オリンピック反対派により「奇跡の復活劇で人々を感動させたばかりの池江選手に厳しい言葉が浴びせられている」(東洋経済オンライン)として、メディアで批判の大合唱になっています。池江璃花子自身のツイートで明らかになったのですが、メディアはそれを「おぞましい匿名の圧力」と言い、なかには「サイバーテロ」だと指弾するメディアもあります。

しかし、ツイッターのハッシュタグは「#池江璃花子選手は立派だが五輪開催は断固反対」という穏やかなものです。「おぞましい匿名の圧力」「サイバーテロ」というのはいささかオーバーな気がします。むしろ、池江璃花子にからんだオリンピック反対の声を「おぞましい匿名の圧力」「サイバーテロ」にしたいがために、ことさら騒ぎ立てているフシさえあるのです。

とは言え、池江璃花子に限らずオリンピックありきのアスリートが「自分のことしか考えていない」と言うのは、そのとおりでしょう。「あんたがどんな記録を出そうが、私たちには全く関係ない」という書き込みについても、ことばがやや乱暴だとは思ったものの、特に私は違和感を覚えませんでした。

もっとも、池江選手に「オリンピックを辞退してほしい」と言うこと自体、お門違いだと言わざるを得ません。しかし、それは風にそよぐ葦にすぎない、ワイドショーのコメンテーターと同じ意味で言っているのではありません。辞退する気がない人間にそんなことを言っても無駄だと言いたいだけです。

大学や高校の運動部でよくクラスターが発生していますが、スポーツ選手が感染防止について、どこまで正しい認識をもっているのか、はなはだ疑問です。もちろん、オリンピック代表という立場上、自分の感染には神経を使っているでしょうが、では、コロナ禍でのオリンピックのあり方やアスリートとしての自分とコロナ禍の社会との関係について、一度だって真面目に真剣に考えたことがあるのでしょうか。すべて所属するクラブや競技団体にお任せのようにしか見えないのです。

病魔と戦いながら、オリンピックという夢に向かって努力をしてきた池江選手に辞退しろなんて言うのは酷だ、鬼畜だ、みたいな批判もありますが、何度も言いますが、努力をしているのは池江選手だけではないのです。みんな努力しているのです。それぞれ夢に向かって努力してきたのです。それが、コロナで職を失ったり、事業が立ち行かなくなったりして、夢破れ、路頭に迷い、なかには死をも覚悟している人だっているのです。

まして、下記のニュースにあるように大阪や神戸では既に医療崩壊がはじまっており、実質的なトリアージ(命の選別)が行われ、高齢者がその対象になっているのです。命が見捨てられているのです。

朝日新聞デジタル
関西の高齢者2施設で計38人死亡 大半が入院できず

 神戸市と大阪府門真市の高齢者施設で新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生し、二つの施設で計38人の入所者が亡くなっていた。大阪府と兵庫県では病床逼迫(ひっぱく)が深刻化しており、両施設では、多くの入所者が入院先が決まらないまま療養を続けていたという。


そういった現状を前にしても、池江璃花子は特別なのか、アスリートは夢に向かって努力して来たので特別なのか、と問いたいです。「生命いのちだけは平等だ」というのは、徳洲会の徳田虎雄が掲げた理念ですが、私はアスリートは特別だみたいに言う人たちにそのことばを突き付けたい気持があります。

別にみながみな池江璃花子の”感動物語”に涙を流しているわけではないのです。オリンピック開催のシンボルに祭り上がられたことで、その”感動物語”に胡散臭さを感じる人が出て来るのは、むしろ当然でしょう。

池江璃花子のような”感動物語”は、戦争中もメディアによっていくらでもねつ造されてきました。そうやって戦場に赴く若者が美化されたのです。一度走りはじめたら停まることができない日本という国家のメカニズムは、戦争もオリンピックも同じなのです。そして、そこには必ずメディアを使ったプロパガンダが存在します。

私は、池江選手に対する”同情論”に、逆にオリンピック開催反対の世論の”危うさ”を見たような気がしました。それは、いつでもオリンピックの「勇気」や「元気」や「感動」に転化されるものでしょう。池江選手にきついことばを送るのは、そのカラクリを見抜いているからではないでしょうか。

じゃあ、池江璃花子の夢の対象であるオリンピックはどんなものなのか。今週のビデオニュースドットコムがその実態を取り上げていました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1048回)
誰がそうまでしてオリンピックをやりたがっているのか

私はゲストの後藤逸郎氏の著書の『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』(文春新書)をまだ読んでなかったので、番組を観たあと早速、痛い足を引き摺って近所の本屋に行きました。しかし、既に売切れていました。しかも、アマゾンや楽天や紀伊国屋などネットショップもどこも売切れで、電子書籍しか販売されていませんでした。

アメリカのワシントン・ポスト紙は、IOCのバッハ会長のことを「ぼったくり男爵」と書いていたそうですが、言い得て妙だなと思いました。

番組で、IOCにとっては、無観客でも何でもよくて、とにかくテレビ中継さえあればいいような仕組みになっていると言っていましたが、スイスのNPO(民間団体)にすぎないIOCは、別に財団をいくつか持っており、さらにそれに連なるメディア関連の「オリンピック・チャンネルサービス」と「ブロードキャスティングサービス」という二つの会社が、それぞれスイス(株式会社)とスペイン(有限会社)にあるそうです。実務はスペインの有限会社が担っており、そこには日本のメディアからも社員が派遣されているのだとか。「ブロードキャスティングサービス」の2016年12月末の資料では(それ以後は公表されていない?)、日本円で400億円近くの売上げがあり、約60億円の利益を得ているそうです。

言うなれば、IOCは、オリンピックというイベントを企画して、それを各国に売り込み、さらにイベントのコンテンツを管理するスポーツビジネスの会社になっているのです。「オリンピック憲章」はとっくに有名不実化しているのです。そもそもオリンピック自体が、キャッチアップを果たした旧発展途上国の国威発揚のイベントになっているというのは、そのとおりでしょう。オリンピック招致という発想そのものがアナクロなのです。

招致の際、コンパクトなオリンピックにするという触れ込みで7340億円で済むように言っていたにもかかわらず、2019年12月の会計検査院の報告によれば、招致から6年間で既に1兆600億円の関連経費が支出されていることがあきらかになっています。また、それ以外に大会組織委員会や東京都、国の別枠の予備費を合わせると既に総額が3兆4000億円にまで膨らんでいるそうです。

しかも、無観客になれば900億円の入場料収入もなくなり、開催都市の東京は1兆円の赤字を負担しなければならなくなるのだとか(そして、最後は国が税金で処理することになるそうです)。

選手と関係者の入国に伴う検査と健康管理にも、大きな懸念があります。観客を除いても、選手1万5千人に関係者を含めると5~7万人が入国することになるのですが、そういった海外からの入国者に対しても、PCR検査より精度が落ちる唾液による抗原検査をするだけで、しかも、選手の健康管理はアプリによる自己申告が主だそうです。

緊急事態宣言では人流を抑制しなければならないと盛んに言われていますが、オリンピック期間中は晴海のオリンピック村に選手1万5千人を閉じ込めることになるのです。食堂だけでも一度に数千人が食事できる規模だそうで、これ以上の”密”はないでしょう。しかも、いくら閉じ込めると言っても、無断で外出して飲みに行く選手が出て来ないとも限りません。強制収容所ではないのですから、電流を通した金網を張ったり、脱走した人間を銃殺するわけにはいかないのです。

IOCが作った大会関係者向けの「プレイブック」には、「選手同士の交流や握手、ハグは禁止」と書いているそうですが、しかし、禅道場ではないのですから、狭い空間のなかに1万数千人の若い男女が閉じ込められると、性的な欲望が充満するのは避けられないでしょう。そのために、表に出ていませんが、16万個のコンドームを配るという話もあるそうです。ハグどころか、合体が前提なのですからもはや笑い話みたいな話です。因みに、夜毎大量のコンドームが使われる選手村は、オリンピックが終われば高級マンションに化けるのです。

ワイドショーなどで、いかがわしいコメンテーターが、日本政府がキャンセルすると違約金が発生するので日本政府からやめると言うことができないと言っていましたが、後藤氏はあり得ないデタラメだと言っていました。そんなことは開催都市契約のどこにも書いてないそうです。

ただ、開催がキャンセルになった場合、スポンサー企業などから開催都市やIOCに対して損害賠償の訴訟を起こされることはあるかもしれないと言っていました。もっとも、そういった訴訟は損害賠償でなくても当然あり得ることで、後藤氏も言うように、仮に訴訟を起こされたら粛々と対応すればいいだけでしょう。

最終的には40万人必要とか言われているボランティアについても(無観客になればそんなにいらないでしょう)、そのボランティアを手配し派遣する仕事はパソナが一括して請け負っているそうです。当然ながらパソナは、その費用をもらっているのです。しかし、ボランティアの人たちは無償です。これでは、JOCではなくパソナに対してボランティアをしているようなものじゃないかと言っていましたが、たしかにこれほどおいしい商売はないでしょう。濡れ手に粟とはこのことでしょう。

でも、こういった話はメディアにいっさい出てきません。どうしてかと言えば、朝日・日経・読売・毎日は、オフィシャルスポンサーに名を連ねており、東京オリンピックに関しては利害当事者になっているからです。だから、自分たちにとって都合の悪いことは口を噤んでいるのです。

開催が厳しいという話も、どこの新聞も欧米のメディアの報道を引用するばかりで、自分の口で言おうとしません。宮台真司も、「自分とこの社論はどうなっているんだ」「自分の口でものを言えよ」と憤っていましたが、コロナ禍のオリンピック開催についてはメディアも同罪なのです。

繰り返しますが、サマランチ時代にオリンピックが商業主義に大きく舵を切り(だから、IOCの関連会社がサマランチの出身国のスペインに置かれているという指摘があります)、「オリンピック憲章」も有名無実化して絵に描いた餅になったのですが、しかし、こと代表選手に関しては、未だに「スポーツの力」とか「感動をありがとう」とか「夢をもらう」などと、永井荷風が言う「駄句駄字」の空疎なことばが飛び交っているのでした。まるでそこだけありもしない「オリンピック憲章」が生きているかのようです。一方で、メディアは、オリンピックありきのアスリートへの批判を「差別」だと言い立てていますが、私は「差別」ということばの使い方がわかってないのではないかと思いました。

アスリートにとってオリンピックが「夢」だという話にしても、番組でも言っていたように、サッカーや野球やバスケットやテニスやゴルフなど経済的(興行的?)に自立している人気スポーツは、オリンピックに対する幻想がほとんどありません。仮にオリンピックの種目に入っていても、オリンピックはワールドカップや世界大会よりカテゴリーが下です。だから、選手たちもオリンピックに出ることにそんなにこだわっていません。むしろ怪我すると損だみたいな理由で辞退する選手も多く、オリンピックに出ることが「夢」だなんて、ゆめゆめ思ってないのです(おやじギャク)。

今やオリンピックはマイナースポーツの祭典になっているという指摘も、あながち的外れではないように思います。要するに、自立できないマイナースポーツであるがゆえに、競技団体も選手もオリンピックにぶら下がらざるを得ないし、出るか出ないかでは天と地の差があると言うのはそのとおりでしょう。そんな彼らにとって、オリンピック中止なんてあり得ないし、まして辞退するなんて逆立ちしてもあり得ない話なのです。

ともあれ、オリンピック開催の問題がグチャグチャになっているのは誰の目にも明らかで、どう見ても準備が順調に進んでいるようには思えません。強気な姿勢の裏で、菅政権がかなり追い詰められているのは事実でしょう。番組のなかでは、小池都知事が時期を見て開催反対を言い出すんじゃないか、そして、国民の喝采を浴び、それを国政への復帰のステップにするんじゃないかと言っていましたが、私もそれは充分あり得ると思いました。最後は、小池都知事お得意のパフォーマンスで終わるのかと思うと、やれやれという気持になりますが、これでは行くも地獄戻るも地獄ならぬやるも茶番やめるも茶番と言うべきかも知れません。
2021.05.09 Sun l 社会・メディア l top ▲
ビデオニュースドットコムを観ていたら、ゲストに出ていた斎藤幸平氏の次のようなことばが耳に残りました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1047回)
コロナでいよいよ露わになったコモンを破壊する資本主義の正体

「多くの人たちが立ち上がらない限り、この問題(引用者註:気候変動の問題)は解決しない。しかし、一方で分断が生じていて、お前は恵まれているからこういうことを考えられるんだっていうのは、環境問題でいつも言われることなんですよ。お前、恵まれているからベジタリアンの食事も食べられるし、オーガニックの服も買えるけど、俺ら金もないし忙しいから牛丼とラーメン食って、ユニクロの服着なきゃいけないんだ、みたいな話になるわけですよね。それは本当に不毛の対立で分断なわけですよ。僕は別にお金がなくてユニクロを買ってる人、牛丼を食べてる人だって、むしろ、積極的に声を上げてほしい。なんでオーガニックコットンのシャツを買えるくらいの給料をくれないんだよ。なんで300円400円で食えるものが、身体に悪い牛丼みたいなジャンクフードしかないのかということを怒ってもいい」

「(余裕があることに)全然罪悪感を感じる必要もないし、一方で余裕がある人も買って満足するというのは、まさにアヘンですよね。(しかし)社会全体を変えていくためには単に自分が良いものをちょっと買うだけではなくて、社会の構造とか格差そのものも変えていかなければ意味がないわけで、みんなが声を上げていいんだっていう風になれば、僕はその瞬間に変わっていくと思うし、逆に、みんなで声をあげてこのシステムそのものを変えていこうという風にしていかないと最終的には問題も解決しない」

斎藤幸平氏はまた、「3.5%」の人が立ち上がれば世の中は変わるとも言っていました。「3.5%」というのは、ハーバード大学の政治学者エリカ・チェノウェス教授が主張する数字です。エリカ・チェノウェス教授によれば、フィリピンのマルコスの独裁体制を倒した「ピープルパワー革命」やグルジアの「バラ革命」など、過去の社会変革のきっかけになった運動を調べると、「3.5%」の”法則”が当てはまるのだそうです。今のミャンマーの国軍に対する不服従の運動も、例外ではないように思います。

悪しき大衆主義と前衛主義の対立は左派の永遠のテーマですが、「3.5%」というのは腑に落ちる数字なのでした。宮台真司は、社会の圧倒的多数の人たちは何も考えずにただ漫然と大勢に流されて生きているだけという現実を考えれば、「3.5%」の数字はリアルティがあると言っていました。つまり、はっきり言えば、大衆というのは金魚の糞みたいな存在だということです。私が大衆主義に「悪しき」という連体詞を付けたくなるのも、それゆえです。

安倍元総理や菅総理らは、「有権者は時間が経てば忘れる」という大衆観を持っており、それがモリカケの対応や一連の反動的な法改正などの強権的な姿勢につながっていると言われていますが、彼らは如何にも保守政治家らしく大衆の本質を熟知しているとも言えるのです。オリンピック開催も同じでしょう。オリンピックが開催され、メディアがオリンピック一色に彩られ、「勇気」や「感動」などというおなじみのワードが飛び交うようになれば、8割反対もどこ吹く風、態度を一変してオリンピックに熱狂するに違いないのです。政権与党の政治家たちもそうタカをくくっているのだと思います。

誤解を怖れずに言えば、世論調査であれ、政党支持率であれ、そんなものはほとんど意味がないのではないか、ホントは取るに足りないものではないのか。そんな大胆な考えがあってもいいように思います。

前にも書いたとおり、ミレニアル世代あるいはその下のZ世代と呼ばれる若者たちの間では、ジェレミー・コービンやバーニー・サンダースのカリスマ的人気に象徴されるように、”左派的なもの”に対するシンパシーが世界的に広がっているのですが、しかし、残念ながら日本では、”左派的なもの”は嘲笑と不信の対象でしかありません。

番組でも言っていましたが、”左派的なもの”に対する関心は、今の社会のシステムを根本から変えなければもうどうにもならないことを若い世代が気付きはじめたということでもあるのです。地球温暖化や格差拡大や財政破綻の問題は、若い世代にとっては自分たちの人生に直接関わる切実な問題で、否応なくそれと正面から向き合わなければならないのです。彼らは、そこに「資本主義の限界」を見ているのです。鷲田小彌太氏のことばを借りれば、「臨界点」を見ているのです。たとえば、余暇としての趣味ではなく、趣味のために働くという先行世代から眉をしかめられるような考え方も、今の社会に対するラジカルな批評になっているのです。斎藤幸平氏は、『人新世の「資本論」』のなかで、それを「ラジカルな潤沢さ」と呼んでいました。

文字通り喉元すぎて熱さを忘れた反原発運動の”愚”をくり返さないためにも、(前も書きましたが)地べたの生活の現実に依拠し、まっとうな生き方をしたいと思っている「3.5%」の人々の琴線に触れるような、真に革命的な急進左派の運動が今の日本に求められているのです。それは、「アウシュビッツ行きの最終列車に乗る」とヤユされるような、選挙対策の”野党連合”(立憲民主党への合流)などとはまったく別の話です。

社会のシステムを変えると言うと、政治のことばを大上段に振りかざしたものを想像しがちですが、一方で、それは、自分の人生や生き方にも関わるきわめて身近なもの(こと)でもあるのです。人生を少しでも豊かで充実したものにするためには、趣味でもボランティアでも家族サービスでもなんでもいいから、生活のなかに仕事だけでない別の時間を持つことが大事でしょう。そして、それが仕事と同じかあるいはそれ以上のウエイトを占めるようになれば、労働時間の短縮や最低賃金の引き上げや有給休暇の拡大などが身近な問題として考えられるようになってくるでしょう。そうやって”左派的なもの”との接点が生まれ、それが世界に目をひらく端緒になるのです。

山を登る趣味を考えても、山に登ることがきっかけで、自然の大切さや身体しんたい(=身体的であること)の重要性と出会い、環境にやさしい素材を使った服を買ったり、安全で身体からだにいいものを食べたりするようになれば、自分の人生に対する考え方も変わるだろうし、世の中に対する見方も変わっていくでしょう。

もちろん、「SDGsは大衆のアヘンである」と斎藤幸平氏が言うように、SDGsが貪欲な資本のあらたな市場になっているのも事実です。リモートによる地方移住も含めて、地方の山がソーラーパネルで埋め尽くされたのと同じように、「田舎」がエコな経済の収奪の対象として「外部化」されているのは否定できないでしょう。エコバッグで買い物に行ったり、有機野菜で料理をしたりするのは、あの「お花畑」の元総理夫人だってやっているのです。ありきたりな言い方ですが、ホンモノとニセモノが混在しているのはたしかです。しかし、それを百も承知で言えば、個的なレベルにおける”革命”というのは、そういう身近な生活スタイルを変えることからはじまるわけで、そこから世界に向けた回路がひらかれているのもまた、たしかなのです。


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日本で待ち望まれる急進左派の運動
2021.05.03 Mon l 社会・メディア l top ▲
ゴールデンウィークで連休が続くので、今日、手持ちがなくなった薬を処方してもらうべくあわててかかりつけの病院に行きました。土曜日で午前中しか診察をやってないため、朝8時すぎの電車に乗り、東横線、そして市営地下鉄のグリーンラインとブルーラインをそれぞれ乗り継いで行きました。普段はタクシーで行くことも多いのに、何故か今日はケチって電車で行くことにしたのでした。

電車の場合、当然ながら駅まで歩いて行かなければならないし、途中、二度の乗り換えもあるので、距離的にも遠回りになり、タクシーだと15分くらいで行くところが電車だと1時間近くかかります。そのため、帰って来たら、痛めている右膝が曲げるのも困難なくらいパンパンに腫れていました。

前日は、整形外科の病院で、膝にたまった”水”をぬきヒアルロン酸を注入しました。通常、ヒアルロン酸は5週注入するケースが多いみたいですが、いっこうに改善しないのでもう少し続けた方がいいでしょうと言われたのです。しかし、自宅に帰った頃には、再び”水”がたまっているのが自分でもわかりました。

痛みそのものは、最初の頃に比べれば半分くらいに和らいでいます。と言っても、それは痛みのランクが半分くらいに下がったにすぎず、歩けないほどの痛みからなんとか歩けるほどの痛みに変わった程度です。

ヒアルロン酸を注入されているからなのか、心なしか膝のお皿のあたりがツルツルになった感じがします。これだったら膝より顔に注入してもらった方がよほど効果があるような気がしないでもありません。

また、膝に力を入れて(膝をロックして)足を15センチから20センチ持ち上げて5秒から10秒維持し、それを10回くり返すストレッチを毎日3~5セット行って下さいと言われました(ほかにタオルを丸めたものを膝の下に置いてそれを上から潰すストレットも)。

私は、「はい、わかりました」と聞いたふりをしましたが、それはもうとっくに自分でやっていました。また、今日もかかりつけ医に膝を痛めたという話をしたら、やはり同じストレッチを推奨されました。

私の場合、前も書きましたが、変形性膝関節症ではなくただのオーバーユースだと言われたのですが、ネットで見ると、オーバーユースで変形性膝関節症を発症すると書いているサイトもあります。でも、私が行っている整形外科のドクターは(認定スポーツ医でもある)、レントゲンでは膝は非常にきれいで問題はないし、しかも、膝を使わないときに痛みがないということを考えれば、変形性膝関節症ではなくただの使いすぎだろうと言うのです。

山に登り始めの頃も、(主に反対側の膝でしたが)膝痛に悩ませられたことがありました。そのときも、膝が腫れた感じがして屈伸するのに違和感がありましたので、おそらく膝に”水”がたまっていたのでしょう。でも、数日もすると痛みも取れて元に戻っていました。同じオーバーユースでも、今回はあまりにレベルが違いすぎるのです。患者というのは不思議なもので、明確な病名を付けられないと逆に不安を覚えるのでした。

ヒアルロン酸の効果や深夜の通販番組ではおなじみの軟骨がすり減ることによる膝の痛みについて、京都のドクターがブログで次のように書いていたのが目に止まりました。

石田内科リウマチ科クリニック
クリニックBLOG
膝関節へのヒアルロン酸注射の有効性

米国整形外科学会(AAOS)は6月4日、変形性膝関節症(OA)治療に関する臨床診療ガイドライン(CPG)改訂版を発表した。ヒアルロン酸関節内注射治療を推奨しないと明記した。(略)ヒアルロン酸の関節内注射は、14件の試験のメタ解析において臨床的に重要な改善を意味する最小閾値に達しておらず、症候性の変形性膝関節症(OA)治療法としてもはや推奨されないものとしている。日本では、症候性OAについては、ヒアルロン酸関節内注射が頻繁になされている。ロコモティブシンドロームの代表格であるOAについて、このような見解が示されたのは、大きな衝撃であろう。「OAの症状のみで、関節内遊離体や半月板損傷など他の問題が見られない者には、関節鏡下洗浄治療は行わない」「BMI25超の肥満者は最低5%減量する」「低負担の有酸素運動を積極的に取り入れる」などが盛り込まれている。患者が主体的に治療に取り組むことが、痛みを軽減し、良好な健康状態を実感するに最適な方法の一つである。太り気味であれば、減量が進行を遅らせるためにできる最善策でもある。


そして、最後に「これまでOAは軟骨の変性摩耗と叫び続けてきた方々のコメントを待ちたい」と書いていました。

やっぱり、ヒアルロン酸は皺取りの方が効果があるのかもと思ってしまいました。「軟骨の変性摩耗」もおなじみのフレーズですが、たしかに深夜の通販番組を見ると、医学的な一見解にすぎないものが、商業的な目的のために拡大解釈され独り歩きしているような気がしないでもありません。

膝痛を経験した多くの人たちが口にする、病院に行っても湿布薬と”水”抜きとヒアルロン酸で「お茶を濁されるだけ」というのもわからないでもないのです。そのために、ストレッチに望みを託して整骨院に駆け込み、回数券や「部位回し」で散財することになるのでしょう。

筋力が落ちたり、筋肉が固くなったりするのを防ぐという意味では、ストレッチは有効かもしれません。ただ、痛みが改善するのは、あくまで自然治癒にすぎないのでないか。保存療法というのは、結局、そういうことでしょう。だったら、「自然に治るまで待つしかありませんよ」と言ってくれればいいのにと思います。ヒアルロン酸や”水”抜きに過大な期待を抱く分落胆する気持も大きいのです。

同じように膝痛を抱える知人は、膝痛は命には関係ないので治療の研究が進んでないんじゃないかなと言っていましたが、膝痛の当事者として、そう思いたくなる気持もわからないでもありません。そして、そういったなかなか痛みが取れない”もどかしさ”が、通販番組の主役を務めるくらいに膝痛の市場を虚業化し大きくしたと言えなくもないでしょう。

余談ですが、膝に”水”がたまると膝がいびつな形に変形するのですが、それを見るといっそう気が滅入ってきます。そのため、女子高生の素足のミニスカートから覗いた、左右きれいに揃った膝が羨ましくてならず、やたら女子高生の膝が気になるようになりました。道を歩いていても、電車のなかでも、ついつい女子高生の膝に見入ってしまうことがあり、近くにいた女性から怪訝の目で見られたこともありました。このように膝痛によって、”膝フェチ”という副産物までもたらされたのでした。

閑話休題あだしごとはさておき、今朝の東横線も、通勤客やレジャーに出かける乗客で、普段の週末とほとんど変わらないくらい混んでいました。また、新横浜駅方面に向かう市営地下鉄の車内では、通勤客に混ざって大きなキャリーケースを横に置いた乗客も目につきました。

どうしてこのタイミングなんだ?と思いますが、横浜の桜木町駅から汽車道の上を通るロープウェイが開通したので、それを目当ての家族連れも多く押しかけているようです。「人の流れを抑制しなければならない」「ゴールデンウィーク期間中はステイホームで」とか言いながら、その一方で、テレビはロープウェイ開通をトピックスとしてとりあげ宣伝しているのです。それでは行くなと言う方が無理でしょう。

しかも、今月の15・16日には、山下公園で「世界トライアスロン」の横浜大会が開催されます。国内外の招待選手に優待・一般参加の選手を含めて2000名の参加者でレースが行われるそうです。無観客の大会になったので、林文子横浜市長は「観戦に来ないで」と呼びかけていますが、これほどバカげた話はないでしょう。無観客とは言え、どうしてこの時期に開催しなければならないのか。私は、横浜市民として、林市長の神経さえ疑いました(もっとも、緊急事態宣言が延長されて中止になる可能性の方が高いですが)。

埼玉から都内に通勤している友人も、今朝の電車はいつもと変わらなかった、普段の土曜日よりむしろ多いくらいだったと言っていました。また、池袋駅では山登りの恰好をした登山客やハイキングに向かうとおぼしきリュックを背負った家族連れも目についたと言っていました。

三度目の緊急事態宣言は、政府の目論みとは逆に外出自粛にはほど遠い現実しかないのです。私は、これでは「オリンピックなんてできるわけがない」とあらためて確信しました。もしかしたら、国民はわざと外出し感染を拡大させることで(そうやってみずから身を挺して)、オリンピック開催を阻止しようとしているんじゃないか。そんな皮肉な見方さえしたくなりました。

おそらく、二週間後はとんでもない新規感染者数を見ることになるでしょう。もし、そうではなく、予想に反して新規感染者数が減少していたら、それはオリンピック開催のためになんらかの”操作”が行なわれたと見て間違いないでしょう。

今日のテレビのニュースでは、緊急事態宣言で軒並み人出が減っていることを強調していましたが、どこが?と思いました。東京駅の新幹線のホームも「閑散としている」と伝えていましたが、JRによれば新幹線の乗車率は50%〜70%で、過去2回の緊急事態宣言のときより大幅に増えているのです。乗車率50%〜70%は、普通に考えても「閑散」とは言わないでしょう。オリンピックのスポンサー企業に名を連ねる大手の新聞社やテレビ局は、言うまでもなく”開催ありき”です。開催して貰わなければ困るというのが本音です。そんなオリンピック開催で政府と一体化したメディアが、あたかも緊急事態宣言に効果が出ているかのように恣意的な報道を行っていることも気になりました。
2021.05.01 Sat l 社会・メディア l top ▲