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お決まりのセリフですが、早いもので今日で4月も終わりです。若い頃は各駅停車だったけど、年をとると急行になり、さらに年をとると特急になると誰かが言ってましたが、ホントにそのとおりです。そのうち、片道切符の新幹線になるのでしょうか。

朝、横浜駅で横須賀線から市営地下鉄に乗り換えて病院に行きました。市営地下鉄はめったに利用しないので、横浜駅で地下鉄に乗り換えるのにいつも迷ってしまいます。中央通路から西口の階段を上り、ジョイナスの方へ歩いて行って、交番の前の地下鉄口を下りるのですが、通路を歩きながら「こんなに遠いはずはないよ」と思うのでした。もっと近くて簡単に乗り換えができるルートがあるはずですが、未だに解明できていません。横浜駅は新宿や池袋に比べると全然規模は小さいにもかかわらず非常にわかりにくいのです。特に私鉄は端っこの方に遠慮がちに間借りしている感じで、慣れない人は乗り口を見つけるのに人ごみの中で右往左往しなければなりません。

病院では薬を処方してもらっただけですが、夏にもう一度精密検査をしましようと言われました。そして、その結果次第ではさらに入院して検査をする必要があると。ただ、結果は目に見えていますので、「いづれにしても一度は入院して検査する必要がありますよ」と念を押されました。

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帰りは郵便局に寄らなければならないので、大倉山まで歩きました。やわらかい春の風が吹きぬける新羽橋を渡りながら、これから何度この橋を渡るのだろうかと思いました。鶴見川の土手を見ると、既にチラホラ散歩している人の姿がありました。団塊の世代が一斉に退職する「2007年問題」とか「2010年問題」とかいうのがありましたが、たしかに最近はどこに行っても定年退職して時間を持て余しているような初老の男性が目につきます。そんな食い逃げ世代たる団塊の世代に対してはつい「いい気なもんだ」といった感じで見てしまいますが、そういう目で見るのはまだ若い証拠なのかもしれません。そう思って自分を慰めています。
2010.04.30 Fri l 日常・その他 l top ▲
エリカ様離婚のニュースを聞いて、やっぱりと思ったのは私だけでしょうか。彼女の結婚でいちばん問題だったのは、ハイパー・メディアクリエーターという職業だったのかもしれません。どうして「映像作家」ではいけないのか。エリカ様もそう考えることができたならもう少し冷静な判断ができたかもと思います。

渋谷や原宿に行けば、あの手の人間はいくらでもいます。ひと昔前の「女子高生が流行をつくる」なんていうホラ話をマスコミに売り込んでいた"業界通"なんてみんなそうでした。

とは言っても一方で、同じ中年男として、若い女の子に捨てられたハイパー・メディアクリエーター氏に同情したい気持もあります。現実は非情なもので、ことの成り行きが雄弁に物語っているのは、くたびれた中年男なんかよりエリカ様の方に「世間的な価値」があるという冷厳な事実です。若いということはそれだけで「価値」があることです。捨てられた中年男がよけいみじめにならざるをえないゆえんです。

もっとも、エリカ様も若気の至りの代償は大きく、もう一度「パッチギ」の沢尻エリカに戻るには至難なことのように思います。「パッチギ」を見たとき、女優として前途洋々という感じで、その将来性は誰しもが認めるところでした。それだけにもったいないなと思っていました。今回も裏で芸能界の魑魅魍魎が蠢いているようですが、「普通のお嬢様にはなれない」(カタギではない)女優という職業は、本来「家庭の幸福」などとは対極にあるものです。あらたな受け皿はエイベックスだそうですが、ということは、今のイメージのままエイベックスお得意のヤンキー路線で行くのでしょうか。

ところで、他人の悪口ばかり言ってるのでバチが当たったのか、ここ数日体調がよくありません。熱はないものの、とにかく寒気がして仕方ないのです。そのため一日に何度も風呂に入っています。それに、空咳も止みません。

体調がよくないとガックリきて、体力がなくなったなとしみじみ思います。気持は若いつもりでも身体はごまかしようがありません。私ももう一度ハイパー・メディアクリエーターなんてハッタリをかますくらいの元気がほしいなと思います。

>>魔性
2010.04.27 Tue l 芸能 l top ▲
夕方、時間ができたので横浜駅から高島町の方へ歩いて、さらに国道1号線(いわゆる旧東海道)沿いを散歩しました。国道沿いはやはりビルやマンションが目立ちますが、そんな中に如何にも野菜炒めやホイコーロー定食が似合いそうな昔ながらの中華食堂も残っていて、ひとり住まいには住みやすい街のように思いました。

戸部署の先で国道を左折して坂道を上り下りすると、桜木町駅の先から伸びている紅葉坂の上に出ました。このまま坂道をさらに上り下りすると野毛や日ノ出町の駅に出るのですが、本通りから脇に入って伊勢町の商店街の中を歩きました。ひなびた商店街の先にはみなとみらいのランドマークタワーが見えました。その新旧のコントラストが面白くて、カメラを持って来なかったことを後悔しました。

途中歩いていたら、「××さん?」と声をかけられてびっくりしました。振りかえると、よく行く病院の顔見知りの看護師さんが立っていました。

「どうしてこんなところにいるのですか?」
「散歩だよ」
「散歩? だって住まいは東横線でしょ?」
「そうだけど、どこでも散歩するわけです。神出鬼没なんです」
「‥‥」
「なに、買物?」
「そうですよ。この先のマンションに住んでいるの」
「そうなんだ? じゃあ、今から遊びに行こうかな?」
「ダメよ。今、旦那がいるから」
「!?」

職業柄なのか、看護師さんには世間オンチで生真面目な人が多いのですが、彼女と別れたあと、信号待ちをしながら、先ほどの「ダメよ、今、旦那がいるから」という言葉を思い出し、吹き出しそうになりました。
2010.04.22 Thu l 横浜 l top ▲
名前もどこに住んでいるのかも知らないけど、ときどき道で会って挨拶をする人がいます。会うのはいつも朝です。ひょんなことから話をしたのは半年くらい前でした。年齢は60歳くらいの男性で、脳梗塞だかで半身がマヒして、週に何回か電車でリハビリに通っているのだそうです。「運動靴が1ヶ月でダメになるんだよ」と言ってました。マヒした足を持ち上げることができず、地面にこするように歩くので、底のゴムがすぐすり減ってしまうのだそうです。

今朝も会いました。

「おはようございます」
「ああ、どうも」
「どうですか?」
「相変わらずだよ」
「床屋に行ったんですね?」
「ハハ、春だからね」
「ああ、そうですね。春ですね」
「じゃあ、また」
「また」

駅に急ぐ通勤客の中を杖をついて一歩一歩たしかめるように進んでいく後ろ姿を見ながら、私は「春だからね」という言葉を頭の中で反芻していました。
2010.04.19 Mon l 日常・その他 l top ▲
横浜市

「夜逃げ市長」なんてヤユされていた中田宏前横浜市長が、今夏の参院選をにらんで山田杉並区長らといわゆる「首長新党」・日本創新党を立ち上げたそうですが、しかし横浜市を見ると、中田氏のあと林文子市長になってから、派手さはないもののあきらかに行政の動きがよくなったように思います。

区庁舎に行っても、窓口のレイアウトやシステムが様変わりしていましたが、前のような如何にも公務員然としたダルい光景もなくなりました。窓口も担当者を増やし、しかも若い人が多くなっていました。これは市役所に限らず救急隊員でも警察官でも同じですが、公務員の場合、年をとったべテラン職員ほどダルい人が多いのです。さすがに今は廃止になったでしょうが、以前は窓口を担当する職員に「不快手当」なるものを出ていた自治体もあったそうです。要するに、彼ら公務員にとって、市民と接するのは「不快」だったわけで、べテラン職員の中にはまだそういった旧い公務員の意識が残っている人が多いように思います。

先日、区役所の国民健康保険課に行った際も、やはりこの経済状況を反映しているのか、いろんな問題を抱えて相談に来ている人が多いような気がしました。そんな市民に対して、窓口の若い職員達が丁寧に応対している姿が印象的でした。

松下政経塾出身の中田氏は、社会経験に乏しくただ観念的なパフォーマンスの人でしたが、今度の林市長は自動車のディーラーでセールスマンをしていた人なので、役所が担うべき住民サービスがどうあるべきかがわかっているのではないでしょうか。

近所の人も、生活道路に関する積年の問題が、市長が変わってからやっと解決したと言ってました。横浜市の場合、今まではお役所仕事の事なかれ主義を感じることが多かったのですが、市長が変わって市民生活に密着した細かい施策もようやく動きはじめた気がします。

自民党の液状化に伴い、「首長新党」だけでなくいろんな新党が生まれていますが、横浜市を見ていると、政治というのは、観念でもなければパフォーマンスでもなくまず実務だということを痛感させられます。
2010.04.18 Sun l 社会・時事 l top ▲
初夏のような暑い日がつづいたかと思ったら、途端に真冬のような寒い日に逆戻りしています。天気予報では夜半から降雪の可能性もあるというので、先ほどカーテンを開けて外を見ましたが、残念ながらまだ降ってませんでした。明け方の雪はロマンティックでいいなと思います。そんな季節外れの雪が待ち遠しくて眠れません。

二十歳のとき、身体を壊して自暴自棄になっていたら、友人が実家に連絡して父親が迎えに来ました。そして、東京の生活を清算して九州に帰ることになったのですが、そのときも九州に向かう寝台特急の小さな窓からずっと夜明け前の風景を眺めていたことを思い出しました。

駅に着いたらそのままタクシーで病院に直行して入院したのですが、私のベットは6人部屋の窓際でした。それで、病院でもよくベットに腰掛けて夜明け前の風景を眺めていました。あとで聞いたのですが、同じ部屋の人や看護婦さんなどは、私がいつもそうやって泣いていたと思っていたそうです。

たしかに朝が来ない夜はないのですが、でも、朝が来てもいいことがあるとは限らないのです。年をとるとそんな変な分別がついてしまいます。再び夜明け前の風景を眺める日がやってくるのかもしれませんが、今度は年をとった分、少し泣くのかもしれません。
2010.04.17 Sat l 日常・その他 l top ▲
井上ひさし

私が本を読みはじめた頃、五木寛之と野坂昭如と井上ひさしは三大スターでした。みんな若くて、旺盛な創作活動をされており、新刊が出るのが楽しみでした。特に、野坂さんと井上さんは社会問題についても積極的に発言していました。世の中も今では考えられないくらいリ自由な言論であふれていました。

でも、最近の五木寛之は仏教の伝道師のようですし、野坂昭如は脳梗塞で倒れてリハビリ中で、そして、昨日、井上ひさしが亡くなったというニュースがありました。その分自分が年をとるのも当然ですね。個人的には野坂昭如に「リハビリ小説」を書いてもらいたいと思っていますが、今の状況ではとても叶わぬ話のようです。

やはり、文学というのは若いときのものなのかと思います。介護されている老人で小説を書くような人は出てこないのでしょうか。多少認知が入っていても、それはそれで文学的な意味はあると思います。私は、大庭みな子のご主人の大庭利雄氏が書いた『終わりの蜜月-大庭みな子の介護日誌』(新潮社)と大西成明氏の写真集『ロマンティック・リハビリテーション』(ランダムハウス講談社)にすごく感銘を受けたのですが、それを「受ける」側の視点で書いた本が出てこないかなといつも思っています。

井上ひさしは、子ども頃生活苦から児童養護施設に入っていたこともあったそうで、やはり親戚の家に預けられた寺山修司の境遇と似ています。そういう生活の中で、子どもを東京の大学にやったお母さんは、学歴がどうのという問題を超えてホントに偉いなと思います。それが寺山修司や井上ひさしを生んだのです。ただ、井上さんの場合、子どもの頃、義父から受けた暴力がのちのご自身のDVへとつながっており、幼児体験がそういった暗い影も落としていたようです。

井上ひさしの人となりについては、マガジン9条の「鈴木邦男の愛国問答」で、鈴木邦男氏が「井上ひさしとクニオ」という文章を書いていましたが、いかにも井上ひさしらしいエピソードだなと思いました。
2010.04.11 Sun l 訃報 l top ▲
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関東地方はこの週末が桜の見納めだと言うので、今日は目黒川に夜桜見物に行きました。横浜で用事を済ませてから、そのまま東横線で中目黒まで行きました。土曜日の夕方だからなのか、中目黒の駅は人でごった返していました。特に改札口の前の歩道は待ち合わせの人で通り抜けるのに苦労するほどでした。かと言って、夜桜見物でもなさそうで、週末はいつもこんな感じなのかもしれません。

車ではしょっちゅう通っていましたが、中目黒の街をゆっくり歩いたのは久しぶりでした。やはり東横線沿線で常にトップの人気をほこる街にふさわしく、表通りだけでなく路地の中も活気にあふれていました。大倉山の商店街とは比べものになりません。中目黒に比べたら、大倉山なんてお通夜みたいです。

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山手通りを五反田の方に少し歩いて、目黒川沿いの遊歩道に下りました。川の両岸にずらりと下がったぼんぼりの灯りに桜の花がほんのりと浮かび上がり、なんとも言えない幽玄な雰囲気をかもし出していました、と言いたいところですが、そうでもなかったです(笑)。ちょっと遅かったみたいで、人もそんなに多くありませんでした。川面が白い泡のようなものにおおわれているので、目黒川はまだこんなに汚染されているのかと思ってよく見ると、なんとそれは川面をおおう桜の花びらでした。

歩いているのは圧倒的にカップルが多かったです。学生風のバカップルは少なくて、大人のカップルが多かったように思います。その点は横浜と違います。

途中、目黒エンペラーという有名なラブホテルがあるのですが、その前を通りかかったら、ちょうどカップルがホテルから出てきたのです。そうなると私の好奇心はもう押さえようがありません。よく見ると、中年男性と若い女性のカップルでした。男性はいかにもさえない感じのおっさんでした。髪はビゲン(白髪染め)の使いすぎで茶色に変色して、しかも下刈りをすませたばかりの雑木林のようにスカスカなのです。一方、女性の方は20代の半ばくらいで今風のかわいい子でした。言うなれば、温水洋一と北川景子のようでした。

この不釣り合いなカップルはどういう関係なんだろう?と考えはじめたら、もう頭の中はそのことでいっぱいで桜どころではありませんでした。さまざまな想像が頭の中をかけめぐり、うしろから追いかけて「どういう関係ですか?」と直接訊きたい心境でした。

帰りは、行人坂をのぼり目黒駅から東急目黒線で帰りました。
2010.04.10 Sat l 東京 l top ▲
前に健康保険証を落としたと書きましたが、実は出てきたのです。コピーをしようとコピー機の蓋(オートシーダー)を開けたら、中から出てきたのでした。どうやらコピーをしたまま取り出すのを忘れたみたいです。しかも、、何に使うためにコピーしたのか、いくら考えても思い出せないのです。

最近はこの手の失敗が多くて困っています。今日はロト6の抽選日なので、ロトを買わなきゃと思って宝くじ売場に行きました。私の場合、申込みカードはいつも使いまわしをしています。つまり、毎回同じ番号で買っているのです。で、財布から申込カードを出そうとしたら、「あれっ、同じことがあったような・・・」とデジャヴ(既視感)のようなものを覚えました。そして、そのときやっと思い出したのでした。数時間前に既に買っていたことを。

また、渋谷駅から地下鉄で池袋に行こうと思って地下通路を歩いていたら、自動改札が1列あるだけの小さな改札口が目に入りました。見ると改札口の中はエレベーターしかありません。どうやらそのままホームに降りることができるみたいです。私はすかさず改札口を通りエレベーターに乗りました。すると、エレベーターは半蔵門線のホームに出たのでした。私が乗りたいのは副都心線です。まるで狐につままれたような気持でした。それで、仕方なく表参道まで乗って、表参道からJRの原宿駅まで歩いて、山手線で池袋に行くはめになりました。

やはり観光シーズンなのか、表参道を歩いていると、やたら外国人観光客のグループとすれ違いました。特に欧米系の白人が目立ちました。彼らを見ると、服装は実に質素で地味です。それに比べて、奇抜でカラフルな日本の若者達。外国人の目には、彼らは奇異な人種に映っているのかもしれません。それこそ東南アジアの高地民族を見に行くのと同じような感覚で、ニッポンの”低地民族”を見に来たのかもしれません。そう言えば、キディランドの入口で、店から出てくるニッポンの若者達をずっとビデオカメラにおさめている観光客もいました。

池袋に行くと、東口のさくらやはシャッターがおりて「閉店しました」という挨拶文が貼っていました。また、先頃倒産したキンカ堂もシャッターがおりていました。案の定、エチカも開店景気を終えたみたいで、通りは完全に通路になっていました。

用事を終えたあと、いつものようにジュンク堂と東武百貨店の中の旭屋書店をまわって本をまとめ買いしました。東武百貨店の8階にユニクロと伊東屋が並んで入っていたのにはびっくりしました。もはやデパートはなんでもありなんだなとあらためて思いました。

久しぶりに池袋の会社に勤めている友達に会いたいと思って会社に電話しました。しかし、外出していて不在だということでした。それで、携帯に電話をしたのですが、コールすれどいっこうに出ません。夕暮れのビルの陰で何度も電話しているうちに、「オレは何をしているんだろう?」という思いがふと頭をかすめました。そうなるといけません。急にむなしい気持になり、山手線に乗って帰りました。
2010.04.08 Thu l 日常・その他 l top ▲
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昔観た映画で、路線バスがある日突然、いつものコースを外れて違う道を走りはじめるというシーンがありましたが、そのとき、運転手の気持が痛いほどよくわかりました。今日、ふと思いついてひとつ手前の菊名で下車しました。そして、いつもと違う反対側の出口に出て、住宅街の中の道を進んでいくと新横浜の環状2号線に突き当りました。それで、太尾緑道を歩いて帰りました。

桜並木の下を歩いていたら、「去年、桜を見て、私たちは何度、泣いたことでしょう」という「江角マキ子さんの手紙」の文章を思い出しました。前を保育園の子どもたちが保母さんに引率されて散歩していました。その光景がなんだか自分とは違う世界のもののように感じました。

病院で隣にすわっていた入院患者の方と話をしていたら、その方も以前、埼玉に住んでいたと言うのです。「埼玉にいた頃、飲み屋の女と知り合いになってな。結婚していたんだ。でも、今も籍は入ったままだけど、まったく連絡はない」のだそうです。脳梗塞で半身不随になり車椅子生活を余儀なくされているその方を見ながら、釈尊が言うように、誰しもみんな心の中に哀しみを抱えて生きているんだなと思いました。

先日、友人と、ひとり身なのと家族はいるけど冷たい関係でいるのとではどっちがいいだろうという話になりました。私はなんとか言っても家族がいれば多少なりとも支えになるんじゃないかと言いました。でも、最近離婚したばかりの友人は、そうとは言い切れないよと言ってました。

生老病死は誰しも避けることのできない人生の苦ですが、要はひとり身でも家族がいても、最後はひとりでこの難題に向き合うしかないです。通俗的な言い方になりますが、その「運命」をどこまで受け入れることができるか、それにかかっているのかもしれません。
2010.04.07 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
ラジオから流れてきた森山直太朗の「さくら」を聴いていたら、いろんな思いが頭の中をかけめぐり、しみじみとした気持になりました。この時期になると、「春歌(はるうた)」などと称して、やたら卒業シーズンにあわせた歌が発売されますが、やはりこの歌を超えるものは出てないように思います。

昨日、久しぶりに田舎の母に電話しました。

「あんた、身体はどうな? いつも仏様にお参りするときはあんたの身体のこともお祈りしちょるんよ」

そんな母の声を聞くと、やはり胸にこみあげてくるものがあります。

吉本隆明氏は、「母の型式は子どもの運命を決めてしまう。この概念は存在するときは不在というもの、たぶん死にとても似たものだ」(「母型論」)と書いていましたが、哀しいときやつらいとき、やはり、知らず知らずのうちに母を恋うる歌を奏でたくなる自分がいます。余談ですが、日本人がもっている抒情というのは、こういった心性から生まれるのかもしれません。

桜の花もいっせいに咲き始めました。都心の地下鉄の駅では真新しいスーツに身をつつんだ若者のグループも目につくようになりました。そんな光景が今年はいつになくまぶしく見えて仕方ありません。
2010.04.01 Thu l 故郷 l top ▲