別にがんばったわけではないけれど、自分へのプレゼントとしてハリスツイードのジャケットを作ることにしました。3ボタン段がえり、袖ボタンは2個、チェンジポケット、フックベントと細部にまで徹底的にアメリカンドラッドにこだわりました。

前にも同じようなオーダーメイドのジャケットを持っていたのですが、やはりいいものは長く持つので10年近く着ていました。最近、安物買いの銭失いのような買い物ばかりしていましたので、昔を思い出して奮発した次第です。

ところで、私は身長が186センチもあるので洋服を買うのにいつも苦労させられます。特にジャケット(ブレザー)なんてほとんどないに等しいくらいです。今回もネットをくまなく探しましたが、アメリカサイズのエディバウアーとLLビーンくらいしかありませんでした。横に大きい3Lとか4Lとかいった商品はいわゆる「ビックサイズ」をウリにしているショップなどにありますが、それらはホンジャマカの石塚英彦や松村邦洋のような横に広い体形を対象にしていて、縦に長いサイズとなると皆無だと言ってもいいくらいです。要するに、ネットショップは掃いて捨てるほどありますが、どこも一般的な似たような商品ばかりなのです。

そんな中で、買物はしなかったのですが、あるショップが目に止まりました。サイトのトップページに貼られていた「NHKで紹介されました」という動画では、そのショップが「ネットに活路を見出し売上げを伸ばしている店舗」としてNHKのニュースに取り上げられた映像が紹介されていました。それを見ると、ショップの母体はおせいじにも活気があるようには見えない地方都市の商店街に店を構える紳士服店で、ご多分にもれずファスト風土化(郊外化)によって売上げが減ったため、6年前に起死回生を狙ってネットショップを開設したのだそうです。

オーナーの話では、ネットを開設してしばらくすると、同じ服でも大きなサイズを求めているお客さんが多いことに気付いて、大きなサイズを揃えることに力を入れた結果、売上げが飛躍的に伸びたということでした。たしかに、実店舗で周辺の限られた地域の顧客だけを対象にしていると、どうしても需要の多いレギュラーサイズの商品を主力にせざるを得ませんが、ネットのように地域が限定されなければ、いわばロングテールの商品とも言うべき大きなサイズでも商売が成り立つし、またそれが店の特徴にもなり逆に顧客を呼ぶことができるのです。

実際に品揃えを見ると、ただサイズが大きいだけでなく、レギュラーサイズと同じようにリーズナブルで洗練されたデザインのものを揃えており、商品開発の努力が伺えます。ただ漫然とネットショップを運営するのではなく、顧客の志向を見つけ、そのために努力をしているのがよくわかります。オーナーは、「ネットでは商品が豊富・価格が安いというのは当たり前で、(競争に打ち勝つには)商品力が大事です」と言ってましたが、文字通りそれを実践しているように思いました。

私は、そういった姿勢の背景には、やはり、それまで実店舗で商売をしてきた経験があるからではないかと思いました。私の知人は、ネットショップを見ていると実際に商売の経験があるかどうかわかるよと言ってましたが、たしかに、経験が土台になっているからこそ顧客の志向をキャッチする感性も磨かれていたのでしょうし、そのために商品を揃えるという不断の努力も可能だったのではないでしょうか。だから、オーナーが言うように「ネットが救世主になった」のでしょう。本来、ネットというのはそういうものではないかと思います。

Web2.0の呪縛から解放され”アマチュアリズム”と”無料経済”が幻想だったということがはっきりしつつある現在、ネットショップも今まで以上にきびしい淘汰の波にさらされるのは間違いありません。そんな中で、「実店舗で商売がうまくいかなかったので起死回生を狙ってネットで勝負する」というのはよくある話で、ともすれば「単純で後ろ向きな発想」だと思われがちですが、しかし、まったくチャンスがないわけではないと思います。要は、にがい経験も含めて今までの経験をどう生かすか(どれだけ経験を対象化できているか)ではないでしょうか。
2008.12.30 Tue l ネット・メディア l top ▲
フォーク・ソング~歌姫抒情歌

24日に発売された中森明菜の「フォーク・ソング~歌姫抒情歌」は、まさに“歌姫”と言われるにふさわしいアルバムだと思いました。収められているのはおなじみのフォークの名曲ですが、彼女特有のやや突き放すような淡白な歌い方によってオリジナルとは違った抒情的な世界が表現され、中森明菜は他人の曲をカバーするとピカイチだという世評を再認識させられました。

彼女の歌を聴いていると、脈絡もなく忘れていた昔の風景が思い出されました。新宿の路地、六本木の裏道、飯田橋の坂道、品川駅の跨線橋。何故かいづれも夕暮れの風景で、それらの風景の中に佇んでいるのは若い頃の自分です。そして、それらはまぎれもなく私の人生の風景なのだということに気付かされました。

それにしても、この全曲に漂う孤独感はなんなのでしょうか。人生はやっぱりひとりなんだよと言われているような気がします。「雨の物語」を聴いていたらたまらず涙があふれそうになりました。

身すぎ世すぎのためとは言え、最近、パチスロのCR機のキャラクターに使われている中森明菜はさみしいものがありますが、歌手としての中森明菜が一級品であることはたしかです。年を重ね人生の半ばをすぎると、いっそう中森明菜のすごさがわかるのではないでしょうか。

中森明菜はある意味でイタコのようなものかもしれないと思うときがあります。「山口百恵は菩薩である」と言ったのは平岡正明氏ですが、いい歌い手というのはその存在自体が宗教的なのかもしれないと思いました。

>>宇多田ヒカル賛
>>松田聖子という存在
2008.12.26 Fri l 芸能 l top ▲
渋谷1092008年12月

写真は今年の渋谷109のクリスマスです。

渋谷や原宿を歩いていると、クリスマスが年々さみしくなっているのを痛感します。地元の商店主達の口から出るのも悲観的な話ばかりです。駅前が再開発されるまで当分はこの状態をしのぐしかないのかもしれませんが、少なくとも渋谷や原宿が地域間競争で後塵を拝しているのはたしかな気がします。それは、長年の悲願であるにもかかわらず、未だ“若者の街”から脱皮できないからでしょう。

渋谷駅2008年12月

一方で、若者達が置かれている状況も益々悪くなるばかりです。“派遣切り”などと言われる大手企業による非正規労働者の雇用調整が広がっていますが、なんだか秋葉原事件の犯人が提起した問題がここにきて一気に表面化してきた気がします。厚労省の調査では来年3月までに約3万人の非正規労働者が失業する見通しだそうですが、労働団体には10万単位の労働者が失業するのではないかという悲観的な見方さえあるようです。

「ロストジェネレーション=失われた世代」? ざけんじゃねえ! 「失われた」んじゃねえ。「われわれ」が生きていくために必要なsomethingを、誰かが「奪ってきた」んだろ。全国のロスジェネ諸君! 今こそ団結せよ!


これは、今春創刊されたインディーズ系雑誌『ロスジェネ』の巻頭に掲げられている「ロスジェネ宣言」なるものですが、年の瀬に“派遣切り”で情け容赦なく路上に放り出されている多くの若者達を前にすると、既得権者から奪われたものを取り返すなんていう言説さえなんだか牧歌的に思えるほどです。

ある若者向けのショップのオーナーは、表の通りを行き交う若者達を指さしながら、「だって、彼らの多くはフリーターや派遣だからね。ものが売れないのは当たり前でしょ」と言ってましたが、その言葉が現在の渋谷や原宿の置かれている状況をよく物語っているように思いました。

それにしても、この不況で真っ先に寒風に身をさらされているのが若者と高齢者であることを考えるとき、今更のように製造業の派遣解禁や後期高齢者医療制度を導入したあの小泉改革とはなんだったのかと考えざるを得ません。

※追記

雇用情勢が急速に悪化する中、今年10月から来年3月までに職を失ったか、失うことが決まっている非正規労働者が約8万5000人に上ることが26日、厚生労働省の調査でわかった。
今月19日時点で把握した数値で、前回調査(11月25日時点)の約3万人に比べ、3週間余りで2・8倍に急増した。(12/26 読売新聞より)


>>秋葉原事件
>>ワーキングプア
2008.12.22 Mon l 東京 l top ▲
シャイン・ア・ライト

今日、ららぽーと横浜のTOHOシネマで「ザ・ローリングストーンズ シャイン・ア・ライト」を観ました。「シャイン・ア・ライ」は、あの「タクシードライバー」や「ディパーテッド」のマーティン・スコセッシ監督が2006年ニューヨークのビーコン・シアターで行われたストーンズのライブの模様を撮ったドキュメンタリー映画です。映画を観ているうちに一昨年の東京ドームのコンサートを思い出しました。

カッコいい。その一語に尽きますね。こんな60代がいるなんてすごいとあらためて思いました。特にミック・ジャガーの体形にはびっくりでした。

ただ、映画の冒頭、あのクリントン夫妻や、果てはヒラリーの母親までが登場し、ストーンズのメンバーがわざわざクリントン一家を出迎えたり、ビル・クリントンがステージ上で「地球の温暖化防止のために」とかなんとか挨拶しているシーンがありましたが、正直言って興ざめでした。これも9.11以後の傾向かも知れませんが、私はストーンズのそんな姿は見たくなかったし、この手の俗流政治主義にストーンズまでが汚染されているのかと思うと、一抹のさみしさを禁じえませんでした。

平日だったということもあるのか、館内はガラガラで、観客はそれこそ数えるくらいしかいませんでした。映画自体は噂にたがわず質の高いいい映画でしたが、もはやストーンズなんて若者は見向きもしないのでしょうか。もしかしたら、今の若者達の目にはストーンズさえも食い逃げ世代たる”いい気な団塊世代”がオーバラップして映っているのかもしれません。

ノートパソコン

上の写真は私のノートパソコンです。ストーンズのワッペンも10数年前、商品として扱っていたことがありました。それで、手元に残っていたワッペンをこうしてパソコンのカバーに貼っています(hpのロゴと逆になっていますが、貼り方を間違えたのではありません)。

ららぽーと横浜200812

ららぽーと横浜も約1年ぶりでした。ボーナス時期だということもあるのか、平日にしては人出は多いように思いました。ただ、郊外型や土日型の店舗が曲がり角に来ていると言われている中で、テナントの店員達の手持ち無沙汰な様子がちょっと気になりました。でも、相変わらずテナントの充実度は群をぬいています。それだけにこのレベルを維持しつづけるのは大変だろうなと思いました。
2008.12.16 Tue l 芸能 l top ▲
セザンヌ主義

また身体の異変があり、病院に駆け込みました。一昨日の夜、トイレに入っていたら、急に息苦しくなり、全身から汗がタラタラ出てきたのです。たまらず着ている服を1枚1枚脱いでいったほどです。そのうち貧血を起こしたみたいに目の前が真っ白になり歩くのもままならなくなりました。横になっても息苦しくてなりません。鏡を見たら、文字通り顔面は蒼白でした。それで、ほうほうの体で病院に行き、処置をしてもらい、念のためひと晩泊まって帰ってきました。トイレや浴室で倒れたという話をよく聞きますが、そのときも「もしかしたらこのまま死ぬんじゃないか」と不安におそわれました。これで今年3度目の夜間緊急外来です。

今日はみなとみらいの横浜美術館で開催中の企画展「セザンヌ主義」に行きました。セザンヌだけでなく、「近代絵画の父」と言われるセザンヌに影響を受けたピカソ・ゴーギャン・マチス・モディリアーニ、国内では安井曾太郎・森田恒友・佐伯祐三・岸田劉生などの作品が展示されていました。セザンヌと言えば、とりわけキュビスムに多大な影響を与えたことで有名ですが、そうやっていわば”近代の風景”が発見されたわけで、「近代絵画の父」と言われるのもむべなるかなと思いました。

帰りはクリスマスのイルミネーションに彩られたみなとみらいをいつものように散歩しました。どこもかしこもカップルばかりでちょっとうんざりさせられましたが、皆さん、色とりどりの華やかな光の中で笑顔がはじけて楽しそうでした。苦悩などどこにあるのかという感じでした。


20081213みなとみらい1

20081213みなとみらい2

20081213みなとみらい3

20081213みなとみらい4
2008.12.13 Sat l 本・文芸 l top ▲
関内の銀杏並木

横浜の官庁街ともいうべき関内の表通りは銀杏並木で有名ですが、時間ができたのであたりを散策しました。黄色く色づいた通りを歩いていると、移ろいゆく季節の刹那さのようなものをしみじみと感じます。

最近、老人介護施設に行く機会が多いのですが、そこで出会うお年寄り達はまぎれもなく将来の自分の姿なんですね。人間というのはこうして人生の終わりを迎えるのかと切実に感じます。

お年寄りを見ていると、人生で何が大事かというのがわかる気がします。お年寄りは自分が一生懸命生きてきたということに対して、それぞれ心の中に小さな誇りを持っているのです。その小さな誇りが老後を生きる心のよすがとなっているのですね。五木寛之さんも常々言っているように、どんな人生であれどんな生き方であれ、生きてきた、生きぬいてきたという、ただそれだけでもすごいことだし立派なことだと思いますね。銀杏並木の下を歩きながらそんなことを考えました。

そのあと、本を買うために伊勢佐木町の有隣堂本店に行きました。有隣堂の真向かいの先日閉店した松坂屋のビルは白い囲いにおおわれていました。また、周辺も急に空き店舗が目立つようになり、あらためて伊勢佐木町の置かれているきびしい現実を見せつけられた気がしました。開港150周年を前にして、このようにいたるところで横浜の”記憶の積層”が消えているのは皮肉なものです。
2008.12.01 Mon l 横浜 l top ▲