小室さんの問題で、元婚約者がコメントを発表し、「解決金」の交渉に応じる意向を示したというニュースがいっせいに流れました。

毎日新聞
小室圭さん母の元婚約者、解決金の交渉進める意向 コメント発表

意地悪な私は、やっぱりと思いました。ことばは悪いけど、意外と早く食いついてきたなと思いました。このあたりが老いらくの恋の落としどころなのかもしれません。二人の結婚の意思は固いようなので、いづれにしても結婚の方向に話が進んで行くのは間違いないでしょう。

ただ、元婚約者の真意が、「解決金」にあるのか、それとも体調を崩して入院していると伝えられる小室さんのお母さんにあるのか、今ひとつはっきりしませんので、今後も紆余曲折がないとは言えないでしょう。

単にお金がほしいだけなら話は簡単ですが、そうではなく(それだけではなく)ストーカーによく見られるような別の屈折した心情が伏在しているとしたら、話がこじれる可能性はあるでしょう。元婚約者の代理人を務めるのは、弁護士ではなくフリーライターだったのですが、今もそうなのか気になります。と言うのも、代理人やメディアの立場から言えば、話がこじれた方が間違いなくオイシイからです。

別れたから今まで使ったお金を返せというのは、昔だったら「最低の男」「男の風上にもおけない」と言われたでしょう。それは、かわいさ余って憎さ百倍のストーカーに暴走しかねない論理と言えなくもないのです。

元婚約者はなかなか老獪で、金銭問題でふたりの結婚に支障が出るのは忍びないとか言いながら、だからと言ってメディアから身を遠ざけているわけではないのです。今回も、「代理人」のフリーライターのプロデュースなのか、小室さんの「文書」が発表されると『週刊現代』の取材に応じて、マンションのローンを払えないので今は家賃8万円の木造アパートに住んでいるとか、小室さんの「文書」には「納得できない」とか、婚約解消の話し合いの席での”無断録音”に「驚いた」などと「独占告白」しているのでした。そうやってことあるごとにメディアに登場して、バッシングの材料を提供しているのです。

問題の本質は、お金を貰ったか借りたか(貸したか)にあるのではなく、小室さんと眞子さんの恋愛&婚約がメディアに大々的に取り上げられ、小室さん一家にスポットライトが当てられた途端、元婚約者が金銭問題をメディアにリークしたその行為にあるのです。もっとありていに言えば、その行為に至った動機にあるのです。

もし自分だったらと考えれば、問題がわかりやすくなるかも知れません。私も度量の狭い人間ですので、使ったお金はもったいなかったなとか捨て銭になったなとか、心の片隅で少し思ったりはするかもしれませんが(それも半分は自虐ネタみたいなものですが)、しかし、いくらなんでも“金銭トラブル”をメディアにタレこんで若いふたりの恋路を邪魔するなんてことは、とても考えられないしあり得ない話です。そこまでやるというのは、「執念」ということばでも解釈し切れない、もっと根深い要因があるような気さえします。

小室さん母子が結婚詐欺師VS元婚約者が善意の被害者というメディアが描く構図自体が、どう考えても悪意の所産だとしか思えません。もとより、(何度もくり返しますが)男と女の間には第三者が立ち入れないデリケートなものがあり、仮にお金のやり取りがあったとしても、それが借りたか(貸したか)貰ったかなんて判断すること自体、明確に犯罪でも構成してない限り、無理があるのです。元婚約者が弁護士に相談したら、借用書などがないと返金を求めるのは無理だと言われたという話が漏れ伝わっていますが、その話がホントかどうかは別にしても、法的に解釈すれば当然そうなるでしょう。だから、訴訟も起こしてないのでしょう。

小室さん自身、法律を専門的に勉強しているし、また日本では弁護士事務所に勤務していましたので、法的に見て問題ないという認識は当然持っているでしょう。でも、メディアはそれを「不誠実」「上から目線」だと批判するのです。また、バッシングに対しても、名誉棄損に当たることは小室さん側も重々わかっているはずです。しかし、眞子さんとの関係上、簡単に訴訟を起こすことができないのも事実でしょう。メディアもそれがわかっているので、みずからが描いた構図に従って書きたい放題に書いているのでしょう。

以前、『週刊現代』元編集長の元木昌彦氏がPRESIDENT Onlineに書いた下記の記事を紹介しましたが、元木氏が書いているように、一連の騒動から見えてくるのは、「今の若者には珍しいほど勤勉で誠実な」小室圭さんの姿です。眞子さんとの結婚のために、国際弁護士を目指して渡米、成績も優秀で弁護士資格を取得するのはほぼ間違いないと言われています。眞子さんとの約束を果たすべく努力し、約束どおりちゃんと成果をあげようとしているのです。小室さんに悪罵を浴びせるゲスな国民たちは、むしろ爪の垢を煎じて飲んだ方がいいくらい立派な青年なのです。

PRESIDENT Online
「圭さんと結婚します」の言葉を国民は祝福する

集団ヒステリーと化したかのような小室さんバッシングですが、それはこの社会にマグマのように滞留する負の感情がいびつな姿で噴出した、現代の日本に特有ないじめとストーカーの問題ではないのか。小室さんの問題については、私はどうしてもそんな見方しか持てないのです。


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小室さん
2021.04.28 Wed l 社会・メディア l top ▲
三度目の緊急事態宣言が発令(発出)され、25日から来月11日までの17日間、東京・大阪・京都・兵庫の4都府県で実施されることになりました。併せて既に発令されているまん延防止等重点措置も、対象地域が拡大され、緊急事態宣言と同じく来月11日まで実施されることになりました。

何度も言いますが、来月の11日までというのは、ゴールデンウィーク云々だけでなく、IOCのバッハ会長が17日だかに来日するので、それまでに終了したいという”政治的思惑”がはたらいているのは間違いでしょう。そのために、過去の二度の緊急事態宣言と違って、わずか17日間という「短期間に集中して感染を抑え込む」(菅総理の発言)方針に転換したのです。すべてはオリンピック開催のためです。

昨日の緊急事態宣言初日の朝、用事があって駅に行きましたが、都内に向かう上りの電車も横浜の中心街に向かう下りの電車も、「みんな、どこに行くの?」と思うくらい多くの乗客が乗っていました。若者だけでなく家族連れや高齢者夫婦など、世代を問わずみんな休日の繁華街に向かっていました。また、揃いのユニフォームを着た中学生のグループも、部活の練習試合のためか、改札口の前で待ち合わせをしていました。

「自粛疲れ」「宣言慣れ」などと言いますが、要するに国家が覚悟を示せないのに、国民だけ覚悟を持て、自覚を持てと言っても、それはないものねだりの子守歌というものです。オリンピックはやるけど、お前たちは外出を控えろと言うのは、説得力がないし、自己矛盾も甚だしいのです。

ましてや、大阪市の例が示すように、公務員たちは、市民に自粛を要請しながら自分たちは陰で飲み会をやっているのです。大阪市の場合、感染者が出たので調査してあきらかになったのですが、ほかの自治体もただ調査していないだけで、実態は似たようなものでしょう。厚労省も然りですが、公務員の飲み会の横行は、「自分には甘く住民には厳しい」公務員の習性をよく表しているように思います。たとえば、税金の使い方にしても、自分たちはザルなのに住民に対しては杓子定規で厳格です。一方で、税金の徴収は容赦なく厳しいのです。それは、地頭の子転んでもただでは起きぬの時代から連綿と続いている官尊民卑の考えが背景にあるからでしょう。

私は、新型コロナウイルスの感染が取り沙汰されるようになってから外食はまったく控えています。何故なら、水に落ちた犬を叩くようで気が引けるのですが、飲食店を信用してないからです。大手のチェーン店は、バカッターの例に見られるようにほとんどがアルバイトで運用されていますが、彼らアルバイトがホントに真面目に感染防止に務めているとはとても思えません。

また、個人経営の店なども、テレビのインタビューに答えている店主を見ると、一応マスクはしているものの、二階(幹事長)や麻生(副総理)と同じように鼻が出ている場合が多いのです。それで、「いらっしゃいっ!」と大声で挨拶されたらたまったものではありません。しかも、飛沫防止効果が高いと推奨されている不織布マスクではなく、若者と同じようにウレタンマスクを装着している店主も多いのです。それは、アクリル板や消毒スプレー以前の基本中の基本だと思いますが、そんな基本的なことさえ守られてないのです。

何故、こんな「細かいこと」にこだわり、小言幸兵衛みたいなことを言うのかと言えば、「正しく怖れる」ためです。ひとりひとりが正しく怖れれば、緊急事態宣言もまん延防止措置も必要ないし、「ファシスト的公共性」で不自由をかこつこともないのです。

感染拡大を叫びながら、政府はオリンピックをやると言い、テレビは政府の意を汲んでオリンピックムードを盛り上げ、一方で人出が減ってないとかなんとか言いながら、春爛漫の名所旧跡を訪ねる旅番組を流して外出を煽っているのです。メディアは、オリンピック開催のマスコットガールにすべく白血病から代表に復帰した池江璃花子を美談仕立てで報じていますが、「がんばっている」のは池江璃花子だけではないでしょう。コロナと戦っている感染者も、実質的な医療崩壊のなかで命を繋いでいるほかの患者も、コロナで職を失った人たちも、もちろん諸悪の根源のようにやり玉にあがっている飲食店の店主も、みんな必死で「がんばっている」のです。スポーツ選手だけが「がんばっている」のではないのです。

新型コロナウイルスに関しては、アベノマスクを筆頭に、大阪府知事や大阪市長のイソジンや雨合羽、それに兵庫県知事のうちわ会食など、ホントに危機感があるのか疑問に思うようなトンデモ話が次々と飛び出していますが、今回の緊急事態宣言では、小池都知事が負けじとばかりに”灯火管制”を言い出したのでした。”灯火管制”が必要なくらい危機的な状況なら、まずその前にオリンピックをやめることでしょう。「話はそれから」なのです。

僭越ですが、以前、このブログで私は次のように書きました。

定額給付金・ハイブリット車購入資金の助成・高速料金の千円均一・省エネ家電のエコポイントなど、いわゆる麻生内閣の景気対策を見るにつけ、かつて故・江藤淳氏が「国家・個人・言葉」(講談社学芸文庫『アメリカと私』所収)で書いていた、「倫理の源泉であることを引き受けたがらぬ国家は、ただ金をためろ、輸出を伸ばせ、というだけである」「個人は、したがって孤独であり、なにをもって善とし、なにを悪とするかを知らない。人はただ生きている」という文章を思い出しました。

さしずめこれをもじって言えば、「倫理の源泉であることを引き受けたがらぬ国家は、ただ金を使え、ものを買え、というだけである」「個人は、したがって孤独であり、なにをもって善とし、なにを悪とするかを知らない。人はただ生きている」と言うべきかもしれません。国家主義者ならずとも「この国は大丈夫か?」と思ってしまいます。

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たしかに、新型コロナウイルスの感染対策を見ても、江藤淳が言うように、国家は「倫理の源泉」としての役割すら放棄したかのようです。国家の中枢に鎮座する菅や二階や麻生の能天気ぶりや、新型コロナウイルス対策で露わになった自治体の長たちのトンチンカンぶりが、なによりそれを表しているように思います。

ここに来て、菅総理は突然、7月までに65歳以上の高齢者のワクチン接種を終えるとか、7月から一般の国民に対してもワクチン接種を開始するなどと言い出しましたが、能力的な限界に突き当りいよいよ取り乱しはじめたかと思いました。ホントにそう思っているのなら、国立競技場を接種会場にすればいいのです。そのくらいの覚悟を見せてくれと言いたいです。
2021.04.26 Mon l 社会・メディア l top ▲

大正四年の京都の御大典ごたいてんの時は、諸国から出て来た拝観人で、街道も宿屋も一杯になった。十一月七日の車駕しゃが御到着の日などは、雲もない青空に日がよく照って、御苑ぎょえんも大通りも早天から、人をもって埋めてしまったのに、なお遠く若王子にゃくおうじの山の松林の中腹を望むと、一筋二筋の白い煙が細々と立っていた。ははあ、サンカが話をしているなと思うようであった。


これは、柳田国男の『山の人生』のなかの有名な一節です。私は、柳美里の『JR上野駅公園口』を読んだとき、ふと、この文章が頭に浮かんだのでした。

現天皇は、学生時代、中世の交通史・流通史を専攻していますが、それは子どもの頃から登山が趣味だったということが関係しているのかもしれないと思ったりします。

山登りは中高年になってからその楽しみが増しますが、その意味では年齢的に「今から」というときに山登りを卒業せざるを得ないその境遇には、あらためて同情せざるを得ません。彼は、いにしえの人々の人生やその生活に思いを馳せながら、彼らがかつて行き来した道を辿ることはもうないのです。

交通史・流通史を専攻していれば、柳田国男の『山の人生』や宮本常一の『忘れられた日本人』も読んでいたはずです。上記の柳田国男の文章で示されているように、かつてこの列島には天皇制にまつろわぬ人々が少なからぬ存在していたことも、当然知っていたでしょう。

現天皇は、記録を見る限り、雲取山に三度登っていますが、交通史・流通史の観点から秩父往還の道に興味を持っていたのは間違いないでしょう。そして、その道が、天皇制国家に弓を引いた秩父事件で大きな役割を果たしたこともわかっていたに違いありません。

年を取り体力が衰えてくると、力まかせに登っていた若いときと違って、別の風景も見えてくるようになります。そのひとつが山中に人知れず行き交っている”道”です。

森崎和江は、五家荘の人々が古くから歩いていた道を「消えがての道」と呼んで同名の本を著したのですが、私が五家荘に行きたいと思ったのもその本を読んだからでした。しかし、先日、Googleのストリートビューで五家荘を見たら、中央線が引かれ至るところに標識が設置された立派な道路が走っており、あたりの風景も別世界のようになっていました。私が登った当時は、一応車道(林道)はありましたが、上りと下りは一方通行でした。つまり、離合(すれ違い)もできないような狭い道しかなかったので、上りのときと下りのときは別の道を利用しなければならなかったのです。当時は、五家荘は泉村と呼ばれていましたが、小学校は村内に七つの分校がありました。集落が離れているため、遠くて子どもたちが通えないからです。しかし、その「消えがての道」も、もう誰からも歩かれることがなく草木の下に消えてしまったに違いありません。

佐野眞一は、『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(文春文庫)のなかで、上記の『山の人生』の一節を引用して、次のように書いていました。

   柳田はこの大正天皇の御大典に、宮内書記官として、衣冠束帯の古式の礼装に威厳を正して列席した。高級官僚であると同時にわが国民俗学の創始者でもあった柳田は、公式の席に列しながら、天皇にまつろわぬ民である非定着民のサンカの動向も、鋭く視野にいれることを忘れなかった。


『山の人生』は大正15年に発表されたのですが、柳田国男はそれ以前に書かれた『遠野物語』や『山人考』などでも、「非常民」に関心を寄せていました。しかし、東京帝大出の高級官僚(今で言う”上級国民”)であった柳田は、栄達の階段を上るにつれ、天皇制国家にまつろわぬ「非常民」への関心を失っていくのでした。

  (略)最後は貴族院書記官長までのぼりつめた柳田は、大正八年に官職を辞したにもかかわらず、『山の人生』以後、非常民にはほとんどふれず、常民と天皇制の基盤をなす稲作の世界に、日本民俗学の方向を大きくリードしていった。
(同上)


もしかしたら、現天皇も柳田国男と同じような心の軌跡を歩んでいるのかもしれません。眞子さんもそうですが、自由がきかないというのはホントに不幸なことなんだなとしみじみ思えてなりません。皇室に不幸という観念が存在するのかどうかわかりませんが、眞子さんの結婚だって、人間には幸福を求める権利はあるけれど、でも、必ずしもそうはならない場合もある、思いもよらない苦労をするのも人生だと考えれば(そう自分の胸に手を当てて考えれば)、あんなに目くじらを立てることもないのです。
2021.04.24 Sat l 本・文芸 l top ▲
特措法改正で新設された「まん延防止等重点措置」がまったく効果がなかったとして、三度みたび緊急事態宣言が発令(発出)されることが決定されたようです。

報道によれば、今回は東京都と大阪府と京都府と兵庫県に発令される予定だとか。しかし、緊急事態宣言の期間は、過去の二度より短く、4月29日~5月9日のゴールデンウィークの間で、感染状況次第ではさらに1週間(5月16日まで)延長することを検討しているそうです。

一度目(2020年4月)は、東京・神奈川・埼玉・千葉・北海道が1ヶ月半、その他の府県が1ヶ月でした。二度目(2021年1月)は、首都圏の1都3県(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県)と、あとで追加になった大阪府・京都府・兵庫県・愛知県・岐阜県・栃木県・福岡県の7府県が対象でしたが、感染が収束しなかったため二度の延長が行われて、期間は最長で2ヶ月半でした。

過去の二度の緊急事態宣言と比べると、今回は極端に期間が短いのです。どうしてかと言えば、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が来月の17日に来日する予定なので、それまでに解除したいという考えがあるからだそうです。バッハ会長の来日によって、開催の可否を最終的に協議する(と言うか、開催を最終的に決定する?)ので、そのスケジュールに合わせたのではないかと言われています。

つまり、今更言うまでもないことですが、新型コロナウイルスよりオリンピック開催が優先されているのです。国民の命と健康よりオリンピックが大事なのです。シロウト目で見ても、僅か10日かそこらで感染状況が好転するとはとても思えません。それでも菅総理の言う「人類がコロナに打ち勝った証し」としての開催にこだわるなら、(既に東京都はPCR検査や変異ウイルスのモニタリング調査をサボタージュしていると指摘されていますが)もはや数字のごまかしで感染状況の”劇的な改善”をアピールするしかないでしょう。もしかしたら、そういった”もうひとつのスケジュール”も同時進行しているのかもしれません。

くり返しますが、第四次感染拡大のさなかにあっても、オリンピック開催ありきでこと・・が進められているのです。まったく狂っているとしか思えません。こういう”狂気”に対して、左だけでなく右からも「憂国」「売国」「国辱」という声が出て来てもおかしくないのですが、不思議なことにそういう声はまったく聞こえてきません。在日に対するヘイトや中国の新疆ウイグルや尖閣の問題、あるいは小室さん問題にはえらく熱心ですが、オリンピック開催ありきの新型コロナ対策に対しては、まるで見ざる聞かざる言わざるのように反応が鈍いのです。

言うまでもなく、商業化したオリンピックによって、バッハ(IOC)はグローバル資本と利害を共有しています。彼がグローバル資本の代弁者であるのは明白で、開催強行はオリンピックに群がるグローバル資本の利益のために(と言うか、先行投資した資金を回収するために)開催国の国民の命と健康がなおざりにされる、資本主義の本性がむき出しになったどん欲で暴力的な光景以外のなにものでもありません。日本の政治家は、その買弁的な役割を担わされているのです。就任早々アメリカに朝見外交に出かけた菅総理が、いつになく卑屈で貧相な田舎オヤジに見えたのもゆえなきことではないのです。

しかし、買弁的なのは与党の政治家だけではありません。オリンピック開催について、立憲民主党の福山哲郎幹事長の発言が、下記の記事に出ていました。

Yahoo!ニュース
東スポWeb
3度目の緊急事態宣言発令へ…東京五輪開催めぐり野党に〝深刻な温度差〟

 立憲民主党の福山哲郎幹事長(59)は「コロナがなければオリンピックにネガティブだったわけではありません。それに対して政府が(五輪開催に)ハッキリとものを言わない状況で、開催に賛成か反対かと無責任にものをいうのは適切じゃない」とした。


社員350人のうち100人をリストラするという、前代未聞の経営危機に陥っている東スポの記事なのでどこまで信用できるかわかりませんが、もしこの発言が事実なら、こんな野党第一党はいらないと声を大にして言いたいです。
2021.04.21 Wed l 社会・メディア l top ▲
登山家として知られているイラストレーターの沢野ひとし氏の『人生のことはすべて山に学んだ』(角川文庫)を読んでいたら、「文庫版あとがき」で、若山牧水の『木枯紀行』を読んで「胸がぎゅっと捕らえられた」と書いていました。そして、沢野氏自身も、牧水が歩いた十一月の初旬に、十文字峠から栃本集落まで歩いたのだそうです。

『木枯紀行』は青空文庫に入っていますので、私も早速、kindleにダウンロードして読みました。

牧水は、旧梓山村(現長野県南佐久郡川上村)から地元の老人に道案内を頼み、十文字峠を越えて秩父の栃本へ下ったのですが、調べてみると、牧水が『木枯紀行』の旅をしたのは、関東大震災があった1923年(大正12年)です。38歳のときでした。しかも、牧水自身、当時住んでいた静岡県の伊豆で震災を体験しているのです。震災があったのは9月1日です。それから2ヶ月後、牧水は、「御殿場より小淵沢、野辺山、松原湖、十文字峠、秩父への約十五日間」(『人生のことはすべて山に学んだ』)の旅に出るのでした。

牧水は、栃本集落について、次のように書いていました。

  日暮れて、ぞくぞく(註・原文はくりかえし記号)と寒さの募る夕闇に漸く峠の麓村栃本といふへ降り着い た。 此処は秩父の谷の一番つめの部落であるさうだ。其処では秩父四百竃の草分と呼ばれてゐる旧家に頼んで一宿さして貰うた。
  栃本の真下をば荒川の上流が流れてゐた。殆んど真角に切れ落ちた断崖の下を流れてゐるのである。向う岸もまた同じい断崖でかえたつた山となつて居る。その向う岸の山畑に大根が作られてゐた。栃本の者が断崖を降り、渓を越えまた向う地の断崖を這ひ登つてその大根畑まで行きつくには半日かかるのださうだ。 帰りにはまた半日かゝる。ために此処の人たちは畑に小屋を作つて置き、一晩泊つて、漸く前後まる一日の為事をして帰つて来るのだといふ。栃本の何十軒かの家そのものすら既に断崖の中途に引つ懸つてゐる様な村であつた。


私も、雁坂トンネルができる前に、栃本には何度か行っています。雁坂嶺にも登ったことがあります。雁坂峠や十文字峠は、秩父と信州を結ぶ秩父往還の道にある峠で、昔の人たちはこの標高2千メートル近くある峠道を交易路として行き来していたのです。

同じ道を歩いた沢野氏は、次のように書いていました。

  牧水が歩いた十一月の初旬にあわせて十文字峠から栃本とちもとまで約十六キロ。軽いザックを背に歩いてみた。一里ごとに観音様があり、手を合わせてお賽銭さいせんを置く。視界がないうっそうとした原生林の中をひたひたと歩くとやがてバス停の二瀬ふたせに出る。そして秩父鉄道の三峰みつみね口に着く。
  牧水の文庫本をポケットから時折取り出し、大きく溜息ためいきを吐く。牧水は登山家よりはるかに足腰が強い。中途半端な気持ちで来たことを反省していたが、あらたな山旅を発見した。
(『人生のことはすべて山に学んだ』)


牧水は、生前、日本の至るところを旅しています。それも、多くは街道ではなく山道を歩く旅です。そして、旅の途上で多くの歌を詠んでいたのでした。

『木枯紀行』のなかで、私が好きな歌は次の二首です。

  木枯の過ぎぬるあとの湖をまひ渡る鳥は樫鳥かあはれ

  草は枯れ木に残る葉の影もなき冬野が原を行くは寂しも

牧水は、その2年前には上高地にも行っていました。上高地から飛騨高山に下っているのですが、その際、焼岳にも登っていました。

旅と歌は切っても切れない関係にあったのでしょう。昔の歌人はよく旅をしていたようです。それも今風に言えば、ロングトレイルと言うべき道を歩いています。

九州の久住(くじゅう)連山の麓にある私の田舎にも、与謝野鉄幹・晶子夫妻が訪れ、歌を詠んでいます。また、山頭火も放浪の旅の途中に立ち寄っていることが、『山頭火日記』に記されています。『山頭火日記』では、私の田舎について、子どもたちは身なりは貧しいが道で会うとちゃんと挨拶するので感心した、というようなことが書かれていました。

『木枯紀行』を読んで、私も、栃本集落から雁坂峠や十文字峠を越える道をもう一度歩いてみたいとあらためて思いました。ただ、何度も同じことを書きますが、そう思うと、どうしても今の膝のことが頭を掠め、暗い気持にならざるを得ないのでした。


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2021.04.18 Sun l 本・文芸 l top ▲
「内親王」の身位にある眞子さんの結婚が、まるで芸能人のスキャンダルのように、ここまで下世話な話になってしまったことに対して、この国の天皇主義者はどう考えているんだろうと思うことがあります。

小室圭さんが、いわゆる母親と元婚約者との間の金銭問題について、28ページに及ぶ文書を公表したことで、再びメディアの恰好の餌食になっています。また、文書を公表した4日後、代理人が小室さん側が400万円だかの「解決金」を元婚約者に渡す意向だと表明したところ、さらに火に油を注ぐ結果になり、もはやサンドバッグ状態になっています。もっとも、メディアは最初からバッシングありきなので、何をやっても何を言っても叩かれるのは目に見えているのです。

腹にいちもつのタレント弁護士が、法曹家の文章としては「ゼロ点だ」などと偉そうなコメントを発したかと思えば、ただ口が達者なだけのお笑い芸人やタレントたちが、文字通り風にそよぐ葦とばかりに、「違和感を覚える」「心がこもってない」などと低劣なバッシングの先導役を買って出ているのでした。

貰ったのか借りたのか以前に、たかが数百万円で済む話なのに、どうしてそれで解決しようとしないのか、大きな疑問がずっとありました。今回あきらかになったのは、どうやら眞子さんの側がお金で解決することを望まなかったみたいです。下々の人間には伺い知れない皇室の尊厳みたいなものが関係しているのかもしれません。そのため、小室さんは自縄自縛になった。そこを世故に長けた元婚約者やメディアに、いいように突かれたと言っていいでしょう。

元婚約者が今も住んでいるのかどうかわかりませんが、小室さん親子や元婚約者が住んでいたマンションは、私の住居と同じ駅にあり、一度だけSPをひきつれた小室圭さんが駅から出てきたのを見かけたことがあります。駅前にパトカーが停まって、警察官が舗道に立っていたのでなんだろうと思っていたら、小室さんが勤務先から帰って来るところだったのです。

同じ町に住む人間から見れば、小室さんだけでなく、元婚約者についても、その気さえあればいくらでも取材できたはずなのに、どうして取材しなかったのか、不思議でなりません。一連の報道のなかでは、もう一方の当事者である元婚約者がどんな人物なのか、肝心要なことがすっぽり抜け落ちているのでした。

最初は老後のお金を貸したので生活費にもこと欠いて困っていると言っていたのですが、その後はお金を返して貰おうとは思ってないと「発言」が変わっています。じゃあ、どうしたいのか? どうすればいいのか? 今ひとつわかりません。そもそも小室さんの婚約発表に合わせて、まるでタイミングをはかったかのように金銭問題をメディアにリークしたのは、ほかならぬ元婚約者なのです。だからと言って、金銭問題で訴訟を起こしているわけではありません。もう関わりたくないと言いながら、バッシングが激しくなると、「発言」というかたちでメディアに登場するのでした。

何度も言いますが、男と女の間には、第三者にはうかがい知れないデリケートな部分があるのは言うまでもないことです。別れたからお金を返せというのは、普通は「最低」と言われても仕方ないでしょう。でも、誰もそうは言わないのです。それどころか、”かわいそうな被害者”みたいな扱いになっているのです。もしかしたら、小室さん親子が身動きできないのをいいことに、嫌がらせをしているだけなのかもしれないのにです。愛が憎しみに変わるというのはよくある話ですが、況や老いらくの恋においてをやでしょう。

「発言」なるものも、その多くは代理人から伝えられるものです。いつもならあることないこと書き散らしてもおかしくないのに、何故かメディアに出て来るのは、フリーライターだとかいう代理人をとおした「発言」だけです。

立場が違うとは言え、あれだけ小室さん親子について微に入り細に渡って報道するのなら、元婚約者についても取材しなければあまりに公平さを欠くと言わざるを得ません。しかも、最初から小室さんの主張はウソで、元婚約者の主張がホントと決めつけられているのです。まるで小室さん親子が結婚詐欺師か美人局であるかのような言い方です。しかも、多くの国民はそんなメディアの報道を真に受けて、バッシングに同調しているのです。ネットには、小室さん親子の背後で闇の勢力が(日本の皇室を乗っ取るべく?)糸を引いているなどというQアノンばりの陰謀論まで登場する始末で、もはや集団ヒステリーの様相さえ呈しているのでした。

ただ、今回の文書について、宮内庁の西村長官が、「非常に丁寧に説明されている」、金銭問題の対応の経緯を「理解できた」、「静かにお見守りしていきたい」と感想を延べたことをみてもわかるとおり、文書の公表や「解決金」の支払い(元婚約者がごねてすぐに受け取らない可能性もありますが)が結婚に向けての地ならしであることは間違いないでしょう。なんだか世間の人間たちに比べると、「カゴの鳥」の監視役である宮内庁の元警察官僚の方がマトモに見えるくらいです。

それにしても、メディアに煽られたとは言え、皇族の自由な恋愛&結婚に対して、「オレたちの税金で」という上から目線と、一方で言いがかりとしか思えない非現実的な潔癖性を求める(芸能人の不倫に対するのと同じような)あまりに性悪で冷淡な反応を見るにつけ、私には、ゲスの国民たちが自分のことを棚に上げて、時代にそぐわなくなった天皇制をいいように弄んでいるようにしか思えないのです。要するに、「カゴの鳥」は「カゴの鳥」らしくしろ、「カゴの鳥」にはそれにふさわしい結婚があるだろうということでしょう。眞子さんだけでなく、佳子さんもそうですが、そんな時代にそぐわなくなった天皇制に縛られる若い皇族たちはホンマに!?気の毒だなと思えてなりません。


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2021.04.14 Wed l 社会・メディア l top ▲
ミャンマー国軍による市民への弾圧は、日に日にエスカレートする一方です。クーデターの犠牲者は10日までに700人を超えたと言われています。迫撃砲やロケット弾を使って市民を虐殺しているという話も伝わっており、もはや常軌を逸した虐殺行為と言っても過言ではないでしょう。

ビデオニュースドットコムにリモート出演したヤンゴンの反対派市民は、兵士たちは麻薬や酒を与えられて弾圧行為を強いられていると言っていました。また、兵士たちが命令に背かないように、家族が半ば人質のようになっているとも言っていました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1044回)
ミャンマー危機における日本の責任を考える

もともとミャンマーの国軍は、設立以来、常に国内の少数民族の武装組織やビルマ共産党の掃討作戦を続けており、国軍は国防より警察と一体化した治安組織としての性格の方が強いそうです。そのため、国民に銃を向けるのもそんなに抵抗はないと言われています。

狙撃兵が道端で遊ぶ子どもを狙って撃ったり、アトランダムに民家に銃弾を撃ち込んだり、あるいはいきなり民家を襲撃して片端から若者を連行するなどという行為も行われているようです。連行された若者は、日本円で3万円とか5万円を払うと釈放されるという話もあるのだとか。このように狂気と化した国軍や警察によって、暴虐の限りが尽くされているのです。

上智大学の根本敬教授は、番組のインタビューで、国軍の経済利権について、国防省兵站部国防調達局という国防省内の一部局が2つの持ち株会社を所有しており、その2つの持ち株会社の下に150以上の大手企業が連なり、国軍はそれらから株主配当金を吸い上げるシステムになっていると言っていました。しかも、その株主配当金は非課税の上非公開なので実態は闇の中だとか。一説には、ミャンマーの国防予算の2500億円を上回る金額が上納されているという話もあるそうです。もちろん、その一部は国軍の幹部たちのポケットマネーにもなっているのです。

しかし、ミャンマーに対して最大の援助国であり、しかも、国軍と太いパイプがある(密接な関係がある)日本政府は、欧米とは歩調を異にし依然として制裁には消極的です。日本が援助を凍結すると、ミャンマーに経済的な空白が生じ、その間隙を突いて中国が進出してくるという、ネトウヨでおなじみの「中国ファクター」がその理由です。そのため、G7に参加する主要先進国として、一応クーデターを非難する声明は出すものの、制裁などに踏み切るつもりはなく、かたちばかりの声明でことを済まそうとする姿勢が見えると根本教授も言っていました。

前の記事でも書きましたが、ミャンマーに進出している日系企業は2020年末の時点で、433社に上るそうです。そのなかには、丸紅や三菱商事、住友商事、イオン、KDDIなど、日本を代表する大手企業も入っており、それらの多くは、何らかのかたちで、国防調達局傘下の持ち株会社に連なる会社と合弁事業を行なっています。そうやって”狂気の軍隊”を経済的に支えているのです。

国軍がやっていることはどう見ても戦争犯罪としか言いようがありません。だとしたら、”援助”の名のもとに彼らを経済的に支える日本政府や日本企業も、「人道に対する罪」は免れないように思います。

かつての宗主国であり、そして現在、最大の援助国として経済的に密接な関係のある日本は、間違っても傍観者の立場などではあり得ないのです。

JIJI.COM
NGOがユニクロ告発 ウイグル強制労働めぐり―仏

昨日、「中国・新疆ウイグル自治区での人権問題をめぐり、ウイグル族を支援するフランスのNGOなどは(略)、少数民族の強制労働で恩恵を受けているとして、人道に対する罪の隠匿の疑いで『ユニクロ』の仏法人を含む衣料・靴大手4社をパリの裁判所に告発した」という記事(上記)がありましたが、市民を虐殺するミャンマー国軍を経済的に支える日本企業に対しても、もっときびしい目を向ける必要があるでしょう。


追記:
根本敬教授らが、ミャンマーの民衆を支援するクラウドファンディングを立ち上げています。主催者は、「たとえ少額でもミャンマー市民への力強い応援歌になる」と支援を呼びかけています。また、発起人の今村真央山形大教授は、「かつての弾圧時にはなかったネットを味方に付け、民主主義を求めるミャンマーの人々を支えたい」とプロジェクトの目的を述べていました(朝日新聞デジタルより)。

緊急支援:クーデター下のミャンマー市民へ医療・食料支援を。
https://readyfor.jp/projects/justmyanmar21
2021.04.12 Mon l 社会・メディア l top ▲
山に生きる人びと


膝の具合ですが、その後、3回水をぬいてその都度ヒアルロン酸を注入しています。しかし、いっこうに改善の兆候はありません。ドクターも「もう水はたまってないと思っていたんですがねえ」と首をひねっていました。こんな調子ではいつ山に行けるようになるのかわかりません。そう思うと暗い気持になります。

だからというわけではないですが、民俗学者の宮本常一の『山に生きる人びと』(河出文庫)と柳田国男の『山の人生』(角川ソフィア文庫)を買って、山に思いを馳せながら、再び読み返しています。いづれもまだ20代の頃、友人と二人で、テントを担いで二泊三日で熊本の五家荘を縦走した際に読んだことがあるのですが、細かい部分はもう完全に忘れています。『山の人生』はkindleにも入っていますが、やはり紙の本でないとなかなか読む気になれず、そのままにしていました。

今、『山に生きる人びと』を読み終えたばかりですが、同書の冒頭は、次のような文章ではじまっています。尚、同書の単行本が刊行されたのは1964年です。

  山中の道を歩いていて、いったいここを誰が通ったのであろうと思ってみることがある。地図にも出ていない道であるのだが、下草におおわれながらもかすかにそこを何人かの人が通りすぎたあとがのこされている。人の歩いた部分はややくぼんでいて、草も生えていないか、生えていても小さい。木も道の上の空間はそれほど枝をさしかわしていない。といって一日に何人ほどの人が通るのであろうか。そういう道を歩ていると草が茂り木が茂って、とだえてしまっていることも多い。それからさきは人も行かなかったのであろうか。それとも雑木や雑草がうずめつくして通ることすらできなくなってしまったのであろうか。
  こうした道はまたどうしてひらいたものであろうか。古い道のなかには獣の通ったあとを利用したものもすくなくなかったようである。
  山の奥のどんづまりの部落でそれからさらに山中にはいり、峠をこえて向う側へ出ようとする道をたどろうとするとき、「どこそこからウサギ道になるから気をつけて行け」などと教えてくれることがある。ウサギ道とかシシ道というのが山の中にはあったうようで、山の中を往来する獣はおのずから道を定めてそこを通った。
(略)
  古い時代には野獣の数はきわめて多かった。そしてそれらが山の中を往来することによっておのずから道はできたわけであろう。その道を人もまた利用したのである。


今、私たちが登山と称して歩いている道のなかには、そんな古の道もあるのかもしれません。しかし、そこにはロマンなどとは別に、山に生きる(生きざるを得ない)人々の並大抵ではないつらい生活の現実があったのです。

著者の宮本常一が、戦前(昭和16年12月)、愛媛県小松から高知県寺川に行く山中で、ひとりの「レプラ患者」(註:ハンセン病のこと)の老婆に会ったという話には身につまされるものがありました。「ぼろぼろの着物を着、肩から腋に風呂敷包をかけていた。杖をついていたが手に指らしきものはなかった」老婆は、阿波(徳島県)から来て、伊予(愛媛県)の知り合いのところに行くのだと言う。どうやって来たのか訊くと、「四国には自分のような業病の者が多く、そういう者のみが通る道があって、それを通ってきた」と言っていたそうです。著者は、「阿波から石鎚山の東まで山道をよぼよぼ歩いて、五日や六日の日はかかったであろう。どこで泊って何を食べてきたのであろうか」と書いていました。

あとで泊めてもらった農家の人にその話をしたら、山中には「カッタイ道」というのがあって、「カッタイ病の者はそういう道を歩いて行き来している」と言われたそうです。

本書は、そういった山間に行き交う人知れぬ道とともに、長年のフィールドワークの賜物である、「狩人」「杣(そま)」「木挽」「木地屋」「鉄山師」「炭焼き」などの一所不在の人生を生きる人々の山の暮らしの様子が、エッセイ風に綴られていました。

私は山国育ちなので、私の原風景は山です。子どもの頃、見晴らしのいい峠に立って、彼方に見える尾根の先に思いを馳せ、いつかあの尾根を越えて行ってみたいと思っていました。

『山に生きる人びと』によれば、山奥で木地や杣(木こり)や狩猟のような山仕事と焼畑農業で生計を立てていた人々の多くは、里から山奥に入ったのではなく、多くは山を越えてやって来たのだそうです。だから、麓で稲作農業をしている里人たちとは没交渉だった場合が多いのだそうです。オーバーな言い方をすれば、別世界の人々だったのです。

たとえば、長野県下伊那郡上村下栗のごときもその一つである。この部落は遠山川の作った峡谷の上の緩傾斜にあるが、下の谷から上って村をひらいたものではなく、東の赤石山脈の茶臼岳をこえて、大井川の方からやって来たものであるという。


ちなみに、赤石山脈とは今で言う南アルプスのことです。茶臼岳はそのなかにある標高2,604mの山です。

(略)山中の村で奥から川や箸や椀が流れて来たのでいって見るとそこに村があったという話は八岐大蛇伝説のほかに広島、島根県境の村や、滋賀県山中できいたことがあるが、これらも山の奥は谷口の方からではなく、山の彼方から来て開いたもののあったことを物語る例であろう。このように山中には水田耕作をおこなわず、定畑や焼畑耕作によって食料を得ていた集落が、私たちの想像をこえたほど多かったのではなかろうか。


そういった一所不在の漂泊の民が通る道が、街道のような表の道とは別に山のなかに存在していたのです。

余談ですが、子どもの頃、父親と久住(九重ではありません!)の山に登ったとき、頂上から「あれが法華院だ」と言って父親が指差した先に、豆粒ほどの小さな建物がありました。法華院温泉の住所は、登山口と同じ久住町有氏(現竹田市久住町有氏)でしたので、父親の知り合いもいたみたいです。

今は、九重町(ここのえまち)の長者原まで車で行って、モンベルもあるような観光地化された長者原から徒歩で行くのが当たり前みたいになっていますが、同じ郡内からは、法華院温泉は山を越えて行くところだったのです。事実、江戸時代までは、法華院は竹田の岡藩の国境警備を兼ねた祈願所でもあったそうです。国境は山を越えた先にあったのです。山を越えるというのは、昔は当たり前のことだったのです。

そう言えば、前も書きましたが、秩父困民党の落合寅市は、明治政府からの弾圧を逃れるために、いったん高知県に逃亡した後、雁坂峠を越えて再び秩父に戻っていますが、おそらく官憲が把握し得ない山道を利用していたのでしょう。落合寅市だけでなく、幹部たちも信州や甲州や東京に潜伏しているところを捕えられています(なかには北海道まで逃走した幹部もいました)。官憲の目が光る街道ではなく、山の人間しか知り得ない逃走ルートが存在したのは間違いないでしょう。

秋田県檜木内(旧秋田県仙北郡檜木内村)にいた山伏は、「生涯に二度ほど熊野へまいったそうで」、その際「山から山へわたり歩いて熊野へ行った」のだとか。「羽黒に属している山伏は羽黒へ、熊野に属している山伏は熊野へ、一生のうち何回かは往復し、また高い山々の峰駆けもしている」のだそうです。

吉野(吉野山・大峰山)というのは、今の奈良県です。羽黒(羽黒山)は山形県の鶴岡市にある山です。今風に言えば、秋田から奈良まで山から山を伝ってトレランで往復したのです。

『山に生きる人びと』には、文政期(1800年代)、若い頃に東北への旅に出て、以後76歳で羽後(現秋田県)で客死するまで、郷里の三河(現愛知県)に戻ることのなかった菅江真澄という人が、旅の途中に郷里の知人に送った手紙が1年後返信されて戻ってきた話が出ていましたが、その「通信伝達の役目をはたした」のも山伏だったそうです。

ちなみに、山伏のなかには、麓の里から山麓の村まで物資を運ぶ「荷物持ち」(歩荷)のアルバイトをしていた者もいたそうで、「一人で二三~四貫の荷を背負った」ケースもあったと書いていました。1貫は3.75kgですので、86kg以上になります。前に甲武信ヶ岳から国師ヶ岳を縦走して大弛峠に下りて来たハイカーが背負っていたザックが20kgあるとかで、それを試しに背負わせて貰ったことがありました。よくこんな重いものを背負って山を越えて来たもんだなと感心しましたが、昔の山伏はその4倍以上の荷物を背負って山を登っていたのです。それにつけても、いくら乱暴に歩いたとは言え、たかだか6kgあまりのザックを背負い10キロちょっとの山道を歩いただけで、膝に水がたまって歩くのもままならなくなっている私は、なんと軟弱なんだとあらためて思わざるを得ません。

でも、「山に生きる」ということは、きびしい条件下における艱難辛苦に満ちた生涯であったことは想像に難くありません。落人伝説で語られる山の生活にしても、「世間の目をのがれて、きわめてひっそりと生きて来た」ようなイメージがありますが、実際は「決して安穏なものではなく、むしろそこにはたえず闘争がくりかされていた」そうです。平野部の「政治闘争」(領土争い)に果敢に参加した資料も残されているのだとか。「平野に住む農民たちよりはるかに荒々しい血をもっていたのではないかと思われる」と書いていました。

  元来稲作農民は平和を愛し温和である。日本文化を考えていくとき、平和を守るためにあらゆる努力をつづけ工夫したあとが見られる。にもかかわらず、一方には武士の社会が存在し、武が尊ばれている。しかもその武の中には切腹や首斬りの習俗が含まれている。それは周囲民族の中の高地民の持つ習俗に通ずるものである。それで武士発生の基盤になったものは狩猟焼畑社会ではなかったであろうかと考えるようになって来た。九州の隼人も山地の緩傾斜面で狩猟や焼畑によって生計をたて、関東武士も畑作(古くは焼畑が多かったと見られる)のおこなわれた山麓、台地を基盤にして発生しているのである。


著者は、「試論の域を出ない」と断った上で、このように書いていました。もとより、条件のきびしい山奥で生活するには、「荒々しい血」をもっていなくてはとても生き延びて行けないでしょう。

『山に生きる人びと』を読み返すにつけ、そんな古の人々に思いを馳せ、もう一度山道を歩いてみたい、特に子どもの頃の思い出のある故郷の山をもう一度歩いてみたいという思いを強く持ちました。ただ、一方で、今の膝の状態を考えると、よけい暗い気持にならざるを得ないのでした。
2021.04.08 Thu l 本・文芸 l top ▲