新宿1・2009年12月30日

ほしい本をネットで検索したら、新宿の紀伊国屋と池袋のジュンク堂にしか在庫がなかったので、新宿の紀伊国屋まで行きました。いつもこの時期になると、渋谷や新宿などの駅前には聖書の言葉を掲げる集団が現れるのですが、たしかに行き交う人達は、私も含めて罪深き人間ばかりのようです。

紀伊国屋の中で、若者達が群がっているコーナーがあったのでなんだろうと思ったら、先頃亡くなったレヴィ・ストロースを特集したコーナーでした。誰かも言ってましたが、今の若者というとどうしてもネットの掲示板などのイメージでとらえがちですが、もちろんこのような若者達もちゃんといるのです。

新宿2・2009年12月30日

新宿駅では市ヶ谷かどこかで人身事故があったとかで、中央線が止まっていました。東京では毎日、このように人身事故で電車が止まっています。人身事故というのは、要するに飛び込み自殺のことですが、おそらく明日の大晦日もあさっての元日も、どこかの電車は人身事故で止まるのでしょう。武田泰淳が言うように、みんな、苦悩を背負って歩いているのですね。それを考えれば、罪を悔い改めるなんてたいしたことではないように思いました。

では、よいお年をお迎えください。
2009.12.30 Wed l 東京 l top ▲
文学界新年号

出かけるとき、駅の近くの花屋さんの前に人ざかりができていたのでなんだろうと思ったら、正月用の花やしめ飾りなどを買い求める人達でした。そういった光景を見るにつけ、いよいよ年の瀬もおしせまってきたんだなと思いますね。子供達も冬休みに入ったので、買物客も家族連れが目立つようになりました。ボーナスとは無縁な自営業で、尚且つ独り身の人間としては、なんだかこの時期はよけい孤独感を感じてなりません。

電車の中で、『文学界』(新年号)の東浩紀堀江貴文の対談「日本をすっきりさせるために」を読みました。この二人に共通しているのは、メタボな体形と東大卒という学歴とネオリベ信仰です。しかし、「古い固定観念からの脱却」とか「新しい仕組み」とか、さかんに「新しさ」を強調するわりには、その発想はきわめて陳腐なのです。これでは、理念として「戦後民主主義の欺瞞」をかかげた全共闘世代の足元にも及ばないと思いました。”批評”はあきらかに退化し陳腐化しているのです。

球団を買収しようとしたり、自民党(支持)から総選挙に出馬したりと、もともと発想自体にどうしようもない陳腐なものがありましたが、この対談でも彼らの陳腐さが目立っていました。そして、その陳腐さはゲーム的なお約束の世界=無邪気さにつながっています。彼らは、お受験の名門の筑波大付属駒場や久留米大付設から東大に進学して若くして成功したために、世の中というのをあまり知らないのではないでしょうか。だから、現実の話になると、途端にその”無邪気さ”を露呈するのかもしれません。グローバルな意識をもつためには世界のニュースを見ることだとか、介護の問題を解決するには若返りや老化防止の医療技術を発達させればいいんだとか、思わず口をあんぐりという感じでした。

堀江 もっと言うと、僕は、今は多くの人が労働していないと思っている。人間にとっての労働とは食物を生産することであって、それ以外は労働ではないのではないでしょうか。(略)
 正しいと思います。現代社会では、僕たちの生存に必要な労働の部分はすごく小さくなっている。ほとんどの人がそういった労働に携わらなくても生きていけるいようになっている。だから、会社に入らないで、だらだら生きていけばいいんです。好きなことをやってそれでお金をもらっているんだから、そうやって遊びなのか仕事なのかわからないようなことをどんどん創り出していけばいいと思う。
堀江 (略)
 ‥‥しかし、同時に思うのは、そうではない人たちもいるということです。遊びがそのまま仕事になるわけではない、記号操作でお金を生み出すことができない人たちは大量にいる。この人たちのケアが必要です。
堀江 それにはベーシック・インカムです。
 ええ、ベーシック・インカムを導入して、そういう人たちも生活の不安がなく、自分の好きなことをして生きられるようにすればいい。僕はそう割り切るべきだと思うんですけどもね。
堀江 子どもをつくらなくても、他にも方法はあると思うけど。ベーシック・インカムを導入すれば、夢破れた人たちも夢を追い続けることができるはずです。バンドじゃ食っていけないので就職したというような人は山ほどいるわけで、その人たちもずっとバンドを続けられる。


ニートのすすめなのでしょうか(笑)。だからといってデカダンスに生きるという気概も美学もあるわけではないのです。坂口安吾だったら、まずそのメタボな腹をすっきりさせろ、話はそれからだ、と言うかもしれません。世界の中心にあるのは人間であって、テクノロジーではないのです。だから、やっかいなのです。彼らに欠けているのは、このやっかいな存在である人間に対するまなざしです。テレビゲームではないのですから、現実の世界は必ずしも自分達が理解できる枠内にすっきりと収まるわけではありません。そんなことは当たり前の話でしょう。それにしても、こんなヨタ話が日本の文学になんの関係があるのでしょうか。出版不況でとうとう文春もヤキがまわったかと思いましたが。

帰りは時間があったので横浜駅まで行って、いつものようにみなとみらい界隈を散歩しました。赤レンガ倉庫では、毎年恒例のスケートリンクがオープンしていました。しかし、赤レンガの前の開国博の施設や本部があった建物はまだそのまま残っていました。解体費用もないのでしょうか。開国博は大方の予想どおり大赤字で、松下政経塾出身市長は突然辞職。「夜逃げ市長」などとヤユされる始末です。その「夜逃げ市長」も国政復帰を目論んで「日本回復」とかなんとかのたまっているようですが、まったくどいつもこいつもって感じです。

2009年12月28日1

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2009.12.28 Mon l 本・文芸 l top ▲
ジーンズ

久しぶりに体重をはかったら、なんと3キロ増えていました。体重計に乗ったまま一瞬血の気が引きました。かといって、特に暴食しているわけではないのです。やはり、哺乳類は冬になると皮下脂肪をためる習性があるのでしょうか。

憂鬱な気分のまま、ご注文の商品の発送のために郵便局に行きました。駅の近くに特定局があるのですが、私はいつも1キロ近く離れた隣駅の菊名との中間にある本局に行くようにしています。そして、電車に乗る場合は、そこからさらに菊名まで歩くようにしています。そうやって普段もなるべく歩くことを心がけているにもかかわらず、こんな状態では鳩山さんならずとも心が折れそうになります。

あてもなく菊名から横浜線に乗って新横浜に行きました。ところが、途中でかかとがやけに痛くなったのです。今日は気分転換のため、新しい革のスニーカーをおろしたので、どうやら靴ずれをおこしたみたいです。しかも、両足が‥‥。ついてないときはとことんついてないものです。

散歩どころではなく、足をひきずりながらそのまま太尾新道を歩いて帰ってきました。帰って足をみたら、両足のかかとの皮がベロッとめくれていました。

これではジーンズをはくのも心許ないですね。というのも、20年ぶりくらいにジーンズを買ったからです。いつの頃からか、自分はもうジーンズは似合わないと思うようになり、ずっとジーンズから遠ざかっていました。ところが、なぜか急にジーンズをはきたくなったのです。ただ、通常のジーンズははき込み(股上)が短くて腰ではくようになっているので、それは遠慮して、はき込みが長く幅も広めのいわゆる「ゆったりタイプ」のジーンズを買うことにしました。

そうなると、さすがに1000円とか790円の激安ジーンズにはありませんので、ネットでさがすしかありません。そして、たどり着いたのが、EDWINの直販ショップ「EDWIN SHOP ONLINE」です。その中のアウトレットコーナーで購入しました(ここはおすすめですよ)。当然、予備も含めて2本注文しました。

ジーンズは明日届く予定ですが、これをきっかけにジーンズの似合う中年になるために、さらにもう一度ダイエットに奮起しなければと心をあらたにしている次第です。鳩山さんもマスコミを総動員した”対米従属派”のなりふりかまわぬ(ほとんど2ちゃんねるレベルの)誹謗中傷に心折れることなく、来るべき多極化の時代にむけて奮起してもらいたいですね。お互い、ここでめげたらおしまいですから。
2009.12.22 Tue l 日常・その他 l top ▲
ウェンディーズ

地方ではあまりなじみがないかもしれませんが、ハンバーガーチェーンのウエンディーズが年内で国内の店舗をすべて閉店し、日本から撤退するというニュースには驚きました。

私は、なぜかウエンディーズとは縁がありました。今でもウエンディーズに行くことがいちばん多いのですが、会社に勤めていた頃、会社から近いということもあって、麻布十番の商店街の入口にあったウエンディーズにそれこそ毎日のように行ってた時期もありました。また、数年前までは飯田橋のウエンディーズにも週に2~3回は行ってました。といっても、別にウエンディーズのハンバーガーが好きだとかいうのではないのです。まあ、強いていえば、わりあい店が空いているので入りやすかった(長居をしやすかった)ということでしょうか。

今回の撤退は、日本で事業を行っているゼンショーとのフランチャイズ契約がこの12月末で切れることが直接の理由のようですが、もちろんそれだけでなく、外食産業全体をおおっている売上不振が背景にあることは言うまでもありません。ハンバーガーだけでなく、吉野家やすき家や松屋などの牛丼店も既存店の売上は下降の一途をたどってどこも経営的に黄色信号がともっており、最近の値下げ競争も生き残りをかけた消耗戦の様相を呈してきたと言われるほどです。

今日も仕事先でその話題になったのですが、特に牛丼の場合、やはり、格差社会の影響が大きいのではないでしょうか。普通は景気が悪くなれば、牛丼のような店はむしろ客足が伸びるのではないかと考えがちですが、(実際に牛丼店に行けばわかりますが)もはや牛丼店の客層は、はっきり言って、「下流」ということばを連想するような層に完全に固定しているのです。

そして、この不況で、彼ら固定客の足も鈍くなってきたのでしょう。つまり、牛丼でさえ贅沢みたいな、そんな生活にさらに落ちているのではないでしょうか。じゃあ、逆に上から牛丼に落ちてくる人達はいないのかといえば、当然落ちてくる人達はたくさんいますが、それが餃子の王将だったり日高屋だったりスーパーの250円弁当だったりSHOP99の”内食”だったりして、牛丼の方に落ちてこないのです。そこに業界が直面する深刻な(構造的な)問題があるように思いますが、いづれにしても、寒い話であることはたしかです。
2009.12.14 Mon l 社会・時事 l top ▲
みなとみらい2009年12月ツリー

今日も冷たい雨の一日でした。

午後から泌尿器科のクリニックに行きました。いつも28日分の薬を処方してもらっているので月に1回は行かなければならないのですが、今回は2ヵ月近く日にちが開いてしまいました。というのも、新しい薬(ユリーフ)を飲むと、お腹が極端に緩くなるため、つい服用するのをサボってしまい、薬があまっていたからです。先生からも「ちょっと時間が開きましたね」と皮肉を言われました。それで、お腹が緩くなって大失敗した話をしたところ、先生も大笑いしていました。

そんなわけで、また、薬を変えることになりました。今までは朝夕の2回服用でしたが、今度の薬は就寝前に1回だけです。そのため、薬代もほぼ半額で済みました。これで効果が同じなら経済効率はいいのです。

病院のあと、市営地下鉄で横浜駅、横浜駅でみなとみらい線に乗り換えて、みなとみらいのランドマーク内のくまざわ書店に行きました。くまざわ書店は、もともと八王子にあって、ポストカードの会社に勤めていた頃、八王子の駅の近くの本店(?)に行ったことがあります。その頃はローカルな小さい店でしたが、それがいつの間にか全国に195店舗をもつまでになったのです。この急成長の裏には、恐らく大手の取次店がいるのでしょう。

くまざわ書店は有隣堂が撤退したあとに入ったのですが、品揃えは予想以上に充実していました。探すのにいつも苦労している現代思想の関連の本も結構揃っていました。これからはランドマークのくまざわ書店と新横浜駅の三省堂をまわれば、なんとか間に合いそうです。最寄駅からだと渋谷まで25分、みなとみらいまで15分なので、やはり横浜の方が便利なのです。それに、帰りのラッシュのことを考えると、都内に出るのはおっくうですし。くまざわ書店にはなんとか踏ん張ってもらいたいです。

みなとみらいもクリスマス一色でした。でも、この華やかさの陰で、横浜市にはみなとみらいの開発費用の償還が重くのしかかっていて、へたすれば財政再建団体に転落しかねないと先日の新聞に出ていました。たしかに、住民サービスは低下する一方で、全てみなとみらいの犠牲になっているのです。そう思うと、クリスマスツリーも心なしか色褪せて見える気がしました。
2009.12.11 Fri l 日常・その他 l top ▲
グーグルDM

グーグルからダイレクトメールが届きました。要するに、アドワーズをやりませんか?という勧誘です。5千円のアドワーズ広告無料お試し券まで付いていました。結構、あちこちのショップに出しているみたいです。

「グーグルでさえそれくらいきびしいのか?」というような声がありますが、そういう話ではないと思います。もともとグーグルでもヤフーでもこういった泥臭い営業をやっていたはずです。最先端のIT企業であれ、営業の手法はそんなに変わらないのです。

ご存知のように先月からはテレビCMも流れていますが、これは米ヤフーとマイクロソフトの広告事業の提携に対するグーグルの反転攻勢という側面もあるように思います。とりわけ日本の場合は、検索分野で圧倒的なシェアを誇るヤフーに対して、なんとかその牙城に風穴を空けたいという気持が強いのではないでしょうか。

たしかに、米ヤフーがマイクロソフトの軍門に下り、検索エンジンがグーグルとBingの二つに統合されようとしているこの現実は、インターネットが当初もっていた理想からだんだん離れているような気がしないでもありませんが、しかしこれは、インターネットが広告を通して市場経済の原理に組み込まれてしまったことによる当然の結果だと言えなくもないのです。

それにしても、ネットがなぜすごいのかと言えば、こうして私達のようなところにも広告の勧誘(営業)がくるということです。そういう広告のシステムを作ったということです。これは従来の広告ビジネスでは考えられないことで、「既存のビジネスを破壊する」と言われる所以です。

ただ、一方で、インターネットがひとにぎりの先行者によって管理されることにより、従来の手法や構図がネットにももちこまれ、ネットが秩序化される(リアル世界化される)傾向も出ているように思います。これでは元の木阿弥だと言わざるをえませんね。
2009.12.09 Wed l ネット・メディア l top ▲
ジョン・レノン

今日12月8日はジョン・レノンの命日でした。ニューヨークの自宅ダコタ・ハウス前の路上で暗殺されてからもう29年も経ったと聞いて、今更ながらに時の流れのはやさを実感せざるをえませんでした。

私は、ジョン・レノンというと、ひとりの同級生を思い出します。彼はジョン・レノンの熱烈なファンで、高校時代から髪型やあの丸メガネなどを真似していました。あるとき、放課後の教室で、ギターを手に「イマジン」を唄っていたのを今でも覚えています。そして、彼は高校を卒業すると、医学部に進学したのですが、ほどなく精神的な病におかされ精神病院に入院したという噂を耳にしました。私は、その話を聞いたとき、高校時代、彼がシュールリアリズムに凝っていたことや、シャガールが好きだったことを思い出しました。

ジョン・レノンを暗殺したマーク・チャップリンは今も刑務所に収監されているそうですが、ジョン・レノンファンだった彼も未だ精神病院に入ったままなのです。

同級生に会うと、よく「まだ、入っているのか?」「まだ、入っているらしいぞ」という話になるのですが、そのたびになんともいえずやりきれない気持になります。このままでは人生の大半を精神病院の中ですごすことになりそうで、「そんな人生があるか!」と思いますが、実際はそんな人生もあるのです。
2009.12.08 Tue l 芸能 l top ▲
現代思想2009年10月号

今年の流行語大賞は「政権交代」だそうですが、その「政権交代」を特集していた『現代思想』(10月号)で、吉本隆明氏が、つぎのように発言しているのを読んで、「わぁ~、なつかしいなぁ」と思いました。かつてこういったもの言いというか言説が半ば常識であった時代があったからです。

自民党が負ければ負けるほどいいと思ってはいますが、私はしかし、選挙の結果には何の興味もありません。選挙などというものとは離れたところで考えてきたからです。民主党が何と言おうが、何の関係もない。共産党とか社民党が何を言おうが、どうなろうが、それも関係ありません。(「大衆の選択」)


もっとも、吉本氏の場合、単に政治的な意味合いでそう言っているわけではありません。その根底に「私的利害を優先する意識」こそがなにより大事なんだという、氏特有の「自立思想」が在るのは言うまでもありません。

吉本氏は、かつて大衆のあり様をつぎのように書いていました。

たとえ社会の情況がどうあろうとも、政治的な情況がどうであろうとも、さしあたって「わたし」が現に生活し、明日も生活するということだけが重要なので、情況が直接にあるいは間接に「わたし」の生活に影響をおよぼしていようといまいと、それをかんがえる必要もないし、かんがえたとてどうなるものでもないという前提にたてば、情況について語ること自体が意味がないのである。(『自立の思想的拠点』)


つまり、大衆にとって、今のこの生活がなにより大事なのであって、生きていくのはそれ以上でもなければそれ以下でもない。そして、そういった人生の現実の前では、政権交代がどうだとかいったようなことは、「考える必要もないし」「語ること自体が意味がない」。それが大衆=生活者なんだというわけです。

たしかに、テレビのニュースやネットのニュースサイトで仕入れた情報をネタに、毎日飽くことなく民主党がどうだ自民党がどうだ社民党がどうだとネットの掲示板に書き込んでいる若者達は、”脊髄反射”などとヤユされるその単細胞な頭もさることながら、自前の生活を営んでないただの暇人(ニート)だというのはホントかもしれません。自分で生活していればもっとほかに考えることがあるだろうというのが普通の感覚ではないでしょうか。

いわんや経済的に切実な状況になったり、病気で苦しんだり、失恋して打ちひしがれているときなどは、「政治」なんてどうでもいいし、そもそもそういったものが意識の中に入ってくる余地さえありません。私達にとって、「政治」なんてたかだかその程度のものなのですね。これは当たり前すぎるくらい当たり前のことです。

政治的な意識をもつとか政治的な関心をもつことは、本来、生活する上ではなんの関係もないし、どうでもいいことなのです。そうあるべきだというのではなく、人生というのはもともとそういうものだということです。
2009.12.07 Mon l 本・文芸 l top ▲
モックタイプ

相変わらず、「予備をもってないと不安でならない症候群」の日々を送っています。今日も靴とコインケースの「予備」をネットで注文しました。

今、靴で凝っているのは、写真のようないわゆるモックタイプのシューズです。理由は特にありませんが、もともとデザートブーツやワラビーが好きだったので、その延長かもしれません。最近、新しいやつをおろしたので、予備がなくなり、それで不安になって2足注文しました。

また、コインケースは馬蹄型で、しかもチャックの付いたタイプに凝っており、こちらも予備がなくなったので2個注文しました。

前にも書きましたが、マスクは300枚ありますし、ティッシュペーパーも常時50箱くらいストックしています。下着などは言わずもがなです。トイレットペーパーもネットで買おうかと思いましたが、いくらなんでもそこまでやったらビョーキだろうと思って自制しました。

自分でもさすがにこの「予備がないと不安症候群」が不安になることがあります。以前、きっこのブログの中にも「不安症候群」の友人の話がありましたが(「前頭葉の幻想」)、似たような人間は意外と多いのかもしれません。まさかこの「不安症候群」の究極の姿がゴミ屋敷の主なんてことはないでしょうが、老後がやや心配です。
2009.12.02 Wed l 日常・その他 l top ▲