月山


森敦の「月山」(文春文庫『月山・鳥海山』所収)を読みました。

最初に「月山」を読んだのは、二十歳のときでした。私は、当時、九州の実家に蟄居していました。東京の予備校に通っていたのですが、持病が再発したため帰省して、高校時代をすごした別府の国立病院で入院生活を送ったあと、退院して実家に戻っていたのです。実家は、別府から70キロ以上離れた、熊本県に近い山間の町にありました。

入院したのは三度目でした。つまり、持病が再々発したのです。さすがに三度目となると深刻で、周りが慌てているのがよくわかりました。担当した先生は、「寿命の短い患者を引き受けたな」「若いのに可哀そうだな」と思ったそうです。実際に、最初の数か月はほとんど寝たきりでした。

しかし、若かったということもあって、一年間の長期入院になったものの、なんとか退院することができたのでした。当分は通院しなければならないので、実家にいるしかなかったのですが、そのあとどうするか、もう一度上京して受験するか、志半ばで宙ぶらりんな状態に置かれた私は、思案に暮れていました。同級生たちはみんな、都会の大学に行ってましたので、なんだかひとりぽつんと田舎に取り残されたような感じでした。

私は、毎日、実家の二階の部屋で本を読んですごしていました。月に一度、バスと電車を乗り継ぎ片道3時間以上かけて病院に行くのが、唯一の外出でした。今のようにネット通販もありませんでしたので、そのときにひと月分の本を買い込んできました。

そのなかに、芥川賞を取ったばかりの「月山」があったのです。

「月山」は不思議な小説でした。仕事もせずに文学を志して放浪する「わたし」が、山形の鶴岡の寺の紹介で、十王峠を越えた先の、月山の「山ふところ」の集落にある寺を訪ね、そこでひと冬をすごす話です。

寺には、寺男の「じさま」がひとりいるだけでした。「じさま」が作る大根が入った味噌汁が毎日の食事でした。しかも、大根は、趣向を凝らすためか、扇や千本や賽の目などのかたちに切られているのでした。

冬が近づいてくると、「わたし」は、寒さを凌ぐために、寝起きしていた二階の広間の奥に、物置で見つけた祈祷簿で蚊帳を作ります。

雪に閉ざされた山奥の寺で、祈祷簿で作った蚊帳のなかで冬をすごす主人公。当時の私は、その姿に自分を重ねたようなところがありました。文字通り、世間から隔絶され、人生を諦観したような感じがしたのです。

「わたしは」こう独白します。

こうしてここにいてみれば、わたしはいよいよこの世から忘れられ、どこに行きようもなく、ここに来たような気がせずにはいられなくなって来たのです。


それも、当時の私の心境と重なるものがありました。

「寺のじさま」は、暇があると、「暗い台所の煤けた電球の下で割り箸を割っている」のでした。その姿に、「わたし」はつぎのように自問します。

寺のじさま、、、もそうして割り箸を割ることがまさに祈りであり、その祈りはただいま、、に耐えるというだけの願いなのに、その祈りによってもなおいま、、すら耐えられるものがあるのでしょう。


また、鉢のなかに落ちたカメ虫が、底から縁に何度も這い上がっては落ち、落ちては這い上がる様子を観察しながら、つぎのように思う場面も印象に残りました。

ああして飛んで行けるなら、なにも縁まで這い上がることはない。そのバカさ加減がたまらなくおかしくなったのですが、たとえ這い上がっても飛び立って行くところがないために、這い上がろうともしない自分を思って、わたしはなにか空恐ろしくなって来ました。


しかし、40年近く経って再び読み返すと、「月山」はまた違ったイメージがありました。今の私のなかに浮かんだのは、生と死のイメージです。

十王峠を越えて、寺のある集落の七五三掛(しめかけ)へ向かう途中、「死の象徴」である月山を眺めながら、「わたし」は、つぎのように思うのでした。

月山が、古来、死者の行くあの世の山とされていたのも、死こそ私たちにとってまさにある、、べき唯一のものでありながら、そのいかなるものかを覗わせようとせず、ひとたび覗えば語ることを許さぬ、死のたくらみ、、、、めいたものを感じさせるためかもしれません。


そして、つぎのような冬の夕焼けの情景にも、死と浄土のイメージが呼び起こされる気がするのでした。

(略)渓越しの雪山は、夕焼けとともに徐々に遠のき、更に向こうの雪山の頂を赤黒く燃え立たせるのです。燃え立たせると、まるでその火を移すために動いたように、渓越しの雪山はもとのところに戻っているが、雪山とも思えぬほど黒ずんで暗くなっています。こうして、その夕焼けは雪の山々を動かしては戻しして、彼方へ彼方へと退いて行き、すべての雪の山々が黒ずんでしまった薄闇の中に、臥した牛さながらの月山がひとり燃え立っているのです。かすかに雪の雪崩れるらしい音がする。わたしは言いようのない寂寥にほとんど叫びださずにいられなくなりながら、どこかで唄われてでもいるように、あの念仏の御詠歌が思いだされて来ました。

    〽彼の岸に願いをかけて大網の
     〽曳く手に漏るる人はあるじな

 それにしても、なにものもとらえて漏らさぬ大網を曳く手とはなんなのか。それほど仏の慈悲が広大だというなら、広大なることによって慈悲ほど残忍な様相を帯びて来るものはないであろう。‥‥‥


年を取ると、否応なく死というものを考えざるを得ません。それは、上の文章で言えば、「言いようのない寂寥」です。断念した果てに現在(いま)があるのだとしみじみ思い知らされます。しかし、大悲は「倦きことなくして常に我が身を照らしたまう」(『往生要集』)のです。そう信じてただ手を合わせ祈るだけです。

このように「月山」は、年を取って読むと、若い頃とはまた違った景色が見えてくる小説です。それが帯にあるように、名作たるゆえんでしょう。
2018.05.10 Thu l 本・文芸 l top ▲