もう一度、過ぎ去ったことを考えてみたいと思いました。あの橋下氏が、このまま政治家を”廃業”するとはとても思えないし、仮に橋下氏が”廃業”したとしても、大衆を扇動するその手法を真似たエピゴーネンたちが、これからも出てくる可能性があるからです。

「都構想」について、私が知る限り、もっとも的確に問題点を指摘していたのは、内田樹氏だったように思います。内田氏は、大阪の問題は、制度が問題なのではなく、それを運営する人間の質の低下が問題なのだと言います。

 大阪の二重行政の最悪の事例として、りんくうゲートタワービルとWTCビルのことが何度も出て来た。府と市がバブルに浮かれて無駄なハコモノに桁外れの税金を投じたことがきびしく批判された事例だが、考えればわかるが、これは二重行政の特産物ではない。バブル経済の先行きについての楽観に基づいて巨大なハコモノに莫大(ばくだい)な税金を投じた府市の役人の犯した失敗である。仮にバブル期の時点でもし府市が統合された「大阪都」が実現していたら、巨大な権限を持った「都」の役人の裁可で出現したハコモノの巨大さ(そして空費された税金の額)は想像を絶したものになっていたに違いない。

朝日新聞デジタル
内田樹さん「制度のみ語る闇」大阪都構想住民投票を読む


要するに、問題の所在は、制度を運用する人間にあるのです。それを制度の問題に還元し、大阪市をなくして5つの「特別区」に分割し、府(都)で一元的に管理すれば、効率的で無駄のない行政がおこなえるという幻想を作りだしたのが「都構想」です。そこに「都構想」の詐術があるのです。

内田氏は、今回の住民投票は、「簡単な話」を「複雑」にしてしまったと言います。「複雑」にしたのは、行政にトップダウンの独裁的な手法を導入しようという別の思惑があったからでしょう。

 私たちの国が現に直面している危機の実相は「かなりよくできた制度」が運用者たちの質の劣化によって機能不全に陥っているということである。三権分立も両院制も政令都市制度も、どれも権限と責任を分散し、一元的にことが決まらないようにわざわざ制度設計されている。その本旨を理解し、その複雑な仕組みを運用できるだけの知恵と技能をこれらの制度は前提にしており、それを市民に要求してもいる。
 権限をトップに一元化して、下僚は判断しない代わりに責任もとらないという仕組みの方が「効率的だし、楽でいい」とぼんやり思う人が過半を制したら、市民社会も民主制は長くはもつまい。


そして、結果として、内田氏が言うように、「大阪市の抱える問題はひとつも解決しないまま残った」のです。もちろん、それは、大阪市に限った話ではありません。

私の田舎も、”ミニ橋下”みたいな人物が行政のトップに君臨していますが、先日、帰省した折も、知人たちは、息苦しさややり切れなさをしきりに訴えていました。でも、誰も表立ってそれを口にすることはないのです。口にすれば、面倒くさい問題を引き受けなければならないからです。民主主義というのは、面倒くさいものなのです。トップダウンでやってくれたほうが「楽」でいいのです。ネトウヨではないですが、独裁者にすべてを委ねれば、責任もないし、難しいことを考えなくていいので「楽」なのです。それは、新興宗教や「会社」も同じです。でも、政治は、新興宗教や「会社」ではないのです。

内田氏が言う「この国を蝕んでいる深い闇」とは、そういう意味ではないのか。
2015.05.24 Sun l 社会・時事 l top ▲