夕方、突然、外からお囃子のような音が聞こえてきました。カーテンを開け、ベランダに出ると、近所のスーパーの駐車場に、いつの間にかテントが張られ、提灯に囲われたヤグラが組まれていました。日が落ちた住宅街のなかで、その一角だけが灯りに照らし出され、幻想的な雰囲気さえ醸し出していました。そう言えば、商店街の掲示板に、盆踊り大会を告示する貼り紙があったことを思い出しました。

ただ、上京して30年近く経つものの、未だに7月の盆踊りには戸惑いを覚えてなりません。と言うのも、田舎ではお盆は月遅れの8月でしたので、私のなかには、盆踊りは夏の終わりを告げるイメージがあるからです。お盆がすぎると、川に泳ぎに行くことも禁止されました。日中、近所の子どもたちの嬌声が飛び交っていた川べりも人影がなくなり、いつもの風景に戻っていくのでした。お盆がすぎると、そんな祭りのあとのさみしさのような気持になったものです。

表の道路を見ると、浴衣姿の子供たちが、親に手を引かれてスーパーの駐車場に向かっていました。私たちが子どもの頃、浴衣は普段着(寝巻)でした。それが今では、祭りや花火大会や盆踊りなどハレのときに着るものに”出世”し、華やかなイメージさえ付与されています。派手な帯などを見るにつけ、なんだかコスチュームのようで、花火大会の日に、これ見よがしに電車に乗り込んで来る若者たちは言わずもがなですが、私は、子どもたちの浴衣姿にも、どうも違和感を覚えてならないのでした。

昔、夏の夕暮れどきになると、近所の大人たちは外に出て、家の前にある椅子や花壇の端に腰かけ、よくおしゃべりに興じていました。男たちは山下清が着ていたようなランニングシャツにステテコ姿で、話をしながらしきりに団扇で寄って来る蚊を払いのけていました。女たちは、一様に割烹着姿で、頭には手ぬぐいを姉さんかぶりに巻いていました。

私たち子どもは、手足が真っ黒になるまで遊んだものです。遊び疲れて帰ってくると、母親は「さあ、さあ、ご飯にしようかね」「早く手と足を洗いなさい」と言って腰を上げるのでした。家のなかからは、夕餉の匂いとともに裸電球の橙色の灯りが漏れていました。そんな光景を思い出すと、なんだか胸を突き上げるようななつかしさを覚えます。あのとき、家の前で夕涼みをしていた父親も母親も、そして、近所のおいちゃんやおばちゃんも、もう誰もいないのです。

今は田舎でもそんな光景を見ることはなくなりました。せいぜいが外から帰ってきた猫を見つけて、「ミーちゃん、さあ、さあ、ご飯にしようかね」なんて言うくらいでしょう。

ベランダからスマホで盆踊りの様子を撮ったのですが、パソコンに保存する際、操作を間違えて画像を消去してしまい、残念ながら画像はありません。
2017.07.23 Sun l 日常・その他 l top ▲