先日、朝日新聞デジタルに、つぎのような宮台真司氏のインタビュー記事が載っていました。

朝日新聞デジタル
「制服少女」の告白、実はショックだった 宮台真司さん

この記事にあるように、社会学者の宮台氏が、援交をしたり、ブルセラショップに下着や制服を売ったりして小遣いを稼いでいる女子高生たちをフィールドワークして、『制服少女たちの選択』(講談社のちに朝日文庫)を書いたのが1994年です。それは、このブログで何度も書いていますが、私が仕事で渋谷に日参していた時期と重なります。

私は、女子高生など若い女性向けの商品を扱う仕事をしていましたので、「女子高生が流行を作る」などというメディアのもの言いを嘲笑しながら、宮台氏が言う「制服少女」たちを身近で見ていました。

暗さを押しつける前者(引用者:「彼女たちを「道徳の崩壊」の象徴として批判」する言説)と違い、彼女たちは「うそ社会」を軽やかに飛び越えていると感じました。「うそ社会」に適応するといっても、染まるのではなく、なりすます。内面の夢や希望は捨てない。断念と夢を併せ持つ明るい存在。僕は自分を重ねて共感したのです。


それは、私も同じでした。

要するに、「制服少女」たちのほうが一枚も二枚も上手だったのです。センター街に行くと、通りを行ったり来たりしている彼女たちに、背広姿のオヤジが「二万でどう?」などと声をかけている光景を当たり前のことのように目にすることができました。

そうやってテレクラや街頭で声をかけてくるオヤジのなかに、教師や役人や警察官やマスコミの人間がいることを彼女たちは知っていたのです。また、そんなオヤジたちが、一方で「道徳然」とした説教を垂れ、若者たちの性の乱れを嘆いていることもよく知っていたのです。

「論壇的ないし新聞の論説的な道徳然とした言説が、現実をかすりもして来なかったことが暴露された」というのは、そのとおりでしょう。

「現実をかすりもしない」「道徳然とした言説」は、今の左派リベラルの言説も例外ではありません。

菊地直子元被告の無罪確定について、マルチ商法やカルト宗教の被害者救済で知られる弁護士の紀藤正樹氏が、みずからのブログでつぎのように書いていました。

17年の逃亡生活は何だったのだろうか?無罪なら逃亡する必要はなかった。

無罪は、とても後味の悪い結末となった。それは被害者にとっても、社会にとっても、そして菊地さんにとっても。

菊地さんは、逃亡のために多くの人に迷惑をかけた。

逃亡のために多くの税金が投入された。

無罪と言っても、菊地さんが、殺人集団であるオウム真理教に所属していた事実は、変わらない。

今回の無罪を教訓に、菊地さんには、オウム真理教の犯罪性の語り部になってほしい。

弁護士紀藤正樹のLINC TOP NEWS
17年の逃亡生活は何だったのか?オウム・菊地直子の無罪確定


菊地直子元被告は、無罪が確定したのです。「17年間の逃亡」は、警察が指名手配したからです。手記にあるように、警察に捕まれば無罪でも有罪にさせられるのではないかという恐怖から逃げたのです(実際に一審では有罪判決が下され、無罪なのに有罪にさせられそうになったのでした)。

「多くの税金が投入された」などと言うのは、菊地元被告に対してではなく、無罪の人間を容疑者として指名手配した警察に言うべきことでしょう。

これが法律の専門家の言うことなのかと驚くばかりです。無罪が確定し、これから一般人として社会復帰しなければならない人間が、どうして「オウム真理教の犯罪性の語り部」にならなければならないのでしょうか。

マルチ商法やカルト宗教の被害者救済の弁護をするというのは、リベラルな人なのでしょう。でも、このように、紀藤弁護士のリベラルなるものは、いつでも全体主義に転化できるようなリゴリズムで固められたそれでしかありません。

市民社会や市民としての日常性を所与のものとし、その安寧と秩序を保守することを一義とするような思想には、左派も右派もリベラルも違いはないのです。いざとなれば、みんなで翼賛の旗を振りはじめるに違いありません。
2017.12.31 Sun l 社会・時事 l top ▲