2018年10月帰省1
(高千穂峡)


最近、体調も、そして精神面も不安定な状態にあり、自分でもまずいなと思っていました。

それで、「最後の帰省」という二月の前言を翻して、気分転換のために九州に帰りました。今回の目的は、墓参りだけでなく、久住や阿蘇や高千穂に行って、秋を先取りすることでした。それは、ちょっと恰好を付けた言い方をすれば、過去を追憶する旅でもありました。

小学校低学年の頃、家族で久住高原にピクニックに行ったことがありました。最近、そのことがやたら思い出されてならないのでした。二月に帰ったときも、久住に行ったのですが、私のミスでそのとき撮った写真を消去してしまったのです。それで、今回再訪しました。

ピクニックに行ったのは、10月の20日すぎでした。非常に寒くてピクニックどころではなかったことを覚えています。ところが、今回も同じ10月22日に行ったのですが、暖かくて、フリースを羽織ることもなくずっとシャツ一枚で過ごしました。なんだかあらためて地球温暖化を痛感させられた気がしました。

ただ、ピクニックに行った草原は、その後、観光会社が買収して展望台として整備されたのですが、その会社が昨年倒産し、展望台に上る道路も閉鎖され、上にあがることができませんでした。

また、小学生のとき、父親と山に登ったときに利用した登山口にも行きました。やはり写真を消去したので、もう一度思い出の風景をカメラに収めたいと思ったのでした。あのとき登山口にバイクを停めて、二人で山に入って行ったことを思い出しました。下山する際、風雨に晒されて何度も転びながら下りてきたのを覚えています。当時、父親はまだ40歳前後だったはずです。私の中には晩年の老いた姿しかありませんが、そうやって思い出の場所に行くと、若い父親の姿がよみがえってくるのでした。

久住のあとは、阿蘇の大観峯に行きました。若い頃、彼女ができると必ずドライブに行った場所です。また、悩んだときもよく出かけました。会社を辞めようと思ったときも、再び上京しようと思ったときも、大観峯に行きました。

しかし、30年ぶりに訪れた大観峯はすっかり様相が変わっていました。駐車場が作られ、休憩所?のような建物もできていました。駐車場にはぎっしり車が停まっており、平日にもかかわらず観光客で賑わっていました。絶壁にひとり佇んで、眼下に広がる景色を眺めながらもの思いに耽ったような雰囲気はもはや望むべくもありません。落胆して早々に退散しました。

大観峯のあとは、高千穂に向けて車を走らせました。高千穂も父親との思い出があります。20歳のとき、一年間の入院生活を終え、実家に戻ってきた私は、毎日、実家で今で言う引きこもりのような日々を送っていました。当時はパソコンがなかったので本ばかり読んですごしていました。そんなある日、父親に誘われて高千穂峡に行ったのです。そのとき、父親が撮った写真は今も手元にあります。

大観峯から高千穂までは60キロ以上ありますが、山間を走る道路は昔と違って整備されていて、1時間ちょっとで着きました。でも、高千穂も昔とはずいぶん違っていました。すっかり観光地化され、素朴なイメージがなくなっていました。スペイン語を話す外国人観光客の一団と一緒でしたが、わざわざこんな山奥までやって来て後悔しないんだろうかと心配になりました。ほかに、韓国や中国からの観光客の姿もありました。

ふと思いついて、高千穂から地元の友人に電話しました。家にいるというので、地元に引き返すことにしました。友人と会うのは二年ぶりです。友人は、高千穂の手前にある高森(町)によく行くのだと言ってました。毎月月始めに高森の神社にお参りするのだそうです。高千穂に行くのを知っていたら、高千穂や高森のパワースポットを教えたのにと言っていました。あのあたりは、パワースポットが多いのだそうです。

ちなみに、私の田舎(地元)は大分県で、久住も大分県ですが、阿蘇と高森は熊本県、高千穂は宮崎県です。いづれも九州に背骨のように連なる山地の間にあるのでした。

友人が毎月高森に行っているというのは初耳でした。離婚してひとり暮らしているのですが、地元で生きていくのは傍で考えるよりつらいものがあるんだろうなと思いました。田舎が必ずしも温かい場所でないことはよくわかります。私は、そんな田舎から逃避するために再度上京したのですが、旧家の跡取り息子である彼にはそんな選択肢はなかったのでしょう。

「こんなこと他人に話すのは初めてだけど」と言いながら、心の奥底にある思いを滔々と話していました。私は、それを聴きながら、昔、母親になにか宗教でも信仰した方がいいんじゃないと言ったことを思い出しました。そのとき、母親も大きな苦悩を抱えていたのです。私の口から「宗教」なんて言葉が出てきたので、母親はびっくりして私の顔を見返していましたが、私は本気でそう思ったのでした。人間というのは、にっちもさっちもいかなくなったら、もうなにかにすがるしかないのです。それしかないときがあるのです。それが「宗教」の場合だってあるでしょう。誤解を怖れずに言えば、「宗教」のようなものでしか救われない魂というのはあるのだと思います。

地元の友人は、ずっと死にたいと思っていたそうですが、神社に行くようになって、「自分は生かされているんだと思うようになった」と言ってました。「笑うかもしれないけど、ホントだよ」と何度もくり返していました。

彼が一時、家業とは別に久住のホテルでアルバイトしていたことは知っていましたが、深夜、仕事を終え、あの草原の道を自宅に向けて車を走らせながら、どんなことを考えていたんだろうと思いました。死にたい気持になったのもわかるような気がするのでした。

翌日と翌々日は、別府に行って高校時代の同級生と会いました。夜の別府は昔と違ってすっかりさびれ、寂寥感が漂っていましたが、老いが忍び寄る私達の人生もまた同じで、もはや過去を追憶して心のよすがとするしかないのです。



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(高千穂峡)

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2018年10月帰省8

2018年10月帰省9
(芹川ダム)

2018年10月帰省10
(田ノ浦ビーチ)

2018年10月帰省2
(別府)
2018.10.27 Sat l 故郷 l top ▲
さいたまスーパーアリーナで開催予定だった公演をドタキャンした問題で、沢田研二がメディアから袋叩きに遭っています。

袋叩きの背後にあるのは、「旧メディアのネット世論への迎合」(大塚英志)です。「ファンに失礼だ」「プロ意識に欠ける」などという身も蓋もない言い方で、「動物化」した大衆を煽るメディア。それもまた、芸能人の「不倫」や「独立」報道でくり返されるおなじみの光景です。

挙句の果てには、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに、ジュリーの年老いた容姿までヤユし嘲笑する始末です。

その好例が日刊ゲンダイデジタルの次のような記事でしょう。

日刊ゲンダイデジタル
沢田研二の不人気とジリ貧 公演ドタキャン騒動で浮彫りに

 ツアーは7月6日の日本武道館を皮切りに展開中で、来年1月21日の日本武道館公演まで全66公演。この状況で完走できるか心配だが、SNS上には「もともとジュリーはファンを大切にしていない」「歌唱中に歌詞が飛んだりして、健忘症どころか認知症じゃないか」と批判の声まで飛び交い始めた。スポーツ紙芸能デスクはこう言う
「反原発活動でスポンサーが離れた上、今春に発売したCDも売れず、ツアー展開するための資金繰りにすら困っていたようです。個人事務所は都内雑居ビルにあるし、ホームページも古い手づくり的なもので、インディーズレーベルでの活動は大変に見えます。今ツアーでは、予算削減のためかステージに上がるのは沢田さんとギタリストの2人だけ。大規模ホールは初めから無理があったのかもしれません」


日刊ゲンダイは政府批判の記事が多く、ネトウヨからは「左翼」扱いされるメディアですが、しかし、政治的な立ち位置なんて関係なく、いざとなればこのように翼賛メディアに豹変するのです。”動員の思想”に右も左もないのです。

記事にあるように、沢田研二が個人事務所なので叩きやすいという、これまたおなじみの側面もあるでしょう。ジャニーズやバーニングには腰が引けて何も書けないくせに、個人事務所だったらあることないこと書き連ね徹底的に叩く事大主義も芸能マスコミの特徴です。

一方、ミュージシャンのグローバーは、フジテレビ「とくダネ!」で、沢田研二のドタキャンに対して、つぎのようにコメントしたそうです。

Yahoo!ニュース
東大卒のミュージシャン・グローバー ドタキャンのジュリーに「感動した」

当初9000人の動員と聞いていたが、当日聞かされた集客状況が7000人だったため、空席が多い状態で歌うことを拒否したという説明に、自身もバンドでコンサートを行っているグローバーは「沢田さんを見ていて感動する」と言い、「こういうことを正直に言えないことのほうが多い。体調不良だとか、そういう理由でキャンセルする」と指摘した。

 また、「自分が今やりたい、自分がみんなを幸せにしたい、こういう空間をつくりたいっていうのがはっきりあって、だから今回キャンセルの理由もこうなんだ」と説明したと言い、「ちっちゃい会場で満員でそれでできる幸せな空間もあるし、大きい会場の満員でしかできない音楽の幸せもある。沢田さんは70歳、音楽人生考えたら一定以上のキャパで、満員でつくる自分でしかつくれない幸せをつくりたいってこと。(沢田をキャンセル理由とした)意地って言葉は、これは美しい言葉の意味に(自分は)とってます」と強調していた。


また、小学生の頃から沢田研二の大ファンで、当日、公演会場に来ていたダイアモンドユカイも、TBSの「ビビット」で、次のようにコメントしていたそうです。

スポニチアネックス
ダイアモンド☆ユカイ ドタキャン謝罪の沢田研二を「あんな正直に語れる人は素敵」

 公演を中止にした沢田の判断については「その人それぞれの考え方だし、沢田さんって何でも自分で決める立ち位置にいるから、すごく大変だと思う。すごく正直に謝罪しているじゃないですか。あんな正直に語れる人っていうのは素敵じゃない。これは子供っぽいとかあるかもしれないけど、そういう人が世の中にいなくなってきているから、貴重な人だと思いますよ」と自身の考えを話した。


私は、沢田研二の会見を観て、ふと「孤立無援の思想」という言葉を思い浮かべました。プロ意識と言うなら、これこそプロ意識と言うべきでしょう。

沢田研二がタイガースで人気絶頂を極めていた頃、新幹線の車内で居合わせた乗客とトラブルになり、暴力を振るったとかいった事件がありました。私は、その頃はまだ子供でしたが、「カッコいい」と思ったことを覚えています。

ダイヤモンドユカイのように、ロッカーはかくあるべしという考えを持つほどロックに通暁しているわけではありませんが、しかし、尖った人間というのはいつでも「カッコいい」のです。ミック・ジャガーは最近やや好々爺のようになってきましたが、70歳にもなってまだこのように尖った考えを持ち続けている沢田研二ってカッコいいじゃないかと思います。尖った考えというのは、言い換えれば気骨があるということです。気骨がある人間が「孤立無援」になるのは当たり前なのです。沢田研二が内田裕也やゴールデンカップスなど、先輩のロッカー達に可愛がられたのもわかる気がします。

私には、「ファンに失礼だ」「プロ意識に欠ける」などと、常にマジョリティの側に身を寄せて身も蓋もない言い方しかできない人間達が滑稽に見えて仕方ありません。彼らは、「私は愚鈍な大衆です」と白状しているようなものでしょう。そこには、寄らば大樹の陰、同調圧力を旨とする日本社会がデフォルメされているのです。まして、沢田研二の行為を(イベント会社の社員に対する)パワハラだなどと言っている手合いは愚の骨頂と言うべきでしょう。

私は、沢田研二のファンサイトに寄せられていた次のようなコメントに、今回の問題の本質が示されているように思いました。さすがファンだなと思いました。

Saoの猫日和
会見

ジュリーが一番納得いかないのは、イベント会社は9,000人客が入っていると言ったのに7,000人しか入ってなかった。この会場を予約したのは2~3年前で、そんなに集客出来なかったら自分はできないのでやらないと言っていたのにイベント会社サイドは大丈夫ですと言っていた。
当日ふたを開けたらやはり黒幕で覆っている場所が目立つ。約束がちがうではないか。
ジュリーは空席が目立つ集客ならやらないと言っていたのに、結局イベント会社に騙された形になったのに我慢ができなかったのではと思うのです。
それでもやるのがお客に対するプロだと言われればそうかもしれませんが、私はそれでこそジュリーだと思いました。



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2018.10.19 Fri l 芸能・スポーツ l top ▲
先日、朝日新聞に掲載された『新潮45』の休刊に関する記事に対して、次のようなTwitterの書き込みを見つけました。

朝日新聞デジタル
新潮45の休刊、櫻井よしこさんと池上彰さんの評価は


まったくその通りです。ここにも、「言論の自由」を無定見に信奉する朝日新聞のオブスキュランティズムがあるのです。かつて羽仁五郎は、オブスキュランティズムについて、「明日は雨が降るけど天気はいいでしょうと言っているようなものだ」と書いていました。

コメントにあるように、ヘイトに寄生する極右の女神は、従軍慰安婦の問題では嘘を重ねて植村元記者と朝日新聞を攻撃してきたのです。そして、“朝日国賊”のイメージを拡散したのでした。そんな櫻井よしこの嘘は、裁判でも認定されているのです。

「外教」氏の次のような書き込みにも激しく同意します。


『新潮45』休刊に関しても、朝日新聞は、先日、次のような佐伯啓思氏の「感想」を掲載していました。

朝日新聞デジタル
(異論のススメ)「新潮45」問題と休刊 せめて論議の場は寛容に

佐伯氏は言います。

第二に、そもそも結婚や家族(家)とは何か、ということがある。法的な問題以前に、はたして結婚制度は必要なのか、結婚によって家族(家)を作る意味はどこにあるのか。こうした論点である。そして第三に、LGBTは「個人の嗜好(しこう)」の問題なのか、それとも「社会的な制度や価値」の問題なのか、またそれをつなぐ論理はどうなるのか、ということだ。しかし、杉田氏への賛同も批判も、この種の基本的な問題へ向き合うことはなく、差別か否かが独り歩きした。これでは、不毛な批判の応酬になるほかない。


LGBTは、「結婚」や「個人の嗜好」や「社会的な制度や価値」などとはまったく関係がないのです。むしろそういったことと関連付けることによって、差別がはじまるのです。「生産性」発言も、まさにそこから生まれているのです。LGBTは、社会的な制度や規範によって隠蔽されていた(”異常なもの”として抑圧されていた)にすぎないのです。もちろん、社会的な制度や規範に従属する「個人の嗜好」でもないのです。

佐伯氏は、一度だってLGBTの問題を真面目に考えたことさえないのでしょう。これじゃ自称「文芸評論家」と五十歩百歩です。

また、別の日に掲載された三輪さちこ記者による、もうひとりの極右の女神=稲田朋美氏のインタビュー記事は、さらに輪をかけてお粗末でした。

朝日新聞デジタル
稲田朋美氏「多様性尊重が保守の本来 杉田さん議論を」

稲田氏の発言は、どれも「よく言うよ」の類のものでしかありません。しかし、稲田氏の二枚舌に対して、ヘイトを煽った責任をどう考えているのかと質問することさえないのです。杉田水脈に代表されるように、性的少数者への差別と民族排外主義が通底しているのは、論を俟たないでしょう。稲田氏が信仰する生長の家原理主義=日本会議の”国家主義思想”とLGBTはどう相容れるのか、当然、訊くべきでしょう。これじゃジャーナリストではなく、御用聞きと言うべきでしょう。

そう言えば、安倍昭恵氏を「家庭内野党」などと言って持ち上げたのも、朝日の女性記者でした。今になれば、あの記事が如何にデタラメであったということがよくわかります。彼女達は、記者として最低限必要なものが欠落しているのではないか。そう思えてなりません。

朝日新聞は、「異なる」(と思っている)意見をただ機械的に並べるだけです。それでバランスを取っているつもりなのでしょう。両論併記が民主主義のあるべき姿と思っているのかもしれません。多くの人は朝日がリベラルだと思っているみたいですが、リベラルなんて、佐伯氏が言う「寛容さ」と同じで、現実回避の詭弁でしかないのです。
2018.10.15 Mon l 社会・メディア l top ▲
週刊読書人のウェブサイトを見ていたら、次のような短歌が目に止まりました。

見送ると汽車の外(と)に立つをさな子の鬢の毛をふく市の春風

これは、歌人の太田水穂の若かりし頃の歌で、1898年(明治31年)の作だそうです。

週刊読書人の「現代短歌むしめがね」というコラムで、歌人の山田航氏が紹介していました。

週刊読書人ウェブ
現代短歌むしめがね

山田氏は、同コラムで次のように書いています。

太田水穂は1876(明治9年)に長野県東筑摩郡広丘村(現在の塩尻市)に生まれ、長野市にあった長野県師範学校(信州大学の前身の一つ)に進学した。この歌は師範学校を卒業して、現在の松本市に小学校訓導として赴任するために、長野を汽車で去った体験にもとづく。
(略)
遠くへと旅立つ自分と、汽車の外から見つめてくる恋人。恋人の鬢の毛が春風に揺れている。実にロマンティックな一首だ。


1898年と言えば、今から120年前です。いつの時代も恋愛は存在したのです。

私がこの歌に目が止まったのは理由がありました。もしかしたら、前にも書いているかもしれませんが、二十歳のときに見たある光景が今でも心の中に残っているからです。この歌によって、そのときの光景が目の前によみがえってきたのでした。

当時、私は、九州の別府にある国立病院に入院していました。別府は、私が高校時代をすごした街でした。実家は、別府からだと汽車とバスを乗り継いで3時間近くかかる熊本県との境にある山間の町にありました。

今と違って、私達の頃は高校を卒業すると、地元を離れ、関西や関東の大学に行くのが一般的でした。そのため、別府に戻っても、親しい同級生は誰一人残っていませんでした。

その日、私は、外泊許可をもらい、実家に帰るために別府駅から汽車に乗ったのでした。

4人掛けのボックス席の前の席には、70歳をとうにすぎたような年老いた男性が座っていました。そして、外を見ると、同じ年恰好の女性がホームに立っていました。二人は黙ったまま、時折窓ガラス越しに目を合わせていました。

やがて発車を告げるベルがけたたましく鳴り響き、汽車がゆっくりと動き始めました。二人は手を挙げるでもなく、ただ目を合わせているだけです。汽車がホームを離れ、見送りにきた女性の姿が見えなくなりました。すると、目の前の男性は、背広のポケットからハンカチを取り出して目頭を拭きはじめたのでした。

老いた二人のしっとりとした別れ。昔の恋人が久しぶりに会いに来て、再び別れるシーンだったのではないか、と私は勝手に想像していました。

そのあと、男性は、何かに思いを馳せるように、ずっと窓の外の風景に目をやっていました。

ロマンティックというのは、たしかに古い感覚ですが、しかし、いつまで私達の胸を打つものがあります。
2018.10.10 Wed l 本・文芸 l top ▲
先日、初めてメルカリを利用しました。PCでメルカリを見ていたら、前からほしかったショルダーバッグが出品されているのを見つけたのでした。説明文には、「数回しか使用してない新品同様」となっていました。しかも、新品より5千円も安いのです。

私は、さっそくスマホにアプリをダウンロードして、会員登録を行い、バッグを購入しました。クレジットカードでの支払い手続きも済ませました。メルカリからは、「購入完了」「出品者からの発送連絡をお待ち下さい」というメールが届きました。

しかし、3日経っても「発送連絡」はありません。しびれを切らした私は、アプリ経由で出品者に催促のメールを送りました。すると、メールを送って半日経った頃、出品者から次のようなメールが届いたのでした(そのときの記憶でメールを再現しています)。

「ずっとメルカリをチェックしてなかったので、気が付きませんでした。ごめんさない。あのバック、売れました。今からキャンセルの手続きをしますね。」

私は、唖然としました。それで、すかさず次のようなメールを送りました。

「いい加減ですね。既にクレジットカードでの支払いの手続きも終わっているのですよ。どうなるんですか?」

しかし、返信はなく、メルカリからキャンセルの承認を求めるメールが届いただけでした。

ヤフオクもそうですが、購入者(落札者)には一方的にキャンセルができない“縛り”があります。一方的にキャンセルした場合、ペナルティが課せられる旨の半分脅しのような注意書きが記されているのが常です。しかし、出品者は平気で売切れや欠品を言ってきます。出品者には甘いのです。

知人にメルカリの話をしたら、メルカリではよくあることだ、メルカリはヤフオクよりモラルが低い、と言ってました。

中古市場は拡大の一途で、既に2兆円を超えているという話さえあります。それに伴い、メルカリのような個人間の売買サービスも隆盛を極めています。

言うまでもなく、ものを売買するのは商行為です。そこに、”商モラル”が要求されるのは当然でしょう。もちろん、シロウトでも、例外ではありません。

しかし、メルカリを見る限り、その「言うまでもない」ことさえ理解してない出品者が少なからず存在しているようです。彼らは、ネットで簡単に金儲けができる、箪笥の中で眠っている不用品がお金になるなどという幻想を煽られて、サービスに参加したのでしょう。しかし、肝心な”商モラル”を教えてくれる者は誰もいないのです。その結果、モラルが欠如し、商売を愚弄しているとしか思えないシロウトが跋扈するようになったのです。しかも、彼らは、シロウトであるがゆえに、「別に悪気があるわけではない」なんて言われて、最初から免罪されているのです。

ここにも、金を掘る人間より金を掘る道具を売る人間が儲かるネットビジネスのカラクリが顔を覗かせているように思えてなりません。シロウト商売に振り回される利用者(購入者)こそいいツラの皮でしょう。

私は、メルカリを退会する際、「必須」となっていた「退会理由」を次のように書いて送りました。

「初めて購入し支払い手続きをしたものの、3日経っても出品者から連絡がないので、しびれを切らして当方から連絡したところ、『売り切れました』『キャンセルの手続きをします』のひと言で済まされました。知人にこの話をしたら、メルカリではよくあることだと言われました。とても怖くて利用する気になりません。」

でも、あとで考えれば、なんだかドン・キ・ホーテのような気がしないでもありません。メルカリの担当者も、「退会理由」を一瞥してプッと噴き出したかもしれません。いい歳したおっさんがメルカリなどを利用したこと自体、間違っていたのかもしれないと思いました。
2018.10.09 Tue l ネット l top ▲
滑走路


先日、朝日新聞で紹介されていた萩原慎一郎の歌集『滑走路』(KADOKAWA)を読みました。

歌集については、下記のような歌を挙げて、非正規の生きづらさを指摘する声があります。

ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼を食べる

今日も雑務で明日も雑務だろうけど朝になったら出かけてゆくよ

非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている

しかし、私は、やはり中高時代に遭遇したいじめが大きかったように思います。いじめは、そのあとも彼の心に暗い影を落とし、その後遺症に苦しむことになるのでした。多感な時期にいじめに遭うということは、どれほど残酷なものでしょうか。

以来、彼はずっと精神の不調を抱え苦しんでいたのです。歌を詠むようなナイーブな内面を持っているからこそ、よけいいじめが残酷なものになったことは容易に想像できます。

自死の誘惑に抗いながら、次のような歌を詠んでいたのです。

木琴のように会話が弾むとき「楽しいな」と率直に思う

靴ひもを結び直しているときに春の匂いが横を過ぎゆく

この二首は、私が歌集の中で好きな歌です。しかし、こういった日常をもっても、彼は死の誘惑に抗うことはできなかったのでした。

癒えることなきその傷が癒えるまで癒えるその日を信じて生きよ

疲れていると手紙に書いてみたけれどぼくは死なずに生きる予定だ

消しゴムが丸くなるごと苦労してきっと優しくなってゆくのだ

一方で、このように自分を奮い立たせるような歌も詠んでいますが、しかし、(当然ながら)残酷な記憶を消し去ることはできなかったのです。

前回、職場で息子ほど歳の離れた若い社員から罵声を浴びせられた知人の話を書きましたが、作者が抱いていた生きる苦しみや哀しみは、私達とて無縁ではないのです。

彼は、よく自転車に乗って界隈を探索していたようで、自転車の歌もいくつかありました。

公園に若きふたりが寄り添っている すぐそばに自転車置いて

春の夜のぬくき夜風吹かれつつ自転車を漕ぐわれは独り身

寒空を走るランナーとすれ違いたるぼくは自転車を漕いでいるのだ

私は、これらの歌を読んだとき、ふと寺山修司の次のような歌を思い出しました。

きみのいる刑務所の塀に 自転車を横向きにしてすこし憩えり

しかし、昨年6月、第一歌集の『滑走路』を入稿し終えたあと、作者の萩原慎一郎氏は、みずから死を選んだのでした。32年の短い人生でした。

作者も「あとがき」で名前を挙げていますが、歌人の岡井隆氏に『人生の視える場所』という歌集があります。しかし、「人生の視える場所」に立っても、眼前に広がるのは、必ずしもきれいな、心休まる風景とは限らないのです。

巨いなる寂しさの尾を踏み伝ふ一歩一歩の爪さきあがり
(『人生の視える場所』)

こういった歌も、作者の心の奥底にあるものを氷解させることはできなかったのです。

「悲しみ」とただ一語にて表現できぬ感情を抱いているのだ

作者は、そう歌っていますが、私は「むごい」という言葉しか持てませんでした。
2018.10.08 Mon l 本・文芸 l top ▲
先日、年上の知人と会ったら、なにやら深刻な表情でしきりに嘆いていました。会社を定年で辞めて、嘱託(という名のアルバイト)で別の会社に勤めているのですが、そこで社員とささいなことからトラブルになり、30歳年下の、文字通り息子ほど年の離れた若い社員から、「この野郎!」「お前は何が言いたいんだ!」と襟首を掴まれ怒鳴り付けられたのだそうです。

「若い人間から『お前』呼ばわりされ罵声を浴びせられたら凹むよ」と言ってました。だからと言って、まだ住宅ローンが残っているので、おいそれと辞めるわけにもいかず、毎日、憂鬱な気分で会社に通っていると言ってました。

彼は、一流大学を出た、博識で頭脳明晰な人物です。怒鳴り付けた社員など足元にも及ばないインテリです。しかし、こう言うと、「いつまでも過去の栄光にすがっている老人」みたいに見られて、「だから自尊心の強い年寄りは使いにくいんだ」と言われるのがオチでしょう。

私は、何と殺伐とした風景なんだろうと思いました。新自由主義的な考えがここまで個人の内面を蝕んでいるのかと思いました。経済合理性が、人間や人生を見る目にも影が落としているのです。敬老精神を持てなんて野暮なことを言うつもりはありませんが、そこには相手の立場を思いやる一片の想像力さえないのです。

私は、知人の話を聞きながら、昔観た「トウキョウソナタ」という映画のワンシーンを思い出しました。会社をリストラされた主人公が、再就職先を求めて面接に臨むのですが、若い面接官から「あなたは会社に何をしてくれますか?」「あなたは何ができますか?」と詰問された挙句、けんもほろろに追い返され、絶望的な気持にさせられるのでした。それは、新自由主義に染まりつつあるこの社会を暗示するような場面でした。

「トウキョウソナタ」についても、このブログで感想文を書いていますが、今、確認したら、前の記事の「歩いても 歩いても」と同じ2008年の日付になっていました。

何度も言いますが、「政治の幅は生活の幅より狭い」(埴谷雄高)のです。私達は、そんな日常にまつわる観念の中で生きているのです。私達の悩みの多くは、その観念に関連したものです。もとより、”生きる思想”というのがあるとしたら、息子ほど歳の離れた人間から怒鳴り付けられるのを歯を食いしばって耐えるような、そんな日常から生まれた言葉の中にしかないでしょう。


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「トウキョウソナタ」
2018.10.05 Fri l 日常・その他 l top ▲
樹木希林は、老けたイメージがありましたが、享年75歳だったそうです。鬼籍に入るにはまだまだ早い気がします。

たしか80年代の半ば頃だったと思いますが、『新雑誌X』(幸洋出版)という雑誌に、エッセイを連載していました。『新雑誌X』は、『現代の眼』(現代評論社)が廃刊したあと、同誌の編集長であった丸山実氏が創刊した雑誌でした。

彼女は、希心会という新興宗教を信仰していたことが知られていますが、エッセイでも宗教的な話が多かったように思います。80年代の半ばと言えば40歳を越したくらいですが、生と死の話も多く、人生を達観しているような印象がありました。

最近の(と言っても、もう10年前ですが)映画では、「歩いても 歩いても」の演技が心に残っています。是枝裕和監督と初めてダッグを組んだ映画でもあり、樹木希林にとって晩年のメルクマークとなった作品と言っていいでしょう。葬儀中に突然アゲハ蝶が現れたというスポーツ新聞の記事がありましたが、「歩いても 歩いても」の中にも黄色の蝶が舞う印象的なシーンがありました。

このブログで、「歩いても 歩いても」の感想文を書いていますので、僭越ながら追悼の意味を込めて再掲します。

(一部リンク切れがあります。シネカノンは、残念ながらその後倒産しました)

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歩いても 歩いても

今、個人的に旬なのは、出版ではNHKブックスと光文社新書とバジリコ社、映画ではシネカノンですが、そのシネカノンが制作に参加し、宣伝・配給を担当する是枝裕和監督の「歩いても 歩いても」を有楽町のビックカメラの7階にあるシネカノン有楽町1丁目で観ました。

「歩いても 歩いても」の舞台は、京浜急行が走る海辺の湘南の街です。その街で暮らす、老いて町医者を廃業した父と専業主婦として一生を送る母。その家に15年前に不慮の事故で亡くなった長男の命日のために、長女と二男の一家が帰って来る。そんな何気ない夏の一日とその裏に隠されたそれぞれの家族の思いや事情がゴンチチのアンニュイなギターの音色をバックに描かれています。

上野千鶴子氏は、江藤淳の『成熟と喪失』(講談社文芸文庫)の解説で、江藤が指摘した「父の崩壊」と「母の不在」という「日本近代」に固有の家族像について、近代の洗礼を浴びて家長の座から転落した「みじめな父」とその父に仕え「いらだつ母」、その母に期待されながら期待に添うことのできない「ふがいない息子」と、自分の人生は所詮、母のようになるしかないと観念する「不機嫌な娘」という、近代産業社会によって出現した中産階級の家族のイメージを具体的に提示していましたが、この「歩いても 歩いても」でも、「みじめな父」「いらだつ母」「ふがいない息子」「不機嫌な娘」が多少の濃淡を交えながら見事に配置されているように思いました。なかでも「いらだつ母」を演じた樹木希林の存在が際立っていました。

「歩いても 歩いても」のもうひとつのテーマは、言うまでもなく“老い”です。持参したスイカを冷やすために風呂場に入った息子(阿部寛)が見たのは、洗い場に新しく取り付けられたパイプの手すりでした。子供にとって親の老いを実感するときほど哀しいものはありません。しかし、老いは誰にも(親にも自分にも)必ずやって来るもので、その当たり前の事実を私達はどこかで受け入れなければならないし、その覚悟を決めなければならないのです。

先日、私はある病院に旧知のおばあさんを訪ねました。80才を優に越え、耳が遠くなり記憶も曖昧で歩くこともままならない状態になっていましたが、周囲に気を遣う優しい性格は昔のままでした。「ご飯食べたの?」と訊くので、「いや、まだですよ」と耳元で答えると、「そう、かわいそうだね~」と言って飴玉を2個くれました。

彼女は、「最近、変な夢ばかり見るんだよ」と言ってました。
「どんな、夢なんですか?」
「田んぼで稲刈りをする夢なんだよ」「昔は機械がなかったから大変じゃったよ」「女子(おなご)は大変じゃった」と。

私はその話を聞きながら、ふと黒田喜夫の「毒虫飼育」という詩を思い出しました。故郷を出奔し、都会の安アパートで息子と二人暮らしをする母親が、突然、押入れの中で蚕を飼い始めるという詩ですが、それは、夜、家に迷い込んだ黄色の蝶を死んだ息子が帰って来たんだと言って追いかける、「歩いても 歩いても」の樹木希林演じる母親の姿とも重なるものがあります。

「そろそろ帰りますよ」と言ったら、彼女は、治療のつらさを訴え、「早くあの世に行きたいよ~」と言ってました。私は、「そうだよね」と言いたくなる気持を抑えて、ただ笑って聞き流すしかありませんでした。

みんな、そうやって最後に残った記憶を抱えて亡くなって行くのでしょう。人の一生は何とむなしくて何とせつないものなのでしょうか。しかし、一方で、誰しも死から逃れることはできないという当り前の事実によって、私達はいくらか救われているような気もします。東京に帰る息子一家をバス停で見送り、再び坂道を戻って行く原田芳雄と樹木希林の老夫婦の後姿を観ながら、典型的な「ふがいない息子」である私は、しみじみとそんなことを考えたのでした。


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「歩いても 歩いても」
2018.10.04 Thu l 訃報・死 l top ▲