今日、契約しているサーバー会社から、「サーバーに届いたEメールに、ウィルスを発見しました」というメールがたてつづけに届きました。「ウィルスを送信したアドレス」のドメインには、いづれも「uk」のカントリーコードが付いていました。これは、イギリスのEU離脱の呪いなのかと思いました。

イギリスのEU離脱については、文字通りブレイディみかこ氏の独壇場です。ブレイディみかこ氏のブログは、メディアの特派員や経済の専門家の解説などより、EU離脱に傾いたイギリスの現状を伝えているように思います。それは、地べたの人々の視点からとらえたイギリスの等身大の姿と言っていいでしょう。

イギリス政府は、2年間の猶予期間の間に離脱の手続きをのらりくらりと進め、結局、決定をウヤムヤにするのではないかという見方がありますが、あり得ない話ではないように思います。離脱を煽った右派のUKIP(イギリス独立党)も、早くもトーンダウンしはじめているようです。

ブレイディみかこ氏は、今回の国民投票で示された結果には、下層の労働者階級による既成政治に対するリベンジの色合いがあると言ってましたが、それは、離脱の背後にあるイギリス社会の矛盾を指摘しているように思いました。

UKIPは、同じ移民でも、EU圏外からの移民とEU圏内からの移民をご都合主義的に分けて主張しているのだそうです。そのため、かつてEU圏外からやってきた”旧移民”やその子どもたちは、EU圏内からの”新移民”によって、仕事だけでなく、自分たちの社会保障の既得権益が奪われるとして、移民排斥のUKIPを支持しているのです。そこには、EUが主導する市場原理主義や緊縮政策やグローバリズムが下層の地べたの人々の生活を直撃し、彼らが悲鳴を上げている現実があるからです。

一方、労働党の左派指導部は、「大企業や富裕層だけが富と力を独占するようになるグローバリゼーションやネオリベや緊縮は本当に悪いと思うけど、それを推進しているEUには残りましょう」(ブレイディみかこ氏)というようなトンチンカンなことしか言えず、「説得力のある残留の呼びかけができなかった」のです。ヨーロッパには「シャンパン社会主義」ということばがあるそうですが、ポデモスのイグレシアスが言うように、「左翼は庶民に語りかけていない。ワーキングクラスの人々を異星人のように扱っている」のです。

それは、日本も同じです。左派リベラルは、今やめぐまれた人々(ミドルクラス)の利益を代弁するクラスタになっているのです。左派リベラルが掲げる政策を見ても、「めぐまれた」サラリーマンや公務員の利益を代弁するものばかりです。たしかに、保活も大変でしょう。しかし、保活以前の人たちがいることも忘れてはならないのです。同じ「切実な声」でも、今の政治がくみ上げているのは、ミドルクラスの「まだめぐまれている」人々の声なのです。それでは、与党も野党も政策が似通ってしまうのは当然でしょう。それは、ある意味で、議会制民主主義というシステムの限界のようにも見えます。

 「“フェア”な移民制限や“レイシストでない”移民制限などない。我々は移民制限に反対する。我々は、我々の出自や、我々またはその親が何処の国で生まれたかということや、肌の色、何語を喋るかということで人間の存在を非合法にする全ての法律に反対する」
 ケン・ローチの政党レフト・ユニティのポリシーにはシンプルにそう書かれている。移民を一切制限するな。とは、このご時世にアナキーどころかキチガイ沙汰だ。
 が、このポリシーの後半部分には、移民として18年生きて来たわたしには打たれるものがある。
 政治というものは、本来、この「打たれるもの」がコアにあるべきではないのか。
 それは古い言葉で言えば「思想」でもいいし、「社会は、そして人間はこうあったほうがクールだ」という個人的な美意識でもいい。
 「弱者が可哀そう」とかいうヒューマニズムばかり強調しているから左翼はダメになったという定説がある。が、わたしは全くそうは思わない。寧ろ真逆で、誰もポリシーの根本にある揺るがぬもの、妥協など入る余地のない美意識を語らなくなったから政治は人を動かすことができなくなったのだ。
 UKのみならず欧州全体が右傾化しているのは、人々がそうした妥協しない何かを右翼の中に見たような気になっているからかもしれない。
 社会の右傾化は、思想なき政治への民衆のライオットである。

アナキズム・イン・ザ・UK
第19回:ウヨクとモリッシーとサヨク


2016.06.29 Wed l 社会・時事 l top ▲
ジャック&ベティで「FAKE」を観ました。

映画『FAKE』公式サイト
http://www.fakemovie.jp/

レイトショーで観たのですが、館内は立ち見こそ出ていなかったものの、空いている席を探すのも苦労するほど大入りでした。

騒動後の佐村河内守氏のプライベートな日常を追うなかで、作者の森達也監督が描こうとしたのは、ニセモノかホンモノかという善悪二元論の先にある佐村河内夫妻の愛と絆です。と言うと、陳腐な話のように聞こえるかもしれませんが、森達也監督は本気でそういうドキュメンタリーを撮ろうとしていたように思えてなりません。

でも、現実は残酷です。(実際は週刊文春より『新潮45』のほうが先にが書いていたようですが)週刊文春は、差別と排除の力学で仮構された市民社会に、ほれっと佐村河内守という餌を投げ入れたのです。朝鮮人が井戸に毒を入れたという噂の代わりに、佐村河内守はニセモノだ、FAKEだという噂を発信したのです。それは、ロス疑惑からずっとつづいている週刊文春の手法です。でも、何度も言いますが、文春や新潮は、石原慎太郎はニセモノだ、FAKEだという記事を絶対に書くことはないのです。安倍晋三はバカだ、ニセモノだ、FAKEだという記事を書くこともない。

映画のなかで、佐村河内氏の”ウソ”を告発し、一躍時の人となった新垣隆氏について、「ホントにいい人なのか」という問いかけがなされていましたが、もちろん「いい人」なわけがないのです。新垣隆氏も、記事を書いた神山典士氏も、インタビューの申し出に応えず逃げまわっているという事実が、この騒動の本質をよく表していると言えるでしょう。

映画では、新垣氏がファッション雑誌のグラビアに出ている画面や自著のサイン会で客として訪れた森達也監督とツーショット写真におさまる場面などで失笑が流れていましたが、でも、その失笑がみずからにもはね返っているのだという自覚が、当の観客たちにはないかのようです。

ネットや社会をおおうリゴリズム(厳格主義)。それは、かつて平野謙が『「リンチ共産党事件」の思い出』で指摘していたように、本来共産党のような唯我独尊的なイデオロギーが得意とするものでした。建前としてのリゴリズムが蔓延するというのは、それだけこの社会が全体主義化している証拠なのかもしれません。私は、まるで川崎のヤンキー少年たちのように、集団リンチをエンターテインメントとして享楽する、この社会の病理を考えないわけにはいきませんでした。

映画のパンフレットでは、「衝撃のラスト12分間」というキャッチフレーズがありましたが、そういった発想自体が既に週刊文春と同じ視点に立つものと言えるでしょう。

私は、「FAKE」は「A」などに比べて、どこかもの足りなさを感じてなりませんでした。森達也監督の著書・『ドキュメンタリーは嘘をつく』になぞらえて言えば、「FAKE」では「嘘」が透けて見えるのです。同業者たちが絶賛する”猫”や”ケーキ”への視点の移動も、私にはお定まりの(わざとらしい)手法のようにしか思えませんでした。

竹中労は、35年前(!)の文春の”ロス疑惑”の記事について、当時、「プライバシーを暴き立てて、人間一匹めちゃくちゃ」にする「私刑の季節がやってきた」と批判していました(80年代ジャーナリズム叢書4・『人間を読む』)。既にそのときから「私刑(リンチ)」ということばを使っていたのです。その本質は、万人が万人を支配する」「デモクラティック・ファシズム」だと。そして、芸能レポーターこそが「テレビの本質」であり、「マスコミとは世論に名をかりた全体主義」だと言ってました。

佐村河内守氏の”疑惑”もまた、”ロス疑惑”からつづく文春お得意の「私刑キャンペーン」にほかなりませんが、「FAKE」はそんな「デモクラティック・ファシズム」の構造を照射するような視点があまり見られないのです。それがもの足りない所以です。
2016.06.27 Mon l 芸能 l top ▲
ヨーロッパ・コーリング

ヨーロッパ・コーリング帯

私は、よくこのブログで、「右か左ではなく上か下の時代だ」というブレイディみかこ氏のことばを引用していますが、その箴言が帯に麗々しく掲げられた本が出版されました。

ブレイディみかこ氏の新著『ヨーロッパ・コーリング』(岩波書店)です。と言っても、書き下ろしではなく、Yahoo!ニュース(個人)に書いた記事をまとめたものです。

表紙の写真は、イスラエルのパレスチナ自治区のベツレヘムで撮った、バンクシーの有名な「The Flower Thrower」です。装丁もとてもセンスがよくて、見た目もカッコいい本になっています。

折しもイギリスでは、EU離脱をめぐって国民投票がはじまりました。日本時間で今日にも投票結果が判明すると言われていますが、EU離脱をめぐっても、右か左ではなく上か下かの時代が色濃く表れているように思います。EU離脱は、ブレイディみかこ氏が書いているように、単に移民問題だけでなく、反緊縮・反グロバーリズムの側面があることも見過ごしてはならないでしょう。

一方、この国は参院選の真っ最中ですが、メディアの情勢調査では、与党が改選過半数を越える勢いで、改憲派が改憲の発議に必要な3分の2の議席を確保する可能性が高いと伝えられています。

与野党党首の演説を聴いても、私には与党と野党の違いがわかりません。特に、経済政策についてはどこも同じなのです。安倍総理は、成長の果実を社会保障の充実や介護や子育てに分配するためにも、アベノミクスのさらなる進化が必要だと演説していましたが、野党の党首たちも物言いは異なっても、成長と分配という基本的な考えはほとんど同じです。

左派の劣化は、たとえば公務員の給与問題などにも端的に表れているように思います。公務員の給与は下がっている、公務員は大変だと言われますが、それは今や公務員の半分を非正規雇用が占めている現実がそういったイメージを作り出しているにすぎないのです。

私の田舎は、交付金の5割近くが人件費に消えていくと言われるほど県内でも上位の”高給自治体”ですが、高齢者が多く住民の所得が低い田舎では、市役所の職員はまさに”特権階級”です。横浜も、かつてスパイラル指数で日本一になったほどの”高給自治体”です。ただ、横浜の場合、大都会なので、田舎のように“特権階級“ぶりが目に付きにくい面があり、それが彼らに幸いしているだけです。もっとも、自治労や左派に言わせれば、それは偉大なる階級闘争の成果であって、高給を批判(嫉妬)する者は労働者の敵、保守反動ということになるのでしょう。

自民党と同じ”成長神話”にとり憑かれた左派。公務員問題をおおさか維新のようなファシストの専売特許にさせてしまった左派のテイタラク。民進党は左派ではありませんが(リベラルですらありませんが)、公務員と原発の二つのタブーを抱えたあんな政党が支持を受けるわけがないのです。何度も言いますが、民進党(旧民主党)は、もはや自民党を勝たせるためだけに存在していると言っても過言ではないのです。今度の選挙でも、民進党が野党第一党であることの不幸を痛感させられることになるのは間違いないでしょう。

一方、プロレタリア革命を掲げ”革命左派”を自認する新左翼のセクトも、自治体労働者に対する”賃下げ攻撃”を階級的反撃で打ち砕けと訴えていますが、それは、公務員のシンパからのカンパに頼っている財政的な事情もあるのではないかと穿った見方をしたくなります。レーニンは『国家と革命』のなかで、公務員の給与は全労働者の賃金の平均を越えてはならないと戒めていますが、それは社会主義国家がその性格上官僚主義=「役人天国」に陥る傾向があるのをレーニン自身がよくわかっていたからでしょう。

自治労の組合員たちをプロレタリアと言ったら、もはやギャグでしかないでしょう。右か左かなんてほとんど意味をもたないのです。

先進国で最悪の格差社会を招来したこの国にこそ上か下かの新しい風が待ち望まれますが、そのためにはまず、徹底的に敗北し、徹底的に絶望することでしょう。そうやって「勝てない左派」と決別することでしょう。

 難民問題で右傾化していると言われる欧州では、実のところ左派が猛烈な勢いで台頭している。それは「与党も野党も大差なし」と醒めていた人々に、いまとは違う道は存在することを示す政治家たちが登場したからだ。彼らは、勝てる左派だ。勝てない理由を真摯に受け止め、あらためて、敗けるというお馴染みの場所でまどろむことを拒否した左派だ。この欧州に吹く風が、地球の反対側にも届くことを祈りながら本書をぶち投げたい。
(帯より)



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2016.06.24 Fri l 本・文芸 l top ▲
舛添要一東京都知事は、辞任したというより引きずりおろされたと言ったほうが正確でしょう。しかも、辞任後も、まるで水に落ちた犬を叩くみたいに、メディアは自宅まで押しかけてバッシングをつづけているのです。

この常軌を逸した”舛添叩き”について、小林よしのり氏は、ブログでつぎのように書いていました。

舛添が一言も語らず去っていく気持ちはよくわかる。
何を言っても揚げ足取られるだけで、火に油を注ぐ結果にしかならないからだ。
それでも「黙って去っていくとは何事か」とコメンテーターは言っている。「男の器が小さい」などと罵っている。

残酷非道の民主主義は一体何を望んでいるのか?
おそらく舛添が素っ裸で泣きながら街の中を這いずり回る姿が見たいのだろう。
それでも嘲笑って文句を言うのが愚民どもの残酷性だ。

集団リンチをまだ続けたかった愚民主主義


”舛添叩き”について、ネットでまともな批判をおこなっていたのは、私が知る限り、小林よしのり氏と『保守の本分』の著者で近著『日本会議の研究』(扶桑社新書)が話題になっている菅野完氏だけでした。

小林よしのりBLOG
舛添都知事をギロチンにかけよと熱狂する民衆
集団リンチをまだ続けたかった愚民主主義

HARBOR BUSINESS Online
「舛添叩き」が衆愚の極みである理由

小林氏は、「フランス革命当時の民衆の娯楽はギロチンによる処刑だった。日本人の中にも、上に立つ者をスキあらば引きずり下ろして、リンチにかけたい、処刑台に上げて、首が斬られる姿を見たいという心理が大いにあるのだ」と書いていましたが、”舛添叩き”が国民の負の感情のはけ口になっているのはたしかでしょう。

アベノミクスがどうだとか、株価がどうだとか、求人倍率がどうだとか言われていますが、国民の生活実感は「景気が悪い」ままで、格差は広がるばかりなのです。そんな時代閉塞の現状(石川啄木)には、常に舛添のようなスケープゴート(負の感情のはけ口)が求められるのです。

明日は参院選の公示日ですが、今朝も地下鉄の駅前の舗道では、共産党の宣伝部隊が駅に向かうサラリーマンたちに「戦争法廃止の政府を」などというビラを配っていました。それを見て、「なんだ、文春の記事に踊ったくせに」と心のなかで悪態を吐いている自分がいました。

文春の記事に踊った無定見な政党や、刑法改正に賛成した政党や議員などは間違っても支持したくないと思いました。全体主義には、与党も野党も、右も左も、改憲も護憲もないのです。


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2016.06.21 Tue l 社会・時事 l top ▲
今夜の「ミュージックステーション」で、桑田佳祐がテレビ初披露と称して、新曲の「大河の一滴」を歌っていました。

「大河の一滴」というタイトルは、言うまでもなく五木寛之の本からのパクリですが、桑田の場合、タイトルのパクリはよくあることです。

「大河の一滴」は、UCCの缶コーヒーのCM曲で、映像で公開されていたのは、CMに使われている二番のサビの部分だけでした。そのため、歌詞を検索しても、二番のサビの部分しか見当たりませんでした。

ところが、「大河の一滴」はInterFMとタイアップしているらしく、InterFMで一日に何度も流れていたのです。私は、普段、家で仕事をしているときや電車に乗っているときは、RadikoでInterFMを聴いていますので(おかげでシャウラのファンになりましたが)、毎日「大河の一滴」のフルバージョンを聴くことができました。しかも、電車に乗って渋谷駅にさしかかると、不思議なことに「大河の一滴」が流れてくることが多いのでした。

砂に煙る 渋谷の駅の
アイツ(女)と出逢ったバスのロータリー
俺の車線に割り込むバスの
窓際から小バカにした微笑み投げた


これは、冒頭の歌い出しの部分です。「大河の一滴」は、若い頃の渋谷の街と愛欲の日々を追憶する歌です。最初にこの歌を聴いたとき、『33年後のなんとなく、クリスタル』かと思ったくらいです。渋谷駅でこの歌が流れてくると、かつて渋谷に日参していた人間として、(表現がいかにもおっさん風ですが)えも言われぬ感慨を覚えるのでした。

身を削りながら生きることも
忘れ去られながら老いていくのも
やさしい素振りや 愛らしい癖も
世間にとっちゃ 何の意味もない


桑田佳祐が還暦を迎えたからこそ、疾走感のある曲にこんな詩を乗せることができるのでしょう。

今月の29日に発売されるニューシングル「ヨシ子さん」(初回限定盤)に、「大河の一滴」がカップリングされるみたいなので、私もさっそく予約を入れました。

偶然と言えば、栗原康氏の伊藤野枝の評伝『村に火をつけ、白痴になれ』(岩波書店)を読んでいたら、「あとがき」につぎのような記述がありました。

 この本をかいているあいだに、かの女ができた。三年ぶりだ。まだつきあいたてということもあって、ひたすら愛欲にふけっている。
(略)
 しかしおもえば、この数年、わたしはモテたい、恋愛がしたい、セックスがしたいと公言していて、いいなとおもう女性がいたら、がんばってお酒にさそってみたり、デートをかさねてみたりしたのだが、結果はさんざんたるものであった。「オマエ、マジで死ねだ」とさけばれたり、新宿のらんぶるという喫茶店で、土下座させられたりと、完膚なきまでにうちのめされた。


実は、「らんぶる」も、かつて私の新宿の”止まり木”でした。新宿に行くと、いつも「らんぶる」で本を読んだり昼寝をしたりしていました。

私も、女の子と「らんぶる」に行ったことはありますが、土下座なんてとんでもない、「なんか古めかしくて変な店ね」と言われながら、愛を告白した思い出があります。

渋谷の街は、東急文化会館も東急ブラザも既になく、駅ビルの建て替えもはじまり、これから高層ビルが林立する「未来都市」(ホントかよ)に変貌しようとしています。渋谷で働いていた旧知の女の子たちも、「どんどん変わっていくので付いていけない」「もうあたしたちが知っている渋谷ではなくなっている」と言ってましたが、「大河の一滴」が歌うように「時の流れは冷酷」なのです。そうやって街も人も世代交代していくのです。それが東京で生きるということなのです。

もう道玄坂の路地裏で、偽造テレフォンカードを売ってるイラン人や両腕からタトゥーを覗かしているヤンキーのニイチャンやケバい化粧のショップ店員の女の子とすれ違うこともないのです。彼らと目で挨拶を交わすこともないのです。もちろん、「らんぶる」で女の子を口説くことも、「ラケル」で向かい合って食べるオムライスにトキメキを覚えることもない。どうやって老いていけばいいのかわからないけど、でも、容赦なく老いはやってくるのです。黄昏に生きるなんて嫌だな、想像したくもないと思っているうちに、すぐ近くまで黄昏がやってきているのです。

そう考えると、この「大河の一滴」というタイトルも、単なるパクリではなく、なにか深い意味があるような気がしてくるのでした。


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2016.06.18 Sat l 芸能 l top ▲
”舛添叩き”は、いよいよこの国あげての”いじめ”のような様相を呈しています。少しでも異議を唱えようものなら、逆に袋叩きに遭いそうな感じです。でも、このような”絶対的な正しさ”は、常に眉に唾して見る必要があるでしょう。況や政治においてをやです。

舛添知事は、先日、みずからの給与を半分に減額する条例案を提出すると言ってましたが、昨日の総務委員会の集中審議では、とうとう全額返上すると言い出す始末です。なんだか憐れみさえ覚えました。

以前、都営バスが労組の集会や旅行に私的利用されていた問題がありましたが、舛添知事は、そんな長年の自公体制で伏魔殿と化している都庁の税金を食い物にする構造に悪ノリしただけなのでしょう。石原は叩かれず、どうして自分だけが叩かれるのかと思っているのかもしれません。都庁の役人たちの天下りや渡りや裏金の問題がいっさい問われず、舛添のセコい(あまりにもセコい!)政治資金の用途や公用車の使い方だけがやり玉にあがるこの奇異な光景。“小悪“は徹底的に叩かれ、文壇タブーで守られた“大悪“は、金のない人間はセコいですななどと言って高笑いしているのです。

しかし、冷静になって考えてみれば、”舛添叩き”の陰で、電通が主導した東京五輪の裏金招致疑惑や「パナバ文書」であきらかにされた大企業のタックスヘイブン(租税回避)の問題が、片隅に追いやられてしまったのです。なんだかメディアは、これらの問題を回避するために、ことさら舛添を叩いているような感じさえするのでした。そこにこの集団ヒステリーの本質が表れているのではないか。


舛添を応援したのは私だ


上の三バカ大将のグリコの一等賞のような写真は、ネットで拾ったパロディ画像です。このように、舛添は自公の推薦で都知事になったのです。安倍総理と山口代表は、「都知事は舛添さんしかいません!」と絶叫したのです。しかし、”舛添叩き”ではなぜか、舛添を担いだ自公への批判は回避されているのでした。舛添は都知事の資質に欠けるとかなんとか批判するけれど、それを担いだ自公に批判が向かうことはないのです。これも奇異な光景と言えるでしょう。

昨日の集中審議で、公明党の女性都議は、舛添知事は東日本大震災の現地に一度も行ってない、こんな知事に復興五輪を語る資格はない、辞任すべきだ、などと難癖としか言いようのない論法で(しかも、芝居がかった言い方で)辞任をせまっていましたが、厚顔無恥とはこのことでしょう。舛添を推薦したのはどこの政党なんだと言いたくなりました。公明党に比べれば、舛添追及に及び腰の自民党のほうがまだしも”正直”に思えるくらいです。なんのためらいもなく(命令一下)、平気で手のひら返しをするこの党の全体主義的な体質とその怖さを再認識させられた気がしました。

舛添に211万票を入れた東京都の有権者も然りです。今になって「ダマされた」「不誠実だ」などと言ってますが、彼らは戦争でも原発事故でも汚職でもなんでも、そうやっていつも「ダマされた」と被害者ズラするのです。それが彼らが”衆愚”であるゆえんでしょう。

自民党から共産党まで、産経から朝日まで、ファシストからコミュニストまで、ネトウヨからSEALDsまで、隣のポチから向かいのミーちゃんまで、改憲だろうが護憲だろうが関係なく、みんな口をそろえて舛添に悪罵を浴びせるこの光景は、”小保方バッシング”とよく似ています。小保方さんも舛添も、別に法律に違反しているわけではないのです。勝手に疑惑だと騒いでいるだけなのです。これでは、どんな問題でも低劣なスキャンダルと化し、社会的に抹殺することが可能でしょう。

多くの国民は、舛添はいつ警察に逮捕されるのだろうと思っているのかもしれません。そういう人たちはビョーキなのです。ビョーキにさせられたのです。日本の社会は同調圧力の強い社会だなどと、日頃は高尚なご託宣を垂れるメディアも、いざとなれば「撃ちてし止まん」「一億総火の玉」の隊列に加わるのです。そして、最後に残るのは、全体主義のことばだけです。

こうなったら次の都知事は選挙なんかせずに、文春に選んでもらえばいいのです。選挙しても意味がないのですから。


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小保方バッシングとはなんだったのか
2016.06.14 Tue l ネット・メディア l top ▲
母方の祖母は、生長の家の熱心な信者でした。私は、高校のとき、母の実家に下宿していたのですが、祖母はよくおめかしして、生長の家の集まりに出かけていました。

祖母の良人、つまり、母方の祖父は戦前の職業軍人でした。祖父は、私が小学校1~2年頃亡くなったのですが、典型的な明治の人で、怖いイメージしかありませんでした。

母によれば、官舎に住んでいた幼い頃、毎朝、お付きの兵隊が迎えに来て、軍服姿の祖父は馬に乗って出勤していたそうです。母の実家の鴨居には、菊の紋章が入った昭和天皇の写真と乃木希典の写真と東郷平八郎の「呉越同舟」という扁額がかけられていました。

そういった良人の面影を胸に、祖母は、当時、紀元節の復活や明治憲法の復元を唱え、『神国の構想』(創始者谷口雅春の著書)を掲げていた生長の家の活動に熱心に取り組んでいたのだと思います。祖母のなかには、戦前への郷愁があったのかもしれません。

生長の家の学生信者たちが、全共闘運動に対抗して作られた民族派学生運動の中核を担っていたのはよく知られた話です。また、現在、安倍政権と一体になって改憲や戦前的価値の復興をすすめている日本会議も、そういった学生運動出身の元信者たちが中心になって設立されたと言われています。

noiehoieこと菅野完氏の『日本会議の研究』(扶桑社新書)のなかに、つぎのような記述がありました。

 安倍政権を支える「日本会議」の事務総長・椛島有三も、安倍の筆頭ブレーンと目される伊藤哲夫も、内閣総理大臣補佐官である衛藤晟一(引用者註:大分県選出)も、、政府が南京事件の記憶遺産登録阻止すべく頼った高橋史朗も、全員が「生長の家」から出た人々だ。だが、椛島有三や伊藤哲夫を輩出した宗教法人「生長の家」本体は、1983年に政治運動から撤退している。
 しかし、その路線変更を良しとしない古参信者たちが今、教団に反旗を翻し「生長の家原理主義」運動を展開中であり、その運動に、稲田朋美や百地章など、安倍政権と深いつながりを持つ政治家。学者が参画している。(略)
 さらに注目すべきは、(略)桜井誠が創設した在特会やチャンネル桜そして、ヘイトデモの嚆矢とも言える西村修平など、いわゆる「行動する保守」界隈の人物たちと、密接な関係を築いている事実だろう。稲田朋美が在特会と密接な関係にあることは、『サンデー毎日』を始めとする各報道で明らかにされた通りだ。


同書によれば、稲田朋美自民党政調会長は、靖国関連の集会で、生長の家の経典『生命の實相』の戦前に出版されたバージョンを掲げ、「(この戦前版の『生命の實相』を)祖母から受け継いだ」「ボロボロになるまで読んだ」と語っているそうです。稲田朋美の実家も、私の母の実家と同じような環境にあったのでしょう。

その生長の家が、「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針」として「与党とその候補者を支持しない」という声明を発表して話題になっています。

宗教法人 生長の家
今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針 「与党とその候補者を支持しない」

リテラ
日本会議産みの親「生長の家」が安倍政権と日本会議の右翼路線を徹底批判!「日本会議の元信者たちは原理主義」

朝日新聞デジタル
「生長の家」、参院選で与党を支持せず 安倍政権を批判

かつての国家主義的な政治運動からの撤退を知っている信者たちには、別に驚くものではないのかもしれませんが、事情に疎い外部の人間のなかには、意外に思った人も多いのではないでしょうか。それは、昔、祖母をとおして私が抱いていた生長の家のイメージとは真逆の声明なのです。

声明では、「私たちは今回、わが国の総理大臣が、本教団の元信者の誤った政治理念と時代認識に強く影響されていることを知り、彼らを説得できなかった責任を感じるとともに、日本を再び間違った道へ進ませないために、安倍政権の政治姿勢に対して明確に『反対』の意思を表明します」と、日本会議の設立に元信者が中心的な役割を果たしたことの責任と反省を表明し、戦前回帰を目論む安倍政権に否を突き付けているのでした。

その理由は、安倍政権は民主政治の根幹をなす立憲主義を軽視し、福島第一原発事故の惨禍を省みずに原発再稼働を強行し、海外に向かっては緊張を高め、原発の技術輸出に注力するなど、私たちの信仰や信念と相容れない政策や政治運営を行ってきたからです。


(略)安倍政権は、旧態依然たる経済発展至上主義を掲げるだけでなく、一内閣による憲法解釈の変更で「集団的自衛権」を行使できるとする”解釈改憲〟を強行し、国会での優勢を利用して11本の安全保障関連法案を一気に可決しました。これは、同政権の古い歴史認識に鑑みて、中国や韓国などの周辺諸国との軋轢を増し、平和共存の道から遠ざかる可能性を生んでいます。また、同政権は、民主政治が機能不全に陥った時代の日本社会を美化するような主張を行い、真実の報道によって政治をチェックすべき報道機関に対しては、政権に有利な方向に圧力を加える一方で、教科書の選定に深く介入するなど、国民の世論形成や青少年の思想形成にじわじわと影響力を及ぼしつつあります。


日本会議の主張する政治路線は、生長の家の現在の信念と方法とはまったく異質のものであり、はっきり言えば時代錯誤的です。彼らの主張は、「宗教運動は時代の制約下にある」という事実を頑強に認めず、古い政治論を金科玉条とした狭隘なイデオロギーに陥っています。宗教的な観点から言えば“原理主義”と呼ぶべきものです。私たちは、この“原理主義”が世界の宗教の中でテロや戦争を引き起こしてきたという事実を重く捉え、彼らの主張が現政権に強い影響を与えているとの同書の訴えを知り、遺憾の想いと強い危惧を感じるものです。


私は、この声明を読んで、やはり創価学会を思い出さないわけにはいきませんでした。「核兵器の廃絶を訴え、地球民族主義を提唱した戸田第二代会長の平和理念を原点とし」(創価学会公式サイトより)、どこよりも平和・人権・環境の問題に取り組んできたと自負する創価学会ですが、だったら創価学会こそ生長の家のような声明を出すべきではないのか。

「神国」「神の子」などということばを使って戦前的価値の復興を唱える宗教的カルト(生長の家原理主義)に影響されている安倍政権、そんな安倍政権と二人三脚の連立を組む創価学会=公明党。これでは同じ穴のムジナと言われても仕方ないでしょう。まして創価学会は、戦前、天皇制ファシズムに弾圧され、初代会長の牧口常三郎は獄死さえしているのです。
2016.06.11 Sat l 社会・時事 l top ▲
散歩の途中、いつものように山下公園のベンチにすわって本を読んでいるときでした。なんだか臭いのです。ケモノ臭がするのです。それで目を上げて周囲に見ると、いつの間にか隣のベンチに犬を連れた女性がすわっていました。スマホを操作している女性の足元には、黒の柴犬が前足を揃えて行儀よくすわっていました。

山下公園は犬を散歩する人が多いので、植え込みの周辺はいつもケモノ臭が漂っていますが、ベンチがあるあたりは海に面しているのでそうでもありません。私は、思わず顎に下げていたマスクをひっぱり上げて鼻を覆いました。

実家ではジョンという雑種とウタという柴犬を二代つづけて飼っていました。小学校の低学年から30すぎまで、ずっと犬とともに暮らしていたのです(と言っても、実家にいたのは中学まででしたので、そのあとはときどき帰るだけでしたが)。

犬のかわいいところもよくわかります。今でも散歩している犬を見ると、かわいいなと思います。もちろん、犬が放つケモノ臭も昔は身近にあったのです。それは当然のこととして日常のなかにありました。だから、このケモノ臭に対する拒否反応に自分でも驚きました。

そう言えば、2月に帰省した折、サルで有名な高崎山に行ったのですが、そのときも餌場全体に漂うケモノ臭と糞の臭いに閉口したものです。高崎山に行ったのは小学校のとき以来だったのですが、もう二度と行きたくないと思ったくらいです。

私も経験がありますが、人間というのは現金なもので、煙草をやめた途端、他人の煙草の臭いが気になり、へたすれば顔をしかめるようになるのです。あれと同じなのでしょう。

若い頃と比べて、自分が変わったことと言えば、時間を厳守するようになったことと予備がないと不安症候群になったこととこの臭いに敏感になったことです。若い頃は自他ともに認める遅刻魔だった人間が、今では時間厳守の権化のようになっているのです。年を取ると不思議なことが起きるものです。

隣の柴犬は、柴犬にしてはめずらしく人懐っこい性格のようで、ときどき尻尾を振りながら媚びるような目で私のほうを見ていました。しかし、今や立派な偏屈オヤジになった私は、そんな視線を無視して、心のなかで「臭い、臭い」と呟きながらベンチを立ったのでした。
2016.06.08 Wed l 日常・その他 l top ▲
北海道の男児行方不明事件に関連して、尾木ママのブログが炎上しているそうです。尾木ママは、しつけのために置き去りにしたことについて、ブログで「虐待」だと批判し、さらに「置き去りそのものが真実なのか疑いたくなる」とか「警察に逮捕されることでしょう」などと両親の犯罪さえ匂わせていたのでした。そのため、今、批判にさらされているのです。

こういうお粗末な人物が、教育の専門家としてメディアでもてはやされ、法政大学で教鞭を執っているのですから開いた口がふさがらないとはこのことでしょう。テレビでわけ知り顔にコメントしているのは、この手の”下等物件”ばかりなのでしょう。そして、彼らはテレビで顔を売って、週末に講演で荒稼ぎするのです。

もっとも、尾木ママのような”陰謀史観”は、ネットではめずらしいことではありません。たとえば、この事件に対するJ-CASTニュース(Jカス)の記事は、犯罪まがいのひどいものでした。情弱な尾木ママも、Jカスの記事を見て、「ネットで真実を見つけた」つもりになったのかもしれません。

Jカスは、男児が発見される前の6月2日には、つぎのような意味深な記事を発信していました。

Yahoo!ニュース
北海道の男児「置き去り」深まるナゾ 服装、理由などの説明「変化」が気になる人も

 北海道七飯(ななえ)町の林道で小学2年の男児(7)を置き去りにした、と両親が明かしてから6日目に入った。自衛隊も出動したが、2016年6月2日夕現在も見つかっておらず、ナゾが深まっている。

 「置き去り」を巡っては、父親の説明が次々に変わり、初動捜査などに影響したと報じられた。
(略)
 当初は、5月28日夕に山菜採りの途中ではぐれたとの話だったが、車の中に山菜がないなど不自然な状況があった。父親は翌朝になって、男児が車や人に石を投げつけたため、「しつけ」として林道に置き去りにしたと話を変えた。その場所に5分ほどして戻ったが、男児の姿はすでになかったともいう。

 その後、男児の服装についても当初説明のジーパンではなく、紺色系のジャージズボンを履いていたなどとした。例えば、29日早朝のテレ朝系「ANNニュース」では、警察によると、男児は「Tシャツにジーパン姿で、サンダルを履いている」と報じていた。サンダルは後に「赤い運動靴」に変わっている。

 さらに、函館新聞の6月1日付記事によると、置き去りにした後、車に追いついた男児を再び乗せ、今度は遠めの場所に置き去りにしたと父親は話しているという。

 東京スポーツもこの日発売号で、警察関係者の話として、置き去りにしたという現場で警察犬が出動したが、臭いにまったく反応せずに現場から動かなかったと報じた。

 こうした不可解な状況に、ネット上では、様々な憶測が書き込まれている。

  「なにかをまだ隠してる」「ホントに置き去りにしたのか?」「そもそもそこに来ていない可能性...」

 2ちゃんねるでは、スレッドが2日夕現在で80以上にも達しており、中には、根拠のない憶測も出ているほどだ。


2ちゃんねると東スポの記事を根拠に、七飯町役場に電話取材して記事をでっち上げる。Jカスのいつものやり方です。こうして”陰謀史観”がネットに拡散されるのです。

これは、「在日特権」でも「中国が攻めてくる」でも、あるいは「小保方バッシング」でも「干される芸能人」でも、みんな同じです。ときに東スポが週刊文春に変わるだけです。

Jカスは、そうやってアクセスを稼ぎ、ニュースをマネタイズしているのです。また、Yahoo!ニュースのアクセスランギングで、このJカスの記事が1位になっていたように、Yahoo!ニュースなどに転載されることで、さらに何倍にもなってアクセスが返ってくるのです。

ウキペディアによれば、J-CASTニュースは、『AERA』や『週刊朝日』などに在籍していた朝日新聞のOBたちが作った会社だそうです。そう言えば、朝日新聞デジタルの「イチ押し週刊誌」というコラムをJカスのシニアエディターなる人物が担当していますが(Jカスの編集者が週刊誌の記事を”批評”するなんて悪い冗談みたいな企画ですが)、それも朝日新聞との人的なつながりで仕事が発注されているのかもしれません。

さらにJカスは、男児が発見されたあとも、つぎのような記事をアップしていました。

Yahoo!ニュース
「無事発見の美談でおしまい」に違和感の声 北海道置き去り、「状況が不自然」と首ひねる人も

 一方で、「(話が出来過ぎていて)不自然」などと、「無事救出の美談」に違和感を持つ人もいるようだ。「水だけ」で丸5日以上も暮らしながら、男の子が自分で歩けるほど元気だったことや、発見された自衛隊施設の管理をめぐる証言の「食い違い」など、依然、謎も残されている。


これでは確信犯と言われても仕方ないでしょう。JカスやYahoo!ニュースがこうやって「ネットの真実」を捏造し、ネトウヨのような「ほとんどビョーキ」の人間たちを生み出しているのです。尾木ママもママと(まんまと)それに引っ掛かったのでしょう。


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”不謹慎狩り”と私刑の構造
『ウェブニュース 一億総バカ時代』
2016.06.06 Mon l ネット・メディア l top ▲
田中康夫氏が、7月の参院選の東京地方区におおさか維新から出馬することが決定したようです。

これには仰天しました。田中氏は、かつて橋下徹氏を「ナニワのウラジミール・プーチン」、その「舎弟」松井一郎氏を「ドミトリー・メドベージェフ」とヤユし、つぎのように当時の橋本府政を批判していたのです。

「財政効果は年155億円に上ると訴え(讀賣新聞)」、「都構想実現後の成長戦略として橋下氏が挙げたのは高速道路や鉄道の整備、大型カジノの誘致(朝日新聞)」。

「新たな庁舎建設やシステム改修費で600億円程度かかる(日本経済新聞)」新手(あらて)のハコモノ行政と知ったナニワっ子は、若しや本末転倒な“不仕合わせ”構想ではと訝(いぶか)り、僅差(きんさ)ながらも否決。それが僕の見立てです。

豈図(あにはか)らんや、2008年2月に橋下徹氏が知事に就任して以降の7年間で大阪府は、財政力指数も経常収支比率も悪化し続け、実質公債費比率が18%を超えた2011年度以降、地方債発行に総務大臣の許可を必要とする“禁治産者”状態に転落しています。

田中康夫 Official Web Site
田中康夫の新ニッポン論 ㉕「イデオロギー」


それがどうしておおさか維新なのか。田中氏は、「統治機構改革と既得権益打破を目指す方向は同じ」と語ったそうですが、なんだかあと付けのとってつけた理由のように思えてなりません。

田中氏が狙っているのは、東京都知事の椅子だという話もあります。橋下氏も都知事の椅子を狙っている(テレビ出演はそのための事前運動)という話もありますので、二人の間で舛添バッシングの先を見据えたなんらかの”手打ち”がおこなわれたのかもしれません。

私は、現実の政治に関わる知識人や文化人に対してはいつも懐疑的なのですが、田中氏の批評眼は信頼していました。ホンモノだと思っていました。変節や裏切りやウソとは無縁な人だと思っていたのです。それだけにどうして?という気持が強いのです。

田中氏の真意をはかりかねた人たちからいろんな見方が出ていますが、今回ばかりは変節と言われても仕方ないように思います。お得意のもってまわったような言い方も、単なる屁理屈とごまかしのようにしか聞こえません。これからはあのレトリックを駆使して、おおさか維新こそしがらみのないホントの改革勢力で、どこよりも平和を希求する政党だ、とどこかの宗教政党のような詭弁を弄することでしょう。

従来の支持者や読者から失望されるのは承知の上で、みずからのレトリックと野望は、石原・猪瀬・舛添・田母神60万票の東京の有権者のほうが生かせると思ったのかもしれません。ポピュリストにとって、東京の有権者は「おいしい衆愚」なのでしょう。

上記のブログで、田中氏は、橋下氏をつぎのように皮肉っていましたが、「鈍感」で「情弱」とはまさに今の夫子自身でしょう。これが「33年後のなんとなく、クリスタル」の姿なのか。私には、田中氏がトンチンカンに見えて仕方ないのです。

偏差値的な「形式知」=弁護士に象徴される資格試験の“士族”として世の中に登場したが故に、良くも悪くも「教養」とは無縁の“地頭”を用いて生きる「暗黙知」の国民よりも鈍感力が増してしまった、「情弱=情報弱者」振りです。



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2016.06.03 Fri l 社会・時事 l top ▲
週刊金曜日5月27日号


『週刊金曜日』の5/27号に、今国会で刑事訴訟法及び「盗聴法」の改正案に民進党と生活の党が賛成したことについて、つぎのような記事が出ていました。

 これまで主要野党はこぞって反対し、委員会最終日にも(略)法案の不備や危険性を訴えたにもかかわらず、民進党と生活の党は賛成し、あっさりと可決された。
 当日の質疑を含め、採決にいたるまでの言動は、結果として茶番劇だったと言われてもしかたないだろう。それは、同じ委員会で審議されてきたヘイト・スピーチ規制法案を通す見返りに、本法案に賛成するという取引があったからではないか。法案の危険性に警鐘を鳴らし続けてきた関東学院大学の足立昌勝名誉教授(刑法)はいう。
「基本的人権に強く関連する法案がこんな少ない時間(参院で二十数時間)で採決されたことに強く抗議したい。それに合意した民進党の有田(芳生)理事が、ヘイト・スピーチ規制法案さえ通過すれば良しとしていたとすれば、基本的に誤りである。私たちは、そんな国会議員はもういらない。今度の改選でぜひ落選してもらいたい」

(『週刊金曜日5/27』・「民進・生活が与党案に賛成」林克明・シャーナリスト)


この記事に対して、民進党の有田芳生議員とその周辺が猛反発、『週刊金曜日』に裏切られた、購読を停止するなどとTwitterで息巻いていました。有田議員らは、足立教授よりむしろ記事を載せた『週刊金曜日』に反発しているようでした。それに対して、『週刊金曜日』は、編集者が議員会館を訪れ、有田議員に反論を掲載することを申し出たそうです。

しかし、有田議員が今回の改正に賛成したのも、会期末間際になって、民進党や生活の党がそれまでの態度を一変して賛成にまわったのも、まぎれもない事実なのです。その唐突な展開に、ヘイト・スピーチ規制法の成立とバーターだったのではないかと穿った(?)見方をされたのはわからないでもないのです。

問われるべきは、国民の基本的な人権を侵害する警察権限の拡大に賛成したという事実でしょう。それは、バーター云々よりももっと重大な問題を含んでいると言えます。刑法の専門家である足立教授が怒り心頭なのもその点なのでしょう。

民進党は信用できない。何度も言いますが、今や自民党を勝たせるためだけに存在していると言っていい民進党ですが、今回の豹変劇を見て、私は、あらためてそう思いました。

今夜、安倍首相が来年4月に予定されていた消費税の引き上げを2年半延期することを表明しましたが、これによって「社会保障の充実」、なかでも高齢者の無年金や低年金への対策も、先送りされることが決定的になりました。無年金や低年金は高齢者の貧困問題に直結しており、それこそ待ったなしなのです。安倍首相が、選挙のために再延期を決めたのは、政治家として無責任の極みと言うしかありません。また、今は上がらなければそれで良しとする国民も無責任そのものです。

もっとも、この社会保障と税の一体改革を最初に打ち出したのは、民主党の野田政権なのです。それで、公約に反した消費税の引き上げに突き進み自滅したのでした。民主党政権が、「社会保障の充実」を増税の方便にして、「社会保障の充実」を今のように宙ぶらりんな状態にしたのです。安倍がこれほど無責任になれるのも、三党合意したとは言え、そもそも自分たちが発案したものではないからでしょう。

民進党は、消費税引き上げの再延長はアベノミクスの失敗で、それをみずから認めたようなものだと批判しています。でも、一方で、民進党も引き上げの延長を主張しているのです。民進党の批判は、誰が見ても天に唾するものでしょう。

有権者にとって、民進党というのは、もはや「あんな政党に投票したらバカを見る」という”反面教師”でしかないのです。それほどまでに民主党政権の失敗は致命的で、トラウマになっているのです。民進党が存在する限り、今のような与党への消極的な支持となし崩しの一強体制はこれからもつづくでしょう。こんな信用できない政党はもういらないのです。

追記:
上の記事を書いた林克明氏らによれば、『週刊金曜日』の編集部は、有田議員に対して次号でお詫びを出すことになったそうです。これもおかしな話です。誌上で議論をおこなうのではなく、文句を言われたからお詫びを出すというのは、言論機関として問題ありと言えるでしょう。雑誌の発行人として執筆者を守る姿勢さえないのです。これでは国会議員の圧力に屈したと言われても仕方ないでしょう。


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2016.06.01 Wed l 社会・時事 l top ▲