東京都知事選が告示されましたが、その候補者選定の過程で示されたのは、うんざりするような古い政治の姿です。それは、与党だけではなく、野党も同じです。

「野党統一候補」の第一声に対して、動員された聴衆たちが、反安保法制デモのときの「アベ政治を許さない」と同じように、「みんなに都政を取り戻す」と書かれたお揃いの青いボードをいっせいに掲げている光景を見るにつけ、私は違和感を禁じ得ませんでした。

だからと言って、元官僚の「天下り候補」は論外だし、世渡り上手な「孤立無援パフォーマンス候補」も、過去にカルト宗教との関係が取りざたされ、今またヘイト団体との関係がささやかれるなど、その胡散臭さや海千山千ぶりは人後に落ちないのです。

元官僚に対して(しかも、知事経験者の”渡り”であるにも関わらず)、特別区長会や市長会など”地域のボス”が出馬を要請する官尊民卑の政治。そして、その官尊民卑の政治に、「卑しい」都民の多くが唯々諾々と従う東京都の民度。まったくいつの時代の光景かと言いたくなりますが、しかし、市民団体や労組が「野党統一候補」の擁立を要請する野党も似たかよったかで、与党を批判する資格はないのです。むしろ、分裂選挙にならなかった野党のほうが「全体主義的」とさえ言えるでしょう。古い政治に大差はないのです。

それどころか、自公に牛耳られ今や伏魔殿と化している議会への”対決姿勢”でも、「孤立無援パフォーマンス候補」にイニシアティブを握られる有り様で、いくら野党の基礎票があると言っても、このままでは浮動票を奪われ苦戦を強いられるのは間違いないでしょう。そもそも選挙の勝ち負けだけでなく、この候補でホントに大丈夫なのか?と思っている野党関係者も多いはずです。でも、「野党共闘」=「野党統一候補」の“体制翼賛“の空気に抗えず、そんな心の声をじっと押し殺しているのでしょう。

斎藤美奈子氏は、つぎのように「野党共闘」を批判していましたが、正鵠を射ていると思いました。

web掲示板談話
斎藤美奈子・森達也 第五十二回
都知事選について

 前回都知事選のときも、野党側が分裂選挙になって、あのときは私も「Uは下りたらいいのに」と思ったよ。でも、それはひどい発想だったんだって、今回わかった。前回も左派リベラル系の文化人が「下りろ」という記者会見まで開いたじゃない? あれは民主主義にもとるひどい行為だったんだって、改めて思った。
 個人の権利をつぶしておいて、都知事選に勝ったところで、何もいいことはない。もうこの人たちに、自民党を攻める資格はない。「民主主義をふみにじるのか」「言論を弾圧するのか」って、もう言えないもんね。自分たちが個人の被選挙権をつぶし、彼に投票する機会を奪い、この経緯に疑問を呈する声にも「黙れ」って、民主主義をふみにじってるのはどっちなの? 自民党の改憲草案だって批判できないじゃん。憲法13条の「個人として尊重される」の文言にもとることをやったんだからさ、自分たちで。
 こういう原理原則に反したツケは、必ず自分たちに跳ね返ってきて、敵に足元をすくわれ、ますます保守がはびこる土壌をつくることになると思う。

 というわけで、私はもう日本の左派リベラルには何の期待もしないし、野党連合も応援しない。日本の民主主義は今日、死んだ、と思った。たいへん残念です。

2016.07.16 Sat l 社会・時事 l top ▲