昨日、衆院選挙が告示され、22日の投票日に向けて選挙戦が開始されました、と言っても、告示のときはもう大勢は決まっていると言われています。

さっそく朝日新聞に序盤の「情勢調査」が出ていますが、それによれば、自民党は「堅調」で単独過半数233議席を大きく上回る見込み、希望の党は伸び悩み現有57議席を上回る程度、立憲民主党は勢いがあり現有15議席の倍増も可能、公明共産は現状維持だそうです。

「選挙は蓋を開けて見なければわからない」「無党派層の動向如何では結果が変わる可能性がある」なんてもの言いも所詮、気休めにすぎないのです。実際に、今までも事前の予想を大きく裏切ることはありませんでした。

なんのことはない、安倍一強はゆるぎもしないのです。それどころか、逆に希望の党が加わるので、改憲派は今より大幅に議席を増やすことになるのです。

そんななか、選挙権が18歳に引き下げられたということもあって、いつになく若者たちの「選挙に行こう」キャンペーンが盛んです。「選挙に行かないのは、政治家に白紙委任するようなもの」「選挙は、自分たちの意思を国政に反映させる絶好のチャンス」「選挙に行かない人間に政治を語る資格はない」などという、おなじみの“選挙幻想”がふりまかれているのでした。

私などは、朝のワイドショーはどこも選挙の話題ばかりなので、今朝はとうとうテレビ東京の子ども向け番組「おはスタ」で、にゃんこスターの笑えないギャクを見ていました。くだらない選挙の話題なんかよりにゃんこスターのギャクのほうが余程マシです。

一方、メディアでは、「入口に立つあなたが好き」というキャッチフレーズを掲げ、若者の投票率の向上を目指してさまざまなイベントを開催している学生団体がもてはやされています。

学生だったら今のおかしな選挙制度や政党助成金制度に対して問題提起すべきではないかと思いますが、彼らにそんな問題意識はないようです。選挙で世の中は変えられない、という昔の学生のような不埒な考えなんて想像すらできないのでしょう。

政治的なスタンス以前の問題として、あの麻生太郎や二階俊博の有権者をバカにしたような尊大な態度に、少しは怒ってもいいように思いますが、もちろん、彼らにそんな視点はありません。どこまでも「いい子」なのです。彼らは、腹黒な役人や老獪な政治家に頭を撫でられることだけが目的のような「いい子」にすぎないのです。

「劇場型」と言われた小泉政権の登場によって、衆愚政治のタガが外れたと言われていますが、問題意識をもてない有権者は、文字通りタガの外れた衆愚政治がターゲットにするB層になるだけでしょう。無定見に「選挙に行こう」キャンペーンを担う彼らは、若者たちにB層=衆愚になれと言っているようなものです。

もちろん、それは若者だけではありません。戦争が起こると本気で思っている(そのわりに呑気に酒を飲んでいる)新橋のサラリーマンたちも然りです。B層というのは、そのように常に「煽られる人」でもあるのです。

僭越ですが、私は、以前、鈴木邦男氏が雑誌のコラムで紹介していた戦争前のエピソードについて、つぎのように書いたことがありました。

一水会の鈴木邦男氏は、雑誌『創(9・10月号)のコラム(「言論の覚悟」真の愛国心とは何か)で、戦争前、東條英機のもとに、一般国民から「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というような「攻撃・脅迫」めいた手紙が段ボール箱に何箱も届いたというお孫さんの話を紹介していましたが、そうやって国民もマスコミもみんな一緒になって戦争を煽っていたのです。東條英機らは、そんな声に押されるように、「人間たまには清水の舞台から飛び降りるのも必要だ」という有名なセリフを残して、無謀な戦争へと突き進んでいったのでした。でも、戦争が終わったら、いつの間にか国民は、軍部に騙された「被害者」になっていたのです。

「愛国」と「文学のことば」
http://zakkan.org/blog-entry-986html


選挙が終わったら、「禊を終え」勢いを増した改憲派が、北朝鮮の脅威を盾に、いっきに改憲へギアをアップしていくことでしょう。そして、森友・加計の問題は人々の記憶から消えていくに違いありません。永井荷風ではないけれど、「選挙に行こう」というのは、あの戦意高揚の標語と同じで、「まことにこれ駄句駄字といふべし」なのです。


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2017.10.11 Wed l 社会・時事 l top ▲
最近体調がよくなくて、本も読まず、テレビばかり見ていますので、もう少し床屋政談をつづけます。

民進党が事実上「解体」したことは慶賀すべきことです。(何度も言っているように)「民進党が野党第一党であることの不幸」から解放されるなら、まずは歓迎すべきでしょう。

「アベ政治を許さない」と言っている人たちがホントに「アベ政治を許さない」と思っているのなら、希望の党に行ったとか新党を立ち上げたとか無所属で行くとかに関係なく、旧民進党の議員全員の落選運動をやるべきでしょう。

希望の党との合流が発表された当初、合流はアベ政権を倒すための次善の策だというようなことを書いていた田中龍作ジャーナルに代表されるような左派リベラルのお粗末さや、枝野氏ら「排除」された「リベラル」派が新党を立ち上げたら、今度は新党に希望を託すようなことを言っている左派リベラルの御目出度さを考えるべきなのです。

阿部知子氏の「新しい独裁者はいらない」ということばは秀逸だと思いますが、しかし、阿部氏自身、代表選では前原氏を支持していたのです。しかも、28日の両院議員総会では、前原氏の提案に対して疑義すら申し立てなかったのです。それは、阿部氏だけではありません。疑義を申し立てる人間は誰もおらず、僅か30分で前原氏に一任することを決定し閉会しているのです。前原氏の提案に席を蹴ることすらできなかったヘタレな「リベラル」になにを期待すると言うのでしょうか。

「リベラル」派は所詮、「緑のたぬき」から「排除」された”負け犬”にすぎません。同情するなら票をくれとでも言わんばかりに新党を立ち上げても、マスコミによって刷り込まれた“負け犬”のイメージを払拭することはできないでしょう。

新党を立ち上げる前、枝野氏は前原氏と会談し、話が違う、と抗議したところ、前原氏は、「排除」するなんて聞いてない、小池氏に確認する、明日まで待ってくれ、と言ったそうです。すると、枝野氏は、一縷の望みを託して(?)前原氏の返事を待っていたのです。

しかし、メディアの報道によれば、前原氏は、「排除」や「分裂」はすべて想定内だったと言っているそうです。前原氏の思想的な立ち位置を考えれば、前原氏が「(小池氏に)騙された」なんてあり得ないでしょう。枝野氏は、未だに民進党議員全員を受け入れるという合意は、小池氏によって(一方的に)反故にされたようなことを言っていますが、二人の間では「排除」することが最初から合意されていたのです。小池氏も、「排除」については、当初から前原氏に申し上げていると言っているのです。

それどころか、9月26日の会談には連合の神津会長も同席していたそうです。前原氏自身も、希望の党との合流は、連合と相談しながら進めていたと証言しています。「排除」は神津会長も同意していたと考えて間違いないでしょう。連合が「排除」の方針を打ち出した小池氏に「激怒」と書いていた夕刊紙がありましたが、それはトンチンカンな左派リベラルの”希望的観測”と言うべきでしょう。

こういう細かいことは案外重要です。なぜなら民進党議員たちの(特に「リベラル」派の)カマトト=建前と本音を映し出しているからです。要するに、「保守」であれ「リベラル」であれ、「右派」であれ「左派」であれ、民進党の議員たちは、みんな希望の党に行きたかったのです。「トロイの木馬」発言もそうですが、28日の両院議員総会までは、希望の党に行くという“甘い夢”を見ていたのです。

山尾志桜里氏は、朝日新聞の取材に対して、「無所属で本当によかった。リベラルの価値を葛藤なしに語れることが幸せだ」と言ったそうですが、よく言うよと思います。言うまでもなく、山尾氏は前原氏に近い人物でした。スキャンダルがなければ、前原氏と行動を共にしたのは目に見えているのです。

今回の合流劇では、民進党の100億円を超すと言われる内部留保のお金の行方に関心が集っていますが、政界が金の論理で動くようになった(それをマスコミは「政界再編」と呼んでいるのですが)政党助成金の問題も考えないわけにはいかないでしょう。政党助成金というのは、既成政党が税金によって既得権益を得、議会政治を独占し、未来永劫に政権をたらい回しする制度なのです。そういった視点で今回の合流劇を見れば、見えてくるものがあるでしょう。

希望の党の若狭勝氏は、今日の第一次公認候補者発表の席で、選挙後の首班指名について、自民党議員を指名することに含みをもたせたそうです。彼らが目指しているのが保守大連立であることが徐々にあきらかになっています。仮に安倍晋三が去っても、「アベ政治」は残るのです。

スペインのカタルーニャ独立の投票をめぐる運動を見るにつけ、日本との違いを痛感せざるを得ません。彼方の政党は、左右を問わず、どこも街頭の運動のなかから生まれたのです。そして、常にあのような街頭の運動によって政党の活動も支えられているのです。同じ左派リベラルでも日本のそれとは似て非なるものです。

先日の安倍退陣(お前が「国難」)デモで、枝野氏が姿を見せると、いっせいに枝野コールがおこったそうですが、私にはそれもトンマな光景にしか思えませんでした。
2017.10.03 Tue l 社会・時事 l top ▲