本を整理していたら、『五木寛之ブックマガジン・夏号』(KKベストセラーズ)というムック本が出てきました。奥付を見ると、「2005年8月8日初版第1刷発行」となっていますので、ちょうど10年前の本です。

表紙には、「作家生活40周年記念出版」「これが小説の面白さ、読む楽しさ!」「60年代傑作集」という文字が躍っています。

なかをめくると、「さばらモスクワ愚連隊」「海を見ていたジョニー」「ソフィアの秋」「GIブルース」「第三演出室」の60年代の代表作5本が掲載されていました。そして、あらためてそれらの「綺羅星の代表作」を読み返していたら、初めて読んだ若い頃が思い出され、なつかしさで胸がいっぱいになったのでした。

私たちは、五木寛之の初期の作品を同時代的に読んだ世代ではありません。多くは文庫本で読みました。でも、高校のとき、「さらばモスクワ愚連隊」やフォーク・クルセダーズの歌にもなった(作詞は五木寛之)「青年を荒野をめざす」を読んで以来、私は自他共に認める”五木寛之フリーク”になったのでした。

気がついた時には、私はもうピアノの前に座って、〈ストレインジ・フルーツ〉をイントロなしで弾きだしていた。
 私刑リンチにあった黒人が丘の上の木にぶら下がっている。たそがれの逆光の中に、風に吹かれて揺れている首の伸びたシルエット。それは、まったく哀れで滑稽な「奇妙な果実ストレインジ・フルーツ」だ。その時、私はなぜか引揚船の甲板から見た、赤茶けた朝鮮半島の禿げ山のことを思い出した。ほこりっぽい田舎道と、錆びたリヤカーのきしむ音がきこえてきた。十三歳の夏の日。
 どんなテンポで弾こうとか、どのへんを聞かせてやろうとか、そんなことは全く頭に浮かんでこなかった。音を探そうとあがくこともなかった。音楽は向こうからひとりでにやってきた。私の指が、おずおずとそれをなで回すだけだ。私は確かにブルースを弾いていた。背筋に冷たい刃物を当てられたうようなふるえがくる。時間の裂け目を、過去が飛びこえて流れこんできた。ピアノは私の肉体の一部のように歌っていた。

「さらばモスクワ愚連隊」


こんな文章に、私は胸をときめかしたのでした。

その後、病気で1年間、別府の国立病院に入院することになったのですが、ちょうどその時期に、文藝春秋社から『五木寛之作品集』(全24巻・別巻1巻)の刊行がはじまりました。もちろん私は、病院の近くの書店に注文しました。

私は、毎月、書店の人が配達してくる作品集が待ち遠しくてなりませんでした。なかには初めて読む作品もありました。そんな作品に出合うといっそうときめいたものです。また、作品集には、さまざまな人たちの解説が付録の小冊子で入っていて、それも楽しみでした。

当時、隣のベットには、大月書店のマルクス・エンゲルス全集を読んでいた年上の学生がいましたが、私の場合は、”マルエン”より五木寛之だったのです。新左翼運動が盛んな頃、五木寛之の作品を「反スタ(反スターリニズム)小説」と評する向きもありましたが、私はそんなことはどうだっていいと思いました。私は、五木寛之によって鈴木いづみや堤玲子や稲垣足穂などを知り、彼らの作品も読んでいたのです。

ちなみに、隣の学生は、「再生不良性貧血」かなにか「血を造ることができない」病気にかかっていたのですが、私が退院したあとに、短い生涯を終えたという話を同じ病院で医師をしていた叔父から聞きました。私は、その話を聞いたとき、なんと無念だったろうと思いました。そして、いつも週末に見舞いに訪れていた彼の恋人のことを思い浮かべ、彼女はどんなに悲嘆に暮れたことだろうと思いました。

70年代の『戒厳令の夜』以降は、私も五木作品を同時代的に読むことができましたが、しかし、80年代に入ると、徐々に読むことも少なくなりました。ただ、『大河の一滴』が出たとき、ちょうど私も仏教に興味をもっていましたので、久しぶりに再会したような感じがありました。しかし、それも一時的で、その後は再び読むこともなくなりました。

私にとって、初期の五木作品は、午後の陽光を浴びてキラキラ輝いていた別府の海の風景と重なるものがあります。私は学校の帰り、いつも坂の上からその風景を眺めていたのでした。あの頃、どうしてあんなに何事にもときめいていたんだろうと思います。

私は、五木寛之氏と同じロシア文学科に行きたくて、同じようにゴーリキーの『私の大学』を携えて上京したものの、思いは叶わず、病気をして失意のまま帰省し入院生活を送っていたのです。

入院していたとき、私は、深夜、よくベットに腰かけ窓の外を眺めていたのですが、その姿を見た看護婦さんたちは、私が泣いていると思っていたそうです。実際は泣いてはいなかったのですが、深刻な病気を抱えていた私が、文字通り夢も希望もない状態にいたのはたしかでした。そのとき、いつも隣にあったのが五木寛之の本でした。

現在、私は、たまたま五木寛之氏と同じ東急東横線の3つ隣の駅に住んでいるのですが、時折、氏の住まいがある駅を通るとき、五木寛之を読みふけっていたあの頃を思い出すことがあります。考えてみれば、五木寛之氏も今年で83才になるのです。なんと多くの時間が流れ、なんと遠くまでやってきたんだろうと思います。

熱ありて咳やまぬなり大暑の日 友の手紙封切らぬまま

帰るべき家持たぬ孤老の足音 今宵も聞こへり 盂蘭盆さみし

裏山で縊死せし女のベットには 白きマリア像転がりており

(前も紹介しましたが)これらは、当時、寺山修司を真似て作った歌です。

よく若いときにしか読めない小説があると言われますが、私にとって五木寛之の小説は、こんなせつないような哀しいような青春の思い出とともにあるのでした。
2015.06.05 Fri l 本・文芸 l top ▲