今朝、テレビを観ていたら、今日は群馬県御巣鷹山に日航機が墜落した事故から32年になるというニュースをやっていました。今年は節目の三十三回忌にあたるそうです。

もうあれから32年が経ったのかと思いました。当時、私は、九州で地元の会社に勤めていました。実家とは別にアパートを借りてひとり暮らしをしてましたが、盆休みにもかかわらず、実家には帰らずに、行きつけの喫茶店のママの家で花札をしていたのでした。ママとその妹、それに、喫茶店の常連が来ていました。みんな、独身でした。

咥え煙草に立て膝、ではなかったけど、座布団の上に札を叩きつけ、それこそ「猪鹿蝶だ」「青短だ」「松桐坊主だ」とやりあっていました。そんなとき、テレビから日航機が墜落したというニュースが流れたのです。

私たちは、しばし花札の手を休め、テレビの画面に釘付けになりました。画面には乗客の名前が映し出されていました。氏名のほかに、年齢や住所も書かれていました。それを観ていた私たちは、徐々に口数も少なくなっていました。

32年経った現在、喫茶店のママは、ある日突然店を閉め、誰にも告げずに引越して、今はどこか他県の老人施設に入っているそうです。ママの妹は、持病の心臓病が再発して30代の若さで亡くなったそうです。

喫茶店の常連たちも、そろそろ定年を迎える年齢です。なかには、その後、お見合いをして九州から栃木県だかに嫁いだ女の子もいます。もう孫がいてもおかしくない年齢になっているはずです。

当時、私がつき合っていた女の子も、結婚して大阪に行ってしまいました。彼女とは、一度だけ、実家に里帰りしていたときに会ったことがあります。実家の近くのスーパーの駐車場で待っていると、彼女は、ピンクの着ぐるみに包まれた赤ちゃんを抱いてやってきました。そして、悪戯っぽく笑いながら「どう、びっくりしたでしょ?」と言ってました。すっかりお母さんの顔になっていて、なんだか自分が置いてきぼりを食らったような気持になりました。

その数年後、私は、会社を辞め再び上京したのでした。考えてみれば、毎日のように喫茶店に通い、みんなと遊んだのも、わずか2~3年のことだったのです。今となっては名前すら思い出せない者もいます。

昨年、帰省して、当時の会社の同僚だった人間に会った際、私が会社を辞めたときの話になりました。会社では私が辞めた理由が理解できなかったらしく、「サラリーマンに向いてないなって、あとでみんなで話したんだよ」と言ってました。

あの頃の私は、田舎の生活に行き詰まりのようなものを感じていました。このまま田舎で一生を送ることが耐えられず、「ここではないどこか」を求める気持を抑えることができなかったのです。私はものごとを引き摺る性格なので、そうやって引き摺っているものを一端空っぽにしたかったのかもしれません。

あの夏の日に抱いていた、悲しいような切ないような、そして、ちょっと苦い気分。それは、今でも忘れずに残っているのでした。


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2017.08.12 Sat l 故郷 l top ▲