沖縄高江の米軍北部訓練場ヘリパッド建設工事の警備に派遣されていた大阪府警の機動隊員二人が、反対派住民に対して「土人」「シナ人」と発言した事件には、ただあきれるしかありませんでした。

しかも、この二人は、発言に対して反対派住民から抗議されると、隊列の後方に退いたのですが、後方に退いたあとも、二人で反対派住民を見やりながらニヤニヤ笑っているシーンがありました。私はそれを見て、なんだか異常な感じさえしました。隣の警官は、なだめるようにまあまあと肩を叩いていましたので、まわりも彼らの異常さに気付いていたのでしょう。

二十代の若者にとって、「土人」や「シナ人」などということばは普段は無縁なはずです。私たちの世代でもほとんど耳にすることはありません。子供の頃、戦争に行った祖父の世代の人間が口にしているのを聞いたのと、仕事で街宣右翼の活動家と話をしていたとき、彼らが口にしていたのを聞いたことがあるくらいです。そんな無縁である(はずの)ことばが、二十代の若者の口から咄嗟に出たのです。本人たちが言うように、「侮蔑的な意味があるとは知らなかった」というのは、どう考えてもウソでしょう。彼らは日ごろから、街宣右翼やネトウヨと同じように「土人」や「シナ人」ということばを使っていたのではないか。と言うか、彼ら自身が、ネトウヨ的思考に染まっていたのではないでしょうか。

公安の刑事に、「転び公安」と呼ばれる自作自演のでっち上げがあるのはよく知られていますが、デモや集会を規制する機動隊の傍若無人ぶりは、意外と知られていません。若い頃、集会に参加したことがある知人によれば、集会場の入口は機動隊の盾で壁が作られ、その間をとおって会場に入らなければならないように規制されているのだそうです。その際、機動隊員から差別語オンパレードの罵声を浴びせられ、さらに盾で腹や腰を小突かれたり、「安全靴」のような重厚な編上靴で脛を蹴られるのだそうです。そして、それに抗議しようものなら即「公務執行妨害」で現行犯逮捕されるのだそうです。

「土人」発言に対して、松井一郎大阪府知事が差別発言の機動隊員をねぎらう発言をして物議をかもしていますが、松井知事の発言に対しては、今回も上西小百合議員の批判がいちばん痛いところを突いていたように思います。もっとも、「土人」発言を擁護しているのは、「頭の悪い」松井知事だけではありません。産経新聞や夕刊フジも、機動隊員の発言は「売り言葉に買い言葉」にすぎないというような記事を書いていました。

しかし、高江の問題は、私たちの日常にあるような喧嘩とは違うのです。警察官と反対派住民では、その立場が根本的に異なるのは言うまでもないことです。警察官は権力の行使の権限をもつ公務員なのです。そんな政治学のイロハさえ無視して、「売り言葉に買い言葉」だと強弁するフジサンケイグループは、もはやジャーナリズムとは呼べないでしょう。彼らが擁護しているのは、機動隊員だけではありません。そうやって宗主国のアメリカ様を擁護しているのです。そして、アメリカの軍事基地建設に反対する住民を「売国奴」呼ばわりしているのです。

それはまさに『宰相A』の世界です。「売国奴」はどっちなのか、この国に「愛国」者はいるのか、と思ってしまいます。フジサンケイグループの記事が示しているのは、骨の髄まで染み付いた対米従属「愛国」主義という戦後の“病理”です。

「土人」発言に関して、私もこのブログで書いたことがありますが、沖縄タイムスも、「1903年、大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会の会場で『7種の土人』として、朝鮮人や台湾先住民、沖縄県民らが見せ物として『展示』される『人類館事件』」があったことを書いていました。

沖縄タイムス+プラス
「土人」発言は何が問題なのか 大阪で沖縄女性らが見せ物にされた人類館事件

おそらく警察内部では、こういった話題が個人間で共有されていたのではないでしょうか。それがああいった発言につながったのではないか。

一方で、当然ながら沖縄にも“買弁の系譜”というのがあります。「土人」「シナ人」と言われながら、米軍基地と引き換えに日本政府からもたらされる甘い汁に群がる人々がいるのもたしかです。「アメリカ世」の時代に、米軍の占領政策に異を唱える議員の追放を画策した仲井眞弘多前知事の父親などもそのひとりでしょう。岸=安倍家と同じように、沖縄でも“買弁の系譜”はしっかりと受け継がれているのです。

竹中労は、『黒旗水滸伝』(皓星社・2000年刊行)の「プロロオグ」で、大労組主体の沖縄「革新」勢力もその“買弁の系譜”に入るのだとして、彼らが「本土復帰」に果たした役割をつぎのように批判していました。

 全琉プロレタリアートの八割、三十五万人は新レート三〇五円で読み替えられた、実質二割の”賃金カット”に甘んじねばならかったのだ。加之(しかのみながらず)、七万人の生活保証のために公共料金は値上げされ、諸物価は右にならえと、三六〇円、いや商品によってはそれを上回る換算値上げ、かくて経済恐慌は世替わりの南島をおおった。復帰運動の旗をふり、”親方日の丸”、祖国日本の幻想に庶民をまきこんで、とどのつまりはおのれらのみ、三六〇円読み替えの特権をほしいままにした奴輩、教職員会、官公労、全軍労の特権労働貴族、ダラ幹こそコンプラドールよ、五・一五”琉球処分”の元凶、といわなくてはならぬのだ。
 彼らは口をぬぐっていう、「我々は日本政府に裏切られた」「反戦平和の決意を新たにせよ」。人民の代表ズラしていう。「基地を撤去し、自衛隊の派兵を阻止しよう」「CTS反対」。
 笑ァさんけえ(笑わせるな!)、信じてえならんど、”革新”こそ眼のウツバリ、沖縄人民の内部の敵である(引用者:傍点あり)。そのことをハッキリと見すえ、擬制の左翼と絶縁するところから、”琉球人民共和国”独立、──無政府窮民革命テーマは浮上してくる。


時はめぐり、今や沖縄の「革新」勢力は、フジサンケイグループやネトウヨらによって「過激派」と呼ばれているのですから、なにをか況やでしょう。竹中労流バッタリと扇動は割り引くとしても、今回の「土人」発言を考えるとき、琉球独立は、もはや当然の方向のように思えます。スコットランドやカタルーニャを見てもわかるとおり、それは決して絵空事ではないし、過激な考えでもないのです。


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2016.10.24 Mon l 社会・時事 l top ▲