私は、仕事の関係で、夜遅く隣駅との間にある郵便局(本局)の「ゆうゆう窓口」(時間外窓口)を利用することが多いのですが、半年前くらいから行く途中に、台車に犬を乗せて散歩している人を見かけるようになりました。はじめてその光景を見たときはびっくりしました。と言うのも、犬は、台車の上で横になってベタッと寝ているだけなのです。私は、死体を運んでいるのかと思いました。

実は、年老いて立つことさえままならない愛犬を散歩させていたのでした。台車を押している人も、もう70を越したような老齢の男性です。昼間は他人(ひと)の目があるので、そうやって深夜に散歩させているのでしょう。

あるとき、脇道の外灯の下に台車が止められ、男性が前かがみになって、犬の胴体を持ち上げようとしているのに出くわしたことがありました。男性は、犬を歩かせようとしていたのです。しかし、犬は自力では一歩も歩けないほど弱っていました。でも、男性は何度も犬の胴体を持ち上げて、懸命に歩かせようとしていました。そんな二人の影が深夜のアスファルトの上でゆれていました。立ち止まってその光景を眺めていた私は、今にも涙があふれそうになりました。

子どもの頃、わが家でも犬を飼っていました。小学校のとき、作文に「ジョン」(最初の犬の名前)のことを書いて、みんなの前で発表した思い出があります。そのあとは「ウタ」という名前の犬も飼っていました。「ウタ」は、今から20年くらい前に亡くなりましたが、早朝、田舎の母親から「今、ウタが死んだよ」と涙声で電話がかかってきたことを覚えています。私は、深夜に台車に乗せられた犬を見るたびに、「ジョン」と「ウタ」のことが思い出されてならないのでした。

一方で私は、そんなペットのいる光景とネットの殺伐とした光景をどうしても対比したくなるのでした。ネットはどうしてあんな畜生のようなもの言いにあふれているのか。「水は低いほうに流れる」ネットの同調圧力は、もはや最低限の人間性さえ奪っててしまったかのようです。宮台真司は、ネトウヨは「知性の劣化ではなく感情の劣化だ」と言ってましたが、まさに感情の暴走がはじまっていると言うべきかもしれません。

でも、「政治なんてない」(吉本隆明)のです。ネトウヨは、ただの”煽られるバカ”、いや、”煽られる人”にすぎません。私たちにとって大事なのは、”鬼畜中韓”の妄想にとりつかれ、寝ても覚めても「嘘つきの」中国や韓国のことを考えることより、深夜に年老いた愛犬を台車に乗せて散歩させるような気持を忘れずにもちつづけることなのです。そっちのほうが人として大事なのだという思想をもつことなのです。
2014.11.07 Fri l 日常・その他 l top ▲