先週と今週山に行きました。山行に関しては、自分にとってこのブログが備忘録のようになっていますので、遅くなりましたが、先週の山行について書いておきます。

余談ですが、ブログというのは、他人(ひと)から読まれることだけを目的に書いていると、これほど空しいものはありません。前に山で会った高齢の女性は、10年以上山行を中心にしたブログを書いていたけど、最近、ブログをやめたと言っていました。

「いつの間にかブログを書くために山に行っているような感じになって、ブログが負担に思えてきたんですよ。記録を残すだけなら、日記でいいじゃないかと思ったんです」と言ってましたが、女性の気持はわからないでもありません。ブログが自己顕示欲と承認欲求を伴ったものであるというのは否定すべくもない事実で、本末転倒や自己嫌悪はその反動なのかもしれません。

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先週の21日に埼玉の山に行きました。台風19号で関東の山も大きな被害を受けたのですが、ネットで情報を収集した結果、以前登った秩父市と横瀬町の境にある丸山のピストン(行きと帰りが同じルートの意)だったらどうにか山行が可能の様子でした。

以前登ったとき、帰りに歩いたルートは案の定、崩落して「通行禁止」になっているようです。私はピストンは好きではないのですが、この際仕方ありません。丸山に登ろうと早朝の西武池袋線に乗りました。

ところが、飯能から秩父線に乗り換えたあと、睡魔に襲われいつの間にかウトウトしてしまったのでした。丸山の最寄り駅は「芦ヶ久保」です。

夢の中で「芦ヶ久保」「芦ヶ久保」というアナウンスが聞こえてきました。私は、目を覚ますとあわてて電車を降り、改札口を出ました。西武秩父線の駅は、どこも山の中腹にあり、駅舎も周辺の風景もよく似ています。どこの駅からも坂道や階段を下って、秩父・飯能間を走る国道299号線に降りなければなりません。

私は、駅前(と言ってもなんにもない)の坂道を下りながら、あたりを見回しましたが、どうも前に降車した「芦ヶ久保」駅と違うような気がしたのでした。それで、はっとしてホームの方を振り返りました。すると、「吾野」という看板が目に入ったのでした。「吾野」は「芦ヶ久保」の三つ手前の駅です。

「やってしまった」と思いましたが、でも、もう仕方ありません。西武秩父線は、1時間に2本しか電車がないので、駅に戻って次の電車を待つと、大きな時間のロスが生じてしまいます。このまま適当に山に入ろうと思いました。

前に熊に遭遇したルートを通って上の峠に行くことにしました。台風被害の情報がないので、通行可能かどうかわかりませんが、とりあえず行き当たりばったりで行くしかありません。

国道を越え、さらに林道を外れて登山道に差し掛かると、目の前には以前とは見違えるような光景が現れました。登山道が雨に流された石や倒木で覆われていたのでした。「エエッ、これを登るのか?」と思いましたが、登るしかありません。まだ、水が滲みだしている登山道を、まるで岩登りのように両手を使って登って行きました。しかし、しばらく登ると、道は斜面を巻くようになりましたので、歩きやすくなりました。途中、何度か倒木を乗り越える必要がありましたが、そのあとは峠まで順調に登ることができました。峠の下にある集落の住人に訊いたら、こっちの斜面はそんなに被害がなかったけど、反対側は被害が大きく、林道も通行止めになっていると言っていました。

顔振峠から傘杉峠に向かうと、やっぱり傘杉峠から黒山三滝に降りる道は「入山禁止」になっていました。さらに林道も「通行禁止」になっており、これ以上奥には行けません。そうなれば、前に関八州に登ったルートを進むしかありません。再び荒れた急登を登りました。

途中、通過した林道では、市役所の人が土砂や倒木の撤去作業をしていました。また、ボランティアの人が作業をしているところもありました。幸いにも、住人が言うように西武線の方向は被害が小さかったみたいで、関八州・高山不動を経て再び吾野駅に戻ることができました。

山を下りると、林道の脇には川が流れているのですが、対岸の斜面では台風の爪跡が至るところで見られました。斜面が抉られ、山の中から滲み出した雨水がその中を伝って、谷底の川に流れ込んでいるのでした。

途中すれ違ったのは3人だけでした。やはり、台風直後の山に来るようなもの好きは少なかったみたいです。行き当たりばったりで歩いたので、歩行距離は10キロを超え、歩数も3万5千歩を超えました。


2019年10月21日山行1
登山道の入口

2019年10月21日山行2
同上

2019年10月21日山行3

2019年10月21日山行4

2019年10月21日山行5

2019年10月21日山行6

2019年10月21日山行7

2019年10月21日山行8

2019年10月21日山行9
仕方ないので、関八州(花立松ノ峠)に向けて登って行きます。

2019年10月21日山行10
土が流されて岩が剥き出しになっていました。

2019年10月21日山行11
いったん林道に出ました。カーブミラーも土砂で埋まっていました。

2019年10月21日山行12

2019年10月21日山行13

2019年10月21日山行14

2019年10月21日山行15

2019年10月21日山行16
斜面が川みたいになっていた。

2019年10月21日山行17
2019.10.31 Thu l 山行 l top ▲
先日(10月21日)、東京地裁で、大麻取締法違反の罪に問われた田口淳之介被告と小嶺麗奈被告に対する判決公判が開かれ、それぞれ懲役6ヶ月執行猶予2年の判決が言い渡されました。

判決は、当初7月30日の予定でしたが、検察側の請求でこの日に延期されたのだそうです。と言うのも、関東信越厚生局麻薬取締部(マトリ)が、二人の住居を捜索した際に撮影した映像をフジテレビに提供していたことが判明したからです。さすが権力と密通した右派メディアという感じですが、そのため、押収物の証拠能力に問題がないか調べていたということでした。

小嶺被告の弁護士は、映像をメディアに流したマトリを国家公務員法違反(守秘義務違反)で刑事告発しているそうですが、素人が考えても、マトリの行為は法の下の平等を著しく逸脱しており、押収物の証拠能力に疑義が生じるのは当然でしょう。

まさに、ここには、芸能人の薬物事件や「所得隠し」などにおける、当局とメディアがタッグを組んでおこなわれるキャンペーンの、そのカラクリが露呈しているのでした。そして、ターゲットになったら最後、芸能人はメディアによってあることないこと書き立てられ、血祭りに上げられるのでした。

公判で、二人の関係について問われた小嶺被告は、前にプロポーズされたことを明かし、できれば結婚したいと答えたのですが、するとメディアは、「仰天!法定プロポーズ」などと書き立てる始末でした。

エキサイトニュース
小嶺麗奈、田口淳之介への「法廷プロポーズ」に寄せられた“失笑と懸念”

これなどは、「嫌韓論」と同じで、大衆の負の感情を煽る、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式の報道と言えるでしょう。

田口被告や小嶺被告だけではありません。今メディアを賑わせているチュートリアルの徳井義実の「所得隠し」も然りです。徳井は、まるで“非国民”扱いです。天邪鬼の私は、これも年末調整や確定申告の時期を控えた“いつもの光景”にしか見えませんが、芸能マスコミはここぞとばかりに国税がぶら下げたエサに飛びつき、“徳井叩き”に狂奔しているのでした。

マトリや国税にとって、みずからの存在価値をアピールする上で、芸能人は格好のターゲットです。と同時に、国民に対して一罰百戒の見せしめの効果を持つ一石二鳥の美味しいターゲットでもあるのです。

また、「オレたちはきちんと納税しているのに(ホントか?)、あんなにお金を稼いで贅沢な生活をしている人間が税金を払わないなんてけしからん」という大衆の下劣な嫉妬心を煽り、大衆の中にある重税感にカタルシスを提供するのも国税のいつものやり方です。

メディアは、徳井が2億円だかの「高級マンション」を買ったので、「所得隠し」が発覚したのではないかと言ってますが、そんなカマトトな話はないでしょう。国税からのリークであるのは、誰の目にもあきらかでしょう。

徳井のようなことをやっていたら国家が成り立たないと書いていたメディアがありましたが、そうやって「国家への帰順」が声高に叫ばれ、大衆へ向けた一罰百戒の暗黙の“脅し”がおこなわれるのでした。

でも、私自身も、平均年収のはるか下の「貧困」のボーダーラインに近い収入しかないにもかかわらず、単身所帯ということもあって、いわゆる租税公課が総収入の40%以上にもなる重税感に苦しんでいますが、だからと言って、世間の人間たちのように、徳井に嫉妬して正義感に怒り狂うというようなことはありません(公務員の高待遇や税金の無駄使いには怒りを覚えますが)。他人の「所得隠し」なんてどうだっていいのです。むしろ、徳井の「想像を絶するルーズさ」に親近感さえ抱くほどです。

徳井の「所得隠し」に怒る人々は、国家に踊らされているだけの文字通りの”踊るアホ”なのですが、彼らにそういった自覚はないのでしょう。それが彼らを”衆愚”と呼ぶゆえんです。全体主義は正義と道徳の仮面を被ってやって来ると言った人がいましたが、ただ水に落ちた犬を叩いて喜ぶカタルシスを与えられているだけなのに、まるで国家を代表しているかのような正義感を抱いて、徳井に悪罵を浴びせる愚さと怖さを考えないわけではいかないのでした。


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2019.10.29 Tue l 芸能・スポーツ l top ▲
朝日新聞の「耕論」が、今メディアを覆っている「嫌韓論」を取り上げていました。メディアの「嫌韓論」は、まさに坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式にエスカレートするばかりで、常軌を逸した感さえあります。

朝日新聞デジタル
(耕論)嫌韓論の正体 鈴木大介さん、安倍宏行さん、木村幹さん

曺国(チョ・グク)法相の家族を見舞ったスキャンダルは、韓国の歴代政権の周辺ではよくある「おなじみの話」で、言うなれば“恒例行事”のようなものです。起訴権だけでなく捜査権も独占する韓国の検察は、そうやって自分たちの“省益”に背く政治家たちを追い落として、“国家内国家”のような、文字通り検察ファッショとも言うべき巨大な力を持つようになったのでした。そんな民主主義国家にあるまじき検察の巨大権力は、軍事独裁政権時代の残滓でもあるのです。

検察改革の急先鋒であった曺国(チョ・グク)法相は、家族のスキャンダルによって、僅か35日で辞任に追い込まれたのですが、日本のメディアは、辞任の本質に触れることなく、ただ文在寅大統領に対して「ざまあみろ!」と罵声を浴びせるばかりでした。文在寅政権が取り組む検察改革についても、正面から取り上げる姿勢など皆無でした。

どうしてこんな、「事実に基づかず、隣国を面白おかしく叩(たた)く」痴呆的な「嫌韓論」がメディアに蔓延しているのか。神戸大学教授の木村幹氏は、次のように分析していました。

 以前は中国、北朝鮮、韓国の3カ国が「反日トライアングル」と呼ばれていました。しかし中国については、相手の国力の方が強くなり、攻撃が消えました。北朝鮮についても「日本が叩けば相手が折れるはず」との想定が外れ、効果がないことが分かると、あきられてしまいました。

 韓国だけが残っているのは「日本が叩けば折れるはず」といまだに思っているからでしょう。韓国をさげすむ言説の裏に見えるのは「日本は(韓国とは違って)先進国だ」と自負したい心情です。アジア最大の経済大国という地位を失い、中国に抜かれた日本にとって、いまや「追い抜かれたくない国」の代表が韓国でもあるのでしょう。


日本のメディアは、韓国が日本政府の制裁措置で、経済的に苦境に陥っているかのように言い立てています。まるで、日本から兵糧攻めに遭っているかのように妄想するのでした。そして、韓国政府が、本音では「折れたがっている」、「ごめんなさい。許して下さい」と謝りたがっているかのように言うのです。でも、それは、あくまで「そうだったらいいなあ」という希望的観測にすぎません。

木村氏が言うように、今や韓国は世界12位の経済大国です。しかも、対外貿易額の中で、日本が占める割合は僅か7%にすぎません。日本人が思っているほど(寝ても覚めても「韓国が・・・・」「韓国が・・・・」と言っている人たちには、信じたくないことかもしれませんが)、韓国にとって日本は、貿易が停滞して困るような相手ではないのです(なくなっているのです)。

今年の4月、経団連の研究機関が,日本の1人当たり国内総生産(GDP)が2030年までに韓国に抜かれるという長期予測を発表して話題になりましたが、韓国に追い抜かれて先進国から転落するかもしれないという焦りが今のような痴呆的な「嫌韓論」に向かっているというのは、その通りかもしれません。

私は、ラグビーも好きで、(このブログでも書きましたが)国立最後の早明戦も観に行ったほどですが、しかし、今のワールドカップでの、ラグビーに関係のないことまでも、世界中のラグビーファンから称賛されリスペクトされているというような「ニッポン凄い!」の報道には、さすがにうんざりさせられます。逆に、ワールドカップに対して興ざめするほどです。台風の被害に遭った人々が、日本代表から「元気」をもらった(日本代表が「元気」を与えた)などという報道には、何をか言わんやです。そういった「ニッポン凄い!」の自演乙も、坂を下る国の焦りから来ているように思えてなりません。やたら「元気」や「勇気」をもらいたがっている(与えたがっている)ような報道も、自信のなさの表れなのかもしれません。

また、「耕論」では触れられていませんが、安倍政権が元徴用工裁判の報復のために、輸出管理の厳格化の制裁措置をとった途端に、「嫌韓論」が再燃しメディアを覆うようになったという事実も忘れてはならないでしょう。「嫌韓論」には、そういった翼賛報道の側面もあるのです。むしろ、そっちの方が日本にとって大きな問題と言えるでしょう。


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2019.10.19 Sat l 社会・メディア l top ▲
8月に茨城の常磐道で発生したあおり運転と暴行事件では、同乗していた「ガラケー女」に間違われた女性が、Twitterや2ちゃんねるなどで身元を晒され、”ネット自警団”から電凸などの攻撃を受けるという事件の”余波”がありました。しかし、それは、本体の事件以上に深刻な問題をはらんでいるとも言えます。女性は、後日、記者会見を開き、名誉侵害と業務妨害で法的措置を講ずることを言明したのでした。

その後の報道がありませんので、法的措置がどうなったのかわかりませんが、考えてみれば、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」を中止に追いやった電凸も、それと似たような話なのです。それどころか、電凸した”ネット自警団”のかなりの部分は重なっているような気さえします。ところが、メディアには、そういった見方は皆無なのでした。どうして、大衆社会が“衆愚社会”の謂いであるという当たり前の事実を伝えようとしないのかと思います。

それどころか、ワイドショーやスポーツ新聞など既存のメディアを通して、”ネット自警団”の”歪んだ正義”が拡散している現実すらあるのです。それこそ、(何度も言うように)「旧メディアのネット世論への迎合」(大塚英志)による「水は常に低い方に流れる」現実と言うべきでしょう。

余談になりますが、「表現の不自由展」の再開をめぐって、河村たかし名古屋市長はネトウヨと一緒に抗議の座り込みをしたのですが、彼はもともと愛知を最大の基盤としていた旧民社党の流れを汲む民主党系の国会議員でした。彼もまた、林文子横浜市長と同じ旧民主党の“負の遺産”と言っていいでしょう。

今の立憲民主党も国民民主党も、そういった“負の遺産”を引きずったままです。立憲民主党や国民民主党が野党だというのは幻想にすぎません。仮に野党だとしても、間違っても自民党の対抗軸なんかではありません。あり得ないのです。

「表現の不自由展」の問題に、嫌韓だけでなく、天皇制タブーが伏在しているのは言うまでもないでしょう。天皇制タブーと天皇制を絶対視する愛国(国粋)主義は表裏一体です。天皇制タブーと愛国(国粋)主義を切り離して論じるなど、そんな都合のいいことが成り立つわけがないのです。にもかかわらず、左派リベラルは、天皇制タブーをそのままにして、アクロバティックに戦後民主主義を論じてきた(弄んできた)のでした。

今年の8月、初代の宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりなどを記した「拝謁記」が公開され話題になりましたが、その中で昭和天皇は、戦後も再軍備の必要性を主張し、沖縄の基地問題についても、「全体の為」に「一部の犠牲」は「已むを得ぬ」と明言しているのでした。

そういった昭和天皇の発言は、白井聡氏が『永続敗戦論』で書いていたように、共産革命によって「国体」が瓦解し消滅することを怖れた1945年2月の近衛上奏文の考えに沿ったものと言えるでしょう。要するに、「革命より敗戦がまし」(歴史学者・河原宏氏)という降伏の英断の考えが、戦後も貫かれているのでした。

もとより、前も書きましたが、「田植え」や「養蚕」などの皇室行事や、皇室=神道の(ホントは儒式借用の)祭祀なども、豊葦原瑞穂国=”日本“という「想像の共同体」を仮構し、”国民“意識を創出するために、明治になって創られた「伝統」に過ぎないのです。

でも、多くの左派リベラルは、そういったことには触らぬ神なのです。それどころか、天皇制タブーを前提に、戦後憲法の橋頭保としての”平和天皇”のイメージさえねつ造しているのでした。虚妄の戦後を演じているのは、右派だけでなく、左派リベラルも同じなのです。


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2019.10.14 Mon l 社会・メディア l top ▲
おととい、また山に行きました。前に行った越生の黒山三滝から傘杉峠に登り、それから関八州に登って、西武秩父線の西吾野駅に降りました。休憩を入れて5時間あまりの山行で、トータルの標高差は760メートル、総距離は9キロ弱、歩数は2万7千歩でした。

前回と同じように越生駅からバスに乗ったのですが、私の前の席に50がらみの登山の恰好をした女性が乗っていました。彼女も終点の黒山で降りたのですが、私はひとり先を行き、傘杉峠に向けて登り始めました。ところが、途中で息が上がり休憩していたら、あっさり女性に抜かれてしまいました。山登りのコツを会得しているかのように、一定のペースで一歩一歩堅実に登りつづける姿が印象的でした。

ヘロヘロになって峠に辿り着いたら、女性はベンチで休んでいました。物静かで大人しい感じの女性でしたが、聞けば、私が以前埼玉に住んでいたときの駅と同じ駅の反対側に住んでいるそうで、それから話が弾みました。

「いつから山に登っているんですか?」と訊いたら、「若い頃に登っていたんですけど、また山に行きはじめたのは去年くらいからですよ」と言ってました。

「若い頃は本格的にやっていたんですか?」
「本格的じゃないけど、北アルプスにも登ったことがあります。でも、今、考えれば夢みたいな話ですね。もう一度行ってみたいけど、もう無理ですね。来週、箱根の××山のツアーを申し込んでいるんですけど、みんなに付いていけるか不安になって、トレーニングに来たんですよ」
「全然大丈夫ですよ。私を追い抜いて行ったじゃないですか」

「みんな、どうして途中で山に行くのをやめるんですかね?」
「仕事や子育てで山どころではなくなるからじゃないですか。でも、山に行ってた頃の思いはずっと残っているので、歳を取って一区切りが付いたらまた足が向かうんじゃないかな。やっぱり、山に行くと自分と向き合うところがあるじゃないですか。それと、苦しくてもあの上に行くと見たこともない風景があると思うと、なんとか頑張って行きたくなるんですよ。達成感ってそういうことじゃないかな」

女性が「お先に」と言って別のルートから降りていったあと、背後の山から年配の男性が降りてきました。

年齢は77歳だそうですが、今年の夏、富山県の折立(?)から薬師岳・黒部五郎岳を経て、岐阜県の新穂高温泉まで、二泊三日で縦走したのだそうです。また、上高地から焼岳にも登ったのだとか。

「77歳で? すごいですね」
「埼玉に住んでいるおかげですよ。近くに山があり、トレーニングができるので、そのおかげでなんとか登れるんですよ」
「毎週、来ているんですか?」
「一応、週一来るように決めていますけど、なかなか難しいですね」
「体力を付けるには、やっぱり山に来ることが一番ですかね」
「そうですよ。山に来ることです。どんなに低い山でも、山を歩くことが何よりのトレーニングですよ」
「山に行くようになったのは若い頃からですか?」
「いや、若い頃は何度か行った程度で、本格的に行き出したのは定年になってからです。リタイアして暇にならないとそんなに行けませんしね。山に来ているのは暇人ばかりですよ。お宅みたいに仕事をしながら、山に来てる人って尊敬しますよ。まだ若いので、このまま山に来たらどんどん登れるようになりますよ」

「まだ若い」ということばに苦笑するしかありませんでした。「若い」なんて言われたのは何十年ぶりだろうと思いました。

「私の知っている人で84歳になる人がいるんですけど、その人は今年の夏に50代の女性を二人連れて、西穂から奥穂まで縦走したんですよ。ジャンダルムや馬の背も歩いたんですよ。凄いでしょ?」
「それは、凄いな。超人ですね」
「超人ですよ。そんな人もいるんです。私ももう北アルプスへ行くのはやめようと思っていたんですけど、その人に刺激されて行きました」

「でも、いいことばかりじゃないですよ。今年の夏も知り合いの60歳の女性が南アルプスで遭難して行方不明になり、未だ発見されてないんです。今までも知り合いが何人か亡くなっていますし。やはり、山に行くというのはリスクも大きいです」
「そうですね。さっきも女性の方と話をしていたんですけど、ひとりで山に行くと、事故や病気のときのリスクは大きいですよ。その方も転んで怪我をしたことがあると言ってましたが、私も先日怪我をしたばかりです」
「私もひとりが多いんですが、歳が歳なのでそういった心配は常にありますね」

私は、77歳の男性の話を聞いているうちに(それに、「若い」と言われたこともあって)、このまま帰るのは恥ずかしい気がして、男性が降りてきた関八州に自分も登って帰ろうと思いました。そして、男性が降りてきた登山道を逆に登りはじめました。ところが、そこも傘杉峠に負けないような急登で(途中で会った若い男性から「この先に崖みたいなところがありますよ」と言われて覚悟を決めましたが、崖というのはいささかオーバーでした)、再びヘロヘロになり頂の見晴台に着きました。

見晴台でも、高齢の男性がひとりで休憩していました。「結構きつかったですね」と言ったら、「私は84歳なんです。だからここまで来るのもひと苦労でしたよ」と言うのです。84歳でジャンダルムに登った人もすごいけど、関八州に登った人だって負けていないのです。

「エエッ、84歳。全然見えません。若く見えますよ」
「見かけは若くても中身はくたびれていますよ」
「どこにお住まいなんですか?」
「東京の××市(三多摩地区)です。いつも近所の公園を歩いていたんですけど、それだけではそのうち歩けなくなるんじゃないかと思いましてね。それで、山に来るようになったんです」
「平地を歩くのと山を歩くのとでは使う筋肉も違いますしね。それに、アスファルトの上は膝にも良くないし」
「そうです、使う筋肉が違うんです。特に山に登ると腿の筋肉を使いますよね。やはり、歳を取ると、腿の筋肉が衰えるのが不安なんですよ」
「わかります。わかります」
「山に登ると達成感があるじゃないですか? あの達成感も、歳を取った人間には貴重なものですよ」
「敬老会では味わえない?(笑)」
「ホント、そうです(笑)。それに山に行くと、こうして若い人と話をすることができるでしょ? それもいいですね」
「同じ山に登った仲間意識みたいなものがあって、それは年齢に関係ないですからね」
「途中で会っても、あとどのくらいですかとか、どこどこに行くのはこの道でいいんですかなんて情報交換をするでしょ? 普段だったら若い人とそんな風に口を利くこともありませんしね」

そのあと、ガイドに引率された若者の団体が登って来ましたが(なんでも地図読みの研修だとか言ってました)、それ以外は皆さん、単独行の人たちばかりでした。

子育てを終えたような中年の女性も、孫がいるような年老いた女性も、男性も、それから若い男性も、みんな息を切らしながら登っていました。ひとりで山に来るというのは、山が好きだというだけでなく、やはり、ひとりが好きなんだと思います。山の中では、自分を大きく見せるために虚勢を張る必要もなければ、狡猾に計算高く振舞ったり、卑屈になって他人の目ばかり気にする必要もないのです。ただ自然に対して謙虚でひたむきな自分がいるだけです。そんな自分と出会うために山に来ているのだと思います。キザな言い方をすれば、山は孤独が似合うのです。


傘杉峠から関八州1

傘杉峠から関八州2

傘杉峠から関八州3
関八州の山頂からの眺望
新宿の高層ビル群やスカイツリー(?)が見えました。

傘杉峠から関八州4

傘杉峠から関八州5

傘杉峠から関八州6

傘杉峠から関八州7
前に登った「丸山」とは違う丸山です。私の田舎にも同じ名の山がありました。

傘杉峠から関八州8
やけに手入れがされた尾根道だなと思って進むと・・・・、

傘杉峠から関八州9
墓地でした。

傘杉峠から関八州10
下りは誰にも会いませんでした。

傘杉峠から関八州11
この橋はちょっと怖かった。中間の板が腐って割れていた。

傘杉峠から関八州12

傘杉峠から関八州13

傘杉峠から関八州14

傘杉峠から関八州15
麓の集落の道沿いにかわいい花が咲いていました。
2019.10.11 Fri l 山行 l top ▲
昨日は丹沢の大山に登りました。早朝、新宿から小田原行きのロマンスカーに乗って、伊勢原で下車、伊勢原から「大山ケーブル行き」のバスに乗りました。

行く前から腹の調子が悪く、加えて睡眠不足で、体調は万全とは言えなかったのですが、それにしても、足がまったく動かず、ヘロヘロになりながらやっとどうにか登りました。私にとっては、ショックを覚えるくらい不本意な山行になりました。

大山は、信仰の山として有名ですが、江戸から近かったという地の利もあって、昔から「大山詣り」が行われていた人気の山です。江戸の庶民の間では、「大山詣り」するための”講”もあったそうです。今も残っている「大山街道」の名称も、「大山詣り」の名残りなのでしょう。バスにも、登山の恰好をした人たちが多く乗っていました。

登山道は、阿夫利神社の下社(山頂に本社と奥宮がある)の裏からはじまりますが、最初から急階段で息が上がりました。しかも、山頂までほぼ急峻な登りの連続で、どこが「初心者向け」なんだと思いました。登山雑誌や登山関連のサイトは、誰を基準にして「初心者」と呼んでいるのかと言いたくなりました。

「女性向けの登山ガイド」を謳う某サイトでは、大山のことを「標高1,000mを超える山でありながら、登りやすさで人気です。しっかり登山もケーブルカーを使っての楽々登山も自由自在」と書いていましたが、こういうことばがなんの検証もなしにコピペされて流通されているのでした。「楽々登山」なんて悪い冗談だとしか思えません。

登る途中で会った若者も、「これのどこが初心者向けなんですかね? 初心者向けだと書いていたので気楽な気持で来たのに騙されましたよ」と言ってました。

一緒に休憩していた女性に、「休みの日はここをホントに家族連れが登るんですか?」と訊いたら、「そうですよ。幼稚園児も遠足で来ますよ」と言われたので、私はショックを受けました。オレは幼稚園児以下のポンコツじゃないかと思いました。

下山したあとに立ち寄った茶店の女将に訊いたら、幼稚園児や保育園児が遠足で来るのはホントだそうです。「ただ、一日がかかりですよ」「朝早くから登って、夕方近くになっても降りて来ないと心配になることもありますよ」と言ってました。

「元気な風の子」思想を強要して鍛錬遠足をやっているつもりなのかもしれませんが、幼稚園児や保育園児が登るにはリスクが大きく、ちょっとやりすぎのように思えてなりません。「元気な風の子」思想も、森友学園ではないですが、往々にして経営者のひとりよがりなカルト思想に由来している場合が多いのです。私が父兄だったらやめれくれと言うでしょう。

写真を撮りながら登ったということもあって、次々と追い抜かれて行きました。結構、女性が多かったのですが、女性にもあっさりと抜かれました。ただ、地図上のコースタイムと比べると、私のペースはそんなに遅いわけではないのです。とにかく、皆のペースが速いのです。先の若者は別にして、平日ということもあるのか、中高年の登山者の中には、何度も登っている場慣れした人が多いような気がしました。

茶店の女将も、「ああいう人たちはお金を使わないんですよ」と言ってましたが、登山をビジネスにする人たちにとっては、「初心者」こそ美味しい存在なのです。だから、「初心者向け」を乱発しなければならないのでしょう。「お客さんみたいにオシャレではないですしね」と言われましたが、なんだか皮肉を言われているような気がしました。

でも、そのために(昨日はいませんでしたが)充分な準備と装備をせずに山を登る「山をナメた」「初心者」が出現することになるのです。急峻だということは、下りはそれだけ転倒や滑落の危険性があるということです。実際に、「滑落事故が多発しています」という警察の看板もありました。「大山ケーブル行き」のバスの中でも、「軽装の登山は危険です」というアナウンスが流れていましたが、そういった危険な「軽装の登山」を生み出しているのも、「初心者向け」だと煽っているからでしょう。

最近、山に行くと、鈴木みきさんの『ひとり登山へ、ようこそ!』(平凡社)を読んだということもあって、ひとりで山に来ている女性がやたら気になります。ひとりで来ている女性は意外と多いのです。

登山関連のブログでも、そんなソロハイクの女性のブログばかり読んでいます。彼女たちのブログは、ステルス広告とは無縁だし、等身大で書いているので、ウソとハッタリのネットの中では身近に感じるのです。

ひとりで来ている女性を見ると、総じて物静かで地味な人が多いような気がします。おそらく誰よりも実直に生きている人たちなのでしょう。ただ、その分、実社会では損をすることも多いのではないでしょうか。ひとりでベンチにポツンと座って、山の風景を眺めている姿を見ると、「やっぱりひとりがいいなあ」と私と同じことを思っているんじゃないかと想像したりします。

下っていた際、昔の会社の経理課にいたような感じのメガネをかけた女性の横をすり抜けようしたら、浮石を踏んで転びそうになりました。すると、女性から「大丈夫ですか?」と言われたのですが、それも落ち着いた小さな声なのでした。普通だったら、もっと感情を表に出して語尾を強めて言うだろうと思いますが、なんだかひとりで山に来る女性を象徴しているような気がしました。

ヘロヘロになって登っていたら、同じ年恰好の男性から「がんばって下さい」と声をかけられました。聞けば、近々、丹沢山から塔ノ岳を縦走する予定なので、トレーニングに来たと言っていました。「この急登はいい練習になるんですよ」と。一度登ったら下まで降りて、また登るのだとか。

「すごいですね」と言ったら、「アミノバイタルのお陰ですよ」と言うのです。アミノバイタルは名前は聞いたことがありますが、どんなものなのかよくわかりません。

「あれは効きますよ。私も前はこんな登りはよぉ登らんわと思っていたのですが、アミノバイタルを飲み始めたら足が軽くなって、どんどん登れるようになったんですよ」
この人、味の素の回し者じゃないのかと思いました。

「おすすめですよ。筋肉痛とも無縁になりますしね」「ああ、持っていればあげたのにな。さっき飲んでしまって、今、手元にないんですよ」
サンプルを持ってないということは、回し者じゃないのか。
「山に行く人で飲んでいる人は多いですよ。びっくりするほど効果てきめんですよ」と言うのです。

それで、休憩のベンチで一緒になった女性に、アミノバイタルのことを聞いたら、なんとその女性も飲んでいると言うではありませんか。「その話、ウソじゃないですよ」と言うのです。それで、帰宅してさっそく、藁をもすがる気持で、アマゾンでアミノバイタルを注文しました。それも「パ―フェクトエネルギー」というバージョンです。登る途中に、天狗が鼻で穴を空けたという岩がありましたが、天狗のように岩から岩へと軽々と飛び回る自分を想像しました。

今月末、九州に帰って、九州本土では最高峰の地元の山に登ろうと思っていたのですが、今日のヘロヘロで不安になりました。明後日までキャンセルすればキャンセル料がかからないので、どうしようか迷っています。

そもそも九州に年に二回帰るのは、経済的にも結構な負担になります。もう実家がないので、飛行機代だけでなく、ホテルとレンタカーも必要で、旅行と同じなのです。それこそ韓国や台湾に行くのと同じくらいかかります(むしろ、韓国や台湾の方が安いかもしれません)。

帰るたびにこれで最後にしようと思うのですが、なかなか最後にすることができないのでした。子どもの頃父親と登った山にもう一度登りたいというのも、最後にしないための口実かもしれません。

アミノバイタルがそんなに効果てきめんなら、アミノバイタルパワーで帰ってもいいのですが、しかし、その効果を試す時間的な余裕もないのでした。


大山1
参道。「こま参道」と呼ばれているそうです。

大山2

大山3
ケーブル駅

大山4

大山5
ラーメンならぬ「ルーメン」で有名な店ですが、どうでもいい話。

大山6
阿夫利神社の階段

大山7
境内にはいろんなモニュメントがありましたが、このモニュメントには「日本遺産」と書かれていました。「日本遺産」は、文化庁が世界遺産を真似して(?)設けたようです。

大山8
阿夫利神社下社の本殿。大山は別名「雨降山」と呼ばれており、各地にある雨乞い信仰の山のひとつでもあります。阿夫利神社の「阿夫利(あぶり)」も、雨降り(あめふり)をもじったものなのかもしれません。

大山9
「輝け杉の子」像。学童疎開の記念碑。この碑、他でも見たことがあるような・・・・。日本版慰安婦像?

大山10
豆腐の碑にどうして東京作家クラブが寄付? そもそも東京作家クラブってなに?

大山11
境内の裏から登山の始まりです。

大山12

大山13

大山14
こういった強引に謂れをこじつけた木も、山の定番です。

大山15
こんな急峻な坂が最後までつづきます。

大山16

大山17

大山18

大山19
天狗は、修験道との関連で山ではおなじみのキャラクターですが、天狗が鼻で空けた岩というのはめずらしい。

大山20

大山21
「富士見坂」。どうにか富士山が見えました。傍にいた山ガールが歓声を上げていました。

大山22
無残な石仏

大山23
山ガールからも置いてきぼりを食う

大山24
これが「初心者向け」の登山道?

大山25

大山26

大山27
やっと着いた!

大山28
造像銘(石像の文字)が朱色でなぞられているのに違和感を持つ方がいるかもしれませんが、朱色でなぞるのは古くから行われている風習(?)で、奇抜なことでもなんでもありません。

大山29
本社は戸が閉められカギがかけられていましたが、それでも外から手を合わせる信心深い人々。手を合わせているご夫婦に大山の謂われなどを教えてもらいました。

大山30
山頂の茶屋の手書きの案内板

大山31
山頂。ガスにおおわれ眺望なし

大山32
阿夫利神社の奥の院

大山33

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別コースから下山開始

大山35

大山36
ガスにおおわれた幻想的な風景

大山37
途中、山肌が大きく崩落した箇所もありました。

大山38

大山39
標高が下がると晴れてきました。

大山40

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「見晴台」からの眺望

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「見晴台」で休憩する人々。皆さん、風景を見ながら、チョコレートやお菓子など持参したおやつ(行動食)を食べていました。この人たちの多くは、帰りのバスでも一緒でした。

大山43

大山44

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大山46

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信仰の山なので、至るところにお社がありました。

大山49
龍神? でも、劇画っぽい。

大山50
誰かが修行したという、これもよくある滝。

大山51
2019.10.04 Fri l 山行 l top ▲
突然、知人からえらく憤慨した電話がかかってきました。と言っても、私に憤慨しているわけではなく、憤慨しているのはメディアに対してです。誰でもいいから話を聞いてもらい、憂さを晴らしたかったのかもしれません。

それは、メディアでも大々的に取り上げられたあるスキャンダルに関するものでした。どういういきさつか知りませんが、知人はスキャンダルの主と親しく、いろいろと相談に乗っていたようです。

知人が言うには、メディアが書いていることはデタラメで、メディアの背後では、スキャンダルの主を潰そうとする大きな力がはたらいているのだと言ってました。

と言うと、よく聞く台詞なので眉に唾したくなりますが、しかし、仔細に話を聞くと、知人が憤慨する気持はわからないでありませんでした。話を聞く限り、スキャンダルの内容についても、スキャンダルの主の人物像についても、メディアが伝えるものとはまったく別の印象がありました。そして、ここにも大塚英志氏が言う「旧メディアのネット世論への迎合」が垣間見えるのでした。

最初から結論ありきのスキャンダルと悪意のある印象操作。しかし、個人の力はあまりに小さく弱いのでした。そうやってひとりの人間の人生がいいように弄ばれるのです。

ネットは言わずもがなですが、私が注目したのは、スキャンダルに対する左派リベラルと言われている者たちの反応でした。

彼らもまた、低俗且つご都合主義的なリゴリズムをネットや世間と共有し、印象操作に与するばかりなのでした。政治的なテーマだと世間に異(らしきもの)をとなえることはありますが、個人のスキャンダルなどでは、いともあっさりと俗情と結託するのでした。

フーコーが言うように、権力というのは、国家や政治など大状況の中だけに存在するのではなく、私たちをとりまく日常的な小状況の中にも潜んでいるのです。右と左のイデオロギーの違いに大きな意味はないのです。右と左は双面のヤヌスみたいなもので、そうやって手を携えてこの社会の安寧と秩序に貢献しているのでした。

「言論の自由なんてない、あるのは自由な言論だけだ」という竹中労の口吻をもじって言えば、言論の自由なんてないのです、あるのは”不自由な言論”だけです。

でも、それは、メディアがもの言えば唇寒い状況に追い込まれているということではありません。江藤淳が言う戦後の「閉ざされた言語空間」とは別の意味で、この国のメディアは最初から「閉ざされた言語空間」の中にあり、”不自由な言論”のシステムに組み込まれているのです。言論の自由なんて虚構にすぎないのです。

軍事独裁政権時代の残滓の一掃を目指す韓国の文在寅政権と検察の対立はますます激しくなっていますが、日本のメディアの問題を考えると、韓国検察の”不都合な真実”も決して他人事ではないのです。むしろ、個人のスキャンダルだからこそ、メディアの本質がよく見える(露呈されている)ということはあるでしょう。
2019.10.01 Tue l 社会・メディア l top ▲