イスラム国とは何か


今日の東京新聞(TOKYO WEB)につぎのような記事が出ていました。

 【ワシントン共同】オバマ米大統領は18日、米政府がワシントンで開催している過激派対策の国際会議に出席し、過激派組織「イスラム国」に宗教上の正当性はないと強調し「完全に打ち負かす」と壊滅に向けた決意を表明した。
 米国は「イスラム世界が相手ではなく、宗教をゆがませる者たち」と戦っていると指摘。イスラム教指導者が結束してテロ行為を非難する重要性に言及した。(略)
オバマ氏、イスラム国壊滅へ決意 「宗教上の正当性ない」


一方、常岡浩介氏は、新著『イスラム国とは何か』(旬報社)のなかで、アメリカの攻撃には「解決する展望が一切ない」と言っていました。既にアメリカが表明している有志連合による地上軍派遣についても、つぎのように「警告」していました。

地上軍派遣で、さらに、本来は米国にとってまったく脅威でないものも脅威にしてしまう。米国の地上軍は、信頼できる友軍がないという恐ろしい状態で戦うしかないことになります。


どうして「脅威でないものを脅威にしてしまう」のか。それにはイスラム教の教義に起因する「『反米』の構造」があるからです。それは、よく言われる誤爆(アメリカが言うCollateral Damage)で一般住民に犠牲者が出るから反米感情が高まるという話でさえないと言います。

コーランには、「汝に戦いを挑むものあれば、アッラーの道のために戦え」という教えがあり、「とくに、イスラムの地に、イスラムでない者、異教徒が仕掛けてくる場合にはイスラム世界を守らなければいけない。全イスラム教徒はそのために戦わなければいけない」という考えは、穏健なイスラム教徒の間でも共通しているのだとか。

 たとえば、アルカイーダが殺されたら「いい気味だ」と思い、女・子どもが殺されたらけしからんと憤るのか。そうではなく、アルカイーダが殺されても、その人の神のために祈ったりします。


 米国は、ヤジディ教徒を助けようという、空爆する理由がありました。その理由に、いくら説得力があったとしても、イスラム教徒たちは、「ヤジディがかわいそうだから、仕方ない」とは思ってくれません。異教徒から攻撃されると即、挑むべき相手として、士気が上がります。


たしかに、アフガンやイラクなどイスラム教国に対するアメリカの占領政策はことごとく失敗しています。上記のオバマ大統領の発言に見られるように、アメリカの「イスラム国」対策にも、異教徒(キリスト教徒)の視点が垣間見えるのです。「イスラム国」が有志連合を「十字軍」になぞらえるのは故なきことではないのです。普段いくら兄弟がいがみ合っていても、よその家から攻撃されれば一致して自分たちの家を守ろうとするのは当然でしょう。特に、イスラム教徒たちにはその意識が高いのです。

中田考氏によれば、世界各地のモスクは、イスラム教徒であれば原則として宗派に関係なく誰でも受け入れる(受け入れなければならない)のだそうです。個人でも、来る者は拒まずのような考えがあって、誰でも家に泊める、泊めて歓待しなければならないという考えがあるのだそうです。それは、イスラム教というのが、もともとノマド(遊牧民)の宗教だからです。だから、国民国家という概念とも相容れないし、貨幣や法人という概念(つまり、資本主義という概念)とも相容れないと言います。お金を貸しても金利を取ってはいけないとか、税金より喜捨を重んじるとか、そういった考えがまさにそれなのです。なかでも「偶像崇拝の禁止」という戒律に、イスラムの教えの根本が示されているように思います。

中田 イスラームは言葉と事物は正しく対応しうる、と考えます。しかし、言葉自体は記号でしかないので、事物との対応は自然には保証されません。言葉が事物との対応を失い、虚偽の幻想によって人々を支配するようになること。それが偶像崇拝です。
(内田樹・中田考『一神教と国家』集英社新書)


世界のムスリムの青年たちが、カリフ制を再興した(と自称する)「イスラム国」をめざして越境するのは当然と言えば当然なのです。彼らが、復古主義的な教義を掲げる「イスラム国」に、イスラムの理想(原点回帰)を見出だしているのは間違いないでしょう。

もちろん、だからと言って「イスラム国」がホントに理想に近いものかと言えば、とてもそうは言えない現実があるのも事実です。「イスラム国」寄りの”危険人物”(私戦予備・陰謀罪の容疑者)として、中田考氏とともに警視庁公安部の監視対象になっている(はずの)常岡浩介氏も、「イスラム国」についてはつぎのような見方をしていました。 

 私は、イスラム国が掲げる理想や理念は、じつはただの「隠れ蓑」だと思っています。中身は「利益」「利権」です。カリフ制という理念に惹かれて外からやってきた人たちを、イスラム国はまったく違う思惑で利用しているだけです。サダム・フセインの残党との連携は、まさに理念などどうでもよいことをはっきり示しています。


常岡氏によれば、「イスラム国」の戦闘能力はそれほど高くないのだそうです。にもかかわらず支配地域を広げているのは、イラクとシリアの内戦に乗じて”漁夫の利”を得る作戦を取っているからだと言っていました。政府軍と反政府軍の戦いで手薄になった地域を狙い撃ちすることで支配地域を広げ、そして、ネットの動画に見られるような”恐怖政治”で住民を服従させているのだとか。

一方で常岡氏は、イスラム国の「撲滅」は不可能だとも言っていました。既に世界各地に(「ぶどうの房」のように)「イスラム国」に忠誠を誓う「勝手連」のテロ組織が生まれているので、今の「イスラム国」を潰しても、またつぎの「イスラム国」が出てくるだけだと言うのです。

中田考氏は、前書のなかで「イスラーム圏では本来世俗と宗教を分けません。人間が生きる上で行なう殆どすべての営為に神の判断を借りる文化です」と言ってましたが、いわゆる「祭政一致」をめざすのは、イスラムの基本的な考えでもあるのです。仏教にも「法難」ということばがありますが、異教徒との戦いによって、逆に原点回帰の流れが強くなっていくのはどの宗教にもある話です。

「アラブの春」に端を発した「中東の混乱」も、視点を変えれば、イスラムの台頭を意味していると言えます。イスラム世界がサイクス・ピコ協定からつづく米英を中心とした従来の世界秩序に反旗を翻しているからこそ、「混乱」しているとも言えるのです。そして、その「混乱」こそが、アメリカが超大国(唯一の覇権国家)の座から転落し世界が多極化しつつあることを示しているのです。もちろん、それはイスラムだけでなく、ロシア(大ロシア主義)や中国の台頭も然りです。

カリフ制再興のムーブメントには、イスラム世界の「統一」というムスリムの見果てぬ夢があるのですが、全世界の人口の4分の1を占める16億人のイスラム教徒がどんなかたちであれひとつにまとまれば、世界史に衝撃的な変化をもたらすことは論を俟たないでしょう。なかでもアジア・太平洋には10億人近くのムスリムが暮らしており(中東・北アフリカは3億人にすぎない)、イスラムの問題は、私たちにとっても決して遠い地の話ではないのです。

対米従属を”国是”とする国の国民にとって、世界が多極化することは必ずしも「いいこと」とは言えないのかもしれませんが(むしろ「絶望」を意味するのかもしれませんが)、しかし、世界があらたな秩序に向けて変わりつつあるのは間違いないのです。イラク戦争とシリア内戦の「混乱」のなかから生まれた「イスラム国」も、そのひとつの表われと見るべきでしょう。
2015.02.19 Thu l 社会・時事 l top ▲