20070101231334.jpg


数年前のことですが、クリスマスイブの夜、私は渋谷で仕事をしていました。

色とりどりのイルミネーションに彩られクリスマスソングが流れる渋谷の街は、イブの夜をすごすカップルや家族連れで大変な賑わいでした。

夜9時すぎ、仕事を終えた私は、いつも車を置いているマークシティの裏に車を取りに行きました。そこはビルの谷間にまだ昔ながらのラブホテルが点々と残っているような一角で、表の喧騒がウソのようにひっそりと静まりかえっていました。

運転席に座った私は、ふと、助手席の向こうの建物の陰に黒い物体があるのに気が付きました。「なんだろう?」と思った私は、車をおりて近づいてみました。

よく見ると、ホームレスの男性が毛布のようなものを頭から被ってじっとうずくまっていたのです。華やかな表通りに比べてなんと対照的な光景なんだろう、と思いました。

私は、近くのコンビニに行ってホッカイロとパンと缶コーヒーを買って来て、「よかったら食べてください」と男性に差し出しました。男性は無言のまま頭を下げると、毛布の間から真っ黒に汚れた手を伸ばしてきました。

電車で多摩川の鉄橋を渡るとき、河原にずらりと青いビニールテントが並んでいるのが目に入ります。野宿者(ホームレス)の自立支援法が施行されて4年が経ち、街中の野宿者は大幅に減少したと言われていますが、多摩川のテントは増えこそすれ減る気配はありません。

自立支援法によって彼らは公園や駅の構内から街外れの河原に追いやられているのではないか、そんな皮肉のひとつも言いたくなります。再チャレンジなんて言っても、ビニールテントの住人達にはまったく無縁な話のように思われます。

一方で、相変わらず「自己責任」という言葉がひとり歩きしています。ある意味で、ビニールテントの住人達こそ究極の「自己責任」の姿なのかもしれません。

しかし、考えてみれば、人生なんて「自己責任」以外のなにものでもありません。そんなことは最初からわかり切った話です。にもかかわらず、そうやってことさら「自己責任」を強調する風潮に、逆にうすら寒いものを感じるのは私だけでしょうか。

「ホームレスは怠け者だ」「自分で好んでああいった生活をしているのだ」という声をよく耳にしますが、それは、そういった言い方をすることでホームレスが存在する”現実”から目をそらそうとしているだけのような気がします。

手弁当でホームレスの人達をサポートしている方が個人的に立ち上げている「ホームレス問題を話し合いませんか」というサイトを見ると、当たり前のことですが、彼らは決して怠け者ではなく、ましてみずから好んで路上生活をしているのではないということがよくわかります。

特に私のような地方出身者にとって、彼らは決して遠い存在ではありません。ただ、我々の方が少し運がよかったり少し要領がよかっただけではないでしょうか。だから、どこかに後ろめたさのようなものがあり、できれば見たくない、見て見ぬふりをしたい、という心理がはたらくのかもしれません。

思いやりがないのは野宿者を襲撃する若者や同級生をいじめる子供達だけでしょうか。むしろ、彼らの存在は我々大人の社会を反映しているように思えてならないのです。
2006.12.25 Mon l 社会・時事 l top ▲
20061220234139.jpg


所要で横浜駅に行きました。

10数年前に横浜を担当していた頃と比べても駅周辺はそんなに変わっていません。新しくできた大型店はドンキホーテとヨドバシカメラとビックカメラくらいでしょうか。

業界では”横高(ヨコタカ)”と呼ばれていた老舗の横浜高島屋も相変わらず多くのお客さんで賑わっていました。

横浜駅周辺を行き交う人達を見ると、圧倒的に女性の比率が高いように思います。それが界隈にファッションビルが多い所以なのでしょう。

駅ビルのシャルで遅い昼食をとったのですが、若い女性の2人連れが多く、なんだか韓国のソウルみたいだなと思いました。

ビブレ(写真)の近くの橋の上ではカモメに餌を与えている人達もいました。

写真の左下に写っている看板は、夜になると看板の下の道路沿いにずらりと屋台が軒を連ねるのですが、その屋台に対する警告文です。

都内ではこういった光景をほとんど見かけることがなくなりました。それだけ横浜はまだ行政の規制がゆるく”自由”だということなのかもしれません。

ただ、一方で、駅周辺では歩きタバコの人が非常に多く、私はすれ違うたびに気が気ではなりませんでした。横浜市は「歩きタバコ禁止条例」を制定していないようですが、あの人ごみで歩きタバコというのはどうみても危険です。

ついでにみなとみらいのイルミネーションを見に行こうかと思ったのですが、今夜はあの亀田興毅とランダエタのタイトルマッチがあるので早々に帰って来ました。
2006.12.20 Wed l 横浜 l top ▲
20061226012637.jpg


ネットの仕事は深夜にすることが多いのですが、深夜にときどき放映されるNHKテレビの『映像散歩』を仕事の合間に観るのがいつの間にか楽しみになりました。

中でも70年代・80年代の邦楽(Jポップス)を特集した日がいちばんの楽しみです。

ユーミンやオフコースや松田聖子などのなつかしい曲が流れる中、画面に映し出される当時の東京の街角風景を観ていると、いつの間にか感傷的な気分になっている自分を感じます。

めいっぱいオシャレして原宿や新宿などを闊歩している若者達の姿はいつの時代も同じですが、考えてみれば、画面に映っている若者も既に40代~50代になっているはずです。”中高年”と呼ばれる年代になった今、彼らはあの”輝いていた日”をどんな思いで振り返っているのでしょうか。

最近、昔からの友人達が元気がありません。「こんなはずじゃなかった」という彼らの声が聞こえてきそうです。人は老いやすく人生はままならないものだ、としみじみ思います。

今日は新宿で忘年会でした。新宿の街も至るところきらびやかなイルミネーションに彩られクリスマスモード全開でした。

旧知の同業の仲間がこうして年に何度が集まるのですが、既に雑貨の仕事をやめて他の仕事に変わった人間も多く、最近ではむしろそっちの人間の方が多いくらいです。

仲間内でいつも出て来る話が「景気が悪い話」と「えげつない話」です。まあ商売の話としては二大小噺と言ってもいいかもしれません。

たしかに、えげつないことが商売すること(ビジネスライクなこと)なんだと勘違いしている人間が多いのも事実ですね。もっとも、そういった話を深刻に話すのではなく、毒と笑いを交えて面白おかしく話すのが気心の知れた仲間のいいところですが‥‥。

「やっぱり、商売は信用が一番だよ」といつもの結論でいつものようにお開きになりました。
2006.12.18 Mon l 日常・その他 l top ▲
昼前に突然、九州の知人から携帯に電話がかかってきました。

私は、20年以上前に一旦九州に帰って数年間地元の会社に勤めたことがあるのですが、その会社で一緒だった人間です。その後一度も会ったことはないのですが、年賀状のやり取りだけはつづけていました。

「今、靖国神社に来ているんですよ」
「エッ、どうして?」
「仕事関係の旅行で来たんです」

今夜会えないか、と言うのですが、あいにく今夜は仕事先の忘年会があるので「無理だよ」と伝えました。そういえば、10年近く前も突然、「今、原宿に来ているんですが、人ごみで酔ってしまいましたよ」と電話がかかってきたことがありました。

前もって言ってくれればいいのですが、まあ、そういったアバウトなところが如何にも九州の人間らしいと言えなくもありません。

夜は上野で忘年会でした。上野といえば、やはり、焼肉です。上野近辺はおいしい焼肉屋さんが多く、都内でも有数の焼肉屋さんのメッカです。(他に荒川区の三河島もおすすめですが‥‥)

焼肉だけでなく、チジミやチゲ、そして、最後の仕上げは石焼ビビンバと、たらふく食べて大満足な夜でした。

やはり、忘年会シーズンだからなのか、帰りの電車も朝のラッシュ並みに混んでいました。どちらかといえば、女性の酔っ払いの方が目につきました。

中には思わず目を覆いたくようなヤマトナデシコもいましたが、そういった光景を見るにつけ、この国はやはり、平和なんだな~とあらためて思いました。外人がびっくりするというのはわからないでもないのです。

余談ですが、忘年会に来ていた若い子が、最近、あの新木場のクラブ・ageHaによく行くというので、「一度連れて行ってよ」と頼みました。みんなから「若いねぇ~」と言われましたが、要するにおじさんの社会見学です。好奇心だけは旺盛なのです。
2006.12.07 Thu l 日常・その他 l top ▲
20061205162433.jpg


横浜の友人と中華街で食事をするため待ち合わせたのですが、約束の時間より早めに出かけて山下公園や元町を探索しました。

特に、山下公園の氷川丸とマリンタワーが今月の25日で営業を終えるというので、最後に見ておきたいという気持もありました。マリンタワーには「45年間ありがとうございました」という大きな垂れ幕が下がっていました。

ポストカードの会社に勤めていた頃、私は横浜を担当していましたので、毎週横浜に通っていました。仕事の合間、山下公園のベンチでよく昼寝をした思い出があります。

当時はプライベートでもよく横浜に行ってました。中華街や元町に行くときは山下公園の前の通りに路上駐車していましたが、今は路上駐車の車もほとんど見かけませんでした。

元町も中華街も久しぶりでしたが、平日だったからなのか、昔に比べてやや精彩を欠いているような印象を受けました。東急東横線でも乗り換えなしで行けるようになったので、もっと活況を呈しているのではないかと思っていたのですが意外でした。中華街も呼び込みと占い師と肉まん売りばかりが目立ちました。

近くにみなとみらいもできたし、横浜もまたご多分に漏れず激しい地域間競争に晒されているのかもしれません。時代のサイクルは益々速くなっており、いろんなところで地殻変動が起きていますからね。老舗の横浜も例外ではないということなのでしょうか。
2006.12.05 Tue l 横浜 l top ▲
20061204223908.jpg


いつもより早く仕事が終わったので恵比寿ガーデンプレイスに寄って帰りました。

横浜に転居してから、恵比寿で日比谷線に乗り換えて帰宅することが多くなりましたので、本を買うのも最近はもっぱら駅ビルのアトレの中にある有隣堂書店を利用しています。

もちろん、売っている本はどこでも大差ありませんが、有隣堂は店の雰囲気が合っているのか、本を選びやすい気がして好きな本屋のひとつです。

もっとも、有隣堂は横浜が本社で都内に店舗は少ないため、今までは蒲田に行った際、サンカマタという駅ビルにある店に立ち寄るくらいでした。

20年近く前、私は六本木にあった会社に勤めていましたので、当時も毎日恵比寿で日比谷線に乗り換えていました。だから、乗り換える電車は逆方向ですが、なんだかなつかしい気持もあります。

もちろん、当時は駅ビルはなくて古い駅舎があるのみでした。私がいちばん記憶に残っているのは、自動改札のバーを若い外人達が堂々と跨いで通過している光景でした。つまり、キセルしているのですが、それが当たり前のように行なわれていました。

モデルをしていた女友達は、「男のモデルなんて性格の悪い人間ばかりで最低」といつも口癖のように言ってました。中でも外人のモデルは「最悪」だそうで、私はその話を聞くたびにあの恵比寿駅での光景を思い出したものです。

当時は六本木の喧騒を避けて麻布十番か恵比寿で食事することが多かったのですが、恵比寿の表通りにはまだ昔ながらの商店街が残っていて、どこかひなびた雰囲気がありました。一方、表通りから一歩入ったビルの中などには業界人が集まるこじゃれた店もあり、そのコントラストが恵比寿の魅力になっていたように思います。

ガーデンプレイスができたということもあるのかもしれませんが、今の恵比寿は昔に比べてスーツ姿のサラリーマンがやたら多くなった気がします。その分、恵比寿がどこにでもあるちょっと乙に澄ました”ただの街”になってしまった感は否めません。それにつれ、あの「最悪」なモデル風外人達を見かけることはなくなりましたが‥‥。
2006.12.04 Mon l 東京 l top ▲