フランスでは、「テロ擁護」の発言をしただけで即逮捕されるような状況になっているようですが(テロを擁護する発言は、昨年の11月から刑法によって処罰の対象になっているそうです)、そういった「言論の自由」を錦の御旗にした全体主義的な抑圧体制をとっているのがオランド社会党政権なのです。

先日、パリでおこなわれたテロ反対の100万人デモの先頭には、イスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナ自治政府のアッバス議長が「仲良く」並んで行進していましたが、10数人のフランス人の死と数万人、数十万人のパレスチナ人の死は、どう違うのか。あの光景を見て、彼らにそう問い質したい気がしました。今現在もシリアでは、アサド軍とイスラム国による住民の虐殺行為がつづいているのです。また、アメリカの無人攻撃機による殺戮行為もつづいています。

テロリストの行為を批判するなら、同じように(それ以上に)アメリカやイスラエルの行為も批判すべきでしょう。ひとりひとりの死の重みは同じはずです。憎しみの連鎖の当事者は、なにもイスラム過激派だけではないのです。

フランスのマルセイユ在住の方のTwitterに、テロをおこした兄弟の家庭環境について、つぎのような書き込みがありました。私は、それを読んで、日本のマスコミの報道では知り得ない現実の一端を知った気がしました。

テロリスト兄弟の生い立ち

下記は、その元の記事だそうです。
http://www.reporterre.net/L-enfance-miserable-des-freres

あの高慢ちきなフランス人が高慢ちきでいられるのは、このような決して越えることのできない「区別」が前提にあるからでしょう。世界のモードをけん引するフランスのファッション、現代思想をリードするフランス哲学、そういったものを成り立たせているのも、同じなのでしょう。

私たちは、いみじくも今回のテロによって、西欧民主主義が如何に二重底によって成り立っていたかということを思い知らされたのでした。私は、むしろそっちのほうがショックでした。
2015.01.19 Mon l 社会・時事 l top ▲