大方の予想どおり、特定秘密保護法案が26日、衆議院の特別委員会で強行採決されました。そして、同日夜の本会議に緊急上程、本会議では自民・公明・みんなの党の賛成多数で可決、ただちに参議院に送られました。これにより”平成の治安維持法”は、今国会での成立が濃厚になりました。まさにこの国は歴史的な曲がり角にさしかかったと言ってもいいでしょう。

しかし、多くの人たちには(この法律に「反対」する人たちでさえ)、「この国が歴史的な曲がり角にさしかかった」という認識は乏しいようです。「いくらなんでもそれはオーバーだろう」と思っているのが本音ではないでしょうか。

特定秘密保護法では、行政機関の長が特定秘密を指定する権限をもつことになりますが、その「特定秘密指定権者」の行政機関は、53(あるいは57という話もある)にものぼるそうです。

そのなかには、各省庁の国務大臣のほかに、「中心市街地活性化本部長」「都市再生本部長」「郵政民営化推進本部長」「社会保障制度改革国民会議」など、外交や防衛やスパイやテロとどう関係があるのか首をひねりたくなる機関も含まれているそうです。そして、それらの機関によって既に30万件とも40万件とも言われる情報が「特定秘密」に指定される予定だと言うのです。「特定指定権者」には天下り機関も含まれていますので、公務員にとって都合の悪い情報がなんでも「特定秘密」に指定され、さらにそれが際限なく増殖する可能性さえあるのです。それは「オーバーな話」でもなんでもありません。

しかも、この法律では、行政機関の長がみずから指定した「特定秘密」を国会議員に開示するかどうかも行政機関の長の判断にゆだねられるのだそうです。つまり、国会議員より官僚のほうが上に立つのです。国会の国政調査権も制限されることになるのです。この法律に賛成する国会議員たちは、みずからの役割を放棄し、官僚のドレイになる道を選んだと言っても過言ではありません。

また、特定秘密保護法は、私たちにも深刻な影響をもたらす危険性があります。と言うのも、「特定秘密」を漏洩した人間だけでなく、「特定秘密」を「取得」した人間も、「未遂」「共謀」「教唆」「煽動」で処罰されることになるからです。それどころか、もともとなにが「特定秘密」なのかは知らされませんので、私たちはなにが「特定秘密」かは知る由もありません。だから、たまたま世間話として聞いた話が「特定秘密」に指定されていた場合は深刻です。その場合、「特定秘密」が漏れたこと自体が犯罪なので、警察に事情聴取されることだってあるでしょう。また、それをブログに書いたりすると、ある日突然警察の訪問を受け、家宅捜査されることもあり得えます。へたすれば、「共謀」「教唆」の罪に問われて逮捕されることだってあるかもしれません。

「特定秘密」というのは、とにかく絶対触れてはならない”ウイルス”のようなものです。しかも、なにが”ウィルス”であるかはわからないのです。しかも、法律の施行後、40万件が”ウィルス”に指定される予定だと言われているのです。

北海道大学の山口二郎氏は、ツイッターでつぎのようにつぶやいていました。


自民党の議員たちから見ても、「欠陥だらけの法案」にしか見えない。にもかかわらず、法案がひとり歩きする怖さを感じないわけにはいきません。

慶応大学(政治思想史)の片山杜秀氏は、東京新聞のインタビュー記事で、「二〇一一年に東日本大震災が起きました。社会が不安定になり、脱原発論のように、国家に都合の悪いことを言う人が増える中で、秘密保護法が成立しようとしている。両者は法としては開きがありますが、危機意識を持った国家が情報を統制しようとするという点は非常に似ている」と治安維持法が成立した当時の政治状況と今のそれがよく似ていると指摘していました。(東京新聞「子孫の利益考えよう 思想史家・片山杜秀さん」TOKYO Web

また、俳優の菅原文太氏は、反対集会でつぎのように発言していたそうです。

こういう法律が出てくるなんて考えもしなかった。戦後初めてでしょう。私は戦争中の時代をかすっている。その頃は異常な時代だったから考えられないことが沢山あった。この法案が通ればトドメになるのかと思うくらい悪法。娯楽と騒々しい中に放り込まれて、考える事をなくしてしまった中で、こんなものが突きつけられている。ここにいる皆さんが考えつかないような時代になる。
田中龍作ジャーナル・【秘密保護法】 言論人が総決起集会 文太兄ぃ「トドメの悪法になる」


「この国の歴史的な曲がり角」というのは、「新たな戦前の時代」ということです。それは決して「オーバーな話」ではないのです。

それにしても、メディアはどうしてこんなに手ぬるいのか。大手新聞でも産経と読売は、法案に対する批判的な視点は少なく、本音は「賛成」のように見えます。また、雑誌は言わずもがなで、「週刊新潮」と「週刊文春」なんて特定秘密保護法どころか、ネトウヨまがいの征韓論までぶち上げ、俗情と結託してヘイトな(民族憎悪な)ナショナリズムを煽りつづけています。まるで「戦前」への郷愁を募らせているかのようです。『原発ホワイトアウト』でも、原発再稼動に慎重な新潟県知事、いや新崎県知事に「毒を盛る」ために、「週刊文秋」なる週刊誌が登場しますが、私たちが若い頃、「週刊文春」は、内調(内閣情報調査室)の広報誌だとヤユされていました。この二誌が公安情報に強いのは昔から有名ですが、そういったワンダフル(ワンと吠える犬)な体質は今も変わってないということかもしれません。

強行採決を受けて、日本ペンクラブ(浅田次郎会長)は会見を開き、「ものを表現する人たちみなが制約を受けるのは目に見えている。自由な表現ができなくなることは文化の後退である」「後世にどのように拡大解釈され、悪用されるのか、誰も責任を取らない。法律とは現代の私たちのためではなく、未来のためのもの。民意に反して一分一秒を争うように強行したことは、未来への反逆だ」と抗議声明を発表したそうですが、だったらその前に新潮や文春を糾弾しろよと言いたくなります。新潮や文春のやっていることは見て見ぬふりをして、もっともらしいことばで法案を批判する。そういった羊頭狗肉な姿勢こそ「制度化されたことば」と言うべきでしょう。そんなことばは屁のつっぱりにもならないのです。戦前もこういった「制度化されたことば」は、いとも簡単に”動員の文学に”転化したのです。その先頭にいた出版社が文藝春秋社でした。

それは、「国民の知る権利が犯され、言論・報道の自由が制限される」として、法案に反対する声明を発表したジャーナリストの鳥越俊太郎氏(元毎日新聞)や大谷昭宏氏(元大阪読売新聞)や田原総一朗氏や金平茂紀氏(TBS)や岸井成格氏(毎日新聞)や川村晃司氏(テレビ朝日)にしても同じです。彼らは、アベノミクスを礼讃する一方で、生活保護を叩き、「尖閣」や「竹島」問題では、ヘイトなナショナリズムを煽ってきたのです。そういった流れが今回の法案につながっているという認識はないのでしょうか。私は彼らに対して、「いけしゃあしゃあ」という感想しかもてませんでした。

新聞やテレビにしても同様です。原発事故の際、「ただちに健康に影響はない」という政府のデマゴギーを流しつづけた新聞やテレビに、この特定秘密保護法に対する危機感がホントにあるのか疑問です。もともと彼らは、そういう危機感をもつような報道をしてきたわけではないのです。

そう考えると、この”平成の治安維持法”にホントに危機感をもって反対している人なんているのだろうかと思ってしまいます。そういった弛緩した空気こそ、戦前の治安維持法のときと「よく似ている」のかもしれません。
2013.11.27 Wed l 社会・時事 l top ▲
西野カナの新曲「さよなら」の「10年後も逢えるよ」というサビの部分を聴いているうちに、「おれたちにとって10年後ってただのじいさんとばあさんじゃないか。そんなヨボヨボな姿で逢ってどうするんだ?」なんて思ったりして暗い気分になりました。へたすればあの世で逢うことにもなりかねません。私たちにとって「10年後」はもう”未来”なんかではないのです。

外国人パブだかに入れ込んでいた知り合いと久しぶりに会ったら、最近はまったく足が遠のいていると言うのです。

「どうして?」
「頭だよ」
「頭? 病気かなにか?」
「違うよ。髪の毛だよ」
「髪の毛?」
「見てわからないか? 頭頂部がハゲてきたんだよ。そんな頭では行く気がしない。行ってもしようがないよ」

見るとそんなにハゲているようにも見えないのですが、本人は非常に気にしている様子です。そう言えば、以前、ネットで買った増毛クリームを塗ったら、逆に髪の毛が抜けたとか言って大騒ぎしていたことがありました。

それで、今では釣りや散歩が趣味になったそうです。それはそれでよかったんじゃないかと思いますが、一方で、ここにも老いが忍び寄ってるのかと思いました。

先日観た「ヨコハマ物語」という映画では、金妻(「金曜日の妻たち」)で人妻と恋に落ちた奥田瑛二が、定年退職した65歳の男性を演じていました。当時、私にも鶏冠(トサカ)のような前髪をした「跳んでる」人妻の知り合いがいましたので、65歳の孤独な老人を演じる奥田瑛二を見たときは少なからぬショックを受けました。余談ですが、あの頃、男性はみんな、髪はテクノカットで、ノーベントのダブダブのスーツを着て、セカンドバッグを小脇に抱えていたものです。一方、女性は、アメフトの選手のような肩パットが入った、やたら金のボタンが付いたスーツを着ていて、金のボタンが怒り肩の部分にまで付いていたことを覚えています。

と実は先日、そんな80年代の知り合いを偶然街で見かけたのでした。当時彼女は、”ネコ科の女”なんて言われて、熱をあげる男もいるくらい「燃えろいい女」(世良正則とツイスト)を地で行ってました。

都心のとある舗道を歩いていると、ビルの脇で煙草を吸っているグループがいました。ふと目をやると、そのなかにどこか見たことのあるような女性が煙草を咥えて立っていたのです。まさかと思いましたが、間違いなくそれは”ネコ科の女”の彼女でした。そして、そのとき、私は初めて彼女が転職した輸入雑貨の会社がここだったことを思い出したのでした。

見ると昔の面影は残っているものの、すっかり貫禄ある女性に変貌していました。長い黒髪は茶髪の短髪に変わり、かつての子猫のような小顔も煙草屋の店頭で居眠りするお××ちゃん猫のような貫禄ある顔になっていました。米米クラブの「浪漫飛行」の軽快なメロディをバックに、あの鶏冠のような前髪で跳ねるように街を闊歩していた“ネコ科の女”はどこに行ったんだという感じでした。

彼女は私のことに気付いてないようなので、私はとっさに顔を車道のほうに向けその場を通りすぎました。私とて彼女に勝るとも劣らぬくらい変貌しているので、彼女に声をかける勇気がなかったのです。

現実はこんなものです。「10年後も逢えるよ」なんて言わないほうがお互い身のためでしょう。
2013.11.21 Thu l 日常・その他 l top ▲
今日の朝日新聞デジタルにつぎのような記事が出ていました。

 特定秘密保護法案をめぐり、世界各地の作家らでつくる国際ペンは20日、日本ペンクラブと共同記者会見を開き、「市民の表現の自由を弱体化させる」として反対する声明を発表した。国際ペンが日本の国内法案について、反対声明を出すのは戦後初めて。

 記者会見では、ジョン・ラルストン・サウル国際ペン会長の反対声明が読み上げられた。「国にとって差し迫って必要でも、公益を守るためのものでもない。政治家と官僚が、過剰な秘密保全の考えに隠れて、自らに権力を集中させようとしている」として、法案を批判した。
国際ペン、秘密保護法案に異例の反対声明


国際ペンがこれほど危機感を持ち、言論統制に道を開く“平成の治安維持法”に反対しているなかで、我が国を代表する文芸出版社の文藝春秋社と新潮社は、多くの人が指摘するように、我関せずのような姿勢に終始しています。それどころか、『週刊文春』や『週刊新潮』では、作家批判を巧妙に回避しながら、原発などと同様、反対する勢力を意地悪く揶揄する始末です。まるで言論・表現の自由なんてどうだっていいとでも言いたげです。それより中韓やみのもんたを叩くことのほうが大事なのか。

中村うさぎによれば、作家にとって新潮から本を出すことはステイタスだそうですが、そんな文春や新潮から本を出して、編集者とナアナアの関係にありながら、一方で原発や特定秘密保護法に対して批判的なポーズをとる作家センセイたちの“二枚舌”には、やはり「偽善」ということばしか思い浮かびません。もちろん、作家センセイが表立って文春や新潮の姿勢を批判することはないのです。別にリゴリスティックにものごとを考えるわけではありませんが、まず隗より始めよでしょう。

それは、今回の法案の国会上程に大きな役割を果した公明党と創価学会の関係も同じです。

今日の東京新聞には、「秘密保護法成立へ一直線 公明党の大罪」という記事が掲載されていました。東京新聞のTOKYO Webでは、記事の前文しか読むことができませんが(キオスクで買おうと思ったら、既に売り切れていた)、前文では「稀代の悪法」の成立に手を貸す公明党を、つぎのように辛辣に批判していました。

 罪深きは公明党だ。希代の悪法たる特定秘密保護法案の成立に一直線とあっては、「安倍政権のブレーキ役」が聞いてあきれる。国民に期待を持たせた分、自民党よりもたちが悪いかもしれない。支持母体の創価学会も、秘密法案とダブる戦前の治安維持法違反の罪で初代会長が投獄され、獄死した過去を忘れたのか。安倍タカ派路線の補完勢力に成り下がった公明党を指弾する。(荒井六貴、篠ケ瀬祐司)


創価学会の、特に青年部や婦人部が取組んでいた平和や人権の運動に対しては、学会の外からも高い評価の声がありますが、今回、公明党がやったことは、それらを踏みにじる“背信的行為”だと言っても過言ではないでしょう。創価学会の末端会員たちは、それをどう考えているのか。民主主義社会における基本的人権については、思想も信条も信仰も関係ないはずです。上が決めたことなら、なんでもオッケーなのか。

また、これはネットで知ったのですが、同じ東京新聞のコラム(「本音のコラム」)で、文芸評論家の斎藤美奈子氏が、「生殺与奪の権」と題して、特定秘密保護法案をめぐる動きを、氏一流の言い回しで批判していました。なんだか負け惜しみのように読めなくもないですが、今の状況を考えれば、負け惜しみでも言いたくなろうというものです。その気持は痛いほどわかるのです。

 たしかに与党は数の上では圧勝だ。でも武将の質を見てごらん。特別委員会で答弁に立つ森雅子担当相は国会審議だけの代役で、いわば臨時雇いのバイトだし、軍師のはずの菅義偉官房長官は他の業務(NSC法案)で忙しく、総大将の安倍晋三首相は審議の前線に姿も見せない。こんなだらけた軍勢に法案を通す資格があるだろうか。
 強行採決なんかしたら後が怖いぞ。議員各位も関ヶ原をよーく考えた方がいい。悪いけど生殺与奪の権はこっちにあるのだ。


2013.11.20 Wed l 社会・時事 l top ▲
おとといの日曜日の夜9時すぎでした。安部首相と同じ相模湖の別荘に行くために(ウソです)、4号線を高井戸のほうに向かって走っていたときでした。やけに渋滞しているのです。「また工事なのか」とため息を吐き、ノロノロ走っていると、突然、前方に人影が現れたのです。なんと、振袖姿の女性でした。

女性は中央分離帯のガードレールに沿って歩いていました。私は一瞬なんのことやらわけがわからず「エエッ」と声をあげ、あわてて横を通り過ぎて行く女性のほうに目をやりました。女性は、まるで夢遊病者のように無表情でした。

どうしてこんなところに人が歩いているのか。しばらく走ると、今度は左手の壁沿いに、スーツ姿の男性が歩いているのが目に入りました。男性のほうはあきらかにあわてている様子でした。

首都高にはもちろん路肩なんてありません。中央分離帯と言っても、ガードレールがあるだけで、歩くスペースなんてどこにもないのです。事故に遭わなかったのが不思議なくらいです。

それからしばらく走ると、車の退避場所に、ヘッドランプを点けたままの車が停まっているのに気付きました。恐らく件のカップルが乗っていた車なのでしょう。しかし、見た感じでは故障や事故でもなさそうです。まるで緊急事態が発生して、その場に乗り捨てたといった感じでした。

仮に事故や故障であれば、携帯電話でレスキュー隊を呼べばいいだけの話です。車道を歩く必要なんかないでしょう。しかも、振袖姿の女性は、車道を渡って中央分離帯を歩いているのです。よくもまあ車と接触しなかったものだと思います。

なにがあったのか。喧嘩をして頭に来た女性が車から降りたのか。それにしては、あまりに無謀すぎます。

あのままどこに行くつもりだったんだろう。首都高から降りるには料金所まで歩くしかないのです。緊急の降り口があるとかいう話も聞きますが、女性は中央分離帯を歩いているので、降り口を探しているとも思えません。

私は、翌日の新聞に、「振袖姿の女性が首都高を徒歩」とか「振袖姿の女性、首都高ではねられる」とか言った記事が出てないか探しましたが、そういった記事はありませんでした。

私も昔、車のなかで喧嘩をして、たこ焼きを投げつけられたことがありますが、車から飛び出すなんてよほどのことでしょう。まして、首都高の上なのです。振袖姿にムラムラしてイタズラをしかけたら、女性が逃げ出したのか(実は、私はそう妄想したのですが)。

ツイッターに「首都高なう。振袖の女性が歩いてる。びっくりしてブレーキを踏んだ」などと書き込んだ人はいないのだろうかと思いました。まさか幻影だったわけではないでしょう。あの日あの時間に高井戸手前の下り線を走っていた人は、間違いなくその姿を見たはずです。

追記:
その後、ツイッターの検索で調べたら2件、書き込みがありました。位置は「高井戸の手前」ではなく「永福町の手前」だったみたいです。幻影じゃなくてよかった。
https://twitter.com/otakos/status/401684161016000512
https://twitter.com/pumoriyama/status/401691938073501696
2013.11.19 Tue l 日常・その他 l top ▲
特定秘密保護法の国会審議は、いよいよ大詰めを迎えていますが、私は、この法律について、意外な人物の口から意外な正論が発せられているのを知りました。

それは、橋下徹大阪市長です。橋下氏は、11月8日のぶら下がり取材で、特定秘密保護法について、記者の質問に答えて、つぎのように私見を述べたそうです。

「原則は、秘密はやっぱり嫌ですね。非常に危険、日本の行政機構がそういう秘密というものを適正に扱えるという体制には、僕はなってないというに思ってますね。」
「(略)行政サイドの方がパターナリズムな視点でね、国民のためだ国民のためだと言って、秘密というものの領域が広がっていくっていうのは、言っても権力機構なんて携わってるのは普通の人間なんですから。そんなね、適切にねこれは運用できるなんていうのは、なかなかそれは難しいと思います。やっぱり不都合なものは隠そうということに、どうしてもこれ人間だったらなってしまいますよ。だから原則はやっぱり公開。」
http://okos.biz/politics/hashimototoru20131108/


特定秘密保護法というのは、「防衛」「外交」「外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動の防止(注:スパイ活動)」「テロ活動防止」の4つの分野において、「我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがある」と判断すれば、行政機関の長が未公開の情報を「特定秘密」として指定することができるという法律です。また、「特定秘密」を漏えいした公務員や政治家だけでなく、「特定秘密」を「取得」した一般市民も、それぞれ10年以下と5年以下の懲役刑に処することが規定されています。まさに「特定秘密」にはさわらぬ神に祟りなしのような法律なのです。

しかも、「特定秘密」の定義が曖昧なため、政治家や役人が自分たちに都合の悪いことはなんでも「秘密」に指定するのではないか、そうやって「秘密」の拡大解釈が行われるのではないかという懸念の声もあがっています。政府の見通しでも、「特定秘密」に指定される対象は、現段階で40万件もあると言われているのです。

今までも、情報開示されても、肝心なところはすべて黒塗りにされていたという事例がありますが、これは黒塗りの公文書さえ出てこない、ある意味で究極の官尊民卑の法律だとも言えるのです。国家の安全のため、スパイから日本を守るためというのを口実に、自分たちに都合の悪いことを国民の目から隠すために使われるのではないか。日ごろ、公務員はシロアリだ、役人天国はけしからんとか言っている人たち(特に右派の人たち)は、どうして反対をしないのか。それが不思議でなりません。

一方で、元CIA職員のエドワード・スノーデン氏が暴露したように、アメリカの諜報機関は、いくらでも国家機関や政党や個人の情報を盗み見しているのです。もちろん、日本も例外ではないでしょう。そもそもこの特定秘密保護法にしても、アメリカの強い要請に従って、内閣情報調査室が主体になって作成した法律だと言われています。日本の国益を守るなんて言うのは単なる建前にすぎず、この法律の主眼はアメリカとの情報共有で、対米従属のためというのが真相ではないでしょうか。

情報公開なんて言いながら、一方で情報を秘匿する法律を作る。そこでは、時の権力者や役人たちに都合のいい情報と都合の悪い情報の区分けが行われるのは、火を見るよりあきらかでしょう。

私は、「僕はいつも職員にも言うんですけど、役所には申し訳ないけども一般有権者が役所を馬鹿にするとか政治家を馬鹿にするっていう、そっちの社会の方がよほど良いということをいつも言うんです」という橋下氏のことばは、この法律に対する鋭い”批評”になっているように思います。少なくとも十年一日の如く同じことばを使いまわしている左派なんかよりよほどことばにリアルさがありますが、果たして維新の会はこの”平成の治安維持法”にどう向き合うのか。

また、藤原紀香と伊勢谷友介もそれぞれブログとツイッターで、特定秘密保護法に対する懸念を表明していました。

秘密保全法案を、各所で読んでみたらその適用範囲が曖昧なので、そのようなスパイ行為にあたるものだけでなく、国が‘この案件は国家機密である’と決めたことに関しては、国民には全く知らされないことになり、放射能汚染、被爆などのことや、他に、もし国に都合よく隠したい問題があって、それが適用されれば、私たちは知るすべもなく、しかも真実をネットなどに書いた人は罰せられてしまう。。。なんて恐ろしいことになる可能性も考えられるというので、とても不安です(>_<)
(中略)
このまま施行されてしまうと、「日本の国土がどれくらい汚染されたのか明らかにしたい」ということさえ、タブーになってしまう可能性があるとのこと。

国が、これらを「特定秘密」に指定すれば、反対の声を挙げている人たちや、真実を知ろうとして民間で調査している人やマスコミ関係者などが逮捕されてしまう可能性があるって。。。日本は民主主義国家ではなくなってしまうのかな(T_T)
秘密保全法案って?


特定秘密保護法案を可決しようとしている現政権。
知らなければ、問題を考えられない人が増えて行く。そして、国民は馬鹿になってゆく。馬鹿になれば、問題は為政者に任せるだけになる。参加型民主主義に逆行中の日本。
9万件のパブリックコメントの約9割は反対。それを反故にしてる現政権。
https://twitter.com/Iseya_Yusuke/


ファンから山本太郎の二の舞になるのではないかと心配する声もありますが、勇気のある発言と言えましょう。

特定秘密保護法は、国民を「見ざる聞かざる言わざる」にする法律と言えますが、世の中にはそうはなりたくないという人たちがいる一方で、みずから進んで「「見ざる聞かざる言わざる」の三猿になりたい、それが国を愛することだと思っている人たちもいるのです。

それは、腹に一物の政治家たちが意図的にナショナリズム(「愛国」)を煽ってきたからにほかなりません。この特定秘密保護法が「尖閣」や「竹島」の延長に出てきたことも偶然ではないのです。ここにもナショナリズム(「愛国」)が、国を食む”悪党たち”の隠れ蓑になっている現実があるように思えてなりません。
2013.11.18 Mon l 社会・時事 l top ▲
楽天市場での「優勝セール」における不当表示問題ですが、この問題を受けて11日に行った楽天代表取締役会長兼社長(この肩書もすごい!)の三木谷浩史氏の記者会見に対しても、疑問を呈する声は多いようです。

三木谷会長兼社長があきらかにしたところによれば、「調査で見つかった不正価格表示は17店舗、1045商品。商品を購入したのは118人。代金の合計は46万9967円」(CNET Jpannの記事より)だったそうです。そして、「対象店舗について、1カ月のサービス停止を実施。さらに商品をキャンセルするユーザーに対して代金を現金および楽天のポイントで補償する」(同)そうです。

しかし、「サービス停止」になった対象店舗のなかに、例の10個入り1万2000円のシュークリームを77%引きの2600円で売っていた店や、1万7310円のスルメイカを9800円で売っていた店は入ってないのです。

なぜならこれらの店は、「優勝セール」に事前に申請して参加した「正規」のセール参加店舗だからだそうです。じゃあ、どうしてそんな不当表示が行われたのかと言えば、楽天のチェックが甘くて、結果的に見逃してしまったからだと言うのです。どんなチェックしているんだ、ホントにチェックしていたのか、と言いたくなりますが、ただ、チェックがあったにしてもなかったにしても、不当表示したことはまぎれもない事実でしょう。にもかかわらず、正規のセール参加店舗だったからという理由だけで、無罪放免になるのは、どう考えても首をひねりたくなる「処分」だと言わざるをえません。楽天は一体どっちを向いて商売しているんだ、と言われても仕方ないでしょう。

もっとも、「金を掘る道具を売る人」である楽天にとって、”お客様”はあくまで「金を掘る」ショップなのです。ショップで買い物する顧客は、”二義的なお客”にすぎないのです。今回の「処分」にも、そんな楽天の姿勢が如実に出ているように思います。

また、不当表示に関しても、今回の問題は氷山の一角ではないかという声がありますが、たしかに、今回はあまりにも非常識すぎたので、表面化したにすぎないという見方もできるのかもしれません。楽天が不当表示を認める前から、ネットではシュークリームやスルメイカや大根の価格がおかしいという指摘がありました。私も楽天の発表の前に、それらの指摘を目にして、「またか」と思ったものです。不当表示があったからと言って、別に驚くことではありませんでした。

私たち自身も、楽天やヤフーで買い物をする場合、程度の差こそあれ、「ホントかな?」と常に疑心暗鬼になっているのは事実でしょう。

その疑心暗鬼は、価格に対してだけではありません。ブランド品などには、「ホントに本物なのか?」という疑心暗鬼がありますし、実際にそういった噂も常に存在しています。ヤフオクでのあのコピー品の放置&横行を見せつけられると、ネットに対して疑心暗鬼にならざるをえないのは当然でしょう。

三木谷会長兼社長は、「性善説」でシステムを作ってきたので甘いところがあった、というような発言をしていましたが、私はその発言を聞いて、「よく言うよ」と思いました。こういう発言こそ、子どもだましのカマトトと言べきでしょう。

ネットが”悪意の塊”であり、ネット自体がいかがわしいものであるのは、半ば常識です。そういういかがわしさを利用して金のなる木にしたのが、楽天やヤフーやアマゾンなのです。極端なことを言えば、不当表示だってコピー品だってネットにはつきものなのです。それがネットというものです。もちろん、楽天だってヤフーだってアマゾンだって一蓮托生でしょう。

Google の検索結果を見ればわかりますが、今やネットは、楽天やヤフーやアマゾンのシステムを利用しないと商売もできないような、当初謳われていた”ネットの理想”とは真逆の、反動的で不自由な時代になっていますが、だからと言ってネットのいかがわしさがなくなったわけではありません。むしろ、楽天やヤフーやアマゾンの看板の陰に隠れてより巧妙になっていると言ってもいいでしょう。今回の不当表示も、たまたまその一端が出ただけで、出るべくして出たと言うべきかもしれません。

>> 『ソーシャルもうええねん』
>> ネットの現実
>> 楽天がうざい
2013.11.13 Wed l ネット・メディア l top ▲
原発ホワイトアウト


今、話題の小説『原発ホワイトアウト』(講談社)を読みました。

奥付には、以下のような「著者略歴」が載っていました。

若杉 冽(わかすぎ・れつ)
東京大学法学部卒業
国家公務員1種試験合格。
現在、霞が関の省庁に勤務。


また、本の冒頭には、つぎのような有名な箴言が掲げられていました。

歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として(カール・マルクス)


なにがくり返されるのか。原発事故です。

『原発ホワイトアウト』は、原発再稼動に蠢く電力会社・役所・与野党のいわゆる「原子力ムラ」のゾンビたちの、国家を食む実態を暴いた「告発」小説です。しかも、著者は、霞が関の現役のキャリア官僚なのです。

小説はそのリアルさが話題となり、発売1カ月で6万5千部と、新人の作品としては異例の売れ行きになっているとか。そのため、霞が関では「若杉冽」という覆面作家が誰なのか、犯人捜しがはじまっているそうです。

日本電力連盟常務理事の小島巌は、保守党が政権に返り咲き、国会のねじれも解消された現在、一日も早く原発再稼動を実現して「モンスターシステム」を復活させなければ「世の中がめちゃくちゃになる」、と危機感をあらわにします。

(略)世の中がめちゃくちゃになる、とは、電力会社のレントという甘い蜜に群がることができなくなる、ということと同義であった。政治家はパーティー券が捌けず、官僚は天下りや付け回しができず、電力会社は地域独占という温室のなかでの大名扱いがなくなる、ということだ。


レントとは、「10社体制」による地域独占と総括原価方式という独占価格によって生み出される超過利潤です。その一部が取引先にプールされ、政界工作や世論工作などに使われているのでした。そういった「モンスターシステム」によって生み出される裏金は、小島巌の出向元である関東電力だけで年間800億円あると言われているのです。

再稼動を実現するためには、福島第一原発事故によって目の上のたんこぶのように発生した、いくつかの問題を取り除かなければなりません。その際に手足となるのは、マスコミ・与野党の政治家・原発文化人・検察&警察でした。

まず最初に目ざわりなのは、新崎原発の再稼動に対して、慎重姿勢を崩さない新崎県の改革派知事・伊豆田清彦です。伊豆田知事は、清廉潔白で県民からも絶大な支持を得ていました。しかし、一方で、既得権をはく奪された県庁職員やそのOB、また県庁職員と癒着しておいしい汁を吸っていた地元企業からは煙たがられているのでした。そんな伊豆田知事にどう「毒を盛る」か。

小島巌は、まず地元紙に、県が業務用システムの開発を発注したソフト会社が、親戚のトンネル会社をとおして伊豆田知事に利益供与している疑いがあるというスクープ記事を書かせます。その記事を受けて今度は、関東電力の労組出身の議員が、県議会でその問題をとり上げ、知事に疑惑を正すのでした。さらに追い打ちをかけるように、大手の週刊誌「週刊文秋」に、知事のスキャンダル記事がセンセーショナルに掲載されます。それによって知事の支持率は急落。最後は、「原子力ムラ」の意を汲んだ東京地検特捜部が強制捜査に乗り出し、伊豆田知事を収賄容疑で逮捕。再稼動に反対する改革派知事は、こうして失脚させられるのでした。

つぎは、国会周辺で行われる反原発デモです。デモに対しては、警察によるあの手この手の「デモ崩し」が行われていました。たとえば、警察はデモ参加者の顔をビデオ撮影し、デモの帰りを尾行。参加者の住所や勤務先を特定したあと、後日、所轄の警察署の警察官が近所の家や職場を訪問してデモに参加していることを告げ、ときにビデオを見せて、参加者を地域や職場から浮き上がらせるように仕向けるのでした。また、デモ帰りの自転車の無灯火や立ち小便に対しても、道交法違反や軽犯罪法違反で現行犯逮捕するという嫌がらせを行うのでした。

デモの先頭には、脱原発候補として参院選で当選した元俳優の「山下次郎」がいました。外国要人が来日したある日、彼もまた条例違反の違法デモを扇動したかどで、機動隊に逮捕拘束されるのでした。

もうひとつ大事なことは、世論工作です。原発事故による脱原発の感情論から、なんとしてでも世論を「再稼動やむなし」に転換させなければなりません。それには、電気料金の「値上げか再稼動か」の二者択一を迫り、「『値上げ』で大衆を脅すしかない」のです。そして、その「脅し」には、膨大な広告費で手なずけたテレビの力を借りるのがいちばんです。

「原発事故もいやだけど、月々の電気料金の支払いアップも困りますよね」
 と、ワイドショーのコメンテーターが呟けばよいのである。大衆は、ワイドショーのコメンテーターの意見が、翌日には自分の意見になるからだ。


発送電分離や電力の自由化といった「電力システム改革」についても、官僚や政治家たちは「神は細部に宿る」とうそぶくのでした。つまり、「電力システム改革」という金看板はおろさずに、細部の制度設計をコントロールして実質的に骨抜きにすればいいと考えるのです。

「(略)発電部門と送電部門が法的分離をしたとしても、所詮、民間企業の同じグループ会社です。会社の建物も同じであれば、株主も共通で、持ち株会社によって支配されます。人事も形のうえでは一定の制限を設けないといけないでしょうが、、幹部クラスにとどめることはできるでしょう。若い人たちは持ち株会社を経由して、いくらでも行き来は可能です。会社の内戦電話やイントラネットだって共有でしょう。(略)」


これは、経済産業省資源エネルギー庁次長の日村直史が、保守党の「商工族のドン」・赤沢浩一に、発送電分離について説明しているときの日村の発言なのですが、私は読んでいて「あれっ、どこかに似た話があるな」と思いました。そうです、郵政民営化と同じなのです。

ほかにも、マスコミやネットに電力会社に都合のいい「声」を届けるために、電力会社がやらせの”工作員”を抱えているとか、電気料金の徴収で手に入る顧客情報が、選挙のときには第一級の選挙資料に化けるとかいった、アンタッチャブルな電力会社の一面も描かれていました。

そして、テロをきっかけに、新崎原発で再び外部電源喪失によるメルトダウンが起こり、小説は終わります。

たしかに小説はリアル感満載です。モデルが簡単に特定できるので、まるで実録小説のように読めるのです。ただ、小説自体は稚拙で、小説としての深みはあまりありません。

私は、終章に出てくるつぎのようなことばが印象的でした。

 フクシマの悲劇に懲りなかった日本人は、今回の新崎原発事故でも、それが自分の日常に降りかからない限りは、また忘れる。喉元過ぎれば熱さも忘れる。日本人の宿痾であった。
 ― 歴史は繰り返される。しかし二度目は喜劇として。


別の箇所には、「国の政治は、その国民の民度を超えられない」ということばも出てきますが、たしかにそのとおりで、なんとか言っても、問題の本質は私たち自身にあるのです。

ある新聞に、小説では逮捕される山本太郎が、現実では自分からずっこけてしまった、というような皮肉っぽい記事が出ていましたが、山本太郎も然り。また、今、問題になっているホテルやデパートの食材偽装や楽天優勝セールでの不当表示なども然りです。みんな根っこはつながっているように思います。ゾンビを生きながらえさせているのは、愚民扱いされている私たち自身なのです。

また、この小説では触れられていませんが、現在開会中の国会で成立が見込まれている「特定秘密保護法」では、原発にテロ(核テロ)の網をあぶせれば、「特定秘密」に指定することも可能でしょう。そうなれば原発に関する情報は、「ただちに健康に影響はない」とか「汚染水は完全にブロックされている」とかいった話どころではなく、すべて闇のなかに秘匿されることにもなりかねないのです。

東電はけしからん、経産省もけしからん、東大や東工大の学者もけしからん、自民党も公明党も民主党もけしからん、マスゴミもけしからん。そんなことを百万遍唱えても国家を食い物にする構造は微動だにしなでしょう。私たちが変わらない限り、なにも変わらないのです。変わりっこないのです。

では、3.11以後、なにか変ったのか。「変わった」「変わった」と言うわりにはなにも変わってないのではないか。元の木阿弥になりつつある今の状況がすべてを物語っているのではないでしょうか。この『原発ホワイトアウト』は、そんな無理が通り道理が引っ込む状況に対して、やりきれないような気持にさせられる小説と言ってもいいでしょう。

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2013.11.08 Fri l 本・文芸 l top ▲
2013年11月7日 002


別にラーメン好きというわけではないのですが、なぜか急に大分のラーメンが食べたくなりました。

ネットで調べたら、伊勢佐木町の近くに大分ラーメンの店があるというので、夕方から散歩がてら出かけました。

しかし、残念ながら期待外れでした。やはり違うのです。こっちでホンモノの味を求めるのは無理なのかもと思いました。

道路の反対側では、某有名ラーメン店の開店を待つ人たちの行列ができていました。私は、並んでまでラーメンを食べたいとは思いませんが、あの人たちってホントにラーメンの味がわかっているんだろうかと思いました。

ホテルやデパートの食材偽装の店だって、食通と称する人たちが「やっぱりファミレスとは違うわ」とかなんとか言いながら、歯に挟まった肉の切れはしを爪楊枝でほじくるのを我慢して、さも満足そうに蘊蓄を傾けていたのかもしれませんが、なんのことはないファミレスや牛丼屋と同じだったのです。なかにはミシュランガイドで星を獲得した店もあったそうですから、ミシュランもいい加減なものです。

回転寿司にしても、何千万円も出してマグロを買いつけ、店頭で解体ショーを行ったりして”ホンモノ度”をアピールしていますが、しかし実際に出されているのは、ほとんどが「もどき」の魚ばかりだそうです。「やっぱり今の時期のカンパチはうまいな」なんて言ってるサラリーマンのお父さんは、正確には「やっぱり今の時期のカンパチもどきはうまいな」と言うべきなのです。

ラーメンを食べたあと、日の出町から野毛、そして、みなとみらいに寄り、本などを買って、さらに横浜駅まで歩きました。

季節のせいもあるのでしょうが、夕暮れどきの横浜の街っていいなとしみじみ思いました。街中でも住宅地と接近しているので、食べ物屋に入っていても、近くに住んでいる人が普段着でふらりとやって来る、そんな雰囲気があります。それは、東京の都心では決して味わえない雰囲気です。

そして、それがまた街の雰囲気にもつながっているように思います。東京のように人でごった返していることがないので、歩きながらいつの間にか自分の世界に浸っている自分がいました。そして、なんだかなつかしいようなせつないような気持になっているのでした。年取ってもう一度同じ街を歩いたら、きっと泣くだろうなと思いました。

みなとみらいでは、既にクリスマスツリーが飾られていました。


2013年11月7日 013

2013年11月7日 016

2013.11.07 Thu l 横浜 l top ▲
だから荒野


桐野夏生の新作『だから荒野』を読みました。この小説については、ネットでは「酷評」と言ってもいいような低い評価しか見当たりません。私は、なんとかネットとは違う感想を書きたいと思って読みましたが、残念ながらネットと同じような感想しか持てませんでした。

どうしてこんな中途半端でつまらない小説になったんだろう、と逆に考えてしまいました。桐野は、以前、あの『OUT』が誕生したのは、編集者に理不尽とも言えるほどダメ出しされ鍛えられたからだというような話をしていましたが、この『だから荒野』は毎日新聞に連載された新聞小説ですので、編集者のきびしい目が届かず、タガがゆるんだ面もあるのかもしれません。

主人公の朋美は46才で、東京近郊のマンションに住む専業主婦です。朋美の家庭は、ハウジングメーカーに勤める夫と、大学生と高校生の二人の息子の4人家族です。でも、自分のことしか考えてない、デリカシーの欠片もない夫と息子たち。

朋美の46才の誕生日の夜、新宿のイタリアンレストランに食事に行った際、彼らのあまりの身勝手さについに堪忍袋の緒が切れた朋美は、突然、ひとり店を飛び出し、そのまま愛車のティアナに乗って家出をするのでした。

 仕事も持たず、家庭という小さな箱の中で生きてきた自分は、母親失格だの主婦失格だの言われる度に、負い目を感じて首を竦めていなかったか、臆病なカメのように。何も気にする必要などなかった。堂々と生きていればよかったのだ。


朋美は、ふと、結婚前につきあっていた”彼”が住んでいる九州の長崎に行ってみようと思うのでした。

一方、妻に家出をされた夫の浩光が心配するのは、妻のことより、車に乗せたままになっているゴルフバッグとポーチのなかに入っている紙片です。というのも、その紙片には、行きつけのゴルフ練習場で知り合った人妻の住所と携帯番号が書いてあるからです。近日中に行われるコンペで、浩光は、その人妻を送迎する約束をしていたので、ゴルフバッグと連絡先の紙片がないと困るのでした。

朋美が家出をしても、誰ひとり心配する者もおらず、ただ「勝手だ」「無責任だ」と非難するだけの家族。

途中の高速道路でティアナを乗り逃げされた朋美が、ヒッチハイクで出会ったのは、長崎で原爆の語り部をしている老人でした。でも、ここから小説は牽強付会さと説教臭が目立つようになります。長崎の”彼”もどこかに行ってしまい、最後にとってつけたようにチラッと出てくるだけです。

そして、最終的には、元の鞘に収まるような話の展開になるのですが、これじゃ安っぽいテレビドラマと同じじゃないかと思いました。『ハピネス』とこの作品の落差には、ネットならずとも戸惑うばかりです。

私は、てっきり昔の”彼”と再会して、焼けぼっくいに火が付き、道ならぬ恋がはじまるのではないかと思っていましたので、原爆の語り部の登場は唐突感が否めませんでした。しかも、彼の口から出るのは、ありきたりで陳腐なことばばかりです。原爆の語り部について、作者は、東日本大震災と福島第一原発の事故に触発されたからだというようなことを新聞のインタビューで語っていましが、小説を読む限り、触発のされ方が間違っているのではないかと思いました。

話が横にそれますが、それは、園遊会での行為が問題になっている山本太郎なども同様です。どうして「天皇直訴」なのかと思わざるをえません。

与野党やマスコミの「政治利用」という批判に対しては、「主権回復の日」や「オリンピック招致」の「政治利用」を問題にしないで山本太郎の行為だけを問題にするのは、公平さを欠くのではないかという意見がありますが、たしかにそのとおりで、ここぞとばかりに山本太郎を叩く光景には、まずバッシングありきの薄汚れた思惑がミエミエです。

しかし、山本太郎の行為が「政治利用」ではないのかと言えば、それも無理があるように思います。国会議員が公的な問題に関する内容の手紙を天皇に直接渡すという行為自体は、誰がどう考えても政治的な行為以外のなにものでもないでしょう。

私は、山本太郎の行為に、彼の”危うさ”を見た気がしました。それは、山本太郎に限った話ではないのです。反原発運動の内部にも、あるいは三宅洋平などにも見られるものです。また私たちも、「反原発」という大義のために、あえてそれに目をつむっていたところもあったのです。

「原発事故によって奇形な子どもがどんどん生まれている」「目が見えなくなったとか白血病で死にましたとかいう話がどんどん出ている」、こういった「カルト」と言われても仕方ないようなもの言いが、「反原発」運動のなかでまことしやかに流通しているのは事実でしょう。もちろん、原発事故の放射能汚染による健康被害は、決して看過できない重大な問題ですし、原発事故の不条理を告発しつづけることは大事です。でも、それがどうしてこんなカルトの妄想のような話になるのか。

「絶対的な正義」なんてないのです。そこには必ずなんらかの留保がなければなりません。「絶対的な正義」をふりかざす問答無用な作風が、「反原発」のなかにも生まれているのは否定できないのではないでしょうか。そして、そういった作風と「天皇直訴」がつながっているように思えてならないのです。

『だから荒野』に忽然と登場した原爆の語り部も、そんな”危うい”解釈と無縁ではないように思います。考えてみれば、『だから荒野』は、日常に不満をもつ主婦が、ある日突然、日常に反旗を翻して旅に出る話なのです。それは、あくまで一時的に日常から非日常へと旅に出る話にすぎません。別に片道切符で出奔する話ではないのです。なのに、どうして原爆の語り部なのか。そこあるのは、プロレタリア文学と同じような観念の操作と、それによってもたされるプロットの破綻です。

私は、昔の”彼”とやけぼっくいに火が付いたほうが、(それはそれで凡庸な小説ではありますが)よほど面白い小説になったように思います。「政治の幅は生活の幅より狭い」と言ったのは埴谷雄高ですが、言うまでもなく人間というのは、政治ではなく生活の幅のなかで生きているのです。「政治、そして社会制度は目のあらい網であり、人間は永遠に網にかからぬ魚」(坂口安吾・『続堕落論』)なのです。政治的なイデオロギーを人間より上位にもっていくプロレタリア文学が、人間を描けないのは理の当然なのです。

本の表紙にもあるように、朋美が家を出てティアナのハンドルを握り、高速道路を西に向けて走らせていたとき、彼女がフロントガラス越しに見た風景は、こんなつまらないものだったのか。そう思うと、がっかりせざるをえないのでした。
2013.11.01 Fri l 本・文芸 l top ▲