座間のアパートで9人の遺体が発見された事件。身の毛がよだつとは、こういうことを言うのでしょう。

当初は、容疑者が自殺サイトを利用して、自殺志願の女性を物色していたと伝えられていましたが、実際に利用していたのは、ツイッターなどSNSのハッシュタグだったそうです。ハッシュタグで「死にたい」と呟いている女性を見つけ、コンタクトを取っていたのです。

容疑者は、実家のある座間に帰る前は、歌舞伎町で風俗関係のスカウトマンをしていたことがわかっています。ただ、今どきのスカウトマンは、路上で声をかけるだけでなく、SNSでわけありの女性を見つけて、風俗店に紹介することもあるのだとか。つまり、ネットで女性を物色するのはお手のものだったのです。

誰しも一度や二度は「死にたい」と思ったことはあるでしょう。「死にたい」と思うことほど孤独な心はありません。「死にたい」と思う心は、本来人に吐露するようなものではないはずです。だから、カウンセラーは、人に相談しなさい、話せば心が楽になりますよ、とアドバイスするのです。

SNSで「死にたい」と呟くのは、もしかしたら「死にたい」のではなく、「死にたくない」からかもしれません。カウンセラーが言うように、誰かに話して心が楽になりたかったのかもしれません。

若者事情に詳しい(と自称する)評論家が、今の若者たちにとって、リアルな日常とネットは別のものではなく、地続きでつながっているのです、と言ってましたが、たしかに今の若者たちは生まれたときからネットが身近にあるのです。ネットに無防備になるのも当然かもしれません。

しかし、街で声をかけてきたら、あんなに短期間のうちに「親しく」なれるでしょうか。お互いを理解し信頼を得るまでには、膨大な時間と労力を要するはずです。でも、ネットだとあっさりその壁を乗り越えてしまうのです。そして、今回のように、「死にたくない」気持を逆手に取られて、みずから死を招いてしまうことにもなるのです。

私は、風俗で働く(容疑者のようなスカウトマンによって風俗に沈められる)女性と「死にたい」と呟く女性には、共通点があるように思えてなりません。そのひとつがメンヘラです。容疑者もそれがよくわかっていたのではないでしょうか。”現代の女衒”にとって、ことば巧みに誠実さや優しさを装い、メンヘラ傾向のある女性の心のなかに入り込み、女性を手玉に取ることなど、赤子の手をひねるくらいたやすいことだったのでしょう。また、そういった女性たちは家族やまわりの人間たちとの関係も希薄で、社会的にも精神的にも孤立しているということも知り尽くしていたのかもしれません。

ネットにあふれるお手軽にデフォルメされた「人間観」や「死生観」。そんなものは嘘っぱちだよと言っても、リアルとバーチャルの境目もない今時の若者には所詮、馬の耳に念仏なのかもしれません。

殺害方法にしても、あきらかに狂気を感じますが、しかし、報道ではその狂気が見えてこないのです。切り刻まれた内臓や身体の部位がゴミとして回収されたというのも、俄に信じがたい話です。背後に臓器売買の闇の組織があるのではないかという陰謀論が出てくるくらい、理解しがたいものがあります。

ネットには、自己肯定の無限ループとも言うべき側面もあります。「克己のない世界」(中川淳一郎氏)であるネットでは、夜郎自大な自分が肥大化するだけです。相模原の事件の”優生思想”もそうですが、”ネットの時代”は、私たちが知らないところで、とんでもない(狂気を内に秘めた)モンスターを生み出しているのかもしれません。でも、もう後戻りはできないのです。


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2017.11.05 Sun l ネット・メディア l top ▲