私という病

中村うさぎの『私という病』(新潮文庫)は、伏見憲明氏が「解説」で指摘しているように、かの田中美津の『いのちの女たちへ』(河出文庫)にも通じるようなすぐれたフェミニズムの本だと思いました。

雑誌の企画によって、「叶恭子」の源氏名で新宿歌舞伎町でデルヘル嬢として働いた体験を通して、中村うさぎは、“女である私”ととことん向き合い、みずからの中にぬきがたくある「自己嫌悪と女性嫌悪(自分の中の『女性性』に対する嫌悪)の本質」を彼女一流の飄々とした言い回しで表現していました。

 私は、女たちが好きだ。たったひとりで頑張って働く女も、主婦という孤独な立場で必死に踏ん張っている女も、道に迷ってへたれ込み絶望している女も、泳ぎ続けてないと死んでしまう魚みたいに暴走し続ける女も、すべての女が私だから。


そして、そんな女であることの迷宮の極北に位置するのが、ほかならぬ東電OLの存在なのです。中村うさぎは、自分をデルヘルに踏みきらせたのも東電OLの存在だと書いていました。それほどまでにあの事件は同じ時代を生きた女性達にとって衝撃的だったのでしょう。

異様にやせこけた身体を少女のようなフリフリの衣装で包み、けばい化粧をして、夜毎、渋谷の道玄坂の裏道を彷徨うように歩いていた東電OLの姿に、多くの女性が自分の姿を重ね合わせたという現実を男達はあまりに知らなすぎるのです。

>>東電OL殺人事件
2008.10.22 Wed l 本・文芸 l top ▲
朝、鎌倉から横須賀線に乗ったら、大きな楽器ケースを持った人達がずらりと座席に座っていました。年齢は10代から70代くらいまで幅広く、どうやらアマチュアの演奏家の人達のようでした。残念ながら私は行けなかったのですが、横浜では11日~12日に好例の横濱ジャズプロムナードが開催されていましたので、それに参加する人達ではないかと思います。『ジャズ宣言』&『ジャズよりほかに神はなし』の著者として、私達にはむしろジャズ評論家のイメージが強い平岡正明氏は、『横浜的』の中で横浜のジャズについて次のように書いていました。

横浜はジャズがさりげなく豊富な町だ。福富町のコーヒー屋にベリー・コモの「バラの刺青」が流れていたり、野毛の古本屋の店先にウィントン・ケリーが流れていて、こちらはサンダル履いて50CCバイクに乗って町に出てきているのだが、思わず聞きほれたこともあった。(「ヨコハマでは後ろ向きにジャズを」)


最初にジャズが入ってきた港町といっても、客船の時代はおわり、1950年代の「モカンボ」も「ゼブラクラブ」も今は伝説。いいものはみんな東京にとられてしまう。
ええい、歯がゆいが、横浜はこれでいいのだ。音楽が土地にしみこんでいる。さりげなく豊富な町だ。東京のように、おれが今だ、おれが新しいと他を斥けて、外国から入ってくるものを情報として処理したとたん、すり減るようなことはしない。ジャズが港の気配を消さない中音量で鳴っていて、そんな特別のものじゃないよ、という顔をしているのがいいのだ。(「中音量主義でいこう」)


とは言っても、これが書かれたのが20年近く前で、今の横浜にもこんな“中音量主義”のような地に足の付いた、懐の深い文化は残っているのでしょうか。一方で、横浜は単なる東京のベットタウンあるいは東京の植民地のような顔もあり、そういった視点から横浜を見れば、俗に言う”ヨコハマの異国情緒”なんてのももはや作りものじみた見世物くらいにしか見えないのかもしれません。

携帯電話が突然、通話不能になりました。相手の声は聞こえるものの、こっちの声が相手に通じないのです。「もし、もし、もしも~し」「おーい、おーい」という相手の苛立つ声を聞くのはそれはそれで面白いのですが、これでは電話の用がなさないので急遽、新しい機種に買い替えました。

それにしても、バリューコースとベーシックコース(ドコモの料金プラン)の違いが何度聞いても理解できませんでした。係員も最初からわかってもらおうとは思ってないみたいで、「ほとんどの方がバリューコースを選ばれています」と言ってましたが、ただそれが言いたいだけなのかも、と思いました。でも、新しい携帯電話を手にするとオジサンでも心は弾むものです。

>>野毛
2008.10.12 Sun l 横浜 l top ▲
緒形拳は肝臓ガンだったことをまわりには内緒にしていたようですが、病院で最後を看取った津川雅彦は、緒形拳のことを「最後の最後まできちんと生きた」と言ってました。先日亡くなった深浦さんにしても緒形拳にしても、ホントに立派だなと思います。

私のまわりにも二人、やはりガンと闘っている人がいますが、いづれも手術したあと仕事に復帰して前向きに生きています。一人は余命半年と言われたので、自分で経営していた会社も畳んで手術に臨んだのだそうです。幸い手術に成功し、今は新しい就職先を見つけて元気に仕事をしています。ただ、常に再発や転移におびえていると言ってました。

もう一人もやはり手術して仕事に復帰していますが、今年は2週間も夏休みを取るというので、「どこかに行くのですか?」と訊いたら、「ちょっと旅行に行こうと思って」と言うのです。それで、「羨ましいですね~」と言ったのですが、あとで聞いたら検診で転移が見つかったので手術をしたのだそうです。

もしかしたら二人とも5年後の生存率が40%とか50%というような中で生きているのかもしれませんが、そんな心の内は微塵も見せずいつも元気で前向きです。自分もいつかは同じような状況に遭遇するかもしれませんが、そのときは皆さんのように最後まできちんと生きることができるだろうかと考えたりします。

>>人生の絶対量
2008.10.08 Wed l 訃報 l top ▲
世界株安

場違いを承知で、ちょっと大風呂敷を広げたような話を―。

連日、アメリカの金融危機に端を発した世界同時株安のニュースが飛び交っていますが、それを見るにつけ、「ひたひたと忍び寄る世界恐慌の跫音」という表現も決してオーバーではないのかもしれない、と思ったりします。

田中宇氏のメルマガの最新号(9/30)「米経済の崩壊、世界の多極化」によれば、「9月25日、ドイツの財務大臣が独議会で『アメリカは国際金融システムにおける超大国の地位を失う。世界は、多極化する。アジアと欧州に、いくつかの新たな資本の極(センター)が台頭する。世界は二度と元の状態(米覇権体制)には戻らない』」と発言したそうです。

たしかに、『金融権力 ― グローバル経済とリスク・ビジネス』(岩波新書)の本山美彦教授も書いているように、サブプライム問題は「単にアメリカに経済的停滞をもたらし、それによって、世界経済を不況に追いやるということ以外に、金融の世界地図を塗り替えつつあるという側面のあることを世界に示した」と言えるのかもしれません。本山教授は、「このことの世界経済に与える衝撃は巨大なものである」と書いていました。

グリーンスパン前FRB(米連邦準備制度理事会)議長も「(今回の金融危機は)百年に一度の危機だ」と言ったそうですが、今回の危機がアメリカが超大国の座から転落する過程の中で起きている、というのはもはや衆目の一致するところのようです。

マスコミは、金融安定化法案が議会で採決されれば危機を乗り切れるかのように言ってますが、もちろん、事態はそんな単純なものではなく、仮に成立しても、この大盤振る舞いでさらに財政赤字が拡大し、アメリカ経済が益々疲弊するのは明らかです。

世界は19世紀初頭以来200年間、英もしくは米英の覇権体制で回ってきた。世界の近代・現代は全期間が英米覇権体制だった。人類は、英米覇権以外の近現代を知らない。この200年、英米、特に英が演出(ねつ造や歪曲も含む)した価値観や発想法は、人類全体の知識や気持ちの中に深く根ざしており、簡単に変えられない。


しかし、この歴史が終焉し、今まさに世界史的転換を迎えつつあるのかもしれません。田中氏はさらに次のように書いていました。

米英中心の体制が崩れると、英が演出して全人類の頭の中に根ざしている人権や環境などの価値観に沿った国際政治がなされなくなるので、価値観的には「暗い時代」「悪がはびこる時代」となる。英米中心主義の残党は、米欧日のマスコミや官僚などの中に今後も居残り、しばらくは旧来の善悪観を扇動し続けるだろう。しかし、これらの価値観はそもそも英の都合に合わせて世界の人々を200年洗脳してきた成果でしかないのだから「善悪」の「悪」がはびこっても、実は大して悪いことではない。


これからはイスラムの台頭や大ロシア主義の復活も現実的な問題となるでしょう。とりわけアジアは、多くの人が指摘するように、中国とインドを中心にまわっていくのは間違いないように思います。中でも中国との関係においては、根深い相互不信の感情を考えるとき、日本人にとって実に悩ましい時代になるような気がします。いづれにしても、金融危機→株価下落→不況という問題も切実ですが、同時にその先にあるものも視座に入れておく必要があるのではないでしょうか。
2008.10.03 Fri l 社会・時事 l top ▲