参議院東京地方区に立候補している三宅洋平の選挙フェスに、創価学会の信者たちが登壇し、学会・公明党批判をおこなったことが話題になっています。

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https://www.youtube.com/watch?v=4hXdI4wXiyg

登壇したのは、「創価大学・創価女子短期大学関係者有志の会」のメンバーたちです。代表者である学会4世の創価大生は、「本来なら公明党支持者であるはずなんですけれども、ちょっと無理です。こんなこと言うと、マズいんですけど、怖いんですけど、指をくわえて権力を暴走させるわけにはいかないのですよ」と言ってました。

「安保を批判すると地獄に落ちるぞと幹部から言われました。創価大学・創価学会は学問の自由とか言論の自由とは程遠い、思想統制の世界に変わってきています」

「今も熱心に支援活動に動いておられる全国827万世帯の学会員さんに伝えたい。自分の信仰を、自分の人生を、自分の幸せを、組織の意思に任せるだけにするのは終わりにしましょう」

「僕らは、かつて貧乏人と病人の集まりだとバカにされいじめられてきた。でも、今はバカにする側にまわっているのではないでしょうか」

そんな訴えを聞いて、学会員ならずとも胸を熱くした人は多いのではないでしょうか。

こういった純真な若者の声に耳を貸すこともなく、ときの権力と手を組み、愚劣な”現世利益”を求める創価学会=公明党の幹部たちを見るにつけ、獅子身中の虫は誰なのかと言いたくなりました。

既出ですが、竹中労は、「月刊ペン事件」などで創価学会が世の中から激しくバッシングされていた際も、一貫して学会を擁護していました。それどころか、「彼らを愚民と見なし、”淫嗣邪教”のレッテルをはる輩、ことごとく外道である」とさえ言っていたのです。その理由をつぎのように書いていました。

 民衆に愛され、民衆に恩義を受け、おのれ自身も一個の窮民であった者が、民衆の側に立つのは当然ではないか! (略) それは、ヴ・ナロードなどという知識人のセンチメンタリズムや、原罪意識とは無縁の所為である。おちこぼれの窮民・悩める者を百万の単位で済度して、生きる力と希望とを人々にあたえる信仰に対して、小生は一切の偏見と予断を抱かない。いやむしろ、謙虚にこれを評価する。
(ちくま文庫『無頼の点鬼簿』・駅前やくざはもういない)


それは、創価学会が文字通り「貧乏人と病人の集まり」で、社会から「バカにされていた」からでしょう。そういった下層の悩める人たちに「生きる力と希望」をあたえる信仰の受け皿として、創価学会があったからです。でも、創価学会は変質したのです。創価大生が言うように、なにを勘違いしたか、権力と癒着して「バカにする側にまわっている」のです。

私も仕事関係の知り合いに学会員がいて、彼から泣きつかれ一時聖教新聞を購読していたことがありました(もっとも、購読料は彼が払っていましたが)。その際、創価学会と公明党の関係について話をしたのですが、いくら信仰と公明党を支持することは別だろうと言っても、彼には通じませんでした。「公明党はブレーキ役を果たしている」という話をただくり返すだけでした。私が言いたいのはそういうことではなく、信仰のあり方について、その根本にある問題を問うているつもりだったのですが、彼には理解できないようでした。

自公連立を支持することが”功徳”になると言うのなら、もはや思想・信条の自由は存在しなくなります。思想・信条の自由を否定するも同然です。極端なことを言えば、イスラム国と同じです。

故山崎正友氏の例をあげるまでもなく、かつて(?)創価学会は、敵対する勢力に対して、盗聴や尾行や誹謗中傷など「謀略」めいたことをおこなっていたという話がありますが、創価学会に反旗を翻した彼らが「怖いんです」「助けてください」(登壇した女性の声)と言っていたのは、そういった巷間言われているような体質と関係があるのだろうかと思いました。彼らの行為が、私たち外部の人間からは想像できないほど勇気のいるもので、学会員として大きなリスクを負っているのは間違いないでしょう。

政権与党という”現世利益”を”絶対視”する創価学会には、もう下層の悩める人たちに「生きる力と希望」をあたえる純粋な信仰の世界は存在してないかのようです。なんだかますますカルト化しているように思えてなりません。日本会議もそうですが、宗教的カルトが権力の中枢を蝕んでいるこの現実は、とても怖いことで、看過できない問題を含んでいると言えます。彼らの勇気ある造反が蟻の一穴になることを願わずにはおれません。


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2016.07.06 Wed l 社会・時事 l top ▲