原発社会からの離脱

用事があって関内に行ったのですが、思ったよりはやく終わったので、大桟橋に行って客船ターミナルの待合室で本を読みました。今日は「真夏日」とかでうだるような暑さでしたが、「くじらのせなか」にのぼると心地よい海風が吹いていました。

今日読んだのは、宮台真司氏と飯田哲也氏の対談『原発社会からの離脱ー自然エネルギーと共同体自治に向けて』(講談社現代新書)です。飯田哲也氏は、事故から3ヶ月経過した現在の状況について、「あとがき」でつぎのように書いていました。

 経産省と財務省と三井住友銀行が絵を描いたとされる福島第一原発震災の損害賠償スキーム(枠組み)。東電本体や株主、金融機関など責任を取るべき人が取らず、東電をゾンビのように一〇〇年活かし続けて今の電力会社の独占を続ける一方で、まるで責任がないはずの電気料金を通じて国民負担を強いる「トンデモスキーム」が、堂々と出てくる。国民の七割が支持をした菅首相の浜岡原発停止要請に対して、他の原発を止めさせない「脅し」にも似た、メディアを利用した「電気が足りないキャンペーン」。
 一時期、思考麻痺を起こしていた原子力ムラや原子力官僚、電事連、経団連などの国の「旧いシステム」だったが、このように性懲りもなく、もう揺り戻しを始めている。ことほどさように、彼らは今回の原発震災で何も変わっていないのだ。


私もこのブログで同じことを書きましたが、これは多くの人たちに共通した認識でしょう。どうしてヨーロッパのように「脱原発」の方向に進まないのでしょうか。飯田氏によれば、自然エネルギーの普及に関しては、日本はヨーロッパに30年遅れているそうです。それどころか、未だに原子力はコストが安く、自然エネルギーにシフトすれば電気料金がはねあがり、日本の産業が立ちゆかなくなるという話がまことしやかに流通しているのが現実です(そのくせ電気料金は海外の2~3倍で、「世界一高い」と言われています)。それは二人が指摘するように、今の体制を守りたい経産省や電力会社がそう言っている(そういう仕組みをつくっている)からにほかなりません。

福島第一原発の事故が発生した当初、チェルノブイリとの比較がとりだたされました。その中に、チェリノブイリはそもそも格納容器がない旧式の原発なので、格納容器がある福島第一原発は、チェルノブイリのように放射性物質が大量に大気中に放出されることはないという話がありました。「第二のチェルノブイリ」なんていう言い方はいたずらに不安を煽るだけだ、と原子力ムラの御用学者や有名ブロガーなどが言ってましたが、3ヶ月経って、それらがすべてウソ(安全デマ)だったことが判明しました。

福島の場合、2号機と3号機に関しては、格納容器の底がぬけて核燃料が原子炉を貫通し地上に露出している、いわゆるメルトスルーがおきていることを既に東電も認めています。しかも、チェルノブイリは1機だけのメルトダウンでしたが、福島は3機のメルトダウンです。さらに、チェルノブイリは5日で収束しましたが、福島は3ヶ月以上経っても収束の見通しすらたってなく、今もまだ放射性物質がタダ漏れの状態にあります。

にもかかわらず、この悠長な対応と緊張感のない反応はなんなのでしょうか。宮台真司氏は、その背景にあるのは、行政官僚制や市場やマスコミや政府発表に対する盲目的な依存に集約される「悪い共同体」の「悪い心の習慣」だと言ってました。そして、「依存と統制」から「自治と参加」の政治に変わることによって、エネルギー政策も変えることができる(あるいは、エネルギー政策を変えることによって自治を再生できる)のだと言うのです。

自然エネルギーは、小規模で地域分散型なので、宮台氏の言う「共同体自治」とは親和性が高いのはたしかでしょう。もちろん、それは同時に、これからの社会のあり方を問い直す契機にもなるはずです。ただ、そこには日本人のメンタリティの根幹に関わる問題も伏在しているため、ことはそう簡単ではなさそうです。

たとえば、宮台氏は、「食に関する共同体自治であったはずのスローフード運動が、日本ではなぜかボディケアとか瞑想的な個人のライフスタイルの話になり、社会のあり方、つまり、ソーシャルスタイルを変えるという流れには繋が」らなかったと言ってましたが、そのとおりですね。「日本では残念ながらスローフードもウォールマート的なロハスになったし、メディアリテラシーも『これからはパソコンができないといけない』というインターネット能力の問題になってしまう」のです。今や猫も杓子もの感のある”省エネ”や”節電”にしても然りです。このままでは、「税金を払っているんだからしっかりやってくれ」「はい、わかりました。これからは万全な安全対策をとります」式で終わってしまう可能性も大なのです。

一方で、今後原発の新規着工が難しいのも事実で、エネルギー政策の転換は必至なのです。それを考えれば、ここに至ってもなお「旧いシステム」を守ろうとする経産省や電力会社の姿勢は、悪あがきだとしか思えませんが、そのツケもまた国民にまわされるのです。ヨーロッパどころか、タイや台湾やマレーシアやフィリピンやイントネシアなどアジアの国々も、既に「固定買取制」を導入していて日本の先を行ってるそうです。多くの人が指摘するように、原子力が過渡期のエネルギーで、既にその役割を終えていることはたしかでしょう。どっちにしても「脱原発」に舵を切らなければならないのです。それにしては、今のこの状況はあまりにも現実離れしていると言わねばなりません。これじゃ世界の趨勢から遅れるのは当然ではないでしょうか。

現実の政治がまったく期待できない今、この本の「これからの政治」を語る口調がどこか抽象的で、もどかしさを覚えてならないのも、やはり、この問題の難しさを物語っているような気がしました。自明性のなかに埋没した「変わらない日常」をひたすら保守する(保守したい)という「悪い心の習慣」は、想像以上に根が深いのではないか。私は、この本を読んであらためてそう思いました。

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「くじらのせなか」から・1

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「くじらのせなか」から・2
2011.06.24 Fri l 震災・原発事故 l top ▲
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今朝、北鎌倉駅で途中下車して東慶寺にお参りしました。午前のまだ早い時間でしたが、既に北鎌倉駅周辺は大勢の人たちで賑わっていました。やはりここでも「ちい散歩」ごっこの中高年の男女が目立ちます。横須賀線の下り電車が着くたびに、これでもかといわんばかりのリュックを背負ったおっさんやおばさんたちがホームにはき出される、いや、降り立つのでした。

北鎌倉駅は小津映画の頃とほとんど変わらないローカルな雰囲気のただよう小さな駅で、改札口も狭いのですが、そこに我先に中高年のおっさんやおばさんが殺到するので、ちょっとした混乱が生じるのでした。そのため、電車が着くたびに、駅員が「あぶないですから、押さないで一列に並んでください!」と叫んでいました。

東慶寺は、北条貞時が開祖した臨済宗円覚寺派の禅寺です。ちなみに、北鎌倉周辺のお寺は、臨済宗円覚寺派か臨済宗建長寺派のお寺が多く、下賤な言い方をすれば、北鎌倉は臨済宗の縄張りで、円覚寺と建長寺が”シマ”を分け合っている感じです。仏教をメッカと呼ぶのは変ですが、北鎌倉はいわば禅寺のメッカでもあるのです。

東慶寺は、もともと尼寺で駆け込み寺(縁切り寺)として有名ですが、本堂や境内は、やはり円覚寺や建長寺に比べると小ぶりです。ただ、境内の奥にある墓地には、西田幾太郎、鈴木大拙、高見順、谷川徹三、小林秀雄、田村俊子、野上弥一郎・弥生子、岩波茂雄、和辻哲郎、安倍能成、堀田善衛など、錚々たる作家や哲学者のお墓があるそうです。

境内では中高年の男女に混じって、ひとりでやってきたとおぼしき若い女性がぽつんぽつんと歩いていました。そんな女性をみると「いいなぁ」と思いますね。ひとりで北鎌倉に来るなんてなんて素敵なんだろうと思います。私は当時つきあっていた彼女とミーハー気分で来たことはありますが、ひとりで北鎌倉を訪れるなんて発想はまったくありませんでした。私も若い頃、ひとりで北鎌倉のお寺を訪れるような気持があったら、もう少し違った目でこの人生をみることができたかもしれないなんて思ったりしました。私たちは、煩悩にまみれ悪行を重ねながら生きているのです。それは生きている限り逃れられない業ですが、そうやって自分と向き合うことができるかどうかというのは、同じ人生でも大きな違いがあるのではないでしょうか。「念仏申さんと思ひたつ心」というのは、そういうことなのでしょう。

一日に一寺訪れて、鎌倉で百寺巡礼することが私のひそかな目標なのですが、それもやはりこの人生に対する後悔の念からきているように思います。石原吉郎も晩年よく北鎌倉を訪れたそうですが、極北の地で絶望の際をさまよいながら、生と死の原初の闇をみつめてきた詩人の目に、境内の奥にあるこの静謐な風景はどう映っていたんだろうと思いました。

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2011.06.23 Thu l 鎌倉 l top ▲
商売人の禁を犯して、再びなまくさい話を。

仙台出身の俳優・菅原文太氏は、「脱原発の日独伊三国同盟」を”提唱”したそうですが、しかし、脱原発に大きく舵を切ったドイツやイタリアに比べて、肝心な我が国では、相変わらず既得権者の抵抗が大きいようです。

そんな中で唯一の「希望」は、菅総理の退陣が8月末まで延びそうなことです。なぜなら菅総理が8月末までの70日間の会期延長にこだわったのは、再生可能エネルギー特別措置法案、いわゆる「再生可能エネルギー促進法」の成立に意欲をみせているためだと言われているからです。特に「全量固定価格買取制度」は、発送電分離の前提になるものであり、強いては現在の地域独占(10社体制)に風穴を空ける画期的な法案であると言えます。

もちろん既得権益を守ろうとする電力会社や原発関連企業の反発はすさまじく、彼らの意向を受けた自民党や公明党などの野党は、再生可能エネルギー促進法案の成立は、「認められない」と反発しているようです。

そんな野党の姿勢をみるにつけ、やはり先日の内閣不信任案提出の背景には、この法案の存在があったのではないかと勘繰りたくなります。彼らは、「浜岡」を停止するなどエネルギー政策の転換にエスカレートする菅内閣の姿勢に危機感を抱いたのではないでしょうか。前の記事でも書きましたが、菅内閣は心ならずも虎の尾を踏んだと言えるのかもしれません。このように菅退陣をめぐる政治的なかけひきは、いつの間にかエネルギー政策の転換をめぐる”路線闘争”の色彩さえ帯びてきたのです。

「全量固定価格買取制度」が実現すれば、とりわけベンチャービジネスの活性化に大きく寄与するのは間違いないでしょう。化石燃料や原子力に比べて、自然エネルギーの発電は充分ベンチャーが参入する余地があるからです。異業種の中小企業にとっても、大きなビジネスチャンスになるでしょう。先日のエネシフ(エネルギーシフト勉強会)の会合で孫正義氏は、そういった具体的なイメージを提示したのでした。

もちろん、一方で菅内閣は原発再稼働に動いており、菅総理がこの法案の成立を「退陣三条件」のひとつにあげた裏に、バルカン政治家・菅直人のしたたかな政治的計算があるというのは、そのとおりかもしれません。しかし、いづれにしても(たとえ瓢箪から駒であっても)、法案成立のチャンスがめぐってきたことは間違いないのです。私たちは、木を見て森を見ない上杉隆的政局論などにまどわされることなく、いわば清濁併せ飲む気持で、この画期的な法案の成立を見守る必要があるのではないでしょうか。
2011.06.21 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
メタボ

長い間、ダイエットのことを書いていませんでしたが、最近またもとに戻っています。目標体重から3~4キロくらい増えました。

こんなときに登場するのがよく行く病院の受付嬢たちですが、先日、ぽつりと「また増えましたね」と言われました。このタイミングといい、その言い方といい、「あなたたちはダイエットの神なのか」と思いました。

「ありがとう! もっと言って」「汚いことばでボクをいじめて」と言ったら、「変態ですか?」と言われました。

また、そのあと、仕事先でも顔見知りのおっさんから「お腹が出たな」と言われました。思わず「ありがとう!」と言っておっさんの両手を握りました。ありがたいものですね。こんな私でも見捨てずに、励ましのお言葉を与えてくださるのですから。

ところが、にもかかわらず、(サッカーの選手風な言い方をすれば)なぜかモチベーションがあがらないのです。毎日、姿見に映ったトドを縦にしたようなボディをみてため息を吐きながら、なかなか腰をあげようとしないのです。

前も書いたように、ライティングダイエットはたしかに効果があります。しかし、それも二度目となると、やはりモチベーションの問題が生じるのです。それどころか、最近は歩くことさえおっくうで仕方ありません。

昨日も今日も、出かけなければならない用事があって、シャワーを浴び、出かける準備をしたものの、なぜか気が進まず、結局、「明日に延期」してしまいました。こんな状態が2日もつづくと、さすがに自己嫌悪に陥ります。3~4キロ落とすだけなので、今ならまだ間に合うと自分に言い聞かせていますが、それでもモチベーションはあがりません。

一方で、自分でも怖いくらい食欲は旺盛です。年をとれば食が細くなると言いますから、これは最後ッ屁みたいなものかもと思ったりしますが、それにしても食欲をつかさどる中枢神経が壊れたんじゃないかと思うくらい、空腹を覚えてなりません。

よく行く定食屋で、「から揚げ定食を食べたいけど太るからな」と言ったら、店主から「たまにはいいんじゃないの」「食べたいと思うときに食べてた方がいいよ」なんて励まされたので、「じゃあ、清水の舞台から飛び降りたつもりで食べるか」と言って、から揚げ定食を注文しました。そして、「あっ、それからご飯は大盛で」と言ったら、「あんたはわからない人だね」と言われました。
2011.06.16 Thu l 健康・ダイエット l top ▲
今日、テレビのニュースをみていたら、マイクを手にした菅首相が、「菅の顔だけはみたくないという人が国会のなかにはたくさんいるんですよ」「ほんとにみたくないのか」「そんなにみたくないのなら、この法案を早く通した方がいいよ」とハイテンションで演説している場面が出てきて、「菅総理、自虐ネタで続投に意欲」というようなテロップが流れていました。

私はたまたまUstreamで同じ場面(エネルギーシフト勉強会第二部)をみていたのですが、それは、超党派の「エネルギーシフト勉強会」(「再生可能エネルギー促進法成立!緊急集会」)で挨拶したあとの、孫正義ソフトバンク社長とのやりとりの一部なのです。しかし、テレビは集会の主旨である法案のことはいっさい伝えずに、ただ、そのジョークを飛ばした部分だけを切りとり、「政権に意欲をみせている」なんて言葉をかぶせてニュースに仕立てるのです。どうしてわざわざそんな報道をしなければならないのでしょうか。どう考えても、政治的な意図を汲んだ情報操作だとしか思えません。

それにしても、小林武史も「表現者としても超一級だ」と絶賛していましたが、この集会で講演した孫正義氏の弁舌のうまさには目を瞠るものがありました(エネルギーシフト勉強会第一部)。もともとは営業マンだったので、喋りが訓練されているということもあるでしょうが、孫氏の演説をみていると、そのユーモアのある喋り方は典型的な九州の人間のものだなと思いました。

宮台真司氏は、孫氏の講演について、「どのみち自然エネルギーに舵をきらなければ儲からない時代がきている」と述べていました。

化石燃料による発電も原子力による発電も、もう「枯れた技術」でしかなくコストは上がるばかりだ。自然を子々孫々に残さなければならないという倫理という観点からも、あるいはそういった経済合理性という観点からも、いづれにしても自然エネルギーにシフトせざるをえない時代になっている。そんなヨーロッパでは当たり前になっているさまざまな「合理性」をどうして私たちは知らないのか。それは、私たちが「統制と依存」の政治によって間違った「自明性」のなかに埋没させられているからだと。

国民の批判などどこ吹く風といわんばかりの菅退陣をめぐる政争をみていると、今の政治にとっては大震災や原発事故も、所詮は政争の具にすぎないのだということがよくわかります。そんな「統制と依存」の政治こそ当事者能力を失い、政治の役割を放棄しているのです。その意味では、二大政党制も政権交代も一度チャラにした方がいいように思いますね。もちろん、そんな政治に同伴して劣化する一方のマスコミも同様ですが。
2011.06.15 Wed l 震災・原発事故 l top ▲
国会議事堂

商売している身なので、政治の話はあまりしたくないのですが、菅内閣に対する不信任案をめぐる騒ぎにはホトホト呆れるばかりです。不信任案が否決されたにもかかわらず、なぜか菅退陣が決定的になったかのような報道がくり返され、今や与野党あげて菅おろしに狂奔している感さえあります。どう考えても、被災者そっちのけで政争にうつつをぬかしているとしか思えず、政治に絶望するには充分すぎるくらい愚劣な光景です。

そもそも自民党や公明党が提出した不信任案に大義がないのは、誰が見てもあきらかなのです。国策の名のもとに、東電をあのような会社にしたのは誰なのか、官僚と二人三脚で原発(電力)利権をむさぼってきたのは誰なのか、そう考えれば、彼らに菅内閣の対応を批判する資格があるとはとても思えません。

もちろん、菅内閣の対応に問題がないわけではありません。官僚や東電のサボタージュがあったとはいえ、メルトダウンどころかメルトスルーさえも隠ぺいしていたことは、万死に値するといってもいいでしょう。ただ、だからといって、必ずしも次がマシだとは限らないのです。それが今の政治の不幸なのです。

それに、菅内閣は、たとえ思いつきであったにしても、浜岡原発の停止や再生可能エネルギーの推進や発送電分離など、エネルギー政策の見直しを表明しました。それは電力会社やそれに連なる政治家たちにとって、とうてい受け入れがたい政策の転換であろうことは想像に難くありません。いわば、菅内閣は心ならずも虎の尾を踏んだといえないこともないのです。

今回の不信任案騒ぎでの民主党の醜態は目をおおうばかりですが、民主党は事故前までは、「新成長戦略」の一環として、東電や東芝と一体になって原発プロジェクトをベトナムに売り込んでいたのです。そう考えると、仙石由人氏や小沢一郎氏など民主党の”黒幕”が、それぞれ自民党との提携を視野に自民党の実力者と水面下で接触していた理由もわかるような気がします。そして、小沢・反小沢を問わず、先を争って自民党にラブコールを送り、なりふりかまわず「大連立」を呼びかけた事情も納得がいくのです。

折しも関西電力が15%の節電を要請したことに対して、橋本徹大阪府知事が「15%の節電なんてまったく根拠がない」「あれは原発が必要だと言うブラフ(脅し)だ」と批判していましたが、そうやって電力会社による”反撃”が既にはじまっているような気がしないでもありません。それはいうまでもなく、「競争のない地域独占、発送電の垂直統合、すべてのコストを電気料金で吸収することが許される総括原価方式など、電力会社が与えられた民間企業としてはあり得ないような特権の数々」(経済ジャーナリスト・町田徹氏)を守るための”反撃”です。

そして、今回の政争の裏にも、事故対応の時計の針をもとに戻す(戻さなければならない)という思惑があるように思えてならないのです。おそらく次の政権では、「喉元すぎれば熱さも忘れる」ような急速な事故の”収束”がはかられるのではないでしょうか。賠償スキームにしても、菅内閣以上に”東電救済”の方向に大きく後退するのは間違いないでしょう。むしろ、そのために菅退陣を急いでいるように見えないこともないのです。

しかし、最近も土壌や茶葉からセシウムやストロンチウムが検出されたという話がありましたが、政治の思惑がどうであれ、依然として放射性物質のタダ漏れがつづいていて、東日本の放射能汚染がより深刻化しているのはたしかなのです。

こういう政治を選んだのはほかならぬ私たち自身なのですから、自業自得だといわれればそのとおりですが、せめて未来を担う子供たちのためにも、放射能汚染の問題だけはごまかされないようにしなければと思います。別にきれい事をいうわけではありませんが、それがのちの世代に対する責務ではないでしょうか。
2011.06.11 Sat l 震災・原発事故 l top ▲
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石原吉郎ではないけど、ふと海をみたいと思いました。それで、朝、横須賀線の反対側の電車に乗って、横須賀に行きました。

私も昔、横須賀には仕事で来ていましたが、取引先はもっぱら京急の「横須賀中央」駅の方にありました。都内から来るのも京急の方が便利なので、横須賀線を利用したことは一度もありません。「横須賀」駅におりたのも今日が初めてでした。ちなみに、横須賀線の「横須賀」駅のすぐ近くには、京急の「汐入」駅があり、「横須賀中央」は隣の駅になります。

ただ、軍港として発展した横須賀の歴史上の中心は、やはり横須賀線の「横須賀」なのでしょう。「横須賀」駅をおりると、すぐ目の前は海です。ほかに目立つのは、ダイエーやシネコンが入ったショッピングビルのショッパーズプラザ横須賀がありますが、開店間際だったからなのか、あまり繁盛している雰囲気はなく、「オープン20周年」の垂れ幕がさみしげに風にゆれていました。それ以外は、ただ海があり、海に浮かんでいる軍艦があるだけです。

ところが、そんな海を朝からボーッと眺めている人たちが結構いるのでした(私もそのひとりでしたが)。ホントにボーッと眺めているだけです。それも、ほとんどが中高年の男性で、しかも、ひとりでやってきたような人たちばかりでした。横顔に憂いをたたえている・・・というほどカッコよくはないけれど、それでもどこか孤独の影をひきずっている感じがしないでもありません。やはり、みんな「海をみたい」と思ったのかもしれません。

高校生のとき、とある事件に連座して警察の取り調べを受けたことがありました(といって、窃盗や暴力や痴漢のような破廉恥な事件ではありません)。あのときも、ふと海をみたいと思いました。それで、取り調べを終え警察署を出ると、海の方に歩いて、テトラポットの上に座り、ずっと海を眺めていたました。おそらく4~5時間くらい眺めていたのではないかと思います。夕方になり、あたりが暗くなりはじめたので帰ったのですが、帰ったら家では親たちが大騒ぎしていました。取り調べが終わったあと、警察署から「今、帰りました」という連絡があったものの、いっこうに帰ってこないので、よからぬことでも考えたのではないかと心配したらしいのです。

海を眺めながら、学校をやめて東京にでも行こうかと思いました。なんだかこの街にいることも、この高校にいることも、ひどくめんどうくさい気がしました。やはり事件に連座して、一緒に学校を謹慎になったクラスメートがいたのですが、最近、彼が地元の銀行で役員になっているという話を聞きました。でも、私の場合は未だに当時の心情をどこかでひきずっているようなところがあります。それは性格なのですね。だから、今もまだふと海をみたいなんて思ったりするのでしょう。

シベリア抑留生活での思索をつづった『望郷と海』の冒頭で、石原吉郎はつぎのように書いていました。

海が見たい、と私は切実に思った。私には、わたるべき海があった。そして、その海の最初の渚と私を、三千キロにわたる草原(ステップ)と凍土(ツンドラ)がへだてていた。望郷の想いをその渚へ、私は限らざるをえなかった。空ともいえ、風ともいえるものは、そこで絶句するであろう。想念がたどりうるのは、かろうじてその際(きわ)までであった。海をわたるには、なによりも海を見なければならなかったのである。



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2011.06.09 Thu l 横浜 l top ▲
福島に帰ったら

私は、福島には2回しか行ったことがありません。一回は、夏に野地温泉に泊りがけで行ったことがあります。帰りに猪苗代湖に立ち寄り、さらに三春町を通って太平洋側に出たことを覚えています。もう一回は、郡山に帰った彼女に会いに行って、帰りの新幹線の中で、別れる決心をしたという苦い思い出があります。私にとって福島はそれくらいの思い出しかありません。

しかし、たまたまFMラジオから流れてきた「予定 ~福島に帰ったら~ 」という歌を聴いていたら、なぜか涙があふれそうになりました。福島のことはあまり知らないのに、悲しくて仕方ありませんでした。

故郷の風景はどうしてこんなに悲しいんだろうと思います。そして、年をとればとるほど悲しくなっていくのです。

先日もたまたま人を介して知った高校の先輩の方と会う機会がありました。その方は私より30才年長の大先輩なのですが、病気のため、長い間入院生活を送っており、近いうちに老人施設に入る予定だと言ってました。

高校の校舎がどうだったとか、駅前にはなにがあったとか、海岸通りにどんな建物があったとか、二人でそんな話をしました。その方は、窓際のベットに横になったまま、なつかしい風景を思い出すかのようにときどき目をつむって、一心に喋っていました。最後に、「ありがとう」と言って手をあげたとき、目に光るものがありました。私は笑いを返しただけですが、帰りの電車の中でそのときの顔を思い出したら、やはりこみ上げてくるものがありました。

老いていくのは、さみしくてつらいもんだなとしみじみ思います。故郷の風景も悲しいものでしかありません。しかし、それでも私たちにとって、故郷の思い出は、どこかで心のよすがになりなぐさめになっているのです。そして、故郷の風景は、いつまでも鮮明に私たちのなかに残っているのです。

この歌を聴く福島の人達の気持を思うと、同じ地方出身者として、やはりいたたまれないものがあります。
2011.06.02 Thu l 芸能 l top ▲