過日(7/9)アップした「横浜市長選の魑魅魍魎」に下記のような追記を書きました。尚、読みやすいように、行をあけて転載しています。

横浜市長選の魑魅魍魎
http://zakkan.org/blog-entry-1637.html

追記:(7/29)
神奈川県内に無料配布されるタウン紙・「タウンニュース」の最新号(7月29日号)の「意見広告」に、小此木氏と菅義偉首相の対談が掲載されていました。そのなかで菅首相は、「横浜の顔になれるこれ以上の人はほかにいない」「すべての横浜市民の未来のために、小此木さんの政治活動を全面的かつ全力で応援します」と小此木氏への支持を明言していました。

上記に書いたとおり、これで小此木氏の出馬が「出来レース」であることがはっきりしました。林VS小此木の一騎打ちの色彩がより濃くなったとも言えますが、一方で、もう勝負は決まったも同然という声もあります。もっとも、林VS小此木と言っても、(ここが重要!)現状のまま話を進めて華僑・中国系にするのか、それともいったん「白紙撤回」してアメリカのIR業者の再登板を待つのかという違いにすぎないのです。このままでは候補者の乱立も茶番に終わりそうな気配ですが、口さがない街のスズメたちの間でも、選挙戦そのものより、「退路を断ってない」候補者のなかで誰が出馬をとりやめるかに関心が移っています。

また、ここに来て、関内駅近くの一等地にある評価額 9億2千万円の旧市庁舎跡地が、7700万円で三井不動産やDeNAなどの企業グループに叩き売られた問題にも再度スポットが当てられています(実際は建物は売却だが土地は70年の定期借地権契約)。そのなかに突然、星野リゾートの関連会社が入ったことが物議を呼んだのでした。もちろん、その背後にIRの存在があるのは言うまでもありません。下記は、昨年、この問題が浮上したときの記事です。

月刊ベルダ
林・横浜市長に“叩き売り”疑惑

横浜市は直近のデータ(平成30年度)で市債発行残高が3兆1570 億円あり、しかも残高は右肩上がりで増え続ける一方です。それで、執行部や議会は、だから博打のテラ銭で借金を返済しなければならないのだ、と「チンビラの論理」で市民を脅すのですが、その一方で、昨年、917億円の巨費を投じて32階建ての新市庁舎を馬車道駅の近くの北仲通に新築・移転したのでした。ところが、完成した途端に雨漏りがしたとかで、「天下の笑いもの」と言われたり、全国でトップクラスの高給を誇る職員たちが32階の雲上から市民を睥睨するため、横浜名物の「三塔物語」をもじって「デビルの塔」とか「ドラキュラの塔」とヤユされる始末なのでした。いくら建物があたらしくなっても、市庁舎が伏魔殿であることには変わりがないのです。

もちろん、このような市政を支えているのはオシャレな街の住民である市民です。この市民にしてこの市政ありであるのは言うまでもありません。横浜市は、住民税が全国一高い自治体です(前は職員の給与が全国一高い自治体でした)。どうして住民税がこんなにバカ高いのかということを少しは考えてもよさそうですが、そんな市民は圧倒的に少数です。言うなれば、住みたい街、オシャレな街という不動産会社が作ったイメージをバカ高い住民税で買っているようなものですが、それがまるでわかってないのです。

住民税が高い市区町村ランキング
https://magazine.aruhi-corp.co.jp/0000-4429/

ともあれ、これで「村社会」の住人の狙いどおり「日本一の大きな田舎」にふさわしい市長選になったと言えるでしょう。

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※もうひとつ付け加えました。
※これは本記事には追記していません。

追記:(8/2)
自慢するわけではありませんが、予告したとおり、魑魅魍魎が跋扈する横浜市長選はいよいよグダグダのスキャンダル合戦の様相を呈してきました。

今日、Yahoo!トピックスに次のような記事が掲載されました。

Yahoo!ニュース
SmartFLASH
横浜市長選「野党統一候補」がパワハラメール…学内から告発「この数年で15人以上辞めている」

このスキャンダルを報じたのが『FLASH』だということを注目すべきでしょう。先日、立候補が噂されていた元横浜DeNAベイスターズ球団社長の池田純氏とDeNAとの金銭トラブルを報じたのも『FLASH』です。DeNAは、言うまでもなく旧市庁舎跡地の再開発などにも深く関わっている横浜市ご用達の企業です。

この手の記事は、「もしこれがホントなら」という仮定さえ付ければ、いくらでも拡大解釈は可能です。そして、いつの間にか事実として、しかも別の目的をもってひとり歩きしていくのです。池田氏の交際費をめぐる「金銭トラブル」や今回の指導をめぐる(世間知らずの学者先生にありがちな)「パワハラ」はとても便利なネタと言えるでしょう。

横浜市は、天下りの批判を受けてか、「横浜市退職者の再就職状況」をメディアに発表しているのですが、それを見ると、どう見ても天下りとしか思えない再就職先が嫌味のように並んでいるのでした。でも、それは天下りではなく斡旋だという公務員におなじみの詭弁を使って正当化しているのです。もしかしたら、次期市長(その可能性は低いけど)のパワハラをいちばん怖れているのは、職員たちなのかもしれません。

横浜市
横浜市退職者の再就職状況

それにしても、如何にもわけありげな『FLASH』の記事をトップページに掲載したYahoo!ニュースは、『FLASH』同様、典型的なイエロージャーナリズムと言うべきかもしれません。ヤフー(ソフトバンク)も横浜のIRに一枚噛みたいのではないかと穿った見方さえしたくなりました。

もっとも、これも何度も書いていますが、ニュースをバズらせてマネタイズすることしか考えないYahoo!ニュースをジャーナリズムと呼ぶのは最初から無理があるのです。ジャーナリストを落ちこぼれたスタッフたちが、終日パソコンの前にすわって、まるでまとめサイトの管理人と同じように、ニュースを切り貼りしているその光景自体が多分にいかがわしいのです。

前の中田市長のケースもそうですが、横浜ではどうしてこんなスキャンダルが次々と出てくるのかと言えば、この手の記事が横浜市民には非常に効果的だからです。そのため、まるでロシアのように、このような古典的な手法が取られるのです。

また、今回に限って言えば、立憲民主党が獅子身中の虫に対してあまりにも無頓着すぎるという背景もあるでしょう。と言うか、誰が獅子身中の虫で誰がそうではないのかもわからないほど、立憲民主党もグダグダなのかもしれません。連合神奈川や市関係4労組の面従腹背ぶりを見ても、とてもまともに市長選を戦う体制になっているとは思えません。そもそも林市政の生みの親は旧民主党です。実際に、ついこの前まで旧民主党(立憲民主党)は林市政の与党でした。立憲民主党が独自候補を擁立すること自体、悪い冗談でしかないのです。

まさに「村社会」おそるべしです。メディアを使った足の引っ張り合いは、まだまだこのあともつづくことでしょう。
2021.07.29 Thu l 社会・メディア l top ▲
案の定、オリンピックが開催されると、昨日までの「開催反対」の声はどこ吹く風、日本列島は感動に湧き立っています。前回の記事でも書きましたが、70~80%あった「開催反対」の世論も、あっという間に30%に急降下しています。

そして、たとえば、開催に反対していた立憲民主党の蓮舫代表代行がツイッターで、日本選手の金メダルをたたえるツイートをすると、「反対していたのにおかしい」「手の平返しだ」などという声が殺到し、炎上するような事態まで起きているのでした。また、茂木健一郎がオリンピック反対派をノイジーマイノリティ(声だけ大きい反対派)だと批判し、沿道でオリンピック反対の行動をしていることにツイッターで「苦言を呈した」というニュースが流れると、反対デモをしているのは極左団体だとか中核派だとかいったコメントが瞬く間にヤフコメに溢れたのでした。

それにしても、昨日まで70~80%あった反対の声がどうしてこんなに180度違う空気に変わったのか、その豹変ぶりにはただただ唖然とするばかりです。と同時に、ここにも日本社会の”特殊性”が垣間見えるような気がするのでした。

このブログを読んでいただければわかるように、私は、70~80%の反対の声に対してずっと懐疑的でした。開催されれば「感動に寝返る」はずだと書いてきました。また、菅総理は「国民は、開催されればメダルラッシュに感動にして反対していたことなど忘れる」と言っていましたが、まさにそのとおりになったのです。

これは蓮舫や茂木健一郎にも言えることですが、たとえ反対のポーズを取っていても、「感動に寝返る」要素は最初から存在していたのです。いつでも「寝返る」ことができるように「逃げ道」が用意されていたのです。

ひとつは、スポーツは特別だという「逃げ道」です。反対論の多くは、コロナ禍なのにオリンピックなんかやっている場合かという素朴な反発心にすぎず、一方でそこには、あらかじめ代表選手は批判しない、選手は別という抑制(一種のタブー)がありました。

つまり、70〜80%の反対論の多くは、オリンピックやスポーツのあり方を真面目に考え論理的に整序された反対論ではなかったのです。そんなただ素朴な心情から発した反対論が、スポーツは特別なのかという”壁”を乗り越えるのはどだい無理な話だったとも言えます。ゆえに、批判の矛先が向くことのなかった代表選手たちによってもたらされる感動に、一も二もなく飛びついたのは当然と言えば当然でしょう。

もうひとつの「逃げ道」は、中韓に対するヘイトという「逃げ道」と言うか「ガス抜き」です。反対論を唱える多くの人びとのなかにも、御多分に漏れず中韓に対する民族排外主義的なナショナリズムが貼り付いていたのです。オリンピック開催にまつわる政権批判の矛先をかわすのに、中韓ヘイトはこれ以上のない”魔法の杖”とも言えます。さしずめ下記の記事などはそのカラクリを端的に表していると言えるでしょう。

PRESIDENT Online
東京五輪にかこつけて文在寅大統領が日本から引き出したかった"ある内容"

日本はいつまで経っても優位な立場でいたいのでしょう。だから、韓国はオリンピックにかこつけて物乞い外交をしたかったけど、それができないとわかったので文在寅大統領は来日を取りやめたという、如何にも日本人の自尊心をくすぐるような記事です。

しかし、現実は冷厳で、豊かさの指標である一人当たり実質購買力平価GDPでは、既に韓国に抜かれています。日本の国民より韓国の国民の方が豊かだということが、国際的な指標でもあきらかになっているのでした。

Yahoo!ニュース
Wedge
なぜ、日本は韓国よりも貧しくなったのか

日本人はこういった現実は絶対に認めたくないはずです。できれば見たくない現実でしょう。

中国に対しても然りで、米中対立が実は二つの大国による世界支配(世界分割)をめぐる丁々発止のやりとりだというのは、もはや誰の目にもあきらかでしょう。それこそが中国の狙いであり、同時にそれはアメリカが唯一の超大国の座から転落したことを意味しているのでした。いつの間にか、中国がアメリカと対等に、世界分割について交渉するまでになっていたという、日本人にとっては信じたくない現実がここにも立ち現れたのです。

そう考えれば、勝ったか負けたかのスポーツの祭典で中韓ヘイトがヒートアップするのも、「コロナ禍なのに」という素朴な反発心が偏狭なナショナリズムの前で片隅に追いやられるのも、最初から予定されていたと言うべきかもしれません。

そして、あとは、丸山眞男が言った「つぎつぎとなりゆくいきほひ」という、もうはじまったことは仕方ない、それに乗っていくしかないという没論理的なノリノリの総動員体制に突き進むだけです。一方で、寝返った人間たちが、(その後ろめたさから)未だに反対している少数派に対して牙を剥き出しにするというのもいつもの光景です。そのためには、反対派は市民社会の埒外にいる極左、過激派ではなくてはならないのでした。

もっとも、それも権力が用意した「逃げ道」、矛先にすぎません。先月だったか、京大の熊野寮や中核派の前進社が相次いで家宅捜査を受けたのは、その前段だったのでしょう。そして、先週の反対デモにおいて、警察官の「手首を掴んだ」として公務執行妨害で中核派の活動家が逮捕され、大きく報道されたのでした。そうやってオリンピックの反対運動をしているのは極左だというイメージが流布されたのでした。もっとも、逮捕された活動家は、「手首を掴んだ」程度の微罪なので、早晩、処分保留で釈放されるのは間違いありません(もしかしたら既に釈放されているかもしれません)。それもいつものことですが、メデアが報道することは一切ありません。

丸山眞男は、『日本の歴史』のなかで、開国(明治維新)以後の日本の思想風土について、次のように書いていました。

思想が伝統として蓄積されないということと、「伝統」思想のズルズルべったりの無関連な潜入とは実は同じことの両面にすぎない。一定の時間的順序で入って来たいろいろな思想が、ただ精神の内面における空間的配置をかえるだけでいわば無時間的に併存する傾向をもつことによって、却ってそれらは歴史的・・・な構造性を失ってしまう。小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接的には歴史発展という考え方にたいする、あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度と結びついているが、すくなくとも日本の、また日本人の精神生活における思想の「継起」のパターンに関するかぎり、彼の命題はある・・核心をついている。新たなもの、本来異質なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほど早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍におしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。(略)
日本社会あるいは個人の内面生活における「伝統」への思想的復帰は、いってみれば、人間がびっくりした時に長く使用しない国訛りが急に口から飛び出すような形でしばしば行われる。


そして、丸山眞男は、そんな時間軸が消失し「前近代」と「近代」が継ぎ目なしに併存した思想風土において、「実感信仰」による「『ありのままなる』現実肯定」が現在と向き合う際の日本人の特徴であると(いうようなことを)書いていましたが、それこそが今回のような「感動に寝返る」バッググランドになっているように思います。

また、丸山眞男は、『超国家主義の論理と心理』で、「抑圧の委譲」というものについて、次のように書いていました。この「抑圧の委譲」は、日本特有の同調圧力のメカニズムを考える上でヒントになるように思いました。

自由なる主体的意識が存せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の者(従って究極的価値に近いもの)の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の委譲・・・・・による精神的均衡の保持・・・・・・・とでもいうべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行く事によって全体のバランスが維持されている体系である。これこそ近代日本が封建社会から受け継いだ最も大きな「遺産」の一つということが出来よう。


もっとも、いくら権力の意志を貫こうとしても、パンデミック下にあるオリンピックでは、猛威を振るうウイルスを(どこかの誰かではないけど)都合のいいようにアンダーコントロールできるわけではありません。感動に沸き立つ日本列島に冷水を浴びせるかのように、7月27日の東京都の新規陽性者数は2848人という過去最高の数字を記録したのでした。4日連休が関係しているからだという声もありますが、しかし、検査数は8038人にすぎず、連休明けで検査数が増えたのでその分感染者数も増えたというわけではないのです。

オリンピックが開催されてから、東京都は検査数を絞っているようでずっと1万件を下回る数字になっています。それでもこんな新規感染者数が記録されるのですから、まともに検査したらどれくらいの感染者が出るかわかりません。デルタ株(インド型変異株)の感染爆発はもう既にはじまっていると考えるのが常識でしょう。

オリンピックと感染爆発のダブルパンチで医療も逼迫しています。東京都が通常の救急や手術は控えて新型コロナ用のベットを確保するように、病院に指示したというニュースもありました。トリアージが再び行われようとしているのです。アスリートたちがメダルを胸にはしゃいでいるその裏で、皺寄せを受けた患者たちの命が人知れず選別されようとしているのです。なんと不条理な話でしょう。それでもスポーツ(アスリート)は特別だと言えるのか、そう問い返したい気持があります。
2021.07.28 Wed l 社会・メディア l top ▲
なんだか水に落ちた犬を叩いているように思われるかもしれませんが、その後も次々と出て来る小山田圭吾の悪行については、やはりひとつひとつ取り上げて糾弾していくべきではないでしょうか。障害のある同級生に与えた一生消えない心の傷を考えれば、通りいっぺんの反省で済むようなものではないでしょう。

ネットでは「何をいつまで同じことを言っているんだ」という言い方をよく目にしますが、ネットの場合、タイムラインに見られるように、目の前の事柄をやり過ごし、次々から次へと興味が移っていくのが当たり前のようになっています。小山田圭吾の悪行も然りで、彼に対するバッシングの熱気も既に失せつつあるように思えてなりません。人々の関心は次に移っているのです。

小山田圭吾の問題について、日本のメディアは、外国メディアに比べて、ぼかして報道しているという指摘がありましたが、たしかに、新聞やテレビを見ても、いじめの内容にはさらりと触れているだけで詳細は伝えていません。そのため、どこか他人事のように見えます。私たちがいじめの詳細を知るのは、週刊誌やネットなどを通してです。

もっとも、日本のメディアのどこか他人事のような報道は、今にはじまったことではありません。つまり、それは、「不偏不党の客観性」という建前の理念があるからでしょう。また、「抑制のきいた文章」ということばもよく耳にしますが、それがぼかして書くことにつながっているように思います。その結果、日本のメディアは、何を言っているのか、何を言いたいのかわからない、オブスキュランティズム(曖昧主義)に陥っているのです。

羽仁五郎は、日本の新聞は、「明日は雨ですが、天気はいいでしょう」というようなよくわからない記事ばかりだと言っていましたが、それこそ日本のメディアの”特殊性”を言い当てているように思います。しかも、そういった「抑制のきいた文章」がメディアのなかでは連綿と受け継がれているのです。新米の記者が書いた記事も、デスク?によって添削され「抑制のきいた文章」に書き直されるのです。そういったトレーニングがくり返され、新聞記事とは「抑制のきいた文章でなければならない」「そういった品位のある文章が書けるようにならなければならない」という刷り込みが行われるのです。そして、たとえば朝日の「天声人語」のような文章がお手本とされ、ときに名文などと言われるようになるのです。

私たちは、残念ながら、当時の『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』のインタビュー記事を直接読むことはできません。そのため、小山田圭吾の悪行の詳細は、メディアをとおして知るしかないのです。

下記の芸能ネタに特化したまとめサイトで、私は、前回の記事で触れた以外のいじめを知ることができました。他人のふんどしで相撲を取るまとめサイトについては、批判的な意見の方が多いのですが、しかし、今回の問題でも、その詳細を知るにはまとめサイトを参考にするしかないのが日本のメディアの実情なのです。

TREND NEWS
【全文】小山田圭吾記事内容(ロッキンオン・クイックジャパン)と年賀状

何度も言いますが、小山田圭吾は、「民主的な人格の育成」という教育理念を掲げる和光学園で、小学校から高校まで知的障害を持つ同級生に対して、執拗にいじめをくり返したのでした。それは、障害を持つ児童と健常者の児童が同じクラスで学ぶ和光学園の「共同教育」というシステムを逆手にとったものでした。「みんなで助け合って仲良くしましょう」「何事も話し合って解決しましょう」という性善説に基づいた民主主義教育の理念が、実際は空回りして”悪の根源”にさえなっていたのです。

でも、たとえば、通勤・通学電車のなかでの乗客たちのふるまいを見れば、そういった民主主義教育の理念が、空疎で観念的な理想論にすぎないということが容易にわかるでしょう。私が住んでいる路線にも、有名な私立学校がありますが、そこに通う高校生たちの車内での傍若無人なふるまいを見るにつけ、テレビドラマでよく描かれる金持ちのおぼっちゃんの歪んだ人格が連想されてならないのでした。系列の大学では集団強姦事件も何度か起きていますが(最近も高校の同級生である経産省キャリア2人の給付金詐欺がメディアを賑わせました)、それもなんとなくわかる気がするのでした。

そこにあるのは、まさにマルクスが言う「存在が意識を決定する」(としか思えない)現実です。剰余価値を生み出す有用な労働力という資本の論理から言えば、心身に障害のある人間は有用ではないのです。そんな人を社会の役に立つか立たないかで判断し選別するする考えは、近代合理主義(経済的合理性)に必然的に存在する”悪魔の思想”とも言うべきものです。その極地にあるのがナチズムでしょう。小山田圭吾にもそんな”悪魔の思想”が影を落としているように思えてなりません。

『クイック・ジャパン』のインタビュー記事では、いじめた相手と対談をするという企画まで持ち出し、実際に編集者が相手の家を訪問して母親にそのことを伝えているのでした。また、小学生のときに障害のある同級生から来た年賀状をわざわざ持参して、ハガキに母親が線を引いた上に「スゲェ汚い字で」文字を書いているのをヤユして笑いものにしているのでした。25歳を過ぎた立派な大人になってもなお、雑誌でそんないじめ自慢をしているのでした。

彼の所業について、日刊ゲンダイデジタルに、次のような記事がありました。

日刊ゲンダイデジタル
小山田圭吾が一生涯背負う“十字架”と本当の謝罪 障害者の父親は「謝っても許されない」と強い憤り

 自身も障害児の父親である動物写真家で、YouTuberとしても活動する小原玲氏はこう憤る。

「親とすれば子供が学校でこんな目に遭っていたと思うと言葉がありません。私が当該記事を読んで涙が出たのは、障害児童が小山田氏に出した年賀状を雑誌でさらして笑いものにしたことです。その年賀状にはお母さんが定規で線を引いてそれに沿って児童が鉛筆で稚拙ながらも文をしたためていました。それを大人になってからかうとはどんな神経か。親がどんな思いで友達に年賀状を出すかわかりますか。子供が少しでも学校で友達に恵まれるようにという願いからですよ。こんな人物が手掛けた楽曲がパラリンピックで流されるなんてブラックジョーク過ぎる。トラウマになってしまいかねない。たとえ27年前のことであっても許される話ではない」


辞任したからそれで済んだ話なのか。もう終わったことなのでしょうか。

小山田圭吾は、ツイッターの謝罪文で、いじめた相手に対して「連絡を取れる手段を探し、受け入れてもらえるのであれば、直接謝罪をしたいと思っております」と、『クイック・ジャパン』の企画と同じようなことを言っていましたが、辞任した今でもホントにそう考えているのか、実際に実行したのか、たしかめたい気さえします。「自分自身でも長らく罪悪感を抱えていた」と言いながら、今まで何もやってなかったのですから、どこまで本気なのかわかりません。身内の人間たちの挑発的なツイートを見ても、ホントに反省しているのか疑問です。

そして、今度は、開閉会式のディレクターを務める予定だった小林賢太郎が、お笑いコンビの時代に、コントのなかで「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という発言をしていたことが発覚して”解任”されました。ただ、今回は小山田圭吾のときと違って、小林賢太郎に同情する声が多いようです。

「言葉尻を捉えて全体を見てない」という茂木健一郎のコメントがそんな国内の空気を代表しているように思いますが、しかし、ホロコーストの犠牲になった人々にとって、「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」というギャグが単に「言葉尻」の問題なんかではないことは、少しでも考えばわかるでしょう。茂木健一郎の無神経ぶりにも驚くばかりです。

小林賢太郎の問題では、このように、メディアを中心とした空気の緩さが際立っているように思えてなりません。そんな日本の緩い空気に対して、日本在住のイスラエル人が「もし広島や長崎の原爆や福島の原発事故が笑いのネタにされたら日本人はどう思いますか? それと同じでしょ」と言っていたのが印象的でした。

そんななかで、既に一部のオリンピックの競技がはじまりました。すると、メディアは、早速、今大会では日本は史上空前のメダルラッシュが期待されるなどと言って、手のひらを返したようにオリンピックムードを煽りはじめたのでした。前も書いたように、どう考えてもアンフェアな今大会で、開催国の日本が有利なのはあきらかです。でも、誰もそうは言いません。既に見え透いた感動物語も出ています。反語的に言えば、大衆はバカで単純だ、愚鈍な存在だという保守政治家の冷徹な大衆観は圧倒的に正しいのです。あと数日もすれば、菅総理やIOCのバッハ会長が言うような「メダルラッシュに熱狂してなにもかも忘れる」現実が、日本的な同調圧力を携えて私たちの前に出現することでしょう。

このパンデミックのもと、無観客のなかで競技をするアスリートたちを見て、どうしてスポーツだけが特別なのかという(素朴な)疑問を持つ人さえ少ないようです。そもそもオリンピックのようなものがスポーツの本来のあり方なのかという疑問を持ってもよさそうですが、もはやそれも水中に火を求むようなものです。ついひと月前まで70%~80%の国民がオリンピック開催に反対だと言われていたのに、最新の世論調査では、案の定、反対の声は30%に急降下しています。

次から次に発覚するスキャンダルに対しても、日本人はタイムラインをスクロールするように、終わったこと、過ぎ去ったことにして、オリンピックの熱狂にみずから身を投じようとしているのでした。そして、それに呼応するように、あの(東浩紀も礼賛した)「ニッポン、凄い」の自演乙が再びメディアを覆うとしているのでした。まさに衆愚たちの祝祭がはじまろうとしているのです。
2021.07.23 Fri l 社会・メディア l top ▲
コーネリアスの小山田圭吾が、小林賢太郎や田中知之とともに、オリンピック・パラリンピックの開閉会式の制作メンバーに選ばれたことをきっかけに、小山田圭吾が過去に『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』のインタビューで語っていた”いじめ自慢”が再び取り上げられ物議をかもしています。

ちなみに、大会組織委員会が制作メンバーとして彼らを発表したのは14日です。オリンピックの開会式が今週の23日ですから僅か10日前です。発表自体に唐突感があるのは否めませんし、なんだか不自然な感じがしないでもありません。当然ながらメンバーにはずっと以前に依頼していたはずで、どう考えても、発表するのを目前まで待っていた、あるいは控えていたとしか思えないのです。

大会組織委員会の武藤敏郎事務総長は、小山田圭吾の”いじめ自慢”を「知らなかった」と言っていますが、同時に、「引き続き貢献してもらいたい」とも発言しています。小山田圭吾の”いじめ自慢”は、ネットをググればすぐ出てくるくらい有名な話で(ただ、ウィキペディアでは、何故か記載と削除のイタチごっこが繰り返されていたみたいです)、どう考えても”渋谷系”の音楽と縁があるとは思えない武藤事務総長はともかく、彼らを選定した人間たち(電通?)が知らなかったというのは俄に信じ難い話です。それに、役人主導の典型的な日本的組織である大会組織委員会において、決裁を受ける際にその話が出なかったとはとても思えないのです。

一方で、もう終わったことをいつまで言っているんだというような寛容な(ことばを変えれば臭いものに蓋をする)意見もあります。私の知る限りでは西村博之(ひろゆき)や爆笑問題の太田光などがその代表と言えるでしょう。なかでもひろゆきのそれは、子どものような論理で屁理屈をこねまわして、批判するのを避けながら遠回しに擁護するというまわりくどいものです。

ひろゆきは、2ちゃんねる絡みの訴訟で下された数々の賠償金を踏み倒して(住所だけ置いていた西新宿の木造アパートの郵便受けから督促状があふれ出ている写真を見たことがあります)、それを得意げに語るような人物ですが、今やメディアでは”論破王”としてもてはやされているのでした。しかし、その”論破王”なるものも、一皮むけば、賠償金の踏み倒しに見られるように、昔、私たちのまわりにもいた、どうすれば飲酒運転の摘発から逃れられるかとか、どうすれば駐禁の違反金を払わずに済むかとかいった”裏テクニック”を得意げに話していたあのおっさんたちと同じレベルのものにすぎません。

もちろん、小山田圭吾が自慢たらしく語ったいじめは、もはやいじめの範疇を越えた、犯罪と言ってもいいような悪行で、ひろゆきや太田光が言うように、もう終わったことをいつまで言っているんだと言えるようなレベルのものではありません。しかも、いじめは、「民主的な人格の育成」を教育理念に掲げる和光学園の障害者と健常者が同じ教室で学ぶ「共同教育」を舞台に、小学校から高校まで執拗につづいたのでした。

「ディリー新潮」は、いじめの内容について、実際にインタビューで語った内容も含めて、次のように詳細に書いていました。

「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコ喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」(「ロッキング・オン・ジャパン」)

「クイック・ジャパン」のインタビューによると、小学校の時には障がいのある同級生の体をガムテープで巻き、身動きが取れないようにして、段ボールに入れたという。

 同じ同級生のことは高校生時代にもイジメた。みんなでジャージを脱がせ、下半身を露出させた。

「女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして」(「クイック・ジャパン」)

 中学の時の修学旅行では違う同級生を、留年した先輩と一緒にイジメている。この同級生にも障がいがあった。小山田は先輩と一緒になって同級生に自慰行為をさせている。

「クイック・ジャパン」にはほかにもこんな下りがある。

「掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ。すぐ泣いてうるさいから、みんなでロッカーをガンガン蹴飛ばした」

「マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバいよね、きっとね」

(2021年7月17日掲載)


ディリー新潮
イジメっ子「小山田圭吾」の謝罪に不可解な点 当時の学校運営に不満だったという証言

また、それ以外にも、近くの学校に通うダウン症の子どもに対する侮蔑発言や人種差別発言も掲載されているそうです。

身の毛もよだつとはこのことでしょう。実際に中学時代、小山田圭吾にいじめられた同級生は自殺まで考えたそうです。

また、東浩紀も、ひろゆきや太田光と同じような論法でこの問題を語っていましたが、知識人の仮面を被って発言している分、ひろゆきや太田光より始末が悪いと言えるでしょう。東浩紀は、次のようにツイートしていました。

東浩紀 Hiroki Azuma
https://twitter.com/hazuma

東浩紀小山田圭吾1

東浩紀小山田圭吾2

東浩紀小山田圭吾3

それにしても、「そもそも音楽もスポーツも苦手なので、個人的には例の件はかなりどうでもいい」という言い草にも驚くばかりです。「何様か」とツッコミたくなります。

東浩紀は「過去の記録はアップデートできない」と言いますが、その気になればいくらでも「アップデートできる」でしょう。小山田圭吾は、今回批判が殺到して初めてツイッターで謝罪したにすぎず、今までも「アップデートできる」チャンスはあったのにそれをしなかったのです。

その時代の背景、その時代の環境も考えるべきというような屁理屈も然りで、それは、(牽強付会だと言われるかもしれませんが)戦争中だからジェノサイドや集団強姦も許される、戦争中だから妊婦を強姦して腹を切り裂きなかの胎児を取り出したことも許されるという論理と同じです。話を飛躍すれば、そうやって戦後の日本は平和と繁栄の虚構を演じてきたのです。だから、胎児を取り出して高笑いしていた日本兵たちは、復員すると、俺たちのお陰で戦後のニッポンがあるのだと開き直り、金・物万能の世の中で精神が疎かになっている、愛国心を忘れていると説教を垂れるようになったのです。もちろん、その責任を当事者の兵士だけに帰するのではなく、どうやって加害国の国民として共有していくのかを考えるのが”知”の役割というものでしょう。

この東浩紀の屁理屈を見て、私は、かつて東京都知事選で猪瀬直樹を応援して選挙カーの上で応援演説をしたそのトンチンカンぶりを思い出さざるを得ませんでした。

池袋駅東口に停められた選挙カーの上で、聴衆に向って手を振る猪瀬直樹の横で、「猪瀬さんこそ夢を託しながら現実の第一歩を踏み出せる、着実に改革ができる人物だ」と応援演説をしたその姿とその演説の内容こそ、彼が如何に俗物で中身がスカスカかということを示しているように思います。穿った見方をすれば、東浩紀が「アップデートできない過去」を強調するのも、彼自身にこういった消せない過去があるからかもしれないのです。

tegetter
東浩紀の演説。

また、彼は、東日本大震災の際、なにを血迷ったか、次のような日本賛美&総動員体制万歳のような発言をしたこともありました。

 震災前の日本は、二〇年近く続く停滞に疲れ果て、未来の衰退に怯えるだけの臆病な国になっていた。国民は国家になにも期待しなくなり、世代間の相互扶助や地域共同体への信頼も崩れ始めていた。

 けれども、もし日本人がこれから、せめてこの災害の経験を活かして、新たな信頼で結ばれた社会をもういちど構築できるとするのならば、震災で失われた人命、土地、そして経済的な損失がもはや埋め合わせようがないのだとしても、日本社会には新たな可能性が見えてくるだろう。もちろん現実には日本人のほとんどは、状況が落ち着けば、またあっけなく元の優柔不断な人々に戻ってしまうにちがいない。しかしたとえそれでも、長いシニシズムのなかで麻痺していた自分たちのなかにもじつはそのような公共的で愛国的で人格が存在していたのだという、その発見の経験だけは決して消えることがないはずだ。
(「For a change, Proud to be Japanese : original version」)
東浩紀の渦状言論 はてな避難版 2011年3月22日


東浩紀は、筑波大附属駒場中学・高校から東大の文科一類に進んだ秀才で、たしかに頭はいいのでしょう。しかし、その頭のよさは、子どものような論理で屁理屈をこねまわす程度の頭のよさにすぎないのです。実際は、巷の労働体験もほとんどない世間知らずのセンセイにすぎないのです。もしかしたら「先生と言われるほどの馬鹿でなし」という諺の意味もわかってないのかもしれません。

東浩紀のゲンロンなるものは、そんな子どもの論理で屁理屈をこねまわす、俺たち凄いだろう?というような、登山者にとってのヤマレコと同じような自己顕示と自己慰謝の場にすぎないのです。

だから、彼らの言説が、宮台真司が言う「現実にかすりもしない」のは当然です。ゲンロンなるものに集まって、どうでもいい屁理屈をこねまわしている学者やジャーナリストたちは、ただそうやって知識人ごっこをしているだけなのです。

要するに、屁理屈のわりに中身はスカスカなので、現実と拮抗すると、小山田圭吾の問題を「過去の話」と一蹴したり、猪瀬直樹のような自称作家の俗流政治屋に伴走したり、東日本大震災後の「ひとつになろう日本」キャンペーンに象徴される国家がせり出してきた状況を手放しで礼賛するような、トンチンカンな醜態を晒すことになるのでしょう。

パラリンピックの開閉会式に、上記のような凄惨ないじめをした人物が作曲した音楽が使われるというのは、考えようによってはこれほどの悪趣味はないのです。しかし、東浩紀らは、そんな想像力の欠片さえ持ってないと言うべきかもしれません。

おぞましいのは小山田圭吾だけではないのです。擁護しているんじゃないと言いながら擁護している東浩紀も同じです。


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2021.07.19 Mon l 社会・メディア l top ▲
横浜市長選は、8月8日告示、22日投開票ですので、告示までちょうどひと月となりました。早いもので、私が横浜に住んでもう3回目の市長選です。前2回の市長選のときもこのブログで記事を書いていますので、僭越ですが最下部の関連記事をお読みいただければ幸いです。

今回の市長選が前2回と異なるのは、候補者が乱立していることです。そのため、どれが「本命」でどれが「当て馬」でどれが「泡沫」なのか(「対抗」がいないところがミソです)、わかりにくいということです。文字通りカオスと化しているのです。

もちろん、今回の市長選の大きなテーマはIR誘致に賛成か反対かです。選挙の争点はIRだけじゃない、ほかの市民生活に直結する問題も大事だという声もありますが、それはどちらかと言えば、IRを争点にしたくないIR賛成派からあがっている声です。今年の1月に、IRの是非を問う住民投票の条例案が提出されたのですが、議会で多数を占める自由民主党と公明党によって否決されたのでした。そのため、今回の市長選がIRの是非を問う場にならざるを得なくなった(なってしまった)というのが実情です。それをIRだけが争点じゃないというのは、居直り強盗のような言い草と言うべきでしょう。

とは言っても、立候補予定者の多くはIRに反対を表明しています。それは、IR反対が過半の市民の声でもあるからです。その意味でも、住民投票の条例案を否決した自公の罪は大きいのです。

それどころか、ここに来て、自民党神奈川県連の会長として、IR推進の先頭に立っていた小此木八郎氏(菅総理が秘書を務めた小此木彦三郎元建設相の三男)が、突然、国家公安委員会委員長を辞職して、「IR白紙撤回」を公約に立候補を表明するというちゃぶ台返しがあったのでした。そのため、メディアのことばを借りれば、市長選はいっそう「混迷を深める」ことになりました。ただ、小此木氏の出馬がホントにちゃぶ台返しなのか、疑問の声もあります。憲法改正&核武装を主張し、日本青年会議所のカルト的な極右思想を共有する典型的なおぼっちゃま議員が、一転してIR反対に寝返るなど俄かに信じられず、「白紙撤回」というのは山下埠頭に限った話ではないのかという見方も出ているのでした。

もちろん、反対が過半の市民の声であるとは言え、こんなに乱立すると反対派が共倒する懸念があります。知人(横浜市民)は、「見てみ、林文子が漁夫の利を狙って必ず出て来るよ」と言っていましたが、知人の言うとおり、態度をあきからにしなかった現職の林文子市長も、乱立で勝算ありと睨んだのか、どうやら立候補の意思を固めたようです。

自民党横浜市連は、ずっと前に林市長に対して、多選と高齢を理由に支持しないことを伝えているのですが、それはもしかしたら小此木氏出馬の伏線だったんじゃないかと思ったりもします。今回の市長選は何でもありなので、それも単に下衆の勘ぐりとは言えない気もするのでした。

一方で、関内や元町や中華街などの地元商店街や横浜市商工会議所や横浜建設業協会などは、「IR推進」の立場から林市政の継続を求めているそうです。

反対派のツイッターによれば、崎陽軒や元町のキタムラの社長と並んで、中華街組合(横浜中華街発展会協同組合)の理事長もカジノ推進だそうです。今の理事長は日本人のようですが、華僑たちのいつもながらのこずる賢く立ち回る向銭奴ぶりが連想され、私は、魯迅の「利口者と馬鹿と奴隷」のなかに出て来る「利口者」の話を思い出しました。現在、残っている応募業者は、シンガポールのカジノ会社&日本のゼネコンのグループ(共同企業体)と香港でカジノを運営する会社の2つだけで、いづれも華僑系もしくは中国系の業者なので、中華街のIR推進もその辺の絡みもあるのかもしれません。浮利を追うだけでなく、その前に香港の弾圧に声を上げろよと言いたくなります。

また、このブログでも何度も書いていますが、市関係4労組(自治労横浜・横浜交通労組・横浜水道労組・横浜市教職員組合)も、建前はともかく、本音では良好な関係にある林市政の継続を求めているはずです。前々回の市長選までは、彼らは公然と林市長を支持していたのです。

同様に前々回まで林市長を支持していた旧民主党(立憲民主党)は、今回は林市長に「裏切られた」として独自候補を擁立しました。住民投票を求める署名活動をしていた市民団体も、立憲の候補を支持することを決定してしています。しかし、今まで旧民主党が横浜でやって来たことを考えると、今更のように偽善者ぶっている立憲民主党に対して、眉に唾して見ている人は多いでしょう。それに、前回も林市長を推薦した連合神奈川の本音が、立憲の候補とは別のところにあるのは間違いないのです。立憲の候補者は横浜市立大医学部の”名物教授”だった人だそうですが、なんだか気の毒にすら思えてきます。

他に、田中康夫氏も立候補を表明しましたが、反IR候補の乱立に一本化を求める声があることに対しては、一本化は「開かれた談合」だと拒否しているそうです。私は、田中康夫氏が横浜に移住していたことも、FMヨコハマで7年前から番組を持っていたことも知りませんでした。ただ、田中氏のバックにはFMヨコハマのオーナーでもある”ハマのドン”がいると言われて、本人もそう仄めかしているようです。だったら、一本化に前向きであってもよさそうですが、そうではないのです。

田中氏は、2016年の参院選におおさか維新の会から立候補し、私もこのブログで「田中康夫の変節」と題して批判しましたが、記者からそのことを指摘された田中氏は、あれは自分にとって「黒歴史」だと言ったそうです。しかし、あのときの田中氏の選択は、そんなひと言で済まされるようなものではないでしょう。

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田中康夫の変節

当初、自民党の候補者リストとして、タリーズコーヒーの松田公太や菅総理の子飼いの三原じゅん子参院議員や林市長と親しく柳美里とも親友だという八方美人の元TBSアナウンサー・渡辺真理などの名前があがっていましたが、その顔ぶれを見るにつけ、どれだけ人材がいないんだと呆れるばかりでした。三原じゅん子が市長候補だなんて悪い冗談だとしか思えませんが、横浜では「三原じゅん子市長」は冗談ではないのです。マジなのです。

メディアは「一部の女性経営者」と書いていましたが、既に支援者たちによって「三原氏を支援する会」が結成され、擁立に動いているというニュースもありました。ただ、三原参院議員の名誉のために言っておけば、三原議員は、本来横浜には何のゆかりもないにもかかわらず、神奈川選挙区でトップ当選を果たした実力者です。横浜では存在感のある立派な(!)政治家なのです。

言うなれば、それが横浜が横浜である所以です。常に「住みたい街」の上位に位置し、オシャレな街、あこがれの街として君臨する横浜も(でも住民税や国民健康保険料はバカ高い)、一皮むけば、そういった外から見れば目をシロクロさせるような光景が、なんの臆面もなく当たり前のように存在する街なのです。

こうして見ると、あたらめて横浜って田舎だなあと思います。それも今どきめずらしいようなド田舎です。子飼いにしても、その取り巻きにしても、面子があまりにもお粗末としか言いようがありません。誰かのセリフではないですが、お神輿はなるべくハリボテで軽い方がいいとでも言いたげです。むしろ、それしか考えてないような感じです。

もうひとり、出馬の噂が消えない元横浜DeNAベイスターズ球団社長の池田純氏は、下記の文春オンラインの記事で、横浜は「日本一大きな田舎」「限られた人たちだけの『村社会』」と言っていましたが、まったくそのとおりで、その認識は私が前に書いた記事とも一致します。ただ、そこが横浜が一筋縄ではいかないところですが、そう言う池田氏自身が「村社会」の住人でないという保証はないのです。”ハマのドン”ばかりが強調されるので誤解されているようですが、横浜は、イスラム世界と同じように、”ドン”と呼ばれる一握りの人間たちによって支配された田舎で、菅総理も新参者ながらそのひとりであることを忘れてはならないでしょう。

文春オンライン
“日本一大きな田舎”横浜の問題点…なぜ横浜市長選は盛り上がらないのか?

横浜市の人口は372.2万人(2015年現在)で、名目GDPは、2021年3月の推計で13兆8774億円(実質GDPは13兆3740億円)です。たとえば、ミャンマーのGDPは6兆6000億円ですから、ミャンマーの倍です。同じくらいのGDPの国を調べると、ハンガリーが12兆6000億円ですので、ハンガリーとほぼ同じです。当然ながら、横浜市には国家レベルの強大な”利権”が存在します。一にもニにも、それが横浜が田舎でありつづける(オシャレになれない)理由なのです。

林市長の前に市長だった中田宏氏は、女子大生とコンパをしたとか人妻と不倫しているとかいった週刊誌のスキャンダル記事によって失脚したのですが、それも、中田氏よる新自由主義的な市政運営が「村社会」の”利権”という虎の尾を踏んだからだと言われています。もちろん、全国でトップクラスの給与を得ていた市関係4労組も、歳出(人件費)削減を掲げる中田市長と激しく対立していたことは言うまでもありません。

別に中田氏の肩を持つわけではありませんが、中田氏が無所属で立候補するまでは横浜市長選は総じて各党相乗りの選挙でした。また、中田氏が辞任したあとの林現市長の時代になると、以前と同じように各党相乗りのオール与党体制に戻っています。中田氏が目の上のたん瘤だった理由がわかるような気がします。

その中田氏に対して「ハレンチ市長」のキャンペーンを張った某週刊誌が、今回も獲物を狙って横浜の街を嗅ぎまわっているそうです。どんなスキャンダルが飛び出してくるか知れたものではありません。このように、今回の市長選でも、”ドン”の息がかかった「村社会」の魑魅魍魎たちがあちこちで跋扈しているのです。

「こんなバカバカしい選挙なんか行ってもしょうがない」という知人の声は、民主主義を無定見に信奉する”良識派”(「負ける」という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ勝てない左派)は眉をひそめるでしょうが、しかし、私は、その声が横浜に対するもっともリアルな批評であるように思えてなりません。


追記:(7/14)
その後、記事で触れた部分で動きがありましたので、一応追記しておきます。
①自民党横浜市連は、小此木支援で話がまとまらず「自主投票」になりました。一方で、小此木氏のちゃぶ台返しは菅総理との「出来レース」だという噂があります。それは、IRに反対する”ハマのドン”が90歳と高齢なので、とりあえずIR誘致は凍結して”ハマのドン”に花を持たせる(”状況”が変わるまで待つ)という、如何にも政治屋・菅義偉らしい話です。
②池田純氏は、出馬しないことをあきらかにしました。横浜市長選ではおなじみの週刊誌にDeNAとの金銭トラブルが報じられ、断念せざるを得なかったというのがどうやら真相のようです。ちなみに、女性初の経団連の副会長に就任したばかりのDeNAの南場智子会長は、横浜の再開発に深く関わっており、IR推進の代表的な人物です。
③三原じゅん子参院議員も、出馬しない意向を支援者に伝えたということです。
結局は、林VS小此木の事実上の一騎打ちという、大山鳴動して鼠一匹のような「村社会」が描く構図になってきました。さすが横浜で、「乱立」「混迷」のなかでも、「本命」「当て馬」「泡沫」の輪郭が徐々にはっきりしてきました。

追記:(7/29)
 神奈川県内に無料配布されるタウン紙・「タウンニュース」の最新号(7月29日号)の「意見広告」に、小此木氏と菅義偉首相の対談が掲載されていました。そのなかで菅首相は、「横浜の顔になれるこれ以上の人はほかにいない」「すべての横浜市民の未来のために、小此木さんの政治活動を全面的かつ全力で応援します」と小此木氏への支持を明言していました。
 上記に書いたとおり、これで小此木氏の出馬が「出来レース」であることがはっきりしました。林VS小此木の一騎打ちの色彩がより濃くなったとも言えますが、一方で、もう勝負は決まったも同然という声もあります。もっとも、林VS小此木と言っても、(ここが重要!)現状のまま話を進めて華僑・中国系にするのか、それともいったん「白紙撤回」してアメリカのIR業者の再登板を待つのかという違いにすぎないのです。このままでは候補者の乱立も茶番に終わりそうな気配ですが、口さがない街のスズメたちの間でも、選挙戦そのものより、「退路を断ってない」候補者のなかで誰が出馬をとりやめるかに関心が移っています。
 また、ここに来て、関内駅近くの一等地にある評価額 9億2千万円の旧市庁舎跡地が、7700万円で三井不動産やDeNAなどの企業グループに叩き売られた問題にも再度スポットが当てられています(実際は建物は売却だが土地は70年の定期借地権契約)。そのなかに突然、星野リゾートの関連会社が入ったことが物議を呼んだのでした。もちろん、その背後にIRの存在があるのは言うまでもありません。
 横浜市は直近のデータ(平成30年度)で市債発行残高が3兆1570 億円あり、しかも残高は右肩上がりで増え続ける一方です。それで、執行部や議会は、だから博打のテラ銭で借金を返済しなければならないのだ、と「チンビラの論理」で市民を脅すのですが、その一方で、昨年、917億円の巨費を投じて32階建ての新市庁舎を馬車道駅の近くの北仲通に新築・移転したのでした。ところが、完成した途端に雨漏りがしたとかで、「天下の笑いもの」と言われたり、全国でトップクラスの高給を誇る職員たちが32階の雲上から市民を睥睨するため、横浜名物の「三塔物語」をもじって「デビルの塔」とか「ドラキュラの塔」とヤユされる始末なのでした。いくら建物があたらしくなっても、市庁舎が伏魔殿であることには変わりがないのです。
 ともあれ、これで「村社会」の住人たちの狙いどおり、「日本一の大きな田舎」にふさわしい市長選になったと言えるでしょう。


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2021.07.09 Fri l 横浜 l top ▲
メディア関係で働く知り合いは、小池百合子はまだ自民党に党籍があり、二階派に所属しているよと言っていましたが、ホントなのでしょうか。

都民ファーストは地域政党にすぎないので、現実的にはあり得ない話ではありません。小池百合子の国政復帰が取り沙汰されるとき、メディアの報道も自民党から出馬するというのが前提になっているように思います。実際に、都議選後、彼女がいの一番に向かったのは、自民党本部の二階俊博幹事長のところでした。そういった曖昧模糊とした怪しげな話も、如何にも小池百合子らしいなと思います。

小池百合子の虚像について、メディアがどこまで関わっているのか、むしろそっちの方が興味があります。少なくとも彼女の数々のパフォーマンスも、メディアの協力なしには成り立たないのです。

都議選寸前に「過度の疲労」だとして入院したことについて、”元恋人”(本人たちは否定)と言われる舛添要一氏が、ツイッターでかなり執拗に「病名をあきらかにしないのはおかしい」と突っ込んでいたのも気になりました。若作りをしているとは言え、小池百合子も来週で69歳になります。病気のひとつやふたつ抱えていてもおかしくないでしょう。ただ、投票日前日のサプライズ応援を見ると、今回の入院もやはり、”小池劇場”だったのではないかという疑念は拭えないのでした。

しかし、メディアは、あくまで病気を押して応援したというような(いつもの大甘な)見方に終始していました。政治家が入院すると、病状をあれこれ詮索されて、権力の威光に翳りが生じることもありますが、一方で、批判を封じたり、難局を切り抜けたりするのに都合のいい場合もあります。

安倍晋三が持病で二度目の政権投げ出しを行なった際も、たとえば下記の記事に書いたように、おしどりマコは病気をダシに批判するのはフェアではないと言っていたのですが、そういったおしどりマコのような”同情論”に、したたかな政治家はしてやったりとほくそ笑んでいるに違いないのです。現に安倍はその後、病気などどこ吹く風とばかりにケロッとして、復権への準備に余念がないなどと言われているのです。

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安倍辞任に優しい世論と野党

舛添要一氏は、小池百合子の入院について、「政治は演技である。嘘も方便。IQの低い大衆は、それを見抜けない」とツイートしていましたが、たしかに都議選の結果を見ると、小池都知事のパーフォーマンスは、「IQの低い」都民に大きな効果があったのは事実でしょう。「倒れてもがんばるあたし」に、多くの都民は目を潤ませていたのかもしれません。しかも、入院によって、東京都のコロナ対策に対する批判もすっかり影を潜めたのでした。

私は、都議選の結果を見て、70%とか80%とか言われていた開催反対の世論はどこに行ったんだろうと思いました。案の定、大衆は寝返ったのです。あとは開催されたら、(菅総理らが考えるように)なにもかも忘れて感動に酔い痴れ、バカな本性を臆面もなくさらけ出すに違いありません。

選挙協力した立憲民主党と共産党は、選挙結果について「手ごたえがあった」と論評していましたが、それもいつもの党官僚による自演乙と言わざるを得ません。両党の得票率や得票数を合わせると、自民党のそれを上回ると牽強付会に総括していますが、しかし、今の選挙制度ではそういった総括も気休めにすぎないことぐらい子どもでもわかる話です。どうあがいても、彼らが永遠の野党であることには変わりがないのです。

一方で、メディアは、自民党と都民ファーストの「対立」みたいな幻想をふりまいていますが、しかし、小池百合子の自民党籍の真相は別にしても、都民ファーストが自民党の別動隊であることはまぎれもない事実でしょう。

そもそも記者会見における小池番の記者たちの、あの下僕のようなヘタレな姿はなんなんだと思わざるを得ません。あんなものはジャーナリストでもなんでもなく、ただの御用聞きと言うべきでしょう。

選挙のたびに思うのですが、大衆(有権者)は賢明だ、いつも正しい選択をしているというような言説には違和感を覚えてなりません。社会主義国家(党派)の大衆を神格化する政治的なスローガンのなかにある大衆蔑視の思想を指摘したのは埴谷雄高ですが、社会主義国家の愚劣な憲法の文言を持ちだすまでもなく、大衆を神格化する左派リベラルの観念的なダメさ加減に対して、大衆は所詮「IQの低い」存在にすぎないというバルカン政治家の身も蓋もない大衆観は、ある意味で大衆の本質を衝いているとも言えるのです。小池百合子のパフォーマンスが最強であるのもむべなるかなと思います。

そう考えれば、オリンピック後の総選挙で、麻生+菅VS二階の権力抗争の結果次第では自民党が都民ファと”保守合同”して小池百合子を”選挙の顔”にするという、一部で取りざたされているトンデモ話も、満更あり得ない話ではないような気さえしてくるのでした。と言うか、どこを見渡しても”選挙の顔”がいない自民党内で、「この際、清水の舞台から飛び降りたつもりで小池百合子に相乗りしよう」という、世も末のような話が出て来てもおかしくないように思います。


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2021.07.06 Tue l 社会・メディア l top ▲
Yahoo!ニュースに載っていた「オーサー」の森田浩之氏の記事「東京五輪の暴走に、何もしなかったメディアのことを忘れない」が秀逸で、共感するところ大でした。

Yahoo!ニュース(個人)
東京五輪の暴走に、何もしなかったメディアのことを忘れない

パンデミック下のオリンピック開催をめぐる問題で、私たちがまずなにより痛感されられたのはこの国のメディアのテイタラクです。今までも記者クラブの弊害など、メディアに関してはいろいろ言われてきましたが、ここまでひどかったのかとあらためて思い知らされたのでした。

ポストコロナでは、いろんな業界で大きな変化が訪れるだろうと言われていますし、ビジネスの現場でそのことを痛感している人も多いと思いますが、メディアでも”新聞離れ””テレビ離れ”がいっそう加速するのは間違いないでしょう。森田氏は、「怠慢」と書いていましたが、むしろ根本的な体質の問題と言った方が適切でしょう。文字通り、メディアはみずから墓穴を掘ったのです。

森田氏は、ロンドンのメディア・コミュニケーション学の大学院の授業を受講した際に、教授が口にした「嘘には3種類あります ── 嘘、真っ赤な嘘、そして世論調査」ということばを思い出したそうですが、たしかに、「moving goalposts(ゴールポストを動かす)」ようなやり方で開催に向けた世論を誘導したNHKを筆頭とする世論調査などは、犯罪的であるとさえ言えるでしょう。

そして、現在、開催をまじかに控え、どこの新聞もテレビもオリンピック賛美の美辞麗句で彩られようとしています。タレント活動をしている元オリンピック代表選手らの出演も目立って多くなっています。パンデミック下の不平等な今大会で、開催国の利を生かしてメダルラッシュになるのは火を見るよりあきらかですが、メディアはメダルラッシュを熱狂的に煽り立て、菅総理が言うように「感動で何もかも忘れる」ように演出するつもりなのでしょう。

開催の是非をめぐる議論について、メディアが本来の役割を果たさなかったことだ。この先、東京五輪の行く末がどうなろうと、私たちはメディアについてその点をしっかり忘れずにいるべきだ。


私たちは記憶にとどめておけばいい ── メディアは東京五輪の暴走を止めるために、ほとんど何も仕事をしなかった。メディアとしての機能を果たさなかった。

ぼくたちは何だかすべて忘れてしまう。でも、このことだけはもう忘れない。


森田氏はそう言いますが、私たちもメディアが果たした役割を忘れないようにしなければいけないのです。

東京オリンピック開催のようなデタラメが通るのならなんだってまかり通るでしょう。戦争だってまかり通ってしまいます。適当な大義名分を掲げてそれを煽れば、かつての戦争がそうであったように、そして、オリンピックと同じように、国民はそれを真に受けて熱狂するでしょう。

権力者は、今回の経験で、日本あるいは日本人には「強力な指導力」が通用するということを知ったはずです。小泉政権で「B層」ということばが生まれ、衆愚政治のタガが外れたのですが、菅政権ではサディスティックな強権政治のタガが外れた(外された)と言っていいのかもしれません。それは菅義偉が政治家ではなく、政治屋だからこそできたことでもあります。横浜市議時代に培った”恐怖支配の手法”をそのまま国政に持ち込み、しかも、それが国政でも通用したのです。

いつも上目使いであたりを睥睨する、如何にもコンプレックスの塊のような貧相な小男。なんだかヒットラーと共通するものがありますが、そんな”プチ独裁者”の暴走を押しとどめる者がどこにもいないのです。メディアが本来のメディアの役割を果たしてないのです。そもそも今のメディアは、「本来のメディアの役割」さえはなから持ってないかのようです。

私は、もうひとつ、今回の開催をめぐる問題のなかで、個人的に疑問を持ったことがあります。それは、どうして「愛国」を標榜する右翼は開催に賛成するのか、どうして右翼の街宣車はオリンピック反対のデモにあんなに敵意を剥き出しにするのか、という疑問です。本来なら右翼こそが反対すべきテーマのはずです。国民の命や健康よりスポンサー企業やIOCの意向を優先する菅政権を「売国的」と糾弾してもおかしくないのです。

それで、本棚から片山杜秀氏の『近代日本の右翼』(講談者選書メチエ)という本を引っ張り出して読み返しているのですが、その「あとがき」で、片山氏は戦後の右翼が陥った隘路について、下記のように書いていました。片山氏は、戦前の右翼(超国家主義者)は、「天皇を小道具に魔術を為そうとした者たちが、逆に天皇の魔術にからめとられて、今が気に入らないのか、今のままで大いに結構なのかさえ、よく分からなくなっていった」と指摘していましたが、戦後の右翼もまた、その桎梏から自由になれなかったと書いていました。たとえば、「反共右翼からの脱却」というスローガンを掲げて登場した新右翼に私たちは衝撃を受けたのですが、しかし、大半の戦後右翼にとってはそれも単なる”世迷い言”にすぎなかったのです。

(略)戦後の右翼は、天皇絶対の思想が象徴天皇制をうたう新憲法のせいで相当に弱められることで、かえってもっと自由に、必ずしもすべてを天皇に縛られずに、日本の過去の様々なイメージを持ちだして撃つ方法を手に入れることができたはずであった。ところが実際の右翼は、左翼が天皇を脅かし、新憲法によって弱らされた天皇をますます痛めつけ、ついには天皇を排除しようとしているので、とりあえずこれを守らねばならないという「国防哲学」に専心しすぎ、今ある天皇をとりあえずそのまま保つという戦時中の現在至上主義の一種の反復にかなりの精を費やし続け、現状を打破するための思想性を回復、もしくは創出できないまま、ずるずる来てしまったようにも見える。
(『近代日本の右翼』あとがき)


ところが、その天皇は、なんと菅総理による内奏の3日後に、”推察”というかたちで強行開催に懸念を示したのでした。

一方、菅総理らは、”推察”について、「西村宮内庁長官の個人的な意見」と無視を決め込んだのです。そんな菅総理らの態度に対して、私は真っ先に「君側の奸」ということばを思い浮かべましたが、しかし、不思議なことに、右派からそのようなことばが出て来ることはありませんでした。それどころか、安倍晋三元総理は、”極右の女神”との雑誌の対談で、オリンピック開催に反対する人たちは「反日的」だと仰天発言をしているのです。つまり、パンデミック下においてもなお、国民の命や健康よりスポンサー企業やIOCの意向を優先することが「愛国」だと言っているのです。まさに「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を象徴する発言と言えるでしょう。安倍元総理の発言についても、「なに言っているんだ、お前こそ反日じゃないか」という声があってもおかしくないのですが、そういった声も皆無でした。

いろんな意味で、この国の劣化はもはや押しとどめないほど進んでいるのです。オリンピック開催をめぐる問題が、それをいっきに露わにした気がしてなりません。
2021.07.02 Fri l 社会・メディア l top ▲