今日、病院に行ったら、玄関で外に向かってじっと手を合わせている車椅子の患者さんがいました。私も何度か顔を合わせたことがある方なので、「なにをしているんですか?」と尋ねました。しかし、耳が遠いらしくキョトンとしています。それで、耳元に顔を近づけて、もう一度大きな声で尋ねました。

「なにをしているんですか?」
「お天道さまにお願いしているの」
「なにをお願いしているのですか?」
「無事に往生できるようにお願いしているの」
「ああ、それなら大丈夫ですよ」
「早くお迎えが来ないかなと思ってるけど、なかなかお迎えが来んのです」

訊けば、もう89才だそうです。「こんなに長生きするとは思わんかった」と言ってました。

私は、その姿をみて、この人はきっと幸せな最期を迎えるに違いないと思いました。こういう信心する気持というのは、私たちが久しく忘れたものですが、最近大事なことじゃないかなと思うようになりました。

昔、母親にも同じようなことを言った覚えがあります。病院に入院していた父親の病状が予断を許さない状態になったという連絡を受けて、九州に帰ったときのことです。その頃、我が家では、父親の病気だけでなく、ほかにも難問が山積していて、母親はそれをひとりで背負った格好になりひどく苦悩していました。

病院の廊下の長椅子にふたりで座って話をしていたときでした。母親は涙を流しながら、我が家にふりかかった深刻な問題とそれに苦悩する自分の胸の内を私に訴えていました。すると、「家庭の幸福は諸悪の根源である」などとうそぶいて、東京で好き勝手に生きているバカ息子は、「なにか宗教でも信仰したらいいんじゃないの」と母親に言ったのでした。

母親は「エッ」とびっくりしたような感じで顔をあげて、私を見ていました。まさか私の口からそんな言葉を聞くなんて思ってもみなかったのでしょう。でも、私は、母親の傷んだ心はもはや宗教でしか救えないような気がしたのです。今回の震災でもそうですが、私たちがもっている言葉は、まったく無力でとるに足らないものです。

みずからのはからいではもうどうにもならないことがあります。仏教では、ものごとを分別する知恵を身につけることで、逆に無明の闇をさまようことになると言います。小さな身体をさらにまるめて無心に手を合わせている老女こそ、「摂取不捨のご利益にあずけしめたまう」(「歎異抄」)存在なのでしょう。それに比べて、私のような欲心の多い人間は、さまざまな執着にしばられもがき苦しみながら死んでいくに違いないと思いました。
2011.04.30 Sat l 日常・その他 l top ▲
田中好子

あのキャンディーズのスーちゃんこと田中好子が亡くなったというニュースにはびっくりしました。しかも、20年間も乳ガンの治療をしていたなんてさらにびっくりでした。

今は二人に一人がガンにかかる時代なので、私のまわりでもガンの闘病をしている人が何人かいますが、ホントにみなさん立派です。田中好子も病気のことを微塵も見せなかったので、まわりの人たちも病気のことは誰も知らなかったのだとか。私の知り合いもガンの手術するために入院していたら、たまたま他の人のお見舞いにきていた近所の人と廊下でばったり会って、ガンのことがバレたと言ってましたが、そうやって内緒にするケースが多いのです。

今日、私は半年に1回のガンの定期健診に行ったのですが、病院ではちょうど乳ガンの医学講座がひらかれていました。乳ガンの場合、治癒率が高いイメージがありますが、20年間も再発をくり返していたというのは、精神的なストレスだけでも相当なものがあったはずです。それでもまわりにさとられずに、明るく仕事をこなしていたというのは、何度もくり返しますが、ホントに立派ですね。それは、精神的に強いというだけでなく、やはりしっかりした死生観をもっていたからではないでしょうか。

たまたま今、ホリスティック医学を実践している川越市の帯津三敬記念病院の帯津良一医師(名誉院長)と作家の五木寛之氏の対談集『生死問答』(平凡社ライブラリー)を読んでいるのですが、最近、私も自分の死についてやたら考えるようになりました。最期をどういうふうに迎えるか、というのはすごく切実な問題です。お二人が口をそろえて言っているように、いわゆる老人病院のベットの上で、体中に管を通され、経菅栄養でかろうじて生きながらえているような、そんな最期は私も嫌だなと思います。しかし、自分ではどうにもならないこともありますので、成り行きでそうなるかもしれません。その場合、どうやって自分の死を受け入れればいいんだろうと思ったりします。

理想はやはり、孤独死です。いつもの朝がきていつもの夜がくるいつもの日常のなかで、誰にも知られずにひっそりと、そして苦しまずに死ねたらいいなと思います。『生死問答』でも言ってましたが、野生の動物が死期が近づくと群れから離れて姿を消す習性は、人間のなかにもあるような気がします。むしろ家族に看取られて死ぬのは、この世に未練を残すことになるので、苦しいのではないでしょうか。

死は永遠の別れではありません。いっときの別れにすぎないのです。愛しい人とはきっといつか再び巡り会うことができるはずです。それを仏教では「倶会一処」というのですが、(前も同じことを書きましたが)これからも何度も何度もこの言葉を胸の内でくり返しながら、やがて自分の順番がくるのを待つことになるのでしょう。それが人生なのです。
2011.04.22 Fri l 訃報 l top ▲
ソフトバンクの孫正義社長が、太陽電池など環境エネルギーの普及を促進するための「自然エネルギー財団」、つまり、「脱原発」財団を設立するというニュースがありました。また、信金大手の城南信用金庫もホームページで、「原発に頼らない安心できる社会へ」と題したメッセージを掲載して、「脱原発」を表明したとして話題になりました。

原発の広告塔をつとめていた勝間和代氏も、つぎのような”転向宣言”をして、やはり話題になっています。

今回の福島第一原子力発電所の事故に関し、電力会社(中部電力)のCMに出演したものとして、また、電気事業連合会後援のラジオ番組に出演していたものとして、宣伝責任ある人間として、まずはみなさまの原子力に対する重大な不安への理解、および配慮が足らなかったことについて、そして、電力会社及び政府のエネルギー政策上のコンプライアンス課題を正しく認識できていなかったことについて、心からお詫びを申し上げます。
REAL-JAPAN・原発事故に関する宣伝責任へのお詫びと、東京電力及び国への公開提案の開示


機を見るに敏とか、いろんな意見もありますが、しかし、こうやって徐々に「脱原発」の流れが出てきているのは間違いないでしょう。ただその一方で、朝日新聞の世論調査では、原発容認派(増設・現状維持)がまだ56%もいるという意外な調査結果も出ています。国策として推進した原発の利権は巨大なので、このまますんなりと「脱原発」に向かうとはとても思えません。

おそらく「脱原発」は、電力の自由化(完全自由化)と軌を一にして、大きな課題となっていくのではないでしょうか。賠償問題でも、「電力の安定供給」という大義名分のもと、税金の投入と電気料金の値上げ(つまり、国民負担)は必至だといわれていますが、今のような地域独占がつづく限り、東電を潰すことはできないのです。そのために、「役人以上に役人的」なアンタッチャブルな会社ができてしまったのです。それが今回の事故の遠因になっているのは間違いありません。「電気が使えるのは誰のお陰か。東電の批判をするなら電気を使うな」という東電の元社員(?)のブログが炎上したそうですが、こういう感覚は案外多くの社員たちに共通のものかもしれません。それどころか、「現場はがんばっている」という美談も、東電のマスコミ工作によるものかもしれないのです。

原発をどうするかという問題が、今のような電気に依存した社会をどうするかという問題に行き着くのは当然ですね。単に代替エネルギーをどうするか、そのコストはどうなるか、などというレベルの問題ではないと思います。東電に勧められてオール電化にした家庭が、今回の計画停電でにっちもさっちもいかなくなったという話は、電気に頼った社会の脆弱性を象徴しているように思います。エコにしても、エコバックをもって買いだめに走る主婦たちの姿に示されたように、ただのお遊び(ファッション)だったことがはっきりしました。もう一度すべてをチャラにして、根本から考え直す必要があるのではないでしょうか。

一方、事故からひと月経って、ようやく原子力安全・保安院と東電が1~3号機の原子炉内の燃料棒が一部溶融していることを認めましたが、この重大なニュースに対してもマスコミの扱いはきわめて小さいものでした。福島第一原発の報道をみると、事態の収束に向けた「工程表」が発表されたこともあり、あたかも事態は収束に向かっているかのような印象さえあります。しかし、依然として放射性物質がタダ漏れして飛散していることは事実なのですから、放射能汚染はむしろ深刻化していると考えるべきでしょう。まだなんにも終わってないのです。
2011.04.20 Wed l 震災・原発事故 l top ▲

佐野 (略)無理をして被災地を見てきたのは、震災についてあれこれ話す有識者たちの空虚な言説が腹立たしくてならなかったからです。
 石原慎太郎は論外として、『朝まで生テレビ!』(3月26日放送)に出ていたホリエモン(堀江貴文元ライブドア社長)や批評家の東浩紀といった連中です。震災情報や人命救助にツイッターが有効だったなんて、彼らは被災地の実情も知らないのに、よく言えたもんだと思いました。現地は携帯電話の基地局がほとんど倒れて、何も通じない。あの連中の言っていることはもっともらしい分、始末に負えない。今回の大災害はこうした連中の思考の薄っぺらさも暴露した。
(『週刊現代』4/23号・「見えてきたこの国の正体」佐野眞一VS原武史)


これは、『週刊現代』(4/23号)での『東電OL殺人事件』の著者の佐野眞一氏と『滝山コミューン一九七四』の著者・原武史氏の対談における佐野氏の発言です。

「福島原発の事故ではまだひとりも死んでいない」「原発は交通事故や飛行機事故よりリスクは小さい」なんてブログに大真面目に書いていた人気ブロガーの経済学者もいましたが、そんなバカバカしい言説がまかり通るのがネットなのです。

政府や東電の大本営発表をただ垂れ流すだけの新聞やテレビのテイタラクを見るにつけ、その存在価値さえ疑いたくなるほどですが、だからといって、ネットが新聞やテレビよりマシかといえば、ネットもまた五十歩百歩なのです。

このように今回の震災によって、今までこの国に流通していた言説の多くがバケの皮をはがされ、まったく機能しなくなっている現実があります。

一方で、寄らば大樹の陰で原発の広告塔になった文化人や芸能人たちの大罪は、いまさら言うまでもないでしょう。やはり、私は、そのことにもこだわりたい気持があります。

 朝のTBSワイドショー「はなまるマーケット」でおなじみの薬丸裕英・岡江久美子コンビも、原発PR推進組(中部電力)に出たことも知らんぷりでテレビに出ずっぱり。北村晴夫弁護士、勝間和代らもそうだ。調べればB・C級戦犯は他にもいっぱいいるはずだ。こうした連中は、この原発危機の中で反省も自粛もなし。視聴者はシラケるばかり。
岡留安則の東京ー沖縄ーアジア・幻視行日記


元『噂の真相』編集長の岡留安則氏はそう書いていましたが、中でも代表格は北野たけしでしょう。

 原子力発電を批判するような人たちは、すぐに『もし地震が起きて原子炉が壊れたらどうなるんだ』とか言うじやないですか。ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、他の施設以上に気を使っているはず。
だから、地震が起きたら、本当はここへ逃げるのが一番安全だったりする(笑)。でも、新しい技術に対しては『危険だ』と叫ぶ、オオカミ少年のほうがマスコミ的にはウケがいい。


これは、『新潮45』(2010年6月号)で、原子力委員会委員長の近藤駿介(東京大名誉教授)と対談した際のたけしの発言だそうです。これが「天才たけし」の実像なのでしょう。そして、こんなたけしの薫陶を受けたのか、実兄の北野大(明治大学教授)や弟子の浅草キッドも、原発の広告塔をつとめていたのでした。今回の震災と原発事故によって、このように原発マネーに群がった文化人や芸能人たちの卑しい品性がさらけ出されたのも事実でしょう。

「がんばれ!ニッポン」キャンペーンなどによって、国家がせり出してきているのはたしかですが、しかし、その国家が信用にたる対象であるかどうかということは別問題です。少なくとも、多くの国民が直面している現実は、東浩紀のように、そのせり出してきた国家を手ばなしで礼讃するほど単純なものではありません。特に原発に関しては、「国の言うことが信用できないので、自分たちのことは自分たちで守るしかない」という感覚は、圧倒的に正しいのだと思います。

マッチ擦るつかの間の海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)

いまさらながらにこの歌が思い出されてなりません。
2011.04.18 Mon l 震災・原発事故 l top ▲
朝、横須賀線に乗っているとき、ふと思いついて東戸塚で下車して、隣の保土ヶ谷まで歩きました。最近、運動不足気味なので、このように突然、歩かなければという強迫観念のようなものにおそわれるのです。

残念ながら写真を撮りませんでしたので、証拠(!?)はないのですが、東口の駅前の道路を左に向かって坂道をのぼっていきました。まだ通勤時間帯でしたので、坂の上からは駅に向かう人たちが五月雨式に下ってきます。でも、そんな人の流れに逆らって坂をのぼっていく(やや若づくりの)おっさんに、目にとめる人間なんて誰もいません。みんな、気味が悪いくらい無表情なのでした。

マンションが立ち並ぶ通りをぬけると、境木地蔵尊という小さな祠が石段の上にありました。地蔵尊というからには、昔はこのあたりに墓所でもあったのかもしれません。そういえば、地蔵尊があるあたりはちょうど山の頂になっていて、あの世との境界としてはうってつけの場所のような気がします。

地蔵尊の前から道は急に細くなりました。それで、不安になり、犬の散歩をしていた女性に、「権田坂はどっちの方向ですか?」と尋ねました。

「権田坂の何丁目に行くのですか?」
「いえ、権田坂から国道1号線に出たいのです」
「ああ、だったら、この道をそのまま下って行けば1号線に出ますよ」

というわけで、片側に人がひとり通れるくらいの歩道が付いているだけの細い道路を下りはじめました。おそらく昔は険しい山道だったのでしょう。少し下ると、小学校の前にややひなびた感じの商店街があるのに気づきました。坂道の脇にまっすぐに伸びた路地の両側に個人商店が点々と並んでいて、地形でいえば山の中腹にあたるため、路地の先から風景が大きくひらけているのでした。山を削って宅地開発され、今に至るまでの”記憶の積層”がつまっているような商店街でした。横浜は都内ほど鉄道網が発達してないため、駅から遠い住宅街も多く、そういったところにこのような古い商店街がぽつんと残っているのです。

余談ですが、こうして横浜に暮らすほど、(決して貶めているつもりはありませんが)横浜というのは”地方都市”だなとしみじみ思います。街も人も”偉大なる田舎”なのです。だから、相鉄線沿線で出会った横浜生まれの生粋の「ハマッ子」の老人は、私が住んでいる東横線沿線の街を「東京」と言ったりするのです。彼らの感覚では、東横線や田園都市線は「東京」なのでしょう。一方で、「横浜は東京と同じ都会だ」と勘違いして、横浜から外に出ない若い「ハマッ子」をみると、なぜかすごく反感をおぼえて、おちょくりたくなるのです。そもそも横浜独自の文化なんてもうどこにも残ってない現在、「ハマッ子」という言葉自体も既に死語だと言えます。むしろ、”偉大なる田舎”ならそれはそれでいいじゃないかと思います。そういうところから新しい「横浜らしさ」が生まれるかもしれないのです。

「東京と横浜は同じだから、わざわざ東京まで行く必要もない」なんていうベタな地元志向は所詮、井の中の蛙だなと思います。東京はまったく別格で、横浜と比べようもありません。好きか嫌いかは別にして、東京というオバケのような大都会がもつあのハチャメチャな活力と魅力を素直に受けとめる感受性があるかどうかは、今の時代を生きる上で、「決定的」と言ってもいいくらい大事なことのように思います。いわゆる「郊外論」などもそうですが、東京というのは、それくらい(自分の人生を揺り動かすくらい)大きな存在なのです。

角に家電のコジマが建っている「権田坂上」の交差点で国道1号線に出ると、あとは保土ヶ谷駅まで一本道です。普段、横須賀線の車窓から眺めている見覚えのある風景が沿道につづきました。

保土ヶ谷駅に着いて、万歩計をみたら、7千歩ちょっとでした。時間にしてちょうど1時間でした。少し物足りない気がして、このまま横浜駅まで歩きたい心境でしたが、時間がなかったので、保土ヶ谷から再び横須賀線に乗りました。

>>保土ヶ谷から歩いた
2011.04.15 Fri l 横浜 l top ▲
ある日突然、家族を失い、友人を失い、住む家を失い、仕事を失い、なにもかも失った被災者たちの悲嘆と絶望は、私たちが想像する以上のものがあるでしょう。私の伯母も阪神大震災で被災して、翌年、仮設住宅で亡くなったのですが、特に家族のいない高齢者や経済的にハンディを背負った人たちの「生活再建」はきびしいものがあるはずです。

震災からひと月が経ち、案の定、ワイドショーやニュース番組のキャスターたちの物見遊山がはじまっていますが、必ずしも彼らが口にするような「復興への歩みがはじまっている」「前を見て歩きはじめている」状況ばかりでないことは言うまでもないでしょう。

仮設住宅も2年間の期限付きだそうで、その2年の間に生活を再建しなければならない(仕事を見つけて住む家も見つけなければならない)のです。それがどんなにきびしいものであるかというのは、自分に引き付けて考えればわかるはずです。

前に、当面の生活費を引き出すために、再開した郵便局のATMに並んでいる被災者の姿がテレビに映っていましたが、私はそれをみながら、じゃあ、引き出すお金のない人はどうするんだろうと思いました。

阪神大震災のときにも感じたのですが、「復興」や「生活再建」には、鄧小平の先富論と同じような「できる人から先にはじめる」という考えがあるように思います。もとよりそれが役所の発想なのですね。しかし、そういった発想の先には、落ちこぼれていく人たち、もっときつい言い方をすれば、置き去りにされる人たち(切り棄てられる人たち)が出てくるのは当然ではないでしょうか。さすがに誰も「自己責任」なんて言葉は使いませんが、でも、そこにもやはりどこかに、「自助努力」という名の「自己責任」論が存在しているように思えてならないのです。

福島第一原発の問題も同様ですが、マスコミが流布する根拠なき楽観論(のようなもの)や感動秘話などによって隠蔽される、”もうひとつの現実”があることを忘れてはならないでしょう。

行政も世間も個人には冷たいものです。募金の盛り上がりや「かんばろう!ニッポン」キャンペーンがあっても、その現実には変わりがありません。しかし、わざとらしくブランドのスーツからパーカーに着替えて物見遊山するキャスターのなかで、そういった”災害弱者”の声を拾い上げる人間なんて誰ひとりいないのです。
2011.04.12 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
今日、ビデオニュース・ドットコムをみていたら、ギョッとするニュースがアップされていました。

昨日(8日)、福島第一原発1号炉の格納容器内の放射線量が100シーベルト(!)に急上昇し、同時に温度と圧力も上昇していることから、「再臨界」が起きた可能性が高いというのです。原子力安全・保安院は、計器のトラブルによる間違いだとか言ってるようですが、しかし、番組に電話出演していた京大の小出裕章助教授(京大原子炉実験所)は、1号炉の原子炉内で既に核分裂生成物であるクロル38が発見されていることから、「再臨界」が起きている可能性は否定できないと言ってました。

そういえば、今日、横田基地で、アメリカから緊急来日した海兵隊の専門部隊・CBIRF(シーバーフ)と自衛隊による、原発事故を想定した共同訓練が行われたというニュースもありましたが、それも今の切迫した状況を受けてのものかもしれません。

ただ、小出助教授によれば、再臨界自体はそう怖いものではなく、いちばん怖いのは水蒸気爆発だそうです。水蒸気爆発によって原子炉内の高濃度の放射性物質が大気中に放出されるからです。それは今までとは桁違いの量になるのだとか。

万一、水蒸気爆発が起きた場合、風下の200~300キロのエリアまで放射性物質が飛散するので、(半日くらいの時間的な猶予はあるようですが)250キロ離れた東京も避難の対象になるそうです。しかし、周辺を含めて2千万人近くの人間がこぞって避難するなんて現実には無理な話で、想像を絶するようなパニックになるのは間違いないでしょう。

それにしても、気の滅入る話です。仮にそうなった場合、どうすればいいのかと考えても、正直、どうしていいのかわかりません。田舎に帰っても、不義理をして評判がよくないので、迷惑がられるだけでしょう。かといって、快く居候させてくれるような友達もいないし、つらつら考えるに、行くあてがないのです。結局、放射能を浴びながらここにとどまるしかなさそうです。コメンテーターの神保哲生氏と宮台真司氏は、事態は「一進一退」どころか、最悪のシナリオに沿って進んでいるようにしか思えないと言ってましたが、この悲観論が悲観論のままで終わることをただただ願うばかりです。
2011.04.09 Sat l 震災・原発事故 l top ▲
今日、某プロ野球球団のナインが宮城県内の避難所を慰問、被災者を激励した、というニュースがありましたが、私は、原発の広告塔をつとめていたその球団の監督は、まず福島第一原発の事故で避難生活を余儀なくされている住民たちを訪問して、謝罪する方が先ではないか、と思いました。原発の広告塔をつとめていた芸能人や有名人たちは、このようにドサクサに紛れて口をぬぐい、いまさらながらに「いい人」ぶっているのです。「がんばろう!ニッポン」キャンペーンにはそういった詐術も含まれているのだということを忘れてはならないでしょう。

考えれてみれば、日本のメジャーなミュージシャンで、明確に「原発NO!」を表明したのは、故・忌野清志郎やブルーハーツや佐野元春や最近では斉藤和義くらいでした。忌野清志郎は、そのために所属するレコード会社の親会社の東芝から圧力がかかり、「サマータイムブルース」が収録されたアルバムは販売中止に追い込まれたのでした。

海外のアーチストの真似をして、環境保護活動を支援するミュージシャンもいますが、彼らの多くは環境保護=クリーンエネルギー=原発賛美の思考に「洗脳」されていました。そうやって大スポンサーの巨額な広告宣伝費に拝跪していたのです。原発の地元対策で、福島にJビレッジを作ってもらった日本サッカー協会と同じですね。要するに、みんな原発マネーに魂を売った「ジキルとハイド」なのです。それに比べれば、エコバッグをもって買いだめに走った主婦なんてまだかわいいものだといえます。

ことさら意地悪く見るわけではないですが、原発問題をもう一度考える上で、そういった無定見な事大主義(=寄らば大樹の陰の罪)をきちっと総括することも必要ではないでしょうか。
2011.04.08 Fri l 震災・原発事故 l top ▲
新横浜3448

うららかな春の陽気に誘われて(ついでに放射能を浴びながら)、太尾緑道から新横浜にかけて鶴見川沿いを散歩しました。

桜は7~8分咲きくらいでした。おそらく今週末が見頃ではないでしょうか。新横浜の川沿いの遊歩道では、やはり春の陽気に誘われた人たちが、三々五々桜並木の下を歩いたりベンチで休憩したりしていました。最近はやたら苛立つことが多いのですが、今日はしばし浮世の憂さを忘れ、ゆったりした気分で午後の時間をすごすことができました。

遊歩道を歩いていると、私が通っている病院を川向うに見ることができます。こうして遠くから眺めると、病院の中のあわただしさがウソのようです。そして、その先には横浜マリノスの本拠地の日産スタジアムがあります。周辺は運動公園になっていて、さまざまな運動場やスポーツ施設などがあり、贅沢な空間が広がっています。ここもまた横浜の郊外なのです。ただ、川があるおかげで、郊外特有の規格化された風景から逃れているのでした。

昔、新横浜に取引先の会社があって、一度だけ来たことがありました。駅を出て高架橋を渡り、ラブホテルが林立する一帯をぬけるとめざす会社のビルがありましたが、今日はさっぱりわかりませんでした。あのときは道に迷うことなくスムーズに行けたのですが、いまひとつ記憶がはっきりしないのです。

あたりに店舗はほとんどなくて、ただ無機質なビルが建っているだけの少し場末感が漂うようなエリアなのですが、よく見ると意外とマンションも多いのです。買物などは不便でしょうが(とはいっても、新横浜駅まで歩いて10分もかかりませんが)、こういうところに住むのもいいかもと思いました。ちょっとさみしい雰囲気が魅力ですね。どうせひとりならさみしい方がいいのです。

吉行淳之介さんのエッセイ「街角の煙草屋までの旅」ではないですが、夕暮れせまる郊外の街を歩きながら、これもまたひとつの旅かもしれないと思いました。

新横浜3446

新横浜3457

新横浜3469
2011.04.06 Wed l 横浜 l top ▲
福島第一原発の事故での海洋汚染に関連して、魚介物に対する風評被害も深刻化しているようです。これに対して、テレビのワイドショーのコメンテーターなどが「風評に惑わされずに魚を食べましょう」なんて言ってましたが、一連の経緯をみるにつけ、(漁業関係者にはお気の毒ですが)「食べろ」と言う方が無理があるように思います。

この問題について、ブロック紙の中國新聞が「福島第1原発の水放出 座視できない海の汚染」と題して、示唆に富んだ社説を書いていました。この社説が言うように、汚染水の放出という「禁し手」にまで追い込まれたのは、それだけ「事態の深刻さを物語」っているのでしょう。

 汚染水を海に放流すれば漁業への影響は極めて重大だ。(略)

 海の放射能汚染の広がりや食物連鎖による濃縮の実態は、十分に分かっていない。海水や魚介、プランクトンについて広域的な監視態勢を整えるべきだろう。

 フランスの放射線防護原子力安全研究所(IRSN)が公表した海洋汚染の予測によれば、必ずしも四方に拡散せず、沿岸から黒潮に沿うように移動するという。こうしたデータさえ日本政府が発表しないのは不可解極まりない。
(中國新聞 2011年4月6日付社説)


政府や原子力安全・保安院は、汚染水は海に入れば拡散され希釈されるから、「ただちに人体に影響を及ぼすものではない」、と相変わらず三百代言のようなセリフをくり返していますが、だったらどうして韓国やロシアなど周辺の国があんなに神経を尖らせるのか、その理由を聞きたいですね。

大気中の放射性物質の拡散予測も、国内向けには一度公表したきりその後の公表を拒んでいたため、専門家から批判の声があがっていましたが、昨日、やっと気象庁が重い腰をあげました。ところが、IAEA(国際原子力機関)に公表しているデータであるにもかかわらず、「必ずしも実態を表したものではない」なんて言うので、よけい不信感を招いてしまうのです。

専門家によれば、セシウム137(半減期30年)などの放射性物質は、スギ花粉の10分の1しかないとても小さい粒子なので、空中に吹き上げられ風に乗れば1000キロでも1500キロでも優に飛散するそうです。「そもそも人体に影響のない放射性物質なんてない」のですから、東京の住人も既に被爆していると考える方が自然でしょう。問題は被爆量で、これからどれだけ放射性物質の飛散がつづくかですね。そう考えれば、100キロとか200キロとかいった外国の駐日大使館による退避勧告も、決して「過剰反応」だとは言えないように思います。

首都圏の乳幼児を抱えた母親や出産をひかえた妊婦などが、関西など西の方に避難する気持もわからないでもありません。子どもの健康を考えれば、そうやって自衛するしかないのです。

ただ、その一方で(矛盾するようですが)、作家がいそしそと避難することに対しては、どうしても違和感を覚えざるをえません。ブログによれば、今は鎌倉に戻っているみたいですが、柳美里も一時大阪の知人宅に避難していたそうです。また、東浩紀も「日本人はいま、めずらしく、日本人であることを誇りに感じ始めている。自分たちの国家と政府を支えたいと感じている」なんて言いながら、自分はちゃっかり一家で伊豆に避難していたようで、ネットで散々叩かれていました。

柳美里は「子どもを危険に晒すわけにはいかない」と言ってましたが、(きつい言い方をすれば)作家には守るべきものなんてないはずです。むしろ、「この世の地獄」のような残酷な現実に身をおくことで、初めて人間存在の真実を掘りあてることもできるわけで、だから彼女も、小説のモデルとされる女性からプライバシーの侵害と名誉棄損で訴えられたのではないでしょうか。作家にはそういうリスクを負ってでも表現しなければならないものがあるはずです。あえて言えば、家族をさし措いてでも、放射能を浴びてでも、書かなければならないものがあるはずです。太宰治だって坂口安吾だって三島由紀夫だって中上健次だって、みんなそうやって「この世の地獄」をみてきたのです。要はその覚悟があるかどうかでしょう。
2011.04.06 Wed l 震災・原発事故 l top ▲
もちろん、同じ人物ではありませんが、かつて「原発はエコでクリーンなエネルギー」なんて原発推進の旗振り役を担っていた芸能人たちが、今度は一転して「電灯はこまめに消そう」とか「それ、ほんとうに必要ですか?」とか「無駄な通話やメールはひかえよう」などと、まるで戦争中の「欲しがりません勝つまでは」式の節電キャンペーンの旗をふっているのを見るにつけ、なんだか釈然としない気持になるのは私だけでしょうか。

しかも、この広告を流しているACジャパン(旧公共広告機構)の理事には、東電や福島原発を製造した東芝の役員が名を連ねているそうで、見方によっては厚顔無恥で無責任な広告と言えなくもないのです。あえて名前を出すのはひかえますが、原発の広告塔になっていた多くの芸能人やスポーツ選手、そして、作家や学者など文化人たちの「戦争責任」は、またしてもウヤムヤにされるのでしょうか。少なくとも、彼らの「弁明」を聞きたい気持はあります。

もっとも、売上高5兆162億円・総資産13兆2039億円(いづれも連結)という電力会社世界第4位の東電マネーに群がったのは、こういった”電波芸者”ばかりではありません。震災当日、東電の勝俣恒久会長は、週刊誌や月刊誌の元編集者たちと中国旅行の最中だったことが暴露されましたが、これは月刊誌「自由」の元発行人・石原萌記氏が音頭をとった東電の実質的な招待旅行で、週刊新潮や週刊現代の元編集長や、週刊文春の元編集長で月刊『WiLL』編集長・花田紀凱氏らが参加していたそうです。

震災以後、東電批判をくり広げていたジャーナリストの上杉隆氏が、突然、本年いっぱいで活動を停止する発表をして、いろんな憶測をよんでいますが、その中に東電の”裏組織”が関与しているのではないかという「仰天説」さえあったそうです。中には、「TCIA」なる”諜報機関”の存在を指摘する人もいるくらいです。計画停電にしても、政府やマスコミは東電の言うままに無批判に受け入れ、大混乱を招きましたが、あれも「原発がなければ困るのはお前たちなんだぞ」という東電の”脅し”だという見方さえありました。

フランスの有力紙『ル・モンド』は、東電について、経産省などの「原子力ロビーに支えられ、”奢り高ぶった”企業の体質が、原発内の事象や技術報告の隠蔽を生み出した温床ではないか」と批判していたそうですが、今回の事故でも、原子力安全・保安院など国の機関が、東電からの情報にすべておんぶにだっこしている異常な現状が露呈されました。このように、東電を国家権力も立ち入れないアンタッチャブルな存在にしてしまった政治家や官僚の責任は大きいと言わねばならないでしょう。

汚染水を海に放出する発表の席で、東電の担当者が涙を流していましたが、だったらその前に東電は、往生際の悪いマスコミ工作・世論工作をやめて、全面的に情報公開し謝罪すべきでしょう。最低限そういう姿勢をみせるべきだと言いたいです。
2011.04.05 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
昨日、Yahooニュースに次のような記事が出ていました。

「震災孤児」数百人か…厚労省、実態把握急ぐ」

 東日本巨大地震で親を失った児童生徒は、1995年の阪神大震災の68人を大きく上回る見通しとなっている。

 厚生労働省などによると、阪神大震災が早朝に発生したのに対し、平日の日中に発生した今回の地震では多くの児童生徒が下校前で、学校ぐるみで避難して助かった事例が多く、「震災孤児」は数百人単位にのぼるとみられる。

 ただ、震災後も混乱の続く被災地の自治体からの聞き取りは難航しており、厚労省は、被災地以外の自治体から専門職員を募って現地に派遣し、実態把握を急いでいる。

 阪神大震災では、親を失った児童生徒の大半が親類や知人に引き取られた。
(読売新聞 3月31日3時7分配信)


胸が押しつぶされるようなニュースですね。こんなニュースを前にすると、ただ無力感を覚えるばかりで、返す言葉も見つかりません。

今朝、駅をおりると、駅前通りに大きな看板をかかげた選挙事務所ができていて、商店街の店主のような人たちが大勢集まっていました。今日は統一地方選(前半)の告示日なので、出陣式でも行われるのでしょうか。私はその光景を横目で見ながら、なんだか唾棄したくなるくらいの嫌悪感を覚えてなりませんでした。

今回の大震災で大きな価値転換が行われるのは、間違いないでしょう。しかし、この手の”古い政治”が変わるかといえば、きわめて悲観的です。しかも、こういう政治を支えているのは、商店街のおっさんやおばさんたちだけではなく、「現代思想」をけん引していた(と言われていた)若い知識人たちも同様です。大震災に対して、状況を剔抉する言葉をもたず、ただ「がんばれ!ニッポン」キャンペーンに随伴するしか能のない彼らを見ていると、痛ましささえ覚えてなりません。その行き着く先がお定まりの回帰主義なのは理の当然ですが、それは大震災を利用して、みずからの政治的延命のために「大連立」を目論む権力亡者たちと大差ないように思います。

政治家たちは、どう見ても、数万の犠牲者・数十万の被災者の存在を正面から受けとめようとしているようには思えません。もう既に彼らの頭の中は別の政治的思惑がうごめいているようです。震災があったら作業服姿になり、月が明けたら背広に変わった、あの閣僚たちのパフォーマンスがすべてを物語っているように思います。

今回の震災で(特に原発事故で)、知識人のあり様も含めて、なにがホンモノでなにがニセモノかがはっきりしてきたことだけはたしかな気がします。

2011.04.01 Fri l 震災・原発事故 l top ▲