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夕方、用事があって青山に行ったついでに神宮外苑に寄ってみました。数日前の新聞に、「黄色の絨毯」というタイトルで神宮外苑のイチョウ並木の写真が掲載されていたのを思い出したからです。

ところが、行ってみると、雨のせいなのか、写真のように「黄色の絨毯」とはほど遠いさみしい光景しかありませんでした。

夢のなかに昔つきあっていた彼女が出てきて、それ以来、なんだか彼女の亡霊にとり憑かれたかのように暗い気分のなかにいます。女性は恋愛に対しても切り替えが早く、男性に比べてドライだと言いますが、こういった気分はやはり男性特有のものなのでしょうか。私は、女のきょうだいのなかで育ち、女性の嫌な面は飽きるほど見てきましたが、だからと言って、女性心理の機微に通じているわけではありません。むしろ、恋愛がことごとくうまくいかなかったのは、この「女心がわからない」性格がわざわいしているとも言えます。

以前、渋谷の雑踏で彼女によく似た女性を見つけて、思わずその場に立ち尽くしたことがありました。また、山手線の電車のなかで、同じように彼女に似た女性を見つけたときは、途端に息苦しくなり額から汗がタラタラ流れ出して、途中の駅で降りたこともありました。

どうしてこんなにひきずるんだろうと思います。それだけ未練があるのかと言えば、どうもそういうのとは違うように思います。だからやっかいなのです。”男心”というのも、女性が思うほど「単純」ではないし「わかりやすい」ものでもないのです。

神宮外苑のイチョウ並木の下を歩いていたら、いつの間にかまた夢の余韻に囚われている自分がいました。そして、いっそう暗い気分になりました。人間を長くやっているとろくなことはないのです。

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2012.11.30 Fri l 東京 l top ▲
先日、電車に大きなスポーツバッグを手にした60代後半くらいの男性が数人乗ってきました。どうやら工事現場の警備員かなにかガテン系の仕事をしているらしく、その仕事帰りのようでした。そして、次のような会話が耳に飛び込んできました。

「寒くなったなぁ」
「メリヤスのシャツを二枚着ているけど、それでも寒いもんな」

メリヤス?

ああ、なんとなつかしい言葉でしょう。私は、思わず発言主の男性の手を取って、「感動しました」と言いたいくらいでした。

私のなかにはこのように多くの死語がいまだに残っています。

若い頃、彼女がデートの待ち合わせに遅れてやってきたことがありました。

「ごめん、パンツが汚れていたのに気付いたので、途中で家に引き返してはきかえてきたの」

パンツ?

私は、よからぬ妄想を抱いてちょっと興奮したものです。

中学生になると、田舎の子供でもやはりおしゃれに興味をもつようになり、それまでのデカパン(でかいパンツ)ではなく、今で言う男性用のショーツを買ってくれるように母親に頼みました。すると、母親は、「エッ、男のくせにパンティがいいんだ?」と鼻で笑っていましたが、その際、パンティの「ィ」を大文字のように発音するのでした。

ジーンズに至っては、今でも「ジーパン」です。ジーンズだなんてカッコつけやがってと思うのです。コーデュロイという言い方もいまだに違和感があります。さすがに「コール天」とは言いませんが、コーデュロイと発音するとき、ときどき噛むことがあります。

食べ物屋で「スプーンありますか?」と言ったとき、一瞬頭のなかに「匙」ということばが浮んだことがありました。ちなみに、父親は、上京して新宿のレストランで食事した際、実際に「すんません、匙ありますか?」と言ったのです。それも大声で。

「ベッピン(別嬪)」さんは今でも普通に使っています。知り合いの家に行ったとき、娘さんを見て、「ベッピンさんですねぇ」と言ったら、篠田麻里子のような娘はニコリともせず、憐れむような目で私を見ると、そそくさと二階にあがって行ったのでした。

こうして考えると、老けるのは当然ですね。
2012.11.27 Tue l 日常・その他 l top ▲
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横浜駅の西口に用事があったので、そのあと、東口にまわって日産自動車の本社を通り、旧ジャックモールから、みなとみらい、汽車道、山下公園、伊勢佐木町、野毛、桜木町、再びみなとみらいのルートを歩きました。

先週のはじめ、元町に用事があって行ったときは、山下公園のイチョウもまだ青いままでした。ところが、今日行くと、黄色く色づいていました。わずか1週間でこんなに変わるんだと思いました。季節の移り変わりはホントにはやいです。

私は、この季節の横浜がいちばん好きです。平岡正明氏が言うように、やはり横浜は場末感が似合います。クリスマスもそうですが、東京のように華やかではないし、人も多くないので、それが逆に寂寥感漂うロマンチックな雰囲気をかもし出しているように思います。

みなとみらいのランドマークプラザを歩いていたら、「横浜の恋と、ユーミンと。」というポスターが目につきました。しかも、「お買い物を楽しんでください」とかなんとか、ユーミンの声が館内に流れているのです。とうとうユーミンもここまで落ちぶれたのかと一瞬思いましたが、実は今日は、デビュー40周年を記念したベストアルバム「日本の恋と、ユーミンと。」が発売された日だったのです。ランドマークタワーでは、それに関連してユーミンのステージ衣装などが展示された催しも行われているそうです。そして、来週からプロコル・ハルム(なつかしい!)とのツアーもパシフィコ横浜を皮切りにはじまるそうで、どうやらそのキャンペーンだったみたいです。

街路樹が裸になり、舗道から落葉が消えると、いよいよクリスマスの季節です。クリスマスのイルミネーションの時期になると、なんだか街がいっせいに着飾ったようで、いつもとは違うよそ行きの顔になるのです。年をとると、そんなクリスマスからも疎外される感じがありますが、でもいつまでもしがみついていくぞと思っています。グループで街に繰り出して、まわりの目もなんのその、クリスマスムードをわがものにせんとするあの中高年女性たちの強欲なパワーを少しは見習ったほうがいいのかもしれません。

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2012.11.20 Tue l 横浜 l top ▲
今日、産経新聞が配信した写真(11月12日17時32分配信)は、朝日新聞の愛読者ならずともショックなものでした。

私は、それをみて、昔、韓国のマスコミが国内向けに流したある写真を思い出しました。それは日本の政治家が韓国を訪問して当時の朴正熙大統領に挨拶している写真なのですが、この写真のように、まるで拝謁しているかのような構図の写真でした。軍事独裁政権下の韓国では、独裁者の権威を誇示するために、そういった写真が意図的に掲載されていたという話を聞いたことがあります。

朴正熙や全斗煥などの軍事独裁政権は、日本の自民党政権と癒着して「売国的」な政策を推し進めていた一方で、みずからの政権を維持するために、そうやって「反日」なポーズをとり「反日的」な世論を煽っていたのでした。これは韓国に限らず、どこの国でもそうですが、そうやって二つの顔を使い分けていたのです。

低頭平身する朝日新聞出版の幹部たち。それを直立不動で見下ろしているかのような橋下氏は、まるでどこかの国の独裁者のようです。そして、この写真を掲載した産経新聞や写真撮影を許可した橋下氏の意図が、まるで透けてみえるような写真でもあります。

『週刊朝日』の連載記事を巡るトラブルは、連載中止、編集長更迭を経て、とうとう『週刊朝日』の発行元である朝日新聞出版の社長の引責辞任にまで至り、橋下氏の完全勝利に終わったと言えます。「腎臓を売って金を返せ」などと脅して債務者を追い込み社会問題化した商工ローンの顧問弁護士をしていただけあって、橋下氏の喧嘩上等ぶりはさすがです。

私も昔、仕事で”怖い人”たちとトラブった経験がありますが、彼らは決して私のような小物を相手にしないのです。彼らが相手にするのはあくまで会社です。ある日、出勤したら、応接室で、会社の総務部長が見覚えのある強面の人と対面しているので、「なんで?」と思ったのですが、そのときは既に私の知らないところで”手打ち”が行われていたのでした。橋下氏が相手にしたのも、あくまで親会社の朝日新聞本社でした。喧嘩のやり方がプロだなと感心せずにおれません。

『週刊朝日』の記事は、私も病院の待合室で読みましたが、内容そのものは既に『週刊新潮』や『週刊文春』で書かれていることの焼き直しにすぎません。それに佐野眞一氏お得意のえげつなさが加味されただけです。『新潮』や『文春』のときは、部落解放同盟が抗議したようですが、橋下自身氏はTwitterで「バカ文春」とかなんとか罵倒しただけで、今回ほど公の場で執拗に抗議は行いませんでした。今回は「朝日」が相手なので、橋下氏もことさら声を荒げたということはないのでしょうか。ポピュリストにとって、「アカい朝日」を相手にすることはアピール度も高いはずです。

今回の抗議にしても、最初、朝日新聞出版と朝日出版(全然別の会社)を間違えたり、母親のもとには取材に行ってないのに事実誤認して抗議したりと、非常に杜撰なものでした。にもかかわらず週刊朝日はわずか2日で謝罪したのでした。

あえて言えば、「だったら(こんなに腰が弱いのなら)最初から書くな」と言いたいですね。そもそも今回の連載は、一部で指摘されているように、『新潮』や『文春』が書いているから大丈夫だろうというあざとい”便乗商法”だったのは間違いないでしょう。しかも、執筆は佐野眞一氏です。佐野氏については、私も木嶋佳苗被告の記事で批判しているとおりで、最近はノンフィクションライターとしての姿勢に、とかく問題がありました。佐野氏を起用したこと自体、間違っていたのです。こういうところにも『週刊朝日』の見識のなさが露呈しているように思えてなりません。

朝日新聞本社の対応は、なにより読者の反発による部数減をおそれたからだと言われていますが、しかし、こういった弱腰と見識のなさをさらけ出したことで、逆にますます部数減に拍車がかかるのは避けられないでしょう。ジャーナリズムとして、この弱腰と見識のなさは致命的だとさえ言えます。

そして、結局は、いつものように、差別表現の問題だけでなく差別問題そのものも封印する(タブー視する)だけで終わるのです。これで「反省」と言えるのでしょうか。私には単なる「ごまかし」「臭いものには蓋」ようにしかみえません。こういう問題が起きるといつも決まって、「差別表現の議論を喚起する方向に向かうべきだ」といった声が出るのですが、今回もどう考えてもそのような方向に向かうようにはみえません。

『日本の路地を旅する』の著者・上原善広氏によれば、大新聞は「二年前、ぼくの『日本の路地を旅する』が発刊されたとき、『同和問題はどのような本であれ、紙面では紹介できない。ただし大宅賞をとったら載せてあげても良い』と豪語」したそうですが、今回の「謝罪」もそんな事なかれ主義の姿勢から一歩も出てないのです。こんなことで、今後、朝日新聞は、政治家橋下徹を自由に忌憚なく報道することができるのでしょうか。とてもそうは思えません。

上原善広氏は、今回の問題について、みずからのブログ「全身ノンフィクション作家」で、「いまもっとも話題の政治家・橋下氏の記事としては許される範囲」だとして、つぎのような感想を述べていました。「朝日」の「おわび」や「検証」のような事なかれ主義の作文ではなく、こういう見識のある意見を手がかりに、今回の問題を考えていくことが大事ではないでしょうか。

まず差別的にしろ、なんにしろ、ぼくは路地について書かれるのは全て良いことだと思っています。それがもし差別を助長させたとしても、やはり糾弾などで萎縮し、無意識化にもぐった差別意識をあぶりだすことにもなるからです。膿み出しみたいなものですね。それで表面に出たものを、批判していけば良いのです。大事なのは、影で噂されることではなく、表立って議論されることにあります。そうして初めて、同和問題というのは解決に向かいます。
橋下氏についての週刊朝日連載 2012/10/18)


橋下氏は、路地(同和)どころか、大変な困窮家庭から、想像を絶する苦労を強いられながら這い上がってきた男です。度胸もあり、頭もズバ抜けてかしこい。さらに仕事が早い。感性と理性の両方を兼ね備えたスーパースターです。このような人物に、路地という出身は、実はあまり意味をもちません。彼のようなスーパースターは、すでに「土地」を超越してしまっているからです(詳しくは書きませんが)。彼の出自について書くならば、まずそれを最前提にしてからでないといけません。
週刊朝日の謝罪 2012/10/19)


>> 木嶋佳苗 100日裁判傍聴記
>> ハジズム
>> 『日本の路地を旅する』
2012.11.12 Mon l ネット・メディア l top ▲
ソーシャルもうええねん


ITmediaのオルタナティブブログでおなじみ村上福之氏の『ソーシャルもうええねん』(Nanaブックス)を読みました。

mixiを最初に作ったプログラマーの衛藤バタラ氏は、あるセミナーでこう言ったそうです。

いろいろ考えるより、海外で話題のサービスをパクれ! 僕もFriendsterというサイトを徹底的にパクって、mixiを立ち上げた!


私も10年近くネットショップを運営している経験から、ネットはモノマネとハッタリと自作自演の巣だみたいなことを常々言ってきましたが、ここまではっきり言われるとむしろ清々しささえ覚えます。そして、新しいサービスがはじまると、なんでも「すごい!」「すごい!」と言っているネットの事情通たちのいかがわしさを、あらためて想起しないわけにはいきませんでした。

Titterのフォロワーも、Facebookの「いいね!」も、YouTubeの「再生数」も、Google Plus( +)の「Plus(+)」も、もちろん、ウェブのアクセス数も、すべてお金で買うことができるのだそうです。ちなみに、Titterのフォロワーは5000人分が3800円、Facebookの「いいね!」は5000人分が15000円、YouTubeの「再生数」は5000回再生が2300円だそうです。そして、そのお金で買った数字が、「ひと晩で50万回視聴された話題のインディーズバンド!」とかなんとか、広告のキャッチフレーズに化けるというわけです。「食べログ」のヤラセなんてまだかわいいものです。

SNSのユーザー数も、外からはわからないので、いくらサバをよんでもバレないのです。著者によれば、アルゼンチンでは国民の半数がFacebookのユーザーということになっているそうです。「実名主義」に至っては、もう言うまでもないでしょう。

また、「楽天で1位」という広告も、楽天には「中カテゴリー」が300種類あって、そのカテゴリー別にデイリーランキングがあるので、「300種類×365日=10万9500で、1年でデイリーランキングで『楽天で1位!』を取った商品は最大で約11万個ある」ことになるそうです。

こういったネットに、いいようにカモにされているのはどういう人たちなのか。本書では「どういう人をターゲットにするとモバゲーのような利益600億円の商売ができるか」「オッサンがカネを払い若者が無料で遊ぶソーシャルゲーム」などという見出しで、その一端が明らかにされていました。

モバゲーのなかの掲示板を参考にした「職業分布」によれば、「圧倒的に、トラックやバスの運転手や介護関係」が多く、「ネクタイ着用率が非常に少ない」そうです。また、女性は、「夜の職業が多い」のだとか。この傾向について、著者はこう書いていました。

 ネット業界の非常に面白いところは、サービスを開発している人たちとまったく正反対のカテゴリーのユーザーに向けて作った方が、売上が上がるという点です。


 ケータイコンテンツの世界は、クーラーのきいた涼しいオフィスビルのパソコン上で作られた仮想アイテムに、汗水流して働くトラックの運転手さんなどのブルーワーカーがお金を払う不思議な世界です。


これに、マスコミを「マスゴミ」などと罵倒しながら、一方でマスコミにいいように扇動され操られている掲示板や動画共有サイトの時事ネタの住人たちを重ねて考えると、ネットのカラクリがなんとなくみえてくるような気がします。

こういったネットのカラクリがわかっている人と「ネットこそ真実」なんて思っている人とでは、その差はあまりにも大きいと言えます。それが自己を対象化できるかできないかの違いにもなっているのでしょう。あるいは”リア充”とニートの違いにもなっているのかもしれません。

2時間もあれば読めるくらいの軽い本ですが、ネットリテラシーを身につける上では参考になる本だと思いました。

>> Twitter賛美論
2012.11.08 Thu l ネット・メディア l top ▲
今日(11/3)の朝日新聞デジタルに、『ウェブはバカと暇人のもの』の著者・中川淳一郎氏の「B級ネタで勝負するしかない〈ネットで文字は売れるか〉」というインタビュー記事が出ていました。

中川氏は、部数減により各新聞が窮余の策として取り組んでいる電子版の有料化について、「大メディアが社運を賭けてまで取り組むものじゃありません」と言い切っていました。素人考えでも、わざわざ月に4千円近くのお金を払って、ネットの有料記事を購読する人がそんなにいるとは思えません。仮に電子書籍が普及しても、新聞にそれだけのお金を払う人はごく少数でしょう。

そもそも新聞を購読していた主要な目的は、世界の動きを知るためでも文化的な教養を身に付けるためでもなかったのです。多くはテレビの番組欄をみるために新聞をとっていたにすぎません。そして、ついでに、他人の不幸は蜜の味でおバカな三面記事を読んでいただけです。

ネットにおいても事情は同じです。梅田望夫氏が言うように、ネットだからといって叡智が集まるわけではないのです。むしろ、現実は逆です。掲示板の書込みや芸能人のブログのコメント欄などをみる限り、中川氏のつぎのような発言は正鵠を射ていると言わざるをえません。

 先月末、元AKB48の前田敦子がツイッターを始めたところ、あっという間に何十万ものフォロワーがつきました。元モーニング娘。の辻希美のブログには、何万人もの読者がついています。

 一方、2008年に朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞が立ち上げた「あらたにす」というサイトは、今年2月末に閉鎖されました。1面の記事や社説を読み比べできるのが売り物でしたが、世の中の人は、社説より女性タレントのつぶやきに関心があるんです。

 なんでそんなものにと思うかも知れませんが、思う方がおかしい。パチンコ屋に朝から並び、おバカタレントの珍回答に大喜びしている日本人がなんと多いことか。各社の社説に関心があるなんて人の方がマイノリティーです。


水は低いほうに流れるのが常です。高いほうに流れる(流れるべきだ)と考えるのは、民主主義の幻想です。仮に自分たちが誘導すれば高いほうに流れると思っているのだとしたら、思い上がりもはなはなだしいと思います。

個人的な経験でも、たとえば東電OL殺人事件の記事に対して、検索エンジンでアクセスしてくるのは、大半は「東電OL 妹」「東電OL 写真」「東電OL セックス」などといったキーワードです。木嶋佳苗被告に関しても似たようなもので、そういったデバガメのような興味しかないのです。それが「善良な市民」「世間の常識」の本音なのです。

中川氏に言わせれば、「電子書籍の隠れたベストセラーはボーイズラブ、いわゆる少年同士の性交を描く小説や漫画」だそうです。朝日新聞に4千円近くのお金を払うくらいならアイドルかエロにお金を使う、そんな人たちが圧倒的多数なのです。

一方、偶然ですが、中川氏が編集長を務めるNEWSポストセブンに、「日本にはNHKと朝日新聞があるのが羨ましい」という記事が掲載されていました。記事では、「日本にはNHKと朝日新聞があるのが羨ましいなあ。いろんな見方をするメディアがある。韓国には『産経新聞』みたいなのが大手新聞だから(笑)」という韓国人ジャーナリストの発言が紹介されていましたが、NHKや朝日をやや買い被りすぎという気がしないでもないものの、韓国の現状を考えるとその気持はわからないでもありません。

しかし、ネットが普及して、新聞のヘッドラインがタダで読め、テレビの番組もネットで確認することができるようになったら、新聞にお金を出さなくなるのは当たり前です。今の新聞は、ネットに乗り遅れた団塊の世代に支えられているというのはたしかでしょう。世の人々が電子版でも新聞を必要としていると考えること自体、あまりにもわが身を知らなすぎます。

もっとも朝日新聞にしても、貧すれば鈍すなのか、最近、やたら北野武を持ち上げて新作映画の宣伝にひと役かっていますので、「B級ネタで勝負する」才覚は充分あるように思います。クオリティペーパーなる矜持を捨てて、産経のような”B級(B層?)新聞”に徹すればまだ生き延びる可能性は残っているかもしれません。
2012.11.03 Sat l 社会・時事 l top ▲
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夕方、近くの郵便局に行ったついでに鶴見川沿いを散歩しました。今日は新羽橋を渡って、対岸から新横浜の方向に歩きました。

最初土手の上を歩いていたのですが、途中から河原におりて歩きました。しばらく歩いて市営地下鉄の車両基地のあたりにさしかかると、歩道がアルファルトから砂利道に変わりました。

両側を背丈ほどのススキの穂におおわれ、しかもあたりはすっかり暗くなっています 。さすがにちょっと不安になりましたが、そのまま歩を進めました。すると、ススキの穂が途切れ、畑のようなものが目に入りました。しかも、その奥には小屋のようなものがあり、焚火をしている様子です。よくみると、小屋の前に男性が立っていて、じっとこちらをみていました。

私は「こんばんわ!」と声をかけました。しかし、男性は何も答えず背を向けて小屋のなかに入って行きました。どうやらホームレスの人のようです。だったら是非話を聞きたいと思いましたが、どうもあの様子では取り付く島がなさそうです。

私は、砂利道を引き返し、土手の上にのぼりました。土手の上から見ると、先程の小屋とは別に、草むらのなかにもうひとつ青いビニールシートを張った小屋がありました。

そのまま土手の上を進むと、やがて亀甲橋という橋に出ました。対岸が日産スタジアムです。それで、土手の遊歩道から離れて橋を渡ることにしました。

日産スタジアム周辺は、スポーツ関連の医療施設や競技専用のグランドが集まったスポーツ公園になっています。日産スタジアムの横の歩道を歩いていたら、下のほうからガチャガチャという甲高い車輪の音が聞こえてきました。なんだろうと思って下をみると、スケボーをやっているのです。それも20~30人もいます。あとで調べたら、そこはスケボー広場となっていました。

さらにその先のグランドでは、照明の灯りの下、サッカーの練習をしていました。それで、しばらく手すりにもたれて練習を見学しました。

どこのチームがわかりませんが(マリノスのサテライトチームのような気がしないでもありませんが、私はマリノスファンではないのでよくわかりせんでした)、その球捌きのうまさに感心しました。やはり研鑽を積んで一芸に秀でるというのは、すごいもんだなと思いました。

ネットでは妙なアマチュア信仰みたいなものが跋扈していて、官僚や新聞記者たちがバカ呼ばわりされていますが、彼らがエリートになったのは、あえて言えばネット住人たちと違って努力をして研鑽を積んだからです。コンビニの前でウンコ座りしている中学生と、そんな連中を横目に塾に通っている中学生が、10年後に差がつくのは当然だろうと言った人がいましたが、エリートだからどうのこうのと言う前に、まず彼らの努力や研鑽をすなおに認める姿勢が大事ではないでしょうか。批判するならそれからでしょう。負の感情による反エリート主義(アマチュア信仰)は、エリート主義以上に危険な気がします。あまのじゃくな私は、サッカーの選手たちの見事な球捌きをみながら、そんなことを考えました。

そのあと、帰宅ラッシュがはじまった新横浜の街をとおって戻ってきました。都合2時間あまりの散歩でした。


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2012.11.02 Fri l 健康・ダイエット l top ▲