髪が伸びてうっとうしくてなりません。床屋に行きたいのですが、感染が怖くて行けないのです。と言うのも、私が行く床屋の主人が感染に関してはまったく無頓着で、髪を切っている間も、マスクもしないで、唾を飛ばしながら大声で喋るので怖くてならないのです。

マスクをして下さいと言うと、「神経質ですなあ、大丈夫ですよ」と千葉真一のようなことを言う始末です。挙げ句の果てには、理容組合も感染対策がうるさいので面倒になって脱退したそうで、私は、その話を聞いて身の毛もよだつ気がしました。当然、お客さんは目に見えて減っています。

じゃあ、行かなければいいじゃないか、他の店に行けばいいだろうと思うかもしれませんが、近所付き合いもあってなかなかそうも行かないのです。急に来なくなったお客が舗道の向こうからやって来て、自分に気付いたら踵を返して来た道を戻って行った、という話をしていましたが、踵を返した人の気持もわかる気がします。

なんだか悪口を書いているようで(たしかに悪口なのですが)気が引けるのですが、特にデルタ株の感染拡大においては、このように”親しき隣人”に対しても、いつの間にか必要以上に警戒して邪険にするようになっている自分がいます。一方で、「正しく怖れる」「自分の身は自分で守る」ためには仕方ないと思ったりもするのですが、そう思うことが悩ましくもあります。

コロナ禍で人間関係がトゲトゲしくなったなどと言われますが、かく言う私も例外ではないのです。と言うか、むしろ自分からそう仕向けているような感じさえあります。

電車に乗っていても、電車のなかの乗客たちのふるまいに、いつも顔をしかめて見ている自分がいます。駅に着きドアが開くと、まだ降りている乗客がいるのももどかしいとばかりに車内に乗り込んできて、空いてる席に突進する乗客。まるで犯人を捜す刑事のように車両の間を渡り歩いて、空いている席を探しまわっている乗客。私は、この手の人間たちを「電車の座席に座ることが人生の目的のような人々」とヤユしてきましたが、こういう人たちに「正しく怖れる」「自分の身は自分で守る」などと言っても、所詮は馬の耳に念仏のように思えるのです。

そんな電車内の光景を見るにつけ、スーパーでレジに並ぶのに間隔を空けるように床にラインが引かれていたり、病院の待合室などでひとりづつ間を空けて座るように座席に✕印が付けられていたりするのは、まるで冗談のように思えてきます。

通勤電車に関しては、「密」ということばは完全に死語になっています。新型コロナウイルスの感染が取り沙汰されてもう20ヶ月が経ちますが、テレワークの推進などというお題目を唱えるだけで、肝心要な通勤電車は相も変わらず放置されたままなのです。

伊勢丹新宿店で7月中旬から8月中旬にかけて150人以上のクラスターが発生したとか、新宿駅東口のルミネエスト新宿店でも59人が感染し臨時休業したというニュースがありましたが、それも元をただせば通勤電車内の感染のように思えてなりません。他のデパートやテナントビルにおいても、伊勢丹やルミネのようにクラスターにまでは至ってないものの、感染者はひきもきらず発生しているのです。しかも、感染している売場は、役所が言うように食品売場に限った話ではないのです。どう考えても、接客で感染したというより、通勤時に電車内で感染したとしか思えないのです。

スマホ中毒みたいな人間たちが、ただスマホを操作するために、少しでも座席に隙があると身体をねじ込んでいる光景も相変わらずです。彼らは感染防止より目の前のSNSのやり取りやゲームの方が大事なようにしか思えません。

私が日常的に使っている電車の沿線にも、若い女性向けの洋服や雑貨の店が軒を並べる有名な商店街がありますが、新型コロナウイルスが発生する前から、その駅で降りる如何にもショップ店員のようなオシャレな女性たちに、スマホ中毒の「電車の座席に座ることが人生の目的のような」タイプの人間が多いと個人的に密かに思っていました。もちろん、それは偏見なので他人には言えなかったのですが、新宿の伊勢丹やルミネのクラスターのニュースを見てやっぱりと思ったのは事実です。

感染の67%が「家庭内感染」だと言われていますが、でも、「家庭内感染」がどこから来ているのか、誰もあきらかにしようとしません。飲食店をやり玉にあげる前に通勤電車をやり玉にあげるべきではないかと思いますが、それはまるでタブーであるかのようです。

保育園の職員が、保育園でいくら感染防止の対策を講じても、お父さんやお母さんが通勤電車で感染してそれを家庭に持ち帰り、園児が感染して(無症状のまま)登園すればこの感染対策は何にもならないのですよ、と言っていましたが、まったくその通りでしょう。デルタ株では、子どもの間でも感染が広がっており、保育園や幼稚園、それに小中学校や高校、学童クラブなどでもクラスターが発生しています。その多くも通勤電車などから持ち込まれた「家庭内感染」が元になっているように思えてならないのです。

職場の感染対策も、建前とは別に、現実は仕事優先でおざなりな場合も多いのです。道を歩いていると、道路の脇に工事用の資材を積んだトラックなどが停まっていて、運転手たちが時間つぶしに立ち話をしている姿を見かけますが、見ると運転手たちはマスクをしてないか、あるいは鼻マスクで、煙草を吹かしながら大声でバカ話をしている場合が多いのです。これだけ新型コロナウイルスの感染が言われ続けてもなお、そういった光景が当たり前のように存在するのです。どうしようもないのは、深夜の繁華街の若者だけではないのです。

デルタ株の感染爆発はもはや他人事ではなく、身近な問題です。近所のスーパーなどでも感染者が次々と出ています。それも、症状が出たり、あるいはPCR検査をしたからあきらかになっただけで、どう考えても、氷山の一角のようにしか思えません。

自治体が発表する新規感染者数は、あくまで検査数に応じた数字にすぎず、市中の実際の感染者数を表すものでないことは誰でもわかります。前から言っているように、欧米並みの検査を行なえば、欧米並みかそれ以上の感染者数が出て来るのは間違いないのです。だからこそ、(それでも感染するかもしれないけど)私たちは今まで以上に「正しく怖れる」「自分のことは自分で守る」必要があるのです。それは、自己責任論や「ファシスト的公共性」云々以前の問題だと思います。

一方で、私たちは、現在、医療崩壊の現実を目の当たりにしています。神奈川県は、医療崩壊を防ぐあたらな医療体制を「神奈川モデル」などと呼んで自画自賛していましたが、既に重症病床のキャパシティは90%を超えています。さらに、「自宅療養者」は1万6千人を超え、検査数が少ないため陽性率も38.67%(8/26現在)という信じられない数字になっているのです。神奈川県でひとり暮らしをする私のような人間は、感染することは恐怖でしかありません。

今更言っても遅いですが、だからコロナ専門の病院が必要だったのです。その時間的な猶予は充分あったはずです。にもかかわらず、少ない検査数で新規感染者数を誤魔化して感染状況を過少に演出し、挙句の果てにはGoToトラベルなる感染を克服したかのような愚策まで演じて、今日のような感染拡大と医療崩壊を招いてしまったのです。

受け入れる病院がなく、自宅で死を待つ人々は明日の自分の姿かも知れません。そのため、凡夫の私たちは、感染の恐怖から疑心暗鬼に囚われ、人間不信を募らせているのでした。他人に優しくあれ、温かい眼差しを向けよと言われても、とてもそんな余裕はありません。むしろ、そんなことばも、みずから墓穴を掘るお人好しのススメのようにしか聞こえないのでした。
2021.08.28 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
不遜な言い方に聞こえるかもしれませんが、横浜市長選の結果については、特に感慨はありません。何度も言うように、とにかく「日本一大きな田舎」を仕切る「村社会」に風穴を空けなければどうしようもないと思っていますので、そのことに興味があるだけです。今回の選挙結果が蟻の一穴になるかどうかはまだわからないのです。

今回山中竹春候補を担いだ立憲民主党も、かつて(そして今も?)「村社会」の一員だったということを忘れてはならないのです。少なくとも、ついこの前まで林市政の与党として林前市長を支えてきた夫子自身の総括は何もしてないのです。それどころか、林前市長の”製造者責任”さえあるでしょう。党名を変えたから免罪されるというものではないのです。それでは、連合や自治労やあるいは市関係4労組のような獅子身中の虫に掻きまわされて元の木阿弥になるのがオチだと思います。「市民自治の復活」と言うのはあまりにも能天気すぎるのです。

むしろ、今回の市長選を一歩下がったところから見ると、選挙結果とは別にいろんなことが見えて興味をそそられました。たとえば、立憲民主党の事なかれ主義をどう捉えるかということにも関係しているのだと思いますが、山中竹春候補と田中康夫候補を支持する左派リベラルの間で、それぞれ「左の全体主義(ファシズム)」VS「限界系左翼」という罵り合いがくり広げられたこともそのひとつです。それは、選挙が終わった今もつづいています。

そこにあるのは、吐き気を催すようなきわめて古い政治の風景です。今になればどんなことでも言えますが、やはり、60年代後半の運動(大衆叛乱)を正しく検証していない(する気がなかった)人間たちのお粗末さ、滑稽さが露呈されているように思えてなりません。彼らは、過激派が内ゲバで自滅してざまあみたいな既成左翼の見方をただ無定見に踏襲しているだけです。そんな同病相哀れむような罵り合いに対しては、党派に随伴することでしかみずからの政治的主張を表明することができない不幸と恐怖を考えないわけにはいきません。

私は天邪鬼な人間なので、こういう選挙結果になったら、今度は逆に林前市長の功績を考えてみたくなりました。操り人形でも操り人形なりの功績が何かあったのではないか。そう思ってSNSを見ていたら、横浜市民の方のツイッターで、林市長になってから職員の対応が良くなったのはたしかだというツイートが目にとまりました。もしかしたらこのブログにも書いたかもしれませんが、私も同じことを思いました。それまではホントにひどかったのです。何をしているかわからない職員もいました。ちょうどラスパイレス指数で横浜市の職員の給与が日本一になった頃だと思いますが、私自身横浜に引越したばかりだったので、まだこんな役人天国の世界が残っていたのかとびっくりした覚えがあります。職員の対応が良くなったというのは林市政の数少ない功績のひとつと言えるでしょう。

それからもうひとつ天邪鬼ついでに言えば、任期最後の今月4日の定例記者会見での林前市長の次のような発言にも感心しました。

(略)3期12年にわたり行ってきた定例会見の意義について「市にとって必要な役割。次の市長になる方も記者会見を大切にしてほしい」と述べた。
(略)
「本当に厳しい質問が毎週のようにあった。私自身は行政をやる上での姿勢を果たすとともに、反省する機会にもなった」と振り返った。
(略)
定例会見は厳しく自分を律する場でもあったとして「記者は遠慮せずにぶつけてくれる場であってほしい」と期待した。

Yahoo!ニュース
カナロコ(神奈川新聞)
【横浜市長選】横浜・林市長が任期中最後の会見「次の市長になる方も記者会見を大切に」


少なくとも菅総理や、今の自民党を牛耳る安倍・麻生・二階の三○○大将には間違っても望めない発言でしょう。

その菅総理についてですが、市長選の結果を受けて、政治的に窮地に立ち、自民党内でも「菅降ろし」がはじまるのではないかという見方がいっせいに出ています。しかし、三〇〇大将が牛耳る今の自民党の党内力学はそんな単純でヤワなものではないでしょう。なにより菅総理自身が、そうなればなるほど自他ともに認める鋼のようなメンタルの強さを発揮するはずです。それは、換言すれば厚顔無恥ということですが、政治屋に厚顔無恥なんてことばは通用しないのです。むしろ、厚顔無恥であってこそ政治屋なのです。本人は、「叩き上げだから打たれ強い」という自己に対する迷信をさらに深めて、政治屋の本領を発揮するに違いありません。

菅総理に関しては、下記のプチ鹿島氏の分析がどんな政治評論より的を射ているように思いました。

文春オンライン
《横浜市長選で与党惨敗》「総裁選に勝利して衆院解散に…」とにかく“タフ”な菅首相が“次に期待”し続ける理由

この感染爆発と医療崩壊のなかにあってもなお、「9月12日」という中途半端な緊急事態宣言の期限に見られるように、感染対策より総裁選や解散総選挙のスケジュール(つまり、権力者の都合)が優先されるという政治の末期症状。そこにあるのは、政治家ではなく政治屋の姿です。

横浜市の人事に介入にして「陰の横浜市長」と言われたり、総務省でも意に沿わない官僚を飛ばしたりという、人事権をふりかざして人を支配するその非情さが、コロナ対策にも表れているように思います。

上記のプチ鹿島氏の分析でも触れていますが、朝日の鼎談で、日本学術会議の任命を拒否された加藤陽子氏(東京大教授)は、今の政権が持っている説明責任の欠如について、次のように指摘していました。

加藤 「やはり人事権を握った、官房長官時代からの菅さんと、杉田和博官房副長官のふるまいが大きいと思います。彼らは説明『しない』ことによって、忖度(そんたく)させるという権力の磁場を新たに作った。そういう誤った方向での強い自負があるのではないか」

朝日新聞デジタル
コロナ敗戦から考える「危機の政治」と「政治の危機」


でも、それは中小企業のワンマン経営者などにありがちな裸の王様の手法でしかないのです。言うなれば、中小企業のワンマン経営者が総理大臣をやっているようなものです。

今の菅総理には、自宅に「放置」されひとり死を待つ人々の姿は目に入ってないかのようです。コロナ禍にあっても、コロナ対策より自分の権力の維持が優先される。そんな政治屋が総理大臣になったこの国の不幸を今更ながらに痛感せざるを得ないのです。


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2021.08.24 Tue l 横浜 l top ▲
その後の膝の具合ですが、多少の違和感は残っているものの痛みは完全に引いて、水も溜まらず結構調子がいい状態がつづいていました(過去形)。

先月、整形外科に行った際、ドクターから「ヒアルロン酸も打ち終わったので、今後どうするか。あとワンクール(週1回で計5回)打つかどうかですが、どうしますか?」と訊かれました。

「先生、私が決めるんですか?」
「一応区切りが付いたので、このあとどうするか意向を訊きたいんですよ」

たしかに、水もあまり溜まらなくなったし、違和感が残っているとは言え、痛みもほとんど消えました。恐らく多くの患者は、このあたりでフェードアウトして、整骨院にリハビリに行ったりするのでしょう。私も、このままフェードアウトしてもいいような気がしないでもありません。ドクターも暗に「フェードアウトしていいですよ」と仄めかしているんじゃないかと思いました。

しかし、一瞬迷ったものの、私が下した結論は、ヒアルロン酸をあとワンクール打ってもらうという選択でした。もちろん、あまり効果がないヒアルロン酸を打っても仕方ないと言えば仕方ないのです。しかし、痛みが取れたとは言え、まだ違和感が残っているので病院と縁が切れるのに一抹の不安がありました。それに、湿布薬も、当然ながら病院で処方してもらった方が安く手に入ります。そんな打算もはたらいたのでした。

そして、そのあと、4回(4週)病院に通いましたが、水を抜くことはなく、ヒアルロン酸の注射と湿布薬の処方をくり返しただけでした。

ところが、先週のことです。膝痛とは反対の左足の踵の骨が出っ張っているところが痛くなったのです。その前から少し痛みを感じていたので、「また靴擦れなのか」と思っていました。と言うのも、同じところの痛みは今までも何度かあったからです。しかし一方で、最近、靴をあたらしくしたわけではないのに、どうして急に靴擦れになったんだろうという疑問もありました。

しかも、痛みは日が経つに連れ増すばかりでした。そして、とうとう歩くのもままならなくなったのでした。つま先が上がり脛が伸びた状態になると強い痛みに襲われるようになったのです。また、階段を下る際も、踵に衝撃が加わるからなのか、痛みがひどく、一段一段足を下ろすたびに試練を課せられているような感じでした。骨が出っ張っている部分を指で押すと、頭頂まで貫くような強烈な痛みが走ります。しかし、痛みの部分を見ても赤くなっているだけで、水ぶくれやタコやマメができているわけではありません。どうも靴擦れではないような気がします。

こういうのを疼痛と言うらしいのですが、しかし、疼痛のチャンピオンである尿管結石の痛みを何度も経験している身から言えば、同じ疼痛でも尿管結石のそれとは若干違います。尿管結石は普段の呼吸に合わせたようなズキズキという痛みですが、今回の痛みは運動して呼吸が上がったときのようなテンポの速い痛みです。

それで、膝の診察のついでに、踵も診てもらうことにしました。近所の整形外科は自宅から500メートルも離れてないですが、そこまで歩いて行くのもひと苦労で、100メートル歩くのに10分くらいかかるのです。車椅子があったらどんなに楽だろうと思ったくらいでした。さらに、左足をかばって歩くので、右足の膝にも痛みが出て来る始末でした。

185センチの大男が苦悶の表情を浮かべて両足を引き摺りながら前からやって来るので、舗道ですれ違う人たちは車道に出て私をよけていました。子ども連れの母子は、お母さんが「こっちに来なさい」と子どもの袖を引っ張っていました。すれ違ったあと、うしろを振り返ると、子どもが立ち止まって不思議なものでも見るようにじっと私の方を見ていました。もしかしたら、私のことをフランケンシュタインのように見ていたのかもしれません。

診察室に入って左足のことを話すと、ドクターは「ああ、あとでレントゲンを撮って確認しますが、おそらくアキレス腱で骨が引っ張られて炎症を起こしているんだと思いますよ」と言って、紙に図を描いて説明してくれました。「整形外科に通っているのにまた足が痛くなるなんて、どうなっているんだと思いますよね」と言って笑っていました。

レントゲンを撮るとドクターの説明どおり、アキレス腱とつながっている踵の骨(踵骨)が引っ張られて、膝と同じように骨棘(こつきょく)が生じており、そのために周辺の皮膚に炎症が起きているということでした。治療法は対症療法しかなく、膝とまったく同じで、鎮痛消炎剤の湿布薬を貼り痛み止めの内服薬を飲んで痛みが収まるのを待つしかないそうです。

「よくあることなんですか?」
「結構ありますよ。先週も同じ症状の患者さんが来られましたよ」
「どのくらいで痛みが消えますか?」
「2~3日すれば大概収まりますよ。1週間分の薬を処方すれば、ほとんどの患者さんはそれ1回きりで来なくなりますね」

原因はアキレス腱の使いすぎだそうです。しかし、当然ながら現在、私はまったく運動をしていません。「何か日常生活で思い当たることはないですか?」と訊かれたのですが、なにもないのです。

すると、まるで私の心のなかを見透かしているかのように、ドクターは次のような話をはじめたのでした。

「前に来た患者さんはロードバイクをしている方で、走っている途中でタイヤがパンクしたらしいのです。それでしゃがんでパンクの修理をしたそうですが、その際、地べたにお尻を付けて座るのではなく、両足の踵を上げた状態でじゃがんで修理をしたらしく、それが原因で痛みが出たみたいです。日常のちょっとしたことでも原因になったりするのです。なにか似たようなことはありませんでしたか?」

その話を訊いて、私はドキッとしました。ロードバイクの話で、先日買ったエアロバイクのことが思い出されたのでした。しかし、エアロバイクのことはドクターには言わずに、「うーん、なんだろう?」と首を捻ってとぼけたのでした。

私の部屋は、いつの間にかトレーニング器具が増えてスポーツジムみたいになっているのですが、最近は負荷をかけてエアロバイクを漕いでいました。私は何事においてもやりすぎるきらいがあり、エアロバイクで自分を追い詰める真似事をしたことで、どうやら天誅が下ったみたいです。

ドクターは特に病名を言いませんでしたが、ネットで調べると「アキレス腱付着部症」と言うのだそうです。この「アキレス腱付着部症」は、ランニングする人やバスケットボールのようなジャンプする競技の選手に多いと書いていました。ちなみに、痛みの方はドクターの言うとおり3日くらい経ったらほとんど消えました。ただ、左足をかばっていたためでしょう、右の膝にまた「注射器水1本分」の水が溜まっていたそうで、案の定、それ以来膝の調子がよくありません。

そこで、では、今まで同じような痛みに襲われていたのはどうしてなのか?と考えてみました。このブログでも六ツ石山に登った際、靴擦れが生じた話を書いていますが、ほとんどは今回のように痛みがひどくなることはなく、スリ傷用の塗り薬とバンドエイドを貼っていたら自然と消えました。

つまり、六ツ石山が典型なのですが、急登でアキレス腱が伸び骨が引っ張られたために、一時的に痛みが出たのでしょう。「アキレス腱が痛くなるほどの急登」というのはこういうことだったんだ、と初めて合点がいったのでした。ブログではノースフェイスの靴が靴擦れの原因ではないかと書いたように記憶しますが(そのために靴を買い替えたのですが)、靴は関係なかったのです。

私の場合、このように勝手な思い込みで間違った対策を講じて、あとで後悔することがホントに多いのです。素人の浅知恵とはよく言ったものだとつくづく思います。

こうして膝や踵などの痛みを経験したことで、多少なりとも正しい知識を身に付けることができた気がします。それは、文字通り怪我の功名というべきかもしれません。同時に、今まで如何に間違った考えを持っていたかということを痛感させられたのでした。
2021.08.22 Sun l 健康・ダイエット l top ▲
横浜市長選は、今日(8月21日)が選挙運動の最終日で、明日が投票日です。それで一応、情勢に関する記事を書いておきます。

ちょうど1週間前の8月14日に神奈川新聞が下記のような記事を掲載して、地元では大きな衝撃をもって受け止められました。

カナロコ(神奈川新聞)
世論調査:山中氏先行、追う小此木氏 林・松沢・田中氏続く

で、この1週間で情勢がどう変わったのか。各メディアの出口調査によれば、「巻き返し」どころか逆に「引き離した」「引き離された」という声が多いようです。また、前の木下ちがや氏の文言にあるように、文字通り「脅迫と粛清の嵐」のすさまじい「切り崩し」のなかで、切り崩された候補はとうとう先頭争いから脱落したという報道もあります。「村社会」の”暗闘”が、”暗闘”どころか白日下の内ゲバにまでエスカレートしたことで、「引き離した」候補が益々漁夫の利を得たという側面はたしかにあるでしょう。

もちろん、デルタ株の感染拡大が追い風になったのも間違いありません。「災害級の感染拡大」「今まで経験したことのない事態」などと言いながら、オリ・パラを開催し、トンチンカンな自粛要請をくり返すだけの菅政権に対する反発が、地元の市長選で「側近中の側近」の苦戦になって示された(言うなれば意趣返しされた)と言えなくもないのです。

さらに横浜市の感染対策のお粗末さがそれに輪をかけています。10万人当たり感染者数では、沖縄県・東京都・神奈川県の三県が上位を占めていますが、横浜市の一日の新規感染者数も最近は千人の大台を越えるようになってます。また、神奈川県の「入院率」は公式では9%(入院が必要な患者100人のうち9人しか入院できない)と発表されていますが、実際はもっと深刻で感染して重症化しても病院を見つけるのは至難の業だ、最初からあきらめるしかないと公然と言われているのです。つまり、完全に医療崩壊を招いているのです。医療崩壊というのは、手っ取り早く言えば「放置」です。感染しても病院に入れず「放置」されるというのは、新型コロナウイルスは風邪と同じというネトウヨのような陰謀論者ならいざ知らず、リアルな日常を生きる真っ当な市民にとってはきわめて深刻な話で、それが市長選の情勢に反映されるのは当然と言えば当然でしょう。

そんななかで、横浜市ではワクチン接種も遅々として進んでいません。知り合いの50代後半の人は、まだ接種券も届いてないと嘆いていました。ワクチンも打てない、感染しても病院にも入れない。もう踏んだり蹴ったりというのが実情なのです。

ただ一方で、「危ない」と言って危機感を煽るのが選挙の常套手段でもあり、「引き離した」「引き離された」という報道は額面どおりに受け取れないという慎重な声もありました。

元町のバッグの「キタムラ」の社長がIR推進の候補を応援しているのは横浜では有名な話ですが、その「キタムラ」では「脅迫と粛清の嵐」のなかで不買運動に見舞われ、社長が憤慨しているというオチまでありました。

Yahoo!ニュース
SPA!
横浜市長選で小此木氏失速、菅首相の「全面支援」がマイナス要因に

政治と宗教の話がタブーだというのは商売のイロハです。商売のイロハを忘れた5代目経営者には当然のツケと言うべきかもしれません。かつてハマトラをけん引したおしゃれブランドの社長がIR=カジノ誘致の先頭に立っているのは、どう考えてもシャレにならないでしょう。

でも、私は、前も書いたように、「村社会」の蟻の一穴しか興味がありません。とにかく、このチンピラの街に風穴を空けることが肝要なのです。


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2021.08.21 Sat l 横浜 l top ▲
路上生活者についても、たとえばバブルの頃は、私の周辺でも「普通に生活していればあんな風にはならないよね」と言う声がありました。世の中は景気がいいんだから働き口は沢山ある。普通に働いていればホームレスになるわけないという認識があったように思います。

そのため、路上で生活している人たちは、社会的に適合できない、知的障害があったり酒やギャンブルで身を持ち崩したような「特殊な人々」だという見方がありました。「ホームレスは三日やったらやめられないと言うじゃないか」なんて言って笑って見ている人さえいました。

もちろん、それは認識不足による偏見にすぎないのですが、そういった見方をするというのは、私たちのなかにまだ経済的な余裕があったからです。だから、所詮は他人事で異物を見るように見ていたのです。

しかし、現在はそんな見方は少なくなりました。経済的な余裕がなくなっており、ましてこのコロナ禍で、生活が困窮するようになるのは他人事とは言えなくなったからです。

また、コロナ禍だけでなく、労働者の半分以上が派遣など非正規雇用だという、私たちをとりまく労働環境の変化もあります。

先日の小田急線刺傷事件の犯人も派遣で職を転々としていた青年でした。京都アニメ事件の犯人も秋葉原事件の犯人も似たような境遇でした。若くして「人生が詰み」、自暴自棄になって犯罪に走ったという解釈もできなくはないように思います。

先進あるいは中進工業国38カ国が加入するOECDのなかの経済指数を見ても、日本は下落する一方で、社会における所得の不平等さを測る指標であるジニ係数では、韓国より下の16位まで落ちています(2018年)。このように私たちの人生が板子一枚下は地獄のような危いものになっており、生活保護や路上生活ももはや他人事ではなくなっているのです。「普通に生活していればあんな風にはならないよね」とは言えなくなったのです。むしろ、「もしかしたら自分も」と思うような人が多くなっているのは事実でしょう。

ただ一方で、その分”見たくないもの”として激しく排斥しようとする近親憎悪のような心理もはたらくようになっています。似たような境遇だから、明日の自分の姿だからと思うと、寛容になる人と逆に不寛容になる人がいるのです。人間にはその二つの相反する心理が存在するのです。

昔、作家の野坂昭如が「二度と飢えた子どもの顔を見たくない」というスローガンで参院選に出馬した際、五木寛之が自分は「二度と飢えた親の顔を見たくない」と言ったのを覚えています。五木寛之が言うには、目の前にパンが一切れしかない場合、平時だと「お母さんはいいから食べなさい」と子どもに食べさせるけど、飢餓の状態にある非常時だと親は子どもからパンを取り上げて自分が食べようとする。そんな場面を朝鮮半島から引き上げる途中に何度も見たそうです。今は隣人との関係において、それに近いものがあるのではないでしょうか。思いやりとか優しさとかいった寛容の精神は、まだ余裕があった平時の話かもしれないのです。

自分たちのことを考えてみればわかりますが、私たちは、親から結婚資金やマイホームの頭金を出してもらうのが当たり前のような世代でした。じゃあ、今度は私たちが自分の子どもにも同じことができるのかと言えば、もうできないのです。

前も書きましたが、私は九州の高校を卒業しましたが、当時、東京の大学に進学した同級生は100名近くいました。今でも関東圏に住む同級生は60名くらいいます。でも、現在、母校の卒業生で東京の大学に進むのは数名しかいません。それだけ進学するにしても地元志向、そして公立志向が強くなっているのです。どうしてかと言えば、昔のように子どもを東京の大学にやるほどの経済的な余裕がなくなったからです。

一見贅沢な生活をしているように見えますが、しかし、このように確実に余裕がなくなっているのです。それだけ貧しくなっているのです。格差と言うと、じゃあ勝ち組になるようにがんばればいいと思いがちですが、勝ち組は数%の人間しか入れない狭き門です。大半は勝ち組になれないのです。それが格差というものです。格差は間違っても誰でも努力次第で勝ち組になれるような平等な競争なんかではないのです。ジニ係数が示しているのはその冷酷な現実です。

私たちが忘れてはならないのは、経済的な余裕がなくなり社会全体が貧しくなればなるほど、負の感情の「地下茎」が広がっていくというおぞましい現実です。そして、それが優生思想のようなものと結び付き、今回のように突然社会の表面に噴出するようになるのです。

DaiGoの場合はあぶく銭を掴んだので勘違いしたとも言えますが、負の感情の「地下茎」が表面化したという点では、相模原のやまゆり園事件や座間の9人連続殺害&遺体損壊事件の犯人たちの方がわかりやすいように思います。

DaiGoの発言を狂気だと言った人がいましたが、相模原のやまゆり園事件や座間の9人連続殺害&遺体損壊事件の犯人たちについても、なんらかの精神障害を発症しているのではないかという見方がありました。優生思想が社会の表面に噴出したとき、それが狂気のような相貌を帯びているのは当然と言えば当然です。そんな狂気のような相貌を帯びているものが私たちの社会に間違いなく広がっているのです。

「普通に生活していればあんな風にはならないよね」「ホームレスは三日やったらやめられないと言うじゃないか」というのは単なる差別ですが、しかし、経済的な余裕がなくなり彼らの存在が身近になればなるほど、そういった差別意識が地下深くもぐり込んで”狂気の思想”と結び付くようになるのです。合理主義の極致とも言うべき市場原理主義的な考え方も、優生思想と親和性が高いと言えるでしょう。

DaiGoの発言は、そんな狂気の思想が足下でマグマのように溜まっている私たちの社会のもうひとつの顔を浮かび上がらせたとも言えるのではないでしょうか。
2021.08.17 Tue l 社会・メディア l top ▲
メンタリストのDaiGoが、YouTubeの自身のチャンネルで行なった発言が批判を浴びています。それは、「生活保護の人達に食わせる金があるのなら猫を救って欲しい」「自分にとって必要の無い命は僕にとっては軽い」(新聞記事より)などという、生活保護受給者や路上生活者に対する差別をむき出しにした身の毛もよだつような発言です。DaiGoの発言は、相模原のやまゆり園事件や座間の9人連続殺害&遺体損壊事件の犯人たちと同じような優生思想に基づくものと断言していいでしょう。

批判が殺到するなかでも、DaiGoは当初、「命は平等っていうけど優劣は全然ある」、自分は「税金をめちゃくちゃ払ってるから」、自分を叩いている人たちより「彼らのことを保護」しているなどと、挑発的な発言をして開き直っていました。ところが、その翌日、今度は一転して「知識が足りなかった」と反省の意を示し、(メディア風に言えば)「謝罪」の姿勢を見せたのでした。しかし、これはYouTube特有の炎上商法で、「謝罪」もその過程におけるポーズにすぎないという声もあります。

YouTubeは、文字通り丸山眞男が指摘した「タコツボ」化した世界を象徴する(そして低俗化した)ようなプラットフォームで、世間から眉をひそめられる言動や行為もそうであればあるほど、逆にコアな視聴者によって拍手喝さいを浴びるような世界です。実際に、「謝罪」の動画の再生回数は168万(8月15日現在)にものぼり、再生回数に連動したアドセンスやアフィリエイトなどの広告収入も爆発的に増えることが予想されます。ちなみに、DaiGoのYouTubeのチャンネル登録者数は246万人です。

DaiGoは「メンタリスト」という肩書を名乗っていますが、メンタリストとはなんぞやと思ってググると、「メンタル・マジック(mental magic)を行う人」ということばが出てきました。要するに、心理学などを応用したマジック(超能力的な行為)を行なうエンターテイナーというような意味のようです。そう考えれば、炎上から謝罪へ至る一連の流れも、メンタリスト特有のマジック(人心操縦術)と言えなくもないように思います。

DaiGoがこのような暴言を吐いた背景には、この社会の根底に、以前も書いたように、生活保護受給者やホームレスを差別し蔑視する負の感情の「地下茎」(安田浩一氏)があるからでしょう。それが「タコツボ」化したネットで、このようにときおり姿を現わすのです。

Yahoo!ニュース
AERA dot.
「ヤフコメ」は日本の恥? 社内で問題視も「PVが減るから閉鎖できない」〈週刊朝日〉

先日、Yahoo!ニュースに上記のような記事がアップされていましたので、ヘイトの巣になっているヤフコメに対して、ヤフーの社内でも「日本の恥」だという認識が広がっているのかと思って読んだら、なんのことはないオリンピック期間中のアスリートに対する「誹謗(ひぼう)中傷」が恥だと思っているだけでした。

アスリートには罪はない、スポーツは特別だ、というメディアの詭弁に対する反発がSNSなどを通してアスリートに向けられたのはある意味で当然だと思いますが、ヤフーの社内ではそれが「日本の恥」と思っているらしいのです。私は、むしろ、(今までも何度も書いていますが)PVを稼ぐためにヤフコメを使ってヘイトな記事を拡散させる(バズらせる)Yahoo!ニュースこそが「日本の恥」だと思っていますが、ネットの守銭奴たるヤフーの認識はそれとは別のところにあるようです。

言うなれば、DaiGoは、ヤフコメなどに代表されるような負の感情の「地下茎」から出てきたメンタリストならぬトリックスターと言っていいのかもしれません。

ただ、そんな暗澹たる世相のなかで、意外なと言ったら失礼かもしれませんが、ホッと安堵するような反応も見ることもできました。

ひとつは、厚労省の素早い反応です。厚労省は、サイトやTwitterで、「生活保護を申請したい方へ」と題して、「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください」と呼びかけたのでした。

厚生労働省
生活保護を申請したい方へ

もうひとつは、たまたま見つけたのですが、エッセイストの犬山紙子氏が、みずからのTwitterで、上記の厚労省のサイトへのリンクとともに次のようにツイートしていたことです。

犬山紙子
@inuningen

犬山紙子子ツイート

私は、犬山紙子氏については、アイリスオーヤマの社長の娘くらいしか知識はなく(実際は娘ではなく姪だった)、こんな生活保護に対する正しい知識を持っているような人だとはまったく知りませんでした。

ちなみに、憲法25条は、国民の生存権(健康で文化的な人間らしい生活を営む権利)とその生存権を保障するために国家がやらなければならない義務について、条文で次のように謳っています。

第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


私は、個人的に世間一般の人たちよりは多くの生活保護受給者の人たちを見て来たつもりですし、彼らの生活もそれなりに知っているつもりですが、実際に見聞きした経験から言えば、”生活保護叩き”は誤解どころか、犯罪だとさえ言ってもいいくらいです。

極々一部の例外を針小棒大に言挙げして、如何にも生活保護という制度そのものに問題があるかのように言い放つのはきわめて悪質なデマゴーグと言わねばなりません。ネットには、その手のデマゴーグが病的(!)と言えるほど蔓延しています。

このブログでも、”生活保護叩き”について、下記のような記事を書いていますので、僭越ですが、お読みいただければ幸いです。

DaiGoの犯罪まがいの暴言はきびしく糾弾されて然るべきですが、ただ、これを機会に、生活保護やホームレス問題に対する理解が広がれば、不幸中の幸いと言っていいでしょう。そうなることを願ってやみません。

貧困は誰にでもあり得る話です。明日の自分の姿かもしれないのです。DaiGoだって、YouTubeのアカウントを停止されメディアから総スカンを食ったら、自慢していた税金を払うのも困るようになるでしょう。


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2021.08.16 Mon l 社会・メディア l top ▲
横浜市長選は折り返し点に差し掛かろうとしていますが、同選挙を観察している政治社会学者の木下ちがや氏が、こたつぬこのアカウントで開設しているみずからのツイッターで、現在の情勢を次のように表現していました。山中応援団の視点なので、少し割り引いて見た方がいいかもしれませんが、今回の選挙で「村社会」内の”暗闘”が炙り出されたのはたしかなようで、個人的には密かに拍手を送りたい気持でした。と言うか、もうそれしか興味がない。「村社会」に少しでも亀裂が入れば、それが蟻の一穴になるのは間違いないのです。


こたついぬ 横浜市長選

こたつぬこ🌾野党系政治クラスタ
@sangituyama
https://twitter.com/sangituyama
2021.08.13 Fri l 横浜 l top ▲
横浜市長選は、今日告示されましたが、選挙の争点について、下記の朝日の特集がわかりやすくまとめているように思いました。

朝日新聞デジタル
2021横浜市長選挙

たとえば、下記の記事で指摘されているように、横浜市が子どもの医療費の助成が東京23区に比べて遅れているという問題も、横浜の個人市民税が日本でいちばん高い(2021年5月現在)という話につながっているのです。

記事によれば、横浜市の法人市民税の税収は「東京23区の約14分の1しかない」のだそうです。つまり、「横浜市は、東京23区や大阪市に比べて上場企業数が少なく、法人市民税が乏しい」からです。それを日本一高い個人市民税で補っているのです。しかし、横浜市の財政を支える働き盛りの市民たち(主に青葉区や都筑区や緑区や港北区などに居住する、比較的所得が高い”新市民”たち)にも既に高齢化の波が押し寄せ始めています。だから、市の執行部や議会は、「それを補う増収策として、カジノを含む統合型リゾート(IR)の誘致が必要だと説明してきた」のです。私は、これを「チンピラの論理」と呼んでいます。

同上
小児医療費、23区との格差なぜ 横浜市の懐事情を分析

また、横浜市は、「市の財政規模に対する借金残高などの割合を示す将来負担比率は19年度に140・4%と、京都市、広島市に次いで3番目に悪」く、財政再建も喫緊の課題です。IR誘致がその切り札みたいに言われているのですが、一方で、下記の記事にあるように、新市庁舎を筆頭に「大規模な公共施設やインフラ」を次々に手がけ、さらに今後も「巨大プロジェクトが目白押し」なのです。

 市が誘致を進めるカジノを含む統合型リゾート(IR)は民間事業者による開発・運営だが、建設予定地の山下ふ頭周辺は、道路整備などの公費負担が見込まれる。

 同じ横浜港に面したみなとみらい21地区では、バレエやオペラ中心の劇場新設が検討され、用地費を除く建設費などは約480億円と試算されている。

 郊外部の米軍上瀬谷通信施設跡地では、27年の国際園芸博覧会の会場建設費に約320億円、新交通システム整備に約700億円、土地区画整理事業に約600億円が見込まれ、一部は市費が投じられる。

同上
庁舎に劇場構想…ハコモノ新設、突出の横浜 財政は悪化


みなとみらい自体が、30年経った今なお”負の遺産”として重荷になっている状況は何も変わっていません。また、「自治体労働者への攻撃だ」と誹りを受けるかもしれませんが、全国の自治体でトップクラスを誇る市職員の高給も無視することはできません。彼らも(連合神奈川を含めて)間違いなく財政を蝕む「村社会」の一員なのです。

なんだかワクチンで一発逆転の菅政権みたいに、IRで一発逆転を狙っているかのようです。ギャンブルでギャンブルしてどうするんだと思います。

IRという発想自体は、決して新しいものではありません。海外に目を向ければ競争相手はごまんと存在します。国内でも現在7地区が候補地として名乗りをあげており、このなかで3地区が選定されると言われています。

IRの主要な顧客は、言うまでもなく海外の富裕層です。ただ、今回のコロナ禍で見られたように、パンデミックや戦争や自然災害が発生すると、海外からの観光客は一瞬で途絶えてしまうのです。新型コロナウイルスは100年に1度の感染爆発だなどと言われますが、専門家の間では、これから数年単位、あるいは週十年単位で同じような感染爆発は起こり得るという話もあります。

もちろん、賭場ができれば、周辺に闇紳士たちが跋扈するようになるのはいつの時代も同じでしょう。そういった周辺地域の風紀の乱れを懸念する声が出るのも当然です。それに、神奈川県警は不祥事が多いことで有名で、かつて「犯罪のデパート」と呼ばれていたことも忘れてはならないのです。私は前に、横浜市立大出身の馳星周に横浜を舞台にしたピカレスク小説を書いて貰いたいと書いたことがありますが、神奈川県警の数々の不祥事を見ると、オシャレな街・住みたい街のイメージとは真逆の、横浜という街が持つ”特異な性格”を反映しているような気がしてならないのです。

Wikipedia
神奈川県警察の不祥事

IRが一発逆転をもたらすような打ち出の小鼓と考えるのは、あまりにもお気楽な考えと言わざるを得ません。と言うか、ハコモノを作り続けて財政を悪化させた上に、IRで一発逆転して借金をチャラにするみたいな発想は、まさに多重債務に陥ったギャンブル狂のそれと同じです。

市民生活に直結した問題は、子どもの医療費補助だけではありません。これはよく知られた話ですが、横浜市には学校給食がありません。なんと子どもたちから注文を受けて仕出し弁当を配っているのです。朝日の記事が指摘しているように、校舎も改修(補修)もされず古いものが多いのです。ないのは給食だけではありません。横浜には市立(公立)の幼稚園がありません。また、市立の保育園も現在民間に移管中です。でも、市立の大学や高校はあります。まったくおかしな話ですが、しかし、どうして市立の幼稚園がないのか、誰も(市役所も)わからないと言います。そんなバカなというような話が公然とまかり通っているのです。

はまれぽ.com
横浜市立の幼稚園がない理由は?

また、人口377.9万人(7/1現在)の大都市でありながら保健所は市内に1つしかなく、それがコロナ対策の遅れにつながったという指摘があります。65歳以上の高齢者 92.2万人(令和2年現在)のうち半数が一人暮らしという深刻な高齢化の問題もあります。一人暮らしが多いということは、一人分の年金しかないので、それだけ貧困に陥る割合が高いのです。

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寿町(2011/8/7)

70歳以上の市内在住の高齢者を対象に、非課税所帯で一人月4000円(生活保護所帯は3200円)、その他所得に応じて7000円~20500円の自己負担で、市内のバスや市営地下鉄が”乗り放題”になる(ただし、みなとみらい線や相鉄線は対象外)敬老パス(シルバーパス)という制度がありますが、それについても対象年齢の引き上げや自己負担額の引き上げが検討されています。

横浜の場合、東京23区と違って、電車や地下鉄の交通網が発達してないので、駅から遠い地区も多く、移動手段はバスに限られるケースも多いのです。市内を歩くとわかりますが、駅から遠い丘の上にまるで「限界集落」のように取り残された地域もめずらくありません。高齢者が外出する場合、市内を循環するバスはなくてはならないものです。しかも、高齢になると病院通いは必須です。そんな高齢者、特に低所得の高齢者にとっては”命綱”とも言うべき敬老パス(シルバーパス)も、財政悪化を理由に見直しが始まっているのです。

高齢者のささやかな”命綱”にさえ手をつけようとする一方で、次々と計画される桁違いの巨大プロジェクトや全国トップレベルの市職員の給与などは半ば聖域化されており、見直しを求めるような声はあまり聞かれません。

今こそ市民自治による市政のパラダイムシフトが求められているのですが、しかし、横浜市政を牛耳る「村社会」の前では市民の力はあまりにも小さく、そういうもの言いさえ浮世離れした戯言みたいに受け取られるのがオチです。

IRに関しては市民の70%だかが「反対」と言われていますが、オリンピック開催反対と同じで、どこまで本心なのか、私は懐疑的です。市民と言っても、ネットの書き込みに見られるように、「村社会」に従属しているような意識しかなく、市民税や国民健康保険料など負担が増すばかりの市政に対する不満も、”生活保護叩き”と同様”敬老パス叩き”のようなものに向けられているのが現実です。そして、財政再建のためにはIRは必要だとか、IRが誘致されれば横浜のブランド価値が上がるのでマンションの資産価値も上がるなどという、「チンピラの論理」で思考停止している(させられている)市民も多いのです。


追記:(8/11)
告示を受けて、朝日が序盤の情勢分析を行っていました。尚、「有権者の半数強が投票態度を明らかにしておらず、情勢は変わる可能性がある」という文言は、この手の記事の常套句です。

朝日新聞デジタル
小此木氏わずかに先行、山中氏ら猛追 横浜市長選情勢調査
2021.08.08 Sun l 横浜 l top ▲
今週(3日)、横浜市長選に関連して、山下埠頭のIR進出に強硬に反対している”ハマのドン”こと藤木幸夫氏(藤木企業会長)が、外国特派員協会で行った記者会見の模様をYouTubeで観ました。ちなみに、投票用紙は今日届きました。

YouTube
横浜市カジノ誘致に反対 「ハマのドン」藤木氏が会見(2021年8月3日)

会見は藤木氏がみずから申し出て行なわれたそうです。また、会見の司会は、「ビデオニュース・ドットコム」代表でジャーナリストの神保哲生氏が務めていました。

藤木氏は今月の18日で91歳になるそうですが、たしかに年齢を感じさせないパワフルな印象を受けました。しかし、喋っている内容は、”ハマのドン”を意識して自分を大きく見せようとしているのか、多分に自慢話のようなものが多く、正直言って辟易させられました。

IRに反対と言っても、話を聞く限り、みずからの権益に関係する山下埠頭でのIRに反対という風に読めなくもありませんでした。たしかに、ほかでやりたければやればいいみたいな軽口も叩いていました。どうしてもIRを強行するならオープンの日に、会場で切腹自殺すると過激な発言もしていましたが、そういった発言も鼻白むしかありませんでした。

昨日までのIR推進はどこへやら、一転「白紙撤回」を掲げて立候補を表明した小此木八郎氏のことをさかんに「八郎」「八郎」と言ってましたが、藤木氏によれば自身は小此木八郎氏の名付け親なのだそうです。

「当選するのは八郎でしょ」と口を滑らせていましたが、自民党市連が「白紙撤回」の小此木氏で結束しつつあるので、名付け親としてはホッと胸を撫でおろしているのかもしれません。藤木氏は、「野党統一候補」の山中竹春氏の合同選対会議の名誉議長に就任し、「山中氏を全面支援する考えを示した」(朝日)と伝えられていますが、しかし、会見では山中氏に対する支援の話は出ないままでした。

会見の模様を伝えた東スポも、次のように書いていました。

 会見で藤木氏は「山中さんについては何も知りません」とキッパリ。立憲民主党の江田憲司衆院議員に人選を任せただけだという。「そしたら(江田氏が)山中さんを連れてきた。『あんた目が鋭すぎるよ』と言いました。あとから聞くと(山中氏は)いい人だ。でも当選するのは八郎でしょ」とぶっちゃけた。

東スポWeb
横浜市長選 IR招致反対〝ハマのドン〟藤木幸夫氏が断言「やるならオープンの日に切腹する」


藤木氏の話では、田中康夫氏も藤木氏のもとを訪れて「港がついてくれるなら間違いないから」と支援を乞うたのだそうです。

もし藤木氏の話がホントなら、山中氏も田中氏もアウトだと思いました。藤木氏こそ横浜の「村社会」の象徴のような人物で、よりによって支援を乞うなどというのはあり得ない話でしょう。

たしかに、藤木氏のなかに(そしてIRに「反対」する多くの市民のなかにも)、森鴎外が作詞した「横浜市歌」に象徴されるような港町・横浜に対する、”横浜ナショナリズム”とも言うべきパトリな感情が伏在しているのは事実でしょう。しかも、現在の市長は(県知事も)、本来横浜とは何の関係もない、中央の政党(旧民主党)の思惑で他所からやって来た人間です。そんな外様の首長が、みずからの政治的保身のために、市政を食い物にする獅子身中の虫たちと結託して巨大プロジェクトを次々に立ち上げ、市の財政をさらに借金漬けにしてしまったのです。今回のIRもその延長上にあるのは間違いないでしょう。藤木氏の義憤はわからないでもないですが、しかし、小此木氏との関係ひとつをとってもわかるように、「村社会」との関係があまりにもズブズブすぎるのです。

IRに関して言えば、林氏が勝てば計画通り山下埠頭、小此木氏が勝てば山下埠頭は「白紙撤回」して、時間を措いたあとその他の候補地で再度募集、あるいは状況次第・・・・では再びドンデン返しで山下埠頭ということになるのでしょう。もっとわかりやすく言えば、時期が早いか遅いか、山下埠頭かその他の場所(あるいは状況次第・・・・で山下埠頭)か、華僑・中国系の業者かアメリカの業者かの違いです。ただ、トランプが負けてバイデン政権に変わったので、アメリカの業者にこだわる必要はなくなった(だから「白紙撤回」した)という見方もあります。

「村社会」内のIRをめぐる”暗闘”を浮かび上がらせたという点では(でも、利害が同じなので終着点は同じ)、会見はそれなりの意味はあったとも言えますが、一方で、過半が「反対」だという市民の声はどこかに行ってしまった感じです。「反対」がホントなら市民はいいようにコケにされていると言ってもいいでしょう。しかし、オシャレな街、住みたい街とか言いながら、これほど「村社会」をのさばらせた責任の一端は市民にもあるのですから、自業自得と言われても仕方ないのです。今回の市長選でも、党派に動員された投票要員の”市民”がいるだけで、「村社会」=既成政党を乗り越えるような自立した市民の姿はどこにもないのでした。


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横浜市長選の魑魅魍魎 ‐ 追記(7/29)
横浜市長選の魑魅魍魎(7/9)
2021.08.06 Fri l 横浜 l top ▲
デルタ株の感染爆発に伴い、政府が感染者のなかで、今まで入院治療が原則だった中等症の患者を自宅療養に切り替えるべく方針を転換したことが物議を呼んでいます。もちろん、これは病床逼迫に対応するための方針転換なのですが、その基準も曖昧で、自宅で酸素吸入をしなければならないケースさえ出てくると言われています。

菅総理は、重症化リスクには充分対応すると言ってますが、今までも自宅療養していた感染者で容態が急変して亡くなるケースもめずらしくなかったのです。報道によれば、自宅待機の感染者にパルスオキシメーターを配布し、電話やLINEを使って経過観察を行うそうですが、症状が急変した場合、ホントにそんなことで対応できるのか不安を抱くのは当然でしょう。政府の方針転換を受けて、東京都も感染者の入院の判断基準を改定して、血中酸素濃度が「96%未満」という従来の基準を厳格化するという報道もありました。ちなみに、私は、コロナの前からパルスオキシメーターを携行して山に行ってますが、ハァハァ息が上がっていると95%以下になることがよくあります。

現在、東京都に限って言えば、自宅療養している患者は1万4000人もいるそうです。この1か月で13倍も増えたとか。方針転換されると、東京都だけでも自宅療養の患者が3万5千人になるという試算もあります。なかにはひとり暮らしの人もいるはずです。高熱のなか肺炎を併発しても入院もできずに、自分で酸素吸入をしながら症状の急変に怯え、ひとりで自宅で過ごさねばならないのです。もし自分がそうなったらと思うと、恐怖以外のなにものでもありません。

一方で、オリンピックは、相変わらず、日本の快進撃が止まらないとかメダルラッシュがつづいているとか言ったお祭り気分の只中にあります。メダリストになったアスリートはテレビ局をハシゴして歯の浮いたような賛辞を受け、ハイテンションで喜びを語っています。

この相反する光景は一体なんなんだと思わずにおれません。今度のオリンピックでは、SNSなどでアスリートに対する「誹謗中傷」が相次いでいるとかで、アスリート自身から許せないという声も上がっていますが、彼らが言うようにホントに全てが「誹謗中傷」なのでしょうか。なかには、このコロナ禍のオリンピックで、どうしてスポーツだけが特別なのか、どうしてアスリートは聖域なのかという批判も含まれているに違いありません。そういった批判も十把一絡げにして「誹謗中傷」だと言うのなら、それは違うだろうと言いたくなります。

特に今回のオリンピックでは、大会前の池江璃花子に対する「代表を辞退してほしい」という「匿名の圧力」などもあって、メディアはアスリートたちに対して一切の批判を封印し、まるで腫れ物を触るような扱いなのです。そのため、私の偏見かもしれませんが、アスリートが逆に被害者意識に開き直っているような印象さえあるのでした。たとえば、サッカーの吉田麻也は、無観客だとパフォーマンスが上がらないなどと発言していましたが、彼にはパンデミック下にある感染者の現状が見えているのか、はなはだ疑問です。

菅総理は、3日、総理官邸で日本医師会など医療関係団体との意見交換を行い、方針転換の協力を要請したそうですが、これに対して参加者から「注文や批判も相次いだ」そうです。

私は、そのニュースを観て、だったらこうなる前に、日本医師会などはどうしてもっと強くオリンピック中止を主張しなかったんだと思いました。最初からわかっていたことではないのか。それは、感染爆発のニュースを報じたあと、急に笑顔に変わって「さて、オリンピックですが、連日日本選手の活躍が目立っていますね」と安っぽい感動に盛られたニュースを伝えるニュースキャスターやコメンテーターたちのサイコパスのような二面性も同じです。

数万人が国境を越えてやって来るオリンピックを開催しながら、一方で、政府や自治体が県をまたいだ移動や帰省や旅行の自粛を呼びかけるのは、どう考えても前後が矛盾した分裂症的な発言としか言いようがありません。しかし、日本では「この人たち頭がおかしいんじゃないの」と誰も言わないのです。

西村担当大臣は、「今まで経験したことがない感染爆発が起きようとしています」と国民に危機感の共有を訴えていますが、しかし、そう言いながら、オリンピックはなにがなんでも続けるつもりのようです。文字通り撃ちてし止まんの精神と言えるでしょう。私は興味がないので見てませんが、総理大臣のツイッターも、メダルを取った選手に向けたお祝いとねぎらいのことばばかりだそうです。立憲民主党の枝野代表も、「混乱を招くから(オリンピックの)中止は求めない」と言っています。私は、それを聞いて、この人ホントに野党の党首なのかと思いました。「今まで経験したことのない感染爆発」より、中止した際の「混乱」の方が優先されるのです。

そこにあるのは、やはり”日本的な特殊性”です。このおかしな国のおかしな空気を考えるとき、丸山眞男の言説が思い出されてならないのでした。

日本では何かこと・・を行うに当って大義が大事とされます。オリンピック開催の是非が問われていたとき、野党がオリンピック開催にもはや大義はないと言っていましたが、私はそれを聞いて、だったら大義があればいいのかと思いました。何故か大義それ自体は無条件にいいこと=善と捉えられるのです。

公を一義とする日本では、「私的なものは、即ち悪であるか、もしくは悪に近いものとして、何程かのうしろめたさを絶えず伴っていた。 営利とか恋愛とかの場合、特にそうである」と丸山眞男は書いていましたが、たしかに卑近な例をあげれば、芸能界には法律に関係なく未だに姦通罪が生きているかのような空気が存在しています。そうやって個人の内面にヌエのような権力が鎮座ましましているのでした。不倫ということばは秀逸で、倫理性の基準は個人になく、倫理は、公の安寧と秩序にどう奉仕するかによって権力から恣意的に与えられるものにすぎません。明治国家を憧憬した江藤淳は、国家が倫理の源泉たる役割を放棄した現状を嘆いていましたが、実際は国家というより曖昧模糊とした掴みどころのない公が倫理の源泉なのでした。

よって日本では、公に奉仕する”滅私”や”無私”こそが美徳とされるのです。その結果、公の意思=大義があれば戦争だってオリンピックだってなんだって許されるのです。私がないのですから、大義の内容が問われることは一切ありません。今回のオリンピックのように(かつての戦争がそうであったように)、いざとなれば論理も倫理もくそもなく目の前の感動に寝返る日本人の”特性”も、その脈絡で捉えるべきでしょう。

丸山眞男は、「超国家主義の論理と心理」のなかで、大義について、次のように書いていました。

「大義を世界に布く」といわれる場合、大義は日本国家の活動の前に定まっているのでもなければ、その後に定まるのでもない。 大義と国家活動とはつねに 同時存在なのである。 大義を実現するために行動するわけだが、それと共に行動することが即ち正義とされるのである。「勝つた方がええ」というイデオロギーが「正義は勝つ」というイデオロギーと微妙に交錯しているところに日本の国家主義論理の特質が露呈している。それ自体「真善美の極致」たる日本帝国は、本質的に悪を為し能わざるが故に、いかなる暴虐なる振舞も、いかなる 背信的行動も許容されるのである!
   こうした立場はまた倫理と権力との相互移入・・・・としても説明されよう。国家主権が倫理性と実力性の究極的源泉であり両者の即自的統一である処では、倫理の内面化が行なわれぬために、それは絶えず権力化への衝動を持っている。倫理は個性の奥深き底から呼びかけずして却って直ちに外的な運動として押し迫る。国民精神総動員という如きそこでの精神運動の典型的なあり方・・・なのである。
(「超国家主義の論理と心理」)


そのため、法についても、西欧的な概念ではなく、「天皇を長とする権威のヒエラルヒーに於ける具体的支配の手段」という多分に人治的な性格を付与されているのです。

法は抽象的一般者として治者と被治者を共に制約するとは考えられないで、むしろ天皇を長とする権威のヒエラルヒーに於ける具体的支配の手段にすぎない。だから遵法ということはもっぱら下のものへの要請である。軍隊内務令の繁雑な規則の適用は上級者へ行くほどルーズとなり、下級者ほどヨリ厳格となる。 刑事訴訟法の検束、拘留、予審等々の規定がほかならぬ帝国官吏によって最も露骨に蹂躙されていることは周知の通りである。具体的支配関係の保持強化こそが眼目であり、そのためには、遵法どころか、法規の「末節」に捉われるなということが繰返し検察関係に対して訓示されたのである。従ってここでの国家的社会的地位の価値規準はその社会的職能よりも、天皇への距離にある。
(同上)


これを読むと、安倍晋三のモリカケの問題を真っ先に思い浮かべますが、それだけでなく、国民に自粛を強要しながら政治家や高級官僚など「天皇への距離」が近い「上級国民」たちは平然と自粛破りを行なうという、「国民には厳しく自分たちには甘い」今の風潮もよく示しているように思います。また、天皇に片恋する右翼が、国家を溶解させる(させかねない)パンデミック下のオリンピック開催に賛成して、あろうことか反対派に敵意をむき出しにする本末転倒した光景も納得ができるのでした。

こう考えていくと、もうメチャクシャ、支離滅裂ということばしか浮かびません。
2021.08.04 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲