高畑淳子に関して、来月から上演される芝居には予定どおり出演するけど、来年以降の活動は未定という報道がありました。これで逆に、高畑淳子に対する芸能人仲間からの同情論や、先日の会見へのメディアの好意的な見方の背景が、なんとなく見えてきたような気がします。

忘れてはならないのは、高畑裕太容疑者がやったことは非道な犯罪だということです。「強姦罪」は被害者の告訴が必要な親告罪ですが、「強姦致傷罪」は告訴が必要ない非親告罪だそうです。怪我は全治一週間の指の打撲だとか言われており、怪我自体はきわめて軽症のようです。それでも、群馬県警があえて非親告罪の「強姦致傷罪」で逮捕したのは、もちろん、加害者が有名人であったということもあるでしょうが、もうひとつは、犯罪自体が悪質だったからではないかと言われています。また、警察官が宿泊している部屋に踏み込んだら、裕太容疑者は犯行直後にもかかわらずぐっすり寝込んでいたそうで、その“ふてぶてしさ“から常習性さえ疑われているのです。

ところが、高畑淳子の会見に対しては、犯罪の悪質性などどこ吹く風で、危機管理上どうだったか、及第点をあげられるかどうかなどという話になっているのでした。そんな反応を見ると、やはり、あの会見は「商品」イメージの低下を食い止め、活動をつづけるために演出されたものだったのかと思ってしまいます。また、会見自体も、仕事関係に迷惑をかけて申し訳ないというような話が多く、二次被害に苦しむ被害者の存在は片隅に追いやられてしまったかのようです。そして、「誠実さがよく伝わった」「同じ母親として高畑淳子さんの気持はよくわかる」などという“街の声”が、被害者不在の会見のカラクリを覆い隠す役割を果たしているように思えてなりません。

極めつけは、会見の際、裕太容疑者の性癖について質問した、フジテレビの番組でフィールドキャスターを務めるフリーアナウンサーに対しての批判です。結局、フリーアナウンサーは謝罪するはめになったのですが、でも、あの質問は別に批判されるべきものとは思いません。性犯罪の背景(性依存症)を考えると、当然出てきておかしくない質問だと思います。

それより、高畑淳子が活動をつづけることに対して、被害者がトラウマで苦しむことになるのではないか、それをどう思っているのか、という質問がなかったことこそ批判されるべきだと思うのです。もしかしたら、フリーアナウンサーの質問は、演出された会見の空気を乱すKYなものだったので、批判されたのかもしれません。

しかも、批判の急先鋒に立っていたのが、一方で、被害者女性のプライバシーを晒すことに躍起になっているネット民であったということも忘れてはならないでしょう。ここにも、リアルとネットの共犯関係によって作り出される、「万人が万人を支配する」「デモクラチック・ファシズム」(竹中労)の構造が垣間見えるような気がしてならないのです。
2016.08.29 Mon l 芸能 l top ▲