2020年東京五輪のエンブレムの”パクリ騒動”が、とうとう「白紙撤回」の事態にまで至りました。もっとも、”パクリ騒動”が起きたときから、エンブレムを使用することによるイメージの低下を恐れた経済界から、「白紙撤回」の声があがっていたそうで、大会組織委員会の決定は別に意外ではないという声もあるようです。

それにしても今回の”パクリ騒動”は、あれほど中国のパクリを嗤っていた日本の、文字通り天に唾するトンマな姿を世界に晒したと言えるでしょう。ヨーロッパの人間から見れば、中国であれ韓国であれ日本であれ、みんな同じようにしか見えないのです。にもかかわらず、オレが偉い、オレのほうが世界でリスぺクトされている、なんて言い合っている姿は、彼ら西欧中心主義の人間からすれば、醜いアジア人がドングリの背比べをしている格好の差別ネタになるだけです。今回の決定を「ぶざまな成り行きになった」といち早く報じたイギリスBBC放送が、なによりそれを象徴しているように思います。

今回の”騒動”はネットから火が点いたのですが、それが大炎上して「白紙撤回」にまで至った要因については、中川淳一郎氏が独自のリアルな分析をおこなっていました。

Yahoo!ニュース
東京五輪エンブレム炎上騒動から見る広告人と一般社会の乖離
五輪エンブレム問題 声あげない業界、陰謀論に憤り 中川淳一郎氏「獲物が現れた時のネットの恐ろしさ」

もともと日本の文化は、コピーの文化なのです。言うまでもなく漢字も仏教も国家の統治制度も日常のさまざまな風習も、多くは中国や朝鮮からの輸入です。また、脱亜入欧以後はヨーロッパの模倣です。

かつて輸入雑貨の業界にいた人間からすると、日本がコピーの国であるというのは半ば常識です。たとえばシールやポストカードのメーカーで、「デザイナー」と呼ばれている人間の仕事は、まずロフトやハンズに行って、輸入もののよく売れている商品を買ってくることなのです。そして、それを模倣(トレース)してデザインするのです。

昔は、同じシールでも雑貨の系統と文具の系統に分かれていました。ホンモノにこだわり直接輸入していたのは雑貨の系統の会社でした。しかし、現在残っているのは、コピーとアニメキャラクターのライセンス商品が中心の、その意味ではいかにも日本的な文具の系統の(それも大阪の)メーカーばかりです。「本物志向」などと言いますが、実際はホンモノよりコピーのほうが売れるのです。それはコピーに対する文化的なバッグボーンがあり、そのほうが日本人の感性に収まりがいいからでしょう。

三島由紀夫は、『文化防衛論』において、伊勢神宮の式年遷宮を引き合いに出し、日本文化はコピーとオリジナルの区別がないと言ったのですが、まさにそれが日本文化なのです。サブカルチャーにおける二次創作も、そんな日本文化の系譜に連なるものです。日本が誇るクールジャパンも、模倣の文化の所産なのです。

模倣が当たり前のこととして存在する日本の文化。それは、この国の成り立ちからして、逃れることのできない”宿命”のようなものです。だから、日本人は、オリジナルなものより、コピーにコピーを重ねるそんな移ろいゆくはかなきものに「美」を見出したのです。それが日本の文化様式なのです。丸山真男が言った、主体性(考え方の核になるもの)をもたず「つぎつぎとなりゆくいきほひ」に流される日本人の思考の形態も、そんな日本の文化様式に附合しているように思います。そう考えれば、”エンブレム騒動”は、身も蓋もないことを言って自己撞着に陥っていると言えないこともないのです。

エンブレムのデザイナーの佐野研二郎氏は、ネットで在日認定され住所や電話番号まで晒されて、さまざまな嫌がらせを受けているそうですが、ネット住人たちはそうやって「愛国」の名のもとに佐野氏を血祭りにあげながら、あろうことか三島由紀夫が喝破した日本文化の伝統様式をも否定しているのでした。

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2015.09.05 Sat l ネット・メディア l top ▲