体操の宮川紗江選手のコーチが、練習中に宮川選手に暴力を振るったとして、日本体操協会から無期限登録抹消処分を受けた問題がメディアを賑わせています。一方、処分に反発した宮川選手は、日本体操協会の塚原千恵子女子強化本部長と夫の光男副会長にパワハラを受けたと告発。さらに今日、宮川選手がパワハラを受けたと主張する面談の音声データが塚原氏側から公開されました。

データの公開に際して、塚原氏側は、「私たちの言動で宮川紗江選手の心を深く傷つけてしまったことを本当に申し訳なく思っております」と謝罪し、データの公開も、宮原選手と対決する意図はなく、「高圧的」だという誤解を解くためであるという声明を出していました。

この問題の背景に、メディアの塚原夫妻に対する私刑(リンチ)があるのはたしかでしょう。宮川選手の告発によって、発端となった暴力を伴う指導法の問題は片隅に追いやられたのでした。そして、日本の体操界で大きな力を持つ塚原夫妻を“悪”と裁断する印象操作がメディアを覆うようになったのです。それはあきらかに問題のすり替えです。

宮川選手と速見コーチの関係を「宗教みたい」と言ったのも、(それが適切な表現ではなかったものの)選手とコーチの「共依存」を懸念した発言だったのかもしれません。一部の関係者が指摘するように、アスリートが次のステップに進むためにコーチを変えるのは、フィギュアスケートなどでもよくあることです。塚原氏はそうアドバイスしたかったのかもしれないのです。

テープ自体も、体操協会の強化合宿かなにかで、宮川選手が(速見コーチがいない)合宿を途中で引き上げると言い出したので、そんなことでどうするの、それじゃオリンピックにも出られないわよ、と説得(あるいは説教)していたような感じでした。会話を隠し録りしたのも、宮川選手がスポンサーと契約の問題でトラブルになっているので、念の為に録音したというようなことを言ってました。宮川選手はもともと「面倒くさい」選手だったのかもしれません。

日大アメフト部の悪質タックル問題以降、メディアの私刑(リンチ)はエスカレートするばかりです。メディアは、私刑(リンチ)によって視聴率(部数)が稼げる旨味を知ったのでしょう。メディアは、次から次へと”獲物”を物色している感さえあります。

岐阜の病院の問題でも、テレビはニュースの中で、「病院が死亡診断書の死因を『熱中症』ではなく『病死』と書いていたことが判明しました」と言っていました。私は、最初、何が言いたいのかわかりませんでした。病院は「熱中症」が死因ではないと言っているのですから、「病死」と書くのは当然でしょう。

また、入院患者が死亡したことについても、「病院は警察に届けていませんでした」と言ってました。でも、入院中に病死したのであれば警察に届ける必要はないでしょう。法的になんら問題はないのです。メディアは、病院があたかも何か隠蔽しているかのような印象操作を行っているのでした。

メディアの私刑(リンチ)は、もはや”病的”と言ってもいいくらいです。印象操作によって、”犯罪”をねつ造さえしているのです。そして、思考停止した大衆は、塚原は”悪”だ、病院は患者を殺した、という予断に縛られ、メディアに踊らされるのです。それが彼らにとっての“真実“なのです。

これからも、「ネットとマスメディアの共振」(藤代裕之氏)による、視聴率(部数)稼ぎの私刑(リンチ)は続くことでしょう。 ”獲物”として狙われたら最後、ヤクザの言いがかりのような論理で市中引き回しの刑に処され、社会的に抹殺されるのです。しかも、私刑(リンチ)に異を唱える、気骨のあるメディアさえないのです。デモクラティック・ファシズム(竹中労)とはよく言ったものだとしみじみ思います。
2018.08.31 Fri l 社会・メディア l top ▲
岐阜市の病院で、80代の入院患者が相次いで死亡したのは、エアコンが故障していたことによる熱中症が原因ではないかという問題が浮上しています。岐阜県警も、業務上過失致死の疑いで、家宅捜索を行ったというニュースもありました。

テレビのワイドショーでは、「殺人罪」の容疑も視野に入っていると言ってましたが、仮に、エアコンの故障が原因で熱中症で亡くなったにしても、「殺人罪」が適用されるなどあり得ないでしょう。

病院はエアコンが故障したため扇風機を使っていたそうですが、当然、看護婦や介護職員も患者をケアするために部屋に出入りしていたでしょうし、食事も毎日運んでいたでしょう。業務上過失致死だって難しいのではないかと思います。

私は、医療の現場を間近で見た経験から、この問題を自分なりに考えてみました。

件の病院は、「終末期医療」を担う療養型病床が主体の、所謂「老人病院」だったようです。昔と違って、今は医療費を圧縮するために国の方針が細分化され、それに伴って病院も機能別に細かく分かれています。大きく分けて高度急性期・急性期・回復期・慢性期の四つに分かれており、通常、私たちがイメージする病院は、大学病院などの高度急性期と総合病院の急性期の病院でしょう。外来が活発なのも、この二つの病院です。

当然、医療の質も違ってきます。建前上、質に違いはないことになっていますが、ドクターや看護師などの質は全然違います。そもそも医療設備からして違います。「終末期医療」と言えば聞こえはいいですが、それは手厚いケアが行われる大病院の緩和病棟などとは似て非なるものなのです。

私の知っている病院(回復期と慢性期を兼ねる病院)は、開業して10年も経ってないホテルのようなきれいな病院で、他の病院に比べて「患者の(所得)レベルが高い」と言われていますが、それでも入院患者の3割は家族がほとんど面会に来ないそうです。

この問題が浮上したのは、死亡した患者の成年後見人が警察におかしいと訴えたからだそうですが、では、家族からのクレームはどうしてなかったのかと思いました。今の病院は、昔と違って家族からのクレームに敏感です。家族は見舞いにも来てなかったのではないか。あるいは、身寄りのない患者が多かったのかもしれません。

ワイドショーを見ていたら、入院患者が救急車で移送されたとかで、レポーターたちが大騒ぎしていましたが、「老人病院」はあくまで慢性期の療養型病床なので、容態が急変したら、急性期の病院に救急搬送するのはよくあることです。なにか事件でも起きたかのように大騒ぎするような話ではないのです。ワイドショーは全てがこのレベルです。

旧大口病院での「大量殺人」でも、犯人の看護師が稀代の殺人鬼のように報道されていますが、私は、彼女はメンヘラだったように思えてなりません。医療従事者は、仕事の重圧に加えて職場の人間関係にも悩ませられるので、メンヘラになる人間が多いのです。まして「姨捨山」と陰口を叩かれるような「終末期医療」の実態を目にすると、ある種の“衝動”に駆られることがないとは言えないでしょう。「終末期医療」の「老人病院」の場合、「看取り」の確認書や指示書を家族から貰うのが通例ですが、その多くが延命処置を行わず自然に任せるのが希望だと言われています。

看護師はどこの病院も人手不足で(まして「老人病院」はよけいそうです)、みんな疲弊しています。旧大口病院の彼女の場合は、点滴に界面活性剤を混入したと言われていますが、疲弊し情緒不安定になった中で、喉に通した管を抜くだけでこの患者は楽になるのだ、と耳元で悪魔に囁かれることだってあるかもしれません。家族からも見捨てられ、生命維持装置を付けられてただ死を待つだけの患者。そういった現場を日常的に見ていると、人の死に対して、ナイーブな感覚もマヒしていくでしょう。残る砦は、人の命は地球より重いなどという20世紀の人権思想(ヒューマニズム)だけです。子供から「どうして人を殺してはいけないの?」と問われて、しどろもどろになるような思想だけなのです。

社会の片隅に追いやられ、決して恵まれているとは言えない医療環境で人生の終わりを迎える老人たち。一日に4人が亡くなるのも、「老人病院」だったらあり得ない話ではないでしょう。それをとんでもないことのように言うメディア。責任逃れのために、病院に立ち入り検査をする小役人たち。彼らは、法に定められた医療監視を行っているはずなのです。立ち入り検査も、メディア向けのパフォーマンスのようにしか思えません。世間の人間も含めて、みんな、自分たちの無関心や無責任を棚に上げ、カマトトぶって病院を叩いているだけです。


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2018.08.29 Wed l 社会・メディア l top ▲
あるツイッターを見ていたら、下記の藤原新也氏のブログが紹介されていました。

Shinya talk
理稀ちゃん救出劇雑感。(Catwalkより転載)

理稀ちゃんを救出した尾畠さんは、上空に「カラスがカーカーうるそう鳴く」「とりやま(鳥山)」を見たのではないか。そして、その「とりやま」を目印に理稀ちゃんを発見できたのではないか、と藤原氏は書いていました。

このとりやま(鳥山)は海にも立つが陸や山にも立つ。

そしてそのとりやまの下には獲物があるということだ。

その獲物は生きている場合もあり死んでいる場合もある。

ちなみに東日本大震災の現場では陸地に多くのとりやまが立った。

その下に溺死体があったからだ。

とくにカラスのような物見高い鳥は何か下界で異変があると騒ぎ立てる習性がある。

これは日常的に死体が転がっているインドにおいても同じことである。


そう言えば、救出される前の報道の中に、「捜索隊の人はカラスが鳴いている場所を中心に捜索すると言ってました」という理稀ちゃんの祖父の発言がありました。そのとき、私は、なんだか残酷な気がしたのでした。

尾畠さんは、大分県日出町出身で、65歳まで隣の別府市で鮮魚店を営んでいたそうです。私が通った別府の高校の同級生にも、漢字は違いますが、日出町から来ていた「おばた」姓の人間がいました。また、現在、尾畠さんの自宅がある地区にも、何人かの同級生の実家がありました。

同じ田舎の出の人間として、藤原新也氏の「とりやま」の話はよくわかるのです。藤原氏が住む千葉の房総でも、「カラスの振る舞いは人の死を予見するという言い伝えがある」そうですが、私の田舎にもその言い伝えがありました。

私は、中学までは熊本県境に近い久住連山の麓の町で育ちましたが、「とりやま」という呼び名は知らなかったものの、カラスが鳴くと不幸事があるという言い伝えは子供の頃から共有していました。

上空でカラスがカーァカーァ鳴くと、親が「気味が悪りぃ。不吉な知らせじゃ」と言ってました。そして、親の言うとおり、カラスが鳴くと不思議と不幸事があるのでした。

つまり普段カラスが飛ばぬような上空に円を描くようにカラスが群れ飛ぶとその真下の家の誰かが死んでいるか、あるは死に行く人がいるということを鋭敏に感じとっているというわけである。


よく“自然の神秘”と言いますが、自然には「言語化」できない“神秘”がまだ残っているのでしょう。
2018.08.18 Sat l 故郷 l top ▲
8月15日の朝日新聞に、敗戦直後、旧満州に入植した開拓団の女性たちが、当時のソ連兵に対して「性接待」をさせられていたという記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
開拓団の「性接待」告白 「なかったことにできない」
「性接待」証言活動支える家族 母たちの犠牲なければ

記事によれば、 開拓団の女性たちは、開拓団の幹部から「『(夫が)兵隊に行かれた奥さんたちには、頼めん。あんたら娘が犠牲になってくれ』と言われた」そうです。背景には、敗戦になって、彼らが日本軍に置き去りにされたという深刻な事情があったのでした。ただ、日本軍の中でも、下級兵士は同じように置き去りにされ、石原吉郎が書いているように、ソ連軍の捕虜となり過酷な抑留生活を余儀なくされたケースも多くありました。一方、戦争を指導した関東軍の上級将校たちは、いち早く日本に逃げ帰ったのです。

 「白川町誌」などによると、黒川開拓団は1941年以降、600余人が吉林省陶頼昭に入植した。敗戦後、旧日本軍に置き去りにされ、現地住民らによる暴行や略奪を受け、隣の開拓団は集団自決した。

 当事者の証言によると、黒川開拓団は幹部が近くの旧ソ連軍部隊に治安維持を依頼。17~21歳の未婚女性15人前後を「接待」に出した。45年9月から11月ごろまで続いた。一時期、中国兵の相手もさせた。


もちろん、これはホンの一例でしょう。こういった話はほとんど表に出てきていません。当事者たちは、口を噤み、胸の奥深くに秘匿して戦後を生きてきたのです。と言うか、戦後を生きるために、秘匿してきたのでしょう。

このような「性接待」の延長に、従軍慰安婦の問題が存在しているのは言うまでもありません。日本政府は、敗戦後、「性の防波堤」という名目で、特殊慰安施設協会なるものを設立、占領軍向けに国営の慰安所(特殊慰安施設)を設置していますが、これは政府主導の「性接待」と言えます。

(以下に、以前、このブログで書いたことを再掲します)

高見順は、『敗戦日記』(中公文庫)のなかで、この「特殊慰安施設」について、つぎのように書いています。

世界に一体こういう例があるのだろうか。占領軍のために被占領地の人間が自らいちはやく婦女子を集めて淫売屋を作るというような例が―。
(略)
戦争は終った。しかしやはり「愛国」の名の下に、婦女子を駆り立てて進駐軍御用の淫売婦にしたてている。無垢の処女をだまして戦線へ連れ出し、淫売を強いたその残虐が、今日、形を変えて特殊慰安云々となっている。


日本政府は占領軍のために、自国の婦女子を「淫売婦」に仕立てて提供したのです。しかも、「特殊慰安施設協会」なる名称からわかるように、そこには戦争中の従軍慰安婦のノウハウが生かされていたのです。

五木寛之は、朝鮮半島から引き揚げる際に、みずから体験したことをエッセイに書いています。しかし、それは例外と言ってもいいほどめずらしいことです。

数十人の日本人グループでトラックを買収して、深夜、南下している途中、ソ連軍の検問にひっかかり、お金を出せ、お金がなければ女を出せと言われたそうです。それも三人出せと。すると、グループのリーダーたちが相談して、三人の女性が指名されたのでした。

 指名された三人は全員の視線に追いつめられたように、トラックの荷台の隅に身をよせあって、顔をひきつらせていた。
「みんなのためだ。たのむよ」
 と、リーダー格の男が頭をさげて言う。言葉はていねいだが、いやなら力ずくでも突きだすぞ、といった感じの威圧的な口調だった。
 しばらく沈黙が続いたあと、その一人が、黙ってたちあがった。あとの二人も、それに続いた。
 運転手に連れられて三人の女性たちはトラックを降りて姿を消した。車内のみんなは黙っていたが、ひとりの男が誰にともなく言った。
「あの女たちは、水商売の連中だからな」
 一時間ほどして三人がボロボロのようになって帰ってくると、みんなは彼女たちをさけるようにして片隅をあけた。
「ソ連兵に悪い病気をうつされているかもしれんから、そばに寄るなよ」
 と、さっきの男が小声で家族にささやいた。やがてトラックが走りだした。
 私たちは、そんなふうにして帰国した。同じ日本人だから、などという言葉を私は信じない。

『みみずくの夜メール』(幻冬舎文庫)


中には、そのまま戻って来なかった女性もいるそうです。

民間人を置き去りにしていち早く逃走した帝国軍人たち。彼らにとって、こういった悲劇はなかったことになっているのです。そして、彼らは、戦後ものうのうと生き延び、自分たちが靖国の”英霊”の代弁者であるかのように振舞い、「戦後はお金や物万能の世の中で、心が疎かになっている」「日本人の誇りを失っている」なんて説教を垂れていたのでした。今はその子供や孫たちが同じことを言っています。なかったことにしている「性接待」を取り上げた朝日新聞は、「反日」「中共の手先」と攻撃されるのです。それがこの国の「愛国」なのです。


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2018.08.17 Fri l 社会・メディア l top ▲
杉田水脈議員のLGBTに対する「生産性がない」発言の何が問題かと言えば、それがナチスの優生思想へつながる“悪魔の思想”だからです。杉田議員は、名うてのレイシストとして、国会議員になる前から知られた存在でした。中には、Yahoo!ニュースのコメント欄に巣食う某カルト宗教との関係を指摘する人もいました。

杉田議員は、みんなの党・日本維新の会・次世代の党と渡り歩き、国政進出をめざしたものの、いづれも落選。しかし、そのヘイト思想が目に留まったのか、桜井よしこ氏によれば「安倍さんが杉田さんって素晴らしいと言うので、萩生田さんとかが一生懸命になってお誘いして」、昨年の総選挙で自民党の比例中国ブロックの単独候補として公認され、当選したのでした。

名うてのレイシストである彼女が国会議員になったことに、思わずのけ反った人も多いはずです。彼女のことを知っていれば、今回のような発言も別に驚くことではないのです。

杉田議員は、以前は「待機児童なんて一人もいない」「保育所は、家庭を崩壊させようとするコミンテルの陰謀だ」などと発言し、子育て支援に対しても批判的だったのですが、今回の寄稿では、一転して子育て支援に理解を示していました。子育ては「生産性がある」からでしょうか。

比例選出の新人議員の場合、次の選挙で上位に指名されるためには、日頃から自分をアピールする必要があります。杉田議員も、そうやって安倍首相や自民党の大物議員たちに媚を売り、みずからの存在をアピールしているのでしょう。自分に目をかけて国会議員にしてくれた安倍首相に喜んでもらおうと思ったのかもしれません。

ただ、稲田朋美氏が「多様性を認め、寛容な社会をつくることが『保守』の役割だ」(ツイッター)と批判めいたことを言ったり、安倍首相も「多様性が尊重される社会を目指すのは当然だ。これは政府、与党の方針でもある」と(白々しく)発言するなど、自民党内でも、(「LGBTは趣味みたいなもの」と言った低●議員を除いて)表立って杉田発言を擁護する人がほとんどいないのも事実です。時代はもはや杉田発言を擁護できないほど、LGBTが市民権を得つつあるのです。「多様性」や「ダイバーシティ」という言葉が、当たり前のこととして流通するようになっているのです。

前も書きましたが、電通も、「電通ダイバーシティ・ラボ」という専門組織を立ち上げ、LGBTをビジネスにつなげようとしています。電通のソロバン勘定によれば、LGBT市場は「約5.9兆円」まで拡大しているそうです。

杉田水脈議員の優生思想は論外としても、少なくともLGBTに関しては、日本の社会でも認知されつつあるのは間違いないでしょう。今回の問題で、あらためてそう感じた人も多いのではないでしょうか。

しかし、天の邪鬼な私は、同時に、若い頃に読んだ(と言っても途中で挫折したのですが)フーコーを思い出さざるを得ないのでした。知ってのとおり、フーコーも同性愛者でした。

フーコーによれば、18世紀以降の西欧社会では、性の「言語化」が図られ、それが個人の(主体性)の形成に関わるようになったと言います。つまり、性はただ単に禁忌されるべきもの・排除されるべきものから、医学や教育学や法学など知の対象(フーコーの言う「知への意志」の対象)になったのです。そうやって私たちは、みずからの性的欲望や性的行動を客観的に認識するように仕向けられたのです。もちろん、それは性の「解放」というような単純な話ではありません。むしろ、権力によって性が管理されコントロールされることを意味するのでした。権力は細部に宿り、さらに細部に細部に宿ろうとするものです。そのために、性が「言語化」され、性の拡大(と同時に「分節」)が意図されるのです。

杉田発言を誰も表立って擁護できないほどLGBTが認知されつつあるのも、それだけLGBTが権力によって管理され整序されつつある(されている)からだとも言えます。そうやって権力は私たちの身体の隅々にまで入り込み、「電通ダイバーシティ・ラボ」のように、資本主義のオキテ(=性の商品化)が貫徹されるのです。もとより文化とはそういうものでしょう。強制ではなく自発のように見えるのも、それだけ巧妙にコントロールされているからにほかなりません。それが権力の本来の姿です。こんなに苦しみました、こんなにつらい思いをしました、というような(日本人お得意の)”被害者史観”は、あらかじめ権力によって用意されたテンプレートとも言えるのです。

涙のカミングアウト(「告白」)は、フーコーが喝破した教会の「告解」(赦しの秘跡)と似ているように思えてなりません。「告白」が映し出しているのは、性に纏わる観念(の自明性)が整序され、操作されている私たちの心の風景です。フーコーは、そんな観念の奥に身を潜める権力を発見したのでした。

現代の権力は、杉田水脈議員のように、”逸脱する性”を排除したりタブー視したりすることはありません。もはや"逸脱する性"なんて存在すらしないのです。たとえば、下記のような記事を読むにつけ、涙の「告白」に違和感を抱かざるを得ないのでした。

電通報
今、企業がLGBTに注目する理由とレインボー消費
Sankei Biz
LGBT配慮商品に企業注目 「レインボー消費」販売戦略に取り入れ

今回の杉田発言でLGBTの認知はさらに深まるでしょう。杉田水脈議員は、LGBTを差別することで、逆にLGBTの認知(=広告)に貢献したとも言えるのです。まさにピエロとしか言いようがありません。そして、騒動の中でひとり微笑んでいるのが、LGBTという新たな市場を手に入れた電通なのかもしれません。
2018.08.10 Fri l 社会・メディア l top ▲
昨日の夕方、副都心線に乗っていたら、酔っぱらったネパール人らしき若者が二人、渋谷から乗ってきました。二人はかなりの酩酊状態で、車両全体に響き渡るような大声で喋っていました。聞いたこともないような外国語でした。喧嘩でもしているのか、お互い興奮してまくし立てていました。

電車は、週末に都心の繁華街に出かけて、これから帰宅する人たちでかなり混んでいました。二人は足元も覚束なくて、電車が揺れるたびに、身体がふらつき周囲の人たちにぶつかっていました。しかも、一人が缶コーヒーを持っていたのですが、ふらつくたびに飲み口が横に傾き、中身のコーヒーが床にこぼれていました。床には液体の染みがあちこちにできていました。そのためもあって、いつの間にか二人の周りに空間ができていました。

私は、少し離れたところに立っていたのですが、注意しようかと思いました。今までも何度か、似たような場面で注意したことがありました。中には、相手の反発を招きトラブルになったこともありました。ホームでもみあいになって、駅員から「警察を呼びますよ」と言われたこともあります。友人から、「やめなよ。そんなことしているとそのうち刺されるよ」と忠告を受けたこともありました。

私は、「迷惑だ」は英語でなんと言うんだっけと思いました。ネパール語は無理だけど、英語だと通じるのではないかと思ったのです。「降りろ」は「get down」でいいのか、スマホのGoogle翻訳で調べようかなと思いました。

でも、そう思いながら、あらためて電車の中を見渡しました。週末で、しかも夏休みなので、若者や家族連れが多く、ネパール人の近くには髭を生やしたストリートファッションの若者もいました。小さな子どもをかばうように立っている若い父親もいました。でも、みんな、見て見ぬふりなのです。顔をしかめて彼らを睨みつける人間すらいません。みんな、知らんぷりしてスマホの画面を見ているだけです。

そこで私は思いました。私が注意してまたトラブルになり、ホームに降りろというような話になっても、みんな、自分たちの身に火の粉がかからないように見て見ぬふりをするだけなんだろうなと。へたに正義感を出して行動を起こしても、所詮バカを見るだけなんじゃないかと。自分の中に、そういった損得勘定のようなものが働いたのでした。

そして、いつの間にか、二人の酔っぱらいより、見て見ぬふりをしている乗客たちのほうに軽蔑の眼差しを向けている自分がいました。過去に、ホームでトラブルになったとき、「何、この人たち」というような冷たい目で見られた体験がよみがえってきたのでした。それに、相手がネパール人だと、レイシストなんて触れ衣を着せられる可能性だってあるでしょう。

もちろん、「やってやってるんだ」というような背負った(しょった)気持があるわけありません。「ちょっとした正義感」にすぎません。とは言え、行動を起こすには勇気もいります。しかし、あの冷たい視線を思い出すと、バカらしくなり気持も萎えてくるのでした。

電車の中で、マナーの悪い乗客に対して、「何だ、お前は」みたいに注意すると、逆に周りから白い目で見られるのはよくあることです。見て見ぬふりをするのは、彼らの処世術なのです。そうやって「善良な市民」としての日常の安寧と秩序が保たれているのです。私は、電車の中を見回しながら、「卑怯な大衆」という言葉を頭に浮かべていました。

オウム真理教の死刑執行も然り、杉田水脈の”悪魔の思想”も然りです。みんな、見て見ぬふりなのです。自分たちの社会の問題なのに、所詮は他人事なのです。少しでも考えることすらしないのです。

この社会には、見て見ぬふりをすることが誠実に生きている証しだみたいな“大衆民主主義”のイデオロギーがあります。他人を押しのけて我先に座席に座る人々も、それが懸命に生きている証しであるかのようなイデオロギーがあるのです。

「小さなお子様連れ」という文言をいいことにして、週末のシルバーシートがベビーカーの家族連れに占領されているのをよく目にします。しかし、「小さなお子様」は通路を塞ぐベビーカーに乗っていて、シルバーシートに足を組んでふんぞり返って座っているのは、「小さなお子様」の親たちなのです。それがさも当然の権利だと言わんばかりです。

でも、そんな親たちを批判すると、この国は子育てをする母親に冷たいなどと、識者から批判を受けるはめになります。シルバーシートに足を組んでふんぞり返って座っている親たちは、子育てに無理解なこの国で苦労している、”恵まれない大衆”でもあるのです。たとえ武蔵小杉のタワーマンションに住んでいてもです。そのため、自民党から立憲民主党や共産党までが、彼らの歓心を買おうと耳障りのいい(そして、ほとんど大差ない)子育ての施策をアピールしているのでした。

あの杉田水脈でさえ、問題になった『新潮45』の文章では、「子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うという」のは、「少子化対策のためにお金を使うという大義名分」があると言っています(一方で、子供を産まない、「生産性」のないLGBTのために、どうして税金を使わなければならないのかと言うのです)。今や左右を問わず、子育て支援は最優先課題なのです。間違っても彼らを「卑怯な大衆」なんて言ってはならないのです。

私は、「ちょっとした正義感」に身を委ねるのは、もう「や~め~た」と思いました。その結果、自分も見て見ぬふりをする一人だと見られても、それでもいいと思いました。なにより「バカらしい」と思ったのでした。


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雨宮まみの死
2018.08.05 Sun l 日常・その他 l top ▲
オウム真理教の死刑囚たちには、逮捕後もずっと寄り添いケアしていた身内や友人がいました。「知的エリート」であった彼らは、もともと家庭環境や友人関係に恵まれた人間が多かったのです。しかし、それでも、人知れず“生きる意味”について悩み、生きづらさを覚え、自分の居場所を探していたのです。

世間から鬼畜のように指弾される彼らに寄り添ってきた人たちを考えると、ホントに頭の下がる思いがします。そして、ホッとした気持になるのでした。

豊田亨死刑囚にも、大学1年で知り合い、東京大学理学部物理学科、同大学院で共に学んだ親友がいました。その伊東乾氏が、死刑執行を受け、豊田死刑囚について『AERA』に寄稿していました。

AERAdot
オウム豊田亨死刑囚 執行までの3週間に親友が見た苦悩 麻原執行後に筆記具を取り上げられた

伊東氏は、1992年3月、突然行方不明になり、次に豊田死刑囚が「私達の前に現れたときは地下鉄サリン事件の実行犯となっていた」と書いていました。

逮捕後の99年から接見を始め、「最高裁で死刑が確定した2009年以降は特別交通許可者として月に1度程度、接見し、様々な問題を共に考え、責任の所在や予防教育の必要を議論してきた」そうです。執行の当日も、約束通り小菅の東京拘置所に向かった伊東氏は、「書類を窓口に提出すると程なく年配の刑務官から『面会は出来ません』と告げられた」のです。そして、「待合室にいる間に、彼を含む6人のオウム事犯の死刑が執行された」のでした。

豊田死刑囚は、公判でも「『今なお自分が生きていること自体申し訳なく、浅ましい」と語り、深く悔いていた』」そうです。

3月に拘置所内の「収監される階が変わり、昔長らく在房した階に戻った」豊田死刑囚は、死刑執行が間近に迫っている中で、次のようにくり返し言っていたそうです。

「日本社会は誰かを悪者にして吊し上げて留飲を下げると、また平気で同じミスを犯す。自分の責任は自分で取るけれど、それだけでは何も解決しない。ちゃんともとから断たなければ」


Yahoo!ニュースのコメント欄のように、「当然だ」「遅すぎたくらいだ」「執行しないで生かしつづけるのは税金の無駄使いだ」などと、彼らを「吊し上げて留飲を下げる」だけでは、オウムが私たちに突き付けた問題はなにひとつ解決しないでしょう。オウムの信者たちは、私たちの「親しき隣人」なのです。彼らの過ちは、決して他人事ではないのです。

聡明で真面目であるがゆえに、人生に悩み、苦しみ、挙句の果てにカルトに取り込まれて犯罪者になった彼ら。一方で、”生きる意味”を考える契機すら持たず(そんなことを考えるのはバカだと言わんばかりに)、ただ彼らを「吊し上げて留飲を下げる」だけのヤフコメの住人たち。不条理とはなにも難しい話ではないのです。このように、私たちのすぐ身近にあるものなのです。

また、私は、昨夜、広瀬健一死刑囚の手記を読みました。アゴラの宇佐美典也氏の記事で、手記の存在を知ったからです。

アゴラ
元オウム真理教信者、広瀬健一死刑囚の手記について

真宗大谷派 円光寺
オウム真理教元信徒 広瀬健一の手記

読み終えたのは朝方でした。窓を開けると、朝もやの中で徐々に輪郭をあらわしてくる街の風景がありました。その風景を眺めながら、私は、なんとも重い気持の中にいました。それが今もつづいています。

麻原が最終解脱を主張したのが1986年8月。翌9月に出家制度が発足しますが、そのときの出家者は15人、会員(信者)は約350人だったそうです。

広瀬死刑囚が、「宗教的回心」によってオウム真理教に入信したのが1年半後の1988年3月です。静岡県富士宮市の富士山総本部道場が完成したのが、1988年8月。そのときの出家者数は約100人、信者数は約2500人でした。広瀬死刑囚が出家したのは、翌年の1989年3月末。入信からちょうど1年後でした。

母親をはじめ、私の田舎の人間たちが、熊本県旧波野村のサティアン建設計画に関する国土利用計画法違反事件で、オウム真理教を知ったのが1990年です。

そして、私が恵比寿の駅前で、選挙運動をするオウムの信者たちを初めて観たのも、同じ1990年です。選挙の惨敗によってオウムは一気に武装化を進め、1994年6月の松本サリン事件、1995年3月の地下鉄サリン事件へと突き進んで行ったのでした。それらは、僅か10年足らずの短い間の話です。

広瀬健一死刑囚は、早稲田の理工学部応用物理学科を首席で卒業、卒業式では卒業生を代表して答辞を述べるなど、将来を嘱望された科学者の卵でした。大学院の修士課程に進み、出家する際は電機メーカーの研究所に就職も決まっていました。大学及び大学院時代は、母親と一緒にメッキ工場でアルバイトをして、学費も自分で賄っていたそうです。

武装化計画のために、理系エリートを勧誘するという方針の元、麻原から直々に出家を求める電話を受けた広瀬死刑囚は、就職の話を断って出家することを決意するのでした。その際も、内定を貰った会社に、わざわざ出向いて詫びを入れているのでした。そんなところにも、彼の誠実な人柄が伺えます。出家に関しても、自分が出家することで家族のカルマを自分が背負い、家族をより幸福な世界に転生させることができると信じていたのでした。

広瀬死刑囚は、科学の専門教育を受けた「知的エリート」です。麻原の空中浮遊についてどう考えていたのか、今どう考えているのか、手記にそのことが出ていました。

(略)「空中浮揚は慣性の法則に反する」という論理では、空中浮揚を否定できません。既知の物理法則を超える法則の存在は、論理によっては、否定できないのです。
つまり物理法則は、それが見かけ上成立する領域(条件)が不明な部分があるのです。ですから、ある領域において現象が未知の法則に支配される可能性は否定できません。言い換えると、物理法則は常に成立するものとして定義できないのです。それは、ニュートンの運動法則を超える相対論、量子力学・場の量子論が発見されて発展してきた物理学の歴史が示すとおりです。
麻原やオウムの教義から離れた今、「空中浮揚はあると思うか」と問われれば、私は「思わない」と答えます。しかし、これは推測――〈外見として日常的な領域で起こることだから、既知の物理法則のみが成立する条件が満たされている可能性が高いだろう〉という――に基づく見解であって、論理によって厳密に導出された結論ではありません。麻原のいう空中浮揚を・・・厳密に否定するには、麻原の空中浮揚を物理的に測定してその誤りを発見する以外に方法はありません。


また、サリンを散布するのにためらいはなかったのかという問いに対して、「ためらいはなく、感情を抑えることもなく、してはいけないことだとも思わなかった」「ヴァジラヤーナの救済のための当然の指示と感じた」と書いていました。

私は第一審時に共犯者の公判で、次の趣旨の供述もしました。
「指示が私の存在していた宗教的世界観に合致していたので、従わなくてはならないと強く思ったということではない。その指示自体が自然に、違和感なく受け入れられる状態になっていた」
「サリン袋を傘で刺すときためらいはなく、感情を抑えることもなく、してはいけないことだとも思わなかった」
前者の供述は、地下鉄サリン事件の指示について、麻原の指示だから自身の意思に反しても従わなければならないと思ったということではなく、ヴァジラヤーナの救済のための当然の指示と感じた、いう意味です。当時、私は教義の世界で生きている状態でした。


くり返しますが、彼らは私たちの「親しき隣人」なのです。彼らの過ちは、決して他人事ではないのです。
2018.08.02 Thu l 社会・メディア l top ▲