今、私が住んでいる街は、横浜では人気の住宅地で、「どこに住んでいるのですか?」と訊かれて、駅名を言うと、決まって「いいところに住んでいますね」と言われます。

私は、10年弱しか住んでない新住民ですが、昔は町工場などが多かったそうです。東横線沿線ということもあって、工場跡地にマンションが建てられ、農地だったところが宅地に整備されて、人気の住宅地に変貌したのでした。

昔の名残なのか、駅近くの路地の奥に、飲み屋ばかり入った”長屋”のような建物があります。2階建ての横に長い木造の建物で、1階に居酒屋や小料理屋などが6軒入っています。昔は、工場で働く人たちが仕事帰りに立ち寄る憩いの場だったのでしょう。もっとも、こういった建物は、背後に工場地帯を控える駅などではよく見かけました。ところが、先日、前を通ったら、既に2軒看板が外され閉店していました。様子から察するに、どうやら取り壊しになるみたいです。

私が来た頃は、駅の周辺の路地には、まだ古い飲み屋やアパートが残っていました。しかし、ここ数年でつぎつぎと取り壊され、新しい建物に代わっています。

前も書きましたが、そんな古い木造の、それこそ「○○荘」などと名前が付けられたアパートには、低所得の高齢者たちも多く住んでいました。建物が取り壊される度に、住人たちはどこに行ったのだろうと気になって仕方ありません。

金融緩和やオリンピック景気で、土地バブルが再来していると言われており、銀行による積極的な融資によって、古いアパートがつぎつぎと新しく建て替えられているのです。駅周辺の古いアパートも、あと2~3軒を残すのみとなりました。

今日、別の路地を歩いていたら、やはり古いアパートが壊され、シートに囲われた新しい建物が建築中でした。近所の人に聞くと、新しい建物は県内でチェーン展開する保育園になるそうです。

周辺のマンション住民のために保育園が建てられる。そのために追い立てられる低所得者。オーバーと言われるかもしれませんが、なんだか今の格差社会を象徴するような光景に思えてなりません。

反発されるのを承知で言えば、「日本死ね」も所詮は恵まれた人たちの話にすぎません。待機児童の問題では、母親が働かなければ生活が成り立たないような話がいつも強調されますが、当事者の多くは「中」の階層に属する人たちです。間違っても「弱者」ではないのです。「弱者」を盾にみずからを主張しているだけです。もちろん、2千万人もいると言われる生活保護の基準以下で生活している低所得者なんかではありません。

一方で、彼らは、各政党にとってメインターゲットの有権者でもあります。自民党から共産党まで、彼らの歓心を引こうと競って耳障りのいい政策を掲げています。待機児童問題がこれだけ大きくなったのもそれゆえです。まさにプチブル様々なのです。

左翼の概念が右へ右へとずれ、左派がリベラル化するにつれ、左派は上か下かの視点を失っていったのでした。

ジジェクも、現代は「ファシズムが文字通り左派の革命に取って代わる(代理をする)事態を表している」(『ポストモダンの共産主義)』と書いていましたが、アメリカのトランプ現象やヨーロッパを覆う極右の台頭に見られるように、プチブル様々の社会から置き去りにされた人々のルサンチマンを吸収したのは、左派ではなく極右です。上か下かの視点を持っているのは極右の方で、階級闘争は極右の代名詞にすらなっています。ナチスと同じように、”革命”が極右に簒奪されたのです。リベラル化して現実を見失った左派は、歌を忘れたカナリアになってしまったのです。


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2018.12.03 Mon l 社会・メディア l top ▲