田中康夫氏が、7月の参院選の東京地方区におおさか維新から出馬することが決定したようです。

これには仰天しました。田中氏は、かつて橋下徹氏を「ナニワのウラジミール・プーチン」、その「舎弟」松井一郎氏を「ドミトリー・メドベージェフ」とヤユし、つぎのように当時の橋本府政を批判していたのです。

「財政効果は年155億円に上ると訴え(讀賣新聞)」、「都構想実現後の成長戦略として橋下氏が挙げたのは高速道路や鉄道の整備、大型カジノの誘致(朝日新聞)」。

「新たな庁舎建設やシステム改修費で600億円程度かかる(日本経済新聞)」新手(あらて)のハコモノ行政と知ったナニワっ子は、若しや本末転倒な“不仕合わせ”構想ではと訝(いぶか)り、僅差(きんさ)ながらも否決。それが僕の見立てです。

豈図(あにはか)らんや、2008年2月に橋下徹氏が知事に就任して以降の7年間で大阪府は、財政力指数も経常収支比率も悪化し続け、実質公債費比率が18%を超えた2011年度以降、地方債発行に総務大臣の許可を必要とする“禁治産者”状態に転落しています。

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田中康夫の新ニッポン論 ㉕「イデオロギー」


それがどうしておおさか維新なのか。田中氏は、「統治機構改革と既得権益打破を目指す方向は同じ」と語ったそうですが、なんだかあと付けのとってつけた理由のように思えてなりません。

田中氏が狙っているのは、東京都知事の椅子だという話もあります。橋下氏も都知事の椅子を狙っている(テレビ出演はそのための事前運動)という話もありますので、二人の間で舛添バッシングの先を見据えたなんらかの”手打ち”がおこなわれたのかもしれません。

私は、現実の政治に関わる知識人や文化人に対してはいつも懐疑的なのですが、田中氏の批評眼は信頼していました。ホンモノだと思っていました。変節や裏切りやウソとは無縁な人だと思っていたのです。それだけにどうして?という気持が強いのです。

田中氏の真意をはかりかねた人たちからいろんな見方が出ていますが、今回ばかりは変節と言われても仕方ないように思います。お得意のもってまわったような言い方も、単なる屁理屈とごまかしのようにしか聞こえません。これからはあのレトリックを駆使して、おおさか維新こそしがらみのないホントの改革勢力で、どこよりも平和を希求する政党だ、とどこかの宗教政党のような詭弁を弄することでしょう。

従来の支持者や読者から失望されるのは承知の上で、みずからのレトリックと野望は、石原・猪瀬・舛添・田母神60万票の東京の有権者のほうが生かせると思ったのかもしれません。ポピュリストにとって、東京の有権者は「おいしい衆愚」なのでしょう。

上記のブログで、田中氏は、橋下氏をつぎのように皮肉っていましたが、「鈍感」で「情弱」とはまさに今の夫子自身でしょう。これが「33年後のなんとなく、クリスタル」の姿なのか。私には、田中氏がトンチンカンに見えて仕方ないのです。

偏差値的な「形式知」=弁護士に象徴される資格試験の“士族”として世の中に登場したが故に、良くも悪くも「教養」とは無縁の“地頭”を用いて生きる「暗黙知」の国民よりも鈍感力が増してしまった、「情弱=情報弱者」振りです。



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2016.06.03 Fri l 社会・時事 l top ▲