学芸大学駅2012-10-30 15.57.44

午後、渋谷に行こうと東横線の電車に乗ったものの、途中の学芸大学駅に停車したままいっこうに出発する気配がありません。イヤホーンを外して社内放送に耳を傾けると、手前の田園調布駅で「人身事故」があったため、上下線が全面運休していて、振替運転をはじめたというのです。聞けば、学芸大学駅から目黒通りか駒沢通りに出て、バスに乗り換えなければならないのだそうです。

どうすべきか、バスに乗り換えるべきか、迷いながらしばらく電車のなかで待機していると、あと1時間くらいで再開の見通しだとの放送がありました。それで、いったん駅を出て近辺で時間を潰すことにしました。

ホームから改札口におりると、改札口のまわりは人であふれていました。なんだか3.11のときの光景を思い出しました。あのときもちょうどこんな感じでした。

学芸大学の駅をおりたのは初めてでしたが、渋谷駅まで10分たらずという交通の便のよさもさることながら、駅周辺は商店街が充実していて、住宅地として人気が高いのも頷けました。私は駅近くのビルの2階にあるカフェに入りましたが、思ったより先客も多くなく、時間を潰すにはもってこいでした。

窓から駅の混雑ぶりをみながら、また「人身事故」かと思いました。きょうは横須賀線でも「人身事故」があったようですが、毎日毎日「人身事故」のニュースばかりです。不謹慎な言い方かもしれませんが、まるで水泳大会のようにつぎつぎと飛び込んでいる感じです。それくらい死にたい人間が多いのでしょうか。

警察庁の統計によれば、平成23年の自殺者数は30,651人で、平成10年以降14年連続で年間3万人を超えたそうです。ということは、この14年間に限っても、40万人以上の人間が自殺で亡くなっている計算になります。

さらに、(今まで何度も同じことを書きましたが)自殺者の背後にはその10倍の自殺未遂者がいると言われていますので、自殺未遂者に至っては、どう少なく見積もっても百万人以上はいることになります。私たちの身近にも自殺者や自殺未遂者はいるはずなのです。ただそれが表に出ないだけです。

職場でも学校でも地域でも、そして家族間でも、人間関係がますますギスギスしているのは、私たち自身が日々実感することです。そのギスギスした余裕のない人間関係は、そしてこの生きづらさは、どこからきているのか。それはこの社会に生きる私たちにとって切実な問題のはずです。しかし、世の中に敏感なはずの若者たちにしても、ネットに代表されるように、すべてが他人事のような見世物を与えられて、差別と排除の力学で仮構された日常をただ”自演乙”するだけなのです。

社会学者の大澤真幸氏は、『ネットと愛国』の書評で、ネトウヨは、国を愛するというより「むしろ、国に愛されたいのではないか」と書いていましたが、それもまた倒錯した愛と言うべきかもしれません。

そして、前の記事のつづきになりますが、”私小説の時代”がいかに牧歌的であったかということを今さらながらに思わないわけにはいかないのでした。
2012.10.30 Tue l 社会・時事 l top ▲
久しぶりに葛西善蔵の小説をまとめて読みました。葛西善蔵は、私(わたくし)小説の権化のような破滅型の作家です。ただ、私小説の定番である肺病やみでお金と女にだらしがない情けなくも哀しい作品は、高等遊民の”甘え”と言われればそう言えないこともありません。

大多数の国民が、義務教育を終えると、家業を手伝うか、よそに丁稚奉公に出るかして家計を助けることを余儀なくされた貧しい時代に、ろくに働きもせず文学などというものにうつつをぬかしていたような人間は、今のニートどころではない親泣かせのろくでなしだったのでしょう。

葛西善蔵については、私小説を批判した中村光夫のつぎのような文章があまりに有名です。

 たとえば葛西善蔵のやうな芸術への無垢な献身に生きたと一般に信じられてゐる作家も、自分自身に対して芝居気がなかったとはおそらく言い切れないので、(中略)自分の実生活の破綻を、その表現で救へるといふ信念に、一種の安心感をもってよりかかつてゐられたからこそ、彼はあのやうな愚劣な悲惨にかなり平気で堪へて行けたので、生活より芸術を信じるといふことは、彼の場合私小説の世界に演技者として住むのを意味したのです。
(「モデル小説」)


私は、葛西善蔵の小説を考えるとき、昔聞いた知り合いのお母さんの話を思い出さないわけにはいきません。結婚して数日経ったとき、突然、義理のお姉さんがアパートにやってきて、布団を返してほしいと言ったのだそうです。聞けば、布団を買うお金もなかった新婚の夫は、結婚するに当たってお姉さんに布団を借りていたのだとか。お母さんは、なにかにつけその話をして、「あたしゃ情けないったらなかったよ」と子供たちに言っていたそうです。

この国でもついこの前までそんな話があったのです。そして、私小説でお決まりの病気と貧乏と女の三重苦(三題話)を理解するには、そういった時代的な背景(共通体験)が必要な気がします。しかし、彼らの頃と違って、私たちの生の前提になる社会のあり様は根本的に変わったのです。経済がグローバル化し、クレジットカードでなんでも買えて、インターネットでなんでも疑似体験ができる21世紀のこの時代に、もうそんな時代背景や共通体験を求めるのは無理があるでしょう。

親の世代なら、葛西善蔵の小説に自分の人生を映すことができたかもしれません。でも、子どもたちの世代は理解の外でしょう。子どもたちから見れば、葛西善蔵のような私小説の作家たちの作品が、わざとらしくアナクロに見えるのも当然と言えば当然かもしれません。

今回読んだなかで私がいちばん印象に残ったのは、「蠢く者」です。

葛西善蔵は一時期、妻子を青森の実家に帰し、ひとりで北鎌倉の建長寺の敷地内にあるお寺に間借りして住んでいたのですが、関東大震災を機に東京に転居します。ところが、間借りしていた間、食事の世話を頼んでいた参道の茶店に代金が未払いのままでした。そのため、茶店の娘・おせいが代金の取り立てのために上京するのですが、ミイラ取りがミイラになり、そのまま葛西の下宿で同棲をはじめるのでした。(挙句の果てには、「蠢く者」には書いていませんが、おせいを妻に紹介して騒動になったり、おせいが葛西の子を死産したりというオチまであります)。

「蠢く者」は、そんなおせいとの同棲生活の、夜になると酔っぱらった勢いで罵倒し、ときに暴力までふるうようなドロドロした日常を、主人公が散歩しながら思い出しては自己嫌悪に陥るという話です。私小説の場合、ふしだらなことやだらしないことや身勝手なことをしても、あとで必ず自己嫌悪に陥るというのがミソなのです。

誤解をおそれずに言えば、現代のDVに比べると、「蠢く者」はなんと牧歌的なんだろうと思います。現代のDVは、メンヘラの要素が強くそれこそ出口も入口もない感じで、しかも倒錯した愛すらあります。「蠢く者」の悲惨さどころではないのです。「蠢く者」には、まだ人はこうあるべきという倫理が残っていた。だから、あのように悩むことができたのでしょう。そう考えると、私小説の作家たちはいかにも人生と格闘しているように見えるけど、実は八百長試合をやっていただけだと言う中村光夫の批判も、今になればわかる気がするのです。
2012.10.28 Sun l 本・文芸 l top ▲
若松孝二監督の死去に対して、宮台真司がブログにつぎのような追悼文をアップしていました。

この文章を書きながらも、悲しくて涙がとまりません。監督がいなければ、本当に今の僕はいないのです。監督がいなければ松田政男さんの本も読まなかったし、松田さんの本を読まなかったら廣松渉さんの本も読まなかったし、そうしたら社会学に学問的な興味を抱くこともなく、社会学者になんてなっていなかった。
MIYADAI.com Blog


高校生のとき、泊り込みで勉強すると行ってでかけた同級生の家で、洋服箪笥からお父さんのブレザーをこっそり借りて、別府の裏通りにある映画館のオールナイトで観た「天使の恍惚」が、私にとって初めての監督の映画でした。そして、受験に失敗。予備校に行くために上京して、アテネフランセの映画講座で、当時映画ファンの間で「赤P」と呼ばれていた「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」を観ました。「赤P」は、全共闘以後の世代の人間にとって、文字通り上の世代を仰ぎ見るような政治的プロパガンダの映画でしたが、ピンク映画の若松孝二監督と「銀河系」の足立正生監督がこんな映画を作るなんて、なんだか「映画なんてどうでもいい」と言ってるようで、すごいショックでした。それからほどなく足立正生監督はメガホンを置いて、パレスチナに飛び立ったのでした。

宮城県の農業高校を中退して、親の金700円だかを盗んで上京。以後、職を転々としたその経歴は、永山則夫を彷彿とさせるものがありますが、当時はそんな若者はめずらしくなかったのでしょう。宮台真司がブログに書いているように、若者たちが不幸なのは経済的に貧しいからではないのです。「ここではないどこか」がなくなったからです。「赤P」もある意味では「ここではないどこか」の映画だったと言えなくもないし、足立正生監督がパレスチナに行ったのも、「ここではないどこか」を求めたのかもしれません。しかし、結局、「ここではないどこか」はどこにもなかったのです。

谷川雁の『工作者宣言』になぞらえば、若松孝二監督の映画は、知識人に対して鋭い大衆のことばを突きつける、そんな側面もあったように思います。だから、戦後民主主義とそれを支える”進歩的知識人”の欺瞞を告発していた若者たちから支持されたのでしょう。それにしても、あの時代の若者たちはなんとナイーブだったんだろうと思います。若松孝二監督の映画に出てくる若者たちもみんなナイーブでした。

あとづけでものを言うのは簡単です。当時の若者たちは、今の若者と違って、切実に「ここではないどこか」を希求していたし、そういった自分の人生や時代に対するナイーブな感性をもっていたのは間違いありません。そして、若松映画の性と暴力が、そんな感性や時代の空気感を共有していたのも間違いないのです。

「常に弱いものの味方だった」「弱いものの視点から描いていた」などというもの言いは、いかにも「戦後民主主義的」な解釈で、最近の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」や「キャタピラー」は別にして、少なくとも初期のピンク映画に関しては、もっとも遠いところにある解釈だと言わねばなりません。若松映画は、そんな”戦後的価値”と結託したヘタレな映画なんかではなかったのです。
2012.10.19 Fri l 訃報 l top ▲
今年もまた村上春樹がノーベル文学賞を逃しましたが、受賞したあとのフィーバー(古い?)を考えると憂鬱でならなかったので、個人的にはホッとしました。

選考基準に「文学性」というのがあるそうですが(文学賞なのだから当然でしょう)、その「文学性」が問われて受賞しなかったのだとしたら、ノーベル賞は一定の見識を示したと言えます。本命視されていた村上春樹が受賞を逃して中国の莫言が受賞したことに対して、「政治的」にどうだとかいう話が出ていますが、そんなことはどうでもいい話です。文学に政治なんてまったく関係ない。問われるべきはその「文学性」だけです。

西宮市の母校の小学校では、恩師や同級生たちがテレビの前で受賞の知らせを待っている様子がニュースに出ていましたが、私はそれをみて「オリンピックかっ!」と突っ込みを入れたくなりました。また、街頭インタビューで、「来年こそは取ってもらいたいですね」なんてサラリーマンが答えているのをみるにつけ、「レコード大賞かっ!」と思いました。

こういった騒ぎは、わが身がかわいい作家たちは誰も言わないけど、新潮社や文藝春秋のような出版社がこの国の文学のスポンサーでもあるという、日本の(商業)文学のいかがわしくもかなしい構造をよく表しているように思います。

書店の悪乗りも同様ですが、これじゃ文学が衰退するのは当然です。最近、書店に行くと、若い女性作家の作品で、ファッション雑誌の見出しとみまごうような惹句とともに、作者の写真が表紙の帯に印刷されている本がやたら目につきますが、(斎藤美奈子の『文壇アイドル論』ではないですが)なんだかアイドルを作ろうという出版社の魂胆がみえみえなのです。実はかく言う私も、表紙のかわいい写真にひかれて、「21歳現役女子大生」片瀬カヲルの『泡をたたき割る人魚は』(講談社)をジャケ買いしたのですが、寓話にもならない寓話もどきの話に耐えられず、途中で放りだしてしまいました。村上春樹もこのような”アイドル戦略”のなかにあるのでしょう。

文学の「社会的役割」は終わったという話をよく聞きますが、でも、そもそも文学に「社会的役割」なんてあるんだろうかと思います。むしろ「社会的役割」などというものとは真逆にあるのが、文学ではないかと思います。

強いて言うならば、私たちの胸奥にあるまだことば(意味)にならない事柄や思いを、物語に託して表現するのが文学ではないかと思います。だから、ときに人間存在の根底にあるもの、生きることの根底にあるものにせまることができるのでしょう。ただ、今の作家たちはそんな「役割」をみずから放棄したとしか思えません。放棄したにもかかわらず、文学という幻想(文学という擬制)にはよりかかったままなのです。

なにかを語っているようでなにも語ってない。村上春樹の小説は、空疎なことばで彩られた箱庭のような世界のなかに、カマトトな主人公がいるだけです。だから、中国でも韓国でもロシアでもアメリカでもヨーロッパでも受け入れられるのでしょう。しかも、受け入れられているのは、日本語の原本ではないのです。翻訳された作品にすぎないのです。それにどれほどの意味があるのだと思います。

先日、昔は結核療養所だったという都下のとある病院に行きました。林のなかの古びた病院で、誰にも看取られずにひっそりと息をひきとっていく老人の姿は、やはりショックでした。そんな老人の人生を考えるとき、『ノルウェイの森』だって『海辺のカフカ』だって『1Q84』だってどうでもいいと思いました。目の前にある現実に比べれば、村上春樹の小説は、(同じ「死」がテーマでも)まるで別世界のおとぎ話のように思えます。でも、私たちにとって、ひとりさみしく死んでいく老人こそ親しき隣人なのです。

神宮球場でヤクルト戦をみているとき、ふと小説を書こうと思ったなんて、そんな作り物じみたエピソードをまるで御託宣のようにありがたがる感性は、本来文学とは無縁のものでしょう。ハルキストとは、そんなミーハーの謂いで、彼らが「すごい」「すごい」と言っているだけです。

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2012.10.12 Fri l 本・文芸 l top ▲
『日経ヴェリタス』(日本経済新聞社)の今週号(第238号)に、興味ある特集が載っていました。

題して「中間層ビッグバン」。

これから「大航海時代」ならぬ「大消費時代」が到来するのだそうです。特集では、その「ビッグバン」たるゆえんをつぎのように書いていました。

  同社(注:マッキンゼー日本支社)によると、中印2カ国だけで19世紀・産業革命時の米英の100倍の人口規模を持ち、当時の100倍のスピードで経済成長を遂げている。つまりは産業革命の1000倍に相当する「経済爆発」が起きているわけだ。
 その結果誕生するのが消費力を備えた新興国の巨大な中間所得層だ。家電に携帯電話、そして自動車‥‥。豊かな暮らしの飽くなき追及は先進国の消費者と変わらない。2025年までに消費者層は18億人増えて42億人に。うち新興国の消費額は世界の半分、30兆ドル(約2340兆円)になるとマッキンゼーははじく。


そんな来るべき「大消費時代」に備えて、世界の有力企業は、既に新興国で市場の“青田買い”をはじめているのだとか。

 勃興する新興国の中間層。これを取り込む秘訣の1つは「底辺から攻めろ」だ。まず貧困層に手の届く商品を届け、やがて中間層に育った段階で上位商品を売り込んでいく戦略だ。中間層が育つまで待っていては出遅れる。「低所得者層ビジネスで成果を上げるのが近道だ」。野村総合研究所の平本督太郎主任コンサルタントはこう指摘する。


特集では、新興国市場を開拓する、マクドナルドやボーダーフォン(英)やウォルマート(米)やフランステレコム(仏)やダノン(仏)やユニリーバ(英蘭)や現代自動車(韓)など、グローバル企業の取り組みが紹介されていました。

日本の企業では、インドネシアでのフマキラーや「どらえもんノート」でベトナムを席巻しているコクヨ、あるいはパナソニックやダイキン工業などの取り組みが紹介されていました。

ただ、欧米の企業に比べて、日本の企業が遅れをとっているのは否めないのだとか。「新興国を専ら生産基地として利用してきた企業は、認識の再構築が必要となる。消費主導のメガ商機を取り逃がすことになりかねないためだ」と書いていましたが、今回の竹島や尖閣をめぐる問題でも、日本のなかには、中韓台を未だ日本の「工場」のようにしか見てないような意見が多くありました。

しかし、日中韓台の経済の相互依存関係は、私たちが想像する以上に深化しているのです。たとえば、韓国の現代自動車やサムスンでも、多くの日本の中小企業が下請けになっているのですが、日本では意外とその現実が知られていません。まるで知りたくない(認めたくない)現実であるかのようです。

今回の竹島や尖閣の問題でも、韓国や中国や台湾がどうしてあそこまで強気になれるのかを考える必要があります。それは、言うまでもなく、彼らが経済的に力を付けてきたからでしょう。特に中韓の相互依存関係は、日中・日韓をしのぐほどだと言われています。だから、まるで呼応するかのように、「困るのは日本だぞ」と言わんばかりの態度をとるのでしょう。

アメリカが超大国の座から転落するのは間違いない。そして、世界が多極化するのも間違いありません。「アラブの春」もその脈絡でとらえるべきで、その先にあるのは、どう考えても「民主化」というより「反米」「イスラム化」でしょう。ロシアも然り、中南米も然り、アフリカも然りです。もちろん、ヨーロッパは言うまでもありません。そう考えるとき、中国・韓国・台湾から揺さぶりをかけられている日本は、ややもすればアジアで孤立さえしかねないのです。

ナショナリズムというのは、進軍ラッパを鳴らして声高に叫ぶほうが国内向けには受けがいいのは当然です。そして、「弱腰」を批判する論調があふれるのが常です。それは中国だって韓国だって台湾だって同じでしょう。しかし、尖閣問題は、戦争でもしない限り当面の解決策はなにもないのです。むしろ、寝た子を起こしたことで、逆に中国にかっこうの口実を与えてしまった感さえあります。日本に対してあらたな外交カードを手に入れた中国は、これからなにかにつけ尖閣で日本を挑発し、日本を揺さぶりつづけるでしょう。日本は「へたくそだな」と思わざるをえません。

一方で、日本には、アメリカという後門の狼もいます。ただ対米従属でアメリカに泣きつくばかりでは、アメリカからいいうようにふりまわされるのは目に見えています。このままではTPPの全面降伏も間違いないでしょう。オスプレイ配備にしても、日本政府の姿勢は完全な「土下座外交」でした。でも誰もそうは言わないのです。

残念なことですが、アジア経済圏のなかで日本が主導権を失いつつのは事実でしょう。今回の竹島や尖閣の問題で、それがいっそうはっきりした気がします。にもかかわらず、多極化する世界のなかで、今後日本はアジアに軸足を置いて生きていかざるをえないのです。そう考えるとき、嫌中・嫌韓だけでやっていけるのかと思います。

日中の経済関係が停滞しても、なにも解決しないのです。戦争でもしない限り、尖閣はそのままです。そして、経済関係もただ停滞するだけです。その停滞している間に、「中間層ビッグバン」で、日本の企業はますます立ち遅れてしまうでしょう。「中国経済の減速懸念があきらかになった」「チャイナリスクが増した」などと、希望的観測で針小棒大に”負け惜しみ”を言っても仕方ないのです。「中間層ビッグバン」などに象徴される「経済爆発」は、やがて中印を中心とするあらたな秩序(=アジアの時代)を作り出していくでしょう。悔しいけれど、それが現実なのです。

卑近な言い方をすれば、いやな相手でも頭を下げてものを買ってもらうのが商売人です。いわんや”商売人の誇り”というのは、頭を下げるかどうかなんてことにあるのではないのです。アジア各地で奮闘している日本人営業マンたちの思いも同じはずです。あんないやなやつは相手にしないなんて言い出したら、もう商売人としては終わりで、孤立して没落するしかありません。

もちろん、外交にはいろんな側面があり、報道をとおして私たちが知るのはその一部にすぎないのかもしれません。しかし、日本の姿勢をみていると、制裁一本やりで解決の糸筋がみえなくなった拉致問題と同し轍を踏もうとしているように思えてなりません。どうしてもっとしたたかでしなやかな戦略がとれないのでしょうか。週刊誌なども、北朝鮮の新聞とみまごうような過激な見出しであふれていますが、冷静な意見がまったく封じられ、ただ子供のケンカを煽るような直情的なことばだけが飛び交う今の風潮に、「ホントに大丈夫なんだろうか」と懸念を抱かざるをえないのです。

もう昔のナショナリズムの時代ではないのです。排外主義的なナショナリズムをどう克服し、「方法としてのアジア」(竹内好)の論理をどう獲得していくか、竹島や尖閣の問題はその試金石でもあるように思います。

>> 『愚民社会』
>> 世界史的転換
2012.10.02 Tue l 社会・時事 l top ▲