マスメディアから圧倒的な量の情報が奔出すればするほど、オウム真理教はより不可解な存在になっていく。
 当然だろう。警察やマスコミのように社会規範からの逸脱を断罪するだけでは、彼らを理解できるはずがないのだ。
 議論が回避されている宗教の宗教性を徹底して批判することで、わたしたちはわたしたち自身に接近しなければならない。
 神に似せて人間が造られたのではなく、人間に似せて神が造られたと同様、宗教もまた共同体に似ている。
 "オウム真理教"という教団はあっても、そのような宗教はない、とまず知るべきなのだ。
 仏教は、快楽と苦行の"中道"をゆくのであり、オウム的修行を要請しない。"最終戦争"は"末法思想"とさえ結びつかないキリスト教の思想である。反バラモン教の宗教運動であるヒンズー教の神・シヴァを主宰神とすることはあり得ない。
 諸行が無常であることを知らず、ハルマゲドンの到来を怖れる姿は、煩悩にまみれ切った醜悪な姿というべきだろう。
 彼らは絶対的な価値観に身を投じたわけではない。自分たちの価値観に沿って、各宗教を都合よくつぎはぎしているだけなのだ。
 息を止めたり、空中を浮揚したり、セックスを我慢したり。自分ではたいそう苦しい修行を重ねているつもりだろうが、彼らにとって本当に苦しいのは、職場のつきあいだったり、親との折り合いをつけることだったり、セックスをすることだったりするのだ。
 結局彼らはただただ自分を愛しているにすぎない。
 オカルト・軍事・SFおたくで、自分だけを溺愛する偏差値エリートは、われらが親しき隣人である。
 わたしたちは"オウム真理教"に、わたしたちの姿を極相において見ているのだ。
 建設途上で挫折した"オウム国家"が恐怖・嫌悪されるのは、最も異質なものほど最も近しい存在であるからである。 (歪)


これは、地下鉄サリン事件から2ヵ月後の『噂の真相』(1995年6月号)の「撃」という匿名コラムに掲載された文章です。

地下鉄サリン事件からさかのぼること5年前の1990年に、オウム真理教は、熊本県阿蘇郡波野村に土地を取得し、「日本シャンバラ化計画」と称して数百人の出家信者が修行する施設を建設しようとしました。そのため、周辺住民の間で反対運動が起こったのですが、波野村は私の実家も近いため、田舎の友人や実家の母親たちは、既にその頃からオウムに強い関心をもっていて、世間の人たちよりはるかにオウムについての知識を有していました。

また、同年(1990年)オウム真理教が衆議院選挙に出たとき、恵比寿の駅前で象の被り物をした信者たちが選挙カーの上で、歌を歌っていたのを見たことがあり、「あれがオウムか」と思ったことを覚えています。田舎の母親は、その「ショ、ショ、ショーコ、ショーコ」という歌を幼稚園児の姪が覚えて人前で口ずさむので、「困っちょる」と言ってました。

地下鉄サリン事件が起きたとき、田舎の人たちはみんな口をそろえて「やっぱり」と言ってましたが、しかし、私には、オウムがどうしてあんなことをしたのか、そもそもオウムとはなんだったのか、まったく理解の外でした。私は、オウムのことを知りたいと思い、連日の洪水のようなオウム報道を横目に、以前より興味があった仏教の本などを片っ端から読み返してみましたが、でも、私の疑問が氷解することはありませんでした。当時、港区の南青山にあった東京総本部(のちに村井秀夫が刺殺された現場)に直接行って、書籍などを購入したりもしました。その際、応対した信者から、「名前と住所を教えてください」と言われましたが、「ただ本を買いたいだけですから」と言って断りました。しかし、建物から出たら、今度は公安の刑事に取り囲まれ職務質問を受けるはめになりました。

そんななか、この匿名コラムの文章によって、私は、文字通り目から鱗が落ちた気がしたのでした。そうか、彼らはオタクだったのか、と。だったら、オウムというより、”オウム的なもの”は私たちの身近にいくらでもあるのではないか。むしろ、そっちのほうが問題ではないのか、と私は思いました。

地下鉄サリン事件から19年、目黒公証人役場の事務長・仮谷清志さん拉致監禁致死事件や宗教学者の島田裕巳氏宅爆弾事件に関与したとされる平田信被告の裁判員裁判がはじまったことで、再びオウム真理教に対する関心が高まっています。それで、私は、当時の問題意識を呼び起こすように、新進気鋭の宗教学者・大田俊寛氏が書いた『オウム真理教の精神史』(春秋社)を読みました。

オウムとはなんだったのか。著者は、つぎのように書いています。

(略)ロマン主義的で全体主義的で原理主義的なカルトであるというのが、その答えである。そして、ロマン主義、全体主義、原理主義という思想潮流が発生し、社会に対して大きな影響力を振るうようになったのは、近代という時代の構造、より具体的に言えば、国家が此岸の世界における主権性を獲得し、宗教や信仰に関わる事柄が「個人の内面」という私的な領域に追いやられるという構造そのものに起因していると考えることができる。


もっと具体的に言えば、今の社会は、近代国家という「虚構の人格」から「個々人の『死』に関する事柄」が「排除されている」。そのために、「他者=死者との『つながり』のなかで生きるということは、人間にとってもっと重要かつ公的とされるべき事柄でありながら、近代の社会ではそれがスムーズに行われない」ために、「近代社会の表面から追い払われた『死』の問題は、さまざまな幻想を身にまとってやがて回帰してくることになる」。そのひとつとして、オウムがあると言うのです。

オウムの背景に、宇野正美の「ユダヤ陰謀論」や武田崇元の「霊学的終末論」や五島勉の「ノストラダムの大予言」シリーズなど、『ムー』(学習研究社)や『トワイライトゾーン』(ワールドフォトプレス)のようなオカルト雑誌を舞台に展開された80年代のオカルトブームがあったことは、多くの人が指摘しているとおりです。しかし、それは日本で突然生まれたものではないのです。

著者によれば、80年代のオカルトブームは、「キリスト教原理主義の終末論が日本的オカルト想像力と混淆し、徐々に大衆的ポピュラリティを獲得していった」もので、オウムの教義や世界観には、仏教やヒンズー教だけでなく、『ヨハネ黙示録』やノストラダムスが著わした『諸世紀』など、「キリスト教的な幻想」も刻印されていると言います。著者は、そのように、神智学からニューエイジ思想まで、さまざまな異端思想が「日本の『精神世界』に引き継がれている」構造のなかに、オウムを見ているのでした。だから、コラムが言うような「各宗教を都合よくつぎはぎしている」「混淆主義(シンクレティズム)的な傾向」があるのは、むしろ当然だと言うのです。

しかし一方で、私は、『オウム真理教の精神史』に対して、どこか隔靴掻痒の感を抱かざるえませんでした。と言うのも、そこには『噂の真相』のコラムにあるようなオタクという視点が欠落しているからです。

オウムは、コラムが言うように、オタクの極相に生まれたのではないか。オタクがカルト化したのがオウムだったのではないか。やはり、そう思えてならないのです。

その意味では、「オウムは終わってない」のです。むしろオウム(”オウム的なもの”)は、私たちの日常に深く入り込んでいると言えます。実際に、ネットの掲示板や動画サイトなどは、文字通りオタクたちの書き込みであふれています。そして、セカイ系のアニメから派生した軍事オタクやヘイトスピーチのネトウヨのように、オタクが(政治的に)カルト化しているのをひしひしと感じざるをえません。

ネトウヨや産経新聞や安倍首相らが信奉する歴史修正主義は、本当の歴史は別にある(陰謀によって真実が隠されている)という”偽史カルト”の一種と言ってもいいでしょう。総理大臣や閣僚が靖国に参拝しただけで、どうしてあんなに(中国や韓国だけでなく)海外から批判されなければならないのか。国内ではそれがまるでわかってないかのようです。オウムの後継団体にあらたに入信する若者が増えているというのもわからないでもないのです。このように”カルト化するニッポン”にとって、オウムはすぐれて今日的な問題だと言えるのではないでしょうか。

九州の山間のムラの人々が対峙したオウム。あれから20数年。オウムの幹部たちの多くは獄窓につながれています。しかし、グローバル資本主義の進展に伴い、世の中はますます殺伐としたものになり、人々はますます”寄る辺なき生”を生きることを余儀なくされ、それにつれ、”オウム的なもの”は社会の隅々にまで拡散し、政治の中枢に影を落とすまでになっています。その危機感を私たちはどれほど自覚し共有しているでしょうか。

※今月の20日で、地下鉄サリン事件から20年という節目を迎えます。それで、昨年1月にアップした記事を再録しました。20年の節目を迎えて、メディアの特集で流れているのは、当時捜査に当たった警察の”自慢話”と「若い人に事件を伝えていかなければならない」という抽象的な常套句だけです。政治の中枢や社会の隅々にまで浸透した”オウム的なもの”からは故意に目を背けているかのようです。
2015.03.16 Mon l 社会・時事 l top ▲