最近、都内ではイオンリテールが運営する都市型の小型スーパー「まいぱすけっと」がやたら目につくようになりました。これも都市部の住民の高齢化を見据えたイオンの戦略に基づくものなのでしょう。

前に広尾の記事でちょっと触れましたが、都心に住むお年寄りは、従来から日常の買い物をコンビニで済ませる傾向があったのですが、「まいぱすけっと」が狙っているのは、そういった都市部の「買物弱者」と言われる高齢者の取り込みなのでしょう。「まいぱすけっと」が競合するのは、既存のスーパーではなくコンビニなのです。

私も、近所だけでなく出先においても、いつの間にか「まいぱすけっと」を利用することが多くなりました。食品に関しては、コンビニより品揃えが充実しているし、価格も安いからです。

先日も都内のとある「まいぱすけっと」に行ったときのことです。商品を入れたカゴをレジに持って行くと、40~50才くらいの中年の男性がレジの奥に立っていました。私は何度かその店に行ってますが、行く度にいつも彼がレジに立っています。ほとんどフルタイムで働いているのでしょう。最近話題になっている「中年フリーター」なのかもしれないと私は思いました。

Yahoo!ニュース(東洋経済オンライン)
「中年フリーター」のあまりにも残酷な現実

レジに表示された金額を確認すると、984円でした。それで、私は、財布のなかから千円札1枚と84円の小銭を支払いの受け皿に入れました。小銭がかさばるので、100円玉でお釣りをもらおうと思ったのです。

ところが、レジの男性が差し出した釣銭を見た私は、思わず「エエッ!」と声をあげてしまいました。数えるのも面倒な50円玉と10円玉と5円玉と1円玉の小銭ばかりなのです。これじゃわざわざ端数を出した意味がありません。私は、「100円玉に替えてもらいますか?」と言いました。

すると、レジの男性は、「できません」と言うのです。それも市役所の窓口の職員のような実に無愛想なもの言いです。

「どうして?」
「・・・」
「だって、100円玉のお釣りをもらおうと思って、わざわざ小銭を出したんですよ」
「・・・」
「100円玉に両替してくださいよ」
「で、できません」
「わからないな。どうしてできないんですか?」
「・・・」

まさか100円のお釣りごときで、どこかのアホなおっさんみたいに「店長を出せ!」なんて言うわけにはいかないので、首をかしげながら店を出たのですが、近くにいたほかのお客たちもみんなキョトンとしていました。

あとで小銭と一緒にもらったレシートを確認したらお釣りが98円となっていました。私がもらった釣銭は100円です。どうしてレシートが98円なのか。

学生時代にスーパーでアルバイトをした経験がある女の子にその話をしたら、おそらくレジの機械にお金を全部入れるのを忘れたからではないかと言うのです。つまり、お札と小銭を入れると自動的に釣銭が出てくる仕組みになっている機械だと、小銭を入れ忘れると誤った釣銭が出てくるのです。

私の場合、1084円渡したにもかかわらず、レジの男性が1082円しか機械に入れなかったために釣銭が98円出てしまった。それに、入れ忘れた2円を足して小銭ばかりの釣銭を差し出したのだろうと言うのです。だから、レシートの釣銭が98円になっているのだと。

だったら、どうして小銭を100円玉に両替できなかったのか。それは、アルバイトが勝手にお金が入っているボックスを開けられないようになっているからではないかと言ってました。

聞けば、「まいばすけっと」の場合、一人の店長が二つの店を受け持っているのが普通だそうです。と言うことは、店長が不在の場合が多いわけで、実質的に店はアルバイトだけで運営していることになります。そうなれば、よけいお金の扱いにシビアにならざるを得ないのでしょう。うがった見方をすれば、両替ができないのは、アルバイトがレジのお金に手を出すのを防ぐ意味もあるのかもしれません。

そのため、今回のような”トラブル”があっても、臨機応変に対応することさえできないのです。ただ「できません」とつっぱねるしかないのです。アルバイトは泥棒という発想があるんじゃないかなんて意地の悪いことさえ考えました。非正規雇用の正社員化を主張する民主党の岡田代表の実家が経営するイオンは、それでもとにかく「安い人材」を使いたいのでしょう。

企業の利益のために「安い人材」を使う。それはもう当たり前のようになっています。しかも、資本家や曲学阿世の御用経済学者や池田某のような安手の新自由主義者だけでなく、使われる立場の人間たちでさえ一緒になって(まるでオウム返しのように)「安い人材」を使うのは当たり前だと主張するのです。「お前たちこそ『安い人材』じゃないか」と言いたいけど、そんな単純なことばさえ彼らには通用しないのです。

自分で計算して釣銭を出すことも、両替することもできない、ただレジの機械に使われるだけの人間。もしかしたら彼らの人件費は、レジの機械のメンテナンス料より安いのかもしれません。そういう仕事を若い人間だけでなく、中高年の立派な年齢の人間たちがフルタイムでやっているのです。

彼らの姿は、格差という問題だけにとどまらず、もっと大きな社会的な問題を含んでいるように思います。折しも今年度のブラック企業大賞がノミネートされたというニュースがありましたが、もはやセブンイレブンやユニクロやワタミやイオンだけではなく、社会全体がブラック化している現状があるのです。すべてを経済合理性でしか考えない風潮。「安い人材」が当たり前のように蔓延しているからと言って、それは当たり前のことではないでしょう。

第4回 ブラック企業大賞2015 ノミネート企業発表!
http://blackcorpaward.blogspot.jp/

旭化成建材のくい打ちデータ改ざんの問題も福島の除染廃棄物の不法投棄の問題も介護施設の入居者に対する暴行の問題も、その構造は同じです。末端の仕事を担っているのは、100円の釣銭も自分の意志で出せないような「安い人材」ばかりなのです。

私たちは今、たまたま彼らからサービスを受ける立場にいますが、私たち自身がいつ100円の釣銭も自分の意志で出せないような「安い人材」として、ブラック企業で働かざるを得ない立場になるかもしれないのです。社会のブラック化は、他人事ではないのです。
2015.10.29 Thu l 社会・時事 l top ▲
琉球独立宣言


先日(10月15日)、朝日新聞に、「『琉球独立』絵空事ではない」という松島泰勝・龍谷大教授の寄稿文が掲載されていました。松島教授は、石垣島出身で、「琉球民族独立総合研究学会」の共同代表を務めている人物です。

朝日新聞デジタル
「琉球独立」絵空事ではない 松島泰勝・龍谷大教授寄稿

そのなかで、松島教授は、つぎのように述べています。

 琉球人は基地の押し付けを「沖縄差別」であると考えている。このまま差別が続くならば、独立しかないと主張する人が増えてきた。ネットの世界で飛び交っている、琉球独立運動への偏見に満ちた言葉によっては、琉球で今起きていることは理解できない。

 今、琉球では歴史上これまでになく独立を求める声が広がっている。琉球は日本から本当に独立できるのだろうか。何のために独立するのだろう。私たちにとって独立とは世界のどこかのことであり、自分とは関係がないと思っている人が日本人の大半ではないか。

(略)そのような日本の中で琉球では本気で独立を目指す運動が活気づいているのである。どこから独立するのか? この日本からである。琉球の独立は日本や日本人とって他人事でも、絵空事でもなく、自分自身の問題である。


「琉球人の琉球人による琉球人のための独立」を主張する松島教授に対して、ネットでは「中国共産党の手先」「反日」「売国奴」「スパイ」などという罵詈雑言が浴びせられていますが、ネットを席巻している”中国脅威論”についても、松島教授は、近著『琉球独立宣言』(講談社文庫)のなかで、漢字・仏教・法制度・芸術など、日本が中華文明からさまざまな影響を受けてきたがゆえに、逆に「日本人のアイデンティティ」が「中国の文物を否定することで形成された一面」があることを指摘していました。つまり、”中国脅威論”には、単に政治的な意味合いだけでなく、「中国のやることなすことを否定することで日本人として自己認識し、他の日本人からも同じ日本人と認められるという」”東夷”の国の屈折した心性が伏在しているというわけです。

自民党沖縄幹事長であった翁長雄志氏が、2014年の知事選で、「イデオロギーよりアイデンティティ」という有名なことばを残して、共産党を含む「オール沖縄」の候補として立候補したきっかけについて、松島教授は、『琉球独立宣言』で、つぎのように書いていました。

2013年に41自治体の全市町村長、議会議長、県議会各会派代表、経済団体代表がオスプレイ配備撤回、普天間基地の閉鎖撤去、県内移設断念を日本政府に訴えた「建白書」を翁長はとりまとめ、東京の街を皆でデモ行進しました。そのとき、沿道から「うじ虫、売国奴、日本から出て行け」などのヘイトスピーチの攻撃を受けました。そのころから、翁長の心には「被差別の対象」であり、「自己決定権行使の主体」という琉球人アイデンティティが強くなり、イデオロギーをこえた「オール沖縄」への志向がこれまでになく高まったのではないでしょうか。


辺野古の問題に限らず沖縄をめぐる一連の問題の根底には、あきらに沖縄への差別があり、沖縄を日本の植民地のようにしか見ない考えがあります。ネトウヨや百田尚樹らの沖縄に対するヘイト・スピーチは、そんな日本の本音をあらわしたものと言えるでしょう。

しかし、琉球が日本から統治されていたのは、1879年から1945年までと1972年から現在までの109年にすぎないのです。14世紀の北山国、中山国、南山国の三国時代から1429年に琉球国に統一され、1872年に明治政府によって琉球国が滅ぼされ日本に併合される(琉球処分)までの600年近く、「琉球は日本国とは異なる国として存在していたのです」。

かつて琉球国は、アメリカ・フランス・オランダと修好条約を締結していました。その原本は、現在、外務省の外交史料館にあるそうです。

今年の1月、松島教授ら「琉球民族独立総合研究学会」のメンバーが外務省沖縄事務所を訪問して、その原本の琉球への返還を求めたのに対して、応対した外務省の職員は、「当時の状況があいまいであるため、琉球国は存在したとも、存在しないとも言えない」と答えたそうです。琉球の歴史にとって、これほど侮蔑的な発言があるでしょうか。

1903年の大阪で開催された内国勧業博覧会において、琉球人は檻に入れられ見世物にされたそうですが、そういった差別の本質は現在も変わらないのです。

「本土復帰」の際に体験した「同化」教育について、松島教授はつぎのように書いていました。

「復帰」の年に小学校3年生であった私は、担任の教員から「方言札」の罰を受けました。生徒が琉球諸語を教室で話すと「方言札」と書かれた紙を首からつるされ、さらし者のように1日を過ごさなくてはならないのです。


ヨーロッパでは現在、分離独立運動が政治的なトレンドになっています。昨年の9月に実施されたイギリスのスコットランド独立を問う住民投票は独立派が僅差で敗れましたが、独立運動を担っているスコットランド国民党(NSP)は、先の総選挙で56議席を獲得し、保守党・労働党に次ぐ第三党に躍進しました。また、私たちにもジョージ・オーウェルの『カタロニア賛歌』でなじみが深いスペインのカタルーニャ自治州では、今年の9月におこなわれた州議会選挙で、独立派が過半数を制したというニュースがありました。スペインではほかに、バスク地方の分離独立運動も先鋭をきわめています。もちろん、スペインだけでなく、イギリスにもフランスにもイタリアにもドイツにも、ヨーロッパには数えきれないくらい分離独立運動が点在しており、スコットランドやカタルーニャの躍進が、それらの地域の独立の機運をさらに高めるだろうと言われています。

ヨーロッパの分離独立運動の高まりの背景には、反緊縮・反グローバリズムを掲げる急進左派の台頭があると言われており、ヨーロッパのトレンドをそのまま沖縄にあてはめることはできないと思いますが、しかし、「民族自決」の気運は決して過去のものではないのです。

さらに、辺野古の問題でもあきらかなように、琉球ナショナリズムの視点から日本のナショナリズム(「愛国」主義)を見ると、日本のそれが如何に対米従属主義の所産でしかなく、「売国的」なものでしかないのかが情けないほどよくわかるのです。琉球ナショナリズムは、日本のナショナリズムの欺瞞性を見事に映し出しているのです。

従属思想を「愛国」と強弁し、「愛国」の名のもとに沖縄に悪罵を浴びせ、沖縄の歴史と文化を冒涜しつづける限り、松島教授が言うように、琉球独立が「絵空事」ではなく、これからますますリアルな問題として浮上してくるのは間違いないでしょう。


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2015.10.21 Wed l 本・文芸 l top ▲
夕方、鎌倉に行った帰り、所用のため関内で途中下車したら、突然、ジャズの演奏がきこえてきました。昨日と今日の二日間、横浜は恒例のジャズプロムナードが開催され、市役所前で「街角ライブ」がおこなわれていたのです。

このブログでも何度かジャズプロムナードのことを書いていますが、最近はすっかり興味も失せ、開催中だということも知りませんでした。

見ると、照明もない薄暗いコンクリートの壁の前で、決して若いとは言い難いメンバーたちがスローな曲を演奏していました。秋の夕暮れにスローな曲というのは、それはそれで映えるのですが、しかし、私は、照明に汗がキラキラ光っているような激しい演奏を聴きたいなと思いました。今は亡き阿部薫のあの悲鳴のようなアルトサックスがなつかくしく思い出されます。そう言えば、阿部薫のLPを何枚かもっていましたが、あれはどこに行ったんだろうと思いました。

市庁舎の「街角ライブ」のすぐ近くでは、ホームレスの人たちが長い列を作っていました。これも夕刻の市庁舎前ではよく見かける光景ですが、ボランティア団体の炊き出しを待っているのか、あるいは横浜市が支給するドヤ券(宿泊券)やパン券(食事券)をもらうために並んでいるのでしょう。また、横浜スタジアムの前では、路上に空き缶を置き、コンクリートの上に正座して物乞いをしている男性もいました。

平岡正明は、『ヨコハマ浄夜』(愛育社)のなかで、1999年のジャズ・プロムナードの「横浜エリントン週間」について書いていますが、しかし、私が興味をもったのは、デューク・エリントンではなくベートーヴェンについて書かれたつぎの箇所です。

 ラジオから流れるドイツの交響曲を戦場で聴いていたのはドイツ兵だけではない。連合軍の兵も地下抵抗運動家も、市民も農民もだ。ドイツ第三帝国敗色濃厚なヨーロッパに慟哭粛々たる『英雄』第二楽章が流れる。
 「国家のために死んでも、国粋主義のために死んだのでは断じてあるまい。そういう《死》を慰藉してくれるものが『英雄』や『第七』『第九』にあったと思う。あの頃の日本の青春にベートーヴェンの<主としてシンフォニーが>果たしてきた役割を無視して、ぼくらにどんなベートーヴェンが語れようか。」(五味康祐『西方の音』)

平岡正明『横浜浄夜』所収・「ジャズ・プロムナード・横浜エリントン週間」


余談ですが、先の大戦では、日本においても230万人の戦死者が出たと言われています。しかし、その60%は戦闘死ではなく病死で、大半は餓死だったそうです。如何にあの戦争が無謀な戦争であったかということをこの数字は物語っていますが、日本の若者たちは、五味康祐が言うように、「国家のために死んでも、国粋主義のために死んだ」のでは「断じて」ないのです。そんな非業な「日本の青春」とベートーヴェンの交響曲の関係について、戦後生まれの私たちは知る由もないのですが、ただ人生のどんな場所にも音楽はちゃんと存在していたんだなとしみじみ思ったのでした。

高校時代、わけもわからず平岡正明の『ジャズ宣言』や『ジャズよりほかに神はなし』を読み、地元に唯一あったジャズ喫茶に通っていた頃、一方で私は、ジャズとは別に衝撃的な本に出会うのでした。それは、窮民革命論をとなえる竹中労が著した『山谷―都市反乱の原点』という本です。平岡正明は、『ジャズ宣言』のなかで、ジャズと暴力と革命は「腹ちがいの双生児」だと言っていましたが、ジャズや歌謡曲に「プロレタリアートの旋律」(井上光晴)を見るような独自の音楽論や、山谷や寿町や釜ケ崎や、あるいはパレスチナなどに視点を据えた、私たちの小市民的な日常を打ち砕くようなラジカルな革命論に、田舎の高校生は文字通り幻惑されたのでした。

これは、『ジャズ宣言』の冒頭にかかげられた有名な一節です。

 どんな感情をもつことでも、感情をもつことは、つねに、絶対的に、ただしい。ジャズがわれわれによびさますものは、感情をもつことの猛々しさとすさまじさである。あらゆる感情が正当である。感情は、多様であり、量的に大であればあるほどさらに正当である。感情にとって、これ以下に下劣なものはなく、これ以上に高潔なものはない、という限界はない。(略)
 われわれは感情をこころの毒薬にひたしながらこっそり飼い育てねばならぬ。身もこころも智慧も労働もたたき売っていっこうにさしつかえないが、感情だけはやつらに渡すな。他人にあたえるな。

平岡正明『ジャズ宣言』(1979年増補版)


しかし、今やジャズは優雅な(?)老後をすごす団塊の世代の老人たちの手慰みものと化し、市庁舎前の「街角ライブ」のジャズの演奏に耳を傾ける人たちとその日の泊る場所と食べ物を確保するために行列を作る人々とは、まるで別世界の人間のように見えます。

この二日間は、横浜の至るところでジャズのコンサートが開かれており、そのコンサートをどこでも自由に見ることができるフリーパスを購入した人たちは、中国人観光客と同じように、胸に目印のバッチをつけているのですが、バッチをつけて通りを歩いているのは見事なほど老人ばかりでした。彼らは、市庁舎前の行列や寿町のうらぶれた光景は、まったく目に入っていないかのようです。かく言う私も、老後の不安に急きたてられせっせと年金保険料を納めていますが、しかし、「年金」に還元されない生の現実や『ジャズ宣言』が言うやつらに渡せない「感情」というのはあるでしょう。

辺見庸は、「かつて、ぜったいにやるべきときにはなにもやらずに、いまごろになってノコノコ街頭にでてきて、お子ちゃまを神輿にのせてかついではしゃぎまくるジジババども」と書いていましたが、聞けば、かつての全共闘運動の活動家たちも国会前のデモに参加して、SEALDsをさかんに持ち上げていたそうです。全共闘世代の「ジジババども」が40数年前に体験したのはその程度のものだったのかと言いたくなりますが、路上生活者たちの行列を一顧だにせずに、ジャズの演奏に老体をゆらしている「ジジババども」も同じでしょう。 

中上健次は、羽田で肉体労働をしながら小説を書いていた”修行時代”に、新宿のジャズ喫茶「ジャズ・ヴィレッジ」に通っていた頃のことをつぎのように回想しています。60年代後半のジャズが置かれた時代背景がよく出ているように思いますので、ちょっと長くなりますが引用します。

 その日から足を洗うまで五年間の生活の全てにジャズが入っていた。毎日、「ジャズ・ヴィレッジ」に通い、常連のチンピラ達と何をするでもなく一緒だった。めちゃくちゃな生活で、いわゆる今、流行の”限りなく透明に近いブルー”などではなく、ジャズの毎日は精液のように、一タブレットの睡眠薬の錠剤を噛みくだいて水で飲むその色のように白濁していた。私もそうだが、ジャズ・ヴィレッジの連中は、言ってみれば逃亡奴隷のようなもので、、ジャズを創りジャズを支えた黒人の状態に似ている。一世代遅れた埴谷雄高言う”ロックとファック”の時代には、そんなものはない。一つ通りの向こうのモダンジャズ喫茶店に、永山則夫が、ボーイとして働いていた。永山則夫が、連続ピストル射殺事件の犯人として逮捕されて、それを知った。もちろん、そのジャズ・ヴィレッジ界隈にうろつく者すべてが、永山則夫のように、家そのものが壊れ、家族がバラバラになり、貧困にあえいでいたのが、東京の新宿へ流出してきたという訳ではないはずだが、私にも常連にも、その後を振り返っても壊れた家があるだけだという形は、他人事とは思えなかった。(略)
 コルトレーンは、そんな聴き手のリアリティーに支えられて、コード進行から自由になり、音の消えるところまで行く。自由とは、疎外され抑圧され差別されることからの自由であり、ジャズの持つ黒人というアメリカのマイノリティの音楽という特性からの自由である。黒人という特性から出発して、特性から解き放たれる、と私はコルトレーンのジャズを聴きながら思ったのだった。
 特性からの自由、それは机上のものではなく、頭でだけ考えたものではない、切って血が出る自由である。コルトレーンのジャズを聴いて、音とは、文章と同じように肉体であると思った。

中上健次『夢の力』(1982年刊)所収・「路上のジャズ」


B級グルメやゆるキャラと同じようなまちおこしのコンテンツとしてのジャズではない、私たちの魂をゆさぶるような「路上のジャズ」はもう望むべくもないのでしょうか。

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中音量主義
2015.10.11 Sun l 横浜 l top ▲
私は知らなかったのですが、先月末、作家の辺見庸氏がブログでSEALDsを痛烈に批判していたそうです。しかし、なぜか辺見氏のブログはすぐに閉鎖になったみたいで、今はその文章を読むことができません。なにがあったのでしょうか。

私は、ほかのブログに転載されている文章を読みましたが、まだこんなまともなことを言う人がいたんだと思うと、なんだか少し救われた気がしました。

つぎの文章は、下記のブログに転載されていたものです。

Blog「みずき」
http://mizukith.blog91.fc2.com/

だまっていればすっかりつけあがって、いったいどこの世界に、不当逮捕されたデモ参加者にたいし「帰れ!」コールをくりかえし浴びせ、警察に感謝するなどという反戦運動があるのだ?だまっていればいい気になりおって、いったいどこの世の中に、気にくわないデモ参加者の物理的排除を警察当局にお願いする反戦平和活動があるのだ。
よしんばかれらが××派だろうが○○派だろうが、過激派だろうが、警察に〈お願いです、かれらを逮捕してください!〉〈あの演説をやめさせてください!〉と泣きつく市民運動などあるものか。ちゃんと勉強してでなおしてこい。古今東西、警察と合体し、権力と親和的な真の反戦運動などあったためしはない。そのようなものはファシズム運動というのだ。傘をさすとしずくがかかってひとに迷惑かけるから雨合羽で、という「おもいやり」のいったいどこがミンシュテキなのだ。ああ、胸くそがわるい。絶対安全圏で「花は咲く」でもうたっておれ。国会前のアホどもよ、ファシズムの変種よ、新種のファシストどもよ、安倍晋三閣下がとてもとてもよろこんでおられるぞ。下痢がおかげさまでなおりました、とさ。コール「民主主義ってなんだあ?」レスポンス「これだあ、ファシズムだあ!」。

かつて、ぜったいにやるべきときにはなにもやらずに、いまごろになってノコノコ街頭にでてきて、お子ちゃまを神輿にのせてかついではしゃぎまくるジジババども、この期におよんで「勝った」だと!?おまえらのようなオポチュニストが1920、30年代にはいくらでもいた。犬の糞のようにそこらじゅうにいて、右だか左だかスパイだか、おのれじしんもなんだかわからなくなって、けっきょく、戦争を賛美したのだ。国会前のアホどもよ、安倍晋三閣下がしごくご満悦だぞ。Happy birthday to me! クソッタレ!
(辺見庸「日録1」2015/09/27)


何度も言いますが、全体主義は右だけの話ではないのです。左も同じです。「党派性」「党派根性」などという常套句を使って相手を攻撃する党派政治。それは、「勝てない左派」の伝統芸とも言えるものです。もしかしたら右の全体主義より左のそれのほうが、口が達者な分性質(タチ)が悪いのかもしれません。

案の定、辺見氏の発言は、ネットで罵詈罵倒の嵐に晒されているそうです。ブログの閉鎖もそれと関係あるのかもしれません。「反戦」や「反原発」の”絶対的な正しさ”の前では、異論・異端は許さない、異論・異端は「安倍政治」を利するだけというわけなのでしょうか。でも、それは、どう見ても、自由な精神や自由な言論とは相いれないものでしょう。それで「民主主義の復活」「ぼくらの民主主義」(高橋源一郎)とはよく言ったもんだと思います。

国会の内外で繰り広げられていたのは、虚妄の秩序のなかでの陣取り合戦にすぎないのです。反ファシズムで競合するのではなく、右と左がファシズムで競合している悪夢のような政治の光景にすぎないのです。「政治の危機」や「民主主義の危機」を叫んでいるからと言って、彼らがその「危機」から逃れられているわけでも、もちろん免罪されているわけでもないのです。


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2015.10.07 Wed l 社会・時事 l top ▲
噂の真相1996年11月号表紙


リテラが、川島なお美死去に関連して、彼女と渡辺淳一の密会をスクープした19年前の『噂の真相』の記事(1996年11月号)を取り上げていましたが、私もなんだかなつかしい気持になり、押し入れの奥から古い『噂の真相』を引っ張り出しました。

リテラ
川島なお美と渡辺淳一の密会をスクープ、「噂の真相」岡留編集長が語る女優・川島なお美の美学と肝っ玉

言うまでもなく渡辺淳一は、ベストセラー作家で「文壇」の大御所でした。週刊新潮や週刊文春も彼のスキャンダルを書くことは絶対のタブーでした。それは、亡くなった今も変わりません。

そんななかで、「タブーなき反権力スキャンダリズム」を標榜する『噂の真相』は、再三にわたって、小説を地でいくような渡辺淳一の女性スキャンダルを記事にしていました。

たとえば、2001年1月号の「体験的告白エッセイでも隠し続けた渡辺淳一の知られざる秘密を剥ぐ!」という記事では、みずから華麗なる(?)女性遍歴を綴った”告白エッセイ”『マイ センチメンタルジャーニー』でも触れていない隠し子の存在について書いていました。

その記事のなかに、つぎのような箇所があります。

 なにしろ渡辺の女優好きは有名な話で、86年に映画化された『化身』のヒロインに当時宝塚を退団したばかりの黒木瞳を抜擢し、関係を持ったのをはじめ、『別れぬ理由』の主役を三田佳子が演じれば今度は三田と、自作が映画化・テレビドラマ化される度に渡辺は必ず出演女優に手を出してきたからである。
(略)
 そのうえ、こんな話もある。ある関係者が渡辺の渋谷の事務所に行った時のこと。渡辺はさまざな女優とのツーショット写真が収められたアルバムを取りだすと、その関係者にこう自慢したというのだ。「ここに写っている女優とは全員やった」と(笑)。
 そして関係者が記憶している限りで名前を挙げると、そこにあったのはこんな顔触れであった。
 ×××××、××××、××××、××××、××××、××××、××××、×××、××××、 そしてもちろん、川島なお美・・・。 (※伏字は引用者の判断)  
 亡き大物女優からフェロモン女優まで、まさに錚々たる面々なのだ。
 なかでもこの女優との「関係」だけでもう一つの『マイ センチメンタルジャーニー』となり得るのが、やはり川島なお美だろう。
 いまさら言うまでもなく、本誌が3度にわたってふたりの「北海道密会旅行」をスクープしたように、渡辺と川島なお美が『失楽園』のヒロイン役をめぐって96年暮れに知り合って以来、少なくとも昨年初めごろまで愛人関係にあったのは紛れもない事実。
 主演女優の座という「利益」のために近づいてきた川島なお美に対し、まんまと引っ掛かり、逆に夢中になってしまった渡辺の「老いらくの恋」──。

『噂の真相』2001年1月号
体験的告白エッセイでも隠し続けた渡辺淳一の知られざる秘密を剥ぐ!


そして、そのスクープ記事のひとつが、リテラが取り上げている1996年11月号の「女優川島なお美との密会劇に見る渡辺淳一文学と好色志向との狭間」です。

私は、渡辺淳一の小説は読んだことはありませんし、「失楽園」にもまったく興味はなく、川島なお美が主演したテレビドラマも、黒木瞳が主演した映画も、どちらも見ていません。当時、私も世間様から指弾されるような道ならぬ恋のまっただ中にありましたが、しかし、「失楽園」なんてバカバカしいと思っていました。

だから、私は、失礼な話ですが、川島なお美を女優として見ることができないのです。私にとって、川島なお美は、ワインのイベントに、お約束のように愛犬を抱いて出てくるあのイメージしかないのです。リテラのように、「女優として生き、最後まで女優をまっとうした」という言い方も、正直言ってピンとこないのです。

渡辺淳一に関しては、現在、某有名男優の奥さんになっている若手の人気女優(当時)が、やはりドラマの主役の座を射止めるために、原作者の渡辺と懇ろになったという知る人ぞ知る話もありますが、このように女優(タレント)というのは、村西とおるが言うように、普通のお嬢さまにはできないやくさなお仕事なのです。それが吉本隆明が言う「特殊××」の住人である所以です。

モデルをしていた知り合いの女の子の話では、ショーのあとカメラマンやプロデューサーから別室に呼ばれ、「グラビアに出る気はない?」「悪いようにはしないよ」と言って、手を握られたり太股を撫でられたりするのはしょっちゅうだったそうです。また地方に行くと、当然のようにホテルの部屋に電話がかかってきたり、部屋のドアをノックされたりするのだそうです。そのことを事務所の女社長に告げたら、「アナタだって子どもじゃないんでしょ」と言われたのだとか。

カタギの社会で言えば、「枕営業」や「セクハラ」が当たり前のこととして存在する世界、それが芸能界なのです。そういう世界でめげずにやっていくには、よほど強靭な精神力がなければやっていけないでしょう。文字通り「肝が据わって」いなければ生き抜いていけないのです。

川島なお美も、したかかにたくましく芸能界を生き抜き、そして病魔に倒れたのです。文字通り”女優魂”ならぬ”芸能人魂”を体現したひとりだったと言えるでしょう。ことばの真正な意味において、芸能人というのはやくざなのです。彼らは、市民社会の公序良俗からドロップアウトした(せざるをえない)人間たちなのです。それは差別ではありません。それが芸能人(芸能の民)の本質なのです。


噂の真相1996年11月号グラビア

噂の真相1996年11月号記事


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2015.10.02 Fri l 芸能 l top ▲