萩原健一

萩原健一がカリスマ主婦モデル(と言っても既に離婚しているみたいですが)の冨田リカと熱愛だとか。相変わらずショーケンはカッコええですな。昨年放送されたフジテレビの「ザ・ノンフィクション」を観て書いたのでしょうか、酒と薬と女を封印して、自分で掃除や洗濯や料理をする独身生活を送っていた、というような記事がありましたが、でも、やはりただの還暦を迎えたひとり暮らしのおっさんではなかったのです。旦那を捨てて(?)恋に走った冨田リカも、なんだかいい女に見えてくるから不思議です(ホントは、冨田リカなんて知らなかったけど)。

例の恐喝未遂事件以後、萩原健一の姿をスクリーンで観ることはなくなり、去年公開された「TAJOMARU」(中野裕之監督)は4年ぶりの銀幕復帰だったそうです。猛獣使いでないと使いこなせないとか言われますが、ショーケンは日本映画には欠かせない個性です。だから、こんなゴシップが出てくるだけでもホッとします。

「ザ・ノンフィクション」でもその模様が出ていましたが、演出家の蜷川幸雄は、みずから演出した井上ひさし作「道元の冒険」(阿部寛主演)のパンフレットの中の対談で、ショーケンのすごさについて次のように語っていました。

蜷川 今日はね、ショーケンという俳優の、演技の革命的な新しさをちゃんと話したいなと思ってね。

萩原 あっそう~。そんな、何もやってないよ(笑)。

蜷川 ほら、初期の頃の『約束』(72年)って映画とか見ると、いつも思うんだよ。たとえばマーロン・ブランドやジェームス・ディーンやチブルスキーは、許容できない現実を生きる青年の鬱屈を擬態というスタイルで表現したんだよね。その、世界的な演技の流れを日本で最初にやったのがショーケンだったんだよ。それは革命的な出来事だったと思うよ。
(2008年7月7日「合縁奇縁」・株式会社東急文化村)


蜷川氏は「ザ・ノンフィクション」のインタービューの中で、ショーケンを称して「トップを走る孤立」と言ってました。私はそれを聞いて、かつて五木寛之が鈴木いづみを称して「一周速すぎるトップランナー」と言っていたのを思い出しました。蜷川氏も言ってましたが、「トップランナーの悲劇」というのはあるのだと思います。

日本映画の腑抜けども、「俺には部下はいない。いるのは仲間だけだ」とか「見習い警察犬の愛と感動の物語」だとか、そんなヘタレな映画ばかり撮ってないで、たまには「約束」や「青春の蹉跌」を超えるような時代を表現した大人の(ホンモノの)映画をつくってみろと言いたいです。
2010.08.19 Thu l 芸能 l top ▲
日本の路地を旅する

毎日、”猛暑”という言葉が飛び交っていますが、ホントに暑いです。もともと今年の夏がこんなに暑くなるなんて予報はなかったので、心の準備もできず文字通り”猛暑”にふりまわされている感じです。

とても昼間は外に出る気にならないので、最近は夜光虫みたいに、もっぱら日が陰ってからモゾモゾ動き出しています。今日も夕方6時すぎから池袋に行きました。池袋のジュンク堂書店で本を買うためです。ネットで在庫を調べたら、池袋のジュンク堂しか在庫が揃ってなかったからです。埼玉から横浜に引っ越しても、結局、本を買う場合は、池袋まで行くことが多いのです。なんともいやはやです。

最近、上原善広氏の『日本の路地を旅する』(文藝春秋社)という本を読んだら、久しぶりに中上健次の本を読みたくなったのでした。この『日本の路地を旅する』は、大阪の被差別部落で生まれた著者が、中上健次が「路地」と呼んだ日本全国の被差別部落を都合13年かけて訪ねて歩いた記録をまとめた本です。本年度の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したのですが、受賞にふさわしいとてもいい本でした。

著者は、実際に表立って差別を受けたという経験はほとんどなく、「周囲の一般地区の人々から奇異の目で見られたであろうデモ登校『ゼッケン登校』でさえ、目立ちがリ屋でおっちょこちょいだった私にとっては、ちょっとしたお祭り騒ぎで楽しいものであった」というような、今どきの「路地」出身の青年なのですが、そういう青年が従来の解放運動の政治的な視点とは違った等身大の言葉で、消えゆく「路地」の記憶を書きとどめようという営為は、非常に貴重だと思いました。

一方で、著者は「路地の歴史は私の歴史であり、路地の悲しみは、私の悲しみである」と書いていましたが、この本の中には、「寝た子を起こし」「人の傷口に塩を塗りつけるような」取材に対する自責の念とともに、著者の個人的な感情や思いが、ルポルタージュにしては過剰とも言えるほど入っていました。

特に、性犯罪をくり返した挙句、借金を踏み倒して沖縄の八重山に逃げた実兄を訪ねて行く終章は、やや辟易するほど私情が露出していました。でも、そんな中で、もともと「路地」とは無縁であったはずの琉球・沖縄でも、あのエイサーが、実は「路地」の旅芸人達の伝統芸が進化したものだという独自の視点を提示しているのです。また、江戸時代は獣肉だけでなく、支配階級ではひそかに牛肉が食されていたというような特筆すべき話も書かれていました。こういったところがこの本のもうひとつの柱になっているように思います。

聖と賤、キヨメとケガレ、それは人間の歴史では表裏一体のものとしてあります。また、それは宗教的な意味合いだけでなく、政治的な支配⇔被支配の原初的なかたちでもあります。私は、『日本の路地を旅する』を読んでいるうちに、「この日本において、差別が日本的な自然の生みだすものであるなら、日本における小説の構造、文化の構造は同時に差別の構造でもあろう」(『紀州 木の国・根の国物語』)という中上健次の言葉を思い出したのでした。

私は幸いにも中上健次をほぼ同時代的に読むことができた世代ですが、当時は「なんだ、この露悪趣味は」というような半ば反発を覚えながら読んだ記憶があります。でも、今思えば、それが彼の文学の魅力でもあったのです。上原善広氏は、「中上によって被差別部落は路地へと昇華され、路地の哀しみと苦悩は、より多くの人のものとなった」と書いていましたが、そのためにも中上健次は、江藤淳が言うように、「ほとんどけものじみた世界」であるにもかかわらず、不思議と「哀切で、清冽な旋律」が流れているような、あの血と性と暴力に塗りたくられた「路地」の物語を書かねばならなかったのでしょう。

渋谷から池袋へは行きも帰りも地下鉄の副都心線を利用しました。副都心線の行き先には、「和光市」や「川越市」や「森林公園」などの表示がありました。なんのことはない、埼玉にいた頃、私がいつも利用していた路線がいつの間にか渋谷まで伸びていたのです。そして、さらに2年後には東急東横線・みなとみらい線につながり、「元町・中華街」まで直接行けるようになるのだそうです。なんだか皮肉な気がしないでもありません。

池袋ジュンク堂書店2916
2010.08.18 Wed l 本・文芸 l top ▲
茅ヶ崎2907

やっと茅ヶ崎に行きました。新横浜に用事があったので、用事を終えたあと、新横浜から市営地下鉄で横浜に出て、横浜から東海道線で行きました。茅ヶ崎より辻堂の方が街だというのは、どうも”自虐ギャク”だったみたいです。辻堂には駅裏に広大な空地があり、その空地にショッピングセンターかなにかができるという話を聞いたことがありますので、「むしろ辻堂の方が街だ」というのは、そのショッピングセンターができた場合の話なのかもしれません。

茅ヶ崎の駅ビルは、どう見てもルミネに見えますが、ルミネではなくラスカというのだそうです。前はルミネだったそうですが、数年前にラスカに変更になったのだとか。ラスカはJR東日本の子会社の湘南ステーションビルが運営する駅ビルで、茅ヶ崎のほかに平塚・小田原・熱海にあり、いわば地域限定の駅ビルのようです。茅ヶ崎駅の周辺にはイトーヨーカドーもありますし、ヤマダ電機もありました。なんの変哲もないJRの駅と言えば、そう言えないこともありません。

私は反対側の南口(写真上)を出て、駅からまっすぐに伸びている道路をひたすら海に向かって歩きました。さすがに途中で、サーフボードを抱えた若者達とひっきりなしにすれ違いました。しかし、私が目を引いたのは、ガングロの”元若者”達です。マイク真木のような長髪でガングロのおじさんやおばさんがホントに多いのです。皮膚ガンの心配はないんだろうか?といらぬことまで考えてしまいました。

別名「加山雄三通り」とも呼ばれている(らしい)東海岸本通りには、個性的な雑貨を売る店も結構ありました。手作りもあれば輸入物もあり、それぞれこだわりを持った店ばかりでした。

茅ヶ崎2909

既に夕方で、しかも海が多少荒れていたということもあるのか、海岸は思ったより人が少なくて、むしろ、遊歩道を散歩をする人の方が多いくらいでした。考えてみれば、埼玉にいた頃、国道16号線を南下してよく湘南の海に来ました。いつも季節外れの海でしたが、どうしてあんなに海を見に来たんだろうと思いますね。

人々はどうして湘南にあこがれるのでしょうか。もちろん、明治時代に上流階級向けの別荘地の開発によって、湘南という土地がブランド化されたことが大きいのでしょう。また最近では、サーフィンの普及や(”湘南サウンド”なんて言われるとこっちまでこっ恥ずかしくなりますが)加山雄三やユーミンやブレッド&バターや南佳孝らの音楽などによって、湘南=日本のウエスト・コーストのイメージが定着したことも多分に影響しているように思います。今風に言えば、スローライフへのあこがれといった感じなのかもしれません。とにかく、東京近辺で生活をしていると、人々は海の近くに、それも湘南に住むことにあこがれるのです。だから、茅ヶ崎や辻堂に住んでいるというだけで、羨ましがられるのですね。

たしかに、かつて島尾敏雄も住んでいたことがあるという海岸近くの住宅街には、庭木に囲まれた瀟洒な木造住宅も多く、(最近はなんでも老後に結びつけて考えるクセがありますが)こういうところで老後をすごせたらいいだろうなと思いました。実際に生活するとなると、ベランダに砂がたまったり、洗濯物がベトついたり、門柱や手すりがすぐ錆びたり、深夜暴走族がうるさかったりと、いろんな支障もあるみたいですが、ただ、茅ヶ崎あたりに漂っているややローカルな空気の中で、のんびりと「海のある生活」を送りたいという気持はわからないでもないですね。たとえそれが幻想であってもです。

茅ヶ崎2915
2010.08.14 Sat l 横浜 l top ▲
ダイエットは完全に”停滞期”に入っています。体重計の針がピタリと止まったまま動きません。少し下がってもすぐ元に戻ります。この”停滞期”の体重は、前回のダイエットのときの目標体重でもあるのですから、一応のレベルまで達したと言えないこともないのですが、しかし、ここであきらめるわけにはいきません。意地でもあと5キロ下げるつもりです。

今日も用事があって原宿に行きましたが、行きも帰りも渋谷と原宿の間を歩きました。帰って万歩計を見たら1万5千歩歩いていました。しかし、ダイエットに関する限り、歩くことによるカロリーの消費量なんてたいしたことはないのです。極端なことを言えば、気休め程度です。もちろん、歩かないよりは歩いた方がいいに決まっていますが、過大な期待をするのは間違っています。私の経験から言えば、歩くことはむしろ精神的な効用の方が大きいように思います。

それよりやはり、食生活を見直すのが第一です。無駄なカロリーを摂らない、それに尽きます。そう考えると、このライティングダイエットは理にかなっているように思います。たしかに、精神的な修行のような側面もありますが、摂取カロリーを制限しないことにはダイエットもくそもないのです。

ところで、先日、病院に行った際、私のことを「長州小力みたい」とのたまった受付嬢に「どう、痩せたでしょ?」と言いました。「すごいですね!」なんていう反応を期待していたのですが、受付嬢達はチラッと私の方を見て、そっけなく「ああ、そうですね」と言ったきりでした。思わず首をしめてやろうかと思いました。

たとえおじさんのひとり相撲であろうとも、まだまだダイエットはつづきます。意地でも痩せてやる。
2010.08.13 Fri l 健康・ダイエット l top ▲
午後4時すぎ、雨もあがったみたいなので、散歩に出かけました。といって、あてもなく駅に向かって歩いていたら、ちょうど「鶴見駅西口行き」の市営バスが来たのです。最近、トレッサの方をまわって鶴見駅に行くあたらしい路線ができたというので、一度乗ってみたいなと思っていたところでした。それで、目の前にあったバス停でバスに飛び乗りました。ところが、綱島通りに出て港北区役所の先の大豆戸の交差点に差しかかったら、バスは2号線の方に向かわずにそのまま直進するではありませんか。なんのことはない、乗ったのは、菊名から東高校を経由する従来の路線のバスだったのです。

終点の鶴見駅西口では、郵便局に用事があったので、交番で郵便局の場所を聞いて豊岡郵便局に行きました。用事を済ませて、さて、このあとどうしようかと思いました。そして、ふと、茅ヶ崎に行ってみようと思ったのです。私は茅ヶ崎に一度も行ったことがないのです。茅ヶ崎在住の人間に言わせれば、茅ヶ崎なんて「なんにもない」「むしろ辻堂の方が街だ」そうですが、やはりこの目で見ないことには話になりません。それで、東海道線に乗るべくホームにあがったら、なにを間違えたのか京浜東北線のホームでした。そそっかしい私にはよくあることですが、再び階段を上り下りして東海道線のホームに行くのも面倒なので、そのまま京浜東北線の上り電車に乗りました。

まったくこの行きあたりばったりの人生を象徴している感じですが、結局、東京駅まで乗って八重洲ブックセンターに行くことにしました。八重洲地下街から地上にあがったら、ちょうど八重洲ブックセンターの手前の新光証券の株価のボードの前で、テレビカメラを抱えた外人のカメラマンと一眼レフを手にした日本人のカメラマンがそれぞれ帰り支度をしているのが目に入りました。新光証券のボードは株価が大きく変動したときなど、よくテレビのニュースに登場するおなじみのスポットですが、ということは今日も大きく変動したんだろうかと思いました。帰って調べたら、終値はそんなに大きく下落してはいないものの、一時今年の最安値を更新したようです。

八重洲ブックセンターで本を買い込んだあと、重い本の袋を提げて、銀座に行きました。銀座の表通りでは中国人観光客の姿がやたら目に付きました。よくテレビなどでも銀座のデパートは今や中国人観光客でもっているようなことを言ってますが、現実は想像以上です。さすがにひと頃のように白ナンバーではなくなったものの、大手の観光バスに比べると、社名も入ってない貧弱なバスが至るところに路上駐車しています。中国人観光客はもっぱらこの手のバスに乗ってやって来るのです。しかも、観光と言ってもひたすらお買い物です。

買物を終えた彼らは松屋銀座のショーウンドウの前でずらり路上に座り込んでいました。今までの銀座では決してお目にかかれない光景ですが、なにより格を重んじる(はずの)銀座のデパートも、背に腹は代えられず、軒先で地べたに座られても目をつむるしかないのでしょう。また、博品館の周辺もすごいことになっていました。銀座にとって、爆裂団はお断りでしょうが、銀聯カードで買物をする観光客は熱烈歓迎なのです。爆裂団とブランドを買いあさる観光客。この二つの現実こそ今の中国を象徴している気がします。

もっとも日本人だって昔はそうでした。さすがに爆裂団はいませんでしたが、同じようにお上りさん感覚の団体旅行で顰蹙をかった時代がありました。筒井康隆さんに『農協月に行く』(角川文庫)という小説がありますが、首からカメラをさげたノーキョーの団体客が場違いな格好でハワイへ押しかけたのもそう遠い昔の話ではありません。新興工業国が経済的に先進国に追いつき追い越すことを「キャッチアップ」と言いますが、まさに因果はめぐるのです。

いづれにしても、中国が主役の”アジアの時代”が目の前にせまっているのはあきらかです。その流れはもはや避けようがない。ある日、自分達の会社が中国資本に買収されて、中国人の上司がやってくるなんてことも現実になるでしょう。そのとき”嫌中”だけでやっていけるのか。銀座のデパートがプライドを捨てて中国人観光客に揉み手している姿は、来るべき”アジアの時代”における日本の姿を先取りしているように思えてなりません。そして、そんな光景を前にして、ふと、アングロサクソンのハゲタカ資本主義と中国の向銭看資本主義(=「拝金社会主義」)に挟撃されるこの国の行く末を考えたりしました。それがこれからやってくる(多極化された)世界の姿なのです。
2010.08.12 Thu l 社会・時事 l top ▲
大阪のワンルームマンションで二人の幼児が置き去りにされた事件について、専門家の間でもやはり、ネグレクト(育児放棄)の世代連鎖を指摘する声が多いようです。その意味ではこの事件は”二重の悲劇”だとも言えます。23才の母親が殺人や死体遺棄で処罰されても、それは事件の本質をあきらかにすることとは別問題であるように思います。また、ワイドショーのように、出産当初、母親になった喜びや子育てのやりがいをブログにつづっていたことを取り上げ、「どうして彼女が変わったのか?」なんて愚問を百万遍くり返しても、この事件の本質にせまることはできないように思います。

彼女の場合、「母性が崩壊した」のではなく、最初から「母性が欠如したままだった」のではないでしょうか。8月3日付の産経新聞(WEB版)には、つぎのような記事が出ていました。

育った家も子供2人を置き去りにしたマンションも「ごみ屋敷」だった-。

大阪市西区で幼い姉弟が母親に放置され死亡した事件。原因は育児放棄(ネグレクト)とみられるが、下村早苗容疑者(23)を男手一つで育てた父親(49)は「仕事ばかりで子供をほったらかしにした面があった」と悔やんだ。多くの専門家は「ネグレクトをする親は、自らもその親からネグレクトされていた可能性が高い」と指摘し、「負の連鎖」を断ち切る支援が必要としている。

 「家の裏にごみの山ができていた。何度注意しても聞いてもらえなかった」

 下村容疑者が育った三重県四日市市の住宅街。近所の住民の男性は「事件のニュースで、(下村容疑者のマンションの)ベランダを埋めたごみの山を見て、昔の記憶がよみがえった」と話す。

 下村容疑者は3姉妹の長女。10代で髪を染め、生活が荒れていたという。父親は離婚後も家事をする様子はなく、子供の面倒をあまりみていなかったという。この男性は「ベランダにも食べた菓子の袋などがたまっていた。父親はお金を渡すだけで、あとはほったらかしみたいだった」と振り返った。


この23才の母親もまたネグレクトの犠牲者だったのではないか。彼女は、中学を卒業すると、地元の高校へは行かずに、わざわざ父親の知人が教師をしていた東京の「専修学校」に入学するのですが、それは問題児であったがゆえに厄介払いされたという側面はなかったのでしょうか。

彼女がわが子を放置してホストクラブに入り浸っていたことについて、心理学を専攻したという人は、子どもを愛することよりまず自分が人から愛されることを欲していたのではないかとブログに書いていました。これを「幼い」とか「身勝手だ」とか脊髄反射で罵倒するのは簡単ですが、ここにも深い心の闇があるように思います。

そして、前の記事でも引用しましたが、柳美里の『ファミリー・シークレット』の中の長谷川博一氏のつぎの言葉が、この母親にもあてはまるように思いました。
 

母性がなにか解らないひとがうまく接しようとしてもね、母性的に接しようと努めるれば努めるほど、母性が解らないこころは軋んで、その軋みが自分の願いとは正反対のかたちで暴走してしまう。


哀しいかな、親を選べない子どもからすれば、23才の母親は責められて当然ですが、もうひとり、責められるべき親がいるのではないでしょうか。倫理的に責めてどうなる、と言われるかもしれませんが、しかし、ネグレクトの世代連鎖の一端をあきからにするという点ではまったく意味のないことではないように思います。そして、せめてそういったところからでもこの事件の問題意識を共有しなければ、いつまで経っても”悲劇”はくり返されるだけのような気がします。ワイドショーのように、「どうして彼女は変わったのか?」なんてカマトトな愚問をくり返しても仕方ないのです。

>>『ファミリー・シークレット』
2010.08.08 Sun l 社会・時事 l top ▲
本牧埠頭_2855

新山下のみなと赤十字病院にお見舞いに行ったついでに、本牧埠頭まで歩きました。新山下は電車だと不便で、交通手段としてはバスしかないのですが、私はみなとみらい線の終点「元町・中華街」で降りて、そこから歩いて行きました。

新山下は本牧の東の海側のエリアに位置しており、新山下の突堤がいわゆる本牧埠頭になります。典型的な埋め立て地で、昔、高速に乗るために車で通ったことがありますが、その頃は倉庫や工場ばかりの殺伐としたイメージしかありませんでした。しかし、今は、道路沿いに大型店ができたりおしゃれなマンションが並んでいたりと、ずいぶん通りのイメージも変わっていました。ただ、舗道を歩きながら、ふと山手の方を見上げると、やっぱり丘の上からは豪奢な邸宅が下界を見下ろしているのでした。

病院を出たのは午後5時近くでしたが、そのまま先に進んで埠頭をめざしました。車やバスだとすぐなのでしょうが、歩くとなると結構な時間がかかります。私がめざしたのは、海釣り施設やシンボルタワーがあるD突堤です。新山下をすぎ、イトーヨーカドー本牧店の裏から海側に曲がると、四方は倉庫ばかりになり、道路のあちこちにコンテナが置かれていたりして、すれちがう人もほとんどいなくなりました。ところが、ときどきお母さんらしき女性が幼児用の補助椅子を取りつけた自転車で通りすぎていくのです。なんで?と思ったら、倉庫街の中に突然「本牧ポートハイツ」という団地が出現したのでした。帰って調べると、「横浜港湾福利厚生会」なる港湾関連企業の福利厚生団体が組合員のために建てた団地らしく、昔は「港湾住宅」と呼ばれていたそうです。5階~7階建ての集合住宅が17棟あるそうですから、かなり大きな団地です。「診療所」の看板も出ていましたので、診療所も併設されているのでしょう。ちなみに、敷地内には本牧貨物駅本牧埠頭駅を結ぶ神奈川臨海鉄道の貨物線も走っているそうです。

「本牧ポートハウス」をすぎてさらに突堤に向かって歩くと、やがて堤防沿いの道路に突き当りました。「堤防から海に入るのは禁止します」「発見したらただちに警察に通報します」という看板がやたら出ているのでそんなに危ないのかと思ったら、なんのことはない既に堤防の下は横浜市が運営する本牧海釣り施設の管理エリアで、施設に入るには500円の入場券(見学は100円)が必要なのです。要するに、タダで魚釣りをする不心得者に対する警告なのでした。考えてみれば、本牧埠頭あたりでは一般の人間が海岸に近づくことはほとんど不可能で、唯一海釣り施設で入場券を買って入るしかないのでした。

それで仕方なく私も100円を払って海釣り施設の中に入りました。しかし、魚釣りの施設なので、見学だけの人間なんてほとんどいません。魚釣りをしている人達の中をひとりウロウロしても居心地が悪いだけなので、すぐ出てきました。

それからさらに殺風景な海沿いの道路を歩いてシンボルタワーに行きました。平日の夕方だからなのか、駐車場にも数えるほどしか車はとまってなくて、シンボルタワーの上も人はまばらでした。展望ラウンジでは、どう見ても夫婦には見えない中年のカップルが一組寄り添って海を眺めているだけでした。

シンボルタワーというのは、他にもいくつかありますが、灯台の機能を備えたいわゆる港湾版ハコモノ行政の代表的な施設で、本牧もそのひとつです。駐車場の横には売店などが入った休憩所なるものもありましたが、休日はともかく平日はどうやって営業しているんだろうと納税者のひとりとして心配になりました。

シンボルタワーの営業は、通常は午後7時までですが、8月中は午後8時までとなっていました。夏の夜はカップルのたまり場になって大変だろうと思ったら、その対策のためか、1キロ手前の海釣り施設の駐車場のゲートをくぐらなければ、シンボルタワーまでの道路も通れないようになっているのです。つまり、関門を設けて、時間外はそこから先は一切行けないようになっているのでした。

展望ラウンジでW不倫の(と勝手に決めつけている)中年カップルと一緒に海を眺めていたら、突然、「午後6時半にシンボルタワー発の最終バスが出ます。乗り遅れないようにご注意ください」というアナウンスが流れました。営業時間いっぱいまでバスもあるだろうとタカをくくっていたので、あわてて階段を降りて駐車場の横にあるバス停に向かいました。既にショルダーバックを下げた年配の男性が二人待っていました。二人はバスに乗る際定期券をかざしていましたので、定年退職後の第二の人生でシンボルタワーの警備員かなにかの仕事をしている人達なでしょう。

次の海釣り施設では、釣り道具を抱えた男性が2人乗ってきました。やはり大半の人は車でやってくるみたいです。しかし、さらに次の倉庫街の中のバス停に到着すると、仕事をを終えた人達が行列を作っていて、バスもいっぺんで満員になりました。中にはイスラム系(?)の外国人労働者の姿もありました。それで、なんだか途中で降りるのも面倒くさくなり、終点の横浜駅まで乗ることにしました。30分ちょっとで横浜駅に着きましたが、バスを降りて万歩計を見たら2万歩を越していました。

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2010.08.06 Fri l 横浜 l top ▲
桑田佳祐

桑田佳祐の食道ガンが大きく報じられていますが、今や「二人に一人」がガンにかかる時代だと言われていますので、この手の話は格別めずらしいものではなくなりました。特に男性の場合は、いづれ年をとれば「二人に一人」の洗礼を受ける運命にあると考えた方がよさそうです。さしずめ私などもその瀬戸際にいるわけで、間寛平や桑田の話は決して他人事とは思えません。

一方で、この「二人に一人」の時代を逆手にとったような外資系保険会社のCMを見るにつけ、あまりにもえげつない感じがして不快な気分にならざるをえません。あのCMが流れると、チャンネルを切りかえるという人がいましたが、その気持はわかりますね。

「二人に一人」と言っても、一人一人にとっては大きな人生の試練であることには代わりがないのです。そして、その苦悩は、保険会社のCMが煽るようなケチなものではありません。

オレの人生はなんだったのか。ガンの告知を受けた途端、そんな理不尽で孤独な人生の姿が目の前に立ち現われるのでしょう。そして、眠れぬ夜の底でひとり涙するのかもしれません。苦悩を支えてくれる人がいればいくらか救われもするでしょうが、いづれにしても最後は自分で運命と向き合うしかないのです。

瀬戸際にいる人間の一人として、桑田が元気な姿で戻ってくることを願ってやみません。
2010.08.04 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
おぎやはぎ

先日、TBSラジオの深夜放送を聴いていたら、パーソナリティをつとめていたおぎやはぎがダイエットの話をしていました。小木がダイエットしているらしく、74キロあった体重が現在65キロまで落ちたそうで、ファミレスに行ってももっぱら野菜サラダばかり食べていると言ってました。目標は59キロを切ることだとか。

しかし、彼は65キロまで落ちた途端、体重が停滞していて、今までと同じようにダイエットしているにもかかわらず、いっこうに体重が減らないと嘆いていました。すると片割れの矢作が例の飄々とした口調で、「ダイエットした芸能人もよく言ってるけど、停滞期に入ったんだよ」「ここで辛抱しないと目標は達成しないよ」と言ってました。

この「停滞期」というのはよくわかりますね。一定の体重までは順調に落ちるのですが、そのあと急に止まってしまい、逆に増えることさえあります。なんだか大きな壁があるみたいです。そして、「停滞期」をぬけると、再び体重が下降線を描くようになります。でも、少しでも油断するとすぐ「停滞期」の体重まで戻ってしまうのです。

小木は、罰ゲームがなければこの「停滞期」でやめるけど、罰ゲームがあるので目標まで進むしかないと言ってました。罰ゲームというのは、向こう1年間小指の爪を伸ばすということだそうです。昔の田舎の不良がよく小指の爪を伸ばしていましたが、そんなに嫌なのでしょうか。

一方、私は、彼らの話を聴きながら、もしかしたらこの「停滞期」こそが自分の適正な体重なのかもしれないと思いました。すぐ戻ってしまうというのは、それが適正だからではないでしょうか。小木が目標を達成しても、半年後か1年後には再び「停滞期」の体重まで戻っているような気がします。

身も蓋もないことを言えば、「停滞期」以後は無駄な努力かもしれないのです。歯を食いしばり無理して体重を落としても、いつまでも無理がつづくわけではありませんので、いづれ元に戻るだけのような気がします。人間の身体というのはよくできているので、「あなたの場合、ここまでが限度ですよ」と告げているのが「停滞期」なのかもしれません。とどのつまり無理してもしょうがないってことです。

と、悪魔が申しております。
2010.08.02 Mon l 健康・ダイエット l top ▲