昨日は仕事納めで、今年も残すところあと三日となりました。既に学校も休みに入ったので、電車も空いています。車内では、帰省する人たちなのでしょう、旅行バッグを持った乗客も見かけるようになりました。

おととしの年の瀬、私は「母、危篤」の知らせを受け、帰省客に交じって羽田空港行きの電車に乗っていました。それ以来、年の瀬になると、あのときの哀しい感情が思い出されてならないのです。

地元の空港に着くと、あちこちで出迎えの家族と再会を喜ぶ光景が見られました。みんな、笑顔が弾けていました。そんななか、私は、ひとり、母が入院している病院に向かったのでした。

最近は、飛行機のチケットに、「介護帰省割引」というのがあります。親の介護で、定期的に帰省する人も多いのでしょう。

若い頃は、希望に胸をふくらませた「上京物語」しかありませんでした。しかし、年を取ると、介護や見舞いや弔事など、人生の哀しみやせつなさを伴った帰省が主になるのです。まして私の場合、もう帰るべき家もなく、笑顔で迎えてくれる親もいません。ふるさとにあるのは、苔むした墓だけです。

先日、ネットで、ハフポスト日本版の「2016年に亡くなった人々」の「画像集」を見ていました。今年もいろんな人が鬼籍に入ったんだなとしみじみ思いました。なんだか例年になく若い人が多いような気がしました。

The Huffington Post
プリンス、ボウイ、アリ、巨泉...2016年に亡くなった著名人(画像集)

また、年末になると、人身事故で電車が止まるニュースが多くなるのも毎年のことです。

みんな死んでいくんだなと思います。たしかにみんな死んでいくのです。そして、やがて自分の番になるのです。

司馬遼太郎ではないですが、いつまでも「坂の上の雲」を仰ぎながら坂をのぼって行くことはできないのです。思い出を胸に坂をくだって行く人生だってあるのです。

それは、国も同じです。いつまでも成長神話に憑りつかれ、背伸びして世界のリーダーたることに固執しても、それこそ米・中・露の大国の思惑に翻弄され、貧乏くじをひかされるのは目に見えています。先日の安部・プーチン会談のトンマぶりがそれを象徴しています。

従属思想を「愛国」と言い換え、市場や国民の資産をグローバル資本に売り渡す一方で、中国への対抗意識から世界中にお金をばらまいて歩いて得意顔の「宰相A」を見ていると、ホントにこの国は大丈夫かと思ってしまいます。成長神話に憑りつかれている限り、格差や貧困の問題が二の次になるのは当然でしょう。

個人においても、国家においても、坂を下る思想が必要ではないのか。いつかは坂を下らなければならないのです。哀しみやせつなさを胸にどうやって坂を下るのか。上る希望もあれば下る希望もあるはずです。それをどう見出すかを考えるべきでしょう。
2016.12.29 Thu l 日常・その他 l top ▲