フランスの連続テロ事件は、文字通り宗教や民族が前面に出た「文明の衝突」の様相を呈しつつありますが、正直言って私は不勉強でよくわかりません。行為を批判することは簡単ですが、しかし、平和や自由や平等や共生と言った”西欧的理念”もまた、「文明の衝突」においては片一方の文明を代表するものでしかないのです。

アルジェリア移民のカミュが『異邦人』で描いたのは”理由なき殺人”ですが、アルジェリア移民の子どもたちが起こした今回のテロは、間違いなく”理由のある殺人”です。でも、そこには同じ”不条理”が伏在しているのです。そして、その”不条理”は、2006年のワールドカップの決勝戦において、フランス代表のジタンがイタリア代表のマテラッティに頭突きをして退場した事件(ジタンはそのまま現役引退)にも伏在しているのです。

フランスはヨーロッパのなかでもとりわけ移民に非寛容な社会だと言われています。それは、右派の民族主義者だけではなく、事件に対するオランド社会党政権の対応を見てもわかるとおり、社会党などの左派も例外ではないのです。アメリカにあるのは差別で、ヨーロッパにあるのは「区別」だと言った人がいましたが、最初から「区別」された(絶対に越えることのできない)身分社会のなかに生まれた旧植民地出身者の2世3世たち。彼らは、民族主義者からも社会(民主)主義者からも排斥され、「異邦人」として疎外された人生を生きることを余儀されるのです。フランスの刑務所に収監されている受刑者の7割は移民だと言われていますが、それがなにより彼らが置かれている立場を物語っているのではないでしょうか。

もとより(私もそのように表現していますが)、彼らを「移民」と呼ぶことにも疑問があります。「移民」と表現すると、あたかも彼らがよその国から勝手に「やってきた(押しかけてきた)」ようなイメージがありますが、彼らはれっきとしたフランス国民なのです。ただ、旧植民地出身者(その子どもや孫)というだけで「区別」され疎外されているにすぎないのです。

パリのユダヤ系スーパーに立てこもり、4人を殺害して警察に射殺されたアムディ・クリバリ容疑者の妻(事実婚)で、既にシリアに逃亡したとされるアヤト・ブメディエン容疑者は、2010年にクリバリ容疑者に絡んで警察の取り調べを受けた際、「米国によって罪のない人たちが殺されている」などと述べ、「アラビア語を学びたい」と話し、中東に行くことを望んでいたそうです。

朝日新聞デジタル
仏テロ容疑者、男とシリア入りか 入国審査映像公開

彼女もまた、”ここではないどこか”を求めていたのでしょう。疎外され鬱屈した人生のなかで、彼女がみずからのルーツであるイスラム社会に惹かれていったのは当然かもしれません。イスラム教徒であれば誰でも「アメリカによって罪のない人たちが殺されている」という気持はもっているはずです。でも、アメリカは、それを「Collateral Damage(付随的損害)」と呼んで合理化しているのです。こういった”不条理”に対する彼らの心情に目を向けることなく、ただ”西欧的理念”をふりかざして彼らの行為を批判するだけでは、誰もこの憎しみの連鎖を止めることができないのは自明でしょう。

私は、今回の事件に関連して、以下のTwitterの発言が目に止まりました。


福田充 2015年1月11日6:06

福田充 2015年1月11日6:16

常岡浩介 2015年1月13日5:41

常岡浩介 2015年1月13日5:45
2015.01.14 Wed l 社会・時事 l top ▲