朝日新聞に月に一度連載されている「寂聴 残された日々」というエッセイで、瀬戸内寂聴が山尾志桜里議員のスキャンダルについて書いていました。

朝日新聞デジタル
(寂聴 残された日々:27)山尾さん、孤独の出発に自信を 恋は理性の外、人生は続く

エッセイは、つぎのような文章ではじまっていました。

 何気(なにげ)なくつけたテレビの画面いっぱいに、端正な美貌(びぼう)の女性が、涙のたまった両目をしっかりと見開き、正面を向いてしきりに言葉を発している。その表情がまれに見る美しさだったのと、しゃべる言葉がしっかりしているのに驚かされ、テレビから目が離せなくなってしまった。


そして、つぎのような文章で終わっていました。

 不倫も恋の一種である。恋は理性の外のもので、突然、雷のように天から降ってくる。雷を避けることはできない。当たったものが宿命である。

 山尾さんはまだまだ若い。これからの人生をきっと新しく切り開いて見事な花を咲かせるだろう。それを95の私は、もう見られないのが残念。


坂口安吾ではないですが、「恋は人生の花」です。山尾議員だけでなく、斉藤由貴も上原多香子も、自分の人生を恥じる必要はないのです。他人の色恋を妬んだり嫉んだりする人間ほど、心の貧しい者はいません。「不倫上等」でいいじゃないか。不倫を詰るような輩(カス)には唾を吐きかければいいのです。

山尾議員の場合、「仕事と子育てにがんばるお母さんの味方」というようなスタンスを演じていたので、不倫に対する反発がよけい大きかったのでしょう。文春の記者が朝帰りの山尾議員に向かって、「先生、お子さんはどうしたんですか?」「先生、お子さんの面倒は見なくていいんですか?」とわざとらしく叫んでいたのは、そんな山尾議員に対する当てつけだったのでしょう。

そこで振りかざされているのは、「仕事と子育てにがんばるお母さん」は貞操観念もしっかりしていなければならないという、女性を結婚(家庭)と母性に縛るおなじみの良妻賢母のイデオロギーです。山尾志桜里議員はジャンヌダルクなんかではなかったのです。古い女性のイデオロギーに迎合する、ただのポピュリストにすぎなかったのです。だから「ざまあみろ」という声に反論すらできなかったのでしょう。

私は、政治家としての山尾志桜里議員にはまったく興味もありませんし、期待もしていません。ただ、瀬戸内寂聴も書いているように、ひとりの女性として、(みずから墓穴を掘ったとは言え)古い女性のイデオロギーを押し付ける下劣な報道に負けずに、顔を上げて前に進んでもらいたいと思うだけです。

それより私は、「先生、お子さんはどうしたんですか?」「先生、お子さんの面倒は見なくていいんですか?」と叫んでいた文春のアホ丸出しの記者のほうが興味があります。彼らだって不倫をしているはずなのです。誰か、文春や新潮の社員たちのスキャンダルを書く人間はいないのかと思います。『噂の真相』がなくなったのが、かえすがえすも残念でなりません。


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