これは、今話題になっている神戸連続児童殺傷事件の加害者・元少年Aが開設した「公式ホームページ」のタイトルです。

元少年A公式ホームページ
存在の耐えられない透明さ


言うまでもなく、このタイトルは、ミラン・クンデラの小説「存在の耐えられない軽さ」(集英社文庫)をもじったものです。ただ、このタイトルは、クンデラの小説より、それを映画化したアメリカ映画のタイトルとしてのほうが一般にはなじみがあるのかもしれません。

タイトルだけでなく、ホームページの開設そのものにも、”悪趣味”とも言えるような元少年Aなりのユーモアが込められているような気がしないでもありません。案の定、自分たちは絶対に犯罪を犯さないと思っている能天気な人たちは、この”悪趣味”に対して、「非常識だ」「倫理的に許されない」「再犯の可能性がある」などと目くじらを立てるのでした。そして、売らんかな主義の週刊誌が、待ってましたとばかりに写真と実名を公表して、販売部数の倍増を目論むのでした。

『絶歌』発売からつづく一連の騒動は、もはや完全に商売のネタになっているのです。そういった視点で見ないと、見えるものも見えなくなるような気がします。

リテラの記事によれば、「公式ホームページ」開設に至る背景には、『絶歌』出版の際、土壇場で裏切られた幻冬舎の見城徹社長を告発する意図が存在していると言うのですが、もちろん、それだけではないでしょう。

リテラ
ナメクジだらけのHPよりもスゴい中身…少年Aが『絶歌』出版から逃げ出した幻冬舎・見城徹社長の裏切りを告発!

サイトのなかで、元少年Aは、パリ人肉事件の佐川一政氏に宛ててこう書いています。

僕も最近、自分を表現すること、切り刻んでさらけ出すことの苦悶と快楽を憶え始めたところです。あなたが「芸術とは失われたものへの郷愁である」というなら、僕にとって“芸術”とは、「失われた“現在”への求愛」です。僕にそれを教えてくださったのが、あなたです。


ホームページを開設したのも、佐川氏のサイトに触発されたからではないでしょうか。

佐川一政オフィシャルウェブサイト
http://isseisagawa.net/

たしかに、異様なコラージュなどを見せつけられると、「贖罪意識の希薄さ」「再犯の可能性」などということばが浮かぶかもしれませんが、それは、(専門家の意見を待ちたいけど)逆に元少年Aが「ヘンタイ」の自分と向き合っている証拠のように思えないこともないのです。

また、元少年Aのなかには、”忘れられる恐怖”という矛盾する心境もあるような気がします。それが傍目には「自己顕示欲」に見えないこともないのです。

元少年Aを商売のネタにする人たちには、とにかく彼が「反省」してもらっては困るのです。「反省」しないで「再犯の可能性」を残してもらったほうが、『週刊ポスト』のように商売のネタになるのです。

少年Aに「発達障害」の傾向があることはよく知られていますが、商売のネタにする人たちには、この点が見事なほどぬけています。と言うより、わざと無視している感じです。でないと、”贖罪意識が希薄で再犯の可能性が高い性的異常者”のイメージが維持できないからです。でも、神戸児童連続殺傷事件というのは、前も書いたように、「反省」などというものとはまったく次元の異なる事件なのです。

ヰタ・セクスアリスが逸脱するのは、思春期の少年たちにはありがちなことですが、どうしてそれが性的倒錯から殺人へとエスカレートしたのか。「表現に生きる」覚悟をした元少年Aの口からまだ充分語られているとは言えず、不可解な部分が残ったままです。

これからもメディアによってさまざまな報道がなされるでしょうが、犯罪を商売のネタにして事件を都合よく捏造する人間たちが口にする”社会正義”には、眉に唾する必要があるでしょう。
2015.09.14 Mon l 社会・時事 l top ▲