポップという非常にリーズナブルなレンタルサーバーがあるのですが、それを利用したサイトがことごとくヤフーから消えている、つまり、検索されなくなっているらしいのです。

ただ、この場合は、ヤフーのクローラーを弾くように設定していたロリポップ側のミスが原因だったようですが、みんな、そうやって検索エンジンの動向に一喜一憂せざるを得ないのが現実です。

もっとも、最近はヤフーの順位が落ちても、以前ほどアクセス数や注文件数が落ちることはなくなりました。サイトを開設して2年半が経っていますので、それだけ口コミなどの比率が高くなっているのかもしれません。

ともあれ、わが国でも官民が共同して”日の丸”検索エンジンの開発がはじまるなど、検索エンジンの公平性と信頼性が以前にも増して問われるようになっています。これもネット社会の習熟度の表れなのかもしれませんが、いろんな検索エンジンが登場して「権力」が分散するのはいいことではないでしょうか。
2006.08.26 Sat l ネット・メディア l top ▲
このところ落し物がつづいており、憂鬱です。

デジカメのケースを落としたと思ったら、今度は自転車の鍵を落としました。朝からあちこち探しているのですが見つかりそうもありません。

自転車の鍵は買ったとき2本付いていますが、この2年間で2本とも落としてしまいました。こうなったらタイヤをロックしている金属製のかんぬきを切断するしかなさそうです。

そんな憂鬱な気分の中、たまたまテレビを点けたら、「カンブリア宮殿」(テレビ東京)という番組に、ライブドアの平松庚三社長と社員たちが出ていたので思わずのけぞりました。

粉飾決算でだまされ、株券が紙クズ同然になったライブドアの株主たちはどんな気持でこの番組を観ているのだろうか。ついそう思ってしまいました。

新しいキャラクタービジネスの宣伝のためもあったのかもしれませんが、それにしても無神経な気がしないでもありません。本当に社員たちには責任がないのでしょうか。

番組の中で、「また堀江前社長と仕事をしたいと思っているか?」という質問に対して、70名中43名が「YES」と答えていましたが、その程度の認識でホントにいいのでしょうか。

ライブドアの高い技術力は定評がありますし、ブログなども評判がいいのは事実ですが、ただ、彼らの姿勢にはちょっと首を傾げざるを得ませんでした。
2006.08.21 Mon l ネット・メディア l top ▲
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人と待ち合わせていたので上野に行きました。

私は九州の出身なので、上野駅に対して特別な思い入れがあるわけではありませんが、それでも上野に行くとどこかホッとするところがあります。それで、ときどき用事もないのにふらっと上野界隈に出かけたりします。

公園の中の精養軒でちょっとリッチなランチを食べました。日曜なのに店内は満席で、それも大半は着飾った中高年の女性客でした。

そういえば、昔、文具の問屋の展示会で精養軒に来たことがあります。展示会といっても、取引き先の人たちを食事とお土産付きで招待して商談するだけなのですが、何故か文具業界はこういった格式の高い会場を使用することが多いのです。

時間が余ったので、そのあと不忍池の周辺を散策しました。ここはいつ来てものんびりした気持になります。最近は特に、年齢のせいもあるのか、公園を散策したりすることが多くなりました。なんだかそうやって日々の生活の中で息継ぎをしているような気がします。

仕事では縁が薄いのですが、個人的には好きな土地なので、不忍池には結構プライベートな思い出があります。それらのことを思い出して少しセンチメンタルな気分になりました。

その一方で、楽しそうにボートを漕いでいるカップルを見ながら、10日くらい前に不忍池に死体が浮いていたというニュースがあったことを思い出しました。私の悪いクセですね(笑)。
2006.08.20 Sun l 東京 l top ▲
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今日は川越の喜多院にお参りに行きました。

喜多院は古くから近在の善男善女たちの信仰を集めている名刹で、私もときどきお参りしています。

お盆休みが明けた直後だということもあるのか、境内は閑散としていました。そんな中、学生風の若いカップルが並んで一心に手を合わせていたのが印象的でした。

大悲は常に我を照らし給ふ。ふと、そんな言葉を思い出しました。

帰途、久しぶりに蔵造りの街並みの通りをそぞろ歩きしました。

この通りは電柱もなくまるで映画のセットみたいです。最近は高齢化社会を前にして、マーケットの中心が若者から中高年にシフトしているので、この手のレトロな街並みも全国の到るところで見られるようになりましたが、川越はそのハシリといえるのかもしれません。

数年前、九州で町おこしをやっている友人に川越のことを話したら、自治体の担当者らと一緒に視察に来たこともありました。

路地に入ると、とある店の前で「19日に”ぶらり各駅下車の旅”の取材が来ます」という貼り紙を見つけました。一瞬、あの車だん吉さんの顔が浮かびました(笑)。

今日も茹だるような暑さだったので、川越名物のいもアイスでも食べようかと思ったものの、やはり、ひとりで入る勇気がありませんでした。

それで、駅ビルのルノアールでクリームソーダを食べて帰りました。
2006.08.17 Thu l 東京 l top ▲
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最近、『結婚できない男』というドラマにはまっています。

私の周辺でも、既婚未婚を問わずこのドラマにはまっている男性が多く、みんな一様に、「わかるんだよな~」と言ってます。

公式サイトに記載されている「結婚できない名言集」をあらためて読むにつけ、妙に納得してしまう自分がいます。

(「チョイ悪オヤジ」という言葉に反応し)
「何チョイ悪だ。悪いかいいかどっちかにしろ」

「俺は自分の部屋に人を入れない主義なんだ。なんか他人がうちに入ると空気がこう、淀む感じがするんだよな」

「恋は落ちるんじゃない、上がるんだ、うえに。」

自分も過去に似たようなことを言った気がします(笑)。

「そんなに人を怒らせるようなことばかり言って何が楽しいの?」とよく言われました。

私も、若い頃、この主人公と同じように、ひとりで焼肉屋に行ってました。はとバスのツアーに参加して東京タワーに上ったこともあります。

自分のアパートに来られるのを極端に嫌っていたので、何か来られたら困るような事情があるんじゃないか、と彼女から疑われたこともありました。

休日、デートしているとき、喫茶店の向かいの席にひとりで座っている男性を見て、うらやましいな~、と思ったこともあります。

しかし、上には上がいるもので、知人に日曜日にひとりで後楽園の遊園地に遊びに行ったというツワモノ(もちろん、結婚できない男)がいました。

こうやってみんな、偏屈な人間になっていくのでしょう。

このドラマは、そんな結婚できない偏屈な男たちへのオマージュなのではないでしょうか。
2006.08.14 Mon l 芸能 l top ▲
今日、野暮用で大崎に行きました。

山手線の池袋~品川間でいちばん縁がないのが大崎です。考えてみれば、10数年前、大崎のニューシティーの中にあるあのキティちゃんの聖地で行われた業界の会議に出席して以来、大崎駅には下車していませんでした。

ニューシティーは東口ですが、反対側の西口でも再開発事業が進行中で、巨大なビル群が建設中でした。

隣の品川も大きく変貌しましたし、他に飯田橋でも再開発がはじまっています。それになんといってもあの渋谷の駅ビル建替えに伴う再開発計画もあります。

東京の街はバブル期を凌ぐほど再び大きく変わりつつあります。

「日本はどこに行こうとしているのでしょうかね~」とある人が慨嘆していましたが、その気持はわからないでもありません。なんだか永遠に走りつづけなければならない資本主義の宿命のようなものさえ感じます。その先には一体何が待っているのでしょうか。
2006.08.10 Thu l 東京 l top ▲
昼間、駅に向かって歩いていたら、前からやって来る人達が陽炎のようにゆらゆら揺れて見えました。まるでフライパンの上を歩いているような感じでした。茹だるような暑さというのはこういうことをいうのだな、と思いました。

ところで、偶然こんなブログを見つけました。「前代未聞!給料未払い回顧録」というブログです。勤めた会社が倒産寸前で、経理の担当者も出社拒否。社員の給料未払いが常態化し、やがて自分の未払い残高も「軽自動車1台分」(125万円強)となり転職。その顛末記です。

ブログ主は独身の若い女性ですが、転職したあとも元の職場に督促の電話をかけては、僅かながら回収しつづけている、非常にバイタリティのある女性です。

ところが、読み進んでいるうちに、「あれっ」と思いました。ドロ船のようなこの会社、どこか思い当たるフシがあるのです。

実は数年前まで取引きをしていた会社だったのです。ブログの中に再三登場する「雑貨店」に、私は10年以上前からシールや雑貨などを卸していました。しかも、スタッフの中には私が紹介した女の子もいました。

ブログにイニシャルで登場する社長をはじめ会社の幹部達もおなじみの方々ばかりです。

しかし、数年前、売り掛けが長期にわたって滞ったため、やむえを得ず取引きを解消したのでした。ちなみに、私の場合も毎日のように督促の電話をかけつづけ、ひと月分を残してどうにか回収できました。ブログ主が入社したのはそのあとのようです。

私が督促の電話をかけつづけた相手が、実は出社拒否している元経理課長でした。彼は、その後自宅のアパートで死亡しているのが発見されたそうです。彼もまた給与未払いの被害者だったのです。

栄枯盛衰は世の理であるとはいえ、かつてお世話になったなつかしい方たちの顔を思い浮かべてはちょっとさみしい気持になりました。
2006.08.06 Sun l ネット・メディア l top ▲
お盆が近くなりましたが、私は、身近な人間が亡くなったとき、いつも”倶会一処(くえいっしょ)”という言葉を思い浮かべます。これは、この世で縁のあった人間とあの世でも再び巡り合う、という意味の仏教の言葉です。

先日、たまたま『差別とハンセン病-「柊の垣根」は今も』という本を読んでいたら、ハンセン病の療養施設・多摩全生園の納骨堂の正面にもこの言葉が刻まれていることを知りました。

強制隔離政策によって過酷な運命を強いられ、死後もなお、家族から遺骨の引取りを拒否され、故郷の土に還ることさえ叶わず、いわれなき差別と偏見に晒される患者達、そんな彼らが眠る納骨堂に刻まれたこの言葉は、いっそう強く私の胸にせまってくるものがあります。

ときどき車で所沢街道沿いの多摩全生園の前を通るのですが、今も変わらず広大な敷地のまわりを囲っている柊の垣根をみるたびに、学生時代、北条民雄の『いのちの初夜』を読んだときの衝撃を思い出します。

柊は棘のある常緑樹なのですが、当初、隔離した患者達の逃走防止のために植えられたのだそうです。つまり、柊の垣根は、収容所を囲む有刺鉄線と同じような役割を果たしており、患者達が置かれた過酷な運命を象徴する風景でもあるのです。

『差別とハンセン病』は、畑谷史代さんという信濃毎日新聞の若い記者が、主に長野県出身の元患者の方を取材し、それを同紙の社会面に半年間にわたって連載した記事をまとめたものです。

その中で、ハンセン病国家賠償請求訴訟についての元患者の複雑な胸の内を綴った”寄り添い続ける「隣人」を探して”という箇所が特に印象に残りました。

 旅の途中で追いはぎに遭い、傷つき、道端に倒れた旅人がいた。通りかかった司祭たちは、旅人を見ながら道の向こう側を歩いて行った。手を差し伸べ、介抱したのは異教徒として軽蔑されていたサマリア人だった―。
 このたとえ話をして、イエス・キリストは問うた。「旅人にとって、隣人は誰だったか」(新約聖書「善きサマリア人」)。

元患者は訴訟の原告には加わらなかったのだそうです。

どうしてかといえば、洗礼を受けた彼には、この聖書の言葉をよりどころに、「おれたちにとって、隣人とは誰だったか‥‥」という問いがいつも胸にあったからです。

社会から黙殺された療養所で、患者達と寝食を共にして治療と看護に当たっていた医者や看護婦ら療養所の職員のことを考えると、原告に加わることで、彼らを「悪者」にしてしまうのが忍びなかったのだそうです。

 彼らも元患者たちと同様に世間から「怖い病気を持っていないか」と白い目で見られてきた。看護婦の縁談が壊れたこともある。それでも、看護婦たちは入所者を「うちの人たちは―」と言った。「みんなを置いたままお嫁に行けない」と縁談を断った看護婦もいた。

人生の途上、道端で倒れている旅人を見かけたなら、自分はサマリア人のような隣人になれるだろうか、と自問してみました。今まではどうだったか、と。すると、暗澹たる気持にならざるを得ませんでした。

最近、私は仕事先で人間関係のトラブルに遭遇しました。その過程で、「信じる」とか「善意」とかいったものがいかに非力で脆いものであるのかを痛感させられました。ただ「信じる」とか「善意」だけでは善き隣人にはなれないような気がします。では、他に何が必要なのでしょうか。
2006.08.04 Fri l 本・文芸 l top ▲