街に出ると、どこも年の瀬の買物客で賑わっていますが、そんな光景を見るにつけ、つい買物客=ボーナス=サラリーマンという連想が頭をよぎり、ボーナスに無縁な渡世を生きる身としては、やはり世間様が羨ましく思えてなりません。

中華街12302

夜は友人と中華街で遅い忘年会がありました。途中、前を歩いていた若い女の子達が「意外と人が少ないね」と話しているのが聞こえました。例年のこの時期の人出がどうなのかわかりませんが、たしかに、思ったより人が少ない気がしました。東横線がみなとみらい線と相互乗り入れして、直接中華街まで行けるようになった当初は混雑していたようですが、ご多分に洩れず開通景気(!?)が落ち着くにつれ潮が引くみたいに少なくなったという話を聞いたことがあります。マスコミは例のダンボール肉まんなど中国食品の安全性の問題が影響しているようなことを言ってますが、本当にそんな一過性の問題なのでしょうか。

場所は、観光客にもおなじみの上海料理で有名な四五六菜館別館でした。地元の人間しか知らない路地裏の名店にでも連れて行ってくれるんじゃないかと期待していたので、ちょっとがっかりでしたが、料理は期待を裏切らず美味しくて満腹満足でした。

食事をしながら、押切もえの話題になりました。私は、押切もえもエビちゃんもまったく興味がなくて、ただの痩せたお人形さんくらいにしか思っていませんでした。ところが、最近、NHKの「英語でしゃべらナイト」を見ているうちにすっかり押切もえファンになったのです。

とにかく、彼女の英語力、少なくとも読解力はホンモノです。と言っても、私は人様の英語力を云々するほどのスキルは持ち合わせてないのですが、ただ、番組の中で、英語で説明した内容が何の単語なのかを当てるクイズを彼女がもっとも得意とするのを見ても、彼女の英語力がかなりのレベルであるというのは初心者でもわかります。帰国子女じゃないのかと思っていたのですが、どうやらそうではないみたいで、独学で英語を勉強したようです。

ティーン雑誌の読者モデル出身というと、渋谷の街を徘徊している女子高生達が連想されどうしても偏見を持ってしまいますが(ネットでもそういった噂が飛び交っているようですが)、彼女の場合、見かけによらずすごい努力家なのかもしれません。

また、ウィキペディアによれば、彼女は読書が趣味で太宰治が好きなのだそうですが、「家庭の幸福は諸悪の根源である」と言った太宰のシニシズムと彼女自身「家庭崩壊」や「恋人の死」を経験したことがどこかで結びついているのかもしれないと思ったりもします。

雑誌モデルというのは、若い女の子にとって決していい環境ではないはずで、嫌なことやつらいことも多いはずですが、そういった生活と太宰が好きだというナイーブな感性はどうやって折り合いをつけているのか、他人事ながら気になります。
2007.12.30 Sun l 芸能 l top ▲
野毛


1872年(明治5年)、日本初の鉄道が新橋~横浜間を走ったとき、当時の横浜駅というのは今の桜木町駅だったそうです。名著(!)『横浜的ー芸能都市創成論』(青土社)の中で、著者の平岡正明氏は「野毛こそ横浜のヘソである」と書いていましたが、文字通り野毛は当時の横浜駅前に発展した、横浜を代表する歓楽街だったのです。そして、以後、「桜木町」に駅名が変わっても、少なくともみなとみらいが開発されるまでは、桜木町の中心が西口の野毛であったことには変わりがありませんでした。磯子生まれの美空ひばりが歌手デビューしたのも当時野毛にあった横浜国際劇場(現在のJRA場外馬券場=ウィンズ)だったそうです。

それが、今では桜木町駅に下車する多くの乗客達が向かう先は反対側のみなとみらいになってしまいました。平岡氏はまた、野毛の魅力について、「場末美」という言い方をしていましたが、たしかに今の野毛に「場末」の趣がないわけではありません。しかし、だからこそ、野毛にも横浜橋などと同じように、港町特有の風土がつちかった街の温かさが残っていると言えるのではないでしょうか。いろんな人がいて、いろんな生き方がある、まさにこれほど人生が露出した街はないように思います。

私が横浜を担当していた頃、東急東横線の終点は桜木町駅でした。桜木町駅に降り立った私はまず、16号線の信号を渡って野毛で腹ごしらえをするのが楽しみでした。そして、そのあと、路地をぬけて大岡川を渡り、福富町の風俗街とその先の韓国料理店が立ち並ぶ通りを通って伊勢佐木町に出るのがいつものコースでした。そこには表通りの横浜とは違った別の横浜の顔がありました。

 場末美とは何か? 自由だ!
 通りに風が吹く。スモッグを吹きはらう具体的な風でもあり、時代が疲労する前にシャワーのように体力を賦活してくれる舶来の風でもあって、谷戸がいりくみ、よく発達した路地が舶来物の日本生活への変換を調節し、みがく。横浜は路地と横丁があつい。エネルギー変換装置であり、フィルターでもある。路地へ入りこんで市民が町人と変わるあたりにいい店があり、いい商人がいるものだ。(『横浜的』あとがき)


私の知人に「港北区や青葉区なんて横浜じゃねぇ~よ」と嘯く根岸生まれの生粋のハマっ子がいますが、彼の話を聞いていると、横浜というのは「渋くていいバー」が点在する街でもあるのだということがよくわかります。地元の人間だからこそ知り得る、野毛や馬車道や本牧などにあるそんな「渋くていいバー」の話を聞いていると、如何にも「横浜的」だなと思います。

しかし、一方で彼は、「古い店がどんどんなくなっているんでさみしいですよ」と言ってました。そんな彼はまだ40前なのです。それくらい横浜のミニ東京化(東京のベットタウン化)が急速に進んでいるということなのかもしれません。元町の商店街にしても、いつの間にかかつての個性はすっかり失われ、どこにでもあるようなチェーン店ばかりが目立つようになりました。

しかし、それでも横浜の海がお台場の海と違って見えるとしたら、そこに私達は「横浜的」な幻影を見ているからではないでしょうか。そして、それは、場末にあって「横浜的」な心意気を持ちつづけてきた野毛など「個人商店の街」のおかげだと言えないこともないように思います。
2007.12.24 Mon l 横浜 l top ▲
2007渋谷109


写真は今年の渋谷109のクリスマスです。

渋谷を歩いていると、今年の冬は赤やピンクなど色鮮やかなタイツをはいた女の子が目立ちますが、テレビでセレブタレント(?)のマリエがはいているのを見て、「あ、これが今年の流行なのか~」とオジサンは初めて合点がいきました。

一方、原宿では最近、フィンガーファイブのアキラを彷彿とするようなトンボメガネの女の子によく遭遇します。知り合いの店の女の子に言わせれば、日曜日になると特に出現率が高くなるのだそうです。それも、竹下通りやその近辺に集中しているのだとか。なんだかホンモノのトンボみたいだなと思いました。

原宿から渋谷に向かう途中の明治通りで私の前をカップルが歩いていました。女の子は雨宮処凛さんのようなロリータファッションで、男の子の方はチロルハットを被りアルプスの羊飼いのような格好でした。ところが、よく見ると、男の子が着ていたニットの上着が明らかに裏返しなのです。しかも、裾がほつれていました。私は、それを見て、またあの忌まわしい”裏返しファッション”が流行っているのかと思いました。

7~8年前、渋谷でセーターを買ったときのことです。私は買物の際、まわりの人間がびっくりするくらい大雑把なところがあり、そのときもサイズと色を確認しただけでセーターを広げることもなくさっさと買って帰りました。

ところが、帰宅してショップの袋からせーターを取り出そうとしたら、セーターが裏返したまま畳まれていることに気付いたのです。「まったくしょうがねぇ~な」と思いながら、セーターを表にして試着しました。すると、胸元のボタンが裏側に付いていてうまくボタンをはめることができません。ボタンとセーターの生地が逆になっているのです。

「不良品だ!」と思ってすかさず店に電話をしました。すると、電話口の店員から予期せぬ言葉が返ってきました。「そういったデザインなのですが、もしお気に召さなければお取替えもできますが‥‥」と。

「エエッ、裏返しのデザイン?」

まるで狐につままれたような気持になりましたが、そこは大人なので努めて冷静を装い、「ああ、やっぱり」「そうですか‥‥」と言って電話を切りました。

しかし、私は、縫い目がむき出しになった裏返しのセーターを着て歩くのにどうしてもなじむことができませんでした。まわりの目が気になって仕方ないのです。それで、近所のスーパーに行くのに2~3回着ただけで部屋の隅に放り投げていたら、いつの間にか虫に食われて穴が開いていました。
2007.12.17 Mon l 日常・その他 l top ▲
赤レンガ倉庫


ふと海を見たくなり、横浜港(新港埠頭)に行きました。赤レンガ倉庫は今やみなとみらいの代表的な観光地になっているのだそうですが、平日の昼間だからなのか、建物の中はそれなりに入っていたものの外は人もまばらで閑散としていました。

それに、赤レンガの倉庫といっても2棟しかありません。しかも、周辺はきれいに整備されているので、トレンチコートに葉巻を咥えた宍戸錠が突然建物の影から姿を現す、そんな往年の日活無国籍映画に出てくるような倉庫街をイメージしていたらがっかりするかもしれません。

広場には期間限定でスケートリンクが造られているのですが、正直言って、如何にも俄か造りといった感じのしょぼいリンクでした。

ところが、これが夜になるとライトアップされ、恋人達も酔い痴れるロマンチックな風景に一変するのだそうです。やはり、陽が高いうちに来たのが間違っていたのかもしれないと思いました。

リンク上では齢70に届こうかというようなニット帽を被った老人がひとり異彩を放っていました。そのテクニックは群をぬいており、子供達が嬌声を上げる中、まるで何かにとり憑かれたかのように、赤いマフラーを風になびかせながらリンク上を周回していました。

その場にいた人達はやや引いた感じで彼を見ていました。そして、そんなまわりの目を意識したのか、突然、彼は安藤ミキティばりに両手を前に突き出し左足を後に上げて、右足だけで滑りはじめたのです。私は、そのうちトリプルアクセルでもやるんじゃないかと密かに期待しながら見ていたのですが、さすがにそこまでのテクニックはなかったようです。

横浜大桟橋診療所

大桟橋に行く途中、ぽつんと昔の風景が残っている一角がありました。背後の白い建物には「横浜大桟橋診療所」という文字が見えました。こういった風景を目の前にするとホッとすると同時に何だか胸がつまるような気持になります。でも、まわりは鉄柵に囲われた空地が目立ち、この風景も風前の灯火といった感じでした。

九州では子供の頃、路面電車が走っていて、街中から国道沿いの海岸線に電車がさしかかると、車内に潮の香りが漂ってきたものです。そんな思い出を追憶したい気持もあったのですが、季節のせいなのか、横浜の海は何故かあの潮の香りがしませんでした。それがちょっと残念でした。
2007.12.12 Wed l 横浜 l top ▲
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夕方、ほしい本があったので伊勢佐木町の有隣堂本店に行きました。途中、「馬車道」で下車して伊勢佐木町まで歩いて行きました。

横浜駅周辺は渋谷や新宿などと変わらないくらい混雑していますが、関内あたりになると人も少なく、ビルの灯りに照らし出された黄金色の銀杏並木の下を歩いていたら、しばし感傷的な気分になりました。

昔、馬車道に有隣堂の文具館があったのですが、仕事で通っていた頃のことを思い出しました。生香園も「あそこは美味しくて有名なんだよ」と地元の人から教えてもらったことを覚えています。ただ、今のように周富輝さんの写真は表に出してなかったような‥‥(笑)。

またあるとき、馬車道の舗道のベンチに、真っ白な化粧をしてまばゆいばかりの派手な衣装を着た老女が所在なげに座っているのに遭遇したことがありました。のちに彼女が伝説の娼婦・ヨコハマメリーであることを知りました。(彼女については昨年ドキュメンタリー映画が公開されました)

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馬車道を歩きながら、やっぱり、ひとりがいいな~、としみじみ思いました。どうしてみんな、孤独であることをそんなに呪詛するのでしょうか。「哀しみは人生の親戚」と言いますが、哀しみだけなく淋しさも切なさも、みんな人生の親戚のように思います。

サラリーマンの頃、お世話になった方の実家も伊勢佐木町だったことを思い出しました。華僑の方で、実家もやはり中華料理店をやっていると言ってました。だからなのか、六本木の中国飯店のスタッフとも顔見知りのようで、よく中国飯店でご馳走になりました。

あるとき、私が、「民族意識というのは国籍がどうかなんて関係なくて、要は、生きていく上での文化的な基盤がどこにあるかということでしょう。自分が中国人だと思えばそれだけで充分なんじゃないですか」と言ったら、「そうだよね~」と言ったきり黙ってしまったことがありました。

その後、私が会社を辞めたこともあって会う機会もなくなったのですが、数年前に六本木に行った折、ふと思い付いてその方の会社を訪ねたのです。すると、平日なのにカーテンが閉められ、しかも軒先のプランターが倒れたままで、明らかに尋常ではない様子でした。

近所の旧知の喫茶店に行って事情を訊くと、「4~5日くらい前から急に姿が見えなくなったけど、どうも倒産したみたいだよ」と言われました。帰ってすぐ自宅に電話したのですが、「只今お客様の都合により電話が通じません」という電話局のアナウンスが流れるばかりでした。

それ以来、音信不通になっていますが、もう会うことはないのかもしれません。実家は「甥っ子が跡を継いでやっている」と言ってましたが、実家の連絡先でも聞いたおけばよかったと思いました。

結局、目当ての本は有隣堂には置いてなくて、わさわざ出向いたのに徒労に終わりました。事前にネットで在庫を調べてから来るべきだったなと思いましたが、あとの祭りでした。
2007.12.04 Tue l 横浜 l top ▲
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いよいよ今日から師走。そして、本格的なクリスマスの季節でもあります。東京もここ数日、寒い日がつづいていますので、きらびやかなイルミネーションがよけい冬の夜空に映える気がします。

パシフィコ横浜に行った帰り、電飾されたみなとみらいの観覧車にしばし足を止め見入ってしまいました。

もう20年近く前になるでしょうか、桜木町をメイン会場に博覧会が開催されたことがありました。そして、閉幕後、跡地にぽつんと取り残されるように建っていた観覧車を根岸線の車窓から眺めたことを思い出しました。

若い頃はこの季節になるとイルミネーションに彩られた街を胸躍らせながら闊歩したものです。特に、恋をしている若者達にとってこんな楽しい季節はないでしょう。取引先でアルバイトをしている女の子が、「(彼との関係を)何としてでもクリスマスまで持たせなきゃ」と言ってましたが、その乙女心は痛いほどわかります(笑)。

しかし、今の私は、あの広大な空地にぽつんと建っていた観覧車がなつかしくもあります。

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ところで、今日のテレビは昨日行われた朝青龍と亀田大毅の記者会見の話題で持ちっきりでした。要するに、私達が彼らに抱く違和感というのは、「強ければそれでいいのか」「勝ちさえすればそれでいいのか」ということに尽きるように思います。

しかし、よく考えてみれば、彼らは今の世の中の風潮を体現しているような気がしないでもありません。もとより、あの「礼儀を知らない」「口の利き方を知らない」態度というのは多くの若者にも共通したもので、何も彼らだけが特別ではないように思います。

最近、『「欲望資本主義」に憑かれた男たち』(伊藤博敏・講談社)という本を読んだばかりですが、この本には「「モラルなき利益至上主義」に蝕まれる日本」という副題が付けられていました。

つまり、そういった風潮を辿って行けば、結局、彼らを利用してひと儲けしようと企んでいる大人達も含めて、「儲かれば何でもいい」「儲かった方が勝ちなんだ」という市場原理主義=「モラルなき利益至上主義」に行き着くような気がしてなりません。「勝ち組」「負け組」などという言い方はその最たるものでしょう。そして、彼らを非難している私達は、もしかしたらただ単に天に唾しているだけなのかもと思いました。

ちなみに、亀田大毅が羽織っていた毛皮のコートについて、「あれはクズ(切れ端)のコヨーテをつなぎ合わせただけの安物だ」と喝破したファッション評論家のドン・小西さんだけが、唯一本音を語っていたように思いました(笑)。
2007.12.01 Sat l 社会・時事 l top ▲